#鍋の締めは翌朝
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レシピ(太口そうめん) #Repost @morihana_2nd with @use.repost ・・・ 昨夕の山猫亭。 アグー豚とキャベツのしゃぶしゃぶで、大信州の辛口特別純米を。 朝御飯はキャベツの甘み、豚の旨みたっぷりの鍋つゆで、太口素麺。お腹の底から温まりました! #山猫亭 #晩酌 #バンシャク部 #豚キャベツのしゃぶしゃぶ #アグー豚 #九条葱 #特別な鰊漬け #お福分け #ありがとうございます #日本酒 #大信州 #辛口特別純米酒 #長野 #朝御飯 #温麺 #真砂喜之助製麺所 #太口素麺 #小豆島 #鍋の締めは翌朝 #おはようございます #良い1日を#太口 http://kinosuke.tumblr.com https://www.instagram.com/p/CnjOb4VvvN8/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2024.6.16〜30
6/16
暑い一日!アイスをたくさん買いました。夕方から熱中症ぽくなってずっと横たわっていた。お気をつけください。
6/17
アイスロイヤルミルクティーの作り置きをする。特になんてことはないレシピですが、お鍋にお湯を沸かしてお茶っ葉入れて5分くらい煮て、良い色になるまで牛乳を入れてふつふつしたら火を止める。茶漉しで漉してポットに移して、粗熱が取れたら冷蔵庫に入れて終わり。翌日までに飲み切れる量で作っています。コクと甘みのある茶葉がおすすめ。
6/18
理不尽な目に遭い、だがぶつけるべき相手はいない状況に陥り、ふつふつと苛々を煮込んでいた。
6/19
家人を誘って夜の散歩に行く。途中でチョコモナカジャンボを買って、二人で食べ食べ歩いた。ややスッキリ。久しぶりにアイスコーヒーも淹れた。
6/20
明け方まで眠れず、ボーッとしながら面接へ。取締役まで参加していて内心ビビり散らしながら回答し、逃げるようにお気に入りのケーキ屋に寄ってガトーバスクとショートケーキとチョコレートケーキを買い、家に帰ると採用連絡の電話があった。脱力しながらショートケーキを食べた。よかったよかった。
6/21
夏至。夜釣りに行こうよと家人を誘って夜の海までドライブ。私はズボンを持っていないので海を眺める係をした。大潮で満潮の海は遊歩道をところどころ飲み込んでいて少し怖かった。ときどきボラが跳ねる音が響く他は波が揺れるだけで静かな夜でした。
6/22
砂時計をひっくり返すように、冬至へ向かっていく。薔薇の花殻を切ったり、ビカクシダを水につけたり、スーパーで青梅の値段を見て驚いたり。少しずつ盛夏の準備をしていこうと思う。
6/23
みやちゃんと三時間通話して遠距離恋愛中っぽいなあと思った。そして、ここにきて睡���リズムが爆裂狂ってきたのでやばいのだ。6時に起きる生活ができるか?不安でしかない。
6/24
もろもろの事務処理をした。来週に迫る初出勤日に震えている。落ち着かないのでとりあえずコーヒー淹れたがまぁソワソワが止まりませんわ。
6/25
部屋の片付けをした。めちゃくちゃ気分がスッキリ。何故もっと早くやらなかったのか。いや、やらないよりいいんです。
6/26
京都に行ってお子様ランチ食べたり古本市行ったり布買ったりスタバ寄ったりして超超超楽しかったです。紫陽花のおまじないもつつがなく。
6/27
購入した布でお弁当袋を作る。最後に縫ったのが一番きれいな仕上がりでした。ミシンと仲良くなるには時間をかけねばならない。
6/28
朝一で最後のハロワへ……大雨!!びっしょびしょで手続きを終え、都会で用事を済ませ、最後の平日休みを満喫した。
6/29
梅雨の晴れ間にありとあらゆる洗濯物を干した。元気のなかった薔薇からまたベイサルシュートが2本出ているのを見つけてうれしい!
6/30
夏越の祓に行く。ヒトガタに名前と住所を書いて厄を擦り付けまくり、茅の輪の御守りもゲットしたので下半期の備えはバッチリだぜ!
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サブリミナルでオリンピックエンブレム大不運
趣味と苦悩
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東京五輪エンブレムで佐野さんって人がメチャ怒られてて、マジ不運だと思う。
私があのオリンピックのエンブレムを作ったとして、まず考えるのは『エンブレム一回使われるごとに30円くらい金もらえそうだから1万回使われたら30万かーとりあえずアマゾンでプラモ12個買うぜ』みたいなことだと思う。もちろん塗料もふんだんに買う。なぜ12個なのかを説明しておくと、毎月ひとつ作るからです。それでプラモが届いたら、関連商品に復刻されたマイティーフロッグとトマホークが出てくるから、次はラジコンを買うと思う。どうせエンブレムで金入るだろって思ってるから絶対に注文する。お母さんに怒られるかもしれないけど、俺が東京五輪エンブレムだッて威張って切り抜けることができる。これは俺の場合だけど佐野さんも似たようなもんだと思う。佐野さんの場合は風貌がワガママっ子っぽいから、余計なものを買ってもお母さんは怒ってこないけど、奥さんが怒る。だけど佐野さんは「俺がオリンピック金メダル東京五輪エンブレムだッ!」とか絶叫して勢いでプラモ24個買うしゲームも買いまくるしこの夏の縁日には金魚すくいも10回連続でした可能性が高い。あと私も佐野さんも、買ったプラモはタミヤのものです。
この様に最高の日々を満喫していたところ、翌朝なにも知らずに起床すると、インターネットでメチャ怒られてるっていうのはマジ最悪だと思う。寝起きでよく分からねぇけど、みんながお前さっさと謝れドカスがって怒っている。ムシってりゃそのうちみな忘れるだろ放っときゃいいんだよって俺なら思うけど、偉いオッさんとかも血相変えて責任押し付けてくるし、もう謝罪するしかねぇってなって謝罪したものの、謝罪したら謝罪したで今度はお前今更謝って許さ��ると思うのか絶対許さんぞクソがみたいな雰囲気になってくる。どうせ怒られるんだったら謝罪しなきゃよかったよなーって私なら後悔すると思うんだけども、佐野さんはどうなのか?
これだけならまだしも、オリンピックエンブレム大不運はまだまだ続く。よく分からないけど盗むという意味で『佐野る』とかいうゴミムシそっくりのクソサムい表現まで登場、佐野さんは別にサムいこと言ってないのに、常時クソサブ人間みたいになってしまった。本当に最悪としか言い様がない。
佐野さんも仕事をしているから、やりとりしている会社に出向くことがあると思う。そこで偉いオッさんと会話なんかをすることになるわけだけど、オッさんというものはウザい。OL(オフィス・レディー)の山本さんがお茶を出すとオッさんは「山本クン、瞬間接着剤を持ってきて」などとホザき、瞬間接着剤で湯呑みを机に固定、「ホラ佐野られると困るだろ、山本クン、佐野られると困るから俺は湯呑みを接着したのよ」などといつのまにかポケットに入っている塵芥のようなユーモアセンスを山本さんにアッピール、山本さんの舌打ちが聞えるなか打ち合わせなんかをするんだけど、佐野さんは瞬間接着剤で固定されてるの忘れて茶を飲もうとして前につんのめって机で頭を打ったりする。オッさんは「ホホー佐野るの失敗ですな、我が社のセキュリティーは万全だってわけかワッハッハッハー」などいった愚にもつかんコメントをなし、山本さんはこのクズ野郎の顔面の形が変るくらい殴りつけてやろうか、あと佐野もさっさと帰れよマジウゼーと思いながらも曖昧な笑みを浮べるのであった。
こういう風に佐野さんは、本当にかわいそうな状況にある。もうひとつの佐野さんの不幸として、日本はデザインというものが、理解されにくい土壌であるという点を挙げることができる。西洋では食前酒から、前菜、主菜、デザートと続き、コーヒー、食後酒というように時間に沿って推移していく。これは不可逆な流れで、デザートの後に主菜を食べる気にはなれない。なぜならそういう風に料理が設計されているからだ。ところが日本では、食事に明確な時事系列も中心もない。あってもゆるやかである。
一番分かりやすいのは鍋料理で、ダシ汁さえあればあとは具材を放り込みながら、いつまででも食べることができる。『鍋奉行』という言葉からも分かるように、調理すら食事の中に入り込んでしまっている。もちろんこれは料理に限った話でもなく、宗教もはやり同じで、キリスト教に産れ変わりはない。この様に西洋の文化では、時間が戻ったり循環したりすることがない。
デザインは、特定の機能を実現するために存在する。機能を実現するプロセスには、時間の流れが存在する。時間が戻ることのない西洋文化の中で生きている人々は、体感的にデザインを理解できる。ところが中心のない日本の文化で生きている人々は、デザインの意味をなかなか理解することができない。明治時代、西洋の学問を受容する際にも、デザインは芸術のおまけとして扱われている。最初期だと詩と絵画すら同じようなものとして認識されている。これは文人画なんかの影響もあるのかもしれない。
日本というのはこういう文化風土を持っていて、だから「デザインなんて人の好き好き」といった不思議な意見が普通に交わされてしまう。良いデザインは絶対のもので、好き好きなわけがないのだが、今の佐野さんが置かれている常に怒られ続けるといった状況はみんなが大嫌いだと思うし、こないだテレビを見てたら、佐野さんの顔がバーンって出てきて、こいつがデザイン盗用しやがったみたいな雰囲気の番組をしていて、人権がかなり薄味でヤバかった。だから私は個人的には佐野さんは本当に運が悪いよなって思ったし、佐野さんのことを庇うようなことをしようと思いました。あといろいろ分析みたいなことも書いたら、頭良さそうにみえるなって思った。だからサンフランシスコ?の山小屋みたいなところ(格好良い感じの家? 別荘?)で、この文章を書いています。なぜそんなことをしているのかというと、みんなからこの人は優しい上に、鋭い分析をする偉い人だと思われたいからで、そろそろみなさんがこの人は優しい上に鋭い分析をする偉い人だなと感心しはじめている頃合いだと思う。まあそれ程でもないんですけど、みなさんがそう思ったのなら、そうなんだろうなと私は思います。
それでテレビの話に戻るんだけど、とにかくテレビ見てたら佐野さんって人の顔がバーンって出てきて、こいつがデザイン盗用しやがったみたいな雰囲気の番組をしていてヤバかった。この国に正義はないのかと、私は怒りに燃えたわけだが、ところでみなさんはサブリミナル効果というのをご存知だろうか? 映画が映写されているスクリーンの上に、コカコーラのスライドを1/3000秒ずつ5分ごとに繰り返し二重映写するとコーラが売れるというものだが、佐野さんの場合は5分間ずっと写ってる。これをコーラに換算すると、計算するのが面倒だからだいたいで書くけど、サブリミナル映像の3000倍x5分くらいの勢いでコーラを買ってしまうということになる。だから私も佐野さんが泥棒だとは思っていないけど、サブリミナル効果でうっかりこいつ泥棒かって思ってしまう。
少し話は変わるんだけど、私は3年ほど前に、自転車を盗まれました。まだ犯人は捕まっていないが、ここにきて容疑者として浮かび上がってきたのが佐野さんである。なぜ佐野さんなのかというと、あまりにテレビで佐野さんがデザインを盗んだ盗んだと騒いでるから、サブリミナル効果によって俺の自転車��佐野さんが盗んだんじゃないかと疑い始めたという経緯がある。私の自転車は一五年くらい乗っていたもので、かなりボロかった。佐野さんは頑張って仕事をする人だから、自転車くらいすぐに買えるくらいには、収入はあるだろう。だから私の自転車を盗んだのはまず佐野さんではない。それは頭で理解できるんだけど、ついつい佐野さんを疑ってしまうのがサブリミナル効果の恐しいところだ。
私の意見だけど、佐野さんは東京五輪のエンブレムは盗作していないと思う。他のはいろいろあったんだろうけど、まあ悪気はなかったんじゃないのかな? だけどテレビで佐野さんはすぐ盗むとか放送していたし、私の自転車を盗んだ犯人の可能性は高い。テレビが嘘言うわけないからなッ! 謝罪している暇あったら俺の自転車を今すぐ返しにこいよ馬鹿野郎がと言いたいところだが、私の自転車を盗んだのは絶対に佐野さんではない。世界中の人間が佐野さんが犯人だと決め付けたとしても、私だけは佐野さんを信じている。そんなにみんなが疑うんだったら、3年前に俺の自転車が盗まれた日になにをしていたか、佐野さんに聞いたら疑いは晴れると思うけど、アリバイなんかいくらでも偽証できるからな、お前絶対に許さんぞってなるけど、私の自転車を盗んだのは近所の大学生だと思う。大学生の半分は人間の屑だから、もう犯人は大学生で確定ってことでよいと思う。でも3年前に佐野さんが大学生だった可能性も否めない。つか玉川?とかそういう美大で先生してるらしいな、大学生の半分は人間の屑なんだから、クズの総元締が俺の自転車盗んだに決ってんだろ絶対許さんぞといった様に、サブリミナル効果は人間を壊してしまう。あまりの危険性から米国連邦通信委員会で公聴会が開かれ、サブリミナル広告は禁止されることになった。日本では1995年に日本放送協会(NHK)が、1999年に日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止することを明文化したという噂すらある。佐野さんの取引先のオッさんがサブリミナル効果によって、佐野さんは佐野るから瞬間接着剤で湯呑みを貼り付けなきゃーなどとホザくのも致し方なしといったところであろう。
そんな疑惑とはどうでもいいとして、未だに佐野さんの不運は続いている。奥さんから毎日ローキック喰らわされながら「おいエンブレム野郎、お前この大量プラモどうすんだよ、作れよダボハゼが」とか罵倒され続けてると思う。小柄な女性とはいえ同じ位置ばかり執拗に蹴ってくるからダメージが蓄積されて、すでに足腰立たない状態になってる可能性があるし、とにかく悲惨としか言い様がない。私の自転車を盗んだ犯人は未だ不明だし疑わしい人間は1人しかいないが、この短期間で佐野さんは普通の人が人生で怒られる総量の5倍くらい怒られてるし、もう十分に罰は受けた気がする。
そういや私はこの文章を、佐野さんの状況が酷すぎるから擁護しようと思って書き初めたんです。だけど下手に擁護して頭に血が昇ったアホが突進してきて、俺まで怒られたら嫌だよなーなどといった人間として至極当り前の損得勘定が発生し、途中で佐野さんにちょっと説教するみたいなことも書いとくかとか思った。そうこうするうちに、私の盗まれた自転車の事を思い出し、書いてるうちにムカ付いてきたというのもあってこういう結果になりましたが、どうして俺はこうなのかな……好意でやったことなのにいつもみんなが嫌な顔をするんだなどといった、惨憺たる気持になりました。この様にサブリミナル効果と自転車泥棒は人間の心を壊してしまうわけだが、ボロいし誰も盗まねぇだろといった雰囲気で自転車に鍵をしてなかった私が悪いと思う。
