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#聖ヨセフ大聖堂
reallypaleninja · 19 days
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わたしの言葉もわたしの宣教も、〝霊〟と力の証明によるものでした
①コリント2・1-15
わたしの言葉もわたしの宣教も、〝霊〟と力の証明によるものでした
使徒パウロのコリントの教会への手紙
2・1兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。2なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。3そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。4わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、〝霊〟と力の証明によるものでした。5それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。
答唱詩編
詩編119・57+58、29+30
神のみ旨を行うことは、わたしの心の喜び。
詩編119
119・57神よ、あなたはわたしのすべて。 あなたのことばをわたしは守る。 58わたしは心をこめて祈る。 仰せのとおり、いつくしみを示してください。
29偽りの道からわたしを退け、 教えを授けてください。 30わたしは真実の道を志し、 あなたのさばきを心におさめる。
福音朗読
ルカ4・16-30
アレルヤ、アレルヤ。貧しい人に福音を、捕らわれ人に解放を告げるため、神はわたしを送られた。アレルヤ、アレルヤ。
ルカによる福音
そのとき、4・16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
18「主の霊がわたしの上におられる。 貧しい人に福音を告げ知らせるために、 主がわたしに油を注がれたからである。 主がわたしを遣わされたのは、 捕らわれている人に解放を、 目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫されている人を自由にし、 19主の恵みの年を告げるためである。」 20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。22皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」23イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。
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worldsky1015 · 5 years
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sazanami-ayame · 5 years
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【ベトナム旅2019-013】聖ヨセフ大聖堂(ハノイ大教会)。
2019.7.7
EOS R + Utulens
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asa6fuji · 3 years
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わたしはあなたを諸国民の預言者として立てた。
エレミヤの預言
ヨシヤ王の時代に、 1・4主の言葉がわたしに臨んだ。 5「わたしはあなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた。 母の胎から生まれる前に わたしはあなたを聖別し 諸国民の預言者として立てた。 17あなたは腰に帯を締め 立って、彼らに語れ わたしが命じることをすべて。 彼らの前におののくな わたし自身があなたを 彼らの前でおののかせることがないように。 18わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて 堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として ユダの王やその高官たち その祭司や国の民に立ち向かわせる。 19彼らはあなたに戦いを挑むが勝つことはできない。 わたしがあなたと共にいて、救い出す」と主は言われた。
答唱詩編
詩編71・1a+2+3a、3b+4+5a、6b+15+16
父よ、あなたこそわたしの神、わたしのすべてをあなたに。
詩編71
71・1a神よ、あなたのもとにわたしはのがれる。 2あなたの正義でわたしを救い、 わたしに答え、助けてください。 3a身を避ける岩、わたしを救うとりでとなってください。
3b神よ、あなたはわたしの岩、わたしのとりで。 4あなたに逆らう者からわたしを救ってください。 神よ、あなたはわたしの希望、 5aわたしはいつもあなたをたたえる。
6b神よ、あなたの正義と救いのわざを 15わたしは昼も夜も告げ知らせる。 16神の力あるみわざを語り、 あなたのものである正義をわたしはほめ歌う。
第二朗読
①コリント12・31-13・13
信仰と希望と愛はいつまでも残る。最も大いなるものは、愛である。
使徒パウロのコリントの教会への手紙
皆さん、12・31もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。
そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。13・1たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。2たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。3全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
4愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。5礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。6不義を喜ばず、真実を喜ぶ。7すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。8愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、9わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。10完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。11幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。12わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。13それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
福音朗読
ルカ4・21-30
アレルヤ、アレルヤ。貧しい人に福音を、捕らわれ人に開放を告げるため、神はわたしを送られた。アレルヤ、アレルヤ。
ルカによる福音
そのとき、ナザレの会堂で預言者イザヤの書を読まれた4・21イエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。22皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」23イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。
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manekinekoparis · 4 years
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1/7は聖アンドレ・ベセットの祝日(地方)です。
1845年モントリオール生。70年聖十字架修道会助修士。38年間ノートル=ダム中学校門番。
病者の求めに聖ヨセフのメダルと聖ヨセフ像前のランプ油で答え祈ります。
奇跡的治癒の証言が集まり1904年小聖堂建立。のち聖ヨセフ礼拝堂(北米最大)に。37年帰天。
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purplekittennight · 4 years
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言われたとおりに、驚くべき御業をなさって
主は再び、驚くべき業を重ねて、 この民を驚かす。 賢者の知恵は滅び、 聡明な者の分別は隠される。イザヤ書29:14
多くの人々はイエスの教えを聞いて、 驚いて言った。 「この人は、 このようなことをどこから得たのだろう。 この人が授かった知恵と、 その手で行われるこのような奇跡は いったい何か。」マルコ6:2  マルコ11:(20、21)22~26  列王記上17:7~16(通読箇所)    (ローズンゲン日々の聖句7/8;水)  天の神、【主】、 「『わたしはある(I am)』という者」 と名乗られる方(出エジプト3:14)は言われます。 「この民は口先でわたしに近づき、 唇でわたしを敬いながら、 その心がわたしから遠く離れている。 彼らがわたしを恐れるのは、 人間の命令を教え込まれてのことである。
 それゆえ、見よ。わたしはこの民に再び、 不思議なこと、驚くべきことをする。 この民の知恵ある者の知恵は滅び、 悟りのある者の悟りは隠される」と。
イエスが、公生涯、 キリスト(救い主)としての活動を始められた頃のこと、 郷里のナザレに行かれ、 安息日に会堂で教え始められたのだそうです。 すると、それを聞いた多くの人々が驚いて言った。 「この人は、こういうことをどこから得たのだろう。 この人に与えられた知恵や、 その手で行われるこのような力あるわざは、 いったい何なのか。 この人は大工ではないか。 マリアの子で(たぶん、父、ヨセフはなくなっていて)、 ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。 その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか」と。
 その、公生涯の終わりの頃、 イエスが人々の手で捕らえられ、 十字架刑で処刑される最後の一週間(受難週)のこと、 エルサレムに着き、宮に入られ、すべて見て回った後、 すでに夕方になっていたので、 12弟子たちと一緒に ベタニヤ(あのマルタとマリアの姉妹のいる村)に出て行かれ、 そこに泊まられたのですね。
 翌日、ベタニアを出てエルサレムに向かわれるとき、 イエスは空腹を覚えられ、 葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、 その木に何かあるかどうか見に行かれたのだそうです。  けれども、いちじくのなる季節ではなかったので、 葉のほかには何も見つからなかった。 すると、イエスは、その木に向かって 「今後いつまでも、だれも おまえの実をたべることがないように」と言われたのだそうです。  そして、その翌朝早く、 彼らが通りがかりにいちじくの木を見ると、 それは根元から枯れていた。 ペテロは思い出して、イエスに言った。 「先生、ご覧ください。 あなたがのろわれた、いちじくの木が枯れています。」  イエスは弟子たちに答えられた。 「神を信じなさい。 まことに、あなたがたに言います。 この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、 心の中で疑わず、自分の言ったとおりになると信じる者には、 そのとおりになります。
 ですから、あなたがたに言います。 あなたがたが祈り求めるものは何でも、 すでに得たと信じなさい。 そうすれば、そのとおりになります。  また、祈るために立ち上がるとき、 だれかに対し恨うらんでいることがあるなら、赦しなさい。 そうすれば、天におられるあなたがたの父も、 あなたがたの過ちを赦してくださいます。」
 イエスは、 「わたしが天から下って来たのは、 自分の思いを行うためではなく、 わたしを遣わされた方のみこころを行うためです」(ヨハネ6:38)、 「わたしは自分からは何もせず、 父がわたしに教えられたとおりに、 これらのことを話している」(ヨハネ8:28)と仰られる方。
 だから、いちじくの木に 「今後いつまでも、だれもおまえの実をたべることがないように」 と言われたのも、  また、山に向かって「立ち上がって、海に入れ」と言うのも、 私たちが勝手にそう思って、そう言う」ということではなく、 【父である神】がそう言うようにと言われるので、 ということが先にあるのでしょうね。
