#紙ストローが苦手のためコップで直飲み
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2020.1.26~27にかけての深夜、急性カフェイン中毒でのワンチャンを狙ってカフェイン錠を80錠、ハイボール缶でOD(のちのち致死量の倍だと知る。)本当は200錠の予定だったが、買いだめている最中に希死念慮が強くなってしまい、確実に死ねるかはわからなかったが120~140錠飲むことにする。しかし気分が悪くなって喉が受け付けなくなり80でしか飲めなかった(錠剤もでかかったし)。
ところでまわりに高いマンションもない一軒家住みなので突発的に飛び降りはしなかったが、以前諸事情で月の半分くらいを過ごしていた単身の20階建てマンションに今もまだすんでいたら、飛び降りていたかもしれない(14階くらいに住んでいたし)。
80錠のんでぼーっとしてムカムカしてくる。わたしここで死ねないことを悟り親を起こす。服薬から1時間~1時間半経って救急車に乗る、心拍数などはわからないが若干胸がドキドキする、ここで吐き気と嘔吐(夕飯のぶん)。
服薬2時間くらいで病院に到着、嘔吐がとまらず、内容物は薬と血のみ(食べたものは全てもうでた)。インフルエンザのひどいときみたいな吐き気と嘔吐が2時間半後くらいからずっと続く、意識が朦朧としてきて、死ねなさげなのにいたらずらに苦しくて後悔してくる。2時間~2時間半後にかけて先生や看護師さんに質問されるが返せない。2~3時間後から嘔吐をする際に自分の意思で袋にはいたりできなくなりそのへんに吐き散らかす(看護師さんごめん)。
視界がぐらぐらしてブラックアウトする。意識の覚醒と消失を繰り返す(薬が抜ける数日後までこれが続く)。
筋肉の硬直が始まり自分で動けなくなる。わたしの場合は右半身が固まり眼球も右のほうしか向かなくなる。まばたきができなくなり白目を向きながら嘔吐を繰り返す。
3~4時間後から体が完全に固まり、寝たりたったりができず座ったまま硬直する(イメージは重度の脳性まひの人のかたまり方)(指摘をいただいたので訂正します)。思考はまだ動いているので予想以上の後遺症の可能性に怯える。周囲の様子や質問はほぼわからない。
ここでトイレに行きたくなり看護師さんと母に抱えられて行く。体がまっすぐ硬直しているのでズボンと下着は脱げず、脱がしてもらう。排尿の際に筋肉が動いてないのか5~10分かけて垂れ流しのような状態。わたしは女性ですが、ここでおりものが茶色くなる。(もし男性が見ていたときのための補足ですが、おりものは膣からの分泌物で、基本的にはさらさらと白かったり黄色かったりします)
ここからあまり記憶がないがそのまま6~8時間経つ。場所や時間がわからずうわ言を繰り返す。苦痛から気をそらそうと看護師さんたちがわたしの赤い髪やネイルを誉めてくれるが、なにも返せない。
カリウム?などの値が異常になり、一般的な総合病院から死にかけの人間が運ばれるデカイ救急の総合病院(病院からの紹介状がないと入れない、一般的な外来のないところ)に搬送が決まる(おそらく服用から10時間後くらい)。
看護師さんに「もうすぐ迎えがくるからね」と励まされるが、わけがもうわからないので、「死神………………?うれ……しい……」と途切れ途切れに返して「ちがうよ!」と言われてしまう。
全身の硬直、過度の痙攣、暴れがある。暴れているため体を拘束具で拘束される。わけがわからず救急車に乗せられ瞳孔確認されるが眩しいと思えない。
服用から12時間くらいでその病院に着き、尿道にカテーテルをいれられオムツをさせられたりレントゲンとられたりするが恥ずかしいという感情も体のうごきもない。自力で体が動かせないため、レントゲンをとるのも一苦労。3人かかり。
体温計で体温をとられるが、体温計が何なのか理解できず、「なんでこんなもの脇に挟むの?」と真剣に疑問に思う。また、「みんななんでか白い服で不思議だなあ。おそろいなのかな」とも思う。ダメージを得て、知能が著しく下がり始める。
太い動脈に点滴とか採血とか数種���の管をつけられるが痛みもなく、視界が白黒になる。この場所がどこかもわからないがなぜか頭の中で好きなバンドである神聖かまってちゃんが流れ始める。なぜか暗い曲ではなく『彼女は太陽のエンジェル』だった。
嘔吐、吐血、硬直、痙攣が続く。尿は白くて、なんか栄養が全くなさそう(血尿はなぜかなかった)。
とにかく苦しい殺してくれ以外の感情が消え、場所はおろか昼夜の感覚もなく、目の前の人間の性別の区別もあまりつかないし年齢もわからない。
頭の中で音楽とフィクションの映像がとまらなくなる。
胃と食道なども傷つけて血しか吐けなくなる。よくわからないので自分が吐いているという感覚すらなくなり、全身の硬直と痙攣のせいでずっと噛み続けていた口の中と顎が非常に痛くなる。支離滅裂なうわ言しかつぶやけなくなる。
ここから水分を飲むことを禁止され点滴に頼るしかないが水分禁止すら理解できず看護師さんに対して怒りをあらわに暴れだす。体をふたたび拘束具で拘束される。
涙と唾液がとまらなくなる。支離滅裂なうわごととなんだかすごい脳内妄想で無敵感を得��じめる。そこからほぼ意識ないが眠っているのではなく意識レベル低下(おそらく嘔吐、吐血、硬直、痙攣、たまの暴れが続く)。
服用後1日経つか経たないかくらいで氷水によるうがいを許可される。その頃には暴れがおさまり、自分の水分禁止を理解できはじめるので、飲まないように懸命にうがいをする。が、吐き出すためのトレーには手が届かず、ベッドの上に吐き散らしてしまうことを繰り返す。全身の激しい痛みにより、寝返りはおろか、手を動かすこともできない。看護師さんが忙しいためなかなか口に氷水をいれてくれず泣いたりする。このとき看護師さんに対して怒りより悲しみをなぜか覚える。
意識の消失と覚醒を繰り返し、脳内妄想、えずき(血もでなくなる)、被殺害願望の抱きを得る。
えずく元気もなくなりベッドで死んだように突っ伏す。
時折体勢を変えようと看護師さんが動かしてくれるが、仰向けになるだけで痛みのあまり手が硬直して天井を向き、勝手に「ア~~~!!」と叫んでしまう。
時間、場所、自己存在すべての感覚を失い、本能がわずかに残るのみの感覚。自覚はないがまだ激しい痙攣があり(恐らく)、母音のみの大きな声をずっとあげている。「アー!アー!アー!」を繰り返していて看護師さんに「頑張って静かにしようね」と言われるが、好きでしているわけじゃないのでできない。
とにかく水が飲みたい以外の感情がない。おそらく1日半くらい経ち毒素が抜け始めたのか苦しみを明確に得る。「こんなに苦しいなら殺してくれ」と看護師さんに懇願する。硬直はとけるが激しい痙攣と大声、妄想、えずきがとまらない。
とにかく死より後遺症が恐くてたまらなかったので、自分がまだ文字を読めるかを必死に考えて、ベッドの柵に書いてある「警告 サイドレールをベッドの内側から操作しないでください。サイドレールが急に下がり、転落し、けがをするおそれがあります」という文章を(覚えちゃいました)ずっと目で追って、まだ読める、まだ読める、と必死になっていた。
(恐らく)医師に「最近恋人と別れたとかない?」と聞かれるが、言葉にならないが「そんなわかりやすい理由なら苦労してね~~~!!」とキレそうになる。(恋人と別れて死ぬ人もいるし辛さは人それぞれだからそれは否定しませんが、そのときは「は!?」となってしまいました)
その後強制的に眠らされる(透析の可能性も浮上)。
2日後~徐々によくなる、まずは妄想が消え、つぎに痙攣の過小化、吐き気の沈静化、自分のおかれている状況の理解。ベッドが少しずつ入り口に近づいていく。
看護師さんの名前が読めるようになる(発音はまだできない)。
時々激しい痙攣のぶり返し、涙、よだれ、また力の加減がまだできず人の手を怪我させてしまう。
筋肉痛の100倍みたいな全身の痛みに気づく。「はやく退院したい」と思う。
少しずつ話せるようになってくるが語彙選びや声量の調整はうまくできず、また吃音の発生。例えば看護師さんに「母は来ましたか?」と尋ねたくても「ウーッウーッ、マ、マ、マ、ママ、ママ、かんごしさん、ママ、」としか言えない状況。
点滴の量が減り料理がだされるが、薄い味噌汁を数口とお水を数口、牛乳1口が限界ですぐに吐きそうになる。
きつい後遺症を覚悟する。
時計の読み方がわからない。それが時間を示すものなのはわかるが、読み方はわからない。なのに自分が排卵期であることは把握できていて、オムツが濡れたときに「は、は、はいらんだから、血が、かも、」と伝える。が、血尿はないが子宮から出血。膣から生理2日目くらい出血があるが生理ではなく、女性にしか伝わらないだろうが、なんか感覚がちがう。内壁が剥がれたとかではなくダイレクトに血管から出ている気がする。
ODしたときの記憶がフラッシュバックし吐き気を催す。
だんだん昼夜の感覚が戻り、人の性別、名前、おおよその年齢、部屋の構造の把握などができるようになってくる。空のえずきが続き、歯磨きをしてもらうが匂いでまたえずいてしまう。楽しみにしていたぺこぱの番組見れんかったなとか考え始める(ここらへんから妄想より現実世界の把握が主になる)。
