#渡月橋を渡りきるまでは振り返ってはい��ない
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yaoyuan6478 · 2 years ago
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#嵐山 #嵐山食べ歩き #嵐山竹林 #嵐山デート #嵐山渡月橋 #渡月橋 #渡月橋🍁 #渡月橋ライトアップ #渡月橋を眺めながら #渡月橋君想ふ #渡月橋人だらけ #渡月橋からの景色 #渡月橋を渡りきるまでは振り返ってはいけない (渡月橋 / Togetsukyo Bridge, Arashiyama, Kyoto) https://www.instagram.com/p/CqISf8bpsSY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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palakona · 2 months ago
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連日の貧果(悲)
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
どうも、こんにちは。12月1日(日)は、howellsさんと中セ池に行ってきました。昨日は西池で危うくボウズになるところでした(汗)中セ池は、先週渋かったのに6枚釣れたので、ボチボチ釣れるだろうと思っていました。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
亡父の眠ってるお寺に参拝してから行ったので、中セ池には7時をとっくに過ぎて到着したのですが、駐車場が結構いっぱい…例会でもあんの?北長竿枡→南長竿枡→東桟橋って感じの場所取りを目論んでたんですが、どこも結構混んでたので、混雑を避けて「誰も入ってない」西土手に入りました。先週釣れたのでなんとかなるやろ…そう思っていました。この時は。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
howellsさんも到着して二人並んで着座。さて朝ごはんですが、隣のコンビニにジャンボフランクがなかったのでアメリカンドックです。久しぶりに食べると美味しいっす。でも〜、香ばしい匂いにつられて中セ池の居付き猫がつきまとって困りました(汗)ニャオ〜ンってねだられても、これ僕の朝飯や。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
ご飯も食べたし釣りの準備。屋根付きの西土手なので、竹竿は屋根に当たらないように8尺一択。今日の竹竿は「若駒」の8尺です。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
浮子は、最近出番が多い「彩羽」のパイプトップ。いや、シズ合わせがめんどくさいだけなんですがw。っていうか、浮子の性能ってそんなに変わるかなあ。ところで、「彩羽」は「さいは」って読んでましたけど「いろは」って読むんですね。「凱」(かちどき)ブランドで同ブランドからは西池でよく使う「北斗」も出しているようです。
へえ〜。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
西土手で9時半まで釣りをしましたが、howellsさんと二人並んでノーピクで魚信無し。マズいやんけ。で、僕は北土手に場所替え。howellsさんは東桟橋の通称「棺桶」の南側の枡に場所替え。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
北土手の東詰枡の西側に着座したんだけど、底が悪いのか浮子のなじみに違和感あり。このあとパイプの右側(西側)に移動しました。北土手は浮子が動くので期待できます。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
北土手に移って約1時間が経過しても釣れず。浮子は動くようになったんだがな〜。喰い魚信が出ない。だが、しかし…その時は来た!
「ツン」
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
綺麗な節魚信を取って釣れたが、今秋放流されたマブナかな?
ε- ( ̄、 ̄A) フゥー、ボウズはなくなった。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
11時を過ぎたのでお昼ごはん。隣のコンビニで焼きうどんとアメリカンドックを買ってきました。久しぶりに食べたら美味かったので買ったのですが、食堂の入り口から居付き猫ちゃんが「ニャオ〜ン」って。そんなに良い匂いか?勘弁してくれ〜。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
午後の釣り。よく見ると、南長竿枡の西詰が空いているので、同じ枡の東端に座っている人に声をかけて移動しました。ここは釣れない?南長竿枡は西詰だけよく空いてるんですよね。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
北長竿枡は18尺まで振れますが、南長竿枡は16尺までかな?15尺の「寿るすみ 静水調」を出してみました。
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2024年12月 中��池(八尾市) iPhone11
浮子は、舟水の「深なじみ段差底」の12番です。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
「ムニュ」っとした魚信を取ったら乗った〜!
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
丸々としたヘラブナ。鉤は口に掛かってたが、外す時、あれ?口唇の外側やった?見間違いであってほしいw。ちゃんと見なかったんだが外側かも。もにょるなあ。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
全然釣れへんわ。14時ぐらいに帰られた隣のおじさんはコンスタントに釣っておられて30枚釣ったそう(howellsさん談)マジかよ〜。たしかに中セ池のスペシャリストみたいな人で、浮子もスペシャルな作りでボディ大きめ、トップ短め。トップは3節しかなく、トップの先っちょが水面にちょっと出てるだけ。トップがユラっと水没するとピシッとアワセるのをずっと繰り返しておられて、結果としてエサ打ちのペースは速かった。
ところでドリンクサービスの時間になりました。O田さんが入って渡してくれたのはスタミナドリンクです。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
やっと釣れたと思ったら引きがおかしい。浮子もズボーって入ったし。糸スレやったんか…スレです。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
釣れる気がしなくなった。常連��んが帰り始めた15時過ぎ。やっと浮子が「ツン」と綺麗に入った。15尺の竹竿で掛けると気持ち良い〜。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
ヘラブナみたいな魚信やったけど、良いサイズのマブナ。ハリスメーターで雑に測ると35cmありそうやったので検寸に持ち込んだが、2cm足りず。カッコわる〜。
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2024年12月 中セ池(八尾市) iPhone11
もう帰ります。僕は15時40分ぐらいに片付け始めて、これを撮ったのは16時1分なんですが、営業終了時間にはほとんどの方が帰った後w。みなさん片付けるの早過ぎ〜。
ということで、12月1日はマブナ2枚、スレ2枚でした。疑惑の1枚はスレにしときますw。ま、両目は開いたことだし。
釣況は激渋で、よく見かける3人組の一人、U田さんが4枚とか、4人組で来ていたうちの2人が2人で4枚とか。そんな感じ。ボウズはいてなかったかな。よく釣れていたのは南北の長竿枡の数人でした。howellsさんは8枚か9枚釣ってたかな。
では、また。
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kennak · 4 months ago
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強い台風の影響で激しい雨に見舞われた8月29日。浜松市のマンション一室は静寂に包まれていた。  時刻は午後2時半過ぎ。窓際のイスには、袴田巌(88)が深く腰掛け、目を閉じてくつろいでいる。半年前から飼い始めた保護猫「ルビー」が、棚の上から巌の目の前のテーブルに飛び移った。  「ひどい雨ですね」。問いかけに、無表情の巌は「ああ」と短く答える。午後3時が近づくと、同居する姉・ひで子(91)にヒゲをそってもらい、いつも通り支援者が運転する車に乗ってドライブに出掛けた。普段と変わらない日課。「雨でも巌には関係ないから」。ひで子がつぶやく。  拘禁症――。1966年に強盗殺人容疑などで逮捕された巌は、無実を訴えながら死刑判決を受けた。2014年に釈放されるまで半世紀近く身体を拘束され、心を病み、今も意思疎通��難しい。  釈放から10年。穏やかな暮らしの中でも「異変」は随所に見られる。「猫もお金が必要だから」と言って飼い猫に千円札を渡したり、新聞を手に取って「死」という文字をじっと見つめたりすることもあった。  巌の心がむしばまれていった様子は、ひで子が自宅で保管する7000枚超の手紙から見てとれる。逮捕直後から巌が母やひで子らに宛てて、獄中から書いたものだ。  <神さま。僕は犯人ではありません>(1967年2月頃)  <私も冤罪(えんざい)ながら死刑囚><私がなんの罪を犯したというのだ>(73年11月)  1960~70年代は無実を訴える言葉が丁寧にしたためられていた。  だが、80年に死刑が確定してから変化が見られるようになる。  <悪魔は電波攻撃により(私を)傷つけようとした。しかし、私はそれらを全てブロックして笑い飛ばしたのである>(87年10月)  意味のわからない文章も書かれ、字体も崩れていった。そして95年を最後に、巌からの手紙は途絶えた。 私は無実 叫んだ手紙 袴田巌さんからの手紙を手に取る姉のひで子さん(8月29日、静岡県浜松市で)=高橋美帆撮影  〈今朝方母さんの夢を見ました 元気でした 夢のように元気でおられたら私はうれしいが お母さん 遠からず真実を立証して帰りますからね〉 袴田巌(88)の姉・ひで子(91)が今年5月、本人に代わって再審公判の最終意見陳述で読み上げたのは、弟が拘置所からの手紙にしたためた母・ともへの思いだった。  この手紙が書かれたのは、逮捕から3年が過ぎた1969年10月。ともはその1年ほど前に亡くなっていたが、巌にそれを伝えることはできなかった。ひで子は「母親と一生懸命文通していた。そんな巌に知らせるのは、さすがにかわいそうだった」と振り返る。  6人きょうだいの末っ子だった巌。家族には、方言で末っ子を意味する「おとんぼ」とも呼ばれた。母は巌を特別にかわいがった。  〈お母さんお元気ですか〉〈お母さんも苦がたえ無いですね〉〈あまり無理をしない様に〉  逮捕から数年間、巌の手紙は母宛てのものがほとんどだった。母の証人出廷が決まると、〈事件となんの関係もないのだから、自信を持って来て下さい〉と安心させようとした。  無実を信じたともは病で寝たきりになっても、息子が戻ってくると期待して「巌はダメかいね」と問いかけ続けた。そ��姿を見るのは、ひで子にとってもつらかったという。ともが息を引き取ったのは68年11月。静岡地裁による死刑判決の約2か月後だった。  巌が母の姿を夢に見たことを手紙で知ったきょうだいは「もう黙ってはいられない」と、返信で死を伝えた。巌はのちの手紙でこう振り返っている。  〈人生で最も悲しい時が迫るのを感じ体中一気に凍るような衝撃〉〈この事実が何かの間違いであることを神に祈った〉  死刑判決は80年に最高裁で確定した。ひで子の手元には、80年代のものを中心に巌が獄中でほぼ毎日書いた7000枚超の便箋がある。拘置所で面会した際に「何でもいいから書いて」と伝えたからだ。「巌が元気でいるという証しが欲しかった」と、ひで子は言う。  内容は事件のことにとどまらなかった。拘置所での日常、死刑確定後に入信したキリスト教への信仰、自身が打ち込んだボクシングの選手たちへのメッセージ。便箋いっぱいにつづられていた。 80年代は死刑事件で再審となった4人の死刑囚が相次ぎ無罪となった時期でもあった。面会した弁護士らから話を聞いた巌は〈今度は私の番だ〉と期待を抱いた。だが、その日はなかなか訪れない。  〈豊かな正しさと希望の夜明けは見えています。それなのに何故か脈打ち踊る確かな喜びと豊かな希望の光が迫ってこない〉  焦りが精神を病ませたのか、文面には徐々に意味のわからない言葉が増えていった。電波が攻撃してくる、悪魔がい��……。91年には手紙が途切れがちになる。「へのへのもへじでもいいから書いて」と伝えた姉の願いは届かず、差し入れを求めるはがきも95年に途絶えた。  巌は長い身柄拘束で拘禁症を患い、ひで子や支援者に支えられている。2014年3月、地裁の再審開始決定とともに釈放されたが、心神喪失状態と判断され、昨年10月からの再審公判に出廷することはなかった。26日の判決内容は、浜松市内の自宅でひで子から直接伝えられる予定だ。  巌は1967年の手紙にこう書いた。  〈神さま。僕は犯人ではありません。僕は毎日叫んでいます。此処(ここ)静岡の風に乗って、世間の人々の耳に届くことを、ただひたすらに祈って僕は叫ぶ。お母さん〉  半世紀以上にわたる、心の叫びだ。  静岡県一家4人殺害事件で、強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌被告。26日に静岡地裁で言い渡される再審判決では無罪となる公算が大きい。袴田さんの人生を翻弄してきた事件と裁判を改めて振り返る。(敬称、呼称略。手紙は原文を一部補って掲載しています)  ◆静岡県一家4人殺害事件=1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のみそ製造会社の���務宅が全焼し、専務(当時41歳)と妻(同39歳)、次女(同17歳)と長男(同14歳)の他殺体が見つかった。袴田さんは80年に死刑が確定したが、2014年に再審開始決定が出て釈放された。再審開始は昨年3月に確定した。
