#演出:ドラッグ演出
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FISH LETTER | MIKIMOTO - ミキモト
https://fishletter.mikimoto.com/
FISH LETTER | MIKIMOTO - ミキモト
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サイケでゴミでも健やかに生きたい!
という訳で大好評コンピの第12弾「Psychedelic Trash: Kenko」(通称サイトラ12)をやります。
今回のコンセプトは「健康」です セックス・ドラッグ・ロックンロールなんて時代もありましたが 今はこれ サイケ!ゴミ!健康!
【募集曲のガイドライン】 サイケでゴミな曲を集める企画です。 サイトラって何?って方はまずはbandcampで既にリリースされてるアルバムをチェックしてください。 https://rjnk.bandcamp.com/ 現在13枚のアルバムが公開されています。アルバム一覧はこちら 曲の内容はボーカル、インスト、ボカロ、ラップ、よくわからない語り、ノイズ等何でもOKです。
リリースはBandcampにてName Your Price(無料DL可)で行います。
【Psychedelic Trash: Kenkoのコンセプトについて】 健康です 皆様の健康な作品をお待ちしております
Psychedelic Trashの思想や理論方面での提唱者である鈴木凹氏曰く 「無駄に長いサイケデリックロックは長寿健康を連想させるので古来より縁起が良いとされてきました。サイケで健康、サイ健康」 だそうです。なにそれすごいね。
上記がコンセプトですが、無視してもサイケだったりゴミだったりすれば全然OKです。 たぶん余程の問題がなければNGとはならないので安心してください。 (※今まで皆さんから提出された曲は全て収録しています。曲の選考等は行いません)
【提出期限】 2024年12月12日とします。
【リリース予定日】 2024年12月22日とします。
絶滅レコーズのBandcampにてName Your Price(無料DL可)で公開します。
【提出の仕方】 Google DriveやDropbox等のオンラインストレージを使用して各自アップロードし、X(旧Twitter)のDMで私kamoreco宛てにリンクを送ってください(ギガファイル便でもOKです)。
※提出の前に書き出した音源をなるべく慎重にチェックするようお願いします。こちらでは変な箇所があってもそれが意図的な演出なのかミスなのか判断出来ない事があるかもしれません。
【提出形式】 wav aiff 等の非圧縮音源で提出してください。mp3やaac等の非可逆圧縮音源はNGです。 マスター音源は最終的に48kHz 24bitで書き出すので環境的に可能な方はこれに近い形式で提出してください。
※より解像度の高い形式での提出でも構いません
【提出するファイルに関して】 2mixファイル マスタリング済みファイル
どちらでもOKとしますが、なるべく2mixで提出してください。 2mixでの提出の場合は私kamorecoがマスタリング処理を引き受けます。
※マスタリング済み音源を提出された場合でもアルバム全体のバランスを考慮して音量の変更等をする可能性があるので予めご了承ください ※アルバムのマスタリングは-10.2LUFSあたりを基準に処理しているのでマスタリング済みファイルを提出する方は参考にしてください
【提出された音源のアップロードに関して】 Psychedelic Trash: Kenko リリース後の公開にしてください。リリース後の音源の公開は各自自由にして構いません。※この件で何か事情がある場合はご相談ください。
音源アップロードの際はbandcampのリンク等を貼ってPsychedelic Trashを宣伝していただけると大変助かりますし感謝します。
【連絡先】 質問等ございましたらX(旧Twitter)のリプかDMでお願いします。 kamoreco https://x.com/rjnk1 絶滅レコーズ https://x.com/nerukikai のアカウントにて受け付けております。
【参加者さんのX(旧Twitter)公開リスト】 https://x.com/i/lists/1834076256050294910
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INTERVIEW: アルバート・ハモンドJrが語る人生の転機、ザ・ストロークスとフジロックの記憶 (Rolling Stone Japan)
Hiroko Shintani |2023/07/05 18:10
This interview is solely in Japanese. For an English-translated version of the website: click here Please note, the translation may not be not entirely accurate.
For archival purposes, full text is stored below.
ザ・ストロークス(The Strokes)のフジロック出演を前に、メンバーの中でもひと際ソロ活動に情熱を傾けてきたアルバート・ハモンドJr(Albert Hammond Jr.)が、5枚目のアルバム『Melodies On Hiatus』を送り出す。計19曲��及ぶダブル・アルバムにして、ラッパーのゴールドリンクを始めとする多数のゲストの参加など新しい試みを積み重ねた本作を、「自分の人生そのもの」と位置付ける彼。輝かしいメロディが生きた時間の重みを颯爽と運ぶ、そんな会心作のメイキングを辿りつつ、ザ・ストロークスのレガシーについてもフランクに語ってくれた。
溢れるメロディ、新たな試み
―前作『Francis Trouble』を2018年に発表してからの5年間に、世界はパンデミックに見舞われる一方、あなた自身にも色んなことが起きました。父親になり、そして生まれ故郷のLAに戻ったんですよね。
アルバート:そうなんだよ。ただ『Melodies On Hiatus』には引っ越す前に着手していて、『Francis Trouble』とザ・ストロークスの『The New Abnormal』(2020年)を完成させると、すぐに新たな曲作りを始めた。そのセッションのためにニューヨークとLAの間を行ったり来たりした挙句に、2019年8月に正式に引っ越したんだ。それまで21年間ニューヨークで過ごしたわけだけど、思えば本当に忙しくて旅ばかりしていたんだよね。で、長いツアーを終えて都会の真ん中に帰ってきてもちっとも休養できないから、一時はニューヨーク州の北部の田舎に移り住んだ。実際、自然豊かな素晴らしい場所で、今もあの生活は懐かしいよ。ただ、空港から遠かったりしていいことばかりじゃないし、かといってマンハッタンに戻る気はさらさらなかった。マンハッタンで充分な広さの家を借りれるほどの金持ちじゃないから(笑)。で、ソロ活動に関してはマネージャーもバンドもみんなLA在住で、妻の友達も大勢いるし、こっちで過ごす時間がどんどん長くなって、生まれ故郷だからこそ今まで抵抗を感じていたのに、ここにきてエキサイティングに思えるようになったんだよ。大いに活力を与えてくれる場所だし、ライフスタイルもしっくりくる。俺は体を動かしたりするのが大好きだから、そういう意味でもLAが合っているんだろうね。
―2019年に着手したとしたら、本作は完成まで随分時間がかかりましたが、当初からダブル・アルバムを想定していたんですか?
アルバート:��や、そういうわけじゃなくて、とにかく次から次へと曲が出来て、20曲のデモが手元に揃った時点でようやくストップした。まだインストの状態だったから、20曲分の歌詞をこれから書かなきゃいけないってことにふと気付いたんだ、「まずいぞ」ってね(笑)。ただ今回はデモのヴァイブがすごく良くて、「デモのままにするっていうのはどうかな」と思い付いた。デモを元にバンドとレコーディングし直すのではなく、逆にバンドを解体すると言うか。ドラムマシーンを使って、主にコリン・キラレア(前作にも参加したマルチ・インストゥルメンタリスト、今回もギターやベースを担当)とふたりでプレイした原型の状態に留めておいて。
―そうだったんですね。興味深いのは『Melodies On Hiatus』(メロディは休止中)というタイトルです。今まで以上に素晴らしいメロディに溢れたアルバムだけに、全くもって矛盾していますよ。
アルバート:うん、その通りだ(笑)。
―なんでまたこんなタイトルに?
アルバート:曲が全部完成する前に、かなり早い段階でタイトルを決めてしまったんだよ。良くも悪くも俺は直感で決断を下すタイプの人間で、「これはいいな」と感じたら即決する。あれこれ調べたり、考え込んだりするのは好きじゃない。で、ある日“melodies of hiatus”という言葉がふと頭に思い浮かんで、“カッコいいタイトルじゃん”って思った。誰かがしばらく姿を消していた、というようなイメージに惹かれたんだよ。それにさっきも言ったように、今回はアルバム制作のプロセスそのものを再考して、バンドの解体に取り組んでいたから、「従来の音楽作りの方法に別れを告げるにはピッタリかもしれない」と思った。
でも、うん、今となってはバカげたタイトルだと自分でもわかってる(笑)。だって、メロディこそは俺がハマっているドラッグであり、メロディとリズムとハーモニーをどうバランス良く絡み合わせるかっていうことを追求し続けているわけだからね。例えば、ジャムでカッコいい音を鳴らすバンドを観ているのは楽しいんだけど、これでもか!ってテンション満々に圧しまくるのなら、どこかでそのテンションを緩めて解放してくれないと、聞き続けるのが辛くなる。俺の場合、テンションとリリースの反復を追い求めているところがあるんだ。だからこそメロディを諦めちゃったかのような印象を与えるタイトルにするなんて、笑える話だよね。俺の魂が休暇を取ってどこかに行ってしまったみたいな(笑)。
コラボレーションの収穫
―他方で、もうひとつぜひ伺いたかったのが、共作者のシンガーソングライター、サイモン・���ィルコックスのことです。全面的に共作者を迎えるのは初めてですが、今までの歌詞の出来に不満があったんですか?
アルバート:そんなことはないよ。共作は過去にもやっているし、今回はやっぱり曲数が多過ぎて、歌詞を書く段になって途方に暮れていた。そもそも俺にとって歌詞の優先順序は低くて、音と言葉が合致するのが理想ではあるけど、音こそ自分に響く部分なんだよ。若い頃からそうだった。音楽を聴いていて、そのミュージシャンが何を歌っているのかってことにはあまり興味を抱かなかった。というか、完全に音と言葉が合致している時は、ある意味で言葉を意識しない。音に溶け込んで流れていて、それって素晴らしいと思う。そしてじっくりと耳を傾けてみると、「へえ、面白いことを歌っているな」と驚かされたりするんだよ。だから歌詞は重要だし、軽んじているわけじゃない。俺の強みは別のところにあるというだけ。タイトルとか、決め手になる1行を思い付いたりすることは自然にこなせる。例えば「Old Man」を書いた時は、最初にボイスメモでメロディを録音した時に、ふと“My old man”という言葉が口をついて出た。そういうのは得意なんだ。
ただ、20曲分の歌詞を書くとなると話は別で、当初は5〜6人の友人に声をかけて手分けして共作しようと企んだものの、うまく行かなかった。その後サイモンと出会って、自分はまさしくこういう人を求めていたんだと確信したよ。昔から共作された音楽を聴くのが好きで、クリエイティブなことは何でもコラボレーションによって成立すると考えていたしね。サイモンみたいに、俺が言いたいことを深いレベルで理解して、自分とは対照的な立場からバランスをとってくれる人と巡り合えて、本当にうれしかった。
―具体的にはどんな風に作業を進めたんですか?
