Tumgik
#美山かやぶきの里_茅葺民家
spst-haru · 2 years
Photo
Tumblr media
[ 秋訪れる里 ] . . . そばの花畑の向こう、 茅葺き屋根の里が見える。 . . . ==================== 📷 2022.09 Miyama's thatched village (Miyama Kayabuki no Sato) , Nantan, Kyoto . Canon EOS Kiss M2 🌼⛰🌼⛰🌼⛰🌼⛰🌼 ==================== . . . #japan #kyoto #nantan #miyamakayabukinosato #miyamasthatchedvillage #miyamakayabukinosato_kayabukiminka #miyamasthatchedvillage_thatchedroofhouses #kayabukiminka #thatchedroofhouses #miyamakayabukinosato_sobanohana #miyamasthatchedvillage_buckwheatflower #sobanohana #京都 #南丹 #美山かやぶきの里 #美山かやぶきの里_かやぶき民家 #美山かやぶきの里_茅葺き民家 #美山かやぶきの里_茅葺民家 #かやぶき民家 #美山かやぶきの里_そばの花 #そばの花 #花色大地 #flower_colored_ground #花が咲く町 #flowers_bloom_in_the_town #ある秋のそばの花畑 #carpet_of_sobanohana_in_autumn #美しき日本の町並み #beautiful_japanese_townscape #canoneoskissm2 (美山かやぶきの里) https://www.instagram.com/p/CjfNKjCPfhS/?igshid=NGJjMDIxMWI=
10 notes · View notes
papatomom · 3 years
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
20210717(土)
舞鶴若狭自動車道の小浜ICを降り国道162号線(周山(しゅうざん)街道、別名鯖街道)を南下して、京都へ向かう。
途中おおい町名田庄納田終(なたしょう おたおい)にある「暦会館」に寄った。
資料によると、陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明の子孫が応仁の乱(1467)の戦火を避け所領の当地(中世では名田庄上村)へ移り住み、土御門家(安倍氏)3代にわたりこの地で陰陽道及び、天文・暦・易の三道をつかさどっていたと伝えられる。
会館では、女性の職員により詳しく展示物の説明をしていただいた。わかりやすく、大変勉強になった。
というか、説明なしではちょっと展示物を理解するのは無理かな。
八卦占いも教えていただけるので、実際に占うこともできました。
会館を出た後、土御門総社にある「天壇」でお詣りしてきました。ここは今でいうパワースポットらしく、四神を示す青、赤、白、黒の鳥居が四方を囲む神聖な空間で、とてもミステリアスな場所です。
女性職員の話によると、晴れていれば「天壇」に上がってもよいが、雨だと靴に泥がつくので良くないとのことでした。
ちなみに青は青春(東)、白は白秋(西)、黒は玄冬(北)、赤は朱夏(南)。四神とは東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武のこと。(神聖な場所なので写真は撮らなかった。)
その後ひたすら周山街道を進み、山間にある京都美山かやぶきの里へ。ここは京都市と福井県小浜市とのちょうど中間の位置にあり、茅葺屋根の家屋は「北山型民家」と呼ばれ、住民の方は実際にここで生活をしておられます。
街道沿いを流れる由良川(美山川)では釣人も。
こういう時期なので、観光客もほどほどで、ゆったりと集落内を散策できました。
49 notes · View notes
endekashi · 3 years
Text
苦肉の橅林。
Tumblr media
今週末は楽しみにしていた蓮華温泉ツアーだったのですが、悪天候の為中止になってしまいました。残念〜。てな訳で昨日は完全ナシで、今日、どっかでツアーしようという話になっていたのですが、白馬エリアは季節外れの大嵐。ポケベル並みの高性能の頭脳を駆使して選んだのが、ちょいとアウェイな山。果たして…。
Tumblr media
朝早く白馬を出て二時間ほどドライブ。青空が出ていてなかなか気持ちいい天気。里は菜の花が咲き乱れ完全に春の様相。山には全然白いのも見えず。いや〜、もしかしてこれ、やっちまったのかー!?
Tumblr media
しかし入り口に着くと沢山の車が!こんなにいるってのは意外だったけど、逆に言えば雪があるってことだよね!良かった〜。
Tumblr media
そんじゃ行ってみましょー!!
今日はシニアなメンバーなんでまったり春の山を楽しめたらと思っております。
実は、俺、この山来るの初めてなんすよね。しかもゲストの2人は他のガイドツアーで来た事があるらしい。変なとこ行き始めたら教えてください。
Tumblr media
桜と古民家。日本の春ですなあ。しかしこの地方、茅葺き屋根にトタンを被せた家が多く残っています。更に他じゃあまりみない曲り家なんかもちょこちょこあって茅葺職人としては興味深いです。
Tumblr media
舗装路を歩けば無難に進めるのですが、そこはやっぱ雪がないとわかっていてもショートカットの林道に突っ込んじゃうのがえんでかしってもんです。
Tumblr media
あら、カタクリちゃん。可愛らしいわね。え?花、詳しいのかって?もちろん。なんでも聞いてください。ググりますから。
Tumblr media
枝をくぐったりでかなり進むのが面倒くさいです。全く誰だよこっちから行こうって行った奴は!
Tumblr media
なんとかクリアし舗装路に合流。いや〜快適。帰りは舗装路だな。
Tumblr media
そして暫く進みまたしてもショートカットを試みる。いや、今度は大丈夫っすよ!
Tumblr media
春の息吹を感じますね〜。
Tumblr media
やっぱ雪の上歩きたいですよね〜。
Tumblr media
しかし最終的にはこんな感じに。おいこらー!!もぞもぞしてたら結局後ろから舗装路歩いてきたグループに抜かされたぞー!!
Tumblr media
舗装路を歩いた方がいいという事がわかった事が収穫でしたね!あはははは。
Tumblr media
遂に板を履けるとこに到着。ん?なんだありゃ?なんか溶けたプラスチックみたいな物が木の枝からぶら下がってる。
Tumblr media
好奇心に抗えず近づくとなんだただの雪かーい!雪の中で埋まっていた枝先が春になって起き上がったんですね。
Tumblr media
それではいよいよハイク開始!なんか写ってますけどー。
Tumblr media
おおらかな地形です。しかし本当にこの辺だけ雪あるんだよなー。
Tumblr media
チャリデポしてる人もいました。なるへそそりゃ快適だ。
Tumblr media
尾根への取り付きがなかなか急、且つ、ずりずりし易いコンディションでちょっと苦労しました。ツリーホールもでかくて落ちたらホールインワンしそうです。
Tumblr media
尾根へ登ると、わお!!ビッグ橅フォレスト!!
Tumblr media
たまんね〜たまんね〜ぜ〜。
Tumblr media
日も差して気持ちのいいハイクで皆様上機嫌。
Tumblr media
しかし頂上手前になるとちょいと雲行きが怪しくなってまいりました。
Tumblr media
頂上に着く頃には吹雪!にゃにー。この辺なら軽く雨がパラっとくらいかと思っていたのだが、読みが甘かった。景色もへったくれもないのでさっさと降りましょう。
Tumblr media
うっすら積もった雪が見事なストップスノー!!だー!余計なことをー!
Tumblr media
しかし、滑ったゲストの感想は今まで滑ったパイプ地形で一番良かった。ぬおー!あんた仏やー!嘘でも嬉しいっす。
Tumblr media
ほうていだったら気持ちのいい林なんだろうな〜なんて想像しながらストップスノーをやり過ごす。
Tumblr media
半分くらい降りたらまた天気良くなったんで、ちょいとお茶しましょうか。
Tumblr media
残り少なくなった信州りんご。まだボケてません!
Tumblr media
下り始めたらまた降ってきやがりました。
Tumblr media
新緑+スキー。が水滴で台無し
Tumblr media
舗装路に着く頃にはまあまあな降りに。さっさと降りましょー!
Tumblr media
ちょっと待って!と言ってフキノトウを取り始めるゲスト。パスタに入れると美味しいのよ。あ、美味そうすね。
Tumblr media
ぎゃー!!最後の一枚まで水滴で台無しー!!すんません!!
