#盾の勇者の成り上がりく
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ヤバい ちょっと油断してたら こんなに溜まってた☺️ #ねんどろいど #魔女の旅々 #ローゼンメイデン #うる星やつら #ヤマノススメ #ノーゲームノーライフ #モーレツ宇宙海賊 #ウマ娘プリティーダービー #リコリスリコイル #その着せ替え人形は恋をする #盾の勇者の成り上がり #無職転生異世界行ったら本気だす #ソードアートオンラインオルタナティブガンゲイルオンライン #ゆるキャン #ソードアートオンライン #阿波連さんははかれない #デートアライブ #メイドインアビス #この素晴らしい世界に祝福を2 #先輩がうざい後輩の話 #プリンセスコネクトredive #ブラックロックシューターdawnfall #からかい上手の高木さん2 #不思議の海のナディア #痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います #くノ一ツバキの胸の内 #鬼滅の刃 #転生したらスライムだった件 https://www.instagram.com/p/CqN8d-1vDNE/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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「ドラゴンクエスト」×「吉徳大光」伝説のロト装備が「ロトの兜飾り」として誕生! 伝統工芸の職人技術を結集した逸品。 「スクウェア・エニックス」と、創業312年江戸最古の人形メーカー「吉徳大光」との共同開発で、「ドラゴンクエスト」シリーズの伝説のロト装備が、五月人形「ロトの兜飾り」として誕生いたしました。 ロトの兜は、高雅で重厚ある本物の「青銅」製。 江戸初期から400年以上の歴史を誇る「高岡銅器(富山県高岡市)」の伝統工芸職人の手によって、原型造りから型制作、鋳造、研磨、装飾まで、ひとつひとつ制作。 兜の両脇には、重厚かつ迫力ある大きさの金属製「ロトの剣(全高約25cm)」、「ロトの盾(全高約13cm)」を配置。 両旗は、ロトブルーをイメージした藍色の生地に「ロトの紋章」の刺繍を施しています。 柄は、平安時代以降に用いられてきた格式高い伝統文様「雲立涌(くもたちわき)」。 雲が涌き起こる様子をかたどっており、「天に昇る竜は雲を呼び起こし、その勢いをさらに増す」とも言われています。 兜飾りの台座となる「櫃(ひつ)」は、気品ある漆黒色の中央に、金色���輝く「ロトのしるし」が施されています。 屏風は、作品名「序開之図(じょびらきのず)」で、ドラゴンクエストの1作目に登場する、「ラダトーム城」から見た「竜王の城」をイメージして制作。 序開とは、物事の始まりの事を指し、はじまりの地から竜王城を仰ぎみるスライムや、おなじみのモンスターなどが描かれています。 屏風の生地には、綸光(りんこう)と呼ばれる光沢感のある織物を使用しており、高級感ある仕上がりです。 端午の節句(五月人形)以外にも、お部屋の飾り・コレクションとしても楽しむことができる「ドラゴンクエスト ロトの兜飾り」。 「伝説の装備を身につけ、人生という冒険に打ち勝つ」という願いを込めて、勇者(お子様・皆様)のレベルアップ(成長)をお祈りいたします。
#DRAGONQUEST#ドラゴンクエスト#DQ#ドラクエ#ドラクエライフ#スマイルスライム#SQUAREENIX#スクウェアエニックス#スクエニ#GOODS#INTERIOR#インテリア#ロトの兜飾り#五月人形#ロトのしるし
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「がんばれ」って、いきなり知らない人に言われても意味わからなさすぎてなんかムカついてくるというような、当然の「伝わらなさ」に対し、なぜか伝えることができる人の資質や能力を「カリスマ」と言う。 アップルコンピュータでマッキントッシュの開発を立ち上げたことで有名なエンジニアのジェフ ラスキンが、スティーブ ジョブズのカリスマ性について、こんな話をしている。「他人の脳みそを盗むのはジョブズにとって普通のやり方さ。まず人のアイデアを鼻であしらっておいて、その1週間後には、素晴らしいアイデアを思いついたなんていいながら戻ってくる。そのアイデアというのは、もちろん1週間前に誰かがジョブズに話したアイデアなんだ。我々はジョブズのことを現実歪曲空間と呼んでいた。」 「現実歪曲空間(リアリティ ディストーション フィールド、RDF)」というのは、マッキントッシュ開発メンバーで、現在はアップル社のソフトウェアテクノロジー担当副社長であるバド トリブルが1981年に造語したもので、「ジョブズ自身と他人に、ほとんどどんな考えでも吹き込む能力」であるという。この言葉を使って愚痴ったり、茶化しながらも賞賛したりしたという。トリブルは、『スタートレック』などの影響でこの語を思いついたらしい。厄介な��もあったが、RDFにより、実現困難性についての規模感や距離感を歪ませ、不可能だと思っていたことが実行可能な気にもなってきて、誰かがなぜか思いついたちょっとした打開策から一気に、実は最初から実現可能だったのだという感覚が作り出されて広まっていくという、まるでSFでも観てるような体験もしたという。
「カリスマ」とは、「特定の人が持つ、他の人々を引きつけ感銘を与える強力な個人の性質」というような意味である。元々のギリシア語では「神より賜った能力」「恩寵」といった意味で、19世紀の宗教社会学や歴史学などで使われたこの語を、社会学者マックス ウェーバーが社会学の概念として導入した。ウェーバーは、社会における支配のありようを論ずる際に、預言者、呪術師、英雄などの個人に宿る非日常的な資質をカリスマとし、そのような人物による支配を「カリスマ的支配」として分析した。以後、カリスマという言葉は社会学的用語として普及した。 ウェーバーは「支配の正統性」について、権力を裏付ける正統性(レジティマシー)の基礎に関する理念型として、「カリスマ的正統性」「伝統的正統性」「合法的正統性」の3つを挙げた。カリスマ的正統性とは、支配者個人の超人間的資質やそれに基づく啓示などの指導原理に被支配者が個人的に帰依するときに生ずる正統性で、宗教的指導者の権力などがこれにあたる。伝統的正統性とは、血統や、古来からのしきたりなどに基づいて被支配者を服従させる正統性で、古くから存在する秩序と神聖性による支配である。合法的正統性とは、法をその基礎としているために、ほかの2つの正統性に比べて安定している。合法的正統性を他にもまして重視する国家は「法治国家」と称せられる。これら3つの類型はあくまで把握のためのツールとしての理念型であり、現実社会にそのまま存在しているわけでなく、実際の支配は、多くの場合、この3つの正統性が相互に影響しあって総合的に権力を基礎づけている。形式的にはデモクラシーのかたちを採用しながら実態はカリスマ的支配という例も少なくない。 カリスマ的人物への信仰の源は、奇跡あるいは勝利や成功によって、すなわち信従者へ福祉をもたらすことによって、そのカリスマ的能力や聖性を実証することにある。カリスマ的先導者の失敗はカリスマ信仰への裏切りとなり、往々にして追従集団の急速な解体が生じる。とは言え、人がカリスマに惹かれる理由である、カリスマが持つ非日常性は、自分の退屈な日常を破壊してくれるものであり、カリスマに引き寄せられた者は、カリスマに自己��委ね、本来の自己と向き���うことを避け、検証能力や日常的判断を手放す。カリスマに追従している間、カリスマへの批判を自身への攻撃と捉えたり、あるいはカリスマの聖性の証明と受け取る。 カリスマ的支配は、カリスマの不安定な性質、すなわち非日常性のために、ただ一時的にのみ存在する。ここからカリスマの日常化が始まる。カリスマ型支配は持続することはできず、伝統化されたものへ、または合理化されたものへ、あるいは両方の結合したものへと変化する。カリスマが世襲によって伝統化される場合は「血統カリスマ」、成文化された手段によって合理化される場合は「制度カリスマ」、あるいは、伝統化および合理化の結合によって非人格化される場合は「官職カリスマ」となる。これらはカリスマ本来の非日常性的性質が失われ日常化したものである。
