#父子の週末
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豊島 心桜(とよしま こころ、2003年9月25日 - )は、日本の女優、グラビアアイドル。新潟県五泉市出身。アービング所属。
スリーサイズはB82-W62-H88。かつては洋服を購入する際に胸が入らずあきらめるなど、巨乳がコンプレックスで知らず知らずのうちに隠そうと猫背になっていた。また、SNSに写真を公開する際にはボディーラインが出る服を着ない、横向きのものは加工ツールで小さくするなど、胸を目立たなくなるよう逆加工していた。かつては削ぎ落としたいとまで思い詰めており、これを活かせるグラビアの仕事をしていなかったら確実に要らないと思っていたという。なお、巨乳については祖母や叔母に似たと自己分析している。
高校時代より『週刊プレイボーイ』からグラビアのオファーがあったが、上記の理由で抵抗感や恐怖感を持っていたために断っており、高校卒業後にオファーを受諾した。母と祖母は最初のオファー時点で乗り気だったうえ、2歳下の弟[注 13]の彼女も応援してくれており、『メジャー感』を購入したことを弟経由で連絡してきたという。なお、祖母はグラビア開始以前に(ドラマやバラエティなどの)出演作品をすべてチェックしており、厳しいアドバイスもくれていたという。また、同デジタル写真集の表紙は『君が獣になる前に』のプロデューサーの目に止まり、それを見せてもらった監督も快諾した結果、千田ミヤコ役への起用につながったという。
高校2年時に校則で禁じられていなかったからとUber Eatsを呼んで学校に激怒された結果、3年時の生徒手帳には「デリバリ��禁止」が追記された。また、水泳の授業については「朝から塩素の入った水で髪を濡らしたくない」との思いから体調不良と偽って一度も出なかったため、入学時に購入したスクール水着はタグ付きのままで実家に眠っている。当時はオンライン授業ばかりになるなどのコロナ禍にあり、修学旅行については駄目になった海外の代わりである沖縄へ荷物を送ったが、生徒に新型コロナウイルス感染者が出たことから沖縄も駄目になり、1週間後に荷物が返ってきた。さらには、大阪へ変更された時点で緊急事態宣言が出されたため、すべて中止になってしまったという。
スカウトされて仕事を始める前は社長かキャリアウーマンになりたいと思っていたが、20歳になった後は心境に変化が生まれており、タレントとしてこのスタイルが活かせるかもしれないと思うようになったほか、グラビア撮影の際にスタッフからスタイルを褒めてもらった結果、やっても良かったとの旨を述べている。初披露後の反響は凄く、もっと早くからグラビアを始めていれば良かったとの旨で後悔を滲ませている。
『週刊プレイボーイ』2023年47・48合併号にてグラビアを初披露する際にビキニを着用したが、これは1歳半の時にキティちゃんのビキニを着用した時以来のことだった。なお、初披露に際しての予習では頓知気さきなのグラビアを良いと思っていたところ、掲載号の表紙を彼女が担当していたため、思わずテンションが上がってしまったという。また、通常の『週刊プレイボーイ』を見ておこうと思っていたが、増刊『週プレPREMIUM 2023上半期グラビア傑作選』に多数のグラビアアイドルが掲載されているのを見てこちらを先に買い、後から通常の『週刊プレイボーイ』や何冊もの写真集も買って予習したという。
特技は幼稚園年中から中学3年末まで10年ほど続けたクラシックバレエ。ただし、2019年7月時点で身体は固まって久しく、ストレッチ時に頑張れば開脚ができる程度との旨を明かしている。
月に2回は猫カフェへ通うほどの猫好きであるが、上京後は猫アレルギーになってしまい、猫と触れ合う際にはマスクを着用している。
好物にラーメンや麻辣湯(中国語版)を挙げており、前者は週1回、後者は週2回食べている。一方、シイタケが苦手だったが20歳になった後は食べられるようになったという。
「仕事を始めるきっかけとなった憧れの人」には横田真悠を挙げているほか、「私の運命を変えたとっておきのエンタメ作品」には中学生当時に見ていたテレビアニメ『ラブライブ!』を挙げている���
マネージャーはかつて小池栄子を担当していたことからも、豊島には「グラビアもおしゃべりもお芝居もできるようになりなさい」と指示しているという。
本名でもある「豊島心桜」のうち名前の「心桜」は、祖父が好きだったドラマに「桜」の名を持つ人がいたことからその漢字を使いたく、「こころ」か「さくら」にしたいという願望を同時に叶えたものである。
酒については、飲み始めた当時はビールや梅酒のソーダ割りなら飲めるかなという程度だったが、その後は担当編集者と飲みに行かせてもらった際に同じペースで飲んでも自身はまったく顔に出なくなったという。ただ、酒よりもコーラの方が(20歳になる前と変わらず)好きであるという。
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Legends of the humanoids
Reptilian humanoids (13)
Melusine – mythical humanoid serpent transformed into a dragon
Melusine is a water spirit from French folklore and an example of human–animal marriage as well as princess Toyotama (See) in the East. She is a humanoid hybrid whose upper body is that of a beautiful woman in medieval costume, but whose lower body is that of a snake, and is also said to be a dragon nymph, as she has dragon wings on her back. She is also sometimes thought to be associated with mermaid lore. The Starbucks logo is also inspired by her.
Mélusine was the daughter of Pressine, the Fountain Fay, and Elinas, King of Albany, Scotland. Her mother placed a curse on Mélusine and her sisters that for one day a week they would assume the form of a snake from the waist down. Furthermore, if anyone saw them in their true form, they would be permanently remain forever the lower body of a snake and with wings.
Raymondin, Count of Poitou, who had left his family after accidentally killing his uncle, while hunting in the forest, met Melusine one day, fell in love and married her after making a covenant that he would never look at her on Saturdays. She brought her husband wealth and they had ten children.
However, when her husband heard a malicious rumour, he broke his promise and saw Melusine's true identity while she was bathing. Locked alone in her room, her upper body was human, but her lower body was that of a giant snake (or fish). She then assumes the form of a dragon, provides him with two magic rings, and flies off, never to be seen again. She returns only at night to nurse her two youngest children, who are still infants. Although many of Melusine's children had the nature of monsters, it is said that the future French monarch stood from the lineage of two children born normal.
