#軽トラック雪道
Explore tagged Tumblr posts
Text
GTA Onlinのプレイ日記 - 2023年12月~2024年2月頃
もうGTA Onlinで書く事もないか、とか思いつつスクショがちょっと溜まったから記事にしておくことにした。
で、無駄に稼いだ金を使ってホーミングロケットが打てる車を2台購入。地味にこの2台だけで1000万ドルもするww
バットマンの愛車がモデルのヴィジランテは流石の性能でワロタ。ミサイルのホーミング精度がエグいww あそこまで正確に乗り物に当たるとは思ってなかったww
もう片方のトレアドールは正直微妙。装甲も薄くてロケットが当たらない……。もう乗る事はないもしれないww
で、ロスサントスに雪が降って個人的に初のクリスマスイベントを満喫。
マップに散らばった場所に配置された雪だるまを破壊して回ったり、
襲ってきたイエティをミニガンでぶっ殺したり、
鈴を鳴らしながらプレゼントをばら撒くトラックのケツを追い回したりしてた。
後はアワード狙いでカヨ・ペリコ強盗を周回。ピンクダイヤモンドをやっとこさ拝む事が出来たわww(パンサー像は未だに見た事無いが)
やっぱGTA4に出てたピンクダイヤモンドと関係してる物なのかね? カヨ・ペリコでリバティーシティって単語を聞くとは思わなかった。
そして流石のダイヤモンド。ソロ強盗で150万ドルも稼げるとは……。(調整入る前はもっと凄かった、とか思うとちょい微妙な額かもしれんが)
カヨ・ペリコのアワードも程々に終わってからは偽造文書、ハッパ、偽造貨幣、結晶、白粉の製造と売却のビジネスを地道にやってた。
製造拠点の物件買うだけでも、そこそこ金が掛かる割に、楽に稼げる訳でもないビジネス……って感じ。(カヨ・ペリコがバランスブレーカー過ぎってのもあると思うが)
経験値(RP)欲しさに補充も購入せずに自前で補充してやったが、マジで金にならなくてワロタ。
あと、地味にイライラするパターンの補充ミッションだったり売却ミッションを引いたりして、やってて面��くないんだよな……。(↑ハッパの煙で酩酊しながら目的地まで運転するパターンが個人的に一番やりたくないミッションだったww ミッション終了後に何度となりに座るおっさんを殺した事か……ww)
それでも何とか全部の製造拠点で400万ドル以上の稼ぎを上げたぜ!
物件購入やアップグレードに掛った費用も回収出来たから後は全部操業停止にしたわ。
ナイトクラブでの補充が行われなくなるが、もうホントにモーターサイクルクラブ系の製造ビジネスはやりたくないし、見たくないww
で、後は週替わりに更新されるタイムトライアルに挑戦。
まだ全部のコースをやり切ってはいないが、地味にこの「観測所」のコースが難しかった……。
ハクチョウドラック買ってフルカスタムして3時間くらい練習しまくって何とかクリアしたZOY!
もうバイクでオブジェクトに激突しまくって何回死んだか覚えてないわww
ジャンクエナジーのパラシュートもそうだが、このゲーム、細々したコンテンツが地味に難易度高い気がする……。メインの強盗より難しいww
とか愚痴ってたら超早いバイクがカジノで当たったww
電気で走るバイク、とは聞いていたがマジで早くてワロタ。早すぎてコントロールできねぇww
電気で走ってるって設定なせいかエンジン音が凄い静かで驚いたわ。モデルはハーレーダビッドソンの会社が開発したバイクらしいが、凄い未来的。
いやー、こんな良いバイクがタダで手に入るとは思わなかったなぁ。
ハンドルも車体も凄い軽い気がする。そのせいか、スピード出るバイクなのに山とかオフロードの急斜面はあんまり安定しなかったなぁ。
ただ、舗装路のコースなら間違いなく頼りになるバイクだと思われ。NPCの車や電柱と接触事故起こさない限りは余裕で最速のバイクなんじゃないだろうか。
後はちょいちょいゴルフしてみたり。ホールインワンのアワード取れるかなぁ、とか思って遊んでたら、たまたま他のプレイヤーとマッチングした(笑)
あんま他の人と遊ぶ気はしねぇなぁ、とか思ってたが、せっかく珍しくまともにマッチングしたから一緒に9ホール回ってみる事にしたわww
向こうさんはビシッとゴルフウエア着こんでるのに、こっちは短パン小僧……。リアルなゴルフ場なら出入り禁止やぞ。
で、まぁ、ゴルフはダブルボギーを出してしまい見事に負けたぜ! その後、練習しながら6時間以上ホールインワンも狙ったが無理だったぜ! このゲーム、ホントに強盗より周りのコンテンツの方が難しすぎぃ!
ホールインワンは諦めた……って、感じで今度は極秘貨物のビジネスをやる事に。
購入ミッションを1000回、売り上げ2000万ドルってのが一応ゲーム内で目標だ、って聞いたんで毎日地道にコツコツやったZOY。
↑購入ミッション1000回記念に貰ったゴールのスタチューを見事にGET! 2000万ドル分の売り上げ目標も無事達成。
……いや、しかし1000回は多かったww 途中で飽き散らかしてオンライン辞めようかと思ったわww
でも、2000万ドル分稼ぐ為に大雨の中、船でミッション遂行したりしてたけど、凄い映画のワンシーンみたいな状況でちょっとワロタ。
大しけの海を船長1人で渡航してるシーンみたいだったww
あと、ヘリコプターから落ちた回収物が細いガードレールの上に乗ったww そんな下らない事をわざわざスクショ撮るくらい飽き散らかしてたわww
もう600回目くらいからマジで同じ事の繰り返しで気が変になりそうだったZOY!
ただ経験値の貯まり方が凄かった。極秘貨物始める前はランク300前後だったのに1000回終わった頃には390くらいまでランク上がったゾ。購入ミッションって1回5分くらいで終わる物が殆どなのに2500くらいRPが貰えてるっぽい? マメに売却もしてたからホントにビックリするぐらいランクが上がったわ。(だからってもう二度とやりたくないがww)
で、もう2月も終わりか、って時にランク400突破。いやー、ランク60くらいの時は200、300なんて夢みたいなランクだと思ってたのに強い武器と装甲車を手に入れてからはあっと言う間の400だったなぁ。
車両取引なんかもちょこちょこやってみたが、初期に実装されたコンテンツの難易度はマジで高すぎるww ソロでやる事を前提にしてないんだろうなって感じ。
��傷で車届けられたのって30回くらいやって4回しかなかったわww
ーーーーーーーーーーーーーーー
殆ど同じ事の繰り返しで飽きつつあるんだが、それでも暇になるとなんかGTA Onlinを起動しちゃうんだよなぁ。このままやってたらほぼソロプレイでランク500とか行くんだろうか……ww
そんな感じで2023年12月~2024年2月頃までのプレイ記録は終わり。
GTA4のユスフに会える新要素も追加されたが未だに手を触れてない状態だったりする(笑)
0 notes
Text
2301-02 大移動前夜支度中
/17 3年振りの友人は、記憶のなかの彼女よりも小さく見えた。もう少し背が高かった気がする、縮んだ?と一言目から無遠慮に言ってしまう。私はこの人に昔から甘えているんだと思う。新米看護師は相当堪える仕事のようで、体重がずいぶんと落ちたらしい。稼いでいるからと食事を奢ってくれた。旧友と話すと限定的なあの数年間の感触が久しぶりに浮かんでくる。一瞬でもまたみんなが集まればいいと淡く思うが、想像のうちに集うだけで十分なのかもしれない。
/18 大学へ行く。モザイク画をみる。人々の群像のよう。ダニエル・アラス『なにも見ていない』を読む。蕪木でホットチョコレート。大寒波。
/20 上司になるかもしれない人に今どき古本屋をやりたいなんて珍しい人ですねと言われた。街ふらついてインドのラグを入手。ユーズドの布を束ねたカラフルなもの。風景のような眺め。
/22 祖母が家に来た。引っ越す前に墓参り行けと父に言われたが行きたいと少しも思わないから行かないけど、もっと広く、先祖のことを思っている。別れ際に祖母に手を差し出して握手した。確かな九州との地縁。
/23 母と出かける。鳩のフンが直撃。目当ては臨時休業。昼食の会計は4444。でもいい日だった。さくら鍋食べた。青森の馬。
/24 現美のコレクション展。田部光子のお手製全身タイツ。
/26 卒論の試問会。詰められるかと緊張してたが和やかに呆気なく済まされた。大学生終わった。入学したころ、所属に寄りかからないようにならなければと思ったのに、一人で堂々と立てていない。すくっと立ちたい。週��のうちに見たい物件を見つけてしまい、迷いつつ急遽飛行機を予約。
/27 飛ぶ。短期間に長距離移動を繰り返すと引き裂かれそうになる。ひと月に2往復が限界。後ろの席の骨格逞しい赤子からシート越し腰キックを受けていたら、乗務員のマッシュヘアなお兄さんが気づいて、空席に移動させてくれた。空港でバスを2時間待って家へ。夕飯の下拵えしたり寝転がったりして待っていたら、顔を炭で真っ黒にしたKが帰ってきて笑った。レモンの生姜焼きと冬瓜葛煮を食べた。
/28 朝起きると雪景色。南下して雪のない街へ出る。「この街は湯水のようにおもしろい人が湧いてくる。」 湯の街に特異な境界線。大地、創造、母性。おでんのち、どぶろくを買って温泉、半島に帰る。
/29 街へ。氷結した志高湖の周りを走る。磯崎新や吉村益信がここでピクニックをしていたらしい。新・新世紀群になれるかしら。この街で暮らそう、そうしよう、とじんわり思えてくる。
/30 帰宅。気になる仕事見つけた。応募書類にとりかかる。先週決まった仕事はごめんなさい、後ろめたいけど「労働者はもっとわがままでいい。」
/31 卒展をみにいく。つい、このひと別府に来ればいいとばかり思う。南千住へ移動、あの辺りの路上��狂気が野放しにされてる。丸千葉でいっぱい食べて飲む。噂どおり明るい気持ちになる店。
02/02 卒展またみにいく。図書館で『住宅の射程』を読む。住居に向かないところに住んでみたい。nLDKに当てはまらず、街へはみ出していくような。歩いて見つけた物件の内見で問い合わせていた不動産屋から折り返しの電話。ome farm kitchenに寄る。東別府の牛飼いの話。
/03 大竹伸朗展みにいく。ここ一年くらい美術館の人だかりが怖くてうまく居られない。そもそも2月が苦手で元気なくてよくない。ダンスシーンを求めて『サタデーナイト��ィーバー』みた。元気は出なかった。都市のダサさ。
/04 Kに内見を任せる。その第六感を信頼している。送ってもらった動画を見ながら生活を想像する。ここに住みたい。ジロウが皮肉に歌う「シンプルライフ」がきこえてくる。数年前のジロウのインタビューを読む。
/06 不動産屋に連絡をして、仮申し込みを済ます。引っ越しを目前に緊張もしてきて、身体の強張りと心臓がぎゅーっとなってる。Kはむこうで古物商の申請を済ませたとのこと。電話口でギンビスをぼりぼりと食べる音がして、電話を切って買い物に出て、ついギンビスとチョコリエールを手にする。これもまた数週間前にKが食べていた。商品流通ってこういうことなんだと思った。珍しく父がハーゲンダッツを買ってきた。あと10日ばかりの2人暮らしに思うところあるのだろうな。
/07 品川散歩するモニターバイト。母同行。宇都宮ナンバーのトラックに積まれた牛たちが消毒か何かの薬品臭が漂う大通りを通っていて、食肉処理場があることをはじめて知った。殺される間際の牛の目に映される風景と同じものが、あの一瞬私の目にも映った。肉屋の娘と肉屋の孫。新橋に寄って、私的いつでも行きたい食べたい店第一位のビーフン東でごはん。そのあと蔵前に泊まった。アブサンを飲み、coyoteを読んだ。
/08 母と。アンビカショップに寄って、散歩バイトがてら代々木上原へ。按田餃子でごはん。歩いて、ベーグル買って、歩いて、原宿へ。卒業祝いにkaruhのスニーカーを買ってもらった。母の家に寄って、夜ごはんを軽く食べながら『チャンシルさんには福が多いね』をみた。アンビカで買った青いマンゴーのピクルスは梅干しのように酸っぱかった。
/09都美でエゴン・��ーレ。卓越した造形感覚についていけなかった。到底及ばない。ついでに品川散歩バイトをして帰宅。品川の大通りと線路の間の道はそれなりの音量で歌ってもばれない。
/10 引っ越し準備。持ち物を減らすってどういうことだろうか。要不要ではない判断基準がわからない。自分のことを信じられないぶんものに執着しちゃう。身一つで愉快にいたいからわかれてみる。
/12 北品川がNYに似てると言っているベーグル屋。うたがわしいがおいしかった。銀座歩く。新宿いく。ひとひと。梅満開、あたたかな夜。君たちの一生が知りたいからまだしばらくは大丈夫。
/13 引っ越し準備、やっぱりうまくいかなくてめげそう。国語のノートの阿呆な感想文を読み返してショック。私は阿呆だった、と正しく記憶して処分する。くれぐれも。
0 notes
Text
極寒の韓国でEVトラックは辛い -- どうしてそれを使うのか
全羅北道益山からソウルの新月洞(シンウォルドン)路地市場に毎日野菜を届け��イ・ミョンジュさん(53)は、高速道路の休憩所で1日4時間立ち往生している。ガソリンを節約するために、電気自動車として1トン車を購入しましたが、バッテリーの蒸気が不足しています。走行距離が1日往復約400kmと長いため、一度に40分間低速で上昇しながら2回、下りで2回充電器を接続する必要があります。リーは、「私は配達で食べたり買ったりしますが、電気トラックでの最初の冬は非常に厳しいです」と述べました。
冬は非常に厳しい寒さになる韓国でもムン前大統領の脱炭素政策でEVの普及が推進されていました。と、同時に原発を廃炉にしてLNG火力でしのぎつつ再生エネルギー大国を目指すという夢ばかりの政策ではありましたが。
EV普及は目指しつつも充電ステーションなどはまだまだ少なくて、高層アパートにEV専用スペースを作っては拡大に励んでいましたね。ただ、記事のような営業用EVトラックが充電するところはまだまだ少なそうです。
それにしても極寒の韓国で一日400キロをEVトラックで配送するってのも仕事とはいえ大変そう。片道200キロで2回の充電、それぞれ1時間ぐらい充電の時間がかかるとなると平均速度60キロとしても充電時間や休憩時間も入れたら12時間ぐらいかかる。さすがに労働災害や交通事故のリスクが高すぎる。
政府は、環境改善のためには、公害の���犯とされるトラックから電気自動車への切り替えが重要であると考えています。
