#比翼連理の桜
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桜の季節を迎えました。
今週は、私がTBS系テレビドラマ「VIVANT(ヴィヴァン)」の放映で注目された陸上自衛隊の秘密情報部隊「別班べっぱん」について、ダイレクト出版のビデオ講座で〝証言〟したものをご紹介します。
下記は、ダイレクト出版のPRですが、ご覧頂ければ幸甚です。
連載中の「金王朝の歴史」は、「金正日による日本人拉致」のうち、「日朝首脳会談」について書きました。
近日中に五島列島・宇久島をモデルに「故郷の防衛戦略」というビデオ講座を発売します。乞うご期待!!
//////編集部からのお知らせ//////
「皆さん、私が嘘を言っていると思いますか?
“コレ“が嘘であればいいですね。」
自衛隊元陸将・福山隆先生が
不敵な笑みを浮かべながらそう話した時、
スタジオは静まり返っていました…。
というより、“先生の話す
「あまりに現実離れしたストーリー」に、
その場の全員が飲まれていた“と
言った方が正しいかも知れません…
先生の口から語られたのは…
誰も知らなかった日本人スパイの裏面史…
私たち日本人が知らなければならない…
自衛隊のもう一つの姿でした…
↓
=====
From 福山隆
「ミサイル発射や
核開発を進める北朝鮮。
日朝関係は、常に緊迫した状態だ。
正しい状況判断をするための手立ては
『金王朝の歴史』を熟読することである」
金王朝の歴史(50)
金正日による日本人拉致(4)日朝首脳会談
今から20年以上も前、
時の総理の小泉純一郎と
北朝鮮の金正日が
初めて対面する
「日朝首脳会談」が行われ、
拉致被��者5人の帰国が実現した。
北朝鮮はその後、
金正日に引き続き
後継者の正恩も
核ミサイル開発に狂奔し、
世界の中では孤立化の道を
突き進んでおり、
日朝の対話も進展が見られない。
残念なことに、
今も12人の拉致被害者は
帰国できないままである。
〇 第一回日朝首脳会談
2002年9月17日、
小泉純一郎首相(当時)が
北朝鮮の平壌を訪問し、
金正日と会談した(日朝首脳会談)。
金正日は、その席で、
日本人13人を拉致したことを認め、
「遺憾なことであり
率直におわびしたい。
私が承知してからは、
関係者は処分された」と
口頭で謝罪した。
また、犯人については、
「特殊機関の一部の盲動主義者らが、
英雄主義に走って
このような行為を
行ってきたと考えている」とし、
関係者はすべて
処罰したと述べた。
金正日の
「特殊機関の一部の盲動主義者らが、
英雄主義に走って
このような行為を行ってきた」
という言い訳は、
明らかに嘘である。
金正日自らが首謀し、
指揮を執ったのである。
「嘘と誤魔化し」は、
彼らの本性とさえ言える。
この際、日本側が
安否確認をしたことに対して、
北朝鮮側は地村保志さん、
浜本富貴恵さん、蓮池薫さん、
奥土祐木子さんの4人の
「生存」を明らかにし、
横田めぐみさん、田口八重子さん、
市川修一さん、増元るみ子さん、原敕晁さん、
松木薫さん、石岡亨さん、有本恵子さんの
8人を「死亡」と発表した。
更に、日本側も
把握していなかった
曽我ひとみさんの拉致・生存と、
横田めぐみさんの娘の生存も
明らかにした。
久米裕さん、曽我ミヨシさんについては
入国自体を確認できないとした。
北朝鮮側は「死亡」したとされる
8人に関する「死亡診断書」などの
情報を提出したが、
これらはすべて
捏造であったことを
日朝実務者協議
(2004年11月)で認めた。
この首脳会談で、
「2国間の懸案を解決し、
国交正常化へ努力する」ことを記した
「日朝平壌宣言」を
発表した。
同宣言には
書かれていないが、
小泉首相は「拉致を認め
被害者を帰国させれば
100億ドルを払う」と
約束していたという
(元北朝鮮外交官・太永浩)。
日朝平壌宣言では
「国交正常化の後」、
「経済協力を実施」することと
なっているが、
日本政府は
「拉致問題の解決なくして
国交正常化はありえない」と
当然のスタンス��
維持している。
その後の交渉で、
北朝鮮が生存していると証言した
5人の拉致被害者については、
一時帰国を条件に
2002年10月15日に
帰国が実現した。
交渉は外務省アジア大洋州の
田中均局長(当時)と
“ミスターX"の間で行われた。
田中局長は
「生きている拉致被害者を
4人から5人程度出せばいい」と提案、
北朝鮮側が了承し、
5人の一時帰国が実現した。
こんな提案を行った
外務省の田中局長は、
実に薄っぺらで、いい加減で、
無責任極まりない人物と
言わざるを得ない。
こんな外交官が日本の外務省の
局長になるのであれば、
我が国の外交は寒心に耐えない。
日本政府は
世論や拉致被害者家族会の
要望などにより、
一時帰国した5人の被害者を
「北朝鮮へ帰す」ことを拒否し、
5人の家族の帰国も
要求する方針をとった。
このため、北朝鮮側は
「日本政府に対し約束違反だ」と
主張した。
このような北朝鮮政府の抗議により、
その後の交渉は、
北朝鮮政府が
「日程を決めない」
などした為に中断した。
第一回日朝首脳会談で、
金正日が、
一連の拉致事案や工作船事案を
認めて謝罪した事で、
拉致を巡る世論は一変した。
マスメディアは連日、
日本人拉致問題を報道して
北朝鮮を激しく糾弾し、
国民の多くは
北朝鮮に対する制裁を
強く訴えるようになった。
韓国の東亜日報は、
当時の日本国民の激怒の有様を
「憤怒」と報じた。
報道の世界における
「タブー」として有名であった
北朝鮮の呼称方法
――「朝鮮民主主義人民共和国」――が
一斉にマスメディアから姿を消し、
単純に「北朝鮮」と
呼ぶ様になった。
日本人拉致問題を
「でっちあげ」と言い続けてきた
朝鮮総聯は、
本国から梯子を
外された格好となった。
朝鮮総聯は、
「拉致事件に怒りを覚えた
一部の日本人によって
チマチョゴリを着用した
女子生徒への嫌がらせ事件
(チマチョゴリ切り裂き事件)や
朝鮮学校生徒への暴言・
暴行がある」と主張したが、
日本の警察は、
それらの事件について、
「政治的背景はない」と
クールな判断を示した。
在日朝鮮人社会のショックは、
相当なものであった。
在日朝鮮人で
詩人の金時鐘は
「植民地統治を強いられた
被虐の正当性も、
これで吹っ飛んだ
気にすらなった」と嘆いた。
北朝鮮に対して、
比較的友好的な立場を採っていた
日本人の一部(左翼)は、
日本の世論の大転換を
目の当た��にして、
日本人拉致事件について
言及せざるを得ない状況に
追い込まれた。
日本人拉致事件���
「捏造・デッチ上げ」と
主張していた人々は、
事実認識の誤りを撤回して、
謝罪を迫られる状況に
追い込まれた。
〇 第二回日朝首脳会談
2004年5月22日、
小泉首相は2度目の
平壌訪問を果たし、
日朝首脳会談を行い、その帰途に、
蓮池・地村夫妻の子供たちを伴って、
祖国日本への帰還を叶えた。
また、曽我ひとみさんの場合は、
夫が脱走・亡命した
元アメリカ兵であるゆえ、
アメリカ軍による
軍法会議訴追の問題があるため、
北朝鮮政府側に執拗に
北京での面会を求めたが拒否され、
同年7月に
インドネシアのジャカルタで
家族と再会し、
その後、
日本に帰国を果たした。
〇 拉致被害者問題は解決が困難な重い課題――
一段と進む被害者家族の高齢化
北朝鮮が核ミサイル開発する中、
我が国は米国などと
制裁を課しているが、
これを解決する
決め手はない。
拉致被害者等は
令和の時代に至るも
全く進展していない。
拉致被害者等は、
事実上の「人質」であり、
日本国民・政府にとって
極めて重い課題として
今後も推移することだろう。
この20年余で、
政府が認定している
拉致被害者のうち、
安否が分かっていない
12人の親で、
子どもとの再会を果たせずに
亡くなった人は、
8人に上る。
このうち、市川修一さんの
父親の平さんは
2014年に99歳で亡くなった。
2020年には、有本恵子さんの
母親の嘉代子さんが94歳で、
横田めぐみさんの父親の
滋さんが87歳で死去するなど、
高齢化が進む中、
肉親との再会を果たせないまま
他界する親が相次いでいる。
健在な親は、
横田めぐみさんの母親の
早紀江さん(88)と
有本恵子さんの父親の
明弘さん(96)の
2人だけとなっている。
被害者のきょうだい世代も
高齢となり、
体の不調を訴える人が
多くなっていて、
2021年12月には、
被害者の家族会代表を
14年にわたって務めた
田口八重子さんの兄の
飯塚繁雄さんが83歳で死去した。
拉致問題は、今年、
最初の事件発生から47年、
北朝鮮による
拉致被害者家族連絡会が結成されて
27年が経過した。
家族は「親の世代が
被害者と抱き合うことなしに
拉致問題の解決はない」として、
政府に全力の
取り組みを���めている。
戦後の平和憲法・
憲法9条下の日本は、
外敵から国民の生命財産を
守れない体制にある。
一刻も早く、この
〝ハンディキャップ状況〟から
脱しなければならない。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神��規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴���衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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Sakura of marital vows / 比翼連理の桜 (English & 日本語)
Recently every morning I make it a rule to go for a walk in order to see a sakura which I named 比翼連理の桜HIYOKURERNNRI NO SAKURA.
比翼連理 is very old phrase which we can find in Chinese poem called 長恨歌CHOGONKA. It is a long poem telling the story of emperor玄宗GENSO and his wife楊貴妃YOUKIHI. The emperor loved his wife so deeply, but loved too much. His attitude got his nation destabilized. The rebel army attacked the capital and 楊貴妃YOUKIHI was killed.
玄宗GENSO was left alone in deep grief, and remembered their promise. 'When we are in the sky, we are going to become a 比翼NOの鳥HIYOKU NO TORI', 'When we are on the ground we are going to become a 連理の枝RENRI NO EDA'.
'比翼の鳥HIYOKU NO TORI' is a imaginary bird. Both male bird and female bird have only one eye and wing. So when they try to fly, they must make their bodies one and fly together.
連理の枝RENRI NO EDA is a word refers to two trees and their branches. Originally they were two trees. But branches fused and as a result of it the two became like one tree.
The word 比翼連理HIYOKURENRI is known as the word expressing a deep love of a couple in today's Japan.
A sakura tree which I named 比翼連理の桜HIYOKURENRI NO SAKURA. This tree is pretty big and stands next to the national road in Mitsuhashi. But many drivers don't see it even its flowers are in full bloom because those pink flowers are covered with green leaves. Approaching it on foot we can find thick vine creeping along the tree's trunk. Its foliage covers whole tree and prevent drivers from finding the tree. The vine and the tree looks as if they were fused.
我が家から100mくらいのところに、私がひそかに「比翼連理の桜」と呼んでいる一風変わった桜の木があります。「比翼連理」といえば長恨歌にあるフレーズです。善政を行うのに疲れ果てた唐の玄宗皇帝は、美女楊貴妃を寵愛しますが、そのため国を揺るがす動乱が生じます。楊貴妃は戦乱の中で殺され、失意の玄宗は幸せだったころに二人で取り交わした約束を思い出すのです。
「天に在りては願わくは比翼の鳥と作らん、地に在りては連理の枝と為らん」
比翼の鳥とは、雌雄ともに一つ目・片翼しかない鳥で、飛ぶためには二羽が身を合わせる必要があります。連理の枝とは、二本の木のそれぞれの枝が融合して一本の木になったように見えるものを言います。転じて比翼連理とは夫婦や恋人の中が睦まじいことを言うのですね。
私が比翼連理の桜と呼ぶこの木は、まさに連理の枝なんです。国道のすぐわきになっているのに、花がみつかりづらい。なぜかといえば、絡みついた太い太いつる草が、桜の木をも、花をも、覆っているからです。近くに寄ってみるとわかるでしょう。つる草がすっかり木の幹と融合しているそのすがた。枝と枝ではありませんが、生き物が溶け合うその姿からは、人もかくあるべしという声が聞こえてきそうです。
MAP
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[C.R.A.C.NORTH]札幌市白石区民センターで開催予定のアイヌに対するヘイトスピーチ講演会を承認取消あるいは利用制限してください
貸室施設利用制限要望書 2019年8月29日
北海道知事 鈴木直道殿 札幌市長 秋元克広殿 札幌市白石区役所 区民センター 担当者殿
C.R.A.C.NORTH
要望
9月21日(土)、的場光昭・小野寺まさる講演会「あなたもなれる?みんなで“アイヌ”になろう?」(主催: 日本会議北海道本部)が札幌市白石区民センターで開催されると告知されている。講演会の「あなたもなれる?みんなで“アイヌ”になろう?」という題目は、アイヌの独自の民族としての一体性を否定し、誰でも“アイヌ”というものになれるのだと民族的アイデンティティ(帰属意識)を剥奪したヘイトスピーチ(差別煽動表現)である。
ここでアイヌに引用符がつくのは、自分たちは決してアイヌを否定しているわけではなく、民族としての独自性を有している人がもういないと主張しているのであって、アイヌにルーツを持つ日本国民とアイヌではない日本国民に異なる権利はなく、ともに「日本人」と同じのものとしては認めているのだというエクスキューズを込めているとも考えられるが、いずれにせよ、彼/女らは、現在、名乗られるアイヌというものは、「日本人」にない福祉資金援助や民族文化振興のための予算を不正に取得するために捏造されているのだと主張しているのである。このようにして、本講演会の題目は、アイヌの民族としての独自性を否定し、アイヌではない「日本人」と同じように扱うべきだと「同化強要」をしているが、先住民族は強制的に同化させられない権利を有している(「先住民族の権利に関する国際連合宣言(以下、先住民族宣言)」第8条)
さらにこの題目は、告知を読んだ人間ひとりひとりに、あなたもアイヌになれるかもしれない、みんなアイヌになろうかと誘いかけており、さも笑える冗談のような書きぶりでありながら、差別煽動性に充ちている。差別的意識を助長し誘発するこの告知の段階で既に、アイヌに対する差別を禁止した「アイヌの人々の誇りが尊重される社会���実現するための施策の推進に関する法律(以下、アイヌ施策推進法)」に違反している。 次に第1部の的場光昭氏の演題は「科学的アイヌ先住民族否定論」であるが、「先住民族」は近代以降の植民地化や国境画定によって一方的に国家に統合され、そのために国際法に基づいて政策を展開する上で必要な規準に適した人々を指す用語であり、「科学的」に否定可能なものではない。的場氏は今年2019年6月2日の講演会で、「文献的、考古学的、分子生物学的知見に基づくと、“アイヌは北海道の先住民族ではない”と科学的には判断せざるを得ない。アイヌを“先住民族”として利用する周辺諸国、そして国内の革命勢力があることにアイヌ系日本人自身が気づいてほしい。」と発言しているが、彼は学問用語の誤った把握や史料批判の欠けた事例提示によって、とにかくアイヌ民族を「朝鮮人労働者」や「北朝鮮」または「被差別部落民」と結びつけようとしている。また遺伝子研究を間違った形で流用することによって先住民族としての地位を貶め、民族的アイデンティティを否定できるとする。例えば、北海道の縄文文化人の末裔とオホーツク文化の人々の間の「遺伝子交流」として説明した分子人類学者の文章を、的場氏が、縄文人がオホーツク文化の人々と入れ替わったと曲解し、アイヌより先に異なる民族がいたとしてアイヌは先住民族ではないと主張するのである。
先住民族が共有する民族的アイデンティティが「科学的」に否定可能なものであるという主張は、1950年以来、ジェノサイドにまでおよぶものとして、国連教育科学文化機関によって疑似科学と認められた優生学思想および科学的人種差別主義に基づいている。
また第2部の小野寺まさる氏は、元道議という公人でありながら、ツイッターなどのSNSやチャンネル桜北海道などの動画配信ニュース、講演会等でアイヌ民族否定を積極的に繰り返している人物である。今年、3月18日に開催されたアイヌ施策推進法をテーマとした小野寺まさる氏の講演会は、アイヌの自治区に中国共産党が入って治外法権になるという陰謀論的主張で、そこに同和がアイヌになりすましているという「なりすましネタ」や「アイヌのさじ加減ひとつでアイヌになれる」などの民族的アイデンティティを否定したヘイトスピーチが入っている。5月25日に北海道立道民活動センター「かでる2.7」でわたしたちの抗議にもかかわらず残念ながら開催された講演会では、アイヌ協会会員資格と生活・教育支援のために道が行う生活実態調査の対象者、それとアイヌ民族としての帰属意識を恣意的に混同させるもので、まさにアイヌに対するヘイトスピーチを行うネット右翼のお手本のような主張をしていた。したがって、本講演でもアイヌに対するヘイトスピーチが出る相当程度蓋然性が高い。 つまり、本講演会は、題目がアイヌに対するヘイトスピーチであり、講演者の講演内容もヘイトスピーチである蓋然性が相当程度高いと云える。
5月24日に施行されたアイヌ施策推進法はアイヌが先住民族であることを法文に定め、またアイヌ差別を禁止した初めての法律である。
この第4条「何人も、アイヌの人々に対して、アイヌであることを理由として、差別することその他の権利利益の侵害をする行為をしてはならない」はアイヌ差別禁止について規定している条文であり、また第5条は「国及び地方公共団体は、前2条に定める基本理念にのっとり、アイヌ施策を策定し、及び実施する責務を有する」と、アイヌ差別禁止のための施策を地方公共団体が策定し実施する責務があることを定めている。また「アイヌの人々に対する差別を根絶し、アイヌの人々の民族としての誇りの尊重と共生社会の実現を図る」ためには、「アイヌに関する教育並びにアイヌへの理解を深めるための啓発及び広報活動の充実に向けた取組を推進すること」とあわせて、「本法第4条の規定を踏まえ、不当な差別的言動の解消に向けた実効性のある具体的措置を講ずる」必要があることが参議院国土交通委員会附帯決議で明確にされている(2019年4月18日)。したがって道および札幌市はアイヌ差別禁止について実効性のある具体的措置を講ずる責務がある。
次にアイヌ施策推進法の国会審議において、「民族としてのアイヌなんてもういない」といった趣旨の発言が同法に禁止されるアイヌに対するヘイトスピーチの事例として挙げられた(衆議院 国交委員会 4月10日)。また、「差別を受けないといったことについての権利が国連宣言の中にあ」り「第4条のところで、アイヌの人々に対する差別の禁止に関する基本理念を示して」いると答えた(同上)。さらに国務大臣の「アイヌの方々を明確に差別することを目的としたヘイトスピーチはこの条文に反する」という答弁(同上)、大臣政務官の「第4条においては、アイヌの人々に対してと規定しており、必ずしも個人を対象としない差別的言動も本条に反する」という答弁があった(参議院 国交委員会 4月18日)。
ここから導き出される政府の法第4条の解釈指針:
・アイヌに対する差別的取扱いのみならず、差別的言動をも禁ずる ・アイヌの民族的アイデンティティを否定する言動をヘイトスピーチとして禁ずる ・先住民族宣言、とくに第2条と第8条に基づき、アイヌ差別を禁ずる ・明確にアイヌの人々を差別することを目的としたヘイトスピーチを禁ずる ・アイヌ個々人に対するものだけではなく、集団に対するヘイトスピーチも禁ずる
札幌市議会では「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません。」および「私も選挙に落ちたら○○○になろうかな」(文脈上○○○にはアイヌが入る)という発言がヘイトスピーチであると認められた(2014年9月22日 「金子やすゆき議員に対する議員辞職を求める決議」)。今回の講演会の趣旨はこれらアイヌの独自の民族としての一体性を否定し、民族的アイデンティティを剥奪するヘイトスピーチだと公的に認められた文言と同じだと分かる。
道や札幌市は地方公共団体として、政府が国会審議で示したアイヌに対するヘイトスピーチ禁止に関する指針および札幌市議会で示された民意に沿って、アイヌに対するヘイトスピーチを防止し是正するための効果的な措置(先住民族宣言 第8条)する積極的な措置をとるべきである。
周知の通り、公の施設は「住民の福祉を増進する目的」で設けられており、住民の利用は「正当な理由」がない限り拒んではならないと定められている(地方自治法第244条)。したがって白石区民センターは、憲法、地方自治法等の観点からその利用申請を原則として許可する必要がある。
しかし同時に、21日の講演会はアイヌ差別を目的とした違法なヘイトスピーチであり、その目的を秘して利用承認を得たといえ、承認取り消しまたは利用制限の対象となり得るというべきである(第9条、第10条)。
また、直ちに承認取消まで行うには躊躇がありうるとしても、札幌市区民センター条例上、「区民センター等の管理運営上必要があるときは、その使用について条件を付することができる」(第4条)とされている。利用に関する指示や利用状況の調査が十分に可能である。
これらの措置(承認に際しての条件付与、利用に関する指示、利用状況の調査)は、施設の利用自体を禁じるものではなく、あくまで施設の設置目的に沿うような利用となるように条件を付する、あるいは指示、調査をするという限度に留まるものであるから、利用の承認取消等の措置と比較しても利用者の権利制約の程度は至って低く、これらの措置を講じたからといって指定管理者に法的責任が発生するおそれは極めて乏しい。
他方、既に述べたとおり、「あなたもなれる? みんなで“アイヌ”になろう?」という講演の題目がヘイトスピーチであり、またヘイトスピーチが行われる蓋然性が相当程度に高いことに照らすと、むしろこれらの措置を講じることのないまま漫然と現実にヘイトスピーチが行われてしまうことを許してしまった場合の問題の方がより深刻だと理解すべきである。
したがって、指定管理者は、少なくともこれらの措置(承認に際しての条件付与、利用に関する指示、利用状況の調査)については、積極的に講じることを検討すべきである。
よって以下の2点を求める。
一、2019年9月21日(土)に告知されている「あなたもなれる? みんなで“アイヌ”になろう? 」講演会は、題目そのものがアイヌに対するヘイトスピーチであり、講演内容もヘイトスピーチである蓋然性が相当程度高い。したがってアイヌに対するヘイトスピーチが目的の違法な講演会だと云える。それを秘して区民ホールの利用承認を得ているので、承認を取り消すこと
二、あるいは承認に際しての条件付与、利用に関する指示、利用状況の調査をおこなうこと
理由
[目次]
1.札幌市に課されたアイヌ差別禁止の責務 1)アイヌに対するヘイトスピーチの定義と心身に及ぼす影響 2)アイヌ施策推進法第4条、第5条 3)国会審議で確認された法第4条とアイヌ差別についての政府の見解 4)道と札幌市のヘイトスピーチについての見解 2.的場光昭・小野寺まさる講演会がヘイトスピーチである理由 1)講演会の題目がヘイトスピーチである 2)これ���での両氏の講演会がヘイトスピーチであり、今回の講演会もヘイトスピーチである蓋然性が相当程度高い 3.行政的措置の法的根拠
添付資料 1、2
1.札幌市に課されたアイヌ差別禁止の責務
1)アイヌに対するヘイトスピーチの定義と心身に及ぼす影響
ヘイトスピーチとは、人種、民族、国籍、性などの属性を有する、その属性を理由とする差別表現であり、その中核にある本質的な部分は、マイノリティに対する「差別、敵意又は暴力の煽動」(自由権規約「市民的及び政治的権利に関する国際規約」第20条2項)、「差別のあらゆる煽動」(「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」第4条)である。
ヘイトスピーチはマイノリティに対して、芯からの恐怖と動悸、呼吸困難、悪夢、PTSD、過度の精神緊張、精神疾患、自死にまで至る精神的な症状と感情的な苦痛、実生活へのダメージまたは沈黙効果をもたらし、社会全体の差別構造を強化することもある。後述するように、日本も賛成票を投じた先住民族宣言では、先住民族は「いかなる種類の差別からも、特にその先住民族としての出自あるいはアイデンティティに基づく差別からも自由である権利を有する」と規定されており、「民族的アイデンティティを剥奪する目的または効果を持つ」行為及びヘイトスピーチが禁止されている。
日本において、アイヌに対するヘイトスピーチが知られるようになったきっかけは、2014年の金子やすゆき札幌市議(当時)のツイート「アイヌ民族なんて、いまはいないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません。」であった。
金明秀はアイヌ民族否定論のレトリックとして、①アイヌはすでに固有の言語や文化を失い、同化しているのでアイヌという「民族」はすでに存在しない、②和人との混血が進み、「純粋なアイヌ」は存在しない。したがってアイヌ民族は存在しない、③アイヌの言語や文化は地方によって異なり、ばらばらなのでアイヌという「一民族集団」は存在しない、④にもかかわらず、民族文化振興のための予算を不正に取得しているというものだと述べている(金明秀『レイシャルハラスメントQ&A: 職場、学校での人種・民族的嫌がらせを防止する』解放出版社、2018年)。アイヌに対するヘイトスピーチ問題は学術的に取りあげられており、すでに分析され概念化されているのであり、貸室利用制限にあたり重要な指針となる。
また、アイヌに対するヘイトスピーチは、排外主義的というよりは、その民族性を否定する内容が多いため、アイヌ民族以外の人間になかなかその差別煽動性が伝わりづらい面がある。しかしアイヌ民族が土地も言葉も奪われ、強制移住や伝染病、苛烈な差別による精神的被害などにより命を落とすほどの強制的な同化政策を受けていたことを考慮すると、アイヌに対するヘイトスピーチは未だ続く強制的な同化圧力の一部であり、「文化的ジェノサイド」に至るプロセスの途中にあると云える(参考: キム・トールベア(サンテ・ダコタ族、アルバータ大学准教授、先住民族研究)に���るインタビュー 「Violence against Indigenous people "very clearly" is genocide」)。
2)アイヌ施策推進法第4条、第5条
周知の通り、本年5月24日に施行されたアイヌ施策推進法は、アイヌが先住民族であることを法文に定め、またアイヌ差別を禁止した初めての法律である。
この第4条「何人も、アイヌの人々に対して、アイヌであることを理由として、差別することその他の権利利益の侵害をする行為をしてはならない」はアイヌ差別禁止について規定している条文であり、また第5条は「国及び地方公共団体は、前2条に定める基本理念にのっとり、アイヌ施策を策定し、及び実施する責務を有する」と、アイヌ差別禁止のための施策を地方公共団体が策定し実施する責務があることを定めている。また「アイヌの人々に対する差別を根絶し、アイヌの人々の民族としての誇りの尊重と共生社会の実現を図る」ためには、「アイヌに関する教育並びにアイヌへの理解を深めるための啓発及び広報活動の充実に向けた取組を推進すること」とあわせて、「本法第4条の規定を踏まえ、不当な差別的言動の解消に向けた実効性のある具体的措置を講ずる」必要があることが参議院国土交通委員会附帯決議で明確にされている(2019年4月18日)。したがって道および札幌市はアイヌ差別禁止について実効性のある具体的措置を講ずる責務がある。
3)国会審議で確認された法第4条とアイヌ差別禁止についての政府の見解
つぎに、アイヌ施策推進法案の国会審議において確認された法第4条とアイヌ差別禁止についての政府見解について認識を共有しておきたい。
衆参両院の国土交通委員会において非常に重要な質疑があった。まず政府参考人が「ヘイトスピーチにつきましては、例えば、民族としてのアイヌなんてもういないといったような趣旨の心ない発言が今も繰り返しなされている」と、「民族としてのアイヌなんてもういない」という発言がヘイトスピーチであることを例示した(衆議院 国交委員会 4月10日)。
また、「差別を受けないといったことについての権利が国連宣言の中にあ」り「第4条のところで、アイヌの人々に対する差別の禁止に関する基本理念を示して」いると答えた(同上)。
先住民族宣言において、差別からの自由を規定しているのは第2条「先住民族および個人は、自由であり、かつ他のすべての民族および個人と平等であり、さらに、自らの権利の行使において、いかなる種類の差別からも、特にその先住民族としての出自あるいはアイデンティティ(帰属意識)に基づく差別からも自由である権利を有する」、そして国が先住民族に対するヘイトスピーチを防止し、是正するための効果的な措置をとることを定めた第8条「1. 先住民族およびその個人は、強制的な同化または文化の破壊にさらされない権利を有する。2. 国家は以下の行為について防止し、是正するための効果的な措置をとる: (a)~(d)略 (e)彼/女らに対する人種的または民族的差別を助長または扇動する意図をもつあらゆる形態のプロパガンダ(デマ、うそ、偽りのニュースを含む広報宣伝)」である。
アイヌ施策推進法が先住民族宣言を踏まえるというこの質疑応答は、参議院国土交通委員会の附帯決議2「『先住民族の権利に関する国際連合宣言』の趣旨を踏まえるとともに、我が国のアイヌ政策に係る国連人権条約監視機関による勧告や、諸外国における先住民族政策の状況にも留意し、アイヌの人々に関する施策の更なる検討に努めること。 」に記された。附帯決議には国会審議の中で立法者(本法は内閣提出であるから当然に政府)の立法趣旨が明確にされている。附帯決議は、かかる意思を立法府としても明記したものである。
