#神殿(鳥山邸)からとても近いし
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鳥山先生のことが頭から離れずにお参りした日に引いたおみくじ 突然こんな日がくるなんて、 こんなにでっかく空いた胸の穴を実感するなんてと、 よろよろ歩きながら、ひいた。 半吉とあるが励ましてくれるような良い(優しい)内容だなと感謝しながら結ぼうとしたときに、挿絵におどろいた こんなことってあるのけ・・・? まさかの鳥と、山の絵、 よく読むと文章に”明”の文字🐦⛰️ 神さまが慰めてくれたとしか思えない 神の愛を、めちゃくちゃ感じたし やっぱり鳥山明は神様なんだとおもった。🐦😇ノ"(っ <。) 思えば88番という数字も、 縁起が良いし無限と∞がふたつある。 鳥山明が永遠に続く気がした ∞∞
鳥山先生、 残りの人生 心臓はとっくに捧げてますが 最大の愛と尊敬と感謝をささげ続けます 最初から最後まで鳥山明だったそういう人生にします 本当に長い間、お疲れさまでした 有難うございました!
#ソッコー社務所へ行き、巫女さんたちに見せたら驚いていた🦊🦊#霊験あらたか豊川稲荷びっくりエピソードのひとつとして語り継いでくださるらしい🙏✨#神様#そういえば、愛知の豊川稲荷様は#神殿(鳥山邸)からとても近いし#鳥山先生ゆかりの地だったのではないか?とふとおもった。狐のお面も、なじみ深いものにしてくれたのは鳥山先生だ…う、ううわああああああああああああああああああん;;#🐦😇✨#おみくじ#伝説のオダイたまゑ様の本を書いた内藤憲吾さん(現実主義者リアリスト)が、神様はおみくじを念写できると言っていた。#マシリトのラジオを聞いて、ドラゴンボールの成功はコインのようで、コインの裏面が鳥山・マシリトコンビで#表面が読んでくれる子供たち(読者)だというようなことを言ってた。半吉というのにも神の意思を感じる…
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニ��ネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他��湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖���即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅸ
花鳥誌2024年9月号より転載
日本文学研究者
井上 泰至
16 紅梅や旅人我になつかしき
『六百句』に「なつかしく」の句形で「(昭和二十年)四月十四日 在小諸。懐古園に遊ぶ」の注記あり。『小諸雑記』(昭和二十一年)「紅梅」の章にも「懐しく」とあるが、同書「小諸の浅春」の章には「なつかしき」とある。『小諸百句』(昭和二十一年)には、「立子と共に懐古園に遊ぶ」と注記。
この句の詠まれた事情は、『小諸雑記』によれば、以下の通りである。庭に色彩のあるものが殆どないことを、家主の小山榮一氏に伝え、せめて一本の紅梅でもほしいと言っていたが、小諸の駅前にある懐古園を歩いていると、一つの紅梅を発見し、これで十分、家の庭にはなくてもよいと思い、飛騨への旅で車窓から一瞬見た景色に満足した経験を思い出し、「どこにでも気に入つた紅梅があればいい」として、この句を書き留めている。
俳人にとってはゆっくり見たものだけが句材ではなく、記憶に残った風景も句材になることは経験上多いだろう。虚子は既に若き日、『俳句入門』(明治三十一年)で、題詠における「回想」の効用を認めている(井上『近代俳句の誕生』)。今、近年の言説として片山由美子氏のものを挙げておこう。
(袋回しについて)そんなとき役に立つのは、日頃の俳句の断片の蓄積や視覚的記憶である。題詠だからといって、空想だけでは決してできない。ふだん目にしているものの映像的な記憶がり、一句の場面として定着する。じつはこれは俳句を作る際につねに無意識に行っていることである。俳句には「写生」が重要だと言われる。(中略)だが、人間がものを見ると言うのは眼前だけではない。極端な言い方をすれば、あるものを見るとき、すでに見る前からそのものを以前見たときの印象や認識を重ねて見るのである。そして、そのとき見たものはあらたな記憶としてとどめられ、そのものが目の前にないときでも眼前にあるときに近い描写をすることができる。わたしたちが俳句を作るときには、こうした作業を無意識に行っているのである。それが、席題で句を作るときなどには最大限に発揮される。(「句会を楽しむ―句会とは何か―」(『別冊俳句 俳句生活 句会の楽しみ』二〇〇八年)
なお、句形の違いに一言すれば、「なつかしき」は口調が強く、「なつかしく」は優しい。句意は、虚子とて疎開の境涯たる「旅人」であり懐かしさはひとしお、紅梅のその色と香がいっそうその思いを募らせるものだったということであろう。
そもそも梅は「懐古」の花である。例えば、太宰府天満宮の本殿向かって右手にある御神木「飛梅」。菅原道真は、京都から大宰府へいわれのない罪で左遷される折、自邸の梅の木に、
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花
あるじなしとて春な忘れそ
と歌で別れを告げ、道真を慕った梅の木は、一夜にして大宰府まで飛んできたと伝えられる。御神木として大切にされている飛梅は、極早咲きの「色玉垣」という白梅だが、春の訪れを告げるこの花には、苦節の末のわずかな幸せを象徴する属性があった。島崎藤村の詩で有名な、小諸古城の旧園での成立も似つかわしい。
三月十日には東京大空襲もあった太平洋戦争末期の心細い時期、二年に及ぶ疎開の果ての虚子の心情は察するに余りある。
17 山国の蝶を荒しと思はずや
「ホトトギス」昭和二十一年五月号初出。『小諸百句』にも所載。『六百句』に「(昭和二十年)五月十四日 年尾、比古来る。小諸山盧」と注記。
虚子の生涯でも一大エポックと言える、この句の成立事情についての「公式見解」は、次の年尾の解説にある通りだが、実際の事情は後で触れるように、複雑である。
父は戦時中信州小諸に疎開して居つた。私も偶々父の家に滞在して居つた。京都から田畑比古が訪れた。父はいつも極つた道を散歩した。それは父の毎日の日課であつた。比古と私を伴つて、その散歩道をいつもの如く連立つた。春先の野路にとぶ蝶を見た。父は二人を顧みて此句を示した。
比古は京料亭「京饌寮」主人で、虚子の小説『風流懺法』のモデル妻の三千女ともども虚子門で、この句は信州小諸とは距離的にも風土的にも縁遠い、京都人の比古に向けて詠んだ点に妙味がある。
虚子編『新歳時記』の「祭」の項目には、虚子の風土観の核が京都にあったことが、明確に見て取れる。虚子のいう季���としての「祭」は、葵祭などを基本とした関西の風土におけるそれを指していることが了解され、関東を中心とする「神田祭」や「三社祭」は、立項されていない。深見けん二の証言によれば、昭和六十一年刊行の『ホトトギス新歳時記』を編集した折、この江戸風の気風のいい祭は、深見の提言でようやく採録されたことが後に明かされている(『珊』九十四号、平成二十四年五月)。
そのような虚子にとって、小諸への疎開は、芭蕉が奥州を旅して、新たな句境を得たのと似た意義があった。京都人比古に、「山国」の「蝶」の荒々しい飛翔という主観を示した掲句は、その象徴的な句なのである。ちなみに年尾も芦屋在住であった。
なお、この句は句案の変遷が明らかになっている。初案は、
山国の蝶は荒しと思はずや
であり、三人だけの句会での出句たる二案は、
山国の蝶の荒しと思はずや
であった。それが最終的に掲句の形に落ち着いている。この三句の変遷については、宮坂静生の指摘があるので引いておこう。
ア案(初案―井上注)は浅間からの強い風に抗うように飛んでいる蝶を見た嘱目である。強く提示しすぎて蝶の本意を損ない、一句のバランスがわるい。 イ案(二案―井上注)は下の句の問いかけに対して、〈の〉では迫力がない。掲句の〈を〉によって〈荒し〉の対象が意外にも可憐な蝶なんだと驚きをもって納得される。そんな蝶をともに見ない人までも、見たような感動を味わうことになる。 (『俳句鑑賞1200句を楽しむ』)
疑問を差し挟む余地のない推論で、『虚子百句』の年尾の解説では、嘱目で一気に最終案が即吟されたかに思えるが、むしろ虚子はこの句の出来に執心し、練り上げたことが確認できる。虚子自身、この句への確かな手応えがあり、てにをはも、なおざりにはできなかったものだったのである。
信州小諸と言えば、暦の上で夏五月ではあるが、晩春の趣きであり、京都中心の風土観に縛られない、写生の実践の成果だった。「山国」の二文字は重い。小諸市虚子記念館には、虚子揮毫の句帖二冊が、折本の形で残されているが、山盧から望む山並みの形に句の字配りがされている。『虚子百句』中、「山」の字を含む句は十二句の多き数え、本書においても、重きをなす字であった。
昭和二十年四月末にはムッソリーニも処刑され、ベルリンも陥落して、ヒトラーも自殺している。日本は戦争継続を公式に表明しているが、三月から���月にかけては、京都を除く日本各地の主要都市で大空襲の惨状が伝えられるようになっていた。そこをくぐりぬけてきた比古への「挨拶」が、山国らしき蝶の飛翔だった。
「荒し」は、蝶の本意の対局にあるだけ、新鮮な写生の結晶でもあり、亡国の淵に立つ情勢下にあっても、元気を失わな強さが、そこに潜んでいたことを肝に銘じたい。
『���子百句』より虚子揮毫
17 山國の蝶を荒しと思はずや
18 桃咲くや足投げ出して針仕事
国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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てん し つき ぬけ
👼 「天 使 突 抜」 ⛩️って〜どんな天使⁉️
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📝「 天 使 突 抜 」 の由来 -----
「天使」と言えば、羽根の生えたかわいい神の使いのエンジェル を想像してしまいますが、︎ この「天使突抜」の 天使 はそんなロマンチックな話しではなく、日本の歴史的な話しになりますーーー それは、牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶が、平安時代末期 1176(安元2)年に出会った京都のとある神社 → 平安遷都 の 794(延暦13)年に創社の 『 天使の宮 』 = 『 五條天神宮(ごじょうてんしんぐう) 』の 由緒ある歴史的な名前から きています〜!?
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--- 目 次 ---
(1)端的に 「天使突抜」の 要 約
(2)詳しい 「天使突抜」の 解 説
2-1)五條天神宮 と 少彦名命(すくなひこなのみこと)
2-2)豊臣秀吉 の 京都都市大改造
2-3) 天正の地割 の 町割変更 による 縦割り通りの新設
2-4) 天正の地割 による 「天使突抜」 の誕生
(3) ✍️オマケ📝【天正地割の副産物「路地」】
(4)📝参考までに--- 建物疎開、京都の空襲
4-1)建物疎開 の犠牲による 道路幅拡張 の歴史
4-2)京都の空襲 と 原爆投下候補地
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(1)端的に 「天使突抜」の 要 約
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✍️端的に『天使突抜(てんしつきぬけ)』を説明すると、次の① ② ③ になりますーーー
① 『 天 使 』 →
「天使の宮(五條天神宮)」を指す。
その「天使」とは、主祭神:「少彦名命(すくなひこなのみこと、すくなびこなのみこと) 」 の 別名・通称名。
〒600-8459 京都市下京区松原通西洞院西入ル天神前町351番地 に鎮座する、794年 平安遷都時に創社した洛中古参の神社。なお、当時の「五條通」は、現在の「松原通」。
また 中世以来、度々火災に遭い規模の縮小を余儀なくされ、現在の社殿は近時の再建で、1888(明治21)年に今の 幣殿 を再建、 1933(昭和8)年10月に本殿をはじめとした各建造物を改築し、現在に到ります。
② 『 突 抜 』 →
近世(安土桃山〜江戸時代)の京都市中の道路形態の一種。大路や小路の間に新しく通した南北の道路で、あいだに寺社や邸宅などがあって分断されるものを言う。
③ 『 天 使 突 抜 』 ▶︎▶︎▶︎
時は、16世紀末 安土桃山時代…豊臣秀吉が実施した 京都都市大改造事業の一環で、正方形街区を南北縦割りの短冊形=長方形街区に分断して、新たに通りを増やす「天正の地割(てんしょうのじわり)」政策により、「天使の宮」の当時 広大な境内の真ん中を分断して、南北を通る道「天使突抜通(現:東中筋通)」を新しく建設し、その辺りの町名を「天使突抜○町目」としたことによる。
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(2)詳しい 「天使突抜」の 解 説
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✍️ もう少し詳しく知りたい方や興味のある方は、少々長くなりますが、以下の説明をご覧くださいーーー
⏱️ 時はさかのぼり〜平安遷都の西暦794年に始まり、16世紀末 豊臣秀吉の安土桃山時代の頃になります。
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2-1) 五條天神宮 と 少彦名命(すくなひこなのみこと)
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「五條天神宮」は、794(延暦13)年の平安京遷都の際に桓武天皇の命により、弘法大師・空海によってこの地に 大和国宇陀郡(奈良県)から 天神(あまつかみ)を勧請(かんじょう)されたと伝わる洛中最古社。創建当初から「天使の宮」や「天使社」とよばれ、鎌倉時代初期に「五條天神宮」に改められました。
「五條天神宮」のご祭神は、次の3柱です。
①主祭神:「少彦名命(すくなひこなのみこと、すくなびこなのみこと)」
②配祀神(はいししん):「大己貴命(おおなむちのみこと)」 = 「大国主命(おおくにぬしのみこと)」
③配祀神:「天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)」 = 「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」
農耕、病気退散の神、疫神、厄除け、医道の祖神、医薬、禁厭(きんようorきんえん、まじないの意)の神様として、古くから広く崇敬されてきました。
ちなみに、神話をもとにして、我が国の「薬祖神」として崇められているのは、「少彦名命(すくなひこなのみこと、少名毘古那など11通りの書き方がある) 」と 「大己貴命(おおなむちのみこと、大国主命など合わせて6つぐらいの異名がある)」である。二神が力を合わせて国を治め、人々や家畜の病気の治療法を定め、獣や昆虫の害をはらうまじないを教えたと言われています。
👉 3柱あるご祭神の内の主祭神である「少彦名命」の異名である「天子」の呼称は、当時は 神の子孫であるとした天皇 を示す言葉で 混同しないようにと配慮されて、神の使いを表す『天使』に呼び名を言い換え、創建当初から「天子の宮」ではなく「天使の宮」または「天使社」と呼ばれ、その近辺の住人達からは「お天使さま」とも呼ばれていたようです。
👉 ちなみに、794年「天使の宮」創建のほぼ半世紀後に生誕された「菅原道真(845〜903)」 の霊を祀った天神(てんじん)とは別モノですが、本殿の背後にある境内社の中に 菅原道真 を祀る「筑紫天満宮」(洛陽天満宮二十五社順拝 第3番)と、菅原道真と縁の深い ご祭神:十川能福(そごうのうふく)の「福部(ふくべ)」神社 及び ご祭神:渡会春彦(わたらい はるひこ)の「白太夫(しらだゆう)」神社が鎮座しています。
それは、北東方角100m強程の離れた 西洞院通仏光寺 菅大臣町に位置する、菅原道真 の生誕地「菅大臣神社」(洛陽天満宮二十五社順拝 第1番、菅公御霊地三社)が鎮座していることと、関係しているのかも知れません。
平安時代後期の 久寿年間(1154-1156)には「祇園社(現在の京都市東山区にある 八坂神社の旧称)」の末社でしたが、その後 平安から鎌倉時代初期に天皇家の支配下になり、少なくとも南北朝時代の1390年に再び「祇園社」の末社に戻ったといわれています。
👉 鎌倉時代初期の第82代・後鳥羽天皇(在位: 1183-1198)の支配下にあった「天使の宮」は、「五條天神宮」と改められました。
👉 なお、清水寺への参詣道としてもにぎわった「五條大路(五條通)」は、豊臣秀吉の京都大改造までの呼称で、以降は「松原通」と呼ばれるようになり 今に至ります。
源義経(1159-1189)とその主従を中心���書いた作者不詳の軍記物語『義経記(ぎけいき)』によると、平安時代末期の 1176(安元2)年6月に 源義経(牛若丸)が 武蔵坊弁慶(?-1189)と出会った場所として描かれています。
それに取材した 謡曲「橋弁慶」でも弁慶は五條天神に丑の刻参りに訪れた際に五條大橋に現れる牛若丸の存在を聞いて橋へと向かったとされ、また その様子は京都では有名な「祇園祭・後祭」の「くじ取らず」の山鉾巡行 一基目の「橋弁慶山」でも描かれ、おなじみの光景となっています。
👉 当時「天使の宮」の東側を通る 西洞院通(旧:西洞院大路)には「西洞院川」が流れていました。牛若丸と弁慶の立合いがあったのは、天使の宮から約1.2km離れた五條大橋(現:松原橋)ではなく、この西洞院川に架かっていた橋という伝承もあり、確証はありませんが、この説の方が自然なのではと思われます……
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2-2) 豊臣秀吉 の 京都都市大改造
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✍️ それから 時は16世紀末の 豊臣秀吉 の安土桃山時代にワープしますーーー
1582(天正10)年に 明智光秀 が謀反を起こし、京都 本能寺に滞在する主君・織田信長を襲撃した「本能寺の変」後、羽柴秀吉はいち早く行動をおこし、戦国の騒乱に終止符を打ちました。
