#東京とんかつ協会2021
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (���称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容��形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露��」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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こんなにヤバい大阪・関西万博 - メガイベントの暴力を考える
日時:2025年2月9日(日)13:30~ 場所:渋谷区千駄ヶ谷社会教育館3階の学習室1・2 https://shakyokan-sendagaya.amebaownd.com/ お話:原口剛さん、釜ヶ崎センター共同炊事に参加している方 共催:バビロン解体企画、反五輪の会 協力:ふぇみん婦人民主クラブ
今年4月13日から大阪・関西万博が開催されます。膨れ上がる予算、会場建設の遅れ、メタンガス爆発事故、相次ぐ参加国の撤退、宣伝を担当する著名人の性暴力問題、イスラエルの参加など、問題は山積みなのに、それでも中止しない。まるで、2021年東京オリンピック・パラリンピックのデジャブを見るようです。 国策で行われるメガイベントが、どれほど人々の生活を破壊し犠牲にするのか、私たちは経験したはずです。 東京オリンピック・パラリンピックは「復興五輪」を掲げながら放射能汚染をごまかし���貧困者や移民・難民の人々を排除し、大規模な環境破壊を引き起こしながら推し進められました。一年延期となった開催は、コロナでたくさんの人々が苦しみ亡くなっている最中にお祭り騒ぎを優先させるという残酷な事態となりました。8割の人々が開催に反対していたにも関わらず、天皇の開会宣言によって大会は開幕。帝国主義、性差別、障害者差別、ヘイトスピーチを撒き散らす大会を、学校単位で動員された子どもたちが応援しました。閉幕後も汚職や談合が次々発覚し、乱立した競技施設の維持費は負のレガシーとして私たちに重くのしかかっています。 こんなことを繰り返してはならない。 今からでも遅くない、メガイベントはもうやめよう。 開催4ヶ月前となる昨年12月1日、釜ヶ崎の「あいりん総合センター」周辺に、大阪地裁の執行官や大阪府の職員、警察官が大挙し、そこで暮らす野宿の人たちの寝場所や長く取り組んでいた炊き出しの道具などを排除する強制執行が行われました。 屍のような万博開催直前に、何が起こっているのでしょうか。 今回、釜ヶ崎センター共同炊事に参加している方から万博による地域の影響について、また、東京五輪・関西万博などメガイベントがもたらす街の破壊と貧困者排除に警鐘をならしている地理学者の原口剛さんの報告をお聞きします。 万博は中止だ中止。メガイベントをもうやめよう
※参加無料(カンパ歓迎) ※ナショナリズムを象徴するもの、国旗の持ち込み、ヘイトスピーチはお断りいたします。 ※意見の相違を暴力で解決することを肯定、開き直りする個人、団体の参加はお断りいたします。 ※無断での中継・配信はお断りいたします。
[email protected] ブログ https://hangorin.tumblr.com/ Instagram https://www.instagram.com/hangorinnokai.nolympics/ Twitter https://twitter.com/hangorinnokai Facebook https://www.facebook.com/page.no.olympics2020 Threads https://www.threads.net/@hangorinnokai.nolympics?hl=ja
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ヘッダ・ガーブレル Hedda Gabler
じゃ、私にできることは、何もないのね。
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彼女はなぜ原稿を燃やし、銃の引き金に指をかけたのか——。
自分の生と自己についての実感を求めて、空虚の中で心を圧された女性「ヘッダ」。生きている��値、妻であることやパートナーの意味や意義、ひとりの人間��して必要な承認をめぐる、生が自己を求める切実さを描く物語。
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開演日時: 2024年8月31日(土) 14:00・18:00 / 9月1日(日)14:00 ※各回終演後に演出家によるトークセッションを実施予定 ※受付開始は開演の45分前、開場は30分前 ※上演時間は100分を予定
