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【リニア工事の残土処分のため? 相模原市の急斜面に「不思議な牧場」建設計画】 - ハーバー・ビジネス・オンライン : https://hbol.jp/224332 : https://archive.is/xPYzq : https://archive.is/6fmzM : https://archive.is/GsnDk : https://archive.is/h9Qzo : https://archive.is/qu8EW 2020.07.24 樫田秀樹
■《リニア新幹線の残土を捨てるためのカモフラージュ?》
{{ 図版 1 : 津久井農場の完成予定CG(住民説明会の資料より) }}
2018年秋、神奈川県相模原市の田所健太郎市会議員(共産党)が、筆者に「不思議な牧場計画」について話してくれた。あくまでも地元住民からの二次情報だが、以下のような内容だった。
市の山の中に大量の残土が捨てられる。噂では、その数㎞近くで工事が行われるリニア中央新幹線のトンネル掘削の残土らしい。山の中に捨てれば不法投棄だが、山の急斜面を残土で平坦地にして「津久井農場」という牧場を建設するという。
だが、その残土は東京ドーム1杯分にも相当する100万m^3にもなる。しかも、事業者は地元の人間ではない。自動車で1時間かかる茅ヶ崎市から通勤して、250頭もの牛がいるのに夜は無人になる。
「地元では、なぜ、わざわざ牧場計画地に斜面を選ん��のか、この事業者が本当に酪農をやりたいのかが見えてこないという人がいる。牧場造成に名を借りたリニア残土捨て場であり、牧場の造成直後に事業者は『やっぱり無理でした』と牧場経営を放棄するのではとの噂もあります」
も���ろん、この話が本当なのかの確証は田所議員にはない。リニアとの関連���も断言していない。ただ、そういう噂を耳にしたということだった。
JR東海が計画するリニア中央新幹線は2027年に開通予定で、東京(品川駅)から名古屋までを40分で結ぶ予定だ。2014年から工事に入ったが、準備工事(ヤード整備、斜坑の掘削など)は進んでいるものの、本丸であるトンネル掘削はほとんど未着手。
一つの要因として、東京ドーム約50杯分の5680万m^3もの膨大な残土の処分地が決まっているのが全体の2割台しかないからだ。建設残土は不法投棄を防止するため、「資源」として有効活用できる場所でなければ捨てることはできない。つまり、残土を有効利用できる処分地が決まらない限り、トンネルは掘れないのだ。
田所議員と話した2018年時点で言えば、フジタはリニア工事を愛知県、長野県、岐阜県などで進めている。津久井農場予定地の近くのリニア工事にも入札するのではと噂されていた(*後述するが2020年6月25日に津久井トンネル他東工区を {{ フジタが落札 : https://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/200626300023.html : https://archive.is/oZvja }} している)。リニア工事と津久井農場は関係があるのだろうか?
■《莫大なお金をかけて、なぜ急斜面の土地に牧場を作る謎》
{{ 図版 2 : 津久井農場計画について語る鈴木秀徳氏 }}
そこで筆者は情報を整理しようと、2019年夏に地元で反対運動を展開する相模原市緑区韮尾根(にろうね)地区在住の鈴木秀徳さんと落ち合った。
鈴木さんは居住地のすぐ近くの斜面に地上80mの高さに残土を積む計画に恐怖と疑問を抱いていた。こういう説明だった。
事業者である有限会社「佐藤ファーム」の佐藤誠代表は、茅ヶ崎市で若いときから酪農を営んでいた。だが、県立高校の耐震化建替えに伴う仮校舎用地として牧場用地を提供したことで、1999年に休業。津久井農場が2024年に運営開始予定というから、実に25年ぶりの牧場経営となる。それなのに、250頭もの牛を飼育する経営体制は構築されていない。
筆者は、佐藤代表はかなりの資産家なのかと思った。というのは、相模原市では残土の受け入れ業者に対して、残土の不法投棄を防止するため、市への保証金支払いを課して���る。100万m^3では、4億300万円が必要となる(造成後に返金される)。
