#縦長ぴあす
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elle-p · 5 months ago
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All voice actor comments from the P3 Movies blu-ray
石田 彰 (結城理 役)
「ペルソナ3」が劇場版になって主人公に結城理という名前がついたことで、自分の中で主人公というキャラクターがより具体性を増してきました。
劇場公開当時、各地で舞台挨拶をさせていただいたときにも「今回、ようやく結城理という名前がつきました」という発言はしたのですが、会場に詰め掛けて下さったゲーム版からのファンの皆さんには、今一つピンと来ていないようでした。ここら辺はプレイヤーキャラクターであることの限界かと思っています。
他のキャラクターについては、皆さんおなじみのあのキャラクターが、スクリーン上を縦横無尽に駆け回り、見覚えのあるあのシーン、このシーンが繰り広げられることで「待ってました!」「これが見たかったんだよ~」というある種の達成感というか満足感があるのでしょう。
だから、主人公というキャラクターに対して、やっと結城理という肉付けができたという満足感が得られるのは、主人公を演じ続けてきた僕の特権といえるでしょう。今回、パッケージに結城理とクレジットされていることに日本で一番喜んでいるのが僕です。
豊口めぐみ (岳羽ゆかり 役)
完成した劇場版アニメを見て、まるで誰かがプレイしているゲームを見ているかのような気分になりました。それくらい原作ゲームを大事にされているなぁと思ったのです。
ゆかりの声を初めて収録した日、ゲーム冒頭のチュートリアルシーンもあったかと思いますが、なんだかとにかく凄い量のセリフを、プレイヤーさんにご理解いただけるようにするのに格闘した記憶があります。
あれから数年の時を経ての劇場化。
今回は時間との闘いでした。
年齢との (笑) ということもありますけど、単純に数年前に戻るだけではなく、関係性も0へ戻す。今は知ってしまっていることを、いかに知らないように演じるか。
しかし、ペルソナ3のメンバーは凄いです。
みんなの声を聞いて、あっという間に昔に戻った気がしました。またこの方たちと物語を紡げること、本当に嬉しく思います。
初めて見る方も、ゲームをプレイしてくださった方にも楽しんでいただける作品になっております! いろんなとこにニヤリなものが散りばめられているようです。
劇場で見つけられなかったもの、見つけてみてくださいね。
鳥海浩輔 (伊織順平 役)
祝・劇場版・アニメ化! このお話を最初に聞いた時は本当にうれしかったですね。ゲームの収録からは、もう片手じゃ足りない年月がたっていましたし、ドラマCDやゲームの続編なんかは収録してましたけど、アニメ化はもうP4がやっちゃってたし (笑)。流石にないだろと思っていた、いや、そんな事も思わなくなっていた時に、ですから。この作品は個人的に非常に思い入れのある作品です。もちろん伊織順平というキャラクターも。そんな作品がアニメ化、しかも劇場版ということですからね。「やっちゃうよー俺!」ってなカンジで収録前からワクワクしてました、珍しく。実際の収録も皆さんが一言セリフを言う度に、「ああ、そうそう」みたいな。
なんかとても楽しかったなあ。うれしい事に、劇場版も一本で終わりではないので、観てくださる方達にもたっぷり楽しんで頂けるのではと思います。我々も力一杯演じていきます! まずは、この第1章を堪能して下さいませ。
能登麻美子 (山岸風花 役)
元々ペルソナの世界観にとても魅力を感じていました。ストーリー、映像、作品全体に漂う雰囲気、作品を包む空気感。ありそうでない。ペルソナという作品だけが持つ独特の “何か”⋯。うまく言葉では表現出来ませんが、人を惹きつける力を強く持っている作品だと思いました。
そして、それらの全ては劇場版でも素晴らしい形で表現されていて、初めて映像を見た時、心がとても震えたのを今でも強く覚えています。キャラクターを再び演じることが出来たのも大きな喜びでした。ゲームと同じように、この劇場版も皆様に永く愛されることを願っています。
田中理恵 (桐条美鶴 役)
第3章の公開を目前に控え、第2章のパッケージが発売ですね。勿論、第1章も劇場で見て Blu-ray/DVDでも何度も見ましたが今回の第2章はなんと言っても美鶴のペルソナ召喚ですね。
劇場でも見て、ゲームでプレイして美鶴のペルソナ召喚の時以来の感動でした。第3章の劇場公開を見に行く前にぜひ! また第1章 第2章を何度も見て貰えたらなと思っています。
学園生活をまた主人公と共にもう一度 「ペルソナ3」の世界でやり直す気持ちで演じています。アルカナ・女帝に負けじと今後も第3章でも頑張って参ります。
劇場で見られずに今回から初めて見られるかたも、劇場で見てくださってもう1度、何度も見てくださるかたに感謝の気持ちと今後とも「ペルソナ3」をよろしく! という気持ちと、愛を込めて⋯!
緑川 光 (真田明彦 役)
Blu-ray/DVDお買い上げありがとうございます。
やはり、ゲームから引き続き応援して下さってる方が多いのでしょうか? 長い事この作品を愛して下さって本当にありがとうございます。
正直、「ペルソナ3」 のアニメ化は諦めていたのですが、まさかの劇場映画化と言うことで、めちゃめちゃ驚きましたよ (笑)。
テレビアニメ化だとクオリティが微妙な場合もありますが、劇場アニメなら高水準のクオリティは約束された���同然ですからね (笑)。
しかも、毎回監督さんが変わるシステムという事で、その都度、見せ方が異なっているのは、とても面白く感じます♪
この辺は劇場で1回見ただけじゃわからないでしょうから、シリーズ通して、Blu-ray/DVDで繰り返し何度も見て頂けると幸いです (^-^)
緒方恵美 (天田乾 役)
「ペルソナ3」 劇場アニメ化を喜びつつ、第1章は映画館でお客さんとして観ていたので、やっと来たか! と嬉しかったです (笑)。
映画の天田はゲームより素直に描かれていて⋯だからこそテストでは逆にスルッと演れてしまったんですが、そんな自分自身にココロのどこかに潜んでいた「天田のカケラ」が違和感を唱え (笑)。
監督や音響監督と相談し、少しだけゲームの雰囲気に近づけることになりました。結果、素直だけどちょっぴり大人びた、思慮深さのある少年になれた気がします。魅力的な原作の中から、時間の関係でエピソードを絞られてしまったのは残念ですが (スタッフの皆様も苦渋の決断かと⋯!)、その中でも必要な静寂や、逆にたたみかけるような部分、更にコミカル・シリアスも絶妙なバランスで配置されていて、変な言い方ですが本当に「映画的」な、素晴らしい作品に。
田口監督以下、皆様のお力で⋯参加させて頂けたことを本当に嬉しく思います。
連作の途中ではありますが、渾身の1本。愉しんで頂けたら幸いです。
中井和哉 (荒垣真次郎 役)
荒垣君とはゲームの収録で出会いました。よもやこんな長い付き合いになるとは思わずに。もちろんそこでも彼は物語の半ばで散っていく訳ですが、別に寂しさはありませんでした。
なにぶんその日に出会って、別れたものですが1回限りのキャラクターとの関係って大体そんなものです。
ところがその後、私は数々のドラマCDで再び彼と出会い、彼の色々な面を知ることになります。今にして思うとそれはまさに劇場版「ペルソナ3」第2章、夏休みのワチャワチャとした雰囲気に似て、多少羽目を外しても許される空間。こういう企画に多くはゲーム本編のムードから外れたお遊びで、楽しくはあっても意味などないのが常なんですが、私と彼にとっては重要な時期になったようです。
やがて絶対に訪れる別れをどこかで意識しつつも、楽しい日々を過ごしていました。
そして時は流れ、ブランクがあって。彼を心の奥にしまっていたところへの劇場版。そのシビアな舞台で決定的な別れを経験した今、私は今度こそ、心底寂しいと思っています。
神奈延年 (タカヤ 役)
「タカヤ」というキャラクターに出会って、もう何年たったのか? 基本は悪役なのでしょうが、彼の生き方は大まかなところでなぜか共感できるところもあるのです。この物語��「終わり」に対しての向き合い方、全てを受け入れ、今を生きる。しかし⋯その生き方に、光ある明日を見出していないところが、この物語での彼の役割たる所以でしょうね。僕はやっぱりこの状況なら、理たちのように抗うとおもいます! タカヤを演じる上に於いて、気をつけたところは、彼の風貌を損なわないように、柔らかく話すようにし、その中に刹那的な思考、そこから生ずる恐ろしさも混ぜてみました。
沢城みゆき (エリザベス / チドリ 役)
この「ペルソナ3」という作品では、私はエリザベスとチドリという二役を演じさせていただいてきました。前者は「発言されているわけではありませんが)いわゆる “永遠の命”、後者は “刹那の時を生きた命”、という対照的な印象があります。この第3章は正にチドリの命の花がパッと咲いた大切な映画となりました。⋯彼女がむかえたエンディングを思うと、散った、と言うべきかもしれませんが側にいた私には不思議と、美しくきらきらとした温かい花を抱いたままの体感が残っています。皆様にも優しく見届けていただけたら幸いです。⋯さて、第4章ではエリザベスさんの⋯いつもとは少し違った? 面が見られるかも?? お楽しみに!
小野坂昌也 (ジン 役)
ジンはおわかり頂けるように大阪弁のキャラクターなのですが、他作品などで演じさせて頂く大阪弁のキャラクターは、だいたいツッコミ役だったりおちゃらけているパターンが多いので、そういった意味で言うと、ジンはなんとなく大人しいキャラクターで珍しいな、と思いました。ただ、大人しいとは言えキャラクター性を出さなければいけないので、性格を作りつつ、他のキャラクターとのバランスをとるのが難しかったです。特にジンは無口というか、あまり話さないキャラクターなので性格が掴みづらかったというのもありました。ゲーム収録時は基本的にキャラクター作りは任されていて自分主導でキャラを作っていけるのですが、アニメとなると全員のポジションとのつり合いをとらなければいけないので、音響監督と微修正を重ねていったのを覚えています。
石田 彰 (結城 理 役)
劇場版「ペルソナ3」にまつわる妄想
結城理にとって劇場版「ペルソナ3」の全4章はデスを���の身に封印され、心が虚ろになってしまった彼が、特別課外活動部の仲間達とのふれあいを経て、その中身を満たし直していくまで の過程をたどる物語でした。
理の記憶の甦りという物語構成の妙として、時間軸とそれが公開されるタイミングがズラされていたりしたので、ゲーム版に触れたことがない観客の皆さんは初登場時の理の立ち位置に一種の不気味さを感じたのではないかと思います。そのうえ各章で起こる事件は、���えばゆかりの父親に対する誤解や順平とチドリの一件、荒垣先輩と天田くんの関係など暗くて重いものが多い印象です。しかしそういった明るくてハッピーなものばかりではない、人が内側に抱え込んでいる傷の部分をきちんと描いたからこそ、彼らに出会ってそれを見つめることになる理も、章が進むにつれて、本来、人として持っているべき大切なものを、欠けることなく獲得していけたのだと思います。
劇場版 「ペルソナ3」の全4章が観客の皆さんに受け入れて頂けたのも、ゲームで体験したストーリーを映像で見てみたいという興味の他に、そんな理の見る景色に影響され同調することで、その先の展開が気になったからという部分もあったのではないでしょうか。このように人の心を構成する様々な経験の起伏を描いた劇場版「ペルソナ3」ですが、そもそもペルソナという単語は僕の理解では心理学周辺で出てくるものですよね。
一番初めのゲーム収録でこのタイトルと内容を知ったときに、バトルをするための自分の化身をペルソナと呼ぶなんて、何でシャ レてるんだと思ったものでした。人が対外的に自分を表すためにかぶる仮面。それが敵、自分に向かってくるモノと戦うための武器になる。これは日常のコミュニケーションそのものに見えます。だから、そういうペルソナを本来の意味を考えると、理だけが一つのペルソナの進化という形ではなく、初めから複数のベルソナを使い分けられるというところにも自分なりに納得のいく理屈をつけることができそうです。心の中が空っぽの理には端から対外的にどう見られたいという願望がありません。そんなことは彼にとってはそれこそ「どうでもいい」ことであって、どう見られても構わないからこそ、かぶる仮面を一つに限定する理由がないのです。どうでしょう。自分としてはこの理由付けの仕方、なかなか気に入っています。理が空の器であったと捉えることで、映画の登場人物として物語を展開させていく大きな必然性を持たせることにもなるのです。結城 理の物語はゲームの枠にとどまらず、映画化という展開にも充分耐えうるポテンシャルを持っていた、だから映画化されるのは必然だったというのはちょっと暴走し過ぎでしょうか。暴走ついでに、第4章『Winter of Rebirth』のクライマックスシーン。これまでの経験を経て、一度無くした人間性を取り戻し、中身を満たすことができた理は、かつて母親が自分にしてくれたように、仲間を生かすために自分の命を投げ出すという境地にまで達します。そこには第1章『Spring of Birth』の頃の己の死の恐怖に対するどうでもよさから来る蛮勇はありません。自分たちが存在した証を守り残すという全員の目標を果たすために、理は自分を満たしてくれた、自分を再構成するためのエレメンツをくれた仲間���彼らが生きていく世界を、今度は自分���数おうとしました。そしてそれが自己犠牲的発想に基づく行動だったのは皆さんも感じられた通りです。そのために数多くのペルソナという仮面をかぶることができる理が、ことごとくそのペルソナを打ち砕かれ、最後はその仮面をかぶらずに先へ進む。これはなかなか象徴的なシーンだとは思いませんか。
「生きろ」と自分に伝えてくれた母親と同じ言葉を仲間に託していく。母親が我が子を思う母性愛が、究極、無上のものであるならば、仲間たちとの間にその無償の愛情を注げるまでの絆を楽いた理の内面は、完全に人間としての形を取り戻したと言えるでしょう。それに加えて、ペルソナという仮面をかぶらない形でしか最後のステージに上がれないという仕掛けが用意されているわけです。これはニュクスという究極の敵、環境、世間に立ち向かえる力を宿す場所はその人の本質的な部分にしかない、虚飾の仮面を被った姿では無理なんだというメッセージにも見えるわけです。また、敵を倒すときにはペルソナという仮面をまとい、大切な人を守るときには自分の素の姿をさらけ出すことが必要だったという構図も暗示釣です。自分なんかはとてもじゃないけれど素の自分をさらけ出したところで強さに結びつくとは到意思えないと言いたいところですが、一度リセットされ、新たに経験を積み直した理は、人より先に一つ上のステージ、命の答えに到達しているのです。もはや凡人ではありません。フィクションとはいえ、影時間でシャドウと戦う使命を与えられたのが理達で良かったとつくづく思います。もしも僕だったとしたら、命の答えにたどり着くのはまだまだ先のことでしょうから、世界は予定通り1月31日に終わっていたでしょうし、そうなったらこの妄想が世に出ることもなかったでしょう。そう考えるとそれもアリだったかもしれませんけどね。