国土交通省は、2018年11月末から昨年4月までの3年間以上にわたり、環境にやさしい電気自動車に商用ナンバープレートを無償で発行してきました。この影響の結果、電気自動車の貨物車の数は2019年12月の1,140台から昨年12月には81,236台に増加しました。
なるほど、どうして商用トラックにEVなのか?って理由は、ムン前政権時からEVトラックへの商用ナンバーが無償だったわけですね。目先の金に目がくらんで、あるいは政府の「環境に優しくリーズナブルで次世代のトラック」とかなんとか無責任な宣伝文句に騙されてEV商用トラックが3年間で70倍強に増えたと。
韓国では脱炭素化の政策と同時にコロナ禍で宅配事業がかなり増加してましたから荷物の配送はかなりの過密スケジュールだったでしょう。だいたい自営業者が多いから、仕事を請けないと干されるし、続けていたら体がもたない。トラックはEVしかないから高速道路の充電ステーションで毎回1時間を費やしても入れなきゃ仕事できないとか古いスマホ使っててもストレスなのに、仕事で荷物を予定通りに配送するとか絶対やりたくないわ。
日本でも運送業者の高齢化や減少による負担増で配送に支障が出る可能性が指摘されてますが、リスクを無視して事故らなければ良いんでしょ?と災害事故を起こしがちな韓国社会じゃもっと予想されるリスクの危険性高そうですが、まぁ気にしないかな。
この冬の欧州やアメリカで大寒波なんてニュースがありましたし、世界有数の豪雪地帯である日本ではまだまだEVは都会の金持ちの選択肢ってのはあながち間違ってないことが証明されてきました。EVの利点は認めつつ弱点についてもきちんと把握しないで脱炭素化を先進国の条件とばかりに押し付けても困るのは庶民なんですけどね。
また、ディーゼル車は4月には「大気管理区域の空気環境整備に関する特別法」が施行され、配送市場への新規参入が禁止される予定です。この法律が施行されると、新しい宅配便サービスは、電気トラックや液化石油ガス(LPG)モデルなどの環境に優しい車でのみそれを行うことができます。宅配便業者は、「代替車両の準備や充電インフラの整備に時間が足りなくなっている」として、法律の延期を求めている。
あらら、商用トラックのディーゼル車新規購入が今年4月には禁止なんですか。そりゃ大変だ。運送業者じゃ韓国中走り回って田舎にも行くでしょう���、どこでもソウル並の充電インフラあるわけじゃないし、どうするのかな。
0 notes
Photo
今日のお昼に所用がありちょっと上の方へ行って来ました。 一本入ったところの吹き溜まりは軽トラ以上の壁になってました。 #軽トラ #軽トラック #キャリイ #キャリィ #キャリー #da63t #雪道運転 #雪道
7 notes
·
View notes
Text
ボクが「ニューロマンサー」を読んだその理由
ちょっとしたおはなし
ボクが「ニューロマンサー」を見つけたのは祖父母の家の二階、階段を上がって右手の部屋にある叔父のベッドの下だった。 叔父が死んでから3回目の土曜日だった。遺品整理をしている最中のことだった。
叔父は編集社に勤めていた。具体的にどんな仕事をしていたのかは知らない。3親等以上離れた人間はもはや他人だ。ボクの家系はかなり核家族化が進んでいる。 風俗ライター。叔父がボクに教えてくれたのはそれだけだった。風俗ライターをしているのだと昔一度話してくれたのだ。 田舎の大病院でのことだった。病気の祖母が山場だからと近親者が駆けつけた日だった。年末年始やお盆ですらまとも集まらない親族が、今日ばかりはと早朝から集合していた。夕方ごろになると買い出しやら一時帰宅やらで皆外出しはじめた。ボクと叔父が留守番をすることになった。ボクたちは管につながれて眠る祖母を起こさぬよう、病室を出て待合室へ行った。サンシェードの隙間から西陽がじりじり差し込んでいた。8月だった。叔父は自販機で買った微糖のコーヒーをボクに渡し、ボクに将来のことについて尋ね――当時のボクは小学校5年生だった――、それからニヤニヤ笑って自らの仕事について話した。ボクは風俗が何かも知らなくて特にツッコむこともできなかったから、叔父にとってはさぞ肩すかしだったろうと振り返って思う。
ただ今では逆にあのカミングアウトが事��だった可能性も高いのではないかと疑ってもいる。叔父の脂っこい顔とベトベトンみたいに弛んだ顎は風俗ライターとしてあまりにしっくりくる。 結局この後祖母は力強く峠を制覇し、今でも元気に生きている。一方叔父はそれから6年後に死んだ。親の死に目に会えなかったことになる。
叔父は事故死だった。大型トラックに轢かれた。左折するトラックに捲きこまれるかたちだった。1メートルはあるタイヤに潰されて即死だった。そういう事情があったから通夜でも葬式でも遺体は見ていない。修復不可能だったと、葬儀屋から遠回しの表現で聞かされた。 葬儀は当然のように悲惨な雰囲気で、それでいて意外としめやかだった。と思う。正直なところあまり覚えていない。結局のところ叔父はボクにとって最期まで他人だった。
だから遺品整理に駆り出されたときも特別何も感じなかった。ボクのきょうだいもいとこも女子ばかりだから、男手が必要ならしょうがないと文句も言わずに祖父母の家へと向かった。その素直さを褒めてほしいと思っていた。
実際遺品整理といっても大したことはなかった。叔父は名古屋に住んでいたがその実家は茨城にある。名古屋の家の方は叔母さんとその娘たちに任せる運びになっていた。つまりボクと(叔父の弟たる)父の仕事は叔父が生家に残していった物の処分だった。 部屋にあった叔父の私物は、思い出の品になりそうなものを除けば、テレビ台の下で埃を被っていたプレステ2とベッドの下に収納されたそこそこの量の文庫本だけだった。2世代前の中古ゲームハードなんて貰い手もいないだろうということで前者は燃えないゴミ行きとなった。本についても大体同じ流れで、誰もいらないなら捨ててしまおうという話になった。メルカリはまだ浸透していなかった。 そのときだった。ボクの貧乏性が発動した。思わずちょっと見せてよと名乗りを上げた。誰も反対はしなかった。好きなだけどうぞと祖父母が場所を空けてくれた。ボクはプラスチックボックスに並べられた書籍を物色しはじめた。 ホームズシリーズとポアロシリーズが数冊ずつ。川端康成と森鴎外の短編集。徒然草。細雪。ドグラ・マグラ。ノルウェイの森。ガープの世界。ニューロマンサー。ルパン三世の漫画。それから侠飯とナミヤ雑貨店の奇蹟。 流石のボクもうるっときた。所帯も持っていい年こいたおっちゃんが、たまに帰った実家で自室に籠もりプレステで遊んだり軽い小説を読んだりしていたのだ。
最終的にボクは全部もらって帰ることにした。貧乏性や感傷の影響もないわけではないけれど、それよりもジャンルの散らかり具合に心惹かれた。この雑多な感じは文学少年ないしは青年、中年と親和性が高いように感じてならなかった。それに文学文学した本も多かったから、実はちゃんとした編集者だったのではないかと叔父のことを見直した。 でもよくよく考えてみたら風俗ライターがニューロマンサーを読んでいていても何の問題もない。むしろそっちの方が偏屈っぽくて似合っている。 だけどだけど、もう一歩考えを進めてみると敏腕室長が風俗狂いなのも画になるから困ったものである。 死んでしまった叔父について、様々なイメージがボクの脳内回路を巡る。
こうして祖父母の家から持ち帰った文庫本たちが案の定積ん読と成り果て永久凍土の層中に埋没してしまったころ、ボクはひょんなことから「ニューロマンサー」の名前を目にした。 ボクは脳内に電気が走るのを感じた。なんならその少し前に「クローム襲撃」と「ウィリアム・ギブスン」の文字列を見かけたばかりだった。 ロマンスはいつだって突然やってくる。 ボクは「ニューロマンサー」に接触するべく、氷を壊すことにした。
ニューロは神経、銀色の径。夢想家。魔道師。ぼくは死者を呼び起こす。いや、違うな、お友だち」 と少年はちょっと踊って見せて、褐色の足で砂に跡を印し、 「ぼくこそが死者にして、その地」
ウィリアム・ギブスン 黒丸尚訳(1986)「ニューロマンサー」早川書房, 398-399頁
にっき
正直本を開いてしばらくは半分眠りながら読んでいた。固有名詞出しすぎだし比喩も分かりづらいし文体崩れてるしで泣きそうだった。 明確に読む姿勢が変わったのは闘技のくだりだった。あの数千字の魅力は凄まじかった。一気に千葉市へと引きずりこまれた。そこから先はもう濁流にのまれたようにページを捲っていった。
ただ、読み終わってみるとあそこはむしろ異常な部分だった。この話は全体を通して抽象的で、ギチギチに詰め込まれ��いて、200%フィクションで、興奮であふれている。なのに闘技のシーンは写実的でミニマルで現実めいていて哀愁が漂っている。明らかにここだけ浮いている。
例えば終盤に出てくる浜辺のシーン。あそこは世界の状態的には静謐といっていいのだけれど、文章化されたそれを読む読者の脳みそはオーバーヒート寸前になっている。怒濤の展開と観念的な理解でしか捉えることのできない電脳世界。読者側はついていくのにいっぱいいっぱいになる。ところがそんなボクらを傍目にケイスは絶望したり穏やかになったり激怒したりと忙しい。もう本当に「よう分からんけどとりあえずそういうことね」で読み進めていくしかない。とかくこの小説はそんなんばっかりだ。
にも関わらず闘技の場面においては簡潔で豊かな余韻を持ち、想像しやすく、追っていきやすい文章が続く。 「社宅、社歌、社葬」 「串から濃いタレがしたたって手にかかった」 「相変わらずフランス製の作業着を着ている」 「焦げた肉の臭いがする。観衆は勝者の名を連呼している。ビール売りは黒い雑巾で栓をぬぐっている」 「金属パイプの短い軸にすぼめた唇。ハシシュの匂い。ケイスは歩きつづける。何も感じない」 「何かがその背後の暗がりでピーといい、ブクブクといった」 「奥の暗がりで、誰かが湿った音をたて、死んだ」 なにこのきれいな詩みたいな文章。特に最後の2つの「何かが」から「誰かが」へ至る段落構造が数学的美しさを備えているのがホントキモい。お前こんな人工的な造りをメタ的に感じさせるような文章他のとこではまったく書いてないやん!ってなる。意味分からん。 特別SFめいたガジェットが出てくるわけでもなくサイバースペースも関係ない箇所に注目するのはこの小説の読み方として間違っている気がしないでもないけれど、それでもやっぱりボクはここから離れられない。
2 notes
·
View notes
Text
今日、前走ってたトラックが道の途中で(交差点ではない)右折するために停車して私も停車して、トラック右折していって、さ、発進しようかなって時に後ろから軽くやけど追突された。
名古屋の大学生で帰省中のところこの大雪の時にお母さんの車使って運転するなよな〜。
コロナワクチンの副反応で頭もやもやして体調すぐれんから早く帰ってのんびりしようと思ってたのにこの寒い中1時間半もかかった。とんだ災難やった。わたしの保険会社の人は不幸中の幸いでしたねって言ってたけど。
なんのせワキ(リンパ)が痛い。
3 notes
·
View notes
Text
🎼 01186 「Crack Hitler」。
雪で覆われた道を一台のトラックが走り抜け、キッと停まり "ベルリン中央部まで 1,750キロ、モスクワまで 35キロ" なんて標識がある場所で 標識を切り倒しへき折るトラックの運転手に どこかのハン・ソロばりに 「急ぎませう 嫌な予感がする」 なんて会話をしている同乗者の姿から始まります、4人のソビエト連邦の戦車兵の生きざまを描いた 露戦争映画 「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」 を観ています。アレクセイ・シドロフ監督作品。ナチス・ドイツと交戦中のソビエト社会主義共和国連邦の戦車兵らは 戦いの中で相討ちになり、捕虜と相成ります。時は変わり 1944年、ドイツ第三帝国テューリンゲン州 SⅢ強制収容所。7回逃亡を企てている戦車兵、通称 "しにたがり" イブシュキン少尉は ナチス・ドイツの戦車兵育成の敵役として選出され、収容所の囚人 18,382の中から 戦車兵3名を選抜し、T-34に似ている、3日前に戦場で回収された ロシアの最新型な T-34を一週間で整備し、ドイツの士官候補生との演習に備えろと命じられます、といった感じで どうのこうのするこの戦車映画、チェコの国境を目指して ソビエト社会主義共和国連邦の戦車兵らは 割と軽い感じで奮闘します。
つづいて
どこかのバイクレース場のレースから始まります、どこかのバイクレース場を駆けていたバイクレーサーの日常を描いた ロードムービーふうな旅映画 「ブラウン・バニー」 を観ています。ビンセント・ギャロ監督作品。物語はさておき、とりあえず 走り回っている映画です。
つづけて
船上で獅子舞が獅子を舞う中で、爆竹を発砲と勘違いした西洋人を見かねた ウォン・フェイフォンが ひとり獅子舞を舞うところから始まります、物凄く強い武術家で東洋医学の診療所 "宝芝林" を営む ウォン・フェイフォン師匠が、押し寄せる西洋文明に飛び蹴りを喰らわすシリーズ第1弾 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明」 を久しぶりに観ています。ツイ・ハーク監督作品。西洋人で溢れ返る いつかの中国のどこか (佛山)、外国人居留地なる "租界" で 街のヤクザ者の争いに巻き込まれた ウォン師匠 (演ずるは ジェットなリー) は 西洋人に有利で自国民に不公平な世の中に 西洋は西洋、中国は中国との思いを持ちながらも 止まる事を知らない文明の波と街のヤクザ者の双方に頭を悩ませます。そんなところに イギリスから来た大叔父とともに 2年もの間向こうにいた イー叔母さん (血は繋がっていない) の面倒を見ることになり、面倒がさらに増します。ウォン師匠に弟子入りしたくて 街を訪れた 牛を相手に修行をしていたらしい フーを わたしのラブリー ユン・ピョウが演じていますこの映画、山東省出身の "鉄胴拳の使い手" イム師匠の 「達人であっても食べていけない」 という台詞と ウォン師匠の 「中国は大きく変わってしまった」 という台詞に いまを思います。
..
