Tumgik
#歴史に残る悪女になるぞ
avomagazine · 2 days
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Anime Fall 2024: 10 titles to look forward to!
It's nice stormy weather outside, it's clearly autumn. A great day to stay inside and watch anime, right?
It might be good to know that the anime fall season is about to begin and we have some recommendations for you. What will you be watching this fall?
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chikuri · 5 months
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「民主党政権のどこがどう悪夢だったのかきちんとした説明を聞いたことがない」という主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことがない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 悪夢のような時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で全力で反論していきますね。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
新田 龍 / X
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elle-p · 11 months
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P3 Club Book Persona 2 Eternal Punishment pages scan and transcription.
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ペルソナ2罰 ETERNAL PUNISHMENT
世界は、新たな歴史を歩んできた。同じような世界でありながらも、それは『向こう側』とは別の歴史だった。『向こう側』とは、噂が現実化する現象によって、終末の予言が成就し、崩壊に瀕した世界。その最後のとき、周防達也らは、すべての忘却と引き替えに、世界のリスタートを選んだ。集合的無意識に潜む者の力によって成された新たなる歴史の中で、人々は微妙に異なる、だが酷似した歴史を『こちら側』で作り上げてきた。その新たなる歴史の中で、ただひとり、周防達也だけは、『向こう側』の記憶を残していた。それは、過去とすら呼べぬ記憶。
集合的無意識に潜む悪意が、嘲笑を浴びせる。それは、罪である、と。そして、『向こう側』の因縁を根に、新たなる世界に罰が与えられる。
政治や経済にまで影響を及ぼす闇の組織・新世塾。暗躍する台湾マフィア・天道連。憎しみを晴らすために殺害を依頼できるという、連続猟奇殺人事件の犯人といわれるJOKERの噂。そして、『向こう側』をなぞるように、噂が現実化するという状況が起こり、人気占い師の言葉に安易に翻弄される人々の心が、現実を崩壊させていく。
周防達也に対して奇妙な既視感 (デジャ・ヴユ) を抱える因縁ある人々を中心に、『向こう側』と『こちら側』のからくりが解き明かされていく。
無原罪の世界を目指す新世塾によって、マスコミすら利用して圧倒的な力でコントロールされる情報と、それによって変容する世界。
人の心が作り上げる世界の中で、人の心に作用する集合的無意識に潜む者によって翻弄される者たち。逃れられぬ因果の物語は、途方 もないスケールで結末を迎える······
スペック
プラットフォーム
プレイステーション
開発元/発売元
アトラス
発売日
2000年6月29日
価格
6,800円 (通常版、税別)
9,800円 (デラックスパック、税別)
2,800円 (ベスト版、税別)
Eternal punishment script are revisited
追憶と罰
『ペルソナ2罰』は、過去の出来事を因として結ばれる結果の物語である。運命という言葉に委ねて諦観するのではなく、それをどのように受け止めるべきか、それをどのように乗り越えていくべきか。そうしたテーマに切り込んだ本作の魅力を、考えてみたい。
目覚めた少年
すべての記憶を失うことを条件に作られた世界の中で、失うことを拒んだ心。それが罪ならば、作られた世界の崩壊は、逃れられぬ罰なのか。
前作の主人公・周防達也は、今作において孤独な戦いを課せられる。今作の主人公となる、天野摩耶は、達也に対してデジャ・ヴュを抱く。
集合的無意識に潜み人を弄ぶ者は、冷笑を浮べながら彼らを翻弄する。ひとつの世界を因として生まれた、もうひとつの世界。そこで巻き起こる事件は、表層的には異なるものでありながら、まるで影のように似た状況を形づくる。
前作のエンディングを受けて始まる今作は、前作の出来事を「因」とし、人々の営みを「縁」として惹起する結果「果」を語る、因縁と因果の物語である。罪という原因が作り出す、罰という結果。その因果の物語は、今作において結実する。その結末を解釈できるのは、両作品をプレイしたプレイヤーだけである。
アダルト・ペルソナ
ジュヴナイルとして描かれた前作とは異なり、今作はアダルトの視点で語られていく。
同じ街であっても、子供時代と大人になってからでは、まったく別の街であるかのように印象が変わる。見えてくる側面も異なれば、見ようとする場所も変わる。大人とは何だろうか。子供はおろか、大人ですらも答えに窮する問いに、今作は挑戦する。そして、その大人であることを、キャラクターたちは体現しようとする。
キャラクターもペルソナも、デザイン的に心の内面を、より明確に表している。プライドを傷つけられた過去を持ち、その過去に縛られている芹沢うららが発動するペルソナは、その顔面にハイヒールが突き刺さり、身体は縄によって縛られている。キャラクターを象徴する記号化が追究され、修辞が散りばめられている。そこここに織り込まれた隠喩を発見し解釈する楽しさがある。
多義的な世界の全容
前作の主人公だった周防達也こそ鍵を握る存在として大きくフィーチャーされるものの、他の前作のパーティキャラクターは、ほとんどが脇役となる。今作は、天野摩耶を主人公とし、そのルームメイトの芹沢うらら、達也の兄である周防克哉、過去の復讐のためだけに生きるパオフゥ、そして『女神異聞録ペルソナ』で登場した南条圭、桐島英理子が中心人物として活躍する。
膨大な人物設定によって作り上げられた世界は、こうした別の人物の視点から描かれることで、ようやくその全貌が現われる。
世界は一面からのみでは語り尽くすことができない。今作までのペルソナシリーズに流れる、さまざまな視点から世界を見つめるという形が、『ペルソナ2罪』と『ペルソナ2罰』によって完成する。
占いと自分探し
自己確立できているようで、実はできていない大人たちは、占いや運勢などに自分を委ねようとする。型にはめることによる安心感。製作された当時の、日本の大人たちを表現していたそれは、現在でも変わることがないのかもしれない。
『ペルソナ2罪』『ペルソナ2罰』によって語られるテーマは「自分探し」。それが、 ジュヴナイルとアダルトの視点から、丹念に描かれる。
可能性を身近に感ずるジュヴナイルとは異なり、自分の限界を感じつつも、どうすればいいのか出口が見えず、何を目指すべきかも見失った大人の自分探しは、青春時代のそれよりも、さらに深刻で根深く、冷酷なものかもしれない。
原因に対する結果としての大人の物語の中で、そうした苦悩を描くことは、極めて皮肉に満ちたものと言える。そうしたきびしさもまた、ペルソナシリーズが 持つ、ヒューマンスケールの悩みを等身大で描くことの魅力のひとつであろう。
あなたは、今、自分というものを掴んでいるだろうか?迷うことはないだろうか?
金子氏コメント
『ベルソナ2罪』とセットで楽しんで欲しい。序盤の雰囲気も、ホラーテイストの前作と、サイコスリラーテイストの今作で違うし、キャラクターも描き分けている。大人の方が経験が豊富な分、ペルソナデザインもキャラクターの心の反映が強いものになっているところも見て欲しい。
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fukagawakaidan · 1 month
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ�� 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり��灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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le-tessia · 7 months
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なるほど、定期的に訪れる「民主党政権擁護」が再発してるんですね。
あのような惨劇は二度と繰り返してはなりません。あの時代がいかに酷いものであったか、いくらでも具体例を挙げて語れますので、支持者から叩かれることを覚悟で詳説していきましょうか。
個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。
(1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた
(2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した
(3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた
では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。
(1)国家運営能力の欠如
・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。
・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。
・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。
・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。
・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。
・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。
・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。
・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。
・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。
(2)外交能力の欠如
・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。
・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。
・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。
・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。
・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。
・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。
・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。
(3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質
・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」
・菅総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」
・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」
・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決)
・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」
・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」
・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」
・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務���滞
・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影
・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上
・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑
・千葉法務大臣⇒落選後も留任
・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」
・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」
・柳田法務大臣⇒「答弁は二つ覚えておけばよい」
・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題
・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ
・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪
・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名
・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与
・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。
・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。
そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
https://x.com/nittaryo/status/1738566069697356187?s=46&t=1lgVS1ds3uqk5xvTqZM4Fw
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kennak · 7 months
