#美山かやぶきの里_茅葺民家
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[ 秋訪れる里 ] . . . そばの花畑の向こう、 茅葺き屋根の里が見える。 . . . ==================== 📷 2022.09 Miyama's thatched village (Miyama Kayabuki no Sato) , Nantan, Kyoto . Canon EOS Kiss M2 🌼⛰🌼⛰🌼⛰🌼⛰🌼 ==================== . . . #japan #kyoto #nantan #miyamakayabukinosato #miyamasthatchedvillage #miyamakayabukinosato_kayabukiminka #miyamasthatchedvillage_thatchedroofhouses #kayabukiminka #thatchedroofhouses #miyamakayabukinosato_sobanohana #miyamasthatchedvillage_buckwheatflower #sobanohana #京都 #南丹 #美山かやぶきの里 #美山かやぶきの里_かやぶき民家 #美山かやぶきの里_茅葺き民家 #美山かやぶきの里_茅葺民家 #かやぶき民家 #美山かやぶきの里_そばの花 #そばの花 #花色大地 #flower_colored_ground #花が咲く町 #flowers_bloom_in_the_town #ある秋のそばの花畑 #carpet_of_sobanohana_in_autumn #美しき日本の町並み #beautiful_japanese_townscape #canoneoskissm2 (美山かやぶきの里) https://www.instagram.com/p/CjfNKjCPfhS/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#japan#kyoto#nantan#miyamakayabukinosato#miyamasthatchedvillage#miyamakayabukinosato_kayabukiminka#miyamasthatchedvillage_thatchedroofhouses#kayabukiminka#thatchedroofhouses#miyamakayabukinosato_sobanohana#miyamasthatchedvillage_buckwheatflower#sobanohana#京都#南丹#美山かやぶきの里#美山かやぶきの里_かやぶき民家#美山かやぶきの里_茅葺き民家#美山かやぶきの里_茅葺民家#かやぶき民家#美山かやぶきの里_そばの花#そばの花#花色大地#flower_colored_ground#花が咲く町#flowers_bloom_in_the_town#ある秋のそばの花畑#carpet_of_sobanohana_in_autumn#美しき日本の町並み#beautiful_japanese_townscape#canoneoskissm2
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20210717(土)
舞鶴若狭自動車道の小浜ICを降り国道162号線(周山(しゅうざん)街道、別名鯖街道)を南下して、京都へ向かう。
途中おおい町名田庄納田終(なたしょう おたおい)にある「暦会館」に寄った。
資料によると、陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明の子孫が応仁の乱(1467)の戦火を避け所領の当地(中世では名田庄上村)へ移り住み、土御門家(安倍氏)3代にわたりこの地で陰陽道及び、天文・暦・易の三道をつかさどっていたと伝えられる。
会館では、女性の職員により詳しく展示物の説明をしていただいた。わかりやすく、大変勉強になった。
というか、説明なしではちょっと展示物を理解するのは無理かな。
八卦占いも教えていただけるので、実際に占うこともできました。
会館を出た後、土御門総社にある「天壇」でお詣りしてきました。ここは今でいうパワースポットらしく、四神を示す青、赤、白、黒の鳥居が四方を囲む神聖な空間で、とてもミステリアスな場所です。
女性職員の話によると、晴れていれば「天壇」に上がってもよいが、雨だと靴に泥がつくので良くないとのことでした。
ちなみに青は青春(東)、白は白秋(西)、黒は玄冬(北)、赤は朱夏(南)。四神とは東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武のこと。(神聖な場所なので写真は撮らなかった。)
その後ひたすら周山街道を進み、山間にある京都美山かやぶきの里へ。ここは京都市と福井県小浜市とのちょうど中間の位置にあり、茅葺屋根の家屋は「北山型民家」と呼ばれ、住民の方は実際にここで生活をしておられます。
街道沿いを流れる由良川(美山川)では釣人も。
こういう時期なので、観光客もほどほどで、ゆったりと集落内を散策できました。
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苦肉の橅林。
今週末は楽しみにしていた蓮華温泉ツアーだったのですが、悪天候の為中止になってしまいました。残念〜。てな訳で昨日は完全ナシで、今日、どっかでツアーしようという話になっていたのですが、白馬エリアは季節外れの大嵐。ポケベル並みの高性能の頭脳を駆使して選んだのが、ちょいとアウェイな山。果たして…。
朝早く白馬を出て二時間ほどドライブ。青空が出ていてなかなか気持ちいい天気。里は菜の花が咲き乱れ完全に春の様相。山には全然白いのも見えず。いや〜、もしかしてこれ、やっちまったのかー!?
しかし入り口に着くと沢山の車が!こんなにいるってのは意外だったけど、逆に言えば雪があるってことだよね!良かった〜。
そんじゃ行ってみましょー!!
今日はシニアなメンバーなんでまったり春の山を楽しめたらと思っております。
実は、俺、この山来るの初めてなんすよね。しかもゲストの2人は他のガイドツアーで来た事があるらしい。変なとこ行き始めたら教えてください。
桜と古民家。日本の春ですなあ。しかしこの地方、茅葺き屋根にトタンを被せた家が多く残っています。更に他じゃあまりみない曲り家なんかもちょこちょこあって茅葺職人としては興味深いです。
舗装路を歩けば無難に進めるのですが、そこはやっぱ雪がないとわかっていてもショートカットの林道に突っ込んじゃうのがえんでかしってもんです。
あら、カタクリちゃん。可愛らしいわね。え?花、詳しいのかって?もちろん。なんでも聞いてください。ググりますから。
枝をくぐったりでかなり進むのが面倒くさいです。全く誰だよこっちから行こうって行った奴は!
なんとかクリアし舗装路に合流。いや〜快適。帰りは舗装路だな。
そして暫く進みまたしてもショートカットを試みる。いや、今度は���丈夫っすよ!
春の息吹を感じますね〜。
やっぱ雪の上歩きたいですよね〜。
しかし最終的にはこんな感じに。おいこらー!!もぞもぞしてたら結局後ろから舗装路歩いてきたグループに抜かされたぞー!!
舗装路を歩いた方がいいという事がわかった事が収穫でしたね!あはははは。
遂に板を履けるとこに到着。ん?なんだありゃ?なんか溶けたプラスチックみたいな物が木の枝からぶら下がってる。
好奇心に抗えず近づくとなんだただの雪かーい!雪の中で埋まっていた枝先が春になって起き上がったんですね。
それではいよいよハイク開始!なんか写ってますけどー。
おおらかな地形です。しかし本当にこの辺だけ雪あるんだよなー。
チャリデポしてる人もいました。なるへそそりゃ快適だ。
尾根への取り付きがなかなか急、且つ、ずりずりし易いコンディションでちょっと苦労しました。ツリーホールもでかくて落ちたらホールインワンしそうです。
尾根へ登ると、わお!!ビッグ橅フォレスト!!
たまんね〜たまんね〜ぜ〜。
日も差し��気持ちのいいハイクで皆様上機嫌。
しかし頂上手前になるとちょいと雲行きが怪しくなってまいりました。
頂上に着く頃には吹雪!にゃにー。この辺なら軽く雨がパラっとくらいかと思っていたのだが、読みが甘かった。景色もへったくれもないのでさっさと降りましょう。
うっすら積もった雪が見事なストップスノー!!だー!余計なことをー!
しかし、滑ったゲストの感想は今まで滑ったパイプ地形で一番良かった。ぬおー!あんた仏やー!嘘でも嬉しいっす。
ほうていだったら気持ちのいい林なんだろうな〜なんて想像しながらストップスノーをやり過ごす。
半分くらい降りたらまた天気良くなったんで、ちょいとお茶しましょうか。
残り少なくなった信州りんご。まだボケてません!
下り始めたらまた降ってきやがりました。
新緑+スキー。が水滴で台無し
舗装路に着く頃にはまあまあな降りに。さっさと降りましょー!
ちょっと待って!と言ってフキノトウを取り始めるゲスト。パスタに入れると美味しいのよ。あ、美味そうすね。
ぎゃー!!最後の一枚まで水滴で台無しー!!すんません!!
いや〜、春を感じるまったりツアーと行きたいとこだったが、冬も感じたり、雨に濡れたりとか、まあ、雪もイマイチでしたけど、まあ、気持ちいい橅林だったし、ちょっとアドベンチャーもしたし、色々あってバックカントリーって感じで楽しかったすね!!(言い訳がましいまとめだなおい)
本日もお疲れ山でしたー!&おしょっ様でしたー!!
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第4回One fifty!サークルツーリングレポート
2021年5月30日に実施しました第4回One fifty!サークルツーリングのレポートをお届けします。
(写真が少ないのでGoogleストリートビューなどのスクショ等も利用させて頂いています。)
週間天気予報をずっとモニターしていて雨マークがどうにも消えず心配しておりましたが、当日の天気は一転して超快晴。 これ以上ない程の最高の天候、最高のロケーションの中を快走してまいりました。
集合場所は、セブンイレブン箕面彩都南店。峠道の入り口にあり、駐車場がとても広く、たくさんのライダーさんが集合場所に使う事でおなじみのお店です。 ここからスタートし、まずは府道110号-余野茨木線を辿ります。
きついカーブの続く急坂をどんどん登って行きます。
狭いながらも対向車線のある道路ですが、地元の路線バスも通っています。
しかしヘアピンカーブになっている場所での対向車との離合はなかなか困難な様子。それでも抜けて行くバスの運転手は、やはりさすがプロですね。
府道110号線を進んでいくと、国道423号線とぶつかります���で、ここを右折します。
少し進むと左側に見えて来るのは、ライダーさん達に「余野コン」と呼ばれるファミリーマート豊能町余野店です。
快走路上にある入りやすい場所で、休日にはこの広い駐車場がバイクで埋め尽くされます。
そのまま進んでいくと、妙見口という交差点が出てきます。
このまま真っ直ぐ進むのですが、ここを左折していくと 野間峠という峠道に差し掛かります。
この野間峠の途中には、「ほんたき 山のカフェ」という、山深い場所にある大変景観の良いカフェがあります。 その手前、「能勢妙見山」 の看板のある場所を左折して奥へ走ると、そこは山体をご神体とする「能勢妙見堂」へと続く道です。とても歴史のあるお寺です。ウィキペディア等でぜひ調べてみて下さい。
妙見口から少し進むとY字路があります。ここを左、府道732号線へ進みます。国道173号線に突き当たったら右折、綾部方面へ。
気持ち良くワインディングを走り抜け、はらがたわトンネルを抜けて丁字路を右折、しばらくすると京都府亀岡市に入ります。
突き当たったら左折して、景勝地「るり渓」へ入って行きます。 るり渓についてはこちらをご参照下さい。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8B%E3%82%8A%E6%B8%93?wprov=sfti1
るり渓を抜けて国道173号線へ戻ったあと立ち寄った、道の駅 瑞穂の里さらびき。
こちらで販売されている、丹波篠山名産の黒豆をたっぷり使った黒豆パンは絶品です。この日はたまたま焼きたてが搬入された直後で、最高に美味しい状態のを買う事が出来ました。 来る度についつい手が伸びてしまいます。
さらびきを出て、美山かやぶき由良里街道を走ります。由良川沿いの素晴らしい景観の中を快走し、大野ダムを経由して、道の駅美山ふれあい広場に到着。