無施錠は 無法地帯の 薔薇の花 2重ロックで 守ろう自転車
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2/7 #フナの日 誕生日/ #向井理 #加護亜依 #香坂みゆき #宮本恒靖 #阿久悠 #香坂みゆき #小林稔侍 #青島美幸 誕生日 1478年 トーマス・モア(法律家) 1812年 チャールズ・ディケンズ(作家) 1893年 鈴木茂三郎(政治家) 1906年 愛新覚羅溥儀(清朝第12代・満州国皇帝) 1926年 津島恵子(女優) 1927年 ジュリエット・グレコ(歌手) 1934年 金美齢(評論家) 1935年 バーブ佐竹(歌手) 1937年 阿久悠(作詞家・作家) 1940年 益川敏英(物理学・ノーベル賞受賞) 1943年 小林稔侍(俳優) 1948年 石鍋裕(仏料理人) 1959年 カルロス・ポンセ(野球) 1959年 青島美幸(エッセイスト) 1961年 山本亨(俳優) 1962年 デヴィッド・ブライアン(ボンジョヴィ・ミュージシャン) 1963年 香坂みゆき(女優) 1966年 クリスティン・オットー(水泳) 1968年 寺岡呼人(ミュージシャン) 1969年 ハッピハッピー。(元アニマル梯団コアラ・タレント) 1972年 諏訪内晶子(バイオリニスト) 1972年 本宮泰風(俳優) 1975年 松田樹利亜(歌手) 1977年 宮本恒靖(サッカー) 1977年 森野文子(女優) 1978年 アシュトン・カッチャー(俳優) 1980年 イ・ジョンヒョン(韓国・歌手・女優) 1982年 向井理(俳優) 1984年 高木梓(タレント) 1986年 上村彩子(元AKB48・歌手) 1988年 加護亜依(元モーニング娘。・歌手) 1992年 矢島舞美(歌手・℃-ute) 1993年 太賀(俳優) 1996年 萩原舞(歌手・℃-ute) 誕生花は 貝母(バイモ)、花言葉は“誠実な心” 誕生石は 瑪瑙(agate)、宝石言 フナの日 茨城県古河市の古河鮒甘露煮組合が2001(平成13)年に制定。 「ふ(2)な(7)」の語呂合せ。 2000(平成12)年に11月27日に「いい鮒の日」として制定したが、翌年から2月7日に変更された。 いい鮒の日 11月27日 北方領土の日 日本政府が1981(昭和56)年に制定。 1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められた。 北方領土は択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島からなり、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強ある。 江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていた。「日露通好条約」により、ロシアとの国境が択捉島とウルップ島との間に確定された。その後、1875(明治8)年の「樺太千島交換条約」によって樺太全島を放棄する代わりに千島列島全てが日本領となり、1905(明治38)年の日露戦争の勝利により、「ポーツマス条約」で南樺太も日本領となった。 第2次大戦の敗戦により、1951(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権原等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれた。しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれないが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、その状態が現在まで続いている。 北方領土問題対策協会 竹島の日 2月22日 ふるさとの日 [福井県] 福井県が1982(昭和57)年に制定。 1881(明治14)年のこの日、石川県・滋賀県から越前・若狭を分離して福井県が設置された。 長野の日(オリンピックメモリアルデー) [長野県] 日本青年会議所北陸信越地区長野ブロック協議会が1998(平成10)年に制定。 1998(平成10)年のこの日、長野冬季オリンピックの開会式が行われた。 日本青年会議所北陸信越地区長野ブロック協議会 独立記念日 [グレナダ] 1974年のこの日、カリブ海の島国・グレナダがイギリスから独立した。 歴史・出来事 1184年 源平・一ノ谷の戦い 1690年 東京・湯島聖堂が完成 1691年 湯島聖堂の昌平坂学問所が完成 1754年 日本初の人体解剖(山脇東洋) 1855年 日露通商友好条約締結 1873年 仇討ち禁止令 1960年 東京の市外電話局番が3桁になる 1965年 米軍が北ベトナム爆撃(北爆)開始 1987年 映画『マルサの女』公開 1992年 EC加盟12国がマーストリヒト条約に調印 #今日は何の日 #パーソナルカラー #カラードレープ #カラーパレット #こんにちは #色見本 #PCCS #ドレープ120色 #パーソナルカラー用品 #テストドレープ #C³ #色のみかた #シーキューブ (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/CK-GG01A1ov/?igshid=q3mlvyzd5vcf
#フナの日#向井理#加護亜依#香坂みゆき#宮本恒靖#阿久悠#小林稔侍#青島美幸#今日は何の日#パーソナルカラー#カラードレープ#カラーパレット#こんにちは#色見本#pccs#ドレープ120色#パーソナルカラー用品#テストドレープ#c³#色のみかた
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RARETSU/20191130
帰り道、造花の植え込みにイチョウの落ち葉がかぶさって緑と黄色の綺麗なグラデーションがいくつも生まれていた。こんな時に限ってカメラを持ってない。冬が来るね。
昨日、初めて直属の上司との面談があった。いわゆるボーナスにまつわる。2年目までは全員同じ評価だよ。でもその先の評価ってそれまでの頑張りで得た伸び代で決まるよ。そんな新入社員の気を引き締めるための紋切り型な説明。正直その制度のこといつまで覚えていられるか分からない。でも、その後、「でも、ウチの部署に来てくれたのが〇〇君で良かったわ。配属された新入社員の中では君が人としてちゃんとしてるし」と課長がポロッと漏らしたのはきっと忘れない。別にそれが私のモチベーションを上げるためのリップサービスだったとしてもいいよ、騙される。
八月の終わり頃に「やれるだけお金貯めて12月に辞めるぞ」って一言だけ書いたメモがiPhoneに残ってる。なんならピンで固定されて下書きフォルダのトップに君臨してる。職場の人の品性の無さに愕然としたこと、この生活に限界を感じたこと。ある種の怒りとか、思春期の高校生のような衝動に駆られて書いた文章だったと思う。前者については真っ当な理由だなぁと今でも思う。いやー世の中には平然とヘドロよりも汚い言葉を吐ける人種もいるもんですね。この五ヶ月間ビックリしっ放しだよ本当に。これは事実。
私は根っからの真面目な人間でもないし、何ならサボれる所はちょくちょく力を抜いたりもしている。最も胸を張って言える仕事に対するモチベーションは「今の上司を裏切りたくないな」面談の最中も「頭が固い」と自嘲していた上司。大学受験に向けて中三の息子を塾に通わせるか迷っている人。私の両親より少し年下の、両親の何万倍を真面目な人。いつか私は会社を辞める時が来るかもしれない。けどそれまではこの人と好きな先輩の力になりたいとは素直に思う。そんなこと言えるはずもなく、面談の終わりで代わりに「これからもよろしくお願いします」と深々と頭を下げた。今年最大の懸念要素だった、配属先と新しい人間関係。この二つのクジ引きはどっちも大吉だったなって心から思った。そりゃ並行世界のことなんて知りようもないけどさ。でも、今の私はとても恵まれていると思うよ。
閑話休題。朝食のパンに合わせるスープが底を尽きた。材料を買い出す気分にもならず、雑誌で読んだオニオンスープグラタンを有り合わせの材料で再現する。熱した鍋にバターを敷く。玉葱を飴色になるまで炒める。焦げ付きかけたら水を注いであげて。チーズを買ったことが無いと気付きスープで仕上げようとウインナーを数本。塩胡椒。煮詰める。一晩置く。翌朝のメインディッシュ。絶品。今まで頑なにコンソメを使っていたことが馬鹿らしくなる玉葱の甘み。自然の旨味。ここ最近の日記ではほぼ欠かさず料理の話題に一回は触れるけど、ご覧の通り大した物は作れていない。けど、ごはんぐるり/西加奈子の一節の意味はこの四ヶ月で噛み砕けたような気がする。『ただ、包丁を入れた時の大根のみずみずしい骨のような白さ、火を入れたときのガスコンロのポッという可愛らしい音、鍋を振るときに腕にずしりとくる頼もしい重み、などが好き、つまり料理を作っている、その行為、そしてそんな自分が、好きなのだ』
今月最後に言いたいこと「誰だよ11月はラッキー月とか言ってたやつ」次はいよいよ師走。どうせ意味なんてないけど例年の12月を振り返ってみよう。気遣いが空回りして友人と気まずくなった12月。ギクシャクした関係を時間が取り持ってくれて、好きだった人と「来年もよろしく」って言い合った12月。どうなるかな。もう立っていられない位キツいパンチを食らったとしてもどれだけ早く立ち上がれるかは自分で決めるんだよ。
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どうしてこうなった…「料理で大失敗した経験」が壮絶すぎる
集計期間:2020年7月25日~7月27日 回答数��16441
料理に小さな失敗はつきものですが、「大失敗」をした経験はありますか?
筆者はかつて米を生炊���にしてしまい、チャーハンにすれば何とかなる!とフライパンへ投入したところ何もかもダメになり、母親に締め上げられた経験があります。
今回は、そんな「料理で大失敗した経験」についてアンケート調査を行いました!
料理で大失敗した経験はある?
回答者16441名のうち、料理で大失敗した経験が「ある」という人が59.5%と、わずかに過半数を占めました。
ここからは、具体的な失敗談を見ていきましょう。
壮絶!失敗料理
<あわや火事>
・鍋を火にかけてた時にうたた寝したら盛大に焦がした火事にならなくて不幸中の幸いでした
・フライパンの底に鍋敷きがくっついているのに気が付かず、ガスコンロに乗せて火をつけた��あやうく火事になるところだった。
・深夜に帰宅し、カレーを弱火で煮込んでそのまま忘れて寝てしまい、翌日お昼に起きてしばらくしてから思い出して、慌ててキッチンに行くと、全て蒸発して具材も無くなり、元のキレイなテフロン加工のお鍋に戻ってました。火事にならなかったのが奇跡です。
・揚げ物をしてる時、タッパーの上にキッチンペーパーを敷きコンロ近くに置いておいたら、タッパーからはみ出てたキッチンペーパーにコンロの火が燃え移り火事になりそうだった事が2回程ある
<あわや大ケガ>
・ジャガイモをむいていたら、自分の手まで、むいた。
・カボチャの皮を切ってる時に小指の皮も一緒にむけた。
・料理をする前に入れるための容器を煮沸消毒している時に、手を突っ込んでしまい大火傷してしまいました。
<油ものは危険>
・イカの天ぷらをした時水分がイカについていたのでパチパチ油が盛大に台所中はねて大失敗しました。
・新婚当時、ししとうの素揚げをしたら揚げ油が大爆発した。はねた油で腕と首にヤケド。首のヤケドに絆創膏をしていたら、当時住んで居た団地で「新婚さんだから~??」と噂されていた。。。ししとうに穴を開けてから揚げるって知らなかっただけ。
・チュロスを作った時に油に入れたら爆発して大火傷をしたこと。
・小学生の頃、ドーナツを作って油が爆発。おおやけどを負いました。
<入れすぎ>
・唐辛子を入れすぎて目と喉がやられ咳が止まらなくなった
・パセリのみじん切りを入れるときに分量がわからず入れたら、パセリの味しかしなかった
・まだ若い頃、彼氏の家で餃子を作るのに生姜を入れすぎて生姜の味しかしなかった。
・ひじき入りの炊き込みご飯して、ひじきの量分からなくて全部入れたら炊飯器いっぱいひじきだらけになった。
・豚肉のオレンジ煮。もらったジャムがあまってたので大量にぶちこんだら、修正が効かないくらい不味くなり、甘くてひどかった。
<入れ間違い>
・考え事をしながら肉じゃがを作った際、甘味が足りなく砂糖を足したつもりが塩だった。煮汁を捨て煮直したが塩辛さが消えなかった。「砂糖と塩を間違えた」って料理初心者で聞く話だけど、質感が違うので間違えるなんてあり得ないと思っていた為ショックだった。
・いつもと違い色がとてもキレイな玉子焼が出来上がったと思ったら砂糖と塩を間違えていたらしくしょっぱいを通りこして辛くて食えなかった。
・すき焼きに塩と醤油を入れて、途中で気がついて肉を洗って作り直したけどトラウマ級のまずさで捨てた。。
・パセリとシ���をそれぞれ冷凍してから粉々にしてみじん切り風にしてあるのですが、ミートソースにパセリを入れようとしてシソを入れた
・赤ワインにスネ肉を漬け込んだら、気持ち悪い位紫色に染り、煮込んでもワインが強く使えなくなった。
・犬用にワッフル作ってたのですが、ブルーベリー入れてあげよう!と思ったのが間違い。他の材料と変な反応して緑のおそろしい物体が出来上がってしまった。しかも砂糖とか入れなかったから、不味かった。
・鮭ご飯を作ろうと炊飯器に生の塩鮭、米、醤油、酒、生姜を入れて炊いたらあまりに生臭くてとても食べれなかった。
・お味噌汁を作っていて、水で戻るわかめと間違えて、しそわかめを入れてしょっぱくなった
・サバの味噌煮の鯖を「塩鯖」で作ってしまった。この世の物とは思えない塩辛さになってしまった。
・洋風炊き込みご飯を作ろうと思って、野菜ジュースを入れるところを、フルーツ入り野菜ジュースと間違えてしまい、甘ーいトロピカルご飯になり、誰一人口にしてもらえなかった
・オイスターとウスターを間違えて吐きそうな程不味かった。
・ハンバーグにキノコを混ぜるのが自分の中でブームだった頃、脂肪分解酵素が多く含まれていると知らずに舞茸を混ぜてドロドロのハンバーグになってしまった!
