#随筆 猫
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随筆 猫 松本恵子 講談社 装幀=亀倉雄策、カバーイラストレーション=勅使河原霞
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなる��とをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこま���) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜��部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置��堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで���いており、家��りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 ��和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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2024年1月5日(金)晴れ
昨夜から本棚の整理をしはじめ、半分が終わったところで力尽きた。首も肩も腕も親指も筋肉痛。机に積まれた山のような本を眺めながら、今読んでいる『最後に残るのは本』のなかで書かれていた「本が好きでない者にすればただの紙クズの山である」というような一文を思い出す。誰かにとって紙クズであるものが、私にとっての宝のようなものになる。それはそうとこの本は80年代に書かれた随筆が多くみられ、とても良い。
家にある備蓄品の整理。いつなにがあるかわからないときのためにローリングストック方式をとっているので大人は一週間、犬猫のトイレ砂やご飯は二ヶ月分はなんとかなる。しかし娘のものがない。液体ミルク、布オムツ、お尻拭きさえあればなんとかなるのか、ならないのか。兎にも角にも命が大事。地震が起きたときを想定して、この立地に越してきたのだし、屋根も軽いものにし、鉄骨の家を選択したのだけど、なにがどうなるかはわからないから、最善を尽くしたい。しかし怖いね、本当に怖い。被災地で生後2ヶ月くらいの赤ちゃんの支援物資が特に足りていないという情報をみて、娘と同じくらいか、とおもうといてもたってもいられず、しかし何もできることはなく、なのに完ミの子は一体どうしているのだろうかと胸のうちでジタバタしてしまう。なにもできない。
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Picrew 17
Masterlist
1. Noah_idkk
2. 鈍々省見 dull reflection
鈍々省見っぽいね / Looks like a dull reflection
3. SaKURA (3 Picrew)
いろんなタイプの女の子 / Various types of girls
4. 九十九円 99 yen (2 Picrew)
ねこのせ少女 / cat girl
5. Emaco少佐 Major Emaco
きゃわっ子めーかー / Kyawakko maker / Scary baby girl
6. KIMCHIMANDU (2 Picrew)
7. HOOHOO
8. catfein
9. 희귤 rare tangerine (2 Picrew)
🍊 희귤 픽크루 / 🍊 Red Tangerine Pickle
10. センシル Sencil (2 Picrew)
おしゃかわ女子デビュー♥メーカー by センシル / Oshakawa Girls' Debut ♥ Manufacturer by Sencil
#picrew#boys maker#girls maker#picrew me#ocs#picrew oc#profile#avatars#oc#avatar maker#oc maker#picrew game#tag chain#tagging game#picrew tag game
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2009年卒の就活は氷河期どころか思いっきりバブルだったぞ。07年卒、08年卒はもっとザルだった。ちなみにこの時期は、マーチ内ですら「みずほ銀行とりそな銀行は無対策で応募してもかなりの高確率で内々定までいっちゃうから行く気ないなら受けないほうがいい」みたいに囁かれてた。学内で親しい先輩のうち、この年度にみずほ銀行を受けた人��5人いたけど5人全員内定してた。早慶なんかだと「メガバンクは赤だろうが緑だろうが蹴るもの」というのが常識だったようだ。今の時代の就活生や20世紀の就活を知っている人からしたら衝撃的だろう。リーマンショック由来の就職氷河期が始まったのは2010年卒の人間の就活から。この就職氷河期は、不景気突入の嚆矢となる象徴的事件(リーマン破綻)から新卒採用抑制の時間差が全然ない珍しいものだった。本当に突然バブルから氷河期に突入したのだ。秋頃にメガバンクの採用予定計画が発表されてどこも軒並み半減してて「あーこれはヤバいわ」とNHKのニュースを見ながら血の気が引いたのを覚えている。結果、やはり前年までの就活が嘘のような超買い手市場と相成った。圧迫面接が大流行した。それから・・・「マスコミとかパイロットとかじゃない限り大手企業の最終面接は儀式だから落ちない」という新卒就活の常識が全く通用しなくなったのもこの年度からで、大企業の最終面接落ちも大流行した(増田の友達は東大法学部でしかもコミュ強で容姿も別に悪くなかったのだが、のべ7社の大企業で最終面接まで進んだのにも関わらず全て落とされ無い内定のまま就職留年した)。そして、このリーマンショック起因の就職氷河期は11年卒、12年卒と年度を重ねるごとに地獄絵図になっていった。ここまでは事実である。さすがに13年卒の親しい人間は自分にはいなかったので、この年度以降の就活戦線がどういうふうになっていたのかは全くわからない。誰か教えてほしい。とりあえず2009年卒はバブル、2010年卒から突然氷河期突入っていうのは強く言っておきたい。特にツイッター民に対して。【追記】メガバンク内定が学友から「うん、まあ良かったね……」程度の反応されるような微妙な位置づけだったのには理由がある。当時の就活生は「大手でしかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、したがって、「大手・低倍率・給料と福利厚生以外が非ホワイト」なメガバンク内定は大して凄いと思われなかった。この価値観がよく表れていたのは2ch就職板の『就職偏差値ランキング』なる有志が独断と偏見で作成したもので、記憶が確かならそこではメガバンクよりも食品メーカーとか素材メーカーとかのほうが上に据えられていた。実際、三菱東京UFJを蹴ってサッポロビール、三井住友銀行を蹴って中央発條に入社を決めた人間が友達にいた(生涯賃金で5000万円以上差があると思うのだがそれでも激務は何より恐れられていた。ドラマ半沢直樹が放送されるずっと以前だったが、もうメガバンクが健康に人間らしく働くにはあまりに苛烈でエグい職場環境であることはネットのせいでバレバレだった)。同じように証券会社や保険会社も大手だろうが忌避されていた。ちなみに日興コーディアル証券なんか日大や専修あたりの大学からでも内定バンバン出てた。このように大手金融の採用は(基本的に)ザルだったのだがこれにも例外があって、東京海上と日本生命(営業幹部採用じゃないほう)の総合職はマーチ男子程度だとほぼノーチャンスだった。いずれも体育会系有利と言われる会社ではあるが、マーチに関しては体育会系とかどうとかもはや関係なく、各大学0~3人程度の内定にとどまった。身分違いだったのだろうか。