#松阪スケートパーク
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【スケートパーク完成後に近隣住民から苦情殺到…取材して見えてきた騒音以外の問題点「ガラ悪い人がいる」】 - 文春オンライン : https://bunshun.jp/articles/-/48826 : https://bunshun.jp/articles/-/48826?page=2 : https://bunshun.jp/articles/-/48826?page=3 : https://bunshun.jp/articles/-/48826?page=4 : https://archive.is/yKhNE : https://archive.is/gpAs9 : https://archive.is/lCTwC : https://archive.is/3icb7 吉田 佳央 2021/10/22
{{ 図版 1 }}
コロナ禍での開催となりながらも、今夏大きな盛り上がりを見せた東京オリンピック。多くの競技が注目を集めたが、スケートボードほど五輪の後に、世間からの関心度が高まった競技はないのではないだろうか。
五輪閉幕後もメダリストとなったスケートボーダーの姿をあらゆるメディアで見るようになったし、全国各地でスケートパーク建設へ向けた動きが加速していると聞く。
■《根強いスケートボードに対する社会からの偏見》
女子ストリートで金メダルを獲得した西矢椛選手(にしやもみじ・14)が拠点としている、大阪府松原市の「スポーツパークまつばら」も施設拡充が決まり、東北を代表する施設として評価の高い「寒河江スケートパーク」も補修と改築をスタートさせるなど、全国各地でさらなる環境整備へ向けた動きが加速している。
しかし、その一方でスケートボードに対する社会からの偏見が、未だ根強いというのも事実だ。
京急電鉄が進めた東京都大田区の糀谷駅付近の高架下のスケートパーク&ショップ事業は、その最たる例と言えるだろう。パーク自体は完成しているにもかかわらず、地域住人からの苦情により計画が頓挫、最終的には中止に追い込まれ、滑走不可能になってしまったのである。
{{ 図版 2 : スケートパークに貼られている事業中止を知らせる張り紙 cYoshio Yoshida }}
では、なぜ莫大な予算をかけてスケートパークを造ったのにも関わらず、利用中止に追い込まれてしまったのだろうか?
そこには地域住民との埋めようにも埋めることのできない大きな溝があった。
■《近隣住民からの騒音に対する苦情》
そもそもこの施設は羽田空港の国際化に伴い、大田区の湾岸エリア一帯の駅を全て高架にする街づくりを進めた京急電鉄の高架下活用事業の一環としてスタート。そこに近年のスポーツとしての認知度向上や競技人口の増加を背景に、スケートボードに白羽の矢が立ち、このプロジェクトは動き出したのだ。
大田区にて長年スケートボードショップ「5050」を営んでいる冨田誠さんをスケートボードパークプロジェクトの運営者に据え、昨年の6月にはパークが完成した。あとはオープンを待つだけのはずだった。
しかし、そこに待ったをかけたのが、音量検査とプロモビデオの撮影で2日間、日中に4時間滑った際に寄せられた、近隣住民からの騒音に対する苦情であった。
この施設は、パークの建設前に地域17町会に説明会を済ませており、人々が行き交う駅近の高架下にスケートパークができるため、防音壁を使用し、誰でも自由に見学できるように一部をアクリル壁にするといった配慮も見せていた。
≫――――――≪
しかし、パーク上部、高架のすぐ下に開いた1.5mほどの隙間から漏れた音に対し、日中の数時間の滑走の際に出た騒音に近隣住人は猛反発、あまりの声に事業を精査し直さざるをえなくなってしまったのだ。
{{ 図版 3 : 雨天でも滑走可能で貴重な市街地の施設になるはずだったのだが、上部に見える隙間から漏れた音が原因で滑走不可能に cYoshio Yoshida }}
■《スケートボードが抱える根深い問題》
苦情への対応策は、開いた隙間を塞ぐこと以外になかった。
ただそうすると、今度は施設全体が構造物になってしまうため、基礎工事からやり直さなければいけなくなってしまう。修繕にかかる費用はおよそ1億5000万円。京急が負担すると、いくら営業をしても採算がとれなくなるという試算が出てしまったことで、八方塞がりとなり、事業自体が中止になってしまったのだ。
