#軍閥の野望
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ドキュメント小説 軍閥の野望 笠原良三 ポイント・ブックス カバー・イラスト=小泉澄夫
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我が国の未来を見通す(73)
『強靭な国家』を造る(10)
歴史から学ぶ「知恵」の適用(その5)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
ウクライナが反攻作戦を展開中の6月24日、ロシ
アで「プリコジンの反乱」が発生しました。民間軍
事会社「ワグネル」司令官のプリンコジンは、かね
てから国防省批判などを繰り返していましたので、
ロシアが“一枚板”でないことはわかっていました。
思い余った結果の決断だったものと推測しますが、
一時はモスクワに向かって進軍したものの、ベラル
ーシのルカシェンコ大統領の説得を受けて、プリコ
ジン氏は進軍を停止させ、ベラルーシに出国して反
乱はひとまず一件落着となりました。まだまだ先行
き不透明ですが、本事件は、今後、様々な形に発展
する可能性もあることでしょう。
そこで、まず不思議に思うことは、ロシアには「な
ぜこのような民間軍事会社が存在しているか?」で
す。現在、“雇い兵組織”はロシアの法律では認め
られていないようですが、このような民間軍事会社
は37あり、ウクライナ戦争には25の軍事会社が
参加しているといわれます。大統領に近いオリガル
ヒ(新興財閥)やショイグ国防相までも民間軍事会
社を立ち上げているようです。国防相が“私兵”を
持っているのですから驚きです。
日本では信じられないですが、これらの民間軍事会
社は何らかの形で国防省や治安機関FSBなど府側
と関わりを持っており、ワグネルに対しては、1年
間で860億ルーブル(約1400億年)もの資金
提供があったことをプーチン大統領が認めたように、
戦車や大砲まで所有しています。
このような民間軍事会社が活動している背景は3つ
あると言われています。まずは、兵員の補充の問題
です。不足する兵員を補充するために「国家総動員
令」を��すと国民の動揺や反発を恐れる政府側が、
その代わりに民間軍事会社を戦地に送り込むのです。
彼らはロシアの平均給与の数倍で雇われていますが、
“使い捨て”です。仮に多数の死傷者が発生したと
しても政府の責任は問われないのです。
第2には、クレムリン内の権力・利権争いです。今
回は、プリコジンがジョイグ国防相やゲラシモフ参
謀総長などの主流派を対立し、権力争いに野心を示
したことが、プーチン大統領の「裏切者」発言につ
ながっています。今回、ワグネル排除に動き出した
のも、プーチンの盟友が率いる国営企業ガスプロム
の“官製”民間軍事会社だと言われています。
そして第3には、プーチン体制が崩壊する時に備え
て、力ある政治家やオリガルヒたちが私兵部隊を整
え、自らの身の安全を確保するとともに、権力や利
権を奪取しようと目論んでいるというものです。
このような背景をよく知らず、日本の“常識”だけ
で、今回の反乱を分析すると様々なことを見落とす
でしょう。ワグネルがモスクワに向かって前進して
いる時、多くの市民が彼らを歓迎していた映像が映
し出されていました。もちろん、プーチン大統領や
政府首脳もそれらの映像を観たことでしょう。
そこから先は、ルカシェンコ大統領の出番でしたが、
まず“沈静化”を最優先したのでしょう。説得が成
功するや、プリコジンとワグネル兵士を“別扱いす
る”深夜の政治声明も発せられました。
今回の「プリコジンの反乱」がウクライナ戦争にい
かなる影響を及ぼすか、について現時点における安
易な予測は禁物ですが、歴史をたどれば、日露戦争
時、明石大佐などが暗躍し、やがてロシア革命に至
るロシア帝国内の動揺(1905年)、第1次世界
大戦時の「ロシア革命」(1917年)、それに冷
戦崩壊後のエリツイン元大統領らによる「モスクワ
騒乱事件」(1993年)など、戦時下などで時の
政府の混乱に乗じて体制が大きく変わるという歴史
を有しているのがロシアであることは間違いないで
しょう。
「歴史は繰り返す」のか、そのような事態を熟知し、
最も警戒しているプーチン大統領は、反乱が拡大す
ることを恐れ、眉間にしわを寄せたまま、2度の政
治声明を国民に向けて発出したのでした。
ここから先は推測ですが、無事にベラルーシに入国
したプリコジンを、KGB残党のプーチン大統領が
そのまま見逃すはずがないとみるべきで��ょう。プ
リコジンが生き延びるためには、再びプーチン大統
領に忠誠を誓い、それを証明しなければならないと
考えますが、そのチャンスがあるかどうか不明です。
一枚板ではないロシアの中に、いつか再び「プリコ
ジンに続け!」との“流れ”が拡大する事態もない
わけではないでしょう。そうなれば、ロシア国内の
“内部崩壊”事態が急展開して、ウクライナ戦争の
行く末に決定的な影響を及ぼす可能性は残っている
と考えます。
後々、ウクライナ戦争を振り返る時に、このたびの
反乱がどのような地位と役割を果たしたことになる
か、についても現時点は不明でしょう。私自身は、
何としても政権にしがみつき、本戦争の目的を達成
したいとするプーチン大統領が“さらなる強硬手段
に訴える”可能性がまた一段上がったことを最も懸
念しています。
▼「健全な国民精神の涵養」の必要性
本題に戻しましょう。歴史から学ぶ4つの「知恵」
の4番目は、「健全な国民精神の涵養」です。書籍
でも紹介していますが、イギリスの歴史家トーマス
・カーライルの名言として「この国民にしてこの政
府あり」とあるように、いかなる国であっても、政
府は、国民精神の “縮図”と考える必要があります。
書籍の中で私自身は、健全な国民精神とは、愛国心、
誇り、道徳、文化、歴史などを含む日本の「心」と
表現していますが、一般的な意味での国民精神は、
「民意」と表現される場合が多く、国民の自覚とか
教養とか主義思想とか、あるいは国民のレベルなど
を総称しているものと考えます。
諸外国には、この「民意」などが入る余地がない国
もありますが、特に、国民が「主権者」である民主
主義国家は、制度の違いこそあれ、国民が自分たち
の代表として政治家や政府を選び、国民の負託を受
けた政治家が法律を作り、政府が政治(行政)を行
なうというシステムですから、少なくとも大多数の
国民の精神は即、政治に反映されます。
ただそのような見方だけでは不十分との考え方もあ
るでしょう。もう少し広い意味で、あるいは長い歴
史の中で、国民精神が基軸となって、国家の伝統や
国柄など「国の統治制度」にまで反映されてきてい
ると考える必要があります。
天安門事件をきっかけに中国と縁を切って日本に帰
化した石平氏は次のように述懐しています。「世界
の現実が『国家の興亡』、つまり栄えては滅びると
いう繰り返えしを行う中で、1系の王朝が3千年近
くも続いている国は、最も国家運営に成功��てきた
国に他ならない。世界史の中で最も成功した国が日
本である」(『新しい日本人論』〔加瀬英明、ケン
ト・ギルバート、石平共著〕より)。
その上で、「『民主主義は、戦後にマッカーサーが
日本にもたらした』と大それた虚言を弄する者がい
る。とんでもない。日本の民主主義は、高天原の神
々が『天降って』もたらしたものである」(原文の
まま)として、その源流は、日本の神話は「八百万
(やおよろず)」神が共生する世界であり、ものご
とを進めるにあたり、数えきれない神々が「神議り
(かむばかり)」といって、議論をして意思決定を
することにあると解説します。
余談ですが、この「神議り」は、現在は、毎年10
月、出雲地方に全国の神々が集まって人生諸般のこ
とが議論されるという神話になっています(それゆ
えに、旧暦月で10月は「神無月」ですが、出雲地
方では「神在月」と呼称されています)。
そして、このような我が国の建国以来の伝統が、
「神武創業」に立ち返ることを目指した明治維新の
『五か条のご誓文』中で「万機公論に決すべし」と
して復活したのでした。わずか150年ほど前の出
来事ですが、多くの日本人の頭に中に残っていない
ことでしょう。このような「事実」について、帰化
人である石平氏に指摘されることは、改めて恥じ入
るばかりなのです。
石氏は、その根本精神は「平等感」にあるとして、
「栄華を極め、世界の富を集めたような王朝もその
不平等のゆえに滅びの道に至った。搾取される側が、
搾取した者を打倒しようとするからである」と補足
し、「日本の天皇は、蓄財や贅沢をしたことがなく、
常に民衆のことを思って、出来る限りの質素を望ま
れた。だから天皇を打倒しようとする機運はついぞ
国の中からは起こらなかった」と続きます。
このくらいにしておきますが、私たち日本人は、長
い間、このような我が国の伝統や国柄を国民の総和、
つまり「民意」として(少なくとも戦前までは)受
け入れてきたのでした。
さて、現在はどうでしょう。シリーズ「我が国の歴
史を振り返る」の最後の方で紹介したのですが、あ
る時、インターネットで日本人の“現状”を揶揄っ
ている次のような言葉を見つけ、私自身は「あなが
ち間違っていないだけに笑えない」と感じつつ、
「“戦後の日本人はなぜこうなってしまったのだろ
うか”としばらく考え込んでしまった」と補足した
フレーズがあります。
���(1)政局と選挙しか考えない政治家、(2)保身と省
益しか考えない官僚、(3)儲けることしか考えない経
済人、(4)視聴率と特ダネしか考えないマスコミ、
(5)目立つことしか考えない言論人、(6)権利のみ主
張し、義務を果たさない国民、(7)3メートル以内し
か関心がない若者」です。
石氏の主張するような精神が、多くの日本人の根底
に残っていると信じてはいますが、日本人の普段の
「行動原理」として、ここで揶揄されているような
特性を無視することはできないとも考えます。
最近、出生率0.81の韓国について、その原因は
「子供の数が少なければ少ないほど、高い消費水準
と外見的にモダンな生活水準により早く達成できた」
「短期間で先進国のモデルに追いつこうとすれば代
償は避けられない。強いられる近代化の加速が文化
的なひずみを生み、そのひずみの一つが出生率の低
下だ」(『ドット人類史入門』〔エマニエル・ドッ
ト、片山杜秀、佐藤勝共著〕より)とする分析を目
にしました。
しかし、このような“現実”はけっして韓国だけで
はなく、我が国もさほど差がないのでは、考えてい
たところ、本書の中で、ドットは「日本は、『直系
家族社会』がまだ残っているから韓国とは違う」と
の解説していました(細部は省略します)。
ただ、“3メートル以内しか関心がない”と揶揄さ
れるような若者たちの多くは、現在の生活水準や自
分たちの将来などには関心があっても、地域や社会
や国家に対して自分たちが何をできるか、何をしな
ければならないか、などについては、親からも学校
でも教わる機会がなかったこともあって、頭の片隅
にもないことでしょう。
私は、それが我が国の少子化の原因のひとつと考え
ていますが、その延長で、「明日食べる物がなくな
る」とか「エネルギーが枯渇する」との危機意識な
どについて、微塵にも感じたことがないのかも知れ
ません。
“権利のみ主張し、義務を果たさない”国民も巷に
溢れるようになりました。その結果、「愛国心」と
か「自国民であることの誇り」とか「国を守る気概」
などのような、どこの国民でも必ず保有している当
たり前の精神をどこか遠くに置いてきたような状態
になっているのではないでしょうか。
これらから、本シリーズでも再三指摘してきました
が、我が国の未来に立ち込める「暗雲」に対して果
敢に取り組むため、上記のような現代日本人の精神
的特性が“阻害事項”になっていないだろうか、と
どうしても考え��しまいます。
そして、本来、少子高齢化、食料問題やエネルギー
問題などについて、いち早くその本質を解明し、我
が国の置かれた状況を真剣に国民に訴え、国民の自
覚や協力を促すために、国民の先頭に立って「旗振
り役」を演ずべき政府や政治家の行動が、やはり
“政局と選挙が優先する”のか、その熱意や真剣さ
が国民に伝わっていないような気がします。
そればかりか、脱炭素とかSDGsなど、「国連が
先導している」として、その必要性や可能性などに
ついてロクに分析しないまま“垂れ流し”にしたり、
最近の事例では、少子化対策に逆行するような法律
についても政局の混乱の回避のみを優先したまま、
後先を考えずに制定したりしているように見えます。
前回、「部分最適」の話題を取り上げましたが、総
合判断ができないから、それらに対処するための
“共通の要素”があることなどに気がつかない、そ
して優先順位を間違えるから、国を挙げてやるべき
ことから“ずれて”しまう、よって国民は、これら
の問題対処を「自分のこと」として、言葉を代えれ
ば、「国民の義務」として腑に落とすレベルまで真
剣に理解していないような気がします。
少子化対策や農業問題などの解決は、“若者の3メ
ートル以内に、いかにパンチを聞かせ、納得させ、
その気にさせるか”にかかっていると考えますが、
現実はほど遠いような気がします。そこにこそ、我
が国の将来がかかっていると思うだけにとても残念
です。
▼国民が“覚醒”する時来たり
実は、石氏はもっと広く日本のあり方を観ています。
つまり、「日本のあり方が『今後、世界が存続して
ゆけるか』という厳粛なテーマの『解』を示してい
る」として、「世界で最も成功した国・日本がその
『秘密』を内包している」と強調します。
つまり、我が国が「平等感」を基軸にして「万機公
論に決すべし」として3千年近くの長きにわたり国
家運営を成功させてきた、その秘訣こそが、“これ
からの世界の存続に必要不可欠”と説いているので
す。私たち日本の未来に立ちはだかるであろう「暗
雲」を見事に乗り超えることは、日本だけの問題で
なく、世界の存族にまで影響を及ぼすと言えるのか
も知れません。責任は重大なのです。
日本は少子高齢化においては世界の最先頭を走って
いますし、食料やエネルギーの自給率では先進国で
ほぼワーストに位置しています。よって、これらの
危機を乗り越えることは、まさに世界のロールモデ
ルとなることでしょう。事実、『ライフ・シフト』
(リンダ・グラットン他共著)の冒頭でも「世界で
いち早く��寿化が進んでいる日本は、他の国々のお
手本になれる。(中略)世界の先頭に立ってほしい」
と期待が述べられています。
我が国がこれらを見事に乗り超えるためには、何と
しても、大多数の国民の“覚醒”が必要不可欠と考
えますが、“いかに覚醒するか”が難題中の難題で
あり、「任重く道遠し」との感をぬぐい切れません。
数年前からそのような問題意識を持っていた私は、
悩んだ果てに、今の日本人の精神を形成した「出発
点」に戻り、そこから出直すのが最も近道で、かつ
唯一の道ではないか、と考えるようになり、“我が
国の歴史を取り戻す”ことを狙いに、「我が国の歴
史を振り返る」と銘打ってメルマガを発信したこと
をよく覚えています。
戦後70年余りが過ぎましたが、私たちは自らの精
神などについて一度も顧みることなく、手つかずの
まま放置してきました。そのツケが一挙に噴き出し
たのが“今日”であり、我が国の“近未来”であろ
うと思います。
戦後世代の私たちは、長い日本の歴史の中で最も恵
まれた世代であると考えます。多少の天変地異はあ
りましたが、飢餓とか戦争などとは無縁でした。と
は言え、「後世のために、後に続く子孫のために、
必要なことを行ない、必要なことを残しているか」
と問えば、答えは「ノー」でしょう。このままでは
後世に顔向けできないでしょう。国家を挙げて、世
代を挙げて、様々な問題を「自分のこと」として真
剣にかつ全力をもって取り組む時が来た、と私は考
えます。
残された時間があまりないような気がしますが、早
期実現を目指すためにも、次回以降、歴史から学ぶ
4つの「知恵」から離れ、「『強靭な国家』を造る」
その必要性と手段について読者の皆様と一緒になっ
て考えつつ、本シリーズを総括したいと思います。
いよいよ終盤です。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販���具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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iseilio 渾 話
2022-2023 目次
10/23 遼 尉 臣 筆記 — Golf History (tumblr.com)
11/23 古典音樂作曲家特集
影 音 etc
01/22 法 國 香 頌 竹久夢二