獄中から無実を叫んだ手紙「遠からず帰ります」…願いは母に届かず、拘束半世紀で壊れた心(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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longgoodbye1992 · 1 year ago
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Dear M
今から三ヶ月前に同時に仕事や恋人を失った時に支えてくれたのは、Tumblrで知り合ってかれこれ五年話していた愛奈だった。
その愛奈に先日会うことが出来た。
ここに書こうとは思ってなかったけれど、愛奈が望んだので綴っておく。
降りるはずのインターを一つ過ぎて愛奈に連絡した。
アパート近くの変な名前のラーメン屋が待ち合わせ場所だった。
カーナビの到着予定時刻は約束より五分過ぎた時間。
愛奈の顔を見たのは今から五年前くらいか。まだ十代だった。そのイメージだけが頭にあってどんな女性なっているのか見当もつかなかった。
長閑な農道の中にあるセブンイレブンで気を落ち着けるために緑茶を買った。
マウスウォッシュで口をすすぎ、お気に入りのナイルの庭を首筋や足首につけた。
約束の場所に到着してすぐにLINEを送った。すぐに今から向かうと連絡があった。
間もなく道路の向こう側からスラリとした女性が歩いてきた。白いニットに黒のスカート。肩まで伸びた黒い髪。すぐに愛奈とわかった。
運転席に座ったまま、どうしていいかわからなくなった。どんな言葉をかけたらいいのか、どんな表情をしたらいいのか。
とりあえず降りることにして運転席のドアを開けたタイミングで愛奈が助手席のドアを開けてあららとなった。
愛奈と向き合い顔を見た。昔見た写真とは随分と変わり、大人の女性になっている。例えるなら吉高由里子や和久井映見、笑うとYUIや橋本愛に似た雰囲気で和服が似合いそうだという印象を受けた。
この辺りは何を話したのか記憶にないが、地元の名産や実家で作った米、お守りなんかを渡した。そのお土産があまりにも多かったからアパートの近くで待ち合わせていた。
荷物を置きに一度部屋へ戻る愛奈の後ろ姿を見ながら素敵な人になったなとしみじみした。
車で繁華街へ向かう。夜市があってそこに行こうと約束していた。
車内では昨日の飲み会の話を聞いて青春だななんて羨ましくなった。愛奈は大学生だ。
「電話で聞くのと声若干違う」
「確かに」
助手席側の窓から西��が射し込む。
「いい時間ですね」
「そうだね、着いたらちょうど薄暮でお酒が美味しいんじゃないかな」
緊張していた。助手席に座る愛奈の横顔をほとんど見れなかったのを今では後悔している。それとカーオーディオから流れる曲がたまたまTaylorSwiftの「DearJohn」とかバラードばかりだったのがちょっと恥ずかしかった。
俺が泊まるホテルにチェックインしてから夜市へ向かった。川沿いの道を愛奈と歩く。
「この街を歩くのは初めてですか?」
「そうだな、中学生の時に歩いて以来だから十五年くらいぶり」
「そっか研修で来たって言ってましたね」
「いい街だね。住みたいくらい」
「私ももっと住んでてもいいかなって思う」
マンションの間をすり抜けていくと目の前に夜市の旗が掲げられていて、大勢の人で賑わっていた。
「まずは食べたい物に目星つけて端まで歩こうか」
「途中でビール買いましょ」
「いいね」
焼鳥、海鮮焼き、日本酒、スイーツなど様々な店が並んでいる。人は多いが決して歩けないわけじゃない。
「彼に夜市行くって言ったらいいなって言ってました」
「今度連れてきたらいいよ」
「でも彼人混み苦手なんですよね」
「それじゃあダメか」
「そういう私も苦手なんですけどね」
「俺も得意ではないな」
ビールを売ってる店を見つけて並ぶ。
ふんわりした泡が美味しそうな生ビールだ。
生憎座る場所が空いてなかったので立って乾杯した。
「はじめまして」
「はじめまして」
二口で半分くらいまで飲んだ俺を見て愛奈は笑っていた。好きな銘柄ではなかったけれどここ何年かで一番美味しい生ビールだった。
色々と歩いて海鮮焼きを買って食べることにした。
何となく愛奈の前を歩いたのは横に並んで歩くのが照れくさかったのと、俺が横にいることで愛奈の価値が落ちてしまうじゃないかと思ったからだ。それくらい愛奈の姿は美しさとミステリアスさがあって、もし知らない間柄でどこか別の街ですれ違っていたらきっと振り返ってその後ろ姿を目で追ってしまっただろう。
親子連れの横の席がちょうど空いており、了承を得て座った。
Tumblrの人の話なんかをして海鮮焼きを食べる。
イカ焼きに苦戦してタレを服にこぼしそうになる愛奈を心配なようなちょっと可笑しいような気持ちで見ていた。
「ビールもう一杯飲んだら帰ります」
「えっ?」
虚をつかれたような気持ちになった。
「そう言わずにどこかお店行こうよ」
「週報書かなきゃいけなくて…」
「まあな、今朝まで友達と飲んでたんだもんね」
無理矢理そう納得させる。
何か嫌なことでもしていたのだろうか。もしくは俺のルックスやらファッションが想像と違っていたから早く帰りたいのかとも考え、次のビールを買いに行った愛奈の背中を見ながら天を仰いだ。
ビールを飲みながら残っていたホタテを食べた。手がタレだらけになっているのを見て愛奈がハンカチを渡してきた。
「いいよ、せっかくのハンカチが汚れる」
「裏側ならいいですよ。見えないし」
「なんかごめんな」
お言葉に甘えて手を拭いた。十一匹のねこの刺繍があった。
「かわいいね」
「お気に入りです。書店で買ったんですよ」
ハンカチを返す。
「口にもついてます」
そう言うとそのハンカチで俺の口の横を拭った。
ほんの数秒の出来事なのにその瞬間は鮮明に残っている。
「なんか子供みたいだな。かっこ悪いね」
「男の人はいつまでも子供ですから」
愛奈の底知れぬ母性は本当に罪だ。年甲斐無く甘えてしまいたくなる。かれこれ五年も話しているからどんなバイトをしてどんな男と交際しているのかほとんど知っている。だから同い年の女の子達とは一線を画すくらい魅力的な人になったんだな。
夜市を後にする。空は確実に夜に近づいているがまだ青が見えている。
駅の方向に向かいながら二人してトイレに行きたくなり場所を探した。
「この街のトイレなら任せてください」
そう言う愛奈の後ろをついて行った。
二人とも限界に近づいていたから小走りでテナントが多数入る建物に入った。
終わるとお土産コーナーを見ながらコンビニに入った。
玄米茶と愛奈が吸ってる赤いマルボロを買った。
「そこの角で吸いましょう」
「そうしよか」
玄米茶を一口飲んでアメリカンスピリットに火を点ける。愛奈はライターを持っていなかったのでその後に俺が点けた。
「今日はありがとう」
「こちらこそたくさん貰ってしまって」
「いいんだよ。命の恩人なんだから」
「いやいや」
「これで思い残す事はない。いつ死んでもいい」
「そんな事言わないで。悲しい」
「最近思うんだ。生きてる価値あるのかなってさ」
「じゃあ飲みながら人生語りましょ」
愛奈の言葉に驚く。
「帰らなくていいの?」
「いいです。お話しましょ」
なんか泣き落とししたみたいでかっこ悪いなと思った。愛奈の時間を奪っていくみたいで罪悪感も湧いた。でもそれを超えるくらい愛奈ともっと飲みたい話したいというエゴがあった。
「そうか。ありがとう。愛奈ちゃんと一緒に行きたい店があるんだ」
「どこですか?」
「バーなんだけどさ」
「バーあまり行ったことないから行きましょ」
煙草を吸いながらバーを目指す。
途中で車に轢かれそうになると腕を引っ張ってくれた。
「いいんだよ、俺なんか轢かれたって」
「ダメですよ。死んだら悲しいですから死なない���」
「でもさ、よく思うんだよね。交通事故なら賠償金とかでお金残せるしさ」
「それは私も思うときあります」
そんな話をしていたら店についた。
俺が持っていた玄米茶を愛奈が自分の鞄に入れてくれた。
明るめな店内のカウンターに横並びで座る。
愛奈はモヒート、俺はモスコミュールをオーダーして乾杯。
「私、親の老後見たくないんです」
「そうなんだ」
「前に言いましたっけ?産まなきゃよかったって言われた事」 
「うん、覚えているよ。それならそう思うのも不思議じゃない」
「計画性ないんですうちの親。お金無いのに産んで。三人も。それでたくさん奨学金背負わせるなんて親としてどうかなって思うんです」 
「そう思うのは自然だな」
「だから私、子供産みたくない。苦労させたり嫌な気持ちにさせたくないから」
「でも愛奈ちゃんはそうさせないと思うけどな」
「育てられる自信ないです」
「そっか。でもそう思うのは愛奈ちゃんの人生を振り返ってみたら自然だよ。それでいいと思うし、理解してくれる人はたくさんいるよ」
「結婚しないと思いますよ」
「それはわからないよ。これからさ、その気持ちを超える人が出てくるかもしれないし」
モスコミュールを飲み干した。
もし自分が同じことを親から言われたとしたらと思う怖くなった。そんな中で愛奈は自分の力でそれを乗り越えて立派に生きている。愛奈を抱きしめたくなった。ただただ抱きしめてもう大丈夫だって言いたかった。
愛奈からマルボロを一本もらう。久々に吸った赤マルは苦みが程々で後味が美味かった。そこで知ったのは赤マルは二種類あって、俺が渡したのはタールが高い方で、愛奈は普段低い方を吸っているらしい。
「あの棚の右から二番目のお酒知ってます?」
「知らないな」
「友達が好きで美味しいらしい」
「読んでみよか」
スコッチだった。
ソーダ割りで飲むと中々美味しかったけれど、元々カクテル用のウイスキーとして作られただけあって、もうワンパンチ欲しい味だった。
三杯目は俺はヨコハマというカクテル、愛奈は和梨のダイキリをオーダーした。
「俺もさ、親を看取らなきゃいけないプレッシャーがあって辛いんだ」 
「一人っ子ですもんね」
「出来た親でさ。ほとんどのことを叶えてくれた」
「すごいですね」
「ほんとすごい人だよ。だから期待に応えなきゃって思うとさ。色々しんどくなるんだ」
ヨコハマを一口飲む。ウオッカとジンの二つを混ぜるカクテルだからぐっとくる。愛奈に一口飲ませると「酒って感じです」と感想を述べた。茹で落花生がメニューにあったのでオーダーする。愛奈は食感が苦手だったようだ。愛奈はダイキリについてきた梨を一口食べ俺にくれた。甘くて美味い梨だった。次にオーダーしたのは愛奈はシャインマスカットを使ったウオッカマティーニ。俺はサイドカー。
「ゴリラいるじゃないですか」
「実習先の人ね」
「ほんといいなって思う。優しいし人のこと良く見てるしたくさん食べるし」 
「既婚者じゃ無きゃね」
「そうなの。でも奥さん可愛かった」
「たぶん可愛いだろうな」
「一緒にいれはいるほど��いなって気持ち強くなる」
「叶うとか叶わないとかそんな事はどうでもいいから今の時間楽しめたらいいね」
「頑張ります。お局怖いけど。でも最近機嫌いいからいいや」
シャインマスカット一粒を俺に寄越す。繊維質の食べ物があまり好きではないらしい。サイドカーを飲ませると美味しいと言った。
「サイドカーに犬って映画知ってる?」
「知らないです」
「すごくいい映画だよ。小説原作なんだけれど」
愛奈がスマホをいじる。
「Huluで見れるんだ」
「そうなんだ。便利やな」
「今度見よう」
その後は愛奈の好きな小説の話をした。加藤千恵って読んだことなかったなと思いながら話を聞いていた。
「次なんだけどさ」
「はい」
「ピアノがあるバーに行きたいんだ」
「行きましょ。その後ラーメン食べて帰るんだ」
「いいね、そうしよう」
店を出てると少しだけ肌寒くなっていた。
ピアノのあるバーに向かって歩いていく。
「バーに入るの初めてでした」
「そうなんだ。前の彼とは来なかったの?」
「入るのに緊張するとこには行かなかったんです」
「最初は緊張するもんな。慣れればいいんだけど」
「あっちの方にあるビストロにもやっと入ったくらいだから」
「そうなんだ。でもいいもんでしょ」
「すごくよかったです」
「そうだ」
「どうしました?」
財布から千円札を数枚出して愛奈に渡した。
「タクシー代、忘れないうちに渡しておくよ」
「えっ、いらないですよ」
「遅くまで付き合わせてしまったし」
「いいですって」
「いや、受け取って。今日は本当にありがとうね」
愛奈のポケットに押し込んだ。
「すみません。ありがとうございます」
「ほんと愛奈ちゃんには救われっぱなしだよ。だからこれくらいはさせてよ」
そうこうしてるとピアノバーの前についた。
少しだけ緊張したが意を決して入る。
店内は混雑していたが運良くピアノが横にある席に座れた。さっきまでは横に座っていた愛奈と向かい合わせで座った。目を合わせるのが照れくさくなるなと思った。
「リクエストしてもいいみたいだよ」
「えー、いいな。弾いてもらいたい」
「何かあるの?」
「一時期、月光にハマってて」
「いいね」
「でも何楽章か忘れちゃった。ちょっと聞いてもいいですか?」
「いいよ」
愛奈がイヤホンを繋げて聞いている。
その間に俺は「Desperado」をリクエストした。
「一でした」
「そっか、次に言っておくよ」
Desperadoが流れる。
愛奈も知っていたみたいで俺が勧めたピニャコラーダを飲みながら聞いている。柔らかくて優しい表情が美しく貴かった。
「これはさ恋愛の曲っぽいけどポーカーで負けた曲なんだ」
「えー」
愛奈が笑う。
次にピアニストの方に愛奈のリクエストを伝えた。
始まると今にも泣きそうなくらいに感動している愛奈がそこにいた。スマホを向けてその時間を記録している。その時の顔は少女のよう、昔見た愛奈の写真に少し似ていた。
お酒が進んでいく。
カウンター席のおじさまがビリー・ジョエルをリクエストしている。ストレンジャーやHONESTYが流れている。
会話は愛奈の男友達の瀬名くんの話題に。
「今度ドライブに連れて��てくれるんですよ」
「ロードスターに乗ってるみたい」