ここの名物は何と言っても美山牛乳を使ったソフトクリームです。残念ながらこの日はソフトクリーム販売はお休みでしたが、併売されているジェラートを購入。こちらも美山牛乳に加えて美山の産直品材料をふんだんに使った大変美味しいジェラートです。 駐車場を挟んだ向かい側にある産直品の直売所では、地物の野菜などの他に鹿や猪などのジビエ肉も販売されています。ちょっとお値段は張りますが、いつかは試してみたいです。
道の駅美山ふれあい広場を出たら、美山かやぶきの里はもう目の前です。
料金300円を支払って駐輪場にバイクを停めたら、茅葺屋根の家並みの中を散策します。 観光地でもありますが、普通に人が住んでいる住宅地でもあります。ご迷惑をかけないよう、静かに雰囲気を楽しみながらのんびり歩きます。
水路を流れる山からの水はとても冷たく、虫達やカエルが顔を見せ、周囲では野鳥の声がこれでもかと響きます。
なんて素晴らしい場所なんだろうと、来る度に思います。四季を通して訪れたい場所のひとつです。 この地域内には、民宿やカフェなどもあって賑わっています。
コロナ禍ですので観光客は少なめ。しっかり距離を取って、時が止まったかのような風景を堪能し、今回のツーリングの最終目的地を後にしました。
初夏の青空と由良川をバックにした1枚。良い写真が撮れました。
実はかやぶきの里にあるカフェでお昼を食べようと話していたのですが、満員で入れず、お腹を空かしたまま帰路につきました。 帰り道、美山の南側に位置する日吉ダムのお膝元、道の駅スプリングスひよしに立ち寄って、 名物カレーパンをゲット。これがとにかく美味しいのでぜひお試し頂きたいです。
その後、亀岡市内を南下して、最初の集合場所セブンイレブン箕面彩都南店に戻って来ました。
当初は雨予報が続きとても心配していましたが、最初から最後まで素晴らしい晴天に恵まれ、無事の帰宅をもって今回のツーリングは終了となりました。走行距離は約260kmでした。
今回の��ートは私個人でも何度も走っている本当に大好きな素晴らしいルートなので、 今後も季節ごとにサークルのメンバーさんみんなで走りたいと思っています。 今回参加出来なかった皆様、次回はご一緒出来る事を楽しみにしております。
以上、2021年5月30日のOne fifty!サークルツーリングの模様でした。
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王様の自滅 自国を滅ぼす方法など
⦅操縦七術[韓非]から続く⦆
〖国を滅ぼす王様の特徴〗 01_王様が宮殿や庭園の建築にうつつをぬかし、車や衣服珍品集めなどの道楽に凝って、国民から絞りあげては浪費する。 殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) 王が象牙の箸をつくらせた。 箕子 ( きし ) (紂王の叔父。狂ったふりをして身を守った)は恐怖を覚えた。 彼はこう思ったのだ。 象牙の箸となれば、汁のうつわも素焼きの土器ではすまなくなる。 きっと 犀 ( さい ) の 角 ( つの ) か玉でできた豪華なうつわを使うだろう。 玉のうつわに象牙の箸ということになれば、豆や豆の葉という質素な料理ではすまなくなる。 きっと 旄牛 ( からうし ) ・象・ 豹 ( ひょう ) の胎児などの美味珍味とならざるをえない。 こうした美味珍味を食べるとなれば、着るもの住む家も普段着や 茅 ( かや ) 葺きではすまなくなる。 きっと 錦 ( にしき ) を重ね、広大な屋敷をつくるだろう。 こうして釣り合いを求めていけば、いつしか天下の富を根こそぎつぎ込んでも、まだ不足する。 ほんの小さな兆候候をも見逃さず、始まりを見て結末を察知するのが聖人だ。 箕子が象牙の箸を見て恐怖を覚えたのは、その段階で、天下全体ものを使っても不足する結果を見抜いたからだ。 殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) 王は、部屋の窓を閉ざして明かりを灯し、百二十日を一夜として「酒池肉林」の宴を続けたために、日がわからなくなってしまった。 「さて今日は何日だったかな」と、お側の者にたずね���が、誰一人としてわからない。 そこで、 箕子 ( きし ) のもとに使いを出して、たずねさせた。 箕子は家臣にこう言った。 「天下の 主 ( あるじ ) となりながら、国中誰も日がわからないという。 これでは天下は保てまい。国中誰もが知らないことを、わたし一人が知っていたとなれば、わが身があぶない」。 そして、自分も酔ってわからない、と使者に答えたという。 桓公が管仲に尋ね��。「富には限界があるのだろうか」。 「水の限界は水のなくなるところ、富の限界は人がそれに満足したところです。ところが、人間は満足することができず、富をむさぼって、ついには身を滅ぼしてしまいます。これが富の限界でしょうか」。 紹績昧 ( しょうせきまい ) は酒に酔って寝てしまい、皮の上着をなくした。 宋 ( そう ) 王が不思議に思って、彼に聞いた。 「酒に酔ったくらいで皮の上着までなくすものか」。 「 夏 ( か ) の 桀 ( けつ ) 王は酒で天下をなくしました。それゆえ 康誥 ( こうこう ) (書経の一篇)には『酒を 彛 ( い ) するなかれ』とあるのです。酒を彛するとは、酒を常にするという意味です。酒を常飲すれば、天子は天下を失い、庶民も自分の命を失うのです」。 昔、 弥子瑕 ( びしか ) という美少年が、 衛 ( えい ) の 霊 ( れい ) 公の寵愛を受けていた。 衛の法律では、許しなく王様の車に乗った者は、足切りの刑に処せられる。 ところが、弥子瑕は夜中に母が急病だという知らせを受け、君命といつわって王様の車を使った。 それを聞いた霊公は、罪を問うどころかほめるのだった。 「親孝行なことではないか。母を思うあまり、自分が足を切られるのさえ忘れるとは」。 また、ある日、霊公のお供をして果樹園に散歩に行ったとき、弥子瑕が桃を食べたところ、あまりにおいしいので、半分残して霊公に薦めた。 霊公は、「王様思いではないか。自分が食べるのを忘れてまで、わしに食べさせてくれるとは」。 だが、やがて弥子瑕の容色が衰えて、霊公の寵愛がうすれてきた。 すると、霊公は、弥子瑕が前にしたことに腹を立てて、「こいつは、嘘までついてわしの車を使ったことがある。またいつぞやは、わしに食いかけの桃を食わせおった」。 02_吉だ凶だと日柄を気にし、 鬼神 ( きしん ) をありがたがり、占いの結果を真に受けて、何かといえば、 祭祀 ( さいし ) をやりたがる。亀の甲に穴を開けて火であぶったり、 筮竹 ( ぜいちく ) を数えて占った結果に従って戦をした 燕 ( えん ) や 趙 ( ちょう ) は、負けることが多かった。 03_限りない欲張りで、利益とみれば見さかいなく飛び��く。 宋 ( そう ) の国に 監止子 ( かんしし ) という金持ちの商人がいた。 あるとき、他の商人と時価百金の 粗玉 ( あらたま ) を 競 ( せ ) りあったことがある。 監止子はまちがったふりをして粗玉を落とし、傷をつけた。 百金の弁償をして引き取り、きれいに傷を磨き落として売ったところ、千金あまりの大金を得た。 一般に、何かを行って失敗しても、何もやらなかったよりもましな場合がある。 監止子のように、タイミングよく責任を引き受けた場合がそれだ。 04_法に基づかず、無原則に刑罰を加える。空理空論に耳を傾け、現実に役立つかどうかを考えない。外見を飾り立てて、実用を無視する。 05_独善的で協調性がなく、 諫言 ( かんげん ) されればむきになる。国家全体のことを考えずに軽率に動き、しかも自信満々だ。 食客のなかに、不老長寿法を教えるという者がいたので、 燕 ( えん ) 王は家来のひとりに習わせたが、その家来がまだ習い終えないうちに、食客は死んでしまった。燕王は怒って家来を殺した。食客が自分を騙したのに気づかず、習い方が遅いといって死刑にしたのだ。道理に合わないことを信じて罪のない家来を殺すとは、また浅はかなことであった。 誰でも一番大切なのは自分の体のはずだ。その自分が死を免れないでいて、他人の燕王を不老長寿にすることなどできるはずがない。 06_王様がずぼらで、およそ反省ということをせず、どんなに国が乱れていても自信満々で、自国の経済力を考えずに、隣の敵国を組みしやすしとする。 07_国が弱小であるのに、尊大にふるまい、強国を警戒しない。国境を接している大国をバカにして、礼をもって対しようとしない。 昔、晋の公子 重耳 ( ちょうじ ) が亡命し、曹に立ち寄った。 曹の王様は服をはだけさせて重耳を見せ物にした。 そのとき 釐負羈 ( きふき ) と 叔瞻 ( しゅくせん ) が曹の王様に付き添っていた。 叔瞻は曹の王様に申した。私、晋の公子を観ましたところ、ただ者ではございません。王様はこれに無礼をなさいました。彼がもし時を得て国に帰り、挙兵すれば、恐らく曹の害となりましょう。王様はこれを殺してしまうのがよいでしょう、と。 しかし曹の王様は聴き入れなかった。 釐負羈は帰って浮かぬ顔をしている。 妻が問うた。あなたは外から帰ってきて浮かぬ顔をしておられるのは何���ですか、と。 釐負羈は言った。私はこう聞いている。良いことには 与 ( あずか ) らず、悪いことには連なる、と。今日我が君は晋の公子を招き、無礼をはたらいた。私はそのとき付き添っていたので浮かぬ顔をしているのだ、と。 妻は言った。私が晋の公子を観るに、大国の主のようです。その左右の従者は大国の宰相のようです。それが今、窮乏して曹に立ち寄り、曹はこれに無礼をはたらきました。これがもし国に帰ることになりますと、必ずや無礼を 誅 ( ちゅう ) しましょう。曹はその手始めとなりましょう。あなたはどうぞ今のうちに 誼 ( よしみ ) を通じておきなさいませ、と。 釐負羈は言った。よろしい、と。 黄金を壺に盛り、食べ物で蓋し、玉壁をその上にのせ、夜、使者を公子に遣いさせた。 公子重耳は使者に会い、再拝の礼で食べ物を受け取り、玉壁は辞退した。 公子は曹から楚に入り、楚から秦に入った。 秦に入って三年、秦の 穆公 ( ぼくこう ) は群臣を集め 謀 ( はかりごと ) をして言った。昔、晋の献公と私が仲良く交流していたことは諸侯のうちで知らぬ者はいない。献公は不幸にも群臣から離れて亡くなり、十年が経つ。その 世嗣 ( よつ ) ぎは出来が良くない。私は心配だ。このままでは晋の 宗廟 ( そうびょう ) は清く保たれず、 社稷 ( しゃしょく ) の供物が絶えはせぬかと。このような状態にもかかわらず晋の足元を固めてやらないのは、献公との交流してきた道に反する。私は重耳を助けて晋に入れようと思うが、どうであろうか、と。 群臣は皆言った。よろしゅうございます、と。 穆公はそこで挙兵した。 革鎧の戦車五百乗、騎兵二千、歩兵五万、重耳を助けて晋へ入れ、立てて晋君にした。 重耳は即位して三年後、挙兵して曹を 伐 ( う ) ちに向かった。 そこで重耳は使者を送って曹の君主に告げさせた。叔瞻を城壁から懸け下ろして出せ、私が殺して処刑してやる、と。 また使者を送って釐負羈に告げさせた。我が軍勢が城に迫っている。私はあなたが礼に 背 ( そむ ) かなかったことを知っている。あなたの住まいに目印をたてておかれよ。私は命令して軍勢がそこを攻めぬようにさせよう、と。 曹の人々はこれを聞き、親戚をかき集めて釐負羈の住まいへ逃げ込む者が七百余家にも及んだ。 08_王様が臆病で信念が貫けない。すなわち予測するだけで決断ができず、やらなければと思うだけで手が下せない。 呉 ( ご ) 王の 闔廬 ( こうりょ ) が、 楚 ( そ ) の都の 郢 ( えい ) を攻め、三戦三勝した。 呉王は 伍子胥 ( ごししょ ) に意見を求めた。 「このぐらいで引き揚げてよいだろう」。 「いけません。人を 溺死 ( できし ) させようとするとき、一飲みさせたところで、止めたのでは、溺死するわけがありません。手をゆるめず押さえつけ、このさい、徹底的に沈めてしまうべきです」。 09_都合が悪ければ理屈をつけて法をまげ、何かにつけ公事に私情をはさむ。その結果は 朝令暮改 ( ちょうれいぼかい ) 、次から次へと新しい法令が発せられる。 斉 ( ��い ) が 魯 ( ろ ) を破ったとき、魯の宝である 讒 ( ざん ) という 鼎 ( かなえ ) を要求した。 魯はニセ物を持って行かせたが、見破られてしまった。 「ニセ物ではないか」。 「いや本物です」。 「それでは貴国の 楽正子春 ( がくせいししゅん ) ( 曾子 ( そうし ) の弟子)を連れて来てもらいたい。彼なら信用できる」。 魯王は楽正子春にうまくごまかしてくれるように頼んだ。 