 預言者エリヤが、アハブ王に、 「私のことばによるのでなければ、 ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない」と言ったのも、 【父である神】がそう言うようにとエリヤをうながされたから、 なのでしょうね。
 雨が降らず、飢饉ききんになって、 かめに残った一握りの粉と、 つぼの中にほんの少し残っている油で 小さなパンを作り、 息子と二人でそれを分け合って食べ、 あとは飢え死にするのを待つだけ、という貧しいやもめに、 エリヤが、「恐れてはいけません。 行って、あなたが言ったようにしなさい。 しかし、まず私のためにそれで小さなパン菓子を作り、 私のところに持って来なさい。 その後で、あなたとあなたの子どものために作りなさい」 ということができたのも、 神である【主】が、 「【主】が地の上に雨を降らせる日まで、 そのかめの粉は尽きず、 その壺つぼの油はなくならない」と言われたから、 なのですね。(Ⅰ列王17:17~24)
 
 そのように、天の神、【主】、 「『わたしはある(I am)』という者」 と名乗られる方(出エジプト3:14)は、 わたしたちのためには、 人間の知恵、分別では考えられないようなことを言われ、 そして、そのことばのとおりを実行なさる方なのですね。 ご自身の「信」にかけて。  私たちがこの方が真の神であることを体験し、 知ることができるように、と。 今日も。
(聖書のことばについての疑問、 近くの教会を知りたい等、 また、教会に行っていないけれど、 葬儀をキリスト教でしたい、 また、婚活で広く出会いを求めたい、
等のお問い合わせは [email protected]へどうぞ。)
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉 〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
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ganimaly · 4 years
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【旅ごはん|バインクオンをチュルっと】どんなふうに作るのか分かった!ハノイで。
Bánh Cuốn
ハノイで、 まち歩きしながら食べ歩く日。 最初は Phở Bò フォーボー を食べて、 今度は、Bánh Cuốn バインクオン。
これがバインクオン。 中華料理の腸粉みたいで、 柔らかい生地に、 豚肉ときくらげなどの具、 ミントの葉と揚げ玉ねぎをのっけて、 あっさり甘辛のヌクチャムで。
チュルっとした食感が楽しくて、 シンプルな具と一緒に、 柔らかくて、 刺激的な味がない餃子のような。
Quán Bánh Cuốn Bảo Khánh というお店。 聖ヨセフ大聖堂の北側の、 忙しい通りにあります。
バインクオンは、 注文したら生地から作ってくれます。 鍋の上に布が張ってあって、 そこに、米粉の生地を薄く引いて、 蓋をして蒸します。
お姉さん、 箸で器用に蒸していきます。
具はあらかじめ作ってあって、 豚肉に、きくらげとエシャロット。 4ロールで一人前。
25…
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reallypaleninja · 1 year
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イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています
①テサロニケ4・13-18
イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています
使徒パウロのテサロニケの教会への手紙
4・13兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。14イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
15主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。16すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、17それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。18ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。
答唱詩編
詩編96・1+2、9+13
遠く地の果てまで、すべての者が神の救いを見た。
詩編96
96・1新しい歌を神にうたえ。 世界よ、神に向かって喜び歌え。 2神の名をたたえて歌い、 日ごとに救いを告げ知らせよ。
9聖なるものが現れるとき、神をおがめ。 世界よ、神をおそれよ。 13神は来られる、世界をさばきに来られる。 正義とまことをもって、すべての民をさばかれる。
福音朗読
ルカ4・16-30
アレルヤ、アレルヤ。貧しい人に福音を、捕らわれ人に解放を告げるため、神はわたしを送られた。アレルヤ、アレルヤ。
ルカによる福音
そのとき、4・16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
18「主の霊がわたしの上におられる。 貧しい人に福音を告げ知らせるために、 主がわたしに油を注がれたからである。 主がわたしを遣わされたのは、 捕らわれている人に解放を、 目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫されている人を自由にし、 19主の恵みの年を告げるためである。」 20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。22皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」23イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。
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reallypaleninja · 1 year
