#浅草寺観音堂
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#あのくさあさくさくさ #architecture #archistagram #city_explore #asakusa #sendojitemple #japanesetemple #浅草寺 #浅草寺観音堂 #志ん橋 #志ん橋大提灯 (at Sensoji Temple Asakusa Kannon-Do) https://www.instagram.com/p/Cou6RIUvRb4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島��両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服��尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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浅草寺の参拝と周辺グルメ
浅草寺は東京で最も古く、最も有名な寺院の一つであり、世界中から訪れる観光客を魅了しています。ここは信仰の中心であるだけでなく、文化や歴史の象徴でもあります。浅草寺を参拝した後、周辺の美味しい食べ物は、あなたの食欲をそそることでしょう。さあ、この魅力的な場所を一緒に探ってみましょう。 1. 浅草寺の歴史と文化 浅草寺は628年に建立され、観音菩薩の像を祀るために作られました。寺院の本堂には観音像が安置されています。毎年、多くの信者や観光客がここに訪れ、平安や幸福を祈ります。雷門は寺院の象徴的な入り口であり、その巨大な赤い提灯はすべての訪問者の目を引きます。 寺院に入る前に、訪問者は雷門の前で写真を撮り、その後、仲見世通りを散策します。この通りには、さまざまな店や屋台が並んでおり、賑やかな雰囲気が漂っています。ここは日本の伝統文化を体験するのに最適な場所です。 2.…
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【ニノさんとあそぼ】山田孝之と浅草ぶらり スポットリスト
【#ニノさんとあそぼ】#山田孝之 と浅草ぶらり 訪れた場所リスト 2024/10/6放送 〒111-0032 東京都台東区浅草2丁目3−1 #ニノさん #二宮和也 #菊池風磨 詳しく見る↓
ニノさんとあそぼ 2024/10/5放送 山田孝之と浅草ぶらり 浅草寺 浅草寺は、東京都台東区浅草に鎮座する、都内最古の寺院です。 正式には金龍山浅草寺といい、聖観世音菩薩を本尊とすることから、浅草観音として親しまれています。 雷門から続く仲見世通り、そして威風堂々とした五重塔など、その見どころは枚挙に暇がありません。 住所 〒111-0032 東京都台東区浅草2丁目3−1 TEL 03-3842-0181 ホームページ 聖観音宗 あさくさかんのん 浅草寺 公式サイト –…
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#013 trick or treat naohiro kiyota / MIDORI.so member 29 Oct 2021. 誰がゴミを拾うのか? 私事で恐縮ですが、僕は約24年前に九州の福岡から20歳で東京に出てきました。最初の東京の印象はカオスそのもので、上京して一番最初に住んだのは国分寺市の恋ヶ窪というロマンチックな名前のエリアで、そこで実際いろんな恋が生まれては消えていったわけですが、新宿から中央線に乗って西へ向かう車窓の向こう側は、統一感のない建物が延々と続いて、いつまで経っても景色が変わらないし、駅前には百貨店とスーパーとパチンコ屋と居酒屋と食堂と風俗店が同じエリアに無秩序に密集していて「これが東京か」と、とても衝撃を受けたのを覚えています。(後になって、それは中央線だからだと気がつきました。) そして国分寺の次は相模原、仙川、八幡山、浅草、代官山、原宿、初台、烏山、大蔵、祖師谷、そして東京の西の果てにある檜原村に流れ着くまで、約20年で11の街に移り住んできました。しかし振り返ると、本当にそれらの街に「住んだ」と言えるのか、非常に疑問です。いま思えば、ただ食べて寝てクソしてゴミを出していただけだと言ってもいい。自分のことしかやっていませんでした。街のことを何も考えてなかったし、街のために何かをしたことは一度もありませんでした。住民税は滞納しながらもなんとか払ってましたが、隣近所の人と声を交わすこともなかったし、自治会にも入っていなかったし、街の中に自分の役割は何もありませんでした。 もうすぐハロウィンがやってきますが、毎年ニュースで取り上げられる渋谷のスクランブル交差点でゴミと騒音を撒き散らす荒くれ者たちは、渋谷に住んでいません。夏になると自邸すぐそばの秋川上流の河原で爆音鳴らして酒飲んで騒いで肉焼いてゴミを散らかす人たちは、檜原村に住んでいません。そこ��残されたゴミは誰が拾うのか? それはその街に住んで仕事したり生活したり、その街のことを大事に思っている人たちです。自分の街だと思ってない人たちが、その街を汚すのです。1999年に"悪そうな奴は大体友達"とラップしていたZEEBRAさんが、渋谷で「街のために」と最初にやったのが朝のゴミ拾いだったことを思い出します。 「ゴミを拾う」という行為は、その地域のローカルコミュニティに自分が属しているという1つの証明にもなります。そして、そのようなローカルは田舎だけにあるのではなく、都会の中にもあるということです。