いや〜、春を感じるまったりツアーと行きたいとこだったが、冬も感じたり、雨に濡れたりとか、まあ、雪もイマイチでしたけど、まあ、気持ちいい橅林だったし、ちょっとアドベンチャーもしたし、色々あってバックカントリーって感じで楽しかったすね!!(言い訳がましいまとめだなおい)
本日もお疲れ山でしたー!&おしょっ様でしたー!!
1 note · View note
Photo
Tumblr media
第4回One fifty!サークルツーリングレポート
2021年5月30日に実施しました第4回One fifty!サークルツーリングのレポートをお届けします。
(写真が少ないのでGoogleストリートビューなどのスクショ等も利用させて頂いています。)
週間天気予報をずっとモニターしていて雨マークがどうにも消えず心配しておりましたが、当日の天気は一転して超快晴。 これ以上ない程の最高の天候、最高のロケーションの中を快走してまいりました。
Tumblr media
集合場所は、セブンイレブン箕面彩都南店。峠道の入り口にあり、駐車場がとても広く、たくさんのライダーさんが集合場所に使う事でおなじみのお店です。 ここからスタートし、まずは府道110号-余野茨木線を辿ります。
きついカーブの続く急坂をどんどん登って行きます。
狭いながらも対向車線のある道路ですが、地元の路線バスも通っています。
しかしヘアピンカーブになっている場所での対向車との離合はなかなか困難な様子。それでも抜けて行くバスの運転手は、やはりさすがプロですね。
府道110号線を進んでいくと、国道423号線とぶつかりますので、ここを右折します。
Tumblr media
少し進むと左側に見えて来るのは、ライダーさん達に「余野コン」と呼ばれるファミリーマート豊能町余野店です。
快走路上にある入りやすい場所で、休日にはこの広い駐車場がバイクで埋め尽くされます。
Tumblr media
そのまま進んでいくと、妙見口という交差点が出てきます。
このまま真っ直ぐ進むのですが、ここを左折していくと 野間峠という峠道に差し掛かります。
この野間峠の途中には、「ほんたき 山のカフェ」という、山深い場所にある大変景観の良いカフェがあります。 その手前、「能勢妙見山」 の看板のある場所を左折して奥へ走ると、そこは山体をご神体とする「能勢妙見堂」へと続く道です。とても歴史のあるお寺です。ウィキペディア等でぜひ調べてみて下さい。
Tumblr media
妙見口から少し進むとY字路があります。ここを左、府道732号線へ進みます。国道173号線に突き当たったら右折、綾部方面へ。
気持ち良くワインディングを走り抜け、はらがたわトンネルを抜けて丁字路を右折、しばらくすると京都府亀岡市に入ります。
突き当たったら左折して、景勝地「るり渓」へ入って行きます。 るり渓についてはこちらをご参照下さい。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8B%E3%82%8A%E6%B8%93?wprov=sfti1
Tumblr media
るり渓を抜けて国道173号線へ戻ったあと立ち寄った、道の駅 瑞穂の里さらびき。
こちらで販売されている、丹波篠山名産の黒豆をたっぷり使った黒豆パンは絶品です。この日はたまたま焼きたてが搬入された直後で、最高に美味しい状態のを買う事が出来ました。 来る度についつい手が伸びてしまいます。
Tumblr media
さらびきを出て、美山かやぶき由良里街道を走ります。由良川沿いの素晴らしい景観の中を快走し、大野ダムを経由して、道の駅美山ふれあい広場に到着。
ここの名物は何と言っても美山牛乳を使ったソフトクリームです。残念ながらこの日はソフトクリーム販売はお休みでしたが、併売されているジェラートを購入。こちらも美山牛乳に加えて美山の産直品材料をふんだんに使った大変美味しいジェラートです。 駐車場を挟んだ向かい側にある産直品の直売所では、地物の野菜などの他に鹿や猪などのジビエ肉も販売されています。ちょっとお値段は張りますが、いつかは試してみたいです。
Tumblr media Tumblr media
道の駅美山ふれあい広場を出たら、美山かやぶきの里はもう目の前です。
料金300円を支払って駐輪場にバイクを停めたら、茅葺屋根の家並みの中を散策します。 観光地でもありますが、普通に人が住んでいる住宅地でもあります。ご迷惑をかけないよう、静かに雰囲気を楽しみながらのんびり歩きます。
水路を流れる山からの水はとても冷たく、虫達やカエルが顔を見せ、周囲では野鳥の声がこれでもかと響きます。
なんて素晴らしい場所なんだろうと、来る度に思います。四季を通して訪れたい場所のひとつです。 この地域内には、民宿やカフェなどもあって賑わっています。
コロナ禍ですので観光客は少なめ。しっかり距離を取って、時が止まったかのような風景を堪能し、今回のツーリングの最終目的地を後にしました。
Tumblr media
初夏の青空と由良川をバックにした1枚。良い写真が撮れました。
実はかやぶきの里にあるカフェでお昼を食べようと話していたのですが、満員で入れず、お腹を空かしたまま帰路につきました。 帰り道、美山の南側に位置する日吉ダムのお膝元、道の駅スプリングスひよしに立ち寄って、 名物カレーパンをゲット。これがとにかく美味しいのでぜひお試し頂きたいです。
その後、亀岡市内を南下して、最初の集合場所セブンイレブン箕面彩都南店に戻って来ました。
当初は雨予報が続きとても心配していましたが、最初から最後まで素晴らしい晴天に恵まれ、無事の帰宅をもって今回のツーリングは終了となりました。走行距離は約260kmでした。
今回のルートは私個人でも何度も走っている本当に大好きな素晴らしいルートなので、 今後も季節ごとにサークルのメンバーさんみんなで走りたいと思っています。 今回参加出来なかった皆様、次回はご一緒出来る事を楽しみにしております。
以上、2021年5月30日のOne fifty!サークルツーリングの模様でした。
0 notes
monqu1y · 3 years
Text
王様の自滅  自国を滅ぼす方法など
⦅操縦七術[韓非]から続く⦆
Tumblr media
〖国を滅ぼす王様の特徴〗 01_王様が宮殿や庭園の建築にうつつをぬかし、車や衣服珍品集めなどの道楽に凝って、国民から絞りあげては浪費する。   殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) 王が象牙の箸をつくらせた。   箕子 ( きし ) (紂王の叔父。狂ったふりをして身を守った)は恐怖を覚えた。  彼はこう思ったのだ。  象牙の箸となれば、汁のうつわも素焼きの土器ではすまなくなる。  きっと 犀 ( さい ) の 角 ( つの ) か玉でできた豪華なうつわを使うだろう。  玉のうつわに象牙の箸ということになれば、豆や豆の葉という質素な料理ではすまなくなる。  きっと 旄牛 ( からうし ) ・象・ 豹 ( ひょう ) の胎児などの美味珍味とならざるをえない。  こうした美味珍味を食べるとなれば、着るもの住む家も普段着や 茅 ( かや ) 葺きではすまなくなる。  きっと 錦 ( にしき ) を重ね、広大な屋敷をつくるだろう。  こうして釣り合いを求めていけば、いつしか天下の富を根こそぎつぎ込んでも、まだ不足する。  ほんの小さな兆候候をも見逃さず、始まりを見て結末を察知するのが聖人だ。  箕子が象牙の箸を見て恐怖を覚えたのは、その段階で、天下全体ものを使っても不足する結果を見抜いたからだ。   殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) 王は、部屋の窓を閉ざして明かりを灯し、百二十日を一夜として「酒池肉林」の宴を続けたために、日がわからなくなってしまった。  「さて今日は何日だったかな」と、お側の者にたずねたが、誰一人としてわからない。  そこで、 箕子 ( きし ) のもとに使いを出して、たずねさせた。  箕子は家臣にこう言った。  「天下の 主 ( あるじ ) となりながら、国中誰も日がわからないという。  