日付が気になり始める。
後悔が半端なくなり、理性的な涙を流すようになり、心の中で看護師さんの名前を呼びながら謝罪を続けるが声にはならない。あと家族に面会時間がある当たり前のことをようやく理解できるようになる。痙攣が下半身のみになり、腕はベッドの柵を掴んで歯���食い縛る。うがい用紙��ップに書いてあった、Comfortableという文字が読めるか必死に考える。意味はわからないが綴りは何となく読めて、意味を理解してないことは理解できていて少し安心する。
その頃には硬直はほぼなく、柔らかい白米を一口だけ食べられるようになる。人工的な味を嫌い、母にローソンで買ってきてもらったりんごゼリーのりんごを一齧り、みかんゼリーの小さなみかんを2つ食べる。
看護師さんにリハビリの話をされるが返事はあまりできず。
1日が24時間なら時計は24表記にすべきだと真剣に考えるようになり、その場合の針の刻み方を考案し始める。「それを看護師さんに伝えなくちゃ!時計は24にすべきです!わたしが作ります!」という頭のおかしいことを真剣に訴えようとする。
だんだん痙攣が小さくなり、時折の体の硬直を除けば、一般的なくらいの痙攣になるが、痙攣のせいで点滴が抜けたり毛布に血が飛び散ったりするがまだ気にかけることができない。またずっと続いていた痙攣のせいで足の小指の爪がとれる。
えずきが時折になる。未来を考え始める。
2日かけて吐き気と嘔吐がおさまったため、全身の激しい痛みとの戦いになる。苦しいのはわかっていたが、あんなに痛いと思ってはいなかった。激しく運動したあとの筋肉痛の100倍のやつが頭皮から爪先までを支配している。メチャクチャ痛いです。人生で一番痛い。
精神科の先生に精神病棟に入院するか聞かれるが断固拒否する。
2日半かかり痙攣が僅かになり吐き気の消失、髪と下半身洗いたいな……などを考える余裕ができる。ベッドの周囲を見渡す余裕ができ、髪が激しく抜けていることに気づく。髪ゴムはあったが髪のくくり方が思い出せなくなる。
2日半後にゼリーと汁物を半分くらいなら食べられるようになるが、腕が二倍くらいに腫れ上がっていることに気付く。看護師さんを名前で呼んだり、看護師さんによる採血の結果の数値の説明の理解などが少しずつできるようになってくる。
ストローを使って氷水が自力で飲めるようになり、風呂に入ったりトイレいったりしたいなと思うようになる。先生と看護師さんに「生きるためにがんばれ」と言われそれに素直に応じるようになる。また看護師さんの世間話に「うん」「はい」と相づちを打てるようになる。
かなり頑張ってだが、ゼリーのみかんを8割食べられるようになる。
音を消したテレビを眺め内容をおおむね理解できるようになる。林先生と伊沢さんが出ていた。おいしい唐揚げを作る裏技をしていたので、あとで母に教えてあげようと思ってメチャクチャ真剣に見ていた。
全身の痛みは消えないが痛み以外の症状はほぼなくなる。
まだ知能はおかしく、50÷25の計算をするのに何分もかかる。その一方で、暗記した覚えのない『失恋ショコラティエ』の1巻1ページ目から頭のなかで読み返すことができた。おそらく脳の働く部位が極端におかしくなっていたのだと思う。
服薬から約3日後、昼夜を完璧に把握��きるようになり、看護師さんたちに謝罪できるようになり、退院を逆に不安がるようになる。
服薬から3日後~自分で簡単なベッドの操作をしたり寝返りを打ったり声を出して看護師さんを呼んだりできるようになる。
オムツははめたままだがおしっこの管を抜き、点滴を抜き、ふやふやの野菜と豆腐と牛乳なら8割食べられるようになる。
人の手を借りて歩く練習、トイレに行き自力で排泄、時間はかかるがふくこともできるようになる。
痛みと声以外の症状はなくなり、飛び降りした向かいのベッドの別患者の心配をするようになる。
1/29、服薬から3日半くらい、きょう退院しましょうと言われる(重体重傷の人が運ばれる場所っぽいので、命の危機だけは脱したことが伺える)。退院は不安だがそれに従う。
人の手を借りて、なおかつ十メートルごとに休めば歩けるようになり、ああ血がでてるからナプキン買わないとなあとか考えられるようになる。
寝苦しさはあるので、病院では意識の混濁時以外はほぼ寝られず(カフェインだしね)。途切れ途切れだが家族に謝罪できるようになる。
自力着替えは無理だが前開きのものなら自力で着られ、疑問を先生や看護師さんに聞けるようになる。うっすいコンソメスープを濃いなと感じる。
1/29の14時頃退院、自力歩行はできないが、介助を得ればトイレでの排泄、歩行、立ったり座ったり、身の回りのことができるようになる。
生きなきゃなと思い、帰りの車でTwitterの心配をする。
15時頃、10mくらいならふらふらだが自力歩行ができ、トイレでの排泄やナプキンの交換も自力でできるようになる。処理もできるが、拭くだけで数分がかかる。
全身の激しい痛みとうめき声は相変わらずだが、15時頃~自宅ベッドで汁物を進んで摂取し、LINEやTwitterにアクセスする。思考と打つのに普段の10倍くらいかかるが、多少の誤字脱字のみとなる。
ようやく少し眠れる。
1/29(服薬から3日半すこし)、全身の痛み(少しまし)、うめき声はあるが、汁物を接種するなど食欲が少しずつ甦り、日常に戻りつつある。風呂などはまだ不可能。
以上が退院までの地獄詳細です。方法にもよるけど、これから死ぬみんなはここに引っ越すし、さらにその先に引っ越すので、わたしは「まあ……その勇気あるなら人生どうにかなるやろ」というわたし自身クソ聞きあきた陳腐なことを言いそうになりますが、とにかくやるならガッツしかない。わたしはもう二度としたくないです。
現在も子宮からの出血や全身の痛み、内臓の痛み、麻痺、うめき声、記憶の混濁などがあるので、また回復したらそちらも「地獄から生還したらそっちもまあまあ地獄だったよ編」としてアップします。
https://highb.hatenablog.com/entry/2020/02/03/155423 こちらです
これから先の人生には不安しかないけど、いまは簡単な計算をアプリでやったり文字を書く練習をしたりしています。
ま、自殺って結局「自分を殺す」わけだからそんな簡単にはいかないですよね。当たり前。
死の否定は難しくても生命の肯定はしていきたいですね。
メンヘラがODで自殺未遂して地獄を見た(地獄編) - 現金満タン、ハイオクで。
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サニーサマーレイン
☂8月23日
「ゲームセット!ウォンバイ青春学園、越前リョーマ」 歓声が、遠い残響のように聞こえた。 真っ二つに割れたボールが足元でひっくり返っている。それを茫然と眺めているうち、勝つことしか考えられず熱を持っていた頭が、少しずつ冷えていった。全身から力が抜けて、その場に立ち尽くす。はー、と勝手に息が洩れた。 「ねえ」 対岸から呼ばれる。越前くんが手を差し伸べていた。 重い足を動かして、ネット際に歩み寄った。 こうして対戦相手とまともに握手ができるのはいつぶりだろう。五感を失い這いつくばった姿を見下ろすのがお決まりだった。今までのろくに顔も覚えていない選手たちを思い出しながら、手を伸ばす。 手のひらを強く握られ、俺も同じぐらいの力で返した。越前くんは目の縁を尖らせる。試合は終わっても、瞳の中には火が点っていた。ぎらぎらした目で俺を見据えて、それから、笑顔を弾けさせた。 俺より少し小さなボウヤの手は、俺と同じぐらい節くれだっていた。それだけ多く、ラケットを振って、ボールを打ったということだ。血が噴き出しそうなほどの努力を、まだ成長途上の体で重ねてきた。そういうことだ。 今さらながら、とんだ化け物を相手にしていたことに気がつく。もっとも、試合中の彼は化け物というより、天使とか神様の申し子とか形容した方がしっくりくるのだけれど。今だって、俺に向ける笑顔はひたすらに温かくて、やさしい。 握っていた手を離した。彼いわく「楽しいところ」へ俺をいざなおうとする手を、今はまだ取ることができない。 越前くんは、しょうがないな、という顔で俺を見て、仲間のもとへ駆けて行った。待ってる。そう、その背中に言われているような気がした。 立海のベンチへ戻ると、対岸のお祭り騒ぎとは打って変わって、ひどく沈んでいた。みんな俯いて、悲痛な面持ちをたたえている。嗚咽を隠しもせずに泣いている部員もいた。 誰も俺を見ようとはしなかった。ただひとり、真田を除いて。その真田も、瞳がゆらゆらと揺れている。 しばらくして、迷子のような足取りで真田は俺に近づいてきた。おずおずと差し出された手に、ラケットを託す。 「準優勝だ、幸村」 真田がそう言って俺を見つめた。 「……負けたんだね」 頭では分かっている筈なのに、負けた、という言葉がただの音としか捉えられなかった。三文字は俺の心の中をうわすべりして、霧散した。 