05/22 黑 管 台 北 美 食
06/22 超現實主義 越 南 風 情
8/22 浪子的心情 台灣盛夏冰品 台北登山步道
09/22 法 國 女 人
10/22 Adagio from“Spartacus” 半���階
松山公學校 松山探源尋根
11/22 サヨン の 鐘 はしご 酒 小唄 :味
巴哈 之前的音樂家
12/22 台灣百景 台 灣 封 神 榜
登 山 露營
01/23 人生かくれんぼ 摩托車、重機
萬華鏡 半音階 馬 勒 交 響 曲
03/23 南 管 • 北管
05/23 すき 喜歡 Picasso 原住民音樂 論 伊丹十三
A DEAR JOHN LETTER 黃昏清兵衛
06/23 それゆけ !オ一 ケストラ 週刊文春 2017年6月號
宇 崎 竜 童 、aya 俱樂部 院士致詞
07/23 天啟皇帝 日 本 控 Aram Khachaturian
川島芳子 與 李香蘭 吳 晉 懷 風雨夜曲
08/23 文星叢刊 1-72
10/23 美學檔 惜別之歌 Final Fantasy おにぎり
政治
01/22 黑水溝 之 彼方 蔡英文 與 蔣經國
02/22 从地缘战略到币缘战略-全球化的演变 蘇維埃王國
烏克蘭 03/22 意 大 利 核 威 脅 04/22 逃離中國
05/22 新中國聯邦 氣 憤 臉書是台灣自找的「網路長城」
06/22 德被宇宙 07/23 傻瓜 與 大砲
08/22 拜登對華的模糊策略
10/22 離 心 機 蕭茗看世界
11/22 無皇萬歲
03/23 體制、機制 共鳴者被揭穿
04/23 政治施為 的 效果呈現
从地缘战略到币缘战略 — 全球化的演变
05/23 勿謂言之不預 中華大講堂 中華民國台灣化
07/23 哈佛最熱門的政治課 後殖民主義 與 文化認同
10/23 姚立明點破民調 文化與帝國主義
姚立明斷言 藍白到2028都不會合
經濟
01/22 我們的新世 界
03/22 2010-2012 美國赤字預算
8/22 改變歷史 的 經濟學家
10/22 觀 念 經 濟
11/22 The Price of Inequality
04/23 貨 幣
05/23 儲貸社危機 與 RTC的創建 金援無法改變貧窮
07/23 觀 念 經 濟
翻譯
06/22 キマイラ鳳凰變
07/22 The Price of Inequality
08/22 何謂 “意識”(二)
08/22 雁 寺
09/22 夏日女孩 蜜雪兒(十七)
11/22 平野屋 香魚 眠 狂 四 郎
12/22 大自然的獵人
12/22 岩村賢治 詩集
01/23 個人 的 體驗 不輸的方法 女性的美
為化學所魅惑 讀書術 夢のあと 點描日本音樂的世界
千利休 無言的前衛(二)
02/23 水戀鳥 美男子的 頭 高橋お傳
將軍之御寢 五輪書
03/23 裏声で歌へ君が代 北國通信
04/23 性 感 美 人 日本不足 的 軍事力
為化學 所 魅惑
06/23 それゆけ !オ一 ケストラ
07/23 水 の 手帳
10/23 軍首腦部軍閥化 森鷗外 Poseidon 變幻
雜文
01/22 師 說(一) (二) 像霧又像花 歧視
Deep Sea Drilling Project
03/22 死亡結界 節 制
04/22 簡 樸 黑 管 道 家 主 角 家 計 簿
逃離中國 狼 群
06/23 珠圓玉潤 金光閃閃
05/22 新中國聯邦 氣憤 臉書是台灣自找的 「網路長城」
07/22 片段一 瞥 傻瓜 與 大砲
08/22 夢 中 囈 語
09/22 天上掉下來 的 禮物 來自名字的稱呼里幹事
10/22 周 祖 厝 逃離中國大陸
01/23 京都的傳統 生命規則 復 活
02/23 樟腦丸 與 蟑螂 復 活
03/23 秋 意 春 望
04/23 台 灣 料 理 從敕使街道到華燈初上
不容易對話
05/23 勿謂言之不預
06/23 時空觀察力
07/23 抓好重點 風雨夜曲
10/23 人 的 座標系 天人之際 滲 透 復 活
節錄的方法 綴 文、不易瞭解 的 說明 異形
機制與轉折
諸子百家
01/22 傅 科 日傾中、盧 梭 哈佛最熱門的政治課
但丁 神曲 胚胎大勝利 法 國 香 頌 竹久夢二
02/22 但丁神曲 美術心理學 慕春風 日文五十音
權 力、第二性 造型原理 蘇曼殊 戀人絮語 Mansion
詼諧與潛意識的關係 圍城 權力、第二性
意志與表象的世界(一)
03/22 權 力、第二性 文 化 固 守 伊利亞隨筆 電影的語言
電影藝術面面觀 潛水艦之過去、現在與未來 失去的勝利
太平洋戰爭 島嶼爭奪戰 戰敗者 的 觀點
04/22 林彪元帥(一) 地下室手記 理則學 被俘心理學
李義山詩析論
05/22 轉 法 輪 唐宋帝國 與 運河
06/22 哲學 的 慰藉(一二 三) 分區 . 繼承
07/22 一封未寄的情書 後殖民主義 與 文化認同
大自然的獵人 物理之美 柏拉圖的天空
父親的眼淚和我的眼淚
08/22 後殖民主義 與 文化認同 改變歷史的經濟學家
10/22 高陽 談 周棄子 未埋庵短書(一)
11/22 T . S . Eliot 的 時代
12/22 文 化 固 守 我迷阮玲玉 康德四論 恐龍再現
記 Robert Frost , 1875- 混 沌 聖經三段經文
01/23 物理 之 美 康德四論 從古典到浪漫
與黑格爾同在的夜晚 貨 幣 權力、第二性
盧 梭 x 2
02/22 權 力、第二性 意志 與 表象 的 世界 造型原理
詼諧與潛意識的關係 蘇 曼 殊 戀 人 絮 語 圍 城
03/22 伊利亞隨筆 電影 的 語言
潛水艦之過去、 現在與未來 所羅門群島 之 戰
失去 的 勝利 戰敗者 的 觀點
04/22 地下室手記 理 則 學 道 家 被俘心理學
07/22 一封未寄的情書 後殖民主義 與 文化認同
02/23 圍 城 末代皇帝外史
03/23 絕妙好辭箋 隨鳥走天涯 飲膳札記 台灣獼猴
法國十九世紀詩選(一) 法國十九世紀詩選(二)
04/23 扶 桑 漫 步 抽 象 世 界 Franz Kafka 的 生涯
恐 龍 再 現 混 沌 貨 幣 現象學 意志與表象的世界(二)
从地缘战略到币缘战略 — 全球化的演变 Covid 調查
台灣社會的存在及其意義
05/23 被俘心理學 15位哲學大師經典講義(一)(二)
宇宙的詩篇(惟強)
06/23 失去 的 勝利 Franz Kafka 的生涯 Casablanca
戰敗者 的 觀點(二) 浮 世 風 呂 羅丹 的 世界
美 的 探 索
07/23 白石老人 青紅幫演義 對於宇宙 的 誤解 歐洲社交界
10/23 葉慈 幾何定理 陳之籓散文集
查泰萊夫人的情人 Modern etiquette in public and private
我們的新世界 我思故我在 紐約的現代藝術
12/23 安藤忠雄的都市徬徨(一、二、三、四)
理性之夢(一、二) 歷史與思想(一、二、三、四)
Chanson 香頌 赫遜河畔談中國歷史(一、二、三、四)
歷史平話:諸葛亮(一、二) 紅朝人物誌(一、二)
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2024年8月14日
【速報】岸田総理が自民党総裁選への不出馬の意向固める(TBS NEWS DIG)
岸田総理が来月おこなわれる自民党の総裁選に出馬しない意向を固めたことが、複数の政権幹部への取材で分かりました。このあと、記者会見を開き、岸田総理自ら説明するものとみられます。
総裁選には、石破元幹事長や小泉元環境大臣の他、茂木幹事長や河野デジタル大臣、高市経済安全保障担当大臣らが出馬に意欲を見せていますが、岸田総理を支える立場の党幹部や閣僚が総裁選に出馬することには批判的な声もありました。
岸田総理が出馬しないとなれば、総裁選の構図も大きく変わることになり、「ポスト岸田」レースは激しさを増すことになりそうです。
岸田首相、記者会見で総裁選不出馬を正式表明 「自民が変わるため私が身を引く」(産経新聞)
岸田文雄首相は14日、首相官邸で記者会見を行い、9月の自身の任期満了に伴う自民党総裁選に出馬しないと正式に表明した。
首相は「今回の総裁選は自民党が変わる姿、『新生・自民党』を国民の前にしっかり示すことが大事だ。自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は私が身を引くことだ。総裁選には出馬しない」と述べた。新総裁選出後に岸田政権は退陣し、約3年で幕を閉じる。
岸田首相の在任期間は14日時点で1046日で、岸信介氏に次ぎ戦後8番目の長さとなっている。
G7広島サミットのワーキングランチで記念撮影に応じるG7首脳。右手前が岸田文雄首相=2023年5月19日、広島市南区、代表撮影
広島から首相、期待したが… 岸田氏の総裁選不出馬表明で被爆者らは(朝日新聞 8月15日)2024年8月14日に追記
岸田文雄首相が自民党総裁選への不出馬を表明した。広島選出の総理大臣として、被爆地の声を国内、世界に向けて届けることはできたのか。(柳川迅、魚住あかり、遠藤花、編集委員・副島英樹)
広島市の松井一実市長は岸田首相の平和行政について、「ライフワークである核兵器の廃絶に向けて積極的に取り組まれた」「『ヒロシマの心』を世界に発信するために御尽力いただきました」と評価した。自民党の県議や市議と同じく、主要7カ国首脳会議(G7サミット)の広島開催などを成果に挙げた。
一方で、県内に二つある県原爆被害者団体協議会(県被団協)の理事長はいずれも、日本政府が核兵器禁止条約に署名・批准するよう訴えてきた。しかし、核保有国が参加していないことを理由に、岸田首相は後ろ向きな姿勢を示し続けた。
佐久間邦彦理事長(79)は、「これではいつまで経っても(核禁条約に)『入らない』と言っている���うなもの。本当にやる気があるのか見えなかった」と振り返る。
佐久間理事長と箕牧智之理事長(82)は、8月6日の平和記念式典に合わせて開かれた「被爆者代表から要望を聞く会」で、岸田首相と面会したばかり。箕牧理事長は「被爆者の訴えを一つでも受け止めてくれるのではないかと期待していたが、淡々と聞くだけだった」と話した。
広島を拠点に平和活動に取り組むNPO法人「ANT―Hiroshima」理事長の渡部朋子さん(70)は岸田首相の3年間について、「広島にとってチャンスかもしれないとみんな期待しましたが、残念ながら広島の宰相ではなかった」と語った。
昨年5月のG7広島サミットでは、核抑止力を正当化した「広島ビジョン」も発表され、被爆地から選出された岸田首相もその文書に名を連ねる一人となった。サミットについて渡部さんは「広島が貸し舞台として使われ、肩すかしでした」と残念がる。
岸田政権が閣議決定で防衛費拡大を進めたことを「戦争のできる国にし、原発再稼働も進めた」と指摘。「核軍拡が進む状況にのみ込まれ、戦争被爆国としてのリーダーシップが見えなかった」と振り返った。
広島市安佐南区の会社員、末棟将彦さん(44)は、元々外務大臣だった岸田首相の外交に期待していたという。サミットで各国首脳が広島を訪れたことを「歴史に残る」と評価しつつ、「もう一歩、核廃絶に向けて踏み込んだ外交をしてほしかった」と述べた。
統一教会問題や自民党派閥の裏金問題など、数々の「内憂」に見舞われた首相でもあった。
「大変驚いており、本当に残念だ」。自民党広島県連会長代理の中本隆志・県議会議長は県庁で会見を開いた。「安倍政権、菅政権下の色んな問題が浮上し、対応に追われた3年間だった。裏金問題の対応では、身内である自民党議員の協力があまりに少なかった」
広島市議会の会派「自民党・市民クラブ」幹事長の山路英男市議も「国防の強化や経済安全保障は岸田政権の下で進んでいる」と不出馬を残念がる。裏金問題については、「巻き込まれた形だ」と話し、問題を受けて政治資金規正法が改正されたことについて、「党内ではだいぶ反発もあったと思うが、大きな決断をした」とたたえた。
平和記念公園を歩いていた広島市中区の山本裕志さん(67)は裏金問題について「私利私欲のための政治になっていたのでは。広島から出た首相で期待していた。もう少し国民のための政治ができなかったものか」と話した。
GDPは百年前に「逆戻り」 それでも日本は「強兵」路線に進むのか(朝日新聞 100年をたどる旅~未来のための近現代史~③「持たざる国」の素顔)
「DIME」という安全保障のキーワードがある。 今回はこれを切り口に、「持たざる国」日本がたどってきた100年の歩みを考える。
国内総生産(GDP)は1940年代に生まれた。資源や物資など戦争を遂行できる生産力がどれだけあるか正確に把握する指標として、米英が開発した。「第2次世界大戦が生んだ数多くの発明品の一つ」と英ケンブリッジ大のダイアン・コイル教授は位置づける。
世界に占める日本のGDPは、百年前と同じ水準に逆戻りしている――。英国の経済学者アンガス・マディソン氏の研究チームは、西暦1年から今に至る世界各国のGDPを歴史資料から推計してきた。そこから浮かび上がってきたのは、そんな日本の姿だ。
日本のGDPの世界全体に占める割合は1920年は3・4%。それが戦後の経済成長で急伸。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと称された。米国の地位をも脅かす経済力を誇った90年には8.6%に上昇した。
上位20カ国。マディソン氏の研究チームの最新の推計結果から。1920年の中国はデータが無いため、1900年で代用。1920、90年のロシアは旧ソ連のデータを使用。ソ連以外は現在の国旗
だが、その後、中国をはじめとする新興国の経済成長が加速。日本は人口減社会に突入して主要7カ国(G7)で唯一足踏みを続け、2022年には3・7%に落ち込んだ。歴史的な「定位置」に戻ったともいえる。
現在の日本のGDPは世界4位。米ゴールドマン・サックスによれば、さらに50年に6位、75年には12位へ転落が予想される。日本は近い将来「経済大国」の看板を下ろすことになるかもしれない。
問われるDIMEの発想 軍事以外が軽視されていないか
一方、岸田政権は一昨年末、27年度の防衛費のGDP比を倍増させ、2%にすることを決めた。27年度の防衛費は世界5位内に入り、「軍事大国」に仲間入りする可能性がある。
問題は、この歴史的増額が果たして「国力」に見合っているのかだ。マディソン氏の研究チームの一員である深尾京司・一橋大特命教授(国際経済学)は「人類史上まれに見るスピードで人口が減少していく日本の世界における経済的地位が、当面再び高まることは考えづらい。日本が単独で防衛費を拡充しても限界がある」と指摘する。
米国防大のテキスト「国家安全保障戦略入門」には、国家は「外交、情報、軍事、経済(DIME)という四つの主要な手段を駆使して力を行使し、目的を追求する」と記述され、「DIME」の統合的運用が重要だと説かれている
「DIME(ダイム)」という言葉がある。「外交(Diplomacy)」「情報(Information)」「軍事(Military)」「経済(Economy)」の頭文字を取ったものだ。米国が安全保障の指導者育成のため設立し、米軍の将校や文官らが在籍する米国防大(NDU)のテキスト「国家安全保障戦略入門」では国家安全保障の構成要素にこの四つを挙げ、DIMEを駆使して目的を追求するとしている。軍事は大事な要素だが、それだけでは国の安全が担保できない。国力の重要な要素であるDIMEを統合して国の安保を確保する、というのが、欧米では常識となっている。
近年では中国に対抗するため、「技術(Technology)」を加えた「DIME+T」、あるいは「金融(Finance)」「諜報(ちょうほう)(Intelligence)」「法執行(Law enforcement)」を加えた「DIME+FIL」とも呼ばれる。日本では安保を考える際、これまでDIMEという言葉はほとんど聞かれなかった。
だが日本はかつて「国力」から目をそむけて軍事偏重に走った結果、人的・物的破局を招いた。
むろん、過去と事情は異なる。安保環境の変化を踏まえた防衛力の要素は必要だろう。だが今、安保を議論するのに、軍事以外の要素が、あまりに軽視されてはいないか。
岐路に立つ今だからこそ、「国力」を重層的に、冷静に見つめる視点が求められている。
日本の安全保障にDIMEの発想はあるのか。
日本の国家安全保障戦略、乏しい経済・外交の記述
一昨年改定された日本の「国家安全保障戦略」には「外交力・防衛力・経済力・技術力・情報力を含む総合的な国力を最大限活用して、国家の対応を高次のレベルで統合させる戦略が必要である」とある。
日本はこれまで、安全保障は米国を最重視し、経済面では最大の貿易相手国・中国との協力を深めてきた。だが、その米中の対立は軍事だけでなく、経済や技術といった非軍事の分野にまで拡大。安全保障の裾野が広がるなか、日本もいや応なく「踏み絵」を迫られている。自国の国力を見つめ、「国益」を見定めていこうというのが新戦略の趣旨だ。
