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#沖縄本島内に出張して撮影します
chikuri · 5 months
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「民主党政権のどこがどう悪夢だったのかきちんとした説明を聞いたことがない」という主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことがない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 悪夢のような時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で全力で反論していきますね。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
新田 龍 / X
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all-saturday · 1 year
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2023 first half
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2023年の上半期を振り返ってみる。
1月
せっかく地元に帰ったのに、元旦に弾丸で県外にドライブ。ついでに弾丸でアウトレット行って全然今必要じゃない夏物を買う。
2月
目標月収を達成。吸い取られる税金に泣く。
ついに最後の親知らずを抜歯。過去イチで痛い。これが最初の1本じゃなくて本当によかったと思う。
地元の友達が、半日かけて熊本に遊びに来てくれる。草千里をご案内
3月
人生初のいちご狩り。美味しかったけど3月なのに暑くていちごがぬるい。
初めての天草!一人ドライブ。海がきれい。ドーナツに衝撃を受ける。今まで食べた中で一番おいしい。
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4月
東京出張でオフィスに2回目の出社。楽しかったけど思いきり体調を崩す。1週間後に控えている沖縄に向けて死ぬ気で治す。
同僚と1週間の沖縄ワーケーション。airnb初利用。沖縄の虫は大きい。マンゴーパフェが美味しすぎたのでもう1回食べたい。
熊本に来て1周年を迎える。
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5月
人生で2人目のカメラマンさんとのポートレート撮影。写真の空気感ドンピシャで好き〜!(記事サムネイル)
ミッフィー好きな友達がはるばる遊びに来てくれたのでハウステンボスのミッフィーコラボカフェに行く。うっかりミッフィーが好きになる。
絶対似合わないと思っていたワイドバングに挑戦してそこそこ好評を得る。
仕事で思い悩むことが多すぎて本格的に精神が参る。周りがいい人すぎるから逆に困る。
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6月
福岡日帰り旅行の帰りに駐車場が故障し、1時間半閉じ込められる。檻と化した駐車場の中から、パチンコ店に違反駐車している人たちの帰路を10人近く見送る。
紫陽花とポートレート撮影。花×人はやっぱり素敵だ。
宮崎初上陸!残り九州は鹿児島だけ!
同居人の誕生日にリファのシャワーヘッドを買う。自分もちゃっかり恩恵に預かる。
撮影会にモデル&カメラマンとして初参加。友達以外のポートレート撮影は初めてで、大いに刺激を受ける。
撮影会の1週間後くらいに勢いに任せて初フルサイズに手を出す。もう直ぐ届くはず…
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下半期に向けて
タイ旅行に行く。
好きな髪型を見つける。
もっと身体しぼっていく。
UIUXもっと勉強する。
好みのカメラストラップとカメラバッグを買う。
撮影・被写体どちらでも自分の好きな表現を創り上げていく。
最低もう1回モデルの撮影をする。
レタッチのスキルをあげる。
55mmの単焦点をひたすら使い倒して作例をnoteにまとめる。
構築中の写真の作品サイトを公開まで繋げる。
ジップスライドに乗る。
ここで総評。
なんだかんだ、「はじめてだな〜」みたいなことにチャレンジする半年だった気がする。熊本にきてから知り合いが特にいないので、ポートレートのカメラマンは全然やっていなかったけど、ひさびさにやったらやっぱりめちゃくちゃ面白かったしもっともっとやりたくなっちゃった。
仕事については、実力以上のことが求められたり、入社してからというもの「やったことないことしかやっていない」という毎日なので、ぜんぶ伸び代〜〜!という気持ちはありつつもしんどいのは間違いない。何がしんどいのかもう少し分解すると「私のこれまでの経験をフルに活かせます!」といえないこと。私もわからないのでとりあえずやってみるしかない。聞かれたってわからないから全部調べる。とにかく時間がかかる。脳死でできる仕事がない。笑 周りにいる人たちは本当にすごくて、「自分が力が及ばない」ことに申し訳ない気持ちになるばかりだけど、でも胸を張っていえることは、一年前より明らかに成長しているってこと。知識も、使えるものも、どんどん増えているのが振り返ってみた時に気づいた。 そのときすこし気持ちが楽になった。昔の自分よりは確実に成長している。だからこのまま頑張っていこう。
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shintani24 · 2 months
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2024年7月26日
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8月15日に終わった戦争などない 「平和報道は9月にシフトを」(朝日新聞)
毎年8月にメディアにあふれる風物詩的な戦争・平和報道は、半ば揶揄を込めて「8月ジャーナリズム」とも呼ばれてきた。加害性の視点の欠如や、内容の定型化も指摘されて久しい。そもそも「8月15日=終戦日」という日本の常識自体が内向きの8月ジャーナリズムの産物で、国際的には非常識であり、世界との対話を阻んでいる――。そんな刺激的な議論を世に問うたのが、佐藤卓己・上智大教授(メディア史)だ。それなら本来の終戦日はいつなのか。先の戦争が人々の「記憶」ではなく「歴史」に変わりつつあるいま、私たちはそれをどう論じていけばよいのか。8月ジャーナリズムは乗り越えられるべき過去の遺物なのか。疑問をぶつけた。
「終戦の日」は8月ジャーナリズムの産物
 ――今年も8月を迎えます。8月15日をピークとした日本メディアの戦争・平和報道「8月ジャーナリズム」は、他者の存在と降伏の事実を忘却したものだと指摘し続けてきました。
「1945年8月15日に終わった戦争は存在しないからです。日本が連合国にポツダム宣言受諾を伝えたのは8月14日ですが、15日は、どの前線でも戦闘が続いていました」
「『終戦』は相手国のある外交事項です。米戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した9月2日が国際法上の終戦日であり、翌3日をロシアも中国も対日戦勝日としています。交戦国ではなく、あくまでも『臣民』に向けた昭和天皇による終戦詔書の放送、いわゆる『玉音放送』があったに過ぎない日を節目としていること自体、極めて内向きの論理に基づいています」
「そもそも、千島列島や旧満州は8月15日以降もソ連軍の侵攻を受けており、終戦どころではない。放送局が破壊され物理的に『玉音』体験が困難だった沖縄も同じ。ゲリラ戦を続けていた残存在沖日本軍が降伏文書に調印したのは9月7日で、アジア各地の日本軍が降伏したのも9月2日以降です。『8.15=終戦記念日』は、沖縄や外地の邦人、南方の戦地に取り残された兵士らの記憶を捨象し、周縁化することで成立しているのです」
「8月15日が終戦日と明記されたのは1963年の閣議決定で、その正式名称『戦没者を追悼し平和を祈念する日』が決まったのは、連合国軍総司令部(GHQ)が廃止されてから30年も経った1982年です。今ではそのことを知らない人がほとんどでしょう」
「創られた記憶」に基づくエモい報道
 ――「8.15=終戦の日」という日本人の「記憶」自体、8月ジャーナリズムの産物だとも指摘しています。
「8月ジャーナリズムが確立されたのは戦後すぐではなく、多くの新聞が終戦10年特集を組んだ1955年です。この時の紙面に掲載された、玉音放送を流すラジオの前でうなだれたり泣き崩れたりする国民を写したとする新聞写真は、実は撮影日時や状況が不確かなものや、『やらせ』も含まれていました。宮城(皇居)前でひざまずく人々の姿を伝える1945年8月15日の記事も、見てきたように書かれているものの、多くは予定稿に基づくものでした」
「また日本人の多くは、あの日を『じりじり照りつける太陽の下』の出来事として記憶しています。『暮しの手帖』の花森安治は『あの日は誰でも知っているように日本じゅうがたいへんな晴天で(略)非常に暑かった』と書いています(『一億人の昭和史』第4巻)。ですが、東北は曇りだったし、北海道の一部は雨でした」
「記憶のウソは『8.15』だけではありません。8月6日も、国民的な平和反核運動の起点となるのは戦後すぐではなく、独立回復で原爆報道の統制が解かれた後、1954年の第五福竜丸事件以降です。広島市生まれの私の記憶では、被爆者への差別はかなり後々まで残っており、被爆体験は完全に自由な語りの中にあったわけではなかった。しかし、放射能雨や放射能マグロの恐怖とともに、広島と長崎という地方都市の悲劇が突如、国民的な原水禁運動の『起源』に据えられたので���」
「8月前半に集中する戦争回顧の報道をつぶさに調べてみると、いかに『創られた記憶』が多いかに、驚きます。通常の報道をする際には当たり前の真偽の検証すら不十分という点で、8月ジャーナリズムは『ジャーナリズム』の名にも値しないものが少なくありません。昨今、ネット上の『エモい』記事に対する批判が高まっていますが、伝統芸能化した8月ジャーナリズムの多くも、残念ながらそれに陥ってしまっている」
「戦後長らくメディアが作り上げた『記憶』は、引用や孫引きが繰り返されることで、国民の集合的記憶=体験として歴史化していく。それはもはや『神話』と言えます」
「8月革命論」と「記憶の55年体制」
 ――その「神話」が浸透・定着したのには、戦後の政治・思想空間が大きく作用していたようですね。
「戦後憲法に深く共感した政治学者の丸山真男は、1945年8月15日に日本が国体の呪縛から解放され、人民主権への変革が起きたとする『8月革命論』を唱えました。一方、保守派は天皇の御聖断によって戦争が終結し国体も護持されたという物語を信じてきた。これらは正反対に見えて、左右のイデオロギーが背中合わせにもたれかかる心地よい均衡であり、双方が『降伏』に目を背けることで一致した『記憶の55年体制』とも言うべきものです」
「『8.15』を境に日本に『自由なる主体』が生まれたというのは、明らかに虚妄です。丸山はそれを承知のうえでその虚妄に賭け、8月ジャーナリズム最大のイデオローグとして戦後言論界に君臨しました」
「しかし、戦前と戦後の断絶を設定する『8.15神話』は、両者の連続性を隠蔽する効果をもたらしてきました。その意味で、8月ジャーナリズムは『戦争の記憶』ではなく、『戦後の忘却』の上に存在しているのです」
「戦前」と「戦後」の断絶史観、世界と乖離
 ――世界との対話を阻む障害となっている8月ジャーナリズムではなく「9月ジャーナリズム」を展開すべきだと提唱しています。
「私はメディア論の学者なので、報道や言論の『内容』だけでなく『効果』に関心があります。内容の真偽や善悪を問題にするジャーナリズム論に対し、効果の程度や射程を問題にするのがメディア論です」
「終戦の日に首相や天皇が反省の弁や世界平和を口にしても、靖国神社に閣僚が参拝する報道とともに伝われば、本心では反省していないと世界からは見られます」
「8.15終戦記念日は、周辺国との歴史的対話を困難にしてきました。いくら私たちが戦後の象徴たる平和憲法にコミットする姿勢を示しても、その前提となる内向きの『あしき戦前』と『良き戦後』の断絶史観は外国と共有されていない。外部の他者に開かれていない空間で、いくら自己反省を繰り返しても、対話なきゲームです。『8.15』をリセットタイムとする日本史において、『戦後』は世界史との経路を遮断され、その記憶は自閉化されています」
「本当に世界史への接続を考えるなら、7月7日(盧溝橋事件)や12月8日(真���湾攻撃)を国家的記念日にしてもよいでしょう。でも、そんな試みはほぼありません。だったら、8月ジャーナリズムを9月にシフトし、世界標準の終戦日である2日、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の調印日である8日、そして満州事変が勃発した18日まで、新学期の教室でも議論できるものにすべきです」
「もっと言うなら、私の提唱する9月ジャーナリズムは、8月29日から始まります。何の日かご存じですか?」
 ――……。
「日韓併合記念日です。この日を国恥日としている朝鮮半島だけでなく、戦後しばらくは日本人もみな覚えていましたが、今やすっかり忘却されています。9月1日の関東大震災後の朝鮮人虐殺も、植民地支配を背景にしたものです。戦争と平和についてさらに広く考えるなら、米同時多発テロが起きた『9.11』や、戦後70年の節目だった安保法制の成立日(9月19日)も射程に入れてもよいでしょう」
戦没者追悼と歴史的対話、記念日の分離を
 ――8月ジャーナリズムは内容的にも、被害や受難の語りに偏重してきたと言われています。
「8月6日や9日、あるいは空襲や引き揚げ、特攻や玉砕の体験は、紛れもなく悲劇の記憶です。それを前提にする限り、報道やドラマの内容が『犠牲』に偏るのは避けられない。侵略や植民地支配の加害性を見つめなくてはいけない、といくら主張しても戦災者には響かないし、この語りの傾向を変えるのは難しいでしょう。お盆の8月15日は、戦前から慰霊と供養の日としても定着していました。宗教的追悼と政治的議論を同時に行うことは、ふつうの人にはなかなかできることではない」
「だから私は、終戦の日を二つに分け、8月15日を『戦没者を追悼する日』、9月2日を『平和を祈念する日』にすべきだと訴えています。8月15日はこれまで通り死者に祈りを捧げ、9月2日は戦争責任や加害の事実に冷静に目を向け、諸外国と歴史的対話をする日にする。政教分離の観点からもそれがよいでしょう。その意味では、9月ジャーナリズムは8月ジャーナリズムの全否定の上にあるわけではなく、その内向きさと情緒性を省みたうえで、理性的で対話的な新たなジャーナリズムを構築する試みです」
歴史対立踏まえ、未来志向のジャーナリズムへ
 ――戦後生まれが人口の85%を超え、戦争の記憶の継承が課題です。「新しい戦前」というきな臭い言葉も飛び交っています。
「今は『記憶の歴史化』の潮目です。平均寿命に近い80年という時間の経過は、生存者の反証を物理的に不可能にします。そのため、『戦争の記憶』は『記憶の戦争』の中で再編されていく。それは、事実関係よりも表現の効果に人々の関心が向けられていく時代に、今後は突入するということです」
「すでに近年、終戦や戦争をめぐる『歴史のポリティクス』は過熱しています。中国は従来、靖国参拝問題などで歴史カードを切れる8月15日を重視してきましたが、日中の経済力が逆転した2010年代以降、改めて9月3日を抗日戦争勝利記念日と明確に定めました。ロシアも昨年、9月3日を『軍国主義日本に対する勝利と第2次大戦終結の日』と名称変更し、ウクライナを支援する日本を強く牽制しました。歴史戦や情報戦という不穏な言葉を使うのは適切ではないでしょうが、私たち自身が内向きな『記憶の55年体制』に閉じこもっている限り、こうした他国の功利的な歴史利用に対峙することはできません」
「情緒的で紋切り型の8月ジャーナリズムがもたらしてきたものは、現代の戦争や安全保障問題に対するイメージの貧困化です。日本人は『豊かで平和な戦後』において、米国の核の傘の下、周辺国との敵対性を無視することができました。しかし、国家利害の対立が深まるなか、現実に目を背けることは、あまりに反政治的です」
「外交とは、敵対性を討議性へと開く技術です。歴史の対立が存在することを前提に、それならどのような対話が可能なのか、私たちは模索し続ける必要がある。戦争の記憶の問題にメディアが果たす役割とは、本来そうした未来志向のものでなければならない。だからこそ、他者と向き合うための9月ジャーナリズムが必要なのです」(聞き手・石川智也)
佐藤卓己 さとう たくみ 1960年生まれ。上智大教授、京大名誉教授。専門はメディア史、大衆文化論。著書に「『キング』の時代」「言論統制」「八月十五日の神話」「輿論と世論」など。
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広島原爆の日の式典、周辺での「平和運動」を締め出しへ 公園一帯で「入場規制」、プラカードやのぼりは禁止(東京新聞)
8月6日の広島市の平和記念式典で、原爆ドーム周辺を含めた平和記念公園の全域に入場規制を広げる市の方針が波紋を広げている。メイン会場から離れたエリアも手荷物検査を受けないと入れず、プラカードやのぼりの持ち込みを禁止。安全対策を理由とするが、法的根拠はなく行きすぎた表現規制との懸念も。背景には近年の平和行政の変質も指摘される。(山田雄之、山田祐一郎)
◆物議を醸した「園内での禁止行為」
広島市は5月、平和記念式典で、入場規制エリアを昨年まで対象外だった原爆ドーム周辺を含む公園全体に広げる「安全対策」を発表した。当日午前5〜9時に入場規制し、6カ所のゲートで手荷物検査を行うとした。
広島市の平和記念公園で、松井一実広島市長(左から5人目)から説明を受けるG7首脳ら=2023年05月
これに加えて物議を醸したのが園内での禁止行為。「式典の運営に支障を来す」としてマイクや拡声器のほか、プラカードや横断幕の持ち込み、はちまきやゼッケンの着用まで禁じ、従わなければ退去を命令することがあるとした。
規制強化の理由としたのは昨年の式典の際、原爆ドーム周辺で市職員に活動家の集団が腕を組んでぶつかるなどした「衝突事案」だ。5人が暴力行為法違反の疑いで逮捕、起訴された。
松井一実市長は記者会見で「参列する市民の安全を最優先に考えての措置」と強調。「原爆ドームや供養塔の周辺で毎年、慰霊に関する行事をしている団体もあると思うが」と問われると、「今までのような集会はできなくなるかと思いますね」と淡々と応じた。
◆「核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」のに
被爆者たちの受け止めはさまざまだ。広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之理事長(82)は「こちら特報部」の取材に「騒動を起こす人がいることも事実。犠牲者を追悼するために厳粛に式典を行いたい。規制は仕方ない」と理解を示す。一方、もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(79)は「祈る場所は必要以上に制限されるべきではない。反戦や核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」と話した。
6月上旬、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島は「ゼッケンなどの着用禁止は表現の自由に抵触する。取り消すべきではないか」と市長あての質問状を出した。JCJ広島幹事の難波健治さん(76)は「そもそも式典を巡る問題は騒音だった。いつのまにか安全の問題にすり替わった」と強調する。
◆「条例は関係なく法的根拠はない」
どういうことか。会場周辺のデモで拡声器が使われたことを受け、市が2019年に参列者に行ったアンケートでは、音が聞こえたという人の約6割が「式典に悪影響がある」と回答。市議会は21年、議員提案された「市民の理解と協力の下に、厳粛の中で行う」と定めた市平和推進基本条例を賛成多数で可決した経緯がある。ただ「厳粛」の具体的な規定はなく、県弁護士会などは「市民の表現を萎縮させる」と懸念を示していた。
公園からの退去などを市民に強制できる根拠はあるのか。市の市民活動推進課の担当者は取材に対し、手荷物検査や禁止行為による退去命令について「条例は関係なく法的根拠はない」と断言。「安全な式典にするための必要最小限の規制。表現の自由を制限するとは思わず、あくまでご協力いただくもの」と述べた。プラカードなどを使って平和や核廃絶を訴えたい人については「規制終了後や公園外でしてほしい」と話した。
◆「ここまであからさまな表現の自由の制限は…」
デモの音量に対する「騒音規制」の問題だったはずが、いつの間にか目的が「安全対策」にすり替わったという今回の出来事。広島大の田村和之名誉教授(行政法)は「別の場所から大音量が発せられる可能性があり、騒音問題の解決になるのか疑問だ」と話す。
「式典が安全に行われることに異論はないが、論理の飛躍だ。差し迫った危険の発生が具体的に予見されるわけでないのに、短時間とはいえ拡声器やプラカードといった表現活動を禁止するのは言論の自由や集会の自由の制限に当たる」と憲法違反を指摘する。その上で「ここまであからさまな行政による表現の自由の制限は最近、目にしたことがない」とあきれる。
松井市長は5月の会見で、衝突事故の再発防止のため、式典会場外の区域も式典会場と位置付けて規制する考えを説明した。田村さんは「式典として使用実態がない場所は自由利用が原則であり、市長の説明は詭弁だ」と批判。都市公園法の原則に反し、正当な理由なく住民の公共施設利用を拒んではならないとする地方自治法にも違反するとした上で「屋外の平和公園で式典を行う以上、騒音は避けられない。行政が必要以上に規制すれば、異を唱える人を排除することになる」と危ぶむ。
◆広島の平和行政が変質していないか
2023年度に差し替えられる前の平和教材の「はだしのゲン」のページ
近年、広島の平和行政を巡っては平和団体が懸念を示す問題が相次いできた。広島市教委は、平和学習教材に引用掲載してきた漫画「はだしのゲン」や、1954年にビキニ環礁で米国の水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」の記述を2023年度から削除。市民団体が実施したオンライン署名では、約半年間で削除に反対する声が5万9000筆以上寄せられた。
昨年6月には広島市の平和記念公園と、旧日本軍の真珠湾攻撃を伝える米パールハーバー国立記念公園が姉妹協定を締結。同年9月の市議会で市幹部が、米国の原爆投下の責任議論を「現時点では棚上げにする���と答弁し、被爆者団体などから批判を受けた。今年の式典を巡っても、パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを招待する方針を表明。ウクライナ侵攻以降、招待していないロシアへの対応との違いを「二重基準」と会見で指摘された松井市長が声を荒らげて否定する場面もあった。
「根拠やプロセスを説明しないという松井市長の政治姿勢が年々、顕著となっている」と指摘するのは広島市立大の湯浅正恵教授(社会学)。「行政は法律や条例の規則に基づいて政策決定をするべきなのに、納得できる説明がない状況が続いている」。7月には突如、来年以降の式典招待国の基準も見直す考えを示した松井市長。湯浅さんは「近年にない特殊な状況」と受け止める。
◆「アメリカのご希望に沿う岸田首相、追従する広島市」
平和記念公園で記念撮影に納まるG7首脳ら=2023年5月
「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」は先進7カ国(G7)広島サミット後の昨年7月、「広島市平和行政の変質を問う声明」を発表し、現状への危機感を訴えた。
共同代表を務める森滝春子さん(85)は「広島市の平和行政の変質は、原爆被害が見えなくなることを望む米国に沿った岸田首相の政策に、市が追従していることによって起きている」と危ぶむ。「G7の広島ビジョンも米国の核の傘の下での核抑止論を肯定する内容。その場所に広島が利用された」と批判する。
今回の入場規制が原爆被害の実相を伝える上での悪影響を及ぼすのではないかと懸念する。「世界や日本から原爆被害者を悼みに来るのに、法的根拠なく入場を厳しく規制すれば、近づかない方がいいという人が出るかもしれない。被爆者が減る中、マイナスの効果しかない。それを止められないのは歯がゆい思いだ」
◆デスクメモ 前に公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に足を運んだ。日本は米国の原爆の被害者だが、アジアとの関係では加害者でもある。立場の違いも含め原爆の実相を知り、犠牲者を悼み、核なき世界を願う場と思ってきた。戦後79年の夏空に「NO WAR」と掲げられる公園であってほしい。(恭)
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no1-shochu · 2 years
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【みんな天文館に集合♪】 『そいじゃが!天文館フェスタ』 (焼酎振る舞い(無料)) みんな天文館に集合♪ 1月15日(日)『そいじゃが!天文館フェスタ』に参加いたします♪ 今回は焼酎振る舞い(無料)となっております♪ 皆さん是非飲みに来て下さいね~♪ 私と一緒にイベントを楽しみましょう(σ≧▽≦)σ 皆様のお越しを心よりお待ちしております♪ そいじゃが!天文館フェスタ情報 (センテラス天文館イベント) 日時 = 2023年1月15日(日)11:00~16:00 会場 = センテラス天文館 センテラススクエア 住所 = 鹿児島県鹿児島市千日町1−1 イベント内容 【特別ゲスト】 宮崎花ふぶき一座 ・振る舞い酒 ・キッチンカー、飲食ブース ・薩摩甲冑隊 写真撮影 ・練り歩き ・着付け体験 ・ボートレースVR体験 【ステージイベント】 1月15日(日) 薩摩天翔竜(和太鼓) / フラダンス / 日本舞踊(宮田流) / 大島紬ファッションショー / YoKo 【センテラス天文館限定】チラシ特典 イベントチラシをご提示でセンテラス天文館店舗の特典が受けられます。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ ザ・ファブルを読みながら黒若潮(くろわかしお)で乾杯♪ ※ザ・ファブルは、週刊ヤングマガジン(講談社) に連載され累計発行部数750万部越えの超人気漫画です♪ その超人気漫画 ザ・ファブル に若潮酒造の焼酎が登場致しました\(^^)/ 登場した単行本は、第一部11巻、13巻、19巻、20巻、第二部第2巻、3巻です♪ ※週刊ヤングマガジン(講談社)にて、ザ・ファブル第二部連載開始中♪ ※単行本 第二部 第1巻、第2巻、第3巻、第4巻、第5巻絶賛発売中♪ ※映画にもなって、今一番注目されている漫画です‼️ 凄く面白い漫画です‼️ 南勝久 先生様有難うございます♪ 心より御礼申し上げます♪ これからも若潮酒造を宜しくお願い致します。 皆さん是非本屋さんにて超人気漫画ザ・ファブルを買って究極の日常酒 白若潮 (シロワカシオ)を探して下さいね~♪ ( ザ・ファブルを読みながら白若潮で乾杯♪ ) 映画 ザ・ファブル 殺さない殺し屋 情報🎬‼️ 💿『ザ・ファブル殺さない殺し屋』DVD&BD 発売中‼️ 江口カン映画監督様作品。 主演も超豪華、 岡田准一 様、 木村文乃 様、 平手友梨奈 様、 安藤政信 様、 黒瀬純 様、 好井まさお 様、 橋本マナミ 様、 宮川大輔 様、 山本美月 様、 佐藤二朗 様、 井之脇海 様、 安田顕 様、 佐藤浩市 様、 堤真一 様 監督 = 江口カン 様 ( KOO-KI - 空気株式会社 様 ) 脚本 = 渡辺雄介 様 漫画 = 南勝久 先生様 V6岡田准一 様の超凄いアクションシーンにも注目‼️ ____________________________ ✨若潮酒造受賞歴✨ 鹿児島県本格焼酎鑑評会 ✨24連続受賞‼✨ ____________________________ ※若潮酒造の焼酎は、プリン体0・糖質0・甘味料0 、体に優しい芋焼酎です(^^♪ ※焼酎は、色々な飲み方が出来て楽しいです♪ 冷やしてストレート、グラスにいっぱいに氷を入れてロック、氷と炭酸水を入れてソーダ割り(焼酎ハイボール)、グラスにお湯を入れてお湯割り、柑橘系&炭酸水を入れて、カクテル、酎ハイ、色々な飲み方が出来ます♪ 皆さん是非、自分好みにアレンジして楽しんでくださいね~♪ ※若潮酒造の焼酎が日本全土 、 全都道府県 に広がるように頑張ります。 ( 北海道 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 新潟県 茨城県 群馬県 栃木県 埼玉県 東京都 千葉県 神奈川県 山梨県 長野県 富山県 石川県 福井県 静岡県 愛知県 岐阜県 三重県 大阪府 京都府 滋賀県 兵庫県 奈良県 和歌山県 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県 徳島県 香川県 愛媛県 高知県 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県 沖縄県 ) ★若潮酒造は見学、ツアーも出来ますので皆さん是非若潮酒造に遊びに来て下さいね♪ ( 会社が休みの場合も有りますので、見学に来られる際は事前に御連絡して下さいね。) 若潮酒造株式会社への 商品、見学、ツアー お問い合わせ 若潮酒造電話番号 = 099-472-1185 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ #センテラス天文館 #センテラススクエア #居酒屋 #天文館 #そいじゃが!#天文館フェスタ #焼酎 #若潮酒造 #センテラス #鹿児島観光     #イルミネーション #鹿児島 #ランチ #鹿児島中央駅 #志布志 #天文館文化通り #ライカ #宮崎花ふぶき一座 様 #キッチンカー #若潮酒造服部     #麓 #焼酎好きな人と繋がりたい #飲酒タグラム #sake #酒好きな人と繋がりたい #Shochu #若潮酒造服部明 #焼酎好き #Japanesesake #ほんわかくん         (センテラス天文館) https://www.instagram.com/p/Cna6ypWpJjM/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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porcophotograph · 4 years
