#雑種猫
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uramochoko · 6 months ago
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日、月と息子のスポ少の合宿の引率を泊まりで行ってきやした(笑)激疲れ...いやでもなかなか友達ではない大人と大勢でお泊まり合宿とか基本ないからいい経験になった(笑)そしてまあまあ楽しかった(笑)
受験生の娘は毎日昼寝ばっかしとるし....
マジ毎日、怒りと疲れが���けず廃人!の夏休みを過ごしておりますわ。
福さん、先週の火曜日に約2か月ぶりに痙攣起きました。でも前回までの痙攣とちがって20秒から30秒ほどだった...
初めての痙攣の3月半ばは、この合宿があるころに福はこの世にいるのかな、、とか考えたりしてたけど、生きてます。
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ike2910 · 2 years ago
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おだいりさまとおひなさま🎎 ひな祭り終わったら早くしまわないと…💦  #ひなまつり  #zoic親ばかフォトグランプリ #自慢の1枚  @zoic_cats  #坂口アム  #キジシロ  #坂口マロン  #茶トラ男子部  #雑種猫  #保護猫  #仲良し猫  #コスプレ猫  #ねこすたぐらむ  #ずっと飾っていたい  #ニャンスタグラム  #猫好きさんとつながりたい  #catlover #suzurankukan #ひな人形  #igersjp #ねっこ   https://www.instagram.com/p/CpTkWkJhvBR/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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holespoles · 5 months ago
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Miscellaneous. Some demons are said to be accompanied by a band of cats before their appearance. They are said to be usually noisy and many run away. The intention is unknown. Cut from Nelly Littlehale's example of the black cat. It has been slightly modified here.
雑。ある種の魔物はその出現前にネコの楽隊を伴うというのです。たいがいやかましいそうで、逃げ出す者も多数とか。意図不明なり、と。カットはネリー・リトルヘイルの例の黒猫画から。こちらでちょっといじっております。
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photo-a-photo · 9 months ago
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この間、英語のリポストタグで「『レベッカ』って感じ(意訳)」とコメントいただいた猫ですが、もちろん純粋なる日本生まれ雑種です。
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yataro5 · 1 year ago
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Urakata 3D Art
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kou-f · 6 months ago
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月曜の朝から会社の下でこの猫が寝てる。
痩せて弱ってる感じもするけど、
話しかけたら返事するし頭を撫でたらゴロゴロ言ってる。
ただの夏バテならいいけども。
とりあえず野良にはご飯はあげられないけど
数時間ごとに冷たい水を与えてる。
冷たい場所を求めて、ちょこちょこ移動してるみたいで、
見るたびに場所が変わってるw
この間の落ちてきたカラスといい、この夏はなかなか過酷だ。
.
うちは昔から猫がいるけど、
野良出身じゃないのは最初の猫のコジロウだけだった。
コジロウはアメリカンショートヘアーでイカツイ顔してた。
歳を取って、最期は山に入っていって帰ってこなくなった。
猫の中には死期を悟って飼い主の元から姿を消すものもいるらしい。
次の猫は父の知り合いの家に産み落とされて兄弟のなかで
一匹置いて行かれた雑種のコテツ。
コテツと暮らしてる時に勝手にベランダから入ってきた
毛が長い猫のマイちゃん(迷子のマイちゃん)はたぶんどこかで
元々飼われてた猫なんやと思う。
教えてないのに最初からお手ができたw
勝手に入ってきてコテツのご飯を食べ、コテツのベッドねた。
コテツとマイちゃんは家で亡くなった。
同時期にどういう経緯でうちに来たか忘れたけど
真っ黒な猫がいたけど腎臓が悪くて子猫のうちに亡くなった。
名前は憶えてない。
叔父が亡くなって叔父が飼ってたはっちゃんも
コテツとマイちゃんと黒猫と同時期に居たかな。
はっちゃんは最終的にどこかのお寺に引き取られていった。
.
黒猫が来た辺りで自分は家を出たからそのあとは知らないけど、
数年前に今も家にいるシェイクとクロエの姉妹保護猫が
うちに来た。
.
今思えば血統書付きのコジロウだけが外で亡くなり、
あとの野良雑種たちは家で亡くなってるんやなw
確かにコジロウはワイルドな猫だった。
もう四半世紀も前だけど、コジロウに引っかかれた傷が
自分の腕にはまだ残ってるw
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mori3322 · 9 months ago
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シャドウハート ハイハーフエルフのクレリック。忘却と闇の女神:シャーの信徒で、ある遺物をシャーに届けるための使命がある。過去の記憶のほとんどがないが、それもシャーの試練として受け入れている。ホントかな~。オオカミがすごく苦手。お花が好き。
レイゼル 戦闘民族ギスヤンキの戦士。ギスヤンキ以外は劣等種として教えられてきたため、差別と偏見が激しい。根は気マジメで勉強家。いつか仲良くなれるのかな~。 カーラック 地獄にさらわれて悪魔の下で10年奴隷をしていた分、逃げ出した今は自由と善行への憧れが強い。地上で幸せになれるかな…。豪快で大らかで熱いハートを持ってる。実際燃える。
ウィル ブレード・オブ・フロンティアと呼ばれる、悪魔狩りの英雄。異名は助けた人たちに付けてもらえたんだって。正義感と高潔さにあふれた王子様みたいな人だが、お父さんと仲良くできてないことがつらいみたい…。男子で一番若いが、一番まともである。犬派。
ゲイル 気さくな学者で魔法の天才。でも才能と同じくらい野心と慢心も強かったため、全ての魔力の女神:ミストラに怒られ、破滅の呪いを受けてしまった。ちゃんと反省できるかな…。猫が好きで料理がとくい。
アスタリオン 吸血鬼の奴隷として、200年生きてきたけど、たまたま脱出して自由になれた。主人への復讐を果たそうとしてるけど、うまくいくのかな~。ひねくれの皮肉屋の天邪鬼で、善行や正直さを示すとおこる。本心はどうなんだろ~ね。おさいほうが得意。猫派。
ハルシン パンセクシャルでポリアモリーでナチュリストな森の祭司長。やさしくて心も体もでっかい。森をおそうゴブリンたちを止めようとして、仲間に置き去りにされてつかまってしまう。甘党でお酒にはすごくよわい。くまさんにもなれる。
ミンサラ ハルシンさんの管理する、ドルイドの森を襲おうとしているパラディン。高慢で権威主義なアブソリュートというカルト教団の一員だが、複雑な経緯もあるもよう。悪いヤツだけど、本当に仲間になれるのかな~?!