事業中止の背景には、騒音検査で想定以上の音が出てしまったのもあり、そこに対して反対の声があがるのも無理はない。
しかし、取材を進めるとそれだけに収まらない、スケートボードが抱える根深い問題が見えてきた。
{{ 図版 4 : このスケートパークは高架の上を電車が通過し、近くには幹線道路が走っている。常日頃から騒音とは隣り合わせのエリア cYoshio Yoshida }}
というのも、そもそもこのエリアは高架上を電車が走っているだけでなく、東京の幹線道路のひとつである環状8号線にも面しているので、以前から日常的に騒音に晒されている地域なのである。
電車やバイクが通過する音も規定値を超えており、パーク完成時の騒音検査で出た音量と何ら変わらないそうだ。
■《地域住民との隔たり》
もちろん電車などの交通音は常に出続けているわけで��ないが、それはスケートボードも同様で、技を繰り出す際のデッキ(ボード)を弾く音やレールなどのセクション(障害物)を捉えた時に響く甲高い音などは、ほんの一瞬だけである。
さらにこのスケートパークの滑走面はスムースなコンクリートなので、ただ滑るだけでは騒音と呼べるほどの大きな音は意外と出ないものなのだ。そう考えると、苦情の原因がスケートボードの滑走音だけなのかというところにも疑問符がつく。
そこで苦情の更なる詳細な内容を聞いていくと、おぼろげながら地域住民との隔たりが見えてきた。
この施設では、夜間に滑走したことは一度もないにもかかわらず、「音がうるさくて夜も眠れない」と言う声があがっていたり、スケートショップができたことで集まるようになった人たちに対して、「ガラ悪そうな人がいる」「今まで街にいなかったような人がいる」といったクレームまで入っているというのだ。
≫――――――≪
目障りだとまでは言わないものの、これらの声はショップとスケートパークができて環境が変わったことに対する違和感やスケートボードに対して抱く先入観や偏見からくるものだということは、否定できないのではないだろうか。
電車や車・バイクといった公共性の高いものは許されるが、スケートボードのような特異なものは受け付け難い。この一連の騒動には、そのようなちょっとやそっとでは拭えない障壁が立ち塞がっているようにも見えてくる。
{{ 図版 5 : パーク復活に向け、冨田さんが継続して初心者向け個人講座を行なっているパーク前のフラットなアスファルト cYoshio Yoshida }}
■《迷惑にならないところを模索しての活動》
しかし、今夏に行われた東京オリンピックでの堀米雄斗選手らの活躍によって、ヤンチャな印象だったスケートボードのイメージが大きく変わったという声をそこかしこから聞く。
実際に冨田さんもその変化を実感しているそうで、「早く使えるようになると良いね」といった声から、中には「いつ開くのかと思ってたけどもう我慢の限界! なんで開いてないのか教えてよ!」という熱狂的なものまで、応援の声が増えたという。
それだけでなく、パーク復活へ向けてなんとか近隣の理解を得ようと、パーク外のアスファルトのフラットな路面で、柔らかく滑走音のしないウィール(車でいうタイヤにあたるパーツ)を使うなどしながら、騒音の出ない範囲で初心者の個人レッスンも行い続けているという。迷惑にならないところを模索しての活動を見せてきたことでも、着実に理解は深まってきているそうだ。
ただ、冨田さんの活動はそれだけでは終わらない。
{{ 図版 6 : 「羽田スケートパークを実現させよう!!」 「大田区 羽田空港跡地の公園にスケートパーク(スケボーエリア)を作りたい!!」ネット署名のお願い }}
■《天空橋駅でもスケートパーク建設運動》
ショップとパークがある糀谷駅から羽田空港方面へ進んだ、天空橋駅にある���よそ2万平米の公園建設予定地にも、世界大会の開催が可能な規模のスケートパーク建設運動を行っているのだ。
というのも、ここは運河を隔てた先にあるため、市街地に比べてスケートパーク建設に対する規制が緩和される点が大きい。江東区の有明アーバンスポーツパークが五輪会場となったのも、そういった建設条件に合致していたからである。
さらに駅前という好立地なだけでなく、すぐ隣には羽田空港があるので世界的に見てもアクセスは抜群。
飛行機が四六時中飛んでいるエリアなので、近隣住宅は防音設備を整えているところが多く、騒音にも寛大な土地柄なのだそう。