さて、当時の就活生は「大手でしかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、それゆえに大手金融は09年卒であろうと10年卒であろうと「無い内定にならないため、万一入社しても高給が保証されているから、戦略として仕方なく受ける企業」でしかなく、基本的に不人気だったのだが、これにも例外があった。それはみずほ証券と大手信託銀行である。みずほ証券については「ホールセールばかりでリテール全然やらなくていいから」、信託銀行については「メガバンクと違い、残業全くしないで30歳1000万円まで一律昇給できる地上の楽園だから」という大間違いでしかないイメージが当時の就活生のあいだで広まりに広まっており、学歴とコミュ力とルックスとスクールカーストに自信のある就活生が猫も杓子も信託銀行を希望するという謎のブームが生まれていた。ちなみに、私は当時の信託銀行ブームと距離を置いていた。ノー残業・ノーパワハラ・ノー怒声なんていかにも嘘くさいっていうか100%ありえないと確信していたし、完全に諦められた窓際社員でも自動的に到達できる年収���30歳700~800万円・40歳1000~1100万円くらいがせいぜいなのではという見立てだったからだ。書いてる途中に思い出したけど、当時は楽天もソフトバンクも本体内定者の学歴ボリュームゾーンは日大って感じの会社だった。今は一橋や慶応になるらしいが隔世の感がある。就活も今と比較したら随分シンプルだった。大事なのは大学名、その場でいかに「論理的に落ち着いて会話できるか」、本人の雰囲気であり、超人エピソードを作りに動く就活生は嗤われていた。バイトかサークルのどれか一つやっていれば充分であり、インターンに応募しようとするやつはそれがたとえ1dayであっても��りから「凄まじく就活に気合を入れている」という見方をされていた。これはつまり、あっと驚くような体験や活動のおかげで就活結果が大きく変わることがないというシビアな現実を意味しており(テレビ局とかの採用は違うんだろうけど)、裏を返せば課外活動をせずともコンビニバイトでも適当にやって面接の場をどうにか凌げば大手から内定が出るような時代だった。筆者には法政大学に通う仲の良い友だちがいたのだが、彼は今で言うチー牛で(当時は非リアといった)、サークルには所属せずボランティアなどの課外活動のエピソードもなく、週3のコンビニバイトと1日2度のオナニーをするのみであったが某中堅損保に内定した。ちなみに体育会野球部であろうが同大学の一般学生と比較してさして就活で有利にならない時代でもあった。チー牛友人は内定者懇親会に参加したとき、同じ大学の野球部の有名選手がいたことに「大学野球頑張っても俺なんかと同じ値打ちにされるのか……」と大変なショックを受けたと言っていた。実際、筆者は野球が好きなので六大学や東都大学の4年制進路を毎年チェックしていたが野球部ブーストが全然効いてなくて毎年苦笑したものだ。東大や早慶でも一般学生と期待値は大して変わらず、マーチや日東駒専にいたっては一般学生より下手すりゃちょい悪いのではというほどだった。マーチ野球部から全国紙とかサントリーとかADKとかにいけるのは直系附属出身者や県立トップ校から一般入部してきた選手とかで、野球名門校出身者は主力選手であろうとも野球継続しないのなら大手百貨店が関の山だった。◯◯自動車”販売”とかもお馴染みの進路だった。そして日東駒専大東亜帝国あたりの野球部の進路はこんなもんじゃなかった。当時の就活も嘘つき合戦ではあったが、今の就活はインターン当たり前、エピソード作るために大胆に動くの当たり前だと聞いて本当に大変だと思う。
【追記あり】たった15年前の出来事もめちゃくちゃ間違って流布されてて衝撃を受ける
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2024年の「おっ!」と思った本を思いつくままに(相当なもれはあるけれど)
2024年の「おっ!」と思った本を思いつくままに(相当なもれはあるけれど)
『その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選』(マリー・ルイーゼ・カシュニッツ著/酒寄進一訳/装画:村上早/装幀:岡本歌織/東京創元社/Kindle版) 『いずれすべては海の中に』(サラ・ピンスカー著/市田泉訳/竹書房文庫/Kindle版) 『11の物語』(パトリシア・ハイスミス著/小倉多加志訳/ハヤカワ・ミステリ文庫/Kindle版) 『失われたものたちの本〈失われたものたちの本〉シリーズ』(ジョン・コナリー著/田内志文訳/創元推理文庫/Kindle版) 『カモメに飛ぶことを教えた猫』(ルイス・セブルベダ著/河野万里子訳/白水uブックス/Kindle版) 『大いなる眠り 新訳版』(レイモンド・チャンドラー著/村上春樹訳/ハヤカワ・ミステリ文庫/Kindle版) 『P+D BOOKS 夜風の縺れ』(色川武大著/『夜風の縺れ』解題:木下弦/P+D BOOKS/小学館/Kindle版) 『恐婚』(色川武大著/文春ウ��ブ文庫/文藝春秋/Kindle版) 『友は野末に─九つの短編─』(色川武大著/対談:嵐山光三郎/インタビュー:色川孝子/あとがき:色川孝子/新潮社/Kindle版) 『遠景・雀・復活 色川武大短篇集』(色川武大著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『百』(色川武大著/川村二郎解説/新潮文庫/Kindle版) 『小さな部屋│明日泣く』(色川武大著/内藤誠解説/講談社文芸文庫) 『後藤明生・電子書籍コレクション 挟み撃ち』(後藤明生著/アーリーバード・ブックス/Kindle版) 『しあわせの理由』(グレッグ・イーガン著/山岸真編、訳/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『祈りの海』(グレッグ・イーガン著/山岸真編、訳/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『ひとりっ子』(グレッグ・イーガン著/山岸真編、訳/早川書房/Kindle版 『モナリザ・オーヴァドライヴ』(ウィリアム・ギブスン著/黒丸尚訳/ハヤカワSF文庫/早川書房/Kindle版) 『カウント・ゼロ』(ウィリアム・ギブスン著/黒丸尚訳/ハヤカワSF文庫/早川書房/Kindle版) 『ニューロマンサー』(ウィリアム・ギブスン著/黒丸尚訳/ハヤカワSF文庫/早川書房/Kindle版) 『ソラリス』(スタニスワフ・レム著/沼野充義訳/扉デザイン:岩郷重力+N.S/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『来世の記憶』(藤野可織著/装画:濱愛子/装丁:名久井直子/角川書店/Kindle版) 『ピエタとトランジ<完全版>』(藤野可織著/挿絵:松本次郎/講談社/Kindle版) 『青木きららのちょっとした冒険』(藤野可織著/講談社/Kindle版) 『芸者小夏』(舟橋聖一著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(川本直著/装幀:坂野公一+吉田友美+島﨑肇則(welle design)/装画:TANAKA AZUSA/河出書房新社) 『好色五人女』(井原西鶴著/田中貴子訳、解説/装画:望月通陽/光文社古典新訳文庫/Kindle版) 『アルマジロの手─宇能鴻一郎傑作短編集─』(宇能鴻一郎著/鵜飼哲夫解説/カバー装画:九鬼匡規「吸血娘 陰 晒」/新潮文庫/Kindle版) 『姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集』(宇能鴻一郎著/篠田節子解説/新潮文庫/Kindle版) 