#西陣織ネクタイ
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◇Maurice(モーリス)◇ネクタイが入荷しました。 定価:14,960円(税込) 弊社通販サイト商品ページ⇒http://www.gallery-jpg.com/item/KENTPT240601005L1/ 日本製 素材:シルク100% カラー:ブラウン×カーキグリーン サイズ:長さ約143cm、剣先幅約8cm (平置きの状態で測っています。) 京都の高級絹織物である西陣織りのネクタイ。 先染の紋織物で熟練の技術者が織り上げています。 そして手縫いで仕上げされたネクタイは非常に美しいです。 落ち着いたブラウンカラーですがインパクトのある見た目。 ビジネスシーンだけでなく、結婚式やパーティーにもオススメです。 ※ご覧頂いている媒体により、色の見え方が多少変わる場合がございます。 ※店頭でも同商品を販売しておりますので、通販サイトの在庫反映が遅れる場合があり商品をご用意出来ない場合がございます。予めご了承頂きますようお願い致します。 ⠀⠀// 🗣 いいね・保存・コメント大歓迎!ご来店お待ちしております! \\ ━━━━━━━━━■アクセス□━━━━━━━━━ なんばCITY本館の1階 大阪難波郵便局側から入って1軒目 靴のダイアナ(DIANA)の隣 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Gallery なんばCITY本館1階店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60 なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】7月無休 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected]
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necktie muffler
rq23aw-ac01
green 西陣織
RequaL≡
去年のラッピングリボンに引き続き、今年はネクタイ。
100%シルク、西陣織というちょっと頭おかしいマフラー。
s/n 2/7
66,000.-⁺taxで安くはないけど、シルクであることを考えるとなんかお値打ち…?(なのか?
ただ、シルクの西陣というかなりデリケートな素材なので、カサついた指で触るとすごい引っ掛かって緊張する…。
買ったからにはがっつり使う派なんだけど、これはなかなか慎重になりそう。
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オンラインストアにて〈TIE YOUR TIE×西陣岡本〉のネクタイの受注販売を始めました。
今回は個性的で百貨店に並ばないラインナップです。
受注可能な期間は5月一杯で、絹織物がなくなり次第終了です。
詳細などご覧くださいませ。https://okamotoorimono.shop/?category_id=5ec644e255fa033dfcdb46be
イタリアの輸送事情などで納期は12月に設定していますが、速く届いた場合は速やかに発送いたします。
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昨日、町で西陣織ネクタイの太田さんに会った^^すれ違っただけだけどアイコンタクトだけ 元気そうで何より 前にネクタイ👔作ったのは龍年だったか 日々の絶筆 絵師の日常 #humanmade 歴史を知り、想像力の限り日本の新しい芸術を創造する、Neo Japanest 町絵師の仕事は人々の生活と共にある柄を作ること。 #令和 時代の町絵師 越境宗派絵師 ^_^ #ギャラリー #工芸 #現代アート #skeching #ink #絵描きさんと繋がりたい #日本画 #筆文字 #墨絵 #ジャパン #kyoto #京都 #伝統文化 #art #illustration #design #japanart #inkpainting #drawing #artwork #民藝 最後に #絵師冬奇 https://www.instagram.com/p/CFf1dXjAc-c/?igshid=pxbozegsbbbn
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吉田康一郎が当選した。 得票3,088、4位での上位当選だ。本当に、この選挙結果にはほっとした。安堵した、と言っていい。 私は、選挙期間ギリギリの、23:59まで中野駅に立った。多くの同志も、ともに立った。赤尾ゆみ先生もずっと立った。