これでは天下は保てまい。国中誰もが知らないことを、わたし一人が知っていたとなれば、わが身があぶない」。  そして、自分も酔ってわからない、と使者に答えたという。  桓公が管仲に尋ねた。「富には限界があるのだろうか」。  「水の限界は水のなくなるところ、富の限界は人がそれに満足したところです。ところが、人間は満足することができず、富をむさぼって、ついには身を滅ぼしてしまいます。これが富の限界でしょうか」。   紹績昧 ( しょうせきまい ) は酒に酔って寝てしまい、皮の上着をなくした。   宋 ( そう ) 王が不思議に思って、彼に聞いた。  「酒に酔ったくらいで皮の上着までなくすものか」。  「 夏 ( か ) の 桀 ( けつ ) 王は酒で天下をなくしました。それゆえ 康誥 ( こうこう ) (書経の一篇)には『酒を 彛 ( い ) するなかれ』とあるのです。酒を彛するとは、酒を常にするという意味です。酒を常飲すれば、天子は天下を失い、庶民も自分の命を失うのです」。  昔、 弥子瑕 ( びしか ) という美少年が、 衛 ( えい ) の 霊 ( れい ) 公の寵愛を受けていた。  衛の法律では、許しなく王様の車に乗った者は、足切りの刑に処せられる。  ところが、弥子瑕は夜中に母が急病だという知らせを受け、君命といつわって王様の車を使った。  それを聞いた霊公は、罪を問うどころかほめるのだった。  「親孝行なことではないか。母を思うあまり、自分が足を切られるのさえ忘れるとは」。  また、ある日、霊公のお供をして果樹園に散歩に行ったとき、弥子瑕が桃を食べたところ、あまりにおいしいので、半分残して霊公に薦めた。  霊公は、「王様思いではないか。自分が食べるのを忘れてまで、わしに食べさせてくれるとは」。  だが、やがて弥子瑕の容色が衰えて、霊公の寵愛がうすれてきた。  すると、霊公は、弥子瑕が前にしたことに腹を立てて、「こいつは、嘘までついてわしの車を使ったことがある。またいつぞやは、わしに食いかけの桃を食わせおった」。 02_吉だ凶だと日柄を気にし、 鬼神 ( きしん ) をありがたがり、占いの結果を真に受けて、何かといえば、 祭祀 ( さいし ) をやりたがる。亀の甲に穴を開けて火であぶったり、 筮竹 ( ぜいちく ) を数えて占った結果に従って戦をした 燕 ( えん ) や 趙 ( ちょう ) は、負けることが多かった。 03_限りない欲張りで、利益とみれば見さかいなく飛びつく。   宋 ( そう ) の国に 監止子 ( かんしし ) という金持ちの商人がいた。  あるとき、他の商人と時価百金の 粗玉 ( あらたま ) を 競 ( せ ) りあったことがある。  監止子はまちがったふりをして粗玉を落とし、傷をつけた。  百金の弁償をして引き取り、きれいに傷を磨き落として売ったところ、千金あまりの大金を得た。  一般に、何かを行って失敗しても、何もやらなかったよりもましな場合がある。  監止子のように、タイミングよく責任を引き受けた場合がそれだ。 04_法に基づかず、無原則に刑罰を加える。空理空論に耳を傾け、現実に役立つかどうかを考えない。外見を飾り立てて、実用を無視する。 05_独善的で協調性がなく、 諫言 ( かんげん ) されればむきになる。国家全体のことを考えずに軽率に動き、しかも自信満々だ。  食客のなかに、不老長寿法を教えるという者がいたので、 燕 ( えん ) 王は家来のひとりに習わせたが、その家来がまだ習い終えないうちに、食客は死んでしまった。燕王は怒って家来を殺した。食客が自分を騙したのに気づかず、習い方が遅いといって死刑にしたのだ。道理に合わないことを信じて罪のない家来を殺すとは、また浅はかなことであった。  誰でも一番大切なのは自分の体のはずだ。その自分が死を免れないでいて、他人の燕王を不老長寿にすることなどできるはずがない。 06_王様がずぼらで、およそ反省ということをせず、どんなに国が乱れていても自信満々で、自国の経済力を考えずに、隣の敵国を組みしやすしとする。 07_国が弱小であるのに、尊大にふるまい、強国を警戒しない。国境を接している大国をバカにして、礼をもって対しようとしない。  昔、晋の公子 重耳 ( ちょうじ ) が亡命し、曹に立ち寄った。  曹の王様は服をはだけさせて重耳を見せ物にした。  そのとき 釐負羈 ( きふき ) と 叔瞻 ( しゅくせん ) が曹の王様に付き添っていた。  叔瞻は曹の王様に申した。私、晋の公子を観ましたところ、ただ者ではございません。王様はこれに無礼をなさいました。彼がもし時を得て国に帰り、挙兵すれば、恐らく曹の害となりましょう。王様はこれを殺してしまうのがよいでしょう、と。  しかし曹の王様は聴き入れなかった。  釐負羈は帰って浮かぬ顔をしている。  妻が問うた。あなたは外から帰ってきて浮かぬ顔をしておられ���のは何故ですか、と。  釐負羈は言った。私はこう聞いている。良いことには 与 ( あずか ) らず、悪いことには連なる、と。今日我が君は晋の公子を招き、無礼をはたらいた。私はそのとき付き添っていたので浮かぬ顔をしているのだ、と。  妻は言った。私が晋の公子を観るに、大国の主のようです。その左右の従者は大国の宰相のようです。それが今、窮乏して曹に立ち寄り、曹はこれに無礼をはたらきました。これがもし国に帰ることになりますと、必ずや無礼を 誅 ( ちゅう ) しましょう。曹はその手始めとなりましょう。あなたはどうぞ今のうちに 誼 ( よしみ ) を通じておきなさいませ、と。  釐負羈は言った。よろしい、と。  黄金を壺に盛り、食べ物で蓋し、玉壁をその上にのせ、夜、使者を公子に遣いさせた。  公子重耳は使者に会い、再拝の礼で食べ物を受け取り、玉壁は辞退した。  公子は曹から楚に入り、楚から秦に入った。  秦に入って三年、秦の 穆公 ( ぼくこう ) は群臣を集め 謀 ( はかりごと ) をして言った。昔、晋の献公と私が仲良く交流していたことは諸侯のうちで知らぬ者はいない。献公は不幸にも群臣から離れて亡くなり、十年が経つ。その 世嗣 ( よつ ) ぎは出来が良くない。私は心配だ。このままでは晋の 宗廟 ( そうびょう ) は清く保たれず、 社稷 ( しゃしょく ) の供物が絶えはせぬかと。このような状態にもかかわらず晋の足元を固めてやらないのは、献公との交流してきた道に反する。私は重耳を助けて晋に入れようと思うが、どうであろうか、と。  群臣は皆言った。よろしゅうございます、と。  穆公はそこで挙兵した。  革鎧の戦車五百乗、騎兵二千、歩兵五万、重耳を助けて晋へ入れ、立てて晋君にした。  重耳は即位して三年後、挙兵して曹を 伐 ( う ) ちに向かった。  そこで重耳は使者を送って曹の君主に告げさせた。叔瞻を城壁から懸け下ろして出せ、私が殺して処刑してやる、と。  また使者を送って釐負羈に告げさせた。我が軍勢が城に迫っている。私はあなたが礼に 背 ( そむ ) かなかったことを知っている。あなたの住まいに目印をたてておかれよ。私は命令して軍勢がそこを攻めぬようにさせよう、と。  曹の人々はこれを聞き、親戚をかき集めて釐負羈の住まいへ逃げ込む者が七百余家にも及んだ。 08_王様が臆病で信念が貫けない。すなわち予測するだけで決断ができず、やらなければと思うだけで手が下せない。   呉 ( ご ) 王の 闔廬 ( こうりょ ) が、 楚 ( そ ) の都の 郢 ( えい ) を攻め、三戦三勝した。  呉王は 伍子胥 ( ごししょ ) に意見を求めた。  「このぐらいで引き揚げてよいだろう」。  「いけません。人を 溺死 ( できし ) させようとするとき、一飲みさせたところで、止めたのでは、溺死するわけがありません。手をゆるめず押さえつけ、このさい、徹底的に沈めてしまうべきです」。 09_都合が悪ければ理屈をつけて法をまげ、何かにつけ公事に私情をはさむ。その結果は 朝令暮改 ( ちょうれいぼかい ) 、次から次へと新しい法令が発せられる。   斉 ( せい ) が 魯 ( ろ ) を破ったとき、魯の宝である 讒 ( ざん ) という 鼎 ( かなえ ) を要求した。  