秀吉は、1585(天正13)年に関白職を 受け、1586(天正14)年に豊臣の氏を賜り太政大臣に就任し、政権を確立すると同時に、戦国時代からの荒廃した京都の町の復興のため、かつての平安京の「条坊制」の特長を残しつつ、京都の地形並びに治水対策、商業を含めた街の活性化・繁栄のための街区の町割区画整備 等を考えた綿密な計画のもとに、下記の主な①から⑤の京都大改造の事業に取りかかり敢行しました。
👉 これにより 現在の京都の基盤を築きあげ、今日の京都を形づくったのは、天下人となった 豊臣秀吉 だったのてす。
① 「聚楽第(じゅらくだい、じゅらくてい)」の造営を 1586(天正14)年 に開始し、その周辺に「大名屋敷町」を建設しました。
② 「御所の修築」を 1589(天正17)年 から行い、その周辺に「公家屋敷町」を配置しました。
③ 「寺町・寺之内」の「寺院街」を 1590(天正18)年 に造成して、主に「寺町通」沿いおよび「寺之内通」沿いに寺院を「京中屋敷替え」と呼ばれた強制移転を強行し 集中させました。
④ 「天正の地割(てんしょうのじわり)」を1590(天正18)年から翌年にかけて敢行。平安京からの「条坊制」による 正方形街区=碁盤の目の区画を、要所要所で 縦=南北 に短冊形に割って 長方形街区にして 区画及び通りを増やし、街区の町割区画を整備・再編成。
この時の町割の変更に伴う新たな通りの建設事業が、「天使突抜」という地名ができるきっかけとなります。詳しくは、後述します。
⑤ 「御土居(おどい)」を 1591(天正19)年に、外敵の襲来に備える 防塁 と 川の氾濫から街を守る 堤防 として、京都の周囲を丸ごと取り囲む土塀を、防御施設=総構として張り巡らせました。その範囲は、北は上賀茂から鷹ヶ峰、西は紙屋川から東寺の西辺、南は東寺南側の九条通、東は鴨川西側の河原町通まで、南北約8.5km、東西約3.5km、総延長は 約22.5kmにも及びます。
この御土居によって、京都市中を意味する「洛中」と、外部である「洛外」が明確化されました。そして 御土居には「京の七口」と呼ばれる関所となる出入り口がつくられ、これによって京都に入ってくる人間をチェックするようになりました。
---関白になった豊臣秀吉は、京都を実質的に支配し、応仁の乱等で大半が焼失し荒廃した京都を大規模な都市改造政策をもって復興させ、①から⑤等の多くの都市改造の大事業を敢行し、聚楽第の建造や街区の町割区画整備 等の施策を中心に 洛中の周囲を土塁で囲まれ、容易に攻略できない巨大な城郭(城塞)都市に生まれ変わったのです。
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2-3) 天正の地割 の 町割変更 による 縦割り通りの新設
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✍️ 「天使突抜」の名前由来の話しに到達する前に、もう少し関連する歴史的な話しが続きます--- それでは、1590 (天正18)年 の ④「天正の地割(てんしょうのじわり)」 の話しになりますーーー
室町時代後期から力を付けてきた京都の商人は、「通りに面した向かい合わせた両側」のコミュニティを1つの町(ちょう)と考える「両側町」と呼ばれるグループを構成し、一体感を背景としたにぎわいをみせるようになっていました。
それまでの平安京からの「条坊制」による 正方形街区の場合、1区画が約120m四方の正方形のブロックの四辺に住居や商店が建てられ、中央部分が空き地になることが多く、農地として利用されたり 空き地になったりして、無駄な土地が多いという欠点がありました。そして、当時は「間口税」という 間口の幅=道路に面した建物の正面の幅 の広さによって税金の額が決められていたので、碁盤の目のような正方形街区を2つに分けて長方形にして面を増やせば、税収とは無関係だった中央の空き地部分にも商店や住宅が建てられ、より多くの間口税を徴収することができるようになります。
そこに秀吉は着目し、京都の復興には「商業の発展」が不可欠との確信から、町割と通りを増やして 街や商業の活性化 及び それに伴う「間口税」の税収増を目指し、平安京からの「条坊制」による 正方形街区=碁盤の目の区画を、要所要所で 縦=南北 に短冊形に割って 長方形街区にして 区画 及び 通り を増やし、町割を大きく変更する「天正の地割」を敢行しました。これにより、京の街路は南北120m、東西60m間隔で長方形状に区画されることとなり、現在に至っています。
新設された南北の通りの 東は 寺町通 から西は 大宮通 にかけてで、北端は 丸太町通 から南端は 五条通 付近となっているものが多く、後に延長されたものも多いとされています。
新設された南北の通り名を 東から順に次に記しますが、「 --- 」で続けて記した通り名は、道の途中で一旦中断して 数町(丁)進んだところで 南北の道が再び始まる同一直線上にある通りのことになります。
① 御幸町通(ごこまちどおり)、② 富小路通(とみのこうじどおり) ………平安京の 富小路通 は現在の 麸屋町通(ふやちょうどおり) にあたる、③ 堺町通(さかいまちどおり)、④ 間之町通(あいのまちどおり)、⑤ 車屋町通(くるまやちょうどおり) --- 不明門通(あけずどおり)、⑥ 両替町通(りょうがえまちどおり) --- 諏訪町通(すわんちょうどおり)、⑦ 衣棚通(ころものたなどおり) --- 小田原町通(おだわらまちどおり)、⑧ 釜座通(かまんざどおり) --- 若宮通(わかみやどおり)、⑨ 小川通(おがわどおり) --- 東中筋通(天使突抜通)、⑩ 醒ヶ井通(さめがいどおり)、 ……… 他、合計: 12 通りで、現在も京都市の市街地を支える重要な通りとなっています。
また、四条烏丸 を中心とする一帯(下京の中心部)は、天正地割以前から十分に市街地が発達していたため、通りの新設は行なわれなかったので、この地域では平安京以来の正方形の区画が残っています。
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2-4) 天正の地割 による 天使突抜 の誕生
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👉 そのうちの一つとして、五條通(現在の 松原通)にある 天使の宮・天使社 とも呼ばれた「五條天神宮(ごじょうてんしんぐう)」の 広大な鎮守の森= 「天使の杜(もり)」を、南北に貫通するかたちで街路を分断し、その「天使の宮を突き抜けて作られた道」を「天使突抜通(てんしつきぬけどおり、現在の 東中筋通)」、その道に沿った 両側町 の町名(ちょうめい)を「天使突抜○町目」と呼ぶようになりました。その後、太平洋戦争終戦以降は「天使突抜○丁目」に変わったようです。
ちなみに、「突抜(つきぬけ)」 とは、近世(安土桃山〜江戸時代)の京都市中の道路の一種。大路や小路の間に新しく通した南北の道路で、あいだに寺社や邸宅などがあって分断されるものを言います。
かつての 「天使突抜通」は、現在では名称が変わり「東中筋通(ひがしなかすじどおり)」と呼ばれ、西洞院通(旧:西洞院大路)と 油小路通(あぶらのこうじどおり、旧:油小路)の間に位置します。
北は 仏光寺通(ぶっこうじどおり、旧:五条坊門小路)から、南は 木津屋橋通(きづやばしどおり、旧:塩小路)までの下京区を南北に貫通する細い小路(こうじ、しょうじ)です。
👉 東中筋通(旧:天使突抜通)に沿っての両側町で 天使突抜の町名 として名付けられ、
①松原通(まつばらどおり)の少し南から 万寿寺通(まんじゅじどおり)までの 天使突抜一町目、
②五条通までの 天使突抜二町目 があり、
③五条通より南へ楊梅通(ようばいどおり)までの 天使突抜三町目、
④六条通(ろくじょうどおり)までの 天使突抜四町目 があります。
京都市のほとんどの 町名 は 末字(まつじ)に「町」がついて「○○町」と呼びますが、「天使突抜○丁目」は末字に「町」がつかない町名になります。ただ、その町内住人は 例えば 私の住んでいる「天使突抜二丁目」では、そのままでは少々長いので 普段は略して「天二町」と呼んだり書いたりしています。
🤟これは表に出てこない裏話ですがーーー天二町内の 今は亡き 昭和1桁生まれの長老のT氏から以前に聞いた話し ー→ 「昔は、五條天神宮= 天使の宮 =天使社 の坊さん達 が、南方面にある遊郭へ 買春しに行く時に 通り抜けていった=天使社の坊主が突き抜けていった から、天使突抜 と呼ぶんや〜」…とその辺りの住民達が揶揄して、天使突抜 の名前が 親しまれてきた経由があったと、その長老T氏 も 同じように町内の長老からそのように聞かされてきたとのことでした…🤭💁♂️🤦♂️👻
( 注📝 現在の「堀川通」や「五条通」や「高辻通」は、太平洋戦争時の空襲被害に備えるための 防空空地や消防空地 設営の「建物強制疎開」により、終戦年の1945(昭和20)年前半に道路幅がそれぞれ拡張されています。また、その時の「堀川通」の道路幅拡張により、五条通以南の「醒ヶ井通(さめがいどおり)」は消失し、オマケに「京の��名水」の一つの「左女牛井、醒ヶ井(さめがい)」の円井戸も消失してしまいました。)
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(3) ✍️オマケ📝【天正地割の副産物「路地」】
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✍️ 【 天正地割 の副産物 「路 地」 】
西暦794年の平安遷都では、中国の都:長安をモチーフに、街区の町割りを「条坊制」が採用されました。大内裏(平安宮)と羅城門を結ぶ朱雀大路を南北に通し、そこを境として左京・右京を配置。東西南北に、大路(おおじ)・小路(しょうじ、こうじ)と呼ばれる通りを張り巡らせることで、碁盤の目のように 縦横の一辺が一丁・一町(約109m、道路幅含まず)の 大きなほぼ正方形街区に区分けされた町並みが生まれ、通りに囲まれた区画の中心部に入るために作られた道が、「辻(つじ)」や「辻子・図子(ずし)」や「路地(ろーじ、ろうじ、ろじ)」=「露地・露路」です。
更に、1590 (天正18)年 から翌年にかけての「天正地割」によって南北を通る小路が増え、そして 建物と建物の間を通る「辻」や「辻子(図子)」や「路地」=「露地・露路」と言われる 普通の小路より更に細い=狭い 道幅の通り道が たくさん増えました。
通り(大路、小路)をつないで家(建物)と家(建物)の間を通り抜けられる=突き抜けられる 狭い道を「辻」や「辻子(図子)」と呼び、袋小路(行き止まり)になった通りの道を「路地」と呼んで区別することがあるようですが、辻・辻子(図子)も含めて 路地 と総称するため、明確な区別はないともいわれています。
もともと「辻」は、十字状の道を表す「十字」という言葉に由来して作られた字で、次第に細い通りを「辻子」「図子」と表すようになったとのことです。
「路地(ろーじ)」には、「コ」の字型や「L」字型になっていて、入り口とは違うところに通じているものや、路地の入口に面した通りとは反対側の通りへ出る通り抜けられる路地もあります。
1949(昭和24)年生まれの私の幼少時に住んでいた京都市下京区有隣学区内では、当時の大人の人達や私も含めて、コの字型やL字型等の曲がって通り抜けられる路地のことを「抜け路地(ぬけろーじ)」と呼んだりしていましたが、辻子(図子)という言葉は 最近まで聞いたことがなく、古稀過ぎてから 京都通 などのサイトに出てくるネット検索で知った言葉です。今住んでいる天使突抜町でも 誰もその言葉は使わないし、耳にしたことはありません。その類いの道は、「路地(ろーじ) 」や「抜け路地(ぬけろーじ)」とか「 辻 」と呼んでいます。ただ それは、私が住んできた限定的な地域的な特徴かも知れませんが……
「路地」というのは、その路地の中にある家に訪れるために通る道としての通路のようなものなので、一般の小路を通る場合とは少し異なり、閉鎖的で私道的な雰囲気もあることから、無用の者が立ち入るのはちょっと躊躇もしくは気が引ける感じになりがちです。なかには、路地の入口にそこの住人の「集合表札」が掲げられていたり、「無用の者の立ち入りはお断り」というような注意書きが路地の入口に張られている場合もあったりします。
ところで、私の個人的見解での 小路と路地の違いは、端から端までの全ての道路が、 車(自動車)が通れる幅があるかないのか、及び 車が通れるように地面が整備されているかいないかの差ではと、勝手に解釈して区別していますけど……
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(4) 📝参考までに--- 建物疎開、京都の空襲
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4-1)建物疎開 の犠牲による 道路幅拡張 の歴史
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今は 五条通や堀川通や御池通など京都市の 大幹線道路として広い道幅になっていますが、これは「太平洋戦争」時の米軍の無差別爆撃の空襲による火災の延焼防止 の対応策として 防火地帯(空地) 等を設けるため、それまでは他の道路と同じような細い道幅だった通りの道路沿いに佇んでいる家屋を、戦争の名の下に 有無を言わさず「取り壊し=建物疎開=家屋等の強制撤去」が無惨にも遂行され、道路幅を拡張させられたことによります。
京都府 約2万戸、京都市 で1万世帯以上が 1944(昭和19)年から翌年の1945(昭和20)年 終戦時までに、建物疎開が 第1次~第4次までに分けて 以下の内容で強行され、無惨にも建物強制疎開で拡張されたことを、特に京都市民は 決して忘れないようにしたいものです🙏
1、『 防空空地帯 』・・・防火帯、緊急避難路、防空活動道路としての利用を目的に、50〜100メートル幅で指定。京都駅周辺、堀川通、御池通、五条通。
2、『 防空空地 』
イ、「 交通疎開空地 」……交通要地の防護が目的。京阪三条駅周辺、四条大宮交差点、梅小路駅周辺など。
ロ、「 消防空地 」……消防活動用の道路拡幅。智恵光院通、七本松通、高辻通など。
ハ、「 疎開小空地 」……軍需工場、役所、変電所、病院等の周辺を空地にしてそれらの施設を防護。
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4-2)京都の空襲 と 原爆投下候補地
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京都は、太平洋戦争時の 米軍による 当初原爆投下候補地の第3の原爆投下予定地だったようで、威力を分かりやすくするために、京都市内の空襲を5回程度の散発的に爆撃を控えた…とされています。その空襲は、終戦年の1945年1月から6月にわたって5回の空襲(馬町空襲、西陣出水空襲 他)を受けて 約100名程の死者が出ています🙏
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2023年上半期に見た展覧会
0103 大竹伸朗展@MOMAT 0107 パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂@アーティゾン美術館 0118 没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡@千葉市美術館 0121 江戸絵画の華【第一部 若冲と江戸絵画】@出光美術館 0121 特別展「毒」@国立科学博物館 0131 アンディ・ウォーホル・キョウト@京都市京セラ美術館 0131 大阪の日本画@大阪中之島美術館 0205 佐伯祐三 自画像としての風景@TSG ★0219 交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー@東京都庭園美術館 *1 0223 YUMING MUSEUM@TOKYO CITY VIEW 0226 マリー・ローランサンとモード@Bunkamuraザ・ミュージアム ☆0226 ヴォルフガング・ティルマンス「Moments of life」@エスパス ルイヴィトン東京 *2 0228 ルーヴル美術館展 愛を描く@国立新美術館 0318 鳥絶技巧 ―渡辺省亭を中心に―@加島美術 0318 DUMB TYPE 2022:remap@アーティゾン美術館 0318 アートを楽しむ−見る、感じる、学ぶ@アーティゾン美術館 0325 生誕100年 柚木沙弥郎展@日本民藝館 0329 レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才@東京都美術館 0329 特別展「東福寺」@東京国立博物館 0329 芳幾・芳年─国芳門下の2大ライバル@三菱一号館美術館 0407 建物公開2023 邸宅の記憶@東京都庭園美術館 0409 横尾龍彦 瞑想の彼方@神奈川県立近代美術館葉山 0409 美しい本-湯川書房の書物と版画@神奈川県立近代美術館鎌倉別館 0415 本と絵画の800年 吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション@練馬区立美 術館 ☆0419 クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ@MOT *3 ★0419 志賀理江子×竹内公太「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023受賞記念展」@MOT *4 0421 江口寿史イラストレーション展「東京彼女」@東京ミッドタウン日比谷 0422 今井俊介 スカートと風景@東京オペラシティ アートギャラリー 0422 エドワード・ゴーリーを巡る旅@渋谷区立松濤美術館 0423 国宝・燕子花図屏風 光琳の生きた時代1658~1716@根津美術館 0423 インターメディアテク開館十周年記念特別展示『極楽鳥』@インターメディアテク 0429 「重要文化財の秘密」 問題作が傑作になるまで@MoMAT 0503 生誕140年特別展 アトリエの朝倉文夫@朝倉彫塑館 0503 「買上展」藝大コレクション展2023@東京藝術大学大学美術館 0505 芸術家たちの南仏@DIC川村記念美術館 ★0506 江戸絵画お絵かき教室@府中市美術館 *5 ☆0507 マティス展@東京都美術館 *6 0527 ブルターニュの光と風@SOMPO美術館 ☆0527 憧憬の地ブルターニュ@国立西洋美術館 *7 0603 大阪の日本画@TSG *8 0618 ベルギーと日本@目黒区立美術館 *9 0623 愛のヴィクトリアン・ジュエリー@大倉集古館 ★0623 木島櫻谷―山水夢中@泉屋博古館東京 *10 ☆0623 伝説のファッション・イラストレーター 森本美由紀展@弥生美術館 ☆0624 ジョルジュ・ルオー ―かたち、色、ハーモニー―@パナソニック汐留美術館 0624 恐竜図鑑―失われた世界の想像/創造@上野の森美術館 0630 ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会@森美術館
