Tumgik
#母の雑記帳
m12gatsu · 4 months
Text
無題
実家の荷物を整理しにこい、とずいぶん前から母親にいわれていて、重い腰上げてようやく行ってきた。夏に姉の出産を控えており、そのための模様替えをしたいということらしい。小学校から大学まで使っていた学習机の中はある種の断層と化していて、吹奏楽の譜面、少年サッカーの大会のパンフレット、キーホルダーの群体、文化祭で演じた劇の台本、寄せ書き、手紙の束などが、それぞれ複雑に侵食しあいながら堆積していた。ほとんどは中身も確認しないで捨てた。大学の時使っていた手帳も4年分出てきて、これは取っておくことにした。鑑賞記録アプリを使う前は、手帳に観た映画をメモしていたんだった。
Tumblr media
新文芸坐のオールナイトでタルコフスキー観た、10年前の3月。20歳だった。たぶん色々思った。でも、さっぱり覚えていない。
20 notes · View notes
misatovan · 2 months
Text
しばらく日記を書かずに暮らしていた。相変わらずつわりが続いていて具合が悪い。やっぱり自分の選んだ道だし、腹の中で子が元気にしているということかなと思う。でも、一日のほとんどを「気持ち悪い」と思いながら暮らしているので、結構しんどいのは、しんどい。子を産んだ人のほとんどがこの日々を乗り越えてきたのだと思うと、すごいな……。7月は仕事も半分ぐらいしか行けなかった。上司も同僚も優しくて、助けられている。思えば職場は育休中の人が2人、育休明けで時短の人が2人、そのほかにも子育て中の人も居て、わりとお互い様という空気があってありがたいなと思う。
一応、もう少しで安定期ということになるらしい。前回の健診から次の健診まで1ヶ月ぐらいあるので、毎日、子が元気に生きているか心配ではある。でも、もし今日健診したとしても明日にはまた心配だし、子が産まれても毎日心配だと思うし、子が大人になったとしても、やっぱりいろいろ心配はするのだろうなと思う。自分の幼いころのことを思うと幼稚園はギャン泣きで登園拒否、習い事も美容院もギャン泣き拒否、テレビも怖くて小学校になるまで観れず、絵本の読み聞かせも無理で、園に人形劇など来た日には怯え切って先生の膝に埋もれていた。嫌なものや怖いものが多すぎたし、インターネットにでも書けないような歪んだ考えもいろいろもっていた。わたしの遺伝子はだいぶ心配要素が多い。夫もまあまあ複雑な人格ではあると思うが、保育園、小学校がいちばん楽しかったと言っており公文式や水泳などにも適応していたっぽいので、そのあたりは夫の遺伝子に期待したい。
取り越し苦労はともかく、そろそろマタニティ用の衣類の一枚でも買わねばならないと思うのだけれど、なかなか動かれない。母子手帳に付随してきた大量の情報も、あまり読めずに居る。
5 notes · View notes
manganjiiji · 10 months
Text
よゆうよけいよわい
何もしない日々が続いている。何もしないではなくて、眠っている。眠って体を回復させようとしているのだと思う。昨日も今日も、朝から夜まで寝ていた。今日は午前中風呂に入って頭も体も洗った。ジムの予定を入れていたが、この疲れ具合では行けないなと判断しキャンセル。応募した契約社員の書店求人からは連絡がない。ぐーすか。夜はまたロッテリアをウーバーイーツした。2日連続。コンビニまで歩いていくことさえできない。ただの疲労だが2日間も動けなくなるなんてまったく面白くない。明日は病院2件。脳神経外科とカウンセリングを梯子。藤井風の新曲が出ているのでは、ということにしゃぶしゃぶ屋でかかっていた有線で気づき、iTunesに「花」を入れる。歌で思い出したが、あんスタのマヨイさんの曲で「要らないなら捨てればいい、必要なら得るしかないさ」みたいな歌詞があり、これは聞くたびにその通りだな、と思い感動してしまう。オタクにはイメソンという文化があるのだが、私は歌詞(言語)がなんらかのキャラクターやカップリングのイメージに繋がることはない。音楽、つまり音の総体と時間の推移から得られるひとかたまり(メロディやフレーズと言いたいのだが、それよりももっと音全体、全て)で言語の意味を排したものしか、イメソンとして捉えられない。言語はわたしが考えるので、誰かの言語をもう一度自分の物語には使えない。ということで、歌の歌詞はキャラクターやカップリングに当てることなく、純粋に自分の人生に照射させる。さまざまな歌にいままで自分の生きるこの瞬間を応援されてきた。この瞬間もだし、未来もそうかも。まあ、未来を思うこの瞬間の自分ということだけど。そういう時の歌詞は結構シンプルなものが多い。だから結局はこれも、言語というより音楽自体に励まされているのだろうと思う。なにか歌詞ばかり重視される「イメソン文化」みたいなものが、私と音楽との相対の姿勢とそもそも馴染まないなあとよく思っている。ミュージカル刀剣乱舞のadditional timesみたいなタイトルの曲にも昔一時期すごく励まされた。今聴き返してみた、今でも好きだ、かなり…。死ぬほどうつで毎日どうすればいいかわからなくて無職で一人暮らしをしていて、という時期にこの歌を聴きながらとにかく歩いていた。あの頃どうやって生きていたのか、全く思い出せない。今立ち上がれば未来は逃げない。今立ち上がれば心は負けない、まだ全てが終わったわけじゃない。BL編集部に正社員で採用されたものの、やばい会社すぎて1週間で辞めた。働く気力も引っ越す気力もなく、そのまま会社の近くのアパートで貯金を使って生きていた。もう何歳の時の事だったのかもよくわからない。その時も結局実家に帰り��数年の療養ののち、やっと地元でアルバイトできるようになってから、最終的にまた上京した。記憶力が悪いというか、そもそも記憶する能力がやる気を全然出さないため、過去はいつも私と切り離されている。断片的には思い出せるが、自分の記憶というよりは、その時代の私という人間(他人)に付随した映像や声という感じだ。毎日すごい勢いで自分という人間が変わっていくので、1週間もすると、もう別人になってしまう。でも私の周りの人々は私を継時的に外側から見ているからか、私にも一貫性(というか、私の人格がもつ特徴)というものがあると思えるらしい。私も私の性質を一応わかっているつもりだが、おそらく他人の方がよくわかっていると思う。私は私の体が見えなくてついつい意識だけの存在と思いがちになるので、その意識が「これだけ変わってしまったんだから、もう別人だ」とよくジャッジする。しかし実際には私は私の体というものを通してしか他人に認識されない。その体は特に変化せず存在しているので、私の中身が物凄い速さで流転していることは私にしか分からない。私にしか感じられない。私は十分に日毎に違う人間になっているような気がするのだが、他人からはそれは見えないので、人間としてひとつながりに見える。私にはそうは見えない。不思議な段差だ。
大学の編入学の試験が終わり、面接でのアドバイス通り、福祉社会学のある国公立大学に行き、4年間勉強しようと思う。そうするとまだまだ貯金が必要なので、一旦また数年働く必要性がある。そういう結論が出てまあまあ楽な気持ちになった。友人のジェルネイル検定のハンドモデルに関しても(恙無くはなかったが)終わり、やっと動くのをやめていい、となったのが昨日で、一日休みにしておいたのだが、今日になっても全然回復しなかった。自炊できるほどの気力が戻るまでにあと何日かかるだろうか。たくさんの夢を見て、絶対に父母や兄が出てきて、寝ているだけでも精神的にかなり疲れる。「お雑煮」という話題があるが、つまり実家や生まれた場所ではどんな味でどんな具のお雑煮だったのか地域差があっておもしろい、という話題で、その際に母が正月に作ってくれるすまし汁から湯気が上がっている食卓の光景や、それに餅をいくつ入れるとか話してもちを焼いたりしている父や兄や母の朝のことを思い出すだけで、ああ、これは人に話せる範囲の家族の話だけれども、とても人に話す気にはなれない、ということを思い、どっと疲れる。食卓というのはおおよそ全ての事件が起こった場所で、そこは最悪だったが、たしかに幸せを感じたこともあった。さまざまな光景が何重にも被さって映される、そして幸福の象徴としての正月元旦の朝。家族のことはもうできるだけ思い出したくない。幸せもたくさんあって、というより幸せばかりの記憶が残っている。私の心が潰れたことに関しては、もはや私の中にしか残っていないし、どんどん忘れていく。私が生物としてどんどん弱っていき薬なしで生きられなくなったことは、私しかその理由を知らない。それで全く問題ない。復讐心というものも、もうすっかり消えた。どうでもよくなった。そんなことよりこれからの自分の人生をどうするかということに比重がかかっており、良い事だと思う。時間が何もかもを解決する。とくに私は記憶力が弱いため、悪いことも良いことも、どんどん忘れてしまう。だから常に新しい「いいこと」を求めて動き回っている。自分には感知できないところだが、過去の「悪いこと」を早く帳消しにしたいがために、必死なのだろうなと思う。自分が未来に対してあまりに楽天的だなと思う時もあるが、基本的には楽天的な人間ではないと思う。でも楽天的な人間だと喧伝して回っているうちに、たぶんそうなれるので、楽天的と言うことにしている。とくに社交的な性格とは真反対だった人間だが、最近では社交的で人見知りしないことが事実と思われるような時もあるので、言い聞かせたり他人にそのように自己紹介することは自分を変える上でだいぶ有効である。被り続けたペルソナは自分の顔になる。このことは身をもって事実だと感じているが、やはりペルソナの下の部分も消えるわけではないので、そのことに自覚的であるほうが、難を切り抜けやすいと思う。
2023.12.4
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
2 notes · View notes
kennak · 1 year
Quote
父親、70代半ば。定年してから家ですることないし何もしないし酒飲んでばっかり。人との関わりもできないし社会と関わり持つようなこともなくて時々2階の自室から降りてきて、家族にあることないこと文句言う。で、本人もコミュ障なのかアスペなのかわかんないけど、酒飲んでなくても認識がおかしいところもあるし、何よりも怒る事くらいしかエンタメがないのか、過去の嫌だった事を1人で煮詰めて、それがグツグツしてペースト状のドロドロになった頃に人にぶつけたりする。友達とかはいない。一緒に遊びに行く友達の存在とかもほぼ居なかったと思う、聞いたことない。すぐに人をこき下ろしたがるのでだれも仲良くしないと思う。極端に、周りを見下すことでしか自分の優位性を保てないんだと思う。テレビ見ても雑誌みても、フン、て偉そうに多分何も知らないのに間違っとるとか批評家気取りのズレたご高説を垂れるばかり。聞いてる側も気分悪いのでいつからか家族もまともに返事しなくなった。気を使って話しかけても、自分すごいorお前は大したことない、の話しかできないから。目的があって外出するのは月に1回の通院と、タバコと酒買いにコンビニ行くくらい。地方都市なのでヨボヨボだが車を運転していく。食事も、家族が作ったものは選り好みするし決まった時間に食べる習慣もないし、置いてあるカップラーメンやチルドうどんとかを食べてたりする。スーパーの弁当なんかも置いておくと食べてたりする。で、最近特にひどくなってきて身体も思ったように動かなかったりとかの不安もあるんだろうけど家族への暴言や暴力が頻度が高くなってきて、限界も近くなってきた。夜中に家族の寝ている部屋で訳のわからない気分悪い話やどうしようも無い人のルーツを馬鹿にする発言をしたり、扉をデカい音で閉会したり、テーブルにコップをゴンゴンあてたり、階段をわざと大きな音で歩いたりとか、もう明らかな異常性がでてる。