<なぜ入れた>
・醤油の代わりにコーヒーを入れてしまった
・豚汁に 渡り蟹を 入れたら 激マズだった
・さつま芋スープを作って、最後になんとなくシナモンを入れたら劇マズになった。
・ぜんざいに味の素を入れたら、食べられなかった。味の素は、何でも美味しくなると思っていたので。
<手順を間違えて…>
・シュークリーム。間違って皮の方じゃなく、中に入れるクリームの方をオーブンで焼いてしまいました~
・グラタンを作ろうとしてホワイトソースを作っていたら煮詰め過ぎてブラックソースになってしまった経験があります。
・お味噌汁を作ろうとして、さあ味噌!という時に味噌がなかった。具がジャガイモと玉ねぎだったので、急遽煮物もどきに変更。さすがに水が多すぎました。
・カワハギの皮剥くの知らなくて鍋に、そのまま入れて食べたら、大変な事になった
・焼き鳥用のタレを作った。鍋に入れた状態で焼いてつけて焼くを繰り返し、使い終わった後も鍋に入れて保管...を一週間位ずっとやってたら鍋の底が溶けて穴が空いて冷蔵庫がタレまみれになって壊れた。タレにリンゴを入れたせいだと後になって気付いた。
・ピザが食べたくなって、そういや小麦粉があったなと思い勢いと朧げな記憶のみで調理しました。が、そもそも使っていた粉が強力粉ではなく薄力粉。それに気づかず何か変だなと思いながら無理やりオーブンで焼いて食べたら案の定お腹を壊しました。慣れないものはレシピ見ながらでないとダメですね…。
・しじみの砂抜きが甘くて、黒い味噌汁になった
<料理が台無しに>
・かき揚げを揚げたらバラバラになった
・お米をといで4合のメモリに合わせて水を入れ、炊飯器にセットする直前で床に釜落とした。4合分のお米と水の片付け方がわからなくて、しばらく動けなくなりました。
・フライパンでオムライス完成!さぁ?フライパンからお皿によっこいしょっとしたら、流しにドボン‥
・かに玉を裏目にひっくり返えすのを失敗して床に落下させた
・里芋の煮っころがしを作っている途中に電話がかかってきて、つい長電話になってしまったら焦げて跡形も無くなってしまった。鍋な焦げ付きがどうにか取れたのが救いでした。
・コロッケを揚げていたら、中身がとけて消えた。小麦粉をまぶし忘れた模様。
・ハンバーグを全て焦がして、炭になった。
・牛すじをじっくり煮込んでて 忘れてしまい牛すじが炭になりました…
・友人宅で持ち寄りパーティーが開催され、唐揚げ持っていくねと言ってたのに、油の温度高すぎて真っ黒こげに。そのまま持って行ったら、参加の外国人にこれはなんて言う日本料理?と真顔で聞かれた。
・肉を焼いていて、最後にかけるタレを薄いガラスの軽量カップに入れておいたが、いざかける段になって手が滑りフライパンに軽量カップを落とし割ってしまった。破片がフライパンのどこに散らばったのか分からず、結局肉を出せずむぁにしてしまった。
<電子レンジ事変>
・電子レンジで餅を焼いたら、皿が燃えた
・電子レンジで温めていたら、プラコップを焦がしてしまった、ものすごい異臭がしました。
・煮切りみりんを作るために電子レンジで様子を見ながら加熱していて少しその場を離れたら、爆発して電子レンジの扉が開き、みりんが飛び散ってものすごいことになった
<お鍋・フライパン事変>
・調理中にフラ���パンのガラス蓋が木っ端微塵。
・フライパンでたこ焼きを作ろうとして、小麦粉のゴムボールみたいなものを生み出した。ソースでも不味さを隠しきれなかった。
・ビルの湯沸かし室で炒め物をしていたら、フライパンに火が入り、火災報知器がなり、さらには全館で排気口が開き、ものすごい勢いでゴーっと排気して行きました。ビルの各部屋から大勢の人が飛び出してきました…
・圧力鍋の圧力を抜かずに蓋を開けて、大噴出した
・肉じゃがを作ったけど、お鍋をガスレンジに置きっぱなしで次の朝。中を開けたら青いカビが浮いてたので全部捨てたことがある。やってしまったのである。
・圧力鍋で蒸しりんごを作る予定が、りんごの皮に穴を開けるのを忘れてしまい、蓋をあけたら爆発してましたとさっ!!粉々になり、ホットスムージー状態だったため、熱いうちにと思い速攻で葛を溶き、葛リンゴにしちゃいました~ドレッシングやソースにしても良かったかも…
<麺あるある>
・カップ焼きそば��お湯切りの際、麺を流しにぶちまけた。
・茹でたうどんを湯切りしたとき、うどんを流し台にばらまいてしまった時。
・お腹すいて水入れて電子レンジで作るカップ麺を作ろうとして、水入れ忘れた。
<カレー事変>
・カレーにゴーヤを入れて煮込んだらカレー全体が苦くなって食べられなかった。
・カレーを作るときに 煮込んでいたら自然ととろみが出てくる事を知らずとろみが出ないなーっとルーを足し、足し、足し、粉っぽいというか、変に濃い美味しくないカレーになった
・カレーのトッピングとしてハンバーグ作る予定がゲル状の未知の物体になったので、そのままカレーの中に入れた。
・カレー粉と間違えて、粉辛子を入れてしまった。
・カレーの具にシャケを入れたら生臭くなった
・カレーの隠し味にコーヒー豆を入れた
・カレーに熟しすぎたキウイフルーツを入れたらなんとも言えない味になった。どうあがいても熟しすぎたキウイフルーツの味が消えず捨てた
・カレーにバナナはいれるものじゃないね
・夏野菜カレーを作りたくてパプリカやらズッキーニやらいろいろ入れた。最後にカボチャ入れたら他の野菜の味が全て消されてカボチャのカレー風味になった。要は美味しくなかった。
<こんなはずでは…>
・普通にバレンタインのチョコレートを溶かしてハートに固めるだけなのに厚さ8cmでガチガチに固いただの鈍器を作ってしまった…そして、バレンタイン当日に彼氏が複数のチョコレートを持っていたからその8cmのチョコレートで頭を殴ったら普通に流血した血のバレンタインの思い出
・当時の彼氏に初めて手料理を振る舞ったとき。料理上手っぽく見せようと、ルーを使わないカレーを作りました。鶏肉をヨーグルトに漬け込む工程で、冷蔵庫の中には甘いフルーツ入りのヨーグルトしか無く…「フルーツの旨味も入って良いかも!」と、勢いで乗り切ろうとしましたが、甘すぎてとても食べられないカレーが出来上がってしまいました。黒歴史です。
<その他、大惨事>
・ニラとスイセンを間違える
・昔は、すぐ見れるツール(料理アプリなど)がなくでも創作料理つくりたくて色々適当に混ぜたら粘土のようなものが出来ました
・腐った豚肉が蘇ることを願って、ソースやらなんやらいれて作ったのに激まずで泣きそうなった
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新しています。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
こちらの記事に関するお問い合わせは [email protected] までお願いします。
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「しがや」でごはん。
――はじまりは「味噌豆」だった。
底の深いフライパンに油を敷き、軽く水洗いした大豆を入れながら、志賀真幸(しがまゆき)はそう思う。 ゆっくりとへらでかき混ぜて大豆に油をまわし、強火にかける。十五分ほど煎っていると、豆がしわしわになっていく。さらに煎り続けていけば、しわがなくなって、ぱちぱちと音をたてはじめる。表面が少し割れてもくる。 ちょっとずつ焦げ目がつく、この過程が真幸はとても好きだ。 どんなメニューを組む日でも、「味噌豆」は必ず作ってタッパーに入れておく。あまり甘くしないから、ごはんのおともにも、お酒のアテにもなる。 真幸がひとりで切り盛りする『しがや』は、昼の十二時から夜の十一時までが営業時間だ。ランチが午後二時まで。三時間の休憩を挟んで、午後五時から再開する。 八人でいっぱいになるカウンター席と、二人かけのテーブルがふたつに四人かけのテーブルがひとつの小さな店。 夕方からの営業には、食事だけでなく、お酒をメインにする常連さんも多いため、「味噌豆」を含むお通し三点付けはとても喜ばれる。もっとも、真幸はアルコールには詳しくなくて、ごく普通のビールと廉価な焼酎、日本酒しか置いていない。こだわりのある飲兵衛には向かない店だ。 それでも、『しがや』の個性や、ある法則をもったメニューのほうが重要だと言ってくれるお客さんに守られていた。 いまは、ランチあとの休憩時間。 ランチの片づけをして、食材のチェックをしてみたら、今朝作った「味噌豆」がこころもとない残量になっていた。夜の営業で足りなくなるのは困るので、追加で作っている。 中火にし、砂糖と味噌を入れて擦り合わせつつ混ぜはじめたとき、まだ暖簾を出していない店の引き戸が開いた。
「姐さん、これ置かせて」
挨拶もなく入って来た青年がよく通る声で軽やかに言う。
「ちょっと待って」
真幸は声の主を見ようともせず、ちゃっちゃとフライパンの中の豆を仕上げていく。砂糖も味噌も焦げやすいので、眼を放せないのだ。
「おう」
青年は短く答えると、カウンターの角席に腰かけたようだった。椅子を引き、とんとなにかを置く音が聞こえた。 彼はその席が好きだ。絶対にそこでなければいやというわけではないのだが、何人かの仲間と顔を出してもテーブル席ではなく、角席を含んだ数席を選ぶ。 胡麻を加えて「味噌豆」を完成させてから、真幸はカウンター内を移動した。青年の真ん前に立った。
「見せてよ」 「あ、おう」
青年はまた短く答えて、手元にあったA4サイズの封筒を真幸に差し出した。一センチほどの厚みがある。 真幸は受け取った封筒からぺらっと一枚引っ張り出してみた。「ふうん」と呟いて紙を見つめる。
「正之丞(せいのすけ)さん、出世したよねぇ」 「出世ってこたぁねぇですよ」
正之丞と呼ばれた青年はへっと鼻先で笑い、カウンターに支度されている透明なポットに手を伸ばした。トレイに並んだグラスをひっくり返し、冷えた緑茶を半分ほど注ぐ。ごくごくと咽喉を鳴らして一気に飲み干した。
「でも、たいしたもんだよ。菱野ホールってキャパ二百五十くらいあるでしょ。そこで毎月やれてるんだもん」
真幸の手にある紙は、いわゆる宣伝チラシだ。青っぽい背景の中央に着物姿の正之丞がいて、寄席文字と呼ばれる独特の太い筆致の文字で『日月亭(たちもりてい)正之丞月例独演会』と二行に分けで書かれていた。 ちなみに、寄席文字とは、提灯や半纏に使用されていた字体と、歌舞伎などで用いられていた勘亭流の字体を折衷して編み出したビラ字をもとにしている。天保年間に神田豊島町にあった藁店に住んでいた紺屋の職人が改良したものらしい。 たくさんの客が集まって、空席が少なくなるようにとの縁起を担いで、文字と文字の間隔を詰め、隙間を最小限にして書く。その際になるべく右肩上がりにもする。
「次からはチラシデザイン、もっと凝ったら? 正之丞さんイケメンなのにふつうのデザイン過ぎてつまんないよ、これ」
真幸は淡々と言うと、チラシを封筒に���した。 正之丞はもう一杯緑茶を注ぎながら、「だったら姐さんがやってよ」と唇を尖らせた。
「じょーだんでしょ。もうわたしは引退したのよ。いまはただの食堂のおばちゃん」
自嘲気味に笑って、真幸はできたばかりの「味噌豆」といんげんと山芋のおひたし、小女子の佃煮入り卵焼きを三点付け用の小皿に盛り合わせ、正之丞の前に置いた。 正之丞は「うまそう」と呟いて、割り箸を手に取った。
「おばちゃんだなんて思ってないくせに」
まず卵焼きを口に運び、正之丞はにっと口角を引き上げた。
「わたし、何歳だと思ってんの?」 「おれより四歳上だっけ?」
正之丞はもぐもぐと咀嚼しつつ、首を捻った。真幸はすぐに「五歳」と返した。 正之丞は、スポーツ医療系専門学校卒業後に日月亭正治(せいじ)に弟子入りし、八か月の見習い期間のあと、前座として寄席に入った。四年半務め上げ、五年前に二ツ目となった。確か、早生まれの三十歳だったはずだ。 二ツ目になってからしばらくは、三十人キャパ程度の���場で勉強会を繰り返していたが、ある新鋭監督の映画に準主役で期用されてから注目されはじめた。 端は整った見た目ばかりが話題にされていたものの、ネタ的にほうぼうに呼ばれているうちに噺家としての実力もあがっていった。 真幸は、集客に苦労していた姿も知っているから、とんとん拍子に飛ぶ鳥を落とす勢いの存在となっていく正之丞に圧倒された。 多くの注視は自信の裏付けになると同時に、敵も生まれる。諸刃の剣だ。ファンの好意はちょっとしたボタンの掛け違いで嫌悪に変わってしまう。 そして、それを含め、目立ってナンボの世界だ。潤沢とはいえない客の数を多くの噺家たちで食い合いするのだから、売れていて、魅力がなければ勝ち抜けない。 真幸は『しがや』を開店するまで、日本橋にあるデザイン事務所に所属して、多種多様のチラシをデザインし、寄席文字を書いていた。売れはじめるまえの正之丞のチラシを作ったことも、独演会用に高座のめくりを準備したことも一度や二度ではない。 真幸のデザインするチラシは、噺家たちにも落語会に足を運ぶ客たちにも好評だった。 母が亡くなり、『しがや』を継ごうと決めて一線を退くとき、相当に残念がられたものだ。事務所を辞めても個人的に仕事を請け負ってほしいと頼まれたけれど、それではなんだか示しがつかないような気がして、すべて丁重にお断りをした。 仕事としてかかわらなくなっても、落語そのものは好きだったから、『しがや』のメニューに演目にちなんだものを出すようになった。 「味噌豆」も落語の演目からきている。 主人が隠れて「味噌豆」を食べようと便所にこもる。使用人もやはり隠れて食べたくて、椀によそった「味噌豆」を持って便所へ向かう。そこには主人がこもっているから鉢合わせになり、使用人は機転をきかせておかわりを持ってきたと言い放つというオチを迎える噺である。 もともと「味噌豆」という言葉の響きが妙に好きで、どんなものなのか興味があって個人的に調べて作って食べていた。いろいろなパターンのレシピに挑戦し、自分なりに改良を重ね、『しがや』の落語にちなんだ新メニューのトップバッターに決めたのだ。 真幸が作っている「味噌豆」は、落語に登場するものとはちょっと違うのだけれど。 「味噌豆」が好評だったから、真幸は少しずつ落語の演目絡みのメニューを増やしていった。 「目黒のさんま」にちなんださんま料理、「かぼちゃ屋」や「唐茄子政談」に絡めてかぼちゃ料理、「二番煎じ」に出てくる味噌味の肉鍋風煮物、などなど。 あとは、ランチ時には「時そば」にちなんで、もみ海苔を散らした花巻そばや、玉子焼き、蒲鉾、椎茸、くわいなどをのせたしっぽくそばを常に出している。 夏場には「青菜」に登場する鯉の洗いを用意したこともある。 つまり。 これが『しがや』のある法則をもったメニューなのだ。 このおかげで、母の代からの��馴染みさんや地元だから贔屓にしてくれるお客さんとともに、落語好きの常連さんが多くなった。飲みながら、落語話に花を咲かせているお客さん同士も、落語会帰りに一杯というひとたちもいる。 そのため、多くの噺家たちがチラシを置かせてほしいと言ってくる。去年からは頼まれて彼らのCDや著作物なども販売するようになった。置いてあるチラシやCDなどを目当ての客も結構いた。 正之丞の初CDが出た際には、サイン会を兼ねた特別落語会を開催もした。二百五十のキャパをコンスタントに埋められる正之丞なのに、二十程度の席しかないため、チケットはとんでもない争奪戦となった。 この会がうまくいけば、隔月くらいで落語会をやってみてもいいかなと思ったけれど、ファンの血眼ぶりがトラウマで、尻込みしている。正之丞ほどの動員能力を持つ噺家ばかりではないし、まだまだこれからの若手を呼べば、あんなことにはならないだろうとは頭ではわかるのだが。 思い切るにはもうちょっとの勇気が必要そうだ。
「正之丞さん、まだ時間ある?」
真幸はチラシの入った封筒をカウンター下の棚に収めてから、ふわっと訊いた。