*1 とても内容の濃い、咀嚼しがいのある展覧会。2時間は見た。これまで断片的には知りつつ、総体としてどのように組み合わさっていたかは正しく理解していなかった、アール・デコ前後の動きの相互関係がよくわかった。ただしそれらは単純に一本の線で示されるものではなく、行きつ戻りつしながら、ジグザグと進んでいく。なるほどそれは「ポリフォニー」であり、カタログなどの「はじめ」から「おわり」に向かうメディアでは説明がし辛く、まさしく展覧会という場で見せるにふさわしいテーマ。結局本の方が、ストーリーを語りたいだけで言えば資料集めやすいじゃんね、という問題が常につきまとう中、まさしくこれは「展覧会」である意味がある展覧会。 *2 写真の見方はいまだによくわからないのだけれど、これが自分の気持ちにぴったりくるものなのはわかる *3 聞きしに勝る資本力。MOTからすれば、ほぼ貸し館的な企画である一方で、牧村虎雄や河野通勢の油絵とのコラボレーション展示など、学芸員の矜持を感じるスポットも。 *4 ディオールも吹っ飛ぶ内容。いきなり現れる大型映像インスタレーションから目が離せない。一見無関係に見える2者の展示に通底するテーマに触れた時、鳥肌が止まらない、です。 *5 いくらなんでも面白すぎる。今回のテーマは「お絵かき」で正直ナメてた(ナメてないけど)が、要するに作品がどのようにして描かれてるかを絵師目線で紐解いて、鑑賞者に対して絵をより開いた内容にするという、いつもの金子節。いつもそうだけど、府中の展示で学んだ内容は、後々に他の展示��見るときにジワジワ効いてくる知識なのでありがたい。そんな「お絵かき」��いうテーマが通底しつつ、後はいつもの「こんなおもろい絵出てきたよ」というご開帳・・この辺の、「春の江戸絵画まつり」定番の出し惜しみのなさは相変わらず凄い。もうちょっとゆっくり見せて!と言いたくなるくらい次から次へ面白い絵が襲来して、頭の中が大渋滞になる至福。あー、前期も来ればよかった。 *6 僕はマティスが好きなのでありがたく拝見したけれども、展覧会としてはややボリュームに欠けたのは正直なところ。そもそも、ポンピドゥーセンターのコレクションだけでは確かにちょっと難しいよね・・・一方で、時代順のレトロスペクティブの形でマティスを見るのは初めてで、どの時代の絵も「ああマティスだな」と思う絵なんだけれども、その前後関係を復習できたのは面白かった。あとは彫刻のセクション、あそこがもう少し、マティスの画業とどこまで結びついているのか丁寧な説明があると良かったな。「形態」っていうキーワードは何回か出ていたけれども、結局は色彩の話に隠れてそのテーマが見えづらくなっていたような気がします。 *7 さる筋によると本当に偶然テーマが被ったみたいですが、これは2本まとめて見るべき展覧会だったなと。ホワイトインターナショナル企画の方が扱っている時代と流派の幅が広くて、いくつもの絵画の流派を通して、「ブルターニュ」という題材が繰り返し変奏されていくような構成が面白かった。一方で、絵画として見ごたえのある作品が多かったのは当然西美の方だったのだけれども。。リュシアン・シモンの絵画は日本人好みな感じがした(当然僕も好き)、今後その画業に光が当たることはあるのだろうか。 *8 大阪で前期見たけれど、案外後期の方が好みかも。 *9 ベルギーに学んだ日本人画家(とその師匠)の作品や、ベルギー美術の日本における受容の様相を紹介する試み。展示の中であまり総括のようなセクションがなかったので、図録の巻頭エッセイを読んだところ、「ベルギー美術の日本における受容は散発的かつ偶然のものにすぎないが、ベルギーは小国というハンデがあるし、そもそも海外の美術の流入などはもともと偶発的なものである」的なまとめ方がされていて、なんと正直な、と。確かに、わざわざテーマ設定をしている割に、さほど大きな影響関係が見られるわけではなく、そういう意味では練馬でやってた「日本の中のマネ」にちょっと似ているなとも思いました。 *10 とても良かったです。色の使い方とか、とても好みだった。日本画で素直に「あ、いいな」と思えたのが初めてだったので、それが嬉しく、思わず画集を手に取る。木島櫻谷は図版でしか見たことがない画家だったので、やはり日本画は(もちろんなんでもそうですが)実物を見ると違うな、と思った次第。
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絶望のパレード
魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の��人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であっ���。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それ��実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておま��まを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成��れていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない���通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけ��初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の���る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろ��、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
“WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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京都を愛したデヴィッド・ボウイが涙した正伝寺の日本庭園
NEWS WEEK
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<訪日外国人にも人気の日本庭園。なぜ歴史に名を残した人たちが日本庭園にたどり着くかを考えると、その見方も変わってくる。デヴィッド・ボウイは日本のテレビCMに起用された際、自ら正伝寺を撮影場所に希望したという>
金沢の兼六園や岡山の後楽園、水戸の偕楽園など、人々を魅了する日本庭園は各地にあるが、訪れるのは日本人だけではない。
実際、Japanese gardens(日本庭園)に関する英語の情報はインターネットにあふれており、アメリカには日本庭園の専門誌まである。今や日本庭園は、日本を訪れる外国人にとって外せない「見るべきもの」となっているのだ。
京都を中心に庭園ガイドをしている生島あゆみ氏はこのたび、「なぜ、一流とされる人たち、歴史に名を残した人たちは、日本庭園にたどり着くのか」をテーマに執筆。『一流と日本庭園』(CCCメディアハウス)を刊行した。
庭園そのものだけでなく、それらを造った人物、深い関わりのある人物の人生を見つめた上で、庭園との結びつきを読み解いた。これ1冊で日本庭園の見方・楽しみ方が変わるというユニークな一冊だ。
足利義満は金閣寺を、稲盛和夫は和輪庵を造った。スティーブ・ジョブズは西芳寺に、デヴィッド・ボウイは正伝寺に通った。ここでは本書から一部を抜粋し、3回に分けて掲載する(今回は第2回)。
※第1回:利他の心に立つ稲盛和夫が活用する京都の日本庭園「和輪庵」
◇ ◇ ◇
デヴィッド・ボウイ(1947年〜2016年)と正伝寺(しょうでんじ)(京都)
たびたび京都を訪れていたデヴィッド・ボウイが、その美しさに涙したという正伝寺の庭。白砂に七・五・三の刈り込み、遠方に望む比叡山の借景......。世界的なアーティストは何を感じとったのか。
親日家のデヴィッド・ボウイ
ボウイは、親日家で有名でした。また仏教や禅に造詣が深かったようです。BBCテレビ『デヴィッド・ボウイの日本流への熱情』によると、ボウイが20歳頃、舞踊家リンゼイ・ケンプ氏のもとで、ダンスとマイムを習いました。このケンプ氏が、伝統的な歌舞伎の様式に大きな影響を受けていたそうです。歌舞伎や能という伝統芸能が、ボウイが日本文化を知る入り口になりました。
また、チベット仏教の高僧はボウイと親交があり、彼が仏教の僧侶になるつもりだったと証言しています。もともと、仏教に深い関心があったようです。
アルバム『ジギー・スターダスト』全盛期の頃に、スタイリスト・高橋靖子、写真家・鋤田正義、ファッションデザイナー・山本寛斎などがボウイと親交があったそうです。
鋤田正義���ボウイを京都で撮っていますが、ボウイの希望は京都の人々が日常の生活を送るような場所で、というものでした。
ボウイが梅田行きの阪急電車の前でさっそうと立っている姿は、ファンだけでなく京都に住んでいる人達をも魅了します。切符を買っていたり電話ボックスで受話器を持っていたりする写真などもあります。古川町商店街では、当時、創業70年のうなぎ店の名物八幡巻きを買っている姿もありました。
スターダムにのし上がった1970年代後半、プレッシャーなどからドラッグの誘惑に苛まれ、ベルリンに移り音楽活動をしていた時期がありました。名盤「ロウ」「ヒーローズ」「ロジャー」のベルリン三部作を制作しました。この頃、ボウイはツアーの合間を縫うように京都を訪れていました。ボウイにとっては大きなターニングポイントで、自分自身をリセットするために京都に来ていたそうです。
大徳寺の僧侶は、ボウイと親交がありました。日本、そしてその精神の奥にある禅に、ボウイは向き合っていったのだそうです。WOWOWドキュメンタリー『デヴィッド・ボウイの愛した京都』で「禅の中では、自由を得るというのが究極にあり、特に死ぬことからの自由のことだと。変わるというのは自分が死ぬことで、ボウイは、自分が変わることから真の自由を求めていたのではないでしょうか。」と僧侶は話していました。
「新しい自分、本当の自分の姿を京都で見つけたのです。京都の時間の流れを、ボウイは大切にしていたようです。常に今が大事だということです。」と彼は続けます。
ボウイは芸術や文化、歴史を学ぶ才能に溢れていたと言います。美術品のコレクターではなく、その物の精神を自分のものにしていく才能があったそうです。「ヒーローズ」のB面に収録されたインストゥルメンタル曲「モス・ガーデン」では、美しい琴の音色が聞こえてきます。これはファンが、直接本人に手渡したおもちゃの琴の音色です。これを弾きこなして、自分の音楽表現をしている才能に凄さを感じます。
1990年代には、イマンと新婚旅行に京都に来ていますが、滞在したのは老舗旅館「俵屋」でした。また、江戸時代創業の蕎麦屋「晦庵(みそかあん)河道屋(かわみちや)」本店もお気に入りだったそうです。俵屋と河道屋は、スティーブ・ジョブズも好きでした。二人が遭遇した可能性は少ないと思いますが、好みが似ているのが不思議です。
正伝寺の歴史とその庭園
ボウイが愛した正伝寺は、どのようなお寺なのでしょう。正伝寺は、京都市北区西賀茂にあります。五山送り火で有名な船山の南側に位置しています。臨済宗南禅寺派の諸山の格式を持つお寺です。山号は吉祥山(きっしょうざん)。寺号は正伝護国禅寺で、本尊は釈迦如来です。
正伝寺は、1260年、宋より来朝した兀庵普寧(ごったんふねい)禅師の高弟が、京都一条今出川に創建しました。1265年に兀庵普寧禅師は宋に帰りますが、その後、東巌恵安(とうがんえあん)が跡を継ぎ、1282年にこの西賀茂の地に移りました。
応仁の乱で荒廃しましたが、徳川家康が再興します。本堂は、1653年に金地院の小方丈が移築されたものです。伏見桃山城の御成殿(おなりでん)の遺構を移したものとも言われています。方丈の広縁の天井には、伏見城落城時、徳川家臣・鳥居元忠と家臣らが割腹し果てた廊下の板を、供養のため天井に貼った「血天井」があります。
方丈の各室の襖絵は、1605年頃、徳川家康の命により狩野山楽が描いた中国・杭州西湖の風景です。山楽の残した貴重な作品です。
庭園は白砂とサツキ等の刈り込みが並ぶ枯山水です。方丈の東側に造られており、敷地は363平方メートルです。
方丈から見て白砂の奥に、右から、七つ、五つ、三つと、植栽の大刈り込みがあるだけです。これを七・五・三形式と言いますが、通常は石が七・五・三に置かれ、植栽で表されているのは正伝寺だけです。
植栽構成は、三つがサツキのみ。五つがサツキとサザンカ、七つがヒメクチナシ、アオキ、サザンカ、サツキ、ナンテン、ヤブコウジ、チャと組み合わされています。
この庭園は江戸初期に造られました。小方丈が金地院から移築されているので、小堀遠州作とも言われて��ますが、時期的に見て、別の作庭家との説もあります。
江戸初期には、滋賀県の大池寺庭園や奈良県大和郡山の慈光院庭園など大刈り込みの庭園が他にも存在しています。龍安寺の石組が「虎の子渡し」と言われるのに対し、正伝寺の七・五・三とする刈り込みは「獅子の児渡し」と言われています。ゴツゴツした石が虎で、ふわっとした植栽の刈り込みを獅子と見立てたのでしょうか。
明治維新以降、寺領・社殿の召し上げなど苦しい時代になります。正伝寺の明治期の写真が残っていますが、高木が増え、刈り込みも乱れた様子です。
戦前の1934年、重森三玲を中心とした京都林泉協会の会員有志が、後から加えられたであろう石を取り除くなど荒れた状態を整えました。こうした努力により、かつての姿を取り戻した現在の庭園は、京都市の名勝に指定されています。
庭に敷き詰められた白川砂と緑の刈り込みの植栽、下界を遮断する漆喰塗りの塀の構成の向こうに、遠山として望めるのが比叡山です。遠くにポツンと比叡山だけを見渡せる巧みな借景の取り方が、正伝寺の庭をより特別な存在にしています。
正伝寺とデヴィッド・ボウイ
京都の北に位置する正伝寺は、最寄りのバス停から歩いて20分ほどかかりアクセスが良くありません。山門を抜けると登り坂の山道が続きます。本堂まではおよそ250メートル。静かな山道はやがて、下界と離れた特別な禅の庭へと誘ってくれます。
実はこの人里離れた禅寺の正伝寺の庭は、知る人ぞ知る名勝なのです。どうしてボウイがこの庭のことを知っていたのでしょうか。おそらく、彼の友人だった米国出身の東洋美術家・デヴィッド・キッドの存在が大きかったのだと思います。
デヴィッド・キッドは、九条山に邸宅を持っており、「桃源洞」と名付けていました。ボウイはここをよく訪れたそうです。ボウイは、桃源洞の居間にあった平安時代の地蔵菩薩を眺めて時を過ごしていたそうです。菩薩の控えめな様子から深い哀れみを感じていたのではないでしょうか。
1979年の年末、広告代理店が宝焼酎「純」のコマーシャルにボウイを起用する提案をしました。アーティストとして非常に高い純粋性を持った人として、彼以外にいないということでした。
ボウイはお気に入りの俵屋に泊まり、撮影は嵐山にある松尾大社近くの公園や正伝寺で行われました。正伝寺を希望したのは、ボウイ本人だったそうです。宝ホールディングスの元会長・細見吉郎は、学生時代からずっと京都に住んでいましたが、当時、この寺の存在を知らなかったそうです。整然とした枯山水庭園と比叡山の眺めに感動し、訪れる人も少なく、静寂に包まれていたので「ボウイさんが正伝寺を指定した理由が分かった」と語っています。
――「撮影中にボウイさんは庭園を見つめ、涙を浮かべていた」と細見さんは振り返る。「景観に感動したのか、何か悲しい思いをしたのかは聞けなかった。繊細で純粋な人だった」と記憶をたどる。――(日本経済新聞「D・ボウイが涙した静寂」/2016年2月19日)
宝焼酎「純」の販売数量は、1980年からの5年間で11倍に増えたそうです。
コマーシャルには、ボウイ自身が作った「クリスタル・ジャパン」という、雅楽を意識したインストゥルメンタルの曲が使われました。正伝寺の庭の白砂の上に、グラス片手に座っているシーンはとても印象的です。
私がこの庭を訪ねたのは、紅葉が始まる頃でした。デヴィッド・ボウイが愛した庭を鑑賞しようと、海外からの観光客の姿もありました。
刈り込みが美しい庭の方丈前には数人がいましたが、みな庭を観ており、沈黙だけが心地よい空間を作っていました。しばらく静観していると、心が洗われたような気持ちになりました。
ボウイもまた、心を清めるように真の美を前にしていたのかもしれません。庭には、自分をリセットするとともに、自由にしてくれる作用があるのかもしれません。
※第3回は5月23日に掲載予定です。
※第1回:利他の心に立つ稲盛和夫が活用する京都の日本庭園「和輪庵」
『一流と日本庭園』 生島あゆみ 著 CCCメディアハウス
正伝寺 京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町72
http://shodenji-kyoto.jp/
正伝寺は、京都市北区西賀茂にある臨済宗南禅寺派の諸山の格式を持つ寺である。山号は吉祥山。寺号は詳しくは正伝護国禅寺という。本尊は釈迦如来。
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福岡に移住して以来、神社を訪れる事が多くなりました。高名な神社から、小さな「村の鎮守の神さま」に至るまで、気の向くまま、足の向くままに。
神社の鳥居をくぐった際の空気の変わる様は、人間界から神々のおわす神聖な世界に入った様で、何とも心地よい緊張感を伴うものです。
静寂と、神々しさに包まれながら参道を進み、手水でお清めを行い、参拝の作法に倣って柏手を打った時、自然と込み上げてくる感謝の気持ちに
「ああ、私は日本人なんだ」 「ありがたいな」
と思わずにはいられません。
皆さま、神社に参拝しましょう!!