「造成工事にも数十億円はかかる」と鈴木氏は予測するが、さらに、残土を搬入するため、1日300台のダンプカーが集落の狭い道を何年もかけて延べ約25万台も通る。つまり、道路拡幅が必要となる。これにもおそらく億単位のお金がかかる。
またこれだけの大事業なので、環境アセスメントの手続きを受けなければならない。環境調査を外部の業者に委託するために、さらに億単位のお金がかかる。
もっともわからないのが、津久井農場の計画地は佐藤代表が1998年に購入したが、1999年の休業を見越しての土地取得だったとしても、なぜ牧場にするには使いづらい急斜面を選んだのかということだ。そして、なぜ20年以上も経っての牧場再開なのかだ。
環境アセス手続きでは、環境調査が終わったあとに計画を文書化した「環境影響評価準備書」(以下、準備書)を公表して住民説明会を開催しなければならないが、鈴木氏と会った2か月後の2019年9月5日、その説明会が開催されるというので、筆者も参加した。まずは、鈴木氏の話を一方的に聞くだけではなく、佐藤代表の主張にも耳を傾ける必要があるからだ。
≫――――――≪
■《事業者は「答えられません」を連発》
{{ 図版 3 : 住民説明会 : 2019年9月5日に開催された住民説明会。佐藤誠氏はていねいにお辞儀を繰り返していた }}
2019年9月5日19時。相模原市の串川地域センターで開催された住民説明会には、一般市民が約30人集まった。佐藤代表からは純朴な印象を受けた。市民が入室するたびに「よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げていたその姿からは、悪い人ではないと思った。
説明会では、佐藤代表の横に造成工事を請け負う準ゼネコン「フジタ」の社員2名と環境アセスを行った「パシフィック・コンサルタンツ」社の社員1名が座った。津久井農場計画について40分の説明があった後、私は質問の手を上げた。
「これだけの大事業なのに、総事業費の説明がない。いくらかかるのですか?」
すると、この質問には佐藤代表が答えず、フジタの社員が「私的な牧場計画ですので、資金計画に関わることはここでは回答を控えさせていただきたい」と答えた。私的な牧場計画だから? なぜフジタ社員がマイクを?
「なぜ、あなたが回答するのですか? 私は事業者の佐藤さんに尋ねているんですが」
こう私が発言すると佐藤代表はマイクを持ったが、やはり「答えられません」という回答しか返ってこなかった。これに限らず、他の市民からの資金に関する質問には、事業者である佐藤代表が答えずフジタ社員が答えるというパターンが続いた。
■《予定地の近くで大量の残土が発生する工事は、リニアのトンネル掘削しかない》
{{ 図版 4 : 津久井農場予定地 : 津久井農場予定地(鈴木氏撮影) }}
会場から出た質問への佐藤代表の回答を整理すれば、計画の概要は以下の通りだ。
佐藤代表は58歳。2024年には63歳になる。20年前までは約100頭の牛を育てていたが休業。いつかは規模拡大して牧場再開をしたいと夢見ていたという。しかし、平坦な土地を売ってくれるところはなく、山ならいくらでも売ってくれたので、1998年に土地を購入した。
だがそこを開発しようにも、周辺地域で他業者が残土受け入れを始めたことで、佐藤ファームもその目的だと誤解されるため「今は待つように」と行政に言われて結局20年待った(これは理解に苦しむが)。そしてフジタと出会い、造成をお願いすることになった。
佐藤氏の3人の息子(大学生)も跡を継ぎたいと言っているが、3人とも専攻は農業とは無縁で、酪農の修行もしていない。夜は無人になるが「問題ない」という。できれば地元の方を雇いたいとのことだ。
また、残土を運ぶ市道「志田線」は道幅が5.5mしかない。フジタは「これを片側3mの2車線にして、加えて3mの歩道も設置したいが、最終決定ではない」と説明した。
100万m^3の残土を受け入れると、10トンのダンプカー1台あたり1万5000円が入るので、25万台では40億円弱の収入になるとの試算もある。その正確な数値はわからないまでも、佐藤代表によると「それでも残土を積んでの造成にはお金が足りない」という。