今年7月13日(米時間)、トランプ次期大統領が、演説中に銃撃され右耳を負傷するという暗殺未遂事件が起こった。シークレットサービスに囲まれて壇上を降りていく際に一度立ち止まり、シークレットサービスたちの間から身を乗り出し拳を振り上げ「ファイト」と叫んだ。実際には声は出してなかったと思う。マイクは拾わなかった。読唇術というわけでもなく、心に響くという感じだった。 多くの人が、この時のトランプ次期大統領の姿を、「バッドアス」(「マジかっけー」的な意味)と言い、「なんだかよくわからないが」と笑いながら、あの勇敢さこそが「これがアメリカだ」と感じた、と語っていた。 元々、前大統領として、あるいは成功したビジネスマンとして、カリスマ性を持っている人物が、銃撃されるも奇跡的に助かり、直後に勇敢な姿を示すという、カリスマ性をこれ以上なく圧倒的に強め、神格化されても当然な出来事の後で、トランプ次期大統領がとった行動や発言は、あるいは衝撃が走ると同時になぜか満ちていた不思議な静けさには、「カリスマ」というような言葉では表現できないものがあった。 この感覚を説明する概念をあえて探そうとするなら、宗教哲学の概念に「ヌミノーゼ」というのがある。神学者ルドルフ オットーが定義した概念であり、オットーは、「聖なるもの」のうち合理的な理解にかなう部分を除けた概念をヌミノーゼと呼んだ。先験的(ア プリオリ)なものに触れることで沸き起こる感情のことを指す。「聖なるものへの畏怖」というような感情である。
今回の大統領選で、デモクラシーとかサイエンスとかジャスティスとかジャーナリズムとかエンターテインメントとかを名乗るカリスマ的支配が、少なくともその一部は、崩れていった。 ここ数年、多くの人が宗教観や精神性というようなことについて話していた。選挙期間にますます増えていった。そもそも語りえないようなものなので、漠然と宗教的で精神的だという以上の共通するテーマも、はっきりとした答えもないし、特定の宗教の話でもなく、熱心に信仰してる人から最近までそんなこと考えたこともなかったという人まで様々だが、今になって思い返してみると、こうした話の一つの方向性は、どうしたら現状あるカリスマ的支配の外に出られるか、というようなものだった。それも、とりあえず今ここでは「カリスマ的支配」と呼んでいるが、もっと漠然とした現状認識というか考え方みたいなもの、つまり自分の考え方もどんどんディストピア的でカフカエスク(カフカ的不条理)な感じになっていくことから抜け出す方法はないか、というようなものだった。せめて、とりあえず自分の考えの外にあるものを宗教と呼んで忌避するというドグマでもあるかのようなアホっぽさからは抜けよう、ということでもある。 カフカエスクというのは、カフカ作品のような不条理なほど複雑な状況を形容する言葉で、そこから逃れようとし、答えを求めようとするが、場合によっては目の前に答えも出口も見えてるのに、なぜか手が届かないような不条理な状況のことである。 カフカ作品と多くのディストピア小説には、共通の下敷きとも言える作品がある。ドストエフスキーの小説で、特に『地下室の手記』(1864)である。近代的自我を初めて生々しく描写した作品とも言われる。極端な自意識から社会との関係を断ち、地下室という「自我の檻」に籠った男の手記である。近代社会への批判が綴られるが、思考がぐるぐる回っていき、自由や愛を求めるが、それさえも自ら手放すかのように手が届かない。 自我の檻に囚われた状態の「無能さ」や、不可避的に自我の檻へと追い込む思考回路や状況に焦点を当てるとカフカエスクになり、自我の檻を照射したような社会を描くとディストピアになる。
トマス ピンチョンが2003年に、ジョージ オーウェル『1984年』(1949)の序文を書き、それとほぼ同じ内容のものがガーディアン紙に掲載された。その文章で「二重思考」についてこう書かれている。 「 私たちは、この「ある種の分裂病的な思考法」こそが、この小説の偉大な業績のひとつであると認識している。これは政治的言説の日常的な言葉として定着している - 二重思考の特定と分析である。エマニュエル ゴールドスタインの『少数独裁制集産主義の理論と実際』、オセアニアでは非合法とされ、例の本としてのみ知られている危険な破壊的テキスト、に書かれているように、二重思考とは精神鍛錬の一形態であり、その目標は、すべての党員にとって望ましく必要とされるもので、矛盾する2つの真実を同時に信じられるようになることである。もちろん、これは目新しいことではない。誰もがやっていることだ。社会心理学では古くから 「認知的不協和 」として知られている。また、「コンパートメント化 」と呼ぶ人もいる。有名なところではF スコット フィッツジェラルドが天才の証拠だと考えている。ウォルト ホイットマン(「私は自己矛盾しているだろうか? まあよい、自己矛盾しよう」)にとっては、大きく多数を含むことであり、アメリカのアフォリスト、ヨギ ベラにとっては、分かれ道に来たらとにかく進め、ということであり、シュレディンガーの猫にとっては、生きていると同時に死んでいるという量子パラドックスなのである。 ... オセアニアを牛耳る超省庁の名前の背後にも、二重思考がある。平和省は戦争を行い、真理省は嘘をつき、愛情省は脅威とみなした者を拷問し、最終的には殺す。もしこれが不合理なまでにつむじ曲がりだと思われるなら、現在のアメリカを思い出してほしい。戦争遂行組織が「国防省(防衛省)」という名でも何の問題もなく、その最も強力な部門であるFBIによる人権と憲法の乱用が十分に文書化されているにもかかわらず、我々が「司法省(正義省)」と真顔で言うのと同じである。名目上は自由な報道機関は、「バランスの取れた」報道をするよう求められ、 あらゆる「真実」が即座に対極にあるものによって無力化される。毎日、世論は書き換えられた歴史、公式の健忘症、明らかな嘘の標的となり、それらはすべて、まるでメリーゴーランドに乗っているのと同じくらい害がないかのように、慈悲深く「スピン」と呼ばれている。私たちは、彼らが言うことよりもよく知っているが、そうでないことを願っている。私たちは信じると同時に疑っている - ほとんどの問題で少なくとも2つの考えを永久に持ち続けることが、現代の超国家における政治思想の条件のようだ。言うまでもないことだが、これは、できれば永遠に権力の座に居座り続けたいと願う権力者にとって、計り知れないほど有益なことである。 」
カリスマ的支配の外とか、ディストピアっぽくなっていく自分の考えの外というようなことを考えようとすると、考えの外を考えるという矛盾だったり、当然の「伝わらなさ」や、そもそも自分で言ってて意味わかってないということに、無能さや虚無感を感じる。 太宰治『トカトントン』(1947)で、若者が、好んで読んでいた作品の某作家へと手紙を送る。何かに奮闘しようとするも、熱意が高まる度に「トカトントン」という音が聞こえてきて、どうでもよくなってしまう。この「トカトントン」は一体なんなのだろうか、という内容である。 「 この奇異なる手紙を受け取った某作家は、むざんにも無学無思想の男で���ったが、次の如き返答を与えた。
拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です。不尽。 」
2024年11月 ファイト ファイト ファイト
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TEDにて
ケリー・マクゴニガル:瞑想でストレスと友達になる方法
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
ストレス。そう、ストレスのせいで心拍数は増え、呼吸は速くなり、額にに汗が出て来たりします。しかし、ストレスが健康の敵とされてきた一方、ストレスが体に悪影響を及ぼすのはそう信じるからだ、と新しい研究が示唆しています。
心理学者ケリー・マクゴニガルは、私達にストレスを肯定的に捉える様にと促し、これまで知られていなかったストレスを軽減する仕組として、手を差し伸べ合う事を紹介します。
すべてではありませんが、オキシトシンという物質は、神経ホルモンで脳の社会的本能を絶妙に調整しています。オキシトシンは、ほかの脳内物質との相互作用で人々との親密な関係を強めるような行動を促します。
オキシトシンは、友達や家族とのふれあいを強く望むようにさせたり、人との共感を高め、さらには、私たちが大切に思う人たちを進んで助けたり支えたいと思わせたりもします。
実は、オキシトシンは、脳だけに働くのでなく、体の他の部分にも働きかけます。
その主な役割の1つは、心血管系をストレスの悪影響から守る事です。自然の抗炎症薬です。ストレスを感じても血管を弛緩状態に保ちます。特に、歓迎すべきと考える体への好影響は心臓に起ります。このホルモンの受容体が心臓にあり、オキシトシンが、心臓の細胞を再生し、ストレスで起きるダメージを治します。
しかし、経済的惨事や家庭危機などの重大なストレスを経験すると死のリスクが30%増加します。
それでも、皆が皆、増加してはいませんでした。他の人への思いやりに時間を費やした人々には、ストレスから来る死亡の増加は全くなかったのです。
ゼロです。
矛盾してるように見えますが・・・
現代から2550年ほど前、ブッタが最初に自ら発見、実践、体得、体系化したことです!
真実は、他人への施しや思いやることが、自分自身の回復力を作り上げます!!