Melusine's sons:
Julian (said to have later become King of Cyprus)
Eudes (whose appearance and face appear to be on fire)
Guy (said to have later become king of Armenia)
Antoine (with a lion's foot growing out of one cheek)
Renault (with one eye)
Geoffroy (with one large tusk)
Fromont (with a hair-covered birthmark on his nose)
Olivre (with three eyes)
伝説のヒューマノイドたち
ヒト型爬虫類 (13)
メリュジーヌ 〜竜に変身した神話上の人型蛇の妖精
メリュジーヌは、フランスの民間伝承に登場する水の精霊で、東洋の豊玉姫(参照)と同様に異類婚姻の一例である。上半身は中世の衣装をまとった美しい女性の姿だ��、下半身は蛇の姿をしており、背中に竜の翼が生えていることから竜の妖精とも言われている、人型のハイブリッド。また、人魚の伝承と結びつけて考えられることもある。スターバックスのロゴにもなっている。
メリュジーヌは、泉の妖精プレッシナとスコットランドのオルバニー王エリナスの娘である。母親はメリュジーヌと妹達に、週に1日だけ腰から下が蛇の姿となるという呪いをかけた。さらに、もし変身した姿を誰かに見られた場合には、永久に下半身が蛇で翼を持った姿のままとなってしまう。
ポワトゥー伯爵のレイモンダンは、誤って叔父を殺してしまったために家を出ていたが、ある日メルジーヌに出会って恋に落ち、メルジーヌは「土曜日には絶対に自分を見ない」という誓約を交わして彼と結婚した。メリュジーヌは夫に富をもたらし、10人の子供をもうけた。
しかし、悪意のある噂を聞いた夫は誓いを破り、入浴中のメリュジーヌの正体を目撃してしまう。部屋にひとり閉じこめられた彼女の上半身は人間だったが、下半身は巨大な蛇(または魚)のものだった。 そして彼女は竜の姿になり、夫に2つの魔法の指輪を与えると飛び去り、二度と姿を現すことはなかった。彼女は、まだ幼い二人の末っ子に授乳するために夜だけ戻ってくる。メリュジーヌの子供達の多くは化け物の性質を持っていたものの、問題なく生まれた2人の子供の血統からは、後のフランス君主が立ったという。
メリュジーヌの息子たち:
ユリアン(後にキプロスの王になったという)
ウード(外見と顔が炎のように燃えて見える)
ギイ(後にアルメニアの王になったという)
アントワーヌ(片頬に獅子の足が生えている)
ルノー(一つ目)
ジョフロワ(大牙が一本あり)
フロモン(鼻の上に毛で覆われたアザがある)
オリブル(三つ目)
#melusine#hybrid serpent#mermaid#fay#dragon#humanoids#legendary creatures#hybrids#hybrid beasts#cryptids#therianthropy#legend#mythology#folklore#nature#art
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「生まれてこなければ良かった」
一緒に暮らしてから半年、パートナーからこどもについてそろそろ考えたいと相談があった。
お付き合いする際、「私は結婚や出産など現在は考えていません。なので共に過ごしたとしても、その想いは変わらない場合もあると考えています。なのでもし強く結婚や出産などの経験をしたいと感じた場合は、関係を継続するか終焉にするか話し合いましょう」と伝えた上で一緒に暮らしている。
私は、こどもが欲しいと思っ���ことは一度も無いと言い切れる。それは私自身が29年間「生まれてこなければ良かった」と頭のどこかで考えているからだ。
三兄弟の末っ子として、平成の景気が終わった頃に生まれた。幼い頃から電気、ガス、水道のインフラは基本停められており、夜はロウソクで過ごし、料理は基本カセット���ンロを使用し、お風呂は銭湯。ご飯は1日1食で、学校の健康診断では栄養失調と判断された。
幼い頃から周りの生活とは少し異なることは理解していたため、私は物欲がないふりをして過ごした。クリスマスは欲しいものがないと伝え、ゲームも興味がないふりをして、犬の散歩と図書室で過ごすことが好きであるふりをした。正しい表現が思いつかないが、空気の読めるこどもを演じることは出来ていたと思う。
生まれつき心臓が強くないこともあり、医師からは走ることへの制限をされ、プールやクラス対抗リレー、シャトルランなどみんなが出来ることは、私には出来なかった。その影響もあってか、友達は少なかった。
私は次第に学校に行く意味を見失うようになり、週に2〜3回、保健室登校をするようになった。保健室のカーテンの先から聞こえる、廊下を走る生徒、大声で叱る先生、笑う生徒たち、みんなにとっての当たり前で平凡な毎日が羨ましかった。
生まれるときに「あ、やっぱ生まれたくないです」と判断できない。生まれてくるこどもの意思に関係なく、母親と父親が意思決定した結果、生存する。
こどもを授かることができる身体であることを前提としているが、実際にはわからない。その点も含め、私はまだ、こどもを生存させることに対して、判断ができないでいる。
2024/07/06
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腰が痛いので
今週は会社のデスクの前に立って仕事してる(笑)
デスクの上に段ボール箱を置き、
その上にキーボードとマウスを置いて、
モニターは思いっきし傾けて、
上から見下ろすように設置した。
これがなかなか快適で仕事が進む進む。
いつになったらこの激痛は治るのか。
ホントは今週末に妻の両親を連れて
ハウステンボスに行く予定だったけど、
義父が転んだとかで来週に延期になった。
正直腰がイカレてるから助かった。
あのヨーロッパ風石畳を義父が乗った車椅子を押しながら
一日歩くとたぶんもう立てなくなると思う(笑)
以前も書いたと思うけど、
マジでオランダの車椅子ユーザーってどうしてるの?
石畳ボコボコすぎて前に進まないでしょ!
オフロード使用のサスが付いた車椅子とかがあるんかな。
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黒髪の母親に連れられた、髪が明るい子供をみると、(あぁこの子の父親は外国人かな…母親はどうやって父親と出会い、結婚して、子供を産むまでに至ったんだろう…)とあらぬ妄想を始めてしまう。
来週末、彼と一泊2日の旅行に行くことになった。もう話すことは何もない、僕たちはマッチしてない、散々ひどいこと言っておいて、なぜ私から離れないの?
2024.11.14
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449:↓名無し:24/08/28(水) 12:12:33 ID:ah.ll.L1 コメ不足の話 前例ありまくりで今回も先に釘を差しておいたのにやっぱりダメだったというだけの顛末ではあるんだけど あまりに酷いんで書き捨てさせてほしい 先週末に実家で母とお茶してたときにコメ不足になってるらしいね近所の店でも飾り棚になってたねと話してた 母はいつも配達してもらう米穀店が今年は夏前から休業しちゃってるからあと一月くらいで食べきっちゃうし不安だなと言う もう少しで新米シーズンで農家に縁付いてる義妹が定期的にいっぱい送ってくれるからブランドこだわらないならそれ食べる? って私が返したら母はほっとしたように笑ってくれた 帰宅してから義妹にその話をして、わせ品種がもうしゅぐ収穫だから新米前のいま自宅保管してるの少し分けてもらうことに お願いごとに近いのにいつもみたいな身内価格でいいよと言ってくれたのもあり、母が直接お礼したいというので義妹来訪時 荷物と一緒に私の車に同乗してもらって実家に連れて行った それでお米14キロ分の真空パックをキッチンに置いてから母お手製のみたらし団子食べつつ三人で話してたら 酒に酔って上機嫌の父が男性数人引き連れて入ってきた で、当たり前のような顔でお米を誰がどのくらいもらおうって話を始めたからまず義妹がどういうこと?