この準備書説明会は9月8日にも行われたが、参加した市民によれば(私は不参加)、やはり具体的な数字は出されなかった。「試算中です」「答えられません」との回答だけが頻発したという。
そしてこの2回の説明会を通じて、住民が佐藤代表とフジタに突きつけた質問が「それだけ大量の残土を排出するのは、予定地の近くならリニア中央新幹線のトンネル掘削しかない。リニアの残土を受け入れるんじゃないですか?」ということだ。
確かに、津久井農場から数kmの距離には、JR東海が2027年に開通を目指すリニアのトンネル掘削とその前段階となる斜坑掘削の工事が予定されている。
地域住民は「あの急斜面を牧場に選ぶのは不自然。結局、津久井農場は、リニア残土を体よく埋め立てるカモフラージュじゃないのか」と見ている。これに対してフジタは「どこの残土にするかは数社と交渉中」と答えるだけだった。
≫――――――≪
■《引っ越す予定がない住民が引っ越すことになっている》
{{ 図版 5 : 内藤さん宅 : いつの間にか引っ越すことにされていた内藤さん宅(左) }}
津久井農場の造成で予想される問題は、沢が埋まる可能性、土砂崩れの危険性が指摘される。地元住民に直結する問題は、生活道路である市道志田線を1日に300台もの大型ダンプカーが通ることだ。そうなると���の散歩もできなくなり、1日中排気ガスや騒音、振動に悩むことになる。
志田線は幅5.5mしかなく、乗用車同士でもすれ違いが難しい。そのため、フジタは、その道を拡幅する必要があるが、この件を巡って、住民に不信を抱かせる事件が発生した。
その拡幅工事には、ある家屋の立ち退きが必要となる。フジタは相模原市に「一軒の家が引っ越すことになった」と報告して計画を進めようとしたが、その家の家族はそのことをまったく知らなかった。
コトが発覚したのは10月4日。その前日、鈴木氏は韮尾根の住民から情報収集を行っていたが、その一人である内藤ひろみさんから「9月下旬に、フジタが来訪して『工事期間中に庭を2m幅だけ貸してほしい。工事終了後に返す』との説明を受けた」との情報を得た。
鈴木氏は翌日、相模原市環境政策課に電話で「そんな話があるのか」と尋ねると、夕方に返信の電話があり、「工事期間中、内藤さんは一時的に引っ越すことになっている」と回答した。
驚いたのは内藤さん本人だ。
「そんな話は一度もしていません!」
{{ 図版 6 : 相模原市の環境影響評価審査会 : 相模原市の環境影響評価審査会。正面の白いシャツが片谷会長 }}
さらに問題は続く。
10月9日。フジタ社員F氏が内藤宅を訪問。内藤さんの兄が「引越しとはどういうことなんだ」と問い質すと、その話を初めて聞いたというF氏は返答も説明もできなかった。この時点でフジタを信用できなくなった内藤さんは「信用できないから、土地は貸さない」ときっぱりと断った。ところが――。
環境アセス手続きでは住民説明会のほかに、相模原市が常設する有識者で構成された「環境影響審査会」で計画が審議されるのだが、その第2回目となる11月28日、フジタは内藤宅が転居することになる資料をそのまま提出したのだ。
20年1月20日の第3回目の審査会で、委員の一人は「引っ越す予定がない住民が引っ越すことになっている。これは誤植なのか?」と疑問を呈すると、審査会の片谷教孝会長は「地権者の同意なく着工はできない。具体的方針を出してもらう」と佐藤ファームへの正しい対応を求めた。
■《事業者は「知りませんでした。今、初めて聞きました」》
この事件で韮尾根自治会が抱いた疑問は、「施工業者を指導する立場にある佐藤代表がこの件に関与していない」ということだった。住民約20人と佐藤代表は、2019年12月21日に話し合いを持った。
そこでわかったのは、佐藤代表は工事の内容はもちろん、審査会で配布された資料にもまったく目を通していないという事実だった。つまり、工事のすべてをフジタに丸投げしていたのだ。だから、内藤さんの引っ越し話も当然だが知らなかった。以下、当日の録音データから書き起こす。