しかし、中身を見ると、経済や外交に関する記述は乏しく、経済安保の項目も他の記述とのつながりがない。「戦略」の一部分を担当したある省の幹部は「戦略の全体像の議論もなく、他の項目の記述も見せてもらえず、一部の項目だけ割り振られた。いわば(各省からの文章を短冊状にしてつなぎ合わせる)『短冊方式』だ」と不満をもらす。DIMEを掲げてはいるが、「軍事」に重きが置かれ、政府一体の「総合的な国力」の底上げを図ろうとの意識は薄い。
歴史的な増額を決めた防衛費の財源も宙に浮いたままだ。
参院本会議で防衛費財源確保法案が審議入りし、答弁する岸田文雄首相=2023年5月24日
岸田文雄首相は防衛費倍増を決めるにあたり、安定財源の確保について「今を生きる我々の将来世代への責任」と訴えた。しかし、首相が確保したとする財源の大半は、1度しか使えない国有財産の売却など安定財源にはほど遠いものだ。唯一、実効性がある防衛増税は、自民党内をまとめきれず、いまだ実施に必要な法律もできていない。
戦略の策定に先駆けて首相官邸が設置した有識者会議でも、「国力」をめぐる議論はあった。エコノミストの翁百合・日本総合研究所理事長は「防衛力強化には、持続的な経済、財政基盤強化と国民の意識の共有が大変重要だ」と訴えた。エネルギー自給率の低さや、債務残高の国内総生産(GDP)比の高さなどを挙げ、「そのリスクを認識する必要がある」とも指摘した。DIMEに通じる考え方といえる。一方で「『国力に見合った防衛力』と固定的に考えるべきではない」と積極的に防衛力強化を唱える論者もいた。だが、有識者会議は3カ月間に計4回開かれただけで議論は煮詰まらず、メンバーも不満を口にした。
戦前の日本もDIME的発想で自国の国力を見つめようとしたことがあった。(大日向寛文、編集委員・佐���武嗣)
対米開戦前、日本の「敗戦」を予告する二つの報告が軍と政府それぞれの研究チームでまとめられていました。 第4回「予知されていた『敗戦』」は8 月15 日配信予定です。
コメントプラス
加谷珪一(経済評論家)【解説】 国家の戦争遂行能力は基本的にGDP(国内総生産)に比例するといわれます。当たり前のことですが、軍隊の維持には費用がかかりますし、実際に軍事的オペレーションが始まれば、物流など経済インフラの強さが戦争継続のカギを握ります。一般的にロジスティクスという言葉はビジネスにおける物流のことを指しますが、ロジスティクス本来の意味は軍隊における兵站(へいたん:物資の補給など)です。言い換えれば、日常的に経済活動が活発で、多くの人やモノが移動している国、もっと簡単に言ってしまえば豊かな国ほど、いざという時にこうしたリソースを戦争に転用できるので、高い戦争遂行能力を発揮する仕組みです。世界でもっとも豊かな米国が最強の軍事力を持っているのはある意味で当然のことといえますし、経済規模が小さくなれば、やはり戦争遂行能力も低下せざるを得ません。
ちなみにGDPに対する軍事費の比率は、全世界的に見ると2%程度が標準です。常に何らかの軍事活動を行っている米国や、大規模な戦争を継続しているロシアのGDP比は3.5%~4%と高くなっています。日本の防衛費はGDP比1%という制約がありましたが、岸田政権が防衛費の倍増を決めたことから2%程度に上昇する可能性が高まっています。
不気味なのはやはり中国でしょう。中国の軍事費のGDP比はわずか1.6%ですが、GDPそのものが大きいので、軍事費の絶対値は日本の6倍にもなります。中国が米国並みに軍事費をかけた場合、その金額は途方もない水準となります。
辻田真佐憲(評論家・近現代史研究者)【視点】 戦前と現在の類似性に焦点を当てた分析ですが、差異にも注目する必要があると思います。戦前の日本は、経済的にはそれほど強くなかったかもしれませんが、北東アジアにおいて高度に近代化された軍隊を持ち、自主的に行動することができました。しかし、現在の日本は状況が異なります。日本が大陸で大規模な軍事行動を起こすことなど想像しにくいでしょう。むしろ、現在の北東アジアで軍事力を誇り、主導権を握っているのは中国です。したがって、戦前の日本と現在の日本を比較するのもいいで��が、戦前の日本と現代の中国を比較するという視点も合わせてもたなければならないでしょう。
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まずABCDEというのは最初は日本を動かしている派閥の種類と理解していましたが、実は世界を動かす派閥の種類と考えても構わないということです。つまり、彼らはそれぞれ権益を持っていて世界を動かす力があるのだということです。また、ドル基軸体制の中の運用部門、元金を減らさぬよう運用する簿外資金に対しては彼らも主体的に動いているわけです。
大きく分けてドル基軸通貨を動かしている派閥がEで、それ以外はドル基軸体制に入れない派閥です。すなわち隙があればこの体制を破壊し、新しい通貨体制を構築したいと考えているのです。特にD派閥はドル基軸以前にはそれらの中心にいた派閥ですので当然でしょう。まずはこのことを理解してください。ドルが紙くずになるとか、円が暴落するとかのデマを発するのはおおむねE体制に反対する派閥の息がかかっている三流論者でしょうね。
A派閥。これはそうですね、日露戦争より前、日本が日露戦争を始めるにあたり諜報の世界に進出してゆき、ドイツの、当時はプロイセンですがビスマルクなどと会談を重ね、さらにはイタリアのサボイなどとも親交を持った寺内正毅氏という人がいました。首相や外務大臣などを歴任し中野学校の前身となる組織を構築していったわけで、彼らはD(ヘッセン陣営)の狙いを熟知し、千年王国の願望を打ち砕くことに専念していったわけです。そして第二次大戦時にはユダヤ同士の内輪もめ(アシュケナジ対スファラディー)のスキを突き、インドネシアにあるオランダ領事館を襲撃、そこの地下50mまで備蓄してあったD側の金塊(世界の金融を支配するに十分の量があったという。)を確保、そしてそこに逗留していたヨーロッパの王族、中国の王族らを拉致、そしてすぐにヨーロッパの支配者連合と交渉し、秘密協定を結ぶことで彼らを解放し、さらに接収した金塊をアジア各地に運び出し、各地の軍部に管理を任せた。そしてそれらの事実を受け、米国、英国、日本の三国でその金塊を基軸とする新しいドル基軸通貨体制を作り上げる。この結果がブレトンウッド体制で、要はE側と陸軍中野学校はD側の動きを熟知したうえでの談合だった可能性が強い。
この話をD側から描いたのが私の翻訳したシーグレイプ氏のgoldwarriorsで、これをネットで無償公開しているのをS氏が見て私にアプローチをしてきたのです。
つまりフィリピンに金塊が埋設されたのは事実だけど、内容には大きな差があったということです。
ちょっと話はそれるのですが、陸軍サイドは米国との戦争が無理なことは承知であり、海軍が単独でD側の誘いを受けてハワイに向かったというのが真相です。山本五十六を英雄視するのはどういうものですかね・・・。それよりインパール作戦の真実は誰か書いてくれないものか。
つまり当時の大本営はすでに各派閥が入り乱れ、それを見た陸軍中野学校は満州で独自の国家を経営しているという趣だったのです。
しかし、先に述べた寺内の後を継いだ〇俊六が中野の��えを裏切り、D側もしくはCになびいたという。したがって戦後の中野の権益を受け継いだのが〇の息子、埼玉県知事であり、もう一方で京都にある青不動の門主などがA派閥の頂点です。理研は中野学校そのものみたいな研究所で、埼玉県の自衛隊基地、本田技研の研究所とともにAの根源力ともいえるだろう。
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士官学校での或る体験
50年前の夏は、職業軍人養成の陸軍士官学校に在籍していました。私はその前年(昭和19年)に試験に合格し、終戦の年の2月に入学したのです。 その士官学校も、本土決戦に備えるためだったのかどうか、8月には浅間山の麓に疎開していて、���こで終戦を迎えました。士官学校生徒の私たちは、捕虜としてカリフォルニアの炭坑に連れていかれるというような噂も一部で流れていました。 疎開前でしたが、「歴史の大きな改変」を校庭に集まった全生徒の前で予言した高級将校がいました。戦局は敗戦が必至だと解っていたのでしょうか。敗戦後、割腹自殺をしたという上級教官の話も聞きましたが、そういう人達とは違った理性的な勇気の持ち主が、この集団の中にもいたというのも、いまでは大きな教訓となっています。 短い期間であっても、士官学校でのあれこれのことは、私にとって忘れ難い体験でしたが、中でも次のことは、生涯をつらぬくような一つの教訓にもなっているような気がします。 当時の陸軍士官学校では、昔からの伝統を重んじたのでしょう、毛筆で日記を書かされていました。それは強制でもありましたが、一面では、わずかに許された自由な表現の時間でもありました。それまでの中学時代に夏目漱石全集などを読み漁っていた私などには特にそう感じられていました。 しかし、ある日、思っていたことを率直に書きとめたことから、思わぬ波紋が起こりました。 “将校生徒といえども一人の軍人だし、軍人もまた日本人の一員である。” 書いたのはこれだけのことですが、感じていたのは、この士官学校で将校生徒々々と強調されおだてられることへの自制だったのでしょうか。願っていたのは、この集団以外の兵隊たち国民たちを蔑視するな、ということだったと思います。そういう愛国少年の一人だったのでしょう。 ところが、それがどうして「彼ら」に知られることになったのでしょうか、この日記を盾にとられて「貴様は自由主義者だ」と、教官からではなく同僚の同級生から決めつけられ、ある日「彼ら」の集団から呼び出され、とり囲まれて袋叩きにあったのです。 自由主義者というのは、当時の日本では反社会的思想の持ち主として最悪の決めつけ語であり、非国民と同義語に使われたものです。 「彼ら」というのは「幼年学校」出身者のことですが、この「幼年学校」というのは他国にはあまりない、日本帝国陸軍独特のもので、「彼ら」はそこで13~14才の少年時代から特別の職業軍人幹部養成教育を受けていたのです。ここから士官学校へはもちろん無試験で、はじめは将校の子弟を育てるためのものであったのかも知れませんが、この学校の出身者でないと、士官学校から陸軍大学を出ていても、中将どまりで大将にはなれないというのが、帝国陸軍の不文律であるといわれていましたから、彼らはそこで徹底したエリート意識を植え付けられていたのではないでしょうか。 「彼ら」は、私たち中学校出身者よりも数ヵ月遅れて士官学校に入ってきましたから、はじめは私たちの方からいろんな規則を教えてあげていたのですが、何の何の、しばらくすると「彼ら」は自らを帝国陸軍の「貞幹」(幹部)中の貞幹だといい、われわれ中学校出身者を『馬』と称して軽蔑しているのが分かってきました。「彼ら」は教官についても差別をしていて、よく隊をこえて幼年学校出身者の教官のところに結集しているのを知り「彼ら」の派閥意識に味気無い思いをしたものです。 今でも忘れません。中学校出身者が万葉集を読んでいたといって「軟弱者」と批判し、廊下に張り出された新聞の変なところを見ていたと難癖をつけて非難するという、そういうことを繰り返していました。 しかし「彼ら」が最大の集団的暴力を発揮したのは「兵科選び」の時でした。 当時、負け戦を続けていた日本軍の航空隊は飛べる飛行機もなかったのでしょう。殆どが爆弾を抱えて敵地敵艦に突っこみ、生きて帰ることは絶対にない、日本独特の無謀な戦術「特別攻撃隊」の要員だったのですが、「兵科選択」に際して、その「航空隊」を選ばなかった者に、「命惜しみ」として集団リンチをかけたのが彼ら幼年学校出身者の一部集団だったのです。 しかも彼らは、規則を破って深夜同級生に呼び出しをかけ、「命惜しみ」として集団暴力を加えながら、そのくせ陰では「俺は航空参謀だ」などといい、後方で指揮をとる「命惜しみ」をしようとしているのですから、偶然それを聞いた私は、彼らの本音を知り「許せない」と思いました。 本音と建て前の違い、非科学的なものの見方を平然とまかり通していたエリート軍人の卵たちの認識方法、それは当時の日本の指導者達の思考方法と共通性がなかったでしょうか。彼らにとって国家とは、天皇とそれをとりまく指導者集団、そして国民は彼らに奉仕する『馬』や『道具』と見ていたのではないでしょうか。 私の場合は、兵科選びでは彼らに強制された「航空隊」は拒否して「工兵隊」を選びましたが、それはやはり生きて帰ることが許されない「特別攻撃隊」に繋がっていましたので、その点ではリンチを受けなかったのです。けれども、さきにも言ったように日記の件で呼び出され、「自由主義者」だとして白昼軍服が血だらけになるぐらい集団で殴られたのでした。それもはじめに呼び出すときは、ただの一人で、「話がある」と呼びに来たのですから卑怯なやり方なのです。 派閥的な集団主義は、しばしばこうした卑怯なやり口をもたらすのだということを身をもって知ったわけです。 野間宏の小説『真空地帯』では、将校間の反目の犠牲になった主人公(木谷一等兵)をかばうインテリの下士官がいましたが、私の場合は、軍服が血で汚れているのを認知していても教官はそのことには一言もふれませんでした。その教官は幼年学校出身ではなく、知的な人で、私も尊敬した人でしたが、そういう人でさえそうだったのです。いや、暴力をふるった「彼ら」でも、いま会えばどうということはない「普通の人」なのですが、皇国日本のエリート集団の卵たちの意識は、人を人とも思わないようにしてしまっていたのでした。 私はその頃、早くこうした汚い雰囲気から脱出して、死んでもよい、第一線に行って自由になりたいと思ったものでした。 自由を欲する気持ちというのは、いかなる場合も消すことのできない人間の本性だと今は思うのですが、勇敢な日本軍人の献身的な戦闘性というもののなかには、愛国心や周りの人々への愛情とともに、或いはそれとは別に、こうした半ば絶望的な自由への願望があったかも知れません。 苛酷な戦いを生き抜いてきた人たちが、戦争を語りたくないというのも、凄惨な極限状況とともに、こうした説明のできない非合理主義の横行が背景にあったことが影響してはいないでしょうか。 このようなせまい集団の派閥主義、官僚主義は、近代化の遅れた社会につきもののようで、今の日本でも払拭されていないように思えますが、軍隊という戦闘組織の中での派閥主義は暴力装置をもっているだけにいっそう恐ろしいのです。無謀な15年戦争を引き起こし、広大な戦線の中で非合理非科学的な戦略戦術で莫大な犠牲をもたらした、少なからぬ要因にもなったでしょう。 夏目漱石が明治の末期に“日本は滅びるよ”と喝破したのは、こうした日本の指導者層の非合理主義的体質が続くのを見抜いていたからかも知れません。 いずれにしても私にとっては、短い間の端的な体験が終生の教訓になったことは���かです。せまい派閥主義をどんな場合も嫌うようになりました。自らの体験や頭あるいは討論などで確かめないで、外から教え込まれたものを教条的に受けつけないようになりました。 戦後50年経って「経済大国」になった日本はもう「戦後」ではないという論もありますが、本当は、以前と同じではないにしても、似たような大きな矛盾を残したまま、日本の歴史は進行してきたように思えてなりません。 戦前のように、暴力主義の横行というのは露骨には見られませんが、矛盾を合理的に解決する努力の弱さや「派閥主義」は、残念ながらまだまだ続いているように思えます。矛盾を発見して、その解決方法を討論しながら推進していく民主主義の原点がまだ社会的に定着していないからでしょうか。 私の中学校時代の友人で、普通より早く4年生から当時の高等学校に入った秀才で、学徒兵として軍隊経験をもったM君が、終戦の年によこした手紙の中で言っていた言葉を思い出します。“天皇制が変わらない限り、日本はたいして代わらないのではないか”と。 「象徴天皇制」にはなったけれども、「お上依存」は克服されたのでしょうか。国民主権は確立されているのでしょうか。 日本の社会の、こうした困難な近代化の歩みの中で、『学習』は本当に大事なものに思えます。近ごろのように幼い時期からの受験本意の勉強は真の知性を損なわせ、またどんな分野でも余り早い時期から専門的分野に入りこむことは、視野を狭くさせ、大衆の存在を忘れさせ、民主主義と人間の自由な発展を遅れさせるような気もします。 “知を力として”この言葉の重みを、近ごろつくづく噛みしめています。そして戦後50年を経た今こそ、戦争の教訓から得た人類の貴重な歴史的遺産、「平和と民主の日本国憲法」をどうしても守り発展させ、子や孫たちに伝えないとと切実に願っています。
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喰うことで大奥を生き抜きます!ーー松阪『毒を喰らわば皿までも?』