さらに国務大臣の「アイヌの方々を明確に差別することを目的としたヘイトスピーチはこの条文に反する」という答弁(同上)、大臣政務官の「第4条においては、アイヌの人々に対してと規定しており、必ずしも個人を対象としない差別的言動も本条に反する」という答弁があった(参議院 国交委員会 4月18日)。
ここから導き出される政府の法第4条の解釈指針:
・アイヌに対する差別的取扱いのみならず、差別的言動をも禁ずる ・アイヌの民族的アイデンティティを否定する言動をヘイトスピーチとして禁ずる ・先住民族宣言、とくに第2条と第8条に基づき、アイヌ差別を禁ずる ・明確にアイヌの人々を差別することを目的としたヘイトスピーチを禁ずる ・アイヌ個々人に対するものだけではなく、集団に対するヘイトスピーチも禁ずる
講演会承認の可否にあたり重要なのは、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(以下、ヘイトスピーチ解消法)」ではアイヌに対するヘイトスピーチは法の適用除外となっていたが、アイヌ施策推進法はその制限を乗り越えるものだということ、またアイヌ施策推進法ではヘイトスピーチの「解消」ではなく「禁止」と表現を強めていることである。第4条に罰則がなくとも、差別禁止が規定されることで、ある行為の違法性を裏づける根拠となり、その趣旨を民法の名誉毀損や不法行為などの解釈に利用することができるのである。
4)道と札幌市のヘイトスピーチについての見解
札幌市は、2014年第1回定例会(2月20日)において、札幌市議会における市長答弁「札幌市内においても、特定の人種や民族の存在を否定する、いわゆるヘイトスピーチが近年行われているということは承知をしておりますが、そうした集団や個人に対する差別的な言動というのは、まことに恥ずべきことでございまして、極めて遺憾である」と市長答弁という形で見解を明らかにしている。 2014年8月11日、当時札幌市議会議員の金子やすゆきがツイッターで以下の発言をして大き��批判を浴びた。「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっている不合理。納税者に説明できません。」 インターネットで批判が高まると、道新、毎日、日経、朝日、時事ドットコム、東京新聞、産経、ジャパンタイムス、NHK、HBC、HTB、テレビ北海道、日テレ、テレビ東京、など報道各社がとりあげる事態となった。高橋はるみ道知事(当時)は21日の記者会見で「道都・札幌の市議がこういう発言をしたのは���変残念」、菅義偉官房長官も25日の記者会見で「政府としてアイヌ政策の推進に積極的に取り組んでいる。政府の姿勢を理解されていないのは極めて残念だ」、北海道アイヌ協会の阿部一司副理事長は「いつアイヌがいなくなったのか教えてほしい。国も先住民族と認め、復権に向けて歩んでいるなかで、議員としてあまりにも不勉強で歴史を踏みにじる発言だ。国際的にも恥ずかしい」(8月17日 毎日)と述べた。「金子やすゆき市議のアイヌ民族差別発言を究明する共同実行委員会」は22日、公開質問状を出した。9月10日、ヘイトスピーチに反対する市民とわたしたちC.R.A.C.NORTHで構成するSAPPORO AGAINST RACISMがチェンジオルグ署名「アイヌ民族へのヘイトスピーチを撤回しない札幌市議会議員金子やすゆきに対する議員辞職勧告決議を求めます」に1万5千筆の賛同を得て、札幌市議会に請願をした。
9月22日、金子やすゆきの議員辞職勧告決議が自民党以外の賛成により可決。自民党も発言の撤回・謝罪・猛省を求める決議を提案した。大島薫議員は辞職勧告決議提案理由で「制度や事業の運用面で不備や不正と思われる点があれば、それを正していくことは当然のことと言えますが、利権、特権と断ずる根拠は何も示されていません。ましてや、「私も選挙に落ちたら〇〇〇になろうかな」との書き込みは、差別意識がそのままあらわされているものです。差別の再生産をやめようと言いながら、アイヌ民族に対する憎悪や差別を煽動しているのは金子議員自身であ」ると金子やすゆきの発言がアイヌに対するヘイトスピーチであることを指摘した。「私も選挙に落ちたら○○○になろうかな」との書き込みは文脈上○○○にアイヌが入る。この決議によって札幌市議会において金子やすゆきの発言「アイヌ民族なんてもういない」の他「アイヌになろうかな」という書き込みがヘイトスピーチであると認められたと云える。
道は上述の高橋知事のコメントの他、2016年にヘイトスピーチ規制法の制定が求められるなか「ヘイトスピーチ等への対策を求める意見書」(3月24日)を提出している。
金子やすゆきの「アイヌ民族なんて、いまはもういない」発言は、札幌市民、全国、さらには海外在住の人々から批判を浴びた。多数決が必ずしも正しいとは限らないことは何度も確認してあまりあるが、アイヌに対するヘイトスピーチを許さないことは、もはや大多数の支持を得られるはずであり、裏返せば、アイヌに対するヘイトスピーチを野放しにすることへの批判は免れ得ないはずである。
2.的場光昭・小野寺まさる講演会がヘイトスピーチである理由
1)講演会の題目がヘイトスピーチである
1-1で確認したとおり、アイヌ民族否定論のレトリックはアイヌ「民族」はすでに存在しないにもかかわらず、不正に民族文化振興のための予算を取得しているというものである。では、その不正に予算を取得しているのは一体誰なのかと論を進めると、アイヌになりすました在日コリアンや被差別部落民、中国共産党なのだと陰謀論が出てくる。
アイヌ施策推進法の国会審議においてアイヌの人々は「現在では、日常生活においては他の日本の人々と変わらない生活を営んでいるものの」「今日においても、アイヌの方々は、独自の言語、文化、伝統、また民族への帰属意識など、民族としての独自性を有して」いると政府によって確認された(衆議院 国交委員会 4月10日)。講演会の「あなたもなれる? みんなで“アイヌ”になろう?」という題目は、このようなアイヌの独自の民族としての一体性を否定し、誰でも“アイヌ”というものになれるのだと、民族的アイデンティティを剥奪したヘイトスピーチである。
ここでアイヌに引用符がつくのは、自分たちは決してアイヌを否定しているわけではなく、民族としての独自性を有している人がもういないと主張しているのであって、アイヌにルーツを持つ日本国民とアイヌではない日本国民に異なる権利はなく、ともに「日本人」と同じのものとしては認めているのだというエクスキューズを込めているとも考えられるが、いずれにせよ、彼/女らは、現在、名乗られるアイヌというものは、「日本人」にない福祉資金援助や民族文化振興のための予算を不正に取得するために捏造されているのだと主張しているのである。このようにして、本講演会の題目は、アイヌの民族としての独自性を否定し、アイヌではない「日本人」と同じように扱うべきだと「同化強要」をしているが、先住民族は強制的に同化させられない権利を有している(先住民族宣言 第8条)
また、このように誰でもアイヌになりすませるという文言が、ヘイトスピーチであることは、1-4で述べたように、札幌市議会によって確認されている。
2)これまでの両氏の講演会がヘイトスピーチであり、今回の講演会もヘイトスピーチである蓋然性が相当程度高い
的場光昭氏は、これまで『アイヌ先住民族その真実』、『アイヌ先住民族、その不都合の真実20』、『アイヌ民族って本当にいるの?』(すべて展転社)というデマや歴史否定に満ちた本を出版し、今回の講演会も自費出版の新著書『科学的“アイヌ先住民族”否定論』の販売が行われると告知されている。
今年2019年6月2日(日)に旭川で開催された同氏による「北海道、そして日本が危ない!」という講演は、9月21日開催告知の講演会内容と重なる。とくに問題と思われる部分を抜き書きした。(資料-2)
的場氏は「文献的、考古学的、分子生物学的知見に基づくと、“アイヌは北海道の先住民族ではない”と科学的には判断せざるを得ない。アイヌを“先住民族”として利用する周辺諸国、そして国内の革命勢力があることにアイヌ系日本人自身が気づいてほしい。」と発言しているが、彼は学問用語の誤った把握や史料批判の欠けた事例提示によって、とにかくアイヌ民族を「朝鮮人労働者」や「北朝鮮」または「被差別部落民」と結びつけようとしている。
また遺伝子研究を間違った形で流用することによって先住民族としての地位を貶め、民族的アイデンティティを否定できるとする。例えば、北海道の縄文文化人の末裔とオホーツク文化の人々の間の「遺伝子交流」として説明した分子人類学者の文章を、的場氏が、縄文人がオホーツク文化の人々と入れ替わったと曲解し、アイヌより先に異なる民族がいたとしてアイヌは先住民族ではないと主張するのである。
「先住民族」は近代以降の植民地化や国境画定によって一方的に国家に統合され、そのために国際法に基づいて政策を展開する上で必要な規準に適した人々を指す用語であり、「科学的」に否定可能なものではない。それゆえ、先住民族が共有する民族的アイデンティティが「科学的」に否定可能なものであるという主張は、1950年以来、ジェノサイドにまでおよぶものとして、国連教育科学文化機関によって疑似科学と認められた優生学思想および科学的人種差別主義に基づいている。
尚、的場氏は2009年7月5日(日)に北海道立道民活動センター「かでる2.7」で行われた差別主義団体「在日特権を許さない市民の会」(通称: 在特会)北海道支部主催の講演会「アイヌ問題を考える」の講師を勤めたが、講演会後、参加者が北海道アイヌ協会の事務所に侵入未遂事件を起こしている。また同氏は小野寺まさる氏とともに、2014年に金子やすゆき元札幌市議会議員の「アイヌ民族はもういない」発言を応援するセミナーに数回参加している。
これに対して、小野寺まさる氏は、元道議という公人でありながら、ツイッターなどのSNSやチャンネル桜北海道などの動画配信ニュース、講演会等でアイヌ民族否定を積極的に繰り返している人物である。今年、3月18日に開催されたアイヌ施策推進法をテーマとした小野寺まさる氏の講演会は、アイヌの自治区に中国共産党が入って治外法権になるという陰謀論的主張で、そこに同和がアイヌになりすましているという「なりすましネタ」や「アイヌのさじ加減ひとつでアイヌになれる」などの民族的アイデンティティを否定したヘイトスピーチが入っていた。3月18日に開催された小野寺まさる氏の講演会「北海道が日本で無くなる日~中国の土地爆買いとアイヌ新法の罠」の問題と思われる部分を抜き書きした。(資料-2)。5月25日に道立道民活動センター「かでる2.7」でわたしたちの抗議にもかかわらず残念ながら開催された講演会では、アイヌ協会会員資格と生活・教育支援のために道が行う生活実態調査の対象者、それとアイヌ民族としての帰属意識を恣意的に混同させるもので、まさにアイヌに対するヘイトスピーチを行うネット右翼のお手本のような主張をしていた。(資料-2)
9月21日に白石区民センターで行われる講演会は、前項で述べたとおり題目がアイヌに対する明白なヘイトスピーチである。次に、演題は的場氏「科学的アイヌ先住民族否定論」と小野寺氏「これまでのアイヌ政策・これからのアイヌ新法」というもので、これまでの両氏の主張と同内容である可能性が高い。しかし論旨自体がヘイトスピーチであるので、個別の発言に気をつけるだけでは、ヘイトスピーチを回避するのが困難だと云える。また、両氏は、これらの講演会以前から、アイヌや在日コリアンに対する差別的な発言をしている人物である。したがって、21日の講演会でも、アイヌに対するヘイトスピーチが出る蓋然性が高い。
3.行政的措置の法的根拠
前述のように、アイヌに対するヘイトスピーチを禁止したアイヌ施策推進法第4条、第5条及び参議院国交委員会附帯決議により、道および札幌市はアイヌに対するヘイトスピーチについて実効性のある具体的措置を講ずる責務がある。その際、道および札幌市は地方公共団体として、政府がアイヌ施策推進法の国会審議において示したアイヌに対するヘイトスピーチ禁止に関する指針および札幌市議会で示された民意に沿って、国の指示を待たずに積極的にアイヌ施策推進法の基本理念であるアイヌ差別禁止を実現するべく判断をすべきである。
1-3で述べた政府の指針によると、講演会の「あなたもなれる? みんなで“アイヌ”になろう?」という題目が、アイヌの民族的アイデンティティを否定するヘイトスピーチであることは明白である。したがってこの講演会が開催されれば、アイヌ施策推進法違反になる違法行為が白石区センターで起こることになり、道と札幌市は、市民の情報によりアイヌに対するヘイトスピーチ講演会であることを知っていながらみすみす違法行為をさせたことになる。
札幌市区民センター条例によれば、区民センターの設置目的は、「地域住民のコミュニティ活動の助長及び生涯学習の普及振興を図り、もつて地域住民の福祉の増進に寄与するため」であり、主催者である日本会議北海道本部の貸室施設利用の承認を取り消し、あるいは制限するのは「札幌市区民センター条例」にかなった措置である。またアイヌ民族に対するヘイトスピーチや差別的言動はアイヌ新法第4条で禁じられている違法行為であるから、白石区民センターは施設内で違法行為が起きないように措置をとるべきである。さらに、当日の講演会の様子を撮した動画があれば後日YouTube等にアップされる可能性があり、そこでもヘイトスピーチ被害が生じる可能性がある。
周知の通り、公の施設は「住民の福祉を増進する目的」で設けられており、住民の利用は「正当な理由」がない限り拒んではならないと定められている(地方自治法第244条)。したがって白石区民センターは、憲法、地方自治法等の観点からその利用申請を原則として許可する必要がある。
しかし同時に、21日の講演会はアイヌ差別を目的とした違法なヘイトスピーチであり、その目的を秘して利用承認を得たといえ、承認取り消しまたは利用制限の対象となり得るというべきである(第9条、第10条)。
また、直ちに承認取消まで行うには躊躇がありうるとしても、札幌市区民センター条例上、「区民センター等の管理運営上必要があるときは、その使用について条件を付することができる」(第4条)とされて���る。利用に関する指示や利用状況の調査が十分に可能である。
これらの措置(承認に際しての条件付与、利用に関する指示、利用状況の調査)は、施設の利用自体を禁じるものではなく、あくまで施設の設置目的に沿うような利用となるように条件を付する、あるいは指示、調査をするという限度に留まるものであるから、利用の承認取消等の措置と比較しても利用者の権利制約の程度は至って低く、これらの措置を講じたからといって指定管理者に法的責任が発生するおそれは極めて乏しい。
他方、既に述べたとおり、「あなたもなれる? みんなで“アイヌ”になろう?」という講演の題目がヘイトスピーチであり、またヘイトスピーチが行われる蓋然性が相当程度に高いことに照らすと、むしろこれらの措置を講じることのないまま漫然と現実にヘイトスピーチが行われてしまうことを許してしまった場合の問題の方がより深刻だと理解すべきである。
したがって、指定管理者は、少なくともこれらの措置(承認に際しての条件付与、利用に関する指示、利用状況の調査)については、積極的に講じることを検討すべきである。
以上。
貸室施設利用制限要望書20190921_決定版 https://drive.google.com/open?id=1kW8gwbVDEJBAWwTkmjiwQWEeclPV5eUu 貸室施設利用制限要望書20190921資料-1 https://drive.google.com/file/d/1eXSdXwil5VyMCbs0UiWSz-B1kP_9tAl-/view?usp=sharing 貸室施設利用制限要望書20190921資料-2 https://drive.google.com/file/d/1sQSrd3jY0bhFUsCrln5WMVP-rij3pAN-/view?usp=sharing
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最近、中国が新疆ウイグル自治区でおこなっている少数民族ウイグル人への弾圧問題が、世界でのホットなトピックになっている。国連人種差別撤廃委員会は2018年8月末、最大100万人のウイグル人が強制収容所に入れられているとの指摘を報告。米中両国の政治的対立もあり、最近は米国系のメディアを中心に関連報道が続いている。 【写真】筆者が撮影した新疆ウイグル地区の写真を見る(全8枚)
ますます厳しくなるウイグル人への締め付け
トルコ系のウイグル人が多く住む新疆は、チベット・内モンゴルなどと並び、20世紀なかば以降にやっと中国政府による直接支配が確立した地域なので、少数民族の間では独立や自治獲得を望む意向が強い。 だが、中国では1989年の六四天安門事件後、国家の引き締めのために漢民族中心主義的なナショナリズムが強化され、また経済自由化のなかで辺境地帯の資源・都市開発や漢民族による移民が進んだ。結果、2010年前後からは追い詰められた少数民族による大規模な騒乱が増えた。 少数民族のなかでも、イスラム教を信仰するウイグル人は、中国共産党にとっては「党以外の存在」に忠誠を誓っているように見える。彼らは人種や文化習慣の面でも漢民族との隔たりが大きく、中央アジアや中東との結びつきも強いことから、他の少数民族以上に強い警戒を持たれている。 結果、近年のウイグル人への締め付けはいっそう厳しくなっている。中国は現在、「テロ防止」を最大の名目として国内の治安維持費用に国防費を約20%も上回る予算を��入、さらに国内に1億7000万台近い監視カメラを設置(2017年時点)したり、当局が国民のネット接続を監視したりする監視国家になっているが、その最大のターゲットはウイグル人と言ってもいい。
新疆は中国の治安機関の見本市
いまや新疆は、のどかなシルクロードのイメージとは裏腹に、強力な監視・警備体制が敷かれる恐ろしい場所になっている。筆者が2014年春に訪れたときは、街のいたる場所に制服姿の治安維持要員が立哨したり巡回したりしており、城管・公安・武装警察・特殊警察……と中国の各種治安機関の見本市のようになっていた。これらは現在、いっそう深刻になっているようだ。 また、近年の新疆では多くのモスクが閉鎖されるなど、ウイグル人はイスラム教の信仰を事実上禁止されるに近い状況に置かれており、公教育機関でも、ウイグル人としての民族的なアイデンティティを持ちづらい教育が行われているとされる。家族や親戚を含めて、国外にいる知人と連絡を取ることも容易ではないという。
ウイグル問題への言及はなぜ「面倒くさい」のか?
筆者はウイグル問題の専門家ではない。とはいえ、過去に現地に行ったこともあれば、自分の書籍で何度か詳しく言及したこともあるため、この問題への関心はおそらく他の中国ライターよりも強いはずだ。 ただ、正直に言ってウイグル問題に言及するのは気が重い。その理由は、日本国内でこの問題を語ったり調べたりする行為が、極めて面倒くさい事態を引き起こしがちだからだ。これは筆者に限った話ではなく、過去にウイグル報道に関係したテレビ関係者や新聞記者に尋ねても、似たような感想を述べる人が何人も見られる。 ここでいう「面倒くさい」事態とは、中国当局の妨害や圧力だけではない。もちろん妨害も深刻だが、こちらは事前に想定ができる。日本でわざわざウイグル問題を報じようとする報道関係者にはキモの据わった人が多く、ある程度の覚悟をしている人も多い。
メディアが直面する3つの問題
むしろ問題なのは、いざウイグル問題について調べようとフタを開けてみると、中国の政治事情とはあまり関係がない問題に数多く直面し、精神力をいちじるしく消耗する点である。結果、ウイグル問題を1度くらいは取り扱ってみても、「次」にもう一度取り組もうという気にはなれない報道関係者も少なくないようだ。 そこで今回の原稿では、日本のメディアがウイグル問題を報じる際に直面する「面倒くさい」問題の内実を指摘してみたい。おおまかに言えば、以下のような問題が存在しているのだ。 1.中国政府からの取材妨害や情報の制限 2.在日ウイグル人民族運動と支援者の問題 3.他の日本人のウイグル・チャンネルの問題
「えげつない監視体制」
まず「1.中国政府からの取材妨害や情報の制限」は想像が付くだろう。ウイグル問題は中国政府にとって、党の最高指導部の権力闘争と並ぶ���大なタブーだ。問題が現在進行形であり、かつ当局のコントロールが完全には成功していない点で、実は六四天安門事件や対日歴史認識問題よりも、ウイグル問題のほうが中国国内でのタブー度合いは高い。 個人的な経験で言えば、2014年春ごろに中国国内にいる某新聞社の日本人記者と電話で話した際に、ウイグル問題に言及した瞬間に音声の雑音が増え、いきなり切れてしまったことがある。たとえ日本語の通話でも、中国のSIMカードを使った場合はばっちりリアルタイムで盗聴されているわけだ。 ウイグル問題を取材しようと新疆に入る記者(報道ビザを持たない場合も含む)は行動を徹底的にマークされる。中国国内、特に新疆での携帯電話の通話内容やチャットソフトでの会話内容もすべてチェックされている。また街のあちこちにある監視カメラの画像も、顔認証技術を応用して解析されている可能性が高い。現代の新疆で、外国人の取材者が当局に捕捉されずに誰かと会って話を聞く行為は事実上不可能に近い。
ちょっと不満を漏らしただけで収容所送り?
しかも、滞在中に接触した現地のウイグル人は、その後に高確率で当局による尋問や拘束を受ける。話を聞く相手が確実に当局に特定され、さらにその後で拘束される可能性が高いとなると、コメント取りが重要になってくる大手メディアの現地取材はかなり難しいと考えていい。 加えて言えば、中国当局を過度に刺激するような取材をした場合、大手メディアの記者の場合はビザの延長が難しくなったり、中国支局に圧力が掛かったりする。フリーランスの場合は今後の入国自体が禁止される可能性も出てくる。当然、他の問題と比べて、日本のメディアがウイグル問題を取り扱うハードルは高い。 それでも近年の日本メディアは、『朝日新聞』やNHKなども含めて、実は世界規模で見てもウイグル問題の取材に積極的なほうだ。だが、記者本人が新疆に立ち入るような取材は、監視体制が現在よりはユルかった2014~15年ごろまでは多かったものの、近年は減った印象がある。 2018年現在は、ウイグル人がちょっと生活上の不満を漏らしただけで収容所送りになるという話もあり、現地取材はほとんどできなくなっている。
右翼勢力の影響が強すぎる「在日ウイグル人民族運動」
もっとも、中国当局による妨害は想定内の話だ。むしろ、次に紹介する「2.在日ウイグル人民族運動と支援者の問題」のほうが、現実が想像の斜め上を行っているという点で、心理的負担が大きい問題だとも言える。 過去、ウイグル人の海外渡航・海外留学が比較的難しくなかったゼロ年代ごろまで、日本は彼らの留学先として人気がある国だった。在日ウイグル人の留学生やビジネスマンのなかには政治的な考えを持つ人たちも存在していた。 2008年春ごろ、彼らの一部は日本国内で民族運動の組織を立ち上げる動きを見せ、世界規模の団体である世界ウイグル会議(WUC)もこの動きを支持した。その後、「1��1組織」みたいなものも含めて、現在までに日本国内で複数のウイグル民族運動団体が成立している。 だが結論から言えば、これらの団体の多くは結成当初から日本国内の保守・右翼系勢力との関係が深かった。戦前からのルーツを持つような伝統右翼系の勢力と、『日本文化チャンネル桜』のようなネット右翼系イデオロギーを持つ後発勢力の双方が影響力を及ぼしていたのだ。また、いわゆる宗教保守系の新宗教団体もここに接近している。
メンバーがほとんど日本人という組織も
一部の組織には、ごく少数のウイグル人活動家を除けば、実質的にメンバーの大部分が保守系の思想を持つ日本人で占められるものもあった。こうした日本側の支持者の影響は、ウイグル民族運動の上位団体であるWUCまで及んでいる。 2012年5月にWUCの総会が東京で開かれた際、WUC総裁(当時)のラビア・カーディルを登壇させてシンポジウムを開いた団体「世界ウイグル会議を応援する日本人の会」には、平沼赳夫・石原慎太郎・加瀬英明・藤井厳喜ら保守界隈の大物の名前が並んだ。同日には藤井らが付き添う形で、イスラム教徒であるラビア氏による靖国神社への昇殿参拝もおこなわれている。 なお、ラビア・カーディルは「ウイグルの母」とも称されるウイグル民族運動の精神的指導者で、ゼロ年代ごろまではチベットのダライ・ラマ14世とならびノーベル平和賞候補としても名が取り沙汰された人物である。2013年には宗教保守系の新宗教の傘下政党の党首がラビア・カーディルと会談し、彼らのメディアで大々的にそれを報じる事件も起きている。
支持勢力に「忖度」するウイグル人活動家
現在、日本国内でのウイグル人民族運動の主流は2012年当時とは別の団体に移り、彼らがWUCの事実上の出先機関になっているが、やはり右翼系の勢力との関係は確認できる(ちなみにウイグル人は、世界組織のWUCも日本国内の民族運動関係者も離合集散が激しく、お互いに足を引っ張ったり誹謗中傷を繰り返すような傾向も強いため、こちらもかなりウンザリする)。 日本でのウイグル人の民族運動の多くは、2008年の発足当初から「反中国」を理由に右翼・保守勢力と共闘する形を取っている。こうした団体に関係している在日ウイグル人活動家には、日本人支援者への忖度もあるのか、ウイグル情勢について過剰に話を演出したり、日本国内の特定の政治思想におもねるような言説を繰り返す例も少なくない。
「反中国」のアイコンにされてきた歴史
もちろん、右翼でも左翼でも宗教団体でも、深刻な人権問題を解決するために行動しているなら構わない、カネや政治力を持つ組織と亡命ウイグル人が共闘するのも仕方ないという見方もある。 ただ、過激な右翼色や新宗教色が強い勢力がバックに控え、ウイグル人活動家自身も支持者の政治的主張をコピーした言動を繰り返したり、新宗教団体の広告塔に使われたりしているとなると、報道が��端なイデオロギーや新宗教思想の宣伝につながることを懸念する一般メディアや記者が取材を手控えるのも納得できる話ではある。 ついでに言えば、日本においてウイグル問題は長年にわたり右翼・保守勢力の主張のパッケージに組み込まれ、「反中国」のアイコンにされてきた歴史があるので、ネットで「ウイグル」を検索するとネット右翼的な人たちのツイートやブログ・YouTube動画ばかりが引っかかって、扇動的な情報が異常に多く表示されるという問題も起きている。 最近は少し減ったが、数年前まではツイッターで、旭日旗アイコンを掲げながら野党批判や「反日マスゴミ」への批判をウイグル問題に結びつける投稿が大量に流れるという、意味不明な状況すら生まれていた。
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THE IDOLM@STER SideM PRODUCER MEETING 315 BE@T OF PASSION FESTIVAL!!! DAY1
メモ アリーナC左サイド、花道横㊗
ほとんど木村さんの定点カメラ。中の人と木村さんである兼ね合いが分かりやすくて、木村さんしてる時がとっても意識的なことへの解像度が上がる。好き。 画角的に左が見づらかったのもあってフィジカル超見てた。ギリ並んだときにまゆみさんと天峰さんの境が見える感じ。
冒頭 しろ〜くんが後ろ向き登場、尻尾をフリフリしてくれてたのファンサービスが過ぎて気を失う。 まさかの一曲目フィジカルメンバーが揃い踏みで花道の先頭に来たため花道ほぼ真横P無事に死ぬ。はじめに木村さんと牙崎さんがこちらを向いて歌うのでさらに死ぬ。右手に木村さん、左手に牙崎さんで両手に花(?)花道側に立ってた先輩Pが振り返ってアイコンタクトを送ってくれました、マジありがとうございました。たぶん人生で一番近い、もう金輪際更新されない距離だった。 みのりさんが指差しファンサをする現場を目撃したのだけど、たぶん送られた本人が分かってなくてジェスチャーで自分を指してとんとん、そのあとにうなずいてにこってしてたのあまりにアイドル仕草理解のファンサで最高だった。
順番忘れたけど人参🥕をたくさん見たしコメントが人参だったの草。
チーム名 最強コンビの低レベル喧嘩大好き!!! 俺様最強レッド軍団のくだりが死ぬほどドツボで笑い転げてた。まゆみさん、はざまさんの系譜を感じるからやめてください。好きです。 ポテンシャルを褒めてしろ〜くん誘導するところ込みでみんな大人だなあとおもた。てんど〜さんと円城寺さんとみのりさんいると落ち着き半端なくてよかった。明日イケる?
玉入れ 暗転直前で朱雀さんがにゃこの手持ってお手振りしてたら、隣からしろ〜くんがご挨拶してなのかわゆすぎた…。暗転してからも朱雀さんにゃこ持って動かしてたのでラブ。玉入れ始まったらにゃこをちゃんと撤退させててそれもかわいいだった。 いざ始まった玉入れ、フィジカルしかほぼ見てないんだけどキャッチボール練習か?レベルの弧を描いて飛んでってた。カゴを無視して飛び交う玉たち●=͟͟͞͞●。朱雀さんを見てた���ですけど途中で力加減したのか速度は下がったり弧の描き方変わったけど全然ダメでわろた。 しかし最終的に勝つフィジカル、圧倒的下僕の力。
差し入れへのお礼電話 てんど〜さんと桜庭さんのわやわや、翼さんに突っ込まれるんじゃなくて握野さんに言われてるのわろた。315プロはなかよし。 信玄さんが噛んだときに、木村さんが秒で反応して後ろ振り返って笑ってたのかわいかった。身内の不始末に秒速反応するの大好き。あと握野さんから龍!って呼ばれたとき直前まで台本見てたのに顔上げて嬉しそうな表情作ってくれるの見たら好きになるしかなかった。
借り人競争 木村さんが牙崎さんの面倒見てるの、あまりに好き過ぎ〜!そして独走状態で牙崎さんが勝つ。𝓑𝓲𝓰 𝓛𝓸𝓿𝓮。こういう常勝スタイル見てると牙崎さんのリメショ情報で、実はかつて大河さんに負けたことがあったから執着している話が爆速でよぎってくるのでさいどえむくんは責任とってください? お題が飛んでった〜!というていでメインステのサイドまで走って、お題を追っかけてる感じのままお手振りしてるのあまりにわかりみが深かった。わかる、木村さんナチュラルにそう言うことしそう。からの武士。死亡。 木村さん見てて気づいたら片や牙崎さんが足組んで腕組んでふつうにステージで寝そべってたので、いやそんなことある!?って叫んだ。結局順位発表なるまで彼が起き上がることはなかった…自由。 最後九十九さんが秋月さんをテレビ通話で呼びつけてるの見たとき、木村さんが「その手があったか〜!」って言うんだけど武士の人は通話で連れて来れんやろって謎のツボにハマって狂ったように笑ってた。刀抜いて振り回してるしろ〜くんが背面に回しながら納刀してるのかっこよすぎてびびった。 冬美さんの猫耳インパクト強すぎて書きどころを見失ったけど書きます。のちに天峰さんが冬美さん追っかけ回して装着させてたことが判明するの含めて好きすぎ。
クイズ ドーナツの話で真ん中の穴の話のときにはざまさんが「あれだけ堂々と言われると真実のような気もしてくる」的なこと言ったのクソ笑ったしてんど〜さんが「意図がわかったぜ!」言うて◯に誘導させてたのなんだったの?ウケた。はざまさんが追っかけ「Pはあまり陽動されていなかったようだ」と言う冷静な分析と「おれんちのドーナツはああ言う形×してるから」の追撃見事すぎてコント。
投票? 「プロデューサーのヘキが見えるな!」「ヘキ…笑」「ヘキw」ザワ…ザワ……「ヘキとはなんでしょうか…」の清澄さんよかった。 「へーそう言うのが好きなんだ」の天峰さんもわかりすぎでしょ。怖いからやめて。
会議 ✧フィジカル みのりさんと円城寺さんと朱雀さん並ぶと朱雀さん年下なのカワイ〜!衣装交換もよかった! 絶妙に特攻服回避してるところ含めてわろてもた。みのりさんと円城寺さん(とてんど〜さん)の並びマジで包容力1番すぎてすごかったな…。特攻服の円城寺さん目の前に見れたけどあれはカッコ良すぎていかんですよ!