内藤:なぜウチが引っ越すことになっ��のか説明してほしい。 佐藤:把握していません。申し訳ありません。 内藤:でも(フジタ作成の)書類は佐藤さんが認めたもの。工事は承知して��るんですよね。どこを拡幅するかご存知ですよね。 佐藤:知りませんでした。今、初めて聞きましたので。
この発言に鈴木氏は徒労感を覚えた。さらに、佐藤代表の経営者としての姿勢にも疑問の目が注がれた。
住民:2020年から2024年までの5年間の工事で、どれくらいの支出があるか計算しているんですよね。 佐藤:まだ計算していないです。 住民:普通は、土地を買った時点で、大ざっぱな計算をするはず。工程表も作る。どの時点で借金が終わるかの計算もするよ。 住民:佐藤さんは、工事をフジタにまかせているの? 佐藤:はい……。
{{ 図版 7 : 話し合い : 2019年12月26日 住民(向かって左)と佐藤誠氏(正面左)とフジタ社員(向かって右)とが話し合いを持った。その場で、津久井農場計画が佐藤氏からフジタへの丸投げだったことが明らかにされた }}
さらに住民は、佐藤代表が某政治家に紹介されてフジタとつながったことも知った。そして5日後の12月26日、筆者の目の前で佐藤代表とフジタが住民と話し合った。ここで住民が「佐藤さんはフジタに丸投げしているんですよね」と念を押すと、フジタも「はい」と認めた。そして鈴木氏が、内藤家転居の件で「いったい誰が市役所に虚偽の報告を伝えたのか?」と問うと、フジタは「調査します」とだけ約束した。
≫――――――≪
■《住民との話し合いでも決着つかず、反対署名が開始される》
2020年1月18日、フジタの社員6人と佐藤代表が韮尾根地区を来訪。ここでも虚偽報告の真相は明かされなかった。ただし、この計画で初期から住民との折衝に当たっていたフジタのW氏が「(市に転居の話をしたのは)一番可能性があるのは私だと思います」と曖昧に回答し、10月9日に内藤さんの引っ越し話を初めて聞いたというF氏もその後、社内で問題を精査していなかったことも明らかになった。
さらに、住民の憤りに火をつけたのは2月10日。この日の話し合いで、佐藤代表は受け入れ残土を100万立米から60万m^3に減らすことを表明。フジタは、その場合でも「道路を拡幅したら1日160台のダンプカーによる運搬が34か月、拡幅をしなければ120台で45か月かかるので、どちらかを選んでほしい」と住民に要請した。
これは拡幅そのものを問題視している住民の神経を逆なでしたものだった。これを機に、志田線沿いの地権者8人は「用地交渉には一切応じない」「事業者等の訪問や連絡は一切断る」とした意思表明書を佐藤ファームに送ることになる。
また、この一連のできごとから津久井農場計画そのものを信用できなくなった住民たちは、10月から農場計画に反対する署名活動を展開。すると、地域の外からも署名に応じる人が増え、最終的には2247件が集まったのだ。
2月には、韮尾根自治会が審査会の全委員と本村賢太郎市長にも問題の詳細を文書で送付した。この���書が汲み取られたのであろう、2020年2月26日に審査会は本村市長に宛てて「志田線の拡幅は確定していない。(事業者は)何か確定した条件で見直しての環境保全措置や事後調査を実施すること」(概要)との答申案を提出。
本村市長は、そこにさらに「地元自治会から地域環境悪化への懸念に関する要望書が署名を添えて市に提出されたことも念頭に置き」などの文言を加え、佐藤ファームに対して「地域住民等との意思疎通を図ること」との意見を表明したのだ。
環境アセス手続きでは、市長意見を取り入れてアセスの最終報告書というべき「環境影響評価書」を作成しなければならない。だが、市長意見に従えば、地域住民と佐藤ファームとが協議のうえで同意に至らなければ、評価書は作成されず、計画は進まないことになる。
佐藤代表はその後「住民からの質問に丁寧に答えます」と表明し、話し合いを要望しているが、コロナ禍での外出・集会自粛の影響で7月6日時点でも話し合いは実現していない。
■《残土を受け入れの数十億円が最初から目的だった!?》
{{ 図版 8 : 佐藤誠氏の過去を知る嶋田俊一氏 : 佐藤誠氏の過去を知る嶋田俊一氏 }}
この取材の過程で、私は「佐藤誠代表を知っている」という男性と知り合った。相模原市緑区在住の嶋田俊一氏だ。