楽正子春は魯王に尋ねた。 「なぜ本物を持って行かせなかったのです」。 「本物は惜しいからさ」。 「わたしも自分の信用を惜しみます」。 10_もともと地の利に恵まれないうえに、城郭も欠陥だらけ、物資の蓄えはなく、生産力も低い。すなわち長期戦に耐える力がないのに、軽挙妄動して戦いをしかける。 11_視野が狭くてせっかちで、 些細 ( ささい ) なことで簡単に行動を起こし、すぐにカッとなって前後の見境がつかなくなる。 12_怒りっぽいうえに戦好きで、本務たる農政に力をいれず、何かといえば武力を発動する。 大臣を侮辱してプライドを傷つける。庶民に厳しい刑罰を加えて、過酷な使役に駆り立てる。これを当然のこととして繰り返せば、謀反を 企 ( たくら ) むものが、必ず現れる。 13_王様が大利を目前にして傍観するばかり、また禍いを予測していながら対策を立てようとしない。そして防衛ということにまったく無知でありながら、「仁義」によって自己の行為を飾り立てようとする。 14_雄弁だが「法」という筋が通っていない。聡明ではあるが、肝腎の「術」を心得ていない。能力そのものはあるのだが、「法」によって事を運ぼうとしない。 〖本心を隠す〗 王様が心の 裡 ( うち ) を見透かされると、 家来 《 けらい 》 たちに付け込まれる。 楚 ( そ ) の霊王が細い腰の美人を好むと、 楚 ( そ ) の都には絶食して痩せようとする者があとをたたなかった。 臥薪嘗胆 ( がしんしょうたん ) の故事で有名な越王 勾践 ( こうせん ) は、勇者を好んだ。越の決死隊は、呉の陣の前で一斉に自分の首を 刎 ( は ) ねた。呉軍の兵卒は、あっけにとられ、その隙に奇襲攻撃をかけられて総崩れとなった。 斉 ( せい ) の桓公は好色で嫉妬深かった。 豎刁 ( じゅちょう ) は、自ら去勢手術を受けて、後宮の 宦官 ( かんがん ) になり、信頼を得て大臣に任命された後、謀反を起こして桓公を部屋に閉じ込め飢え死にさせた。 桓公は食い道楽でもあった。料理人の 易牙 ( えきが ) は、自分の長男を蒸し焼きにして差し出した。易牙も、豎刁の謀反に参加した。 燕 ( えん ) の 子噲 ( しかい ) は人格者を好むと思われていた。大臣の 子之 ( しし ) は、国を譲られても受けないと公言して信頼を得、政治を任されて実権を奪った。伝説時代に、 堯 ( ぎょう ) という天子がいて、 許由 ( きょゆう ) という隠者に天下をゆずろうとしたが、許由は受けず、耳が穢れたといって耳を洗ったという。子噲は子之が辞退するのを確かめておいて、堯のまねをしたのに、子之の方が上手だった。 王様が好悪を見せなければ、家来は素を表わし、王様はだまされない。 堂谿 ( どうけい ) 公が、 韓 ( かん ) の 昭 ( しょう ) 侯に尋ねた。 「 価 ( あたい ) 千金の 玉杯 ( ぎょくはい ) があったとする。もし底がなかったとしたら、これに水を入れることができるでしょうか」。 「だめだ」。 「では素焼きの器があるとする。これには底があって漏らないとしたら、酒をつぐことができるでしょうか」。 「できる」。 そこで堂谿公は言うのだった。 「素焼きの器はとるにたらぬ粗末なものですが、漏りさえしなければ酒をつぐこともできます。価千金の玉杯はまことに貴重なものですが、底がなくて漏るとしたら、水さえ入れることができません。まして、これに飲み物を入れる者があるでしょうか。家来の言葉を他人に漏らす王様は、ちょうど底の抜けた玉杯のようなものです。いくら王様に知恵があっても術をつくすことができないのは、人に漏らしてしまうためです」。 それからというもの昭侯は、大きな計画を考えているときには、必ずひとりで寝た。 寝言を聞かれて、他人に計画が漏れることをおそれたのだ。 斉国の正室が亡くなったとき、大臣の 薛 ( せつ ) は、 威 ( い ) 王の意中の人を新しい正室に 推薦 ( すいせん ) しようと考えた。薛は、玉の耳飾り九組に特に美しい耳飾りを一つ加え十組にして王に献上した。翌日、薛は、特に美しい耳飾りをしている側室を確認して王に推薦した。 〖信ずる者は 騙 ( だま ) される〗 王様が妻を信じたら、腹黒い家来は王様の妻を利用して私欲をとげようとする。 優施 ( ゆうし ) という役者は、 晋 ( しん ) の 献 ( けん ) 公の愛妾 麗姫 ( りき ) に取り入り、世継ぎの 申生 ( しんせい ) を殺して、麗姫の子 奚斉 ( けいせい ) を擁立した。 王様が我が子を盲信すると、腹黒い家来は王様の子を利用して私欲をとげようとする。 趙の武霊王(在位 前325年~299年)は 胡服騎射 ( こふくきしゃ ) (騎馬民族の戦法)をいち早くとりいれ、趙を軍事的に発展させたが、寵愛した恵后のために後継問題の処理を誤った。太子に決まっていた長子 章 ( しょう ) を廃嫡して、恵后の子 何 ( か ) (恵文王)に王位を譲り、自分は 主父 ( しゅほ ) と称して院政をしいたが、恵后の死後、廃嫡した長子 章 ( しょう ) の処遇に迷い内乱を起こさせてしまった。主父も、 沙丘 ( さきゅう ) の別宮で三箇月包囲されて餓死した。そのときの包囲軍の指揮官は 李兌 ( りたい ) だった。 妻子でさえ裏切ることがあるのに、他人である家来を信じたら、 悲惨 ( ひさん ) な結果が待っているかもしれないことを知らなければならない。 王様の世継ぎが立てられたら、妻は、我が子の即位を待ち望むもの。 男は五十になっても色好みはやまないのに、女性は三十になれば容色は衰える。 衰えた容色で色好みの夫に仕えれば、疎まれ 貶 ( さげす ) まれるようになり、「これでは我が子は、あとを継げないのではないか」と、妻は疑う。我が子が王様の座につけば、何でも命令できるし、嫌なことも禁止できる。男女の楽しみは、夫の死後も以前にも増して楽しめる。大国を思いのままに動かしても、誰からも文句は出ない。 毒を盛ったり、闇打ちをしたりのお家騒動が尽きないのも、こういうところに原因がある。 桃佐春秋 ( とうさしゅんじゅう ) には、「まともな死に方をする王様は半数に満たない」と書かれている。 魏 ( ぎ ) 王が 楚 ( そ ) 王にひとりの美女を贈った。 楚 ( そ ) 王はこの美女がすっかり気に入った。 楚 ( そ ) 王の側室 鄭袖 ( ていしゅう ) は王がこの美女を可愛がるのを見て、王が可愛がる以上に自分も可愛がり、衣裳でも何でも彼女の欲しがるままに与えていた。 王はそれを見て言った。 「 鄭袖 《 ていしゅう 》 はわたしがあの女を可愛がるのを知って、わたし以上に可愛がってやっている。まるで親孝行な子が親をおもい、忠臣が王に仕えるようではないか」。 …「王様は自分が嫉妬していないと信じている。これでよし」と思った 鄭袖 《 ていしゅう 》 は美女に「王様は女性が手で口を覆う仕草が好きだから、王様に近づくときは手で口を覆うようにしなさい」と教えた。美女はその話を信じ、始めて王様とのお目見えする際にさっそくその仕草を実行する。事情を知らない王様がその理由を周囲に尋ねると、鄭袖が「あの女は王様の匂いを嫌って手で鼻を覆っているのです。」とウソを付いた。王様は、激怒し、美女の鼻を削ぐよう命じた。 〖人材活用〗 楚 ( そ ) が 陳 ( ちん ) を攻めたとき、 呉 ( ご ) は陳を助けた。 楚 ( そ ) ・ 呉 ( ご ) 両軍は三十里をおいて 対峙 ( たいじ ) した。 ある夜、十日も降り続いた雨がやみ、星が見えた。 楚 ( そ ) の 左史 ( さし ) の 倚相 ( いしょう ) は将軍の 子期 ( しき ) に言った。 「十日の雨のあいだに、呉軍は準備をととのえたはずです。きっと攻めてくるにちがいありません。備えた方がよろしいでしょう」。 そこで、 楚 ( そ ) 軍は、陣形をととのえたが、はたして、準備が終わるか終わらないうちに、呉軍がやって来た。 しかし、 楚 ( そ ) 軍に備えがあるのを見ると、戦わずして引き返した。 左史は言った。 「呉軍は往復で六十里歩かなければなりません。帰れば疲れて将軍は休む、兵士は食事をするはずです。一方わが方は三十里ですみます。すぐ攻めれば勝てましょう」。 楚 ( そ ) 軍��呉軍を追いかけ、これを破った。 孟嘗君率いる斉・魏・韓の連合軍が函谷関に攻めてきたとき、秦の昭襄王は大臣に「三国の兵が秦に深く攻め込んでいる。河東郡の数県を与えて和睦しようと思うが、どうか」と尋ねた。 大臣は、「河東郡の数県を与えるのは、大きな損失です。王子様とご相談なさってはいかがでしょうか?」と答えた。 王様から���談された王子は、「和睦してもしなくても、後悔は避けられません。…和睦したら、『三国はもともと引き上げようとしていたのに、むざむざ三城もただでやってしまった』と、後悔するでしょう。…和睦しなかったら、 韓 《 かん 》 に集結した三国軍に大損害を与えられ、『しまった、三城をやらなかったばかりに、こんなことになってしまった』と、後悔するでしょう。」と答えた。 昭襄王は、「後悔するのなら、三つの城を失って後悔する方が、国が危険な状態になって後悔するより余程マシだ。」と考え、和睦を決めた。 管仲 ( かんちゅう ) と 鮑叔 ( ほうしゅく ) が相談をした。 「このご乱行では 斉 ( せい ) の 御代 ( みよ ) も変わるにちがいない。斉の公子のなかで、将来性のあるのは 糾 ( きゅう ) さまか、 小白 ( しょうはく ) さまだ。この二人にわれわれは一人ずつ仕え、先に出世した者が他を引き立てることにしよう」。 こうして管仲は糾に、鮑叔は小白に仕えた。 はたして斉は混乱状態におちいり、王様が殺された。 そしてまず小白が亡命先から帰国して王様の座についた。 管仲は糾とともに 魯 ( ろ ) に逃れていたが、魯の人につかまって小白に引き渡されたが、鮑叔の口添えによって宰相になることができた。 〖王様への意見の出しかた〗 [説得]は、相手の心を正確に見ぬき、自分の意見をそこに合わせること���必要。知識や弁舌だけでは不十分。 名声の高さを求める相手に、利を得る術を説けば、下劣で卑しい奴と思われ、遠ざけられる。利を求める相手に、名声の高まる術を説けば、気配りできず現実に疎い者と思われる。 名声を大切にしているように見せかけながら、内心では利を求めている相手に、名声の高まる術を説けば、得心した様子を見せられながら、実際には疎んじられるだろう。逆に利を得る術を説けば、得心させても、用いられることはない。 01_王様が自分の利益を満たそうとしているときには、国法を述べてそれを強制する。それでも欲望を捨て切れないときは、欲望に理屈をつけてやる。実行に移せない道義には、とやかく言わないでおく。 02_理想が高すぎて非現実的なときは、理想の欠点をあげ、実行しない。それは難しいでしょうなどと、ケチをつけてはならない。 03_知識・見識に自信もってる相手には、同類の別の事例を挙げて下地を準備しておき、相手が自ら選ぶように仕向けて、そしらぬ顔をする。 04_他国と友好関係を保つように説得するには、立派な��目を上げてやり、それとなく自分の利益にもなることを示す。 05_国の害になることを分からせるには、道義に反しているとはっきり言い、自分の損にもなると分からせる。 06_直接相手を誉めるよりは、相手と同じ事をしているものをほめ、他の事で王様の計画と同じものがあれば、そのことを議論で取り上げた方が効果がある。 07_王様と同じ失敗をした者は、たいした過失ではないと言って弁護しておく。相手がよい計画だと思っているのに、悪いところをあげつらって追いつめてはいけない。 08_長い月日を経て、王様の信任も厚くなり、立ち入った策を奏上しても疑われず、王様と言い争っても罰せられなくなったならば、堂々と利害を判断して述べ、自分の意見を実現化して事の是非をずばりと述べることを身上とする。こうして王様と対等の関係を保てるようになれば、これこそが献策の最上のものとなる。 〖 和氏 《 かし 》 の 璧 ( へき ) 〗 昔、 楚 ( そ ) の国に 和氏 ( かし ) という男がいた。 あるとき、彼は 楚 ( そ ) 山の山中で 粗玉 ( あらたま ) を見つけ、これを 厲 ( れい ) 王に献上した。 厲王は宝石師に鑑定させた。 「これは、ただの石でございます」。と宝石師は言った。 厲王は和氏をペテン師として足切りの刑を命じ、左足を切らせた。 厲王が死に、 武 ( ぶ ) 王が即位した。 すると、和氏はまた同じ粗玉を献上した。 武王は宝石師に鑑定させた。 「石でございます」。と宝石師が言った。 武王は和氏をペテン師として足切りの刑を命じ、右足を切らせた。 武王が死に、 文 ( ぶん ) 王が即位した。 