代わりに、真田の眉間に深い皺が寄る。負けという言葉を使わなかったのは、真田なりの気遣いだったんだと気づいた。もしかしたら、真田自身だって聞きたくなかったのかもしれない。 それでも、真田は深く頷いた。 わあ、といっそう大きく青学が湧く。越前くんが胴上げされていた。青空めがけて、高く、たかく。 あれは、去年までの俺たちの姿だ。優勝だ、と真田が俺に告げる姿が頭をよぎる。普段の落ち着いた様子からは想像できないほど浮かれた真田の声。そして、俺も。頬が熱くなるのを感じながら、笑顔で待つ仲間に飛びつくのだった。 これ以上、何を言ってどうしたらいいのか、分からなくなった。 「両校、整列してください」 審判の号令で、動けなくなっていた体を半ば無理やりに動かすことができた。相手に情けない顔を見せてたまるものかと、負けず嫌いの部員たちは唇を引き結び、厳しい顔をした。 青学と礼をし合って、それから、ふと客席を見る。父さん、母さん、お祖母ちゃん、妹。やはり、悲しそうな顔をさせてしまった。 感傷にひたる間もなく、すぐに表彰式が始まる。 式の間、テニスコートはおごそかに静まりかえる。聞こえるのは、選手を称える拍手ばかり。割れるようなそれに包まれながら、誰もがひと夏の軌跡を振り返り、噛み締める。 「準優勝、立海大附属」 前へ出ようとすると、背後から遮られた。 「俺が行く。いいな」 問いかけではなくて、決まったことを確認する口調だった。俺が答えもしないうちに、真田は壇上へと歩み出す。 その眼前に、盾が差し出される。にぶい銀色をした盾が。真田にとっては、突きつけられた、と言ってもいいぐらいかもしれない。 しかし真田は表情ひとつ変えず、それを受け取った。両手に抱えて、いつも以上に背中を真っすぐに伸ばして、頭を垂れた。 「優勝、青春学園」 続いて、手塚と大石が壇上に上がる。まだ高い太陽に照らされて、手塚の持つトロフィーも、大石が掲げる優勝旗も、さんさんと輝く。 俺の手の中は空っぽだった。真田は、盾をじっと見ていた。振り返ると、赤也が、泣きそうになりながら表彰台を見上げていた。 赤也をはじめ、レギュラーとして戦うのは初めての部員も多かった。初めての夏を、胸を張って終わることは叶わなかった。 ぜんぶ、俺のせいだ。 「真田、やってくれ」 だから、ミーティングを始める前に、そう告げた。 周りにいた部員たちが、血相を変える。でも、真田はもともとそのつもりだったのだろう。ためらいも滲ませず、こくりと頷いた。 「遠慮はせんぞ」 「掟に遠慮も何もあるものか」 打ちやすいように、真田の正面に立った。真田は手首を握り、調子と覚悟とを整える。 俺と真田に気づく部員が増えるにつれて、ざわめきも大きくなった。 「静かにせんか!」 真田の一喝で、ほぼ全員が俺たちに視線を���いだ。却ってよかったと思う。証人が多い方が、けじめをつけるにはふさわしい。 「歯を食いしばれ」 真田が手のひらを振りかぶる。焼きつけておくために瞼を見開いた。 病室で俺を打った姿が重なる。絶望の淵から俺をすくい上げた、その手、その熱さ。 今さらになって、走馬灯みたいに記憶がよみがえってくる。本当はおそろしくて仕方がなかった手術。俺がいれば、と悔やんだ関東大会の敗北。死に物狂いでリハビリをして、やっと踏みしめた緑の芝生。 長い、本当に長い夏だ。 打たれる瞬間、どうしても反射で目を閉じてしまう。 頬に触れたのは、熱い風だった。たったそれだけ、だった。 目を開ければ、あともう少しで俺に届きそうだった真田の手が、ぱたりと落ちる。 「……できん」 「……どうして」 「理由がない」 聞いたことがないぐらい、声が震えていた。黙って、続きを促す。 「お前は負けた。だがお前の戦いに、驕りも油断も、微塵も感じられなかった」 真田の呼吸が徐々に乱れていく。 「むしろ……っ」 とうとう、言葉はただの吐息に変わった。真田はそれでもどうにか言葉を継ごうとして、面持ちをぐしゃりと歪ませた。涙がひとつ零れる。 「……っ、すまないっ」 真田は片手で瞼を覆って、俯いた。それでも抑えきれない涙が、頬にいくつもの線を描いていく。 ふくぶちょう、と赤也がつぶやく。真田よりもっと大粒の涙が、そのまなじりからぼろぼろと落ちる。咄嗟に赤也をかたわらで支えたブン太も、ともすれば一緒に崩れてしまいそうだった。 水面に石が投げられたみたいに、波は広がった。気がつけば、仁王までもが、目の端を赤くし鼻をすすっている。 俺の敗北がどれだけ大きいものだったか、ようやく実感した。真田に打たれて終わりにしようとした、自分の浅はかさも。 「すまなかった」 自然と深く腰が折れる。 やめてください、そんなことしなくていい、と何人かが叫んだけれど、しばらく頭が上げられなかった。 部員たちの嗚咽が、もの悲しく降ってくる。こんなにも苦い思いを味わわせてしまったことに、ただただ詫びることしかできない。 「幸村、もういい」 真田に体ごと引き上げられて、抱き締められた。痛みを感じるほど、きつく。 体を震わせて咽喉を引き攣らせて、真田は泣く。覆うものが何もなくなったせいで、たちまちにジャージの肩が濡れた。幼い頃ですら、ここまで泣く真田を見たことがない。 俺は、泣けなかった。 ああ、と思わず嘆息した。いたたまれない。 俺の中で何かが欠けている。申し訳ない、それしかなかった。こうして目の前で真田が、みんなが、俺のために泣いてくれてもなお、一緒に泣くことができない。他人事みたいに茫然としている。 取り巻く空気が湿度を増す中で、目が乾く、とすら思った。
☂8月24日
全国大会の翌日は焼肉屋で打ち上げ、というのが立海のはるか昔から続く伝統だ。 レギュラーたちは、ものすごい勢いで肉に食らいつく。瞼さえ腫れていなければ、昨日あんなに泣いていたのが嘘みたいだった。 ウーロン茶とジュースで乾杯をして、誰もが雰囲気に酔っていた。負けたのに、などと野暮なことは言わない。 目の前では、ちょうどブン太と赤也のカルビ争奪戦に終止符が打たれたところだった。赤也は、覚えとけよ、と空の取り皿を抱えて涙目で言い残し、蓮二に席替えをお願いしに行った。 俺はといえば、ジャッカルばかりが焼かされているのがかわいそうで、それを手伝っていた。 「幸村くんさあ、なんで真田と仲いいの」 真田が別のテーブルにいるのをいいことに、ブン太がなかなかに突っ込んだ質問をしてきた。 「あ、別に変な意味じゃなくて。言っとくけど俺あいつのこと嫌いじゃねーよ。苦手だけど」 「おい」 あまりにもブン太が正直なのを、ジャッカルが咎める。俺は、あけすけだけどわりと愛のこもった言い方だと受け取った。 「幸村くんと真田、好きなもんとか何ひとつ被ってなさそうじゃん」 「実際、被ってないね。一緒に遊ぶと時々困る」 印象派の美術展に行ったとき、終始真田は首を傾げていた。反対に、骨董の壺だらけのお店に連れて行かれたときは、俺の目にはどれも同じに映って、盛り上がる店主と真田の横であくびを噛み殺していた。 「好きなものがはっきりしない頃からの幼馴染だから……かな」 「だったら趣味は似るような気もするけどな」 「俺とジャッカルもやってたゲームとか同じだぜい」 たしかに、目の前のダブルス以上に俺と真田の付き合いは長い。ただ不思議と、俺のガーデニングも真田の剣道も、一緒にやろうと誘い合ったことはなかった。 俺と真田が一緒にすることって、と思い浮かべてみたら、答えはあっという間に出た。 「テニスはふたりとも好きだと思う」 遊んだ日の締めくくりには、お互いの退屈を晴らすため、テニスコートへ赴くことも多い。 そう言うと、何故かきょとんとした顔をされた。 「……好きなんだ」 「好きじゃなかったら部長なんかやらないだろ。もともと俺は部長向きのたちじゃないよ」 全体を俯瞰して見ることはできても、最後には自分が興味のあるところばかりに目が行ってしまうし、集中したい。もっとひどい話をすると、入院というブランクはあれど、未だに全部員の名前を覚えていない。覚える必要がないとも思っている。 大好きなテニスで三連覇をすることしか考えていないような人間が、部長に選ばれた。理由はいたって単純だ。実力主義のこの学校で、いちばん強いのが俺だったというだけ。 部長になってからは、ひたすら好き勝手にやらせてもらった。実力で周りを黙らせてきたけれど、さすがに運動部らしいしがらみを無視する訳にもいかなかったそれ以前とは違って。 誰に対しても分け隔てなく厳しくできる真田��優しくできる蓮二が隣にいなかったら、この部はどうなっていただろう、ということをよく考える。 「真田の方が部長に向いてると思う」 ジャッカルもブン太も勢いよく首を横に振った。まあ、短気ですぐに手が出るところは玉に瑕だろうか。 「なんで真田じゃだめなんだい」 「怖い」 ジャッカルのシンプルな即答に、思わず笑った。 「ブン太は?」 ううん、とブン太は唸る。 「……ひとりでなんでもしようとするから」 急に声音が真剣になった。ああ、とジャッカルもいささか引き締まった顔をして、頷く。 「時々一緒のチームでいる意味が分かんなくなるんだよ。勝ちたいって気持ちとかは一緒だと思うんだけど、もうちょっと、こう……」 「頼ってほしいよな」 「それ!」 