ストレスからの悪影響は避けられないものではない事がここでも解りました。どのように考え、どう対応するかで、ストレスの経験の認識が変えられるのです。ストレス反応が自分を助けてくれていると考えるようにすれば、勇気が出るような生物学的反応が比較的、多少は起きるのです。
そして、ストレス下にいる人に手を差し伸べるようにすれば、自分の中に回復力を作り上げるのです。とはいえ、私自身、わざわざ、これ以上のストレスが欲しくなったというわけではありませんが、この科学的発見で、ストレスに関して新たに全く違った評価をするようになりました。
ストレスは、人との繋がりの中に喜びと意味を見い出そうとする思いやりの心と、そうです。そして、あなたのその鼓動している心臓の両方を助けます。あなたに力とエネルギーを与える為に一生懸命働いているその心臓にです。
あなたは、自分を信じて人生のチャレンジに立ち向かえると言っているということで、一人きりで立ち向かわなくても良い事を忘れないでいるという事です。
具体的には「親切は脳に効く」著作のディビッド・ハミルトンも言っています。
それ以外にも、テーラワーダ仏教の「慈悲の瞑想」があります。
テーラワーダ仏教の「慈悲の瞑想」を行うことで「共感」が「思いやり」に発展し、さらに「親切」へと繋がっていきます。時間をかけて、何十万回も積み重ねることで脳の神経ネットワークを強化していくそうです。
衣食住に最低限必要なお金は維持しつつ、老化の予防にもなるし、全体との調和が大切ですね。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは、危うく死ぬ。または、重症を負うような出来事の後に起こる、心に加えられた衝撃的な傷が元となる、様々なストレス障害を引き起こす疾患のこと。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残��ます。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
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ジョアン・ハリファックス:慈悲、そして共感の真の意義��ついて
日本テーラワーダ仏教協会
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カレン・アームストロング:黄金律を復活させよう
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
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ジャンクワーカー
昭和生まれ平成令和を駆け抜けるサムライ崩れ 泥水でもなんでもすすり二十有余年ジャンクワーカー 社畜家畜誇りだけは捨てず生きる屍 我武者羅這いつくばって幸せ見つけてやるぜ馬鹿野郎 上司の洗脳は解けずこのご時世でも命令口調 精神論根性論異論は認めず矛盾の武勇伝 飲み会じゃベロンベロン自論振りかざす伝統芸能 パワハラセクハラモラハラアルハラマタハラハラハラあらら アレよという間に消された上司と 自ら消えた後輩が残した業務を 愚痴も言わずこなす俺 ぶっ壊れてんのはお互い様だね 持続不可能かい御苦労様だね 分かんなくなったらとりあえず叫べ てめえの命がまだ真っ赤なまんまなら 同僚は自ら早期退職起業で夢叶えたらしい 住宅ローンに子供(ガキ)の養育費今そんな勇気なんてねえ プライベートも仕事に尽くし家族との時間さえ作れずに 残業からの帰宅灯りつけたら置いてあった離婚届 誰かの為は何の為?自分の金は無え…
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過程。エア・ステップ
努力と結果。成長と名声。自分本位と他人本位。異なる二つのモードがある。
いやいや仕方なく受験を経験した(自分みたいな)多くの人は、我慢で大抵のことをそれなりにできるようになると思う。
けれど局所的に仕事をこなすのではない場合、つまり技術を磨いたり他人と競争する場合には、結果を伴わない遊びや成長がものをいう。
■
大人になってから対人ゲームと���を始めて気づいたのは、勝つためには人と違うことをする必要があるってことだ。
手っ取り早いのは他人よりたくさんやること。大抵の人は一つのことに大量の時間をbetしたりしない。だがある程度行くと人生の大半を使ってるようなやつだらけになってくる。
大抵のことは時間さえかければ素人ではなくなる。だがそれだけのことでその道に進めるわけではない。
僕からすると空中でステップを踏むようにさえ見える、細かくて小さな過程を幾つもこなして体で覚えた人間が、そうした厚みを前提に大局的なことをやるので、完成品からは途方もないステップ・工数を感じて気が遠くなってしまう。
自分は大抵そこで馬鹿らしくなって辞めてしまうのだけど、そういうステップを踏む人間は、目の前の楽しみばかり見ているので、その過程の途方もなさに気づいたり慄いたりしない。普通楽しくもないのにそんな地道な努力を全部こなすことない。少なくとも今の自分には無理だ。
自覚して小さなステップを踏むのには勇気がいると思う。全体の工数を理解した上で小さすぎる進捗を積むのはとてつもない精神強度が必要なはずだ。
■
こういう馬鹿げたエア・ステップを踏むためには何が必要か?
・感じる前に実行してしまうこと→単純作業の繰り返しや生活はこれにあたる。こなせば終わること。考えなくていいこと
・最終的な目標を割と蔑ろにすること→最終的に自分はこうなるんだろうな…と思いながら目の前の仕事をこなす感覚に近い。やること自体が目的化していて結果は重視されない場合に近い挙動を取る
・過程をめっちゃ褒める→やること自体が目的であって、結果は考えていない。目標を蔑ろにするどころか持たないのに近い
→この三者をやることに応じて使い分けるのがよかろう。上から順に結果重視、バランス、過程重視。上から順にこなしさえすればいいもの、エアステップ、もっと馬鹿げた遊び。
■
僕の友達に「ルールは破るためにある」と言われて育った奴がいる。割とニコニコ生きていて物事をそつなくこなしていたと思う。健康的で要領の良い感じ。
本当の均整・中庸は、こういう矛盾めいた指針によって出来上がるのかもしれない。
「目標は達成しないためにある」「努力は結果を求めない」みたいな。どうもしっくりこないが。
意味のない努力をしろ、とかなのかしら。ま思いついたらおいおい
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2024年6月8日(土) 『はじまり』
表と裏。光と影。白と黒。生と死。
全ては絶妙なバランスで巡ってる。
ある人はこれらは全て別物だ。矛盾同士なんだと言う。
ある人はこれらは全て同じなんだ。仲間なんだと言う。
後者だと思う。
光があるから影ができて。
白い紙があるから黒が見える。
生の中に死がある。
現に表裏一体という言葉はもうそれになっている。それ。
何でも目に見えるものだけを見てしまっていないか。
はっきりしている(実ははっきりしている風なものだったりする)モノもそのバランス(はっきりしていない対象に意識を向ける)を取ることが大事だったりしないかい?
(はっきりしているのにはっきりしていないものに意識を向ける?????)
でも、それが優しさなんじゃないかと思う。
世の中矛盾だらけ。もちろん理不尽。
でもその矛盾や理不尽に気づけたのなら、あとは質問を自分自身に投げかけるだけ。
質問を上手く出せれば、すなわちそれが答え。
世界はバランスを失っている。
皆んなが嘘をついている。
嘘が偏っている。
どちらかが正しいと思っている。
戦争をしている。
成長なんかしようとするから戦争が起きる。
もう成長はこの世界にとって大事ではないのかもしれない。
一番大事なのは、受け入れること。
悟ること。
つまり、バランスである。
バランスをGoogleで検索してみると、つりあい、均衡と出てくる。
バランスを失った世界は、戦争も起きるし、フェミニズムも広がらないし、国と国の問題、または個人間の問題。
それらが前に進まない。
そこにある感情だけが残る。
何か前に進むためにはバランスが必要で。
なにかを変えるための声は感情しかのこらない。
本当に何かを変えたいと思うから、変えようとしてはいけない。
何かを本質的に変えるためには忍耐を、訴えるためには勇気を。
もちろん正解を決めてしまえば、偏ってしまうが皆があーでもない、こーでもないって言いながらやんわりとした抽象的な答えだけが煮詰まっていくと良い世界になっていくと思う。
え、抽象的だと答えになってないって?
だって、バランスが重要だもの。
でも、抽象的な答えだけを知りすぎていると僕みたいな一般的ではない人間になってしまう。
これも矛盾してるね。
不幸な恋愛であっても、人を愛さないよりはマシ。
皆に幸あれ。
バランスを保とう。
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ELLE Digital 01/2024 - Yokohara Yuki
Q1: I Got It là một ca khúc thể hiện tình yêu mãnh liệt, nhưng nếu bạn tỏ tình mà bị từ chối thì bạn có từ bỏ ngay lập tức không? Hay là có thể kiên trì bao nhiêu lần cũng được?
A1: Tôi muốn là người được tỏ tình hơn, nên tôi sẽ không tỏ tình đâu.
Q2: Mối tình đầu của bạn là khi nào? Bạn còn nhớ chuyện lúc đó không?
A2: Vài năm trước, lúc về nhà ở Shizuoka, tôi có mở album tốt nghiệp mẫu giáo ra xem, thấy ước mơ tương lai của mình ghi là "Kết hôn với ○○-chan" xong tôi kiểu: "Không có tí ký ức nào luôn, có thật là mình viết không vậy?" (cười).
Q3: Giấc mơ hồi nhỏ của bạn là gì?
A3: Tôi chỉ mơ hồ muốn mình nổi tiếng. Từ nhỏ tôi đã không thể tưởng tượng được mình sẽ đi làm bình thường như bao người, thế nên tôi nhắm đến mục tiêu trở thành cầu thủ bóng đá hay bóng chày, và rồi cuối cùng thì tôi ở đây.
Q4: Bạn nghĩ thế nào là một chàng trai tuyệt vời?
A4: Có thể quan niệm của tôi không còn phù hợp với thời đại ngày nay nữa, nhưng là một người đàn ông mà phái nữ có thể dựa vào.
Q5: Bí quyết làm đẹp của bạn là gì?
A5: Không có ạ. Tôi chỉ dùng những thứ tối thiểu như lotion và sữa dưỡng ẩm. Tôi cũng có dùng mặt nạ dưỡng da, nhưng nó không phải bí quyết gì đâu, tôi vừa đắp vừa nghĩ sao cái thứ này rắc rối thế.
Q6: Bạn sẽ thưởng gì cho bản thân sau khi nỗ lực?
A6: Ở nhà chơi game. Có thể thoải mái làm những gì mình muốn làm chính là phần thưởng tuyệt nhất rồi. Hôm nọ, sau khi kết thúc công việc, tôi bắt đầu ngồi chơi game từ chập tối với bạn bè, chơi đến 6, 7 tiếng. Trong phòng tôi có cả ghế và màn hình chuyên dụng để chơi game.
Q7: Gần đây bạn có sở thích gì?
A7: Tôi vốn đã có rất nhiều sở thích rồi. Gần đây thì tôi hay xem anime. Mấy bộ tôi thích dạo này là 『陰の実力者になりたくて!』 (The Eminence in Shadow), 『盾の勇者の成り上がり』 (The Rising of the Shield Hero). Tôi cũng xem mấy bộ đang hot như 『葬送のフリーレン』 (Frieren: Beyond The Journey's End) nữa.
Q8: Món ăn sở trường của bạn là gì?