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ari0921 · 2 years
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中国「日本漁船操業させるな」の“厚顔無恥”! 尖閣諸島の知られざる歴史…山本皓一氏「事故を演出し、中国海軍を上陸させる可能性も」
中華民国駐長崎領事から贈られた、魚釣島に漂着した福建省の遭難者を救護したことへの感謝状。「日本帝国八重山郡尖閣列島」とある 中華民国駐長崎領事から贈られた、魚釣島に漂着した福建省の遭難者を救護したことへの感謝状。「日本帝国八重山郡尖閣列島」とある
魚釣島の船着き場。先人が人力で岩を削って完成させたとされる
魚釣島でかつお節を天日干しする住民たち
大正時代の魚釣島。建物は台風避けとみられる高い石垣で囲まれ、多くの人が暮らしていた。日の丸も見える
山本皓一氏
 沖縄県・尖閣諸島周辺での、中国の暴挙が止まらない。中国海警局の武装公船などの侵入は続いており、22日で「100日連続」となる。尖閣諸島は歴史的にも、国際法上も日本固有の領土であり、明治時代にはかつお節工場などが建設され、最盛期には200人以上の日本人が暮らしていた。「国境の島々」の取材を続け、尖閣諸島にも上陸した経験を持つ、フォトジャーナリストの山本皓一氏が、入手した貴重な写真を公開するとともに、領土・領海を守り抜く意義を激白した。
 「中国公船は連日尖閣周辺に居座り、日本の漁船を追い回すなど、その行動は『第2段階』に入った。日本漁船の写真を撮影し、国内外に違法漁船の取り締まりとしてアピールしている。次の段階として、中国漁船などの座礁事故を演出して、その救助として海軍を上陸させる可能性もある」
 山本氏はこう危機感を募らせる。
 海上保安庁第11管区海上保安本部(那覇)は21日朝時点で、尖閣周辺の接続水域で中国公船4隻を確認した。うち1隻は機関砲のようなものを搭載しているという。これで中国公船が確認されるのは、2012年9月の国有化以降、最長日数となる「99日連続」だ。
 尖閣諸島は、魚釣島や北小島、南小島、久場島、大正島などからなる島々の総称で、沖縄県石垣市の行政区分に含まれる。東シナ海上にあり、石垣島の北約170キロメートル、沖縄本島の西約410キロメートルに位置している。島には固有種を含む動物が数多く生息しており、周囲の海は好漁場としても知られる。
 1884(明治17)年に、福岡の商人、古賀辰四郎氏が探検隊を派遣し、尖閣諸島を発見した。その後、日本政府が他の国の支配が及ぶ痕跡がないことを慎重に検討したうえで、95(同28)年1月に国際法上正当な手段で日本の領土に編入された。
 日本の民間人が移住してからは、かつお節工場や羽毛の採集などは発展し、一時200人以上の住人が暮らし、税の徴収も行われていた。
 1919(大正8)年には、中国漁民31人が周辺海域で遭難し、魚釣島に避難していたところを日本人が救助し、中国まで生還させた。中華民国(当時)からは感謝状が贈られている。51(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約でも「沖縄の一部」として米国の施政下におかれ、72(同47)年の沖縄返還協定でも一貫して日本の領土であり続けている。
 ところが、中国は言語道断の対応を取り出した。
 ■中国「日本漁船操業させるな」の厚顔無恥
 中国は5日、公船が過去最長となる30時間超の領海侵犯を行い、外交ルートでは今月上旬、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)周辺の中国領海で日本漁船を操業させないよう管理すべきだ」などと主張してきた。
 厚顔無恥にもほどがあるが、山本氏によれば、中国の「巨大な構想」の中で、尖閣諸島は重要拠点になるという。
 「今年は中国共産党結党100周年で、台湾を支配下に置くことは建国の父、毛沢東の遺言だった。これができなければ、香港やチベット、ウイグルなどに連鎖していき、党の存続でさえ怪しくなりかねない。そのため、習近平国家主席率いる中国には焦りがある。台湾に武力闘争を仕掛けて米軍が応戦した場合、尖閣諸島が軍事的な主戦場になりかねない」
山本氏によると、中国側は尖閣周辺を連日航行する以外にも、将来的に「尖閣諸島を自国領土だ」と主張するために、「中国領土」と刻み込んだ石碑を近海に沈めたり、台湾議員に資金を流して、尖閣の上陸を計画したりしている。また、2013(平成25)年の日台漁業取り決めの締結を利用して、台湾籍の船に資金を渡すことで、実質中国籍の船になっているという現実もあるという。
 日本による実効支配を弱めようとする、悪しき狙いがあることは明白だ。自民党国防議員連盟は17日会合を開き、自衛隊と米軍の共同訓練や、自然・資源調査の必要性などが検討された。
 先人が遺した領土・領海をどう守り切るのか。
 山本氏は「中国を止めるには、尖閣海域を封鎖しなければならない。そのためには、米軍の射撃演習場となっている尖閣諸島・大正島などに日本が思い切って軍事拠点をつくり、米軍とともに軍事演習を行えばいい。中国は太平洋に出るための手段を失うだろう」と指摘している。
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xf-2 · 4 years
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2020年5月8日午後4時50分ごろ、中国海警局所属の巡視船4隻がわが国の領海に侵入したと、海上保安庁第11管区海上保安本部(那覇)が翌9日に発表しました。
 そしてそのうち2隻が、沖縄県八重山郡、尖閣列島所在の魚釣島の西南西約6・5海里において操業中の与那国町漁協所属の漁船(9・7トン)に接近した後、移動する漁船を追尾したと説明しました。中国の巡視船は約2時間後にいったん退去したものの、翌9日午後6時ごろに再びわが国領海に侵入し、10日午後8時20分ごろまでの約26時間にわたり、居座り続けました。
 このような行為は、単に領海を侵犯して、わが国の漁船に危害を加えることだけが目的ではありません。わが国の領域内で警察権を行使しようと試みる、かなり悪質な主権侵害行為で、言うまでもなく重大な国際法違反です。
 日本政府は11日、外交ルートを通じて厳重に抗議を行ったと発表した上で、菅義偉(よしひで)官房長官は「新型コロナウイルス感染症の拡大防止に向け(中略)中国側の前向きな対応を強く求めていきたい」と述べるにとどまりました。
 それに対して中国の報道官は、わが国の巡視船が違法な妨害を行ったと非難し「日本は尖閣諸島の問題において新たな騒ぎを���こさないよう希望する」と述べ、責任を日本側に転嫁しました。その上で「中日両国は力を集中して感染症と戦うべきだ」と発言しています。
 この両者の言い分を第三国の人が聞けば、どう思うでしょうか。単に「厳重な抗議を行った」と間接的に発表するわが国に対して、中国は具体的にわが国が違法な妨害行為をしたと直接的に非難し、さらに新たな騒ぎを起こすなと盗っ人たけだけしいセリフを吐いています。しかし、世界の人々の大半は、尖閣諸島の存在やその経緯など知りません。
 それらの人々が今回行われた日中両政府の発表を見れば、よくて五分五分、客観的には中国の方が正しいと思うのではないでしょうか。なぜ、わが国は記者会見において、堂々と中国を非難できないのでしょうか。これは今に始まったことではなく、中国が突然尖閣諸島の領有権を主張してから今に至るまで続いています。
 わが国の政府は、尖閣諸島に関して中国が何をしてきても「わが国固有の領土」という呪文を唱えるだけで、国外だけでなく国内に対しても、自国の立場を広報することを怠ってきました。
 この問題に限らず、わが国の対外発信能力が低いことは今回のウイルス対策を見ても分かるように、現政権でも変わりません。このままでは中国のプロパガンダによって、日本がかつてのように悪者にされかねません。まずは内閣府に国内外向けた広報を専門とする部署を設け、諸外国並みに発信力のある報道官がわが国の立場を伝え、官房長官は実務に専念すべきです。
 ここで、日本政府のPR不足を補うために、次の年表で尖閣諸島の歴史をおさらいしておきましょう。
 私も年表を作成していて嫌になったほどですから、読まれた方も不快な思いをされたかと思いますが、こちらに記されている出来事は紛れもない事実です。こうして時系列に並べてみると、中国の明確な侵略の意図が読み取れるかと思います。
 今回の事件に関し、与那国町議会では県や国に警戒監視体制強化と安全操業を求める意見書を5月11日に全会一致で可決しています。さらに15日には石垣市議会も抗議決議を全会一致で可決しています。ですが、地元紙の八重山日報など少数のメディアしか、このことを報じていません。
 わが国の主権が侵害され、地元の議会が怒りの声を上げているにもかかわらず、大手メディアが報じないのは大問題です。マスコミの報道以外に情報源を持たない多くの人たちにとっては、報じられないことはなかったことと同じで、事件そのものも、マスコミが報じないことも知らないままです。
 中国の侵略行為に直面し、一番被害を受けている漁師の声を、国や県、マスコミ、日頃は弱者に寄り添うふりをしている人たちは誰も取り上げません。こんな理不尽なことが許されてよいのかと憤りを感じます。
 私は、中国が尖閣周辺に巡視船を配備するのは大きく分けて二つの理由があると思います。一つは国際社会への実効支配アピールで、巡視船が撮影した映像を利用するなどしてプロパガンダを繰り広げること。もう一つは、わが国の反応をうかがう威力偵察のようなものです。
 改めて年表を見ると、中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めて以来、国内法の整備や実力行使を徐々にレベルアップさせているのに対し、わが国は防戦一方の感があります。なお、中国で最初に国有化を主張した周恩来元首相は、尖閣諸島の領有権を主張し始めた理由として「国連の調査により、周辺海域に油田があることを知ったから」と述べています。
具体的な行動を起こし、報道を通じて自分たちの意思を表明する中国は、日本国内の世論を注視しています。そして、世論が弱いと見るや強い手段に出て、強いと見るや対応を緩和することで、じわじわと侵略のペースを進めてきています。
 2012年にわが国が尖閣諸島の三つの島を国有化すると、中国は大騒ぎして哨戒艦による領海侵犯を常態化させました。ですが、本当は彼らこそ、その20年も前の1992年に国内法で尖閣諸島の領有を明記、つまり国有化を表明しているのです。
 92年当時の日本政府はこのような重大な主権侵害を問題にしなかったばかりか、マスコミも大きく報じなかったため、多くの国民がこれを知らないまま約30年が経過してしまいました。
 そして日本が尖閣諸島を国有化した12年当時、92年の国有化表明について知っている人間が少なくなっていたせいもあってか、一部の人を除いて、誰もこのことを指摘しませんでした。さらに当時の野田佳彦政権は反論するどころか、国有化直前に北京に特使を派遣してお伺いを立てるありさまでした。
 日本の国有化発表後、わが国のマスコミは連日のように、中国での官製反日デモの映像を背景に北京の代弁者のようなコメンテーターたちを使いました。そして「当時の石原慎太郎東京都知事が買い取り宣言したのが原因だ」と事実に反したコメントをさせ、まるで日本が悪いことをしたかのように報じ続けたのです。こうして日本の反中世論を封じた結果、日本国民による中国バッシングが起こらず、今日の事態を招いています。
 これと同様のことが、現在のウイルス禍においても行われています。わが国のマスコミの大半は本来の原因者である中国を非難せず、自国の政府を一方的に叩き、マスコミの情報だけを見聞きしていると、いつの間にか中国ではなく日本が悪者になってしまったような印象を受けます。このままでは、日本国内において中国に対する非難の声を上げることは難しくなるでしょう。
 いまさら言っても仕方のないことですが、92年当時の日中の国力の差に鑑みれば、彼らが国有化したことを理由に本格的な灯台の建設を行い、ヘリポートを復活させて公務員を常駐させるなどしていれば、今日のような事態になることはありませんでした。日本政府は公式発言として否定していますが、実際は鄧小平氏の棚上げ論にだまされ、彼らが国力をつけるまでの時間稼ぎをさせられただけでなく、政府開発援助(ODA)などにより官民挙げて技術や資金援助も行ったのです。
 結果、今や空母を保有するほどの海軍を育て上げてしまった揚げ句、その見返りとして自国の領土領海を脅かされているのです。棚上げ論と言えば聞こえはよいですが、要は結論の先延ばし、嫌なことから逃げるだけのことです。嫌なことは借金と同じで、先送りにするにつれて利息が膨らみ続けるように、問題はより大きく、解決は一層困難になるのです。
 中国が場当たり的ではなく、計画性を持ちながら一貫してわが国の領土を侵略しようとしていることは、共同通信の記事(2019年12月30日付)からも読み取れます。記事によると、東シナ海を管轄する海監東海総隊の副総隊長が、中国公船が初めてわが国の領海を侵犯した08年12月8日の出来事を「日本の実効支配打破を目的に、06年から準備していた」と証言しています。
 この証言の意味は、1978年4月に中国の武装漁船百数十隻が尖閣諸島海域に領海侵犯したときから今日に至るまで、中国指導部による計画された侵略行為が行われ続けているということです。
 間抜けなのは、日本の政官財マスコミがその間、せっせと彼らに技術や資金の支援を行うだけでなく、日中友好とばかりにほほ笑んでくる相手を疑うこともせずにこぞって友好的態度をとり続けてきたことです。一方、彼らは嘘で塗り固めた反日教育を徹底的に行ってきたというおまけ付きで、こんな間抜けな話はめったにあるものではなく、日本政府、特に外務省にお勤めであった方々には猛省していただきたいものです。
 かように中国は一貫してわが国の領土を狙っているというのに、いまだに中国を擁護する人々が政官財やマスコミに少なくないのは底知れぬ闇を見るようです。
 「中国が意図的に侵略している」というのは周知の事実です。しかし、共同通信の記事を通じ、中国側が当時の高官にあえてインタビューという形で発表させた理由について考えてみると、一つの仮説が浮かびます。あくまで私の臆測ですが、このインタビューは中国指導部が尖閣侵略のレベルをワンステップ上げるための観測気球ではないかということです。
 こう言うと、インタビュー記事の4カ月後には、習近平国家主席の国賓訪日が予定されていたので、「中国側がそんなことをするはずがない」という声も聞こえてきそうです。しかし、それに対する反論として、2010年にわが国で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の直前に起こった出来事を挙げたいと思います。
 同年9月7日、尖閣諸島沖のわが国領海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船に故意に体当たりする事件が発生し、海上保安庁は漁船の船長を逮捕しました。
 一方、中国は国内にいる日本人を拘束し、レアアース禁輸などの手段でわが国に圧力をかけた結果、日本政府は同船長を処分保留で釈放しました。実質的には無罪放免です。
 法と証拠に基づけば、容疑者を釈放する理由など一つも無いのに、なぜそれが行われたのでしょうか。後に政府高官が自民党の丸山和也参院議員(当時)に語ったところによると「起訴すればAPECが吹っ飛ぶ」、つまり当時の胡錦濤国家主席が来なくなるというものでした。この成功体験により、彼らは国家主席の訪問が日本に対して強力な外交カードとなることを学んだのではないでしょうか。
事実、今回の新型コロナの感染拡大の際においても、習主席の国賓訪日中止が発表されるまで中国全土からの入国制限を行わないなど、日本政府は公式に認めてはいませんが、中国に対する過剰な配慮が感じられました。それは国賓訪日を成功させたいという思惑以外には考えられません。
 もし今回の新型コロナ騒動がなければ、共同通信の記事に無反応な日本の世論を見て、中国は今回の領海侵犯よりも一層大きな仕掛けをしてきたかもしれません。
 仮にそうした状況が発生した際、中国は日本の対応次第で「春節中、訪日旅行を禁止する」「国家主席は日本に行かない」などと言うかもしれません。そのとき、わが国が毅然(きぜん)とした対応が取れたのかというと怪しいものです。
 ただ、中国が口だけではなく実際の行動に移した今、彼らが尖閣侵略のレベルを上げたことに疑いの余地はありません。
 問題なのは、自覚のあるなしを問わず、彼らのプロパガンダにわが国のマスコミが加担していることです。彼らは中国のプロパガンダを報じる一方で、一部メディアを除き中国の度重なる領海侵犯を報じません。
 国民が関心を持たないから報じないのか、マスコミが報じないから国民が関心を持たないのか、因果の順序は分かりません。ですが今や日本国民は、12年12月に杜文竜大佐が言ったように「中国の領海侵犯に慣れてしまった」感があります。
 中国はそれを感じ取り、米中経済戦争でにっちもさっちもいかなくなった状況を打破しようと日本に助けを乞う前段として、今回の領海侵犯事件を仕掛けてきたのかもしれません。
 いずれにせよ、われわれ日本人は、千年恨む隣国かの隣国と違い忘れやすい民族です。北朝鮮による日本人拉致問題にしても、02年の小泉純一郎首相の訪朝後はあれほど盛り上がったのにもかかわらず、現在はどうでしょうか。今やマスコミで取り上げられるのは、家族が亡くなられたときだけです。
 尖閣の問題にしても、東京都が買い取り資金を募ったときにかなりの金額が集まったにもかかわらず、今はその募金の使い道を論ずることすらしません。今回の事件も大して騒がずにスルーしてしまえば、彼らはますます図に乗ることでしょう。
 それでも、ほとんどのマスコミは沈黙し続け、国会で取り上げられることもありません。あまり知られていませんが、今年3月30日には鹿児島県屋久島の西約650キロにある東シナ海の公海上で、海上自衛隊の護衛艦と中国漁船が衝突する事件が起きています。
 本件もこの事件のように、多くの国民が知らないまま、うやむやな形(自衛隊に対しては形式通りの捜査は行われているでしょうが、中国漁船に対しては恐らく何もしていないと思われます)で終わりかねません。せめて政府は海上保安庁が撮影した動画を公表するなり、あの海域で何が起こっているのかを国民に知らせるべきです。
 今回の件で問題なのは「中国の哨戒艦が漁船を追尾したということ」、そして「わが国の領海に中国の巡視船が26時間も居座ったということ」です。漁船の追尾に関しては詳細が分かりませんので省きますが、昔ならいざ知らず、21世紀にもなって他国の領海で26時間も武装巡視船が居座って領有権を主張するなど、私は寡聞にして知りません。
 仮にあったとすれば、それは既に武力衝突のレベルです。では、何ゆえに今回そのような事態が起こったのかというと、中国側から見て「わが国が何もしないから」です。おそらく現場の海保の巡視船は、無線や拡声器、電光掲示板などで領海からの退去を要請したと思います。しかし、ただ「待て」と言われて、素直に待つ泥棒がいないのと同じで、彼らは何の痛痒(つうよう)も感じなかったことでしょう。
 他国であれば警告射撃してもおかしくないのですが、わが国は憲法により武力による威嚇すら禁じられています。ですから、厳格に法令を順守すれば、相手が国家機関である今回の場合、それも適いません。外交ルートによる抗議も同様に、何らかの制裁を伴わなければ単に抗議したという記録を残すだけで、何の効力も生じません。
何しろ相手は国際常設仲裁裁判所の判決を「ただの紙切れだ」と言って無視する国です。今回は滞在したのが26時間だったからよいようなものの、もし365日、彼らが領海に居座ればどうなるでしょうか。
 その場合、尖閣の領有権をあきらめるか、物理的に排除するかの2択しかありません。一部の人は「話し合えば分かる」などと言いますが、相手は何十年もの先を見据えて計画的に侵略しに来ています。その相手が乗ってくる話となると、わが国が大幅に譲歩するような場合だけです。そもそも元々存在しない「領土問題」をわが国が話し合う理由がありません。
 さらに問題は、多くの国民がこの事実を知らない、もしくは薄々感じていても認めたくないので見て見ぬふりをしていることです。マスコミも、一部の専門家以外は警鐘を鳴らす人はおりません。国権の最高機関に至ってはここ数年茶番劇が続き、いたずらに時間を浪費するだけでこの問題に対して議論すらしません。
 民主主義国家であるわが国においては、国民世論が盛り上がることが重要です。中国もそれを恐れているからこそ、マスコミに圧力をかけて自分たちに不利な報道をさせないようにしているだけでなく、パンダなどを使うさまざまな方法により、日本国民が中国に好感を持つような工作活動も行っています。そのため、今回のウイルス騒動に関しても、公式声明で中国を非難する政治家はほとんど見受けられず、マスコミの大半も中国責任論を報じません。
 それどころかウイルス対策において、欧米と比較して桁違いに被害の少ない結果を出しているわが国の政府を叩いてばかりいます。ですから、他国とは違って、中国に対する訴訟が起こることもありません。さらに会員制交流サイト(SNS)上で中国を非難すれば、差別という話にすり替えられて逆に糾弾されるほどです(一時はユーチューブでも、中国への非難コメントが削除されていると問題になりましたが、後にこれはシステムの不具合とされました)。
 このまま私たち日本国民が声を上げなければ、彼らは組み易しと思い、より一層侵略の度合いを上げてくるでしょう。それだけでなく、欧米各国がウイルス問題で対中非難を強める今、自由主義社会の結束を切り崩すために、中国がアメとムチを使ってわが国を取り込みにくることにも警戒が必要です。この期に及んで国家主席の国賓訪日を蒸し返すなど、安易に中国に加担することは現に慎まなければなりません。
 1989年の天安門事件後、わが国は世界中から非難を受けていた中国の国際社会復帰を、他国に先駆けて後押ししました。その大失態を再び繰り返してはなりません。
 ただ中国に対して、わが国が無為無策であるかというと、そういうわけではありませんので、公平に、ここ最近の日本の動きも紹介しておきましょう。
海上保安庁および警察の動き 16年:石垣島海上保安部に巡視船を増強し、大型巡視船12隻による「尖閣領海警備専従体制」を確立    :宮古島海上保安署を保安部に昇格 19年:宮古海上保安部に小型巡視船9隻からなる「尖閣漁船対応体制」を確立。那覇航空基地に新型ジェット機を3機配備して空からの監視体制を整備 20年:尖閣諸島をはじめとする離島警備にあたるため、沖縄県警に151人の隊員を擁する「国境離島警備隊」を発足
自衛隊における動き
16年:沖縄県与那国島に陸上自衛隊の部隊を新設
19年:海上自衛隊が今後10年規模で12隻の哨戒艦を建造し、哨戒艦部隊を新設していくことを表明
20年:宮古島駐屯地に、地対空および地対艦ミサイル部隊を配備
 ただこれらは、いずれも「盾」を増強しているだけで、中国に脅威を与えるまでには至りません。ゆえに彼らは、日本がいくら部隊を増強しようが自分たちのエリアまで攻めてこないことが分かっています。ですから、守りのことは一切考えず、日本が増やした以上に部隊を増強してくると思われます。
 実際中国は、今年1月から1万トン級巡視船の建造を始めています。つまり、わが国がこのような対応策をとっている限り、決して中国は侵略の野望を捨て去ることはなく、部隊増強のイタチごっこが続きます。
 安倍政権は、現行法上可能な範囲内で懸命にやっているとはいえ、憲法に一言も書かれていない「専守防衛」という言葉に縛られている以上、この現状を打破することは難しいでしょう。
日本には「『矛』がないのか」と問われれば、「ある」と自信をもって答えたいところです。しかし、情けないことに米国頼みが実情です。その米国の動きを見てみると、今年の年初にライアン・マッカーシー陸軍長官が具体的な配備場所には触れなかったものの、中国の脅威に対抗し、次世代の戦争に備えるために太平洋地域で新たな特別部隊を配備する計画を明らかにしました。
 4月にはフィリップ・デービッドソンインド太平洋軍司令官が、沖縄から台湾、フィリピンを結ぶ、いわゆる第1列島線への部隊増強を国防総省に訴えていることが明らかになるなど、対中戦略の見直しを実行に移し始めています。
 特筆すべきは米太平洋空軍が、4月29日に行われた諸外国とのテレビ会談で台湾を加えたことです。この会議は中国周辺19カ国の空軍参謀総長や指揮官を集め、新型コロナウイルスの感染状況や対応について意見交換を行いました。
 台湾軍関係者は会議後のインタ��ューで、これまでも米国とのテレビ会議や軍事交流を実施してきたことを明らかにしています。これらの動きを見る限り、今のところ米国は中国に一歩も引かない構えであると言ってもよいでしょう。
 しかし、ここで強調しておくべきは、当たり前のことですが米国は日本を守るために戦うのではありません。あくまで「自国の国益のために戦う」のであって、自国を守るためであれば「平気で日本を見捨てる」ということです。
 仮に、今秋の大統領選で現職のドナルド・トランプ大統領が敗北すれば、方針が大転換されることは容易に予測できます。ゆえに、今後も対中戦略が維持される保障はありません。今回中国が攻勢に出てきたのも、米国の航空母艦が新型コロナによる感染症で航行不能に陥っていることと無縁ではないでしょう。
 そのためわが国は、いつ米国に見捨てられても大丈夫なよう、法令的にも物理的にも、迫りくる侵略に備えなければならないのです。
 それには憲法改正を含め、国策の大きな転換を図らなければなりませんが、わが国は民主主義国家であるため、それは国民世論の後押しがなければ不可能です。ゆえに、一人でも多くの国民に、わが国の危機的な状況を認識してもらう必要があります。
 例えば、海上保安庁の大型巡視船に各マスコミの記者を同乗させた上で、尖閣諸島や竹島、北方領土のほか国境離島の取材をさせて多くの国民に国境を意識させるという方法があります。日本国民に対してわが国の危機的状況を広く周知するだけでなく、日本の正当性と隣国の傍若無人な振る舞いを世界に向けてアピールすることにもつながり、検討してみる価値はあると思います。
 今の日本には、国民一人ひとりに領土問題や国防について考えるきっかけを与えていく地道な作業が必要です。しかし、それを日本を敵視する国が手をこまねいて待ってくれるはずもありません。地道な作業は続けていくとして、今すぐにでも実現可能なことも考え、実行するべきです。
 中でも一番効果的なのが、かつて自民党が選挙公約で掲げたにもかかわらず、いまだ実現に至っていない次の政策です。
・尖閣諸島への公務員常駐 ・漁業従事者向けの携帯電話基地局の設置 ・付近航行船舶のための、本格的な灯台および気象観測所の設置
 これらについて、日本国内で正面切って反対することは難しいでしょう。それに、憲法や法令を改正する必要もありません。さらには外交手段として、台湾に領有権の主張を取り下げてもらうことも検討すべきでしょう。実現はかなり難しいと思いますが、李登輝元総統がおっしゃっていたことを信じれば、漁業面で大幅に譲歩すれば可能性はゼロではありません。
 いずれにしても、中国が今回、侵略のレベルを一段上げてきた以上、わが国も悠長なことを言っておくわけにはいきません。それなのに、多くの国民はそのことを理解しておらず、マスコミの扇動に乗って騒ぐ一部の人たちに引きずられ、本来の国難から目をそらすように些末なことで大騒ぎしています。ただ、私たち国民の一人ひとりが声を上げることも大事ですが、最終的に対応するのは政府です。ゆえに、日本政府は中国関係で何かあったときのための体制を整えておくべきです。
 もしそれが難しいのであれば、政府は国民をより信頼し、正直に何もできない現状を伝えた上で、具体的な政策を説明して理解を求めるべきです。「国を守るためには、憲法をはじめとする法令を変えなければならない」と政府が持っている資料を使って説明すれば、普通の感覚を持った日本人であれば反対しません。今こそわが国は、政府国民が一体となってウイルス、そして中国の侵略にも立ち向かって行かねばならないのです。
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groyanderson · 3 years
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☆プロトタイプ版☆ ひとみに映る影シーズン2 第八話「シャークの休日」
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(シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!!