ジャッカルがしみじみと言うのを聞いて、昨日、真田の試合が終わった後、断られてもアイシングを持って追いかけていった姿を思い出した。 「手塚に勝った後、あいつひとりで泣いてた」 「へえ、そうだったのか」 次の試合が始まるのも見届けずにどこかへ行ってしまったのに、そんな訳があったとは。手塚は、真田にとって俺の次に倒すべき相手だった。長年の雪辱が晴れて、感極まったのも無理はない。 「嬉しいのは俺たちも同じだし、一緒に喜びたかったよな」 「そうだね」 相槌を打った途端、ブン太が俺を見て目を三角にする。少したじろいだ。 「なに」 「幸村くんもそういうとこ、あるぜ。俺基本的にお前のこと好きだから、もっと頼ってくれたらもっと好きになるかも」 冗��めかしてウィンクされる。 「あ、もう焼けてる」 すぐに興味を移したブン太は、ロースを俺の小皿に放った。すっかり食べ物のことを忘れていた。 「まあ、明日からすぐに俺たちにも任せろとまでは言わないけどさ。せめて真田とぐらい分け合ってみたら」 「……うん」 やけに暗い声が出た。 「わり、なんか説教っぽい。引退だし許して」 それにすぐ気づいたブン太は、もう一度ウィンクして、ぺろりと舌を出す。 入院中、誰よりもみっともない姿を真田には見せた。時には縋ったこともある。いや、縋ってしまった。そう思っているあたり、ジャッカルとブン太に言われたことは的を射ている。俺も真田も、本当の弱みは誰にも見せたくないんだ。 「んだよジャッカル、にやにやして」 ブン太の声で、引き戻される。 「好きなものは被ってなくても、似てるんだな。幸村と真田」 「……俺がどうかしたのか」 「げ」 いつの間にか、真田がブン太とジャッカルの間、赤也が座っていたところに立っていた。 向こうのテーブルを見ると、蓮二がひらひらと手を振る。その隣、安息の地で、赤也がブン太に取られた分を取り返そうと、がつがつと肉と米をかき込んでいた。たぶん、さっきまで真田が座っていた席だ。甘やかされてるなあ、赤也。 むっとした顔の真田に、とりあえず座るよう促す。 「俺も真田もテニスが好きだよねって話をしてた」 助かった、という視線が目の前のダブルスから寄越された。別に悪口を話していた訳でもないし、堂々としていればいいのに。 「うむ」 真田が肯定したのかただ単に相槌を打ったのか、よく分からなかった。少なくとも、機嫌が直ったから、悪い気はしなかったはずだ。
☂8月25日
家族に手間も心配もかけたくなくて、ひとりで行ける、と言ったものの、案の定入口で足が竦む。病院独特の消毒の匂いとけぶった白色。かつてここに閉じ込められていた記憶を無理やりに引きずり出されて、苛まれる。 主治医からは、絶対に今日来てくださいね、と念を押されていた。二学期から大手を振って学校に通うためには、今日中に検査を受けなければならないらしい。 通院を減らして全国大会に集中したい、というのは本音でしかなかったけれど、検査から目を背けるための口実でもあった。 これは、健康というお墨付きをもらうためだけのものだ。一昨日まであんなに激しいスポーツをしていたくせに、何を怖がることがあるんだ。自分に言い聞かせても、怖いものは怖いのだった。 どうにか一歩踏み出そうとしたそのとき、狙ったかのようなタイミングで電話が鳴った。ディスプレイには真田の名前。 長くかかる用件のような気がしたものの、つい通話ボタンを押す。真田の声を聞けば、きっと少しは楽になれる。逃げ場にしようとしていることは悟られないようにしなければならないけれど。 「部の引き継ぎの件で相談があるのだが」 やっぱり、長めの用件だった。真田が何もなくて連絡を寄越すことはほとんどない。 「ごめん、これから検査なんだ。今、病院に着いたところ」 「む、すまん。あとでかけ直す」 もう切るのか。少しがっかりしたことは、おくびにも出さない。 「夕方には終わるから、俺からかけるよ」 じゃあね、と言うと、真田が言葉を継ごうとする気配がした。 「ご家族はそこにいらっしゃるのか?」 「ううん、用事があるみたいだったから付き添いは断った」 「ではお前ひとりか」 「そう」 ごそごそと何かをしている音が続いた。 「すぐに向かう」 びっくりして、すぐに返事ができなかった。 病院に足を踏み入れる憂鬱も、検査を受けることをどうしようもなく恐れているのも、きっと真田には見透かされている。普段はにぶいくせに、どうして分かってしまうんだろう。 「……予約の時間に間に合わなくなるよ」 側にいて、不安をやわらげてほしい。わがままが口から零れそうになるのを抑えて、言った。 せめて真田とぐらい分け合ってみたら。昨日のブン太の台詞が頭をよぎった。やっぱり、すぐには無理だ。どうもこの幼馴染の前では、負けず嫌いの俺が色濃く出てしまう。 電話の向こうで小さく唸る声がする。しばらく、真田は考えているようだった。 「大丈夫だから」 真田だけに言うつもりが、俺自身にも言い聞かせている。 「……待っている」 やけにやさしい声。 「ありがとう」 今度はなんのためらいもなく、言葉が口から零れた。 「は、早く部のことを話し合わなければならんからな」 照れたのか、取ってつけたことを返してくる。下手くそだなあ。 あらためて真っ白な建物と対峙する。俺を暗い気分にさせるだけだった白に、ほのかな明かりが差して見えた。消毒くささも、さっきよりずいぶんとましなよう��気がした。 「もう、大丈夫」 電話を切って、つぶやく。 ほんの少し軽くなった足取りで、病院の自動ドアをくぐった。
部屋を次から次へと移動して、腕や足を動かしたりよく分からない機械で何かを計測されたりしているうちに、検査はすべて済んだ。意外と早かった、と体感として思う。入院中にも何度か受けたものばかりで、説明されなくてもするべきことが分かるぐらいには慣れていたのが大きいかもしれない。 残るは、主治医の問診だった。これですべてが決まる。気が尖っていくのをなだめながら、先生の向かいの丸椅子に腰かけた。 「これから普通に学校に通っていいですよ」 「部活……テニスをしても?」 「それはもうしちゃっただろう」 カルテから顔を上げて、先生は困ったように笑った。君の回復力には本当に驚かされる、と付け加えて。 「全国大会、どうだった?」 「準優勝です」 「ええ!すごいね。おめでとう」 驚いてくれたので、俺も愛想笑いを返した。俺たちにとって優勝が当たり前だったことを知らない人にとっては、こんなものなんだ。 「きちんと結果が出るのは、五日後。異常がなければ電話でいいかな」 「はい、お願いします」 ほら、何も怖がることなんてなかった。胸を撫で下ろし、そっと息を吐く。
病院の最寄駅で両親に結果を知らせたあと、真田にも電話をした。 「待たせたね」 「いや」 一拍置いて、どうだった、と訊かれる。 「ちゃんとした結果はまだだけど、普通に学校に行って生活していいって」 「そうか。では、テニスもできるのか」 さっきの俺と同じ質問がすぐに投げられる。真田も怖いのか、語尾がわずかに震えていた。 「テニスも問題ないみたいだ。試合にももう出ちゃっただろって先生にはちょっと呆れられたよ」 「そうか」 さっきと同じ相槌でも、声が違っていた。安堵したのが明らかだった。 「心配させてすまないね」 「気にするな」 さて、と言って、また声音が変わる。今度は副部長の声。 「蓮二に聞いたのだが、次の代は仕事の割り振りを見直したいそうだ」 「了解。蓮二のことだから、もうプランまでできてるんだろ」 俺も部長らしく返してみる。 「ああ、お前が検査を受けている間にその確認を取っていた。今よりずっと効率的にできると言っていたぞ」 「三人で会って話そうか。俺はいつでもいいから」 「俺も午後なら構わん。蓮二の予定次第で調整しよう」 それから一言ふた言を交わして、電話を切った。 部長の仕事、入院でほとんどできなかったけど、まとめておかなきゃな。あれこれと思考しているうちに、電車がホームに入ってくる。 乗車して初めて、ずいぶん長い間ホームに立っていたことに気づく。つい最近まで駅ですら怖いと思っていたのに。 こうやって、ひとつひとつ、平気になっていく。
☂8月28日
