#紫式部ポスト
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井上タバコ店
滋賀県大津市石山寺三丁目29-16
郵便差出箱1号丸型
紫式部ポスト🟣
滋賀県大津市石山寺一丁目3-24 1号
彦根城築城390年記念
彦根市金亀町 彦根城二の丸駐車場 郵便差出箱12号
滋賀彦根城金亀町4-30
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「マックフライポテト」M・Lサイズが250円に、8月19日からキャンペーン実施、Lサイズ注文は130円値引き/マクドナルド | 食品産業新聞社ニュースWEB
以下引用
日本マクドナルドは8月19日から「マックフライポテト」キャンペーンを開催し、M・Lサイズを特別価格“税込250円”で販売する。
実施期間は8月30日までの12日間。一部を除く全国の「マクドナルド」店舗で行う。「マックフライポテト」の販売時間帯は午前10時30分から閉店まで(24時間営業店舗では翌午前4時59分まで)。デリバリーは対象外。空港・サービスエリア・遊園地などの店舗では実施しない。 マクドナルドの「マックフライポテト」は、『外はカリッとゴールデンブラウン、中はホクホクとしたベイクドポテトのような食感』が特徴の人気サイドメニュー。マクドナルド公式サイト内の商品解説ページ「ポテトの道のり」によると、選ばれた品種のみのじゃがいもを丸ごとカットし、決められたフライオイルの温度や時間で揚げて、最後にポテトのおいしさをより引き立てる粒が大きめの塩をふりかけて仕上げることで、「マックフライポテト」の味わいが完成するという。 今回特別価格“250円”で提供する対象メニューは、「マックフライポテト Mサイズ」(通常価格税込330円)と、「マックフライポテト Lサイズ」(通常価格税込380円)の単品注文。Mサイズでは80円の値引き、Lサイズの場合は130円の値引きだ。 マクドナルド公式X(旧Twitter)アカウントでは、「マックカード1000円分」が当たるキャンペーンを実施する。マクドナルド公式アカウント(@McDonaldsJapan)をフォローし、対象のポストに指定のハッシュタグを付けてリプライして応募できる。応募期間は8月18日7時~23時59分と、8月19日7時~23時59分。抽選で2日間合計100人にマックカードをプレゼントする。
また、8月16日からは、新TV-CM「i LOVE ポテト」篇を放映する。ダンスボーカルグループ「Number_i」(ナンバーアイ)メンバーの平野紫耀さん、神宮寺勇太さん、岸優太さんがマックフライポテトM・Lサイズが今だけうれしい250円で食べられる魅力を、ノリノリで盛り上がり「おかわり!」と繰り返してしまうような楽しさ・喜びの姿とともに伝える内容。
なお、マクドナルドでは7月24日から、「シャカシャカポテト ハワイアンバーベキュー味」を販売している。 マックフライポテトに付属の粉を入れ、シャカシャカ振って混ぜ合わせることで“味変”を楽しめる“シャカシャカポテト”の期間限定フレーバー。 常夏の島ハワイでのバーベキューをイメージした、香ばしいグリル風味とスパイスがやみつきになるという。ポテト注文の際にプラス税込40円で購入できる。販売期間は9月上旬まで。
【関連記事】マクドナルド「炙り醤油風トリプル肉厚ビーフ」8月21日復活発売、2024年3度目の登場、夜マック時間帯に提供/サムライマック
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風月句会
2024年9月15日
於:多摩市民館第五会議室 写真:柴田貴薫
坊城俊樹選 栗林圭魚選
坊城俊樹選 特選句
坊城俊樹選 特選句
秋茜近寄り来てはまた高く ます江 桔梗とて気怠そうにて風に揺れ ます江 池に波紋残して行けり赤蜻蛉 貴薫 草むらに露草の青紛るなく 秋尚 赤蜻蛉捕り逃がしたる父の網 三無 隠沼に秋明菊の八頭身 文英 秋の蝶もつれて落ちてまた浮かぶ 白陶
坊城俊樹選 並選句
黄金色の御仏燦々秋暑し 軽象 残暑などと言ってはをれぬ日差しかな 秋尚 魁て色づく雅式部の実 三無 池の辺に紅溢れさせ���船草 慶月 玲瓏の秋海棠や風さやか 幸風 ホバリングする一点の赤とんぼ 秋尚 鴨の陣うちひとたりと目の逢ひし 軽象 野阜の色なき風や墾の径 幸風 秋の蝶草低ければ低く舞ひ 三無 風に揺れおちょぼ口なる釣船草 文英 草陰に水音聴くや秋の蝶 亜栄子 山葡萄鈍き光りを森の端 慶月 数珠玉の藍を探せし今もなほ 慶月 風にのり途切れて聞こゆ秋祭 ます江 眼差しの深き埴輪にある秋思 三無 青雲やけふ鉄塔の秋高し 軽象 刻々と姿を変へし雲さやか 貴薫
栗林圭魚選 特選句
栗林圭魚選 特選句
魁て色づく雅式部の実 三無 秋茜近寄り来てはまた高く ます江 静謐の沢の流れや曼珠沙華 幸風 赤蜻蛉捕り逃がしたる父の網 三無 草陰に水音聴くや秋の蝶 亜栄子 山葡萄鈍き光りを森の端 慶月 森へ行くバス待つベンチ秋の晴 秋尚
栗林圭魚選 並選句
秋海棠父に見せたき野咲きかな 慶月 水澄みて水底耀る日向かな 亜栄子 池の辺に紅溢れさせ釣船草 慶月 黄菅咲く尾瀬の夢観るだけの齢 れい ホバリングする一点の赤とんぼ 秋尚 琅玕の白節映ゆる竹の春 幸風 堰音は漕ぎ出す合図釣船草 三無 秋の蝶草低ければ低く舞ひ 三無 木洩れ日の斑の彩や花野径 亜栄子 風に揺れおちょぼ口なる釣船草 文英 対岸に一本貴き曼珠沙華 慶月 秋海棠抜きん出て咲き色淡く ます江 草むらに露草の青紛るなく 秋尚 白樫の森の奥より秋の声 三無 立山に向かふ列車に稲穂揺れ 白陶 白樫の大樹に生るる秋の風 亜栄子 水澄める沢をいくつも越えにけり 白陶 青雲やけふ鉄塔の秋高し 軽象 不器量に蜻蛉追ふ児の赤いシャツ 亜栄子 やはらかく風の音消し竹の春 秋 黒塗のポスト見過ごす猛暑かな 文英 一面の黄菅恋ひしや尾瀬ヶ原 れい 雁金草紫碧色の花可憐なる ます江 風の盆過ぎてひっそりしたる街 白陶
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小学館的漫畫雜誌03(少女向)
本期是小学馆的少女向。
Sho-Comi
Sho-ComiX
ベツコミ
Cheese!
ちゃお(CIAO)
ちゃおデラックス(CIAO Deluxe)
ChuChu
プチフラワー(Petit Flower)
Sho-Comi
发行时间:1968年4月 -
人群向:少女漫画、女子中学生〜女子大学生
发行日:毎月5日,20日
旧名:少女コミック
简称:原『少コミ』→ 现 『ショウコミ』
增刊:『Sho-Comi増刊』→ 『Sho-ComiX』
代表作:陽光伙伴 (陽あたり良好!)、淘氣小雪兒 (ジョージィ!)、Rising(ライジング)、伊扎龙传说(イズァローン伝説)、魔影紫光 (闇のパープル・アイ)、不思议游戏 (ふしぎ遊戯)、梦幻妖子 (妖しのセレス)、3-THREE-、天是红河岸 (天は赤い河のほとり)、Milk Crown(ミルククラウン)、堕天使的甜蜜诱惑×快感指令 (快感・フレーズ)、今天开始谈恋爱 (今日、恋をはじめます)、铃木同学,我爱你! (好きです鈴木くん!!)、蜜蜂初恋(ハチミツにはつこい)、小林可爱到爆!! (小林が可愛すぎてツライっ!!)、四月的你是閃耀的星星 (4月の君、スピカ。)、哥哥太爱我了怎么办 (兄に愛されすぎて困ってます)
80年代,不少定义了20世纪90年代至2000年代初少女漫画风格的作家首次在该杂志上亮相。
包括「魔影紫光」、「不思议游戏」、「梦幻妖子」等幻想系作品持续出版的同时,也出现了一些问题,包括具体的性描写和性暴力。在茨城县,根据《茨城县青少年健康成长条例》,该书被指定为有害书籍。此外,在2007年日本PTA全国委员会进行的“儿童和媒体意识调查”中,它被评为“孩子不想阅读的杂志”第一名。近年来,由于这种影响,漫画作品中关于性描写的部分受到了压制。
此外,受到包含2010年『ChuChu』的休刊在内的小学馆少女漫画杂志整体重组的影响,这本杂志将小学高年级的少女也纳入了杂志的目标对象范围内,事实上使得本杂志的目标受众年龄下降。
从 2008 年 4 月起,雅虎漫画(Yahoo!コミック)开始以网络漫画的形式发行部分已出版的作品。
Sho-ComiX
发行时间:1968年4月 -
人群向:少女漫画、女子大学生
旧名:『Sho-Comi増刊』
发行日:奇数月15日左右
代表作:文豪に捧げる乙女、おとなの初恋等等
Sho-Comi的增刊,奇数月15日左右发售。一开始的名字是『Sho-Comi増刊』,2019年11月15日发售改名为『Sho-ComiX』。杂志内容以单篇为主,但有时也会出版本刊连载作品的番外篇。
ベツコミ
发行时间:1970年(1970年5月号) -
人群向:少女漫画、女子中学生〜女子高校生
旧名:『別冊少女コミック』、『Betsucomi』
发行日:每月13日
增刊:デラックスベツコミ(Deluxe ベツコミ)、ベツフラ(电子杂志)
代表作:柚木家的四兄弟。 (柚木さんちの四兄弟。)、咕噜咕噜・按钮(ココロ・ボタン)、女王の花、电击Daisy(電撃デイジ)、婆娑罗(BASARA)、双星有约 (はじめちゃんが一番!)、ハツ*ハル、BANANA FISH、Piece、ファミリー!、BLACK BIRD、我们的存在 (僕等がいた)、波族傳奇 (ポーの一族)、热情花招(ホットギミック)等等。
1970年,作为『少女コミック』的补充,以『別冊少女コミック』的名义首次出版。第一期是 1970 年 5 月。 70年代,随着『少女コミック』的出现,24年組成为活动场所。起初只出版单篇作品,后来也出版系列单篇作品和连载作品。
(24年組:指出生于1949年(昭和24年)左右的日本女性漫画艺术家群体,她们在1970年代负责少女漫画的革命。也被称为「花の24年組」。年龄和风格都比自己晚辈的女性漫画家被称为「ポスト24年組」(后24年組)。)
1980年前后,发掘了独特的新人漫画家以及和『少女コミック』的联系减弱,它成为目标群体的年龄稍微大一些的少女漫画杂志。
为了配合『月刊フラワーズ』(月刊Flower)的创刊,自2002年4月12日发行5月号起,部分连载作品转移过去,并且杂志名改为『Betsucomi』。2006年12月13日发售的2007年1月号,改名为『ベツコミ』,定位为以女大学生为主要目标,爱情、梦想为主题的作品为主。
Cheese!
发行时间:1996年7月(1996年10月号) -
人群向:少女漫画、18岁-25岁
旧名:『少女コミックCheese!(SHO-COMIチーズ!)』
发行日:每月24日
增刊:Cheese! 増刊、プレミアCheese!