私たちの祖先は、八百万(やおよろず) の神々に感謝の祈りを捧げ、邪(よこしま)な念を打ち負かす事によって、日本人という素晴らしい素養を身に付けてきました。激動の時代を生きる私たちだからこそ、祖先に倣い、日本人として身を正すべきなのです。
こんにちは! チバレイです。
現在の我が国には神社・約8万1000社、寺院・約7万7000山があります。全国のコンビニエンス・ストアが約5万8000件だといいますから、実に4倍近くの神社・仏閣が私たちの近くに存在する事になります。それだけの宗教施設たる神社・仏閣に囲まれながらも「日本人は無宗教だ」といわれてきました。果たして本当でしょうか。
我が国の宗教(神道)は、太古の太陽崇拝と、山・森・草木の聖霊に対する自然崇拝、更には祖霊への畏敬の念と、それらに対する神聖なる儀式から始まったといわれています。それ故に、森羅万象全てに神々の存在を見出だし、鎮めと感謝の祈りを捧げる様になったのです。
それ等は永きを経て、”八百万の神 = 全てに神が宿る”という教えになったのだと考えます。つまりは「常に神々と共に我々はある」という極めてシンプルな教えであり、真理であったのです。従って、特別に教義・教典を必要としなかったのだと考えます。
それらの教えは脈々と受け継がれ、それこそ遺伝子レベルで身体の細胞の隅々にまで伝えられたのでしょう。結果、お爺ちゃんや、お婆ちゃん、両親から教えられた日常の何気ない約束事や、考え方はすんなりと受け入れられ「日本人としての真理」を、理屈抜きに修めているのだと思うのです。
これこそが日本民族独自の宗教観であり、日本人であろうとする事が信仰になるのではないでしょうか。
今日世界中で(一部は除く!)日本人の崇高な精神性は高く評価がなされ、信頼と尊敬を集めています。教義・教典に縛られない、特殊な信仰のお陰だと思えてなりません。
そして、その信仰=日本人の真理は【天皇陛下】というありがたい斎主を戴く事によってのみ、成立するのです。
天皇陛下は毎月3回の旬祭を含め、年間に60回近くの神事を、御自ら執り行われておられます。これを宮中祭祀といい、「民安かれ、国安かれ」と、国と国民のための祈りをなされているのです。
ところが、我が国では皇室祭祀令に基づき、宮中祭祀を「天皇陛下が私的に行う儀式」としています。
冗談ではありません!
「私」無き、天皇陛下が125代という永きに渡って、しろしめされたのが日本国です。穢れ多き政治家や役人が、法や憲法で自分たちに都合よろしく天皇陛下のご存在を「制度」にするなんて事は許されません。政教分離をいうなら公明党はどうなのでしょう? 宮中祭祀を斎行あそばされる事が宗教には当てはまるとは到底考えられません。
先頃、秋篠宮殿下が誕生日会見で、【大嘗祭】について宮内庁に対し、苦言を呈された事は記憶に新しいところです。
秋篠宮さま53歳 大嘗祭「身の丈にあった儀式に」代替わり行事でご見解 眞子さまご結婚延期にご言及 https://www.sankei.com/life/news/181130/lif1811300006-n1.html … @Sankei_newsさんから
秋篠宮さま53歳 大嘗祭「身の丈にあった儀式に」代替わり行事でご見解 眞子さまご結婚延期にご言及
秋篠宮さまは30日、53歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の宮邸で秋篠宮妃紀子さまとともに記者会見に臨み、代替わりに伴う大嘗祭(だいじょうさい)…
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ご発言は、国費を使わず、費用を節約し、『身の丈にあった』神事に簡素化しようと促されたものした。国民の負担をできるだけ少なくしようというお考えと、「違憲だ」とする意見や、提訴する様な事がない様にとのご配慮を示されたのではないでしょうか。
そして、それが天皇陛下と皇室全体のお気持ちなのでは? と考えると…国民として申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
畏れ多くも、皇室に不敬を働く反日パヨク勢が「天皇陛下万歳」に帰依する事が無いとするなら、潔く日本から出て行って貰いたいものです。
それと! やる気のない宮内庁の、早急な人事の刷新も強く望むところです!
■急増する神社仏閣の放火・盗難事件の背景にあるモノとは?
さて、日本人にとって大切な心の拠りどころでもある神社仏閣への、放火・落書き・破壊・窃盗が後を絶ちません。
先日も靖国神社で、香港の活動家による「南京虐殺」に関する抗議行動が行われ、「東条英機の位牌らしきもの」を燃やしました。
靖国神社でぼや 中国籍の男女を建造物侵入容疑で逮捕 「南京事件」に抗議 警視庁 https://www.sankei.com/affairs/news/181212/afr1812120030-n1.html … @Sankei_newsさんから
靖国神社でぼや、中国籍の男逮捕 「南京事件」に抗議か
12日午前7時過ぎ、東京都千代田区九段北の靖国神社の神門付近で、新聞紙のようなものが燃えていると神社関係者から110番通報があった。火はすぐに消え、境内の建物な…
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新聞各社は”新聞が燃えてボヤ”と報じてますが、完全に『テロ活動』です。厳罰に処していただきたいものです!
我が国における、過去の神社仏閣の被害状況が気になったので調べたところ【神社・仏閣・文化財の放火・破壊・盗難まとめ】というサイトを見つけました。過去の事案が丁寧に拾い出されており、これ等を参考に【盗難】【火災】【その他】に分け、統計を取ってみました。
【盗難】は重文級の仏像を含む歴史的価値ある仏具や古文書、絵画の窃盗が多数を占めており、大多数が戻ってきてない様です。
【火災】に関しては放火、全焼、ボヤ等全ての火災事案をひとまとめにしています。
【その他】は、落書き、石像や墓の倒壊から強盗殺人に至るまで、あらゆる事件をカウントしています。
漏れている事案や、表に出てない事件もあるかも知れません。また、氷山の一角かも知れませんが参考迄にご覧ください。
●平成18年(2006)盗難24件・火事7件・その他9件 計40件 ●平成19年(2007)盗難16件・火事16件・その他11件 計43件 ●平成20年(2008)盗難38件・火事32件・その他14件 計84件 ●平成21年(2009)盗難38件・火事16件・その他3件 計57件 ●平成22年(2010)盗難21件・火事8件・その他10件 計39件 ●平成23年(2011)盗難8件・火事13件・その他1件 計22件 ●平成24年(2012)盗難16件・火事13件・その他3件 計32件 ●平成25年(2013)盗難12件・火事31件・その他13件 計56件 ●平成26年(2014)盗難3件・火事18件・その他8件 計29件 ●平成27年(2015)盗難5件・火事28件・その他48件 計81件
【被害合計】盗難181件・火事182件・その他120件
全てを合計すると10年間の間に483件、年間平均で48件の被害にあった事が解ります。
因みに、平成2年(1990)~平成17年(2005)の15年間の被害合計は(盗難82件)(火事12件)(その他3件)で、15年の間に97件、年間平均7件程度の被害が発生していた事になります。
平成18年(2006)を境に、国内の神社仏閣の被害が急増した事が見て取れます。
もう皆さまお気付きですね。
平成18年(2006)といえば、韓国からのノービザ入国が始まった年なのです。
その前年開催された愛知万博を契機に、韓国人の観光客に限り認められてきたノービザ入国が、無期限延長というかたちで始まったのです。
結果、大量の犯罪者が入ってきた事で、私たちは大切な文化遺産を次々に失ってしまったのです。長崎県で盗難にあった仏像が韓国に渡り、未だに戻されていない事も腹立たしい限りです。
「盗難仏像、韓国は返還を」 対馬の観音寺、外務省などに要望書
https://www.sankei.com/region/news/180126/rgn1801260003-n1.html
産経新聞 2018年1月26日配信
靖国神社では2013年に放火事件、2015年にはパイプ爆弾事件と韓国人による被害が続き、ほかにも地方の神社仏閣で被害が相次いでいます。
靖国神社内の爆発で韓国人を逮捕
https://www.bbc.com/japanese/35048333
BBC 2015年12月9日配信
キツネ像破壊男の心の闇とは? 「日本の寺社仏閣を狙った」と語りつつ「韓国大使館には知らせないで!」
https://www.sankei.com/premium/news/170101/prm1701010093-n1.html
産経新聞 2017年1月1日配信
例え政府主導であったとしても、日本国内の16万近くの神社仏閣にセキュリティを施す事は、資金的にも人員的にも難しい事でしょう。だったら、
『早急にノービザ入国を廃止し、平成15年の状態に戻すべき』なのです!
正規の手順を踏んだ、旅行者のみ受け入れる状態に戻すのです。
我が国は鍵を掛けずとも、安心して暮らせる民度と秩序がありました。それ故に神社仏閣は常に門戸を開き、世の人々を救済し、導いてきました。例え無人であったとしても、仏像を盗み出したり、破壊する様な事、日本人はしません。
神仏を畏れぬ、未開の野人のごとき泥棒や、落書き・破壊を行い、火を放つ様な不埒な犯罪者が、我が物顔で神聖なる場所に立ち入り、不浄を働く事は二度とあってはなりません。
犯行に及んだ者たちは、いずれや神罰・仏罰の恐ろしさを思い知る事になるでしょう。
神社仏閣をめぐる未解決事件の解決と、未だ戻らぬ盗品の数々が、本来あるべき場所に帰れる事を、唯唯祈るばかりです。そして我が国に持ち込まれた”穢れ”を国民一丸となって払う必要があります。
その為にも、一日も早い『韓国からのノービザ入国廃止』が望まれるのです。
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老人と庭
3/7 好きなラーメン屋へ。今日は塩。これもおいしい。麺が全粒粉入っていてパツパツだった。これもまた良し。味噌もうまかった。 散歩してたまたま見つけたコインの記念館へ行く。記念硬貨が興味深かった。思ってたよりも発行されてる。知らない硬貨ばかりだった。 その近くのカフェへ。ゆるっとした雰囲気でなかなか良かった。近くまできたらありだなあ。
3/8 長期間髪を切っておらず山賊化していたので重い腰を上げてカット。すっきりしました。 セルフで髪を切るようになってもう10年以上。浮いたお金はとんでもない額になっていそう。
3/9 世界の路線図の本を読んでいた。楽しい。美しい路線図はとても良い。マックス・ロバーツさんの路線図デザインがとても良い。
プラハ、ウィーン、ベルリン、バンブルクあたりの路線図と地形になんとなく惹かれるので行ってみたい。
3/10 思い立って京街道サイクリングへ。 京橋の時点でもう楽しかった。商店街とホテル街とが近すぎる。 すーっと進んでいくとこことここが繋がってるのか、と自分内地図が更新された。このときがめちゃくちゃ楽しい。
さらに進んで旭区の商店街へ。いい感じ。ひと休みしたくなる。やっぱり賑わってるね、ここら辺は。 あっという間に知っている大きな道路に着いたので今日はここで終了。
買い物していろいろ仕込んだ。
3/11 いろいろなことを考える日。東北へ旅に出たい。ジョウト地方ばかりにいるので。
なんとなく曲作りが進んだ。一気に変えたものがいい感じであのバンドみたいだ。 それと穏やかな感じのものと。 こう考えるとまたジャンルを横断している。いつものことだけど。
晩御飯のからあげがうますぎて中学生男子のモードになった。でもごはんは1杯で終了。あの頃の胃袋はどこに。
3/12 いい天気。外が春の様相で旅に出たくなる。 ということで初めて行く知らない土地へ。 江戸時代の商人の別邸兼庭園?に行ってきた。これが当たりで無料とは思えなかった。 それでも補修とか手入れが行き届いていない部分が見られたから有料にしてもいいのでお金使って保全していってほしい。ポテンシャルがあるから磨けば行く価値がさらに上がると思うんだけどな〜。 ということで写真をたくさん撮った。 縁側から眺める庭園がとてもよかった。
調べていたアイスクリーム店へ行こうと歩いていたらスーパーがあったから飲み物を買う。その他諸々も。安いものがたくさんあってびっくり。 その後、アイスクリーム屋さんでクリームソーダとかを食べた。濃厚でおいしかったー。 店員さんの声が伊藤沙莉さんっぽくてかわいかった。マスクしてたけど、なんとなくお顔も似ていたような。。
さらに歩いて住吉神社へ。5年以上ぶり? 本殿が時間の都合で閉まっていたので残念。
帰りにまたまた最近よくゲームセンターへ。な、なんとじゃがりこを20個もゲットしてしまったーー。 一気に取れたときの脳汁がすごいです。
3/13 なんだか昨日にいろいろエキサイトしたせいか頭痛が。 しばらく横になっていて少し体調がましになったところでちゃんぽんを食べに。 ちゃんぽんを食べたら元気が出ました。すごい。 ラー油とか白胡椒をかけて食べるのがとてもおいしい。白胡椒の良さがめちゃくちゃにわかってきたので年齢を感じる。 子供の頃からなぜ父親の年齢の男性は胡椒をどばどばとかけるのか不思議だったかがいまや胡椒もかけるし、食べられたなかった七味をかけるようになってきてしまった。 薬味のような存在になりたいかもしれない。
無目的に歩いているとカフェにぶち当たった。いや、存在は知っていたけれど。ここがまた当たり。 某有名チェーン店の上位ブランドらしい。ここは味も良く居心地も良かった。
3/14 ひさしぶりに近くの店へランチへ。これがうまいんだ。おいしくいただき無事、腹パン。 暑いくらいの陽射しの中、歩く歩く。 妻の予定に合わせてついて行ってあ、ここにもゲームセンターあるということを発見。
昨日と同じカフェへ行く。良い感じに過ごしたあと、さっき見つけたゲームセンターへ。 なんと100円で筒型のやつが取れたー! 他のところだとずっと苦戦していた。けれどやり方は間違っていなかったことがよくわかった。 あのゲームセンターがストッパー装着してあって取れない仕様になっていたんだ。 それにだいぶやられていた。
テレビ千鳥を見て爆笑しました。
〆
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2020年7月3日
ライブドアニュースさん「【新型コロナ】東京都で新たに107人の感染確認、小池都知事が緊急会見へ 1日の感染者の数が100人以上になるのは、5月2日の154人以来、2カ月ぶり。都庁ではきょう2日、対策本部会議を開いたうえで、夕方には小池都知事が緊急で会見を開く予定。」 https://twitter.com/livedoornews/status/1278555790870106112
日テレNEWS / 日本テレビのニュース・速報さん「【小池都知事が臨時会見で説明】 東京で新たに107人感染確認。小池知事が感染状況や今後の対応について臨時会見で説明しました。 ・専門家の分析を踏まえ、都の考えとして「 #感染拡大要警戒 」の段階にあると認識している。 ・都民・事業者の皆さま、ぜひ意識を共有していただきたい。」 https://twitter.com/news24ntv/status/1278606622407852033
俵 才記さん「西村大臣「国民に逆ギレ」 安倍首相「西村に丸投げ」 これじゃコロナとの戦いに勝てっこないわ。 西村「これ、皆んなで努力しないと」? 国の仕事は国民の生活不安、健康不安に、あらゆる措置を講じて「安心」を与えることだ。国の無策を国民の努力に責任転嫁するな😡」 https://twitter.com/nogutiya/status/1278869554467241984
きぐるみ@コミュ障度999%の人さん「今日も100人オーバー… この状況でも誰も責任を取らない悲劇。 #東京100人 満員電車ゼロは? 2階建て電車🚃はどうなったんですかね? #小池百合子は公約実現ゼロ」 https://twitter.com/kigurumi_no/status/1278888894692388864
news zeroさん「【#感染者 まとめ】 きょうの全国の #感染 者数は196人。 #緊急事態宣言 の解除後1日の感染者数として最多となりました。 東京、 #埼玉、 #神奈川、 #千葉、この1都3県だけで、全国のきょうの感染者数の8割近くをしめています。 #newszero #有働由美子 #岩本乃蒼」 https://twitter.com/ntvnewszero/status/1278699698467901440
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「加藤勝信厚生労働相は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う出入国制限の緩和に向け、検査体制を強化するため、成田、羽田、関西の3空港に出入国者専用の「PCRセンター」を設置すると表明しました。」 https://twitter.com/jijicom/status/1278646877156753410
厚生労働省さん「接触確認アプリ(COCOA)により新型コロナウイルスの陽性者から通知を受けることができる機能を、7月3日から開始します。」 https://twitter.com/MHLWitter/status/1278666480402354178
ライブドアニュースさん「【現金ブース廃止】全国の高速道路、ETC専用化へ 国交省 現金向けブースを廃止し、ETC専用にする方向で検討すると明らかにした。ETCは利用率が93%に達しており、コロナ対策として係員との接触機会をなくす。」 https://twitter.com/livedoornews/status/1278637969042288642
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「新型コロナウイルスの院内感染が発生し、43人が死亡した永寿総合病院の湯浅院長は「感染を疑うタイミングの遅れがあった。発熱した患者の中に感染者がいるという想定が浸透していなかった」とした上で、「最も大きな被害を受けた患者と家族に深くおわびする」と謝罪しました。」 https://twitter.com/jijicom/status/1278236925095219201
東洋経済オンラインさん「コロナ禍で大幅な減便を迫られたJAL、ANA。感染が拡大した序盤には、ほとんどのフライトがキャンセルされた結果、運賃の払い戻しが発生。大規模なキャッシュアウトの波が襲いかかりました。大苦戦を強いられる中、唯一の希望は国内線旅客の早期回復です。 #東洋経済オンライン」 https://twitter.com/Toyokeizai/status/1278503605008388096