坂本真綾 (アイギス 役)
アイギスというキャラクターに出会ったのは、もう10年も前のこと。まさかこんなに長い年月を一緒に過ごすことになるとは、当初は思っていませんでした。多くのペルソナファンの皆さんに愛されて、このたび映画という形でもう一度みなさんに再会することができました。大きなスクリーンでアイギスや、大好きなキャラクターたちが活き活きと動きまわる姿を見ることができ、とても嬉しかったです。彼らが絆を築き上げていく過程、真正面からお互いにぶつかっていこうとする姿勢に何度も胸打たれました。
アフレコの度に感じたことですが、この作品に関わっているスタッフさんや、キャストの皆さん、本当に作品への愛情が深くて、とても喜びに満ちた表情で収録に臨んでいらっしゃいました。その雰囲気は、完成したフィルムにもきっと滲み出ているのではないかと思います。
ついに完結となり、寂しさもありますが、達成感のほうが大きいです。アイギスと出会えたことに改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
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chaukachawan · 13 days ago
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ゲシュタルト崩壊
(ビアゲのみなさん、最後まで読んでいただけるとラムダくんが報われます。)
どーも、お米が炊きあがるのをニコニコで待っている、米よりパン、パンより麺派なラムダです。
とりあえず稽古日誌としての役割でもはたさうかな。
・発声
・だるまさんがころんだ(魔改造edition)
・ポーズ引き継ぎエチュード(正式名称なんでしたっけ)
・動き付け、読み、シーン練などなど
あかん楽しいです。毎日稽古って言われても余裕でイケマスネ。今日の発見は、なんかなつめエチュード上手くね?と、ハゼと僕がエチュードで共演しちゃうと漫才になっちゃうことです。ふざけるのも程々にせいーって感じですね、自分。
さ、こっから僕の自由お話タイムですよね?
小噺1
最近脚本を読みながら自分以外の役も自分がやったらどうすっかなーなんて考えてニヤニヤするのが趣味なんですけど。(自分の役に集中しろよとか言わないでおじさん傷ついちゃう)
気づいたことがありまして、僕って僕すぎるんですね。色んな人にも言われるし僕も思います。動きも読み方も。なんかどうしてもコントみたいというか大袈裟になっちゃう。ほんでな!?なんでかなーって考えたんです。
ひとつの仮説が浮上しました。
僕の表現のインプットが昔から漫才だのコントだの新喜劇だのお笑い方向に偏りすぎだからではないかと!これみなさんもないですかね!?映画好きな人とか!
この今の状態は多分演劇から見るとあまりよろしくない、気がする、知らんけど。はーいがんばりまあす。
小噺2
これは秋公の時に稽古日誌回ってきたら書こうおもてあっためててんけどな、まわってこんかってん。だからひえ切る前に世にはなっとこうと思って。
脚本書ける人ってエグいっすね。
もっかい言っとこ。
えぐううううううい(白子さん風)
たった今炊き上がった米よりエグい。僕は秋、ヒーヒーフーフー言いながら漫才書きました。文字数なんと2000文字、!
とっても宿儺(すくな)い。通った通ってないとか、未完がどうだとかまっっったく関係ない。あなたたちみんな大天才だと僕は思います。自分の作った世界を何万文字とかいうレベルまで広げて深みを持たせて。体験げいこみたいな感じで残念ながらできなかった脚本をショートバージョンでやるとかやってみたいですよね。書いた方の気持ちがわからないのでめちゃくちゃムカつく提案してたら本当にごめんなさい。
でもほんとに面白い脚本を、全力を出させてくれる脚本を皆様ありがとうございます。謝謝。コップンカップ。テリマカシ。メルシーボークー。
トンカツショットガン。
もうええわ、どーもあざした。
と、思ってたんですけど。ビアゲの方に色々書くやつやってないわ。明日全休の男を舐めるな。かくでえっ!(ここまで読んでくれてる人なんかいるんやろか)
•東愛莉
しゃうじき、しゃうじきよ!?秋公で1番びっくりさせられました。あずのすごさを見せつけられました。あの元気なあずが1日目2日目とビアゲ後に気が抜けた顔でらいらと話してる姿が印象的でした。ホントにだしきってるんだなと。人間の成長ってこういうことかあってなりました。表情、読み方、脚本解釈力、見習うとこしかないわ。
・大良ルナ
うーんなんか僕の中でずっと天才なんですよね。もちろん沢山努力してるのは百も承知なんですけど。楽ステの優が嘘をついて、「喜ばせようとした!?」的なセリフのシーン、あそこをオペ席で見て、自分なんて足元に及ばねえじゃねえかと笑っちゃったのを覚えてます。声色とかももちろんだしなんかオーラ全体がぎゅるんって変わってた気がします。ほんっとにすごい。
・児
色々持ってる人。世界を持ってる人。ただただかっけえ人。オムニも秋公もそこまでご一緒できた訳では無いんですが、箱でチョロっとお話できたりしたあの時間を僕はずっと宝物として残りのちゃうかライフを生きていきます。
・うみつき
あ、この子ってこんなに優しくて人の事を考えて自分を持ってるんだ!と秋公期間を経て思いました。演技が上手いのも面白いのももちろん知ってました。けどその下にえげつない優しさで人のことをよく見てるスミもいます。暖かい人です。柳もカヲルくんでありブルゾンだったのがあそこまで完成されるとは、流石でございます。
・統括のフォーニャー
楽屋で色んな人と楽しそうに話してらっしゃったのが印象的です。さすが統括。統べるもののコミュ力ですね。ネキと言われてる意味がよくわかった気がします。ほんとにみんなからしたわれるネキって感じでした。看護師は、もう、言うまでもなく。まりおさんが楽屋で「フォニャやっぱうめえ��って呟いてたのをこっそりお伝えしときます。
•緒田舞里
1番34期で関われた人だと思います。でもそれは僕がって言うよりみんな結構そうな気がします。まりおさんの優しい人柄と面倒見の良さを考えたらそりゃそうです。人生で出会った中でも3本の指に入るぐらいにいい先輩。偉大も偉大です。お勤め先のバーに36期20歳勢を引き連れて近々殴り込みに行きます。1杯奢ってくださいお願いします。お母さん役凄かったです。冗談抜きでオペ席で半泣きでした。まりおさんの役の向き合い方のえげつなさをガッツリ感じました。さすがっす、大先輩。
・白
君と箕面にデートに行けたことで僕は森々仙入となり、長いこと離れてしまったちゃうかでもやって行けるかもしれないと思い、ちゃうかパーカーを発注出来ました。あの滝と共に撮ったBeRealはまだお気に入り登録されています。ほんとに才能に溢れていると思います。常人にはできないレベルでの脚本解釈力とそれの言語化の能力。ちょっと分けろや、なあ。またそば食べようね。
•垅麦
栞に書いたから許して。eラやろうか。
•岡崎仁美
ぴーひょろろろろろ、ばっさあああ。いやあんだけ好きって言うからですよ。あのボケ実はまあまあ恥ずかしいプラスウケないと結構メンタルくるのでカヌレさんは絶対笑ってると心に留めて毎回やらせていただいてました。エンドロでカヌレさんにダメを出していただいてる時に1番演劇やってる感じがしたのを覚えてます。すごい的確でクセとかも見抜いてくださって、すーごくたのしかったです。カヌレさん演出の元で稽古してみたかったです。寧々、良かったですねえ。カヌレさんのガッツリ演技が最後に見れて良かったです。
・雨々単元気
てーーにいいいい!君とはもっと仲良くなれそうな匂いがぷんぷんするんだよねえ。とりあえず役の好みは似てそう。パワー役共演を夢見る20歳男性です。コントだっていい。君とぶちかましてえ。オラオラしてえ。劇中劇と劇団員。うんほぼ2役やね。ちゃーんと演じ分けれてたし、まとってる雰囲気まで違ってた。ちゃんと上手い!その上で面白い、スタープラチナかよ。あ、最強ってことです。
・舞原の搾り滓
最後にまほろさんの大隅がみれて良かったです。どこで手に入れるんでしょうあの声の感じは。すごくしっかりしてて、聞き取りやすい。外公に出れなかった身としてはやっぱり真面目な役を丁寧にこなすまほろさんはなんだか新鮮で、でもすごくしっくり来ました。さすがです。
・じゃがりーた3世
あのオトンもう見れないんですか!?僕はもうレプトンさんがカミ段上げであぐらかくのを毎回ワクワクして待ってました。キタキタキタって感じです。あのwiki雑学が聞けないのも残念です。また���の前でもどこでも1時間ぐらいお話したいですね。
・オーム
ダメ書かなきゃと思ってビアゲ見ながら色々書いて、ふと自分のスマホを見るとオームすごい!ばっかり書いてたのが僕個人的に印象に残っていることです。めちゃくちゃできるやん(なんで上から目線やねん)てにと二人でマイムするとことかほんとに見習わねばって感じでした。こんさんとこりさんと3人で稽古してたのもすごく覚えてます。食らいつく姿勢というか。ほんとに努力の賜物です。スゴすぎる。キミ、しれっと20歳なってる?もしかして。はい、うちの家にご招待です。
・テキストを入力
まずはビアゲ関係ないですが、最強の映像をつくってくださってありがとうございます。お世辞でもなんでもなくカッコよすぎ。まじすげえっす。役者ももう3回目ですか!?僕も役者人生通算3回なので同じですね。エピさんはほんとに色んな人のことをしっかり見てるなって。あとコミュ力普通に高いなって思います。あんなにほそいのにめちゃくちゃ頼りがいがあります。もっとご飯とか食べに行きたいです。甲子園もまた行きたいです。あと過去問残しといてください。
・縦縞コリー
全く同じ日数生きてきたとは思えないぐらいしっかりしてます。34,35期の人達からは色々言われてる時もありますけど、役者としてももちろんですし、会計、衣装色々任されてるのってコリさんがコリさんだからだと思います。あとやっぱり優しい。カラオケでめちゃくちゃにチルってる後輩集団を白子さんと笑わせようとしてくださったのめちゃくちゃ残ってます。優しすぎないか、、!?ってなりました。こりさん、熊吉は阪神ファンです、甲子園、行きましょう。
・アリリ・オルタネイト
イルルさんも栞に思いの丈はぶつけさせて頂きました、とりあえず一言でまとめるなら大・尊・敬
・叶イブ
あなたも僕の精神安定剤でした。ラムダおもろいなあ、すごいなあに実はしっかりとガッツリと救われておりますわたくし。ほんとにありがとう。1ステで漫才で出ていった時も最初にふぃあが客席に座ってるの見えてよし、なんか行ける気がする、と勇気をもらいました。あざます。子供役は、うん、しっくりって感じ。ピタッとハマってる。でもそれはたまたまじゃ絶対ないと思います。努力ゆえかなと。すごい。コント一緒に出たいわね。ワクワク
・エリックさん
正しい芸名を調べるほど僕はできた人間じゃなかったようです。映像オペやって良かったことは?と聞かれたらスチルさんとの純愛だよと、エリックさんとお話できたことかなと思います。ほんとに優しくて4回Enterキーを押すだけなのにめっちゃくちゃに褒めてくれて。マジで僕は単純な人間なので大好きですもう。責任感も強くて演技も上手くてもっともっともっとお話したいです。舞台上でもいつか。がっころでエリックさんの変顔に合わせて音響入れるあの気持ちよさ、まだ���れられません。
・るいさん
こんにちは、タイミーの人です。るいさんともお話出来て良かった。挟み込みに感謝ですね。なんかおもろい話ない?と振られた時はすごいな!?ってなりましたけどほんとに話してて安心する先輩って感じですーごくおちつきます。またゆっくりお話したいですね、稽古にも来てくださっていいんですよ???笑
・アネモネ
役者やんもう。あなたの窓からの顔まじで怖いんだから。ほんとに面白いですアネモネは。36期の色んな人が天才やんって言ってるのをよく聞きます。もっともーっとアネモネを掘り下げていきたい。君からもまだまだおもしろの匂いがぷんぷんする。新人見とけよ、いっぱい話しちゃうんだからな。
・はぜ
やっぱ最後はあんたでしょーよ。相方であり相棒だと勝手に思ってます。ほんとにさ。エンドロまでは同じラインにいたと思ってたのによ人がタイで熱帯魚と戯れてる間に映像の神になり脚本まで書いちゃって。ホントすごいよ、すごい。色んな人にすごいと思っちゃうし言っちゃうんだけど、僕目線いちばんこの人頑張ってたな、自分には出来ないなって思ったのは間違いなく君です。色々あったし間違いなくしんどいことも多かっただろうに、ご飯も一緒に食べてくれて、漫才の稽古も付き合ってくれて、感謝だらけです。寛大って言葉が似合うね。そして優しいやつです君も。みんなそれを感じてるからこそはぜはぜ言ってよっていくんだと思います。みんなのことをすっごく考えてくれるしそのために自分をなげうてちゃう人。だからこそ色々溜まってくだろうし少しでもその毒抜きが出来たらなとずっと思ってた秋公期間でした。ほんっっっとによく頑張った。やりきったあなたが一番カッコイイわよ。さ、来年も多崎で漫才すっかあ!
あーあ、短く簡潔には僕には無理みたいです。今度こそ、もうええわ、あざしたあ。
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monthly-ambigram · 3 months ago
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2024-9月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「くりかえし」です◆
今月は参加者の皆様に「くりかえし」のお題でアンビグラムを制作していただいております。今月もバリエーション豊富なアンビグラムが集まっておりますので、ごゆるりとご鑑賞ください。
今号も失礼ながら簡易的なコメントとさせていただいております。皆様のコメントがいただけますと幸いです。
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「人間関係RESET症候群」 鏡像型:かさかささぎ氏
何度も繰り返し人間関係をリセットするような行動・心理状態のこと。 長い言葉をうまく配置して対称形に落とし込んでいますね。「RESET」部分が難しいと思いますが矢印を含んだ図案的な解決方法がステキです。
 