魯はニセ物を持って行かせたが、見破られてしまった。  「ニセ物ではないか」。  「いや本物です」。  「それでは貴国の 楽正子春 ( がくせいししゅん ) ( 曾子 ( そうし ) の弟子)を連れて来てもらいたい。彼なら信用できる」。  魯王は楽正子春にうまくごまかしてくれるように頼んだ。  楽正子春は魯王に尋ねた。  「なぜ本物を持って行かせなかったのです」。  「本物は惜しいからさ」。  「わたしも自分の信用を惜しみます」。 10_もともと地の利に恵まれないうえに、城郭も欠陥だらけ、物資の蓄えはなく、生産力も低い。すなわち長期戦に耐える力がないのに、軽挙妄動して戦いをしかける。 11_視野が狭くてせっかちで、 些細 ( ささい ) なことで簡単に行動を起こし、すぐにカッとなって前後の見境がつかなくなる。 12_怒りっぽいうえに戦好きで、本務たる農政に力をいれず、何かといえば武力を発動する。  大臣を侮辱してプライドを傷つける。庶民に厳しい刑罰を加えて、過酷な使役に駆り立てる。これを当然のこととして繰り返せば、謀反を 企 ( たくら ) むものが、必ず現れる。 13_王様が大利を目前にして傍観するばかり、また禍いを予測していながら対策を立てようとしない。そして防衛ということにまったく無知でありながら、「仁義」によって自己の行為を飾り立てようとする。 14_雄弁だが「法」という筋が通っていない。聡明ではあるが、肝腎の「術」を心得ていない。能力そのものはあるのだが、「法」によって事を運ぼうとしない。 〖本心を隠す〗  王様が心の 裡 ( うち ) を見透かされると、 家来 《 けらい 》 たちに付け込まれる。   楚 ( そ ) の霊王が細い腰の美人を好むと、 楚 ( そ ) の都には絶食して痩せようとする者があとをたたなかった。   臥薪嘗胆 ( がしんしょうたん ) の故事で有名な越王 勾践 ( こうせん ) は、勇者を好んだ。越の決死隊は、呉の陣の前で一斉に自分の首を 刎 ( は ) ねた。呉軍の兵卒は、あっけにとられ、その隙に奇襲攻撃をかけられて総崩れとなった。   斉 ( せい ) の桓公は好色で嫉妬深かった。 豎刁 ( じゅちょう ) は、自ら去勢手術を受けて、後宮の 宦官 ( かんがん ) になり、信頼を得て大臣���任命された後、謀反を起こして桓公を部屋に閉じ込め飢え死にさせた。  桓公は食い道楽でもあった。料理人の 易牙 ( えきが ) は、自分の長男を蒸し焼きにして差し出した。易牙も、豎刁の謀反に参加した。   燕 ( えん ) の 子噲 ( しかい ) は人格者を好むと思われていた。大臣の 子之 ( しし ) は、国を譲られても受けないと公言して信頼を得、政治を任されて実権を奪った。伝説時代に、 堯 ( ぎょう ) という天子がいて、 許由 ( きょゆう ) という隠者に天下をゆずろうとしたが、許由は受けず、耳が穢れたといって耳を洗ったという。子噲は子之が辞退するのを確かめておいて、堯のまねをしたのに、子之の方が上手だった。  王様が好悪を見せなければ、家来は素を表わし、王様はだまされない。   堂谿 ( どうけい ) 公が、 韓 ( かん ) の 昭 ( しょう ) 侯に尋ねた。  「 価 ( あたい ) 千金の 玉杯 ( ぎょくはい ) があったとする。もし底がなかったとしたら、これに水を入れることができるでしょうか」。  「だめだ」。  「では素焼きの器があるとする。これには底があって漏らないとしたら、酒をつぐことができるでしょうか」。  「できる」。  そこで堂谿公は言うのだった。  「素焼きの器はとるにたらぬ粗末なものですが、漏りさえしなければ酒をつぐこともできます。価千金の玉杯はまことに貴重なものですが、底がなくて漏るとしたら、水さえ入れることができません。まして、これに飲み物を入れる者があるでしょうか。家来の言葉を他人に漏らす王様は、ちょうど底の抜けた玉杯のようなものです。いくら王様に知恵があっても術をつくすことができないのは、人に漏らしてしまうためです」。  それからというもの昭侯は、大きな計画を考えているときには、必ずひとりで寝た。  寝言を聞かれて、他人に計画が漏れることをおそれたのだ。  斉国の正室が亡くなったとき、大臣の 薛 ( せつ ) は、 威 ( い ) 王の意中の人を新しい正室に 推薦 ( すいせん ) しようと考えた。薛は、玉の耳飾り九組に特に美しい耳飾りを一つ加え十組にして王に献上した。翌日、薛は、特に美しい耳飾りをしている側室を確認して王に推薦した。 〖信ずる者は 騙 ( だま ) される〗  王様が妻を信じたら、腹黒い家来は王様の妻を利用して私欲をとげようとする。   優施 ( ゆうし ) という役者は、 晋 ( しん ) の 献 ( けん ) 公の愛妾 麗姫 ( りき ) に取り入り、世継ぎの 申生 ( しんせい ) を殺して、麗姫の子 奚斉 ( けいせい ) を擁立した。  王様が我が子を盲信すると、腹黒い家来は王様の子を利用して私欲をとげようとする。  趙の武霊王(在位 前325年~299年)は 胡服騎射 ( こふくきしゃ ) (騎馬民族の戦法)をいち早くとりいれ、趙を軍事的に発展させたが、寵愛した恵后のために後継問題の処理を誤った。太子に決まっていた長子 章 ( しょう ) を廃嫡して、恵后の子 何 ( か ) (恵文王)に王位を譲り、自分は 主父 ( しゅほ ) と称して院政をしいたが、恵后の死後、廃嫡した長子 章 ( しょう ) の処遇に迷い内乱を起こさせてしまった。主父も、 沙丘 ( さきゅう ) の別宮で三箇月包囲されて餓死した。そのときの包囲軍の指揮官は 李兌 ( りたい ) だった。  妻子でさえ裏切ることがあるのに、他人である家来を信じたら、 悲惨 ( ひさん ) な結果が待っているかもしれないことを知らなければならない。  王様の世継ぎが立てられたら、妻は、我が子の即位を待ち望むもの。  男は五十になっても色好みはやまないのに、女性は三十になれば容色は衰える。  衰えた容色で色好みの夫に仕えれば、疎まれ 貶 ( さげす ) まれるようになり、「これでは我が子は、あとを継げないのではないか」と、妻は疑う。我が子が王様の座につけば、何でも命令できるし、嫌なことも禁止できる。男女の楽しみは、夫の死後も以前にも増して楽しめる。大国を思いのままに動かしても、誰からも文句は出ない。  毒を盛ったり、闇打ちをしたりのお家騒動が尽きないのも、こういうところに原因がある。   桃佐春秋 ( とうさしゅんじゅう ) には、「まともな死に方をする王様は半数に満たない」と書かれている。   魏 ( ぎ ) 王が 楚 ( そ ) 王にひとりの美女を贈った。   楚 ( そ ) 王はこの美女がすっかり気に入った。   楚 ( そ ) 王の側室 鄭袖 ( ていしゅう ) は王がこの美女を可愛がるのを見て、王が可愛がる以上に自分も可愛がり、衣裳でも何でも彼女の欲しがるままに与えていた。  王はそれを見て言った。  「 鄭袖 《 ていしゅう 》 はわたしがあの女を可愛がるのを知って、わたし以上に可愛がってやっている。まるで親孝行な子が親をおもい、忠臣が王に仕えるようではないか」。  …「王様は自分が嫉妬していないと信じている。これでよし」と思った 鄭袖 《 ていしゅう 》 は美女に「王様は女性が手で口を覆う仕草が好きだから、王様に近づくときは手で口を覆うようにしなさい」と教えた。美女はその話を信じ、始めて王様とのお目見えする際にさっそくその仕草を実行する。事情を知らない王様がその理由を周囲に尋ねると、鄭袖が「あの女は王様の匂いを嫌って手で鼻を覆っているのです。」とウソを付いた。王様は、激怒し、美女の鼻を削ぐよう命じた。 〖人材活用〗   楚 ( そ ) が 陳 ( ちん ) を攻めたとき、 呉 ( ご ) は陳を助けた。   楚 ( そ ) ・ 呉 ( ご ) 両軍は三十里をおいて 対峙 ( たいじ ) した。  ある夜、十日も降り続いた雨がやみ、星が見えた。   楚 ( そ ) の 左史 ( さし ) の 倚相 ( いしょう ) は将軍の 子期 ( しき ) に言った。  