スクラッチ&アウルベア 旅の途中で家族になるかもしれない動物。かわいい。とてもかしこい。
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monthly-ambigram · 4 months ago
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2024-10月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「読書」です◆
今月は参加者の皆様に「読書」のお題でアンビグラムを制作していただいております。今月も様々なジャンルのアンビグラムが集まっておりますので、ごゆるりとご鑑賞ください。
今号も失礼ながら簡易的なコメントとさせていただいております。皆様のコメントがいただけますと幸いです。
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「図書館戦争」 回転重畳型:かさかささぎ氏
有川浩の小説で、各種メディア展開されています。 雰囲気で十分読めるのですが細かい対応を見ていくと面白いです。モールス信号もデザインにマッチしていますね。
 
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「図書室」 図地反転回転型: いとうさとし氏
学校で読書するなら。 複雑な構造ですが非常に読みやすいのに驚きます。「書」が単体で使用できそうな見事��です。
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「紙の本」 回転型:douse氏
もともと本と言えば紙製ですが電子書籍が普及したことにより言うようになったレトロニムです。 黒薔薇シンデレラ風の書体に。可読性が高いうえにタイポグラフィとしてもオシャレでステキです。
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「読書燈」 回転型:うら紙氏
読書時に手元をいい感じに照らしてくれるライトですが色々なタイプがあります。 あまりアンビグラマビリティは高くない文字列だと思うのですが、パーツのやりくりが巧みで、よい対応解釈だと思います。
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「読書週間/この一行に逢いにきた」 回転共存型:兼吉共心堂氏
読書推進運動協議会が主催する、読書を推進する活動が行われる期間で10月27日~11月9日の2週間。今年の標語が「この一行に逢いにきた」。 書道の心得のある人の筆致で堂々とした文字ですね。中央部が特にうまく嵌っています。
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「星の王子さま」 回転型:KSK ONE 氏
サンテグジュペリの代表作。 先行例はありますが文字単位での対応付けをしているのが本作の主張になるでしょうか。表紙にできそうなステキなデザインです。
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「目次」 重畳型:kawahar氏
書物の内容を示した見出しを順序立てて書いたもの。 隣り合うどの2つを取りだしても「目次」。本のページをめくっているようなイメージで、重畳型とあっていますね。
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「スピン」 図地反転回転型:Jinanbou氏
栞紐のことで、日本独自の呼び方。 文字ごとに色分けしてありますが、単色でも十分読めそうなデザインになっています。このタイプは一瞬アンビグラムに見えない面白さがありますね。
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「時を止める1片の紙 -栞-」鏡像型:化学氏
栞の素材やデザインにもいろいろなものが出てきました。 文字列生成で作成したようですが、アンビグラマビリティの高い文字がうまく紡がれており作っていて楽しかったのではと想像しました。
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「あらすじ/ネタバレ」 図地反転共存型: いとうさとし氏
物語のあらすじは下手をするとネタバレに。 正統の図地反転です。普通に読めば「あらすじ」という文字、地に注目すれば白文字の「ネタバレ」を文字として認識します。両者を同時に文字として認識することはできません。
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「なろう系小説」 敷詰回転型:松茸氏
「小説家になろう」で流行したジャンルの異世界転生系小説が由来。 大胆な配置ですが、文字送りの自然さを犠牲にした分、文字としての可読性は高くなっています。
 
 
つづいて、なろう系のように長い言葉の作品をいくつか。
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「9極冊読んだ後の指令」 回転重畳型:あおやゆびぜい氏
SF感あふれる、想像を膨らませたくなるワード。 文字列生成ですね。中央に苦労の跡が見えますが、他はかなり自然に読めますね。
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「本を読んだことない32歳がはじめて本を読む」 回転型:ちくわああ氏
オモコロの企画発の書籍。 文字組がすごいので読むのに苦労しますが、各文字は読みやすくできているので意外と読めてしまうかもしれません。
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「本から飛び出た夜の文字文字は今日も誤字脱字衍字を誘ふ」 敷詰回転型:超階乗氏
おもちゃのチャチャチャの世界の文字たちを想像させます。 文字列生成ですね。どこからでも読めそうなので解読が大変なタイプ��作品です。作字として楽しさがありますね。 右上に見覚えのあるものが。
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「活字中毒」  回転型:lszk氏