逆に、二拠点生活や他拠点生活が最近もてはやされていますが、ただ田舎に物件を借りたり買うだけではローカルコミュニティに入っていくことはできません。新しい街に入るとき、その場所と新たに関係を結ぼうとするとき、まずはゴミ拾いからやってみるのもいいのかなと思いますが、いかがでしょうか。 清田直博|Naohiro Kyota 福岡県生まれ。ライター、エディター、デザインディレクター、クリエイティブディレクター、自転車生活アドバイザー、Night Pedal Cruising 初代リーダー、MIDORI.soスターティングメンバー。編著に『We Work HERE 東京のあたらしい働き方100』や『NEXT WISDOM CONSTELLATIONS 2014-2018 叡智探求の軌跡』など。檜原村役場産業環境課観光商工係観光情報発信担当、第二種兼業農家。
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各地句会報
花鳥誌 令和6年6月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年3月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
撞かるるを待つ梵鐘にある余寒 美紀 春灯や蔦の絡まる家傾ぐ 和子 料峭やいつか御籤でありし紙 緋路 自転車の主婦涅槃寺も突つ切つて 瑠璃 春塵は仁王の筋肉のかたち 緋路 冴返る仁王は金の歯で怒る 慶月 鳥帰る空はとほくて累塚 小鳥 春北風や大釣鐘に隠れたし 風頭 春陰の暖簾に純白の屋号 緋路 貴婦人の大車輪のみ春光に 慶月
岡田順子選 特選句
料峭やいつか御籤でありし紙 緋路 下萌る輪廻途中に道草を きみよ 中華屋の春塵赤き椅子逆さ 小鳥 喪の列の消ゆ式台の春障子 昌文 窓飾る家族の数の紙雛 はるか 白杖のリュックに揺るる���の花 眞理子 学僧は霞に昼の鐘をつく きみよ 春禽のつがひ卵塔あたたむる 千種 上人の絵のその上の春の雲 俊樹 父性めく陽春の木の温もりは きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
中空を塞ぐ余寒の廃高炉 かおり 曲水の刻安寧の風美し 朝子 曲水宴美しきあぎとの並びたる たかし 春の闇400Hzの着信音 修二 曲水や配流の無念流れをり 同 バッカスの壁画翳ればアネモネも かおり 中也掌に詩片ふりくる春の雪 睦子 野火走る倭建命の影走る 美穂 北窓を開く復興兆す音 朝子 曲水や女人の盃のちと遅れ 久美子 朧の夜幻想一つ二つ三つ 光子 涅槃図の中へ入りたく近道す 美穂 紅をひき三寒四温横切りて かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月7日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
春日射し昼寝の猫にやはらかに 喜代子 地の息吹すべての芽より放たれん さとみ 卒業生てかる制服光差す 同 雛見れば乙女心もらんまんに 同 啓蟄や老眼鏡に虫眼鏡 都 マネキンに呼び止められし春の窓 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
弁財天の目力強きご開帳 宇太郎 介護士の赤鬼追うて追儺かな すみ子 春動く大鍋洗ひ伏せてより 都 咲く椿落ちし椿も「太郎冠者」 美智子 無縁塚天の供へし犬ふぐり 都 閏日や何して遊ぶ春寒し 佐代子 観音の視線の先に吾と梅と 宇太郎 春氷曳く吾を映すのみ 悦子 風海へ菜花すみずみ靡かせて 都 薄氷や踏めばナイフの光持つ 佐代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月9日 枡形句会
語り継ぐ作詞の謂れ春の野辺 百合子 陽子師の墓前満開蕗の薹 教 子 雛祭り白寿の母も祝はれて 百合子 一輪の菫映して句碑閑か 三 無 きめこみ雛偲ばる友を飾りけり 文 英 廃屋に繁るミモザの花明り 多美女 揚げ雲雀寺領に紛れ猫眠る 亜栄子 のんびりと牛横たはる春の野辺 幸風 年尾碑に晴れてまた降る淡き雪 美枝子 雲雀生む高原行けば雲の人 白陶 やはらかな春の野の音辿り��く 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月11日 なかみち句会
消えさうな跡をつなぎて蜷の道 秋尚 磴百段尾道水道朝かすみ あき子 閉院の看板掠れ三味線草 美貴 日溜まりの数多の道も蜷のもの ます江 夜霞の一隅までも大灯台 聰 魚屋の釣銭濡れて春の雪 美貴 目をつむりぺんぺん草の音を聞く 廸子 極楽は泥の中なり蜷の道 あき子 蜷の道水面流るる光の輪 三無 崖下の流れやさしくになの道 和魚 鐘声のこころ震はす夕霞 史空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
老犬の矍鑠と追ふ寒鴉 清女 造花にも枯れは来たりぬ春愁ひ 昭子 お水送り達陀炎豪快に みす枝 春一番大手拡げて女子高生 昭子 全身を耳に涅槃の法話聞く みす枝 知らずともよき事知りぬ蜆汁 昭子 春眠の夢逝きし子の影おぼろ 時江 生死未だ仏に供へる桜餅 ただし 亀鳴くや遠くて近き爆撃音 みす枝 肩書を減らし北国の雪に住む 世詩明 鄙の里水滔滔と芋水車 時江 つまづいて梅の香りを逃しけり みす枝 浮御堂にそして巨松に春の雪 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月12日 萩花鳥会
