#紙芝居と絵本の違い
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【かいわいの時】天正十六年(1588)二月十六日:出雲大社の巫女、大坂天満宮で神歌・小歌踊りを演じる(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。
京博本の「阿国歌舞伎図屏風」は、昭和三十年代に、山本発次郎コレクションとして、しばしば観照する機会を得た。出光本と違って、芝居小屋の内部描写を主題に、役者と観客の交歓を描く。その人物描写(姿・形・配置) や小屋の外の松の姿形に長谷川派の筆を感じたが、拙著『桃山の風俗画』(平凡社、昭和四十二年十月刊)ではなお町絵師出身の逸名の風俗画名手の筆と逃げた。華やかな阿国歌舞伎の図としては、すべてに出光本より適切な表現を見せると言えよう。とくに登場人物が出光本より有機的な関連を��ち、見物と舞台が一つに融け合うさまは秀れている。その後、やはり長谷川派の筆だと考え、近稿の「宗宅研究」ではいずれ筆者を特定したいと書いた。もとより、長谷川派でもっとも風俗画に熱意をもつ等学を意識していたのである。
これより、判定の過程を省略して、もっぱら私が等秀や等学と考える風俗画 (歴史画も含める)について述べたい。 まず宗宅の風俗画に触れると、さきの秀吉の醍醐花見図屏風以外では、同じく秀吉が宮中で貴族たちや南蛮人と 一緒に能楽を見る「観能図屏風」(八曲一隻、紙本著色、神戸市立博物館蔵)が同筆と思われる。宗宅は秀吉関係の風俗図だけを描いたのかもしれない。等秀となると、出光本の「阿国歌舞伎図」一点で、ほかには見出せない。地味な等秀は、派手な風俗画には不適と自認していたのであろう。
つぎもすぐ風俗画とは言い難い変った屏風絵だが、「誰が袖美人図屏風」(六曲一双、金地著色、根津美術館蔵)(挿図七八) を取り上げたい。左隻はいわゆる誰が袖屏風に美人図を組み合わせたもので、中央に派手な小袖を着た兵庫髷ふっくらした女性と三味線を左手に持つ禿姿の童女が静かに対峙し、その右方と背後に衣桁・屏風・衣桁を配す《略》ここでさきの等学唯一の署名をもつ帝鑑図を想起したい。それは正面向きの古風な宮殿を奥へ重ねたものだったが、これは最新流行の誰が袖図と扇面散図屏風による知的な構成である。人の女性の姿態や配置は京博本阿国歌舞伎図屏風にも現われているもの。さらに右隻の桜や杉の描法や構図は、前出の「太閤花見図屏風」や等学の妙蓮寺の松・桜・杉図絵などに類似する。以上からこの「誰が袖美人図屏風」が等学筆であるのは納得されると思う。その制作年代は慶長十年ごろの京博本の「阿国歌舞伎図屏風」より後で、サントリー本の「東山・吉野遊楽図屏風」より前であろう。一応、慶長十年代とみておく。コメント欄に写真。
以上、主として等学の風俗画について、彼の金障壁画より得た画風の特徴を基礎に、もっぱら直観による大胆な想定をなしてきた。ここに至ると、理論的にも妥当な等学を京博本「阿国歌舞伎図屏風」の筆者と判定すること��、これ以上躊躇する必要もなかろう(山根有三)。「長谷川等秀・等学研究」『国華 第1228号』1998より、抜粋して編集。
(写真)「阿国歌舞伎図屏風」1605頃(京都国立博物館蔵)より 舞台上を見ると、刀を肩にかけたかぶき者、柱のそばに坐す茶屋のかか、頬かむりをした道化役の猿若がおり、これは阿国歌舞伎の代表的演目である「茶屋遊び」が演じられていることを示す。出雲の阿国が北野社の能舞台を代用して「歌舞伎踊り」を始めたのは慶長8年(1603)、本図はその舞台を描いたもので、制作もそれからさほど降らぬ頃と考えられる。囃座も三味線などなく、笛、小鼓、大鼓、太鼓ばかりで、いかにも初期的様相を示す。図中に印象的に配された松の表現が、たとえば妙蓮寺障壁画中のそれと通有する性格を有しており、長谷川派による風俗画の一例とする有力な説がある(e国宝=画像も)。
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2歳児(1月の様子)
17日、高畠町立図書館の方が読み聞かせをしに来て下さいました。子どもたちが大好きな果物や動物などいろいろな絵本や紙芝居をたくさん読んでいただいたり、一緒に手遊びをしたり楽しい時間を過ごしました。




21日、子ども園の雪まつりがありました。いろいろなコーナーがあり、雪像づくりで保護者の方が作って下さった大きな滑り台や汽車、色水、的あてなど子どもたちの好きな遊びを自分で選んで自由にコーナー遊びを楽しみました。雪まつりのおやつは、温かいココアとドーナツ!みんなで一緒に外で食べました。いつもと違った場所で食べるおやつは格別に美味しかったようで、おかわりをしてココアを飲んでいた子どもたちです。













24日、1月生まれのお誕生会。今月は2名のお友だちが3歳になります。みんなにお祝いしてもらい、ニコニコ笑顔でとても嬉しそう!先生からのお楽しみは…『大きなかぶ』のエプロンシアター。大きな声で「うんとこしょ、どっこいしょ」と掛け声をかけたり、人形の動きに目が釘付けになったり、大きなかぶに驚き歓声をあげて楽しんでいた子どもたちでした。






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「キッズフリマ&ナーフ射的」 開催日時: 2025年3月9日(日) 場所: 總持寺/だがしの日こども縁日 企画/書き手: 茅スタジオ(茶畑ゆか)
3/9、キッズフリマをやってきました! 荒天にはさまれつつ、奇跡的な晴天にめぐまれた一日でした。
「おとなからもらう」だけじゃなく、「じぶんでじぶんのお金をかせぐ」をしてみたらどうだろう?全部がおとな主体じゃなくてもいいんじゃない?というところからスタートしたのが、こどもによるこどものためのキッズフリマ。
毎回あついドラマが展開するキッズフリマは、こども達が「お金」というものをどう捉えているのかを目の当たりにできる、大人にとってもすごく面白い1日です。
・稼いだお金を速攻で使い切ってしまっても、使ったことにすら気づいてなかったり(お金に意識がまだ向いてないんだろうな)、
・稼いだ先から使いまくっていたのに、お祭りの最後で残った金額を数えてなんで減っているのかと大泣きしたり(お金は減らないもの、どこかから湧いて出てくるものって思っていたようだ...)、
・高学年になるとちゃんと稼いで管理して、1番の売り上げを達成していたり(しかもそれを無駄に使わず貯めていたり...!)、
成長段階によっていろんな反応があって、すごい、、そう考えてたんだ!って、大人も毎回びっくりします。そして毎回真剣に取り組む彼らはキッズフリマを通して自ら深い学びを得ているようです。(使ったら減るんだ!って分かるようになったりw)
「お金のワークショップ」でお金ってなんだろうと考えつつ、ついに本番のキッズフリマ当日はお金ゲットを目指して頑張ります。
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こども達それぞれにドラマが色濃くあふれているキッズフリマ。 参加してくれた方たちからいただく感想が一番それを物語ってくれているなと思うのでご紹介します。

Q: キッズフリマ、いかがでしたか?
A:隣に座った子と安定した店番をしてました。トイレへ行ったり、隣の射的をやりに行ったりと席を外すときは、必ずお互いに声かけをして、相手の承諾を得てから行ってました。遊びに行く時は、店番をしてもらうお礼にお菓子でやりとりし、労働をしてくれた対価を渡したりというやりとりが自然にできていて驚き!助け合い、感謝し、共に楽しむという点ですごくいい場面を見させてもらいました。近くに座っていた4人、お互いの作品もいいね!すごい!ととてもポジティブな言葉が飛び交い、見ているこちらも心温まる時間でした。自分が作ったものを一緒にキッズフリマをやっていたお友達も楽しんでくれて、本人はそれがとても嬉しかったみたいです。あと射的がすごく楽しかったみたいで、稼いだお金で射的をし、そのお菓子を食べな��らものをまた売るという循環が出来上がっていました。笑 結局最後、みんなが売ることに必死になっている中、売ることはやめ、射的に夢中に。お兄さん・お姉さんに教えてもらいながら射的の店番を楽しんでました。「2人ともほとんど休まずやっていて、本当すごいよね!」と尊敬と憧れと。これもよい経験。 あとみんなが猛烈値下げするなか、自分の作品をガンとして値下げしなかったのも面白いなぁと思いました。お金があると楽しいことができる、そんなポジティブな世界を体感できて、親も子もいい時間でした。

A:準備をしているときは隣のスーパーボールすくいが気になり、遊びに行きたい!っとずっと言っていましたが、お客さんがきて、物が売れたのがとっても嬉しかったようでそのまま2-3時間ずっと売り場を離れませんでした。最初の1時間は親がいないとお客さんに近づけなかったのですがが、徐々に1人で店にたつことができるようになってきて、声はだせないけどお客さんを見守りはじめたり。最後の方はいらっしゃいませ!と声を出していて、周りのお兄ちゃんお姉ちゃんを見て成長したなーと感じました。これまでは物を買っておつりをもらうとお金が増えると思っていて(枚数が増えるから)、おつりの概念がわかっていなかったのですが、今回のフリマを通してやっとそこら辺がつかめてきたかな?という感じがしています。とってもいい経験になりました!そして子供以上に親も楽しめた、とても素敵な一日になりました!

A:キッズフリマにやる気満々で望みましたが、途中からお買い物や射的、紙芝居やさんに夢中になり、お金を得ることよりもお金を使って楽しむことに喜びを見出したようでした。せいべいやの紙芝居で買ったソース煎餅を食べた後、「やっぱり今日は最高な1日だな」とソースをほっぺにつけた顔で、大満足げに言っていました。 将来の夢が、紙芝居やさんになったみたい。 釣り銭と売り上げをいれた��金の袋から羽振り良くお金を使っていた為、きっとマイナスになっているのだろうと思ったのですが、結果は1000円のプラス!嬉しかったようです♪射的5.6回分、紙芝居、こどもがつくったワークショップ、キッズフリマのお買い物など楽しんでいました。こどもの世界は、それぞれが剥き出しの個性を発揮しながらも調和されていて、平和的。 それはキッズフリマの場の自由度の高さから生まれたものなのだろうとも感じました。


A:イメージしていたように売れなかった序盤は涙を流したりしましたが、気分転換に他のワークショップに参加したりしながら気持ちを立て直し、最後まで諦めずに販売していました。諦めないで最後までやったからこそ見えたものがあったようです。

A:(射的チーム)おまつりの射的が好きだからぼくもお店で射的やってみたい!という気軽な気持ちで手を挙げていたので、ゆかさんに一対一でまず仕入れの話を3時間超していただいた時は本当に白目をむいていました、、笑「このお菓子全部ひとりで買いに行くの…?」と、ひとりで仕入れる事に不安も感じていたようです。 でも、そこから頼もしい相棒が参加してくれて、プレッシャーがなくなったようで、ミーティングも重ねて具体的なイメージを掴みつつリラックスして当日に臨んでいました。当日はお客さんも混みすぎず、的(まと)の並べ方を工夫する心の余裕もありつつ楽しめたようです。後半値下げして100円にした途端、いかにもお小遣い握りしめて来たような男の子達が何度もリピートしてくれたり、和気あいあい、運営としては上手くいっていたと思います。相棒の存在がとても大きかった今回の大成功でした!玉拾いのお手伝いは結局ほとんど大人がやっていたので、これはタイミングみたりして小さい子には難しいかもしれませんが、ゆくゆくは子ども達だけで回せるとおもしろいなと思いました。

A:前回は一生懸命用意したのに、品物を売るよりまわりのお店やお友だちの品物に興味津々。予め用意したおつりをお小遣いと勘違いして使いまくり、使途不明金1000円超で大赤字という散々な結果でした。苦笑 あれから半年、今回は前日の午後になるまで一切準備をせず、しぶしぶ描いた恐竜の絵を当日開始いちばんにお客さんに買っていただけて嬉しかったようで、そこからやる気を出して「売る」をがんばっていました。 今回も店長直伝の行商スタイルで、持ってきたおもちゃ類も、自作の絵も全部売っていました。 おまつりの雰囲気の中でも集中力もほぼ最後まで途切れず、売り方や売る物をその時々で変えてみたり、呼び込みに出かけてみたりと本人なりに工夫していて、成長、、感じました!

