#遷そうメタファー編
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WASITE.store 2019.10.29 now OPEN 今日の海 「騎士団長殺し」 といえば、2017年に発売された���上春樹の小説。 まだ読んでないが、この本のタイトルは、 作中に登場する一枚の日本画のモチーフになった、これ、 1787年の今日、モーツァルトのオペラ 『ドン・ジョヴァンニ』 がプラハでモーツァルト自身の指揮により初演!!! モーツァルトが31歳のことです。 この演目の『ドン・ジョヴァンニ』は、 もとはスペインに語り継がれる 「伝説の放蕩者 ドン・ファン」 という物語の主人公。(最低だよ、こいつw) 剣が強い貴族。ただ、すっげぇ女たらし。 老若、身分、容姿を不問の自称・・・ 「愛の運び手」 各国でおよそ2000人(うちスペインですでに1003人) の女性と関係を持ったというわれる 剛の者。。。(なんかそういう異世界転生モノ?) オペラの第一幕からまずヤバい。 騎士団長の娘の部屋に忍び込むジョバンニ。 ジョバンニだけあって、序盤にね。 まぁ、いいや。 で、娘は当然騒ぐわな。逃げますわい。 騒ぎに駆けつける父・騎士団長。 もう想像つくと思うけど、 騎士団長が怒ってジョバンニに剣で斬りかかる。 が、逆にジョバンニが剣で騎士団長を殺しちゃう。 元祖「騎士団長殺し」 で、まぁ劇中にも散々なドラマがあるんだけど、 最後がまたぶっ飛んでる。 殺された騎士団長の石像が墓場にあって、 ジョバンニの前で突然、口を開き、話し始める。 驚くジョバンニだが、 「じゃぁ、まぁ、よかったら晩餐に招待するよ」 とさすが剛の者、肝が座ってる。 石像・快諾! で、晩餐に本当に石像が来るもんだからその晩餐は地獄w 石像、もとい騎士団長はジョバンニに 「悔い改めろ。生き方を変えろ」 と迫る! 殺されても改心させようとする騎士団長ってどんだけいい人なのさ。 けど、剛の者ジョバンニはこれを拒否。 押し問答の末・・・ 「時間切れだ」 と言って騎士団長はジョバンニを、 地獄へと引きずり込むのです。 その後、他の登場人物のアフターストーリーなどが演じられて、 結局は 「悪い奴は、地獄へ落ちる」 という落ちで幕が下がる。 なんか面白い話に広げられるかなと思ったけど、 オペラの最初と最後を紹介しただけでお腹いっぱい。 村上春樹作の小説はというと 第一部が「顕れるイデア編」 第二部が「遷ろうメタファー編」 イデアとメタファー? なんか聞き覚えのある単語だけど、意���は知らん。 イデアは「理想」 メタファーは「 隠喩 ( いんゆ )」 前者はわかると思う。 後者は・・・・? ポカーンとしてるあなた! 簡単に言えば、 「人生はドラマだ」 これが初歩的なメタファー。 具体的なイメージを喚起する言葉で置き換えて、 簡潔に表現する機能をもつ言葉の使い方。 聖書や信仰を伝える時なんかはメタファーだらけだね! 「私の庭にスミレが咲いた」 なんかも、恋をする男性の「メタファー」! メタファーはすごい。 あのアリストテレスがさ、 「もっとも偉大なのはメタファーの達人!」 って言ってる。 ここ数日、 「うまいこと言える奴に憧れる」 「エスプリの効いたことを言える奴に憧れる」 などと言い連ねてきてしまって、今日は違うネタ!と気合を入れたのに、 やっぱり「うまいメタファーを言える奴に、わたしはなりたい」 なんでって、 香りの説明には様々な言葉を駆使しますが、 言葉を記号的に使って香りを伝えるのでも難しいことに違いないんだが、 素晴らしい文言は、優れたメタファーだったりする。 感覚の記号ではなく、凝縮された情緒を伝える感覚的な概念。 まだまだ言葉を知りたい。 というわけでこんな文章を毎日でも書き続けることも、 修学の一部になってるわけです。 いつもお読みくださる奇特な(ありがたい!)皆さま。 ありがとうございます! 今日も良き日を。 #WASITE #ワシテ (Wasite) https://www.instagram.com/p/B4MO7Wbj9WE/?igshid=1pinzxnpqau2b
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Kotaroの巻:村上春樹「騎士団長殺し」を読んで
出版社を辞めてから1週間が経つ。予定通り読書の毎日が続いており、我ながら満足のできる時間の使い方だと思う(Yusakuの巻への返答も書こうとするが進みは遅い)。