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この場所には今までなかなか超えられなかった壁を乗り越えることができる要素がたくさん詰まっているのである。
{{ 図版 7 : 署名運動を行った公園建設予定地。右手には多摩川、手前には運河が流れ、奥には飛行機が見えるロケーション。 cYoshio Yoshida }}
■《プロスケーターからも良い方向にいってほしいとの声が》
ではこれらの一連の活動を現役の選手たちはどう見ているのだろう。大田区を代表するプロスケーターで、全日本選手権優勝など輝かしい経歴を持つ池田大亮選手(いけだだいすけ・21)にも話を聞いてみた。
{{ 図版 8 : 池田大亮選手 cYoshio Yoshida }}
「実は糀谷のスケートパークのオープン前に滑らせてもらったんですけど、すごくいい施設だと思いました。雨が降っても天候を気にせず滑れるコンクリートのパークは全国的にも貴重なので、現状は正直言って悔しいです。
今はオリンピックを目指してるキッズもたくさんいるし、そういう人達のためにも開けてほしいなと思いますね。もちろん夜遅くまでなんて言いません。せめて19時くらいまで開いていれば、地元のスケーターも絶対に上達すると思います。オリンピック以降一般からの目線も優しくなったと思うので、今後は良い方向にいってほしいなと思います。
羽田のパークに関しては、実は前にもできるという話があったけど、結局できなかったという話を聞いています。そういった経緯もあるだけに、今回は実現してほしいですね。あそこは土地もかなり広いので、建設が決まったらかなり大きい施設になるんじゃないでしょうか。話が順調に進んで決まった際は、設計とかもしてみたいなと思っています」
このように現役選手からの言葉には切実な願いが込められていた。どうにかして共存への道はないのだろうか。
■《スケートボードとの共存の道》
今回の取材を通して、糀谷の高架下スケートパーク事業の中止騒動と天空橋のパーク建設運動には、良くも悪くも日本が古くから抱えている価値観によって、自ずと形成された社会の縮図が詰まっているように感じた。
しかし時代は常に変化し続けている。スケートボードがオリンピック競技になり、日本人が金メダルを獲得すると誰が予想できただろうか。オリンピックによってスケートボードの持つ素晴らしいカルチャーを知った日本が、今���どのようにしてスケートボードとの共存の道を歩んでいくのかを、しっかりと見届けていきたいと思う。
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【「スケボー禁止!」「スケボー禁止!」14歳と19歳のスケボー女王を取材して痛感した《日本ではスケボーをやる場所がない》 問題】 - Number Web - ナンバー : https://number.bunshun.jp/articles/-/850338 : https://number.bunshun.jp/articles/-/850338?page=2 : https://number.bunshun.jp/articles/-/850338?page=3 : https://number.bunshun.jp/articles/-/850338?page=4 : https://number.bunshun.jp/articles/-/850338?page=5 : https://archive.is/lXJBV : https://archive.is/CEjM1 : https://archive.is/SAX1M : https://archive.is/pwVvZ : https://archive.is/bCBH8 2021/10/25 17:03
{{ 図版 1 : 今回取材した西矢椛14歳。松原中在学中。日本人女性として初の21世紀生まれの五輪金メダリストに。取材は大阪府松原市にあるスポーツパークまつばらで行った }}
text by 近藤篤 Atsushi Kondo photograph by Atsushi Kondo
Number最新号「新しい金メダリストのつくり方」では、堀米雄斗を筆頭に東京五輪で金メダルを獲得したスケートボーダーたちを大特集。パークとストリートの種目で初代女王に輝いた四十住さくらと西矢椛をインタビューし、���女たちにゆかりあるスケートパークを取材したフォトグラファーの近藤篤氏が実感した、国内のリアルなスケボー事情とは?