時事メディカルさん「◇ 遺伝子ワクチンは、これまで実用化に至った例はない ウイルスが変異しても迅速に対応できる可能性も 「感染症対策は安全保障に近い問題でもある。ワクチン国産化が何より重要だ」 #新型コロナウイルス #ワクチン」 https://twitter.com/jijimedical/status/1277444965014966272
毎日新聞ニュースさん「コロナ倒産300件超す 最多は飲食業 インバウンド需要消失も打撃」 https://twitter.com/mainichijpnews/status/1278364167892692992
朝日新聞名古屋編集局さん「トランプ氏、マスク着用を表明 批判に一転「大賛成」トランプ米大統領は1日、米FOXビジネスのインタビューで、新型コロナウイルス感染予防のためのマスク着用について「私は大賛成だ」と述べ、他人との距離が近ければマスクを着ける考えを示した。」 https://twitter.com/asahi_nagoya/status/1278516525054308353
日テレNEWS / 日本テレビのニュース・速報さん「【速報 都内で新たな感染者125人前後】 関係者によりますと、きょう東京都内の新たな新型コロナウイルス感染者は125人前後だということです。 緊急事態宣言の解除後、最多の人数です。 東京都での新規感染者...推移は?▼」 https://twitter.com/news24ntv/status/1278898787117744128
U-SKEさん「香港の人たちが命がけで獲得しようとしている普通選挙と、その普通選挙で僕ら日本人がしていること。」 https://twitter.com/USKE_ASADA/status/1278730792483446790
佐藤正久さん「【昨日、ツイートしたように、本日、外交部会で決議→自民 習国家主席の国賓訪日中止求める方針 「香港傍観できず」】 報道が一部間違っているのは「重大で深刻な憂慮を表明する」ではなく「強く非難する」との表現。この決議は「憂慮決議」ではなく「非難決議」。」 https://twitter.com/SatoMasahisa/status/1278847006748729344
NHK@首都圏さん「来月5日に投票が行われる東京都知事選挙についてNHKが行った世論調査によりますと、都知事選に「関心がある」と答えた人は、89%を占めた。投票に「必ず行く」と答えた人と「期日前投票をした」と答えた人はあわせて66%となっている。」 https://twitter.com/nhk_shutoken/status/1277867947013226496
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「英国は1日、中国が香港国家安全維持法を施行したのを受け、香港に住むすべての「英海外市民」について、英国への入国管理規則を大幅に緩和すると正式に発表しました。英海外市民の旅券保持者が、ビザ(査証)なしで英国に滞在できる期間を延長し、市民権取得につなげます。」 小中学校の給食で3400人以上が食中毒 埼玉県
BBC News Japanさん「BBCニュース - ロシアの改憲投票、78%が賛成 プーチン大統領は2036年まで続投可能に」 https://twitter.com/bbcnewsjapan/status/1278631377693368320
TBS NEWSさん「【独自】服役の邦人男性帰国へ 中国でスパイ罪 刑期満了 #中国 で #スパイ罪 などに問われて実刑判決を受けた日本人男性がきのう #刑期満了 となり、さきほど帰国の途についた。一連の日本人拘束事件で有罪判決を受けた日本人が帰国するのは初めて。」 https://twitter.com/tbs_news/status/1278569151242493952
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「国家安全法で初の逮捕者 民主派デモ敢行、370人拘束―厳戒下の香港返還23年」 https://twitter.com/jijicom/status/1278346630580678656
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時(13)=の父滋さんが、6月5日に87歳で死去したことを受け、トランプ米大統領から妻早紀江さん(84)に弔意を示す書簡が届いたことが1日、分かりました。」 https://twitter.com/jijicom/status/1278229940580823051
日本経済新聞 電子版さん「マイナンバーカードを持つ人を対象に上限5000円、25%分ポイント還元する「マイナポイント」の利用申し込み受け付けがきょう7月1日始まります。予算は4000万人分で、予約人数が上限に達すれば申請を打ち切ります。」 https://twitter.com/nikkei/status/1278094430218661890
もも と みらいさん「取り出してまず説明書を読む飼い主と、早速箱に収まる猫。検品されるロボロックちゃん。速攻マウントをとられるロボロックちゃん。 (๑'ㅂ')おやめ下さい。」 https://twitter.com/myumyulovemyu/status/1278290191090774016
癒しチャンネルさん「毎日こうしてたい」 https://twitter.com/iyashichannel_/status/1278511378165161984
いつでも買えると評判上々 青森・つがるのホルモン自販機 飲料用の応用に試行錯誤 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200703/k00/00m/040/015000c
ボツワナでゾウ350頭が謎の死「例がない規模」 密猟の可能性は否定 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200703/k00/00m/030/059000c
卯堂 成隆@お仕事募集中さん「白い球体、「所有者・目的不明」の結論…十字形の部品と2基のプロペラ付く : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン あれって、なんで打ち落とさなかったんだろうね? 海外の諜報目的だったらどうするのやら。」 https://twitter.com/loadofbear/status/1278897612976828418
【最新まとめ】まとめまとめさん「神奈川県のJR線の駅、多機能トイレに使用制限! 渡部建の文春砲の影響か?? #多機能トイレ #渡部建 #乙武洋匡 #拡散」 https://twitter.com/matomame3/status/1278901787932549120
Yahoo!ニュースさん「【児童ら3千人以上が下痢や腹痛】埼玉県八潮市で多数の小中学生が下痢や腹痛を訴えた問題で、県は2日、全市立学校の児童と生徒、教員の約半数に当たる3453人が症状を申告したと明らかにした。集団食中毒と認定し、原因を調べる。」 https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1278655978758533120
Yahoo!ニュースさん「【ミャンマーで地滑り160人超死亡】ミャンマー北部カチン州パカンのヒスイ鉱山で大規模な地滑りが起き、160人以上が死亡した。さらに多数が行方不明になっているという。現場には採掘の際に排出された土石が積まれていた。」 https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1278713103408959490
日本経済新聞 電子版さん「テスラ時価総額22兆円、トヨタ超え世界首位に 1年で5倍」 https://twitter.com/nikkei/status/1278334796930797569
読売新聞ブランド企画部さん「昨年1年間に全国の警察に届け出があった #認知症(疑いを含む)の #行方不明者 は、延べ1万7479人に上り、過去最多を更新したことがわかりました。 前年より552人増え、2012年の統計開始以来、7年連続の増加となったそう。 詳しくは今日の夕刊社会面で。 地域社会で見守りを強化していきたいですね。」 https://twitter.com/pr_yomi/status/1278605250752962560
聖詩さん「「JESUS」から「CALL FOR YOU」の繋がりが個人的にはかなり拘ってると言うか、作った時は2曲で1セット的に考えておりました。この繋がりを聴けるのもこのCDだけなのであり〼」 https://twitter.com/suimasenoaiso/status/1278658948707438593
池袋 手刀さん「もうすぐ放送開始です!」 https://twitter.com/ikebukuro_chop/status/1278642818198630400
池袋 手刀さん「リンク、投げ銭、差し入れ等はこちらにて。。。」 https://twitter.com/ikebukuro_chop/status/1278642975543750658
【貴族】Mörishige【KIZO-CLIMAX TOGETHER】さん「バグラジありがとうございました・・・† それぞれの場所に遊びに行って参りましたが、全て楽園プーチョーです・・・。」 https://twitter.com/KIZOKU_0927/status/1278688732695031809
キリ(luin/…。【サイレンス】)さん「初の、紙ストロー。 なんというか、ぱしぱししている。アイス用の木のスプーンと似たぱしぱし感があるよ。」 https://twitter.com/kiri_drums/status/1278652272650514432
キリ(luin/…。【サイレンス】)さん「玉露ほうじ茶ラテ◎美味しかったです◎」 https://twitter.com/kiri_drums/status/1278653344320385026
キリ(luin/…。【サイレンス】)さん「RT 「塩…少々 って具体的に何グラム?」と聞いてきた理系の実兄との会話を思い出す。 生き方が違いすぎて会話に困るけど、それが楽しかったりもします(´ω`) 今週末は姪っ子と初対面〜◎」 https://twitter.com/kiri_drums/status/1278698781106552833
lucy+peter=esolagotoさん「微熱になったからって遊びに行って39℃で帰ってくる子供のようなもんだよね・・・。 しんどくてももう2週間我慢してたら終わったのに、と思う」 https://twitter.com/lucy_peter/status/1278727730297663488
ギャラクシー2525さん「†トーキョーナンバーワンゴシックパンク†DALLEのかっこいい服が届きました。 グレゴリー・ザムザと言うとBUCK-TICKの『PHYSICAL NEUROSE』を思い出します。 この服を着てメタモルフォーゼします✨」 https://twitter.com/govat66/status/1278627299290742784
dgmldgmlさん「DALLEさんのTシャツ届いたか��明日のお散歩から着るぜ。」 https://twitter.com/dgmldgml/status/1278695341877944320
Meさん「DALLEのTシャツ来たよ☺️✨ 八田さんのサイン���ありがとうございます🙏✨ 早速明日着ようかな😌💕」 https://twitter.com/Me_1027_oto/status/1278668075886186498
🕸𝔛𝔛𝔛𝔄𝔗𝔖𝔘𝔖ℑ🕸さん「今週の5日日曜日は都知事選挙の投票日 神奈川県民だから投票出来ないけど 山本太郎さんが都知事にならないかな〜 この街宣聴衆者数凄いね 注目されまくってる 個人的に思うのはこれオーケーならライブハウスは、、、 とか」 https://twitter.com/xxxxvalentine/status/1278843425702338560
𝔱𝔥𝔢 𝔥𝔞𝔱𝔢 𝔥𝔬𝔫𝔢𝔶さん「[announcement] 恵比寿LIQUIDROOM振替公演の日程が決定しました!!! "A DEEP TIES 2021 Reloaded" 2021年4月17日 (sat) 恵比寿LIQUIDROOM open / 16:00 start / 17:00 act : FULLTRAP THE HATE HONEY KEMURI 175R POTSHOT ニューロティカ DJ: 白鳥雪之丞(Tears of Swan) Mai (continue)」 https://twitter.com/THEHATEHONEY_jp/status/1278886724370751488
🕸𝔛𝔛𝔛𝔄𝔗𝔖𝔘𝔖ℑ🕸さん「THE HATE HONEYが出演する恵比寿LIQUIDROOMでやるイベント振替公演の日程が決定ました "A DEEP TIES 2021 Reloaded" 2021年4月17日 (sat) 恵比寿LIQUIDROOM よろしくね」 https://twitter.com/xxxxvalentine/status/1278888218138562561
白田 雄人さん「先日6/23の仁さん配信ライブの動画です! ぜひご覧あれ!」 https://twitter.com/YutoHakuta_gt/status/1278654678574624774
情次2号さん「わたしコレやりました。48周年おめでとうございます🎉」 https://twitter.com/george2nd/status/1278237437605457920
十三月 紅夜さん「ワタクシもお手伝いをさせて頂いたことがある、西新宿の和食料理店【砂々良】@sasara620) が48周年 とのこと!!! おめでとうございます✨㊗️🎉 お料理もめっちゃ美味しくて、とっても良いお店です◎ こもださん作詞作曲の可愛らしい記念ソング、皆んなも是非聴いてみてね🌸」 https://twitter.com/jusangatsukouya/status/1278391688378019840
KISAKIさん「KISAKI、未発表新曲CD「Nothingness Cage」完売ありがとう。コンピレーションアルバム「鹿鳴館伝説」も宜しくお願いします。」 https://twitter.com/KISAKI_OFFICIAL/status/1278684638945239040
Go Yanamotoさん「disc77:『蘇生』/Syndrome」 https://twitter.com/utopos_utopos/status/1262997087035068416
拓馬(紫音) NEiN 4/21全11曲アルバム発売さん「今日は仕事休みだったんで、夕方から舜さん邸に遊びに来て色々楽しい話を(o^^o) 楽しい休みだったなー! ラーメンうまし^ ^」 https://twitter.com/takuma_nein/status/1278685544952651777
舜 NEiNフルアルバム発売中さん「俺の彼女だから手出したらあかんで(*´﹃ `*) #LINA」 https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1278697761714565120
拓馬(紫音) NEiN 4/21全11曲アルバム発売さん「LINA姉ー😍」 https://twitter.com/takuma_nein/status/1278698994223345664
邪悪四弦LINAさん「可愛いなぁ〜…俺様(°_°)」 https://twitter.com/L_ch_vazm/status/1278885017788149760
太三さん「暫く人前での演奏していないけど 腕は上がってるぜ💪🏻 待ってろ」 https://twitter.com/taizodiac/status/1278689077236125696
魚住 英里奈 ( 独 唱 )さん「「魚住さんは病んでいて、薬を飲んでいる事も隠してなくて羨ましい〜」と言っていた女、 薬がダサい事だとようやく気付いて、健康になったな。 そしてわたしが措置入院してから本物だと気づいたな わたしは前から知っていた、」 https://twitter.com/erina_chas/status/1278707206058205184
Köziさん「バゴンっ!」 https://twitter.com/Kzi_official/status/1278725243750633473
KENZI 7・3スター☆カフェ30th写真集発売イベント。さん「アメブロを更新しました。 『お誕生日。』 #antikenzistars」 https://twitter.com/Antikenzi2000/status/1278751055988187136
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「けんちゃんありがとうございます!そして誕生日おめでとうございます!アルバム中、最狂最速の曲です!」 https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1278816651220103170
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「みんなタイトルなんて読んだかな? たいこみち? たいこどう? 正解は「たいこどう」だぜ! (°_°)」 https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1278901009352257537
中島卓偉さん「IGTVで「高円寺」を歌いました。是非聴いてやって下さい。 #中島卓偉#takui nakajima#rocksinger#stay safe」 https://twitter.com/takuinakajima/status/1278907263542079489
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4月の各地句会報
平成29年4月の特選句
坊城俊樹選
栗林圭魚選 栗林眞知子選 岡田順子選
平成29年4月1日
森田愛子生誕百年記念俳句会
坊城俊樹選 特選句
愛子忌につゞく虚子の忌花の句座 越堂
愛子忌の一香献ずこと叶ふ 省吾
かげろへる北前船や日本海 匠
春灯の柏帖右に虹の帖 省 吾
法名は妙愛大姉愛子の忌 龍聲
雀の子ひととき遊ぶ虹屋跡 道夫
春の虹立ちなば君やわたらまし 二三枝
参道に燃えて語らず落椿 中山昭子
春潮に逝かれしことも哀れなる 省吾
華やぎの病床屏風春灯 松陰
鳥帰る在さば白寿の愛子の忌 清女
身ほとりに愛子の声を東風に聞く かづを
燭の火の風に煽らる愛子の忌 信子