✧インテリ ランドセルがやぶさかではなかったはざまさん面白すぎて他の記憶ない。センステから花道をご機嫌に駆けるランドセル姿の成人男性の記憶強烈すぎる…って眺めてたら、今度は花道の先からセンステに走り去る背中で窮屈そうなランドセル忘れられんくなった。ランドセルに比べて肩幅倍くらいある。
✧フィジカル 犬耳、うさ耳、牛耳。牛耳!?髪色は触れていいところなんだ…となり大変有意義なやり取りでした。最後清澄さんがうさ耳と馴染み深い…みたいなコメントした時、お水飲んでた北村さんがうんうん…って頷いてあげてたけど発端あなたでは?ってなって笑った。
アケ化サイスタ バカデカサイスタやりてえーー!!!がしょうじき1番の感想じゃないですか? 通信不安定でWiFiにさせられるおれたちの記憶と、サイスタをできる幸せを噛み締める発言したてんど〜さんのよさと、師匠たちを気遣ってくれた円城寺さんがまゆみさんをかっこいいのでみて!しだした突然さの記憶がごちゃついている。スポットライトを求められるかっこよさをしているまゆみさん。この一連の後にダブルピースキメてくれてたまゆみさん✌️=͟͟͞͞✌️ ただの見やすさの関係だと思うけどまゆみさんはバカデカサイスタのモニターを正面向きに見てたから(振り返ってバカデカモニター見てる人もいたので)見放題チャンスタイムでよかった。
属性曲 ✧フィジカル 木村さん1番端っこスタートで、まゆみさんとお隣さん。身長差かわいい〜て見てたら、パフォーマンス落とさずお手振り入れたときに匠の技すぎて震えた。基本に忠実なんだろうまゆみさんと並ぶから対比がたまらん。本当にスポットとか多分抜かれてるタイミングでの表情管理がすごい。俯いてから顔上げるだけで表情変わるタイミングとかもあるのあまりに木村さんの底力を感じて恐ろしいよ…。 大塚さん、基本まっすぐに立ってるものの片足に重心がよるんだけどまゆみさんやる時か、パフォーマンス中は意識してるぽくてほぼ常時真っ直ぐ立つし真っ直ぐ前を見るの好きでした。メッチャまゆみえいしん。
✧メンタル フリがかわいい〜!目元覆ったり顔元特化のフリが多かった印象。信玄さんがこれやるとたまらんかわいさだった。あと神谷さんも見れたけどかわいい。カメラ側だったっぽくて映像意識して顔作るところ見れたの超ハッピー。表情管理してくれる人々が大好き! ステージが花道上のやつだったからかもだけど、せっかくひらひら着いてるんだから大きいフリも見たかったなー。ただこれはわたしの位置関係で下半身見づらかっただけかも?でもフィジカルに比べてステップ細かいのは確かだと思う、センステ使ってたからやむなし。
✧インテリ 歌詞もそうだけどフリに派手さがないから全体にクールっぽい印象がありつつ、ラップパートのおかげか重すぎないからそれも好き。とか思ってたら最後はざまさん?がアイドルもラップをする時代のコメントが面白かったな…。 あと低音の人多かった?CD音源より落ち着いた曲に聞こえたのが面白かった。でも明日のが低音担当多そう。 なおくんに対して謎の親心があるPなので(?)なおくんと思って見たらそのフリ(※腰フリ)はあかーーーーん!!!!!ってなるんだけど、実際は成人男性なのでお、おお……あか……あかんくない……エッチ……って感情バグって忙しかった。
挨拶 「サイコープロテインミーティング」「ん?」 木村さんの反射神経テストしてた?
汗みずくになる信玄さんに笑っちゃう木村さん。あと冬美さんがプロデューサー?プロデュース?を言えない時も笑ってた。振り返ったついでにモニター見てもっかい笑ってた。
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--深海人形-- エドと浄土と不死鳥
※…本当、最近、体の調子がすこぶる最悪レベルで悪い(※…まぁ、どうせ、精神的なので、気の所為ですけど)。…皆様は、何時迄も、息災に御長寿してね、なるべく、此の私の分も(※図々しい)。
※Twitter自垢より全て引用(※一部修正&改変)。
[[MORE]]
…コーディーの間抜け面が見たいから、初代FFとかストシリーズするワシ(※SNK側に帰れ)。
…ワイが描くと、嫁推しが皆一人残らず悪霊・邪霊化する現象に名前を付けよう(※→バイド感染現象)
…まっ、ウェイン兄弟は元々バイドみたいなモンだからね……(※凄まじく邪悪な人類なので)。
…何で?ウェイン兄弟邪悪でしょ?(※…ですが、邪悪だからこそ素晴らしいんです! ※力説)。
…自分の垢に自撮り画像載せる、『色々と名状し難い異形の者(※←出来るだけ格好良い言い方にした 』が結構多いから、ああ言う人達は、きっと、自分の事を原先生作画とでも思ってんじゃないかと思う(※…てか、貴方の作画は、聖書の神様が担当でしょ? ※真顔)。
…私は、自分の事を『名状し難い(※深淵よりやって来る何か)』…だと思って居るので、自撮りはしないんです(※…皆様のSAN値を御守りしたいので……)。
…よく言われる事ですけど、矢鱈アバターとアイコンが美人なのに、言う事為す事醜悪な人程、虚飾性悪おばさんか、中身詰まって無い、中身スカスカ人間だから(※…ただ己を語るのに必要なのは、己の拳の��…… ※拳王様並感)。
…芸術的で印象深いコスプレとかは良いけどさ、自己顕示欲だけでコスプレはあかん。コスプレイヤーはネタ元の推しとキャラデザ元の作者を概念的に背負うとるんやで(※Twitterでの某フォロワーさんのコスプレはちゃんと背負ってる ※あれが御手本です)、
…衣装元の推しとキャラデザ元の作者を概念的に背負うコスプレ!神!(※最高!!)
…己を語るのに!己の拳以外は要らない!(※私はそう言う女だ)
…結局、生涯を通じて、自分を可愛いと思う女にはなれなかった。…私なんかより、今は亡き、死んだ妹の方が可愛いんだ!!!!!!!!(←※マジ ※ワイの妹も醜女なんかじゃない!!!! ※先ずもっと明るい所で(ry ※長男並感)
…うるせぇ!…テメェはテメェだ!テメェの道を行け!テメェの道をGoing my wayしろう!(←※魂が熱くなるとこう言う事を言い出す)
ウェイン兄弟「…僕の兄(※か弟)の方が僕より素晴らしいよ!(※ホントだ)よ!! 」
コーディー「…あんな基地ガイ野郎より弟の方がハンサムだよ!ちゃんと見てくれ!(※兄貴の鑑)」
…女は化粧と自分語りで自分を語るな!己の拳で語れ!(※生粋のかくとうタイプと薩摩女ばこう言う事言うばい)
…まぁ、好きだ好きだ口で言うても、自分の妄想と偏見だけしか無い斜め読みしか出来てない時点で、底が知れてるとしか(※腐豚読み手あるある)。
…つーかー、男塾塾生は一番、『外面は綺麗で良いけど中身が生ゴミみたいに醜悪な厚化粧女(※…所謂、女の腐った奴)』みたいなのを、真っ先に嫌ってると思うんですけど…?(※…自分の都合 自分の萌えと推しへの性的搾取に合わせて、平気で嫁推しと作品世界を改変するとそうなるんやで?)
…何処を如何読めば、女が腐れに腐りきった女を塾生が手放しで認めてくれると思えるのか?(※分からん)
…一部だけだけど、塾クラのおばさん、大抵、口では平気で綺麗事言ってても、本質的には、普通に男塾を道具として利用してて、何だか、……(※此の世に割とよく居るタチの悪い偽善者だなと)。
…女親ほど醜い生き物は居ない。我が母はそう言う事を教えてくれる(※御母さん。御父さん。醜悪で得体の知れない生き物で居てくれてありがとう。…そして、誰よりも悲惨な死に様で死んでね。貴方方には地獄より酷い場所が鬼合いだよ。今迄ずっとありがとう、ちゃんと地獄に堕ちてね☆)
…某フォロワー様のコスプレ写真、個人的に究極の理想系だと思った。私達に馴染みのある日常と遥か遠くにあるであろう二次元が、見事、調和して交差する感じが最高に良いのだ(※…ただの自己顕示だけしかしないコスプレイヤーこそああ言う写真を見て欲しい ※…確かに、己の拳で語る系だわ)
明治政府(※…会津若松を苛め、明治時代に徳島から淡路島を奪った戦犯)
…これから、軍事用ドローン(※無人AI機 の作者・開発者が、自分の手で、『自ら手がけた最強の無人兵器(※元ネタ:矢張りガレ 』に対して、戦いを挑むのは見えてる(※マジでリアルウェイン兄弟 NMKの雷龍 ※サンダードラゴンも混じってるが)。
…京サマ誕生日にこんな話するTwitter アカウント(※…まぁ、コーディーとかの場合は、誕生日関係なんて、全部、完全スルーだし…… 言わばどうでも良い扱い …こうして、思い出すだけマシなのかな…… そうであって欲しい所存)。
…雷龍(※サンダードラゴン)は、簡単に言えば、無人機兵団vs有人攻撃ヘリと人類だからな(※…雷龍は、今は亡きNMKの遺した予言だった?)。
…現代忍者基地ガイ、今ドキ流行りの無人機に殺されるの巻(※…むしろ、近未来忍者、ストライダー)。
…親に、死ぬ事でしか、恩返し出来無い子供だって、此の世には存在するのに(命は闇と同化してこそ真に生きる)。
…「…命は闇の中で光り輝いてこそ美しい(※某卿)」…とは思わない。…其の中に、光として存在するのでは無く、闇と同化してこそ、命は本来の姿になるのだと思う(※存在そのものの死こそが救い)。
…ファミコンウォーズが、ゲームとして、素晴らし過ぎて、…改めて、戦争は、(※うちの親とは違う方向性で)ホント、クソでしか無いな思う(※某ナポレオン漫画でもそう言う台詞があるけど)。
…ウォーズシリーズでは、戦車は、普通に、歩兵を砲と機銃で蹴散らすんですが、…でも、実際は、轢殺してるんでしょうね、…そして、最悪、民間人をも(※あの世界でも)。
…メイアビ、何処はかとなく、Rとかプロギアに近い気がする(※何処か懐かしさがある)。
…なんだか、プルシュカと順平(呪術の 割と似てる(※…分かるかな?)。
…ナナチのイメージ、一般的にはJK(らしい? だけど、つくし卿的にはJSなんだよな……(※…これが憧れは〜と言う奴か…… ※遠い目)。
…ボガード兄弟のウェイン兄弟成分、8%(※そのくらいはある)。
…異世界いおりんで、淡路島をモデルにした異世界の国家がある!って話題になってたけど、淡路島自体が先ず、日本神話の始めの方(※国生み神話)に出て来て、歴史上でも古代から流刑地として有名で、その上江坂(※本社)にも近いので、…其の設定に心底震えた……(※何て力の入った異世界転入作品なんだ……)、
※異世界いおりんネタバレ
?「…日本神話の国生み神話に置いては、吾恥(※わがはじ)』が名前の由来とされ、史実では流刑地とされた島国が異世界では神国……何ともキリスト教的でもあります……(※かの人)。」
…相手が何らかを訴えてきたら「…チッ、反省してまーす(DQN並 」程度で良いんじゃねぇの?(今の御時世、公式も大変だな 心よりの同情)。
…SANXさんは、公式としては、真面目で感心するかも(※他が怠け過ぎで当たり前をしてないだけとも言うが……)、
…この公式さんに限らず、SanXさんもSanXさんで苦労は絶えないやろうな。実際、問題、地獄に落ちるべき転売カス共はすぐに湧いてくるし。転売厨死すべし、慈悲は無い(※忍殺)。…それによっぽど公式的には此方の方が死活問題では?(※個人的複製を超えた品の売買もある種転売ですがね…? ※マネロンの仲間)
…SANXさん所、すみっコのみならず全体的に(※気持ち的にも笑)、若い女性だけで無く、凄く子供達に人気あるから、転売ヤーとかに対して神経ピリピリ度半端無いってっ!状態なんやろうなぁ…(※…何時ぞやか某呟きでありましたが、どんなに子がすみっコを愛して居ても、親はそうじゃ無いから転売に頼る訳で…)
…さて、公式の気持ちになって見れば見るほど、『大衆への商売』…って、「…基本、チンケで卑劣な相手を、客に商品を売り込まなきゃあかんのやなぁ…(※本当は関わりたく無い)関わるだけ一方的に損害が… 」…と吐き気がする(※大衆は基本的に凄まじい害)。
…どんなに盗聴厨を確実に狙撃しても、奴等は生粋な異常者だから、中々くたばらない。今度こそ完全に全滅させる、
…まだ盗権(文詐欺もか? アバズレーン叩きしてた方が盗聴厨共には効果があった…(当社比
…てか、『すみっコ関連SNSにうpるんじゃねぇ案件(公式も呆れる?)』放火元は、例の『パクナナ(盗権文詐欺アバズレーンパクユリと同類)』かよ……貴様等……本気で……潰すぞ……(※…念の為、書いておきますが、アイナナはアイナナではありません、パクナナです。)
…此の件で、『すみっコ関連SNSに投稿したらアカンよ問題(※…尚、パクナナ側の著作権意識)』に触れている人達が挙って盗権不審者文詐欺おそそパクナナ民やってる時点で(※地獄の最下層���落ちろ ※公式の時点で他者の権利侵害常習犯で儲等も含めてクラスタぐるみで沢山の他所様に迷惑掛けまくってる癖に ※氏ね)…。
…今取り合ってるジャンルは、場合によっては、ただの資源・ネタを搾取する為の植民地扱いに扱いのランクを落とすし、最後には、平気で切り捨てるけどな、ワイも(※…何、また同じような代わりがじきに見つかるであろう)。
…実際、ワイらのようなのは、大量に植民地(※自分で一次創作として創造して置くのも含む)とか持ってんだけどね(※空港・工場・造船所付き軍港を占領か建設して、そこで戦力を作らせる)。…そして、そこから貢がせて、使える設定(※ツール)を調達し、資源(※ネタ)とかを稼ぐ訳で…(※現代に蘇りし侵略帝国主義)。
…自身では、同盟国扱いしてると言って居るのに、実際は、植民地扱い(※或いは便利な奴隷としてこき使う)御前達が毛嫌いする侵略国家共(※矢張り一番は大日本帝国)と如何違う?(※挑発 ※器の小さい偽善者だから、そんな事しか出来て居無い。情け無いものだ腐豚よ)。
…「…俺と貴様は同盟の間柄だろう(※同期の桜みたいに)」…と相手の国から兵力を請求されるのも同盟関係の常やな(※それで当時の頭左翼共が騒ぐ訳で)。
…「現地の人々に仕事を与える(※ゲス顔)」…と、我が物顔で進出先、植民地に『公共事業(※…とは名ばかりの本国だけが益を得る為の産業と各種事業)』を持ち込むのも侵略国家の手口である(※教科書)。
…金!(※金で各種ユニット生産地点を殴る)武力!(※軍事力で敵を殴る)勝利!(※ファミコンウォーズ とは)。
…いつも、従姉妹の結婚式を思い出すなぁ…(※二度目の方を)。
…あんな『パクナナ民で取引垢と言う名の転売厨(※←これを火元と見做して良い 』に、此の様に最も簡単に踊らされるなぞ、すみっコクラスタは情け無い(※修正が必要)。…改めて、すみっコクラスタには、多聞丸式の軍事教育が必要だと思った(※分かるまでひたすら殴り ※少しの乱れもゆるさない)、
…ゲームだってゲーム作りだって、趣味は全部天国でも出来るんですよ
…ガレが好き過ぎて堪らない人って、此の世に何れくらい居るやろかな?(※…割と居るよな?)
…ウェイン兄弟みたいな、『人の形をした萌えないゴミ(※…其の上、滅茶苦茶邪悪)』で、御人形遊びすると、基地外が移る(※…じゃけん、ガレ本編だけしときしましょうね〜)
…ほら、ウェイン兄弟って、嬉しそうに車とか戦車とか航空機とか機械を解体するから(※可愛い)。
…『ウェイン兄弟=ガレの(※例の)』と気が付かない人が、ちらほら居るみたいです(※……洋画脳だから?)。
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★★★★ 今広がる”NHK解体運動” その1 ★★★★
Q1)なぜ日本放送協会NHKを解体する必要があるのですか?
A1)報道を装って支那、朝鮮といった敵性国の宣伝ばかりしているのが 誰の眼にも明らかになっているからです。こんな狂ったものはどこの国にもありません。 法律以前のこんなものを次世代の日本人に残してならないのです。
Q2)改革では駄目なのですか?
A2)現在NHK会長は保守系で有名なJR東海で労組と長年対立してきた社長が 数年前から就任しています。またその前はアサ���ビールの社長がなっていました。
最初はかなり期待しましたが、反日度合いが悪くなる一方です。 経営委員会も会長はまともそうな人なのに良くなる気配すらありません。 これらの教訓から改革は無理と判断するべきです。
Q3)どんな問題があるのですか?
A3)最も重要なのは放送法4条に定められている「公正な報道」に 完全に違反していることです。
また受信料収入が年間7千億円近くもありそれが50年も続いています。 事業内容からみて相当余っているハズでその資金が反日勢力に流れているのは 確実と思われます。
その点からも事業停止→解体は多くの日本人にとって重要です。
Q4)解体なんてできるんでしょうか?
A4)報道機関を装い反日勢力の宣伝機関となっているNHKは, 本来は総務省管理下の特殊法人で放送法によって設立されています。
放送法の大幅改定で法律的基盤を失います。 支那朝鮮をバックにした共産党、社民党といった反日勢力が 抵抗すると思われますが一つ一つ潰していけば可能と思われます。
★★★★ 今広がる”NHK解体運動” その2 ★★★★
Q5)解体のあとはどうなるのでしょうか?
A5)一度廃局した上で、米PBSや豪ABCあたりを手本として 国営放送を立ち上げるのが適当と思われます。 規模は現在の数分の1としてNHKの労組は完全に閉め出します。
国鉄をJRにするとき癌だった動労は徹底的に排除しました。 それを踏襲します。
Q6)色々な不祥事も多いようですが?
A6)覚醒剤や性/犯罪関係の事件が非常に多いです。 職員数が1万人程度とさして大きくない組織にしてはその割合がかなり高い。
内部が腐りきっていると思われます。 公的組織なのに縁故採用が多い点もその原因として指摘されています。
wikipedia「NHKの不祥事」で詳細を知ることができます。 2012年11月にBBCでは報道番組の誤報で会長が引責辞任しています。
当然そうするべきなのにもうひどすぎて感覚が麻痺しているのでしょう。 救いようがありません。
Q7)受信料をめぐるトラブルも多いようです
A7)こんな組織にすすんで金を払いたいなんて人はいないでしょう。 大体「日本テレビ」が売上3000億円で運営しています。
6700億円も必要なハズがありません。あるべき支出の詳細も公開しません。 受信料を払うということは犯罪組織に荷担するのと同じ。払ってはいけません。
Q8)反NHKデモも起きています
A8)田母神氏の団体等で数千人の参加者で渋谷のNHK放送センターを囲んだことも あります。「メディア報道研究政策センター」など心ある人たちの活動も盛んです。
片山さつき議員がNHK24年度予算審議参議院総務委員会で偏向を指摘しましたが、 こうした動きが保守系議員からもっと多くもっと強く出てきて欲しいものです。
★★★★ 今広がる”NHK解体運動” その3 ★★★★
Q9)番組の質の低下も指摘されています
A9)視聴率は年々下がっています(13.1→12.2→11.8→11.5%(ゴールデン))。 また民放と比べても最低のテレ東よりマシなレベルです。
紅白や大河でも反日活動に使われ視聴率も悲惨な数字になっています。
益々不要な存在となっているのに職員の年収は1500万以上と 世間の常識と乖離しています。
「とんでもない偏向番組。今のNHK経営陣は左翼連中だ」と 元会長の海老沢まで言っていますが 民主党が政権を取ってから特にひどくなっています。
Q10)あの異様な中国押しはなんなんでしょうね?
A10)労働組合を通じて報道部を乗っ取られているのでしょう。 また支那国営放送の部門がNHKにありニュースをチェックもしているそうです。
チベット動乱では欧米ではチベット人を虐待する支那人の動画がでてましたが、 NHKでは暴れるチベット人の動画だけを執拗に流していました。
中国共産党はインドベトナム等からも憎まれ人類共通の敵と言って良い状況。 それに加担するNHKもまた人類共通の敵の一組織と言わねばなりません。
Q11)朝鮮押しもひどい。うんざりするほどです。
A11)朝鮮人は米国でも欧州でも東南アジアでも世界中でものすごく嫌われています。 日本だけではなくどこにいっても鼻つまみものです。
そういった事実を隠し延々と「日韓友好ごっこ」を垂れ流すのは 社民党あたりがバックにいる労組に浸食されているのでしょう。
Q12)「政治からの中立」どころではありませんね
A12)以前自民が関与したといって大騒ぎしていましたが桁違いの関与です。 敵性国の宣伝ばかりをする公共放送など世界中見渡しても存在しません。
内部に共産党の支部が22あるというのも肯けます。
チャンネル桜などではもう一歩踏み込んで「国防としてのNHK解体」を主張されています。 敵性国家の宣伝戦に加担しているわけですから的を射てると思います。
★★★★ 今広がる”NHK解体運動” その4 ★★★★
Q13)経験を積んだ社会人ならおかしいと気づいても、世の中には無垢な人も多いですからね
A13)特にイメージ操作に弱い子供、女性、日本の実情に疎い欧米人、 海外に住んでいる日本人は公営放送のいうことなら信じてしまう人も多いでしょう。
そうした情報弱者に「韓流ブーム」などありもしないものをでっちあげています。 ジャーナリストとしてプライドも無いから恥とも思わないのでしょう。
Q14)NHKに限らず日本の反日メディアは世界的に評価が低く 香港や台湾より下の64位でした。
A14)産業、科学技術、文化等なんでも世界一流なのにマスメディアだけはどうしようもない。
民放や新聞社は部数減視聴率減でスポンサーが離れて 自業自得ですが公営でこれをやっているのは罪が深い。 しかし法律1つで解体できるのでやりやすいとも言える。
Q15)保守系国会議員に期待したいと���ろです
A15)憲法改正も結構ですがそんな大きく難しい問題に取り組むよりも NHK解体を早急に実現してもらいた��ものです。
財政再建などと比べれば簡単でしかも効果は大きい。 今や生活保護法改定と並んでもっとも最優先で取り組んで欲しい課題です。
自民党、維新の政治家には会うたびに要望しましょう。
Q16)色々な抵抗も予想されます
A16)この問題を「排他的な右傾化」の問題とすり替えたり、 保守系議員の失敗を針小棒大に取り上げたり、 ネットの犯罪性を強調したりとお得意の印象操作をするだろうと予想されます。
しかし朝日新聞と同じように国民の多くは既に白い目で見ています。
昔は学級委員の発言のようにみんな注目していましたが 今ではクラスの変人が一人でわめいている様。効果は限定的です。
★★★★ 今広がる”NHK解体運動” 最後 ★★★★
Q17)NHK依存を低くする必要がありませすね。 でも民放は中にはそれ以上にひどいのもあります
A17)おすすめは内閣府や片山さつき等有力議員が運用しているブログや twitterがいいと思います。特に内閣府のそれは信頼性はNHK以上。
反日メディアのフィルターを介さない一次情報ですので価値が高いです 日米首脳会談の時とかNHKは「冷遇された」ような映像が出ましたが このtwitterのおかげでそれが印象操作であることが明快に分かりました。 良い時代になったものです。
Q18)NHKに抗議してもどうせ握りつぶすだけでしょうね
A18)抗議するなら管理している総務省がいいと思います。 https://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose
情報流通行政局放送政策課が担当です。 また担当大臣や政務官にメールや手紙も効果的だと思います:
総務大臣:新藤義孝(衆埼玉2区)/副大臣: 坂本哲志,柴山昌彦/政務官:北村茂男,片山さつき,橘慶一郎 自民党ご意見:http://www.jimin.jp/voice/
Q19)NHKは時代に合わなくなっている気がします
A19)元々は1925年にラジオの普及のための作られた組織です。 そういう意味でも、動画コンテンツ等の資産や優良番組は 新国営放送局が引き継ぎ、とにかく一度廃局させるのが最も適当です。
NHKが廃局し反日、支那朝鮮万歳報道が無くなれば民放もそれにならうでしょうし、 インド、東南アジア諸国、欧米諸国も歓迎してくれます。
Q20)日本のため、世界のためにNHK廃局は絶対に必要ですね
A20)もう一度言いますがこんなものを次世代に残してなりません。 熱い心と冷静な頭で狡猾にどんな手段を使ってもいい。 人類共通の敵支那朝鮮に加担するNHKを孤立化、分裂、弱体化させ 停波→廃局→解体へ追い込みましょう!
★★★NHK解体運動:抗議先★★★
自民党ご意見:http://www.jimin.jp/voice/
総務大臣:新藤義孝(衆埼玉2区)http://www.shindo.gr.jp/ 総務副大臣:坂本哲志(衆熊本3区)http://www.tetusi.com/ 総務副大臣:柴山昌彦(衆埼玉8区)https://ift.tt/32vpHx5 政務官:北村茂男(衆石川3区)https://ift.tt/2HUBMnC 政務官:片山さつき(参比例区)https://ift.tt/O55XEk 政務官:橘慶一郎(衆富山3区)https://ift.tt/2HXWVgW
総務省 https://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose 情報流通行政局放送政策課
国家公安委員会 https://www.npsc.go.jp/goiken/ ※外患誘致、放送法違反疑惑 国家公安委員長 古屋圭司(衆岐阜5区) https://ift.tt/1rerTz9
会計検査院 https://www.jbaudit.go.jp/form/opinion/index.html ※公金横領疑惑
※NHK窓口に抗議しても握りつぶすだけです。 人類共通の敵日本放送協会を解体をできる立場の人に抗議しましょう!
http://www.hoshusokuhou.com/archives/27985607.html
” -
なぜ日本放送協会NHKを解体する必要があるのですか?
(via hizayamasan)
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#002 Happy Birthday, Happy Science?