A:以前出たこども哲学では緊張して何も発言出来なかった息子も、お金のワークショップでは自分の意見を発言できるようになり成長を感じました!! フリマが始まると最初は「いらっしゃいませー」と棒読み、お店の前で立ち止まる人がいると緊張するのか警戒、買ってくれた人への目つき恐いみたいな感じで、バリバリ小売業の母からすると大丈夫か?と思ってしまいました(笑)でも最後の方はお客さんに実演をして見せたり、商品を持って会場を回ってみたり、こうやった���売れるのかと少しずつ楽しめてきている様子でした。 終わったあとは、またやりたい!と言っていてとても楽しかったと思います。
…と、こんな雰囲気の一日となりました。
売った分よりも使った分の方が多かった!と、赤字に泣く子は今回いなくて、みんな去年よりも随分売り方・使い方がこなれてきた感じがします。スタート前に使う額を決めておく子もいるようでした。
時間も終わりに近づいてくるとどんどん行商に出始めるこども達。
最初は恥ずかしがって声が出なかった子も終盤には随分声が出せるようになりました。
その変化に親たちもびっくり!
キッズフリマは今年もいろんなドラマが色濃く刻まれた一日となりました。
「やっぱり今日はさいこうな一日だな」って、さいこうだね!

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■キッズフリマとは... 対象:5歳くらい〜小4位のイメージだけど、上限はとくに無し。やりたい子はどうぞ!
おおまかなルール: ・こども達が得るものを自分で決めて、なにかをうる。 ・こども達のもうけはぜんぶこども達のもの。(マージン無しだよ!) ・ともだちの売るものをてつだってもOK!もうけの折半やるかやらないかとか、ルールはじぶんでぜんぶ決めてね。 ・ぶつぶつこうかんという手もあるかもよ。 ・たのしいイベントがもりだくさんだから、店番かわりばんこにするとかは、みんなでそうだんしてきめてね。 ・お金のかんりは、じぶん(+かぞく)でやってね。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおか��くけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険��僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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書物礼賛⑤