託児サービスあり(先着順・有料) 9月1日の回が対象。公演2週間前までに要申込。 (三重県文化会館 TEL059-233-1122)
英字プログラムあり
会場: 三重県文化会館 小ホール(三重県津市一身田上津部田1234) ※三重県文化会館へのアクセス
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原作:ヘンリック・イプセン 構成・演出・美術:鳴海康平
出演: 木母千尋、三浦真樹 諏訪七海、桑折 現 山形龍平、梨香
舞台監督:北方こだち 照明デザイン:島田雄峰(LST) 音響:平岡希樹(有限会社 現場サイド) 照明操作:前田遥音 衣装:小野花弥 肖像画製作:永村清華 フライヤービジュアル撮影:松原豊 フライヤーレイアウト:橋本デザイン室 アダプテーション:鳴海康平
フライヤー撮影協力:Bon Vivant(三重県伊勢市本町20-24)
※原千代海訳、毛利三彌訳、福田恆存訳、 Deborah Dawkin and Erik Skuggevik 英訳、 Terje Sinding 仏訳を参考にさせていただき、上演台本を作成しています。
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料金:(全席指定) 一般前売 2,500円(当日 3,000円) 22歳以下 1,000円(前売・当日とも)
チケット取り扱い(チケット発売日:6月29日10:00)
▋三重県文化会館 チケットカウンター(窓口・電話) tel. 059-233-1122(10:00~17:00/月曜または月祝翌平日休館) WEBチケットサービス「エムズネット」 https://p-ticket.jp/center-mie/
▋第七劇場(予約のみ) https://www.quartet-online.net/ticket/hedda24
※未就学児の入場不可 ※22歳以下チケットでご入場の際は、年齢の確認できる証明書のご提示をお願いいたします。
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三重県文化会館 公演情報ページ https://www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/48724
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関連企画
「ヘッダ・ガーブレル」を読んでみよう
演出家・鳴海のナビゲートで、実際の上演台本を使った読み会を開催します。みなさんで声に出して読みすすめながら、作品を紐解いてみましょう。
日時:8月12日(月・祝)14:00〜16:00 会場:三重県総合文化センター 生涯学習センター棟 2階 まなびラボ 参加料:1,000円
事前申込制(先着)
参加料は当日精算
定員 15名
申し込み受付は6/29(土)〜8/3(土)※必着
お申し込み・お問い合わせ
tel: 059-233-1122 窓口:三重県文化会館 チケットカウンター 10:00〜17:00/月曜休館(祝日の場合は翌平日休館) 申込URL: https://www.center-mie.or.jp/bunka/
※未就学児のご参加はご遠慮ください。 ※筆記用具をご持参ください。 ※定員に達し次第、受付終了となります。
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ヘッダ・ガーブレル
1891年、ミュンヘンで初演。研究者の夫テスマンとの関係に息苦しさを感じている妻ヘッダは、退屈な日々と、身近な生気に溢れた人たちに苛立ちを覚える。テスマンの研究者としてのライバルでありヘッダの元恋人レェーヴボルクの死、ヘッダの古い友人テアとテスマンの研究上の意気投合、レェーヴボルクの死に関する判事の思惑が交錯し、嫉妬と羨望と絶望が高まる中でヘッダは、自身の行動で自らを追い込み自殺してしま��。
ヘンリック・イプセン(1828〜1906)
ノルウェー出身の劇作家・詩人。「近代演劇の父」と呼ばれる演劇史上の巨人。シェイクスピア、チェーホフと並び、現在でも世界中で盛んに上演される。19世紀当時一般的だった勧善懲悪の物語や歴史上の偉人が登場する大作から離れ、個人の生活や現実の社会の課題などを題材に戯曲を執筆。
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第七劇場