「ん? あるよ。今日は寄席の昼席二か所だけだから、夜は空き。なんで?」
山芋のおひたしを口に入れて、正之丞は訝しそうな顔をした。眉間に薄く皺が寄る。
「さんまのつくね食べる?」
「ランチ残ったの?」
正之丞はいたずらっぽく眉を上げた。
「あーー、やな言い方するなぁ。そういう態度だと出してあげないよ」
真幸はむっとしている振りをした。 正之丞とはついじゃれ合いをしてしまう。異性であることを意識したことは、少なくとも真幸側からはない。きょうだいか喧嘩友達みたいな関係をずっと続けている。 真幸には大勢の噺家の知り合いがいるが、たぶん正之丞がいちばん親しい。家族関係もつきあっていた女性のことも知っている。 そして、ひとつひとつの恋愛があまり長く続かないことも。 正之丞がいろいろな女性と交際をしている間に、真幸は取引先の会社にいた相手と恋愛をし、シンプルな式を上げて結婚した。二歳上の物静かな男性だった。軽口を叩き合うような関係性ではなかったけれど、しっとりと静かに穏やかに時を重ねていけると思っていた。 だが、ともに暮らしはじめて三年目に突入して間もなく、「好きなひとがいる」と離婚を切り出された。相手が女性であればもっと引き止めたり、もめたりしたかもしれない。 でも、夫が選んだ相手は同性だった。 それも、高校時代からひそやかに続いていた。「女性の中ではいちばんきみが好きだけど、それ以上にどうしても彼がいとしい。もう嘘はつけない」と言われれば、もう返す言葉はなかった。 惚れていたぶんだけ、離婚直後は恨みめいた気持ちもあったものの、真幸といっしょにいるときよりも自然に幸せそうに、よく笑う元夫を見ているうちに、これで良かったのだと思えるようになった。 元夫は、いまでもあの彼氏とともに生きているらしい。 真幸は、職場ではずっと旧姓で通していたから、たぶん正之丞は結婚離婚を知らないだろう。
「食べる?って訊き方したんだから、ひっこめんなよ。オトコに二言はねぇだろ」
正之丞はぶんっと割り箸を回した。
「行儀悪いことしないっ!」
真幸は腕を伸ばして、正之丞の割り箸を掴んで止めた。
「あと、誰がオトコだ!」
そのまま握り締めて拳にすると、正之丞の額を小突いた。正之丞はでへへっと笑った。
「いしる汁、ひとりぶんにちょっと足りないくらいなんだけど」 「いしるってどこの料理?」 「料理っていうか、能登の調味料ね。いしる出汁っていうの」 「能登かぁ。能登ねぇ」
正之丞が感心したように頷き、「一昨年呼ばれて行ったなぁ」と続けた。
「噺家はいろんなとこ行けていいねぇ」 「行くだけで観光もうまいもの食うのも、めったにできないけどね」
真幸の拳の中から割り箸を奪い返し、正之丞は今度はいんげんのおひたしを食べた。 噺家たちは、確かに地方公演は多いが、余裕をもったスケジューリングにはされていない。 たとえば、福岡公演の翌日の昼に東京公演が組まれていたり、昼は名古屋、夜は仙台なんてむちゃくちゃなことになっていたり。その合間に師匠方に稽古をつけてもらいに行ったり。 噺家は、大抵は個人事業主で、事務所などがマネージメントしているわけではないのに、ファンの多い人気者や名人ほど大事にされていない。ひっぱりだこと言えば聞こえが良いが、ただの過重労働だ。 売れ出して以降の正之丞のスケジュールもそうなっている。昼席のあと、空いているというのは珍しい。
「正之丞さん。もうあとがないんなら、ごはんも食べて呑んじゃう? 奢るよ」
真幸は断っても問題ないのだという隙間を持たせて、言ってみた。
正之丞は性格的に年上や先輩からの誘いにノーと言わない。多忙な売れっ子をやっかむ先輩たちや、人気者を連れまわしたいタニマチ風の主催者たちにも従ってしまう。 だから、落語を離れたプライベートの場では気にせずに首を横に振っていい。つまらない上下関係や重圧を離れて、羽根を伸ばせばいい。夜が空いているのなら、彼女とデートだってしたいだろう。 そんな思いも内包していた。 まあ、もっとも、いまの正之丞に交際している女性がいるかどうかは知らないが。
「いいの?」
正之丞は間髪あけずに返してきた。 真幸の見る目が歪んでいなければ、だが、正之丞にいやがっている様子はない。年上からの誘いだから仕方なく了解したという感じもしない。 正之丞の如才なさの賜物で、うまく本音を覆い隠している可能性もあるな、なんて臍の曲がったことを考えつつ、真幸は薄く笑みを浮かべた。
「ランチの残りと、普段、大皿で出してるような料理しか、まだ用意できないけど」 「充分充分。助かるよ」 「そう? じゃあ、ビール? 焼酎?」 「う~~ん。焼酎かな。ここの緑茶で割るから、グラスに氷と焼酎だけ入れてくれたらいいよ」
真幸は「おっけー」と答えて、大きめのグラスに氷を四つと七分目ほどの焼酎を注いだ。正之丞の手元近くにグラスを置く。 正之丞はいかにも嬉しそうに「ありがと」と笑んだ。 正之丞は結構酒が強い。深酒も泥酔もしないし、醜態も晒さないが、酒量はいつも多いほうだ。真幸も酒飲みだから、ふたりで飲めば長くなる。 正之丞が緑茶で軽く割った焼酎を飲みはじめるのを見やり、真幸は残りが少ないので小鍋に移してあったいしる汁を火にかけた。汁には、つくねの他に大根、人参、牛蒡、三つ葉が入れてある。 さんまのつくねは、「目黒のさんま」にちなんだ料理のひとつとして作っている。 あの演目だと、「さんまは目黒に限る」で形容されるさんまの丸焼きがメインだ。もちろん『しがや』でも九月に入るとさんま焼きを提供する。 それ以外の時期に出すのが、さんまのつくねなのだ。演目の後半に、殿様が屋敷に戻って「さんまが食べたい」と言ったときに、使用人たちがさんまの脂っぽさや小骨をとりまくってぼろぼろになったものを椀に入れて出す場面を参考にしている。 汁に入れる以外では、揚げたり照り焼きにしたり、にんにくたっぷりでソテーにしたりする。 さんまを使ったメニューとしては、他に味噌煮、蒲焼き、野菜あんかけ、竜田揚げなど、我ながらレパートリーに富んでいると思う。お客さんにも人気がある。 真幸はいしる汁とごはんをカウンターに置くと、続けて、大皿料理として常に用意している筑前煮、かぼちゃの煮付、きんぴら、切り干し大根、肉じゃが、小松菜とツナと玉子炒め、オクラの豚肉巻き、鶏の唐揚げを少しずつ取り分けて出した。 ひとつひとつは凝ったものではなくても、全部が並ぶと途端に贅沢な食卓となる。和食中心の店だから、どうしても色合いが茶色っぽくなってしまうのは否めないが。
「こりゃ豪勢だな。ありがてぇ」
落語の登場人物の江戸弁めいた口調で喜んで、正之丞は箸をつけていく。 緑茶割を飲みながら、ほんとうに美味しそうに平らげる。細い身体のどこに入ってしまうのかと思うくらいの食欲だった。見ているだけで楽しくて、嬉しくなる。 よく食べる人間は好きだ。ひとは食べたもので作られるのだから、気取って小食のふりをするよりも、食べるべきものをちゃんと食べる姿のほうが素敵なのは当然なのだ。
「おかわりする?」
グラスの中身が残り少なくなったのを見て、真幸は訊いた。正之丞は「う~~ん」と低く唸って、グラスの底の薄い緑色と、皿に残った惣菜を見比べた。
おかわりを頼むには、つ���みが足りないということか。
「えっとさ」 「うん?」
真幸は、珍しく歯切れの悪い正之丞を見つめた。
「おれね、真幸……姐さんの料理好きなんだ」
正之丞は、真幸の呼称代わりにしている姐さんの前に名前を入れた。これも珍しいこと��。
「このいしる汁も肉じゃがも筑前煮も豚肉巻きもぜんぶ美味いし、どれも好きだ。ほんとに口に合う」 「あ、ああ。そうなんだ。ありがとう」
淡々と、だが、真摯に料理を誉める正之丞の口調が妙に照れくさくて、真幸はさり気なく目線をずらした。正之丞を正面から見ているのが、なんともいたたまれない気分だった。
「実家のおふくろのメシより好きだ」
正之丞の「好き」は更に続く。真幸はかあっと顔が熱くなるのを感じた。 いま、彼が言い続けている「好き」は、あくまでも真幸の料理に対するものなのに。
すべてが自分に直接跳ね飛んでくるみたいな感覚だった。
「できれば、これからもずっと姐さんのメシを食いたい」
「……う、うん」
真幸は小刻みに頷いて、「いつでも食べに来てよ。毎回は奢らないけど」と続けた。 正之丞はふうっと深く大きなため息を吐いた。こんなに誉めたのに奢らないと言われて、つまらないと思ったのかもしれない。 でも、正之丞みたいな健啖家を毎回ロハで食べさせていては、『しがや』が立ち行かなくなってしまう。
「そうじゃないよ」
少しの間を置いて、正之丞は低く言った。 なんとなく怒っているように聞こえて、真幸はちらっと正之丞を覗った。正之丞はまっすぐに貫くように真幸を見つめていた。
「『しがや』の客としても、だけど、それ以上に個人的にって意味」 「え、え? あ?」
あまりに意外な言葉で、真幸は間抜けな反応しかできなかった。声もいびつに裏返った。
「どういう……」 「おれ、姐さんが好きだよ。何人かの女性とつきあってみて、余計にはっきりとわかった。おれは姐さんが好きだし、おれに合うのは姐さんだけだ」
訊き返そうとした真幸の声に被せて、正之丞は一気に言い切った。手にしていた割り箸を肉じゃがの小皿に置いた。
「え、いや、でも、ほら、わたし年上だし」
間抜けな動揺を色濃く残したまま喋るから、真幸の声は自分でも笑ってしまいそうなくらいに上擦っていた。 きょうだいや喧嘩友達のような存在の正之丞からこんなことを言われるなんて、想像したこともなかった。いまのふたりの関係に変化が起こるわけがないと、ずっと思っていた。
「五歳くらいどってことないんだけど」
すかさす正之丞が答えた。
「え、でもね」
なおも否定を続けようとした真幸に、正之丞は「姐さんのでもでもだっては、ぜんぶ打ち返せると思うよ、おれ」と微かに笑みを浮かべた。
「いますぐに答えがほしいわけじゃないんだ。おれの言葉を聞いた今日から、考えはじめるんでいい。姐さんの恋愛対象におれがいなかったんなら、これから加えてほしい。そういうことなんだよ」
「……でも、正之丞さん……」 「でもは、もうなし」
うだうだと「でも」を並べる真幸を迷いなく見つめ、正之丞はびしゃっと切り捨てた。噺の中で誰かを叱りつけたときのような口調だった。 思わず背筋が伸びた。 真幸はぎくしゃくと正之丞に向き直った。正之丞は微笑みを湛えたまま、その動きを待っていた。
「考えてみて」
正之丞は真幸と眼が合うのを待って、ひどく穏やかにそう言った。
「たくさんたくさん考えてみて。姐さんとおれがいっしょ��生きていけるかどうか。真剣にちゃんと考えた結果がごめんなさいなら、おれは受け止めるから」
あまりに真剣な口調に、真幸は唇を引き締めた。 いままで正之丞と自分を男女として意識したことはなかったけれど、ここまでしっかりと伝えられた以上、直視しないわけにはいかない。誤魔化したり予想外だからなんて言い方で逃げてはいけない。
「時間はいっぱいかけていいよ」
正之丞は、これまで一度も見たことがないくらい穏やかに優しく頷いた。笑みの形になったままの表情がひどく美しかった。
――考えよう。これから、きちんとまっすぐに。
真幸は言葉にはのせずに、ただ強く頷いていた。
「……良かった。ありがとう」
心底から嬉しそうに、正之丞が頭を下げた。
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日光遠足
どーーもーーーーー!!!! 空前絶���のォォォォォ!!超絶孤高の歩きスト!! 日光を愛し 日光に愛された男ォ!! そう 我こそはァ! たとえこの脚が朽ち果てようと! ゴールを目指して脂肪を燃やし! 燃えた脂肪は汗となり! 見る者すべてが不気味に思うゥ!! みんなご存知! そう この俺こそはァァァァァァァ!! 最強無敵の歩きスト!! あまりのポテンシャルの高さにィ! 次の探検部の部長になることが決まった男ォォォォ!! よろしくお願いしまァァァす!! そう この俺こそはァァァァァ!! 身長179センチ 体重67キロォォ! 長所 コッテリ眉毛ェェ! 短所 短足ゥゥゥゥ(泣)! 探検部に舞い降りたキングオブ石原良純! そう この俺はァァァァァ!!! サン(日)シャイィィィィン(光) 馬!! \ ボゴォン! / 場!! ・・・・・・イェェェェェェェェェェェェェェェイ!!!! ジャァァスティス!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
さて、もう2か月も前ですが、私の初企画「日光遠足」が実施されました この活動は、東京の日本橋から栃木の日光東照宮までの日光街道およそ140㎞を、一里塚を見つけながら歩こうというものであります
我々は普段、登山やラフティングをするために現地までレンタカーや電車を使います しかし!我々が車内で悠々と過ごしているその道中にこそ、真の探検対象があるのではないか? いにしえの人々が触れてきた何かを、我々は見逃してはいまいか? そんな知的で崇高でイカした思いから「日光遠足」は生まれました
日光遠足の記録、どうぞご覧ください
初日 東京日本橋~埼玉備後東
8月10日、日光遠足が始まりました。 ↑装備を整えて日本橋へやって来た一行。プレで歩く苦しさを味わったとはいえ、5日間という長き戦いの凄絶さを未だ想像すらできていない表情
↑現在も跡を残す千住の一里塚・・・・・・のはずが、見つけられずorz ゴマちゃんと高札場跡の写真でごまかします
↑埼玉に翔んで、もとい、入ってしばらく歩くと松尾芭蕉の弟子の曾良の銅像があります。「奥の細道」の一部が日光街道と重なっているそうです
↑特に川を渡るわけでもないんですが、こんな感じのデッカイ橋がいくつかありました。これを越えるのがなかなかつらい。でもせっかくなので歩いてみます。「このはしわたるべからず」って幻聴が聞こえたのでど真ん中を渡りました
千住からやや距離を置いて蒲生の一里塚に到着。 ところで一里塚とは、江戸時代、街道に約4キロ間隔で置かれたチェックポイントみたいなもんです。 近代化の波にのまれて撤去されてしまったものもあり、この日光街道では日本橋から越谷のあたりまで一里塚の跡や看板が残っているものはとても少なかったです。残念
↑行き倒れにしか見えない唯一の上級生参加者の國原さん。強い日差しに体力がゴリゴリ削られるのです。 そばを通る歩行者やドライバーから不審な視線を投げかけられます
春日部に入るころには日が落ち、体力に余裕のある馬場・國原でスーパーが閉まる前に夕飯の買い出しへ。一方そのころ体力の限界を迎えた周ちゃんは路傍で電池切れ。
↑備後東の一里塚。この日最後の一里塚でした。
近くの公園で夕食をつくって食って寝まくって・・・
二日目 埼玉備後東~茨城利根川の河原
ムクっ
イクゾー!デッデッデデデデ!(カーン)デデデデ!
二日目は比較的たくさんの一里塚がありました ↑この日最初の小渕の一里塚
↑三本木の一里塚
↑茨島の一里塚。後ろの山田うどんにどれほど入りたかったことか・・・
↑幸手の一里塚。この手前にはかつての幸手宿の面影が残っていました
↑東京から50キロ地点を越えて進んでいくと小右衛門の一里塚があります 三人の様子をご覧になってわかるように、心身が疲れ切っています ここだけの話、周はこの日でリタイアすると思ってました
↑ベイシアのキッズスペースを占領するイケナイ大学生たち。この日はいい位置に野宿のできる場所が見つからず距離が短くなってしまったため、買い出しと夕食を兼ねてここで長めの休憩
↑利根川に到達。愛すべきバカ本田がじゃぶじゃぶと川の中へ。想像以上に浅かったようで、川の中央へ行っても腰までしか水に浸かっていませんでした ※川に入るときはライフジャケットなどを着用するようにしましょう
この日は利根川の橋の下で野宿。東屋・水道・トイレのある公園がベストなのですが、ちょうどいい距離に見つからず、やむなくここへ
↑最終日の取り組みに向けて工作中・・・。何を作っているかわかりますか?