父親本人は構ってほしくて構ってほしくて仕方ないんだろうけど、本当に話すネタも自分かわいそう、か誰かしらが悪い、くらいでつまらないし、無視してると嫌がってるのに顔を無理やり覗き込んできたりとか、反応貰えるのがそんな事しか思いつかないのかロクな事をしない。第三者にSOSを出すとしたらどこなんだろう?暴れる(大声の暴言含む)時に7119とかは迷惑?それとも警察?保健所に相談したらどこかと繋げてくれるんだろうか。アル中単体とかなのか、性格だったり心の障害なのかも判断できないし、かと言って本人が自ら精神系やカウンセリングみたいなところに行けと言っても絶対行かないだろうし、何をどうしたらいいのかわからない。病院では暴れてる事なんで自己申告してないだろうし、下手すると本人も覚えてないから、酒の飲み方も週に2回飲まない日作ればいいとか言われてるらしいけど怯える日が増えるので家族としては正直余計な事を、と思わずにいられない。今月になってから、目立つ飲酒時の奇行とかはスマホのメモ帳に付け始めた。他に準備できることあるんだろうか。【追記】散歩くらいしたらって言ってるんだけど、行かないね家の周辺歩くのに人の目が気になるなら山とかの駐車場に車止めてその辺15分くらいでも過ごすと違うと思うんだけどね習い事も、きっと周りを馬鹿にして自分スゴイをやるし、そもそもそのお金を払うのが馬鹿だと思いそうきっと行った店の店員さんにも変なキレ散らかし方してご迷惑かけてそう【追記】たくさんコメントあって驚いたのと、有難いのとこの手の高齢男性って多分たくさんいるんだろな自分も含めてこれから歳をとる世代のみんなは、苦手な人こそどうか感謝と謝罪を口にできる訓練をしておいてほしいそういう意固地って自分の行動範囲を自分でジリジリと削り続けてなんでだよって逆ギレかますみたいなもんで、周りはドン引きしかしないし手を差し出す事もできればしたくなくなっちゃうから社会と関わりがなくなるとこうなるんだと思うけど本人ももう働いたりする気はないみたい犬は飼ってるけど、ペットの管理で過去にやらかして信用もないし、犬自体もやっぱりおかしいのがわかってるから懐かない、懐かなくて犬も文句をいう材料にする、の負のループ昔から犬の散歩もしないし犬の粗相も家族にオイ、って知らせて犬の世話をしてる気になるタイプだったとりあえず保健所や福祉系のところに相談実績を作るから始めようと思う高齢者でも性欲ってあるんだね、母親の体をなんとかして触ろうとしているときがある、それがまた自分本位なので本当に醜悪で…コミュニケーション能力や相手をちゃんと人として扱うって大事すぎるなって父親の尊厳を傷つけるのはと思っていたけど、向こうはこちらの尊厳をゴリゴリに削ってくるんだからストレスすごい、それでもここで吐き出せてよかったです実は2年前に父親は食事もまともに取らず酒飲んで寝てたので意識がなくなって?救急搬送から月単位での入院のコンボをかましている部屋は見事な酒の紙パックだらけだった、腰の高さで埋もれるくらい昔見かけた競売物件で「まる」だらけの部屋があったけど、あれプラス謎の溜め込んだ金属ゴミ系(空き缶を切ったりした物は破片が危なく片付けに苦労した)趣味がなかったり、人を馬鹿にしないと生きていけなかったり、せっかく死にかけたところから戻ったのに何も見つけられないのはどうしたらいいんだろう、1人でできて金もかからない、前向きな気持ちになれる気軽な趣味を見つけてほしい【追記】初めて匿名ダイアリーを使うので、返信のお作法がわからないのですがいただいたコメントは基本目を通しています。共感いただく方が複数いるという事は少なからずあるパターンなんですね。増田本人の心配をしてくださる方のお声もありがたいです。コメントの通り、どうやって本人を福祉なりに繋げられるように連れていかせるかが焦点になるでしょうか通院先は総合病院で(入院したところなのでその辺の事情のデータも残っているかもしれない)ソーシャルワーカーもいるのでそちらあての相談もできないか調べようかなそういえば思い出した、以前に地域包括支援センターの方が本人に会いにきたのだけれども怒鳴ったり暴言吐いて追い返したらしい、自分はその場にいなかったから後から聞いた。訪問されたスタッフなんて正社員でも何でもないモンが、偉そうに指図しやがって、的な事を言っていたらしいのだが正社員なら言うこと聞くわけでもなかろうに誰の言うことなら聞くんだろう【追記】ネットを検索してもなかなか見つけられなかったヒントが、吐き捨て目的の匿名ダイアリーのブコメでこんなに集まると思わなかった、集合知に感謝です。既に終わった人も大���だったろうしなかなか人には言いづらい事を教えてくれて助かります、これからに備える人も何かしらの参考になるなら書き殴りの文だけど、できそうな対策を1度考えてみてもいいのかなとたくさんいただいてる意見の中の認知症疑い、これは多少ある気もしますが、それで急におかしくなったわけではなくて元々の本人の性格におかしなところはありました。働いてる時でもいきなり癇癪起こして自室から数ヶ月出てこないとか定期イベント。一緒に住むなら心をフラットにできる薬を服用してほしい。あとは睡眠薬等で夜中に寝て朝に起きる癖をつけて欲しい。夜中や早朝に異常行動起こすのは思えばここ数年…?そう思うとだいぶおかしいのか。増田が同居してるのが悪いって意見、考えたことも無かったですがそれもあるかも知れません、しかし離れた県外で結婚して家庭をもっている兄弟(息子)への暴言や難癖もひどく、結婚相手の実家に対する根拠もない差別発言を聞いて、同じように自分が家を出たところで文句を言う材料にするんだろうなと。で、あいつも悪いから何も相続させん!とか叫んでそう。他者が悪い、すなわち自分は正しいという思い込みしか拠り所がないんですかね。あと、自分が同じ部屋にいる時は比較的おとなしい。自分の部屋に怒鳴り込みにはこない。ターゲットは基本母親。娘の前では少し理性が働くのかフルスロットルにはならない、少し前に母親殴りそうな時に平手打ちしてメガネぶっ飛ばした。その時に力でも勝てないのも理解したんじゃないかな。反撃しようとして半世紀前に習ったか何かの空手かなんかの型みたいなので威嚇してきたけどびっくりするほど痛くもない肩パン。色々書きながら思い返すとやっぱりダメですね。物理的距離を取る、を第一目的に動こうと思う。前に支援センターの人が来たのは何だったかな、近所に呼ばれたとかではなかった。入院してて退院前後は介護認定3がもらえた(という表現もおかしいが)ので話早いといいな酒で入院した時はウェルニッケの疑いの話されたけど、なんか案外元に戻ってしまった。酒飲むの止められない人、極力減らすのが1番だけど各種ビタミン忘れず取ってね。酒のカロリーで生きてもロクな事ないですよ。結婚したら一生セルフケアしてもらえると思ってた世代ってあるのかな。成功しないのに察して察してを続けて、何かこちらが提示しても後出しのイヤイヤ。70代のイヤイヤ期なんて情けなさしかないからそういう思想なくなればいい。教育テレビで尊大な自尊心を穏やかに丸くさせるような番組とかしてくれたら助かるんじゃないか【追記】思いのほか拡がってしまい戸惑ったけど、たくさんのためになる情報をありがとう「自己愛性パーソナリティ障害なんじゃないか」の声を複数見かけて、調べてみたら全てが当てはまって今までの奇行にも納得がいくし、本人幼少期にロクな扱いされてなかった話は聞いた事もある(田舎の次男)、診断こそおりてないけど多分そう。少なくとも対処法が近いのでこちらも考えやすいしお互いのつらさは少し減らせるかもしれない。今の父親本人は暴れたあとの落ち込みタイムとでも言うのか、これも定期イベントだけどしばらく大人しくなる期間ぽい。このやらかす→大人しくなる、の繰り返すスパン短くならないといいなソーシャルワーカーさんにも相談したし、あとは地域包括支援センターにも話を通したりしながらどうにか改善できるように手探りしていこうと思う。将来が不安だったり、不安定な身内がいる人たち、自分も含めて穏やかに過ごしていけるといいね。日光浴して、肉食って、歩いて、無理せず笑える日常がそこにありますよう。
父親狂い始めてどうしていいかわからない
4 notes · View notes
mikitakase · 1 year
Photo
Tumblr media
綿密な計画と準備、たくさんの方の協力を得て、4ヶ月ぶりに母を花巻の実家へ送り届けた。 思えば突然迎えに行き、無理やり鎌倉に連れてきたようなものだった。 寒い間だけでもとの約束で、お花見が2度できるねなどと、慰め励ましながらの12月、孫やひ孫とクリスマスを過ごし、正月も目出たく迎えられ、あっという間に2月だねと驚き、3月は孫のジャズ演奏を堪能した。記念のパンフレットも大事にしまってね。 母は頑張っていた。 そろそろお彼岸だから帰りたいと、一昨年亡くなった父を思い出してはホームシックになっていた。 やはり我が家が一番なのだ。寒くても不便でも、田舎がいいのだ。 季節をふたつ、娘(私ね)の家で過ごしながら、思うところがあったのだろう。渡した日記帳代わりのノートに走り書きしていたのは、花巻の電話番号。番号を確かめながら電話の前に座っていたことが何度かある。 帰ろうね… 車椅子での移動は、タクシードライバーの方、駅員さん、行く先々のホームへ安全に乗り降りできるよう手配される。  鎌倉へ来た時もそうだったけれども、東京駅の担当の方のお仕事ぶりは見事で、この日も丁寧に心のこもった案内をしてくださった。息子とのやり取りを横で聞いていて、とてもありがたい提案をしてくださり、頭が下がる思いがした。そして息子もずっと一緒、大雑把な私をフォローし、より安全で安心できるよう心を配ってくれた(ありがとう)。 車窓の景色が、花巻に近づくに連れて、母は落ち着かず、早々に身支度をする。嬉しさから満面の笑顔である。新花巻の駅には家族が迎えにきていた。泣きそうな母。 花巻… 雪は解けていた。 流石に花はない。 それでも野山は心なしか淡い春色で、厳しかった冬を超え、春に向かって安堵の季節を讃えているように見えた。地面も柔らかく所々から黄緑色のバッケが、顔を出している。  子供の頃、雪が解け始めた川沿いに銀色の猫柳を見つけた時、茶色い土の上に黄色い蕗の薹が顔を出した時、春の到来を飛び上がるようにして喜んだものだ。それがこのバッケ。 花巻のバッケは小さなヒマワリのようだ。 春は明るさだ、明るい色なのだ。  そして桜並木もあと少し…ふくらむ蕾を数えながら、その日を心待ちにする。 #母の帰郷 #春到来 (Hanamaki, Iwate) https://www.instagram.com/p/CqRN3z5SaHT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
2 notes · View notes
bailonglee · 14 days
Text
システムとは、支配
-----------------------------------+++++----+-----
人は社会が無いと、システムが無いと生きて行けないか?
答えは、NOだ。
王。
一人の人間が、何千人の生活を支え、その何千人が、一人の人間に命を捧げる…
普通に考えて、おかしいだろw🤣
そんな普通に考えておかしい歴史は、脈々と何千年も続いている…
じゃあなぜ、
一人に、何千人も命を捧げたか?
まず、
雨乞いとか。
民衆は雨降って欲しく、王に嘆願。
シャーマンなりに命じ、雨乞いの儀式やらの方法論を伝授、雨乞いする。
雨は降り、何千人は、一人を崇める…
機織り、縫製の技術。
動物の皮を乱雑に纏っていたら、糸を作る技術を伝授、機を織る技術を伝授、より軽い衣服を手に入れ、何千人が一人を崇める…
その替わりに、貴様らのパワーと、金をよこせ!