1999年、演出家・鳴海康平を中心に設立。主に既成戯曲を上演し、言葉の物語のみに頼らず舞台美術や俳優の身体とともに多層的に作用する空間的なドラマが評価される。国内外のフェスティバルなどに招待され、これまで国内25都市、��外5ヶ国11都市(フランス・ドイツ・ポーランド・韓国・台湾)で作品を上演。代表・鳴海がポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年)として1年間滞仏後、2013年に日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。2014年、東京から三重県津市美里町に拠点を移設し、倉庫を改装した新劇場 Théâtre de Bellevilleのレジデントカンパニーとなる。 https://dainanagekijo.org
写真「三人姉妹」2023・三重県文化会館 ©松原豊
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鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。1979年北海道紋別市生まれ。三重県津市在住。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。「風景」によるドラマを舞台作品として構成。国境を越えることができるプロダクションをポリシーに製作し、ストーリーや言語だけに頼らないドラマ性が海外で高く評価される。ポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年)として1年間渡仏し活動。帰国後2013年に日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。AAF戯曲賞審査員(愛知県芸術劇場主催 2015〜)。名古屋芸術大学芸術学部舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真 ©松原豊
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主催:三重県文化会館[指定管理者:公益財団法人三重県文化振興事業団] 共催:レディオキューブFM三重 助成:公益財団法人岡田文化財団 文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能���化推進事業(地域の中核劇場・音楽堂等活性化事業)) 独立行政法人日本芸術文化振興会 特別協力:名古屋芸術大学
製作:合同会社 第七劇場
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お問い合わせ: 三重県文化会館 tel. 059-233-1122(10:00~17:00/月曜または月祝翌平日休館) 第七劇場 [email protected]
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桜の季節を迎えました。
今週は、私がTBS系テレビドラマ「VIVANT(ヴィヴァン)」の放映で注目された陸上自衛隊の秘密情報部隊「別班べっぱん」について、ダイレクト出版のビデオ講座で〝証言〟したものをご紹介します。
下記は、ダイレクト出版のPRですが、ご覧頂ければ幸甚です。
連載中の「金王朝の歴史」は、「金正日による日本人拉致」のうち、「日朝首脳会談」について書きました。
近日中に五島列島・宇久島をモデルに「故郷の防衛戦略」というビデオ講座を発売します。乞うご期待!!
//////編集部からのお知らせ//////
「皆さん、私が嘘を言っていると思いますか?
“コレ“が嘘であればいいですね。」
自衛隊元陸将・福山隆先生が
不敵な笑みを浮かべながらそう話した時、
スタジオは静まり返っていました…。
というより、“先生の話す
「あまりに現実離れしたストーリー」に、
その場の全員が飲まれていた“と
言った方が正しいかも知れません…
先生の口から語られたのは…
誰も知らなかった日本人スパイの裏面史…
私たち日本人が知らなければならない…
自衛隊のもう一つの姿でした…
↓
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From 福山隆
「ミサイル発射や
核開発を進める北朝鮮。
日朝関係は、常に緊迫した状態だ。
正しい状況判断をするための手立ては
『金王朝の歴史』を熟読することである」
金王朝の歴史(50)
金正日による日本人拉致(4)日朝首脳会談
今から20年以上も前、
時の総理の小泉純一郎と
北朝鮮の金正日が
初めて対面する
「日朝首脳会談」が行われ、
拉致被害者5人の帰国が実現した。
北朝鮮はその後、
金正日に引き続き
後継者の正恩も