アルバート:さっき「Old Man」を例に説明したように、俺はデモを作る時に、必ず適当な言葉を口ずさんでいるんだよ。その状態でサイモンに聞いてもらった。だから言うなれば、自分自身を非常に粗削りな形で彼女に提示したわけだ。そしてふたりで長い時間をかけてじっくり話して、サイモンはその会話を踏まえて、デモに載っている言葉の周囲に独自の世界を構築してくれた。これらの曲を聴いていると、彼女が僕に向かって語り掛けているかのような気分になる。すごく興味深いよ。
―そして、作詞の作業を他人に委ねたにもかかわらず、結果的には「自分の人生そのもの」と評するくらいにパーソナルなアルバムになったわけですね。
アルバート:うん。このアルバムって、子どもの時にキンクスのベスト盤を聴いていた感覚に重なるんだ。60年代後半から70年代を経て80年代にかけてのバンドの歩みを辿っていて、その間に起きる変化がすごく好きなんだよね。それとどこか近いものがあるように感じる。自分が今までに聴いてきた様々な音楽を網羅しているというか。じゃあ果たしてそれを意図していたのかと問われれば、俺にはわからない。
何かをクリエイトしている時、楽器をプレイして曲を形作っていく時には、色んな段階を踏むよね。例えばひとつの小さなアイデアを直感を頼りに膨らませていく最初の段階では、とにかくこう、砂場に飛び込むようにして遊びまくるのが得策なんだ。バカげたことを試したら、たまたまクールなものが生まれて、それがさらにシリアスなものへ進化するかもしれない。あれこれ手を尽くして、自分をビックリさせるようなことをやろうとするものだし、そこに計画性はない。俺はいつも曲を書いてボイスメモに録り貯めていて、中にはいい出来の曲も、まあまあの出来の曲もある。そして数カ月経った頃にまとめて聴き直して、「これは可能性がありそうだ」と感じる曲を絞り込んで、手を加えるんだよ。結局いじり過ぎてフランケンシュタインみたいな代物になることもあるけど、とにかくマッド・サイエンティスト的に、自分が何をやっているのかわからないまま精一杯取り組むしかないし、最終的にどこに辿り着くのかわからないんだよ。
―じゃあ、ふたりで書いた歌詞の中で、一番心に刺さったものを選んでもらうというのは難し過ぎるでしょうか?
アルバート:そりゃ大変だ。今歌詞を手元に用意するよ……えっと、まず「100‐99」の“I’m not safe/ I’ve made mistakes I would again/ In spite of what it cost me(俺は安泰じゃない/過ちを繰り返してきたし今後も繰り返すだろう/多くを犠牲にしたというのに)”はまさに、俺の人生の物語そのものだ。だから聴くたびに突き刺さるものがある。それに、ごくシンプルな1行がぐっとくるんだよね。例えば「Libertude」の“I’ve been alone for such a long time(長いあいだ俺は独りぼっちだった)”だったりね。言葉だけを切り取るとどうってことないかもしれないけど、メロディを伴った時にどんな印象を与えるか、曲のどのタイミングにその言葉が配置されているか、その言葉が何を解き放つのか、そういった条件によって意味合いが変わって、すごくパワフルになる。あと、「False Alarm」の“We’ve both been shadows down the well(ふたりは井戸の奥底にある影だった)”も好きだし、「Never Stop」でサイモンが作り上げた物語も最高だよ。当初そのアイデアを聞かされて「なんだそりゃ」って思ったけど、好きに書いてもらった歌詞を読んだら、予想していたものと全く違って「最高じゃん!」と思った。
それから、レインズフォードことレイニー・クオリーがボーカルを担当した「Alright Tomorrow」は、声域が足りないから絶対に自分では歌えないとわかっていながら書いた曲でね。だからこそ、ララバイみたいな内容の歌詞を彼女が歌ってくれるのを聴いていて、すごく心に沁みた。“明日になればなんとかなる”と、まるで俺に言い聞かせているみたいで。以前から、“何があろうと構わない、明日になればなんとかなる”と言ってみたかったけど、自分ではなかなか書けなかったんだよ。ほかにもあちこちに、話しかけられているかのように感じる言葉があって、サイモンがそう意図したのかどうか分からないけど、「Darlin’」の““I needed you to be the edge I hold onto/ Cause its far to fall, when I been feeling small(お前には俺が掴まれる崖っぷちになってほしかった/自信を失っている時は深い場所まで落ちてしまうから)”もそうだね。歌詞を書き終えるまで実際に会うこともしなかったし、初めてコラボしたというのに、不思議な話だよ。クリエイティブな意味で、お互いを必要としていた時期に知り合う機会に恵まれたんだろうな。次は、ふたりでほかのアーティストに曲を提供しようっていう話もあるし、ここにきてまたひとつ、素晴らしい人間関係が俺の人生に加わったよ。
ザ・ストロークスのレガシーへの想い
―ゲストについても気になる名前が並んでいますが、特に豪華なのが「Thoughtful Distress」であなたが集めた、世代をクロスオーバーするスーパーグループです。80年代に数々の名曲にフィーチャーされた名ギタリストのスティーヴ・スティーヴンス、アークティック・モンキーズのマット・ヘルダーズ、最近はパニック!アット・ザ・ディスコやインキュバスでプレイしている辣腕ベーシストのニコール・ロウが参加していますね。
アルバート:本当にクールなメンツだよね。こういったことは得てして、オーガニックに実現するんだ。そもそも「Thoughtful Distress」は前作のために作った曲のひとつで、なんで復活させようと思ったのか自分でもよくわからない(笑)。ただすごく気に入っている箇所があったから、逆に気に入らない箇所をカットしてみたら、残った芯の部分は捨てたもんじゃなかった。それでタイラー・パークフォード(ミニ・マンションズのキーボード奏者兼シンガー)と一緒に改めて肉付けしたんだ。で、どういうわけか、この曲はデモっぽくするんじゃなくてバンド形態でレコーディングしようと決めて、仲がいいマットに声をかけて、すでにほかの曲に参加してもらってウマが合ったニコールにも参加してもらった。スティーヴがギターを弾いてくれた経緯の記憶は定かじゃないけど、Instagramでフォローし合っていて知り合った気がする。連絡してみたらぜひやりたいって言ってくれたよ。さすがに畏れ多い人だから、まずはニコールとマットを交えて方向性を固めてから、スタジオに来てもらったけど(笑)。
―アークティック・モンキーズは言うまでもなく、ザ・ストロークスにインスパイアされて結成された数多くの���ンドの一組です。昨年発表の最新作『The Car』での「Star Treatment」でアレックス・ターナーは“I just wanted to be one of The Strokes”と歌ったりもしていますが、例えばラジオを聴いていて、「俺らに影響されたのかな?」と感じることは結構あるんじゃないですか?
アルバート:もちろんあるよ。「この曲聴いてみなよ、すごくザ・ストロークスっぽいから」って友達がよく教えてくれるし、それは最近始まったことじゃない。メンバーが集まる時にも、雑談をしていて「〇〇のあの曲聴いた?」って話になることが多いんだ。例えば去年はハリー・スタイルズの「As It Was」が話題に上って、「ドラムビートが『Hard To Explain』にそっくりだよね」ってみんなで話していたっけ。「ザ・ストロークスの曲をポップ化したみたいな感じじゃない?」と。とはいえ俺は、マジになって自分たちがやってきたことを振り返って感慨に浸るようなタイプの人間じゃないし、そういう曲を聴くとただ笑えるっていうか。それにアークティック・モンキーズに関しては単純に素晴らしいバンドだし、彼らが音楽をやりたいと思ったきっかけに、何らかの形で俺らが寄与したのであれば本当にうれしい。「あー。ちょっと待った、俺たちを引き合いに出すなよー」って言いたくなるバンドじゃなくて、アークティック・モンキーズで良かったよ(笑)。
―そして7月にはフジロックのヘッドライナーとして、ザ・ストロークスで日本に戻ってきてくれますね。ソロとしても2018年に出演していますが、過去のフジ体験を振り返って、何か印象に残っていることはありますか?
アルバート:ソロで行った時のほうが思い出が鮮明だと言ったら誤解を招くかもしれないけど、やっぱりザ・ストロークスは前回の2006年もヘッドライナーだったから、大勢で移動して、直前に会場に入って、プレイして、終わったらすぐ帰るという感じで、フェスそのものをあまり楽しめなかったんだ。唯一覚えているのは、ザ・ラカンターズが同じ日に出演して、ジャック・ホワイトとバッタリ会ったことかな。あれは楽しかったね。
その点、ソロの時はもっと余裕があって、苗場で一泊したんだよ。前日に行ってホテルに泊まって、翌朝から会場を歩き回って楽しんで、自分のライブをやって、ポスト・マローンと知り合って、ザ・ストロークスの大ファンだと聞かされたよ(笑)。だからと言って、ソロで行くほうがいいというわけじゃないんだ。バンドでも等しくエキサイティングだし、そもそも日本に行くこと、日本でプレイすることは大好きだから、毎回うれしくてたまらない。今回も俺は早めに行って、2〜3日ゆっくり日本で過ごすつもりだから、すごく楽しみにしているよ。
―ザ・ストロークスの新作についても伺っておきたいんですが、リック・ルービンが、昨年コスタリカでセッションを行なったことを明かしました。その後進捗はありましたか?
アルバート:えっと、その件については、何か隠してると思われかねないけど、現時点ではリックの発言にプラスできることは無いかな。
―わかりました。ちなみにザ・ストロークスのデビュー作『Is This It』のリリース20周年にあたる2021年頃から、盛んにあの時代��回顧する論評なんかが見られましたよね。ギターロックの最後の黄金時代と見做す人も多いようですが、当事者のあなたから見て理想化され過ぎていると感じますか?