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その日あなたたちはイスラエルの人々を聖なる集会に召集しなければならない。
レビ記23・1、4-11、15-16、27、34b-37
その日あなたたちはイスラエルの人々を聖なる集会に召集しなければならない。
レビ記
23・1主はモーセに仰せになった。
4以下は主の祝日であり、その日あなたたちはイスラエルの人々を聖なる集会に召集しなければならない。5第一の月の十四日の夕暮れが主の過越である。6同じ月の十五日は主の除酵祭である。あなたたちは七日の間、酵母を入れないパンを食べる。7初日には聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。8七日の間、燃やして主にささげる献げ物を続けて、七日目に聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。
9主はモーセに仰せになった。10イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。わたしが与える土地に入って穀物を収穫したならば、あなたたちは初穂を祭司のもとに携えなさい。11祭司は、それを主に受け入れられるよう御前に差し出す。祭司は安息日の翌日にそれを差し出さねばならない。
15あなたたちはこの安息日の翌日、すなわち、初穂を携え奉納物とする日から数え始め、満七週間を経る。16七週間を経た翌日まで、五十日を数えたならば、主に新穀の献げ物をささげる。
27第七の月の十日は贖罪日である。聖なる集会を開きなさい。あなたたちは苦行をし、燃やして主にささげる献げ物を携えなさい。
34b第七の月の十五日から主のために七日間の仮庵祭が始まる。35初日に聖なる集会を開きなさい。いかなる仕事もしてはならない。36七日の間、燃やして主にささげる物をささげ続ける。八日目には聖なる集会を開き、燃やして主にささげる物をささげる。これは聖なる集まりである。あなたたちはいかなる仕事もしてはならない。
37以上がイスラエルの人々を聖なる集会に召集すべき主の祝日である。あなたたちはこれらの定められた日に、燃やして主にささげる焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の献げ物、ぶどう酒の献げ物をささげる。
答唱詩編
詩編81・3+4、5+6
①喜びうたえ、神に叫びをあげよ。②わたしが受けた神のことば。
詩編81
81・3つづみに合わせて高らかにうたい、 琴をかなで、たて琴をかき鳴らせ。 4祭りの日、新月と満月の日に、 角笛を吹き鳴らせ。①
5これはイスラエルのおきて、 ヤコブの神の定め。 6エジプトからの救いの記念に、 神はヨセフのために祝日を定められた。②
福音朗読
マタイ13・54-58
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたに宣べ伝えられた福音は、永遠に留まる神の言葉。アレルヤ、アレルヤ。
マタイによる福音
そのとき、イエスは13・54故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。55この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。56姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」57このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、58人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。
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sazanami-ayame · 5 years
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【ベトナム旅2019-012】聖ヨセフ大聖堂(ハノイ大教会)。
ミサの間だけ中に入れる。写真撮影は自由だけど、シャッター音を響かせるのはやはり避けたいので、EOS Rのサイレントシャッターがはじめて役に立った。
2019.7.7
EOS R + Utulens
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sazanami-ayame · 5 years
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【ベトナム旅2019-011】聖ヨセフ大聖堂(ハノイ大教会)。
2019.7.7
EOS R + Utulens
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asa6fuji · 3 years
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イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています
使徒パウロのテサロニケの教会への手紙
4・13兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。14イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
15主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。16すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、17それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。18ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。
答唱詩編
詩編96・1+2、9+13
遠く地の果てまで、すべての者が神の救いを見た。
詩編96
96・1新しい歌を神にうたえ。 世界よ、神に向かって喜び歌え。 2神の名をたたえて歌い、 日ごとに救いを告げ知らせよ。
9聖なるものが現れるとき、神をおがめ。 世界よ、神をおそれよ。 13神は来られる、世界をさばきに来られる。 正義とまことをもって、すべての民をさばかれる。
福音朗読
ルカ4・16-30