核ミサイル開発に狂奔し、
世界の中では孤立化の道を
突き進んでおり、
日朝の対話も進展が見られない。
残念なことに、
今も12人の拉致被害者は
帰国できないままである。
〇 第一回日朝首脳会談
2002年9月17日、
小泉純一郎首相(当時)が
北朝鮮の平壌を訪問し、
金正日と会談した(日朝首脳会談)。
金正日は、その席で、
日本人13人を拉致したことを認め、
「遺憾なことであり
率直におわびしたい。
私が承知してからは、
関係者は処分された」と
口頭で謝罪した。
また、犯人については、
「特殊機関の一部の盲動主義者らが、
英雄主義に走って
このような行為を
行ってきたと考えている」とし、
関係者はすべて
処罰したと述べた。
金正日の
「特殊機関の一部の盲動主義者らが、
英雄主義に走って
このような行為を行ってきた」
という言い訳は、
明らかに嘘である。
金正日自らが首謀し、
指揮を執ったのである。
「嘘と誤魔化し」は、
彼らの本性とさえ言える。
この際、日本側が
安否確認をしたことに対して、
北朝鮮側は地村保志さん、
浜本富貴恵さん、蓮池薫さん、
奥土祐木子さんの4人の
「生存」を明らかにし、
横田めぐみさん、田口八重子さん、
市川修一さん、増元るみ子さん、原敕晁さん、
松木薫さん、石岡亨さん、有本恵子さんの
8人を「死亡」と発表した。
更に、日本側も
把握していなかった
曽我ひとみさんの拉致・生存と、
横田めぐみさんの娘の生存も
明らかにした。
久米裕さん、曽我ミヨシさんについては
入国自体を確認できないとした。
北朝鮮側は「死亡」したとされる
8人に関する「死亡診断書」などの
情報を提出したが、
これらはすべて
捏造であったことを
日朝実務者協議
(2004年11月)で認めた。
この首脳会談で、
「2国間の��案を解決し、
国交正常化へ努力する」ことを記した
「日朝平壌宣言」を
発表した。
同宣言には
書かれていないが、
小泉首相は「拉致を認め
被害者を帰国させれば
100億ドルを払う」と
約束していたという
(元北朝鮮外交官・太永浩)。
日朝平壌宣言では
「国交正常化の後」、
「経済協力を実施」することと
なっているが、
日本政府は
「拉致問題の解決なくして
国交正常化はありえない」と
当然のスタンスを
維持している。
その後の交渉で、
北朝鮮が生存していると証言した
5人の拉致被害者については、
一時帰国を条件に
2002年10月15日に
帰国が実現した。
交渉は外務省アジア大洋州の
田中均局長(当時)と
“ミスターX"の間で行われた。
田中局長は
「生きている拉致被害者を
4人から5人程度出せばいい」と提案、
北朝鮮側が了承し、
5人の一時帰国が実現した。
こんな提案を行った
外務省の田中局長は、
実に薄っぺらで、いい加減で、
無責任極まりない人物と
言わざるを得ない。
こんな外交官が日本の外務省の
局長になるのであれば、
我が国の外交は寒心に耐えない。
日本政府は
世論や拉致被害者家族会の
要望などにより、
一時帰国した5人の被害者を
「北朝鮮へ帰す」ことを拒否し、
5人の家族の帰国も
要求する方針をとった。
このため、北朝鮮側は
「日本政府に対し約束違反だ」と
主張した。
このような北朝鮮政府の抗議により、
その後の交渉は、
北朝鮮政府が
「日程を決めない」
などした為に中断した。
第一回日朝首脳会談で、
金正日が、
一連の拉致事案や工作船事案を
認めて謝罪した事で、
拉致を巡る世論は一変した。
マスメディアは連日、
日本人拉致問題を報道して
北朝鮮を激しく糾弾し、
国民の多くは
北朝鮮に対する制裁を
強く訴えるようになった。
韓国の東亜日報は、
当時の日本国民の激怒の有様を
「憤怒」と報じた。
報道の世界における
「タブー」として有名であった
北朝鮮の呼称方法
――「朝鮮民主主義人民共和国」――が
一斉にマスメディアから姿を消し、
単純に「北朝鮮」と
呼ぶ様になった。
日本人拉致問題を
「でっちあげ」と言い続けてきた
朝鮮総聯は、
本国から梯子を
外された格好となった。
朝鮮総聯は、
「拉致事件に怒りを覚えた
一部の日本人によって
チマチョゴリを着用した
女子生徒への嫌がらせ事件
(チマチョゴリ切り裂き事件)や
朝鮮学校生徒への暴言・
暴行がある」と主張したが、
日本の警察は、
それらの事件について、
「政治的背景はない」と
クールな判断を示した。
在日朝鮮人社会のショックは、
相当��ものであった。
在日朝鮮人で
詩人の金時鐘は
「植民地統治を強いられた
被虐の正当性も、
これで吹っ飛んだ
気にすらなった」と嘆いた。
北朝鮮に対して、
比較的友好的な立場を採っていた
日本人の一部(左翼)は、
日本の世論の大転換を
目の当たりにして、
日本人拉致事件について
言及せざるを得ない状況に
追い込まれた。
日本人拉致事件を