「十日の雨のあいだに、呉軍は準備をととのえたはずです。きっと攻めてくるにちがいありません。備えた方がよろしいでしょう」。  そこで、 楚 ( そ ) 軍は、陣形をととのえたが、はたして、準備が終わるか終わらないうちに、呉軍がやって来た。  しかし、 楚 ( そ ) 軍に備えがあるのを見ると、戦わずして引き返した。  左史は言った。  「呉軍は往復で六十里歩かなければなりません。帰れば疲れて将軍は休む、兵士は食事をするはずです。一方わが方は三十里ですみます。すぐ攻めれば勝てましょう」。   楚 ( そ ) 軍は呉軍を追いかけ、これを破った。  孟嘗君率いる斉・魏・韓の連合軍が函谷関に攻めてきたとき、秦の昭襄王は大臣に「三国の兵が秦に深く攻め込んでいる。河東郡の数県を与えて和睦しようと思うが、どうか」と尋ねた。  大臣は、「河東郡の数県を与えるのは、大きな損失です。王子様とご相談なさってはいかがでしょうか?」と答えた。  王様から相談された王子は、「和睦してもしなくても、後悔は避けられません。…和睦したら、『三国はもともと引き上げようとしていたのに、むざむざ三城もただでやってしまった』と、後悔するでしょう。…和睦しなかったら、 韓 《 かん 》 に集結した三国軍に大損害を与えられ、『しまった、三城をやらなかったばかりに、こんなことになってしまった』と、後悔するでしょう。」と答えた。  昭襄王は、「後悔するのなら、三つの城を失って後悔する方が、国が危険な状態になって後悔するより余程マシだ。」と考え、和睦を決めた。   管仲 ( かんちゅう ) と 鮑叔 ( ほうしゅく ) が相談をした。  「このご乱行では 斉 ( せい ) の 御代 ( みよ ) も変わるにちがいない。斉の公子のなかで、将来性のあるのは 糾 ( きゅう ) さまか、 小白 ( しょうはく ) さまだ。この二人にわれわれは一人ずつ仕え、先に出世した者が他を引き立てることにしよう」。  こうして管仲は糾に、鮑叔は小白に仕えた。  はたして斉は混乱状態におちいり、王様が殺された。  そしてまず小白が亡命先から帰国して王様の座についた。  管仲は糾とともに 魯 ( ろ ) に逃れていたが、魯の人につかまって小白に引き渡されたが、鮑叔の口添えによって宰相になることができた。 〖王様への意見の出しかた〗  [説得]は、相手の心を正確に見ぬき、自分の意見をそこに合わ���ることが必要。知識や弁舌だけでは不十分。  名声の高さを求める相手に、利を得る術を説けば、下劣で卑しい奴と思われ、遠ざけられる。利を求める相手に、名声の高まる術を説けば、気配りできず現実に疎い者と思われる。  名声を大切にしているように見せかけながら、内心では利を求めている相手に、名声の高まる術を説けば、得心した様子を見せられながら、実際には疎んじられるだろう。逆に利を得る術を説けば、得心させても、用いられることはない。 01_王様が自分の利益を満たそうとしているときには、国法を述べてそれを強制する。それでも欲望を捨て切れないときは、欲望に理屈をつけてやる。実行に移せない道義には、とやかく言わないでおく。 02_理想が高すぎて非現実的なときは、理想の欠点をあげ、実行しない。それは難しいでしょうなどと、ケチをつけてはならない。 03_知識・見識に自信もってる相手には、同類の別の事例を挙げて下地を準備しておき、相手が自ら選ぶように仕向けて、そしらぬ顔をする。 04_他国と友好関係を保つように説得するには、立派な名目を上げてやり、それとなく自分の利益にもなることを示す。 05_国の害になることを分からせるには、道義に反しているとはっきり言い、自分の損にもなると分からせる。 06_直接相手を誉めるよりは、相手と同じ事をしているものをほめ、他の事で王様の計画と同じものがあれば、そのことを議論で取り上げた方が効果がある。 07_王様と同じ失敗をした者は、たいした過失ではないと言って弁護しておく。相手がよい計画だと思っているのに、悪いところをあげつらって追いつめてはいけない。 08_長い月日を経て、王様の信任も厚くなり、立ち入った策を奏上しても疑われず、王様と言い争っても罰せられなくなったならば、堂々と利害を判断して述べ、自分の意見を実現化して事の是非をずばりと述べることを身上とする。こうして王様と対等の関係を保てるようになれば、これこそが献策の最上のものとなる。 〖 和氏 《 かし 》 の 璧 ( へき ) 〗  昔、 楚 ( そ ) の国に 和氏 ( かし ) という男がいた。  あるとき、彼は 楚 ( そ ) 山の山中で 粗玉 ( あらたま ) を見つけ、これを 厲 ( れい ) 王に献上した。  厲王は宝石師に鑑定させた。  「これは、ただの石でございます」。と宝石師は言った。  厲王は和氏をペテン師として足切りの刑を命じ、左足を切らせた。  厲王が死に、 武 ( ぶ ) 王が即位した。  すると、和氏はまた同じ粗玉を献上した。  武王は宝石師に鑑定させた。  「石でございます」。と宝石師が言った。  武王は和氏をペテン師として足切りの刑を命じ、右足を切らせた。  武王が死に、 文 ( ぶん ) 王が即位した。  今度は和氏は粗玉を抱き、 楚 ( そ ) 山のふもとで泣き続けるのだった。  三日三晩がたった。  涙は枯れはてて、眼に流れるものは血であった。  文王はそのことを聞くと、和氏のもとに人をやってわけを尋ねさせた。  「世の中に足切りの刑にあった者も多いが、どうしておまえは、そんなに悲しげに泣くのか」。  「わたくしは足を切られたことが悲しいのではありません。宝石が石ころだと言われ、正直者がペテン師だと言われた。それがわたくしは悲しいのです」。  文王は、宝石師にその粗玉を磨かせてみた。  はたしてそれは宝石であった。  その宝石は、彼の名をとって、「 和氏 ( かし ) の 璧 ( へき ) 」と呼ばれた。  宝石というものは、王様が喉から手が出るほど欲しがるものだ。  そして 和氏 ( かし ) が献上した 粗玉 ( あらたま ) が、もし宝石でなかったとしても、王様が何の損をするわけでもない。  それにもかかわらず、和氏は両足を切られてから、はじめてその粗玉が宝石であると認められたのだ。  王様が欲しがる宝石でさえ認められるのは、これほど困難なのだ。  ところが[法・術]となると、王様は「和氏の 璧 ( へき ) 」のようにこれを欲しがってはいない。  王様たちは、それほど熱心に家来や国民のかげの悪事を抑えようとはしていないのだ。  [法・術]を主張する者が、王様に殺されずにいるのは、彼がまだ[法・術]という粗玉を献上していないからにすぎない。  王様が「術」を使ったとしたら、大臣が政治を専断することも、側近が王様の威を借りることもなくなるだろう。  「法」が国に行きわたれば、流民の 類 ( たぐい ) は姿を消し、すべての国民は農耕に追いやられ、事あるときには戦場で生命の危険をおかすことになるだろう。  つまり[法・術]は、家来と国民にとっては、 禍 ( わざわい ) となるものだ。  したがって、王様が、大臣の反対と国民の非難を押しきって、[法・術]に耳を傾けようとするのでなければ、たとえ命を進言したとしても、[法・術]が王様に取り上げられる見込みはない。 〖使いこなせない者とは〗  もし人が衣服を着ることもなく、食事をとることもないのに、餓え凍えることがなく、また死もこわくないとすれば全て満ち足りており、お上に仕える気はとんとならないであろう。すると、王様によって支配されることを嫌う気持ちになる。そのような人物は、臣下として使いこなすことはできない。 〖小さな信用を重ねる〗   呉起 ( ごき ) は外出先で知人に出会い、食事に招いた。  知人は承知して、「のちほど伺うから、それまでお待ちいただきたい」。  「では、あなたがおいでになるまで、お待ちいたしましょう」、呉起はそう答えた。  その知人は日暮れになっても来なかった。呉起は食べずに待った。  そして、翌朝、知人を呼びにやり、彼が来てから食事した。  越王 勾践 ( こうせん ) が呉王 夫差 ( ふさ ) を攻め、 降伏 ( こうふく ) させた。  呉王夫差が謝罪して 赦 ( ゆる ) しを願った。  越の大臣たちは、越王勾践に、「天命が[越]を与えようとしたとき[呉]が受け取らなかったから、今、天命は[呉]を[越]に与えようとしているのです。天意に 背 ( そむ ) いてはなりません。」と言った。  呉の大臣は、越の大臣に手紙を送った。「すばしっこい兎が狩りつくされてしまうと、猟犬は煮て食べられる。敵国が滅びると、軍師は殺される。呉を赦して残せば、貴方はまだまだ仕事ができる。」  越の大臣は、これを読んで大きくため息をつきながら、「呉が滅べば私は用無しになるのか…」とつぶやいた。