鼓草摩文仁の丘の兄の墓 祐子 風神は火の神鳥に野火揚る 健雄 春の空ここは宇宙のど真ん中 俊文 忘れ雪抗ふ漁師海胆を取る ゆかり 忘れ物鞄の中に山笑ふ 吉之 制服の丈短きや卒業生 明子 沈丁花色付く前より香り立つ 美恵子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
合格の電話の声は春光に みえこ 彼岸会へ母一張羅出してをり あけみ 手作りの雛微笑んで雛祭 実加 啓蟄や亡き友ふえて吾は生きて 令子 うららかや押絵の猫に会釈して 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月15日 さきたま花鳥句会
銀翼のきらめく空や木の芽風 月惑 昴座の星を砕きていぬふぐり 八草 古雛の神輿に残る能登の技 裕章 料峭や客船の無き海広し 紀花 杉玉も軒端に馴染む春日影 孝江 亀鳴くや飛鳥の山はみな蕾 ふゆ子 今晩も味噌田楽とまぜご飯 としゑ 雛客の手みやげ酒や国訛 康子 春しぐれ天皇参賀長き列 彩香 春愁や予期せぬ病電子辞書 恵美子 草の芽の小石動かす力あり みのり ���世絵を抜け出す遊女万愚節 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
不器用は不器用なりに針供養 雪 我が町を春一番の素通りす 同 ぬるむてふ色を湛へて水温む 同 言の葉を育み春をふくらます 眞喜栄 雛飾り声なき顔に語りかけ 同 子供らの古墳探訪山笑ふ 同 道祖神肩を寄せ合ふ春の雪 同 雛見つめゐれば脳裏に母の顔 同 潮の香と水仙の香の一漁村 同 友の葬蝋燭揺らす涅槃西風 嘉和 風に棘あれど春日の燦々と みす枝 遠浅の水美しく蜆舟 ただし 雄叫びを似て左義長の始まれり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
城山をもみくだくかに春疾風 眞理子 春野歩すダルメシアンの脚線美 亜栄子 蒲公英の丘膨よかに母の塔 斉 石鹸玉母の塔まで追ひかけて 亜栄子 涅槃会や外から一人手を合はせ れい 蓬生の城址や鬨の声遥か 炳子 洗堰磧にとよむ雉の声 幸風 機関車に用心深く初蝶来 幸風 ぽつとりと落ちて華やぐ花椿 れい 春塵を淡く置きたる母の塔 芙佐子 啓蟄の句碑のひらがな揺らめける 要
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月18日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
胸を張り農を継ぐぞと卒業す かづを 四脚門氷雨の中に凜と建つ 和子 僧逝くや枝垂れ桜を待たずして 千加江 畦の径青きまたたき犬ふぐり 啓子 雛の間をちらと横切る男の子かな 笑子 九頭竜に朱を透かせゆく桜鱒 同 鰤大根男料理の後始末 清女 古里に古里の香の土筆摘む 泰俊 上を向き涙湛へて卒業歌 同 陽炎や人の集まる船溜り 同 春塵の経蔵深く舞ふ飛天 同 水ぬるむ色ある如く無き如く 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月20日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
雛納め飲まず喰はずの官女かな 世詩明 啓蟄や始発電車の一人旅 笑子 花ミモザ抱へふくらむ恋衣 同 けたたまし派手な身振りの春の鳥 同 啓蟄の土嗅ぐ犬の背の丸さ 希子 つくしんぼどこに隠れてゐるのやら 和子 麗しき新幹線で春来る 隆司 陽炎へる無人駅舎の降車客 泰俊 陽炎の中より来たる笑顔かな 同 啓蟄の啓蟄の顔穴を出づ 雪 懐かしやぬるみ初めたる水の色 同 蟲はただ蟲とし穴を出づるのみ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月22日 鯖江花鳥句�� 坊城俊樹選 特選句
凍つるべき所に凍つる蝶一つ 雪 着膨れて弟母似吾は父似 同 ぬるみ来し水に映れる何やかや 同 都恋ふ紫式部像に東風 同 幽霊の飴買ふ話木兎の夜 同 春灯下術後の傷を見る夜中 洋子 婚約のナースの話院の春 同 春ショール黄色く巻いて退院す 同 花柊恋に桎梏あればこそ 昭子 春雪や深田久弥の百名山 ただし 春彼岸死んで句友に逢へるなら やす香 親の恩山より高し卒業す みす枝 拙を守り愚直に生きて目貼剥ぐ 一涓 児を一人傘に拾ひし春時雨 世詩明
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過保護と、自立
大田区は、随分と創価学会員がいる。
環境、それが区民殆ど創価学会みたいな状況を作ったのかもしれない。
徳川幕府の罪悪、士農工商というカースト。
そこには、“穢多非人”という、言われのない差別発生回路が、仕組まれていた…
大田区こそ、被差別部落、そして敗戦寸前まで、
「戦争万歳」
の、町だった。
なんてことはない、武器下請け業者の町だったゆえ。
そして終戦を迎える。
原爆投下の少し前、アメリカはサイパンという攻撃拠点を得て、
1945年3月9日〜10日、
東京大空襲…
死者なんと、10万人…
私の居る大田区の人々は、そんな悲劇を体験した…
家もない…
食べ物もない…
勿論お金も、全て何もない…
そんな時、人はどうするだろう?
ただ天を仰ぎ、祈るしかない…
復興、再出発に向けて、人々は、協力なしには、先に進めない。
池上本門寺には、力道山も埋葬されている。
玉音放送があり、ポツダム宣言受諾、敗戦日本の庶民に希望を与えたのは何か?