「オープンカーか。この時期はまだ気持ちいいね」
「天気の良い日見ておくねって」
「いい子やね。その子と付き合っちゃえば?」
「でもね、絶対彼女いるんですよ。いつも濁してくるけど」
「そっか」
「沼っちゃう男子ですよね」
「じゃあさ、俺と付き合って」
「仮にも彼氏いるんですよ」
「冗談だよ。俺は君に似合わない」
もっと若くて横浜流星みたいなルックスで何か才能があって自分に自信があったらもっとアピールしたかもしれない。そう、愛奈に合うのはそれくらい優れている人で、愛奈を大切に包み込むことが出来る余裕がある人に違いないからだ。
「あの曲聴きたい」
「なに?」
「秒速の曲」
「One More Time?」
「それ!」
「じゃあ頼んでおくよ」
ピアニストの方にお願いするとすぐに弾いてくれた。愛奈は感激してこのときは本当にその強い眼差しが少し濡れていたように見えた。
タバコに火を点ける。愛奈をちらちらと見ながら吸うタバコはいつもより目に染みる。
ダービーフィズを一口飲む。久々に飲んだがやはり美味しい。
「すごく嬉しかった」
「よかったよ」
最後の酒に選んだのは愛奈はシシリアンキス、俺はXYG。
そのオーダーを聞いていたピアニストの方はGet Wildを弾いてくれて俺は笑った。
「これさ、シティハンターで出てくるんだよ」
愛奈はもちろん知らなかった。男の子の映画だからね。
「ボズ・スキャッグス弾いてほしいんですけど」
近くの席の女性が弾いているピアニストに声をかけたがちょっと待ってと制止された。女性がトイレに入った間に俺はこの隙にと一曲リクエストした。
愛の讃歌。
愛奈も知っていた。
タバコも吸わず、氷だけになった酒で口を濡らし、聞いていた。少しだけ目頭が熱くなった。
曲が終わるとお酒が届く。
「渋いお酒飲まれますね。さっきのダービーフィズとか」
マスターから声をかけられた。ダービーフィズの泡がいいよねと話した。
ピアニストにさっきの女性が話しかけている。
「ボズ・スキャッグスをお願いします」
「曲はなにがいいですか?」
「曲名がわからなくて…」
「それならウィー・アー・オール・アローンを聞きたいです」
俺が言った。すると二人ともそれがいいとなって弾いてくれた。
訳詞には二つの解釈がある。
僕ら二人だけ。なのか、僕らはみな一人なのか。
今だけは前者でいさせてほしいと思った。
「ピアニストの人が弾いてて気持ちいい曲ってなんなんだろう」
愛奈が言う。
「確かに気になるね。聞いてみるよ」
ピアニストの方に聞く。
「その時で変わります。上手くできたなって思えば気持ちいいですから」
なるほどなと二人で頷いた。
最後のリクエストに「ザ・ローズ」をお願いした。
ピアニストの方も好きな曲らしい。
「気持ちよく弾けるように頑張りますよ」
この曲は愛奈も知っていた。
オールディーズの有名な曲だ。
気持ちよさそうに弾くピアニストと聴き惚れる愛奈を見ながら最後の一口を飲み干した。
後半はあまり愛奈と話をした記憶がない。二人ともピアノの音色に癒やされな���ら静かに酒を飲み、少しだけぽつりぽつりと会話をする。そんな落ち着いたやり取りが出来る関係っていいなと思った。
会計をする。
お釣りを全て、といっても少額だがピアニストの方に渡してもらった。
財布の中身が増えている気がした。
愛奈に聞くと何もしてないらしい。
「きっと財布の中でお金が生まれたんですよ」 
そういうことにしてピアノバーを出た。出る直前に流れていた曲はドライフラワーでちょっとだけ不釣り合いで笑えた。
愛奈がラーメン屋を案内してくれるが場所が少し分かりにくくて何とかたどり着いた。
ビールを少し飲みながら餃子を食べているとラーメンが届いた。
二人して黙々と食べた。美味かった��
「大盛りにしてもよかった」
「私もう食べられないからあげますよ」
愛奈が麺をくれた。それを全て食べてビールを飲み干す。
二人で一頻り飲んだあとに餃子をつまみながらビールを飲み、ラーメンを一緒に食べてくれる女性は出会った事なかったかもしれない。
会計前にトイレに行きたくなって財布とカードを愛奈に渡して払っておいてほしいとお願いした。
戻るとテーブルに忘れていた眼鏡を俺に渡しながら
「使い方わからなくて自分で払っちゃいました」
「えっ、ああ、ごめん。現金渡すよ」
「いらないですよ。たくさんご馳走になったんでこれくらいはさせてください」
何度かやり取りしたが甘えることにした。
愛奈には甘えてばっかりだ。
店を出て大通りに向かう。
タクシーをつかまえようと。すぐにつかまった。
「このタクシー割引使えるんですよ」 
「ありがとうね、また会おう」
「はい!」
タクシーを見送った。夜の大通りをすーっと去っていった。
ホテルへの帰り道。コンビニでお茶と赤マルを買った。久々に吸って美味しかったからだ。お茶は愛奈の鞄に預けたまま忘れていた。
赤マルに火を点ける。
やたらと煙が目にしみる。夜空を見上げたら明るい繁華街にも関わらずいくつか星が見えた。
生きていてよかった。
それくらい楽しくて美しい夜だった。
また愛奈に会いたいと思った。次はいつ会えるだろう。そんな事を考えながらホテルのベッドに倒れ込む。
「死んだら悲しいですから死なないで」
今日何度か言われた愛奈の言葉がリフレインしている。
本当に素敵な人だ。あんなに幼くてどうしようもない人と恋に落ちてたのに上手に成長した。
あんなに気遣いできて疲れないのかなって思う。
少し心配だ。
愛奈を写した写真を見返す。ブレてる写真ばかりで下手さが目立つが二枚ほどいい写真があった。
大切にしなきゃならない人がこの世にはいる。
間違いなくそれは彼女である。
これは一夜の記録と愛奈への恋文だ。
なんてね
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patsatshit · 1 year ago
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2023年も色んなことがあった。嬉しいことも嫌なことも悲しいことも。それでもこの夏はきっと終わらないって、心からそう思わせてくれた特別な日がある。8月19日、あれは猛烈に暑い日だった。そして今年のタラウマラ営業日のなかでも屈指の忙しさと売上を記録した日だ。朝から途絶えることなく自転車修理と整備業務に追われて滝のように汗を流しながらタイヤ交換をしていたときにSTRUGGLE FOR PRIDEの今里さんが「土井さん、久しぶり」と言って朗らかな笑顔で店先に姿を現した。これまでに自分の日記やSNS等でSFPについて何度も書いてきたから、SFPに対する僕の過剰な思い入れについては周知の通りだ。とにかく20代の僕の生活には常にSFPとECDがあった。だからと言って熱心にライブに足を運んだり、血眼になって音源やマーチャンダイズを探し求めていた訳ではない。もちろんライブに行くこともあったが、当時は声をかけたりはしなかった。直接、話をしなくても心で対話をしているような錯覚を抱いていた。そう、当時の僕ははっきりと痛い奴だったのだ。20代の自分を振り返るとなかなかにクソったれな日々を送っていたけれど、無理に同志を見つけようとは思わなかったし、誰かとつるんで何かをしようとも考えなかった。ボクシングのプロテストに挫折してからは、ひたすらに小説を書き続けていた。執筆時に爆音で流していたのがSFPやECD、そしてデトロイトのUnderground Resistanceの音源だった。その頃は参考文献と併せてBGMを記載していて、彼らの楽曲は必ずセレクトしていた。
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それくらいSFPの存在は僕が生きていく上での一本の「筋」や「芯」だった。彼らが居てくれたから、ウダツの上がらないシミったれた日々も「何とかなるやろ」と肯定できた。前回の日常炒飯事くんのインタビューからの流れで言えば、SFPが僕にとって20年来変わることのない「推し」なのかもしれない。サイクルショップすずめをやっていたときには常連のハタさんが「土井さん、SFPお好きでしたよね?」と言って、��デカい今里さんのポスターをプレゼントしてくれて、それを店頭にデーンと掲示したことでマリヲくんと出会うことになる。そんな今里さんとはじめてお話をしたのが2年前の年末、旧グッゲンハイム邸で開催されたRC SLUM主催のパーティーだった。タカアキ(BUSHMIND)さんに手を引かれ、紹介された。今里さんは「俺、ソウタくんの真似してタラウマラに突撃しようと思ってたんですけど、寝坊して行けなかったんですよ」といつものあの笑い声を聞かせてくれた。
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それから2年ぶりの再会、夏、茹だるような暑さの淡路の路上で。今里さん、お久しぶりです、このタイヤ交換をちゃっちゃと終わらせるんで、店内でゆっくりしてて下さいと告げるも、今里さんはお邪魔でなければ外で見てて良いですか?と言ってずっと店頭で僕の作業を見ていた。しかし当のタイヤ交換を終わらせても一向に客足が途絶えず、パンク修理、タイヤ交換、自転車販売、スタンド修理、チェーン交換と立て続く。あまりの慌ただしさを見かねた今里さんが「土井くん!俺も手伝うわ」と手を差し伸べてくれた。車体を押さえてくれたり、タイヤを取ってくれたり、スタンドを調整してくれたり。そのスタンドはタラウマラの主要登場人物シュウ(小学4年生)のもので、このシュウという少年はなかなかの個性持ちで、阪急淡���駅の改札をサラリーマンの後について入場し、そのまま難波や心斎橋まで行って駅員に保護されたり、23時を過ぎた人もまばらな淡路商店街で空き缶やペットボトルを並べてボーリングをしていたり、方々で犬と本気で喧嘩をしていたり、知らないおっさんの部屋で一緒にゲームをして遊んでいたりするような最高に愛すべき問題児なの��が、今里さんの前では珍しく猫を被っていた。途中、今里さんがコンビニに行った際にシュウのお母ちゃんが僕にそっと耳打ちする、うちのシュウがビビってる、と。僕は思わず爆笑した。ちょうど今里さんがコンビニから戻ってきたタイミングで、CHOPPY'S SKATEBOARDの上野さんが来てくれたので僕は修理作業を継続しながら紹介すると、おふたりはスケートボードや共通の知人の話で盛り上がっていた。その頃になるとようやくシュウもギアが上がってきて「どっちかのお兄ちゃん、僕のお母さんと結婚して欲しい」と冗談とも本気とも取れる言葉をぶっ込んできた(シュウの両親は離婚している)ので、みんなで爆笑。お母ちゃんは「お兄ちゃんらにも選ぶ権利があるわ」と言うて苦笑していた。結局シュウのスタンドは完全には直すことができず、ちょうどサイズも小さくなってきたこともあって、まだ整備できてないけど一台シュウにぴったりのサイズの自転車があるからそれが出来上がったらお母ちゃんに電話するからそれまで辛抱しとき、と伝えると瞳を輝かせて、ほんま!絶対やで!約束やで!と嬉しそうに手を振って帰って行った。その後もなかなか客足が途絶えないため、今里さんが「軽くメシでも喰ってくるよ、オススメある?」とおっしゃったので、食い気味に「大阪王将」と言うと「いや、王将が美味いのは知ってるけど、もうちょっとローカルのが良いな、せっかくやから」と苦笑い。僕も思わず、ですよね、と吹き出した。さっき今里さんが行かれたコンビニの裏手に「いしかわ」という定食屋があって、そこのカスうどんめちゃ美味いですよ、と伝えると、じゃあ行ってくるー、と今里さん。僕は一度、頭から水を被って残りの作業を続ける。ようやくひと段落つこうかというタイミングで今里さんが戻ってきた。え、もう喰ってきたんですか?と驚くと、いや、やっぱり土井さんと一緒に食べようと思ってお好み焼きを買ってきた、と手に下げた袋を見せてくれた。僕らは一枚のお好み焼きを半分こして食べた。そこでようやくゆっくり話せるかと思ったんだけど、またしても来客があり、整備依頼が舞い込んでくる。ついつい話し込んで僕の手が止まることを懸念して、今里さんはこれ以上いたら邪魔になるので今日はもう行きます、と店を出る。たくさんのプレゼントを頂いたお礼に僕は自分の作品を手渡した。そのときたまたま定食屋「いしかわ」の社長がタラウマラにやってきたので、今里さん、この方がさっき言うてたカスうどんの美味い店をやってるお父ちゃんですよ、と伝えると、ああああ俺やっぱりカスうどん喰っときゃ良かった、とほんまに悔しそうにしていたのが可笑しかった。社長は、わしはカスうどんなんて認めへん、あれは孫が勝手にやっとるだけや、とか言うて何やねんそれ(笑)。そんな訳で2年ぶりの再会はゆっくり話せるなんてことはほとんどなかったけれど、その時に流れていた時間は僕にとってはSFPのライブの激しさとDJ HOLIDAYのミックスで聴ける優しさが全部つまった特別な瞬間だった。この夏はきっと終わらない、心の底からそう思った。汗だくヘトヘトで閉店作業をしているときに今里さんからメッセージが届いて、スマホを持つ手が喜びに震えた。
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akunews · 9 months ago
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J-WAVE SPECIAL PREVIEW一般試写会レポート
4月11日、本作の公開を前にして、主演の大美賀均、撮影を担当した北川喜雄、そして編集の山崎梓が登壇するトークショーを行いました。当日は濱口監督よりビデオメッセージも上映しました。 当日のレポートを掲載いたします。
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登壇者の登壇前に、「みなさま最初で最後の試写会いかがだったでしょうか?皆さんの反応が気になるのですが、その場にいられなくて申し訳なく思っています。ただ、自分たちとしても、すごく良い仕事ができたなという感触を持っています。音楽の石橋英子さんの発案から始まった企画ですが、自分にとって充実した、幸福な制作でした。映画の内容は幸せだけではないところもありますが、皆さんにとって楽しめるものであったらいいなと思います。あそこはこうだったんじゃないか、ここが好きだ、嫌いだ、とかそういう話を皆さんとしていただいて、話題にしていただければと思います。アフタートークも是非最後までお楽しみください。」と濱口監督のビデオメッセージが流され、その後MCの呼びかけで登壇した登壇者。
