#終劇のロマネスク
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[Translation+Lyrics] 追憶の薔薇 by Ariabl’eyes
This is the song that originally wowed me, and it’s not even my favorite in the album! This time around Rena sings a very heartfelt song about wanting to see your loved one once again. Again, I’d love it if they stuck with only one voice per character but Rena is so good I have a hard time saying I’d want this song to be any different. Also what’s the fixation with flowers and roses, it seems like Lyse can’t go a full song without mentioning flowers. Anyway, here it is down there beyond the cut.
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#2 追憶の薔薇 Tsuioku no Bara (Rose of Remembrance)
Composition, Lyrics:Lyse Singer:Rena
目を覚まして 私の愛しき人 また会えたら 枯れたはずの涙も 頬を伝い 少女を包んで 白き肌を彩る一輪の 薔薇の花のように
me wo samashite watashi no itoshiki hito mata aetara kareta hazu no namida mo hoo wo tsutai shoujo wo tsutsunde shiroki hada wo irodoru ichirin no bara no hana no you ni
Wake up, my loved one once again I'm met with those traces of tears covering the cheeks of that girl tracing through that pale skin, like the petals of a rose
薄明かり灯る部屋に 横たわる棺の中 眠る少女の体は 今にも起き上がりそう
uzuakari tomoru heya ni yokotawaru hitsugi no naka nemuru shoujo no karada imanimo okiagari sou
In a dimly lit room laying inside a coffin the body of that sleeping girl looks like it could awaken at any moment
幾つもの夜を越えて 思い出す記憶たち 永遠の夢の中 情景は消えない
ikutsumono yoru wo koete omoidasu kiokutachi eien no yume no naka joukei wa kienai
after countless nights thinking back on those memories forever trapped in a dream, that expression does not change
君の笑顔がまた見たい 穏やかな笑顔を 艶やかな瞳の奥に沈む影
kimi no egao ga mata mitai odayaka na egao wo adeyaka na hitomi no oku ni shizumu kage
I want to see your face again, with that gentle smile But those charming eyes have sunk into the shadows
目を覚まして 私の愛しき人 また会えたら 枯れたはずの涙も 頬を伝い 少女を包んで 白き肌を彩る一輪の 薔薇の花のように
me wo samashite watashi no itoshiki hito mata aetara kareta hazu no namida mo hoo wo tsutai shoujo wo tsutsunde shiroki hada wo irodoru ichirin no bara no hana no you ni
Wake up, my loved one once again I'm met with those traces of tears covering the cheeks of that girl tracing through that pale skin, like the petals of a rose
星を眺めたあの日 戻ることが出来るなら… こんな終焉が来ると 思いもしなかった
hoshi wo nagameta ano hi modoru koto ga dekiru nara konna owari ga kuru to omoi mo shinakatta
I want to go back to those days we spent stargazing, but we just can't I never thought the end would come like this
君の��がまた聞きたい 気だるそうな声を 麗らかな風を奏でて沈む影
kimi no koe ga mata kikitai kedarusou na koe wo uraraka na kaze wo kanadete shizumu kage
I want to hear your voice again, that delicate voice That brightness has completely sunk into the shadows
薔薇の花に 彩られた少女は 鳴り止まぬ 嘆きへ誘われ 籠の中で 一人泣いている 数え切れぬ痛みの全てを 忘れないように
bara no hana ni irodorareta shoujo wa nariyamanu nageki he to izanaware kago no naka de hitori naiteiru kazoe kirenu itami no subete wo wasurenai you ni
That girl tainted in the color of a rose won't stop making sounds of grief trapped inside that coffin crying all by herself the wounds are far too many to count, or to ever forget
君の温もり感じたい 冷たい顔寄せて か細い体に宿した沈む影
kimi no nukumori kanjitai tsumetai kao yosete ka hosoi karada ni yadoshita shizumu kage
I want to feel your warmth, or at least get closer to that cold face but that tingling body has been sunk into the shadows
目を覚まして 私の愛しき人 また会えたら 枯れたはずの涙も 頬を伝い 少女を包んで 白き肌を彩る一輪の 薔薇の花のように微笑んで 愛している君の温もりが 蘇るようで
me wo samashite watashi no itoshiki hito mata aetara kareta hazu no namida mo hoo wo tsutai shoujo wo tsutsunde shiroki hada wo irodoru ichirin no bara no hana no you ni hohoende aishiteiru kimi no nukumori ga yomigaeru you de
Wake up, my loved one once again I'm met with those traces of tears covering the cheeks of that girl leaving traces through that pale skin, you will smile like a rose I love you, and your warmth will surely come back to life
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『ウエスト・サイド・ストーリー』シーズン1、終演しました。