今度は和氏は粗玉を抱き、 楚 ( そ ) 山のふもとで泣き続けるのだった。 三日三晩がたった。 涙は枯れはてて、眼に流れるものは血であった。 文王はそのことを聞くと、和氏のもとに人をやってわけを尋ねさせた。 「世の中に足切りの刑にあった者も多いが、どうしておまえは、そんなに悲しげに泣くのか」。 「わたくしは足を切られたことが悲しいのではありません。宝石が石ころだと言われ、正直者がペテン師だと言われた。それがわたくしは悲しいのです」。 文王は、宝石師にその粗玉を磨かせてみた。 はたしてそれは宝石であった。 その宝石は、彼の名をとって、「 和氏 ( かし ) の 璧 ( へき ) 」と呼ばれた。 宝石というものは、王様が喉から手が出るほど欲しがるものだ。 そして 和氏 ( かし ) が献上した 粗玉 ( あらたま ) が、もし宝石でなかったとしても、王様が何の損をするわけでもない。 それにもかかわらず、和氏は両足を切られてから、はじめてその粗玉が宝石であると認められたのだ。 王様が欲しがる宝石でさえ認められるのは、これほど困難なのだ。 ところが[法・術]となると、王様は「和氏の 璧 ( へき ) 」のようにこれを欲しがってはいない。 王様たちは、それほど熱心に家来や国民のかげの悪事を抑えようとはしていないのだ。 [法・術]を主張する者が、王様に殺されずにいるのは、彼がまだ[法・術]という粗玉を献上していないからにすぎない。 王様が「術」を使ったとしたら、大臣が政治を専断することも、側近が王様の威を借りることもなくなるだろう。 「法」が国に行きわた���ば、流民の 類 ( たぐい ) は姿を消し、すべての国民は農耕に追いやられ、事あるときには戦場で生命の危険をおかすことになるだろう。 つまり[法・術]は、家来と国民にとっては、 禍 ( わざわい ) となるものだ。 したがって、王様が、大臣の反対と国民の非難を押しきって、[法・術]に耳を傾けようとするのでなければ、たとえ命を進言したとしても、[法・術]が王様に取り上げられる見込みはない。 〖使いこなせない者とは〗 もし人が衣服を着ることもなく、食事をとることもないのに、餓え凍えることがなく、また死もこわくないとすれば全て満ち足りており、お上に仕える気はとんとならないであろう。すると、王様によって支配されることを嫌う気持ちになる。そのような人物は、臣下として使いこなすことはできない。 〖小さな信用を重ねる〗 呉起 ( ごき ) は外出先で知人に出会い、食事に招いた。 知人は承知して、「のちほど伺うから、それまでお待ちいただきたい」。 「では、あなたがおいでになるまで、お待ちいたしましょう」、呉起はそう答えた。 その知人は日暮れになっても来なかった。呉起は食べずに待った。 そして、翌朝、知人を呼びにやり、彼が来てから食事した。 越王 勾践 ( こうせん ) が呉王 夫差 ( ふさ ) を攻め、 降伏 ( こうふく ) させた。 呉王夫差が謝罪して 赦 ( ゆる ) しを願った。 越の大臣たちは、越王勾践に、「天命が[越]を与えようとしたとき[呉]が受け取らなかったから、今、天命は[呉]を[越]に与えようとしているのです。天意に 背 ( そむ ) いてはなりません。」と言った。 呉の大臣は、越の大臣に手紙を送った。「すばしっこい兎が狩りつくされてしまうと、猟犬は煮て食べられる。敵国が滅びると、軍師は殺される。呉を赦して残せば、貴方はまだまだ仕事ができる。」 越の大臣は、これを読んで大きくため息をつきながら、「呉が滅べば私は用無しになるのか…」とつぶやいた。
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けんちく探訪@茅野
先週八ヶ岳に登る前日、今年初めての建築旅、建築史家の藤森照信氏の生まれ故郷でもある茅野にて、フジモリ建築巡りをしました。
藤森先生のデビュー作である『茅野市神長官守矢資料館』へ。
『軒が寂しいので4本柱を立てようとして、偶然鉛筆が走って軒を突き抜けたのでできた柱』だそう。「薙鎌」という諏訪上社の祭器が打ち付けられています。
屋根は上諏訪産の鉄平石で葺かれていて、外壁はさわらの割板。まわりを取り囲むオカメザサも素敵。
『毛深い仕上げを求めて、ワラを混ぜた色モルタルを塗り、表面を荒らしたあと、上から土をスプレーで吹き付けた』という壁。
軒の工夫。
突き抜ける柱。
内部は、古代から明治初期まで諏訪上社の神長官を勤めてきた一族、守矢家の文化遺産、古文書が展示されています。
洞窟のよう。
『空間を広く見せるため、床と壁の接点を曖昧にして丸くしている』とのこと。ふんわりと包まれた感じがあるのは、素材のせいだけでなく、そうゆう細部の工夫なのでしょうか。
上の保存庫への階段。通常はあがれません。なんと階段が自動でおりてくる。
『藤森先生の遊びごころ』と、館の方談。
大きな吹きガラスの窓が素敵でした。外側は二重壁。
建物を出て、少し歩くと、里山の風景に浮かぶ『空飛ぶ泥舟』と、奥に『高過庵』(たかすぎあん)
ジブリの世界。床が地面から約3.5メートル浮いているそう。
足元。柱が基礎に乗っかって銅板が巻かれているようす。
ずいぶん前にテレビで見た時の印象より小ぶりでした。
はしごが横たわっていた!
こうやって登るようです。(コロカルニュースより拝借)
木の骨組みに板張りしたものを泥でかためて、銅板を葺いたもので、内部はこんな様子だそう。(朝日新��デジタルから拝借)
2010年に市民のワークショップで作られて、2011年にこの場所に移設されたそうです。
そして、高過庵と低過庵。
高過庵の高さは6M、柱は栗の木だそうです。足元はコンクリートで固められていて、
近づいてじーっと凝視すると、 だいぶ上のほうまで、樹皮が上から留めてある様子でした。
見上げるとにじり口がみえました。
上の部分は、Jパネルという木製積層パネルに内外左官仕上げをしただけの壁なので、実は軽いそう。
そして、竪穴式茶室『低過庵』
まず最初に、お神輿のやぐらみたいのなんだろう、、と思って
ぐるり、じーっと見ていたら、屋根に滑車がついてる。屋根があく?!
こんなことになるんだそう、青空茶室だった!蓋のあいたピラミッドみたいです。
焼杉板の外壁。湿気対策のために基礎コンクリートと茶室の床の間の通気層が30センチとられているそう、その外側に金網がはられています。
見学ツアーも今はコロナで中止中のようですが、いつか、内部を体験してみたいし、青空の下で見てみたい。
その後、大雨の中、諏訪大社へ向かう。前宮の御柱。
藤森建築の足元の感じは、この御柱が原風景なのかな。と思わせる土台。
そして、本宮へ。
山を背負っているせいか、お社の建物全体が横長配置で、本殿が横むいている配置の神社ははじめてでした。
最後に茅野駅、駅直結の茅野市民館/茅野市美術館へ。
2005年、公開プロポーザルで選ばれた建築家 古谷誠章氏の設計で、藤森先生は審査員だったそう。これが駅直結の図書館。改札のある2階コンコースから1階の市民館をスロープでつなぎ、そこに図書館分室という機能が付されていて、これが、当時コンペの勝因のひとつだったといいます。
スロープに沿った閲覧室は段々。
『初めて敷地を見に来た時、駅のコンコースで震えながら電車を待っている高校生が電車が来ると駆け下りていくのを見て、寒い所なので待つ場所があったらいい、待っている間に図書館があったらいいと思った』という古谷先生の言葉が印象に残ります。その場所の日常を読み込んでこそ生まれた空間。
スロープを下りきると市民館。御柱にみえてくる柱。
市民館小ホールのホワイエ。ルーバーのように重なるのは外壁プレキャスト板の小口。
外観。
奥と右手のボリュームが市民館と市民ホール、左手に図書館、その向こうには線路が並行して走っています。
あいにくの雨でしたが、久々のけんちく探訪、楽しかった。最後はずぶ濡れ。この間、山ではしんしんと雪が降り積もっていたわけで・・・充実の2日間でありました。
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\おにわさん更新情報📸/ [ 茨城県笠間市 ] 春風萬風荘庭園 Shunpu Banri-so's Garden, Kasama, Ibaraki の写真・記事を更新しました。 ーーかつて #北大路魯山人 が暮らした古民家と魯山人作の茶室から眺められる、“龍安寺”の石庭を模した #枯山水庭園 。 ・・・・・・・・ 春風萬里荘はかつて北大路魯山人が自らの居宅としてた古民家で、1965年(昭和40年)に笠間日動美術館の分館として北鎌倉からこの地へ移築されました。 この茅葺の母屋の前には地形を活かした回遊式庭園、母屋裏に京都『龍安寺』の #石庭 を模したという枯山水庭園があります。 2019年夏に9年ぶりに笠間の町へ行きました! 笠間と言えば伏見稲荷・豊川稲荷と並んで“日本三大稲荷”と称される笠間稲荷神社⛩と陶芸の町。 前回初めて訪れた時は“Sense of Wonder”という野外フェスが目的だったんだけど――会場だった笠間芸術の森公園も野外彫刻展示が沢山あったのが印象的で、ちょうど美術館に足繁く通い始めた頃だったので茨城県陶芸美術館や笠間日動美術館に行ったことも覚えている。 けど笠間日動美術館の分館としてこのような施設があることは知らず(まあ知ったとしても当時はまだ“枯山水”という言葉は知らなかったけど…)。 昨年ぐらいに教えてもらって、いつ行こうかな〜と思ってたのですが、2019年夏の18きっぷシーズンの間に行こう!と決めて行ってきました。 春風萬里荘の母屋はもともとは神奈川県厚木あたりの大庄屋だった伊東家の居宅として江戸時代中期に建造されたもの。昭和の初期に魯山人が譲り受けて北鎌倉に移築、自らの住居としました。 また現在その母屋から繋がっている茶室「夢境庵」🍵は #千宗旦 によって作られた茶室「又隠」を手本として #魯山人 が自ら設計したもので、北鎌倉に在った頃は独立した建造物だったそうです。 その茶室の内部や母屋の意匠、そして洋間など建物内も魯山人がこだわったんだろうなあ、と思うポイントが沢山で見ててワクワクする!魯山人の遺作の陶芸も展示されています。 そもそもこの地に魯山人の古民家が移築されるにあたった経緯について。魯山人が亡き後の1964年、洋画家 #朝井閑右衛門 🎨と小説家 #田村泰次郎 が笠間日動美術館および銀座の日動画廊の創業者・長谷川仁と笠間に訪れた際に、笠間にアトリエを作りたいという作家の要望により“芸術の村”構想ができました。 そして母屋を始め江戸期の長屋門などがこの地に移築され(今回訪れた際には長屋門前の園路は整備工事中でした)、現在もこの春風萬里荘周辺には40戸ほどのアーティストのアトリエがあるそう。 春風萬里荘もパンフレットに記載されている住所には「芸術の村」というワードが入っています。 庭園はこの建物が移築された時に作庭されたものなので、元々魯山人宅にあったものというわけではないそうですが――お手入れが行き届いている枯山水庭園。『龍安寺』を模した、と先にも書いたけど、京都の『妙蓮寺庭園』と似た雰囲気を感じます。背後の樹木との組合せも美しい。 母屋の前の自然の地形と山からの小さな河川を活かした自然豊かな庭園は創作活動の間のリフレッシュの場にはピッタリって感じ。低地部にある池泉は初夏〜夏にかけてはハナショウブ🌷や睡蓮の花が咲きほこるそう(訪れた時期にはもう花は見られなかったけど…)。池の畔の桜も春には美しいんだろうなあ。 なお魯山人設計の茶室はお茶会などで借りることもできるそう。これってけっこう貴重じゃない?詳しくは公式サイトで。 ちなみに笠間日動美術館自体にもモネ、ゴッホ、アンディ・ウォーホルをはじめとして近現代の著名な画家の作品が多数🖼 今回は再訪できなかったけど(芸術の森公園も)また機を見つけて笠間には行きたい! 〜〜〜〜〜〜〜〜 🔗おにわさん記事URL: https://oniwa.garden/shunpu-banriso-%e6%98%a5%e9%a2%a8%e8%90%ac%e9%a2%a8%e8%8d%98/ ーーーーーーーー #庭園 #日本庭園 #garden #japanesegarden #japanesegardens #zengarden #笠間 #笠間市 #kasama #茨城 #茨城県 #ibaraki #美術館 #museum #artmuseum #枯山水 #karesansui #おにわさん (春風萬里荘) https://www.instagram.com/p/B3QzOZRAAqy/?igshid=12bk8mge4udil
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日本三大茅葺部落,四季4色的合掌造童話村!