NHKでよしながふみさんの『大奥』が実写ドラマ化され話題になっています。4コマでも大奥を取り上げた作品が現在連載中です。
毒を喰らわば皿までも? 【カラーページ増量版】(1) (バンブーコミックス 4コマセレクション)
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松阪(著) 竹書房 (2022-08-17)
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松坂さんの『毒をくらわば皿までも?』です。
松坂さん。竹書房初コミックです。主役を務める福というキャラクターに魅力があるのですが、今回はなぜ福が魅力的なのかを語りたいと思います。
大奥は江戸時代の将軍が生活をおくる場所です。医者などのごくわずかなものを除いて大奥は女性だけの世界となっています。御台所(将軍正妻)をはじめ側室(公的に認められた妾)��多数生活していました。そしてその貴人に使える女性も数多く存在して、彼女らは奥女中と呼ばれていたのです。 単に女中とも呼ばれることがあります。 彼女らは大奥を運営するため日々働いていました。大奥で働く日々の中で運が良ければ将軍のお手付きとなり、さらに後継者を産めば将軍生母となり絶大な権力を振るうことできるのです。武士の中には美しい娘を養子にして送り込むことをしていました。将軍に後継者がいることが政治的安定を担保しているので、大奥は江戸幕府にとって欠かせない場所でした。その性質上将軍の後継を決める際に無視できない影響力を持つようになり、政争の舞台になることも多々ありました。ただし女中の役目は将軍と御台所(将軍の正妻)で違いがあり、後継者を作るシステムは将軍付きの女中に求められたようです。
舞台は江戸後期、13代将軍徳川家定の御代。大奥は御台所・篤姫に仕える女中たちが数多く生活していました。その女中の一人・福は要領が悪く、日々叱責を受けていました。ある日上司の大奥御年寄・滝山から異動を告げられます。その御役目は毒見役。御台所が口にする料理を先に食べ安全を確認する人柱の役目でした。
命がかかっていますが 食欲旺盛な福には極楽な御役目です。大奥の食事を軸にして江戸風俗や歴史を交えながら描いた作品となっています。
主役の福は架空のキャラクターですが彼女を取り巻くキャラクターは史実のキャラ��ターとなっています。福に毒見役への異動を告げた御年寄(おとしより)・滝山。
同じく御年寄・幾島。
そして御台所(みだいどころ)である篤姫。
大奥のみならず幕末を舞台にした作品には欠かせない面々です。
ここでまたちょっとした豆知識。御年寄というのは大奥の中の役職です。奥女中の中では序列第二位ですが実質的に大奥を取り仕切る権力を持っていました。その権力は幕府役職の老中に並ぶほどだったとか。滝山は将軍付の御年寄、幾島は御台所付の御年寄です。将軍付きのほうが格が上と言われています。
すでに語りましたが主人公の福は食欲旺盛で美味しいものを食べることが何よりの楽しみというキャラクターです。そのキャラクター性からコメディリリーフとして非常に良い活躍をします。
御台所に御目見(おめみえ)の最中にお腹の音を鳴らしてしまう。それを怒られるどころか褒められて、初めての経験に幸せを噛み締めていると思いきや、昼食の献立を聞いてそれ以上の喜びを出してしまう。二段オチも思うがままです。
また表情もコロコロ変わり、パロディレベルまでいきます。
極端にデフォルメされています。でも可愛い。
こちらは楳図かずお風。描きこまれた線が特徴的です。
表情ではありませんがこの倒れ方はドラゴンボールのヤムチャですね。
作中で福はコメディリリーフとしてなんでもありなキャラクターとなっています。メタな話をすると福のこのギャグ変化は読者に対して向けられているので、実際に作中でなっているというわけではありません。福の感情の振り幅をギャグにして表現しているということです。実際ヤムチャの倒れ方をしていたら幾島が端正に正座しているわけがありません。ただこの幾島の佇まいがギャグをブーストしているのも自明の理です。福というキャラクターだけに注目してもこの作品は面白く読むことができるのです。
コメディリリーフとして福は得難い存在ですが、生徒としての役割も良い味を出しています。彼女に教えを授けるのは主に滝山と幾島。この二人から様々な知識を授かります。時の政治情勢や将軍家の食文化や医療のことなどです。
幾島から将軍と御台所の献立に関する約束事を聞くシーンです。福の絶望した表情でオチをつけることで、4コマ作品として面白く仕上がっています。ちなみに次の4コマの1コマ目は先ほど紹介したヤムチャポーズです。単に情報を羅列するだけでなく、コメディリリーフとしての福のキャラクター性を生かしているのです。さらに福は知識があまりない設定です。江戸文化の知識がない読者も福とともに楽しく学ぶことができるのです。学ぶというのはいささか堅苦しいかもしれませんが情報を知ることが楽しいというのは面白さの���の一つだと思います。
最後に福の重要な役割について語りたいと思います。それはかすがいです。ことわざの「子は鎹」のかすがいです。大奥で対立している滝山派と御台所・篤姫派をうまいことつなげているのが福です。
人が良く食欲に情熱のすべてを注いでいる福には、野心も政治的しがらみもないので双方の派閥に出入りすることができます。「中立?」と描かれていますが、自然体という意味を内包したニュートラルというのがふさわしいかなと思いますね。福はその為人で滝山と篤姫、幾山それぞれとエピソードを作ることができるのですが、もう一つ緊張の緩和にも一役買っています。
火花を散らす滝山と篤姫を止めようと声を上げようとする福ですが、声よりも響いたのは腹の音。気がそがれた二人は矛を収めます。この他にも滝山派と篤姫派の女中たちが対立したときも福は空気を読まずに食い意地を見せつけて場を混乱に陥れます。福がいるだけで緊張と緩和が思うがままに作れるのです。
このように『毒を喰らわば皿までも?』は福が八面六臂の活躍をして面白い作品に仕上がっているのです。締める前にもう一つ忘れてはいけない福の魅力を語っておきたいと思います。福はポチャ可愛いのです。回を重ねるごとにポッチャリとふくよかさが増していきます。まさしく福々しい魅力が福の外せない魅力なのです。
松阪さんは芳文社で江戸時代をテーマにした『北斎のむすめ。』や『大奥より愛をこめて』を発表しています。『北斎のむすめ。』は自分がかつてレビューを書いているので、こちらもどうぞ。
粋でいなせで面白い女・お栄の日常ーー松阪『北斎のむすめ。』
(量産型砂ネズミ)
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画像出典 竹書房『毒を喰らわば皿までも?』1巻 P5,P29,P15,P11,P12,P28,P21,P15,P26,P26,P64,P71 掲載順
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アフガニスタンで進攻を続ける反政府組織タリバンが15日夜、首都カブールに入った。それに先立ち、アシュラフ・ガニ大統領は隣国へ出国した。タリバンはカブールを攻撃して制圧するつもりはなく、平和的な権力移譲を目指すとしている。タリバンは同日夜には、首都の外で待機していた戦闘員に、市内に入るよう指示。大統領府を掌握したとしている。
アフガニスタン国家和解高等評議会のアブドラ・アブドラ議長は15日夜、ガニ大統領が出国したと確認した。フェイスブックに投稿した動画でアブドラ氏は、ガニ氏を「前大統領」と呼び、「国をこのような状態で置き去りにした」ガニ氏について「神が責任を問うし、国も審判を下す」と述べた。
これに先立ちタリバンは15日午後、首都に武力で入るつもりはないとして、権力の平和的移譲へ向けた協議が続いていると述べていた。政府内相は、閣僚が「平和的権力移譲」を準備していると述べた。タリバン報道官はBBCに、「全てのアフガニスタン人が含まれるイスラム首長国のイスラム政府」は「国民と国に奉仕する」と言い、懸念されている女性の権利についても教育や就労の権利を認めると話した。
大統領はタジキスタンへ
画像提供,REUTERS
ガニ大統領は15日午後に出国した
ガニ大統領については、地元トロ・テレビなど複数メディアが政府幹部の話として、その出国を伝えていた。タジキスタンへ向かったという。アムルラ・サレ副大統領も出国したという。同日午後には、ガニ大統領が、米政府のザルマイ・カリルザド特使をはじめ、他の北大西洋条約機構(NATO)幹部と緊急協議をしているとの情報もあった。
タリバンは15日夜、首都の入り口で待機させていた戦闘員に、市内に入るよう指示した。「略奪を防ぐため」だと、ザビフラ・ムジャヒド広報官は説明した。アフガニスタン治安部隊がすでに市内の持ち場や検問所を離れているため、タリバンが混乱と略奪を防ぐために市内に入るのだと説明した。
同日夜には、大統領府を掌握したと主張した。
タリバン広報官は声明で、市民に戦闘員を恐れないよう呼びかけた。
アフガニスタンにおけるアメリカの外交トップ、ロス・ウィルソン代理大使は15日夜、大使館を離れてカブール国際空港に避難した。米当局者によると、大使館に掲げられていた星条旗も空港へ運ばれた。
カブール空港で発砲があったという情報もある。
「平和的権力移譲」を
アフガニスタン政府のアブドル・サッタル・ミルザクワル内相代行は同日午後、地元トロ・テレビが放送した動画で、暫定政府への「平和的権権力移譲」が行われると述べた。カブールが攻撃を受けることはないとも話した。
タリバンはさらに声明で、国民に国内にとどまるよう呼びかけ、「あらゆる経歴の人たちに、将来的なイスラム制度の中に自分がいる様子を思い浮かべてほしい。新しいイスラム制度では、責任ある政府が奉仕し、全員に受け入れられるようになる」と強調した。
カタールの首都ドーハでアフガニスタン政府とタリバンが続けていた和平交渉の場に、アフガニスタン各地の部族長たちが参加し、政権移譲の形を協議することになったという情報もある。
タリバンは15日午後、戦闘員には首都の入り口で待機するよう指示していた。さらに、首都と市民の安全はアフガニスタン政府次第だとして、権力の平和的移譲へ向けた協議が続いていると述べた。
タリバン関係者は、戦闘員には祝砲の発砲を禁止したと述べた。アフガニスタン政府軍の兵士たちには、帰宅を認める方針という。関係者はさらに、空港と病院は運営を続け、緊急援助物資の搬入を阻止することもないと話した。
外国人は、出国を希望する人には出国を認めるほか、滞在を希望する場合はタリバン当局に申告するように言われている。
タリバンはさらに、カブール北郊にあるバグラム空軍基地と刑務所を掌握したと発表した。バグラム空軍基地は2001年10月に始まったアフガニスタン空爆から今年7月2日まで、タリバンやアルカイダと戦う米軍など外国駐留部隊にとって最大の作戦拠点だった。
空港へ渋滞 銀行では行列
こうした状況で、15日には多くの市民がカブールから脱出しようとして、交通渋滞が発生した。カブールで取材するBBC記者によると、多くの店舗や市場は閉店し、一部の政府庁舎も閉じた。持ち場を離れる兵士や警官もいたという。
パキスタンは、国境沿いの地域をタリバンが制圧したため、越境地点のトルカム検問所を閉鎖したとされる。このため、アフガニスタンからの出国ルートはカブール国際空港発の空路のみになった。
空港への道路が渋滞する中、「鍵を車内に残して空港へ歩き始めた人もいる」と、住民の1人はロイター通信に話した。
カブールではさらに住民たちが、預金を引き出そうと銀行で長蛇の列を作っている。現金が足りなくなった支店もあるという。
米軍を中心とした外国駐留軍が20年の軍事作戦を経て撤退すると、タリバンは一気に国内で進撃を続けて、勢力範囲を拡大した。一連の戦闘で数十万人が避難民となり、その多くが安全を求めて首都カブールに避難していた。
アメリカはドナルド・トランプ前政権が昨年2月の時点で、今年5月までに米軍を撤退させるとタリバンと合意していた。ジョー・バイデン大統領は今年4月、米同時多発テロから20年を迎える9月11日までにアフガニスタンの駐留米軍を完全撤退させると表明した。
画像提供,EPA
タリバンが首都に迫ったと知らされ帰宅を急ぐ人たち(15日、カブール)
女性の権利は
カタールの首都ドーハでアフガニスタン政府と和平交渉を続けるタリバンのスハイル・シャヒーン広報官は同日、BBCニュースのキャスターとして生放送中のヤルダ・ハキーム記者に電話をかけ、アフガニスタンの人たちに「報復はしない」と話した。
「アフガニスタンの人たち、とりわけカブールの人たちには、あなたたちの財産や生命は安全だと、約束する。誰にも報復はしない」とシャヒーン氏は述べた。
「タリバン指導部は兵士に、カブールの入り口で待機し、市内に入らないよう指示した。私たちは平和的な権力移譲を待っている」とシャヒーン氏は話した。
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「平和と寛容」の政府になると繰り返したシャヒーン氏は、タリバンのイスラム政府には、タリバンに所属しない人も含め、すべてのアフガニスタン人が参加できるとも述べた。「全てのアフガニスタン人が含まれる」「アフガニスタン・イスラム首長国のイスラム政府」は「国民と国に奉仕する」と強調した。
さらに、アフガニスタン内外で懸念されている女性の扱いについては、女子が教育を受ける権利や女性が家の外で働く権利を認め、女性は頭髪を隠すヘジャブを着ければ外出は認められると述べた。タリバンが制圧した地域ではすでに、戦闘員が女子の登校を禁止したという情報があると指摘されると、それは指導部の方針と異なり、タリバンの名誉を傷つけようとする風説だと述べた。
タリバンが掌握した地域ではすでに、女性が全身を覆うブルカの着用を強制されたり、男性の付き添いなしでの外出が禁止されたりしているという。また、タリバンが強制する行動規範に違反した人たちを殴ったりむちで打ったりしているという報告もある。
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アメリカの対応は
こうした中、欧米諸国はアフガニスタンに在留している外交スタッフや市民の出国を急いでいる。
バイデン米大統領は、「アメリカや同盟諸国の人員が、秩序だって安全に出国できるよう、駐留中に我々を助けてくれたアフガニスタン人や、とりわけタリバンの脅威にさらされている人たちが、秩序だって安全に避難できるよう」、米兵約5000人を現地に派遣した。
イギリス市民の出国を支援するため、英兵約600人もカブールに派遣された。この英兵たちは、イギリス軍を支援し、タリバンから報復される危険のあるアフガニスタン人の移住も支援する。
他の欧米諸国も自国民を出国させている。大使館を閉鎖する国もある。
バイデン大統領は7月2日深夜に米軍の大半を撤退させたことについて、「よその国の内戦のただなかにアメリカが果てしなくい続ける」ことは正当化できないと述べていた。バイデン氏は7月8日、タリバンがアフガニスタン全土で勝利する可能性は「非常にあり得ない」とも発言していた。
アントニー・ブリンケン米国務長官は日本時間15日夜、米CNNに出演。「どうしてバイデン大統領はこの件についてこれほど間違ったのか」と質問するジェイク・タッパー司会者に対して、「まず文脈をはっきりさせよう。アメリカがアフガニスタンにいた一番の目的は、9/11に我々を攻撃した連中に対抗するためだった」として、オサマ・ビンラディン容疑者を裁き、テロ組織アルカイダの能力を後退させるという目的は果たしたと述べた。
「そもそもアフガニスタンへ行った理由については、我々は目的達成に成功した」とブリンケン氏は言い、「我々が部隊を(アフガニスタンに)残しておけば、現状がずっと維持できたはずだという考え方は、ひたすら間違っていると思う」と続けた。
ブリンケン長官は米ABCニュースに対しても、アフガニスタンでの任務は「成功」だったと強調し、ヴェトナム戦争でアメリカが支援した南ヴェトナム軍の敗北が決定的となった、1975年の「サイゴン陥落」と現状は異なるとの見解を示した。
「これはサイゴンじゃない」と、ブリンケン長官は述べた。
東部ジャララバードは無抵抗
カブール接近の前には、タリバンは14日から15日にかけて、北部バルフ州の州都マザーリシャリーフと東部の主要都市ジャララバードを制圧した。
東部ナンガルハル州の州都ジャララバードでは15日朝、タリバンが一発も発砲することなく、無抵抗の市内を席捲(せっけん)したとされる。
地元政府関係者はロイター通信に「ジャララバードでは何の衝突も起きていない。知事がタリバンに降伏したからだ。市民の命を守るのは、タリバンの入市を認めるしかなかった」と話した。
