#沖縄の守り神
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日本のトリビアまとめ #0001
#日本のトリビア#シーサー#People from Okinawa#沖縄の守り神#Japanese Trivia#Shisa#Guardian deity of Okinawa#沖縄出身者#沖縄伝統的の舞踊形式#Ryukyu Buyo#琉球舞踊#ウチナーンチュ#Traditional Okinawan dance form#Uchinanchu
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シーサー 沖縄の守り神
シーサー(Shisa)は、沖縄の伝統的な守り神や守護獣の一種です。一般的には、獅子のような姿をしており、琉球王国の時代から沖縄の家や建物の玄関や屋根などに飾られています。 シーサーは、邪気や災厄を遠ざけ、家や人々を守ると信じられています。一般的にはペアで飾られ、片方は口を開けて邪気を取り込み、もう片方は口を閉じて邪気を閉じ込めるという意味合いがあります。 形状や表情は様々で、王国ごとにデザインが異なることもありますが、一般的には獅子や犬のような特徴を持ち、力強い印象を与えます。 沖縄の伝統文化の象徴として、観光地や民家、神社仏閣などで見ることがで��ます。また、シーサーの形をした置物やお守りなども観光客向けのお土産として販売されています。
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Shisa Guardian deity of Okinawa
Shisa is a type of Okinawa's traditional guardian deity or guardian animal. Generally, it looks like a lion and has been displayed on the entrances and roofs of houses and buildings in Okinawa since the days of the Ryukyu Kingdom. Shisa is believed to keep evil spirits and disasters away and protect homes and people. Generally, they are displayed in pairs, with one having an open mouth to let in evil spirits, and the other having a closed mouth to trap evil spirits. Their shapes and expressions vary, and the designs may vary depending on the kingdom, but they generally have lion- or dog-like features and give a powerful impression. As a symbol of Okinawa's traditional culture, it can be seen at tourist spots, private homes, shrines and temples, etc. Shisa-shaped figurines and amulets are also sold as souvenirs for tourists.
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神社のシーサー。沖縄の守り神、厄除け魔除けとして設置されます。さまざまな表情のシーサーがいて楽しいです。那覇市にある神宮で出会いました。写真は無料でダウンロードできるようにしていますので自由に利用してください。
Shisa of the Shrine
Shisa, the guardian deity of Okinawa, are placed to ward off evil spirits and bring protection. They come in various expressions, making them delightful to observe. I encountered these Shisa at a shrine in Naha City. Feel free to download and use the photos for free.
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)1月8日(月曜日)
通巻第8084号
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
中国の資本、土地買収、爆買いを歓迎した浅はかな日本
移民を促進する日本政府は頭がおかしくないのか
佐々木類『移民侵略 死に急ぐ日本』(ハート出版)
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中国の「静かなる日本侵略」の現場に飛んで、積極的な取材を重ねる『突撃隊長』の佐々木類(前産経新聞論説副委員長)がシリーズの第六弾に挑んだ。
日本支配を狙う中国共産党の尖兵が在日中国人、あるいは既に帰化した中国人工作員。その数、帰化人をのぞき76万人!
すでに日本列島のあちこちに「中国人居住区」がある。もちろん、全員がスパイではなく、ごく少数だが日本に溶け込もうと汗を流す中国人も、佐々木氏はちゃんとインタビューして公平を期している。
偏見をもって中国人を見ているのではなく客観的に彼らを観察し、その背後にある中国の対日戦略を読み取ろうとする。
沖縄の離島を購入した中国人女性がいた。
国家の研究機関に巣くう学術スパイがいる。日本国内に中国公安の闇警察がある。栃木県小山市には「中国農場」があって、横浜中華街には中国人経営の激安八百屋、埼玉県川口にチャイナ団地、列挙すればキリがないが、いまどうなっているか。スパイ中国人らはいま、いかなる陰謀を展開しているのか。
また日本政府が推進してきた移民政策の間違い、外国人土地所有法改正、改正入管法の問題点などホットな問題のすべてを簡潔に要領よく解説される。
それにしても、中国の資本、土地買収、爆買いを歓迎した日本人、中国からの移民を促進する日本政府は頭がおかしくないのか?
いま日本が相手にしているのは「共産党の意向がすべてに優先する国家レベルの反社会勢力」なのである。
そうだ、かれらは「反社」である。
賃金が安いからと行って深く考えることもなく中国と合弁を組んだら、当てが外れ、撤退しようにも税金だとか、労働条件とかの難癖をつけられ、「官僚主義的な小役人に窓口レベルで小突き回され、賄賂を要求された挙げ句に『身ぐるみ脱いで全部置いていけ』となる」のが落ち。
無国籍におちいり、国家利益は顧みないメディアがグローバリズムを煽り、それを真に受けた軽佻浮薄の政治家は、なんと中国企業系列にパーティ券を買って貰っていた。チャイナの買弁政治家が目立つのは、こうしたカラクリがあった。
外国人の土地所有規制は、大正時代に制定された「外国人土地法」の活用で切り抜けられる筈だったのだ。
しかし結果は「仏作って魂入れず」。
実効性を高める政令を制定せずに戦後のドサクサで廃止された。
「ところがどっこい。これを補うかのような法律が戦後日本に存在している。昭和二十四年に制定された「外国人の財産取得に関する政令51号」では「外国人や外国資本による財産取得に関して制限をかけることが出来たのである」(65p)
当該財産とは「土地、建物、工場、事業所、財産の賃借権、使用貸借の基づく借り主の権利、地上権、著作権」だった。
ところが、これも国会で審議されないまま昭和五十四年に廃止されていた。
移民については欧米の悲鳴を聞いた方が良い。
人道的見地から無制限に受け入れた結果、ドイツではゲルマン精神は破却され、婦女子が強姦されてもメディアは報道しない。フランスはフランス語の国ではなくなろうとしており、米国は犯罪が急増し、治安が極度に悪化した。移民反対が多数派の聲となった。
移民促進派がリベラル、人道主義であり、移民に反対もしくは規制強化けを唱えると、排外主義、レイシストと批判されてきた。脳幹が左翼ウィルスの侵された結果である
「客人を自宅に招くとする。土足で家に上がるのを許すのか。冷蔵庫を勝手に開けて中の食べ物を食べるのを許すのか。家のルールを守って貰うのは当たり前のことだ」(222p)
しかし「中国系移民は、移住先で出身地や宗族単位で強い絆で結ばれた共同体をつくる。自分たちが住んだ場所が「中国である」とばかりに受けいれ国の慣習に関心を持たず、聞く耳を持とうとしない例もある」
このまま日本は自死するのか、目覚めるのか、日本はその瀬戸際にあると佐々木氏は訴えるのである。
そろそろトランプのように、あるいはオルバンのように、「移民を追い返せ」と主張する政治家がでてきてもよいのではないか。
日本の深刻な状況をえぐったルポである。
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シーサー
シーサーは、沖縄の伝統的な守り神として知られる伝説の生��物の像です。一般的に、獅子(しし)のような姿をしていることから、「沖縄の獅子」とも呼ばれています。 シーサーは、主に家の屋根や門の上に置かれ、家や家族を守ると信じられています。その歴史は古く、琉球王国(現在の沖縄県)が栄えた時代から、魔除けや厄除けの役割を担ってきました。 シーサーは、沖縄の文化や伝統のシンボルの一つとして知られ、現在でも沖縄の家庭や観光地などでよく見られます。また、シーサーは工芸品や美術品としても人気があり、沖縄の文化を象徴するアイコニックな存在となっています。
手抜きイラスト集