宿題と部の仕事の合間に、庭をいじったり絵を描いたりクラシックを聴いたり詩集を読みふけったりと好きなものにまみれていたら、あっという間に二日間が過ぎた。いくら好きといっても延々と続けていられるものでもなくて、最後の方��ブラームスさえも俺の退屈を満たしてはくれなかった。 ただ、テニスだけはしなかった。決勝の日からずっと、ラケットもボールもバッグの中で眠っている。 少しの空き時間があればテニスをしていた俺にとっては有り得ないことで、家族も、口には出さずとも不思議そうな顔をしていた。 そういえば、テニスをしないとなると全然真田に会わない。三日空くというのも有り得ないことだ。 久しぶり。目の前の真田に、頭の中で言ってみた。 真田は眉間に皺を寄せて、蓮二が作ってきた資料とにらめっこをしている。超優秀な参謀の立てたプランに欠点なんてないに決まっているのに、ばか真面目にひとつずつ検分しないと気が済まないんだ。ちなみに俺は十分以上前に読み終えた。 「精市、何か飲むか」 「じゃあ、アイスティー。ありがとう」 蓮二は俺の分のコップも持って、ドリンクバーへと向かった。 「そのプラン、もっと改善した方がいいところとかあった?」 進捗確認も兼ねて、真田に話しかけた。 「今のところないな。さすが蓮二だ」 「そう。……真田、最近どうしてる」 「もっぱら道場にいる」 顔を上げないまま、真田が答える。 「飽きない?」 「……お祖父様には絶対に言えんが、さすがに飽きてきたな」 真田にとっては後ろめたいことなんだろう。誰に聞かれる心配もないのに声を潜めるのがおかしかった。 「だよね。いきなり夏休みって言われても何したらいいか分からないよな」 テーブルに残った水滴を指先ですくって、アコーディオンみたいに縮まったストローの包み紙に垂らす。包み紙はゆっくりと間抜けに伸びていった。こんな風に緩慢に、俺の夏休みは終わっていくのだろうか。 いつの間にか俺の手なぐさみを見ていた真田に、行儀が悪い、とたしなめられた。 「いっそ旅行にでも行くか」 真田が資料を置いて、切り出す。唐突すぎて、言われたことを理解するのに少し時間がかかった。 「いつ」 「明日から二泊三日でどうだ。母の田舎にあてがある。旅行といっても何もないから、観光はできんが」 「また急だな」 と言っても、特に予定がある訳でもない。宿題もあと数ページ。今日中に終わらせられる。 「でも、行けるな」 「何の話だ?」 ちょうどいいところに戻ってきた蓮二を誘ってみるも、すぐに首を横に振られてしまった。 「せっかくだが、家庭教師をしなければならない」 「なに、赤也かっ」 真田が吼えそうになったので、どうどうとなだめた。唯一の二年生として俺たちについてきてくれた赤也は、特に宿題どころじゃなかっただろう。間違っても勉強の得意な子ではないけれど、多少目を瞑ってあげなければ。 それに、旅行をするにあたって、もっと大変なことがある。 「俺と真田のふたり?」 「ああ」 「ふたりきり?」 「それがどうかしたのか」 何を今さら、という態度を真田は崩さない。がっかりした。こう、照れたりとかなんかあるだろう。 「恋人ができたらそんな態度じゃだめだよ」 「たわけたことを」 ふん、と真田が鼻を鳴らす。だからそうじゃなくて。 「おい、いつまで俺はお前たちのやり取りを聞いていればいいんだ?胸やけがしてきたぞ」 甘いな、と冷ややかに言う蓮二の声で我に返った。一体真田に何を期待してるんだ、俺は。 蓮二が持ってきてくれた紅茶を口にして、頭を冷やした。 「それで、来るのか来ないのか」 「たぶん行けるよ」 真田が資料に没頭している間に、家族の了解を取りつけるべく、メールを打った。数分後、あっさりと明日からの真田との旅行が決まった。
☂8月29日
電車を乗り継いで四時間と少しで、その町に着いた。車だと早いのだが、とさすがの真田も疲れた顔で言い訳をした。 俺たちの宿は、ときょろきょろしている間に、真田はどんどん前へ進んでいった。慌ててその隣に並んでついていく。 住宅街を抜けて、さらに奥へ。駅に降りたときから田畑が多く見られるのどかな場所だったのが、もっと緑が豊かになってきた。 ようやく、真田は立ち止まった。 「……これ登るんだよな」 「一時間ほどの辛抱だ。徒歩ならこちらが近道だぞ」 荷物は軽めに、と言われた理由が一瞬で分かった。うっそうと茂る木々の間に、とてもよく言えばハイキングコース、見たままで言えばけもの道が、山奥へと続いている。 旅行というかもはや合宿だ。今年は参加できなかったから、ちょうどいいかもしれないということにしておこう。 そんなことをのんきに考えられていたのは初めだけで、しばらくすると家を出るときにもらったお小遣いに頼りたくなった。山の中で暑さはやわらいでいるといえど暑いものは暑いし、しかもこの悪路。検索してみようと携帯電話を見て、仰天した。まさか、今どき電波が通じなかった。もともと必要なとき以外は使わないから、構わない。けれど。 「本当にふたりきりじゃないか」 思わずつぶやく。 「何か言ったか」 「なかなかすごいところに来たなって、それだけ」 「あまりに田舎で驚いたか」 からからと真田は笑う。そうじゃないけど、まあいいや。なんて、やっぱり俺は何を思ってるんだろう。 喋る余裕もなくもくもくと歩いているうち、整備された大きな道に合流した。あと十五分だ、と真田。 道中、二泊分の物資を調達する��めに、個人の商店に立ち寄った。色あせた看板と外壁。店内の電気が点いていなかったら、見落としてしまいそうだった。 おそるおそる入店すると、失礼ながらお店の見た目に反して、商品はきれいに並べられ、埃のひとつも落ちていなかった。 「すみません」 真田が声をかけると、しばらくして、奥からお婆さんが出てきた。歳はうちの祖母と同じぐらいだろうか。化粧っけがなくて人がよさそうで、いかにも田舎のお婆さん、という見た目だった。 お婆さんはレジ越しに真田を見て、ぱちぱちとまばたきをする。 「あなた、真田さんのところの。大きくなって」 「お久しぶりです」 今度は俺を見る。 「あなたはお友達?」 「はい、幸村と言います」 「……真田と幸村」 含み笑いをされた。 「げんちゃんから何回か聞いたことがある。テニススク��ルのお友達でしょう」 「今は同じ部活ですよ」 げんちゃん、と呼ばれた真田は、俺に聞かれたのが嫌だったのか、少しぶっきらぼうな口調になった。 お婆さんは、自分たちで食事を作るならあれがいいとか今の季節はこれが美味しいとか、一緒に店内を回って教えてくれた。さらに親切に、真田にお菓子を握らせたり、お友達にも、と言って俺にもくれたり。 籠の中が充実してきたので、買い忘れはないだろうか、ともう一度売り場を見回す。あるものに気づいた。 「これやろうよ」 花火を手にして、真田の前に持っていく。 「ふたりだけでするのか?」 「まだ今年はやってないんだ」 「ご近所の迷惑にならないだろうか」 眉間に皺を寄せて、真田は渋る素振りを見せた。 「いいだろ、げんちゃん」 不意打ちだったらしく、言葉に詰まる。作戦成功だ。 「幸村、後で話がある」 「もう季節も終わりだから安くするよ、げんちゃん」 お婆さんに勢いを削がれたらしい真田は、こくりと頷く。つい笑ってしまうと、俺と違って狙った訳ではないお婆さんは、不思議そうな顔をした。 会計を済ませると、お婆さんはお店の外まで出て見送ってくれた。 「げんちゃん」 ぽつりと言ってみただけで、真田がすごい勢いで振り返る。 「間違っても学校で言うなよ」 「いいじゃないか、かわいくて」 目の端が吊り上がってきたので、からかうのはそのぐらいにしておいた。
真田のお母さんのお祖父さんとお祖母さん、つまり曾祖父母が住んでいたというその家は、今では別荘のように使われているらしい。 床に荷物を置く前に、手で埃を払う。 「さすがに二年来ないと、埃は積もるな」 「掃除すればいいよ……あ、これ」 立ち上がろうと顔を上げると、本棚にずらりと並んだ小説や図鑑が目に入った。 「整理をしなければならないとは話しているがな」 真田の言う通り、別荘と言うわりには家の端々に生活の匂いが残っている。 「俺はこういう方が好みだけど」 一冊を手に取って、ぱらぱらと捲る。日焼けした歴史書。真田の歴史好きはもう片方のお祖父さん譲りだと思っていたけれど、実はここにルーツがあるのかもしれない。紙の上に、達筆な文字が書きつけられていた。誰のものかは分からないけれど、これも、さすが真田と血がつながっているだけあって、字がどことなく似ている。 「おい、始めるぞ」 俺が本を眺めているうちに、真田は掃除機を持ってきていた。 「えー、ちょっと休憩」 「駄目だ」 休むにしてもこう汚くては、と背中を叩かれた。仕方なく重い腰を上げる。 掃除機をかけて水拭きをすると、なかなかに良い時間になった。学校の当番や母さんの手伝いをすることはあっても、普段からこんなに大規模にしている訳ではないから、やけに時間がかかった。 ぴかぴかになった床に座って、足を投げ出す。もうどれぐらい動き続けているだろう。やっぱり、休んでおけばよかった。 「お腹すいたな。なんか作る?」 「ああ」 真田の頬にも空腹だと書いてある。ただし頷きはするものの、乗り気ではなさそうだ。 「真田って料理できた?」 「少しだけ」 俺も、たまにお弁当の具の一部を作るくらいだ。掃除の二の舞になる予感がした。 商店で買った野菜や調味料をかき分けて、奥にしまっておいたカップ麺を取り出す。 「我ながら名案だと思うけど、どうかな?」 ポットにはもうお湯が沸いている。そう付け加えると、真田はさっきよりも深く頷いた。 カップにお湯を注ぐ俺の一挙一動を逃すまいとでもいうかのような視線。そのままでは味気ないので卵を割り入れると、おお、と感嘆された。たったこれだけで。今日は自炊をやめて正解だった。 「食べたことなかった?」 「うむ」 真田は、いかにも見よう見まねという素振りでお湯を注いでみせた。嫌な予感が深まる。結局、卵は俺が割った。 真田はじっと時計の秒針を見つめていた。適当でいいよ、と教えたのだけれど。 蓋を剥がす。湯気と一緒に、鶏と醤油の匂いが立ちのぼってくる。割り箸を折るより先に、耐えかねた腹の虫が、大きい音で鳴いた。真田が俺を横目で見て、ふっと笑う。はずかしい。 「いただきます」 三分きっかりを測り終えた真田は、俺に倣って蓋を剥がした。おそるおそる箸先をスープにつけて、麺を一本引き出す。 「毒見じゃないんだから、普通に食べたら。ジャッカルのお父さんのラーメンほど美味しくはないけどね」 「うむ」 今度はきちんと束で取って、口へ運ぶ。眉尻がぴくりと動いた。 「これは意外と」 言い終わる前に、言葉は麺をすする音に変わった。真田も俺に負けず劣らず空腹だったんだろう、はふ、とスープの熱さを冷ましつつかき込んでいく。 「真田とふたりだけで食事なんていつぶりだろう」 「思い出せん」 ジャンクフードを一緒につつくことに至っては、初めてだ。お堅い真田は、部活の後の買い食いすら良しとしない。 「たまにこういうジャンクなものが食べたくなるよね……って分からないか」 「うむ。そもそも縁がない」 そう考えると、俺と真田はあんまり中学生らしい付き合いをしていないのかもしれない。 「テニスばかりしているからな」 真田は言ってから、しまった、という顔をした。別にかまわないのに。 真田のばつの悪さを蹴り飛ばしてやるつもりで、言った。 「じゃあ明日から一緒にしようよ、テニス以外のこと」