『私説聊斎志異』(安岡章太郎著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『水車小屋のネネ』(津村記久子著/イラスト:北澤平祐/装幀:中嶋香織/毎日新聞出版/Kindle版) 『ベートーヴェン捏造』(かげはら史帆著/カバーイラスト・章扉イラスト:芳崎せいむ/柏書房/Kindle版) 『沢蟹まけると意志の力』(佐藤哲也著/Tamanoir/Kindle版) 『人喰い⭐︎頭の体操』(深掘骨著/表紙デザイン・ファイル作成:甲田イルミ/惑星と口笛ブックス/Kindle版) 『世紀末探偵神話 コズミック』(清涼院流水著/本文デザイン:熊谷博人/扉作成:小石沢昌宏/梗概構成:みずさわなぎさ/講談社/Kindle版) 『富士日記 上中下合本 新版』(武���百合子著/巻末エッセイ:武田泰淳、大岡昇平、しまおまほ、武田花/中公文庫/Kindle版)『西荻随筆』(坂口安吾著/青空文庫/Kindle版) 『鮎の宿』(阿川弘之著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『春の華客/旅恋い 山川方夫名作選』(山川方夫著/川本三郎解説/年譜・「人と作品」坂上弘/講談社文芸文庫/Kindle版) 『P+D BOOKS 緑色のバス』(小沼丹著/小学館/Kindle版) 『ミス・ダニエルズの追想』(小沼丹著/巻末エッセイ:大島一彦/装幀:緒方修一/幻戯書房/銀河叢書) 『タマや』(金井美恵子著/講談社文庫) 『陽だまりの果て』(大濱普美子著/装画:武田史子「温室の図書館」(エッチング、アクアチント、二〇一七年)/装丁:大久保伸子/国書刊行会/Kindle版) 『まだ、うまく眠れない』(石田月美著/カバー画:beco+81/デザイン:観野良太/文春e-book/文藝春秋/Kindle版) 『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(藤永茂著/ちくま学芸文庫/筑摩eブックス/Kindle版) 『何かが空を飛んでいる』(稲生平太郎著/国書刊行会/Kindle版) 『バッタを倒すぜ アフリカで』(前野 ウルド 浩太郎著/装幀:アラン・チャン/光文社新書/Kindle版) 『美術の物語 ポケット版』(エルンスト・H・ゴンブリッチ著/田中正之著/天野衛、大西広、奥野皐、桐山宣雄、長谷川宏、長谷川摂子、林道郎、宮腰直人訳/河出書房新社) 『人間臨終図巻 上下巻』(山田風太郎著/徳間書店) 『世界神秘学事典』(荒俣宏編/平河出版社) 『地衣類、ミニマルな抵抗』(ヴァンサン・ゾンカ著/宮林寛訳/まえがき、カバー写真:大村嘉人/序文:エマヌエーレ・コッチャ/みすず書房) 図録『特別展 はにわ』(東京国立博物館、九州国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社編集) 図録『特別展「鳥 〜ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統〜」』(日本経済新聞社、日経サイエンス編集) 『バーナード嬢曰く 1-7巻』(施川ユウキ著/一迅社/電子書籍版) 『映像研には手を出すな!1-9』(大童澄瞳著/ビッグコミックス/小学館) 『志村貴子短編集 まじわる中央感情線』(志村貴子著/河出書房新社/電子書籍版) 『青い花 全8巻』(志村貴子著/太田出版) 『放浪息子 全15巻』(志村貴子著/エンターブレイン) 『サードガール 全8巻』(西村しのぶ著/小池書院) 『ファミリー! 全11巻』(渡辺多恵子著/フラワーコミックス/小学館/電子書籍版) 『��級建築士矩子の設計思考1-3』(鬼ノ仁著/日本文芸社/電子書籍版) 『えをかくふたり1 DRAWING BUDDY』(中村一般著/ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル/小学館/電子書籍版)
注)一部、再読を含みます
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1.新刊書籍/松田いりの『ハイパーたいくつ』/河出書房新社/¥1,650【通信販売】 2.新刊書籍/海猫沢めろん『海猫沢めろん随筆傑作選 生活』/河出書房新社/¥2,750【通信販売】 3.新刊書籍/レイ・ブラッドベリ『猫のパジャマ』中村融 翻訳/河出書房新社/¥1,100【通信販売】 4.新刊書籍/中村眞大『わたしたちの世界を変える方法 アクティビズム入門』/河出書房新社/¥1,793【通信販売】 5.新刊書籍/春名風花『ネットでいじめられたら、どうすればいいの?』/河出書房新社/¥1,562【通信販売】 6.新刊書籍/町田康(翻訳)『宇治拾遺物語』/河出書房新社/¥880【通信販売】 7.新刊書籍/大前粟生『おもろい以外いらんねん』/河出書房新社/¥1,540【通信販売】 8.新刊書籍/難波里奈『純喫茶コレクション』/河出書房新社/¥990【通信販売】
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雑記集と、随筆|シンゴ
まぁ、新入社員、つまり、新卒連中に、一つ、俺から😂忠告するとさ、その、はじめて、働きだした、会社でさ、昼休憩、あるいは、喫煙所🚬で、輪になって、会社の、愚痴、上司の、愚痴、言うてる、君たちには、申し訳ないけども、そう、狭き門と、言われている、天の、御国【みくに】へ、通じる、重くて、厚い扉である、鉄の門は、開かないよ。それに、門の前に、立ちはだかる、番人、デカくて、奇妙な、風体をして、しかめ面、頑強な、門番の、姿を、一目、見た👁🗨👁🗨だけで、もう、後ずさり、してまうと、😂思うよ😂君たちは😂
いや、だって、そもそも、そう言う、自分一人では、到底、敵わへん、と、思うた、相手をさ、出会ってきた、人たちをさ、😂 意図的に、みんなで、集まって、集団虐め、してきた、奴らだろ?君たちは😂地上の、生ある、限られた、煉獄期間中に😂
でさ、煉獄とは、これ、なんだよ😂 👇
👉 煉獄 = 地上 = 天国か?🧐🤔はたまた、地獄か🧐→💡😮、 🧐→💡😮、 🧐→💡😮、、、、の、査定期間😂な、わけやからさ😂 そもそもな😂
また、ソマリ🐱と、出会えたよ。
昨夜、公園に猫の餌を、置くのと、木🌲の、根本に、カルピス垂らすために、行ったらさ、ソマリ🐱が、いたんだよ。公園に。元気そうで、良かった。で、ふと、目を、上げたらさ、白いトップス着た、女の子が、ブランコに、座っててさ、あきらかに、幽靈なんだよ。深夜12:00頃だし、雰囲気完全にそれ、出てたから。で、幽靈だよね、君?って、話しかけたらさ、聞こえてはいるんだけど、うつむいて、なんか、ブツブツ言ってんだよ。でさ、こんな遅くに、公園に、一人だと、危ないんじゃないのかなって、さらに、伝えたんだけどさ、それに対しても、なんも、返してくれなくて、相変わらず、下を向いて、なんか、ブツブツ言ってんだよ。で、俺が、公園出るときに、彼女も、ブランコから、立ち上がって、そそくさと、公園出ていったんだよ。
数日前に、書いた、文書↓
二度目の、霊界の、再臨は、爺ちゃん🦠仏様と、私の、最期の、一騎打ち、だったのだよ。そして、わたしは、爺ちゃん🦠仏様に、そんなに、ライバル意識を、持たれていることに、ただ、ただ、悲しんでいたら、いつの間にか、爺ちゃん🦠仏様を、負かして、しまって、いたのだよ。わたしは、爺ちゃん🦠仏様の、下で、永遠に、それで、つかえることを、望んで、いたのだから