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黒沢 こんばんは 脚本家たちの深夜密談です 今週はちょっと先週からの予告を変更しまして 急遽セクシー田中さんの話をしたいと思っております と言いますのもですね やっぱり脚本家の深夜密談ということで 脚本家の名前を返している以上 ちょっと脚本家の立場からこの話をして ご理解していただきたいところもあるなというところから はい急遽決めました なかなか勇気のある決断だったので 私たちだけでは心もとないので 40年にわたってテレビドラマで活躍されている 伴一彦さんに急遽ゲストとして来ていただきました 伴さんどうかよろしくお願いいたします 伴さんのお話を お伺いしたいと思いますが お伺いする前に 一応ちょっとここまでの経緯を 簡単にお伝えしますと まずこの件の発端というのが 12月の24日に脚本家の方が そして今月の26日に原作者である芦原妃名子さんが それぞれなぜセクシー田中さんの9話と10話を 原作者である芦原さんが書くに至ったのかという経緯を SNSに投稿されるんですね それを受けてニュースWebニュースなどでも取り上げられたり SNS上で大炎上 で当初は9割方脚本家を攻めるような 原作クラッシャーだのと酷い攻撃があがっておりまして 28日になって原作者の方が攻撃したかったわけではなくてごめんなさいというツイートを残してアカウントを消されてるんですよね その段階で私自身も伴さんにこの話したいんだとお願いしてはいたんですけれど やはり当事者の方がもう触れてほしくないのかなというツイートをアカウントを消されてるってことは もう取り消しにしたいのかなというので触れない方がいいのかなと考えたりもしていたんですけれど 今日になって芦原さんがお亡くなりになったというニュースが届きまして やはりここはちゃんと取り上げて 脚本家のドラマに関してですね この件に関して私たちは当事者ではなくて あくまでも報道やSNS上ご自身たちの発信で知ったことが全てですので 憶測でものも言いたくないですし 業界関係者から新たな情報を確信もなく確認することもなく 手に入れてお話しするつもりもありません あくまでも今分かっている事実に基づいて ドラマ作りなどあるいは脚色の仕方など どんなことを脚本家がしてどんなトラブルこれまで起こってたのかなどを お伝えできればなと思っております はいということなんですけれど 伴さんもこれまでの経緯をかなり チェックされたりされているかと思うんですけれど 伴 はい 僕もツイートでポスト化したんですけど 原作者と脚本家両方がお互いの意向というか意思を知らないで 進んでしまってるのが一番の原因かなと思ったんですよね そこはだから僕は全く原作者とは違っているんですけど 僕は揉めたことなくて そうですね お友達になって飲みに行ってっていう方の方が多いんですけどね その時もだから別に責めるっていうか 番組って脚本家が自由に書けるわけじゃないじゃないですか 監督が勝手に取れるわけだからね やっぱりプロデューサーが全ての責任を負うんですよね 番組の方向性だとかどういう本にするとか誰に書かせるとか そういうのは全部プロデューサーの仕事なので 僕の見えないところで原作者といろんな交渉をして ドラマを成立させてくれたんだなとは今振り返って思っててね つまりトラブルをなくすのが プロデューサーの仕事という風に思ってるんで ただ原作者の意図とか分からない時に 話し合いをしたいとこっちが言ってるけれども 間に入る編集者とかプロデューサーがそこは合わせない方がいいと思ったのか お互い忖度してくれてるのか 合わずに 話が進んじゃう 最後に打ち上げか何かでお会いした時には 記者会議、記者会見の時かお会いした時には 面白かったですって言ってくれたりみたいなことがあったので もっと早く、まぁ多忙な作家さんだったんで 会う時間がなかったのかもしれないけれども 何かあったら直接会って話すっていうのは一番誤解もとけるし やりたいことも再確認できるしいいんじゃないかなと思いますね 黒沢 そうですよね 私もテレビに限らず映画なんかでもそうなんですけど やっぱり私の感覚からすると 脚本家と原作者ってやっぱり作家同士ですのでね 性質上どうしたって対立したりするしがちっていうか 私はしがちですけどね 私はして当然だと思ったりするところもあるんですよね ただそんなに何だろう トラブルになる トラブルが全くなかったってわけではなく やっぱりこちらで書いたものを 原作者の方からこういう要請が来ましたみたいなことは結構ありますし そこで意見がぶつかって ちょっとうちで話しましょうみたいな 呼びつけられて あなたって本当に私の原作のこと全然わかってないわねみたいなことを言われてたこともありましたけど ただ基本的に直接脚本家が原作者の方と会うってなかなかないですよね それはやっぱりですよね だからそんなのを合わせたらお互い対立するに違いないみたいなこともあったり プロデューサーが間に入り調整した結果 だから原作者の要望も10聞くのではなく 5聞くことにして5は原作者の方に納得していただいて 持ち帰った5だけはこちらが説得されて直すとか そういうことで仕事をしてきた経験があるので やっぱりツイッター上でX上でね 脚本家が原作を全部変えているみたいな発言を見ると とっても心が痛んだんですよね で伴さん経験上ご自身勝手に このキャラクターこっちに変更しますからって言って通るって どれぐらいの確率であります? 伴 いや僕の場合結構そういう意味では原作から変えてることが多いんですよ 例えばツイッターにも書きましたけど クリカンとか 原作は歴史小説家なんですけれども それも辞めて探偵事務所にして 探偵の助手がいるんですけど それも原作だと女性だけなのを2人男女にして あともう1人子供も加わってみたいなことまで ほとんど原作のエピソードも使ってないんですよね でもそれに関して寺澤さんっていう原作者の方からは何もなく それをプロデューサー止めてたのかどうかもわからないんですけれども 最後のスタジオ収録の日 最終回のスタジオ収録の時にいらっしゃって 僕はちょっとドキドキしてたんですけれども 本当に面白かったみたいに言っていただいて それから結構一緒に飲みに行くようになって あの演出家の悪口を言ったりとかね みたいなことまで だしあと*****(不明)も原作はほとんど使ってないし 多分ちょっと大分忘れてきましたけど 犬がパートナーっていうのも あのこっちで作ったやつだと思うんですよね あの国際の森本とかが書かれても あの森本昌子さんっていう方が原作者なんですけれども あのそう何回目か進んだ時にスタッフルームに 手書きの漫画付きのファックスをいただいて それが参りましたみたいなね 本当に面白いこういう漫画を書きたかったみたいなことまで書かれてたんですよ 黒沢 なるほどね そのお二人の原作に 入る時にですよ その仕事を受ける段階でプロデューサーから 原作ってどれくらい変えていいですよみたいな説明ってありました? 伴 いやあ 特になかったと思いますね これをやるんだったらこうしたいとかね こうしましょうみたいなのを企画会議でやって で大体そこでまとまったら そういうのをやったと思いますよ 黒沢 やっぱりそれは企画会議っていうプロデューサーさんとの会議を経て なんか決定することですよね そうでその企画会議でいやいやこれは原作通りにやってくださいって言われた時に 伴さんであったとしてもなかなか変えられるものではないですよね 伴 えっと原作通りにやれっていうことですか? 黒沢 まあまあ会議上 つまり伴さん一人の力で変えられるものなのかなっていう 伴 まあそれはもちろん同意がないとできないですもんね できないですよねっていう あの僕がやる時は大体プロデューサーと一緒に本を作ることにしてて で監督は後から入ってくるんですよ 出来上がったもので  でただ****の場合はもう現場の周りもすごい面白い監督なんで 現場で思いついたことを入れてきたりとかね まあやったんですけどそれもまあ僕のシナリオからはみ出してない 原作からははみ出してると思ったんですけれども それも面白がってくれてたんですよね 黒沢 あの原作者の方の中にはやっぱりなんか2種類いるなと思っていて まあ一つはね原作は原作映像化は映像化で全く別物なので もうご自由にどうぞ出来上がりを楽しみにしていますっていうタイプの 原作者さんも少なからずいらっしゃるし まあそういうタイプの多分今のね2ケースの場合は2ケースの場合は多分そういう原作者さんだったのかなっていう気もするんですけど その一方で特にあの 初めて書いた本ですとか小説ですっていう原作者さんに多いのがやっぱり自分にとってすごくこだわりがあるので 原作はなるべく変えてもらいたくないですっていうようなケースもありますよね まあ以前前々回かな深夜密談でもちょっと話題に出た柔らかい生活のね 原作者さんも本当に思い出のある小説なのでっていうのが 小説なのでっていうことでまあちょっと裁判になってしまったりとか 伴 いやいやでも僕東野圭吾さんってどっちタイプなんですか 黒沢 私は東野さんやったことないのでよく分からない ただあの作家の方でも作品によるケースも結構あるんですよね この作品だったら自由にやってくださいでもこれはっていうのがあって だから私の場合は原作で企画ができた段階で原作者の方ってどれくらい変えていい方なんですかっていうのはまず聞くようにしてますね そういうぐらいちょっと最近はやはりこだわられる方が増えてるのかなっていう以前よりも感覚として という感じは 伴 で実は東野圭吾さんが**賞を撮って放課後っていうのを脚本してるんですよ あの木曜ドラマストリートだったかな それは高校が舞台のやつだったんでもうちょっと青春よりな青春ものっぽいノリで書いたんですけど それに関しても東野さんと会ってもいないし なんか*****も聞いたこともないんですよね 黒沢 うんうんうんそうなんですよね ただやはり今回の場合すごく実は特殊なケースだったんだなって後から分かったのが そのドラマ化を許可する段階の条件として原作通りにやってくださいという条件が出されていたっていうのが ちょっと今回の場合かなり特異なケースだなとは思いますね ただそれを受けてしまったというか伴さん可能ですかと思うんですよね映像化するにあたって  原作まんまみたいな 伴  何をもってまんまっていうのかだってもう媒体が違うわけだから絶対同じものにはならないじゃないですか 黒沢  同じものにはならない  そうですね  なんですけれどやっぱりそれをどこまでならないですよ  だけどできる限り原作を生かす方向でいきますみたいな説明がなされたのかとか  やっぱりそのあたりがまずどうだったのかっていうことと  あとその点をどれだけ脚本家に伝えていたのかっていうこの2点が分からないので 伴  脚本家のインスタ見るとそれは全く伝わってない感じですもんね  それは丸山雅樹さんが書かれたけれどもこれだから約束ごとの問題ですよね  なんか良い悪いとかじゃなくてそこがちゃんと伝わってない  両方が思ってることが違うっていう違ってたっていうことですもんね 黒沢  こういうのって普通契約書みたいなのって交わすんですか? 伴  えっと僕とは多分交わしてると思うんですけど  僕は一回も原作者と局が交わした契約書を見たことはないです 黒沢  脚本化側が見れるものではないんですね 伴  どういう約束しましたかみたいなことは聞くことは可能かと思うんですけど  僕は聞いたことはなくてそういう質問したこともないんですけど  ただえっと **せ再びって  筒井康隆さんの原作のやつをNHKでやったことがあるんですけど  その時にはもうプロデューサーが筒井さんにこういう風に変えたい  なぜならこういう理由でみたいなことを愛を込めた文章でメールを送られて  そういったところから始まったみたいですね  ***っていう黒人が出てくるんだけど(間聞き取り不明)  それはちょっとまずいかなぁって日本人に変えたんですね  それもこういう理由でみたいな  そういったことを言って多分テレビ化をOKしてくれたと思うんですよ  筒井康隆さんの場合は本当に台本を隅から隅まで読んで  原作者チェック以上にここはこのセリフは繋がってるかみたいなことまで毎回メールをいただいて  それはプロデューサーが僕に直接見せてくれたんですよね  でそれで直したまんま直したかちょっと忘れましたけれども  そういうやりとりをやりました  始まる前にちょっと原宿のお家にも挨拶というか説明に行ったこともありますけどね 黒沢  いやだけどなんか伴さんの今の話を聞いてなんとなく問題点が分かってきたなって ちょっと感じたのがですね  とある原作者の方がすごくドラマ化に当たってもめている最中にその原作者の方と  あってお話する機会があったんですよ 私はかからなかったんですけど そしたらその原作者が言うには別に変えて���れてもいいんだけど  変えるなら変えるなりの理由を説明してもらいたいんだよっていう そういうあたりをふわっとしたまま変えられても納得いくわけないじゃないですか  その方がおっしゃってて うんまっその通りだなと思ったんですよねうん こっちだってね他の方の原作を変えるには 変えた方がいいっていう確信がなかったら  安易に変えてるわけじゃないじゃないですか でそれをどれだけねお伝えして納得していただけるかっていうのはやっぱり丁寧な  プロセスだし時間が必要なんだと思うんですよ だけどやっぱり最近のテレビドラマの撮影のスケジュールとか制作のスケジュールを見る  ともうそういうスケジュールを取る余裕さえないような状況で作られて���る場合と多いかなと思うんで なんかまあねー でもそこは時間かけるべきところですよねぇ  佐野  ほんとそう思いますねーどってそこに時間掛けなかったら その原作者にも意図も伝わらないし  うーん脚本家にもにもう 何ですか原作者にも意図が伝わらないから  結局、齟齬が発生してそのままずーっと行っちゃいますよね 黒沢  そうなんですよだから不信感だけが募ってって ことなのかなってちょっとコメントいただいているので  木村さん、芦原さんは最後の2話をご自身で脚本を書かれていますが、全話ご自身で脚本を書く話はなかったのかなと思いました  いやそれは多分ご自身もなんか出ているニュースを読む限りは本当は書きたいよ 書きたくて書いたわけではなかったという  うんでねえまあを推測はしないというは言いましたけど 多分最初の約束として提示されていたんですってこれを憶測じゃなく事実として出てるん  ですけれど 完結していないからドラマの完結するその話に関しては  自分の通ストーリーを使ってほしいし、セリフもそのまま書いてくださいという条件を出していたんです  企画の時に でただその最中ですごく加筆が多くて時間的なことも考えて自分で書いた方がいいん  じゃないかって決断されたんだろうと思うんですよね だからやはり脚本は脚本家で最初のうちはきちんと任されていたんだろうと思います  そんなになんか色んな要求をされていたわけでもないしいただ やはり  何て言うんでしょうね その芦原さんには芦原さんのファンもいらっしゃるし  その脚本家さんには脚本家さんのファンもいるわけでそのファンの方々がそれぞれね自分の好きな脚本家さんあるいは原作者さんに期待するものが多いしその期待に応えたといと  思うのってやっぱりそれはねお二人とも当然 じゃないですかだからああいう説明に至っ  たんだろうと思うんですよね でそれぞれのファンの方はそれ読んで納得  すればそれで済むことだったのに そうじゃない人たちが  なんかあまりにも攻めすぎなんじゃないのっていうのは  ちょっと感じましたね 伴  まあね芦原さんの最後のツイートがツイートっていうかポストがね攻撃したかってわけじゃ  なくてって そうなんですよだからこれね  **なんだから 脚本家の方に非難が集中してるけれども  原作者に非難っていうのは なんと僕見たことがないんですけど  それなのに原作者がこういうことを書くっていうのはやっぱり  あのSNSの誹謗中傷に  心を痛められたのかなぁと思っちゃいますよね  まあ 推察なんですけど 黒沢  その辺りはあれなんですけれど  そうなんですあのなんでしょうねやっぱり ここ最近本当に私自身がもういけない風潮だなーって  やめてもらいたいなと思っているの がすぐに対立構造でものを語りたがる  いうだからこれだって別にね  そうそこまで 本家さんと原作者さんが直接的に2人で  対立したりしていた話ではなかったように思うんですよ  まだわかりやすいから原作者バーサス脚本家みたいな  なんかそれで脚本家が意地悪をしたとかねー  原作者側につきますみたいな  で 何かそういう対立構造で  語ってしまっているからこういう 原作者さんにしても胸を痛めるような  なんか攻撃の意図なんかないのにっていう  になってしまったのじゃないかと思いますし なんか意見を言うのは本当にねまあ  憲法で保証されている 言論の自由みたいなものを重ねておっしゃる  方もいらっしゃいますけど 匿名でそのドラマがどういう形で  作られるのか先ほども言ったように脚本家1人の独断でなんて絶対改編できないのに  そんなことも知らずに なんか脚本家が一人で  な原作を変えたかのように決めつけ 避難するっていうそこはやっぱりしてはいけないことだと  私は思いましたし それは本当に皆さんにお伝えしたいなと思って  うーん今回時間を設けさせていただいているんですが   つづく  → https://anond.hatelabo.jp/20240203204953
脚本家の密談:文字起こしの改定版 1
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0nce1nabluemoon · 2 years
Text
泉に戻ることを望む者は、流れに抗して泳がなくてはならない
[東ドイツ ある家族の物語] P.265
しかし日本は、国を失ったことはないでしょう
[また、桜の国で]P.115
今、僕の国では、未だかつてないほどに、武士道や大和魂という言葉が使われているよ。でもね、覚えておくと良い。濫用される時は必ず、言葉は正しい使い方をされていない。
[また、桜の国で]P.482
誤解せんで欲しいが、資本主義が勝利するわけではないぞ。敵を見失った資本主義は、これまた果てしなくモラルを失っていく。どんな形で崩壊するのか、それとも再生できるのか。
[プラハの春 下]P.366
犠牲者を追悼する際、たとえ何百万単位で数えられたとしても、彼らは個人であり、集団ではないと覚えておかねばならない。どのような形であれ、殺された人々を集団として記憶しようとするのは死者を否定し、還元し、再び消滅させてしまう行為である。まさに犠牲者を殺害した人たちの思うつぼなのだ。さもなくば記念碑は忘却と否定の文化に取り込まれてしまう。私たちが忘れてしまうのは単純に忘れた方が楽だからであるが、不安や恐怖の時代にそれをしてしまっては無責任である。忘却は無知に自由な支配を許すことになる。つまるところ、心に留めておきたい歴史が何であるのか、あるいは過去を意図的に消そうとする理由は一体何か内省してみれば、私たち自身が何者であるのかが見えてこよう。
[ポスト・ヨーロッパ 共産主義後をどう生き抜くか]PP.214-215
あたしはずっと歴史を教えてきたけど、歴史上の出来事のどれひとつをとってもわたしたちが最後まで知っていることってありません。経験したどれをとっても。真実のすべてを......