2018年秋に 「これからは手がけた作品についてのブログを 真面目に書こう」と決めたので、 第2弾として、書き残しておこうと思う。 もちろん、演出作品ではなく演出補としての参加では あるので、その立場からの文章を。 IHI ステージアラウンド東京における 『ウエスト・サイド・ストーリー』、シーズン1。 (以下の文章はネタバレとは少し違うと思うが、 読み手が観劇済みであるという前提で書いたので、 真っさらな状態で観たいという人の楽しみを殺ぐ 恐れはある。 「『ウエスト・サイド・ストーリー』という作品を これから、そして真っさらで観たい」という方は、 良かったらどうぞ観劇後にご覧ください) わたしにはいわばシーズン0的な存在がある。 2018年1月に東京で、同年7月から8月に大阪で、 公演された宝塚歌劇団宙組の『WSS』に、 翻訳家として関わっていたのだ。 (訳詞は演出補も兼���た稲葉太地さんが手がけられた) わたしの中で『ウエスト・サイド・ストーリー』は 【原点にして、頂点】だ。 誰もが知り、 また誰もが一度でも関われれば誇りに思う、名作。 この作品を境にミュージカルいや演劇そのものが 不可逆の変化を遂げた、まさに【原点】であり、 初演から62年の時を経てもあらゆる意味で 未だに超えるもののない、【頂点】でもある。 しかしそれはとても恐ろしいことだ。 そんな作品を今の日本の観客に届けるという 責任の大きさ重さ以上に、 「知ってるつもり」という恐ろしさがある。 「別プロダクションで(何回も)観た」 「原作の映画を見た」 (注:映画は舞台を映画化したものであって 【原作】ではないのだが、映画があまりに 有名すぎるため、しばしば目にする誤解だ) 「現代版『ロミジュリ』でしょう」 「曲は知ってるし大好き」 初演から62年間【名作】として君臨してきた せいで、演劇として取り組んだり見つめたりする ためには邪魔なる余計なブヨブヨが、たくさん くっついている。 作品にではない。我々の目に、だ。 ので、まずは目を開く必要があった。 いわば【曇りなき眼】を。 具体的には、ディスカッションの時間を多く取った。 これはアメリカ側演出補マストロの意向と重なった こともあり、集団で思考する時間を、通常より かなり多めに取れたのではないかと思う。 ディスカッションとはいえ、まずはこちらから、 1957年のアメリカNY市アッパーウェストサイド という、彼らが生きる場所と時代、その背景に 関する情報を、渡せるだけ渡した。 『WSS』は今でこそ【不朽の名作】だが、発表当時は、 劇場の数ブロック先で今まさに起きている社会問題を 鮮烈に切り取った、衝撃作かつ問題作だったのだ。 だから、情報といっても、本やインターネットで 調べれば出てくるような知識ではなく、 人物たちが生きていて感じただろう感覚に近そうな、 肌で実感できそうなことや、 大きな意味での時代の空気みたいなものを、 なるべくたくさん。とにかくたくさん。 わたしは偶然、作品世界を訪れるのが3回めだったし 別の演目だが時も場所も近い作品に関わった経験も あったため、それらの蓄積が大いに役立った。 それに加え、実際に普段ニューヨークで暮らす アメリカ側演出補 マストロ(イタリア系) 振付リステージング フリオ(プエルト・���コ生まれ) からの(時代は違えど)本物の実感のこもった言葉が もらえたことも、非常に有益だった。 トニーがポーランド系という台詞が印象的なので ジェッツはポーランド系と紹介されてしまうことが多いが 実際にはジェッツはイタリア系やアイルランド系も 入り混じっていると台詞にある。 だから我々はジェッツ側、シャークス側それぞれの、 いわば生の言葉が(時代は違えど)もらえたわけだ。 しかし、それだけでは足りないとわたしには思われた。 『WSS』で描かれる人種間の偏見や断絶は、 多くの日本人が無自覚に「他人事」と感じている問題だ。 差別をされる側としての当事者意識も、 差別をする側としての当事者意識も、持ったことがない ‥‥という日本人は多いのではないかと思う。 そういった土壌がないところに幾ら実感の種を ざくざく植えたところで、育つものは限られる。 そこで、日本生まれ日本育ち日本国籍でありながら 香港チャイニーズ移民2世でもあることで いわば日本における被差別当事者であるわたし自身の 体験や眼差し、実感も、積極的にカンパニーにシェア していった。 しかし、わたしは常々、 差別される側の意識よりも、 差別する側の意識を持つことの方が この作品にとってずっと大切だ、と考えてきた。 そしてそれは、日本で暮らす人にとって 差別される側の意識を持つことより 更に機会が少ない。 しかも、自分の中のそんな部分と向き合うことは、 人間であれば誰にとっても難しいことだ。 だから、その問題に対する免疫がない日本人でも 身近に、肌で実感できそうな手がかりを、少しずつ 見つけては、取り上げて、育ててゆくよう 心がけたつもりだ。 稽古を始めてすぐの時期には特に意識して このディスカッションの時間を多めに取ったが、 それにより、結果的に「対話しながら進める」という スタイルを、稽古の中に確立できたように思う。 そのおかげだろうか。 わたしは25年の間、 「外国人作家の戯曲や外国人演出家の演出を 日本人のカンパニーが表現する」という構図の 演劇作品に数え切れないほどたくさん、 それも橋渡しという立場で携わってきたが、 もしかしたらこの『WSS』シーズン1で初めて、 翻訳や通訳が介在したのでは追いつかないレベルにまで 表現を、そのためのコミュニケーションを、 探求することができたのではないか‥‥と、 そんな気がしている。 それはつまり、 外国の文化や価値観を基に与えられた作品や演出を 日本人側が咀嚼する、その咀嚼の仕方や、 そのためのコミュニケーションが、 今までのわたしの体験にないほどの頻度や深度や精度に 到達できた‥‥ということなのかもしれない。 一言で言うならば 「自分のものにする」といったようなことだ。 そうやってこの大きすぎる作品を カンパニーが自分たちのものにし、 世に届けるにあたり、 目指したことが、わたし個人として幾つ���あった。 わたしはもちろん演出家ではないのだが、 送り手側に立つ以上、 そして演出家をやっている人間として 演劇作品に関わる以上、 どうしてもクリアしたいことはある。 1つめは、人物たちの筋を通すこと。 『ウエスト・サイド・ストーリー』は 【愚かな不良の若気の至り】という断定も できてしまう物語だ。 『WSS』の登場人物たちは1人として 社会的に恵まれた立場にない。 明るい未来を思い描くために必要なものを、 社会や大人世代によって、与えられていない。 ところが、作品を届ける我々スタッフキャストの 多くは、演劇という夢を叶えてそこにいる。 また、観劇する観客の多くも、1万5000円を 観劇という体験のために支払えるからそこにいる。 つまり、劇場に集まる我々はいわば、 人物たちの誰より、恵まれているのだ。 彼らより多くの選択肢を持ち、 彼らよりずっと広い世界を知っているのだ。 よほど意識しない限り、人間は 他者の苦しみを感じることができない。 ましてや自分より恵まれず余裕もない人間の 苦しみなど、なかなか理解できないどころか、 知らず知らずのうちに上からジャッジすること すらあるのではないだろうか。 しかしこの戯曲では、 若者たちの、一見若さの暴走とも取れる言動、 その一つ一つに、非常に丁寧に、筋が通されている。 選択肢が極めて少ない社会の中で、 「数の論理」「やられたらやり返す」という、 いつの時代でも国家すら動かす明快で単純な 理屈を基にして、この戯曲には全てにおいて 細かく詳細に、因果の鎖が描き込まれている。 人物たちはその因果の鎖の上を、 信じ、大切にしているものを 信じ、大切にすることによって、突き進んでゆく。 しかし、人物それぞれの筋や それが互いに分かち難く絡み合うように 編み上げられた因果の鎖は、 人物たちの背景という裏付けを知ることなくしては 読み取れないようになっている。 また、(これはもう作者たちが意図的に仕組んだ としかわたしには考えられないのだが) この戯曲ではきっちり編み上げられた因果の鎖、 それを繋ぐリンクのうち、最も重要なものが幾つか、 スコッと、抜けているのである! 我々は代数の問題を解くように、抜け落とされた 幾つかのリンクを割り出さなければ、 物語の真髄というか、ラストシーンまでも、 到達できないようになっている。 そんな戯曲なので、人物たちを上からジャッジ するような眼差しを持っているうちは、 物語のスタートラインにすら立つことができない。 だいいち観客の方だって、1万5000円も出して 人物たちを「愚かな若者たちだ」と一蹴にするより、 もっと奥へと分け進みたいものだろうと思う。 『WSS』を世に届ける上で、個人的に どうしてもクリアしたかったことの2つめは、 舞台上に生きる人物一人一人が常に、 本物の人間の感情を、とんでもない色濃さと とんでもない熱で、一瞬一瞬生きている‥‥ ということだった。 ‥‥まぁそれは、敢えて言語化するまでもなく、 全ての演劇が目指すことではある��もしれない。 しかしこの劇場では、通常���少々、事情が違う。 何しろ機構が大掛かり。 何しろ美術が超リアル。 少し補足説明をすると、 IHI ステージアラウンド東京では、 客席の方が動いてくれるため、 まず舞台が8面も存在する。 そのため、転換をする必要がない。 動かす必要がないから、 舞台美術というよりは建築物と呼ぶべき 重厚なセットが建て込めるし、 本当に人が暮らしているかのように 小道具を細かく飾り込めるのだ。 そんな超リアルな美術が、 客席が回転するという大掛かりな機構が、 芝居を助けてくれると思ったら大間違いだ。 少しでも緩い芝居ぬるい芝居をしたら、その瞬間、 機構に、セットに、 役者は飲まれてしまう。 「アトラクションみたい」と言われる 機構の、美術の、インパクトを上回るほどに 必死に生きていないと、負けてしまうのだ。 本当に心が動いたわけでもないのに 唇が触れ合ったというだけで、 それをキスと呼び恋と呼ぶような、 そんなミュージカルや演劇や映画やドラマは 世界中にいくらでもある。 しかしそんな芝居は、この劇場では通用しない。 (本当は、どこでも通用しないのだが) これについては、 対話を重ねる稽古を通して 人物たちそれぞれの【筋】を通せたことで 俳優たちはその分、人物の言動を信じて 生きることができたのではないかと感じている。 自分の言動を信じて生きている人間には、 信じて生きている人間にしかない熱がある、と わたしは思う。 とはいえこの物語にはもちろん 理屈を超えたものも描かれているから、 【筋】=理屈だけでは太刀打ちできない。 しかし、理屈や筋といった理知の部分を 余すことなく追求し抜いた先でしか、 理屈を超えたり、打ち壊すような激情には 到達できないのではないかとわたしは考える。 人物たちが一瞬一瞬を精一杯命いっぱいで生き、 それを俳優たちが持っているもの全てを賭けて、 生きる。 わたしが演出補として観たいと願い 取り組んだのは そんな『ウエスト・サイド・ストーリー』だ。 そんな『ウエスト・サイド・ストーリー』に なっていたかの判断は、 観客ひとりひとりにお任せするとして。 そんな探求を共に歩んだシーズン1の 出演者たち一人一人についても書いておこう。 (これを目にする出演者たちへ。 一人一人への言葉、ここには全然 書ききれなくて、こんな感じになった。 書ききれなくって、ごめんね) トニー、宮野真守。 オーディションで見せてもらった、 全てを包み込むような圧倒的な包容力が、 わたしにとってはキャスティングの決め手だった。 (キャスティングは集団で段階的に行ったので 審査をした一人一人にそれぞれの決め手があったと 思うが、わたしにとっての決め手はこれだった) 宮野真守という表現者は世間から「器用」と 評されているのではないかと思うことがあるが、 わたしから見たマモはむしろその逆だった。 傷だらけになったり失敗したりしつつ恐れることなく 常に心の全てで、全力でぶつかってゆく、 不器用で人間くさいトニーを生きてくれた。 トニー、蒼井翔太。 「この人は本当に新しい世界、新しい自分が 見��いんだな」とオーディションから伝わってきた。 それこそまさに、トニーではないか。 与えられたり見つかったりした手がかりの 一つ一つを、一瞬にして、しかも物凄く本質的に、 捉える翔太持ち前のセンスと、 やはり翔太持ち前の、脱帽する他ない勇敢さで、 翔太にしか表現できないトニーを切り拓いた。 本当に対照的な2人のトニーだったけれど、 演じた2人のお名前にそれが象徴されていたことが わたしにはとても運命的に思われた。 大切な人や、自分なりの真実を、守りたいトニー。 新たな世界を求めて、蒼い空高く飛翔するトニー。 対照的でいて、確かにどちらも、トニーだった。 マリア、北乃きい。 オーディションの時から、一般的なマリア像、 通り一遍のヒロインとは一線を画すような、 熱と情念、そして同じだけの繊細さが、感じられた。 若さゆえに兄から色々と押さえつけられてはいても 既に情熱と官能が成熟した、プエルト・リコの女。 ベルナルドと同じ、熱く誇り高い血が流れていて、 たった1日だけでも、一生分の愛を生きることが できる——きいちゃんは、そんな説得力を持って、 マリアを生きてくれたと思う。 マリア、笹本玲奈。 これほどミュージカルを知り尽くした女優が これほど裸で飛び込むということそれ自体に、 オーディションでも、稽古でも、本当に多くを 教えてもらった。裸で飛び込むからこその、 少女が女になる直前の、儚い煌めきと愛らしさ。 舞台上で起きて転がった全て、命も死も、 本当に全てを、その身に引き受ける、 あのとてつもない大きさ。強さ。そして気高さ。 玲奈ちゃんに、大きな愛を、見せてもらった。 アニータ、樋口麻美。 太陽のように、熱くあたたかいアニータ! 全てを受け止め、全てを受け入れられるほどに 大きな器を、絶えず愛や悲しみでいっぱいに 満たして、アニータを生きてくれた。 アニータ、三森すずこ。 自信がなさそうにも見えた稽古の最初の頃が、 今ではもう信じられない。 花って、大輪の花って、こうやって咲くのかと思う。 愛と自信が大輪に咲き誇る、強く美しいアニータ。 リフ、小野田龍之介。 ブレなくて頼れるリーダーでありながら、実は一番 やんちゃで、負けず嫌いで、いちいち何でも悔しくて、 甘えん坊。本当はジェッツを一番必要としているのは リフだって、リフ之介は心から納得させてくれた。 リフ、上山竜治。 何も持っていない若者が、まるで全てを持っている 者かのような優しさで、仲間たちを丸ごと愛していた。 それがとても頼もしく、同時に切なくもあった。 男の気骨、その脆さは、竜治ならではのリフだった。 ベルナルド、中河内雅貴。 何て愛の大きい男だったろう。 でっかい夢を見て、仲間と家族を愛し抜き守り抜き、 手が届かないことを心底悔しがって、時に吠え、 世界に立ち向かう。男だね。雅のベルナルド。 ベルナルド、水田航生。 シャークスならではの隙のない物腰と殺気。 恋人はもちろん妹や仲間たちに対しても細やかで 紳士的で、余裕と器の大きさを感じるけれど、 敵に回すと実は一番怖い。それが航生のベルナルド。 ドク、小林隆。 こばさんのドクは、トニーだけじゃなくジェッツを、 そしてこの荒んだ街での営みの一つ一つを、 たゆみなく、時に父のような厳しさで、愛してくれた。 作品世界を映し出す、鏡のような存在。 シュランク、堀部圭亮。 シュランクの存在によって物語は常に追いつめられる。 戯曲より今回、それが際立ったのは堀部さんのお力だ。 現代東京とは全く違った警察という存在を 理屈でも理屈じゃない部分でも体現してくれた。 クラプキ、吉田ウーロン太。 作品世界において本当に大切な警察という存在の うち、シュランクとはあまりに対照的な一面を、 ウーロン太さんはたった1人で担ってくれた。 グラッドハンド、レ・ロマネスク TOBI。 TOBI さんは3つの役を通して、 物語が曲がり角を迎える時に必ずいてくれた。 大切な役回り、ありがとうございました。 アクション、田極翼。 超絶頼れる我らが(ダンス)キャプテン翼。 芝居の面でも、まるで生まれ変わったみたいに 目覚しい変化を見せてくれた! ビッグディール、樋口祥久。 矛盾を抱えて複雑なビッグディールという人物を、 ぐっぴーは繊細で柔らかな感性で演じてくれた。 A-ラブ、笹岡征矢。 ベビージョンとA-ラブの2人が物語で辿る旅が、 かつてのトニリフと完全に重なるということを、 征矢の芝居が教えてくれた。 ベビージョン、工藤広夢。 工藤広夢の【いま】に『WSS』上演が重なった 奇跡を、演劇の神さまに、幾ら感謝しても、 感謝し足りない。 スノーボーイ、穴沢裕介。 スノーボーイからリフへの愛とリスペクトが 徹底的に貫かれていたことが、ジェッツの底力の 基礎になっていたと思う。 ディーゼル、小南竜平。 無口で頼れるディーゼルそのもの!芝居の話を するたびに、竜平のまなざしの細やかさと深度に、 いつもいつもハッとさせられた。 エニィバディズ、伊藤かの子。 オーディションで一目惚れしたエニ子! この作品世界の描く希望を、そして絶望を、体現し、 背負い、繋ぎ、抱きしめさせてくれた。 グラッツィエーラ、酒井比那。 たった1人でリフとのあのとんでもないダンスを 78回踊りきってくれたことに拍手したい。 リフを亡くした後の芝居、好きだったなぁ。 ヴェルマ、今井晶乃。 一分の隙もない美しさとシャープさ、 これぞ誇り高きジェッツ・ガール! かと思えばバレエでは、浄化を体現してくれた。 ��ザ、井上真由子。 ジェッツの複雑な男女関係を一手に引き受けた その姿、かっこよくて、哀しくて、大好きだった。 ホッツィ、笘篠ひとみ。 小柄でキュートなとまちゃんが、踊り始めると 空気が変わる。ジェッツ男子も顔負けの切れ味、 これぞ COOL! マグジー、鈴木さあや。 ダンスパーティでもスケルツォでも 子鹿のようなダンスと存在感を見せてくれた。 ジェッツにも希望がある、といつも思えた。 チノ、高原紳輔。 大人なチノだからこその悲劇を見せてくれた。 「一つ違ったら、チノは王子さま」それを 体現しつつ、それに囚われずにもいてくれた。 ペペ、斎藤准一郎。 表情の豊かさと、クールなシャークスの ナンバー2を、絶妙のバランスで生きてくれた。 コンスエロとの睦まじさ、好きだったなぁ。 インカ、前原雅樹 aka パッション。 パッションのインカが持つ熱さと暖かさと、 ジェッツに対して見せる猛烈な怒り。 その振り幅に、いつも釘付けだった! ボロ、東間一貴。 シャークスの中で突出して爽やかに見せて おきながら、真っ先にトニーに飛びかかっていく あの熱さ。忘れられない。 ティオ、渡辺謙典。 大人っぽい佇まいのけんけんティオなのに、 フェルナンダとのカップルっぷりは とってもキュートで‥‥素敵だった! フェデリコ、橋田康。 ダンスパーティでの色っぽさはシャークス 随一だったと思う。いつも目を奪われていた。 コンスエロ、大泰司桃子。 桃ちゃんの頼れるコメディエンヌっぷりが 思う存分発揮されたということは、シーズン1の 成果の一つではないかとさえ思う。 しかも、我らが頼れるヴォーカルキャプテン。 フェルナンダ、山崎朱菜。 あんなにハードな『アメリカ』のナンバーを あんなに嬉しそうに楽しそうにキラキラ踊る人が、 いや踊れる人が、他にいるだろうか! ロザリア、田中里佳。 ガールズにどんなにプエルト・リコを悪く 言われても、ロザリアの心のプエルト・リコは いつも変わらず、負けずに、美しい。その強さが 『アメリカ』には不可欠だった。 アリシア、内田百合香。 ブレないロザリアの隣で、プエルト・リコへの 悪口に心を痛めたり憤慨したり、そして最後には‥‥ くるくる変わる表情にいつも楽しませてもらった。 ベベシータ、淺越葉菜。 『アメリカ』では地に足ついて自信に溢れて‥‥ でもバレエの時は幻想を全て纏うかのような、 心溶かす美しさ! 最高に頼れる、我らがダンスキャプテン! スウィング、大村真佑。 ジェッツの一員アイスとして毎公演『Cool』を 踊り、公演によってはバレエもセンターで踊り、 アシスタントダンスキャプテンでもあって‥‥ 大活躍の、頼れるダイソン。 スウィング、畠山翔太。 翼の代わりにアクション役を務め上げた 勇姿はシーズン1の忘れ難き光景の1つだ。 日々シャークスのニブルスを演じ、 バレエも踊り、その上ファイトキャプテンも‥‥! スウィング、脇坂美帆。 シャークスとしてダンスパーティを艶やかに彩り、 時にはバレエもセンターで踊り‥‥ 頼れるアシスタントダンスキャプテンとしても 日々活躍してくれた。 スウィング、矢吹世奈。 『アメリカ』での、独特のウィットと女っぽさ、 茶目っ気ある色気に溢れた魅せ方は実に鮮やか! 存在感があって、流石だった。 41人の出演者全員、それぞれに、心から、 ありがとうございました。 「〜してくれた」という表現は ちょっと上からな印象を与えてしまうかも 知れないが、舞台に立って物語を伝えるということが どれだけ大変か、そして勇気の要ることかを知り、 かつそれを見せてもらう立場であった わたしなりの、精一杯の言葉のつもりです。 次は演出補でなく演出家としてみんなに 再会できるよう、精進したいと思います。 本当はこのままスタッフ一人一人についても 書きたいけれど、絶対に行き届かないことに なってしまう気がするので、割愛します。 最後に、 『ウエスト・サイド・ストーリー』シーズン1を ご観劇いただいた皆さま、 愛してくださった皆さま、 ありがとうございました。 次は演出補でなく、 わたしの演出家としての仕事をご覧いただけるよう、 精進したいと思います。 (敬称略) 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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Bresciaにくるとん。
Beckyを訪ねて彼女の地元、Bresciaへ。
ミラノからは普通列車で1時間20分。
今回の旅はTrenitalia(イタリアの鉄道)が霧によって1時間遅延するところからスタート!