☂8月30日
隣でごそごそと動く音がして、目が覚めた。薄っすら瞼を開けると、カーテンの隙間からやわらかい陽の光が差し込んでいた。 運動部の体力をもってしても昨日は疲れたらしく、布団に入ってすぐに眠って、それきり目が覚めることはなかった。 「起こしたか」 真田の声がした方に視線を移せば、すでにトレーニングウェアに着替えていた。ベッドサイドの時計は八時。どのみち起きなければいけない時間だ。首を横に振る。 「走ってきたのか」 「ああ」 上体を起こして伸びをする。朝は決して得意ではないけれど、今朝はしゃっきりと目覚めることができた。 「俺も走ろうかな」 「付き合おう。道も分からんだろう」 「うそ、ダラダラしたいよ」 わざと、もう一度シーツにくるまった。 「たっ……」 たるんどる、と言いかけてやめる。下手くそめ。 「嘘だよ、ダラダラはしない。朝ごはん食べたらさ、散歩がしたいな」
朝ごはん食べたらさ、と簡単に言ってのけたものの、��ずこれが大変だった。トーストと目玉焼きとサラダというシンプルな献立に、俺も真田もやたら苦戦して、包丁の特訓をしよう、と誓い合った。片付けも、言わずもがな。 昼食は、とあまり考えたくなくなっていたことを相談したら、どうやら外にうってつけの場所があるらしい。朝食で残った食材でサンドイッチを作ったり、その他もろもろの出発の準備をして、と忙しくしていたら、目的地に着いたときには十一時を回っていた。 八月も終わりになると、空気は熱くても、川の水温は十分に冷たい。 真田は持って来た胡瓜とトマトをざるに入れて、川の水に浸した。その絵だけで、いかにも夏休みといった風情だった。さっきまでの慌ただしさが、嘘みたいに流れていく。 滑るなよ、と子どもみたいな注意を受けながら、飛び石の上に立つ。落ちていた木の棒を片手に持っていたせいで少しふらついて、岸にいた真田がすぐ隣の飛び石までやって来た。 「あのボウヤ」 「誰だ」 「越前リョーマ」 その名前を出しただけで、空気が変わる。真田はなんでもない風を装って、相槌を打った。 「軽井沢で修業してて記憶喪失になったんだって?こういうところだったのかな」 しゃがみ込んで、水の中から小石を拾いあげる。 「修行って何してたんだろうね」 テニスの要領で、木の棒を振って小石を打った。小石は二十メートルぐらい真っすぐに飛んで落ちて、勢いよく水を跳ねあげた。試合だったらサービスエースを獲れていただろう。 「ラケットを持ってきてもよかったな」 木の棒で素振りをする。ラケットよりずっと軽くて、手からすり抜けていきそうだ。 「テニスではないことをするのではなかったのか」 「そうでした」 どうしてもすぐにテニスへと道が逸れてしまう。いや、もしかしたらテニスこそが俺たちの正しい道で、それ以外のことをしようとする今が脱線しているのかもしれない。 これ以上真田を困らせるのもかわいそうな気がした。棒を水の中に放ると、真田の面持ちに安堵が滲む。 「気遣ってるだろ。俺からテニスの話を遠ざけようとか、のんびりさせてあげようとか」 首を横に振ろうとするのを、遮った。 「いいよ、もう分かってる」 「お前には敵わん」 真田は苦々しげにつぶやいて、あっさり白旗をあげた。気を遣うのも隠し事をするのも、真田は大の苦手だ。とっくに限界だったんだろう。 俺にしてみれば、俺がほぼ無意識にテニスを避けていることを敏感に感じ取った真田にこそ「敵わん」のだけれど。 今度は俺が素直になる番だ。そう思った。 「実はね、まだ負けたっていう実感がないんだ」 真田は黙って、続きを促した。 「いや、実感はあるのかな。君たちに申し訳ないって気持ちは今だってずっとあるよ。でも、何もかも腑に落ちた訳じゃない」 うろうろと言葉がさまよう。ずっと抱えていた気持ちを吐き出すうちに、心細さばかりが嵩を増していく。 みんなと一緒に泣きたかった。泣けなかった。何がみんなに、真田に、涙を流させているのか分からなかった。 だから、あの日以来テニスには触っていない。逃げているだけだと、自分でも痛いほどに分かって���る。ずっとこのままではいられないことも。 どうしたらいい、と真田に縋りたいとすら思った。なけなしの自尊心が、それを咽喉で押しとどめた。 俺がすべてを吐き出し終えるまでずっと、真田は俺を見つめていた。 「冷たく聞こえたら悪いのだが」 前置きをして、咳払いをひとつ。 「俺の知ったことではない。答えを俺に求められても、それはお前が導くものだ、幸村」 視線以上に言葉は真っすぐで正しくて、鋭利だった。伸ばしかけた手を払いのけられる。俺はたったひとり、谷底へと突き落とされたにも等しかった。 「そのとおりだね」 俯いて足元を見て、そう頷くのがやっとだった。飛び石の岩肌とその間を流れるせせらぎとが見えることに、ほんの少しだけ安心する。 「いつか答えが出たら、そのときは一緒に抱えてやる。それぐらいはできるぞ」 はじかれたように顔を上げる。真田と目が合う。目線はほとんど同じ高さなのに、はるか上を見上げる心地だった。 突き落とされても、這いあがれるのなら。そう言って、そう信じて、真田は俺に手を差し出す。 青学のボウヤ、立海の仲間、真田。ほんの少しあたりを見回すだけで、こんなにもたくさんの人が、俺ならできる筈だと、盲目的と思えるほどに信じてくれている。過度な期待だと言い換えてもよかった。彼らもそれをよく分かっていて、尚言うのだった。 まったく、ひと月前まで体を動かすこともままならなかった人間に、なんて無茶をさせるんだ。――絶対に答えを出してみせる。 はは、と勝手に笑みが零れた。それは武者震いにも似ていた。 「……そういえば」 「どうした」 「ん、いや、もう冷えたかな、野菜」 「お前は……」 呆れて絶句されてしまった。だって、これ以上何も言う必要はないだろう。 もう少しだけ、上で待っててよ。真田の立つ飛び石に乗って、その肩を軽く叩いた。伝わったのやらそうでないのやら。岸へ引き返す俺に、真田は黙ってついて来た。 引き揚げた胡瓜を齧ると、まだ生ぬるかった。体感ではひどく時間が経った気がするのに、現実にはせいぜい十分ほどの出来事でしかなかったらしい。 「どれ」 真田は俺の手首を握って、ずいと顔を近づけてきた。後ずさる間もなく、胡瓜の天辺はその口の中へ。 「もうしばらく待たねばならんな」 「真田、きみ」 俺が食べた後から、そんな風にためらいもなく。と言いかけたけれど、お互い幼馴染相手にはよくやることだった。たとえばスポーツドリンクの回し飲みなんて、もう何百回もしている。 「わ、悪かった」 ところが、さっきまで平然とした顔をしていた真田までもが、急に赤面して謝ってきた。 「いや、いいけど!いきなりだから、ちょっとびっくりした……」 そう、たぶん、いつもとは違うシチュエーションに驚いてしま��ただけだ。急にどきどきし始めた心臓に、真田の赤い顔に、無理やり理由をつける。 一度齧ったものを戻すのもな、とぬるい胡瓜を手に持ったまま、形のいい真田の歯形を見つめていた。