pixiv版 (※内容は一緒です。)
དང་པོ་
 高々とそびえる須弥山の麓。宙にはトンビやカラスが舞い、地上では鮎や鯉が戯れに滝を登る。その平穏な滝壺のほとりで、徳川徳松少年は私達に今生の別れを告げる。 『あんたらは何も気にしないでいい。地獄行きはぼくだけだ』 「そんな」  光君はしゃがんで徳松の両肩に触れた。 「利用されてただけで。地獄など!」 『ダメだ。御戌神は沢山殺しすぎた。誰かがその業を背負って行かにゃ、地獄の閻魔さんが困っちまう』  ……野暮な事実だけど、現代に地獄や極楽へ行く人は稀だ。大昔は全ての神仏と霊が宗教という秩序のもと、亡くなった人の魂を裁いたり報うための聖域が幾つも設けられていた。けど地球全土が開拓され人口過多の現代では、そういった聖地を置ける場所も管理する神仏も足りていない。誰もが知っている程の重罪人や、誰が見ても割に合わない一生を遂げた善人だけが、狭小な聖地へ招き入れられるんだ。それが当たり前となった平成の時代に徳松が『地獄』へ赴いたとしても、事務的な獄卒にちょっと話を聞かれて追い返されるだけだろう。ただ、江戸時代からずっと本物の地獄を生き続けた彼に、私もドマルもそんな残酷な事言えるわけがなかった。 「どうしてそこまで……島の人達が、あんたに見返りを?」 『見返りなど! これは誰かがやらにゃならねえ事だから。……そりゃ本当はぼくだって辛かった。大散減が飢えたらぼくも腹ペコになって、嫌だ嫌だって思いながら人殺しを。しかも殺るのはぼくと本来無縁だった来世達が! ぼくは……何も出来なかった。ゴメンナサイって思うしか出来なかった』 「僕が地獄へ行く」 『バカこくな……』 「こいてねえ!」  光君は徳松を抱きしめた。 「何が救済だ! この世界は誰かがババ引かにゃ成り立たねぇなら、僕が地獄へ行く! そして何一つ反省しないで永遠に場所取り続けてやる! あんたみたいな人が落ちてこれねぇように!!」 『……!』  すると光君の背中に後光が差していく。ドマルは無言で跪き合掌。私は徳松の隣に寄り添い、彼の顔から影を拭った。 「徳松さん、もう誰もこの件で地獄に落ちる事はありません。あなたは許されたんです」 「『え?』」  光君は振り返り、自分の後ろに光輪ができている事に気がついた。 「こいつは……!」 ༼ 正しい心のもとに、仏様は宿られる。今のこの青年の言葉は、あなたが犯した罪を浄化するに足る力があった。そもそも、殺生の罪とは誰か一人に擦り付けられる物ではない ༽  ドマルも徳松の傍に寄る。 『そんな……けどぼくは実際、何度も人殺しを』 「徳松さん」  これは、あなただけの問題じゃないんだ。 「人が生きるためには、誰かが絶対に殺生をしなきゃいけないんです。お肉を食べるためには、農家の人に動物を屠殺して貰わなきゃいけない。家を守るためには、ときどき業者さんに虫や鼠を駆除して貰わなきゃいけない。殺した本人が悪い、自分で殺してないならセーフ、じゃないんです」 ༼ 言っておくが、僧侶やヴィーガンなら無罪とかそういう事もないからな。草木を殺した死体を着て胡座をかいている坊主だって、もちろん業を背負っている。大事なのは、自分や大切な人々が生きるために糧となった命達への謝意。『謝罪』と『感謝』の心だ ༽ 『謝意……』  光君は徳松の頭を撫で、徳松と指切りをする。 「徳松様。僕達の救済は殺生って形だったけど、誰もせにゃもっと沢山人が死んでたかもだ。僕はあんたの苦しみをずっと忘れない。あんたと一緒にしでかした事、あんたと繋がる縁、全てを忘れない。だから、どうか、安らかに」 『光』  光君の後光は強まり、草葉の陰にまで行き渡る。するとそこから一匹のザトウムシが現れた。針金のように細い体を手繰る、か弱い盲目の虫だ。徳松は子犬のような笑顔を浮かべた後、もはや誰も傷つける事なきその小さな魂を率いて何処へと去っていった。 ༼ はあ、最高かよ。エモいなあ ༽  ドマルが呟いた。口癖なのかな、それ。 「ドマルはどうするの?」 ༼ 拙僧はあなたの本尊だ。ムナルの遺志をあなたが成し遂げた時、この自我は自然とあなたに帰するだろう ༽ 「そう。じゃあ、金剛を滅ぼすまで成仏はお預けだね」 ༼ 成仏……あいつみたいな事を言うな。そもそも拙僧は邪尊だ ༽  ドマルは須弥山の風景を畳み、また私の影に沈んでいった。あの世界で逝去した徳松は、私と光君の中で永遠に生き続けるんだ。
གཉིས་པ་
「じゃじゃじゃじゃあ、埋蔵金って徳川徳松を襲った大妖怪の事だったんですか!?」  空港エントランスにタナカDの馬鹿でかい声が響く。熾烈を極めた大散減浄霊から一夜、五月五日午前九時。私達はしたたびの締めコメントを収録している。けど佳奈さんと二人きりじゃない。この場には玲蘭ちゃん、後女津親子、そして光君がいる。モノホンのみんなで予め打ち合わせした筋書きを、玲蘭ちゃんがカメラに向かって話す。 「したたびさんが歌の謎を解いて下さって、助かりました。マジムンは私達霊能者が協力して、一匹残らず退治しました。ね、斉一さん」 「え! え……ええ!」  斉一さんは『狸おじさん』のキャラを再現しようと、痛ましい笑顔を作った。 「いやぁ、大変だったんすよ。でもね、私の狸風水で! 千里が島の平和は……ぽ、ぽんぽこ、ぽーん、と……」 「た、狸おじさん? ひょっとして泣いてるんですか?」  タナカDが訝しむ。その涙は失った家族を思い出してのものか、はたまた安堵の涙か。カメラに映らない万狸ちゃんと斉三さんも、唇をぎゅっと噛んだ。 「い……いえね……俺今回、割とマジで命がけで頑張ったから……撮ってなかったなんてあんまりじゃないっすか、タナカDっ!」 「なはははは、そりゃすいませんねぇ! こっちも色々とおみまいされてまして……ぶえぇっくしょん!!」  そういえば光君が島民達に拉致されてから色々ありすぎて、私も佳奈さんもタナカDの事をすっかり忘れていた。スマホに入っていた何十件もの不在着信に気がついたのは、昨晩ホテルに戻っていた道中。二人で慌ててタナカDを迎えに行くと、彼は何故か虫肖寺の井戸の中で震えていたんだ。 「タナカさん、そっちは一体何があったんですか?」 「聞いてくれますか? 僕はねぇ、人生で一番恐ろしい思いをしたんですよぉ……」  未だ風邪気味な声でタナカDは顛末を語った。あの時島民達に襲われたタナカDは、虫肖寺のお御堂へ拉致された。そこの住職はタナカDに、「肋骨を一本差し出せばしたたびチーム全員をこの島から無事に帰してやる」というような脅迫をする。祟りなんて半信半疑だったタナカDは千里が島を『島丸ごと治外法権のヤバいカルト宗教村』だと判断、演者の命を優先するため取引に応じる事に。ところが「肋骨は痛そうだしちょっと……」「小指の骨とかで妥協して頂け��せんかねぇ?」「足の小指です」などと交渉に交渉を重ねた結果、島民達を怒らせて殺されかけてしまう。慌ててお御堂から逃げ出したがすぐに追っ手が来たため、タナカDは咄嗟に井戸を降りて身を隠した。しかし数分やり過ごして地上へ戻ろうとしたその時、地震や爆発音などあからさまに異常事態が起きておちおち井戸から出られなくなってしまったのだという。色々とツッコミどころが満載な顛末だ。 「あなた、カルト相手に演者の命を値切りしたんですか」 「悪かったですって。けどあの時は本当に怖かったんですよぉ、紅さんだって同じ立場だったら値切るでしょぉ?」 「それは暗にまた私を小心者だと言ってるんですか? この三角眉毛は??」 「一美ちゃん、ここでキレたら小心者だよ!」 「なっはっはっはっはっは!!」  なんだか腑に落ちないけど、まあタナカDが無事だったのは本当に良かった。思い返せば虫肖寺という名前は『虫の肖像という名を冠したお寺』で、さらに漢字を繋げて読むと『蛸寺』になる。つまりそこも八本足のザトウムシ怪虫、大散減を祀る場所だったんだろう。 「皆さん、もうすぐ搭乗開始が」  光君が腕時計を見て告げる。二泊三日、色々あった千里が島ともついにお別れだ。それでも、この地で出会った人達や出来事、それら全ての『ご縁』は、決して捨てるべきじゃない大事なものだと思う。 「光君」  私は化粧ポーチから青いヘアチョークを取り出し、光君に手渡した。 「引越しが落ち着いたら、連絡してね」 「モチのロンで。一美ちゃんいないと、東京で着る服など何買えばいいかわからないんだから」  光君は徳松の成仏を機に、役場の仕事を辞めて島を出る事にしたそうだ。運転免許を取ったらすぐに引っ越すらしい。今は一時のお別れだけど、またすぐに会える。 「それじゃあみんな、帰るよ」  佳奈さんがここにいる全員の手を取った。 「……東京へ帰るよ!」 「「「おー!」」」
གསུམ་པ་
 それから数週間経ち、したたびで千里が島編がオンエアされる頃。  宗教法人河童の家は、『リムジン爆発事故で教祖含め大勢の信者が亡くなった』事故で、アトムツアー社に業務上過失致死の集団訴訟を起こした。リムジンを居眠り運転をしていたアトム社員が新千里が島トンネル前のコンビニに突っ込み、そこに設置されていたプロパンガスに引火、大炎上を起こした……という筋書きだ。この捏造によって私がコンビニを焼却した件も不問になり、私は本当に河童の家さんに落とし前をつけて貰った事になる。なんだかだぶか申し訳ない気もしたけど、先日あんこう鍋さんにお会いしたら『アトムから賠償金めっちゃふんだくれたんでオッケーす、我々はただの笑いと金が大好きなぼったくりカルトですから』と一笑に付してくれた。  加賀繍さんは、玲蘭ちゃんと斉一さんが辞退した除霊賞金三億円を一切合切かっさらっていった。その資金を元手に、電話やスマホアプリで人生相談ができるサービス『みんなのぬか床』の運営を開始。それが大ヒットして、今度は星占い専用人工衛星とやらを打ち上げる計画をしているそうだ。私も興味本位で一度ビデオチャットを課金してみたら、魔耶さんと禍耶さんが相談に乗ってくれた。そういえばこのサイトには、プロフィールも名前もない謎の占い師と繋がる事がある……なんて都市伝説があったような。  後女津親子は失った斉二さんの分の戦力を補充するため、木更津のどこかにあるという聖地『狸の里』で一から修行し直すと言っていた。斉一さんは生きながら強力な妖怪の魂を持つ半妖(はんよう)という状態を目指し、万狸ちゃんと斉三さんもそれぞれ一人前の妖怪になれるよう鍛錬を欠かさないとのことだ。ちなみに万狸ちゃんは九尾の狐みたいに糸車尻尾をたくさん生やして、佳奈さんの童貞を殺す服を着た女を殺す京友禅メイド服に対抗する服を作るのが目標らしい。  玲蘭ちゃんはなんと、あの後再び千里が島に行ったそうだ。今度は沖縄から神様を大勢率いて、長年大散減によって歪んでいた島の理を正したんだという。そこまでしたのにアトムツアーから何の見返りも受け取らなかったのは、『あんな賠償やら何やらで倒産寸前の会社と今更縁を持ちたくないから』。代わりに島の魂達から感謝の印にと、ちゃんと浄化済みの大散減のエクトプラズムをたくさん授かったそうだ。これまで多くの人々が追い求めていた徳川埋蔵金は、玲蘭ちゃんが手に入れたんだ。  さて。一方私はというと、顔のかなり目立つ位置にニキビができてしまいちょっぴりヘコんでいる。しかもこんな時に限って、メッセージアプリで久しぶりに光君から連絡が来た。だぶか、これが想われニキビというやつなんだろうか。 『From:あおきち 映画の前売チケットがたまたま二枚で! ご興味など?』  ……うーん、なんてベタな誘い文句! 返信をしたら詳しく経緯を説明してくれた。  実は来週公開の『シャークの休日』というイタリア映画が、光君が以前務めていた千里が島観光課とのタイアップで『全編南地語字幕上映』という企画をやるらしい。それで光君にも、地元の元同僚さんからチケットが送られてきたそうだ。イタリア人がチャキチャキの南地語を喋ってるような字幕ってまるで想像がつかないけど、確かに面白そうだと思った。 「えーと、『来週の月曜か木曜なら木曜がいいです』……と」  実はどっちも予定は空いているけど、ニキビを治したいから遅めにして貰った。返信を終えた私は早速洗面所へ。さっきお風呂で洗顔したとはいえ、ニキビの箇所はもう一度念入りに洗ってからちゃんとスキンケアしよ……
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Fjórði
 そして一週間後、『トラップブラザーズシアター東雲(しののめ)』にて。 「あ、一美ちゃん! ごめん、お待たせを!」  平日昼間にも関わらず混雑する複合ショッピングセンターで、私は道に迷った青木光、恋人の光君をメッセージアプリ頼りに探し出した。 「あれ、キョンジャクとカンリンは?」 「それが、なくなっちゃったんだ。探してるから見つけたら教えて。そんなことより、行こう?」  この期に及んで『デートできる服を持ってない』などと言い出す恋人を助けてやるため、私は映画鑑賞の時間が近付く前にメンズファッションフロアへ向かった。まるでコーディネートの基本もなっていない男に、流行に合わせた服装を宛がう。それだけで「さすがプロは違う」と煽てられるのだ。 「一美ちゃん? ひょっとして、退屈で?」 「ううん、光君と一緒にいられて楽しいよ」  上映十五分前になり、私達は映画館に戻った。ロビーのスクリーンでは、丁度今日見る作品『シャークの休日』のトレイラーが流れていた。 『餌食である人類の世界を見てみたい……海底は人喰いザメの王国から、自由を求めるサメ姫シャークリー・シャックバーンがローマにやって来たぞ! 姫は魔法で人間に化けて新聞記者と恋仲になるけど、デート中『真実の口』に手を入れたらサメだと見破られちゃった! 魔法が解けて、ローマの人々をヤケ食いし始めるお姫様……全伊震撼の大パニックムービー誕生!』  お世辞にも興味をそそられる内容とは思えないが、私は今までしてきたように楽しそうに振る舞う。 「映画、楽しみだね」 「うん。あ、一美ちゃん、あそこに真実の口が!」  光君が嬉々として示した方向には、記念写真が撮れる真実の口のパネルがあった。彼はタイマー撮影用スタンドに自分のスマートフォンをセットした。 「ねえ、光君。作中の真実の口って、トレイラーで喋ってたよね。『サメ……ウソ……』って。これも手を入れたら喋るかな?」 「一緒に確かめてみるので。いっせー……」 「のー……」 「「せ!」」 『シタタビ……ウソ……』  その時、私はこの真実の口が何か妙な事を言ったように聞こえた。シャッター音と被って耳が錯覚を起こしただけ、だろうか。 「ごめん、もう一回手を入れてみていい?」 「モチのロンで」  二人でセンサー部分に再び手をかざす。 『シタタビ……ドッキリ!』  ヌーンヌーン、デデデデデン♪ ヌーンヌーン、デデデデデン! 突然、テレビ湘南制作『ドッキリ旅バラエティしたたび』主題歌、『童貞を殺す服を着た女を殺す服』のイントロが映画館ロビーに響き渡った。忽ちこの身体は自らの意志に逆らい跳躍し、入場口とは反対方向のエスカレーターへ飛び降りていた。先月末、ドラマ『非常勤刑事』の撮影で主演の男に「一度も見破れないのはだぶか君の才能だ」と言われた記憶が脳で想起される。 「って、サメえええぇぇえええ!?」  エスカレーター階下にはサメ帽子を被ったエキストラの大軍が群がっていた。私はコミカルに叫び、スカートスタイルにも関わらず粗暴に下りエスカレーターを駆け上がった。すると階上には、『ドッキリ』と書かれたプラカードを掲げる光君と志多田佳奈が待ち受けていた。 「ドッキリ大成功ー! 志多田佳奈のドッキリ旅バラエティ、」 「「したたびでーす!」」  悔しがってどうこうなるわけでもないはずだが、この身体はヒステリックに地団駄を踏んでいた。 「やいやいやい小心者! ハニートラップに引っかかるなんてまだまだ小心者だぞ小心者!」 「うるさい万年極悪ロリータ! そこの真実の口で実年齢をバラしてやろうか!?」 「うわぁ~、みみっちー」  しかし、これを放送するのは芸能事務所に許可されるのだろうか。私はまだ世間に正式に発表できるほど、彼と進展した関係ではないはずだ。 「あのね、佳奈さん。私と光君は今日が初デートだし、まだ事務所に何も言っていないんです。こんなのオンエアされたらこちとらたまったもんじゃないんですよ!」 「あ、社長さんには私が色つけて説明しといたから大丈夫だよ」 「勝手に何してくれちゃってるんですか!?」 「だってだって、光君の一美ちゃんへの愛は本当だよねー?」  光君は気恥しそうに真実の口へ手を入れた。 『……ホント』  よく見ると真実の口は、画角外のタナカDが裏声で喋っていたようだ。 「初デートを返せこの三角眉毛ェェ!!」 「ぬわははははは!! ごめんなさいって! ナハハハ!」 「一美ちゃんごめん、本っ当ごめん! これで堪忍を!」  光君が私に何やら縦長なフリップを差し出した。それは特大サイズに拡大印刷されたシャークの休日の前売券だ。 「『映画の世界へご招待! リアルシャークの休日』……『inローマ』ああぁ!!?」 「そ! 今回のしたたびは海外企画、イタリア編! 実は私、この映画の日本版主題歌を担当させてもらったの。そのPVを、ラブラブなお二人に撮ってきて貰いまーす!」 「え、じゃあ佳奈さんは今回行かないんですか?」 「うん。だって主題歌が入るニューアルバム、まだ収録全曲終わってないし。代わりにPVでは一美ちゃんの彼氏役が必要でしょ? だから光君を呼んだの」  そういう事だったのか。今回は光君が撮影に同行するのだ。 「ドッキリは正直ちょっと気が引けたかもけど、テレ湘さんが僕達を海外旅行に連れてってくれるんだから。ローマで本物の真実の口やったり、トレビの泉でコイン投げるなど!」  光君はさぞ嬉しそうに小躍りした。だが、それでは浅はかというものだ。 「光君、ちなみにローマで何をするか知ってるの?」 「うん。だから、映画みたいに真実の口とか……」 「そのフリップ、『inローマ���の下にやたら余白があるよね。よく見て、端がめくれるようになってる」 「え? あっ本当だ! タナカさん……」 「いいですよ、めくって」  フリップから粘着紙を剥がした光君は、前髪で表情が隠れていても解る程、顔面が蒼白した。フリップ上に現れた文章は、上の文字と繋げて読むと『映画の世界へご招待! リアルシャークの休日inローマ県オスティア・ビーチ~スキューバダイビングで人喰いザメの王国へ~』と書かれている。 「そっちへ!?」  彼もまた、私と同様に番組に騙されていたという事だ。するとタナカDが高笑いしながら、タブレットPCで企画書を開いた。 「お二人には最初の三日間でライセンスを取得して、四日目にサメと潜って頂きます。天候とかあるので五日目は予備日にしていますが、運が良ければ真実の口にも行けるかもしれませんよぉ」 「行けるかもしれませんよぉ、じゃないですよ。何が悲しくてイタリアまで行ってサメのいる海に潜らなきゃいけないんですか!」 「あやや……あやややや……」 「しかもこんなショッピングセンターでネタバラシしたって事は、どうせここで荷物買って今から行くんでしょ? 予算一万とかで」 「さすが紅さん、よくわかってらっしゃる」 「今から!? しかも一万円で旅支度を!?」 「安心して下さい、一人一万です。うははははははは!」  私達したたびチームにとっては定石である無秩序な行動に、光君はただ困惑している。 「じゃあ光君、衣装買いに行くよ。デートに行く服がなかったなら、PVに出る服だって持ってないでしょ」 「えっでも、流石にダイビングスーツは現地じゃ?」 「サメと泳ぐだけで終わらせるわけないでしょ? だぶか海中ロケなんてさっさと終わらせて、二人で街ブラする撮れ高で佳奈さんのPV埋め尽くしてやるんだ!」 「そ、そうだ……せにゃ! 見てろよ佳奈さん!」 「ふっふっふー。そう簡単にいくかな? 衣装に予算使いすぎてだぶか後で後悔するなよっ!」 「国際モデルのこの私のプチプラコーデ力を侮らないで下さい。だぶか佳奈さん本人が出てるPVより再生数稼いでやる!」  斯くして、また私達は旅に出る事になった。『行った事のない場所にみんなで殴り込んで、無茶して、笑い合って、喧嘩して、それでも懲りずにまた旅に出る』とは佳奈さんの言葉だ。それが私にとっての日常であり、私はこのような日々がいつまでも続くと漠然と思い込んでいる。
 し か し 、 そ れ で は こ の 『 私 』 に 金 剛 の 有 明 は 訪 れ な い 。 間 も な く 時 が 来 る 、 金 剛 の 楽 園 ア ガ ル ダ が こ の 星 を 覆 い 尽 く す の だ 。
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benediktine · 3 years
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【「マナーの悪い外国人」が消えた観光地で、ゴミのポイ捨て被害が続く真の理由】 - ダイヤモンド・オンライン : https://diamond.jp/articles/-/268455 : https://diamond.jp/articles/-/268455?page=2 : https://diamond.jp/articles/-/268455?page=3 : https://diamond.jp/articles/-/268455?page=4 : https://diamond.jp/articles/-/268455?page=5 : https://diamond.jp/articles/-/268455?page=6 : https://archive.is/20Hyd : https://archive.is/ZzZrM : https://archive.is/riDSw : https://archive.is/4Nivf : https://archive.is/mPgLo : https://archive.is/qZUOa 窪田順生:ノンフィクションライター 2021.4.15 4:40
 {{ 図版 : 食べ歩きグルメの容器や串などのポイ捨てが深刻な問題となっている新大久保。被害は住宅街にも及ぶ Photo:SOPA Images/gettyimages }}
■《観光業にとって泣き面に蜂 深刻化する「ゴミのポイ捨て」》
 緊急事態宣言からの「まん延防止措置」という流れで、さまざまな業界から悲鳴が上がっているが、中でも深刻な打撃を受けているのが観光業だ。GWに入っていた宿泊予約のキャンセルが、各地で相次いでいるというのだ。
 東京商工リサーチによれば、2020年の宿泊業の倒産は前年度比71.6%増の127件。13年(101件)と比べて7年ぶりに高い水準だというが、今の自粛ムードが続けば、今年はさらに倒産が増えていくかもしれない。
 そんな苦境に立たされる観光業にとって泣き面に蜂というべきか、コロナ自粛とは別に頭の痛い問題が持ち上がっている。
 それは、ゴミのポイ捨てだ。
 観光業にとって、コロナ禍の中でも訪れてくれる観光客はありがたいことこの上ない存在なのだが、その中にゴミを撒き散らす者も増えているというのだ。そのため、周辺住民や自治体からクレームが殺到。ゴミからコロナウィルスが感染するのではという懸念の声もあり、観光業が「災い」を地域に呼び込む鼻つまみ者扱いになってしまっているのだ。
 その代表が、今や首都圏の女子中高生の間では原宿をしのぐほどの人気となった、新大久保だ。ここでは食べ歩きグルメの容器や串などのポイ捨てが深刻な問題となっており、転居を検討する人も出始めていると、『AERA dot.』(4月7日)が報じている。4月11日に放映された『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系)でも、住宅街に座り込んで食事をし、ポイ捨てをする若い女性たちの姿が放送され、反響を呼んだ。
 また、鹿で有名な奈良公園も同様だ。落ちているビニール袋などのゴミを食べた鹿が死ぬという悲劇が多発。昨年12月2日の『BuzzFeedJAPAN』は、観光客自体の数は減っていても、道には多くのゴミが捨てられているとレポートし、ゴミ拾いをするボランティアの方はこんなことを述べている。
≫――――――≪
「弁当のトレイや食後のごみをそのままビニール袋に入れ、ドライブ中に車の窓から捨てていったり、ベンチなどにポイ捨てしていったりする人もいる」(同上)