「捏造・デッチ上げ」と
主張していた人々は、
事実認識の誤りを撤回して、
謝罪を迫られる状況に
追い込まれた。
〇 第二回日朝首脳会談
2004年5月22日、
小泉首相は2度目の
平壌訪問を果たし、
日朝首脳会談を行い、その帰途に、
蓮池・地村夫妻の子供たちを伴って、
祖国日本への帰還を叶えた。
また、曽我ひとみさんの場合は、
夫が脱走・亡命した
元アメリカ兵であるゆえ、
アメリカ軍による
軍法会議訴追の問題があるため、
北朝鮮政府側に執拗に
北京での面会を求めたが拒否され、
同年7月に
インドネシアのジャカルタで
家族と再会し、
その後、
日本に帰国を果たした。
〇 拉致被害者問題は解決が困難な重い課題――
一段と進む被害者家族の高齢化
北朝鮮が核ミサイル開発する中、
我が国は米国などと
制裁を課しているが、
これを解決する
決め手はない。
拉致被害者等は
令和の時代に至るも
全く進展していない。
拉致被害者等は、
事実上の「人質」であり、
日本国民・政府にとって
極めて重い課題として
今後も推移することだろう。
この20年余で、
政府が認定している
拉致被害者のうち、
安否が分かっていない
12人の親で、
子どもとの再会を果たせずに
亡くなった人は、
8人に上る。
このうち、市川修一さんの
父親の平さんは
2014年に99歳で亡くなった。
2020年には、有本恵子さんの
母親の嘉代子さんが94歳で、
横田めぐみさんの父親の
滋さんが87歳で死去するなど、
高齢化が進む中、
肉親との再会を果たせないまま
他界する親が相次いでいる。
健在な親は、
横田めぐみさんの母親の
早紀江さん(88)と
有本恵子さんの父親の
明弘さん(96)の
2人だけとなっている。
被害者のきょうだい世代も
高齢となり、
体の不調を訴える人が
多くなっていて、
2021年12月には、
被害者の家族会代表を
14年にわたって務めた
田口八重子さんの兄の
飯塚繁雄さんが83歳で死去した。
拉致問題は、今年、
最初の事件発生から47年、
北朝鮮による
拉致被害者家族連絡会が結成されて
27年が経過した。
家族は「親の世代が
被害者と抱き合うことなしに
拉致問題の解決はない」として、
政府に全力の
取り組���を求めている。
戦後の平和憲法・
憲法9条下の日本は、
外敵から国民の生命財産を
守れない体制にある。
一刻も早く、この
〝ハンディキャップ状況〟から
脱しなければならない。
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シェアハウスが終わる。
2021年の4月1日から、2024年の3月31日まで、丸3年間続いた。
社会人になるはずだった自分ともう1人は来春から大学四年生で、大学生になるはずだったフリーターはフリーターのままだった。
精神と時の部屋?
元々コロナ禍に「会えないなら一緒に住んでしまえばいい」と突発的に計画された家だった。安井がセンター利用で横国に行くって決まったのが3月頭だった気がするから、そこから物件探しだの契約だの家具だの探して急ピッチに横浜に流れ着いた。
横浜のことが好きになったかと言われたらそりゃもちろん好きだが、これからも住みたいかと言われたらわからない。実家にちょくちょく帰っていたこと、そして終わりが絶対に来ることを知っていたから、横浜に対してはは最後まで余所者としての視点を忘れなかった気がする。生活者でありつつ、どこまでも観光客のままだった。生活者と観光客は両立する。とりあえず、一通り知った気にはなった。生活者ではなくなった今、わざわざ横浜くんだりまで行く頻度は圧倒的に下がるだろう。くんだりって上から下への移動にしか使わないらしいよ。
シェアハウスは家、だったのかも、またまわからない。拠点、にすぎなかったのだろうか。結局東京に実家があって、シェアハウスがあるという構造は変わらなかった。家、と呼ぶべきなのか、逃げ場所、と呼ぶべきなのかわからない。ただ大体家は逃げ場にならんよねーと思い、あの3ldkを逃げ場所と呼んでしまったらすなわちシェアハウスのことを家と呼べなくなってしまう気がして怖くなった。
シェアハウスはすごくうまく機能したと思う。これ以外の「勝ち筋」を想像できない。ゆっくりと外へ向いていく。外に向いていって、ここが内なんだと気づく。家かはわからないけど、内であるとは思う。皆ここ以外に別のコミュニティがあって、一時代を築いた高校同期というコミュニティが有形として存在する。コミュニケーションの優先順位を保ちつつ、ある程度下げても罪悪感が湧かない場所。線で見えるかのようにコミュニティが存在していることの保証。勝手に深まっていく理解。あくまで他者であるということの理解。そしてその上で、という理解。
これから自分はどうしたいのだろうか。補助輪が外れたみたいだ。会うためには、会わなきゃいけない。