月曜の朝、目を覚ました数分後、ふと村上春樹の『ひつじを巡る冒険』の主人公の旧友「鼠」と自分の相似点を考えた。放浪と転職を繰り返しながら小説を書き、最終的に北海道の山小屋村に辿り着く、鼠。生き方だけでなく考え方も我々は似ているが、大学の学位(鼠は中退)と親の財力(鼠は御曹司)の違いはある。社会に根を下ろす上でこれは大きな差となる。
そんな朝に思い立ち、村上春樹の新作『騎士団長殺し』を買った。文字通り寝食を忘れて終わりまで読んだ。小説の出来自体は他の作品に劣ると思うが、今までの村上作品のなかでテーマ的に最も射程が広く、深い。また、小説を書く行為について同氏が出しているエッセイ『職業としての小説家』より、今��の新作の方がよほど村上的創造プロセスの説明が入り組んでいる(村上氏はエッセイと小説を交互に出すが、概ねそれらは互いに呼応する内容である)。
妻との離婚話しから自宅を離れ、友人の父親である日本画家のアトリエに借り暮らしすることになった肖像画家の「私」は、アトリエの屋根裏で『騎士団長殺し』というタイトルの日本画を発見する。アトリエ裏の雑木林に小さな祠と石積みの塚があり、塚を掘ると地中から石組みの石室が現れ、中には仏具と思われる鈴が納められていた。日本画と石室・鈴を解放したことでイデアが顕れ、さまざまな事象が連鎖する不思議な出来事へと巻き込まれてゆく。(Wikipedia、騎士団長殺し)
種々の論考が小説に散りばめられるが(グレート・ギャツビーとの対比も面白いと思う)、なかでも最も興味深いテーマは「人間存在の有限性、永遠へのあこがれ」だ。もしくは永遠というよりは時間的存在の有限性以後の持続と言うべきか。自己実現の悦をどれだけ極めようと、時間的存在である人間は生まれたときと同じように裸で土に還る運命である。確か過ぎる有限性の事実を前にして、ほとんど全ての生の活動(自己実現)は虚構に映ってしまう。残るものはあるのか?その意味は?
文明の歴史と等しく古い有限性の問い。『騎士団長殺し』で掘り下げられる1つの答えは芸術である。有限性の一部分は切り取られ、芸術作品に昇華、永遠の時間が流れる世界に所属する。つまり、時間的存在のなかにある非時間的要素を発見、抽出、具現化する。『騎士団長殺し』上巻のサブタイトル「顕れるイデア編」は芸術創造(もちろん他の手段もある)の非時間的側面を示唆している。発見されるべき世界の真理があり、全ては既に書かれている。我々は書かれたものを見つけるだけ。これがイデアの論理だ。
物語が進むにつれて、そんな単純に事は済まされないと読者は知る。まず、イデアの論理に対する���ンチテーゼの1つとして宗教家(禅僧)のケースが登場する。生き仏になるため自ら地下に幽閉され、ミイラ化する僧が日本に存在したことが語られる。これは上の芸術作品と要領は同じ。つまり、自身の時間的存在(身体)を永遠性(仏の真理)と一体化させる。しかし、物語中において入滅行為は『雨月物語』なる入滅行為をパロディー化する物語と対比され(雨月物語の詳細はウィキペディアを参照)、宗教的解決手段は疑問視されざるを得ない。
下巻のサブタイトル「遷ろうメタファー編」が示唆するように、村上氏はイデアの否定という方向性で物語を進める。が、しかし、イデアが否定されるならば、芸術作品は何を表現するのだろう?私の友人のアーティストは「真の芸術作品に『死』を扱わないものはない」と言った。「死」は時間、空間、蓋然性に規定された存在である我々が、生きる時間を与えられた個々の特定の文脈を指す。各々が与えられた「死」をどう必然のものとできるか。ここに創造の価値がある。物語中では主人公の友人の父親「雨田具彦」のエピソードに、この思想が体現されている。また子孫を残すというエピソードも関連性がある。描かれなければならない絵、残されなければならない生。
最後に有限性の問いで忘れてはならない1つの要素は、村上作品のなかに必ず登場するフロイト的「死の本能」である(生成作用に対抗する解体作用が生命のなかに共存するとした)。有限性の事実、つまり「死」の事実から目をそらしてる間、人びとは所謂「自己実現」の虚しい試みに耽ける。しかし「存在する必要がない」自分自身の存在を直観する「死の本能」は「自己実現」の虚構を突き崩してしまう。例えば、都会の週末に顕れる自己破壊的衝動は「死の本能」の顕著な表れだ。なぜ若者にこのような行動が目立つのかも、必然化されていない「余剰」が、生物学的にも社会的にも溢れている故である。村上作品の主人公が「死の本能(または悪と呼ばれる)」と向き合うのも「存在する必要がない」自身の「自己実現」を越えて「存在しなければならないもの」を生み出す「創造」のプロセスに欠かせないからだ(少し内容に言及すると今作では「ダブルメタファー」という「死の本能」が登場する)。