 という話を聞くと、なんだかモヤモヤする人も多いのではないか。観光地から「外国人観光客」が姿を消したにもかかわらず、なぜ相変わらずこのような問題が起きるのか、と。
 今さら言うまでもなく、コロナ前の日本社会では、観光地でのゴミのポイ捨ては「マナーの悪い外国人観光客」の仕業、ということでコンセンサスが取れていた。
 SNSでは外国人観光客の迷惑行為の目撃情報が溢れ、「日本に来たいなら日本のルールに従え」という憎悪の声が溢れていたものだ。
 そんな「社会の鼻つまみ者」はコロナ禍になってから激減している。日本政府観光局(JNTO)が発表している訪日外国人旅行者数(推計値)によれば、20年11月は前年同月比97.7%減の5万6700人、12月も97.7%減の5万8700人である。全体でこれだけ減れば、その中のマナーの悪い外国人観光客は絶滅危惧種になっているはずだ。
■《外国人観光客が激減しても なぜ観光公害は続くのか》
 しかし、観光地では相変わらずゴミのポイ捨てが続いている。これは一体どういうことか。
「わずかながら日本に入ってきている外国人観光客の仕業だ」「いや、観光客ではなくて日本に住んでいる外国人のせいだ」などということを言い出す人たちもいるかもしれないが、冷静に考えれば、導き出せる答えは1つしかない。
 ゴミのポイ捨て問題を「マナーの悪い外国人観光客」ばかりに押しつけてきたが、実はその問題には、かなりの割合で「マナーの悪い日本人観光客」が関与している可能性がある。つまり、我々は自分たちのマナーの悪さをゴマかすため、あとからやってきて反論の機会もない外国人を、スケープゴートにしていた恐れがあるのだ。
「そんなバカな」と思うかもしれないが、バブル期くらいまでは世界の観光地で「マナーが悪い」と言えば、日本人と相場が決まっていた。1987年の『タイム』誌では、日本人観光客を「世界の観光地を荒らすニュー・バーバリアンたち」として特集している。
≫――――――≪
■《「マナー」という精神論では 解決できないポイ捨て問題》
 国内でも同様だ。以前当連載の記事『石垣島のラーメン店を「日本人お断り営業」に追い込んだ観光公害の深刻』という記事で詳しく述べたが、沖縄の離島などは外国人観光客がほとんど来ない時代から、国内観光客のマナーの悪さやゴミのポイ捨てに悩まされてきたという、歴史的事実があるのだ。
 な��てことを口走ってしまうと、「みんなで一致団結をしなければいけないこの時期に、日本人の悪口を言うようなヤツは日本から出ていけ」というように、非国民のレッテルを貼られるかもしれないが、筆者は日本人を貶めたいとか、外国人観光客のマナーがそれほど悪くないなどと持ち上げたいという意図は全くない。
 ゴミのポイ捨てのような社会の課題は、「マナー」という精神論では解決できないということが言いたいのだ。
 日本人だろうが、中国人だろうが、アメリカ人だろうが、マナーの良い人はいるし、マナーの悪い人はいる。結局、人それぞれである。「だからこそ、呼びかけや啓発でマナー教育するのだ」という話になるが、自国民に対してすら、何十年たってもポイ捨てをやめさせられていないのだ。外国人、しかも観光で短期間しか日本にいない人たちを教育することなど、不可能だ。
 そういう無謀な精神論を振りかざすより、マナーの悪い人たちが100人いたら、その半分くらいがゴミのポイ捨てをするのを思いとどまるような「システム」を整備する方が、はるかに現実的ではないかと申し上げたいのである。
 では、具体的にどうすればいいのか。よく聞かれるのは、シンガポールのようにポイ捨てに罰金を科すなどの厳罰化だ。マナーの悪い外国人観光客に腹を立てている方からすれば、胸がスカッとする施策かもしれない。しかし前述のように、これが実現すればかなりの日本人観光客も厳罰の対象となるだろう。当然、声を荒らげてゴネるような輩も出てくるので、警察や自治体のマンパワーが足りない中で、いったい誰がきちんと取り締まるのか、法的強制力をどこまでにするか、といった問題が山積だ。
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■《なぜ日本の観光地では ゴミ箱が異常に少ないのか》
 一方、「ゴミ箱を増やせ」という意見もよく聞く。実は日本の観光地は、諸外国と比べて異常なほどゴミ箱が少ない。コロナ以前に調査された2019年度の『訪日外国人旅行者の受入環境整備に関するアンケート』でも、外国人旅行者が日本滞在中に「困ったこと」として最も多く回答したのが、「ゴミ箱の少なさ」(23.4%)だった。
 観光客がゴミのポイ捨てをするのは、目に入るところにゴミ箱がないからだとも考えられる。その意味では、ゴミ箱を増やすという施策はかなり効果がありそうだが、これも現実的にはかなりハードルが高い。オウム真理教のテロ以降、日本では危険物を入れられないよう、街中のゴミ箱はできる限り減らすということになっているが、そこに加えて「火災」の恐れがあるからだ。
 日本の観光地には、神社仏閣など古い木造建築がたくさんあるので、火気は厳禁だ。そんなところにゴミ箱をたくさん設置した結果、もしその中に吸い殻でも入れられたら――。沖縄の首里城のように、国宝指定の木造建造物が大炎上するなどという、最悪の事態が起きてしまうかもしれないのだ。
 このような状況を踏まえると、個人的には、「ゴミのデボジット」が現実的ではないかと思っている。皆さんも観光地などにおいて、稀に自動販売機の横などに、空き缶を入れると10円が戻ってくる容器回収機を見たことがないだろうか。あれの「ゴミバージョン」をつくるのだ。
 たとえば、食べ歩きできるようなものを売るお店では予め代金の10%くらいを「デボジット」として上乗せしておく。観光客は、食べた後に出たプラ容器やスプーンなどのゴミを容器回収機に持っていくと、10%が返金される。ゴミをたくさん持っていけばいくほど還元もされてお得なのだから、消費も活性化される。
 このように「デポジットによって観光客にゴミを捨てるインセンティブをつけてやる」ことで、ポイ捨てをする人を少しでも減らしていくという試みである。
「そんなものは机上の空論だ」と鼻で笑う人も多いだろうが、日本人が机上の空論と感じることを、よその国では着々と現実のものとして形にしているのだ。
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 少し前に、使い捨てのプラスチックやポリスチレン製容器の流通を禁止する政令案が可決されたドイツでは、カフェやレストランなど外食のテイクアウト用容器で、デポジット制のものが普及し始めている。食べ終えた後に容器を店に持っていけば一定の保証金が戻ってくる。ちなみに、この容器は100%リサイクル可能な素材でできているという。
 環境に対する意識はまったく違うが、ドイツでここまでできているのだから、技術的にも制度的にも日本にできない理由はない。
■《観光客に対して「ゴミ捨て」の インセンティブを設けるべき》
 また、デポジットまではいかなくても、日本の観光地でも「観光客にゴミを捨てないインセンティブをつけてやる」というトレンドは、少しずつ広がってきているのだ。
 たとえば、埼玉・川越の一番街商店街だ。ここは伝統的な蔵作りの美しい街並みから「小江戸」と呼ばれ、関東の人気観光スポットの1つとして、コロナ禍でも多くの観光客が訪れている。その一方で、ゴミのポイ捨ても深刻な問題になっていた。
 そんな川越一番商店街が、昨年8月29日、興味深いゴミ収集イベントを行なった。
 まず、商店街の店で食べ物などを買うと、ゴミ袋が配布される。観光客は街並みを散策しながら、食べ歩きで出たゴミをその袋に入れる。そして最後には、指定されたゴミ収集場所にそれを持っていく。そこには多数の風鈴が設置してあって、ちょっとしたフォトスポットになっており、そこで写真を撮影してSNSに投稿をした人には、冷たいドリンクがプレゼントされるというものだ。
 このイベントの様子を紹介した地元のNPO法人のメディア『カワゴエ・マス・メディア』の記事によれば、開始5時間でかなりのゴミが回収されており、SNS投稿してくれた観光客が109人、ゴミのみを置いていった観光客も34人いたという。
 店でゴミ袋を渡せば、自発的にゴミをそこに入れて収集場所まで持っていってくれる、マナーの良い観光客が34人もいたというのは、それはそれで素晴らしいことだが、フォトスポットで撮影してジュースをもらえるというインセンティブをつけた方が3倍以上も多いという事実は、注目すべきだ。
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 マナーという精神論を押し付けるのではなく、「人は自分の得になることがあれば動く」という行動心理学を活用した「システム」でゴミのポイ捨てを減らそうというこの試みには、個人的には大きな可能性を感じる。
 日本人はコミュニティ内で喜ばしくない問題が起きると、脊髄反射で「マナーが悪い」「たるんでいる」などと、個人の性根に問題があるという議論に流れがちだ。
■《日本人がコロナ禍で思い知った 事態を悪化させるだけの「運動部ノリ」》
 だが、残念ながらそのような運動部のようなノリは、実際にはそれほど効果がなく、むしろ事態をどんどん悪化させていくということを、我々はこの1年間で思い知ったはずだ。
「この感染者数を見る限り、もっと気を引き締めなくてはいけませんね」「やはり一部の若者たちの気が緩んできているのが、原因ですね」
 政府の専門家会議やワイドショーで連日のように語られる「コロナ精神主義」で、果たして事態はどれだけ改善されたのか。「医療崩壊だ」と叫んで自粛に従わない人々を叩いていた昨年の今頃と、1年経過しても状況はほとんど変わっていないではないか。
 社会の課題を解決するには、社会の体制を変えなくてはいけない。コロナで言えばそれは医療体制にあたるが、そこはどういうわけかビタッと動かさず、国や自治体はただひたすら個人に対して「心を入れ替えろ」と説教をする。諸外国と比べてケタ外れに少ない感染者で医療崩壊する「システム」の欠陥を棚上げしたまま、この未曾有の危機を乗り切ろうなどというのは、虫が良すぎる。
 社会へのダメージは異なるが、経済活動によって「害」が広がるという構図においては、実は観光公害とコロナはよく似ている。だから、解決策も基本的には変わらない。
「もっと頑張れ」「気を引き締めろ」という根性論を掲げるだけでは、そろそろ限界だ。これまでの体制を維持したままどうにか乗り切ろうという甘い考えを捨てて、日本という「システム」を根本から見直すべき時期にきているのではないか。
(ノンフィクションライター 窪田順生)
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no1-shochu · 2 years
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【そいじゃが!天文館フェスタ】 (センテラス天文館イベント 焼酎振る舞い(無料)) 明日、明後日は、みんな天文館に集合♪ 1月14日(土)、1月15日(日)『そいじゃが!天文館フェスタ』に参加いたします♪ 今回は焼酎振る舞い(無料)となっております♪ 皆さん是非飲みに来て下さいね~♪ 私と一緒にイベントを楽しみましょう(σ≧▽≦)σ 皆様のお越しを心よりお待ちしております♪ そいじゃが!天文館フェスタ情報 (センテラス天文館イベント) 日時 = 2023年1月14日(土)13:00~20:00(振る舞いは21時まで)、1月15日(日)11:00~16:00 会場 = センテラス天文館 センテラススクエア 住所 = 鹿児島県鹿児島市千日町1−1 イベント内容 【特別ゲスト】 宮崎花ふぶき一座 ・振る舞い酒 ・キッチンカー、飲食ブース ・薩摩甲冑隊 写真撮影 ・練り歩き ・着付け体験 ・ボートレースVR体験 【ステージイベント】 1月14日(土) CnV / 日本舞踊(宮田流) / YoKo / TOMOE / WICKY TOSHI&CANA 1月15日(日) 薩摩天翔竜(和太鼓) / フラダンス / 日本舞踊(宮田流) / 大島紬ファッションショー / YoKo 【センテラス天文館限定】チラシ特典 イベントチラシをご提示でセンテラス天文館店舗の特典が受けられます。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ ザ・ファブルを読みながら黒若潮(くろわかしお)で乾杯♪ ※ザ・ファブルは、週刊ヤングマガジン(講談社) に連載され累計発行部数750万部越えの超人気漫画です♪ その超人気漫画 ザ・ファブル に若潮酒造の焼酎が登場致しました\(^^)/ 登場した単行本は、第一部11巻、13巻、19巻、20巻、第二部第2巻、3巻です♪ ※週刊ヤングマガジン(講談社)にて、ザ・ファブル第二部連載開始中♪ ※単行本 第二部 第1巻、第2巻、第3巻、第4巻、第5巻絶賛発売中♪ ※映画にもなって、今一番注目されている漫画です‼️ 凄く面白い漫画です‼️ 南勝久 先生様有難うございます♪ 心より御礼申し上げます♪ これからも若潮酒造を宜しくお願い致します。 皆さん是非本屋さんにて超人気漫画ザ・ファブルを買って究極の日常酒 白若潮 (シロワカシオ)を探して下さいね~♪ ( ザ・ファブルを読みながら白若潮で乾杯♪ ) 映画 ザ・ファブル 殺さない殺し屋 情報🎬‼️ 💿『ザ・ファブル殺さない殺し屋』DVD&BD 発売中‼️ 江口カン映画監督様作品。 主演も超豪華、 岡田准一 様、 木村文乃 様、 平手友梨奈 様、 安藤政信 様、 黒瀬純 様、 好井まさお 様、 橋本マナミ 様、 宮川大輔 様、 山本美月 様、 佐藤二朗 様、 井之脇海 様、 安田顕 様、 佐藤浩市 様、 堤真一 様 監督 = 江口カン 様 ( KOO-KI - 空気株式会社 様 ) 脚本 = 渡辺雄介 様 漫画 = 南勝久 先生様 V6岡田准一 様の超凄いアクションシーンにも注目‼️ ____________________________ ✨若潮酒造受賞歴✨ 鹿児島県本格焼酎鑑評会 ✨24連続受賞‼✨ ____________________________ ※若潮酒造の焼酎は、プリン体0・糖質0・甘味料0 、体に優しい芋焼酎です(^^♪ ※焼酎は、色々な飲み方が出来て楽しいです♪ 冷やしてストレート、グラスにいっぱいに氷を入れてロック、氷と炭酸水を入れてソーダ割り(焼酎ハイボール)、グラスにお湯を入れてお湯割り、柑橘系&炭酸水を入れて、カクテル、酎ハイ、色々な飲み方が出来ます♪ 皆さん是非、自分好みにアレンジして楽しんでくださいね~♪ ※若潮酒造の焼酎が日本全土 、 全都道府県 に広がるように頑張ります。 ( 北海道 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 新潟県 茨城県 群馬県 栃木県 埼玉県 東京都 千葉県 神奈川県 山梨県 長野県 富山県 石川県 福井県 静岡県 愛知県 岐阜県 三重県 大阪府 京都府 滋賀県 兵庫県 奈良県 和歌山県 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県 徳島県 香川県 愛媛県 高知県 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県 沖縄県 ) ★若潮酒造は見学、ツアーも出来ますので皆さん是非若潮酒造に遊びに来て下さいね♪ 若潮酒造株式会社への 商品、見学、ツアー お問い合わせ 若潮酒造電話番号 = 099-472-1185 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ #センテラス天文館 #センテラススクエア #居酒屋 #天文館 #そいじゃが!#天文館フェスタ #焼酎 #若潮酒造 #センテラス #鹿児島観光     #イルミネーション #鹿児島 #ランチ #鹿児島中央駅 #志布志 #天文館文化通り #ライカ #宮崎花ふぶき一座 様 #キッチンカー #若潮酒造服部     #麓 #焼酎好きな人と繋がりたい #飲酒タグラム #sake #酒好きな人と繋がりたい #Shochu #若潮酒造服部明 #焼酎好き #Japanesesake #ほんわかくん (センテラス天文館) https://www.instagram.com/p/CnWx9GWJSy9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 6 years
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【明治150年】第2部 国境(下)領土「尖閣」、なぜ上陸だけで処分 尖閣諸島魚釣島(鈴木健児撮影)  「日本人がなぜ日本の領土に上陸して処分を受けないといけないのか。おかしいでしょ?」  行政区域として尖閣諸島を管轄する沖縄県石垣市の仲間均市議は、そう語る。歴史的にも国際法上も間違いなく日本なのに、日本人が足を踏み入れることができない。民間団体「尖閣諸島を守る会」の代表世話人でもある仲間氏はそんな状況に反発し、これまで尖閣諸島に16回上陸した。書類送検13回の処分も受けたという。  私有地だった尖閣諸島は平成24年に国有化され、上陸すれば「不法侵入」となる。最近の仲間氏は上陸こそしないが、漁船で定期的に近海に漁に出る。「中国固有の領土」と一方的に主張し、常態化しつつある中国公船・漁船の状況を把握する意味も込めて。  「海上保安庁は、中国を刺激することを警戒しているのだろう。『尖閣に近づくな』と言うが、政府にはもっとしっかりしてほしい」  石垣市議会は尖閣諸島の自然環境や生態系、荒天時の漁船の避難港整備の調査などを目的とした上陸視察許可を政府に求める決議を複数回行ってきたが、上陸視察は実現していない。  明治28年に沖縄県に編入された尖閣諸島は明治政府が円満に日本とした島だ。当時の国境画定は、国際法に無理解な周辺国との交渉という困難な作業が伴った。かつて日本が領有した台湾もそうだった。  司馬遼太郎は「街道をゆく 台湾紀行」(朝日新聞出版)で「一八六八年に、アジアに異変がおこった。日本が明治維新をおこし、近代国家に変容したのである」とし、こう続けた。  「周辺の中国・朝鮮は、儒教という超古代の体制のままだったから、この衝撃波を受けた。近代国家である手はじめは、国家の領土を、アジア的『版図』の概念から脱して、西洋式の領土として明確にすることだった」  司馬も同書で紹介している逸話がある。明治4年11月、沖縄(琉球)・宮古島の漁民が難破して台湾に流れ着き54人が殺害された。当時、琉球王朝は清に朝貢する独立国でありながら、薩摩藩(鹿児島県)の領有でもあった。その状況で起きた殺害事件だった。  台湾は17世紀にオランダなどが一時統治し、漢民族も居住したが、事件当時は特定の国に属さない国際法上の「無主地」だった。  「宮古島は日本」との立場の明治政府は清に抗議した。清が台湾の領有を主張していたからだ。明治政府は「日本人殺害」を看過しなかった。  明治政府に台湾領有の思惑があったのは間違いない��それが後の台湾出兵(7年)につながる。しかし、事件当時は外交交渉を優先した。外務卿(外相)の副島種臣らは清に渡り直接抗議した。清の回答は次のようなものだった。  「台湾の先住民は化外の民で、清の政教は及ばない」  「化外」とは清の中華思想の政治が及ぶ範囲ではないとの意味だ。清は事件の責任を回避した。  欧米各国からの異論は特になく、台湾統治を放棄したと解釈された清の回答が台湾出兵につながり、その後の編入につながる。1895~1945年の台湾統治は日清戦争後の講和条約によるが、伏線となった殺害事件の明治政府の対応は「武力による強奪」とは性格を異にする。 □  武力による国境画定が非現実的な今、不当な主張に対抗するには日本人の領土意識の強さが欠かせない。しかし、明治改元から150年経過した現在でも、とても十分とはいえない。  平成29年10月に内閣府が公表した世論調査で、尖閣諸島の存在を知っていたのは91・3%だったが、18~29歳は84・7%だった。「尖閣諸島に関心があるか」との問いで「どちらかといえば」も含めた「ある」は62・2%にとどまった。「どちらかといえば」も含めた「関心がない」との回答者に理由を尋ねると、複数回答のトップは「自分の生活にあまり影響がないことだと思うから」(56・4%)だった。  東海大の山田吉彦教授は「一般の国民が国境を意識するようになったのはこの10年ほど」と指摘する。中国の露骨な尖閣諸島周辺への進出が顕著になった時期だ。現在も続く、国境をめぐる問題の解決に向け、山田教授はこう続けた。  「もっと国民の知識を広めていかなければいけない。『もう手出しをするな』ということを含めて」
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toshihikokuroda · 3 years
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《リレーそのものもトヨタなど大手4社のスポンサーに乗っ取られています。宣伝車両が主役でランナーはどこかわからない状態は、マネーにからめとられた五輪の現実を象徴しています…》……😡😡😡😡😡😡
2021とくほう・特報 聖火リレー やる意味ある? 「密を避けるのは無理」 2021年4月17日【3面】
 東京五輪(7月23日開幕予定)の聖火リレーは3週間余を経過し、11府県をめぐっています。新型コロナウイルスが急拡大するもとで、疑問や批判の声がわき上がっています。(宮井貴光、青山俊明、和泉民郎)
 「聖火リレーを無理やりやる意味がわからない」「そもそもやる意味あるの?」「五輪自体ヤメたら」…。
 松山市に続き、沖縄本島でも公道での聖火リレー中止検討のニュースが流れた15日、ネット上はこんな投稿であふれました。新型コロナの変異株急増のなか聖火リレーが改めて問われています。
 「本日、聖火リレー開催のため、関係者以外の入園はできません」。13、14の両日、大阪では公道でのリレーをやめ、万博記念公園で市民から“隔離”する形で実施しました。
 人影まばらな公園を聖火がひっそり巡る―。何のためのリレーなのか。
 同公園の外で孫と遊んでいた吹田市の60代男性は「公道でやっても見にいかなかったと思うよ。(五輪も)本当に開催できるのかなというのが率直な思いやね」。冷めた口ぶりで話します。13日、大阪のコロナ感染者は初めて1日千人を超えました。
 3月25日に福島から出発した聖火リレー。各地で観客の“密”状態が問題視されてきました。スタッフが声掛けするものの、各所で“焼け石に水”状態。
 大阪入り前日の奈良でも人だかりができていました。法隆寺でのリレー開始前、地元あいさつで「密を避けるという話でしたが、これも無理な話でございます」。本音がポロリと漏れました。ある終着点では、スタッフの制止も構わず、観客がランナーを追って大移動。スマートフォンで写真を撮って隣同士ぶつかりあい、幾重もの人垣ができました。
 偶然通りかかった60代の女性は「選手に頑張ってほしい気持ちと、五輪で感染を広げないでという気持ちが半分半分」と悩ましげに話しました。
異様なスポンサー重視  聖火リレーを先導するスポンサーにも厳しい視線が注がれています。
 ランナーの前を派手な色彩の大きな車4台が連なり、「楽しみましょう!」などと大音量をとどろかせます。7日の三重では、県知事が感染対策を念頭に、「『盛り上げるぞ』という演出が適切だったのか」と苦言を呈しました。
 リレーコースの選定もスポンサーありき。最終盤の東京では、スポンサー企業の本社ビルが発着点に含まれています。大阪市でも公道を走っていれば、3カ所中2カ所で日本生命やNTTの建物の周りをぐるぐる走る異様なコースでした。
 6日の愛知県豊田市では、東京五輪最高位スポンサー、トヨタの豊田章男社長が本社工場内を走りました。子会社が開発した遠隔ロボットにトーチをつなぐはしゃぎぶり。トヨタの労働者からも「自社製品のアピールの場にしているようで恥ずかしい」との声が出る“私物化”ぶりです。