 早速、どのようなきっかけで本作が始まったのかという話になると、撮影の北川が、「大美賀さんが合流する前に、まずは石橋さんに会いに行こう、ということと、音楽映画をどういうふうに撮ったら良いのかという命題の元に、石橋さんのスタジオに濱口さんとふたりでカメラを持っていったのが一番最初でしたね。その時点では、まだタイトルも決まっていなくて、石橋さんのパフォーマンスのバックグラウンドに流れる映像制作ということだけ聞いていました。」とはじまりを語る。
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大美賀も「濱口さんとは、『偶然と想像』という作品で制作部として入ったのが始まりでした。そこから、今回も初めはスタッフとして、北川さんと三人でシナハン、ロケハンに回っていきましたね。」と、自身のはじまりを語ると、北川が「小淵沢に三人で行ったのが始まりでしたね。みんなで田舎暮らしはどういうものだろう、と言ってやってみようということでスタンドインをしながら、薪割ったりしましたね。」と、当時を重ねて振り返る。そこから、どういったかたちで“主演”を務めることになったか聞かれた大美賀は、「2回くらいシナハンに行って帰ってきたタイミングで、「驚かないで聞いてください。」と濱口監督から電話がかかってきました。何かやってしまったのかな、とちょっと怖いですよね(笑)そして、「出る方に興味ありませんか?」ということで本当にサプライズでした。」と、まさかのサプライズに観客からも驚きの声が上がった。「当然びっくりするわけですが、濱口監督は経験豊かで、『ハッピーアワー』も経て職業俳優ではない方と映画をつくられてきた方なので、そんな監督がそう言うなら面白いだろうと思いました。濱口監督にとっても新しいことをやってみようということだったので、その一員になれるなら、とワクワクしていましたね。」とオファー当時を振り返る大美賀。
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濱口監督とは東京藝大の同期であったと言う山崎は「在学中は一回も一緒にやっていなくて、実質、卒業後からでしたね。わたしが卒業後は大学院の方に残って4年くらい大学で助手をやっていて、その間に海外の学校との合作など色々なプロジェクトが動いている中で、『THE DEPTH』という韓国の大学との���作にはいるときに、わたしが学校にいたということと、私が編集を続けるという選択肢をしていたということとか、私がいると学校にいるので機材もつかえますし(笑)とか色々あり、一緒にやりました。その『THE DEPTH』をやる前に『永遠に君を愛す』というのもありましたね。」と濱口監督との制作のはじまりを話す。そこから、「今回は、「石橋さんの『GIFT』という作品のためのものを、撮ってあります」ということから始まって素材を渡されて、「え!」みたいな。(笑)台本はいまでももらっていないです。」と、ここでも驚きのエピソードが飛び出す。北川も山崎が入ったタイミングのことを、「撮影中盤で、『悪は存在しない』という映画をまずは成立させた後に、その編集を解体して『GIFT』をつくる、という話を聞いていたんですけど、良い撮影ができていって、撮影の終盤に『GIFT』の方を山崎さんに頼もうと思うんだよね、っていうのを濱口監督がぼそっと言っていたのを覚えています。」と思い返す。山崎は「確信犯ですね。(笑)」と突っ込みつつ、「素材自体は一般的な音声が入っている映像が届いたんですけど、撮影順に整理されていて、「どうぞ」と言う感じでしたね。(笑)何をどうするか、というのはずっと手探りでいて、まずは素材を観て、何ができるかを考えようということで、頭から最後まで(濱口監督と)一緒に観て、「何をつくりましょうか?」という話になりましたね。前提として、石橋さんのための音楽ということはあったので、『GIFT』の編集の時は最初から、スピーカーをミュートにしてやっていました。」と、編集の裏側が明かされていき、観客も聞き入る。続けて、「『GIFT』の方を着手して、色々試行錯誤していく中で、『悪は存在しない』も並行してやって、どこがどうこのふたつは違うのか、じゃあ『GIFT』がこうしたいなら、『悪は存在しない』はどうするのか、“編集交換日記”というか、お互いどうしてるのかみたいなのを話していましたね。部分的に繋いだもので、良きものはどちらかに入れたり、というのを並行してやっていました。」と本プロジェクトだからこその共同作業のプロセスも明かされる。
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本作以前より濱口監督と関わりのあった三人に、他の作品との制作の違いを尋ねると、山崎は「今までの作品は、完成形が「こうなる映画である」というのが明確にあったと思うんですね。今回、『GIFT』は特に全くなかったので、今回の試行錯誤の多さは今までに全くなかったものですね。ストーリー展開も自由で、寓話っぽいかたちで、そういうものも受けいれられる自由度の大きいプロジェクトでしたね。」と、しみじみ語る。北川も10人前後での制作体制の現場を振り返りながら、「濱口さんの場合は、皆がやったことひとつひとつが、この作品のためにどうなるか、自覚しながら、現場が作られる、場がつくられます。みんなが作品のために何をやっているかちゃんと明確に分かって仕事ができる、それが喜びにつながるし、それがすごく楽しいですね。そういう場をつくってくれるのが濱口さんですね。」と濱口監督ならではの現場での体験を語る。
映画中盤のグランピング建設の説明会のシーンの話になると、「ホン読みを何度も繰り返しやって、あの説明会のシーンは2日間あったのですが、1日目の午前中は丸々ホン読みに使いましたね。」と贅沢な時間の使い方を振り返る大美賀。「現地のエキストラの方と、東京から来た方、50人くらいのエキストラの方が演じる人の背景や、グランピングに賛成なのかどうなのかという設定を、助監督の方がひとりひとりにお渡ししてましたね。大変だなというのを見ながら、自分は撮影の準備に集中していました。(笑)」と、北川も振り返るが、そういった積み重ねがあったからこそ現地のフィルムコミッションから「こんなにエキストラの皆さんが楽しそうにやっているのは見たことがなかった」という声が上がったことも明かす。編集の山崎も、「編集素材を見ていてもそれはすごく伝わってきました!そのシーンはなんか揉めてるなと思って見ていたのですが(笑)、2日間で撮影した説明会って2カメで、素材は通常の倍以上あるわけですが、全然楽しかった!このおじさんすごい賛成している、というのも分かるので、(演じている)皆さんも何回もやっているはずなのに、白熱して、とても楽しそうでしたよ。」と絶賛。現場にいた北川も、「エキストラの方も、生で舞台上で演技をしている人の中に入って見ているような状況なので、アトラクション感ありますよね。最初はどのタイミングで誰が立つのかわからないので、面白かったはずです。」と話す。
そんな中、初めての演技経験に挑戦した大美賀は「いままでにない緊張をしましたね。頭を打ったりすると目の前に蝿が飛ぶってあるじゃないですか。あれが本当に起こるんですよ!(笑)本当にセリフが出てこなくて、間があったり、三行のうち二行を飛ばしてしまったり、最初のテイク��かなり続いてし��ったんですが、濱口監督は「それはそれでオッケーです」とか、「本当に集中している時はセリフを飛ばします」と言われるんですよね。」と現場での濱口監督のフィードバックを明かしながらも不安そうな表情をする。そこで、北川は「実は初日の3ターン目くらいに、(撮影の)飯岡さんが「大美賀さんのいいところが撮れたよ」って言ってくれていましたよ。」という話を明かし、安心した表情の大美賀だった。
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最後に、北川が「噂によると、2、3回目観るとまた違う感覚に陥ると、そのようにできていると、監督と石橋さんもおっしゃっています。(笑)すごく綺麗な自然の中、そしてミニマムながら一番いい光の時間を考えながら、楽しく撮影できた作品なので、大きなスクリーンで観ていただけたら嬉しい気持ちでいっぱいです。」と、山崎が「濱口さんの作品の編集が終わった時、「観たことない映画ができたな」という感覚になるのですが、今回も「観たことがない」というのを本当に感じたので、皆さんも宣伝にご協力いただき、また観ていただけたらと思います。」と、大美賀が「僕もこの映画は8、9回観ているのですが、山崎さんが仰るように、説明会のシーンの町の方の顔一つとっても、観るべきところがあります。自然と音楽と、とても気持ち良いですよね。この後、お酒でも飲みながら話したり、観た後も楽しい作品です。感想等、書いていただいたら励みになりますので、宜しくお願いします。この映画を気に入っていただいた暁には、『義父養父』(大美賀の監督作)も観ていただけたら、理解が深まると思いますので、宜しくお願いします。」と話し、トークショーは終了した。
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aramashi · 1 year ago
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7月27日。仙台にて
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通り雨で車両の窓が斜めに濡れた。バタバタとガラスが叩かれる音でうたた寝から目覚める。すんと湿ったにおいが鼻をかすめて、少し身震いをする。
冷房が効いていて肌寒い。乗り込む直前まではびたびただった汗もすっかり乾いた。ちょっぴり残っていたMATCHを飲み干して新幹線の外に目をやる。
相席のお客さんが郡山か福島かで降りていったから窓の向こうがよく見えた。陽炎みたく淡く浮かぶ山の縁を覆うように、雲がたなびいている。ぽとぽとと灯りを点し始めた町は、雲間からあふれた夕日によってその潤いを増している。
腰を据えるなら空が広い場所がいい。地元に帰っているときもよく思うことだ。上を向いているときにはネガティブな気持ちが減るって言うし。遠く高く変わっていく視界を前にしていたら、なんかどうでもいいなってちゃんと思えるから。
チェックインを済ませてひと休みをしたあとは、先んじて送っていた荷物を受け取りに友人Yの居候先まで向かった。青葉通りを突っ切って、真っ黒な広瀬川を足元に眺めながら大橋を渡る。
渡りながら、1年も2年も昔の自分って他人じゃん、と口を開く。うん?と咀嚼の必要を含んだ反応を返す同居人の横顔を特別確認することもなく、だからさ、と話を続ける。
今じゃ考えられないようなことを考えて、今じゃやらないようなことをやってるんだよね。馬鹿じゃないのとか、もっとうまいことやれるでしょって今なら思うようなことも、平気で。
そうだね、と相槌が打たれる。追いついた表情をしていることが声色からわかる。
でもさ、記憶は残っているから。他人でも、自分だから。それで、そんな思い出が、ここにはたくさんあり過ぎる。
平たいLEDの信号機が十字路を赤に染めている。目の前の坂をぐっとのぼればかつて通った大学の部室棟だ。このまま見つめ続けていたら胃の内側に薄い膜が張られていくような気がして、ぷいと視線を逸して右手に曲がる。
そんなことばかりだよ。彼がつぶやく。木だか虫だか葉だかわからないものをシャクシャクと蹴って美術館の手前で折れる。セブンイレブンが通りの向こうで煌々と照っている。油絵の具のにおいをまとわせて、いい子はもう寝ている時間に飲み物を買いに歩い��道。
そんなことばかりだよね。私もつぶやく。そんなことばかりだ。悔しくて、恥ずかしくて、見たくもないのに、愛おしい。
自作のTシャツに黒のハーフパンツというリラックスした装いで出迎えてくれたYは、林のように本棚があちこちそびえ立つ一軒家にすっかり馴染んで見えた。
せっかくだから、と招き入れてくれたダイニングの真ん中で、こっくりとした色味の木のテーブルに肘をつき、麦茶を片手に軽く話をする。
フリーになってさ、まあぼちぼちよ。ありがたいことに仕事を回してくれる人がいて。ムラはすごいけどお金は最悪、なんとかなるし。ただでもさ、絶望だよね。
不意に強い単語が吐かれたから聞き間違いかと疑った。何が?と問うと、なんていうか、社会?と手をこまねく所作をする。
たとえば『怪物』をさ、ああまだ観てないのか。もし観るなら予告も何も調べないのがいいよ。前情報なく、いきなり観てよ。
それ前にも友だちに言われたわ、と笑って伝えて、次の週末には観に行くと心の中で決めた。
東京のおすすめの喫茶店や本屋をいくつか教え、盆栽に水をどうやるかを見せてもらって玄関に降りた。じゃあね、と家をあとに車道を渡って振り返ると、Yは橙の明かりを背負ったまま、まだ私たちを見送ってくれていた。
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shintani24 · 1 year ago
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2024年1月20日
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皇后杯JFA第45回 全日本女子サッカー選手権大会 準決勝 三菱重工浦和レッズレディース 3(4PK2)3 サンフレッチェ広島レジーナ@サンガスタジアム by KYOCERA 11916人/19分 安藤 梢、42分 猶本 光、45分+3分 立花 葉、61分 瀧澤 千聖、91分 中嶋 淑乃、112分 清家 貴子
浦和 ◯ 菅澤 優衣香、◯ 高橋 はな、◯ 塩越 柚歩、◯ 池田咲紀子
広島 ◯ 髙橋 美夕紀、◯ 立花 葉、✖️楠瀬 楓菜、✖️市瀬 千里
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立花 葉
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瀧澤 千聖
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中嶋 淑乃
攻撃牽引のS広島R瀧澤千聖、浦和相手に2点差逆転は「成果」も…「決勝に行けるチャンスはあったので悔しい」(超WORLDサッカー!)