代表作:朝九晚五(5時から9時まで)、她爱上了我的谎(カノジョは嘘を愛しすぎてる)、37.5℃の涙、歌舞伎华之恋(ぴんとこな)、咖啡和香草 (コーヒー&バニラ)、犯罪天使(罪に濡れたふたり)、爱情火辣辣(げっちゅー♥)、僕達は知ってしまった等。
口号是『女生需要坠入爱情的故事』(「女の子には、愛される物語が必要だ」),影视化的作品比较多。
ちゃお(CIAO)
发行时间:1977年1月 -
人群向:少女向
旧名:『少女コミックCheese!(SHO-COMIチーズ!)』
发行日:每月3日
增刊:ちゃおデラックス
���表作:水色時代、アリスにおまかせ!、五更龙宝宝(ムカムカパラダイス)、爱天使传说(愛天使伝説ウェディングピーチ)、Dr.リンにきいてみて!、エンジェルリップ、魔法咪路咪路(ミルモでポン!)、星梦天使(きらりん☆レボリューション)、阿尔卑斯玫瑰(アルペンローゼ)等。
名称由来
与讲谈社发行的『なかよし』和集英社发行的『りぼん』并列为三大『小、初生向』的少女杂志。三本杂志之中,本杂志发行时间最晚。该杂志的名称来自意大利语非正式问候语“ciào”(用于亲密朋友之间表示“你好”和“再见”的含义)。
目标年龄的变迁
虽然它从创刊到20世纪80年代都是一本针对小、初学生的杂志,但它相比上述竞争杂志而言更为成熟,并且曾经有一段时间以高中女生为对象。 20世纪80年代中期,该杂志曾一度积极出版与动画作品的合作漫画,以吸引年轻一代。1988年推出的杂志『ぴょんぴょん』继承了这一路线。不过92年合并吸收了『ぴょんぴょん』的内容,增加了类似幼年漫画的作品数量,同时增加了附录的数量。
2006年,在主要面向初中生的少女杂志『ChuChu』独立创刊后,『ちゃお(CIAO)』主要目标受众是中高年级的小学女生,比当时集英社发行的『りぼん』目标受众的年龄略低。��高于同年创刊的『ぷっちぐみ』。不过根据调查,在当时的女大学生中阅读最多的杂志中,『ちゃお(CIAO)』仅次于『週刊少年ジャンプ』、『りぼん』、『別冊マーガレット』。
动画化漫画
虽然也有以已出版的漫画为基础的动画改编作品(漫画→动画),但也有以动画化为漫画为前提的先行出版或动画周边商品的制作等合作作品(动画→漫画),比例也比其他少女漫画杂志要高。
从2002年左右开始,它一直是发行量最高的少女漫画杂志。发行量一度曾超过100万册,但自2006年以来,其他少女漫画杂志同样发行量开始下降。
ちゃおデラックス(CIAO Deluxe)
发行时间:2014年 -
人群向:少女向
缩写:ちゃおDX
发行日:奇数月20日
增刊:ちゃおデラックスホラー(CIAO Deluxe 恐怖)
代表作:オレ様キングダムDX、そらいろメモリアル等。
主要收录在《Ciao》杂志连载的作品的番外篇以及出道五年内的年轻漫画家的一次性作品。
1999年之前是年3回刊(3月・8月・12月发售),其中8月份的名为『こわーい増刊』,专注ホラー漫画(怪奇、恐怖漫画)。
2000年-2001年是年4回刊(3月・7月・10月・12月)。
2002年-2005年是年5回刊。
2005年12月,同为『Ciao��的增刊的『ChuChu』独立成为月刊之后,改成双月刊。成为双月刊后,每期都有两到三位『ChuChu』作者会撰写单篇作品。
长期以来,它都是作为『Ciao』的增刊出版的,但随着2014年3月20日出版发行,连载作品被扩大,并设置了投稿专区,从『Ciao』中独立创刊。
ChuChu
发行时间:2000年8月 - 2010年2月
人群向:少女向
发行日:月刊
代表作:さくら前線、純★愛センセーション等。
考虑到面向初高中生的『少女コミック→Sho-Comi』杂志有关性描写的表达比较激烈,而『ちゃお』的读者年龄群又比较低,弥补了两本杂志内容之间的差距而创刊了这本杂志。
2000年作为『ちゃお』的增刊发售,2005年12月14日发售的2006年1月号正式独立创刊,2009年12月28日发售的2010年2月号休刊。
在漫画内容上,相对『Sho-Comi』更加低龄,并且少了性的描写。连载作品大多在一年内完结,而且杂志没有采用将多篇『短篇故事』拼接成一个『系列』的方式,所以相比以『短篇故事』多出名『ちゃお』,『ChuChu』的短篇故事还要更加的多。篇幅最长的是「さくら前線」(24话),第二长的是「純★愛センセーション」(23话)。
2009年10月26日,决定于2010年2月号休刊。原因是“读者的需求发生了重大变化,是从中长期角度出发,决定对整个少女漫画杂志进行重组。”从特刊槽算起,历经近10年的历程也落下了帷幕。最后一期的封面上装饰着该期出版的所有连载作品的主要人物,封底则填满了该杂志时代大约四年的所有封面。 由于本次停刊,小学馆在ChuChu官网及最后一期中公布了作者的转出去向,并在官网信息页上公布了部分作者的转出去向。还发布了关于今后作品发表的信息。原则上不存在因停刊而转让或取消的情况,所有连载作品均已完成或终止。
プチフラワー(Petit Flower)
发行时间:1980年(1980年春の号) - 2002年3月26日(2002年5月号)
人群向:少女向
发行日:季刊、双月刊、月刊、双月刊
代表作:風と木の詩、メッシュ
2002年3月休刊,接替杂志是『月刊フラワーズ』(月刊Flower)
(小学馆・少女向完)
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一年前日記26(2020年6月24日���6月30日)
6月24日 梅雨の晴れ間のいい天気。大物の洗濯をしようと思って、シーツや布団カバーを外して洗う。枕カバーも洗濯したと思ったのだが見当たらない。もしや落とした?と思って下をのぞくと下の階のところで引っかかっていた。そのうち風で飛ばされるかなと少し様子を見ることにする。下の階の人はあまり外に出ず、こちらから訪ねて行っても出てきてくれたことがない。謝らなきゃなと思いながらも、来られたら嫌かなとも考えてしまう。飛んで行ってなかったことにならないかなと期待をしていたが、意外と飛んでいかず、夕方見たら取り込まれていた。団地の飛ばされた洗濯物はゴミ置き場のあたりに一度干されるのが通例なので、そうするかなと思って一度見に行ってみようと思って階段を降りると、ポストのところに置いてくれていた。帰りにピンポンを押してみたが、やはり出てこられずだった。ドアに向かってありがとうございますと一礼する。夜ご飯は、海老とイカの根菜のかき揚げ、切り干し大根と胡瓜の和え物。かき揚げは土井先生のどろっとした衣で揚げる。具を少し欲張りすぎてまとまりにくかったが、味は美味しかった。
6月25日 午前中鍼に行く。やっぱりマスクが裏だと言われる。今日は何度も確認したので、私たちが表と思っている方が裏だということらしい。本当だろうか。今日は調整の時間が長かった。身体を診てもらうのはとても面白い。しんどいとき動けばいいのか休んだ方がいいのかわからないと質問してみる。重だるいときは休んだらいいって。とにかく内臓を休ませることと言われる。ダイソーに寄って必要なものをいろいろ買った。食品コーナーが結構よくて、いろいろ買ってしまう。内臓を休めなきゃなのにね。お昼からはやっぱりうとうと。今はいくらでも眠れそうな感じで、寝るのがしあわせだ。夜ご飯は、焼売やソーセージと野菜を蒸したのとポテトサラダ。
6月26日 仕事の日。緊急事態宣言前からストップしていたものにようやく取りかかれた。急がないけど面倒な作業。帰りに実家に寄る。サイダーとクラッカーを食べる。お寿司と煮物2種と鮭をくれた。二人とも元気そう。ご飯も前より作れるようになっているみたい。夜ご飯は、お寿司、煮物、蒸し鶏、ポテトサラダ。家事ヤロウは夏のパン祭り。どれも美味しそうだったが脾胃にはよくなさそうだった。坂元裕二の短編ドラマも見た。普通の生活に戻りつつあり、またいろいろと見るものがたまってきた。お風呂で少し汗をかくとすっきりした。
6月27日 朝から掃除などすませる。ちょっと気分転換に地元のビジネスホテルに泊まることに。3時頃にチェックインする。駅前の銭湯でひとっぷろ浴びて、立ち飲み屋さんへと思ったがまだ開いておらず、残念。一度ホテルに帰ってから6時頃に再度繰り出す。行ってみたかった居酒屋まんぼうへ。さわらのタタキ、焼き鳥、えのきベーコン、焼き魚など食べる。何食べても美味しい。枝豆もほっくほくの茹でたてであった。2軒目は近くの明石焼屋さんへ。明石焼と焼きそばを食べた。向かいに座っている人が夫の知り合いで、お互いほろ酔いで挨拶など交わす。胃腸の調子はどうなったんだろう。よくわからないが美味しく食べられたのでまあいいか。
6月28日 朝ごはんは、ビュッフェ形式ではなく、プレートにきれいに盛り付けしたものを持ってきてくれる形式。ご飯やパンやスープ類と飲み物は自分で取りに行く。けっこう泊まってる人はいたようだ。チェックアウトは12時なので、部屋に戻ってゆっくりする。夫に今からどこか行きたいところあるかと聞くと、古本屋に行きたいということだったのでブックオフに行く。私も三冊買う。近くのリサイクルショップに私は行きたかったので移動したが、駐車場がいっぱいだった。少し時間をずらそうと近くのカフェに寄る。2人とも食べ過ぎだったので昼は抜こうと、スムージーを飲んだ。私はバナナ黒糖珈琲、夫は黒酢バナナ。まったく固形を感じない滑らかな飲み物だった。もう一度リサイクルショップに戻ると今度は駐車場が空いていたので入る。古着が全品390円のセールをしており、賑わっていた。同じチェーン店の中でもここはとても見やすいし雰囲気が明るい。30分で4着選んで試着する。グレーのボートネックのニットを買った。シルエットがちょっと変わっていて素敵だったし、何にでも合いそう。タグを見るとタキヒヨーと書いてあった。ゴルフウェアのブランドなのかな。いい感じのサイズのグラタン皿も売っていたので合わせて買う。全部合わせても1000円しないぐらい。いい買い物ができた。最近はワンシーズンで、無印やファストファッション、いつも行くお店、新しいお店、リサイクルショップで、それぞれ少しずつ買い足していくという感じがいいかなと思っていて、それぞれの楽しさや必要性がある。夜ご飯は、焼き鮭、五目豆、トマトとなすのオーブン焼き、切り干し大根ときゅうりの味噌汁。早速新しいグラタン皿を使ってみた。
6月29日 晴れてカラッとしていた。洗濯機を二回転してシーツやカバーなどを干す。押入れなども開け放って乾燥させる。昨日ゆっくりした甲斐あってかいつもしない家事がいろいろと捗る。手続き関係もさくさくと。お昼はナポリタン。具はばっちり揃っていたが、肝心の麺がなかったのでペンネで。それはそれで美味しかった。夕方買い物に行く。夫が何か甘いものを買ってきて欲しいというのでシフォンケーキを買った。私は今日は間食をしないと決めていたので明日のお楽しみにする。夜ご飯は、牛しゃぶサラダ、ほうれん草と麩の味噌汁。野菜はレタス、マッシュルーム、茹でゴボウ、紫玉ねぎ。上に三つ葉をたっぷりのせた。片付けてから美術館zineの原稿を書く。お風呂に入る前に燃焼形の運動のYouTubeを見ながら10分ほど運動。じわっと汗をかいた。23時までには就寝。
6月30日 仕事の日。最近朝は6時前には目が覚めるので、お弁当作りに勤しんだ。鷄の唐揚げの甘酢あん、ごぼうとピーマンのきんぴら、三つ葉の卵焼き。朝ごはんは、昨日買ったシフォンケーキを食べた。職場では飛沫感染対策にパネルがあったほうがいいかなと、いろいろ調べてみる。実際のところどうなんだろう。スーパーで買い物をして帰る。夜ご飯はゴーヤチャンプルー、マッシュルームとレタスの味噌汁。ゴーヤチャンプルーは土井先生方式で、それぞれの具材をひとつずつ炒めて、最後に合体させるやり方で作った。美味しかった。次からこれで作ろう。少し読書。お風呂の前に昨日に続いて、体を動かす。11分の動画がちょうどいい。今は少し体重を増やしてみようかなと思っているのであまり運動しすぎないようにしている。お風呂上がりにヨーロッパ企画のDVDを見る。『ゴルフ』という公演。まだ聞いてなかった副音声で見ている。ヨーロッパ企画はとにかくコンテンツが盛り沢山過ぎて、全部追いきれなくなって少し距離を置いていたが、最近やっぱり面白いよなあと思うようになった。もう一度学び直しという気持ちで少しずつ見て行こうと思う。