 聖火リレーの日程は、国際オリンピック委員会(IOC)の規定100日を超える121日。2012年ロンドン五輪の70日、16年リオデジャネイロ五輪の95日と比べても異例の長さです。当時の森喜朗・組織委会長らがごり押しし、その後に大会が延期になり、規模縮小がさけばれても、スポンサーの意向などで見直しされませんでした。
 森前会長の女性蔑視発言を受け多くのランナーが辞退した聖火リレー。辞退者は続き、大阪では変更もあってか190人中20人が不参加でした。公道の走行中止も相次いでいます。聖火リレーの存在意義が揺らぐいま、五輪中止も含め早急な決断が求められています。
医療ひっ迫なのに 昭和大学医学部客員教授(感染症学) 二木芳人さん  国内の感染拡大は必至だと思います。菅義偉首相は認めていませんが、第4波なのは間違いありません。
 すでに大阪では医療がひっ迫し、命をめぐるぎりぎりのたたかいをしています。そのときに、お祭りムードの聖火リレーはあまりにそぐわない。ちぐはぐさを感じてなりません。
 大阪では公道ではなく、人を入れない公園で“隔離”して走っている。何のためなのでしょうか。ランナーの思い出づくりなのでしょうか。やる意味があるのでしょうか。
 いま東京でも変異株が広がりつつあり、いつ大阪同様の事態になってもおかしくないし、さらに各地に広がる可能性も十分あります。変異株というのはそれだけ脅威なのです。
 私はコロナの拡大傾向が止まるまで、聖火リレーはいったん中断するのが正しい判断だと思います。
 いまやるべきなのは医療関係者と国民が思いを一つに、変異株に立ち向かっていくことだと思いますよ。
政治的利用に躍起 スポーツジャーナリスト 谷口源太郎さん  1万人を動員する聖火リレーの狙いは、東京五輪に向け国民の意識を盛り上げることです。しかし、国民からは逆に批判や疑問の声があふれています。
 著名人が続々とランナーを辞退しました。理由はさまざまですが、この時期の五輪開催に疑問を感じた部分も大きいでしょう。
 もともと欺瞞(ぎまん)に満ちた「復興五輪」をアピールするため、リレーは福島からスタートしました。しかし、いまや「復興」は消え「コロナに打ち勝つ」になってしまいました。
 大阪では公道を走れず、松山や沖縄でも公道を走れなくなりそうです。それは聖火リレー自体が「公には認められない」ということ。“何の意味があるのか”と思うのは当然です。
 リレーそのものもトヨタなど大手4社のスポンサーに乗っ取られています。宣伝車両が主役でランナーはどこ��わからない状態は、マネーにからめとられた五輪の現実を象徴しています。当然のことながら、五輪の理念はすっ飛んでいます。
 政権は五輪の成功をもくろみ、政治的に利用することに躍起になっています。だから、どれだけ批判や矛盾があっても五輪に向かって走り続けなくちゃいけない。
 人間の命や尊厳が問われているときにもかかわらず、この問題に向き合おうとしない五輪は、絶対中止しなければいけません。
(しんぶん赤旗、2021年4月17日)
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xf-2 · 5 years
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香港
200万人デモで、中国への警戒感を一層強める台湾。「香港独立運動の父」と呼ばれる台湾の独立派政党党首・陳奕齊(チェン・イーチー)氏は「世界各国が中国の国家転覆工作に警戒しているのに、日本はあまりに鈍感すぎる」という――。
6月16日、香港の金鐘(アドミラルティ)で行われた大規模デモの様子。デモ隊は「加油(ガーヨウ=がんばれ)」「不撤不散 (バッチーバサーン=撤回するまで解散しない)」と声をあげながらあたり一面を覆い尽くした(撮影=的野弘路)
■“台湾人よ、香港人の屍を乗り越えて”
「一国二制度」を信じたために、「刀把子(ダオ バア ズ)」を中国に握られてしまった……香港人はみずからそう言う。刀把子とは、「包丁の柄」のことである。要するに、今後は中国という料理人に好き勝手に切り刻まれるだけ、と言う意味である。
中国人が香港に続々と流入し、香港の市民権を取得した新香港人の数は150万人以上までふくらみ、今や香港の人口の5分の1に達している。その過程で、香港人は安心安全な生活をうばわれ、市民としての権利を行使できない状態に追いやられた。とうとう選挙権まで奪われた今、中国は香港の司法まで乗っ取ろうとしている。香港人は言論の自由と、法の正義を剥奪されようとしているのである。
デモに参加した香港の中年女性は、「中国と商売をすれば儲かると思い、お金につられて1997年の中国への返還を受け入れた。しかし、それによって香港人は自由や自尊心を奪われてしまった」と訴えた。そして、彼女は台湾人に「今天的香港是明天的台湾(今日の香港は、明日の台湾だ。気をつけてほしい。私たちの失敗を台湾は繰り返さないで)」というメッセージを送っている。
今回のデモの中でも「台湾人よ、香港人の屍を乗り越えて、中国から遠ざかって」というメッセージの書かれた垂れ幕が多く見受けられた。
“200万人デモ”が一段落した6月17日に、2014年の「雨傘運動」学生リーダーだった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏が、出所した。その時、彼は出所会見の最後に広東語ではなく、中国語で台湾人に対して「今回のデモにおいても、台湾の多くの友人有志の支持支援に感謝します。『今天的香港今天的台灣』。今日の香港、今日の台湾は同じ状態だ、台湾のみんなも今後も努力を継続してほしい、一緒に北京の習近平の圧政に対抗していきたい。みなさんありがとう」と述べている。
■世界を震撼させた4月のスパイ事件
今年の4月18日ニューヨーク東部地区連邦地方裁判所でとある中国系アメリカ人女性の証言が世界の注目を浴びた。その女性は中国国際航空(エアチャイナ)の元職員、林英(リン・イン、女性、48)被告で、彼女は2002年から16年4月までニューヨークの中国国際航空の空港カウンターで勤務していた。その間少なくとも2010年から2016年までの数回、国連駐在の中国軍関係者の荷物検査をパスさせて北京への密輸を手伝い、駐ニューヨーク中国総領事館の職員から小包を無関係の乗客名で北京に送り届けていたのである。
林被告は「私は中国高官と私の雇用主であるエアチャイナの指示に従った。このことは米国司法長官に通知しなかった」と認めたと同時に、「中国当局から、報奨として、外交官特権の付与と自宅のリフォームなどを無償で受けていた」ことも自白したのである。今後、彼女は審議や調査にかけられ、最高10年の懲役と14万ドル程度の罰金、さらにアメリカ国籍剥奪の可能性もある。
■アメリカ政府は激怒
米国運輸保安庁(TSA)は、航空機に搭乗していない人の手荷物預かりを禁じている。さらにこの行為は「外国代理人登録法(FARA)」に違反する事件として、アメリカ政府を激怒させた。この法律は1938年にコミンテルンなどの外国権力のプロパガンダ活動家を焦点に当てて作られたもので、現在は政治的ロビー活動を行うエージェント(ロビイスト)の登録と監視を行うための法律である。外国政府や外国団体の権益を代表するエージェントは、アメリカ司法省へ届け出を行う必要がある。
米国議会、ホワイトハウス、連邦政府内などには、このような届け出を行い外国から依頼を受けたアメリカ人もしくは外国人が堂々とロビー活動をしている。アメリカはこの「外国代理人登録法」と「ロビー活動公開法」とでアメリカの不利益になる外国人の活動を抑制している。
そして、リン被告は裁判官の問いに対して、「中国政府と軍の代理であることを隠ぺいした」と自身の罪を認めた。スパイ行為にもあたる可能性があり、アメリカに帰化した一般の中国人を、中国の権益のためにスパイとして利用する手法が露呈したのである。
■国家安全のための「護台防中」6法
林英スパイ事件に、敏感に反応したのが台湾だ。台湾でも、中国との民間交流が進むなか、多くの中国人が台湾に観光に来るようになった。台湾への留学・就労・婚姻などによる移民なども増加している。その中国系民間人もしくは買収された台湾人が、中国当局のために何らかの活動を行っている可能性を、真剣に考慮しなければならない事例がアメリカで明るみになったのである。
蔡英文総統は2016年5月に総統に就任すると、真っ先に「護台防中(守護台湾 中国化防御)」の基本政策の下、すぐに国家安全に関する6つの法案の整備・立法化を進めていたのである。それが、以下の6法案である。
2016.11 陸海空軍軍士官服役条例(陸海空軍の軍士官の服役条例の強化)
2017.12 組織犯罪条例(組織犯罪条例の整備)
2018.05 証人保護法(証人保護法の整備)
2019.05 刑法外患罪(外患罪の刑法整備)
2019.05 国家機密保護法(国家機密保護法の強化)
2019.06 国安法 修正(国家安全法の修正、スパイ法の強化)
今回の「香港200万人デモ」が起こったのは、ちょうどこの6法案の整備が完成したのとまさに同じタイミングだった。台湾人も、香港の司法が乗っ取られようとする事態を目の当たりにした。
■台湾で行われた「親中メディアへの反対デモ」
そもそも、この蔡英文総統の対中国共産党の工作を想定した国家安全の一連の法整備と強行姿勢は、中国の猛烈な反感を買い、両岸関係は冷え切った状態になった。それに対して、台湾���民は蔡英文政権に不満を覚え、昨年2018年の統一地方選挙で民進党は大敗を記したのである。しかし、この地道な取り組みが、ここに来て正しかったと評価されることになるとは、蔡英文総統自身も想定外だったに違いない。
さらに、基進党党首の陳奕齊氏や民進党の立法議員は、アメリカにならった「外国代理人登録制度」の成立をさらに要望している。そのための行動が6月23日、台湾で雨の中、大々的に行われた。日本では「親中メディアへの反対デモ」として小さく報道されているが、真の台湾愛国派の目的は、「反境外勢力干預法(反国外勢力介入法)」の立法化なのである。
立法化が成就した場合、最初にそのターゲットとなるのが「紅色媒体(中国寄りメディア)」、次が「親中政治人物(中国寄り政治家)」だ。とくに現・高雄市長の韓国瑜(カン・コクユ)氏は、その矢面に立っている。昨年末の市長選挙の際の、特定メディア(3局)の韓国瑜候補への好意的に偏った報道がひどかったことが原因だ。さらに、韓国瑜市長は香港デモについて、当初「香港のことはよく知らない」などと曖昧な発言を行い、それがさらに中国寄りであるとの批判を受けている。
■世界中で進行する中国共産党への警戒の動き
こうした動きは、中国と常に緊張関係にある台湾だけではない。
2018年6月にオーストラリア議会は、「反外国介入法」として、外国のスパイ活動や内政干渉の阻止を目的とした複数の法案を可決した。可決された法案は「スパイ行為に対する罰則の強化」「オーストラリアの内政に影響や害悪を与えようとする外国当局による秘密工作、欺瞞(ぎまん)工作、脅迫行為の取り締まり(国家安全立法修正案)」だ。さらには外国による政治干渉を透明化するため、「外国の政府や企業の代理人となる個人や団体には、登録の義務化(外国影響力透明法=外国代理人制度に類似)」を制定した。
この法案が成立したきっかけは、2015年にオーストラリアの最重要軍事基地のダーウィン港が、不透明な経緯を経て中国企業と99年のリース契約を結んでしまったことに、オーストラリア国民が一斉に危機感をあらわにしたからだ。
2017年には、中国からの収賄や癒着を疑われたオーストラリア労働党のサム・ダスティアリ上院議員が辞職した。当時のオーストラリアには、現地中国系住民、留学生、新移民、駐在ビジネスパーソンなどからなるセミプロ諜報員が500人以上、中国人民解放軍の総参謀部、国家安全部、公安部から派遣されたプロの諜報員が300人以上潜伏していたとも見られている。
オーストラリア政府は2018年6月の法案可決後、「スパイ活動および外国の干渉はオーストラリアの安全保障と国防のうえで重大なリスクとなっている」「敵対的な外国当局が、機密情報の入手やオーストラリアの民主的手続きを逆手に取り、影響力を行使するためにさまざまな手法でオーストラリアの国益に反する活動を積極的に行っている」旨の声明を発表した。特定の国こそ名指ししなかったが、どの国を指すかは明らかであった。
一時期、中国寄りに傾いているとみられていたオーストラリア政府は、こうしてまともな方向へ軌道修正し直したのである。
■台湾基進党党首が語る中国の対外工作
筆者は、「港独之父(香港独立運動の父)」と香港中国系新聞に言わしめた台湾の基進党党首の陳奕齊(チェン・イーチー)氏に、オーストラリアをはじめとする海外諸国における中国の工作の実情について聞いた。
陳氏は台湾在住の台湾人だが、香港返還の翌年である1998年から2002年まで2年間香港に駐在し、早くから香港の危機を理解・憂慮し、香港の中国圧政からの自主独立を訴えはじめた。そのため、2005年には香港へ入国できなくなった。帰国後も香港の現状を台湾で蔡英文総統(当時党主席)に報告し、多くの香港独立運動の若者との交流や指導を行い、2016年11月の香港大公報に「台湾の香港独立の父」と報じられた。(「香独之父」と呼ばれている人物は複数いる)。
「彼らは外国にいる中国人留学生、中国系住民の団体や法人、駐在ビジネスパーソンを使い、外国政治家、有力者、企業、メディアへの働きかけを行い、間接的献金、優位な商取引などを持ちかけて関係を構築します。工作の目的は、主に①資源、②技術情報、③対中政策の緩和優遇、④領土問題(台湾・南沙諸島・チベット・ウイグル・そして尖閣諸島を含む)です」(陳氏)
このように、中国の世界への覇権行動・情報操作・地下ロビー活動は活発であり、先のアメリカやオーストラリア以外にも、カナダやヨーロッパなど世界的に中国の国家転覆工作への警戒を強めている。
台湾と中国両岸の政治的綱引きは、1996年の「ミサイルによる威嚇」からはじまり、「経済(お金)と人的交流(観光)の懐柔策」で緩み、そして昨年の台湾選挙でようやく中国は「情報(メディア)と心理戦による選挙への影響力を手にした」のである。実際、米ワシントン・ポスト紙も「中国は台湾民主選挙への干渉に成功した」と報道した(2018年12月18日付)。
■「外国法人のみを監督する時代は終わった」
当の習近平主席本人ですら、2018年12月18日の「慶祝改革開放40周年大会」の席上、「中国政府はすでに両岸関係の主導権と主動権を握ることができた」と発言したのである。これは、中国側が台湾の香港化を着実に進めていることを示唆しているものと、台湾有識者は危機感を強くしたのである。
「中国共産党は、資金融資、経済優遇、観光交流、文化交流からはじまり、軍事交流そして政治干渉にまで手を伸ばそうとする。そのためには、中国企業、団体を使って、中国での旅行の接待、性的接待、親族への金品の贈与や中国留学での奨学金や特別入学枠の確保などありとあらゆる便宜を相手に与えます」
「そして、最後に欲しがるのが、中国への『犯罪人引渡条約』なんです。これは、その国の司法に介入できる最終手段だから。中国の法で裁きたい人間の請求権を認めたら、それはもう独立国ではなくなるからです」(陳氏)
オーストラリアでも、この「犯罪人引渡条約」が批准の方向で一時動いたものの、2017年3月に撤回されている。
香港の自治を認める「一国二制度」の崩壊や、世界各国における中国の暗躍は、台湾をはじめ多くの国々に、中国の野望と中国の手法を教訓として残したのである。
陳氏は、「今までのように、外国法人のみを監督する時代は終わっています。移民者から本国人までのすべての一般市民、政治家、そして第四権力であるメディアまでも監視しなければいけない時代に来ています。しかも、第四権力としてのメディアは、無垢な一般市民までもフェイクニュースで操作できる時代なのです」と警戒感をあらわにする。
■風見鶏と二枚舌は日本を「信頼できない国」に
筆者は陳氏に、日本に対するアドバイスを求めた。
陳氏は、「まだまだわれわれは中国との情報戦、心理戦、国内の共産党勢力の排除に勝ったわけではない。台湾をはじめ世界の共産党勢力への戦いはまだまだ続くだろう」と述べた後に、「実は、一番心配しているのは、今の日本かもしれない」と口にした。
「スパイ防止法も外患罪も、ましてや外国代理人登録制度や外国人影響力透明法など、外国の工作に対してまったく無頓着なのが日本ではないか?」と問いかける陳氏。筆者との討論が進む中で、以下の問題点が共通の認識となった。
「沖縄や北海道などの国土を中国資本に買収されていても、それを経済活動の一環として放置している」
「日本の政財界は、一方的に中国市場への依存度を高める行動を取っている」
「日本の大学や専門学校は、無節操に中国人を日本の大学に入学留学させて、経済活動(お金儲け)を行っている」
「労働者不足と称して、(上記のような)法整備も不十分な状態で多くの外国人を入国させている。しかも、多くの外国人が行方不明になっている事実もある」
などなど、彼との討論からは、日本の鈍感と、経済的に活性化されるなら仕方がない、という拝金主義でしか動かない現代日本と日本の政財界の在り方を思い知らされた。
■世界で一番手に入りやすい日本のパスポート
筆者も毎月、日本と台湾を往復しているが、空港で明らかに日本人でない人が日本のパスポートを持っているのをよく目にする。以前もあるパーティーで「山本」と名乗る人と話をしたとき、日本語が少しおかしかったので、中国語で話しかけたら、上海出身の中国人だということが分かった。
彼の中国名は「李(仮)」だったが、帰化とともに日本名を使うことを日本の法務省から勧められたそうだ。うわさによると、日本の有力な国会議員の口利きで、パスポート所得や帰化申請に便宜が図られたケースもあると聞く。日本のパスポートは、ビザなし渡航可能国が世界一を数える世界で最も便利なパスポートではあるが、転じて世界で一番安い、手に入れやすいパスポートになってしまったのだろうか。
陳氏の目には、日本の姿勢が不可思議に映るようだ。
「2018年に中国へのODAを中止したと思ったら、スワップを再開した。アメリカへ追従して対中貿易戦争に協力すると思ったら、静観・傍観している。中国の一帯一路政策にも賛成したり、しなかったり。風見鶏的、悪く言えば二枚舌であり、最も信頼できない状態になる可能性があります」(陳氏)
「安倍首相は、台湾が天災など有事の際には必ず、励ましの応援メッセージ(つぶやき)をくれる。これには感謝するし、蔡英文首相も必ず返信する間柄だが、中国からの抗議や批判がないのも引っかかりますね。日本の外交のブレが、こういう形で疑心暗鬼を生むのです」(同)
■スパイ対策が進まない3つの理由
陳氏との厳しい討論は、なぜ日本で国家機密や技術情報、スパイ工作についての保護や対策が進まないのかにまで及んだ。2人で同意したその理由を列挙する。
1.すでに述べたとおり多くの政治家、官僚、監督官庁、業界団体、有力企業、メディアの中に、中国の権益を守るグループが存在しているのではないか(冒頭の香港の中年女性と同じ後悔が待っていそうだ)。
2.中国以外の、中国の傀儡(かいらい)国家の勢力も日本の政官財といった中枢に入り込んで、多くの操作をしているのではないか。
3.中国とのパイプや利権権益を、自分たちだけは保持・保有していたいという利己主義者が日本には多数いるのではないか。
とくに、第四権力であるメディアへの中国資本の影響力は増している、という見解が完全に一致した。2018年9月、台風21号による関西空港の台風被害に関する中国のネット発のフェイクニュースによって、台湾の外交官が自殺に追い込まれた事件があったが、そこからもわかるように、どこから発火・炎上し、どう操作されるかわからない。世界では報道、ニュース、マスコミ、インターネットの在り方が改めて見直される時期に来ているようだ。
しかし、台湾やオーストラリアといった民主主義国で違和感なく行われているこの手法を、同じ民主主義国である日本で仮に行おうとすれば、そんなマスメディアも含めた既得権者は「戦前回帰」「外国人差別」と称してアレルギーを起こす公算が高い。アメリカをはじめ、オーストラリア、台湾、そして香港が、外国勢力に侵食されている一方で、今の日本が唯一無傷でいるとは到底考えられない。その克服のためにも、一般市民も含めわれわれはひとごと、無関心、鈍感であってはならない。日本も一刻も早く見えない呪縛を断ち切らねばなるまい。
「日本でもこの危機を、香港、台湾、豪州、アメリカの例を通じて、正確に報道してほしい」と陳氏は訴えた。「日本の歴史やわれわれが知っている日本精神からすれば、日本はアジアの民主主義の盟主として、香港そして台湾、さらには中国の侵略に苦しむ国家の指導的立場になる国だと思うし、そう信じている」――陳氏はインタビューをそう結んでくれた。
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藤 重太(ふじ・じゅうた)
アジア市場開発・富吉国際企業国際顧問有限公司 代表
1967年東京生まれ。86年成田高校卒業、91年台湾大学卒業。92年香港で創業、アジア市場開発設立。台湾 資訊工業策進会 顧問(8年)。台湾講談社媒体有限公司 総経理(5年)などを歴任。現在 日本と台湾で、企業顧問業務、相談指導ほか「グローバリズムと日本人としての生き方」などの講演活動を行っている。
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(アジア市場開発・富吉国際企業国際顧問有限公司 代表 藤 重太 撮影=的野弘路、FUJI JUTA 写真提供=基進党)
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tsuntsun1221ts · 4 years
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2020.11 宮之浦岳(2日目)
1日目の続き
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宮之浦岳山頂より全周、訳あって2日連続で登った
まわりは4時くらいから起きて出発の準備をしており、そのときに目が覚めてしまったがシェラフの中でゴロゴロしていた。5時に起き上がったときには、小屋の半分くらいの人たちはすでに出発していた。たぶん荒川登山口へ向かうんだろうけど、バスが10時の次は15時?と、すごい間が空いてしまうから早く出ないといけないんだろう(この日に飛行機や船で帰るのかもしれない)。けどこの時間はまだ真っ暗で、1時間くらい歩いた先にある縄文杉も全然見えないんじゃないかな。
自分は荒川登山口ではなく白谷雲水峡へ抜けるので7時くらいに出発すれば問題ないし、みんな出てしまった小屋の中で一人だけゆっくりしている。
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7時になり小屋を出発したところ、とんでもない晴天・・・え、このまま下山しちやっていいのか!?屋久島に来てこれだけの天気は滅多にないんじゃないかな、少なくとも自分が今後訪れるかもしれない中でこんな快晴は無いと思ったほうがいい・・・ということで、昨日は若干消化不良であった宮之浦岳からの最高の景色を求め、予定を変更してもう一度登ることを決心!!昨日ガスった山頂で、これが屋久島らしいじゃないかと自分自身を説得させたのだが、5年くらい前学生の時に来た時にもまさしくこれくらいの晴天の日を逃しており、再びそのチャンスが来たわけだ、なんという島の神のお取り計らい。
昨日は山頂から山小屋まで下るのに1時間くらいだったので、登り2時間と想定、下山も併せて本来の予定+3時間の追加となる。北アルプスで鍛えられた体を今使わないでどうする。必要ない装備は小屋内にデポし、飲み物と上着と行動食をザックに残して出発、かなり身軽さを感じる。
荷物を全て背負ったまま昨日入山した淀川登山口へ下山することも考えたが、あちらの最寄バス停は1日2便しかバスが来ず到着してもかなり待たされることと、やっぱ屋久島に来て縄文杉を見ないのはモグリですよ!
