#縛り手さんに感謝します
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bbbottomsblog · 8 months ago
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変態親父と二日目 – GNT24/365 ーゲイの淫乱セックス体験談ー
ズルチン親父は、約束通り日曜の朝からやって来た。
飲み物を買って部屋に入る。
服脱ぐのも、もどかしいみたいに抱きしめkissして、
お互いを貪り合いギンギンのエロ竿をこすり合わせた。
互いの物からジワァ~っとガマン汁が滲み出す。
キメの用意するのに椅子に座り、
親父にシャクらせながら親父のズルチンを足で弄ぶ。
シャクらせたまま先に自分に針を刺す。
打ち終わると全身に鳥肌がたち、親父に触られてる部位全てが気持ちいい。
鳥肌に気づいた親父が乳首や脇・脚を撫で回しだし、親父の頭を掴み激しく動かした。
親父が咽せて『はっ!』て我に返り、あわてて親父にキメる準備を…。
椅子から立ち上がろうとする俺を座らせ親父が、
『このまま出来るか?』って聞くから、腕を持ち上げたら血の道がベストポジションやったから、
返事もせずに肩口を縛り定位置に針を刺しポンピング!
親父は、根本までガッツリくわえたまま動かなくなったが、
ズルチンからは、漏らしたって勘違いする位ガマン汁が出まくっている!
親父の頭を引き剥がしてベットに押し倒しズルチンのガマン汁を吸い出すようにシャブり付き、
唾と混ぜながら親父に口移しすると舌が千切れるか思う位に吸いつかれた。
何度かやってる内に我慢出来なくなり、
唾ガマン汁の混ざった奴をケツマンに塗り騎乗位で一気に串刺しにされた。
親父に乳首激しく姦れながら腰を振りまくった。親父が、小袋の中からRを取り出した。
親父が手にした奴は新のRだった。
動きを抑え親父がラベルを剥くのを待った。
蓋を開け親父は、自分より先に俺に吸わせてくれた。
深呼吸後思い切り吸い込んだ。
古い物と違い新だけあって最初は刺激臭も無く吸えたんかな、って思いながら、
親父が吸うのを小刻みに動きながら見てたら、一気に効きだして来た。
親父に『来た来た♪』『凄っげぇ~♪』と言いながら親父の胸を力任せに掴みあげた。
俺の激変に親父も急いで爆吸し腰を掴み下から突き上げてきた。
乳首を責めようと親父が乳首に触れた途端に、
全身がキュ~っと引き締まったようになり、
ケツマンの中にあるズルチンの形が分かる位に絡みつき、
ガマン汁が親父の首筋まで飛び散った。
親父が、『締め付けながら絡み付いて来るエロマンコやな!』
『チンポがマジで溶ける位熱々やでぇ!』と言いながら起き上がり、乳首を甘噛みしてきた。
Rをまた吸わしてもらい、出来るだけ息を止め限界点で吸えるだけの息を吸込んだ。
乳首とケツマンを中心に全身性感帯になったみたいで何されてもOK状態に…。
つながったまま押し倒され正上位になり親父がガン掘りしてきた。
親父の首に巻き付きキメ汗を舐めてはkiss舐めてはkissを繰り返した。
二人の腹の間でガマン汁を吐きまくってる俺のキメチンをそろそろ親父に突っ込みたくなり、
『掘りたくなった!』って言うやいなや脚を絡ませ親父をひっくり返し、
親父のケツマンにキメチンを突き立てた。
亀頭が半分入った所で親父がRを手にしたから吸い上げるのを待った。
ケツマンが緩んだのを見計らって一気に押し込んだ。
ケツ慣れしてない親父やから前回の時は痛がったのに流石に新のRは違う。
自分で膝を抱え『もっと奥まで…』とせがんでくる。
キメ汗とガマン汁でドロドロヌルヌルの身体は、掴んでも掴んでも掴みきれず、
それと親父の要望が面倒になり、口に俺のローライズを詰込み。
タオルで猿轡と目隠しをして、
更に温泉浴衣の帯二本で手首足首を縛り、
達磨さん状態なるぐらい身体を丸め首の後ろで結び固定した。
親父にRを吸わせ自分も爆吸して、身動き取れない親父をガンガン掘りだした。
ほぼ初釜に近い親父のケツは、キメチンが千切れる位に締め付けて来るが、
中は、キメとRのお陰で熱々トロトロですっげぇ~気持ちがいい。
いい気になって1時間以上ガン掘りしてたら、
加減もせずに縛った親父の手首足首がフト気になり、
慌てて猿轡を外し親父に調子に乗りすぎた事を謝りながら、目隠しと帯を弛め外してあげた。
親父は息を切らしながら『気持ち良かった♪』と抱きつきkissしてくれた。
身動き取れない親父をガン掘りしてる時、流し放しのエロDVDの中に入り込んで、
ガッチリのバリタチに背後から乳首を姦られながら、
3連結で掘られてる真ん中の奴の感覚にトリプった事を話すと、
親父は興味津々であれこれ聞いて来た。
話してる間にチョイ萎えはじめ親父のケツ圧に押し出された。
お互いに一度、ドロドロを流し休憩する事にし、親父・俺の順に汗を流した。
部屋に戻ると親父はズルチンに電マを当てギンギンにしながら目を閉じていた。
掴んだ手からはみ出ている亀頭からはガマン汁が溢れてた。
俺は、親父の亀頭を舐めながら、ガマン汁���亀頭に塗り広げながらくわえたり、
舌を尖らせ尿道に差し込んだりしてガマン汁を喉を鳴らして飲み続けた。
親父が電マとズルチンを離し、乳首を姦りだしたから腰に巻き付き、
根本までくわえたり亀頭だけ吸いまくったりして結局休憩するはずが、そのまま二回戦突入に。
ヌルヌルのズルチンに乗っかろうとした時、親父から追加の提案!
『K君の体験談みたいに掘られながら…』って希望されたんで、
親父にシャブらせガチガチになったのをぶち込み親父の血の道に針を刺した。
途中からRを吸い出しポンピング終わる頃には、エロマンコ親父が出来上がっていた。
ケツの気持ち良さにズルチンは萎えたままガマン汁を吐き出していた。
それを乳首に塗り舐めるを繰り返すと、
一昨日は『乳首感じへんねん』と言っていたのに、
『乳首が感じる!』『気持ちいい♪』と言いながら乳首が起ってきた。
優しく噛んだり摘んだりして責めると、ケツマンがヒクヒクしながら絡み付いてくる。
二・三分程激しく突き上げ、親父自身に乳首を弄ぶように指示しながら俺も追加をキメた。
後始末をして親父を掘り出したが、萎えだしケツ圧で押し出された。
ガマン汁まみれの親父の腹を舐めまくり、69でシャブり合いをしながら、
ガチガチになったら親父が乗るってやってたが、中々挿入する事が出来ずにお互い断念。
俺は、仰向けになりベットから頭を垂らし、
膝立ちになった親父のズルチンをシャブりながらキメチンをシゴキ始めた。
親父は、乳首を舐めたり亀頭を舐めたりしながら弄んでくる。
お互いユックリ勃起し始めるが、
クチから引き抜いたりシゴクのを止めると萎えてしまいつながる事が出来ない。
仕方なく、お互い中出しでは無く、手コキでイク事にして、
先に親父のズルチンをシャブりながら一発目を自分の腹や胸にまき散らした。
親父が腹や手についたキメ種を舐めとりながら種だらけのキメチンをシャブってくれた。
一度起つと長時間寸止め状態だったから、
ぶっ放しても萎えないから親父に『今なら入るかも!』と言いながら正上位で挿入!
なんとか親父の中に入ったけど萎えるのが早く押し出されてout。
ズルチンと裏筋合わせで二本同時にシゴいたり、電マで刺激したりしてる内に、
ズルチンがガチガチになったんで今度は俺が乗っかった。
ケツマンに生チンが入ったっ感覚だけで俺のキメチンはガチガチになり出した。
根っからの掘られ好きなんやと自覚し、親父にこのままシゴいてぶっ放すと伝え、
腰振りながらシゴきまくり、
頭を持ち上げて見ていた親父の顔面を直撃しながら胸・腹に二発目をぶっ放した。
顔シャ食らった親父はビックリしながらも、
垂れてきたキメ種を舐めながら腹胸の種を寄せ集め掬って舐めだした。
俺はまだパワーのある内にと思い親父の脚の間に入りぶち込んで掘り出した。
暫くガッツリ掘ったがやっぱ押し出され敢え無く撃沈。
ズルチンをシャブりながら前立腺責めをしてやり、
親父はガマン汁を出しまくりながらたまに全身を突っ��らせ、
『イク~!』と叫ぶけど滲み出るって感じ。
親父自身も派手にぶっ放したくて仕方がないけどイケないらしい。
何度目かの時親父が叫んでもシゴくのを止めずに前立腺を責めながらシゴキ続けたら、
ズルチンがガチガチになり亀頭がパンパンになった。
前立腺を押さえながらケツを持ち上げ、
なんとか亀頭半分位をくわえたり舐めたりしながらシゴキ続けたら、
『グワっ!』って叫び親父がぶっ放しはじめた。
第一段・二段をクチで受けたけど、背中が痛くなり残りは親父の腹にぶちまける事に…。
俺のが水ぽいのに比べ、親父のは濃く手指や親父の腹毛に絡み付いて羨ましかった。
俺は、親父がしてくれたようにキメ種を舐めとり、
親父と種kissをして暫く抱き合って親父のバクバクを胸で感じていた。
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gontani-tatsuya · 10 days ago
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新譜までの過程
ステータス、そういう響きに随分長い間縛られていたように思う。 24で精神疾患を発症し、ずっと屈折した日々を送っていた。 もうこのまま人生を終えるのかと思うとやりきれない気分だった。 反骨という言葉が一番しっくりしていたと思う。 
物書きという表現の手段がある程度気持ちを整理・昇華してくれていた。 その延長線で音楽と出会う訳だが、今思えばその動機も屈折していたと今では思う。 何でもいいから一番になりたかった、音楽がその近道、そう本気で思ってた。 世界で一番になるには、英語の作詞が基本だろう、そういう導入だった。 そうして僕の不純な音楽の世界展開が始まった。 
そんな自分が少しずつ変わっていく。 音楽というものの崇高さ、取り巻く仲間の純真さに触れるにつれ。 世界という言葉の響き、意味が重くのしかかる。 平和や国際交流の重要性を真剣に受け止める。 つまらない自己顕示がある瞬間に吹き飛んでいった。 生きている意味・生まれてきた意味を真剣に考えざるを得ない。 
そういったことを、まるで考えていなかった訳ではない。 祖父が太平洋戦争で亡くなったことを母から聞いていた。 そのことで,母が大変辛く寂しい思いをしたことを。 
父が亡くなった2018年、ふとしたご縁がきっかけで、ラジオの世界に足を踏み入れる。 これまた音源の拡散��らいの気持ちで軽く考えていたが、意外な広がりを見せる。 今のラジオは、インターネットを介して、世界中に流れる。 僕が海外の仲間と作った音源が、海外にダイレクトに届くのである。 これは実にすごいことだ。 世界ははるか遠いところにあるのではなく、今ここから繋がるのである。 
この度、新しい音源・CDを発売する。 タイトルは「NOW APOLOGY」(今こそ謝罪を)。 思想・政治色の強い表題で、商業音楽ではまず考えられない色合いだ。 しかし、これば、僕の大願である表現である。 もはやステータスも一番もない、自分の夢や願いを叶えた一枚だ。 世界7か国10名のアーチストが参加している、まさにドリームチーム的な。 アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、ロシア、中国、日本。 こんな組み合わせはありえない、まずありえない。 戦争の過去を皆が受け入れ、謝罪しあう、そういうコンセプト。 
多くのラジオ局や新聞社が協力し特集を組んでくれる。 非常にありがたい。 こういうことが出来る今の自分にあるのがある種のステータスだとしたら、 それを構築してきたあらゆる環境に感謝しなければいけないことに気づく。 ある種の悔しさ、心苦しさが、醜い反骨すらも、自分を支えているのだ。
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sryem · 7 months ago
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2024年7月10日
・「大学は人生の夏休み」とよく聞くけど、私の人生における夏休みは絶対に今だ。5月末に来春からの就職先が決まり、1年間限定の無職生活がスタートしている。ありがたいことにアルバイトもしていないので、完璧になんの予定もない日々だ。手帳が���っ白に輝いている。
・今月の頭に数日間金沢で一人旅を敢行した。特に金沢蓄音機館がすごく良かったです。金沢は全体的に京都に似た街というのはよく言われていることではあるが、観光客の質についてはかなり違うと感じた。あけすけに言えば、金沢に来る観光客の方がマナーや教養がある傾向にあると思う。もちろん母数が違うから純粋に比較はできないけど。また、京都は完全にオーバーツーリズムにあり、観光客によって京都人の生活に支障が出ているのに対し、金沢はまだそこまでの状態には至っていないうえ、街は十分に観光整備されているので非常に観光しやすい。いい街だし大きくない街だし、もうすでに海外から観光価値を見出されているので、金沢がオーバーツーリズムになるのも残念ながら時間の問題かもしれない。
・金沢観光の後は関西に戻らず関東の実家に戻ってきた。訳あって母が関西の私の家にしばらく一人で滞在しているので、私は1週間ほど実家で一人暮らしをしている。来週には母と入れ替わりで関西に戻るつもりだ。一人暮らしには大きすぎる家で、掃除をしたり庭の水やりをしたりしながら、普段ここで一人で暮らす母のことを思った。前に「この家を売ってしまったら家族がみんなで集まれる実家がなくなってしまうから」と言っていたのを思い出す。もうあなたが暮らしやすい場所で暮らしていい、と本当は思う。子どもたち3人みんな大人になったし、”母親”という縛りはもう脱ぎ去ってもいい。でも彼女を見ているとなんだかその役割から解放されたがっているようにもいまいち思えなくて、私は何をするべきなのか・言うべきなのかわからないでいる。