[戦争は女の顔をしていない]P.46
僅か十日のあいだに、日本の国民はこれだけの大きな自由を奪い去られたのだ。
[風にそよぐ葦(上)]P.199
そしてこの動乱の時代には、すべての愛情が悲劇の原因になるのだ。裏切られなかった愛情がどこにあるだろう。悲劇をもたらさなかった愛情がどこにあるだろう。人間と人間のつながりが、兵役法だの徴用令だの動員規定だの、その他無数の法令によってばらばらに切りはなされ、愛情の幸福はその根底を失ってしまった。
[風にそよぐ葦(下)]PP.76-77
榕子は日の丸の旗が嫌いであった。それは残忍きわまる国家権力の象徴であった。ここ数年来、国家とは国民の不幸の象徴ではなかったかろうか。良人を奪い子を奪い富を奪い食を奪い、あらゆる生活の根底を破壊し去ったものはこの日の丸の旗であった。
[風にそよぐ葦(下)]P.93
道徳も義理も人情も、そういう美しいものはすべて生きるための邪魔ものであった。
[風にそよぐ葦(下)]P.198
国家が国民に要求する犠牲がその極限に達し、その極限を過ぎて、血をすすり肉を啖い尽してから、戦争指導者と重臣たちとはようやく降伏を決意した、それまでは決断がつかなかったのだ。
[風にそよぐ葦(下)]P.271
古今の歴史は、為政者たちの暴政や侵略者たちの暴虐による人間の悲劇を、幾つとなく記録しているが、どれほど凶暴な力に打ちたおされても、それが人間の本質的な姿を変えることはできなかった。ヒトラーやムッソリーニや東条が、あのなさけ容赦ない強制と圧迫とを加えてみても、ついに蹂躙することのできなかった(人間の最後の自由)というものがあるのだ。ソヴィエトの圧制者たちがあれほどの秘密警察と懲罰主義とをもって、幾度か血の粛清を行なって見ても、どうしても奪い去ることのできなかったスラヴ人の自由というものがあるのだ。全体主義者たちが最後につきあたるものは、この、人間が人間であるという真実であるに違いない。自分の思考をもち、自分の欲望をもち、自分の理想をいだき自分の幸福を求める、人間としてのその本質的な希望は、国際関係が緊迫してきた現代の社会ではほとんど許されなくなってしまった。しかし、最後に残るただ一つの自由は、拒否するという意志に於いて表現されるのではあるまいか。
[風にそよぐ葦(下)]PP.464-465
しかし、どんな時代が来ても、人間の心の奥底にある、孤独感というか、一人きりでは生きて行けない、誰かを愛し、誰かを信じないでは居られない、そういう本質的な弱さ、・・・弱さと言ってもいいだろうね。・・・そういうものの美しさを信じることはできるんだよ。
[風にそよぐ葦(下)]P.536
私は罰を受けている・・・でもどうして?もしかして、人を殺したから?時々そんなふうに思います。年をとると、昔より時間がたくさんあって・・・あれこれ考えてしまう。自分の十字架を背負って行くんです。毎朝、ひざまずいて、窓の外を眺める。みんなのことをお願いするの。すべてを。夫を恨んではいないわ。許しました。彼のために祈ります。責めません。私が女の子を産んだ時、彼はしげしげと眺めて、すこし一緒にいたんだけど、非難の言葉を残して出て行ったんです。「まともな女なら戦争なんか行かないさ。銃撃を覚えるだって?だからまともな赤ん坊を産めないんだ」私は彼のために祈るの。もしかして彼の言うとおりかもしれない。そう思うことにする......これは私の罪なんだって......私はこの世で何よりも祖国を愛していた。私は愛していたんです。誰にこんなことをいま話せます?自分の娘......あの子にだけ......私が戦争の思い出話をすると、あの子はおとぎ話を聞いているんだと思ってるんです。子供用のおとぎ話を。子供のおそろしいおとぎ話を。
[戦争は女の顔をしていない]P.369
スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情と流した血に対して。
[戦争は女の顔をしていない]PP.430-431
だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵さ。人間がどうにかできるようなものじゃないんだから......。
[戦争は女の顔をしていない]PP.480-481
「本当の親か、本当の子かなんてことはね、誰にもわかりゃしないんだよ」良太郎は仕事に戻りながら、いかにもやわらかに云った、「お互いにこれが自分のとうちゃんだ、これはおれの子だって、しんから底から思えばそれが本当の親子なのさ、もしもこんどまたそんなことを云う者がいたら、おまえたちのほうからきき返してごらんーーおまえはどうなんだって」
[季節のない街]P.276
「おてんとさまばっかり追いかけるなよ」
何のことなのか理解出来ず、私は父を見た。七十年生きてきて、ようやく判ったのだと父はつづけた。自分は、日の当たっているところを見て、いつも慌ててそこへ移った。けれども、辿り着くと、そこに日は当たっていず、暗い影になっている。また焦って走る。行き着いて、やれやれと思ったら、たちまち影に包まれる。振り返ったら、さっきまで自分のいた場所に日が当たっている。しまったとあと戻りしても同じことだ。
[血の騒ぎを聴け]P.23
私は深夜、寝つけなくて、無数の映像と無数の音楽について考えた。どのような映像の彼方にも見えないものがあり、いかなる音楽からも聴こえないものがある。それを立ちあがらせるのが言語ではないか。文学は、終わるどころか、これから真の力を発揮する時代に入る。そう確信して、夜明け近くまで起きていた。文学が負けるのではない。虚無や時代への迎合というらくな階段を昇り降りし、訳知り顔に民衆をなめる作家や編集者が負けるのだ。
[血の騒ぎを聴け]P.47
文学が、結局は、死と恋に集約されざるを得ないのは、その哀しみと、そこから得るものが、数学の試験のように、一プラス一イコールニとはならないからであり、いかなる言葉を尽くしても、自分の心を表現することができないからであり、「別れ」が、なぜか個々人の人間のグラスを、ほんの少し大きくしてくれるからである。
[血の騒ぎを聴け]PP.287-288
われわれが実際に建設しているのは、投機を行うための都市であって、人々が住むための都市ではない。
[反資本主義]P.107
人が受け取ることのできる他人のあり方などほんの断片であり、一個人の持つ複雑な内面の全てを推し量ることなど決してできない。
[歌われなかった海賊へ]PP.362-363
王や神は書く必要がない。その存在は自己自身のうちで絶対的に充実しており、他者との関係を必要としない。王は書くことなく語る主体であって、自分の声をただ書きとらせるだけなのだ。
[デリダ]P.73
「一者」への結集は、「他の他者たち」に対してのみならず、「自己における他者たち」に対しても「暴力」となる。
[デリダ]P.293
そういう生まれつきの能を持ってる人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ。
 [さぶ]P.291
この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無智からきているとすれば、少なくとも貧困と無智を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。(略)「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、ーだが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富栄えている者よりも、貧困な無智のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来に希望が持てるように思えるのだ」
  「赤ひげ診療所」 P.178
見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。
「赤ひげ診療所」P.298
「……そういう人たちと別れ、戦地から戻って日銀に復職したら、なんだか妙にシャクにさわってむかむかしてきたんだな。わが身が大事のエリートが威張りくさって、トラックでわたしが一緒に働いたような、学歴のない人たちが、ここでもやっぱり下っ端として馬鹿にされて理不尽な目にあっている。こりゃなんだ、戦争は終わったのに、何も変わっていないじゃないか、と」「わたしはトラック島で部下だった工員たちに救われていた部分がずいぶんあった。そんなかれらが価値のないものとして否定されて、軍人より先に死んでいかなきゃいけないのが戦争だった。同じことが、まさにわが職場で行われているとわたしの目には映った。こ���ゃあ黙って見過ごしちゃいかん、と思ったんだな。大げさに聞こえるかもしれないが、それはわたしなりの、死者への責任でもあったんだ」
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]PP.60-61
彼らにとっての祈りとは、死者を自分の裡に住まわせてこの世を生きる、その生き方そのものではないかと思った。→デリダの幽霊
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]P.121
われわれの歴史だって、いつか、誰かによって演じられたものなのかもしれない。そしてわれわれは、その時と同じような敗北に向かって、同じような手で、コマを進めているのかもしれない。このベラミとそっくりのきちんとしておとなしい男が、かつては、象牙海岸で黒人狩りをおこない、ハイチやルイジアナへ船で運び、その途中、船倉でくたばるものはくたばるにまかせていたこともあり得る。そのベラミには、当時なんの悪気もなかったのである。いつの時代でも、ベラミには悪気はなかった。だから、始末にこまるのである。
「山椒魚戦争」 PP.242-243
市民であることとは、市民をケアすることでもあり、民主主義そのものをケアすることである。
「ケアリング・デモクラシー」 P.ⅻ
「巡礼だ、巡礼だ」暗い土堤を家のほうへ歩きながら、私は昂奮をしずめるために、声にだして呟いた、「苦しみつつはたらけ」それはそのころ私の絶望や失意を救ってくれた唯一の本、ストリンドベリイの「青巻」に書かれている章句の一であった、「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」
  「青べか物語」 -留さんと女 P.317
私は若くて阿保だったから女の絶望や不幸が情事と悦楽にひりひりした辛味をそえてくれる気配だけをむさぼっていた。甘さは苦みと手を携えて進んでいかなければ完成されないが、そうと知るにはおびただしい自身を殺さねばなるまい。当時の私は自身を殺さないでおいて、貪慾だけに没頭していたのだ。
「夏の闇」 P.58
私は自身すら愛していないのかもしれない。女のいうとおりだ。自己愛をとおして女を愛することもできないのだ。私は自身におびえ、ひしがれていて、何かを構築するよりは捨てることで自身に憑かれている。
 「夏の闇」 P.207
東は暗くて広く、西は明るくて広かった。けれど、止まったり、かけぬけたり、おりていく背も見ず、乗ってくる顔も見ず、暗いのが明るくなり、明るいのが暗くなるのを、固い板にもたれて凝視していると、東も、西も、けじめがつかなくなった。あちらも、こちらも、わからなくなった。走っているのか、止まっているのかも、わからなくなった。明日の朝、十時だ。
 「夏の闇」 P.
一〇〇メートルか一五〇メートルくらいのものである。たったそれだけ離れるともう人は夜店の空気銃におとされる人形と同じに見えてくる。渇望がびくぴくうごいた。面白半分で私は人を殺し、そのあと銃をおいて、何のやましさもおぼえずに昼寝ができそうだった。たった一〇〇メートル離れただけでビールの缶でもあけるように私は引金がひけそうだ。それは人殺しではない。それはぜったい罪ではなく、罰ももうけない。とつぜん確信があっあ。かなたの人物もまた私に向かっておなじ心をうごかしているにちがいない。この道具は虚弱だ。殺人罪すら犯せぬ。
  「輝ける闇」 P.50
使命は時間がたつと解釈が変わってしまう。だけど匂いは変わりませんよ。汗の匂いは汗の匂いだし、パパイヤの匂いはパパイヤの匂いだ。あれはあまり匂いませんけどね。匂いは消えないし、変わらない。そういう匂いがある。消えないような匂いを書きたいんです。使命も匂いをたてますからね。
 「輝ける闇」 PP.108-109
南でも北でも人びとは政治された。或る哲学者の悲痛な饒舌に私は従いたい。人びとは資格も知識も徳もない輩によって、きびしく監視され、検査され、スパイされ、指揮され、法律をつくられ、規制され、枠にはめられ、教育され、説教され、吟味され、評価され、判定され、難詰され、断罪された。
  「輝ける闇」 PP.140〜141
青年はやせこけて、首が細く、とまどったようにうなだれて口をとがらしていた。シャツがよごれたズボンのうえにはみだし、はだしの足が土によごれていた。誰かが叫んだ。一〇人の憲兵の一〇挺のカービン銃が、一人の子供を射った。子供は膝を崩した。胸、腹、腿、にいくつもの小さな、黒い穴があいた。それぞれの穴からゆっくりと鮮血が流れだし、細い糸のような川となって腿を浸し、舗石へしたたった。少年はうなだれたまま声なく首を右に、左に、ゆっくりとふった。将校が近づいて回転式拳銃をぬき、こめかみに一発射ちこんだ。血が右のこめかみからほとばしった。少年は崩れおち、柱から縄で吊され、うごかなくなった。頬と首が真紅の血に浸り、血は長い糸をひいて鼻から頭から錘のように舗石へ堕ちていった。記者やカメラ・マンたちが靴音をたてて走り、棺のまわりに群れて閃光をとばしあった。
  「輝ける闇」 P.181
わしらはキリスト教国の人間なのに汝の敵を愛せよという言葉を忘れてしもうた。それもはずかしいのじゃ。国の連中も毎日の生活にいそがしゅうてな。税金が上がったり、物価が上がったり、徴兵カードが来たときだけ本気になる。自分に関係ないことは誰も、何も、気にしよらんのだ、いまはそういう時代じゃ。恥を知らん時代じゃ
  「輝ける闇」 P.216
飛行場には飛行機が一台もなくて滑走路に芋畑をつくり、その芋からアルコールをとって飛行機をとばすのだと将校たちは中学生に真摯、激烈な演説をした。私は仲間といっしょに腹をかかえて笑いころげたが、その愚劣と一日も早く玉砕したいという憧れとは矛盾しなかった。むしろ愚劣を知れば知るだけそれは昂進していくようですらあった。
  「輝ける闇」 P.231
けれどわかったのは殺されたくなければ殺せということだけだった。 → 戦争の論理(フーコー)
  「輝ける闇」 P.281
人と人のあいだの最も人間らしい関係は静けさなのだということも知った。
 「わたしは英国王に給仕した」 P.190
この意味で、他者に対する暴力とは自分自身に対する暴力であって、このことが明らかになるのは、暴力とは私たちの社会的世界である、あるいはそうであるべき生者の相互依存を攻撃するものだ、と私たちが認識するときなのである。
 「非暴力の力」(ジュディス・バトラー)P.33
他方で、哀悼可能性の基準は、移民の諸人口はそもそも哀悼可能ではない、という仕方でこれらの決定へと組み込まれている。私たちは、哀悼され得ない人々を失うことはできない。彼らは喪失を超えたもの、既に失われたもの、決して生きたことのないもの、決して生きる資格を与えられたことのないものとして扱われているのだ。
 「非暴力の力」 P.128
世界は分断されている。「知らない」とか、「関係ない」とか、「敵だから」とか、いろんな認識での壁で分断されている。この関係の断絶は、ぼくらの倫理性を麻痺させる。人を殺すことだって、人が殺されているのを無視することだって、できてしまう。だからこそ、他者に向き合い、その姿にみすがらを映しながら、いろんな「つながり」を回復する必要がある。
 「うしろめたさの人類学」 P.20
ぼくらの手で変えられる社会のありさまに目を向ける。世の中を動かす「権力」や「構造」、「制度」といったものは、とても強大で強力だけれども、まずはそのすべてをその「せい」にすることをやめてみる。(中略)社会の現実は、ぼくらが日々、いろんな人と関わり合うなかでつくりだしている。あなたが、いまどのように目の前の人と向き合い、なにを投げかけ、受けとめるのか。そこに「わたし」をつくりだし、「あなた」という存在をつくりだす社会という「運動」の鍵がある。
  「うしろめたさの人類学」 PP.77,83-84
社会の格差を是正したり、公平さを回復したりすることは国の仕事だとされる。個人や企業は市場で稼ぎ、国はそこから税金を集めて再分配を行う。世の中はこうしてできあがっている。だから自分には直接関係ない、と。この「あたりまえ」の市場と国家の境界の線の引き方が、公平さをつくりだす「わたし」の役割をみえなくしている。
「うしろめたさの人類学」 P.178
ファシズムをうけ入れたものはすべての人の心の襞にひそむ感情である。中心的な持続的な人格が崩壊して瞬間だけがあり、本能の親和力を蔑んで、不浸透性への野望だけに窒息する衝動である。自己を他者から切り離し、省察と内面凝視に赴いて帰らず、その不毛を知ってついに自分を他者から見られるままの存在としてしか機能を意識できなくなる。(中略)この人間の原子化の時代にある私たちの不断の日常の感覚である。(中略)この時期の世界ほど、人間が過去に対するときほど、現在と未来に対して賢くなり得ない原則をさらけだしたものはほかにない。日本についてはいうまでもないことだ。
  「過去と未来の国々」 PP.228-229
心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にないことから生じて、そのことを僕達に知らせてくれるものだ。そして、僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることが出来る。
  「君たちはどう生きるか」 P.252
満員列車がやがて平野の夏のかなたからやってきた。車内の人ひどはみんな日本の無条件降伏を知っているようであったが、怒号する人もなく、嗚咽にむせぶ人もなかった。疎外荷物や、魚の罐や、イモの風呂敷包みや、バケツ、七輪、ふとん、リックサックなどのなかで人びとはおしひしがれ、体を折ったり、曲げたりして、ときどき吐息をついたりしながら窓から射しこむはげしい日光に煮られておとなしく苦しんでいるだけであった。        
ただ人びとは汗ばんで苦しんでいた。ただ"夏"だけがあった。                 
ナンナン、ナンナン               南京さん                   南京さんの言葉は                南京言葉                     
かけっぱなしにしてあったラジオがとつぜんうたいはじめた。明るく、朗らかで、清潔な、少女たちの合唱であった。                 
ふと母が怪訝そうに顔をあげた。         「ええのんかいな、こんな歌うとて」 彼女は困惑したようにつぶやいた。        「戦争に負けたのに支那人のことかろこうて、こんな歌うとて、ええのんかいな。南京さんやなんて…」
ラジオは明るく、朗らかに、清潔に中国を侮辱しつづけた。
 「青い月曜日」 PP.174-177
ーわしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証しなのだよ。その道を息もつかずに、目を見ひらいてわしは旅する。(中略)知者は行動を考えることによって生きるのでもなく、行動をおえた時考えるのだろうことを考えることによって生きるものでもなく、行動そのものによって生きるのだ
 「気流の鳴る音」 P.34
日本社会にはどうやら大きな変化があったらしかった。怜悧で、確実で、逸脱を知らない、時計のように平安で冷酷なものが主役として登場したのだ。まだ焼跡はいたるところにあった。しかしいたるところに家やビルが建ちはじめていた。商人たちは戸外で叫ばなくなった。闇市は市場となった。物や食品はいくらでもあふれ、人びとははそれを並べることよりは飾ることに心を砕いていた。新聞や雑誌に登場する知識人たちの声はたちあがるまえにすわることを考える姿勢を匂わせた。