活字(文章)に過度に執着を見せることを意味する言葉。 全体的にデフォルメの仕方がよいですね。「活/毒」の処理が素晴らしいです。
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「速読」 図地反転式旋回型: いとうさとし氏
素早く文章を読むこと。 非常に読みやすいです。しんにょうとごんべんの親和性が高いところは応用が利きそうです。
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「積読」 振動式旋回型:KSK ONE 氏
入手した書籍を読むことなく自宅で積んだままにしている状態。 「積」「読」以外にも「績」「続」などにも見えてしまいそうですが、そこから読める組み合わせを見付けて読んでもらうタイプですね。モザイク処理ははまればかなり有効な手法だと思います。
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「紐とく」 回転型:てるだよ氏
内容を理解して知識を得るために文章を読むこと。 シンプルできれいなデザインです。丁寧に作られた印象です。
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「伏線回収」 図地反転鏡像型:つーさま!氏
序盤で張られていた伏線が明らかにされること。 カッコいいデザインですね。図地反転がどんでん返しを思わせます。「収」の下部分はかなり余っているのに全く気になりません。
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「ゲーム内文書/ムテキ時间」 回転共存型:.38氏
ゲーム内でとある文書を入手すると無敵時間が得られる、という意味合いでしょうか。 この言葉の組み合わせでもアンビグラムにしてしまう強さがありますね。字形が楽しいです。
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「活字/繰る」 鏡像型:Σ氏
「活字」はいわゆる文章のことで「繰る」は本をめくって読み進めること。 「口/品」の対応付けは実験的ですね。さんずいといとへんも読みやすく、書体選びが成功しています。
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「蛍窓雪案」 敷詰振動式旋回型:繋氏
苦労して学問に励むことの喩え。 4つの文字をそれぞれ縦に敷詰めると同じになります。解読も苦労する図案ですが、4対応なので字画のやりくりに苦労して作られたと思います。
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「眼光紙背」 鏡像型:結���氏
読書の理解力がきわめて鋭いことのたとえ。 「眼」のヒカリ表現、斜め鏡像対応に対してピッタリな処理ですね。
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「眼光紙背」 回転型:螺旋氏
 眼の光が鋭く、紙の裏まで貫くという意味。 環状配置が工夫です。「光/背」が良い解釈ですね。
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「眼光紙背に徹す」  回転型:lszk氏
書物に書いてあることを、表面だけでなく真意まで理解することのたとえ。 日本語アンビグラムのパイオニアの流石の一作。このレベルを長年作り続ける能力に感嘆します。根っからアンビグラムを愛してる人の筆致だと思いました。
 
 
 
最後に私の作品を。
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「閉戸先生(闭戸先生)」 旋回型:igatoxin
年中、門を閉じて家にこもり、読書や学問に没頭している人のこと。
 
 
 
お題 読書 のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「運」です。宝くじ、占星術、おみくじ、ガチャ、巡り合わせ、幸運と勇気の剣、晴れ女、逆境、空輸、トラック、運動方程式 など 参加者が自由に運というワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は10/31、発行は11/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}     10月{ヒーロー}     11月{ゲーム}         12月{時事}
2024年 1月{フリー}        2月{レトロ}   3月{うた}         4月{アニメ}   5月{遊園地}      6月{中華}          7月{猫}     8月{夢} 9月{くりかえし}    10月{読書}    
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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kaoriof · 8 months ago
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Independently blue
感受性が豊かだとかいつも考えすぎだよの一言で自分のすべてを見透かしたかのようにわたしのことをとくべつ綺麗に表現してほしくなかった。というか、絶望や不安感や絶えない悲しみに美しさなんて微塵たりと存在しないと思っているのに、それを爽やか��笑顔を浮かべながら素敵だと言われてしまうと、わたしも捻くれた人間なのでより一層自分に対して惨めな想いばかりが募ってしまう。こんな調子だからいつになっても満たされないのだ。ずっと。自分で自分を縛り付けているような感覚に頭が痛くなる。何一つとして誇れるものを持ち合わせていないことに。家族や友人はたいせつだけれど彼らだってやっぱり一番大切なのは自分自身で、そういった意味では彼らもある種の寂しさを抱えているのかもしれないけど、それでも、と、ぐるぐる考えれば考えるほど自分だけが異様に変わっているように思えてきて耐えきれず泣いてしまう。
無題
世界はドラマによってうごかされていて、そのドラマによってわたしたちはうごかされている。と、高校演劇大会の審査員の演出家の方が言っていた。