約10年前、佐藤代表の父親と懇意にしていた横浜市在住のK氏から「佐藤の息子(佐藤代表)が土地を2か所、それぞれ1億円で騙されて買ってしまった。その処分に困っている。相談に乗ってくれないか」との連絡を受けた。
嶋田氏は佐藤代表と一緒にその土地(今の津久井農場計画地)を見に行った。佐藤代表は「ここを残土捨て場にしようと思う」と説明したが、嶋田氏は「残土捨て場は谷にするべき。この急斜面では無理だ」と告げ、以後、寺院関係者に「墓地にならないか」と打診をしたが、すべて断られた。
そして2009年には佐藤代表に「私が仕事で回収するスーパーやドラッグストアなどからの段ボールの保管場所としてあの土地を使い、とりあえず利益を出し、廃品回収業の下地を作ることを検討してみては」との手紙を送ったが、返事はなかった。
また2か所の土地のもう1か所は、反社会勢力組織が産廃などの不法投棄を始めた。これにK氏が対処し、それを片づけさせたこともあるという。
ところが、5年ほど前から佐藤代表とは音信不通になる。そして2019年8月、偶然にインターネットで津久井農場計画を知った。嶋田氏は「この土地の件で世話をした人間に何の連絡もないとは」と憤ったという。
もしこの話が本当だとすれば、佐藤代表は農場などやる気はなかったことになる。ただし、フジタとつながったことで、残土を受け入れれば数十億円の金が入ってくるということで、改めて農場経営を目指した可能性も否定はできない。
そこで筆者は4月上旬、佐藤代表に宛てて「嶋田氏の話は事実なのか、佐藤ファームの住民への説明責任、フジタを紹介した政治家��は誰か、そして万一の土砂崩れでの補償の用意はあるのか」など17の質問を手紙で送った。
すると1週間後に佐藤ファームの顧問弁護士から「後日、弁護士から回答を入れる」との電話が入った。そして回答がFAXで入ったのは、1か月以上も経った5月22日のことだった。
その内容は「地元説明会等において通知人(佐藤代表)自らご説明を差し上げて参りたいと考えているところであり、個別の対応は差し控えさせていただきます」という実質上の“ゼロ回答”だった。
だがこれは、佐藤代表が地元住民から筆者と同様の質問が出されても回答すると明言したことである。実際に地元自治会は、佐藤代表に対して質疑をする予定だ。
≫――――――≪
■《フジタはJR東海から「残土の処分地を口外するな」と言われている!?》
{{ 図版 9 : 右が内藤ひろみさん。左が韮尾根自治会の落合会長 : 右が内藤ひろみさん。左が韮尾根自治会の落合会長 }}
5月中旬。韮尾根自治会で気になる動きがあった。フジタの意向を受けた住民のH氏が内藤さん宅を訪問。H氏は「橋本(相模原市の中心部)に引っ越せば、資産価値も上がります」と引っ越しをほのめかしたが、内藤さんは「フジタと佐藤ファームとは交渉は一切しない」と引っ越しを拒否。だがH氏は、「フジタはもう引けないところまで来ているから、道路の拡幅がなければ、別方向から残土を運ぶかもしれない」と説明した後にこう告げたのだ。
「フジタは、どの残土を持ってくるかは先行して伝えられない。JR東海から(口外を)止められているらしいんですよね」
これはリニア工事からの残土を意味するのか? 内藤さんからこの録音データが送られてきたとき、鈴木氏ら住民は「やはりか」との思いを抱いた。そして、それが決定的になったのは6月25日。
JR東海が、リニア工事のうち津久井農場に近い「津久井トンネル(東工区)」の施工者をフジタに決め、契約を交わしたのだ。これにより、そこから発生する60万m^3(津久井農場への搬入量と同じ)もの残土を、フジタが津久井農場に運ぶ可能性が高まった。
すると、フジタが排出する残土を佐藤ファームが数十億円で引き取り、そこから佐藤ファームが農場造成への数十億円をフジタに支払うことになるのだろうか? 佐藤代表の話では「(100万m^3の段階で)農場造成にはそのお金だけでは足りない」ということだが、その足りない分はどう工面するのか? 佐藤代表は住民の前でそれをどう説明するのだろうか。
JR東海の発表のあと、フジタのF氏から韮尾根自治会の落合会長に「受注したリニア工事は農場計画とは一切関係ない」との電話が入った。では、60万m^3もの残土をどこから運ぶのか? それを明かさないままでは住民合意には至らない。