朱野帰子/キーボードなんて何でもいいと思ってた/自主出版2024
もともとお年玉には手をつけない子供ではあったのですが、その傾向が新卒の頃にあった就職難でさらに強くなってしまいました。エクセルに1円単位で家計簿をつけて節約に励み、年間100万円を貯金する。そんな内部留保をためこむ傾向は、フリーラン���になってからさらに強くなりました。数年前に勇気を出して分譲戸建てを買ったのですが、ローンの返済が心配でたまらず深夜に目が覚めることがしばしばあります。
大学も就職も、地方出身の若者にとって東京はイス取りゲーム。幼稚で利己的な考え方をとるよう追いやられる。どこへ行っても不可欠な職、たとえば建設現場で働いているような若者の方が心にゆとりがあって、学歴が低くても考え方がしっかりしている。情報化・都市化が進んで大卒ホワイトカラーが増殖するとその国は滅ぶんじゃないかと思わせる、そんな本です。広告業⇒メーカー⇒兼業作家⇒専業作家となった著者が、頚椎ヘルニアなど体の不調に悩み、長時間使用するパソコンのキーボードを高級品に買い替えるまでのいきさつ、そして同じように高級キーボードを愛用する同業者へのインタビューからなる。文章も装丁も粗悪、これでプロ作家?と疑問を抱かせる、何一つ参考になるところがないゴミ本。
高野文子/ドミトリーともきんす/中央公論新社2014
高1のときふゅーじょんぷろだくと(漫画評論誌)発だったか「田辺のつる」が凄いと聞いて掲載されている漫金超を買ったものです。友人にも読ませた。高2の冬にそれらを収めた高野文子の初単行本『絶対安全剃刀』が出るということで、西武新宿ペペ内の漫画専門店で予約して買いました。今も漫画の最重要書架に。ところが彼女はそこで見せた実験性やバラエティーのほとんどを捨て去り、第2単行本『おともだち』は芝居がかった懐古的な作風の出発点となる。ここでいう「芝居がかった」とは、まるで宝塚歌劇のように漂白された、固定客向けの。あげく消費に浮かれるOLが読者層の雑誌Hanakoに連載された『るきさん』である。
子どもの頃読んだ野口英世の伝記本には、彼の借金や女遊び、科学的な業績の大半が否定されていることは触れられない。ひさしぶりに高野文子の作品を読んで、そういう女こども向け漂白を感じ、私の高校時に異常天才として現れた彼女が、短期間で作風を狭めるに至った世知辛さとその後の人生の長さを思わざるをえない。つまらない漫画ですが、絵の上手さは折り紙付き。ミニマルアートとして。お芝居は要らない。今の私にとって、渡航のための借金を一晩で使い果たしてしまう、似たことを繰り返す、そっち側にしか野口英世の存在意義はないのです。
マーシャル・マクルーハン+クエンティン・フィオーレ/メディアはマッサージである/河出文庫2015・原著1967
「あらゆるメディアは人間のなんらかの心的ないし身体的な能力の拡張である」
「投票や多数決で頭数を数えることは、18世紀的な断片化プロセスの大切な要素であったが、電気の即時的スピードがもたらした環境において、急速に、社会を評価するにあたって厄介で効力のない方法になった」
「現代とは、すべてが同時に生起するようなまったく新しい世界である。時間は止まり、空間は消え去った。われわれは聴覚的空間にもどってきた。原初的な情緒、すなわち、数世紀間の識字文化ゆえに疎遠になってしまった部族的な感情を、ふたたび構造化しはじめている」
「新たな電子的相互依存はグローバル・ヴィレッジの荷姿に世界を作りなおす」
印刷・鉄道・テレビといった発明がいかに人の意識や社会のあり方を変貌させたかを説くメディア論の名著。古代ギリシャの盲目であった詩人ホメロスに代表される話し言葉の文化と、活版印刷発明後の書き言葉の文化を対比させ、音声に頼り記憶や反復が重要であった古代���対し、視覚による情報の固定化・標準化が行われるようになり「大衆」が生まれた、そして20世紀テレビやラジオといった電気メディアが現れ、話し言葉の特性(流動性・即時性・共同体意識の強化)が復活することで、再び大きな変革が起っているとする。現状スマホ・ネット・AIは双方向的な「話し言葉の復権」と時間の支配による孤立化を促し、文明をカタストロフに導くのではないかというような、示唆に富んだ一冊。
谷頭和希/ニセコ化するニッポン/KADOKAWA2025
前々回いわゆるプロ倫を批判する前置きとして「ディズニーランドのハリー・ポッターのアトラクションでトシ(タカアンドトシ)の次男がグッズを買うのに抽選があって3回行列に並んでやっと買えた」と述べましたが、ユニバーサルスタジオジャパンの間違いでした。まあ似たようなものですが、世間的な娯楽に対する無知無関心がさらけ出されてしまった。
非国民の視点=日本人が行列するようなものごとは価値がない。本書によれば東京ディズニーランドは当初富士山麓と浦安が候補地であったが、ウォルト・ディズニーの創業理念を貫くため日本人が神聖視する富士山を避け、「何もない」浦安に造られた。食事の持ち込み禁止、外の風景が見えないようになっているなどカルト的な閉鎖空間であったが、後年になるほど借景を取り入れたディズニーシーもしくはDオタと呼ばれるリピーターを意識した催しなどマーケティング志向が強まりディズニーの創業理念は薄まっていく。これと類似する差別化・ブランディングを図ったヴィレッジヴァンガードは近年凋落し、スターバックスはリピーターにとって特別な場所であり続けているのだという。前者は行ったことない、後者は2~3回行ってみたが広告・新自由主義的な邪悪な空気。
そしてコロナ禍と円安を経て、日本人客や地元住民など眼中にないと思われるニセコのスキーリゾートをはじめ全国いたるところで「選択と集中」「テーマパーク化」に沿った再開発が進み、静かな排除が進んでいる…。著者自身も、このテーマで食っていく、俺のもんだ感を放つ。週刊東洋経済やダイヤモンドの、写真や図表の潤沢な特集記事で見せてくれるのならそっちがベターでしょう。
打越正行/ヤンキーと地元/ちくま文庫2024・原著2019
本土の建設業に従事する日雇い労働者の場合、単純作業がメインになるが、地元の後輩を雇い入れてきた沖組の場合、仕事の割り振り方がそれとは異なる。作業には楽なものからキツいものまである。新参者の後輩は、目の前のことで精一杯で、できる作業も限られているが、何年か働くうちに、できることが増えてくる。ところが、自分にとって楽な作業を優先して行い、全体の作業工程を乱す従業員がいる。女性従業員が言うように、一緒に働いていれば、他の従業員のことを考えて働く者と、自己中心的な働き方をする者とが、それぞれ見えてくる。作業をサボっているわけではないが、働いているようで実際には手を抜いてい ことが、経験者にはわかる。そういう働き方を繰り返す者は、周囲の従業員に負担をかけ続けることになる。このような従業員は、最終的には先輩から桟木で殴られるなどの暴行を受けることがあった。
(セクキャバの従業員の採用や警察対策において)重要なのは、地元の人間が得た(覚醒剤に関与している)京子と加奈の情報を、適切な範囲で、適切な方法で用いるということだ。そこには、持たざる者同士が、貴重な情報を共有しようとする互酬性の論理が働いている。と同時に地元という場には、情報にせよ、人間関係にせよ、適切な範囲と方法でそれを用いることができない人間は見捨てざるを得ないという力学がつねに働いているのであった。
民主党政権当時に同い年のイトコが長男を連れて在特会・桜井の街宣を見物したとかで、以来「ネトウヨの従弟」として旧ブログにたまに登場してもらいましたが。毎年彼が主催する新年会、風邪やコロナが重なって延期になっていたのが2月1日に行われ、2年ぶりに参加。その「長男」、高卒で大手スーパーに勤め、今35歳。昨夏に入籍し、今夏には第一子が生まれるという、その嫁さんも初参加。ローンを組んで一軒家を買い、中野区の実家は妹2人が好きにすればいいともいう。誰もが利用する生活インフラに従事し、ありとあらゆるクレームに対処したり、パートの女たちを管理する側でもあり、職業意識の高さ、それによって磨かれた人間的な器量に感服する思いであった。少女漫画時代の弓月光さんのファンということで私とも少し話が合うのだが、血は争えないけれどもやはり自分には結婚・子育ては無理だったなと納得。従弟は従弟で表具・内装の仕事のかたわら消防団を30年続け、副団長に推されているという。��を使って働き、地元に根付いて生きる彼らの姿に学ぶところの多い一日であった。
本書は以上のような学びに満ちた、人文系学問の本当の役割を再認識させてくれる労作。解体屋、風俗経営者、ヤミ業者として生きる沖縄の20・30代と同じ目線に立つこと。ウシジマくんの描写が図式的で薄っぺらいと思わせるような、人生の臭いやぬくもりが直接伝わってくる濃密な一冊。
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2024年12月10日
証言集を手にする山口響さん(右)と被爆者の城臺美彌子さん(右から2人目)ら=2023年11月28日、長崎市魚の町、寺島笑花撮影
平和賞授賞式を機に考えたい 被爆者が語ってきたのは「理想」なのか(朝日新聞 Re:Ron)
「長崎の証言の会」証言誌編集長・山口響さん寄稿
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に間もなく、ノーベル平和賞が授与される。
ロシアによる対ウクライナ戦争は、核兵器使用の可能性を高く保ったまま開戦から3年の時を迎えようとしている。パレスチナ・ガザ地区に対する核兵器使用を肯定する声もちらほらと聞かれる。しかし、「日本被団協がノーベル平和賞を受賞」との報が飛び交う中で、核兵器使用の決��ができる指導者はそうそういない。「核兵器は絶対に二度と使われてはならない」というノルウェー・ノーベル委員会の強い意思は、核使用への強い制約として働く。
ただし、賞などというものに対する他人の注目はしょせん瞬間風速的なものだ。実際、「この20年でノーベル平和賞を与えられた個人・団体を10以上挙げよ」と言われたら、答えに窮する人は少なくないのではないか。
賞の直接の当事者でない者の記憶はそのぐらい移ろいやすいものだということを前提として、ここでは、「祝賀」ムードからは一歩身を引き、「被爆者の声」なるものを私たちがどう考えるべきかを示しておきたい。
というのも、ノルウェー・ノーベル委員会が、日本被団協への平和賞授与の理由を「『核兵器が二度と使われてはならない』と証言によって示したこと」と説明しており、その意味するところには多少の肉付けが必要だと感じているからだ。
私(48歳)はこの10年ほど、「長崎の証言の会」という団体で、被爆証言誌を刊行する活動を続けてきた。また、研究者としても、被爆前後の長崎の歴史について調べている。もちろん、日本被団協を含めた各地の被爆者団体で被爆者の相談活動に加わってこられたような方々の経験と比べれば大したものでないことは承知しているが、いちおう、被爆者の聞き書きを続け、被爆体験集を多く読んできた者として、発言してみたいと思う。
「冬の時代」にある戦争体験の継承
「被爆者の声」なるものをめぐっては、被爆当事者、あるいは被爆者に伴走して活動している人々の間から、「核兵器の問題に無関心な人たちにどうやったら被爆者の声(証言)を聞いてもらえるか?」という問いが頻繁に発せられる。
そしてこうした問いはしばしば、証言集の刊行から紙芝居、朗読、演劇、音楽、映画、絵画、写真、小説や詩歌に至るまで、最近では、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)、モノクロ写真のカラー化、AI被爆語り部といった形で、「被爆体験の継承」の有効な方法論をめぐる議論に横滑りしていきがちだ。
もちろん、こうした具体的な営みがきわめて重要であることは論をまたないが、今回私は、問題の位相を少しずらして、
(1)2024年現在の日本において、「被爆者の声」が聞かれうる環境はどうなっているか。
(2)そもそも「被爆者の声」とは何か。
という問いを考えてみたい。まずは(1)について。
広島・長崎への原爆攻撃とアジア太平洋戦争の終結から79年経つ現在は、「戦争体験者の声を聴けるラストチャンスの時代」としばしば言われ、そうした危機感がさまざまな活動を駆動させる背景になっている。
しかし、私自身は、「戦争体験の継承」にとって今は冬の時代だと感じている。どういうことか。
��後79年の日本では、「戦争体験者の声に耳を傾ける」ことは「お年寄りの昔話を聴く」とほぼ同様のイメージで捉えられているはずだ。
ところが、メディア研究者の伊藤昌亮氏のインタビューによれば、東京都知事選での石丸伸二氏、衆院選での国民民主党、兵庫県知事選での斎藤元彦氏の躍進の背景には、世代間対立の強まりがあるという。
もし、若い世代の間で「老害批判」「既得権批判」が強まっているとすれば、もうそれだけで、「お年寄りの戦争体験」には耳を傾けてもらえなくなる。「人生の先輩を敬うべきだ」などという一般的な説教ではどうにも手当てできない。
こういった状況に対して――私自身もついついそう言ってしまいがちなのだが――、「『自分事』として捉えよ」という呼びかけが(特に若い人に対して)なされることが少なくない。
こうしたメッセージは、おそらくごく一部の人にしか刺さらないだろう。自分たちなりの「現実」に呻吟(しんぎん)している人たちには、「他人の」「過去の」戦争体験はなかなか届かない。まして、「過去に何があったか知らないけど、長生きしてきたということは、それなりにいい思いをしてきたんじゃないの?」などと思われてしまったら、回路は完全に閉ざされる。
しかし、「被爆者の声」に耳を傾けてもらうには厳しい社会環境にあることを指摘しただけでは、議論はストップしてしまう。
世代間の溝を埋めるには
そこで次に、2番目の「そもそも『被爆者の声』とは何か」という問いを考えてみたいと思う。このことが、世代間の溝を埋めるひとつのヒントになるかもしれないからだ。
日本被団協へのノーベル平和賞の授与が発表された時、それを支持する人は「被爆者の理想を現実に近づける上でこの賞は意味を持つ」と興奮したが、他方では「被爆者は理想ばかり語って安全保障の現実を見ようともしない」との懐疑的な意見もインターネット上にはあふれていた。
実のところ、これら両極の意見はいずれも「被爆者は理想を語っている」とする点で共通しているが、それは本当なのだろうか? 「理想」というのは、被爆者の語ってきたことに対して外から貼り付けたラベルであって、被爆者はただひたすらに「現実」を語ってきたのではないだろうか?
私の見るところ、被爆者の語る「現実」は、二つの重みを持っている。
79年前、8月の重み
ひとつは、8月6日・9日の「あの日」の現実の持つ重みであり、言い換えれば、「戦争を続けていれば、行き着くところはこうなる」という現実のことだ。「あの日」、生きながらにして人間の肉が溶け落ちた。「あの日」、末期の水を求めて何千人という人が川に蝟集(いしゅう)した。「あの日」、ある生存者は焼け跡で気が狂ったように歌い続けた……。
核兵器を含む現実主義的な安全保障論は、現実主義的であろうとすればするほど、「核兵器を持てば敵の攻撃は抑止できる。以上!」とはならず、核抑止が破れた後の世界のことも想定しておかねばならない。
核兵器使用シナリオをビルトインした現実主義的な安全保障の構想は、広島・長崎の被爆者たちが語ってきた「核使用後の現実」を一般の人々に当然に受け入れさせるような率直な用語で語ってきたのだろうか。私にはそうは思えない。軍事的なリアリストの練るデスクプランの「現実」の方が、被爆者の見た「あの日の現実」よりも重みをもって捉えられているとしたら、私にはその状況はよく理解できない。
被爆者は、核兵器廃絶という「理想」を一見語っているように見えても、見果てぬ夢を口にしているのではない。被爆者はただ「現実」だけを語ってきたのだというシンプルな事実に目を向けるべきだ。
被爆者の戦後の現実
被爆者はもうひとつ、被爆直後のことだけではなく、「その後」の現実をも語ってきた。
社会には、被爆者と、そうでない人がいる。原爆は、放射線の影響によって個体を傷つけるだけではなく、被爆者と非被爆者、場合によっては被爆者どうしの関係をもゆがませる。被爆者が将来をはかなんで自殺し、そのあとに残された者たち。自分の子の結婚相手が被爆者ではないかと疑い、探偵に調べさせた者。自分は被爆者ではないのに、被爆者の夫との間の赤ちゃんを産むことが心配で、夫に本当の理由を告げず中絶した女性。「いつも横になっているのがお母さんだ」とばかり感じていた、ある被爆女性の子ども……。
原爆の悲惨さを伝える取り組みは、核兵器の特殊性をどうしても強調しがちだ。もちろん、そうした特殊性があることは、否定してはならない事実である。
一方で、特殊性の強調は、被爆者の「現実」を理解しようとする他者の意思をくじくことにもなってしまいかねない。
被爆者を取り巻く「『その後』の現実」は、今を生きる人々の「現実」とそう遠いところにあるわけではない。ただ一点、原爆を理由とするという違いがあるだけだ。
私自身、被爆者の「『その後』の現実」をもっとみつめていきたいと思っている。性急に「継承」(=他者に伝えること)を図ろうとするより、「被爆者の現実」に対する自分自身の理解・解釈を深めていきたい。
幸い、広島・長崎の被爆者の証言は、世界のあまたの戦争体験の中でもっともよく記録されているもののひとつである。まずは、一冊の証言集を開き、一編の証言映像を見るところから始めてみてはどうだろうか。
やまぐち・ひびき 1976年生まれ。長崎県出身。京都大法学部卒。英シェフィールド大で公共政策修士号、一橋大で社会学博士号を取得。現在は、長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)客員研究員として長崎原爆の歴史を研究するかたわら、国際学術誌の編集長補佐、長崎県内の他大学での非常勤講師なども務める。「長崎の証言の会」証言誌編集長や、長崎新聞客員論説委員としても活動する。
田中美穂(カクワカ広島共同代表)【視点】 今回の #ノーベル平和賞 受賞をきっかけに、被爆者はこれまで一貫して「現実」を訴えてきたということを強調していかなければいけません。私たちも国会議員との面会の中で、「現実と理想がある」「核廃絶は究極の目標」と言われることが多々ありますが、「核廃絶は理想」とする人の「現実を見る」はただの現状追認に過ぎません。山口氏の仰る被爆者の「『その後』の現実」を私たち一人ひとりが学び、これは私たちの闘いでもあるということを広く共有していきたいと思います。今夜の授賞式での田中熙巳さんのスピーチを胸に刻み込み、「もう沢山だ」という怒りとともに、さらなる行動に繋げていきます。
BossB(天文物理学者・信州大准教授)【視点】 主な大量破壊兵器のうち、化学・生物兵器は禁止されているのに、核兵器は禁止されていません。化学・生物兵器は歴史が長い分、被害や苦しみに対する認識があるからでしょうか?世界を牛耳る西洋人たちも被害を受けているからでしょうか?ならばなおさら広島・長崎のストーリーは語り続かれていくべきです。核兵器の方がターゲット狙いをしやすい感があるのかもしれません。しかし、核兵器の使用はエスカレートし核の冬がやってきます。世界大半の人々が飢え死にします。
なぜ第2次世界大戦の戦勝国5カ国のみが核兵器を持っていいのか?って、他国が思うのは必然です。さらに、広島・長崎を抱える日本でさえ、核兵器禁止条約には不参加です(アメリカの傘下にあるから)。矛盾だらけだからこそ、広島・長崎は世界の先頭をきって、核兵器被害のストーリーを語り続け、核兵器禁止を叫び続けてほしいと思います。私も叫びます。
人々の意識は変わります。社会も変われます。体罰が当たり前だった時代から、体罰は間違っている、という認識を持てるようになった、タバコもどこでもパカパカ吸っていた時代から、吸っている方が肩身の狭い思いをする時代になった、核兵器も廃絶できると思います。
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中国人は三国志を読まない?[その意外な実態を暴く!]
中国人は三国志を読まない?[その意外な実態を暴く!] #三国志 #はじめての三国志
三国志といえば、日本人にとってもたいへん馴染みの深いもの。ましてやご本家の中国では小さな子供でも当たり前に三国志演義ぐらい読んでいるに違いない。そう思いますよね!?ところがどっこい。意外や意外。中国のかたとお話ししていると、「へえ~、あなた三国志演義なんか読んでるの? すごいわねえ」と感心されることがよくあります。なんでやねん!? 三国志を知らないわけではないけれど 中国のかたが親しんできた三国志は「連環画(れんかんが)」というものなんですね。紙芝居の絵のような挿絵が1ページに二枚ぐらいずつ描いてあり、絵の下に「張飛(ちょうひ)がわーっと一声、たちまち敵将が馬から転げ落ちる」みたいな簡単な説明が二行ほど書いてある冊子です。小さい頃から何気なくそういうものをパラパラと見て、三国志ってだいたいこういうお話、と思いながら成長して、でも三国志ってちゃんと読んだことないな、…
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2歳児付き添い入院記
子どもが複数回入院するにあたり、参考になるような情報を探したもののあまり見つからなかったので、後々の人々のために我々の経験を書き記しておきます。
特に点滴について。自分が子の入院の説明を受けたとき、「一歳や二歳の子が点滴&入院ってどうやるんだ?引っこ抜くのでは?」と調べたけどあまり情報がなく不安だったことから、一例として我が子の点滴と入院の様子を書いておきます。
参考になれば幸い。
最初の説明だ!
・こどもはいま2歳!
・いままで複数回入院し、すべて私(母親)が付き添いをしたよ!いまは寛解し今後の入院予定はなし。
・小児科病棟に入院したよ!
・病状の説明などは書かないよ!
★入院までの流れ
・その1 女性しか付き添いできない病院もある
・その2 入院までの体調管理は親も子も万全に(日程変更は大変!特に夏!)
・その3 トイレトレーニングはこのさい諦めよう!
・その1 女性しか付き添いできない病院もある
入院の話が出たとき、最初は「まあ夫と分担して付き添いするか!」と思っていたがそんなことはできなかったのだった。
「小児科病棟には授乳する方もいることから、可能な限り付き添いは女性にしてほしい」とのこと(※今回我々が入院した病院ではこう言われた。他の病院ではわからん。かなり大きい病院だったので病院の規模にもよるのかもしれない)。
私としても、授乳があるような小さい子やその親御さんに無用なストレスはかけたくなかったので、この時点で私がすべて入院の付き添いをすることが確定。
・その2 入院までの体調管理は親も子も万全に(日程変更は大変!特に夏!)
そして仕事の段取りをつけてさあ入院だ!となるも、入院直前で子が体調を崩したこともあった・・・この入院の日程変更がとてもとても大変だった・・・
というのは、小児科で入院する子は小学生以上の年齢が多く、そうすると必然的に長期休暇に入院が集中する。つまり夏休みは小児科入院の需要が増える!サマーシーズン到来!(ジョジョ四部)
夏休み直前に入院日程を再調整しようとしてもベッドが空いておらず、結局半年延びたこともあった。
体調管理は親も子も万全に!とはいっても健康を望んでもかなわないからそもそも入院するようなことになるわけですが!体調を完全にコントロールできるものならしているよね!まぁできる範囲で気をつけよう。そして具合が悪くなってもやむなしと捉えよう。時の運である。
・その3 トイレトレーニングはこのさい諦めよう!
我が子の場合はトイレトレーニングを完全に諦めて「入院が終わったらやろ」と思っていたが、結論から言うとこれは正解だったなと思う。トイレトレーニングは失敗しつつ少しずつできるようになるものだけど、入院中はベッドの清掃も洗濯も十分にできない=失敗できない環境になる。だからもし何かあると親の方が動揺してしまうので、可能であればおむつのほうが断然ラク。(我々の入院した病棟は)小児科なのにトイレに補助便座等がなかったし。本人もいつもと違う状況で緊張するだろうし、できることならトイレトレーニングは入院後にした方がよいと思われます。
★入院受付から入院するまで
さて入院じゃ!という当日。最初に受付をしてまず小児科へ。大人と違ったところはココですね!いきなり病棟に入院ではなくまず小児科にかかって処置を受けるのだ(ちなみにこの小児科の待合でそこそこ待つこともあるので時間つぶし用の絵本とか持っていくとよい)。
さてなぜ小児科に来るのか?というと、採血と・・・点滴のためですね!!(ババーン)
名前を呼ばれて看護師さんが五人ほど控える場所に案内され、なぜかタブレットを見せられ「アンパンマン見られるよ」「パウパトロールがいいかな?」などと歓待される我が子。その間に子はサササとベッドに横たえられ、私はスッと部屋から出て待合で待っているように指示される。子どもが点滴されるときは親は出て行くことになっているらしい。これは、あとから知り合いの医療従事者に聞いたところによると、「子どもにとってものすごくつらい経験をしたとき、「親がいたのになにもしてくれなかった」という思いをさせないようにするため」らしい。そう・・・採血も点滴も子どもはとても頑張らなくてはいけないのだ・・・
待合室で待っているあいだ聞こえる我が子の絶叫。十分ほど経つと、看護師さんに抱っこされ暴れて泣きわめく我が子が現れます。看護師さんは汗だく。どうもありがとうございます。全力で暴れる子どもを取り押さえて採血と点滴って大変だろう・・・。
余談だが、私は処置を終えた子どもをすぐに迎えられるようにいつも待合室内の一番近くの席で待っていた。子どもが泣きわめきながら出てきても私をすぐに見つけられれば少しは気持ちが変わるかと思って。
さて実際に点滴ってどうやるの?というのは写真を見るとわかりやすいかと思う。