3年間で成長したのか、と言われてもわからない。成長したよ、とか言われたいわけではないし、まあ強いて言えば互いに成長したよね、って言われたい。そんな理解者を司ろうとするなら、対等の目線でいてほしい。
高校の時排他性の極みみたいな人間だったが、別に他者に寛容になれたわけでもない。嫌いなものは嫌いなままだし嫌いな人は嫌いなままだ。他人に一緒だと思われるのも苦手だ。他人に似たところを探さなくはなったなと思った。そんなことをしなくても人のことは好きになれると思った。というか自分視点なら自分と似た奴、嫌だけど。
人に好かれるために媚びるのも無理があるなと思った。媚びたとて!媚びたとてこれですよ 周りから愛される人間が羨ましいのは変わらないけれど、愛される理由はもう手に入れられないものだという諦念もある。その代わり優しくありたいとは思っている。立場やコミュニティに合わせてキャラが変わるのは当たり前だけど、思想や発言の芯まで変える必要はない。
自分の何が良いところなのかはまだわからない。多分指摘されても信じないし、信じることは今後もないと思う。受け取るし、喜ぶけど、自分がそういう人間なんだとは思わない。そう見えたんだな、と素直に嬉しくは思う。あなたの前で優しくても、よその前では普通に人を傷つけている。自分より優しい人間も面白い人間も明るい人間も賢い人間も山ほどいるのにな、と思う。ただ人間関係ってそういう軸で構築されるものではないんだろうなとも思う。相性なんだろう。とは気づいた。
本当は暗いけど明るいふりができる人も、明るいが印象が暗い人、どちらも普通に好きだ。
暗いとか明るいとか二極化する必要も実は一切ない。
最近の毎日は楽しい。いやなこともむかつくこともあるけど、楽しいことを純粋に増やしてもらった。増やす方法も教えてもらった。
ここまで書いてみても、書く必要は見つからなかった。何も気にしない方が良いなって思った。文章は今の生活から楽しい話題だけを抽出するためにあればいい。文章を書くということに関して何の才もないことを知るまでに時間がかかった。自分のための文章を心置きなく書ける。
展覧会は疲れた。熱量を持っていたかもわからないけど、今後漠然と熱量を持つのはやめる。会全体を良くしたい!過程を楽しみたい!だなんて思わないようにする。堂々自分のメンツと卒プロ協力者と負担がかかってしまった誰かのために動く。
研究会は楽しいといい。暗さと辛気臭さは違う。明るさと馬鹿っぽさも違う。正直何の一端も担いたくないけど、目の前の世話になった人たちのために何かできればいいなと思っている。3年生だから下級生と近しく接することができたと思う。4年生になって、属性で発言に説得力が出てしまうのもあれだからもうちょっと後ろの方で見ることにする。
仲良くなる必要なんてない。仲良くなれそうならなればいい。嫌いになる必要もない。
面白さは基準じゃない。そう、面白さは基準じゃない。嫌いになる基準ではない。でも仲良くなる基準ではあった。まかり通っていた傲慢で身勝手な物差しへの自覚と、それを肯定も否定もせず受容することができた。
あなたたちのまなざしはすごい 俺のはぜんぜんだめ だから真似したくなっちゃった だけど無理だった あと自分のまなざしは真似できます そこらへんに転がってます どうぞ だから多分心のどこかでもう諦めちゃったんだと思う 表現者でいることとか
この研究会向いてなかったのにおだてられてここまできちゃった なんで続け���れたんだろう あの人がやめて俺がいる意味がわからない すっからかんなの見透かしてるなら首切ってほしかった もうばれてるかも���れない嘘を突き通しながら地に足つけていくしかないね がんばろ まあ辞めてないから向いてるのかもしれない
手法とか、学問を超えて答えを提示してくるところは、いやだとちゃんと言っていきたい
元気ですよ 雑感
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青木淳退任記念展 雲と息つぎ ―テンポラリーなリノベーションとしての展覧会 番外編―
Retirement Exhibition of Jun Aoki Clouds and Breaths -The Exhibition as Temporary Renovation extra edition-
東京藝術大学美術学部建築科において5年間教鞭を執ってきた青木淳の退任記念展を開催します。