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2016年の8月、ブラジルのリオデジャネイロで開かれたIOC総会で、新たなオリンピック競技の一つとして、スケートボードが承認されたというニュースが流れた。 スケボーがオリンピック? 満場一致で下されたその決定に、首を捻った人、違和感を覚えた人は多かった(と思う)。 かくいう僕もその一人だった。 別にスケボーを子供の遊びだと思ってはいなかったし、他のスポーツと比べて下に見ていたわけでもない。公園や歩道で夜遅くまで滑り倒すスケーターたちに敵愾心を抱いたこともない(若者に偉そうに言えるほどちゃんとルールを守って生きてきたわけじゃないから)。 でも、スケボーとオリンピックという組み合わせはなんだかしっくりこなかった。 陸上だってある、体操だってある、サッカーだって、アーチェリーだって重量挙げだってある、なのになんで今更スケボーが必要なんだろう? 今になって考えてみると、たぶんあの違和感の理由は、ただ単に競技スポーツとしてのスケボーが僕にとっては新しすぎたことだった(もちろんIOCには別の事情もあったのだろうけれど)。 歳をとればとるほど、新しいものをさらりと受け入れるのは難しくなってゆく。 例えば2008年の夏、iPhoneという革新的なデバイスを手にした大人たちの多くは「こんなの特に必要ないよね」とクールに呟いていた。そして2021年の今、もうiPhoneなしでは生きられない人が世界中にごまんといる。 きっとスケボーも同じようなものなのだろう。 1940年代のアメリカで生まれたこの横乗り系スポーツは、大きく動き始めた新しい時代の中で、いつの間にか当たり前のものとして受け入れられてゆくのだと思う。
{{ 図版 2 : 写真は1965年のアメリカ・シカゴ。ブームになっていたスケボーで遊ぶ10代の男の子たち cGetty Images }}
■《さくらともみじを巡る2泊3日の旅》
そんなことを考えながら、2021年の10月上旬、二人の金メダリスト、四十住さくらと西矢椛が育った場所を、本人たちへのインタビューも兼ねて2泊3日で回ってきた(さくらともみじを巡る2泊3日の旅、なんだか園芸雑誌の取材みたいである)。 あらかじめ組まれた取材スケジュールには、彼女たちへのインタビューも入っていた。19歳と14歳、二人の年齢を足しても僕よりまだ20歳以上年下である。3歳児と猫の心を開くのはけっこう得意だけれど、思春期の女の子は難しい。インタビュー云々の前に、そもそも彼女たち��の会話そのものが成立するのだろうか?(まあ、なんとか成立した)
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訪れた場所は、四十住さくらの地元である和歌山県岩出市、西矢椛の地元である大阪府松原市、それから二人のスケーターにゆかりのある大阪府堺市と兵庫県神戸市の4カ所だ。 岩出? そもそも名前すら知らないし、もちろん和歌山県内のどのへんに位置するのかもわからない。 松原? 名前は聞いたことがあるけれど、こちらも具体的な位置はわからない(30年くらい前にバリ島で知り合った女の子がたしか松原の出身だった)。
そして堺。堺といえば仁徳天皇陵、あるいは千利休が思い浮かぶ。でも今回は古墳の発掘調査に来たわけでもなく、侘び茶のお稽古に来たわけでもない。あくまでも目的はスケボーである。 ちょっと寄り道して日本最大の前方後円墳を見学したかったけれど、堺市出身の同行編集者Pくんいわく、あんなもん横から見たらただのデカい林っすわ、と一言で却下された。 その堺で足を運んだのは、市の東部に位置する大泉緑地、そしてそこから南西に6キロほど下ったところにある原池公園である。
■《西矢椛“6歳”の原点》
大泉緑地の方は初代オリンピック・ストリート女王、西矢椛ゆかりの地だ。かつては駐車場か何かだったのだろうか。緑地内には木製のセクションが雑に配置された手作り感満載のスケートパークがあり、気が向けば誰でもここでスケボーなり、BMXなりを楽しむことができる。 くたびれたアスファルトの路面はガタガタだし、ランプには穴が空いていたりするけれど、それはそれでいい雰囲気を出している。何より入場無料なのが最大の魅力だ。常に厳しい視線に晒されるスケボー難民にとってはとてもありがたい場所である。 6歳でスケボーを始めた西矢椛は当初、隣町の松原からこの大泉緑地内にあるスケートパークに通って技を磨いていた。ベタな言い方をすれば、この公園から金メダルへの道が始まったわけである。