そう…
街頭テレビ。
まさに、大田区体育館、力道山は、体の大きな外国人を、空手チョップでやっつける…
さて、
日蓮。
日蓮は、鎌倉時代に、法華経を開祖したそうな。
鎌倉時代と言えば、“禅宗”まっさかりw
つまり、己を律して、座禅を組む、内観する、そんな流れの中、
「南無妙法蓮華経を唱えれば、皆救われる」
それが、日蓮宗。
池上さんとは、日蓮を支持した金持ち。
そして、日蓮が病気療養で茨城に向かう途中、今の池上本門寺で息を引き取った。
これは本当に、ルターの宗教改革そっくりだw🙂
ルターの宗教改革の背景、それはローマカトリック教会が売り捌いた、“免罪符”。
《免罪符さえあれば、どんな罪人も救われる!》
として、ルターの居たドイツにて、乱売騒ぎとなった…
日蓮の200年くらい後の、神聖ローマ帝国の話。
ローマカトリック教会は腐敗し、堕落し、お金を使い〘レオ10世による贖宥状〙さえ買えば、あらゆる罪は許されるというw🤣✨
さて、
一方日蓮。
鎌倉時代、
《南無妙法蓮華経さえ唱えれば、救われる》
、禅宗のような厳しさがなく、わかりやすい。
そして、日蓮の、強引さ、過激さ。
他の宗教を徹底批判、幕府に、そして朝廷に、「法華経に改宗せよ」、と迫る。
日蓮は、「外国が攻めてきて、日本は滅びる」という予言もした。
最初は相手にされなかった日蓮は、元寇により、各方面から着目される。
その日蓮の縁の地、大田区。
創価学会は、「我々は日蓮正宗だ」と主張するが、破門されてるw🤣
55年体制崩壊、あの頃、
「日本は政教分離なのに、創価学会は堂々と“公明党”を掲げている!」
、そんな批判は沢山あり、今のように、当たり前に創価学会が政治に口出しするなど、考えられない時代だった…
大田区の人々が広く知る、日蓮入滅の大田区。
そして、単なる利益団体の創価学会が、あたかも日蓮と直接的に関係あるかのごとく、物凄い勢いで信者を集めた。
簡単に言えば、
創価学会とは詐欺団体だw🤣
パソコンのプリンターで作った御札を、数万円で売ったり、仏壇を法外な値段で売りつけたり、信者は餌にしかなっていない…
だが、
親が創価学会、或いは地域丸ごと創価学会、人間関係上、抜けられない、結果、大田区丸ごと創価学会、SDGsみたいな惨状となったわけだw🤣✨
さて、本題に戻りたいw
過保護と、自立
、過保護とはつまり、
《親と子の同化》
を指す。
「おまえは俺の子供だ!だから、おまえは俺のコピーだ!」
、それが同化だ。
コピーな訳だから、自由意志など認めないw🤣
親の言う事を聞き、親の示す道を進め!、って訳だ。
そして、親が年老いたら、親の面倒を見ろ!、その代わり、財産はやる!
これが、大日本過保護帝国なわけだw🤣🤣🤣✨😎🥸💨
じゃあ、新しく生まれる生命は?
何も新しい物は生まれず、何も新しい意見も、文化も、生まれない。
今までやってきた事をひたすら踏襲し、その《維持》だけを考える…
つまり、
搾取する側に都合の良い、奴隷ファーム製造システムが、過保護であるw🥸💨🤣✨
わかるだろうか?🤣
さて、
万教帰一を、知って欲しい。
5教合一という、世界紅卍。
何かしらの真摯な信者が入会条件の、フリーメイソン。
そして、カオダイ教。
万教帰一。
全ての宗教は、一つである…
当たり前やん、
宗教とは、家畜育成インフラストラクチャーだよw🤣✨😎
おかしいと思いませんか?
有名な宗教たちは、一つだ、一つだと叫ぶ中、
ヴェーダ、ヨガ、ウパニシャッド、禅宗だけ、除外されてるんです…
つまり何か?
国家という概念自体、選民思想そのものです。
つまり、国民、市民、臣民、庶民には、自立させないというねw🤣✌️
アセンション。
私達もれなく幸せになるには、私達もれなく、自立する必要がある。
フローレンス.スコーヴェルシンさん。
私達には、“表層意識”、“潜在意識”、それだけではなく、“超意識”があると、説く。
それこそが、キリストが示した道、
許すという事。
許す、許容、寛大さ、これこそが、超意識の扉を開きます。
宗教とは、人間の“潜在意識”に働きかける。
だから、だから信者は、色々不思議な体験も出来るが、《カルマ》因果応報から、逃れられない…
しかし、許すことにより、許される…
つまり、普通なら出来ない、《リセット》を可能にする、それが許す、寛大さだ。
だからキリストの示した技、病気が治る、つまり、許された。
死者が生き返る、リセットされた…
現状もそう。
誰か支配者がいて、誰か搾取され続ける。
奴隷の歴史は、とてつもなく、長い…
それを終わりにするのが、アセンションだ。
しかし、ニューソートだの、生長の家だの、馬鹿どものトンチンカンな解釈により、アセンションは随分遅れてしまったw🤣🤣🤣✨
艱難辛苦を愛で越した者だけが、本当のアセンションの意味を、紐解ける。
艱難辛苦を金やら、憎しみやら、戦いで越した者は、永遠にアセンションに辿り着かない。
生きるとは、己を知る事である。
己を、愛する事である。
己を愛し輝き始め、お互いがお互いを、照らす。
他力本願では、駄目、他力本願=宗教ですw🤣
私達に必要なのは、
己を知る、ヨガ、禅宗。
逃げる必要は、もう無いw✨
己を知れば知るほど、他人をも知ってゆく。
自己否定を強いる毒親に、逆に子供であるあなたが教えてあげて下さい。
親という字を良く見て下さい。
木に、立って、見てるんです、親。
つまり、ケツを拭いてやる必要が無くなれば、見ていてあげて下さい。
子供は、決して親のコピーではありません。
血肉をあげたんです。
「なんで!?じゃあ親は損ばかりじゃないか!」
…馬鹿を言うな。
今親であるあなたも、その親から血肉をわけて貰ったんだ。
今の立��でのぼせ上がり、あなたはあなたの親から貰ったものまで、最初から自分のものみたいに考えてる。
だから、子供をコピーだと思える。
さあ、簡単で、難しい扉が開きます。
己を知れ。
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浅草寺(せんそうじ) 東京の名所
浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区に位置する日本で最も有名な仏教寺院の一つです。以下に浅草寺の特徴と魅力を紹介します。 1. 雷門(かみなりもん) 寺院の入り口にある巨大な提灯「金龍の提灯」で知られる仁王門。仁王像の間をくぐると雷門に至り、その先に浅草寺が広がります。 2. 仁王像 雷門の両側には大きな仁王像が鎮座しており、迫力のある表情が印象的です。 3. 本堂 仁王門を抜けると本堂があり、多くの参拝客がお参りする姿が見られます。本堂には観音菩薩の像が祀られています。 4. 五重塔 日本で現存する最古の五重塔であり、歴史的価値が高く、寺院のシンボル的存在です。 5. 仲見世通り 浅草寺周辺には仲見世通りと呼ばれる商店街が広がり、伝統的なお土産や食べ物などを販売する店舗が立ち並びます。 6. 浅草の風情 浅草寺周辺は昔ながらの風情を残す下町情緒があり、歴史的な建造物や伝統的な文化が息づいています。
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Sensoji Temple famous places in tokyo
Sensoji Temple is one of Japan's most famous Buddhist temples, located in Taito Ward, Tokyo. Below we will introduce the characteristics and charms of Sensoji Temple. 1. Kaminarimon Niomon is known for the giant lantern, the Golden Dragon Lantern, at the entrance to the temple. Passing between the Nio statues leads to Kaminarimon, and beyond that lies Sensoji Temple. 2. Nio statue There are large Nio statues on both sides of Kaminarimon, and their impressive expressions are impressive. 3. Main Hall Once you pass through the Niomon gate, you will see the main hall, where you can see many worshipers coming to pray. A statue of Kannon Bodhisattva is enshrined in the main hall. 4. Five-story pagoda It is the oldest existing five-storied pagoda in Japan, has great historical value, and is a symbol of the temple. 5. Nakamise Street A shopping street called Nakamise Dori stretches out around Sensoji Temple, and is lined with shops selling traditional souvenirs and food. 6. Asakusa's atmosphere The area around Sensoji Temple has an old-fashioned downtown feel, with historic buildings and traditional culture still alive.