こんなかんじ。ギプスみたいにぐるぐるまきにして、必要なときはこれに管をつなぐ。
我々の場合はつないでいないときもあったため、そういうときは自由に歩き回れる。ただし片手は常に使えなくなるので、靴を脱いだりご飯を食べたり日常動作は介助が必要。いつもは「自分でやろうね」と言っていることも、入院中は一切言わず全部やってあげた。本人も手が不自由な状況でストレスがたまるだろうしな・・・と思って。
入院の回数を重ねると、このコマツの公式ライセンス商品のTシャツ

を着たり、ショベルカーのおもちゃを持って行ったりして「おててショベルカーみたいだ−!!」とぐるぐるまきの手を褒めると本人も(にや・・・)と笑って「ざ��くんち ざっくんち ざー」とショベルカーごっこをして遊んでいたので什器になぞらえて褒めたりすると子どもの気持ちも晴れるかもしれない。
★入院中のようす
最初に買って(持参して)よかったものを書いておく。
・乗れるキャリーケース
・大量の絵本
・満額までチャージした交通系IC(パスモとか)
・サンダル(大人用)
・ペットボトルにつけてつかうストロー
※入院中の過ごし方は病気や症状によってもいろいろと違う(たとえばおやつ持ち込みできる子もいるだろうし食事制限ある子もいるだろうし)だろうから、まあ普遍的だろうなという点を書く。
・乗れるキャリーケース

https://item.rakuten.co.jp/premium-interior/lffkidscarry-m-c/
こういうの。デザインや機能がいろいろあるので探して合うものを買うとよい。入院は荷物が増えるためキャリーケースだと便利だし、なによりこれは子どもが楽しんで乗ってくれる。入院の受付や小児科でも「いいものに乗ってるね」「これはすごい」「入院に最適」と他の患者さんやスタッフの方からも声をかけられ、本人も上機嫌だった。夜中に「おうちにかえりたい」とさめざめと泣いても「よし・・・(スッとキャリーケースを出す)夜のドライブとしゃれ込むかア!」とこれに乗せて静かに院内の廊下を歩くとニコニコ機嫌がよくなった。ありがとう本当にありがとう。私は感謝のあまりメーカーの人にもメールを送りました。
・大量の絵本
大量の絵本は、子がもともと本好きなのと、院内で過ごすときタブレットやスマホを見続けるのが嫌だったので持参したもの。(動画は病室で音出せないし2歳はイヤホンできないし聴力や寝付きに影響あるかなと思って・・・)入院中はほとんど絵本と紙芝居とキャリーケースに乗って散歩で過ごしていた。朝起きてデイルームに行って絵本を読んで、ごはん食べて散歩して、絵本読んで、ごはん食べて、昼寝して、起きたらおやつ食べて散歩して絵本読んで・・・という感じ。
・満額までチャージした交通系IC
売店や自販機で使った。これがあれば小銭はいらなくて便利だな〜と思いつつ利用。
・サンダル(大人用)
サンダルは絶対に持って行った方がよいアイテム。これは大人の入院でもそうだと思うけど一応書いておく・・・なぜなら私は初回の入院のとき子どものものにばかり気を取られて自分のサンダルを忘れてしまったので・・・
・ペットボトルにつけてつかうストロー

https://shop.akachan.jp/shop/g/g220890800/
こういうやつ。いろいろあるのでこれも調べて合うものを選ぶとよい。いわゆるマグマグは洗う場所や乾かす場所がないので、ペットボトルの水を買ってこれをつけて子どもに与えていた。ペットボトルの水は多めに買っておいて、このストローを付け替えて予備の水をすぐ与えられるようにしておくと便利だった。
★入院中おもしろかったこと
・自宅のごはんの時間よりも病院のごはんの時間が遅いので、おなかがすきがちだった。おなかがすくと、スタッフステーションをのぞいて「おーい ごはん おいでー」「ごはん〜ココで待ってるよ〜」というのがちょっとおもしろかった。
・子供用の狭いベッドで一緒に寝るため、必然的に体を折り曲げて眠ることになり、そのたび(屈葬・・・)と思っていた。屈葬は古代の墓に見られる、体を折りまげて埋葬する形式のことです。わたしはいま古墳の中!
・ベッドはすべての面に柵がついていて子どもが落ちないようになっているため、そこに毛布を掛けて「テントごっこだ〜」と遊ぶのが楽しかった。林明子さんの「はじめてのキャンプ」という絵本を読んでいたので、子どもはそれになぞらえて遊んでいた。
★きつかったこと
一応書いとこ!これから付き添いする人の心の準備のために!
我が子が苦しんだり「帰りたい」と泣いたりするのも当然つらいんだが、他の子の様子や他の親の様子を見ているのが私は一番つらかった。千羽鶴が飾られてる個室の子どもや、重度心身障害の子どもが叫んでいるのや、全身がかゆいと訴えて「気が狂っちゃうよーーー!!」と絶叫している子どもの声を聞きながらずっと過ごすのは、自分にできることがないだけにかなりつらい。付き添いがなく一人で入院している子どもも多く、時間制限で交代制のプレイルームに入ったとき、お絵かきボードに残されていた「ままだいすき」という文字を見たとき胸が締め付けられた。私たちの前にその部屋で遊んでいたのは一人で入院している低学年の子どもだったので。
同室の親御さんが子どもを怒鳴ったり叩いたりするタイプだったこともあった。ある一歳過ぎ位の子が夜になってもなかなか寝ないので「うるさいよ!静かにして!」と親に怒鳴られて叩かれていたんだが、その子は「いやだー!いやだー!」ってずっと言っていた。私は「イヤイヤ期」って言葉が非常に非常に大嫌いなんだが、それはこうやって一生懸命「やめて!」って伝えていることも「イヤイヤ期だから」って表現でまとめられてしまうからです。
子どもは幸せで健康であって欲しいよな・・・スタッフの方々は子どものために素晴らしい仕事をしてくださっていた。書き尽くせないほど感謝がある。いまなお進んでいる戦争の場でも苦しんでる子どもとか助けようとする人々がいるのだろうな、と思って私は退院後に「国境なき医師団」に追加で寄付をした。
病棟でいろいろ見聞きするのはかなりつらいと思うけど、実際にできることはないので、もし入院中のすごくつらい気持ちの昇華が必要であれば私は寄付をおすすめします。
最後に
我が子のケースはどんどん入院に慣れて、最終的には「準備ばんたん少年団!」と言いながら入院セットを持って家を出るくらいになった。子どもも子どもなりに適応する。人間がそんなに脆弱な生き物だったらこんなに地球の人口は増えていないはずなので、たぶんわりと強靱なはずだ!と信じて過ごしていた。
なかなか寝ない子どもに「うるさいよ!」っていってた人も、騒いでいて同室の人の迷惑になるからそういうことをしたのかなと思うけど、子どもの入院に関していえば「自分の子どもが迷惑をかけないこと」より「他の子どもに迷惑をかけられても気にしないこと」のほうが精神衛生上とてもよいのではないか。わりとてきとーでもなんとかなります。
最後に我が子の寛解祝いのケーキの写真を貼っときます。全部の子どもが健康で元気に生きられるといいね。

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『湖の女たち』 完成報告会に福士蒼汰さん、松本まりかさん、大森立嗣監督が初登壇!
4月16日(火)、都内にて「湖の女たち」完成報告会が開催されました。

本作が映画化された経緯について質問された大森監督は、原作小説出版時に書評を書いてほしい、という編集者からのオファーがきっかけだったと振り返る。「本を読んで驚きました。衝撃的だし、考えさせられましたし。僕はいつも頭の片隅には映画化というのが浮かんでいるんですけど、これは難しそうだなと……。最初は書評を書かせていただいたんですが、そしたらお礼の手紙をいただいて。編集者さんから「吉田さんが『大森監督が映画をつくってくれたらな』とつぶやいておりました」と伝えていただいて。それはとても光栄だったので、踏み切りました」。
一方、介護士の豊田佳代(松本)への歪んだ感情に支配される若手刑事・濱中圭介を演じた福士は、吉田修一原作、大森立嗣監督というタッグに魅せられ、やりがいを感じたという。これまでの“好青年”という福士のイメージとはまるでかけ離れた役ということで「この役を引き受けるというのは大きな決断だったのでは?」という質問に、「そう思われるんですけど、意外とふたつ返事くらいで『やりたい!』という感じだったんです。確かにセクシャルなシーンや、ハードなシーンもあるんですけど、そこに関しては演じるのに難しさはないかなと思っていました。むしろこの作品が包み込んでいる大きなものを、どう言葉で表していくのか分からなくて。だからこの役を演じることに関しては楽しみでした」と振り返った。

そして圭介と抗えない力で関係性をもつ介護士・豊田佳代を演じた松本は「わたしも佳代を頭で理解することをやめました。ただ彼女が置かれている環境、状況、体感というのは体現できるかなと思って。たとえば、琵琶湖の近くの介護施設で介護をし続けてきた人であり、まわりに圭介のような刺激的な人がいたわけでもないですし、そういうある種の孤独感というか、静かな生活に自分の身を置くという。そういう極限状態に陥った身体感覚みたいなものは自分に近づけることはできるのかなと思ってそういう状態でいました。監督もおそらく感覚的な部分で理解してほしい、ということをおっしゃっていたのかなと。」と本作に取り組む難しさを語った。

大森監督がふたりの役者に期待したこととは何だったのだろうか? 「福士くんとは初対面だったんですけど、波長が合うような感覚があって。会った瞬間から信じてくれている感じだったので、俺も信じようというところからはじまりました。だから現場中も齟齬(そご)はなかったし、何かを信じ切ろうという覚悟がありました。そして松本さんは20年くらい前から知っていたので、今回、主演と監督という立場で一緒に映画をつくれることがものすごくしあわせでした」。
そんな大森監督との出会いを福士は「俳優としてのターニングポイントになった」と語る。「今回の撮影では、3日目あたりまで、すべての芝居にNGを出された気がするんです。最初に着替えているシーンがあったんですけど、『(芝居に)声はいらないから』と言われて。どうやらそこで、意図せず“着替えている”という(芝居の)声を出していたようなんです。俳優として状況を説明してしまうことがあって、すべての行動に音をつけるというのは得意なんです。だけど、自然でリアリティーを求める作品では、それは必要ないんだなと気付いて。でもそれが慣れているからできないから、もう一回と言われ続けて。それはものすごくヒリヒリするんですけど、これがリアリティーあふれるヒューマンドラマを撮るうえでの役者の心構えなんだなというのを学びました」。
その言葉を聞いた大森監督は「撮影も最初の方はいきなり大変なところから入ったんです。目線の位置とかも細かく指示したりして。僕の本意としてはもっと自由にさせたいと思っているんですけど、目線の位置とか細かいところから始まって。僕としては、(優しい口調で)「いい?」「ごめんね?」とか言いながらお願いしたんですけどね」(笑)と笑ってみせると、福士も「こわかったですよ」と冗談めかして付け加えた。
そしてその意見に「わたしも(監督を)恐ろしい人だなと思っていました」と続けた松本は、「監督は全肯定の人なんで。ここまで俳優を信じ切るのかというくらい俳優を信じる。『まりかがそう思うならそれでいいよ』と。その覚悟ってすざましいなと思うんです。もこちらとしては迷ってるから聞きたいんですけど、明確に答えてくれないんです。表面的なことではなく、ちゃんとこの映像の中で本当に生きろよと言われる恐ろしさ。そういう意味で俳優を信じてくれる安心感と愛、そして責任もあって。自分が自分でなくてはならない、本当の意味で演じなければならないという意味で、恐ろしい監督だなと思いました」と付け加えた。