「少しくらいなら…」
と、王を名乗る一人に、貢ぐ。
だが気がついたら、身動き出来ないほど搾取されており、もはや形成逆転不可能になる…
支配の、完成だ。
それで何千年、過ごしたわけだ。。
日本という、実質共産社会。
彼らは、
人間皆同じ
で無ければ、絶対受け入れない。
しかし現実は、人間は皆同じでは、無い…
日本に限らないが、グローバリズム、共産社会においては、
有能な人間を、集団リンチで潰す。
YouTubeなんか、その典型みたいな団結だしw🤣
新しい発想、飛び抜けた判断力は、間違いなく、全体をボトムアップする。
ではなぜ共産やグローバリストたちは、優秀な人間を潰すのか?
馬鹿だから。
自分の地位を脅かされると思うから。
無能が、優秀な人間が現れると、露呈するから。
誰かをいじめる事により、幸せな共同意識や団結を味わえるから。
とまあ、↑こういった理由w🤣
なので、システムはなかなか進化せず、それは一人の王に責任なすりつけ、奴隷たちは死ぬまで何かに依存するという、属性…
これがシステム人間であり、魂のない人間だ。
魂の無い人間に関して、過去記事がある↓↓↓
魂が無いゆえ、輪廻転生しない。
つまり、現世が全て、物質が全て、今の日本そのもの、金だけ、現世利得、まんま、創価学会だねw🤣🤣🤣✨
魂で人は繋がるが、魂が無いなら、肉体か、金で繋がるしかないもんなw🤣
何千年も続いたシステムから脱却するには?
それは、自立しか手段は無い。
自立は何が大変か?
自分でインフラを作らねばならない、大変さだ。
だから、まずは足元から、見直す。
地球には豊富な資源がある。
それは私達一人一人に恵まれたものであり、支配層の���めだけの資源ではない。
私達が支配層に良いようにあしらわれるのは、資源を使ったインフラ整備が出来ないがゆえ。
私が今更言うまでもないが、
アメリカの今までの戦争は、資源剥奪戦争だ。
じゃあアメリカが唯一敗戦した、ベトナム戦争って何だった?
サイゴン、昔はフランスの植民地。
今の、ホーチミン。
サイゴンという街の名前は廃棄され、戦争に勝ったリーダーの名前、ホーチミンを採用した。
一体ベトナムには何があったか?
ボーキサイト、アルミの原料だ。
ベトナムボーキサイト埋蔵量は、世界3位だ。
↓↓↓資料
新しい資料では、2位かw🤣
いずれにしても、アルミを作るには、ボーキサイト以外無い。
誰がアルミを世界で一番欲しい?
日本の一円玉は、そんな需要無いよね?w🤣
コカ・コーラだよ。
以下、アサヒビールやら、サッポロビール、アルミ缶を使う。
アルミは、リサイクルも出来る。
ただし、それにかかる人件費、燃料、手間は、半端ではないw🤣
回収業者に回収させ、スチールと分別し、溶かし、700キロのアルミの板にする。
そこから、アルミ缶を作る。
そんな資源戦争に負けたアメリカ(コカ・コーラ=軍産複合体)は、リサイクル♻️をメインにするしか無くなった。
だから、
《ボーキサイトからアルミを取り出すのは、とても費用や手間がかかる!》
、という訳わからん嘘を並べ、リサイクル♻️せざるを得ない現状を、ごまかすw🤣
ここ来て、私は信じられない貧乏を体験したw🤣
服が買えないw🤣
そんな時、初めて、縫製のテクノロジーをかえりみた。
縫製って、凄い!
糸を紡ぐって凄い!
繊維から糸を作り、交互に織って、布にする。
型を作り布を裁断し、縫い合わせて、衣服は完成する。
当たり前だが、何でもかんでも、《金》で考えてきた。
服が欲しいなら、金。
だが、貧しく、服を直したりする中、衣服は自分でも作れると、知る。
綿花を育て、糸を紡ぎ、機を織る。
そんなプロセスの中に、《金》ってのは介在しないw🤣
断食。
人は食べなくても、問題ない。
秋山佳胤は、6年もの絶食で証明した。
私は1年程度絶食、1日1食を基本にし、たまには食べた。
つまり、1日3食と、栄養学は全て間違いだった。
これにより、システムからの離脱2つ目、食。
つまり、衣食を、システムから切り離した。
住。
これに関しては、
田舎に住むしかないw🤣
これで、システム離脱のプロトタイプは、出来た。
田舎に住む。
1日1食。
綿花や、食料を栽培。
あと厄介なインフラは、《電気》だ。
太陽光という選択肢は、
無いw🤣
便利だから、使う
、これは奴隷現代人の、悪い癖…
太陽光発電は、どうやって発電してるか?
半導体だよw
つまり半導体の減価償却が、太陽光パネルの寿命。
太陽光発電を維持するには、大量の半導体を消費する。
これは1960年代後半からわかりきっていた、
太陽光発電とは、半導体利権そのものだよ。
なぜ必死にチャイナ、TSMCが半導体に拘るか?
日本の政治とのセット、つまり太陽光発電しまくり、半導体儲かりまくり、というからくりw🤣
一人やら、一つの家族なら、自家発電で充分やれる。
発電の方法は、色々模索出来る要素は、ある。
↓↓↓
システムの弊害。
例えば、イーロン・マスクの、テスラ・モーターズ。
自動運転は、OSを仲介にしてるらしい。
どういう事か?
電子機械は、オンとオフしか、存在しない。
そのバケモノが、リレー→シーケンサー→コンピューターだ。
我々が乗る自動車には、ブラックボックスがある。
エンジン点火を、補助する。
それはアセンブリ(機械語)で書かれている。
GOとか、RUNとかの簡単な命令を入れると、HEX(16進数)に置き換え、それを2進数に、置き換える。
2進数とは、01100010、
つまりオンとオフの固まりw🤣
電子機械に命令をする場合、アセンブリはかなり機械に近い。つまり、素早く命令、操作が可能。
一方テスラ・モーターズは、コンピューターを使ってしまった…
これは、テスラ・モーターズの、インフラの無さを現している。
電子回路を設計し、アセンブリを組み、ブラックボックスは存在する。
しかし、テスラ・モーターズには、インフラ技術者が存在しないw🤣
パソコンは、万能だが、要らない部品の塊だ。
機械を操作する際、OS (オペレーションシステム)を介入させると、遅延や誤動作を起こす。
なぜか?
オペレーション・システムとは、実に共産、グローバリズム的概念から作られているから。
OSとは、コンピューターというスイッチのバケモノを操作するため、作られた。
“これを使うだろう、あれを使うだろう”と、こちらが望まなくても、勝手に最初から実装させる。
kernelという、実行部隊、つまり実際に動作する命令を、膨大に詰め込んである。
OS がある背景は、コンピューターやら機械を何に使うか決まって無い人らに、可能性を見せる効果。
だから、“お誂え向き”kernelが、死ぬほど入っている、ある意味、《無駄の塊》、頭のいい動ける肥満ブタみたいなもんw🤣
Windowsを見たらわかる。
『メールソフト要らないよ!』
『セキュリティ、過剰反応過ぎるよ…』
『年がら年中アップデート要らないよ!』
、有無を言わさず、システムは機能するw🤣
オフィスが使いたい、台帳管理したい。
『アップデートしています…』
待つ事2時間、
『アップデートしています…』
、おいっ!
そういう事。
システム
これは何かを始める初期段階には必要だが、明確な目的を持つ対象には、足かせでしかない事実。
テスラ・モーターズは、とんでもない数の事故を起こし続けている。
それはシステムに依存、つまり、自社でOSを作るインフラを、無視し、表面上万能な汎用OSに依存し、片手間で車を作るから、こうなるw🤣
私はコンピューターは専門w🙂✨
辿り着いた答えは、
自分でkernelを組む。
つまり、自分の環境で使わないものは、導入しない。使うものは、必ず導入する。
MacにGentoo Linux 導入し、円滑に作業するのに、20年かかったw🤣
コンピューターや機械について学び、kernelやらを開発する地味な、そして最も重要な仕事をする人たちを知った。
Boot つまり起動には、言語の最も原始的なもの、proc、つまりUnixのprocという命令も学んだ。
自分の環境に合わせ、必要なkernelだけ実装したマシンが出来上がった。
youtube
OS、システムのせいで、音楽制作に当たり、非常に苦労を強いられた…w🤣
まず、Macで言うと、立ち上がりにめちゃくちゃ時間がかかる…
で、いざ使い始めると、
『最初のアップデートがあります!』
、など要らぬ事を言ってくるw🤣
あとは、作成中、固まってしまい、何の作業も出来なくなる…w🤣
やむなく強制終了すると、
何日もかけて作った音楽が、全部吹き飛んでしまうw🤣
その原因は、全てシステム(OS)のせいだw🤣
比較すると、はっきりわかる。
youtube
その、インフラから自分で作ったシステムで、素晴らしい動画を作った。↓↓↓
youtube
人間社会で、システムは何を生むか?
差別と、いじめだ。
日蓮宗。
日蓮は、貧しい鴨川の漁村の、被差別部落出身。
自分は、旃陀羅だと言う。
シュードラの父、バラモンの母。
つまり、被差別部落の父と、カースト最高峰、バラモンの母との子供。
鴨川の漁村。
神武天皇時代における、制度、宗教、社会システムの間違いを指摘。
日蓮以前、法然の南無阿弥陀仏があった。
『民は救いようのない馬鹿どもだから、せめて生きてる間徳を積め。そしたら死んだ後、西の極楽浄土で、永遠に幸せで過ごす。』
法然に対し日蓮宗とは、
「現世でだって幸せになれる!制度、システム、今の宗教が間違ってる!」
という事だ。
創価学会がこれだけ力を得たのは、現世利得、日蓮宗の、間違えた解釈。
その間違いの大親分が、池田大作。
大田区大森の、海苔屋の息子。
我ら日本のカーストで、最下層w🤣
そこには未来も、金も、無い。
日蓮の想いは、池上邸、池上本門寺で力尽きた。
そう…
今のシステムは、間違っているのだ。
アセンション。
次元上昇とは、むしろ大衆側に、依存する。
支配層、バラモンたちは、ちゃんと自分を大事にしてる、我々を踏みにじり、搾取しながらw🤣
私達が、自分を見つめ直し、自分を大事にしてゆくのが、アセンションだ。
今までのように、他人に、命の全てを捧げる、つまりシステムに組み込まれてゆくから、支配層はどんどん増長してきた訳だ。
「ワクチン?ふざけるな!」
「疫病、無いわそんなもん!」
はっきり言わなきゃ、ならない。
そして皆さんが、皆さん自身を労わり、自身を見つめ直しましょう。
みんなが自分が得意な事やれば、それは素晴らしく発展し、自動的に適材適所になる。
人は皆違う。
それを常に忘れない事。
共産主義、グローバリズムを、徹底的に排除です。
案外、それが日蓮の本心じゃないかしら?