アルバート:うーん、そもそも人間って、過去に起きたことは全て理想化しちゃうものだよね。過去はすなわち自分の青春時代であって、人々が言ってることが「理想化」に該当するのか、実際に素晴らしい時代だったのか、俺には何とも言えないな。みんなそれぞれ違う体験をしているから。それに人間は誰しも、20歳の自分に戻りたいと思うものだろ?「こんなことをやったな」「あんなこともやったな」と懐かしむのは無理もないことだし。
そして俺自身、もちろん時代の真っ只中にいた記憶はある。でも、バンド活動をするなら今のほうが遥かに状況はいいと思うよ。俺らが活動を始めた頃のシーンは最悪だったからね。ゴミ溜めみたいな海を泳いで、そこら中に浮いてるクソをかき分けながら必死になって水面に浮かび上がったんだ(笑)。全然楽しいとかクールとかっていうものじゃなかったし、今のほうがずっとカッコいいロックバンドが多い。そして聴き手も、アーティストたちとすごく緊密なコネクションを確立できているよね。それって昔はなかったことだし、今と違うからこそ昔を懐かしむのかもしれない。20年後にはきっと、今の時代を理想化しているんだろうね(笑)。
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『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』公開決定
伝説的ナイトクラブ、マクシズ・カンザス・シティの歴史を綴った初のドキュメンタリー!!
世界の音楽やファッションなど、あらゆる芸術と文化に強烈なインパクトを与え、またヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ニューヨーク・ドールズの拠点であり、NYパンク・ロックシーンを生み出したことでも知られる伝説的ナイトクラブ、マクシズ・カンザス・シティ(1965-1981)。
本作『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』はこのクラブの歴史を綴った初のドキュメンタリー作品である。かのCBGBより8年ほど歴史は古く、芸術家、作家、俳優、ミュージシャンなど文化人の社���場でもあったこの店は、アンディ・ウォーホルと彼の取り巻きたちが集い、デヴィッド・ボウイとイギー・ポップ、ルー・リードが同じテーブルを囲み、ジョン・レノンやミック・ジャガーらも度々訪れ、ピストルズ解散後のシドもステージに立った場所。
マクシズ・カンザス・シティの成り立ちから終焉までの全軌跡を、本作で初公開となる映像やエピソードの数々を交えながら、当時を肌で経験したスターたちが振り返る歴史的にも稀少な映像作品である。
「音楽のムーブメントには、必ず発祥の地がある」 ソウル・ミュージックがポピュラーになったのは1960年代のデトロイトであるし、ヒッピーとヘッド・ミュージックは、スピリチュアルの総本山サンフランシスコを中心とした西海岸で進化をとげた。パンクという名で知られるようになった音楽のルーツはニューヨーク、特にダウンタウンのナイトクラブ「マクシズ・カンザス・シティ」にあると、断言してもいいだろう。 ルー・リードは、ロックンロールのリリックスへの新たなアプローチを打ち出し、70年代冒頭にマクシズのハウスバンドのような存在となる“ヴェルヴェット・アンダーグラウンド”でそれを結実させた。同時代に登場した“ニューヨーク・ドールズ”もまた重要な意味を持つバンドで、マーサ・アーツセンター崩壊後は彼らもマクシズを拠点とした。 アメリカのとある一角で、ヴェルヴェッツとドールズがパンクの道を切り開いた。 それを可能にしたのがこの、パークアヴェニューサウスにあるマクシズ・カンザス・シティである。ここで生まれたムーブメントは後に続くポピュラー音楽の波に変化を与え、そして今もなお、影響を与え続けている。 これはパンクが生まれた物語であり、それを生み出したナイトクラブの物語である。 (ジミ・ラルミア)
本作は、ニューヨークで最もクールで影響力のあるナイトクラブ“マクシズ・カンザス・シティ”の15年以上にわたる歴史を記録した、ダニー・ガルシアによる新たな形のドキュメンタリー映画である。
1965年から1981年まで、マクシズはアンディ・ウォーホルと彼の取り巻きをはじめ、マンハッタンとその周辺に住むアーテイストたちの格好の集いの場となった。画家、作家、詩人、俳優、映画監督、ミュージシャン、モデル…ドラッグ・ディーラーや売春婦までもが、ウォーホルが鎮座するかの有名な“楽屋”に集っていた。この店のオーナー、ミッキー・ラスキンはひよこ豆とボウルに山盛りになったサラダを提供し、食えないアーティストの多くはそれで飢えをしのいでいた。 「サラダにはよく虫が混じっていたけれど」ウォーホルのスーパースターの一人で1968年からこの店のレギュラーであったルビー・リンは振り返る。ペニー・アーケードもまた、68年の半ばに、ジャッキー・カーティスと一緒にフリーフードを狙って通い始めたという。
「ドラァグクイーンが欲しがるものといえば、タダ飯だから」 マクシズはニューヨークのLGTBコミュニティにとって安全な場所であっただけでなく、世界初のトランスセクシャルDJウェイン・カウンティ(現ジェーン・カウンティ)が2階の小さな部屋で60年代のレコードを回していたことでも有名である。 店の常連だったドアーズの広報担当兼ストゥージズのマネージャー、ダニー・フィールズはミッキー���バンドのライヴ演奏を提案し、やがてヴェルヴェット・アンダーグラウンドやストゥージーズ、アリス・クーパーらが2階のステージに立ち始める。その後Suicide、ニューヨーク・ドールズと続き、マクシズは次世代ミュージシャンの革命的拠点となるのである。パンク・ロックと70年代のニューヨーク・ロック・シーンの誕生である。 「本当に多様なだった」とエリオット・マーフィーは語る。「フォークシンガーもいたし、アーロ・ガスリーやジョン・フェイヒーもいて、俺もそこにいたんだ」。 マーフィーも友人のブルース・スプリングスティーンとともにマクシズのステージに立ち、大手契約を結んだ。同じくエアロスミスも、マクシズでのステージをCBSのトップであったクライヴ・デイヴィスが気に入り、その年にレコード契約に至ったのである。
74年の終わり、ミッキーは負債を抱えそのままマクシズを閉店してしまったが、トミー・ディーンとその妻ローラが、すでに知名度が高かったこの店を引き継いで再オープンさせた。 新しい経営者のもと、2階の部屋は拡大され、ブッカーのピーター・クローリーの目利きにより、マクシズは再びニューヨーク・ロックのメッカとなった。 70年代半ばにはバワリーの新しいスポットCBGBが台頭してくるが、映画の中でエリオット・マーフィーは、CBGBが嫌いだったと語る。「ゴミ溜めみたいな場所だった。マクシズは好きだったよ」。
ドールズの終焉後、新世代のアーティストたちがマクシズ・カンサス・シティとCBGBのステージを奪い合い、そして歴史を積み上げていく。 ブロンディ、ラモーンズ、トーキング・ヘッズ、テレビジョン、パティ・スミス、ハートブレーカーズ、クランプス、ウェイン・カウンティ、バックストリート・ボーイズ、デッドボーイズなどは氷山の一角に過ぎず、その下には何百ものバンドが毎晩両クラブのヘッドライナーとサポートの地位を巡り、知名度とレコード契約を求めて戦っていた。 いつの時代もそうであるように、多くの者は敗れて散ったけれども、70年代はニューヨークで歴史が作られたのである。エリオット・マーフィーは回想する。「あの時は黄金時代だった」まさにその通りだった。 「1981年になるとシーンはかなり悪化していた」とジェシー・マリンは語る。ネオン・レオンは「シーンを殺した���はシドとナンシーの死だ」と言う。 81年にはマクシズでスティミュレーター、ミスフィッツ、バッド・ブレインズ、ハート・アタック、レーガン・ユースといったバンドによりハードコア・シーンが始まり、さらにドールズとラモーンズが積み上げた歴史を塗り替える新しいバンドの波が押し寄せてきていた。
マクシズの終わり方は、あまりにもシビアで突拍子もなく、すべてを語ることに躊躇するほどだが、トミー・ディーンとローラ、アトランティックシティ、コカイン、そして偽ドル札が関わっているとだけ述べておこう。 このドキュメンタリーで綴られるこの一連の軌跡、こんな最高にクールなナイトクラブがどのようにして出来上がっていったのか、そしてどのような終焉を迎えることとなったのか、それは知っておくべき歴史のひとつであることは間違いない。
4.29(土)新宿K’s cinemaにて公開 全国順次上映
『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』 (2022年/スペイン/英語/89分/カラー・モノクロ/16:9) 監督:ダニー・ガルシア(『Looking for Johnny ジョニー・サンダースの軌跡』『Sad Vacation ラストデイズ・オブ・シド&ナンシー』)
<出演> アリス・クーパー、ジェーン・カウンティ(ウェイン・カウンティ)、ビリー���アイドル、シルヴェイン・シルヴェイン(New York Dolls)、ルビー・リン・レイナー(Ruby & The Rednecks)、エリオット・マーフィー、アラン・ヴェガ(Suiside)、スティーヴ・スティーヴンス、ペニー・アーケード、ジミー・ゼロ(The Dead Boys)、レニー・ケイ(Patti Smith Group)、ハーレイ・フラナガン(Cro-Mags/Stimulators)、ニック・マーデン(Stimulators)、フランク・インファンテ(Blondie)、ジェイ・ジェイ・フレンチ(Twisted Sister)、ジェシー・マリン(D Generation/Heart Attack)、ソニー・ヴィンセント(Testors)ドクター・ノウ(Bad Brains)、H.R.(Bad Brains)、ミッキー・リー(Mutated Music/The Rattlers)、ジョン・ホルムストロム、ボブ・グルーエン、マーティ・ソウ、ピーター・クローリー、ジミ・ラルミア and more
配給・宣伝:CURIOUSCOPE
© Chip Baker Films / Dudeski Ltd.
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【#oricon 】北村匠海がクズになる?!衝撃展開の予感に満ちた特報映像! 映画『 悪い夏』
https://www.youtube.com/watch?v=OFFfwMNJMlA 北村匠海がクズになる?!衝撃展開の予感に満ちた特報映像! 映画『悪い夏』 映画『悪い夏』が2025年3月20日より全国公開される。原作は、第37回横溝正史ミステリ大賞優秀賞を受賞した染井為人のデビュー作「悪い夏」。真面目に働いていた市役所勤務の公務員・佐々木が、ふとしたきっかけでとんでもない犯罪行為に巻き込まれていく姿を描いた本作は、育児放棄寸前のシングルマザー、彼女を揺すり肉体関係を迫る公務員、裏社会の住人、生活保護の不正受給をするドラッグの売人など「クズとワルしか出てこない」と話題を呼び、累計18万部以上を売り上げる傑作小説だ。監督は田中圭、磯村勇斗、山田裕貴ら実力派の人気俳優たちを主演に迎え、数多くの傑作を作り上げてきた鬼才・城定秀夫。脚本は『ある男』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した俊英…
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フェイスの地域に進出。
花畑が。これは…ドラッグ…? なんかふわふわしてる。バーナーをぶん回しても火がつかないので火炎瓶投げたら燃えた。ジョンの地域はサイロを吹き飛ばしたしフェイスの地域はこれだろ!と思ったけどなんか特に何も起きなかった。
お化け屋敷みたいなプレッパーの宝を手に入れる。何でこんな演出?