ジャーナリストのタリク・ガズニワル氏は、州知事がタリバンに行政権を移譲する様子だという写真をツイートした。
Twitter の投稿を飛ばす, 1
Twitter の投稿の終わり, 1
ジャララバードを押さえたことで、タリバンはアフガニスタンをパキスタンとつなぐ道路を確保したことになる。
マザーリシャリーフ制圧
ジャララバードに先立ち、14日には北部の要衝マザーリシャリーフがタリバンの支配下に入った。伝統的に反タリバン派だったマザーリシャリーフの陥落は、タリバンにとって大きな戦果となる。ほんの数日前には、ガニ大統領が政府軍の視察に訪れたばかりだった。現地の公務員によると、アフガニスタン第4の都市マザーリシャリーフは、ほとんど戦闘のないまま制圧された。
マザーリシャリーフのあるバルフ州のアバス・エブラヒムザダ議員はAP通信の取材に対し、政府軍がまず降伏し、それに親政府派の武装組織が続いたと語った。
マザーリシャリーフはウズベキスタンとタジキスタン国境に位置する経済の中心地。タリバンが1990年代までこの地域を占領していた。
ウズベキ系軍閥のアブドル・ラシド・ドストゥム司令官とタジク系指導者アッタ・モハンマド・ヌール司令官は、マザーリシャリーフのあるバルフ州を脱出したとの情報もある。
ソーシャルメディアで共有された動画には、無人となったドストゥム氏の家にタリバン戦闘員が入っている様子が映っている。
これに先立ち11日にガニ大統領と協議した際には、ドストゥム氏は「タリバンは何度か北へやってきたが、いつも包囲された」と威勢よく話していた。
ヌール氏は14日、フェイスブック投稿で、自分とドストゥム氏は「安全な場所」にいると書き、マザーリシャリーフでの敗退は政府軍のせいだと非難した。政府軍の兵士たちは自ら武器や装備をタリバンに手渡していたと、ヌール氏は書いた。
マザーリシャリーフの住民はBBCに対して、市内に入るタリバンについて「一軒、一軒、ドアをたたいている。私たちは家にいて、残念ながら何もできない。とても怖い。子供たちはとても怖がっていて、妻は泣いている。明日どうすればいいんだ」と話した。
14日にはこのほか、パクティカ州とクナール州の州都もタリバン支配下に入った。
クナール州アサダバードで撮影された未確認映像では、タリバンの旗を振って道を歩く人たちが映っていた。
カブールでは、タリバンを逃れて避難してきた人たちが、公園などで野宿を余儀なくされている。タリバンが制圧した地域では司令官が、戦闘員の妻にするため未婚の女性を手渡すよう住民に要求しているという話もある。
姉妹2人とパルワンからカブールへ逃れてきたムズダさん(35)は、タリバンに結婚を無理強いさせられるくらいなら、自殺すると話した。ムズダさんはAFP通信に「昼も夜もずっと泣いている」と話した。
画像提供,GETTY IMAGES
タリバンの攻撃から避難して首都カブールで野宿する人たち(10日、カブール)
アフガニスタン政府は何を
14日にはガニ大統領の録画演説がテレビ放送された。住民がこれ以上を家を追われ、各地で破壊が続くことを防ぐため、アフガニスタン軍の勢力を再結集することが何より最優先されると、大統領は述べた。
ガニ大統領は、国民に「押し付けられた」戦争がこれ以上、命を奪うのは許さないとして、アフガニスタン治安部隊の「勇気」をたたえた。
国連はアフガニスタンの近隣諸国に対して、避難民の安全確保のため、国境を閉じないよう呼びかけた。アントニオ・グテーレス国連事務総長は、状況は制御不可能な状態に陥りつつあると懸念を示していた。
アフガニスタン情勢の変化:アメリカの作戦展開とタリバンの進攻
2001年10月: 9月11日の米同時多発テロを受け、アメリカ主導によるアフガニスタン空爆開始
2009年2月: アメリカはさらに兵士1万7000人の増派を決定。NATO加盟国もアフガニスタンへの増派などを約束
2009年12月: バラク・オバマ米大統領(当時)は、アフガニスタン駐留軍を3万人増員し、計10万人に拡大すると決定。一方で、2011年までに撤退を開始すると表明
2014年10月: アメリカとイギリスが、アフガニスタンでの戦闘作戦を終了
2015年3月: ���バマ大統領が、駐留軍の撤退延期を発表。アフガニスタンのアシュラフ・ガニ大統領の要請を受けたもの
2015年10月: オバマ大統領が、2016年末までは兵士9800人をアフガニスタンに残すと述べた。これ以前は、1000人を残し全軍を撤退させると約束していた
2016年7月: オバマ大統領は「安全保障上の不安定な状態」を理由に、2017年には米兵8400人が駐留すると発表。NATOも駐留を継続することに合意したほか、2020年までアフガニスタン政府軍への資金援助を続けると強調した
2017年8月: ドナルド・トランプ大統領(当時)が、タリバンの勢力拡大を受けた増派表明
2019年9月: アメリカとタリバンの和平交渉が決裂
2020年2月: 数カ月におよぶ交渉の末、アメリカとタリバンがドーハで合意に至る。アメリカは駐留軍撤退を約束
2021年4月: ジョー・バイデン大統領、9月11日までに駐留米軍を完全撤退させると表明
5月: 米軍とNATO各国軍の撤退開始
5月: タリバン、南部ヘルマンド州でアフガニスタン軍へ大攻勢開始
6月: タリバン、伝統的な地盤の南部ではなく、北部で攻撃開始
7月2日: カブール北郊にあるバグラム空軍基地から、米軍やNATO加盟各国軍の駐留部隊の撤収完了
7月21日: タリバンが半数の州を制圧と米軍幹部
8月6日: 南部ザランジの州都をタリバン制圧。タリバンが新たに州都を奪還するのは1年ぶり
8月13日: 第2の都市カンダハールを含め4州都がタリバン支配下に
8月14日: タリバン、北部の要衝マザーリシャリーフを制圧
8月15日: タリバン、東部の要衝ジャララバードを無抵抗で制圧。首都カブールに入る
(英語記事 Afghanistan on the brink of Taliban takeover / Taliban take government's last northern stronghold)
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プレーンシフト:ドミナリア ベルゼンロックの陰謀団
D&D第5版でマジック:ザ・ギャザリングの世界を冒険するための公式サプリメント『Plane Shift: Dominaria (プレーンシフト:ドミナリア)』の「ベルゼンロックの陰謀団」の章を翻訳した。これにより、ドミナリアを舞台としたシナリオに邪悪なカルト教団を悪役として登場させることができる。
ベルゼンロックの陰謀団
陰謀団はその創設以来、暗黒を崇拝し続けてきた。今日、悪魔王ベルゼンロックは陰謀団の最も新たな、最も恐るべき神である。ベルゼンロックは、天高くそびえ立つ要塞の暗き中心にあるかの者の場所から、熱烈な信奉者を世界中のあらゆる場所へと送り出す。かの者の名によって彼らは恐怖を植え付け、強力な遺物を略奪し、その真の王と指導者の到来のためにドミナリアでの準備を整えている。
陰謀団はある家系によって組織された犯罪集団として始まったが、ベルゼンロックによって本格的な悪魔教団となった。野外においては、ベルゼンロックの騎士団は彼の恐るべき栄光のためにその身を捧げる暗黒の聖騎士であり、かの悪魔の寺院の中では漆黒の法衣に身を包んだ禿頭の修行僧たちが、尊き悪魔の名を唱えている。
陰謀団は近代ドミナリアの世界中に蔓延る邪悪な勢力であるため、英雄を輩出したり、それらを冒険へと送り出したりすることは想定していない。そのため、この章ではキャンペーンにおける悪役の振る舞いについて解説している。
陰謀団での冒険
その本拠地はアーボーグの要塞にあるものの、陰謀団は世界中に支部を持ち、特にエローナで活発に暗躍している。恐怖と混乱を引き起こすための明確な攻撃に従事する者もいれば、工作員や暗殺者として社会に紛れ込む者もいる。彼らの目的は世界中の強力な国家を不安定にし、そうして整えられた道をベルゼンロックの軍隊が行進し、かの悪魔の正当性を示していくことにある。
陰謀団の遺跡
陰謀団での冒険に関わる遺跡は前哨の小さな寺院から遠隔地の山の城塞に至るまで、おおよそが邪悪な魔法に満ちている。陰謀団の遺跡表にはいくつかの例が記載されている。
陰謀団の遺跡
d10/冒険の遺跡
1:大都市の近くにあるベルゼンロック信仰の小さな神殿
2:賑やかな町にある、陰謀団の信奉者が集う地下施設
3:カルト教団員たちがベルゼンロックの玉座を飾る魔法のアイテムを探している、遺跡と化した図書館
4:暗い沼地の、半壊した寺院
5:陰謀団がその力を利用しようとしている、古代の戦争機械
6:冷酷漢の騎士たちの小規模な前哨地
7:暗闇から浮かび囁くような音を響かせる深い陥没孔
8:山脈に隠された要塞
9:放棄された鉱山の縦穴
10:陰謀団の一員となったある貴族の邸宅
陰謀団の悪役
ベルゼンロックの陰謀団は、その指導者の栄光のためにドミナリアのすべてを掌握し、支配すること、ただその一点に力を注いでいる。
陰謀団の悪役表には、その邪悪な性質と恐るべき計画がいくつか例示されている。
陰謀団の悪役
d8/悪役
1:冷酷漢の指揮官は混沌と混乱を起こすため、国境線に沿って侵攻を指揮している。
2:陰謀団の暗殺者は、有力な家系の長子を殺し始めた。
3:ある狂気術師が無防備な街に向け、形無き悪夢の恐怖を解き放つ。
4:狂信者の長が隠された神殿から瘴気を放ち、周辺の森を汚染して腐敗させようとしている。
5:陰謀団の狂信者は支配的な議会や有名な教会へと入り込み、内部からそれを破壊しようとする。
6:狂気術師は怪物の精神を制御し、それを農地や村落で暴走させる。
7:陰謀団の浸透者が、より大きな組織内(複数のセラの騎士団やベナリアの候家の間)の様々な派閥の意見の不一致を引き起こす。
8:陰謀団の浸透者たちが予測不能な時間を狙い、人口密度が高い地域であらん限りの恐怖を引き起こすように設計された悪夢の装置を爆発させる。
ベルゼンロックの狂信者
陰謀団員は皆狂信的であり、苦しみと強欲、そして狂気魔術特有の力によって苦痛の中に熱狂している。陰謀団の創設より、狂気術師として知られる魔術師は悪夢の本質を操り、現実を作り替えるとともに並行領域である“狂気の空間”から道具やクリーチャーを生み出すことができる。何世紀もの苦行によってそれは大きく変革し、狂気魔術は陰謀団の強力な財産となった。陰謀団員はこの魔術をベルゼンロックからの恩寵を除けば最上のものであると誇っている。
カルトの狂信者、修練者、司祭
陰謀団のほとんどの団員は、宗教的能力によって組織に仕える。秘密裏にベルゼンロックを崇拝する陰謀団の支部は世界中で発見することができる。陰謀団に正式に加入すると、カルト信者は頭を剃って修練者となり、暗黒の儀式によって司祭を補助する。陰謀団の司祭の階級が上がるにつれ、より衣装は豪奢となり、修練者との違いを表すための頭飾りや高襟を身に着ける。ほとんどの陰謀団の僧侶たちは狂気術師であり、生贄と崇拝の道具を持っている。しかし、いくらかの僧侶たちは本質的に武闘派であり、重い刀剣を携えて戦うことこそがベルゼンロックへの最も積極的な捧げ物であるとみなしている。
これらの人々を表すため、モンスター・マニュアル記載の侍祭、カルトの狂信者、魔道士、司祭のデータを使用することができる。君はこれらのデータを下記の「陰謀団員の特性」を使用して修正することができる。
冷酷漢
陰謀団の騎士たちはすべて冷酷漢と呼ばれる騎士団の団員である。彼らが纏う鎧は戦場稼ぎや盗品を鋳溶かして鍛造し直され、漆黒に塗られると共に、縁取りを研磨される。多くの場合、それらの鎧は悪魔ベルゼンロックの御姿を映し出すために作られる。これは、冷酷漢の騎士たちが崇拝する者の力と恩恵を得ることができると信じる偶像崇拝の形である。
冷酷漢は陰謀団の浸透戦術によって目標が弱まったあとに到来する、残忍な戦闘員である。多くの者は簡単な狂気魔術を使ったり、暗黒の魔術を使う力を与える道具を持ち歩いたりしているが、一般的には魔術師としては知られていない。遠目には禁欲的に見えるほどに、酷漢の騎士たちは戦の中で血の渇望を感じ、殺戮の只中へと身を躍らせるのを楽しんでいる。
冷酷漢の騎士は“陰謀団員の特性”を使用して修正を受けた剣闘士、衛兵、騎士、古強者のデータを使用できる。いくつかの冷酷漢たちは、実はアンデッドの馬(サイズを大型に変更したゾンビのデータを使用)に騎乗したワイトである。
浸透者と暗殺者
世界中の支部において陰謀団は祈祷師以上の役割を持っている。闇討ちであるか恐怖を広めるためにすべての権力を振るうかに関わらず、ベルゼンロックの浸透者と暗殺者は「陰謀団は何処にもいるのだ」という恐怖を知らしめる。
君は暗殺者、山賊、山賊の頭目、密偵、ならず者のデータを使用するとともに、以下の情報使って望むように修正を行うことができる。
陰謀団員の特性
『Mordenkainen’s Tome of Foes』に記載されている悪魔教団(diabolical cults)や悪魔の褒賞(demonic boons)と同様に、ベルゼンロックの狂信者の能力を強化することができる。呪文を使うことができるモンスターやNPCの場合、それらの呪文を同じレベルの下記の愛用呪文と交換してもよい。
愛用呪文:チル・タッチ(初級呪文)、ヘクス(1レベル)、ファンタズマル・フォース(2レベル)、フィアー(3レベル)
ベルゼンロックの狂信者は下記の悪魔的活力の特徴を得ることができる。熱狂的な崇拝者やカルトの長であれば、不浄なるいましめの特徴を持つことができる。
悪魔的活力:(1回/日)
ボーナス・アクションとして、あるいはこのクリーチャーのヒット・ポイントが0まで低下した際のリアクションとして、1点のヒット・ポイントを回復し、【耐久力】修正+ヒット・ダイスの最大値に等しい一時的ヒット・ポイントを得る。
不浄なる結束:
このクリーチャーから30フィート以内の仲間が死亡した際、リアクションとして、このクリーチャーは死亡したクリーチャーの【耐久力】修正値の2倍のヒット・ポイントを回復する。
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 11月6日(土) #大安(戊午) 旧暦 10/2 月齢 1.23 年始から310日目(閏年では311日目)にあたり、年末まであと55日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 家に帰りホッとしてしまったのか💦 二度寝三度寝爆睡してしまった😅💦 こんなお時間ですね✋支度が迫って ますので失礼します🤣😆🤣デハデハ✋ . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #持株会社解体令. 1945(昭和20)年連合軍(アメリカ軍)に敗戦し連合軍の占領統治下に置かれた日本国政府は、三井、三菱、住友、安田の四大財閥を解体するという政府案をGHQに提出し承認。 後の1946(昭和21)年4月、政府はGHQの傘下で財閥解体の実施機関「#持株会社整理委員会」を設置した。 委員は当初6名、後9名。 この委員会で指定された会社は、その所有証券をすべてこの委員会へ譲渡し、処分を受けた。 30の財閥本社、42の持株会社の解散、持株処分を遂行し,1951年7月解散。 こうしてアメリカ軍の日本国占領は、冷酷にも行われたのであるが、それは今も尚続いて居るのでしょう。 日本は独立国ではありません✋アメリカの犬です⤵️ 経済民主化政策の一つでるというのは、完全に綺麗ごとでしょう。 . #大安(ダイアン). 「大安日(にち)」の略。 陰陽(おんよう)道で、旅行・結婚など万事によい日。 一切合切(イッサイガッサイ)が良いとされる日。「大いに安し」の意味。 六曜の中で最も吉の日とされる。 何事においても吉、成功しないことはない日とされる。 六曜は、暦注の一つで、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6種の曜がある。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。 通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・丁卯・丁未・戊辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。 この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #一粒万倍日(イチリュウマンバイビ). 選日の1つであり、単に万倍とも言われます。 一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという意味である。 . 一粒万倍日は何事を始めるにも良い日とされ、特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。 但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは苦労の種が万倍になるので凶とされる。 また同じ意味合いで、借りを作る、失言をする、他人を攻撃する、浪費などもトラブルが倍増するので避けたほうがいいとされている。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . #母倉日(ボソウニチ). 暦で、母が子を育てるように、天が人間をいつくしむという日。 春は、亥・子の日。夏は、寅・卯の日。 秋は、辰・戌・丑・未���日。 冬は申・酉の日。 他に四季の土用には巳・午の日がこれにあたり大吉の日とされる。 . #三隣亡. 九星の俗信の一つ。 建築関係において大凶日。 この日に建築をすれば火事を起こし、近所隣を滅ぼすと云われる日。 棟上げや土起こしなど建築に関することは一切忌むべき日。 「さんりんぼ」とも言う。 . #アパート記念日. . #巻寿司の日. . #お見合いの日. . #アリンコのいいロールケーキの日. . #パンわーるどの日. . #手巻きロールケーキの日(毎月6日) . #メロンの日(毎月6日) . #生命保険見直し月間(1日から30日) . #低GI週間(11月1日から11月7日まで). . #戦争と武力紛争による環境搾取防止のための国際デー。 . #ドミニカ共和国憲法記念日. . #タジキスタン憲法記念日. . . ■今日のつぶやき■. #朱に交われば赤くなる(シュニマジワレバアカクナル) 【解説】 人は関わる相手や環境によって、良くも悪くもなると云う例え。 良い友人を選ぶことは大切だ、という教訓が含まれている。 . . 1982(昭和57)年11月6日(土) #渡辺大輔 (#わたなべだいすけ) 【俳優】 〔神奈川県〕 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CV6kdH6BWoVZW8uYSYcwWiPIDbwbNWHKZgi5vI0/?utm_medium=tumblr