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【玄関アプローチ施工】 玄関アプローチをデザイン施工させて頂きました。 建物との一体感を出すために 設置されているポストの色に色合わせを行なっております。 本物の���ではないので 腐食の心配がなく、シロアリの心配がなく🐜腐食剤をつかっていないので健康影響もありません😊 施工時、ご近所の方が通られて 木を運び込んだの?と聞かれるくらい 見た目は木のアプローチに仕上がっております! 駐車場に枕木のように施工することもできます。 丈夫なので車がのっても割れてきません。 どのような色でも作製することができます🎨 ■オリジナル施工技術■ 安価でスピーディに施工 施工は1〜2日 施工後1時間で歩行可能🐾 施工後24時間で駐車可能🚗 . ▶連絡先よりメールにて お気軽にご相談ください✉️ [email protected] お見積もりだけでも構いません。 見積もり後の執拗な営業は一切致しませんのでご安心してお問い合わせください。 その際、メールに現場のお写真と地域、おおよその広さなどを送っていただけますと、より正確なお見積もりが可能です。 ☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆* ▶【玄関アプローチやポーチ、エントランス 駐車場などの土間をおしゃれにしませんか?】 現状の土間を壊さなくても 既設のコンクリートや、タイル、アスファルトの上に施工できます。 コーテイングによる、藻・苔・カビ防止。 タイヤ痕軽減。滑り止め効果✨ 雨が当たる場所や影になりやすい部分は、藻や苔、黒カビが生えたりして滑る危険があります。 おしゃれにデザイン イラストやロゴを入れることもできます🎨 ☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆* ▶【新築時の外構をコーティングして、 キレイを長持ちさせませんか?】 新築時のキレイな外構🏡 そのままにしておくと、どんどん汚れていき こんなはずじゃなかったのに.......と後悔します。 キレイなうちに外構コーティングをして キレイを長持ちさせましょう✨✨✨ ◇コーティングメリット◇ シールドシリーズ ・粉塵抑制 ・コンクリート表面強化 ・クラック抑制 ・タイヤ痕抑制 ・白さの継続 ・紫外線カット ・排気ガス汚れ防止 ・雨だれ軽減 ・藻、黒カビ、苔等の防止 ・エフロ(白華)防止 ・滑り止め効果 ☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆* ==================================== 家の外構、土間等で 現状の汚れが気になる方は グループ会社(シーリペアグループ) 株式会社C.REPAIR https://www.instagram.com/c.repairgroup/ 「洗って、コート」をおすすめ致します。 #シーリペア #洗ってコート #高圧洗浄 #塗装 #コーティング #大掃除 #駐車場 #土間 ==================================== #新築 #新築一戸建て #外溝 #駐車場 #リフォーム #駐車場リノベーション #新築マイホーム #新築戸建 #新築注文住宅 #店舗駐車場 #店舗 #サンプル #枕木 #マクラギ #モルタル #コンクリート #設計事務所 #フランチャイズ #FreelyArt #代理店 #外構コーティング (Let's株式会社 FreelyArt 土間・駐車場のフリーデザイン) https://www.instagram.com/p/CN_pjDmjyB3/?igshid=vbonr570v3vn
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「ストーリー2 水子」
私は、ground zeroを直視しました、
そして、東日本大震災も。
私はその頃、20代前後の学生で、あるお店でピアノ弾きのアルバイトをしていました、
銀行投資関係のお客さんが多かったそのお店は、その日、閑古鳥だった、
「飛行機がビルに直撃している!」
「ビルに突っ込んでいる!」
など、ホールの女の子たちが騒いでいて、
私は、「なに?なに?(was?)」と思う、
チーフが、
「今日は、お客さんが誰一人来ないよ」と言い、
騒がしい女の子を落ち着けるためなのか、アイスクリームを、みんなの分、そして、私の分も、買ってきてくれる、
夜のアイスクリームは、太る、
その夜、私は、帰宅して、神戸篠原自宅のテレビで、何度も繰り返される映像をひたすら観た、そのうち、同じ映像に麻痺する、そして、私は、この映像は、事実?と、真を知るため、その後の留学は、NY、と決める、
そして、翌年、私は、Manhattanにいる、
ある時、留学で、知り合いになった、America友人に、「ニュージャージーに食事に行こう」と誘われる、
待ち合わせは、ワールドトレードセンター跡地にある駅、
そこで、私は、初めて、ground zeroと対面することになる、
ガード、みたいな塀で囲まれた跡地、
それは、まるで、原風景、不思議な印象に思う、と同時に、��しさ、既視感、
街が死んでる
それから、私たちは、ニュージャージーにある、ブラジル料理屋さんに行く、
テーブルで、肉の塊を切り取って貰って、食べるstyleというのは、初めての経験で、楽しい時間を過ごす、
食事が終わって、帰り際、友人は、
「Do you go bath room?」
と言われて驚く、
私は、それまで、rest room をbath roomと呼ぶことを、知らない、
昔、ドイツでも同じ経験をする、
少し驚きながらも、とても、充実した時間を過ごす、
その数日後、今度は、日本人留学生の友人(成城短期大学の女の子で、ご実家は不動産屋さん)に、「食事に行かない?」と誘われる、
そこは、ブルーリボン、という、Manhattanでは、有名なお寿司屋さん、
lower Manhattanにある、
ところで、私の印象では、ニューヨーカーは、お寿司が好きというイメージより、なんとなく、男女のデートで、寿司屋に行くと、modeな雰囲気に映るのだ、と思う、それはそれで、日本料理のone of status、あるいは、one of themなのかもしれない、と、私は、思いながら…
そして、グルメで饒舌な彼女は、食べたいネタを、一貫一貫、料理長にオーダーする、私は、それと同じものを食べる、ウニが出てきたことに、とても驚く、さすが有名な寿司屋さん、と思う、食感も日本のお寿司と同じで、本当に美味しい、楽しいひと時を過ごす、
翌日、学校で彼女に会うと、彼女は、酷いアレルギー蕁麻疹、それも、顔に出ている、
「昨日の、ウニで食中毒になった…」
私は、普通だった、
私は、アレルギー拒絶反応は、よほどで無い限り、出ない、それゆえに、ICU(Intensive Care Unit)を請け持っている、
台湾人留学生の友人からは、Niagaraや、ヤンキーズの試合に誘われ、Yankee Stadiumの帰り、知らないAmerican女の子に、「your fashion is very cool」と声を掛けられ嬉しい、とても嬉しい想い出、その時、私はsimple shirt and jeans
また、
韓国人留学生の友人とも、背の高い足の甲にタトゥーを入れているお洒落な香り、音楽学校に通学している子、デザイナーを目指している子、その状況に何処と無く、Bohemianな雰囲気、そして、彼女たちの、今後の事態に処する切迫感を、颯爽、察知している雰囲気を感じつつ…
その後、日本人留学生の彼女は、学校の図書館でアルバイトしている慶應大学から来たという教育学部の男性と付き合うことになった、と、報告され、私は、友人の幸せを願う、
私は在学中、教育学部campusで、授業を受けたことを思い返す、そして、campus図書館もよく利用した(��れてグーグー寝る休憩場所にしていることが多かった、イートインのようだ)、特に、学校の図書館は、スターバックスが入っていて、お腹が空いた時、あるいは、疲れた時など、休憩にちょうどいい、
昔から図書館が好きなのは、独りになれるから、
私は、学校付近にある、Barnes & Nobleも、頻繁に常駐する、
同時その頃、campusでは、映画の撮影が行われていた、ちょうど私がcampusにいる時、ウィルスミス氏、そして、スパイダーマンseries学生時代の撮影も行われた、それから、舞台設定は、Scienceに換き変えられて、quiz大会が始まり、houseDJになった気がする、(母校は、全国quiz選手権上位校だった気がする、伝統的にquiz好きが集まる学校だった気がする)、ところで、学生時代、同期女子は、無線と著作権を必死に勉強していて、自主的に無線回線を作って自主的にラジオ放送、そして、寺友親友(女子)は、サウジアラビアで暮らしている、私たちが産まれた頃、第二次的石油が異常に高くなったが、近頃は安くなった、ところで、世界の株式は、サウジアラビアがmakeしていると私的に思っているけれど、過剰に見えると、なら無いので、調子に乗らず、私の話は、これ位、
ある時、Manhattanの回転寿司屋に入る、近隣で、ガリ(生姜)だけ、必死に食べているフランス人がいる、面白いな、と思う、寒いのかもしれません、
そして、志し半ば、金銭面の問題もあって、途中帰国、あるあるpattern、
日本人留学生の友人は、そのままManhattanに残るという話で、この奇跡的な交流に、私は感謝し、残る人たちの健闘を祈り、さよなら を告げる、
帰国して、
それは20代後半、
田舎の一室で、書き物をしていたところ、
誰かの目に止まったのかもしれない、
湯治に行くよう、勧められる、
推奨人は、ある政党議員秘書、
まだ未熟な私は、20代後半から
社会を学ぶ、
それまでは、おそらく、机上の学問、
そして、社会とは、
とても、輻輳スケールが大きいようで、
一つの小さい単位を丁寧に行うことにより、
大きな世界に繋がっていく単純なこと、
逆を言うと、世界が雑になっている時、
小さな単位は、おそらく蔑ろになっているだろうと思う、
湯治3��目、殺人事件に遭遇する、
とてもショックな出来事だった、
私は途方に暮れる、
その時、靴の先が尖ったイタリアシューズみたいな人に、声を掛けられる、
しかし、私は断って、一旦地元に戻る、
その後、様々な事が起こり、
逃げるように転々と彷徨う、
私の人生はまるで、小さなサイコロ、
ふと思えば、平成直前のタイミングに実家の倒産から、全ては記号化されている、
そして、再び、縁あって湯治に行くことになる、今度は推薦では無く、誘いの電話を頂いて…
私は、少しの不安と少しの期待を胸に、
再度、湯治にでかけることになる、
話は変わりますが、
医療従事者は、抗体保有率が高い、
私は幼い頃から、
医療従事者しか持ち得ない抗体をもっており、
頻繁に、病院で、職質される、
幼少の頃も、すごい確率で百日咳を煩うが、
祖母の結核抗体で、1/100の確率で復帰、夢を見ない犠牲で一命を取り留める、特発性血小板減少性紫斑病も、産まれながら…しかし、周りに心配をかけないよう、内緒にしていた
そして、次、遭遇したのは、
東日本大地震、
その時、私は美容院にいる、
震度は5-6、
人はパニックで、店の外に飛び出ていく人もいる、地域はロックダウン、
その時の私を説明すると、
ほとんど動揺無い、
あとから、思えば、その瞬間、
私は、人格解離している、
とても、そして、非常に、冷静な、自身になっており、横揺れをジーッと見つめながら、黙って状況を把握している、
天井のステンドグラスがグラグラ大きく揺れるのを見つめながら、それは、まるで、地震の実験場所に似ているなぁ、などと、客観的に思う、現実ながら、現実であるとは、思えないかもしれないし、例えると、それは、たまに見かける、バスの震度訓練かもしれない、と思うくらい、
それから、自宅のテレビで、何度も繰り返される東北の津波の映像を見ながら、死者に召喚される印象を受ける、
それは、私が、産まれて間もなく、実母と養父に、九州のカルデラに捨てられそうになった水子だから、かもしれない、
九州には、望まれなかった赤子を預ける、赤ちゃんポストがある、
私は、水子供養(自身供養)に、隠居したら、青森の賽の河原に行かねばならないだろう、と思っている、
同じ頃、
知り合いは、国際数学オリンピック一位で「順天堂に入れなかった」と言っている、その後、その知り合いは、東大に入ったみたい、ただ、帰国子女が報われない状態は、昔の話になって来た、例えると、昔、Berkeley College 首席は、国内外で就職率が極めて高いのに反し、
domestic国では、書き リブplayerを集める傾向に象徴されるのは、徳川政権下に似ているそう
そして私は、その後、東北に出かける、
それは、グランドゼロを直視した時と同じ、虚無感に襲われる、原風景、
再び、既視感に包まれる、
そして、何故、このような状況に遭遇する機会が多いのだろうと、自身を問う、私の運命は、いったい何だろう、と、思えば思うほど、数奇な因果に直面する、“くだん” かもしれません
そして、それは、むしろ、それより、ずっと以前の遺伝レベルで決まっている事項なのかもしれない、そもそも話は、大化の改新 以降、と思っていたら、つまり、DNAとは、38億年の生命の歴史かもしれない、
ただ、それまで、それは水面化で切迫状況だったことが、
ついに表面化してきて、
世界が成り立っているprologue
それは何故なのか、
もしかすると、原罪queryなのか、
そして、その後の世界はどうなるのか、
切り離されている私には、さっぱり分からない、
しかし、一つ思うのは、
人は、困難を乗り越えながら、
標準を保つことが、
いかに難しいと思う、
大根は、刺身臭殺菌、食中毒防止作用があるが
両生類は、4肢を持つ共通の祖先で、
二本足歩行になってから、人間の苦悩は始まり
などと、いつも思いながら、
小さな単位を大切にし、あるいはmicroまで、
その行方を思考し、逆にスケールを測り、
経験すべきは、全てになり、
それまでの徒労は、
徒労では無く、
38億年を考えると、私たちの立ち位置は、
米粒にも、ならない、かもしれない、けれど、ゲノムの複写がスパコン(…と言うと懐かしい響き、と思われるかもしれませんけど、幽玄体だった私はその時代)等で高速で出来るようになり、ロックは解除され、しかし、whoを悪用する犯罪者が出てくるのは予想通り、職権濫用禁止法的規制は急がれるかもしれないけれど、もう遺伝資源は、残さなくても大丈夫かもしれない、
しかし、
その瞬間の全ては、自身になる、
*追記: 私は、リスト的筋トレというか、超絶勉強実技は無理ですけれど(子供の頃、受験勉強を入院しながら勉強した体力基質)ちょうどコロナ自粛したタイミングで出血は異常に多量になりましたけれど、時間もできて、自宅で読書などしながら、たまにケアに行き、マグノリアという時系列で同時進行しながら輻輳する社会派映画を思い出しながら、穏やかな生活をしたいと思い、これからは、身体を大事にしたいと思う(自傷を乗り越えて思うこと)