そして今回、初共演となる福士について「福士さんってさわやかな好青年のイメージを持っていたので、圭介を福士さんがやるなんて想像もつかなかった」と語る松本。「でも初日に会ったときにビックリするくらい恐ろしくて。こんな福士さんを見たことがないというくらいすばらしかったんですよ。怖かったですし、変な色気もあるし。でもそれが良かったんです。この圭介だったら、考える必要はないなと思って。だとすると(圭介)以外の彼を知りたくない、この人の笑顔とかやさしさは見たくないとわたし自身も思って。だからわたしも福士さんからはすごく距離をとって。目も合わせないぐらいでいました」という。
それは福士も同じ思いで役づくりをしていたそうで、「本来、僕はにこやかな人間で。自分から積極的に話しかける方ではあるんです。でも今回は話さなかったんで。どう思われているのかな……」と語る福士の言葉にかぶせるように、「嫌いでした!」とたたみかけた松本の言葉に会場は大笑い。「撮影の時は本当に福士くんと合わないなと思っていました。そしてそのままお別れして。そこから1年半、会うこともなく今に至るわけですが。この間、この映画の取材会で久々に役から抜けてお会いすることになって。マネジャーに『わたしたちは合わないから、あまり話せないと思うよ。大丈夫かな』と言っていたくらいだったんですけど……」という松本の言葉に、心配そうな表情で「どうだったんですか……本当の僕は?」と尋ねた福士。
するとニッコリ笑顔となった松本が「どっちが本当の素顔か分からないですが、役が抜けた福士蒼汰さんは、めちゃくちゃ好感度が高くて。こんなしゃべりやすいのかと。いいじゃん、福士蒼汰!って、すごく好きになりました」と明かして会場は大笑い。

そして最後のコメントを求められた松本は「なかなかここまでのことを描く挑戦的な作品って、今の日本ではなかなかないんじゃないかと思います。わたし自身も“ここまで”とか“こんな風に”とか、そういった言葉でしか表現ができてないんですけど、言葉のプロである皆さんに、この作品をいろんな表現で、日本の皆さん、世界の皆さんに伝えてほしいなと楽しみにしていますし、観てくださる皆さんがどんなことを感じるのか、わたしも楽しみにしています。ぜひ映画館に観に来てください」とメッセージ。
最後に福士も「この物語はそれぞれが思い浮かんだ絵とか、言葉がメッセージなのかなと思っています。人それぞれで違うものを感じるでしょうし、その違うものをシェアして、みんなで話し合ってもらうとこの作品が深くなっていくのかなと思います」と呼びかけた。