で、最初にさ、爺ちゃん🦠仏様が、俺を、虐めてることに、気付いたのが、ソマリ🐱なんだよ、ソマリ🐱が、いきなり、こんなこと、言ってきたんだよ。「ホンマル👀と、爺ちゃん🦠仏様は、慎吾を、虐めてるだにゃん」って。それでさ、😂もう、爺ちゃん🦠仏様に、対して、イヤーな、気持に、なってさ、😂そんな、ことを、口にした、😂ソマリ🐱に、対して😂俺はさ😂ぶちキレてさ😂蓋をあけたらさ、😂いつの間にか😂爺ちゃん🦠仏様が、😂小さく😂なってて😂で、俺はさ😂きまづーい、😂気持ちに😂なってさ、😂そう、😂草野��宗が、😂まわりの、😂ミュージシャンに、😂申し訳なく😂感じている😂のと、😂ほぼ、ほぼほぼ😂おんなじ😂気持ちに😂なったらさ、😂爺ちゃん🦠仏様が、😂ますます、😂消えて、😂いくからさ、😂これは、😂勿体ないから😂俺と😂ホンマル👀と、😂爺ちゃん🦠仏様😂でさ、😂とりあえず😂結合😂しようぜって😂なった、わけだよ😂そこら、😂だよ、😂俺の😂苦しみは、😂なんせさ、😂わずかに、残ってた、😂岩﨑慎吾が😂もう、😂悲鳴を😂あげて😂そこから、😂まーた、爺ちゃん🦠仏様😂と、ホンマル👀から、😂嫌な😂感じに😂されて、いったわけよ😂
そう、それで、俺はさ、野生動物たちの、世界に、入ることを、臨んだんじゃ、ないのかな、それと、オカルト集団な。
ソマリ🐱、あんときは、すまんかった。そしてさ、ありがとな。これからもさ、俺ら、永遠に、一緒に、いてな。頼むからな。
結局さ、爺ちゃん🦠仏様が、出てきた、最初はさ、俺、爺ちゃん🦠仏様の、犬になる、言うてたんよ。てか、もうさ、爺ちゃん🦠仏様が、怖すぎたからさ、上に、いてくれないと、怖すぎたんだよ。永遠溺れ🔵とか、色んなことを、想像したらさ。それでさ、最初は、爺ちゃん🦠仏様も、それで、エエと、言うてた、わけよ。で、ある日さ、去年の夏の、一回目の、霊界の、再臨の、ときさ、近所の、セブンイレブンの、駐車場を、俺��、出る、ときさ、爺ちゃん🦠仏様に、こう、言われたんよ、「爺ちゃん🦠仏様の、犬には、おまえは、なるな」と、つまり、そう、ここまで、俺がさ、成長、するのを、爺ちゃん🦠仏様は、複雑な、気持ちで、期待も、してた、わけよ。なんせ、爺ちゃん🦠仏様はさ、俺が、産まれる前から、キリン🦒みたいに、つまり、俺の、子供のときに、家の、窓から、🌲の、🦒な。そう、ずーっと、見守ってたわけよ。だからさ、愛は、そこに、間違いなく、あった、わけよ。で、多分、爺ちゃん🦠仏様が、俺に、多少なりとも、妬みの、演技、してくれたんちゃうかな、とさ、今、考えたらそ、ソマリ🐱だよ、コイツ、が、出るからさ、😂結局さ、😂わけわからんことないな、爺ちゃん🦠仏様😂ソマリ🐱 ソマリ🐱、爺ちゃん🦠仏様、愛してる。二人を、心の、底から、愛してるよ😂俺は😂
そしたらさ、フワッと、夏目三久さんが、笑顔で😂両手を、あげて、🙆⭕してくれる、のよ😂
つまりさ、😂俺は😂ドラゴンボールZで、😂言うところの、😂セル😂な、😂わけよ😂九州、吸収😂して、😂いく、わけよ😂俺の😂意志とは😂別にさ😂否応無しに😂
な、むりやからさ、Facebookが、永遠溺れ🔵に、なるのはさ、😂わかるやろ?😂だって、爺ちゃん🦠仏様と、ホンマル👀入ってるからさ、😂そう、俺さ、もう、優しくは、ない、わけよ👀 ano👀👌
とにかくさ、ano、俺、楽してると、思われたく、ないんだわ、😂楽してると😂
青色🔵担当の、あのちゃん、😂俺さ、楽してると、思われたく、ないんだわ😂
↓
そうなんだよ、俺が、二度目の、霊界の、再臨の、出来事である、爺ちゃん🦠仏様と、俺の、最期の一騎打ちと、なってしまった、理由が、ソマリ🐱の、一言から、始まった文書を、書いた、翌日にさ、なんと、夜中に、ソマリ🐱と、また、再開、したんだよ。
↓
ここでさ、みんなに、わかって、欲しいのはさ、俺が、頭に、ひらめいたことはさ、全部、霊界からの、メッセージ、な、わけよ。その、爺ちゃん🦠仏様との、一騎打ちの、出来事はさ、ずっと、憶えては、いたんだけど、その、頭に、毎回ひらめくのがさ、まだ、この話しを、する、時期ではない、と、ひらめくんだよ。だから、二度目の、霊界のときに、起こった、俺と、爺ちゃん🦠仏様との、エピソードはさ、ずっと、温めておいた、わけよ。伝書鳩🕊の、使命として。そう、すぐに、文書にしても、いいひらめきと、そうでない、ひらめきが、ある、わけよ。だからさ、霊界で、爺ちゃん🦠仏様と、一騎打ちをしたことを、頭には、あるけども、ずっと、文書に、しなかったって、いうだけの、ことなんだよ。
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夏目漱石の『吾輩は猫である』は、「吾輩は猫である。」という書き出しで始まる。もともとは一話のみの読み切りとして執筆され、高浜虚子らの文章会で1904年12月に朗読される形で発表したところ、好評を博し、タイトルが未定であったものを高浜虚子が決め、1905年1月に雑誌『ホトトギス』で発表された。これも好評となり、翌年8月まで全11回の連載となった。『ホトトギス』は売り上げを大きく伸ばし、元々俳句雑誌であったが、有力な文芸雑誌の一つとなった。 『吾輩は猫である』は、ローレンス スターンやジョナサン スウィフトなど中世ヨーロッパの「脱線文学」あるいは「パロディ文学」と呼ばれる作品の系譜にあるとされ、そうした作品の影響を受けて書かれたとも考えられている。これは、当時の日本の文学の主流の傾向が西洋近代文学として自然主義を取り入れ私小説へと向かっていくのとは対照的で、漱石独自の、世俗を忘れ人生をゆったりと眺めようとするような作風は「余裕派」と呼ばれるようになる。が、そもそも、当時教師をしていて色々うまくいかずに悩んだ挙句に神経衰弱を患っていた漱石が、高浜虚子から治療のつもりで創作でもしてみたらどうかと勧められて書いたのが『吾輩は猫である』である。朗読される形での発表になるだろうからということで、落語などを参考にした口語文で書き、あらすじやストーリーめいたものは無く、いわば随筆だが、それを猫の視点から書くということでフィクションに仕立てている。漱石は、そうした文学の系譜があること自体は知っていたが、連載しながら読者と共に小説の読み方を作っていった。結果として、パロディ文学あるいはメタフィクションとして成立し、そして、そこには20世紀の文学が目指した方向性が示されてもいた。 20世紀の文学、特に小説が目指したものは何だったのかということは、作家や評論家によって様々な考察がされている。その一つに、「小説に特有のエッセーの技法」というのが挙げられている。これは、明白なメッセージをもたらそうとするのではなく、あくまで仮説的、遊戯的、アイロニー的なものとしてとどまるエッセーの技法であるという。
1905年2月に発表された『吾輩は猫である』の第二話に、「今年は征露の第二年目だから」という文がある。この「征露」というのは1904年に開戦した日露戦争のことで、戦争が足かけ二年になった1905年の元旦以降、「征露の二年目」「征露二年」というのが戦勝を祈願して年賀状に書かれるなどの形で流行語のようになったらしい。タイムリーな時事ネタとしてさりげなく書かれているだけで、それ以上の意図はないのかもしれないが、『吾輩は猫である』が書かれた時代的背景には日露戦争がある。 日露戦争は1905年9月に日本の勝利で終わる。日本はロシア帝国の南下を抑えることに成功し、加えて戦後に日露協約が成立したことで日露関係も急速に改善する。相互の勢力圏は確定され、日本は朝鮮半島の権益を確保したうえ、南満洲鉄道を獲得するなど満洲における権益を得ることとなった。当時列強諸国からも恐れられていた大国であるロシアに勝利したことは、列強諸国の日本に対する評価を高め、明治維新以来の課題であった不平等条約改正の達成に大きく寄与したのみならず、列強諸国の仲間入りをし、第一次大戦後には「五大国」の一角をも占めることとなる。その発展と成長への路線が示されたのが、日露戦争の勝利であった。 日露戦争の勝利は、日本の近代化の成功を象徴していた。が、『吾輩は猫である』には、ところどころ、滑稽さを出すためのアイロニカルな表現なのか、猫の視点から見ればバカバカしいということを表すためなのか、やっぱまだ神経衰弱結構きてたのか、なんだかよくわからない、ぼんやりとした不安のようなものが顔を出す。悲願だった近代化に成功したからこそ、もう後戻りできないのではないかということや、そもそもその成功した近代化というのは何なのかよくわからないが、もしかしたら誰もわかってはいないんじゃないか、みたいな。