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カラーチェンジに思うこと
このポストを設置してくださったことに感謝します。正直、最近はこの企画について考えることを止めていました。企画が出された頃はものすごいエネルギーで怒ってたはずなのに。 1つ目の投稿を読んで、このまま見てるだけになってしまうのは嫌だなと思い、私もカラーチェンジ企画に対する思いをポストに投函しようと決めました。 意見文とは程遠く、ほぼ自分のための文章になってしまって、人に読んでもらうに値しないです。先に謝っておきます。読みにくくてごめんなさい! -------------------------------------------------------- 1 もしもの話 ●もしメンバーの自己プロデュースが目的の、面白いことをしようという試みだったら、私は毎日瑞生くんの面白い投稿を心待ちにしていたでしょう。政見放送の動画、編集 板垣瑞生の文字を見た時の驚きと興奮…BGMを入れたり言葉を入れたりした瑞生くんのアイディアや頑張り…動画はまだ1つですが、あの1つだけで心掴まれたのは、私だけじゃないはず。次も見たい!あの政見放送に関しては、純粋に次も見たいです。瑞生くんがつくる動画、絶対に面白いに決まってるじゃないですか。推しだけでなく、どのメンバーの動画もそうです。絶対に良いに決まってるじゃないですか。だって7人はM!LKですよ?そりゃあ、次も見たいです。 ●もし自己プロデュースが目的だったら、きっともっと各メンバーのSNS投稿は盛んだったでしょう。自分を表現する方���がたくさんある中で、推しがどんなことをするのか。どういう思いで新しいものを生み出すのか。推しは自分の未来像をどう描いているのか。推しにどんな才能が眠るのか。今こうして文字にするだけでも、楽しくなってきます。2017年の5つの生誕祭のように、メンバーそれぞれが考えたものを見れたら…ファン冥利につきます。俳優業をしているメンバーもいますが、俳優業は極端な言い方をすると、その監督の思いが作品の柱にあるように思います。俳優業だけじゃ だめなんです。7人それぞれの人となり、考え方、生き方、いろんな面を見て、この人を応援したいと思っているわけで、誰かにこうしろああしろと言われた姿よりも、7人から生み出されるものを見たいんですよね。もし自己プロデュースをしてくれたらな。この企画、もっと広がりのある神企画として、ファンに愛されたことでしょう。企画の先にあるものがカラーチェンジでも、メンバーの順位付けでもなく、例えば5周年企画の1つですよ!と言われたら、みんなあの手この手でM!LKの布教に明け暮れたことでしょう。もしもの話なのが残念です。 -------------------------------------------------------- 2 メンバーカラーは誰のもの カラチェンは誰のため この企画によって7人の笑顔が生まれないから、こんなにも反対しています。大好きな7人の発する言葉の端々から、こ���企画に対する本音が見えてしまいます。そこから想像するに、7人も乗り気ではない。M!LK公式ファンクラブのスタッフさんまでも、胸が締め付けられるような悲痛な声を上げている。ファンもみんな苦しみ悲しんでいる。こんな悲しいことが今のM!LKで起きているのが、悲しくて悔しくてたまらないです。 成長促進のための企画なら、なおさら慎重になるべきでした。厳しい環境というのは、その先の成長に繋がるからこそ意味があります。意味のない厳しさは 疲弊させるだけです。 M!LKは誰のものなのでしょう。私は、M!LKは7人のものであってほしいです。7人のやりたいことができる居場所であってほしいです。運営でもファンでもなく、一番は本人達のものであってほしいのです。ですから、7人が見たい未来を信じたいです。佐野くんの語る紅白歌合戦やドームライブ。これは本人の口から何度も聞く言葉なので、私たちファンも心から信じることができます。M!LKとしてやる活動が本人達の望む未来に繋がってほしい。周りの誰かが一方的に決まるのではなく、そこに7人の意思があってほしいのです。 メンバーカラーは誰のものなのでしょう。本人達はもちろん、私たちファンのものでもあると言っていいと思っています。私たちの生活の中には、たくさんの色があります。色を見つけては7人を思い出して、笑顔になったこと、これまでに何回もありました。メンバーカラーはメンバーだけに留まらず、たくさんの人のものになっています。 ファンだけではありません。メンバーカラーに合わせて動画にテロップをつけてくださるたくさんのスタッフさんもそうです。最近でいえば、TシャツをコラボしたKANGOLもそうです。 一部の人間が安易に変えて良いものではないはずでした。メンバーと運営だけのものではないにもかかわらず、こちらの意見は反映されない。それどころか、意見すると煙たがられる。冷静に考えると、独裁国家のそれと一緒に思えてなりません。大好きなM!LKに、今何が起きているのでしょう。 カラーチェンジ企画は誰のためにやるのでしょう。企画の発端はファンだというような扱いを受けて、とても残念でした。変わることを恐れずにチャレンジすることは大切です。誰のためか、それはM!LKのためであってほしい。ただそれだけです。M!LK7人のためであってほしい。運営のためにやるとしか思えないんです。私は運営のファンをやりたいわけではなく、M!LKが夢を叶えていくその姿を見たいだけです。faniconでファンと運営が絡むことで、M!LKの未来に良い影響を与えるのなら話は別です。現時点では全くそう思いません。だから今のfaniconグルチャは見ていて反吐が出ます。 ファンは、全てに従順な下僕ではありません。私たちにも意思があります。応援させる側をプロデュースする仕事に就いておきながら、大事なことを見失っている今の運営に、企画発案者に、企画を通した全ての人に、失望しました。 企画を進める全てのスタッフさんには、改めて考えてほしいのと、他人の意見に聞く耳を傾けてほしいです。 -------------------------------------------------------- 2 メンカラへの愛 ●現メンバーカラーは、意外性もあって好きなんです。(これより先は、さらに個人的です。)私がファンになった頃の話��多いので、5人のメンバーカラーについて主に取り上げました。舜太くん柔くん琉弥くんについては、まだ私自身が自分の言葉で語れるほど多くを知っておらず、そんな状態で話しても薄っぺらいものにしかならなそうなので、あえてあまり書きませんでした。もちろん、5人も4人も7人も大好きで、優劣は全くないので悪しからず。 私はもともと嵐と関ジャニ∞のファンだったこともあり、赤や紫の無いグループは新鮮でした。オレンジ、ピンク、青、緑、黄色。この5色の並びは、はじめは慣れませんでした。M!LKが気になり始めた頃は、赤がいないので、誰がセンターかもよくわかりませんでした。ジャニーズだと、赤を担当するメンバーは 木村拓哉、長瀬智也、森田剛、堂本光一、櫻井翔、山下智久、渋谷すばる、山田涼介、北山宏光、佐藤勝利、重岡大毅、平野紫耀…名前を並べただけで激しい動悸息切れを起こすほど、圧の強いラインナップです。 ところが、5人のM!LKには赤がいない…ジャニーズに育てられた私は、意外な5色の並びにだって興味をもつきっかけの1つでした。 🍓M!LKをだんだん知っていくと、佐野くんにはピンクしかあり得なくなっていくんですね。はじめは正直、ピンク担当いちごみるく担当だと知って衝撃でした。ピンクといえば私の中では知念ちゃん。自分の思っていたピンク担当のイメージと佐野くんは違うんだよな…そう思っていた頃が懐かしいですね。今では、佐野くんはピンク以外にあり得ません。 たくさんの夢を語るような熱い一面もあるけど、押し付けがましくない。かわいいもかっこいいも出来るけど、圧倒的にかわいいが多い佐野くん。おちゃらけたり赤ちゃんになったり。ピンクの一般的なイメージに佐野くんが近づいていってるというより、佐野くんがピンクの幅を広げていると確信してます。 🍊オレンジはエイトの丸ちゃんの元気いっぱいなイメージでした。ところが瑞生くんときたら、元気の方向が独特で、顔があれだけきれいだけど赤でも青でもなくオレンジというところが良いんですよね。温かい色味は、瑞生くんの優しさの象徴です。7人とも何でも似合うんですよ。当たり前です。天下をとるグループなので、どんな色の衣装も着こなしていろんな色に染まるのがM!LKですよ。数ある色の中で、オレンジなんですよね。瑞生くんの瞳の色とオレンジの衣装の親和性。瑞生くんが明るい髪色にした時の親和性。あれはもう一回見たいですよね。面白いことが大好きなところも、愛に溢れて温かい人柄も、考えれば考えるほど、ぴったりだと思っています。 🐬太智くんの青は、満場一致です。MCで見せる知性の象徴でもあり、御曹司の品の良さの象徴でもあり、なにより可憐なダンスの象徴でもあります。太智くんのしなやかなダンス、指先まで行き届いた完璧さ、一寸の狂いもない手足の軌道、激しいダンスにな��ほど美しさが増すあの感じ。多くは語らないけども、周りの人達のことをよく考え、決して重く暗い雰囲気にすることなく人を励ます太智くん。太智くんがM!LKの青。ブルーな心溶かす太陽であり続けてほしいです。心から。 🍵悠稀くんがもしかわいいイメージのままにピンクを担当していたら…私は悠稀くんのかわいい一面しか見つけられなかったかもしれません。なぜ悠稀くんがピンクではなく緑なのか、悠稀くんの人柄を知った時に全て納得しました。1年前の6/30。そして7/7。悠稀くんのどこまでも続く愛に、何度感動させられたかわかりません。2017年12月、M!LK初パシフィコのライブでのこと。悠稀くんはMCで、瑞生くんの足の怪我のことを教えてくれました。一緒にステージに立てて良かった。そういう悠稀くんと、その言葉を聞いてうなづく4人。あの時、このグループ大好きだなと心から思ったのを、今でもはっきり覚えています。かわいいだけじゃない。ストイックで、自分に厳しくて、人にどこまでも優しい。こじつけかもしれないけど、でも色への印象ってそういうもんでいいと思います。悠稀くんが緑を担っていたのは本当に素敵なことです。センターに緑がくる構図も、暖色3:寒色2のバランスも大好きでした。 🍋陽気な仁人くんも、いじられてる仁人くんも、バチバチにダンスを踊る仁人くんも、和や文化を愛する仁人くんも、全部が 吉田仁人ブランド。黄色に黒字の吉田仁人の文字、あれ無敵ですよね。黄色を担当するのがあまりに運命的で、もっときらめく人になりたいと話す仁人くんが黄色を纏っているの、本当に最高です。きらめくという言葉は、仁人くんのために生まれて、仁人くんがそれを掲げるのをずっと待っていたんじゃないかとさえ思います。ライブのMCで瑞生くんが仁人くんをいじる時、黄色のペンライトしか上がってない!っていうお決まりの流れがありますよね。仁人くんのターンの時に、会場のあちこちで一体感のある動きを見せる黄色のペンライトまで含めて 吉田仁人ブランドだと思っています。 こんなにぴったりしっくりくるメンバーカラー、なぜ変えようという発想になるのかわかりません。どう考えてもわかりません。 新メンバー3人のメンバーカラーも納得でした。きっと、4人のメンバーカラーとの兼ね合いを考えるのも大変だったことでしょう。🍒赤❄️シルバー(白)🍇紫、この3色がM!LKに入ったことで、M!LKの表現が広がりました。それぞれにその色との運命を感じずにはいられないようなエピソードがたくさんありますよね。この3色を選ぶ時に、相当悩んで決めたのだと思います。それを1年で変えてしまうなんて。その色を背負って1年走り続けてきた7人は、どんな思いでいるのか。自分に 担当カラーが出来た時の3人の気持ちは。ライブ会場の中から自分の担当カラーのペンライトを振るファンを見つけたら時の気持ちは。たくさんの意気込み、やる気、勇気、自信…そんな気持ちを想像すればするほど、この企画は辛さを増しま��。 -------------------------------------------------------- 色に宿るイメージ。人の気持ちや思い。それがメンバーカラーにはあります。事務処理の効率化のための色分けとは訳が違います。そこにはたくさんの人の思いがあります。 再生回数なんて、ヒット曲なんて、急いで手に入れるものでもありません。それを蔑ろにしてしまったスタッフさんは、今一度私たちを人として扱ってください。M!LKを宝物のように扱ってください。M!LKのことを考えて決断をしてください。人を悲しませるグループでは決してありません。どうか、少しでも耳を傾けてくださるスタッフさんがいますように。少しでも、M!LKの未来に向かって、M!LKと一緒に歩くスタッフさんが近くにいますように。 -------------------------------------------------------- まとまってないひどい文章ですが、でもこの企画で感情をまとめようもありませんでした。 あるのは、M!LKというグループが大好きなことと、M!LKの未来がより素敵なものであってほしいこと、M!LKが笑顔でいてほしいこと…それを願っています。 記念すべき5周年を迎える前に、悲しいことになりませんように。気持ちよくお祝いできますように。