村上氏��新作『騎士団長殺し』はメタ小説、メタ創造の色が強いものだ。永遠性と有限性の議論に決着をつけた後でもなお「この世に存在しなければならない作品」とはなにか?この問いに対して、小説の枠組みを以て応える村上氏の意図は概ね成功したと言えるだろう。しかし、日本と西洋のアイデンティティという彼自身も抱える問題について(主人公の友人の父親「雨田具彦」は村上氏を連想させる)、今回の作品でも答えは出ていない。これは残念だが、次の新作が非常に楽しみになる(年齢的に長編はあと2作が限界だろう)。
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2017年上半期ベストセラー発表、1位に「九十歳。何がめでたい」
#jusho #newsJP [市ヶ谷経済新聞]3位に、村上春樹さんの最新作「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編・第2部 遷ろうメタファー編」、4位に恩田陸さんの直木賞受賞作で今年の本屋大賞受賞作「蜜蜂と遠雷」が、それぞれランクインした。総合ベスト20は以下の通り。 1位=「九十歳。何が ...
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大阪在住の心理学に興味がある人が選んだ国内小説ランキング - T-SITEニュース
T-SITEニュース
大阪在住の心理学に興味がある人が選んだ国内小説ランキング T-SITEニュース その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側... 騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編. NO.2. 騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編. 村上春樹. 物語はここからどこに進んでいこうとしているのか? そ ... and more »
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自然の美しさは金持ちにも貧しき者にも分け隔てなく公平に提供される。時間と同じだ・・・いや、時間はそうでもないかもしれない。裕福な人々は時間を余分に金で買っているのかもしれない。
騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編 - 村上春樹
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今月読んだ本
今月(2017-04)に読んだ本は19冊でした。
新刊は
なかなか暮れない夏の夕暮れ
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久しぶりに読んだ素敵小説です。 素敵小説ってのは私的に、ノンミステリ、ノンSF、かつライトノベル系ではない、オチなしのやつのこと。 昔はこういうの読めなかった気がする。 素敵でした。 江國香織さん良いですね。素敵小説でも飽きない工夫は目に見えてわかります。
あと
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
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騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編
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読んだよっていうと、みんなから騎士団長って出て来るの?言われるんですが、でてきます。メタファーもイデアもでてくるよ。
ねじまき鳥クロニクルにもねじまき鳥が出てくるんですけど、そんな感じです。