A8: Gần đây tôi đã nấu dakgalbi phô mai. Tôi không giỏi nấu nướng lắm nên sẽ đi tìm công thức nấu ăn để nấu bất kỳ món gì tôi muốn ăn ngay lúc đó. Tôi cũng thường làm những món ăn nhẹ hợp với rượu, chẳng hạn như lòng mề.
Q9: Màn hình chờ điện thoại của bạn là gì?
A9: Là logo con chó mà tôi thiết kế. Logo đó cũng có trên những bộ quần áo tôi tự làm nữa.
Q10: Hoài bão của bạn năm 2024 là gì?
A10: Cả tôi và các thành viên đều mong rằng những gì chúng tôi thích và sở thích của bản thân sẽ có sự kết nối với công việc. Cá nhân tôi thì muốn livestream game. Thật thú vị khi vừa nói chuyện trong các tập youtube của nhóm vừa nghĩ xem nó sẽ mang lại tiếng cười cho mọi người như thế nào, nhưng tôi nghĩ việc thong thả chia sẻ những suy nghĩ của mình cũng rất vui.
Q11: Bạn mơ ước gì cho 10 năm sau?
A11: Tôi muốn báo hiếu gia đình. Tất nhiên sống vì bản thân là quan trọng nhất, nhưng tôi cũng sống vì gia đình mình nữa.
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士官学校での或る体験
50年前の夏は、職業軍人養成の陸軍士官学校に在籍していました。私はその前年(昭和19年)に試験に合格し、終戦の年の2月��入学したのです。 その士官学校も、本土決戦に備えるためだったのかどうか、8月には浅間山の麓に疎開していて、そこで終戦を迎えました。士官学校生徒の私たちは、捕虜としてカリフォルニアの炭坑に連れていかれるというような噂も一部で流れていました。 疎開前でしたが、「歴史の大きな改変」を校庭に集まった全生徒の前で予言した高級将校がいました。戦局は敗戦が必至だと解っていたのでしょうか。敗戦後、割腹自殺をしたという上級教官の話も聞きましたが、そういう人達とは違った理性的な勇気の持ち主が、この集団の中にもいたというのも、いまでは大きな教訓となっています。 短い期間であっても、士官学校でのあれこれのことは、私にとって忘れ難い体験でしたが、中でも次のことは、生涯をつらぬくような一つの教訓にもなっているような気がします。 当時の陸軍士官学校では、昔からの伝統を重んじたのでしょう、毛筆で日記を書かされていました。それは強制でもありましたが、一面では、わずかに許された自由な表現の時間でもありました。それまでの中学時代に夏目漱石全集などを読み漁っていた私などには特にそう感じられていました。 しかし、ある日、思っていたことを率直に書きとめたことから、思わぬ波紋が起こりました。 “将校生徒といえども一人の軍人だし、軍人もまた日本人の一員である。” 書いたのはこれだけのことですが、感じていたのは、この士官学校で将校生徒々々と強調されおだてられることへの自制だったのでしょうか。願っていたのは、この集団以外の兵隊たち国民たちを蔑視するな、ということだったと思います。そういう愛国少年の一人だったのでしょう。 ところが、それがどうして「彼ら」に知られることになったのでしょうか、この日記を盾にとられて「貴様は自由主義者だ」と、教官からではなく同僚の同級生から決めつけられ、ある日「彼ら」の集団から呼び出され、とり囲まれて袋叩きにあったのです。 自由主義者というのは、当時の日本では反社会的思想の持ち主として最悪の決めつけ語であり、非国民と同義語に使われたものです。 「彼ら」というのは「幼年学校」出身者のことですが、この「幼年学校」というのは他国にはあまりない、日本帝国陸軍独特のもので、「彼ら」はそこで13~14才の少年時代から特別の職業軍人幹部養成教育を受けていたのです。ここから士官学校へはもちろん無試験で、はじめは将校の子弟を育てるためのものであったのかも知れませんが、この学校の出身者でないと、士官学校から陸軍大学を出ていても、中将どまりで大将にはなれないというのが、帝国陸軍の不文律であるといわれていましたから、彼らはそこで徹底したエリート意識を植え付けられていたのではないでしょうか。 「彼ら」は、私たち中学校出身者よりも数ヵ月遅れて士官学校に入って��ましたから、はじめは私たちの方からいろんな規則を教えてあげていたのですが、何の何の、しばらくすると「彼ら」は自らを帝国陸軍の「貞幹」(幹部)中の貞幹だといい、われわれ中学校出身者を『馬』と称して軽蔑しているのが分かってきました。「彼ら」は教官についても差別をしていて、よく隊をこえて幼年学校出身者の教官のところに結集しているのを知り「彼ら」の派閥意識に味気無い思いをしたものです。 今でも忘れません。中学校出身者が万葉集を読んでいたといって「軟弱者」と批判し、廊下に張り出された新聞の変なところを見ていたと難癖をつけて非難するという、そういうことを繰り返していました。 しかし「彼ら」が最大の集団的暴力を発揮したのは「兵科選び」の時でした。 当時、負け戦を続けていた日本軍の航空隊は飛べる飛行機もなかったのでしょう。殆どが爆弾を抱えて敵地敵艦に突っこみ、生きて帰ることは絶対にない、日本独特の無謀な戦術「特別攻撃隊」の要員だったのですが、「兵科選択」に際して、その「航空隊」を選ばなかった者に、「命惜しみ」として集団リンチをかけたのが彼ら幼年学校出身者の一部集団だったのです。 しかも彼らは、規則を破って深夜同級生に呼び出しをかけ、「命惜しみ」として集団暴力を加えながら、そのくせ陰では「俺は航空参謀だ」などといい、後方で指揮をとる「命惜しみ」をしようとしているのですから、偶然それを聞いた私は、彼らの本音を知り「許せない」と思いました。 本音と建て前の違い、非科学的なものの見方を平然とまかり通していたエリート軍人の卵たちの認識方法、それは当時の日本の指導者達の思考方法と共通性がなかったでしょうか。彼らにとって国家とは、天皇とそれをとりまく指導者集団、そして国民は彼らに奉仕する『馬』や『道具』と見ていたのではないでしょうか。 私の場合は、兵科選びでは彼らに強制された「航空隊」は拒否して「工兵隊」を選びましたが、それはやはり生きて帰ることが許されない「特別攻撃隊」に繋がっていましたので、その点ではリンチを受けなかったのです。けれども、さきにも言ったように日記の件で呼び出され、「自由主義者」だとして白昼軍服が血だらけになるぐらい集団で殴られたのでした。それもはじめに呼び出すときは、ただの一人で、「話がある」と呼びに来たのですから卑怯なやり方なのです。 派閥的な集団主義は、しばしばこうした卑怯なやり口をもたらすのだということを身をもって知ったわけです。 野間宏の小説『真空地帯』では、将校間の反目の犠牲になった主人公(木谷一等兵)をかばうインテリの下士官がいましたが、私の場合は、軍服が血で汚れているのを認知していても教官はそのことには一言もふれませんでした。その教官は幼年学校出身ではなく、知的な人で、私も尊敬した人でしたが、そういう人でさえそう��ったのです。いや、暴力をふるった「彼ら」でも、いま会えばどうということはない「普通の人」なのですが、皇国日本のエリート集団の卵たちの意識は、人を人とも思わないようにしてしまっていたのでした。 私はその頃、早くこうした汚い雰囲気から脱出して、死んでもよい、第一線に行って自由になりたいと思ったものでした。 自由を欲する気持ちというのは、いかなる場合も消すことのできない人間の本性だと今は思うのですが、勇敢な日本軍人の献身的な戦闘性というもののなかには、愛国心や周りの人々への愛情とともに、或いはそれとは別に、こうした半ば絶望的な自由への願望があったかも知れません。 苛酷な戦いを生き抜いてきた人たちが、戦争を語りたくないというのも、凄惨な極限状況とともに、こうした説明のできない非合理主義の横行が背景にあったことが影響してはいないでしょうか。 このようなせまい集団の派閥主義、官僚主義は、近代化の遅れた社会につきもののようで、今の日本でも払拭されていないように思えますが、軍隊という戦闘組織の中での派閥主義は暴力装置をもっているだけにいっそう恐ろしいのです。無謀な15年戦争を引き起こし、広大な戦線の中で非合理非科学的な戦略戦術で莫大な犠牲をもたらした、少なからぬ要因にもなったでしょう。 夏目漱石が明治の末期に“日本は滅びるよ”と喝破したのは、こうした日本の指導者層の非合理主義的体質が続くのを見抜いていたからかも知れません。 いずれにしても私にとっては、短い間の端的な体験が終生の教訓になったことは確かです。せまい派閥主義をどんな場合も嫌うようになりました。自らの体験や頭あるいは討論などで確かめないで、外から教え込まれたものを教条的に受けつけないようになりました。 戦後50年経って「経済大国」になった日本はもう「戦後」ではないという論もありますが、本当は、以前と同じではないにしても、似たような大きな矛盾を残したまま、日本の歴史は進行してきたように思えてなりません。 戦前のように、暴力主義の横行というのは露骨には見られませんが、矛盾を合理的に解決する努力の弱さや「派閥主義」は、残念ながらまだまだ続いているように思えます。矛盾を発見して、その解決方法を討論しながら推進していく民主主義の原点がまだ社会的に定着していないからでしょうか。 私の中学校時代の友人で、普通より早く4年生から当時の高等学校に入った秀才で、学徒兵として軍隊経験をもったM君が、終戦の年によこした手紙の中で言っていた言葉を思い出します。“天皇制が変わらない限り、日本はたいして代わらないのではないか”と。 「象徴天皇制」にはなったけれども、「お上依存」は克服されたのでしょうか。国民主権は確立されているのでしょうか。 日本の社会の、こうした困難��近代化の歩みの中で、『学習』は本当に大事なものに思えます。近ごろのように幼い時期からの受験本意の勉強は真の知性を損なわせ、またどんな分野でも余り早い時期から専門的分野に入りこむことは、視野を狭くさせ、大衆の存在を忘れさせ、民主主義と人間の自由な発展を遅れさせるような気もします。 “知を力として”この言葉の重みを、近ごろつくづく噛みしめています。そして戦後50年を経た今こそ、戦争の教訓から得た人類の貴重な歴史的遺産、「平和と民主の日本国憲法」をどうしても守り発展させ、子や孫たちに伝えないとと切実に願っています。
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Keel from The Rising of the Shield Hero Season 3
Today's AniAnimal is Keel-kun in dog-form from "The Rising of the Shield Hero Season 3". 今日のアニアニマルは『盾の勇者の成り上がり Season3』の犬姿のキールくんです。
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Anti-Heróis - Como eles se tornaram tão populares?!