#崩壊3rd#tokyo#リタ姉#rita rossweisse#t-34#the brown bunny#vincent gallo#ネコ映画#once upon a time in china#tsui hark#jet li#yuen biao#faith no more
1 note
·
View note
Text
今年のナイスアルバム2020 -前編-
前置き
今年もグッドアルバムが沢山リリースされました。本当にありがとうございます。iTunesに追加した音楽はシングル、一部既聴も含めると786枚でした。Apple MusicのReplay機能を使ったところ、962人のアーティストを聴いており、915時間音楽を聴いていたらしい。去年は798枚だったので微減。
個人的な音楽環境の変化としては、レコードプレーヤーを新調(8,000円くらいのやつを30,000円くらいのやつにしました)したことと、実家のビクター製ウッドコーンスピーカーシステムを自宅に導入したことにより、これまで以上にリスニング環境が整い、同じ盤を繰り返し繰り返し聴くことが増えました。ストリーミングだとどうしても聴く枚数の増加に比例して一枚あたりのリピート数が減るんですが、今年はその辺り良いバランスで着地できたような気がする。
当記事では2020年にリリースされたアルバム、EPの中からとりわけ良かったものを手当たり次第にレビューします。今年もApple Music, Spotifyのプレイリストを作ったので、ぜひ聴きながら読んでみてください。
※今回は狂気の前編、中編、後編 3部に分かれております。Another Brick In The Wallか。どうしてこうなった。
Spotifyはこちら↓
https://open.spotify.com/playlist/0aMx8Ia4OxohDi6S2ZRbOX?si=srRl81T3S468WXysKFHxzQ
Apple Musicはこちら↓
https://music.apple.com/jp/playlist/2020%E5%B9%B4%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0/pl.u-MDAWm4gtWG5VN6p
邦洋問わず、今年はオルタナ、シューゲイザー、インディポップ、ファンク、R&B、ポップス、K-POPあたりを色々と聴いた感じがする。アバンギャルド、HIPHOP、ジャズはそんなに聴かなかったな。
本題
・
・
・
1/15 Gi Gi Giraffe 『HOME MADE WORKS 2 - EP』
ジジジラフ久々の新譜。CDが出るのは4年前のフルアルバム以来だと思われる。Home made worksと銘打ってある通り、宅録作品。今年は宅録の作品が増えたけど、Gi Gi Giraffeは5年前に既に『HOME MADE WORKS - EP』をリリースしていることから分かる通り、何も今年の特異な状況下でこの作品が作られたわけではない。彼らからすればある程度は通常運転での製作だったと思われる。
一言で表すとローファイ・ジャズ・ロック。ビットの粗いサウンドとジャジィなコード、ギターソロが合うのなんの。今作もこれまで通りの美味しい音が堪能できてご馳走様です。そういえば昔、ギターの音を形容するのに“crispy”という言葉を使ったら、ネイティヴの英語の先生に「“crispy”は料理に使う言葉で、音の形容に使うのは変だよ」と言われたことがある。俺はトモ藤田がギターの音を「crispy!」って言ってたから真似したので、「いやでも僕の好きなギタリストがたしかにそう言っていたんです!」と抗弁したが、聞き入れられなかった。料理を食べるときの感想と音楽を聴く時の感想には相通ずるものがある気がしているんだけどな。crispyなsoundでオーイェー。
・
・
・
1/17 Pinegrove 『Marigold』
2010年結成のアメリカのバンド。今作は内省的で、全編を通して聴くと優しめなフォーキーオルタナという印象。パワー・ポップ、ロック、など様々な形容が各サイトでされておりましたが…。ともかく心の柔らかなところに優しく染み渡る一枚。
コーラスが気持ち良い。特に1曲目「Dotted Line」のコーラスがたまらない。デスキャブ好きには刺さるのではなかろうか!BPMも全体的に抑えめ。ウワモノはアコギとエレキが主体でプリミティブ。
「Phase」はアルバムの中でも比較的スピード感のあるナンバー。特にお気に入りの一曲。曲の終わり方や尺の感じはnada surfに通ずるものがある。
・
・
・
1/29 GEZAN 『KLUE(狂)』
アルバムを通して一定に保たれたBPMの中でトライバルなリズムが生々しく蠢き、音を構築していく怪作。上述の呪術的なビートに乗って、フロントマン、マヒトゥ・ザ・ピーポーの鮮烈な社会的メッセージが脳に叩きつけられるが、聴き終わった後に残るのは静かな決意と愛の余韻。混沌の世の世相を鮮やかに描き出している。初回生産のCDは胸がときめく特殊なパッケージングでした。
・
・
・
2/19 大橋トリオ 『This is music, too』
大橋トリオもメッチャ聴いたな…。名前はずっと知っていたものの、なんとなく聴いたことがなかったアーティストのひとり。今年になって初めてまともに聴いたんだけど、全然好きだった。なんで今まで聴いてなかったんだ。
大橋トリオ、マルチプレイヤーなんですが、作詞は作詞家に依頼してるんですよね。歌詞を書かない、というその割り切りはクールだなと思いました。大橋トリオの曲の詞、良いんですよね…。餅は餅屋、詞は作詞家…。「Ways and scenes」の詞もめっちゃいいのよ…。
最後から2番目の曲「Lady (2020)」は過去のアルバム『I Got Rhythm?』に収録された「Lady」の再録ヴァージョンになります。再録ではピアノの弾き語りにストリングスやバンドがプラスされて叙情性に変化が生まれており、グッド。「Lady」は自分の葬式で流してほしい一曲ですね。俺は愛について歌われた音楽を聴くと泣くんだ。この曲について書こうとすると、恐らくものすごい文章量になってしまうと思うので、機会を改めて書きます。
ウォームなヴォーカルと、どこかおとぎ話のようで、かつ洒脱なサウンドがたいへんよいです。2020年にエイベックスで新しく設立されたレーベル、A.S.A.Bからのリリース。A.S.A.Bは現在SIRUP, THE CHARM PARK, 土岐麻子らも所属していますね。あと実は瑛人もA.S.A.Bです。ビックリだね。
・
・
・
3/6 フィロソフィーのダンス 『SAPIOSEXUAL』
シューゲイザー×アイドル=RAY(後述)なら、ファンク×アイドル=フィロソフィーのダンス(以下フィロのス)ですね。2020年に満を持してソニーからメジャーデビュー。
今作はこれまでの楽曲のリミックスアルバムとなっております。今までのアップテンポなファンク、R&B基調の楽曲がメロウなスムースR&Bや、’90アシッドジャズにリアレンジされていたりと、楽曲の強度を非常に強く感じることのできる良盤。パソコン音楽クラブやヒャダイン、mabanua、ikkubaru(インドネシアのバンド!)らによるリミックスもあったりと、バックアップする布陣も強力。パ音によるリミックス「アイム・アフター・タイム」が特に最高。
フィロのス、歌も良いんですよ。ソウルな楽曲に耐えうるアツいヴォーカルがいるというのも素晴らしい。
・
・
・
4/1 岡村靖幸 『操』
バキバキファンクとエグめのソウルフル歌唱でぶっ飛ばしてくれるヒーロー、岡村靖幸の実に4年ぶりのアルバム。このアルバムを聴いた頃に非常事態宣言で��宅勤務になったな。
1曲目「挫折と成功」でのコーネリアスのギターが激烈にキマってて最高。そのままノータイムで2曲目「インテリア」のバキバキにファンキーなサウンドに雪崩れ込み、蕩けた脳のままDAOKOとの共演で話題を呼んだキラーチューン「ステップアップLOVE」へ。この一連の流れ、何度聴いてもたまらない。7曲目のライムスターを迎えた「マクガフィン」も素晴らしい。バキバキのファンクとライムスターの心地よいフロウ、拭いきれない岡村靖幸のエグいシャウトと歌唱。
ケミカルっぷりが中毒になっちまうぜ。これは本当にCDで爆音で聴いて家で踊りまくった。仕事を投げ出して。
・
・
・
4/24 Tom Misch & Yussef Dayes 『What Kinda Music』
サウスロンドンを代表する新世代ミュージシャン/ギターヒーロー、トム・ミッシュの新譜。今作はジャズドラマー、ユセフ・デイズとの共作となっている。
以下、最初に聴いた時にあまりにもよくて勢いのままツイートしたもの。朝の7時から随分と興奮している。
今年のベストアルバムに豪速球でノミネートですわ…Tom Misch、ジャズドラマーとの共作のこの新譜、現代ジャズドラム特有の細かい打点がシャワーのように心地よい、サンプリングとジャズドラムと打って変わって重たいビートと多用によるHIPHOPサウンドへの接近、 music.apple.com/jp/album/what-… JAZZY HIPHOPとギターのマリアージュの最新系…顕現せしめている…これはたまらない、たまらなすぎてタマちゃんになった…
初期の宅録っぽい、機械的なビートが息を潜めて、一気に生々しいサウンドに接近したな、マジで最高…ありがてえ…
これはTom MischもさることながらYussef Dayesも激烈にヤバいな…Mark Guilianaとかの系譜を感じつつもAnderson .Paak的なHIPHOPのドラムも叩けるの、時代の寵児、無敵の申し子じゃん…
いやあとんでもねえ、とんでもねえっす…ありがてえ…
急いでポチった、何で予約してなかったんやろなあこれ、前にセッション動画上がってた時から絶対ヤバイアルバムになるって分かってたはずなのになあ 細かい打点と音量の繊細なコントロール、さざ波から���波までを行き来するような流麗なジャズドラムと、ドスの効いた低音とハットのタイトな刻み、クローズリムが心地よいR&Bなドラム、とにかく太くていなたいHIPHOPのトラックみたいなドラム、つ、つえ〜!!!!
本当は早起きして軽く仕事したろかいと思ってたけど、全部持っていかれたな…ありがてえ…
アタマのツイートめっちゃ誤字してるしメチャクチャだな、「現代ジャズドラム特有の細かい打点がシャワーのように心地よい、加えてサンプリングの多用&ジャズドラムと打って変わった重たいビートによるHIPHOPサウンドへの接近、」です
朝から失礼致した…マジこの一枚だけでいくらでも書ける…明日CD届いて聴き込んでメッチャ書きたい…ウヒヒヒ…最高…
俺の好きなものがてんこ盛り…そらウヒヒヒ…とか言うてまうわ…
良すぎる音楽聴くと快楽と感動で泣きそうになるね
これ以上の熱量ではレビューを書けそうにない。今作、ピノ・パラディ―の息子ロッコ・パラディ―ノも参加しており、新時代の英傑が揃い踏みという無敵アルバム。
トム・ミッシュのオーヴァルなグルーヴのギターとユセフ・デイズの打点のきめ細やかなビート、ロッコ・パラディーノの正確無比な低音が味わえる「Lift Off」を是非。ライヴクリップもメチャクチャにカッコいいので。
・
・
・
5/4 San Holo 『stay vibrant -EP』
今年の4月ごろ、在宅勤務になっている間に催された海外のオンラインフェスで知ったアーティスト。EDM, エレクトロ系のアーティスト多めの感じのフェスでした。最初は長谷川白紙とキズナアイ目当てで観ていたんだけど、観れば観るほど出演するアーティストどれも良くて、特にSan Holoはいっとう良かった…。知らなかったアーティストを知るきっかけになるというフェスの醍醐味、ちゃんと家でも感じられるのね。しかも家だと寝たい時に寝られるし、日差しもしんどくないし汗かかないし最高。
話が逸れたましたが、San Holo、ループ重ね系のドリームポップライクで幻想的なエレクトロです。ループミュージックとドリームポップが好きな人はドンズバなはず。
・
・
・
5/13 吉田一郎不可触世界 『えぴせし』
元ZAZEN BOYZベーシスト、吉田一郎によるソロプロジェクトの2nd。前作同様、ザゼンでの凶暴なベースの主張は少なく、エレクトロを主体とした歪なポップに仕上がっている。前作よりもダウナーで没入感が強い。吉田一郎がかつてヴォーカルをつとめていたバンド「12939db」時代の楽曲のリアレンジ?引用?も収録されており、ドープなファンにもアツい一枚。
・
・
・
5/20 藤井風 『HELP EVER HURT NEVER』
彗星の如く現れたミュージシャン、藤井風の記念すべき1stアルバム。宇多田ヒカルを聴いた時の「どえらいミュージシャンが出てきたぞ…」という気持ちが去来しました。武道館の配信ライヴも観ました。1月のライヴも当たったぜ。イエーイ。
俺はとりわけですね、サブスクでは聴くことができない、初回盤のdisc2、このカヴァー集が実はメッッチャ良いんですよ!!という話をしたい!!!