サンフレッチェ広島レジーナのMF瀧澤千聖が、三菱重工浦和レッズレディースとの激闘を振り返った。
S広島Rは20日、サンガスタジアム by KYOCERAで行われた第45回皇后杯準決勝で、クラブ史上初の決勝進出を懸けて浦和と対戦。
2点のビハインドを負うも、立花葉、瀧澤のゴールで追い付き、延長戦に入って直後の91分、中嶋淑乃のゴールで試合をひっくり返した。
だが、112分に再び失点を喫し、3-3のままPK戦までもつれると、浦和GK池田咲紀子の前に屈し、PKスコア2-4で涙を飲んだ。
瀧澤は[3-4-2-1]の左シャドーで先発出場し、110分までプレー。同点ゴールのほか、91分には突破からの折り返しで逆転ゴールの起点となるなど、攻撃を牽引した。
目まぐるしい展開となった激闘を終え���瀧澤は手応えや悔しさなど、様々な想いを口にした。
「立ち上がりは自分たちの流れが全然作れなくて、2点ビハインドもありましたけど、チームとしてやることはぶらさず、逆転まで持っていけたのは成果だと思います」
「でも最後、追い付かれてPKまで持っていかれたのは、自分たちのちょっとした甘さだったり、隙があったのかなと」
「決勝に行けるチャンスを自分たちで作れてはいたので、悔しいです」
序盤は相手のロングボール攻勢に付き合ってしまった上に、「予想以上にプレッシャーが早く」セカンドボール争いでも後手を踏んだ。球際でも「戦えていない選手がいた(中村伸監督)」と、指揮官からも厳しい指摘があり、チームの持ち味であるパスサッカーも息を潜めた。
ただ、後半は見違えるように躍動し、浦和を圧倒。敵将も「ゲーム(の主導権)を握られて���える一方だった(楠瀬直木監督)」と残したほどだ。
「早いリズムで(ボールを回して)、(パスコースに)どんどん顔を出して受けようという意識してからは、すごく自分たちのサッカーができました」と、瀧澤も胸を張る。
滝澤が左に流れ、中嶋をサポートする関係が構築されつつあるのも見逃せない。
突破力に秀でた2人で同サイドを切り裂き、中央に髙橋美夕紀と上野真実、さらに大外から立花葉が飛び込む形が、幾度も見られた。いずれの得点も左サイドを契機に生まれている。
チームのストロングポイントの1つ、中嶋の活躍に比例し、「縦に行かせないチームが多くなってきた」と、相手の警戒度も上がっている。その対策を上回る1つの案として、瀧澤や髙橋が流れて中嶋をサポート。三者三様、それぞれの良さを生かした攻撃が構築されつつある。
「前回のリーグの対戦で縦を切ってきて、遠藤優さんと一対一をする場面が多かったという話を聞いていたので、今回は自分がちょっとサイドへ抜けてみるから、という話もしていました。そこはうまく使い分けができたかなと思います」
「(91分の逆転ゴールにつながった突破は)相手の高橋選手と一対一の状況だったので、もう思いっきり仕掛けようと。ゴール前も冷静に見えてましたし、その後のセカンドもレジーナが先に触って触ってという形のゴールだったので、練習でやってきた形ができたなと思います」
WEリーグカップを制し、この日の試合でも好ゲームを演じたS広島Rだが、リーグ戦では2勝2分3敗の8位。ただ、瀧澤が負傷から戻ってきたことや、3バックがフィットし始めたことで、復調の兆しを見せている。
再開後のカギを握るアタッカーは、「本当に点を取りたい」との意欲を見せると同時に、さらなるチーム力向上を誓った。
「リーグカップは外から見ている形で、リーグ戦の最初の方もなかなか調子が上がらないのを外から見ていただけだったので、自分が入って、どうにかいい方向へという思いでプレーしています」
「こうやっていい試合はできているので、これをオフに入ってゼロにするのではなく、新戦力も入ってくると思うので、ここまでの積み上げや成長にプラスして、ここからもっと上の順位へ食い込んでいけるようにしたいです」
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「最高のゲーム」となった皇后杯準決勝、S広島Rの中村伸監督は転機のHTで何を伝えたのか(超WORLDサッカー!1月21日)
皇后杯準決勝で好ゲームを演じたサンフレッチェ広島レジーナ。中村伸監督は選手を称えるとともに、ハーフタイムに伝えたメッセージを明かした。
20日、第45回皇后杯準決勝の第2試合、三菱重工浦和レッズレディースvsサンフレッチェ広島レジーナがサンガスタジアム by KYOCERAで行われ、3-3で120分を終了。PK戦の結果、S広島Rは2-4で敗れ、初の決勝進出とならなかった。
S広島Rは劣勢の前半に2失点を喫したが、45+3分に1点を返して迎えた後半は流れが一変。同点に追い付き、延長戦開始早々には試合をひっくり返した。112分に浦和の維持を受け、最終的には敗れたものの、白熱の一戦を演じて見せた。
指揮官は試合後、「やるべきことを示し続けた最高のゲームだった」と、選手の奮闘を称えた。同時に、「足りないところを気付かせ、自分たちの良さを引き出してくれる」と、浦和に対しても敬意を示している。
「今、選手たちに伝えてきたのは『最高のゲームだった』と。良くなかった前半も含めて、自分たちが何をやらなければいけないのか、何が足りないのかと向き合い、後半や延長、PK戦へ向けて、しっかり自分たちのやるべきことを示し続けた最高のゲームだったと」
「力のある相手なので、押し込まれる時間帯もありましたけれど、毎回、我々の足りないところを気付かせてくれる相手ですし、自分たちの良さを引き出してくれる。そういう最高のゲームを毎回させてもらえますし、今日もそういうゲームができたことを嬉しく思っています」
後手を踏んだ前半と、圧倒した後半で何が変わったのか。中村監督は、渡邊真衣と柳瀬楓菜に発破をかけたことを明かした。
「まずハーフタイムに話をしたのは、闘えていない選手がいると。(攻守で後手を踏んでいた)ダブルボランチ2人に『お前たちがゲームを変えて来てみろ』と、話をして送り出しました」
「あとは自分たちのストロングの部分、トレーニングしてきた部分をしっかりと出し切ること。それをしっかり選手が理解して取り組んでくれましたし、後半以降はより多く示し続けられたかなと思います」
リーグ戦では2勝2分け3敗。序盤の苦戦が響き、8位に沈んでいるが、後半のような戦い方が継続できれば、自ずと順位は上がってくるだろう。
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石川と福井、大きさ逆転? 地震で海岸線隆起(北國新聞)
能登半島地震により、珠洲市から志賀町にかけての海岸線が隆起したことで、石川県の大きさが一時的に福井県を上回った可能性があることが、関係者への取材で分かった。
国土地理院(茨城県つくば市)によると、昨年10月1日時点の面積は石川県が4186・20平方㌔、福井県が4190・54平方㌔で、福井県の方が4・34平方㌔大きい。日本地理学会の調査グループが地震前の国土地理院の地形図と地震後の衛星画像などを分析した結果、能登半島全域の調査範囲内で約4・4平方㌔の「陸化」が確認され、両県の面積の差をわずかに上回った可能性がある。
同学会の後藤秀昭・広島大大学院准教授(地理学)によると、約4・4平方㌔は現在の河北潟ほどで「それなりの大きさ」といい、地震の規模を物語る。今後、海岸線は浸食により元の位置に戻ろうとし、陸化面積は今調査より小さくなる見通し。国土地理院の調査は満潮時に行うため、単純比較できないとしながら「日本列島は隆起、沈降が活発で、今回のような地震を繰り返して形成されてきた。歴史の一コマを見ているようだ」と指摘した。
同学会の調査では、地震の隆起などにより能登半島の約90㌔にわたって海岸線が前進し、輪島市門前町黒島町付近で最大約240㍍の前進が確認された。
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tokyomariegold · 2 years ago
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2023/4/28〜
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4月28日 今日もお部屋の正解が分からず、掃除をしながらベッドを窓際に配置してみる。外の気候の影響を受けやすそうでベッドを外側に置くことに抵抗があったけれどやってみよう。
移動中に上司とした会話の内容ややりとりの仕方を振り返ってもやもやしてしまい、ノートにも日記を書くことにした。やっぱり社会の中での会話は、ディズニーランドとシー、どっちが好き?で十分です。
藤まつりはあまり藤が見頃に達していなくて、平日の昼過ぎにしては人が多かったけれど、みんな「あ〜〜…まだだったな〜〜」という感じで、猿の回し芸(猿も苦手だし動物の芸も苦手なのでみるに耐えなかった)や、なぜか北海道チーズケーキを売っている出店、お祭りちっくな唐揚げをあげたっきり店主さんが寝ている出店などもあったけれど、盛り上がりに欠けていた。 “天神様とお茶”もなかった。 でも藤を見ながら「これが満開だったら船橋屋(?)も入れなかっただろうし、人もすごいだろうからちょうどよかったね〜」と言っている女性がいた。
体重が100g増えていて、えらいので、今日はたくさん食べてよく寝ようと思う。
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4月29日 多摩川を確かめた日。 腰と足の痛みが怖くてロキソニンを飲んで多摩川駅へ向かう。 電車には味の素スタジアムで開催されるサッカーの試合へ向かう観戦客がたくさんいた。 毎朝通勤の時に同じバスに乗る方のリュックについた缶バッジとキーホルダーと同じ配色のアイテムを身につけている人達を見て、あの方はFC東京の選手のファンだと知る。 調布駅で乗り換えた先の電車内に亀の子束子の手拭いが落ちていた。
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友人2人と合流して2時間くらい多摩川沿いを歩いた。 大島さんやのらねこちゃんの作品に出てくる川と風景なのかな、と思って、遠くに見える不思議な観覧車が良かった。 2人とずっとたくさん、見えるものや最近のことや登山の話などをして、もうここに1人で書くこともなく、砂風と太陽にさらされた運動会後の疲労感で、大満足で帰宅している。 帰りの電車でうとうとしすぎて手すりにたくさん頭をぶつけた。
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こういうふうに、週末に散歩をしてふらふらさせてくれる関係を、ずっと相手してくれる人がいてほしい。 今週、こんな週末を送れると思えば、私はもっと生きた心地で生活できたはずなのに。
500円の遠足のおやつの話、“流れ”を見つけたこと、地球くん、and wanderで登山ガチ勢を仮面したこと。もっと来週も続きを聞きたい。
WBCのフラッシュバックの話をしたらプルーストのことを教えてくれた。マドレーヌに紅茶を浸すと蘇る記憶の話らしい。
明日は雨らしいので今日はレスタミンでも飲んで無理矢理にでも眠ろう思います。
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4月30日 アポロおじさんの誕生日!なのでメッセージを送る。4月に入ると月末にお祝いしよう!と毎年毎年4月中はなんとなくアポロおじさんの誕生日をうっすら感じながら生活している。転職するかも、とのことでびっくり。
今日はひどく低気圧でだめだめを予感していたけれど、意外と日中は雨も止んでいたので、レスタミンでぐるぐる眠気を引きずった体がもったいなかったかも。
昨日、友人がダイエットのために踊っていたというジャンボリミッキー(?)の動画を見る。面白すぎる。 プルーストのマドレーヌと紅茶ごっこをしたい気持ち。
多摩川散歩を1人思い返して、何か演出されたかのように自然に面白出来事的日常が繰り広げられていたな〜と、誰かと一緒に見ることができて良かったものばかりだった気がする(練習中のサックスでハナミズキを吹くおじさん、気にロープを繋いで綱渡りエクササイズをするおじさん、遊具で筋トレをするおじさん)。
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今住んでいる町に最近やってきた人が「ここはいい町。人が暖かい。」と言っていた。私の部屋の前にある餃子屋さんが美味しいと言っていた。 この町で知り合いもいないし、何かしようと思えなかったので楽しそうでいいな、と思った。 昨日会った友人は、今日マチ子の展示が始まった本屋さんの隣に住んでいて、もっといいな、と思った。
夕方の少し明るい曇りの時間に外に出たら少し元気になり、信号待ち手前“ちゅうとはんぱはやめて”を聴きながら “雨の休日のこのくらいの時間にとっても元気になる瞬間がある” とツイートして、信号が変わったので歩き始めた時に、隣の男性が誰にでも物言いおじさんだったらしく「歩きスマホは危ないっ!」と真正面を向いたまま大きな声で突然言い始めて、一瞬で元気がなくなった。
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yaoyuan6478 · 2 years ago
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#嵐山 #嵐山食べ歩き #嵐山竹林 #嵐山デート #嵐山渡月橋 #渡月橋 #渡月橋🍁 #渡月橋ライトアップ #渡月橋を眺めながら #渡月橋君想ふ #渡月橋人だらけ #渡月橋からの景色 #渡月橋を渡りきるまでは振り返ってはいけない (渡月橋 / Togetsukyo Bridge, Arashiyama, Kyoto) https://www.instagram.com/p/CqIRv1Npmge/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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moko1590m · 1 month ago
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中国との摩擦を避ければ、より深刻な事態を招く CSIS「リスクの影」(上) 有事を読み解く㉒ 2024/11/26 10:00
中国が台湾に対する軍事的挑発を行った場合、第三国、とりわけ米国はどのように反応すべきか。多くの政策決定者は、戦争にエスカレートするリスクを回避し、長期的な視野に立った対抗措置を選択するかもしれない。しかし、台湾海峡をめぐる大国間関係では、慎重さがかえってあだとなりかねない-。米シンクタンクが2022年に発表した報告書は机上演習に基づき、従来と異なる発想で備える必要があると訴えた。