琴弾きて応へたまへや愛子の忌 ミチ子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月1日
枡形句会
栗林圭魚選 特選句
雨を吸ひ花木五倍子の黄烟りをり ゆう子
木場堀の跡地そぞろに風光る 陽子
花の雨八人だけの城址冷え 文英
水色の雨の菫や踏むまじく 三無
老桜の耐へてしつかと咲き始む 和代
学寮の忙しき出入り桜草 亜栄子
菜の花の色流れ込む車窓かな 瑞枝
花冷や指先の傷癒えぬまま 亜栄子
山笑ふ濃淡に彩重ね���つ ゆう子
下り来て斜面に淡きすみれ草 清子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月1日
零の会
坊城俊樹選 特選句
下ぶくれ地蔵みな手に風車 鯨
門を鎖し花を余らす御廟かな 鯨
土まんぢゆう江戸の椿よ桜よと 順子
春の雨解脱門へとゆるびけり 三郎
フランスパン縦にかじりて花衣 久
何に背く逆回転の風車 佑天
屍より這ひ出で来たるなめくぢり 八之助
とくに濃き花下に彳む黒衣かな 光子
春陰に峨々とやありぬ土まんぢゆう 順子
さくら色してゐる万愚節の蕎麦 八之助
チューリップ濡れて西向観世音 炳子
童唄天降れば廻り風車 順子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月4日
さくら花鳥句会
栗林眞知子選 特選句
動かすは尻尾だけなり犬のどか 紀子
小浜湾みおろす野辺の青き踏む 令子
足跡を残す生き物春の泥 紀子
母が結ふ三つ編み固し入学子 登美子
永き日の犬に引かるる老夫かな 登美子
母かとも思ふ人ゐて花の下 寿子
長靴のぐにやりぐにやりと春田かな 登美子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月6日
三日の月花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
花衣脱ぎて湯宿の客となり 由季子
花筏押して押されて散り散りに 都
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月6日
県民会館花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
親のなき雀も来たる花むしろ 龍聲
誘ふごと逃げるが如く蝶の舞ふ 英子
味真野に隠れ沼あり亀の鳴く 秋野風
亀鳴くの亀鳴かぬのと姦しく 雪
棟上げの木の香りたつ蝶の舞 英子
花嵐ととのはぬもの美しき 英子
虚空いま掌中にあり大桜 龍聲
法堂の甍濡らして春の月 越堂
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月7日
芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
花の冷稽古用具の重きこと 久美子
人声も埃も沈め花の雨 由紀子
夫の歩のだんだん小さく花の下 よみ子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月7日
鳥取花鳥会
岡田順子選 特選句
涅槃西風珍しき鳥連れてきし 史子
観世音桜を挿頭し子の笑ふ 悦子
遺句集の薄きを綴ぢる彼岸寒 都
峡谷の阿呆話や馬酔木咲く 益恵
花明り峡にひとつの診療所 美智子
貝母咲く友と笑つて切る電話 和子
入学式終へし列車の人いきれ 幸子
黄水仙犬の命日祈る庭 史子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月10日
武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
その後の消息いまだ亀の鳴く 英美子
黒板に担任の名や春の風 昭女
姿見に春愁の吾ありにけり 昭女
首塚の四囲に赤赤落椿 信子
花三分なれど華やぐ巫女溜り 昭子
春愁の眉寄せ給ひ御秘仏 越堂
花冷やうなじ冷たきネックレス ミチ子
蓬けても蓬けなくても猫柳 雪
花吹雪風の形に川を越ゆ みす枝
弱法師に鎌倉遠し椿寿の忌 越堂
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月10日
なかみち句会
栗林圭魚選 特選句
遠く散り身ほとりに散り花吹雪 三無
行く先のこんがらがつて蜷の道 秋尚
小さくて大きな花よすみれ咲く 和魚
石垣の間を選びつくしんぼ 有有
茎立ちの葉牡丹朝の停留所 美貴
道端の杉菜林となる緑 ます江
鉛筆の削り忘れて花曇 貴薫
謎解きの文字消えかかる蜷の道 秋尚
ひとときの落花のなかに佇めり 貴薫
しきりなる落花に修すとしあつ忌 三無
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月11日
萩花鳥句会
畦を焼く煙の匂なつかしや 牛子
円山の枝垂れ桜や人人人 小勇
春の川生き抜く鯉は五十歳 祐子
うかつにも孫に騙され四月馬鹿 孝士
帰宅せば庭の辛夷の散り敷きぬ 七重
満開の辛夷ロードを来て城下 美恵子
八重山路戦火の辛夷地上戦 健雄
天幕を包むがごとき桜かな 吉之
萩往還白き壁なる花辛夷 圭三
分限者の家も空き家に花辛夷 克弘
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月16日
伊藤柏翠俳句記念館
坊城俊樹選 特選句
春愁の眉根淋しき阿修羅像 雪
佐分利川さくらの中を流れけり 一仁
黄水仙厠の神に飾りもし ただし
山深く佐々木小次郎像朧 阿希
少年の背筋まつすぐ麦青む みす枝
お市忌の墓に落花の舞ひ止まず 越堂
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月16日
風月句会
坊城俊樹選 特選句
行春や一人が最小単位にて 千種
石垣の険しさに付く花の塵 鯨
せはしなく穴を湿らす春の蟻 鯨
蒼きまで白き桜を活けにけり 和子
しかたなく落花の舞ひを風の出て 幸子
まつろうて縦横無尽もんきてふ 眞理子
ひそやかに旧家軋める草若葉 ゆう子
春の蠅昔硝子の臍にゐる 千種
(順不同 特選句のみ掲載)
栗林圭魚選 特選句
たんぽぽを握る子供の長まつ毛 貴薫
花筏組むべき水面左右に揺れ 千種
花の雲薄墨色に石の街 ゆう子
道ひとつ奥に香りて山椒の芽 貴薫
春蚕飼ふ闇を二階に古館 眞知子
初燕空を小さくしてしまふ 斉
春惜しむ背となりゆく追ひかけず 千種
三尺に満たぬ若木も花は葉に 淸流
多摩の丘起伏の果てのすみれ草 三無
窓を打つ風音破調春の昼 久子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月19日
福井花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
囀やここらあたりは長者町 和子
別邸の塀の外まで囀れる 和子
寺の名は忘れし枝垂桜かな 嘉子
囀や千年杉の秀に日射し 嘉子
落椿水琴窟の蹲踞に 令子
柳の芽川の淀みはそのままに 美代
桜散る大地に花を置くやうに 松陰
皆我に向くかに千の落椿 雪
春や昔虹屋の法被小提灯 雪
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月21日
鯖江花鳥俳句會卯月抄
坊城俊樹選 特選句
甘茶仏指の先より滴らす 越堂
時計屋のミステリアスな蝶の昼 信子
朧夜やふと痛み出す糸切歯 昭子
一と嵐一山呑んで飛花落花 みす枝
遠い空ばかり見てをり生身魂 スヱ子
囀りぬ北支に斃る父の碑に 一涓
春昼の女医に診られてゐる動悸 一涓
花筏日本海へ流れゆく 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月23日
花鳥月例会
坊城俊樹選 特選句
いやさうに男の子や母の春日傘 順子
招魂祭へ禰宜の押し行く車椅子 芙佐子
緑立つとんと踵に舞の音 光子
陽炎の中に迷彩服の男 佑天
かぎろひの奥より国歌這ふやうに 野衣
濠に波立つや胡蝶を照らすべく 光子
散る白さ去りゆく白さ春惜しむ 和子
この渕を出ず双蝶となりながら 順子
(順不同 特選句のみ掲載)
栗林圭魚選 特選句
よきことも無けれどよろし風光る 七湖
汚れなき空に残花の揺れてをり て津子
手水舎の水なみなみと夏近し 小鳥
銀杏若葉半身に影を抱へをり 秋尚
禿頭の残花払ひ来木遣衆 順子
幾段も光を溜めて若楓 梓渕
春闌けて蒼穹光る葉を落す ゆう子
春に散るものを集めて竹箒 佑天
この渕を出ず双蝶となりながら 順子
読み止しの本へ降り来る桜蘂 眞知子
拝殿の奥春愁のままの伯父 要
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月27日
みどりや花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
行く春や道行きのごと影連れて 陽子
団地みな同じ窓持ち春隣 世詩明
花散らしの雨野菜芽吹きの雨 久子
春の夜や離ればなれの位星 世詩明
千人に千の憂ひや柿若葉 清女
懐かしき姐さん揃ひ春の句座 和子
大往生百十七歳桜散る 清風
石ぬくし猫は細目で恋をする 秋子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月27日
九州花鳥会
坊城俊樹選 特選句
百畳の端にて拝す涅槃絵図 佐和
教会の茶摘や里のをみなどち 志津子
傾斜地の茶摘の果ての遠汽笛 順子
首に笊掛けて茶摘みのひと葉づつ 地人
航跡のさらに伸びゆく春眠し かおり
葉柳のをりをり触れて水輪生む 孝子
特攻兵送り茶摘の日もあらむ 光子
手遊びの歌の一つに茶摘歌 友子
腰を折る背の小さき茶摘笠 朝子
尼御前も姉さん被り茶摘籠 初子
茶摘女の紺手甲に立つ小指 勝利
太陽の指にからまる茶摘かな 朝子
灯台の径に香の追ふ花海桐 志津子
海峡の渦を象る落花かな 志津子
一面の絵図を変へつつ花筏 喜和
若作りして鬱ぎをり暮の春 勝利
甲冑の目の奥光る朧の夜 千代
新妻のちともどかしき茶摘かな 孝子
ぞくぞくと天界を指す若緑 ふじの
池の闇縫うて艶めく春の鯉 かおり
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月
花鳥さざれ会
坊城俊樹選 特選句
花の句碑心のままに蝶のとぶ 龍聲
水面を綾なすものに花筏 天空
句座入りの靴の爪先花の塵 秋野風
初花に夜の石仏踊り出す 匠
(順不同 特選句のみ掲載)
3月の句会(追記)
平成29年3月11日
札幌花鳥会
吊橋を過る滾りに春の月 独舟
鳶職の凍てし足場を確と踏む 岬月
人肌の灰を寄せるも炉の名残 岬月
春灯や女の酔ひは首に出る のり子
ほつれ髪なほして母の雛納 のり子
氷紋の日毎に変はる朝の空 親子
春光や天窓細き地下通路 晶子
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マイホーム拝見(第7回)~しおさと山田の古民家にお住まいの藤田さんご家族宅
2018年1月の取材記事です。
今回の「マイホーム拝見」は、美術家・佐藤史仁さんのもとで民家や店舗のリノベーションに携わっている藤田文吾さん、奈々子さんご夫妻、お子さん照太呂(テルタロ)君(5歳)、夏花(ナツカ)ちゃん(6ヶ月)の4人家族宅を訪問しました。お宅は、後閑から山田に抜ける鳥打峠から見える東野﨑浜塩田跡地の少し山側に入った、品ノ作という集落に在ります。10年前、記者が初めて訪ねた時と同様、しっとり落ち着いた佇まいです。ここは、芸術フェスタ2008「玉野東街道」の散策コースで、地域の方たちが抹茶のおもてなしをしてくれた、庄屋風の魅力的な築200年の古民家です。2009年のフェスタでは、三宅邸「大元屋」の屋号で森美樹さんのガラス作品を展示した、芸フェスにもMMKにも縁の深いお宅です。
手入れの行き届いた笠松に挟まれた玄関までの長い通路が、いかにも富裕な邸宅のイメージです。藤田さんご家族のお気に入りは、この家と環境の良さです。ご近所の方も親切で、照太呂君が通う鉾立保育園は、年長さんも幼児も皆友達です。趣味は野菜作りと言うだけあって、裏の畑には大根、カブ、水菜、ほうれん草、玉葱、エンドウ、じゃが芋等、沢山の野菜が育っています。照太呂君は、恐竜、ウルトラマン、クワガタ、カブトムシが好きならしく、クワガタの絵をとても上手に描いています。窓に貼った折り紙もステンドグラス風で優しい家庭の雰囲気です。
文吾さんは横浜育ちですが、専門学校卒業後、塗装職人として東京で暮らすことになりました。学生の頃から音楽好きで、高校のブラバンでテナーサックスを吹いていました。東京で友人たちと始めた音楽活動がアッという間に10人の音楽グループとなり、楽団としてクラブで演奏活動を行なうようになりました。その後知り合ったのが、カレーと焼き菓子作りが得意な奈々子さんです。東日本大震災の翌年、照太呂君が生まれ、放射能に対する不安と田舎暮しへの憧れから、友人の住む岡山に移住したいと考えるようになりました。物件を探していた時、友人に紹介を受けたのがうのずくりの森さんでした。玉野との縁が生まれました。「本当に運がよかった」と。「今音楽活動はしてないが、地区の獅子舞保存会で篠笛を担当、地域との絆も深まった」とも。取材終了後、男子3人で水守神社に昇り、神殿に今年の幸を祈願しました。
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◆坂崎紫瀾 - 坂本龍馬 - 司馬遼太郎
◆坂崎紫瀾 - 坂本龍馬 そもそも坂本龍馬だって 坂崎紫瀾が調べ尽くして世に出さなければ 誰にも知られなかったし 現代人の大半は司馬遼太郎の「小説」で龍馬を知ってるだけだし。
有るサイトの書き込みで書かれていた。 坂崎の「汗血千里駒」は、それらの原型になった作品であるといえる。 こんな繋がりがあるとはついぞ知らなかった
世に言う 坂本龍馬は死んだから有名になった。 この言葉の通りであるが 調べてくれる人がいなければ存在自体も世に出て来ない。
「坂本龍馬は作られた」 これは昨年出版された本の題名である。
松平春岳という福井藩の最後の殿様が広い上げた。
有名人はその人なりに何処かで何かに引っかかって流されずに浮き上がってくる。
坂崎紫瀾なる人物も面白い人。 世に言う芸人だった。 現代の芸人はクソばかり。 人としての値打ちのないものばかり。 坂本龍馬も芸人だった。 固いことばかりしていてもその人の人格が出て来ない。 確か龍馬は三味線弾き 都々逸なんかもしていたのではないかな。 人として面白いもの沢山持っていたのではないかな。 紫蘭という人も講談師などをしていたと。 今では居無くなったけれども遊び人 ソレも女たらしみたいなタダの 遊び人とは違ったのではなかろうか。 遊んでいてもソレが一つ一つ血となり肉となりその人を 形作っていったのではなかろうか。 今の遊び人は他人から見れば後ろ指さされたり陰口叩かれる存在ではなかろうか。 遊び一つも真剣にしている。 ソレが本物に成るのでは。 私はどうもそのあたりが中途半端。 お酒も飲めないし人の心のキビも感じられない。 何時も第三者的に上から物見ていた。 所詮小物でしか無い。 彼はその点 私なんかとは違い 色んなものにぶち当たり彼なりのものを 作り上げて��き 大物になっていったのだろう。 素質も有ったのだろうけど 運というか 徳というか そんなものを持っていた。 私はその点で羨ましい人物だと思う。 ◆坂崎紫瀾 - Wikipedia http://bit.ly/s6sxkT 坂崎 紫瀾(さかざき しらん、嘉永6年11月18日(1853年12月18日) - 大正2年(1913年)2月17日)は明治期のジャーナリスト、講談師、小説家、歴史研究者、自由民権運動家。 本名坂崎斌(さかざき さかん)。 生涯でかかわった主な新聞は、「自由新聞」、「絵入自由新聞」、「浪華新聞」、「今日新聞」、「東西新聞」、「大同新聞」、「国会」、「読売新聞」、「東京新聞」、「法律新聞」。著書に『汗血千里駒』、『勝伯事跡開城始末』、『鯨海酔侯』。 保釈中の明治16年(1883年)、「土陽新聞」に坂本龍馬の伝記「汗血千里駒」の連載をはじめる。挿絵の人気もあって評判となり、連載中に大阪の複数の出版社で単行本化され、その後も春陽堂などから出版されて広く読まれた。 明治17年(1884年)に「自由燈」の招きで上京、以後明治36年(1903年)までさまざまな新聞、雑誌にかかわり、紙上で論説、小説、漢詩を発表、一方で後藤象二郎、林有造、陸奥宗光など数々の伝記を書いた。東京では私塾を開き、福田〔景山〕英子などを教えている。明治27年(1894年)にはジャーナリストとして朝鮮の京城に赴き、牙山の役を視察している。 大正元年(1912年)に、『維新土佐勤王史』を上梓。それまでの維新史研究の集大成といえる大作で、明治37年(1904年)以降、履歴に残る職が確認できないのは、同書執筆に全精力を傾けたためだと思われる。 大正2年(1913年)2月に亡くなる時には、文部省維新史料編纂局に籍を置いていたが、仕事をする時間は残されていなかった。 坂本龍馬が今日よく知られているのは、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』をはじめとする小説や映画、テレビドラマの影響である。 坂崎の「汗血千里駒」は、それらの原型になった作品であるといえる。 この作品がなければ、人材豊富な維新史の中で坂本龍馬が特別に注目されることはなかったかもしれない。 坂崎最大の功績は、坂本龍馬の発見であったといえるかもしれない。現代日本人の心を捉えている、自由闊達で度量が大きい、といった龍馬の人間像もすでにこの作品で描かれている。 また龍馬は、姉乙女、お龍、千葉佐那など、個性的で強い女性に取り囲まれているが、これも坂崎によって見出された枠組みだといえる。坂崎終生のテーマが、女権拡張であったことと関連していると考えられる。 東洋大学名誉教授で分析哲学者の坂崎侃(さかざき かん)は息子。 ◆坂崎��瀾 - 坂本龍馬人物伝 http://bit.ly/t5Lb2E 藩医の子として、江戸の土佐藩邸で生まれる。 安政2年(1855年)に発生した安政江戸地震を転機に、坂崎家は高知へ戻る。 父は医者を開業し、紫瀾は藩校『致道館』に入学。 その才覚はすぐに発揮され、句読師などに任用された。 ◆くとう‐し【句読師】-日本国語大辞典 〔名〕文章の読み方を教える人。また、漢文の素読や外国語の講読を教える人。 *和英語林集成(初版)〔1867〕「Kutoshi クトウシ 句読師」 ◆素読・読誦のすすめ http://bit.ly/uwDEMX 「歎異抄の研鑽は一にも素読、二にも素読。そして、自然に暗唱できるところまで素読を重ねることが第一段階であると思います。つまり体解(たいげ・体で分かるということ)であり、知的理解はその補助的手段であろうかと思われます。」 ◆素読とは - はてなキーワード ・素読 そどく (読書) 文章の意味を気にせずに,暗誦できるようになるまで,繰り返し音読することがもともとの素読. 明治期以前は「論語」などをテキストに漢文の習得方法としてひろく行われていたという. 有名な話では,湯川秀樹もこの方法で漢文脈に親しんでいた.