{{ 図版 3 : 西矢椛14歳。松原中在学中。日本人女性として初の21世紀生まれの五輪金メダリストに。取材は松原市にあるスポーツパークまつばらで行った cAtsushi Kondo }}
■《「スケボー禁止!」「スケボー禁止!」》
もう一つの原池公園、ここは初代パーク女王、四十住さくらゆかりの場所である。阪和自動車道の高架下に作られたスケートパークには近未来的な雰囲気が漂っていて、なかなかフォトジェニックな空間である。パーク内にはコンクリート製のボウルがあり、ストリートからパークへと主戦場を移した四十住さくらは、一時期岩出市からここに通って練習していた。 今発売中の雑誌Numberに掲載されている記事の中で、ページ数の関係で書ききれなかった原池公園について少し詳しく書こう。
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パークの入場料は1日利用で大人510円、子供(中学生以下)は310円。決して高くはないけれど、もし自分がスケボー大好きな中学1年生だったら、この料金でもやっぱりちょっと辛いかもしれない。1カ月毎日通ったら9000円、今時のお小遣いが月平均いくらなのかは知らないけれど、けっこう痛い出費である。
じゃあパークの外、どこか違う場所で楽しくタダでスケートできるかというと、公園内には至るところ、これでもか、というくらい「スケボー禁止!」の貼り紙が、何かスケボーに個人的な恨みでもあるのだろうか、と思うくらいに貼られてある。
{{ 図版 4 : 四十住さくらゆかりの原池公園。コンクリート製のボウルが印象的だ cAtsushi Kondo }}
「大阪って人口は880万人もいてるのに、公営のパークって数えるほどしかないんです���。大きなところはここか、熊取か大東、その3つくらいですし、大阪市内に至ってはゼロです。スケーター人口は大阪だけでも8万から9万人、そう考えたら公営パークはもっと増やさなあかんやろ、って僕は思うんですけどね」
そう教えてくれたのは原池のパーク管理を市から委託されている株式会社PSJの営業部長、中嶋寛寿さんだ。 63歳の中嶋さんはもう随分と昔からスケートボード関係の輸入や販売に関わってきた。スケーターの人口は毎年右肩上がりで増え続けているが、日本国内のスケートパークは大小合わせてもおよそ300くらいしかない。ちなみに、本場アメリカは3500くらいあるという。
■《「スケボーって迷惑やなあ」から「早くパーク作ったって」》
やっぱり、スケボーに対する社会とか行政の理解、未だ全然足りない感じなんですか?
「スケボーって、タトゥーして、ピアスして、ちょっとゴリゴリ系の人らが、一発行くわってイメージありますよね。確かにそういう子供たちもここに来ますけど、実際に話してみるととても素直だし優しいですよ。ほとんどのスケーターはルールを守るし、ストリートで滑ってる子でも一定のレベルでルールは守ってます」
だからこそ、じゃあどこで滑ればいいの? という彼らの問いに、ここで滑ったらええんやで、という答えをより多く提示してあげたいというのが中嶋さんの考えである。
「さくらちゃん、あるいはもみじちゃんが金メダル獲ったのはもちろん嬉しかったです。年甲斐もなく、手に汗握って応援してましたから(笑)。だけど、今回のオリンピックで何よりも良かったのは、大技にトライして失敗した競技者を、他の競技者同士で称え合うという光景をみんなが見てくれたことでした」
{{ 図版 5 : スケボー女子パーク、予選1位で決勝に臨んだ岡本碧優15歳。メダルを期待される中での最後のラン、大技に挑戦するも決めきれず。しかし、待っていたのは彼女の攻めの姿勢を認めた各国選手たちの称賛だった cGetty Images }}
あの心温まる光景を見て、スケボーって迷惑やなあ、カンカンうるさいなあ、って思っていた人たちの口から、早く彼らのためにパーク作ったってください、というセリフが聞こえてくるようになったそうだ。
■《「日本人は細かい部分を徹底的に詰めますから」》
中嶋さんに話を聞いた後は、その日たまたま原池に居合わせたプロスケートボーダーの山崎勇亀さんにも話を聞けた。