既存の制度をぶっ壊わし、皆が自由になる事で、差別は無くなるよね。
0 notes
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
helloharuo tour 2014 Summer 2
Friday 15 August 2014
真観は、5時半に起きた。帰省した時に真観の寝室になるのが仏間。静岡の生活ではエアコ���を点けて寝ることはないが実家はエアコンが全室に備えている。真観は、今回の帰省時に新しい試みをしてみた。それは坐禅と散歩だ。起きて間もなく真観は静岡から用意して来た坐布をお尻に敷き仏壇に向かって坐禅を1炷した。時間の計算はiPhoneのアプリ「雲堂」を使う。「雲堂」はあんちょこな坐禅用アプリだ。このアプリ、iPhoneにネットが繋がっているとメールや電話、Facebookのお知らせ等が入ると止まってしまう。それが難点。だから今使っているiPhone4Sではなく以前のiPhone4を使う。
坐禅が終ると据え膳で母が朝食を用意してくれる。兄も起きて来た。実家のお味噌は大抵赤みそで具材はあさりが多い。そして真観の好きな辛子明太子。卵焼きは出来合いのものを買って来る様だ。真観は食事の後、もう一つの試みをした。それはコーヒーを豆から挽いてコーヒーを淹れるのだ。静岡ではいつもしていることだったが今回初めてその"コーヒーセット"を実家に持って来た。実家にいる時はいつも兄がコーヒーメーカーでコーヒーを作ってくれていた。真観は兄に真観のコーヒーを飲ませたかったのだ。早速真観は兄にコーヒーを飲んでもらった。普通に美味しかった模様。
その後、真観は、1人散歩に出掛けた。方角は真観の通った小学校。昔は大回りにしないと小学校に行けなかったが今は田んぼが潰され住宅が立ち並び道が出来、直線距離で小学校に行ける。小学校はまだまだ真観が通っていた頃の面影がある。小学校の門は閉まっていて中には入れない。これは今のご時世仕方ないことだろう。裏の門が開いている。真観は少し足を踏み入れて何枚か写真を撮った。昔は「遊び山」というコンクリートで出来た山があったがもうとっくにない。体育館は健在だった。小学校の隣りにある保育園も健在だった。その後も散歩しながら懐かしい場所に遭遇しては写真を撮った。
散歩から実家に戻ってから暫くして真観はグリーンセンターに行きたくなった。そこで寒天が売ってやしないかと期待した。兄に話すと一緒に行ってくれると言うので兄の運転する車で行ってみた。兄の車にセリーヌ・ディオンのCDがあった。丁度ニュースで彼女の来日公演が中止になったと知った。兄は几帳面でCDには必ずビニールカバーを掛ける習慣があり扱いが丁寧。グリーンセンターには寒天はなかった。正確に言うと寒天を使った寒天デザートのことだが。残念だがやっぱり自分で作るしかないか。
今日は、お盆の法事の日。この法事が帰省の第一目的也。母は用意周到に準備を進めていた。2時、お上人がやって来た。仏間に通し、軽く雑談をして早速法事が始まった。法事はあっという間に終った。父やご先祖様たちの霊は戻って来ているのだろうか?そんなことは分りもしないがやることをやった。今回思ったことは日蓮宗と曹洞宗のお経はいくつか同じお経があることだった。母はお上人にとシャトレーゼで買った黒蜜あんみつを振る舞った。そのあんみつをみんなで食べたのだがあんみつのカップが二重構造になっていて食べ方に苦労した。お上人との会話は「期待を裏切らない鬼婆たち」の話題が中心だった。
今日は忙しい。法事の後お上人が去り、次に保険屋さんがやって来て真観が加入している保険の説明を受けた。こう言った行事はすべて母との打ち合わせ通りに進められた。
今夜の夕飯は真観のリクエストで兄と焼肉食べ放題の店へ。兄は快く承諾。これも兄との打ち合わせ通り。これは兄弟の楽しみで母は辞退した。高齢の母に肉肉肉は酷過ぎる。夕方5時過ぎ、兄の運転する車でR1線添いにあるその店へ行く。毎度毎度ここに来ているが正直大して美味しくもない。ただ比較的安くて量が食べられる、それだけが魅力のお店。真観もよく食べたが兄は更に食べた。焼肉以外にも惣菜系もあり、フライドポテトやら、スパゲティやらカツやら焼きそばやら何でもある。寿司もある、うどんもある、アイスクリームもある、ソフトクリームもある、何でもある!(笑)このアミューズメント感覚が兄弟揃って好きなんだと思う。
食事の後、母への手土産に「大あんまき」を買いに行った。そして実家に戻った。兄が母の部屋に行きあんまきを渡した。あんこは母の好物のひとつなのだ。
今日は、終戦記念日だ。真観は、今日の午後、毎年この終戦記念日が誕生日の友人にお祝いのメールを送った。居間のテレビで映画「硫黄島からの手紙」を観た。この映画は前にも観た事があった。兄も一緒に観た。この友人とはこれで2年話をしていない。前はメールの後話をしていた。過去2年、メールで話がしたいとリクエストしておいたがそのリアクションは彼女からない。だから今年のメールには話がしたいね、とは書かなかった。長く会っていなくメールだけだと相手のことが分らなくなって来る。要らぬ詮索もする。メールを送るのをどうしようかと躊躇ったが送った。彼女からの返事はまだない。
0 notes
tsuyo-gee · 3 months
Text
小雨日和
日曜日朝の高知市内のお天気は、湿度付きの小雨スタートです。 今日は何の日? 今日 6月30日(日)の記念日・年中行事 • 国際小惑星デー • 議会制度の国際デー • ハーフタイム・デー • トランジスタの日 • アインシュタイン記念日 • 集団疎開の日 • うちエコ!ごはんの日 • 夏越ごはんの日 • リンパの日 • 酒酵母の日 • 麦みそ食文化の日 • キズナアイが生まれた日 • みその日 • EPAの日 • サワーの日 • キャッシュレスの日 • 光晴忌 雑学ネタ帳引用 みその日 私の親父は生前、味噌汁のことを(みそじる)と言ってました。たしかに、豚汁(とんじる)と発言するのだから間違ってはいない。だが世間一般的に(みそしる)が正解なのだろう。あと、ビーフステーキをテキと言っていた。親父からしてみれば、敵は本能寺にありでは無く、テキは…
Tumblr media
View On WordPress
0 notes
yotchan-blog · 4 months
Text
2024/5/27 7:59:38現在のニュース
ふるさと納税という「キックバック」 みんなで税をおいしく食べる仕組み | | 土山希美枝 | 毎日新聞「政治プレミア」([B!]毎日新聞, 2024/5/27 7:58:41) 市川市の下総国調査 役所群「国衙」の区画 国府台公園野球場〜千葉商大構内と推測(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/27 7:51:46) 裏金原資に税優遇か 菅家氏の回答全文「すべて税理士に任せていた」 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/5/27 7:45:15) 立憲民主党、パーティー対応で迷走 禁止法案提出直前にも…([B!]産経新聞, 2024/5/27 7:45:15) <主張>皇位の安定継承へ 結論の先送りは許されぬ 社説([B!]産経新聞, 2024/5/27 7:39:28) <主張>先島諸島避難計画 沖縄県は政府に協力せよ 社説([B!]産経新聞, 2024/5/27 7:39:28) 三井不動産、「三井ガーデンホテル銀座築地」9月開業 全室にレンジや洗濯機 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:36:36) ZOZOの化粧品販売、初の100億円超 @cosme 追う - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:36:36) 神戸空港とUSJ、リムジンバスで直行開始 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:36:36) 富士山目隠し幕「全国の観光公害対策の一助に」山梨県富士河口湖町長が会見 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:36:36) 羽田空港の離着陸、カメラ特等席は ソラムナード羽田緑地「格納庫も一望」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:36:36) カメムシ大量発生、ニオイ消せる? 家庭でできる7つの対策 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:36:36) 令和なコトバ「ポップコーン脳」 早めの対策がおすすめ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:36:36) ���橋・古和釜小の児童招き交流 銚子商海洋科の「最前線」に歓声 魚の飼育水槽や缶詰め作業見学(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/27 7:35:17) <記者だより>悪いニュースはいいニュース(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/5/27 7:35:17) 「d.i.a.」それはギャルのダイヤ 廃番ブランド争奪のなぜ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:30:47) 命は限りがあるから輝く 「10年介護」母の教えを胸に コラム「向き合う」 フリーアナウンサー、町亞聖さん④ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:30:47) 台風の目なぜ? 強い遠心力、空気が外へ押し出されるよ 理科学 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:30:47) おしゃれも生成AI時代 服や雑貨を自由にデザイン 編集委員 小林明 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:30:47) やまなみハイウェイ 大分と熊本を結ぶ九州屈指の絶景道 品原克幸の九州みちくさ帳 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:30:47) 夜中に何度も目が覚める 「遅寝早起き」してみよう こころの健康学 認知行動療法研修開発センター 大野裕 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:30:47) 今週のクロスワード 黒海に注ぐ大河 NIKKEI The STYLE - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/27 7:30:47)
0 notes
poppy-6 · 4 months
Text
5/17
ほとんど機械的にタイトルを「20240517」にした。最初は「雑記帳」にしようと思ったけど、なぜか濁点が打てなかったため。そのうち「雑記帳」に変えようと思う。
日記はいつか書こう書こうと思っていたけど、最近は特に五感を持て余している感じがして自分の外に出さないとしんどいので、先延ばし癖と戦った挙句こうして堰を切ったようにフリック入力をしている。
文章を書くのは好き、でも小説はおそらく書けない。(キャラクター設定や背景、オチが絶対に矛盾だらけになるし)一度noteをやっていたときもあるが、文字以外にこだわらないとならない要素が強くて、なんだかめんどくさくなってしまった。ふざけた日記をInstagramに綴ったときもあったが、ふざけすぎていて今書くのとは違う。(あれはあれで楽しかった)
というわけで今日から気が向いたら適当に日記を書く。
今日は金曜日、イヤホンの充電がなくて本当にしんどかった。昼ごはんは職場の近くの定食、夜ごはんは自炊する気力もなくスシローに行ったのだけど、どちらもカウンター席で、不幸中の幸いかどちらも角席だったが、それでももう散々だった。昼は体臭を香水で誤魔化したような匂いのする女が横に座り、彼女はひとつひとつの挙動(呼び出しのチャイムを鳴らす、メニューを立てかけるなど)のあとに両手が上がるような動きをし、食事が運ばれてくるまで20秒に一度は自分の顔を携帯で確認していた、もう散々だ。食事に集中できないし、脳内に大きく「醜女」という、日常生活ではなかなか使わない単語が大きく浮かんでいた。夜の方はそれに比べるとまだマシだが、これもまた「醜男」だった。音や匂いにいちいち過敏に気を取られるのだから、せめて目に入るものだけはさらりとした質感であってほしい、本当に。今日のはこう、ぬちゃぬちゃしていた。怒る人は怒るような事を言っているかもしれないが、母も以前、「不細工な女で、声が大きかったらもう最悪」というような事を言っていたので、許してほしい。全く同感だ。いきなり愚痴を書いてしまったが、気温差が激しく自律神経が乱れているせいもあるのだと思う、ここ数年は気候のせいにすることで、いろいろな不具合をいい感じに対処する術を身につけつつある。でも大事な事だとも思う。お湯に浸かって早めに寝る。
1 note · View note
abaaaaba-blog · 5 months
Text
塩昆布は便利だなあ
こんにちは。マーヤです。
今はお昼12時47分、2024年4月29日月曜日(祝日)です。
みなさん、お元気ですか?