「青い月曜日」 P.412
〈外の世界〉から来たものや帰ってきたものが、その内面の世界を共有することなしにたんに外面からながめられるとき、それはこの世界の秩序へのたんなるスキャンダルとして、すなわち欠如や違和として存在する。いいかえれば痴者、あるいは狂者として対他存在する。
  「気流の鳴る音」 P.77
今日の世界状況のなかでは知識人に残された選択の道は、三通りあるように思われます。それは共犯か臆病か拷問です。               もしかしたら、第四の道が残っているかもしれません。自分の精神的規範を裏切らないこと。いかなる状況の下でも、いかなる抑圧にも自分のなかにある絶対的な明確な視野をもった精神を否定しないこと。このなかに、唯一、精神のかけがえのない自由と高貴さがあります。
「カレル・チャペックの警告」 PP.67-68
私たちに代わって行動し決定する全権をその一枚の投票権で与えるというのは、そう些細なことではありません。もし人物によって決定しようとするのだったら、単に言葉によってではなく、誰が何をしたかによってもその人物を考えてもらいたい。政治を耳だけで判断しないこと。
 「カレル・チャペックの警告」 PP.101-102
行動の「意味」がその行動の結果へと外化してたてられるとき、それは行動そのものを意味深いものとするための媒介として把握され、意味がふたたび行動に内化するのでないかぎり、行動それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。生きることの「意味」がその何らかの「成果」へと外化してたてられるとき、この生活の「目標」は生そのものを豊饒化するための媒介として把握され、意味がふたたび生きることに内在化するのでないかぎり、生それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。
 「気流の鳴る音」 P.151
いっさいの価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値というものがある。
「気流の鳴る音」P.210
恐ろしいのは、このような集団的残虐行為を見てもほとんど苦痛も軽蔑も感じなくなる、それどころか、そのうち今日の全世界の状況をみても恐怖も反感も感じなくなくなるのではないかということである。(中略)犯罪は犯罪であり、常に犯罪として宣告され、また未来においても宣告されるだろうことが、執拗に繰り返されなければならない。(中略)無関心な沈黙は悪しき行為である。それは悪逆非道な行為にたいする共犯である。だから、私たちは人類社会の大きな連帯から離反せずに、せめてこの共犯だけは犯さないように、精一杯、心を引き締めていよう。
 「カレル・チャペックの警告」PP.140-141(1938)
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reportsofawartime · 11 months
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クリス・ヘッジズ: 私はアルジャジーラのアラビア語放送のスタジオで、ガザ市からのライブ中継を見ています。ガザ北部のアルジャジーラ記者は、イスラエル軍の激しい砲撃のため、ガザ南部への避難を余儀なくされた。彼はカメラを置き忘れた。彼はガザ最大の医療複合施設であるアル・シファ病院でそれを訓練した。夜です。イスラエル軍の戦車が病院の敷地に向かって直接発砲する。水平方向に長く赤色が点滅します。病院への意図的な攻撃。意図的な戦争犯罪。重病人や幼児を含む最も無力な民間人の意図的な虐殺。その後、フィードが死んでしまいます。 私たちはモニターの前に座ります。私たちは沈黙しています。これが何を意味するかはわかっています。力がない。水がない。インターネットがない。医療用品はありません。保育器の中にいるすべての乳児は死にます。すべての透析患者は死にます。集中治療室にいる人は全員死ぬでしょう。酸素を必要とする人は皆死んでしまいます。緊急手術が必要な人は全員死亡します。そして、容赦ない爆撃で家を追われ、病院の敷地に避難してきた5万人はどうなるのか?私たちもそれに対する答えを知っています。彼らの多くも死ぬだろう。 私たちが目撃しているものを表現する言葉はありません。 5 週間にわたる恐怖の中で、これは恐怖の頂点の 1 つです。ヨーロッパの無関心は十分に悪い。米国の積極的な共謀は計り知れない。これを正当化するものは何もありません。何もない。そしてジョー・バイデンは大量虐殺の共犯者として歴史に残るだろう。彼が殺害に関与した何千人もの子供たちの幽霊が、彼の残りの人生につきまといますように。 イスラエルと米国は、世界の他の国々にぞっとするようなメッセージを送っている。ジュネーブ条約を含む国際法や人道法は無意味な紙切れです。イラクでは適用されなかった。ガザでは適用されない。私たちは爆弾とミサイルであなたの近所や都市を粉砕します。私たちはあなたの女性、子供、老人、病人を理不尽に殺害します。私たちは飢餓と感染症の蔓延を画策するために封鎖を設置します。地球の「下等な種族」であるあなたたちは問題ではありません。私たちにとってあなたは絶滅すべき害虫です。私たちはすべてを持っています。もし私たちから何かを取り上げようとしたら、私たちはあなたを殺します。そして私たちは決して責任を負いません。 私たちは自分たちの価値観のために嫌われているわけではありません。私たちが嫌われるのは価値観がないからです。ルールは他人にのみ適用されるので、私たちは嫌われます。私たちには違います。私たちが嫌われているのは、無差別虐殺を行う権利を自分たちに傲慢に主張しているからです。私たちが嫌われるのは、無情で残酷だからです。私たちが嫌われているのは、私たちが偽善者であり、民間人保護、法の支配、人道主義を語りながら、160人の子供を含む毎日数百人のガザの人々の命を奪っているからです。 イスラエルは、数百人の死者を出したガザのアル・アハリ・アラブ・キリスト教病院爆撃容疑で非難されたとき、憤りと道徳的怒りで反応した。イスラエルは、この爆撃はパレスチナ・イスラム聖戦が誤って発射したロケット弾によるものだと主張した。ハマスやイスラム聖戦の兵器庫には、病院を襲ったミサイルの巨大な爆発力を再現できたものは何もない。ガザを取材してきた私たち人間は、このイスラエルの比喩を、不気味なほど何度も聞いてきた。彼らは常にハマスとパレスチナ人の戦争犯罪を非難しているが、現在は病院がハマスの司令部であり、したがって正当な標的であると主張しようとしている。彼らは決して証拠を提供しません。イスラエル軍と政府は息をするように嘘をつきます。 アル・シファで職員が勤務する国境なき医師団は声明を発表し、患者、医師、看護師が「銃撃を受けて病院に閉じ込められている」と述べた。同団体は「イスラエル政府に対し、ガザの医療システムに対する容赦ない攻撃を中止する」よう求めた。 「過去24時間にわたり、ガザの病院は容赦ない砲撃にさらされている。 MSFスタッフが今も勤務している最大の医療施設であるアル・シファ病院複合施設は、産科部門や外来部門を含む数回の攻撃を受け、複数の死傷者を出している」と声明には記されている。 「病院周辺での敵対行為はまだ続いている。 MSFチームと数百人の患者は今もアル・シファ病院内にいる。 MSFは病院への攻撃の停止、即時停戦、医療施設、医療スタッフ、患者の保護を緊急に改めて求める。」 ガザ北部とガザ市にある他の3つの病院はイスラエル軍と戦車に包囲されており、ある医師はアルジャジーラに対し「病院に対する戦争の日」だと語った。インドネシア病院も停電したと伝えられている。国連人道問題調整事務所(OCHA)は、ガザにある36の病院のうち20病院がもはや機能していないと報告している。 イスラエルとワシントンの皮肉は息をのむほどだ。趣旨に違いはございません。ワシントンはただそれを早く終わらせたいだけだ。人道回廊?砲撃は一時停止しますか?これらはガザ北部の完全な人口削減を促進するための手段です。ラファのエジプト国境通過を許可された数台の援助トラック?広報ギミック。目標はただ一つ、殺して、殺して、殺して。速ければ速いほど良いです。バイデン当局者が話しているのは、イスラエルがガザの破壊を終えた後に何が起こるかということだけだ。彼らは、ガザ人が地区南部で避難所もなく野外で暮らし、食糧、水、医療の不足で死に至るまで、イスラエルによる虐殺は終わらないことを知っている。 イスラエルが地上侵攻する前のガザは、地球上で最も人口密度の高い場所の一つであった。北部の110万人のガザ人に南部の100万人以上のガザ人が重なったら何が起こるか想像してみてください。コレラなどの感染症が流行したときに何が起こるかを想像してみてください。飢餓の惨状を想像してみてください。何かをしなければというプレッシャーが高まります。そしてイスラエルは、パレスチナ人を国境を越えてエジプトのシナイ山脈に押し込むことを望んでいる。一度そこに行ってしまうと、彼らは決して戻ってくることはありません。イスラエルによるガザ地区の民族浄化は完了するだろう。ヨルダン川西岸の民族浄化が始まるだろう。 それがイスラエルの狂った夢だ。それを達成するために、彼らはガザを居住不可能にするでしょう。 もしあなたがガザのパレスチナ人で、武器を手に入れられたらどうするだろうか、と自問してみてください。もしイスラエルがあなたの家族を殺したら、あなたはどう反応しますか?国際法や人道法は抑圧者には適用されず、抑圧された者にのみ適用されるとわかっているのに、なぜそれを気にするのでしょうか?テロがイスラエルがコミュニケーションに使用する唯一の言語であり、明らかに理解できる唯一の言語であるなら、あなたはテロで言い返さないでしょうか? イスラエルの死の乱交はハマスを潰すことはない。ハマスというのは一つのアイデアだ。この考えは殉教者の血によって養われています。イスラエルはハマスに豊富な物資を与えている。
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chiaroscuro-lily · 1 year
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皆様ごきげんよう、またまた私です。
はい、そうです祈織です。🖋🌓
今回からメンバーブログというものを始めることになりまして、やはり1番手はお前だろうということでこうして記事を書いている訳であります。
メンバーブログというのはそれぞれメンバーが自分のことや考えたことをテーマに沿って自由に更新していくものとなっております。
更新は不定期となりますが、皆様の暇な時にでも楽しんでいただけたらなと思っております。
テーマはその都度皆と話し合って決めていくのですが、今回は初回ということもありまして
⒈自己紹介・好きな物
⒉主催祈織との馴れ初め(主催はメンバーのことでも語ってろ)
こんなラインナップとなっております。
……いやその2番目のやつ何??と私も思うのですが…
何故か皆がノリノリであるが故に…ご了承くださいませ(?)
では早速自己紹介から始めていきましょう。
名は祈織(きおり)、由来は私がキリスト教系の高等学校へ好奇心で入学したことからはじまります。
まあそのうち語るかもしれないので今回は割愛しましょう。
小さい頃から本が好きで…と言っても読む量はたかが知れていますが…
小学校3~4年生の時に図書館の伝記を読み尽くし(今となっては何も内容を覚えていない)、何か暇だなと思ってファンタジー小説を読み始めてから、脳内ファンタジーや厨二病(?)を患うようになります。
陰キャだし友達居ないし…ってことで、グラウンドに出て健康的に遊べと圧をかけてくる小学校教師に聞き分けのいい子供の演技をしながら教室を出て、そして図書館に入り浸る…そんな人を欺く術を取得しつつある子供時代です。
私が思う子供時代はこんな感じですが、はるたんに聞くとどうやらそうでもないらしく。
彼女が私との馴れ初めを語る回を楽しみにしている自分がいます。
創作を始めるようになったのは中学生の時で、その時からはるたん含め当時のいつめんと言う名の身内の間で創作が大ブーム。
皆で交換小説を書いたりイラストを書いたり(私は描けない)、私は曲を作ってみたりと楽しい日々を過ごしていました。
当時ボーカロイドが流行っていた関係もあり、そうか…!一般人でも曲って作っていいんだ…!(それはそうだろう)といたく感動した私ですが、そうして始めた曲作りは大した機材もないのでピアノでリズムを作って五線譜に書き殴って無料ソフトに暗号化して打ち込んで…みたいな感じです。どこに出す訳でも無く完全に自己満足の世界でしたね。私のクソ雑魚ピアノスキルでは弾けないような曲を演奏させてニコニコするだけの遊びです。
ピアノに関しては幼稚園からやっているというのに一向に成長しません。練習も飽きてしまいますし。
自分ってもしかして才能ある…?と気づいたのは小学生高学年から管楽器と出会ってからです。私の担当はアルトサックスでしたが、学校の楽器に『華子』と名付けて可愛がるまでになります。
どんな時間も楽器触りたい!と思っていました。
今振り返ってみても吹奏楽部時代はもう一度やりたいと思えます。それくらい楽しかったです。
百合が好きになったのは高校時代の環境と見ていたアニメ等の影響だったかと思います。
男女間の仲が悪いクラスで、男子との関係で何度も病んでゆく友達を見て絶対同性同���で過ごした方が平和なのに…などと言うある意味若さともとれる穿った考え方で視聴したアニメ作品はどれもキラキラして見えたものです。
今となっては人が人を想う気持ちはどれも尊いでしょうけれど、女の子が複数人いて互いに抱くどんな感情も何にも代えがたい尊さを持つ唯一無二のものであるなぁという気持ちです。
百合万歳。
最近好きなものは各国の神話や美術、科学など所謂マニアックなものばかりで、中々今は商業百合作品を楽しむところまで時間の関係でも行けておりません。
根が考察ヲタクなので考えることができるコンテンツに沼りがちですね。
例えば某夢の国。普通に行っても楽しいのですがやれあの山の柱状節理が気になるだの、あの島の発電システムが気になるだの、歴史的背景を踏まえた備品の数々、そしてその関係性。
それらを見に行くために年パスを買って一人で行くなどしたこともありましたね。
ショーやパレードも素晴らしく、演者の演技力を堪能し、いつしか写真に残しておきたくなった私はここでカメラを始める訳です。
勢いで一眼レフを購入し、誰に教えられる訳でも無く勘とフィーリングとノリで弄り倒す私ですが最初の写真の酷いこと酷いこと。それでもあの時は綺麗に撮れた!なんて喜んでおりました。
音楽やカメラで分かったことですが、努力することを苦だと思った時点で成長は見込めないのだなぁなどと思う訳であります。楽しいと思うことは才能であると、そんな気がしますね。
楽しいから私は本の世界でファンタジー脳や厨二病を拗らせるし、一人で美術館に行くし、神話や神社の御祭神を調べてはニヤニヤするし、一人で某夢の国行って一日中遊んで帰ってくるし、一人でカラオケ行くし、曲だって作るわけです。
こんな感じで人からよくズレてるだの癖が強いだのと言われる主催ですが、次のテーマである主催からみたメンバーのことにでも触れてみようかと思います。
まずは柘榴。☕️🍎
第一印象は何この美少女。です。
最近気づきましたが私実はメガネフェチだったらしく、彼女と初めて会った時にしていた縁の太いあのメガネが忘れられません(?)。
後から聞いたら花粉症でコンタクト入れられなかったってだけだったそうです。おお神よ…。
あと柘榴は某夢の国での私の考察(奇行)に付き合ってくれた1人でもあります。
好きになるものは大体同じで、カフェ巡りしたりバレエ見に行ったり一緒にロリィタ服買ったりお揃いのアクセ買いまくったりと色んなところに行ったなあ…。運命共同体ですし。
そんな彼女が最近めざましい成長を遂げているのがアクセサリー作り。撮影で使うロザリオとブローチを短期間で全員分自作したのはこいつです。なんつー集中力だ…。
店でもやるんか?って位のクオリティまで持ってきて頂いてただただ感謝。引き続きグッズ制作の程��しくお願いします。
柘榴が心血を注ぎ作った小物…そのうち特集してもいいかもしれませんね。
次ははるたん。🫧‪🐑
第一印象?ンなもん忘却の彼方です。
彼女とは幼稚園からの仲ですし最古の記憶を辿っても何も思い出せません。気づいたら隣にいたタイプの人です(?)。
でもはるたんは私よりも過去の記憶があるらしいです。ごめんて。
とりあえず昔から彼女の言葉選びや画力には目を見張るものがありましたし、性格も良いし、可愛いし。
人を絶対攻撃しないタイプです。 その代わりめちゃくちゃ抱え込んで我慢するけど。口堅いし。
あとめちゃくちゃ私を褒めてくれるので好き。
なんで?君の方が凄いよ才能あるよ天才だよ!!…という言い争いが日常的に巻き起こります。これが愛と平和。
心が荒んだ時ははるたんを見ましょう。きっと貴方を癒してくれるはず。全人類のラッキーアイテムははるたんの短歌。はるたんのTwitterにて掲載中。是非待ち受けにしましょう。
次はいーちゃん。🎪🍫
彼女とは柘榴経由で知り合った子です。
まだ知り合って日が浅いというのに大分濃い絡みしてる気がする。当社比。
彼女は思慮深く、頭が良いという印象。あとかわいい。
この前とある企画展に2人で遊びに行ってきたのですが、その対象の歴史を完璧に予習してきていてめちゃくちゃビックリした思い出。
どうやら歴史や民俗学に興味があるらしく、神話の情報極振りの私とは違って非常にバランスが良いです。
考察が捗ります。感謝。
私服もめちゃくちゃ可愛くて…というか私の好みすぎて、大体いーちゃんとの待ち合わせで私の第一声は「かわいいいいい( ´ཫ`)」です。
あとはセルフプロデュース能力が高いです。
今後小説のキャラクターのビジュアルを公開する予定ですが、その全てが天才的。確実に作りこんで、仕上げてくる…しかも創作未経験で。是非そのキャラデザも皆様に見ていただきたい所。お陰様で私とはるたんの推しは彼女の担当キャラクターです。何卒我らが推しを宜しくお願いいたします。
次はみけ。🍓🎀
みけとは最初某夢の国ヲタクと言う点で仲良くし始めた子でしたね。
ハキハキしていてコミュニケーション能力が高め。
知らない人とでも臆せず話せちゃうって才能だよな…とか思います。でも別にグイグイ来るような不快感は一切ない。
きっと他人を思いやる姿勢が初期装備であるんだろうなぁなんて思います。あと顔が良い。
今後いくつ作品を作ろうとも彼女を主人公に当てたくなる…!そんな感じです。
そして私との距離が一気に縮まったのはお互い百合ヲタクだということに気づいた時。
お互いになんでそんな話題になったんだっけ???となってる訳ですがこれはもう導きということで。
鬼スケジュールをこなしてる大人気コスプレイヤーさんなので遊べる機会は今となってはあまり無いですが、一緒に創作しよ!と言ったら快く乗ってくれました。感謝。
顔も可愛くて声も可愛くてイラストも可愛い彼女のTwitterは必見です。全員フォローせよ。無料で幸せになれます。
次はゆーやさん。🥀🦋
出会ったきっかけは確かTwitterのロリィタさんと繋がりたいタグとかその辺だった気がする…。
…え?そうですよね?(急に不安になるやつ)
私がゴス会に憧れを抱いていることを知りわざわざゴス会を開催してくれたという聖人。
いいんですか?そんな、わざわざ主催してくれるなんて…!!と言った私に「いいんですよー、その代わり祈織さんが何か主催してくれた折には私も参加させてもらえれば」と言ってくれたゆーやさんが私が作った百合創作サークルに参加してくださっているのはなんの因果なのか。
…っていうかこれで合ってる?