ってたずねたんだ そしたらおとうさんにいつもの礼がしたいから好きなだけ家にあるお米を分けるって言われたと で、女三人で父に詰め寄った結果、電話を立ち聞きしていて、うちはまだあるから先に無い無い愚痴を話してた飲み仲間に あげようと思ったって そこからめちゃくちゃ揉めたんだけど、しょせん父と同類の野郎どもだけあって、お父さんとの約束だしお礼言ったじゃないかと ごっそり持ち去ってしまった 残ったのは真ん中からハサミ入れられた袋のお米とボックスのがいくつかだけ、周囲にコメが散らばってるところに 母が膝から崩れ義妹は憤怒そのものの顔で仁王立ちで悲惨なことになった その後私と義妹で散らばったお米をかきあつめて残ったお米と一つの袋に入れ直して、 母は当面の着替えと貴重品のをささっとまとめて、三人ささっと実家をあとにしてその後の対応は母に一任して���けど もうダメというのはわかる 私が覚えてる限り父ってずっと変に外面がいいというか、母が輿入れの時持ってた着物とかも 困ってる貧しい人に施しとかいってあげちゃったり震災の備蓄品を定期的になんかのNPOに送ってしまう 腹立つのが父は自分の懐を一切痛めてなくて、全部母のだけなくなってることで、 私が小さい間は父方の祖母が私の面倒を見てくれたおかげで仕事が出来ていたというのを盾に泣き寝入りだった ただもう祖母はいないし私も大きいし、直近も真珠婚式の労いに私が母に渡したネックレスを勝手に寄付金代わりにって 支援団体に送ってしまったので次同じことやったら離婚って母が釘を差してた なのになんだよ米くらいでって俺いいことしかしてないじゃないかって顔真っ赤で言い返してた父に失望しか感じない 自分の親ながら、こいつなんなの?って思うし義
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大きめの風邪を引いて外に出る気力も体力ももちろんなく。
なんといつもなら予定がある週末なのに、そんなときに限ってフジロックが配信された。久しぶりにくるりのライブを見た。くるりに想いを馳せた。
* * *
夕暮れに聞く「上海蟹食べたい」は、さぞ現地にいる人は気持ちが良かっただろう。
顔とかセンスとかなんとなく全体的に好きだな、と思う男の子の腕の中で、よくお酒を飲んで笑いながら、この曲のMVをプロジェクターで見た。落ち着く時間だった。
* * *
演奏していなかったけれど「ハイウェイ」はイントロを聴くだけで「ジョゼと虎と魚たち」の寒々とした風景が浮かぶ。
この曲をひたすらリピートしたのは、韮山反射路へ向かう徒歩の旅で。転職活動が上手く行かず嫌になり、飛び出すように出かけた三島の一人旅。
祖父母のために年2回帰っていた静岡行きの新幹線が、あれほど懐かしくなるなんて思ってなかった。当時は少し退屈とすら思っていた帰省。わたしは大事なものが分かっていなくて、幼かった。
* * *
でもくるりとの思い出って��局はひとりのものが多くて、楽しみで待ち遠しくて聴くというよりは電車の中なんかで新譜に気付いて聴く。テレビやCMなんかで気付いて調べにいく。そんな感じ。
だから「琥珀色の街、上海蟹の朝」だけは懐かしくて少し微笑みたくなる思い出があるけれど、それ以外はひとりで、これからもひとりがいい。
2024 7.27
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2024年7月10日
・「大学は人生の夏休み」とよく聞くけど、私の人生における夏休みは絶対に今だ。5月末に来春からの就職先が決まり、1年間限定の無職生活がスタートしている。ありがたいことにアルバイトもしていないので、完璧になんの予定もない日々だ。手帳が真っ白に輝いている。
・今月の頭に数日間金沢で一人旅を敢行した。特に金沢蓄音機館がすごく良かったです。金沢は全体的に京都に似た街というのはよく言われていることではあるが、観光客の質についてはかなり違うと感じた。あけすけに言えば、金沢に来る観光客の方がマナーや教養がある傾向にあると思う。もちろん母数が違うから純粋に比較はできないけど。また、京都は完全にオーバーツーリズムにあり、観光客によって京都人の生活に支障が出ているのに対し、金沢はまだそこまでの状態には至っていないうえ、街は十分に観光整備されているので非常に観光しやすい。いい街だし大きくない街だし、もうすでに海外から観光価値を見出されているので、金沢がオーバーツーリズムになるのも残念ながら時間の問題かもしれない。
・金沢観光の後は関西に戻らず関東の実家に戻ってきた。訳あって母が関西の私の家にしばらく一人で滞在しているので、私は1週間ほど実家で一人暮らしをしている。来週には母と入れ替わりで関西に戻るつもりだ。一人暮らしには大きすぎる家で、掃除をしたり庭の水やりをしたりしながら、普段ここで一人で暮らす母のことを思った。前に「この家を売ってしまったら家族がみんなで集まれる実家がなくなってしまうから」と言っていたのを思い出す。もうあなたが暮らしやすい場所で暮らしていい、と本当は思う。子どもたち3人みんな大人になったし、”母親”という縛りはもう脱ぎ去ってもいい。でも彼女を見ているとなんだかその役割から解放されたがっているようにもいまいち思えなくて、私は何をするべきなのか・言うべきなのかわからないでいる。
・土曜日に父と会ってサシで飲んだ。彼はあまり口数が多くないけど、酔うとたくさん話す。ただ、普段色々考えて閉めたままにしている頭の中の引き出しも開けてしまう酔い方なので、配慮のないことを言われて傷つくこともままある。でもまあ構わない。お互い大きな信頼のもと傷ついたり傷つけたりしている。今回は「あんまり歳取らないうちに子ども作っちゃえよ、なんとかなるから」と言われ、あまりにひどくてちょっと笑った。「まず、出産で体ボロボロにならない側の性別に言われても」と言ったら「......確かに。」と言って謝っていた。私のこの反論は全���的を射ていないのだが、父は折れるのがうまくて、そういうところは見習いたい。
私が母をどう頑張ってもうまく愛せないと��うのは私が思春期の頃から度々相談していて、今回の飲みでもまたそんな話になった。父は私がこの問題に囚われ続けている意味があまりわからないようだった。私は、『兄たちが母をうまく愛せなかったとしても、それは個人間のレベルの話で彼らが家庭を持つか否かの選択に際して大きな問題にはならない。兄たちが将来的に家庭を持ったとしてもロールモデルになるのは父であり、彼らは一生母親にはならないからだ。一方私が彼女をうまく愛せないのは、家庭を持った場合否応なく自分が成ってしまう存在を愛せないということでもある。加えて私は母もその母(私の祖母)をうまく愛せていないためにこんにちまで葛藤し続けているのを知っている。周りに良好な関係の母娘がいないため、必然、子どもを産んでもその子どもに愛されない自分しか想像できない。そんな状態で子どもを持って家庭を築くことに前向きにはなれないし、この葛藤を丸ごと放棄するのは難しい。』という内容を主張した。父はずっと考え込んだ後、「俺わかってなかったと思う。」と言った。私は反論しないでくれてありがとうと思った。
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ところで♪
私の父が「アートムーブコンクール」というアート系のコンクールで大賞をいただきまして✨あと、佳作も!先週、大阪で展示会があり、行っておりました😊
これが、大賞をいただいた父の作品です♪
おめでとう㊗️🎊🎉🎈
アートムーブコンクールの詳細は↓
私の父は、75歳です。そして、昔グラフィックデザイナーでした♪
この色使いとかタッチとか、父の感じだなーと、思いますね☺️
他の作品はInstagramやYouTubeに公開してます♪
→Instagram
→YouTube
先日、私のInstagramにも投稿しまして、何人かのフォロワーさんにコメントもいただきました😊
→こちらです
で、この大きな魚は、ナポレオンフィッシュだということをInstagramのコメントで知りました💦(あんまり魚のことを知らない)
調べてみたところ、
ナポレオンフィッシュは熱帯魚としても有名なようなので、水族館でお目にかかることも多いかもしれません。
日本名ではメガネモチノウオというらしく、目のところにメガネの耳掛けのところのような縞ができることが、名前の由来になってます。
また、歳をとるにつれて、おでこのところが前に出てくるらしく、だからたぶん、父が描いたナポレオンフィッシュは歳をとっているのだと思います。
のわりに、実際のナポレオンフィッシュよりも唇がぷっくりしててで、紅をさしているかのようにも思えます👄
で、この作品のタイトルが「魚の片思い」なので、歳をとってから片思いしてる絵なのかなぁと思うと、なんだかニヤけてきました😎
最初見た時は、目が悲しそうなので、なんだか悲しい絵なのかなぁと思ったのですが、Instagramのコメントがきっかけで「そうでもないのかな🙄」と思えてきて、ちょっとホッとしましたね。
アートムーブコンクール展は、阿波座駅近くの「大阪府立江之子島文化芸術創造センター」で行われていました。