目を覚ましたのは朝の7時。外を見ると真っ白。なんだこれは、、
今日Beckyに聞いて初めて知ったのですが、イタリアの冬は霧がすごいんだとか。ちなみに私がミラノ中央駅についた時の様子がこちら。
なんも見えへん。笑 雨とか曇りとかじゃなくて霧なんです。嫌な予感がすでにしていたのですが、そのまま駅の中へ。
チケットを買って電光掲示板を見ると30分遅れの文字が。あー30分ね、10分後もう一度掲示板を見ると、50分に。んん?その5分後に見ると60分遅れに。嫌な予感的中。
でももういいんです。取り乱すことなく、朝ごはんを食べにカフェへ。イタリアに来てから心に余裕ができた気がします。笑 焦らない焦らない。
1時間ちょい後に電車に乗り込み、いざBresciaへ。
▽ちなみにBresciaへは、電車を使います。
Trenitalia または Trenordというイタリアの鉄道がミラノ中央駅から約1時間おきに発車しています。
Resionaleという途中のいくつかの駅に止まるものが1番安く、片道7.30€です。特急などを使えば1時間以内で着くことも可能ですが10€以上かかります。
チケットはオンラインまたは駅の券売機/窓口で購入可能です。
基本的に安さ重視で、今回は一番安い方法で行きました笑
駅でBeckyと合流し、メトロに乗って街の中心部へ。Bresciaは見るべき場所が全て中心部に集まっているので簡単に歩いて全てを回ることができます。
①Loggia
パッラーディオなど3人の建築家によって15世紀に建てられたもの。モンテ・ディ・ピエタとモンテ・ベッキオという2つのロンバルディア、ルネッサンス様式の建物に囲まれています。
宮殿の向かいには、天文時計台があります。てっぺんの2つの彫像が鐘を鳴らして時を告げてくれます。色の組み合わせが可愛い。
② DuomoとRotonda(Duomo Vecchio)
Bresciaの新Duomo。BresciaにはDuomoとRotonda(Duomo Vecchio) の2つがあります。こちらは新しい方。
古い方(Rotonda /Duomo Vecchio)は隣にあります。こじんまりとした佇まい。
ちなみに中はどんな感じかというと、新しいDuomoがこんな感じ。
Bergamoのduomoに比べると地味でした笑 シンプルっていうべきなのでしょうか。壁の装飾や飾られてる絵画もほとんどなくて、それでいて迫力は全く劣らないのですが。
一方、古いduomoの中がこちら。
古い方が私は好きですね。こちらもシンプルなんですけど、サイズ感と設計が可愛いなと思いました。何と言っても天井が本当に綺麗なんです。
なんて綺麗な青色なんだろう。
ちなみに迫害の際に隠れて礼拝を行なっていた場所が地下にあって、そこもまた味がありました。それがこちら。
③Polentone Burger Bistrot
Brescia出身のBeckyが連れていってくれたのがこのレストラン。北イタリアの伝統料理でPolenteというものがあり、なんでもそれが美味しいお店なんだとか。
じゃん。私のpolenteはチーズのトッピング。他にもソーセージやサラミ、マッシュルームなどのトッピングが可能です。下にあるのはトウモロコシペーストのようなもの。なんとも形容しがたいのですが、北イタリア人が冬に食べる恒例の料理です。ぜひお試しあれ。とても美味しいです。
④Castello
Bergamo、Bresciaなどの大きな街にはたいていお城があります。数々の王国が存在していたイタリアならではですね。山の上にあって、街を一望できます。
ちょっと霧っぽい笑 けどとても静かで陽の光が暖かくて、とても素敵でした。
陽の光が差し込む通路。
色づく葉を見ると、秋の訪れを感じますね。
⑤Museo di Santa Giulia
古代ローマから現在までの歴史と美術が詰まった博物館。9世紀に建てられたサン・サルヴァトーレ教会やロマネスク様式のサンタ・マリア・イン・ソライオ教会をまとめたかつての修道院です。ちなみに世界遺産に登録されています。
是非にも見て欲しいのが「デジデリオ王の十字架」が飾られたサンタ・マリア・イン・ソライオ教会の部屋。
壁面のフレスコ画もさることながら、十字架があらゆる種類の石でデコレーションされているという珍しいデザインで、とても美しいです。
私が行った時には、かつてPinacoteca Tosio Martinengoに飾られていた作品が閉館に伴いサンタ・ジュリア博物館へ移動してきていたので、brescia出身の画家たちの作品を見ることができました。
お気に入りの絵画。Antonio RasioというBrescia出身の画家によって描かれたシリーズの中の1枚。Beckyはお医者さんの予約があったのでここでバイバイ。
⑥BRIXIA. Parco Archeologico di Brescia Romana
街のど真ん中に突然登場する考古学公園。ローマ期に建てられた神殿(Capitoriumt)が中心にあり、左手には共和国時代の至聖所(Santuario Repubblico)、右手にはローマ劇場(Teatro Romano)があります。
誰もいなくてすごくリラックスできました。日本人1人でぷらぷらしているとみんな親切にしてくれるので心地よいです笑 公園を出るときにイタリア人のおじいちゃんが質問をしてきたのでカタコトのイタリア語で返事をしたら、Che brava!って言ってくれたりして、やっぱり楽しい笑 イタリアは1人旅してもあらゆる場所で話しかけられるので、寂しくないですね。とは言っても、イタリア語なので、ちゃんと勉強しようと思います。笑
⑦Gelateria il biondo
Bresciaの地元の人たちの間でNo.1と言われているジェラート屋さん。ジェラート屋さんは地元の人に美味しい場所を聞くと必ず外れません。本当に美味しかった....。何より、フレーバーの数が豊富で選ぶのが大変でした。
fior di latteとbiscottiとpistacchioをチョイス。美味いんだな〜これが。
こんな感じで本日が終了。Bresciaで回るべきところは全て回りました。霧かつ1時間以上の電車の遅延によって不安な1日の幕開けでしたが、良い1日になってよかった。
帰り道、ミラノのメトロでイタリア人にまたしても質問されて、乗り換え案内しました。いや、なぜ、周りに数多くの明らかイタリア人がいる中で、音楽聴きながら日本語のウェブサイト見てる私に聞くんや...。
そんなこんなで明日からシエナに行ってきます!次はシエナにくるとん!