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経済産業省は、ダイハツ工業の生産停止により影響を受ける中小企業・小規模事業者を対象に、資金繰り等に関する相談を受け付ける特別相談窓口を設置し、公的金融機関による資金繰り支援を実施するなど、支援策を講じることとします。 1.特別相談窓口の設置 日本政策金融公庫、沖縄振興開発金融公庫、商工組合中央金庫、信用保証協会、商工会議所、都道府県商工会連合会、都道府県中小企業団体中央会及びよろず支援拠点、並びに全国商店街振興組合連合会、中小企業基盤整備機構各地域本部及び各地方経済産業局に「ダイハツ工業サプライチェーン関連中小企業支援対策特別相談窓口」を設置し、ダイハツ工業の生産停止により影響を受ける中小企業・小規模事業者を対象として資金繰り等に関する相談を受け付けます。(窓口一覧は別紙1参照) 2.セーフティネット保証2号の発動 ダイハツ工業株式会社及びダイハツ九州株式会社と直接・間接的に一定程度の取引を行っており、一定の売上等が減少することが見込まれる中小企業・小規模事業者を対象として、一般保証とは別枠の限度額で融資額の100%を保証するセーフティネット保証2号を発動します。(官報告示については、令和6年1月26日を予定しています。)本日から、全国の信用保証協会においてセーフティネット保証2号の事前相談を開始します。(詳細は別紙2参照) 3.政府系金融機関等による対応 日本政策金融公庫、沖縄振興開発金融公庫及び商工組合中央金庫において、ダイハツ工業の生産停止により影響を受け、業況が悪化している中小企業・小規模事業者に対してセーフティネット貸付等を実施しています。 また、日本政策金融公庫、沖縄振興開発金融公庫、商工組合中央金庫及び信用保証協会に対して、既往債務の返済猶予等の条件変更、貸出手続の迅速化及び担保徴求の弾力化など、中小企業・小規模事業者の実情に応じた柔軟な対応について要請いたします。 関連資料 (別紙1)ダイハツ工業サプライチェーン関連中小企業支援対策特別相談窓口一覧(PDF形式:709KB) (別紙2)セーフティネット保証2号の概要(PDF形式:259KB) 担当 製造産業局 自動車課長 清水 担当者:佐野、吉本、中島 電話:03-3501-1511(内線 3831) メール:bzl-jidosha-toiawase-h★meti.go.jp ���[★]を[@]に置き換えてください。 中小企業庁 事業環境部 金融課長 神崎 担当者:来島、保手濱 電話:03-3501-1511(内線 5271) メール:bzl-contact-finance★meti.go.jp ※[★]を[@]に置き換えてください。 中小企業庁 経営安定対策室長 井上 担当者:田守、金山 電話:03-3501-1511(内線 5251) メール:bzl-keieiantei-toiawase★meti.go.jp ※[★]を[@]に置き換えてください。
ダイハツ工業の生産停止により影響を受ける中小企業・小規模事業者対策を行います (METI/経済産業省)
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《専門家がみなさまの復讐(ふくしゅう)を支援します》。交流サイト(SNS)で「復讐代行屋」を名乗り、こんなアピールをする業者がいる。代わりに誰かが憎いあの人に復讐してくれたら-。心の中に不純な願いがあれば逡巡(しゅんじゅん)してしまうかもしれないが、それは犯罪に近づく一歩だ。業者の多くは詐欺目的な上、業者による犯罪行為で依頼側の法的責任が問われることもある。かつて代行業組織に所属していた20代男性が産経新聞の取材に応じ、違法行為が横行するその実態を語った。 【表でみる】報酬別の復讐代行の主な行為 ■警察逃れのルール 「工作員」と呼ばれる復讐代行の実行役を担っていた男性は5年前、関東にあるマンションの駐車場にいた。静まり返った未明、人の出入りが途絶えたことを確認するとバールを握り直した。黒い外車に近づき、ミラーやフロントガラスにバールを打ちつける。ガラスに大きく亀裂が入ったところで、逃げるようにその場を立ち去った。ターゲット(標的)の車を傷つけてほしい、という依頼主の要望通りだった。 数年前に組織を離れるまでの約10年間、知人の紹介で加わった関東拠点の組織は、多様な年代性別の工作員が在籍し、それぞれに「美人局(つつもたせ)」「暴力行為」といった専門があった。〝同僚〟同士をニックネームで呼び合い、互いの本名や任務は知らなかったという。 任務が入れば、まず標的を尾行し、家族構成や通勤経路など日々の行動を念入りに調べる。男性は体格の良さから標的を脅したり、痛めつけたりする任務が多かった。一度に数十万円のまとまった金が入るなら、危害を加える行為もいとわなかった。 組織として依頼主に関する情報の「秘密厳守」は当然で、複数のルールがあった。工作中は軍手をはめ指紋を残さないこと。防犯カメラに写らないよう寄り道せずカメラ設置の少ない道を通ること。「警察から逃れるための決まり。犯罪行為をしている自覚はあった」 ■リスクに応じ報酬 男性や、別の代行業者の料金表などによると、代行業組織は主にSNSやホームページで依頼を募��。寄せられるのは、同僚を職場から辞めさせたい▽恋人と浮気相手を別れさせたい▽トラブルになった知人を痛めつけてほしい-などとさまざまだ。内容に応じて低、中、高の3つのリスクに振り分けるという。 例えば、勝手な出前注文やポストへの汚物投函(とうかん)といった嫌がらせ、職場への誹謗(ひぼう)中傷の電話などの代行は低リスクで30万~50万円。車や玄関など標的の所有物を破壊したり火を付けたりといった「苦痛」を与えるのは中リスクで、上限が100万円ほどになる。 高リスクまでいくと、標的を肉体的に痛めつけることが前提。暴行や監禁、拉致などの行為が対象になり、報酬はケース・バイ・ケースだ。男性の組織では報酬の半分が工作員に入る仕組みだったという。男性自身は高リスク案件に関わっていないと前置きした上で、「ほかの組織では体の一部切断や殺害もあると聞く」と語った。 ■依頼者が逮捕されるケースも こうした「復讐」が犯罪行為に当たることは明らかだ。契約交渉時のトラブルに詳しい本間久雄弁護士(神奈川県弁護士会)は、相手やその所有物を傷つける行為は傷害や暴行、器物損壊などの罪に該当すると説明。標的の職場に不倫の事実を告げるなど評判を落とすような内容の電話やメッセージを送ることでも、相手への名誉毀損(きそん)罪や職場への偽計業務妨害罪が成立し、「損害を与えた時点で違法性が生まれる」と指摘する。 一方で、依頼主の後ろめたい気持ちにつけ込み、当初から詐欺目的で依頼を受ける業者も多い。全国の探偵業者が加盟する日本調査業協会(東京)によると、復讐代行業者と契約したのに、代金を支払った後に連絡が取れなくなったといった相談は後を絶たないという。 詐欺の被害者救済に取り組む佐久間大地弁護士(第一東京弁護士会)は「業者が客から報酬を得たのに復讐を実行しなければ客への詐欺にあたる可能性が高い。業者は『仕事』をしてもしなくても違法で、正業として存在できない」と説明する。 過去には業者側だけでなく、依頼者が共犯として逮捕される事件も起きている。沖縄県警は令和4年2月、子供同士のトラブルから復讐代行業者に依頼し相手の親の車を傷つけたとして、器物損壊容疑で依頼者の30代女と、実行役の50代男を逮捕した。本間氏は「依頼者は手を汚さなくても、業者への教唆や共同正犯が成立し、実行犯と同じかそれ以上の重さの��が科せられる可能性がある」と指摘する。 元工作員の男性は組織に所属している間、「捕まるかもしれない」という不安感が拭えず、ついに心身を壊して組織を離れたと打ち明ける。一方で、今も復讐代行業者が存在する状況にこうもつぶやく。 「許せない人に『仕返ししたい』『嫌な目にあえばいい』という気持ちは誰もが一度は抱くだろう。そんな感情がある限り、つけ込む業者もなくならないのではないか」(中井芳野)
職場に中傷電話、マイカー損壊…復讐代行屋の元「工作員」が明かす裏稼業の実態とリスク(産経新聞) - Yahoo!ニュース
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けれんみの日常
英語の日記などもtumblrではよく流れてくるのでなんとなく読むが、私は英語で日記を書こうとは思わない。それは私の技術が未熟で、まだ英語のリズムやメロディを自分の好きなように操ることができず、楽しくないからである。そのくらいには日本語のリズムとメロディ、そして見た目が好きである。英語でもそれらを好きと思えたら、書けると思うのだが。見た目は結構好きである。とくにアルファベットの小文字。リズムがどうしても全然まだ魅力的に思えない。そう言いながら英詞のジャズを歌っているのだが、音楽は音楽に言葉が乗っているから、言葉自体のリズムは死んでいて、そこはもう関係がなくなっている。音楽にのる英語は、ただ母音が伸びるとか、同じ音で韻を踏むとか、そのへんは日本語と変わらない。そうではなくて、読み言葉としての英語のリズムにまだ魅力を覚えない。英語の詩にふれてみたらどうか、と思ったこともあったが、根本的に「かっこよすぎる」と思ってしまう。シャラシャラしている(子音が多いということだと思う)。私はもっとべちゃっとした土っぽいのが好きなので、結局日本語を使うということになってしまう。英語以外の様々な言語のどこかには好きな言語もあると思うのだが、英語を学ぶキャパシティしか今のところない、というか、英文法がおもしろくて好きなのである。これは日本語にはない感覚。日本語の文法なんか全然おもしろくない。文法と呼べる文法なんかないのではと思えてしまうが、これは母語だからだろう。英語の文法はなんてシステマチックで、構造的に美しいのだろうと感じる。その美しさの中にも土着の歴史の古臭さや面倒くささがあり、そこがまたロマンだ。詩的言語としては私は英語を好まないが、批評や論じる際の言語としては、限りなく知性を感じ���好き��もしれない。日本語は批評や論文でも、ある程度詩的でないと読む気がしないので、こ���は大きな違いだ。言語が違うだけで自分の好みも変わってくる。それとも私は文学ではない英語の文章にこそ(そしてできるだけ文法が複雑な)詩を見出しているのだろうか。なににしろ私の体は詩情でしか動かないようになっている。