1曲目の「Close to you」でブチ抜かれて2曲目の「Shape of you」のアレンジに舌を巻いて3曲目の「Back Stabbers」のファンキーな演奏に圧倒されてああ書いても書いても溢れてくる昂りよ!演奏技��、音楽に対する理解、アレンジのセンス etc... ミュージシャンの力量が如実に現れるカヴァーで一枚アルバムが作れる彼の胆力を感じてほしい。脱帽でっせ。
今年はこの一枚と共にあったと言っても過言ではない気がする。健やかなる時も病める時もこのアルバムを聴いていた。いや、今年は体調を崩して倒れることがなかった。健やかなこの一年、このアルバムを聴いていた。
・
・
・
中編に続く……
https://sekitoh.tumblr.com/post/639137607831470081/%E4%B8%AD%E7%B7%A8%E3%81%A7%E3%81%99%E8%A1%8C%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86-%E5%89%8D%E7%B7%A8%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%A1%E3%82%89-522-the-1975-notes-on
3 notes
·
View notes
Photo
一年前日記2(2020年1/8〜14)
1月8日
今日は大嵐だった。朝はやっぱり起きられなかった。お腹が空いて寝る前にお菓子を食べたのがよくなかったな。昼間もぼんやり眠くて、電車も乗り過ごしそうになった。夢をみた気もするしあまり寝られてなかったのかもしれない。今晩はキャベツと豚肉のごま塩鍋。北欧暮らしの道具店のスタッフさん考案の鍋。数年前のサイトの記事を読んでから気に入ってずっと作っている。この特集の鍋は全部作ったけど、どれも本当に美味しかった。水炊きもキムチ鍋もまた作ろう。鍋ってセンスのいる料理だ。全然簡単じゃないと思う。
1月9日
昨日ノートを書きながら1日の過ごし方について考えてみた。まずは寝る時間と食事と運動の時間を固定するのが目標。ここが生活の主役と決めたので時間も贅沢にとる。そのほかの時間は、とりあえず自由にすることにした。とは言ってもお風呂に入ったり掃除したりすることはたくさんあるので、昼間予定がある日の自由な時間は晩ご飯を食べてからお風呂に入るまでの1時間程度かなと思う。日記を書き出して数日。スマホを見る時間が激減した。この日記もスマホで入力してるというのに、2時間ぐらい減った。日記ってすごいのかもしれない。だが、朝はまだ起きられなかった。7時間睡眠で計画したけど冬はもうちょっと寝たいのかも。今年初めての鍼。関西なので松の内は15日なのかなと思いつつもこの時期の挨拶は迷ってしまう。先生の方から「今年初めてですよね」と声をかけてくれたので新年のご挨拶をした。気温が高くて少しのぼせてるような感じがしてたのがよくなった。お腹も動き出した感じ。頭に鍼を刺してるときに、顔がかゆくなって困って少しかいた。刺してから少し離れていた先生が戻ってきたとき、あれ?という感じだったような気もする。前にも後ろにもお客さんがいて忙しそうだった。服を買って帰る。注文していたブーツが届いたので、服も欲しくなって。少し春っぽい店内だったが、裏起毛の黒のパンツとオートミール色のセーターを買った。お昼ご飯は冷凍していたカレーに温泉卵をのっけて食べた。夜は、鶏つくね、小松菜おひたし、ネギとハムのスープ。つくねにはえのきとオートミールを混ぜると食べ応えがあって美味しかった。献立考えるのがしんどい時期はレタスクラブの献立カレンダーを活用していて今日もそうです。でも野菜は、あるものを使うので出来上がるものは少し違う。オートミール色と実際のオートミールも少し違う。私が思っている色はオートミール色ではないのかもしれないが。
1月10日
昨夜はなかなか寝付けなかった。晩御飯のあとにミルクティーを飲んだのがよくなかったかも。最近カフェインがすごくよく効くようになってきた。本を読んで、「寝たまんまヨガ」をしてやっと眠れた気がする。起きたら7時半でした。今日はいい天気。うっすら気持ち悪いのが続いている。朝ごはんはご飯とオートミールのお粥、豚肉と酢漬けの野菜を焼いたの。電車に遅れそうだったので走ったら、5分遅れてて何とか間に合った。電車に乗り遅れないコツは、一番走ってる人を見つけてその人を追いかけること。誰も走ってる人がいないときはヤバイ。ていうか、もう電車に遅れそうになって走っていい年齢じゃないとおもいながらもいつも走っている。今日は事務所の新年会。年末は忙しかったので忘年会もかねてのフレンチのランチ。和草が生えているような(実際に生えていた)演出がどのお皿にも施されていてお皿が春だった。近くの席のお洒落な老夫婦はご主人の誕生日のお祝いだったようで、「いい誕生日でした」と言っていた。いいないいな。歳を重ねて2人だけでお互いを幸せにできるって、すごく努力がいることだと思う。身体はしんどくなるし、頭も衰えていき、苦しめあってしまいそうなものだ。帰り道で通りがかった花屋さんにもいつの間にか春の花が並んでいた。月も綺麗。明日は土曜日だけど夜勤明けの夫が寝ているのでうるさくできない。全然気にしないものだと思って何年か過ごしていたのだけど、先月だったか急に怒られてしまった。というわけで、夜のうちに掃除機をかけたり洗濯機を回したりできることをしておく。心身ともに満たされたので家事も楽しい。
1月11日
3時すぎに目が覚めた。お灸したり蜂蜜ウコンをお湯で割ったのを飲んだりする(どうやら気もふさがっていたようなのでシナモンも入れた)。本を読んでたら再び眠くなり、その後はぐっすりと寝過ぎてしまった。ちょっと落ち込むがそんな日もあるよと言い聞かせる。目が覚めた頃、ちょうど満月だったみたい。月光浴すればよかったな。起きたらすぐにCDプレイヤーの電源を入れる。古いYAMAHAのをハードオフで夫が買ってきたのだが再生できるまでに1時間半ぐらいかかる。これを壊れてるとみなすかどうかは使う人次第。生きてるっぽくていいじゃんと最近は愛着がわいてきた。音はいいし。無事に再生できたので、自分もそろそろ動き出そう。聞いた音楽は安藤明子「ふゆにおてがみ」です。お昼ご飯は、昨日実家に寄ったときに母が持たせてくれたサバの煮物(温めなおすときに青菜を入れた)、切り干し煮、黒豆入り納豆。まだ夫は起きてこないので、ひとりでご飯を食べていると見知らぬ音楽が鳴り出して何何?となる。電話の呼び出し音をいつの間にか変えていたようです。時々こういういたずらっぽいことをする。夜ご飯は豚肉と大豆のトマト煮込みとかぼちゃサラダ。
1月12日
朝ごはん、ツナとキャベツのパスタ。パスタとキャベツに下味をつけて冷凍しているのをあたためてからツナを加えた。昼からポートアイランドで吟行の会。その前にギャラリー島田で震災のグループ展を見た。阪神大震災から今年で25年。地下では木下晋さんの展覧会をやっていた。味加味でロールキャベツの定食をがっつり食べ、ポートライナーに乗って市民広場駅へ移動。鼻息で窓をくもらせながら。これで一句作りたいなと思った。他のところでお会いしたことがある人も何人か。遠くから来られている人も多かった。ポートアイランドは人が少なくて、でもいる人は何だかみんな幸せそうでこの時代に駅前に公衆電話が3台もあって、いろいろと嘘っぽいなと思った。1時から3時半まで歩いたり止まったりしながら作句して、その後は句会のように、好きな句を選んで句について話をする。それまでの間に初めての人とも何かしら少しは話をしていたので、その印象と選ばれる句のギャップみたいなものもあるのが楽しい。俳句はまだ好きかどうかわからないが句会はとても楽しい。自分の句にも多くはないが点が入って嬉しかった。家に帰ると夫が句会のことをハイカイと言っていた。何回も間違うのでわざとだ。
1月13日
今日も夜中まで寝付けず、明け方からストンと眠くなるパターン。この時期はいつもこんな感じのような気がする。年末年始にはしゃぎ過ぎてしまうんだろうか。宅急便のトラックが停まる音で起きる。今日はテレビが届くんだった。朝は昨日お土産に買ってきたケルンのパンとオムレツ、かぼちゃ、コーヒー。届いたテレビを夫がセットしている間、私は空の段ボール箱に入って待っていた。カルロスゴーンとか言って。テレビを買い換える理由については教えてもらったがあまり理解できず。お昼は餅キャベツ餅。土井先生のレシピ。カレーとバター味が餅でまろやか。録画をためている外付けハードディスクはそのまま使えると思っていたが一度空になっちゃうらしく、1.全部見てから消して使う 2.見ずに消して使う 3.新しいのをもうひとつ買う 4.テレビを返品する の4つの選択肢がありますと言われたが、私は1だったのだが、結局3しか夫は嫌らしく(来週のガンダムを録るけどそれまでに録画を見切ることはできない)だったら選択肢いらないじゃないかと思った。夜ご飯は焼き塩鯖の鍋仕立て。キャベツとひらひらのにんじんとゆずも入れる。生姜もたっぷり。お正月の残りのチーズと焼いたハムも食べた。寒気がしたので薬を飲んで早めに寝る。寝る前しんどくてごろごろしてたら夫の機嫌が悪くなってちょっと喧嘩する。喧嘩した勢いで明日やろうと思ったてた家事を片付けた。何だようー。いつもやってるのにさ。
1月14日
昨日今日とぐっと空気が冷たい。これぞ冬という感じ。一度ぐらいは雪も見たいけどそんな気配はあまりない。夜中に一度目が覚めたけど、その前もその後もよく眠れた。「昨日はごめんね」「そんなそんなこちらこそ」と軽く仲直りした。少し胃腸を休めたかったので、朝ごはんは軽く。バナナ半分とお弁当のスープの残りを少し食べた。お弁当のスープはコンソメ味のお雑煮。具はカリフラワーとハム。まだまだ餅を食べる。仕事の帰りに実家による。両親が町内会の新年会の買い物の件でもめていた。母が同じ物を二つ買ってしまったとかなんとか。
4 notes
·
View notes
Text
田舎暮らしと車について
写真は私の所有する軽のワンボックス車。新車で購入してからかなりの年数が経ち型式は古くなってしまったが、走行距離はさほど多くない。長いこと出張族で自分のアパートにもなかなか帰ってこれなかったし、帰ってきたところでプライベートで車走らせて遠出する気にはならなかったからね。ただ何度か繰り返した引越では荷物運搬に活躍した。
幸い今住む場所は道も酷い悪路はないし、冬季も降雪や路面凍結とは無縁なので四駆やスノータイヤといった装備までは必要としない。とはいえ、自動車の所有には便利さと引き替えに多大な維持費が掛かる事に変わりはない。無収入の私にとっては公的保険料に次ぐ大きな負担である。
そもそも自分は車の運転が好きではないが、さらに近年の化石燃料高騰もあって、移住後は2~3週間毎の買い出し以外は極力乗らないようにしてきた。当然これは経費節減に繋がるものだと考えていたが、いやあ少し甘かった。皮肉なもので、自動車は乗らな過ぎても逆に痛むのだ。最近はプーリーに発生した錆が駆動ベルトを早期に劣化させ発電不良となることでバッテリーが上がり、車が突然止まってしまうというトラブルに何度か見舞われ、不用意な対応と支出に頭を抱えている。
まあそれでも部品を交換して乗れるうちはまだ良しとしなくてはなるまい。年齢を重ねていけばいずれ人間の方が身体劣化で運転不能となる。自動車のように部品交換で機能復活という訳にはいかない。技術が進み自動運転車あるいはそれに代わる他の安全な乗物が開発普及すればいいが、間に合わなければ山奥での田舎暮らしはそこで終焉を迎えることになるだろう(先に飽きたり逝くかもしれないけどね)。
#田舎#田舎暮らし#里山#自然#自給自足#自給農#移住#伊豆#下田市#乗物#自動車#運転#コスト#費用#countryside#rural life#nature#self sufficiency#agriculture#cultivation#farm#farming#gardening#car#automobile#drive#cost#izu#shimoda#japan
8 notes
·
View notes
Text
2022年12月23日
強烈クリスマス寒波 広島市中心部も積雪 混乱の1日(RCCニュース)
この冬一番の強烈な寒波が、県内を襲い、広島市など沿岸部でも雪が積もりました。23日朝から各地で取材した雪の状況です。
坂本可織 記者 「午前7時過ぎ、広島市中心部の八丁堀交差点に来ています。けさから降り続いている雪の影響で道路沿いの植え込みにはおよそ3センチほどの雪が積もっています」
朝の通勤・通学時間帯…
通勤する人 「朝起きて、窓を開けたら真っ白だったので、あわてて出ました。電車がゆっくりだと思うので、仕事に遅れたらいけないので…」
原爆ドーム
広島城
宮島(廿日市市)
広島市郊外では…。
山崎有貴 記者 「広島市中心部から車でおよそ20分のところです。とっても寒くて、一面、真っ白。雪国のようです」
通勤する人 「朝5時から歩いて、ここまで来たんですけど」
― 何キロくらい?
「10キロくらいですかね」
坂道を上がれない車も…。
山崎有貴 記者 「トラックのタイヤがスリップしてしまっています」
雪の中、チェーンを装着。そのとき…。
山崎有貴 記者 「融雪剤をタイヤのまわりにまいています。ああ、風がすごい。木から大量の雪が落ちてきました」
三次市では、住宅の軒先を雪かきする人の姿。
最北・庄原市では、「道の駅たかの」に除雪車。
8時41分ごろ 広島市南区的場町
11時38分ごろ 広島市南区的場町
大雪続く広島・北部の豪雪地帯(庄原市 高野)は 気象予報士リポート
大雪が続く広島・北部の豪雪地帯(庄原市 高野)から今(午後6時過ぎ)の様子を伝えてもらいます。
RCCウェザーセンター 乙藤亮平 気象予報士「現在も横殴りの雪が降り続いています。午後4時台に中継でお伝えしたところから移動しまして、道の駅たかの(庄原市)に来ています。1時間くらい前に到着したのですが、5分~10分おきくらいに強弱を繰り返しながら雪が降り続いています。(午後6時積雪 84センチ)どれも細かい粒の雪です。
特に午後6時を過ぎたあたりくらいから強めに雪が降っている感じです。突風のように一気に強く吹く風はないのですが、絶えず西寄りの冷たい風が吹き続けている印象です。
手元の気温計でもマイナス2~3℃くらいでして、一日、氷点下の真冬日になろうとしています。きのう22日より気温が3~4℃低くなっていますので、細かい雪、さらさらとパウダースノーのようになっている感じを受けます。時折り、強めの風が吹くだけで雪が舞い上がるような光景も見られます。
今夜、大雪のピークは過ぎつつありますが、あす24日にかけて強い冬型の気圧配置は続く見込みです。特に県北部の山沿いでは、断続的に雪が降って、一時的に強まるタイミングもありそうです。
引き続き、今夜、積雪が増えていくこともありますし、路面の凍結など交通障害にもまだまだ十分に警戒が必要となります」
youtube
山陽新幹線の指定席予約 この年末年始は前年より増加(NHKニュース)
ことしの年末年始に広島駅などを発着する山陽新幹線の指定席の予約状況は前の年と比べて13%増えています。
ただ、新型コロナの感染拡大前と比べると、7割ほどにとどまっています。
JR西日本は、12月28日から来年1月5日までの年末年始に、広島県の三原駅から山口県の新下関駅までの「広島エリア」を発着する山陽新幹線の指定席の予約状況を取りまとめました。
それによりますと、12月15日時点で▼指定席の予約状況は前の年と比べて13%増えていて、▼座席の予約率は39%となっています。
指定席の予約状況は回復傾向にありますが、新型コロナの感染拡大前と比べると、7割ほどにとどまっています。
また、年末年始の利用のピークは▼博多方面に向かう下りが今月29日、▼新大阪方面に向かう上りが来月3日と見込まれていてJR西日本は指定席を利用する場合は早めの予約を呼びかけています。
新規感染者が急増中 年末年始 医療現場で “ひっ迫” 危機感(RCCニュース)
学校も冬休みに入り、職場の多くもまもなく年末年始の休みです。そんな中で新型コロナの感染者数は、深刻な状態です。医療の現場では、年末年始にかけて「ひっ迫」への危機感が高まっています。