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竜と輪の星
「ある年に神様が現れて、最も力のある者の願いを叶える」という予言のために各地の領主が躍起になるという世界で遊ぼうという内容
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地図
二つの大陸と島々がある。 国が統一に向かう乱世の時代。
信仰
各地に様々な宗教が存在するが、最も大きな力を有しているのは西大陸北部を起源とするもので「正教」と呼ばれる。
全てを生み出した最高神とものを司る二神、感情を司る三神の六柱の神々を祀っている(アルセウス>ディアルガ・パルキア>ユクシー・アグノム・エムリット の順に位が高い)。
北部では正教が実権を握っており、政治等にも介入する。
また予言書が発見されたのが北部であるため正教が研究機関を設け、予言書の内容の研究を行なっている。
正教の派生で反物質を司る、二神と同列の「異界の神」が魔法使いや呪術師、ゴーストタイプの間で信仰されている。
西大陸東部では正教の他に、「三羽の鳥」という実在する三羽の伝説の鳥が各地で信仰を集めておりその恩恵を受けている。
西大陸西部では正教の他に、古い町を中心に死んだポケモンを蘇らせた「虹神」、海沿いの町では海を司る「荒海神」への信仰が厚い。
東大陸東部では理想と真実の世界を作るものを助ける二柱の「二龍神」の信仰がある。
一部の研究者は、予言書の神はこの二柱のことではないかという説を説いている。
東大陸西部では「破壊の神」「再生の神」の二柱の神々と秩序を司る「秩序の神」の信仰がある。 破壊と再生は死と生でもあり、死者の復活あるいはその逆も行えると言われ、世界を滅ぼすこともできると説く一部の狂信者の行いが目に余る。
また秩序を司る神を信仰する一派がその両極端な性質を制御、時に制圧しており、この地域では最も力を有している。
西大陸南部や東大陸南部諸島では「陸の神」「海の神」「空の神」、「太陽の化身」「月の化身」などの神々が信仰されており、人々の自然とともに暮らす生活と密接している。
特筆すべき点は両地域とも「空からの災い」が言い伝えにあり、おそらく島国故の外部からの侵攻がそのように伝わっているのだろう。
また西大陸南部には1000年に一度願いを叶えるものが現れるという伝説もあり、一部の研究者はこれが予言書の神ではないかと説いている。
科学と魔法
この世界には魔法が存在している。これを扱う者を魔法使いと呼ぶ。魔法は体質と直感。扱える者は世界の人口全体の3割ほどとされている。 扱える魔法の種類、属性、性質はある程度限定されており、全ての魔法使いが同じように魔法を使えるわけではない(原型の使える技に由来)。
そして魔法で全てを補えるわけではなく、魔法が科学より優れていると一概には言えない。科学は万人が共有できる力である。
なお神のみわざは「奇跡」として区別される。
予言書について
予言書は今から20年前に北部で発見された。人々の注目を集めたのは以下の一文だった。 「ある年に空が割れ、神が現れ、神はその大陸で最も力のある者の願いを叶える」 その「ある年」を目前に各地の領主たちはそれぞれの野望を胸に、戦に身を投じることとなる。
各地域
西大陸
北部【シンオウ】 「勤勉」
広大な土地が横たわる、西大陸で最も大きな地域。やや険しく寒い。資源が豊富。
カントーから分かれた人々が開拓し、大きく発展した。
この地が発祥の「正教」の力が広く及んでおり、立派な神殿がある。
大きな街と港町があり、発見された予言書の研究機関など知識の活用に力を注いでいる。
また巨人伝説があり、一部はホウエンにも伝わったとされている。
「異界の神」信仰の本殿があるのもシンオウとされているが、それがどこにあるのかほとんどのものは知らない。
東部【カントー】「堅実」
西大陸最古の一族の領地。
温暖な気候で未だ手つかずの土地も多く、それを狙うシンオウの侵攻を度々防いでいる。
正教の他に実在する「三羽の鳥」が各地で信仰を集めており、その加護のおかげで幾度となく侵攻を阻止している。
二つの大きな街と港町が栄えており、火山のある島では様々な研究を行なえる施設が作られている。 ここには世界中でもトップクラスの科学者が集まっている。
西部【ジョウト】「機転」
建築や芸能など独自の文化を持つ地域。はるか西方からやってきた移民が開いた土地だという言い伝えがある。
ホウエンへ向かう際この地域を縦断することになるため人通りもよくそれなりに賑わいがある。
大きな街と古い町、港町、山奥には様々な一族が住んでいる。遺跡も多い。 またパートナーのポケモンとともに行動する者が多く、街中でもあちこちにポケモンの姿を見られる。
正教の他に「虹神」「荒海神」への信仰が厚く、その他様々な信仰によって寺院などが建立されている。
南部【ホウエン】「旺盛」
他の地域から離れている、熱帯性の気候の土地。自然豊かで人々の生活と密接に関わり合っている。 果樹園や海産物、宝石が主な産業。この地域で崇められている「陸の神」「海の神」は陸と海を作ったとされ、それぞれが陣地を広げようと争ったという言い伝えがあるためか、ホウエンの人々はやや争いに身を投じることを好むようだ。
さらに空からの災いという言い伝えから天文学にも通じている。陸と海の神の争いを止めたとされる「空の神」の信者はこの空からの災いへの関心が強い。
大きな火山があり、温泉が湧いている。療養地としても有名。 発展した大きな港町があり、海運に精通している。
東大陸
西部【カロス】「傾注」
巨大な都を有する地域。歴史は長く、西大陸よりもやや洗練された印象を与える。土壌が豊かで農業が主な産業。
「 破壊の神」「再生の神」によって破壊と再生を1000年ごとに繰り返すとされている。 またその神々への信仰が厚く、熱心な者の中には神のみわざを受けて町を滅ぼしたとか、人を蘇らせたとかいう報告もある。
秩序を司るもう一柱の「秩序の神」の勢力が他の勢力を抑えているため大きな戦争に至らずにすんでいる。
傭兵を多く生み出している。
東部【イッシュ】「勇敢」
山や森、砂漠、火山など様々な自然に囲まれているが、人々はそれらとうまく共存している。 娯楽街や大きな街、港があり、働くことが生きがいとなっている人も多い。
古い遺跡や塔、地下道が張り巡らされているなど古代文明の存在を感じられる。また西大陸シンオウとつながっているとされる場所がある。
この地で信仰される「二龍神」は理想と真実の世界を作る者の手助けをすると言われており、また勝利を呼び込む妖精の言い伝えがある。そのためこの地域の人々は前向きに物事をなそうとする性質がある。
南部諸島【アローラ】「温厚」
いくつかの島々によって形成される地域。 島によっては火山があったり雪が降ったりしているが、基本的には温暖な気候。独特の生態系を持っている。
外の争いごとには関わらない主義で、大陸の争いにも関心がない。ただし自分たちの生活が脅かされるとなると精霊の力を借りて猛烈な反撃を食らわせる。
「太陽の化身」「月の化身」と呼ばれる二柱の神々の他に、4つの島にはそれぞれ精霊が祀られている。精霊はこの地域の人々にとって身近な存在であり、ともに暮らしている。科学より魔法を重視した文化も特徴の一つ。
空からの災いという言い伝えがあり、天文学に精通している。
世界観概要
剣と魔法のファンタジー乱世オブスローンズ。そうです。 (ハイファンタジーのその後みたいな) 世界観に沿ったキャラを任意の地域に所属して遊ぶ。また場合によっては所属を途中で変えることができる(主人を見限ったとか駆け落ちしたとか新天地を求めてとか)。 「予言書」として先にイベントをアーカイブとして掲載。よって好きなところから描ける。いきなり結末から行くのもいい気がする。メメント見たくなってきた。
キャラメイク禁止原型
伝説:全般 幻:ジラーチ、デオキシス、フーパ 準伝説:フリーザー、サンダー、ファイヤー、レジギガス、UB ※カプは精霊として原型デザインのみOK、レジギガス以外のレジ系は巨人族か巨人の血が混じっている
各地域規定
西大陸北部シンオウ 原型:シンオウ地方メイン
傾向:魔法使いの待遇よし(正教で悪し)、神のみわざに傾倒しがち
役職:北部軍、正教(祭司、巫女、教徒、研究機関研究員など)、異界の神(祭司、教徒など)、小さな領地の領主、呪術者、住人など
服装:西洋風推奨、他地域出身はこれに限らない、あと寒い
西大陸東部カントー 原型:カントー地方メイン 傾向:魔法使いの待遇地方でよし 役職;東部軍、正教、三羽の鳥(祭司、信奉者など)、開拓者、住人など 服装:西洋風推奨、他地域出身はこれに限らない
西大陸西部ジョウト 原型:ジョウト地方メイン 傾向:魔法使いの待遇よし、原型連れOK、芸術家待遇よし 役職:西部軍、正教、虹神(僧侶、信者など)、荒海神(祭司、信者など)、芸能人、住人など 服装:和風・西洋風、他地域出身はこれに限らない
西大陸南部ホウエン 原型:ホウエン地方メイン 傾向:魔法使い・呪術者の待遇種類によりよし、やや原始的 役職:南部軍、正教、陸の神(祭司、信者など)、海の神(祭司、信者など)、空の神(祭司、信者など)、天文学研究員、呪術者、住人など 服装:南国風推奨、他地域出身はこれに限らない、割と暑い
東大陸西部カロス 原型:カロス地方メイン 傾向:魔法使いの待遇よし、狂信者は神のみわざに傾倒しがち、芸術家歓迎 役職:東方西軍、傭兵、破壊の神(祭司、巫女、信者、狂信者など)、再生の神(祭司、巫女、信者、狂信者など)、秩序の神(祭司、巫女、執行人、信者など)、小さな領地の領主、学者、住人など 服装:西洋風推奨、他地域出身はこれに限らない
東大陸東部イッシュ 原型:イッシュ地方メイン 傾向:魔法使いの待遇よし、働き者歓迎 役職:東方東軍、二龍神(祭司、信者など)、各種職人、開拓者、学者、住人など 服装:世界観に準ずる服装ならOK
東大陸南部諸島アローラ 原型:アローラ地方メイン 傾向:魔法使い歓迎 役職:自由軍、太陽の化身(祭司、信者など)、月の化身(祭司、信者など)、天文学研究員、魔法使い、呪術者、住人など 服装:南国風推奨、他地域出身はこれに限らない、だいたい暑い
予言書アーカイブ
シーズン1 西大陸
20年前 「神が願いを叶える」という予言書がシンオウで発見される。
3月 シンオウ南方辺境領主サンジェム公率いる軍が南下、カントー制圧を掲げる。
カントーはジョウトに協力を要請、一部のジョウト軍が戦いに参加。
カントー・ジョウト連合軍が山の裾野でシンオウ軍を迎え撃つ。数では不利だった連合軍だが三羽の鳥の一羽サンダーが雷を落とし、シンオウ軍はやむなく敗走。知らせは各地へ届く。
ホウエンは種蒔きの季節。
4月 ホウエンの商人キャラバンが海路でシンオウへ向かう途中で消息不明になる。ジョウトの海賊の仕業だとホウエンで噂されるがジョウトは否定。ホウエンとジョウトの間で不信感が募る。
カントー軍はシンオウ辺境領の進軍を防ぐための防壁の建造に取り掛かっていた。
5月 シンオウ領南で南下してきた先鋒のシンオウ軍とジョウト軍が衝突。
シンオウからホウエンへ使いが出る。ジョウト制圧への協力の要請。
先月のこともありホウエンは承諾。ただし収穫の時期は休戦するという条件。
6月 カントー軍がジョウト軍に加勢。
シンオウ領マサゴでシンオウ辺境領主サンジェム公との会合の席が準備されていたが、そこへ向かったジョウト軍フスベ公がシンオウ軍に捕らえられる。
フスベ公が捕らえられたという知らせを受けた後方のジョウト軍は怒りに震える。
しかしすぐ後ろにはホウエン軍が迫っていた。やむなく会敵するがホウエン軍の機動力にジョウト軍は翻弄される。
その時加勢に来たカントー軍が合流。また三羽の鳥の一羽フリーザーの吹雪がホウエン軍を襲い、ホウエン軍は散り散りになる。
7月 ホウエン軍が収穫のために戦闘を離脱。その直前、シンオウ軍との会談に向かったホウエン軍フォトゥリー公に同行していた祭司オリがシンオウ軍サンジェム公の会話を耳にする。
それによるとどうやら商人キャラバンを襲ったのはジョウトではなくシンオウの海賊であり、ジョウトは濡れ衣を着せられただけだったらしい。
サンジェム公に発見されたオリは捕らえられてしまう。
ジョウト軍エンジュ公はホウエン軍がしばらくは戻ってこないと理解し、軍をシンオウの前線に向かわせる。
加勢したカントー軍は一部が壁の建築の応援に戻る。
8月 行方不明になったオリを探しにホウエン軍フォトゥリー公が一部の隊を引き連れシンオウを訪れる。サンジェム公とのやり取りの中でフォトゥリー公は、オリとサンジェム公は面識がないはずなのにサンジェム公がオリを彼女と言い、不審に思う。
フォトゥリー公はサンジェム公を牽制しながらも一旦は引き下がり態勢を立て直すことにする。
捕虜となったフスベ公は同じく捉えられているオリと対面し、オリはサンジェム公の会話の内容を教えてくれる。また気のいいシンオウ軍ダグと親交を深め、フォトゥリー公がいずれオリを奪還しに来るだろうとこっそり教えてくれる。
シンオウ軍の侵攻は勢いを増して南下しており、ジョウト軍は押されている。
夏の終わり頃、カントーでは夏の日差しと活力に感謝し別れを告げる火祭りが開かれる。ジョウトに残ったカントー軍も駐留地で薪を燃やす。
9月 ホウエン軍フォトゥリー公とモーヴィル公がシンオウ軍に奇襲をかける。混乱の間にダグがフスベ公とオリを逃がしてくれる。なんとかフォトゥリー公と再会するもののホウエン軍は劣勢に陥り、オリはフスベ公に託される。フォトゥリー公はその後シンオウ軍サンジェム公に倒されてしまう。モーヴィル公と彼の軍は助かり、逃走する。
フスベ公はオリをシンオウ領で再会したパートナーポケモンに乗せて送り出す。
ホウエン軍の奇襲により統制が乱れたシンオウ軍を東西連合軍が押し返す。
シンオウナギサの港に異国の女性が到着する。
10月 フスベ公が逃亡していたコトブキの街で異国の女性と出会う。何かに気づいた彼女に制止を求められとっさに逃げる最中、謎の場所に落ちてしまう。さまよっているとやがて目の前にアルセウスが現れる。アルセウスはフスベ公に力を授けて消えてしまう。
ホウエン軍がフォトゥリー公を倒された復讐のためジョウト軍と同盟締結を持ちかける。とはいえ冬が迫りつつある西大陸で準備が十分でないホウエン軍はジョウト軍に対して過度の支援を求める。それに対しジョウト軍内では意見が割れてしまう。
オリがジョウト・エンジュの街にたどり着き、ホウエン軍に引き渡される。
シンオウではサンジェム公が思うように成果を上げられずにいるのを他の領主は嘲笑していた。そしてジョウト方面で戦闘するサンジェム公を囮にしてシンオウ東方辺境領主ヴァイデ公が手薄なカントー方面への進軍を開始する。