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「別れの幸せは誰のものでもない」 回転型:結七氏
谷川俊太郎「くりかえす」の一節。 ドット表現が可読性を高める良い効果を出していそうです。行頭に可読性のアクセントがあると解読しやすくなりますね。
 
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「この広告ばかりだ」 回転型:T.A.氏
ターゲッティング広告の仕組みにより同じ広告が繰り返し表示される事はよくありますね。 殴り書きのような書体のおかげで読みやすくなっているようです。文字送り方向の工夫も申し分ないですね。
 
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「同じ過ち」 図地反転型:ヨウヘイ氏
繰り返すものの代表格。 塗りつぶしても問題なところをうまく処理すると「同/過」がぴったり図地反転の関係になることに驚きです。
 
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「4サイクルエンジン」 図地反転回転型: いとうさとし氏
吸入・圧縮・爆発・排気の4工程を繰り返す内燃機関。 濃度が滑らかに変化しているように見えるデザインのせいか図地反転の切り替わりが見えにくく、アンビグラムと分かりにくいですね。
 
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「RECYCLING/りさいくりんぐ」 振動型:kawahar氏
資源を回収して再利用すること。 氏得意のバイリンガルアンビグラム。複数の言語でそのまま読めるアンビグラムは実用性が高いです。
 
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「不老不死」 回転型:ラティエ氏
いつまでも老いもせず、死なないこと。 かすれ表現が言葉の雰囲気に合っており、字画の余り部分の処理としてもマッチしています。
 
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「反復記号」 回転型:Jinanbou氏
楽譜で使用される、リピート、ヴィーデ、ダルセーニョなどの記号。 繰り返し記号のほか音��も使用して文字を表現した楽しい作品。記号もヒントとして読み解くタイプですね。
 
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「雪片曲線」  回転型:lszk氏
コッホ曲線を三つ繋げたものをコッホ雪片・雪片曲線と言ったりします。 コッホ曲線になっている線分の箇所が直線と曲線で振動するため、脳が自動的に読みたい方で読んでくれます。
 
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「敷詰回転」 敷詰回転型:ちくわああ氏
自己言及的な作品。 回転も含んだ二次元敷詰は設計が難しいのですが、少し離れたところから文字を拾うときれいに敷詰できるのが面白いところです。
 
 
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「不敗神話」 回転型:.38氏
とある選手に関わる特定の事象が発生すると試合に負けない、という結果が繰り返されることで言われることになります。 氏らしい楽しい書体で4文字とも絶妙な調整で読めるのがさすがです。「∞」のような部分はいつまでも続いてほしい祈りのようにも見えます。
 
 
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「個体発生/系統発生」 回転共存型:うら紙氏
「生物発生原則」を簡単に「個体発生は系統発生を繰り返す」と言うところから。 言葉のチョイスが面白いですね。ドット表現に加え文字の変形の工夫も見所です。
 
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「100万回生きたねこ/佐野洋子」 回転共存型:兼吉共心堂氏
輪廻転生を繰り返す猫が主人公の絵本。 「100万」がかわいらしいです。「生きた/野」のハマり具合が自然ですね。
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「頻繁」 図地反転回転型: いとうさとし氏
物事がとぎれずに重ねて起こる様子。 読みやすくて素晴らしいですね。「糸」部分がかわいいです。
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「循環小数」 敷詰回転型:繋氏
小数点以下のある桁から先で同じ数字の列が無限に繰り返される小数のこと。 どの文字も読めるのに作字的に面白い形状になっていますね。この対応を設計するのがすごいです。
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「反復試行」 鏡像型:オルドビス紀氏
同じ条件のもとで同じ試行を繰り返すことで、確率論で出てきます。 「復/試」は一目斜め対応は無理そう��見えますがストロークの長さの調整でしっかり読めるようになっていますね。
  
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「急速充電器」 図地反転回転型: いとうさとし氏
充電器はとにかく繰り返し使われますね。 こちらも読みやすいですね。「器」のような特徴的な文字は「口」を塗りつぶしてしまっても読みやすさは変わりませんね。  
 
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「ことばのおばけがまどからみている」 回転重畳型:つーさま!氏
フロクロ氏の楽曲より。左右のコーラスが入れ替わって繰り返されるところからの連想でしょうか。 これだけ長いと流れで読ませることになることが多いですが、一文字ずつ見てもほとんど読めてしまうのが驚異的です。
 
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「永劫回帰」  回転型:lszk氏
ニーチェの思想で、この世界は全てのものが全く同じように永遠にくり返されるとする考え方。 読める字にするための文字の大きさのバランスのとり方が巧みです。  
 
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「禍福は糾える縄の如し」 回転型:douse氏
災いと幸せとは表裏一体であり、ぐるぐると交互にやってくるもの、という意味。 偏と旁のずらし具合も計算されていて、絶妙に読めるバランスになっています。糸偏の入れ替わりが楽しいです。
 
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「単純作業」 旋回型:螺旋氏
流れが決まっている作業で、多くはルーチンワークでしょうか。 字形の統一感が素晴らしいです。「単」の字形に驚きました。
 
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「もしかして:盥回し」 回転型:超階乗氏
「たらい回し」で検索して表示されるものを想定。結局たらいまわしされているというやつですね。 ゲシュタルトの統一がされていてよいですね。��の文字列で回せることが素晴らしいと思います。  
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「ニュートンの揺籃」 回転型:Σ氏
運動量保存則と力学的エネルギー保存の法則の実演のために作られた装置。衝突球とかカチカチ玉と言ったりします。 姫森ルーナ型できれいに対応付けされていますね。カチカチ玉を彷彿させる円形のモチーフがデザインに生きています。
 
 
 
最後に私の作品を。
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「堂々巡り�� 敷詰鏡像型:igatoxin
逆さになったり裏返しになったり堂々巡り。 縦書き0度と180度を適切に並べて斜めに裏返すと同じ敷詰図形になります。
 
 
 