戦略国際問題研究所(CSIS)は22年2月、ベンジャミン・ジャンセン上席研究員ら3人の連名で「リスクの影」と題する報告書を発表した。21年秋に軍歴10年以上の専門家らが参加して計20回行った机上演習に基づき、平時でも有事でもないグレーゾーン作戦が戦争に発展する危険性について分析した。
金門島付近で爆発 机上演習で想定したシナリオは、以下の通りだ。
《27年、台湾が実効支配する金門島に中国本土からガスを供給するパイプラインが爆発し、近くを航行していた中国漁船が損傷した。中国メディアは「台湾独立派」の犯行と報じた》
中国本土と金門島の間には水を供給するパイプラインが敷設されているが、中国側は金門アモイ大橋の開通を機にガスと電気を供給する構想を進めており、シナリオでは27年初頭にパイプラインの開通式が行われると想定している。
《爆発を受け、中国は東シナ海に設定している防空識別圏(ADIZ)を金門島全域をカバーする範囲まで拡大。同時に中国軍は東シナ海にミサイルを撃ち込み、100機以上の中国軍機が台湾北部・南部への侵攻を想定した演習を行った》
中国の行動は台湾に向けたものにとどまらず、日本や米国をも巻き込んでいく。
《中国軍機は日本のADIZに侵入。電磁波攻撃により、少なくとも米国の画像衛星2基が機能不全に陥った。周辺地域の港湾で中国のマルウエア(不正プログラム)が作動した》
港湾施設に対するサイバー攻撃といえば、23年7月に名古屋港がランサムウエア(身代金要求型ウイルス)攻撃を受け、コンテナの搬出入作業が約3日間中断したことは記憶に新しい。日本の港湾施設が機能停止に陥れば、米本土などから来援する米軍の受け入れが難しくなる事態も想定される。つまり、中国側からすれば、米軍の介入を阻止するため港湾施設へのサイバー攻撃は有力な選択肢となり得る。
《世界の株式市場は10%下落。日本政府はフィリピン海で日米豪共同訓練を行っていたヘリコプター搭載護衛艦「いずも」とF35B戦闘機12機を東シナ海に派遣した。台湾は、航空機と艦船の護衛に協力を求めた》
この時点で、中国と台湾の間で武力行使を伴う戦争は起きていない。グレーゾーン事態にとどまっている。
本来、グレーゾーン作戦は、戦争に至らない範囲で軍事力を使い、目的を達成するために行われる。報告書では、中国が台湾統一を達成するため、台湾の離島を占拠したり、奇襲的に台湾本島に侵攻したりするよりも、グレーゾーン作戦を選択する可能性が高いという前提に立っている。
ただし、台湾は中国にとって「核心的利益」であり、中国本土から地理的に近いため軍事作戦を行いやすい。米国側が対応を間違えれば戦争にエスカレートしかねない。
在日米軍攻撃も 机上演習では参加者に対し、米国側はインド太平洋軍司令部、中国側は東部戦区司令部それぞれに望ましいオプションを提案する役割を割り振った。両司令部は、いずれも台湾有事の際に統合軍の指揮を行うことが想定されている。
中国の「次なる一手」は米国側に知らされていない。ただし、米軍の情報部門は72時間以内に起きる可能性がある中国の行動として、海上民兵が金門島を包囲▽東シナ海、台湾南西沖でミサイル演習▽米国などによる海上封鎖に備えて海上防護ラインを設定▽米軍や重要インフラに対するサイバー攻撃強化▽米国の情報衛星に対する攻撃▽米国が引き下がらなければ米領グアムや在日米軍をミサイル攻撃-の6つを提示した。
こうした状況で、米インド太平洋軍はいかなる行動をとるべきか。従来の常識では、戦争を回避し、長期的な視野に立って状況を改善させるのが得策とみなされてきた。第一次世界大戦時のドイツは、短期間で決着をつけるつもりで戦端を開いた結果、大惨事を招いた。
しかし、報告書では、台湾海峡をめぐるグレーゾーン事態では、従来の常識を見直す必要があるとし、「短期的なエスカレーションを回避したいという欲求が将来の紛争リスクを高める」と結論付けた。次回は、そのような結論が導き出される材料となった机上演習の詳細に分け入っていく。
(杉本康士、田中靖人)
グレーゾーン、対中慎重姿勢が「やりすぎ」につながる恐れ CSIS「リスクの影」(下) 有事を読み解く㉓ 2024/12/10 10:00
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中国が台湾に対する軍事的圧力を強めた場合、米国が中国との緊張を回避すれば、結果として米国自身が事態を悪化させてしまう-。米シンクタンク・戦略国際問題研究所(CSIS)が2022年に発表した報告書「リスクの影」では机上演習の結果を踏まえ、平時でも有事でもないグレーゾーン事態では、戦争にエスカレートするリスクを覚悟してでも短期的な効果が見込める牽制(けんせい)を行う必要があるとした。
机上演習は、中国軍が台湾周辺での軍事演習や米国の画像衛星に対する攻撃を行ったとの想定で計20回行い、米国側の参加者は2つのグループに分けられた。
A組は、短期的な牽制効果を狙った6つの選択肢から最���な行動を選ぶよう求められた。これに対し、B組に示された選択肢には、長期的な軍事体制の強化が含まれた。中国に「そんなことをしていると、あなた方が将来的に困ることになりますよ」というメッセージを伝えるオプションだ。
この結果、1回目の選択ではA組の多くが中国を刺激することをいとわず、50%が台湾の船舶・航空機を金門島に護送するオプションを選択した。これに対し、B組は長期的な効果を狙う傾向が強く、33%が「米インド太平洋軍の強化宣言」を選んだ。
世論の批判に恐れ 「危機がエスカレートすれば、同盟国が米国についてこられなくなる」
「最初に攻撃的な措置をとれば、世論の批判にさらされる」
机上演習の参加者がこう振り返ったように、問題を先送りすることができるのであれば、それに飛びつくというのが人間の性(さが)だ。島田和久元防衛事務次官は共著『国防の禁句』で「総理の耳元で『日本からエスカレートさせるべきではない』などと、したり顔でささやく者が必ずいると思います。それは胆力のない指導者にとって渡りに船のアドバイスになるでしょう」と指摘する。
ここまでは、机上演習を行わなくても想像できる話かもしれない。しかし、机上演習には続きがある。参加者は中国の行動を踏まえたうえで、1回目と同じ選択肢の中から米国の「次なる一手」を選んだ。
2回目の選択で、短期的な効果を狙う選択肢のみを与えられたA組は、多くが1回目よりも穏当なオプションを選んだ。60%が制空権を握るための装備、つまりF22戦闘機を日本やアラスカに展開する措置を取った。いったん頭を冷やし、事態の沈静化を図ったと解釈できる。
これに対し、長期的な効果を狙うオプションを与えられたB組は70%が1回目よりも過激な行動に出た。特に1回目で長期的な防衛体制の強化を選んだ参加者は、2回目では「金門島への護送」を選択した。中国との緊張を高め、戦争へと至る階段を上っていったといえる。
報告書では、なぜB組が2回目に過激なオプションを選択したのか説明していない。ただ、米国側が穏当な措置を取ることで中国側の自重を期待したが、それが裏切られ、あわてて失地挽回を図ったと考えられる。そうではなく、段階的に圧力を強める計画の下で行動したと解釈できなくもないが、2回目の選択ではB組10チームの全てが中国側よりもエスカレーション・リスクが高い選択肢を選んだ。これは米国側が「やりすぎ」だった可能性を示唆している。
ちなみに、米国側参加者には、中国の行動が見せかけのブラフなのか、あるいは長期的な行動計画の一環なのかも判定させたが、こうした認識はエスカレーション・リスクに影響はなかった。中国のエスカレーションが戦域の拡大を意味するのか、あるいは烈度の高まりを意味するのかという点に関しても同様だった。つまり、米国の「初手」が重要な影響を及ぼす、というのが机上演習の結果から読み取れる結論だ。
日米台豪の調整必要 報告書は「グレーゾーンに関連するエスカレーションダイナミクスは通常の知恵には反する面があり、抑止、危機管理、インテリジェンスに関する新たな考え方が必要だ」と強調する。その上で、グレーゾーン事態の際のオプションをあらかじめ準備しておくことを求めるとともに、危機管理の仕組みにも再考を迫った。
米国政府には、多くの機関が関与するグレーゾーン事態に関し、行動計画の策定に一義的な責任を担う部署が存在しない。さらに、台湾や日本、オーストラリアがどのような行動をとるか事前に調整していなければ、米国の行動は十分な効果を発揮できない。こうした改善点は日本政府のグレーゾーン対応を考えるうえでも参考になるであろう。
また、報告書は米中間で意思疎通する窓口をさらに拡大するよう求めた。情報収集に関しても、機密情報を重視する戦争時の軍事作戦とは異なり、グレーゾーン事態では膨大な公開情報の中から意味ある情報を見いだす技術が必要となる。そのためにも学界、シンクタンク、ジャーナリスト、財界を巻き込んだ態勢を構築することを促した。
(杉本康士、田中靖人)
(中国との摩擦を避ければ、より深刻な事態を招く CSIS「リスクの影」(上) 有事を読み解く㉒ - 産経ニュースから)
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palakona · 8 months ago
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渇水でした。
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
どうも、こんにちは。5月18日(土)は、フライフィッシングに行ってきました。愛車ジムニーが3年目の車検を終えて納車日だったのですが、10時半予約で11時ぐらいには終わりそうなので、さて、どうしよう?長居植物園に薔薇の写真を撮りに行く?へら釣りに行く?昔はフライフィッシングで夕マズメを狙って黄昏時の2時間釣行とかやったなあ。ということで、フライフィッシングに決定!
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
往路は高速道路を使ったので早く着いた。食堂で昼食を食べて、入漁券を買って、15時頃前に入渓かな。水がない…まあ、増水で遡行に苦労するよりは、チャラ瀬で釣るのが好きだし。イワナ狙いでウェットフライで釣るつもりで、YANO SILKLINEのドライ用ブレイデッドリーダーをウェット用に交換しようとベストのポケットをゴソゴソしたが無い。あれ?チャックが開いたままでバッグの中に落としたかな?車に戻って捜索するも見当たらず…前回釣行でフライボックスを取り出す時に落とした?(ノ_-;)ハア…
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
なので、ドライフライで遡行開始!フライはハンピーの12番。下界は暑いので、今シーズン始めてウェットウェーディングしてみたけど、渓の水は思いの外冷たくて時期尚早でした(汗)。なんせ水が無いので、苦労した挙句に小イワナ2尾とかを想定していましたが、「落込み」からの流れ出しにハンピーを浮かべるとパシュッと水飛沫が上がってあっさり釣れてしまいました。小さいけど。
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
ポンポンと2尾目が釣れたけど、さらに小さくなるという。ここのアマゴは地アマゴって感じがしませんね。上流域は成魚放流はやめたらしいけど。
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
サイズアップしないねえ。ところでイワナはどうしたんだ?ここはイワナ域のはずだが。
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
ここから先に進むと退渓が大変だし、暗くなるまであと2時間ぐらい?退渓して河岸を変えることにします。
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
ここで暗くなるまでやるつもり。久しぶりにヘッドライトを用意しました。タチウオ釣りに使ってたやつw。
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
全然釣れへんわって思ってたら、大場所の「巻き返し」で白泡の下から現れたイワナがアダムスパラシュートに喰ってきた。今日一番のサイズ。今日の竹竿はトーマス&トーマスのクワッドです。全世界に30本しかないロッドで僕のはシリアルナンバーがNo.10です(ドヤ)
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
フライフィッシングだから瀬で釣りたいんだけど、瀬では無反応。ヒラキにもあまり出てないな〜。
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
またもや大場所の「巻き返し」でイワナが白泡の下から現れて、全身を見せながらティムコのケバフライをガプッと襲ったが空振り。下手くそ〜。2回目も空振りで、3度目の正直でフライが水面から消えたのを確認してから遅アワセしたらやっと掛かりました。釣った感あるけどテンカラキャスト…なんだかなあ。良い竿使ってるんですぜ。
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
短い瀬のショートキャストでアマゴが出ました。まあ、良しとしよう。
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
別の支流との出会いまで釣り上がって、薄暗いし渇水で水少ないし、退渓しようとしたんだが、出合いの瀬頭に向かってケバフライを中距離キャストしたらバシュっと出てフッキング。良いサイズでパーマークも丸いし地アマゴやんけ。しかもこの水系らしい飴色の地アマゴ。十津川の方に行くと青味がかってなんか海魚の青物っぽいですよね。あっちの地アマゴは朱点も少ないし。
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2024年5月、紀伊半島某川 iPhone11
橋を渡って帰ります〜。渡り終えて向こう岸の入り口に看板が置いてあったので覗き込んだら、「○○山系は熊の生息地です」って。わかっているけど怖いやんけw。
ということで、5月18日は、最初の区間でアマゴ3尾、次の区間でアマゴ2尾、イワナ2尾で合計7尾でした。昼下がり〜夕マズメでのんびり釣ってたしまずまずではないでしょうか?