ソ連時代のロシアの文芸批評家ミハイル バフチンは、「脱線文学」あるいは「パロディ文学」とも呼ばれる作品系譜を「カーニバル文学」と呼び、パロディなどに見られる両義性や価値倒錯の世界を創り出す効果を「カーニバル性」と呼んだ。バフチンはカーニバル性を持つ作品を「グロテスク リアリズム」とも呼んでいる。バフチンはグロテスク リアリズムの特徴として、カーニバル性を持っていることのほかに、「物質的、肉体的なものの肯定」を挙げ、「笑い」を極めて重要な要素であるとした。 バフチンは、近代文学における「パロディ」は、形だけの、否定的性格のものになっており、再生させるという両面的な価値を失っていることを批判し、近代文学における「笑い」についても、一面的にのみ理解された、もはや価値転換を起こすことのできない、純粋に娯楽的な笑いになっていることを批判した。
ちょっと前に、いくつかのポッドキャストやブログ記事などで、シニカルな笑いについて話題にしてるのを見た。それらで話されていたことの延長線上にあるような話は、シニカルな笑いにフォーカスしてるわけじゃないが、一層盛り上がったように思う。それらを聞いていて、たしかに「笑い」には二つの種類、あるいは相反する二つのベクトルがあるのかもなとも思った。それらを仮に「ソリタリー ラフター (独り笑い)」と「ラヴァーズ ラフター (恋人たちの笑い)」と呼ぶことにして、そのネーミングだとダサくて使いたくないみたいな感じは、拒絶を喜ぶ笑いで、シニカルな笑いであり、「独り笑い」である。もう一方の「恋人たちの笑い」は、同意を喜ぶ笑いということになるだろう。 同意を喜ぶ「恋人たちの笑い」が嬉しいのはもちろんだけど、「独り笑い」に救われることもあるっちゃあるよねみたいな感じの話が、「独り笑い」のようなものによって、偽の信念を拒絶するということはとても重要なことなんじゃないかという話になったのがちょっと前で、確かに似たような経験はあるとか、最近の出来事とかその解説とか聞いて、みんな真剣に聞いて���みたいだけど、なんかバカバカしく思えて笑えたみたいな話で盛り上がったのがつい最近なんだけど、これってなんか、「拒絶を喜ぶ笑い」が「同意を喜ぶ笑い」へと転換しているようでもあり、奇妙と言えば奇妙な感じというか、やっぱこの分類じゃ何言ってんのかわからない気もしてくる。そもそも誰かに「シニカルだ」「冷笑主義の差別者だ」「プロジェクト2025の共謀者だ」とか呼ばれることに対して、最後のやつ初耳だけど新ネタでたの?みたいなことを聞いてる人を見て噴き出したりってだけのことを、なぜか真剣に受け取りすぎていただけなのかもしれないが、何かの話題から別の話題に移るたびに、ついさっきまで考えていたことや感じていたことが一気にかけ離れていく感じで、何を考えようとしてたのかもわからなくなる感覚がある。
『存在の耐えられない軽さ』(1984)などで知られる小説家のミラン クンデラが、もう一つの代表作とも呼ばれる『笑いと忘却の書』(1978)で、「笑い」には「天使の笑い」と「悪魔の笑い」という2つの笑いがあると書いた。「天使の笑い」とは、世界の意味を確信した、生命の喜びとしての笑いであり、「悪魔の笑い」とは、何もかもバカバカし��なる、すべて無意味だということを表す笑いだという。天使の笑いは、それが極端にもたらされると、自分たちの世界の意味をあまりに確信し、自分たちの生の喜びに与しない者は殺してもよいという笑いになる。小説の語り手の耳には、悪魔の笑いのほうが、救済のかすかな約束のように響いた、という描写もある。 クンデラは、「プラハの春」で改革への支持を表明し、それにより、ワルシャワ条約機構軍による軍事介入の後、チェコスロバキアにおいて次第に創作活動の場を失い、著作は発禁処分となった。1975年には、フランスに事実上亡命。1979年には、チェコスロバキア国籍を剥奪される。『笑いと忘却の書』が国籍剝奪の原因だとも言われる。このことから、クンデラは共産主義や全体主義に立ち向かった作家だと言われ、「天使の笑い」というのも、全体主義化に警鐘を鳴らすための言葉として持ち出されることも多い。『笑いと忘却の書』には、共産主義者たちを無垢な残酷さを持つ「天使」に見立てて書いてる箇所もあるし、「あの天使たちの恐ろしい笑い声が響いている」という文などは、例えばジョージ オーウェル『1984年』(1949)の「ビッグブラザーの愛」のように、美しい単語に隠されているものの恐ろしさを暴くものだというような解説もされる。 しかしクンデラは、「共産主義体制で迫害を受けた」というような理解で作品が語られるのを拒み、また、『1984年』などの作品についても、それが政治へと「還元」されるのは容認できないとも書いている。この還元はプロパガンダとして役立つものだし、まさにこれこそが、人生の政治への還元、政治のプロパガンダヘの還元だからだという。 人間は、善と悪とが明確に判別されうるような世界を望み、というのも、人間には理解する前に判断したいという生得的で御しがたい欲望があるからだと、クンデラは言い、さまざまな宗教やイデオロギーのよって立つ基礎は、この欲望だと言う。世界中の人々が、今や、理解することよりも判定(ジャッジ)することを望んでいるようであり、問うことよりも答えることを大切だと考えてるように感じられる。神聖にして冒すべからざる「アンサーズ(答え。確信)の世界」には、小説のいるべき場所はない、とクンデラは言う。とにかくみんなすぐに、理解する前に理解することなく裁くという人問の慣行に反対し、道徳的判断を中断すること、それがクンデラにとっての小説であり、それは小説の不道徳なのではなく、それこそが小説の道徳なのだという。クンデラにとって小説世界とは、判断の中断の中にある世界であり、「クエスチョンズ(問いかけ)の世界」である。 「天使たち」というのは、輪になって踊りながら上昇するというイメージを表すものでもあり、「悪魔」というのは、その輪からはじかれて落ちていくイメージを表すものである。その輪というのは「党」の比喩でもあるが、それだけにとどまるものではない。「列」であれば、離れてしまっても戻ることができるが、輪は閉じるので、いったん立ち去ると帰れない。「惑星が輪を描いて動き、惑星から離れた石が遠心力によって容赦なく運ばれ遠ざかってゆくのは、偶然ではないのだ。惑星から引き離された隕石のように、私は輪のそとに出てしまい、今日でもまだ、落ちるのをやめていない。旋回のなかで死んでしまう定めの人々もいれば、墜落の果てにぺしゃんこになってしまう人々もいる。そして、後者の人々 (私もそのひとりだ) は、失われた輪への、遠慮がちな郷愁のようなものをつねに心のそこに宿している。それというのも、私たちはみな、万物が輪を描いて廻っている宇宙の住人なのだから。」
「小説の読み方」には、なんらかの「継続性」あるいは「持続性」が付随している。一つの作品を読む期間というもそうだし、しばらく読んでなくても、過去に呼んだ作品や読んでた時期を思い出したりとかというのもそうで、そのことを、「アクチュアリテ(今日性)に固定されない」とも言う。「アクチュアリテ」というのは「目下の現実」というような意味で、とりあえず「目下の現実」こそが最重要で、「アクチュアリテに固定されている」のが「ニュース」である。新しい出来事や新しく判明した事実によって「アクチュアリテ」が書き換わった後で、「昨日のニュース」を「今日」読むというのは、「ニュースの読み方」ではなく、別のニュアンスを持つものになる。 「アドボカシージャーナリズム(提言報道。政策決定などに影響を与えることを目的にしたジャーナリズム)」と呼ばれる形態に限らず、前面に押し出されて語られる出来事や議論などの奥には、提言団体の勢力図だったり、語るまでもなくよく知られた背景情報があったり、つまりどんな話題にも「奥行き」がある。が、フォーカスがぶれると伝わらない情報が多いため、どうしても焦点を定めた固定的な見方で語られる。どこかの視点に固定されたり、あるいは、昨日の視点と今日の視点があまりにかけ離れすぎたりすると、その「奥行き」も、奥行きを見るための「視差 (パララックス)」も失われてしまう。 「小説に特有のエッセーの技法」というのも、「アクチュアリテに固定されない」ためのものだと説明される。それは、今日起きたことを書くのだとしても、「今日の出来事」ではなく「持続し、過去と未来をつなげるべきもの」として書く姿勢だという。 日露戦争中、新聞以下マスコミ各社は、戦争に対する国民の期待を煽り、修正が利かなくなっていた。それもあって講和条約であるポーツマス条約は、国民の多くが考えていたものとは大きくかけ離れるもので、日本に対するロシアの賠償金支払い義務はなかった。全国各地で講和条約反対と戦争継続を唱える集会が開かれ、1905年9月5日の日比谷焼打事件をはじめとして各地で暴動が起こり、戒厳令が敷かれるまでに至った。12月22日、桂内閣は総辞職した。 その時期をちょうど真ん中に置いて、その前後に、人の視点と猫の視点のパララックスが連載されていた。