広島市にあるクリニックの発熱外来です。発熱やのどの痛みなどの症状で受診を予約した患者が相次いで訪れています。
医師が抗原検査の結果を確認すると…。
「(新型コロナ陽性と)出ている」
こうした状況が連日、続いています。
大橋内科医院 大橋信之 院長(広島市医師会 常任理事)「第7波のときもそうだが、(陽性率は)多いときは8割くらい。流行が強くなっているのをひしひしと感じるような数字」
患者を受け入れる現場の医療機関は、厳しさを増しています。各地の病院で院内クラスターが相次いで発生していて、現場のクリニックにもその影響が及んでいます。
大橋信之 院長 「病院内で新型コロナ陽性者が出てしまうこと、これはスタッフでも、入院している人でもあり得ると思うが、そういう中でどうしても病室の数を制限しないといけなくなってしまう。スタッフの数も制限せざる得なくなる。だから、救急で病院に搬送されても入院できないということが実際に起こっている」
実際にかかりつけの患者の救急搬送が、困難になったケースもあったといいます。
大橋信之 院長 「家で倒れている状況で、意識はあるが、おそらく脳血管障害だと思われるので、早急に救急搬送が必要な状態だが、それをお願いしたところ、そういう病院の今の受け入れ状況で、どうしても難しいということ」
さらに心配しているのは、この冬一番の寒波の到来で急激に冷え込みが厳しくなっていることです。
大橋信之 院長 「特にことしは急に寒くなって来ているので、いわゆる感染症でかぜをひく。コロナになる。それから発展して肺炎になる人も増える懸念があるし」
「脳の血管とか、心臓の血管の病気とか、どうしても増える時期なので、それが今の寒さですごく危惧される」
感染拡大が続くコロナの第8波。広島県は、このペースが続けば、年末には第7波のピークを超え、年明けにはコロナ病床が満床になるおそれがあるとしています。
では、コロナの入院患者を受け入れている病院の現状は―。
舟入市民病院 北原良洋 内科主任部長 「このパーティションの向こう側がコロナ病棟になる」
高熱などの軽症患者や肺炎などの中等症患者を受け入れている舟入市民病院。現時点でコロナ病床が20床ありますが、すでに8割から9割が埋まっている状態だといいます。
北原良洋 内科主任部長 「以前(第7波まで)は若い人が多かったので、ある程度、治療すれば、残りの期間は自宅に退院して療養することができたが、現在は80~90歳の高齢の人が多いので、なかなか退院できないのが現状」
病床のひっ迫が懸念される中、気になっているのが、インフルエンザの流行状況です。
北原良洋 内科主任部長 「インフルエンザの患者も少しずつだが、いるので、これが年末年始にかけて増えてくると、インフルエンザの患者もコロナの患者も同じように診療���ないといけないから、今以上に病床がひっ迫してくる可能性はあると思う」
さらに年末年始にかけ、懸念しているのが、救急医療への影響です。
舟入市民病院 北原良洋 内科主任部長 「現状では発熱があると、救急要請しても受け入れ先がなかなか見つからないということが多い。現に当院にも15件以上、断られて、『何とか受けてほしい』という要請があったことがある。今後も発熱患者の『救急搬送困難例』が増えてくることが非常に懸念される」
医療ひっ迫という事態が、目の前まで近づいています。
― 広島県は、年末年始を中心にした発熱患者などの診療・検査体制を21日に公表しました。それが、こちらの表で、発熱などの患者が診療や検査を受けられる医療機関をご覧の数ほど確保したとしています。
具体的な医療機関のリストは、県のホームページに26日から掲載されます。県では、受診前に必ず事前の電話予約をするよう呼びかけています。
【本日(12/23)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 県内で5114人感染確認9人死亡 23日発表(NHKニュース)
広島県では23日、新たに5114人が新型コロナウイルスに感染していることが確認され9人が亡くなったと発表されました。
感染が確認されたのは、▼広島市で2087人、▼福山市で1105人、▼呉市で343人、▼東広島市で326人、▼尾道市で281人、▼廿日市市で187人、▼三原市で131人、▼府中町で79人、▼府中市で71人、▼三次市で69人、▼庄原市で60人、▼海田町で51人、▼大竹市で44人、▼安芸高田市で42人、▼熊野町で38人、▼江田島市で36人、▼竹原市で35人、▼世羅町で34人、▼坂町と北広島町でそれぞれ27人、▼神石高原町で23人、▼安芸太田町で10人、▼大崎上島町で8人のあわせて5114人です。
感染確認は、1週間前の金曜日より802人多くなっていて、1日の発表が5000人を超えるのは4日連続です。
一方、福山市は今月20日に発表した1人について取り下げました。これで県内での感染確認は、のべ62万人8020人となりました。
また、県内で患者9人が亡くなったと発表されました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後死亡した人は983人となりました。
新型コロナ医療体制 病床使用率は61.2% 22日時点(NHKニュース)
22日の時点で病床の使用率は61.2%です。(確保病床数806床、入院患者493人)
このうち重症患者用の病床使用率は16.0%です。(確保重症病床50床、重症の入院患者8人)
軽症の人や症状がない人が入る宿泊療養施設は1228室を確保し、350人が過ごしています。(利用率28.5%)
直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は1154.96人です。
現在、広島県の感染レベルは、1から4の4段階のうち発熱外来を受診する患者が増えるなど、保健医療の体制への負荷が高まり始めていることを示す「レベル2」です。
【新型コロナ 厚労省まとめ】315人死亡 17万3336人感染 (23日)(NHKニュース)
厚生労働省によりますと、23日に発表した国内の新たな感染者は、空港の検疫などを含め17万3336人となっています。また国内で亡くなった人は315人で、累計5万4680人となっています。
東京都 新型コロナ 22人死亡 1万7332人感染 18日連続前週比増(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 19人死亡 1万537人感染確認(NHKニュース)大阪府内の感染者の累計は246万5352人となりました。府内で感染して亡くなった人は合わせて6995人となっています。
コロナ死者、最多371人 感染者は17万4079人(共同通信)
国内で23日、新たに371人の新型コロナウイルス感染症の死者が報告され、1日当たりで過去最多となった。流行「第8波」で感染者数が膨らむのに伴い、死者数も増えている。これまでは第7波だった9月2日の347人が最多だった。一方、今年の累計死者数は3万6600人余りとなり、平均で1日100人以上が亡くなったことになる。
23日の感染者は17万4079人が確認された。前週の同じ曜日より約2万人多い。
都道府県別の死者は神奈川28人、北海道25人、東京24人など。福井と鹿児島を除く全ての都道府県で報告があった。
インフルエンザ 6都県で「流行期入り」 コロナ感染拡大以降初(NHKニュース)
新型コロナウイルスとの同時流行���懸念されているインフルエンザについて、全国の医療機関から今月18日までに1週間に報告された患者の数は全国で2592人でした。
全国では流行期入りの水準を下回っていますが、この冬は岩手県や東京都など6の都県で新型コロナの感染拡大が始まって以降、初めてその水準を上回っていて、専門家は注意を呼びかけています。
厚生労働省によりますと、今月18日までの1週間に全国およそ5000か所の医療機関から報告されたインフルエンザの患者数は、前の週より1354人多い2592人でした。
インフルエンザは、1医療機関当たりの1週間の患者数が全国で1人を超えると「全国的な流行期」入りとされていますが、現時点では0.53人と下回っています。
患者は45の都道府県で報告され、1医療機関当たりの患者数は▽岩手県が2.84人▽富山県が1.33人▽青森県が1.25人▽熊本県が1.14人▽東京都が1.12人▽神奈川県が1.05人とこの冬は、新型コロナの感染拡大がおととしに始まって以降、初めて「1」を超えていて、それぞれの都県は「流行期に入った」と発表しています。
感染症に詳しい東邦大学の舘田一博教授は「来週以降『流行期入り』となる地域がさらに増えるとみられ、全国的な流行につながるリスクが高まり、懸念されていたコロナとの同時流行も現実的になってきている」と話しています。
新型コロナ 新規感染者数の1週間平均 増加傾向もペース下がる(NHKニュース)
新型コロナウイルスの新規感染者数を1週間平均で比較すると、全国では1.12倍と増加傾向が続いていますが、感染者数が増えたすべての地域で増加のペースは前の週よりも下がっています。
NHKは、厚生労働省が発表した感染者数をもとに、1週間平均での新規感染者数の傾向について前の週と比較してまとめました。
全国 全国では▽先月24日までの1週間では前の週に比べて1.08倍▽今月1日は1.27倍と7週連続で増加が続いたあと▽今月8日は1.00倍とほぼ横ばいとなりました。
その後 ▽今月15日は1.26倍と再び増加に転じ▽22日まででは1.12倍となっています。
一日当たりの全国の平均の新規感染者数は、先週よりおよそ1万7000人多い15万6000人余りで、37の都府県で前の週より多くなりましたが、増加のペースは感染者数が増えたすべての地域で下がっています。
感染が遅れて拡大した九州などでは増加の幅が比較的大きく、鹿児島県で1.52倍、福岡県で1.36倍、熊本県で1.35倍などとなっています。
また、鳥取県と島根県、岩手県では、一日当たりの平均の新規感染者数が過去最多となっています。
佐賀県 人口当たりの感染者数が最も多いのは佐賀県で▽今月8日までの1週間は前の週の1.09倍▽今月15日は1.66倍▽22日まででは1.22倍と8週連続で増加しています。
一日当たりの新規感染者数はおよそ1610人で、人口10万当たりの感染者数は1389.26人となっています。
1都3県
【東京都】 ▽今月8日までの1週間は前の週の1.01倍▽今月15日は1.22倍▽22日まででは1.11倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ1万6487人となっています。
【神奈川県】 ▽今月8日までの1週間は前の週の1.02倍▽今月15日は1.23倍▽22日まででは1.10倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ9862人となっています。
【埼玉県】 ▽今月8日までの1週間は前の週の1.07倍▽今月15日は1.22倍▽22日まででは1.09倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ8512人となっています。
【千葉県】 ▽今月8日までの1週間は前の週の1.02倍▽今月15日は1.29倍▽22日まででは1.10倍で一日当たりの新規感染者数は7255人となっています。
関西
【大阪府】 ▽今月8日までの1週間は前の週の1.08倍▽今月15日は1.36倍▽22日まででは1.18倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ9247人となっています。
【京都府】 ▽今月8日までの1週間は前の週の1.09倍▽今月15日は1.34倍▽22日まででは1.10倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ2642人となっています。
【兵庫県】 ▽今月8日までの1週間は前の週の1.17倍▽今月15日は1.40倍▽22日まででは1.19倍で一日当たりの新規感染者数は5950人となっています。
東海
【愛知県】 ▽今月8日までの1週間は前の週の0.94倍▽今月15日は1.24倍▽22日まででは1.15倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ9866人となっています。
【岐阜県】 ▽今月8日までの1週間は前の週の0.97倍▽今月15日は1.26倍▽22日まででは1.12倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ3135人となっています。
【三重県】 ▽今月8日までの1週間は前の週の1.09倍▽今月15日は1.33倍▽22日まででは1.27倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ2580人となっています。
その他の地域
【北海道】 ▽今月8日までの1週間は前の週の0.79倍▽今月15日は0.89倍▽22日までは0.89倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ5046人となっています。
【宮城県】 ▽今月8日までの1週間は前の週の0.93倍▽今月15日は1.10倍▽22日まででは0.92倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ3345人となっています。
【広島県】 ▽今月8日までの1週間は前の週の1.08倍▽今月15日は1.30倍▽22日まででは1.15倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ4543人となっています。
【福岡県】 ▽今月8日までの1週間は前の週の1.16倍▽今月15日は1.62倍▽22日まででは1.36倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ7858人となっています。
【沖縄県】 ▽今月8日までの1週間は前の週の1.15倍▽今月15日は1.15倍▽22日まででは1.08倍で一日当たりの新規感染者数はおよそ724人となっています。
東邦大 舘田教授「年末年始 さらに医療体制が厳しくなる」
新型コロナウイルス対策に当たる政府の分科会メンバーで、東邦大学の舘田一博教授は、現在の感染状況について「感染者の増加ペースはやや緩やかになっているが、中国・四国や九州などでは増加が大きくなっている。行動制限がないなかで年末年始の時期を迎え、クリスマス、忘年会、帰省、新年会と接触機会が増えることなどで、感染が急増に転じないか注意が必要だ」と指摘しました。
また、亡くなる人の数の報告が全国で一日に300人を超えていることについて「まだ第8波の入り口の段階で、ことし夏の第7波のピークに近づきつつあり、これから感染が拡大し亡くなる人がさらに増える事態を懸念している。年末年始は、ただでさえ通常の疾患の患者が増え、医療体制が弱くなる時期で、事故によるけがや、心疾患などの病気の人に対応できなくなる事態もありうる。さらに3年ぶりに季節性インフルエンザの『流行期入り』となる地域が増えてきており、今後も広がっていくことが見込まれる。インフルエンザとコロナの同時流行が起これば、さらに医療体制が厳しくなる」と述べ、懸念を示しました。
そのうえで、舘田教授は「感染状況は日に日に厳しくなり、医療ひっ迫が近づく今の状況について、もう一度考えてもらう必要がある。忘年会や新年会はあまり大人数にならず、換気ができるところで短時間で楽しむことや、帰省する際はなるべくワクチンを打ち、自分の体調を事前にしっかりチェックするなど基本的な対策を一人一人に続けてもらうことが重要だ」と述べました。
岐阜県 感染拡大続き 全国初 対策レベル3に引き上げ
岐阜県は、新型コロナの感染拡大が続き、医療体制がひっ迫しているとして23日に政府の新たな方針に基づく対策のレベルを、4段階のうち2から3に引き上げました。
県によりますと「第8波」に備えた新たな対応方針に基づき、レベルを3に引き上げたのは全国で初めてだということです。