短歌も詩も書きたい、書いてみたい、小説も書きたい、という気持ちはあるが、書くための好奇心がいま批評の文の方に向いている。私は文学の方向に向かう時はある程度その位相に没入しないと書けないので、そのモードに入るのに苦労するが、批評系の文章であれば日常のモードのまま書けるので楽である。書けると言っているが、別にこれもまだ書いていない。書くためのネタを毎日必死に考えているという感じです。宇野常寛さんの講座に入ってから、とにかく毎日頭の中がドライヴしていて、こんなこともあんなことも結びつくかも、いや、これはこうか?など、楽しく考えている。今日は気圧の低下と疲労により1日寝てしまったし、三宅香帆さんの教養講座も横になりながらスマホで視聴するという体たらくだったが、『娘が母を殺すには?』の良い導入を聞けた(実際には結論までお話されていた)。早く読みたいが、今月はもうお金を使いすぎなので、欲望のままに本を買うのはやめた方がいいと思う。読んでいない本(特に小説)が積まれたままじっと待っている。町屋良平『生きる演技』はかなり早く読みたい、と思って毎日開こうとはするのだが、そこまでたどり着けない。やることが…やることが多い!いしいしんじ『マリアさま』、凪良ゆう『汝、星のごとく』など、積んでいる。井戸川射子『共に明るい』は途中だし、絲山秋子『神と黒蟹県』はどこに積んだかも忘れている。エーリッヒ・フロム『愛するということ』新訳、沖縄の少女たちのノンフィクション『裸足で逃げる』は早めに読み終わっておきたい。
今日の講座で三宅さんが『母という呪縛 娘という地獄』にふれていて、私も読んだが、正直虐待を受けた子供の末路で、こうなるしかなかったと本人も言っているように、たんに被虐待児の被害の果ての結果でしかなく、なんの新鮮味もないと感じた。虐待問題を長く考えたことのある人にはこれは虐待の当然の過程と結末であり、そこに母娘の特異性などは見いだせないのではないかと感じていた。ただ、虐待を受けたことがない人はここに新しい視点を持ち込めるのだろうなということは想像できる。そこで、じゃあこの虐待を受け続けていた本人が加害者である母を殺さずにすんだifがあるとしたら、それはどの時点でどう行動すればよかったのか、ということを考えてみようか、と少し思った。虐待を受けた人間でも、親を殺さずに逃げ切った人は多い。そういう人と、親(加害者)を殺してしまった人との性質の違いや、分岐点となる考え方や受け止め方の違いは存在するのか、ということを突き詰めていけば、虐待を受けてもその心を守ったり、被害を少なくしたまま逃げ切る方法も出てくる可能性があるのではないかと考える。虐待を受ける立場に生まれてしまったら、基本的には逃げ切るまで虐待は続く。誰も助けてくれない。日本の法律や制度がそうなっていないからだ。助けてもらえる人は0.03パーセントくらいの人口と思っている。つまり、多くの子供たち(年間11万人)が、家庭の中で痛めつけられながら、生き延びていかなくてはいけない。それもできる限り自分の心を守りながら。虐待の問題は、社会の問題ではなく、こうして個人の問題へと矮小化され、それも被害者である「子供」の独力での防衛を支援することでしか、親権が有効である限り、コミットできない。というかこれはコミットと言えないと思うが。虐待を受けるとその後成人して逃げられても、精神に大きな不均衡をもち、社会に上手く適合できずに苦しみ続けるし、虐待を受けていた子供のうちに、大人により適切な場所へ逃がしてもらうことが一番である。そのことは揺るぎない。しかし、繰り返すがそのような法律や制度はない。あっても、ほとんど機能していない。多くの子供は助からないまま、傷ついたまま、安全に眠れる場所がないまま成人する。だからもう、虐待を受けている子供に対して、こういう時はこう考えて心を守るんだよ、と伝えることしか現状できることがないと思っている。1人でも多くの子を物理的に救えたら、と思うが、それをしつつ、多くの救えない子供たちに防衛方法を少しでも伝えることが今できる精一杯だと思う。防衛方法とは何か、というと、そんなものはない、となるかもしれないが、とにかく考えていくことはやめずに生きていきたい。
両親と兄の存在には苦しめられ続けたが、私は両親と兄が心から大好きだった。そういう子供だった。そのぶん打撃は大きく、そのせいで傷が大きくなってしまった。自分を害する人間を愛してはいけない。しかし、一体だれが、自分が誰かを好ましく思うことを、止められるだろうか?それはコントロールできることなのだろうか。好きだと思う気持ちを捨てることは、特に子供には、かなり難しい。私は親や兄に何をされても相変わらず彼らが好きだったが、それではいけないのだと唐突に気づいたのが思春期である15歳のときだったため、その際の混乱と大きな絶望、ショックなどで重いうつ状態をその後10年続けることになる。それからさらに10年が経った今、かなり症状は軽快している。治療と、人間的成長によるものだ。生きていれば必ず人間は成長せざるを得ず、傷は治らざるを得ない。だから私は友人たちになるべく自死せず、一日でも長く生きてほしいと伝えている。そうしたら幸せになれる可能性が高まる。幸せになれない可能性は依然として大きいが、幸せになれる可能性は生きれば生きるほど大きくなる。スタートがマイナスだった者たちは、この理論が適用されると信じている。スタートがマイナスでなかった人達にはどのような人生観があるのか、私には全く分からない。私は生きれば生きるほど人生はよくなっていく、と感じているので、老いや死への近づきを悲しむ心がない。顔が老けるのも、自然で、抵抗するようなことではないと思っている。生きれば生きるほどよくなっていく。25歳で治療を受けてからのこの感覚は、私が生きるのに大きく、善く、貢献している。生きることの難しさはおのおの、さまざまあると思う。私はもう無い。いちばん苦しかった時はもうとっくの昔だし、その頃の生きづらさ、脅威がないというだけで、とにかく無法に幸せである。自分を害するものがいない空間、時間、それらを噛み締めている。だから(親や兄と離れて)生きているだけでかなりの幸せを感じる。お得なことかもしれない。
しかし小さい頃に夢見たことの不達成ということは、なかなか苦しめられる瞬間がある。好きな人と付き合ってみたかったとか、家庭を持ちたかったとか、子供が欲しかったとか、高校や大学で好きなだけ思い切り勉強してみたかったとか、仕事でキャリアを積んでみたかったとか、そういう、「普通の人」がやっているようなことだ。それらが自分には与えられなかったと感じる時、途方もなく悲しくなる。過去と比べて相対的に今は幸せだが、絶対値としては、私は私の夢をあまり叶えられなかった。それでも、毎日本を読んだり、文を書いたり、文章の講座を受講したり、好きな場所でつつましく働いたりして、日々を楽しんでいる。なによりも、いつも勇気づけてくれる友人がたくさんいること。私は友人たちに囲まれてさえいれば、それでとくに不満はない。「してみたかった」の希望を上げればきりがないが、そんな無意味なことをしてもただ傷つくだけで無為だ。できてよかったことやこれからやりたいことだけを毎日考える。私たちはまだまだこれから生きる時間が残されている。やりたいことはたくさんできるし、本当に生きていて良かったと思う。
同時に、できるならもうこの生を終わりにして楽になりたいという気持ちもある。これ以上生きても、もちろん世界の足しになることはあるだろうが、この体力の低さと病気を抱えて、何も達成できないままでずるずると生きることは、時に拷問にも感じる。そう思うのは生きているうちのほんの一瞬だが、ああ、今死ぬことができたら、と思うことは全然よくある。地震の揺れを感じるたびに、地震で死ねたら楽なのになあ、と思う。これはネガティブというより、ただの「疲れ」なのだ。この「疲れ」の感覚を持っている人には、私は帯同を感じてしまう。
なんだかずっと被虐待児の話をしてしまった。あんまりそういう事を言うのもな、と思ってはいるのだが、考えていると結局全部そこに行き着いてしまう。私が救いたいのは彼らだし、正直彼ら以外のことはどうでもいい。他の人は他の人でいろいろなことに心を痛めたり活動すればいいと思うが、私がそうする先は、いつも決まっている。幼少期から虐待を受けて、死ぬ事もできずに成人して生きてゆくことが、この世でいちばん辛いことだと思っている。これは多くの、苦しんでいる人々を見てそう思うということで、私が苦しんでいるわけではないので大丈夫です。私は病院とカウンセリングに通い、それなりに安定した人生を送っていますので、自分が社会に恩返しする番だというか、とにかく「助けなきゃ」という思考に捉われがちであります。
今考えているのは、被虐待児のための、自習スペースの提供。とにかく家(危険な場所)以外に安心して過ごせる場所、勉強ができる場所をつくり、そこで1秒でも長く過ごしてもらうしかない。心は壊れる。壊れるとしても、壊れきらずに上へ向かおうとする子だけでも支援したい。本当は全員救いたいが、まずは勉強で身を立てる被虐待児の数を増やすことで、社会に虐待問題に理解のある人口を増やす。そうしてしか、法律や制度は変えられないと思う。
それとは別に、私には本屋を続けるという夢がある。ゆくゆくは自分が店主になって店を構えたい。雇われの正社員がいかにつらいかは、いままでの店舗でいやというほど見てきている。私は知性と教養のための本屋をひらき、この社会をよくしようとする人を1人でも増やしたい。チェーン店の雇われ店長では、それをするのは難しい。大きな会社は利益を出すことが最優先だから。その利益で、たくさんの人を食わせている。そこに否やはない。ただ私の目的はそこにはない。売れる本を置いて人々の知性を下げるのではなく、本屋がどんどん人を育てていく。そういう場所を作りたい。そこはさらに学際的な場所であってほしい。なんなら貸本屋でもいい。というか、積極的にレンタル業務もやって行ければと思う。
夢を語れば果てがない。あと20kg痩せたい。どうにか自炊をしてまず1kg減った。このまま減らしていく。
2024.5.21
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コメダでフィードバック①
前書き
改めて、今年はなんだかざわざわとした年になりそうな予感がする。