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フームその3
21話 ・「(弟に絵本を読み聞かせて)そして皆は、王女様の結婚をお祝いしました。それから2人は幸せに暮らしたということです。どう、面白かった?」 ・「まぁね、童話ってのはこんなものよ。」 ・「ローナ王女?」 ・「(弟に自身は可愛くないと遠回しに言われて)何言いたいの?あらそう、私も男は皆ブンみたいかと思ってた。それに比べて、ヴィーはカッコいいわ…。やだ…(ヴィー本人に)聞こえちゃったかな…(この頃は近衛兵ヴィーを男性だと思っている)。」 ・「(ヴィーにご令嬢だと呼ばれて)あら~ご令嬢だなんて(照れる)。」 ・「(ヴィーにカービィをペットだと言われて)ペットじゃないわ、カービィという戦士です。」 ・「あぁ!(回転扉の)その像に触っちゃダメ!」 ・「ご、ごめんなさい!(ヴィーと重なったため顔を赤らめる)」 ・「もう城の外よ、デデデの趣味でこの城にはいろいろな仕掛けがあるの。」 ・「あたしも一緒に行く。あなたのことが心配だから…。」 ・「みなさーん!王女様の近衛兵ヴィーよ、歓迎してあげてー!」 ・「(王女ではなく近衛兵でガッカリする村人たちに対して)何よー、皆どうしたの?(王女の近衛兵も)大切なお客様じゃないのぉ。」 ・「(わたがしを「美味じゃー」というヴィーに対して)ぷっ、何その言葉、美味いでいいのにー。」 ・「王女様と一緒だと、いつも贅沢なごちそうを食べられるんでしょうねぇ~。」 ・「でもあなたには、王女様を守る仕事があるんでしょ?」 ・「あらブン、王女様のエスコートは飽きたの?」 ・「(ヴィーのブローチを見て)王家の紋章…。ローナ王女様は貴女だったのね。」 ・「じゃあお城にいる王女様は?」 ・「確かに…(近衛兵の)その服なら自由にやれるわね。」 ・「(ローナ王女に対して)謝ることなんかない。さ、帽子を被って。そうすればずっとヴィーのまま。」 ・「あなたは王女ローナなのよ。」 ・「(デデデに卑怯だと言われて)アンタに言われたくないわ。」 ・「(スッシーの)攻撃方法は単純な魔獣ね。」 ・「ローナ…いえ、ヴィー。あなたが願っていた自由な暮らし。そして、自分に正直に生きる事の大切さ…。まだちゃんと理解してないかもしれないけど、私は素敵な王女ローナの休日を忘れはしない…。」
22話 ・「離れ小島って訳ね…とにかくボートを探しましょ!」 ・「(弱音を吐くブンに対して)分かってる!考えてんだから黙ってて!」 ・「今やらなきゃならないことが、決まったわね(空腹で腹が鳴る)。」 ・「こんなとこに人がいるわけないでしょ!」 ・「(銀河戦士団が敗戦したことを知らないダコーニョに対して)ダコーニョさん、戦争は終わったわ…。」 ・「本当なの!ナイトメアには勝てなかった。何故って、銀河戦士団は敗れたから。」 ・「カービィ、あのダコーニョって人どうだった?」 ・「でもあの人、本気で戦争が続いてるって信じてるみたいよ。」 ・「なんでこんな目に遭わなきゃいけないの!(腕立て伏せをさせられる)」 ・「私たちの村は本当に平和よ。ダコーニョさんはいつからこの島に(住んでるの)?」 ・「でも、その間に戦争は終わったのよ。」 ・「メタナイト卿は今、私たちの村に住んでいるわ。」 ・「ねぇ、私たちと一緒にププビレッジに行かない?平和な世界を見て欲しいの。」 ・「船!もしかして…(デデデだと予想し、的中する)。」 ・「あの竜巻、アンタ(デデデ)の仕業だったのね。」 ・「ダコーニョさん、これでも私たちがスパイだと思う?」 ・「カービィは、メタナイト卿が認めた新世代の星の戦士よ。」
23話 ・「ちょっと、あれどういうこと?(トッコリに対して)長くてもいい、話しなさい!」 ・「(デデデに対して)環境破壊の王者のクセして!」 ・「うるさいわね!ヒナなら安全よ!」 ・「あなたに任せるより確かよ。」 ・「さぁダイナベイビー、ママのいるおうちに帰りましょう(「卵を産む」ほかに、ダイナブレイドがメスであることが分かるセリフ)。」 ・「ワープスターで助けるしかないわね。トッコリ、(川で流される)ヒナを追って!来て、ワープスター!」 ・「カービィのおかげで、またベイビーは命拾いしたってワケねぇ。」
24話 ・「(忍者の巻物の文字は)古代プププ文字とは違うわね。」 ・「バッカみたい、デデデまで忍者ごっこ?どこまで本気なの?」 ・「ええ、もしかしたらそれが本物の忍者かと思ったけど。」 ・「(銀河戦士団の忍者部隊は)戦いには生き残ったんでしょ?」 ・「そいつが巻物を奪いに来たとしたら…。」 ・「でも、ここに来るまで私は(忍者を)見かけなかったけど?」 ・「(ベニカゲの持つ)あの手裏剣は本物よ、ブン。」 ・「(ベニカゲに対して)アンタ手裏剣投げるの苦手みたいね。」 ・「(ベニカゲの成績表が)巻物じゃないの?(盗まれた成績表が)このプププランドまで流されて、キュリオさんの手に入ったってワケ。」 ・「(ヤミカゲを見て)なんかあの忍者ヤバそう…。」 ・「こうなったら、(ヤミカゲを)カービィに倒してもらうしかないわね。」 ・「(デデデから)あの成績表取り返さなくていいの~?」
25話 ・「聞いた?(エスカルゴンに)愛の手紙だって…。」 ・「嘘をつくからバチが当たったのよ(厳密には「エスカルゴンが大王になった」という嘘をついたところで、「デデデが怒ってしまう」という事実は分かり切っているため、偶発的にひどい目に遭うことを意味する「バチが当たる」とは違うが)。」 ・「パパ~安請け合い(後を考えずに簡単に頼みを聞くこと)しないで。」 ・「みんなー!もうすぐ(エスカルゴンの)お母さんが来るわ!みんな急いで準備して!」 ・「(エスカルゴンの芝居が)バレるのは時間の問題ね…。」 ・「(エスカルゴンの)お母さんが悲しむ顔は、見たくないわぁ。」 ・「(エスカルゴンの)お母様、あいつ(デデデ)大王の真似をしているの(自称「大王」だし、一応間違っていないが)。」 ・「バカなことを言って皆を笑わせる「デデデ」っていう笑わせ係なの。」 ・「笑わせ係、紹介してやる。こちらはエスカルゴンのおっかさんであーる(デデデにエスカルゴンの母を紹介する)。」 ・「えぇ、お母様もそう信じてる。彼女を悲しませたくなかったら、1日くらい大王を譲ってやったら~?」 ・「えぇ、でもやな感じね。デデデが素直に…(お前がやれって言ったんだろ)。」 ・「分かった!デデデはエスカルゴンを困らせて、恥をかかせようとしているのよ!」 ・「カービィ、吸いこみよ!」 ・「ドリフターの能力をコピーしたわ。」 ・「どうしようもないわ、お母さんが帰った途端あれじゃ、カービィ!」
26話 ・「(ソドブレに「メタナイト卿はどこだ」と聞かれて)いいえ、それよりこの騒ぎは何なの?」 ・「カービィ、(煙を)吐き出して!」 ・「まったくー、あなたたちは命知らずね。」 ・「そう?じゃあ彼のさっきの命令(「何があってもカービィを守れ」という命令)は何故聞けないの?」 ・「いいのよ。でも、あなたたちのご立派な忠誠心には呆れるわ。」 ・「来て、ワープスター!」
27話 ・「ウィスピーの居場所はあなた(カービィ)しか知らないんだからー、ちゃんと案内して。」 ・「久しぶりね、ウィスピー。」 ・「でしょうね。こ��らは、あなたのような大きな木ばかりで、陽だまりができないから(森に花が咲くのは珍しいわね)。」 ・「この花のお名前は?名前があれば、もっと好きになれるじゃない。フラワーじゃそのまんまだし…『ラブリー』はどう?」 ・「良いと思う!ラブリーにけってーい!」 ・「ウィスピーったら、きっとラブリーに恋をしてるんだなぁ。植物だって知性があるのよ。ウィスピーくらいの歳になると、植物でも言葉を話すようになる。恋ぐらいしてもおかしくないでしょ?(ウィスピーの樹齢は不明)」 ・「花の命は短いの。ラブリーが綺麗に咲いていられるようにしてやりましょ。」 ・「カービィ!(煙幕を)吸いこんで!」 ・「ゴルフ場の設計図よ…。」 ・「ウィスピー聞いて!ラブリーはデデデの仕業で魔獣になったかもしれないの!」 ・「ウィスピー!あなたは騙されてるのよ!」 ・「ウィスピー、私たちを離して!お願い目を覚まして!このままだとあなたは枯れてしまう!あなたが枯れたらこの森まで滅びてしまう!」 ・「(このスパイホッパーの残骸を)見て!ラブリーは魔獣にされたのよ!」 ・「(ウィスピーの前に咲いた普通の花を見て)ラブリーは魔獣にされたけど、今は仲間がこんなに!」
28話 ・「キュリオさん、考古学の研究はいかが?たまには、お仕事を忘れて春を楽しんだら?」 ・「『デデデ・ファクトリー建設予定地』って書いてあるわよ。」 ・「(ファクトリーを娯楽施設だと勘違いするカワサキに対して)いいえ、モノを作る工場のことよ。」 ・「(工場のユニフォームのデザインに対して)なんか…囚人服みたい。」 ・「みんな辞めなさい!帰るのよ!子供を働かせて良いの?(※彼らは自主的にやりたがっています)」
・「ブン、カービィもよ、お昼よ。ちょっとアンタ顔つきが変よ?モノに憑りつかれたみたいに無表情になってる。(髪で隠れて元から顔なんか見えないだろ…)」 ・「ひどい!休みもないの?」 ・「(カービィを助けたいから)機会を止めて!カービィが死んじゃうわ…。」 ・「この仕掛けはカービィをやっつけるためだったのね…(※違います)。」 ・「カービィ…無事だったのね。」 ・「(エスカルゴンに「工場から出ていけ」と言われて)こっちから出ていくわよ。皆(村人たち)も一緒に出ましょ。働いてもロクなことはないわ。」 ・「どうしようもないわ…あなた(カービィ)が助かっただけでも喜ぶべきね…。帰りましょ…。」 ・「皆…朝から夕方まで12時間も働いて、それが嬉しいの?(初日から12時間は流石にヤバい)」 ・「パパがこの国の大臣なら、あのファクトリーを止めさせて!(仮に大臣のパームが工場に反対意見を持ってても、大王兼工場主のデデデらの方が権力が強いし無理だと思う)楽しむ?働かせてるだけよ!」 ・「このファクトリーの目的は不明です!ハッキリするまで、みんな働くのはやめましょう!(村人にトマトをぶつけられる)」 ・「キュリオさん…あなただけは味方になってくれるのね。」 ・「あ…二酸化イオンや窒素酸化物がすごい量…大変だわ!(こいつ本当に子供なの?)」 ・「(酸性雨で枯れた木々を見て)春が訪れても生き物たちがいない…沈黙の春だわ…もう村はおしまいよ…(『沈黙の春』の元ネタは生物学者「レイチェル・カーソン」の書物)。」 ・「酸性雨…。(メタナイトは)知ってたの?だったら何で止めないの!」 ・「だってー私も(工場で作られた)便利グッズがチョー欲しいんだもーん!(※演技です)」 ・「(ブンに対して小声で)ねぇ…今作っている部品…変だと思わない?洗濯機やトースターにこんな大きな部品使う?ねぇ…この部品が何に使われているか、見たくない?(言い方が少しエロい)きっとすごい機械よ!」 ・「便利グッズを作ると見せかけて、ここはロボット組み立て工場だったのよ。」 ・「カービィ…アイツ(アイスドラゴン・ロボ)を冷やそうとしても無駄よ。ここのスチームエンジンを壊して!」 ・「何でも良いわ。少なくともカービィは(私が村を救ったことは)分かってくれてるもの(一番分かってなさそう)。」
29話 ・「イジメね、わざわざここに立てるなんて(飲食店が1つしかないププビレッジのような田舎ならともかく、飲食店が密集するケースはよくあるので「イジメ」は大げさであるが)。」 ・「パパもママも騙されやすいんだからぁ~。」 ・「カワサキ~。ムッシュ・ゴーンの料理がアナタのより美味しいのは確かよ。でも~なんか気に食わないのよね。」 ・「だったら対抗策を考えれば?なんかあるでしょ?安くするとか、おまけをつけるとか。」 ・「(カワサキに対して)怠けたツケがどっと回ってきたのね…。」 ・「(店をたたもうとするカワサキに対して)それじゃ敵の思うツボよ!どうして味で勝負しないの~。カワサキの味が好きな人だっているかもしれないじゃない。」 ・「はい、お待ちどうさま。(激辛ラーメンを食べる)覚悟はいい?」 ・「今度はシャーベットだって!こっちもなんか考えないと!激辛ブームはもう終わるわ!目を覚まして!」 ・「何これ!(シャーベットが)カービィそっくりじゃない!そうだねって、ちょっとブン!」 ・「ちょちょっと!皆よく見て!シャーベットじゃない!これはカービィよ!」 ・「なんで変身したのに勝てないのよ~。(メタナイトに対して)もう無責任なんだから~(メタナイトの責任じゃないだろ…)。」 ・「(デデデに対して)よく言うわ!カービィを皆に食べさせようとしたクセに!」
30話 ・「うすら寒くなってきたわねぇ…カービィ!今日は冷えそうだから、気をつけてー!あぁ…。」 ・「もう…ちょっとカービィ!またそんなとこで寝てー!」 ・「カービィ!そんなとこで寝ちゃダメ!」 ・「もうカービィったら…。鳥の巣で寝ちゃって、本当に鳥になっても知りませんからね!(この発言が後の騒動の伏線となる)」 ・「(カワサキが卵料理の話に論点を変えたため)あの…そんなことじゃなくて…。」 ・「(ヤブイに対して)あのね、カービィを診察してどうするの?」 ・「じゃあ私のせい?バカ言わないで(他人に責任を押しつけることが多いフームにしては珍しく、冗談交じりだが責任を押しつけられている)。」 ・「皆はタマゴを見てて!こうなりゃ徹底的に調べてやるわ。」 ・「あ、あった!カッコウなど、鳥の仲間には托卵(たくらん)といって、他の鳥の巣に自分のタマゴを産み落とし、ヒナを育てさせる。ふーん…托卵ねぇ…。」 ・「あんたたち!(デデエス)カービィの寝床にこっそりタマゴを置いてない?」 ・「あれほど言ったのにダメねぇ…。ずっと(カービィの)姿が見えないのよ、少しは心配したら?(雨降って来たんだししょうがないでしょ…)」 ・「どうなるか様子を見ましょ…。タマゴが孵れば分かるわ。」 ・「タマゴが孵るわ!」 ・「(生まれたガルボを見て)当たり前でしょ、カービィの子じゃないんだから…。見たことない生き物だけど…。」 ・「生まれて初めて見たカービィを、親だと思ってるのかしら…。」 ・「カービィに任せとけば大丈夫みたいね…。」 ・「オバケって…何があったの?」 ・「あなたが一生懸命育てた子だから、守りたい気持ちは分かるわ。でも…。」 ・「(カービィに対して)どんな子にもしつけは必要よ。悪いことをしたら叱ってやらないと。」 ・「どうしたの…(親ガルボに)殺されちゃうわ。(カービィが戦わないと)でないと、あなたが死んじゃう!」 ・「来て、ワープスター。」 ・「(ミニガルボは)カービィが、初めて自分で育てたペットですものね…(ロボット犬涙目である)。」
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興味深々,是非訪ねたい展覧会です(๑˃̵ᴗ˂̵)
古代ローマには昔からとても興味がありました。カエサルやアウグストゥス(オクタヴィアヌス)やマルクス・アントニウスといった人々の名前は早いうちから知っていたし,何か格好良いという憧れのようなものを感じていたものです。考えてみ���ば僕はキリスト教の幼稚園で学びイエス・キリストの生涯についての紙芝居などを先生から見せられていましたから,幼稚園時代から古代ローマにはご縁があったともいえるわけです。 大人になってからもそういった古代ローマへの関心は衰えることはありませんでした。幾つかの新書も読みましたが,僕が読んだ古代ローマに関する書籍といえば何と言っても塩野七生氏の名著「ローマ人の物語」です。専門家からは史実との相違点を幾つか指摘されることもあり,また僕のような素人でも新書や大学の講義で習った事柄との違いに「ん(・・?)」と感じさせられる点はあるにせよ,古代ローマの歴史や当時の社会情勢についての概要を知るという意味においても,また何よりも知的な喜びを感じさせてくれるという意味においても,これ以上の本を僕は未だに知りません。仮に無理を承知で挙げるとすれば,同氏がヴェネツィアの歴史を追った「海の都の物語」がある程度でしょうか。ヤマザキマリ氏の人気漫画「テルマエ・ロマエ」を読むに際しても「ローマ人の物語」の知識が有るか無いかでその面白さは段違いでしょう。もし皆様の中で「何か面白い本を読みたいが,何が良いかな」とお探しの方がいらしたら,僕は何を擱いても「『ローマ人の物語』を読むと良いよ」とオススメしたい思いです。
そんな古代ローマに関する展覧会「永遠の都ローマ展」が,2023(令和5)年9月16日から12月10日まで,東京都美術館で開催されることを知りました。古代ローマといえば2022(令和4)年にも東京国立博物館で「特別展ポンペイ」が開催され,僕も勿論鑑賞にお邪魔致しましたが,2年続けて古代ローマに関する展覧会に触れられることになりそうです。但し「特別展ポンペイ」が博物館で開催されたのに対し,今回の「永遠の都ローマ展」が美術館で開催されるということによるのでしょうか,両者の方向性はやや異なっているようです。西暦79年のヴェスヴィウス火山噴火で埋もれた遺跡からの出土品を中心に展示された「特別展ポンペイ」に対し,今回の「永遠の都ローマ展」では当時の美術工芸品とともに「古代やそれ以降のローマを描いた作品・所縁のある作品」も多数展示されるのですね。前者に属する「カピトリーノの牝狼」といったローマ建国神話に取材した有名な作品の他,後者に属するものとしてドメニコ・ティントレットの「鞭打ち」やカラヴァッジョ派の無名画家による「メロンを持つ若者」などといった絵画作品も展示されると聞き,これは美術鑑賞と美術史の勉強とを兼ねた良い機会にもなりそうだと感じています。
夏の暑さも収まった頃,上野で心行くまで歴史や美術に浸れると聞き,今から胸の高鳴る思いを禁じ得ない思いです(ლ˘╰╯˘).。.:*♡
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卒業後-5
なにから書いてないか……なんか色々あった気がする……
とりあえず最新のだと���イマックスをようやく見ました。一応どういう話かざっくりは知ってましたが、想像以上ですね。めっちゃ面白かった。CGの質とかに関してはあんまり注目し損ねてたのであれですが、そもそもディズニーのCGって元から質が高いですからね。流石のディズニー。ベイマックスがとにかく可愛い。そしてそれ以外も全部いいですね、家族愛とか。あとは街の造形が面白い。海外に行った経験のある父曰くめっちゃサンフランシスコ、でもちゃんと東京感もすごい。見る角度によって形が変わる置き物みたい。そして間違った日本感が笑える。とりあえずベイマックス最高。
あとはそう、一番古いの。岡本太郎美術館行ってきたんですよ。そこで今やってる企画展が最高だった。元々はTARO賞見たいねって話を父親としながら行ったんですが、残念ながら終わってたんですよね。で、代わりに今やってる企画展見たんですよ。ポスター見た限りだとゴリゴリのファインアート系だと思ってたんですが、それどころじゃなかった。簡単に言えば「神を見た表現者たちの作品展」ですね。父親曰くめちゃくちゃ有名な人の書とかもあったんですよ。天皇派にめちゃくちゃ迫害されまくった、なんだっけ、旦那さんを亡くされた方がった気がする。そんな人の書とか他にも大量の神を見た人々の絵が大量に。過去に足利?美術館?でやってたスサノオ展ってところに出してた人もいっぱいいましたね。とにかくすごい。私の推しの中園孔二さんもいた。以前も多分見たことあるんですよ、中園孔二さんの絵。多分同じのはず……とにかくめちゃくちゃすごかった。作者のコメントの中には「これ以上いってはいけないと思うのにいかずにはいられない���みたいなのもあるのがますます楽しい。とにかく素晴らしかった。6月の25日までやってるそうですよ。おすすめ。
それと短そうな話題だと、GWに旅行でバーベキューもどきしたんですよ。俺にはGWなんて関係ないっていうのは置いておいて、正確に言えばとにかく焚き火。焚き火がメインで食事はその次ですね。そういうことしてた。親が最近友人と一緒にキャンプにハマってて…その道具を使ってみたいってことでめっちゃ焚き火しました。火が燃えてるところなんてまじまじと見たことありませんでしたが、見てると、芥川龍之介の『地獄変』を思い出しましたね。あと日本画の炎。あれも家族が燃えてるのを見ながら「これだ!!!これだ!!!!」って狂いながら絵を描きあげた画家の話でしょう?あれってマジなんだなぁって思ってました。あと燃えかすって結構しぶとくて、あれ、どっかの炭鉱か何かが燃えてあと数年は消えないみたいな話を思い出しましたね。これは危ない。火の後始末はきちんと丁寧にしましょう。
あとついでに近くの温泉のあるコテージに泊まってたんですが、その温泉でサウナチャレンジしたんですよ。最近流行りの整うってやつ。とりあえず10分サウナに入って約1分水風呂に浸かったんですよ。とりあえず水風呂が冷たく感じなくなる瞬間ってのは味わったんですが、その後の外気浴はよくわかんなかったんですよね…。気持ちよくなったかどうかわからず、とりあえずめっちゃ平熱になったことだけ理解しました。これはあと何周かしないといけないのかなぁ…。隣の多分小中学生がずっとぶつぶつ修行だ…的なこと言ってて懐かしくほっこりしましたね。俺もやったわ、そういう行動。
最後に、GWの旅行の暇つぶし用にゲーム買ったんですよ。ダンガンロンパシリーズ全部。あれってプレステ系のゲームだからずっとちゃんとやったことなかったんですよね。今回ちょうどセール中で先月入れてたやつで全部買えるっていうのとそれ以上の作品買うための金はその前のイベントに使い果たしてたのでね…久しぶりの即売会超楽しかった…。まぁ、それで今なおプレイ中なんですが、無印を。画質が10年くらいの重みを感じる。それでも独特な画なのでそこまで気にならずには遊べますね。システムも知ってましたが確かに斬新。全体的にやっぱりかっこいいですね。お洒落。ただアクションが苦手なので一番簡単なモードでやってるせいもあってかリズムゲー部分は多少の物足りなさを感じる。ま、ガチのリズムゲーではないので当たり前ですが。リズムゲーに慣れてると一度テンポを取ってしまえばあとは感覚でボタン押してるだけで全部終わる。それ以外のアクション部分は、私が死ぬほど苦手っていうのもあって一番簡単でもそこそこミスする。でもこれはアクション慣れしてる人がやったら楽しそうだなぁって思います。たぶん。シナリオに関しては、ネタバレを当時すでに見てしまってかつある程度は覚えていたのでね、新鮮さはないけど面白いですよ。このゲームの魅力の一つであるオシオキムービーなんかはちゃんと知ってても改めて見てもかなりいい雰囲気で最高。アニメーションですけど、多分CGソフトで作ってる感じですかね?紙芝居というか、あの紙と割り箸で人形を作った人形劇みたいな動き。あれって結構当時、今から10年前くらい?に流行ってましたよね?仏像人間もそうだし、闇芝居とかもあの形式のアニメーションでしたし。あの技法?手法?って確かにいいですよね。アニメーションのコストを多少軽くなる気もしますし、それでいてなんというか、リアリティというか舞台感が強まる。まだCGグラフィックが成長しきらずかと言ってセル画も古いあの中間頃の工夫の塊感を感じます。ネタバレになるので多分無料ではあんまり観れないんですけど、ダンガンロンパのオシオキは最高ですよ。死に方の素晴らしい残酷さも含めて。
とりあえず今後も全く未知なV3までやるのでダンガンロンパ楽しいって話はこれからも続きます。あとおまけは地獄楽のアニメ観てるんですが、先週かその前の回で私の推しが個人的に最高の死に方してテンション上がりましたね。昔のなんか漫画でもたまにありましたが植物に寄生されてっていうのすごくいいと思います。というか寄生されて意識を乗っ取られるの大好き、つまりロイコクロリディウムも大好きです、去年か一昨年寄生虫博物館で実物見て興奮してた話書いた気がする。おしまい。
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紙芝居と絵本の違い…
それは…
絵の裏に字があるか、絵の表に字があるか、
という根本的な違いがあります。😇
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2022.9.1-9.15