・土曜日に父と会ってサシで飲んだ。彼はあまり口数が多くないけど、酔うとたくさん話す。ただ、普段色々考えて閉めたままにしている頭の中の引き出しも開けてしまう酔い方なので、配慮のないことを言われて傷つくこともままある。でもまあ構わない。お互い大きな信頼のもと傷ついたり傷つけたりしている。今回は「あんまり歳取らないうちに子ども作っちゃえよ、なんとかなるから」と言われ、あまりにひどくてちょっと笑った。「まず、出産で体ボロボロにならない側の性別に言われても」と言ったら「......確かに。」と言って謝っていた。私のこの反論は全く的を射ていないのだが、父は折れるのがうまくて、そういうところは見習いたい。
 私が母をどう頑張ってもうまく愛せないというのは私が思春期の頃から度々相談していて、今回の飲みでもまたそんな話になった。父は私がこの問題に囚われ続けている意味があまりわからないようだった。���は、『兄たちが母をうまく愛せなかったとしても、それは個人間のレベルの話で彼らが家庭を持つか否かの選択に際して大きな問題にはならない。兄たちが将来的に家庭を持ったとしてもロールモデルになるのは父であり、彼らは一生母親にはならないからだ。一方私が彼女をうまく愛せないのは、家庭を持った場合否応なく自分が成ってしまう存在を愛せないということでもある。加えて私は母もその母(私の祖母)をうまく愛せていないためにこんにちまで葛藤し続けているのを知っている。周りに良好な関係の母娘がいないため、必然、子どもを産んでもその子どもに愛されない自分しか想像できない。そんな状態で子どもを持って家庭を築くことに前向きにはなれないし、この葛藤を丸ごと放棄するのは難しい。』という内容を主張した。父はずっと考え込んだ後、「俺わかってなかったと思う。」と言った。私は反論しないでくれてありがとうと思った。
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chaukachawan · 2 months ago
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にこにこでいきましょう。
はじめまして、こんにちは。アネモネです。最近夜の長さに比例して睡眠時間が延びてきてます。相対的寝不足。圧倒的寝不足。真っ当的えくぼくん(韻)。彼はたぶん、にっこにこ。寝不足には注意しましょうね。
36期もにこにこです。稽古場ではほんと笑顔が絶えないです。あったかくて居心地よくてもう最高です。言葉がへたっぴなりに、今の思いをがんばって書きました。温かい目で見てちょうだい。それでは、新人公演の団員紹介、いきましょう。
どんなに小さなボケをしてもちゃんと聞いてて笑ってくれるね、ルーベは。いつも助かってる。ありがとう。実はオムニとかのころ、ボソっとボケることが多かったのは、目立つボケ方をするのが不安だったからです。あのころルーベが拾っててくれなかったらたぶん今でもぼそっと喋るだけになってたと思う。ところで、ルーベという人は、向き合い方がすごい。毎公演、脚本と、自分の役と、共演者とひたむきに向き合ってます。作業にも全力で向き合ってるよね。そして36期のみんなにもむきむきに向き合ってます。疲れちゃいがちな時も演技の練習をめちゃくちゃ詰めてて脱帽しました。あとすっごく低姿勢。事務連絡の時とか特に。あんまり自分をすり減らしすぎないようにね。
森々仙入
僕から見たラムダは気さくなお兄ちゃんって感じです。あんまり何かに縛られることなく、元気に演技して、元気にスタッフワークしてって感じの人だと思ってます。縛られないので、いつもホイホイ何かを引き受けてます。助けてくれる人がいてほしいなってときにいてくれる。あとよく「すごいよほんとに、僕なんか、もう、○○ですからねっ」って言ってるよね。ラムダがいると心強いのよ、みんなを肯定する力が強くて。あったかい気持ちになります。あとシンプルにおもろい。プロのお笑いに似たものを感じるんだよね。人を選ばず、誰もがおもろいと思えるような。あと先日はどうもありがとう。セイロンさんとの自販機会に混ぜてもらって、楽しい思いをしました。
月銀蓮
不安でしたね、とっても。だって演技なんてすると思ってなかったんだもん。でも36期のみんなに絶対役者したほうがいいって背中を押してもらって、やってみた���、なんだよ。バカ楽しいじゃねえか稽古。新人公演で36期が、ちゃうかがもっと大好きになりましたね。みんなのおかげです。大感謝。
ぶらんワールド。オムニのときとかは「んえ??」ってなってましたけど、最近ちょっとだけついていけてるような気がします。気がするだけ。もっとぶらんのおもろさを引き出したいなあ。いつもいろんな人のボケに「天才や!!」って言ってますね。ぶらんも天才やで。ぶらんはとっても丁寧な人です。どんな話をするときも順を追って僕にもわかるようにしっかり説明してくれるよね。伝えようって気持ちがこもっていてあったかい気持ちになるんです。少し前、とある用事で長く一緒にいた日がありました。たくさん喋りましたね。くだらない話もしたけれど、中身のある話をたくさんしましたね。めっちゃ楽しかった。ボケることも忘れて、ただただ話をするのが楽しいっていう時間を過ごせました。ぶらんをもう一段階深く知れた気がして、うれしかったです。
埖麦
安定の埖麦。期待を裏切らない演技、期待を裏切らない発声、期待を裏切らない仕事、期待を裏切らない不摂生。アイスを食っても声が出るのを見た時はびっくりした。こういうとこですよ。むぎはしれっとすごいんだよね。軽ーくこなしてるように見えてすごいことをやる人。涼しげな顔して笑っているんだけど、心には熱いものを持っている人。僕からすると、むぎはそんな人だと思います。稽古場で「アネモネエエエエエ」って言ってくれるときあるよね。うれしい。へへって感じ。あっ、今度一緒に甘いもの食べに行きましょう。甘党にスイーツおすすめされたかったんだよね。あとごはんも行きましょう。ごはん何が好き?...いや、スイーツ以外で。
叶イブ
はぜとの掛け合いはたぶん一生印象に残るんだと思います。火力高いね。間違いなくふぃあのいいところの一つです。優しくしてちょうだい。僕の顔芸、声芸(?)に向かって、でっかい声で「アネモネおもろー!」って言ってくれたとき、とっても嬉しかったです。アネモネを笑わせれて嬉しい的なこと言ってくれた時もそうです。いやほんまにおもろかったんやもんあのデスボイス。またやって。ああいうノリ、これからもっとやりましょう。めっちゃ楽しい。いつだったか、メイクチなんて権力弱いみたいなことぼそっと言ってましたね。安心しや、幕よりは強いで。安心できひんか。それはともかく、もちろん仕事が大変なのは前提として、ふぃあが何気にチーフを軽ーくやっちゃうすごさが、その言葉からうかがえました。
ポンにゃ
なびやも36期の元気枠。地声の時点で唯一無二のすっごくよく通る声で、ふだんお喋りしているときも、なびやの声めっちゃよく聞こえるなーすごいなーって思ってます。これからもその声を活かして暴れ散らしてほしい。あとなびやはアクセルを踏みきれる人ですね。ブレーキ忘れて大胆なことができる。そういう人はけっこう希少だから、36期��いてくれてよかったと思ってます。それと同時に、しっかり全体を把握したうえで考えてもいるんだなあという場面もありました。時間ぎりぎりまで舞美の相談をしていたときに、僕が理解力なさすぎて助けてもらいましたね。その時、「ああ、全部わかったうえで大胆なんだ、それってすごいことよな」と思いました。僕にはない能力で羨ましいです。
雨々単元気
続いてこの人も36期の元気枠です。ああ元気そのものやったわこの人。さて、元気な元気はいつも元気にみんなを助けてくれます。僕もたくさん助けられました。初めての役者参加でわからないことをいろいろ聞きました。毎回優しく教えてくれてありがとう。仕込み直前には、一度にたくさん仕事を抱えてしまった僕に力を貸してくれました。いくつか仕事を引き受けてくれて、引き継いだことをしっかり覚えてくれてて、作業が非常に円滑に進みました。あれほんとに助かったよ。ありがとう。くだらないノリをいっぱいやりましたね。ネタの守備範囲がほんとに広くて、何を言っても拾われるのがすごいなあと思いつつ、楽しいよなあと思ってました。これからもいっぱいやりましょう。
紫苑
つよつよ班員。手すきの幕班員いねえかなあって思ったときに手すきになって現れる。タイミングよすぎんかってなります。大助かり。さて、なつめには覚醒という言葉が似合うんじゃないかなあ。読みにしても、動きにしても、なつめの完成度が上がるスピードにはびっくりするし羨ましくなります。吸収しようという心意気が違うのかなあ。僕もがんばらないとなあって気持ちにさせてくれます。ふだんのなつめは、居心地のいい友達って感じです。変な力を入れずに気楽な感じで一緒にいられます。あとけっこう天然です。おもろい。本人も「ほんまやなんでそんなこと言ったんやろー」って感じでいつもにこにこしてます。なつめのそういうとこ、楽しくて好き。
暁レミエル
つよつよ班員。毎回仕込みに全力で臨んでる。起床が一番の大仕事なのである。いつもがんばってるよね。すごいよね。さてさて、仕込みにも全力ですが、えるは演技にも、スタッフワークにも、あとレクリエーション系にも全力な人です。全力で、全身で真っ正面からぶつかって、すべてを楽しんでいる人です。いいなあそのパワーのある感じ。稽古のときは読みの指摘と提案もいっぱいしてくれました。演技のことを何も知らない状態だったので、とってもありがたかったです。みんなたくさん助けをくれたけれど、えるには人一倍の協力をもらいました。ありがとう。キャスパもすごいね。いつの間にあんなの作ってるんでしょうか。かっけえっす。
熊吉
くま。くまちゃん。初役者参加仲間。ほんとに初めからいたわけじゃないのってくらい、すぐちゃうかに適応した人。その適応力、すごいと思います。あのスピードでちゃうかのノリを吸収したのはほんとすごい。あと新人期間中ずっとちゃうかを楽しい楽しい言っているね。いやーわかるぅ!って感じです。稽古場ってめっちゃ楽しいよね。役者ってめっちゃおもしろいよね。ちゃうかに入って来てくれてありがとね。どんな場面でも楽しそうにしている熊吉を見るとこっちまで楽しくなってきます。稽古のあと、たくさん喋りましたね。��ゃうかの話をしている熊吉は、最高に楽しそうで、ちゃうか大好きになってくれたんだなーと、嬉しい気持ちになりました。
張潤玲
なんといってもマーモットのすごさは言葉に表れてると思います。外国の言葉で演劇をするって、きっと想像を絶する努力が必要だと思うし、難しいことも多いと思うんです。なのにそれを感じさせず、稽古もスタッフの作業もできているのはとてもすごい。稽古場では、序盤は代役などでシーン練をたくさん手伝ってくれましたね。シーンの雰囲気を早くつかめたのはマーモットの協力あってこそです。ありがとう。まも自身の役も完成度高く、まもにしかできない役になっていてすごいと思います。この前一緒にキャスパの練習したときのことを覚えています。「私に先生は務まらないよ」的な謙遜をしながらも、めっちゃ丁寧に教えてくれました。とっても助かりました。ありがとう。
和來
つよつよ班員。ふわっとゆったり着実に作業をこなしてくれる。焦らないで作業できるのってほんとに大事なことだから尊敬します。さてさて、きなこはスタオンから役者になった人仲間だ、と僕は勝手に思ってます。いつも誰かがきなこの周りに癒されに来てますね。きなこの周りにはやさしい空間が広がっていて、それに多くの人が助けられてるんだと思います。僕は衣装チとしてのきなこが印象に残ってます。締め切りや予算のことでたくさん悩んでいて、「でもスミの要望に応えたいから」って言ってるのを聞いたとき、ああいいなあって思いました。現実に向き合いつつ、理想は諦めずにやるのってすごくパワーの要ることだと思うんですよね。それができるきなこはすごい衣装チだと思います。
鞠凸二郎
やっぱり映像。今回の映像もえぐかっこいいっす。見ててわくわくしちゃう。照明と相まって本当にえぐいものが出来上がってる。自分で自分をほめてあげてほしいです。はぜ、ちゃんとすごいから。はぜにはセンスとそれを実現する能力がどっちもあって、そのおかげですごいものを作れてるんだなあと思います。演技のほうは、すでに完成度高いなって思ってたところをさらにもう一段階いいものに仕上げていて、やっぱりすごいなあってなりました。通し後のダメも細かい分析がされてて毎回さすがだなあってなってました。また今度ごはん行きましょう。はぜのものの見方とか、頭の中がどうなってるのかもっと知りたいです。あ、愚痴言ってくれるのでもいいですよ。
東愛莉
つよつよ班員。仕込み中、僕の指示が本当にへたっぴでも、高い理解力によって僕がしてほしい通りの動きをしてくれます。さて、あずは見えないところで頑張っちゃう人なのかなあと思ってます。この間の「ここまでノーミスで来てたのに」って言葉には本当にびっくりした。きっとチーフの責任を強く自覚して、一つ一つの仕事を丁寧に進めてきたんだと思う。気をつけていてもたくさん仕事を抱えるとミスはしてしまうものやから、あずのその言葉にはあずのえらさが表れていると思います。それくらいバチバチに仕事をしていながら、稽古場でも、それ以外でも、最初から最後まで元気いっぱいやったね。そ���明るさは、36期を全体的に前向きにさせてくれてたのかなって思います。
錫蘭リーフ