「ネットには書かれてない」現場の戦いと言うものがある。 実は、前日に発覚した情報だが、このように吉田陣営も声を挙げようとしてた場に、枝野氏らが来て「リ���ラル系の政党の、大集会」が予定されていた。無論、大動員がかかるだろう。となれば、この催しものはできない。
そこで発案されたのが、”旅順閉塞作戦”だった。 吉田議員より書いていいという許可を得たので、当選のお祝いとともにこのプランを公開する。
今回、万が一があれば吉田康一郎は完全に政治生命を断たれていた。 その可能性だってゼロではなかったと思う。都議選、衆院選、区長選と戦ったけれども、より身近な市区町村議選とは階層の異なる選挙だ。 衆院選や都議選では、保守色が強いことを理由に支援するも、「区議選では(例えば自民の)保守系候補を応援してきた」という者だっている。それがどれぐらいの比率なのか、わからない。 また、区長選で得票があったため「あいつは大丈夫」と攻勢を受け、選対が緩めば���気に崩壊する危険性だって常に存在していた。
私は、嫌なやつだったと思う。 この場で懺悔しておこう。23:59を過ぎてのち、吉田陣営の選挙カーをなおし、選挙事務所の片付けも手伝った。その場で、選対のメンバーにはお詫びしたのだけれども『高転びのリスクはあるぞ』『絶対に手を緩めるな』という趣旨の発言を何度もしている。これは、頑張っている選対に対して、非礼であると思っていたので、そのように謝罪した。(逆に恐縮された。)
外部の人間がとやかく言うべきではない、という思い。 その上で「外部だから、憎まれ役に徹することもできる」というのがプライド。 各選対に入った際に、同じく引き締めを行っている。これは、議員として果たすべき当然の責務なのだ。
吉田康一郎氏には、選挙戦を終えてのち、二人きりになる時間があった。 車両を移動させる際、気を効かせて二人で行かせてくれたため。
この短い時間は、「厳しいことばかり言って申し訳ない」と、選対の方に頭を下げたことで(逆に恐縮させてしまい)、選対メンバーが与えてくれた時間だったように思う。私なりに筋を通したかったわけだが、この場を借りて時間を頂けたことに感謝したい。
短時間の、車の移動時間。 吉田氏の運転。選挙期間中だったら許されないのだが、戦いは終わった。 複雑にバックしないと停められない駐車場なのだが「すごいですね」と誉めたのだが、途中まですいすい行くものの、上手く止められない。
自転車の止め方がいつもと違ったからと強弁していたのだが、もう、ボロボロだったのだろう。中野駅の夜ペコが23:59まで。選挙事務所まで移動したのは1時を回っていたと思う。片づけを終わったのが、深夜2時とか3時だっけか。ちゃんと割り勘で、飯を食って帰ったのは朝の4時過ぎだったと思う。
車両の停車に手こづる吉田氏に、助手席から降りて、右だ左だと笑いながら。 そのあと、選対の皆が待つ場所に歩いて行った。 「もう、そろそろ、貴方と知り合って10年になるんですよね」から始まり、たった数分ではあるけれども、二人だけの時間があった。blogには書けない、極秘事項も話したし、書くほどではない極々私的なことも話した。
少しだけ、候補の素顔を書かせて頂きたい。
(上記において”氏”という呼称があるが、まだ議員の任期が始まっていないため、当選証書をは授与されているはずだが、議員という呼称はできないと思う。本当はそう書きたいのだけれど、正確を期すために��文中では、選挙期間中を指す場合には候補と言う名称も用いる。)
中野駅を守れ!旅順閉塞作戦私は、この作戦の立案に関わっているわけではないので、時間軸などについては齟齬がある可能性がある。
吉田氏より本日、許可を得て記す。 私は最終日、23:59まで中野駅に立ったのだけれど、そこで伺った大作戦だ。
この夜ペコは、実施できない可能性もあった。 前日に入った情報によると「枝野・蓮舫を呼んでの、大集会」が開催されようとしていた。
これに対し、吉田陣営が組んだ作戦とは。 それが、旅順閉塞作戦だった。
まずもって「選挙カーを動かさない」という作戦。 最終日の土曜日には、スーパーなど人が行きかう施設がある。そこに選挙カーをまわし、候補自ら政策を訴えるというのが、よくある手段だ。
中野駅は、人通りこそ多いものの、ここで演説をしたからと言って、どこまで票になるかはわからない。 また、延々とやってきたため、増える可能性は、多くはなかった。
この作戦は、「選挙カーを沈める」ような作戦であり、 最終日の、候補の遊説日程の全てを捧げるものであった。 また、後援会組織に尋常ならざる負担をかける。
様々な方に伺ったのだが、実は「中野駅に、大動員をかける」というのは、各種の選挙でよく見られた光景であり、いつもの彼らも手法であった。今回の弁士は、枝野・蓮舫。
私も、枝野さんを中野駅で見かけた。 実際に、いた。
吉田康一郎は、ここで選対に相談をする。
そして、同作戦は発令された。
書き出しだけ見ると、物凄い作戦のように思うだろう。