お題 くりかえし のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「読書」です。読書の秋、小説、文学少年、芥川賞、積読、感想文、速読、擬似体験、知識、読書離れ など 参加者が自由に読書というワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は9/30、発行は10/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}     10月{ヒーロー}     11月{ゲーム}         12月{時事}
2024年 1月{フリー}        2月{レトロ}   3月{うた}         4月{アニメ}   5月{遊園地}     6月{中華}          7月{猫}     8月{夢} 9月{くりかえし}   
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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delorean · 2 years ago
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笠岡であった「ふれあいEV」に参加してきました
倉敷在住のEVオーナー、ミズシマさんが毎年行っているイベント「ふれあいEV」に行ってきました。以前はテスラのオーナーズミーティングでしたが、ミズシマさんがヒョンデIONIQ5を増車されたのを機に、全てのEVに対象を拡大。EVデロリアンも参加可能となりました。友人のきのぴーさんからのお誘いで、休みの調整もできたので初参加。農業用の空港を貸し切ってEVの加速をフルスロットルで楽しむ&みんなでキャンプをするという趣向で、100台以上が集まる盛況な催しでした。
5日5時半、空が明るくなり始めた頃に出発。きのぴーさんのテスラModel3とEVデロリアンが縦走し進みます。途中の充電は、東広島の道の駅「のん太の酒蔵」と、福山三菱自販本店のディーラーで。到着時には冷たい雨が降り始め、あーあ、と思ったものの、さすが「晴れの国」。その後は薄日も差すほど天候は回復しました。到着直後、映画コメンテーターの有村昆さんに話しかけられ、いきなり動画撮影。こちらはまたどこかで紹介されるのではないかと思います。
初日は、テスラ、フォルクスワーゲン、アウディ、ヒョンデに加え、中国製BYDのEV試乗ができました。私はヒョンデIONIQ5とBYDのATTO3に試乗。どちらも素晴らしい乗り味でした。どうも韓国製・中国製のクルマに信頼が置けないという方が多いようですけど、一度試乗をお勧めします。固定観念が変わりますよ。会場には、i-MiEV乗りのヨコヨコさんやEVパンダのママリーノさん、福岡からeKクロスEVの江崎さんらいらしてました。そして千葉の杉本さんもIONIQ5でご参加。ほぼ毎週Clubhouseでお話してるのに、リアルに会うのは初めてだったので、とても嬉しかったです。
夕方になると、主催者がIONIQ5の電気で作った焼きそばをみんなに振る舞ってくれました。やっぱりEVから電気が取り出せると何かと便利です。天気を心配してたのに見事な夕日が。これから車中泊のキャンプなので助かります。
そして夜。滑走路にテスラモデル3を並べてライトショーをやってくれました。ご存知の方も多いかもしれませんが、テスラ車にはこんな機能が標準装備されてます。みんなで同じ時間にタイマーをセットしておくと、一斉に曲とセットでプログラミングされたヘッドライトの光の演出が見られるんだそうです。このために空港を借りたんですね。あいおニックおじさんの奥様が日産ENV-200から取り出した電気で焼いてくださったたこ焼きなど食べながら、しばし談笑。この後、EVデロリアンのシー��を倒し、エアークッションを広げたスペースで横になり就寝。意外とぐっすり眠れましたw
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翌朝はヘルメットと手袋を装着した状態で、滑走路をフルスロットルで走るアタックに挑戦。EVデロリアンは手作りなので控えめに走りましたが、きのぴーさんはフルスロットルで180キロは出てたはず。EVの実力さすがです。この日は尾道の実家に泊まることにしていたので。少し早く現地を出発。昨日も充電で立ち寄った福山三菱自販本社に行くと、GW明けでディーラーを開けていたらしく、店長、社長、従業員に囲まれましたw 興味を持ってくださってありがとうございます。GW中唯一のイベントでしたが、とても楽しめました。「ふれあいEV岡山」主催の皆様、現地でお会いした方々、ごうもありがとうございました!
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manganjiiji · 1 year ago
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桜くつ器
「くつ」というのは今自分で考えた動詞で、その場に固定するみたいな意味です。くくりつけるとか、打つとか、木槌で叩いてぴんと固定させる感じ。なにかいい漢字がないかなと思ったけど、思いつかなかった(と思ったが、「繰つ」というのがいいかもしれない、口が3つもあって硬そうなところがいい)。桜くつ器というのは、桜が固定されて飾られている器の意。
カウンセリングに行ってカウンセラーの先生に3ヶ月ぶりに話をしてもらい(ずっと予約の電話をかけることができず、3ヶ月ぶりとなってしまった)、さまざまなことが整理され、やっと、ここ数週間のうつ状態からすこし回復したように思われる。とくに一秒ごとに噴出していた希死念慮は無くなった。帰りに蔦屋書店に寄ってしまい、まさかここで本を買うとは思わなかったのだが、文庫本4冊をレジに持っていっていた。まだ前に買った本を読み終わっていないのになぜかこのようなことをしてしまう。これ��23歳くらいからずっとそう。恐ろしい書籍購買依存症だ。「本を買う」という行為にのみ意味があり、読むことは全然しない。たまには読むが、1冊を頭から終わりまで読み切るということは殆どない。最近はその事に罪悪感も苦悩も呆れも何も覚えなくなってきた。この数ヶ月本を買うことをやめられていたのに、いきなりこのように浪費してしまい、衝撃もあるが、まあいつもの自分だなと思った。『京都SFアンソロジー』『貝に続く場所にて』『クララとお日さま』『実力も運のうち』の4冊。京都SFは暴力と破滅の運び手さんの「ピアニスト」が読みたくて買った(まだエチ小賞アンソロも読み終わっていないし、ブラームスの乳首も読み終わっていないのだが)。貝に〜は、書店で見て、芥川賞と群像新人賞の受賞作で、言語に関する物語とあったので、かなり気になって買ってしまった。講談社文庫はビニールが最初からかかっていて中が見えないのだが、帰宅してビニールを破って(この作業、省略したい。講談社は早く正気に戻って文庫本にまでビニールを掛けるのはやめてほしい)中を見たら、かなり余白の多い組版で、行間もひろく、見た目のうつくしさに拘りを感じた。いかにも芥川賞受賞作という感じで良い(組版への拘りというと黒田夏子の『abさんご』を思い出す。あれもかなり好きだった)。クララとお日さまは、ことこさんに内容を教えてもらった時に読みたいと思い、文庫化もしたことだし、と買っておいた。ひじょうによい子のAIの一人称で、カズオ・イシグロのいつものあれですよ、と言われたので(語り手の認識と世界との齟齬というかズレが特徴的なことが多い)、そして立ち読みしたところクララ(AI)にかなり好感を持ったので、読もうと思った。マイケル・サンデル(実力〜)は、かなり西洋哲学やキリスト教的価値観を引いて解説している(おそらくアメリカ人の状況を)と感じたので買った。『資本主義の〈その先〉へ』(大澤真幸)を読んでいるところなので、かなり内容に惹かれた。昔からだが、やはり「アメリカ」というものの面白さが私の冒険心を掻き立てる。同じくらい「日本」というものも面白いのだが、日本には一見してわかるような一貫性がない。だからこそ歴史の追いがいもあるのだが、やはりプロテスタントの「理想国家」として作られた人工物のアメリカのほうが理解しやすく、直截的なエキサイティングが得られる。昨日観劇したミュージカル「ラグタイム」では、二十世紀初頭のアメリカのフランス系アングロサクソン、ラトビア系ユダヤ、アフリカ系黒人の三つの民族の交わりがえがかれており、面白かった。私はスウィング・ジャズが好きなので、音楽としてのラグタイムにもっと言及があるのかしらんと思ったが、そこは特になかった。ミュージカルとしては、クラシック、ラグタイム、スウィング、ポップスと、割とオーソドックスなラインナップだったので、音楽的にはそこまでラグタイムに特化していたわけではなかった。そもそもこのラグタイムという語の、本来次の音が来るであろう箇所(次の拍)ではまだ音が来ず、ラグがあって少し拍より遅いところで次の音が来るシンコペーションのことを表している本来の意味とともに、さまざまな人種や民族がアメリカに絶えず流入し、立場がさまざまに変わりながら、「アメリカ人」になっていくまでのラグタイム(過渡期、猶予期間のようなイメージ)を描いているということなのかもしれない。私は音楽的なラグタイムは、クラシックとジャズを繋ぐ時期のもの(リズム、シンコペーション)という認識なので、まさにラトビア(欧州、クラシック)から移民としてアメリカ(新大陸、ジャズ)へ渡って、映画監督として「アメリカ人」として認められるまでのターテ(俳優は石丸幹二さん)の不遇の期間のことと考えると自然だ。音楽を、ジャズを主体としたミュージカルというのが見てみたいと思う(映画でも)。そういう作品はたくさんあるので、そのうち出会えるといいなと思う。そういえば前回日生劇場で見た「ジャージーボーイズ」はジャズを通り越してポップス…というかブルー・アイド・ソウル(白人がアレンジしたR&B)またはロックの話だったが、アメリカの商業音楽の世界を存分に楽しめた。ジャズのミュージカルとしては誰に焦点を当てるかだが、誰に当てても大物だらけの舞台(要素がもりだくさん)になってしまい、かつミュージカル・ナンバーもジャズにしないと成り立たなさそうだが、日本のミュージカル俳優はジャズ・シンガー(の歌い方)ではないので、なかなか難しいのではないかと感じる。「ラグタイム」ではサラ(黒人女性)役の遥海さんの歌唱が圧倒的で(彼女だけミュージカルの発声ではなく、全編通してソウルの歌い方だった)、歌だけでいえば主役の3人を凌駕していたのではないかと思う。完全に自分の声を縦横無尽に舞台全体で走り回らせ、かつコントロールも完璧だった。ミュージカルの歌い方では、ああいう芸当はできないというか、そもそも方向性が違うのでなんとも言うべきではないが、ソウルやジャズの歌い方もできるミュージカル俳優というのがもしいたら最強だろうな、ということを夢想した。クラシックの基礎の上にジャズの歌い方もマスターしているとなると、日本では平原綾香やKOKIAが私などは浮かぶが(上の世代だと美空ひばり���森山良子だろうか)、芝居も歌も極める上に、歌は2種類も、というのはやはり難しいのだろうか。我らが東啓介氏(私が舞台刀剣乱舞のバックステージ映像で好きになり一時期ガチで応援していた俳優)に関しては、私は今回もあまり納得が行かなかった。同行した友人は「28歳だし、そんなにすぐに変わる(成長する)ものではなく、熟達を求めるのは10年後とかかなあ」というようなことを言っていて(記憶違いがあったら申し訳ない)、私は東啓介にあまりにも多くを求めすぎているのだろうか、と思う。応援していることは応援しているのだが、追っていた頃の急成長と比べて、本格的なミュージカル俳優となってから、舞台上で分かりやすい「成長」というのが感じられないため、刺激に飢えているのかもしれない。演技もいつも同じに見えるし、発声の仕方も特に試行錯誤するでもなくいつも変わらず、なんかこう、変化…バリエーションが無い。それがつまらなく感じる。育ちが良く上品な所作、という当て書きのような役柄を続けて見てしまっているせいもあると思う。5DAYSの時みたいな、もっとしょうもない若者とか、マタ・ハリの時の恋に狂った青年とかの、本人の育ちの良さを封印するような役の方が見てみたいなあと思う。もっとヘドロの中を生きてきたような役を与えられた時に、果たしてどこまで生来の「品の良さ」を封印できるのか。というのは、彼を起用する演出家やプロデューサーが、どこまで東啓介の演技に期待してくれるのか、という問題も関わってくると思う。舞台上の発声はもっと先輩俳優の声の響きを聞いて試行錯誤してみてほしい。声が小さくても響かせるための発声。歌い方も最初の子音の破裂音というか呼気が入りすぎているが、これも前回から変化なしで、歯がゆい気持ちになった。歌はロングトーン以外でも「聴かせ」なければならないが、今のところロングトーンがないと東啓介の歌声はあまり目立てないというか、ほかの歌声との差別化が為されない。これに関してはどうすればいいのか素人にはわからないが、とにかく今までの練習や方向性を踏襲するのではなく、さまざまなやり方、歌い方、技法、発声方法を試して、もっと声に色をつけてほしい。ファンレターに書けばいいことを長々と書いてしまった。ファンレターに書きます。
夜、じゅんえん先生と話していたら赤森さんが来訪し、最終的に2時過ぎまでウエルベックの小説や文化や価値観の違いについて話してしまった。私は『ある島の可能性』を見つけて買って持っているだけでまだ最初の3ページしか読んでいないのだが、今日あらすじを聞いて、中身を結構拾い読みして、どんどん読んでいきたいと思った。ウエルベックを紹介する時の赤森さんは「とにかく中年男性主人公がキツい(見ていてキツい、キショい)」ということを語るのに非常に活き活きとしていて面白い。赤森さんはもともと面白い方なのだが、ウエルベックを語る時の赤森さんは「主人公のここが無理」ということを鮮烈に話してくれるし、ストーリーの面白さもきちんと伝えてくれるので、凄いなあと思う。ちなみにファ��ナーをTwitter上で語っている時の赤森さんもかなりのエンターテイメント性がある。
じゅんえん先生は酒が飲めない、かつ所得の低い私のことを気遣って、飲みに誘わないでいてくれたのだが(とても優しくて感動した)、今後は数回に一回は混ぜてくれるらしい。私があまりにも拗ねすぎたなと思ったのでやや反省した。
2023.9.19
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ari0921 · 1 year ago
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 創価学会と公明党、統一教会と同じだ       
            櫻井よしこ
衆議院の小選挙区「10増10減」に伴う候補者調整をめぐって自民党と公明党の対立が深まり、東京都における選挙協力が成立しなくなるという。公明党の集票力は1選挙区で約2万票とされ、先の衆院選で次点との差が2万票以下だった5人の自民党議員の当選が危ぶまれる。
5月29日現在、東京都に限られている協力中止が他の選挙区に拡大し全面的中止となった場合、自民党の衆院議員262人の内、当選が危うくなるのは60人から100人規模だとされる。
20年以上も続いた自公協力はここまで深く自民党に浸透してしまった。だが両党の協力が国民、国家の為になっていない事実の前では、共闘を見直すのは当然であろう。
日本国はこれまで公明党の所為(せい)でどれ程恥ずかしい想いをしてきたか。最近の事例は中国の人権弾圧に対してわが国が声を上げられなかったことだ。2021年12月、自民党は対中抗議文策定の最終段階にあった。中国政府はウイグル人を100万人単位で収容所に閉じ込め、民族の言語を奪い、イスラム教を禁止し、中国共産党の信奉者になれと強制した。従わないウイグル人を拷問し、死に至らせる中国共産党の手法はジェノサイドだとして世界の非難を浴びた。