セイロンさん。最近めっちゃ一緒にいる時間が増えてうれしいです。セイロンを僕のしゃべりで笑わせられたときが何気に一番うれしいかも。定期的にセイロンめっちゃ上手いこと言うなーって時があって、そんなときは羨ましさと悔しさとが同時に湧いてきます。これからもおもろい話いっぱいしようね。セイロンは、かわいくてかっこいいです。普段はゆるーい感じでかわいいんですが、チーフとしては本当にかっこいい。仕込みチと兼ねるぶん作業量半端ないはずなのに、班をそつなくまとめて引っ張ってるのがまじですげえなーって思ってました。そんなセイロンと連携とって動けたときが実はうれしい。一緒にがんばろ。
城戸大夢
音響オペ。最近顔見れてなにげに嬉しい気持ちがあります。また時間ができたらいろんなお話しましょ。オームの好きなものとか、いろいろ知りたいです。あと、オームがよければ、くだらない話もたくさんしましょう。オペやってくれてありがとう。今公演、オームはオペに関して細かいことまで覚えてて本当にすごい。オームは目の前の人のために全力で動ける人、がんばれちゃう人なんだと思います。全力で操作を担ってくれるオームだからこそ、今回の素晴らしい演出が活きているんだと思います。最初で最後の新人公演、最後まで一緒に駆け抜けよう。
大良ルナ
舞監。個性がそろいにそろいまくっている36期、おのおの全力で前に進もうとしている36期のみんなに同じ方向を向かせられるのは、やっぱりらいらしかいないんじゃないかなと思ってます。馬力があるぶん、らいらがいてくれることで、36期はすごいパワーを出すことができています。きついことも多いだろうし、迷惑もたくさんかけてしまっていると思うけど、僕たちの舞監でいてくれてありがとう。そして、稽古場に顔を出し、細かいところまでたくさん演技指導をくれたことにはもう感謝しかありません。スタッフ面でも、演技面でも、らいらの協力があってこそ、みんなが輝けているんだと思います。本当にありがとう。
海月
演出。はじめて役者をするのが新人って勇気が必要だったんですよ。完全に未経験で足引っ張っちゃいそうだなあって。でもスミさん。あなたのすごさに導かれて、すっごく楽しい稽古期間を過ごさせてもらいました。きっとこれは僕に限らないと思います。あなたはすごい。すごくすごい演出。僕は初めての役者参加だったので、稽古場がどんな感じで進むかを知らなかったんですね。それで、ふだんの稽古で舞台が立った時も、通し後にダメ返しがきたときも、「いつもこんな感じなん?」ってほかの役者に聞いてたんですね。そしたら、「そんなわけないやん、スミがめっちゃすごいねんで」って言われるんです。そんなことが何回もありました。いやほんとずっとすごいことしてるんやんって思いました。そんなんチーフとして全力でお支え申し上げますやん。いやもちろんスミのがんばりと比べたら遠く及ばないですよ。あなたがすごいからぁ!!ごめんね。ただ、いち役者として、いちスタッフとして、いろいろな相談とか質問とかがしやすかったです。忠誠を誓いたくなってしまうんですよね。いやもちろん足りない部分も多かったと思います。ただ、少なくとも僕の中では、がんばろうって思わせてくれる、みんなの力を引き出してくれる演出さんだったなあと思います。本当に短い間だったけれど、僕らの演出でいてくれてありがとう。忘れられない新人公演になりました。
ちゃうかちゃわん36期、最高の仲間とつくった最高の居場所です。そんな36期とつくる公演は、もちろん最高です。
がんばります。
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kennak · 5 months ago
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「話をおまとめ下さい」 よく通る官僚の声が発言を止めた。82歳の男性があわてて口を閉ざした。その後ためらいがちに出た言葉はとても聞き取りにくかった。すでにマイクが切られていたからだ。新聞記者が連射したシャッター音が会場に響いた。 懇談会の終了間際、出席者のひとり、水俣病被害者の会の中山裕二が「一点質問させて欲しい」と伊藤環境相を引き留めた。「マイクを絞ったのか」とたたみかける中山らに伊藤氏は背を向け、司会を務めた水俣病担当室長も無言で会場を去った。 「全面かつ最終解決」と国が自賛した水俣病特別措置法施行から15年。「マイク遮断」はなぜ起きたのか。環境省にとって水俣病は忌むべき存在なのだろうか。(熊本県民テレビ 記者 東島大/敬称略) 水俣病の仕事は「後ろ向き」環境省職員の本音 筆者が受け取った環境官僚からの電子メール 「究極の『後ろ向きの行政』を担当しておりましたが(略)、今度は『前向きの行政』を所掌いたします」    こんなメールを貰ったことがある。環境省で水俣病を担当する特殊疾病対策室のある室長が異動の挨拶として私に送ってきたものだ。全歴代の室長すべてが水俣病の仕事を「後ろ向き」と認識しているとは思わない。しかし取材者としては、職員のかなりの部分の本音ではあるのだろうと感じている。 それは水俣病が単に古い事件だからではない。懇談会でマイク遮断を最初に指摘した中山裕二は40年以上環境省との交渉に関わってきた。今回中山は「マイクを切るなんて初めてだったよ」と憤りながらもその後記者たちにこう話した。 「環境省と私たちっていうのは振り返ればぎりぎりの緊張関係にあったけれども、それなりの信頼関係もあったと私自身は思っていたんです。ところがこの間の特殊疾病対策室長の対応、それが信頼関係を壊した」  5月1日は水俣病にとって大切な日だ。1956年のこの日、水俣市保健所に奇病発生の届けが出された。患者は5歳と2歳11か月の姉妹。報告書によれば、2人とも意識は朦朧として看護師がヤクルトで唇を湿らせてやるのがやっとだった。 姉は亡くなったが妹の実子は71歳になった。ことしに入って寝たきりの状態が続いている。自宅で倒れる直前に「靴がはけない」と声を上げたのを最後に70年自分の意思を言葉で伝えたことはない。 この日を公式確認の日として毎年慰霊式が行われる���環境相と県知事は必ず「謝罪」を口にする。その後に患者との懇談が用意されるが話は「聞き置く」のみ。患者側が追及しようとしても「係争中なので」とかわされる。被害者と加害者は、裁判の原告と被告でもある。そこに「信頼」の文字はない。「マイクオフ」が起きる種はすでにまかれていた。 原因企業ありきの経済成長 水俣病が抱えたタブー 「マイクオフ」を命じた環境省特殊疾病対策室長は、およそ2か月後に異動となった。環境省は定期異動の一環と説明した  ではなぜ環境省は水俣病に「後ろ向き」なのか。それはキャリア官僚たちが束になっても太刀打ち出来ないほどのタブーが水俣病問題に亡霊のようにつきまとっているからといえば文学的に過ぎるだろうか。  たとえば──水俣病の原因企業・チッソは小さな田舎企業ではない。戦前、軍部と結託し朝鮮半島に進出。世界最大級の水力発電ダムを建設し、戦後に首相となった岸信介らの後ろ盾を得てアジア一帯へ勢力を拡大。その売上は三井三菱を凌駕した。戦後は大陸に展開していた人員を水俣へ集約し、敗戦からわずかひと月で工場を再稼働させ、昭和天皇の激励を受けた。 巨大ダムを視察する後の首相・岸信介(右)当時は満州国産業部次長という肩書きだった  戦後は電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビの三種の神器に欠かせないプラスチック製造に必要な化学製品オクタノールの国内シェアの85%を握る。私も取材に加わった「NHKスペシャル 戦後50年その時日本は~チッソ技術者の証言」では、当時通産省から経済企画庁に出向し水俣病対策にあたっていた官僚に取材している。彼は「排水を止めた方がいいんじゃないですかねなんて(出向元の通産省に)いうと『何言ってるんだ、チッソが、これだけの産業が止まったら日本の高度成長はありえない』と言われた。確信犯だね」と語った。文字通り、チッソは日本経済のエンジンだった。 水俣患者と国とで「板挟み」 自殺したキャリア官僚 故・後藤舜吉チッソ最高顧問。45歳で取締役となり「チッソ中興の祖」と言われた  チッソの認識はどうだったか。社長・会長・最高顧問を30年務め2年前に鬼籍に入った後藤舜吉に「工場廃液が水俣病の原因とわかったあともなぜラインを止めなかったのか」と尋ねたことがある。  その時後藤は「わが社が生産しなくなれば客が困る」と即座に答えた。「困るのは日本経済そのものだったのでは」と更に訊くと「たまたま結果が世の中のお役に立つといったようなことです」と煙に巻いた。 こうした「水俣病の責任を認めることは国策の誤りを認めること」という認識は環境官僚の手足を縛っていく。 1990年12月、環境庁の事務方ナンバー2の企画調整局長・山内豊徳が自殺した。53歳だった。 映画監督の是枝裕和が丹念に取材した記録「官僚はなぜ死を選んだのか」によれば、山内は死を選ぶ前日、家族に「水俣の仕事はどうしてもやりたくなかった」「自分に嘘をつかなきゃいけない部分が多すぎるんだ」と告白したという。  今、山内の名を記憶している環境省職員は少ないだろう。しかし「(水俣病問題が)やりにくいのは、外部じゃなくて内部なんだよ」とも漏らしたキャリア官僚の思いは、今も形を変えながら職員たちの意識に流れ続けているように思える。 戦後復興と漁師の命を天秤に 公害広げた「悪魔の選択」  「なぜ政府は水俣病を解決しないのか」。水俣病の取材を30年以上続けていると多くの人々からこの質問を受ける。しかし政府は水俣病を解決出来ないのではない。解決するつもりがないだけなのだ。正確には「解決する立場にない」と考えているというべきだろうか。裁判では、不作為──つまり政府が公権力を行使すべき局面であったのに「何もしなかった」ことが水俣病を拡大させたとされた。なぜ政府は何もしなかったのか。それはかつて政府がまとめた「見解」に見ることができる。この見解からひと月後、山内は死を選んだ。 1990年に政府がまとめた「水俣病訴訟に関する国の見解について」。山内氏はこのひと月後自死した  原文(画像参照)は慎重な言い回しだが、ここから読み取れるのは「戦後復興の代償を支払うのは誰か」という究極の問題である。���本の復興と、九州の一寒村の漁師や子どもたちの命。当時の官僚や政治家が秤にかけたものはあまりに大きすぎた。しかし彼らは一方に目をつぶり一方を推進せざるを得なかった。環境省は水俣病を教訓に産声を上げたと言われるが、正しくはこの悪魔の選択への忸怩たる反省として産み落とされたといえよう。  医師でもあった環境庁の第二代長官大石武一は、水俣病第一号患者・田中実子を見舞ったのちに訪れたストックホルムで「日本国民はより多くの生産、より大きいGNP(国民総生産)が人間幸福への努力の指標であると考え、これに最大の情熱を傾けて参ったのでありますが、その考えが誤りであることに気がつきました」と語った。 終わらない水俣病 解決を阻むもの 大石武一の演説に目を通す水俣病被害者の会・中山裕二さん マイク事件を通して、あらためて行政との「信頼」にこだわる被害者の会の中山裕二は今、大石の講演録を手に語った。 「経済優先の政治���ていうのは一切変わってないということじゃないですか。環境省は、設立当初はそれなりの理念と正義があって国にブレーキをかける唯一の役所だったという言い方をする人もいたけれど、でもその後経済成長へともう一度舵を切った時にやっぱり抵抗しきれなかったんですよね」 チッソ工場から垂れ流された排水。水俣病が確認されて10年後の1966年まで続いた 水俣病とは、高度経済成長とは何だったのか。戦後の繁栄を享受した私たち日本人はどこまで水俣病に責任を負うべきなのか。ひとりひとりを説得する覚悟が伊藤環境相にはあるのだろうか。 編集後記 本稿の、岸信介元首相がチッソの朝鮮工場を訪れていたというくだりは10年程前の私の独自だった。当時は岸の孫の安倍晋三氏が首相を務めていた時期で、私がその頃勤務していた公共放送局では東京の報道局から「岸元首相の部分を削ったら放送する」と言われ「それではニュース価値がなくなる」と断ったら放送されなかった。今回マイクを切った官僚にもどこかへ忖度があったのだろうか。原稿を書きながらそんなことを思い出した。 ※この記事は、熊本県民テレビとYahoo!ニュースの共同連携企画です。
水俣病患者らとの”ギリギリの関係”を壊した「マイク遮断」事件はなぜ起きたのか 問題を追う記者が見た「解決を阻むもの」(KKT熊本県民テレビ) - Yahoo!ニュース
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nrmkh · 3 months ago
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演出を務めた三重音楽発信vol.11 オペラ「カルメン」が終演しました。
[当日配布プログラムの演出ノートより抜粋]
私もこの10年超お世話になった三重県総合文化センターの周年事業に、演出家として関わることができたことを心からうれしく、光栄に感じています。博学才穎でチャーミングなマエストロ矢崎さん、真摯で魅力的な歌い手のみなさんとの「カルメン」製作は、私にとって音楽についての発見と楽しさに満ちた日々でした。