三日目 茨城利根川~栃木小山
↑この日最初の古河の一里塚。県立高校の敷地内にあるので、フェンス越しにパシャッと
↑かつての宿場町。史学科の身としては「足利成氏」なんて聞くと「享徳の乱!」って言いたくなります
↑野木の一里塚。民家の植え込みにありました そういえば三日目はなんだか楽に感じたなぁ。ほら、表情が明るい
↑乙女の一里塚。東京からおよそ70キロのところにあります。看板などはないんですが、位置的におそらくここだろうということで
↑三日目にしてようやく風呂に入れます。登山中とかなら入浴できなくても仕方ないと思えるんですが、この活動は思いっきり市街地。それなのに風呂に入れないというのは精神的にクるものがありましたが、それもついに解消!! 昔ながらのいい銭湯です。女湯から番頭さんが見える!って周が驚いていたのを見て時代の流れを感じました(10代)
↑このあたりが喜沢の一里塚・・・・・・のはず。写真にはありませんが、盛り土(塚)があったので間違いないでしょう。史跡を後世に伝えるために、行政は看板とかを立てるべきでは?ちなみにこれがこの日最後の一里塚でした
↑野宿場所。夕食後、身体能力に定評のある本田が逆立ちを披露してくれました この公園、涼しくて快適な一方で、水辺だから蚊の多いこと多いこと
四日目 栃木小山~同上戸祭
朝っぱらから太陽がギラギラどころかベギラゴン、メラメラどころかメラゾーマ(激寒ギャグ)。この日が一番きつかったと思います 暑さだけじゃなくて景色に変化がないのも辛さに拍車をかけます
↑小金井の一里塚
↑下石橋の一里塚。まだ二つ目なのに早くも顔に疲労が見えますね
↑ついにやってきた100キロ地点。しかァし!このとき我々の体に異変が・・・ そう、熱中症です。
↑一番グロッキーだったのは周。野郎3人が早く歩きすぎました。反省・・・ しかァし!(二度目) そんな一行に思わぬ恵みが・・・!
↑我々の歩きに異変を感じたとあるドライバーさんがアクエリを人数分買って差し入れしてくだすったのです。話を聞くとその人はとあるボーイスカウトの自称「鬼の副長」なんだとか。この差し入れ、鬼の目にも涙ってやつですかね(違う)。ほんの数分の会話でしたが、同じくボーイスカウトに所属している本田と意気投合していました それにしてもありがたい。我々はこれを飲み、コンビニで涼んで、また歩き出すことができました
ほら元気
↑宇都宮の一里塚。私が企画するにあたって参考にしたブログには載っていませんでしたが、どうやら最近場所が明らかになったようです
↑野宿場所。地元の人曰く、自転車で日本縦断をしていた青年もこの公園で野宿をしていたそうです。いい公園には人が集まるんですかね
↑せっかく宇都宮に来たから、ということで夕食は餃子。皮が鍋に引っ付いてベロンベロンのグッチャグチャになっちゃったけど非常に美味でした
五日目 栃木上戸祭~同日光東照宮
ついにゴールを射程圏内におさめました。この記事もかなり長くなってしまっているのでササッと終わらせたいものです(遠い目)
↑上戸祭の一里塚。だんだんと木が多くなって景色が変わってきました。景色の変化っていうのは歩く上でのモチベーションに大きな影響を与えてるんだなぁと実感します
↑高谷林の一里塚
↑石那田の一里塚
↑杉並木の道。世界最長の杉並木としてギネスに登録されているそうです 自動車の通りもなく、静かで心地よいこの道に癒されました
↑並木道の途中にあった水無の一里塚
ついに道がコンクリートではなくなりました。すぐ右には国道があって車がビュンビュン通っているんですが、歩道は整備されていません。山道みたいで楽しかったです
↑七本桜の一里塚
↑旧江連家住宅の近くに一里塚があるそうなのですが見つからず、職員さんに聞いてもわからずじまい。仕方ないので、途中から三つに分かれてる木を一里塚に見立てて記念撮影
それにしてもあと少しが遠い・・・!折れそうな心を支えたのが前日のアクエリに続く恵みでした 道路沿いのすし屋のおば・・・お姉さんが麦茶差し入れてくれたのです! このブログ見てたりしないかなぁ。ありがとうございました
↑ゴールに行く前に、途中の温泉に寄ろうということでやって来たのがこの「日光温泉」。住宅街の隅にあり、地元の人の憩いの場となっているようです 実はここ、私馬場が年末日光一人旅をした際に行こうとしていた温泉なんです。ところがそのときは年末休業中・・・。およそ一年半ぶりのリベンジができました
↑腕に五日間の日焼けの跡がくっきり
↑東武日光駅前に着くとお祭りがやっていました。小さいながらも賑やかです そして日光東照宮へ続く道へ。ズラッと並ぶ風情ある街灯を眺めながらラストスパートをかけます
↑そしてゴール手前1キロ地点で靴を履き替えます。二日目の夜の工作タイムに作っていたのはPPロープ製の草鞋。周だけは市販のものを買うというズルをしていますが、他の3人はもちろん自作。一番下の國原さんのなんて紐がダルンダルンですよ
日も完全に落ちて雨まで降ってきましたが、ようやくゴール! ちなみに東照宮の中には入りません。だって1300円も取られるんですよ? この活動のコンセプトの一つに実は「お金をかけない」というのがありました(ドケチ)。1300円の出費はそれに反するんですわ
↑ドケチだなんだと言った直後でアレですが、ご褒美に財布のひもを少し緩めてラーメン屋で夕食を取りました。遠足スタート以来、ずっとコンビニとスーパーで食料を手に入れていた我々。胃袋にスープが染み渡る快感に打ち震えます
↑泥のように、死んだように眠ります。翌日の観光に備えなくっちゃ!
↑久しぶりに「脚」以外の移動手段を利用して、いざ鬼怒川温泉へ!!
↑温泉にゆっくり浸かってここまでの疲れを落とします。 「雨降って来たし、ここでしばらく休もうか」。こんな些細なセリフでも、先を急がなくていいという喜びの種になるんです
↑昼は「我が家」というお店で食べました。アットホームな空間とリーズナブル(ワンコイン)でおいしい料理。活動の締めにこれ以上のものがあるでしょうか(反語) 知る人ぞ知る、隠れ家的名店でした
本当はもっといろいろ観光しようかと考えていたんですが、雨だし、なにより疲れてるし、ということで「我が家」をでた後はささっと我が家へ帰りました
ツラいけど楽しい。何が楽しいかわからないけど楽しい。でもツラい。そんな歩き活動「日光遠足」 またこんな活動を企画してみたいなぁ・・・・・・
五街道踏破計画第一弾「日光遠足」 完
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【小説】鳴かない (下)
大学四年生の郡田さんは単位が不足していて、そのせいで卒業が危うかった。
長い長い夏休みが終わって大学がまた始まると、彼からくる連絡は、遊びの誘いではなくて、朝、授業に間に合うように起こしに来てくれ、というものになった。
お互いのアパートが近かった私は、郡田さんの部屋の合鍵を預かり、講義の時間に間に合うように彼の部屋へ行き、布団をひっぺがして起こさなくていけなかった。
郡田さんの部屋は散らかってはいるものの、物が多いという印象はなく、生活に必要最低限の物だけがかき集められているという感じがした。寝ている人、しかも年上の男性の部屋に、鍵を開けて堂々と踏み込むというのは、なんだか心のどこかに引っ掛かるものを覚えた。
夏が終わっても郡田さんは相変わらずで、ベッドの中には、裸同然の格好をした女性が一緒にいることも多かったけれど、いつの間にか慣れた。いつまでも���慣れなのは連れ込まれた女性の方で、朝、突然鍵を開けてやって来た私を、彼の本命の彼女なのだと勘違いして、しどろもどろに慌て始めることがしょっちゅうだった。彼の部屋で同じ女性と鉢合わせになることは一度もなく、私は毎回、素っ裸かそれに近い下着姿の女性に、初めまして郡田さんのサークルの後輩です、恋人ではないのでご安心を、という挨拶をしなければならなかった。
肝心の郡田さんはいつも通り飄々としていて、まだ寝惚けているのだろう、起こしてくれてありがとう、なんて言いながら、全裸のまま私に抱きついたりすることもあった。
人の裸というものは、日頃は見る機会もなく、見えたとしても決して見てはいけないという気持ちになるが、見慣れればどうってことはない。素っ裸のまま布団に包ま��て眠っていた彼らよりも、そんな彼らの部屋にずけずけと踏み込み、布団を引き剥がす私という存在の方が、よっぽど恥ずべき生き物のような気がした。
郡田さんは起きるとさっさと女性を部屋から退出させて、シャワーを浴びる。その間に私は台所を拝借し、冷蔵庫の中の残り物で何か適当に朝食を作った。郡田さんはそれをいつも美味しそうに食べ、私に感謝の言葉を述べた。軽いハグが、その言葉とセットの時もあった。私はその度に、自分の身体が不自然にぎくしゃくと軋む音を立てているような気がした。
郡田さんの身支度が済むと一緒に部屋を出る。大学までの道を、二人並んでゆらゆらと歩いた。秋の光に照らされた朝の景色は、いつもどこか白くきらきらと瞬いていて、濃厚な金木犀の甘ったるいにおいに頭がくらくらした。少しずつ冷えていく風の温度に、私はいつも少しだけ泣きたくなった。
休みの日は夏と変わらず、私と鷹谷はよく郡田さんに誘われて飲みに行ったり遊びに行ったりした。他の部員が一緒に来る時もあれば、三人だけで集まることもあったけれど、郡田さんが私に手を出してくることはやっぱりなかった。せいぜい酔っ払ってもたれかかってくるくらいで、無理にお酒を飲ませてどうこうしようということはなかった。彼はこの頃、部の飲み会で女の子に手を出すということをしなくなっていた。私以外の女子には全員、手を出した後だったからだ。
女の子を連れ帰らなくなった郡田さんは、飲み会でへろへろに酔っ払うようになった。家が近所で、合鍵も預かっている私が、彼を送ることが増えた。時々、彼は自分の家ではなく私の家に行きたいと言って聞かず、渋々部屋へ上げることもあった。けれどそんな時も郡田さんは私が来客用の布団を敷くのを大人しく待ち、その布団にころんと横になってすぐに眠った。
一度だけ、急に冷え込んだ秋の夜、郡田さんは私を抱き締めたまま眠ったことがあった。優しい力で私を腕に抱いたまま、しばらくこうさせて、と言ったきり、そのまま眠ってしまったのだ。けれど、その晩もそれ以上何かしてくるということはなかった。
彼の腕に抱かれていると、身体が不自然にねじ切れていくような錯覚を覚えた。眠れないまま、暗闇にじっと目を凝らし、私はあの花火の夜のことを思い出していた。あの夏の蝉たちは、皆ひとりぼっちから抜け出せたのだろうか。
あの時、交わした言葉について、その後彼と語ることはなかった。あの子供のようなくちづけの意味も、すきだよという声の重みも。
鷹谷はそんな私と郡田さんの関係を、少しばかり心配していた。鷹谷は、私が酔った彼を送って帰る度、何か言いたげな表情をしていたけれど、結局は何も意見しなかった。
「大丈夫か」
鷹谷はそんな一言で私に問いかけた。
「大丈夫だよ」
私はいつもそう返した。鷹谷が何についてそう尋ね、私は何についてそう答えたのか、何もわからないまま、だけど必ずそう返事をした。
郡田さんがどう思っているのか、私にはわからなかった。誰かにこの話をすれば、彼は美茂咲のことが本当に大切で、だから手を出さないのだ、美茂咲だけは抱かれないのだ、と言う人と、美茂咲は都合良く使われているだけだ、遊ばれているだけなのだ、と言う人がいた。
どちらの意見にも賛同できなかった。いつものように優しく笑う郡田さんを見ていると、前者の意見のような気がして、酔った夜に私の前だけで見せる、何かを失ってしまった悲しみに囚われているような儚い笑い方をする彼を見ていると、後者のような気がした。
「郡田さんは私のこと、どう思っているんですか」
そう本人に問いかけることができたのは、十一月が終わる頃だった。その日私は、特にこれといった用もないのに、郡田さんの部屋でだらだらと過ごしていた。彼は友達から借りてきたのだというテレビゲームをしており、私はそれをぼんやり眺めていた。
私の言葉に、うん、と彼は返事をした。
「魚原は、そうだね、頭は良いし真面目なんだけど、時々、妙に抜けてるよね」
「そうですか」
「たまにリュックの肩紐がねじれてるの、気になるんだよなぁ」
「言って下さいよ、それは」
私が顔をしかめてそう言うと、彼はコントローラーを握り、画面を見つめたまま、うん、そうするね、と言った。画面の中では郡田さんは極悪非道人になっていて、ヘリコプターを強奪すると、夜景の上を飛びながら、暗殺対象がいるビル目がけてミサイルを発射していた。
「魚原は、俺のことどう思ってるの」
爆音、建物が崩壊する音、人々の悲鳴。凝った音響を聞きながら、それでも彼は容赦なく二発目のミサイルを撃つ。
「郡田さんは――」
画面の中でビルが完全に崩れ去る。よくやった、引き返せ、という次の指令が画面下に字幕となって表示される。けれど彼は、瓦礫の山となった、粉塵をまとうビルの残骸に向けて、さらにもう一発、ミサイルを落とす。
「――変な人です」
「どう変なの」
「次々違う女の人を引っかけてきては、すぐ寝るし」
「うん」
「サークルの女の子全員に手を出すし」
「全員っていうのは言いすぎ。まだ魚原には手ぇ出してないでしょ」
「それも変です」
「変? どうして?」
ビルの残骸が燃えていた。真っ赤な火柱がわっと立ち上がる。次々と街が燃えていく。漆黒の中の銀河のような煌めきが、夜景が、人々の営みが、全て炎の中へと飲み込まれていく。郡田さんの操縦するヘリはゆっくりと上昇し踵を返す。来た道を引き返すように飛んでいく。
「魚原に手を出してないことが、どう変なの」
「どうして、私だけなんですか」
「魚原だけじゃなかったら、いいの」
郡田さんはそこでちらりと画面から目を離した。画面の中で、ビルを崩壊させ、街に火を放ったその目で、私のことを見た。
「魚原以外にも、手を出してない女の子が他にいれば、それで良かった?」
私は、答えられなかった。
ずっと気になっていた。どうして彼は私を抱かないのか。その機会はいくらでもあるのに、どうしてそうしないのか。私のことをどう思っているのか。
けれど、その問いを持つ度、口に出す度、こうして郡田さんに質問で返される度、どうしたらいいのかわからなくなる。私はどうしたいのだろうか。その問いの答えを知りたいのだろうか。真実を知りたい、そうなのかもしれない。でも本当に、そうなのだろうか。
本当のことを知りたいのであれば何故、郡田さんが口を開くことが、その口から零れ落ちてくる言葉を私の耳が拾い上げることが、こんなにも恐ろしいのだろう。郡田さんの目を見つめることが、こんなにも怖いのだろう。
私は、何を求めているのだろう。
彼に抱かれたいのだろうか。彼に抱かれなかったことを不満に思っているのだろうか。どうして私だけ、と彼を責めているのだろうか。抱かれたいのであれば、どうして抱かれたいのだろう。彼に抱かれたら、何か変わるのだろうか。
彼がどんな答えを出してくれることを、私は望んでいるんだろう。一体何を、彼に尋ねたいのだろう。