さて、先日のInstagramの投稿では、なぜか何枚か投稿できてなくて💦
入選作品が展示されていた全体の写真があったのですがね。。。
投稿されていなかった写真をここにアップしておきます。
他の方々の作品も全部見せてもらいました☺️
いろんなアーティストさんたちの鮮やかな心の世界を楽しませてもらいました😊
でわ、今日から月末にかけて、ライターの納期の嵐なので、ちょっとだけ頑張ります👍
2023/05/27
20:53
カナリヤ響子
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今から数年前に1万円で家を売った。 5月のある朝、突然携帯電話が鳴り、誰かと思ったら母からだった。 今、A県(亡き父の実家のある県)の警察から電話があって、伯父(父の兄)が遺体で発見されたと連絡が来たとのこと。家の中を捜索していたら、母の名前と電話番号があり電話してきたと言われた。しかし、持病もあるので息子と話してみると伝えたと。 簡単に言えば、遺体の引き取りの件で連絡が来たということだ。 父は今から30年ほど前にすでに他界してる。そして父方の実家には父の兄である伯父が単身で住んでいた。年にして80歳ぐらいだっただろうか。 その連絡が来る、1~2週間前にふと気になり、母に父方の実家の名義は誰になっているか尋ねたところ、私だと言う。 祖父が昭和30年代に建てたらしいが、その祖父が亡くなり、祖母の名義になり伯父は独身で祖母と伯父の二人暮らしだった。そして祖母も亡くなり、伯父の名義になっているかと思っていたが、弟、次男である父の名義であると以前聞かされていた。 そして、父はがんで今の私の年齢のぐらいで30年ほど前に亡くなった。そこで長男である私が自動的に相続していたようだ。 その後、父方とは音信が途絶え、関わりもなくなり、まさかと思い尋ねたら私名義だったと言うことだ。 これはまずいと思い、ネットで調べてみたら名義変更の相談は最寄りの��務局でとあったので、法務局の連絡先などを調べていたところ、伯父が急死した。 警察に電話をしたところ、死後3日ほど経っているが、検死の結果、事件性もないと判断した。よって遺体の引き取りをお願いできるかと言うことだった。 ふと、考え込んでしまった。あの家の名義は私ではあるが、音信不通になっていた期間は数十年。なぜ私が?と。 そこで私が迎えに行かなかった場合どうなるのかと担当刑事に尋ねたら、無縁仏に入ることになりますと。ああ、菩提寺あったなと思い出した。しかもそこのお寺のご住職は同級生でよく遊んでいたと父からも聞いていた。 仕方ない。迎えに行きますと答えた。そこからとりあえずで準備して、そのまま新幹線に乗り、レンタカーを借り、夜中の10時過ぎに警察署についた。 当直の職員に名乗ると、ああ、とすでに理解しているようで担当の者を呼んできますといい、取調室のような、応接室へ通された。他の刑事さんがお茶を持ってきてくれた。遠いところお疲れ様でしたと言うような挨拶はしたと思う。 担当の刑事さんともう一人の刑事さんがやってきて名刺を渡され、状況の説明と見つかった所持品の説明を受けた。 庭で発見され、全く外傷はなく、さらに雨風もなかったので全く汚れなどもない状態で発見され、検死をお願いしている大学病院でも、CTなどを撮ったが内臓からの出血もなく、外傷もなく、事件性はかなり低く、さらに病気も見つからなかったと言う。よって自然死としか言いようがないとのことだった。いわゆるぽっくり逝ったようだ。庭で作業していて心臓が止まり、そのまま亡くなったらしい。 発見は新聞配達の方が新聞が溜まっているのを見て、地元の民生員さんに連絡してくれて、110番して、警察が発見したとのこと。ありがたい話だ。 そして遺体安置所へ案内され、遺体と対面した。冷凍で安置されていたためか少し霜柱が鼻などについていたが間違いなく伯父であった。 再度、応接室に戻り、今後どうされますかとのことだったのでできれば、明日には荼毘と納骨は済ませて帰るつもりだと伝えると、遺体を一晩預かってくれる葬儀屋を紹介してくれた。葬儀屋さんが来ると手際よく、ワゴン車に棺を乗せた。刑事さんたちにおせわになりましたと挨拶をし、葬儀屋さんへ向かった。 一晩預かってもらうことができ、明日に運良く火葬場で荼毘ができるとのことだった。明日の朝再びこの葬儀屋で待ち合わせとなった。 料金は一晩で25万円とのこと。後払いで結構ですのでと気を遣ってもらった(?)振り込み用紙を折りたたみ財布に入れた。 とりあえず遺体は置いておけるが問題は自分だ。0時も回って今から泊まれるところはありますかねと相談したところ、葬儀屋さんが探してくださり、駅前の東横インに泊まれると。そのままレンタカーのナビに目的地を入れて向かう。 ホテルにつき、カウンターで支払いをする。一晩朝食付きで1.2万円ほど。 部屋へ行き、スマホの充電を繋ぎ、シャワーだけ浴びて、そのままベッドへ。はー、来てよかったと思った。 朝、ホテルで朝食を食べ、再度葬儀屋へ。途中コンビニにより、ATMで3万ほど下ろした。 葬儀屋さんの案内で火葬場へ。そのまま荼毘へ。焼き上がるまでお茶を飲んで待つ。荼毘を待つのはいつ以来だ?母方の祖母か?あれ?どっちが先だったか? そして、骨を広い骨壷に収めてもらい。挨拶をして、骨壷を助手席に乗せて菩提寺へ向かった。着いてから気づいたのだが、事前に連絡できなかったなと。 しかし、ご住職に会うと、事情は知っておりますとのことで話は早かった。このまま納骨させてくださいと伝えるとわかりましたと。その場で埋葬許可証を渡し、父方のお墓まで行き、納骨を済ませたところで、大変少なくて失礼ですが、こちらをと先ほどのコンビニでおろした3万円を包んだ封筒を渡した。ご住職はいえいえと恐縮されていたが、こちらとしても始末をつけねばならない。 そして、帰り際にこちらから、これにてこちらの家系は終わり、最後の納骨になりましたので、ひいては年度末に墓じまいもお願いしたくと申し出た。 では、年度末ごろに改めてご連絡しますとのことになった。よろしくお願い致しますと挨拶をした。 そのあとは実家周辺のお宅全てにご挨拶に行った。私は〜家の親族のものです。この度は大変ご迷惑をおかけしましたと、決まり文句を続けた。 全ての方が、まさか私が来るとは思ってもみなかったようで、どちらにお住まいの方?と尋ねられ、伯父の弟の息子で、B県に住んでいる。警察から電話が来て昨日の夜ついて、無事納骨までできたとこれも決まり文句で話し続けた。 皆一様に驚いていたが無事解決してよかったと。 その日は陽が暮れる頃に帰途に着いた。 そして、帰宅してからは「家」をどうするかと言う点だけが気になった。 無人の家に放火、居座られる(これを一番不動産屋が心配していた)、災害による周辺宅への被害は過失になる可能性があるが火災保険には入っていない。 名義は私だが何にも関係はない。住むこともない。なぜ私の名義になったのかはわかる。そして次男である父に名義が行ったのも以前から聞いていた。事情があった。その事情で伯父は孤立無縁だった。ちなみにこの時は血縁関係者は一人も現れなかった。事情は知っているが来なかったと言うことだ。 早く私としても終わりにしたいので、このご時世だ。県名を入れて、不動産売買のサイトで5社ほどに買取の件で一斉送信した。 すると買取不可が3社。仲介販売が1社。建物をこちらで解体したら土地のみを引き取りたいと言う会社が1社返答があった。 ちなみに地域的には限界集落である。バスもない、駅もない。人気もない。 仲介販売は200万円で売りに出しましょうと言う非現実的な提案だったのでお断りした。 引き取りたいと言ってきた会社に連絡をしたところ、いつ現場でお会いできますかと言う話になり、7月ならと。電気もガスも電話も固定資産税なども事情に���り父、母が支払っていたので、物が腐っても解体するのならいいと思った。冷蔵庫のものは知らんと。 ガスと電話、そして新聞を止めた。特に新聞は支店にも電話して丁重に挨拶をした。支店では事情を皆が知っているようで電話口の女性も同情してくださった。電話も遠くの地だと知るとさらに同情してくれた。 7月。不動産会社の方と現地で待ち合わせした。スーツを着た男性で30代半ばぐらいの方だろうか。お話を聞くと、東京で大手不動産屋さんに勤めていて、出身のこちらに戻ってきて不動産屋を開店したばかりだと言うことだった。 早速、解体についてお話を家の前で立ち話でした。おおよそ200万ぐらいはかかると思うと。家の前の道が狭いのでダンプなどが入れないため、余計に費用がかかるはずとの説明だった。 さらにこちらに来る前に登記簿を取ったが、複雑な登記になっており、道から家の間にお隣の方の土地があると。 お隣の方も出てきていらして、そうそうと。登記の確認の書類を持っていた。ああ、あんた、ここの持ち主さんかい?と。わかる、わかるよと。こちらは幼い頃に遊んでもらったことぐらいしかわからないのだが。 