「夏休みが終わるよ」 西の空ではたった今、夕焼けの最後のひとかけらが夜に呑まれたばかり。 真田と妙にぎくしゃくしてしまった昼間の出来事を振り払うのに、��日を要した。ずいぶん時間がかかったものだ。 「まだ一日と少し残っているだろう」 バケツを床に置くと、ぱしゃんと水が撥ねた。 「そういう気分ってこと」 花火というものは、どうしたって感傷を呼ぶ。 お婆さんのお店で買った、打ち上げ花火が五つ。ふたりしかいないのにあまり多くても、とこの数になった。夏休みのフィナーレを飾るべく、それらを点々と並べていく。 俺の背後でマッチを手にした真田が、ぽつりとつぶやいた。 「どうやって点火するのだ」 すごい勢いで振り返ってしまった。これはもしや、カップ麺に引き続き。 「やったことない?」 「……その通りだ」 家族とやるときは男手として駆り出されるものだろう、と思ったけれど、そういえば真田は次男、しかもお兄さんとは歳が離れている。 「この線に火を点ければいいんだな」 「いいよ、俺がやるよ。あっちで見てて」 ここで怪我をされてはたまったものじゃない。うう、と不服そうに唸りはしても、真田は素直に従った。急に真田が弟のように思えてきた。 まずはひとつ。火を点けて、真田のいるところまで走った。ひゅう、という音で空気を裂いて光の玉が宙へ飛んで行った。 「きれいだね」 そう言って隣を見ると、なぜだか浮かない顔。 「俺もやる」 腕を組んで唇をへの字に曲げて、こうなったらもう真田は譲らないだろう。次の花火は駄々っ子につきっきりで点火を見守った。 「なんだ、簡単ではないか」 たくさんの光が空を彩っては、消える。真田が次から次へと火を点けるので、たった五つの花火はすぐにあとひとつになってしまった。 花火より、得意げな真田の横顔を見ている時間の方が長かったかもしれない。もう少し多く買えばよかった。そうすれば、かわいい真田をもっと見ていられたのに。――一体誰がかわいいって? 「……なんだかもう、決定的だ」 「幸村、最後だぞ」 ああうん、と心ここにあらずな返事をしてしまった。真田は気にすることなく、マッチを擦る。最後なだけに、あからさまに張り切っているのがかわいい。 空でうつくしく舞う光たちがついに目に入らなくなり、申し訳ない気分だった。
布団に入ってしばらくして、なあ、と真田が声をかけてきた。いつもは直滑降で眠りに落ちるのに、どうやら寝つけないらしい。しかも、珍しく弱気な声音だった。 「退屈しなかったか」 「なんのこと」 真田の言っている意味が分からなかった。 「旅行と言って連れ出したのに、何もないところで驚いただろう」 最初にそう言っていたじゃないか。ますます分からない。首を傾げてしまった。 「それに、俺はお前に頼ってばかりで……のわっ」 真田のすぐ横に転がって、うつぶせに倒れた。そのまま布団の端を持ち上げて、侵入する。 「おい、入ってくるんじゃない!」 「昔はよくこうやって寝てたじゃないか」 「何年前の話をしているんだ」 しばらく真田と攻防を続け、最後には無理やりに体すべてを布団の中におさめる。こういうときに真田が俺に勝てないのは分かっていた。本人が気づいているのかは知らないけれど、そういうルールと言ってもいい。真田は俺に甘い。 案の定、はああ、と長いため息をついて、諦めたようだった。 「楽しい」 退屈だなんて、とんでもない。そんなつまらない心配を口にするな。 「次に同じ��と言ったら、怒るよ」 まったくの本心だった。 真田のため息が、安堵から来るものに変わる。 「真田のこと、ずいぶんたくさん分かったし。十年も一緒にいて、今さらだけど」 たとえば、ほら、こういうこととか。 真田の髪に指をくぐらせた。触れた瞬間だけ真田は体を強ばらせたけれど、嫌がられはしなかった。 見た目どおり硬い感触だった。針金みたいで、少しちくちくとする。真田らしいな、と思って、口元がゆるんだ。 つい五秒前には知らなかったこと。記憶がひとつ、積み上げられていく。 「俺も、ほとんどお前を知らなかったのだな」 真田の指先が俺の髪に触れる。まさかやり返されるとは予想していなくて、今度は俺が緊張する番だった。できるだけ悟られないように、体の力を抜く。 ごつごつと硬い手のひらもぎこちないやり方も、決して心地いいものではないのに、まったく嫌だと思わなかった。 どちらかといえば、商店で適当に買ったシャンプーを使っているせいで、髪の毛がごわごわしているのが気になる。女の子じゃあるまいし、と思うけれど、触れられるのは初めてだから。真田の中に、俺の髪がこういうものなんだという印象がついてしまったら、なんだか嫌だ。 昼間にどきどきしたみたいに、段々と鼓動が速くなる。決定的だ、とふたたび胸中でつぶやいた。昼のあれは決して驚いた訳じゃないことに、もうとっくに気づいている。 いつからだったのかな。ここへ来たときには確かにもう、心の中にあった。決勝の直後に抱き締めてくれたとき、病室に足しげく通って不器用に励ましてくれたとき、同じ学校へ行こうと誓い合ったとき。同じ布団で眠るのが当たり前だった頃から、もしかしたら、ずっと。 真田の中にもそれはあるだろうか。俺はうぬぼれてもいいのだろうか。教えてほしい。 「もっと知りたいよ、真田のこと」 ひとつひとつ、丁寧に知りたい。 瞼を閉じて、そっとつぶやいた。 真田が聞いていたのか、それとももう眠ってしまったのかは、分からない。いつの間にか、髪を撫でる手は動きを止めている。さっきまでより温かくなった体温に、ただ安らいだ。 「俺もだ」 まどろみの中で、ひどくやさしい真田の声を聞いた気がした。
☂8月31日
翌朝も、真田は俺より先に起きていた。 「起こしたか」 首を横に振って、既視感のあるやり取りをした。真田の様子はまるで昨日と変わらなくて、夜の出来事が夢だったように思える。 「もう帰る日か、早いね」 寝ているベッドが初日とは違うものだということが、かろうじて証拠になるだろうか。ぼんやりしたまま掛布団の端をめくると、ふわりと真田の匂いがした。ひと息に記憶がよみがえり、襲ってくる。振り払おうとして、布団をすべて跳ねのけた。 「そのことだが」 真田は俺の挙動不審を気にしなかった。命拾いした。 「帰りにひとつだけ寄りたいところがある」 「いいよ。どこ?」 「挨拶をしておきたい人がいてな」
荷物をまとめておいたお陰で、出発にそう時間はかからなかった。けもの道を、来たときとは違うルートで下って行く。着いたのは墓地だった。 かつてあの家に住んでいた人たち、真田の曾お祖父さんや曾お祖母さん、もっと昔のご��祖様たちが眠っているらしい。 「なるほど、挨拶をしておきたい人ね」 「すまん、俺のわがままに付き合わせて」 お墓はきれいに手入れされていて、ほとんど掃除は必要なく、花立ての中身を新しい花と水に取り替えるだけでよかった 「曾お祖父さんたちに会ったことはある?」 「生まれたばかりの頃にな。だから、あまり記憶はないのだが」。 真田は線香の火を手であおいで消し、皿の上に寝かせた。 「今日は幸村を連れてきました」 言いながら墓石に水をかけて、その前にしゃがんだ。 「俺の……親友の」 親友、という言葉を使うのに、どこかためらいがあった。真田は、変わりつつある俺との関係をうまく言い表せないみたいだった。 「真田くんにはいつもお世話になってます」 俺も一緒で、あいまいに誤魔化した。 真田は手を合わせて、目を伏せた。俺もその横にしゃがんで、真田に倣った。 ちらりと横目で窺うと、真田は難しい顔をしていた。ご先祖様にたくさん報告したいことがあるみたいだった。 俺は何をどう言えばいいんだろう。弦一郎くんと俺の行く末を、どうか温かく見守ってくだされば嬉しいです?大事な子孫はお前にやれん、って祟られたらどうしよう。いや祟るなんて、ご先祖様に失礼だな。 悩んでいるうちに突然、携帯電話が鳴った。母さんからの着信だった。知らない間に電波が復活していたようだ。 真田が片目だけ開けて、俺を見る。 「……ごめん、こんなところで」 「いいから、出ろ」 促されて、通話ボタンを押す。ハイのハの字も言わないうちに、精市あなたどこにいるのいつ帰るの真田くんは一緒なの、と矢継ぎ早に質問をぶつけられた。 母さんはおかんむりだった。連絡がつかなくなったことというより、そのせいで検査の結果を伝えられなかったことに。そういえば、異常がなければ電話で、と先生と話した覚えがある。 珍しく音量が大きくなった母さんの声は外に洩れまくっているらしく、知らないうちにご先祖様への話を終えていた真田に苦笑いされる。 どうにか母さんをなだめて、電話を切った。 「解決したのか」 「うん、帰ったらあらためて雷が落ちるだろうね」 「ならば、早く帰らんとな」 「……帰りたくない」 また来ます、と律儀に挨拶をして、真田は桶と柄杓を手に立ち上がった。俺がわざとのろのろしているうちに、踵を返して行ってしまう。強引だ。 「この前の検査、ちゃんと結果が出たそうだよ」 真田が借りたものを元の場所に戻すのを待って、言った。歩みを進めながら。 「どうだった」 「寛解って言うんだって」 字面がうまく浮かばなかったのか、カンカイ、とおうむ返しされる。 「ほとんど完全に治ったっていう意味」 真田は吐息を零した。すぐに言葉が浮かばないようで、咽喉を詰まらせる。結果は分かりきっていたけれど、やはり心配させていたようだ。 「……よかったな」 「うん、よかったよ」 でも。 真田に比べると俺の声は冷ややかで、自分でも驚いた。安堵はあっても、いざ結果が出ると手ばなしでは喜べなかった。 検査の数値は、決勝戦から二日後の俺の体を表している。たった二日間であの病気がどうにかなるとは思えない。 つまり、決勝戦のあの日、俺は病に倒れる前と同じコンディションで、テニスコートに立った。 「いつもどおりに戦って、俺は負けたんだね」 真田の瞳が揺れる。痛みに耐え���ように、切れ長の目が鋭くなって、眉間には皺が寄った。 