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駒形(こまかた)の名は、浅草寺に属する駒形堂に由来する。この堂は天慶5年(942年)平公雅によって建立され、円仁作の馬頭観音を祀るために建てられたのが起こりであると伝わるが、古くは浅草寺の総門があった場所であるともいわれる(ただし駒形堂は関東大震災の後に場所を現在地に移動している)。 なお土地の人々によれば、駒形の読み方はコマカタと清く発音してコマガタとは濁らないという。ここは古来交通の要地で、駒形の渡しのあった所である。江戸の巷説に有名な、「君はいま 駒形あたり ほととぎす」の句は、文芸・美術などの上で駒形堂とともに、この辺りの雰囲気を伝えている。
駒形 - Wikipedia
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another one #浅草 #東京散歩 #tokyowalker #tokyonightwalker #tokyonightstreetsnap #architecture #archistagram #city_explore #金龍山浅草寺 #浅草観音堂 #あのくさあさくさくさ (at 浅草寺) https://www.instagram.com/p/CWCx-lqPpQ6/?utm_medium=tumblr
#浅草#東京散歩#tokyowalker#tokyonightwalker#tokyonightstreetsnap#architecture#archistagram#city_explore#金龍山浅草寺#浅草観音堂#あのくさあさくさくさ
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坂東三十三ヶ所観音札所巡礼 18箇所目第十三番金龍山浅草寺(東京都台東区) 世界中の誰もがみんな⭐︎大好き!浅草寺 餃子は胡椒かタレのお好みで! #坂東三十三ヶ所 #坂東三十三ヶ所観音霊場 #東京都 #台東区 #浅草寺 #浅草寺雷門 #浅草寺ライトアップ #浅草寺五重塔 #浅草寺御朱印 #浅草寺ほおずき市 #浅草寺おみくじ #浅草寺本堂 #浅草寺初詣 #浅草寺からのスカイツリー #浅草寺仲見世 #浅草寺🏮 #浅草寺⛩ #みんな大好き #みんな大好き❤️ #よろゐ屋 #よろゐ屋ラーメン (浅草寺 Senso-ji Temple) https://www.instagram.com/p/CEJIykIAtD1/?igshid=wk6x46coomb9
#坂東三十三ヶ所#坂東三十三ヶ所観音霊場#東京都#台東区#浅草寺#浅草寺雷門#浅草寺ライトアップ#浅草寺五重塔#浅草寺御朱印#浅草寺ほおずき市#浅草寺おみくじ#浅草寺本堂#浅草寺初詣#浅草寺からのスカイツリー#浅草寺仲見世#浅草寺🏮#浅草寺⛩#みんな大好き#みんな大好き❤️#よろゐ屋#よろゐ屋ラーメン
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20180112 Friday. 長い一週間の最終日。 もう生涯の最終日とか言われてもいいです。 そんくらいしんど〜い🤮 . 1. 観音様にお願いします。 働かなくても食べていけるようにして下さい。 2. 仲見世通りのお飾りもそろそろ終わりかなぁ? 3. 待てる女です。 4. そうなんです。ようやく気がついた?エアうまうまに🤗 . エアうまうまも大好き みきゅるん💕 でもうまうまの匂いは付けてくれるんだよ♥️ スメルうまうまね。 スルメじゃないよ。 . #観音堂 #浅草寺 #騙されるみくるん (Sensoji Temple Asakusa Kannon-Do)
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『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天���町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、駒ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)までは遡れそう、とのこと。
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木製の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のものは明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊多宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人が友魚に声をかけたのかもとか想像します。
壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『山口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
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夕焼けの浅草寺 やっぱ東京最強の観光地といえば浅草寺だなってたまに伺うと感じます。 浅草寺の歴史は古く飛鳥時代推古天皇朝(628年)の時代に浜成・竹成兄弟の投網に観音像がかかり、それが何かわからない兄弟が土地の長、土師中知に見せるとそれは聖観世音菩薩像だぞと小さなお堂を作って祀ったのがはじまりです。 その後頼朝や尊氏、家康の戦勝祈願や庇護により発展し江戸時代には当時寺社界で最大の権力を誇った輪王寺の所管となります。 明治の神仏判然令後、浅草寺と分離した浅草神社の祭神はこの三人を三社権現として祀っています。 #浅草寺 #浅草寺五重塔 #total_blacklight #temple #寺 #神社仏閣 #参拝 #仏教 #パワースポット #パワースポット巡り #神社巡り #神社仏閣巡り #goshuin #御朱印 #ご朱印 #御朱印巡り #御朱印集め #御朱印好きな人と繋がりたい #japan #日本 #jmj_jp #japan_vacations #japantrip (浅草寺) https://www.instagram.com/p/CCVTX-4D8Ow/?igshid=1ldzw7ssiwynf
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2022/01/02
壽 初春大歌舞伎(ことぶき はつはるおおかぶき)
第三部
『難有浅草開景清 岩戸の景清』
(ありがたや はながたつどう あけのかげきよ)
『義経千本桜 川連法眼館の場』
(よしつねせんぼんざくら かわつらほうげんやかたのば)
■四代目の狐忠信が帰ってきた!