Anti-Heroes - How did they become so popular?!
アンチヒーロー - どうしてそんなに人気になったのでしょうか?
Quem assiste animes ou lê mangás, já deve ter visto um certo arquétipo de de personagem que tem o oposto dos atributos de um herói. A esse tipo de personagem, damos o nome de Anti-Herói. Em uma obra composta por mocinhos e vilões, tem que ter um anti-herói, para dar mais teor dramático para a obra. Os heróis representam o lado puro da humanidade, lutam em nome da justiça e são admirados como símbolos de superação, coragem e esperança, lutam basicamente para destruir os maus e proteger os inocentes; Os vilões representam o lado sombrio da humanidade, geralmente são os antagonistas principais, muitos deles são mafiosos, assassinos, ditadores, são movidos pela ideologia radical e desejam mudar o mundo através da força, como método de impor a vontade deles sobre os outros. Vilões costumam ser anarquistas e tendem a promover a discórdia e o ódio. Os vilões geralmente são entidades puramente malignas; Já os anti-heróis, estão em uma linha cinzenta que separa os heróis dos vilões. Anti-heróis são motivados pela autopreservação e interesses próprios, mas diferente dos vilões, há uma barreira que eles não ousam cruzar, o errado sempre parece-lhes mais fácil, costumam jogar dos dois lados aproveitando o que o herói e o vilão tendem a oferecer, o que os motiva pode variar da vingança à honra, são cheios de contradições e podem ter um arco dentro da obra no qual eles têm direito a uma redenção. E é por isso que os anti-heróis vêm conseguindo conquistar mais atenção do que os heróis e vilões.
Anyone who watches anime or reads manga must have already seen a certain character archetype that has the opposite of a hero's attributes. We call this type of character an Anti-Hero. In a work composed of good guys and villains, there has to be an anti-hero, to give more dramatic content to the work. Heroes represent the pure side of humanity, they fight in the name of justice and are admired as symbols of overcoming, courage and hope, they basically fight to destroy the evil and protect the innocent; Villains represent the dark side of humanity, they are usually the main antagonists, many of them are mobsters, murderers, dictators, they are driven by radical ideology, and they desire to change the world through force, as a method of imposing their will on others. Villains are often anarchists and tend to promote discord and hatred. Villains are usually purely evil entities; Antiheroes, on the other hand, are on a gray line that separates heroes from villains. Antiheroes are motivated by self-preservation and self-interest, but unlike villains, there is a barrier that they dare not cross; wrong always seems easier to them; they tend to play both sides, taking advantage of what the hero and villain tend to offer; what motivates them can range from revenge to honor; they are full of contradictions and may have an arc within the work in which they are entitled to redemption. And that's why antiheroes have managed to gain more attention than heroes and villains.
アニメを見たり漫画を読んだりする人なら誰でも、ヒーローの属性とは反対の特定のキャラクターの原型をすでに見たはずです。このタイプのキャラクターをアンチヒーローと呼びます。善人と悪役で構成される作品では、作品にドラマチックな内容を与えるためにアンチヒーローが存在する必要があります。ヒーローは人類の純粋な側面を表しており、正義の名の下に戦い、克服、勇気、希望の象徴として賞賛されています。彼らは基本的に悪を滅ぼし、罪のない人々を守るために戦います。悪役は人類の暗い側面を表します。通常、それらは主な拮抗薬です。彼らの多くは暴徒、殺人者、そして独裁者でもあります。彼らは根本的にイデオロギーによって動かされており、自分の意志を他者に押し付ける手段として力によって世界を変えることを望んでいます。悪役は通常、純粋な邪悪な存在です。一方、アンチヒーローは、ヒーローと悪役を分ける灰色の境界線上にあります。アンチヒーローは自己保存と私利私欲を動機としていますが、悪役とは異なり、あえて越えられない壁があります。彼らにとって間違っていることは常に簡単なことのように思えます。彼らは、ヒーローと悪役が提供する傾向にあるものを利用して、両方の立場を演じる傾向があります。彼らを動機付けるものは、復讐から名誉まで多岐にわたります。それらは矛盾に満ちており、作品の中で彼らが償還を受ける権利を有する弧を描く可能性があります。だからこそ、アンチヒーローはヒーローや悪役よりも注目を集めることができたのです。
Outra coisa que vale ressaltar é que para identificar os anti-heróis, devemos escrutinizar algo escondido no passado deles. Pode ser um trauma, o que os levou a ser o que eles são. Isso prova que assim como acontece na realidade, anti-heróis são fruto do passado deles, principalmente das perdas que eles tenham sofrido. Vegeta é o exemplo mais proeminente de anti-herói shonen. Ele era um sujeito megalômano, agressivo, egoísta e arrogante, que tinha um fascínio descontrolado por batalhas intensas e detestava guerreiros que mostravam fraqueza perante ele, tanto é que ele assassinou Nappa, o parceiro Saiyajin dele, sem hesitar, quando este fracassou em derrotar Kakarotto. Vegeta tentou matar qualquer um que ousasse impedi-lo no caminho para derrotar Son Goku e conquistar a Terra. Ele promoveu assassinato em massa de namekianos em Nameko. Vegeta continuou sendo um grosseirão mesmo tendo tido o coração dele acalmado por Bulma e Baby Trunks; Ele se deixou levar pela magia de Babidi só pra ter uma chance de lutar contra Goku novamente; Ele deu um abraço em Trunks antes de se sacrificar para tentar destruir Majin Buu. E por fim, ele ajudou Son Goku a destruir Kid Buu. Admitidamente, Vegeta fez coisas terríveis, no entanto, ele se redimiu, mas ainda continua com os mesmos traços anti-heroísticos com os quais Akira Toriyama o designou. E é por isso que ele é tão popular entre os fãs...
Another thing worth highlighting is that to identify antiheroes, we must scrutinize something hidden in their past. It could be trauma, which caused them to be what they are. This proves that, just as happens in reality, antiheroes are the result of their past, especially the losses they have suffered. Vegeta is the most prominent example of a shonen antihero. He was a megalomaniacal, aggressive, selfish and arrogant individual, who had an uncontrolled fascination with intense battles and hated warriors who displayed weakness in front of him, so much so that he murdered Nappa, his Saiyan partner, without hesitation, when he failed to defeat Kakarotto. Vegeta attempted to kill anyone who dared stop him on his way to defeating Son Goku and conquering Earth. He promoted mass murder of Namekians on Nameko. Vegeta continued to be a boor even though his heart was soothed by Bulma and Baby Trunks; He let himself be carried away by Babidi's magic just to have a chance to fight Goku again; He gave Trunks a hug before sacrificing himself to try and destroy Majin Buu. And finally, he helped Son Goku destroy Kid Buu. Admittedly, Vegeta has done terrible things, however, he has redeemed himself but still continues with the same anti-heroistic traits that Akira Toriyama designed him with. And that's why he's so popular with fans...