やったことはシンプルだ。 前日の夜から、後援会のスタッフが「駅に立つ」のだ。
桜の花見の場所取りみたいなもので、イメージカラーの黄色い旗とともに。 早朝ではなく、夜から、立つ。
聞いてみれば、シンプルだ。 だが、やるのは簡単ではない。
陣地を巡る、攻防戦実際に、実施に移された。
夜間は2名ほどの参加であると伺ったと思う。(記憶がやや、あやふやだ。)
吉田候補も立つと粘ったが、選対の判断で数時間だけ休憩させられる、 ”最終日、候補に少しでも良い笑顔で立って欲しいから!”と選対に説得され、少しだけの仮眠。 代わりに後援会は、夜間から中野駅に立ち続けた。
そして、少しの休息のち確か朝の6時頃から、吉田候補も駅に立った。
ここに、選挙カーを移動させる。
どんなに人が多いと思われる場所があっても、この場所から「一切、動かさない」というのがポイントだ。
例年、リベラル系の野党が「大集会を開く」際に、車両を停車させている位置、まさにその位置に、自らの選挙カーを移動させる。
そして二度と動かさない。
当然、交渉はあったそうだ、 「どうか譲ってくれ、場所をどいてくれ」と。
願として拒み、死守する。
この場所には意味があり、往来の人間も含め「いい絵が���れる」のだ。 リベラル系の野党が”とても支持されている”ように見える写真がとれる。
ちょうど車両も停車できる形態になっており、ほぼ恒例とも言える行事だった。
吉田氏は、かつて都議であった時代の党籍は民主。 右派で知られる民社協会の役員を拝命しており、西村真吾先生の弟子でありつつも、民社党が民主と合体したことで、議員の政党籍としては民主であった。
その前後だったろうか、蓮舫の選対に入っていたこともあるらしい。 だからこそ【ここで、止める】という堅い意思があった。
結果であるが、彼らは断念した。 連合系だろうか、それなりの動員をしていたようだが、離れた場所で気勢をあげる。
”勝った”のだ。
吉田氏の言った意見は、下記のもの。 「自分の票を積み上げていくのも選挙だ。 最終日に選挙カーをまわしマイクを握れば、一票一票はとれるだろう。 だが、相手の得票を伸ばさせないのも、選挙だ。
彼らが、一気に大動員をかけ、票を伸ばさせるのも悔しい。 旅順閉塞作戦をもって、ここで選挙カーを止めることも、吉田の選挙だ」と。
これをもって、中野駅の夜ペコは実施に移された。
リベラル系の野党が、大動員をかけていた場合には、中野駅で立つことは難しかったろう。 最後に「皆と立つために」選対は、体力を限界まで使い切ったのだ。
到着した、援軍そして、夜ペコに。
体力は、限界だったろう。
私は、17時より荻窪駅でマイクを握った。 ”たまたま通りかかった”山田宏先生とともに小林ゆみ候補を応援するため。 深田萌絵氏や大山孝夫市議もマイクを握った。
のち、車両で移動し、中野駅についたのは、19時近かったのではないか。
吉田候補には「最終日に行く」とは言っていない。 ブログには書いていたけれども、把握しきれていないはずだ。 (そんな状況にはない。)
FBのアカウントが止まっていたため、撮影は深田萌絵。
中野駅に、着く。 連絡なんて、何もしていない。
声を枯らして、吉田候補が演説をしている。 20時まで残された時間は多くはなく、その声には体力の限界も感じた。
駆けつける、握手する、抱き合う。 演説中の、しかも選挙期間中の候補にしていいことではない。
”ちょっと貸して?”とばかりに、マイクを奪う。 『いいよ、いいよ、どんどんしゃべって!』という、吉田候補の声が、たぶん動画にも残っている。
「待たせたね、みんな! 俺は帰ってきた!さぁ、やるぞ、
区長選をともに戦った同志たちよ、最後の最後だ、今度は勝たせてください! マイク納めとなるべき時間まで、残された時間は少ない。
このタイミングで候補のマイクを奪うなど、普通なら許されない。 だが、中野は別だ。ここは、23:59までやる。
マイクを落として、最後まで立つ。 まだまだ時間はある、戦いはこれからだ。」
これがだいたいの要旨。
動画で呼びかける、 発信したアカウントは、深田萌絵アカウント。
「さぁ、勇士たちよ。 マイク納めを終えた陣営(つまり、他選挙区)は、中野に集まれ。
ここは遅い、今からでも間に合う。集え、中野に!」
その時の一枚。
実際の動画その時の動画が、下記。
深田氏の”ちゃんと撮っとくから”の声から始まり、演説中の候補に駆けつけたところからスタートした。 (確認したら抱きあうシーンは、映ってなかった。)
ちょっと、私の悲壮感みたいなものは、伝わりにくいかもしれない。 深田氏をはじめ、中野で、みんなとどれぐらい戦ってきたかは、現場の人しか知らないため。
後援会をはじめ、ここで立っている方は、どれもこれも見覚えのある顔ばかり。 一緒に戦ってきた、大切な同志たち。
まずは同志たちへの御礼から、始めた。 吉田候補の許しを得て、そのまま応援演説に入る。