騎士団長殺し、かなり良かったです。 村上春樹はある意味で「いいかんげんな男」を書いているんだなと。それに憧れてしまう人もやっぱりいると思う。 あと、章のタイトルが良い。 NHKニュースでとりあげられる出版の本なんてほとんどないし、たとえば江國香織の新刊なんてだれも知らないくらいだし、新聞の広告をよんでないとだめ。 そこまで期待されて期待通りのものを書くというの本当にすごいよね。
村上春樹読んだこと無いよって人は騎士団長殺しから入るの超アリだと思います。ちょっち長いけど。
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イデアが理想で、メタファーが隠喩ですか。ざっくりですが。やっぱなーって感じです。やっぱり取り込まれました、第2部。色々と悩んで、考えて、何か答えみたいなもんが欲しいから考えてたような気がするんですが、絶対的な、確かなもんなんてないんですよ。めんどくさいですね。すいません。何なんすかね。何でなんでしょうね。何の意味があるんでしょう。何で僕は軽井沢で暮らしているのでしょう。何で僕はあなたと出会ったのでしょう。別に意味なんかないですよね。今日まで生きてきて、忘れて思い出せないことも多いですが、憶えている記憶や思い出は本当に現実だったんでしょうか。始まったと思ったものごとが、実は何にも起こってなかったり、特段意味も影響も確実な形として現れてるわけじゃなかったり、終わったと思っていたものごとが、何にも解決していなかったり、それどころか普通に進行し続けていたり、兎角世界が儘なることはないのです。当に遷(👈これ当て字らしいですね)ろうメタファーじゃないですか。概ねそんな感じじゃないですか。そして、とはいえ、確かなものなんてないんですけど、信じるということをしないわけにはいかないのですね。顕れたイデアを、ですかね。騎士団長は本当にいたんだということを。僕は何を言ってるんですかね。何が言いたいんですかね。いやあ、ふと思ったんですが、村上春樹の文章は、僕にとって偉大なる脳内攪拌器ですね。1ゲームが終了したところで麻雀牌🀄️をかき回すみたいな。焼畑のような。仕切り直し的な。だから読んだあと頭がすっきりしてるのかなって。そしてまたつらつらと考え始めるのです。しかし一々出てくるまりえの膨らみかけの乳房についての描写は何のロリコン変態メタファーなんすかね。#本 #読書 #小説 #村上春樹 #騎士団長殺し #第2部 #遷ろうメタファー編
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新作『騎士団長殺し』 震災、再生への転換 一人称に戻る/新しい結論
毎日新聞 2017年4月2日 東京朝刊 2月に長編小説『騎士団長殺し』(第1、2部、新潮社)を刊行した作家の村上春樹さんが、毎日新聞などのインタビューに応じた。新作に込めた思いや小説家の役割について聞いた。【構成・大井浩一】 複数巻にわたる大長編としては『1Q84』(2009~10年)以来。400字詰め原稿���紙で2000枚に及ぶ。第1部が「顕(あらわ)れるイデア編」、第2部は「遷(うつ)ろうメタファー編」と題されている。 主人公は画家で、妻に突然別れを告げられた36歳の時の体験を中心として、一人称「私」で語られている。村上作品の長編では、久しぶりの一人称小説だ。 「僕は最初、一人称でずっと書いてきて、少しずつ三人称に移行していった。『1Q84』を純粋な三人称で書ききったことで達成でき、もう一回、一人称に戻りたい気持ちがあった。元のフィールドに戻ってきたという感じは強かったが、ある種の主人公の成熟はあると思う」 「騎士団長」はモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」の登場人物に由来する。オペラの冒頭で殺されるシーンがあるが、執筆前にまず『騎士団長殺し』というタイトルが浮かんだという。 「言葉の感触の奇妙さに引かれた。最初にあったのはタイトルと、(主人公が住む神奈川・)小田原の山の上というシチュエーション。画家というのは書いているうちに出てきた」 妻と別れ、喪失感の中で描くべき絵を求める主人公が住んだ山の上の家は、友人の父親で高名な日本画家のもの。92歳の日本画家は高齢者養護施設に入っており、空き家になっていた。その屋根裏で「騎士団長殺し」と題する絵を発見した後、主人公は不可解な出来事に巻き込まれていく。 また、谷間を隔てた向かい側に住む「免色(めんしき)」という変わった姓の人物から、肖像画を依頼される。免色はビジネスの成功者で54歳。広大な邸宅に一人で住む謎の人物だ。