0 notes
unicodesign · 4 years
Text
けんちく探訪@茅野
先週八ヶ岳に登る前日、今年初めての建築旅、建築史家の藤森照信氏の生まれ故郷でもある茅野にて、フジモリ建築巡りをしました。
藤森先生のデビュー作である『茅野市神長官守矢資料館』へ。
Tumblr media
『軒が寂しいので4本柱を立てようとして、偶然鉛筆が走って軒を突き抜けたのでできた柱』だそう。「薙鎌」という諏訪上社の祭器が打ち付けられています。
Tumblr media
屋根は上諏訪産の鉄平石で葺かれていて、外壁はさわらの割板。まわりを取り囲むオカメザサも素敵。
Tumblr media
『毛深い仕上げを求めて、ワラを混ぜた色モルタルを塗り、表面を荒らしたあと、上から土をスプレーで吹き付けた』という壁。
Tumblr media
軒の工夫。
Tumblr media
突き抜ける柱。
Tumblr media
内部は、古代から明治初期まで諏訪上社の神長官を勤めてきた一族、守矢家の文化遺産、古文書が展示されています。
Tumblr media
洞窟のよう。
Tumblr media
『空間を広く見せるため、床と壁の接点を曖昧にして丸くしている』とのこと。ふんわりと包まれた感じがあるのは、素材のせいだけでなく、そうゆう細部の工夫なのでしょうか。
Tumblr media
上の保存庫への階段。通常はあがれません。なんと階段が自動でおりてくる。
Tumblr media
『藤森先生の遊びごころ』と、館の方談。
Tumblr media
大きな吹きガラスの窓が素敵でした。外側は二重壁。
Tumblr media
建物を出て、少し歩くと、里山の風景に浮かぶ『空飛ぶ泥舟』と、奥に『高過庵』(たかすぎあん)
Tumblr media
ジブリの世界。床が地面から約3.5メートル浮いているそう。
Tumblr media
足元。柱が基礎に乗っかって銅板が巻かれているようす。
Tumblr media
ずいぶん前にテレビで見た時の印象より小ぶりでした。
Tumblr media
はしごが横たわっていた!
Tumblr media
こうやって登るようです。(コロカルニュースより拝借)
Tumblr media
木の骨組みに板張りしたものを泥でかためて、銅板を葺いたもので、内部はこんな様子だそう。(朝日新聞デジタルから拝借)
Tumblr media
2010年に市民のワークショップで作られて、2011年にこの場所に移設されたそうです。
そして、高過庵と低過庵。
Tumblr media
高過庵の高さは6M、柱は栗の木だそうです。足元はコンクリートで固められていて、
Tumblr media
近づいてじーっと凝視すると、 だいぶ上のほうまで、樹皮が上から留めてある様子でした。
Tumblr media
見上げるとにじり口がみえました。
Tumblr media
上の部分は、Jパネルという木製積層パネルに内外左官仕上げをしただけの壁なので、実は軽いそう。
Tumblr media
そして、竪穴式茶室『低過庵』
Tumblr media
まず最初に、お神輿のやぐらみたいのなんだろう、、と思って
Tumblr media
ぐるり、じーっと見ていたら、屋根に滑車がついてる。屋根があく?!
Tumblr media
こんなことになるんだそう、青空茶室だった!蓋のあいたピラミッドみたいです。
Tumblr media
焼杉板の外壁。湿気対策のために基礎コンクリートと茶室の床の間の通気層が30センチとられているそう、その外側に金網がはられています。
Tumblr media
見学ツアーも今はコロナで中止中のようですが、いつか、内部を体験してみたいし、青空の下で見てみたい。
その後、大雨の中、諏訪大社へ向かう。前宮の御柱。
Tumblr media
藤森建築の足元の感じは、この御柱が原風景なのかな。と思わせる土台。
Tumblr media
そして、本宮へ。
Tumblr media
山を背負っているせいか、お社の建物全体が横長配置で、本殿が横むいている配置の神社ははじめてでした。
Tumblr media
最後に茅野駅、駅直結の茅野市民館/茅野市美術館へ。
Tumblr media
2005年、公開プロポーザルで選ばれた建築家 古谷誠章氏の設計で、藤森先生は審査員だったそう。これが駅直結の図書館。改札のある2階コンコースから1階の市民館をスロープでつなぎ、そこに図書館分室という機能が付されていて、これが、当時コンペの勝因のひとつだったといいます。
Tumblr media
スロープに沿った閲覧室は段々。
Tumblr media
『初めて敷地を見に来た時、駅のコンコースで震えながら電車を待っている高校生が電車が来ると駆け下りていくのを見て、寒い所なので待つ場所があったらいい、待っている間に図書館があったらいいと思った』という古谷先生の言葉が印象に残ります。その場所の日常を読み込んでこそ生まれた空間。
Tumblr media
スロープを下りきると市民館。御柱にみえてくる柱。
Tumblr media
市民館小ホールのホワイエ。ルーバーのように重なるのは外壁プレキャスト板の小口。
Tumblr media
外観。
Tumblr media
奥と右手のボリュームが市民館と市民ホール、左手に図書館、その向こうには線路が並行して走っています。
Tumblr media
あいにくの雨でしたが、久々のけんちく探訪、楽しかった。最後はずぶ濡れ。この間、山ではしんしんと雪が降り積もっていたわけで・・・充実の2日間でありました。
0 notes
oniwastagram · 5 years
Photo
Tumblr media
\おにわさん更新情報📸/ ‪[ 茨城県笠間市 ] 春風萬風荘庭園 Shunpu Banri-so's Garden, Kasama, Ibaraki の写真・記事を更新しました。 ーーかつて #北大路魯山人 が暮らした古民家と魯山人作の茶室から眺められる、“龍安寺”の石庭を模した #枯山水庭園 。 ・・・・・・・・ 春風萬里荘はかつて北大路魯山人が自らの居宅としてた古民家で、1965年(昭和40年)に笠間日動美術館の分館として北鎌倉からこの地へ移築されました。 この茅葺の母屋の前には地形を活かした回遊式庭園、母屋裏に京都『龍安寺』の #石庭 を模したという枯山水庭園があります。 2019年夏に9年ぶりに笠間の町へ行きました! 笠間と言えば伏見稲荷・豊川稲荷と並んで“日本三大稲荷”と称される笠間稲荷神社⛩と陶芸の町。 前回初めて訪れた時は“Sense of Wonder”という野外フェスが目的だったんだけど――会場だった笠間芸術の森公園も野外彫刻展示が沢山あったのが印象的で、ちょうど美術館に足繁く通い始めた頃だったので茨城県陶芸美術館や笠間日動美術館に行ったことも覚えている。 けど笠間日動美術館の分館としてこのような施設があることは知らず(まあ知ったとしても当時はまだ“枯山水”という言葉は知らなかったけど…)。 昨年ぐらいに教えてもらって、いつ行こうかな〜と思ってたのですが、2019年夏の18きっぷシーズンの間に行こう!と決めて行ってきました。 春風萬里荘の母屋はもともとは神奈川県厚木あたりの大庄屋だった伊東家の居宅として江戸時代中期に建造されたもの。昭和の初期に魯山人が譲り受けて北鎌倉に移築、自らの住居としました。 また現在その母屋から繋がっている茶室「夢境庵」🍵は #千宗旦 によって作られた茶室「又隠」を手本として #魯山人 が自ら設計したもので、北鎌倉に在った頃は独立した建造物だったそうです。 