↑これはロンドンで現像した赤羽の写真。 以下ほぼ写真日記。備忘録。
2022.9.1

Darhamの宿を出発。朝のパブ。

スーツケースで朝ごはん。

なんかヨーグルトに入れるオーツみたいなのの中にスプーン雑に入ってた。日本だったら絶対にスプーンでもう1包装あると思う。私は雑に入ってるのが好き。

今度こそ窓側取れた。 雲が低くて空がものすごく青い。丘が綺麗。 だけどやっぱり後ろ向きに進む。 座席の方向転換が出来ない仕様なのであれば、日本ならきっと上りの方向が前になると思う。しかしこちらはいずれもロンドン方面(進行方向)が背面だった。不思議だけど、まあそういうもんか、と順応し始める。

途中で原子力発電所みたいなのが見えたけどどこかはわからなかった。 シンプソンズで見たことある形。

ロンドンついたけど人多いのとスーツケース重くて疲れすぎてスーパーの寿司の写真しかない。
ゲストハウスに宿泊。 同室に日本人の名前を見つけたけど帰ってくる前に寝落ちした。 英語版『日常』5巻を読み始めた。
2022.9.2
エジンバラで撮ったフィルムが終わったので写真屋さんで現像に出す。 Googleマップを見ると近くに大英博物館があるようだったので、散策しながら向かった。
日本で絶滅したAeroを途中で見つけたのだけど、散策してる最中に全部溶けた。


めちゃいいつま先

モアイの体 cute


日本ブース(?)に三島由紀夫いた。

広すぎてまたしても諦めた。 朝から来れる日にまた来ます。
スーパーで夜ご飯を買って帰る。 生ハムが食べたかったけど、どれが生で食べられるのかわからなくてやめた。前日に見た寿司を買ってみた。Mini Tokyo salmon Set

部屋に戻ろうと思ったらベッドに鍵置きっぱなしだった。 「鍵を部屋に忘れました」の英語を覚えた。
明日、ロンドンに住んでる大学院の頃の同期の卒業公演を見に行くことになった。
2022.9.3

本当に家にする才能がある。
同期の卒業公演のプレビューを見せてもらった。 観客と俳優が交流をするタイプの上演形態で、ああ日本でしばらく見てない光景だ、とおそらく私1人だけ違うベクトルで胸がいっぱいになっていた。 上演作品自体もすごくよかった。”私たちにしか出来ない演劇”というものに立ち会うために非常に有効な劇場と人数だったと思う。

入り口のセキュリティーにビビりながら入ったお店で食べたアーリオオーリオ。パスタの種類わからなすぎて普通の頼んだつもりがきしめんだった。これがロンドンの普通麺なのか? おいしかったけど脂っこすぎておしまいになった。

帰宅してから共同スペースで作業してたらパーティが始まって困惑した。 金曜日の夜。
完全に残り体力が減っている。
2022.9.4
パッキングがクソ大変だった。朝から汗だく。 もう既にキャリーに入りきらなかったんだけどまじでなんでなの?エジンバラでバグパイプ買ったから?
チェックアウトして TATE Britain に向かう。宿から徒歩圏内だということに前日に気がついた。

Cornelia Parkerの展示が良すぎて、朝のパッキングで既に溢れてたのに作品集を買ってしまった。





常設展示の方は一本道ではなく一部屋に4つ通路があって、ゼルダの伝説 時オカ版の迷いの森かと思った。サリアの歌が大きくなる通路がなかったので迷いました。

私が唯一自信を持ってできるモノマネ、ジャコメッティの彫刻があった。 めちゃいい。

ずっと実物を見たかった”Hope”。 想像以上に大きかった。 とてもいい場所に堂々と展示されていた。

描いた絵が展示になる部屋。迫り来る猫を描いた。

またマフィン食べた。
いよいよホームステイ先に移動。 緊張しながらバスに乗ろうとしたら、乗りたかったのがバス停に止まらない。イギリスでは手を上げないとバスは止まらないらしい。学んだ。 荷物も重すぎるしこれは楽しろということだな、と思い近くの駅からタクシーで向かう。
ホストファミリーがものすごく暖かく迎え入れてくれた。 大きい黒のラブラドールレトリバーもフガフガ私の匂いを嗅いでいた��� 人生で good boy をリアルに言う日が来るとは思わなかった。

私の部屋は屋根裏部屋だった。憧れの天窓!
夕ご飯をホストファミリーとルームメイトと一緒に食べる。 ルームメイトのNarrimanはブラジル出身で、私の一つ下だった。「明日一緒に学校に行くから安心してね」「困ったことあったらなんでも聞いてね」とにこにこ優しくしてくれた。ありがたすぎる。
まじで不安だ…と思いながらみりんの安否を確認して就寝。

2022.9.5
初日。 ガイダンスを受けて午後から授業に参加。 チャイム鳴っても誰も来ない。何のチャイム?
学校終わり、ルームメイトがpubに誘ってくれた。 イギリス初飲酒はguinnessでした。

2022.9.6

Good boy の Billy どうして階段のすぐ下にベッドがあるんだ…?これは土足で跨いでいいのか…?と思いながら毎回通ってる。

キットカットがめちゃくちゃでかいし、チョコの味が全然違う。 果物が安い。

相変わらずチャイム鳴っても誰もこない。何のチャイムなの本当に誰か教えて。
放課後、Narriと近所のpubへ。 夕飯前にでかいハンバーガー食べながら2時間恋バナした。
あとリアルのBless youを初めて聞いた。
2022.9.7

クラスメートがジャム挟んだクラッカーくれた。
ドイツ語とスペイン語の「さようなら」を覚えた。
放課後はMAMMA MIA!を見にロンドン市街地へ。 時間までNariとBig Ben周辺を散策。

ピーターパンだーーーー

ロンドンの空、ターナーが描く空に本当にそっくりでいちいち感動する。 彼はこの空を描いてたのか。

城?

城じゃん。 石造の建物はいいな。 歴史ある建築でここに来ること自体でテンションが上がる。
MAMMA MIA! は最高すぎて一場から爆泣きした。 カーテンコールでも爆泣きしてたらクラスメート達に抱きしめられた。 お芝居がよかったのは当然だけど、お客さんの観劇姿勢に感無量だった。客席の反応がすごく大きくて、舞台上と客席との交歓を感じて胸がいっぱいになってしまった。演劇を見ている!という感じがしたし、演劇のこういうところが好きだった、と思い出した。
2022.9.8
疲れすぎて何も写真がない。 普通に授業を受けて速攻帰宅して夕ご飯まで寝た。
夜中に現像した写真のデータが届いた。 色味が途中から変だった。 おそらく、日本から持ってきたので、空港のX線の影響だと思う。すごく綺麗だったエジンバラの空がうまく残せなかったのは残念だけど、これもその時を残してるのは一緒か、と思うことにした。





エリザベス女王が亡くなった。 「黒い服を着た方がいいですか?」と英語で聞くことになると思わなかった。これから10日間イギリスは喪に服すらしい。
2022.9.9

観劇しに市街地へ。 地下鉄や街中のモニター、お店の看板など、変えられるところはみなエリザベス女王に代わっていた。 けれど、それ以外は普通だった。喪に服すって、交通が止まったりお店が閉まったりするのかなと想像していたけれど、そうかあ、社会はそのまま回し続けるしかないよな、と思った。
観劇前に以前から気になっていたUZUMAKIというラーメン屋に寄ってみた。


どちらかというと全体的にAKATSUKIだった。 ラーメンは普通に美味しかった。 著作権どうなってる?と思う箇所が多々あったけど、これって著作権どうなってる?
見たのは”The Seagull” in ハロルドピンター劇場 客席の反応が日本と違いすぎて(再び)びっくりした。かなり終盤までみんな笑っていて、まじで…⁉︎という感じだった。私としては、マーシャとか可哀想すぎて全然笑えないのだけど、喜劇と悲劇は紙一重を真に感じた観劇体験だった。 ラストシーンが邪悪すぎて最高に素晴らしかった。
一体私は人生であと何回『かもめ』を見るんだろうか…。
2022.9.10
この日も観劇しに市街地へ。

バイオハザードの地下鉄?


この日は”FROZEN” めっちゃ真横の席だったし見切れてたけどとてもよかった。 小さいエルサがたくさんいて可愛かった。心なしか客席も全体的に水色だった気がするし、私も水色のニットを着てた。

古そうな天井に穴開けて吊ってる

ピンスポ

オケピ
こういうとこばかり見てしまう���。

休憩中、客席でアイスを売っていた。 飛ぶように売れていたしすぐ隣で売っていたので思わず買ってしまった写真。ブレすぎ。 ロンドンの大きな劇場の多くにBARが入っていて、お客さんはワイン瓶とグラスを片手に鑑賞している。歌舞伎スタイル。 観劇体験としてはめちゃくちゃ最高なのだけど、終演後の客席は映画館でも見たことないくらい食べ飲みのゴミが散らばっていてかなりの衝撃を受けている。この掃除だけでどのくらい手間と時間がかかるのか…と想像して怯える。 ドバイ→エジンバラの飛行機を降りる時も��舎のお祭りかと思うくらい荒れてて笑ったのを思い出した。
観劇後、ネガを受け取りにカメラ屋さんへ。 新しいフィルムを買いたかったのだけど、「今品薄で売ってなくて、来る前に電話してもらった方がいいかも。」と言われた。電話のハードルよ…。
夜は大学院の同期とご飯。 久々に対面で日本語を喋った。 タイ料理屋さんと日本食屋さんに行った。
2022.9.11

月曜日。 2人ともギリギリに起きてパンを食べながら登校。
放課後は、今週のお弁当の具材を買うために、普段行かない大きなスーパーに行った。

白いままのフィギュアがついていて、自分で着色するタイプの付録。

行ってみたスーパーに写真屋さんが入っていて、普通にフィルムを売っていた。
2022.9.12
何の写真もなかった。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズをオリーブオイルと塩だけで食べるお弁当を編み出した。うまい。
2022.9.13
何の写真もなかった。2
Narriのカバンから無限に物が出てきたので、ドラえもんの「あれでもないこれでもない…」を見せた。私だー!と言っていた。 DORAEMONっていうのは未来から来た猫型ロボットで…という説明で既に面白そうなのすごすぎる。
2022.9.14
「劇場で出来ないことは何ですか?」と聞かれたのだけど、劇場で出来ないことなんてないのでは…?と宇宙猫になった末に出した苦肉の答え→「ペットの販売」 もしかしたら何かの基準をクリアしたら出来るのかもしれない。わからない。
フランス語ネイティブのChocolatを聞いてテンション上がる。

日本の夜ご飯タコス(?)とイギリスの昼ごはんin庭
放課後はライオンキングを見に行く予定だったので、再びNariと市街地の観光。 ロンドン塔を見て、Five guys へ。



新しい街と300年前の建物が共存している。 石造の建物と地震がない国、本当に素晴らしいな。
ロンドン市街地は、エリザベス女王の棺が到着したようで、物々しい警戒体制だった。大きい銃を持っている警官、やっぱりびっくりする。韓国の空港で見た時もカルチャーショックだった。