あけましておめでとうございます。
とてもラッキーなことに、新年の初観劇を歌舞伎座で迎えることができた。しかも、猿之助さんの四の切で。
ずっとこの時を待っていた。歌舞伎を好きになり、猿之助さんにハマったのは2017年の冬。あの大怪我をされた直後だった。初めて猿之助さんを「猿之助さんだ」と意識して生で歌舞伎座で観たのが2018年の初春大歌舞伎。白鸚さん、幸四郎さん、染五郎さんの三代襲名披露の公演で、寺子屋の涎くり与太郎で出ていらした。それから4年の間、スーパー歌舞伎ワンピース、黒塚と、復活を象徴するかのようなマイルストーンを次々打ち立てて、それでも、四の切だけはすぐには観る事ができなかった。もうそろそろ?と思っていた頃に、世界的パンデミックが起きた。今回の公演はその意味でも特別だ。感染対策の制約が緩和され、ついに子狐が観客の頭上を飛んで古巣に帰る。桜吹雪の中白い狐が宙乗りをする姿のイメージは、いつしか、猿之助さん個人の身体的な快復の証を越えて、全観客にとっての「復活」の観念そのものになっていたように思う。
■猿之助さんも、本当は人間ではないんじゃない?
欄干の上をツツツツと走り、欄間を抜け涼しい顔で正座し、新体操の種目かと思う程の驚異的な跳躍力を見せつける。人間そんなことできるの?というケレン味的要素への驚きを、しかし、親狐を慕う子狐のドラマが超えていく。
「さてはそなたは狐じゃな」 と詰められ、さっと姿を消したかと思うと、薄紫の美しい着物から真っ白で毛足の長い狐の衣裳に変わってささささと這い出てくる、その速度。早替わりは猿之助さんの代名詞、先月の”伊達の十役”も早替わりが見どころだったが、あれは「早さを楽しむ」余裕がこちらにあった。ところが狐忠信の早替わりはエンタメ的早替わりとは違う。怪異としての早替わりだ。怪異を目にした人に許される反応は、ただただ驚愕のみである。
静御前に切られかかり「そんなことされる覚えはないですゥ!」と口を尖らせてみたり、本物の忠信さんに不信がかかってしまって申し訳ない…と反省してみたり、鼓の音に耳を傾け”ん-むむ”と首を小さくふったり、義経の前で恐縮して階段の死角に小さく座ったりと、小動物的Kawaiiを炸裂させる猿之助さん。
そして、悪僧たちと舞うあの姿!なんて楽しそうなんだろう、なんて自由で、喜びに溢れているんだろう。あの笑顔、あのウインク!胸が痛い…もっかい観たい…。
ついに宙乗りになり、鼓を胸に抱きはしゃぐ子狐。その姿を舞台上から義経と静御前が寄り添い見守る。そんな二人の姿に、子狐の両親のイメージが重なっていく美しい幕切れ。
■静御前と(狐、あるいは本物の)忠信
義経の忠臣、佐藤四郎兵衛忠信(さとうびょうえただのぶ)。
『義経千本桜』は、「忠なるかな忠、信なるかな信」という言葉から始まる。最初に言葉があり、言葉は神と共に…と言うのは完全に的外れな余談になってしまうけれど、初演から大当たりで、その後数百年にわたって上演され続けている程の大名作の冒頭の文句なのだから、当時気鋭の作者たちが魂込めて書かなかったわけがない。そうして書かれた言葉に、神や霊が宿らないはずもない。
もしかしたら、狐が化けていない”本物の忠信”という男を理解することが、『義経千本桜』が観客に何を信じさせるために書かれたのか理解する手がかりになるのではと思う。そしてまた、義経の周囲に数多くいる人物の中から佐藤忠信を子狐が化ける対象として選んだ作劇の意図を、純粋に知りたいと願う。
モノホン忠信の居る時間は非常に短い。あんないい男なのにもったいない。なんか、スピンオフで「忠信の休日」とか、あと「忠信のお勤めルーティン」とか見たい。
源平の合戦を生き延びる程武勇に優れ、鎌倉から追われる立場に変わった義経にもブレずに忠義を尽くす信念の篤さ。そんなトップ・オブ・ザ・武士のような男に、いや、そんな男だからこそなのか、義経は自分の愛妾の護衛を言いつける。実際は狐忠信が代行したとはいえ、「兄貴は戦場で武勲を立てて死んだのに、俺は女のお守りかよ…」 なんて、モノホン忠信が不貞腐れるところを想像すると楽しい。あるいは、「兄さんみたいに人の身代わりになって死ぬのはしんどいし、こうして護衛しながらしずしず歩くのも悪くないよな。」なんて思う可能性もある。
そんなことに思いを馳せていると、自然「兄・継信が上司・義経の身代わりになったため、家族を失った忠信」 と 「両親が人間社会の行事のサクリファイスになったため、家族を失った子狐」の立場に相関関係があるのが見えてくる。このあたりが狐忠信誕生の理由のひとつかなと短絡的に考えてみたりする。
モノホン忠信を演じる猿之助さんの怜悧な眼光の鋭さ、あの眼が素敵。義経たちの会話を聞いている間の訝しがる顔つきも男前で見惚れてしまう。偽物忠信の詮議のためその場を立ち去るモノホン忠信が駿河・亀井を交互に睨み堂々と去っていく姿には、「俺は場当たりで適当な嘘は言わないからな」という男の矜持が滲み出る。ごく短い時間でこれだけの魅力、頼むからスピンオフしてくれよ。
そして雀右衛門の静御前。こめかみから頬にかけての血色感メイクがちょっと地雷メイクっぽくてバリ可愛い。
長旅を共にしてきた(と思っている)静御前は、モノホン忠信に対してとても気安くて砕けた感じだ。「途中でどこか行ったかと思ったら、私より先に来てたなんて!真面目な方、まだ世の中が戦場だと思ってるのね」とかなんとか、そういうフィーリングのことをおっしゃる(間違ってたらごめんなさい)。忠信が自分には覚えがないですと反論するも、取り合わず「チャラチャラ冗談言っちゃって~」と流す。やっとのことで再会した恋人のどフロントで何でそんな他の男といちゃつけるんだ…?と疑念が僅かながら生じるものの、その短いやり取りの中には、静御前と(狐の)忠信が道中でどんな関係を築いてきたのか、またモノホンの忠信とだったらそこまで仲良しにはならなかったろうなということを二重に思わせる要素が詰まっている。