確認書には平成一桁代、つまり父が亡くなり私が自動的に相続した時に、ついでだからどこからどこまでがどうなっているのか確認しようとなり、お隣さん主導で確認し、ビス?を地面に打ってもらったと。そして、その確認のサインがあると言う。 紙をピラっと出してきた。そこには紛れもなく、私の筆跡の名前があった。私はこんな重要な書類にサインしていたのかと。驚いた。全く記憶にない。 ではということで、解体したら引き取りということで良いですかと確認したところ、不動産屋さんが、額に手を置いてしばらく考え込んでいた。 何かと思っていたら、すみません、1万円で引き取らせてくださいと言う。 え?無料でもいいんですが?と返すも、いいえ、それが無料だと色々税金やら何やらと面倒なのでと言うことだった。 売買ではなく贈与ということになるのか?まぁともかく1万円だ。これでおさらばだ・・・と思ったが、200万円の赤字だ。プラス新幹線代、葬儀場代etc...プラス100万になりそう。 話がまとまったところで、後ほど郵送で書類などお送りしますと。そして室内に入ることにした。誰もない父の実家。懐かしい。夏休みにはこちらにきていたが、祖母と父は駅前にマンションを購入し、そこで二人暮らしをしていた。 父は私が小学5年生の時に単身赴任でこちらにきていたが、それから10何年経っても、戻ることなく癌で死んだ。のちに知ったが上司と喧嘩して左遷されたそうだ。 事情により、伯父と祖母と父の3人で住むことなく、父と祖母は家を出たようだ。それも当時は祖母の通院のためと聞かされていたが・・・。今回、死亡して色々わかった。伯父は一族から絶縁されていた。絶縁に法的根拠はないが、一切関わらないということだと思う。 ちなみに村八分は火事と葬儀は協力するが他の8割は協力しないということ。絶縁ももっとすごいと思った。 まさに独居老人だなと思っていたが、生活保護を受けて、元気に自転車を乗り回していたらしい。全くの無病で、慎ましやかに生活されていたと役所の担当ケースワーカーから聞いた。 ところで、25万と火葬費用がかかったので葬祭扶助くださいと申し出たのだが断られた。生活保護は死んだら支給停止なのでと。 は?おかしいでしょ?と言ってもダメだった。 こちらで再度調べたが、やっぱり支給されるようだが・・・。 無知なケースワーカーに当たるとめんどくさい。縁を早く切りたかったので再度役所に出向いたりするのも嫌なので、連絡を取るのはやめた。 室内は死んだ時の状態そのままかなと思えた。布団は万年床になっている感じ。 小さなブラウン管のテレビがあるところに布団が敷かれていた。 電話は薄緑色の回転式の電話。これ。 NTTに解約の電話をしたところ、最後のお支払いで「買取」をしてくれればそのまま捨てても良いとのことだった。数百円だったと思う。で、そのままにしておいた。 問題はこれから真夏の7月に電気を切るので、冷蔵庫の中身だった。 物は独居老人だったので少なかったが、腐り始めているのもあって面倒だったがコンビニで買ったゴミ袋に全て突っ込んで捨てた。 ちなみに靴は脱がなかった。足の怪我が怖かったし、もう思い入れもない。 以前からあった場所に仏壇があった。そこには父からの手紙もあった。どうやら色々と揉めていたらしい。90年代の手紙だった。~の親族には挨拶に行けなど指示的な内容が多かった。 差し出しの住所は父が癌で入院していた病院だった。そして、仏壇の引き出しからは、若い頃の祖母と父、伯父、見知らぬ女の子が写っている写真が出てきた。 その女性は戦前食糧難の時に青梅を食べて食中毒を起こして亡くなったらしいと聞いている。 伯父は結婚したものの、一人娘を交通事故で亡くしており、その後離婚。相手方を見た記憶は私にはない。 さらっと家の中を片付けて、このまま全て処分してくださいとお願いした。 あ、あとケースワーカーから聞いていた、保護費が振り込まれる口座のある銀行にお金が少しは入っているのでそれを葬儀代に当てて欲しいと言われていたので、印鑑と通帳を見つけた。すぐに見つけられるところにあるのは、男一人って感じ。 ではと解体をお願いし、その足で銀行へ行ったところ、受けてくださった行員さんは大変困惑し、私は一体何者なのかという点と、��でに死亡しているので相続の問題があるとのことだった。 何者かを証明するには戸籍謄本などが必要だが・・・と。しかも相続の対象になるかどうか、ここの口座から引き出すことも閉じることも、事実上不可能だと。 相続の対象者は過去に離婚した奥様、そのお子さんなど全てで、私が現金を手にするには、その全員から印鑑をもらわないととダメだという。すると不可能なことになる。これが億などの大金なら、弁護士や何やら雇って解決する方法もおすすめできるが、おそらくそんなに多くはないはずで、他の多くの方もそれで諦めてしまうことが多いと。そのお金はどこへ?と聞くと、不明金として一旦本社に行き・・・おそらく国庫かとという回答だった。 しかし、そこで行員さんが少々お待ち下さいと、上席の方に相談してくださり、支店長まで来てくださり、今回は支店長決済ということで、私の身分証明書、伯父の印鑑、通帳があれば、引き出しと解約をさせていただきますとのことだった。大変助かった。 引き出せた金額は一桁万円。しかも年金だった。保護費は残っていなかった。つまりこの金額だから、支店長決済で対応もらえたのだと思った。 年金が振り込まれているが・・・。これはどうすればいいのかと銀行の方に尋ねるも、これは年金事務所へ行っていただかないと分かりませんということだった。 車で数十分、最寄りの年金事務所へ行った。事情を話したところ、全くどうなるか、わからない、本体の年金機構に尋ねるので時間が欲しいと。どれぐらいかかりますか?と尋ねると。わからないという。 では、年金機構の対応部署を教えて欲しいと尋ねるも、わからないという。どうやって尋ねるのですか?と聞くと、わからないですという。じゃあ、とりあえずどこに尋ねるかわからないけれど、相談は受けるということか。 じゃあ連絡待ってますと伝え年金事務所を後にした。 その後、半年経っても何も連絡が来ないので、年金事務所に連絡したが、わからないという。年金機構のどこに連絡したのかと聞いてもわからないという。 もう流石に話にならないので年金機構の問い合わせに電話したところ、そのような事情はわからないと。担当部署が対応していると思うので年金事務所がそう言っているのなら、連絡を待って欲しいと。え、担当部署はどこですか?と尋ねると、年金機構でもわからないという。あの、仕事していますか? その後、今に至るまで連絡なし。私は葬儀代として考えている。これから返せと来ても一生かけて争ってやる。 さて、家のその後だが、7月に解体のお願いをして、8月に永田町の司法書士事務所にて1万円で売買した。その時に司法書士の立ち会いのもと行われましたという旨が書かれた書類をもらい、名義変更も終わった。これで何があっても私の責任は無くなった。 これで終わりだと思った。一応不動産屋からは解体が終わったらご連絡しますと言われていて、9月とか10月には来るのかなと思っていたら、次の年の2月に連絡が来て、メールには解体されて更地になった土地の写真が添付されていた。土には雪が積もっていた。 今、ストリートビューで見��みたが、まだ家が残ってる。とても嫌な気分だ。 追記、その年度末には一通の手紙が税務署から届いた。何か不動産の取引をしましたよね?納税はありませんか?と。ない、むしろマイナスであると書き込み返信した。すごいよ、税務署の仕事ぶりは。年金機構も見習って欲しい。
1万円で家を売った - カメラが欲しい、レンズが欲しい、あれもこれも欲しい
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3人の節目の年
社会人1年目の今の時期、その電話は突然やって来ました。 電話元は幼稚園から中学まで同じ学校だった同級生の子��� 開口一番に「落ち着いて聞いてね」 ある同級生が亡くなったとの連絡でした。 亡くなった彼は幼稚園からの中学まで同じ学校でしたが、彼の場合、腐れ縁の典型で、生前の彼とは親しくありませんでした。むしろお互いをいがみ合う程の険悪の仲でした。
その後も高校時代の友人の訃報が入りました。彼女の本当の命日は9月頃だけど、彼女の遺体が家族の元に帰ってきたのがこの時期でした。 彼女は元々複雑な家庭環境だったこともあり、私と出会ったときには既に躁鬱を繰り返していました。 そんな生前の彼女が、私には心を開いてくれて卒業後も定期的に連絡は取り合っていました。
そして、また別の同級生の訃報の一報。 彼女は「純真無垢」の言葉を体現した子。 いたずら好きだけど誰にでも無邪気に懐いてくる、同性から見ても本当に可愛くて仕方がありませんでした。