住民が知るべきことはまだまだある。たとえば、2019年12月時点で佐藤ファーム、津久井農場での牧場施設(牛舎や堆肥舎など)の建設(約4億3000万円)については未契約だった。これはいつ契約されるのだろう。
また、膨大な残土を急斜面で造成する以上は、土砂崩れの可能性もある。そうなった場合の補償は誰が行うのか。土砂崩れを怖れて隣接する���川町でも反対運動が起こっている。この問題を今しばらく追いかけてみたい。
<文・写真/樫田秀樹>
●樫田秀樹 かしだひでき●Twitter ID: {{ @kashidahideki : https://twitter.com/kashidahideki }} 。フリージャーナリスト。社会問題や環境問題、リニア中央新幹線などを精力的に取材している。 {{ 『悪夢の超特急 リニア中央新幹線』(旬報社) : https://www.amazon.co.jp/dp/4845113643/ }}で2015年度JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を受賞。
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隊員の読み物1 カーネリアンの話-思いつくままにー
堀岡晴美隊員からカーネリアンについてご寄稿いただきました。
ディルムン文明(前2200年~前330年頃)、その後のタイロス文明(前330年~後629年頃)が栄えたバハレーン島では、墳墓からさまざまな副葬品が出土しますが、そのなかにカーネリアン(carnelian/cornelian)を使った装飾品があります。カーネリアンとは紅玉髄とも呼ばれるように、赤色やオレンジ色をした網目模様の無い玉髄の名称で、ちなみに網目模様があると瑪瑙(agate)と呼ばれます。
カーネリアンをシュメール語では以下のように書きますが、
(筆者による手写)
これはNA4「石」とGUG「明るい」という単語が組み合わさってできた文字で、gugと読みます。
カーネリアンは西アジアでは先史時代からビーズの材料として愛好されてきました。メソポタミア南部(現在のイラク南部)に関して言えば、紀元前2600年頃とされるウルの王墓から出土した装飾品はつとに有名で、王妃が生前愛用したと考えられる装飾品の数々はじつに煌びやかで豪華です。黄金・銀など貴金属と並んでさまざまな貴石が使われていますが、とくにラピスラズリとカーネリアンのビーズはさかんに使われています。著作権の関係で写真を掲載することができませんので、��大英博物館 ウル王墓 装飾品」で検索してみてください。花冠・ティアラやラピスラズリ・カーネリアンなどでできたたくさんのネックレスを着けた女性頭部模型の画像が見られます。
カーネリアンはビーズ以外にも、少ない例ではありますが印章や動物彫像の一部に使われたりもしています。けれどもバハレーンで出土したカーネリアンはほとんどが装飾品のビーズとして使われたものです。メソポタミアやバハレーン出土のカーネリアンは、いずれも交易関係にあったインダス河谷からもたらされたものです。
バハレーン島には、前3千年紀末から前2千年紀前半にかけてペルシャ湾交易の中継地として繁栄した前期ディルムン文明の首都が置かれていました。ディルムンはインダスやオマーン(古名マガン)などから運び込まれる木材や貴石・貴金属をメソポタミアへ輸出していましたから、ウル王墓出土のカーネリアンもディルムンを経由したと考えられます。しかし一時期、メソポタミアへ向かう交易品がディルムンを経由せずにインダスから直接運ばれた時期もあったようです。メソポタミア南部に興ったラガシュ第2王朝のグデア王が残した碑文『円筒碑文A』に次のように記される箇所があるからです。「グデアのために精錬された銀がその山々から細粒の形で運ばれ、メルッハからの透明なカーネリアンが彼(=グデア)の前に広げられた」(円筒碑文A xvi 21-23, Edzard 1997, 78頁参照)。メルッハとはインダス文明が栄えた地域の古代名です。