ドラマの定義というのは最初に保たれていたバランスが何かをきっかけに崩壊して、そしてまたあたらしいバランスが構築される、というその繰り返しのことらしい。ここで大事なのはバランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のエネルギーの動きをしっかりと捉えて明確にするということ。そうすることではじめてハッ、となる瞬間がうまれる。ここでいうハッというのは新しい気付きのことで、これは今までは流れに流されていたものが急に堰き止めらたときに止むを得ず立ち止まり、改めて周りを観察し分析することで自分自身の置かれている立場を客観視できる、ということだと思う。バランスが崩れるということは何かが劇的に変わることを表していて、人間はそれに適応することに大体は切磋琢磨して多くの場合くるしくなったり悲しくなったりとネガティブな感情に追い込まれてしまうと思う。けれど演劇において、また人生においても同じことが言えるけれど、そこでは自らの感情に思うがまま身を委ねるのではなくてロジカルに思考をすることが大事になってくる。というのも、大きな衝動は複数の感情をより複雑に絡ませてしまい、そうするとまた今度はそれを解くことに必死になって小さなパニックが起きてしまうから。そうしてそのように自らを疲れさせないために情報量を極限まで少なくすると、はじめて人間はそこで現在進行形で起きている意外性というものに気がつく。そして大概この意外性、つまり思いがけない驚きや予想外の仕掛けというものは自分だけでなく他者にも影響を及ぼし、それがその審査員のいうハッ、という気付きに繋がるのかもしれない。
同情の有無に��かわらず人間への関心を失ったら演劇など出来ない、と審査員の方々が話すのを聞きながら、人生と演劇って似ているなあと改めて思った。自然であることと自然でないことはまったくもって違うけれど、実は紙一重なのかもしれない。
辛いことはたしかに尽きないけれど、そこでその辛い気持ちから自己防衛をするために自分自身を正当化し誰かを傷つけることは全くもってちがうし、それでは自分のかなしみはより加速する一方で、一向に幸せにはなれない。自信を持つ方法だとか辛い気持ちから脱却する方法だとかそういうことをつらつらと語る動画をたくさん見たら、元気が出た。今までにないほど散々汚い言葉を投げかけられて、ついこの間までもう自分には幸せになる価値なんてないのかもしれないとマイナス思考だったけれど、そんなことはない。幸せになりたい、という思いだけで充分だと思う。どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命となる。ただ誰かを傷つけることで自分を正当化する人や人の心に深い爪痕を残そうとする人、自分自身を責めてしまう人や優しさや愛を素直に受け止められずに疑ってしまう人、いろいろな人がいるけれど、その人たちを責めることもまた全くちがうことなのかもしれないと思った。わたしは今までは悪いことをした人は絶対的に悪い、と一方的に思っていたけれど、そのうしろにはその人にしか分からない苦しみがあるのだろうし、それはその人自身によるものだけではなく環境によるものだという可能性だってある。冒頭で述べた、「バランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のうちのエネルギーの動き」というものを自分の根本にある愛やだれかから受け取る愛の不十分さゆえに消化できず、他のものでそれを補い上書きしつつ誤魔化すことで、彼らも彼らなりに自分と向き合うとしているのかもしれない。これはあくまで仮定だけれど、そう思うことでわたしも心が軽くなる。辛いとか、幸せとか、気にしなくなるほど愛に満ち足りた生活をしたい。ゆるしたい。自分が侵してしまった失敗や罪も、自分を傷つける人たちの言葉も、上手く物事をこなせない自分自身のことも、幸せでない過去のことも、ぜんぶゆるしてあげたい。号泣しながら鏡を見たら予想以上に顔がぐちゃぐちゃだったので綺麗だった、なんて微塵たりとも思わず、むしろそれを汚いと思ってしまったけれど、それをいつかあの頃の美しさに生かされていると言えるほどの愛を自分のために抱えて離したくない。
無題
丁寧に髪をとかすともう0時だった。ピピピというメロディとともにコンビニのドアは開かれて、わたしはそこで煙草を買おうかと思うけれどもやめる。憧れている女の子が新宿区の高校に通っていることを知って、落ち込んで舞い上がって、そうしてまた落ち込んだ。こんなにも近くで同じ景色を見ているのにわたしはどうしても彼女と同じ世界を生きることができ��い。等しい恐怖心ともどかしさを感じながら寂しさを分かち合いたかった。彼女がきれいだと思うものをわたしもきれいだと思いたいし、彼女が眠れない夜にはわたしも眠れずにいたい。となりで同じ蝉の鳴き声を聴いて、電車が過ぎ去ってゆくのをみて、風が、草はらを駆け抜けてゆくのをみた。けれどその一瞬のうちですら、たぶんわたしと彼女はきっとそれぞれ異なるひとのことを想って、それぞれ異なる色と匂いと温度と光をかんじている。わたしは彼女がかなしいと思うときにおなじようにかなしいと思えないのだ。それほどもどかしいことはないし、それほど愛おしいものもない。わたしの孤独はわたし一人だけで成立しているものではなくて、わたしの大切なひとたちがいてこそのものだと思うと、それだけで眠れなかった夜が嘘みたいに今度は眠りたくない夜になる。満たされていないからわたしは海をきれいだと思うのだろうし、なんの迷いも戸惑いもなく未来に眩さや希望やあたたかな愛を見出すことができるのだと思う。満足することを知らず、いつまでも世界のありとあらゆるところまでつねに感じていたい。うしなわれた光と温度と音が知らない地でまたあたらしくうまれるところを、ずっととおい国のちいさな街で暮らす少年の報われなかった恋を、インターネットの隅で未だに煌めきを失わず残ることばの数々を、千年前に生きていた十七歳の少女が今を生きるわたしのそれと同じ眼差しで、同じ場所で、同じ海を眺めている様子をみたかった。恐竜の鱗が光にてらされてかがやいているのもみたかった。この風は、まだ人間が人間じゃなかった頃に吹いていた風かもしれない。同級生のこととかたとえば自分の数年後のこととか明日の試験のこととか考えているうちに、きっとたぶんあっとういうまにわたしは歳を重ねて死んでしまうから。あなたも。死は永遠に続く停止ではなくて、またあたらしい有限への始まりにしか過ぎないのかもしれない。昔の文章、はずかしすぎてマトモに読めなかった。一年前のわたしだったら全部削除していたかもしれない。だいたい、あなたにはなれないと分かっていながらあなたになりたいなんて思ってしまったわたしがわるかった。わたしは全然自分が思っているより幸せだし、あなただってきっとあなたが思っているより幸せなのだと思う。それにそうだねと言えないのなら、わたしが幸せにしにいくから泣かないで。