そうして数年越しに再会したきっかけがこのサークルという私にとってなんとも運命的な方です。あと顔がいい。
センスが良くて気遣いもカメラの腕も一流なので創作でめちゃくちゃ助けられています。感謝。
撮影時のメインカメラはほとんどゆーやさんがされていますのでご覧いただけたらプロの所業が分かっていただけることかと思います。Twitterの投稿写真や今後公開するHPの素材として使っているので是非見てください。一瞬だけでも!お願い!
次はゆう。🌕🦊
ゆうは百合好きという共通点から知り合った子ですね。
百合を表現する、という点であの時はよく2人で撮影したり企画話し合ったりしましたね。
これがやりたい!という要望を沢山出してくれるし、レスポンスも爆速で返してくれるのでめちゃくちゃやりやすかった印象。
そんなゆうですが、本人談では本来重度の人見知りらしく。
初対面で一日中遊んだっていうこともあり私は全然そんなこと感じなかったですね。
そして顔が良い。彼女の撮影時の表情が好きなんですよね、あの時は専ら私がカメラマンでしたから。
特に憂いを帯びた表情が破壊力強めです。今ここに公開してやりたいくらいです。
今後の撮影に乞うご期待です。暫しお待ちを。
最後にゆしあさん。
彼女は唯一会ったことがないメンバーです。
メンバーブログ等SNSの発信は今の所やる予定がありませんが、一応私目線だけは綴っておきましょう。
会ったことはないですが、きっと誰よりも私の性格や本質を把握していることだろうと思います。
なぜなら人生や価値観について彼女と電話で語っていたらいつの間にかオールしてたみたいな事を何回も繰り返しているからです。
こんな深い話人としないでしょうよって事を長時間話しているのです。いや、そりゃ���お互いに把握してしまいます。
しかも楽しくて時間が経ってる、みたいな体感なので余計に私の中で唯一無二の存在ですね。
私は早寝の民なので途中寝落ちて復活してを繰り返していますが…彼女はずっと変わらぬクオリティでお話してくれます。いつか勝ちたい。
性格は明るくて話しやすくて。あとすっごく真面目。
私の身に起きた嫌な思い出に自分の事のように怒ってくれる優しい人でもあります。
そして博識。彼女自身の環境的な側面もあるでしょうが、彼女の体験談や知識は非常に興味深いです。
彼女の知識は創作、シナリオの面でかなり活躍してくれています。感謝。
彼女のおかげで小説の世界観はかなり深みのあるものとなったのではないでしょうか。
小説に乞うご期待、ですね。私も頑張る。(白目)
さてさて、私はここまでで一体何字書いたのか…字書きとしては気になり始めるレベルまできていますね。
ここまで長くするつもりは無く、軽い気持ちで読めるブログを目指すはずだったのですが……はて。
ここまで読んだ人は居るのでしょうか…。
もし居るのならばスクロールしたその手は腱鞘炎にでもなっていることでしょう。
ありがとうございます。お疲れ様です。
今日は湿布でも貼ってゆっくりと休んでください。
最初は 自分のこともメンバー全員分のことも書くんかい!と思いましたが、皆様に主催目線のメンバーのことを知っていただくいい機会になったのではと思います。
如何だったでしょうか?
他にも皆でこんなテーマを話して欲しい等希望がありましたらコメント欄でお聞かせいただければと思います。
次のメンバーブログの担当は柘榴☕️🍎です。
きっとここまでの長文にはならないでしょう。多分ね。
貴方のその手の腱鞘炎が治ったらまた遊びに来てください。
ではまた。
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gupaooooon · 1 year
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先日のNoBarbenheimerの件について。
大事なフェミニズムの視点も込みで、アメリカのエンタメにおける“原子力爆弾”の歴史を解説したハフポストからの記事。
悪質なミームが加速するまでと、そのミームに抗する為のNoBarbenheimerのタグも日本の差別主義者や極右の参入によって差別扇動に利用されてきている側面についても解説したシネマンドレイクさんのブログ記事。
重要だなと思うので、改めて、Tumblrにも共有。
「アメリカのエンタメ作品における核兵器や原子力の描かれ方は、同国の1950年代のジェンダー問題とも関連していると宮本さんは指摘する。
「1950年代当時、アメリカは『ソ連が持っている核は怖いけれども、私たちが持っている核はコントロールできる』と国民に思わせる必要がありました。その宣伝のために、女性が使われました。
例えば、両手を高く挙げたブロンドヘアーの女性が、コットンでできたキノコ雲型の水着を着て笑う『ミス・アトミック・ボム』コンテストの写真は象徴的です。女性性が過度に付与され、女性と同様に原子力も『使いこなせる』対象として表現されていました」」
「〜〜実際、日本における原爆へのタブー視も、相手を攻撃するための格好の材料として利用されてきた歴史があります。例えば、原爆をカジュアルに扱った人(もしくは作品)を見つければ、とくにそれが自分のもとから気に入らない人間(もしくは作品)であれば、「批判材料をゲットした!」と有頂天になってノリノリで非難する…といった感じです。
本来は「核兵器のない世界を作る」という理念を共有してこその批判になるはずなのに、単に目の前の相手を叩き潰したいだけの自己満足が動機になっており、それは理念を逸脱するどころか、理念とは真逆の反平和的な行動でしょう。
「Barbenheimer」でもその「有害なインターネット・ミーム」連鎖反応が観察できました。というのも『バービー』は、映画内にフェミニズムやLGBTQ要素が含まれていることもあって、もともと保守層(アンチ・フェミニズムやアンチ・LGBTQを含めたいわゆる「反woke(反ポリコレ)」)から嫌われていました。
なので「Barbenheimer」が日本で問題視された際、いわゆる「インセル」的な人たちがここぞとばかりに「やった!俺たちの嫌いな映画が墓穴を掘ったぞ!」とノリノリで批判に乗っかり、自己主張を展開していく姿がよく確認できました。
「#NoBarbenheimer」という原爆への適切な認識を呼びかけるためのタグも、この集団によって女性差別などの道具として利用され、今度は「#NoBarbenheimer」が「有害なインターネット・ミーム」化してしまうという残念な惨状に部分的になっています。」
(自分が先日投稿した……被爆国は「日本だけ/日本人だけ」ではないこと。日本がいかに、未だに(原爆に関わることだけでなく)戦争責任/加害の歴史に向き合っていない国であるか、核廃絶の取り組みを否定し背を向け核利用に擦り寄っている国であるかについての、記事の共有投稿も、繋げます)
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shredderwastesnow · 1 year
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クィアたちのZINE交換【後編】
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前回の記事に書いたが、ZINE交換会で、私は7冊のZINEをいただいた。 今回の後編では、それぞれを読んだ感想をまとめてみる。
※作者がセクシュアリティをどの程度オープンにしているか分からないため、ZINEの作者名は伏せています。 ※オンラインで公開・販売されているものについては、末尾にリンクを貼っています。
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■「ノンバイナリーがわからない」というテーマ詩またはエッセイ シンプルな紙面から、生きているだけで「男/女」と申告させる社会への失望が伝わってくる。これまで深く知る機会のなかった生きづらさに気付かされる。 「お兄さん」「お姉さん」という呼びかけも、時として相手のメンタルを削ることを学んだ。会話の端々で、知らず知らずのうちに相手を「男/女」のカテゴリーに当てはめていたかもしれない……と怖くなる。
「男/女」のあわいにいる人と同じ社会に生きているのだと、もっと意識して生活しなければと思う。 そして、無意味な性別の振り分けをなくす方向に社会を変えることも必要だ。当事者を死に追いやるレベルの苛烈なトランスヘイトが実際に起きている今、一層強く感じる。 シスジェンダーの自分には、まだまだ見えていないことがあると気付かせてもらえた一冊。
■YOGA HAMSTER STAMP ヨガのポーズを、素朴なハムスターのイラストと共に解説するZINE。 モフモフしたハムスターが、1ページごとに「チャイルドポーズ」「猫のポーズ」などを決めている。手足が短いなりに頑張っていて可愛い。
様々な研究で、クィアが精神を病む率は、そうでない人よりも高いことが分かっている。 体をほぐし、リラックスする時間を意識的に取ることも、クィアとして豊かに生きる上では大事だなと認識した。いや……いっそハムスター飼う?
■LIFE LIFE LIFE vol.3 そうだ、京都行こう 写真が趣味の6人(Gender Identityは男性寄りと思われる)が、京都で撮った作品をまとめたZINE。 作品と共に、撮影エピソードも載っている。歴史ある町並みや自然の佇まい、旅の興奮が伝わってくる。
ZINE作りに参加した6人のうち、3人は一緒に撮影旅行をしたそう。 1人では挑戦しづらい着付け体験に連れ立って行き、着物姿で街を散策しながらお互いを撮り合う。スーパーで食材を買い、airbnbの宿で一緒に料理をする。朝は古い喫茶店でモーニングを楽しみ、香り高いコーヒーを優雅に味わう。 エッセイパートで若者たちの予測不能な旅の面白さを追体験しながら、友達が家庭を持ってしまった今はこんな旅行もしづらくなった……と少し切なさもよぎる。
なお、この3人のうちの1人が、旅先で気分が落ち込んでしまったときに2人がそっとしておいてくれて嬉しかったと書いており、印象に残った。 自分が相手より優位に立っていることをアピールしたり、キャバクラなどの空間で女性にケアしてもらいながら親睦を深めたりする「ホモソーシャル」なノリではなく、お互いに褒め合ったりケアし合ったりする友情の育み方が、読んでいて気持ちよかった。 作者のクィアネスについては特に触れられていなかったが、シスへテロ男性らしさを要求されないコミュニティが、作者の精神を支えているのかもしれない。
■Q&Q スモールトークが苦手なわたしのための質問カンペZINE A6版の手に収まるサイズ感と、ポップなイラスト、ドミノピザの箱のような色使いが可愛い。 イベントで初対面の人と実のある対話ができるようにという心遣いから、各ページに「今日はどうしてこちらへ?」「今の社会に足りないものはなんだと思いますか?」などの質問が並び、読者(ユーザー?)はページを指差したりめくったりして会話を進めるという仕組み。便利!