●会期: 2023年11月18日(土) ‐ 2023年12月3日(日) ●開館時間:10:00 - 17:00(入館は16:30まで) ただし、最終日12月3日は16:00まで(16:00からは小金沢健人によるパフォーマンス) 会期中無休/入場無料 ●会場:東京藝術大学大学美術館 陳列館 ●主催:東京藝術大学美術学部、東京藝術大学美術館 ●企画:東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻青木淳研究室(青木淳、笹田侑志、秋山真緩、大岩樹生、佐野桃子、三輪和誠) ●協力:菊地敦己、小金沢健人、中村竜治 ●会場設営:studio arche (甲斐貴���) ●グラフィックデザイン:小原七海 ●問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) ●Dates : Nov 18 (Sat) - Dec 3 (Sun), 2023Open throughout the session period ●Hours : 10:00 - 17:00 (Entry by 16:30)*Dec 3 until 16:00 (Performance by Takehito Koganezawa starting from 16:00) ●Place : Chinretsukan Gallery 1, 2F (The University Art Museum, Tokyo University of the Arts) ●Admission : Free ●Organizer : Faculty of Fine Arts, Tokyo University of the Arts; The University Art Museum ●Planning : Jun Aoki Laboratory, Department of Architecture, Tokyo University of the Arts (Jun Aoki, Yushi Sasada, Mahiro Akiyama, Mikio Oiwa, Momoko Sano, Kazutaka Miwa) ●Collaborators : Atsuki Kikuchi, Takehito Koganezawa, Ryuji Nakamura ●Venue Setup : Studio Arche(Takahiro Kai) ●Graphic Design : Nanami Obara ●Inquiry : NTT Hello Dial: 050-5541-8600
以下、青木淳によるステートメントです。
2019年度、東京藝術大学美術学部建築科教授に着任しました。2023年度をもって定年に達するため、最初から、5年間という時間の限りを強く意識しての就任でした。 その 5 年間で、日頃、「建築」について考えてきたことを、学生たちに伝えていきたいと思いました。 建築とは、私たちに先立っていまここに存在している環境に対して、想像力をもって働きかけ、私たちの存在の基盤である環境そのものを揺り動かすこと、と考えてきました。どういう方向に揺り動かすはそれぞれの自由です。肝心なのは、一見、盤石の存在に見える目の前の環境もまた、それぞれの意志によって改変できるし、またそうすることによって、私たちは「自由」になれる、ということです。 そのことを、実践を通して伝えられたらと思ったのでした。 私の研究室に所属する大学院1年生たちに、そのことを目的としたプロジェクトを行なってもらうことにしました。それが、「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」でした。 建築科の大学院入試は 9月に行われます。したがって、最初の大学院生を受け入れたのは、2020年度からでした。2023年度に大学院生をとると、彼ら彼女らが修士 2 年に進級したとき、すでに退官になってしまっていますので、2020年度、21年度、22 年度の 3年間だけ、大学院生をとるつもりでした。 「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」は、3回で完結するひとつの企画でした。 展覧会とは作品を見てもらう/見にいくためにつくりあげられる一時的な環境です。作品の内容がよく、それがうまく伝わると、よい展覧会と言われます。そして、ほんとうによい展覧会だと、作品と環境との���が溶け合い渾然一体となって、そこを訪れ、時間を過ごすその体験そのものが、私たちの内のなにかに働きかけるものです。 この事態を、環境の側から見れば、すでにここに存在し、私たちの存在の基盤である環境がなにかによって改変され、その環境が私の固まりかかった存在を揺り動かしている、ということになるでしょう。作品が不要というのではなく、作品という項を仮に括弧にくくった見方をすれば、という話です。 「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」とは、このような視点で、いまここに存在している環境に働きかけ、一時的に、それを一定の方向に変えてみせることであり、それはまさに、日頃、建築について考えてきたことと重なっていました。 