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菅原道真が大納言で昇進をやめていたら。(*^_^*)
いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*) なぜ、菅原道真が左遷されたか?というと藤原氏と対立したからです。 藤原氏というのは、最初は他氏を排斥していき、最後は藤原道長が甥を失脚させたように、藤原VS他氏→藤原北家VS藤原一族→藤原北家の親戚兄弟の潰しあいをやり、藤原道長の孫の代から、源氏と平家の武家が台頭してきて、武家社会にシフトしていきました。 で、菅原道真は右大臣で失脚しましたが、もしも権大納言で昇進をやめていたら、失脚しなかったと思うんですね。 藤原公任という、藤原道長の従兄弟で政敵がいます。紫式部に、若紫はおいでかな?と言って紫式部という呼び名を定着させたり、百人一首にも和歌が載っていて、親は摂政です。 藤原道長に、政敵視され、道長に位を抜かれてから、風流人として生き、権大納言、ただし位は左大臣に昇進可能な正2位で権力闘争に巻き込まれるのを防いだのです。 大納言と中納言、大臣の違いは、大臣には決裁権がありますが、大納言と中納言には決裁権がありません。ただし、大納言だけは、大臣の代理決裁が可能なため、実務的には正3位、権大納言になれば、事実上の大臣といえます。中納言には代理決裁権はありません。 また、摂政、関白は太上官の閣議に参加できないので、事実上、藤原氏を摂政か関白にし、権大納言という大臣ではないから粛清対象にはならないけれど、実務権を掌握することが可能なポストにつけば、左遷されなかったと思うのです。 菅原道真自身も、学者の政敵から出世しすぎているから、大臣なんかやめろと警告されていたんですけどね。 林雄介with,you。 from Blogger http://ift.tt/2zx0oA2 via IFTTT
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来週、いよいよ紫綬褒章の叙勲式がある。 天皇陛下から、直々に褒章を賜る名誉に、われらがコンピュータカウボーイ、西田友是先生が浴することになったのは大変名誉なことだと思う。 今回叙勲されるのは、三谷幸喜や、あの僕の大好きな作詞家の松本隆もいる。 西田先生の伝説は今までなんども直に聞いていた。 学生の頃、広島から東大までパンチカードにうちつけたプログラムをかついで(文字通り、担ぐくらいの大きさがあったそうだ)、電車で何時間もかけてやってきて、東大の計算機センターに依頼し、翌日になってようやく結果が受け取れる。 そんな時代に、彼はコンピュータグラフィックスという全く未開の分野に果敢にも挑戦を開始していた。もはや50年も前のことである。 その頃のコンピュータがいまのイメージとどれだけかけ離れていたかといえば、たとえばディスプレイというものが存在しなかった。 ディスプレイがない機械に絵を描かせるというのは、ほとんど正気とは思えない。 わかるかな。腕のないロボットに絵を描かせようと考えるような無茶苦茶な発想なのだ。 当然、研究分野としても認められず、若き日の西田は大いに苦しんだ。 周囲にバ��にされ、あなどられ、それでもいくつかの論文を書いた。しかし発表する学会がない。論文を学会で発表しないと卒業できないから、頑張って色々なこじつけを考えて他の学会に論文を潜り込ませた。 失意の西田は、一度自動車メーカーに就職し、別の絵を描くことにした。自動運転である。複数の自動車を編隊走行させる。その技術は、曲線生成というコンピュータグラフィックスにとってもはやなくてはならない技術と多くの共通項がある。 他にも自動車業界はCGと関わりが深い。たとえばベジェ曲線は自動車をデザインするために発明されたのは有名な話である。 あるとき、西田のもとに恩師から連絡が来た。「どうもディスプレイというものが発明されたらしい。それがあるのは日本には東大と京大にしかない。おまえが戻ってくるなら買ってやるから、博士課程に進まないか」 機械がなければ研究できない。しかし、機械があれば研究できる。西田は悩みながらこのチャンスにもとびついた。 一流自動車メーカーからの転職。結婚もしていた。生活の不安もあった。他大学の講師をしながら、広大の博士課程で研究を続けた。 この頃の西田の業績は圧倒的だった。しかし、国内には誰一人としてそれを評価できる人間がおらず、やむなく西田は活躍の場を海外に求めた。当時、海外ではコンピュータグラフィックスを専門とする分科会、SIGGRAPHが立ち上がった頃だった。そこに果敢に投稿を続ける唯一のアジア人、それが西田の若き日の姿だ。 誰にも認められず、日陰で研究する日々が続いた。西田の恩師は厳しく、博士号を出すまでに論文を人の何倍も書くことを要求した。おもえば、未踏、未開拓の分野の研究者に博士号を出すためには、絶対的な物量でねじ伏せるしかないと、彼の恩師は判断したのかもしれない。博士号の審査は指導教官以外の複数の教授を納得させなければならないからだ。 ようやく彼が博士号を取得したのは30代なかばのことだった。西田の当時の研究論文は画期的なもので、今、どんな映画にもゲームにも欠くことのできない手法となっているラジオシティ法は西田が世界で最初に発表した方式である(ただし、英語論文の発表はコーネル大学のチームに先行されてしまった)。 広大の教授になったあとも、苦労は続いた。とある学会では「箱根の先に本物の研究者はいない」と嘯かれ、怒りで眠れない夜もあったという。 国際的な名声は日に日に高まるものの、身近な人には認めてもらえない。それは日本ではまだまだCG技術の重要性が正しく理解されていなかったからである。 西田が50代を迎える頃、唐突に東大から教授にならないかという打診が来た。青天の霹靂である。東大理学部の教授ポストに空きができ、誰かいい人はいないか、と探したところ、当時東大にいた助手が、「広大の西田はどうか」と提案したそうだ。 「西田、それはなにをやっている人間なんだ」 「コンピュータグラフィックス研究の世界的な大家だ。東大が彼の業績を認めないのはおかしい」 助手の話をきいて完全にノーマークだった学者の採用を大真面目に検討する東大は、なるほどさすがに立派な大学だ。 東大に移ってからも決して順風満帆ではなかった。 「東大に来たら研究が進まなくなった」 西田はそうぼやいた。 「広大のときは学生は海外で活躍しとる先生だいうて素直にいうことをきいてくれとったが、東大の先生はみんな超一流だ。どことなくおれの言うことはバカにしていて、自分がやりたいようにやってしまう」 その後、CGのノーベル賞と言われる、クーンズ賞を受賞し、退官後も民間で研究を続け、いまなお多くの研究者を国際舞台に送り込んでいる現役の研究者としていまも活躍している。 西田はいまなお自らプログラムも書く本物のコンピュータカウボーイである。 CGというと、普段の生活と縁が薄いと思われるかもしれないが、いま、みんなが単に「画面」と呼んでいるものに映るものは全てCGの研究成果である。つまり、今あなたの目の前にあるものだ。 画面に描画される全てのピクセル、直線、曲線、フォントはもちろん、ウィンドウ、アイコン、スクロールといった概念、マウス、キーボード、タッチパッドといったユーザーインターフェース、ゲームや映画、テレビ番組で使われる3Dグラフィックス、そのために使われるグラフィック処理ユニット(GPU)は、今や全てのスマートフォン、ゲーム機、PCに搭載され、そしてなにより人工知能の開発になくてはならないものになっている。すぐに思いつく分野だけではない。医療におけるCT画像もCG応用技術だ。西田自身がCTによって癌から帰還した経験を持つ。 そうしたもののすべては、その時代の男たちの、誰にも止めることのできない、心の奥底から湧き上がる熱き情熱と、不断の努力から始まったのだ。 西田先生、半世紀走りきりましたね。 僕が小学生の頃も、誰もCGなんて見向きもしてくれませんでした。 あのなんとも不思議で複雑で、ワクワクするような数式、プログラム、いつか本物のバーチャルリアリティが実現することを夢見て、ひたすら一人でその世界を追い求めていました。 大学受験のために上京して洋書を読んだ時、あまりのレベルの違いに心が折れそうになりました。当時の日本は、コンピュータグラフィックスの教科書と呼べるようなもののレベルが低すぎ、海外に比べてざっと20年は遅れていました。 絶望的な気分でページを繰るなかで、「こんなすごい絵が出せるのか」と驚いたCG。それを作ったのが広島大学にいる先生だと知った時の驚き。同時に、「世界のどこにいても最前線で活躍できるんだ」という事実は、18歳の僕をとても勇気付けてくれました。 あの一枚のCGとの出会いが、今の僕の原点でもあります。 紫綬褒章、受章おめでとうございます。 shi3zの長文日記
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ロコミが高いです24年経ってアニメ映画化した
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文の練習 1-1
(Original)
一年か二年、そのあたりで転校と引っ越しを繰りかえす生活は、生まれてこのかたずっと続いてきたのだから、辛いとかたいへんだとか、そういうことを感じたことはあまりない。 たいへんさとかで言ってしまえば、きっとお父さんやお母さんのほうがずっとたいへんだろうし、自分が自分で不満を思ってもなにもはじまらないし、できるならばそれを我慢したほうがいい。それを最初に考えたのは、確か小学六年生のときだった。 「一年しかいない学校で卒業式って、やっぱりおかしいよね。ごめん」 私のお父さんは新聞記者で、転勤のたびに私たち家族もいっしょになって引っこしをする。六年生になるときにまた別の小学校に転校して、その小学校の卒業式が終わったとき、父は私にそう言った。 びっくりしてしまった。たぶん、単純に、その卒業式で私は泣かなかったからだったんだろうと思う。 [卒業生のことば]をみんなで叫んで、かっこいい卒業ソングの合唱をして、綺麗な紫のバインダーの卒業証書をもらった。全部たくさん練習はしたけれど、私からしたらそれだけのことだったので、本当にびっくりしてしまった。 もともと、私はあまり気持ちが顔に出るほうではなかった。けれども、やっぱり、お父さんやお母さんにとっては、私が「それだけのこと」としか思わなかったのが、きっと悲しかったのだろうし、あと私を悲しませてもいけないと思ったもかもしれない。 「ごめんね」 おかしくなんてないよ、と私が言っても、お父さんはまたそうやって謝った。お母さんはなにも言わなかったけど。だからきっとお父さんのほうが、代表して私に謝ったんだと思った。 出席番号順に並んだ卒業生の、私の両脇の女の子はふたりとも泣いていた。保護者の席からも、きっとそれが見えたのかもしれない。確か、同じ中学に行くのが決まっていたふたりだったけど、それでもちょっと泣いていた。 同じ中学に進まなくたって、近くに住まなくなったからといって、別にもう会えないわけじゃない。携帯でもパソコンでも話はいつだってできるんだし、私はあまり友だちは多く作らないほうだけど、いまでもたまに連絡しあってる知り合いはいる。インスタだってツイッターだって、この前の休日なに食べた、なんてことは、頼まなくてもお知らせしてくれる���つながっている限りは。 私としてはそんな感覚がほとんど当たりまえになっていたから、別れるとか会えなくなっちゃうとか、そういう方向の実感は薄かった。だから別に、お父さんもお母さんも謝ることはない。きっとそう言っても、そのまま信じてもらえるとは思ってはいなかったけど。 「今まで悪かったね」 中学二年生の途中でまた引っ越しをすることになって、今度のお父さんはそう言った。 「もうこれで最後になると思うから。転校」 気にしてないからいいよと言ったら、お父さんはちょっと寂しそうに笑った。期待なんかしていない──みたいに思われたのかもしれなくって、こっちもちょっと寂しかった。 今度の引っ越しは、どうやらこれまでとちょっと違うと思ったのは、実は引っ越しの決まるまえからうすうす感じてはいた。夜、お父さんがよく家にいるようになってたし、不動産の会社からの電話がよくかかってくるようになって、お母さんに代わることが多かった。 引っ越すにあたって私が一番たいへんだったのは、教科書が使っていたのとは全部別のものになることだった。前のよりちょっと厚くて重たくなって、範囲も前の学校よりちょっと進んでいるらしい。そこだけ憂鬱だった。 これから住む新しい家に向かうことになった日、なんでお父さんがあんなことを言ったのか、そのとき、なんとなくわかった気がした。 二階建ての、あずき色の屋根、クリーム色のベランダと壁。思わず、助手席からとなりのお父さんの顔を見た。これから寝起きすることになる新しい私の家は、いままでと違ってかわいい色をした一戸建てだった。 車でここまて来る最中の道のりも、なんだか不思議だとは思っていた。建て売りって言うのだろうか、同じような見た目の、同じような角度の、同じような色した細くて薄い家がたくさん並んでいる、住宅街みたいなところに入っていったから。引っ越すたび、私たちが住んできた家は、いままでずっとマンションだった。 お父さんと目が合った。お父さんはにっこりして、それから後ろの席のお母さんを見て、ちょっとだけうなずいたから、私は先にひとりで車を降りた。 家の前には小さい車止めと、真っ赤なポストらしい色したポストがあって、小さな屋根がついている。