自民党は「新疆ウイグル等における深刻な人権侵害に対する非難決議案」を作成したが、公明党の竹内譲氏が修正を入れた一枚の縦書きの紙を出してきたと、当時自民党の政調会長代行だった古屋圭司氏は語った。
公明党の修正は「人権侵害」を「人権状況」に、「非難決議」をただの「決議」に弱めるものだった。修正点は他にもあり、その全てが「平和と人権の党」を標榜する同党の有権者への背信を示すものだった。
この種の事例には事欠かないが、より大きな問題として憲法改正がある。第二次安倍政権以降、わが国は戦後初めて憲法改正の発議に必要な衆参両院における3分の2の改憲勢力を得た。が、改正は一向に進まない。
「政治家とは何か」
その責任は第一義的には自民党にあるが、公明党の責任も非常に大きい。目前に迫る中国の脅威に、岸田文雄首相は防衛費を27年度にGDP比2%へ倍増するなど、手を打ち始めた。だが危機はこれだけでは防げない。自衛隊を他の民主主義国同様に軍隊と位置��け、警察法の枠組みから解放しなくてはならない。それができないのは、憲法改正に常に後ろ向きな公明党に大きな責任がある。
選挙協力を望むのなら、都に新たに生まれる五つの選挙区中、28区を含めて二つをよこせという公明党の言い分を自民党は断った。政調会長の萩生田光一氏は自民党都連の会長も務める。氏は東京選出の衆議院議員21人を招集して考えを聞いた。公明党の支援なしには選挙は戦えないと弱気だったのは一人だけで、残り20人は基本的に公明党なしで自力で戦おうと意見表明した。それを以て萩生田氏は、公明党の応援に頼らず選挙を戦う、自民党議員としての本分を尽くすと党本部に伝えた。18区選出(新30区)の長島昭久氏が語る。
「これまで8回、選挙を戦いました。四方八方気を配って、この法案は強すぎるのではないかなどと考え後退するより、決死の思いで戦う方が有権者に伝わると思います。その意味で、自民単独で選挙に臨むのがよいと、発言しました」
公明党との選挙協力なしには当選は危ういと報じられた一人、山田美樹氏にも話を聞いた。
山田氏はこれまでは東京1区で、港区を地盤としていた。それが新しい区割では新宿区と千代田区だけになる。新宿区には創価学会の本部があり、学会員の動向は当然、選挙に大きく反映される。山田氏は港区で築いた実績、人脈、後援会、友党の公明党議員とも深めてきた相互理解など全てを置いて、新選挙区で一から出直すことになる。
彼女はしっかりした国家観をもつのみならず、政策立案能力も高い。自民党の政治家らしい実績を私は高く評価する。そうした政治家が選挙区で培ってきたものをいきなり白紙状態に戻すような区割をする審議会は一体どういう基準でこんな線引きをしたのかと、私は大いに疑問に思う。絶体絶命の次元に置かれた山田氏は萩生田都連会長にどう訴えたか。
「公明党に支えられている弱気な自民党では本当の保守勢力が離れていく。このままでは駄目です。その上で、自民党が自民党らしく潔く戦えば、無党派層の有権者がついてきてくれる可能性はあると、私は言いました。無論、私の立場は苦しいです。でもこれは政治家とは何かという根源的な問題です」
「創価学会の強い意向」
ここで注目すべきことがある。正論に立って揺らがない山田氏を含め、都選出の自民党国会議員の多くが公明党の議員に同情的でもあるのだ。理由は一連の動きを主導しているのが公明党ではなく、創価学会だという点に尽きるだろう。学会の力をフルに使って、政教分離を定めた憲法20条に違反していると言えるのが「創価学会の政治部長」とされる佐藤浩・創価学会副会長だ。
5月21日配信の朝日新聞DIGITALの記事のタイトルが、興味深い。「『軽く考えているのか』創価学会幹部が自民に迫る衆院選候補者調整」(傍点筆者)である。右の記事は5月9日に自公両党の幹事長と国会対策委員長が国会内で行った会談の様子を報じたものだが、公明党幹事長の石井啓一氏、即ち公明党執行部には、候補者調整の主導権がなく、彼らは「支持母体の創価���会の強い意向を体現しているに過ぎない」というのだ。記事は「候補者調整の実権は、ある学会幹部が握っている」とも指摘する。それが佐藤氏であることは記事の
続きを読めば明らかだ。
ここで統一教会問題と公明党・創価学会問題がぴったり重なる。安倍晋三総理がテロに斃れたとき、朝日をはじめとするメディアは総理殺害の重大犯罪に焦点をあてるのでなく、統一教会問題、宗教と政治に的を絞って被害者である安倍総理への批判を展開した。今起きているのは、統一教会の約100倍の信者数を持つ創価学会が政治を動かしているという厳然たる事実だ。統一教会の信者は6万から8万人だが、創価学会は近年の選挙で700万前後の票を獲得してきた巨大宗教団体だ。
その副会長が前面に出て、東京28区をよこさないなら学会の信者に指令を出して、自民党には投票させないが、それでよいかと言っている。だから朝日でさえ、「創価学会幹部が自民に迫る」とタイトルにつけた。創価学会と公明党によるとんでもない憲法違反が進行中なのだ。
自民党は公明党とのこんな“くされ縁”を断ち切り、山田氏が訴えたように自力で戦うのがよい。そこから保守政党として国民の信頼を取り戻す作業が始まるだろう。
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maigochan · 1 year ago
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3連休まとめ
金…電車で声をかけてきたひとと出かけた。楽しかった。思ったよりも年齢が近かった。距離の詰め方がインターネットじゃなくて戸惑い。今度弾丸で北から南までずずっと関東を縦断する約束をした。行程がオタク。
土…近場のコンビニで声をかけたひとと出かけた。楽しかった。チケ代高いなと思っていたが、思ったよりも採算が取れた。長年タスクにしていた神社と喫茶店に行けたのでよし。
日…だいぶ付き合いの長いひとと出かけた。楽しかった。思ったよりもコストがかからなかった。目的駅に着いた瞬間ゲリラ豪雨になって詰んだかな?と思ったけど改札を出るときには止んでた。帰りも乗り物を待っているあいだに降っててあーあーってなったけど降りたときには止んでた。はっぴー!ついてる!
さらにそれぞれの会合に間に合うように毎朝別の場所に行っていたのだけれど、幸いにも全通できた。明日も行く。毎日移動できてえらいからラジオ体操のスタンプみたいなやつ作ろうかなと思ったけど���ジオ体操のカードをちびまる子ちゃん(漫画)でしか見たことがないのでフォーマットがわからなかった。
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littlesallywalker · 1 year ago
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日記
それは火柱のようにそこへ立っていて、
長刀で削りだしたような人々の足が、
ぴたり、そこで止まって宿命を投げだした。
配達しようも雨があがらずあしたにまわした。
昨日は痛い暑さだった。痛いってつらいからね。
額装の機会をみて友の(旦那さん)額やさんにお問い合わせした。
水瓶座の友がお店を開くにあたり「いつか写真飾らせて」と、
きっとお世辞というかおべっか的であろうも、
いざ額装して贈ることは中を変えられるので、
彼女のやりたいことのお話の印象でもって、
閃くもの/それを開店記念に額でとおもう。
また、額やさんとお話もしてみたかったのだ。
A3サイズ。
このtumblerは最初1000枚とりあえずあげて、
ぬか床のようにそれで日記をやりくりしていく、
みたいな感じにしたかった。深い意味はなく。
だけどやっぱりかわれなくてぼちぼち撮るので、
いつの間に1800くらい、ちくたくとすすんだ。
ある機会に写真の引き伸ばしでA3が妙にしっくりきた。
ずっと普通かポストカードのようなと思ってきたけど、
もうすこし大きいほうが見やすいものが割とある。
古本屋にあるような観光地ポストカードを眺めるような、
ちょっと不可思議な光景と特になんでもないものしかなく、
恐れ入りますとしか言いようのないものばかりだ。
そんなこんな、いやげもの的ポストカード集めてきて、
たまにA3のものってけっこうある。豆本みたいなものも。
学校で社会でA4に慣れすぎると「その大小」しか感じなくなり、
微妙な大きさに躊躇してきたから新鮮なんだとおもう。
たくさんのサイズを知りたい。そして縦か横か。
朝食がなんにもない。言いたいことが真ん中とは限らないぜ。
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play it fucking loud.
ビーアダークホースです。
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izumiya-okami-blog · 2 years ago
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赤の縦縞がやってきた♡
皆様、年末に向け何かとお忙しくお過ごしの事と存じます。
いよいよ、今日はM-1の決勝ですね♡
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楽しみ過ぎる私がいます!!
さて、前回こちらのブログにてお知らせ致しましたが和泉屋は現在お休みを頂いております。
※絶賛工事中
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そして、働き者の私も現在お休みを取らざるを得ない状況にありまして…。
でもこんな時こそ出来ることがあるわ♡
そう!
ブログのまとめ書き♡
ごめんなさいね。
ズボラを炸裂させてしまって…。
皆様どうかお叱り下さいまし♡
でも至ってポジティブに生きてます♡ふふ。
さて、何から書こうかしら…。
だって1年て長いんですもの。
ではでは今日のお話は
赤の縦縞がやってきたお話でも♡
遡ること5月……。
新緑の緑が1番美しい季節に和泉屋にやってきたのは
こちら!!
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我孫子東高校野球部御一行様。
ようこそ、霊泉寺温泉へ!!
と色々お話したいのは山々だったのですが……。
何せ到着が20時過ぎだった為、ともかく大急ぎ!!笑
お風呂入らせて、ご飯食べさせて、寝かさないと!!
まあ、高校球児、野球少年のドタバタはいつでも可愛いものです♡
そして、このチームともかく人懐っこいんです♡
そして、私の大好きな千葉のお土産ぴーなっつ最中ちゃん片手に現れたのはチームを率いる坂本監督!!
因みにこちらがぴーなっつ最中ね♡
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坂本先生はとても大きな方なのですが(私が小さ過ぎなだけですが…。)
車から降りるなり「どーもどーも女将さん!!」と
ユニークなトーンで登場♡
きっと楽しいチームなんだろうなぁとすぐにわかりました!
まあ、それからは大忙し!
消灯まで息つくまもないほど。バタバタでした。
翌朝、選手に「忘れ物ない?確認してねー!」と大きな声で呼びかけながら選手の部屋を見て回るとみんなして何やらお勉強中…?
いやいやそんな時間ないから!!
「早くしな!!」といつもの如く煽りまくった私。
お見送りの際のひとコマ♡
下調べで赤いユニフォームだったので私も赤でお揃いにしてみました笑
撮影して下さったのは坂本先生です!!
そしてバスに乗る際、選手の1人に腕をつかまれ
「女将さん、2人で写真撮ろ!」
もう何て可愛いの♡
そしてあっという間の1泊2日が終わりました…。
コロナで様々な事が制限されてきた彼らはこんな山奥の宿で1泊するだけでも、ものすごく貴重な時間なんだろうなぁと。しみじみ…。
皆で合宿できた喜びを爆発させてはしゃいでいる姿を見るとこちらまで胸が熱くなりました。
しかし。それで終わらなかったのが我孫子東♡
各部屋に置いてあったのがこちら。
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朝、一生懸命時間のない中書いてくれていたのこれだったのね…。と思ったら手紙片手に涙が…。
何て心根が優しくて清らかな子達なのでしょう。
ただただ感動したのを今でも忘れられません。
そして、今年の夏は東京、埼玉に続き千葉の応援も加わって私のスポーツブル視聴は忙しくなりました♡
ありがとう我孫子東!!
VIVA千葉!!
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マジか。
Summer Never Ends♡
まだ寝ません…。
現在なんと4:30……。
寝ろや!
つ♡づ♡く♡
にんにん。
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hazakura-ki · 21 days ago
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谷川雁「庶民・吉本隆明」
かつて私は鮎川信夫への手紙に、「荒地」の詩はすべて生活の倫理なき倫理であり、吉本隆明の詩だけは生活なき生活の倫理であると書いたことがある。いま吉本の評論集『芸術的抵抗と挫折』を読み終って、数年前に思いついたそのキャッチ・フレエズが今度またうかびあがり、たちまち黒い砂の流れのようなもので消され、どこか遠い町の下宿屋の一角が照らし出される気がした。どっちみち私など馬小屋みたいなところで息絶えるのにまこと似つかわしい人間だから、へたに同情するつもりはさらにないが、彼もまた「封建性の異常に強大な諸要素と独占資本主義のいちじるしく進んだ発展」にはさみうちされて、せいぜい都営アパートの一角ででも朽ちはてることができたら上の部といわねばなるまい。蝶ネクタイなぞ逆立ちしてもうまくない貧乏性の世代があるものだ。その貧乏な世代の貧乏神が吉本だ。なんとかして馬小屋のかたすみで絢爛たる交響楽でも聞いてみようと苦心しているのに、妙に節くれだったやつが門口にあらわれて、棟つづきの隣家のことをわめいたり、おまえらのやっていることは幻想だぜとぶつくさいったりする。分っているよ、計算ずみなんだ、あっちへいっておくれ、ぶちこわしじゃないか、接吻を一つするから……というようなことをいってみても根が生えて動きはしない。よく見たら兵隊友達なので、「なんだ、おまえか」と肩を一つぶんなぐってみたりする——。 そういう隠微な、私的な交渉というものを拒絶しなければこの書物にはいりこむことにならないわけだけれども、だが彼の文章たるや陰気で皮くさくて骨っぽくてとぐちをならべているうちに、それじゃおまえはどうだという声がしてくる気もするので、まず同時代人としてのあいさつだけはしておくことにする。およそ彼ほど気質だの傾向だのがきらいな種類の人間はすくない。心理という言葉を使うときなどまるで蝶ネクタイをしめているみたいだ。彼のペンは笑わない。大隊長のように堂々たるかっぷくで「内��世界」とか「不定意識部分」とかの言葉が登場する。だが「分配カルテル」なんてやつを使う彼になると、ろくににぎりめしの一つも分配してもらえない二等兵の顔がうかんでくるしまつだ。二等兵にしてかつ大隊長たる吉本、本質的なあまりに本質的な馬鹿野郎……それを私はちょっぴりわが身につまされて好きである。いや、どうにも好きになれないものを何とかしたくなってくるとでもいおうか。