コメカ 消費社会の住人になってしまうと、社会への関わり方が「消費者」としてのスタンスに、基本的に限定されちゃうからさ。例えば90年代ポップスで言えば、「消費者」としての生を全うしようとしたのがコーネリアス「太陽は僕の敵」で、「消費者」としての生の虚しさを言葉にしたのがフィッシュマンズ「BABY BLUE」…みたいなさ(笑)。「あらかじめ分かっているさ 意味なんてどこにも無いさ」までは同じなんだよね。でも、「意味なんかない 意味なんかない 今にも僕は泣きそうだよ」というメランコリーに、後者は流れ着いてしまう。結局、「内面」に言及してしまうというね。「消費社会」の中でbotみたいな生を生きられれば、確かに「内面」の問題なんて後景化したと思うんだけど、結局誰もがそうはなれなかったってことかと。だから今もサブカルチャーの領域には「内面」についての問題系が大きく影を落としているし、それは今後も変わらないだろうね。 同時に、90年代には、ある種のサイケデリックカルチャーみたいな志向、脱「内面」的な志向もサブカル界隈の中に色々散見されたけどね。それこそ鬼畜系みたいなものも含めて。電気グルーヴの「Happy Birthday」的な。「どうでもいいコトを気にしながら ビクビクする必要も無く 今までに無い自分見つけたから 新しいボクに Happy Birthday」。でも、こういう脱「内面」的な志向は、90年代末から急速に後景化していく。90年代テクノの盛り上がりから衰退までが、その象徴と言えるかと。
パンス 95年くらいのジャパニーズ・テクノ/アンビエントにあった、木漏れ日っぽいトランス感が僕は大好きだけど、ほんの数年経ってハードミニマル全盛になっちゃうスピードの速さは何だったんだろう(そっちも好きです)。 たくさんキーワードが出てきてるので、何から話せばいいか迷うところだけど、ではタイムリーなやつを……。90年代の話になってきたけど、その前半、95年までに最も内面を追求しまくってたのは、新宗教にハマってた人たちでしょう。さらに正確にいうと、内面を克服して「新しい自分になりたい」とか「別の世界を見つけたい」からハマるという。なかでもオウム真理教と幸福の科学は、80年以降に設立されたフレッシュな団体だった。しかし95年の地下鉄サリン事件を境に、カルト的なものに対する市民社会の目が厳しくなったのは、みなさん実感するところかと。 幸福の科学は、かつては講談社前で抗議しまくったりと荒っぽかったのに、オウム以降���ソフトに乗り切ったよね。いまネトウヨ的思想? と親和性が高すぎるというのも気になるところ。今朝テレビをつけたら、島田裕巳氏が幸福の科学について語ってるというアーリー90'sな光景が現出しててビビったよ。しかもそれをTwitterで呟いたらご本人にすぐリツイートして頂いて、時間軸が歪みまくった (笑)。急に騒動になってるけど、入信したこと云々より、所属してた事務所の体制を問うところに焦点が当たってるのがいまっぽいな〜と。オウム事件から20年以上経って、日本人はカルトに結構寛容になってるんじゃないか!? もちろん信教の自由は認められるべきだし、宗教は社会のなかで相互扶助装置としても機能するし重要な面もあるんだけど、カルトはカルトだし、おかしなこと言ってる人はおかしいと思うんだけど……。
コメカ それこそ、オルタナファクト的なものが前景化する世界の中では、カルト宗教が語る「物語」の存在感も上がってしまうよね。90年代のオウム等の新宗教の動きって、「戦後民主主義的なものへの挑戦」っていう側面があったと思うんだけど、右派の歴史修正主義と同じ様に。90年代にはまだかろうじて戦後民主主義的な価値観が普通に社会に共有されていたけれど、それがほぼ打ち捨てられ、ありとあらゆる雑多な情報がネット上で乱れ飛ぶ現状では、カルトという傍流に対する本流の「世界観」が存在しなくなりつつある。それこそ、安倍政権は戦後民主主義に代わる新たな本流の「世界観」をつくろうとしてるんだろうけど。その「世界観」が、それこそぼくらみたいな人間には受け入れがたいものである訳だけど……。 戦後民主主義っていうのは基本的に社民主義的な世界観だと思うんだけど、オウムってそれに対する革命路線だった訳じゃない?おたくの連合赤軍と言われたぐらいのもんで。で、その暴力革命は失敗した訳だけど、小泉政権以降の自民党は、ある意味で少しずつ革命に成功しつつある訳じゃない?戦後民主主義的なものを順調に壊しつつある。消費社会の中で悶々と自意識を拗らせ、「生き��意味」みたいなものを極端に考え過ぎたおたく世代の革命志向は失敗し、その後は新自由主義的タカ派右翼が、左翼もハト派右翼も駆逐して革命に成功しつつある。そして「新自由主義的タカ派右翼」はそれこそ小池百合子を引き合いに出すまでもなく、幸福の科学みたいなカルトとも親和性が高い……というか、幸福実現党はまさに新自由主義的タカ派右翼政党だね。 内面の弱さを漠然としたナショナリズムやカルトに身を任せることで生まれるのがネトウヨだとすれば、内面を意識的に「意味」や「物語」に還元しない様にするのが新自由主義的な態度の人間じゃないかとぼくは思ってて。ある意味脱「内面」志向の成功例だと思うんだよ。宗教的な修行やサイケデリックトリップでは自意識から逃れきれないかもしれないけど、経済至上主義において勝ち組になれれば、脆弱な自意識に悩まなくて済む様になる。「今までに無い自分見つけたから 新しいボクに happy birthday」を迎える為に必要だったのは宗教的真理ではなく、経済的体力だったんじゃないかと。修行するよりも、貧乏人の頬を札束ではたくみたいなことで意外とあっさりと自意識の弱さは克服されてしまう、みたいな……(笑)。 ただ、小泉さんは「真理」を欲しないニヒリストに見えるけど、安倍さんはニヒリストではない感じがするよね。彼はそれこそ「内面」をなんとか埋め合わせようと必死になっている感じがするんだよね。個人的な印象なんだけどさ。信じる「物語」が違うだけで、ある意味ネオリベ系よりも安倍晋三は自意識に悩む一般層に近い感じがするよ。その辺りも彼は実は、21世紀的なポピュリズム時代の政治家として資質を持ってしまってるのでは。超人的なカリスマ性��持たない「駄目な僕」であることが滲み出ているからこそ、人々に何かを感染させているのでは。本人はそんなつもりじゃないだろうけど。ただ彼のそういう資質は、どこかで人々にシンパシーを与えてしまっているんじゃないかって思う。
パンス 小泉氏と安倍首相の比較は面白いね。小泉は新自由主義的ポピュリストかつナショナリスティックな思想を振り回していたけど、じつはどこにも依拠していないというか、奥底で何を考えていたのか、いま考えてもよく分からない。「行動的ニヒリスト」と言ってしまったら笠井潔氏に怒られてしまいそうですが……、内面をほとんど感じさせない。それに比べると、安倍がトランプと会食している姿は、お金はたくさん持ってるのでヤンキーに好かれてる男子がデニーズの椅子に座っているようなユルさを感じさせる。彼らのイデオロギーは宗教右翼的なものと言われてるけど、「日本のいちばん長い日」の陸軍兵士や、浅沼稲次郎を刺した山口二矢は、国会でニヤニヤしながらヤジったりするようなキャラではないでしょう。あのニヤニヤ笑いがどこからくるのか……というのはいったん置いといて、デニーズといえば『TOKYO TRIBE』ですよ。あそこに描かれたデニーズ(的なファミリーレストラン)でダラダラする風景が、戦後民主主義の極点だったのではないか。 『TOKYO TRIBE』は、90年代の風景を過剰にデフォルメしてるのがいま読むと面白い。得体の知れない宗教家が演説しているのを冷ややかに見つめる、ベタにストリートな青年たちが抗争を起こす。実際はそんなことは起こってなかったわけだけど、構成する要素だけは現実と合致しているという。抗争におけるリーダーの青年は「オレはダレだ」と自己言及を繰り返してるんだけど、当時は悩んだまま保留にされていた内面の問題が、のちのちナショナルなものに向かって『凶気の桜』あたりに繋がってるかなと考えたりしてる。『2』から出てくるデニーズ的な部分は『The 3名様』に。 『凶気の桜』前後、1998〜2002年くらいの期間は、サブカルチャーのなかに「右傾化」の気配があるんじゃないかと囁かれてた。ライムスターが朝日新聞紙上で封建主義的なんて言われてたなんて、いまから見たら誤解もいいとこだけど、そんな議論も起こってたのでした。同時期にはもっと直接的に、ドラゴンアッシュや椎名林檎のような、「革命」や昭和日本のガジェットを使ってボンヤリした「崇高さ」への志向を見せる人たちが出てきた。一方で政治のほうはどうだったかというと、1999年に、国旗国歌法、通信傍受法を含む組織犯罪対策三法、住民基本台帳法などなど、現在につながる「統制的」な法案がガンガン成立してる。すべて小渕政権下。このあたりで局面が変わってるんじゃないかな。
コメカ 2000年前後の「ぷちナショナリズム」的なサブカルチャーの登場と共に、さっき話したような90年代テクノ的なトランス志向・脱「内面」志向は後景化していった。例えばテクノにおいても所謂エレクトロクラッシュが人気を集めて、トランス・ヒプノティックな方向ではなく、80年代スノビズムのリバイバルみたいな方向にいってしまう。脱「内面」志向のめぼしいサブカルチャーが見当たらなくなって、無邪気に「国家」や「日本」に絶対性を求め、それを介して内面に安定性を得ようとする志向が前景化していった。 あと、例えば2000年代の日本のロックって、所謂下北ギターロック的なもの、つまり自分の脆弱な自意識・内面について歌う…みたいなものしか、表立ったものが無くなった時期があった。ネオリベ・ネオコンの時代になっているのに、まだ90年代オルタナティブロック的な自意識表出を繰り返していた訳だよね。アジアンカンフージェネレーションの後藤さんみたいに、そこから社会的なものに踏み込んでいく作家も出てきたけど、大概の下北ギターロック派やその系譜にいる人々は、未だに自意識にだけ焦点を定めている。ただぼくは、自意識に焦点を定めることが悪い訳ではなくて、その定め方に問題があると思うんだけどね。少なくとも、「社会」っていう水準を抜きにした形で、自意識だけにカメラの焦点を定めるのは片手落ちだと思うんだけど、これは今の日本のサブカルの標準的態度でもある。 対して、2000年代中頃から盛り上がったアイドルシーンは、演者の自意識表出よりも「アイドルシーン」という環境の中でのパワーゲームや物語を消費させる機能的な面白さを持っていた。それはネオリベ時代にちゃんと対応したシーンだったんじゃないかと思う。オルタナロック的な内面のヴァルネラリティにはもはや殆どの人が見向きもしなくなってしまった。ただ、実際は人々が内面の弱さを克服できた訳じゃなくて、環境システムの中で行なわれるゲームに参加して、内面のことを忘れようとした人が多かったんじゃないかと思ってて。このことのツケは今後結構ジワジワ響いてくるんじゃないかな。システムに参加することで内面に安定性を得るっていう作法は、全体主義的なものとの親和性はやっぱり高いからね。
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【アンケート企画】 「2016年の3本」その1
WLでは読者のみなさんから2016年に見た舞台作品の中で印象に残った3本を、その理由などを書いたコメントとあわせて募るアンケートを実施しました。29名の方にご参加いただき、昨年に引き続き今回も多彩な作品が並んでいます。
印象深い個々の作品を思い出していただくとともに、この1年間のそれぞれの観劇体験の集合体として、舞台芸術の今を考えながら読んでいただけるのではないかと思います。今一度その輪郭を感じながら、新しい年をスタートしていただければと思います。多くの方がご参加くださったので、その1とその2に分けて到着順で掲載します。
一息人生 (観劇人(たまに脚本書き)) ・劇団ショウダウン『撃鉄の子守唄』(シアターグリーンBIG TREE THEATER) ・劇団新人類人猿『歪んだ肖像』(金沢市民芸術村 PIT5アート工房) ・香川県立高松桜井高等学校演劇同好会『わたしの星』(丸亀市綾歌総合文化会館アイレックス 大ホール) 少し早いですが、今年の3本はこれで決まりかな、と。それほど圧倒的な3本でした。 ショウダウンはよく観ている劇団です。何度も泣かされていますが、今回は嗚咽を漏らしてしまいそうに。展開も予想できるのに、涙が止まりませんでした。近年観たエンタメの中でも特に良かったです。 新人類人猿は初見。太田省吾TRIBUTEでの観劇。太田さんのコトバが好きでしたが、映像でしか触れる機会のない自分にはその演劇の持つ力はあまり分かっていませんでした。ですがこの作品を観て、その力が、全てとは言わないまでも、分かったような気がします。沈黙はこれほどまでに心を揺さぶる。 桜井高校演劇同好会は、2月に朗読劇を観て以来。彼女たちが駆け回る姿はいつまでもこの時を終わって欲しくないと思わせてくれました。それでも、いつかは終わる。舞台と客席を共にする時間、この一瞬にかける想い。"誕生肯定"を強く感じた舞台でした。 (年間観劇本数: 約300本)
仁科 太一 (学生) ・Schauspiel Köln 『Die Lücke』 演出 Nuran David Calis ・Schauspielhaus Wien 『Imperium』 演出 Jan-Christoph Gockel ・Opéra Grand Avignon 『Espæce』演出 Aurélien Bory ドイツ留学の間に観た劇で個人的に印象に残ったものを挙げます。 1.ドイツで難民問題をテーマとする作品をよく見かけました。その中でもケルンの公立劇場で観た『Die Lücke(裂け目)』は、劇場近くのトルコ系移民が多く住む通りで実際に起きた右翼テロを扱った作品で、移民の人々のリアルな存在を感じました。上演前に例の通りを案内され、モスクでお祈りし、上演では実際の市民と俳優扮するドイツ人代表が熱い議論を展開します。 2.クリスティアン・クラハトの小説「帝国」を脚色した作品で実在したヌーディストに俳優が扮します。裸が出てくる劇はいくつかありましたが、その極め付けがこの作品でした。小劇場の距離感もあり強烈な体験でした。 3.アビニョン演劇祭の一演目で、基本的にセリフがなく、巨大な衝立や吊物バトンを駆使します。いきなりオペラ調で歌い始めたりとナンセンスですが、俳優の力量に圧倒されます。 (年間観劇本数:100本)
北村 紗衣 (研究者) ・ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー『ハムレット』 ・オレゴン・シェイクスピア・フェスティヴァル『十二夜』 ・テアトル・ド・アナール『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行──およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならないという言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか? という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』(SPACE 雑遊) ブログに詳しく書きました。http://d.hatena.ne.jp/saebou/20161224/p1 (年間観劇本数:102本)
はぶ (営業) ・エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ『瞑るおおかみ黒き鴨』(銀河劇場) ・ネルケプランニング『パタリロ』 (紀伊國屋ホール ) ・AND ENDLESS 『ENdolphin』(全労災ホール スペースゼロ) 演出の西田大輔さんの作品が好きだなぁと改めて感じた。役者がどんなに頑張っても、演出と脚本のつまらない舞台はつまらない。 (年間観劇本数:20本くらい)
本儀 拓 (舞台音響家) ・テアトル・ド・アナール『従軍中のウィトゲンシュタインが(略)』(りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館) ・東京デスロック『亡国の三人姉妹』(りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館) ・阿佐ヶ谷スパイダースPresents『はたらくおとこ』(電力ホール) テアトル・ド・アナール『従軍中のウィトゲンシュタインが(略)』は新潟公演ならではだったのではないかという演出(舞台上仮設舞台で、時によって背景に劇場の客席が浮かび上がる)が抜群に良かったです。 いずれの作品も演劇ならではの良さを存分に発揮して、舞台の上から力強く、観客に向けて社会に向けて問いを投げかけていました。 世界的な右傾化、日本の国政の暴走など、暗い話題ばかりの年ですが、まだ希望はあると信じさせて、前を向かせてくださる作品があることを心強く思っています。 (年間観劇本数:14本)
すずき としお (印刷屋) ・維新派『アマハラ』(奈良 平城宮跡) ・東京No.1親子『あぶくしゃくりのブリガンテ』(駅前劇場) ・壱劇屋『SQUARE AREA���(王子小劇場) 『アマハラ』は、松本雄吉さんが亡くなってしまったことからの維新派最終公演という事もあり、特別な1本になってしまいました。ただ、感傷からの選択ではなく、作品としても神々しい素晴らしい1本だったと思います。維新派の旅(公演の情報が入ってから、観劇日程を決めたり、宿の手配をしたり、観劇前後の観光を含め全てが維新派の公演だと思っています)が、来年��ら無くなってしまうのが、本当に残念でなりません。『あぶくしゃくりのブリガンテ』は、福原充則さんの脚本が冴えた1本でした。佐藤B作さんに対する容赦ない演出も素晴らしかった。『SQUARE AREA』に関しては、何の情報もなく観たのですが、壱劇屋のクオリティの高いパフォーマンスには、正直驚かされました。選んだ3本は、オリジナル脚本の作品を選びましたが、木ノ下歌舞伎、歌舞伎女子大学が新しい歌舞伎の世界を展開していて、とても面白かったのも印象深かったです。 (年間観劇本数:133本)
野呂 瑠美子 (一観客) ・劇団昴『ザ・グリークス』(Pit 昴) ・劇団東演『琉球の風』(東演パラータ) ・BTLive 『冬物語』 今年の収穫は、ギリシャ悲劇10本をまとめて1本にしたという「ザ・グリークス」を通しで観られたことだ。アガメムノンの娘殺しから殺されたはずの娘の再生の確認まで、板橋の小さな空間を血と人で充満させ、遥かミケーネとトロイアを彷彿とさせてくれた。 劇団東演はいつも真面目で真摯な舞台づくりで、感心させられる。芝居に掛ける情熱も社会問題に対する意識もしっかりとしていて、問題意識を共有できる。今回の沖縄問題は役者全員、胸に迫る名演であった。 NTLのほかにBTLも観られることはラッキイだ。中でもジュディ・デンチとケネス・ブラナーの「冬物語」を観られたことは至福に尽きる。文句なく、うまい。 (年間観劇本数:約100本)
文月 路実 (編集者・ライター) ・ホリプロ『娼年』(東京芸術劇場 プレイハウス 他) ・On7『ま◯この話~あるいはヴァギナ・モノローグス~』(KAAT) ・パルテノン多摩×FUKAIPRODUCE 羽衣『愛いっぱいの愛を』(パルテノン多摩 きらめきの池ステージ) 1.石田衣良の小説『娼年』『逝年』を三浦大輔が翻案して上演。舞台における性表現をとことん突き詰め、主演の松坂桃李はじめ俳優たちが身体を張ってギリギリのところまでセックスを表現した。大規模公演であっても一ミリも妥協せずストイックなまでに自らの表現を追求する三浦大輔はやはり天才。 2.1996年のアメリカの戯曲を大胆かつスタイリッシュにアレンジし、On7の女優7人の生の声も入れ、女性器というテーマを様々な角度から描いたパワフルな作品。女性器についてのシリアスな話やユーモラスなエピソードを自らの経験も交えて語る女優たちが清々しかった。 3.様々な男女の物語を羽衣の名曲に乗せて描いた作品。青空に囲まれた水上ステージは、日が落ちると暗い森のなかにいるような幻想的な雰囲気に。池のなかにざぶざぶ入り、ずぶ濡れになりながら熱唱する役者たちの姿と、野外公演ならではのダイナミックさに圧倒された。 (年間観劇本数:74本)
kiki (勤め人) ・あやめ十八番『ゲイシャパラソル』(サンモールスタジオ) ・日本のラジオ『ムーア』(RAFT) ・monophonic orchestra『この町に手紙は来ない』(3331Arts Chiyoda) ゲイシャパラソル:近未来の芸者置屋を舞台に描かれる、名前と政治と恋の物語。さまざまなモチーフや手法や音楽がスタイリッシュにまとまって、あっという間の125分。人物の描き方にも厚みがあり、役者が映える舞台となっていた。 ムーア:観ている間だけでなく観終わってからもじんわりいろいろ思ったりしてしまう感じが面白い。表現に抑制と諧謔が効いて、題材(児童連続殺害犯を描いた絵本)に比して後味は悪くない。緻密さとしんと張り詰めた濃密な緊張感が印象的だった。 この町に手紙は来ない:暮れていく世界に生きる人々の償いと再生を綴るクロニクル。空間も音も光も美しくて、6つの短編の間を埋める余韻と多彩な役柄を演じ分けるキャスト陣の魅力に引き込まれた。 (年間観劇本数:179本)
だゐず (ME) ・ムシラセ『女には至らない病』(The 8th Gallery) ・江古田ぐるぐる『あのコは悪意のかたまり』(新宿眼科画廊) ・緊縛夜話/美喜ヲの劇『魔法少女喪失編』(ザムザ阿佐ヶ谷) 本当に女たちのお話が好きなんだなぁと自分の事ながら思った。 選ばせて頂いた三本とも、よくある女同士のギスギス劇なんかではない。アプローチは違っても、そこに息づいている女たちの、甘い虚構への夢見と、冷ややかな現実に対する認知が刻み込まれるように描かれている。 「女には~」芝居/演出/美術、全てにおいて会場を生かしきった傑作。アイスピックで刺されるような鋭い台詞が時折挟まれ…、ラストシーンはまさに淑やかな悪夢…! 「あのコ~」導入から、コメディな空気を纏いつつも全くシャレにならない話。エピローグ以降を思うと全く笑えない。 笑いとシリアスのさじ加減、場面設定が絶妙!ずっと観ていたくなった! 「魔法~」アニメから古典、科学、さまざまなモチーフを使い、軽やかに男女の業へ楔を打っていく、毒薬のようなお話。 緊縛という題材にドキドキしながら観に行ったが、芝居と緊縛が呼応する稀有な舞台。(年間観劇本数:30本)
矢作 勝義 (穂の国とよはし芸術劇場芸術文化プロデューサー) ・てがみ座『対岸の永遠』(シアター風姿花伝) ・鵺的『悪魔を汚せ』(駅前劇場) ・風琴工房『insider-hedge2』(下北沢ハーフムーンホール) 小劇場演劇の中から選んだ。いずれも、人間の弱さや欲望などのダークな面を描き出した3作品となった。 てがみ座・長田育恵の脚本は、風姿花伝という小空間に初顔合わせの文学座の上村聡さんの演出との組み合わせが良く、劇団員の石村みかと客演の半海一晃の親子の葛藤を中心に、凝縮した人間模様をダイナミックに描きだしていた。 鵺的は、3作品の中でも最もダークサイドを描いた快作。高木登の脚本を寺十吾の演出により、ダークさをある種のエンターテイメントに昇華した作品。特にラストシーンの福永マリカの笑い顔が脳裏から離れないほど印象的だった。 風琴工房・詩森ろばは、この作品に限らず立て続けに素晴らしい作品を送り出した。難しいことをシンプルに、ドラマチックなことを淡々と、真面目なことをコミカルに描きつつ、俳優との組合わせが上品で素晴らしく、劇場ではない空間を生かしながら、作品魅力を最大限に引きだした演出だった。 (年間観劇本数:161本)
薙野 信喜 (無職) ・可児市文化芸術振興財団『お国と五平/息子』(パトリア日田) ・ホリプロ『娼年』(久留米シティプラザ) ・ヨーロッパ企画『来てけつかるべき新世界』(西鉄ホール) 東京や関西に観劇に行くことはなかなかできないので、九州に来てくれる公演はなるべく見逃さないようにはしている。選んだ3本はずばぬけておもしろかった。 ほかにも、木ノ下歌舞伎「勧進帳」、東京芸術劇場「三代目りちゃあど」、北九州芸術劇場「彼の地」、青年団リンク・RoMT「ギャンブラーのための終活入門」、ラッパ屋「筋書ナシコ」、PARCO PRODUCE「ベント」など楽しめる公演が多かった。ダンスでは、PARCO STAGE「Sutra」、enra「PROXIMA」、ANTIBODIES Collective「DUGONG」が楽しめた。 九州の劇団の公演では、そめごころ「ココ、ドコカ、目覚める風景。」、非常口「チャチャトゥールの穴」、バカボンド座「歩くモーゼと原人」が印象に残った。 (年間観劇本数:143本)
町田 博治 (会社役員) ・Mrs.fictions 『上手も下手もないけれど』(花まる学習会王子小劇場) ・埼玉県立芸術総合高等学校 『解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話』(国立劇場) ・千葉県立松戸高等学校 『見よ、飛行機の高く飛べるを』(東京芸術劇場 プレイハウス) Mrs.fictions 『上手も下手もないけれど』劇場の楽屋を舞台に男優と女優の関係��変化、成長の経過を描き、展開させた濃密な15分間に驚いた。 埼玉県立芸術総合高等学校 『解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話』1月関東大会で観て感銘を受けたが更にブラシュアップされていた。終演後オノマリコさんに素晴らしい作品に出会えたことをお伝えしたら、埼玉総合が彼女達の作品として仕上げてくれたのでと仰っておられた。これ迄で一番涙を流した作品となった。 千葉県立松戸高等学校 『見よ、飛行機の高く飛べるを』 凄い作品を観た。観終わって誰かに感動を伝えたくて、人ごみに知り合いを探した。高校生達のほぼ完ぺきな演技が素晴らしい。古風な所作、多数の俳優が出入りするがタイミングも完璧。構成が良い。全国大会への審査には通らなかったが個人的にはベスト。再演があれば、今の配役で観ておきたい。(年間観劇本数:234本)
「2016年の3本」その2へつづきます
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C.R.A.C.NORTH「(仮称)川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」(素案)についてのパブリックコメント
本日8/9日〆切の川崎の反差別条例に対してC.R.A.C.NORTHとしてのパブコメを出しました。条例案に賛成であること、そしてアイヌ民族に対するヘイトスピーチも対象に含めるよう求めています。ネット右翼の攻撃が強く、刑事処罰をつけないなど、後退した内容になる可能性があります。賛成数を増やすため、NORTHのパブコメを参考に、論点ごとに投稿して頂けると幸いです。 パブリックコメント提出先、方法等詳細(8月9日まで) http://www.city.kawasaki.jp/templates/pubcom/250/0000108585.html *インターネ��ト フォーム提出先 (川崎市HP、リンク先) https://sc.city.kawasaki.jp/multiform/multiform.php?form_id=3851&_ga=2.161081981.1127417545.1563878652-1729341597.1563878652 ///////////////// C.R.A.C.NORTH「(仮称)川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」(素案)についてのパブリックコメント アイヌ民族は全国に居住しており、川崎市においてもアイヌ民族が差別されず人権を尊重されることは重要な課題である。
本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(通称:ヘイトスピーチ解消法)は、適法居住要件を充たさない者、アイヌ、琉球・沖縄の人々、被差別部落出身者などが対象に入らないこと、また国民や地方公共団体には努力義務しかないこと、さらにあくまで理念法であり、罰則がないことが審議過程から指摘され、決議文と附帯決議にその旨が明記された。
【川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」(素案)では、刑事処罰をつけるなど解消法の欠陥を一部補完し、ヘイトスピーチをなくす実効性を高めた内容であり、賛成する。】
しかし、ヘイトスピーチ解消法で今後の課題とされた対象範囲の限定の問題は、この素案にも反映されてしまっている。
総則(2)定義アの「不当な差別」は列記された属性に対する差別的言動も含まれているように読めるが、3(3)では、本邦外出身者以外に対する不当な差別的言動については、禁止されていないように読める。だが、後に述べるように、5月24日に施行された「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」は、アイヌが先住民族であることを初めて法律に明記し、第4条は、アイヌ差別を明示的に禁止している。また第5条は、国及び地方自治体が差別禁止の基本理念にのっとり、アイヌ施策を策定し、実施する責務を定めている。またここで禁止されているアイヌ差別とは、アイヌに対する差別的取扱いと差別的言動、ヘイトスピーチも含む。したがって、川崎市においても、アイヌ差別(差別的取扱いと差別的言動、ヘイトスピーチ)を防止し、是正するための効果的措置をとる必要がある。
そのため、以下の3点を求める。
1)素案3(3)を「不当な差別的取扱いをしてはならない」ではなく、差別的言動も含む「差別をしてはならない」とし、アイヌ施策推進法と足並みを揃えること
2)素案2(2)アを、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(通称:人種差別撤廃条約)と先住民族の権利に関する国際連合宣言(通称:先住民族宣言)に基づき、定義はこれに相応しいものにすること
3)ヘイトスピーチ解消法の対象範囲の限定を乗り越え、アイヌに対するヘイトスピーチも防止する具体的な措置をとること(公共の場所、公の施設、インターネット)
加えて関連する次の4点を求める。
・公的施設の利用許可等の基準について、現行のガイドラインにある迷惑要件を削除すること