≫――――――≪
PSJが主宰するスケートボードアカデミーの校長を務める山崎さんは、パークエリアに隣接して近日オープン予定のストリートエリアのセクションの配置を入念にチェックしていた。 山崎さんは現在49歳、スケボーを初めて見たのは生まれ故郷の静岡県の沼津市、中学3年生の時だった。
「でもそれは本物のスケボーではなく、雑誌に載っていた写真だったんです。男性がスケボーに乗ってジャンプしてて。わ、飛べるんだ! と。東海道線に乗って東京まで行ってスケートボードをゲットして。それ以来もう、ずっとどっぷりです(笑)」
自分だけのトリックを毎日毎日考えて練習していると、あっという間に5年、10年の月日が過ぎ去る。それがスケートボードというスポーツなんですと山崎さんはいう。 彼が滑り始めた時、日本にはまだ競技会すらなかったが、今ではオリンピックの正式競技となり、しかも関西出身の女の子が二人も初代金メダリストとなった。
「スケボーってここまで来たのか! って感慨深いものがありました。メダルに関しては、誰かしらは獲るだろうなと。日本人は練習好きですし、細かい部分を徹底的に詰めていきますから。海外の選手は一発デカいことやったりすんですけど、練習はそんなにみっちりやらない。だから、ミスしなければ日本の選手がメダル獲る確率は高いだろうな、って」
■《スケボーは「遊び」から「スポーツ」へ》
原池を訪れた前日、僕は岩出市の造り酒屋の敷地内にある「さくらパーク」、四十住さくらの誰もが羨むようなプライベートパークを見学させてもらったばかりだった。
{{ 図版 6 : 四十住さくら19歳。東京五輪女子パークで金メダル。取材は彼女のプライベートパーク、和歌山県岩出市の「さくらパーク」で行った cAtsushi Kondo }}
やっぱり、練習できる環境って大事ですよね。
「確かに環境はすごく大事です。スケートボードは、昨日これができたから今日もできる、というものじゃない。繰り返し練習してどれだけ成功率を上げられるか、が鍵になりますから」
でも、と山崎さんは付け加える。
≫――――――≪
「練習場が近くにあるから逆にダメになるって人もいますよ。いつでも練習できるから今日はいいや、って。要するに、そこは個人の問題です」
山崎さんの考えによれば、スケートボードはまだ「遊び」から「スポーツ」への過渡期。この先さまざまな変化、例えば必要な筋力のトレーニング、怪我のリハビリ、あるいは専属のコーチ、といった新たな要素はほぼ間違いなく登場することになるという。
「スポーツとしてのスケートボードで上を目指すなら、歯を食いしばらなきゃいけない時は絶対に来ます。遊びなら諦めるような技でも、それが競技となればやるしかないですからね。遊びとしてのスケートボードにももちろん魅力はあるけれど、個人的にはスポーツとして認められるのはいいことだと捉えています」
���ポーツとして認められれば、競技人口はさらに増えるだろうし、まわりの理解も深まるだろう。そして、スケートボードを経験したことのある大人が増えれば、公園や歩道でトリックの練習に励むスケートボーダーへの大人たちの視線もきっと優しくなっていく。まあ、昔は自分もああだったからな、と。
■《「ここでのスケボーは禁止されてます!」》
取材からほぼ1週間後、僕はナンバー本誌用の原稿を書き上げて、自宅から歩いて15分ほどのところにある海岸まで散歩する。海岸の手前にはものすごく広い公営の駐車場があって、季節外れの海を訪れる車はほとんどない。 そのだだっ広い空間を横切りながら、今からでもスケートボードに乗れるようになったら楽しいだろうな、と僕は考える。ここで練習すれば、誰にも迷惑はかけないしな、と。 数日後、地元の友人がこんな話を教えてくれる。 この間さ、あの駐車場でね、お父さんが小さな息子連れてスケボーの練習始めたら、係のおじさんがすっ飛んできて、ここはダメです! って叱られたんだって。おまけにそのおじさん、その後もう一回、今度は場内アナウンスで「ここでのスケボーは禁止されてます!」って、デカい声で叫んでたんだってさ。なんだかなーって感じだよね。
大丈夫。あと2、3回オリンピックでさくらともみじが金メダルとれば、そういうのもきっとなくなるさ。
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