桜が散って、梅雨までのこの時期。
青葉、若葉、香る風もなんだか青い。
最近、手帳を買いました。
喫茶結社のマスターがラジオで手帳を勧めていて、それを聴いて、じわじわ・・・と手帳が欲しくなっていた。
4月の1週目だったかな、本屋さんで手帳を買いました。
手帳には、予定を書くのはもちろん、過ぎた日のマスに、その日のキーワードを書くようにしている。
たとえば、食べたもの、出かけた場所、観たもの、など。
今週の出来事をまとめてみる。
☕️食べたもの(自炊編):
キャベツと塩昆布のパスタ
これは二晩連続で私が作りました。レシピは雑誌のビッグイシューの連載コーナで枝元 なほみさん監修のもの。
ビッグイシュー内のお便りコーナに読者から「枝元さんのレシピ、どの回のものもとても美味しくできたので、何度も作っています」と寄せられていて私も作りたくなった。
材料は、キャベツ、塩昆布、パスタ、バター。
塩昆布とバターは家になかったので、帰りにサンディで買って帰った。
フライパンでパスタを茹でる。茹で時間が残り3分になったらキャベツも一緒に茹でる。
茹で汁をお玉一杯分残し、フライパンを空ける。
湯切りしたパスタ&キャベツをフライパンに投入。
そこへ塩昆布大さじ3、バター15gを和える。
和えにくい場合、茹で汁を適宜加える。以上!
竜大がとっても喜んでいた。
キャベツもバターも余っているし、また作ろうと思った。
次回こうしようと思った点:
麺が硬かったので、表示時間通りに茹でる。
塩昆布は、スプーンで計る。電子計量器で計ったら塩昆布がめちゃめちゃ多くなってしまった。味は辛くはなかったけれど、麺を食べ終えた後に昆布がめちゃくちゃ残っていて変だったから。
麺がパサついていたので、バターや昆布を和える時に茹で汁を使う。今回は一つも使わなかった。
キャベツと塩昆布のパスタ(二晩目)
前回の反省点を思い出す。
塩昆布。大さじスプーンにできるだけたくさん盛ること3杯。少ないように感じる。
続いて、表示時間どおりパスタを茹でる。茹で時間7分のマ・マーを火にかけ、「ヘイSiri、7分タイマー」
この行動が美味しさにつながると、昨日の私は云っていた。先ほど塩昆布が少ないように感じたので、湯に入れる塩を多めにした。
和える時、椀に取っておいた茹で汁を全部加えた。つるつると麺を食べたいし、塩昆布が少なくて塩味が少ないのを避けたかったから。
結果、一周目よりも美味しいと竜大に言われた、キャベツと塩昆布のパスタ。
自分としては、気になる点は解消できたけれど、麺の感じはもっと良くできる気がしている。パスタの種類や太さを色々と試してみたい。
キャベツと塩昆布パスタ編は以上。意外と長くなってしまった。
回鍋肉(竜大作)
もらってきたタケノコを活かすため竜大が初めて作ってくれた。家にあるオイスターソース等だけで美味しい味に仕上げていた。タケノコ、美味しい。もっと食べたいと思った、2024年、春。ところで我が家では近頃、フライパンごと食卓に出すことにしている。熱々のまま食べられるのは、理にかなっている点。この回鍋肉も、もちろんフライパンから二人で食べた。飲み物は、私が用意した。近所の酒屋さんで手に入れた箕面ビール。季節のビールを2種類と、あとジャケットが気に入った缶ビールを1本。緑色でメタリックな世界、ギターを下げた男が背中を見せている、絵。絵のラベルは缶から剥がして手帳に貼った。
チャーハン
近頃家にいる時の食事はチャーハン。美味しいから。これまたフライパンから直接食べるのが良いのだ。私の作り方は、こう。
冷凍ご飯を解凍する。
フライパンに油を温める。
高温の油に解凍したてご飯をそっと着地させる。
シャンタンを小さじ1くらい投入。
フライパンの中のお米がいい音を奏で続け、これはいつ食べても美味しいでしょう、というような見た目、香りになれば完成。
もともと卵チャーハンを作っていたけれど、卵がない日にご飯だけで作ってみたら、むしろ卵なしの方が美味しかった。以来、休日にお腹が空いたら先ずはチャーハン(お米だけ)を作って食べている。シャンタンは偉大である。冷凍庫にラップご飯さえ仕込んでおけば、7分後には美味しい炒飯にありつけるんだ。素敵だろう?
バインミー(竜大作)
竜大が「何か手の込んだ料理がしたい!」と言い出した、昼。その日は風の気持ちいい晴れた日だった。私は何か作って公園で食べることを提案した。そこで、バインミーを作ると竜大が云った。
2年前、近所の公園で夜桜を見た時、やはりバインミーを竜大が作った。美味しかった。
その、さらに1年か2年前、大川雄太郎氏が夜桜お花見ウォークの際に、バインミーを作ってきてくれた。とても美味しかった。夜、外、良い気候、バインミー。
さて、今回はバゲット2本分のバインミーを竜大が作った。切り分けたバインミーで、お弁当袋は満杯になった。「残ったら明日の朝食に」等と話していたが、二切れしか残らなかった。
🍺食べたもの(外食編):
🍑スパイス食堂ナムナム
ひかりEPリリース記念ということで、夜は外食しようと竜大と決めていた。訪れたのは、大阪庄内のスパイス食堂ナムナム。
ナムナムはランチで初めて訪れて、料理のあまりの素晴らしさにファンになった。ランチで何度か通い、思い切って夜も足を運んでみた。お酒を飲むためだ。
夜のナムナムも最高。おつまみとして、こんなに幾品も行き届いた料理をいただけるのかと、一品ずつに感動する。また、昼と違い、夜のナムナムは、ソロの常連さんがカウンターにいて落ち着いた雰囲気を醸し出している。その傍で、飲んで食べまくる我ら。いつも突撃ですみません、こんだけ食べて飲むんなら、きっと予約をしたほうがいいんだろう。
この日いただいたお料理も、すべて美味しかったです。元気になりました。ありがとうナムナム。またゆっくり行きます。
🍊とり慶
鳥の刺身が食べたいということで、初来店。おいしかったです。生ビール(メガジョッキ)をオーダしようとしたところ、店員さんが「今ビール半額キャンペーン中だが、メガは対象外なので生中の方が得」と教えてくれた。親切だなと思い、メガはやめ生中にしておいた。
🍎珉珉 庄内店
威勢のいいお母ちゃんに迎えられて入店。お座敷に座らせていただいた。さて何を飲もうかとメニューを確認すると、店名を冠した『珉』なるお酒を発見。もうこれしかないでしょう。
出てきた珉は、一合瓶に金のキラ文字で『珉』と書いてある、日本酒でした。ぬる燗で飲みやすかった。
お料理は、竜大がもうこれしかないでしょうと『硬い焼きそば』なるものをオーダ。ここ珉珉で3軒目。酔いに酔っているので、もう何でも来いという気持ちのわたくし。私のターンでは、大好きな焼き餃子を二人前くらい注文した。
硬い焼きそばとは、いわゆる皿焼きそばのことでした。しかし、普通のお皿焼きそばとは違うのが、珉珉なんですねえ。麺がしっかり太くて、カリッと揚がって硬く、旨みがある。焼き餃子もとても美味しかった。やっぱり餃子屋さんの餃子は良いよ。
🍛ジャンボカレー
お昼ご飯に、カツ丼激辛(カツ丼カレー 激辛)をいただいた。
元気が出る。美味しい。
🍤天ぷらの山
夜に行くのは初めて。飲む目的で、山へGO。ここは天ぷらのお店です。自席の天ぷらバット(あの油を切る網)に、天ぷらをドンドコ置いて行ってくれるお店。
私は野菜定食(定食のご飯を蕎麦へ変更)、牡蠣、キス、ビール(ハートランドを2本)をオーダ。
特に美味しかったのは、キス。ふわっふゎで、塩味と衣と身が、とけてゆく。
野菜で美味しかったのは、ピーマン。肉厚でちょっぴり苦い。ビールによく合った。
逆に、美味しいけどビールには合わなかったもの。それは、芋類。芋の天ぷらとしては最高な甘味と柔らかさを有している、それは間違いない。しかしビールと合わさると、とってもおなかが膨れる。それは至極当然のこと。
次回はこうしようと思った点:
飲む時は、定食に蕎麦も要らない。蕎麦が多すぎる。小盛りにできるか訊いてみよう。
ピーマンとキスだけ食べたい。ピーマンは単品注文ができないから、どうしようもない望み。しかし魚単品はあるから、キスだけいっぱい食べようかな。ピーマンは我慢。だって、芋がついてくるから。野菜定食にしかない、ピーマン。
0 notes
kachoushi · 8 months
Text
各地句会報
花鳥誌 令和6年2月号
Tumblr media
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和5年11月1日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
星の出るいつも見る山鳥渡る 世詩明 人の世や女に生まれて木の葉髪 同 九頭竜の風のひらめき秋桜 ただし 太陽をのせて冬木の眠りけり 同 生死また十一月の風の音 同 朝湯して菊の香に上ぐ正信偈 清女 懸崖の赤き菊花の流れ落つ 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
秋空の深き水色限りなし 喜代子 故里は豊作とやら草紅葉 由季子 菊花展我等夫婦は無口なり 同 しぐれ来る老舗ののれん擦り切れて 都 狛犬の阿吽語らず冬に入る 同 謎々のすつきり解けた小春の日 同 杣山の織火となりぬ紅葉山 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路 逝く秋をくづれゝば積み古書店主 順子 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 太き棘許してをりぬ秋薔薇 和子 弥陀仏の慈顔半眼草の花 昌文 綿虫のうすむらさきや九品仏 小鳥 参道で拾ふ木の実を投げ捨てる 久 綿虫は仏の日溜りにいつも 順子 香煙はとほく菩提樹の実は土に 小鳥
岡田順子選 特選句
腰かける丸太と秋を惜しみけり 光子 九品の印契結ぶや冬近し 眞理子 古に大根洗ひし九品仏 風頭 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 奪衣婆の知る猿酒の在り処 光子 神無月ならば阿弥陀も金ぴかに 俊樹 蚤の市に売る秋風と鳥籠と 和子 下品仏とて金秋の色溢れ 俊樹 綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ありきたりの秋思の襞を畳みをり かおり 秋日入む落剝しるき四郎像 たかし 返り花ままよと棄つる文の束 美穂 凩や客のまばらな湖西線 久美子 凩のやうな漢とすれ違ふ 睦子 小鳥来る小さなことには目をつむり 光子 流れ星キトラの星は朽ちてゆき 修二 凩に雲や斜めにほどかれて かおり 人肌を知らぬ男のぬくめ酒 たかし 老人が老人負うて秋の暮 朝子 冬の日や吾が影長く汝に触れて 同 身に入むや妣の財布の一セント 久美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
秋思消ゆ「亀山蠟燭」点せば 悦子 この町へ一途に滾り冬夕焼 都 新蕎麦を打つ店主にも代替はり 佐代子 添ふ風に方位はあらず狂ひ花 悦子 HCU記号音満つ夜の長し 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
トランペット響く多摩川冬に入る 美枝子 竹林の風音乾き神の留守 秋尚 公園の隣りに棲みて落葉掃く 亜栄子 句碑の辺の風弄ぶ式部の実 同 新のりの茶漬に香る酒の締め 同 歩を伸ばす小春日和や夫の癒え 百合子 朔風や見下ろす街の鈍色に 秋尚 ぽつぽつと咲き茶の花の垣低き 同 リハビリの靴新調し落葉ふむ 多美女 濡れそぼつ桜落葉の華やぎぬ 文英 露凝りて句碑に雫の朝かな 幸風 大寺の庭きりもなや木の葉散る 美枝子 山寺の風の落葉を坐して聞き 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