何も答えられないでいると、郡田さんはゲームの手を止めた。彼の両腕が伸びてくる。最初は、押し倒されるのかと思った。けれどそうじゃなかった。彼は私のことを抱き寄せ、その両腕の中にすっぽりと私を片付けてしまった。
「泣くなよ」
「……泣いてません」
「悪かった、泣かないでくれ」
郡田さんの声が、頭の上からする。
「どうしても抱かれたいなら、抱かないこともないけど」
私はその言葉に首をぶんぶんと横に振った。考えて言葉を紡ぐより先に、身体がそう反応した。うん、と郡田さんはまた返事をする。
「俺の態度の何かが、魚原を傷つけているのはわかるよ。でも俺は、それがなんなのかよくわからないんだよ」
そんなことを言われたって困る。私がそれを訊きたいぐらいだ。
「俺がいろんな女の子と寝てるのが悪いの?」
私は、郡田さんが多くの女性と肉体関係を持つことに、傷ついているのだろうか。彼に誰とも寝てほしくないのだろうか。
「魚原のことは、ちゃんと女の子として見てるよ。異性として、意識してる。でも、抱かなくてもいいんだ」
郡田さんの言葉に、胸が苦しくなる。どうして苦しくなるんだろう。
理由もわからないままに零れていく涙を、郡田さんのシャツが吸い込んでいく。濡らしてごめんなさい、と言おうと口を開いたけれど、嗚咽が混じった私��言葉は、自分の耳ですら上手く聞き取れなかった。それでも、うん、と郡田さんは返事をしてくれる。
「俺が悪いんだろうな。ごめんね」
私はまた首を横に振ろうとして、振れなかった。
「魚原は、俺のことがすき?」
もう首を縦にも横にも振れなかった。肯定も否定もできない。郡田さんは、そんな何もできない私の頭を撫でた。
「俺は魚原がすきだよ」
そんな言葉が降ってくる。だけれどもう私には、それにどう答えていいのか、何もわからなかった。
こんな男、最低だ。
涙を拭って、そう思った。
顔を上げ、思わず彼の頬を平手打ちした。郡田さんは一瞬、呆気に取られたような顔をして、けれど、すぐに困ったような表情で笑った。
私はこみ上げてくる涙を堪えることもできずに、郡田さんの胸元を濡らした。
彼の優しさは罪だった。彼の優しさは私を蝕んだ。ぎしぎしと心が軋んだ。ずきずきと胸が痛んだ。
ちくしょう。
思わず、そんな言葉が私の口を突いて出てくる。
悔しくて、情けなくて、こんなに憎たらしいのに、こんなに憎みたいのに、悲しいほどに、この人を憎めない。
泣き止むまでずっと抱き締めていてくれた彼の腕の中で、私は郡田さんが嫌いになった。
クリスマスが近付いてきた頃、私の処女を奪ったのは、郡田さんではなく、鷹谷だった。
あの一件以来、私と郡田さんは少し距離を置くようになった。それは意図的な、心理的な理由ももちろんあったけれど、郡田さんが卒論と就職活動に追われ、他人をかまう暇があまりなくなってしまったということが、大きな要因だった。よくよく考えてみれば、四年生の彼が、夏休みあんなに遊び呆けていられるはずはなく、そのしわ寄せが全てこの冬にやって来たのだった。
郡田さんが遊びに誘ってこなくなっても、私と鷹谷は二人で飲みに行ったり、遊びに出掛けたりしていた。
何気ない雑談をしながら居酒屋で飲み、もう一軒どこかへ行きたいねと私が言うと、鷹谷は時計をちらりと見やり、「もう十一時半だ、帰れ」と低く断った。店を出て、送る、と言って歩き出した鷹谷に半ば無理矢理引きずられるようにして家へ帰った私は、完全にただの酔っ払いだった。
私は鷹谷が酔ったところを見たことがない。私がいくら酔っ払っていても、同じ量、時には私よりもずっと多く酒を飲んだはずの彼は、いつもと全く変わらない。顔も赤くならないし、足元がふらつくなんてこともない。言動も感情の起伏も、全て素面の時のままだ。
その日、私はとても酔っていて、部屋まで送ってくれた彼の腕にしがみついて、嫌だ帰らないでと泣いた。鷹谷と二人で飲んでいても、不意に郡田さんのことを思い出して、突然胸の奥の方から、言いようのない感情が湧き上がってくる。今まではそれをじっと我慢していたが、自分の部屋に帰ってきて、最後の最後、感情が爆発したのかもしれない。
鷹谷はそんな私を、まるで小さな子供でも見ているかのような、どうしたらいいのかわからないという、困った表情をしていたが、延々と泣き止まない私を見て何を思ったのか、それとも、実は鷹谷も相当に酔っていたのか、唐突に私を押し倒した。驚いた私が思わず動けずにいると、仏頂面の男友達の口から聞こえてきたのは、すまん、という一言だった。
「魚原は、���田さんのことが好きなんだろう」
全てが終わると、さっさと元通りに服を着た鷹谷は、まだ布団の中、裸のまま毛布に包まっている私に温かい飲み物を淹れてくれながら、確かにそう言った。
「なのにどうして、郡田さんを嫌うんだ」
「……私、彼のことが好きなのかな」
未だに起き上がれない私がぽつりとつぶやくようにそう言うと、鷹谷は台所に立ったまま、怪訝そうに眉間の皺をより深くした。
「好きじゃないのか」
「そう思う?」
「そうとしか思えん」
「どうして?」
「そうにしか見えん」
鷹谷はマグカップを二つ持ってやって来て、私にホットミルクを差し出した。私がなんとか起き上がってそれを受け取ると、彼は布団の側に腰を降ろし、自分のマグカップを口元へと運んだ。中身は見えなかったが、においでわかった、コーヒーだ。
鷹谷はいつも、コーヒーをブラックで飲む。まだ出会ったばかりの頃、渋いね、大人だね、と私が言うと、彼が「砂糖とかミルクとか、正直よくわからん」と返事をしたのを思い出す。
「すまなかった」
「何が?」
「こういうことは、合意の上でするべきだった」
鷹谷が苦い顔をしてコーヒーを飲んだ。そうだね、と私は返してミルクを口へ運ぶ。
もうこれで、郡田さんのことを何も責められない。
いくら酔っていたとはいえ、抵抗しようと思えば、いくらでもできたはずだ。鷹谷に押し倒された時、彼のことを突き飛ばさなかったのは、私がそれを望んでいたから、なのだろうか。嫌ではなかったから、彼のことを拒まなかったのか。では嫌ではなかったら、私はなんでも受け入れるのだろうか。
郡田さんのことを考えている時のような、何かもやもやとした黒い霧が、頭の中に立ち込め、胸元で渦を巻き、私の息を詰まらせ、苦しくさせる。また涙が零れた。名前も付けられない感情が、心を滅茶苦茶にかき乱す。
ああそうか。
名前だ。この感情に、名前を付けたい。名前を付けるよりも先に、行為ばかりが、行動ばかりが先へ進むから、いつもこんなにも苦しくなるのだ。
郡田さんがどうして私を抱かないのかを考えるよりも先に、郡田さんのことが好きなんだと思えれば良かった。鷹谷のことを受け入れるか拒絶するか考えるより先に、私のことが好きなのかと、一言問えば良かった。どうしてそんな、簡単なことに気がつかなかったのだろう。
私たちは、距離が近すぎた。少し身体を動かせば、お互いの身体が触れ合うくらい、距離が近かった。相手のことをどう思っているかなんて、考える暇は与えられなかった。お互いの身体がぶつからないように気を遣うことで精いっぱいで、ぶつかればぶつかったで、そのことに思い悩んだ。相手のことをじっくりと見つめる時間も、自分のことを見つめ直す余裕もなかった。
「大丈夫か」
鷹谷が私の涙に気付いて、そう尋ねる。私はそれに何度も頷いた。
「大丈夫だよ」
鷹谷が何についてそう尋ねたのかは、やっぱりわからない。わからないけれど、それでも大丈夫だと思えた。
鷹谷は泣く私を抱き締めることなんかしなかった。すきだよ、なんて言わなかった。きっと彼は、郡田さんのように優しい力の使い方なんてできないのだろう。でもそのことが、今の私には最も優しいことのように思えた。
ホットミルクが、酒ばかりに溺れていた私の内臓にじんわりと染みていくのを感じた。ゆっくり深呼吸をひとつすると、部屋の中の空気は、もう冬のにおいがした。
郡田さんは卒論を書き上げ、内定も無事に手に入れた。
連絡があったのは、雪がたくさん降った翌日で、久しぶりに私たちは三人で集まり、彼の部屋でトマトチーズ鍋をすることになった。郡田さんの家でごはんを食べることは、今までにも何度かあった。こういう時、買い出しに行くのは後輩である私と鷹谷と決まっていたのだけれど、この時、鷹谷は出掛けるのを渋った。
「魚原は家が近いからいいけど、俺はここまで来るのに雪をかき分けて大変だった。できればもうしばらくは出掛けたくない。買い出しは、二人で行って来て下さい」
雪がほとんど降らない海沿いの地域から、大学進学を機にこの街にやって来た鷹谷は、不機嫌そうな表情でそんなことを言って、私と郡田さんを追い出した。鷹谷の態度は、本気で怒っているように見えたけれど、気を遣ってくれたんだろう、ということはすぐにわかった。私が郡田さんと二人で話ができるように、彼なりに配慮してくれたのだ。
「なんだか、久しぶりだね」
まだ雪が多く積もっている道を歩きながら、郡田さんはそう言った。彼のことを嫌いになって以来、部室で会えば挨拶程度の言葉は交わしていたが、こうやってお互いにゆっくり向かい合うのは、初めてだった。といっても、せいぜい一ヶ月しか経っていない。けれど夏休みの始めに親しくなって以来、私たちは一ヶ月間も関係が希薄だったことなんかなかった。
「私がいなくても、ちゃんと朝起きれてましたか?」
「うん、まぁ、なんとかね。目覚まし時計、新しく二つ買ったんだよ」
「ああそうだ、内定、おめでとうございます」
「ありがとう。春からは、東京だ」
「今度は、社内の女性全員に手を出すんですか?」
「ははは、即クビになりそうだなぁ」
私が冗談めかして言った言葉に、郡田さんは白い息を吐いて笑った。それから私をまっすぐに見つめて、言う。
「もう、不特定多数の女の人と寝るのはやめたよ」
やめるよ、ではなく、やめたよ、であることに気がついて、私は少しだけ驚いた。忙しくて、そんな暇がなかったのかもしれない、とすぐに思った。
「そうですか」
私の口から出た言葉は、やけに淡泊だった。うん、と郡田さんが頷く。
「もう魚原が泣くの、見たくないからね」
「泣いてなどいません」
「嘘つけ」
私が睨むと、郡田さんは困ったような表情をしていた。その顔を見て思わず微笑むと、私の表情を見て、彼も口元を緩めた。
郡田さんは右手を差し出してきた。私は黙って、左手を絡める。私の指先は冷え切っていたのに、彼の手は温かかった。いつも人より少しだけ温度が高い、この人の持つ熱量を思い出して、私はそれを懐かしく思った。
何も話さないまま、二人手を繋いで、雪の道を歩いた。
私の歩調に合わせてくれているのを感じながら、それでも私は転ばないように、雪に足を取られないように、下ばかりを向いて歩いた。郡田さんが時々思い出したかのようにくちずさむ鼻歌は、どれも知らない曲ばかりで、聞いたそばからどんな歌だったか忘れてしまった。
吹く風は冷たかった。冷気に晒された鼻先がじんと痛くなり、私はとき��き鼻をすすった。
今日、寒いね。風邪でも引いたの?
郡田さんは私を振り向きもせず、そんなことを言った。なんでもないです、大丈夫です、と答えて、私は涙を誤魔化した。
どんなに鼻水が垂れてきそうになっても、視界が水気を帯びてぐちゃぐちゃになっても、それでも拭うことはしなかった。荷物を持っていない方の手は、郡田さんが握ってくれていたから。
その晩は、今までで一番楽しい夜となった。
私も郡田さんもすっかり酔っ払ってしまって、ほんの小さなつまらないことでも、馬鹿みたいにげらげらと笑っては肩を寄せ合ってじゃれていた。いくら酒を飲んでも変化のない鷹谷も、この晩だけは、眉間の皺を緩めて、穏やかな表情をしていた。
途中で郡田さんは眠ってしまい、わー、郡田さん寝ちゃやだよぉ、なんて言っているうちに私も寝てしまったようだった。目が覚めた時、部屋の中は恐ろしく片付いていて、私と郡田さんは仲良く同じベッドの中に寝かされていた。ふと見れば、鷹谷はひとり、大きな身体を折り曲げるようにして、炬燵に肩まで潜って眠っている。私たちが眠りに落ちた後、鷹谷が何から何まで全部やってくれたんだとすぐにわかった。
いくら飲んでも平気な鷹谷が羨ましい、と思っていたけれど、酒で潰れることのない人間は、それはそれで損な役回りをしているのかもしれない。
この夜以降は、夏休みに逆戻りだった。
郡田さんは、また積極的に私たちを遊びに誘ってくれるようになった。もうじき卒業してこの街を去ってしまう彼と過ごせる時間を惜しむかのように、年末年始も三人とも帰省などせず、一月、二月、三月と、毎日のように顔を合わせた。もちろんそれは三人きりだけではなかったけれど、他の誰がいたとしても、この三人のうちの誰かがいないということはまずなかった。
その頃になってようやく、郡田さんの優しさが、毒ではなくなった。彼に触れられることも怖くなくなった。彼に触れられると、感情がひどくかき乱されていたけれど、もうそんなことはなかった。
彼が女性と寝なくなったことが、そのことに関係しているのかはわからない。けれど彼が私に言う「すき」という言葉や、柔らかいハグや、頬やおでこに落としてくれるついばむようなくちづけを、受け入れることができるようになった。
その変化に比べれば、私と鷹谷の関係は、ほとんど何も変化していなかった。一度は肉体関係を持った私と鷹谷だったけれど、最も親しい友人だという認識は変わらなかったし、再び身体を重ね合うことはなかった。そういう、男と女の艶っぽい雰囲気になることもなかった。
私と鷹谷は郡田さんの引っ越しの準備も手伝って、退居当日の荷物の運び出しまで一緒にやった。
いろんな思い出の詰まった郡田さんの家はみるみる空っぽになっていった。最後、何もなくなってしまった彼の部屋で、この部屋はこんなに広かっただろうか、と思った。家具どころか絨毯もカーテンさえない部屋は、もはやどこにも郡田さんの面影を見つけることなどできず、ただただ無機質な空間が広がっているだけだった。
大学を卒業し、東京で新しい生活を始めた彼を訪ねることは一度もしなかった。郡田さんがこっちへ足を運ぶこともなかった。
私は郡田さんと連絡を取らなかった。郡田さんも私に連絡してくることはなかった。私は、彼が今どこでどうしているのかを知らない。知らなくていいとすら思っていた。知るべき時が来たら、知るだろうと思った。その時までは、記憶の中に、三人で過ごした日々をそっと仕舞っておきたかった。
郡田さんの存在はいつの間にかサークル内ではタブーとされるようになり、誰もが彼のことを忘れようとしていた。在学中は部員にあれだけ慕われていたのが嘘のようだった。
大学二年生に上がる頃、部室のアルバムから、郡田さんの写真を一枚、拝借したのは、彼のことを、ずっと心の中に留めておきたいと思ったからだ。
私はあと何回、郡田さんと関われるのだろう。私の人生に、もう一度彼が関与することがあるのかすら、わからない。もしかしたら、もう二度と関われないのかもしれない。
わからないけれど、どんな未来が待っているにせよ、彼のことを忘れる日だけは来てほしくなかった。私はそっと郡田さんの写真を手帳に挟め、春が来て手帳を新しくする度に、写真を静かに挟め直した。