メルッハではカーネリアンを原石からビーズに加工する技術が発達していました。とくに10 cm近くもある長さのビーズに孔を開ける技術は他の追随を許さない高度なものです。当時のインダスで行われていた石(カーネリアンを含む)の加工技術については、本プロジェクト・メンバーである上杉彰紀氏の論考があります(下記参照文献)。
カーネリアンの放つ明るい赤色・橙色は人の心を惹きつけたことでしょう。加工の過程で人工的に加熱処理をして赤味を増大させてもいたようです(上杉 2015)。逆にバハレーン島から出土するものの中には、白みがかった色のカーネリアンが時折見られます。白っぽい色味がこの地では好まれたのか、それとも他の理由があったのか、定かではありません。Ancient Bahrain: The Power of Trade, Highlights from the National Museum of Bahrain (2nd. Mill. BC- 3rd cent. BC) (バハレーン国立博物館カタログ) p.40にサール(Saar)古墳群(Early Dilmun 前2000年-前1800年)から出土した白みがかったカーネリアンと酸化して緑色になった銅ビーズのネックレスが、またp.127にShakhura(シャホーラ)古墳群(Middle Tylos 前1世紀~後1世紀)出土の鮮やかな赤色をしたカーネリアンと縞瑪瑙のネックレスの写真が掲載されています。
現代でもカーネリアン・ビーズはネックレスやブレスレットに好んで使われていますが、カーネリアンの原石は宝石類に比べれば安価なものです。しかしメソポタミアでも、またバハレーンにおいても、インダス固有の技術で加工され、遠方から海路ではるばる運ばれてきたのですから、加工賃や輸送コストを考えればラピスラズリ・瑪瑙・トパーズなどの貴石と同様にかなり高価で珍重されたと思われます。
(現代のブレスレット(筆者私物) 一辺1.5 cmの四角形ビーズがカーネリアン)
カーネリアンが高価な貴石と認識されていた事が分かるシュメール語文学作品があります。それは今日の研究者が『ル・ディンギラが母へ送るメッセージ』と名付けた作品で、高価なものや価値あるものを列挙する中にカーネリアンも登場します。カーネリアンに関連する箇所はたった1行しかありませんが、当時のメソポタミアの市民がどのような物や事柄を「価値あるもの」として考えていたかを知ることができる興味深い作品ですので、以下に大筋を引用してみます。
『ル・ディンギラが母へ送るメッセージ』
(Lu-diĝira’s message to his mother注1)
身分の高い(と推測される)ル・ディンギラという名の男性が、なんらかの理由で故郷を離れているため、遠方の都市ニップルで暮らす母親に無事を知らせるメッセージを送ろうと考え、使者に言付けを託します。
[1-8行目]「王家の使者よ、出立せよ。私はお前をニップルに遣わしたい、そしてこのメッセージを届けてくれ。お前は遠方への旅路に就く。私の母君は心配で眠れなくなっている。母君のいる女性部屋は閉ざされているが、私の挨拶状を彼女に手渡してくれ。母君は旅人たちに、私が元気かどうかをずっと尋ねているらしいから。そうすれば母は喜び、お前を手厚くもてなすだろう。」
けれども使者はル・ディンギラの母親とは面識がありません。そのため母がどのような人か使者に説明し始めるのですが、それは5段階にわたって延々と続きます。1段目は「名はシャット・エシュテル」に始まり、嫁ぎ先の家の一切を切り盛りする様子、その傍ら神殿の女性神官としても働いている事など、主に���女に備わる特徴が使者に伝えられます。
カーネリアンはつぎの第2段(9-20行)に出てきます。少々長くなりますが引用してみます。
[9-20行]「私の母君は空に輝く光のような山腹の牝シカ。彼女は夕暮れ時にも光り輝く明けの明星。彼女は高価なカーネリアン、マルハシ(地名)のトパーズ。彼女は王の兄弟の美しさに満ちた宝石類。彼女はnir石でできた円筒印章、それは太陽のごとき装飾品。彼女は錫でできた腕輪、それはantasura石でできたリング。彼女は輝ける黄金と銀の塊、けれども呼吸し、生きている。彼女はラピスラズリの台座に鎮座するアラバスタ―製保護女神の小像。彼女は磨かれた象牙の竿、そこには美しさにあふれた手足がある。」