もう 1 つ強調すべき点は、アンチヒーローを特定するには、彼らの過去に隠された何かを精査する必要があるということです。それはおそらくトラウマであり、それが彼らの本当の姿になる原因となるでしょう。これは基本的に、実際に起こることと同じように、アンチヒーローは過去、特に彼らが被った損失の結果であることを証明しています。ベジータは、典型的な少年アンチヒーローの最も顕著な例です。彼は誇大妄想的で、攻撃的で、利己的で、傲慢な人物で、激しい戦いに抑えられない魅力を持っていました。また、自分の前に弱さを見せる戦士を憎んでいたため、カカロットを倒し損ねたナッパを躊躇なく殺害した。ベジータは、孫悟空を倒して地球を征服する途中で彼を止める者を敢えて殺そうとしました。ナメコ星でのナメック星人の大量虐殺を推進した。ブルマとベビートランクスは彼にとって関係のある人物であったにもかかわらず、ベジータは無礼な男として振る舞い続けました。彼は再び孫悟空と戦うという明確な口実で、闇の魔術師バビディによってマインドコントロールされることを許しました。ベジータは、魔人ブウを倒すために自らを犠牲にする前に、息子のトランクスを抱きしめました。そして最後に、彼は孫悟空��キッドブウを破壊するのを助けました。確かに、ベジータはひどいことをしましたが、自分自身を償還しましたが、鳥山明が彼を設計したのと同じ反英雄的な特徴をまだ持ち続けています。これが彼がファンの間で非常に人気がある理由です。
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Alfredo Sirica Profile
Alfredo
Sirica FROM ITALY
1999年4月25日 (23) にローマで生まれたAlfredo Siricaは、イ タリアのオルヴィエートを拠点に活動するサウンドトラック作曲 家です。15歳で初の長編映画(「Porches and Private Eyes」)の音楽を担当し、それ以来、いくつかの映画、ビデオ ゲーム、テレビ番組で活躍しています。 中でも、イタリアのテレビアニメシリーズ「Lampadino e Caramella」(全盲、全聾、自閉症の子供も楽しめる初のアニ メ)は2020年にユニセフ賞を受賞、短編映画「Bigger than Us」はアヌシー国際アニメーション映画祭でスタジオ・アルハ ンブラ賞を受賞、「愛の時間」「月光の物語」はそれぞれ2020 年と2022年にカンヌ映画祭に出展している。また、2021年に はローマのサンタ・チェチーリア音楽院でMusic Composition for Mediaを卒業。
現在は、アニメ「盾の勇者の成り上がり S3」からKevin Penkinとともにサブコンポーザーとして参加中。
Alfredo Sirica Profile
Born in Rome on April 25th.
1999, Alfredo Sirica is a soundtrack composer based in Orvieto, Italy. He composed the music for his first feature film ("Porches and Private Eyes") at the age of 15, and has since then worked on several movies, videogames and TV shows.
Among these, the Italian animated TV series "Lampadino e Caramella" (the first cartoon entirely accessible also by blind, deaf and autistic children) has won the UNICEF award in 2020, the short film "Bigger than Us" has won the Studios Alhambra prize at the Annecy International Animation Film Festival, "Time for Love" and "A Moonlight's Tale" have both screened at the Cannes Film Festival in 2020 and 2022 respectively. In 2021, he also graduated in Music Composition for Media at the Santa Cecilia Conservatory in Rome.
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「 「<フォーマ(*)>を生きるよるべとしなさい。それはあなたを、勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする」 -『ボコノンの書』第一の書第五節 」
最近、何人かの人が、「シニカルだけどシニシズムじゃない」というような言い方で、人物やコンテンツなどを好意的に評価しているのを聞いた。 「シニカル」と「シニシズム」は、形容詞か名詞かという違いだけで、どちらも「キュニコ���(シナックス)」という古代ギリシャ哲学の一派に由来する語である。現在の一般的な意味としては、「シニカルなジョークや言い回し」というような使い方をする場合の「シニカル」は、「皮肉っぽい」とか「嘲笑的」「批判的」というような意味で、そういうのが好きな人もいるとか、面白い場合もあるという程度には好意的にも使われるが、「シニシズム」は、「冷笑主義」と訳されるように、否定的な意味で批判的に使われる。「シニシズム (冷笑主義)」は「ペシミズム (悲観主義)」や「ニヒリズム (虚無主義)」などとほぼ同義として使われる。 「シニカル」とほぼ同義の語に「アイロニカル」というのがある。どちらも「皮肉」を意味するが、「シニカル」は、否定的で、しばしば嘲笑的で悪意の伴う皮肉を指すのに対し、「アイロニカル」は、事態の逆説性や予期せぬ結果を表現する際に使われ、楽しませるための冗談としての反語表現や風刺を指すとされる。「アイロニカル」(名詞形「アイロニー」)の語源はギリシャ語の「エイロネイア (虚偽、仮面、装われた無知)」であり、「表面的な振る舞いで本質を隠すこと」「無知の状態を演じること」といった意味がある。 「シニカルだけどシニシズムじゃない」という言い方は、なんとなくのニュアンスを言おうとしたもので、そう言われると確かにそうかもね的な話から、逆説的な言い方だけど、むしろシニカルだからシニシズムにならないんじゃないかというような話になって、どうすれば悲観的で虚無主義的な思考にとらわれずにいられるだろうかという話になっていった。結局のところ、自分を信じてポジティブにがんばれ的なところに落ち着くんだけど、先月末からの1週間は、逆説的にというか奇妙なことに、アメリカが、なんかわけのわからないポジティブさを示した。気に食わない評決が出た後、それがおかしいことも挑発的であることも明らかで、もちろん怒りの声を上げまくっているが、街を燃やしたり爆発させたりせず、募金して歌を歌って、テレビとかインフルエンサーとかにマジで影響受けちゃってた人とかがすごくわかりやすく露わになったこととかを笑ったり、そういう点では確かにシニカルかもしれないが、他人のことではなく自分のことについても、これまでの認識を見直す機会になったというようなことを語る人も多かった。
恐怖や不安を煽るコンテンツのほうが再生回数を稼げるらしいからそんなのばかりになるのはしょうがないとか、そういうことは知ってはいても、おすすめに上がってくるサムネとタイトルがナルシシズムとクリックベイトだけを煮詰めたようなものだらけになってくるとウンザリするし、さらには、そういうのを見て真に受けてる人の気分を害さないように気を使わなきゃいけないような空気がなぜか広がっていて、虚無主義的にならないほうがおかしい気もしてくる。ポリコレとかを批判するどころか、そうした謎の空気に気を使わないだけで「シニカルだ」って言われてるだけなんじゃないかと考えると、多分そうだと思うが、これまでそうした人たちは「シニカルだ」どころか「差別者だ」「陰謀論者だ」と言われていたので、変な空気もずいぶん和らいだようにも思える。そもそも、トランプはロシアと共謀して大統領になったんだという説をカルト的に信仰してる人たちが、自分の意見と違う人たちを「女性蔑視」の「差別者」で「陰謀論者」と呼んでただけなので、そう呼ばれないように気を使わなきゃいけない商売の人たちマジで大変なんだろうなくらいには同情しつつ、見る価値はないと判断している態度は、確かにシニカルかもしれないが、4年ごとにアメリカが内戦で世界大戦でハルマゲドンする感じのやつにも飽きてるし、勝手に付けられてるレッテルでとりあえず括って「私が陰謀論と呼ばれている反グローバリズムを代表するオピニオンリーダーです」みたいな感じで出てきてゲートキーパーのポジション争いしたりグループ作りしたりしてるのからも遠ざかりたい。 似たようなことを思ってる人は結構多そうだということが示されているし、ということは、探せば面白そうなのも見つかりそうだし、自分の考えを変えるようなヒントもどこかにありそうだ。希望は示されていて、その点でギリ、悲観主義や虚無主義と同義での「シニシズム」にはならない。 「アイロニカル (反語的、逆説的)」な態度や事態を批判する「シニカル (皮肉的、拒絶的)」な態度が、偽善的なカルト的ユートピア楽観論を暴き、そこになぜか悲観的ではない希望を垣間見せているというアイロニーに、奇妙な面白さを感じる。
「シニシズム」は、古代ギリシャの「キュニコス派 (犬儒派)」に由来する語だが、19世紀に、キュニコス派哲学の否定的な側面が強調され、問題視される形で、シニシズムを「人間の動機や行動の誠実さや善良さを信じない性質」「他者への不信感を特徴とする態度」として理解するようになり、すなわち「冷笑主義」という現代的な意味になったと言われている。 冷笑主義は、野心や欲望あるいは目標、主義主張や意見などの動機を持つ人々に対して一般的な信念や希望を抱かず、それらを虚しく、達成することのできない、究極的には無意味なものであると認識し、嘲笑や非難に値すると考える態度のことであるとされる。 冷笑主義は他者への不信感から悲観主義や虚無主義と混同されるが、それぞれの違いを言うのであれば、冷笑主義が慎重さによる不信感であるのに対し、悲観主義は敗北感に基づいた成功の可能性への不信感のことであり、虚無主義は人生に価値や意味があると信じることへの不信感であるとされる。 19世紀以降の、社会的価値や制度、権威に対する幻滅や不信感の結果として現れているとみられる、例えば「分離派」や「デタッチメント (分離、無関心)」などと呼ばれる文化的傾向や、社会的関与の必要性を拒絶する態度などが「冷笑主義」と呼ばれ、これは、人間が正しい倫理的選択をすることができるかどうかといったことなどについての悲観的な態度であり、その対義語として「ナイーブ」がある。 冷笑主義の積極的な側面としては、偽善を暴き、理想と実践の間のギャップを指摘したいという願望があるとされ、このことをジョージ バーナー�� ショーが端的に「正確な観察力は、それを持たない人からは一般的に冷笑主義と呼ばれる」と表現したと言われている。