というより、昨年の暮れから、もうずっとざわざわ森のがんこちゃんである。めげない、しょげない、泣いちゃダメ、、いけいけカナちゃん。あたしゃーそんなこと無理、、、と思うほどに、何度もめげかけ、しょげかけ、泣いている。それと同時に、笑う数も増え、怒る数も増え。ついでに皺と体重も増え。
そんな折、「お風呂やさんになる!」と決めてから、心から憧れていた「ゆとなみ社」の 湊三次郎さんが先日、私の勤め先である奈良県の御所宝湯に来てくださりました。正確にいうと、「サウナの梅湯」で 一度お会いしていたのですが、その際は 気が動転して 会釈しか出来なかったので、正式には今回が初。
さて、もうあとには引けないぞ、という神からの思し召しを受ける日々なのであります。
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noteで文章をきちんと書くのは以前私がアーティスト活動をしていた頃に発信していた「pipa」ぶりです。
日々、こぼれ落ちていく自分が感じたアレヤコレヤをまとめておく必要があると感じて、改めて自身で「言葉を��む」という行為を掲げていたのにも関わらず、きちんとした場を設けていなかったことを反省。
ひとまずnoteで綴ってみることにしました。
数年後の自分が読んで、「うわぁ、この頃、ちゃんともがいていて良かったな」と思えるような思いをのせて、言葉というかたちに残していこうと思います。
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タイトルについて
昨年の年末に初めて訪れたコメダ珈琲店でコーヒチケットをうっかり購入してしまった。イケボ店員さんの重低音にノセられてしまったのだ。
これを機に「コメダでフィードバック」と題して、コメダに行くたびに日々のフィードバックを書いていこ〜!と決めました。嗚呼、あの重低音。ちなみに今日は会えずでした。ちぇ。
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内容
お風呂業界のことに関しては、私はズブの素人。だからこそ見える視点や、違う角度からのアプローチも出来るはずです。
今まで培って来た美術やデザインの方面からや、また、星のことも交えながら書いていきます。
最近、星との関連性をよく考えています in サウナ室。
♨︎「サウナ」は星に例えると何なのか
♨︎「お湯」⇄「水風呂」交互浴の関係性を星に例えると
♨︎現代人のととのいたがるその心理と海王星の関連性について
♨︎ととのいそう、、あの時の感覚と同じ
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夢
沖縄の銭湯文化を残したい。
沖縄のユーフルヤー(うちなーぐちで銭湯のこと)を残したい。
大好きな沖縄の人たちの、憩いの場を守りたいのです。
そのためには、一人では到底超えられないたくさんの障壁があります。
沖縄県には現在、沖縄市にある「中乃湯」しか残されていません。風前の灯です。300軒以上あった銭湯が今はたったの一軒。沖縄という土地には、お風呂屋さんが根付かなかった、、というのが悲しいかな、事実なのだろうと思います。
沖縄から出る直前に、私は中乃湯のシゲさんに、お手紙をお送りしました。これから自分がやろうとしていること、沖縄の銭湯を無くしたくないということ。何度も訪問し、お話もさせてもらいましたが、大切に大切にして来た場をどうのこうの、という直接的なお話はしていません。正直なところ、怖くて出来ませんでした。
お手紙にも書きましたが、正直、沖縄出身でもない私がやるのもお門違いな気もしています。そこに対する葛藤も未だにあるのが正直な気持ちであるし、そもそも1番いいのは、地元の方が地域に密着して続けていくこと、繋げていくことですよね。
現在は奈良県に移住して宝湯で勤めている身ですが、奈良県出身の番頭である太田くんをはじめとした奈良で生まれ育った人たちを見ていると、やはりそう思うのです。私自身は「移住者」として、今までイギリス、カナダ、沖縄、、と住んできました。いつまで経っても、自分が「よそ者」であるという感覚はどうしても拭い去ることが出来ず。地元の愛知県にいたとて「ここが私の居場所だ」と思えることはないし、もしかするとそんな風に思えることなんざ金輪際ないのでは、、? そうしているうちに、そんなふうに思おうとすることの意義を疑い始めたら、「もういっその事、一生よそ者でよくね」という開き直りにも似た感情が生まれたのです。あははん!
私という媒体を使って、どんな形で沖縄の銭湯文化を残すのか、実態はまだ湯気の中。
銭湯を、銭湯というかたちのまま残すのが一番いい。
50年後、100年後に残るように私がバトンを渡す役になれれば、くらいの思いで思慮深く、自分の役割を全うできれば幸いです。
そのためにも、今はこの奈良県という土地で、学ばせてもらっています。
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私のお風呂屋さん人生は、30歳から幕が開きました。
母が私を励ましてくれた言葉で締めようかと思います。
「どれだけ失敗して最後に何も残らなくても、生き様だけは残る。」
2023年、踏ん張ります。えいえいおー。
よろしくお願いいたします!
万波 花奈 Mannami Kana
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悪夢
見知らぬ男が肩の半ばあたりですらりと軀をスライスされた。 ヒッ、と喉が痙攣し、息を飲み下せない。男はその身を切り落とされたまま、平然と私の前に立ちつくしている。本来ならば、身体組織が顕になり血がどうどうと溢れてやまないはずのその断面は、なぜか黒地に橙色のまだらが無数に滲む平坦な模様をなしており、橙色の楕円のすべては天体観測に見る恒星のようにぼんやりと発光していた。肩から上のない男は、口もないのに、どこからか発声して私に語りかける。「なんぴともすべて門をくぐる。椅子はみどりの黴に覆われて、蛸――」瞬間、巨大な蛸が私のからだに濡れたまま纏いつく。無数の鳥肌が立つ。蛸の帯びたぬとぬととぬめった海水が私の皮膚を舐め上げて、逃げ悶えながら這いつくばる身体の、骨という骨がごきごきと音を立てて外されてゆく、痛い、痛い、もういや、痛い、もうやめて!――
はあっ、と息をあらげて目を覚ます。自室の白い天井が見える。大きな窓に掛けたカーテンを開け放していたせいで、部屋の奥に据えたベッドにまであかあかと届く光に瞼越しの眼球が晒されて痛い。私は昨晩眠りについたベッドにいつも通りに横たわっている。男はいない。蛸もいない。一応、手を確認する。折れていない。からだはこわばりきってぐったりと疲れている。汗がひどい。足の先まで湿っている。夢だった。あれは夢だった。
休むために眠っているのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。私はわたしの脳を恨む。東京から沖縄までラッコと共に泳いで渡る夢を見て、起きたらなぜだか肉体的にも疲れ果てていて、その日一日が使い物にならなかった日もあった。だれにも、私にも統御不可能な苦しい夢が日々を圧迫して、どうにもならないので仕方なく受け入れている。
こんなにも毎晩、ひどい悪夢を見るようになったのはここ二、三年のことだった。それまでは美しい夢も見ていた。今も覚えている、数年前に見た、きらきらと光を湛えた金屏風の前に当時愛していた男が立って、こちらに手を差し伸べていた風景を。椿��花弁がおびただしく舞うなかで、とうに失ってしまった男が私に微笑みかけていた。そんな夢を見て、泣きながら目覚めた朝だってあったのだ。
今はどうだ。眠るたびにグロテスクな夢を見る。神経を逆撫でする光景ばかりが私の認識(認識は夢でも現実でも同じだけ作用する)に襲いかかり、何時間にも及ぶ格闘ののち、疲れ果てて目を覚ます。魚屋に行った日には、イカとイワシが膣めがけて大挙して射精し、私の胎がふくれあがる。不安な仕事を抱えていれば、夢の中で大いに失敗する。仕事だけではない、私生活の延長にある最も忌避したい現実もまた、物語としてありありと立ち現れ、眠っている私の心を折ろうとする。
明らかに精神を病んでいる。しかし、夢の持ち主であり作り手である私は、夢の光景に苛まれながらもその異常性を楽しんでいて、現実の苦しみ以上を夢の中で苦しむことに負のカタルシスを覚えていて、自罰のために悪夢の日々を手放そうとしない。 そんなお為ごかしに遵じていると、また悪夢をみる。乗るべき飛行機の便があと少しで離陸するというのに、走っても走っても前に進まない。風呂に浸かっているかと思えば尻には溺死体の女の隠毛が触っている。殺人者から逃れて、ペドロ・コスタの撮るような見知らぬ外国の貧困街を走り尽くす。苦しい。痛い。怖い。走っても走っても前に進まない。そうして殺される。殺されても生き返る。また酷いやりかたで殺される。心臓を抉られる。四肢をもがれる。頸に刃物を刺しとおされる。海に沈んで魚についばまれる。陵辱され、奇形を孕む。
夢に現実世界の象徴化を見ることはスピリチュアリズムに淫するばかげた行為だとも思うが、そう理性的に事を収めるにはあまりにも異常な精度と頻度で悪夢を繰り返しすぎている。
心当たりはある。日課のように悪夢を見るようになった頃、現実の私は、おのれの抱く「悪意」を封じることを倫理に強要されたのだった。
褒められたことではないが、私には死を願っている対象が幾人かある。その願いを非倫理的なものとして押し潰し、しかし消し去ることはできず、心のなかに押し込んで飼い始めた。憎しみと怒りと苦しみと暴力性をぐちゃぐちゃに練り合わせた怪物は心の中で暴れ続けて、心臓を内側から喰いちぎろうとする。それと付き合ううち、段々と私の悪夢は激化した。初めは抽象的だったから、ただの悪夢として忘れることができた。夢は次第に具体化していった。その悪夢たちが現実を反映していることに気づいた時には、もう修復できないほどに心が喰い破られてしまっていた。
こうして夢は、現実の強いる抑圧とはっきり結びついた。悪夢の悪性は私の心の醜さを反映している。そのことを認識できないほど、私の理性はなまくらではない。解釈可能な悪夢が日々わたしの心を蝕む。おのれの醜さに辟易する。自罰は次第に激化する。こうして魘されることでしか、醜い自分を罰することができない。