「そうだ」 それでも、真田は確かな声で肯定した。 決勝の日の情景が、鮮烈に蘇った。誰も俺を見ようとはしない中、真っ先に俺を見つめ頷いた真田と、今目の前にいる真田とが、重なる。 ――負けた。その三文字が、急に胸の中いっぱいに広がった。 その場に縛りつけられたかのように足が動かなくなる。追いかけなければ、と思うのに、俺と真田の歩幅は開いていく。 「……幸村?」 怪訝そうに、真田が振り向いた。 「ごめん、なんか、いきなり」 奥歯がかちりと鳴る。震えだす肩を、自分で抱いた。 いつか答えが出たら、そのときは一緒に抱えてやる。昨日真田が言った「そのとき」は想像していたよりずっと早く訪れて、答えはいたって単純だった。 「……悔しいなあ」 悔しい。ただそれだけ。 言葉にした瞬間、こめかみがぎゅっと熱く、痛くなる。 勝ちたかった。欲しかった、みんなに、真田にあげたかった。誰もが俺たちの勝利を祝福する拍手喝采。トロフィーの金色の美しさ。風を受けて翻る優勝旗の重み。そこに刻まれた「優勝」のふた文字が、どんなに誇らしいか。 すでに知っているからこそ、それらすべてを俺の手で葬ってしまったことが、悔しくて仕方がない。そのためだけに生きて、テニスをしてきたと言っても過言ではなかった。いっそ死んでしまいたいぐらいだ。 は、と息が洩れたのが引き金だった。まなじりを涙が伝う。それが地面に落ちるより先に、新しい滴が流れる。すぐに頬も顎もしとどに濡れた。 とうとう歯の根が合わなくなった。浅い呼吸が勝手に繰り返されて、息の仕方が分からなくなる。苦しくて唇を結ぶこともできなくて、嗚咽が勝手に溢れ出す。こんな子どもみたいな泣き声が到底自分のものだと思えなくて、驚いた。子どもの頃だってこんな風に泣いたことはなかったかもしれない。 真田どころか誰の目にふれるか分からない場所で醜態を晒す恥ずかしさで、頬が灼けた。それでも、悔しさの方がずっと大きくて、抑えきれなかった。 「幸村」 真田はほんの少し猫背になって、俺の両肩を手のひらで包んだ。指が筋肉に食い込んで、少しだけ痛い。 ぼやけた視界の中で、真田の真っ黒な瞳だけがはっきりと映った。ふたつの黒は俺をとらえて離さない。あまり泣き顔を見せたくないのに。 両手で顔を隠そうとしたとき、真田の顔が近づいてくるのが分かった。 「なっ、なに……」 近すぎる、と思ったときにはもう、距離はゼロになっていた。震えてろくに言葉も作れない俺の唇に、真田の唇が被さる。 涙が、もしかしたら鼻水まで口に入ってしまうかもしれないだとか、真田の唇も俺と同じくらい震えていて、とてつもなく緊張しているんだな、とか。とりとめもないことが次々に頭をよぎっては消える。 生まれて初めてのキスを奪われたのに、怒りも嫌悪もそこにはなかった。 ひたすらに、安堵していた。 俺はずっとひとりで戦っていたんじゃない。みんなが言葉で態度で示してくれていたことが、今やっと腑に落ちる。 ふっと息を��がして、真田は退いた。唇が重なっていた時間は、きっと三秒にも満たなかった。 「すまん、こうしたら治まるかと思った」 言い訳ではなくて、本気でそう思っただろうことが伝わってくる声音だった。真田は時々とんでもないことをする。 しかも治まるどころか、逆効果だ。悔しさに安心が加わったせいで、体中の水分が出てしまうんじゃないかと心配になるぐらい、涙の量が増えた。 「……さなだあ」 真田、さなだ、とばかみたいに名前を呼んだ。真田は、ああ、とそのひとつひとつに律儀に応えてくれた。俺が一緒にいる。そう言外に含ませて。 しかしそれだけではどうにも心細くて、今度は俺から顔を近づけた。真田の唇を啄む。うまくいかない俺の呼吸が正しい真田のそれに同期されるぐらい、深く。 肩にあった真田の手が、遠慮がちに背中に回る。俺も腕を伸ばすと、抱き締められた。 乾いてささくれた唇が、その奥の正反対にやわらかい粘膜が、俺よりも高い体温が、背中に食い込む腕の力が、真田が俺の側にいて、俺を決してひとりにしないことを教えてくれる。 耳鳴りの向こう側で、蝉の鳴き声が聞こえた。もうすぐやって来る命が燃え尽きる瞬間に憔悴したかのように、けたたましく鳴き続ける。 「……っ、は」 お互いに息継ぎの仕方を知らないせいで、そう長い間唇を塞いではいられなかった。離れがたい、とためらいながら、距離を置く。 口づけの間も流れ続けた俺の涙は、真田の頬までも濡らしていた。点々と残る滴が、まるで俺と一緒に泣いたみたいだった。 真田は俺のよるべだ。今までも、これからも。 思わず、真田に触れる指をぎゅっと丸める。確かな感触と温度がそこにある。 「痛いぞ、幸村」 真田がほほ笑むのが分かった。仕返しのつもりなのか、さっきよりも強い力で抱かれた。 どちらからともなくまた唇を合わせると、一瞬だけ蝉の声が止んだ。 夏が終わる。長い、本当に長い夏、だった。
☀9月1日
「どうしたんスか」 ステージの下にやって来た幸村部長を見て、訊かずにはいられなかった。 瞼をぱんぱんに腫らし、女子たちが騒ぐ整った顔立ちも形無しだった。マジひっでえ顔。 たぶん、昨日泣いたんだというのは察しがつく。俺もつい一週間ぐらい前の決勝の次の日、同じような顔になったから。 「やっぱり分かるかい?」 「分かりすぎてやばいっスけど……どうしたんスか」 分かっていながらも、衝撃的すぎて二回も同じことを訊いてしまった。そもそもどんな理由でこんなになるまで泣いたのかっていう好奇心もあって。 「……秘密」 ふふ、と笑う部長。いつもみたいに様にならないと思ったら、照れているみたいで、頬がほのかに赤くなっている。あ、悪い理由じゃないんだ。少し安心した。 「大会終わってから、なんかしました?」 「すごい田舎に行って、夏休みらしく過ごしたよ」 「へえ、いいっスね。俺宿題やばくて休みどころじゃなかったっス」 「それは終わったのだろうな」 いきなり真田副部長が割って入ってきて、びくっとしてしまった。 「蓮二に相当頼ったと聞いたが」 「あー、そりゃもうお陰様で!すげえ助かりました……へへ……」 ぎろりと睨みつけられるのを、笑って受け流した。頼りはしたけど答えは絶対に教えてもらえなくて、泣きながら、これはたとえじゃなくて五回ぐらいマジ泣きしたけど、まあそんなかんじでどうにか片付けた。 というエピソードを話してもよかったけどやぶへびになりそうで、会話を打ち切る。表彰、とっとと呼ばれねーかな。 文武両道を良しとする学校なだけあって、夏休み明けは表彰の数がとんでもないことになる。女テニが賞状渡されてるから、次ぐらいだろうか。 女テニの成績は、全国には進出したものの、決して華々しくはなかった。それでもレギュラーの面々は目に涙を浮かべていた。嬉しいのか悔しいのか、たぶん両方だ。 俺はどういう顔をしてあそこに立てばいいんだろう。 「男子硬式テニス部」 答えを出す暇もなく呼ばれた。部長を先頭にしてシングルス組、その後ダブルス組、という隊列で壇上に進んだ。 「団体戦、準優勝」 そう告げられるなり、空気が急にざわめき立つ。優勝できなかったことを今知った奴らだ。それどころか、結果をとうに知っていた校長も、俺たちに残念そうな顔を向けてきやがった。どいつもこいつもうるせえんだよ。なんにも分かんねえくせに。 「言わせておけばいい」 俺がイラついてるのをいち早く察しただろう柳先輩に、小声で諭された。 「……あざっす」 先輩の言うとおり、誰がなんと言おうと、俺たちが精一杯やった結果には変わりなかった。誇らしい結果。せめて、と思って、胸を張ろうとして、失敗した。 幸村部長が、ひとりいちばん前へと躍り出たからだ。迷いのない足取りだった。 かたわらの真田副部長は、微動だにしなかった。てっきり今回も副部長が受け取るものだと思っていたから、マジでびびった。誰も口にしなかったけれど、俺たちの間には、優勝旗以外は部長に触らせたくないという気持ちが確かにあった。 「準優勝、おめでとう」 二本の腕をぴんと伸ばして、幸村部長は校長から盾を受け取った。盾に大きく書かれた準優勝の文字をじっと見て、それから、この世界でいちばん大切なものみたいに、銀色の盾を抱えた。 部長はゆっくりと振り返る。壇上から、真っすぐに全校生徒を見据えた。 「ありがとうございました」 校庭中に響く声だった。ひどく震えた声、だった。 瞳に張った涙の膜を揺らして、唇をぎゅっと引き結んで、緊張した肩を震わせて。こんなに悔しそうな幸村部長を、俺は見たことがなかった。涙を零さないのは、きっと部のトップとしての最後の意地だった。 真田副部長は眩しそうに目を眇め、部長を見つめていた。見守っていた。 たちまちに目の奥が熱くなる。 みんなが見てる中で泣きたくなかったのに、結局俺は、柳先輩にあやすみたいに背中をさすられるぐらいぼろぼろになった。勘弁してくれ、クラスの奴らになんて言われるか、ああクソ治まる訳がねえよ、だって、幸村部長が俺たちと一緒に泣けてよかった。 もうどこにも、幸村部長がひとりで戦う必要なんてなくて、よかった。
(2014/11/30)
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