キュニコス派(犬儒派)は、紀元前5世紀のアンティステネスを開祖とするギリシア哲学の一学派で、同時代人であるソクラテスの影響を受けつつ、禁欲主義と清貧を重んじる独自の思想を展開した。 「キュニコス」という語は古代ギリシャ語で「犬のような」を意味し、「犬」を指す「キュオン」から派生したものである。キュニコス派が「犬」と呼ばれた理由の説明として、アンティステネスがアテナイの体育施設キュノサルゲス(「白い犬の場所」の意)で教えを説いたためとも言われるが、従来の常識を拒絶して何ら恥じることなく路上生活する彼らに対する侮辱として「犬」と、最初期から呼ばれていたことも間違いないようである。 古典キュニコス派は、美徳こそ幸福に唯一必要なものと考え、美徳の完成および幸福の達成を奨励しないあらゆる事を無視するほどこの哲学に従った。彼らは自分達を慣習から解き放とうと模索し、自給自足をしたり、ただ自然に従って生活した。富や権力、名声といった従来の幸福という概念を否定し、自分達にとって自然な暮らし方をすることで、人々は幸せを得ることができるとした。 キュニコス派は、不確実性の時代に、幸福の可能性や苦しみからの解放を人々に与えると主張した。キュニコス派に公式な教義は存在しなかったが、その基本原則とキュニコス派にとっての人生の目標とは、幸福感と精神的明晰さであり、誤った信念、不用心さ、愚かさ、うぬぼれなどを含む「トゥフォス (「煙」の意。「まやかし」や「妄想」を意味する)」からの解放である。 キュニコス派に影響を与えたソクラテスの問答法は、「知らないこと」の自覚から始まり、「知っていることと知らないこと」「知り得ることと知り得ないこと」の境界を巡る探究心と、節制した態度にある。知に対する節度をわきまえない独断論者たちは、どこかでつまずき、知りもしないことに踊らされ、翻弄される。 ソクラテスは対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかける問答法により哲学を展開した。ソクラテスの用いた問答法は、相手の矛盾や行き詰まりを自覚させて、相手自身で真理を発見させた。こういった、意図を隠したとぼけた態度は「エイロネイア (アイロニー)」と呼ばれる。 ソクラテスの思想には全般にわたって、自らの無知を自覚することこそが真の認識に至る道であるというような、二面性あるいは二重性が孕まれている。
心理学において、思考がどのように二つの違った方法で生まれるか、または二つの違った過程(プロセス)の結果として生まれるかを説明する「二重過程理論 (デュアル プロセス セオリー)」というのがある。この二つの過程というのは、暗黙の自動的な「無意識」の過程と、明示的でコントロールされた「意識」的な過程として説明されることが多い。 今年3月に、ノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル カーネマンが亡くなり、彼の功績について話題になった。カーネマンは経済学と認知科学を統合した行動ファイナンス理論及び、不確実性下における意思決定モデルの一つであるプロスペクト理論で著名であり、行動経済学の先駆けとして知られる。 カーネマンは二重過程理論の二つの過程を、「直感」と「推論」で区別する新たな解釈を提供した。別の研究者による、より中立的な呼称として「システム1」「システム2」というのもあり、カーネマンもこの呼称を使った。カーネマンの「直感」は「システム1」に、「推論」は「システム2」にほぼあたる。 「システム1」というのは、無意識の推論であり、速く自動的に、暗黙のうちに行われるプロセスであるのに対し、「システム2」は、自発的にコントロールされた意識的な推論であり熟慮のことであり、これは遅く不安定である。 「システム1」を「ノンシンキング ブレイン」、「システム2」を「シンキング ブレイン」と呼ぶ人もいて、「システム2」すなわち「シンキング ブレイン」は起動させるのに「メンタルエナジー」が必要な状態だという。マーケティング広告としては、客に「メンタルエナジー」を使わせるようなものは即、大失敗とされる。「システム2」を起動させない状態が長く続いた状態を、「ゾンビモード」と呼ぶ���もいる。「ゾンビモード」は、本人の自覚がないまま何かにコントロールされているような状態で、本来「システム1」に分類される「感情」「主観」「共感」「想像」といったものまでが歪んだり、健全に機能しなくなる状態だと説明される。 そもそも人は意思決定の99%近くを「システム1」で行っているとも考えられていて、後になって、その意思決定や行動をしたもっともらしい理由を探しだしてくるのが「システム2」なのだとも言われる。カーネマンも、「人間にとっての思考とは、猫にとっての水泳だ。つまり、できなくはないけど、あえてしたくはないものだ」と言った。「システム2」は、遅くやってきてすぐにメンタルエナジーを大量に消費して停止する。
メンタルエナジーの補給にはブドウ糖の摂取が効果的だという研究結果もあるようだが、なんか食ってりゃこの「トゥフォス」から解放されてゾンビが蘇るだろうと思えるほどナイーブにもなれないが、いや、でも、もしかしたら、逆に?
「 *無害な非真実 」(カート ヴォネガット ジュニア『猫のゆりかご』1963)
2024年6月 ライフ イズ ア ガーデン
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TEDにて
モニカ・アラヤ:小さな国の大きなアイデア? ― 化石燃料なき発展を目指して?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
化石燃料なくしてどのように社会システムを築くのでしょうか?
環境保護や再生可能エネルギーに積極的に取り組むコスタリカ人の一人として、気候変動対策の提唱者モニカ・アラヤは、すべての分野でクリーンなエネルギーだけを使用する世界についての大胆なビジョンを説明します。
化石燃料を使わずに(最新の小型原子力発電も使用してません)いかに社会システムを築くか?
これは複雑な課題です。
発展途上国が、この移行をリード出来ると信じています。異論がある方も多いと思いますが、現実には、発展の中心に化石燃料を据え続けると私たちの国々はあまりにも多くのことが危険にさらされるのです。私たちは、違う方法を取ることができます。
今です。今、本当にやるべきことは神話を覆すことです。それは、国の発展。もしくは、環境保護、再生可能エネルギー、生活の質の二者択一しかないという考えです。
私は、発展途上国であるコスタリカの出身です。約500万人が住んでいる国でアメリカ大陸のちょうど真ん中に位置しています。私たちの住む場所がどこなのか覚えやすいでしょう。100%近い電気が再生可能エネルギーによって作られています。
5種類の再生可能エネルギーです。水力、地熱 風力、太陽光、バイオマス発電。
聞いたことがありますか?昨年のことです。299日間。私たちの発電した電気は全て化石燃料を全く使っていません。すばらしい偉業です。しかし、そこには矛盾が隠されています。
70%のエネルギー消費は石油によるものです(最新の小型原子力発電はありません)
なぜって、それは私たちの交通システムによるものです。他の多くの国と同様に交通システムは、すべて化石燃料に依存しています。
問題は、どのように残りの経済をリープフロッグさせて脱炭素化させるのかということです(最先端から遅れることも悪いことではありません)
もし、私たちが成功させられなかったら一体だれが成し遂げることができるのでしょうか?だからこそ、コスタリカについて話したいと思います。私たちこそが有力な候補だと感じているからです。化石燃料なしで発展するという構想の先駆者になれます。
コスタリカについてある事実を知っているでしょうか?私たちは軍隊を持ちません。1948年を振り返りましょう。その年、内戦が終わりました。何千ものコスタリカ人が亡くなり多くの家族が無残に引き離されました。しかし、ある驚くべきアイデアが 人々の心をつかみました。
それは国の再始動にあたって第二共和国は軍隊を持たないということで私たちは軍隊を放棄したのです。その時の大統領のホセ・フィゲーレスは力強い方法を取り、陸軍基地の壁を打ち砕きました。翌1949年には、私たちは、新たな憲法によりその決断を永遠のものにしたのです。そのおかげで70年後の今、この話をすることが出来ます。
感謝しています。私が生まれる前のその決断に感謝しています。私と何百万人もの人々が安定した国で暮らすことが出来ているからです。
運が良かっただけでしょうか?いいえ、運ではありません。模範となるような熟慮された選択があったからです。1940年代には、無償の教育と医療サービスが始まります。それは社会保障と呼ばれました。
軍隊を放棄することによって軍事費が社会保障費に変わりました。それが安定の原動力です。50年代に。
50年代に水力への投資を始めました。それは発電に化石燃料を使うというトラップから抜ける方法となりました。今、世界がそのトラップと戦っています。70年代には国立公園に投資を始めました。
それによってどんな代償を払ってでも、成長、成長、成長を求めるというひどく間違った理論(新自由主義と言われます)を避けることができました。
これは発展途上の国によく見られる理論です。90年代に「生態系サービス」への投資を先駆けました。これは、森林破壊からの回復と成長のカギとなるエコツーリズムの促進を助長します。ですから、環境保護に投資することは経済の妨げにはなっていません。
その反対です。
私たちが完璧だということではありません。矛盾を抱えていないわけでもありません。それは論点ではありません。大事なことは自分たちで決断したことによって、発展に伴う問題を乗り越える力を身につけることが出来たということです。
また、私たちの国の1人当たりのGDPは、計算の仕方にもよりますが、約11,000ドルですが、GDPから推定される値に比べ、我が国の社会進歩指数は非常にかけ離れた値を示しています。軍を放棄し、自然や人々に投資するという行動はとても力強いものでした。それは物語を作りだしました。
小さな国が大きなアイデア持つという物語。その物語と共に成長することはとても力強いことでした。問題は、私たちの世代が考えるべき次の大きな発想です。次にすべきことは、我々の世代が、かつて軍隊を放棄したように化石燃料を永遠に手放すことです。