ある夜、こんな夢を見た。 ペガサスの被り物をした女が、新宿駅東口の地下道へ降りる階段の踊り場に倒れ込み、今にも出産しようとしている。股からはおびただしく出血し、踊り場は血の海になっている。汚い地面に産み落とされようとする嬰児。ペガサスの女は、被り物をしているからその顔はわからないはずが、青ざめきって今にも死にそうになっているのがわかる。私は手を貸すこともできず、ただ立ち尽くしている。その光景はあまりにも惨たらしく、目が覚めてからもしばらく頭を抱えて魘された。 あの女はきっと、私だった。本当は、私がペガサスの被り物をして、汚い床にへばりついて、命と引き換えに何かを産もうとしていた。血みどろの光景。行き交う人間の靴の泥で汚れきって、不衛生な床。そこで何かを産もうとして絶叫しているのは私だった。誰の助けも得られぬまま、倒れ込んで血の海を広げ続けるのは私だった。
あの時はわからなかった。しかし、こうして悪夢について改めて考えてみると、あれが自己イメージだったことは容易に理解される。夢は兆候を示さない。夢は象徴と意味を一対一に対応させ得ない。夢は抑圧されたイメージの屈折した表出でしかなく、他者には絶対に読み解けない、極めて自己閉鎖的なものだ。あの女が血の海で倒れていたことの意味は、私にしかわからない。どんなに親しい人間であっても、絶対にわからない。
眠って、理性の制御のきかない混沌の中で夢を見るのが怖い。それは私を暴く。現実において理性的であろうと抑圧すればするほど、夢は残酷な様相を呈するようになる。とっくに理解している、この悪夢たちを退けようと思うのならば、現実をなんとかしなければならないのだと。現実のほうを、苦心なく生きていられるものに整えなおさねばならないのだと。
わかっている。何を取り除けば悪夢から解放されるのか。何を手放せば楽になれるのか。わかっていて、迷っている。何を迷っているのかを考えている。
いつか、それをついに捨てられる日が来るまで、夜がくれば私は諦めてまた眠る。眠って、悪夢に苛まれる。そうやって自分を罰する。考えて考えて考え抜いて、それでもどうしても手放せないというのなら、醜い怪物に喰われて、喰われ果てて、この心がいつか消尽するのを、果てしない絶望感に包まれて見守るだけだ。
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新人審神者の体験記
気になっていた刀剣乱舞、8周年記念を機に始めましたが45日も経過していました。
画面に集中したりゲーム的に難しいことがないため、DQXの職人作業をやりながら・実況動画を見ながら・お昼を食べながら…ぽちぽち…経験値2倍の期間、戦力拡充イベントなどを経て結構やりこんでしまっているのかな…w
もともと東方project出身だったこともあり、キャラの設定や背景はインゲームではあまり出ないで能動的に調べたり好きになれる要素を探して二次創作的に勝手に盛り上がるのは得意ですし、結構好きです。
そして近侍曲がとにかく良い。
ゲーム内では楽器アイテムが全然手に入らないので近々サントラを手に入れようかなと思ってしまうほど…
大神よりもより世界観的という感じのイメージが湧きます。
博多藤四郎の曲とかは、特徴的な楽器隊やメロディラインによって比較的ゲーム音楽っぽさがあったり燭台切さんの曲も、現代のホストがそのまま刀剣になったみたいな感じでジャジーで踊りたくなるような曲だったり、そういった違いはありますが、ほかはよく口ずさめるような曲ではないけど、ずっと心地がいいというか。”ゲーム音楽”ほど特徴的ではなく、和楽器メロディ特有の自然と耳に落ち着く感じが素敵だと思いました。
そして出陣エリアも7-4まで踏破でき、イベント刀剣以外はあらかた揃ってきたと思うので、お気に入りの刀剣のコメントをしてみようかなと。
書こうと思ったらいくらでも書いてしまいそうなので、今回は特に思い入れの強いトップ5あたりを対象に。
自分自身がそのキャラとどういう絡みをするかなというイメージをしがちで、割と夢寄りなのかな という自覚があるので 一応そのあたりご注意くださいませ…
↓
●加州清光(🌸極 済)
自分の呼び方:清光(きよみつ)
汲田さんの画風が好き…切れ長目の猫顔・キ���ネ顔大好きなので他のビジュアル担当されている刀剣も全体的に好み。
綺麗に��たい、かわいくありたいモチベーションがコンプレックスから来てることが綺麗で応援したくなった。
一番最初に極修行をさせた刀剣だけど、↑のコンプレックス部分と向き合いきれてない状態で”極め”てしまったので、もう少し 頭の中の憑き物がとれてない清光を理解しておきたかった欲あり。
極後のつつきボイスで汗について言及してくるのえっちなのでだめです。それはまだ許可してません。
●大和守安定
自分の呼び方:安定(やすさだ)
汲田さん刀剣その2。
戦闘時のボイス(おらおらおら)を初めて聞いたとき衝撃を受け、「この子は嫌った相手はちくちく言葉で攻撃してくるタイプでは…?」「隠れて動物とかいじめてるのでは?」「私は焼きそばパン買ってくればいいですか?」などと謂れのない勝手な妄想でびくびくしてました。
ですが、命の取り合いが発生する危険な世界なので、「気持ちを切り替えて、敵と味方を明確に区別して接している」ことを理解してからは、「私は味方だよね!?」と脳内では仲良くしてます。
なんだかんだで、内番服も含めて近侍にしてしっくりくるのが安定です。一番長く近侍でいてもらっています。ほうきめっちゃ似合う。
極にすると髪はほどかれ、服も沖田総司の死装束のようになるみたいなので、戦いに関して命を賭す心境が強くなるのかなと思い、どんな心境でその姿になろうとするのか気になりはしますが、いまのところは私の近くで他の刀剣を見守る立場でいてほしいです。
●五虎退(🌸極 済)
自分の呼び方:五虎ちゃん
数少ない「こういうキャラがいるってことだけは把握していた」のが五虎ちゃん。
絵がすさまじく繊細で綺麗なのでずっと覚えてました。
ちっちゃい虎もキャラの一部で、極修行に出すともののけ姫みたいに虎も成長して、しかも懐いてるのがまたすごくいいですね。本質的な臆病なところはそのままだけど、「一緒に育った虎を倒せるくらいに」という気持ちの持ち方が、なんというかMother3のクラウスやリュカとドラゴの関係みたいで、ほほえましくも頼もしくてとても良いです。
そしてこれは完全に趣味なんですけど、髪や体が真っ白なので 正直 傷や血がめちゃくちゃ似合うと思ってしまいます。 でも勇ましいキャラではないので、戦闘で出す血より、慌てて転んで顔面から倒れて鼻血が出るみたいな、そんなイメージが強いです。
『可愛そうにね、元気くん』でもないですが、少し危険な感情を抱いてしまいそうになる。んー、いや抱いているな。と。
●鯰尾藤四郎(🌸極 済)
自分の呼び方:ズオくん
さわやかイケメン!
高校2年生って感じですよね。サッカー上手そう。写真写りよさそう。
連結の統率+2が強く乱舞レベルは連結に吸われがち…
記憶がないのに元気で明るく、今を楽しんでる感じがとても気楽でいいです。骨喰(こっちはバミくんと呼んでます)と180°違っておきまがら、凸凹のようにお互いいいコンビになってそうな感じがいいですね。
(ちなみにズオくんを先に育ててしまったんですが、バミくんの愛着もわいてきたのでズオくんと離れさせないように育成し始めてます。)
本丸でつついたときも、「やりかえしちゃいますよ」的な感じなので、気軽にスキンシップを楽しんでこっちが勝手にドキドキしてしまいますよね。
でも、こういう子ほど表にはマイナスな感情を出さないように努力してたりすることもあるので、そんなときに私は無神経な扱いを反省してしまうんだろうな…
それも察して「気にしないで!」と声をかけてくれそうなところにつけこんでしまいそう。
そんな二律背反が。
ちなみに修行前のポニテの方が女子み少なくて好き。
●亀甲貞宗
自分の呼び方:亀甲さん
最初は「ドMキャラを自称しつつ、それにノってきた人のハシゴを外してのらりくらりとかわしていく」みたいなのかと思っていましたが、本当にドMキャラだとはね…
そんな衝撃がありましたが、個人的にかなり大好きです。
真剣解放をしたときのスチルが中二病に刺さるかっこよさ!そしてそのときに首元を見ると、強さの秘訣の縄が見えるという…
個人的にはその縄は見なかったことにして、単純にかっこよくて強いメガネお兄さんとしてみてます。
色合いもかっこいいし、亀甲紋様って少しサイバーな印象もあってミステリアスですよね。ピンクが似合う。
そして内面的な話だと、遠征から帰ってきたとき「なるべく急いで帰ってきたよ!」と息を切らしながら言ってくるので、(無理やり走ることで自分に負荷をかけているという意味がありそうだけど)その素朴なふるまいがすごくかっこ良いと思いました。
本丸から見下ろしていると、あのいで立ちながら小走りで帰ってくる亀甲さんのイメージがとても愛おしい。
豆まきのボイスも、(本当は豆をぶつけられるというマゾ的な感覚を表しているんだろうけど)「僕は鬼でも大丈夫だよ」と、本来 人が嫌がるような役を進んでやろうとする姿勢がすごく素敵で、リアルにいたらすごく懐いてしまいそうなキャラだなあと。
セオリー通りではないのですが、亀甲さんがこのトップの中に食い込むのはそんなところが好きな所以です。
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っと、こんな感じでしょうか。
私も記事を書いてる途中でクラッシュしたんですが、自動保存の下書きが残ってて助かりました…
まだゲームプレイのみで花丸も見れていないので、まだまだ知見も思い入れも浅い若輩者ですが、少しずつこの世界に浸かれている心地よさというものに触れている気がします。
ではではまた。
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この記事は、Ingress & Wayfarer Advent Calendar2022(その1)1日目の記事です。
はじめに
普段ブログ等の媒体を行使していないため、昔極たまに記録してたtumblrをこの為に掘り起こしてみました。Ingress ENL AGのRasmil7(a.k.a 楽さん)と申します。
2022年、今年もあっという間でした。
皆様今年はどのように過ごされましたか?