私にとって同級生の初めての冠婚葬祭は彼らの通夜でした。 そして3人に共通していることは病死ではなく、自殺でした。
ここでは詳細は控えますが、亡くなった動機・経緯があまりにも壮絶すぎて、当時の私は最後までその場で聞くことができませんでした。
特に心残りなのは、躁鬱を繰り返していた彼女。 彼女にも、彼女の家族にも、謝っても謝りきれないというのは重々承知の上です。
彼女が亡くなる数日前、彼女は私の携帯電話に着信を残していました。 夜中2時ということで当時は就寝中だったことに加え、普段から夜中は着信音を切っていたため、その時に電話に出ることができませんでした。その日の勤務中の昼休みに私から折り返し電話を入れました。 元気そうな声でしたが、今にして思えば本当は何か言いたかったんだと思います。 「夜中に電話してごめんね。特に用事はなかったんだけど、声が聞きたくなって。」 その時は昼休みの時間が終わることもあり、彼女の言葉に甘えて 「じゃあ、また電話するね」 それが彼女との最後のやりとりになりました。
これまでも彼女から何度も電話は来ました。だけど、電話がくる時間帯は決まって休日の午後で、平日の深夜に電話があったのはこの1回だけでした。 夜中の電話で彼女は一体何を言いたかったんだろう、というよりも、 「あの時、ちゃんと電話に出ていたら…」 「彼女が本当に言いたかったことをしっかり聞いていたら…」 「折り返し電話したときも、何で電話をすぐ切ったんだろう…」 「もっと落ち着いた時間帯に折り返し電話をしてちゃんと話を聞いていたら…」
元々複雑な家庭環境の中で育っていたため、彼女が埋葬されている場所は彼女の父親以外、誰も知りません。 言い知れぬ虚無感や罪悪感、そして複雑な思いだけが私に残され、年月の経過と共に悲しみと後悔だけがますます大きく深くなっています。
一人の通夜が終えて帰路についたとき、一緒にいた一人の同級生が涙をこぼしながら声を荒げて 「自殺を選ぶなんて最低」 やり場のない悲しみから来ている発言だというのが痛いくらいに分かります。 決して自殺を推奨するわけではありませんが、私は彼らを責めることは到底できません。 もし私も3人と同じような極限の状況に立たされたとき、平常な状態でいられる自信はありません。私には想像ができない程の極限の状態にまで追い詰められた中でも、3人は最後まで懸命に生きようとしていたのも事実です。
遺族の厚意で遺体に対面させてもらえたとき、私たちの今の状況を知らぬような穏やかな顔で眠っているのね。 先の見えない苦しみからようやく解放されたのかな、とも思いますが、今年は3人が亡くなったひとつの節目の年。やっぱり今も会いたいです。
May your sweet smile never fade away. Rest in peace☘️🕊
明日もですが、来週はプチ弾丸旅行が控えていますので、早く寝ないとっ♪
さて、ここまで読んでくださった方へ☘️ 金曜日の夜に重い内容の投稿でごめんなさい、そして最後まで読んで頂きありがとうございました。 皆さんも良い週末を過ごしてくださいね🤲
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豊島 心桜は、日本の女優、グラビアアイドル。新潟県五泉市出身。アービング所属。 ウィキペディア
生まれ: 2003年9月25日 (年齢 21歳), 新潟県 五泉市
身長: 167 cm
事務所: アービング
活動期間: 2018年 - 現在
職業: 女優、グラビアアイドル
スリーサイズはB82-W62-H88。かつては洋服を購入する際に胸が入らずあきらめるなど、巨乳がコンプレックスで知らず知らずのうちに隠そうと猫背になっていた。また、SNSに写真を公開する際にはボディーラインが出る服を着ない、横向きのものは加工ツールで小さくするなど、胸を目立たなくなるよう逆加工していた。かつては削ぎ落としたいとまで思い詰めており、これを活かせるグラビアの仕事をしていなかったら確実に要らないと思っていたという。なお、巨乳については祖母や叔母に似たと自己分析している。
高校時代より『週刊プレイボーイ』からグラビアのオファーがあったが、上記の理由で抵抗感や恐怖感を持っていたために断っており、高校卒業後にオファーを受諾した。母と祖母は最初のオファー時点で乗り気だったうえ、2歳下の弟の彼女も応援してくれており、『メジャー感』を購入したことを弟経由で連絡してきたという。なお、祖母はグラビア開始以前に(ドラマやバラエティなどの)出演作品をすべてチェックしており、厳しいアドバイスもくれていたという。また、同デジタル写真集の表紙は『君が獣になる前に』のプロデューサーの目に止まり、それを見せてもらった監督も快諾した結果、千田ミヤコ役への起用につながったという。
高校2年時に校則で禁じられていなかったからとUber Eatsを呼んで学校に激怒された結果、3年時の生徒手帳には「デリバリー禁止」が追記された。また、水泳の授業については「朝から塩素の入った水で髪を濡らしたくない」との思いから体調不良と偽って一度も出なかったため、入学時に購入したスクール水着はタグ付きのままで実家に眠っている。当時はオンライン授業ばかりになるなどのコロナ禍にあり、修学旅行については駄目になった海外の代わりである沖縄へ荷物を送ったが、生徒に新型コロナウイルス感染者が出たことから沖縄も駄目になり、1週間後に荷物が返ってきた。さらには、大阪へ変更された時点で緊急事態宣言が出されたため、すべて中止になってしまったという。
スカウトされて仕事を始める前は社長かキャリアウーマンになりたいと思っていたが、20歳になった後は心境に変化が生まれており、タレントとしてこのスタイルが活かせるかもしれないと思うようになったほか、グラビア撮影の際にスタッフからスタイルを褒めてもらった結果、やっても良かったとの旨を述べている。初披露後の反響は凄く、もっと早くからグラビアを始めていれば良かったとの旨で後悔を滲ませている。
『週刊プレイボーイ』2023年47・48合併号にてグラビアを初披露する際にビキニを着用したが、これは1歳半の時にキティちゃんのビキニを着用した時以来のことだった。なお、初披露に際しての予習では頓知気さきなのグラビアを良いと思っていたところ、掲載号の表紙を彼女が担当していたため、思わずテンションが上がってしまったという。また、通常の『週刊プレイボーイ』を見ておこうと思っていたが、増刊『週プレPREMIUM 2023上半期グラビア傑作選』に多数のグラビアアイドルが掲載されているのを見てこちらを先に買い、後から通常の『週刊プレイボーイ』や何冊もの写真集も買って予習したという。
特技は幼稚園年中から中学3年末まで10年ほど続けたクラシックバレエ。ただし、2019年7月時点で身体は固まって久しく、ストレッチ時に頑張れば開脚ができる程度との旨を明かしている。
月に2回は猫カフェへ通うほどの猫好きであるが、上京後は猫アレルギーになってしまい、猫と触れ合う際にはマスクを着用している。
好物にラーメンや麻辣湯(中国語版)を挙げており、前者は週1回、後者は週2回食べている。一方、シイタケが苦手だったが20歳になった後は食べられるようになったという。
マネージャーはかつて小池栄子を担当していたことからも、豊島には「グラビアもおしゃべりもお芝居もできるようになりなさい」と指示しているという。
本名でもある「豊島心桜」のうち名前の「心桜」は、祖父が好きだったドラマに「桜」の名を持つ人がいたことからその漢字を使いたく、「こころ」か「さくら」にしたいという願望を同時に叶えたものである。
酒については、飲み始めた当時はビールや梅酒のソーダ割りなら飲めるかなという程度だったが、その後は担当編集者と飲みに行かせてもらった際に同じペースで飲んでも自身はまったく顔に出なくなったという[8]。ただ、酒よりもコーラの方が(20歳になる前と変わらず)好きであるという。
2歳時に中山競馬場へ親戚のおじさんに連れて行ってもらったことをきっかけに、競馬好きとなった。当時は遊具場にて遊んでいてレースは見ていなかったが、新聞と赤ペンを持って大騒ぎするおじさんのディープな姿に抵抗はなく自然と惹かれていき、馬券を買えるようになった後の2024年2月24日には同競馬場にて馬券師デビューを飾ったという。
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無題
義兄の命日で、事故現場に同行させてもらった。彼女はあらかじめ1週間の休みを取って、丈母と2人で西日本を漫遊していた。坐禅体験とかしたらしい。俺は当日日帰りで、早朝の新幹線で日本列島を下って合流した。350mlの缶ビールを2つだけ空けた。やはり日帰りの岳父もそこへ合流して、4人揃って在来線に乗り換えてさらに小一時間、徐々に口数が減っていく中、緑豊かな山間にある郊外の駅に降りたった。