(やがて、会場は、シーンと静まり返っていく。この、空気の温度が変わっていくのもお楽しみください。)
動画の8分目ぐらい、ちょっと尋常ではないシーンがある。 深田萌絵氏の応援演説が終わったあたり。もう一度、私がマイクを借りている。
ある意味では見せ場。 吉田候補のマイクで、最終日。
許しを得て発言したのは「今日、この場に来たくて、でも来れない人がいる。 先般の区長選で、最後まで一緒に夜ペコをした、若いウグイスさんがいたと思う。 連日、選挙カーに乗っていた、あの子。
実は、あの子は江東区の区議で、自分が議員であることを伏せて、最後まで選挙をしてくれていました。名前は屋敷田あやか。
かなり厳しい選挙を戦っている。 この場にいる方は、申し訳ないが、江東区でも一票とってくれ!」と。
普通、他の選挙の候補を、名を出すことは許されない。 それを候補を許すことも、尋常ではない。 また、後援会が、集った仲間が大きな拍手をすることも、尋常ではない。
ここは現地のライブじゃないと伝わらない部分もあると思うが、是非、動画を見て欲しい。
のち、大山孝夫・那覇市議の応援演説が始まる。 一期生で、議員歴は長くはない。彼がどれぐらい話せるようになっているかも聴いて欲しい。
吉田候補と。23:59まで夜ペコ。
のち、選挙カーなどを事務所に移し、そのまま選挙事務所の片付け。
旅順閉塞作戦を完遂し、夜ペコを終えた吉田候補の写真。
イケメンで、身だしなみにこだわる吉田さんだから、この一枚は好きではないかも知れないけれど、 読者の皆様に、どれぐらい激しい戦いをしていたか知ってもらうために公開。 (声はかけたものの、ほぼ不意打ちの一枚)
がんばって、笑顔。
ここで笑えるのが、選挙人の凄みだ。
為書きの前で写真を撮ることになった。
遊びに行っているわけではないので、選挙事務所で候補と会ったことはない。 常に日程を(事務所などで聞き)、候補日程に併せて追いかけてきたからだ。
よって、この写真は、吉田候補ではなく、いつもの吉田”さん”との一枚。 この時点で選挙戦は終えており、候補と呼ぶべきではない。
この写真には、前後に何枚か、ある。
髪がはねて、「やばい、髪がいうことをきかない!!!」と慌ててる吉田さん。 自撮りで撮っているので、それを不意打ち的に撮影。
「え?やめてよwww」と言いつつ、必死にネクタイをなおしたり、身だしなみを整え始める。 さっきまで動画で配信され、色んな人が撮って(応援のために)アップした写真は、全部同じことになっているのに、と思った。 選挙を終えても、このあたりは、流石、イケメンだなと思った。
満面の笑顔でシャッターを押す、私。
ネクタイをなおす。
このあとが、冒頭の話。
選対の皆様に、「厳しいことばかりを言ってきた。外部の者にも関わらず。
これこそが、外部から応援に入るものの責務だと思っている。
常に全力で戦ってきた皆様に、大変に失礼をした。」と。
すっと頭を下げたところ、一緒に戦っていたスタッフ(仲良しもいる)たちから、恐縮されつつ、提案をされた。 (のち、皆からは、いや、あれにはしびれたわ、と言われた。)
「車の移動、ちょっと二人で行ってきてくれますか?」と。
車を苦労して停めて、それから歩いた。
”もう、10年になるんですよ”と。 最初の出会いは、西村真吾先生でしたね、とか。 あのとき、貴方は都議で、イケメンだった、とか。
「私は、30歳になりたてぐらいだった。 真吾先生の紹介で、都議選の手伝いに。チャリを一緒にこぎましたね。 今年、私も40歳になりました。」
(初めて会った時、私は市議に浪人中。吉田さんは都議だった。) 「のち、立ち上がれがあり、衆院選。(吉田さんは次点で落選) 次世代があって、私が爆破予告を受けて、貴方が励ましてくれて。コメント出して、いろんなことがありました。」
「真吾先生の息子さん、ひかるさんが府議に当選したんですよ。」
「いやぁ、年をとりました。 思えば、我々もベテランとか中堅なのでしょう、 もう若さを理由にはできない。」
短時間だけれども、色々と話した。 吉田さんからの答えは、この場では書かない。照れくさいから。 (無論、結構、極秘の情報も取り扱っている。)
この頃は、選挙戦を終えた、深夜2時か3時ぐらい。 中野区の、歩道を二人で歩きつつ。
この写真のとき、まだ当落は確定していなかった。
吉田康一郎、当選
4位での、当選だった。
電話でワーワー言った。 当選直後の候補は、とにかく忙しい。
各所から連絡が入る。
ちょっと名残惜しそうだったけれど、「じゃ、切るから」と。
「任せますよ、いろいろ。」
「私と同じこと、地方議会でできる即戦力ですから。
これで私もだいぶ楽になる。政界に、貴方が戻ってきたのだから。」と。
当選を報告する、吉田さん。 後ろには、私の為書きがある。ずっと、ど真ん中に貼ってくれていた。
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吉田康一郎さん 当確です!