刑務所に行く前に仲間を増やしたい。
火炎放射器男を仲間に!
この地域は煙モワモワで撃ってもすぐ倒れてくれない人が多くて困る…
というかここ、フェイスのキラキラした幻覚が見えてウザい。
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The Substance
written and dir, by Coralie Fargeat
2024年9月26日 BFI NFT3
フランスのコラリー・ファルジャの新作。第77回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。ハリウッドでかつて一世を風靡した女優エリザベス(デミ・ムーア)が50歳になったことでTV番組を降板させられたことをきっかけに、「よりよい、美しい、完璧なヴァージョンの自分(マーガレット・クアリー)」を生み出すドラッグに手を出すのだが。
人間の心のスキマに入り込む誘惑と利益享受の条件、度々繰り返される警告といったクラシックな寓話のパターンに則りつつも、大胆で印象的なプロダクトデザイン、先日のパリ五輪の開会式にも通じる過剰なキッチュさ、ラファーティによる不安を煽るエレクトロサウンド(ほんと最近こういうの増えたな!)といった作り込んだディテール、ファルジャ自身も携わっているテンポの良い編集、ムーア、クアリーと、嫌悪感を煽るTVプロデューサー、ハーヴェイ(この名前絶対狙ってるだろ)を演じるデニス・クエイドの三者の、カリカチュアでありながらぞわりとするリアルさのある演技が最高にオシャレで最高にゴアなブラックコメディ/サタイア/ボディホラーを作り上げている。
古典の文脈で解釈するとサタイアの対象は若さに固執するセレブとそれを取り巻くエンタメ界の文化となるわけだが、エリザベスがタワマンの窓から若いヴァージョンの「自分」であるスーの巨大なビルボードを目にするシーンで、我々もまた「より美しいヴァージョンの自分という可能性」を商業的な目的で煽る広告に日々追い詰められている立場にあることに気付かされる。この作品では特に女性に対する圧力を差別的なプロデューサーやその取り巻き、ワンチャン狙いの隣人といった男性を通して描いているのだが、実際のところ現代においては男性においても同様の圧力がかけられていると解釈してよいだろう。現にエリザベスにサ��スタンスについて紹介するのは男性である。と同時に、エリザベスの50歳という年齢と監督自身が近いこと、それと最後のシークエンスを考慮すると、ひょっとすると更年期に対する不安と恐怖も込められているかもしれない。少なくとも、今後は年齢を経るごとに皮膚がビニールのようになっていく有名人や不老不死を追求する大金持ちのことをあまり笑わないようにしようと思った。
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今日のおはジャズは「At Large」Stan Getz '60
このアルバム2枚組で、CDも含め兎に角高いのです。全く手が出なかったのですが、漸くヤフオクでUS盤LPを安く(クーポンも使えた)買えました。
メンツがジャケットに書いてないので、自分の為に記しておきます。
Stan Getz - tenor saxophone
Jan Johansson - piano
Daniel Jordan - bass
William Schiopffe - drums
ゲッツの妻モニカの出産のためにコペンハーゲンに移住してた頃の録音。この後、withストリングスの「Cool Velvet」、そして帰米して「Focus」と続きます。コペンハーゲンでの生活は充実して円満だったみたいで、そのせいか、このアルバムものんびりしたゆっくり目の曲ばかりです。いい意味でリラックス出来るアルバム、悪い意味でカッタルい(笑) バックのメンバーはあくまで「そつなく」演奏してる…って印象。ピアノのヨハンソンはエバンスの影響も感じるし、もっとトンガったプレイも出来そう。でも、ゲッツの隅々まで隙のない歌い込むサックスを聴きたい僕には良いアルバムです。特にアル・コーンの名曲「Amour」なんてのが入ってますし、ゲッツのこの頃の演奏が一番好きですしね。
しかし、そのゲッツも、遠い地で母国のジャズシーンの数々の革命を伝え聞くうちに「オレもいっちょやったるで!」となり、帰国し、ヴィレッジ・ゲイトのライブでは別人の様に吹きまくり、その後ボサノバで大ヒットを飛ばし、フュージョンやったりしながら常にトップの座をキープし続けます。でも、相変わらず上手いんだけど、帰国後暫く経ってからの演奏って荒っぽくて、この時代程好きではないのです。やはりコルトレーンとか意識しちゃってるのかなと。
名作を次々生み出すのと引き換えに、プライベートではモニカとの関係が悪化して行ったり、家庭内暴力やドラッグや酒や鬱病の問題が次々と起こるわけで、トップに君臨し続ける苦しみを感じます。自分なら迷わず、コペンハーゲンで美人の奥さんとのんびり過ごす…の一択ですね(笑) まぁ、ゲッツも晩年に向け、また歌心の有るスタイルに戻って行くのですが。
このアルバムはKildevælds Churchという教会で録音された様です。ライブとありますが無観客だと思われます。盤質もそこそこ良く、デンマーク制作の様なので、録音は良いと思うのですが、なんか当時のVerbeらしい若干の薄っぺらさを感じるのですがマスタリングのせいなんでしょうか。もしかしたらCDの方が良かったのかも…なんて思ってしまいます。
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「英国のナイトライフが閉鎖される理由 - その魔法と厄介な栄光のすべてを携えて」(ジョン・ハリス)
英国では、何百万人もの人々が、夜間の社交、快楽主義、騒音を深く愛しているようだ。しかし、クラブや音楽施設の閉鎖が加速しているという極めて深刻な理由によって、私たちの文化の基本的な部分が失われつつあるのかもしれない。特に夜間に不安な静けさが漂い始めている。
ライブハウスとクラブを区別するものは不明確なことが多いが、後者はさらに悲惨な苦境に立たされている。昨年8月、英国ではわずか3年間でクラブの3分の1が失われたと報じられたが、これは再びパンデミックに関連したことであると同時に、都市がどのように変化しているか、そして数十年前にさかのぼる文化的俗物性と敵対心とも結びついている。それを証明するかのように、先週の予算には劇場やオーケストラへの援助が含まれていたが、英国の近年の文化史の大部分を決定づけたダンスフロアは、どうやらまだ埒外にあるようだ。
ここで失われつつあるのは、英国で最も成功している輸出産業のひとつであるこの業界の種苗に関する部分である。メインストリームの音楽ビジネス関係者の中には、クラブや会場でネクスト・ビッグ・シングを発掘するというのは、今や絶望的に古臭い考え方であり、才能はインスタグラムやTikTokで見つかる可能性の方が高いと考える人もいるようだ。しかし、小さな観客の前で演奏することで、ミュージシャンに演出の技術を教え、自分という人間を発見させることができることを否定するものではない。
しかし、根本的には、この物語は日常生活についてであり、���たちが楽しみのために確保した時間を、有名人でない人々がどう過ごすかについてである。私の経験では、アリーナで音楽を楽しもうとするのは、大抵の場合、非常に不満足な試みである。必要な自己投影スキルを持つバンドや歌手は少数だが、このような洞窟のような環境に対応できないバンドや歌手があまりにも多い。しかし、観客にとっては、このような空間での一夜は、余暇の時間が事前に予約され、正確に割り当てられ、不具合もなく提供されるという現代の流れに沿ったものである。
それとは対照的に、クラブや草の根的な会場で過ごす最高の夜は、偶然の産物であることが多い。無名のバンドが駄作かもしれないし、天才的な才能に溢れているかもしれない。もし彼らが2つ目のチェックボックスにチェックを入れ、もう一度見に行くなら、あなたは初期のファンたちの急成長するコミュニティの中心にいるかもしれない。小さな会場のステージ前やダンスフロアの渦の中で、会話が新たな友情につながるかもしれない。どちらの場合でも、他の人間との距離が近いということは、しばしば私たちを自分自身から引き離し、知らなかった経験へと導い��くれる何かがある。
そんなことに興味を持つ人がまだいるだろうか?特に40代以下の人々の生活費は、これまで安かった夜の外出を法外に高くしているのは間違いない。しかし、もっと深いところで変化が起きているのかもしれない。すべてをスケジュール化し、管理し、特に恐ろしい現代語を使えば、管理しやすくすることを望むテクノロジー中心の頭脳によってデザインされた社会生活を、私たちは受け入れてしまう危険性があるのではないかと思うことがある。
アルコールはますます流行遅れになりつつある。レクリエーション・ドラッグも同様だ。余裕のある人にとっては、都会暮らしの華やかな不協和音は、仕事の需要に合わせて静かにしなければならない。新しい人間関係は、偶然に見つけるよりも、スワイプで手に入れたほうがいい。21世紀の天国とは、180ポンドのテイラー・スウィフトのチケットと、その後にぐっすり眠れることなのかもしれない。
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プリーズ・キル・ミー 1
ずっとずっと欲しい物リストに入れていたこの本やっと買いました。こういう本を買う時というのは自分に気合いを入れたい時であり、自分のやってきたことはまちがってないと信じたい時です。まさに今いろんな理由でそのような状態になっているので、いつまでも欲しい物リストを温めていてもしょうがないんじゃない、ポチるとき来たんじゃないと思いました。
そして早速、今週はやることいろいろあるのですがずーっと読んじゃってます。私は読むの結構早いのです。全部読んでから感想をまとめるのは大変なのでやめにして、読みながら、かつ写真がないのでググりながら書いていきます。
プロローグ:
60年代ファクトリーマニアの私には実家のような、アンディ・ウォーホルやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ドラグ・クイーンたちによるアンダーグラウンド演劇のエピソード。この本はあくまで音楽としてのパンクの歴史を辿るものなので、ミュージシャンでもなければパンク的な思考でもないイーディ・セジウィックの扱いは悪い!そのかわり、ニコは神話から抜け出てきたような絶世の美女として崇められています。人柄は褒められたものではないけど、とにかくいるだけで空気が変わりみんなが注目し…といった絶賛ぶり。この本のインタビューは80〜90年代に行われたもののようですが、ポール・モリッシーの崇拝ぶり60年代から変わってないじゃん…実際にニコと暮らしたロニー・カトロンは彼女にはうんざり、という感じでしたが、基本的に一緒に暮らしたりしなければ崇拝し続けられるんだなと思いました。性病持ってるし…