では、また。
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kennak · 5 months ago
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「あなたの家で覚醒剤が作られていました」 松山市の一軒家を所有する男性に警察からかかってきた電話。 この家で鼻炎薬から覚醒剤を製造したとして密造グループが検挙された。 密造人とされたのは台湾から来たひとりの男。 国内で流通する覚醒剤は海外からの密輸がほとんどとされる中、愛媛で起きた「密造」事件。 背景に潜む闇を取材した。 (松山放送局 記者 川原の乃・ディレクター 御巫清英 高橋英佑) 覚醒剤密造事件の衝撃 取材のきっかけは令和5年の夏。ある噂が記者の耳に入った。 愛媛県警が珍しい事件に着手している――。 「薬物の事件らしい」「台湾が絡んでいる」 関係者から聞こえてきた断片的な情報を並べてみてもピンとこない。取材を進めても全容がつかめない中、その答えは、検察の起訴状にあった。 松山市で覚醒剤100グラムあまりを製造していたとして、男女5人を起訴。 密造場所は山あいの一軒家。こんなところでなぜ?背景を探ろうと本格的な取材を始めた。 “あなたの家で覚醒剤が” 松山市の中心部から車で数十分。うっそうとした林道を進んだ先に、その一軒家はあった。中は静まりかえって��て、人が住んでいる様子はなかった。周辺には店舗や住宅もなく、人の気配はない。 取材を進めるうちに、この一軒家を所有する男性に話を聞くことができた。 男性によると、この家はかつて農作業の資材置き場として使われていた。 ことの発端は令和4年12月。職場に見知らぬ男が突然訪ねてきて「通勤用に家を貸してほしい」と頼みこんできたという。後に今回の事件で起訴された人物だった。捜査関係者によると、かつて松山市の暴力団に所属し、有名な覚醒剤の売人だったという。 不審に思った男性は追い返したが、男は毎日のように訪ねてきたという。男性は最終的に根負けして、1年契約でしぶしぶ貸すことにした。 それから半年がたった令和5年5月末。男性のもとに警察から突然、あの電話がかかってきたのだ。 「あなたの家で覚醒剤が作られていました」 一軒家に残された密造の痕跡 令和5年11月、事件後初めて室内に入るという所有者と一緒に内部に入った。すでに事件の証拠品は警察に押収された後だったが、潜伏生活の痕跡はあちこちに残されていた。 捜査関係者によると、メンバーの一部がこの家に住み込み、玄関脇の机がある部屋からキッチン周辺で密造が行われていたとみられている。玄関に放置されていたのは、割り箸やペットボトルのふたなどが入ったゴミ袋。 玄関脇の部屋の机の上には白い粉のようなものがこびりついたアルミホイル。和室の押し入れには薬品が入っていたとみられる段ボールが残されていた。 人目を避けて生活していたとみられる様子もうかがえた。窓のカーテンは閉めきられ、カーテンレールのない窓にはくぎを打ち付けて布を張る徹底ぶり。玄関先には、新たに防犯カメラが取り付けられていた。 ここで覚醒剤を密造していた人物の顔写真を見つけた。室内に放置されたスーツケースの中に台湾の運転免許証が入っていたのだ。 名前は「呉明修」。今回の事件で起訴されたメンバーの1人。私たちがこの人物をこの目で見ることになるのは、4か月後、場所は法廷だ。 裁判で見えてきた台湾側の指示役 ことし3月18日、呉被告は、松山地方裁判所で開かれた初公判にスエット姿で現れた。検察官が起訴状を読み上げると、通訳を介して「間違いありません」と罪を認めた。 法廷では検察官から耳慣れない人名が出てきた。 その名前は「ジロー」。 被告はこの人物に派遣されて、愛媛にやってきたのだという。 被告の証言によると、かつてドバイでカラオケボックスを経営していたとき、店の客から「日本に行ってくれる人を探している人物がいる」として「ジロー」を紹介されたという。 そして令和4年の秋、渡航を指示された。提示された報酬は2万台湾ドル(=日本円で約9万円)。当時無職だった被告は、これを引き受けることにしたという。向かったのは愛媛だった。 覚醒剤の密造という目的を知らされずに来日したと主張する呉被告。台湾にいるジローから、こう告げられたという。 ジロー 「そこでは覚醒剤を作っている」 「君の周りにいるのは裏社会の人間だ。帰らせるわけにはいかない」 こうして、半ば脅される形で密造に関わることになったと話した呉被告。十分な知識はなく、製造に必要な情報はインターネットで入手したと証言した。 今回の事件で原料として使われたのは、アレルギー性鼻炎の処方薬およそ20万錠だったことが裁判資料から分かっている。 検察は被告が錠剤にわずかに含まれる覚醒剤の原料成分を抽出するなどして製造したと主張した。 初公判から1週間後のことし3月25日、呉被告に判決が言い渡された。 懲役10年の求刑に対して、懲役7年の実刑判決。「台湾のマフィアと日本人グループが結託して密造した」とする検察の主張がおおむね認められた形だ。一方で裁判長は「なし崩し的に引き込まれ、脅されやむを得なかった面もあった」と情状も考慮した。 密造人としての呉被告と、台湾側から指示を出したとされる「ジロー」。事件と台湾とのつながりを探ろうと取材班は台湾に飛んだ。 台湾でも及ぶ捜査の手 愛媛で警察が強制捜査に乗り出したころ、台湾でも現地当局による捜査が水面下で進められていた。 私たちは当時のことを聞こうと、ことし6月、台湾刑事警察局を訪ねた。 台湾側は松山の密造事件を「愛媛事件」と呼び、日本側と情報共有しながら捜査したという。最大の関心は呉受刑者に指示を出していた人物の存在だった。 経歴や交友関係を捜査しても割り出せなかった。 「ジロー」とみられる人物 そうした中、台湾側はついに、日本の捜査で浮上していた台湾の人物「ジロー」にたどりつくことになる。 内偵捜査の結果、「ジロー」とみられる人物が密造に必要な薬品を日本に送付する姿を映像で捉えた。決定的な証拠だ。 台北市の近くにある住宅街。令和5年6月、下町の古びたアパートの1室に警察が踏み込み、愛媛の密造事件に関わった疑いで「ジロー」こと、蔵天宝容疑者を逮捕。その後起訴された。 室内からは複数のスマートフォンやタブレット端末が押収された。この部屋にこもって松山にいる呉受刑者に密造の指示を送っていたとみられている。 台湾の密造“ビジネス” 台湾刑事警察局 蘇宥穆さん 捜査に当たった台湾刑事警察局の捜査員は「台湾の指示役が日本に密造の指導をするという事件は初めてだ」と振り返る。 ただ、覚醒剤が密造されたこと自体には驚いた様子を見せなかった。覚醒剤密造は台湾ではごくありふれた事件だという。令和5年には8か所の密造拠点が摘発され、大量の覚醒剤が押収されている。いわば台湾は覚醒剤の“一大産地”なのだ。 なぜ、台湾では密造が横行しているのか? 台湾の裏社会に詳しく、かつてみずからも覚醒剤の密造に関わったことがあるという人物を取材すると、台湾特有の事情があることが分かった。 その人物が教えてくれたことばがこちら。 (どくしふ) 毒(違法薬物)の師匠という意味で、覚醒剤の密造技術に長けた人のことを指すという。 40年ほど前に現れたひとりの密造者の技術を受け継ぎ、質の高い覚醒剤を作る人物がこう呼ばれるのだという。 彼らは台湾の裏社会から依頼され、原料や場所の提供を受けながら、わずかな人数で覚醒剤を密造する。そのノウハウは多大な利益を生み出すものになっていると話す。 台湾メディア「報導者」 李雪莉編集長 台湾で取材する中で、密造の舞台として日本が狙われたことは偶然ではないと話す人がいた。薬物問題に詳しい台湾メディアのジャーナリストたちだ。 指摘したのは、日本の末端の密売価格。高値で取り引きされる日本に覚醒剤を持ち込むことができれば、より大きな利益を得ることができるため、世界中の犯罪グループが日本市場を狙っているという。 覚醒剤の脅威はすぐそばに 台湾から密造人を呼び寄せ、愛媛の人里離れた一軒家で覚醒剤の密造を試みたとされる今回の事件。 薬物事件に詳しい専門家は密造の背景に日本の厳しい水際対策があるのではないかと指摘する。 元麻薬取締官 瀬戸晴海さん 「台湾にとって日本は大きなマーケットですが、密輸対策を年々強化しています。ですから日本の組織と台湾の組織が結託して、試験的に技術を日本に持って行って密造すればリスクも少なく、大きな利益が上げられると考えたのではないでしょうか」 そのうえで愛媛に限らず人口減少が進む地方では、空き家などが新たな犯罪インフラとして悪用されるケースが増えるのではないかと話した。 元麻薬取締官 瀬戸晴海さん 「覚醒剤の密造は悪臭や毒ガスが発生したり、火災が起きたりして、危険なうえ周辺にも影響が及びます。ですから今回の事件のように密造者は人目のつかない中山間地域に拠点を求めます。過疎化が進む日本では各地で空き家が増えていて、こうした事件が全国各地で起きてもおかしくありません」 (7月17日「おはよう日本」で放送)
山あいの一軒家で覚醒剤密造~日本に忍び寄る闇 | NHK | WEB特集 | 事件
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newyorkdiary7th · 2 months ago
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モッツァレラ
DECEMBER 1st
 本当に美味しいモッツァレラチーズを食べている。
Google mapで「リトルイタリー」と調べると、ロワーマンハッタンのリトルイタリーが出てくるのだけれど、教えてもらった松浦弥太郎さんのエッセイに出てくるのはブロンクスのリトルイタリーだった。
日曜日の朝、よく寝てよく目覚め、走りに行こうにも寒さと格闘しながら布団を出れずにいる中でふと、リトルイタリーの話を思い出して調べてみた。すると行ってみたいと思いつつ逃している植物園の近くだったので、合わせて行ってみようと走らない方向で起き出した。 トーストをかじって身支度をして、マイナス2℃の世界を45分、漕いでいく。ちなみに電車だと58分の所要時間。ブリッジを渡って、初めてのブロンクス。
にわかにスパイク・リー映画が好きな私にとってブロンクスに行かない手はなかったのだけれど、中々出かけるきっかけもなかった。橋を渡った先はマンハッタンともブルックリンとも、また違った空気、街並みだ。漕げば漕ぐだけ移り変わっていく変化、知らない景色に侵入していく感覚が楽しくて、冬になったけれどまだ自転車に乗れそうだと嬉しくなった。とても久しぶりにマクドナルドがあった。ちょっと例えが合っているのかわからないけれど、東京で言うところの練馬みたいな立ち位置のような雰囲気だった。かなり独断と偏見でものを言っている上に、大して練馬を知らないのだけれど。
植物園にはいつか5月にまた来ようと決心した。とても素敵な森や川があったり、テーマごとのガーデンがあったり、素敵な場所だったけれど、なぜか私は頑なに、ここには5月に来てみたい、そう思った。
植物園からリトルイタリーのアーサーアヴェニューまではほんの5分くらい。あっという間に目指していた生パスタを買えるというお店に着いたのだけれど、残念!本日は日曜日につきお休み!ちゃんと調べ���かったな〜と思いながらもまた来れば良いさ、と前向きな気分の私。ふとそのそばにそそられる小さなお店があった。「Casa Della Mozzarella」という白い文字が質の良い緑の地に印字されていて、小さなお店にぎっしりとイタリアンな食材が詰まっている。 先日スーパーで買ったPomiのトマト缶の味が、ほんの少しばかり気に食わなかったので、ここは一つ、パッサータを買って帰ろうか、ということで入店してみた。店内はその狭さと良い、ぎっしりと詰まったイタリアンな食材たちに、あれもこれもと目移りして際限なく楽しい。
さんざっぱらのんびり物色したくせにトマトパッサータを一瓶だけレジに置く私。物色中にもクセの強すぎる英語で話しかけてくれてたおじちゃんは、「ほんとにこれだけ?フレッシュモッツァレラは?」と。最初はうんこれだけ、と断るも、「ほんとに?美味しいよ、できたてのモッツァレラ。小さいのかってく?」と、とてもとてもちょうど良い押し売りにいともあっさりと流されるわたくし。「うんじゃぁ小さいのください」「そうこなくっちゃ」とにっこり笑ったおじちゃんは、モッツァレラチーズを作っているガラスの仕切りの向こうに袋を持って入って行って、帰ってきた時にはどっぷりと一玉持って帰ってきた。ちゃんと測って、14.51ドル、全然ちっちゃくなんかなかった。
買い物は、楽しい。立派なモッツァレラを買ってしまったなぁ〜と楽しくなり、献立を考えながらアーサーアヴェニューを歩いた。おしゃれなパリジェンヌというカフェが混んでいた。お目当てのカンノーリのあるパン屋さんはもっと混んでいた。とても賑わっていてぼんやり順番待ちをしていると、突如目に入る「Cash Only」の文字。ここに来て現金の罠!しまった!1銭たりとて現金を要しない生活をしていて、本当に手持ちがない。唯一財布に入っているのは2ドルで、それはなんとモロッコ出張の余りなのです。モロッコを出る時余った3ドル、いつか使うでしょ、とそのままにしていて、まさか遥々ニューヨークまで来た。路上演奏に1ドル入れて、残った2ドル。スーパーの前にいたホームレスに入れちゃおうと思っていた2ドル。本屋を堪能して出てきたらもういなくなっていたホームレス。財布に眠り続けていた2ドル。
ATMを探そうと思ったけれど、そもそもカンノーリがいくらなのか聞かなくちゃ、と今度はぼんやりしないで列に並んだ。カンノーリを手に持って列に並んでいるパパがいたのでいくら?と聞いたら、「ありえないほど安いんだよ、2ドルちょっととか3ドルくらい」とのこと。くぅぅぅ、惜しい。
ブルーのアイシャドウが素敵なママンが、「へいお次!」と呼んだので、カンノーリの値段を知りたい、と聞けば、大きいの?小さいの?と。じゃぁ小さいの、と言ったら2ドルだった!パチパチ👏 無事に一つだけゲットして、ホクホクしながら外に出る。
カンノーリと言えば。
NYへの出発前夜、仕事終わりのかすみんと東京駅で落ち合った。昔は3ヶ月って結構大きなことだったのに、今じゃすぐだろうなって思うね、という年を感じるねという話をした以外にはどんな話をしたっけ。丸ビルのイタリアンで、本日のデザートにヘーゼルナッツクリームのカンノーリ、とあって、「カンノーリって何だっけ」となった二人。出てきたカンノーリは、二人して「あぁこれか!」となるのだった。あの雨の夜の一瞬がまさかこんな風に繋がってくるのが面白い。買ったまま全然書いても出せてもいないクリスマスカードに、カンノーリのくだりでも書いてみようか。(NYの郵便局員があまりにもやる気のない人間たちで、郵便局に行くことがそもそも億劫になってしまったが故。)
そんなこんなを思い巡らせながら12月1日、日曜日の路上でMADONIA Bakeryのカンノーリを堪能した!濃厚だけれど後腐れの無い少し硬め(とろけていない、との意味)なクリームが、溢れんばかりというよりは最早圧倒的に溢れていて、パリサクなクッキーのようなパイに収まっている、いや収まってはいないけれど、入っている。お砂糖は?と聞かれて、答える時には既に振られていたお砂糖を感じながら、そう言えば今年はシュトーレンを食べていないなと気がついた。シュトーレン、今年は食べる機会があるのだろうか。あぁ、冬だなぁ。