その設定は著者が愛読し、自ら翻訳も手がけた米文学、スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(1925年)を意識したものだ。「これは一種のオマージュ」と話した。 真夜中に鈴の音を耳にした主人公はその音の元をたどるうち、井戸のような穴を見いだす。免色の協力を得て、その穴を開放すると、中には古い仏具のような鈴があった。作中でも言及されるが、これは「(江戸時代の作家)上田秋成の『春雨物語』に収められている『二世(にせ)の縁(えにし)』という話をモチーフとして使った」と語る。 「古典というのは引用されることに価値がある。僕もいろんなものを引用するし、それが楽しい。優れた物語は入れ物としても力を持っているし、(引用は)有用なことだ」 穴を開放した結果、絵の騎士団長と同じ格好をした「イデア」と名乗る不思議な存在が登場する。善と���が複雑に絡みあう世界が繰り広げられ、血も流される。絵の中の人物たちに導かれて主人公が地下の暗闇を巡る展開もあり、従来の村上作品でおなじみの道具立てが登場するのはファンにとって楽しみだろう。 主人公はさまざまな試練を経た後、妻と再び生活を始めるが、離れている間に妻が身ごもった子供を自分の子として育てていく。物語の最後、時間は数年後の東日本大震災の直後に飛び、主人公が生き方への信念を語って終わる。喪失から再生への転換が描かれる。 「僕の小説はオープンエンドというか、話がオープンになったまま終わるというケースがほとんどだったが、今回は『閉じる感覚』が僕にも必要になってきたという気持ちがあった。最後に主人公が子供と一緒に生きていくのは、僕にとっては新しい一つの結論を示唆するものだ」 そうした変化の背景には、一昨年秋に自ら車で福島県から宮城県にかけての沿岸を回った体験もあるという。 「その経験は大きかった。再生につながっていく気持ちにも関連している。新しいものを作っていかないといけないなと。年齢的な責任感もあるのかもしれない」 「東北の震災は、今の日本人のサイキ(精神)にものすごく大きい傷痕を残した事件だと思う。その時代を生きた人のサイキを書くには、(震災と)重なり合う部分がないとリアルではない」 一方、「騎士団長殺し」と題する絵の背景には、ナチスのホロコーストや南京虐殺事件にまつわる歴史の傷も影を落としている。どのような著者の思いが込められているのか。 「歴史というのは国にとっての集合的記憶だから、それを過去のものとして忘れたり、すり替えたりすることは非常に間違ったことだと思う。(歴史修正主義的な動きとは)闘っていかなくてはいけない。小説家にできることは限られているけれど、物語という形で闘っていくことは可能だ」
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村上春樹、人気の終焉か…読者側に「飽き飽き感」充満、新作で読者を置き去り
1 : 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ :2017/03/28(火) 23:08:49.83 ID:CAP_USER9.net 村上春樹の新作長編小説『騎士団長殺し』(新潮社)がさっぱり話題に上らない。発売当初こそマスコミに大々的に取り上げられたものの、次第に『騎士団長殺し』はおろか「村上春樹」の名を目にすることもほとんどなくなった。 なにより、これまでの村上作品と違うのは、熱狂的信者であるはずの“ハルキスト”をはじめ、一般読者からの反響がほとんどないことだ。第1部「顕れるイデア編」、第2部「遷ろうメタファー編」を合わせて130万部も発行されているにもかかわらず、これほど反響が少ないのは異常事態。もはや世間から「完全スルー」されているようにも見える。…
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村上春樹「騎士団長殺し」を読んで
出版社を辞めてから1週間が経つ。予定通り読書の毎日が続いており、我ながら満足のできる時間の使い方だと思う(これから人生をどうしようかと3時間に1回くらいはちゃんと考えている)。
月曜の朝、目を覚ました数分後、ふと村上春樹の『ひつじを巡る冒険』の主人公の旧友「鼠」と自分の相似点を考えた。放浪と転職を繰り返しながら小説を書き、最終的に北海道の山小屋村に辿り着く、鼠。生き方だけでなく考え方も我々は似ているが、大学の学位(鼠は中退)と親の財力(鼠は御曹司)の違いはある。社会に根を下ろす上でこれは大きな差となる。