手紙の住むお家みたいだと思った。 表札は、金属のやつ。ローマ字で私の苗字と、お父さんとお母さんと私の名前。いままでは玄関の前にマジックで書いたやつを入れとくくらいで、それが新鮮だった。 お父さんが車を停めるまで、私はとにかくそのポストとか、家の外側を眺めていた。もう表札があるということは、つまり、お父さんとお母さんはもう私より先にこの家のことを知ってて、この家のなかのことも知ってて、それをひとつも私に伝えていなかったということになる。 ずるい、なんてことは考えなかったし、ぜんぜん思わなかった。きょうまでそれを秘密にしていた意味をわかったとき、お母さんと一緒に車から出てきたお父さんに、私はそう言った。 「かわいいお家だね」 「かわいい?」 「うん。屋根が斜めなのがかわいい」 「片流れの屋根って、かわいいかな?」 素直な感想だったけど、お父さんはすこしとまどって、お母さんのほうを見た。 「鈴梨の部屋もあるからね」 お母さんが言った。 「部屋?」 「そうだよ。鈴梨の部屋」 「部屋」 なにを言われているのか、一瞬わからなかった。 「うん。二階に部屋があるから、そこが鈴梨の部屋」 それは言われた内容のせいじゃなくて、お母さんのきっと、きょうまで私に言いたくてしかたがなかった、って、その明るい顔のせいで。 「ベッドももう、買ってるから。大きいのを」 まだ、話がぼんやりしている気がして、へや、って二文字を、私はまた繰りかえしてから、やっとそれに気づいた。 「それじゃ、私ひとりで寝るんだ」 言うと、お母さんは笑った。 「そうだね。無理そうなら、もう少し経ってからでもいいよ」 横で、お父さんも笑っている。 「ううん、いける。大丈夫」 自分の部屋の様子もまともに見ないで言うのはおかしかった。でもそこで、実はものすごくテンションが上がっているのが、やっとふたりにも伝わった。家族みんなで、揃って笑顔タイプの表情になったのは、もしかしたら久しぶりだった。 新しい家の壁は、古いドラマに出てくる別荘みたいに、壁紙の貼られていない木の壁ばかりだった。木目がランダムな模様で不思議な感じで、節のある部分なんかは触ってみるとすこし硬くてでっぱっている。 リビングの脇のほうにはまだたくさんの段ボールが置かれていたけど、冷蔵庫とかテレビとかテーブルとか、家具の位置はもう定まっていて、まるでひとの家に遊びに来たみたいだった。お父さんもお母さんもにこにこしているのを見ると、私がもうすぐに新しい家で暮らせるように、ある程度きちんと用意してくれていたのがわかった。 二階に上がると、私の部屋と、お父さんとお母さんの寝室があって、そっちにはベランダがついていた。私は自分の部屋をもらっただけで十分だけど、いつか自分のベランダも欲しくなるときが来るかもしれないと思った。 「あっ」 そんな気持ちは、すぐ吹きとんでしまった。 お母さんの言ったとおり、私の部屋には大きなベッドと、その上にはずっと使ってきたタオルケットとクッション。その向かいの壁には、学習机にするにはかっこよすぎる新品の机と、キャスターつきの椅子が置いてあった。 「あぁ」 自分の、自分だけの部屋が、なんだかもう完成した姿で、そこにあった。 うっすらと、ふかふかしているラグ。カーペット? どっちでもいい。ひらひらしているカーテン。クローゼット。いくつかのハンガー。 ひとり部屋というものに、心から、憧れていたわけじゃない。 自分ひとりのためにある空間を、想像したことがなかったから実感がない。言ってしまえば勉強机なんて、ご飯食べるテーブルでも別に宿題はできるんだから、欲しいと思ったこともあまりない。 それでも、実際に、もらってしまうと。部屋をくれた、お父さんとお母さんのことを思うと。 「鈴梨?」 嬉しい以外に、感じることがない。 「……あ」 ちょっとのあいだ、部屋の真んなかで、ぼーっとしてしまっていたらしい。 開けっぱなしのドアの向こうに、お父さんとお母さんが立っていた。 「……鈴梨、机もベッドも、位置が気に入らなかったら、」 「ぜんぜん大丈夫」 「本当?」 「本当。これが、いい」 ちょっとだけ、声が小さくなって、ぶつ切りになった。 「ありがとう」 「……うん。よかった」 「大事にする」 部屋に見とれている感じを装って、私は、お父さんとお母さんのほうを振りむかなかった。 「うん」 せめて目のまわりが赤いのが引いてから、下に下りて行こうと思った。それが、引っ越して最初の日の、一番大きい思い出になった。 当たりまえのことではあるけど、新しい家での暮らしが嬉しいことばかりで、面倒なことがひとつもないということはありえない。 例えば、間違い電話らしき電話がよくかかってきたりする。それは電話番号の仕組みのせいで仕方のないことだし、いままで暮らしてきたいろんな家でもままあったことだから、いい。ごみ捨てのルールが違うとかなんだとかは、引っ越し慣れている身としては、私もお父さんもお母さんも、もう慣れたものだった。 ただ、ひとつだけ、気がかりなことはあった。 まだお父さんにもお母さんにも、話してはいない。 ちょうど引っ越してきてから一週間めの、ものすごい雨のあった次の日のこと。 学校から帰ってくると自転車が一台、家の前の道に止まっているのが見えた。カゴつきの普通の自転車で、郵便とか、宅急便の人ではなさそうだった。 うちの近くの人が、誰か挨拶に来てるのかと思って進んでみると、そこには知らない女子高生が立っていた。 背の高い、どこか知らない学校の、黒いブレザーを着た。手足が細くて、長くって、制服姿の大人みたいだった。 実際どうかはともかく、直感で高校生だと思った。玄関先のポストの前に立って、うちのポストを眺めている。眺めるというよりは、睨んでいるような食いつきかただった。 「こんにちは」 「へ。あ、こんにちは」 なるだけ音を立てないように近づいたはずだったのに、女子高生はポストから一瞬だけ目を離して、挨拶してきた。 「このポスト」 「ああ。えぇ」 「気に入ってる? これ」 「え? あっ、はい、」 「ふうん。よかった」 もう最初に気づくべきだった。なんだか、まずい人が来たと思った。 お父さんは百パーセント仕事。お母さんの自転車は見当たらない。 どうあがいても私ひとりの状況で、私もおおむねうちのポストについていい印象を持っていて、けど正直、知らない人と意見があっても、困る。 思わずあたりを見まわした。 「私も気に入ってる」 「まぁ、はい、そーなん、ですか」 まだ助けを求められるお隣さんの知り合いも、私にはいない。もしいたとしても、どうやって助けてもらえばいいのか想像もつかない。 「あの、えっと、」 「どういう感想、ある?」 「……はい?」 いままでずっとじっとポストを見ていた目が、急に、こっちにずれてきた。 「これ。ポスト」 手足だけでなく、目と鼻すじも細い。 「……ポスト」 「そう。ポスト」 「……」 もう引っ越しトラブルとかとは関係なく、これは運が悪かったんだと諦めることにした。ただポストが好きな女子高生に絡まれてるだけで、実害はない、怖気づかないで、もう素直に答えて帰ってもらおうと思った。 女子高生はまばたきもしない。早く、答えてほしそうだったので、噛んだりしないために、一度息を吸ってから、言った。 「手紙の住むお家、って、そういうイメージ」 「手紙の住むお家、って、そういうイメージ?」 ほとんど、同時に、言葉が重なった。 「……」 たぶん、私の答えが待ちきれなくて、思わず言ってしまったせいで。 そしてたぶん、私がひと息吸いこんでから、答えてしまったせいで。 「え」 声が同時になった理由は、きっとそのせいなのはわかる。 けれど、答えの内容まで同じ理由は? 「うん」 私は困惑していて、女子高生はうなずいていた。 「うん。──あ、っと、ごめん」 もう一回うなずいたところで、女子高生の腰のあたりで、携帯が鳴った。 「はい、──です」 止めていた自転車のほうに行きながら、電話の受けこたえをはじめている。私はそのすきに玄関のカギを開けて、バッグやらなにやらを投げこんでおいた。 「……じゃあ、父に伝えておきます。携帯のほうは、連絡がつかないんですか?」 込みいった話が、急に目の前数メートルのところではじまっていた。 言葉づかいもなんだか大人で、慣れている。でも、でもというかだからこそ、ひとの家の前でやってほしいやりとりでは、ちょっとなかった。 「わかりました。遅くとも今日の夜にはお返事差し上げられると思いますので、すみません。失礼します」 話は終わったらしい。私は玄関のドアから、半分だけ体を出して、様子をうかがっていた。 「帰ります」 「はあ」 「同じ感想で嬉しかった。ポストのこと──」 サドルにまたがりながら、その瞬間だけ、細い目で嬉しそうな顔になった。 「──ありがとう。ワタナベスズリさん」 言いのこして、さして速くもない速度の自転車で、女子高生は帰っていった。 「……」 名前を知られたことに、別に驚きはしなかった。 いつからうちの前にいたのかは知らない。けれど、あれだけポストを見つめていたんだから、表札だって見ていたって、おかしくない。三人分の名前が表札にあって、一番下に女の子の名前があって、学校から帰ってきた中学生がいたとしたら、それは私、渡辺鈴梨以外の、誰でもない。 それから十分くらいして、お母さんが買い物から帰ってきた。ポスト好きの女子高生のことを、話すかどうか迷っても、迷うだけで、実際に話したりはしなかった。変な人で、変な出来事だったけど、悪いなにかではなかった。 手紙の住むお家、って、そういうイメージ。 ひと文字も違わなかった、ポストについて。どちらが先に言うでもなかった、ほとんど同時の、その言葉。 なんだか気になってしょうがなくって、私はもう一度玄関を出て、ポストを見てみた。 地面から支柱が生えてて、赤い壁、丸い窓、赤い屋根。すこし大きな鳥小屋くらいのサイズで、背中のほうの壁にフタがあって、ダイヤル式のカギ。開けると、手紙が取り出せる。 「もしかして」 ポストを開けてみると、もしかして、もしかした。 ”またきます" とげとげした、見覚えのない字。正方形のメモ用紙に、油性のボールペンで、そう書いたものが入っていた。 「だろーな」 と、思った。声に出た。今度はポスト以外の感想を聞かれると思った。そうなると、もう望むところだった。 いつ来るんだろう。好きになったこの家の、好きになったところをたくさん見つけて、溜めておこうと思った。次は答えが、かぶらないくらい。
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混乱する夫5
ファイルサイズが巨大なためアップロードに時間がかかり、時間と共に伸びてゆく進行状況を示すバーを眺めていると、その伸長が妻のおそらくは痴態を記録した映像が晒されるものと考えられ、この苦痛が早く終わるように望むと同時にいつまでもこの時間が終わらねば自らの罪が確定しないように思われ懊悩に囚われるのだった。 アップロードを続けるpcを黙念とみていると、その画面下部に先ほど加工した画像ファイルが開いていることを思い出した。 その画面を開くと先ほどのファイルを示すアイコンが表示されている隣に、過去の旅行などで撮影した動画ファイルが並んでいた。 ファイル名は撮影日となっているので容易にそのファイルがどこに行った際に撮影日したものか思い出すことができ、結婚前の旅行や家を購入するときに方々の住宅展示場をみてまわった際の写真をなどをみていると、何故自分がこんな境遇になったのか暗澹となるのだった。 一方で笑顔の妻の写真からはその肢体が想像され、その肉体を味わった記憶が蘇り若干の角度がついた写真からでも容易に想像できる胸の豊かさやブーツに隠された脚線美を想像すると心ならずも欲情心が沸き起こるのだった。 そのまま階上で休む妻に向かうことも考えたが、依然アップロードは進行中でまだ終わるには数十分の時間がかかりそうだった。 また、今日の狂乱を思うと自身が妻を果たして満足させることができるか心許ないこともあり、pcの画面を閉じると居間に向かい心を落ち着ける事にした。 居間でソファにもたれかかりテレビを見てもさして興味を引く番組もなく、コーヒーでもいれようかと台所に向かったが明日のための睡眠を考えると刺激のある飲み物を飲むことは名案ではなさそうだった。 所在無げに台所の引き出しを漁り買い置きの飲み物を探していると、引き出しをの奥に引っ掛かりがあることに気付いた。 新築前から建物内のレイアウトを施工会社と打ち合わせし、建物の造りも把握しているつもりだったが、以外に造り付けの家具には粗があっったことにやや驚きを覚えながら引き出しをレールに沿って取り出し、その暗い奥から障害を手探りで探してみたが、単純にレールの端になにかの包装のビニールが付着していたことによるものだった。以外に隅々にまで知り尽くしていたつもりの自宅でもその奥など余剰のスペースがあることに今更ながら感慨を覚えた。 独身時代には人並みにアダルトビデオなど所有していたが、妻とであってからは画面に写る裸体より、直に触れる妻の複雑な曲線を描く肉体を愛し一部pcに保存していたものを除きメディアはすべて処分したのだったが、最近の妻の映像を見るにつけ秘密の映像を見ること、また第三者の視点で見ることの猥雑さに異常な興奮を覚えた自分を省みると破棄した過去の映像が惜しくも思われると同時に、それらの映像をこえて興奮を呼ぶ妻の映像を見たい気持ちが起こるのだった。 ともあれ、いままで自宅の広さは二人暮らしには充分で将来の家族計画に備えて子供部屋も備えてあるものの、秘密のを隠す場所などないと思っていたが自宅には自分だけが知りうる場所が幾つかあることに思い至った。同時にそれは妻も自分に秘密を隠すとすれば可能であることになるのだった。