満足この上なくそのままプラプラし、適当に気になったお店に入る。イタリアンって、どれもこれもパッケージが可愛いから、みているだけで楽しい。このお店でも陽気なママンが「元気〜?」とハスキーボイスで話しかけてきた。お店の中ではグレーの猫が悠々自適に過ごしていた。みんな陽気に話しかけてくれるんだけれど、イタリア訛りの英語って結構聞き取りづらいものですねぇ、フランスのH問題とはまた違った聞き取りづらさがあった。
ケッパー。荷物のリストに書いてはいたけれど、最後はバタバタして結局めんどくさくなってケッパーを小分けにして持ってくることを諦めた。もう何回後悔したかは知れない。3ヶ月くらいケッパーなくたって何とかなるさ、と行く前のめんどくさがりはそう思ったのだけれど、私の自炊はかなりケッパーに頼っているところが大きいらしい。アメリカのスーパーには酢漬けは多いけれど塩漬けは少ない。あっても中々の大瓶で、無駄な買い物はしない、と我慢に我慢を続けてきている。
ハスキーボイスに老眼鏡をちょこんと鼻の上に置いて、レンズの上から見て話すママンに、「��ッパーの一番小さい瓶はこれ?」と聞くと、「そうよ〜ん」とご機嫌に返事をされた。別に安くも無いだろうし、極小でもないし、でも何だか、状況に飲まれるタイプの私はケッパーを買うのだった。もうモッツァレラのくだりで完全に財布の紐が壊れちゃっている私。そもそもこのお店にはピザ生地を探しに入ったのだった。モッツァレラから全ての流れが変則的になっている。なぜにケッパー。あんなに我慢し続けたケッパー。レジでピザ生地を買えそうなところを聞いたら、パン屋にあるよと言われた。結局ピザ生地は見つからなかった。
パッサータとフレッシュモッツァレラとケッパーを詰めたリュックサックを背負ってマンハッタンに向かってまたひたすらに漕いで帰った。荷物を置いてそのままWhole Foodsにでかけ、ピザ生地とトマトを買う。
マルゲリータとカプレーゼを用意して、大変に満腹な日曜日なのでした。
跳び上がらんばかりの美味しいモッツァレラなのでありました。
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zaji99 · 3 months ago
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LDFS レザーラボ さんによって固定されています
@ldfslabo2 か月前(編集済み)当動画中で私なりに考慮して個別の名称は伏せておりましたが、 モヒカン小川氏が自身のサブスク内で私を名指しで虚言を流布していると言っていて あまりにフェアで無いのでここで公開で私の考えを書かせて頂きます。 まず、送信もと不明者からの画面キャプションの全文をここに原文のまま記載します。 一部不鮮明な部分があり読み取れないので誤字があるかもしれません。 ーーーーーーーーーーーーーー以下原文のままーーーーーーーーーーーー 先ほど、LDFS平川氏の動画を観ました。 結論から言うと、全くの事実無根です。あれ、ハイラージレザーズのことですね。 動画を観ていてまず気になったのは、 ライトニングの企画で、Gジャンタイプの革ジャンを作ったわけでは決してないです。 ハイラージは当時、LDFSを外注ファクトリーとして作っていたのは知っていました。 サンプルも平川氏が作ったのは知ってました。 サンプルを作る際、3着を俺の体に合わせて作ったのも本当です。 ただ、俺は一介の編集者なので、洋服作りの現場に口を出したり、革の??に口を出したり、するわけがありません。 平川氏のハワイアンやヴィンテージをパクって返却してないとか言われてましたが、そんなこと、一度もやったことがないし、何の事を言われているのかわかりませんでした。 そもそも、ハイラージレザーズ、そしてファインクリークレザーズは、俺のブランドではありません。 仲のいい山崎さんがやっていると言うだけで、俺とは全く無関係です。 山崎さんがブランドを始め���時に、一緒に飲みながら背中を押してあげたのが俺なんです。 なので、山崎さんはそのことをすごく感謝してくれて、ブランド名に僕の名前(たかひろ=ハイラージ)(小川=ファインクリーク)をつけてくれてるんです。 これを持ち逃げというのかどうかは、ぶっちゃけわかりませんが、、、、。 ちなみに俺は、そのパターンを見たことはありません。俺が見たところで、何にもできないので、、、笑。 俺は、平川氏に何の恨みもありませんし、ぶっちゃけ今後、「モヒカン小川のレザーチャンネル」でLDFSを取り上げたかったくらいです。 「馬革っていちばん丈夫な革なんですよね?」と平川氏に聞いたことはないんですが笑、真摯に革に向き合っていて、素晴らしい職人さんだと思います。 最後に言いますが、 事実無根です。 でも、平川氏と泥試合を始める気もありません。 このレザージムは、みんなで楽しく好きなレザーを語り合えるコミュニティになってもらいたいと思ってます。 ーーーーーーーーーーーーーーーここまで原文のままーーーーーーーーーーーー一部を表示
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24 件の返信
@ldfslabo2 か月前(編集済み)もひかん小川氏がサブスク内で一方的にこの動画、私平川を名指しで事実無根と中傷されているようなので ここに書かせて頂きます。 小川氏はかかわっていないとの事ですが、 皮革をタンニン鞣しにするか、ミックス鞣しにするか、おか染めにするかを決める時もあなたが居ました。他にハイラージレザーズのマークを差してアメリカの田舎のハイウエィの傍らで見かけた古い看板て事でいいじゃん、商品を差して、これはスティルウォーターって名前で、とか得意げに語っていました。 馬革の可能性を云々と言う言葉もあなたが立案してましたよね。 サンプル製作もまずあなたのサイズありきで進めていました。 定義がある訳ではありませんが一般的にこれは企画にかかわっていると言います。 また僕が当時山崎氏に聞いていたお金の流れ的にも あなたが無関係というには無理がありすぎませんか? LDFSを”外注ファクトリー”と書いていますが、私は過去いくつもの他社OEMや外注企画はやらせて頂いていますが、通常の外注の定石として、完成したパターン、仕様書、材料を供給されて それに基づいて指定された数量の製品を作る事を”外注”と言います。 ファッション誌の編集をやられているのであればその辺は知っているのが常識かと思いますがそうでないようで。 あくまでも私を外注にしたいようですが、ハイラージレザーズの製作に関しましては外注では無く、 あなたの仲良しの山崎氏から「革の仕事は平川さんとしかやる気がない、お願いします」と言われ、 革種の指南、タンナーの選定、皮革の仕入れ、ジージャンの身頃にライダースの袖を付けるというプロダクトを私が造り出す形で、あくまでもハイラージの一員として動いていました。 トラッカーにライダースの袖を付けるという事自体はあなたも山崎氏も素人なうえ 山崎氏は革ジャンが好きでもないのでピンときていませんでしたよね? 売れてやっと少し理解したかなぐらいでした。 他にも私はタンナー訪問時、小川氏もいらした横浜大桟橋でのクラッチコレクション出展時等、 外部に出る時は必ず山崎氏が急遽作って手渡されていた”ハイラージの名刺”を持たされていました。 一般論として外注工場とこのような関係になる事は絶対にございません。 これを近くで関わっていたうえであくまでも”外注ファクトリー”と認識するのであれば 勉強不足を通り越してあなたはファッション誌の編集はまったく向いていないかと思いますので、 老婆心ながら一度今後の身の振り方をお考えになった方が良いかと思います。 山崎氏の背中を押した、仲良し、と書いていますが、すみませんが僕の認識を書かせて下さい。 取材出張先のドイツでも山崎氏の会社のお金であなたがビール飲んでばかりで何もしない、とか 終業近くの時間にいきなり事務所に来て会社の金でビール飲ませて深夜まで居座るとか 私はあなたの仲良しの山崎氏の口からはあなたの悪口しか聞いた事がありませんでした。 陰口悪口を吹聴してまわるなど、仲良しの定義が僕のまわりと違うようで驚いています。 もしかして怒って背中を押されたのですか?お優しい。 僕なら殴ります。 ハワイアン、ビンテージをぱくってない、と記載していますが これを盗んだのは山崎氏です。 イベント屋の社長が出資して構えていた中目黒の事務所をあなたもよく訪れていたので ご存じかと思います。 あそこの一部は撮影スタジオとして使える造りにしてある、 これもあなたもご存じかと思います。 山崎氏が言った言葉をそのまま書くと 「小川さんと撮影で使うからアメカジ服を貸してほしい」 と言われ、僕のアロハの百虎、タイガーアンドドラゴン、鯉柄、他に リーライダース左アヤヘアオンハイド、リーカウボーイ、LDFSオリジナルレザーパンツ すべて私の私物をお貸しして何度か山崎氏に返却の希望を伝えましたが返却して頂いてません。 あたなが知らないなら山崎氏が勝手にあなたの名前を使用したのでしょう。 泥棒の方棒担いでますよ? 仲が良いあなた方ならそれもかまいませんか?本当にお優しい。 僕なら殴りますけど。 ”これを持ち逃げ云々”と書いてますが、 あれだけべったりそばに居て知らないという事はあるのですか? あなたが言う変わった外注工場にうちにいた岡崎が居て何も気づかないんですか? あなたもよく知ってますよね?うちに居た岡崎寛です。シラきって逃られますか? 確かにあなたは山崎氏に担がれて利用されている一面もあるので あなたは知らない部分も一部あるかもしれませんけど。 他に動画中では端折った株式買い取りのお話し等もありますし。 当時、パターンを持ち去られたのみでは無く、 その時点で買わされていた皮革、黒、茶、ヌメ、アイボリー、 他にストームライダータイプの襟のみに使用するヌバックの黒、茶 膨大な皮革のみ残されて、かつホームページもハイラージレザーズをトップにしたまま 何度も修正の要請したにもかかわらず意図的に放置され、 結果オーダーレザーのワードでは検索にもかからなくなり、LDFSは倒産の危機に瀕しました。 しかし、あなたや特に素人の山崎氏が色々な雑誌等で得意満面で 虚偽の内容を発信しているのを見るにつけ、 この人達が喜ぶ事になるから絶対俺が消えるわけにはいかないと 苦しいながら何とかもがきながら今日まで営業してきました。 残念でしたね、口封じできなくて悔しいですか? ”「馬革っていちばん丈夫な革なんですよね?」と平川氏に聞いたことはないんですが笑” この企画が走り始める一番初めの頃、 あなたと初めて飲みに行った中目黒の飲み屋での話です。 注文した飲み物が来る前にあなたが言った言葉です。 これ以前も”ファーマースタイルへの道”の特集であなたとは何度もお会いしていましたが、 私自身の愛読書でもある雑誌の編集者の口から出た言葉なので衝撃的でした。 言っておきますが、私は革のプロなので聞き間違えませんよ。 逆にお聞きしたいのですがあなた方、皮革に詳しいおつもりですか? ”「モヒカン小川のレザーチャンネル」でLDFSを取り上げたかったくらい” と書かれていますが、本心ですか?いつでもお受けしますよ。 ただし、御誌2015年Vol249 P48~50のメンテナンスの記事、 及び2017年Vol275 P250~253のカスタムの記事、 この二件の未払いの工賃を頂いてからです。 再三再四請求しても無視されていましたがまさかお忘れではないですよね? またいつもどおりクリエーターなんてクソくらえとお考えなのだろうなとは思いますが、 何年も決算で違算が出て迷惑です。 あの後あなたが居た出版社が会社更生法を適用されてお支払いが困難であれば その旨私にお話しいただき謝罪していただければ許してもいいです。 でも二件でたかだか十万前後ですよ?ビール我慢したら払えますよ? それとも俺のお金で今後もビール飲み続けます? 旨いですか?そんなもの飲んで。 すみませんが、心底情けない方ですね。 とにかくその辺のカタつけるなら俺はいつでもあなたのチャンネルに出ます。 僕はあなた方におもねる気は無いので真実をお話します。 事実無根と私を一刀両断されるならこれはやらないとおかしいですよ? 絶対決着つけましょうよ。それともこのまま逃げますか? ”平川氏と泥試合を始める気もありません。”と書かれていらっしゃる。 勘違いなされているようなので事実としてお伝えします。 泥だろうが何だろうが試合と名の付くものは 同じリングに上がらないとできませんよ? あなた方は革ジャン屋の僕のリングに上がれてすらいないですよ? 自覚してますか? 泥仕合というのがしたいのであればその辺の子供とツバの掛け合いでもしててください。 あと、あなた曲がりなりにもエディター名乗るならな��� 泥試合、は無いですよ? ムカつきましたか?ステゴロまきますか? 以上です。 今後は陰でこそこそねちねち俺の名前出して能書き垂れてないで 表に出て意思表示してください。 みっとも無いですよあなた、最期は男の子らしく逝きましょうよ。
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flatty-lucas-blog · 5 months ago
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ルーカスはT細胞型消化器性リンパ腫という病気を患い、2024年8月4日に虹の橋を渡りました。
最初の変調は、2024年1月13日です。フードを食べ残しました。フラットの食べ残しはすごく嫌な予感がしました。ですが、元気活発で下痢や嘔吐もなく、年末年始の移動などで疲れてるかなと考えて、出かけるのも控えて休ませたところ、数日で食欲も回復しました。
元気に過ごしていたところ、2月1日に再び食べ残しをして、今度は下痢と嘔吐を伴っていました。すぐに診察の予約をして検査をしてもらいました。その結果、血液検査もエコー検査もなにも問題はなく、下痢と嘔吐への対処をしてもらいました。
この時の症状も食欲はすぐに回復して他も少しずつ快方に向かい、月末には便の状態も完全に回復しました。
3月18日に大阪港天保山で散歩中に突然食べたものを全て嘔吐して下痢も再発しました。3月21日に通院して下痢および嘔吐への対処をしてもらいました。
便の状態は割とすぐに回復しましたが、頻繁に食べ残すようになりました。また、この頃から散歩中に伏せて休む回数が増えたような気がします。やたらと水を欲しがるようにもなりました。
4月になってからは、食欲も回復して便の状態も安定して元気に過ごしていましたが、4月17日に軟便下痢が再発して、便にわずかながら血が付くようになりました。
この時の排便の状態は、すぐに回復するのですが、便にわずかな血が付着する頻度が増加していきました。
4月末ごろから排便の回数が増えて、しぶりが目立つようになりました。また血液が付着する頻度も増していました。状態は回復せず続いたことで5月8日に再検査をしてもらいました。前回のしっかりした検査から3ヶ月経過していましたし、血便やしぶりが続くのは全く正常ではなかったからです。
この時のエコー検査でリンパに腫れらしきものが確認されました。すぐに内視鏡とCTの検査の予約をして5月13日に実施、実際は内視鏡やCTの検査に至る以前の細胞診でリンパ腫が確認されました。
確定診断に至るまでの期間を振り返ってみると、最初の変調の時点で検査ではわからないにしても腫瘍性疾患も考慮した過ごし方もできたはずなのに9歳齢の時の若々しさやこれまでの元気で健康な状態の継続から油断や隙ができていたように思います。
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