私が住んでいる沖縄県では、やはり人の動きが激しい&狭い県の為かコロナウイルスの流行に敏感になる日々を昨年同様に送ってた様に感じます。とは言え、ずっとコロナ禍とも言ってられない昨今。Ingress界隈では久々のリアルイベントが徐々に再開されてきましたね。直近の横浜アノマリーに思いを馳せる方々も多いのでは無いでしょうか。
そんな年の瀬に、12月3日 FS@Home in 沖縄 の開催を決定。今後の開催がされないかもしれないバーチャルイベント��方です。せっかくの残り僅かとなるであろうバーチャルFS開催の記念に、沖縄のIngress事情を踏まえたミッションを作成してみました。
本記事ではミッションの解説等を出来ればと思っております。普段文章もそんなに書くことが無いため、拙い部分があるかと思いますが、少しの間お付き合いくださいませ。
設問&ルートは当FSのRES FL sakinoriyaが担当しています。彼なりのユーモア溢れる説明文や設問も要チェックです♪
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■1-6 おばけチキン
おばけ、と聞いてピンと来られた方はいらっしゃるでしょうか?
12月にFSをやろうと決心した際、「どうせなら何か企画をひとつ作りたい!」と思い、以前リアルイベントのFS(FS那覇 :2019.2月開催)でやられてたようなミッションを作成したいと考えました。
普段仲良くさせていただいており、ミッションメダル作成にも定評がある、RES AG:sasakenさんにお声かけし、メダルイラストを提供して頂きました。
■Question
台湾は電箱と呼ばれたポータルが非常に多くて迷いますが、本土から来たAgentが困った沖縄で多いポータル名とは? ※カタカナ4文字、ヒントはさっき回ったポータルです!
台湾の「電箱」私自身なんの事かさっぱり分からず調べたのですが、日本にもある電圧機等が入っているプラスチック製の屋外箱、これを「電箱」と呼んでるんですね!
どうやら台湾にはこの電箱がポータルになってる箇所が多い様です。地域ならではの不思議。
そこで我らが沖縄県ですが、沖縄の道中至る所に居ます。守護神「○ー○ー」が!
Ingress初期頃は母音を増やしたり、ローマ字書きにしたりと……色々と工夫してポータル申請を行ってた��良く聞きました(笑)
■2-6 おばけ靴下
■Question
このミッションのアイコンのおばけですが、このポータルの旧崇元寺は沖縄戦の激しい戦火で建物は喪失していますが、敷地に入ると“幸せを呼ぶ精霊”とも“いたずら好きの妖怪”の気配がします。その精霊もしくは妖怪の名前は? ※カタカナ5文字で!
おばけイラストにマジムン話の設問を掛け合わせてくるセンスに脱帽!(沖縄では、おばけや妖怪は、方言でマジムンと呼ばれてます)
そんなマジムンの中でも1番有名なのが、「キジムナー」ではないでしょうか。子供みたいにイタズラ好きで、幸せを呼ぶとも言われています!本土で言う「座敷わらし」と似たような感じですね。
■3-6 おきなわ
■Question
沖縄は海に囲まれていて、沖縄本島を囲むBAFをしやすいですが、それを一人でやっちゃおうと初めに思って実行して成功させた陣営はどっち?
RESまたは、ENLで回答してください。
「オキナワ」という文字メダルにちなんだ設問。こちらの作戦は「Op.ひとりでできるもん」という作戦名でした。本当に1人で海を渡りやってのけてしまったので、当時は「女帝」と呼ばれ当然話題になりました(笑)今でも現役バリバリの素敵なAGさんです。
■4-6 エフエス
■Question
FSといえば、クロスミション!首里城復興を願って、青と緑で首里城アートを作成しましたね。そんな首里城の木曳式も終わり、復元工事がスタートしましたが、首里城正殿の復元予定は西暦何年?※数字4文字で!
「エフエス」という文字メダルにちなんだ設問。2019年10月末日に火災で消失してしまった首里城の復興を祈願して、その年の12月にXFでフィールドアートを行ったというものです。私は当時仕事で不参加だったのですが、沖縄AGの軌跡がフィールドに表現され、その後の打ち上げでお話を沢山聞いて胸が熱くなりました。参加したかった!
実はこちらも首里からスタートするフィールドアートの記念ミッションがライブしております。
首里城正殿の復興は2026年予定。何度も燃えて復興する首里城ですが、次はどのような形で蘇るか楽しみですね!
■5-6 てぃだプレゼント
おばけ、文字、につづき、沖縄のレッサーパンダ、てぃだくんの登場です。サンタ帽がとってもお似合いですね。てぃだくんは過去にFS那覇に参加してたりしました。皆さんの手元にもBiocardがあるかもしれませんね?
■Question
沖縄でもノヴァが流行りましたね!青チームは、2021年 「Op.ハッピーターン」があり、緑チームは、2022年 「Ops.神輿は軽いほうがいい」がありました。では、この二つのノヴァ本数を合計すると何本?a,b,cのいずれかで答えてください。
a.2281本 b.4430本 c.6711本
しかし二つ足しても日本記録の 2020/10/17 逗子(神奈川) ENL 7,913 超えないんだね~。
IngressのAGさん方のオペレーション名のセンスは一体どこから湧いてくるのでしょう。
「Op.ハッピーターン」好物のハッピーターンから来ているようです(笑)
翌年に「Op.神輿は軽い方がいい」が実行。(実はこの「神輿」という字が読めずに、しん?こう?とずっと読んでおりました、恥)
RESの本数越えを目指して、ENLも大奮闘!
と、この2つの作戦を合わせても本土の本数には及ばないようです。皆さん、次の作戦は8000本超えを目指しますか?(笑)
■6-6 てぃだサンタ
■説明文
ハイサイ!Agent の皆さん!! 青と緑が切磋琢磨するって素晴らしいね! お互いがあるから相手を超えようと頑張るよね!! さぁ最後のミッションです! ジン~ジン~ジングルベル~、ジンがネ~ラン~♪ サンタさんからのプレゼントを期待して、最後のひと踏ん張り! 美栄橋郵便局がゴールです!
ジングルベルからのジンガネーラン♪
解説させていただくと、「きいやま商店」という沖縄の大人気ロックンロールバンドの楽曲のひとつになりま��。
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気分をあげて華やかなイルミネーションが素敵な久茂地にラストスパートかけていきましょう!
■Question
サンタさんからのFSミッションは楽しんでいただけましたか?最後にこのミッションのルートは、沖縄県民大好きフードをイメージして作っています!ほら皆さんの近くにもきっとあるはずです!いまだってすぐそばに! または手に持ってるかも(笑) 沖縄県民大好きフードはなんでしょう?※カタカナで答えてね!
ラストのポータル、美栄橋郵便局はデパート パレットくもじの1階にあります。おや、その隣にはかの有名な、カーネルなサンダースな方が。あの、おばけが持っていたものと同じ物が食べれそうですね!🤤🍗
クリスマス問わず、沖縄県民はお祝い事には、こぞってこちらのフードをバケツ買いをする風習がありますよ!
終わ��た頃には、シーサー像の上に乗って、チキンをほうばるキジムナーの姿が見れるかもしれませんね?
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最後に
Ingress10周年という記念イヤーに何か出来ないかと考えた結果、前年度の経験もあるFS@Homeぐらいであれば、私自身も出来るのでは!と思い立ち、今回、主催の手綱を握らさせて頂きました。恐らく私のAG人生で一番最初に交流させて頂いたイベントがFS組踊(2016年11月)であり、その際に沖縄AGの交流の深さを知りとても感動したので、私自身にとってはFSというイベントに対してとても思い入れがあります。私事ですが、今年2月のクレーゼエフェクトアノマリー当日に出産を迎え、育児に忙しい日々を送っております。育児片手間で大変微力な事は重々承知ですが、私が沖縄で経験したFSで体験して楽しかった事を、新人のAGは勿論、@Homeの特性を活かして、県外のAGの皆様にもお伝え出来ればなと思っております。
きたる!12月3日 13時より YoutubeLiveにて、
沖縄のAG2人(AgentOlympiad2018出場者)がメインMCとなり、楽しくIngressのアレコレを「ゆんたく」します!
ゲストにはファミ通Appのライター深津庵さんをお招きしました。
子供のお世話片手に、リチャージ片手に、これまたオリオンビール(昼飲み?)片手もよし!
皆々様、この放送で再びIngressへの気持ちを盛り上げて、その熱量を横浜アノマリーEpiphanyDawnにぶつけませんか?
皆様のご参加、心よりお待ちしております。
Ingress FS@Home in 沖縄 への参加はこちら
P.S.
メダルイラストを提供頂いたsasakenさん、並びにミッションを作成して頂いたsakinoriyaさん、ありがとうございました!この場を借りて御礼申し上げます。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師��材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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沖縄で厄除けや魔除けとして置かれるシーサー。沖縄県那覇市にある小学校の門にいました。子どもたちの安心、安全を見守り続けます。写真は無料でダウンロードできるようにしていますので自由に利用してください。
Shisa, placed in Okinawa to ward off evil spirits. They were at the gate of an elementary school in Naha City, Okinawa Prefecture. They continue to watch over the safety and security of the children. The photos are available for free download, so feel free to use them.