プロスペール・メリメの小説「カルメン」を原作に、アンリ・メイヤックとリュドヴィック・アレヴィ、そして作曲者であるジョルジュ・ビゼーとともに台本が書かれたオペラ「カルメン」には、誰もが一度は聞いたことがある曲がいくつも登場します。今回、このあまりにも有名なオペラの演出を担うにあたって、たくさんの資料にあたりましたが、実際に稽古に入るまで腑に落ちない部分がありました。それは「なぜ、ホセはカルメンに恋したのか」でした。音楽上でも台本上でも、ホセがカルメンに心を奪われるタイミングは概ね見当がつけられますが、その理由についてはほとんど手がかりがありません。ホセの一目惚れとも、カルメンの魔力によって酔わされたとも、真面目で堅物なホセがカルメンの誘いにあっという間に惑わされたとも、いろいろな解釈ができてしまいます。ひとが恋に落ちるのに理由は必要ない、という常套句を当ててしまえばそれまでなのですが、それでは演出家としてはやはり腑に落ちないのです。そんな中、立ち稽古に入る前の音楽稽古で歌い手のみなさんの声を聞いたとき、その靄が開けていくような感触がありました。あらためてスコアを開いてみて、2幕終盤でカルメンが歌う[Liberté=自由]という言葉と、3幕1場でミカエラが歌う[Seigneur=主・神]という言葉にたどり着くことができました。
私たち人間の歴史は自由と規則の間で右往左往し続けてきたと言っても過言ではありません。キリスト教はもちろん世界のさまざまな宗教は、広大な野生的な自由という土地に立つ個人や社会に指針を与えるものでもありました。それは必然的により良く生きるための規則でもあります。しかしこの自由を制限する規則は人生を類型化し、合理化し、規則をつくる側と従う側、さらには規則を破った者を罰する側と罰せられる側という権力傾斜も生み出しました。多くの権力は増長し腐敗するとともに、縛られていた自由は、その解放を求めて規則を壊したり変更するために権力や多数的価値観と戦うことを選び、その戦いに勝利したとき、ひとはいくつかの自由を手に入れてきました。ただ、この自由には人間が抱き得る多種多様な欲望が含まれ、その中には衝突し合うものもあり、自由の中でも争いが起きます。その争いの調停のために、もしくは多様なそれぞれの自由を尊重するために、規則が導入されることになりますが、いつの世も多数が欲望する自由の方が声が大きく、少数が欲望する自由がその権利を求める争いは終わることはありません。かてて加えて、自由の広大さや野性さに戸惑い、迷い、悩むひとにとっては、宗教が果たす機能と同様に人生の指針を、つまり規則を望む場合も少なくありません。広すぎる自由、危険で野蛮な自由の中に放り出されるよりは、規則に従い、ある種の強さに守られることを選ぶ自由もありえるわけです。アメリカに亡命したユダヤ系ドイツ人、エーリッヒ・フロムを引��までもなく、自由から逃走した結果の歴史的な悲劇を私たちはよく知っています。
この自由と規則の間で迷い続けてきた私たちの姿は現在の社会情勢にもはっきりと現れているとともに、オペラ「カルメン」の世界、もっと私個人の疑問に寄せて言えば、「なぜ、ホセはカルメンに恋したのか」の問いにも答えてくれるように思います。
市民に対して力を持ち、規律厳しい軍隊に所属するホセが、敬虔で従順なミカエラを捨てて、自らの意思に従い広大で自由な世界を進むカルメンへの愛に突き進んでしまう姿は、私たち人間の歴史そのものです。そして、手に入れた自由は、自由であるがゆえに、多様な欲望を含み、表し、ひとつの形に留まり続けることはありません。その自由さを許せないホセが、ミカエラの声も聞かず、カルメンを手にかけてしまう姿は、自由の多様性に耐えられず、及ばない規則や秩序の内側に留まるよりも、自由そのものを殺し、悲劇的な結末を迎えてしまう私たちとよく似ています。
オペラ「カルメン」が初演から約150年、世界中で演奏され続けているのは、精緻に論理的でありながら彩り豊なビゼーの音楽はもちろんのこと、この物語の中に生きる人物たちが、人間の自由への欲望や、自由に対する恐怖を示しながら、鏡のように私たちを映しているからなのかもしれません。
音楽に酔い愉しむとともに、矢崎マエストロの音と、舞台から発せられる言葉に向き合う中で、私たち一人ひとりが自由に対する姿勢を糾す機会になればと願っています。
最後に、この大きな公演に係る膨大な作業を務め、支えててくださった三重県文化会館のスタッフのみなさまと、三重音楽発信vol.11実行委員長の櫛田さんをはじめ、作品をともにつくり上げてきた各セクションの出演者とスタッフ、協力や支援をしてくださった多くの方に心から感謝申し上げます。そして何よりも、ご来場のみなさまと、これまで三重県総合文化センターを支えてきたみなさまに、あらためて心からの厚い感謝と敬意を。
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k-div · 7 months ago
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エゴイスト
どうもこんばんは。絵心甚八(えご・じんぱち)です。 "エゴイスト"になるためサッカーしてたのですが、ホームレスの方にガチギレされてしまったのでやむなく帰ってきてこれ書いてます。
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去年からずっと使ってた場所だったんですが、確かに家っぽいのあるな〜と気にはなってました。 でも今まで特になんのリアクションもなかったので、気に留めずアップ用のリフティングをしてたんですが、 今日突然ガザッと勢いよく家から黒Tのおっちゃんが出てきてこちらに向かってきて、 うるせえんだよ!!!おい!!!と怒鳴りながら真っ直ぐこちらに詰め寄ってきました。 こわかった… 小学校の頃帰り道でいたずらして知らん大人にガチギレされた時の感覚というか、 ワンチャン自分これ怪我するか?という恐怖の感覚を久々に感じました。 すみません。すみません。と相手に応えつつそそくさ��ボールとバックをもって去ると、途中から追ってこなくなりました。 ここはボール遊びできねんだぞぉ… と最後ちょっと勢いが弱くなってたので、私の素直な謝罪が功を奏したのかもしれません。 あそこ人いたのか〜 一番音が出てしまうインサイド縛りでビシッ!ビシッ!と執拗にやってたのが良くなかったと思います。 (静学中のこれできないと練習参加不可の動画に触発されました。両肩と両足踵はもはや大道芸。序盤の低クオリティすぎる男子校ノリもおもろい笑) あの場所ようやく見つけた自分だけの秘密のブルーロック(青い監獄)だったのにもう使えなくなったな〜 てかさ、あいつが一番エゴイストじゃない? フリーの味方にパスせずシュートしちゃうより、住みたい公共スペースに勝手に住んじゃう方がエゴイストだろ。 でも誰も好き好んでこの暑いなか外で寝てるわけないよな。というか今までもごめん、ということで俺は根本的にエゴくないので別の場所を探そうと思います。エゴイストへの道のりは長い。 エゴさんも無惨様もそうだけど、なんかボスキャラの名前コテコテみたいなの最近多いですよね。 個人的にそのコテりは好きだけど。"無惨様"とかそれだけでパンチラインだと思うし笑 最後に今回のテーマに相応しいこの曲を紹介して終わります。特にAメロの静かなとこがめっちゃかっこよくて注目です。 それでは聞いてください、EGOISTで""名前のない怪物""
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ashi-yuri · 1 year ago
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Citizen Sleeperと模範的な宇宙都市
都市に溶けて
現代欧州の都市を一宇宙船へと翻案しサイバーパンクに味付けした模範的SF小説がするっと読めました。良質都市小説でもある。
以下、実験的なテキストゲーム、SF・都市小説についてのとりとめない感想。DLC含めてネタバレ
直前にディッシュの「SFの気恥ずかしさ」を読んでたせいか、SFに期待しすぎてるめんどくさいマニアの感想になっちゃった。
最初の眠りでの自我の語りのシーン、いろんなひとが指摘してるとおりすごくDisco Elusiumオマージュ。テキスト表示欄も意識的に寄せてるはず。
テキストメインの実験的ゲームとして、Disco ElysiumとかKentucky Route Zeroあたりと比較されるのも見るけど、本作はわりと素直な模範的ゲームだと思う。
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ゲームシステムはダイスロールや選択肢によるダイナミックな変化とかはなく、遊びやすく簡素な印象。
硬派めSF小説を読ませるため、ページをめくる代わりにダイス振りと魅力的な立ち絵とクールでシンプルなUIを用意することは、テキストへの感情移入を容易にし、あまり小説読まない人など含めてより広い層へテキストを届ける試みとしてうまくいってるのだと思う。
淡々としたプレイフィールも文章を読むことを阻害せず、端正な読書体験として自分は楽しめた感じ。
基本的に、UIやインタラクティブ性やゲームプレイではなく、テキストそのもので素直に語りたいゲームという印象だった。
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逆に、UIそのものが語りと演出の機能を強くもつ前作“In Other Waters”と比べると、実験性は薄れた代わりにふつうに読みやすく遊びやすくなってるんだと思う。
SF小説・SFゲームとしては自分は前作の方が好きだけれど、Citizen Sleeperはより広い層に向けて訴求するゲームとして進もうとしてるのかもしれない。前作の3倍以上のSteamレビュー数は、この試みがちゃんと目的を達成したことを証明しているのだろう。日本語翻訳もとてもSFとして質が高くてよかったし。
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肝心のテキストについても、素直で模範的なところは物語そのものに結構ダイレクトに出ていて、善人と悪人はかなりはっきりわかるようになってるし、でてくる人たちの9割は模範市民だし、展開も最後まで素直だし、現代欧州都市が持つ労働・移民・環境・政治などの課題はSF的に翻案されつつ現実そのままの手触りで持ち込まれ、SFとしては手堅くオーソドックスな手法で解決される。バイオオルタナ生物としてのきのこの話や自我論とかも出てくるけど、SFとしての奇抜さや飛躍は少なめ。
SFとしてはAIの擬人化などベタに感じる部分もあるけど、生々しいテーマを、フィクションとして丁寧で魅力的なコーティングを行なうことでより広い層に届ける役に立っているのだと思う。
SF小説好きとしては、本作のテキストは手堅く良質だけど、もうちょっと科学とフィクションの力で跳んでくれたら嬉しかったなという印象。一方、その手堅さや淡々とした模範性が本作のいいところかなあと思う。
自分はプレイ始めてから、記憶もなく得体の知れない異邦人である主人公に対して出会う人みんな最初から好意的でやさしすぎるし、やたらと仕事を頼んで頼りにしてくるのがずっと引っかかっていて、人情噺としてはいいけど、資本主義崩���後の辺境都市としてのリアリティは削がれてると感じる。そのあたりは、Disco Elysiumはじめ都市を描いたゲームや都市小説と比較すると、都合の良いフィクションぽい感じが強い。
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でもそれは物語の都合なのかもしれないし、深読みすれば、登場人物たちはみな傷ついた労働者であり、おなじく傷ついた労働者たる主人公に対する共感・連帯によるものなのかもしれない。
逆に後半は、主人公が「瞳」という都市に対して献身的で、勤勉な労働者であることが実感できてくるので、出会う人みんな親切で頼りにしてくれることに納得感があった。(逆にDLCまで行くと主人公がなんでもできすぎる無双感が出てくる)
「どんな者でも労働による社会参加を通じて、その場所に受け入れられることができる」という感覚が本作にはある。だから真面目に都市の中で働けば、市民として受け入れられ、物語は報いてくれる。そして、労働を放棄した賞金稼ぎや奪うことしかできない傭兵、労働者として団結しえない者は悲しい結末を迎えてしまう。
この作品は資本主義が行きすぎた都市のリアリティより、危うい立ち位置にある現代都市��もこうあってほしいという労働者の模範性を描く。困っている隣人には手を差しのべ、勤勉に働き、労働者みなが都市というコミュニティの健全な存続を願い、行動することの価値を。都市が生み出す不道徳・罪悪を書くことを選ばず、あるべき労働者の姿を描写することを、作品はすでに選んでいる。だから本質的にプレイヤーの選択は不要で、ゲームはほぼ一本道のルートとなる。
欲望と資本主義の最果てを題材とするサイバーパンクにおいて、まっとうさと真面目な労働を真正面からよしと描くことは稀有な試みでもある。プレイヤーの欲望・願望により奉仕的なゲームというメディアでは特に。
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In other watersのようなオリジナルな実験性を勝手に期待してたところがあるので、Citizen Sleeperの真面目で模範的な姿勢にどこか物足りなさを感じつつも、でもやっぱりそういうゲームがしっかり人気を博す位置にいることは大事だなと思う。
その模範的な姿勢は今のゲーム、フィクション、そしてそんなフィクションが描かれる現代の都市に求められているものだとも思うので。
DLCクリア後の追記
労働、対話、寛容こそが私たちの信じる価値
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すごくよかった!