岐阜県は23日、新型コロナの対策本部会議を開き県の担当者が、病床使用率が50%前後で推移し、一般病棟や救急医療を制限している医療機関が19あるほか、救急搬送の困難事案も今月だけで60件に上り、受け入れまでに1時間以上かかるケースも出るなど、医療体制がひっ迫していると説明しました。
そして、助かる命が助からない状況になりかねないとして、政府の新たな方針に基づく対策のレベルを、4段階のうち、2に当たる「感染拡大期」から、3の「医療負荷増大期」に引き上げるとともに、22日から来月22日までの1���月間、「岐阜県医療ひっ迫防止対策強化宣言」を発出することを決めました。
県によりますと「第8波」に備えた新たな対応方針に基づいてレベルを3に引き上げ、対策強化宣言を発出するのは全国で初めてだということです。
岐阜県は人の移動が増える年末年始を中心に対策を強化することにしていて、初詣などで混雑した場所への外出を控えるとともに、新年会などでの長時間の飲食を避け、大人数の会食や大規模なイベントへの参加は見合わせることも含めて、慎重に検討するよう要請するということです。
岐阜県の古田知事は、対策本部会議のあとの記者会見で「他県と比較して岐阜県の感染状況が突出しているから真っ先に手をあげたのではない。レベル3の水準に照らして宣言が必要ではないかと考え、実態とやるべき対策とをわれわれのルールに照らして判断した」と述べました。
そのうえで「残念ながら感染の勢いが止まらず、むしろ人流が盛んになる年末年始に向けてさらに拡大している。本来なら受けられるべき救急搬送が滞ってしまい、身近な医療にも問題が生じている。それぞれの立場で全力で警戒し、徹底した感染防止対策をお願いしたい」と呼びかけました。
0 notes
Text
【パトリック・バーン】 2021/2/4 23:55 JST
https://www.deepcapture.com/2021/02/how-djt-lost-the-white-house-chapter-4-the-christmas-doldrums-december-23-noon-january-6/
ディープキャプチャー DJTはいかにしてホワイトハウスを失ったか 第4章:クリスマスのドルドラム(12月23日~1月6日正午 私はそれから数日間、DCに滞在した。フリンとシドニーは数日間、それぞれの世界に旅立ったが、マイクが旅立つ前に私たちは会話をした。この機会に、マイク・フリンについて少しお話したいと思います。私は現場で働いていた人たちからフリンが何をしていたかは知っていました。
※以下、4章の和訳。マール・ア・ラーゴ。激励会。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - DJTはいかにしてホワイトハウスを失ったか、第4章:クリスマス・ドルドラム (12月23日~1月6日正午)
2021年2月4日 14分読む
私はそれから数日間、DCに滞在した。フリンとシドニーは数日間でそれぞれの世界へと旅立っていったが、マイクが去る前に我々は会話をした。この機会にマイク・フリンについて少しお話したいと思う。
現場で働いていた人から、フリンが沼の敵になるべく何をしたのかは知っていた。彼がイラクに到着したとき、空襲で得た物資は袋に束ねられ、「搾取」および分析のためバージニア州へ出荷され、また1、2ヶ月後に有益な情報が最前線の部隊へ戻された。フリンは起業家のように世界を見ており、プロセスを再設計することに着手した。搾取と解析をイラク内に基づいて行うことで、ループは18時間に短縮された。次の夜に人々が襲撃に出かけるときは前回の夜の働きから得た洞察を理解した状態だった。
最終的にループはとてもきつくなり、夕方とある場所での襲撃が、夜通しの調査によって、資料が作られ、夜明け時にまだ進行中の襲撃について報告するようになったのだ。私が知っていて信頼を置く、現場の人々が言うにはフリンという男には賞賛者もいれば、反感を持つ者もいた。反感を持つのは主に昔の少年のようなアプローチに慣れている人たちが中心で、彼が物事を揺さぶり、諜報機関の快適なやり方に現代的なアイデアを持ち込んでいることに不満を持っていたのだ。キャリアが進むにつれ、フリンのエスタブリッシュメントに対する分裂は伝説的なものとなったが、私の経験では、私が知っている明るくて元気で使命感のある連邦職員と思われる男女はフリンのことをよく褒めていたし、中道派はフリンを嫌っているように見えた。
しかし、マイク・フリンと一緒にいることで、彼のことを初めて知った。例えば、61歳のマイクは生涯民主党員として登録されていたが、アイリッシュ・カトリック系の、ボストン南部の北プロビデンスのジャック・ケネディ的な(現代の左翼的な「憲法をズタズタにしてしまおう!」というタイプではない)人物だった。彼は憲法に造詣が深く、私が知っている中では(私以外にも)数少ない、会話の中でフェデラリスト・ペーパーズを番号で引用する人物の一人である。アメリカの現代戦争について議論するとき、彼はチョムスキアンのような口調で、アフガニスタンとイラクでの戦争は15年前に終わるべきだったが、戦争を支援する企業に何千億、何兆ドルもの資金が流れ込み、その資金の流れから利益を得ている企業はとても太っていて、多くのロビイストを雇っていて、戦争を継続させるためにDCで戦っている、と話した。我々は冗談を言い合った、戦争はただの、「もう一つのワシントンがDCを、アイスクリームコーンが自分を舐めるようなのもの」だねと。
言い換えれば、『捕獲』。時々、私と同じように、全く異なる背景を持ちながらも、国家としての問題の根底にある争点を認識するようになった人に会う。その問題とは、強力なエリートたちが、政府の意思決定のサイクルを捉え、自分たちの私的な目的の方に変えてきたということだ。異なる経歴、異なる人生経験を持ちつつも、この国の何が間違っているのかという同じ根本的な分析に辿り着いた事実が、私の新しい相棒が正しい男であることを示してくれた。
「将軍、一体ここで何をしているんですか?」というような会話を何度も何度もした。
クリスマスは一人でDCにいたが、トランプの軌道の誰かから電話がかかってきた。電話の相手が言うには、フロリダに降りて、マール・ア・ラーゴの近くのどこかに行くべきで、それからトランプ氏ともう一度、10分程度の短い会談ができるように手配されているという。私はその時点までに、トランプ氏は健全な人々の話を聞いておらず、ある意味では大局を見落としていると完全に確信していたので、その招待状を受けて、DCからフロリダのマール・ア・ラーゴから数マイル離れたホテルへと向かった。私はチェックインし、連絡を待った。
ほどなく、実際にどれほど緊密な関係にあるのかは知らないが、トランプ氏と公に関係している有名な人物から電話がかかってきた。その電話に出ていたのは彼の同僚で、彼らは私に「マール・ア・ラーゴに行って、『アイリーン』(罪のない人を守るために別名にする)を呼んでくれ」と言っていた。アイリーンの苗字を聞いたら 「アイリーンを呼んで来い」と言われ、アイリーンの役職を聞いたら「アイリーンと言ってくれ」と言われた。「出来るだけ早くマール・ア・ラーゴに行って、アイリーンを呼んでくれ」。私は、そのようなやり方で仕事をするのは本当に嫌だ、行く前にもっと知りたいと答えた。するとまたしても断固として「マール・ア・ラーゴに行ってゲートに行ってアイリーンを呼んでくれ」との返事が返ってきた。「準備はできている」とのこと。不安を抱きながらも、自分の最高のヨガウェア(他のものはクリーニングに出していた)に身を包み、マール・ア・ラーゴに向けて出発した。Uberに電話してみると、乗っていたのは数年前の古ぼけてボロボロのトヨタカローラだった。
マール・ア・ラーゴの門に到着した私は、カローラを道へ送り出した。シークレットサービスの警備員に近づき、アイリーンに会いに来たと言うと、連邦捜査官はみな信じられないような顔をした。「アイリーンって誰?」彼らは尋ねた。「知らない」続けて「アイリーンに会いに行くように言われただけだ」「私は大統領と短い会議をする事になって」「呼ばれてここに来て」「アイリーンを呼んでくれと言われた」と答えた。「アイリーンって誰だ?」 と言われた。またしても私は知らないと答えるしか無かった。シークレットサービスの捜査官のせいではなく、彼らの混乱と義務感のせいで、会話はそこから急降下した。私はこの状況を助けられなかったのかもしないが、捜査官の一人が軽い中国訛りの女性であることに気付き、状況を落ち着かせてラポールを確立しようと、彼女と北京語でラップを始めた。かなりの時間話したが、他の捜査官の緊張感は増すばかりだった。その頃から、私は、この状況を打開して逃げ出し、電話で解決するのが最善の方法ではないかと考え始めもしたが、エージェントたちは許してくれなかった。
やがて、監督するエージェントがやってきた。彼は、一度会っただけで、相手にする人間ではないとすぐにわかるような人物だった。彼はまだきちんとしていたが、かなりの攻撃性を持っていた。「��う一度始めよう。我々はあなたの話を知りたい。あなたは誰で、ここで何をしているのですか?」
何から話せばいいのか分からず、私はこのように始めた。「20年前、オーバーストック・ドットコムという会社を始めました。私の名前は…」彼は「そうだ、君はパトリック・バーンだね」と笑いながら中断した。突然、私は、トヨタのカローラ、私のヨガの服、中国の....、を手に入れた。免許証を見せて、今度は全てが一致した。そして、フリンとシドニーと私の活動が注目されていることにも気がついた。それまでは自分たちがやっていることがどれだけ注目されているのかよくわかっていなかったが、ちゃんと意味をなしていたのだ。
いずれにしても、シークレットサービスのエージェントは親切になったので、私に頷き、何人かは私が敷地外に出て橋を渡り、別のUberに乗ることを許可してくれ、「��なたのしていることに感謝します」と言ってくれた。
私はさらに数日間、状況が改善されるのを待っていた。一度もなかった。しかし、その間、私はマール・ア・ラーゴの群衆の周辺にいたし、何百もの共和党のプー・バーの家族が休日のために集まって、周辺のホテルのほとんどを占拠していた。共和党の大物とその権力者たちの周辺で泳いでいるうちに、すべてのことの本質を感じることができた。そこには、イベントだけでなく、アイデアについても深い会話を交わすことができる、素晴らしい若者や知識人が何人かいた。私と同年代か少し上の女性で、フォーチュン50社の元役員で、定年退職した人がいたが、その人はとても強くて、有能で、知的だった。そして、私が見た限りでは、他の人たちは無法者だった。ピカピカの車に乗っている人、うるさくて不愉快な人、自己中心的な人、好事家、気取り屋、詐欺師、詐欺師、プラスチック・ファンタスティックの妻や夫やドイリーの子供たちは、自分たちが奪われたと感じるどんな話題においても公然とワインを飲んでいた。炎上していても小便したくなるような人間はほとんどいない。私が見なかったのは、信者、ビジョンを持っている人たち.... あるいは計画を持っている人もいなかった。
大晦日の前日、ジョージアの男から電話があった。フルトン郡(アトランタのある郡)では、郡の選挙活動が「イングリッシュ・ストリートの倉庫」と呼ばれる場所で行われていることはすでに知っていた。アンティファの女が500ドルで倉庫に潜入して写真を撮り、白紙の投票用紙を押収した。これらの投票用紙は、法医学的に検査された。私は、元旦に働いてくれる連邦政府認定の法医学文書検査官(この分野の古株)を2人手配して、大晦日にジョージア州に行った。
ジョージア州では、この取り組みに関わった何人かの人の家に泊まった。私が初めてジョバン・ピューリッツァー氏に会ったのはその時だ(私のサイバー仲間とジョバン氏の間には数週間前から連絡があったようだが)。また、マイクロソフトの上級セキュリティ専門家も同席していた。ジョージア州サバナでの集計作業で状況を把握していた人物だ。この人物によって、集計機には無線カードが入っていること、壁にはスマートサーモスタットがあり、そのサーモスタットは投票機に無線で接続されていたことが判明した。さらに調査すると、チャイナテレコムの誰かがインターネットを経由してスマートサーモスタットに接続し、投票機に接続していることが確認された。サイバーセキュリティの専門家は、選挙マシンの衝撃的な脆弱性、10年から15年前のOSソフトウェアで動作する傾向、そして一般的には技術がいかにスイス・チーズであるかについて、残りの時間を費やし語ってくれた。我々は真夜中まで脆弱性のカタログを作成していた。
元旦の午前3時にフリン将軍からメールが来た。彼はまだ仕事をしていた。彼はソーシャルメディアに公開された写真を送ってきた。マール・ア・ラーゴでは、ルディと側近たちが新年に沸き立っていた。ルディ、ドン・ジュニア、キンバリー・ギルフォイルがシャンパンを飲んだり、踊ったり、1999年のようにパーティーをしている写真がソーシャル・メディアを駆け巡っていた。またしてもフリンと私は呆れたような沈黙の瞬間を共有した。
元日は、連邦政府公認の法医学文書検査官の研究室にいた。彼の同僚が夜通し車を走らせそこまで運んでくれたのだ。検査官らは静かでプロフェッショナルだったので、私は彼らに仕事を任せた。1時間後、報告によると、投票用紙のうち2枚はある印刷所で印刷され、もう1枚は別の印刷所で別の用紙、別のインク、別の印刷方法で印刷されていた。郡が2つの異なる印刷所に投票用紙を注文した可能性は非常に低く、これは少なくとも1つの投票用紙が偽造であることを示していた。
ジョージアの男はアトランタの倉庫を監視していた。望遠レンズを持った奴らが撮影していた。許可を得て、発見したものに短い説明をつけてツイッターにあげた。数時間後、レンタルされたエンタープライズ社の引越しバンが倉庫に到着し、投票用紙のパレットがバンに移された。
次の日、隣の郡のシュレッダー会社は、裁断するので取りに来てほしいとの依頼の電話を受けた。呼んだトラックは、約3,000ポンドの投票用紙でいっぱいになった。支払いは「ドミニオン投票」からの人物によるカード払いだったと確認されている。裁断用トラックは走り去った。どういうメカニズムかは説明しないが、その裁断用トラックは妨害されて、作業が中断され、最終的に1万ポンドの裁断物が地元警察署の床に捨てられた、そうだから、証拠の連鎖があるのだろう。裁断物の約3,000ポンドは投票用紙だった(残り7,000ポンドは先客からのもの)。ドミニオン投票の従業員が注文した裁断方法は、通常の裁断(物を長い短冊状にする)ではなく、特別な方法(物を紙吹雪にする)でもなかった。それは、超超軍事級で採られている、投票用紙を裁断した後に砕いてドロドロにする方法だった。
アトランタのDHS(※国土安全保障省)の捜査官が到着し、指揮を執った。裁断された投票用紙の中には、完全に裁断されていないものもあった。実際、数枚はゴミ箱の壁にくっついていて丸ごと残っていた。さらに、私が聞いた話では、投票用紙箱の外面に残った領収書と出荷ラベルも発見された。これらの領収書と出荷ラベルは、中国南部にある中国の印刷屋から送られてきたものだった。DHSの捜査官がこれらをすべて入手したという(そして、その特定の仲介人は、中国の問題に精通していると聞く)。
その瞬間を「T=0」と呼ぶ。アトランタからの継続的な報告をもとに、次の2日間の展開をご紹介する。
・T + 6時間。ルディ・ジュリアーニが、何が起きているのか知らされる。 ・T + 9時間。マーク・メドウズが、何が起きているのか知らされる。 ・T + 18時間。FBIが引き継ぎのために現場に到着する。DHSは抵抗。 ・T + 24時間。問題のDHS捜査官から政治的な圧力を受けていることに非常に不快感を抱いている、というメッセージを受け取る。私の理解が正しければ、マーク・メドウズ本人(ホワイトハウス参謀長)から電話があり、調査を手を引くように言われたという。私がただの傍観者としてそのメッセージを受け取っていたのか、それともDHSの仲介者が、私がそれについて何かできるかもしれないという誤った希望(例えば、大統領に知らせる)を抱き、意図的にそのメッセージを寄越したのかどうかは、はっきりとはわからない。 ・T + 36時間。FBIが作戦の主導権を握る。FBIはシュレッダー会社を呼び戻し、1万ポンドを引き渡し、裁断を完了させ、その後、通常業務を続けるよう指示をした。すなわち、裁断された素材は、水と酸を混ぜて、溶け、再編成されてしまった。リサイクルペーパーとして。