374人がこの話���について話しています
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みんなで、万歳。
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万歳三唱 吉田康一郎候補 当確です!#中野区議会議員選挙#吉田康一郎
265人がこの話題について話しています
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貴重な、当選直後の動画がアップされていたため、ここに紹介する。
中野区議会議員選挙 吉田康一郎候補 上位当選です! おめでとうございます 無所属トップタイ!#中野区議会議員選挙#吉田康一郎#無所属#中野駅北口
1,050人がこの話題について話しています
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恐らく、ほぼ同レベルのスキルを持ち、同等の戦闘力を有する地方議員は、吉田康一郎しかいない。
旅順閉塞作戦を見てもわかるように、彼は徹底している。 敵と目せば、最後の最後までとどめを刺す。
ロジカルに、理論的に、法と数字を駆使して戦う。
当選が決まって、本当に嬉しかった。
4位という、大きな票を頂いたことも嬉しいけれども、それだけじゃない。 単に、戻ってきたこと。
思えば、衆院選という大きな挑戦で泥をつけ、区長選で敗れ。 6年だろうか、7年だろうか、政界の表舞台から去っていた。
寂しかった。 いつも連絡をとりあっていた。
保守系のイベントでも、よく会う。 「早く、戻ってきて欲しかった」んだ、私は。
本日のBlogには、いくつか失礼な表現もあったろう。 ただ、まぁ、誰も怒らないと思う。
私の特権とは言いませんが、もう、これしか言う言葉がない。 できるだけ現場の空気を、そして言いたくて言えなかった言葉を行間に折り込めば、私にはこれ以外の書き方はできない。
すべて愛情表現で、すべて喜びの発露だ。
中野区の有権者に、ただ感謝する。
私の、大切な同志を政界に戻してくれてありがとう。
選挙を支えてくれた同志に、感謝する。
汗を流してくれて、ありがとう。
ともに同じ戦線に在れたこと、私は誇りに思う。
吉田康一郎が、戦線に復帰。
あの男が、政界に帰ってきた。
日本を変える選挙結果であると思うし、
これが第一歩となるだろう。
いまは、ただ、嬉しい。
当選を祝う方は、FBでのイイネ・シェア、Twitterでの拡散をお願いします。
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遠近法の次は魚眼レンズ
24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。 むしろ、なじみある土地から浮遊さ��られ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。 それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。 帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。 樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。 だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。 ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。 それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。 しかし、地球はまだまだ広い。 就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。 無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。 何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。 無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。 様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。 自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。 しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも��代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。 きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。 達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。 私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。 さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。 だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。 世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。 そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。 15万人が入るというスタジアムに案内された。 東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。 初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。 だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉��なかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。 演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。 あなたがいなければ私たちもなく あなたがいなければ古里もない 金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳! そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。 むごたらしいまでの完成度の高さ。 虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう! 金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。 色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。 だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。 たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。 かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満��た、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。 しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅し��ネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。 今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。 それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。 忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断��ない。 ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。 警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。 私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。 そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか? 尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。 出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。 しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。 だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。 めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。 姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。 恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪し���はない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。 根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。 マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。 小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。 その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。 それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。 だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。 その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球��上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。 象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。 人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。 理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。 アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。 自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。 相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。 彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか? 派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地���ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。 しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
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西陣織の子供用蝶ネクタイ 父ちゃんの自作やけどカッコいいよ息子よ! 卒園おめでとう! https://www.instagram.com/p/B9_ViUbA0zL/?igshid=a6oiq5rps83z
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音。震え、、
(2014年 制作)
東京からボイスパフォーマーの山崎阿弥を招聘。
コンセプトは『音は震え』である。
山崎阿弥の声は西陣ファクトリーGardenを、声の持つ目に見えない何かで震わせた。
パフォーマンスでは、山崎は二階のロフト部分を、帰山は一階部分を使用。上と下に分かれてパフォーマンスし、お互いに共振した。
この機に西陣ファクトリーGardenを詳しくリサーチした。
元工場のオーナーであり、Gardenの大家さんでもある財木氏(かつてこの地に西陣織ネクタイ工場を経営していた財木氏は、工場跡を大幅に改修し、アートスペースとしてアーティストに貸し出した)にインタビューを行い、たくさんの貴重な情報を得ることができた。
そこで得たものは後々のKiyamaniaの活動に活かされることになった。
西陣の長い歴史の中で、元来織物工場であったGardenというスペースがどのように使われていたのか、そしてスペースに残されたさまざまな道具がどのように使われていたのか(糸を繰る錘、糸車など)。
特に関心を引いたのは、水についてだった。
西陣は糸を染めるための大量の水を必要とした。
財木氏曰く、かつて西陣には豊富な湧水があったということだった。
山崎と帰山は番外編として、京都の前衛アートの拠点である木屋町UrBANGUILDにてパーフォマンスをおこなった。
ダンサーの黒子沙菜恵氏をゲストに、30分の即興をおこなった。
企画・構想:山崎阿弥、帰山玲子/出演:山崎阿弥、黒子沙菜恵、帰山玲子
宣伝美術:納谷衣美
写真:ハヤシハジメ
Sound. Shaking,,
(2014)
Kiyamania has invited Ami Yamaski, a vocal performer from Tokyo.
“Sound is a vibration.” Just as the concept of this work, NFG was shook by something invisible in Ami’s voice.
The venue was divided in two acting areas, up and down stairs. Reiko used the main floor and Ami used the loft. While being apart, both can feel each other’s energy.
Taking this creation as an opportunity, Kiyamania has done further research on NFG. Through an interview, a lot of valuable information was given by Mr Zaiki, who was the owner of the former factory, and the landlord of NFG. Mr. Zaiki has renovated the former factory drastically, and was renting the space to artists. This information including the way they utilized the space as a former weaving factory through a long history of Nishijin, and the usage of the various parked tools such as spindles and spinning wheels, became an important resource for Kiyamania’s later creations.