・インターネット上の表現活動に係る拡散防止措置及び公表に賛成しているが、さらに悪質なヘイトスピーチを匿名で繰り返す者に対しては、市が事業者に対し発信者情報の開示を求められるようすること
・差別防止対策等審査会の人数を増やし、アイヌ民族も入れること
・施行後一年の見直し条項を設けること
(理由)
1.北海道外のアイヌと差別
アイヌといえば北海道に住んでいるという漠然としたイメージがあるかもしれないが、実際は全国に居住している。アイヌ政策推進会議「北海道外アイヌの生活実態調査」作業部会報告書(2011年6月)によると、調査に協力した北海道外に居住するアイヌの世帯は153世帯、210人。そのうち関東は97世帯、137人。神奈川は東京に次いで21世帯、25人である。
調査はアイヌに対する差別について次のようにまとめている。北海道外で生活する中で差別を受けたことがあると回答した人が 20.5%であり、一般的にアイヌのことがあまり知られていないと思われる北海道外においても、差別を受けたことがあると回答している人が存在する。受けたことがないという人については、本調査においても、周りの人の中で、自分がアイヌであることを知っている人がいないと回答した人が少なくないこと。
2.全国のアイヌに対する差別的取扱いと差別的言動
内閣官房アイヌ総合政策室「国民のアイヌに対する理解度についての意識調査」は、全国規模でかつ、差別や偏見に特化した調査である。その報告書(2016年3月)によると、現在、差別や偏見があると思うと答えた者は72.1%だった。そのうち自分自身が差別を受けていると回答した者は33.6%であるが、職場や学校の場面でアイヌであることを理由に不愉快な思いをさせられた、結婚や交際のことで相手の親族にアイヌであることを理由に反対された、近所や自治会等で、アイヌであることを理由に差別された、自分がアイヌであると知らない周囲の人がアイヌに対して差別的な発言をしているのを聞いたと答えている。
3.アイヌに対するヘイトスピーチの状況
□アイヌに対する主要なヘイトスピーチ年表
2009年 在特会北海道支部が北海道アイヌ協会の事務所に侵入未遂 2014年 金子快之「アイヌ民族なんてもういない」発言 2014年 在特会初代会長の桜井誠がネットラジオ番組で在日がアイヌになりすましているとコメント 2014年 銀座のアイヌ文化交流センター近くでアイヌをターゲットのひとつにしたヘイトデモ 2014年 小野寺まさるが道議会決算特別委員会で「アイヌが先住民族かは非常に疑念がある」と発言 2016年 日本会議北海道本部が北海道知事や北海道博物館に対して公開質問状を提出 2016年 杉田水脈議員が国連女性差別撤廃委員会に参加。その後blogやTwitterでアイヌヘイト 2017年 小野寺まさる元道議がアイヌ料理に関するヘイトツイート 2018年 寿都町町議会議長の小西正尚がFacebookで「ザイヌ」とコメント 2019年 頑張れ日本が官邸前でアイヌヘイト歴史否定街宣「日本分断阻止! アイヌ新法絶対反対」 2019年 青山繁晴議員が「アイヌ協会、血を引く方は2割」とアイヌ新法をめぐって発言 2019年 京都で敬心会がアイヌヘイト街宣 2019年 小野寺まさる元道議講演会のアイヌ新法に関するヘイト講演会
チャンネル桜北海道の動画ニュースや虎ノ門ニュース、講演会、ツイッターやFacebookなどで、公人によるものも含め、日々アイヌに対するヘイトスピーチが拡散されており、全国を対象とするアイヌ施策推進法案が発表されてからさらに活発化している。その態様も公共の場所、公の施設、インターネットと在日コリアンに対するヘイトスピーチと同様である。在日コリアンに対するものと比すと小規模だが、北海道環境生活部『北海道アイヌ生活実態調査報告書』(2013年)によると道内のアイヌの人口は1万7千人(調査対象としての条件有り)であり、ネット右翼の割合がだいたい人口の1%とされているのに比べて、圧倒的に人数が少ないことを考慮する必要がある。
また、アイヌに対するヘイトスピーチは、排外主義的というよりは、その民族性を否定する内容が多いため、アイヌ民族以外の人間になかなかその差別煽動性が伝わりづらい面もあるが、アイヌ民族が土地も言葉も奪われ、強制移住や伝染病、苛烈な差別による精神的被害などにより命を落とすほどの強制的な同化政策を受けていたことを考慮すると、アイヌに対するヘイトスピーチは未だ続く強制的な同化圧力の一部であり、文化的ジェノサイドに至るプロセスの途中にあると云えるのではないか。
4.アイヌ施策推進法におけるアイヌ差別禁止規定
2019年5月24日に施行された「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(通称:アイヌ施策推進法)は、アイヌが先住民族であることを初めて法律に明記し、第4条は、アイヌ差別を明示的に禁止している。また第5条は、国及び地方自治体が差別禁止の基本理念にのっとり、アイヌ施策を策定し、実施する責務を定めている。これは日本で人種差別を「禁止」した初めての法律だと云える。また附帯決議では、先住民族宣言の趣旨を踏まえること、不当な差別的言動の解消に向けて具体的な措置を講ずることを定めている。
第4条 何人も、アイヌの人々に対し、アイヌであることを理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない
第5条 国及び地方自治体は、前2条に定める基本理念にのっとり、アイヌ施策を策定し、及び実施する責務を有する
国会審議においては、政府参考人が「ヘイトスピーチにつきましては、例えば、民族としてのアイヌなんてもういないといったような趣旨の心ない発言が今も繰り返しなされている」と、「民族としてのアイヌなんてもういない」という発言がヘイトスピーチであることを例示した(衆議院 国交委員会 4月10日)。また、「差別を受けないといったことについての権利が国連宣言の中にあ」り「第4条のところで、アイヌの人々に対する差別の禁止に関する基本理念を示して」いると答えている(同上)。さらに「明確にアイヌの人々を差別することを目的としたヘイトスピーチは本条に反するもの」「第4条においては、アイヌの人々に対してと規定しており、必ずしも個人を対象としない差別的言動も本条に反する」と答えている。(参議院 国交委員会 4月18日)
参議院の附帯決議:
二 「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の趣旨を踏まえるとともに、我が国のアイヌ政策に係る国連人権条約監視機関による勧告や、諸外国における先住民族政策の状況にも留意し、アイヌの人々に関する施策の更なる検討に努めること。
四 アイヌの人々に対する差別を根絶し、アイヌの人々の民族としての誇りの尊重と共生社会の実現を図るため、アイヌに関する教育並びにアイヌへの理解を深めるための啓発及び広報活動の充実に向けた取組を推進すること。あわせて、本法第4条の規定を踏まえ、不当な差別的言動の解消に向けた実効性のある具体的措置を講ずること。
したがって、アイヌ施策推進法において、アイヌに対する差別的取扱いのみならず必ずしも個人を対象としない差別的言動、ヘイトスピーチをも禁止されたと考えられる。またアイヌに対するヘイトスピーチ例としてアイヌの民族性を否定する文言が政府によって示されたことは重要である。さらにこのアイヌ差別の禁止は、先住民族宣言に基づいている。先住民族宣言において、ヘイトスピーチされない権利は同化を強制されない権利の一つであり、先住民族としてのアイヌへのヘイトスピーチの性格と、その防止、是正するための効果的措置の必要性が明記されている。
先住民族宣言におけるヘイトスピーチ関連条項
先住民族宣言において、差別からの自由を規定し、国がヘイトスピーチを防止し、是正する効果的な措置をとることを規定しているのは、第2条と第8条である。
先住民族の権利に関する国際連合宣言(2007年)
第2条 【平等の原則、差別からの自由】 先住民族および個人は、自由であり、かつ他のすべての民族および個人と平等であり、さらに、自らの権利の行使において、いかなる種類の差別からも、特にその先住民族としての出自あるいはアイデンティティ(帰属意識)に基づく差別からも自由である権利を有する。
第8条 【同化を強制��れない権利】 1. 先住民族およびその個人は、強制的な同化または文化の破壊にさらされない権利を有する。 2. 国家は以下の行為について防止し、是正するための効果的な措置をとる: (a) 独自の民族としての自らの一体性、その文化的価値観あるいは民族的アイデンティティ(帰属意識)を剥奪する目的または効果をもつあらゆる行為。 (b) 彼/女らからその土地、領域または資源を収奪する目的または効果をもつあらゆる行為。 (c)彼/女らの権利を侵害したり損なう目的または効果をもつあらゆる形態の強制的な住民移転。 (d) あらゆる形態の強制的な同化または統合。 (e) 彼/女らに対する人種的または民族的差別を助長または扇動する意図をもつあらゆる形態のプロパガンダ(デマ、うそ、偽りのニュースを含む広報宣伝)。
C.R.A.C.NORTH「(仮称)川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」(素案)についてのパブリックコメント(PDF 251KB) https://drive.google.com/open?id=1O-H3bPCPnWie3FbmmqiaBeq8uDJPSidM
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(注)、これは、本編となる別途作成予定ファイルの資料編です。1952年5月1日のメーデー事件から50年以上経った現在も、人民広場における戦闘状況、その前後の様子は、「藪の中」にあります。このファイルは、その真実解明のための第一次資料7篇と解説です。添付地図は4枚とも、『メーデー事件裁判闘争史』にあります。写真9枚は、『昭和史14』(毎日新聞社、1984年、絶版)、『グラフィック昭和史11』(研秀出版、1960年、絶版)、『メーデー事件写真集』(メーデー事件被告団、1967年、絶版)からの複写です。
〔目次〕
1、解説(宮地)
1、芥川龍之介『藪の中』と黒澤明『羅生門』
2、資料編題名『広場における戦闘』 人民広場地図
3、広場の七人が語る〔真相〕
2、資料編
〔真相1〕 日本共産党中央軍事委員会『メーデー事件の軍事的教訓』他 写真3枚
〔真相2〕 警察庁警備局『皇居前メーデー騒擾事件』他 写真2枚
〔真相3〕 メーデー事件被告弁護団『メーデー事件裁判闘争史』 地図3、写真4枚
〔真相4〕 総評常任幹部会『声明』他
〔真相5〕 日本共産党中央委員会『日本共産党の65年、70年、80年』他
〔真相6〕 増山太助『血のメーデー』、『都ビューローの広場突入反対討��・決定』
〔真相7〕 石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
丸山眞男のメーデー事件に関する日本共産党批判
(関連ファイル) 健一MENUに戻る
『「武装闘争責任論」の盲点』2派1グループの実態と性格、六全協人事の謎
『宮本顕治の五全協前、スターリンへの“屈服”』7資料と解説
滝沢林三『メーデー事件における早稲田大学部隊の表と裏』
THE KOREAN WAR『朝鮮戦争における占領経緯地図』
石堂清倫『コミンフォルム批判・再考』スターリン、中国との関係
れんだいこ『日本共産党戦後党史の研究』 『51年当時』 『52年当時』 『55年当時』
吉田四郎『50年分裂から六全協まで』主流派幹部に聞く
藤井冠次『北京機関と自由日本放送』人民艦隊の記述も
大窪敏三『占領下の共産党軍事委員長』地下軍事組織“Y”
由井誓 『“「五一年綱領」と極左冒険主義”のひとこま』山村工作隊活動他
脇田憲一『私の山村工作隊体験』中央軍事委員会直属「独立遊撃隊関西第一支隊」
増山太助『戦後期左翼人士群像』「日本共産党の軍事闘争」
中野徹三『現代史への一証言』「流されて蜀の国へ」を紹介する
(添付)川口孝夫著書「流されて蜀の国へ」・終章「私と白鳥事件」
八百川孝共産党区会議員『夢・共産主義』「50年問題」No.21~24
1、解説(宮地)
〔小目次〕
1、芥川竜之介『藪の中』と黒澤明『羅生門』
2、資料編題名『広場における戦闘』
3、広場の七人が語る〔真相〕
1、芥川龍之介『藪の中』と黒澤明『羅生門』
この小説と、それを原作とした映画は、平安の乱世、都に近い山科の藪の中で、旅の武士が殺された事件をめぐるストーリーです。そして、その経過をめぐって、7人または4人が、それぞれの視点で語る〔真相〕をそのまま描いて、結論を出さないというユニークな構成になっています。
『藪の中』の7人が語る〔真相〕 登場人物は、木樵り(きこり)、旅法師、放免、媼(おうな)、多襄丸(たじょうまる)の白状、清水寺に来れる女の懺悔、巫女の口を借りたる死霊です。
『羅生門』の4人が語る〔真相〕 映画のシナリオは、それらを、多襄丸(三船敏郎)、真砂(京マチ子)、巫女の口を借りた武士(森雅之)、杣売り(そまうり、志村喬)に絞っています
いずれも、一つの事件について、関係者めいめいが主張する〔真相〕通りに、繰り返し描いています。しかし、かんじんなところでは、全員が食い違っています。人間、誰でも自分をかばうエゴイズムから、どこかで嘘をつき、結局、真実はわかりません。私(宮地)は、気に入った映画を繰り返し観るのがくせで、一番多いのは、エイゼンシュテイン監督『戦艦ポチョムキン』の7回ですが、『羅生門』も5回観ました。黒澤明のダイナミックな演出や、宮川一夫の微妙な光と影を写し撮る撮影技術には、その都度引き込まれます。
1952年5月1日、サンフランシスコ講和条約発効から3日目、米軍占領終結後初の首都メーデー中央集会が、神宮外苑で開かれました。そこから5つのコースでデモ隊が出発しました。そのうち、日比谷公園で流れ解散する予定の中部・南部コースのデモ隊が、人民広場と呼ばれる皇居前広場に入りました。その広場で起きた事件が、メーデー事件です。
このメーデー事件の〔真相〕については、数百の記事、証言が語ってきました。このファイルは、資料編と解説であり、広場の7人が語る〔真相1~7〕を、結論を出さずに提出します。
2、資料編題名『広場における戦闘』
ただ、資料7篇とはいえ、それらの資料選択をした私(宮地)の価値判断をまったく出さずにおくわけにもいかないので、ここに、本編の骨子一部のみを書きます。この内容は、メーデー事件の全体像・真実を描くんだとする、大それた意図に基づくものではなく、私が50年後に主張する〔真相8〕に該当します。私自身を、『藪の中』の8人目として登場させるわけです。その視点は、ソ連崩壊後に発掘された朝鮮戦争をめぐるスターリン・毛沢東・金日成らの膨大な秘密暗号電報・公文書(アルヒーフ)データや、50年間で判明してきた後方基地武力かく乱戦争行動実態資料から、メーデー事件を、ソ連共産党・中国共産党の朝鮮戦争参戦軍事命令に完全従属していた日本共産党の広場突入軍事行動という一側面から捉え直すことです。ソ中両党の思惑とアメリカ「軍」・GHQの動向とを合わせて、国際的視野から、メーデー事件を位置づけることです。その詳細は、本編で分析します。
それを分析する上で、まず、メーデー・吹田・大須事件などの武装闘争を実践した主体は、徳田・野坂分派という分裂した共産党の一部なのか、それとも、“統一回復”をした日本共産党そのものなのかを、明確にしておく必要があります。1951年10月初旬、宮本顕治は、スターリンの「宮本らは分派」との裁定に屈服しました。国際派とは、スターリン直筆の「コミンフォルム批判」の即時無条件受諾=暴力革命路線への転換と武装闘争即時遂行を強烈に主張したスターリン盲従派だったのです。その国際的隷従体質が、国際派と呼ばれる所以(ゆえん)です。なかでも、宮本顕治のスターリン盲従・崇拝度は、あまりにも極端だったので、中央委員の80%、専従の70%、党員の90%が、彼に反発を抱き、国際派は、まったくの少数分派に転落していました。スターリンは、日本共産党を朝鮮戦争に参戦させ、後方基地武力かく乱戦争行動を展開させるために、もっとも熱烈に自分を信奉してくれている“愛すべき”宮本顕治ら10%少数派を切り捨て、ソ連NKVDスパイ野坂参三と徳田球一らの主流派に軍配を上げたのです。
スターリン崇拝者・宮本顕治は、やむなく、自分の少数分派=全国統一会議を解散し、主流派・軍事委員長の志田重男に、「新綱領(スターリンが直接書いた51年綱領)を認める」との自己批判書を提出しました。彼の屈服により、反徳田5分派はすべて主流派に屈服・復帰し、日本共産党は、“統一回復”をしました。
宮本屈服数日後の1951年10月16日、五全協は、軍事方針をさらに具体化し、武装闘争の実践に踏み出しました。それ以後、1953年7月26日の朝鮮戦争休戦協定成立日までの1年9カ月間の武装闘争とは、まさに、ソ中両党の軍事命令に隷従した“統一回復”日本共産党が、朝鮮戦争に参戦した後方基地武力かく乱戦争行動でした。
『武装闘争責任論の盲点』2派1グループの動向、宮本顕治のスターリン盲従度
吉田四郎『50年分裂から六全協まで』たった8字の宮本顕治の自己批判書
人民広場とは、皇居前広場のことで、日本国民は、米軍占領下でも、メーデーなどに40数回使っていました。ところが、吉田内閣とGHQリッジウェイ最高司令官は、スターリン・毛沢東・金日成ら3カ国共産党・労働党が仕掛けた朝鮮侵略戦争が勃発すると、その10カ月後の1951年4月27日、その兵站補給後方基地日本における治安維持のために、人民広場のメーデー使用を禁止しました。よって、それ以来、「人民広場奪還」スローガンは、東京・関東地方における正当な国民的要求になっていたのでした。
一方、アメリカは、日本を反共の永久的な不沈空母基地にするために、占領をやめ、独立させることのほうが上策との東アジア支配・米ソ冷戦戦略に転換しました。そこから、熱い朝鮮戦争最中にもかかわらず、1952年4月28日に向けて、単独講和条約締結の準備を進めました。その日本国内では、ソ中両党が出した朝鮮戦争参戦命令に盲従していた日本共産党の四全協・五全協による武装闘争・軍事方針とその遂行が勃発していました。それだけでなく、北朝鮮系在日朝鮮人45万人と、在日朝鮮人日本共産党員を中心とする祖国防���隊(祖防隊)が、金日成らによる朝鮮侵略戦争を、祖国解放戦争ととらえて、総決起していました。当時、在日朝鮮人の活動家は、朝鮮労働党ではなく、日本共産党に入党し、共産党中央の民族対策部(民対)の指導下にありました。アメリカ「軍」は、朝鮮半島で、最終的にアメリカ兵3万4千人(アメリカ国防省発表数字)を戦死させる激戦を続けていました。片や、日本経済は、朝鮮戦争特需によって、急速に復興しつつありました。4月28日講和発効後の日本国内治安対策こそ、アメリカの日本占領「軍」と吉田内閣にとって、最重要課題の一つに浮上してきました。なぜなら、まさに、その3日後には、「人民広場奪還」をめざすメーデーが計画されていたからです。政府・警視庁とGHQは、日本共産党が、五全協軍事方針の最大の実践として広場突入軍事行動を決定し、3カ月前から周到に準備し、突入部隊の軍事訓練をしていることを、公安調査や中核自衛隊員・祖防隊員などの中から飼育したスパイ情報によって、刻々とつかんでいました。
『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』北朝鮮系在日朝鮮人組織と運動の3段階
1952年4月末時点、朝鮮半島で、朝鮮侵略戦争を遂行しているマルクス主義前衛党「軍」は、朝鮮労働党人民軍10万人、中国共産党人民義勇軍のべ300万人、ソ連共産党空軍のべ1万数千人でした。後方基地にいるソ中両党従属下の日本共産党「軍」は、結成途上でした。それでも、都市部の中核自衛隊500隊1万人、独立遊撃隊、山村工作隊、在日朝鮮人の祖防隊数千人がいました。共産党の軍事指令が浸透する大衆団体には、全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組、産別の金属労組、前進座、および、北朝鮮系在日朝鮮人の在日朝鮮統一民主戦線(民戦)などがありました。
朝鮮侵略戦争を遂行中のソ中両党、および、その完全従属下にある日本共産党北京機関と中央軍事委員会にとっても、1952年メーデー「人民広場奪還」作戦こそは、6カ月前に決定した五全協の軍事方針を実行する最初で最大の後方基地武力かく乱戦争行動会戦に浮上したのでした。アメリカGHQ・吉田内閣・警視庁の7つの方面本部部隊数千人と、ソ中両党・徳田野坂の北京機関・日本共産党軍事委員会とは、それぞれ正反対の思惑を秘めて、五全協後の半年間、メーデー人民広場会戦に向けて、戦争作戦準備と戦闘体制を整え、5月1日、デモ隊鎮圧治安行動と広場突入行動とを激突させたのです。これら準備の詳細については、本編ファイルで分析します。
しかし、共産党の戦闘作戦は、敵=政府・警察軍と共産党「軍」だけによる人民広場会戦ではなく、メーデー参加の一般国民を、どれだけ、いかに巻き込むのか、それによって首都東京で革命的情勢をいかに人為的に醸成するのかという戦略目的を持つものでした。言い換えれば、共産党は、講和3日後に50万人が参加するメーデーこそ、共産党による一般人民利用の絶好の舞台であると設定したのです。なぜなら、共産党は、最初から、広場突入作戦を、自分たちの共産党「軍」だけでやり、警視庁の7つの方面本部部隊数千人との戦闘をやる意図・計画などをまるで持っていなかったからです。
5月1日の人民広場における戦闘の参加者と、その比率を確認します。
第一、共産党系大衆団体を合わせた日本共産党「軍」数千人
中核となる共産党員部隊は、中核自衛隊、独立遊撃隊、山村工作隊、祖防隊です。党中央軍事委員会が、馬場先門を突入入口とする中部デモ隊に配備した大衆団体は、全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組員、前進座などでした。そして、祝田橋を第2の突入入口とする南部デモ隊の先頭には、一般国民を広場突入に誘導する目的で、産別の金属労組、都学連一部、北朝鮮系在日朝鮮人組織の民戦2000人を配備しました。さらに、前進座には、陣太鼓10個以上を持ち込ませ、その鳴らし方で、広場突入または一時後退の合図とする指令を、各中核部隊に周知徹底させていました。前進座陣太鼓の後に設置した、広場突入指令のメーデー会場内秘密共産党本部には、東京都内5地区・三多摩地区軍事委員会から、各数名づつの軍事レポ要員(各戦闘部隊への連絡員)を配備しました。表にでる本部代表には、岩田英一を任命しました。
桜田門 二重橋
馬場先門
第二、人民広場に入った中部・南部コースのデモ一般参加者2万数千人
中央メーデー大会参加者は、50万人でした。デモ5コース中、日比谷公園で流れ解散予定の中部・南部コースのデモ一般参加者は、十数万人です。彼らは、東京地裁の使用許可決定が出ているのに、なお人民広場を使用させない政府の対応に怒りを持ち、人民広場奪還の要求を正当と認めつつも、大会実行委員会による抗議声明と広場進入をしないという決定に賛成していました。実力で、広場突入をすべきと考えた一般参加者は、日本共産党「軍」数千人を除けば、ほとんどいなかったでしょう。ましてや、彼らは、軍事委員会の広場突入作戦計画の存在などまったく知りませんでした。共産党の扇動・誘導部隊が突入したので、かつ、馬場先門・祝田橋において、警察が阻止行動を謀略的にほとんど行なわなかったので、自然発生的に人民広場に入ったというのが、一般参加者2万数千人の実態です。よって、警視庁の7つの方面本部予備隊が、警棒・催涙弾・ピストルで、3次にわたる違法な先制襲撃をしてくるなどとは、予想もしていませんでした。その激戦になることを予想し、準備していたのは、日本共産党「軍」数千人だけでした。ただ、違法な襲撃を受けた一般参加者が、それに怒って、投石・プラカードなどで反撃したのは、当然で、正当防衛の行為といえます。
第三、政府「軍」=警視庁7つの方面本部予備隊4100人
中部コースからの全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組員が、馬場先門から突入しようとしたとき、馬場先門の阻止線に配備されていた警察隊は、450人でした。祝田橋阻止線の警察隊も120人でした。二重橋前の本部でも、210人でした。不思議なことに、馬場先門の警察隊長は、警視庁本部から「先頭部隊である学生集団は、阻止しないで通せ」との命令を受けていました。その裁判証言どおり、彼らは、若干の小競り合いを演技しただけで、さっと左右脇に引き下がって、全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組員らを、人民広場に“逆誘導”したのです。祝田橋でもほぼ同じでした。
中部コース隊が、人民広場に入っていった時点で、警視庁は、第3の桜田門から、続々と警視庁第2~第7方面本部予備隊を、広場に投入しました。全体で4千人以上の警視庁予備隊・約28個中隊は、警棒・催涙弾・ピストルなどで、完全武装していました。予備隊とは、現在の警察機動隊のことで、7つの方面本部は、この時すでに、その下に各4個中隊の首都治安維持・デモ鎮圧目的の機動隊を結成・配備していました。そして、警視庁本部の襲撃命令に基づいて、3次にわたる違法な先制攻撃という戦闘を遂行しました。そこでの攻撃対象は、日本共産党「軍」部隊と一般国民との区別をまるでしません。それは、まさに、警察側の全武器を使った無差別テロ襲撃でした。
政府・警視庁の意図・目的を露骨に示した証言があります。それは、田中栄一警視総監が、事件の翌日5月2日、東京都議会で行なった報告です(『メーデー事件裁判闘争史』闘争史編集委員会、1982年、P.173)。「各署それぞれ自己の勢力によって自衛体勢をとるということを建前にいたしまして、予備隊その他メーデーに直接関係のある、あるいは出発地、あるいは開催地などの署員を合算いたしまして、大体四千百名の勢力によってこの五つのメーデーを取締りするという計画を立てたのであります。そして皇居前広場にこれを導入いたしまして、やがてこの五つのメーデーが逐次解散をするとともに勢力を引き上げまして皇居広場にこれを注入いたしまして、そしてこの大集団を処理するという予定を立てておったのであります。ところがこのメーデーの行進がきわめて迅速であり、またそうしたために勢力を集中することが時間的に若干ずれが生じました」。
これは、政府・警視庁の意図と具体的な広場戦闘作戦が、「先頭部隊である学生集団は、阻止しないで通」し、「皇居前広場にこれを導入」し、「四千百名の勢力を、順次、皇居前広場に注入」し、「この大集団を処理するという予定」だったことを、翌日、誇らしげに報告したものです。彼らは、共産党「軍」の明白な朝鮮戦争後方基地武力かく乱戦争行動の目的とは別個に、講和条約発効3日後のメーデーにおいて、人民広場突入会戦を仕掛けた側を、わざと皇居前広場に導入しておいてから、完全武装の警視庁「軍」の3次にわたる先制攻撃によって、無差別の集団処理をし、それを通じて、日共の戦争犯罪を国民の前に暴露し、同時に、日本の治安体制を、独立3日目から一挙に打ち立てようという壮大な目的に基づく人民広場会戦にしたのです。
彼らは、警視庁本部に刻々と入る公安・スパイ情報を分析しながら、共産党「軍」が広場突入軍事作戦を決行してくれることを逆手にとり、首都の治安確立をし、かつ、警察予備隊=機動隊28個中隊に暴徒鎮圧大戦闘を初めて実体験させる上で、願ってもないような絶好のチャンス到来であるとして、待ち構えていたのでした。
さらにもう一歩踏み込んだ別の言い方をすれば、日本共産党「軍」は、広場突入会戦において、一枚上手の政府「軍」のわなに見事にひっかかったといえます。なぜなら、メーデー事件の全経過を見ると、政府・警視庁は、警視庁隊4100人を待ち伏せさせ、共産党「軍」を、2つの門の阻止線を空にして、人民広場に突入させるという逆誘導をしておいてから、解散警告なしに警棒を使った第一次先制襲撃をしたのです。そして、桜田門側から続々と注入した新武装部隊による催涙弾・ピストルを使った第二次包囲殲滅・広場追い出し襲撃に移行し、さらには広場外へも大追撃戦を展開して、大量逮捕の第三次掃討戦闘を遂行するという、3段階にわたる緻密な戦闘作戦を、事前に持っていたと推定できるからです。
それにたいして、志田ら共産党軍事委員会は、広場突入後の敵の出方、敵「軍」が3段階にわたって、日共「軍」殲滅作戦をするのではないかという想定をまるでしないままで、一般国民2万数千人を、“自分たちの戦争”の道連れにし��のではないかと推定できます。
戦争において、敵「軍」の侵略・突入作戦計画を事前に十分知りつつ、敵「軍」をして、先に戦争を仕掛けさせて��き、国際・国内世論を味方につけ、それから、完璧な戦争システムで“正義の反撃戦争”に進むという手口は、アメリカ「軍」が得意とする常套手段です。第1のケースは、日本海軍によるパールハーバー突入・奇襲攻撃です。ルーズヴェルトが、日本「軍」の暗号電報解読などで事前に知っていて、突入をやらせ、「Remember Pearl harbor!」で、アメリカ世論を参戦に転換させる謀略作戦をとったということは、今や常識に近いでしょう。第2ケースは、スターリン・毛沢東・金日成の共謀による朝鮮人民「軍」10万人の38度線突破侵略戦争です。トルーマン・マッカーサーが事前にその情報を得ていて、先に侵略をやらせたことについては、萩原遼が『朝鮮戦争―金日成とマッカーサーの陰謀』(文芸春秋社)で、アメリカ側データの分析により、完璧に論証しました。
メーデー事件当日は、朝鮮戦争の真っ最中であり、かつ、3日前まで、アメリカ「軍」が日本を軍事占領していました。吉田内閣・警視庁だけでなく、GHQも、アメリカ「軍」がたたかって、5万人ものアメリカ兵が最終的に戦死した激戦状況において、日本共産党「軍」の広場突入作戦が、朝鮮戦争の後方基地武力かく乱戦争行動であり、かつ、それは、ソ連共産党・中国共産党による日本共産党への軍事命令に基づく一大会戦の性格を持つことを認識していました。そもそも、敗戦後40数回も使用してきた人民広場を、朝鮮戦争勃発の10カ月後に、使用禁止の占領軍命令を出したのは、GHQです。GHQは、人民広場使用または突入の政治的軍事的意味を、もっとも正確に理解していました。したがって、このメーデー事件めぐる動向は、アメリカ「軍」の常套手段としての第3のケースになるというのが、国際的視野から見た私(宮地)の見解です。この事件の背景には、GHQと政府・警視庁トップらによる、朝鮮戦争がらみの共同謀議が、メーデー当日前に成立していたと判断できます。