化石燃料は、気候変動を増幅させます。私たちはそれを知っています。
気候変動の影響に対し、人間が脆弱であることも知っています。発展途上国として、最も関心があることは人間に危害を与える化石燃料を使用しない発展です。なぜなら、なぜ、交通向けに電気を使うことが出来るのに私たちは石油を輸入し続けるのでしょうか。
思い出してください。私たちのこの国は、電力を川の水から火山の熱から風力タービンから太陽光パネルからバイオマスから得ています。化石燃料を放棄することの意味は、既存の交通システムを取り止め、自動車やバス、電車を地球を汚すエネルギーの代わりに電気で動かすようにできることです。
さらに、一言いえば、交通問題は コスタリカが現実に抱える問題となっています。なぜなら、既存のモデルは上手く機能していないからです。人間を傷つけ会社を傷つけています。私たちの健康も害しています。
政策や交通インフラが機能不全を起こしているので、こんな状態が毎日のように起きています。朝の2時間や夕方の2時間に起きていることです。なぜこの状態を普通だと受けとめなければいけないのでしょうか?来る日も来る日もこのように時間を無駄にするのはとても腹立たしい問題です。
交通量が激増している他の国と比べてみても、我が国の高速道路自体は、実際、とても良いものです。コスタリカ人は、交通渋滞を「プレサ」と呼びます「投獄された」という意味です。みんな暴力的になります。それさえなければ「プラ、ヴィダ(最高)」なんですが、これが起こっている事です。多くの人に関わる問題です。
良い話と言えば、クリーンな交通���段や様々な移動手段について、議論している時、どこか遠いユートピアのような話をしているのではありません。今、起こりつつある電気を使った移動手段について話しているのです。
2022年までには、電気自動車と従来型の自動車のコストは同じになると予想されています。いくつかの市は、電気バスを試していて、これらのとてもかっこよい乗り物は、コストを抑え、しかも、汚染を減らしています。石油に依存した交通システムをなくそうと思えば出来るのです。以前にはなかった選択肢が今はあるからです。わくわくしますね。
しかし、もちろん、このアイデアに不快感を覚える人もいます。そのような人はこう言うでしょう「世界は、石油から抜けられない。コスタリカもだ。現実を見ろ」と。彼らはそのように言いますが、これに対する反論の仕方を知っていますか?1948年。私たちはこうは言いませんでした「世界は軍隊を手放せない。だから、我々も軍隊を保持しようよ」と。私たちは、とても勇敢な選択をしました。それが違いを生み出したのです。
私たちの世代が勇敢になる時です。永遠に化石燃料を手放すのです。なぜそうすべきか?理由を3つお話します。
まず1つ目。
発展途上国なので、私たちの交通・都市化のモデルは初めからインフラが未整備で壊れています。だから、すぐに着手できるし、今こそ、都市と交通のモデルを再定義する時です。
車のための都市は要りません。これから構築する人間の限界を遥かに超えた新産業なので、歩き、自転車を乗りまわせる人々のための都市が必要です。公共交通機関も必要です。たくさん必要です。それらはクリーンで尊厳をもたらすものです。従来型の車が増え続けると私たちの都市は耐えられないものになるでしょう。
2つ目に私たちには変化が必要ですが、徐々に変化していくのでは十分ではありません。
初めからインフラが未整備なので、私たちは抜本的な変化(リープフロッグ)が必要です。
この国には、すでにいくつかの漸進的なプロジェクトがあり、私は、それらの活動を真っ先に賞賛しました。しかし、ごまかすのはやめましょう。美しい電気自動車や何台かの電気バスをちらほら見かけるという状況に満足してはいけません。
既存のものと同様のインフラやより多くの車、道路、石油に極端に投資し続けてはいけないのです(設備投資の一定の増加なら実質GDP増加下支えに資するので大丈夫)の私たちは、石油からの決別について話をしています。漸進的な改革ではたどり着けません。
3つ目は、これは皆さんも理解されると思いますが、世界は斬新な発想に飢えています。
サクセスストーリーを求めています。特に、発展途上国において難しい問題を解決していく話です。私は、コスタリカが、他国々にインスピレーションを与えると信じています。発電のために化石燃料を使わずに長い間過ごしていたと。昨年、公表したようなことによってです。そのニュースは世界中に広がりました。私は非常に誇らしく感じました。
コスタリカの女性クリスティアーナ・フィゲレスは、気候変動に関するパリ協定の交渉の中で重要な役割を演じました。私たちは、先人の残したものを守り模範を示さなければなりません。
さあ、次は何でしょう。人々です。どうすれば、人々は、これを受け継ぐことが出来るでしょうか?どうすれば人々に化石燃料を使わずに社会を築くことが可能だと信じてもらえるでしょうか?徹底的で多大な努力が必要になります。
それが、私たちが、2014年に「コスタリカ・リンピア」を作った理由です。「リンピア」とは「クリーン」という意味です。私たちは、人々を力付けて鼓舞させたかったのです。もし、国民が参加をしなければ、クリーンな交通システムの決定は尽きることのない技術的な議論と様々な既得権益を持った人たちによるロビー活動が殺到して行き詰ってしまうことでしょう。
再生可能エネルギーによって、グリーンな国になることは、すでに私たちの構想の一部です。誰にもそれを奪われてはいけません。
昨年、7つの州から人々を集め、彼らそれぞれに関わる気候変動の問題について語り合いました。今年も会議を開催し、前回のグループとは異なるコスタリカ人が再生可能エネルギーについて話し合いました。そして、驚くことに集まった人々は、ほとんど全てのことに反対しました。
ただし、再生可能エネルギーとクリーンな交通システムと空気を除いてはなのです。このことは人々を団結させました。
人々に本当に参加してもらうためのカギは、自分たちはちっぽけな存在だと感じさせないことです。人々は無力に感じます。人々は、自分の意見が無視されると疲れてしまいます。私たちは具体的に物事を進めるようにして、また技術的な問題を国民の言葉に置き換えることによって国民には役割があり、その役割は一緒に果たせるのだと示すべきです。
人間の限界を遥かに超えた新産業なのでクリーンな交通システムについてなされた約束が、いま初めて検証されているところで、政治家はそれを実現させなければ、ならないと心得ています。
特に、発展途上国において転換点は、皆が連携した時に訪れます(ポールローマーのいう大量生産による規模の経済。日本は、すでに、原子力発電など共に達成しています)
それは、国民、会社や公共交通機関の支持者たちが、電力による交通システムを「新たな標準」にしようと連携した時です。
次の選挙までに、すべての候補者が化石燃料の放棄について、自分の立場を明らかにするでしょう。この問題への対応は、主要な政策になるでしょう。強調しておきます。これは、気候変動に対する政策の議論でも環境の議論でもありません。これは私たちの実現したい国についてです。私たちが暮らす都市についてです。私たちの実現したい都市についてです。
最終的には、発展途上国なので、インフラ構築のために、私たちは、示さなければいけません。
再生可能エネルギーによる発展は、人々にとって今日を生きるコスタリカ人にとって、そして、特に将来の生まれてくる人たちにとって良いことだということを(インフラ事業なので設備投資の一定の増加なら実質GDP下支えに資するので大丈夫)
これは現在の国立美術館です。明るく平和的です。この前に立ってみると40年代の終わりまでは、軍隊の兵舎として使われていたとはとても信じられないでしょう。この場から軍隊のない新しい国家が始まりました。ここで、いつか化石燃料の放棄が宣言されることでしょう。
そして、また、インフラ事業の歴史を作るのです(インフラ事業なので設備投資の一定の増加なら実質GDP下支えに資するので大丈夫)
ありがとうございました。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
技術が、すべてのことを解決できると言いますが、我々が、100倍エネルギー効率のいい乗り物を作ることができるとすれば、大枠としてこれは正しい意見です。
しかし、エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました。
参考として・・・
月面は、太陽風によりもたらされたヘリウム3が、鉱物資源として豊富に存在していることが確認されています。原子力発電や核融合に最適です。
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
そ��でも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
さらに
経済学者で、ケンブリッジ大学名誉教授のパーサ•ダスグプタが、イギリス政府に提出した報告書の中に登場。
経済学を学ぶと、登場する資本や労働などの生産要素の投入量と算出量の関係を示す生産関数があります。
こうした関数は、様々な前提条件に基づきますが、経済学者は、収穫逓減の法則と言うものをよく知っています。
このような人工的な生産関数とは、他に天然由来の生産関数。
つまり、自然から収穫できる生産関数を導き出し、地球全体の生産関数というエコシステムを数値化することでバランスをコントロールできるかもしれないというアイデア。
ここでは、自然資本と呼びます。
自然資本を加味すれば現在の経済成長ペースがどこまで持続可能かを分析することもできます。
人間は、国内総生産GDPを生み出すため、自然から資源を取り出して使い、不要になったものを廃棄物として自然に戻す。
もし、自然が自律回復できなくなるほど、資源が使われて、廃棄されれば、自然資本の蓄積は減少し、それに伴い貴重な生態系サービスの流れも減っていくことになります。
さらに、教授は、経済学者も経済成長には限界があることを認識すべきだと説いています。地球の限りある恵みを効率的に活用しても、それには上限があります。
したがって、持続可能な最高レベルの国内総生産GDPと言う臨界点の水準も存在するということが視野に入るようにもなります。これは、まだ現時点では誰にもわかりませんので解明が必要です。
なお、地球1個分は、ずいぶん昔に超えています。
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盾の勇者の成り上がりって何が面白いの?
1: それでも動く名無し 2023/10/16(月) 06:26:46.78 ID:t21Gvlt8d 一期見たけど身内争いばっかしててつまらん 続きを読む Source: 鈴木さん速報
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