基本的なことは上の印象から大きく変わってはいないけれど、自分たちの住む場所から離れざるを得なかった避難船団の人々、ヨーロッパに押し寄せる難民をモチーフとするであろう彼らの背負うものが多様で切実で魅力的で、ひとつの都市をさまざまな視点から否応なく見させられることで、都市、そしてHomeを描くテキストとしてぐっと厚みが増している。
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故郷を捨てざるをえなかった人、終の住処として残る人、矛盾に縛られながら守る人、しがらみとともに捨てる人、生きるために去る人、過去を見る人、未来を見る人、誰もが物語を持ち、出会いと別れが交錯する、儚く忘れがたい場所としての都市の物語。
価値重視の理想主義的なところ含めて、ヨーロッパの先進都市から生まれるべくして生まれた作品なんだと思う。
最近ちょっと町の持続性とかよその国の都市のこととかいろいろ思うところがあったので、今の自分の気分にもはまってよかったな。
行動範囲が広くなってお散歩気分が増えたことと、限られたターン内にひたすら単調な物資集め・労働ターンを反復するタスク感も、「労働してる」という感じがして好感触。期限内にタスク全部こなせるとやっぱりうれしいね。
Citizen Sleeper2では銀河のはみだしもの・賞金稼ぎ的な世界が描かれるみたいなので、「労働による社会参加」が困難なひとたちのサイドからまたこの宇宙が描かれるのかなあと予想してる。今作で拾えなかったことをしっかり拾っていこうとする、そんなテーマ設定も真面目で模範的だね。
あとがき
いろいろぐだぐだ書いた結果、最初クリアしたときより満足してきたかも。
非常にウェルメイドで気持ちよくプレイできたし、やっぱり一市民として都市に溶けていくようなエンディングはとてもよかったし、きのこになれるのも楽しかった。次回作も楽しみ。
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(おまけ)
Night Call
薄いフィクションの膜で包んだだけの、現代パリを克明に描くビターでずっと薄暗いタクシー会話シミュレータ。都市の包容力と矛盾、都市市民の失望と矜持を表わす80人を超す多様な登場人物のリアルな会話テキストがほんとにいい!すごいテキスト量にもかかわらず、苦闘の末に個人翻訳MOD作っていただいてほんとうに感謝。
バグの多さやゲームシステムのこなれなさなど大きな欠点をいくつも抱えているけれど、現代欧州の一都市を描いたゲームとしてとても好み。
※スクリーンショットは非公式日本語MOD使用
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日本語MODへのリンク
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demaescape · 1 year ago
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Slices and Chops feat.夏色花梨 の いろんな話
僕の美少女的概念である出前changのテーマ、「Slices and Chops」をFRENZ2023一日目夜の部に上映させていただきました。
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この文章は作品の解説というよりも、本作がどういう経緯で立案されたか、出前changがなぜここまで自身のアイコンとして成立できたのかというお話かもしれません。
結構長くなったので時間ある時にどうぞ。
0:実は2019年からこの話は始まっている
遡ると2019年からになるのですがKlavistr(以下くらびと呼びます)から「一緒にFRENZに出たい」という申し出があり、個人的にもお世話になっている友達でもあるので快諾しました。
…………………
「…僕とくらびの得意としているジャンル、全然違うくない…?」
僕はどちらかというと展開の多く激しい「音楽ゲームらしい」曲に映像をつけるのが得意で、くらびは「J-POPの文脈を持った音楽」が得意なので、
そのまま無策で通すとどちらかにどちらかの妥協を押し付ける形にならざるを得なくなります。
ひとまずはその解決策の一端として過去にReviXyとかで制作実績もあり交流もある「ikaruga_nexとの合作」を提案をして生まれたのがFRENZ2022出展のArgo↑↓sでした。
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立案から実現までの間にコロナ禍入っちゃったから3年と随分時間が経っちゃいましたね…
これはこれでなんか新たな方向性が見られて面白くはありましたけど、くらび本人からやはり改めて自分とサシで殺しあいたいとの申し出により、FRENZ2023はサシでやりあうこととなりました。
FRENZに出すとなればお互いに納得のいく作品を出したいところではありますし、「僕の方向性にくらびを寄せる」でも「くらびの方向性に僕が寄せる」でもない、お互いに得意な戦場を並走できるコンセプトが必要とされていました。
そしてそのコンセプトはこのブランクがあった3年間の間に成熟したコンテンツによりもたらされることとなります。
1、VTuber文化ありがとう
バーチャルユーチューバー(VTuber)文化がこの三年間で大きく成熟したことが本作のコンセプトの立案へと繋がりました。
VTuberがインターネット上での文化の一つとしてしっかり地に足がついたことで、個々のVTuberが自身を表すテーマ曲を発表するという事例も珍しくなくなりました。
多少芸能人的な側面はあるものの、現象としては「美少女アバターを持つ一個人がキャラソンを持つことが許され始めた」時流が生まれていると見ることができます。
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ex.ぺこらんだむぶれいん!(MV:えいりな刃物)
シンボルをカオスにあしらい続けつつもスタイリッシュさを維持している方向性は特に本作に影響を与えました。
それはそれとして一般インターネット映像屋たる僕の概念がキャラソン持とうとするのは明らかに頭おかしいのでは?というお話ではあるのですが、ここはちょっと自分自身に不思議な条件が揃っていて発車できるだろうなという目算がありました。
1-2、出前changが浸透してた
2019からの三年間、僕は「自分が関わ���せてもらった音屋集めて同人CD作りてえ!!」という気持ちで同人CDをM3の度に企画して頒布してました。
最初に出したCDがそれこそ「今までBGA作ってきた人の新曲を集めて形にしたい」というコンセプトの「SPIN」で、
ジャケットイラストを描いてもらうにあたって自身の過去作を一通り描いてもらおうと思ってたのですが、
「自分自身を表す存在が絵の中に無いと絵的に締まらないのでは…?」
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SPINジャケットのラフ。真ん中にマジで誰か分からん子がいる
直近にうえいずさんの「フォロワーJK化」的なハッシュタグに軽い気持ちで描いてもらっていたキャラデザがめちゃくちゃ良かったので急遽許可を取りに行って使わせてもらうことになりました。
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改めて正式に描いてもらった出前changキャラデザ。原色を多用しつつもグレーの上着で派手になりすぎないようにしている優秀なバランス感
その後、彼女は「EXTRA TU-R-NE」「SPIN2」のジャケットに起用して自分の美少女的概念として描いてもらう道を歩むことになります。
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SPINとSPIN2のジャケット。自分の概念としてすっかり定着。
めくじろさんによる高い画力と構成力による画面の華やかさも手伝って非常に素晴らしいジャケットに仕上がっています。
そしてこの擦りが届いたのか、ファンアートタグの #でま絵 でもちょくちょくFAとして出前changが描かれたりし始め、自分自身の概念として認識されてると言ってもよい状況となっておりました。
出前changを描いてもらうことを条件の一つにしたジャケット公募を行った「rmXcape」も多数応募があり、出前changのカードスリー��やプレイマットも出すとしっかり売れてくれる等、少なくとも自分の同人活動の上で出前changの存在は確たるものとなっていった実感がありました。
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公募合格者のずっと好きさんによるrmXcapeのジャケット。破壊と融和と幻想の入り混じった完成度が非常に高い構図に唸らされました。
1-3、動画作品のシンボル化
これによって自分の美少女的概念出前changが広まるとともに、「SPIN」「SPIN2」を通して自分の作品のシンボル化も行われており、それの集大成がプレイマットに集約されました。
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めくじろさんによる出前changプレイマット。女の子を軸に過去作の要素も多数盛り込んでもらいました。
端的に「この作品と言えばコレ」と言えるようになったことで簡潔な情報で過去作を提示できるようになり、ある意味ミーム的なキャラ付けとして自身の制作物を扱えるようになったのもかなり自分の活動を振り回すうえで便利になった感覚がありました。
出前changの概念としての浸透、および制作物の端的なシンボル化により、自分自身をコンテンツとして取り扱っても伝わりやすい環境が強く整ってきていました。
2、テーマソングってJ-POPじゃん
テーマソングってJ-POPじゃん
じゃあ出前changのテーマを作ればくらびはJ-POPを打ち出せるし僕は女の子バラせるしwin-winじゃん
完璧な作戦だわ勝ったなガハハ
2-1、実際
いや実際くらびとも長い付き合いだから僕への解像度は高いはずだし彼は総合的な「正解」を叩き出すことに関しては比類ない実力を持っているのでやってくれると思ってたし実際やってくれました。
〆切一週間前で曲が完成したのは流石にちょっと焦ったけど(照)
でも人間頑張れば素材が揃ってるなら24時間稼働でコンポジット完了できるみたいです カスの成功体験
3、制作進行的なお話
くらびが結構作曲に難航しているということがあり、曲に頼らず自力でシーンを捻出する必要が出てたので自力で32シーンくらい考えて32シーンのアニメを作りました。
普段映像のインスピレーションを曲から引きずり出すタイプの制作してるので慣れない作業でこれはかなり時間がかかりました。
32シーンの根拠は1シーン4秒くらい使うなら映像作品として強度が出るだろうという目算と2の5乗でちょっときれいな気持ちがあったからです
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一次提出で出したシーンのラフたち。
ここから何個か没にして使用したのは28シーンくらいで普通に1分30秒くらいで素材を使い切って大変なことになりそうでした
編曲が最後に来るとなれば曲に合わせた雰囲気づくりが最終的に絵柄ではなくコンポジット依存になるので、モーショングラフィックス的なキャラデザよりも手書きのほうが後々ハマりやすいだろうなという目算もうまくいっててよかったです
結果的に曲にもモーショングラフィックス的制約にも縛られず、自分の脳内イメージがかなりそのまま出力されたのでなかなか今までになく不思議な仕上がりになりました
PARADiGM SHiFTの制作時に手描きでせこせこアニメを作るのを実験的にやってたのでそこで「意外とやれるな…」という感触を得たのも今回のコマアニメ主体の映像に踏み切れる転機だったかもしれません。
やっぱり誰に依頼されるでもない自主制作は自分の中に課してる制約を一段階解除させてくれますね。
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YOFUKASHi Sound Team - PARADiGM SHiFTのMV。超展開がテーマやし多少好き放題やっても許されるやろ…という甘えの元いろいろ作画をしました。
4、忘れられたくないよな、というお話
VTuberの真似事みたいなことしてみたい!という感じのお話に始終してる感じですけど、本質としては「自分のこと忘れてほしくないな」という動機です。
同人CD活動も含めてなんですけど、自分の生み出してきた作品を振り返ってまとめて人生をパッケージ化したいなという欲望がありまして、自分の人生を端的に説明できる物があると「生きて来たな」って感覚がするんですよね…
自分が死んでもパッケージを通して自分の人生を誰かに端的にでも振り返ってもらいたいな~という淡い終活でもあるかもしれません。
本作はこの流行り廃りの流速が早くなった現代インターネットで、それでもこんな好き放題やってる自分の存在を認識し続けていてくれる人への感謝状であり、存在証明です。
引き続きこんな感じで好き放題創作活動やっていきます、今後ともよろしくお願いします。
5、おまけ
本作品の企画中にFRENZ主催の前田地生さんがプロデュースした最強のMVがリリースされ、自分のやりたいこと全部やられて300回くらい心が粉々になってました
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許してくれ
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manganjiiji · 1 year ago
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内省ましまし
ずと楽しみにしていたイベント(す〜ぱ〜コミックシティ)に行くことができなかったが、さもありなん。という感じだった。ここのところ全然、起きて出かけたり、用意をしたり、生活をしたりすることができない。でも冬だし、仕方がないし、できないときはできないものだと思って、自堕落に暮らしている。シティには行って即帰るくらいの気持ちでいたので、まあ行かなくても、というか、私が行かないことで誰も損しないんだから全然行かなくてもよかった、と思えて、よかったな〜となった(日本語崩壊)。もし私が行かなければならない場に私が行けないとなると、落ち込みが激しいが、そうではないので、別に落ち込む必要はないか、と思えた。2ヶ月前くらいから楽しみにしていたが、疲労から立ち直れなかった。物理的に無理なことは無理。私の体には明確な限界があるのだった。
午後の、友人との映画、劇団ドラマティカの「カラ降るワンダフル!」には無事行けた。友人とも久々の再会となりとても嬉しかった。これはあんスタのキャラクター達のなかの演劇部のメンバーを中心として、キャラクターが演劇をするという舞台。カーテンコールでは、役を演じたキャラクター達が出てきて、最後のカーテンコールで、キャラクターを演じた俳優たちがやっとコメントをするというマトリョシカのような構造で、カーテンコールが面白かった。劇中ではコメディだったので恐ろしいほどの数のアドリブ(ミニコント的なもの)が成されており、そのアドリブはキャラクターがやっているていでやらなければおかしいと思うのだが、どう考えても俳優の「地」が出ていて、そこはやはり賛否両論あったらしい。私は劇団ドラマティカおよびあんスタ関係の2.5次元には全く触れたことがなかったし、最近はもう2.5にそこまでの思い入れがないので、役者たちが楽しそうだなあと思って普通に楽しめた。そして2.5でもなんでも、板の上の世界ってやはりいいなあと思った。映画館で見たので、カメラがここを見ろと映してくれ、視点で迷うことなく物語に没入できたのも楽だった。とにかく衣装とウィッグがかなりレベルが高く、金のあるコンテンツってこういうところがめちゃくちゃいいんだよな、と思った。全員顔が良かったし、ウィッグがとにかく良かった。