そしてほとんどの人からいつも、どんな映画や本でもその人柄を悪く言われているルー・リードはここでも嫉妬深いだの意地悪だのなんだのと見た目と才能以外は散々ですが、贔屓目に見て性格は悪くて気難しくても、ルーの言うことはまちがってないと私は思いました。それとウルトラ・ヴァイオレットが自分はフェミニストじゃないけど、と言いつつヴァレリー・ソラニスの主張にも一理あると言っていたのがなんかちょっと嬉しかった。ウルトラはやっぱりいいな。
エド・サンダースという人のコメントが気に入りました。小金持ちは家に帰ることができるけど、そうじゃない者たちがパンクになるという話。
第一部 I wanna be your dog:
文学的なロックとしてヴェルヴェッツよりも商業的に成功したドアーズのエピソードから始まりますが、ジム・モリソンのひどい言われよう。私はドアーズが特に好きでも嫌いでもないのですが、そこまで言ってやるなよジムはもう反論できないのだから。と思ってしまいました。
その後、舞台はデトロイトに移ります。ストゥージズとMC5の出会い〜結成〜などが書かれているのですが、私はどちらのバンドもあんまり好きじゃないのでちょっとダルかった。それでもイギーの発言にはキラリと光るユーモアがあり、彼を好きだと思う人がいるのもわかる程度にはなりました。イギーの近所に住むチンピラ兄弟アシュトン家の人々はイギーにふりまわされつつ、「んも〜!」とイギーについて行ってしまうような根っからのサポート気質で、とくに兄のロン・アシュトンにはだんだん愛着が湧いてきます。こういう人がいなければ物事は回らないんだな〜。
といっても、ニューヨークのヴェルヴェッツが演奏スタイル、ステージの演出、ダーティで文学的な歌詞などで注目を集めたのに対して、ストゥージズとMC5は派手で暴力的でトチ狂ったパフォーマンスで評価を受けるというよりは、アメリカ中西部の体力の有り余ったロクデナシに暴れる場所を提供しただけのようにも見えて、申し訳ないけどニューヨークとデトロイトはやっぱちょっとちがうねと思ってしまいました。
ひたすら過激なパフォーマンスや政治的なメッセージをぶちまけること、それらから引き出される観客の興奮や高揚というよりは暴動、暴動、また暴動。デトロイトは治安も悪く街全体が行き詰まってる感じ。MC5にはジョン・シンクレアといううさんくさい活動家兼詩人がついていて、バンドと彼らは共に暮らし共同体を目指します。男は武装、女はスカートも着られず家事にあけくれる毎日。こわ!MC5てこんなバンドだったんだ〜それは、私のアンテナに引っかからないわけだわぁ。というかそもそも、MC5を聞いてみた時ボーカルの声が好きじゃないなーと思ったのでスタイルとか抜きに向��てないのですが。どんな伝説のバンド・名曲・名盤と言われようと声が好きじゃないとどうにもならないのです。そののち、MC5はなんでジョン・シンクレアの言うこときいてたんだろ?と目が覚めるのですが、政治的なことはともかく彼らは田舎者という感じで好きになれませんでした。
この2バンドはとにかく暴れまくったエピソードばっかりであまり面白くなかった。イギー・ポップは存在感がありエネルギーの塊で、最高のクソッタレだ!(ロックとかパンクの話になるとこういう「奴はクソだよ。でも最高のクソだ。」みたいなセリフがよく出てくるのですが、ちょっと気恥ずかしくなります。私のボキャブラリーにはない言い回しだなと思います。たとえば私がルー・リードのような人を褒めようと思ったときに、こういう言い方はできないからです。)みたいな証言が続くのですが、ネグリジェに白塗りに割れたガラスの上を転がりまわって流血とかいった、ただただ奇抜なだけだとかドラッグの力を借りた奇行に私は何の価値もないと思います。イギーは一昔前に見かけた時、ライヴかフェスで観客を何十人もステージに上げて踊らせるという演出をしていました。私はこれを見るたびに自分の体力の消耗を最小限に抑えつつ、最大限に盛り上がってるように見せる姑息な手段だと思っていました。人数を増やせばイギーはそれほど派手に動かなくてすむしステージに上がったファンは嬉しいだろうし、まさに一挙両得なのですが、彼のことが好きではない、またフジロックの信者のようなタイプの人間が好きではない私にとっては俗にいうチベスナ顔になってしまうシーンでした。まだやってんのかなあれ。ハライチの澤部がまんまとあれを絶賛してたけど、私はハライチが好きじゃないのでやっぱりなーと思いました。この人好きじゃないなって思う人って、だいたい私の嫌いなものを好きだから、こういうのって99.9%当たるのです。多分みんなそうだと思います。なかには、パンクバンドなら全部好き、お笑い芸人なら全部認める、みたいな人もいますが、そういう人って心が広いっすね。パンクとかお笑いが好きというのは、それこそ多様性というかネガティヴな感情も持って当たり前だという、何かに対して嫌悪を持つことへの肯定、否定することへの肯定であると私は思うのですが、最近はパンクやお笑いでさえもラブアンドピース、エモい尊いといった感じなので、この本に書かれている時代から後退しているような気がします。この本の登場人物たちがさんざん、ヒッピーうざいと言って行動を起こしたのにもかかわらず。
(つづく)
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シノ鉄 at 神戸VARIT./滋賀B-FLAT/奈良NEVERLAND
あけましておめでとうございます!柚葵夜です!(クソ大遅刻) 今年もよろしくお願いします! さて、今回は先日(というか昨日も!)行ってきたシノ鉄レポです! 神戸と滋賀と奈良に行ってまいりました~。 ここまで日程と地域を被せてくれたの神すぎんか!?関西最高!(なお京都) ところで、レポ書くのはやいな~って思ったでしょ?私も思った。 なぜなら3月8日、9日でMSSPのライブに行ってくるからです!(バーン)(効果音) 記憶力ポンコツなので上書きされる前に書いちゃいます! なんなら今年は9月までは毎月ライブ参戦するぞ!?大丈夫なのか!? 唸れ私の脳味噌!(?) んじゃ、レポ行きまーす!(雑) (記憶違いはご愛敬!) ↓2/18 神戸VARIT.↓ しょっっぱなギターのピック忘れてくるって何!?!?!?????wwwwwww 描き下ろし新曲の真っ赤な(?)ダイナマイトってポートタワーから連想したんかな 風、花からのMilkTablet好きすぎ。 NeonBeautyもほんっと好き。 undoもおおおおおおおおおおお好きいいいいいいいいいい 8月3日と血みどろのスパゲッティ聞けたの嬉しかった……………! あと最近カバーされてた食べなくちゃも! 余計ケキボ欲しくなるよぉおおおおおん!!!!!! 帰ってからFCコンテンツ聞き直そ! 「あと34公演!?34公演かあ~~~~!!!(頭を抱える)」 頑張ってくださいね先生。 ハピバの歌歌えてよかったね先生(誕生日だった人おめでとうございます!) 「ライブ終わって捌けてからすぐシノ鉄で検索してっからね。まあ終わったばっかなんで何も出てこないんですけど…」 うーん、インターネットの住人。 あのさあ、シノダ先生が音楽始めてからのアレコレを言ってくださったあとの友達(ガラシさん)の話からのイメージは泣くって。ねえ。泣くってば。 あとあとあとあと、曲に入る前の語りがうますぎるから小説書きません? 食べなくちゃもNeon Beautyも!!!!!! 絶対1曲1本小説書けるから!!!!!! てかマジでエッセイ出してくださらない!?!?!?!??? エッセイ出してそしてまたサイン会して!!!!!!!! ハァーーーーーー。テノヒラ。ハァーーーーーー!!!!!!!!(クソデカ感情) サイン会のあの処刑感やばい。(言い方) 神戸が初めてのシノ鉄ってことと滋賀と奈良行くって事しか伝えられなかったけど頑張った方ですよねえ!?!???? 普段モブに徹している私にしては頑張ったよねえ!????? 神戸VARIT.で、IKIのアルバムに、サインもらえたこと自体がもう。緊急事態すぎる。 ああ、、、、、、、、(砂になって消え去っていく絵文字) ↓2/23 滋賀B-FLAT↓ ごっっめん椅子のおかげで腰痛くて全然覚えてないのと、 アンコのstrawberryで全部持ってかれたわ strawberryまじで好きなんですよ・・・・・ 何度でも言うけど、あんなんでなんな曲書けちゃうのズルくない!?(メチャクチャ褒めてる) ズルすぎるよぉ~~~~~!!!! 今日もハピバ歌えてよかったね先生(明後日誕生日の方おめでとうございます!) リーダーの曲にボヤいてんのちょっと面白かったな。 音が多すぎるとかなんとか……… でもそれが必要だったんだよなとか言っちゃって…………… なんなの………………泣かせないで……………… 温度差でオタク死んじゃう…………………… 友達(ガラシさん)の話からのイメージこれ毎回泣きそうになる。てか泣いちゃう。 良くない。良くないぞ。メイク崩れるからやめてもろて。 でもそういう話もっと聞かせて。 まえじまさん(スタイリストさん)が滋賀出身でびっくり! でもちょっと(いやかなり?)滋賀dis入ってたのウケるな。 会場を見渡して、こういうところはまたバンドでもやりたいねえなんて言ってた。 これはワンチャンありますか????? 「朝7時起きで電車で来てからの車移動で、車中で爆睡してたから琵琶湖見てなくて…」 「滋賀に来たという実感がない」(バーン)(鳴ってないてけど鳴ってそうな効果音) (からのその日のニキーで当日中に奈良に移動したことが発覚。今度は琵琶湖見れるといいね……) 音楽始めた話になって、 「音楽(ボカロだったかな?)に手を染める………なんか言い方がドラッグみたいだなこれ」 言い方ァ! サイン会で、strawberryのお礼言おうと思ったのにもう頭真っ白になんのよね????? とりあえず明日(奈良)も行きます!しか言えなかったしなんならなんか今日は顔すら見れなかったし?????? あーあかん。アカンて。ファン失格っすわ。カンペ書かなきゃ。 ↓2/24 奈良NEVERLAND↓ 目眩はずるいわ。 奈良に来たのは7年ぶりでIKIツアー以来らしく、だからってさあ!!!!!! 目眩はさあ!!!!!!!!!! 普通に泣かすやん!?!?!??????? 泣くやん!?!?!??? 風、花のライティングめちゃくちゃよかったーーーーー!!! 