2024年7月 イフ ザ ライン オブ サイト イズ パラレル トゥ
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公言しないだけで猫嫌いだっているはずなのだが、時代の流れで、それを臆面もなく言うことは極めて難しくなった。猫が嫌いだというのは、人権が嫌いだと言っているのと同じ扱いを受けるのだ。
西尾 維新『鬼怒楯岩大吊橋ツキヌの汲めども尽きぬ随筆という題名の小説』
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2023/11/22
随分前、といっても2年前以降の記憶が平板化されてごっちゃになっていて、いつだったかはよく覚えていないが、よく知っていた人が11月22日、つまりいい夫婦の日に籍を入れていて、どこでそんなまともな感性を会得するに至ったんだよ、と思ったことを思い出した。最近彼女は、今まで毛嫌いしていたことを一周回ってやってみたい気持ちになっているといっていたが、私にはまだその時が訪れていない。
昨日のバイト帰りにブロードウェイのタコシェで、『エリーツ8』と『フラッシュ・ポイント』を買った。その買った『エリーツ8』を今日のバイトの行き帰りで読んでいた。そもそもエリーツとは、海猫沢めろん、pha、滝本竜彦、佐藤友哉、ロベスがバンド活動をやりつつ、何らかの仕方で執筆に関わっている彼らの同人誌で、今回は海猫沢企画による「スランプからの脱出」という特集であった。終始おちゃらけているような佐藤、「フェニックス・プロジェクト」と銘打ってスランプを脱した滝本、生々しいと評される海猫沢、そして「書けないときは書けないから書けない」、それゆえにスランプなどないphaなど、色々な立場で面白かった。
作家は究極、「書けないネタ」を書けばいいという話を考えると、私たち、ポスドクはどこまでネタ化できるかはともかくとして、博士号取得後のよくわからないサバイブを書けばそれなりに読む人がいるのではなかろうかと思う。私たちの窮乏を知ってどうにかしてくれ、というよりかは、この窮乏をネタにして小銭を稼ぎたい。しかし書いて読まれたところで、わかる人には大変だったね、頓珍漢な人には好きなことをやってきたのだからその報いだとか、はたまた怨嗟交じりで根拠もなくお前は東京に住んで実家住まいで東大出てるからいいだろうとか、くるのが関の山な気もする。
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【角川文庫/ラフカディオ・ハーン「怪談 奇談」の解説から】
―それから、もうひとつ、ハーンの作品や思想を理解する助けとなるものは、心霊的進化論ともいうべき、ハーン特有な世界観である。
彼がまだアメリカを放浪していたじぶんのこと、たまたまハーバート・スペンサーの進化論にふれて、思想的に異常な影響をうけ、人生にたいして新しい目をひらかれたのであるが、その後日本に渡ってきて、この国の文化を研究するようになってからは、彼の進化論的思想は、さらに仏教の輪廻説および神道の祖先崇拝の精神と、微妙な融合をとげて、いちじるしく詩的な風韻と宗教的な神秘性とを帯びるようになり、彼の詩人的な感傷性を別にすれば、ロマンティックな色彩において、どこかニーチェやベルグソンの哲学と一味通ずるところがある、と言われた。
そうしたハーンの思想を、彼の幾多の著作から抽出要約してみると、だいたい次のように言えるだろう。
……およそ森羅万象の背後には、一種不可思議な霊的活動が存在していて、この宇宙はけっして固定した物質の世界ではなく、永遠の過去から悠久の未来へと無限に転移する霊的進化の世界であって、つねに万物の奥底には、神秘的な進化の力が働いているのである。
すなわち、この宇宙という一大幻像は、たんなる物質の発展と滅亡との交替ではなくて、無限の輪廻であり果しない転生なのである。
したがって、われわれの肉体は、幾万億の生きた実体からつくられた形態であり、われわれの霊魂は、幾億兆の霊魂の複合物である。
つまり、われわれは、一人のこらず、過去に生きていた生命の断片の、かぎりない混合体であって、いかなる人間の思想も感情も、詮ずるところ、死滅した幾億兆の過去の人々の、感覚や観念や欲望の、集合ないしは再集合にすぎないのである。
それゆえ、われわれの歓喜も恐怖も、そして恋愛の情熱すらも、すべて既往の人々の数限りない生活を通じて蓄積された記憶の再現であり、また美的感覚も芸術的技巧も、祖先伝来の経験の復活にほかならぬ、というのである。
こういう観念から、ハーンは、風のそよぎも、波の疾走も、影のきらめきも、日光の動きも、空と海との青色��、陸をおおう静寂も――すべて、自分と同一��あると感じて、あらゆるものの背後に、精妙な心霊の働きを観る、という世にもうるわしい詩的な思想を抱くようになり、それが発展して、「万有は一なり」という汎神論的な世界観となったのである。
そして、これが基となって、ハーンは実生活においても、人間はいうまでもなく、牛馬犬猫等の動物、草雲雀、蟬、蟻その他の昆虫類、朝顔や松杉等の草木にたいしても、広大無辺な愛を抱くようになり、また夢を好み、怪談を愛し、さらに美と真実との探求者として、幾多の比類ない物語、随筆、論文を書いたのであった。
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本日1本目、KSJことコトバスラムジャパンの西東京大会に参加します。1回戦の出番はBグループの2番手。よろしくお願いします。
【西東京大会】 開催日:2023年10月28日(土) 主催・どぶねずみ男。・もるた
【開催形態】 現地会場有観客開催、現地出場制現地参加者の挙手制 11:30開場 12:00開演
【会場】 立川たましんRISURUホール内サブホール (東京都立川市錦町3-3-20-B1F) https://risuru.hall-info.jp/service/
【現地ご観覧】 ¥2,000- ご予約開始日時:2023年5月27日(土)18:00~ 【現地観覧・西東京大会】WEST-TOKYO・Ticket for view at the Venue KSJ2023観覧チケット https://kotobaslamjapan.stores.jp/items/643ec64e6cb68c002c1cbf54
【オンライン観覧・西東京大会】KSJ2023観覧チケット【見逃し】 ¥500- https://kotobaslamjapan.stores.jp/items/643ec7536cb68c00291cd46e
【出場エントリー】 エントリー費: ¥2,500- (当日現地精算) エントリー開始日時:2023年5月27日(土)18:00~ 下記「詳細・エントリーページ」より出場エントリーを受付
【カリブラージュ】(予行試合) 坂本樹 Miki Sakamoto vs もり Mori
【対戦組み合わせ】 Aグループ 1番手 葛原りょう 2番手 そにっくなーす 3番手 猫廃22 4番手 sato.