アレルヤ、アレルヤ。貧しい人に福音を、捕らわれ人に開放を告げるため、神はわたしを送られた。アレルヤ、アレルヤ。
ルカによる福音
そのとき、4・16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
18「主の霊がわたしの上におられる。 貧しい人に福音を告げ知らせるために、 主がわたしに油を注がれたからである。 主がわたしを遣わされたのは、 捕らわれている人に解放を、 目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫されている人を自由にし、 19主の恵みの年を告げるためである。」 20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。22皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」23イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。
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asa6fuji · 3 years
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その日あなたたちはイスラエルの人々を聖なる集会に召集しなければならない。
レビ記
23・1主はモーセに仰せになった。
4以下は主の祝日であり、その日あなたたちはイスラエルの人々を聖なる集会に召集しなければならない。5第一の月の十四日の夕暮れが主の過越である。6同じ月の十五日は主の除酵祭である。あなたたちは七日の間、酵母を入れないパンを食べる。7初日には聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。8七日の間、燃やして主にささげる献げ物を続けて、七日目に聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。
9主はモーセに仰せになった。10イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。わたしが与える土地に入って穀物を収穫したならば、あなたたちは初穂を祭司のもとに携えなさい。11祭司は、それを主に受け入れられるよう御前に差し出す。祭司は安息日の翌日にそれを差し出さねばならない。
15あなたたちはこの安息日の翌日、すなわち、初穂を携え奉納物とする日から数え始め、満七週間を経る。16七週間を経た翌日まで、五十日を数えたならば、主に新穀の献げ物をささげる。
27第七の月の十日は贖罪日である。聖なる集会を開きなさい。あなたたちは苦行をし、燃やして主にささげる献げ物を携えなさい。
34b第七の月の十五日から主のために七日間の仮庵祭が始まる。35初日に聖なる集会を開きなさい。いかなる仕事もしてはならない。36七日の間、燃やして主にささげる物をささげ続ける。八日目には聖なる集会を開き、燃やして主にささげる物をささげる。これは聖なる集まりである。あなたたちはいかなる仕事もしてはならない。
37以上がイスラエルの人々を聖なる集会に召集すべき主の祝日である。あなたたちはこれらの定められた日に、燃やして主にささげる焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の献げ物、ぶどう酒の献げ物をささげる。
答唱詩編
詩編81・3+4、5+6
①喜びうたえ、神に叫びをあげよ。②わたしが受けた神のことば。
詩編81
81・3つづみに合わせて高らかにうたい、 琴をかなで、たて琴をかき鳴らせ。 4祭りの日、新月と満月の日に、 角笛を吹き鳴らせ。①
5これはイスラエルのおきて、 ヤコブの神の定め。 6エジプトからの救いの記念に、 神はヨセフのために祝日を定められた。②
福音朗読
マタイ13・54-58
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたに宣べ伝えられた福音は、永遠に留まる神の言葉。アレルヤ、アレルヤ。
マタイによる福音
そのとき、イエスは13・54故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。55この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。56姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」57このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、58人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。
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purplekittennight · 5 years
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主は、太陽。必要のすべてを、満たしてくださって
主は太陽、盾。詩84:12
 パウロの手紙:
私の神は、 ご自分の栄光の富に応じて、 キリスト・イエスによって、 あなたがたに必要なものを すべて満たしてくださいます。フィリピ書4:19
 マルコ3:1~10(11~12)  マタイ13:53~58(通読箇所)    (ローズンゲン日々聖句9/10;火)
 まことに、天の神、主、 「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、 私たちの太陽、また、盾のようなお方なのですね。
 正しい関係に歩む者たちに、 恵みと栄光を授け、 良いものを拒まれない方。
 キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、 私たちの必要をすべて満たしてくださる方なのだそうですから。
 カぺナウムでのこと。 ある安息日に、イエスが会堂に入られると、 そこに片手のなえた人がいたのだそうです。 律法を自分の力で一生懸命守っていて、自分を正しいとしている人たちは、 イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていたのだそうです。 イエスを、安息日を破る者として訴えようと。