半年かけて建造されたカントーの防壁だったが、ヴァイデ公が引き連れて来た巨人により一部が大破。カントーへの侵攻を許してしまう。
11月 正教直属の予言書研究機関が設けられたミオ図書館へ異国の女性が到着する。女性は東大陸アローラの巫女で、予言に関して新たな情報を提供しに来たのだった。
いつの間にかシンオウの別の場所に戻っていたフスベ公は無事にジョウト領へと戻る。死んだと思われていたフスベ公の帰還にジョウトの人々は喜ぶ。
一方でホウエン軍とジョウト軍の同盟締結は難航していた。しかしカントーならその条件を飲めると進言。そして比較的温暖な気候であるため駐留するホウエンの人々も過ごしやすい。ホウエン軍モーヴィル公はこれを承諾し、使いをホウエンへ送ろうとする。
そこへシンオウ軍がカントーへ巨人を連れて侵攻しているという知らせが届く。モーヴィル公は使いに援軍要請を付け加え送り出す。モーヴィル公とカントー軍、そしてエンジュ公率いる一部のジョウト軍はカントーへ向けて出発する。
12月 セキエイ高原を目前にヴァイデ公率いるシンオウ軍と東西南部連合軍が会戦。冬の高地ではシンオウ軍に分があり、また巨人の力になすすべがない。
アルセウスの力を得たジョウト軍フスベ公は導かれるがままシント遺跡と呼ばれる場所でその力を解き放ち、再び現れたアルセウスの無から生命を創造するという神のみわざを目にする。目の前に小さなディアルガが生まれる。
彼の肩に張り付いていた不思議な断片がするりと彼の元を離れたことに気づいていない。
シンオウ予言書研究機関では東大陸の巫女が何かを感じ取る。
カントーグレン、生命の実験を行なっている研究員が夜空に何かを見つける。
ホウエン・トクサネ、夜空を見上げていた観測者が顔を青くする。
そして未だ知らない場所、東大陸アローラの天文台は慌ただしく鐘を鳴らしている。
空には見たことのない輪のような星が浮かんでいる。
シーズン2 竜と流星
1月 セキエイ高原北ではヴァイデ公率いるシンオウ軍が未だ優勢で、前線は高原の南まで押し進められている。
東西南部連合軍は士気を失いつつある。すると甲高い声が響き渡り、空からファイヤーが舞い降りる。辺りの雪は解け出し、同時に南から轟くような声と地響きが伝わる。 救援を受けたホウエン軍が到着する。中には巨人に匹敵するほどの大きさの兵士もいる。ファイヤーがもたらした暖かさによってホウエン軍は遺憾無く力を発揮し、連合軍も再び士気を取り戻す。そしてとうとうシンオウ軍の巨人を倒す。
ヴァイデ公は逃走しようとするが、機動力のあるホウエン軍によって瞬く間に包囲されてしまう。ヴァイデ公は捕虜となり、連合軍は勝利する。
戦い終わって息をつく間も無く駐留地に輪の星の知らせが届く。
シント遺跡から戻ったフスベ公はエンジュに戻った直後、東大陸カロスにある秩序の神信仰の総本山からの迎えにより、東大陸カロスの街ヒャッコクに到着していた。秩序の神信仰の総本山で祭司エニスターに謁見する。見覚えのある顔を発見する。いつかシンオウで出会った気のいいシンオウ軍ダグは東方東軍の密偵であり、秩序の神に協力していた。
二龍神の名において勇者の手助けは惜しまない、というのが彼の信条だという。彼は今最も有力なのが秩序の神の一派だと考え、フスベ公に対しても直感的に勇者の素質を見出していた。
また彼は東大陸イッシュにある心の空洞という場所から西大陸シンオウまで移動していた。
輪の星の出現は西大陸ホウエン、東大陸アローラに伝わる「空からの災い」に関わるものだといい、それは世界を滅ぼすほどの力を持ち、それに対抗できる力として秩序の神が最も有力なのだという。おそらく正教との衝突は避けられないだろうとし、アルセウスの神のみわざを目撃したフスベ公に協力を賜りたいとエニスターはいう。
ダグが西大陸に渡ったのはエニスターの「目」を各地に配置するためで、フスベ公にも気づかないうちに「目」をつけられていた。その「目」を介してエニスターはフスベ公が目にした奇跡を感じ取っていたのだ。彼の力の半分はその「目」に注がれているため十分に動けないのだという。
他の宗教を信じろというのは不可能であれ、今は目を向ける先を変えるだけでいいというエニスターの頼みをフスベ公は承諾する。西大陸ホウエンの祭司オリに知らせを出す。
西大陸シンオウの予言書研究機関では輪の星の調査が進められている。一部ではあれこそが予言書の神なのではという説が浮上しており、輪の星をアルセウスと同一視する動きが出ていた。
2月 成果を上げら��ずにいるサンジェム公、巨人を失い捕虜となったヴァイデ公に、シンオウ諸侯はカントー攻略にはさらに大きな軍が必要だと団結を迫られる。シュライーデ公配下の呪術師は異界の神の加護を求め送りの泉へ向かう。
フスベ公がジョウトに戻り、合流したオリとともに直ちに船でシンオウ領ミオへ向かう。ミオの予言書研究機関にて巫女と再会する。「空からの災い」に関する情報はすでに彼女によって持ち込まれており、彼女はこの地で調査を続けていた。
フスベ公は、領地を巡った争いを即刻中止し差し迫った問題を解決するべきであると正教から諸侯に告げるよう、オリと巫女とともに申し出る。正教では輪の星を「空からの災い」ではなく最高神アルセウスであると見る派閥が大きくなっていたため、この申し出は断られる。何度訴えても応じてもらえずフスベ公は落胆し、シンオウを後にする。
ジョウトではカントーとホウエンの首長を招いて今後の動向を決めている。東西はフスベ公の意見に伴ってヴァイデ公を解放する条件にシンオウの停戦を求めようとする。ホウエンは処刑を求めていたため渋々だが承諾する。
カントーでは壊された壁の修復、ホウエンでは輪の星の出現以降「空からの災い」にどう対処するべきかということについて日夜話し合いが続けられている。もしカントー・ジョウト・シンオウが争いをやめないのであればホウエン軍は連合を脱退すると申し立てる。
また東大陸はすでに「空からの災い」に対抗しうる力を確保しつつあった。
3月 輪の星が大きくなっていることに、各地の天文台のみならず人々も気づいている。このままでは輪の星は地上に落下するだろうということを誰もが噂している。
正教だけはそれがアルセウスの姿だと信じており、勝利を我が物にするための手立てを企てている。
カントーからの条件をのみ、シンオウにヴァイデ公が返還される。しかしシンオウ軍シュライーデ公はヴァイデ公、そしてサンジェム公を恥さらしと罵り、生贄として送りの泉に沈める。
4月 シンオウ、戻りの洞窟にてギラティナがシュライーデ公によって召喚される。シュライーデ公は軍とギラティナを連れて南下する。ホウエン軍は来たる「空からの災い」のための戦力を確保するため撤退し、東西連合軍はこれを少数で迎え撃つこととなる。
フスベ公はもう一人の自分と遭遇する。もう一人の自分は、今は何もできないが全てを目撃し次に繋げるために生きろと言い、ディアルガとパルキアを連れて去っていく。
輪の星が重なり合った二つの星であることを西大陸ホウエンの天文台が発見する。これにより星が輪状ではないと判明し、正教のアルセウス説はかき消えた。
シュライーデ公は全ての野望の根源が失われ戦意を喪失するが時すでに遅く、ギラティナは邁進する。
5月 東西連合軍は三羽の鳥の力を借りながらなんとかギラティナを倒す。しかし多大な犠牲が出てしまい、「空からの災い」への準備が間に合うか厳しい状況となった。ギラティナを失ったシュライーデ公は輪の星のこともあり完全に戦意を喪失してしまう。
空の輪の星は今や光の部分がはっきりと大きくなり、いずれ前方の星と後方の星が衝突することが予想されていた。
東大陸イッシュでは「空からの災い」に備え古代兵器の封印を解く動きが出ている。あまりに危険な判断であり、封印を解かせまいと立ちはだかったエニスターが生命の神と破壊の神の狂信者たちに殺される。
また東大陸イッシュでは自分たちの正しさを盲信した者たちがジャイアントホールへと向かう。
6月 上空で前方の隕石を後方の隕石が打ち砕き、運命の鐘が鳴り響く。巨大な隕石が地上へ向けて落下する。
東大陸カロスは隕石に向かって古代兵器を起動する。その古代兵器は生物の命を力に変換するため、古代兵器の周囲の生物は死に絶えてしまう。
隕石は古代兵器によって破壊される。しかしその中から三角形の物体が現れる。それはさらに形を変え、一つの生物のような姿になる。その生物は東大陸へ向けて降りてゆく。
また打ち砕かれた隕石の持つ力が空間を捻じ曲げ、異次元空間とつながる穴を開けてしまう。そしてその穴から見たことのない生物たちが現れる。
東大陸イッシュはかつて巨大な隕石が落ちたとされるジャイアントホールの封印を解き、化け物と呼ばれる存在キュレムを解き放つ。キュレムの復活により異次元から現れた生物たちを迎え撃つことができたが、その周囲は凍りついてしまう。
東大陸アローラでは地下深くに封印されていたネクロズマを解き放つ。非常に強力な光線を放出するが、凶暴なため何もかも破壊してしまう。
西大陸カントーでは魔法と科学の融合で生み出した凶暴なミュウツーをやむなく解き放つ。異次元から現れた生物たちを迎え撃つことができたが、手をつけられないほどの凶暴さで周りの人々さえも攻撃し始めてしまう。
隕石から現れた生物は西大陸シンオウへと降り立ち、圧倒的な力で世界を滅ぼしてゆく。
燃え盛る世界で、フスベ公はディアルガの力で古代の世界へとタイムスリップする。
それは言い伝えとなる「空からの災い」が降ってきた後の時代。元の時代では神と呼ばれる伝説のポケモンたちがこの時代には生きていた。
古代 フスベ公はシント遺跡で古代のアルセウスと対面し、再び神のみわざによってパルキアを生み出す瞬間に立ち会う。
またフスベ公は最古の一族とフーパに出会い、この時代で「空からの災い」に人々とともに挑んだ伝説のポケモンたちの話を聞く。その中で遺伝子の楔、メガストーンというキーワードを耳にする。
そして古代の世界で存在していた伝説のポケモンたちを、パルキアの作り出した異空間に移す。
2度目の4月〜5月 フスベ公がディアルガの力で元の時代に戻ってくる。
ディアルガとパルキアを連れて正教を訪れ、輪の星がアルセウスではないこと、いますべきは戦ではなく来るべき「空からの災い」への備えだと説得する。そしてシュライーデ公の元へ赴きギラティナを召喚するのは今ではないと計画を阻止する。
さらに心の空洞を経由して東大陸カロスセキタイの街へ向かい、エニスターの殺害を阻止。
フスベ公のディアルガとパルキアを従える姿に二龍神の敬虔な信者たちは勇者の姿を重ねる。
秩序の神の一派や二龍神の力を借りて遺伝子の楔とメガストーンを手に入れ、それらをあるべき場所へと受け渡す。
この時代で再びフーパと出会い、異空間からレシラム、レックウザを呼び出す。
2度目の6月 運命の鐘が空中に鳴り響く。隕石が降り注ぎ、異次元空間とつながる穴が開く。
封印を解いたキュレムがレシラムと合体、ホワイトキュレムとなり異次元からの生物を迎え撃つ。
エニスターが100%フォルムのジガルデとなり、異次元からの生物を迎え撃つ。
ミュウツーには愛情を持って育てていた研究員とメガストーンが反応し、メガミュウツーYにメガシンカする。
ネクロズマの封印は解かれず、カプたち精霊が異次元からの生物を迎え撃つ。
召喚されたギラティナが異次元空間とつながる穴を塞ぐことで異次元からの生物の侵攻を止める。
レックウザがメガシンカし、隕石を破壊。現れたデオキシスを迎え撃つ。
神と呼ばれる伝説のポケモンたちによって、そしてそれらをこの時代に呼び寄せたフスベ公と、脅威と立ち向かった全ての人々によって世界は滅亡を免れる。
7月 全ての人々から賞賛されたフスベ公は「ドラゴン使い」と呼ばれ英雄となる。
予言書の真実「空からの災いから世界を守ったものが全ての長となりうるとされ、その栄誉からもたらされるものこそがどんな願いにも匹敵するとされる」と語られるように。
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Text
--深海人形特別篇-- 続⭐︎引用集
※私家版日英翻訳文等付き
[[MORE]]
ーーYOU ARE BRAVE!
YOU ARE GREAT!
YOU DETECTED WHERE I WAS,
FOUND OUT MY SOFT SPOT,
AND RISKED YOUR LIFE
IN THIS BATTLE.
ARE YOU,
HOWEVER
ITS VICTOR?
I HAVE INTELLIGENCE.
I HAVE POWER.
DO YOU KNOW WHAT I AM?
I SHALL PLEGUE YOU FOREVER.
ーーX-multiply 1&2 ALL Ending
(※…以下、私家訳)
ーーあなたは勇者なのね!
あなたって凄い!
私の体の事を調べ尽くした貴方は、遂に私の柔らかい部分を探し当てた。しかも、自分の命を危険に晒してまで、この戦いにその身を投じた。
でもさぁ、それが勝利だって?
私には知性がある。
私には力がある。
お前は一体、私の何を知っていると言うんだ?
私はお前に感染し続ける。永遠に。
ーーデータでも紙でもない。作品を残す場所は読者の心だ。絶対に消えない。ーーこち亀 竜千士
ーーNot in the data,not on paper, all authors’ works remain in the hearts of readers.Those are no delete Absolutely.ーーKochikame Ryusenshi
※Other ver. ーーThere aren’t in the data,and on paper.The place of all authors’ works in the hearts of readers!Those are no delete absolutely.
(※…上の二つは、主宮慈愛による私家訳)
THUNDER DRAGON <雷龍>
ストーリー:
22世紀後半、地球の汚染により、宇宙移民に総力を傾けねばならなくなった人類は、 全ての自動戦闘兵器を平和条約によって凍結した。
が、 自分たち以外の知的生物の存在を許さないマッドサイエンティスト集団“サイバーメフィスト”は地球連合軍の退役コンピュータ指揮戦艦をハッキングし、 全ての自動戦闘兵器を手中に収めるのに成功した。 狂ったように襲いくる自動空中戦艦!!迫りくる人類最後の日!!シカゴ郊外の軍事博物館に眠る「最後の有人戦闘ヘリ」と呼ばれた、GH-68サンダードラゴンが、 100年ぶりに名も無き若い2人の主人をコクピットに迎え入れたのは、まさにその時だった。
ーーしゃぶの泣き言(;´_`;)日記♪さんより 引用
ーー死を惧れよ 殺しを惧れよ 死を望む者 等しく死に 望まるるが故に
ーー文豪ストレイドッグス 芥川龍之介
ーー人の強さは、悲しみの淵で藻掻く人に差し伸べる為にあるんだ!
ーー文豪ストレイドッグス 中島敦
ーー十一月十日
○ジュー〔ユダヤ人〕財閥とコミンテルン。自分はこう結びつけてみる。我々はわれてはならぬ。欺かれるとは馬鹿にされたということなのだ。端的に言ってしまうならば。
ーークロォチェは、ほんとうの意味の学問の純粋を保っていた人でした。そういう、清い、強い心を持った人が、一部の人だけの幸福を考えるはずがないのは、あたりまえだと思います。
ーー教養が欲望にまけていて、わたしたちは立派になれることはないでしょう。一国の場合でも同じことだと思います。
ーー「人は生れ、人は苦しみ、人は死ぬ」
ーー文化もない、否、苦しみもないプロレタリア階級の生活を思う。
ここにほとんど凡ての人間がいるのだと!
ーーたとえマスクをかけても私たちは生きねばならないのだ。
ーーしかし人間は考える葦ではなかろうか。人間は考える能力は有しているがそれを解決する能力は持っていないのだ。
ーー私たちはともすれば井中の蛙になりやすい。安易な自己礼讃や自己満足に耽ってしかも自ら識らないで得々としている場合がないでもない。
ーー日本人はもっと謙譲であるべきはずだ。黙々として、永遠に全人類の心の底を脈打って流れる偉大なる貢献をなしてこそ、初めて日本民族の偉大性が燦として全人類史を飾ることになるのである。
ーー実力のない空威張は総て排さなければならぬ。しかもその実力は並大抵の努力で得られるものではない。
ーー偉大なる人格は造ろうとして造り得るものではない。飛行機や船等は造り得る。
ーー存在した、存在する偉大なる人格は、単に日本のみではなく、全人類の宝である。
ーーしかしこうしてそういう宝を数多く持つ民族ほど偉大なる民族であると言わねばならぬ。
ーー真に内的な苦悩を経験しない民族もまた、決して偉大なる民族と言うことは出来ない。
ーー総ては悲劇でした。しかし芥川〔芥川龍之介。一八九二─一九二七〕も言っているように、親子となった時に既に人生の悲劇が始まったのだということは、いみじくも本当だと思いました。気の毒なお父さんお母さんに恵みあれかし。
ーー僕は常に光を求める。
君も常に明るさを求め給え。
ーー昨日恋し、今日悩み、明日死す。 キェルケゴール(?)