駅中のファミマでお供物の水や菓子や缶ビールを買い込んで、乗ってきた線路にまっすぐ沿っている坂道を上っていった。ガードレールのない歩道はひび割れて、わずかに陰になっているところに苔類がむしていた。陰湿な6月の陽射しがじりじり蒸し暑かった。あそこだよ、と彼女がいうので目を上げると、すぐ向こうが見通せる短いトンネルがあった。その手前が現場だった。片側二車線の国道で、中央分離帯の縁石にわずかな白い跡が残っている。事故の痕跡だという。
そばの街灯に岳父の設置した花立があって、そこに買ってきた供花を生けるのだが、近づいてみると、配電盤の筐体が大きくひしゃげて、黄色い規制線みたいなテープが何周も巻きつけられていた。新しい事故の跡らしかった。歩道にも削り取られたようなタイヤ痕が残っていた。単車だろうか。義両親は特段そのことには触れず、慣れた手つきで花立を洗浄し、水を入れ替え、供物を並べていく。短い蝋燭と線香を一本焚く。甘い匂いがする。そうしている間にも、すぐそばを猛スピードで車が駆け抜けていく。
道路はトンネル手前の緩やかなカーブを抜けたらほぼ��っすぐに伸びて駅の方まで続く急な下り坂で、現場のすぐそばに傾斜8%という標識があった。あとで航空写真を見ると、トンネルの入り口手前からのっぺりした白い文字で速度落せという標示が繰り返されていた。街灯にはスリップ注意という標識があった。去年はなかったよね、と彼女が岳父にいっていた。
義兄の車は何らかのきっかけで短いトンネルの入口でバランスを崩し、最終的に数十メートル先で電柱の支線に後方から乗り上げる形で停止した。致命的だったのは、運転席に横から直撃した街灯だった。午前3時だった。街灯は捥ぎ取られていた。今あるものは事故後に新しく建て直されたもので、その費用は義両親が補償したらしい。
茫然としていると、岳父が淡々と顛末を語ってくれた。直前に義兄の追い抜いたバイクが事故を目撃して、通報してくれたのだと。
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駅でタクシーを拾って、昼食をとるためにもう少し大きな駅まで移動した。ロータリーの横断歩道で若い男が飛び出してきて、運転手が急ブレーキ踏んで悪態をついた。岳父が、自殺行為ですね、といって笑った。土地の名物を食べた。生ビール2杯飲んだ。
*
現地で義両親とは別れた。来てくれてありがとう、と丈母がいうので、来られて良かったです、と俺は素直にいった。新横浜に帰り着いて、ビアホールで彼女と献杯して、色々話した。
あの場所に行っていつも考えるのはね、と彼女がいった。あの場所に行っていつも考えるのはね、兄が最期に見た景色はこれだったのかっていうこと。
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今もああやって生々しい事故の跡が新しく増えていたわけで、車もビュンビュン飛ばしてた、事故現場そのものというか、標識ばかり増やして何も対策しない行政とかに対する義憤みたいなものはないの? と俺は思ったことを訊いてみた。
道路のせいとは思わない、あくまで兄がばかをやらかした、と私たちは考えている。と彼女は答えた。私たち、と彼女はいった。
*
兄の声が思い出せないのが嫌なんだよね、といって彼女は目を潤ませた。この日初めて見る彼女の涙だった。忘れていることが年々増えている。バイクの人が通報してくれたことも、岳父の話を聞くまで忘れていた、と。
*
忘れることは、悲しみやトラウマから人間が立ち直っていくために必要な機能だから、と俺はありきたりなことをいった。しかしまた、思い出すことが供養になる、ということも話した。祖父の十三回忌の時に、坊さんの説法で聞いた話だった。俺はこの考え方を信仰している。リメンバーミーみたいな話だけど。あの場に行って、俺がここにいる意味は何だろう、とずっと考えていた。丈母が立ち尽くして泣いている横顔を見て、俺にできることはマジで何にもないな、とさえ思った。この考えが既に傲慢なんだけど、けど。
*
義兄に会ったことはない。思い浮かべることしかできない。岳父と、丈母と、彼女と、そこへ俺がもう一人加わった。マイナスではないはずだと思いたい。悼む、偲ぶ、思う、祈る、なんでもいいけれど、そうする人間が一人増えた。それだけで良いことだと思いたかった。
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2024/12/30-2025/01/05
年跨ぎました!あけましておめでとうございます!
年末年始の暇でイラスト2枚仕上げられて良かったです。
今週の歩距離は39.3km 歩数67841歩 ポケモンGO内で捕まえたポケモンの数1554匹 うち色21匹でした。
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2024/12/30
来年に向けてポケモンGOもレベルアップ&ゲット。
レベル47まで来たの嬉しい…!調べたところ2024年初は43だったようなので一年で4レベルも上がっていることになるらしいです笑。やりすぎか!?
6月?くらいのスペシャルリサーチをこなしてマーシャドーをゲットしました。マーシャドーかわいいね。
お正月のハットポケモンも1日に4体捕まえられてびっくり。過去に類を見ない豪運!
…と思っていたらTwitter情報によると実際確率が上がっていたそうです。ハット有ポケモンは今後も毎度このくらいの確率で出してほしいですね。
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2025/01/01
うりさんとジラーチさんの三人で年越しポケモン大会をやりました!辰年なのでみんなでゲットした色違いレックウザトリオで写真を撮りましたよ。
↑みんなで記念写真を撮ろうとしたら雨で全員嫌そうな顔になってしまった奇跡の写真。
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2025/01/02
劇場版忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師 を観ました!
うりさんから良い映画だったよと言われていた通り凄く良い映画でした!実際もう一回行きたいもん。
個人的には作画の良さが特に気に入りました。線が最低限しかない忍たま乱太郎のキャラクターデザインでここまでキャラの肉感や表情感情表現ができるものなの!?とびっくり。たぶんこの映画を模写したらめちゃめちゃ絵が上手くなると思う。
個人的に善法寺伊作くんと利吉さんと土井先生LOVEで帰ってきました(あと1年生ズ)。茶髪で優男が好きなのは相変わらずですね。
主役三人以外名前がうろ覚えくらいのにわか忍たま視聴者ですが楽しめました。みんな、映画館で見ろ!!!!!!
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2025/01/03
3世がしましまっちになりました。しましまっちかわいいね。
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2025/01/04
狙ってたマーシャドーのカード手に入りました!
叔父のポケポケのレベルが48になっていて、なにやっとるんだ?になっています。のめり込んでやっている…!
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2024/01/05
今日はニャオハのコミュデイで色ニャオハは10匹獲れました!(4匹はHOMEに送りました)
そのうちなんと♀ニャオハは3匹と神引き!2匹はうちで預かるとして1匹は誰かにあげてもいいかな〜と思っています。欲しい方々、私にご連絡ください。
映画『ソニック×シャドウ TOKYO MISSION』を観ました。 海外のCGは本当に綺麗で違和感がなくてすごいな、資本力の差を感じるわ。
ジャパン映画で多発しがちな「ヒューマンドラマの激エモ展開で客泣かしたろw」みたいな描写が無くて助かる。 いや、泣き場所はあるっちゃあるんですけど、「はいここ泣きどころですよ〜!みなさん泣いてくださ〜〜い!!!!!!」みたいな強要はしてこなかったな。あと海外でよくあるジョークが多発してて最高。ゴジラやサンリオやピカチュウ等のメタ発言が今作は多かった。
シャドウさんの一人称が「ボク」、二人称が「キミ」(だったかな?)なのが どんだけ怒りに身を任せていても根は良いヤツなんだろうな感を出していて安心して見られました。
「東京ミッション」というサブタイでしたが実際の東京(というか渋谷)描写は冒頭のみでどちらかというとイギリスや宇宙戦闘がメインだったのでズゴー!でした。マジでなんでこれをサブタイにした???