上で話したような物語の様々な側面は写真やフィルムに記録されている。
その間、私はDCに戻っていた。私はまだトランプ氏ともう10分でも話をしようとしていた。もし、1月6日に負けるのを待ってから我々のプランを試しても、それは負け惜しみにしかならない、と繰り返し言っておきたかった。しかし、まだ数日の猶予が残っていて、もし彼が引き金を引くなら、問題のある6つの郡についての回答を得られるだろう。我々が1月6日前にそれを完了すれば、上院は情報に基づいた選択をしてくれるかもしれないし、1週間猶予を与えてくれるかもしれない等々……
ここで重要なサブストーリーを一つ挿入しておく。当時、ちょうど大統領に近しい様々な人たちと一緒に泳ぎ回っていた頃、トランプ氏の側近に非常に近しい人物からあることを聞かされた。それは、メラニアは政府高官から、もしトランプがもう一期務めるならJFKのようになるだろう、と通告されているのだと。シークレットサービスの誰かが「我々は守りきれないだろう」という意味で警告したのかもしれない。脅迫の中には、もう一人の家族も含まれていたそうだ。シークレットサービス自体がそんなことを言うとは信じがたいが、私にとってその情報源は、他の点は汚れのないものだったし、メラニアにこのようなことを言ったのが誰であれ(おそらくシークレットサービスか、おそらく他の誰か)、そのような主張を真面目に受け止めてもらえる人物だったのだ。メラニアはドナル���に対し、戦わないように、そしてシンプルに負けを認め家族と一緒にワシントンから出て行くようにと懇願していた。
フリンと私は再びDCで一緒になり、1月6日が近づいてくるのを、イライラした鷹のように見守っていた。私は何度かインタビューを受けたことがあるし、少数の演説でも次のように主張してきた「私たちは暴力を振るわないし、その点他の奴らよりも優れている。もし暴力をふるえば負けだ。」と。あまりにわかりきったことだと思っていた。
私は集会を企画する「ウーマン・フォー・トランプ」から、1月6日の朝、南芝生での講演に招待されていると知った。私は要点を2つに絞って話に備えた。第一に、被治者の同意する我々のシステムがいかに、自由で、公正で、透明性のある選挙に依存しているのか、ということ(11月の選挙はそうではなかった)。第二に、我々は暴力をふるわない、ということだ。(※追加注:『被治者の同意(consent of the governed)』とは、公権力・国家権力を行使する政府の正統性や道義性は、その権力が行使される対象である人民ないし社会によって同意される場合にのみ、正当化かつ合法化される、とういう政治的概念。)
非暴力についての要点を考えるにあたり、私はどちらの方法をとるか迷っていた。
・ジェリー・ガルシアとグレイトフル・デッドから非暴力に関する話をする(ディープ・キャプチャーにも書いたことがある:『ジェリー・ガルシアの対峙と「主立ったクソ野郎」について』)
・モルドバについての話をする。数年前に行ったことがあるのだが、バーテンが2009年の選挙の話をしてくれた。選挙の不正が原因で親プーチンの男が当選したが、人々はそれを知っていて抗議の声を上げていた。プーチンは、首都キシナウに何百人もの男たちを派遣していたが、彼らにはある任務があった。プーチンの男たちは、抗議が起こるたびに、抗議を暴力的なものにすることを目的として抗議に潜入し、政府の建物の前で抗議をするだけでなく、抗議をしたり、窓を割ったり、占拠したりしていたのだ。モルドバの人々はとても賢いのでプーチンの策略を知っていた。プーチンは、双方が、モルドバの中産階級という観客のために演じており、抗議者を挑発して実際に政府の建物を襲撃させることができれば、中産階級をうんざりさせ、大衆の支持を失うことになることを理解していた。モルドバの人々は、自分たちを律し、自分たちがそのような道に導かれることを拒み続けてきた...そして最終的には、政府は屈し、新たに公正な選挙が行われ、プーチンの取り巻きが大敗した。その話も書いた:『全米の民兵へのメッセージ、チンピラ左翼と工作員について[ランジェリーではない]』
ホワイトハウスの芝生の上で、どちらの話を使うか迷った。5日になって、私は群衆はジェリー・ガルシアが誰だか知らないかもしれないと判断したので、その話をオンラインで書き上げ、DCに到着した群衆に数回ツイートし、1月6日の朝、演説に使うと決めたモルドバの話について簡潔に説明するリハーサルをした。
マイク・フリンも講演すると知らされていたので、マイクと私は、お互いに何を言おうとしているのか、群衆は何を聞く必要があるのか話し合った。この機会がユニークで歴史的なものだと認識していたのだ。おそらく30分で、選挙を混乱させ、結果を変えてしまった可能性の高い不正行為を世界に向けて説明しなければならないだろう。我々はその挑戦に応えるために準備をした。サイバー忍者や科学者など、一緒に仕事をしていた彼らもまた、簡潔に説明できるよう備えていることは理解していたが、その中から誰がスピーチをするかは主催者側が決めることになっていた。
マイク・フリンと私は、1月6日の朝はこのような流れになると考えていた。演説は、ホワイトハウスの南芝生で行われる。マイク・フリンは「人々の将軍」として、この瞬間を歴史的な文脈に置いて話をする。私は、自由、公正、透明性のある選挙の基本的な意義について、それからモルドバの話をする。その後、2-3 人のサイバー忍者や科学者に交代し、それぞれが 5-10 分間ずつ話し、市民の良心を悩ませるべき不正の最も明らかな点を説明する。私は経験から、彼らのうちの一人が5分から10分も話せば、良識ある人は2020年11月の選挙について重大な疑念を持ち始めだすと知っていたが、3人が話し終えた後、世界中の視聴者の80%は2020年の選挙結果がなぜ無視されるべきなのかを理解するだろうと思った。
その日の夕方、私が話すと予想していた科学者の一人から電話がかかってきた。彼は、自分の講演枠がキャンセルされたと知ったので、DCには行かないということを知らせたかったのだそうだ。その科学者は非常に物腰が柔らかく、教授のような人で、心を開いて話を聞いてくれる人には説得力があると思っていたため、私は戸惑った。11月3日の週に起こったことに深く懐疑的であるべきだと、何百万人もの視聴者を説得するために、彼よりも良い仕事ができる誰かを見つけたのだろうかと考えた。
1月6日の朝、フリンと私と他十数人でホワイトハウスの南側に歩いて行った。 特別な手配がないことに驚かされつつ、人ごみの中を必死で駆け抜けた。我々二人はスピーカーバッジを渡され、前方の特別席に着席して....その後、自分たちの講演がキャンセルされたことを知った。我々は控えめに言って途方に暮れ、我々と同じように状況をなんとか説明できる誰かがいるのだろうかと驚いていた…
ショーが始まり、すぐにフリンと私は絶望のあまり席に沈んでしまった。トランプの子供の一人が立ち上がり、ガールフレンド、あるいはボーイフレンドに「ハッピーバースデー」を歌った。ルディが立ち上がって、ジョー・フレージャーが投票したことについて、また話をした。別の弁護士が立ち上がって話した。ドン・ジュニアが立ち上がり、胸を膨らませてステージを闊歩し、共和党のブランドがトランプのブランドになったとか、トランプのブランドが共和党のブランドになったとか、ブランディングの話をしていた。その頃、フリンと私は目が合うと、互いに恐怖の表情を見て取った。後で判明するに、どちらも、この場を離れたいのかどうか尋ねており、互いに誤解したようだ。(※フリンの様子が?ステージが?)あまりにもひどかったので、主催者の中で分別のある人が心変わりし、フリン将軍にステージに立つかどうかを聞きに来たのだが、辞退した。悪ふざけが1時間以上続いた後、トランプ氏が登場し、選挙イベントや激励会と同じように話した。実際、全体は多かれ少なかれ、「私は権利を奪われた」を推す会だった。群衆に向けて、1時間後に投票を始める上院議員たちに向けて、自宅で視聴するアメリカ人に向けて、自由で公正で透明性のある選挙の先導者としてのアメリカに期待を寄せる世界に向けて。2020年11月の選挙で何が間違っているのか、そしてなぜ我々は徹底した調査を要する深刻な不正があったと信じているのか理由について、説明しようとする努力は全くなされなかった。大した努力は一切ない。
代わりに、激励会を行った。それだけ。「私は奪われた」トランプ激励会。
前列から離れることができた瞬間、私とフリン、そして私と一緒にいた全員が、出口に向かってダッシュした。感想を話し合ったとき、フリンは怒りを抑えるのがやっとの様子だった。これが全世界に状況を説明する最後のチャンスだったのに、トランプは激励会に利用したのだ。「彼はそれを理解していないだけだ」と、我々はホテルに向かって群衆の中を嵐のように駆け抜けながら、お互いに繰り返した。「彼は自分事ではないのだとわかっていない。彼はクソ激励会をした。彼は自分のことではないと理解していないんだ」と怒りと絶望の中で何度も何度も繰り返した。15分後、ホテルに戻ると、二人とも荷物をまとめ、二人とも胃が痛くなり、議事堂に向かい移動する群衆に合流しようと出発することはなかった。
※やたー訳したー。げそー。他の章はまだ途中。 ※1/6あのトランプの演説を見て、私もなんでこんなダラダラ同じような話ばかりするのか?あきれて割と絶望していたので、このバーン氏の記事を読んで、ほんと胸のすく思いがした。似た思いをした人がいたのか…ウルウル。いやバーン氏らの方がショック深刻だったろうし、いずれにせよ現在進行形でいい結末ではないけれど。あー面白かった。ノンフィクションは続きます。いつか選挙不正の証拠の数々がきちんと白日の下にさらされますように。そして本になりますように。
0 notes
Text
12150006
軽快なメロディが音割れしていることにきっと全員気付いているはずなのに、誰も指摘しないまま、彼は毎日狂ったようにそれを吐き出し続けている。
時刻は朝の8時過ぎ。何に強制されたでもなく、大人しく2列に並ぶ現代の奴隷たち。いや、奴隷ども。資本主義に脳髄の奥まで犯されて、やりがいという名のザーメンで素晴らしき労働という子を孕まされた、意志を持たない哀れな生き物。何も食べていないのに胃が痛い。吐きそうだ、と、50円のミネラルウォーターを一口含んで、押し付けがましい潤いを乾く喉に押し込んだ。
10両目、4番目の扉の右側。
俺がいつも7:30に起きて、そこから10分、8チャンネルのニュースを見て、10分でシャワー、10分で歯磨きとドライヤー、8:04に自宅を出て、8:16に駅に到着。8:20発の無機質な箱に乗る、その最終的な立ち位置。扉の右側の一番前。黄色い線の内側でいい子でお待ちする俺は、今日もぼうっと、メトロが顔を覗かせるホームの端の暗闇を見つめていた。
昨日は名古屋で人が飛び込んだらしい。俺はそのニュースを、職場で開いたYahoo!のトップページで見かけた。群がる野次馬が身近で起きた遠い悲劇に涎を垂らして、リアルタイムで状況を伝える。
『リーマンが飛び込んだ』
『ブルーシートで見えないけど叫び声聞こえた』
『やばい目の前で飛び込んだ、血見えた』
『ハイ1限遅れた最悪なんだけど』
なんと楽しそうなこと。まるで世紀の事件に立ち会った勇敢なジャーナリスト気取り。実際は目の前で人が死ぬっていう非現実に興奮してる変態性欲の持ち主の癖に。全員死ね。お前らが死ね。そう思いながら俺は、肉片になった男のことを思っていた。
電車に飛び込んで仕舞えば、生存の可能性は著しく低くなる。それが通過列車や、新幹線なら運が"悪く"ない限り、確実に死ぬ。悲惨な形を伴って。肉片がおよそ2〜5キロ圏内にまで吹き飛ぶこともあるらしい。当然、運転手には多大なトラウマを植え付け、鉄道職員は線路内の肉片を掻き集め、乗客は己の目の前で、もしくは己の足の下で、人の肉がミンチになる様を体感する。誰も幸せにならない自殺、とは皮肉めいていてよく表現された言葉だとつくづく思う。当人は、幸せなのだろうか。
あの轟音に、身体を傾け頭から突っ込む時、彼らは何を思うのだろう。走馬灯とやらが頭を駆け巡るのか、やはり動物の本能として恐怖が湧き上がるのか、それとも、解放される幸せでいっぱいなのか。幸福感を呼び起こす快楽物質が脳に溢れる様を夢想して、俺は絶頂にも近い快感を奥歯を噛み締めて堪えた。率直に浮かんだ「羨ましい」はきっと、俺が人として生きていたい限り絶対漏らしてはいけない、しかし限りなく本音に近い、5歳児のような素直な気持ち。
時刻は8:19。スマホの中でバカがネットニュースにしたり顔でコメントを飛ばして、それに応戦する暇な人間たち。わーわーわーわーうるせえな、くだらねえことでテメェの自尊心育ててないで働けゴミが。
時刻は8:20。腑抜けたチャイムの音。気怠そうな駅員のアナウンス。誰に罰されるわけでもないのに、俺の足はいつも黄色い線の内側に収まったまま、暗がりから顔を覗かせる鉄の箱を待ち侘びている。
俺は俯いて、視界に入った己のつま先にグッと力を込めた。��意識にするこの行為は、死への恐怖か。馬鹿らしい。いつだって、この箱の前に飛び込むことが何よりも幸せに近いと知っているはずなのに。
気が付けば山積みの仕事から逃げるように、帰りの電車に乗っていた。時刻は0:34。車内のアナウンス。この時間でこの場所、ということは終電だろう。二つ離れた椅子に座ったサラリーマンがだらりと頭を下げ、ビニール袋に向けて嘔吐している。饐えた臭いが漂ってきて貰いそうになるが、もう動く気力もない。死ね。クソ野郎が。そう心の中でぼやきながら、俺はただ音楽の音量を上げて外界を遮断する。耳が割れそうなその電子音は、一周回って心地いい。
周りから俺へ向けられる目は冷たく、会社に俺の居場所はない。同期、後輩はどんどん活躍し、華々しい功績を挙げて出世していく。無能な俺はただただ単純で煩雑な事務作業をし続けて、それすらも上手く回せない。ああ、今日はただエクセルの表作���と、資料整理、倉庫の整理に、古いシュレッダーに詰まった紙の掃除。それで金を貰う俺は、社会の寄生虫か?ただ生きるために何かにへばりついて必要な栄養素を啜る、なんて笑える。人が減った。顔を上げると降りる駅に着いていた。慌てて降りる俺を、乗ろうとしていた騒がしい酔っ払いの集団が睨んで、邪魔そうに避けた。何だその顔は。飲み歩いて遊んでた人間が、働いてた俺より偉いって言うのか。クソ。死ね。死んでくれ。社会が良くなるために、酸素の消費をやめてくれ。
コンビニで買うメニューすら、冒険するのをやめたのはいつからだろう。チンすれば食べられる簡単な温かい食事。あぁ、俺は今日も無意識に、これを買った。無意識に、生きることをやめられない。人のサガか、動物としての本能か、しかし本能をコントロールしてこその高等生物である人間が、本能のままに生きている時点で、矛盾しているのではないか。何故人は生きる?生きるとは?NHKは延々とどこか異国の映像を流し続けている。国民へ向けて現実逃避を推奨する国営放送、と思うと笑えてきて、俺は箸を止め、腹を抱えてしこたま笑った。あー、死のう。
そういえば、昔、俺がまだクソガキだった頃、「完全自殺マニュアル」なる代物の存在を知った。当然、本を変える金なんて持ってなかった俺は親の目を盗んで、図書館でそれを取り寄せ借りた。司書の本を渡す際の訝しむ顔がどうにも愉快で、俺は本を抱えてスキップしながら帰ったことを覚えている。
首吊り、失血死、服毒死、凍死、焼死、餓死...発売当時センセーショナルを巻き起こしたその自称「問題作」は、死にたいと思う人間に、いつでも死ねるからとりあえず保険として持っとけ、と言いたいがために書かれたような、そんな本だった。淡々と書かれた致死量、死ぬまでの時間、死に様、遺体の変化。俺は狂ったようにそれを読み、そして、己が死ぬ姿を夢想した。
農薬は消化器官が爛れ、即死することも出来ない為酷く苦しんで死ぬ地獄のような死に方。硫化水素で死んだ死体は緑に染まる。首吊りは体内に残った排泄物が全て流れ出て、舌や目玉が飛び出る。失血死には根気が必要で、手首をちょっと切ったくらいでは死ねない。市販の薬では致死量が多く未遂に終わることが多いが、バルビツール酸系睡眠薬など、医師から処方されるものであれば死に至ることも可能。など。