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【レポート】12時間で『繻子の靴』を完読
《渡辺守章訳『繻子の靴』(岩波文庫)を通読する会》(2018/04/07)参加報告
片山 幹生
6月にSPACで渡辺守章訳・演出によるポール・クローデル『繻子の靴』全四日の通し上演が行われることが発表された。
http://spac.or.jp/news/?p=13991 2016年12月の京都芸術劇場で行われた公演とは一部キャストを変更しての再演である。戯曲の完全上演ではないとはいえ、上演時間は約8時間の大作だ。
渡辺守章訳の『繻子の靴』上下巻が岩波文庫から出たのは2005年の秋だった。二十世紀フランスを代表する文学者の一人であるクローデル(1868-1955)の集大成とも言える大作戯曲『繻子の靴』をクローデル研究の第一人者である渡辺守章訳で読むことができるということで、発売直後に購入して読み始めたのだが、その密度の高い言葉の奔流と波瀾万丈でロマネスクな展開の奔放さに打ちのめされ、数度にわたって試みたものの最後まで読み通すことができないままでいた。
6月の静岡での公演の前に、『繻子の靴』全編を読んでしておきたいと思ったのだが、一人では読み通せる気がしない。毎月開催している《古典戯曲を読む会》でこの作品を取り上げられないかと考えたが、標準的な戯曲4本分の長さのあるこの戯曲を、一回2時間の《古典戯曲を読む会》で読み切るには8回から12回は必要になり現実的ではない。丸一年のあいだ、『繻子の靴』を読み続けることになってしまう。そうなるとさすがに《古典戯曲を読む会》の参加者がいなくなってしまうかもしれない。
3月のはじめ、一週間のフランス滞在から戻ってきたあとの時差ボケの状態のなかで、「古典戯曲を読む会番外編として、渡辺守章訳『繻子の靴』を一日で完読する会をやりたい。8時間ぐらいかけてとにかく読み通す」とツィッターでつぶやいたところ、成蹊大学の日比野啓先生から「もしやるなら私も参加する。場所も提供してもいい」と申し出があった。それで《『繻子の靴』(渡邊守章訳、岩波文庫)を通読する会》の開催が決まったのだ。
一日部屋に閉じこもって一つの戯曲をリレー形式でひたすら音読するという酔狂な企画にいったいどれくらいの人が興味を持つだろうと思っていたら、告知を出した直後から問い合わせがあり、最終的には23名の参加者を得ることができた。
〔《通読する会》開始直前に撮った集合写真。赤シャツが片山〕
予定通り午前10時に開始。ごく簡単に会の主催者の片山が挨拶と作品の紹介を行い、すぐに序文から読み始めた。上演前の状況を描写するこの序文の文章が私は大好きなのだ。序文はパラグラフごとに読み手を変えた。序文を読み終えたところで、参加者の自己紹介をしていないことに気がつき、本編に入る前にさっと簡単な自己紹介の時間を設けた。参加者23名のうち、《古典戯曲を読む会》で顔を合わせたことのある人は10名。残りの13名ははじめて会った人たちだった。参加者はプロ・アマチュアの俳優、演劇制作にかかわっている方、演出家、演劇研究者などの演劇業界の人と一般の演劇・朗読の愛好家が半々ぐらいだった。
『繻子の靴』は4つの「日」journéesからなっていて、各日がそれぞれ通常の演劇の一本分ぐらいのボリュームがある。完全版に近い状態で上演したヴィテーズとピィの上演時間が休憩込みで約12時間とのことだったので、テクストを音読するだけの私たちの会では休憩時間を長くとるのでなければ10時間程度で読み終えることができるのではないかと考えていた。しかし実際にやってみるとこれは甘い見通しであることがわかった。翻訳されたテクストは原文より長くなってしまうことを想定していなかったのだ。第一日目を午前10時25分に読み始める。各日は場によって分割されている。各場ごとに、その場の登場人物に読み手を割り当て、場の交代で登場人物が変わると、読み手も交代するという形式でリレー式に読み進めた。第一日目を読んでいる途中で「このままのペースだと、最後まで読み終えるのは終電間際になりますよ」という指摘があった。心持ち読むスピードのペースを上げる。
第一日目を読み終えたのは12時35分。2時間10分かかった。ここで30分の食事休憩をとった。第二日目は13時5分に開始し、読み終わったのが15時15分。やはり2時間10分。後半の第三・第四日は、第一・二日目より100頁近く分量が多い。第一日目が118頁、二日が114頁なのに対し、第三日目は156頁、四日が172頁ある。二回目の休憩は25分とした。第三日目を読み始めたのが15時40分、読み終えたのが18時30分。2時間50分かかった。
第一目を読み終えた時点では、午後8時過ぎには読み終えることができるそうだと思ったのだが、とても無理だ。第四日目は第三日目よりも長い。芝居を見るだけなら、例えば歌舞伎や文楽の通し上演では、朝から晩まで劇場で一本の芝居に付き合うことはたびたびある。芝居を見るだけでもかなり疲労するのだが、今回は読まなくてはならない。リレー式なのでほかの人を読んでいるのを聞いている時間がかなり長いのであるが、『繻子の靴』の対話が密度の高いものな上、展開も飛躍があるのでその理解にはかなりの集中力が必要となる。気が抜けないのだ。
〔12時間にわたって『繻子の靴』と格闘した19名の完読者たち〕 参加者はさすがに疲労した様子だったが、ここでだらだらしてしまうと終電までに読み終えることができないかもしれない。せっかく都合をつけてこの作品の読了のために集まったのだから、読み残しがある消化不良の会にするわけ��はいかない。
第三日目と四日目のあいだの休憩時間は15分として、18時45分から第四日目を読み始めた。全員で声をそろえて発声する「海上の綱引き」の場面がいい息抜きとなった。しかし第四日目は長い。3時間10分ノンストップで読み通した。読み終わったのは21時55分だった。記念撮影を行い、会場を撤収したのが22時過ぎだった。夜遅くになってしまいあわただしい最後だったため、通読の喜びを参加者全員で分かち合う余裕もないまま解散。
長時間、暴れ馬のようなエネルギーを持つ濃厚な言葉と格闘したことで、参加者は疲労困憊といった感じだった。とはいうもの、クローデルの集大成とも言える作品を全編通して音読するために、有志がこのように集まり、渡邊守章の渾身の訳業を通して作品と向き合ったことは、実に得がたい演劇体験だった。
〔完読者に授与された《完読証》(渡邊守章先生公認)。完読証裏のイラストは片山幹生によるもの。『繻子の靴』をイメージして描いたもの〕
●片山 幹生(かたやま・みきお) 1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
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立誠シネマから出町座へ【前編】
2017年7月31日、京都市内の映画館のひとつ「立誠シネマ」が閉館し、同年12月28日に「出町座」として移転オープンしました。 この記事は、閉館直前の立誠シネマとオープン直後の出町座について、写真を中心とした個人的な覚え書きです。でも一応はワールドワイドウェブに公開するので、紹介文みたくなっています。
前編は、立誠シネマの記憶と記録です。後編の出町座の印象はこちら。
立誠シネマプロジェクト
京都市内の小学校は、少子化のために廃統合が進んでおり、この立誠小学校も1993年に廃校となりました。以降、敷地や建物はそのままで地元自治会の活動場所などが利用されてきました。立誠シネマのオープンは2013年。ミニシアター系やリバイバル映画を中心に営業されました。 しかし、京都市による学校跡地活用の推進が進み、2016年から民間等事業者に貸し出すべく選定を行った結果、2017年5月にヒューリック株式会社との契約が締結されました。
固い文で書きましたが、つまりこの元・立誠小学校、西に河原町通、東に木屋町通と京都の繁華街の超ど真ん中にあって遊ばせておくにはもったいない立地ですので、持ち主である京都市が本腰入れて民間を誘致しました。 選ばれたヒューリック株式会社は、今後、全面的に工事をして、ホテルを中心とした施設を作るそうです。観光客の増加による京都市内のホテル不足解消に一役買う活用方法、という感じですね。計画図(PDF)見てると、歴史ある建物は残して、映画上映施設も作るそうなんですが���完成してみないとわかんないしな~。2020年開業予定。東京オリンピックの影響は地方にもあるという一例。
私は「映画館の価値とは、行きやすい場所にあるか、私が見たい映画を上映してくれるかだ」という人間なので、行動範囲内で見られる映画が減るのが残念でした。足を運ぶ回数は、年に1・2回なものの、ここでしか上映しない映画がほとんどだったので。 閉館告知時点で出町座への移転とクラウドファンディングも発表されていたのですが、正直、本当に移転できるのかと半信半疑で…だって映画業界、景気良くないニュースが多くて……すみません。