そんな舞台を見たあと、最近全然動けてなくてまずいという話を友人と最後にし、別れた。帰路、ドラマティカを見て元気を貰ったのもあって、これからは少し頑張れそうだと思った。もしも病気がなく、私の精神が健全で、人間としてもう少しまとも(つまり年相応)だったなら、私も36歳ならばなんらかの管理職か何かに就くか、家庭でなんらかの役割をこなすかしていたかもしれない。子供がいればそろそろ小学生だったり、そういう年齢だ。しかしそうはならなかった。そのような未来および過去は存在せず、どうすることもできない現実の現在だけがある。どうすることもできない。もしもりっぱな36歳だったら、働くことも逃げることもできず虐待の呪縛から解放されないまま苦しんでいる友人の面倒を見るというか、居候くらいさせることができたかもしれない。しかし、そうはならなかった。そもそも、私が病気になっていないのであれば、私は健全な家庭でそれなりに真面目に育ったはずで、そうなると、被虐待者の友人たちと出会わなかった可能性が高い。また、私が彼女達の状況や感情を理解できなかった可能性が高い。それを思うと、私は加害され、病気になり、36でも未だにアルバイトしかできないこの体と、実年齢マイナス10歳くらいの精神しか持ちえないこの状態で、全然良かったと思う。苦しんでいる人の痛みを理解できないままに、ただ自分の幸福だけを追う、ただの勝ち組になるよりは、私は、弱者としてでもいいから、弱者とよばれる人たちの支援のために駆けずり回る人生でよかった。うつ状態や希死念慮がどんなものか、親(養育者)に迫害されるとはどういうことか、トラウマを乗り越えるにはどのような困難があるか、そういったことを十分に想像できるこれらの経験があり、本当によかったと思う。もし恵まれた側に生まれていたら、私の頭の悪さでは、頭の悪い方向にひたすら突っ走って、いわゆる弱者を切り捨てることになんの躊躇ももたない人間になっていたと思う。こんなに(当社比)こころやさしい人間になれたのは、やはり辛酸を舐めたからだと思う。そういう意味では親に感謝したほうがいい。最悪な子育てをどうもありがとう。あなた達がクソみたいな人間だったおかげで、私は人間性を獲得しました。これは本当に、もし良い親に育てられていたら私の人間性はここまで担保されなかったと思うので、よかった。まともな親でも子供がやばい場合は多々あるし、まともじゃない親に育てられたからといって、まともな子供になれるという訳でもない。世の中にはさまざまなパターンがある。私はたまたま親にも生まれにも恵まれて、そこそこまともな思考を持つことができた。自分ではまともだと思っているけれど(全くまともではない自覚を持っていることも含めて)、いやお前は邪悪だよ、と言われてしまったらそれはごめん、という感じだけど、私としては真剣に何が正しいのかということを常に考えているつもりです。私はずっと正しさなんてないと思っていたが、長く生きていくうちに、どうやらほんとうに「正しい」ことはあって、それを実践するのが人生のようだ、ということに気づいた。正しさとは相対的なものではなく、絶対的なものだ。これに関して、ひとつ今でも覚えている例は「産まれたばかりの赤ん坊を、窓から放り投げるのは正しいか」という問いだ。これは正しくない。これは明確に正しくない。どんな状況だったとしても正しくない。もし、この赤ん坊が育ったとしても、結局は口減らしのために殺されるとか、何か壮絶な困難が待ち受けているとしても、成長した赤ん坊が「あの時殺してくれていれば」と思うとしても、やはり、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げるのは正しくない。理由はさまざまにあるのだが(考えればわかることなので省略する)、とにかく正しくなくて、我々は、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げる人がいる社会を、どうにか生み出さないようにしないといけない。正しさがあるから社会は変わっていく、時代は進んでいく。人間が生きることは正しくて、死ぬことも正しいが、その死が正しくなければ、それは悲しい。おおむねそういう考え方で、人間は社会というものを運営している気がする。
生きることや生まれることは無条件に正しいのか。という当然の問いが生まれる。その問いに関しては、私は正しいと思う。思わざるを得ない。今私は生きているし、生きている期間以外の記憶が無いから比較できず、判断のしようがないため、ともかく生きていることを正しいと考えることが、現時点で不可避である。産まれないことや、死ぬことは今のところ未知なので、正しいのか正しくないのかそちらはわか��ない。ただ、私は生きているので、私以外の誰かが産まれないことや死んでしまうことにたいして悲しさを感じる。だから、私にとっては今のところ、生きることは正しい。全ての正しさの根本は結局のところ生きることになっている、というか、生きて、悲しくない暮らしをすること、ということになっている。「生きて悲しくない暮らしをすること」だけが、今のところこの世界の人々の多数派の「幸せ」の考え方で、私も多数派に属するのでそう思う。もちろんこの多数派に属さない人もいて、とくにうつ状態というわけでもなく、死ぬほうが自分にとって自然だからという理由で自死する人もいる。そういう人にとっては、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げる行為はもしかしたら正しいかもしれない。が、やはり、死ぬことを決めるのは自分であるほうがよいのではないか、と私は思う。そうすると、正しさというのは、自分のことを自分で決められることになるのだろうか。自分が生きるか死ぬか、悲しく暮らすか、悲しくなく暮らすかは、自分で決める。決めて実行する。それが正しさなのかもしれない。正しさ。やはり相対的なものなのだろうか。でも、この時代、この場所での「正しさ」というものはかなりの精度まで絞れると思う。絞ったとしても、例外がある限り相対的ではあるが、人ひとりが生きていくための関わりの中(たとえば、私にとっては、80年間くらいの、地球上の関わり)で共有される正しさというのは、注釈付きで絶対的と言ってもいいのではないかと思われる。
まあともかく正しさがあって、あると仮定して、みんな生きているから、こんなに毎日議論は紛糾しているんだなあということが、いつだか忘れたが唐突にわかった。無抵抗の市民を空爆して殺すことは正しくない。このことを「正しい」と考える人達がいるから実際に攻撃は止まっていないわけだが、私は地球上の全員が「正しくない」と考えることを願う。そして、正しくないことをやめる権利を全員がもつことを願う。人を殺すのは基本的に正しくない。ただ、お互いが殺し合うことを合意していて、フェアな状況であれば、人を殺すのもやむなし、という事もある(戦争)。それでも正しくはないと思うが。人は、たとえ何か不快なこと、人、ものがあっても、その不快を自分の世界に容認して、共存していく力がある。殺さなくても、生きていけるならば、殺さないほうがいい。ここでもまた無根拠な、生きていることが正しいという感覚が出てくる。なぜか。人は死に対して恐怖を抱くことが多いから。死にたくない、と思うことが多いから。死にたくない、と思う相手を殺すことは、相手の意志を無視しているから。となると、死にたい、死ぬことはとくに自分にとって不利益ではないと感じている人(うつ状態や希死念慮、精神疾患によりそう思っている人を除く)を殺すのは、正しいということになる。すくなくとも、正しくないとは言えない。こうやって考えていくと、正しいこと、正しくないことの線引きが明らかになっていく。産まれたばかりの赤ん坊は、生きたいと思っているか生きたくないと思っているか、それがわからないため、窓から放り投げて殺すのは、正しくない。その赤ん坊が明確に「生きたくない。死にたい。」と考えていると分かるならば、窓から放り投げるのは正しいかもしれないが、今のところその意志を確認しようがないため、正しくないとされている。やはり、本人の「意志」が重要なのだ。人が自分の意思で何かをしたいと思った時に、基本的にはそれが成されるのが正しい。ただし、そこで他人の意志を阻害しないのが条件。なぜなら他人もまたその人の意志を達成しようとしていて、それは正しいから。ということで、意志と意志が共存できない時、コンフリクトが起こる。その時に、どちらの意志のほうが正しいのか。「生きたい」と仮に思っている赤ん坊のほうが正しいのか、何らかの理由で赤ん坊を窓から放り投げたいと思っている人の方が正しいのか、私達は考えなければならない。このとき、また繰り返しで申し訳ないが、やはり「生きること」のほうが優先される。ひとりが生きてひとりが死ぬことよりも、2人ともが生きることの方が優先される。それが基本的には正しいとされる。可能性。1人しか生きないより、2人が生きたほうが、可能性が大きくなるから。何の?繁殖の。という、結局動物としての答えも出るには出てしまうが、それでも私は「意志説」を押したい。殺したいという意志よりも、生きたいという意志のほうが尊重される。殺すことは何度もできるが、生きることは一度しかできない(と私たちは感じている)。結局、この世界では人間はこの生きている間のことしかわからないから、生きることをとりあえず正しいこととして暮らしている。産まれる前や、死後のことも含む世界では、正しさのあり方もまた違うだろう。
2024.1.28
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kitsuneponchan · 1 year ago
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「グロリアの物語」完結しました
「グロリアの物語」これにて完結です。皆様本当にありがとうございました!
第九章 最終章13 グロリアの物語/緩洲えむ - カクヨム
 主人公グロリアは許嫁に反抗的だとみなされていますが、この話は初めから反抗的です。現実の中世ヨーロッパで絶世���美女と言えば大抵金髪ですが、グロリアは絶世の美女なのに真っ黒な髪なのです。本当は黒い髪は嫌われていたようです。中学生の時の私も絶世の美女にしたいなら本来金髪にするべきとわかっていましたが、「それでも私は黒髪がいい!」と押し切ったのでした。自分が黒いストレートロングヘアに憧れていたからです。私が美しいと書けばそれは美しい! という思い込みが強く、作中でも絶対に誰にも文句を言わせませんでした。(南の国の二アーレンという土地で、文化の違いで陰口も言われてるかもしれないことも匂わせてますが、それすら誰が何���言おうと本人がいいと思えばそれでいいことの証でしかありません)肌の色については特に触れていません。黒い髪の色も血の繋がり(遺伝的に顕性)や高貴さ(その王家に特徴的という設定)を表す設定として使っていて絶対的な美しさを具体的な形状で示すために書いたのではありません。本当は何でもいいはずだ、という反抗です。
 実はこの後主人公はあの人と結ばれません。(短編の後日譚があるので今度カクヨムに載せてみます)。  私は期待通りに動くのが苦手で、どうしても一旦道を逸れてしまいます。これは反抗というより、多分、「こうなって欲しいけど絶対そうならないんだからこうなるのは何か不自然だ」という現実的な思考パターンに縛られているせいと言えると思います。私の人生は幼少期からあまりに「どうせそうならな」さ過ぎました。最近になってやっと「そうなる」ことがポツポツ起こり始めて不思議に思っているところです。ここまで長かったけれどようやく少しは知恵もついて、成長期に入ったのではないかと自分に期待してみています。  こんな私でも、かなり手をかけた自分の小説を「こういうとこもああいうとこもこれもそれもあれも、なんて未熟なんだ!」と思えるようになりました。ここまで成長させて頂けたのは読んでくださる方がおられたからです。感謝します。  長い作品を毎日更新しましたが、応援していただき本当にありがとうございました。
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monthly-ambigram · 1 year ago
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2023-12月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「時事」です◆
今月は参加者の皆様に「時事」のお題でアンビグラムを制作していただいております。  2023の出来事を振り返りながら作品の数々をご覧ください。
今回は諸事情により簡単なコメントとさせていただきます。自身で隅々まで味わっていただけましたら幸いです。
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「二刀流」 図地反転回転型: いとうさとし氏
大谷翔平選手がWBCでもMLBシーズンでも二刀流で躍動。
細くなっている部分、付くか付かないかの微妙な調整が巧みです。
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「YOASOBI/アイドル」 回転共存型:ヨウヘイ氏
YOASOBIがアニメ「推しの子」のOP曲として制作した楽曲。
手書き風にすることでやや乱れた文字の流れもあまり気にならなくなります。
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「アンビグラム情報局」 回転型:Σ氏
Discordサーバ「アンビグラム情報局」開局。
濁点のお作法が揃っているのが気持ちよいです。
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「平面/充填」 回転共存型:うら紙氏
アインシュタイン問題の解決。
かなりの変形具合ですが読めるところへの落とし込みが巧みです。
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「君たちはどう生きるか」 回転型:オルドビス紀氏
宮崎駿監督の新作映画が公開。
書体の選択と文字の配置が絶妙です。
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「青い鳥消失事件」 回転型:くりまろん氏
青い鳥(Twitter)がなくなってしまった。
文字の大きさや形状など大胆な対応付けが面白いです。
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「別班」 重畳型:douse氏
ドラマ「VIVANT」放送。
縦画をやや斜めにしているのと右下の点を分割しているのがポイントですね。
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「熊出没注意」 図地反転回転型: いとうさとし氏
今年は非常に熊の被害が増加した。
「出/注」の対応はどうやったら思いつくのかわからない複雑さですね。
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「音乃瀬奏」 回転型:douse氏
9月デビューのVTuber。
「乃」とさんずいの重なりを許すことですべてぴったり対応しています。
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「鵺の碑/京極夏彦」 回転共存型:兼吉共心堂氏
京極夏彦氏の小説。
大きく崩していても読めるバランスに調整されています。
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「將棋」 回転型:kawahar氏
将棋の藤井聡太竜王・名人が八大タイトル全冠制覇。
「将」ではなく「將」にすることで対応がつけやすくなっています。
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「#ハナミズキ語」 振動式複合型:海氏
海氏が「ハナミズキ語」の命名。
「#ハナ」/「ミズキ」/「語」の三面相です。どこを拾うか、どのように解釈するかが楽しいです。
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「葬送のフリーレン」 回転型:ぺんぺん草氏
「葬送のフリーレン」がアニメ化、放送開始。
姫森ルーナ型。柔らかな書体により読みやすさが増しています。
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「令和の虎」 回転重畳型:ちくわああ氏
チャンネル登録者100万人、総再生回数6億回突破。
「和」と「虎」が読みやすいので一目で読める作品になっています。
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「物価高騰」 鏡像型:.38氏
今年はずっと悩まされた物価高騰。
物騰 高価 という並び。文字送りの常識に縛られないことで文字の過不足のやりくりをしています。
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「特殊詐欺」 図地反転型: いとうさとし氏
特殊詐欺グループの摘発が相次いだ。
「特/殊」「詐/欺」の組で図地反転になります。すべての文字が読みやすいです。
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「観光公害」  敷詰回転共存型:螺旋氏
オーバーツーリズムによる一連の問題。
正位置で横書き、逆位置で縦書きに読みます。「光」がこの形で読めてしまう驚きがあります。
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「生成AI」 鏡像型:douse氏
今年も大きく成長を遂げた。
「成」の斜め対称性の高さに驚きます。
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「生成系AI」 鏡像型:Σ氏
「系」をつけた呼び方も。
くるんとしたあしらいが各所でぴったりはまっています。
最後に私の作品を。
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「アイドル」 回転型:igatoxin(既発表作)
今年の一曲といえばこれでしょう。
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「変な家/変な絵」 鏡像共存型:igatoxin
雨穴氏の小説がヒットし映画化もされました。
時事がお題のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。今年を振り返るといろいろな事柄がありましたが、月刊アンビグラムも今年も無事に一年間発行できました。ひとえに参加者ならびに読者の皆様のおかげだと感謝しております。
さて次回は例年通り「お題フリー」です。締切は12/31、発行は1/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}    10月{ヒーロー}    11月{ゲーム}  
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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dvdhappycom · 2 years ago
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清楚に見えても淫乱ドスケベ!普段から旦那に内緒で不倫しまくり妻にごっくんと顔謝しました! - 無料動画付き(サンプル動画)