 イエスは手のなえたその人に 「立って真ん中に出なさい」と言われた。 それから彼らに、 「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。 いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と言われた。 彼らは黙っていた。 イエスは怒って彼らを見まわし、 その心のかたくななのを嘆きながら、 その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。 彼は手を伸ばした。 するとその手が元どおりになった。
 パリサイ人たちは、 イエスをどのようにして葬り去ろうかと 相談を始めることになったのだそうですが。
 イエスが湖のほうに退かれた。 すると、ガリラヤから出て来た大勢の人々がついて行った。 また、ユダヤから、エルサレムから、 イドマヤ(エドム)から、ヨルダンの川向うやツロ、シドンあたりから、 大勢の人々が、 イエスの行っておられることを聞いて、 イエスのもとにやって来たのだそうです。 そして、イエスは病気で悩む人たちをいやされたのだそうです(マルコ3:1~9)。
 イエスの郷里の人たちは、 「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。 この人は大工の息子ではありませんか。 彼の母はマリヤで、 彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。 妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。 とすると、いったいこの人は、 これらのものをどこから得たのでしょう」と、 イエスにつまずき、 イエスに信頼しようとはしなかったのだそうですが(マタイ13:53~58)。
 私たちは、太陽によって存在できているように、 天の神、主は、 私たちの必要のすべてを満たしていてくださるのですね。 今日も。
(近くの教会を知りたい等、 また、教会に行っていないけれど、 葬儀をキリスト教でしたい、 また、婚活で広く出会いを求めたい、
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purplekittennight · 7 years
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天の神、主の知識と英知、“霊”の力に満ちて
知恵を授けるのは主。 主の口は知識と英知を与える。
箴言2:6
 イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。 その評判が周りの地方一帯に広まった。 イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
ルカ4:14~15
 マタイ5:33~37
 使徒21:27~40(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/9;水)
 私たちが、神のことばを受け入れ、神のことばを自分のうちにたくわえ、
自分の耳を知恵に傾け、心を英知に向けるなら、
もし私たちが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、
銀のように、これを捜し、
隠された宝のように、これを探り出すなら、
そのとき、私たちは、主をおそれることを悟り、神の知識を見いだすようになるのだそうです。
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方が知恵を与え、
御口を通して知識と英知を与えてくださるのだそうですから(箴言2:1~6)。
イエスは、30歳になる頃まで、ナザレ村で、両親に仕えられ、人々からは父親だと思われていたヨセフの仕事、大工をしながら、普通の人と変わらない生活をしておられたのだそうです。そして、およそ、30歳の頃、バプテスマのヨハネからバプテスマ(洗礼)を受けられたそのとき、
天が開け、神の“霊”、御霊が��のように下って、ご自分の上に来られ、
天から「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という声が告げられたのだそうです(マタイ3:13~17)。
それから、御霊に導かれて荒野に上り、40日40夜断食をしたあと、悪魔の試みを受けられたのだそうです。
悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。
それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです(ルカ4:6)」と、自分を拝むよう誘ったのだそうですが、
イエスは、「引き下がれ、サタン。
『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ(申命記6:13)』と書いてある」と聖書のことばをもって答えられ、これを退けられた(マタイ4:1~11)のち、
御霊の力を帯びてガリラヤに帰られたのだそうです。
そして、“霊”、御霊を通して来る、天の神、主の知識と英知によって教えられたのだそうです。
私たち日本人も、自分の釈明、主張、自分の正しさを人々に分かってもらおうと、
「天地神明に誓って」とか、「神にかけて」とか、言うことがありますが、
イエスは言われるのですね。
「決して誓ってはいけません。
『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。
それ以上のことは悪いことです」(マタイ5:33~37)と。
どこまでも、自分の力で自分の正しさを分かってもらおうとしないで、
正しくさばかれる方、
「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」(申命記32:35、ロマ12:19)と仰る方に信頼し、お任せするのが知恵のあるやり方ですよ、ということでしょうか。
 使徒パウロも、エルサレムで、誤解によって殺されようとしたときも、自分を殺そうとする人々に対して釈明するときも、「兄弟たちよ。父たちよ」と呼びかけ、
天の神、主に信頼し、結果は天の神、主にお任せしていたようですね(使徒21:27~22:1)。
 私たちにも、〔聖である霊〕と呼ばれる方を通して、「神の知識と英知」が来て、「天の神、主の知識と英知」で、一つ一つのことに向かって行けるのだそうですから。
神の勝利に向かって。今日も。
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