占領・行政・反乱鎮圧体験を豊富に持つ米日権力「軍」にたいして、日本共産党「軍」は、ソ中両党の完全従属下にあり、敗戦7年後で戦争拒絶の国民意識を自主的に分析する能力に欠け、中国共産党「劉少奇テーゼ」という植民地型の人民解放戦争スタイルを、発達した資本主義国日本でやれとの毛沢東・劉少奇の軍事命令に盲従した軍事方針で立ち向かったのです。人民広場における武器量・武装力の違いだけでなく、広場突入会戦の戦略・事前作戦計画・相手方の情報収集戦の段階から、共産党「軍」は、敵の出方のわなにはめられていたといえます。メーデー事件に関するGHQレポートが、アメリカ政府・国防省に送られ、保管されているはずです。それが発掘されれば、『藪の中』の真実解明に一歩近づくでしょう。
3、広場の七人が語る〔真相〕
以下の七人(組織)以外に、マスコミ報道、映像、メーデー参加者の発言、裁判における検察側・弁護側証人の証言、第一審・二審判決文という資料が膨大にあります。それらの内容は、概況的なものから、各個人の断片的な体験記など、それぞれ数百人が語る〔真相〕です。その中から、このファイルでは、広場の七人が語る概況的な〔真相〕のみを、資料編として抽出します。
ただ、芥川龍之介も黒澤明も、各自が主張する〔真相〕のうち、いずれが「真実」なのかを結論づけず、多面的な視点をそのまま提出して、小説・映画を終えています。『羅生門』の視点は、日本国内上映当時、不評でした。それにもかかわらず、ヨーロッパ近代個人主義の風土において、1951年、ベニス国際映画祭グランプリをとったのは、各自が主張する〔真相〕と、事件の「真実」とは異なり、真実は『藪の中』にあり、そのいずれかを絶対的真理と断定することを拒絶するという相対化思考がありました。メーデー事件は、この受賞の8カ月後でした。
私(宮地)も、メーデー事件から50年以上を経過した現在、別ファイルの本編において、〔真相8〕宮地健一『メーデー事件における広場突入軍事行動―志田・宮本が隠蔽した裏側の真相』を書いて、藪の中の「真実」解明の一員に参加する予定です。
2、資料編
〔小目次〕
〔真相1〕 日本共産党中央軍事委員会『メーデー事件の軍事的教訓』他 写真3枚
〔真相2〕 警察庁警備局『皇居前メーデー騒擾事件』他 写真2枚
〔真相3〕 メーデー事件被告弁護団『メーデー事件裁判闘争史』 地図3、写真4枚
〔真相4〕 総評常任幹部会『声明』他
〔真相5〕 日本共産党中央委員会『日本共産党の65年、70年、80年』他
〔真相6〕 増山太助『血のメーデー』、『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
〔真相7〕 石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
丸山眞男のメーデー事件に関する日本共産党批判
〔真相1〕 日本共産党中央軍事委員会『メーデー事件の軍事的教訓』他
(注とコメント)、これは、共産党中央委員会発行の非合法機関誌『国民評論40号』(1952年7月1日)に、軍事委員メンバーが、ペンネーム大橋茂で発表した論文です。この全文を捜しましたが、私(宮地)の手元にまだありません。よって、大井廣介『左翼天皇制』(ぺりかん社、1976年、絶版)に載っている抜粋文(P.104~108)の全文を転載します。他1篇は、同じく、非合法機関誌『組織者11号』(1952年6月1日)に発表された論文の一部で、大井著書(P.108)にあります。この論文は、日本共産党が、広場突入を、まさに人民広場戦争と位置づけていたことを示す証拠文書であり、その内容は、共産党「軍」側が描いた広場突入会戦の生々しい戦記レポートといえます。
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『メーデー事件の軍事的教訓』 『国民評論40号』
中核自衛隊、行動隊による宣伝は会場内の空気を変え、全大衆を人民広場へみちびく雰囲気をつくりあげた。……このメーデー事件の全体をつうじて行動隊の宣伝活動がひじょうに大きな役割をはたしている。(中略)
○時四十分にデモがはじまった。中核自衛隊、行動隊等は大衆を人民広場へ導くために全力をつくした。日比谷にむかう南部、中部デモ隊のほかに、渋谷にむかう西部デモ隊は七千が渋谷へ、一万二千が人民広場へむかった。北部でも、愛労に指導され新宿にむかうものと人民広場へむかうものとに別れた。……デモ隊はアメ公帰れ、吉田を倒せ、戦争反対等のスローガンを叫び、自由党本部前では石を投げて攻撃し、パトロールカー、首相官邸前交番等へも石による攻撃を行い、革命的に行動した。(中略)
この大衆の人民広場への行動を弾圧するために、敵は周到な計画を立てていた。かれらは日比谷交叉点、GHQ前、丸ノ内署前に、丸ノ内署長の指揮する約三百名の警官を待機させ、馬場先門には三田署長の指揮する水上中隊、祝田橋入口には高輪中隊、桜田門には小田小隊等総数二百をあて、そのほか第一方面予備隊三箇中隊を出動させていた。それらの部隊ではデモ隊をそ止しえないことは明らかである。
かれらの計画は、この少数の警備隊によって、デモ隊を人民広場の中央にゆう動し、ここで包囲攻撃をすることにあった。かれらはそのために、第三方面予備隊四箇中隊、第四方面予備隊四箇中隊、第五方面予備隊四箇中隊、第六方面予備隊四箇中隊、第七方面予備隊三箇中隊を人民広場の周辺に待機させていた。しかも、これらの部隊には、ガス班長の指揮する約十名単位のガス班も数十組も組織していた。
デモ隊は、二時二十分頃日比谷交叉点および馬場先門で警官隊と小ぜりあいを行ない、この警官網を突破して馬場先門から二重橋前に到着した。ここで大衆は万歳を叫びアカハタをたてた。大衆は大会を開き、解散する準備をはじめていた。ところが、敵は皇居警護官約百名、第一方面予備隊三箇中隊、三田署部隊約二百名の他に、さらに第七方面三箇中隊を増強し、これを一つに集中した。かれらは乱暴にもコン棒をふるって攻撃を開始した。大衆はこれを二重橋前に押しつめた。敵と味方の間隔は数米しかない状態だった。
この対峠したなかで、デモ隊から「さがれ」という号令を叫ぶものがあった。大衆はうねるようにしてさがった。官憲は前進してきた。すると大衆は、これを引きずりこみ、プラカード等で攻撃を加えた。あわてた敵の指揮官は「警官隊さがれ」と叫ぶ、敵が後退する。デモ隊はふたたび包囲環を縮めた。このような前進と後退が数回くり返された。そのたびに敵は打撃を受けた。これはまったく創意的な戦術だった。
しかし、この時期は戦術的にはもっとも重要な時だった。敵の兵力は約九百、味方の行動実勢力は約五千とみられる。しかも敵は動揺し、味方の志気はたかかった。したがって、ここで集中した敵の力を分散させ、これを個別的に攻撃することは可能だった。ところが、この有利な条件を戦術的に運用することがなされなかった。弱い敵の集中にたいし、味方の体制も密集体形から変化させることができなかった。この結果敵はだいたい八十名よりなる一箇中隊を単位に最後まで組織的に行動することができた。かれらは全滅する条件にさらされ、指揮官自身があわてて発砲するようななかで、部隊として大きな被害を受けなかったのである。
いま一つ味方の弱点は、全体がデモ隊のなかに解消し、予備行動のための強固な遊撃部隊を組織していなかったことである。このために、敵の弱点を機動的に集中的に攻撃することができず、また敵の増強部隊にたいしてそなえることができなかった。
包囲された敵は、不法にも拳銃を発射し、ガス弾を使用した。第一方面の長岡第二、永井第四部隊が攻撃の主力になっていた。かれらはこの時五十発のピストルと六十八個のガス弾を使っている。デモ隊は勇敢にもガス弾を投げ返し、敵に損害をあたえたが、全体としては相当の犠牲を受け後退した。この後退した場合も敵を引きこみ、包囲することは可能だったが、密集体形のまま祝田橋通りを挟んで敵と対時した。この戦闘において味方の弱点は味方の部隊を大きく動員し、敵を包囲する体制に指揮することができなかったことである。
この対峠したなかで、デモ隊は敵にたいして、「お前達は何しに来たのか」「泥棒をつかまえろ」「アメ公の番犬」「どちらが悪いか考えてみろ」「税金つぶし」などと叫んで���撃を加え、敵にたいする憎しみをバク発させていた。敵がコン棒を振るとデモ隊は石を投げて攻撃した。敵のなかからも「片っぱしからつかまえろ」「あいつをやれ」など号令をかけてきた。とくに、四十歳位の頭髪の薄い指揮官が六尺棒を振って大衆をなぐりながら指揮していた。見物している者もこの官憲の残酷さにあきれ、全体がデモ隊を支持していた。見物の大衆のなかから官憲にたいしてバ声や石つぶてが飛んでいた。先遣デモ隊は人民広場に入ってからこの時まで約一時間にわたって勇敢に闘い抜いたのである。このことは国民武装の可能性を事実によって示した。(中略)
先遣デモ隊がガス弾ピストルの攻撃を受け、祝田橋通りへ後退しつつある時、中核自衛隊の一部は後続デモ隊に急を知らせるために走った。後続デモ隊でも「人民広場へ」「仲間を孤立させるな」が大衆の声となった。社会民主主義者はこの大衆を押え先頭の速力をおとして先遣デモ隊を孤立させようとした。しかし大衆はかれらをツルシあげながら三時二十五分頃から続々と祝田橋を渡り人民広場へ入った。広場の大衆は熱狂してこれをむかえた。新しい部隊を加えてデモ隊は馬場先門通りをはさんで大きく二つの群に別れた。この時、敵もまた増強しつつあった。先ず第六、第七、第三各方面予備隊七箇中隊が桜田門より入り、第一方面予備隊と合流した。大衆は再び体勢を整え、風上へ風上へと向いながら二つの群が一つとなり敵を二重橋前に圧迫した。これによってデモ隊は第二の勝利をかちとった。この闘争の中で最も重要と思われる時機をつかんだのである。しかし、誰も敵を圧迫した重要なこの時に更に何を行なうべきかを大衆に示すことが出来なかった。デモ隊を指揮していた人々も、この瞬間に何をやるのか決断がつかず躊躇した。従っ��、大衆の意志と行動を一つの方向にむけることができなかった。この結果大きな戦術的な行動を組織する機会はにげ去ってしまったのである。
この時敵の兵力は、予備隊十五箇中隊を主力とする約千五百、味方は敢闘して結集しているもの約一万、同調的なもの約二万合計三万とみられる。従ってここで開いながら革命的な大会を持ち、解散することも不可能でないし、これを妨害し、攻撃する敵を第一回に敵を圧迫した時と同じように分断して攻撃することも可能であった。ところがこの大きな機会を失ない味方を守勢に立たす危険に陥ったのである。この闘争全体を通じてこの高揚した大衆を指導する能力と体制に欠けていた。これが決定的な弱点であった。この弱点をすくったのは、大衆の革命的な行動であった。敵は、再びガス弾とピストルでもって攻撃を開始した。中核自衛隊を中心とする大衆は、この攻撃に勇敢に抵抗した。石、プラカード、旗竿等を武器にして、敵を引きこんではこれを打ちのめし、反撃しては敵に打撃を与えた。敵も味方もここで大きな犠牲を出した。この闘いの中で見物に集まった大衆の数は数万に及び、益々増えつつあった。この大衆もデモ隊に声援を送った。
敵は祝田橋を占拠し、大衆とデモ隊を断ち切り、デモ隊を包囲する作戦であった。そのための行動が数回にわたってくり返された。しかし、これは成功しなかった。この包囲をゆるさなかったのは、デモ隊の勇敢な攻撃力と祝田橋から馬場先門に及ぶ見物している大衆の圧力であった。デモ隊は敵のピストルと闘いながら祝田橋通りを通り抜けようとする占領軍の車輌にもしばしば攻撃を加えた。味方は一つの密集部隊として攻撃しているのに対して敵は一箇中隊を単位として行動していた。このことは敵の弱勢を補った。この戦闘中に敵は更に第三方面四箇中隊、第四方面四箇中隊、第五方面四箇中隊、その他参議院警備中の予備隊等約十三箇中隊を増強した。その他四時過ぎには、各署から召集されたもの約二千名が加わった。この部隊を大きく横隊に組み両翼と中央の三方面から圧迫を加えてきた。大衆は、これを三回はね返した。
四時十五分頃デモ隊から流れでた一部が、日比谷公園側で占領軍の乗用車を襲い、これに火をつけた。これは、人民広場事件の政治的な性格を最もあざやかに示したものであり、大きな意義ある出来事だった。しかもこれは人民広場の中で闘っているデモ隊にとって行動の新しい方向を示したことになった。敵の圧迫によって、デモ隊の一部は祝田橋から電車通りへ退却した。これに続いて全デモ隊が見物の大衆に擁護されながら馬場先門と祝田橋から街頭に流れ出た。敵は残虐にもこの後退するデモ隊を背後からねらい打ちにした。特に見物の少い馬場先門寄りで最も残虐な攻撃を加えた。このためデモ隊には多くの犠牲者が出た。
占領軍の乗用車を焼きはらった経験は、すぐ一般化した。大衆は十五人位が一組にたり、次々と車を倒し、流れるガソリンに火をつけた。このため祝田橋から日比谷までの間に、米軍の自動車十三輌、警察の白バイ一台が焼きはらわれた。この事件の全体で八十三輌の事輌を襲撃している。もえあがる車輌を消火するために、丸ノ内、有楽町、永田町をはじめ各消防署から二十台の消防車と米国消防隊三隊が出動した。しかし大衆はこれを妨害し、ほとんど到着させなかった。デモ隊は丸ノ内一八二中隊の消防車を破壊し、中崎署長、長井司令補等十名をたたきのめした。有楽町一八二中隊のホースはほりに投げこみ、五中隊のホースは切断した。
この人民広場の事件で、敵は危篤四名・重傷七三名・軽傷七四三名・占領軍の負傷者四名と発表している。味方の死者、負傷者等正確な数字はわからないが千名近くにおよんでいる。この大闘争の中で国民救援会は大きな役割を果した。救援会救護班のトラックは、プラカードを立てて、ガス弾とピストルの飛ぶ中で負傷者を収容し、病院にはこんだ。見物の大衆は、カンパを行なってこの救援活動を援けた。
街頭に流れ出たデモ隊の一部は、日比谷公園や三信ビルの横に結集し、ここで小さなしかし鋭い闘いをくり返した。それは夜八時過ぎまでつづいた。(中略)
米帝と吉田の一味共は、この事件によって新しい敗北をなめた。これは全世界の平和勢力を勇気づけ、新しい国際的な実力闘争のノロシになろうとしている。日本の労働者階級は、この闘争によって、勝利の確信を固め、武装行動を目指す実力闘争を前進させつつある。この実力闘争、武装行動に守られ、広汎な国民の民族解放民主統一戦線は前進しつつある。われわれは、この闘争をいろんな角度から分析し、戦術的にも幾多の教訓をくみださねばならない。それによって発展しつつある闘争に役立てることが必要である。
『人民広場を血で染めた偉大なる愛国闘争について』 『組織者11号』
日比谷公園の市街遊撃戦は前後三時間に亘って行われた。敵はジリジリと押してき、遂にその一角をすて日比谷映画附近から有楽町に至り、解散後も全都的に行われたものである。この闘争では、完全に敵をホンローした。敵はつかめないデモ隊に極度に神経を疲らせ、日比谷では映画見物帰りのアベック二組がなぐり倒され、中年婦人が意識不明に陥り、大衆の罵倒の的となった。(中略)
当夜デモ隊側でつかんだ彼我の損害は次の通り、
警官死亡三(うち一名は丸の内久保次席)重傷二八、負傷五三。堀へ投げこまれたもの六。ブル新カメラマン一名のばさる。
アメ兵、水兵二名、GI一、ガード一、堀へ投げこまる。高級車炎上十台、日比谷~馬場先門~都庁前のもの軒なみガラス破カイ。アメ公大型バスガラス破カイ(三台)。
自由党本部、明治ビルガラス破カイ。
デモ隊側死亡-都庁高橋正夫氏、東大一、法大一、をふくむ五名。うち一名はMPに射殺(当夜国救しらべ)。負傷者約三〇〇名(重傷多数を含む)。
〔真相2〕 警察庁警備局『皇居前メーデー騒擾事件』他
(注とコメント)、これは、警察庁警備局『戦後主要左翼事件・回想』(1967年、絶版)に載っている17事件の一つの「メーデー事件の概要」全文(P.132~134)です。別に、回想として、警察官3人の手記があります。それらの内容は、広場にいた警察官側からのメーデー事件です。共産党「軍」側から見れば、警視庁「軍」は敵であり、警察側から見れば、共産党「軍」と一般参加者は暴徒となります。他一篇は、警察文化協会『戦後事件史』(1982年、絶版)第7章「日本の独立―破防法の成立」にある「血のメーデー・検察側の見解」(P.362~367)です。
ただ、警視庁・東京地検側の『メーデー騒擾事件の総括』に関する極秘文書があり、そこには、メーデー事件裁判でも隠蔽した詳細なデータや、公安・スパイ情報が含まれているはずですが、現在まで、外部に漏れていません。これが、発見されれば、『藪の中』の「真実」にぐっと近づくのですが。というのも、『吹田・枚方事件の総括』に関する大阪府警・大阪地検の極秘文書が漏れ出て、枚方事件被告の脇田憲一が入手し、その秘密データも含めて、『吹田・枚方事件』を執筆・出版する予定になっているからです。
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『皇居前メーデー騒擾事件』
昭和二十七年のメーデーは、日米講和条約発効後初めてのメーデーであったが、当時は、破壊活動防止法反対闘争直後のことであり、また、朝鮮人団体は出入国管理法実に強く反対していたなどの情勢に加えて、厚生省が皇居前広場の使用を禁止したことなどもあって、革新系諸団体の気勢が大いにあがっていた。
大会は、午前十時三十分より明治神宮外苑において約一五万が参加して行なわれ、午後零時十分閉会、ついで五コースに分かれて会場を出発し、デモ行進に移った。当初、北部コースに編入されていた日本共産党員、学生、朝鮮人ら約三、〇〇〇人は、デモ出発の直前、急にコースを変更し、日比谷を解散地とする中部コースに加わってその先頭に立ち、途中、各所で投石やジグザグ行進などを行なって日比谷公園にはいった。
その後、この梯団は、気勢をあげながら皇居前広場をめざして不法デモに移り、これを阻止しようとした警察部隊に対し、竹槍(やり)、こん棒をふるって阻止線を突破し、さらにGHQ(連合軍総司令部)前で自動車一九台を破壊するなど、暴徒と化し、一気に皇居前広場に殺到した。さらに、三々五々、皇居前広場にはいった者もこれに合流し、暴徒の数は約四、〇〇〇人に達した。
午後二時三十五分ごろ、各所に配備されていた警察部隊は、急拠、二重橋前に転進集結し排除に当たったが、暴徒は、激しい投石を浴びせ、竹槍、こん棒などをふるって部隊に突入し、ついにけん銃を強奪するという事件にまで発展した。このような状況から警察側は、催涙ガスを使用するなどしてこれが鎮圧に当たり、遭遇戦さながらの状況を呈するに至ったが、暴徒の圧倒的勢力に押され、警察官に多数の重傷者が続出したため、やむを得ずけん銃を発射してこれを威嚇し、午後二時五十五分ごろ、一応、祝田橋通りまで制圧した。
一方、同時刻ごろ、南部コースの先頭梯団にいた朝鮮人約二、〇〇〇人が、日比谷公園から皇居前広場へ向って殺到し、祝田橋でこれが阻止に当たった警察部隊四八人全員に重軽傷を負わせてこれを突破し、さきの暴徒と合流した。このため、暴徒の数は七、〇〇〇から八、〇〇〇人となった。膨張した暴徒は、ますます気勢をあげ、竹槍を構えた朝鮮人約二〇〇〇人を先頭に激しく投石を加えながら攻撃をかけてきたので、警察部隊は、再度、催涙ガスを使用して、一せいに前進、制圧を加え、彼我(ひが)入り乱れて激しい攻防を展開し、ついに午後四時十五分ごろ暴徒を皇居前広場から排除した。
排除された暴徒は、付近に駐車中の外国自動車および警察車両十数台を次々に破壊、または放火炎上させ、日比谷公園内外および有楽町駅付近、馬場先門外等の各所において小部隊の警察官を襲い、重軽傷を負わせるなどの残忍な暴力を振るい荒れ狂ったが、午後七時ごろに至ってようやく平穏に復した。
メーデー騒擾事件における被疑者の逮捕は六九三人にのぼったが、一方、警察官も八三二人が負傷(生命危篤八、重傷七一、軽傷七五三)したのである。
『血のメーデー』 検察側の見解
計画的に会場から 先鋭分子が誘導 秘密会議で決定
皇居前事件について佐藤検事総長は、「デモ隊がコン棒その他をもっていた点などからみて、一部のものの計画的犯行だと思う」むねを語っているが、検察当局はこの事件を左翼先鋭分子の仕組んだ“計画的暴行事件”の色彩が強いとみている。ではデモ隊の一部はどのようにして“デモ終点”の日比谷公園から皇居前広場へ誘導されたか――以下は当局の調べ、目撃者の話などから総合したそのいきさつである。
○警視庁の情報では、今回の事件は去る二十九日、東京工大内で日共系先鋭分子により秘密のうちに決定された予定の行動だという。それによると、同日午前十一時から午後六時の間に同大地下食堂で日共系青年祖国戦線の主催により「反戦権利擁護労働青年全国会議」が開かれ全学連、祖防隊、民青など四十四団隊、七十五名が集って「人民広場を労働者の実力をもって奪取しよう」との決議を行い、全国の日共系先鋭組合と各種団体に指令したという。
○この指令を裏書きするように、この日、外苑の中央会場では午前十一時半すぎ、組合代表の演説が後二、三人で終ろうとするころ、共産系組合員、全学連、日傭労務者とみられる一群の約二百名が中央ステージに殺到「人民広場へ行こう」と騒ぎはじめた。重盛議長が「この度は統一メーデーだから統一的行動をしよう」と説得に努めたが、聞き入れられず、演壇は一時、この一群の人たちに奪われ混乱した。しかし、日共幹部の岩田英一氏が両者の間に入って代表に一席演説させることで混乱は収まり、式は終了した。
○かくて〇時二十分、デモ行進に移ったが、この時に学生、朝連系団体とみられる一群は、外苑の道路にピケラインを張って「人民広場へ行こう」とアジリはじめた。渋谷コースを行進していた西部デモ隊のうち学生を主力とする約二百名の一団は、これと呼応するように、青山四丁目角に差しかかると隊列をはなれ、日比谷の方向へ転進、日比谷コースを進んでいた中部デモ隊も赤坂表町付近にさしかかったころ、全学連の約五千名がデモ隊の先頭を追い越して口々に「人民広場へ行こう」と��んだので、デモ隊の足並みは乱れてきた。
○虎の門コースを進んでいた南部デモ隊も文部省にさしかかった午後一時半ごろ金日成氏の肖像をプラカードにかかげていた北鮮の一隊が「人民広場へ」と叫びつつジグザク行進に移り、警官隊と小ぜり合いを演じ、外人乗用車に石を投げたりしはじめた。このころ中部デモ隊も永田町付近で自由党本部に小石を投げ、正面窓ガラスを破ったが、先鋭分子ははじめから小石をポケットに相当用意していたと見られるという。
○赤坂表町付近で行進の先頭に抜けがけして行進のイニシアチブを握った都学連、北鮮人、日傭労働者などの一群は、二時ごろ日比谷公園に入ると一応音楽堂付近に集った。この時十五、六のグループに分れて整列していた全学連の五、六番目に並んでいた「民主青年西部地区」というプラカードの一隊が「人民広場へ行こう」という叫びをあげた。これをキッカケに、デモ隊はドッと公園外に流れ出し、馬場先門方面へと濁流のように押して行き、これが時間の経過とともに、ふくれ上がって行ったのである。
正しく血のメーデーとなってしまった。働く者の祭典であるはずが、暴行集団となってしまったことは、世界中の電波に乗った。中でもアメリカ人にすれば恩を仇で返される思いがしたことであろう。メーデーの歴史を汚した事件として記録されている。
〔真相3〕 メーデー事件被告弁護団『メーデー事件裁判闘争史』
(注とコメント)、これは、メーデー事件裁判闘争史編集委員会編の822ページの大著(白石書店、1982年、絶版)から、事件の概要を書いた「序章」(P.12~16)の全文転載です。事件・裁判記録については、被告団長岡本光雄『メーデー事件―昭和史の発掘』(白石書店、1977年、絶版)があり、そちらでも事件概要を詳しく書いています。いずれも、被告・弁護団側からのメーデー事件と裁判闘争史です。検挙1232人、騒擾罪起訴被告261人でした。上記の解説でのべましたが、さらに区別すれば、これは、4種類の被告からなっています。
第一、広場突入軍事命令を遂行した日本共産党「軍」メンバーです。広場に入った3万人中、中核自衛隊員・独立遊撃隊員・山村工作隊員・日本共産党員である北朝鮮系祖防隊員や、それらが突入の指導をした大衆団体は、数千人います。しかし、被告261人において、彼らが何人いるのかは、共産党が公表しないので、分かりません。日本共産党は、広場突入軍事作戦計画の存在を、裁判開始時も、六全協後も、全面否認しました。日本共産党は、共産党員被告だけのグループ会議を秘密に開き、否認を指令しました。共産党「軍」の被告も、その軍事方針については、党中央命令に従って、完全黙秘しました。よって、広場突入軍事命令を出した党中央軍事委員は、誰一人逮捕も、起訴もされていません。
第二、共産党「軍」以外の共産党員で、たまたま人民広場に付いて行き、警視庁「軍」の3次にわたる違法襲撃に怒って、反撃し、逮捕・起訴された被告です。共産党中央委員会は、第一と第二の比率を当然知っています。なぜなら、共産党中央委員会・党中央法規対策部は、共産党員被告の秘密グループ会議を、20年7カ月間の裁判過程で、何回も招集しているからです。もちろん、被告団の共産党細胞指導部(LC=Leader Class)も、党中央法規対策部員と共産党員弁護士・国民救援会細胞とを合わせて、結成し、裁判対策を、一般被告団会議の前に決定していました。この裁判グループ細胞結成は、吹田事件・大須事件においても、常識です。
第三、北朝鮮系在日朝鮮人の在日朝鮮統一民主戦線(民戦)2000人と祖国防衛隊員(祖防隊員)たちで、逮捕された131人の内、起訴された日本共産党員です。彼らは、金日成らが仕掛けた朝鮮侵略戦争を祖国解放戦争ととらえ、朝鮮民主主義人民共和国国旗を先頭に、人民旗数百と金日成の写真プラカードを掲げ、第2の広場入口である祝田橋の先頭部隊の一つとして突入しました。彼らは、1955年の六全協まで、日本共産党員でした。同時期に、民戦は、朝鮮総連に組織転換し、それとともに、在日朝鮮人日本共産党員は、離党し、朝鮮労働党に入党し直しました。日本における朝鮮労働党組織は、学習組(がくしゅうそ)になりました。朝鮮総連も学習組も、本国の朝鮮労働党の直接指令を受けます。よって、1955年以降、メーデー事件裁判被告団は、その中に、朝鮮労働党員被告を含み、彼らは、朝鮮労働党の指導下で行動しました。
第四、共産党の広場突入「軍」に扇動・誘導されて、人民広場に自然発生的に入り、警視庁「軍」の3次にわたる無差別襲撃を受け、それに怒って反撃したが、広場突入作戦などまるで知らなかった一般参加者2万数千人の中で、逮捕・起訴された被告です。261人中、これら4種類の被告の比率は、共産党軍事委員会と六全協後の野坂・志田・宮本らごく一部幹部だけが知っています。メーデー事件の大弁護団も、グループ会議に参加する一部の共産党員弁護士以外は、これらの比率を知らされていないでしょう。
被告・弁護団の裁判闘争方針は、共産党「軍」の広場突入戦争作戦が現実に遂行されたのにもかかわらず、その存在を否認しつつ、騒擾罪無罪のたたかいをすることを強いられました。そこには、かなり無理がありました。なぜなら、メーデー人民広場突入事件の裏側の一側面は、政府・警視庁「軍」4100人の違法な先制襲撃という面だけでなく、ソ中両党の軍事命令に盲従した日本共産党「軍」が、まさに、朝鮮戦争の後方基地武力かく乱戦争行動として行なった最初の大会戦そのものだったからです。2つの『裁判闘争史』を読むと、その苦渋、停滞、被告団内の対立がにじみでています。共産党員以外の第四の被告たちは、警視庁「軍」の襲撃に怒るとともに、���産党「軍」の広場突入戦争作戦の存在と実態を明らかにせよと、共産党に強烈な批判と要求とを突き付けました。
私(宮地)の立場は、『裁判闘争史』の内容について、共産党の広場突入会戦遂行の諸事実問題とそれに関する記述以外では、『裁判闘争史』の見解と、騒擾罪無罪の判決内容を支持するものです。ただ、被告弁護団側が、4種類の被告を抱えて、被告団の統一を維持していくためには、「メーデー事件は、極左冒険主義の実践ケースではない」とする立場を貫かざるをえなかったことを理解します。といっても、それは、共産党が、広場突入軍事行動に関して、具体的な総括をし、それを公表すべきであるという前衛政党としての結果責任の取り方とは、別問題です。その結果責任には、“統一回復”共産党が、自分たちの朝鮮侵略戦争参戦のために、一般国民2万数千人を利用し、道連れにし、被告216人中の何人かを、20年7カ月間メーデー事件裁判の第四の被告にしたという道義的責任も含みます。これは、警察・検察側による弾圧、でっち上げ裁判という問題とは異なる、かつ、それに解消させることのできない共産党側の政治的道義的問題です。
私は、名古屋市生れ育ちで、大須事件の現場を熟知しています。また、愛知県の民青・共産党専従15年間において、大須事件の被告たち十数人を個人的に知り、話を聞いています。その裁判闘争においても、4種類の被告を含み、同様な問題が発生していました。大須事件検挙者は、日本人119人、在日朝鮮人150人でした。実刑判決確定で下獄した3人中、1人は在日朝鮮人でした。大須事件の共産党員被告だけのグループ会議が、私の共産党専従時代、所属する名古屋中北地区・愛知県委員会事務所の3階会議室で開かれるのを、私は何度も目撃しました。私は、騒擾罪判決が唯一確定した7・7大須事件も、5・1メーデー事件と6・25吹田事件と同じく、騒擾罪無罪であると確信しています。それだけでなく、3番目の事件として、警察・検察側による騒擾罪でっち上げの謀略性という面では、大須事件がもっとも悪質だと判断しています。大須事件の一端については、HPファイル『「武装闘争責任論」の盲点』で分析してあります。なお、下記文中の太字は、私(宮地)がつけました。
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一九五二年(昭和二十七年)五月一日――首都の労働者は第二十三回メーデーを迎えた。明治神宮外苑のメーデー会場から五つのコースに分れてデモが出発した。中部・南部二つのコースは日比谷公園を解散予定地としていた。いくつものデモ隊がそのまま日比谷公園を通り過ぎ、人民広場(皇居外苑広場)へ向かって進んだ。シュプレヒコールが湧きあがった。ゴー・ホーム・ヤンキー! 人民広場をとり返せ!
三日前の四月二十八日、「単独講和」と呼ばれ、その賛否をめぐって世論を二分した「平和」条約が発効した。七年に及ぶ占領は終った。だがアメリカ軍は帰らなかった。朝鮮戦争が続いていた。占領時代の抑圧政策もそのまま引きつがれていた。メーデー会場に人民広場を使うことは許されなかった。「独立」後最初のメーデー――禁じられていた言葉、いや「占領政策違反」という「犯罪」でさえあった、人民の叫びがほとばしり出た。ゴー・ホーム・ヤンキー! 人民広場をとり返せ!