Fresh Flesh
苛々してばかりいる。排気ガスを吸い込んだ朝の光。どこまでもぬるい夏の風。孤独を拒絶する友人。数値化された感性。立ち並ぶビル群。声のでかい女。ぜ〜んぶ、ほんとにぜんぶ、まるで雷光のようにわたしの心の奥の奥の奥のほうをカッと照らすので、まぶしくてひたすらに鬱陶しい。だけど舌打ちも暴力も歯軋りも性に合うはずがないので、ただ血液だけが巡るその速度を速め、ああ、もうさ、どうして���んなに世界って鮮やかなわけ?って、思った、昼。あらゆる音がさっきまで飲んでいたシュワシュワサイダーの泡みたいに空気中を弾ける。ぽつ、ぽつ。びゅうびゅう。ざあざあ。びたびた。ぱらぱら。すぐそこで揺れている深緑(ふかみどり)が泣いているみたい。小鳥や野良猫は雨の日どこで雨宿りをしているんだろうか。ショッキングイエローも、スモーキーピンクも、オーシャンブルーも、わたしたちはすべて黒い色の文字で表現できてしまうのに、心がぎゅうってなるあの感覚って、どんな言葉を選んでもなにかが違う。途中でこうじゃないって投げ出してしまう。どれだけ小説のページを繰っても、黒、黒、黒、そうして少し、余白。けれどそこにはそこにしかない風があって、匂いがあって、音があって、熱があって。先生の合図とともに重たい教科書を開いて、ハイライターで色をつける。まだあと二十分もある、って思うとき途方も無い気持ちなる。(おねがいだから一人にしてほしい、)と、一人なのに、そう思う。これからどうすればいいんだろう。どうなるんだろう。何をすればいいんだろう。何を守るべきで、何を捨てるべきなのか、わかったら、なんの迷いもなしに会いたい人たちの元へと駆けて行けるのに、わたしがいなくても彼らの生活は成立してしまう。その事実が毎日のようにわたしの胸をきつく締め付けるので、勉強さえ手につかない。夏の夜の闇に、重ねに重ねた不安を押しつぶされそうになって、怖くなって、ママが深く眠っているのを確認したあと、あたかも人が眠っているかのように部屋の布団を整えて、玄関のドアをゆっくり、すごくゆっくり開けた。レッドのマットリップと、ドット柄の上下パジャマのズボンと、上はダボダボのブルーのパーカー。午前零時。自転車のギアをいちばん重いのにして、全速力でペダルを漕ぐ。まだたくさんいる人々の話し声や車のエンジン音が瞬く間に遠のいていく中、車輪の回転する音だけが一定の大きさで響きわたる。往復およそ三百円の通学路と、京浜東北線。光が差し込むと肌が透けてみえる白いブラウスと、微かに香る柔軟剤のにおい。テスト前、教科書がパンパンに入ったリュックサックの重さと、かかとの磨り減ったローファーの鈍い光沢。小さな教室と、先生のつまらない冗談。どっと響きわたる笑い声の中に掻き消された不安定な思考。すべて、いつか、終わってしまうことがちっともさみしくないと思ってしまった。ゆるしてほしい。だって、いつだって死ぬことは生きることの一部。怖いモノなど無いと信じたいでしょ。
無題
上野で車に轢かれた鳩の死��をみた。車窓に映る風の如く過ぎ去ってゆく光景はあらゆるモノの死の産物なのだと、いつか君が話していたのを思い出した。それに感化され涙を目に浮かべるわたしもまた、いずれ消えてしまう。雲ひとつない晴れた日に駅の出口で名前も顔も知らない人を待ちながら、点滅する青信号に早まる人々の足取りを目で追う。断ち切れた水道管の真横でカラスがゴミを漁っていた。彼も彼女もこの街ですらいつか朽ちてゆくのに、世界はなぜこうも美しく出来すぎているのだろうかとよく考える。降ってくる雨粒の鋭さに刺され出血することもなければ、太陽の光によって皮膚が火傷することもない。風の強さで眼球が吹き飛ぶこともなければ、鳥の鳴き声で鼓膜が破れることもない。そのやさしさがたまに鬱陶しくて鬱陶しくて、真夜中に布団に包まってひっきりなしに泣く。ああ、やってらんないなあと思いながら、チョコレートパフェを注文する。向かい席に座った顔見知りになって間もない女性が煙草を嗜む、その姿に恋心にも似たときめきを覚えた。文豪たちが綴ったうつくしい言葉が無数に散らばる図書館で、わたしと彼女は自分たちで編み出したくだらない戯れ言に花まるをつけた。いつか、という言葉が好きだ。いつか大丈夫になる。いつか幸せになる。いつか報われる。いつかわたしにも大切な人が出来る。いつか大人になる。いつか死ぬ。その果てに見える景色があらゆるモノの死の産物だとしたら、わたしは毎日それらを瞼の裏に葬り、目を閉じて祈る。人生にリタイヤもバッドエンドもエンドロールもない。それよりも踊ってばかりの国のサイクリングロードを聴きながら、ドライブしよう?
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a2c4k · 19 days ago
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焚き火と火鉢。
火を焚べている時の心境はやったことがある人なら、なんとなくわかると思う。とにかく不思議だと思う。
いつまでも見ていられるような惹き込まれる美しさがある。
原初の人間も、文明萌芽の前ならば、この景色を見ていたのかと思いをを馳せる。
今日は別のことも思った。
生命の活動の結果、種は土や雨という養分を得て、殻を破って芽を伸ばし若葉をつけ、成長して背は高くなり、葉を増やし、花を咲かせる。そしてまた次の世代へと種子を実らせ、枯れて地面へと横たわる。
生命活動の結果としての枯葉や枯れ草を手に持って、焚き火に焚べる。あっという間に火は燃え移って、あれだけたくさんの量だったものがわずかな灰になっていく。ぱちぱちと爆ぜる心地よい音は、一体なんの知らせだろうか?
そこに世界の全てがあるような気になる。
自分たちも形は違えど同じことだと思った。
これだけ膨らんだ生命活動は結果、目の前の灰に帰結していく。
我々の人生や過ごした時間や思い出はどこへいくのだろう?
我が身から溢れ出るようなこの感情はどこへいくのだろう?