ただしエセジャパン好きにはたまらない“似非さ”でした。パトカーにわざわざpoliceではなく「ポリス」とカタカナで書いてあるのはさすがに海外産映画。日本湾にあるprisonなのに外国人しか働いていないのも海外産の味がしましたね。
映画の最後にロボットのようなソニックとハンマーとエミーちゃんが出てきたシーンは おそらくファンなら絶叫モノだったと思います。ソニックミリしらの私ですら「ソニックのゲームみしってたら声出して喜んじゃうわ〜」と思ったくらい演出が良かった……ソニックのゲームやろうかな?
2の時よりも男児キッズが多かったのはコロコロパワーだったのかな?もっと小さい子達にも見にきてほしい映画でしたね。
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2024.07〜2024.08 ひとこと日記
7.30-朝寝坊してバイトを休んだ。夜に彼と口喧嘩した。ないものねだりばかりしてしまう。今週末、彼がチェコから日本に迎えに来るのにこんな状態でどうするんだろうね。
7.31-1ヶ月限定バイトの最終日。まわりのひとに大変良くしてもらった。チェコに行くことをリーダーのおじちゃんに話したら30年前にカナダで買ったオリンピックのトナカイのキーホルダーをくれた。大事にとっておいたのか、袋に入ったままで状態の良いものだった。わたしがこんなものをもらっていいのだろうか。
パリ五輪の男子バスケ/バレーの試合を観る。誤審ピック。
8.1- 茹だるような暑さ。何もしたくない。ちょっと黄体期特有の精神不安の症状が出てる気がする。ピルを飲み始めてからはほとんど見られなかったのでこの感覚に懐かしさを感じる。高校〜20代前半はかなり悩まされていたな。
8.3-チェコの彼が日本に来た。
8.9-チェコの彼がチェコに帰った。
8.12-母親と縁を切った。わたしに対する父の本音を聞いた。夜、居場所がなくてネットカフェにいたけど、男臭くて嫌だった。
8.13-ちょっと詐欺らしいものに引っかかってしまい、でもクーリングオフ期間だったので解約できて全額戻ってきたのでよかった。心がフラフラになってるから騙されやすい。
8.14-彼の誕生日。南海トラフは来なかった。新しいアパートを決めた。不動産の担当が仕事できなくて不安。
8.17-彼とわたしの今までの思い出アルバムを3時間くらいかけて作った。仕上がりが楽しみ。
8.18-アルバムが出来上がったのでカメラ屋に取りに行く。完璧な仕上がりだった。これを渡しても心が戻って来なかったら諦めがつくと思った。今日、彼はイギリスから帰国。
8.19-内定先の代表と融資を受けた銀行の担当者とのやり取りを聞いていて、絶対この人の元で働いたら後々面倒なことになると思った。
8.20- 代表と話をして正社員ではなく業務委託で仕事を受けることになった。それでよかったと思う。思ったことはなんでも言ってくれと言われてたので、昨日の銀行とのやり取りのこと正直に話したらそれは言ったらだめだったらしく怒っていた。わたしには判断がつかなかった。/パソコンがようやく直ってうれしい。SSDを交換した。
8.21- 最近、早朝に目が覚めてしまう。ひたすらTwitterをスクロールした。意味のないことをして現実逃避したかった。夕方までうたた寝とそんなことを繰り返していた。/今更Wednesdayを見始めた。ハンドが可愛すぎる。わたしもほしい。
8.22- 久々に弟と出かけた。憎たらしくてかわいくて大好き。通っている塾でどんな指導を受けてるのか分からないけど、あんまり良くなさそう。でも私の子ではないから、私に決定権はない。
8.23-朝起きたら風邪っぽい。代表が38度も熱があったのに隠して私を事務所に呼んだからもらったな。地獄に堕ちてほしい。/不動産会社の求人に応募している。職務経歴書を修正していたら、今月末で有効期限が切れる資格があることに気づく。更新のための試験を月末までに受けなきゃ… / ずっと寝ていても頭が痛くなったり筋力が落ちたりしなければいいのになぁ
8.24-明日、あの事件ぶりに彼会う。まだ2ヶ月か。すごく昔のことのよう。図書館へ行って、彼に手紙を書いた。/ 一日中眠たいけど、涼しい部屋で好きな時間にゆっくり眠れない環境だから早く引っ越したい。明日面接なのもだるい。
8.25-午前、面接。9時17時の求人に応募したのに、実際は8時45分18時だった。最近こんなことばかりな気がする。/ 午後、元彼に会う。本当はすぐにさよならのはずがカフェでゆっくり話をした。アルバムはパラパラと見ていた。心に届いてなさそうだった。別れ際、これで最後って言われたけど私は信じない。だってハグした時、思い切り勃ってたから。わたしのこと、まだ愛してるに決まってるなんて思ったらだめでしょうか。
8.26-オンラインの日本語教師登録をした。自己紹介ビデオをつくってみて、思いのほか楽しかったけどめちゃくちゃ疲れた。動画編集を仕事にしている人、尊敬。/ Amazonの配達サポートの在宅ワークに応募した。応募に必要なテストが実際の仕事のシミュレーションのようで楽しかった。受かるといいな。/ なんか今日とてもがんばった感あるけど、まだ無職、家無し。
8.27- 賃貸不動産会社の1日入社体験。当然無給だと思っていたけど、最後に日当をいただいて驚いた。何もしていないのに… 。今回は勤務条件が募集要項と違っていたので辞退するつもりだけど、今後、就職先を決める上で勉強になったことがたくさんあった。動いてよかった。
8.28-アパートの契約完了。あと3日。父に来週出て行くからお世話になりましたと伝えたら、夕ご飯に少しいいものを買ってくるようになった。わたしがほしいのはそういうことじゃない。/ 夜、悩んだ末に元彼に電話。地雷を踏まないようつま先立ちで会話する。引っ越しを手伝うかどうかは明日まで考えさせてくれ、と保留。会いたい。
8.29-「引っ越し手伝うよ、でもよりを戻すわけじゃないからね」と連絡が来た。
8.30- 今日現在稼ぎ口がメルカリしかない。エネルギーが有り余っているから配達なんかのアルバイトをしたい。
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父が2024年7月30日に亡くなったことを知りました。 私の父は音楽理論の天才でした。キーやモード、拍子を使って話してくれました。複数の楽器を演奏でき、曲を一度聴けば、前後に演奏してくれました。 私が子供の頃、父はザ・バックルーズというカントリーロックバンドで演奏し、週末はスキーリゾートで、平日はクラブで演奏していました。80年代にはギターを弾いてかなりの収入を得ていました。 私たちの地域ではライブ音楽が衰退し始めたので、彼は自宅で音楽を教え始めました。 彼は今でも、80年代に買った小さなポリトーンアンプで、ビバップ・ジャズや、何十年もの経験から生まれた音楽を自宅で演奏していた。 私たちがレンタカーに彼の持ち物の一部を積み込んで家に帰ろうとしていたとき、オットーという名の隣人が車を停め、窓を開けて「ロニーの写真をもらえますか?」と尋ねました。 私は妹が見つけた写真を彼に渡した。 彼は一言も言わなかったが、目に涙が浮かんでいた。 「彼の演奏を聞けてよかったよ」と私に言うと、オットーは車で去っていった。 父の考える「成功」とは、地元の会場で演奏できるグループを持つことだった。それがなければ、人生は生きる価値がないと思われた。 それでも、近所の人たちは彼が演奏する音楽を聞くのが大好きでした。 最大の嘘は、私たちは自分の芸術作品の販売で生計を立てなければならない、そうでなければただの才能のない野心家だ、ということです。 多くのアーティストがこれに騙され、100回の視聴回数では十分ではないと感じ、「誰も気にしない」という理由でやめてしまいます。 どういうわけか、10,000 回の視聴回数では十分ではありません。本当に必要なのは 100,000 回です。火曜日の夜に 12 人の観客が集まるのは時間の無駄です。リールを十分に作っていないので、誰もあなたの作品を買ってくれません。 それは嘘だ、全部でたらめだ。 オットーはおそらく父の写真を冷蔵庫かレコードプレーヤーの横に飾っているでしょう。
Outdated expectations kill creative dreams
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