風除の日だまりちよっと立ち話 和魚 風除の分厚き樹林影高き 秋尚 揚げと煮し切り干やさし里の味 あき子 薄日さす暗闇坂に帰り花 史空 渦状の切干甘き桜島 貴薫 切干や日の甘さ溜め縮みたる 三無 風除けをせねばと今日も一日過ぎ 怜 切干や少し甘めに味継がれ 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
確かむる一点一画秋灯下 昭子 幽玄な美女の小面紅葉映ゆ 時江 釣り糸の浮きは沈みし日向ぼこ 三四郎 六地蔵一体づつにある秋思 英美子 赤い靴なかに団栗二つ三つ 三四郎 着飾りて姉妹三人千歳飴 ただし 正装で背中に眠る七五三 みす枝 雪吊の神の恐れぬ高さまで 世詩明 七五三五人姉妹の薄化粧 ただし トランペット音を休めば息白し 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月14日 萩花鳥会
夜鴨鳴く門川住居六十年 祐子 捨てられて案山子初めて天を知る 健雄 ゴルフ玉直ぐも曲るも秋日向 俊文 山茶花や現役もまた楽しかり ゆかり 舟一艘ただぼんやりと霧の中 恒雄 献茶式津和野城下や朝時雨 美惠子
………………………………………………………………
令和5年11月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
秋の暮百均で買ふ髪飾 令子 虫食ひの跡そのままに紅葉かな 紀子 背の丸き鏡の我やうそ寒し 同 小春日や杖つく母を見んとする 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
小春日や日々好日と思ひたり 世詩明 禅林を通り来る風秋深し 啓子 何事も無き一日や神の旅 同 炉開きの一花一輪定位置に 泰俊 一本の池に煌めく櫨紅葉 同 三猿を掲ぐ日光冬日濃し 同 立冬こそ自己を晒せと橋の上 数幸 小六月笏谷石は饒舌に 同 如何にせん蟷螂は枯れ僧恙 雪 猫じやらしもて驚かしてみたき人 同 一匹の枯蟷螂に法の庭 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
小鳥来る赤き実に又白き実に 雪 幽霊の出るトンネルを抜け花野 同 おばあちやん子で育ちしと生身魂 同 見に入みぬ八卦見くれし一瞥に やす香 時雨るるやのつぺらぼうの石仏 同 近松忌逝きし句友の幾人ぞ 同 季は移り美しき言葉白秋忌 一涓 菅公の一首の如く山紅葉 同 落葉踏み歩幅小さくなる二人 同 冬ざれや真紅の句帳持ちて立つ 昭子 今日の朝寒む寒む小僧来たりけり やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 さきたま花鳥句会
からつぽの空に熟柿は朱を灯し 月惑 白壁の色変へてゆく初時雨 八草 六切の白菜余すひとり鍋 裕章 一切の雲を掃き出し冬立ちぬ 紀花 小春日や草履寄せある躙口 孝江 柿を剥く母似の叔母のうしろ影 ふゆ子 いわし雲よせ来る波の鹿島灘 ふじ穂 鵙たける庵に細き煙たつ 康子 雲切れて稜線きりり冬日和 恵美子 水鳥の羽音に湖の明けにけり 良江
………………………………………………………………
令和5年11月18日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
紫のさしも衰へ実紫 雪 蟷螂の静かに枯るる法の庭 同 二人居て又一人言時雨の夜 清女 母と子の唄の聞こゆる柚子湯かな みす枝 還りゆく地をねんごろに冬耕す 真栄 帰省子を見送る兄は窓叩く 世詩明 人に無く芒にありし帰り花 同 香水の口よりとどめさす言葉 かづを 時雨をり故山の景を暗めつつ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
浮寝鳥日陰に夢の深からむ 久子 呪術にも使へさうなる冬木かな 久 無敵なる尻振り進む鴨の陣 軽象 冬日和弥生も今も児ら走る 同 冬蝶の古代植物へと消えぬ 慶月 谿の日を薄く集める花八手 斉 冬天へ白樫動かざる晴れ間 慶月 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 旋回す鳶の瞳に冬の海 久 冬の蜂おのが影這ふばかりなり 千種 水かげろうふ木陰に遊ぶ小春かな 斉
栗林圭魚選 特選句
竹藪の一画伐られ烏瓜 千種 遠富士をくっきり嵌めて冬の晴 秋尚 白樫の落葉急かせる風のこゑ 幸風 切り株に鋸の香遺る冬日和 久子 四阿にそそぐ光りや枯れ芙蓉 幸風 白樫の木洩れ日吸ひて石蕗咲けり 三無 小春の日熊鈴つけしリュック負ひ 同 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 寒禽の忙しく鳴ける雑木林 貴薫 草の葉を休み休みの冬の蝶 秋尚 逞しく子等のサッカー石蕗咲けり 亜栄子 甘やかな香放ち桂紅葉散る 貴薫 あづまやの天井揺らぐ池の秋 れい
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
薄き日を余さず纏ふ花八手 昌文 耳たぶに冬の真珠のあたたかく 和子 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 雪吊をおくるみとして老松は 緋路 冬空を縫ふジェットコースターの弧 月惑 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 上手に嘘つかれてしまふ裘 政江 嘘つつむやうに小さく手に咳を 和子 手袋に言葉のかたち作りけり 順子
岡田順子選 特選句
池一枚裁ち切つてゆく鴨の水尾 緋路 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 自惚の冬の紅葉は水境へ 光子 玄冬の塒を巻きぬジェットコースター 同 光圀の松は過保護に菰巻きぬ 同 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 雪吊を一の松より仕上げをり 佑天 不老水涸れをり茶屋に売る団子 要 遊園地もの食ふ匂ひある時雨 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
0 notes
okinatoshiakira · 8 months
Text
2024年翁俊彬365日日語日記
有個人著作權,如有需求檔案的朋友們敬請來電給翁俊彬(遠傳)0938 269 966
感謝贊助資源的朋友們敬請匯款至郵局(帳號)0041081 0385461
著作権があります。テキストの内容にご質問のある方、テキストのご利用の場合は
翁俊彬おきなとしあきらの携帯電話(台湾)0938 269 966までご連絡くださいませ。
ご賛助応援の方はお手数ですが、郵便局0041081 0385461までお振込み下さいませ。
一月一日(いち がつ ついたち) 月曜日(げつ よう び) 
去年深受深厚照顧,深感感激。今年也懇請多多提拔指教。
昨年(さく ねん)は いろいろと 大変(たい へん) お世話(せ わ)に なりました。
本当(ほん とう)に ありがとうございました。
今年(ことし)も 何卒(なに とぞ) 宜(よろ)しくお 願(ねが)い致(いた)します。
一月二日 火曜日 
帶家母以及家兄搭上新完工的輕軌。由於搭乘的乘客較多,幾乎無法有座位可坐。
母(はは)と兄(あに)を連(つ)れて、新(あたら)しくできた高雄(た かお)のライトレ(らいとれ)ール(る)に乗(の)りました。
乗(の)っている人(ひと)がとても多(おお)くて、殆(ほとん)ど座(すわ)れませんでした。
一月三日(いち がつ みっか) 水曜日(���い よう び) 
為了代家兄拿藥,去了一趟醫院。因為患者不太多,因此沒有混雜的現象。
兄(あに)の代(か)わりに、病院(びょう いん)に行(い)って、薬を貰(もら)いました。
患者(かん じゃ)はあまり居(い)なくて、混雑(こん ざつ)していませんでした。
一月四日(いち がつ よっか) 木曜日(もく よう び)
第一次帶著家兄去參觀日照。看到學員們都非常的健康開心地上課。
兄(あに)を連(つ)れて初(はじ)めてのディケアセンタ(でぃけあせんた)ーを見学(けんがく)しました。
生徒(せいと)の皆(みな)さんは元気(げんき)で大変(たいへん) 楽(たの)しく授業(じゅぎょう)を受(う)けていました。
一月五日(いち がつ いつか) 金曜日(きん よう び)
由於氣溫低而容易整天昏睡,所以都沒有外出。只是一直收看網路上的影集。
気温(き おん)が低(ひく)くて一日中(いち にち じゅう) 眠(ねむ)かったので、何処(どこ)へも行(い)きませんでした。
インタ(いんた)ーネット(ねっと)上(じょう)の番組(ばんぐみ)を 沢山(たくさん) 見(み)ていました。
一月六日(いち がつ むいか) 土曜日(ど よう び)
帶著母親來去勞工公園的花市看花。適逢好天氣,人潮洶湧。
母(はは)を 労工公園(ろう こう こう えん)の花市場(はな いち ば)に 花(はな)を見(み)に 連(つ)れて行(い)って来(き)ました。
久(ひさ)し振(ぶ)りにいい天気(てん き)でしたので、人(ひと)が いっぱい いました。
一月七日(いち がつ なのか) 日曜日(にち よう び)
幸好有好天氣,帶著哥哥去寺廟裡拜拜。
從內心虔誠地祈求全世界的人們都健康幸福平安。
晴(は)れの日(ひ)に恵(めぐ)まれて、兄(あに)を連(つ)れてお寺(てら)へ初詣(はつもうで)に行(い)って来(き)ました。
全世界(ぜん せ かい)の皆様(みな さま)の健康(けん こう)と幸(しあわ)せと平和(へい わ)を心(こころ)よりお祈(いの)りしました。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
0 notes
kennak · 2 months
Quote
諸説あるようです。 江戸時代、将軍に謁見できない「御目見(おめみえ)以下」である御家人のことをからかって、 旗本の子が「以下」と言ったことに対して、御家人の子が「タコ」と言い返したことからきた、 という説などが確認できました。 1 「以下」に対して「タコ」と言い返したことからきたという説について    下記(1)の図書に詳しく書かれていました。    「タコ」と言い返した話の出典は(2)のようです。    また(4)にも類似したエピソードが載っています。  (1)『知って合点江戸ことば 文春新書』 大野敏明/著 文藝春秋 2000.12    p.32~35 似ていなくても「タコ」    「旗本の子どもたちは御家人の子どもたちをからかって「以下」という。」    「御家人の子どもたちも」(中略)「旗本の子どもを「このタコ」と言い返す」    「それが転じて、身分の上の人をあざけって「タコ」「タコ野郎」というようになり、    江戸一般の罵倒語になっていった」     続けて『半七捕物帳』の「朝顔屋敷」が紹介されていたため、(2)を確認しました。  (2)『半七捕物帳 巻の1』 岡本綺堂/著 筑摩書房 1998.06    「朝顔屋敷」p.325    「大身の子は御目見以下の「以下」をもじって「烏賊」と罵ると、    小身の方では負けずに「章魚」と云いかえす。」  (3)『武士語でござる』 八幡和郎/監修 ベストセラーズ 2008.6    p.166に(1)とほぼ同内容の記述があります。    巻末の参考文献一覧に(1)も掲載されており、(1)を参考にしたものと思われます。  (4)「故郷七十年」『柳田国男全集 第21巻』 柳田国男/著 筑摩書房 1997.11    p.217に、養家の祖母から聞いた話として、類似のエピソードが紹介されています。    