庭に咲いた花や夏の間にあれほど隆盛を極めた雑草たちの亡骸に、教えてもらっている。
四十を越えると、そこに寂寞感はない。
若い人は違うかもしれない。
それは寂しいことでもなんでもないのだよ、と最近思う。
そうやって何世代も何世代も語り継いできた命の螺旋のほんのわずかな割り当てなのだ。
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生命の神秘、などという陳腐な言葉でしか表現することはできないが、そうやって渡されてきたバトンを今もまだこの手に握っているのだと思うと、先祖たちに思い焦がれるし、未来の子供達を思う。
家で一緒に暮らしている妻も、三匹の猫��ちも同じことだ。
本当にたまたま、一期一会の縁が巡って一緒にいる。
それはほんのわずかな時間なのだろうなと素直に思ってしまう。
勢い余って、火鉢も楽しんでました。
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wisutponnimit · 2 months ago
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. 【11/14(木) ~ 11/25(月)開催!】 紀伊國屋書店 新宿本店にて開催される 「マムアンとララちゃん」発売記念 ポップアップ 販売商品紹介
「マムアンとララちゃん」発売記念限定グッズ✨🐈 💚 ポストカード 6種
「マムアンとララちゃん」の印象的なシーンが、心に残るポストカードになりました。どのシーンだったか本書を手に取りながら探してみるのもおすすめ。日常にちょっとした癒しを添えるポストカードです。
マムアンとララ ポストカード ぼくらは助け合える マムアンとララ ポストカード いない マムアンとララ ポストカード 終わらない季節 マムアンとララ ポストカード 気持ち マムアンとララ ポストカード ノラ猫になっちゃった マムアンとララ ポストカード 君はどういう人?
.˚⊹⁺‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧⁺ ⊹˚.
🎈イベント情報🎈
✨🥭ポップアップストア/グッズ販売 「マムアンとララちゃん」発売記念 ポップアップ 🐈✨
🌟雑誌『リンネル』で2015年10月号から2023年4月号まで連載されていた漫画「マムアンとララちゃん」がついに書籍化!書籍の発売を記念して、紀伊国屋書店新宿本店の1Fにて、「マムアンとララちゃん」発売記念 ポップアップ を開催します📗📚
「マムアンとララちゃん」 関連グッズや限定グッズもご用意していますので、ぜひお立ち寄りください!
⋆ ✩ ⋆ ┄ ⋆ ✩ ⋆ ┄ ⋆ ✩ ⋆ ┄ ⋆ ✩ ⋆ ┄ ⋆ ✩ ⋆
📍 紀伊國屋書店 新宿本店 1階 THE ENTRANCE
📅 開催期間: 2024年11月14日(木)~2024年11月25日(月)
🕰️ 営業時間: 10:30〜21:00
🔗 ��ベント公式サイト: https://store.kinokuniya.co.jp/event/1730196819/
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ike2910 · 2 years ago
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どんな夢を見てるのかな❓  #ビオナチュレフォトコンテスト3月  @bionature_official_ #坂口マロン  #雑種  #茶トラ男子部  #癒し猫  #ねこのきもち #猫好きさんとつながりたい  #ねこすたぐらむ  #ニャンスタグラム  #ねっこ  #catlover #チラキバ https://www.instagram.com/p/Cpc5c3ZB4EX/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tatsunokofarm-orchard · 2 months ago
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うちの子"ミコッテ族"とそのモデル
キャシー・シーフス(ムーンキーパー/♂) 社交的かつ友好的で、だいたいの人にすぐ懐く。クルザスの山岳に集落があったため、寒い地域に耐性がある。髪は美しい銀色で、月夜に照らされると美しく煌き、光る眼光はまさに森のハンターであることから「月下」と呼ばれることも。弊エオルゼア世界での主人公で光の戦士である。
モデル:ノルウェージャン・フォレストキャット(愛猫) ▪️原産地:ノルウェー▪️毛色:シルバータビーホワイト  ▪️瞳:ゴールドグリーン(ヘーゼルとも) ▪️ノルウェーの森林で育った大型の森林猫。
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ラー・ラムル(サンシーカー/♂) 基本的には、一人でいることが多いがサベネア島のイェドリマンで商業人のためか、人と話すときは、朗らかな表情を見せる時もある。暁月のフィナーレでイェドリマンを訪ねてきたキャシーたちのことが気に食わず嫌悪していたが、今となっては愛方のような存在に。
モデル:アラビアンマウ             ▪️原産地:アラビア半島▪️毛色:レッドタビー   ▪️瞳:アンバー                  ▪️アラビア半島の砂漠に生息するスナネコに似たネコ
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ノーザン・グレート(ムーンキーパー/♂) 穏やかで寛容的な性格。一人の時間を好み、勉学か読書などに時間を費やする。シャーレアン魔法大学で環境エーテルについて研究している。(シャーレアン(北欧)出身なのはキャシーがクルザス(おそらくヨーロッパ)出身の為致し方なくです)
ブリティッシュ・ショートヘア         ▪️原産地:イギリス▪️毛色:ブリティッシュブルー     ▪️瞳:カッパー(薄め)          大人しく物静かで一人でいる個体が多い。骨太でどっしりとした体格を持つ。ダブルコートの短毛種。
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マヌル・オトコロコブス(ムーンキーパー/♂) 遥か北の山岳(ガレマルド)に住んでいる最も古い星読みの一族の末裔。寒さに非常に強く、身体能力もバツグン。基本、馴れ合うことを好まない一族だが、彼は社交的で他の人との交流を楽しむ。
マヌルネコ                    ▪️生息地:モンゴルやロシア南部などの中東部    ▪️毛色:?▪️瞳:イエロー(ヘーゼルとまではいかないが僅かに) ▪️最古の猫と呼ばれるヤマネコの一種。警戒心が非常に高く獰猛。
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コユキ・ムツノハナ/六乃花 小雪(ムーンキーパー/♀) クガネの上級民・六乃花家の一人娘。大変可愛がられていて、世間知らずのおてんば娘だったが、紅蓮のリベレーターにて光の戦士として活躍しつつ冒険を楽しむキャシーに憧れを抱き、現在はクガネを中心に人助けをしている。
雑種                       ▪️原産地:?▪️毛色:ホワイト▪️瞳:オッドアイ(虹彩異色症)                       ▪️突然変異個体。美しい見た目だが聴覚に異常が見られることが多いとされる。小雪も例外ではない。