おそらく、この引き出しや寝室のクローゼットなどでなく自分には容易に想像できない場所があるのだろう。 そうとすれば、まず妻の秘所を掻き回していたあの淫猥なバイブを見つけてみたいと考えた。それが自宅以外にあるとも思われず、庭の隅ににある倉庫は自分が管理しているので考えられず、同様に車も考え辛い。ただ、以前自分が購入したバイブが妻の操作で動作したことから、自分のリモコンでも電源がはいっていれば同じことになると思われた。バッテリー式であるからには常に電源が入っている訳ではないと思うが探索のきっかけにはなるはずだった。 暗い台所で開いた引き出しやを見やりながら考えを巡らせているとすでに十数分が過ぎ、放置していたpcを確認するため、蛇口から水道水を一杯飲み干すと机に戻り画面を起こすと既にアップロードは完了していた。 自分の手の届かない場所へ、取り返しのつかないものを送ったことは気分が良くなるものではなかったが、それがなんとか犯人へ辿り着く手がかりとなることを願うのだった。 未だ眠くはなかったが翌日からの仕事に備え鞄の中身を確認して床にはいることにした。引き出しやから財布から出しておいたIDカードなどを財布に移し予定を確認していると、私用のメールに以前注文していたドライブレコーダーが付近のコンビニに届いていることが通知されていた。インターネットでの買い物では自宅には届けていたが、日中は不在のため結局不在通知をもち宅配便の事務所に受け取りにいくことが多かったため、最近はコンビニでの受け取りを主としていた。 さほど運転は荒い方ではなく、交通状況も全国上位となるような地域ではなかったが取引のある保険代理店から設置しておくことを勧められており思いのほか安価だったため、あまり深く考えずに注文したものだったが、これで自分が不在時の自宅を撮影日することができると思い立った。自宅の様子など気にしたこともなかったが妻の行動が気になったことと、なにより妻の映像自体が見たい醜い欲望があったのだった。忘れず明日受け取ることを心に留め支度を終えると階上に上がり寝室で妻の隣に身を横たえた。 日に当たった布団の香りに、妻の香りが混じり平和な気分で天井を眺めているうちに睡魔が襲いさほどかからずに眠りに落ちたのだった。 目覚めると既に日は登っており季節の移ろいを感じるのだった。隣に目を遣ると妻は居らず階下からテレビの音声が聞こえるところをみると朝食の準備をしているものと思われた。大抵自分が先に起きることが多く、新聞に目を通しているうちに妻が起きてくることが多く、そのような場合は先にコーヒーメーカーをつけ、トーストとベーコンエッグなど軽いものを用意しておくことが常だった。仕事の関係で自分の 遅く帰ることが多いので、結婚前以来朝食のとごみ出しは自分がすることが多いのだったが、洗濯や夕食、休日の室内の掃除など妻から不平を言われることもなく、その点でも満ち足りた新婚生活がそれから数年を経た今でも続いており結婚したことに満足しているのだった。 世間では結婚してからは妻が豹変して必ずしも家庭生活が充実しているというような話もあったが、自分にはそれがなく不平のない生活がどれほど恵まれているか実感することも難しいのだった。反面、妻がいる生活が自分には満足すぎるものでそれを失うことの恐怖や、それが妻にストレスになってはいないか心配を生むのだった。 妻はテーブルにシリアルを準備をしていた。その姿は長めのシャツにスパッツを履いていたが、いつものパジャマで緩い姿と比べると、身体の線が見え、スパッツがインナー用のもののため、若干透けて見えるあたりが艶めかしく感じた。昨晩の服装がハーフパンツだったので、そのままだったのかと思ったが、妻は晩に入浴することが常であるので、入浴後にそのままの衣服で就寝したことは常にないことだった。 夏の暑い時期にはシリアルを朝食とすることが常だったが、この時期に食べることはなく奇異に感じたがさっぱりとした朝食もたまには良く、向かい合わせに座ってテレビの他愛もないニュースを眺めつつスプーンを運んでいると、妻は先に食べ終え、出勤の準備のため2階に向かおうと思ったが、トイレが妻と合わないために先に向かうことにした。 新聞を眺めていると、いつか朝のポストに伝言のあったことを思い出してしまうのだった。便座カバーをしめ水を流そうとしたとき、ふと脇のサニタリーボックスに目がいった。この時期は妻は生理ではないはずだったが、その蓋が少しずれているのだった。悪趣味と思ったが蓋を開けると生理の時期の生理の用品ではなく、それより若干細めのおりものシートがあった。妻の生理はさほど重いものではなく、温泉旅行などは生理の日程を考えたこともあったが、通常の外出に差し支えたこともなく普段にもそのようなものを装着していることもなかった。 以前に予告なしにセックスした時にも、そのようなものが妻の秘所を覆っていたことはなかったが、妻の衣服が常と異なっていたことと併せ、妻の昨日の行動について自分には僅かな疑問の萌芽が芽生えるのだった。 2階では妻が着替えを済ませ軽く化粧をしていた。自分の好みでは妻は素顔の方が良く妻にもそう言っていたが、妻も外出があれば化粧なしででかけることもなく、化粧水と薄くファンデーションをはたく程度で済ませていた。その脇でスーツに着替えをネクタイを締めていると、妻は化粧を終え自分のスーツについた毛くずを取ってくれた。 会社は総合職は男女スーツとなっていたが、一般職は制服があるのでオフィスカジュアルでの出勤のが許可されていた。普段から落ち着いた服装を好んでいた妻はいつもと変わらず黒のシフォンスカートと白いブラウスにグレーのカーディガンを羽織った清楚な姿だったが部屋をでる前にドアを開け、膝上に手を遣るとスカート越しにタイツを摘まんで引っ張りあげた。何の気もない所作に思えたが、妻が着用しているものがタイツをならばあまりそうしたことはなく、着替え直後ならば腰まであげて履いているはずなので、それはもしや膝上のソックスなのかと考えてしまった。 結婚してからしばらく妻には満足していたが、週に数度は性交をしていると性欲の対象として妻をみることも少なくなっていたが、ここ最近の出来事があってからは妻を疑惑の目で見ることがかえって妻をより性の対象として見てしまうようになっていた。 妻も一定の理解を示し、時折セクシーな下着を身に纏いストリップじみたことをしてくれたが、それは男性視点でそそるものでなく児戯のようなものだった。女性が自ら望まぬことをしていることをみることは自分には異様な興奮をよび、それが普段目にしている妻、隅々まで知っている身体ならばなおさらのことだった。 出勤のため階下におり、いつもの通り妻より先に出るため玄関に向かったが、ふと出勤前に妻をもう一度見たくなりリビングに入った。妻は隣の部屋でpcを起動してなにやらサイトを見ていた。横から妻をみると形のよい乳房がタイトなブラウス越しに見え急激にブラウスをたくし上げて豊かな乳房を晒してみたい要望に駆られるのだった。不自然にこの部屋に立ち寄ったことで妻はきょとんとしてこちらを見ていたので言葉に詰まり、つい今晩は遅くなると言った。妻は夕食の支度について尋ねたがそれには外で済ませると答えると、それなら自分も帰りに軽く食事を済ませてくるとのことだった。 出社してからいつも通りの月曜日の朝のメールチェックからくる雑務に追われて過ごしていると、すでに午後の時間に入り昼食の時間を過ぎていた。この時間は食堂も閑散としておりメニューも繁忙時の多彩なものから麺類程度になっており定食も残っていることはあまり希望が持てなかった。スケジュールでは午後の予定はあまりなく、作業も部下に進捗を確認するものばかりで報告書をまとめるなど集中して取り組むものはまだなかった。妻に朝の帰りが遅くなると言ったがこの予定では残業どころか定時以前に帰宅できるほどだった。 なにか予定の取りこぼしがないかとスケジュールを再確認すると、今日の午後から以前に開催予定だけ記録していたシステムの説明会があることに気がついた。部下にいかせるつもりだったのが指示を忘れて申込もしていなかったので失敗を覚えたが、webで調べるとやや離れた場所だったが別日程での開催があり、そちらはまだ申込を受け付けていた。日程を部内の予定と見合わせたがその日程では部下の数名が打ち合わせなどで埋まっており、内容からまだ経験のない若手には任せられなかった。打ち合わせに自分がでることも考慮したが比較的低級の企画レベルの打ち合わせのため自分がでることで意見ので辛い場とすることも躊躇われたので、結局説明会の出張には自分で出席することにした。 まだ日のある時間に会社をでると街の木々が緑に映えており駅でいつも通り帰りに軽くの電車に乗ったが、妻に帰りは遅くなると言った手前先に帰るには妻の夕食の都合もあるので、その旨を伝えるため電話したが通じなかった。自分には比べれば妻は早く帰ることが普通だが、ほぼ定時と同時というわけにもいかないようだった。 車窓の流れる景色を見つつ揺られていると帰りにコンビニによってドライブレコーダーを引き取ることを思い出した。駅をでて直近のコンビニで品物を引き取ると思いのほか小さくこれで一式と思えないほどだった。家路につこうとすると、妻からメールが入り、今自分がいる駅をこえて近隣の街で同僚と夕食を食べて帰る、とのことだった。 自分に妻に秘密にできる時間ができたことを今更ながら感じたが、この時間ではなにをすることもなく自宅には帰ることにした。 普段は帰宅すると妻が出迎えてくれ、食事の支度も整っていたが、今日は暗い玄関に上がると自分の家でない他所に上がったような感覚だった。テーブルには朝食のシリアルの箱があったが流石に夕食に食べる気にもならず緩い服装に着替えるとドライブレコーダーを開梱してテーブルには広げた。あまり高価でもなかったものの録画機能など充実しておりバッテリー駆動でも数時間はモーションセンサー付きカメラとして使える機能があった。通常は運転中のドライブレコーダーとして使い、駐車時は防犯カメラにもなるもので自家用車は盗難にあうほど高級でもないが面白い機能と思った。 最近の製品に常として簡易マニュアルでない設定集などはwebでみることとなっており、一旦取り出したカメラ以外は箱に仕舞うとpcの前に移動した。物音一つしない室内でpcの低い起動音をききながらログインするといつかの妻の痴態の映像が脳裏をよぎり、本来の目的より先にいつかのダウンロードサイトを見るのだった。 サイトには明らかに自分に宛てたものと思われるファイルがあったが、僅か数バイトのサイズで疑念を抱きつつダウンロードして展開するとパスワードの入力を求められたので、いまでも記憶しているパスワードを入力をすると画面に短い文字列が表示された。 ご主人へ セキュリティのため定期的にサイトは移動します 次回以降は下記アドレスをご利用ください この連絡が取れなくなった場合はご主人へ映像をお届けすることはできなくなります 定期的にご覧になることをお勧めします さて、先週のセックスはお楽しみいただけたと思います 奥様の映像をお届けしますのでどうぞお楽しみください 奥様はなかなか我慢強い方ですがご主人にもお楽しみいただけるよう開発をすすめます もはやこの丁寧でありながら下品かつ悪辣な文章にも慣れさほどの怒りも覚えずに指定されたサイトを開いた。前回までは英語のサイトだっったが、今回はキリル文字での表記からロシア圏のサイトであることが知れた。 妻の映像が世界にあると思うと、どうかこれがこのまま闇に葬られること、犯人も同じく消えてなくなること、できればその前に自分の懊悩と妻に対するある感情を抱いてしまったことの暗闇を味合わせたいといった暗い怒りが頭を占めてゆくのだった。 文字が読めなくてもおおむね操作は画面のボタン配色からわかり、さほどかからない内にダウンロードが始まった。先にファイルをアップロードした時に比べ僅か十数分でダウンロードは完了し、そのファイルを万が一にも誰にも見られないように暗号化した外部メモリに移動し、ファイルを調べ以前に送ったファイルに施した設定が残っているか確認したが、残念ながら自分が送ったファイルではなくそもそもプロパティ自体が存在しないようだった。やや残念に感じつつも映像の中身が想像できるだけに見ずに納めることはできず、改めて玄関の鍵の施錠を確認してから再生を始めた。 映像は妻が、会議室のようなパーティション壁にテーブルが数台置かれた部屋に入ってくるところから始まっていた。カメラは入り口を指して設置してあるようで、伏し目がちに妻はドアを恐る恐るあけると室内を見回してから入ってきた。妻の視線のやりようからおそらくこの時点では部屋に人はいなかったように思われた。また、妻の服装は紫のニットに黒のシフォンスカートにブーツを履いており、今より数ヶ月は以前のまだ寒さの残る時期のようだった。 カメラは隠匿されていたのか妻はカメラに目をやることもなく、机に無造作におかれていた用紙を手に取ると両手に持ってそれに見入っていた。隠しカメラで妻を見ているようで、なんの刺激もない映像だったがすでに自分がやや昂りつつあることを覚えたが画面から目を離すことはできなかった。 読み終えたのか用紙を机に丁寧に置くと、カバンをテーブルにのせ、画面の手前側に設置されていた箱に手を伸ばし、その中から黒いバンドを取り出した。それは以前の自分が他人の妻を陵辱したときに常に身につけていたものと同じようで、一見しただけでそれがどのような意図を持ったものか想像できた。 妻の表情は無表情に見えたが、滅多に自分には見せない怒りの表情なのか目が細く引き締まり唇を結んでいた。その後の妻の行動がその表情をしなければならなかった理由を説明するのだった。会議室程度の広さの部屋の中央に立つと、腰に手をやり側面のフックを外してジッパーを下ろすとまるで更衣室で自然に着替えをするようにスカートを脱ぎ始めた。 