「養家の祖母の話に、身分のある侍の奥方たちが、以下の細君が来たのを見て    「以下だ、以下だ」と蔑んだところ、相手は「タコとは申しません」といって    逆襲したということであった。」 2 坊主の蔑称という説について    参考図書コーナーの辞典類を確認したところ、    悪口としては、坊主の蔑称という意味が複数の辞典に載っていました。      (1)『日本国語大辞典 第8巻(せりか-ちゆうは)』     日本国語大辞典第二版編集委員会/編 小学館 2001.08    p.883 たこ 【蛸・章魚・鮹】    (剃りあげた頭が蛸のようであるところから)「坊主をさげすんでいう語」    古いものでは1776-1801年の用例が掲載されています。  (2)『江戸語大辞典』 前田勇/編 講談社 1974.11    p.598 たこ(蛸)「坊主の蔑称」  (3)『大阪ことば事典』 牧村史陽/編 講談社 1979.7    p.405 タコ(蛸) 「蛸坊主の略。坊主の卑称。」 3 その他の説について    今回の調査では、ほかに下記の(1)(2)が見つかりました。    信憑性についてはどちらもただし書きがついています。    辞典類では、2で挙げたもののほか、下記の(3)(4)などに悪口としての    意味が載っていましたが、理由については書かれていませんでした。  (1)『ことばの動物苑 日本語になった動物たち』     ことば発掘探検隊/編 実務教育出版 1997.09    p.156 タコ    「相手を蔑む言葉。タコが空腹になったときに、自分の足を食べてしまうという俗説      から(中略)あるいは単純なシカケ=漁具(蛸壷)などで捕らえられてしまうからな      のか。」     ※「ほんとうのところはよく分かっていない。」とも書かれています。  (2)『20世紀死語辞典』 20世紀死語辞典編集委員会/編 太陽出版 2000.12    p.88 タコ    「人を罵倒する時に使う。「このタコ!」。もとは「下手くそ」の意味で、ゴルフから      きた。ゴルフで1ホールで8打もする人間を「タコ」、10打も叩く人間を「イカ」と      呼ぶ。」     ※冒頭に「使用上の注意」として「主観のままに書き連ねてあります」と書かれて        います。  (3)『日本俗語大辞典』 米川明彦/編 東京堂出版 2003.11    p.339 たこ(蛸)     「嫌な男性、不細工な男性などを罵って言うことば。関西のことば。」  (4)『淡路ことば辞典 じょろりでいこか!』     岩本孝之/著 神戸新聞総合出版センター 2013.10    p.216 たこ     「足手まといになって厄介者扱いされる者。変わった奴。」 4 タコという言葉について    下記の2冊には、悪口として使われる理由は載っていませんが、    タコと言葉に関する記載がありましたので、参考としてご紹介します。  (1)『タコと日本人 獲る・食べる・祀る』 平川敬治/著 弦書房 2012.5    p.135~144「タコと言葉」     蛸足、蛸配、蛸部屋など、タコにまつわる言葉について書かれています。  (2)『タコは、なぜ元気なのか タコの生態と民俗』 奥谷喬司/編著 草思社 1994.02    p.44~46「タコを冠する ことばとことわざ」     タコ坊主、タコ入道をはじめ、     野球用語のタコ(「骨抜きにされた状態をタコにたとえたとするのが妥当であろ       う」)など、タコに関する言葉やことわざについて書かれています。    はじめに p.11    「愛嬌よりもとんまの面が強調されると、「このタコ!」と相なる。」    あとがき p.138    「タコという言葉、タコのイメージは豊かで同類のイカではこうはいかない。」    「「このタコ!」とやられはするが、何やら落ち込み方がいまひとつだ。」 5 その他の主な確認資料  (1)『罵詈雑言辞典』 奥山益朗/編 東京堂出版 1996.06    p.162 (「ずくにゅう」の項)     たこ入道 「坊主頭で太った人を嘲って言う言葉。「たこ入」とも言う。」  (2)『全国アホ・バカ分布考 新潮���庫』 松本修/著 新潮社 1996.12    p.219 「タコ(蛸)」が使われる地域として、長野・三重が掲載されています。  (3)『悪口冗談じてん』 山名正太郎/著 蒼洋社 1987.6  (4)『日本語は悪態・罵倒語が面白い 光文社知恵の森文庫』 長野伸江/著 光文社     2018.3  (5)『方言俗語語源辞典』 山中襄太/著 校倉書房 1970.4  (6)『かがやく日本語の悪態』 川崎洋/著 草思社 1997.05  (7)『悪態採録控 ちくま文庫』 川崎洋/著 筑摩書房 2012.11  (8)『賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典』 長野伸江/著 小学館 2005.7  (9)『蛸 ものと人間の文化史』 刀禰勇太郎/著 法政大学出版局 1994.02  (10)『タコは海のスーパーインテリジェンス DOJIN選書』 池田譲/著 化学同人    2020.12  (11)『タコの知性 朝日新書』 池田譲/著 朝日新聞出版 2020.4  (12)『日本のタコ学』 奥谷喬司/編著 東海大学出版会 2013.6
悪口で「タコ」と言うのはなぜか。 | レファレンス協同データベース
1 note · View note
junikki · 9 months
Text
Tumblr media
ずっと実家のもの処分したり整理してた。そしたらこの未使用のアンティーク風のノート出てきて、日記帳として使いたくなった。できれば3年日記とか5年日記とかつけたい。ちょうど年末だし、来年からつけようと思うんだけども、ページ数数えてみたら、318ページだから365日に足りない。
Tumblr media
だからこんな感じで1日3行使って、1ページ4日分とすると、約1256日間使えるから、3年ちょっと使える計算。ほんまに続くかわからんけど、毎日じゃなくても良いからというゆるーい感じでやってみようと思う。ちいかわのマンガ手帳は日本語でつけてるから、これはめっちゃ洋風のノートやし、英語とかドイツ語で一言日記つけようと思う。ランダムにその日の気分でドイツ語にしたり英語にしたりしよ。ドイツ語は一応毎日喋ってるけどもさ、綴りとか忘れてるからw
ᙏ̤̫͚
映画「この世界の片隅に」を観た。この主人公のすずちゃん、大正14年(1925年)生まれだけど、うちのおばあちゃんは一歳年上だからほぼ同年代なんだよな。すずちゃんの子供時代の戦前は貧しいながらも平和に幸せに暮らしてたわけだけども、19歳で広島市から呉市に嫁いで、そこから戦況が厳しくなって、どんどん平和な生活が脅かされ、転落していく人生。うちの祖母もよく言ってたわ。青春時代が戦時中で一番辛かったって。これを見て、祖母の人生を垣間見た感じ。まあすずちゃんと全然性格違うけどもな。
祖母はすずちゃんみたいに若くて一番かわいい時期に全然おしゃれもできず、ボロ服着るのが悲しい…義理の姉のケイコがモガだった時代の服が今見てもやっぱかわいい。あの時代がずっと続いて欲しかったよね…
うちの実家は大阪の田舎で、八百屋やってたから、実際そこまで食べ物には困ってもいなかったとか言ってたし、雑草を食べずに済んだとか。もちろん大阪市内と違って空襲もほとんどなかったし。原爆で有名な広島、呉は軍港で最前線の街だから、そりゃ全然違うよなあ。まあそりゃ全国的に物資不足ではあったから贅沢はできないし、現代と比べ物にならないほどの苦労はしたんだろうけども。
0 notes
shukiiflog · 11 months
Text
ある画家の手記if.66 告白
僕の話を聞いてほしい もう居なくなってしまった大切だった人たちと 今の僕の話を
腕に飛び込んできた香澄を力一杯抱きしめて、そのまま二人で身を寄せ合って眠った。
翌朝、二人とも目を覚ましてから、ベッドの上で少しじゃれて、二人でうとうと二度寝して、のんびり過ごして、昼近くになってようやくベッドから出た。
着替えて顔を洗ってから、話しながらでもつまめるようなものを作って、それをボール状のお皿に盛って、二人でまた僕の部屋へ戻る。行儀は悪いけどお皿をベッドの枕元に置いて、僕たちはもう一度ベッドの上に寝転がった。僕が香澄のほうへ腕を伸ばしたら香澄が条件反射みたいに少し頭を持ち上げる。そのまま香澄の頭の下に腕を回して腕枕する。楽な体勢になるように腕を曲げてから、首を伸ばして香澄の頰に唇を寄せてキスした。 香澄がくすぐったそうにして小さく笑う。 二人ともリラックスできてて、これなら落ち着いて話せそうだ。
僕は香澄の髪の毛を撫でていじりながらゆっくり話し出す。 まずはこのことを言っておきたい。 「香澄が…絢からなにをどこまで聞いたのかは分からないけど、絢は僕に関しては嘘をつかない。だから、絢が話すことは信じていいことだよ。…絢を、悪く思わないでね…」 香澄は一度深く頷いて答えた。 「直人と話したあとで…あれから絢人くんともまた話した。…今度はちゃんと話せたと…思う。友達の家に泊まったとき、絢人くんも一緒だったんだ」 「そうだったの…。………実は、僕も絢のことはほとんどなにも知らないんだ。本人とは名廊の本家で二、三回、顔を合わせたことがあるだけで、それも少しの時間、絢はまだ小学生くらいで…。だから今の絢がどんな感じの子かも、僕は知らない。道で通りすがっても絢だってわからないと思う」 「…絢人くんは今の直人のこともいろいろ知ってたよ」 「絢はずっと名廊本家で育ってるからね。僕がいくら遠くでささやかに生きてても、どうしてもどこかから本家には情報がいくんだ」 情香ちゃんも、黙ってるわけにもいかないって言って櫻子さんにたまに連絡入れてるし。もう僕が自分で櫻子さんに連絡を取れないのを知って、情香ちゃんが気遣ってくれてる。 「香澄と絢が会ってるって聞いた時はさすがに少しびっくりしたけど。香澄のことは本家に知られないようにこれでもだいぶ気をつけてたつもりだったから…」 「…絢人くんから、名廊家の…家風っていうのかな…少しだけ聞いた…」 家風か。いろんな風に言えるのは、どの家庭でも同じなんだろうけど。絢の話す名廊家の印象は、絢が育った本家の印象だろう。より厳しくて過酷な環境だ。少し距離をとった場所で育った僕には耐えられない世界。そこで兄さんも、理人さんも、生まれ育った。 「僕は、生まれてすぐに兄さんに引き取られて、本家から離れた家に移り住んだ。それからは兄さんが結婚するまで、ずっと兄さんと僕の二人家族だった。だから僕は絢みたいに本家の過酷な空気と環境の中で育ったわけじゃない。…兄さんは本家で育った人で、厳しい人ではあったけど、他人に厳しいその何倍も自分自身に厳しい人だった」 僕は香澄の頭を抱いたままサイドテーブルにもう片手を伸ばして、一番上の引き出しの奥から一冊の手帳を取り出す。それに挟んであった一枚の写真を抜き出して、香澄に差し出した。香澄は古い日焼けした写真を両手で慎重に受け取って、じっとそれを眺めている。 「名廊雅人さん。その写真の人が、僕の兄さんだよ。…前に僕が、七ちゃんをなくして画家でいられなくなったとき、しばらく様子が違ったの、覚えてる? 兄を借りたって香澄にも話したけど、あの時の僕を思い出してくれれば、少し兄さんの空気感とか雰囲気とか掴めるんじゃないかな」 香澄が写真を見つめて思い出すようにした後で、肩を竦めてちょっと怯えたみたいな顔になった。 「あの直人ちょっと怖かった…」 思わず笑って答える。 「はは…誤解されやすい人なんだよ。怖くなんてないきちんとした頼れる人なのに、徹底するところは徹底してて、隙がないから。…何もかも、僕とは全然違ってて、ずっと憧れだったんだ。僕より20歳年上で、僕を育ててくれた、兄だけど、僕の実の父親でもある人」 「…直人の…お父さん?」 写真から視線を僕の顔に戻して香澄が尋ねる。 「…兄さんには、双子のお姉さんがいた。その二人が僕の父と母だ。…僕がこの前少し零した、僕が産まれてすぐに死産で片付けられるはずだった、その理由。名廊は堕胎手術を嫌うから、こんな経緯でも僕も堕ろされることはなかった」 今思えば兄さんはそのせいで本家から出て行かざるを得なかったのかもしれない。語りながら思う。僕も、あの人のことはきっとほとんど何も知らない… 「…なんでもできて、頭のいい、優���な人だった。名門大学を出て、銀行に数年だけ勤めてからすぐに自分で株とか投資を始めて、それだけで巨額の財を成した。僕はそういう世界に詳しくはないけど、簡単なことじゃないと思う。今の僕たちの生活は、香澄の収入と僕の収入、僕が画業で稼いでたお金と、あとは兄さんの遺産で成り立ってるから、香澄とも無関係とは言えないのかな」 そう言ったあとで、しばらく黙ってから、��い直す。