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※キャシーのモデル猫以外の猫は拾い画になります。ご了承下さい。
※うちの子のキャラ設定の容姿や性格、行動原理などはモデル猫の生態を元に寄せていますが、全てではない。また、モデル猫たちの情報はウィキペディアなどのネット情報になりますので、鵜呑みにしないで下さい。
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lastscenecom · 10 months ago
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畳み込みニューラル ネットワーク (CNN) CNN は、コンピューター ビジョンの世界における大きな武器です。彼らは、特殊なレイヤーのおかげで、画像内の空間パターンを認識する才能を持っています。この能力により、画像を認識し、その中にある物体を見つけ、見たものを分類することが得意になります。これらのおかげで、携帯電話で写真の中の犬と猫を区別できるのです。 リカレント ニューラル ネットワーク (RNN) RNN はある種のメモリを備えているため、文章、DNA シーケンス、手書き文字、株式市場の動向など、データのシーケンスが関係するあらゆるものに最適です。情報をループバックして、シーケンス内の以前の入力を記憶できるようにします。そのため、文中の次の単語を予測したり、話し言葉を理解したりするなどのタスクに優れています。 Long Short-Term Memory Networks (LSTM) LSTM は、長期間にわたって物事を記憶するために構築された特別な種類の RNN です。これらは、RNN が長いシーケンスにわたって内容を忘れてしまうという問題を解決するように設計されています。段落の翻訳や TV シリーズで次に何が起こるかを予測するなど、情報を長期間保持する必要がある複雑なタスクを扱う場合は、LSTM が最適です。 Generative Adversarial Networks (GAN) 2 つの AI のイタチごっこを想像してください。1 つは偽のデータ (画像など) を生成し、もう 1 つは何が偽物で何が本物かを捕まえようとします。それがGANです。この設定により、GAN は信じられないほどリアルな画像、音楽、テキストなどを作成できます。彼らはニューラル ネットワークの世界の芸術家であり、新しい現実的なデータをゼロから生成します。
ニューラル ネットワークの背後にある数学 |データサイエンスに向けて
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nyantria · 7 months ago
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「Can You Catch A Cold?」サンプル5
字幕大王2024.06.25
サンプル4はこちら
水俣病の混乱
細菌論に夢中だったために伝染病と間違われた病気は栄養不足だけではない。1956年5月のこと、5歳の少女が日本の水俣市の病院に入院した。水俣は八代海に面した人口約5万人の小さな漁村だった。その少女は、けいれん、歩行困難、言語障害などの異常な神経症状を呈し、急速に体調を崩していた。数日後、彼女の妹と町内の他の3人もまったく同じ症状で病院を訪れた[45,46]。
その後、数週間から数ヶ月で、村の人々が病気になるケースが急増したが、罹患したのは村人だけではなかった。大量の魚が奇妙な泳ぎ方になり、やがて死んで陸に打ち上げられた。海鳥は飛べなくなり、異常な行動をとるようになった。これらの動物を捕食する猫も具合が悪くなり、口からよだれを垂らし、気が狂ったかのようにぐるぐる走り回った[47]。動物と人間の間で何らかの病原体が伝播したのだろうか。誰も確かなことはわからないが、この大流行は伝染病の特徴をすべて備えているように思われた。最初の患者が出た後、村に住む人々が次々と同じ症状で倒れ始めたのだ。そのため、ある種の「奇妙な伝染病」が発生したという噂が広まった[48]。やがて、この病気は伝染性髄膜炎であるという未確認の報道が出始め、地域社会は大きなパニックに陥ったのである[49]。
謎の病気への恐怖は極めて大きく、近隣の町の人々は水俣人を排斥し始め、長い間築かれてきた密接なコミュニティの絆は急速に失われていった[50]。伝染病まん延を抑えるため、家屋は消毒され、病人は隔離された[49]。この対策にもかかわらず、伝染病が地域住民を襲い続けた。初期の報道によれば、少なくとも55人が感染し、17人が死亡した[45]。
しかし、約3年後、研究グループはついに病気の原因が地元の肥料製造会社であると突き止めた。同社が、合成肥料製造の廃棄物であるメチル水銀27トンを水俣湾に投棄していたのだ[51]。この水銀が地元の水路を汚し、何百平方キロメートルもの海を汚染した。かつては美しく肥沃な自然の珊瑚礁であった水俣湾は、有毒な荒れ地となり、かつては豊かであったその恵みを不運にも口にした人間や動物を毒した。
1963年2月、水俣病の発生原因を調査していた研究グループから正式な発表があった。誰もが落胆したが、水俣病の原因は感染性微生物ではなく、メチル水銀に汚染された水俣湾の魚介類の摂取によるものだった[49]。長年にわたって、この環境破壊の犠牲者たちは、日常生活で出会う人々に伝染性ではないと安心させねばならなかった[52]。この災害によって900人以上が死亡し、200万人が慢性的な健康被害に苦しんだ[51]。
水銀中毒の混乱
水俣で起きた出来事にもかかわらず、医療関係者は今日に至るまで、水銀中毒を感染症として誤って診断している。2018年8月のこと、15歳女性、13歳女性、11歳男性の3人兄弟が救急外来を受診した。彼らには、発熱、筋肉痛、皮疹、倦怠感など、非特異的な症状が進行していた。検査は陰性の連続であり、その結果、「ウイルス性症候群」と診断された。子供たちは休ませるために家に帰らせられたが、その3日後、兄弟はさらに悪化した状態で救急部に戻ってきた。うち一人は神経障害を起こしていた。子供たちは溶連菌性咽頭炎(連鎖球菌性咽頭炎)と猩紅熱(しょうこうねつ)と診断された。彼らには抗生物質が投与されて退院した[53]。
その数日後、子供たちはセカンドオピニオンのために別の救急外来を受診した。この時までに、症状はかなり悪化しており、激しい頭痛、息切れ、手足のしびれ、全身の脱力感などが生じていた。結論に飛びついてウイルスやバクテリアのせいにするのではなく、救急医たちはさらに詳しく調べた。すると、子供たちが自宅で水銀の瓶で遊んでいて、それがカーペットにこぼれていたことがわかった。母親はこぼれた水銀を掃除しようとして掃除機を使った。母親はそうとは知らず、これが水銀を加熱・気化させて、子供たちはうっかり吸い込んでしまったのだ。不思議なことに、母親には何の症状も現れなかったので、この病気は小児感染症のように思われたのだ。
子供たちが水銀中毒であることを知った医師たちは、水銀除去のためにキレーション療法を開始した。二人の子供は完全に回復したが、1人は関節、背中、筋肉の痛みが続き、歩行器が必要になった。この出来事はケーススタディとして記録され、2020年2月の医学雑誌に掲載された。著者の結論としては、水銀中毒が感染症に似ている可能性があることだ[53]。子供たちは同じ家で暮らしており、似たような症状を呈していたため、最初の病院の医師は、小児期の伝染病が兄弟間で広がったに違いないと誤って考えたのだ。ここでもまた、一面的なレンズを通して世界を見ることが誤った思い込みを招き、正しい診断と治療を遅らせたのである。
なぜこれが重要なのか?