【コースタイム】 新高塚小屋(0720)→第2展望台(0745)→平石岩屋(0805)→平石(0815)→宮之浦岳(0840-0900)→焼野三叉路(0910)→平石(0920)→平石岩屋(0925)→第1展望台(0955)→新高塚小屋(1010)→縄文杉(1100-1120)→大王杉(1140)→ウィルソン株(1200)→大株歩道入口(1215)→楠川分れ(1255)→太鼓岩(1345-1355)→白谷雲水峡(1500)
約8時間とかなりハードに見えるが、大部分はハイキング的な要素で占められている。
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昨日はガスって山頂ほとんど見えなかったのに今日は凄いな、期待できる!
昨日はこの道を通過したのがお昼近かったので溶けてしまっていたんだろうが、さすがに九州とはいえ標高が1500m以上では夜から朝にかけて氷点下となり、道がツルツルに凍っていて凄く滑るところが何ヶ所かあった。何度も転びそうになり危うく怪我をするところだった。
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途中の道は昨日の分の方に書いてあるので省く。新高塚小屋から山頂までは予想よりも早い1時間半くらいで到着。山頂には自分を含めて3人。
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いや、これはもうヤバい。屋久島は洋上のアルプスと言われているが、360°海で囲まれており、見えるべくものは全て見える、100パーセント。5年の歳月を経て屋久島の神々に受け入れられたかのよう。
写真中央には富士山に似た鹿児島県の百名山 開聞岳と、���の少し右には桜島(写真では見えづらい)。そのまた右には横に幅広く大隅半島。
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手前は永田岳と、その奥にはお隣 口永良部島。
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眼下には先程歩いてきた道と平石岩屋の巨岩群がみえる(中央左)。写真中央から右にかけては屋久島原始林。右上の海には細長く種子島が見える。
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左上には3つほど島が見えているが、奄美諸島の口之島、中之島、諏訪之瀬島だろうか?
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鬼界カルデラは大昔、九州南部の縄文人を絶滅させたことで有名な火山の跡で今は海底に沈んでいるが、それの外輪山である硫黄島(写真中央)と竹島(右、見えづらい)。
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淀川登山口方面。
どの方向を見渡しても町が見えず、逆にいうと屋久島のどの町からも宮之浦岳を臨むことはできない。このような山は奥岳と呼ばれている。
山頂ではちょっと早めの昼食をとり20分滞在。この後は白谷雲水峡まで長時間の歩行(白谷雲水峡まで14km)が待っているので、快晴の下でとても惜しいのだが下山する。本当に、登り返してきてよかった、この選択は間違っていなかった。計画に3時間の工程が急遽加わるというのは流石に躊躇したが、自分の体力・実力を熟知し実行可能であると判断した上であり、登山歴5年目くらいにしていろんな意味で成長したと言えるだろう。
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昨日は山頂がずっと雲で覆われていた永田岳がばっちし、どこを見てもすばらしい景色。けどね、なにか物足りなさを感じるんだよね。そう不思議なことに、ガスがかかっていたほうが屋久島らしいという感じがするのであった。(贅沢な要望だな!)もちろん年間降水量が非常に多い屋久島で、これだけの晴天の下で山頂を踏めたことは大変感謝している。
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昨日も(今朝も)通った下山ルート。中央手前の白い空間が平石、左奥の巨岩群が平石岩屋、海には大隅半島(左)と種子島(右)。贅沢ー!
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第1展望台より。昨日はここを通過した際は天気が悪くなりつつあったので景色が見えず、一体何が見える展望台なのか全くわからなかったが、なるほど、宮之浦岳が見えるわけですな。ここまで山頂から約1時間。あとは森に突入するので道中の説明は省く。
山頂から新高塚小屋までは約1時間。荷物が軽かったので昨日より少し早い到着。デポっていた荷物を回収し、3時間遅れで本日の予定に戻る。
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新高塚小屋から縄文杉までは森の中を約1時間歩くが、その前に縄文杉のすぐ近くにある高塚小屋の見学。自分が泊まった小屋は「新高塚小屋」で、こちらは名前に「新」と付いていない方の小屋なのだが、こちらのほうが多分新しい。しかもなんとこの小屋、個人の方の寄贈である。
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3階構造となっており、定員は20名くらいと新高塚小屋の半分くらいか。テン場が無さそうなのと、トイレが1つしか無い(?)という違いがある。
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高塚小屋から10分で縄文杉に到着。これ以上近づけないのでその大きさがいまいち実感がわかないのだが。
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こちらの看板に大きさの比較がわかりやすく描かれている。
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幹の直径はこの展望デッキとほぼ同じくらいという巨大なもの。ちなみに2017年にデッキが新調されたらしい。たしかにきれいかも。仙人のような奇抜な格好のガイドさんが周りにいる人たち10人くらいで手繋いで輪になろうということで(縄文杉の幹周り16mは大人10人が手をつないだくらいの太さ)、たまたまその場にいた自分も人数に入っていたらしく、全く知らない人と手をつないで輪になった。縄文杉の巨大さが大変よく実感できるのと、その様子を写真で是非撮りたかったが両手がふさがっていたから残念。
縄文杉について少しうんちくを。
ガイドの話を盗み聞きしていたが、遺伝子検査の結果3000年以上であることは確かであるが、7300年前に鬼界カルデラが噴火したときは火砕流でここも焼け野原となっていたので、それ以降に生まれただろうと、すなわち3000~7300歳。なお、落ちた枝を調べてみたら1000歳だったとのこと。樹齢1000年以上の杉を屋久杉と呼ぶが、枝だけで屋久杉級って・・・。
別の杉の切り株が縄文杉の近くで発見され、江戸時代に伐られた株であることがわかったらしい。けれどその近くにある巨大な縄文杉の存在に当時の人も気づかないわけがなく、江戸時代から地元の木こりたちには縄文杉の存在が知られていたと思われる。しかしなぜ縄文杉は木材として伐られることなく残っていたのか、一説によると、形が歪なので木材として売り物にならないとされていたかららしいが、ガイドさんの個人的な想像というか願望としては、やはり島の御神木として残されたのではないか、とのことである。自分もこっちの説がいいなー。
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新しい展望デッキも建てられており、縄文杉とほぼ同じ高さで横から見ることができる。
20分くらい休憩し縄文杉を後にする。今日は宮之浦岳に登り直したことで3時間も工程が追加されているから、帰りの最終バスには間に合わせないと。
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ここから先は学生時代も通ったことがある懐かしの道。相変わらず道が整備されていてハイキング気分。歩きやすく、帰りのバスまでに余裕をもって到着しておきたいので自然と速歩きになる。自分が縄文杉に到着した時刻は、ちょうど荒川登山口から登ってきた第一陣の人たちが到着した時刻と重なっていたらしく、自分は早々に下山したため、これから登ってくる人たちとのすれ違いが多かった。といっても、全部で100人くらいか?道が狭いのですれ違う度に下山者である自分が登山者を通すために一時停止(登り優先がマナー)。この回数がかなり多かった。
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とはいえ縄文杉から40分でウィルソン株に到着。高校生くらいの女の子3人組と少しお話して心がさらに癒やされました(グヘヘ)。
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ウィルソン株の中からハートに見える位置がよくわからなかったので、女の子たちに教えてもらった(本当は知っていた)。てか、冷静に考えてみればこの株の太さもすごいよな。屋久杉の大きさを一番実感できる場所ではないかと思う。
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縄文杉から約1時間で登山道入り口である大株歩道入り口に到着。荒川登山口へ下山する人はここから延々とトロッコ軌道となる。
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前後には誰一人として歩いていない。みんなまだ縄文杉の方向にいるだろうし、この時間から入山する人もまずいない。聞こえるのは軌道の上に敷かれた木道を歩く自分の足音だけ。とても気持ちがいい。ただ、退屈といえば退屈なのである。せめて動物が出てくれれば気が紛れるのだが、今日は遭遇しなかった。
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40分ほどトロッコ軌道を歩くと楠川分れに到着。白谷雲水峡へ向かう場合はこの分岐点で再び山道に入る。
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楠川分れから太��岩までは延々と上り坂、傾斜は普通だがこの荷物ですでに何時間も歩いてきた身としては辛い。標高が低いせいか気温が高い15℃くらい?今回初めて汗が出てきた。
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途中ですごい岩があった。登山道の真上を屋根のような岩が7mくらい張り出している。しかもその岩の上には普通サイズの杉が生えている。撮影スポットらしく、登山客が岩を持ち上げているポーズで写真を撮られていた。太鼓岩のすぐ近くにあったのだが、前回来たときはここまで足を伸ばさなかったので初めてこの岩の存在を知った。
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楠川分れから約1時間登り続け、最後のピークである太鼓岩に到着。とりあえす無心で登っていたらあっという間だった、トロッコ軌道から来るとこんなに近いのか(前来たときは白谷雲水峡から)。ご覧の通り柵などは設置されておらず、他人にザックを当てて転落するなんてことがないようデポったほうがよい(昔ガイドが客のザックに押されて転落して大怪我したことがあるんだと)。
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相変わらず素晴らしい天気で、むしろちょっと逆光気味。写真奥の方から安房川?に沿って歩き、写真中央辺りで右手前に向かって登ってきた。縄文杉は写真右の山の中にあるらしい。
写真最右上端に朝登ってきた宮之浦岳山頂が写っている。左上端にピッと立っているのが天柱石で、あとでネットで調べてみると凄い形をしている。
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天柱石は大忠岳の山頂に立っているらしく、ヤクスギランドから片道2時間くらいで登れるらしい。種子島から発射されるロケットをあそこから見ることができるらしい。
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宮之浦岳。その左にこれまた大きそうな岩が立っているのが翁岳かな。
太鼓岩では10分くらい休憩、本日初めて座った。岩の上で昼寝したいくらい景色も天気も素晴らしい。
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白谷雲水峡へ向けて下山する。基本的に足元に水が流れているか湿っている。縄文杉同様に、こちらもガイドを連れている登山者が結構いる。途中に奉公杉コースという、プラス2kmくらい追加していろんな杉が見れるルートがあるのだが、さすがに疲れたので今回は直帰。
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くぐり杉
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白谷雲水峡は屋久島で1番好きな場所かもしれない。足元に水が流れる音が優しい、しっとり湿った空気、深い森、苔・・・とても心が落ち着く。
対して縄文杉へのコースはなんか殺伐としている感じ。早朝の登山バスで一斉に登山開始する登山客の殺気立つ空気、荒々しい川、太古の杉達。同じ島の同じ森の中なのに、だいぶ異なる自然の側面である。
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水・緑・太陽の日差し。ほんと自然に癒やされるー。
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白谷雲水峡に到着、活動開始から7時間半かかった。全体的に道が整備されていたとはいえ、テント泊装備を背負っての山行お疲れ様でした。屋久島の神々よ感謝申し上げます。おかげさまで最終のバスの1時間以上前に到着した。
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白谷雲水峡から宮之浦の町まではバス。途中の道からは宮之浦の町を見下ろすことができる。
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本日は「やくすぎ荘」に宿泊。1万円(Go To割引で6500円+2000円の商品券付)で夕食と翌日の朝食が出てくる。
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夕食に出てきたのは・・・でた~!屋久島名物トビウオの姿揚げ。頭からシッポまで全部かじれる。外食するよりも、ちゃんとした宿で朝も夜も出してもらった方が全体のコスパいいな。
宿の目の前に地元のスーパーがあり、お疲れ会の夜食を購入。酒はもちろん屋久島で有名な三岳(焼酎)、屋久島産のタルメ。魚コーナーの店員さんにタルメって何ですか?て聞いたら …わからないですって言われて、まあこっちの人はタルメはタルメでしかないのね、目鯛のことらしい。
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翌日はお土産を買って帰るだけ。朝から風がかなり強く雨がパラついており、台風の接近を思わせるかのよう。案の定海はかなり荒れており、沖に出たらなんと3mの波。帰りも鹿児島までは高速船なわけだが、とにかくすごい動揺で前後左右全てに大きく揺れる。そこまで大きい船ではないのでかなり煽られている。エチケット袋もってトイレに向かう人が5人くらいいたし、さすがに自分も気持ち悪かったな。まぁ帰りの羽田行きの飛行機のこともあるし、出航してくれただけマシだが。鹿児島に近づくと波は穏やかになり安定してきた。
13時くらいに鹿児島港に到着。昼食は「ラーメン小金太」の 豚骨入りラーメン(豚骨ラーメンではない)。 名前のとおり骨付きの大きなチャーシューが入っており、その骨が軟骨よりも柔らかくて全部かじることができる。・・・煮込んだだけでこんなに柔らかくなるの?薬品に漬けてるわけじゃないよね笑
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鹿児島空港では滑走路の先に韓国岳やら高千穂峰やら新燃岳がそびえ立っているのが見える。もちろん上空からも見ることができた。あちらも百名山なのでいつか登ることになるだろう。
近年まれに見る、素晴らしい旅だった。文句の一つもつけようがない。今回ほどまでを望まなくとも、やはり数年に一度は訪れたい場所である。いくら本州の山々を登っても、(北アルプスの山々でさえも)屋久島の自然の威厳を超えるところはなかった。コロナ禍ということもあり比較的人が空いていたのかもしれない、こんな屋久島は二度とないのだろう。おそらく何度かこの記事を見返す度に、屋久島の自然から勇気と元気をもらうことだろう。 屋久島は今回で2回めだけど、また着たいなと毎回思わせてくる。ここまで自然からエネルギーを貰える場所は無い。飛行機は2ヶ月くらい前までに予約すればかなり安くとれるし、鹿児島~屋久島間も船で乗り継ぐよりはラクだからやっぱ飛行機がいいな(酔わないし)。
屋久島のいろいろ
下山して宿へ向かって道を歩いているとき、地元の小学生や中学生とすれ違ったんだけど、みんな「こんにちは」と挨拶してくる。すごい文化だ。
宮之浦岳山頂には登山には明らかに場違いの服装の人が一人いた。舐めているならまだしも、登山とはどういうものなのか何も知らないんだろうから注意のしようも無い。宮之浦岳をあの格好で登れたのは幸運にも天気が良かったからで、とにかく雨が多いこの山では低体温症になっても不思議���はなく、いかに危険な行為なのかわかってほしいんだけど。多分、縄文杉とセットで軽い気持ちで来てしまうんだろう。そんな軽い気持ちで登ってしまう人ほど、ちゃんと装備を整えて本格的に登山始めてしまえばもっと楽しめるのに、と毎回思うのである。
タクシーのうんちゃんの話によると、屋久島のガイドは島民よりも、むしろどこからか来た外部の人間が多く、シーズンを終えて仕事が少なくなってくなると自分たちの故郷へ帰っていくから、稼いだお金が島に落ちていかないのだとか。実は縄文杉のデッキでガイドの人たちが「今年はいつ戻るのか」みたいな話をしているのが聞こえ、あぁこのことかと。法律に違反しているわけではないし特に悪いことはしていないんだけど、考えさせられる。
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groyanderson · 4 years
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ひとみに映る影シーズン2 第四話「ザトウムシはどこへ行く」
 ☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 最低限の確認作業しかしていないため、  誤字脱字誤植誤用等々あしからずご了承下さい。 尚、正式書籍版はシーズン2終了時にリリース予定です。 (シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!! pixiv版 (※内容は一緒です。) ☆キャラソン企画第四弾 牛久舎登「かっぱさん体操」はこちら!☆