だがそのあたりのところは彼もまた計算ずみであるらしいことが分って、やや寒気がしたのは、この本に収められている十篇あまりの評論のうち書かれた時期がとびぬけてはやいという「マチウ書試論」であった。イエスが新約作者の創作にかかる架空の人物であり、ユダヤ教と近親憎悪の関係をもつ原始キリスト教が、被虐心理の眼鏡を通して旧約の思想を転回させたものだという見解がべつだん珍しいわけではない。それがどの程度に新説であろうとなかろうと、私の知ったことじゃない。ニイチエやランボオが人間精力の最大の盗人としてイエスを攻撃しているのもそれと遠いことがらではあるまい。私が「おや」と思ったのは次のような箇所であった。 ——原始キリスト教が、いわば観念の絶対性をもってユダヤ教の意思方式を攻撃するとき、その攻撃自体の観念性と、自らの現実的な相対性との、二重の偽善意識にさらされなければならない。 ——秩序に対する反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である。 ——原始キリスト教の苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪感を、正当化しうるものがあったとしたら、それはただ、関係の絶対性という視点が加担するよりほかに術がないのである。 もし法律学者やパリサイ派を戦前のコミュニストにおきかえるなら、このばあいの原始キリスト教はたちまち吉本隆明その人と化してしまうのではないか。彼がこの五、六年間に加えた前世代への攻撃をひやかして、私はそういうのではない。「マチウ書試論」において彼が原始キリスト教の擁護などひとかけらもしていないことは明らかである。彼はその後の彼の文章にもはや見られなくなったなめらかな舌でたたみこむように、いわば水泳のクロールにみられる腕の使い方で、古くなった秩序と新しく登場する秩序とのせめぎあいをかきわけていく。彼は秩序に対する人間の反応型を涙もろき良心派のルッター型、権力と離れることのないトマス・アキナス型、積極的な疎外者たるフランシスコ型に分けてしまう。「人間の実存を意味づけるために、ぼくたちが秩序にたいしてとりうる型はこの三つの型のうちのどれかである。」だがその型は要するに類型にすぎず、そのいずれも歴史の刻み目と特別に関りあうものではない。したがってそのような型にかかずらわった「思想などは、決して人間の生の意味づけを保証しやしない。」ここで彼は突然、マチウ書(マタイ伝)の作者に同調する。いや、みずからとび移ってマチウ書の操縦棹を横あいから握ってしまうのだ。 ——マチウの作者は、その発想を秩序からの重圧と、血で血をあらったユダヤ教徒の相剋からつかんできたにちがいない。原始キリスト教はそれがどのような発想であれ、ユダヤ教派をたおせばよかったのだ……律法学者やパリサイ派にたいするマチウの作者の、蛇よ、まむしの血族よ、という憎悪の表現��…… かくて関係の絶対性という概念にたどりつくのだが、それはフォイエルバッハがヘーゲルにたいして加えた修正とどんなにちがうのであろうか。関係の絶対性は必然に意識にたいする存在の優位に達するはずだ。しかし彼はそのような認識の冷静さに頼ってはいない。彼は唯物論の第一命題にすわりこもうとはしない。拳闘家のように腰をうかせて相手の鼻をねらうのだ。彼にとって、関係の絶対性とは眼の前にあるものをたおすということだ。ただそれだけに自己を限定することだ。だが彼が初期の評論において、その後の彼の道を暗示しているのはあたりまえの話にすぎない。私の寒気というのは、彼がそのなかで意識しようとしまいと原始キリスト教に仮託された自分自身をまず断罪し、断罪することによって正当化しておかねばならなかったという事実である。「原始キリスト教の苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪を、正当化しうるものがあったとしたら……」という設問に彼は答えねばならなかった。それは青春のきわめてはやい時期に、太宰治風にいえば一種の「晩年」に到達せしめずにはおかなかった時代の強圧にたいして、復讐の姿勢をとる敏感な青年の心をかならず通りすぎる疑問にちがいない。この答はむずかしい。なぜなら彼をして一挙に晩年を味わせたものも時間であれば、彼をしてなおおぼつかない青年にとどめている力もまた時間であるから。そして彼がこの矛盾に復讐しようとするとき、彼はまさにこの世の最後にして最高の強敵、時間を二重に向うにまわしているのだ。そのゆえに敗北はすでに必至である。戦えば戦うほど、彼は子供になりながら衰えてゆく自分を発見するにちがいない。円熟という理想は放棄されざるをえない。そのとき「なんじら幼な子のごとくならずば」という福音が耳にとどいたとしても、彼はそれを受け手として聞くことはできない。むしろ彼は語り手としてのイエスがまた一挙に晩年に到達せしめられたよるべない青年にすぎないことを見ぬく。とすれば山上の聴衆にとってはどうでもあれ、彼イエスにとっては「われ幼な子のごとくなりゆかざるをえぬ者ならば」であったはずである。そのとき人生は一つの仮象になる。成熟ということが時間のなめらかな、直線的な進行によって測られなくなった人間にとって、彼の自画像は論理的には岩のように不動であり、倫理的には何物にも責任を負っていない虚無の二重相をもつ。生成の過程からいえばもはや動かしがたい座標にしばりつけられており、そのゆえに倫理的にはすべてが許されるという非人間的な存在として自分が見えてくる。だがその瞬間に、イエスのように幼な子になってゆくよりほか道のなかった者が自分の必然を他人の自由選択にすりかえて「幼な子のごとくあれ」とよびかけ、自分の運命を他人に塗りつけるという詐術、あるいは至極のエゴティズムが許されるだろうか。もしそれを認めるならば、まだ成熟しないうちにむりやりに生命の終りをのぞかせられた人間がその強制力をかえってやすやすと許すことになるのではないか——戦後の青年に立ちふさがっていた問題はまさにそのようなものであった。
時間との、敗北を見越した戦いをこのような性質としてとらえねばならなかった人間たち……それが私たちの世代なのだ。おそらく太宰治をとらえた命題もこの敗北せざるをえない時間の逆説との闘争にちがいなかったのだが、彼にとってこの不意にあらわれた逆説の原因が革命の誤謬によるのか、体制の暴力によるのか、彼の存在の特殊性によるのか、その紛乱の糸をたぐり通すことができずに渦のなかに立ちつくしたままたおれた。ところが私たちの世代にたいして、このつむじ風はもはやそのような分析の欲望をもつことがばかばかしいほどにないあわされた一撃として作用した。そのとき無数のイエスがうまれた。裁くことが生きることであった。もし裁くことをやめるなら、彼はみずからをユダとして規定しなければならなかった。初年兵として一等兵からほほをなぐられているユダ。もし裁きつづけるとすれば、彼はみずからのなかのイエスをも裁かねばならなかった。残飯をすすり、なかまの選択物を盗んでいるイエス——はじめて選択の可能性がひらかれた。そしてどの道を選ぶかを倫理的に規定する過去はなかった。 関係の絶対性とは、このような時点におかれた青年の必需品であって、それ自身選びとられたものではない。人生が仮象としてしか見えなくなるまで追いつめられたイエスを発見した人間が、自己の内部システムである「子供」と社会的な効用の指針である「幼な子のごとく」のスローガンとを混同するイエスの不純に思いいたったとき、彼はイエスを新約作者のフィクションの側からつきつめ、かえって思想の抽象性を純粋化してゆく。そしてその純粋化の極にユダヤ教にたいする近親憎悪という存在証明をおくのだ。イエスはひとりの無名の思想家ではなく、無名の思想家の記録から、おそらくは無数の狂信者の記録から作りあげられたものだ、と彼はいう。 たぶん、ここは目立たないが重要な分岐点であろう。吉本、すなわち私たちの世代の青春のことであるが、あまりにも強い外界の規則は内部の自由律と結びあう媒介項をもたないので、関係とよびうる相互規定性を発見させない。したがってはじめての関係をもとうとするとき、いったい何とどのような関係をもつべきか白紙のままで悩まざるをえない。このような処女性をつき破るのが、眼の前にある問題の意識的側面であるか、存在としての側面であるかはその後の人間をながく支配するものと考えられる。選択の自由をもたず、その意味で外界との接触をもたない、形なき牢獄の囚人が牢獄を意識すること、それが関係の絶対性という言葉にほかならず、またそれは観念の相対性と同義語にすぎないが、にもかかわらずこの状況を関係の絶対性とよぶか、観念の相対性と表現するかには微妙なちがいがあるのだ。 それは紙一重というよりもさらに薄い皮膜の裏表であろうけれども、形式論理が弁証法へ、観念論が唯物論へと回転してゆく過程のもっとも内密な移行の段階がかくされている。観念の相対性というばあい、それは唯物論へ移行しきった直後の完了した視角があるのにたいして、関係の絶対性とよぶかぎりにおいてなお関係それ自身の物神化という主観性がぬぐうい去られていない前唯物論的な匂いを漂わせているからだ。このちがいは、彼がイエスを狂信者の記録から、そしてマチウ書の作者の意識からたどってゆき、その作為と虚偽を粉砕しようとする情熱のあり方に対応する。フォイエルバッハとちがって、彼は敵が与えた条件以外のものに敵をたおす武器をみつけようとはしない。あくまで眼前の敵の手中にある敵の武器を奪おうとする。もし彼がすこし大またに歩こうと決意しさえすれば、この小さな溝はたやすく越えられたにちがいない。だが彼は唯物論的に膚接する観念論の壁に沿って動きつづけ、記録と意識にたどりつき、群集と存在の側へはがんこに移ろうとしない。 この用心深さ、このしんきくささこそかえって彼の存在を照らしだす微かなともしびである。いわば彼にとってはじめて訪れた自由選択は関係の絶対性か、観念の相対性かであった。そして彼は関係の絶対性へと賭けたのである。囚人の手足から鎖が外されたとき、彼の最初の二者択一は動くか、動かないかという形であらわれる。吉本の自由意志はこのとき「動かない」と宣言したのである。 なぜ彼はそうしたのか——この衝動を理解しない者はついにいわゆる「戦中派」の内容を開く鍵をもたないにひとしい。それは弁証法の螺旋運動における二つの主要なコース……外部への「のりこえ」の論理と内部への「もぐりこみ」の論理のうち、なかんずく後者に身をもたせかけた姿勢である。外部への飛躍がほとんど不可能であった時代に異常なまでに名もなき青年たちの心奧に発達しつづけたこの弁証法の半身は、ある意味で青年たちを無敵の思想家に仕立て上げようとしていた。だが時代の創作の未完のうちに、青年をふくむ社会は敗北した。社会は敗北し、青年もまた敗北したが、半身だけは敗北しなかったのである。それがミロのヴィナスよりもさんたんたる美しさでなかったと断言するいわれはない。彼はそれが半身にすぎぬことをみずから断罪し、その美を正当化する。戦中派が戦後の波を迎えたとき、この二面性をとらえる手続きを省略しまいとする素朴さにおいて吉本の右に出る者はない。いや、はたしてそうであろうか。
「もぐりこみ」の論理は、当然に彼をして詩人たらしめるであろう。それは詩の同一の原理、凝縮の論理と共鳴するからである。けれども関係の絶対性という立場にとどまるかぎり彼の詩は、成立はしても運動することはない。彼の詩のどこか、その数行には交響楽の譜面に移された砲音と金属のかがやき——管楽器の音色がひびきわたる。だがそれはたちまち低いうめきのなかに埋められる。現在は連続しない。未来はくだかれている。そして過去だけが飛行雲のように尾を引き、飛行雲だけになり、やがて雲もちりはて、空そのものに帰っていく。髪をつかんでうしろに引きもどす、この凄じさ。しかしそのとき彼の手に残るものは何か。 証拠だけである。事故の被害者として、彼は自分を轢いて遠ざかりゆく自動車のバックナンバーに固執する。イエスの記録、狂信者の記録、それだけが存在であって、そこからしか犯罪の手がかりはつかめないと主張する。おそらくは彼自身いちはや��決議だの宣言だの論文だのをかきまわすことのむなしさを感じているにちがいない。にもかかわらず彼はそのなかにもぐりこむ。検事さんのやり口だ。刑事としてはいかにもまずい。証明する者ではあっても捜索する者ではない。 ——問題は、日本における「封建性の異常に強大な要素」と「独占資本主義のいちじるしく進んだ発展」との結合という意味を、たんなる結合���解するか、楯の両面のように不可分の単一系と解するかを、具体的な芸術思想として、また、政治的思想として見出すことにかかっている。三二テーゼは、多分に、この結合をたんなる結合と理解した傾向があり、また反対に絶対主義権力は、この結合の両面を、巧みに使い分けた。芸術的抵抗としてのプロレタリア芸術(詩)の挫折の事実が、今日もなお暗示しているたいせつな問題点は、本質的なところでうけとめようとすればここに帰着するとおもわれる。 権力の巧みさといっても、戦前の反体制運動に比較しての相対的なものでしかないけれども、その通りだ。まさにその通りだ。だが問題をここにとどめているだけならば、それは「社会の構造の総体のヴィジョン」の骨骼をうみだすかもしれないが、つまるところヴィジョンの骨組みに終るであろう。これしきの認識を持たずにプロレタリア芸術でございなどといっていた当時のあほらしさは私なども不思議というほかはなく、いまだに狐につままれたような気がしないではないが、私はもはやそんなところにかかずらわっていないでさっさと読みとばすことにしている。読むにたえないものをしんぼうして読み、さてそれを審判する惨忍さと、眉も動かさず踏みつぶして進む非情さとはどちらが普遍性を持っているのかよく分らないが、倦怠の処理法として見るときはおのずから優劣があるだろう。 たしかに往年の弁証法は蛙みたいにやたらに外界へとびだそうとするばかりで、内部へのめりこむ力で相手を打つというビックリ箱の原理すらものにすることができなかった。この点でわずかに水準をぬいた者とては中野重治と花田清輝の二人しかいないし、それもたかだかビックリ箱ていどであってみれば、吉本が過去を矮小化しようとする気持は分らないではないが、さりとて私は吉本のいうように中野がその芸術論のなかへ「予定調和のように階級的視点を密輸入している」とか、花田が戦時中、資本制社会の枠内における単純再生産の基礎確立を唱えて「生産力理論に転落した」といった読み方にどうも賛成できない。中野にしろ宮本百合子にしろ、私が文句をつけたいのは、たとえば恋愛と革命というようなくだりになると、あっさり政治上のプログラムと芸術上のプログラムを使い分けてしまって、いっこうに予定調和もしなければ密輸入もせず、しごくきまじめに段階を踏んでゆくことだ。むしろ彼等に欠けているのはさらに徹底した一元論、政治と芸術が男と女のように抱きあっている濡れ場ではないか。——花田のばあい、「現代の課題は、資本制生産の枠内において、まづ、いかにしてこの単純再生産の基礎を確立するかにあるのだ。」と書いてあるので、何もユートピア社会表式を資本制社会の枠内で実現するつもりはなさそうである。いってみれば改良主義的要求を一定の計画のもとで戦う組織を作れということと変りはなかろう。労働組合を作れとでもいえば簡単に分るかわりに、すぐ捕まえられてしまう世の中でこんなまわりくどい表現を弄してみたところがしょせん労働者の耳に届くはずもなかろう。だからこそユートピア論にふさわしいといえるけれども、私は花田がいちはやく修道僧のように隠遁して、人生の深読みと「危険ごっこ」に熱中しているのをいくらか悲惨に思っている。彼もまた時間に見棄てられているのだ。 私などはまず平凡に、中野には北国のいっこくな百姓の、花田には八丁堀の浪人のイメージをあてがっておき、気の向いたときだけそのまわりを捜索することにしているのだが、いったい吉本はいつまでこのくそ面白くもない無機的な過去を掘りかえそうとするのか。戦前派の理論の誤りなどは彼等の存在のあやふやさにくらべればものの数でもなく、そのあやふやな存在様式の反映にすぎぬ彼等の理論は指一本あげるほどの大事をも起さなかったのだ——という一面を彼はどう考えているのであろうか。