青と緑で青空に吹かれる葉っぱみたいな感じでよかった~~~!!!!! 私が持つイメージそういうのだから助かる~~~~~!!!! 残像スティグマータ、普通にカッケェんよな。 んでもってライトは赤。うーん、かっこいい。 今日もハピバ歌えてよかったね先生!!!!!(またもや明後日誕生日の方おめでとうございます!) 【リクエストコーナー】 リクエストコーナーで、何かを歌いたかったシノダさん。 ずーっとスマホをさわっており……… 「(スマホの)メモ帳に歌詞書いてるんですけど、日記書いてるから一向にでてこない!!!!」 そこでフロアから、検索機能ありますよーと声がする。 え?ってなるシノダさん。 もうその光景がスマホ初心者のおじいちゃんと孫なんよ!w あと、誰かが山田亮一さんの曲をリクエストしていて、 「山田亮一信者か……………………」 「……………………あ、いや、うん、やめとこ」 なにを言いかけたんですか先生!!!!!w それだけではなく、所々失言的な発言をしていて、 「いやいや私はこう言いたかったわけじゃないんですよ」 とか、 「もうちょっといい言い方あったよな………」 とか言ってて面白かったw 「もう私はインターネットが怖くて怖くて……………(色々書かれるから)」 【アンコMC】 アンコでくまちゃんのぬいぐるみ引っ掴んで出てきたの笑ったwwwwwww 上手と下手でそれぞれ掲げるんじゃないよw ほんで、水が置いてあったテーブルになんとかして座らせて満足げなんだもんなw 「あー、やっぱりこれ(くまちゃん)について説明が必要ですか?」 滋賀から奈良に来て、スタッフさんとタイステ寄って、取っ��らしい。 (ちなみに重い頭の方を狙うといいらしい。) 「シノ鉄やり始めて行く先々でクレーンゲームばっかやってんだけど!w」 ぬいぐるみに占拠されていくシノダ先生の部屋。うん、かわいい! そして、アンコ2曲終わらせて退場してったんだけど、くまちゃん置いてった! ので、写真におさめておきました✌ どことなーく、ファーマシー猫と色合いが似てるのは気のせいかな?あえてそれを狙ったんかな? サイン会でネコチャン描いてもらえたああああああああああ ぼく「日記の書籍化しないんですか?」 先生「ん~出版社がね~」 ぼく「あとネコチャン絵本とか!」 先生「絵本!?」 ぼく「お待ちしてます!!!!!!(言いながら逃げる)(時間制限のタイマーが鳴ったので)」 はい、シノ鉄レポでした! とりあえずこのツアーは一旦これだけの参戦だったんですけど、今後の日程次第ではまた行けるといいな! 本当に色んな曲が聴けるので! 乗車してない人は是非行ってもらいたい! それでは今回はここら辺で!では! 20240225
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落語を聴く。
落語を聴くようになって20年くらい経つ。オムニバスのアルバム音源をスマホに入れている。何代目の誰が演じた『〇〇』が好きといった、いわゆるマニアではないけれど、週に1度くらいのペースで何かしら聴いている。 僕が落語を聴くようになったきっかけは『GO』という映画だ。 この映画は、窪塚洋介演じる在日韓国人三世の高校生が、国籍を超えた恋愛や友情に悩みながらも自我に目覚めていく姿を描いた作品だ。冒頭、主人公(窪塚)がヒロイン役の女子高生(柴咲コウ)と初めて出会うシーン。爆音鳴り響くクラブで、イヤホンをつけて手に持っていた本を読む主人公。そこで彼が聴いていたのが落語だった。薄暗い店内、流れる爆音、ドラッグと酒に酔い騒ぐ若者たちの中、ひとり落語を聴く姿がかっこよすぎた。当時大学生だった僕は、それまで落語など聴いたことがなかった。そこで流れていた噺の内容はわからなかったけれど、とにかくクラ…
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ロブ=グリエの映画について
いつだったかヌーヴォー・ロマンについて冊子を作ろうと思っているという話を友人から持ち掛けられて、それならロブ=グリエの映画なら観ているからと紹介文を書いたのだが、残念ながらその件はなくなってしまったらしい。せっかく書いた文章なので載せたい。
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『不滅の女』 "L'immortelle"(1963)
異国情緒溢れる音楽と叫び声から始まる、その時点で、なんだかこれからすごい映画が観られそうだ!と思わずにはいられない。メーキャップのはっきりとした、目力の強い女性(フランソワーズ・ブリヨン)が、まるで“死んでいる”かのように横たわっている。窓際でじっと外を眺める主人公(ジャック・ドニオル=ヴァルク)は終始、目に光がない。斜めの線が意識されたような完璧な構図と柱のように立っている人々。またその人々の視線を再現するようにゆっくりと横移動するカメラワーク。何度も同じようなシーンが差し込まれるように思えるが、すこしずつどこかが異なっている。ジャンプカットで物語はどんどん進んでいくが、時系列はめちゃくちゃで、今まで観ていたものはいったいなんだったんだろう…?と思わず頭を抱えてしまう。響く虫の鳴き声と、船のエンジンの連続音が不穏な雰囲気をかもしだす。“夢に見たトルコ”で起こしてしまった事故に憑りつかれ、妄想を続けるうちに、主人公は女性と自分を重ねてしまったようだ。終盤、窓にカメラが近づくシーンで、主人公の視線(主観)がはじめてカメラワークによってあらわされ、映画を観ている私たちも主人公と重なり、もうこの物語から引き返せなくなるのだ。
“夢に見たトルコ”…ボイスオーバー「夢に見たトルコで 異邦人のあなたはさまよう 偽の監獄や要塞に デタラメな物語 もう引き返せない 逃げようとしても偽の船しかない」
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『ヨーロッパ横断特急』 "Trans-Europ-Express"(1966)
題名の通り、ヨーロッパ横断特急に乗り込んだ一行は、同じく乗り込んでいたジャン=ルイ・トランティニャン(本人役)を主人公に、ノワールものの映画製作をしようと、脚本をレコーダーに録音している。あ��すじはさておき(!)、こんな格好いい映画を作れるんなら、こういうのずっと作ってよ!と思ってしまうほどには、ロブ=グリエ節が他の作品より薄め(といっても拘束趣味は全開)である。前作の『不滅の女』の東方正教会やモスク、脚本した『去年マリエンバートで』での洋館のように、本作においてもそういった、ある種、荘厳なロケーションでのシーンはお得意であるものの、匿ってくれるギャルソン(ジェラール・パラプラ)の部屋の窓や、パリ東駅というロケーションは、少年らしさ(また少年たちの憧れる格好よさ)を感じられて楽しい。ラストのチャーミングさも必見。
以下余談ーー。
昔は一番つまんないよ~と思っていた作品であったものの今は一番面白いと思えて、当時ロブ=グリエの映画作品の物語の大半を、わけが分からないまま、だけれど映像のアバンギャルドさやエロティックな雰囲気を楽しんでいたものを改めて観て、しつこいくらいに趣味嗜好を提示され、こんなんばっかやな…と思っていた時に、本作はその"ロブ=グリエ節"が抑えられていて、より一層のこと面白く観たのだった。
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『嘘をつく男』 "L'homme qui ment"(1968)
同時期の日本には、勅使河原宏が阿部公房の小説を映画化したものがいくつかある。それらの音楽(ほぼ効果音といってもよい)は現代作曲家の武満徹が担当しており、非常に特徴的なものとなっているが、ロブ=グリエの作品の多くもミシェル・ファノという作曲家が担当していて、その音響効果が非常に絶大なものになっているという点で、勅使河原の作品たちを思い起こされた。また酒場のシーンで、客達がカメラ目線で次々と話す様子は、ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』を彷彿とさせ、常連の集まるただの酒場が裁判所にでもなったかのように、観ているこちらを緊張させる。そして女性をオブジェクトとしてしか扱わない、(ロブ=グリエの)大好きな目隠し遊びのシーンの長いこと長いこと…。
本作品は主人公(ジャン=ルイ・トランティニャン)の語りで映画が進んでいくので、他の作品よりも物語がわかりやすくはあるのだが、タイトル通り“噓をつく男”の語りであるので、わかったところで…という気持ちにはなってしまう。村の英雄ジャン・ロバン(Ivan Mistrík)の親友ボリス・ヴァリサだと彼は名乗るが、誰も信じちゃいないし、映画の途中でボリスの名の書かれた墓が写っていたり、知っているはずの医者に、初めましてと言ったりする始末。噓をつきながら多くを語るこの男が、結局のところ何者なのかはまったく明かされず、最初のシーンへ戻るこの無理矢理な円環構造に驚くだろう。
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『エデン、その後』 "L'Eden et après"(1971)
始まった瞬間から赤青白…とゴダールの『メイド・イン・USA』や、小津の『お早よう』のように、色彩による主張が眩しい。主人公のヴィオレット(カトリーヌ・ジュールダン)のファッションが絶妙で、白シャツに黒のセーター、プリーツのミニスカートは赤を選びたくなりそうなところを青に。それと黒のロングブーツを履きこなしており、非常に可愛く参考にしたいのだが、ペイズリーのサテンワンピースは、それで街歩くの!?とびっくりするくらい短い。下着の赤い色にも、この作品の色のこだわりを感じるほどだ。そして、ギャルソンでさえも迷いそうな、モンドリアンルックで、幾何学的な雰囲気のカフェ、エデン。ヴィオレットたち演劇サークルはここをたまり場にしており、センセーショナルだが、ほぼお遊びのような演技をして暇をつぶしている。もしこんなお洒落な(可笑しな)コンセプトのカフェがあるのなら(襖みたいに壁が稼働したり、鏡張りだったり)、絶対にくつろげる雰囲気ではないので、演劇を試みるにはもってこいの場所だろうから、たまり場になるのもわかる。中盤の巨大工場のシーンも含め、観ているうちに『エデン、その後』“ごっこ”がしたくなっていく(!)。
一体、どこからどこまでが彼らの妄想で、演劇の設定で、“幻覚”なのか“現実”なのか、果たして謎の男Duchemin(ピエール・ジマー)の生死は?作中の「エデンとその客達がそう見せかけているのか」という言葉通り、あれさっきみたような…というシーンやモチーフが回収されていきラストに繋がる、ミステリー/ドラッグ/トリップムービー!