In Particular, his story about water drew special attention. According to Mr. Zaiki, weaving Nishijin needed a lot of water to dye yarns and Nishijin area once held a large amount of spring water.
Later on, Ami and Reiko decided to perform an extra edition of the work at UrBANGUILD, a venue known for their selection of avant-garde art performances in Kyoto. Reiko has invited dancer, Sanae Kuroko for this performance. It was a 30 minutes improvised performance.
Concept and Performance: Ami Yamasaki/Reiko Kiyama
Guest Dancer: Sanae Kuroko
Promotional Design: Emi Naya
photos:Hajime Hayashi
Translation:Sachi Masuda/ Tareek “TK” Holmes
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【送料無料】西陣織 ネクタイ ブランド FORTUNA Tokyo シルク100% 20 ...
#歌舞伎 #大谷鬼次 [The Enterprise]江戸時代の有名な浮世絵師、喜多川歌麿の「ポッピンを吹く女」と、東洲斎写楽の三世大谷鬼次の奴江戸兵衛(さんせいおおたにおにじのやっこえどべえ) を大剣裏にプリントした西陣織ネクタイ。 当店では、ご贔屓のお客様へのサービスとして、携帯 …
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京都タワーにてたわわちゃんのネクタイ発見。メイドインジャパン。西陣織工業組合って書いてるタグ付いてました。いいね! https://www.instagram.com/p/Br9JK1UAg67/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=d1rosuwp9uvp
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TIE YOU TIE×西陣岡本
・伊勢丹新宿 メンズ JAPAN ウィーク 2020/3/25~
・銀座三越5階紳士
2箇所で展開中です。
ぎんみつ isetanmens ginza necktie tie japan kyoto nishijinori
#tieyourtie#settepieghe#西陣織#mensfashion#七宝#ネクタイ好き#伊勢丹メンズ#銀座三越#setanmens#ぎんみつ#ginza#necktie#tie#Japan#kyoto#nishijinori#nishijin
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織物のコラボもお待ちしております コレは西陣織ネクタイ👔 https://www.instagram.com/p/CaEFlBXvX49/?utm_medium=tumblr
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長野県の企業が長野産シルクを100%使った西陣織の汚れないネクタイを発売して話題になっています! 宮坂製糸所という所が作ったもので、しょうゆを真っ白いネクタイに垂らしても軽くふき取るだけで汚れがとれてしまいます。 ちなみに料金は1本5800円とちょいお高めですが、長持ちすることを考えると安いとおもいますよ。 tags[長野県] http://ift.tt/2wpzto0
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【2017年秋冬AFWT ハイライト3】レビュー前編/素材感やディテールに新味
(写真 まとふ)
「アマゾン ファッション ウィーク東京(Amazon Fashion Week TOKYO)」になって2度目の東京コレクション(2017-18年秋冬)では、素材感やディテールで従来のクリエーションを踏み越えるような試みが目立った。素材ではレザー、ディテールではスリットが打ち出されている。スタイリングではレイヤードに工夫を凝らす提案が相次いだ。
◆まとふ(matohu)
日本の伝統的美意識をクリエーションの根っこに据えて、「日本の眼」という連続シリーズに取り組んでいるデザイナー2人(堀畑裕之、関口真希子)は今回、「いき」をテーマに選んだ。江戸時代の町人文化を象徴する美意識であり、意味合いを微妙に変化させながら現代にも受け継がれている。
「いき」の反意語が「無粋」や「野暮」であることからも分かる通り、あざとさや力み、くどさを遠ざけつつ、着物の裏地に凝るような細部へのこだわりを見せるのが本来の「いき」。今回のコレクションではこの基本的な態度を継承しながらも、現代的な解釈を加え、時空を超えたクロスオーバーに仕上げている。東京タワーを望む、東京・芝の増上寺をショーの会場に選んだのもタイムスリップ感覚を味わえる場所だからだ。