どちらにしろ、年に数回通った場所がなくなるので、写真に残しておこうと伺いました。閉館4日前、2017年7月27日の様子です。
元・立誠小学校の外観です。東の木屋町通に面して正門があり、高瀬川を渡って敷地に入ります。 1928年竣功で、建築学としては、ロマネスク様式を取り入れている、和風アールデコなどが特徴だそうです。こちらやこちらのブログに、成り立ちなどが詳しく載っています。GIGAZINEの立誠シネマ紹介記事も詳しい。
玄関には、その日の上映スケジュール書かれた黒板が立てられてる。右の小さな黒板は、1階のカフェTraveling Coffeeの案内です。現在も営業中。
内装は小学校そのままです。床板は気をつけて歩いてもギシギシきしむし、電気も少ないです。立入禁止区域も多い。最初に来たときは、夜だったのでお化け屋敷みたいで怖かった。
木造建築3階建てで、立誠シネマは3階にあるので、階段をのぼっていきます。校舎内の教室は、セミナーや展示などにも活用されてきました。
日本の小学校はどこも似た雰囲気なので、わたし学校好きじゃなかったんだな…と過去を俯瞰する羽目になった。
階段をのぼりきって、左手に立誠シネマの案内が。このアーチ型の意匠は校舎の特徴ですね。ヴォールトでいいのかな?かわいい。
手前が上映室で、奥がロビーで入り口。右側の棚には、映画やイベント関係のチラシが置かれてました。
ロビーに入ったところ。右手の受付でチケットを購入。整理番号順の入場で、自由席です。パンフの他、映画関係の本やグッズも販売。この時期は、毎日『この世界の片隅に』が上映されており、設定画などがたくさん飾られてました。
半券は、マステでスケジュール帳に貼って残してます。
今まで上映した映画のチラシが縮小されて、黒板いっぱいに貼られています。2013年~2017年の4年分です。私は『恋の渦』、『SCUM/���カム』、『懲罰大陸☆USA』、『グリーン・インフェルノ』、『ハッピー・アワー』を見ました。この日は、ラスト興行の一環の黒沢清監督『アカルイミライ(2003)』を鑑賞。
左のお花は、同じ京都市内の京都みなみ会館さんからです。写真撮ったときはまさか閉館告知が出るとは思わなかった……。
教室奥にある、上映室への入り口です。二重扉ならぬ二重カーテンで、この前で切符がもぎられる。 室内の写真は撮ってません。教室の再利用とあって段差も少なく、ほぼ座椅子でした。公称35席であってるのかな?この日はパイプ椅子や立ち見席も出しての満員で熱気がありました。
上映前には、田中支配人が挨拶。「黒沢清監督の作品で一番だと思っている」「たまたま一度も上映されていないフィルムが手に入った」「終わりじゃないという心意気で」と話されてました。
敷地のほかの場所。 お手洗いは、1階の中庭に面した場所にあります。人気がゼロなので、行くのはなかなかの恐怖。
新しいものと古いものが混在している。左手の扉は講堂で、ときどきイベント利用されていました。
2017年10月には「RISSEI PROM PARTY」というフィナーレイベントが学校の敷地全体で開かれ、映画上映のほかライブもありました。こちらのレポが詳しい。私は行けなかったのですが、講堂で見る『シング・ストリート』は最高の体験だったはず。
立誠シネマの上映で、私が一番覚えてるのは『ハッピー・アワー』です。5時間17分が三分割で上映され、身体が凝っていったので休憩時間はロビーでストレッチしてた。映画自体も、素人さんが演っているなど異色の作品で、回りくどい会話劇を通して人間のバランスが崩れていく過程を楽しみました。いまだにソフト化されていない作品なので、立誠シネマでの上映がなければ出会えませんでした。
後編の、出町座はこちら。
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ルネ・ジラール(René Girard、1923年12月25日 - 2015年11月4日)はフランス出身の文芸批評家。アメリカ合衆国のスタンフォード大学やデューク大学で比較文学の教授を務めた。いわゆるミメーシス(模倣=擬態)の理論を考案し、欲望のミメーシスな性格の発見によって新しい人類学の基礎を築いた。自身では暴力と宗教の人類学を専門とすると述べている。 経歴[編��] 著書『文化の諸起源』の第1部に短い自伝的文章が掲載されている。 ルネ・ジラールには妻と3人の子がいる。フランスのアヴィニョン生まれ。父はアヴィニョンの博物館で学芸員を務めており、反教権的で共和主義者であった。母は女性としてドローム県初のバカロレア取得者となった人物で、カトリックであった。1943年から1947年までパリの国立古文書学校で中世史を学ぶ。 1947年に奨学金を得て渡米。その後アメリカで結婚、研究生活の大半を同地で送る。1950年にインディアナ大学で歴史学の博士号を取得。同大学で文学を教え始める。1957年からジョンズ・ホプキンス大学で教える(1968年まで)。1961年、初の著書『欲望の現象学―文学の虚偽と真実』を公刊。模倣の人類学的側面について研究し始める。これが供犠の問題につながっていき、彼の代表作『暴力と聖なるもの』(1972年)で論じられることになる。1966年10月に彼が企画参加した国際シンポジウム「批評の言語と人文科学」はアメリカ合衆国に構造主義を紹介する上で大きな役割を果たした。シンポジウムの出席者にはロラン・バルト、ジャック・デリダ、ジャック・ラカンらがいた。1968年にニューヨーク州のバッファロー大学に移籍し、1975年に再びジョンズ・ホプキンス大学に戻る。ミシェル・セールと知り合い、共同研究をおこなう。『世の初めから隠されていること』の構想を開始したのは1971年のことであり、『暴力と聖なるもの』が刊行される以前であった。『暴力と聖なるもの』は比較的評判が悪く、自分の意見を理解してもらう難しさを痛感したという。ジャン=ミシェル・ウグルリヤンとギー・ルフォールというフランスの2人の精神科医の協力を得て『世の初めから隠されていること』が完成したのは1977年夏のことであった。この著作の評判は一般には良好だったが、学会からは酷評を受けた。1980年以降スタンフォード大学に在職。1995年に退職して大学での教育活動を終えて後も同地に居住し、ジャン・ピエール・デュピュイと共に「学際研究プログラム」を指揮し、たくさんのシンポジウムの運営に当たっている。1990年メディシス賞エッセイ部門受賞。 2005年3月17日、カレ神父(2004年1月15日死去)の��任としてアカデミー・フランセーズ会員に選出される(座席番号37番)。アカデミー会員としての初会合は2005年12月15日[1]。 2015年11月4日、カリフォルニア州の自宅で亡くなった[2]。 邦訳著作[編集] 『欲望の現象学:ロマンティークの虚偽とロマネスクの真実』古田幸男訳、法政大学出版局、1971年 『暴力と聖なるもの』古田幸男訳、法政大学出版局、1982年 『ドストエフスキー:二重性から単一性へ』鈴木晶訳、法政大学出版局、1983年 『世の初めから隠されていること』小池健男訳、法政大学出版局、1984年 『地下室の批評家』織田年和訳、白水社、1984年、新装版2007年 『ミメーシスの文学と人類学:ふたつの立場に縛られて』浅野敏夫訳、法政大学出版局、1985年 『身代りの山羊』織田年和、富永茂樹訳、法政大学出版局、1985年 『邪な人々の昔の道』小池健男訳、法政大学出版局、1989年 『このようなことが起こり始めたら…:ミシェル・トゥルゲとの対話』小池健男・住谷在昶訳、法政大学出版局、1997年 『羨望の炎:シェイクスピアと欲望の劇場』小林昌夫、田口孝夫訳、法政大学出版局、1999年 『文化の起源:人類と十字架』田母神顯二郎訳、新教出版社、2008年 『サタンが稲妻のように落ちるのが見える』岩切正一郎訳、新教出版社、2008年
https://ja.wikipedia.org/wiki/ルネ・ジラール
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[Translation+Lyrics] Epilogue... by Ariabl’eyes
Not the most exciting track but certainly the last one in the album. The last bits of narration are not written in the lyrics so I probably fumbled the meaning on that. The narration does say daijobu (”it be fine”) so you know, it probably all worked out for the best, except the part where everyone died which was admittedly uncool for them.