趣味や好きなカルチャーに関する比較的軽い質問もあれば、「どんなジェンダーの相手とでも、友情は成り立つと思いますか?」「自分の力で社会は変えられると思いますか?これまでに何か変えられた経験はありますか?」など、ぱっと答えられないような深い質問もある。
後ろの方には、作者が推している海外ドラマや本などの紹介も付いていて、世界が広がる。 最近はセクシュアリティの問題を扱った作品の数が増えて嬉しい反面、作り手側に深い理解や考察のない作品は観ても傷つくだけなのでうかつに手を出せないという現実もある。 セクシュアリティについて日々真剣に考えている人から、口コミで良作を教えてもらえるのは有難い。
読んだのがイベントから帰った後だったので、作者の方と会場でこれを使って喋れたら更によかったかも。次回に期待。
★おまけ★ 「どんなジェンダーの相手とでも友情は成り立つか」について: 友達になれないと感じるジェンダーの人は思い浮かばないが、テレビに出ているゲイやトランスジェンダー(ドラァグクイーン)に時折見受けられる「自由=性的に奔放」という考え方は苦手だなと思う。 タレントの恋愛相談に「積極的にどんどん行っちゃいなさいよ!そうやって経験を積んで人は大人になるんだから~」と答えるオネエ言葉の人たちは、恋愛やセックスをしない自由という発想がなさそうなので、友達になれる気がしない。知り合い止まりにしたい。 でも、あの人たちも、テレビが作り上げたステレオタイプを演じさせられているのかもしれない……どうなんだろう。 ドラァグクイーンでも文化人寄りのヴィヴィアン佐藤さんあたりは、恋愛相談に対してもっと深みのある言葉を返すのではないかと思う。
■アセクシュアルである私がどのようにしてサトシに救われ、今回の件でどのようなことを考えたか 2022年の冬、25年もの期間にわたって放送されてきたアニメ版ポケットモンスター(以下「アニポケ」)の主人公が、次のシーズンからサトシではなくなることが発表された。 このニュースは、アニポケのオタクであり、アセクシュアルでアロマンティック傾向のある作者にとって、人生を揺るがす出来事だった。
作者は、小学校時代から自身のセクシュアリティを自覚し、友人の恋バナについてゆけず疎外感を味わってきたという。 恋愛に無頓着でありつつポケモンバトルに魂を燃やし、そのまっすぐな生き方で人々に愛されるサトシの姿は、作者にとって救いだった。 脚本を書いた人は意図していなかったかもしれないが、テレビの前でアニポケを観ていた一人の小学生は、恋愛がなくても充実した人生を送ることができるというメッセージを受け取ったのだ。
主人公の少年が戦いを通じて成長するストーリーの少年向けアニメでは、多くの場合、サイドストーリーとして恋愛が描かれる。 「るろうに剣心」「NARUTO」「鬼滅の刃」など、主人公と女性キャラクターのカップルをぱっと思い浮かべられる作品は多い。 これらの恋愛は基本的に異性愛であり、同性カップルは登場しない。ほとんどの少年向けアニメの世界観は、シスへテロ恋愛規範に基づいていると言えるだろう。 こういった状況にあって、物語に恋愛を持ち込まないアニポケは、作者にとって抵抗なく楽しめる希有な作品だった。 サトシに好意を持つ女性キャラクターが登場しても、サトシにはぴんと来ず、「そんなことよりバトルしようぜ!」という態度を取る。そして、周囲はそんなサトシを責めたり馬鹿にしたりせず、「まあサトシだからね」と受け入れる。 こういった物語に触れることで、恋愛感情の湧かない作者は、自分自身も肯定されたと感じていた。
しかし、サトシが主人公のアニポケは、もう制作されない。作者の心の支えが、一つ失われてしまうのだ。
そして作者が危惧しているのは、「NARUTO」→「BORUTO」のような続編への移行だ。 「NARUTO」の続編である「BORUTO」は、「NARUTO」の主人公うずまきナルトとヒナタの息子が主人公。 この展開によって、主人公が異性と結婚して家庭を持つ=ハッピーエンド、という原作者と制作者の世界観が鮮明になった。 もし、同じように次期アニポケの主人公がサトシの子供になってしまったら――それはつまり、制作者の中に、「バトルに熱中していた少年も、大きくなれば異性を好きになって恋愛→結婚・セックスするのが当たり前」という考え方があることを意味する。 これまでアロマンティックやアセクシュアルを肯定する存在だったサトシが、シスへテロ恋愛の模範として再定義されてしまうことを想像し、作者は何度も泣いたという。 やり場のない不安を整理すべく、このZINEが作られた。
このZINEが突きつけてくるのは、恋愛や性愛のない人生を肯定してくれる物語の少なさだ。 純文学などの中には探せばあると思うが(谷崎潤一郎「細雪」とか)、沢山の人が楽しむアニメや漫画などのポップカルチャーの中に、主人公が恋愛なしで満たされている作品を見つけるのは難しい。 2022年、主人公がアロマンティック・アセクシュアルのドラマ「恋せぬふたり」がNHKで放送され、話題を呼んだ。 このような、恋愛に縛られない幸せの形を提示できる物語が、もっと作られてほしい。 そして、私も何か書けるかな……。
https://note.com/ichijosayaka_59/n/n93046e8a589f
■2306 最悪のプライド月間を、なんとかやり過ごすZINE 1968年にアメリカで起こったクィアによる反差別運動(通称「ストーンウォールの蜂起」「ストーンウォール事件」)にちなみ、6月は「プライド月間」とされている。 今年の6月も、世界各地でセクシュアルマイノリティへの理解を深めるキャンペーンやイベントが行われた。 日本でもこうした取り組みは盛り上がりを見せたが、一方でLGBT理解増進法案が保守勢力によって骨抜きにされるなど、国や社会によるクィアへの抑圧が鮮明になるような出来事もあり、国内のクィアにとっては希望を感じづらい1ヶ月となってしまった。
このZINEには、ゲイであり鬱療養中の作者がこの6月をどう過ごし、何を考えたかが記録されている。文章の合間にゆるい漫画や犬の写真が配置されているので、深刻な内容があってもそこまで肩肘張らずに読めて有難い。
鬱によって思い通りに動かない身体。過去に受けた性被害のトラウマ。 反差別というメッセージが限りなく薄められたLGBT理解増進法案や、SNSでのトランスバッシング。 彼氏が両親の留守中に犬の世話をするため実家に帰ることになり、こっそり同行させてもらうという楽しいイベント。 彼氏が両親にカミングアウトしていないため���表向きは友人を装わなければならない現実。 彼氏と犬のユズちゃんと共に過ごした穏やかな時間。 無職である後ろめたさ。梅雨時の湿気。 その時々の作者の感情が、グラデーションになって迫ってくる。
二人と一匹の間に流れる温かい空気を感じながら、二人が堂々と一緒に暮らせないことを悔しく思う。 また、病気などの理由で一日八時間労働が難しい人が社会から零れ落ちてゆくような現状も、もっと改善できないものかと感じた。 (「Marriage for All」に署名し、選挙の時も人権意識のありそうな人に投票するようにはしているが、まだ足りないんだろうな……。) 一応、作者が欲しいものリストを公開した時に、応援を込めて1品ポチッとした。まだ足りないだろうけど。
※「はじめに」のみ公開 https://nigenige2020108.hatenadiary.jp/entry/2023/06/30/090000
■恋愛も結婚もセックスもしたくない人がいるんです アロマンティック・アセクシュアルである作者が、自身のこれまでの人生と現状、将来のビジョンをエッセイ漫画にしたZINE。
作者は30代で、性自認は女性。アロマンティック・アセクシュアルでありつつ、BLが好きで百合も読む「腐女子」。 自分が恋愛や性愛の当事者になりたくはないが、フィクションの恋愛や性愛は読者として楽しめる、ということになる。
恋愛を経ての結婚をする気はないが、何かあったときに助け合える人がいてほしい気持ちもあり、いわゆる「友情結婚」にも興味がある。 助け合うことと恋愛・血縁が分かちがたく結びついている現代社会では、恋愛感情や性欲がなかったり少なかったりすると孤立しがちだな……と改めて認識する。 「恋愛経験がない/少ない=人間的に未熟」というバイアスに苦しめられるくだりは、共感しかなかった。
平日は金融機関で働き、週末にオタ活を楽しむ作者の人生は、ちゃんと充実している。 変わるべきは、「人生には恋愛と性愛があるべき」という価値観を振りかざし、無駄なコンプレックスを味わわせる世間の側だろう。 恋愛・性愛のない豊かな人生はあり得るという希望を見せてくれる、爽やかな読後感のZINEだった。
※8/11時点でこのZINEは完売、続編は購入可能 https://hinotoya-akari.booth.pm/
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こうして感想を並べてみると、作者7人のセクシュアリティと抱えている事情が千差万別であることに、改めて驚く。 本やウェブで「LGBTQ+とは?」みたいな解説を読んだだけでは絶対に見えてこない現実と実感が、それぞれのZINEから生々しく伝わってくる。
社会がカテゴライズした性別や恋愛・性愛規範に自分を無理矢理当てはめて解釈しようとすると、どこかで無理が生じる。 クィアはそうでない人より無理をしなければならないが、自分がクィアだと明確に認識していない人も、実は無理をしていることがあるのではないかと思う。 (「性自認が男なのにメイクしたいと思うのは変かな?」「恋人との時間より友達との時間���楽しいと思う私は間違ってるのかな?」���いったように。)
既存の枠組みに囚われずに自分のセクシュアリティを語ることは、社会や権力の都合によって奪われた自分の一部を取り戻し、自分の生を自分に合う形にカスタマイズする第一歩なのかもしれない。
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oivgbqiqfz358 · 10 days
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--深海人形-- Fight for The Future
※SFIII 3rdの英副題より
未来の無いものが、未来の為に戦うと言う事。人生の本質。無駄、無意味、全てが虚無。
※閲覧注意
※キャラ崩壊注意
※格ゲーパロ注意
中国広東省深圳市で日中ハーフの子が現地人により襲撃された後に死亡した話は、十二分に把握して居ります。許せない。
…。
…何処かで昔聞いた話によると、ドSな人はドSな子(※シーマ様とかシェル美さんとかゆうかりんとか赤い仮面被ったアレとか某大佐声の少佐とか一握りの天才やってる木星帰りとか)を好きになるって聞いたんですけど……其れって……えーえーえぇ……私は違いますよぉ……(震え声)、、
…。
薄紫の少佐と野獣大尉は、軍用ナイフか太刀(他拳銃)で戦う、丁度、某剣劇格ゲーの立ち大斬りが当たれば相手の体力六割持って行く人と花札の人みたいなスタイルの人達です(※上手くやれば、幕末格ゲーの方にも対応可能)。
…、
武器飛ばしで飛ばされるのは両者共に軍用ナイフか太刀で、拳銃は飛んで行かない(※故に、隠し技扱いの射撃と自決が使える)。拳銃は隠し技の射撃と自決他、勝利ポーズ、特殊掛け合いでも使用(※少佐と大尉で互いに拳銃を向け合う等)。
…、
斬り捨てフィニッシュで返り血浴びる薄紫の少佐と野獣大尉も良いと思う(先ず、ほんへのMS戦では見られない為)。
…。
大抵は、『風雲スーパータッグバトルが風雲である必要は無い(※迫真)』…と言う結論になる(※本当にSTBが風雲じゃなかったら……)。
…。
ヴァンパイア セイヴァーの事を、『SNK力の高い格ゲー(※C社格ゲー内でも稀に見る位)』だと思ってるけど、ワイ以外誰も其う思って無い(※悲し味)。
…。
ネオジオンバトルコロシアム(※…然し、如何見ても、スーパータッグバトル)。
…。
サイバーボッツと零SPを組み合わせた全く新しいモータルコンバット(※ダム系リョナ格ゲー)。
…。
SF III3rdの背景で好きな奴一覧
※此れ一番好き!! 香港ステージ、ステージ情緒が神
彼岸花が咲いてるけど只管目立たず地味なステージ
柿の木と地味な屋敷があるステージ
※結論:III 3rdの背景、只管質素で地味(※…だけど、全体的に綺麗だし味があるし好き)。
其れから、此う言う背景を見ると、ヴァンパイア セイバーの背景って、相当、書き込みも構図も凝ってるし、(※ぶっちゃけ他社だけど)snkのゲーム内背景にも炸裂するセンスは、本当に半端無かったんだなと思う(※III 3rdと同じ、シンプル背景路線でも、月華第二幕の方が印象に残り易い)。
…。
※餓狼かKOF辺りで小話
無敵の虎「キムはん。何かワイらに話でもあるんか?」
キムさん「極限流空手はタクマ氏が創始なされて五十年も無いでしょう?」
無敵の虎「ええか、キムはん、確かに極限流空手は、タクマ師匠がはじめた歴史の未だ浅い流派かもしれへんけどな、格闘技は歴史の長さが全てやないやさかい。大事なのは、歴史の長さやのうて其処で培われた技術と歩んだ中身次第やから。……因みに、此れ、タクマ師匠の受け売りな。」
最強の龍「…はぁ?…テコンドー自体が、確か第二次大戦後に創立された筈だが……、」
キムさん「いやいやいや!半万年ですよ!テコンドーの歴史は!空手は途中で参考にしたに過ぎません!テコンドーの歴史は5000年!半万年です!」
最強の龍「……?…テコンドーが戦後に出来たのは事実なのに、何故、此処迄話が拗れるのだろうか……?」
無敵の虎「リョウ、此処は、キムはんに合わせてあげとくんや。後で論争とか喧嘩なるの怖いし……。」
陰でニンジャらしく其のやりとりを見てた舞ちゃん「テコンドーの歴史が5000年だなんて、本気で信じてる人、本当に居るんだ……。」
…。
SNK格ゲーの裏ver、EXver、剣質(修羅と羅刹)システムに照らし合わせて、彼奴等の性格を掘り下げてみる
ウェイン兄弟
修羅 拙作基準。基本はいざと言う時男気を発揮する大人の男だが、何時もは穏やかで天真爛漫で温かくて優しくて柔軟で幼児の様な感性を持つ、一号機、四号機が愛機の、癖がありそうで実は其んなに無いイメージ。
羅刹 原作基準。只管、真面目で、陰鬱で、男臭くて、無粋でぶっきらぼう。二号機、三号機が愛機の、余り個性が無い割には、癖が強いイメージ。
ソロモンの悪夢少佐
修羅 何時もの侍然とした少佐。オールレンジ対応だが、近射程寄り。リュウさんの様にバランス型。
羅刹 侍と言うよりは薩摩藩士であるが、性格は温厚で能天気で向こう見ずの元気の良い青年。多分、生来の性格は此方だと思われる。格闘と射撃と遠射程が得意。
野獣大尉
修羅 皆様御存知、闘争&戦闘大好き元祖野獣先輩(迫真)。インファイト特化型。ケンと同じ攻撃特化型である。
羅刹 如何見ても浅黒い肌をしたイ⚪︎・フレミング。修羅(元来)よりも見た目が良い為、何かの手違いで公式に実装されたら、此方の方が修羅より人気出そうである(※酷い)。攻撃型だが、より機動力と撹乱能力に長ける。射撃も強い。
(自称)一握りの天才木星帰り
修羅 原作準拠で、何を考えて居るのか、何がしたいのか、本人以外の誰にも分からない性格。基本機動力重視で、攻撃寄りの性能。