吉本が「マチウ書試論」において、その後の吉本自身と見まがうばかりの「原始キリスト教」の存在理由を追及しなければならなかったのは、決して未来にそなえるための地固めというがごときポリティックではなく、まさに彼自身に内封せられた復讐不能の領域をあばきだすことではなかったか。それをするために彼は束縛からの自由、賭けの開始を告げられた瞬間に「関係の絶対性」という地点で佇立したのである。だが見よ、彼は静かに動きだした。彼は庶民のなかの所有意識、支配意識を縦横無尽に打つ第一義の攻撃目標をずらして、「前衛」のなかの庶民意識をあばきだす二義的な目標に集中した。そこに私たちの世代の問題にたいするすりかえがある。それが無用だとはいわない。だが容易なことだ。あまりにも容易なことだ。「前衛」を下から、後の世代からつきあげる勝負はまける方がどうかしている。「いや、つきあげることではねかえる力を利用したかったのだ」と彼のために弁明するのは嘘であろう。なぜなら彼のいう関係の絶対性は二つの当事者がかならず同一平面に立つことを前提にしているのだから、もしはねかえる力の行くさきである庶民と同一平面を保とうとすれば、「高村光太郎論」や「前世代の詩人たち」に見られたような庶民意識の単純な全面否定はありえない。 戦争中の向う三軒両隣りはおそすぎる医者たちと同じく、私たちに大気・安静・栄養療法それのみを指示した。彼等は路傍に立って手をふるだけで私たちを死地に送りこんだ。その消極性にひそむ小所有者意識、それだけが庶民のすべてであると規定するならば、私たちは庶民を祝福するか呪詛するかの道しかない。それは純粋な侮蔑の形式であり、それによって私たちは自分の存在の証拠をいん滅し、庶民との関係を断つよりほかはない。「マチウ書試論」にはこのような方向への企図はみじんもみられない。にもかかわらず彼はどうしてその後の攻撃を一段階軽いところにあてたのであろうか。『芸術的抵抗と挫折』の一篇ではその辺のところはかなり大きく修正されているけれども、彼が提起した戦後責任という問題は庶民そのものの断層に爪をうちこまなかった点で軽々としたものになり、戦後意識の「早激的」終末をまねき、奇しくも彼に一つの戦後責任を負わせることになったのである。
(…) なぜか。その理由を吉本の意識のオートマティズムからというよりも、存在の反映から照らしだす箇所が一つある。 汝と住むべくは下町の 水どろは青き溝づたい 汝が洗場の往き来には 昼もなきつる蚊を聞かむ という芥川竜之介の「澄江堂遺珠」の一篇を引いて彼はいう。 ——この詩には、芥川のあらゆるチョッキを脱ぎすてた本音がある。芥川が、どんなにこの本卦がえりの願望をかくしていたか、を理解することができる。下町に住んだことのあるものは、この詩の「溝づたい」からどんな匂いがのぼってくるかも、「汝と住むべくは」とかかれた家が、格子窓にかけた竹すだれをとおしてみえる家の中に、下着一つになった芥川の処女作「老人」や「ひょっとこ」の主人公のような、じいさんか何かがごろっと横になっている家であることを直覚せずにはおられないはずである。 ここにくると、私は中野重治や宮本百合子や佐多稲子や花田清輝や吉本隆明が一室にたむろして、おもいおもいの姿勢で西瓜でもたべている光景がうかんできて、さてはわがゆくてもしょせん借家住まいの「中産下層階級」であろうかとあごをなでざるをえない。それほどこの文章の私小説的タッチは正確であり、私の知っている楽寝のじいさんと吉本のそれとをくらべたくなってくるのだ。おそらくそのちがいは私のじいさんの足の裏がすすけてひびわれているのにたいして、吉本の方のはやや白々としているくらいにすぎまい。けれどもこのちがいは吉本がまだ日本の不可触賎民というものにつきあたっていない環境の不幸をまざまざと語っているように思われてくる。 吉本は、芥川が本卦がえりの願望を抑圧しつつ、出身階層への自己嫌悪の上に立って造型的努力を持続させようとし、それに失敗したことを吐きすてるような筆致で書いている。ここにも彼の近親憎悪の念が支配しているのであろう。 ——彼がはっきりと自己の造型的努力に疲労を自覚したとき、自己の安定した社会意識圏にまで、いいかえれば処女作「老人」、「ひょっとこ」の世界にまで回帰することができたならば、徳田秋声がそうであるように、谷崎潤一郎がそうであるように、永井荷風がそうであるように、室生犀星や佐藤春夫がそうであるように、生きながらええたはずだ。そのとき芥川は、「汝と住むべくは下町の」世界に、円熟した晩年の作品形成を行ったであろうことは疑いを容れない。 これが日頃あれほど観念的なまでに理想主義的である彼の、芥川��たいする処方箋であろうか。それは単調な死刑宣告と変りはない。芥川の大知識人ぶりはこっけいだが、吉本がかつて不可触賎民のそれもふくめて一蹴した庶民意識への回帰をすすめるよりほかないまでに芥川の運命が絶望的であるならば、では三十年後の東京小市民の運命はいかにして切開可能であるか。小市民が革命的インテリゲンチャへ転化する道は資本主義のいついかなる時点においても存在するはずだ。芥川にたいする吉本のあまりに気軽な宣告は、彼が庶民との断絶を強行せしめられた「戦中派」の優位をすこし早まって信じ、未来の世代と自分の直線的な接続を楽観しすぎているからであろう。 正直者ほど大きな賭けをする。彼が現実との断熱膨張を意図する気持は分らないではないが、庶民に回帰しまいとする者こそかえって彼のいう意味における庶民の刻印である。彼ははたしてどぶの匂いと格子窓の竹すだれを卒業してしまったのか。彼がなお充分に庶民であったときの「マチウ書試論」はほとんど貴族的といってよい文体の光りをみせ、彼が「関係の絶対性」に沿って上昇し、前世代の「前衛」たちと対決するときは奇妙に私小説の味気なさをともなって散文化する。この循環をやぶるためには、自分のなかの庶民的な形をとった所有意識へ否定的回帰をくりかえし、そのなかにもぐりこんで柵の外へぬける、芥川的知性では卑怯としかいえぬ脱出路を精密に探求しなければなるまい。牢やぶりに紳士の体面などはくそくらえである。吉本は期せずして、記録を残して肉体をほろぼす方法で自分の住民登録を消そうとしているかにみえる。むろん吉本に系図を買う根性はない。しかしそれはやはり自分にたいする証拠いん滅の姿勢である。この方法で住民登録は消せても肉体は残る。肉体の戸籍をのりこえるのは町や村の不可触賎民をなぐりつける署名のない思想だけだ。その方へあゆむことが私たちの世代の存在証明なのだ。それこそ無敵にして暗黒な領域を存在の側から裏づけ、それを照らし、それへむかって復讐しがたいとおもわれた私たちの復讐をはたす道なのだ。吉本の道はその決意にはじまりながら、いつのまにか断たれようとしている。
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chaukachawan · 22 days ago
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役者紹介🚃💨🍩🍗
どうも、らびです。ビアゲ編も書き足したぞ。34期の皆さんは最後まで読んでくれると嬉しいな
【栞編】
今回のキーワードとなる「環状線」にちなんで、おそらくこの中で最も環状線を知ってるであろう私が、皆さんに似合いそ���なオススメの大阪環状線の駅を書いていきたいと思います。被っても知らん。
〇園堂香莉
大阪城公園
お散歩してそう。あの辺はお散歩にちょうどいいですからね、自然も綺麗でお城もあるし。かなりオススメです。古墳好きな人はお城も好きなんでしょうか
〇近未来ミイラ
寺田町
あの、ほんま、この駅ってなんも無…簡素で素朴なエリアなんですよね。素朴な舞台が好きなみーらのセンスと近しいものがあるような気がしなくもない。それにしてもほんまに何も無いこの駅。でもみーらなら独自の着眼点で何かを見出せそう
〇たぴおか太郎
大阪
キディランドもユザワヤもありますからね。間違いなく大阪駅でしょう。それはそうと、あそこのちいかわらんどって絶対にもっと広くするべきだと思いませんか?
〇錫蘭リーフ
福島
オフィスカジュアル的な衣装がとても似合ってるのでオフィス街でおなじみのこの駅で。でもほんまにあのオシャレなオフィス街歩いてそうなんだよな
〇帝京魂
京橋
京橋怖いよな。特に夜なんて怪しげな人が沢山いるし…でもこの辺色々ラーメン屋さんとかあるイメージですね。でもあんまり知らない。京橋怖いので
〇森々仙入
西九条
ユニバが似合いそう。ということでユニバに繋がってる西九条駅をチョイス。ユニバのクルーにいそう。私もユニバ行く時にしか使ったことないので西九条に何があるかが分かりません。
〇箏
福島
中之島の近くでもあるのですが、中之島のあたりは景色が美しいですねー。川沿いにおしゃれな建物が沢山立ち並んでいて緑も多くて…そんな景色がルーベにピッタリではないかなと
〇苔丸
弁天町
駅に隣接して空庭温泉という大型温泉施設があります。温泉だけでなく写真スポットやらレストランやらが沢山融合していて楽しい場所なので是非
〇響夜
芦原橋
ここには教習所があります。ここの教習所はなかなか難易度が高く、普段から千日前筋など大都会を走ります。ここに最狂のドライバーなびやをブチ込んだら一体どうなるんでしょうか。
〇ミル鍋
桃谷
この辺はオシャレなお家が多いですからね〜お金持ちの凝りに凝った家がちらほらあります。建築巡りしても楽しそうです。
〇あろハム権左衛門
福島
福島には美味しい飲み屋が沢山あるので、オーストラリアのパーリーで初手ジントニックをキメたあろハムならやっていけるでしょう。
〇アリリ・オルタネイト
玉造
住宅街のイメージなので街にいるネコちゃんと触れ合いますね。あと近くの空堀商店街には猫カフェがいくつかある。オススメです。
〇〆切三日前
天満
商店街があって美味しい飲食店が沢山あります。かなりオススメ。市場もあるから芋も売ってるかも…新鮮な食材が勢ぞろいしてます
〇黒井白子
森ノ宮
森ノ宮には実は漫才劇場があります。ここでよくお笑いライブがやってるんですよねしかもなかなか豪華!あと普通に劇場もある。演劇も観れてピッタリやん
〇中森ダリア
鶴橋
コリアタウンあるからね、間違いない。鶴橋は少々治安が悪いのですが、あのゴチャゴチャ感はアウトロー好きのひらりなら問題ないでしょう。
〇きなこ
桜ノ宮
環状線で春にここを通ると川に沿って桜がいっぱい咲いててすごい綺麗なんですよね。雰囲気的に桜が似合いそうだなぁと思ってのチョイスです
〇暁レミエル
天王寺
放課後の天王寺にいそう〜〜JKが似合うのでJKが沢山いる天王寺です。画材屋さんもあるよ。あとアクセスが良い!でも阪大からは遠い
〇肆桜逸
大阪
都会の眩しさに圧倒されてほしいです。ちなみに大阪駅には「LUCUA1100」って建物があるのですがこの読み方ご存知ですか?
〇埖麦
天王寺
めっちゃ放課後天王寺にいそう2。高校生が似合うからかな。この辺の高校生は放課後天王寺のフードコートやらでたむろしてます。いそう
〇紫苑
新今宮
カオスと混沌の街、新今宮———。こんな場所になつめを突っ込んだらどうなってしまうのでしょうか…そのカオスさを見てみたいですね。でも新今宮に行くのはオススメしません。どっちやねん。オススメしろよ。
〇水琴冬雪
大阪城公園
カメラをやっているので。何と言っても景色が綺麗で撮りごたえのある場所なのではないかなと思います。春は梅や桜が沢山咲いててカメラマンも多いですよ
【BE YOU AGAIN 編】
BE YOU 「揚げ」INということで、みなさんにオススメの揚げ物を書いていきたいと思います。みなさんにオススメのと言いつつも、みなさんを揚げ物に例えると、みたいな趣旨になっているかもしれません。
東愛莉
ごまだんご
おさげ髪がよく似合うので。両手に持ってて欲しい
大良ルナ
ハムカツ
ピンク色がよく似合うので。頬張っててほしい
カキフライ
独特の雰囲気がありつつも魅力的である
うみつき
白身魚のフライ
サッパリしている、ぽい 
統括のフォーニャー 
チーズホットグ
キラキラしているから
緒田舞里
エビフライ
みんな大好きで華がある
大葉の天ぷら
爽やかだが渋さもある
埖麦
ポテトフライ
若者のジャンキーな雰囲気がぽい
岡崎仁美
竜田揚げ
唐揚げではな��竜田揚げ
雨々単元気
ししとうの天ぷら
辛いやつに当たって良い反応しそう
舞原の絞り滓
オニオンリング 
めっちゃなんとなくやけど、ぽい
じゃがりーた三世
串カツ
中身が全然わからない
オーム
コロッケ
声の雰囲気がコロッケの中身の感触に近い感じがするので
テキストを入力
ごぼうのの唐揚げ
細い
縦縞コリー
唐揚げ
唐揚げバカ
大福小餅
揚げパン
甘党すぎるから
叶イブ
チュロス
甘くて可愛いものが似合う
アリリ・オルタネイト
揚げ春巻き
グローバルな感じがするからです
はぜちかきつ
カツ
王道。似合う。
おや…役者紹介の様子がおかしいぞ…
▶︎役者紹介が団員紹介に変化した!
という訳で34期の皆さんには真面目なやつを書いていきたいと思います。
◯たぴおか太郎
稽古日誌とかコラ画像の感じとか見ていたら一見激ヤバな狂人だと思いきや、誰よりも優しくて気遣いの天才で努力家な素敵な方です。なすかさんがいないと成立しなかった事、沢山あるかと思います。あとセンスも大好き。今度の公演も楽しみにしています!
◯岡崎仁美
もはや友達。いっぱい遊びに行ってるもんね〜☺️時にはズバッと厳しい意見も言い場を締める役割は、下手したら嫌われ役になってしまう可能性もあるのに、それが出来るのは普通じゃないです。すごい。ヌピというデカい柱が無くなってしまうことは少し不安もあります。引退しても遊びに行きましょうね!
◯水琴冬雪
オムニに出てなかった私にとっては感謝してもし足りない人です。「らびはもうオレンジ班だからねー」って終礼に入れてくれた事にも大入りを書いてくれた事にも助けられました。嬉しかったです。今役者を出来ているのもベガさんのおかげだと思っています。宣美も、最後にまたベガさん脚本の担当が出来て良かったです。
◯緒田舞里
色んな意味でこうなりたい人。活動内容の特性上でしょうか、ちゃうかを楽しいとは思いつつもその下にはずっとしんどさもあって、でも外公終わりに色々お話しした時にそんな自分がなんかもう色々成仏しました。ありがとうございます。まりおさんは、「この人にそう言ってもらえるなら」と思わされる位偉大で、でもどんな人にも寄り添える素晴らしい先輩です。こうありたいと思う人です。
◯肆桜逸
絶対稽古場作業場吹田にいて欲しい。この人がいれば絶対その場が面白くなるからです。今年入ってから急激に仲良くなった気がします。インターネットの話するの楽しいですね😃引退しても吹田支部(旧)しましょうね。俺は吹田が大好きなんだよ!!
◯児
もう奇怪な動きをしたり美声を響かせてるこたちさんの姿が稽古場から無くなると思うと寂しいですね。自分の中でがっころの演出を出来た事は色んな意味で大きかったと思っていて、その点ではめちゃくちゃ感謝しています。次の公演も楽しみです。
◯らっしー
座長になるべくしてなった方ですね。らっしーさんのホワッとした雰囲気はちゃうかに安寧をもたらしていることでしょう。個人的には私服がカッコよくてめっちゃ好きです。進撃の巨人の服もかっこいいと思ってます。本当です。 
◯統括のフォーニャー
なんでも肯定してくれる優しいネキ。個人的にはもっとお話ししてみたかったし、役者ももっと見てみたかったなと思っています。全然関わりの強い訳でもない私が言うのもなんですが、強くてしたたかな方だなと思っています。
◯舞原の絞り滓
外公で共演できて嬉しかったです。もっとお話ししたいと思ってたので。横から聞こえるまほろさんのクソデカ声、いまだに恋しいです。だーがーしかーし‼️まだまだ知らないこともあると思います。願わくばまたその機会があらんことを…
◯じゃがりーた三世