岐阜縣白川郷・(富山県)五箇山的合掌村、福島縣的大內宿,和京都美山町北村,為日本三大茅葺部落,嫩綠、紅葉、雪景的四季自然融合的山村風景,以及傳統民房排列的村落,宛如童話故事中的浪漫世界。(圖片來源:白川村通信FB)
(圖片來源:白川村通信FB)
白川鄉與五箇山的合掌造聚落
白川鄉與五箇山的合掌造聚落(白川郷·五箇山の合掌造り集落)是日本飛驒地區白川鄉(岐阜縣大野郡白川村)及五箇山(富山縣南礪市)地區的合掌造聚落的總稱,於1995年12月9日被聯合國教科文組織登錄為世界文化遺產,因為冬天景色就像在童話故事中情境一般,被喻為「冬日的童話村」。
(圖片來源:白川村通信FB)
(圖片來源:白川村通信FB)
(圖片來源:白川村通信FB)
岐阜縣白川鄉
登錄為世界文化遺產之後的白川村「合掌造」傳統民居聚落群,每年長達三個月的大雪紛飛季節,猶如童話故事薑餅屋般夢幻迷離的合掌造雪夜風情,正是人生夢寐以求的一大快事。
(圖片來源:白川村通信FB)
(圖片來源:白川村通信FB)
從荻町城址展望台欣賞由59棟房屋組成的「白川鄉及荻町村落」景觀。城山天守閣展望台是欣賞嫩綠、紅葉、雪景中的合掌村落景色最佳首選,因為那裡可看到全景。另外,對外開放的「和田家」和「長瀨家」荻町村落住宅中,還可看到當時生活的情景。而在每年10月的最後一個星期日,不能錯過前來欣賞難得的放水訓練。
(岩瀨家 圖片來源:五箇山総合案内所FB)
富山縣五箇山
「五箇山」的話,可以去背對群山、擁有24棟房屋的「相倉村落」,以及保留著包括江戶時代建造的兩棟在內的9棟「菅沼村落」房屋。在「村上家」,戶主圍著地爐講解五箇山的詳細歷史;而「羽馬家」的後期改造較少,保留了舊合掌構造的樣子;至於「岩瀨家」的三棟是內部為光葉櫸樹結構的5層建築,是五個山合掌構造中最大的房屋。
( 管沼 圖片來源:五箇山総合案内所FB)
(相倉 圖片來源:五箇山総合案内所FB)
(圖片來源:五箇山総合案内所FB)
(圖片來源:五箇山総合案内所FB)
(圖片來源:五箇山総合案内所FB)
(圖片來源:五箇山総合案内所FB)
(圖片來源:有限会社 かやぶきの里FB )
京都美山町北村
京都南丹市美山町的茅葺部落「かやぶきの里・北村」,現存最古老的茅葺家屋為寛政8年(西元1796年)所建造的! 這裡和白川鄉一樣,也是造型小巧可愛的垂簷屋頂,在冬天時節整個部落鋪上一大片白雪,美不勝收的小村落,有一種與世隔絕的仙境感,可以體驗來美山住一晚。
(圖片來源:http://www.miyamanavi.net)
美山這邊茅葺民家的建築被稱為「北山型」,屋頂的特殊木架為美山茅葺屋保留下來的特徵,十字交叉為補強用,稱為「千木(ちぎ)」,放在一整排的十字木架之上的一整根木條,為緩和積雪的「雪割り(ゆきわり)」。目前美山北村中19世紀前半的有18戶,剩下多為江戶時代的建築,都可以清楚看到上述的特徵。
(圖片來源:美山ナビFB )
(圖片來源:美山ナビFB )
(圖片來源:美山ナビFB )
(圖片來源:http://ouchi-juku.com)
大內宿
大內宿至今仍保留著江戶時代風貌的珍貴村莊,連接今市和會津若松的會津西街道的驛站城鎮,曾經非常繁華,1981年被選為國家重要傳統建造物群保存地區。現在300公尺左右的街道兩端排列著50間草頂房屋,經營著土産店、餐館、家庭旅館,可以品嘗使用大蔥代替筷子的大蔥蕎麥麵、用圍爐烤的岩魚、十年大醬丸子等美食。
(圖片來源:http://ouchi-juku.com)
(圖片來源:http://ouchi-juku.com)
什麼是合掌造?
「合掌造」民居的造型而引起全球驚艷,最早是透過一位德國建築學者布魯諾.陶德,在1935年在日本從事傳統住宅樣式的田野調查。合掌造(日語:合掌造り)是指日本一種特殊的民宅形式,特色是以茅草覆蓋的屋頂,呈人字型的屋頂如同雙手合十一般,於是就被稱為「合掌」。合掌造為木造建築物,在興建的過程中完全不用釘子卻十分牢固。
(圖片來源:五箇山総合案内所FB)
(圖片來源:白川村通信FB)
合掌構造大解析
合掌構造三層及四層複式構造很有特色,當中更集合了農夫們在嚴峻的自然環境中培育產絲蠶的智慧。例如,在閣樓裡開闢養蠶室,利用生活的那層樓的熱量來加熱上面的樓層。另外,由於處在大雪地帶,積雪通常超過4米,為了使積雪易於滑落,屋頂的傾斜常設計成60度。
(圖片來源:五箇山総合案内所FB)
合掌造的屋頂十分陡峭,可使積雪容易滑落不會堆積,以避免冬季的大雪將屋頂壓垮(類似歐洲的建築)。合掌造每隔三、四十年就必須更換老朽的屋頂茅草,更換茅草需要大量人力,故每次有哪一家人的屋頂需要翻修,全村的人就會同心協力一起完成,這種合作方式稱為「結」(ゆい)。
文/Vinge
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帶爸媽自由行 「京都」10個必去必逛的超經典行程推薦!
繼上篇【帶爸媽自由行 「大阪」10個必去必逛的超經典行程推薦!】後,接下來介紹京都篇。京都可以玩的地方很多,不論是在京都市區、或郊區,這個日本的千年古都有許多風貌等著大家去探索。以下列出10個京都帶爸媽、長輩的必玩觀光景點,有最定番的「清水寺」、「二條城」,還有小編推薦的郊區景點,交通上雖不比市區方便,但自然的輕鬆氛圍,長輩一定會喜歡!
美麗的清水寺
圖片來源:123RF版權商用圖片
進入介紹前先複習4個幫助你和長輩旅行的Tips:
掌握四大重點,與長輩開心共遊:
► 行程勿太密集、安排有彈性且休息時間多的旅程。
即使年輕人自己有活力,可以一天衝好幾個景點,但若是稍有年紀的爸媽體力可能無法負荷一連好幾天的「鐵腿旅行」。先求經典行程走一趟、輕鬆的上午下午各一大景點,交通也多參考1日券或多日券,非必要避免先訂定時車票,以免臨時發生狀況,錯過精心安排的景點,傷財又傷心。前往景點的同時也可稍微介紹一下重要車站、景點概要,一方面可以讓爸媽心裡有底、安心,一方面也可避免走馬看花完,不知道到底去過哪裡。
► 多幫同行的爸媽、長輩拍照,也可以透過社群軟體分享。
難得出國旅遊,拍照一定要,特別是你安排的孝親行,當然要紀錄下來、留念。如果是熟悉社群軟體的長輩,建議上傳幾張歡樂的遊玩照片,分享給他們的親朋好友,不僅值得驕傲、以後在他們的嘴裡,你就是那個肯不辭辛勞地帶他們出國旅行的孝子、孝女了(笑)
► 長輩常吃常用的藥品請備好,暈車藥口罩有備無患。
雖然說日本什麼都有,不過平時吃、用習慣的藥品還是準備著較好。日本氣溫比同時期的台灣低,特別是早晚特別涼,外套、口罩有備無患;若有較長時間的乘車需要,暈車藥、糧食等也先準備好比較安心。
► 當地土產先做功課,介紹必買給長輩增加購物樂趣。
購物是自由行的一大樂趣,不過沒做功課的長輩可不太知道什麼必買、吃起來味道如何。如果能在出發前,先介紹幾樣預計合長輩口味的土產,讓他們不只吃飽喝足,還能雙手滿滿、心滿意足得返台。
把握完上述基本原則,接下來將介紹10個京都經典玩法,保證精挑細選、專為長輩又是超經典行程,也許你早已經去過,不過這次就當一下爸媽及同行長輩的導遊如何?和不同的旅伴相信會激出不一樣的火花!
▋錦市場(京都市中京區):京都的廚房,採購伴手禮別錯過
擁有400年歷史、過去曾被稱作「京的廚房」的錦市場。江戶時代作為魚市場而生意繁盛,到了昭和時代則轉型成批發市場��京都食材、土產、衣物等商品範圍廣大。位於京都熱鬧市區內、全長390公尺的商店街,也是觀光客及日本學生戶外教學必去之景點。之所以推薦給孝親行的人,是因為在這裡可以帶回許多”京都味”,其中用京野菜醃製的「お漬物」更是必買!旁邊也有「新京極商店街」和「寺町京極商店街」,建議安排早點到訪,以免市場早早休息而向隅。
錦市場
・交通方式: (市巴士)5號系統「 四条高倉(大丸百貨店前)」下車徒歩2分 (地下鐵)烏丸線「四条駅」下車徒歩3分 (阪急)京都線「烏丸駅」徒歩3分、「河原町駅」下車徒歩4分 (京阪)「四条駅」下車徒歩10分 ・官方網站
▋二條城(京都市中京區):名符其實的歷史古城
二之丸御殿的「車寄」(右)及「遠侍」。
圖片來源:http://goo.gl/5J1gXL
如果到京都,也建議要看一下日本的古城。現在的「二條城」建於江戶時代初期(1603年),至今已有400年歷史,是徳川家康為了保衛皇宮(京都御所)、提供德川家族上洛時住宿而重建,一直到第三代德川家光才完成擴建,呈現今日的風貌,二條城可以說是見證了德川家的興��的古蹟。即使不懂日本歷史,也建議親自進入御殿、光著腳丫踩在木造的地板上,伴隨著舊木頭嘎嘎作響的聲音,邊參觀江戶時代的名家房間,還可以看到大廣間內擺設人偶,重現第15代將軍徳川慶喜昭集重要幹部發表大政奉還的場景。有別於大阪城過於現代化的感覺,二條城這種古老的木造建築才能確實讓人感受到江戶時代的歷史氛圍。
二条城 ・地址:京都市中京区二条通堀川西入二条城町541番地 ・開城時間:8:45~16:00 ・費用:一般600円、中學生與高中生350円、小學生200円 ・交通方式:京都市地下鐵東西線「二条城前」╱市巴士9、12、50、101號系統於「二条城前」站下車 ・官方網站
▋清水寺(京都市東山區):京都超經典景點
清水寺本堂舞台,這裡為必拍定點
沒到過清水寺別說你玩過京都,清水寺就如同與京都二字畫上等號般經典。清水寺做為古都──京都的文化財之一,於1994年被列名為世界文化遺產。建於山壁上,不用一根釘子、僅以木頭崁接方式而懸空的本堂舞台也是一大看點。四季分明的氣候,讓清水寺的景致也隨著季節變換,春櫻、夏綠、秋楓、冬雪的絕景吸引著多數參訪者,不幫同行的爸媽拍一張以清水寺本堂為背景的合照就太可惜了。也可以問問同行爸媽是否想要試穿日本和服,建議事前預約喔。周邊祈求姻緣的地主神社、參拜道路的清水坂、二年坂&三年坂的店家也都建議一同走訪。
清水寺 ・地址:京都市東山区清水一丁目 ・參拜時間:基本上6:00~18:00,但結束時間與夜間���放時段依時期有異,請上官網查詢 ・費用:一般、大學生與高中生400円、中學生與小學生200円 ・交通方式:京都巴士至「清水道」站下車步行15分 ・ 官方網站
▋鴨川& 夏季納涼床(京都市中京區):夏天風物詩
鴨川夏天納涼床一景。
圖片來源:http://goo.gl/PyrN48
說到京都的夏天,小編最喜歡的景點便是鴨川。鴨川為京都市內南北向約33公里的河川,孕育了千年之都的文化,至今也被京都人當做休憩地點所喜愛著。特別推薦帶爸媽來嘗試京都夏季才有的風物詩──「鴨川納涼床」。所謂的納涼床(又稱川床)就是每年5月至9月,京都鴨川岸邊架起的一長列高台,在高台上則會有季節限定的戶外餐廳。邊吃著料理、邊欣賞夜晚的河岸風景,是否很有日式風情呢?即使不坐下用餐,也可於晚上走到四条大橋之下,岸邊的燈火加上鴨川潺潺流水聲、邊吹著涼風,邊和同行的爸媽聊天,感受京都式的夏天夜晚 ☞ 延伸閱讀:夏季限定~京都鴨川納涼床!