ブーツを履いたままスカートを脱いだため、屈んで足から外すことにやや手間取っていたようだが、やがて片足づつそれを降ろし手に取ると丁寧に折りたたんで傍の机に置いた。ブーツからグレーのストッキングに覆われた形のよいふくらはぎが伸び、股間の数十センチあたり下ででぴったりと合わさった両方の太腿の途中でストッキングはひときわ色を濃くした後唐突に素肌に変わっていた。張り付いたストッキングが僅かに肌を締め付けているのかその末端では柔らかな肉を数ミリ圧迫しておりそれが煽情的なアクセントとなっていた。 ショーツは家で見たことのある薄いピンクのものだったが、ブラウスの下のキャミソールにその大部分を隠されていても妻の性器を覆っている薄い布地が両脇に少しついたフリルが目立つこともなく欲情をそそる曲線を描いていた。自分の妻の隠し撮りにこの段階で相当に興奮しており、上半身は外出時と全く変わらない姿の反面下半身はブーツにストッキングにショーツが残るのみの姿は突然スカートだけを取り払ってしまったようで非日常的であると同時に妻がこれから行う行為への期待と不安で興奮がさらに増すのだった。 この段階でもショーツの尻の部分の食い込みが気になるのか上体をよじるとカメラからは見えない範囲だったがどうやらショーツの尻の部分をたくしこんでいるようだった。 光の加減でショーツに覆われた妻の秘所のあたりは全面ぎりぎりのあたりのクロッチより奥は暗くなっていたが、身をひねったことでそこに光があたった。と、ショーツの一番奥に位置する辺りがやや盛り上げっていることに気がついた。クロッチのあたりから不自然に股間が膨らんでおり容易にそこになにか物体が潜んでいることが分かった。状況から考えて間違いなくそれは妻の身体を貪るための下劣な器具に間違いないことは明らかだった。妻のストリップとして欲情を抱きつつ画面を食い入るように見ていたが、この段階ですでに妻がこの映像の始まりからすでに犯されていたことがわかると、妻をこのような目に遭わせている犯人に殺意が湧いたが確かに自分の股間はいますぐにでも画面の妻に侵入できるほど硬直しているのだった。 画面の妻はその姿のままカメラの撮影範囲外に姿を消すと数十秒で画面が暗く暗転した。これで映像が終わりかと画面の下に表示されたスライダーバーに目をやるとまだそれは全体の5分の1も過ぎていないのだった。このまま映像が終わることを願う自分と暗い欲望に囚われさらに妻の姿を見たいと思うと自分だったが、手は停止のボタンをクリックすることはできなかった。 考えている間に画面はドアを開く場面となっていた。先ほどの映像と比べると全体的に鮮明となっておりパーティションと見えた壁も明らかにある程度の厚みをもった防音材をいれたもののようで床もパッキン加工されていることから可動式のものでなく、おそらくどこかの企業の会議室のようだった。経験上、大抵の会議室には窓があるものだったが、先ほどと同じ部屋とした場合、今度は入り口側からの撮影のためドア以外には窓一つない閉塞した部屋のようだった。あからさまに淫猥な調度品で揃えたラブホテルの様ではなかったが、部屋の雰囲気から会議テーブルまで無機質な印象がかえってこれから行われる行為をわからなくしていた。 さほど広い室内ではなかったが、妻は奥の中央で簡素な椅子に腰掛けていた。姿勢のよい妻らしく背筋を伸ばした姿は学生の面接のようだっったが その頭には忌まわしい黒いバンドが巻かれていた。その床のカーペットの上に敷かれたブルーシートは間違いなくなんらかの液体をカーペットにかからなくするためのものだった。カメラを持つものは犯人かあるいはその共犯者であることは疑いなくその姿が映ることを期待していたが、画面は次第に大きくなる妻の姿を写していた。 カメラは妻の正面に立つと急激に低い姿勢となり、ブラウスのボタンに手をかけた。最初の一つ目にはやや手間取っていたようだったが、その手は存外器用に動きブラウスの前をはだけるのには大した時間を要しなかった。ブラウスを左右に広げると明らかに膨らみを主張した白いキャミソールが残されていたが、それを強引に下に引き下ろすとそこにはショーツとセットの薄いピンクのブラジャーがあるだけだった。 二つの乳房が作り出す谷間は、抜けるように白くつややかな肌をその起伏で微妙な陰影を作り出しそれだけを見ていたい気持ちもあったが、なされるままの妻の肩に残ったキャミソールとブラジャーのストラップをブラウスごと腕まで下ろすと妻は両腕を身体に密着する姿勢となった。画面に伸びる手はブラジャーのカップを摘まむとそのまま下に引き下ろした。妻の乳房の形は見事なお椀型のため、片方の乳首がその美しい薄桃色を現したが、カップは乳房全体の露出を拒むように乳房の途中で豊かな起伏に食い込みかえってその柔らかさを示していた。 抵抗するそれを器用に動き回るその手は左右にカップの上端を左右に振りつつずらしていると乳房は降伏したようにその厚みを示しつつ画面に張り出し敗れたカップはその乳房を強調するようにその下に定位置であるように収まってしまった。ほぼ円形を描き隠れ場所から発見されたことに抗議するように乳首はカメラの上方を向いていたが、その突起は自分との夜と同じく刺激を求めるように突端を差し出していた。 妻は胸をはだけ両腕を縛られたように腕まで下がったブラウスに拘束されていたが、依然として���ーツを履いた両足は閉じみだらな姿をみせる上半身と対象的に下着が露出していることを除けば姿勢良く座っているのだった。 カメラは少し引いた画面になり、このまま映像が終わってくれるのではという希望と、それ以上の痴態を期待する自分の欲望を斟酌するようにしばらくそのまま微動だにしない妻を写すのだった。 動かない画面に自分が焦れていることを察するようにカメラはアングルを低い姿勢に変えるとそのまま妻の閉じた太腿に接近していった。キャミソールがかかりショーツの大部分は隠れていたが、突如画面の左から現れた手は滑らかに魅惑的な曲線を描く二つの膨らみをの間に差し込まれ、そろそろと左右の内股にサインを送った。上半身の衣服を脱がされている間にも体の動きを変えなかった妻もこの時は少し身動ぎをした。動きがないことを見てとった手は再度先ほどよりやや強くその位置で片側を押すように合図していた。妻はその意図を理解したのか腰をややずらすとおずおずとその両足を広げていった。その時間は短かったがスローモーションのように左右が同時に動き、柔らかで滑らかな生地のショーツの映る面積が増えていく様は手が届くなら両側から閉じてしまいたいところだが、そこに自らの顔面を埋め存分に唇でその感触に浸りたいと思ったことも事実だった。 90度まで開いた脚はグレーのストッキングに包まれ、膝で急に角度を変えるとそこからほどなくブーツに覆われると垂直にブルーシートに落ちていた。自分の思いに呼応するように開脚を待っていた手はカメラをより股間に接近されると腰から裏に回り込んだ。映像の影のため所作はわからなかったが、続けて妻の腰が手前側に動いてきたことでその目的は判明した。カメラの位置が近いため、椅子の縁にほぼ二等辺三角形に見えたショーツは股���を覆うクロッチが次第に上にせり上がってゆき、何かが埋没した性器を覆う薄い布を画面に全体に写すのだった。 アダルトビデオなどではここで焦らす時間となるのだろうが、犯人にはその意図はないようで呆気なく指を伸ばしショーツの最も深部にかけると妻の秘所を露わにするのだった。上部に薄い陰毛がある他は性器の周囲は艶やかでその中央に複雑な襞が自分の見た妻だったが、そこにはカバーを嵌めたようにクリトリスのある位置から肛門の直前までを埋め尽くしていた。妻の股間に蓋をしているようで異様な光景だったが、やや上気しているのか薄桃色の肌に無機質なパールホワイトの器具が映えピンクのショーツの生地がわずかな抵抗を示していた様は某然とするほど淫猥で、自らの股間に手を遣ると体が震えるほど敏感になっており先には妻を求めるように液体の感触を感じたが、妻の肢体は画面の中で陵辱されているのだった。 その物体は以前のバイブレーターのように動きはしないようだったが、ショーツから手を離した後、指でその抵抗を抑え人差し指と親指で腹側の張り付いた物体の縁を引っ掛けると梃子の様にそれを引っ張り出していた。 クリトリスに当たる部分には無数のイボが生えており、それが埋まっているとはいえ敏感な箇所を動く度刺激をしていたことは想像ができた。それを裏付けるように亀裂の最上部のそれはある種の興奮状態にあるように薄桃色より濃く色を変えて小豆程度の膨らみをを半ば隠れながらも主張していた。 肌に密着する部分が解離すると抑えに回っていた指をそれの左右に移すと、引き抜くと思われた。が、1センチほども根元が見えたあたりで妻は腰全体を震えるように数度伸縮させてしまった。手の動きは止まり、動作を停めたかと思うと、元通り以上にそれを妻の性器に押し込むのだった。元にあった位置よりさらに深く妻の体内を抉ったときその体はさらに震え下腹部が収縮した様は、おそらくその内部にある生殖器がそれに絡みつき快感をえたことを想像させた。 数度に渡って妻を嬲った後、これも自分を侮辱するようにゆっくりとそれを引き抜いていった。入り口に当たる部分は細くくびれていたが、その先は再度径を増しており、上方にフックを引き抜くようにそれが全体を露出する直前まで妻の小陰唇はそれの名残を惜しむようにぴったりと張り付いていたのだった。それが離れた瞬間にピンクに光る内側の肉を一瞬見せると粛々と元の位置に戻り、ようやく自分の知る妻の股間に戻ったがそこは既に覆われていた部分は全体がしっとりと湿っていた。 犯人はなんのつもりかつい先ほどまで妻の体内を貪っていたそれを画面に大写しにし、手首を振ってそれの明らかに目的をもった人工的な形成を自分に見せつけるように動かし、下から伸びた指がそれに触れたと同時に離れると、透明なやや粘りをもった液体がそれと指の間に伸びるのだった。 カメラは妻から離れると、何か台に置いたように微動はなくなった。画面に映る妻は股間をカメラに向け、性器を中央として白い足をやや上方に伸ばして先ほどと同じくブーツを床におろしていた。上半身とがやや椅子にもたれかかる姿勢となったことで露出をした胸は下から見上げる形となり重力に押されながらもその形は柔らかさと相反するように膨らみを保っていた。 ここまで音声は足音など除けばほぼなく、それが衣擦れの音を生々しく響かせていたが、何かの液体を注ぐ音とチャプチャプとそれをかき混ぜる音がはいった。既に過去のことと思っても手の届かない画面に淫靡な姿を晒す妻を何もできず歯痒くそれでも怒張した自分の性器をかかえていた。 やがてカメラが動くと、再び映像は妻の股間に向かった。妻の陰毛は濃くはなく、性器の上部に品良く生え揃っており性器の周囲は肌とグラデーションした大陰唇が左右に開いた脚のため、中に隠されてた生殖器を閉じる事ができず、既に刺激を受けたことにより愛液の分泌を生じてテラテラと艶めかしく粘膜を露出させていた。 この映像がどこで撮影されたものかはわからないが、そこには至るまでに妻のそこは絶えず刺激されていたであろうことを考えれば生理現象としてぬめる液体の分泌は責められないが、自分以外の人間に対して妻の体が反応していることは悔しいものだった。 画面中央に秘裂を捉えた次に入ってきたのは、白い繊維の塊の濡れそぼったような異様な物体だった。サイズは今しがたまで妻の中に挿入されていたものより一回り大きい程度だったが、その形状は繊維を束ねたものが濡らされたようなものだった。 いままで映像でみた妻を犯した道具はすべてシリコンのような人工的な色彩や質感だったが、ここで趣向の異なるおそらく性具が妻の陰部に接近していることは、その性的な興奮より意図を図りかねる不可解さが頭には残った。 ついに妻の小陰唇に口をつけたその白いものはあまり硬さがないようで、突き込もうとする手の動きに反して首を捻るように小陰唇に沿って滑り勃起したクリトリスをその所々にある段差で連続的に爪弾きした。既に神経が昂ぶっていたのか妻は腰を引くような動作とともに小さく吐息をついた。それが犯人の興を引いたのか、性器にそれを押し当てると上下に擦り付けるようにそれを動かしていた。妻の吐息はその動きに同調するかのように時折深い息をつき、その動きが上端に達し、下降に転じる直前に肛門から大陰唇にかけて刺激をうけている部位の周囲が収縮するのだった。 数十回同じ動作をしたころには、その道具は思いのほか液体を含んでいたようで、陰毛は濡れそぼり比較的縮れの少ないその毛も肌に張り付き性器全体が湿りをこえてなにか粘液を塗り込めたようにチラチラと光っていた。 今度は上方によりその性具を妻の下腹部の奥部にある穴に押入れ、数センチが埋没したかと思うと根元を握った手首を捻り角度を変えつつ、小刻みな回転をし、数秒の内に根元を握る手をのこして8割程度が妻の体内を穿っているのだった。これからこの道具で妻を犯すものと思っていたが、犯人は唐突に手を離した。 椅子に浅く掛けた妻は胸をはだけ、股間を前方に突き出し全裸よりさらに非日常感を生じる半裸で、下腹部の涎を垂らしたように液体にまみれた穴に一杯の性具を咥えて静止していた。 妻が快楽を感じなければ、映像をみつつもこの時間は自分の罪悪感のみ感じている拷問だったが、時折妻が性器に圧力を胎内で加えているのか根元が時折角度を変えつつ動くことは、妻が性的に刺激を受け入れてしまっているように感じ、それは二重の拷問だった。 カメラの映像は先のようにまた台に置かれ、進行状況を示すスライダーバーはまだ3割程度しか経過したことを表示していた 画面はそこで唐突に暗くなった。
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