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月1日(金曜日)
『中国の代理人』、最後の『パンダハガー』の大物
怪物キッシンジャー、毀誉褒貶のなか、百歳の大往生
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1971年、世界に孤立していた中国に「利」を説いて近づき、反米路線を大胆に修正させたリアルポリティックスの体現者は、その北京秘密訪問が劇的だったので、なぜかアメリカ外交の立役者のように言われた。
じっさいに現在のホワイトハウスの対中影響力よりヘンリー・キッシンジャーの立場は強いと評価された(台北タイムズ、12月1日)。なお中国語のメディアはキッシンジャーを基辛格(環球時報、連合報)、季辛吉(台湾『自由時報』)と書く。
キッシンジャーは1969年から1977年までの八年間、米国外交の舵取りを担った。ロックフェラ-の外交顧問だった彼を政権に招き入れたのはリチャード・ニクソン大統領だった。
ニクソンとキッシンジャーが、外交で重視したのはリアリティであり、モラルやイデオロギーより優先し、力の均衡で冷戦構造を形成した文脈では戦後米国外交の立役者ニクソンと並ぶだろう。
ところがFBIの工作でウォーターゲート事件のスキャンダルに襲われたニクソンがレイムダック入りした時期に、キッシンジャーはするりと外交の主役の座をもぎ取っていた。
従来の歴史学に重点に置いて学説、地政学の伝統に囚われてき外交を、リアルポリティックの実現に結び、米中関係の回復、ソ連の孤立化を導き出した。これは元来、ニクソン大統領の発想だった。ところが、北京秘密訪問を演じたキッシンジャーにスポットが当たった。
当時、NYタイムズにでた風刺漫画を筆者は鮮明に記憶している。
ニクソンとキッシンジャーがホワイトハウスの庭を歩いている。柵外からみていた見物人が言う。
「ところでキッシンジャーのとなりにいるのは誰だい?」
キッシンジャーは泥沼に嵌まっていたベトナム戦争を早期終結されるため、ラオス、カンボジアのホーチミンルートに秘密爆撃をなして圧力をかけ、ベトナムと交渉し、停戦をもたらす「功績」があった。
これでノーベル平和賞をうけたのが、彼の絶頂だったのではないか。
「あのノーベル賞はいかがわしい」とする世評をよそに、トニー・ブレア元英国首相などは「外交を芸術にした」などと褒めあげた。「和製キッシンジャー」と言われた若泉敬(佐藤栄作時代の沖縄返還の密使)は、「キッシンジャーの著作に書かれたことを信用するな」と言っていた。
NYタイムズのコラムには「偽善者」というコラムが掲げられた(11月30日)。
キッシンジャーは中東和平でもエジプト、シリアを説得し、中東地域の秩序と安定を優先させたが、最大の成果はサウジアラビアとの密約で「ペトロダラー体制」を構築したことである。
▼リアリスト外交官の光と影
一方でキッシンジャーはチリの軍事クーデターへの介入など暗い面も多く、セイモア・ハーシェ、オリバー・ストーン等はキッシンジャーを「戦争犯罪人」と呼んだ。ニクソンを継いだフォード政権下で引き続き米国外交を担い、ときに大統領よりパワフルだった。
「中国は一つ」という幻影を作り上げたのはキッシンジャーであり、北京訪問は百回を超えたが、台北へは一度も足を踏み入れなかった。『中国の代理人』の面目躍如だ。
「台湾問題は解決不可能。戦争を避けるには時間の経過をまって、米中の話し合いでしか前進はない」などと台湾を不快にさせる発言が連続した。台湾はキッシンジャーを評価しないのも当然である。
1977年に理想主義を掲げたジミー・カーター政権が誕生すると、晴れ舞台をさった。替わって安全保障担当の大統領補佐官となったのはポーランド系ユダヤ人のズビグニュー・ブレジンスキーというグローバリスト、中国礼賛学者だった。
大統領当選前の1976年にカンザスシティで開催された共和党大会で、ロナルド・レーガン「キッシンジャーとフォードの下でこの国は、二番手になることは致命的ではないにしても危険な世界で、軍事力で第二位になった」と指摘していた。
米国の保守派はキッシンジャーを首肯していなかった。
1981年から82年までのレーガン政権では、キッシンジャーは共和党主流派から遠ざけられた。レーガンの支持者の多くがキッシンジャーを蛇蝎の如く嫌った。「反共」の信念が希薄だと言うのである。
このため、かれはロビィ活動と著作活動で、外野席からの影響力を保持した。
キッシンジャーは1982年に親中ロビィ団体「キッシンジャーアソシエイツ」を設立し、スコウクラフトら歴代大統領補佐官を政権中枢の送り込み、事実上の中国外交を舞台裏で担う。最大の顧客は北京だった。
晩年にニクソンは言った。
中国の不気味な台頭に「われわれの意図に反して、フランケンシュタインをつくってしまったのではないか?」。
米国外交は道を誤った。
キッシンジャーは、結果的に「中国の代理人」だったことを忘れてはならないだろう。だから中国はキッシンジャーが訪中すると特別待遇で報い、五月の百歳誕生日にはわざわざ王毅外相がNYの国連本部に近いキッシンジャーのオフィスに挨拶に訪れ、七月の訪中でも習近平がじきじきに会った。
▼米国が中国の脅威を認識するに時間がかかった
中国が軍事大国としてのしあがり、アジアの脅威となると、対中国スタンスを徐々に変えたのはオバマ政権後半からだった。
だが、オバマ政権は外交的手腕のないブレーンで周りを固めたため、大胆な方針の切り替えは出来ず、トランプの登場を待たなければならなかった。
トランプは就任前にキッシンジャーをNYのトランプタワーに呼んだ。しかし彼の言うことを「聞き置く」だけで、はっきりと安全保障方面では中国敵対路線に切り替えた。
この基本方針だけはバイデンも踏襲した。つまり、トランプ政権誕生でキッシンジャーの神通力は消えていたのだ。
キッシンジャーが拘わった各国は如何なる反応をしたか?
中国は「中国を理解した最大の友人を失った」とし、「米中時代の終わり」という論調が華字紙に溢れた。
インドは「彼は一度、インドを蹴飛ばし、やがて近寄ってきた」(『ザ・タイムズ・オブ・インディ��』、12月1日)と評価は冷たい。
イスラエルは「ユダヤ人ならびにイスラエルにとって、キッシンジャーは英雄であり、また悪人である」(『ハーレツ』、11月30日)
米国は「毀誉褒貶甚だしいが、かれが冷戦構造を形成した」(NYタイムズ)
「権力こそが最大の媚薬であると信じた世界情勢の巨人」(英紙『タイムズ』)
キッシンジャーは反日家だった。日本での講演はべらぼうな額をふっかける「商売人」の側面が強くあった。
そ���はともかくとして、現在のブリンケンもサリバンも、最後のパンダハガーの威圧的風圧に比べるとその力量たるや、軽い、軽い。
平林たい子が中曽根を評して「鉋屑(かんなくず)のように軽い」としたが、バイデン政権における米国外交の担い手たちの軽きこと!
▼ロシアはいかなる反応を示したか?
モスクワタイムズは次のように報道した(11月30日付け)
「キッシンジャーは、冷戦時代に米国のソ連との緊張緩和の主要な立案者として、米国の外交政策だけでなく、ロシアの外交政策にも消えない足跡を残した。ウクライナ戦争中、ロシアと米国の対立が激化していることに深い懸念を表明する一方で、ウクライナのNATO加盟支持を途中から(23年5月から)主張するようになった。」
英誌『エコノミスト』で、「もし私がプーチン大統領と話したら、彼もまた、NATO加盟国であるウクライナのほうが安全だと言うだろう」とし、ロシアと中国の関係の将来については懐疑的だった。
キッシンジャーは同誌のインタビューで続けた。
「両国間の制限のないパートナーシップの公式宣言にもかかわらず、北京とモスクワ双方での相互軽蔑を感じた。私は中国について良いことを言ったロシアの指導者に会ったことがない。そして、ロシアについて良いことを言った中国の指導者に会ったことがない」
クレムリン宮殿は下記のプーチン談話を発表した。
プーチンはキッシンジャー氏を「優れた外交官、賢明で先見の明のある政治家」と評し、「外交政策への現実的なアプローチはヘンリー・キッシンジャーの名と密接に結びついており、国際的な緊張緩和を実現し、世界安全保障の強化に貢献した最も重要なソ連・アメリカ協定を締結することを可能にした」と評価した。ホンネとはとれない。
最後にキッシンジャー路線とは距離をおく情勢の流動化のなか、米国の「レーガン基金研究所」が11月30日に発表した世論調査では「中国が台湾侵攻した場合、アメリカ国民の72%が台湾独立を支持する」とした。
NYタイムズは台北総督府で蔡英文総統にインタビューを行った。これも異例の珍事である。