***
写真を見つめていたら電話の音がして、はっと我に返る。
ポケットに入れっぱなしだったスマートフォンを取り出して、操作する。画面に表示された鷹谷篤という三文字に、急いで電話に出た。
「もしもし?」
「紡紀は」
電話口で開口一番、ぶっきらぼうにそう言った友人に思わず笑いそうになりながら、私は後ろを振り返る。後輩の彼は、酒のせいだろうか、わんわんと泣き出して、今は泣き疲れたのか布団に突っ伏すようにして眠っていた。
「寝てるよ。ついさっき眠ったとこ」
「魚原が寝る場所は」
「大丈夫、布団もう一組敷くから」
「話したのか」
「何を?」
「写真」
「ああ、うん��…」
「そうか」
鷹谷の声には溜め息が混じっていた。吐き出された息がノイズとなって、私の耳元でざらつく。
「紡紀には、つらいかもしれんな」
この後輩が、私に少なからず好意を抱いていることは、その態度からなんとなく感付いてはいた。彼は私をよく慕ってくれている。声をかければ、飲み会だろうがカラオケだろうが、彼は私について来る。郡田さんに対する私と鷹谷が、以前そうであったように。
そして自分が、彼の気持ちに応えようとしないであろうということも、私は知っていた。どんなに一緒にいたとしても、私の心の中に、彼が腰を降ろせる椅子はない。
郡田さんがこの街を去って以来、心の中にある椅子は、しばらく誰にも使われてはいないけれども、それでもその椅子にこの後輩が座ることは、きっと一生ないだろう。
「二次会、終わったの?」
時計を見ればもうすぐ日付が変わるところだった。うちのサークルにしては、二次会が終わる時間には早い。電話口の向こうに大勢の人の気配がしなかったので、もう解散したのだろうか、と思っての質問だった。
「いや、早めに抜けた。明日、面接だから」
「ああそうか、就活。頑張ってね」
「ありがとう」
私はもう内定をもらっていて、春からの就職を決めていた。鷹谷の方は、いくつか内定は得たものの、本当にやりたい仕事ではないと、他の企業の面接に回っているのだった。鷹谷の真面目さとひたむきさには、本当に身が締まる思いがする。そのくせ、面接の前日に、飲み会の二次会にまで参加する彼の律儀さと神経の図太さにも、心が震える。
「大丈夫か」
鷹谷がそう訊く。
「大丈夫だよ」
私はそう答える。
もう何度も繰り返したこのやりとりを、私はあと何回、繰り返すのだろう。少しは私の「大丈夫だよ」に、鷹谷を安心させる響きが含まれているだろうか。
何かあったら遠慮せず電話しろ、とだけ言い残して、おやすみも言わせずに鷹谷は通話を切った。不器用な優しさが、そんなところにまで滲み出ている。
いつの間にか室内はすっかり冷え切り、半袖のTシャツ一枚の私には少し寒いくらいだった。リモコンを操作してエアコンを止め、寝ている後輩を踏まないようにベランダに向かい、網戸を全開にした。
夏の熱気がむわっと室内へと流れ込んでくる。聞こえてくる蝉の声に改めて気付いた。ああ、夏だ、と思う。孤独から抜け出そうと、闇の中、ただ声を枯らして叫ぶ、夏。
息を大きく吸い込んだら、火薬のにおいがした。こんな真夜中にどこかで、誰かが花火をしているんだろうか。
思い出す、あの夏の日。
すきだよ、と言ってくれた、郡田さんの声。
今でも耳にこびりついて、取れない。
結局、私は一度も、郡田さんに自分の気持ちを伝えなかった。伝えなくても、伝わっていたかもしれない、と思うのは、慢心だろうか。けれど、この気持ちを好きという言葉で表現することが、本当に正しいことなのか、私自身、今もわからない。
彼が卒業してこの街を発ってしまったことを、三年も経つのに私は未だに実感できない。今でも朝早くに彼のアパートに行けば、そこで彼が眠っているような気がする。部室にも飲み会にもすっかり顔を出さなくなってしまったけれど、まだ大学構内のどこかに、彼がいるような気がする。
彼に会えなくて寂しいだなんて、一度も思わなかった。連絡も取っていない、顔も見ていない。けれども私の心の中の最も身近なところに、まだ彼はいる。
――軽々しく好きと口にできるほど、それは気安い感情ではなかった。好きの二文字に圧縮できるほど、薄っぺらくもなかった。
一体なんという言葉が、この感情を呼ぶのに適切なのか、私は知らない。
名前を付けられないうちは、まだ行動を起こしたくなかった。あと何回、私の人生に機会が残っているのかはわからない。けれど、私という存在がぐちゃぐちゃに歪んでしまわないように、生きていたいと思った。
蝉が鳴いている。
まだ見ぬ誰かを求めて、蝉が鳴いている。
いつかこの感情に名前を付けることができたら、私も郡田さんに伝えよう。だからそれまでは、全部仕舞っておくのだ。心のずっと奥の方に、けれど、決して忘れてしまわないように。
私はそう思って、静かに手帳を閉じた。
<了>
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安倍政権と一体化する維新が国会と野党の抵抗を「税金の無駄」と
litera https://bit.ly/2rzZiO5 安倍政権と一体化する維新が国会と野党の抵抗を「税金の無駄」と…コストふりかざし民主主義を破壊する新自由主義者 「過去最低国会」と呼ぶに相応しい強権性と醜態を安倍政権が晒し、今月10日に閉会した臨時国会。水道民営化法案や漁業法改悪法案はもちろん、最重要法案だった入管法改正案をめぐっては暴挙に次ぐ暴挙で安倍政権は未明の強行採決に持ち込んだが、その深夜国会をめぐり、唖然とするような主張を、あの「ゆ党」が繰り広げている。 国会閉会の翌日である11日、日本維新の会が、入管法改正案の採決が参院法務委員会と参院本会議でおこなわれた7?8日における、国会職員の残業代など“深夜国会によってかかったコスト”の開示を衆参両院に要求したというのだ。 さらに、維新の遠藤敬国会対策委員長は、大島理森衆院議長に「合理的な判断に基づいた議会運営」などの申し入れ書を手渡し、その後の記者会見で「あんな時間まで国民の税金を使って行う必要があるのか」と主張。産経新聞によれば、維新には〈深夜や未明の国会攻防のコストを示すことで与野党に自重を促す狙いがある〉のだという。 「与野党に自重を促す」などというが、これが入管法改正案に反対していた野党に対する批判であることはあきらかだ。実際、維新の馬場伸幸幹事長は10日の会見で、与党のことは「閣法をとにかく守る」とだけ指摘し、その一方で野党をこう批判した。 「野党側はスキャンダル追及とか審査の妨害、本会議場で牛歩、牛タン(長い演説)、解任動議であるとか、もうパターンが決まっている。国民も、もう、へきえきとしている」(朝日新聞11日付) また、維新の丸山穂高衆院議員も、7日の深夜にこうツイートしていた。 〈立憲ら一部野党の抵抗してますよパフォーマンスに、多くの国会や省庁職員らの残業含め多額の税金を投入しなければならない。生産性もなく、まさに無駄無駄無駄無駄無駄無駄かと〉 法案に反対する野党によって無駄なコストがかかっている──。維新はこれまでも深夜国会をコスト面から批判してきたが、この国権の最高機関たる国会にまで新自由主義的コストカットの発想を持ち込もうとは、まったく開いた口が塞がらない。 まず、言っておくが、7日の国会が延びに延びる原因をつくったのは、自民党の議員だ。7日の午前10時からおこなわれた参院本会議での委員長解任決議案で自由党・森ゆうこ議員が趣旨説明をおこなっている最中に、自民党の大家敏志議員が壇上で激昂して暴言を吐いた上、野党議員の肩をつくという“事件”を起こし、これによって参院は夜までストップしたのである。 しかも、維新の馬場幹事長は「審査の妨害」を法案反対野党がおこなったと言うが、審査の妨害をしてきたのは安倍政権のほうだ。 とくに、外国人労働者の受け入れ拡大の土台となる外国人技能実習生をめぐっては、技能実習生の失踪理由をねつ造した挙げ句、聴取票の個票のコピーも秘書などによる作業も安倍政権は禁じ、野党議員は議員自身が1枚1枚手書きで写さざるを得なかった。「無駄」と叫ぶのなら、コピーさせずに野党議員に“写経”作業を強いる、そこにかかった時間と労力のコストこそ「無駄」と言うべきだ。 そもそも、あらためて確認するまでもなく、この国の唯一の立法機関である国会は、どんな法律をつくるのか、その中身はどうなのか、徹底した説明と議論をおこなって合意形成を図ってゆく場だ。そして、法案審議の論戦を通して、国民に法案の内容やその是非について知らせなくてはならない。当然、賛否に分かれる法案については審議を尽くすのが大前提であり、最重要法案ともなればなおさらだ。 コストをふりかざし議会制民主主義を破壊する「ゆ党」維新の危険な発想 しかし、どうだ。国のかたちを変える入管法改正案の審議は、衆参合わせてたったの約38時間。しかも、衆院では、与党は安倍首相の外遊日程に沿って強行採決するという立法府を舐めきった態度に出たが、これをアシストしたのは維新であり、採決前日に維新が与党と修正協議で合意している。ちなみに、入管法改正案の法案審議の根幹にかかわる聴取票の個票書き写し作業も、維新の議員はおこなっていない。 外国人労働者の受け入れを拡大するのに、その受け入れ人数の上限さえ示されていない、そんな中身がスカスカの法案に対案もへったくれもない。審議に入る以前のシロモノだったのである。それは世論調査の結果にも出ており、11月17・18日に毎日新聞がおこなった調査では「今国会での成立にこだわらず議論を続けた方がよい」と答えた人は66%、さらに強行採決後の今月8・9日に産経新聞社とFNNがおこなった調査でも「今国会での成立にこだわるべきでなかった」という回答は71.3%にものぼっている。 そんな法案を、委員長職権で委員会開催を決める乱暴な国会運営や、反対野党の発言を封じる動議をかけるという「言論の府」を踏みにじる行為などによって、安倍政権は無理矢理通した。この多数者の専制に反発が起こるのは当然であり、抵抗することは国民の負託を受けた野党の立派な役割だ。牛歩や牛タン戦術、解任や不信任決議案のカードを切るのも、会期末による流会(法案の成立断念)や与党からの留保を狙うための重要な手段である(なお、党議拘束のないアメリカなどでは、その間に多数派議員を説得し票の切り崩しや法案修正の交渉が行われることもある)。 それを、国民の世論も半数以上が議論は拙速だと判断し、審議が尽くされていない法案の問題点を根本から追及することもなく、「やってますアピール」の適当な修正案で与党をアシストしてきた維新が、言うに事欠いて「もっと審議を」と求める野党の抵抗を「税金の無駄」と叫ぶ──。 ようするに、維新は「コスト」という市場の論理を振りかざし、議会制民主主義のルールをぶっ壊そうとしているのである。 安倍自民党の暴走もさることながら、この「ゆ党」の下劣な発想にも反吐が出るが、しかし問題なのは、維新の主張のような論調が���ディアでも散見されたことだ。 ワイドショーでは八代英輝、田崎史郎、眞鍋かをりが「野党のせい」に たとえば、入管法改正案が衆院で強行採決された翌日の『ひるおび!』(TBS)では、山下貴司法相の不信任決議案で国民民主党の山井和則議員が趣旨弁明を約1時間45分にわたって繰り広げたことを、野党の“引き伸ばし”作戦として紹介。田崎史郎が「いかに自分たちが格好良く反対しているのかっていうのを見せようとしているだけなんですよ」と言い、八代英輝弁護士は法案を「お粗末極まりなさすぎる」と批判しながら���最後は「(野党が)対案を示して国民が選択肢を得ることが必要だった」とまとめた。 また、参院での未明の強行採決のすぐあとに放送された『上田晋也のサタデージャーナル』(TBS)でも、無能大臣・桜田義孝五輪担当相の問題を含めて“資質を問う野党も問われる大臣も「どっちもどっち」で政治不信!?”と取り上げ、出演していた眞鍋かをりは「野党の追及の仕方を追及する人がいない」などとコメントした。 中身がスカスカの法案を強行採決した政権の暴走や、資質が疑われる大臣を任命した安倍首相の責任は不問に付し、なんでもかんでも「野党が悪い」でその場を締める──。これは、権力を濫用する与党に野党が異議を唱えることを「野党が反発」「与野党の攻防」などと表現して矮小化し、数の力に任せた独裁政治を「多数決だから当然」と言って間違った民主主義の解釈を垂れ流してきたのと同じだ。 そして、社会に新自由主義の考え方によって物事を判断する価値観が蔓延するなか、維新が叫ぶ「与党の足を引っ張る野党は税金の無駄だ」という主張を国民が容易く受け入れてしまう土壌は、もうすでにできあがっているのだ。 しかも、つい最近も自民党憲法改正推進本部の会合では、川上和久・国際医療福祉大学教授が、憲法改正について〈(国民)投票に向けて改憲派も反対派を敵と位置付け、名指しで批判するなどネガティブキャンペーンが必要と説いた〉という(時事通信5日付)。来年の通常国会では、安倍政権が反対野党への攻撃に力を入れてくることは間違いないが、ここに思考停止のメディアが丸乗りすれば、国民世論はどうなるか。恐ろしい展開は、すぐ目の前まで近づいていると言わざるを得ないだろう。 litera https://bit.ly/2rzZiO5
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もしかしたら世界一可愛い街に出会ってしまったかもしれない。
ポルトは2.5日間ほどしかいなかったのですが、将来絶対にまた来たいと思えるような街でした。あぁ、、最高、、
けど着いた時だけは微妙でした。
宿はもともと予約していてスタッフが空港からの行き方を教えてくれていたのでスムーズにいけました。
着いたら早速ご飯。米を鍋で炊くなんて今や朝飯前、お茶漬けの素がまだ残っていたのでそれで空腹をなんとかしました。
そして数日ぶりのシャワー。
、、、お湯が出ない、、、
最悪や、だけどこれぐらいではもはや動じない!
身体中の筋肉を引き締めてやり過ごします。
スッキリしたら4日ぶりのベッドに飛び込みましたとさ。
夕方に起きて、ちょっとあたりを散策。
めちゃくちゃいい!石畳の街並み!
坂が多いのでトラムでの移動が結構メジャーみたい。
夜ご飯は伝統料理であるフランセジーニャというものを食べました(検索してみて!)
翌日は天気もめちゃめちゃ良かったのでさらに散策しました。歩いているだけで楽しい。
そしてポルトと検索すれば出て来そうな絶景に出会った。
ジブリに出て来そうな街並み。
トラムで近くの公園まで移動して日がくれるのを待ちました。
夕方に近づくにつれ公園はカップルでいっぱいになり皆キスしてて日本人の自分からしたら異様な光景でした〜
で、これ。
こんなのみてたらキスしたくなるのもわかりますよ。
夕焼けに照らされて美しすぎる。
そうか、今書いていて思ったんだけれどポルトガルってヨーロッパ最西端の国だ。夕焼けを邪魔するものが何もないんだ。関係あるかな。
この街将来絶対恋人と来たい〜
夜は、宿の横にスーパーと肉屋があって、肉屋に砂肝が売ってたので初めてだけど調理してみた!