「…いや…、この前の話からしたら、兄さんのことは詳しく話す必要はなかったかも。…僕が、香澄に知っててほしくて。こういう人が僕の兄として確かに居たこと。…大事な人だったんだ」 もう故人だってことは、香澄も確か知ってたと思う。 「自殺だった。…なんの前触れもなかった。僕の目の前で、亡くなった。」 あれだけ有能な人でも、本家から人間として認められなければ、まるでそれが自然の摂理みたいに自ら命を絶ってしまう… そこまで話して、香澄の手から写真をそっと取って、手帳に戻した。 「…この雅人兄さんには弟が数人いたけど、そのうちの一人が、名廊理人さん。絢の話した、僕が口を使うのが苦手になった、原因の人」 それを聞いて、ここまで比較的穏やかだった香澄の表情が張り詰めた。「……。」香澄の頭を一度ぎゅっと引き寄せて、僕は目を閉じて祈るような声で話した。 「香澄、この人の…理人兄さんのことも、僕は香澄に憎んだり嫌ったり…してほしくない…本当は…。やったことは犯罪だったけど、僕は…理人兄さんのことも、好きだったんだよ」 香澄はまだ張り詰めた顔のまま、僕の首元で呟いた。 「でも、子供だった直人に暴行して、直人が口を使うの苦手にさせて、直人のこと傷つけた…」 「……でも、僕の家庭教師になって数学を楽しく教えてくれて、厳しい兄さんのかわりに休日は手を繋いで散歩してくれたり、一緒に普通に遊んでもくれた。兄さんと二人だけで僕が寂しい思いをしてることに気づいて、優しくしてくれた。二人住まいによく訪ねてきて僕に構ってくれた。黒髪と白い肌に長い睫毛のとても美しい人で、いつも少し自信なさげに微笑んでいて、穏やかで、物腰は柔らかくて、頭が良くて、繊細で脆くて、少し気が弱くて、怒ったり人に無理強いしたり乱暴なことなんてとてもできない、僕の二人目の大事な兄さんだった」 香澄は眉を下げて悲しそうな、悔しそうな、複雑な表情を浮かべた。 …全部本当のこと。 「確かに僕は理人兄さんから性犯罪を受けたんだろう。実際に僕の体はどうしても物を飲み込めなくて吐くようになったし、自覚がないだけで心に傷を負ってたのかもしれない。でも僕は理人兄さんを嫌ったり憎んだり、怖いと思ったことはない。…されることを、痛いとか、怖いと思ったことは…あったけど、理人兄さんがそれで喜んでくれるならと…思ってた」 香澄にちゃんと伝わるかわからない、でも本当に理人兄さんは優しくて僕といつも仲良しだった。 「理人兄さんのしてたことが終わったのは、僕が10歳の時。兄さんが偶然現場を目撃して、激怒してその場で理人兄さんを容赦なく殴った。…僕はそれを止められなかった。あまりに過激な暴力だったから、理人兄さんは大怪我をして片目を失明してしまった。それで理人兄さんの住んでる本家でも大事になって…、そのときは本家は理人兄さんを庇った」 「…どうして」 香澄の疑問に、あの頃の周りの言葉を思い出して、まとめて復唱する。 「ーーーよくない血の流れた甥っ子がまじめな理人を誘惑して道を踏み外させた、雅人は直人の保護者を買って出たにも関わらず目が行き届いていなかった、その責任をよそに行き過ぎた暴力を加減も忘れて理人に一方的に振るった、血は争えない、理人は学生ながらに数学の研究者として教授候補の呼び声も高い優秀な人材で経歴に傷はつけられない、相手が身内だったおかげでなんとでも処理できてそこだけは助かった、なにより理人の名はもう数学界で知られ始めているのにこんなつまらないことで名廊の名を失墜させてはならない、すでに実績を上げている理人と違って今後もなにも見込めない無能な家の恥を人間として尊重するつもりは一切ない。せめて罪を負って役に立て。ーーーこれが名廊家の裁決。」 僕も兄さんも本家に冷遇されるのには慣れていたけど、僕が傷ついたのは… 「…本家の言い分はもうそれでいい、騒いだって覆ったりはしないし、僕もそれで傷ついたりはしなかった。…でも」 泣きそうな気がして一度言葉を切った。香澄が僕の肩に静かに頭を乗せて寄り添ってくれる。僕は息を飲んでから続けた。 「…僕にしてたことが露見してから理人兄さんの心は壊れてしまった。もともと繊細で脆い人だった。いくら本家に庇われても理人兄さんがそれで気を取り直すなんてことはなかった。心も体も病んで本家の自室からほとんど出てこれないまま、錯乱して自分の体を傷つけたり、異常行動が目立つようになって。そんなひどい状態でも家は理人兄さんに数学の才能を活かしてまた活躍するよう迫ってたけど、そのうちそれも諦められて、最後には理人兄さんも名廊から見放された」 香澄はずっと黙って聞いてくれてたけど、僕が一旦息を大きく吐いてそこで休憩するみたいにしたら、小さな声で肩に頭を乗せたまま聞いてきた。 「……その、理人さん…は…直人のことが、好きだったの?」 「…好き…?」 香澄は落ち着いた声で続ける。 「未成年にそういうことするのは好きな相手同士でも合意があっても犯罪、なのは、変わらないけど…。なんで…直人が…。理人さんが、子供だけを狙ってそういう犯罪を繰り返すような人じゃないなら、小さな子供の直人のことを、性愛の対象としても、恋愛の対象としても、愛してた…のかな…と思って」 「ーーーーー…………」 一度香澄の頭を肩から下ろして体勢を変えると、僕は隣の香澄のほうに体を横にしてしっかり向きあった。香澄も同じようにしてベッドの上で僕を真正面から見据えて、枕の上ですぐ近くのお互いの顔を見つめ合う。 お互いに、相手の気持ちを取り落とさないように慎重に、注意深く、表情の変化を見逃さないようにしながら。 僕はその状態で香澄の頰にそっと手を当てて、傷つけないようになるべく優しく微笑んだ。 「……理人兄さんはね、僕の兄さんのことが…雅人兄さんのことが、好きだったんだよ。ずっと昔から。…さっき写真を見せたよね。僕は…特に幼い頃の僕は、幼い頃の雅人兄さんと、容姿が瓜二つにそっくりだったんだって」
「ーーー…」 「香澄が以前、僕に話してくれたね。香澄が香澄のお母さんとよく似てたから、その人にするように父親から扱われたって…。同じことではないけど、………僕も代わりだったんだ」 香澄の事情まで持ち出すなんて、嫌な思いをさせる話し方だったかもしれない、そう思って謝ろうとしたとき、香澄が僕の横からガバッと身を起こした。 「…香澄?…」 上体だけ起こしたまま、僕に背を向けて香澄の横顔が小さく何か呟いた。 「…、」 僕も腕で体を支えて香澄の隣にゆっくり体を起こした。香澄の顔を覗き込む。 「…そんなの…どんなに優しくたってその人は直人のことなんて見てなかったんじゃないか…」 ひとりごとみたいに呟く香澄の表情は珍しく苦々しいものでも見るみたいに歪んでた。…怒り?……嫌悪…? 「直人が何言ってもその人は自分で自分のしたことに耐えられなくなって、結果死んだんだろ、それも自分で。直人に向けた気持ちなんて無かったのに、なんで憎んでほしくないなんて言うの…なんで言えるの、直人はその人への気持ちをいいように利用されたんじゃないか!」 ーーーー……… 「……そ…れでも、僕が悪かったんだ…   だって代わりだってことにその頃から僕は気づいてた、気づいてたんなら拒絶するべきだったんだ、僕はそうしなかった、…この前言ったとおり、されるがままでずっと耐えてた、それでも僕のところに来てほしかった、…優しくしてほしかったんだ、理人兄さんが好きだったから、僕はひとりだったから、代わりでもなんでもよかった」 さっきまでちゃんと   考えて言葉を選んでたのに それが急にできなくなる 勝手に言葉が滑り出る 自分の したことに 耐えられなく… なって…? 香澄の言葉を打ち消すような言葉が出てきた 「…僕が悪い、…僕が 理人兄さんの気持ちを 僕だって自分のために利用してた   優しくされて嬉しかったんだ、そのためなら何されたってよかった、痛いとか 怖いとか、そんなのいいから 僕だって利用したんだ、自分の容姿を、理人兄さんの本当に望む人間じゃないのに、兄さんと似てれば確実に見てくれるから」 「その人は直人のことなんて見てない」 「僕を通して兄さんを見てたっていいんだ、通過点にいる僕にも優しさを落としていってくれた」 「優しかっただけじゃないだろ、その人は直人に何したんだよ…!」 「そう、だよ…   そのせいで、兄さんが、僕が抱くべき感情を 理人兄さんに示してみせなきゃいけなくて、僕が 自分でできなかったから そ…れで、あ  んな…こと…… に…  」 なんの前触れもなく頰に涙がつたう感触がした …なんで、泣いて … 口から滑り出した言葉を 自分でうまく把握できない 僕…  何を 「直人が背負うべきものなんてひとつもない。お兄さんの行動だって直人が背負わなきゃいけないものじゃない、直人を思ってやったんだとしてもその頃の直人と違ってお兄さんはもう大人だった、自分で責任持たなきゃいけない行動だ。その人が死んだのは自業自得だよ」 いつまでも僕のほうを見ないで淡々と話す香澄の肩を掴んで僕のほうに振り向かせた、そのまま 大粒の涙と一緒に堪え切れない抱えていたことが口から飛び出した 「理人兄さんが  壊れてから自殺  するまで  理人兄さんに一番そばで寄り添い続けて尽くしたのは  誰だと思ってる 絢は…実の父親のあの人に自分の人生を全部捧げたのに何一つ報われなくて置いてかれるように自殺されたんだぞ、あの子は僕のことを恨んでも憎んでもよかったのに、誰のことも憎まずに父親と向き合い続けた、本家の中で、ずっと理人兄さんとひっくるめて異常者扱いされながら、それでも病んだ理人兄さんのそばを離れなかった、理人兄さんは壊れてしまってからもう自分の息子のことだってよくわかってもなかったのに、尽くし続けた絢を置いて自殺した、ぜんぶ、なにもかも、僕が許してしまったことのせいで!!!」 最後のほうはまるで泣き叫ぶようになったと思ったら  そのまま呼吸が荒く浅くなって  苦しくて俯いて手元のシーツをぎゅっと握りしめた 香澄がそれを見て僕の肩に手を置いた 「直人、…一度限界まで息とめて、それからなるべく息吐いて。…ゆっくりでいいよ」 香澄の腕が、下を向いてなんとか途切れ途切れの息をする僕の体に回って、そのまま優しく抱きしめられて体を摩られる 苦しくて閉じたままの涙に塗れた目   香澄は今どんな顔をしてる? いつもみたいに優しく宥められながらも   頭の中は恐怖でさらに混乱した 僕の話を  どう思った? 僕のこと  嫌いになった? 理人兄さんも  雅人兄さんも  絢も  香澄から憎まれてしまった? 僕の話したことのせいで…
息が詰まって  香澄になにも訊けないまま体が崩れて倒れて  そのままその日は意識をなくして目を覚ませなかった 意識がなくなると感じた寸前に咄嗟に香澄の手を握った 意識がなくても離れてしまわないように強く  香澄が僕をどう思っても僕の香澄への気持ちが変わらないことだけ それで 伝わってくれればーーーーーーー
続き
0 notes