Overall I’d say it’s a pretty cool album, one of my favorites out there despite it’s short length. Those 3 consecutive tracks (tsuioku no bara, meikai no shisha, and romanesque romancia) make for a pretty fun ride, and toraware no majo is also a kickass intro. This track, I wouldn’t say it’s bad or even underwhelming but the previous one is conclusive enough that I never feel like listening to this one, though that last bit of narration did provide me some comfort the first time around as it told me “hey, it’s all daijobu”. Again though, what’s the deal with roses, and the two narrations near the end are redundant.
I’d rate this album a solid 9, and emotionally would bump it into a 10 because it’s really stuck with me and given me a new band to look out for. You have the lyrics down below and let’s see how long it takes for me to come back, see ya.
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#5 Epilogue...
Composition, Lyrics:Lyse Singer:Luna
雲が晴れた丘の上 大地を陽が照らして 白き薔薇に包まれて 少女は眠りに
kumo ga hareta oka no ue daichi wo hi ga terashite shiroki bara ni tsutsumarete shoujo wa nemuri ni
Through the clouds a spot of land is illuminated by the sun a spot clad in white roses where the girl sleeps
風の中に聞こえる 愛しき君の声は 白き羽根を纏った まるで天使のよう
kaze no naka ni kikoeru itoshiki kimi no koe wa shiroki hane wo matotta marude tenshi no you
Throughout the wind it can still be heard, a cry for a loved one Covered in white wings like an angel
最期の場面で二人 通じ合えた奇跡 遥かなる螺旋の果てに 辿り着いた空へ
saigo no bamen de futari tsuuji aeta kiseki haruka naru rasen no hate ni tadori tsuita sora he
The last scene where the two met each other Reaches out to a spiraling sky
生まれゆく悲しみも 消えてゆく灯火も 共に信じる奇跡 巡り巡る運命
umareyuku kanashimi mo kieteyuku tomoshibi mo tomo ni shinjiru kiseki meguri meguru sadame
To be born again without that sadness, once its light has faded away I trust in that miracle, in this life that goes around and around
そっと瞳閉じてあなたを想います
sotto hitomi tojite anata wo omoimasu
And so I close my eyes thinking of that
It's alright, the pact with that demon has been fulfilled And the country will once again be filled with light Be born again, and let's meet again This tragedy will just fade away like a rose
This is the story of what happened to those two It was like a beautiful rose The End
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[Translation+Lyrics] Romanesque Romancia by Ariabl’eyes
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Oh, Japanese. What a language ain’t it. You can spend as much as you want learning it, many will claim it’s really not that hard. But then the Japanese go an use a word that’s not originally Japanese and you have no clue what exactly they meant. Here we have a song with a title that’s not written in Japanese, Romanesque Romancia, that’s the entire title. What did they mean by this. What’s a romancia. Luckily it’s right there in the lyrics, whenever the word Romancia is said out loud, it’s written as 世界, or “World”. But what the hell is Romanesque? I haven’t the slightest clue to be frank, obviously it pertains to Rome, as google’s first result will tell you, but what exactly do they mean by Romanesque, well I don’t know lol. They never actually say it in the lyrics so it doesn’t matter all that much but it is in the title of the album so you know, it is kind of intriguing.
As usual for these stories, bad things happen, again. It seems like the entire world has merged with hell and the Princess is now trying to kill the Prince. He confesses his love one last time, and she manages to barely stop herself from killing him. She begs for death, and it would seem he quickly delivers. They wish to meet again in their next life and let’s just hope that they do because the song is so emotionally charged I can’t help but root for these two monarchs whom I know absolutely nothing about. Wait a minute, the entire world sank into hell? Because of the petty squabble of a couple of nobles and a crazy old woman? Kind of not a good deal for the common folk isn’t it. Personally, I would not vote for these two kids under democracy.
Again though, what is it with Lyse and nationalism? right in the heat of the moment why say something like “I REALLY LOVED MY NATION, oh and I also loved you I guess”. Is Lyse perhaps a monarchist? Well, that question will not be answered here and now, or maybe ever, but the lyrics are down there if you want to check them, it’s really an awesome song.
#4 Romanesque Romancia
Composition, Lyrics:Lyse Singing:Luna, Rena
空は紅き月明かり満ちて 纏う禍々しき血の香り 闇に響き渡る叫声は 伝う感情の波紋
sora wa akaki tsukiakari michite matou magamagashiki chi no kaori yami ni hibiki wataru kyousei wa tsutau kanjou no hamon
The sky is fully painted in red and the air ominously reeks of blood Cutting across the darkness there's a voice carrying a spell
「目を醒ましてくれ、愛しい君よ。」 溢れる想いは 風に消えて 虚空を���る少女は剣を 掲げて振りかざす
me wo samashitekure, itoshii kimi yo afureru omoi wa kaze ni kiete kokuu wo meguru shoujo wa tsurugi wo kakagete furikazasu
"Open your eyes, my loved one!" Those overflowing emotions being lost in the wind In the emptiness the girl brandishes a sword and raises it
壊れた二人の世界 薄れゆく二人の影は 重なり交わり合う 時を拒むように 振り下ろす紅き剣は 少女の面影を残して 虚ろな瞳の奥 浮かぶ哀しき言葉
kowareta futari no romanshia uzureyuku futari no kage wa kazanari majiwariau toki wo kobamu you ni furiorosu akaki tsurugi wa shoujo no omokage nokoshite utsuro na hitomi no oku ukabu kanashiki koe
It fell apart the world of those two, their shadows are now fading The time which belonged to them has been entirely rejected Swing down that red sword where the girl remains Inside those empty pupils a grieving voice swells up
迫る岸壁に追い詰められて 惑う夜空を彩る剣 心を無くした人形のような 宿る悪魔の旋律
semaru ganpeki ni oitsumerarete madou yozora wo irodoru tsurugi kokoro wo nakushita ningyou no you na yadoru akuma no senritsu
Approaching imminently carrying that sword painted the same as the night Like a doll without a heart, instead of that she carries only the melody of a demon
「君を心から愛していた。君といた日々を忘れない。」 想いを乗せた最期の言葉も 少女に届かずに
kimi wo kokoro kara aishiteita. kimi to ita hibi wo wasurenai omoi wo noseta saigo no kotoba mo shoujo ni todokazu ni
"I really loved you from the bottom of my heart. I'll never forget my days with you" Those words carried his remaining feelings, which he was unable to deliver to her before
壊れた二人の世界 薄れゆく二人の影は 重なり交わり合う 時を拒むように 振り下ろす紅き剣は 王子の頭上を掠めて 震える少女の頬に 伝う涙の跡
kowareta futari no romanshia uzureyuku futari no kage wa kazanari majiwariau toki wo kobamu you ni furiorosu akaki tsurugi wa ouji no zujou wo kasumete furueta shoujo no hoo tsutau namida no ato
The world of those two fell apart, their shadows are now fading The time which belonged to them has been entirely rejected Swinging down that red sword which grazes the prince's head As the girl shakes, traces of tears cover her face
「私は国を、そして��なたを心から愛していました。 だからお願い私を殺して 最期の瞬間はあなたに…」
watashi wa kuni wo soshite anata wo kokoro kara aishiteimashita. dakara onegai watashi wo koroshite saigo no sono toki wa anata ni
"I really loved my country, but most of all I loved you. So please just kill me now, let me spend this last moment with you..."