キーモチーフに据えたのは、ストライプ(縦縞)柄。ブルー系や赤×黒などの色と組み合わせた。縦落ち感を印象づける効果も発揮して、スレンダーな着映えに導いている。色では青みがかった紫をキーカラーに選び、垢抜けたムードを帯びさせていた。素材の面ではレザーを多用した。ファーストルックから青紫のレザーパンツを投入。革特有のクールな質感がレイヤードに深みをもたらした。アウターも背中側のウエストが絞ってあり、自立した女性のイメージを引き寄せている。
その一方で、袈裟に用いるシルク生地や、上質な西陣織の布を生かして、つやめきや色気を忍び込ませた。風を受けてひるがえる裏地のあでやかさはレイヤードの表情を深くしている。シグネチャーアイテムの長着(ながぎ)を組み込んだレイヤードは縦長シルエットと異素材ミックスが利いて、趣深く映った。
性別に関係なく匂い立つような色気を醸し出していて、男性が主役だった江戸時代の「いき」に、現代のジェンダーレス感覚をねじり合わせたような新解釈を示している。ノーカラー(襟なし)ジャケット、ハイネック、パンツの3点アンサンブルや、ワンボタンのカシュクールジャケットにパンツを合わせたセットアップなどは、性別を超えて「格好いい」と感じられる装い。
これまで重ねてきた「日本の眼」が残り2回となり、新たな取り組みも広がっている。織物の「銘仙」を再評価した企画展を2017年1月に開催したのに続き、青森県津軽地方に伝わる刺し子技法の「こぎん刺し」を4月のミラノ・サローネで紹介するプロジェクトも準備が進んでいる。
◆サポートサーフェス(support surface)
「サポートサーフェス(support surface)」はコレクションの発表会場に、話題を集める豊洲のランニングスタジアムを選んだ。都心エリアでは珍しい、空が広い感じがよかったと、研壁宣男デザイナーは言う。披露されたコレクションは、どれも奇をてらわないものの、持ち味のカッティングが冴え、控えめなフォルムの中にも静かな主張があり、華美な装飾に頼らない成熟したミニマルを感じさせた。
定評のある仕立てのよさは、鋏を入れる相手が布から人工レザーに変わっても変わらない。今回は人工レザーをキーマテリアルに据えて、重たく見えないレザールックを提案した。まるで布のようなレザーが持つつやめきが強さとフェミニンを印象づけていた。人工レザーに箔を貼って、光沢を増す特殊加工が装いを一段とつやめかせていた。やさしげなふくらみを帯び、輪郭に味があるシルエットは、大人女性にふさわしいオーバーサイズフォルムといえそうだ。
お得意のドレープに加え、ギャザーも取り入れて、立体感の豊かなディテール表現に深みを与えている。胸元やスカートに採用されたファスナー使いもアクセントとなって、女っぽさが匂い立つ。繰り返し登場した赤やイエロー、多色使いのフラワー柄が華やぎを添えた。
◆ウジョー(Ujoh)
「ウジョー(Ujoh)」はレイヤードルックの進化形を見せた。何枚も重ね着しているのに、重たくもかさばっても見えない。むしろ軽やかでポジティブな気分を呼び込んでいる。そのライト感覚レイヤードを支えているのは、計算されたスリットと縦長シルエットの強調だ。
ニットトップスの裾に深々と何カ所にも刻んだスリットはもはやスリットの枠を超え、太幅短冊のよう。ワイドパンツにはボタン付きのスリットを配した。スーパーロング丈に仕立てた異形のシャツワンピースは縦長イメージを目に飛び込ませる。
レイヤードの組み立てにも目新しい趣向を凝らしている。ロングスカートの下にパンツを忍ばせたり、アウター背中のひじあたりからラッフルをのぞかせたり。アウター袖のひじから先だけに、分厚いファーをマフ風に巻き付けて、ノーブルな量感を示した。スリーブレスのロングコートは縦長感が強い。シャツ仕立てのコンビネゾンもすっきりしたシルエットを描く。
ボマージャケット風のジップアップ・ブルゾンにバリエーションを持たせている。デコルテを開けたオフショルダータイプや水玉模様をあしらったシルキーなタイプをそろえて、マニッシュとフェミニンをねじり合わせた。パターンに定評のあるデザイナーはアシンメトリーのニットやベルト付きのジャケットなどを用意して、見慣れたウエアそれぞれの「ありきたり」を覆してみせた。さめたピンクやオリジナルの格子柄は大人っぽい雰囲気を寄り添わせていた。
◆ドレスドアンドレスド(DRESSEDUNDRESSED)
「ドレスドアンドレスド(DRESSEDUNDRESSED)」はスリットをキーディテールに選んで、見た目にも心理的にもオープンとクローズドを交錯させた。性別にとらわれない「ジェンダーレス」は一段と自然に表現されている。
コートの袖や裾に深く切れ込ませたスリットはファスナーで自在に開け閉めできる。SNSが浸透して、簡単に他人とつながることができるようになった現在では、プライバシーをさらしたり隠したりしながら他者や社会と接している。大胆に開放しているが、気分次第で閉じることもできるスリットはSNS時代のメタファー(暗喩=たとえ)ともなっている。
短め丈のアウターは横に広いオーバーサイズのシルエットで、アイキャッチーに仕上げた。縦に長いコートも打ち出して、量感を揺さぶった。キャップのおでこには「CONTROL」の文字を上下逆さまに配した。「支配」や「管理」を意味する、ネガティブな言葉をあえて逆転させたという。ファーストルックでもモデルにフルフェイスの黒いヘルメットをかぶらせ、ミステリアスなイメージを醸し出した。