◆坂本龍馬 - Wikipedia http://bit.ly/tvwN2A 坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日(1836年1月3日)- 慶応3年11月15日(1867年12月10日))は、日本の近世末期に活動した武士。土佐藩出身。 ◆講談師神田香織代表作「はだしのゲン」 http://www.ppn.co.jp/kannda/frame/index.html ◆神田香織 - Wikipedia http://bit.ly/vxIAx9 神田 香織(かんだ かおり、1954年12月4日 - )は、女性の講談師。本名は江尻光子。磐城女子高校卒業。講談協会所属。 ◆講談!堀内伝右衛門物語 その1 赤穂義士・肥後細川藩接待役 9,570 回視聴 2010/02/16 https://youtu.be/0CUmZKvU9aQ?list=PL036D585C3C35DD3A higonokaze(肥後の風) チャンネル登録者数 2430人 赤穂義士祭の前夜祭から「堀内伝右衛門物語」をアマチュア講釈師の若林鶴雲さんが講釈した。 会場は重要文化財に指定された山鹿市八千代座。2010年2/3収録 FX1000 手持ち撮影。 この講談は30数分あります。数回に分割してアップします。 ◆講談師 田辺一鶴 https://youtu.be/-Fr0KeAAPWw 激動の昭和を生き抜いたアバンギャルドな文化人! 2009年12月22日その芸人生を全ういたしました。 一人の人間として尊敬します。写真を喜んでくれました。 ◆芸能のあらまし:話す・読む・語る芸|大衆芸能編・寄席 https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/geino/aramashi/index1.html 伝統のある話芸のなかでも、落語・講談・浪曲は、それぞれに表現方法が異なっています。 落語は「話す」芸です。話すとは、まとまった内容を言葉で相手に伝えることです。言葉で表現する時に、笑いを描くには、登場する人物の個性を明確に描いたり、会話を ... ◆講談・あらすじ http://koudanfan.web.fc2.com/arasuji/00-00_arasuji.htm 『講談・連続物』あらすじについてはこちらをご覧ください http://koudanfan.web.fc2.com/arasuji_series/00-00_series.htm 講談を本格的に楽しみたいのなら、やはり連続物をじっくり聞き込みたいところだが、短くて数席、長ければ数十席もある。演じられる機会も多いとはいえないし、演じる方もそれを聴きに行く方も大変である。それならばもっと手軽にCDあるいはネットで聴きたいと思うのだが、それも(表向きは)なかなか出来ない。現在、松之丞さんの人気がブレイクしているが、連続物を聴くのに苦労する現状も何か変化が起きるかもしれない。 ●講談は「すごくつまんないと思っていました」 講談師・神田松之丞② https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/detail/shinyabin20190102_02.html 2019/01/02 ラジオ深夜便 「新春インタビュー もっと上をめざして」 講談師 神田松之丞さん②. ざっくり言うと 2019/01/02 ラジオ深夜便 「新春インタビュー もっと上をめざして」 講談師 神田松之丞さん② 予備知識がなくても面白いのが大衆芸能 神田松鯉に断られたら、講談師になるつもりはなかった ◆侠客物『芝居の喧嘩』|大衆芸能編・寄席|文化デジタルライブラリー https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/geino/kodan/enmoku/s3.html 歯切れのよい啖呵は聞いていて気持ちがよいので、侠客物は講談の人気ジャンルの一つになっています。 ◆『南総里見八犬伝』のあらすじ. https://www.city.tateyama.chiba.jp/satomi/arasuji/ara_min.html 『南総里見八犬伝』は、江戸時代の文豪曲亭馬琴が28年もの年月をかけて著した長編小説です。戦国時代に安房の地を活躍の拠点にした房総里見氏の歴史を題材にしていますが、けっして歴史事実にはこだわらず、そのすべてが新たに創作されたものです。1814年(文化11年)に最初の5冊を出版してから、全106冊を出し終えたのは1842年(天保13年)のことでした。 この物語の主題は、「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)・因果応報(いんがおうほう)」にあります。悲劇の最期を遂げた里見氏をはじめ安房地方の善良なる人々などをとりあげて、馬琴の意のままに大活躍させる爽快な小説になっています。 物語は、結城の戦いに敗れた若武者里見義実(よしざね)が、安房へ落ち延びる場面からはじまります。 ◆【聴いてきた】講談師、��向ひまわりさんの「徂徠豆腐」で泣きそうになった件 https://blogs.itmedia.co.jp/omeishi/2013/11/post-6af4.html 2013/11/20 落語、講談で有名な演目ですが、あらすじは以下。昨日は元は同じですが、ところどころ端折ったりクローズアップしたり、時系列を圧縮したりして、人と人との縁、人情についてギュッと魅せてくれました。 ◆講談「大坂の陣~幸村 VS 家康」 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/02_おのみち文学三昧.pdf 2016/04/21 割れんばかりの拍手ありがとうございます。でまた二回も拍手をさせてしまいまして恐縮至極でございます。 藤沢先生のご紹介がございましたが、講談という芸能でございまして、落語とよく似ております。 着物を着まして、一応今日は文学三昧ということでございますから鳥獣戯画の模様で来たわけでございますけれどもね。 ですから今京都の国立にはないわけでございます。 ◆上方講談 旭堂南陵 講談知恵袋 http://www.office-kimiko.com/chie.html もくじ 講談とは 講談速記本と大衆小説 講談の演目について 講談と一門の名前について 江戸と上方の講談の違いとは 講談と落語の違いとは 高座・・・こうざ ステ・・・すて 張り扇・・・はりせん 拍子木・・・ひょうしぎ 引き事・・・ひきごと 講談とは 明治の初期までは日本の話芸は、僧侶の説教、講談師の軍談を中心とする講談(古い言い方では講釈)、落語家の演じる落語(古い言い方では落し噺)が中心でした。そして講談と落語は僧侶の説教話芸から派生したものです。 平安時代も末頃になると公郷相手のエリート仏教では教線の拡大につながらない、庶民を相手に仏の教えをやさしく説くことが必要だという考えが天台系の仏教から興ってくる。 庶民相手にどうすれば仏の教えを、理屈っぽくなく説くことができるのか。考えだされた方法は、言葉のしゃれやこっけいな話をとり入れる方法。これはやがて落語へと発展していく。もう一つは僧侶自身が加わったり見聞した合戦の様子を伝えて知的好奇心をあおる方法。ひらたく言えば、やじ馬根性を刺激して、仏の教えに結びつけていく方法。これは軍記説教から軍談へと発展していく。 江戸の講談は、武士の町ですから当然、軍談から発達してきました。従って口調も武張った、少しかたい口調です。笑わせる事より、きっちりとストーリーを伝える事に、主眼が置かれています。
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\おにわさん更新情報📸/ [ 京都市左京区 ] 修学院きらら山荘庭園 Shugakuin Kirara Sanso Garden, Kyoto の写真・記事を更新。 ーー京都大学名誉教授 #増田友也 のモダニズム建築と、能舞台を一体化した大正時代の邸宅と眺め���美しい回遊式庭園。 ・・・・・・・・ 関西セミナーハウス・修学院きらら山荘は“修学院離宮”と国指定名勝“曼殊院門跡”に挟まれた山間にある日本クリスチャン・アカデミーの研修宿泊施設🏨 建築家・増田友也(元京都大学工学部教授)の手掛けた #モダニズム建築 の本館や大正時代に建てられた和風家屋を利用した別館、それに付随した能舞台“豊響殿”、茶室“清心庵”🍵、それらを回遊する日本庭園があります。 . 『こんな時だから、住んでる町のホテル、旅館、ゲストハウスに泊まりたい』���というのと時を同じくして、色んな宿泊施設の #リモートワークプラン / #テレワークプラン をめちゃくちゃ調べている。 庭園がある場所でリモートワークさせてもらえるのならば、行きたい! . そこで見つけたのがこちらの施設。修学院離宮から曼殊院門跡向かう時に案内板は見たことがある気がするなー…と思ったけどこんな建築・庭園があるとは知らなかった。曼殊院門跡の坂を登って割とすぐ辿り着きます。まあ自転車🚲だとあの坂登るのがまあまあ大変なんですけど…。 . 昭和の香り漂うコンクリート打ちっぱなし建築を手掛けた増田友也さんは京都大学名誉教授でもあった方で、京都で手掛けた建築の大半が京大の施設。それ以外&当サイトに載っているものだと『蹴上浄水場』💧の本館。 この建築は1966年(昭和41年)に手掛けられたもので、その後京都大学工学部の増田友也研究室内で発足した“ゲンプラン”という設計事務所によって1998年(平成10年)に増改築されました。 . その本館の2・3階から一段高台に位置する和風別館と日本庭園に出ることができます。和風別館となっている邸宅が建てられたのは大正時代末期の1920年代。 一体化している能舞台“豊響殿”はその更に以前、1898年(明治31年)に #豊臣秀吉 の300年祭🎉🕺(豊太閤三百年祭)にあたり京都・豊国神社⛩に造営されたもの。その後この地に移築されました。 . …こんな立派な能舞台が一体化した邸宅(なお玄関も外観だけだけどとても立派)。修学院離宮の中離宮(林丘寺)からも目と鼻の先。現在もすぐ隣の山林は曼殊院の私有林🌲🌲🎋🎋 かなり格式が高い人の邸宅に違いないと思うのだけど、現段階では詳細は不明…。大好きな『近代京都オーバレイマップ』🗺で見ると大正時代から確かに建物の姿が描かれているけど記名はないんだよなあ。 . なお、茶室“清心庵”🍵は大正期に造られて以降、1978年に裏千家第15代 #千玄室 大宗匠に再興されたもので、現在も月釜で利用されています。 . 5月中旬のこの日はまだ暑くもなく、自分は窓を開けっぱなしで外の音を聴きながら部屋で仕事していたけど、中2階のテラスでお仕事されている方も気持ち良さそうに見えた。 それにしても、こんなに鳥の声🦜🐧🦅しか聴こえない山の中腹で仕事するなんて、東京の都心で働いていた頃には想像もできなかったなーーと、癒されすぎて集中力に欠けたw . 庭園の散策はフロントにお声掛けすれば宿泊されなくても可能とのこと。修学院離宮〜曼殊院門跡間を鑑賞する予定の方がいたら、こちらの散策もどうぞ。 . ちなみに先日紹介した『胡乱座』と今回紹介した“豊響殿”には一つ共通点があり #アラキ工務店 という会社さんが手掛けられていること。 この会社さん、たまたま自宅近くで町家🏡の修復を手掛けられていて…現場に会社案内のリーフレットを置いてたからちょっと興味でそれを見たりウェブサイト見たりしてたら、2軒とも載っていて。中村外二工務店とか、安井杢工務店とか、庭園⇒数寄屋建築/茶室⇒設計者⇒棟梁…となんか色々知りたいことが増える。 〜〜〜〜〜〜〜〜 🔗おにわさん記事URL: https://oniwa.garden/kansai-seminar-house-%e4%bf%ae%e5%ad%a6%e9%99%a2%e3%81%8d%e3%82%89%e3%82%89%e5%b1%b1%e8%8d%98/ ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #kyotogarden #garden #gardenstagram #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #landscapedesign #japanesearchitecture #japanarchitecture #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #京都 #京都市 #kyoto #枯山水 #karesansui #おにわさん #oniwasan (関西セミナーハウス・修学院きらら山荘 Kansai Seminar House・Shugakuin Kirara Sanso) https://www.instagram.com/p/CBOKXhtB0aV/?igshid=1bb2r7r982l8m
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涼風に鳴る幽かの怪―壱
リン―― 鈴の音が聞こえる。何処からだろう……。鈴なんて、この部屋には無かった筈なのに。見慣れぬ嫁入り道具に、着古した袴が何処か懐かしさを感じさせた。 「――ま、ちゃん……」 ……何て? 「た――ちゃん……」 どこかで。 「たま、ちゃん……」 「――え?」 私を、呼んだのは、誰。 薄らと開いた視界の向こうには見慣れぬ明るい朝の景色が広がっている。滲み一つない天井に、ふかふかとした布団が自分の身体を護る母体の様に感じて違和が胸を過ぎる。 いや、違う。これは何時もと変わりない『朝』の筈なのだ。 使い古した枕に頭を埋め、畳みの目を眺め数える。嗅ぎ慣れた香りが心を落ち着かせる。妙に懐かしさを感じる夢が、頭の中を渦巻いていた。 ……何の夢だったのだろうか。あれは、何処かで体験した事のあるような――何処かで聞いた事がある声だったのだろうか。 たまちゃんと、そう呼んでいた名前には覚えがある。 覚えが――ある……? 小さな欠伸を漏らしながら小鳥の囀りを茫と聞き続ける。 水を掛けられたかのような感覚ですくりと起きあがった『たま子』は「懐かしいわ」とぽつりと呟いた。 長い髪を結わえながら、布団の上から立ち上がった彼女は纏わり付いた寝間着をさっと脱ぐ。何時までもこの格好では義母が頭ごなしに叱る事を彼女はよく理解していたからだ。 「もう朝ですね、起きてらっしゃる?」 はぁい、と間延びする声を返して彼女は朝餉の用意の為に板張りの廊下を走る。義母の事など、どうでも良いがたま子にとっては腹を空かせた愛おしい旦那様の方が一大事なのだから。 年若くして良縁に恵まれ嫁いだ彼女は頬をぺちんと叩く。やる気を漲らせる様に淑女にはあるまじき「よしっ」と発した声は若草香る女学校の頃に教師達に叱られた仕草だが、嫁いだ後も抜ける事が無い。 「たま子さん!」 叱るような声に慌てて走る『たま子』は小さな息を付いた。 毎日は代わり映えしない。 数年前にはお上の神人なる方が死去し、『明治』から『大正』に改められた年号が何処かくすぐったい。年号が変わると言うのは重大な動乱だ。その波に乗じてか世間では様々な革命や騒動が起こっている。それでも安寧なる生活が送れるのは女学校で習��た内閣制度や政治制度を制定した英雄達のお陰であろうか。もしも、英雄たちがいなければたま子だって今の旦那様とは出会えていなかった――かもしれないのだから。 浪漫を語るのは女学生ならばお手のもの。それこそ殿方に見初められる経験をしたならば、それに拍車がかかるのも仕方がないというものだ。 「ふふん」 鼻を鳴らし誰へとでもなく勝ち誇ったたま子は朝餉の用意を中途半端に済ませた義母へ何と声を掛けようかと考えながらゆっくりと廊下を進む。 