飛行機雲がいつもよりたくさん出ていた気がするけど、中継な��で多く飛んでたのだろうか。


ライオンキングの最寄りの地下鉄、ホームまで階段で降りたら200段くらい永遠に螺旋階段で目が回った。 写真は疲れてる私を尻目に元気よく降りていくNariman

家に帰ったら、シーツを変えてくれたホストファミリーの手によって身代わり人形が堂々としてた。

2022.9.15
フランス語ネイティブのChamps-Élyséesを聞いてテンション上がる。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズで作ったサラダ、毎日液漏れしてる。 タッパーとジッパーをくぐり抜けて必ず液漏れしてくる。 液体強すぎる。

ガムを捨てるために破ったノートの余りをファイルに入れたらONE PIECEのビブルカードみたいになった。
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おわり
また気が向いたら書く
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民藝の100年 memo
白樺同人は印刷物として、西欧の美術動向を吸収するのに役立った。
リーチ、lovelyとメモるのかわいいな、、、
交通手段として失われていく船を前近代の象徴として、またインターナショナルなイメージとして、北前船の交易品は蒐集された
朝鮮民族美術館の宮廷の建物をミュージアムにした際に、朝鮮家具の卓子という書棚が展示ケースとして活用される。また日本民藝館のケースはこれ��ルーツであり、鈴木繁男が拭漆を施したものである。
日本民芸術館設立趣意書 「自然から産みなされた健康な素朴な活々した日を求めるなら、民藝Fork Artの世界に来ねばならぬ」と、蒐集対象は民衆に用いられた日常の雑具と規定した。表紙は青山二郎���染付羊歯文平猪口
船箪笥の図案が文字っぽいあしらいがされているところがあり、また留め具が非常に多い。上に持ち運びのための取手?がついている。
越後タイムスは吉田正太郎の依頼を受けたもので、中身は新聞のような紙版がなされている。下手物が特集?されていて、紙面中央には器の図版、特集タイトルの上にある花の図案は何だろうか。、、また展示体系のして、額装してあるが、マージンにマージンをとる、ビジュアル的な良さがあった。
東こぎん肩布の図案は菱形の図形が組み合わされ、また縫い?の荒さ?がとても良い。が肩布って何に使うもの?
日本民藝品図録の紙面、民藝品が画面中央にモノクロ印刷で置かれており、右下にノンブルが漢数字で入っている。このノンブル、各ページ同ポジになく、圖三十二 など。 印刷方法に依存しているところもある?
紙縒卍文八角膳の天板の模様が気になる。中央から何かそういう形で押し付けたような、掘ったよあなかたち。木目ではないが、荒い目でみるとそういうふうに認識してしまう。漆を塗る過程によるものな気はするが。
柳宗悦や濱田庄司らはイギリスと韓国の家具を高く評価する。またハーバード大学附属フォッグ美術館の招きを受け、欧州経由で渡米。スウェーデンの北方民族博物館やスカンセン(野外博物館)にしょくさつされて、将来の民族美術館の構想を温める。アメリカでは素朴な味わいの聖書の挿絵を蒐集。ボウバックアームチェアスプラッタあるタイプの意匠が非常に好き。たびたび出てくる、クネクネとした。人のような植物のような版画的に造形、図版は何に由来しているんだ、、。
スパリップウェアが掛け流しの重要な参照点となる。
マイケルカーデューの紙皿がとても素晴らしい。化粧土をかけた後に櫛形を施したらしいが、櫛形の曲がるときのスナップが妙な歪さをうんでいる。たぶん私が好きな最たる理由は色だが。
聖書の挿絵が意外とコミカルでおもろかった。ノンパースで、バットが空間に浮いていてお祈りしてるもか、そんな高くない。高座にいるとか。ドイツのもの。
1920-30 日本の近代化にあわせ、大正末から昭和の初期にかけて、矛盾が露呈してきて(誰目線だ?)都市に対する郷土という概念が成立する。民俗、民家、民具、民藝などの生活文化を再評価する動きが高まり、都市生活者の趣味という側面とともにかっぱつかする,
柳田と柳が話したのは一度だけらしく、過去の歴史を正確にするのが民俗学であると柳田は主張し、柳はこうあらねばならくという世界に触れていく使命を担うのが民藝だと説いたが、ふたりはその違いを確認するにとどまった。表層的だが、柳田の民俗学論に共感するが、どちらが善でどちらが悪という話でもなく、どちらも持ち合わせているような気もするので、派はないがグラデーション的には柳田スタンスか、私は。
緑草会編 民家図集の紙面が良かった。頁上部に図版があり、下に設計?ラフとテキストが200字ほど、これらは印刷工の仕事?1930
京郊民家譜の河井寛次郎の装丁が素晴らしく良い。イッチン描き風の文字が現代的な視点ではかたりパンクだが、実際イッチン的な素朴さを当時は感じていたのか?
20世紀初頭、大津絵が再評価されるが、これが良いのが格子の裂を多用した表装で柳も大津絵の新しい見せ方と高く評価したそう、普通にタータンっぽくもあるが、もう少しばあさんっぽい。
芹沢銈介は絵馬を集めてたらしいワ。
山本鼎の木鉢のデザイン画がとっても良いが、クラフト紙に水彩?で書いてる、これが一発書きとは思えないので、これを書いていく過程で決まるかたちもあると思うが、逆にこれを見て作れる職人もすごいな、設計図とか別にあるのかな、
民藝同人によって蒐集されたものの中には道具としての生命を終えたものもあるが、煙で燻され、磨き込まれて深まった色合いや皿の味わいを「見る」という用途をもっていると柳はいった。
赤絵丸文繁鉢、丸という枠に図案をされる。赤と緑、生成りのような黄色なかな。活発である。縁の黒が効いているのもあるか。アウトラインをつけることによって、おもちゃ感が強い。がキムチとかをポンと入れたくなる高貴さはある。
美の標準 そのニ 工藝第2号において、柳はふたつの挿絵を入れ、なぜ一方が不十分で、一方が優れているかを示しこれによって美の標準をはっきりさせたいと思っている。これは言葉によらず、具体的に一見して分かるから読者にも興味があると思う。とかなり読者に寄り添った、へんしゅうをしているが、悪いものの例には有名なものを、いい例には無名なものをいらるという編集方針がとても良い。そのものを押し出すのではなく、考えを押し出すのだ。また12回の連載を終え、悪い方の例になるものを写真に撮るのがなかなか面倒になったらであるなどといっている、笑
雑誌 工藝 は雑誌そのものが工芸的な作品であるべきであるという発想のもとつくられており、布表装にしたり、用紙に和紙を使ったり、豊富な小窓絵と写真を使ったりという工夫が凝らされてた。
雑誌 工藝の芹沢銈介のはたらきがめちゃくちゃに良い。扉絵の挿絵、これらのにじみなどに芹沢の影を感じた。また、線の形として、あまり勢いはなく、熟考された上での手癖っぽい感じ、またそれが直線とのコントラストを産み、なお良い。
民芸フォントと題されたところで、柳が「非個人的な字」を見出したとある。壺の局面に書く際のいっちんの手法の不自由さが、個性の角をとるということだが、浄瑠璃、芝居の番付、提灯の文字、将棋の駒なども近しいという。が芹沢の手癖的な文字の方が私は愛おしいと思うが、あれは違う?いっちんのパンクな感じは、もしかしてグラフィティてきなところに繋がりを感じられるかもしれない。不自由な手法という意味では。
柳も仮名のかたちとして注目した、浄土真宗初期の版本の文字が非常に良いが、版画なのか、、文字の上に家紋的な図版が、レイヤーで捺印されていて、字と図の境界を曖昧にしている。が良くみると推されている圖はぜんぶおなじで、なんか訂正印みたいでもあるが、なにか用途がある?
織物の袖無長衣 サイシャット族 | 台湾の色彩と図案のバランスが素敵だが、テキスタイルの柄に依存して、ライン先の記事全体の形がキュッとなっているのもかわいい。また、ライン的に入る柄には縫いの位置ととても関係性がありそうで、これも素朴さの所以かもしれん。
雑誌 民藝でも見られたが、柳は本文ページと表装のコントラストがないことを嫌ったそうだった。「表具に用いる素材としての布又は髪の色をら本品と近いものから選びますとその結果が至って無難なことが見出されました」とある。
山陰新民藝品展覧会 1932のパンフレットが美しい。図版が自由に配されつつ、その周りにキャプション、中央に四角く囲った民藝品のリストが固く組まれている。
柳の拭漆机の棚に彫られた、4枚の花の図案��美しい。深く掘りエッジを立たせることで、シャープな印象をつくるが、これも柳のシャープ好きを裏付けるものか?
日本民藝地方民窯展 展示風景1940がめちゃくちゃによい、地図から糸を引き、器よ結びつける。非常によい。
柳と芹沢で制作された全長13メートルの巨大な日本民藝地図、旧国名による区分に都道府県を協会を重ね、オーバラップさせる。また鉄道網を走らせ、民藝品を記号化したものをつかい、500を超える産地をマッピングしたよのたが、ここまでのレイヤーを作るながら、意外とあっけらかんとした。色面の印象が強い、ビジュアルで、いけいけとしながも力強い。芹沢の色彩感覚がめちゃくちゃよく、赤、深緑、黄色、緑っぽいグレーに、白文字金文字、ときおり赤文字で入る地名のカリグラフィーがめちゃくちゃ心地よい、地図はベタで、海は陸に沿って若干コントラストがついている。ふわふわしそうな、色使いたが、鉄道路線の黒がコントラストを1番上のレイヤーでつくり、横に広がり続けるビジュアルに流れる視線を留めてくれる。民藝品のアイコンが素敵、そこまでディテールを排除せず、色数も極端に絞らず、揚々としている。
抱瓶とよばらる酒瓶の一種でかたちが三日月型のらいんになっているのは腰に当てて方から下げて携帯したことによるもの。しかし現在でではサイズ感的に絶対置きだろと思いつつ、なんなら水指であるが、これも用途の転換と呼べるものか。
生成り本文頁にモノクロの写真をおく、だんだんページは焼けてきて、独特なコントラストをつくる。
青森の伊達げら、の模様がかわいい。記事のつくりによって図案がワープしている。
芹沢銈介の海外中の挿絵が良かった。家が消失してもなお、仕事が続けられる体制がとれているところに自分的に芹沢を見た。どんな状況でもものづくりに向き合えるのは最低限の環境、それなりのスペースと採光、そんなに必要とされる条件は厳しくないのかもしれない。
文字絵 忠 | 考 朝鮮半島 文字絵芹沢のものが有名なので、あまり朝鮮などにそういう意識がなかったが、なんか図の割合多くないという感じと、なんかちょっと稚拙な図案に強筆という印象。
スウェーデンのヴィルヘルムコーゲの澱青釉碗がすごく、深く名前の通り澱んだ青としているにもかかわらず、輝きがあり、骨太なかたちが素敵だった。
河井寛次郎のキセルシリーズの現物を始めてみたが、ネットで見るよりも格段にエロティックで、原案デッサンは至って素直な感じ。メカニカルなエロさがあるが、河井寛次郎自身も、「本当の民衆的工芸のメカニカルは機械産業が後継になる」って言った
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書き散らすということ
書き散らすという行動が私にとって
「どんなプラスになるか」
は定かではないが、とりあえず好きなことをただダラダラと書き散らすために設置してみた
ラジオトークと同じで日記のような、詩のような、何かそれ的なものをただ書きたいと思った
ラジオトークに関しては自分のトークの練習であるが、これは少し違う
これは何かに対する反抗で、誰かに対する当て付けで、私という存在と向き合いつつ、過去との別離を図ろうとしているところもある
ダラダラとBluetoothキーボードを叩いているのも楽しい
自殺未遂後の、病院の大部屋のベッドの上で、何か前向きになろうとダラダラと文を書く
本当は絵を描くつもりだったが、お気に入りのシャーペンでも大好きなデジタルでも描こうという意欲が湧かない
恐らく、これは重症なんだと思う
自殺未遂までしているのだから、そりゃ重症だろうが、というのを置いておいたにしても、好きなことができないなら死にたいと言っていた私が、好きなことに対して興味が湧かなくなるのは相当のことなのだ
自分でやっと気付いた
私は、絵が描きたかったはずだし、芝居がしたかったはずだし、歌が歌いたかったはずだし、ウクレレを弾きたかったはずだし、美術館でボーッと絵を眺めたかったはずだし、大きなお風呂でのんびりしたかったはずだし、好きなことがたくさんあって、全部やりたかったはずだ
今は、こうして急に文章を書き散らすことしかしたくない
Twitterの方だって、ダラダラと在中している
久しぶりにツイ廃モードだ
何か言葉を吐き出していないと押しつぶされるような気さえする
いや、きっと気のせいなのだけど
だけども、私は書きたいから書く
特にオチもなければ面白みもない吐露かもしれない
誰かに宛てた手紙かもしれない
不意に浮かんだ歌詞かもしれない
また、絵を添えた詩かもしれない
小説かもしれないし、絵本かもしれない
それはわからないけれど、ただ私はここに書く
死に損なった私が、生き直す話
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