午後二時二十分過ぎごろ、先頭のデモ隊が馬場先門に到着した。
この時馬場先門には約四百五十名の警官隊が配置されていた。二重橋へ向かう車道入口に阻止線を張った、わずか一個小隊三十数名の警察官もなぜか左右に開いた。デモ隊の前に人民広場への道がまっすぐに通じていた。車道一杯に広がり、スクラムを組んで広場へ入ったデモ隊は、広場へ入ったというその喜びのおもむくまま、やがて駈け足に変って行った。
二重橋前の砂利敷広場は、たちまち、万歳の声と打ち振られる赤旗、そして笑顔、握手、踊りの人波で埋まった。人びとは、二年間禁じられていたこの広場の土をその足で踏んだ。誇らかな満足感、解放感、ほっとした安ど感、疲労感。それぞれにかみしめながら、談笑し、歌い、あるいはひと息入れて、人びとは集っていた。
午後二時四十分。事態は急変した。
全く突如、警官隊が襲いかかったのである。馬場先門からデモ隊を追尾してきた警官隊が、デモ隊の先頭に回り込むやいなや、全体を二重橋側の堀際に押しつめるように、警棒をふりかざして殴り込んだ。一瞬にして起こる大混乱。警棒で頭を割られ倒れろ者、眼前に迫る警察官の形相におびえて後退する者、つまずき倒れる者。逃げまどう者の頭に、背にめった打ちされる警棒、傷つき倒れる者をさらに踏みにじる泥靴。
混乱するデモ隊の中に、二分後催涙ガス弾が、五分後拳銃弾が撃ち込まれた。数千のデモ隊は、多くの負傷者をかかえて、銀杏台上の島から楠公銅像島へ後退した(第一段階)。法政大の学生近藤巨士は、この時警察官に後頭部を強打された。五月六日未明、慈恵医大東京病院で、彼は二十二歳の生涯を閉じた。
午後三時過ぎごろ、新しいデモ隊が祝田橋から人民広場へ入った。中部コースの後続隊と、つづいて南部コースを行進してきたデモ隊である。
祝田橋上には約百二十名の警官隊がいた。一応阻止の隊形をとった警官隊と、デモ隊の先頭のごく一部との間で小ぜり合いがあった。だが、警官隊はすぐ広場の中へ引きあげてしまい、デモ隊の大半はなんの抵抗もなく祝田橋を渡った。中部コース後続のデモ隊の多くは、祝田橋を入ってすぐ右手の芝生、楠公銅像島に上がった。そこには、二重橋前で警官隊の襲撃に会い、追い散らされてきた人びとがいた。
そのころ、楠公銅像島上のデモ隊に対峠(じ)する形で、中央自動車道路をはさむ反対側の芝生、銀杏台上の島には、三個中隊約三百名の警官隊が隊列を整え、警戒配置についていた。つづいて祝田橋から入った南部コースのデモ隊は、この警官隊の前を通って中央自動車道路をまっすぐ行進し、やがて左折中央自動車道路に面した楠公銅像島上のデモ隊に対峙していた警官隊は、この時いっせいに引きあげ始め、二重橋前の砂利敷十字路付近に移動した。二重橋前砂利敷十字路……一九四六年(昭和二十一年)の第十七回メーデー以来、そこが大きな大衆集会の会場となった。つまり人民広場の中心であった。
楠公銅像島にいたデモ隊の中で、警官隊のいなくなった銀否台上の島へと移って行く動きが起こった。「解散集会だ。」「集会に集まろう。」呼びかけが伝わった。銀杏台の島に上がったデモ隊の一部も、銀杏台上��島の方へ移動し始めた。人びとは、この日人民広場へ入ることができたというだけで、満足だった。禁じられていた場所をとり戻した、という勝利感でもあった。目的はもうすぐ達せられる。しめくくりの解散集会だけが残っていた。
その期待で、デモ隊は、二重橋前砂利敷十字路をなかばとり囲むように、銀杏台上の島を中心に、右は銀杏台の島へ、左は桜田濠沿い砂利敷路面へと延びる形で、結集していった。祝田橋から人民広場へと入るデモ隊は、まだあとを絶たなかった。広場にはもう三万を越えるデモ隊の人びとがいた。一方、警官隊も続続と増強されていた。
三つの方面予備隊(当時、全都を七つの方面に分け、それぞれに警備実施を主任務とする予備隊がおかれていた。いまの警視庁機動隊にあたる)から動員された八個中隊約八百五十名が、二重橋前砂利敷十字路に横隊で整列し、その三分の一は桜田門方向に、三分の二は馬場先門方向に面する形をとった。L字型隊形である。後方二重橋の前に二個中隊約二百名が控えた。
二重橋砂利敷十字路に展開 ―→ 警官隊の攻撃開始 ―→ 警官隊の攻撃と
した警官隊のL字型隊形 とデモ隊の崩壊 デモ隊の抵抗
(これら3地図は、『メーデー事件裁判闘争史』P.193、195、199に掲載されたもの)
午後三時二十五分ごろ、再び警官隊の襲撃が始まった。警官隊の前に立った指揮官が、高くかかげた警棒を前に打ち振り、「進め」と号令した。L字型隊形のうち桜田門方向に向かっていた警官隊が、まず前面のデモ隊に殺到した。解散集会をめざして集まりつつあったデモ隊にとって、それは突如始まり、そして全く一方的なものであった。桜田濠沿いの砂利敷にいて、この突然の攻撃を受けたデモ隊は、たちまち蹴散らされた。理不尽な暴挙をまのあたりにしたデモ隊の一部は、警官隊に向かって進み、抵抗した。
だが、この時、密集するデモ隊の中へ催涙ガス弾が撃ち込まれた。攻撃開始前ガス班があらかじめ桜田濠に沿って進み、デモ隊の後方に回っていたのである。催涙ガスが急速にデモ隊の上をおおった。全警官隊がいっせいに警棒を振りかざして突進した。あちこちで拳銃も発射された。
デモ隊全体はまたたくまに総崩れとなり、潰走した。逃げまどう人びとの頭を割り、肩といわず腰といわず、全身を打ちのめす警棒。目をのどを痛めつける催涙ガス。誰かれかまわずに突きつけられ、そして発射される拳銃。倒れる人びとを踏みつけて、警官隊は進んだ。デモ隊の多くは再び楠公銅像島に逃げた。芝生の上のいたる所に負傷者が横たわり、これを介抱する人や、互いにかばいあう人たちの群れがあった。祝田橋から広場を出た人も少なくない。警官隊は銀杏台上の島を猛進し、中央自動車道路の線で停止し、再び隊列を整え直した。この間十数分である(第二段階)。
午後三時四十四分ごろ、日比谷公園に沿う都電通りの祝田橋近くで、一条の黒煙がのぼった。アメリカ軍人の自動車に火がつけられたのである。警官隊の攻撃を受け、広場から逃れ出た人たちのうちごく少数の者が、怒りのおもむくがままにとった行動でもあろうか。しばらくあとのことになるが、都電通りのもっと日比谷交差点寄りに駐車してあった十台近くの自動車が、同様ごく少数の人たちによって、ひっくり返され、火を放たれた。どれもアメリカ軍人の乗用車である。こうしたできごとの中でも、広場内への警官隊の増強がつづいていた。
午後四時。広場の中では、さらに残虐な警官隊の総攻撃が、いっせいに開始された。新たに広場に投入された二つの方面予備隊七個中隊六百名余を加え、警官隊は徹底した暴力で、デモ隊を一人残らず広場から追い出そうとしたのである。二度にわたる警官隊の先制攻撃は、非道な暴力に抵抗する力をさえ、デモ隊から奪っていた。デモ隊はもはやちりぢりにされた群衆であった。
警官隊は、ほんの数分間で、楠公銅像島の群衆を一掃し、その大半を日比谷濠土手に押しあげ、追いつめた。狭く逃げ場もない土手の上で、人びとは混乱し、警棒の乱打を浴び、無気味に向けられる銃口で脅かされながら、やがて最後に、警察官の悪ばを背に馬場先門から追い払われた。それは、文字どおり袋のねずみを追うむごたらしさであった(「掃討戦」)。
この総攻撃開始の直後、東京都の職員高橋正夫は、背後から拳銃弾で心臓を射ち抜かれ、即死した。二十三歳である。
警官隊は、広場から追い立てられ逃げ散った群衆を追って、組織的暴力を市街地にまで拡大した。ただの通行人も、アベックも、老人も、婦女子も、見さかいのない暴力の対象であった。警官隊の暴行脅迫は、日比谷公園、有楽町一帯、丸の内から東京駅付近に及び、午後六時ごろようやく終わった。
この日、警官隊が発射した拳銃弾七十発、投じた催涙ガス弾七十三発。デモ隊側のぎせい、死者二名、重軽傷千数百名である。一九五二年五月一日人民広場の内外で起こったできごと――メーデー事件そのものがまぎれもない政治的弾圧である。
そして、メーデー裁判は政治的弾圧の継続である。その日午後三時四十分ごろ、警視庁と東京地方検察庁は、デモ隊側の計画的集団犯罪として、この事件に騒擾(じょう)罪を適用すると決めた。人民広場の中で警官隊の組織的暴力がまだつづいている、その時である。疾風のように大量検挙が始まった。警官隊がその手で加えた傷害こそ、まずなによりの目印とされた。二週間で逮捕者は八百三十八名にものぼった。総検挙者数千二百三十二名。東京地方検察庁が騒擾罪で公訴を提起した被告人の総数二百六十一名である。
第一審・・・・・
東京地方裁判所は、当初、八合議部による分割審理方式を提示した。被告・弁護団はまずこれとたたかわなければならなかった。獄中被告の出廷拒否、合同面会など新しい経験を重ねながら、ともあれ刑事第十一部による統一審理方式がかちとられた(もつとも不幸ながら「分離組」と呼ばれる人たち二十余名がいた)。
第一回公判一九五三年(昭和二十八年)二月四日。判決まで実に十七年。その間公判を開くこと千七百九十二回。取調べた証人は、検察側五百四十九名(総論関係二百四十四名、各論関係三百五名)、被告・弁護側三百四十四名(総論関係二百七十一名、各論関係七十三名)、合計八百九十三名(延べ千三百二名)に達している。そして、十四人の被告たちが世を去っていた。判決言渡し一九七〇年(昭和四十五年)一月二十八日(「分離組」は二月十三日)。
判決は、二重橋前の第一段階における警官隊の実力行使を違法としたが、第二段階以降についてはデモ隊側に騒擾罪の成立を認めた。無罪百二十名。有罪百十七名(ただし十五名は騒擾罪以外で有罪)。一月二十八日統一して判決を受けたうちの有罪被告は、全員控訴を申立てた。その日の被告団総会は、無罪となった者もそのまま被告団にとどまり、ともにたたかうことを誓い合った。「分離組」で有罪となった中から三名の人たちが控訴を申立て、この被告団に加わった。控訴審における被告人は、結局百名になった。
第二審・・・・・
一九七一年(昭和四十六年)九月三十日東京高等裁判所第六刑事部に控訴趣意書が提出された。第一回公判同年十二月十四日。審理はかなり迅速に進んだ。公判回数二十二回。取調べた証人は、被告・弁寺側の請求した二十六名である。判決言渡し一九七二年(昭和四十七年)十一月二十一日。判決は、第二段階における警官隊の実力行使をも違法と断定し、騒擾罪の成立を全面的に否定し、騒擾罪については全員に無罪を言渡した(公務執行妨害罪などで十六名が有罪となった)。一九七二年十二月五日――騒擾罪全員無罪の判決は確定した。検察官が上告を断念したのである。
二十年七か月――たたかって、たたかい抜いてかちとった勝利である。被告・弁護団が一貫して主張したこと、それは「つくられた騒擾罪」ということである。本書は、「つくられた騒擾罪」とのたたかいの歴史である。
〔真相4〕 総評常任幹部会『声明』他
(注とコメント)、総評常任幹事会声明は、『メーデー事件裁判闘争史』(P.20)にあります。労働界を二分する意見の分裂内容は、増山太助『血のメーデー』に書かれています。これは、〔真相6〕増山太助ファイルから抜粋しました。
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総評常任幹事会声明 1952年5月2日
五月二日総評は常任幹事会を開いて声明を発表した。その政治部長島上善五郎は第二十三回中央メーデー実行委員長であった。
「(一)第二十三回メーデーは、平和と民主主義を守る国民的行事として全国労働都市において未曽有の大動員をえて、日本民主化の主柱がいよいよ強大となったことを示した。
(二)しかるに中央メーデー行事解散ののち日本共産党分子がおこなった集団的暴力行為は遂に流血の惨事をまきおこした。このことについては総評労闘が何ら関知するところではないが、民主的労働組合の責任において甚だいかんにたえない。
(三)今次事件は民主的労働組合が営々としてつみあげてきた民主主義をいっきょ後退させ、反動ファッショ勢力を誘発するに至る危険があり、明らかに階級的裏切り行為と断ぜざるをえない。われわれは極左極右のいずれをとわず、かかる一切の暴力行為にたいし厳正な批判を加え、断固排撃するものである。
(四)わが総評は今日まで反動資本と共産党支配とに抗争する民主的統一戦線を強化拡大し、破防法案、労働法改惑などにあらわれた吉田政府の逆コースに対して整々たる三〇〇万の労闘ストをもってたたかってきたが、その間共産党勢力のシュン動を許さずいよいよ全国民の信頼をかちえてきたところである。
(五)しかして吉田政府は、必ずや破防法の必須を訴えるであろうが、すでに本事件はソウジョウ罪をもって対処しているのであって、みづから破防法の不要を証明しているではないか。
(六)いまや今次事件を口実として破防法案、労働法改悪等をもつて基本的人権をじゅうりんし総評の打ちだす労働運動を弾圧しようとするならば、いよいよ内外与論に訴え、さらに頑強な実力行使をもつて、これらを阻止するところまでたたかい、吉田政府の反動政策をあくまで追及し対決するであろう。
一九五二年五月二日 日本労働組合総評議会」
労働界を二分する意見の分裂
記者団に囲まれたメーデーの実行委員長、総評政治部長の島上善五郎は、「この事件はメーデー行事が終った後に共産党系分子と、その影響下にあると思われる一団によって行われた不祥事で、実行委員会としては関知しない。これは反労働者的行為である」「しかし、政府が、破防法をはじめとする露骨な弾圧政策をとり、とくに皇居前広場の会場問題について裁判決定を無視した態度は暴力行動に絶好の条件をあたえたもので、さらに警察の発砲、催涙弾の乱射は事態を激化させたもので、政府の反動政策強行には断乎反対する」と語った。なお、総評の高野事務局長は沈黙を守り、「民族感情の爆発だ」といった副議長の太田薫にたいし、炭労の諸富義高は、「予定した共産党の暴動演習だ」とくってかかったのが、労働界を二分する代表的な意見であり、民労連はもちろん、新産別も後者の意見に組した。
〔真相5〕 日本共産党中央委員会『日本共産党の65年、70年、80年』他
(注とコメント)、3つの資料を載せます。いずれも、日本共産党中央軍事委員会が準備・計画し、広場突入指令を出した事実について、完璧に隠蔽しています。そして、軍事委員会作戦・広場突入命令を、下記にある「一部の人」にすりかえる詭弁を使っています。
第一、日本共産党国会議員団声明は、『メーデー事件裁判闘争史』(P.21)にあります。議員団の中に、党中央軍事委員会メンバーはいなかったので、彼らは、広場突入作戦を、事前に知らされていなかった可能性があります。
第二、メーデー事件被告・家族と共産党との懇談会、その内容は、『メーデー事件裁判闘争史』(P.285)に載っています。懇談会に出席した野坂参三答弁は、軍事作戦発令者による真っ赤なウソです。というのも、朝鮮戦争2年目の真っ只中において、後方基地武力かく乱戦争行動の最初で最大の戦闘となる広場突入会戦は、少なくとも3カ月前に決定されており、その最終的作戦計画決定権者は、志田重男一人であるはずがありません。朝鮮半島における激戦を指揮しているソ中両党のスターリン・毛沢東・劉少奇と、北京機関の徳田・野坂、日本国内軍事委員長志田らによる戦争作戦計画だったからです。しかも、この当時、暴露されていませんでしたが、野坂参三は、1945年以来のソ連共産党NKVDのスパイでした。野坂共産党第1書記・軍事委員長志田・指導部復帰者宮本顕治らは、フルシチョフ・スースロフ・毛沢東・劉少奇らから、「六全協で、武装闘争の具体的総括をすることを禁止する。極左冒険主義と抽象的に誤りを認めることだけは許す」との命令に屈服していました。スパイ野坂第1書記は、当然のように、ソ中両党の利益・命令を上に置き、メーデー事件被告・家族をあざむいたのです。
第三、共産党の公認党史である『日本共産党の65年、70年、80年』(80年は、P.120)は、いずれも、この分量しか記述していません。しかも、メーデー事件と広場突入作戦との関連を隠蔽しています。そこから、まった���の第三者的で、広場突入会戦の戦争責任を放棄した書き方になっています。〔真相7〕石田雄ファイルにあるように、丸山眞男が、この事件を念頭に置いて、『戦争責任論の盲点』を書き、日本共産党が、戦前だけでなく、メーデー事件についても具体的な総括を公表して、前衛政党としての結果責任を果すべきと批判したという石田雄の推論は、さもありなんという説得力を持っています。
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日本共産党国会議員団声明 1952年5月1日
日本共産党国会議員団は、即日「本日の事件は人民広場の使用を吉田内閣が不法にも禁止したことから起こったもので事件の一切は吉田内閣が負うべきものである。今日の弾圧こそ破壊活動防止法案をすでに実行に移したもので、わが党は日本国民の自由の名において厳重に抗議する」旨の声明を発表した。
メーデー事件被告・家族と共産党との懇談会 1955年10月24日
十月二十四日夜メーデー事件被告、家族と共産党との懇談会が産別会館講堂で開かれた。日本共産党から第一書記の野坂参三のほか松本三益、長谷川浩が出席した。
懇談会は、その名に比してはかなり激しく、メーデー事件の評価に関する意見、疑問、共産党に対する批判、不満が交わされる場となった。党員被告を名指しで非難したり、被告同士で論争する場面も見られた。二、三の人から、敵の挑発というだけでは納得出来ない、あの日のメーデーに極左冒険主義の方針があったのではないか、という疑問が出た。野坂らはこう強調した。メーデーに対する党の方針とメーデー事件と呼ばれているものとは客観的に区別して評価すべきである。党が騒擾事件を計画、指導したことは断じてない。「人民広場へ行こう」というのは広範な人びとの当然の要求であった。問題は、これを全体的行動に組織するという観点に立つのでなく、一部の人たちの行動に頼ろうとしたところにあり、極左冒険主義の誤りの影響と言ってよい。権力はこの弱点を利用し、挑発・弾圧を加えた。人民広場へのデモの正当性とともに、警官隊の攻撃に抵抗した行動の正しさも消えるものではない。
日本共産党中央委員会『日本共産党の80年』 2003年1月20日
(メーデー事件に関する全文)……六全協後における唯一の公的な事件評価記述
この闘争のさなかの五二年五月、いわゆる「血のメーデー」事件がおこりました。占領軍と吉田内閣は、五〇年六月いらい、「人民広場」とよばれた会場(皇居前広場)をメーデーその他の集会に使用することを禁止していました。この日、中央メーデーに参加したデモ隊の一部が、この不法な措置に抗議しながら、「広場」に行進しました。警察当局は、デモ隊を「広場」内に誘導したうえで、数千の武装警官隊をもって攻撃し、警官隊のピストルなどで二人が殺害され、千人をこえる重軽傷者がでました。
(『日本共産党の65年、70年』の上記同一記述から削除した文) ……削除の理由は不明
この事件は、占領支配と単独講和にたいする大衆的な怒りと抗議の一つの反映であった。
〔真相6〕 増山太助『血のメーデー』、『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
(注とコメント)、ここには、4つの資料を載せます。増山太助は、入党後、党中央文化オルグ・全国オルグを経て、関東地方委員、1950年初頭から東京都委員、「50年分裂」のときには、主流派内の東京都ビューロー幹部であったが、裏側で、武装闘争反対の活動を行なっていました。
第一、彼は、主流派に所属しつつも、当時の日本の情勢、労働運動の状況、国民の意識実態から、武装闘争を遂行することは誤りであると考え、ビューロー幹部5人を中心として、主流派非公然ビューロー内における非公然グループを作り、武装闘争実践を骨抜きにする面従腹背行動を組織し、展開していました。その組織・行動内容については、『武装闘争責任論の盲点』の「2派1グループの実態」で分析しました。
第二、武装闘争を行なった幹部たちについて、8人の人士群像を描きました。これは、HPに転載してあります。
第三、メーデー事件の概況を『血のメーデー』で描きました。これも、HPに転載しました。
第四、増山太助は、メーデー前日の東京都ビューロー会議にも出席して、人民広場突入作戦に猛反対しました。東京生え抜きのビューロー員も、全員が反対しました。激論の末、結局、他のビューロー員も含め、突入方針は否決され、人民広場使用不許可にたいする抗議だけにすることが全員一致で決定されました。その決定を裏切って、志田軍事委員長は、その深夜から5月1日早朝にかけ、規定方針どおり広場突入せよとの軍事委員会命令を徹底させたのです。当時の共産党組織は、4つに分かれていました。(1)北京機関と自由日本放送、(2)合法の臨時中央指導部(臨中)、(3)非合法の地下政治指導部ビューロー、(4)非合法の地下軍事委員会Yです。
非合法地下の都ビューロー会議で、広場突入軍事行動が否決されたのに、志田軍事委員長→非合法地下の東京都軍事委員会Yというルートで、広場突入軍事方針が決行されました。増山証言は、共産党が広場突入軍事行動を行なったことを証明する重要なデータの一つです。この資料は、増山太助『五〇年問題覚書(下の二)、―「柴又事件」の前後から「血のメーデー」へ―』(『運動史研究8』、三一書房、1981年、P.100~125)の内、「五」(P.120~125)を、一部中略して、ほぼ全文を転載したものです。このHPへの転載については、増山太助氏の了解をいただいてあります。
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第一、『武装闘争責任論の盲点』2派1グループの実態=増山太助らの武装闘争反対グループ
第二、増山太助『日本共産党の軍事闘争』軍事闘争の先頭に立ち、指導した8人の群像
第三、増山太助『血のメーデー』メーデー事件の概況
第四、増山太助『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
ところで、五二年という年は、年頭から荒れ模様の情勢となった。スターリンは、元旦のメッセージで、日本人民の総決起をうながし、臨中は、これにこたえる声明を発表して呼応した。一方、占領軍と日本の支配階級は、四月二八日に予定された、単独講和・安保両条約の発効と、それにともなう総司令部(GHQ)の廃止にそなえて、つぎつぎと積極的な手をうってきた。労働者階級は、年末闘争にひきつづき、“占領終決”という画期を前にして、いよいよ“不屈な面魂”をもって決起しはじめた。一月一六日、賃金共闘は、弾圧法規反対で、総評と統一行動をとることを決定し、一八日には、労働法規改悪反対闘争委員会が代表者会議をひらいて、当面する情勢の分析と戦術をねった。
ところがその三日後の二一日に、突如、北海道で白鳥警部射殺事件がおきた。そして、これが敵側に利用されて、いっそう弾圧体制が強化され、「新たな従属・支配体制」を強める契機となった。だが、労働者階級は前進しつづけ、二六日には、総評、労闘、官公労共催の弾圧法規反対労働者総決起集会がおこなわれ、三万人を結集した。吉田首相は、三一日に、警察予備隊を切りかえて、防衛隊をあらたに設置するという、威嚇的な方針を言明。二月一三日には、安保条約に基づく日米合同委員会の設置が本決りとなった。そして、一五日から、日韓両国の正式会談が開始され、米・日・韓の防衛体制を強めながら、国内弾圧諸法規の整備に馬力をかけはじめたのであった。
一方、二〇日には、東大でいわゆるポポロ事件―ポポロ劇団発表会に私服警官が潜入―がおき、京大では第一次京大事件―小林多喜二祭に警官が潜入―が同時多発して、その摘発闘争・弾圧反対のたたかいが燃えあがった。さらに、翌二一日の反植民地闘争デーには、全国二六カ所で高揚した集会が決行され、激しいデモが敢行された。その結果、五七名もの検挙者を出したが、たたかいは持続する様相をしめした。なかでも、東京・南部の反植民地闘争デーの集会には、武器を持った労働者の集団が公然と姿をあらわし、一時、蒲田・椛谷地区を解放地区にした。政府は、二八日に、日米行政協定に調印、日米合同委員会を発足させた。二月末日現在、『アカハタ』弾圧以来の後継紙で発禁処分になった紙種が八一八に達した。まさに、彼我の攻防は目にみえてつばぜり合いの形になってきたのであった。
こうした状況のなかで、二月以降、五全協の「軍事方針」がつぎつぎと具体化され、下部に浸透していった。その代表的なものは、「中核自衛隊の組織と戦術」「軍事行動の前進のために」であり、「組織と戦術」のなかでは、「武力革命」の段階を三つに分け、第一段階では、軍事委員会の指導下に中核自衛隊を組織し、大衆闘争に武装行動の必要性を認めさせつつ、これを革命的闘争へひきあげていくこと。第二段階では、中核自衛隊の指導下に、広範な大衆を抵抗自衛組織に組織していくこと。第三段階では、大衆闘争を国民的規模にまで拡大し、抵抗自衛組織を人民軍に発展させ、武力革命に突入する、という構想をあきらかにしていた。そのために、『栄養分析表』で、(一)時限爆弾、(二)ラムネ弾、(三)火焔手榴弾、(四)タイヤパンク器、(五)速燃紙(硝化紙)などの構造や製法が、軍事委員会の単線指導で下部に流されていった。
前述したように、“単独”講和、「独立」ということは、軍事占領下にあって制約されていた政治的自由を、一定のカッコつきではあるが「国民のもの」にしなければならない、ということであるから、それ以前に、占領軍と日本政府は、革命勢力とその組織を出来るだけ弱体化させておかなければならない。そして、総司令部廃止後、かれらがいっきょに政治的進出をはかれないようにしておかなければならない。だから、この時期におこなわれた一連の弾圧措置は、朝鮮戦争前夜の軍事的予防措置とはことなり、「独立」を保持するための政治的予防措置であったわけだ。したがって、この措置のあとには、当然、党の合法的活動の拡大が予想されていたにもかかわらず、党中央は、むしろ、これを逆にみて、「サンフラン���スコ体制と安保条約」による「占領制度の永久化・制度化」に「軍事行動」を対置して、突破しようとしたのであった。
三月に入ると、たたかいはにわかに激動した。一日、総評、労闘主催の弾圧法粉砕総決起大会が開催され、これには一〇万人の労働者が結集、全国的には延一千万人以上の労働者が、事実上ストライキをうって参加した。そして、わが国最大の政治的示威行動を展開した。これにたいし、政府は、二七日に、「治安維持法」の復活といわれた、破壊活動防止法案要綱を発表して対決し、また、これを撃って、翌二八日と三一日の両日、総評、労闘合同拡大戦術委員会が、破防法反対に、断固、ゼネストをもってたたかう方針を決定した。
こうした攻防のなかで、党の「軍事行動」は、いよいよ発動しはじめたのであった。関東地方では、神奈川県委員会が先頭を切り、三月一九日の未明、横浜の進駐軍物資集積所へ火焔ビンが投げ込まれ、二九日の夜八時には、吉河特審局長宅へ火焔ビン投入の襲撃がかけられた。これにたいし、国警は、二八日に、後継紙『平和と独立』の印刷所、配布所など、全国で一、八五〇カ所を捜査。二九日には、三多摩の山村工作隊にはじめて手入れがおこなわれた。これに反発して、三一日には、川崎の米軍資材置場、横浜市の「エリア・2」とよばれる進駐軍住宅付近に時限爆弾をしかける攻撃がおこなわれた。また、同日、総評、労闘は拡大戦術会議をひらき、破防法反対のゼネスト第一波を四月一二日、二波を一八日に決定して、対決の決意を表明した。
私は、この時期、宣伝・教育部門を担当していたが、破防法反対の宣伝活動に全力をあげ、このたたかいを広範な大衆自身のものにするために努力した。(中略)
しかし、四月から五月へかけて、私たちは、ビュー・ロー・キャップの枡井トメを中心に、連日、たたかいの指導に没頭していた。そして、四月一二日の破防法反対の第一波ゼネストには、三〇万人の労働者を結集、破防法案が国会に上程された翌日、一八日の第二波には、政府の恫喝をけって、一一〇万人がゼネストに参加するという、成果をおさめた。また同日、これに同調する都学連一五〇〇人の国会請願デモが組織され、全学連は二八日に破防法反対のストを決行した。いうまでもなく、この日、一九五二年四月二八日は、対日平和・安保両条約が発効した日であり、第二次世界大戦に敗北した日本が、七年間の占領から、沖縄を残して、一応とき放たれた日であった。だが、私たちは依然として潜行をつづけ、この二八日の前後には、メーデーの開催方法をめぐって、都ビューロー内部で深刻な討議をくり返していた。
五二年の中央メーデーは、前年同様分裂メーデーになったが、それだけではなく、会場も皇居前広場の使用が許可されず、結局、神宮外苑に押し込められてしまったことが、破防法反対闘争の高揚のなかで、戦闘的な労働者の憤激をよびおこした。そして、その怒りは、占領時代における軍事的・植民地的支配にたいする反抗のあらわれでもあり、同時に、日本が一応「独立国」になって、占領法規が効力を失った途端に、占領軍を肩代りして前面におどり出た、国家権力の暴力装置にたいする反抗でもあった。それだけではなく、その底流には、反革命戦争としての朝鮮戦争にたいするうっ積した怒り、とくに在日朝鮮人組織の抜きがたい不信と激怒があった。
中央メーデー準備委員会周辺の討論を反映して、都ビューローが討議をくり返した問題点は、戦後“革命期”に、“人民広場”と呼称されて、たたかう労働者・人民の“意志の確認”“決起”の場所となっていた皇居前広場を、「独立」を機に、実力で「奪還すべきだ」という意見にたいする賛否をめぐる問題であった。当初、キャップの枡井は、「占領下の制約はなくなった」「其のメーデーは人民広場で」の主張であり、組織部を担当していた浜武司や、労対の益子正教らもこれに同調していた。しかし、東京はえ抜きの他のビューロー・メンバーのほとんどが、これに反対する立場をとった。私は、メーデーの主力部隊である総評の意向を尊重すべきだと考えていたし、なかでも、「平和四原則」を守り、総評を“ニワトリからアヒル”に変えるために奮闘していた高野実ら左派の立場を強めることが、「独立」後の彼我の状況を有利に展開するポイントであると確信していたから、共産党が系列下の組合や全学連をつかって、「人民広場」に固執し、実力で“奪還”することには反対であった。これにたいし、枡井らは、「少なくとも、共産党の部隊は人民広場に入り、使用させなかったことの不当性を抗議すべきではないか」と主張しつづけた。
しかし、真剣な討論の末、しかもメーデーの前日に終日の討議をおこなった結果、全員の意見が完全に一致し、「人民広場には入らないこと」、「中央コースのデモ隊は、広場側を通過の際、シュプレッヒコールで人民広場使用不許可の不当性を訴えて、抗議の意思表示をおこなうこと」、「人民広場突入を強く主張する自労や学生部隊などをデモ隊の先頭に立たせず、後部に回し、市民を先頭に立てて、予想される敵の挑発から大衆を守るために、金属労働者や官公労の労働者たちによる統制を強めること」などを決定した。私たちは、この決定を生み出してホッとした。そして、「独立」後第一回のメーデーが、労働者、人民の血気さかんなメーデーになることを期待したのであった。
私は、メーデーの当日、会場にいけない無念さを晴らすために、メーデー終了後、妻と娘たちに会い、せめて家族水入らずの祝盃をあげる予定を組み、その連絡をとった。そして、その文面のなかに、「人民広場へは入らないことになった。僕の分もふくめて、先頭に立って堂々と行進して下さい」と書いた。ところが、周知のように、メーデーはいわゆる「軍事行動」を展開して、“血のメーデー”になった。先頭に立っていた妻と娘は、祝田橋よりはるか手前で警官に襲われ、妻は頭部を殴打されて三針ぬう重傷、娘は腰部を打たれて大きなアザをつくった。二人は通りがかりのひとに助けられ、傷の手当をして、私の友人の家に逃げ込み、かくまわれた。私がこのことを知ったのは、夕飯を食べないで待っていた夕刻近くであったが、私は、思いもよらない“血のメーデー”に驚き、家族がそれにまき込まれたことに愕然とした。同時に、「ついに、東京都委員会の決定は守られなかったのか」と残念に思い、ともかく現場近くまでいって情報をつかもうとした。そして、私が友人の家に駆けつけたときには、まだ、その周辺にも、この日の昂奮が無気味な余韻を残していた。みると、友人宅の戸棚のなかにかくれていた妻の顔は青ざめ、娘はおびえてふるえていた。私は二人を見守りながら、まんじりともせずに一夜を過したが、ひさしぶりに会う妻と娘に、こういう状態で会おうとは夢にも思わなかった。やたらと涙があふれ出て、複雑な怒りが全身に充満し、どうすることもできない感情にさいなまれつづけた。
翌日、東京都委員会は緊急ビューロー会議をひらき、善後策を協議した。まだ、現場の情報が十分収集できなかったが、何人かのビューロー員は、「あれほど慎重に討議して決めたのに……。なぜ、東京の党組織はああいう行動に出たのだろう」「これは、Yのひとり歩きではないか」と、Yを兼任していた枡井に、「おばさんだけは知っていたのではないか」と質問するひともいた。しかし、枡井も「知らなかった」といい、「ともかく、こうなったからには……、不当弾圧抗議の声明を出そう」ということになり、枡井が執筆することになった。その内容は、メーデーの日から放送を開始した、北京からの「自由日本放送」と趣旨が一致していたので、後日、枡井は得意気であった。この放送原稿は、NHKをレッド・パージになり、中国へ渡って「自由日本放送」の仕事にたずさわっていた藤井冠次の証言(『伊藤律と北京・徳田機関』)によると、伊藤律が書いたということであるから、枡井と伊藤律の評価は、だいたい一致していたことになる。
また、六全協後の東京都委員会の総括のなかで、私は、“血のメーデー”における「軍事行動」の責任を追及したが、そこであきらかになったことは、前日ひらかれた東京都委員会のビューロー会議終了後、浜武司が中央へよびつけられ、「人民広場へ突入せよ」と指示されたという。これを伝えたのは、志田の命をうけた沼田秀郷であることも、本人の証言によってあきらかになった。浜は、夜を徹して各地区を歩き、「中核自衛隊」の動員手配をおこない、「全く自分の責任で、当日の行動を組織した」と証言していた。
だから、私の推測では、中島誠が書いているような(『流動』一九七八年一一月号)「メーデーをきっかけに、『人民広場』を奪い返し、日本の首都のどまん中に一種の革命的状況をつくり出そうと計画し、動員を組織し、広場へのなだれ込みの順序、入り口の分担、隊列の組み方、そしてそこでの『戦闘』のやり方に至るまで何日も前から綿密に計画を練り、練習をも積み、『人民広場』での革命的状況をさらにどのようなものに展開してゆくかまで展望していた」というようなものではなかったと思う。もし、中央軍事委員会にそのような机上プランがあったとしても、“血のメーデー”は、党の「中核自衛隊」と党員を主力としてたたかわれたもので、大衆の蜂起を党が下から支えて、組織したものではなかった。だから、「革命的状況」を「展開」し、「展望」をきりひらくことは、全く不可能なことであった。
ついでに付記しておくと、この総括会議をおこなっていたときには、志田の「お竹事件」はまだ“闇”のかなたにあり、志田と官本顕治はアベックで全国の党大会に出席していた。したがって、この“協力体制”をくずさないために、「志田の政治的責任は追及すべきではない」というのが、反“主流派”のひとたちの共通した意見であった。つまり、このときには“分裂した一翼”の“極左冒険主義”について、“国際派”のひとたちも“関わらない”のではなく、“不問に付する”態度であった。
(中略) 血のメーデーにつづく「五・三〇事件」記念日の岩の坂、新宿、大阪吹田などの交番襲撃事件―火焔ビン闘争が多発して、ようやく盛りあがった大衆的な労働運動―破防法反対闘争に水をさす結果をもたらした。すなわち、破防法反対闘争の中心部隊を形成していた社会党や総評左派を動揺させ、右派単産幹部を狼狽させて、多数の部隊を脱落させた。(中略) こうして破防法は、七月四日の衆議院において可決成立し、二一日に公布され、同時に公安調査庁も発足したのであった。
〔真相7〕 石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
丸山眞男のメーデー事件に関する日本共産党批判
(注とコメント)、これも、HPに転載してあります。石田雄現東大名誉教授は、メーデー事件当日、東大職組の一員として、人民広場に入りました。警察は、東大職組の2人を逮捕しました。丸山眞男は、広場にいませんでしたが、東大法学部教授会として、その対応にあたりました。日本共産党宮本顕治は、丸山眞男の『戦争責任論の盲点』にたいして、異様なほどの丸山批判キャンペーンを13回も展開しました。宮本顕治は、それによって、その丸山論文だけでなく、共産党批判をする丸山眞男の全学問業績の否定とその社会的抹殺を謀ったというのが、私(宮地)の判断です。共産党の丸山批判キャンペーンの実態と本質については、2つのファイルで分析してあります。
石田雄論文は、丸山眞男論文の一背景に、メーデー事件に関する日本共産党批判があったとする証言です。
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石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
『共産党の丸山批判・経過資料』13回の丸山批判キャンペーン
『志位報告と丸山批判詭弁術』1930年代のコミンテルンと日本支部
以上 健一MENUに戻る
(関連ファイル)
『「武装闘争責任論」の盲点』2派1グループの実態と性格、六全協人事の謎
『宮本顕治の五全協前、スターリンへの“屈服”』7資料と解説
滝沢林三『メーデー事件における早稲田大学部隊の表と裏』
THE KOREAN WAR『朝鮮戦争における占領経緯地図』
石堂清倫『コミンフォルム批判・再考』スターリン、中国との関係
れんだいこ『日本共産党戦後党史の研究』 『51年当時』 『52年当時』 『55年当時』
吉田四郎『50年分裂から六全協まで』主流派幹部に聞く
藤井冠次『北京機関と自由日本放送』人民艦隊の記述も
大窪敏三『占領下の共産党軍事委員長』地下軍事組織“Y”
由井誓 『“「五一年綱領」と極左冒険主義”のひとこま』山村工作隊活動他
脇田憲一『私の山村工作隊体験』中央軍事委員会直属「独立遊撃隊関西第一支隊」
増山太助『戦後期左翼人士群像』「日本共産党の軍事闘争」
中野徹三『現代史への一証言』「流されて蜀の国へ」を紹介する
(添付)川口孝夫著書「流されて蜀の国へ」・終章「私と白鳥事件」
八百川孝共産党区会議員『夢・共産主義』「50年問題」No.21~24
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●南京事件の再考
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●南京事件の再考 今まで一方的な見解だけを鵜呑みにしてきた。 も一度 振り返ってみるのも一考では無いかな
Media Watch: 事実と論理の力 http://bit.ly/uce1kS 事実と論理の力 http://bit.ly/slXRtf 「南京大虐殺」の創作者たち http://bit.ly/vgpZU0 南京事件の影に潜む中国の外交戦術 http://bit.ly/s8vo9p ~先入観を打破する定量的検証を~ http://bit.ly/s6uBxw 平気でうそをつく人々 南京事件
Media Watch: 「従軍慰安婦」問題 http://bit.ly/sJrBRt 「従軍慰安婦」問題(上)~日韓友好に打ち込まれた楔 http://bit.ly/vrPoZm 「従軍慰安婦」問題(下) ~ 仕掛けられた情報戦争 http://bit.ly/soYP32 分野別インデックス --000 総記(図書、ジャーナリズム等)-- 戦争犯罪報道
第48題「強制連行」考 在日朝鮮人は強制連行と直接関係がない http://bit.ly/syC3hk 在日朝鮮人がかつての植民地時代に日本によって強制連行された人々、およびその子孫であるという主張
強制連行 - Wikipedia http://bit.ly/ts4xto 受験生の中には「第二次大戦当時の言葉としてはなかった朝鮮人の『強制連行』が、 確定的史実として出題され思想の自由を奪われた」として、大学入試センターに対し、 この問題を採点から除くことを求める仮...