そんな朝に思い立ち、村上春樹の新作『騎士団長殺し』を買った。文字通り寝食を忘れて終わりまで読んだ。小説の出来自体は他の作品に劣ると思うが、今までの村上作品のなかでテーマ的に最も射程が広く、深い。また、小説を書く行為について同氏が出しているエッセイ『職業としての小説家』より、今回の新作の方がよほど村上的創造プロセスの説明が入り組んでいる(村上氏はエッセイと小説を交互に出すが、概ねそれらは互いに呼応する内容である)。
妻との離婚話しから自宅を離れ、友人の父親である日本画家のアトリエに借り暮らしすることになった肖像画家の「私」は、アトリエの屋根裏で『騎士団長殺し』というタイトルの日本画を発見する。アトリエ裏の雑木林に小さな祠と石積みの塚があり、塚を掘ると地中から石組みの石室が現れ、中には仏具と思われる鈴が納められていた。日本画と石室・鈴を解放したことでイデアが顕れ、さまざまな事象が連鎖する不思議な出来事へと巻き込まれてゆく。(Wikipedia、騎士団長殺し)
種々の論考が小説に散りばめられるが(グレート・ギャツビーとの対比も面白いと思う)、なかでも最も興味深いテーマは「人間存在の有限性、永遠へのあこがれ」だ。もしくは永遠というよりは時間的存在の有限性以後の持続と言うべきか。自己実現の悦をどれだけ極めようと、時間的存在である人間は生まれたときと同じように裸で土に還る運命である。確か過ぎる有限性の事実を前にして、ほとんど全ての生の活動(自己実現)は虚構に映ってしまう。残るものはあるのか?その意味は?
文明の歴史と等しく古い有限性の問い。『騎士団長殺し』で掘り下げられる1つの答えは芸術である。有限性の一部分は切り取られ、芸術作品に昇華、永遠の時間が流れる世界に所属する。つまり、時間的存在のなかにある非時間的要素を発見、抽出、具現化する。『騎士団長殺し』上巻のサブタイトル「顕れるイデ��編」は芸術創造(もちろん他の手段もある)の非時間的側面を示唆している。発見されるべき世界の真理があり、全ては既に書かれている。我々は書かれたものを見つけるだけ。これがイデアの論理だ。
物語が進むにつれて、そんな単純に事は済まされないと読者は知る。まず、イデアの論理に対するアンチテーゼの1つとして宗教家(禅僧)のケースが登場する。生き仏になるため自ら地下に幽閉され、ミイラ化する僧が日本に存在したことが語られる。これは上の芸術作品と要領は同じ。つまり、自身の時間的存在(身体)を永遠性(仏の真理)と一体化させる。しかし、物語中において入滅行為は『雨月物語』なる入滅行為をパロディー化する物語と対比され(雨月物語の詳細はウィキペディアを参照)、宗教的解決手段は疑問視されざるを得ない。
下巻のサブタイトル「遷ろうメタファー編」が示唆するように、村上氏はイデアの否定という方向性で物語を進める。が、しかし、イデアが否定されるならば、芸術作品は何を表現するのだろう?私の友人のアーティストは「真の芸術作品に『死』を扱わないものはない」と言った。「死」は時間、空間、蓋然性に規定された存在である我々が、生きる時間を与えられた個々の特定の文脈を指す。各々が与えられた「死」をどう必然のものとできるか。ここに創造の価値がある。物語中では主人公の友人の父親「雨田具彦」のエピソードに、この思想が体現されている。また子孫を残すというエピソードも関連性がある。描かれなければならない絵、残されなければならない生。
最後に有限性の問いで忘れてはならない1つの要素は、村上作品のなかに必ず登場するフロイト的「死の本能」である(生成作用に対抗する解体作用が生命のなかに共存するとした)。有限性の事実、つまり「死」の事実から目をそらしてる間、人びとは所謂「自己実現」の虚しい試みに耽ける。しかし「存在する必要がない」自分自身の存在を直観する「死の本能」は「自己実現」の虚構を突き崩してしまう。例えば、都会の週末に顕れる自己破壊的衝動は「死の本能」の顕著な表れだ。なぜ若者にこのような行動が目立つのかも、必然化されていない「余剰」が、生物学的にも社会的にも溢れている故である。村上作品の主人公が「死の本能(または悪と呼ばれる)」と向き合うのも「存在する必要がない」自身の「自己実現」を越えて「存在しなければならないもの」を生み出す「創造」のプロセスに欠かせないからだ(少し内容に言及すると今作では「ダブルメタファー」という「死の本能」が登場する)。