その茶室の内部や母屋の意匠、そして洋間など建物内も魯山人がこだわったんだろうなあ、と思うポイントが沢山で見ててワクワクする!魯山人の遺作の陶芸も展示されています。 そもそもこの地に魯山人の古民家が移築されるにあたった経緯について。魯山人が亡き後の1964年、洋画家 #朝井閑右衛門 🎨と小説家 #田村泰次郎 が笠間日動美術館および銀座の日動画廊の創業者・長谷川仁と笠間に訪れた際に、笠間にアトリエを作りたいという作家の要望により“芸術の村”構想ができました。 そして母屋を始め江戸期の長屋門などがこの地に移築され(今回訪れた際には長屋門前の園路は整備工事中でした)、現在もこの春風萬里荘周辺には40戸ほどのアーティストのアトリエがあるそう。 春風萬里荘もパンフレットに記載されている住所には「芸術の村」というワードが入っています。 庭園はこの建物が移築された時に作庭されたものなので、元々魯山人宅にあったものというわけではないそうですが――お手入れが行き届いている枯山水庭園。『龍安寺』を模した、と先にも書いたけど、京都の『妙蓮寺庭園』と似た雰囲気を感じます。背後の樹木との組合せも美しい。 母屋の前の自然の地形と山からの小さな河川を活かした自然豊かな庭園は創作活動の間のリフレッシュの場にはピッタリって感じ。低地部にある池泉は初夏〜夏にかけてはハナショウブ🌷や睡蓮の花が咲きほこるそう(訪れた時期にはもう花は見られなかったけど…)。池の畔の桜も春には美しいんだろうなあ。 なお魯山人設計の茶室はお茶会などで借りることもできるそう。これってけっこう貴重じゃない?詳しくは公式サイトで。 ちなみに笠間日動美術館自体にもモネ、ゴッホ、アンディ・ウォーホルをはじめとして近現代の著名な画家の作品が多数🖼 今回は再訪できなかったけど(芸術の森公園も)また機を見つけて笠間には行きたい! 〜〜〜〜〜〜〜〜 ‪🔗おにわさん記事URL:‬ https://oniwa.garden/shunpu-banriso-%e6%98%a5%e9%a2%a8%e8%90%ac%e9%a2%a8%e8%8d%98/ ーーーーーーーー ‪#庭園 #日本庭園 ‪#garden #japanesegarden #japanesegardens #zengarden #笠間 #笠間市 #kasama #茨城 #茨城県 #ibaraki #美術館 #museum #artmuseum #枯山水 #karesansui #おにわさん (春風萬里荘) https://www.instagram.com/p/B3QzOZRAAqy/?igshid=12bk8mge4udil
0 notes
travel-yesnews · 6 years
Text
日本三大茅屋之一【京都小合掌村 – 美山町】,冬天都有點燈!
Tumblr media
白川鄉合掌村既茅屋就係人都識,原來京都附近都有,就係「美山町」,佢與白川鄉並列為「日本三大茅屋之一」,每年冬天都會點燈,夏天都會灑水,櫻花、紅葉又係靚到不得了。個人覺得「美山町」唔夠白川鄉咁壯觀,但係離京都約二小時車程左右,可以一去,去完返京都又可以再食買玩,不過交通方面唔係好密,自駕較方便,呢篇會教埋大家點坐車。
〒601-0712 京都府南丹市美山町北
官網:http://www.kayabukinosato.com/ 交通方式:
JR「京都」駅坐JR嵯峨野線→「圓部」駅過對面線→「日吉」駅,轉南丹市營巴士於「北(かやぶきの里))」駅下車
Tumblr media
美山町地圖
Tumblr media
由京都坐JR至日吉駅約1小時
Tumblr media
日吉駅落車後一出駅已經係巴士駅,如果跟時間表坐JR,基本上係車駁車直接上到市營巴士。
Tumblr media
「北(かやぶきの里)」駅落車就係美山町合掌村
Tumblr media
入口就見到全村惟一郵筒
Tumblr media Tumblr media
美山町茅屋同白川鄉不同,美山町係四邊斜,而白川鄉只有兩邊斜。
Tumblr media
部份茅屋需要籌錢修葺。
Tumblr media Tumblr media
村內有民宿同Cafe,不過今次去到Cafe休息。
Tumblr media Tumblr media
上少少係「鐮倉神社」,可以影到成條村。
Tumblr media
全條村其他好細,無耐性既人半小時行完。
Tumblr media
村對面有三間食肆同有買手信既地方。
Tumblr media
今次入住呢間食蕎麥麵。
Tumblr media
麵質同出面有啲唔同,幾好食,可以一試。
Tumblr media
因為麵係用美山麵粉製造,所以買左盒返去。
Tumblr media
因為南丹巴士官網經常改連結,所以用左河鹿莊既「時間表」易睇同易搵啲,每隔一段時間行車時間表都會唔同,可以上河鹿莊(http://miyama-kajika.com/access/)或 南丹市營巴士官網 搵返 (http://www.city.nantan.kyoto.jp/www/)
節錄左部份時間:
Tumblr media
出發要留意埋回程時間,有部份班次唔係日日有,如今次早上8:58由京都出發到達美山約11:00,但回程要三點先有車,由於唔係櫻花紅葉期無咁多野睇,留4小時感覺有啲長,參觀+食午餐+買手信大概2.5小時內完成,所以都仲要等多個幾鐘先有車。
Tumblr media
如果自駕就可以去埋道の駅美山廣場,多D野做,或住埋河鹿莊一泊二食,櫻花、紅葉期可以去大野水壩公園(大野ダム公園),有成1,000棵櫻花樹(詳情:https://kyotomiyama.jp/sightseeing/)。每個月份都有唔同活動,如單車賽、八幡神社例祭、灑水等(詳情:https://kyotomiyama.jp/event/)。
KKday同Klook都有美山一日遊,行程比較豐富,有興趣可以睇下。 【京都郊區巴士一日遊】天橋立・伊根舟屋・美山茅屋之里 https://www.kkday.com/zh-hk/product/13942
海之京都一日遊(天橋立 & 伊根舟屋 & 美山茅屋之里) https://www.klook.com/zh-TW/activity/6128-kyoto-seaside-day-tour-osaka/
資訊由熱新聞提供 原文連結: 日本三大茅屋之一【京都小合掌村 – 美山町】,冬天都有點燈! 更多相關內容
Tumblr media
飛返轉韓國!香港飛 首爾 HK$1,259起,6月底前出發 – 韓亞航空
Tumblr media
ReadyDepart隨時出發 提供最新旅遊資訊、特價機票、酒店優惠、酒店推介、行程格價、各大航空公司、旅行社連結。
0 notes
endekashi · 5 years
Text
3000から2172へ
Tumblr media
この週末は山梨の少数山岳民族STILLICHIMIYAの奇祭、KAMIKANE3000に行った後、美谷島の慎ちゃんが主催するBANKED渋峠にMCとしてお呼ばれされ行ってきました。
Tumblr media
KAMIKANE3000は外でテントを張り、キャンプをしながら 
Tumblr media
下にビアホールのような半野外のライブ会場があり、そしてそのすぐ横には温泉があり、お風呂に入りながらアーティストの音楽を聴けるというありとあらゆる快楽が詰まっている奇祭です。
Tumblr media
MONAURAL MINI PLUG。タイの伝統音楽をやるグループなんですけど何が凄いってこの人達、会場を練り歩きながらひたすらに演奏するんです。
Tumblr media
踊る阿呆を引き連れて勢い余って外まで行っちゃいます。
Tumblr media
わーい。楽しいな〜。
Tumblr media
おひねりなんかもあります。ケーンという楽器にお札を挟みます。この間も彼はひたすらケーンを吹き続けています。
Tumblr media
今夜のゲスト、元祖甲州弁ラッパー、原ちゃんa.k.a.原田善照さんとツーショット撮ってもらいました。イェ〜。
Tumblr media
ライブも良かったです。ズラーーーーー!!