ちりん―― 『また』だ、と。感じたのは夢の中でも聞いた音だったから。 懐かしい夢だ。旦那様に見初められ、女学校を去る際に、親友に手渡した風鈴。そして、その会話。 嫁入り後に幾度か交わした手紙も何時しか途絶えてしまった。人の記憶が箪笥に例えられるならその奥深くに仕舞いこんでいた思い出とでも言えば随分とを感じられる。 「八重ちゃん……」 鈴の音は、その名前は、懐かしい音色を孕んでいる。 訝しげな表情を浮かべながら洗い場へと降りて行くたま子の背に彼女の『旦那様』は「いかがなすった」と可笑しそうに笑ってみせた。 珍しく朝寝坊をした嫁が訝しげな表情をしているのだから、気にも止めるというものだ。からからと笑う旦那君にたま子はむっと唇を尖らせて「あのねえ」と振り仰いだ。 「鈴の音が聞こえるのですわ」 「鈴? 風鈴などないけれどね」 首を傾げる彼へとたま子は小さく頷く。 また可笑しな事を言って気を引いたと笑う旦那君にたま子は拗ねた様な顔をして背を向ける。 たま子は勝気で明るい娘だ。成金の娘や財閥の令嬢と違い、脊髄反射で動き考える少女だったのだから、旦那君が可笑しなことを言うのは気を引く為だと笑うのだって致し方が無い。 「酷い御方ですこと」 「母さんが居るからと、そう肩肘を張らないでおくれよ、たま。そんな気難しい顔をして、鈴の音が聞こえただなんて……夢の続きを見ている様な顔をしているよ」 肩を竦め、御名答ですことと小さく返す彼女に旦那君はからからと更に笑った。年の数は幾分か離れている。だからこそ、幼さを感じさせるたま子の仕草を旦那君は気に入っていたし、旦那君は童話を語る嫁が己との対話の為に作り話をしていると考えたのだろう。 「夢で見たのです。嘘ではないですよ」 「嘘でないと」 はて、と首を傾げる彼へと記憶をなぞる様にたま子は語る。 嫁入り前に親友とした会��がありありと思い出される。 あの時、彼女に手渡したのは――鈴だったのではないだろうか。己の後ろに何時も隠れていた可愛い小さな『八重ちゃん』。病がちで女学校を休んでいた彼女の健康を祈って手渡した風鈴の音に似ている気がする。そう言えば、彼女は―― 「……悪い夢ですこと」 ふるりと首を振ったたま子に青年は「そうかね」と椅子へどかりと腰掛けて興味深そうに呟いた。 たま子の思い出は何処までも美しいものだった。 『たまちゃん』 結った髪が風に揺れている。秘密の場所と咳込む彼女の手を引いて、二人きりの場所へと走って行った。 『ねえ、たまちゃん』 記憶を辿って、たま子は静かに眸を伏せる。 風鈴。そんな季節になったのだろうか――夏の気配を存分に孕んだ空を見上げてたま子は小さな溜め息を付く。 風鈴……。軒先に風鈴を飾る家は少なくない。この家には飾って居ないはずなのに、どうしてこうも近く聞こえるのだろうか……――。 ちりん―― (風鈴ね、きっと――……) ふる、と首を振る。違和感が首を擡げたまま存在している事に『脊髄反射』で動く彼女はどうしても抑えられぬ衝動を我慢する様にうずうずと身体を動かした。 あの時、彼女と話した内容はよくよく覚えている。 白い肌に、良く映える臙脂色の召し物は結婚式には伺えないからとわざわざ誂えたものを着てきたのだと言っていた。 秘密の場所で、向かい合って二人きり。臙脂色に包まれた彼女は何処までも高尚な存在に見えて――眩しかった。 『結婚するのよ』 ゆっくりと、その言葉を彼女へと告げた。 知っていますと頷く友人は切なげに笑って手にした花束を差し出してきた。両の掌に抱えきれない大輪は百合の花――令嬢が選んだ一番に愛おしい華なのだという。 『たまちゃん……』 呼び声に、小さな咳と瞬きが今も鼓膜や網膜に張り付いている。頬に張り付いた髪に、涙の意味が分からなくてたま子は小さく首を振った。一緒に居られないと手を伸ばし、抱きしめた華奢な身体は微かに震えていた事を覚えている。 『たまちゃん、幸せになってね』 『ええ。わたし、幸せになる為に結婚するのよ』 きっと、彼女は幸せになれない―― 心のどこかで知っていたのかもしれない。老い先短い彼女と共に在る己に優越感を感じていたのかもしれないし、その短い生で誰かを思いやる彼女の高尚さにお得意の浪漫を感じていたのかもしれない。 『わたし――……たまちゃんみたいになりたかった』 八重ちゃん、と唇の端から漏れだした声に旦那様は首を傾げる。そうだ、八重子ちゃん。彼女は今、どうしているだろうか。 ゆっくりと炊事場から歩きだし、玄関先へと歩を向ける。 電報を実家に飛ばせば彼女の事は解るだろうか。 八重ちゃん。八重ちゃん――かわいい、私の親友。 ちりん―――― 「そうだわ、風鈴……わたし、お渡ししたの」 「たま子?」 背に走った寒気にたま子は大げさな程に身震いを一つ。気付いてはいけない事に気付いたと顔を覆った。血の気が引いて行く感覚に、ふらつく足が縺れて畳みへとへたり込む。 「大丈夫かい?」 「風鈴、風鈴だわ! きっと、そうよ。そう違いないわ」 玄関先へ向かう足は震えて立てやしない。彼女の言葉に首を傾げた旦那君は「幽霊でも出たのかい」と冗句のように投げかけた。丑三つ時ですらない、ましてや早朝のこんな時間に幽霊などと余りに可笑しな話ではないか。 「冗談はお止しになって」と小さく笑ったたま子の胸に感じた妙な違和は『八重ちゃん』のその後を嫌な程に連想させた。旦那様は冗句の心算で発したのかもしれない。 死を想起させた病に罹った親友が生きているという証左もない――『風鈴』『幽霊』 もしかして……。 「ふふ、幽霊かしら? 風鈴のお化けなんて風流ね。貴方が怖がらせるからつい足が縺れてしまったわ」 「ああ、きみはそんなに怖がりだったかな? 虫だって平気で殺せてしまうだろうに」 小さく笑った旦那様にほっと胸を撫で降ろしてたま子は午後の予定を考えた。確かめよう。彼女の事を。 ちりん、と聞こえたその音色の意味を。彼女は、今―― 蝉の鳴き声が煩わしい。暦を数えて春を終えて、夏へと変化する頃に、怪談話はいくつも増えてくる。居間からは幽霊の話を交わす男女の楽し気な声が聞こえてきた。 買い出しに言ってくると告げた言葉に返事はなかったが、彼女は気にするそぶりもなく玄関へと足を向ける。 残暑だというのに求愛を口にする蝉たちのせいで耳から暑さが倍増されていく。開け放った玄関の向こう側は青々と茂った葉が妙に鬱蒼として見えた。 「お化けなんて家に居て堪るものですか」 拗ねた様に呟く彼女は玄関先の下駄に目もくれず洋物のブーツへと足を通す。履き潰すと決めていたのに、まだ使えるのだから英国からの流通品は中々に勝手が良い。慣れない紐を縛って、小さく頷く彼女は結わえた髪を確かめてから「よしっ」と気合を込めた。 「直らないものね」 先生から言われても、と付け加えたのは口癖の様になった『よし』の気合の入れ方。 幽霊が居るから陰陽師を呼びましょうと絵巻物で読んだ嘘に頼るのも、性質の悪い除霊師に頼むのも莫迦らしい。 そもそも、彼らに依頼するのは大金を叩いて自己満足を満たすだけではないだろうか。解っているのだ。記憶の中にあるその姿が、『幽霊』の正体だと――その正体を知っていて、知らない振りをしているのだから。 だから、彼女は『風鈴の幽霊』とそれを呼んだ。 ちりん―― 聞こえるその音に「いやね」ともごもごと口の中で呟いた彼女の視線はぴたりと柱へと向けられる。空き家になった軒に張り付けられた古びた紙切れは幼い子供の悪戯にも見えた。 「西洋インクだわ……」 何処かの商家の坊ちゃんの落書きであろうか。 滲んだ文字が読み取り辛いが、愛らしさも感じる文字の一つ一つを読み取ることが出来る気がする。じつと目を凝らした彼女はその文字を口にしながらゆっくりと読み上げた。 『ゴイライ オウケシマス ネコサガシ カラ ユウレイタイジ マデ』 なんともまあ、胡散臭い広告だ。 訝しげな表情で広告から目を離さない彼女の背後で女学生たちがくすくすとささめきあって笑っている。 「探偵様の広告はまだ張ってありますのね」 「本当。御依頼あるのかしらん」 巷では話題になるのだろうか。暇潰しや話題に作りには丁度良いのかもしれない――こんな西洋の高価なモノを使用した悪戯などそうそうお目に書かれない。 しかし『探偵様』。高価な紙にこの様に書いて帝都に張り巡らせるだけの財力��あるならば、相当に頼りがいがあるのではないだろうか。もしくは、成金の道楽か。 女学生の噂の的となる位に胡散臭いのならば昼下がりの暇潰し程度でも良い。『お暇な探偵様』ならば困り顔で少女が尋ねれば相談位には乗ってくれるだろう。もしも凄腕であれど、仕事に困っていれば格安で引き受けてくれる可能性だってある……。 何より、探偵が幽霊退治をすると明言しているのだ。 霊能力者でもないくせに、ともごもごと呟きながら彼女は広告を剥ぎ取り描かれた住所と地図を辿り往く。 和洋の入り交じった街の中は、見慣れぬ物も沢山あった。 日本も随分と侵食されたものだと父達は口々に言っていたなと薄く記憶に残っている。馬車が走り、汽車が往く。三越にぞろりと集まる人波に目もくれず――否、誰の目にも止まらず、彼女は人気のない西洋の住宅の並ぶ丁番を目指した。 急ぎ足なブーツの踵を行き交う人の群れに取られてごろん、と大きく転ぶ。鼻先を擦り、肘に出来た傷口に痛いと不平を述べる彼女へと差し伸ばされる手は無い。知らん顔で歩く紳士に「酷い方」と彼女は悪態をつきながら立ち上がる彼女に帝都の風は冷たい。 よく、帝都は様変わりしたと言う人が居る。西洋の人間は和の心を持たず、素知らぬ女が転んだ所で助けることもないのだろう。これが、『帝都が様変わりした』『冷たい』とでも言うことなのだろうか。 文句を漏らしながらもゆっくりと立ち上がり、身震いを一つしながら足を向けたのは煉瓦に覆われた西洋街。帝都の街並みなんかより、もっと豪奢なその群れは、異国の情景の様だと彼女は息を飲んだ。 「……違う国の様だわ」 余りに見慣れぬ『帝都』 田舎町とは違い、明治期に完成した日本鉄道の巨大な駅。皇居の正面に出来上がった東京駅はとても美しい建築美だ。西洋の煉瓦作りの住居と比べ、祖国はまだまだ土と木で出来た『おんぼろ』ばかり。戯洋風建築だとか女学校では言っていた気がする――が、そんなこと忘れてしまった。 「凄い、おうちだわ……」 詳しい事までは知らないし、学問など軒並み役に立たないが、これはまるで西洋の強国へと紛れこんでしまったみたいではなかろうか。一度、紳士が講師としてやって来た時に、「英国の建築は実に素晴らしい」と褒め称えていた気がする。 素晴らしいの言葉に尽きるが、純和風の国で育った彼女にとって、この場所は居心地が悪い。 煉瓦の『西洋街』をそろりそろりと抜ける彼女は広告の地図を幾度も見直した。帝都の外れの空き家の軒先へと広告を張り付ける『なんとも奇天烈愉快な胡散臭い探偵』のイメージと掛け離れた豪華絢爛な街並みは庶民にとっては政府のお役人たちでなければそうそう足を踏み入れない場所でしかない。 「こういうの、横濱や長崎にあると聞いた事があるわ……」 ぶつぶつと呟きながら、彼女はゆっくりと地図から手を離す。そうだ、きっとこの洋館の群れを抜けた先に郊外の寂れたお屋敷がある筈だ。そうして、そこで探偵がボロを纏って待って――待っては、いない。 「……嗚呼」 思わず一歩、後ずさった。 これでは『道楽探偵』だろう。格段の安さで受けて貰うなんて夢のまた夢。成金か財閥の坊ちゃまや嬢が道楽の為に、適当に張った広告だったのだろう。 『脊髄反射で動くのはやめなさい』とはよく言ったものだ。 まさしくその通り――ここで幽霊退治など……。 「……貴殿、何を突っ立っている」 「は、はひっ」 眩暈を起こし、ぐらぐらと揺れた彼女の肩を『がしり』と掴んだ大きな掌は、少女を混乱させるに容易かった。 まるでの様に首を動かして振りむいた彼女を見下ろした青年は「何をしていると聞いた」と無愛想な表情で苛立ちと露わにしている。 齢にして三十が近いだろうか。ぴしりと襟を締めた陸軍の軍服は見慣れぬもので。日ノ本で神人へと誓いを立てた軍人様の問い掛けに少女は首をふるふると幾度も振った。 怯え、答える事の出来ぬ様子の少女にどうしたものかと青年将校は頬を掻く。短くしっかりとっと尾の得られた黒髪から彼の誠実さを伺えるが――そう言ってはいられない。西洋街に出入りすると言う事は、ここは何処かの『要人』の家なのだろう。そして、彼はそれを護る守衛とでも言った所か。 「……あ、あの……」 ぽつり、と零した言葉に耳を傾ける様に青年は「ふん」と小さく呟く。 「わ、私……広告を、見て、えっと」 「広告? ああ……狐塚の奴、広告を張ったのか」 『狐塚』 聞き慣れない言葉に首を傾げた少女へと青年将校はどうしたものとかと首を捻る。先程まで感じさせていた威圧感は何処か遠くへ飛んで行ってしまったかのように――幼い子供が悪戯を失敗したかのような表情を見せている。 「あ、あの」 ぽそりと呟く様に声をかけた彼女へと青年将校は鋭い眼光で射ぬく様に視線を動かして「なんだ」と口の中で言った。 正しく言えば『もごもご』と呟いた――のだろう。 軍人にしては可笑しな素振りだと茫と考える。そもそも、彼女は女学生の様な幼い風貌をしているのだ。そんな彼女に遠慮の一つをして見せる等、軍人としてあるまじき態度ではなかろうか。 (軍人さんというのは、案外お優しいものね……) 彼の顔をまじまじと見つめれば、鋭い眼光は煩わしいと言わんばかりにぎょろぎょろと動いている。 「なんだ、と聞いた」 「ん、ええと、い、依頼が――あの、依頼がしたくって……」 依頼、と。 その響きを幾度も繰り返す青年将校に少女は怯えきった表情で「だ、だめですか」と小さく呟く。 胸中では広告を出しておいてと憤って居ても、相手は武具を持った軍人だ。余りに勝手なことは出来ない。 「名前は」 「え、た、たま」 「では、たま。どんな依頼に来たんだ」 青年将校の態度は一貫して冷たい物だ。『たま』は要人護衛の任に就いた彼が曲者であるかを判断すべく質問しているのだと勝手な認識をしていた。 そう認識してしまう程の豪邸なのだ。財閥や成金、華族の住居だと言われても納得してしまうし、それこそ政府の要人の別宅だと言われても頷ける。 ああ、来なければ良かったと彼女の胸の中を駆け巡る後悔の念など知らずに青年将校は依頼の内容を教えろと苛立った様子でたまを見下ろしているではないか。 「う、あの、幽霊が……幽霊退治をしてくださると聞いて、お、お願いに来たの、です」 風鈴の幽霊――到底信じては貰えない事だろう。 幽霊を退治すると広告に書いてあるから来たと付け加えて視線をあちらこちらへと揺れ動かしたたまは青年将校の困り顔に肩を竦める。 「幽霊退治……ね。ああ、喜びそうな話だが――止めておいた方がいい。ここの主は、」 関わ���ない方がいい、と。 青年将校が告げた声に子供の明るい声音が被さった。 「お客さんなのかい?」 先程まで閉じられていた屋敷の扉が僅かに開いている。声の主は部屋の奥へと引っ込んでしまったのだろうか。その姿や影は無い。 頭を抱えた青年将校は「たま」と立ち竦んだ少女を手招いて扉へと手を掛けた。彼の困り顔は本当に情けなさを感じさせるものだ。まるで子供に手を焼いている様な――そんな、青年将校らしからぬ表情をして。 「どうやら狐塚はお前に興味を持った様だ。……どうなっても知らんがな」 狐塚と言うのは先程の声の主のことなのだろうか。 声からして年の頃はまだ若い。それこそ学生だと言われても納得してしまいそうな、柔らかな童の声。大層な悪戯っ子なのか、それとも手もつけられない財閥の坊ちゃまなのか――どちらにせよ、たまにとって『不運』であることには違いないと青年将校は念を押す様に付け加える。 「あ、え、」 「入れ。元より、招かれなくとも入るつもりだったろう」 「あ――……はい。あの、お、お名前は」 「ああ、俺は八月朔日 正治。 それでこの屋敷の主人は狐塚――狐塚 緋桐。 これは経験則から物を言うのだが、最初に忠告しておく。 あいつに関わると碌な事が無いからな。……まあ、もう遅いんだろうが」
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