村上氏の新作『騎士団長殺し』はメタ小説、メタ創造の色が強いものだ。永遠性と有限性の議論に決着をつけた後でもなお「この世に存在しなければならない作品」とはなにか?この問いに対して、小説の枠組みを以て応える村上氏の意図は概ね成功したと言えるだろう。しかし、日本と西洋という彼自身も抱える問題について(主人公の友人の父親は村上氏を連想させる)、今回の作品でも答えは出ていない。これは残念だが、次の新作が非常に楽しみになる(年齢的に長編はあと2作が限界だろう)。
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【神田神保町店2017/3/14調べ】週間ベストセラー
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自分のために書かれた小説ではないか、と思う、ということ。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
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ようやく「騎士団長殺し」読み終わりました。第2部の後半は少しスピードアップして読んでしまいました。良いのか悪いのか。
たぶん話し始めると1時間も2時間もかかるネタなんだろうなあ。この感覚は、オペラを見たあとに、その演出をめぐる解釈をひたすら考える感覚と似ています。ですので、読み終わりながら思ったことは、本当にオペラ演出のよう…
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2017年上半期ベストセラー発表、1位に「九十歳。何がめでたい」
#jusho #newsJP [市ヶ谷経済新聞]3位に、村上春樹さんの最新作「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編・第2部 遷ろうメタファー編」、4位に恩田陸さんの直木賞受賞作で今年の本屋大賞受賞作「蜜蜂と遠雷」が、それぞれランクインした。総合ベスト20は以下の通り。 1位=「九十歳。何が ...
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【神田神保町店2017/3/7調べ】週間ベストセラー
騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編 新潮社 東京こだわりブックショップ地図 散歩の達人POCKET 交通新聞社 騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編 新潮社 神田神保町書肆街考 : 世界遺産的“本の街”の誕生から現… 筑摩書房 鏡花、水上、万太郎 キノブックス 魂でもいいから、そばにいて : 3・11後の霊体験を聞く 新潮社 丘の火 野呂邦暢小説集成 8 文遊社 美しい街 夏葉社 ゆらぐ玉の緒 新潮社 神田・神保町+九段下 : TOKYO GUIDEBOOK … 交通新聞社
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誰よりも早く村上春樹さんの新刊を本屋で徹夜して読む会
日時:2月24日0時~6時 会場:三省堂書店 神保町本店1階
村上春樹さんの新刊(2月24日発売)上下巻いずれかをご予約いただいた方、先着30名様に参加整理券を差し上げます。
神保町本店1階にご用意した座席にお座りいただき、販売スタートしたばかり『騎士団長殺し』をご購入の上、書店内でお読みいただけます。ソフトドリンクをご用意いたします。ひざ掛け毛布をお貸し出しします。
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【ご注意事項】 ※途中の入退場は可能です。 ※未成年者の方はご参加いただけません。 ※他フロアや指定されたエリア以外へはお越しいただけません。 ※会場は禁煙となります。喫煙スペースのご用意もございません。 ※メディア各社の取材が予定されていますことご了承ください。 ※お荷物・貴重品はご自身で管理ください。盗難などの責任は負いません。 ※火気や危険物の持ち込みは出来ません。 ※天候その他の事情により中止・中断する場合がございます。
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