狐忠信の正体を見破った後、おののきながらも子狐に情をかける様子、最後にはすっかり落ち着きを取り戻して義経を呼び寄せる物腰に、静御前という人の優しさ、情け深さ、知性が表れていた。
■A Little Fox in my Stomach
大舞台の前の緊張や、遠足の前の日の夜のようなソワソワ落ち着かない感じを英語で"Butterflies in my stomach”という。
猿之助さんの四の切を観て、私は殆ど何も手につかない。いつもあの子狐の姿を思い、考えてしまう。胸がきゅっと締め付けられるようで、お腹がモゾモゾする。舞台で観た子狐の精霊が体に入ってきて跳ねまわっているような。
人が皆「猿之助の四の切」を絶賛する理由が分かったような気がする。すでにおかわりチケットを購入したので、 次回はもっと予習して、忠信について考えつつ、狐の可愛さを存分に味わいたいと思う。
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各地句会報
花鳥誌 令和3年5月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和3年2月3日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
帯の色白と黒との寒稽古 世詩明 初夢や逆夢にして安堵せり 同 受話器より来る熱燗の酔ひつぷり 清女 もう雪も落ちついたかとココア飲む 同 湯のたぎる薬罐の音の冬支度 誠 ゆつくりとガラスを滑る霙かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月4日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
寒の明け空の青さのどこまでも 柏葉 雪の舞ふ上へ下へと北陸路 喜代子 寒戻り雄島は浪に翻弄す 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
祈る人白く光らせ春の寺 小鳥 壺菫傾ぐ黄昏の密会 季凜 饅頭屋の幟ぱたぱた春疾風 美智子 嬰児へ春の揺籃なりしかな 順子 寒紅や鏡の中の女たち きみよ 春を描く赤で縁��る黄土色 千種 ギャルソンのベストの在庫春埃 荘吉 バーの椅子冬日も遊ぶ道具街 荘吉 春潮のかをる手をもて貝洗ふ 順子 ペンダントはづして春の風邪に寝る 光子 黄泉の国へとラビリンスめく雪間 眞理子 オキーフとゴッホの黄なる春の蝶 伊豫 ロマノフ朝語る早春のため息 慶月 仲見世の半分閉ぢて亀鳴けり 梓渕
岡田順子選 特選句
江戸つ子へ黄水仙咲く格子窓 光子 春の日の跳ねたりしつつ神田川 小鳥 壺菫傾ぐ黄昏の密会 季凜 吾輩は道具街の猫日脚伸ぶ 荘吉 春浅き野へと黄衣の遊行僧 慶月 花瓶売れざり春の日を黄昏れて 俊樹 笊は受く春の日差や道具街 季凛 菜の花や主のゐない家に棲み 伊豫 大方は縁なき道具街うらら 秋尚 隠れ耶蘇語る窓辺の余寒かな はるか 遣り��婆春画を鬻ぎつつ春眠 俊樹 黄塵万丈浅草に人沸き出す 梓渕 産土の海光を背に絵踏せり 光子 生国を刻みし墓へ梅香る 慶月 祈る人白く光らせ春の寺 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
散歩みち犬に吠えられ日脚伸ぶ 三四郎 子等はしやぐ声の大作雪だるま みす枝 寝るだけに戻りし部屋の虎落笛 ただし 初詣巫女の化粧の濃かりけり 世詩明 贔屓目にみても毛皮の似合はざる 上嶋昭子 大氷柱剣のごとく堂宇守る 時江 崖の上に耐へて咲きたる水仙花 久子 神杉に裂けし傷あり斑雪 時江 風花の散華の中を柩ゆく 信子 湯たんぽを母の温もる如く抱く さよ子 廃屋の雪の声きく真暗がり ただし 嚏して饒舌の人黙りけり 三四郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月9日 萩花鳥句会
住所録ゐぬ人ばかり春時雨 祐子 降り立てばカルスト台地草萌ゆる 美恵子 春まだ来産卵仕掛ける川漁師 健雄 春時雨ビニール傘に裂け目あり 吉之 下萌えて平幕力士の賜杯かな 陽子 雪雫八分音符と四分音符 ゆかり 微睡の草木起こせし春時雨 明子 面接の練習の声寒明くる 克弘
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令和3年2月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
護摩焚きの煙の深き節分会 あけみ 節分や子の夢に出る方相氏 登美子 節分や炒豆撒いて稽古終ふ 令子 車窓には雪しろの山々続く あけみ 大雪も奮闘えち鉄動き出す 紀子 野兎の駈けし跡あり野辺深し 同 ひらがなの娘の手紙春隣 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