羅刹 ウェイン兄弟の様に、天真爛漫で穏やかな性格の存在。だが、時々冷淡で苛烈で感情的である。多分、生来の性格は此方かもしれない。オールマイティな戦い方をする。そして、意外と得意レンジは遠距離寄り。
※…以下の人達は、もう、基本モーションあるので羅刹verだけ
七瀬
羅刹 極端に暗く地味な性格だが、元々からあったキャラの可笑しさは変わら無い。素手で戦う古柔術の女。
ブレア・デイム
修羅 格闘技とオシャレと旅行が趣味の白レオタードが眩しい格闘御嬢様。性格も技も同じ。
羅刹 二十代後半御嬢様(FL時代)のイメージ。冷静な性格で、人を鼻で笑う事が多い。とても動き易いゴスロリを着て居る。基本の技と戦術は余り変わりが無いが、暴れ潰しとガード崩しが得意で、多段技が多い。
紗波音
羅刹 性格はワル其の物。七瀬を怨み、水神本家に復讐を誓う復讐機。薙刀を使わず、より実戦に特化させたスポーツ柔道で戦う。何とデーモン五郎を彷彿とさせる投げキャラである。
…、
やっぱ、昔のSNKは、相当に冴えてる。EX、裏ver、修羅・羅刹システムで、ゲーム的にもボリュームが増えて御得だし、…其の上、 キャラクターの『裏の顔』、『別の可能性』を示す事で、単に使い勝手、キャラ性能、技の構成が変わるだけじゃなく、其のキャラへの新たな解釈とか魅力を生み出して居る。昔のSNKマジ天才(※感動)。
…。
※Zガソダムで小話
其の日の昼下がり、俺達は、普通に、地球にある基地の廊下を歩いて居た。
「…ジェリド……此処は、少し黙って居てくれ。」
其の時、突然カクリコンが其処で立ち止まる。
「何故だ?」
「ほら、あいつら何か話ししてる。」
「話?」
俺が黙った時にやっと分かった。確かに誰かが二人で話をしている。其れをカクリコンは聞き漏らさない。俺も其れを聞いて居る。此の同僚達の会話を。
「そうだ……アースノイドは恵まれて居るんだ。あんなチンケな宇宙の虫籠の中で暮らす虫ケラ共よりもな。」
「美味い食事、天然肉だって金出せば食い放題だしな。宇宙に住んでて、虫の餌を食ってる連中と一緒くたにされちゃ敵わんね。」
其の会話を一通り聞いた俺達は、可也深い溜息を吐く。
「エリート意識=優越意識か……。」
「俺達も、ああ言う意識は持ちたく無い物だな。」
「其うだな。エリート意識と優越感は、別の物だと思って居たい。」
そして、普段から考えて居た事柄があったので、其れをカクリコンが嫌がらない様に喋らなければいけない為、此う、少し早口で語る様に、俺は言う。
「…でもさぁ俺思うんだよな。クオリティーオブライフ(QOL)って概念あるじゃないか。あれってさぁ、結局一番、虫ケラみたいに扱うか、見下す対象作った方が上がるんじゃないのか。自分の好きなアイドルとか何か好きな物を作るより。其うしかと思えない。其うとしか。」
其の俺の、割と過激めの言論を聞いたカクリコンが応える。
「其れは的を得て居るかもな。アースノイド差別とヘイトスピーチが生き甲斐の奴は毎日が楽しそうだ。あの大佐とか。」
其の発言を聞いた俺は、其処で少し笑ってしまう。
「ハハハハハッ!……あんまり上官がアレでもな、軍と社会の常識だろ、…上官の悪口言うんじゃ無いぞ。」
…すると、此うカクリコンは軽口で返す。
「…いやいや、皆言ってるぞ。最早、一般論って位にな。」
「…そうか、組織が排他的主義一色でも、其うじゃない奴も多いんだな。」
其う、此の俺達みたいに。幾ら、自分が虫ケラみたいに見下して良い相手を作る事が、人生の質を上げる事に繋がっても、誰もが其うする訳じゃない。
※…コウがあのスペースノイド虫ケラ説の発言聞いたら、不破コプターで突っ込んで来そう(※来ない)。
…。
矢張り、人間は、事ある毎に差別対象を見下し、差別して行かなければ、生きて行けない生き物なのか。被差別対象は、被差別対象としての使命を全うしなければ、其の生存は許されず、保証されないのか。……人間って、何て下らない生き物なんだろう……。
…。
※キャラ改変・キャラ崩壊注意
※修羅・羅刹ネタ
※同キャラ対戦的要素注意
※何時ものガトーとシロッコに飽きてる方向け
プロローグとネーミング
ある時、見た目は大分と言うか「誰テメェ?」レベルで違うが、自分の事をアナベル・ガトー少佐と同一人物であると名乗る謎の存在が現れた。其の人物は、温厚で能天気で向こう見ずの、……とても元気が良い、丁度、ガトーとは正反対の性格をした銀髪の青年であった……。其の少し後の時期、かの『謎の存在』が、艦隊に定着し切る前に、そして、其の存在が艦の中に居ない時に、ガトーとカリウスが会話している。
「何なのだ……彼奴は……。」
「其れは此方が聞きたいです。」
「然し、此れから彼奴と私を上手く区別して行くには如何したら……?」
其処でカリウスは提案する。
「よく同志とやっている対戦格闘ゲームに、剣質システムと言うのがありまして……、…一キャラに修羅と羅刹と言う二種類のバージョンがありまして、其々性能、使える技、そして、御供として連れている動物が違ったりするんです。其れから、名前を借りて、元来居た少佐の事を修羅、近頃現れた自称少佐と同一人物の方を羅刹と呼ぶ事にしましょう。」
「其れ採用!」
「…其れにしても、あの羅刹の方、少佐と違って、まるで乙女ゲーに出て来るイケメンみたいですね。然も、彼方の方が、親しみ易くて、可愛らしさも素直さもあるから、とても貴方より人気があるみたいですよ。修羅の方の少佐。」
「屈辱だ!」
其の事実を聞いて思わず、修羅の方をしてるガトーは頭抱える。
…。
押しの強い羅刹君
「…閣下〜〜!!」
「…………。」
「…閣下……。」
折角挨拶したのに、全くの無言で自分の側を通過した『閣下』に自分が意識して避けられて居る事を、まるでニュータイプの如く察した羅刹の方は、「如何して俺の事を無視するんですか?!」…と、爆速で閣下に迫る。
すると、修羅の方も、爆速で羅刹の方と閣下の前にしゃしゃり出て来る。
「コラッ!許るさん!偽物!何度も何度も執拗に閣下に付き纏いおって!二度と近付くな!下郎!」
其う大きな声で、修羅の方は、羅刹の方に、ガウガウ噛み付くが、羅刹の方は全然其れを気にして居ない。
「閣下は、俺の事を、ガトーだと看做して下さいますよね?!」
其う言う羅刹の方を『閣下』は割と何気に悲しい顔で見つめる。(……ぬぬぅ……。…いや、其の容貌と性格では無理があるだろう……、…然し、…此奴、何時にも増して、押しが強過ぎる……)と思いながら。
「羅刹ガトーよ……正直言う。儂はな、お主の事はとてもガトーとは思えぬし、其うは思えない……。」
其の言葉を聞いた羅刹の方は非常に絶望する。
「閣下酷い!俺も一応ガトー少佐なのに!階級的にも少佐なのに!」
其処で、修羅の方が羅刹の頬を思いっきりビンタする。
「コラッ!良い加減にしろ!私の偽物!」
「…ウッ!!…俺はお前だぞ!自分をはたくな!」此うして、叩かれた方のガトーは憤慨して怒る。されど、そんな羅刹の事を無視しながら、修羅の方は閣下に真剣な表情で此う訊く。
「…しかし、閣下!…何故、羅刹の私を意識して避けているのですか?!此奴逆上すると面倒臭いのですよ!」
「逆上したら面倒臭いのは、お前も同じだろ?!」
羅刹の方が言う軽口はさておき、其の修羅の方の問いを聞いた『閣下』は律儀に答える。
「……正直に答えるぞ。…其れはな、…羅刹の方はな、お主と違って、一体何を考えてるか分からないのだぞ!」
「其れは一理ありますね!」
「うるせぇよ!勢い付くな!俺の堅物な方!」
修羅の方と羅刹の方が--『閣下』其方除けで--醜く言い争って居る間に、其処で、通り掛かりのカリウスが此う指摘をする。
「あの羅刹少佐が拗ねてるって事は、其の本体である少佐も拗ねて居ると言う事では……?」
「……ハッ!!」
「……ハッ!!!!」
そして、ガトーも閣下もやっと気付く。其の様を見た羅刹の方がボソリ言う。
「アナベルの奴、気付くの遅いぞ。」
「喧しいぞ!私の偽物!此の痴れ者!!」
其う言いながら、今度は、修羅の方は、過激に羅刹の方を往復ビンタする。
「…一寸辞めろ!修羅の方!痛い!痛い!辞めろ!俺はお前だぞ!自傷行為だぞ!もっと優しくしろ!自分を慈しんで労われ!兎に角辞めろ!」
すると、修羅の方は此う答える。
「生憎だが、私は自分に厳しい性質(タチ)でな!」
そして、最後の最後迄、其の様子を遠い目でカリウスはただ只管見ていた。
(…一体如何言う状況だろ……此れは……。)
…。
やっぱS⚪︎Kって偉大……
ある日を境に、ある男がティターンズゆかりの各所に出没する様になった。其の男は、行く先々で、自らの事をシロッコと同一人物ではあるが、根本は違う者だ、…などと、中々難解な名乗りをしており、実際、其んな感じをよく表して居る通りに、シロッコと、見た目も性格も、よく似て居る様で全然似てない(然し、背格好自体は一緒)のであった。
されど、其の青年は、何だかんだ言って、シロッコとよく似て居るので、ティターンズの構成員達は、其の区別に困り始めて居た。
「此れから、彼奴と自分を彼奴と同一人物だと言う奴を上手く区別して行くには如何したら良いんだ……?」
すると、其の同僚の不安に対し、自信満々に答える。
「俺に良い考えがある。元々居た方を、修羅の方、新しく現れた方を羅刹の方と呼ぶようにすれば良いと思う。俺は、もう其れで良いと思う。」
此うして、修羅の方、羅刹の方と言う区別する為の名前は、ジェリド少尉の好きなゲームから其の名称を拝借した。
…。
本物のシロッコは此方
曹長「パ、パプティマス様?!!何方が本物ですの?!!」
修羅の方「私だ!!!」
羅刹の方「如何やら、何時の世も、偽物が『何を抜かす!自分の方が本物だ!!』と嘯くのは変わら無いらしいな!!」
ティターンズ兵「大尉!上層部より、何方が本物か偽物の大佐かは叩いて被ってじゃんけんぽん!で決めろとの御達が!」
大尉「……ヨシッ!」
…、
修羅の方「行くぞ!私の偽物!!!叩きのめしてやる!!」
羅刹の方「相変わらず、君は何時も精一杯で大変だね〜〜ww。」
叩いて被ってじゃんけんぽん!
……、、
大尉「羅刹の方が勝ったな!…つー訳で、…今日から本物の大佐は此方
だ!!御前等よく覚えて置けよ!」
修羅の方「のぉおおん!!!!(←今日から偽物)。」
…。
羅刹シロッコは、まるで、修羅シロッコとは別人の見た目ながら、女達の前に修羅よりも魅力的に受け取られるように現れ、ティターンズの兵を支援し助け、ジュピトリスの船員を惑わし、シロッコの邪魔をする。…更には、カミーユの前にも、ノースリーブの人とか、俗物が口癖の苛烈な女の前にも現れる。
羅刹ガトーも閣下やケリィ、其れに他の同志達、ニナの前に現れたりして、修羅ガトー達のやろうとしているテロリズムを妨害、邪魔するように活動して居る。……そして、コウに会う事は決して無い。
…。
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indigolikeawa · 13 days
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2024年9月17日火曜日
病院の待合室にて27
私に許されているささやかな悪事
 インターネットで見かける、あらゆる言葉には背景があり、文脈がある、と思う。Xに「今日は好きぴと会えない〜😞」という一文があったとして、この一文にも背景があり、文脈がある。まず、この文を誰が書いているか考えてみる。ギャルが書いてるか、おじさんが書いてるか。おじさんが書いてるとして、本気で書いてるか、ネタで書いてるか。真実を書いてるか、嘘を書いてるか。本気も本気で真実を書いてるとして、好きぴは男性か女性かそのどちらでもないか。女性だとしてシスかトランスか。シスだとしてお付き合いをしているか。していないとして、相手は水商売の女性かどうか。水商売ではないとして、相手はおじさんのことを認識してるか。認識しているとして、おじさんはどうやってその女性と会っているのか。おじさんの都合によって会えないのか、その女性の都合で会えないのか。今日は何月何日か。何曜日か。天気はどうか。電車は動いてるか。おじさんはどこにいるか。家か。家なら家はどこか。よく朝に立ち食いそばの写真をあげているが、そば屋はどこか。なぜ立ち食いそばを朝に食べるのか。仕事に行く前に食べるのか、その他の場所に行く前に食べるのか。そもそもおじさんは仕事をしてるのか。好きぴの女性は仕事をしてるのか。してるとしたら職場はどこか。職場の最寄り駅はどこか。その駅から利用できる路線はどれか。女性の家の最寄り駅はどこか。女性は実家暮らしなのか、一人暮らしなのか、どちらでもないのか。女性にパートナーはいるのか。いるとしてパートナーは男性か女性かどちらでもないのか。男性だとしてシスかトランスか。シスだとして仕事をしているかどうか。していないとして、今日は何をする予定か。「お前に付き纏ってるおっさん、今日お前に会えないってよ」「きも。おっさん私の休み把握してんじゃん」「今度お前から誘ってみたら?金引っ張れるかもしんないじゃん」「だる。てめえが指図すんな。ヒモのくせによ」「じゃ別れる?」「それは絶対嫌だけど」「ははは。よわ」「明日仕事やだなー。もうトラック乗り飽きちゃった」「まだ3年なのに?これからでしょ」「うるせえな。てめえも仕事しろよ」「そしたらごはん作るの代わりばんこになりますけど」「それは絶対嫌なんですけど」
 あらゆる言葉には背景があり、文脈がある、と思う。それと同じように、あらゆる人間には背景があり、歴史がある、と思う。恐ろしいことである。あらゆる人間はいろいろと考える瞬間があり、その瞬間瞬間に下した判断判断が背景や歴史を作ってきた。恐ろしい。恐ろしい?どうしてそれを恐ろしいと感じるのか、考えてみるとよくわからないが、それはさておき、さっきの架空の三人の人間の背景を考えた時、私は果たして、三人のそれぞれが最終的に善人になるように考えたのだろうか。それとも悪人になるように考えたのだろうか。この先に物語があったとしたら、ハッピーエンディングを迎えるように考えたのだろうか。それともその逆か。これを読んでいる方がいたとして、あなたならどう考えただろう。いくつもの分かれ道があったと思う。その分かれ道のどちらを選んだだろうか。どちらを選んだって構わない。これはそれぞれの頭の中で考えたこと。倫理的にどうだろうと構わない。三人の内の一人を極端に悪人にすることもできただろうし、極端に善人にすることもできただろう。頭の中ではどう考えたって構わない。考えられる限り最も残忍な方法で、三人とも殺し、それをつぶさに描写したっていい。それを口に出したり、どこかに書き込んだりしなければ。
 インターネットに見られる言葉について、私が思うことは、どうして黙っておけなかったのかという言葉がかなり見られるということだ。それを見て誰かが傷ついたりする可能性を大いに孕む言葉が垂れ流されている。私は想像する。その言葉を書いたのは誰なのか。そしてどういう背景や歴史のある人間がそれを書いているのか。どう想像したっていい。それを口に出したり、どこかに書き込んだりしなければ。
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elle-p · 11 months
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P3 Club Book Persona 1 pages scan and transcription.