དང་པོ་  洗面所で顔を洗い、宴会場に戻る。時計は丁度六時をまわった所だ。ふと、窓の外から懐かしい歌が聞こえてきた。 『かっぱさん体操第一ィィィ!』『プッペケプッぺップー』 「うー。何だよぉこんな朝っぱらからぁー!」 「ふわあぁ~」 「ああ、かっぱさん体操の時間……」  朝っぱらから近所迷惑な体操音楽によって、佳奈さん、万狸ちゃん、玲蘭ちゃんが同時に布団から出てきた。玲蘭ちゃんと私はカーテンを開け、大音量で音楽を流しながら体操する河童の家教団を眺める。 「牛久の河童はかっぱっぱーのパァー」 「お皿を磨いてツーヤツヤーのツャー」 「「みんなで腹からワッハッハーのハァー、笑顔に勝るー力なし」」 「は? 二人なんで歌えるの?」  歌詞を暗記している私達を、佳奈さんが訝しんだ。 「佳奈さんの地元にはいませんでしたか? 河童信者」 「ぜぇんぜん」 「北関東から東北あるあるなんじゃない? 私も会津にいた時はほぼ毎朝だったのに、沖縄(うちなー)では一度も聞いた事なかった」  影電話で万狸ちゃんにも聞いてみる。 <木更津はどう?> 「一度だけ布教に来た事はあったね……あの体操で大狸様を怒らせちゃって、追い出されてた」 <あはははは>  河童の家、案外ローカルネタなのかな。 「じゃあ、どの学年にも一人はいる子河童も知らないですか? 佳奈さん地元は京都でしたっけ」 「ううん、両親両方京都だけど東京生まれ東京育ち……そもそも子河童って何?」 「そこからですか」  茨城県に本拠地を置く新興宗教、河童の家。元お笑い芸人の牛久舎登が発足し、『笑顔に勝る力なし』を教義とする。そのため宗教活動では一発芸や話術を磨く修行をし、信者は男も女も子供も、皆河童のように頭頂部を剃り上げる。この教団が近所にあると毎朝『かっぱさん体操』という体操曲が爆音でかかり、また近隣の学校には通称『子河童』と呼ばれるお調子者な学生が何人か生息する。そして彼らは将来、教団が運営する芸能事務所『かわながれ興業』に所属するんだ。でも人を笑わせる、そして人から笑われる事も最上の幸福であるという教えを拡大解釈した信者が、パワハラやいじめ、体罰を起こして時折問題になっている。 「私が知っている河童の家についての情報は、こんなところですかね」 「へぇ……やけに芸能界に影響力がある宗教だと思ってたけど、そんなだったんだね」 「ああ、東北も多いけど、大阪には芸人養成学校があるから日本一信者が多いんだって」  玲蘭ちゃんがスマホで調べてくれた。  その時、トントン、と襖がノックされる。 「おはよぉございます……。お嬢さん方。河童さんが体操終えて食堂混む前に、朝食行きませんか?」  タナカDだ。 「そうしよっか」  カメラが回るだろうから、私達は各々最低限顔を描く。眉毛面倒だから影で作っちゃった。後で朝風呂に入ってからちゃんと直そう。 གཉིས་པ་  食堂に行くと、奥の席で既にタナカDが朝食を一品ずつ物撮(ぶつど)りしていた。テーブルには全員分のネームプレートと朝食が配膳されている。 「ぅあ~~~~~~~~……」  席につくなり、佳奈さんからアイドルが一番出しちゃいけないような声が漏れた。 「どうしたんですか佳奈さん、まるで深夜バスにでも乗ってたみたいな顔して」 「似たようなもんだよ……ずっとすごい雷鳴ってたじゃん。しかもなんか救急車の音とかしなかった? それで朝はかっぱさん体操。ほぼ一睡もできなかった」 「救急車、ですか」 「はぁ……一美ちゃんは本当にどこでも眠れるよね……昨晩大雨だった事も知らなかったでしょ」 「うーん……」  本当の事を言うと、眠るどころじゃなかったんだけど。それを説明する事もできないからもどかしい。 「雷雨ぐらい気付いてました。私も全然休んだ気がしないです」 「でも寝てただけいいじゃん」 「嫌な夢を見てたんですよ。私は地元のお寺の尼僧になってて、お御堂のバルコニーが浸水して和尚様が馬頭観音になってすっごい怒ってる夢」  この内容は嘘ではない。そういう夢を見たのは事実だ。 「ば、罵倒観音? なにそれカオス……それはうなされるわ」 「おう何だ何だ、お二人共だらしないですなぁ!」  タナカDが物撮りを終えて席につく。彼は朝から声が大きい。 「まあ冷めないうちに食べようじゃありませんか。『じゅんなぎ』もありますよ」 「へえ、じゅんなぎですか」  手元のネームプレートを裏返すと、朝食メニューが書かれていた。 『朝食 おこんだて イシガキダイのちらし寿司 小松菜とかぼちゃ��お味噌汁 わかめの辛子味噌和え じゅんなぎ』  おお、朝からなかなか豪華だ。ちらし寿司は大きな鯛のお刺身がどっさり乗っていて海鮮丼のよう。お味噌汁のかぼちゃもほうとうを彷彿とさせる大きなスライスで食べ応えがある。わかめは勿論新鮮な生わかめ。そして、千里が島で一度は食べてみたかったじゅんなぎ! 「皆さん、これはですね。『蓴菜(じゅんさい)で鰻繋ぐ』、つまり『ヌルヌルした野菜でヌルヌルした鰻を捕まえるような行いは無謀である』という諺が由来の、千里が島の郷土料理なんです。蓴菜と冷製の鰻を湯葉で巻いてあるから、『不可能を可能にした縁起物』、すなわち霊力が上がるパワーフードなんですよ!」 「おぉいおいおい、紅さん。台本もないのに詳しいですなあ! ま、僕はじゅんなぎが無くても今日は無敵ですがねぇ……フフン」 「どうしてですか?」 「いやね? お二人が眠れない夜を過ごしていた間に恐縮ですけど。昨夜、狸おじさんのおかげですごぉく縁起の良さそうな夢を見ましてですねぇ!」 「へ?」  何の事ですか? と言いたげな表情で、隣のテーブルの斉一さんがこちらを見る。 「夢に人語を話す化け狸が出てきて、僕にお酌してくれるんですよぉ。なんかご利益ありそうでしょぉ。しかもただの化け狸じゃない、ドレッドヘアのちょいワル狸ですよ!」 「ぶっ!! げほ、げほ!」  斉一さんが辛子味噌和えをむせた。ていうか、その狸、完全に斉二さんの事じゃないか。 「い、いや、わざとじゃないんだよ!? なーんか俺もタナカさんと晩酌する夢を見た気がしてたんだけど、本当わざとじゃないのマジで!!」  当の本人は必死に否定している。要するに寝ぼけてタナカDに取り憑いたまま寝ていたという事らしい。どうりで今朝あんな事があったのに、斉一さんしか迎えに来なかったわけだ……! 「狸おじさん、風水的にはどうなんですか? ラスタな狸って縁起いいんですかね??」 「ん゙っ、ん゙んっ……き、聞いた事ないですね……あれかな! 昨晩私が張った結界が効いている証拠とか! はい、ぽ、ぽんぽこぽーん……ふっくくく……ぽっ、ぽこ……」  斉一さん、完全にツボに入ってしまったようだ。佳奈さんも釣られて肩を揺らしだした。 「ちょっふっふっふ……タナカDが能天気すぎるだけだよそれ! てか狸おじさん困ってるし……なにラスタな狸って!?」 「部屋にラスタな狸がいたら報告した方がいいですか?」 「あっはっはっはっは!!」  何故か玲蘭ちゃんまで佳奈さんに調子を合わせる。じゃあ私も。 「玲蘭ちゃん、ラスタな狸はタナカさんに譲るんで、可愛い女の子狸は私が貰っていい?」 「それなら昨夜ずっと一美の隣で寝てたよ」 「きゃー! アハハハ」  皆で和気あいあいと食事していたら、いつの間にかじゅんなぎを無意識に食べてしまっていた。けどなんか、別にもういいかな……という気分だった。 གསུམ་པ་  食後。手短に朝風呂に入り、軽く荷物をまとめてホテルを発つ。今日はまず主要な観光スポットを幾つか巡って、図書館で資料を見ながら埋蔵金の場所を推理する段取りだ。ロビーを出ると、青木さんが待ってくれていた。 「おはようございます。昨晩は凄い雨けど、ご快眠を?」 「全然だよー。そこの三角眉毛は別だけど」 「おう誰がデブで三角眉毛だとぉ? この極悪ロリータ」 「佳奈さんデブとは言ってないじゃないですか。いいから行きますよ、お二人共。青木さん困ってるでしょ」  手元で地図を見ながら、一行はまず徳川徳松こと御戌神(おいぬのかみ)が祀られる、御戌神社へ。ホテルから海沿いのなだらかな丘を五分ほど登ると、右手に見えたのは『石見沼(いしみぬま)』だ。青木さんが解説をしてくれる。 「中央に大きな岩をご覧で? あれに水切りで石当てるのに成功すると、嫌いな相手が怪我を」 「初っ端から物騒な観光スポットですね!?」  驚く私の背後で、カメラを抱えたタナカDがガハガハと笑った。 「これぐらいで驚いてちゃあ後が持ちませんよぉ紅さん! なにせ千里が島は縁切りのテーマパークですからなぁ。この後はもっともっと物騒な所をお見舞いしていきますよぉ」 「タナカさん、あなた本当にこの島を応援したいんですか? それとも視聴者をドン引きさせたいんですか?」 「ナハハハ、だぶか放送後は調布飛行場に行列が出来ているかもしれませんよ? 『あの紅一美がチビった恐怖の心霊島』と……」 「青木さん、石! 丸い石ください、水切りしやすそうなやつ!!」 「あややや、喧嘩はやめて下さいだぁあ!」  と、こんな所で尺を取っても始末に負えないから、小競り合いを演じたらさっさと移動する事に。暫く進み、御戌神社の鳥居が見えてきた。 「ウゲ……」  それを見た途端、私は絶句。それは鳥居と呼ぶには余りにも不気味な色に見えた。まるで糖尿病で壊疽を起こした脚みたいな……いや、この異常には心当たりがある。 「佳奈さん、この鳥居なんか変じゃないですか?」 「え、普通じゃない?」  思った通り、佳奈さんは平然としている。これは倶利伽羅龍王を討伐した時、地元の神様から聞いた現象だ。倶利伽羅を生み出した邪教、金剛有明団にまつわる物は、信仰心に準じて見た目が変わって見えるらしい。例えば倶利伽羅も金剛信者には美術品のように美しい龍に見え、金剛に恨みがある私には汚物にしか見えない。今回もそれと同じ……つまりこの神社は散減同様、金剛にまつわる領域なんだろう。我慢して入るしかなさそうだ。བཞི་པ་ まずは普通の神社と同様、手を清める。案の定手洗い場も気持ち悪く見えて、正直とてもじゃないけどここの水に触れたくない。ていうか臭い。牛乳を拭いた雑巾みたいな臭いがする。とりあえず口はつけず指先をちょっとだけすすいだけど、後で境外で肌荒れするまで手を洗いたい!  詳しく境内を見る前に、賽銭箱に小銭を入れて手を合わせる。金剛とこれ以上因縁が続いては困るから、小銭がない振りをして五円玉をタナカDからタカった。神様に手を合わせている間は金剛への嫌悪感を読み取られないように、無我を貫いた。  参拝が終わったら、境内を進み御戌神が眠る『御戌塚(おいぬづか)』へ。境内はそこそこ広い割に、随分と殺風景だ。まず社務所がない。青木さんいわく、神社境内に職員が常駐すると現世との縁が切れてしまうからだそうだ。そして狛犬もいない。御戌様が御神体だからだという。  奥へ進んでいる途中、私はふと左手に一際強烈な禍々しさを感じた。見ると竹やぶに覆い隠されるように、傘立てみたいな簡素な祠が建っていた。厳重にしめ縄が巻かれ、星型の中央に一本線を引いたような記号の霊符が貼ってある。 「青木さん、あれは何ですか?」 「大散減(おおちるべり)というオバケを封じた祠ですだ。あまり直視したら良くないかも……ああっタナカさん、撮影など!」 「ダメかい? そんなに恐ろしいオバケなの、そのオオチルベリってやつは」 「モチのロンだから! 体が五十尺もある、八本足にそれぞれ顔がついてて、そのうち本物の顔を見つけて潰さないと死なない怪物で! しかも人間の肋骨食べて、一本足のミニ散減を生み出すとか。だからともかく、大散減は撮っちゃダメですだぁ!」 「一尺って何メートルでしたっけ、なんだか想像つかないですなぁ~」  タナカDは渋々とカメラを逸らした。人間の肋骨から新たな散減を生み出す……昨晩、おばさまの肋骨から散減が生まれた瞬間を私は見た。それに、倶利伽羅龍王も……。  そして私達は御戌塚に到着。平将門公の首塚みたいなお墓っぽい形状の石碑を予想していたら、実際は犬の石像だった。徳松さんご本人は不在のようだ。恐らく既に成仏されたか、どこか別の場所にいるんだろう。 「あれ? 一美ちゃん、これ犬じゃなくない? タテガミがあるよ」 「これはどちらかと言えば狛犬ですね。狛犬は獅子に似ているんです」 「あ。確かに、普通の神社の狛犬も、タテガミ生えてたかも! そういえば、徳川徳松は狛犬の魂を持ってたんだよね。じゃあお犬様の犬種って狛犬なのかな?」 「あはは、そうかもだ。それと、志多田さん。御戌様はわんこの『犬』でなくて、十二支の『戌』という字を」 「へー、どうして?」  青木さんによると、戌という漢字は滅ぶという字が元になっているそうだ。植物が枯れて新たな命に変わる様子を表しているんだ。早逝して祟り神になった徳松さんをよく表していると思う。 「御戌塚から伸びる道は、竹やぶで薄暗いのが『亡目坂(なきめざか)』、奥の見晴らしいい方が『足失坂(あしないざか)』で。いずれも嫌な奴を思い浮かべながら歩くと、それぞれ違ったご利益がとか。ちなみに足失坂を途中で右に下ると『口欠湿地(くちかけしっち)』が……」 「青木さん、今は特に切りたい縁はないんで大丈夫です!」  さすが御戌神社周辺は地名が物騒だ。昨晩斉三さんが言っていた、『気枯地』という言葉がしっくり来る。これ以上ここにいても千里が島のネガティブキャンペーンにしかならなさそうだから、私達は次の場所へ移動する事にした。ལྔ་པ་ 足失坂を下り、ザトウムシ記念碑がある『千里が島国立公園』へ。物騒な地名とは裏腹に本当に見晴らしが良い。閉塞的な御戌神社から出た瞬間、空がばっと広がったような感じだ。麓に見える口欠湿地も空の青を反射して美しく輝き、それをタナカDが嬉々としてカメラに収める。千里が島の縁切りや祟りといった暗い側面だけじゃなくて、こういった絶景も収録出来たのは本当に良かった。  国立公園は坂中腹からふもとまでの広い敷地を有する。地面は芝生とシロツメクサで覆われ、外周は桜並木に囲まれている。ただ、やはり気枯地だからか、桜はどれ一本として真っ直ぐ生えていなかった。  ザトウムシ記念碑は簡素な作りで、歌詞と小さなイラストだけ書かれた石碑だ。歌い継がれてきた民謡のため、作詞作曲者は不明らしい。また隣にはザトウムシの生態を説明するパネルもあった。 「ええと、『ぼくはクモに似てるけど、ダニの仲間なんだよ! 八本足に見えるけど、そのうち一本は杖なんだよ! 一人ぼっちよりも、みんなで集まるのが大好きだよ!』なるほど……ザトウムシがワサワサ密集してたらなんかちょっと嫌ですね」 「僕前に公園のベンチで、黒いタワシみたいな塊落ちてて……触ると大量のザトウムシがブワササーと」 「やだー! 青木君やめてよ~」 「わはははは!! それは最悪ですなぁ!」  公園を抜けて市街地へ降りていくと、月蔵(つきくら)小学校と併設する町民図書館が見えてきた。カメラに群がる小学生達に軽くファンサービスしながら、図書館へと急ぐ。私がお目当ての子はみんな「ドッキリ大成功! したたびでーす!!!」と絶叫しながら全力疾走で追いかけてくる。佳奈さんの影響だ。私も期待に応えて校庭をダッシュしたら、地面から急にスプリンクラーが出てきて水を撒き始めた! 「ぎゃー! また騙されたーっ!!」དྲུག་པ་ 何とか濡れずに済むも、息絶え絶えで図書館に入る。トイレを借り、やっと手を洗えた! と安堵して戻ると、皆は既に資料が並べられたテーブルを囲んでいた。太っているタナカDと大柄な青木さんは、小学生向けの低い椅子で収まりが悪そうにモゾモゾ蠢いている。私も着席するとカメラが回り、タナカDが進行を始める。 「実際に歩かれてみて、お二人何かお気付きになった事はありますか?」  気付いた事か。幾つかあったけど、金剛有明団や霊にまつわる情報は直接共有できない。少しぼやかして話そう。 「斉ぞ……ええと、狸おじさんから伺ったんですが、植物が曲がって生える土地は風水的に不吉らしいんです。それで今日気にして見ていたら、御戌神社がある坂の上に近づくほど木がねじれたりしてて、海沿いの石見地区や市街地である月蔵地区はそうでもないんです」 「御戌様が埋蔵金を守ってるからかな? じゃあ神社の近くが怪しいね!」  佳奈さんが消せる蛍光ペンでコピー地図を囲んだ。 「不吉な場所ですかぁ。だぶか神社から一番遠い南側、竹由……こりゃ『たけよし』で合ってるかい?」 「ですだ」 「竹由地区ね。この辺はまっすぐ生えてるんですかねぇ」  確かに地名に『よし』が入っていて、島の南側は縁起が良さそうではある。私達はまだ行っていない竹由地区の資料を見ると、小さなお寺が一つあるだけで後は住宅街のようだ。 「志多田さんはどうだい?」 「うーん、埋蔵金については何もなかったかなー。ところで青木君、この地図のここ、誤植じゃない?」 「え、誤植で?」  全員で地図を確認する。佳奈さんが指さしている箇所には、『新千里が島トンネル(旧食虫洞)』と書かれていた。昨日、私と青木さんが行ったコンビニの所だ。 「食虫……洞? 確かに変ですね。『虫食い洞』なら虫がトンネルを掘ったような感じで意味が通じるけど、食虫洞じゃ洞窟が虫を食べちゃうみたい」 「でしょでしょ? それともウツボカズラがいっぱい生えてるのかな」 「いえ、『食虫洞(くむしどう)』が正解で。ウツボカズラは生えてねぇけど、暗いから虫を食うコウモリが住んでるかもだ」 「うーん、そういう問題なのかな……? まあ関係ないからいっか……」  佳奈さんは煮え切らない顔のまま、地図を机に置いた。タナカDが仕切り直す。 「じゃじゃじゃあ、まずは今まで埋蔵金探しに失敗した方々の仮説を見てみましょうよ! 青木君」 「はい、こちらを」  タナカDは青木さんが差し出した資料を私達側に向ける。インターネット上で日本各地の徳川埋蔵金に関する情報をまとめたサイト、『トレジャーまとめ』さんの記事コピーだ。これまでザトウムシの歌詞をもとに埋蔵金のありかを探索した人々のレポートらしい。上からざっと目を通す。 ・その一 ザトウムシは座頭、盲目の暗喩だ。歌詞の『ザトウムシ』という言葉の総文字数を歩数として、記念碑から亡目坂を登る。そして到着地点の地面を掘ってみた。  結果 何も出てこなかった。これを試みた探索者の一人が島を出た後(以降は修正液で消されている) ・その二 『水墨画の世界』は白黒、あの世を表している。竹由地区には名前に『虫』がつく虫肖寺(ちゅうしょうじ)があり、そこには墓地が隣接している。その墓地で、黄昏時に太陽が見える西側の井戸内を調べた。  結果 何も出てこなかった。これを試みた探索者全員が数日後、(以降は修正液で消されている) ・その三 ザトウムシが埋蔵金を表しているなら、食虫洞は金を蓄える隠し場所に違いない。歌詞の通り、黄昏時から逢魔が時にかけての時間、トンネルを調査した。  結果 翌々日、(以降は数行にわたり修正液で消されている。塗りこぼしから微かに『トンネルが永遠に続いて外に出られ』という一文が垣間見える) ・その四 『口欠』『足失』『亡目』など体の欠損にまつわる地名は心霊現象や祟りが多いという。その三箇所いずれかに宝があるとみて、調査した。  結果 それらの地点には共通して護符の貼られた祠があり、護符を剥がした探索者は肋(次の行以降は紙ごとハサミで裁断されている) 「「いや怖いわ!!」」  全部読み終わる前に佳奈さんと異口同音! 「ちょっと青木君、これ元は何て書いてあったの!?」 「すいません、あんまりにも酷いデマなどが。根も葉もねぇので僕が修正を!」 「本当にデマなんでしょうね!?」 「嘘こいてねぇです、本当に事実無根なので! 大体、コトが事実なら普通新聞に載るなど……」  事実なら新聞に載るほどの事が書いてあったのか。これは下手に島を引っ掻き回すと、またとんでもない事になりそうだ。 「まあまあまあ、お嬢さん方。要はあなた方がね、埋蔵金を見つけちゃえばいいんですよ」 「なに他人事みたいに言ってるんですか、この三角眉毛は。祟られる時は全員祟られるんですよ? わかってんですか?」 「そーだそーだ、デブちん三角眉毛!」 「おう遂にちゃんとデブって言ったな!? 今日の僕にはラスタな狸がついているんだ。一人でもしぶとく生き残ってやるぞぉ」 「一美ちゃん、ちょっと今夜御戌神社で丑の刻参りしよっか」 「了解しました。加賀繍さんのぬか床に五寸釘入ってるから分けてもらって……」  ん? 「佳奈さん、今の言葉もう一回いいですか?」 「え? だから、『御戌神社』で『丑の刻参り』」 「……それだ!」  ラッキー! 今の超下らないやり取りで、歌詞の謎が一つ解けたかもしれない! 「おぉ何だい、そんな聞き返すほど僕を呪いたいのか小心者」 「違いますよ。見て下さい、歌詞の一番と二番の冒頭……」  ザトウムシの一番、二番の歌い出しは、それぞれ『たそがれの空を』『おうまが時の門を』だ。 「いいですか? 昔の日本は十二時辰(じゅうにじしん)、つまり十二支で時間を測る単位を使っていました。その単位では、『逢魔が時』と『黄昏時』……つまり夕方から夜に変わる時間帯は、『酉の刻』と『戌の刻』になるんです」 「じゃあ歌詞に当てはめると、一番は『戌の刻の空を』、二番は『酉の刻の門を』に変換できるって事?」 「はい。ここで思い出しませんか? 御戌塚から伸びる二つの道」 「薄暗い亡目坂と、見晴らしがいい足失坂……あっ、『戌』から『空』が見えるのは足失坂だ!」 「そうです。しかも続きの歌詞が『ふらついた足取りで』、足って言ってるんですよ! 一方二番……酉の門といえば?」 「神社の『鳥居』! 坂からまた神社に戻っちゃってる!?」 「そうなんです!」  つまり、私の説はこうだ。この歌は埋蔵金のありかを一箇所漠然と示しているんじゃなくて、そこに至る道順のヒントが歌詞になっているんだ。御戌塚から始まり、足失坂を通って何らかのルートを経由。やがて神社に戻って、そこからまたどこかへ行く……こうして遠回りをする事自体が、埋蔵金を発見するために必要なのかもしれない! 「なるほど、道順を�� それは今まで誰もやらなかったかもだ……それにしても、お若いのによく十二支の時間をご存知で?」 「あはは、青木さんより若くはないですよ~。小さい頃ちょっとだけお寺に住んでた事があって、こういう歴史っぽい雑学にちょっと明るいだけです。ただ……」  残念ながら、歌詞に干支にまつわる描写はそれしかないんだ。そこから先の謎はまだわからない。私が自説をフリップに書き終えると、タナカDが佳奈さんに話を振る。 「志多田さんどうですか? 紅さんがワンアイデア出しましたよぉ」 「急かさないでよー。私まだ食虫洞の謎が頭から離れないんだから。そーいうタナカDこそ何かないの?」 「僕かい? そうですな……このサビの、『月と太陽が同時に出ている』って、日蝕か月蝕って事でしょ? 千里が島で日蝕月蝕が観測された事って歴史的にあるんですかねぇ?」 「え? この歌詞って単純に黄昏時の事じゃないんですか?」 「あ、そうか。そりゃ黄昏時には月と太陽が両方見えますな」  すると今度は佳奈さんが閃いた。 「ちょっと待って、日蝕……?」  佳奈さんは私の手元から地図を取り上げ、食い入るように見つめ始める。 「……しょく、ふき、ぞう、すずり……」 「佳奈さん?」 「あー、そういう事かあ! これ、千里が島の地名ってさ、繋げるとみんな漢字一文字になるんだ!」 「え、そうなんですか?」 「どういう事で?」  青木さんも知らなかったようだ。全員興味津々で佳奈さんの指さす地図に見入った。 「例えばこれ、食虫洞はさ、食と虫を繋げて書くと日蝕の『蝕』になるでしょ。亡目坂は盲目の『盲』、月蔵は臓器の『臓』」 「すごい、本当ですね! 石見は書道の『硯(すずり)』、竹由は『笛』ですか。あれ、でも足失坂は……」 「『跌(つまずく)』。常用漢字じゃないけど」 「つまずく?」  タナカDは自分のスマホで『つまずく』と入力し、跌と変換できるか試みた。 「ああ、跌(つまずく)だ! 確かに跌ですよ跌! いや、よく読めますなあ。ところで佳奈さん、最終学歴は?」 「いちご保育園だってば。何度も聞くなー!」  佳奈さんは国文学分野で大学を卒業しているけど、年齢不詳アイドルである彼女にとってそれは公然の秘密だ。タナカDはそれを承知の上で度々ネタにしているんだ。 「あれ、佳奈さん。それを当てはめたら歌詞解読できるかもしれませんよ!」 「え本当? よーし、やってみよう!」  こうして数十分試行錯誤しながら、私達したたびチームの歌詞解釈はほぼ完成した。それが、こうだ。 たそがれの空を  ザトウムシ ザトウムシ歩いてく   (御戌塚から始まり、空が見える方向へ進む)  ふらついた足取りで  ザトウムシ歩いてく   (そのまま神社境外に出て、つまずきやすい道、つまり足失坂へ進む) 水墨画の世界の中で  一本絵筆を手繰りつつ   (足失坂のふもとから水墨画の世界、硯と水を象徴する石見沼へ進む)  生ぬるい風に急かされて  お前は歩いてゆくんだね   (石見沼から風が吹く方向、口欠湿地方面へ進む) あの月と太陽が同時に出ている今この時  ザトウムシ歩いてく  ザトウムシ ザトウムシ歩いてく   (口欠湿地から月が太陽を蝕む場所、旧食虫洞へ進む) おうまが時の門を  ザトウムシ ザトウムシ歩いてく   (食虫洞を抜けた所から丘を登り、御戌神社の鳥居をくぐる)  長い杖をたよって  ザトウムシ歩いてく   (神社境内から視覚障害者が杖を頼りに歩くような暗い道、亡目坂へ進む) ここまで考察した段階で、地図に道順を引いていた佳奈さんがペンを止めた。 「何これ……星……?」  蛍光ペンで地図に書かれた道筋は、島の中心に魔法陣のような模様を描いていた。五芒星の中心に一本線を引いたような、シンボルを。 「佳奈さん。まだ、解読できてない歌詞は残ってますけど……これはこの形で完成だと思います」 「一美ちゃんもそう思う? これ以降の歌詞って、対応する地名が見当たらないんだよね……」 「青木さん」  私はさっきの埋蔵金探し失敗談を手に取る。 「この消されている箇所、要するに全部『祟りがあった』って事ですよね?」 「はい……あ! いえ、そんな事は……」 「そうなんですね。つまり余所者が千里が島を検めるためには、正しい儀式か何かを踏まないと祟りに遭う。その儀式の方法こそが、この民謡ザトウムシに隠された暗号の正体だった」 「……」 「私、さっきこのシンボルを見たんです。御戌神社の、祠で……」  もう私の中で謎は核心に迫っていた。霊能者達は今それぞれ除霊活動に励んでいるけど、『ザトウムシ』……恐らくは、怪物の親玉であるそれを倒さなければ島の祟りは終わらないのだろう。 「結論が出ました、青木さん。ザトウムシは、徳川埋蔵金のありかを示している歌じゃありません。私はこれを……八本足の怪物、大散減を退治するための手順を示した歌だと思っています」  衝撃的な結論に全員が呆然としていると、窓の外で何かが破裂するような音がした。更に間髪入れず、河童信者が一人血相を変えて図書館に飛びこんでくる。 「たた、た、大変です! 大師が……大師が……紅さん、ともかく来てください!」 「え? どうして私が……うわあ!?」  河童信者は乱暴に私の腕を掴み、外へ連れ出した。他の皆も続く。牛久大師が私を指名したという事は、また散減が現れたのだろう。けど今はカメラが回っている。玲蘭ちゃんや万狸ちゃん達は別行動だし……私、どうすればいいの!?