米しっかり炊けてますよね?笑
砂肝も簡単に炒めただけだけど美味しかった!!!なんか本当にリフレッシュした。
そういえばこの宿でドイツ人と出会った。
彼は、土日を利用してバッグひとつ、LCCできているみたい。話を聞いていると仕事で疲れてリフレッシュするために来たんだとか。
ヨーロッパは陸続きだからそういうことが簡単に出来ていいよなーーー(羨望)
日本でも国内たくさんの場所があるけど、文化が同じで言葉も通じるわけで。
自分を見つめなおしたりしたいときは、異文化でかつ言葉も通じないところに行くのがいいと思います。訳のわからないものに触れることで自分の世界がいかに狭いことがわかるし、身振り手振りでもなんでも自分の考えを人に伝えようとしないといけない。その過程で自分を客観的に見ることができる。
翌朝���すぐにバスターミナルに行きチケットを買いました。目指すはリスボン。このスピード感いいぞ。単なる観光は将来に回せばいい。
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2018/11/20【アルメニア9日目.ありがとうリダの家】 コーカサス旅行を計画してる頃から絶対行きたかった「リダの家」(民宿)に4泊していました。 旅人の間ではもはや伝説の老舗日本人宿。 駅から3分、毎朝近所で朝市あり。 本当に昔ながらのアルメニアのお婆ちゃん家に 遊びに来た感覚です。 ただし、風呂なし、暖房なし、ベッドや部屋は正直ボロボロ。。。 それもまた楽しかった。 何より穏やかでにこやかなリダさんの人柄が旅人の心をひきつけ、引き留めるのでしょう。 基本的に日本人しか泊まりに来ないので 皆で市場で買い出しに行き、大きな鱒やキャベツ(笑)などなど買い込んで、 お好み焼き(?)をつくったり、 天然の鱒と鳥団子鍋+鱒のハラから天然のイクラを取り出して食べたり!色々楽しみました〜。 皆でアルメニア.ワインも飲んだよ。鍋めっちゃ美味しい出汁が出て、締めのおじやまでコンプリート。 最終日はわたしは風邪ひきと疲れで殆ど宿から出ず、 唯一暖房の効いてるお婆ちゃんの居間に一日中居座ってました(笑)。 天気のいい日に出かけないのは、勿体ない気がモヤモヤするけど、 1日しっかりセーブしただけでかなり違いますね〜。 かなり体力回復したよ!! 温かい鍋食べて栄養もとったしねー。 翌日からは楽しく街歩きできるようになりました! ありがとうリダの家〜宿泊客の皆〜。 さすがに寒いので中心地の宿に、お引越ししました。 世界中、小綺麗でお手頃なホステルがたくさんたくさん出来ていて、 こういう個性的な老舗の民宿は時代とともに消えていくんだよね…。風前の灯…。 もはや老舗民宿は観光地のひとつとして行くような時代になっている。 それってなんだか矛盾を感じつつ、まぁ仕方ないんだよね。 #旅人nina #旅人ニーナ #コーカサス旅行 #アルメニア旅行 #ナゴルノカラバフ #女子旅 #女性一人旅 #一人旅 (Yerevan, Armenia) https://www.instagram.com/p/Bqbw7F3gXot/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1402dkyiro4ip
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2/7フナの日 誕生日/向井理 加護亜依 香坂みゆき 宮本恒靖 阿久悠 香坂みゆき 小林稔侍 青島美幸 誕生日 1478年 トーマス・モア(法律家) 1812年 チャールズ・ディケンズ(作家) 1893年 鈴木茂三郎(政治家) 1906年 愛新覚羅溥儀(清朝第12代・満州国皇帝) 1926年 津島恵子(女優) 1927年 ジュリエット・グレコ(歌手) 1934年 金美齢(評論家) 1935年 バーブ佐竹(歌手) 1937年 阿久悠(作詞家・作家) 1940年 益川敏英(物理学・ノーベル賞受賞) 1943年 小林稔侍(俳優) 1948年 石鍋裕(仏料理人) 1959年 カルロス・ポンセ(野球) 1959年 青島美幸(エッセイスト) 1961年 山本亨(俳優) 1962年 デヴィッド・ブライアン(ボンジョヴィ・ミュージシャン) 1963年 香坂みゆき(女優) 1966年 クリスティン・オットー(水泳) 1968年 寺岡呼人(ミュージシャン) 1969年 ハッピハッピー。(元アニマル梯団コアラ・タレント) 1972年 諏訪内晶子(バイオリニスト) 1972年 本宮泰風(俳優) 1975年 松田樹利亜(歌手) 1977年 宮本恒靖(サッカー) 1977年 森野文子(女優) 1978年 アシュトン・カッチャー(俳優) 1980年 イ・ジョンヒョン(韓国・歌手・女優) 1982年 向井理(俳優) 1984年 高木梓(タレント) 1986年 上村彩子(元AKB48・歌手) 1988年 加護亜依(元モーニング娘。・歌手) 1992年 矢島舞美(歌手・℃-ute) 1993年 太賀(俳優) 1996年 萩原舞(歌手・℃-ute) 誕生花は 貝母(バイモ)、花言葉は“誠実な心” 誕生石は 瑪瑙(agate)、宝石言 フナの日 茨城県古河市の古河鮒甘露煮組合が2001(平成13)年に制定。 「ふ(2)な(7)」の語呂合せ。 2000(平成12)年に11月27日に「いい鮒の日」として制定したが、翌年から2月7日に変更された。 いい鮒の日 11月27日 北方領土の日 日本政府が1981(昭和56)年に制定。 1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められた。 北方領土は択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島からなり、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強ある。 江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていた。「日露通好条約」により、ロシアとの国境が択捉島とウルップ島との間に確定された。その後、1875(明治8)年の「樺太千島交換条約」によって樺太全島を放棄する代わりに千島列島全てが日本領となり、1905(明治38)年の日露戦争の勝利により、「ポーツマス条約」で南樺太も日本領となった。 第2次大戦の敗戦により、1951(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権原等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれた。しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれないが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、その状態が現在まで続いている。 北方領土問題対策協会 竹島の日 2月22日 ふるさとの日 [福井県] 福井県が1982(昭和57)年に制定。 1881(明治14)年のこの日、石川県・滋賀県から越前・若狭を分離して福井県が設置された。 長野の日(オリンピックメモリアルデー) [長野県] 日本青年会議所北陸信越地区長野ブロック協議会が1998(平成10)年に制定。 1998(平成10)年のこの日、長野冬季オリンピックの開会式が行われた。 日本青年会議所北陸信越地区長野ブロック協議会 独立記念日 [グレナダ] 1974年のこの日、カリブ海の島国・グレナダがイギリスから独立した。 歴史・出来事 1184年 源平・一ノ谷の戦い 1690年 東京・湯島聖堂が完成 1691年 湯島聖堂の昌平坂学問所が完成 1754年 日本初の人体解剖(山脇東洋) 1855年 日露通商友好条約締結 1873年 仇討ち禁止令 1960年 東京の市外電話局番が3桁になる 1965年 米軍が北ベトナム爆撃(北爆)開始 1987年 映画『マルサの女』公開 1992年 EC加盟12国がマーストリヒト条約に調印 #今日は何の日 #パーソナルカラー #カラードレープ #カラーパレット #こんにちは #色見本 #PCCS #ドレープ120色 #パーソナルカラー用品 #テストドレープ #C³ #色のみかた #シーキューブ (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/B8Pgc9hASit/?igshid=1kdhmmnx7wua1
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これは私が悪いのでしょうか? 前回抽象的な質問でしたので、こちらで具体的に質… これは私が悪いのでしょうか? 前回抽象的な質問でしたので、こちらで具体的に質... これは私が悪いのでしょうか? 前回抽象的な質問でしたので、こちらで具体的に質問します。 前回の質問の続きです。こちらにも回答していただけるとうれしいです。 会社の年上(20代後半)の新しくルームメイトになった女性のことで相談です。対処法を教えてください。 会社で2DKのマンションを借り、それを寮として独身女子社員2名で使用しています。(同じ部署ではありません) 毎日色々ありますが、3つ出来事を書きます。 ①初対面から変な人だったので、食事は各自調達することにしてもらいました。調味料、食材は各自調達。鍋などは共用の物が最初から備え付けでありました。しかし、しばらくすると、私の調味料や食料、作り置きの料理がいつも減っているので、問いただしたところ「もったいないから食べた、使った」とのこと。(揚げ物をするときにサラダ油でなく高いグレープシードオイルや、オリーブオイルを使用され、十穀米やクレイジーソルト、サラダ用のナッツなどあらゆる物を勝手に使われました。)また、ボーナスで買った私物の圧力鍋も勝手にいじられ蒸気口の部品を紛失されました。食事にはお金をかけていたので今までの分を請求したところ1万円しか払ってもらえませんでした。しかもその後「払ったんだから作って」と図々しく言い、断っても勝手に食べられます。また、私が意地悪をしているかのように行ってきます。 ②寮で部屋が共用のため、彼女が来るまでは個別の部屋を「家」としてプライバシーを確保していました。しかし、この人はノックもせず勝手に部屋に入ってきます。ベランダが私の部屋にしかないので洗濯の時は我慢しますが、とにかく部屋に入ってきます。そのため、実家に帰省したとき、大切な物や重要な物などはほとんど持って帰りました。パソコンや携帯は常にパスワードでロックするようにしています。 ③その女性が体調を崩したときは、仕方がないのでおじやを作りスポーツドリンクを用意し、彼女の吐瀉物まで掃除しました。 それなのに、私の体調が悪く、それでも食事を作っていたとき後ろから服を何度も引っ張って甘えた声を出してきてウザかったので「体調が悪いからやめて」といったところ、「大丈夫?」と言われました。しかし、その後早くお風呂に入って寝ようとしたところ「もう寝るの?」といわれ、さらに翌日まだ具合が悪いので寝ていたら「朝ご飯は?」と言って部屋に入って来る始末。とことん自分のことしか考えていません。 会社には伝えましたが、対処法を教えてください。(続きを読む) 栄養ドリンクを飲み、まもなく動悸がひどくなりました。しばらくしたら、おさまり... 栄養ドリンクを飲み、まもなく動悸がひどくなりました。しばらくしたら、おさまりましたが、何が原因でしょうか? 無名の凄く安い商品です。前にリポビタンでも同じ症状になりました。(続きを読む) スポーツジムに行く前は何を食べたらいいのでしょうか? 社会人になりバドミントン... スポーツジムに行く前は何を食べたらいいのでしょうか? 社会人になりバドミントンを再開したのですが、学生の頃と比べると持久力が落ちていたのでジムに行っています。 会社帰りに行くので 、コンビニでおにぎりを1個食べてから行くようにしてます。 持久力や筋力をつけるために、ジムに行く前に効果的な食べ物はあるのでしょうか?(続きを読む) ドリンクメイト drinkmate 炭酸 商品価格:32,670円レビュー平均:0.0 カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社が、約100種類の日本酒がコタツで楽しめるイベントを1/27(土), 28(日)に、柏の葉T-SITEにて開催! - SAKETIMES (プレスリリース) (ブログ) SAKETIMES (プレスリリース) (ブログ)カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社が、約100種類の日本酒がコタツで楽しめるイベントを1/27(土), 28(日)に、柏の葉T-SITEにて開催!SAKETIMES (プレスリリース) (ブログ)日本酒以外のお酒やソフトドリンクはもちろん、美味しいおつまみや料理もあるとのこと。また、きき酒師や蔵元から日本酒を学べるワークショップなども開催するそうです。 1月最後の週末に、あたたかいコタツを囲んで日本酒を楽しんでみてはいかがでしょうか。 詳細はこちら。and more »(続きを読む) 炭酸水1リットル当たり約25円という最大のコスパを実現! 炭酸飲料メーカー「ドリンクメイト」からシリンダーが約2.4倍になった「ドリンクメイト マグナムスマート」登場! - @Press (プレスリリース) @Press (プレスリリース)炭酸水1リットル当たり約25円という最大のコスパを実現! 炭酸飲料メーカー「ドリンクメイト」からシリンダーが約2.4倍になった「ドリンクメイト マグナムスマート」登場!@Press (プレスリリース)株式会社シナジートレーディング(代表取締役:原中 俊広、所在地:大阪府中央区)は、2016年12月より日本で販売開始した家庭用炭酸ソーダメーカー「drinkmate(以下 ドリンクメイト)」より、炭酸水専用の新モデル「マグナムスマート」を2018年5月1日より、全国の百貨店・専門店・ ...and more »(続きを読む)
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2/7フナの日 誕生日/向井理 加護亜依 香坂みゆき 宮本恒靖 阿久悠 香坂みゆき 小林稔侍 青島美幸 誕生日 1478年 トーマス・モア(法律家) 1812年 チャールズ・ディケンズ(作家) 1893年 鈴木茂三郎(政治家) 1906年 愛新覚羅溥儀(清朝第12代・満州国皇帝) 1926年 津島恵子(女優) 1927年 ジュリエット・グレコ(歌手) 1934年 金美齢(評論家) 1935年 バーブ佐竹(歌手) 1937年 阿久悠(作詞家・作家) 1940年 益川敏英(物理学・ノーベル賞受賞) 1943年 小林稔侍(俳優) 1948年 石鍋裕(仏料理人) 1959年 カルロス・ポンセ(野球) 1959年 青島美幸(エッセイスト) 1961年 山本亨(俳優) 1962年 デヴィッド・ブライアン(ボンジョヴィ・ミュージシャン) 1963年 香坂みゆき(女優) 1966年 クリスティン・オットー(水泳) 1968年 寺岡呼人(ミュージシャン) 1969年 ハッピハッピー。(元アニマル梯団コアラ・タレント) 1972年 諏訪内晶子(バイオリニスト) 1972年 本宮泰風(俳優) 1975年 松田樹利亜(歌手) 1977年 宮本恒靖(サッカー) 1977年 森野文子(女優) 1978年 アシュトン・カッチャー(俳優) 1980年 イ・ジョンヒョン(韓国・歌手・女優) 1982年 向井理(俳優) 1984年 高木梓(タレント) 1986年 上村彩子(元AKB48・歌手) 1988年 加護亜依(元モーニング娘。・歌手) 1992年 矢島舞美(歌手・℃-ute) 1993年 太賀(俳優) 1996年 萩原舞(歌手・℃-ute) 誕生花は 貝母(バイモ)、花言葉は“誠実な心” 誕生石は 瑪瑙(agate)、宝石言 フナの日 茨城県古河市の古河鮒甘露煮組合が2001(平成13)年に制定。 「ふ(2)な(7)」の語呂合せ。 2000(平成12)年に11月27日に「いい鮒の日」として制定したが、翌年から2月7日に変更された。 いい鮒の日 11月27日 北方領土の日 日本政府が1981(昭和56)年に制定。 1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められた。 北方領土は択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島からなり、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強ある。 江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていた。「日露通好条約」により、ロシアとの国境が択捉島とウルップ島との間に確定された。その後、1875(明治8)年の「樺太千島交換条約」によって樺太全島を放棄する代わりに千島列島全てが日本領となり、1905(明治38)年の日露戦争の勝利により、「ポーツマス条約」で南樺太も日本領となった。 第2次大戦の敗戦により、1951(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権原等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれた。しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれないが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、その状態が現在まで続いている。 北方領土問題対策協会 竹島の日 2月22日 ふるさとの日 [福井県] 福井県が1982(昭和57)年に制定。 1881(明治14)年のこの日、石川県・滋賀県から越前・若狭を分離して福井県が設置された。 長野の日(オリンピックメモリアルデー) [長野県] 日本青年会議所北陸信越地区長野ブロック協議会が1998(平成10)年に制定。 1998(平成10)年のこの日、長野冬季オリンピックの開会式が行われた。 日本青年会議所北陸信越地区長野ブロック協議会 独立記念日 [グレナダ] 1974年のこの日、カリブ海の島国・グレナダがイギリスから独立した。 歴史・出来事 1184年 源平・一ノ谷の戦い 1690年 東京・湯島聖堂が完成 1691年 湯島聖堂の昌平坂学問所が完成 1754年 日本初の人体解剖(山脇東洋) 1855年 日露通商友好条約締結 1873年 仇討ち禁止令 1960年 東京の市外電話局番が3桁になる 1965年 米軍が北ベトナム爆撃(北爆)開始 1987年 映画『マルサの女』公開 1992年 EC加盟12国がマーストリヒト条約に調印 #今日は何の日 #パーソナルカラー #カラードレープ #カラーパレット #こんにちは #色見本 #PCCS #ドレープ120色 #パーソナルカラー用品 #テストドレープ #C³ #色のみかた #シーキューブ (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/B8PgM-UhClk/?igshid=1tls8955vz0od
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