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女神異聞録ペルソナ BE YOUR TRUE MIND
あるとき、私は蝶になった夢を見た。私は蝶になりきっていたらしく、それが自分の夢だと自覚できなかったが、ふと目が覚めてみれば、まぎれもなく私は私であって蝶ではない。蝶になった夢を、私が見ていたのか、私になった夢を、蝶が見ているのか。きっと私と蝶との間は、区別があっても絶対的な違いと呼べる物ではなく、そこに因果の関係は成立しないのだろう。
静まり返る街に、 金色の蝶が舞う。
~荘子~
フィラデルフィア実験で時空をゆがめたデヴァ・システムが、ひとりの少女の歪んだ夢の世界を現実化する。暴走する悪夢に呑み込まれた街。認識力の拡大にともなう主観の物質化現象が発生し、小説で描かれた現代の神話であるクトゥルフの神々までもが出現する狂気と幻想の世界と化す。日常の学園が、病院が、ショッピングセンターが、警察署が、地下鉄の駅が、巨大な幽霊屋敷さながらに人々を恐怖の底へと叩き込む。
異界と化した状況の中、金色の蝶に導かれ、心の力であるペルソナを覚醒させた少年少女らが、真相を探るために、事件を解決するために、あるいは身を守るために、大切な人を救うために、命をかける。
事件の鍵を握る少女を救うことはできるのか。その少女の心の闇を利用した者の目的は何か。謎と恐怖が渦巻く異界を、生き延びることができるだろうか。そして、その果てに······。
スペック
ジャンル
RPG
プラットフォーム
プレイステーション
Windows95/98
開発元
アトラス
発売元
アトラス (プレイステーション用)
アスキー、デジキューブ (Windows用)
発売日
1996年9月20日 (プレイステーション用)
1999年3月25日 (Windows用)
価格
6,800円 (プレイステーション用、税別)
8,800円 (アスキー発売Windows用、税別)
2,980円 (デジキューブ発売 Windows、税別)
2,800円 (ベスト版、税別)
Cogito, ergo sum
蝶と夢
『女神転生』の新たなる可能性として誕生した『女神異聞録ペルソナ』が種となり、時代精神を養分に枝葉を広げてきたペルソナシリーズ。最新作を機に、その創作の歴史を概観する。
ふたつのサバイバルストーリー
前作『真・女神転生 if...』 で描かれた、 学校という限定された空間からのサバイバルストーリーを踏まえ、さらなる発展を目指した意欲作が「女神異聞録ペルソ ナ」である。
暴走した心の闇に呑み込まれた街を舞台に、日常の崩壊が学生たちを襲う。そうした状況の中、真相を探り、事件の解決を目指し、学園を飛び出す者たちと共に戦うストーリー。学園に残る級友らを守るため、学園内に満ちる異界の恐怖と立ち向かう者と共に戦うストーリー。主人公 (=プレイヤー) は、いずれかのルートを選び、その物語を体験することになる。
いずれを選ぶのも、プレイヤーの心次第。あなたは、何のためならば、命をかけて戦うことができるだろうか?
絡み合うエゴ
学園という場は、物理的に限定された空間であると同時に、多数の人々が集う、エゴとエゴの対立と集合の場でもある。それも、子供と大人の狭間にある、己のエゴすらも自覚できぬ、曖昧で不安定な年頃の心が集う、危うさを孕んだ場。そうした集団が生命の危機が間近に迫る状況に陥ったとき、心はいったいどのように動くのか。
本作は、そうした人の心のひだを浮き彫りにする。エゴとエゴとのぶつかり合いの中、なじめない者、敵対する者、心を閉ざす者など、さまざまな反応が生まれる。そうした場面に接したとき、主人公 (=プレイヤー) は、どのように動こうとするだろうか。
集団の中で、人が自分と向き合い、どのように成長していくのか。自分をとりまく社会をどうとらえ、触れ合う他人をどのように見つめ、いかにして自分自身を見つめるべきか。そして、今の自分を超えるために、自分自身を高めていくために何をするべきか。ジュヴ ナイルとしての成長の物語をとおして、あなたは何を思うだろう?
心の悪魔
台風や地震、自然や四季など、人の心の外にある超越的な力を崇めるとき、人はそこに神を見る。一方、心の中に生ずる想い、吹き荒れる悪意、歪んだ欲望など、内なる心に悪魔を見る。こうした考えに基づき、人の心から立ち現れる光と闇を悪魔として顕在化させたものが、ペルソナである。
それゆえ、ペルソナのデザインは、神や悪魔という観念そのもののグラフィック化ではなく、それらのコスチュームとして、設定を意匠化したファッションをまとう形で描かれた。つまり、神々のコスチュームプレイが、ペルソナのデザインコンセプトである。
人の心が生み出す悪魔の姿に、あなたは何を見るだろうか。あなたの心には、どのような姿の悪魔が宿っているのだろうか?
挫折とコンプレックス
キャラクターの描写には、リアルさが追究された。それは、キャラクターの心という内側と、ファッションを含めたデザインという外側の両面を意識したものだった。
キャラクターが語る、泥臭く普遍的な心の動きを踏まえた、心を語りきらぬ抑えたメッセージ。コンプレックスを抱え、挫折を経験し、そして、そうした状況に、周囲の目を気にする余裕すらなく立ち向かう姿。子供が夢見る表層的なカッコよさではなく、女が男に感ずる、男が女に抱く、現実と幻想の願望と欲望を踏まえた登場人物たち。こうした心の内側がデザインに落とし込まれた。
また、当時、実際に存在していたファッションを取り入れるなどのデザイン的なリアルさによって時代性も表現された。ファッションを含めた姿には、その人のこだわりの部分が表れる。それは、その人の本質の一端であると考えられたからだ。
今、鏡に映る自分の姿は、これまで生きてきた自分自身の歴史の結果である。あなたの姿は、今、どのようなものだろうか?
金子氏コメント
キャラクターをパラメーター的に成長させるゲームとしてだけではなく、イベントやシナリオなどで語られる世界を楽しんで欲しい。そして、このゲームを中心に広がった漫画や小説など、様々な作品をとおして、それぞれの作家さんの価値観もあわせて楽しんでもらえるとうれしい。
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abeya38 · 21 days
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この世を去ったと思っていた子どもに 再会できた母親チンパンジー ---------------------------- 個体は親の子であり、その親達もそれぞれの親の子であり、親なくして個体は存在し得ない。仮に人工授精だらうとなんだらうとそこには確かに親から子への繋がり、命脈がある。 「そんな事は当り前だ!」と思ふ人が大半であるとは思ふし、私自身も嘗てはさういふ一人であつた。しかし、本当に当り前と片付けられる程簡単な事なのだらうか?「子の思ふ当り前」と「親として思ふ当り前」では大きな隔たりがある。一世代だけ見てもさうであるのに、私達の命脈の大元はいつ、どこから続いてゐるのだらうか? 今存在してゐる私達にとつては当り前な事実といふものは、奇跡に等しい偉業であると分かる程度まで突き詰めると軽々しく「当り前」とはいへなくなる。 格差社会である現代では子の親と成れる割合は少なくなつてゐるのだらうし、好ましくない親を持つ子も少なくはないだらう。しかし、ヒトは社会的な動物なので血の繋がりだけ、養育される環境だけが親子関係といふべきでもない。 血縁のあるなしを問はず、環境の良し悪しを問はず、親子の情とは本能として人類の中にある。これの欠落や機能不全を人でなしといふ。 それこそヒトとチンパンジーとの祖先が本当に共通するのであれば、その分岐はおよそ600~760万年前と推定されるらしいので、これより遥か以前から神代の昔から連綿と絶へる事なく繋がる親と子の世代循環、命脈。 この動かぬ現実に対する感謝と報恩、それが神道では祭祀といふ形で今世の私達にも伝へられてゐる。これこそ正に「天壌無窮の神勅」であらう。 これを以て「大日本は神國なり」とするのは当然であり、これこそが『國體』といふものの本質である。 そして、神代の昔から遠つ御祖の積み上げてきた社会、その時々の時代や環境により形は様変はりしてゐるだらうが、その本質は一貫してゐる。 祖の御恩への感謝と、受けた御恩を子孫へと報恩。 個人的な感想かも知れないがヒトとチンパンジーとの差と、皇國臣民と近代的な価値観との差とを比ぶれば、皇國臣民と近代との差異の方が大きいだらう。 (蛇足だが、異なるといつてゐるだけであり、優れてゐる劣つてゐるといつてゐるのではない���だが、レイシストはそのやうに感ずるらしいので。) 皇國臣民の方がヒトの本質たる本能が強いので、近代的価値観の人々よりもチンパンジーに近いので真つ当な生き方をしてゐるわけだ。 意識のある生物でも生命の本質は睡眠状態であるらしく、覚醒は生命を維持し繁栄するための手段であり、即ち本能こそが命の本質であり、理性とはそれを助ける手段に過ぎない。 本能と理性といふ事柄もよく誤解されるのだが、本能が悪であるなら、理性を持たぬ生命はとつくの昔に絶滅してゐなければ話が可怪しい。 話を戻すが、皇國臣民を近代的価値観の人々とは「別の種」であると考へてみるといふのは思考実験として有意なのかも知れない。 皇國臣民といふ種では「御祖への感謝として、祖の遺し伝へて下さつた事を、出来る限りそのまま、別種からもたらされた文物も取り入れつつ、歴史的研鑽を経てより良い形を発見できればそれを後世へと報恩してゐる」といふのがこの種の本能的な特徴だらう。 ・・・このやうに書くと字面が綺麗事のやうだらうか。感謝と報恩の発露は眞心(大和心)によると思ふが、そこには社会を弱体化せぬための間引きや、我が身を殺してでも仇に報ゆといふ苛烈さと表裏一体であらう。 先に挙げたチンパンジーやライオンではオスによる「他の父を持つ子殺し」といふ間引きがあるが、その結果として必ず生存に有利な遺伝子が残るかといへばそれは別の問題かも知れないが、それで種は今も存続してゐる。 またある種の魚類では群れを襲ふ外敵に対してオスは我が身を盾として特別攻撃、詰り特攻を掛ける。興味深いのはオスが全滅するとメスがオス化してまた特攻兵となるらしい。 これは余談かも知れないが武士道が大和男兒の道であるとするならば、面白い事になる。天孫・邇邇芸命の妻である木花之佐久夜毘売は一夜にして身籠り、誰が本能の父であるか問題になつた。木花之佐久夜比売は産屋に火を放ち、身の潔白を証明した。天孫であつても男は自らの腹から生まれるわけではないので、その子の父が自分であるか知る事はできないわけだ。無論、それを悪用されては困るので、女性には産屋に火を放つ位の覚悟を持つて頂きたい。 結局のところ、実の父子であるかといふよりは家督や技術の継承こそが重んじられる事にもなり、そもそもわからぬなら我が子と認め、また種全体の危機であれば同種の子らを護るために、外敵に対して玉砕もする。 まさに大和男兒の本懐で御座る。いやぁ~乱世乱世!血湧き肉躍り候。 話を戻し、そんな皇國臣民といふ種は、近しい(?)別種である列強各国による植民地支配に対し、自存自衛のみならず、これらを解放し、自立の道を示す大東亜聖戦を完遂した。歴史的かつ客観的事実として大東亜聖戦の前後で植民地と独立国を比較してみると良い。 誰が事実を述べてゐるのかよく分かる。 しかし如何な皇國臣民であれど列強諸国を相手に八面六臂の死闘を続け、有史以来最悪の死者数(一度の攻撃に於ける)を出した戦争犯罪である大空襲や2度もの原爆投下を受け 「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍󠄁ヒ難キヲ忍󠄁ヒ」て皇軍の降伏を受諾し停戦に応じたが、この時点で世界各地の植民地支配は継続できない状態であり、この点での戦争目的は達した。 だが 「惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋󠄁常ニアラス」どころではなく停戦後の侵略占領下は堪へ難いものであつた。最たる例はポツダム宣言の條文では「全日本國軍の無條件降伏」であり「占領下で制限はあれど主権が認められた」はずであるのに実際にはさうでなかつた点だらうか。 誤解を恐れずにいへば侵略者である連合国・占領軍は皇國臣民を牛のやうに扱つたといふ事になる。どういふ事かといへば、皇國臣民種の特徴を破壊し、文字通りに家畜化するため、御祖からの國體の精華といへる大東亜聖戦を否定し、それを可能とした皇國社会の背骨「稜威奇しき法(大日本帝國憲法)」と大和魂「御祖と子の歴史の眞心」を抜き取り、他の骨身を粉として、皇國臣民の餌だと細工し「日本國憲法といふ名の肉骨粉」を喰はせたのだ。 制定過程を見れば明らかだが、軍事侵略中の占領下にその侵略者達との多国間合意により制定されたのが「日本國憲法」であるから、これは明らかに講和に向けた條約群の一つであり、国際法の範疇でしかない。 無論、皇國の力を削ぐ目的であるから、その真意を隠さずに「ジャップ家畜化條約」といふ名称にするはずもなく、オレオレ詐欺・成りすまし詐欺・架空請求詐欺の走りとして「日本國憲法」といふ名称にしてゐる。 牛の餌桶に飼料として「肉骨粉」が入つてゐれば、それが「日本國憲法」といふ名称であれば「それはさういうものか」として受け入れるのが被占領國の「尋常ならざる苦難」であり、公職追放や報道規制により「真実はかうだ!」と知らぬままにそれを摂取し続ければ、プリオンが脳に侵入し、牛ならば狂牛病、皇國臣民ならば日本国民といふ脳みそスカスカのスポンジ頭が生じる事になるのは必然である。 ここまでくれば、いつそスポンジ頭が好都合かも知れぬ。 そのスカスカの脳みそに玉音放送として知られる「大東亜戦争終結ノ詔書」を最後の部分だけでも叩き込め!沁み込ませよ! そしてただ反芻せよ!脳がやられてゐるのだからあれこれ考へるな! それがどういふ意味なのかは、本能と脳がやられてない者が正しく理解する! ・・・原状回復に到るまでには再び歴史的研鑽が必要かも知れないが、直ちに教育を糺せば数世代で済む(占領期以降の期間と同等)かも知れない。 ---------------------------- 宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道󠄁遠󠄁キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建󠄁設ニ傾ケ道󠄁義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進󠄁運󠄁ニ後レサラムコトヲ期󠄁スヘシ 爾臣民其レ克ク朕󠄂カ意󠄁ヲ體セヨ 御名御璽 昭和二十年八月󠄁十四日 內閣總理大臣男爵󠄂鈴木貫太郞 ---------------------------- 猿にも劣る「戦後日本人」! 御祖に対して、子孫に対して恥ずかしいと思はぬのか! ■ 國體護持總論 http://kokutaigoji.com/books/menu_kokutaigojisouron.html
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romulovieira2007 · 27 days
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TVアニメ「歴史に残る悪女になるぞ」PV第1弾|2024年10月放送
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