壊れた二つの奇跡が 重なる悲しみの雨に 打たれて流されてく 無力な夜明けに 「お願い早く終わらせて あなたを傷付けたくないの もしまた生まれ変わることが出来るのなら、 再びあなたと…」
kowareta futatsu no kiseki ga kasanaru kanashimi no ame ni utarete nagasareteku muryoku na yoake ni "Onegai hayaku owarasete anata wo kizutsuketakunai no moshi mata umare kawaru koto ga dekiru no nara, futatabi anata to..."
The miracle of those two has been entirely broken, the sadness washed away by the rain Beaten up and drained away in that night of powerlessness "Please end it fast, I don't want to hurt you If we're ever reborn I'd like it if it was possible to spend my life With you all over again..."
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[Translation+Lyrics] 冥界の使者 by Ariabl’eyes
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It’s time for probably my favorite song in the album. It doesn’t carry quite as much emotional force or impact as the one before or the one after it, but it’s just really my jam from beginning to end. It features both Luna and Rena going back and forth which I really like, and its all like, hellish, just a really cool jam overall.
Story wise, things weren’t exactly good up until this point but now it directly goes south. The witch decides to send the couple her last fuck you, offers herself as a sacrifice to open up the gates of hell so that the princess awakens, now possessed by a demon. You really ought to admire that kind of dedication, “It’s ok if I go to hell as long as I can drag everyone else with me”, that degree of pettiness is simply not an everyday occurrence. If Lyse keeps putting out extended albums like they did for Rozenkreuz I’d like to see a prelude song where the witch says she didn’t even care much for the prince or the princess, she just sort of decided to ruin their lives out of nowhere. If she was just jealous of the happy couple though, that would be a bit lame, let’s not do that. Keep reading down below for the lyrics.
#3 冥界の使者 Meikai no Shisha (Netherworld’s Messenger)
Composition, Lyrics:Lyse Singers:Luna, Rena
死せる者たちは 冥界を彷徨い 血塗られた十字を背負い ただ救いを請う
shiserumonotachi wa meikai wo samayoi chinurareta juuji wo seoi tada sukui wo kou
The dead wander through the netherworld While carrying the burden of their crosses and begging for help
生ける者たちは 黒き祈りを捧げ 魂を蝕んでは 再生の儀式を
ikerumonotachi wa kuroki inori wo sasage tamashii wo mushiban de wa saisei no gishiki wo
The living offer up their lives in a dark prayer while their souls rot away they perform a ritual to resurrect
せめてもう一度…どんな姿だとしても そこに一縷の望みがあるならば抗おう
semete mou ichido donna sugata da toshitemo soko ni ichiru no nozomi ga aru naraba aragaou
Once again, and as long as it keeps presenting itself As long as there is a sliver of hope their struggle will never cease
穢れた報いに 純潔の剣を掲げ 終劇を告げる 哀れな贖い 空虚な運命と 知りながら願い続ける 仮初めの夜に 描く月影
kegareta mukuini junketsu no tsurugi wo kakage shuugeki wo tsugeru awarena aganai kuukyo na sadame to chirinagara negai tsutsukeru karisome no yone ni egaku tsuki kage
For that tainted reward the sword of purity is offered up The End pronounces itself and its redemption for the empty lives that continue their prayer in that fleeting night painted by moonlight
黒き月の夜に 揺らめく棺の少女 魔女は甲高い声で 王子を嘲笑う
kuroki tsuki no yo ni yurameku hitsugi no shoujo majo wa kandakai koe de ouji wo asawarau
In that night with a blackened moon the girl's coffin shakes as the witch laughs at the prince in a high pitched tone
白き花のように凍りつく表情で 固く閉ざされた空に 輪廻の刻を待つ
shiroki hana no you ni kooritsuku hyoujo de kataku tozasareta sora ni rinne no toki wo matsu
That cold expression like a white rose Firmly locked away, waiting for it's revival
呪文唱え魔女は 自ら生贄に捧げ 「全てを地獄に沈めるわ 死なばもろとも」
jumon tonae majo wa mizukara ikenie ni sasage subete wo jigoku ni shizumeru wa shinaba morotomo
The witch lets out a chant offering herself up as the sacrifice “Let it all sink into hell!, even if it kills me!”
穢れた報いに 純潔の剣を掲げ 終劇を告げる 哀れな贖い 空虚な運命と 知りながら願い続ける 仮初めの夜に 描く月影
kegareta mukuini junketsu no tsurugi wo kakage shuugeki wo tsugeru awarena aganai kuukyo na sadame to chirinagara negai tsutsukeru karisome no yone ni egaku tsuki kage
For that tainted reward the sword of purity is offered up The End pronounces itself and its redemption for the empty lives that continue their prayer in that fleeting night painted by moonlight
魔女は闇を纏い 月は深紅く染まり 震える棺に交わされた 最期の契りを
majo wa yami wo matoi tsuki wo akaku somari furueru hitsugi ni kawasareta saigo no chigiri wo
The witch clads herself in darkness and the moon is painted red And in that waving coffin a last pledge is offered up
重ねた報いは 降り注ぐ儚き光 結末を呪う 刹那の残響 目覚めた少女の瞳は深紅く輝き 憎しみに染まる 冥界の扉
kazaneta mukui wa furisosogu hakanaki hikari ketsumatsu wo norou setsuna no zankyou mezameta shoujo no hitomi wa akaku kagayaki nikushimi ni somaru meikai no tobira
A stream of punishment and fleeting light the curse of the end resonates in the moment and the girl wakes up with eyes shining red As the gates of hell have been painted with hatred
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[Translation+Lyrics] 囚われの魔女 by Ariabl’eyes
Back at it again, this time I’ll be translating the album 終劇のロマネスク (Romanesque of the End) by our usual suspects, Ariabl’eyes. They released this album in 2016 and as soon as I heard it, I was entranced and became a fan, however I was saddened to find out there was apparently no translations for it on the whole wide internet. As such I had to take it upon myself to make sure there is one. If you find me to be grossly wrong and feel the need to call me out on my bad work, that is exactly what I want, please do so.
As is usual for this circle, this album also tells a story, this time it features a Prince, a sleeping Princess and a Witch. It’s a bit of a dark sleeping beauty kind of deal. This first track is rather short, and simply acts as a setup. The prince seems pretty pissed that the witch just won’t awaken his beloved princess despite him courteously keeping her alive in a dungeon. Also the princess seems to have a demon sleeping in her, typical stuff.
Luna seems to play both the Prince and the Witch for this song, but step on to the next song and it’ll be Rena playing the prince for just that one song. I’d like it if each character had sort of their own voice but there’s only so much you can do with only two singers. Anyway, keep reading down below for the lyrics, it’s an alright song.
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(yes, the video says it’s the second track but the first track is just sort of a short intro, this one’s good enough for a beginning and more importantly it’s the one that the booklet actually transcribes)
#1 囚われの魔女 Toraware no majo (Trapped Witch)
Composition, Lyrics:Lyse Singer:Luna
静かに夜の帳が下りる頃に 気高き城の地下牢へ一人 繋がれた影は小さく頷いては こちらを見つめて不気味に笑う
shizuka ni yoru no tobari ga oriru koro ni kedakaki shiro no chika no ou he hitori tsunagareta kage wa chiisaku unazuite wa kochira wo mitsumete bukimi ni warau
The curtain draws on a silent night, on a person heading to the dungeon of a castle calling from the shadows, a creepy laughter is heard
「魔女よお前に問う 私の愛しき人を眠りから覚まさせることは出来るのか」
majo yo omae ni tou watashi no itoshiki hito wo nemuri kara samasaseru koto wa dekiru no ka
“Witch!, answer me When will my beloved finally be awoken?”
「そろそろ来る頃だろうと 思っていたよ あの子の悪魔は死んでいないよ 眠っているだけさ あの子に眠る悪魔を もう一度呼び起こせば 目を覚ますはずだろうよ あの子の器は」
sorosoro kuru koro darou to omotteitayo ano ko no akuma wa shindeinaiyo nemutteru dakesa ano ko ni nemuru akuma wo mou ichido yobi okoseba me wo samasu hazu darou ka ano ko no karada ha
“Soon, that time is closely approaching the demon in that girl isn't dead yet, it's merely asleep I guess I should try it once more, calling out the demon in the girl, awakening that vessel (body)”
静かに夜の帳が下りる頃に 希望の光は…
shizuka ni yoru no tobari ga oriru koro ni kibou no hikari...
The curtain closes on that quiet night. And the light of hope...
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