日本では女性の姿や佇まいを表現する際に花に譬えたりしますね。たとえば「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」とか、『野菊の如き君なりき』という題名の映画もありました。ですから私たちにとって女性を金属や貴石に譬える表現にはじゃっかん違和感を覚えるのですが、しかしシュメール語文学作品で女性を特定の花に譬えた例をこれまで見た事がありません。この段で母を貴石や貴金属に譬えたのも、外見の特徴を表すというよりは、ル・ディンギラにとって母はとても高貴で気高いということを述べたかったのではないかと思います。
3段目の説明は、「天から注ぐ雨、最上の種のための水。十分に生育した大麦の豊かな収穫。笑いに満ちた…の庭園。井戸灌漑の松の木、飾られた柏槙の木。第一の月の産物である走りの果物。庭園の各区割りに豊穣の水を運ぶ水路。受容の高いディルムンの甘いデーツ」といった具合に、豊穣をもたらす天の恵みや農産物、メソポタミアでは入手が難しい木材が上がります。
4段目では人々にとって楽しい事や嬉しい事を列挙します。「祝祭と奉納。見るのが憚れるほど畏れ多いアキートゥム祭りの奉納品。豊かな稔りの歌。歓喜を提供するエンターテイメント会場。歓びに飽きることのない恋人。捕らわれ人がその母親の許に還るだろうという良き報せ。」
最後の5段目では、「甘く香しいナツメヤシの木。柏槙でできた二輪戦車、柘植の四輪ロバ車。精油で香りをつけた素敵な衣装。豊穣の印?の花冠となる葡萄の房。極上の油が溢れ出るダチョウの卵でできた小瓶」とありますが、これらは一般人には手の届かない贅沢品とでも言いましょうか。
このような説明の仕方で果たして使者はル・ディンギラの母を見分けることができたのか、と甚だ疑問ではあります。ただ1段目の「名はシャット・エシュテル」につづいて「身体、顔、手足、そして外見は」(11行目)とあり、容姿についてなんらかの説明を試みたのかと思うのですが、どういう訳かそのあとの説明が記されていません。それにしても、最も大事な要件のはずの外見についての部分が余りにも簡単すぎると思いませんか?
じつはこの作品は書記学校のテキストとして、メソポタミアの都市ニップル注2で前2千年紀に作成されたものなのです。「神の人(/男性)」を意味するル・ディンギラという名前もありきたりの名前で、実在の人物という訳ではありません。この作品はおそらく、書記のたまご達に「価値あるもの」「贅沢品」「喜ばしい事」に相当する語彙とその書き方を教えるために編纂されたのでしょう。
作品の末尾に母に伝えてほしいメッセージが記されていますが、それは「私は元気です」のたった1行だけでした。
注1 : この作品の翻字・翻訳をオックスフォード大学の
Electronic Text Corpus of Sumerian Literature (5.5.1)で閲覧できます。
当ブログでは下記Black, J. et al. 2004 pp.190-192の翻訳を参考にしました。
注2 : Nippur (現Nuffar)。メソポタミア沖積平野のほぼ中央に位置する都市。シュメール初期王朝
期からイシン・ラルサ期に至る間(前3千年紀~前2千年紀前半)、宗教的・文化的中心地であり、数万点ともいわれる楔形文字を記した粘土板が出土した。
参照文献
Black, J, G. Cunningham, E. Robson, and G. Zólyomi 2004 The Literature of Ancient Sumer. Oxford University Press, Oxford and New York.
Edzart, D. O. 1997 Gudea and His Dynasty. The Royal Inscriptions of Mesopotamia, Early Periods , vol. 3/1. University of Toronto Press, Toronto Buffalo London
上杉彰紀 2015 「インダス文明期の石製装身具研究の現状と展望」『西アジア考古学』16号 13-29頁
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