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昨日沖縄で開かれた「『台湾有事』を起こさせない・沖縄対話プロジェクト」のシンポジウムは現状維持と平和を目指す台湾社会への無理解と侮蔑的な姿勢が重なった。特に沖縄タイムスの宮城栄作編集局長による台湾に対する筋違いの図々しい「要求」は台湾側の神経を逆撫でする対話とは正反対で今後の議論を困難にしかねない衝撃はあった。 シンポジウムは昨年10月に行われた「沖縄対話プロジェクト」の発足イベントに続いて行われたもの。台湾側から2名の識者を招き、沖縄の「識者」と議論する形だった。台湾側の2名は一般的にそれぞれ民進党と国民党の立場に近いとされているものの、見識を深く備えた学者である。シンポジウムはまず10月に行われた発足イベントの議論内容の紹介から始まった。10月の内容自体が台湾海峡の現状と構造を全く正しく認識できていないものだったが、今回のシンポはそれを踏まえる形式をとって始めてしまった(10月イベントの詳細は下記ツイートをご参照ください)。 すでに嫌な展開となったがその後の稲嶺恵一元知事の基調講演や招かれた台湾側識者2名のプレゼンは時間やまとめ方などテクニカルな問題を除けば大変有意義だった。これはシンポの流れも改善されるかと失望状態から少しだけ希望を持ちはじめてすらいた。しかし、次に行われた沖縄側の一部識者のコメントや対話「台湾有事を起こさせない」沖縄対話プロジェクトの趣旨は賛同だが、発足イベントの報道みて失望した。沖縄タイムスによれば「台湾側には現実的な危機感は薄く、『日米政府が危機をあおり続けている』といった指摘に来場者は熱心に耳を傾けた」とのこと。台湾の一般的な認識を見事に歪曲してくれた。 セッションでのやりとりで再び失望した。コーディネーター(司会)である前泊博盛氏による台湾への理解が全くないからなのか要領を得ない質問の振り方は失望の象徴である。台湾側の識者は彼らにとって外国語である日本語で台湾有事の引き金を引くのは中国であって、ボールは台湾側になく、有事を招かないよう台湾は抑制的に振る舞っていることを懸命に説明し、有事の可能性についても台湾海峡の情勢を踏まえて冷静に論じた。だが、前泊氏は「どう台湾有事の可能性はないと2人に言わせて帰すか」「戦争はない、有事はないと2人にどう伝えるか」などあたかも両名が好戦的であるかの前提で議論を振り続けた。途中で「台湾が武力衝突を回避してきた知恵は何か」との質問を振っていたが、それこそ「台湾独立」など有事を招きかねない動きを台湾社会全体はバランス感覚を持って抑制してきたとともに、中国を台米日などで淡々と抑止して中国による台湾侵攻を先送りさせてきたからにほかならない。 その認識も共有せずにコーディネーターをやっていたのならあまりにも準備不足だったと言わざるをえない。そして沖縄側の識者として出た高嶺朝一氏(元琉球新報社長)は「(有事は)ないでしょう笑」と一笑に付した上で、「あってほしくはありません」と言った。台湾側もあってほしくないと平和を求めているにもかかわらず、嘲笑的態度だったのが前泊氏の振り方も相まって実に失礼に思えた。続けて高嶺氏は台湾側論者が例示した米国高官による2027年までに台湾危機が顕在化するとの警告について「(高官は)次の仕事を探すため���そういう発言をする、煽られないように気をつけないといけない」と反論した。これはシンポで議論する上であまりに雑な扱いだ。求職活動のためという目的が含まれていたとしても政府・軍高官がなぜ公聴会やインタビューなどの公式や公の場でそのような発言をするかといえばシグナルの役割があるわけで、それは何の意味をもつかを着目して分析する必要がある。 2027年までに台湾侵攻を中国が整える可能性が言及されているのは、中国の経済力と軍事力の強化に伴い、台米日等による対中抑止力とのギャップが埋まりつつあり、野心的な指導者(習近平氏)の登場で台湾の武力統一の可能性が過去と比較して高まりつつあるからでそれをこれまで通り有事を先送りさせるために防衛強化が必要なことを訴えるためだ。本当に侵攻が起こる可能性はまだ低いものの、有事の目を摘むための防衛強化議論が各国として必要となっているがゆえの発言だ。煽っているのは確かだが、それによってようやく必要な防衛強化議論ができるわけで、その背景を踏まえて台湾側の識者は例示をしている。前提のおかれた専門的な見方を揚げ足をとるように一蹴して議論の発展を期さないのは全く対話の姿勢が感じられない。そしてとどめを刺したのは対話セッション終了後にコメンテーターとして登壇した沖縄タイムスの宮城栄作編集局長の次の発言だ。 「台湾の人たちも有事にならないように、あるいは日本や沖縄に迷惑をかけることのないようなしっかりした世論を築いていっていただきたい」。一体何様のつもりであるのか。この発言は台湾で昨年行われた世論調査で台湾有事に自衛隊が参戦するかとの問いに参戦を信じると答えた割合が4割を超えていたことを受けてのものだ。確かに憲法9条をはじめとした制約を理解している人からすれば台湾社会の日本に対する理解不足は目につくが、これは台湾政府や台湾の専門家も危機感を覚えている。 日本が有事に際して直接台湾に自衛隊を派遣することはないと台湾の政策担当者は誰もがわかっているし、誤った認識の自国社会に現実を理解してもらい、台湾は台湾自身で守るのが前提で、対中抑止強化をまず自国で高めようと注力している。そもそも自衛隊の参戦期待は一昨年の調査では5割を超えており、日本への過度な期待は落ち着いてる傾向だ。せめて「台湾にも日本の政策や理念への理解を深めてもらいたい」など相互理解を前提にした指摘をすればよかった。 台湾社会は70年以上戦争の脅威に直面し続け、大国間に揉まれながらも有事を回避して平和を保とうとバランス感覚を身につけ、それこそ迷惑にならないよう成熟してきた。そんな台湾社会に「迷惑をかけるな!ちゃんとした世論を作れ!」と要求するのは台湾をどこまで愚弄すれば気が済むのかと本当に怒りを覚えた。シンポのアーカイブを見た台湾政府にいる友人はこの発言を受けて「そんなに迷惑な存在だと思われてるということは沖縄の主流民意は台湾が中国に統一されることを望んでいるのか」と私に聞いてきたが、「わからない」と答えることが精一杯だった。ここまでで名前をあげた方々には強い言葉で申し訳ないが次の言葉を贈りたい。恥を知れ、と。 それほど今回のシンポには失望を通り越して絶望した。救われたのは山本章子先生(琉球大)が最後に発言されたウィットに富んだ次のコメントである。「議論のスタート地点を明らかにした意味で有意義だった。願望や政治的主張でなく現実として我々が今のどこに立っているのか台湾と沖縄のそれぞれの立場から確認できた。今後も事実として我々が今どこに立っているのか、立たされているのか絶え間なく確認したい」。このコメントに私は全面的に同意するとともに沖縄の識者にこの言葉が通じることを私は期待している。 また同じく沖縄側で出席した神谷美由希氏の姿勢もありがたかった。台湾や中台関係についてわからないから知りたいとの姿勢は対話において重要に思えたし、台湾側もそれにうまく応える環境が整っていればよかったのにと悔やまれる。そして、台湾側も同じように沖縄が何を考えているのか自分たちの考えを理解してもらいたいのと同じように知る上で、神谷氏の姿勢は学ぶところがあったと思う。 ここまで感情的な点も含めて今回のシンポジウムについて長々と書いてきたが、改めて最大の問題は基本的な知識と理解が欠如して相手に対して敬意ある姿勢を示すことができずに対話にならない点と指摘する。プロジェクト主催者には中国や台湾の専門家を名乗る人物も含まれているが、彼らは明らかに台湾や中台関係に対する認識とそのフレームが20年以上前の状態から更新されず、見方が政治的にも偏ってしまい、現在の台湾の主流民意を理解できていないことが窺える。あと2回のシンポをどのように展開するのかわからないが意義ある対話が今後できるとはとても思えない。 プロジェクトを継続して健全に発展させたいなら早急に最も簡単なものでいいから台湾に関する基本書籍を読むか然るべき人からレクチャーを受けてほしい。最後には台湾政府にもプロジェクトのまとめとして意見書を提出するようだが、今回のシンポの内容を見る限りとてもじゃないがまともに内容を相手にしてくれないだろう(出すことが目的化しているなら気にしないだろうが)。今回のプロジェクトがせっかくの機会だったのは間違いない。台湾と沖縄はともに「帝国」の狭間で翻弄された歴史をもち、自分たちの権利や主権が蔑ろにされてきた過酷な運命を背負ってきた。 相互理解とともに平和を求める共通の利益も本来あるはずだ。歴史的経験と共同体の記憶の違いから埋めがたい差があるものの、それを乗り越えて大袈裟に言えば東アジアの平和のパートナーの一例になる契機にもなり得た。だから他の人が私に「出席者みたら無意味だとわかる」「沖縄左翼の自己満足」と批判してきても趣旨に賛同して期待もし続けた。 対話は相手を尊重し、まずは受け入れることが重要だ。今回、対話を仕掛けた側は本当にその姿勢をもっていたのか。結果を見る限り、それは全く感じられない。何度でも言うが、台湾は有事を起こそうとはしていないし、日本や沖縄を巻き込もうとも思ってない。私を含めて多数の台湾人は日本に参戦しろとも求めていない。過去70年以上、中国による台湾全面侵攻を回避し続けた事実とその経験をもとにこれまで通り一緒に平和を求めていこう、そのために協力することがお互いの利益にもなるはずだとの考えである。 それは端的に言えば中国の現状変化にあわせて台米日も対中抑止の度合いを変えるという長年の構造を継続しようというものだ。よく中国は経済関係上重要な相手で対中抑止を行うことはむしろ国益に反するとの主張を聞くし、今回のシンポで前泊氏などが中国との経済関係を例に挙げたが、これまでも対中抑止を続けながら経済関係を発展させてきたわけで尖閣諸島での対立激化時のレアアース禁輸や米中のハイテク覇権争いなど個々の特異な事象を含めて全体として対中抑止と経済活動の両立という構造が大きく変わっているわけではない。 中国が軍事拡張を続けているのにそれに対応しない方がこれまでの東アジアの平和と安定の構造を変えようとする新しい動きだ。その結果として中国の台湾侵攻など台湾有事を招けばサプライチェーンは破綻し、抑止強化反対の理由に使われる経済的利益すら守れずに失われる。だからこそ対中抑止は日本の利益でもあるはずだ。現在日米で進む抑止強化の方法に問題や議論の余地があるのは確かで、かつ経済面の抑止力が過小評価されていることも確かだ。 それを議論することは重要だし、これまでの平和の方法論に異論があれば、歴史と事実を踏まえた上で新しい平和の形を議論していくこともできる。対話を名乗り、仕掛ける以上は議論に必要なものは何かを理解して臨んでほしい。沖縄対話プロジェクトにもう期待はないが、残りが少しでも実りあるものになればと祈る。
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