清楚に見えても淫乱ドスケベ!普段から旦那に内緒で不倫しまくり妻にごっくんと顔謝しました! - 無料動画付き(サンプル動画) スタジオ: FC2 更新日: 2023/08/02 時間: 87分 女優: 先日面接に来てもらった人妻さんを仕事帰りに呼び出してごっくん、生挿入からのフィニッシュは顔射をさせて頂きました!のシーンはノーカットで撮影しております。秒で絶頂からのがけっこう面白く撮れてますのでぜひお楽しみ頂けたらと思います。久々の再会ですが早々に咥え込みます。何でも受け入れるスケベな奥さんなので基本は、ごっくんです!試しにさせたら勝手に潮吹いちゃってます(笑)ノーマルだと興奮しないというので縛ってみました。バックが気持ち良かったので長尺で撮ってしまいました。都合の良い人妻のカラダって感じでちょうど良いんですよね!興奮します。最後は、前回作品に続き顔射のご褒美で ***********************************
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tanu-byebye · 2 years ago
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2023/07/31
10日目
今日で7月も終わり。あっとい��間でしたね。
今日の厚岸は24度くらいしかなくて涼しかったです。
最近、ちょっと落ち着いて現実味が出てきてからなんでこんな目にあってるんだろうなってすごく考えます。
自分だけが不幸だとかそんなこと思ってないしそういう話がしたいわけでもなくて、ただなんでだろうなって思います。
800キロ離れてるはずなのに心は休まらなくて、夜中に物音がすると母親が来たかもしれないって怯えるし、弘前に戻れるのかなとか不安しかないです。自分は産まれた時から家族としてずっとそばにいるのが母親だけで、母親にとっても自分だけで、2人で色々やってきました。青森に来るってなった時も、札幌にいた時も2人で乗り越えたことも沢山あります。共依存関係であるとも思ってる。自分の中で母との記憶は悪いものだけじゃないから尚更恨みきれなくてしんどい。機嫌がいい時の母との思い出は楽しいものもあるし高校入って自分の状況に気がつくまでは母が全て正しいと思ってた。もちろん、1人で大学入るまで自分のことを守ってくれたことにも感謝はしてます。
楽しかった記憶もあるけど、やっぱり母親は昔から情緒が安定しないし自分以外にも色んな人と揉めてました。思い返してみても自分がチビの頃から気分屋で自分本位なのは変わってない。酒癖の悪さも。
母も、色々苦労をしてきたのは知ってます。自分を守るのに必死だったのも、全部とは言わないけど理解してるつもりです。だからこそ感謝もしてるし情もある。
だからといって子供に何をしてもいいわけではないし、子供は親の所有物ではない。自我があるし気持ちだってある。
刷り込みって恐ろしいです。母には自分しかいなかったから自分にも母しかいないって刷り込まれて21年間過ごしました。本当はそんなわけないのに。高校2年までは親の言うことは絶対で、逆らったり違う意見を持つ自分が悪いんだと思って生きていました。
「お前なんか嫌われている。人が離れていく。」
高校に入ってしばらくしてから約6年間言われ続けたことです。産みの親からの呪縛は恐ろしいもので、そんなわけないって思っている自分以外に本当はそうかもしれないって思っている自分がいて、それが消えません。
自分は、母から逃げます。母との色々な思い出も、今まで大切に持っていたものの多くも捨てて逃げます。死ぬ勇気も立ち向かう勇気もないから逃げて生きます。
この呪縛から解放されるには自分が呪縛を受け続けた年数よりもずっと長くかかるだろうけど、それでもやらなきゃいけない。正直、できるかわかんない。なんだかんだずっと母親の言うことに沿って母親の管理下で手のひらの中で生きてきたから自分で生きるっていう事ができるかわかんない。生きることにそんなに執着できないことも自信のなさの1つです。
それでも、何とか母親から離れて生きる。
自分に良くしてくれたり自分と関わってくれる人たちには感謝でいっぱいだし、自分は足りないところも沢山あるけどこれからも関わっていたいです。いつもありがとうございます。
頑張るぞ。
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kennak · 1 year ago
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連日の報道で、忘れたい記憶がどんどんよみがえってくる。劇団内部の人間ではないものの、その近くで数年携わり、生活も精神も壊した身として、心当たりが多すぎる。便乗ファンによる創作だと思ったら、どうか読んだら忘れてほしい。固有名詞や用語の意味が分からない人は、そのまま一生分からずにいてほしい。でも、どこかに、仲間がいると思うから。自分以外にも壊れた人がいるはずだから。まとまりもないほどの書きなぐりになるだろうけど、腹を決めた今、匿名で言わせてほしい。もう無視できないところまで来ていると、心当たりのある各位に気付いてほしい。該当劇団には、公式ファンクラブ以外にもジェンヌ個人の私設ファンクラブ(以下「会」と呼ぶ)があることは有名だと思う。いわゆる代表やお付きと呼ばれるマネージャー的責任者と、スタッフやお手伝いといわれる他数名の小間使いが組織を運営している。自分は新人公演にも出演し、何度か主演も演じた人気ジェンヌの会運営スタッフを数年担当した。明確な時期や個人名の明言は避けるが、当ジェンヌは現役在団中とだけ書き記しておく。毎朝晩の入出待ち立ち会いからお茶会などイベント企画・運営、チケットの取次配席およびグッズ作成など...会所属経験のあるファンなら思いつくであろう業務、全部に携わった。会員数百人に対し、片手以下のスタッフで。無給は当たり前、経費も持ち出し、24時間365日ジェンヌや関係者の呼び出しに応えながら平日フルタイム会社員。睡眠時間も金も体力も心の余裕も何もかもなくなった。倒れて運ばれ、スタッフを辞めた。業務をもう少し細かく説明すると、・入出立ち会いよく日比谷の劇場前で見るようなスクワットでジェンヌのお迎え・お見送り。あれをやる時に暴走するファンが出ないか見張ったり、一般人のクレームに頭を下げたりする。毎朝7時前後、早いときは6時前に毎朝集合場所で立ち合いをして会社へ出勤。ジェンヌから翌朝の入り時刻連絡が来るのは平均深夜1-2時。それを待ってファンクラブ会員へ見送り場所への集合時刻を配信、他ファンクラブ運営へ報告したりするので自分が寝られるのは3時を回るのもザラ。毎日5時前には起床、始発の電車に飛び乗り現着から動き回ってフルタイム勤務で夜にはまた出待ちに立ち会う日々。大体毎日何かしらの細かすぎる指導が上級生会から���り、寝不足により回らない頭で必死の謝罪文をしたためお送りしていた。しんどい。・イベント企画・運営お茶会や新人公演出待ち後のミニお礼グリーティング、季節や誕生日の入出イベントなどなどあらゆる企画・運営。ただ企画すればいいだけでなく、上級生会に逐一お伺いを立て、実施許可を得、内容も重箱の隅を最早ぶっ壊れるまでつつかれまくる。あらゆる方面の顔色を窺い、企画や台本が出来上がるまで気が遠くなるほどの時間と神経を要する。それでようやく実施まで漕ぎつけたと思ったらジェンヌ本人の機嫌ひとつで全部イチからやり直しになる。三徹で必死に準備を間に合わせたお茶会を、本人会場到着までのタクシー内で「やっぱ嫌」の一言でひっくり返されたときは殺意が芽生えた。しんどい。・チケット取次・配席ファンクラブ会員はジェンヌ個人の販売成績に結び付くよう、会からチケットを取り次ぐ。が、限られた座席数、入団年数が長い上級生に多くのチケットが劇団より宛がわれる、入団から5年くらいは1公演で2席しかチケットがないこともザラ。それでも会員はもちろん贔屓の舞台姿をたくさん見たい、当たり前だ、たくさん申し込んでくださる、だがしかし席がご用意できない。そんな限られたチケットと大量の申込データ(自会は全部エクセルに手打ち管理)を照らし合わせ、ファンクラブへの貢献度諸々を加味し、どのお席にどなたへお座りいただくか決める。こちらも最大限のチケット確保に奔走するものの、ご用意できなければ面と向かっての罵倒はまだ良し、掲示板に名指しで役立たずと晒される始末。データ捌いて配席悩んで胃を痛めているところにジェンヌ本人や関係者からも配席や取次内容に文句を言われ身内用にチケットを攫われていく。しんどい。・グッズ作成お茶会のお土産、総見のおまけ、お茶会で販売する小物や舞台写真、お礼状、グリーティングカード、挙げればキリがないほど準備物が多い。ジェンヌ本人にイラストや手書き文字の提供協力を頼みこむも多忙の一言で切り捨てられ、こちらでロゴなど用意すれば会員やジェンヌ本人からすらもダサいと文句を言われる。しかも当たり前だがこれらすべて事前の商品発注で毎度結構な金額が必要とされる、が、ジェンヌの家族が会運営の経費用口座を管理していて前借も楽ではない。結局毎回数万~場合によっては数十万円(お茶会会場費用など)も立て替える。そうじゃないと間に合わないほどすべてのスケジュールがカツカツなため。しかも公演終わりの経費精算まで数か月待ったりする、携わっていた最後の公演では大卒初任給くらいの経費が返ってこなかった。グッズの売り上げは全て会運営費としてジェンヌ家族が持っていくため、スタッフに一切の還元や儲けはない。公演期間中は飯が食えなかった。しんどい。・正直ここでしか言えないが人間関係が一番重労働ファンクラブ会員、つまりジェンヌを愛し会活動に貢献してくださっている方々は熱量も並のものではない。そこは覚悟してスタッフ就任を引き受けた。そのため会員から妬まれたり文句を言われたり、会の中での派閥争いや揉め事などは(楽ではなかったものの)捌くのもまあ堪えられた。しかし何故か同じ運営という立場で苦楽を共にしている他会運営陣やジェンヌ家族・関係者対応など、これが本当に一番きつかった。ジェンヌたちが厳しい上下級生文化に生きているというのは既報の通りだが、ほぼその文化がそのまま会運営にも持ち込まれる。朝は上級生会スタッフより早く出動・席および場所取り・雑用使いっ走り・全ての解散前には「ご指導」というクソ細かい姑のような小言...大劇場のチケット出し前には劇場内レストラン施設の一部(クリスタルルームでわかる人は仲間)を陣取り、謎���待機時間が発生する、もうこれが本当に耐えられなかった。上級生会代表の飲み物をお持ちし、その時通るルートや差し出し方全てに厳格なルールがあり、数時間も使いっ走りに待機するのに作業および会話禁止という苦行。2回公演の日ほど朝も早く夜が遅い、業務も溜まっていて限界なところにこの謎待機と小言で5-6時間は奪われる。それもこれもすべて「上級生会の様子を見て学び、自分たちが将来は組の会全体を取り仕切れるように指導する」という、どこかで聞いたことのある理論。劇団への、ジェンヌへの、下級生会への愛があれば全ては指導という建前のもと許される。代表は毎日きついいびりに泣いていた。本当に、本当に、しんどい。ジェンヌでもなく、会運営の委託契約を結んだわけでもない、ただの一般人がこのザマである。会に所属したことがある人は、多少なりこの空気感をわかっていただけると思う。あの、「私たちも御贔屓の一部」と見做されるような感じが。全ての言動の根底には愛があり、清く正しく美しいジェンヌ像やファンダムイメージを求められていた、それにそぐわないものはすべて闇に葬られていたあの感じが。会運営陣は、ジェンヌを、劇団を愛しているから。無給でいつ何時でも労力を捧げてくれる。常に最善最良の案を考え前向きに運用してくれる。寝る暇がなくてもそれだけ携われることが幸せ。妬み僻みも有難いご意見として真正面から受け止める。上級生会からの理不尽な指導も意味あるものとして理解・昇華する。仕事よりも私生活よりも会運営を何よりも最優先してくれる。どんな無茶ぶりや激務も手を取り乗り越え逞しくなってくれる。そんなことがあるわけないだろ。平日フルタイムで8時間の仕事に会運営10時間以上を兼業し、公演期間中は1日1時間眠れたら御の字。仕事のパフォーマンスはそれはそれは最悪だった。盆や正月の連休はもちろん全て会運営に求められ、ロクに身体を休めることも実家に帰省することも友人と会うこともかなわなかった。急いで来いと急な呼び出しがかかり、内容も知らされないが仕事を無理言って早退し駆けつけると「明日からの公演で必要なものを近所のドラッグストアで買ってきて」という内容だった。社会人数年目で貯蓄もさほどなかった頃に無給の会運営で全国を飛び回り、立て替えの嵐、慢性的な寝不足で眠気も止まらず、安価で血糖値の上がらないもやしやカット野菜しか食べられなかった。周りのすべての人から「早く辞めろ」と言われ続けたが、もはや洗脳のように愛や貢献という言葉に縛られ何も自分で判断できなくなっていた。死にたいという気持ちが募り、毎朝駅で線路に飛び込もうか悩み始めた頃、千秋楽の出待ち後に倒れ運ばれた。栄養失調だった、この現代社会で。入院で強制的に劇団や会と離れられなければ、いずれ自ら命を絶っていたと思う。亡くなった彼女の生活円グラフは、まさに会運営に携わっていた時の私のようだった。鬱も発症し精神的にも不安定になっていたことをやっと自覚し、ジェンヌ本人にスタッフを辞める旨申し出た。代表も鬱で会から去ったと聞き、LINEを送ったが既読がつくことはなかった。もう一度繰り返す。ジェンヌじゃない一般人にすらこれほどまでに異常な文化がまかり通っている。劇団内部はいかほどばかりか、想像するだけで息苦しくなる。携わっていたジェンヌ本人も、本当に寝る時間もないほど過酷な環境に身を置き、公演前夜の3時に稽古から帰るところも目撃したことがある。会運営に携わるようになってからは度々言葉を失うような「指導」の様子を伺うようになり、いつの間にか自分は一切観劇する気力が湧かなくなっていた。何が愛だ。何が清く正しく美しくだ。何も清くも正しくも美しくもない。ただのパワハラ過重労働異常上下関係いびりしごきいじめ。社会的な常識が一切通用しない、異常な文化が形成され受け継がれ、異を唱えるものは全て排除され隠ぺいされてきた、ただそれだけである。亡くなった彼女のおかれていた環境や報道の事実関係は知り得ないため、それに関しては軽率な発言はできないものの、でも、遂にこうなったかと思った。その手前でぎりぎり退団していった人を、何人も知っていたから。巨大企業やファンダムに抗う力を持ち合わせていないがため、ただ黙って去っていった人���ちを見てきたから。自分も、声を上げられなかったひとりだから。彼女の死は、自分も無関係じゃないと、毎日罪悪感に涙が止まらないから。溢れ出る記憶も思いも止まらず、何が書きたいのか、どこまで書けそうか、もう分からなくなってしまった。このあたりで切り上げることにする。いつか追記や修正をするかもしれないし、しないかもしれない。もうこの編集画面に戻ってこないことが最良と分かりつつ。自分は今後二度と件の劇団に関わらないと決めているが、報道の行く末はしっかりと追おうと思う。もう誰もこんな目に遭わない未来を願って。同じ罪悪感を抱えることがないように。誰かに手を延ばし声を上げられるように。かけがえのないいのちを、薄っぺらい言葉で葬ることがないように。妹さんにはお世話になりました、心からのご冥福を祈ります。助けてあげられなくて、ごめんなさい。
ジェンヌの個人FC運営で鬱になった話
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projecthedz · 6 days ago
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250213 木
【2:10-6:00】
ん... 過去絵を3h以上いじってしまったのか? アホだ
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私のむかしの絵はどれもTPOめちゃくちゃですが、当時は「自分のTLにこんなの流れてたらヤだなリポストせんでおこ」みたいな理性的ジャッジが発生しなかったんで非実用的なようわからんNSFW絵でも通りやすかったんです(非エロ寄りCG紹介サイトやpixiv一般ランキング等で)
----------------------- 【7:20】
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寄せラクガキ会 CANVA使いたての頃。懐かしすぎる。まとめ役が画像まとめずとも各々が画像をペーストして枠の中に放り込むと自動で画面がまとまるのがありがたかった。左上の日付フォントをPhotoshopで毎日配置しなくてよくなったのはマジに革命だった
結局今はCANVAという環境があまりにいろいろ出来すぎるのでそのポテンシャルを限界まで使い切って「見栄えいいログ」作りたい欲に駆られ鬼のような編集カロリ��食う催しになっている
カルデラライフガード(鯖管理チーム)4人くらいから「その方向性へ進むのは(皆で足並みそろえて毎日やる朝の行事として)間違っている」と指摘されたが主宰権限振りかざして「画作り特化」の方へ舵をきった。当然ハードル爆上がりして過疎ったがいいものになってはいると思う
ただ優しいだけの馴れ合いは「誰かを楽しませる側」の筋トレとしては間違っている。毎日なにかやれてえらいね、ではなく「負荷伴う画作りをXX日間続けられたんだね、じゃあ次」を実践したログの方が参加した側も文脈知らず初見で観る側も楽しいに決まってる
むしろ私は毎日なんて全然描けてない。毎日描いている参加者に私は感謝してるし刺激もらい続けている
自分好みの「熱い空間」がどこかに存在してくれているという心強さってあるだろ? 私は私の魂のためにそういう場所を維持したい
----------------------- 【7:45】
ねむ。ご飯食べて寝るか
----------------------- 【8:10】
店開いた。なんか買いにいく...か
20代の頃の気持ちを今強烈に思い出している
なんなんだ。妻を失ったからか
休日。カーテン越しに感じる朝日に寝ぼけながら目覚め、静かに電源ボタンを明滅させるPowerMacG4クイックシルバーのスリープを解く
そして作りかけのゲームのスクリプトをいじり、自分のホームページのお絵かき掲示板に投稿があるかを確認し、忍者アクセス解析を観て相互リンクの他サイトの様子を見に行く
居間にはすっかり白髪になった60代の母がいる
自分の歳は21か23か...