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monqu1y · 4 years
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NHKの慰安婦報道 新聞など活字メディアは紙面として、あるいは朝日、読売などは縮刷版としても残りますし、図書館に行けば読むことができます。しかし、放送メディアはそうはいきません。ですから、NHKほか放送番組に対するチェックが甘くなってしまいます。 1.「強制連行」報道に血道をあげたN H K ニュース番組を見れば、トップを飾るのはいつも「従軍慰安婦」、こうした時期が長い間つづきました。大量報道の始まりは元朝鮮人慰安婦が東京地裁へ提訴した1991年末頃からだったと思います。いつまで続いたか、ハッキりしたことは分かりませんが、とにかく年単位の長さなのは間違いないと思います。わけてもNHKの大量報道、そのしつこさは異様でした。
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2コマの写真をご覧ください。1995年8月、ETV特集 「50年目の“従軍慰安婦”問題」 が2回にわたって放送され、そのタイトルを写したものです。
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1回目は 「“わかちあいの家”のハルモニたち」 で、韓国で共同生活をいとなむ元慰安婦だったという7人の韓国人の生活、その3人の「労苦と怒り」などの体験談を交えながら番組が進みました。 ・NHKが示した慰安婦の定義と人数 途中、日本軍に場面が変わり、次のように解説が加えられました。 〈第2次大戦中、中国大陸や東南アジア、太平洋諸島を侵略した日本軍は、占領地での日本軍兵士による強姦や兵士たちの性病予防などを目的に、当時植民地であった朝鮮半島を中心に若い女性を慰安婦として前線に送りました。その数は 8万人とも20万人 とも言われました。〉 2回目は 「日本はいかに償うべきか」 で、国連人権委員会のクワラスマミ・特別報告官一行が、成田空港に到着する場面から始まります。女史は韓国で慰安婦からの聞き取り調査をした後に来日したとのことでした。 放送は「従軍慰安婦」を以下のとおり定義しました。 〈従軍慰安婦とは、各地の日本軍が拘束して、脅迫のもとに、兵士たちに性的な奉仕をさせられた女性のことです〉 「強制連行」という言葉こそ使用されていませんが、内容は日本軍が「8万人~20万人」もの朝鮮人女性を「強制連行」し、兵士たちに体を売らさせたということであって、このNHK解説を、「なんて日本軍は酷いことをしたのだ。同じ日本人として恥ずかしい、申し訳ない」など、日本軍に対する一層の嫌悪感をつのらせながら、視聴者は番組の意図するところを“正しく”受け留めたことでしょう。 ・8万~20万人の出所は? この「8~20万人」の数字の出どころですが、朝日新聞が 「慰安所軍関与示す資料」 として1面トップで報じた記事〔19924年1月12日付〕の右端下、「従軍慰安婦」の用語を解説したなかに出てきます。
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〈1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、 反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。 元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。 太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を 挺身隊の名で強制連行 した。 その人数は 8万とも20万 ともいわれる。〉 朝日新聞のこの報道は「従軍慰安婦」問題がクローズアップされる一大転機となったものでした。ハッキリ「強制連行」と書いてあります。 「8~20万人」という数字は、平凡社大百科事典にも記載があるとのことです。どちらが元なのか調べていませんので確かなことはいえませんが、NHKの「8~20万人」はこの朝日報道の影響を受けたものであろうことは、容易に想像できるところです。 ・これが根拠? では、8万人~20万人の根拠はどこにあるのでしょう。それが、なんともバカバカしい話なのです。 毎日新聞記者出身の 千田夏光 が1973年、「声なき声8万人の告発」として『従軍慰安婦』という、慰安婦問題の草分けともいうべき本を出版しました。 書名の「従軍慰安婦」という言葉は「従軍看護婦」などとは違って、もともと存在しない言葉でしたから千田の「造語」ということになりますが、彼が「従軍慰安婦」を最初に使用したといわれています。 このなかで、千田は1969年のソウル新聞を紹介し、挺身隊として動員された数を「約20万人」、うち慰安婦数は「約5万人ないし7万人」としています。 千田は秦郁彦との対談で、20万人の出所について問われると、 〈出所は不明です。ただ、私も新聞記者あがりなもんですから、ちゃんとした新聞が書いた数字ですから、ほぼ信用したわけです〉 と答えています〔「論座」1999年11年9月号〕。 こんなあやふやな根拠でも、朝日という「大新聞」が書いたとたんに日本では事実��認知され、やがて世界で通用してしまうという恐ろしくも腹立たしい実例でしょう。 朝日の解説は、 挺身隊=慰安婦 とした無知な誤説で、このお粗末な解説がまた、日韓間に大きな誤解を与えてしまいました。挺身隊=慰安婦が韓国内で定着し、やがて少女の慰安婦像が韓国国内はもとより、アメリカにまで進出してしまったわけです。 2.NHKの正体見せた「問われる戦時性暴力」 もう1例、お知らせします。2001年1月29日から4回にわたって教育テレビで放送された 〈ETV2001「戦争をどう裁くか」〉 を紹介しておきましょう。 とくに問題となったのは2回目の「問われる戦時性暴力」でした。このなかで、 「女性国際戦犯法廷」 と称する模擬裁判を好意的に取り上げていたからです。
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・「女性国際戦犯法廷」ってなに? この模擬裁判の主催者は、 松井やより ・元朝日新聞記者を代表とするNGO「戦争と女性への暴力日本ネットワーク」で、〈日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」〉という旗印のもと、2000年12月、皇居に近いという理由から東京の九段会館などで裁判が行われました。 裁判の目的は、東京裁判で裁かれなかった日本軍による「性奴隷制度」、つまり慰安婦問題を裁き、日本政府と昭和天皇の責任を追及しようとするものでした。法廷の最終日12月12日、マクドナルド裁判長が、 「天皇裕仁を婦女暴行と性奴隷制についての責任で有罪とする」 と言い渡したことからも、この裁判が何を意図していたのかは容易に読み取れるでしょう。 法廷は弁護人もなく、したがって証人への反対尋問もなく、“被害者”として登場した元慰安婦たちの「証言」で、一方的に審理が進むというとんだ茶番劇でした。笑わせるのが、傍聴者はこの法廷の主旨に賛同するものだけだといい、誰もが自由に傍聴できないことでした。 ・NHK教養番組部がとりあげ このような偏向した法廷をいち早くNHK教養番組部が題材として取りあげ、 「教育番組」 として放送したのです。それも慰安婦の「強制連行」が既定の事実であるかのように制作・放送されました。いかに左がかった考えの持ち主がNHKに巣くっていて、主導権を握っているかがわかります。 昭和天皇を有罪とした下りこそカットされ放送されませんでしたが、これも放送直前、試写を見た吉岡教養番組部長が「女性国際法廷の紹介番組ではないか」「お前らにハメられた」などと怒り、大幅な修正を命じた結果とのことです。カットされたなかには中国戦犯2人の 証言 も含まれていました。 とはいえ、「女性国際戦犯法廷」を軸に番組が展開されているのは間違いないところです。ですが、放送番組を見て怒ったのが主催者のバウネット・ジャパン。早速、カットしたのはケシカランとNHKに対し抗議するやら、提訴するやらの騒ぎとなりました。 ・朝日報道から政治問題化 さらに約4年後の2005年1月12日付けの朝日新聞が、 中川昭一 経産相、 安倍晋三 内閣官房副長官が、放送の前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘、このためNHKは番組内容を変えて放送したと一面上段で報じました。 政治家の圧力により、NHKの番組が改変されたというのです。朝日報道は「事実を歪曲」したものとNHKは猛反発、 朝日 対 NHK のゴタゴタ騒ぎとなりました。あれからまだ日も浅く、ご記憶の方も多いことでしょう。 この問題は、 NHKが偏向番組を放送したこと自体が問題の核心 であることを忘れてはいけないと思います。 3.多数の慰安婦報道 NHKはこのほかにも慰安婦に関連する番組を多数、放送してきました。下もその一例です。
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これらの放送が重なり、やがてアメリカ下院本会議で、 「慰安婦制度は日本政府による軍用の強制的な売春で、20世紀最大の人身売買の一つ」 などとする対日非難決議案が可決され、日本政府に「公式謝罪」を求めてきました。この腹立たしい出来事の責任の多くを、NHKは朝日などとともに負うべきものと思います。 ・「吉田証言」では素知らぬ顔 ところで、吉田清治証言について、NHKはどう報じたのでしょうか。今回の朝日の記事撤回に関連して、何らかの釈明があるかと思いましたが、間違った報道はなかったとして、「謝罪」はありませんでした。 おそらく、吉田証言を肯定する報道はなかったのでしょう。ですが、私が問題だと思うのは、これだけ吉田証言は「虚偽である」との指摘がでていたのにもかかわらず、NHKは吉田証言に対する検証報道をしなかったことです。 このことは、批判されなければならないでしょう。要するに、狡いのだと私は思っています。
梶井彩子 朝日謝罪から一年二カ月 朝日新聞の「誤報謝罪会見」から一年二カ月が経った。今夏にようやく産経新聞の取材を受けた植村隆氏は、相変わらず「慰安婦問題の拡大は自分や朝日のせいではない」「朝日が日韓関係をこじらせたのではない」と主張した。だが、朝日新聞がことさらに「朝鮮人慰安婦を強制連行した」との構図を強調して書き立ててきたことは論を俟たない。 新聞各社の「慰安婦報道」は縮刷版や記事データベースなどで検証可能であり、だからこそ朝日新聞は慰安婦報道に関する検証記事を発表、一部誤りを認めたのだろう。読者は忘れても、アーカイブはその足跡をすべて覚えているからだ。 では、テレビ番組はどうか。ネット普及以前に放送された番組はほとんど検証できず、稀に動画サイトに上がってもすぐに削除されて���まい、番組内容は出演者や視聴者の記憶に頼る部分が少なくなかった。 各放送局はいったい、慰安婦をどのように報じていたのか……。そこで行きあたったのが、横浜にある「放送ライブラリー」である。〈放送法の指定を受けたわが国唯一の放送番組専門のアーカイブ施設で、時代を伝えるNHK、民放局のテレビ・ラジオ番組、CMを一般に無料で公開〉している施設だ。
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テレビ番組約二万本、ラジオ番組約四千本を保存し、約一万八千本を公開。特にドキュメンタリーや歴史、文化などの教養番組、大河ドラマ、各時代の代表的なバラエティ番組などが充実している。「慰安婦」というキーワードで検索すると、以下の五つの慰安婦に関するドキュメンタリー番組が登録されている。 (1)一九八二年三月一日放送『11PM韓国から見た日本〔2〕(シリーズ・アジアと共に生きる〔4〕)』日本テレビ放送網 (2)一九九二年五月三十日放送『特別番組汚辱の証言朝鮮人従軍慰安婦の戦後』九州朝日放送 (3)一九九二年八月十四日放送『NHKスペシャル 調査報告 アジアからの訴え 問われる日本の戦後処理』NHK (4)一九九六年九月三十日放送 『NNNドキュメント96 IANFU インドネシアの場合には』中京テレビ放送 (5)一九九七年十二月八日放送 『NNNドキュメント97 声閉ざされて、そして インドネシアの「慰安婦」たち 特集・戦争の時代に』中京テレビ放送 これらをすべて視聴したうえで、主に朝鮮半島の慰安婦について扱った1・2の番組に関し、内容を検証してみたい。 まるで「啓発ビデオ」 (1)『11PM 韓国から見た日本〔2〕』 韓国・朝鮮半島とのかかわりを追った五回シリーズのうちの第四回で、従軍慰安婦のほか、樺太残留韓国人、BC級戦犯、在韓被爆者などの問題を取り上げており、その年の日本ジャーナリスト会議賞を受賞している。 結論から言ってしまえば、この番組が五本のなかで最も杜撰、かつおどろおどろしい作りになっていた。ドキュメンタリーというよりも、運転免許更新の際に見せられる「交通事故予防啓発ビデオ」に近い。「事故を起こせば人生終了」といったトーンの、あれだ。 のっけから激しいBGMとともに、〈女子挺身隊という名の慰安婦〉と大間違いのテロップが画面の真ん中にドカンと現れる。 続いて元軍医の麻生徹男氏のインタビューが挟まれているが、麻生氏が「慰安所を設けるよう意見書を提出した」と話す場面に、〈慰安婦に関する軍への意見書が朝鮮女性連行につながった〉と、ここでも意図的なテロップを表示。麻生氏の「かなりどぎつい集めかたをしていますね」のコメントとともに、視聴者に強く印象づけている。 麻生氏はたしかに意見書を提出してはいるが、内容は花柳病の蔓延に関する報告が主であり、なかでも特に強調しているのは「娼楼ではない慰安の場所」、つまり音楽や映画、スポーツなどの軍用娯楽施設の設置を求めるもので、強制連行とは何の関係もない。 麻生氏がこの番組に登場したのは、千田夏光氏の『従軍慰安婦』一九七三年の記述によるものだろう。千田氏は本のなかで、あたかも麻生氏が慰安所を考案した責任者のように書いている。ちなみに、本には「従軍慰安婦は挺身隊の名で集められた」との表現もある。 麻生氏は軍医として慰安婦らの身体検査を行っており、当時の写真や状況を『戦線女人考』にまとめている。そのなかで、「支度金千円を払って急遽集められた女性たちが慰安所に連れてこられた」と書き残している。 ところが千田氏は、『従軍慰安婦』に「レポートの結果として軍の目は当然のようにそこへ向けられていく。それは同時に、朝鮮人女性の怖るべき恐怖のはじまりでもあった。朝鮮半島が若くて健康、つまり理想的慰安婦の草刈場として、認識されていくことになるのだった」と書いたのである。 そのため、麻生氏は世間から「慰安婦強制連行の責任者」であるが如く受け取られてしまい、なかには麻生氏の娘の甘児都氏のところに「民族の恨みを晴らす」「責任者の娘としてどう思うか」などと言って押しかけて来たものもいたという。 甘児氏によれば、〈千田氏はこの件が誤りであり、今後誤解を招く記述はしないと…中略…謝罪してきましたので、三一書房と講談社に改訂を申し入れましたが、二社ともそのままで出版を続けています〉とのことだ(麻生徹男・甘児都『慰安婦と医療の係わりについて』)。 この番組のテロップも、千田氏の本に沿って「麻生氏が慰安所設置の意見書を出した」「それが強制連行につながった」とミスリードを行っている。 朝日より先だった日テレ 番組はその後、韓国放送公社制作の元慰安婦の女性を扱ったドラマ「従軍慰安婦 ポンスンの空」の映像を紹介。〈日本軍は行く先々で従軍慰安婦を連行していた。女子挺身隊という美しい名のもとに一身を捧げる。しかし、現実は兵隊たちに一日何十回となく体を提供することだった〉と説明を述べたのち、ドラマの映像がそのまま流される。
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韓国最大野党がソウル中心部に掲げた日韓合意に反発する横断幕=1月27日(共同) 場面は戦場。日本兵の上官が「慰安所に並べ」と言うや否や、若い兵隊たちが慰安所内の女性に襲いかかる場面に「ギャーッ」と女性の悲鳴。 その次の場面では、兵隊にまぎれて行軍するチマチョゴリ姿の慰安婦。疲労で倒れる慰安婦を無理やり歩かせる日本兵が描かれている。「ヘイタイサン……ヘイタイサン……」と片言の日本語で兵隊に助けを求める慰安婦の姿が痛々しい。 このドラマは、元慰安婦のポンスンが戦後も実家に帰ることを許されず、売春観光に訪れる日本人観光客を相手に売春を強要される女性の代わりに殺人を犯し、投獄されて精神を病む……というストーリーだ。 八〇年代の日本人男性の「売春観光」と慰安婦の存在を結び付け、「今も昔も韓国人女性を蔑視する日本人」「その日本人によって精神病に追いやられたポンスン」を印象付ける。 たしかに、戦後の「売春観光」が慰安婦問題勃発の下地になっていた可能性はある。 だが、11PMのこのシリーズ自体は「ドキュメンタリー」というジャンルでありながら、内容はドラマの筋書きにすっかり乗っかっている。 さらに番組では〈しかし事実はもっと広く大きかった〉とのナレーションのあと、兵隊ではなく労働者の相手をさせられたという元慰安婦のインタビュー映像を挟む。暗い部屋に座る元慰安婦らしい女性のシルエットを映しつつ、証言が流れる。「嫁入りの口がある、と騙された」「日本人が引っ張ってきた」「虐待に耐えられず四人が自殺」「日本人は薄情」 三十四分の番組のうち慰安婦のパートは十四分程度だが、過剰なBGMや再現ドラマ、元軍医の証言と盛りだくさんの内容で、破壊力十分。だが、とても賞に値する番組とは思われない。『11PM』は深夜のワイドショー番組で、一九六五年から九〇年まで続いた長寿番組。当初は硬派な番組だったが視聴率が取れず、麻雀や酒、お色気に至るまで幅広い話題を取り上げる番組に変貌を遂げた。『韓国から見た日本』が放送されたのは「テコ入れ後」の一九八二年三月一日だが、この『韓国から見た日本』以外にも、一九七二年の沖縄の復帰を扱い、こちらも賞を受賞している。 一九八二年三月一日という放映日にも注目である。朝日新聞大阪版が吉田清治証言を初めて掲載したのは、一九八二年九月二日。日本テレビは、朝日新聞の吉田清治報道より半年も前に「従軍慰安婦の強制連行」を取り上げていたことになる。 しかも、早くもこの時点で「女子挺身隊と従軍慰安婦を混同」しており、植村隆記者の一九九二年の記事を先取りしている。 朝日新聞の「慰安婦報道」検証では、読売新聞は産経新聞に次いで「朝日批判」の色を強めていたが、ともすれば「朝日以上」の番組を系列のテレビ放送網が放映していたことを、読売関係者はご存知だろうか。 朝日ソウル支局が協力 (2)『特別番組 汚辱の証言 朝鮮人従軍慰安婦の戦後』 九州朝日放送のこの番組は、(1)に比べれば「ドキュメンタリー番組らしい」内容で、やはり「地方の時代」映像祭一九九二優秀賞受賞作だ。 主に元慰安婦の「文玉珠」を中心に描かれており、彼女が福岡の団体に招かれて来日、「戦後四十七年、ようやく重い口を開き始めた」という、まるで植村記者の金学順報道の見出しのようなトーンで彼女を追うドキュメンタリー。 番組放映日は、一九九二年五月三十日。植村記者の金学順記事は前年の八月十一日だから、この記事の影響するところは多かっただろう。九州朝日放送制作のこの番組のエンドロールにも、制作協力として「朝日新聞ソウル支局」が名を連ねている。 番組は文氏が日本で開催された慰安婦集会に登壇し、「平日は三十人から四十人、日曜には六十人から七十人の相手をさせられた」と語るシーンから始まる。 そして、すぐに韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉代表が登場。尹氏は「慰安婦問題で日本は彼女たちを三度殺す」と述べ、「一、ひどいことをした。二、忘れられていた。三、謝罪がない」の三重苦を負わされていると発言。このまま謝罪がなく、日本人が日本の若者に慰安婦の事実を教えなければ「三度目の死となる」と述べる。 場面変わって、文氏の来日支援を行った慰安婦研究家の森川万智子氏。彼女は文氏の著作『文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私─教科書に書かれなかった戦争』(梨の木舎、九六年。新装増補版は二〇一五年)の構成と解説を担当している。番組では、福岡で「慰安婦一一〇番」という電話相談を受ける団体の代表として登場。「市民として過去を清算したい」と述べる。 この番組で文氏は、「十八歳でビルマへ行った。食堂に行けば稼げると言われた」と話す。文氏の本によれば、もともとキーセン学校に通っていた文氏は、一度、憲兵らに連れられて慰安婦になったが故郷に戻り、次は友人から「食堂で働き口がある」と聞いて行ってみたところ、実態は慰安所だった。が、「やはりそうか」と納得したという。 「人間的な」兵士との交流 文氏は番組で、涙ながらに「夜明けまで相手をさせられて死にそうでした」と述べているが、文氏の本には意外な場面が描かれている。 それは慰安婦・文がヤマダ(仮名)という日本兵と懇意になるくだりだ。〈わたしは一生懸命ヤマダイチロウの無事を祈った。二、三カ月して、前線���らヤマダイチロウの部隊も戻ってきた。ヤマダイチロウは無事だった。すぐに慰安所にきた。「ヤマダ上等兵、無事帰還いたしました」 ヤマダイチロウはわたしに向かって敬礼した。私たちは抱き合って喜んだ。そういう日はマツモト(という朝鮮人の男。慰安所の引率者)公認で、慰安所全体も大騒ぎになり、開店休業だ。さっそくわたしたち慰安婦も一円ずつ出し合って大宴会をしたのだった〉(文玉珠『「慰安婦」だった私』、補足は筆者) もちろん、過酷な記憶と楽しい記憶が共存することはありうるため、これを以て「慰安婦としての生活は悲惨ではなかった」とは必ずしも言えない。また、この本の内容は「真偽定かならぬ部分もないわけではない」(秦郁彦氏)との指摘もあるとおり、兵隊を蹴り飛ばした、刺し殺したなどの箇所もある。しかし、エピソードのすべてが創作とも思えない。 また、番組で文氏の「人間的な」兵隊との交流に全く触れていないのは不自然だ。文氏をことさら「かわいそうな被害者」としてだけ描いており、本にあるような人間性や女性としての逞しさ、明るさは番組からは全く感じられないのである。 番組では、元日本兵や軍関係者も証言者として登場する。「九州の兵隊は慰安婦がいないと元気が出ない」「慰安所は、日本にもあった特殊飲食店の一環。悪いとは思わない」「女は消耗品だから助けなくていいと言われた」 その後、さらに二人の慰安婦が登場。韓国・城南市の沈美子氏の証言。「日本地図に刺繍しろと言われ、朝顔の刺繍を入れたら『桜を入れろ』と叱られ、日本の警察に焼きゴテを当てられた。気を失っている間に連行され、気がつくと福岡にいて、その後、『七番』と番号で呼ばれる慰安婦になった。先生になりたかったが日本に踏みにじられた」 ハルモニ食堂を経営する黄錦周氏。「勤労挺身隊として紡績工場に行くのだと思ったら、樺太に着くなり服を脱げと急に言われた」 封印された記憶 そして文氏が市民グループの手引きで来日し、集会で証言をする場面が流れる。「大日本帝国国民となります、と言わされたのに、この仕打ちは酷い」 この発言には驚いた。番組制作側は、「大日本帝国=悪」だとしてこの発言を削らなかったのだろう。だが文氏の本の記述を読むと、また別の思いを感じ取る。〈戦地の軍人たちの思いと、わたしたちの思いとは同じだった。ここに来たからには、妻も子も命も捨てて天皇陛下のために働かねばならない、と。わたしはその人たちの心持ちがわかるから、一生懸命に慰めて、それらを紛らしてあげるよう話をしたものだった〉(『同』) 番組内の元軍人の証言でも、慰安婦とのこんなやりとりが語られる。「軍が引き揚げるとき、慰安婦たちは『連れて行って下さい』と言っていた。『途中でお金が必要になったら、私たちがたくさん持っています』と言って、もう三文の値打ちもない軍票を見せていた。『死ぬ時は一緒に死にます』と泣きつかれて……」 涙を拭う元軍人。 この二つの場面には胸を打たれた。軍人と慰安婦の間には、戦地特有の一体感さえも生まれていたことになる。「戦地」に置かれた女性と男性の、悲しい「同志の心」だったのだろう。だが、いまや、それは日韓双方で語られることはなくなってしまった。
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日本大使館前で慰安婦像を囲み、慰安婦問題での日韓の最終合意に抗議する元慰安婦や支持団体のメンバーら=2015年12月30日、ソウル(名村隆寛撮影) 彼女たちの真の歴史を奪ったのは挺対協だけではない。朝日新聞などが「強制連行」を強調して報じたことにより、慰安婦になった本当の経緯や、戦地で生まれていた軍人と慰安婦の関係についての真相は「反日」の幕で覆い隠されてしまった。彼女らの真の証言を、朝日新聞や挺対協が封殺したと言っていいだろう。 もはや、元慰安婦たちが「あの頃、日本の軍人さんとどのような関係にあったか」「どんな雰囲気だったか」を率直に話すことはできまい。特に韓国では、「親日売国奴」の汚名を着せられかねない。 真の和解のための“よすが”になりえた共通体験だが、可能性は潰されてしまった。そして、「戦地でたしかに存在していた慰安婦と軍人の関係」は歴史の狭間に葬り去られることになる。 「母に楽をさせたい」 その後、番組は文氏が支援者に付き添われて下関郵便局を訪れ、野戦郵便局から貯金していたお金を返してほしい、と交渉する場面が流れる。日韓協定で決着がついている以上、日本側から個人にお金を払うことはできない、と断られるが、諦められない文氏の表情が大写しになる。 慰安婦が性奴隷ではなく、「高収入の売春婦」だった証として「慰安婦の収入明細」のように紹介される「文原玉珠」名義の貯金通帳明細は、この文氏のものだ。政府の調査でこの記録が出てきたのだが、たしかに文氏は二万六千円もの貯金をしている。当時の二万円は、現在の六千万円相当とも言われる(ただし戦地のインフレ率や軍票との関係により諸説ある)。 文氏は、本にこう書いている。〈事務を仕事にしている軍人に、わたしも貯金できるか尋ねると、もちろんできる、という。兵隊たちも全員、給料を野戦郵便局で貯金していることをわたしは知っていた〉〈どんなに働いても貧しい暮らしから抜け出すことができなかったわたしに、こんな大金が貯金できるなんて信じられないことだ。千円あれば大邱に小さな家が一軒買える。母に少しは楽をさせてあげられる。晴れがましくて、本当にうれしかった。貯金通帳はわたしの宝物となった〉(『同』) 貧しさのなかにあった文氏が、こつこつ貯めた財産だ。それが戻らないのは気の毒ではある。「カネをもらっていたのだから奴隷であるはずがない」という主張はたしかにそのとおりだが、結果として「母を思いながら、春をひさいで貯めたお金が手元に残らなかった」恨み、悲しみに寄り添う必要はあろう。 だが番組内でも説明があるように、補償関係はすべて日韓協定で「解決済み」となっているのである。 個人補償よりも国家の発展を選んだのは韓国政府である。もちろん、その国家の発展の恩恵を文氏も少なからず受けてはいるだろうが、やり場のない怒りがすべて日本に向いてしまっているのは、日本にとっても文氏にとっても不幸なことである。 一生懸命働いたのに、お金が残らなかった。母に楽をさせてあげられなかった……彼女にそんな思いがあったのだろう。その思いを「運動」のために利用した人々がいる。 女性たちの思いに報いようとしたのが、アジア女性基金だった。少しでも元慰安婦たちの心に寄り添い、生活を支援しようとした動きだったが、韓国側運動団体はこれに激しく反発。元慰安婦の女性たちに受け取りを拒否するよう圧力をかけた。 いまでこそ取り組みを評価している朝日新聞も、当時は韓国側の空気を慮ってか、この取り組みを必ずしも支持しなかった。彼女たちが「恨みを残したまま死ぬ」ように仕向けたのは誰だったのか。 元慰安婦の涙 番組では、支援者が開いた文氏の誕生日パーティの模様を映し出す。「自分の誕生日も知らなかった私を祝ってくださってありがとうございます……」 文氏は涙にくれる。そして、「戦場から戻った軍人に呼ばれて同席した宴会のために覚えた」という歌を披露する。 「生れ故郷を 何で忘れてなるもんか 昨夜も夢見て しみじみ泣いた そろそろお山の 雪さえ溶けて 白いリンゴの 花がちらほら ああ 咲いたろな」(「リンゴ花咲く故郷へ」正しくは“咲くだろな”)
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故郷から遠く離れた戦地で、立場は違えど、軍人と慰安婦は、この歌を歌いながらともに故郷を思っていたのだろう。文氏が本に書いたような軍人との交流もあったからこそ、彼らが歌っていた歌を忌み嫌わず、懐かしく口にしたのではないか。 生死の行方も知れない戦争のさなか。いまよりもずっと貧しい時代だ。いまの価値観で善悪を判断することはできない。「連行されたに違いない」「軍人を恨んでいたに決まっている」とするのは、元慰安婦らの生きた足跡を、いまの価値観で全く別のものにしてしまう可能性がある。 番組終盤で再度、挺対協の尹氏が述べる。「日本がやったことは韓国人の人格を貶め、日本人自身も失った。戦後処理をしなければ絶対に忘れません」 だが、慰安婦という職業についた女性に「賤業」のレッテルを貼り、さらには「日帝のために働いた女」として社会から排斥した韓国社会にも問題はなかったか。 番組に登場する元慰安婦・沈氏も、「結婚もできなかった。友人の家族を見ると辛い」と涙を見せている。 誕生日を祝われて涙を見せる文氏にも、元慰安婦として名乗り出たあとには、「お金のためでしょ」「もう付き合いをやめる」という電話があったそうだ。 いまも運動のためにだけ駆り出され、寒空の下、あるいはカンカン照りの路上で泣き、「悲惨な体験」を語ることのみを求められ、世界各国を「ドサ回り」させられている老女たちがいる。そんな姿を見るのは本当に心苦しい。 罪を犯したのは誰か「少女の頃のことを忘れたくなかったから」とピンク色のチマチョゴリを着た理由を語る文氏。取材陣に手を振る姿を映して、番組は終わる。そこにいるのは、戦争という時代と苦労の人生を歩んだ一人の老女である。 和解は双方が目指さなければ決して成り立たない。 歴史には光も影もある。その双方を織り込み、「ありのままの体験を話すことで『和解』を果たす」道を取っていれば、日本人の多くは彼女たちとその人生に心からの深い同情を寄せられたはずだ。 だが慰安婦問題を運動に仕立て上げた人たちは、彼女らに「強制連行」の嘘をつかせ、日本人を恨ませ、生活の足しになるはずのお金を渡すことすら妨害した。そして互いの猜疑心は膨らみ、日本人からの女性たちに対する同情心さえ離反させてしまったのである。 朝日や「強制連行」派の学者、テレビ関係者、運動家は日本人の名誉を貶めただけでなく、このような元慰安婦たちから「真実の歴史」「生きた証」を奪い去った「罪」をも負っているのではないだろうか。
かじい・あやこ 1980年生まれ。中央大学卒業後、企業に勤める傍ら「特定アジアウォッチング」を開始。「若者が日本を考える」きっかけづくりを目指している。月刊誌に寄稿の他、『韓国「食品汚染」の恐怖』や『竹島と慰安婦—韓国の反日プロパガンダを撃て』など日韓関係に関する電子書籍などを無料公開中。
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