壊血病、ペラグラ、水銀中毒といった病気の原因を正しく特定することが重要だったことは明らかだ。しかし、いずれの場合も、細菌論というレンズが真実を邪魔し、調査者を無益な捜索に向かわせ、一般大衆を無用なパニックに陥れた。これらの事例だけを見ても、間違った説明モデルを適用したことによる影響を定量化するのは難しい。数え切れないほどの資源、時間、人命が、存在もしない敵と戦い、追いかけて失われたのだ。また、どれだけの人々が仲間はずれにされ、孤立し、非人道的な扱いを受け、タイムリーで効果的な医療を拒否されたかを考えると胸が痛む。それは伝染病だからではなく、伝染病であることを恐れたからである。このように、我々が世界を見るレンズは強力だ。良くも悪くも、レンズは我々のあらゆる知覚を彩り、我々の見方に一致する結果をもたらす。
もちろん、今では良くわかっており、これらの病気を伝染病と見なすことはない。壊血病、ペラグラ、水俣病のような病気を振り返り、その過ちに気づくのは簡単なことだ。現在の我々から見れば、人間がハンセン病患者のような烙印を押され、治療を拒否され、檻に入れられた動物のように閉じ込められていたのは野蛮なことのように思える。後知恵とはおかしなものだ。我々は今、すべての答えを持っていると思い込んでいる。しかし、我々がいまだに伝染病だと考えているが、そうでない病気が他にもあるとしたらどうだろう?ここまで来たと誇らしげに振り返っても、まだ同じ過ちを犯しているかもしれない。プライドと甘さに目がくらみ、過ちを犯し続けていることに気づかないまま、我々は突き進むのだ。
今にして思えば、過去の研究者の一部が傲慢でなく、型にはまっていなかったのは幸運だった。彼らは謙虚であり続け、心をオープンにし、勇気を持って行動した。もし彼らが、受け入れられているパラダイムに挑戦しようと思わなかったら、今日の世界はどうなっていただろう?我々はまだそれらの病気を伝染病とみなし、かつてと同じ非効率的で非人道的な治療法を続けていたかもしれない。単純な食生活改善の代わりに、重金属を注射し、ペラグラのために隔離されることを想像してみてほしい。壊血病や脚気、くる病に他人から感染することを恐れて暮らすことを想像してみてほしい。おそらく我々は、ワクチン接種、手洗い、社会的距離、抗生物質、抗ウイルス薬、マスク、ロックダウンといった現代的な方法で、これらの(存在しない)細菌から身を守ろうとするだろう。そのあいだ、人々はライフスタイルや環境によって不必要に死に続けるのだ。そういった想像は難しくはない。例えば風邪やインフルエンザなど、他多くの病気についても、今日の世界はこのような方法で対処しているからだ。ただひとつ違うのは、現代の研究者たちが、伝染病モデルによってこれらの病気を正確に説明できると信じてこんでいることだ。この信念は現在、集団心理に深く刻み込まれており、間違いの可能性を受け入れるのは難しい。文化もまた変化しており、受け入れられているパラダイムに異議を唱える者は、狂った陰謀論者のレッテルを貼られる。
我々はあまりに自身を確信しすぎてしまっている。しかし、本章で示すことは、結果を観察���て原因を誤って帰することが、いかに物事を間違えやすいかである。また、結論を急ぐのではなく、厳密に管理された(controlled)科学実験によって因果関係を確認することがいかに重要であるかを強調している。我々は過去にも過ちを犯したし、因果関係を正しく理解しなければ、我々自身がどれほど進歩していると考えていようと、過ちを犯し続けるだろう。誤った例が強調しているように、病気を伝染病と誤って診断することは、あらゆる種類の悪影響をもたらす。病人にとっては、適切な診断や治療へのアクセスが遅れ、より深刻な機能障害や身体障害につながる可能性がある。総合的には、これは広範囲に及ぶ影響をもたらす。実際、病気の原因を伝染病と混同してしまえば、より恐れを抱く回避的な社会が培われ、資源の配分を誤り(研究助成金など)、誤った経済(医薬品など)を支え、組織(政府など)に権力を譲り渡し、誤った道を進む間に、より多くの人々が病気になり、命を落とすという機会損失を最終的には被ることになる。
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「Can You Catch A Cold?」サンプル5 | 字幕大王
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fukagawakaidan · 5 months ago
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そ��としたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論��社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜と��、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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