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『快楽の漸進的横滑り』 "Glissements progressifs du plaisir"(1974)
快楽の漸進的横滑り(ぜんしんてきよこすべり)。いちばん口に出して言いたい邦題。当時はこの邦題の意味の分からなさと単語そのものが魅力的で、早く観たくて仕方がなかったものの、年代の古い順に観るくせがあり、わざと後回しに、5作品目でやっと観たとき、初っ端からロブ=グリエの大好きなモチーフたちがたたみかけられ、興奮したのを覚えている。今回改めて観ると、その露骨さには思わず笑ってしまった。“主題は割れた瓶”だという始末。他の作品にも再三使用されている、登場人物たちがカメラ目線で正面を向き、首を横に振ったのち、また正面を向くといったようなカットの他に、本作には手による表現も追加されており、その点は目新しさを感じるし、アーティスティックな画面作りには、よっ!真骨頂!と言いたくなるが、正直なところ、こんなのレズビアンもの好きの変態の妄想じゃん…!とうんざりしてしまうこともしばしば。神父(ジャン・マルタン)が気持ち悪すぎて泣けてくる。ミシェル・ロンズデール(判事)の十八番とも言える呻き声(あるいは叫び声)をあげる長回しや、みんな大好きジャン=ルイ・トランティニャン(刑事)のどんな役でもこなしている様子は見もの。“類似・繰り返し・置き換え・模倣”、とロブ=グリエの手法が抜群にきいた官能アート作品が観たい気分のときにおすすめしたい。
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『危険な戯れ』 "Le Jeu avec le feu"(1975)
美しい娘カロリナ(アニセー・アルヴィナ)との近親相姦的妄想を繰り広げながら語る父や、娼館に来る様々な客の役をこなすフィリップ・ノワレの気持ち悪さたるや…!娘のみた、いくつかの悪夢の中の一つである、太った男に身体を洗われる夢、もはや恐怖である。出演女優たちは惜しげもなく服を脱いでいくのだが、それぞれの身体すべてがマネキン人形のように(腰から脚にかけてのラインや胸の大きさなどが)似通っていて、ロブ=グリエは、フェリーニのそれとはまったく違った美学で女性を���ていることが感じられる。
女たちの名前の書かれた寝室のドアを開けるたびに繰り広げられる、異色なプレイの数々には思わずカロリナもあんぐり。アニセー・アルヴィナのあの口元の緩さ加減はそれとして魅力的である。コメディタッチなシーンも多く楽しいし、広い館のたくさんのドアをすべて開けてみせてくれる、ゲーム脳的思考の持ち主(RPGではアイテム入手のために、部屋という部屋すべてを確認しないと気が済まないたち)には嬉しい映画。
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『囚われの美女』 "La Belle Captive"(1983)
ルネ・マグリットの同名作品『囚われの美女』を含む作品群に着想を得つつ、ロブ=グリエの好きなモチーフやテーマがたくさん組み込まれている本作品を観ていると、ロブ=グリエって本当にこういうの好きだね…!と思わざるを得ない。割れたガラスと赤い血(のような液体)や、拘束された女性が横たわる姿は必ずといっていいほど出てくる、もはやそれらを待ち望んでさえいる。
主人公のヴァルテル(ダニエル・メスギッシュ)が、聴く音楽といえば、シューベルトの『死と乙女』か“とらわれの女”だと言うのだが、劇中に流れている曲は弦楽四重奏曲第15番で、『死と乙女』と呼ばれている曲(弦楽四重奏曲第14番)とは異なるし、“とらわれの女”という曲も実在しない(弦楽四重奏曲第15番が“とらわれの女”と呼ばれているといった話も聞いたことがない)。また『囚われの女』といえばプルーストの『失われた時を求めて』の第5篇だが、これも劇中でプルーストの名前は出されるものの、この文学作品を映画化したというわけでもない。アケルマンにも『囚われの女』という作品(これはプルーストに関連する)があるが、この劇中でも、シューベルトの楽曲が使用される。こうして“囚われる”という言葉になんらかの様々な事柄を想起し、この物語にアプローチしていこうとする自分もロブ=グリエに“囚われ”てしまっていることには間違いない…。
毎度のことながら、ラストに向けて畳み掛けるように、幾重にもかさなった構造が明かされていくのだが、この題名の通り“囚われて”いるのは美女なのだろうか?とまたしても思考が止まらない。ロブ=グリエのフェティシズムに、心霊と夢と退廃的な世界観が足され、繰り返し挟み込まれる象徴的な映像にドキ!とさせられながら楽しめる作品だ。
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『シド・バレット独りぼっちの狂気』公開
映画『シド・バレット独りぼっちの狂気』5月17日(金)より渋谷シネクイント・ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国にて順次公開決定!
デヴィット・ボウイ、マーク・ボラン、グレアム・コクソン(ブラー)など名だたるアーティストを夢中にした”シド・バレット”。その謎に満ちた人生が解き明かされる!
シドはイギリスのサイケデリック期を築いた張本人の一人。 ピンク・フロイドを離れた後は多くの憶測の中に隠された人物でしたが、フロイドのメンバーをはじめ、関係者、友人、恋人たちが詳細を語るこの映画でようやく実像が浮かび上がってきます。 -ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
ピンク・フロイドを創った男として初期には活動の中心でありながらも、5年あまりで表舞台から姿を消し、巨大化したピンク・フロイドのインスピレーションの源としてロック史の一隅を閉める「伝説」となった男―。本作は、ときにゴシップ誌の見出しを飾るほど私たちを魅了してやまないシド・バレットの「狂気」と「天才」の真相に、多数の証言と記録映像、幻想的な映像パートで迫る。 ロジャー・ウォーターズ、デヴィッド・ギルモア、ニック・メイスンら、ピンク・フロイドのメンバーはもちろん、実妹ローズマリー、幼少期の友だちや美術学校時代の教師や学友、ピート・タウンゼント(ザ・フー)やグレアム・コクソン(ブラー)らミュージシャン、ミック・ロックやダギー・フィールズら写真家、美術家、歴代のガールフレンドまで数十名が勢揃い。 ロンドンのアンダーグラウンド・カルチャーの巣窟、UFOクラブでのライトショーや、デビュー間もないころの初々しいスチルにMVなど、上昇気流に乗るバンドの姿をとらえた場面から、ストレスとドラッグに苛まれ精神の均衡が崩れ、バンドを去ったのちの秘話まで、これまでまことしやかに語られてきたシドにまつわる逸話を��え合わせすることもできる。監督と聞き手をつとめたのはシドの旧友にして、レッド・ツェッペリンやブラック・サバス、そしてピンク・フロイドのアートワークでも名を馳せたアート集団「ヒプノシス」のストーム・トーガソン。トーガソンの死後、映像作家のロディ・ボグワナが意志を引き継ぎ、シド・バレットという神秘をときあかす決定版を完成させた。
『シド・バレット 独りぼっちの狂気』 (2023年/イギリス/94分/16:9/原題:Have You Got It Yet?The Story of Syd Barrett and Pink Floyd) 監督:ロディ・ボグワナ、ストーム・トーガソン 出演:ロジャー・ウォーターズ、デヴィッド・ギルモア、ニック・メイスン、ピート・タウンゼント、グレアム・コクソン、ミック・ロック、ダギー・フィールズ、ノエル・フィールディング、トム・ストッパード、アンドリュー・ヴァンウィンガーデン
配給:カルチャヴィル ©︎ 2023 A CAT CALLED ROVER.ALL RIGHTS RESERVED. ©︎ Syd Barrett Music Ltd ©︎ Aubrey Powell_Hipgnosis
HP: https://www.culture-ville.jp/sydbarrett X(旧Twitter):@sydbarrett_mv Facebook: https://www.facebook.com/sydbarrett.movie 5/17(金)より渋谷シネクイント・ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次ロードショー
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一人じゃないと思えると平然と生きていられるようになる
味覚の一部が死んでいる。本当にまずい。まずいというか死にたくなっているのだけれどその発端がまるで分からない。
今はタリーズにいる。ブラッドオレンジジュースを頼んだ。ブラッドオレンジジュースは変な味がした。最近こういうことがよくある。前に河原町でショートケーキを食べたときも、薬品みたいな味がした。今回もそう。ブラッドオレンジジュースから薬品みたいな味がしているのか、ブラッドオレンジュースとかショートケーキの何かしらが自分の中にある、より具体的に言えば味覚、嗅覚を司る器官の中にある何かしらを刺激して薬品みたいな味を感じさせているのか、その辺りは分からない。何を食べたり飲んだりしても薬品みたいな味がするわけじゃないから、自分の側にすべての問題があるわけではないと思う。
自分の側にすべての問題、問題はそうやって自分の側とか相手の側とかで割り切れるものではないと思う。でもそうやって切り分けないと、よく分からなくなることがたくさんある。
今日は映画を見に行こうとして、見られなかった。見られるはずだった。というのは、劇場まで行けてチケットも買えて多分開始時間にも間に合っていたからだ。時間ギリギリだったから一番近くにあったスクリーンに入ったら、まさかのそこは同じ映画のひとつ前の回だった。だからスクリーンに入って15分経たずで映画は終わった。ちょっと衝撃的だった。衝撃的もクソもない、自分が悪いけど、時間ギリギリに行ったから、というか僕は時計もスマホも持っていないからその瞬間の正確な時刻が分からなくて、家を出た時間から考えるにちょっと過ぎてるかピッタリくらいだと思って「上映中」が出ていても何も怪しまずそのまま入ってしまった。僕が冒頭だと思ったシーンは最終盤のシーンだった。エンドロールが流れてきても僕は「ああ、この映画は冒頭で出演者を紹介するんだ」という認識を持った。でもそういう映画はあると思う。たとえば「君の名は。」は、エンドロールだけじゃなくて冒頭に簡単な出演者紹介というか、アニメでいうオープニング的なものがある。だから僕は今回見た映画でエンドロールが流れてきても、オープニングだと解釈した。出演者の名前だけじゃなくプロジューサーとか製作陣の名前が出てきてちょっと怪しいかなと思いつつもここから映画が始まることに期待した。そうしたら案の定、案の定というか出演者、製作陣の紹介後にふさわしく、ちゃんと劇場は明るくなった。僕の千百円はなんだったのだろう。