ジェンダーレスをさらに推し進め、タキシード風ワンピースを提案。ネクタイも締めた。マニッシュなコートの下には透け感を帯びたレーススカートを組み合わせている。これまで通り、メンズとウィメンズのモデルが同じランウェイに登場。メンズのウエストアウトしたシャツはミニスカートのようにも見えて、性別の違いを意識させないアレンジはさらにこなれて見えた。
◆ティート トウキョウ(tiit tokyo)
岩田翔氏と滝澤裕史氏がデザイナーを務める「ティート トウキョウ(tiit tokyo)」は布の質感で装いに深みを出した。ジャカード織やツイード、裂き織り生地、シルキー系ファブリックなどを響き合わせて、異素材ミックス感を印象づけている。光沢を宿したつややかな生地を切り替えのような形で混じり込ませ、質感にも起伏をもたらした。
服と場面の間柄をずらす「シーンフリー」の演出を試みた。パジャマ風のセットアップは繰り返し登場。リラクシングなた���ずまいと、上下そろいのまとまり感が趣深いムードを生んだ。トップスの上から薄手のブラトップを重ねるレイヤードはランジェリーの巧みな街着使い。ベストを着ているかのような軽快な着映えに導いた。
リボンひもをあちこちから長く垂らすディテールを繰り返した。袖口をはじめ、裾、肩、腕からも細いリボンを垂らしで、動きに応じて遊ばせている。エレガントに広がるベルスリーブ、指先まで隠す「スーパーロング袖」と組み合わせて、指先をドラマティックに見せた。
スタイリングでも踏み込んだ実験的アレンジを披露。コートの右袖だけに腕を通して、残った左半分は背中で遊ばせた。その状態でコートの上からベルトを巻いて、ウィットフルな後ろ姿に仕上げている。
◆モトヒロ タンジ(Motohiro Tanji)
Courtesy of Motohiro Tanji
ニットに特化したブランドの「モトヒロ タンジ(Motohiro Tanji)」は、見慣れたニットアイテムにトリッキーな解体と再構成を試みた。テーマは「上下対称(Reflected in the water)」。地上の景色が天地反転して水面に映る「逆さ富士」のような構図をイメージ。実際に上下で対称的なニットセーターも用意した。
先シーズンと同じく、ボトムスのジーンズ(デニムパンツ)に合わせてコーディネートしている。王道ジーンズがニットトップスの「奇想」を引き立てて、��アルな着こなしシーンが浮かぶ提案。
トップスの枠をウィットフルに踏み越えた。「着るマフラー」風のアイテムは袖を通さず、朗らかなレイヤードに導く。上下対称のセーターは裾にもネックホールがもう1つ開けてある。上半身をしっかり覆うという常識を破り、右身頃のないタイプやほとんど身頃レスのタイプも披露した。
量感をプレイフルに操った。首周りと裾にニットを巻き重ねた「こぶ」上の張り出しディテールを施し、意外な起伏をもたらしている。結び目を使って、自然なふくらみもこしらえた。ボレロ風のショート丈を用意したほか、背中にもドラマを宿し、これでもかとばかりにニットの可能性を押し広げた。
コンセプチュアルなシルエットをかたちづくりながらも、やわらかいニットならではの穏やかな質感が生きて、アバンギャルドでありながらほっこりしたムードが漂う。1枚で着ても見栄えがするのどかな「主役ニット」。編み物の表現を一段と掘り下げていっているのを感じさせた。
◆アクオド バイ チャヌ(ACUOD by CHANU)
「アクオド バイ チャヌ(ACUOD by CHANU)」はデザイナーがますます深めている「ファスナー愛」をパンキッシュに表現した。今回はサポート企業のリストの筆頭に、世界最大のファスナーメーカー、YKKが名を連ねている。テーマは「BREAK DOWN WALLS. ZIP UP DIFFERENCE」を選んだ。つないだり開いたりできるファスナーの特性は、世界に広がりつつある「閉じる」政治傾向の対極に位置する。
ダンサーのGENKIとヒューマンビートボクサーのKAIRIによるパフォーマンスでショーがスタート。ブレイクダンスとパントマイムをミックスしたようなダンスを披露した。作品には今回もファスナーがたくさん付けられ、機能性とギミックの両面でクリエーションを特徴付けている。開閉自在のファスナーは、ブルゾン袖の途中に仕込んで、想定外のポジションに開口部をこしらえる工夫を見せた。
象徴的なアイテムは、口を横長のマスク上に覆い隠すレザーウエア。結んだ唇のように、ファスナーが横一直線に走り、クールな緊張感を顔に添える。ブルゾンやパンツにもレザーを多用。オーバーサイズのアウターは背中側に透ける薄布をロングヘアーのようになびかせ、革のハード感とのコントラストを際立たせている。金属製ファスナーの冷ややかさにもオーガンジーがやさしさを添えた。
量感を巧みに操った。アウターにボリュームを持たせる半面、腰から下はスキニーボトムスで合わせ、細感を引き出している。ブルゾンはリブ編みの袖先を細く絞り、ふくらみに起伏をつけた。ボリューム逆に、アウターのひじから先をファーマフでくるんで、ユーモラスなボリュームのアレンジも見せた。アーティスト・イラストレーターのTADAOMI SHIBUYAとアクセサリーブランド「CHRISHABANA」とのコラボレーションも相乗効果を生んで装いに変化をもたらしていた。
Text by Rie Miyata
Photo by Ko Tsuchiya(matohu、support surface、Ujoh、DRESSEDUNDRESSED、tiit tokyo)
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