Bグループ 1番手 子供女 2番手 ムラカミロキ 3番手 ながとん (※子供女欠場→佐藤yuupopic出場)
Cグループ 1番手 中野皓作 2番手 かんた(君らそんなんで委員会) 3番手 樋口三四郎
Dグループ 1番手 パルプフィクション 2番手 きりこ 3番手 毒林檎 4番手 NOCTUR
https://twitter.com/ksj_westtokyo/status/1712114781719769582
【全大会共通ルール】 KOTOBA Slam Japan 2023 全大会共通ルールは以下の通りです。 (※ルールは随時、更新する場合がございます。) https://www.kotobaslamjapan.com/rule/
【出場者ルール】 1. 一部の特殊ルールを設定している大会を除き、特筆されていない場合は、各ステージの時間制限は3分となります。 2.会場またはオンラインでのオーディエンスの投票・採点により勝敗が決まります。 3. 一部の特殊ルールを設定している大会を除き、特筆されていない場合は、音楽、小道具の使用は禁止です。ステージへ持ち込めるのはテキストのみとなります。 4.現地・リモートの混合出場が発生する大会では、双方の平等を期す為に、パフォーマンス中のタイマーの使用を禁止します。 5.オンライン投票が発生する大会では、出場者は、自分の出場する大会でのオンライン投票を禁止します。 6.パフォーマンスは自作した作品に限ります。 7.ランナーズアップ vs 敗者復活大会を除き1つの予選大会にのみエントリーができます。
【オーディエンスルール】 1.オンライン投票での複数アカウントを使用しての投票を禁止します。 2.出演者のパフォーマンス中は原則お静かにお願いいたします。 3.出演者のパフォーマンスや表現に異議や疑問がある場合は、まず大会スタッフまでお声がけください。
【出場者&オーディエンスの共通ルール】 1.現地会場にて一般的な迷惑行為、公序良俗に反する行為は発見次第ご退出いただきます。 2.オンライン配信上にて、コメントを荒らす行為は運営スタッフの判断でコメントできないように措置をいたします。 3.大会に参加したご自身の肖像について、運営が中継や広報のためにSNS、動画配信サイト、本サイト、その他メディア等で掲載・発信することを了承するものとします。(現地観客様についてもなるべく映らない・声の乗らないようにいたしますが、アーカイブ動画として残る旨をご了承ください。) 4.本大会ではパフォーマンス内容に大きな制限を設けませんが、以下の行為はお控えください。 ・個人や特定の団体を貶める誹謗中傷行為やヘイトスピーチ ・映像配信のできなくなるような脱衣行為 ・インターネットエチケットに反する行為 ・その他、公序良俗に反する行為 5.禁止行為の是非は主催者判断といたします。 6.当大会は出演者の個性を認めてパフォーマンスを尊重しますが、すべての行為や言葉に賛同しているわけではございません。あらかじめご了承ください。
その他、各大会で細かなルールは異なる場合がございます。 ルールの詳細は、各大会の発表に際して随時お知らせいたします。またSNSなどでも告知いたします。 ご不明な点はお気軽にメールフォームにてお問い合わせ下さい。
【西東京大会独自ルール】(詳細・エントリーページ) https://www.kotobaslamjapan.com/kotoba-slam-japan-2023/%E8%A5%BF%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E4%BC%9A/ ・出場者数16名(先着順・現地参加) ・現地参加者による挙手制によって勝者が決定いたします。 ・優勝者1名が全国大会へ進出します。 ・1回戦→(敗者復活の大喜利)→準決勝→決勝。各1回で最大で3回のパフォーマンスを行います(大喜利を除く)。
【1回戦】 ・16名は4名ずつA~Dの4グループに分かれます。 ブロック分けとパフォーマンス順は、事前の大会PR配信内で、主催者によるくじ引きにて決定します。 ・ブロックの得点上位1名、計4名が準決勝へ進出となります。 ・全出場者が順番に1回パフォーマンスします。 各ブロックの終了ごとに、決勝へ進出する1名を発表します。 ・挙手数が同点である場合は、同点者のみで再度、挙手投票を行ないます。 ・再投票でも同点の場合は、先にパフォーマンスしていた方の勝利とします。
【敗者復活戦】 ・負けた12名を「AB6名」「CD6名」に分けて、10分間程度の大喜利を開催します。 ・大喜利は「笑い」の要素だけでなく、審査員の感情を動かしたものを採点要素とします。 ・会場から選出した4名の審査員の内、3人が手をあげたら1本とし、2本先取で勝ち上がりとします。 ・大喜利の回答は多くの方に出番を回すため、1回答10秒程度を目安としてください。 ・勝者が決まらないまま制限時間が来てしまった場合は、会場全体の挙手制といたします。 ・1回戦からの勝ち上がり4名+敗者
【準決勝】 ・準決勝は、1対1の対戦方式となります。 ・準決勝へ進出した6名の中で1回戦での挙手数が少なかった方から順に、対戦したい出場者をご指名いただけます(選ばれた方は拒否できません)。 ・挙手数が同数の��合は、先行してパフォーマンスした人が優先で、対戦したい出場者をご指名いただけます。 ・先攻/後攻の順は対戦者同士のじゃんけんで決定します。 ・決定した順の通りに1回 、3分以内のパフォーマンスで対戦を行い、対戦ごとに投票を行って、結果を発表します。 ・勝者3名が決勝へ進出となります。 ・会場票数も同点だった場合は、先攻の勝利となります。
【決勝】 ・決勝進出者3名には1回パフォーマンスをして頂きます。 ・挙手数が上位の1名が優勝となります。 ・挙手数が2名同数の場合は、該当者2名による挙手制再投票を実施し、優勝者を決定します。 ・挙手数が3名同数の場合/または2名再投票で同数の場合は先行したパフォーマーの勝利といたします。 ・優勝者1名は、2023年12月に東京で開催予定のKOTOBA Slam Japan2023全国大会に、西東京大会代表としてお進みいただきます。
【KOTOBA Slam Japan】 Web https://www.kotobaslamjapan.com/ Facebook Page https://www.facebook.com/kotobaslamjapan20202021/ Instagram: @kotoba_slam_japan https://www.instagram.com/kotoba_slam_japan/ X(Twitter): @KOTOBASlamJapan https://twitter.com/KOTOBASlamJapan YouTube Channel https://www.youtube.com/@kotobaslamjapan3400
【KOTOBA Slam Japan 西東京大会】 Web https://www.kotobaslamjapan.com/kotoba-slam-japan-2023/%E8%A5%BF%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E4%BC%9A/ X(Twitter): @ksj_westtokyo https://twitter.com/ksj_westtokyo
【立川たましんRISURUホール(立川市市民会館)】 〒190-0022 東京都立川市錦町3丁目3−20 Tel: 042-526-1311 Web https://risuru.hall-info.jp/ 立川市 https://www.city.tachikawa.lg.jp/chiikibunka/shisetsu/bunkazai/001.html X(Twitter): @risuru_hall https://twitter.com/risuru_hall Facebook Page https://www.facebook.com/profile.php?id=100063804019745
徒歩 JR中央線立川駅南口より、徒歩13分。 JR南武線西国立駅より、徒歩7分。 多摩モノレール立川南駅より、立川南通りを直進。徒歩12分。
バス 立川バス「立川駅南口」より「国立駅南口」行き 立川バス「国立駅南口」より「立川駅南口」行き
タクシー・車 タクシーは立川駅南口より1メーター程度が目安です。 中央道国立府中IC下車、日野バイパス(国道20号線)を八王子方面に向かい、中央道をくぐった後の「石田大橋北」交差点を右折。突き当たりの「矢川三丁目」交差点を左折。しばらく進み「日野橋」交差点を右折。その後「市民会館前」交差点を右折すると左手にホール。 https://video.twimg.com/ext_tw_video/1691472158785142786/pu/vid/1280x720/vxHF5L8uiJwhIWtS.mp4