そもそも同時間帯に違う二つのスクリーンで同じ映画をやっていたのが紛らわしかったと思う、と言いたいけれど、結局時間ギリギリに行った僕が悪いし、時間ギリギリでも手持ちのチケットに記載されているスクリーン番号と目の前のスクリーンの番号を照合させることはできたはずだから、全部僕がそそっかしかったのが悪いと思う。映画を見る前は、より具体的にはチケットを買ってから映画が始まる直前、なんなら始まって10分くらい経つまでは「やっぱり見るのやめようかな」という気分になることがけっこう多い。でもいざチケットを買って本当に見なかったら悲しくなる。ちなみに僕が本来見るはずだった回は、間違ったスクリーンから出てきた時点で始まってから20分が経過していた。だから諦めた。また明日、もう一回お金を払って見に行こうと思う。もったいねえ。
最近は過食がすごくて、ずっと体の中が気持ち悪い。昨日は昼にカレーパンとサツマイモと小豆的なものが入ったずっしりしたパン、それから小松菜と牛肉のオイスター炒めを食べて、夜はグリーンカレーとご飯、それから中華料理店で鶏炒め鍋とエビと卵が入った焼き餃子を食べた。散財したしお腹も気持ち悪くなったしで良いことが一つもなかったと言いたいけれど、美味しいことは美味しかった。そういうことは忘れちゃいけない。過食しているときはそれの罪悪感ですべてを否定したくなるけれど、ちゃんと美味しいと思えているときもある。昨日はそれだった。というより、昨日は美味しいと思えたというより、昨日はどんなときでも美味しいと思えるくらいにクオリティの高いものを食べたの��と思う。だって二千円以上したもん。中華料理店、高かったけどまた行きたい。
とか明るい感じで締めたら良い感じになるかというとまったくそうではなく、気持ち悪さは消えない。今日は朝起きてから今まで飲むヨーグルトを一本とパンを三つ、それからほうれん草とにんじんとしめじとベーコンをバターと醤油で炒めて最後に卵を混ぜたものと、さっきここ(タリーズ)でちっちゃなバニラアイスとブラッドオレンジジュースのトールサイズを飲んだ。「ちっちゃな」とか書いても欲に負けたことは変わらないし、気持ち悪いならブラッドオレンジュースだけにすべきだった、多分。本当にしんどいときは食べるか寝るかしかできなくなる。言うまでもなく「本当にしんどいとき」は僕の主観だ。万人にとって絶対的に、究極的にしんどい状態というのは存在しないのだから仕方ない。今日はパンと炒め物を食べてから映画を見に家を出るまで寝ていた。お腹いっぱいになったら眠くなってしまった。くそだ。でも一日はこうやって終わることもある。究極、人間は食べて寝るだけで人生を終わらすことができる。なんて悲しいんだろう。
今年一年はかなり灰色で、色はともかく濃淡がない。色にバリエーションがない。全体的にのっぺりしている。鮮やかさがない。食べても読んでもどこかに行っても何かを見ても、それが鮮烈な印象を持って残っていない。唯一、「罪と罰」を読んだことはけっこうドキドキというかワクワクした経験として残っているけれど、でもあれを思い出すと同時に当時の苦しさも思い出す。罪と罰を一番ノってる状態で読んでたとき僕は北大路のイオンモールのスタバにいて、時間帯は夜、8時から10時くらいだった。閉店時間が10時で、店を出た後も僕は出入り口の横にあるエレベーターの前で雨宿りしながら続きを読んでいた、気がする。雨が降っていたかはあんまりちゃんと覚えていない。そういえばあの時は春だった。春は全体的にそういう記憶が多い。総合商業施設の閉店後にその前で雨宿りをしながら本を読んでいる的な記憶。意味が分からない。
今年の春は外にいることが多かった。時間が経つにつれて、少しずつ家の中にいる時間が増えていって、最近は何か書くときも家の中にいることの方が多い。それが良いのかは分からない。今年の春は「京都グラフィー」の展示をいくつか見にいった。京都文化博物館で行われていた「マベル・ポブレット」という人の展示が一番印象に残っている。確か海や水をテーマにした展示で、鏡とか、折り紙とか様々な形でそれが表現されていた。あと純粋に京都文化博物館、展示空間が良かった。その中にある展示として、マベル・ポブレットさんの展示がすごく良かった。展示を見ているとすごく心が落ち着いた。でも落ち着きはいつまでも続かなかった。落ち着きはいつもそうだ。最近は良さが持続しない。一人暮らしを始めたからだろうか? 日常のうまくいかない諸々をすべて一人暮らしと接続させるのは良くない。
FUKUROKOZI、みたいな名前のバンドがあるんじゃないかと思って調べてみたら、なぜかカフェが出てきた。そんなことはどうでもいい。素早く文章を書くことはドラッグを決めることと方向としては近いんじゃないかなと思う。多分、手を止めずにキーボードを叩き続けることにはそれなりの快感がある。でもどんな内容でもただ打っていれば満足できるわけでもないから、一概にそうとも言えない。良いことも悪いこともあるけどそのすべてが同じ色合いで表現されているような、そういう感覚がある。端的に言うと退屈している。ずっと渋滞に巻き込まれているようなそういう感じがある。環境を変えたい、というか大学を辞めたい、というかおそらく来年の春には辞めている。が、大学を辞めたらすべてが好転するとかそんな甘っちょろい話はない。誰か助けてくれないか、という歌詞が含まれている曲はなんだっただろう。きっと割とたくさんあると思う。
穴埋めには限界があって、でも穴が空いていたら埋めるしかなくて、空いている穴に対して胸を張ることはできるんだろうかとかそういうことを考えるけれど、これはあくまで比喩的な話だ。感覚的には、自分はずっとその穴に対して、応急処置的に何かで埋めるか、その穴が目立たないように他の部分もその穴と同じ高さまで掘ることをやってきたと思う。でも、いくら掘ったり足で慣らしたりしても満足できなくて、自分はずっとその穴があった箇所の状態を気にしているような、そういう感覚があるかというと別にない。でも、「やりたいことをやろう」というのはもしかしたら、穴が気にならなくなってからじゃないと言えないのかもしれないなと思う。穴が空いた状態で「やりたいことをやろう」と言っても、「いや、まずは埋めろよ」という話になる。いや、違うか。でも、仮に穴が空いていたとしても、自分がそこに手を施さなくても雨風とかで勝手にその穴は埋まっていくんじゃないかなと思う。自分が他のことをやっている間に。
色盲というのはこういう状態なんだろうか。絶対に違う。でも色がない世界で何が違いを生むのかというと、それは段差とか奥行きとか、そういうものになるのかもしれないなと思う。一色で描かれた絵に魅力がないかというと、そんなことはない。二次元の絵で奥行きを表現しようとしたら結果的に色を変えることになるのだろうけれどそういうことではなくて、だからこれはどちらかというと立体の話だ。レゴブロックを積んでいるとして、一色のレゴしかないとして、だったら自分は、きっといつもより形で違いを生もうとすると思う。いつもだったら「魚」とか「お馬さん」とかその程度で満足するところを色の変化のなさを補うために様々な積み方で工夫しようとするんじゃないかと思う。でも多分、工夫して、その時はそれなりに満足したとしても、一旦レゴから離れたら悲しくなる。人生において色は相当重要な要素なんじゃないかと思う。「人生」とか大袈裟だけど。
自分はあんまり自然を眺めていても落ち着かなくて、というより自然「だけ」では満足できなくて、たとえば離島で生活することになったらかなり苦しむような気がする。かと言ってずっと都会にいたいとも思わないし、この辺りは塩梅だ。おそらく、苦しさは時間によってしか消えないんだと思う。もっと具体的に言うと、一つ一つの物事の積み重なりがあって、その結果として何かの弾みでスッと楽になったりするものなのではないかと思う。AがBになるから楽になるのではなく、AがAダッシュになるから苦しくなくなるわけでもなくて、AとかBとか「あ」とか「い」とか1とか2とか、とにかく色々なものが積み重なっていった結果、ある時ふいに訪れた「G」とかによって、パッと視界が開けたりするものなんじゃないかなと思う。
なんて言うんだろう、時間さえなければ物事はもっと簡単になると思う反面、時間があるからこそ人生で、というか時間しか人生じゃないとすら思う。実際にそうなのかな? どんな大きな理想を掲げたって目の前にあるのは次の1秒で、その1秒を「一時間」とか「二時間」とかそういうまとまりとして見ることもできれば、純粋なただの一瞬として感じることもできる。どちらも等しい1秒で、でも本当に等しいのかな。時間はその人の主観の中にしかないとは言えずとも、「24時間」「365日」というのが人間が作り出した概念であることは間違いなくて、日々沈んでいく太陽と、季節の移り変わり、気温の変化だけが本当で、でもきっと時計や時間が存在しなかったら、自分達はほとんど動物と変わらなくなるというか、ぼうっと牧歌的に生きることしかできなくなるんじゃないかと思う。
人生は暇潰しとか思い出作りとかどっちもあんまり好きな言葉じゃないけどでも多分部分的には本当で、思い返したときに何があるかしか大事なことはないような気もする。本当に分からないよ。あと一歩だと思う気持ちともう全部ダメになったりして(笑)みたいな気持ちと両方ある。でも後者に関してはあんまり言語化していない。いつかどこかで突発的に線路に飛び込むとかそういう類の表現のされ方をするような気がする。
自分一人しかいないと思うと死にたくなる。一人じゃないと思えると平然と生きていられるようになる。この「一人じゃないと思える」ということがどういう状態なのかは分からない。誰かと一緒にいたら一人じゃないのか、帰る家に誰かがいれば一人じゃないのか、もっと精神的な話なのか、「一人じゃない」というのはそもそも「別の人間もいる」ということに留まらないのか。滞留していると苦しくなる。循環していると落ち着いていられる。そういうことも思う。
(久しぶりに書くと違和感がすごい)
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