白杖の突けば凍土鼓動して 都 磯竈海女と蜑との声太く 益恵 獣園の柵に並ぶ子草青む 栄子 春の雪店はいつものビートルズ 佐代子 日脚伸ぶ明るき方へ人も鳥も 都 寒木瓜の棘の交差に交差して 悦子 白髭を撫で庭を掃く春隣 幸子 寒月へ町定位置に静もりて 都 春雷や酒供はりて力士像 宇太郎 さよならと筆置く音に落椿 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月13日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
人生は借り物かしら春一番 修子 日の永き台所にて聖書読む 同 永く生きすぎた気もして春の風 同 どの家も砦のやうに雪積みて 寛子 街路樹の上に余寒の空低し 同 針供養叔母は短気でお人好し のりこ 掌に一滴春の化粧水 岬月
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
ひたすらに鶴は鶴とし凍つるのみ 雪 寒鴉申し合はせしごと啼かず 同 観念をしたる如くに大枯木 同 温石に温石と云ふ石の貌 同 薄氷や着物をつまみ避け乍ら 千代子 深々と音消し積もる真夜の雪 同 春炬燵くの字しの字の混み合へり みす枝 ランドセルに筆箱入れて春を待つ 同 銀の波揺らし川辺の猫柳 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月17日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
薄氷の割れて漂ひ重ね合ひ 千加江 数独に挑んで老の春を待つ 清女 節分や柱時計がつと止る 啓子 薄氷を張り尽したる法の池 泰俊 鴬や何か賑やかなる甍 同 凍て鶴として人の世を凍つるのみ 雪 華やかに古りし虹屋の桐火桶 同 凍て様も金輪際や檻の鶴 同 人の世の枷を解かれし古火桶 同 寒鴉啼くを忘れてゐはせぬか 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月19日 さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
冴え返る言葉の綾に躓きて 雪 勿体なや冬籠りにも厭きしとは 同 乾杯の種の尽きたるちやんちやんこ 同 うららかや犬が好みの猫まんま 清女 虹屋へと二月礼者の関西弁 千代子 水仙の花に折鶴遊ばせり 希 路地裏を斜めに走るうかれ猫 啓子 水尾も無く流れのまゝの鴨滑る 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
飄々とした人の訃や冬の果 佑天 学舎の武張りて遠く春の富士 圭魚 アトリエに遺せし絵の具冴返る ゆう子 シスターの病むや余寒の廊長し 和子 手の皺の翳は目立ちて春を待つ ます江 存分に椿の落ちて椿寺 佑天 堂裏の日溜り豊か落椿 圭魚
栗林圭魚選 特選句
よき喫茶閉ぢし通りの余寒かな 慶月 磐座の裳裾にこぞる蕗の薹 幸風 菰踏めば春泥ぬると動きたる 三無 朝光の瀬音そびらに蘆の角 幸風 アトリエに遺せし絵の具冴返る ゆう子 寺領ひっそり孕猫つとのそりゆく 文英 細波の煌めき尖る浅き春 斉 シスターの病むや余寒の廊長し 和子 春みかづき童話の色の夜の街 和子 春光や眉毛一本づつ描く 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月22日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
二度三度黙の呼び鈴冴返る 一涓 遠き日の武原はんの風花す 同 雪掻きて掻きて怨嗟を紛らせり 同 佐保姫来式部の像の辺りより 同 古里ぞ遠海鳴りも温石も 雪 其の頃はへつつひ二つ竈猫 同 お駄賃は袋のお菓子春の風 上嶋昭子 アプレゲールと言はれし卒寿日向ぼこ 同 春一番絵馬カタカタと恋の宮 信子 夕焼けを少し暈して春の色 紀代美 春着着しより梵妻の顔となる 中山昭子 水仙や少女一心勉学す みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
東風に扉を開けよ羽衣なびくまで 美穂 面影のちよと夫似なる古ひひな 千代 波音のままに揺蕩ふ若布かな 桂 大津絵の鬼の飛び出す春の雷 喜和 梟の吾を呼びたる父祖の山 千代 遠き目でみる耶蘇浦の若布船 かおり 薄氷を踏むもふまぬも人の道 睦子 冬灯しらじら明けの裏酒場 勝利 恋猫の敗れ幣履のごとく消ゆ 伸子 その沖は霞み衣桁の陣羽織 由紀子 寂しらの汀に寄する若布かな 久美子 浮かみくる七色の泡春の池 愛 集落を貫く碧き雪解川 由紀子 タンデムで若布を買ひに島日和 美穂 結ひ髪のほろほろ解けて絵踏かな かおり 紙漉の若き水ほどよく躍る 佐和 蹼に薄氷つきしまま歩む 睦子 星辰の恵みに育つ若布かな 美穂
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
なかみち句会(投句のみ) 栗林圭魚選 特選句
探梅の坂より駅を見渡せり 貴薫 焼山の命の早さ確かめり ます江 風尖りをれど遠山霞みをり 怜 枝影の網目ぼんやり春の土 秋尚 受診日や梅林抜けて隣り駅 せつこ 料峭の森覚ましゆく水の音 三無 野焼見る怪しくはやる気持あり あき子 日を浴びて胸張る如し犬ふぐり せつこ 青海苔を採って沖には白い波 史空 梅林や古木の幹に力あり 迪子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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