弱きもの、哀れなるもの、汝の名は人類。
ーー人間は、人間がこの世を創った時以来、少しも進歩していないのだ。
今次の戦争には、もはや正義云々の問題はなく、ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。
敵対し合う民族は各々その滅亡まで戦を止めることはないであろう。
恐しき哉、浅ましき哉
人類よ、猿の親類よ。
ーー衆愚の心、大衆の中に没するということは、しかし、永久に大衆の中に自己を滅し去ることではないはずだ。
大衆の愚劣と平凡と息切れのする臭気の波の中から、喘ぎ喘ぎ浮かび上ってきた、未だ滅し切れない自己の姿それは凡てを洗い落して、凡ての闘��を闘い抜いて、最後に残された自己だに今こそ、手をさしのべて、救い上げてやる時ではないか。
ーー軍人には野の花に心を惹かれ、鳥の声に耳を傾けるような感覚は全く必要ないのだと言われる。
或いはそうなのかも知れぬ。
が、俺には、そうまで言うことは少し言い過ぎではないかと思われる。
率直に言うならば、あの言を聞かされた時には或る種の反感さえ憶えた。
ただでさえ俺たちの感覚は干乾びているのに、我ながら心の荒んできているのを感ずる。
ーーアメリカには「精神」がない。このことは、アメリカでも真に心ある人ならば、気が付いているに相違ない。
日本的な「精神」「こころ」、俺はこれを重視することに、けっして人後に落ちるものではないと、自ら信じている。
ただ望むのは「人間」の全般的見方である。
大きな目で人間というものを見たときに、衣食住というものが相当に大きなスペースを占めて問題となり、これを快適にすることが相当に大きい意味を有することを、改めて判り切ったことが往々に軽視される強調したいのだ。
ーーきけわだつみの声より
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第一章 若い感受性ゆえの挫折
1976年、私は中国のごく一般的な家庭の3人兄弟の末っ子として、ハルピンという街に生まれた。両親はともに教員をしていて、中国では大学の教員は基本的に大学キャンパス内のマンションに住むことができるので、私は子供の頃、キャンパスならではの運動施設や広場、緑豊かな公園などに恵まれ、伸び伸びと過ごせたと思う。
当時のハルピンは三階までの建物が多く、街の中でも荒地があちこちあり、それらはすべて子供にとって楽園だった。夏には、トンボや蝶を追ったり、バッタを捕まえたり、冬には野外でアイススケートしたり、橇を作って遊んだりしていた。近所の子供たちもよく一緒に遊ぶ時代で、今の中国の街では見られない風景だった。
ハルピンは20世紀始め、ロシアが中国の東北地域の植民地支配を始めた頃、鉄道の重要な拠点として街をつくられた。ロシア本土の街と違って、極東にあって、ヨーロッパ的な都市を一から作るため、ロシア側にはしっかりとした都市計画があったようだ。20年代ではとても美しいロシア風の街のひとつで、シベリア鉄道の終起点の一つでもあった。当時ヨーロッパからの資本や銀行がたくさん入っており、ユダヤ人も大勢おり、アジアで上海の次に国際色の強い街だった。30年代に入ると日本に占領され、満鉄の重要な街として日本にも知られた。ロシア風の古い建物が多く、文化的にも東欧からの影響が濃く存在していた。今でも北京より遥かにお洒落で、ファッションセンスのある街である。
50年代以後、毛沢東の「北大荒(中国の東北にある黒竜江省など人口密度の少ない地域)開拓」の呼びかけに応じて、多くの若者が故郷を離れ、全国各地からハルピンにやってきた。そのためハルピンの人口は膨らんだ。中国には各地方の方言があるが、ハルピンは一番標準語に近いと言われる。各地方の人たちが集まったので、標準語を使うしかなかったからだ。
母と父は大学卒業後少し南にある遼寧省からやってきた。父は普通の鉄道員の家庭出身だが、母は資本家家庭出身で、波乱万丈の中国近代史を間近で見てきた。小さい時から母はよく戦時中のことや、社会主義の前の中国のことを話してくれていたので、日本への最初の印象はその時出来上がったように思う。
そのことに少し触れたい。母の曽祖父は清王朝の官吏で、清が滅んだ後、賭博場(今でいうカジノ)を経営し、瀋陽で(満州時代は奉天と呼ばれた)では多少名の知られた人物であった。軍閥張作霖とも親交があり、1931年の満州事変(日本関東軍による張作霖暗殺、満州出兵)の後は日本軍から警戒されていて、相当な不遇にあった。しかし三人の娘は皆顔立ちが綺麗だったために、それぞれ満州時代の商売人や当時の高官に嫁いだ。私の祖母の嫁ぎ先、すなわち私の祖父は瀋陽で屈指の商売人だった。日本とも貿易があったため、よく母を連れて日本に来たりしていた。母は、日本の女の人が和服を着て綺麗だったと私によく話してくれた。瀋陽の中心街に住んでいたので、(東京でいうと銀座のような場所)、平和に暮らす日本人しか見ていないので、日本に対して非常に良い印象を持っていたようだ。
母は南満洲鉄道の「アジア号」の話をよく聞かせてくれた。当時家族で豪華な車両を貸し切りに「アジア号」に乗っていたといつも自慢げに話していた。「アジア号」は当時では世界一速かったらしい。私には半信半疑だったが、何年前に日経新聞を読む時に、偶然に「日本が世界に誇る列車、アジア号」の話が出てきて、とて��懐かしかった。
私の子供頃は、よく「一休さん」と「おしん」、そして「姿三四郎」がテレビで放送されていた。そのお蔭で、その時代の中国人は皆日本に対してとても好感を持っていた。礼儀正しく、辛抱強く、真摯的で、それが90年代以前の中国人の日本に対する印象であった。もちろん、愛国主義教育で戦時中日本はどれだけ中国に対して悪いことをしたかという教育と、日中戦争をテーマとした映画の中では日本は「鬼」と化しているが、だれでも戦時中の日本人と実際の日本人とは別者に考えていた。それは今でも同じだ。最近日本のメディアではよく、中国人は愛国主義教育のため日本を嫌いになっていると言うが、それは単に中国の事情知らないだけである。或いは意図的なものかもしれない。最近の日本嫌いは、どちらかというと、日本人が自ら自分の美徳を見捨てたところにあると思う。昔の日本人ほど尊敬できるところは少なくなった、というところからだと思う。
また、私の中では、昔から「自国が弱ければ虐められるのが当然」という考えがあった。歴史知識があるなら当然思うことかもしれない。中国はアヘン戦争以後、日本だけでなく、ヨーロッパ列強に侵略されていた。だからといって、日本の侵略戦争を好��的に解釈するつもりはない。侵略戦争はいつの時代でもどこでも起きている。しかし、近代に入ってからは、大量の民間人の虐殺の伴う侵略、とくに残酷な手段による虐殺は許し難い。ナチス・ドイツを許し難いのは戦争を起こしたからではなく、大量の民間人を意図的に迫害し、虐殺したことにあると思う。第一次世界大戦もドイツによるものだったが、そこには大きな違いがあった。
それが過去であって、狂った時代であって、少しでもまともな人はそれが今の日本と結びつかないだろう。政治家たちは政治交渉のカードとして出すかもしれないが、本気で当時の日本と今の日本と同じ風に見る人はいないと思う。むしろ、中国の教科書には、明治維新の意義やそれに対する評価が高く、中国ではそれがうまくできなかったから取り遅れたというような論旨も見えた。私が日本留学を選んだのは、経済、技術大国となった日本への憧れもあるが、それ以上に明治維新や戦後急速な復興を成し遂げた日本に対する尊敬の気持ちがあったからだと思う。
当時の中国では、優秀な学生たちは皆海外留学を望む時代だった。留学のことを「渡金(金箔を付けるという意味)」と言われ、企業でも大学でも留学経験のある人を重要視される傾向もあった。国としても外国に学び、自国を高めたいという時代であって、個人レベルでは、当時の中国人は海外にいくことはほとんど不可能な時代で、外の世界を見る唯一の手段は留学だった。先端の知識への渇望と好奇心が私達を駆けたてたかもしれない。
私の場合、高校入ってからよく英語で海外の本や雑誌を読んでいたので、当時の中国の雑誌の世界観が私にはとても狭かったし、いつか海外留学したいという気持ちが強かった。当時の中国の優秀な学生は皆アメリカ、またはドイツか日本留学を選ぶ時代であった。私は日本留学を考えた。猛勉強をして、高校一年生の時にはすでに高校の卒業試験を受けて、試験に合格し、卒業証書をもらい、留学の手続きを始めた。
* * *
こうして、1992年1月、高校三年の前期を終えて、私は一人で東京にやってきた。東京・小平で月1万5千円の木造のぼろアパートを借り、高円寺にある日本語学校に通い始めた。
当時の中国は貧弱そのもので、ほとんどの留学生は自分で生計を立てなくてはいけなかった。本国からの仕送りを受けるどころか、多くの留学生は日本で稼ぎ、本国に送金する時代だった。私も、日本語はゼロから勉強し始めたが、三ケ月ほどでなんとか伝えたいことは言えるようになり、アルバイトを探し始めた。たまたま知人の紹介で、ある指圧の先生の下で指圧を習い、三鷹、立川そして福生などで指圧のアルバイトをしていた。仕事を選ぶまでもなく、とにかく経済的に自立したかった。
家に帰るのはいつも深夜で、疲れてすぐに寝てしまう時もあった。これでは目標としたこの年の進学には間に合わなくなるので、アルバイトが終わっても家には帰らず、家の近くの東京学芸大学の教室に忍び込んで、朝まで勉強したりしていた。今思えば、喫茶店やファミリーレストランでも勉強できたが、当時まず知らなかったことと、生計のことと進学の学費など考え、とにかくお金は使えなかった。それに、当時の中国は一食10円程度の時代だったので、日本に来てすべてがあり得ないくらい物価が高かった。来日まもなく月20万円ほど稼げたが、ほとんど貯金に充てた。
苦労したという人もいるかもしれないが、私はそれを苦労と全然感じなかった。それより当時の中国はATMもコピー機械すらなかった時代なので、日本に来てすべてが新鮮に感じた。とにかく日本語を覚え、進学のことだけを考えていた。アルバイトに相当の時間をつぎ込んだはずだが、意外と日本語の勉強も猛スピードで進んでいた。
大抵の人は日本語学校に一年半か二年間通うけれど、私は半年経ったところ、今年の受験でも行けると感じた。日本語はまだまだ習っていない文法や語彙も多かったけれど、雑誌や新聞を読んで、知らないものと出会ったら自分で辞書さえ調べれば、理解できるようになった。もう一年日本語学校に通うことは時間の無駄だと感じた。
しかし、私の通った学校は社会人向けで、進学指導はなかった。多くの日本語学校では進学指導があることさえ知らなかった。すべて自分で準備するものだと思っていた。そして、その年の9月から、午後のアルバイトに行くまでの時間、東京学芸大学の図書館に通い、日本の高校の教科書を巡りはじめた。
その二ヶ月後に、日本語能力試験とセンター試験を迎えた。有機化学ではほとんどカタカナでとても覚えられなかったし、微積と線形も中国の高校では今外されて、大学で勉強することになっていたので、さっぱりできなかったが、それ以外の部分はほぼ満点を収めたので、留学生の中では7番目だった。
当時の自分は情報がなかったので、早稲田が日本で一番いい大学と思い込んでいた。早稲田の試験を受ける時に、試験官はとても傲慢だったのを覚えている。しかし試験問題は、それでも高校生の試験問題なのかと思うくらい簡単だった。
1月に入ってたまたまある塾の数学の先生と出会い、彼は私の成績を見て、あなたはとても早稲田に行く人ではないよと言われた。そして旧帝国大学のことを教えてくれて、東大か、京大、東工大を受けるべきだと言われた。せっかくだから日本の政治経済の中心地に残りたいので、東大と東工大を出願したところ、東大は高卒2年以内でないと受ける資格がないと言われ、結局東工大しか受けられなかった。
そのことを少し説明しないといけない。私は高校入って海外留学したいという気持ちがあったので、高校の授業を一年で一通り勉強し、高一の時にも卒業試験を受けて卒業証書を取得していた。そのため、卒業証書では、二年過ぎてしまったことで東大を受ける資格はなかった。そのことは、自分の中でとても悔しい思いをした。
その後の早稲田の面接の時に、20人ほどの先生たちに一周囲まれて、日本語もまだ慣れていない来日一年目の自分は、とても緊張していた。しかし、聞かれているのはほとんど学費払えるかの経済問題。少しずつ、私が勉強しに来ているのに、なんて学費のことばかり質問するのだと反抗心が強くなり、もともと東大を受けられない悔しい気持ちが胸いっぱいだったので、なぜかすごく胸が張って答えられるようになったと今でも覚えている。
しかしその後の東工大の試験はまったく違った。試験官も全く高圧的な態度はないが、試験問題は泣きそうなくらい難しかった。数学は三割しか解けなかった気がする。それでも合格できたのは物理と化学、英語が良かったかもしれない。面接の時も面接官はとても優しかったのを覚えている。うちの学科に来ないか、そんな具合だった。
大学入学まで残りの二ヶ月はとにかく学費・生活費を稼ぎ、高校で習っていなかった微積と線形代数を勉強した。そんな思いだけだった。深夜のコンビニのアルバイトもした。昼間はまた普通に指圧のアルバイトをしていた。ある時、コンビニのバイトで徹夜上がり、昼間も普通に勉強できて、倍の時間を使えたと嬉しくて電話で母に話した。そうしたら、母に「体壊すよ」とすごく叱られた。でも母の言うことを聞かなかった。そんな生活を一週間ほど続けていたある日、電車を乗っていたら、吐いてしまった。母が正しかった。
東工大入学後、更に悔しく感じることはたくさんあった。それまで高卒で東工大に入学した留学生は私一人だけだった。なぜなら、中国では高校で微積と線形代数を教科書で扱わないし、また英語の試験は国によって試験問題はまったく違うので、よほど余裕がないと、外国で受ける、つまりまったく系統の違い試験問題を受ける時にいい成績を取りづらい。だから、中国で大学に一度入って一年、二年で中退して来日した学生の方が高卒の人より遥かに有利だった。中国の大学は日本と違って、高校並に勉強できるところなので、彼らは微積や線形代数、そして英語がとても余裕だった。
だから、東大が高卒二年以内という制約あって、競争少ないため、留学生にとって東工大より遥かに入りやすかった。東工大の場合、大学中退した実力のある学生たちが上位並んでいるので、中国高卒の留学生が東工大に入れた人はこれまで私以外いなかった。私の場合、数学以外は、彼らに差を付けられなかった。英語でさえ、もともと海外留学を考え、高二の時猛勉強したことがあり、そのお蔭ですっかり英語が好きになり、自然科学、経済、歴史、哲学まで英語で読むことが好きになった時期があって、高二の時に中国大学院の入学試験(5級)に合格していた。
こうして、東大を受ける資格のない留学生の中の成績上位の学生たちは皆東工大に来ていたので、私の成績は東工大では7番目となったため、初年度奨学金をもらえなかった。東大を受けられれば一番になれたのに。悔しくて学校に事情を話しに行った。留学生課の先生は細かい事情を当然知るすべがなく、一応理解を示し慰めてくれた。しかし、期待したところ、何も具体的に助けてくれなかった。今思えばたった月7万円の奨学金だが、しかし、当時の私たちには大きな意味があった。なにせ、親の一ヶ月の給料は4千円だった時代。生計を自分で立てている私たちには学習時間にそのまま直結するものだった。そのことで、私の後の人生に大きな影響を与えた。二つのことを心に銘記させられた。
一つは日本の奨学金制度に対する疑問から。奨学金は、優秀な学生にあげるべきなのに、日本の場合は、各大学に平均的にあげる傾向があった。援助金のようなものだった。皆平等に扱うという発想からかもしれない。私が日本の平等意識に疑問を抱き始めたのはその時からだった。
もう一つは人に頼ろうとしなくなったこと。だれかが同情してくれて助けてくれるだろうと期待したところ、結局、自分しか頼りにならないことはその時思い知らされた。その時から、人や社会に頼らず、自分の力で生きていく、と心の中に決めた。それは今の自分の生き方そのものになっている。
後の話だが、私が創り上げた馬上の旅では、日本的でないものがたくさんあった。たとえば、乗馬の際に、私は参加者を平等に扱っていない。素質のある人が私は特別扱いして伸ばしていく、けっしてできる人を抑制して平均に合わせるようなことはしない。普通の日本人の考えだったら、だれかを特別扱いして他の人から反発を受けるだろう。しかし私はそんなことを気にしない。素質のある人を伸ばすことで、他の人にビジョンを示すことができる。そうすると他の人も頑張ってくれる。結果的に皆が早く上達できる。どんどん上にいくからこそ見える世界がある。それこそ人の権利を尊重することにあると思う。もし、私が旅での中で結果的な平等のやり方にしてしまったら、だれでも不完全燃焼になってしまい、魂まで喜びを覚えるような境界は一人も達せなかっただろう。今の日本社会はまさにこういった結果的平等の考えによって、完全燃焼ができなくなっている。抑圧的な社会になっていく。日本社会はそういう意味で、平均に合わせようという力が大きすぎる。もっと上に行けて、もっと大きなものを知れる人の権利が奪われたのと同然なのだ。
奨学金を得られなかった分、自分で稼いてやる。そんな気持ちの中、大学の最初の二年間は、アルバイトを沢山した。田園調布駅で朝の通勤ラッシュ時にホーム要員として働き、夜は工場で働き、土日は指圧のアルバイトを入れ、7つものアルバイトを掛け持ちしていた。地下鉄サリン事件の時は、永田町のビルで朝の���除のアルバイトをしていた。事件があと10分でも早ければ、自分も被害者になったかもしれない。
今思えば、これらのアルバイトの経験は、日本社会を間近で見る貴重な機会になった。その後、独立創業する自分に大きな意味があったと思う。
7つのアルバイトはいずれも朝9時から夜5時までの学校の時間に重なっていなかったので、大学の友人たちは私が全くアルバイトをしていないと思われた。しかし当時、アルバイトで月20万円ほども稼いだ。当時の一か月の生活費の出費は家賃を含めて3万円程度だったので、実はそんな稼ぐ必要はなかったが、中国からの貧しい留学生の中では、多く稼げることはそれも一つ能力を測る基準であった。今思えば、私達は学生でありながら、生計を自分で立てている時点で、多く稼げる人もそんなに稼げない人も、立派に社会人として独立していたと思う。が、同じ条件、同じ出発点だからこそ、その中に自然と競争意識が生まれ、一つの価値観が形成されていく。
同じ東工大でも、アルバイトが見つからない人はたくさんいた。私に紹介してほしいと頼みに来る人もいた。私は可能な限り彼らを助けていたが、同時に彼らを叱りたくもなった。私たちは能力も状況も同じなのに、何て自分で見つけられないのだ。99軒に断られても、100軒目に期待する。それが当時の私の心意気だった。自分ができない、失敗だと認めない限り、できないことはない。その時からそう思い始めた。
経済の独立への執念が強かったため、勉強は疎かにした。勉強時間はほとんど電車の中だけになってしまった。学習意欲も次第と下がっていた。そうさせたのは、日本の大学教育に対する失望感と進学後の挫折もあった。
後で分かったことだが、東工大の授業は、日本の大学の中でもとりわけ難しかった。特に自分の専門とする制御システムの学科はそうだった。東工大の二年生の授業は東大の大学院一年レベルとも言われた。とにかく自分の研究をそのまま伝えている先生が多くて、どう教えれば学生のためになるかということをまったく真剣に考えていなかった。大学の先生は研究者である前に、まず教師であって教えることが仕事だということを忘れている先生が多かった。
勿論、当時の私の日本語能力も問題だった。授業中一生懸命聞いていても、いざ演習となると、隣でずっと寝ていた学生から、これは先生が言ったのではないかと言われたりした。理系の場合、外国語で学ぶ時、ある程度知識を俯瞰できる余裕がなければいけないことは身をもって知った。
そして、東工大の学生は、物理問題もすべてが微積で考える。それが微積を独学で習い、まだ自由に操れない自分は、微積の考えについていけなかった。高校まで物理も数学も学校では一位だった自分が、そんなふうに「差」を付けられてしまうことがとても悔しかった。今でも納得しない。微積の考えを高校の時点で物理に導入することは私が賛同できない。考えが安易になって、直感的な“物理力”ができなくなる。
大好きな勉強に楽しみがなくなった。しかし、その一方で自信はあった。その自信はどこか別なところに訴えようとした。
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