Tumblr media
山梨のぶどう酒に呑まれ気味だったのでちょっと酔い覚ましに、近所に茅葺の家があるというので散策してきました。まずはお堂がありました。
Tumblr media
そしてその横には切妻屋根の真ん中だけ切り上がっているこの地方独特の屋根を発見!おおお〜。トタン被っている家は結構あるけど茅で残ってるのは初めて見ました。もー最近茅葺やら奇祭の話で何のブログかわかんなくなってきましたね。まー、えんでかしのブログっつこん。
Tumblr media
ビンゴ大会もありました。気になる商品はJAのキャップや、丸太など魅力的なものばかりでした。
Tumblr media
俺もビンゴ当たったので迷わず丸太をいただきました。ちびっこなんでライブの時に上に乗れば見やすくなって大変便利です。でも朝持って帰るの忘れちゃった、てへ。
Tumblr media
音に疲れたら外でフリスビーしたりしてリフレッシュ。
Tumblr media
夕暮れに近づくにつれライブもあったまってまいりました。今回のメインゲスト、 ZEN LA ROCKとSEX山口のライブ。セク山さんのDJ良かった〜。ゼンラさんも鎮座ドープネスとG・RINAとのユニットFNCYのアルバムがもうすぐ出るそうなんで楽しみっす。
Tumblr media
そんでもってシークレットゲストは何とNORIKIYO!!わお!!ライブめちゃ上手かったです。もうこの辺で完全にテンション上がっちゃいました。
Tumblr media
そして最後はSTILLICHIMIYA!!あいつらは1000!!俺らは3000!!
Tumblr media
締めはMMMさんのDJ。イベントはこれで終わりなのですが、夜はまだまだこれからの時間帯だったけど、山梨の洋酒を行き過ぎていつの間にか寝ちゃいました。グガー。
Tumblr media
そして26日(日)は渋峠に向かうために日本一の桃の里に別れを告げます。
Tumblr media
ちょいとトラブルがあって1時間半ほど遅刻してさーせんスタイルで到着。いや〜いつきてもすげえとこに国道通ってるな〜。
Tumblr media
主催の美谷島君。今回のアラスカトリップも色々濃かったみたいですね〜。
Tumblr media
今回のMCの相方、長野のビギーことPACMAN。でかいです。
Tumblr media
本当にギリギリの雪で作られたコースを紹介します。まずはスタート直後は緩斜面。
Tumblr media
前半はまだスムースなバンクが続きますが
Tumblr media
次第にややこしくなってきます。
Tumblr media
第一の難関がここ。コースが荒れてくるとなかなか厄介です。
Tumblr media
林を抜けると小さいコブがいくつかありそこでパンピングして加速!
Tumblr media
しすぎるとこのバンクでやられやすいので注意です。
Tumblr media
ここ細いんすよー。はみ出て服が茶色になってる人多数でした。
Tumblr media
ほっそ!!
Tumblr media
ゴールまで後もうちょい!だが油断は禁物です。この先が一番厄介かも。
Tumblr media
細かくて深いバンクの連続の後にやや大きめの山があり、バンクでバランスを崩すとその山へ登れなくなり大幅にタイムロスしてしまう…。美谷島トラップです。
Tumblr media
カテゴリーは40歳以上、18歳以下、オープン、スノスケ、フェイキーの部とバラエティに富んでおります。
Tumblr media
白馬界隈の好き者OZ3達も来てました。
Tumblr media
美谷島トラップにひっかかる人多数。コース整備をする兄の目の前でいいスピードで突っ込んできた弟の豪君が豪快にすっ転んだ瞬間は盛り上がりました。
Tumblr media
ゴールの先にはヒップというか、キッカーというか、何かの可能性のある山があり、そこでなんか魅せると
Tumblr media
ギャラリー達が湧きます。
Tumblr media
ワックス塗りに余念の無いYONE FILMさんとGREEN.LABのジロー君。
Tumblr media
今回、ジロー君が乗っていた板はニューモデルの試作品だそうです。かなりワイドなブツですね〜。楽しみ〜!ちなみにジロー君はこの板で40歳以上の部で2位になっていました。調子いいってことは実証されましたね〜!
Tumblr media
俺も一本滑らせてもらいました。むずい!でも楽しい!!
Tumblr media
一流のプロスノーボーダーであり、雪板サーカスの団長であり、POWの代表理事でもある小松さんも計測の世界ではまだまだ見習いです。
Tumblr media
DJのC2とSin-1のスクラッチセッション!一日中いいビートをかけてくれました!
Tumblr media
全行程が終わり表彰式へ。何位に何をあげるか今から考え始める主催者。まあ、表彰板を当日作っていた前回よりかはマシか。
Tumblr media
こちらが今回の表彰板。KRDoriginalによるロゴがキャワユイ。
Tumblr media
スノーボード、バイン、ウェア、GO PRO7、VERTSなど豪華商品が並び抽選やジャンケン大会もあり盛り上がりました。
Tumblr media
最後に美谷島君がこういったスノーボードイベントしながら社会貢献(今回の参加費の一部はチャイルドラインながのという不登校で悩む子供達の電話相談を受けているNPO団体に寄付される。)もできたらサイコーやんか的な話をして締めてくれました。イェ!サイコーだぜ!楽しいイベントでした!慎ちゃん、お疲れ山でした!そして何よりサイコーだったのは、俺はここ数年バンクドでヨネさんに負け続けていたのですが今回遂に彼に勝ったことです!ヒャッホーイ!
0 notes
toshirosanso · 7 years
Text
【京都催事帳 美山町かやぶきの里雪灯廊】
おはようございます 三双(さんそう)です いつもブログをご覧いただき ありがとうございます 地震や台風で 被災された世界中のみなさま 心よりお見舞い申しあげます。 今日は美山かやぶきの里「雪灯廊」をご案内します 京都・美山町のかやぶきの里で、毎年雪の多い時期に開催される「雪灯廊」。今回で13回目の開催となります。かやぶきの里の美しい雪景色と、雪、竹、かやぶき民家のライトアップが美しく幻想的な風景を作り出します。 日程 2017年1月28日(土)~2月4日(土) 時間 【灯籠の点灯時間】 17:00~20:00 場所 かやぶきの里 かやぶきの里 アクセス 期間中は駐車場が大変込み合うことが予想されます。ご来場いただく際はなるべく公共機関、京阪京都交通の直通バス、もしくは京都駅発・日帰りバスツアーをご利用ください。   ■公共の交通機関 JR山陰線「日吉」駅で下車→南丹市営バスにて美山町へ「北(かやぶきの里)」停留所下車   ■車の場合 ・京都縦貫自動車道「園部インターチェンジ」下車、府道19号線から美山町へ ・京都市内より国道162号線(周山街道)を北上し美山町へ   問い合わせ先 0771-77-0660(有限会社かやぶきの里) 公式Web http://www.yukitouro.jp/ 京都の奥深い山間にある美山町の茅葺き集落の夜間照明。 雪が残っていれば幻想的かもしれません。 ぜひお出かけください。 京都への旅の計画はこちらへ↓ <旅行会社PR> トリップアドバイザーは、旅行者が最高の旅行を計画し、予約できる世界最大の旅行サイトです。 トリップアドバイザーに寄せられた数千万件もの口コミ情報や写真をもとに、 あなたにぴったりの旅行を計画しましょう ! トリップアドバイザーは皆さんの素敵な旅のプランニングをお手伝いします! http://www.tripadvisor.jp/?m=28505 最後までお読みいただき ありがとうございます 三双(さんそう) 敏郎 [email protected]
0 notes
eventcast · 7 years
Text
雪景色の中、柔らかな雪灯篭が灯す懐古的な山村風景|“行きたい”イベントがきっと見つかるイベントキュレーションサイトT3V
京都府南丹市美山町北のかやぶきの里で、雪景色に包まれた茅葺き民家群がライトアップされる。美山かやぶきの里は、段丘状に38棟の茅葺き民家が立ち並ぶ景勝地。周囲の水田と山林を含む127.5へクタールが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、里内には民家を活用した資料館や食事処なども点在する。四季折々の景観が楽しめる中でも冬場の雪景色は圧巻。懐古的な山村風景を雪が柔らかく包む景観は、思わず息を飲み、見る者の心に静寂をもたらす。雪灯籠500基、竹灯籠100基、花灯籠150基、LED灯籠200基、合計で約900基以上…
このイベントを詳しく見る
出典:[T3V]TokiTechTV
View On WordPress
0 notes