2年後のことも、5年後のことも想像つかない
未来の自分にどんな運命が待ち受けているかなんて想像もつかないし大して興味も持ってない
あそこから随分遠くへ来てしまった感ある
けど、自分の中にはまだあの頃観ていた景色の強烈な記憶がある
「あの頃の私」は今もあの景色の中で暮らし続けている
子供の頃、親ってのは生まれた瞬間から中年で最初っから「親の役割担う��物」として存在しているんだと思っていた
私はいつから「おじさん」の私なんだろう
たぶん親を「子供時代を過ごした経験持つひとりの人間」として、未来の自分の姿と重ね合わせたあたりから「子供としての自分」が揺らぎ始めた
「いやふつうそんなダッサイルート進まないっしょ、カッコ悪い」と思うルートになぜ人は進むのか?
「何処へも行く覚悟決めないとオートで選択させられるルート」ってもんがあるんだ
私は同世代と比べ十分格好いいルート歩んでいると思ったのに
友人の方が2兆倍格好いい生き方してるのを見せつけられてモブ化した。私というキャラの作画が急に「いらすとや」みたいな絵柄になってしまった
自分の外側に自分より圧倒的に「主人公度が高い」存在を認めた時、人は大人になるんだと思う
けど、その友人は人気出始めた当初から「まだ生まれてすらいない子供」の話をしていた。子どもの学区を考慮して家を買うんだ、と...
そんな、この間結婚したばっかじゃん。もう子育ての話なの??
「いうてあと数年で俺らも30歳だしな」って... その時点で彼女すらほぼできたことのない俺はなんなんだよ、と
その時に誓ったのだ。もう、とにかく結婚だけはしよう、と
ここで怖じけて「素の自分が選びがちな選択」したらもう彼には一生顔向けできなくなる、と―
人間に興味を持つ。ゲームだけではなく人の温みに興味を持つ
一番苦手な「他者の命の責任負う」ゾーンに入るしかない、と―
ずっとずっと「ごっこ遊び」の中で苦労わかってるフリしてた「他者との触れ合い」の本番始めるしかねぇ、と...
友達に置いていかれたくなかった。先へ進む友人を見送り保育園の檻の中に戻りたくなかった
エクソダスするしかねぇ。180°違う自分になるしかねぇ
そう思った
後にも先にもあんな屈辱と寂しさ味わったことない
28歳のあの瞬間が自分にとって最後の勝負のチャンスだと悟った
追わないという選択肢もあったのだ。事実、私はそこから10年近く創作面において足踏みしてしまった
けど、今こうしてもう一度絵を描くことを肯定できるようになってよかった。「絵を描き続けないとドヤされる環境」に自分を閉じ込めておいてよかった
こんな事書いておきつつ私は記憶失くしてもう一度10代から人生をやり直したい
納得と満足は「退屈」の火種。ラスボス倒すと手に入るわけわからん攻撃力の武器や防具あるとどこへ行っても退屈極まりないし物語も動かない
まあ、なら所属ステージ上げろって話だがここから上のステージ行くには今の3倍レベル上げなきゃなんだわ
今がレベル20だとして60くらいまであげなきゃならん。45年生きててレベル20なんだぞ成長カーブの遅さナメんな
各々そういうハードル据えて悩んでるのは事実
偏差値みたいにスコアが可視化されてる所為で凄い人々は文字通り雲の上の存在
逆立ちしたって追いつかないって慣用表現あるが、逆立ちがそもそもなんで加速に役立つこと前提なんだよ
チート10倍したところで追いつかねぇんだよ。そんなんしたらむしろ正道とは違う変なルート入る
なりたいもの以上のものに、多分私はなった
けど、私には私が本当になりたかった自分ってもんがある
世界の加速がこんなにも早くなければ、自分なりのスケール感で穏当に積み上げを続けて至りたい地平があった
これは安定失わせる悪い夢だ。娘に明け渡すはずの主人公の椅子にしがみつく大人げない行為だ
妻は晩年「あなたのやりたいようにやればいい」と言っていた
私はどうしたいんだ どうあるべきなのだ
小さな目標を叶えていこう
本来乗り越えられる筈のないデカすぎる目標は叶ってしまった
私は今、オリジナルガシャポンフィギュアが作りたい
しかし私は企画マンではなく一介のイラストレーターに過ぎない。仕事において私はただのオペレーターでありレンダリングマシーンに過ぎないのだ
マシーン側がクライアントに逆発注をかけるというメチャクチャを、やってもいいものか
まさに下剋上。なんの正当性をもってそれをしたらいいのだ
友人はまずWEB上で大人気になる事でその権限を手に入れた
今は社内政治を勝ち抜くよりSNSで人気者になった方が組織の上の人間の首を縦に振らせやすい
うん。子供はこんな事考えない。会社の仕組み、社会の仕組み、そこで運用される暗黙のルールを意識してボール投げるようになってから、私の現実は無垢さを失った
(なげーよ)
----------------------- 【9:30】
誰からも観られていなさすぎると「観られていない事実そのもの」が不信や無価値の証として扱われるのは世の常で、それはそれとしてその残酷さを取り扱った物語は人気があるというパラドクス
ガンダムのビームライフルの絵でバズっていた某イラスト紹介botアカもそういう「ザ・ノンフィクション」めいた文脈アンド価値で捉えられているのかもしれない(感動ポルノ観点において身近で困っている知人よりも遠くで困ってる他人に対しての方が同情できる現象。番組やbotというフィルターが挟まる事で不運や弱さがポルノ化される)
———
【14:55】
私、pixiv初期シーズンに描いた絵に今の時代で通用する力なんてない思ってるんですけど違うんすかね
ただ、コアな中華ドール界隈のディフォルメやらモチーフ選びのセンスはあの頃の私が追いかけていたフェチが溢れているのを感じます(中韓の流行りは昔から必ず遅れて日本に反映される)
本来流行りが回転するのにあと15年くらい必要だった筈のアレが生成AIのお陰で早まったんすかねー
つまりここ10年くらいのトレンドは生成AIが腐った結論みたいの出し過ぎて陳腐化した、だから「わけわからんモチベーションで描かれたオールドスクールな絵」の価値が上がってきている…とでも?
私は数字しか信じないが数字が出たならどんなメチャクチャな事実も一旦受け入れる
人は数字に騙されるのだから、勢いに乗った嘘の数字を発信者自身も信じることで自然と「騙す」ことができる。本当の詐欺師は嘘発見器に検出されない(嘘だというマインドセットが不要なくらい、当人が操る「虚」に「実」があるから)
いずれにせよ勝てばいい。何よりも、チンケな自分ルールに縛られコンフォートゾーンを抜け出そうとしないダサい自分に
たぶんこれ、中華思想なんす。東アジアの勢いに対抗するには昭和平成の「日本の価値観こそが世界の中心」的勝者思考捨てなきゃなんすわ
もとい、日本の強さの本質は勝者をまねぶ(学ぶの語源は真似ぶである)ことだったはず
いつから強者から素直に影響受ける事を恐れるようになった、血の希釈を恐れるようになった?
まあ、中韓の血は昭和平成世代の日本人が最も取り込みたくない血という認識なのは…
バカ。おっさんくさい人種差別を軸にした屁理屈やめろ。魅力的であれ、エネルギッシュであれ、生産的かつ改善と進化に貪欲であれ
時代が退行したならその退行に寄り添いつつ、本来辿り着くべき未来のエッセンスもブレンドしろ
例えばチューブの中を走る車や電車には合理性がある。あれはチューブ内を真空にして空気抵抗ゼロにする事で最高速度を上げる為のシステムとして考案されたもので透明なチューブを観客に見せつける為のもんじゃない(だから基本的に地下に埋めるものだ)
バカみたいに見える未来像には冷戦当時の優れた頭脳が導き出した色褪せぬ合理性が…
って、舌の根ウェットでおっさん臭いこと書いてる‼︎ やめろ。冷戦とか旧ソビエト連邦とかのワード出すな‼︎ エネルギアの熱すぎるエピソードとか語ろうとすんな
いいですか? こと科学技術のコンセプトに関しちゃ60年代70年代の方がガチで今より優れたものが多い。単にそん時ゃ精度高い工作機械が無かったのと何をするにも人間が計算するしかないから実現までにかかる時間が長過ぎた
そうこうしてるうちに大きな戦争の気配が下火になり束の間の安寧シーズンがやってきた
その呑気な空白シーズンでぬくぬく育ったのが我々絶望��知らない子供たち
平成後期アンド令和生まれは最初から絶望の下に生まれてるから絶望に対する免疫がある
我々は有り余る平和の中ですら絶望を感じていた超貧弱メンタル世代。ある種の温室育ち
だから環境の変化にはめっぽう弱い
鬱になっても死なない人間は、鬱を抱えたまま生きても許される世界に住んでいる住人だけである
強くあれ。子供の頃のリアルに縋るな。朝、優しい気持ちで目覚めたからと言って大人なりの奇跡が起こる事に期待するんじゃない
けど、まあ、目に映る全てのことがメッセージであるという観点には同意する
とりあえずカーテン開け
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【15:55】
なになになに、何が起きてんのこの状況、っていうドタバタ感溢れるシチュエーションで身勝手なシリアス気取る。自分が平成時代にやってたのはそういうタイプのギャグ
それが今再び通る時代になったと分析した。やるかー滑稽タナトスアンドリビドー。現代版サイバーエログロナンセンス
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【18:50】
職場戻るべき。だが家のベランダに置いた箱状テントの中で寝てる
なんでそんなとこにテントを張っているかというと虚しさと寒さを味わい���惨めさを感じたいから
以前真冬にこれをカイカイのアニメスタジオ入ってる雑居ビルでやってたらベランダに出るドアに鍵かけられて充電残り4%のスマホで埼玉のスタジオに連絡して人呼んで開けてもらったことあったな
端的に言って迷惑で異常。大人げゼロ
なんか護られてるとか居場所あるって感じしすぎるとやる気失せるんすもん
無理矢理寂しさや孤独感をでっち上げてる節はある
敗北の屈辱感こそが私に起死回生のモチベーションを与えてくれる
妻には「もっとふつうにしてて」と言われ続けたが…
普通の人は絵を描きません。エンタメを生業にしません
普通の人はピエロや料理人やアスリートにはならないの
普通の人が幸せになれるのは押し並べて親が築いた財産とインフラ利用してるから
まあ、私もそうか…
今寝たら終電逃す。だから職場戻らねば
しかし、眠い。寝るのか? 寝てしまうのか私
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