鴨川 ・交通方式:(阪急)「河原町駅」、(地下鐵)東西線「京都市役所前駅」、(市巴士)「河原町五条」・「四条河原町」・「京都市役所前」下車步行可到 ・京都鴨川納涼床
▋竹林之道(京都市右京區):嵐山絕景
圖片來源:http://goo.gl/lcwutG
京都觀光不可錯過的一景,曾在許多日本廣告、戲劇中出現,同時也是多數外國人會特地造訪的嵯峨野竹林。其中最有名的路段是從野宮神社到大河内山莊方向的部分。走進這高聳且緊密排列的竹林小道,彷彿穿越時空般的體驗,天氣好時陽光穿透竹林間縫隙,會有種仿佛身在古裝劇場景的浪漫氛圍。帶爸媽或長輩來走走體驗獨特的自然氣氛吧,或是選「嵐山花燈路」的時期前往,夜晚則有點燈活動、更顯浪漫。今年的資訊尚未更新,但有關於「嵐山花燈路」的情報請見:京都嵐山花燈路2016。
嵯峨野 竹林の道 ・地址:京都府京都市右京区嵯峨小倉山田淵山町 ・交通方式:京福電車「嵐山」、阪急嵐山線「嵐山」、JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」 ・京都觀光介紹
▋平等院(京都府宇治市):具代表性的宗教建築
平等院鳳凰堂秋天一景。
日本10元硬幣上的圖案就是平等院鳳凰堂。平等院沿著宇治川邊而建,被作為古代日本人對西方極樂世界的理想,其中鳳凰堂裡頭有阿彌陀如來坐像、和數十座菩薩像。而鳳凰堂建築是日本代表性的藝術國寶,包含繪畫、建築、工藝、雕刻等技術,在鳳凰堂皆有高規格的呈現。其建在池中央的島上,就像佛教極樂寶池的宮殿一樣,也是其浮於水上寧靜且典雅姿態,讓觀光客慕名而來。如果同行者中有喜愛抹茶的人,更應該安排一趟宇治之旅,邊介紹宇治的文化背景,一邊感受京都郊區的空氣。
平等院 ・地址:京都府宇治市宇治蓮華116 ・開放時間:08:30~17:30 ・費用:大人600円、高中生與中學生400円、小學生300円 ・交通方式:(JR)奈良線「宇治駅」下車徒歩10分、(京阪)宇治線「京阪宇治駅」下車徒歩10分 ・官方網站(繁體中文版)
▋貴船神社(京都市左京區):鞍馬區以水占籤聞名的神社
(左)往本宮的參道 (右)貴船的川床,離流水非常近。
圖片來源:http://goo.gl/eWZycU
位於鞍馬的貴船神社是日本全國約450個分社的總本社。因供奉水神──高龗神,從古時候開始被作為祈雨之神所信仰。而後則以水之神受到日本全國料理、飲食業及與水相關的生意人所信仰。此神社的水占籤(水占みくじ)相當著名,將自己選的籤文紙放在神水之上,文字就會慢慢浮顯,另類且具有趣味的抽籤方式。夏天沿路則有「川床」,也就是上面介紹的納涼床,貴船這邊的川床與鴨川的不同,離水面相當近,可以一解夏日之暑氣、還有貴船地區才有的流水素麵,一定要體驗看看。秋天的楓葉景致也推薦!
貴船神社 ・地址:京都市左京区鞍馬貴船町180 ・交通方式:(京阪電鐵)「出町柳駅」轉乘(叡山電車)「貴船口駅」,再換乘京都巴士 ・官方網站
交通優惠券:巴士&叡電鞍馬・貴船當天往返票、鞍馬・貴船一日券
▋美山 茅葺之里(京都府南丹市):療癒仙境
與白川鄉・五箇山的合掌村相似的風景,讓京都「美山町茅葺之里」近年來知名度漸高、與福島縣的大內宿為日本3大現存的茅葺屋集落。目前茅葺之里・北村中約有50戶建築,其中共有38棟茅葺屋(32棟為住宅、6棟為民俗資料館、店鋪),在西元1993年被選為「國家重要傳統建造物群保存地區」。極具特色的垂簷茅葺屋頂以綠山為背景排排站,遠遠望去彷彿日本古老的原生風景。寧靜的小村落,就算靜靜坐著看也很療癒!隨四季變換的景致,特別推薦冬天的「雪灯廊(ゆきとうろう)」點燈活動。這種原生風景,爸媽一定覺得樸實、親切,只是交通上不太方便,如果要排進孝親行建議務必做好功課。
☞ 延伸閱讀:京都美山也有合掌村?! 仙境般療癒美景「かやぶきの里・北村」
かやぶきの里 ・交通方式:JR「京都駅」到JR「園部駅」搭乘快速車種約35分,JR「園部駅」・JR「日吉駅」・JR「和知駅」之後請利用南丹市営巴士。或京阪京都交通(直通巴士) ・美山町觀光情報
▋哲學之道(京都市左京區):賞櫻勝地
圖片來源:http://goo.gl/r2GCxH
如果可以,帶爸媽、長輩到京都賞櫻吧!雖然台灣也有櫻花,但到日本京都看感覺不同,即使櫻花時期人山人海,但拍起來的美景絕對可以讓同行長輩拿出去炫耀(笑)。經典路線小編首推「哲學之道」,被選為日本之道100選的哲學之道,其名字據說是因近代日本代表哲学家・西田幾太郎和經濟學者河上肇等人在這條步道邊散步邊思索而來的。全長1.6公里的散步道路,與東山腳下的引水渠並行,水流兩旁的櫻花樹盛開時候,滿是白櫻的景色令人驚艷外,同時也可享受小橋流水的散步趣味。
哲学の道 ・交通方式:市巴士「銀閣寺道」站下車徒步10分 ・京都觀光情報
▋INODA咖啡本店(京都市中京區):唯一京都名店推薦
圖片來源:http://goo.gl/mmhAXd、http://goo.gl/e7EwqY
除了必去的世界遺產、觀光景點,關西在住的小編也推薦到京都咖啡名店──「INODA咖啡」(イノダコーヒ)的本店品嚐在地人最喜愛的特製咖啡。1940年創業的INODA咖啡對於京都人的重要性,可以從「京都的早晨,從INODA咖啡的香氣開始」這一句話窺見,比起滿街洋風的「咖啡店」,不如說它是日式懷舊的「喫茶店」更符合其風格。不僅是咖啡豆,連沖泡咖啡的開水也很講究,最推薦的喝法是咖啡裡加入砂糖和牛奶品嚐。店內的餐點也值得一起嘗試,INODA的火腿、豬排三明治大受好評,也可選個自由行的早晨帶爸媽到INODA本店,感受一下昭和時代的京都味。
INODA COFFEE ・地址:京都市中京区堺町通三条下ル道祐町140(此為本店地址,其餘分店位置請上官網查詢) ・營業時間:7:00~19:00,全年無休 ・交通方式:地下鐵烏丸線・東西線「烏丸御池駅」下車徒歩10分 ・官方網站
整理撰文:KASEI 2016.9.5 參考網站:(主要)【定番から穴場まで】おススメの京都観光スポット【56ヶ所】、京都の観光はこれで完璧!楽しむ為の60のチェックポイント。,其餘請見上方各連結。
☞ 延伸閱讀 「樂吃購!日本」全國版網站
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日本三大茅屋之一【京都小合掌村 – 美山町】,冬天都有點燈!
白川鄉合掌村既茅屋就係人都識,原來京都附近都有,就係「美山町」,佢與白川鄉並列為「日本三大茅屋之一」,每年冬天都會點燈,夏天都會灑水,櫻花、紅葉又係靚到不得了。個人覺得「美山町」唔夠白川鄉咁壯觀,但係離京都約二小時車程左右,可以一去,去完返京都又可以再食買玩,不過交通方面唔係好密,自駕較方便,呢篇會教埋大家點坐車。
〒601-0712 京都府南丹市美山町北
官網:http://www.kayabukinosato.com/ 交通方式:
JR「京都」駅坐JR嵯峨野線→「圓部」駅過對面線→「日吉」駅,轉南丹市營巴士於「北(かやぶきの里))」駅下車
美山町地圖
由京都坐JR至日吉駅約1小時
日吉駅落車後一出駅已經係巴士駅,如果跟時間表坐JR,基本上係車駁車直接上到市營巴士。
「北(かやぶきの里)」駅落車就係美山町合掌村
入口就見到全村惟一郵筒
美山町茅屋同白川鄉不同,美山町係四邊斜,而白川鄉只有兩邊斜。
部份茅屋需要籌錢修葺。
村內有民宿同Cafe,不過今次去到Cafe休息。
上少少係「鐮倉神社」,可以影到成條村。
全條村其他好細,無耐性既人半小時行完。
村對面有三間食肆同有買手信既地方。
今次入住呢間食蕎麥麵。
麵質同出面有啲唔同,幾好食,可以一試。
因為麵係用美山麵粉製造,所以買左盒返去。
因為南丹巴士官網經常改連結,所以用左河鹿莊既「時間表」易睇同易搵啲,每隔一段時間行車時間表都會唔同,可以上河鹿莊(http://miyama-kajika.com/access/)或 南丹市營巴士官網 搵返 (http://www.city.nantan.kyoto.jp/www/)
節錄左部份時間:
出發要留意埋回程時間,有部份班次唔係日日有,如今次早上8:58由京都出發到達美山約11:00,但回程要三點先有車,由於唔係櫻花紅葉期無咁多野睇,留4小時感覺有啲長,參觀+食午餐+買手信大概2.5小時內完成,所以都仲要等多個幾鐘先有車。
如果自駕就可以去埋道の駅美山廣場,多D野做,或住埋河鹿莊一泊二食,櫻花、紅葉期可以去大野水壩公園(大野ダム公園),有成1,000棵櫻花樹(詳情:https://kyotomiyama.jp/sightseeing/)。每個月份都有唔同活動,如單車賽、八幡神社例祭、灑水等(詳情:https://kyotomiyama.jp/event/)。
KKday同Klook都有美山一日遊,行程比較豐富,有興趣可以睇下。 【京都郊區巴士一日遊】天橋立・伊根舟屋・美山茅屋之里 https://www.kkday.com/zh-hk/product/13942
海之京都一日遊(天橋立 & 伊根舟屋 & 美山茅屋之里) https://www.klook.com/zh-TW/activity/6128-kyoto-seaside-day-tour-osaka/
資訊由熱新聞提供 原文連結: 日本三大茅屋之一【京都小合掌村 – 美山町】,冬天都有點燈! 更多相關內容
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3000から2172へ
この週末は山梨の少数山岳民族STILLICHIMIYAの奇祭、KAMIKANE3000に行った後、美谷島の慎ちゃんが主催するBANKED渋峠にMCとしてお呼ばれされ行ってきました。
KAMIKANE3000は外でテントを張り、キャンプをしながら
下にビアホールのような半野外のライブ会場があり、そしてそのすぐ横には温泉があり、お風呂に入りながらアーティストの音楽を聴けるというありとあらゆる快楽が詰まっている奇祭です。
MONAURAL MINI PLUG。タイの伝統音楽をやるグループなんですけど何が凄いってこの人達、会場を練り歩きながらひたすらに演奏するんです。
踊る阿呆を引き連れて勢い余って外まで行っちゃいます。
わーい。楽しいな〜。
おひねりなんかもあります。ケーンという楽器にお札を挟みます。この間も彼はひたすらケーンを吹き続けています。
今夜のゲスト、元祖甲州弁ラッパー、原ちゃんa.k.a.原田善照さんとツーショット撮ってもらいました。イェ〜。
ライブも良かったです。ズラーーーーー!!
山梨のぶどう酒に呑まれ気味だったのでちょっと酔い覚ましに、近所に茅葺の家があるというので散策してきました。まずはお堂がありました。
そしてその横には切妻屋根の真ん中だけ切り上がっているこの地方独特の屋根を発見!おおお〜。トタン被っている家は結構あるけど茅で残ってるのは初めて見ました。もー最近茅葺やら奇祭の話で何のブログかわかんなくなってきましたね。まー、えんでかしのブログっつこん。
ビンゴ大会もありました。気になる商品はJAのキャップや、丸太など魅力的なものばかりでした。
俺もビンゴ当たったので迷わず丸太をいただきました。ちびっこなんでライブの時に上に乗れば見やすくなって大変便利です。でも朝持って帰るの忘れちゃった、てへ。
音に疲れたら外でフリスビーしたりしてリフレッシュ。
夕暮れに近づくにつれライブもあったまってまいりました。今回のメインゲスト、 ZEN LA ROCKとSEX山口のライブ。セク山さんのDJ良かった〜。ゼンラさんも鎮座ドープネスとG・RINAとのユニットFNCYのアルバムがもうすぐ出るそうなんで楽しみっす。
そんでもってシークレットゲストは何とNORIKIYO!!わお!!ライブめちゃ上手かったです。もうこの辺で完全にテンション上がっちゃいました。
そして最後はSTILLICHIMIYA!!あいつらは1000!!俺らは3000!!