お金を求めて稼ぎに来た売春婦。 兵隊さんの数倍の収入だったので、本人がよろこんでやってました。 http://bit.ly/t0zMwU https://youtu.be/_Lw2imEyYxU
慰安婦強制連行はなかった http://tendensha.co.jp/syoseki/163.html ―河野談話の放置は許されない―. 大師堂 経慰 著(元朝鮮総督府事務官) 四六並製 180頁 定価:1800円+税 平成11年2月11日発行 ISBN4-88656-163-2 C0036. 元朝鮮総督府事務官による徹底検証 なぜ、政府は慰安婦以外の韓国人証言を求めないのか。 無責任な新聞報道と安易な謝罪外交が生んだ慰安婦問題。 朝鮮総督府に勤めていた著者が、自らの体験をもとのその核心に迫る。 第1章 問題の敬意と河野談話 第2章 河野談話と悪影響 第3章 関係資料 新聞記事、参議院質疑議事録、政府発表資料、女性のためにアジア平和国民基金、高校・中学教科書の記述
南京大虐殺はウソだ! http://www.history.gr.jp/nanking/ 南京大虐殺の虚構 http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/index.html
Red Fox 中国の死刑写真とBBC『南京大虐殺』の酷似http://bit.ly/st3zSq 犯罪者を死刑にする。歴史的には世界中に残虐な処刑が存在した訳ではあるが、中国の場合は死刑囚を引き回して晒し者にしたうえ銃殺という前時代的な処刑が現代に至って行なわれている国である。
●西村幸祐、南京事件で支那人学者にインタビューhttp://bit.ly/tGgrV7 ●中国社会科学院の学者氏は「虐殺が30万人という数字に科学的根拠はない」とはっきり言っています。http://bit.ly/uVniS8
■[科学]「御用学者Wiki」的なものを生む背景について http://bit.ly/uAd7lA 当事者の1人でもある片瀬久美子氏の次のようなツイートである。 ・ちょっとでも触れると紛糾してしまう3大テーマ:原発、クジラ問題、南京大虐殺
●畠山ゼミ 卒業生共同研究 https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~w003034/2006HP/2005HP/2003homepage/sotusei7.htm 2001年度卒業生 共同研究 1、はじめに 2、南京大虐殺に対する主張の比較 3、東京裁判にみる「南京大虐殺」と現代史の政治的意義について 4、教科書論争にみる南京問題 5、南京大虐殺における 日中米関係と今後の三国関係 1、はじめに 私たち3班は“南京大虐殺”という歴史的事件を例にとり、テーマ“現代史における歴史的意義”について研究しました。“南京大虐殺”がどのように国際政治に関係していたか、またこの事件の悲惨さを主張することで、どのような政治的意義があったのかをそれぞれの面から考察しました。 2、南京大虐殺に対する主張の比較 【「大虐殺派」と「中間派」】 “南京大虐殺”事件。これを聞いて、私たちはどれだけのことを知っているでしょうか?ただ漠然と“日本人が中国人に対して悪いことをした事件”と、これだけで片付けてしまう人もいると思います。実際に私もそうでした。たいして知りもしないのにまるで全てを知っているかのように、“日本人が悪いことをしたのに、なぜ政府はきちんとした謝罪をしないのだろうか?”と、日本政府の態度に不満を持っていました。しかし今回、このことを調べるうちにこの“南京大虐殺”事件は複雑な糸が絡みあっていて、それをとくことが難しい事件なのだと初めてわかりました。 現在、日本では中国の公式犠牲者数である30万人を座標軸に「大虐殺派」、「中間派」(少数派)、「マボロシ派」という三つのグループが論争を繰り広げています。「大虐殺派」というのは、中国の公式犠牲者数に近い数を掲げ、日本軍が大規模な虐殺を行ったと主張するグループのことです。それに対して、「マボロシ派」というのは、虐殺は行われてはいない、そんな事件はなかったと主張するグループです。そして、「中間派」というのは、南京攻略の際、虐殺はあったが中国政府が発表している30万人もの虐殺はなかった、大虐殺という大虐殺はしてはいないと主張しているグループのことです。 ここでは、「大虐殺派」と「中間派」の二つの主張を比較していきます。「マボロシ派」の主張は、だんだんと崩されてきており、“南京大虐殺”という事件が全くなかったと主張することは難しくなってきているのでこれは一先ずおいておきます。 ◆南京事件の証言 https://ja.wikipedia.org/wiki/南京事件の証言 「雑誌「大亜細亜主義」従軍記者の田中正明[147]。1938年8月に南京に滞在した[147]。田中は当時従軍した大宅壮一、西條八十、草野心平、木村毅、林芙美子、石川達三も「20万-30万の大虐殺」を目撃していないと述べている」 ◆米国人「南京大虐殺の際、中国軍はなぜ市民を守らなかったの?」→中国人、googleで検索するも何も資料がなく答えられず http://blog.livedoor.jp/a6news/archives/703584.html 1 :ぽこたん( ・∀・ )φ ★:2009/05/22(金) 23:58:19 ID:???0 nankin 【中国ブログ】南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた? 南京大虐殺に対する日本と中国の認識には一定の溝が存在するようだ。 中国側は2―3カ月という期間に30万人の中国人が日本軍によって 虐殺されたと主張している。 このブログは中国人ブロガーが南京大虐殺が行われていた期間中、中国の軍隊は 何処で何をしていたのかという質問に対しての考えを綴ったものである。 以下はそのブログより。 ◆抗日ドラマに存在する数々の矛盾点、日本人がネット上で盛り上がっているぞ=中国 http://news.searchina.net/id/1686322?page=1 2020-01-25 07:12 中国では今でも「抗日ドラマ」が制作、放映されている。近年は抗日ドラマの表現がどんどん過激になり、誇張した描写も随所に見られ��ようになり、手榴弾で戦闘機を打ち落としたり、手刀で人間を切り裂いたりと、実際にはありえない描写が含まれた抗日ドラマも登場、批判の対象となった。 ◆南京事件資料 - ne.jp http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/ 南京大虐殺の虚構: 山本弘ト学会会長批判がある。 南京大虐殺はウソだ! 「プロパガンダ戦『南京事件』」著者、松尾一郎氏のサイト。 本多勝一「南京大虐殺」の大嘘: 「アウシュビッツの争点」を無料公開している左翼ジャーナリスト、木村愛二氏による本多勝一批判。 あやしい調査団、南京へ 平成十一年の南京。 南京大虐殺関係資料 「南京大虐殺の虚構」別館。 南京大虐殺 情報整理箱 日本再生ネットワーク作。 Rape of Nanking におけるプロパガンダ写真 プロパガンダ写真研究所作。 ●終わっていない「南京大虐殺」でっちあげ問題 https://samurai20.jp/shiryou/sayoku/sayoku3/3-1/ 「南京大虐殺」とか、「従軍慰安婦強制連行」なるものが、ことごとくでっちあげであることは関係者の努力により明らかにされた。ただ、筆者は、サヨク連中が行った嘘宣伝の論破完了により、でっちあげ問題が終わったとは考えない。 1 なぜ終わっていないと言えるのか 終わったとは考えない理由の一: こういった嘘宣伝を行った連中が、謝罪も反省も行っていないからである。 自分の嘘を省みずに臆面も無く、「広義の強制」とかに逃げ口上を用意するなど、まったく反省がない。われわれ国民がでっちあげを行った朝日新聞などサヨク連中に求めるのは、心からの謝罪と反省である。 たった一人でも反省しないものがいるかぎり、われわれ国民がうけた心の傷は癒えない。 とにかく徹底して自己批判させ、謝罪させないことには、連中は今後とも何度でも嘘を捏造するだろう。 ◆南京大虐殺の嘘の言い訳の嘘 - 学校長報 - 坂東学校 http://bandou.an-an.org/index.php?QBlog-20151020-1 2015/10/20 最近世界記憶遺産とやらに登録されたという南京大虐殺について、リクエストがあったので、ちょっと他の歴史検証にはないネタで迫ってみますよ〜! すでにブログではお伝えしているとおり、南京雨花台の、虐殺記念館がある烈士陵園には、「人民英雄碑」と言われる石碑が立っていて、ここには毛沢東の揮毫とともに「南京虐殺は国民党によるものであった」という碑文があることをお伝えしております。 私が聞いたところでは以前チャンネル桜さんもこの話をきいたことがあり、2〜3人の先生(どんな先生かは不明)が現場に確認しに行ったのだそうですが、確認できずに帰ってきたとのこと。 そもそもこの先生方が北京語ができたのかどうかは問題ですが(笑)、その石碑がこちらだそうな。 南京雨花台の、虐殺記念館がある烈士陵園には、「人民英雄碑」と言われる石碑が立っていて、ここには毛沢東の揮毫とともに「南京虐殺は国民党によるものであった」という碑文がある これほどデカければもう隠しようがないわけで、しかも毛沢東の揮毫入りですから今更ぶっ壊すわけにも行かず ◆コラム 57- 「南京大虐殺」30 万人の嘘 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/column-57.pdf 「南京大虐殺」30 万人が嘘であるという根拠は次の 8 項目です。 1 陥落時の南京の人口は約20万人である。南京の警察長官王氏が陥落直前の人口を20万人と述べ、国際委員会(外国人15名で編成された自治組織)もその数字を踏襲している。 2 南京の人口は陥落後、増加した。陥落1ヵ月後、南京市外に避難していた南京市 民は続々と市内に戻り、南京の人口は24万3千人余りから26万5千人余りに増えている。(虐殺があれば人は集まらない) 3 紅卍会などの遺体埋葬数は、作業代ほしさに水増し報告している。亜細亜大学の 東中野教授は実際の埋葬数を1万4千人と推定、そのほとんどが戦死した中国兵や処刑された便衣兵だとしている。 4 当時、陥落とほぼ同時に約300名の日本の報道関係者がいたが、誰も虐殺現場や 大量の遺体を見ておらず、報告もなされていない。 5 南京陥落時、便衣兵となった中国兵を掃討したあと、南京の治安は急速に回復し、国際委員会から日本軍に感謝の書状が贈られている。 6 南京陥落後、蒋介石は記者団に対して300回以上の記者会見をやっているが、一 度も虐殺について言及していない。 7 南京陥落後、昭和13年1月に国際連盟理事会に対して、中国代表が日本軍が2万人の民間人を虐殺したと提訴したが、認められなかった。 8「南京大虐殺」は東京裁判で、初めて問題にされ、しかも伝聞により捏造された。 ◆ 東京裁判が生んだ 「南京大虐殺」の虚構 http://www.senyu-ren.jp/MAGO/13.HTM 孫・・・その南京で、日本兵は中国人を大虐殺したと教科書に書いてありますが、本当ですか。 私・・・本当なもんか。無論戦争だから中国兵は沢山殺したよ。日本兵も沢山戦死したけれどね。しかし兵隊 でない一般市民を何十万も虐殺したなど有り得ないことだよ。当時南京には難民区という安全地帯ができていて、一般市民はそこに保護された。そして日本軍の憲兵が厳重に警備していた。 ◆南京大虐殺を否定する日本の右翼、その5つの嘘 チャイナネット http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2017-12/13/content_50101412.htm 発信時間:2017-12-13 今年は南京大虐殺80周年だ。80年前のあの寒い冬、中国侵略日本軍は南京を攻略すると、放火・殺人・強姦など悪事の限りを尽くし、中国の軍人・非戦闘員30万人を殺害した。筆舌に尽くしがたいほどの凄惨さで、世界に衝撃を与えた。 歴史は日本軍国主義によるこの暴行を恥辱の柱に打ち付けている。しかし日本国内では、南京大虐殺を否定しようと試みる勢力が常に存在する。特に近年、日本の政界と社会の右傾化が強まり、南京大虐殺を否定する言行が勢いに乗り、手段も多様化している。 彼らは反論の余地なき事実と論証により、右翼勢力が捏造し流布しようとする主な5つの嘘を論破した。 嘘その一:南京大虐殺は戦勝国が日本に報復するため「東京裁判」(極東国際軍事裁判)で捏造したものであり、裁判に加わったインド��判事は被告の無罪を主張した。 嘘その二:南京大虐殺は当時知る人がいなく、中国国内と世界のメディアも当時何の反応も示さず、後になって作り出されたものだ。 嘘その三:当時の南京の人口は20万人のみで、南京大虐殺の被害者数が30万人いるわけがない。 嘘その四:殺人競争「百人斬り」は当時の日本メディアの捏造であり、南京大虐殺の証拠にはならない。 嘘その五:中国の軍人、日本軍に抵抗する遊撃隊員が一般人を装っており、これを殺しても国際法には違反しない。 ◆「南京大虐殺」登録、米中韓メディアの反応は? 中国「日本の嘘を論破」と勝利宣言 https://newsphere.jp/politics/20151014-2/ 2015/10/14 中国が申請した「南京大虐殺の文書」が、 ユネスコ(UNESCO=国連教育・科学・文化機関)の世界記憶遺産に登録された。 これに対し、殺害された市民の人数など中国の主張に異議を唱える日本政府は、 登録を不服とし、ユネスコへの分担金の停止・削減を検討する考えを示した。 菅義偉官房長官は13日の記者会見で、ユネスコの決定を 「中国側の一方的な見方のみを反映したもの」などと批判。 APなど主要海外メディアも菅官房長官の一連の発言を伝えている。 一方、中国国営メディアはユネスコの決定を歓迎するとともに、日本政府の 反応を「ナショナリストの日本政府は、デタラメな動きで面子を守り、 恥をごまかそうとしている」(新華社)などと一斉に批判している。 また、韓国メディアでは、中国が記憶遺産に同時申請し、登録が見送られた 「従軍慰安婦」の資料について、再申請の動きに期待する論調が目立っている。 ◆「南京大虐殺の嘘」を知るサイト一覧 まとめ – 新・真相はかうだ! https://propagandawar.info/archives/4002 目次 1 ■南京大虐殺とは(総論)? 2 ■南京大虐殺30万人説について 3 ■元日本兵の証言 4 ■プロパガンダの背景について 5 ■元中国人兵士の告白 6 ■肯定論のサイト 7 ■英文による情報発信サイト 8 ■資料等 9 ■その他、参考サイト ◆戦線後方記録映画『南京』(リマスター完全版)Documentary film "Nanking"Dec14,1937-January 1938, 67minutes 2017/08/17 https://youtu.be/_dmQxstHIqY 【日本語】67分、デジタルリマスター完全版 昭和13(1938)年2月20日公開。さらに映像を鮮明にするようにデジタル処理しています。この画像はHD Fullで、ちょっと音声がこのUPする際に悪くなっていますが、実際はかなり鮮明で高音質です。※注意:無断で講演会等において無断使用を禁止します。現在、アマゾンでリマスター版を販売中。 【English Version】https://youtu.be/Vi6F1YJ-q64
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― センサーに感あり -
「うん?何だろ?デブリは最近掃除したばっかりなのに」 通信担当としてブリッジに詰めていた乱藤四郎は手元のパネルを素早く操作し、感知結果をメインモニターへ大写しにした。
―― 虚数探知 ――
「虚数探知!」 乱は空色の瞳を真ん丸に開けた。ヘッドセットのマイクを口元に移し、全艦放送をオンにする。 「コンディション Azure、コンディション Azure」 鈴を振るような声が艦内に響く。 「虚数圏接触まで1時間。総員配置についてください。シミュレーション通り、総員配置についてください」 「繰り返します。コンディション Azure、コンディション……」
ブリッジの艦長席に座っていた三日月宗近は振り返った乱藤四郎の視線に応じて頷き、全艦放送で作戦開始を知らせた。 「宇宙戦艦本丸、作戦行動始めよう」
船務科長のへし切り長谷部はコンディション Azure時に配属されるブリッジ下のCICへ向けて、右手で自動走行ハンドルを掴み、宇宙戦艦本丸の廊下をすいーっと音もなく進んで��た。食堂など一部の生活空間を除いて無重力下にある本丸艦内では、徒歩ではなく自動走行ハンドルに引っ張られて進む。刀装展開時のように先をイメージすれば自動的に動き出す仕組みである。無重力下では普通の人間であれば筋力が衰えてしまうところだが、人ならざる身の刀剣男士であれば何ら問題がない。 音もなく滑るハンドルの行き先から機関長の燭台切光忠が見えた。コンディション Azure時、艦の動力を司る機関科は対歴史遡行軍戦への出陣のコンディション Redに比べて負荷が大きい。そのため、移動中も普段は見せないような険しい表情で手元のタブレット端末とにらめっこをしていた。 「燭台切」 長谷部はハンドルから手を放し立ち止まると燭台切も同じようにした。ストラと燕尾服の裾が慣性の法則でふわりと揺れる。 「やあ長谷部くん」 「コンディション Azureでは機関科も大忙しだな」 「そうだね。久々だけど腕が鳴るよ。CICも大変だろうけど、気を付けて」 「ああ。主のための大事なお役目だ。そちらもしっかりな」 「わかってるよ。さて、もう行かないとね」 「任せたぞ、機関長」「勿論だよ」 片手をひらりとあげて燭台切は艦内後方へ去っていった。
「ハッチオープン。"伽藍鳥"着艦シークエンス開始、どーぞぉ」 艦内放送の直後にブリッジに飛び込んできた次郎太刀は、すぐさま鉱物資源衛星へ艦外作業に出ている艦載機、"伽藍鳥"の帰還作業へ取り掛かった。 『了解。"伽藍鳥"、着艦シークエンスを開始します』 手が長くコクピット内の機器操作がやりやすいから、という理由で資源回収用艦載機のパイロットを務めている太郎太刀は本丸と相対速度を合わせる。 「速度確認。牽引ビーム照射。速度そのままー……よーしつかまえた」 明滅する光の束が"伽藍鳥"の翼を捉えた。艦載機はそのままゆっくりとぽっかりと空いたハッチへ収納されていく。音もなくハッチの扉が閉じられ、"伽藍鳥"はエレベーター式の与圧室へ落ち着いた。 与圧と艦内温度との同調完了後、やっと格納庫へ戻ってきた。 「着きましたよ」 太郎太刀は同乗していた衛星掘削機械の操作を担当している、宗三左文字へ声をかけた。宗三はヘルメットを外し、頭を振って長い桃色の髪を無重力に遊ばせた。 「相変わらず良い腕ですね」 「いいえ。次郎太刀の力あってこそです」 「フフッ。二人合わせてということですよ」 「……ほめているのですか」 「もちろんですとも」 空気圧式で開閉する扉からドックへ降り立つと白い帽子に白いツナギの、技術科の骨喰藤四郎がタブレット端末を片手に顔を見せた。 船外活動服などの靴底には元々磁石が仕込まれていて、艦内に使用されている磁力床での直立が可能だ。しかし二歩目以降は歩きにくいために歩行には向かない。壁を蹴って無重力空間を進むか、自動走行ハンドルに掴まって移動する。また、刀剣男士としての装束を改造するわけにはいかないため、艦内では靴の上から装着する磁力ベルトも常備されている。 「時間もなかったというのによくかき集めたな」 「時間がなければないなりにできるようにしておくのが普段の僕の仕事ですよ」 「……そうか」 「獲得資源の簡易的な分類はあらかじめアップロードしておきました」 「そうか。……データを受け取った。あとは任せてくれ」 「お願いします。それと、客人の迎えですから骨喰も正装ですよ」 「わかっている。俺は着替えが早い。問題ない」 「そうでしょうね。それでは僕はこれで。太郎太刀も急いでくださいよ」 「……そうですね」 無重力空間をふわりと移動する宗三を尻目に、太郎太刀は直衣に似た着付けに時間がかかる自らの戦装束に思いをはせた。急がなくては。 「私も急ぎます。それでは後程」 「ああ」 運搬用のドローンの操作を開始した骨喰を置いて、太郎太刀も磁力床を蹴りロッカールームへ向かった。
虚数圏接触まで10分。燭台切光忠以下7名は手元のマニュアルと計器を忙しく確認しつつ虚数実体化作業に向けて準備を進めていた。 一般的に、刀剣男士部隊が戦場や遠征へ向かう際には異空間内での虚数化と実体化を経て時間遡行を行う。しかし、稀に目的地へ辿り着けずに異空間内を迷ってしまう場合や目的地と異なる時間・空間へ転移してしまう場合がある。虚数実体化とは、取り返しがつかなくなる前に部隊のサルベージを行う作業のことである。 部隊と連絡が取れなくなった本丸から政府経由で依頼を受ける場合もあるし、今回のように宇宙戦艦本丸のメインコンピューターである、情報粒子結晶内での演算によって観測する場合もある。 水色から突き抜けるような天色、少し赤みを帯びた杜若、緑がかったアクアマリン。情報粒子結晶の光が波打つように色を変えていく。まるで手探りをしているようだ、と機関科の薬研藤四郎は思った。呼吸をしながら虚数に潜った色を探している。深い瞑色に沈んだと思ったら秋空のような空色へ浮き上がり、瑠璃色へ潜っていく。
「お、主の計算通りだねー」 「現界まで5秒前、3、2、1」 「実体化!」
情報粒子結晶が、ひときわ明るく、紺碧の光を放つ。
―― 投影、開始 ――
紺碧の光が粒となり、何もなかったCICの空間に6つの影を作り出す。桜色に染まった実体が花弁となって散ったそこには6人の刀剣男士と1匹のたれぱんだが立っていた。
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