結局この人のことを何も分からないまま引退してしまいそうです。本当不思議な方です。なんでそんな、後輩にもめちゃくちゃ敬語なんですか…?でも時々芯食ったことを言うので怖い。
◯アリリ・オルタネイト
ボス。舞美のね。猫みたいにフラッとどっかに行ったかと思えばフラッと戻ってきて頼りになる人。かっこいい。よくよく考えたらめちゃくちゃハイスペックなことを思い出してすげぇ…となるやつを何回もやってます。
34期、フォーエバー
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monthly-ambigram · 1 year ago
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2023-12月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「時事」です◆
今月は参加者の皆様に「時事」のお題でアンビグラムを制作していただいております。  2023の出来事を振り返りながら作品の数々をご覧ください。
今回は諸事情により簡単なコメントとさせていただきます。自身で隅々まで味わっていただけましたら幸いです。
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「二刀���」 図地反転回転型: いとうさとし氏
大谷翔平選手がWBCでもMLBシーズンでも二刀流で躍動。
細くなっている部分、付くか付かないかの微妙な調整が巧みです。
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「YOASOBI/アイドル」 回転共存型:ヨウヘイ氏
YOASOBIがアニメ「推しの子」のOP曲として制作した楽曲。
手書き風にすることでやや乱れた文字の流れもあまり気にならなくなります。
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「アンビグラム情報局」 回転型:Σ氏
Discordサーバ「アンビグラム情報局」開局。
濁点のお作法が揃っているのが気持ちよいです。
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「平面/充填」 回転共存型:うら紙氏
アインシュタイン問題の解決。
かなりの変形具合ですが読めるところへの落とし込みが巧みです。
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「君たちはどう生きるか」 回転型:オルドビス紀氏
宮崎駿監督の新作映画が公開。
書体の選択と文字の配置が絶妙です。
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「青い鳥消失事件」 回転型:くりまろん氏
青い鳥(Twitter)がなくなってしまった。
文字の大きさや形状など大胆な対応付けが面白いです。
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「別班」 重畳型:douse氏
ドラマ「VIVANT」放送。
縦画をやや斜めにしているのと右下の点を分割しているのがポイントですね。
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「熊出没注意」 図地反転回転型: いとうさとし氏
今年は非常に熊の被害が増加した。
「出/注」の対応はどうやったら思いつくのかわからない複雑さですね。
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「音乃瀬奏」 回転型:douse氏
9月デビューのVTuber。
「乃」とさんずいの重なりを許すことですべてぴったり対応しています。
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「���の碑/京極夏彦」 回転共存型:兼吉共心堂氏
京極夏彦氏の小説。
大きく崩していても読めるバランスに調整されています。
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「將棋」 回転型:kawahar氏
将棋の藤井聡太竜王・名人が八大タイトル全冠制覇。
「将」ではなく「將」にすることで対応がつけやすくなっています。
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「#ハナミズキ語」 振動式複合型:海氏
海氏が「ハナミズキ語」の命名。
「#ハナ」/「ミズキ」/「語」の三面相です。どこを拾うか、どのように解釈するかが楽しいです。
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「葬送のフリーレン」 回転型:ぺんぺん草氏
「葬送のフリーレン」がアニメ化、放送開始。
姫森ルーナ型。柔らかな書体により読みやすさが増しています。
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「令和の虎」 回転重畳型:ちくわああ氏
チャンネル登録者100万人、総再生回数6億回突破。
「和」と「虎」が読みやすいので一目で読める作品になっています。
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「物価高騰」 鏡像型:.38氏
今年はずっと悩まされた物価高騰。
物騰 高価 という並び。文字送りの常識に縛られないことで文字の過不足のやりくりをしています。
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「特殊詐欺」 図地反転型: いとうさとし氏
特殊詐欺グループの摘発が相次いだ。
「特/殊」「詐/欺」の組で図地反転になります。すべての文字が読みやすいです。
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「観光公害」  敷詰回転共存型:螺旋氏
オーバーツーリズムによる一連の問題。
正位置で横書き、逆位置で縦書きに読みます。「光」がこの形で読めてしまう驚きがあります。
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「生成AI」 鏡像型:douse氏
今年も大きく成長を遂げた。
「成」の斜め対称性の高さに驚きます。
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「生成系AI」 鏡像型:Σ氏
「系」をつけた呼び方も。
くるんとしたあしらいが各所でぴったりはまっています。
最後に私の作品を。
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「アイドル」 回転型:igatoxin(既発表作)
今年の一曲といえばこれでしょう。
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「変な家/変な絵」 鏡像共存型:igatoxin
雨穴氏の小説がヒットし映画化もされました。
時事がお題のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。今年を振り返るといろいろな事柄がありましたが、月刊アンビグラムも今年も無事に一年間発行できました。ひとえに参加者ならびに読者の皆様のおかげだと感謝しております。
さて次回は例年通り「お題フリー」です。締切は12/31、発行は1/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}    10月{ヒーロー}    11月{ゲーム}  
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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furoku · 3 months ago
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ninicolles-blog · 6 months ago
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新作登場!最新入荷された本革ショルダーバッグ三つ厳選!
当店では、本革バッグが引き続き入荷されています!では今回の記事は最新入荷されたバッグを三つピックアップして皆様にご紹介していきたいと思います。興味のある方々はぜひご覧ください。
まずはバケツ 型 巾着 ショルダー バッグ 女性 バッグ 人気 女性 バッグ 人気 40 代 軽い 30 代 鞄 カジュアル レディース。
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大人気、シンプルなデザインの縦型バケツショルダーバッグ。ハンドバッグとしてもショルダーバッグとしても使える2Wayバッグです。サラリとした肌触りの本牛革を採用し、オールシーズン使いたくなるアイテムです。適当なサイズで収納力が抜群、巾着袋付きなので細かいアイテムもすっきりと収納することができます。どんなスタイリングにも合わせやすく幅広く活躍!
次はショルダー バッグ 革 かわいい 夏 の バッグ おすすめ 40 代 ショルダー バッグ 斜 めがけ 軽い。
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夏にぴったり軽量のスクエア型ショルダーバッグ。上質な本牛革で作られた激シンプルなスクエアバッグに鹿のモチーフをあしらい、高見えで上品さが漂う。ショルダーベルトはレザーベルトとチェーンのつなぎ合わせで、丈夫だし、長時間掛けても肩が痛くならない。十分な長さは肩掛け・斜めがけ・手持ちの3way掛け方が実現。コンパクトなサイズでも実用的な仕切りで見た目以上の収納力がある!スマホや化粧品、ティッシュなどの日常用日はきちんと収納できます。軽くて小さめのバッグは大人っぽいファッションに似合うアイテムだと思います。
最後はキルティング 風 2way ショルダー バッグ 女性 バッグ 人気 40 代 カジュアル 主婦 普段 使い バッグ 40 代 バッグ おすすめ。
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台形状のキルティング風ショルダーバッグ。小さ目サイズのショルダーバッグで本革素材で高級感もあります。丁寧な縫製は高見えでエレガントな雰囲気を演出します。ショルダーチェーンが一本付属しており、持ち方によってバッグの多様な掛け方が実現可能。カラーバリエーションにはアイボリーホワイトとブラックの2色展開で、どんな服装にも合わせやすくファッションアイテムとしてカッコよく持ち歩くことができるのでおすすめです。
ninicolleでは、大人 可愛い ショルダー バッグをいろいろ取り揃えております。バッグをお探しなら、ぜひninicolleへ!
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bakinginstruction · 6 months ago
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yokoham · 9 months ago
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雑記20240309
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さあどうなる、
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大津市は縦に長いので北と南に分けられることが多いのですが、iPhoneの天気は特にそういう区分けが無いので、信頼性としてはtenki.jpのほうが高いのかも。
それはともかく、だいたい5時とか6時にジョギングに出かけるので、ぴったり降り出すのは運が無さすぎるんだけど。ていうか部屋の中にいても寒い。
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いま見たら修正が入りました。これは降るわ。どうしよう。外の様子見て、さっと行ってくるか。6時くらい狙うか。
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西友のネットスーパー、頼んだ後にいつも200円オフクーポンが送られてきます。これ、たぶん週末の受注量に応じて送ったり送らなかったりしているんじゃないかと思っているので、クーポンを待ってると希望の時間帯が埋まっちゃうんだよね。実際、送られて来ない週のほうが多いし。
200円あればピーマン一袋余計に買えるし、食パンも買えるぞ。くっそー。
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国が書店振興策を始めるということで、文教堂っていう神奈川県民にはお馴染みの本屋の株価が騰がっています。��あボロ株なんですけどね。
町の本屋が苦境っていうのはかなり以前から言われていますけど、これって結局は出版不況にもつながっている話で、電子化も含めて複合的なマイナス要素が多すぎて手がつけられないのが実情じゃないかと思います。
まあネットで頼んだ方が楽は楽よね。棚と棚の間をうろうろして探さなくていいし。それが付加価値でもあるんだけどね。
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そういや日産が下請けいじめしていたって公取から吊し上げられていましたね。ほんと株主として申し訳ねぇ。この会社ほんと成長しないね。物言わないと。株価も僕が買った頃から全然騰がってないし。
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416円で買って、今552.5円ですよ。同じ時期に買った三菱UFJはというと、こう。
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388円で買って、今は1632円ですよ。日産株を買うお金で三菱UFJを買っておけば、っていう話。ただの自慢じゃねえか。当時は民主党政権で日本経済が崩壊していたので、この株価だったんですね。暴落は買い。
配当利回りもこの購入価格でも4%に到達していないので、いい加減売却してやろうかって思ってました。性根が治るまで付き合うわ。
自動車産業みたいなピラミッド型の構造を持つ産業は、少なからずこういう下請け問題があると思っています。日産はあくまでスケープゴートであって、彼らだけの問題ではないと。物を作る産業だけでなく、建設業、運輸関係などにも波及する事例になるだろうと思います。
これで日本の中小企業が救われるようになれば、日本経済全体が浮揚するはず。おい岸田! 聞いてるか!
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昔「創味の焼肉のたれを買い支えてくれ」とお願いしましたが、案の定終売になっていました……悲しいです。公式サイトからも消えていました。
と思ったら、
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なんかしらんけど二代目生まれてたわ! リニューアルしただけで一安心。でもイオンにも西友にも取り扱いがありませんでした。そのうち出回るのかな?
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