締めはMMMさんのDJ。イベントはこれで終わりなのですが、夜はまだまだこれからの時間帯だったけど、山梨の洋酒を行き過ぎていつの間にか寝ちゃいました。グガー。
そして26日(日)は渋峠に向かうために日本一の桃の里に別れを告げます。
ちょいとトラブルがあって1時間半ほど遅刻してさーせんスタイルで到着。いや〜いつきてもすげえとこに国道通ってるな〜。
主催の美谷島君。今回のアラスカトリップも色々濃かったみたいですね〜。
今回のMCの相方、長野のビギーことPACMAN。でかいです。
本当にギリギリの雪で作られたコースを紹介します。まずはスタート直後は緩斜面。
前半はまだスムースなバンクが続きますが
次第にややこしくなってきます。
第一の難関がここ。コースが荒れてくるとなかなか厄介です。
林を抜けると小さいコブがいくつかありそこでパンピングして加速!
しすぎるとこのバンクでやられやすいので注意です。
ここ細いんすよー。はみ出て服が茶色になってる人多数でした。
ほっそ!!
ゴールまで後もうちょい!だが油断は禁物です。この先が一番厄介かも。
細かくて深いバンクの連続の後にやや大きめの山があり、バンクでバランスを崩すとその山へ登れなくなり大幅にタイムロスしてしまう…。美谷島トラップです。
カテゴリーは40歳以上、18歳以下、オープン、スノスケ、フェイキーの部とバラエティに富んでおります。
白馬界隈の好き者OZ3達も来てました。
美谷島トラップにひっかかる人多数。コース整備をする兄の目の前でいいスピードで突っ込んできた弟の豪君が豪快にすっ転んだ瞬間は盛り上がりました。
ゴールの先にはヒップというか、キッカーというか、何かの可能性のある山があり、そこでなんか魅せると
ギャラリー達が湧きます。
ワックス塗りに余念の無いYONE FILMさんとGREEN.LABのジロー君。
今回、ジロー君が乗っていた板はニューモデルの試作品だそうです。かなりワイドなブツですね〜。楽しみ〜!ちなみにジロー君はこの板で40歳以上の部で2位になっていました。調子いいってことは実証されましたね〜!
俺も一本滑らせてもらいました。むずい!でも楽しい!!
一流のプロスノーボーダーであり、雪板サーカスの団長であり、POWの代表理事でもある小松さんも計測の世界ではまだまだ見習いです。
DJのC2とSin-1のスクラッチセッション!一日中いいビートをかけてくれました!
全行程が終わり表彰式へ。何位に何をあげるか今から考え始める主催者。まあ、表彰板を当日作っていた前回よりかはマシか。
こちらが今回の表彰板。KRDoriginalによるロゴがキャワユイ。
スノーボード、バイン、ウェア、GO PRO7、VERTSなど豪華商品が並び抽選やジャンケン大会もあり盛り上がりました。
最後に美谷島君がこういったスノーボードイベントしながら社会貢献(今回の参加費の一部はチャイルドラインながのという不登校で悩む子供達の電話相談を受けているNPO団体に寄付される。)もできたらサイコーやんか的な話をして締めてくれました。イェ!サイコーだぜ!楽しいイベントでした!慎ちゃん、お疲れ山でした!そして何よりサイコーだったのは、俺はここ数年バンクドでヨネさんに負け続けていたのですが今回遂に彼に勝ったことです!ヒャッホーイ!
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12月の各地句会報
平成29年12月の特選句
坊城俊樹選
栗林圭魚選 栗林眞知子選 岡田順子選
平成29年12月2日
札幌花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
銀行の相談役や十二月 岬月
ひと時化に秋ひと時化に深まれり 岬月
島捨てる決断の夜の虎落笛 岬月
縁側は仮のアトリエ日向ぼこ 晶子
笑顔なき人の群れ来る師走かな 晶子
お菓子屋に生れし子にもクリスマス 晶子
鈍行に乗り換へ冬の夜の別れ 慧子
極月の車内に封を切る手紙 慧子
冬ざれの木々に荒野の果て思ふ 佳峰
鴉には鴉の会話冬夕焼 寛子
手袋は失ふものと思へども 清
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月2日
零の会
坊城俊樹選 特選句
プレスリーを大きく貼つてクリスマス 炳子
冬晴や一ミリ回る観覧車 佑天
クリスマスツリー板チョコ風のドア 千種
極月の酒肆の提灯川へ吊り 彰子
冬の太陽油膜に見えて川黒く 和子
灰皿は洗はず膝掛は乱れ 千種
ソープランドのロビーに青き雪だるま 佑天
冬帝やピンクのドアに会員制 ラズリ
蔦紅葉頼りなければ川へ垂れ 彰子
裘に傷ありヴァイオリン抱く 久
冬帝の日がスナックの裏に差す 光子
極月や会員制と煤汚れ 千種
冬灯の運河に映るまで待てず 眞知子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月4日
鳥取花鳥会
岡田順子選 特選句
山茶花の神妙に散る神の庭 俊子
有り余る小春の日差列車待つ 都
寮生や里の荷を解き餅を焼く 幸子
しぐるゝや暗記の古典子に教へ 幹也
庭寂し満天星紅葉廟を守る 和子
谷奥は線刻古墳山眠る 栄子
手にとりて帰る扉となる冬帽子 悦子
明け方の寒さ頭皮に辷り込む 史子
その上に冬の紅葉や亀趺の墓 立子
海を見る我が足元に冬の蠅 すみ子
空落ちぬやうに冬木の力瘤 美智子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月6日
立待花鳥句会
客泊めて驚かしたる鰤起し 世詩明
着膨れて他人の言ふには耳かさず 清女
梟の我を見入るや首傾げ 誠
冬紅葉少し焦げ目の文殊山 誠
名月や名もなく生きて俳ごころ 秋子
あぶく世の赤札多き歳の市 秋子
忌を修す冬日やはらぐ里訛 秋子
年の瀬や相変らずの鍋焦がし 秋子
寒風にカチャカチャカチャとランドセル 信義
平成29年12月6日
さくら花鳥句会
栗林眞知子選 特選句
一両の電車ことこと冬銀河 登美子
和紙も筆も写経する身も底冷に 令子
袖無の恐竜柄に花柄も 裕子
冬の蠅夜には命尽きてをり 紀子
店先に主待つ犬冬夕焼 登美子
庭先にどつかと届く土の葱 寿子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月7日
うづら三日の月句会
坊城俊樹選 特選句
姿見に惚れ合つてゐる木の葉髪 牧羊
開戦日海軍特幹兵卒寿 牧羊
年忘れ星の銀座に迎へられ 牧羊
百歳に三つ足りない年忘 柏葉
婆達が笑ひ転げて年忘 都
おでん食むネオン映せる水たまり 都
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月9日
枡形句会
栗林圭魚選 特選句
息白したしなめながら子と歩して ゆう子
登校児見送る母の息白し 三無
石州の寒鰤ぎゆつと身の締まり 瑞枝
橋の灯の星より遠く息白し ゆう子
落葉掃き左右に溜めて客迎ふ 三無
残業を終へて夜更けの蕪汁 白陶
小流れを跳ねて小鷺の十二月 文英
畝の角みな崩したる霜柱 美枝子
大檸檬師走句会の賑々し 瑞枝
冬田みち小さき影はみち外れ 白陶
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月11日
武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
根回しに出歩いてゐるちやんちやんこ 昭女
煮凝りの目玉を二つ取り出しぬ ただし
一枚の暦にひそみゐる師走 雪
夫に無き月日を生きて木の葉髪 文子
巫女の髪奉書に束ね年用意 みす枝
野水仙天へ峙つ千枚田 靖子
冬ぬくし神の座れる石一つ ただし
一挙手が一投足が老師走 清女
水仙の崖降りて来る背負籠 昭子
焼藷の指楽しげに熱さうに みす枝
寒鯉も人も沈めば浮かぶとも 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月11日
なかみち句会
栗林圭魚選 特選句
番犬の尾と耳硬く冬の月 美貴
電飾の並木の途切れ冬の月 三無
星落ちてゆく島の夜に湯ざめせり 貴薫
後より足音せまる冬の月 あき子
ふとん屋の錆びたる看板冬の月 美貴
稜線の影くつきりと冬の月 せつこ
冬の月出でし港に汽笛の音 貴薫
杜深く出づるや冬の月煌々 聰
湯冷めとは髪の先より始まりぬ 貴薫
仰ぎ見る鉄塔の先冬の月 せつこ
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月12日
萩花鳥句会
枝折戸を押せばたまりし落葉鳴る 小勇
猫の眼の一の字になる日向ぼこ 祐子
抗すべて鵜が占領す冬の川 孝士
遠方の友も戻りて納句座 美恵子
銀杏の後生茶碗の蒸し地獄 健雄
これまでの私を忘れ日向ぼこ 吉之
そのうちに日向ぼこして読書して 陽子
かいつぶり思ひもよらぬ所より 晴子
楽器みなみがきあげられ冬休 圭三
忘年会いつもの顔の揃ひけり 克弘
平成29年12月15日
芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
時雨れるや喪中のハガキ手に重く 由紀子
冬晴れの光遍く田を渡り よみ子
雪雲とわかる早さで迫りくる 由紀子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月16日
伊藤柏翠俳句記念館
坊城俊樹選 特選句
雨静か故山の眠り深めゆく かづを
築城の哀史と語る虎落笛 かづを
冬帝の意のままとなる越路かな かづを
聖夜劇吾子は鈴振り台詞なし みす枝
背負籠の水仙刈女転げさう みす枝
聞き返し頷き合ひて日向ぼこ みす枝
夕時雨読めぬ扁額色失せて やす香
雲一つなくて始まる障子貼り ただし
幾度も引返し鳴る鰤起し 雪
知りつくす村の隅々木の葉髪 世詩明
田の中の蟬丸塚にどかと雪 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)
���成29年12月17日
風月句会
坊城俊樹選 特選句
縄文人よりの馳走と鬼胡桃 眞知子
丸窓に白き日のあり日短 炳子
焼藷をほほばる空の青さかな ます江
炉けむりに噎せ茅葺に畏まる 炳子
火の神へ捧げるやうに狩のもの 眞知子
胡桃割る石器のごときものをもて 眞知子
落葉しきり少女と踊る一輪車 久子
遺跡野の焚火や青き煙立て 圭魚
冬帝を背ナに負ひつつ火を起こす 眞知子
焼藷の湯気縄文の野に放ち 圭魚
(順不同 特選句のみ掲載)
栗林圭魚選 特選句
榾の火を整へ森番語部に 亜栄子
焼藷をほほばる空の青さかな ます江
いきり立つ榾の炎を見詰めをり 秋尚
冬薔薇日差重たく彩揺らす 亜栄子
川の字に並べし榾の良く燃えて 淸流
磨かれし明治のガラス隙間風 亜栄子
端正な鼻に皺寄せ榾火吹く 炳子
人の輪が焚火大きくしてゐたる 千種
少しづつ魂ほどく日向ぼこ 秋尚
湧水も涸れ鎮まれる森の中 貴薫
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月20日
福井花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
吉凶を占ふ如く狂ひ花 世詩明
大棉の消え村人の一人消ゆ 世詩明
年忘星の銀座に迎へられ 牧羊
三姉妹身の丈印す古暦 嘉子
埋火を炎となせる女かな 令子
饒舌が嚔一つで止みにけり 千代子
憂き事の無きと云ふ嘘年の暮 清女
枝川に黒影映し枯尾花 啓子
柱時計時をつげをり古暦 よしのり
水仙を挿せば野の香と潮の香と よしのり
鰭酒が待つてゐるてふ古き文 雪
綿虫の飛んで木曾塚芭蕉塚 雪
木枯や海の裏声表声 龍聲
冬帝の下に三川海へ出る 龍聲
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月21日
鯖江花鳥俳句会
考へる如く傾きゐるりんご 雪
棍棒にでもなりさうな山の芋 雪
家毀つ音極月の路地奥に 雪
解脱せし聖者の如し一枯木 越堂
海鳴りが山鳴りを呼ぶ寒さかな 越堂
灯台の白より白し野水仙 信子
雪吊の天辺風の絡まりぬ 信子
これよりは冬帝まかせ北国路 みす枝
本堂の刃の如き隙間風 みす枝
雪嶺に谺す音やたたき漁 みす枝
編みあげて被るあてなし冬帽子 紀代美
夜咄す爺在すかに囲炉裏端 一涓
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月21日
九州花鳥会
坊城俊樹選 特選句