当然、俺が手に取った時には情報がかなり古くなっていて、バルビツール酸系の薬は大抵が発売禁止になっていたし、農薬で死ぬ人間など殆どいなくなっていたが、その情報は幼かった俺に、「死」を意識させるには十分な教材だった。道徳の授業よりも宗教の思想よりも、何よりも。
親戚が死んだ姿を見た時も、祖父がボケた姿を見た時も、同じ人間とは思えなかった俺はきっとどこか欠けてるんだろう。親戚の焼けた骨に、棺桶に入れていたメロンの緑色が張り付いていて、美味しそうだ。と思ったことを不意に思い出して、吹き出しそうになった。俺はいつからイカれてたんだ。
ずっと、後悔していたことがあった。
小学生の頃、精神を病んだ母親が山のように積まれた薬を並べながら、時折楽しそうに父親と電話をしていた。
その父親は、俺が物心ついた、4、5歳の頃に外に女を作って出て行った、DVアル中野郎だった。酒を飲んでは事あるごとに家にあるものを投げ、壊し、料理の入った皿を叩き割り、俺の玩具で母親の顔を殴打した。暗い部屋の中、料理が床に散乱する匂いと、やめてと懇願する母親の細い声と、人が人を殴る骨の鈍い音が、今も脳裏によぎることがある。あぁ、懐かしいな。プレゼントをやる、なんて言われて、酔っ払って帰ってきた父親に、使用済みのコンドームを投げられたこともあったっけ。「お前の弟か妹になり損ねた奴らだよ。」って笑ってたの、今思い返してもいいセンスだと思う。顔に張り付いた青臭いソレの感触、今でも覚えてる。
電話中は決まって俺は外に出され、狭いベランダから、母親の、俺には決して見せない嬉しそうな顔を見てた。母親から女になる母親を見ながら、カーテンのない剥き出しの部屋の明かりに集まる無数の羽虫が口に入らないように手で口を覆って、手足にまとわりつくそれらを地面のコンクリートになすりつけていた。あぁ、そうだ、違う、夏場だけカーテンをわざと開けてたんだ。集まった虫が翌朝死んでベランダを埋め尽くすところが好きで、それを俺に掃除させるのが好きな母親だった。記憶の改変は恐ろしい。
ある日、俺は電話の終わった母親に呼ばれた。隣へ座った俺に正座の母親はニコニコと嬉しそうに笑って、「お父さんが、帰ってきていいって言ってるの。三人で、幸せな家庭を作りましょう!貴方がいいって言ってくれるなら、お父さんのところに帰りましょう。」と言った。そう。言った。
俺は、父親が消えてからバランスが崩れて壊れかけた母親の、少女のように無垢なその笑顔が忘れられない。
「幸せな家庭」、家族、テレビで見るような、ドラマの中にあるような、犬を飼い、春には重箱のお弁当を持って花見に行き、夏には中庭に出したビニールプールで水遊びをし、夜には公園で花火をし、秋にはリンゴ狩り、栗拾い、焼き芋をして、落ち葉のベッドにダイブし、冬には雪の中を走り回って遊ぶ、俺はそんな無邪気な子供に焦がれていた。
脳内を数多の理想像が駆け巡って、俺は、母の手を掴み、「帰ろう。帰りたい。パパと一緒に暮らしたい。」そう言って、泣く母の萎びた頬と、唇にキスをした。
とち狂っていたとしか思えない。そもそも帰る、と言う表現が間違っている。思い描く理想だって、叶えられるはずがない。でもその時の馬鹿で愚鈍でイカれた俺は、母の見る視線の先に桃源郷があると信じて疑わなかったし、母と父に愛され、憧れていた家族ごっこが出来ることばかり考えて幸せに満ちていた。愚かで、どうしようもなく、可哀想な生き物だった。そして、二人きりで生きてきた数年間を糧に、母親が、俺を一番に愛し続けると信じていた。
母は、俺が最初で最後に信じた、人間だった。
父親の家は荒れ果てていた。酒に酔った父親が出迎え、母の髪を掴んで家の中に引き摺り込んだ瞬間、俺がただ都合の良い夢を見ていただけだと言うことに漸く、気が付いた。何もかも、遅過ぎた。
仕事も何もかも捨てほぼ無一文で父親の元へ戻った母親が顔を腫らしたまま引越し荷物の荷解きをする姿を見ながら、俺は積み上げた積み木が崩れるように、砂浜の城が波に攫われるように、壊れていく己の何かを感じていた。母は嬉しそうに、腫れた顔の写真を毎度俺に撮らせた。まるでそれが、今まで親にも、俺にも、誰にも与えられなかった唯一無二の愛だと言わんばかりに、母は携帯のレンズを覗き、画面越しに俺に蕩けた目線を送った。
人間は、学習する生き物である。それは人間だけでなく、猿や犬、猫であっても、多少の事は学習できるが、その伸び代に関しては人間が群を抜いている。母親は次第に父親に媚び、家政婦以下の存在に成り下がることによって己の居場所を守った。社会の全てにヘイトを募らせた父親も、そんな便利な道具の機嫌を損ねないよう、いや、違うな、目を覚まさせないように、最低限人間扱いをするようになった。
まあ当然の末路と言えるだろうな。共同戦線を組んだ彼らの矛先は俺に向いた。俺は保てていた人間としての地位を失い、犬に、家畜に成り下がった。名前を呼ばれることは無くなり、代わりについた俺の呼び名は「ゴキブリ」になった。家畜、どころか害虫か。産み落とした以上、世話をするほかないというのが人間の可哀想なところだ。
思い出したくもないのにその記憶を時折呼び起こす俺の出来の悪い脳を何度引き摺り出してやろうかと思ったか分からない。かの夢野久作が書いた「ドグラマグラ」に登場する狂った青年アンポンタン・ポカン氏の如く、脳髄を掴み出し、地面に叩きつけてやりたいと思ったことは数知れない。
父親に奉仕する母は獣のような雄叫びをあげて悦び、俺は夜な夜なその声に起こされた。媚びた、艶やかな、酷く情欲を煽るメスの声。俺は幾度となく吐き、性の全てを嫌悪した。子供じみた理由だと、今なら思う。何度、眠る父親の頭を金属バットで叩き割ろうと思ったか分からない。俺は本を読み漁り、飛び散る脳髄の色と、母の絶望と、断末魔を想像した。そう、この場において、いや、この世界において、俺の味方は誰もいなかった。
いつの間にかテレビ放送は休止されたらしい。画面端の表示は午前2時58分。当然か。騒がしかったテレビの中では、カラーバーがぬるぬると動きながら、耳障りな「ピー」という無慈悲な機械音を垂れ流している。テレビの心停止。は、まるでセンスがねえな死ね俺。
ずっと、後悔していた。誰にも言えず、その後悔すらまともに見ようとはしなかったが、今になって、思う。何度も、あの日の選択を後悔した。
あの日、俺がもし、Yesと言わなかったら。あの日の俺はただ、母親がそう言えば喜ぶと思って、幸せそうな母親の笑顔を壊したくなくて、...いや、違う。あれは、幸せそうな母親の笑顔じゃない、幸せそうな、メスの笑顔だ。それに気付けていたら。
叩かれても蹴られても、死んだフリを何度されても自殺未遂を繰り返されても、見知らぬ土地で置き去りにされても、俺はただ、母親に一番、愛されていたかった。父親がいない空間が永遠に続けばいい、そう今なら思えたのに、あの頃の俺は。
母親は結局、一人で生きていけない女だった。それだけだ。父親が、そして父親の持つ金が欲しかった。それだけだ。なんと醜い、それでいてなんと正しい、人間の姿だろう。俺は毎日、父親を崇めるよう強制された。頭を下げ、全てに礼を言い、「俺の身分ではこんなもの食べられない。貴方のおかげで食事が出来ている」と言ってから、部屋で一人飯を食った。誕生日、クリスマス、事あるごとに媚びさせられ、欲しくもないプレゼントを分け与えられた。そうしなきゃ殴られ蹴られ、罵倒される。穏便に全てを済ませるために、俺は心を捨てた。可哀想な生き物が、自己顕示欲を満たしたくて喚いている。そう思い続けた。
勉強も運動も何も出来なかった。努力する、と言う才能が元から欠けていた、可愛げのない子供だったと自負している俺が、ヒステリーを起こした母親に、「何か一つでもアンタが頑張ったことはないの!?」と激昂されて、震える声で「逆上がり、」と答えたことがあった。何度やっても出来なくて、悔しくて、冬の冷たい鉄棒を握って、豆が出来ても必死に一人で頑張った。結局、1、2回練習で成功しただけで、体育のテストでは出来ずに、クラスメイトに笑われた。体育の成績は1だった。母親は鼻で笑って、「そんなの頑張ったうちに入らないわ。だからアンタは何やっても無理、ダメなのよ。」とビールを煽って、俺の背後で賑やかな音を立てるテレビを見てケタケタと笑った。それ以降、目線が合うことはなかった。
気分が悪い。なぜ今日はこんなにも、過去を回顧しているんだろう。回り出した脳が止められない。不愉快だ。酷く。それでも今日は頑なに、過去を振り返らせたいらしい脳は、目の前の食べかけのコンビニ飯の輪郭をぼやけさせる。
俺が就職した時も、二人は何も言わなかった。ただただ俺は、父親の手口を真似て、母親の心を取り戻そうと、ありとあらゆるブランド物を買って与えた。高いものを与え、食わせ、いい気分にさせた。そうすれば喜ぶことを俺は知っていたから。この目で幾度となく見てきたから。二人で暮らしていた頃の赤貧さを心底憎んでいた母親を見ていたから。
俺は無邪気にもなった。あの頃の、学校の帰りにカマキリを捕まえて遊んだような、近所の犬に給食のコッペパンをあげて戯れていたような、そんな純粋無垢な無邪気さで、子供に戻った。もう右も左も分からない馬鹿なガキじゃない。今の俺で、あの頃をやり直そう。やり直せる。そう思った。
「そんなわけ、ねぇよなぁ。」
時刻は午前4時を回り、止まっていたテレビの心拍が再び脈動を始めた。残飯をビニール袋に入れて、眩しい光源を鬱陶しそうに睨んだ。画面の中では眠気と気怠さを見せないキリリとした顔の女子アナが深刻そうな顔で、巷で流行する感染症についての最新情報を垂れ流している。
結論から言えば、やり直せなかった。あの女の一番は、俺より金を稼いで、俺より肉体も精神も満たせる、あの男から変わることはなかった。理解がし難かった。何度殴られても生きる価値がない死ねと罵られても、それが愛なのか。
神がいるなら問いたい。それは愛なのか。愛とはもっと美しく、汚せない、崇高なものじゃないのか。神は言う。笑わせるな、お前だって分かっていないから、ひたすら媚びて愛を買おうとしたんだろう。ああ、そうだ。俺にはそれしかわからなかった。人がどうすれば喜ぶのか、人をどうすれば愛せるのか、歩み寄り、分り合い、感情をぶつけ合い、絆を作れるのか。人が人たるメカニズムが分からない。
言葉を尽くし、時間を尽くしても、本当の愛の前でそれらは塵と化すのを分かっていた。考えて、かんがえて、突き詰めて、俺は、自分が今人間として生きて、歩いて、食事をして、息をしている実感がまるで無い不思議な生き物になった。誰のせいでもない、最初からそうだっただけだ。
あなたは私の誇りよ、と言った女がいた。そいつは俺が幼い頃、俺じゃなく、俺の従兄弟を出来がいい、可愛い、と可愛がった老婆だった。なんでこんなこと、不意に思い出した?あぁ、そうだ、誕生日に見知らぬ番号からメッセージが来てて、それがあの老婆だと気付いたからだ。気持ちが悪い。俺が人に愛される才能がないように、俺も人を愛する才能がない。
風呂の水には雑菌がうんたらかんたら。学歴を盾に人を威圧するお偉いさんが講釈を垂れているこの番組は、朝4時半から始まる4チャンネルの情報番組。くだらない。クソどうでもいい。好みのぬるめのお湯に目の下あたりまで浸かった俺は、生きている証を確かめるように息を吐いた。ぼご、ぶくぶく、飛び散る乳白色が目に入って痛い。口から出た空気。無意識に鼻から吸う空気。呼吸。あぁ、あれだけ自分の傷抉って自慰しておいて、まだ生きようとしてんのか、この身体。どうしようもねえな。
どうせあと2時間と少ししか眠れない。髪を乾かすのも早々に、俺が唯一守られる場所、布団の中へと潜り込んで、無機質な部屋の白い天井を見上げた。
そういえば、首吊りって吊られなくても死ぬことが出来るんだっけ。そう。今日の朝だって思ったはずだ。黄色い線の外側、1メートル未満のその先に死がある。手を伸ばせばいつでも届く。ハサミもカッターも、ガラスも屋上もガスも、見渡せば俺たちは死に囲まれて、誘惑に飲まれないように、生きているのかもしれない。いや、でも、いつだって全てに勝つのは何だ?恐怖か?確かに突っ込んでくるメトロは怖い。首にヒヤリとかかった縄も怖い。蛙みたく腹の膨れた女をトラックに轢かせて平らにしたいとも思うし、会話の出来ない人間は全員聾唖になって豚の餌にでもなればいいとも思う。苛立ち?分からない。何を感じ、生きるのか。
ああ、そういえば。
父親の頭をミンチの如く叩きのめしてやろうと思って金属バットを手に取った時、そんなくだらないことのためにこれから生きるのかと思うと馬鹿らしくなって、代わりに部屋のガラスを叩き割ってやめた。楽にしてやろうと母親を刺した時、こんなことのために俺は人生を捨てるのか、と我に返って、二度目に振り上げた手は静かに降ろした。
あの時の爽快感を、忘れたことはない。
あぁ、そうか、分かった。
死が隣を歩いていても、俺がそっち側に行かずに生きてる理由。そうだ。自由だ。ご飯が美味しいことを、夜が怖くないことを、寒い思いをせず眠れることを、他人に、人間に脅かされずに存在できることを、俺はこの一人の箱庭を手に入れてから、初めて知った。
誰かがいれば必ず、その誰かに沿った人間を作り上げた。喜ばせ、幸せにさせ、夢中にさせ、一番を欲した。満たされないと知りながら。それもそうだ。一番も、愛も、そんなものはこの世界には存在しない。ようやく分かった俺は、人間界の全てから解き放たれて、自由になった。爽快感。頭皮の毛穴がぞわぞわと爽やかになる感覚。今なら誰にだって何にだって、優しくなれる気がした。
そうか、俺はいつの間にか、人間として生きるのが、上手くなったんだ。異世界から来てごっこ遊びをしている気分だ。死は俺をそうさせてくれた。へらへらと、楽しく自由にゆらゆらふわふわ、人と人の合間を歩いてただ虚に生きて、蟠りは全部、言葉にして吐き出した。
遮光カーテンの隙間から薄明るい光が差す部屋の中、開いたスマホに並んだ無数の言葉の羅列。俺が紡いだ、物語たち。俺の、味方たち。みんなどこか、違うようで俺に似てる。皆合理的で、酷く不器用で、正しくて、可哀想で、幸せだ。皆正しく救われて終わる物語のみを書き続ける俺は、己をハッピーエンド作者だと声高に叫んで憚らない。
「俺、なんで生きてるんだっけ。」
そんなクソみたいな呟きを残して、目を閉じた。スマホはそばの机に放り投げて、目を閉じて、祈るのは明日の朝目が覚めずにそのまま冷たくなる、最上の夢。
0 notes
Photo
nv350 スライドドアステップ 道具落下防止 縞板カバー製作 短いアングルがズレ止めで付いてたんですが、道具が多くなり雪崩が… 縞板の曲げをやるついでにササっと製作。 続いて20年近くある小松30tプレス 切り欠きの型が切れないので入れ���え 一度も交換してないので20年ぶりの交換でしょうか😅 これで薄板もちゃんと切れるようになりました。 t6、t4.5などの鉄ばっかり切るのに使ってて薄板はまた型を別のものを使ってました。 @lamer.welding さんにもらったステッカーは工場とトラックとトレーラーに貼らせてもらいました✌️ 地元のよく買い物に行くほかのスーパーにも弊社アルコールディスペンサーが設置されていました🔥 一般のお客様にも販売していますのでお気軽にお問い合わせ下さい。 #有限会社川﨑製作所#三鷹市#精密板金#アルミ縞板曲げ#アルミ縞板#アルミ輸入縞板#小松プレス#プレス#切り欠き加工 #刃交換#タケダ#カーゴトレーラー#nv350#silverado#stackexhaust#caravan#スライドドアステップ#スライドドアステップカバー#カーゴトレーラー#トレーラー#lamerwelding#町工場#製作所#cargotrailer (野川公園) https://www.instagram.com/p/CIQMUe7gRQF/?igshid=kydvi4b3k7fd
#有限会社川﨑製作所#三鷹市#精密板金#アルミ縞板曲げ#アルミ縞板#アルミ輸入縞板#小松プレス#プレス#切り欠き加工#刃交換#タケダ#カーゴトレーラー#nv350#silverado#stackexhaust#caravan#スライドドアステップ#スライドドアステップカバー#トレーラー#lamerwelding#町工場#製作所#cargotrailer
0 notes