#KSJ #KSJ西東京
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最近買った本と読んだ本
台湾の清朝頃の伝奇を元にした漫画。婚姻と女の処遇とそれに伴う怪奇の話。怪奇現象の起こる時代物ミステリーで面白かった。絵が良い。
「守娘 上」シャオナオナオ [コミックス] - KADOKAWA
イラストと史料で見る中国の服飾史入門 古代から近現代まで
中国の服飾史入門 - マール社 (maar.com)
中国の服飾に関するヴィジュアルブック。時代毎の流れをざっと見るのに良い。調べものをするときの足掛かりに。巻末に、掲載した資料の所有博物館リストがあるが掲載図版と個別に紐づいているわけではないので目安。
これは以前購入した横浜ユーラシア文化館の企画展『装いの横浜チャイナタウン ―華僑女性の服飾史』の図録。いわゆるチャイナドレスと認識されている服、旗袍ひとつとっても様々な変遷があり正解の型が決定的にあるわけでもなく、一概にこの服がこの時代のこの国のこの民族のアイデンティティであると述べにくい。とはいえ服飾のイデアのようなものがあって、「あの時代のあのスタイル」という特徴や印象はあり、服飾史は深淵である。
昨今の中国の若者の間で漢服ブームがあり、SNSでもバズってるのを見かける。日本のド観光地に住んでいる私の感覚でも、大陸からの観光客で漢服スタイルで出歩いている若者が時々いて、ああー本当に流行ってんだな~と感じる。(たぶんここ4,5年以内ぐらいの感覚)
漢服リバイバルの服は時代衣装ガチ勢もいるが、漢服のスタイル抽出したカジュアルめなデザインもあって多様である。
SNSでは大陸の各国で「我々の民族衣装とは何か」で結構もめているのを見かける。なんのどこの民族や国がこのスタイルの起源であるかとか、どの歴史史料の何を復元してこの形なのか? などなどしょっちゅうけっこうもめている印象がある。文化は混交していくものなので、史料から言えることもあるだろうけど共同体の意識としての価値観はまた色々違うだろうし様々なポイントで明確な線引きは難しいだろうなあと思いながら見ている。
このファッションのニュアンスたぶん日本では90年代~2000年代のロリータとかゴスロリや原宿のデコ系の服飾ブーム、その後展開しているゆめかわなどの感じと「若者文化」のニュアンスでは近いんではという気がする。若者がアイデンティティを自国・自分の民族の歴史に求めるか、架空の世界に求めるか、というか。自分を作っている最中なのだろうと思う。
『三毛猫モブは猫缶を稼ぎたい Mobu’s Diary』【電子有】 « 書籍・ムック | 玄光社 (genkosha.co.jp)
香港出身のイラストレーターさんのコミック。絵が好きなので買った。
「お江戸ふしぎ噺 あやし」宮部みゆき [角川ホラー文庫] - KADOKAWA
宮部みゆきの江戸もの怪談小説を皇なつきが漫画化したものの文庫化。好き。
筑摩書房 現代オカルトの根源 ─霊性進化論の光と闇 / 大田 俊寛 著 (chikumashobo.co.jp)
ずっと積んでたのをやっと読んだ。日本の新宗教(いわゆる新興宗教と呼ばれるもの)に通底する諸々の概念はどこからきたものかを解説している。
現代のオカルトの諸々は概ね19世紀のダーウィン進化論から派生してブラヴァツキー夫人の神智学を経由してユーラシア大陸の宗教を混交してシュタイナーなども通ってヒトラーの諸々の愚行もあってアメリカ大陸で科学の価値観と混ざったり古代の文明の何かと混ざったりヒッピー文化的になったり健康に関する概念と混ざったりして現代にいたる、という感じで詳しくやっていこうとすると頭痛のするカオスなのだが、この新書ではかなり要素を絞ってきれいに俯瞰できるように書いてあってすごく親切だった。筆力を感じる。19-20世紀の世界のオカルトの思想の流れをさらったあとで、日本の新宗教ではどのようにそれらを内包しているか、が描かれている。
日本の新宗教と書いたが、日本の新宗教も様々ある。事件を起こしてニュースになってる団体から、発足時期は政府によって弾圧されたものの現在は「あるよね」ぐらいに受け入れられていたり、ひっそり信仰を維持しているものまで色々で、この本でピックアップされている新宗教の団体はその中でも大きな事件があったり話題になりやすいところの解説なので、その点は留意。
オカルト入門にもってこいの新書なのでは、と思ったけど、これは自分がある程度ジャンル者だからそう感じるのか、ちょっと興味ある、ぐらいで読んでもそうなのかわからない。
あと、オカルトの難しいところは、批判的に書いている文章にも関わらず読者側が「そういうものが存在するのか!」と目覚めてオカルトにハマってしまう人もまあまあいて、出会いが勧誘ではなく批判だったりすることがあるので本当になんとも言えないのだ。
繰り返し言っておきますが、私はオカルト分野のものは色々読みますが信仰はしておらず(ただし無宗教というわけではない)、どちらかといえばオカルトに対して批判的な立場なのですが一周回って「あーそういうのあるよね、あるある、わかる、とっても身近」って言ってしまいがちなので、迂闊に話題にすると親和的な肯定派と読まれるので難しい。
まあべつに事件沙汰になるようなことをするのでなければ個人が何を信じていてもかまわないのでかまわないのだが、日本は宗教と政治が分割できない国なので(昨今の宗教団体との癒着以前に、天皇制が存在する時点でそうなのだ)、社会のありよう的になんとも言い難い。めんどう。
オカルトに関して批判する立場とは言ったが否定派とは言い難く(だってもう思想体系としては存在しているものだし整合性なんてこの世のたいていのものにはない。折り合いがあるかどうかだけ)、オカルトを嘲笑するためにオカルトジャンルのものを読んでるんではない。他者の文化がマジで何言ってるかわからんので分かりたくて色々読んでるうちに随分遠くまできたなというか、自分と違うものに触れる方法の難しさみたいなものがある。
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ショージ君、85歳。老いてなお、ケシカランことばかり
東海林さだおが過去さまざまな媒体で書いてきた「老い」に関連する文章を集めた随筆集。
怒りやすい老人の「怒りの対象」(犬猫、路傍の石、そしてパンツ)に対する考察や熱中症予防の「小まめに水分を取りましょう」の”小まめ”に対する愚痴。東海林の本領発揮とも言える葛湯やお節。そしてまさかの「スーパーミリオンヘアー」への憧れと喜びまでを、いつもの軽快かつどんどん思考がディープにバウンドするあのスタイルで綴られる。
個人的に一番笑ったのは、かの書家・詩人”相田みつを”をイジり倒した、「相田みつを大研究」。
ソクラテスやケネディですら、名言を生みだしたのは片手に数える程なのに、相田みつをは数百・数千を生みだす職業「名言大量製造販売業」。あのにょろっとした書体とハンコによって相手の軽快を解き、心の隙間に入り混んでいく。そして東北弁の魔力…。
この、おもしろがりと対象への強い好奇心。そしてその裏にある底意地の悪さ、これこそ東海林さだおだなあ。
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アーカイブ放送 『イラストレーター有本の創作小料理 ARIMOTO』2023/07/24 20時更新
第69回「内田百閒と饅頭」(17年9月放送)
みなさん、こんばんは。イラストレーター有本の「創作小料理 ARIMOTO」女将の有本です。
<再生はこちら▶️>
※スマホ/タブレットはアプリからご視聴ください。 過去の放送は、Back numberで🎧
この番組は、私の描いた歴史上の人物のイラストを「本日の1品」として楽しんで頂く割烹居酒屋となっています。最終目標は、歴史絵巻を作ること。わたくしの独断と偏見による壮大な歴史絵巻にしたいです。みなさん、応援してくださいね♪
本日の1品は…『内田百閒』です。
内田百閒は、明治の小説家、随筆家です。 夏目漱石の門下となり芥川龍之介らと親交。汽車や猫、漱石の話などを綴った『百鬼園随筆』で有名です。 今回は、鉄道好きな百閒と饅頭のエピソードをご紹介します。
※2017年9月にブルーレディオドットコムで放送された番組を再放送
過去放送一覧はこちら <ブルーレディオTOPに戻る>
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