クリスマスその足音に耳澄まし 朝子
聖夜餐ラストダンスの余韻なほ 美穂
聖堂の火影に揺るる冬薔薇 久美子
一人居に足音もなく聖夜来る 由紀子
竜の玉聖なる青き彩こぼす 阿佐美
聖樹とし大都会へと伐り出さる 光子
胎動のよろこび指にクリスマス 朝子
クリスマス記憶にいつも父の留守 久美子
聖夜劇星が跳んだり歌つたり 豊子
炉話の恋に及びて火の爆ぜる 孝子
花柊まなうらにある聖ガラシヤ 美穂
聖堂の屋根聳え立つ冬銀河 朝子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月24日
花鳥月例会
坊城俊樹選 特選句
軍馬像水を請ふやも冬ざれに ゆう子
雨すらも降るものとして聖夜待つ 小鳥
大前に煤逃の人畏みて 要
冬帝や濠の底なる根の眠り 慶月
十字架を残して雲の凍ててをり 眞知子
軍馬軍犬星凍つる夜を立てり 政江
冬帝に押し潰されて池昏し 梓渕
氷魚めきしものきらきらと冬ざるる 炳子
祈る手に葱の香や降誕祭 眞理子
(順不同 特選句のみ掲載)
栗林圭魚選 特選句
祈る手に葱の香や降誕祭 眞理子
巫女の風ささと過ぎゆく冬ざくら 順子
歳晩の影うすくして能舞台 て津子
日輪を雲に滲ませ枯蓮 斉
十字架を残して雲の凍ててをり 眞知子
大絵馬の白木すがしや春支度 和子
まんさくの冬芽まあるく刻を待つ 眞理子
極月のチャペルへ坂の岐れけり 順子
凍雲や重き扉の櫓門 秋尚
曇天へ紅く尖りて冬木の芽 芙佐子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月
県民会館花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
漣を褥に鴨の陣浮寝 越堂
赫々と九頭竜河口冬に入る 龍聲
亡き子の背記す柱や十三夜 雪
鴨番屋砲列を敷く遠眼鏡 越堂
菊師来るみちのく訛りなつかしき 雪
白山を序章としたる冬初め 龍聲
思ふ様に動けなくても十二月 清女
還らざる十一月の日を呼べり 龍聲
眉墨の深く刷くなり年用意 数幸
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年12月
花鳥さざれ会
坊城俊樹選 特選句
海は荒れ山は眠りに入りけり 越堂
漱石忌眩しからざる御堂の灯 匠
御製二首諳じてをり寒灯下 清女
女には女の老や近松忌 雪
弥陀様に観音様に年惜しむ 千代子
シベリヤの棒を咥へて雁渡る 天空
炎踏む如くに踏める櫨紅葉 雪
星空に投網せしごと大枯木 越堂
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月1日
立待花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
漁舟今宵は月の客を乗せ 越堂
振り返るときに穂先の風光る 越堂
天台の古刹の闇を木菟鳴ける 越堂
石榴皆弾け笑へど村貧し 世詩明
山粧ふ野仏飾る袈裟新た 輝一
(順不同 特選句のみ掲載)
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【京都催事帳 美山町かやぶきの里雪灯廊】
おはようございます 三双(さんそう)です いつもブログをご覧いただき ありがとうございます 地震や台風で 被災された世界中のみなさま 心よりお見舞い申しあげます。 今日は美山かやぶきの里「雪灯廊」をご案内します 京都・美山町のかやぶきの里で、毎年雪の多い時期に開催される「雪灯廊」。今回で13回目の開催となります。かやぶきの里の美しい雪景色と、雪、竹、かやぶき民家のライトアップが美しく幻想的な風景を作り出します。 日程 2017年1月28日(土)~2月4日(土) 時間 【灯籠の点灯時間】 17:00~20:00 場所 かやぶきの里 かやぶきの里 アクセス 期間中は駐車場が大変込み合うことが予想されます。ご来場いただく際はなるべく公共機関、京阪京都交通の直通バス、もしくは京都駅発・日帰りバスツアーをご利用ください。 ■公共の交通機関 JR山陰線「日吉」駅で下車→南丹市営バスにて美山町へ「北(かやぶきの里)」停留所下車 ■車の場合 ・京都縦貫自動車道「園部インターチェンジ」下車、府道19号線から美山町へ ・京都市内より国道162号線(周山街道)を北上し美山町へ 問い合わせ先 0771-77-0660(有限会社かやぶきの里) 公式Web http://www.yukitouro.jp/ 京都の奥深い山間にある美山町の茅葺き集落の夜間照明。 雪が残っていれば幻想的かもしれません。 ぜひお出かけください。 京都への旅の計画はこちらへ↓ <旅行会社PR> トリップアドバイザーは、旅行者が最高の旅行を計画し、予約できる世界最大の旅行サイトです。 トリップアドバイザーに寄せられた数千万件もの口コミ情報や写真をもとに、 あなたにぴったりの旅行を計画しましょう ! トリップアドバイザーは皆さんの素敵な旅のプランニングをお手伝いします! http://www.tripadvisor.jp/?m=28505 最後までお読みいただき ありがとうございます 三双(さんそう) 敏郎 [email protected]
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《日本再發現》遠離喧囂城市 來去鄉下住一晚!
近年因為日圓匯率走低、加上許多航空公司加入台日航線競爭, 台灣遊客哈日魂完全被點燃,光2015年台灣人在日的總住宿人數, 就突破了千萬人次,是所有赴日的外國遊客中的第2名。 除了熟知的東京和大阪,日本其實還有許多好去處,怎麼玩都玩不玩。
台灣向來喜歡前往日本旅遊,航程短、運輸交通便利、治安好、 有意思的傳統文化與溫泉鄉,加上超多可買的百貨和藥妝, 讓人隨時都想前往一趟滿足旅遊慾望。
初次造訪,大家多會選擇東京和大阪,而 隨著都會區遊客的日益增加,旅遊線開始轉往人少且風景優美的鄉野, 體驗深度的東瀛魅力。
▲實際住在日本鄉野,才能深刻體會到日本大地的四季更迭之美。 (圖片提供/宮城縣)
日本台灣交流協會台灣事務所觀光交流組組長中杉元表示, 要體驗深刻的日本傳統文化和日常, 最好的方式就是住在日本的郊區或參加一場日式祭典活動, 就能感受有別以往認知的日本魅力。
▲和果子製作體驗相當有趣,經過自己動手做想必一定更印象深刻。 (圖片提供/日本觀光局)
中部地方的昇龍道,是今年很推薦給台灣遊客前往體驗的旅遊線。 這一條猶如一條龍往上爬的區域,由名古屋開始, 集結了下呂溫泉、高山飛驒、富山、合掌村、和金澤,最北連結至能登半島。 一路有溫泉氤氳、山區美景、金澤小京都的文化、 合掌村的傳統茅屋聚落之美和千年歷史和倉溫泉鄉, 既豐富又多元。而名古屋在今年4月樂高主題樂園全新開幕, 更是親子遊的好去處。
▲中部地方的傳統文化也非常豐富,其中高山祭有著日本最華麗的祭典之一的美稱。(圖片提供/日本觀光局)
另一個值得前往的景點是東北的仙台。隨著台日航班加開, 仙台目前非常容易前往,若是從東京出發,新幹線也能快速抵達。 因為東北地區廣大,最好規劃5天以上遊程,由松島、往平泉、花卷, 再延伸至青森的十和田,接著沿著海線經過氣仙沼, 和世界三大魚場的三陸海岸一路回到仙台。
▲東北地區的海岸景觀壯麗唯美,是許多人心目中的旅遊夢幻路線。 (圖片提供/日本觀光局)
這一條路線沿途優美山色讓人沉醉,豐富海產讓老饕大呼過癮, 舒適溫泉鄉也洗去疲憊;而這裡部分地區是311海嘯侵襲區域, 許多台灣學生都到此學習震災知識和震後復興, 也是一處知性又感性的學習場域。
▲海天一線的美妙泡湯滋味,在南三陸周遭一帶就可以享受得到。 (圖片提供/南三陸飯店觀洋 )
隨著國人對日本的日益熟悉, 也可以朝向較長期的民宿住宿(Homestay)方式進行,體驗在地人的日常。 奈良飛鳥地區是成熟的Homestay區域,多半有夫妻經營招待, 組成聯盟一起迎接遊客到來;住在民家或許有些許不方便, 卻是最實際的生活體驗。京都美山町區域也盛行這樣的旅遊方式, 在美麗屋舍的傳統農家裡體驗住在鄉野的滋味,更加深與在地人的互動情感。
▲京都周遭的美山町區域的茅葺之里(かやぶきの里),被喻為是京都版合掌村,傳統民家住宿非常受歡迎。 (圖片提供/日本觀光局)
深度旅遊不只是眼睛看,更要動手做和用心體會, 日本節慶和文化體驗都非常豐富,值得前往一探。 夏天不能錯過的就是各地的花火夏季祭典, 坐在河畔吃著屋台小吃邊喝啤酒看煙火,是最迷人的夏天生活型態, 一定要來體驗看看。
▲夏天時全日本由北至南各地幾乎都有花火節, 東京花火也讓清空塔旁的夜空更加迷人了。(圖片提供/日本觀光局)
詳情可上日本觀光局日本旅遊活動網站:http://visit-japan.jp/。
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雪景色の中、柔らかな雪灯篭が灯す懐古的な山村風景|“行きたい”イベントがきっと見つかるイベントキュレーションサイトT3V
京都府南丹市美山町北のかやぶきの里で、雪景色に包まれた茅葺き民家群がライトアップされる。美山かやぶきの里は、段丘状に38棟の茅葺き民家が立ち並ぶ景勝地。周囲の水田と山林を含む127.5へクタールが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、里内には民家を活用した資料館や食事処なども点在する。四季折々の景観が楽しめる中でも冬場の雪景色は圧巻。懐古的な山村風景を雪が柔らかく包む景観は、思わず息を飲み、見る者の心に静寂をもたらす。雪灯籠500基、竹灯籠100基、花灯籠150基、LED灯籠200基、合計で約900基以上…
このイベントを詳しく見る
出典:[T3V]TokiTechTV
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【關西。遊記】美山茅葺之里(かやぶきの里)
日本的白川鄉就聽得多了,但原來京都美山也有著一樣美麗的風景。這次的關西旅行安排了到京都的美山茅葺之里(かやぶきの里) 一趟!美山町北村、歧阜白川鄉、福島大內宿被稱為「日本三大茅葺屋根集落」,日本國內只有這三個地方保留著這些茅屋的特色。
我沒有去過白川鄉,但得悉現在成為了旅遊熱點。面對著太多的遊客,實在有點怕怕。相比之下,美山町北村的情況沒有像白川鄉般的誇張,暫時還留存著一點小村落的寧靜和舒適。
我們的路線是大阪->天橋立->伊根町->美山->京都,不過從京都出發到美山的車程(自駕遊)大概是1.5小時,算是可以接受的。在網路上看到乘搭交通工具也是大概2小時的車程,距離京都也不算太遠。
來到美山,先看一下地圖。他們的地圖也是手繪的卡通圖案。
這天只遇到一團遊客,所以遊覽美山時相當舒服,就像去到郊區外似的。
綠油油的樹林在茅屋的後面,美山北村的風景就如畫一樣的美麗、平靜。
復古的紅色郵筒是每個人都會拍照的東西,至於原因,我就不太知道了。
在村口路有個無人蔬菜販賣處,不過當日這個販賣處是空空的,相信是賣光了!我很喜歡這種文化,在自助形式的販賣看到對彼此的信任。
茅屋屋頂是長這樣的。在村落入面的有很多特色小店、咖啡店及民俗文化館,可以到處參觀一下。
美山民俗資料館是要付費進場的,不過家人對這些歷史的興趣不大,所以我們沒有特意進內參觀了。
藍美術館是展覽很多藍染布手作、工藝品的地方。
我們在村落前的麵店吃午餐,這個炎熱的天氣吃點涼的蕎麥麵。
在路口的飲料售賣機有美山出產的牛奶和咖啡。
就這樣完成了我們美山茅葺之里的觀光行程~
補充資料:
除了自駕遊之外,有朋友介紹美山周遊巴士的一天遊,也節省了不少交通時間。又可以遊美山,又不用花費精神駕駛! 詳情: http://www.keihankyotokotsu.jp/info/sonobemiyama/china.html
Facebook: https://www.facebook.com/nikkixlife Instagram: https://instagram.com/nikkixlife Blog: www.nikkixlife.com
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Nikkixlife 由2014年開始寫Blog,由介紹美食起步,展開我寫Blog的生涯,漸漸想試寫不同類式的東西,於是什麼都寫一餐。享受寫作的樂趣,也喜愛用文字把所看所想所感分享給大家。
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