「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」を企画し、実践しなさい。 この課題に対して、2020年度の大学院1年生たちは、東京藝術大学上野キャンパス・正木記念館を対象として、そこに置かれた備品を配置し直すことで、その空間が持つ特質を強調しようしました。タイトルは<シン・マサキキネンカン>、企画・実践は、荻野紗、齋藤悠太、藤井雪乃、山田寛太でした。(担当教員は教授・青木淳、助手・澤田航。) 2021年度の大学院1年生たちは、渋谷駅前の桜丘フロントビル 1 階の「SACS 渋谷」を舞台として、現実の渋谷の街さながらに、展示を構成する個々の要素が独立した搬入/設営/搬出という動きのなかにある状態をつくりだしました。タイトルは<鳥は泳ぎ続ける>、企画・実践は、大貫友瑞、河上朝乃、高井爽、松井一将でした。(担当教員は教授・青木淳、助手・笹田侑志。) 2022年度の大学院1年生たちは、有楽町駅前の新有楽町ビル B1F「旧理容室」を起点として、手渡されるインストラクションを手掛かりに、有楽町の表と裏を訪ね歩くことで、普段とは異なる街の顔を浮かび上がらせました。タイトルは<HAPPY TURN>、企画・実践は、月ヶ瀬かれん、仲野耕介、見崎翔栄でした。(担当教員は教授・青木淳、助手・笹田侑志。) これで、3 回の「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」が完結するはずでしたが、とある経緯があって、2023年度も大学院生をとることになりました。 そこで、退任記念展として、その大学院1年生たち(秋山真緩、大岩樹生、佐野桃子、三輪和誠)と、番外編としての「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」を開くこと��しました。 今回だけは、学生たちの自主企画・実践というのではなく、青木、笹田が前面に立つので、番外編としました。 とはいえ、これもまた、建築というものがつねにひとりの個人に帰属できないように、青木個人の、あるいは青木と笹田の「作品」としての展覧会ではありません。建築は、ひとりの個に収斂していくものではなく、外に向かって広がり、ばらけ、にもかかわらず、一貫した「質」を保つものです。 そのことをはっきりさせるために、何人かの「外部」の人に開こうとしています。 グラフィック・デザイナーの菊地敦己さんには、「キャプション」という側面から関わってもらいます。 アーティストの小金沢健人さんには、「パフォーマンス」という側面から関わってもらいます。 建築家の中村竜治さんには、もうひとりの建築家として関わってもらいます。
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2025.1.23
中村明珍のイベント会場がオープン!
元銀杏BOYZのギタリストで、現在山口県の周防大島で農家兼僧侶として活動中の中村明珍の企画ユニット「寄り道バザール」が、戦後まもなく建てられた木造の芝居小屋を買い取りました。長年地域の交流、文化発信の場として使われてきた会場が解体回避、存続決定となりました。会場名を新たに『和佐星舎』と名づけ、いよいよ3月から活動をスタートします。
その柿落としとして、落語会と音楽イベントの開催が決定しました!
和佐星舎オープニング記念『Up Around The Sun w/ Bosco Japan Tour 2025』
日時:2025年3月16日(日) 開場 18:00 / 開演 19:00出演:Up Around the Sun w/ Bosco (from Austin, Texas) メンバー:Tim Kerr (Acoustic G) ・ Jerry Hagins (Banjo)・Bosco (Fiddle)
二階堂和美 with 黒瀬みどり、Vanishing Men
チケット 一般 / 前売 3,500 / 当日4,000円(各+ドリンク代) 中学・高校生 / 前売 1,000円 / 当日1,500円(各+ドリンク代) ※要学生証提示 ※未就学児・小学生無料(必ず保護者同伴)
チケット取り扱い:https://yorimichishop.com/ 主催:寄り道バザール 制作協力:ベストフレンド・COFFEE コナ 後援:和佐自治会・周防大島町・周防大島町教育委員会
Up Around The Sun -- パンクとファンクを融合したBig Boys を始め数々のバンドのギタリストでビジュアルアーティストであるTim Kerrと、Banjo奏者Jerry Haginsの2人組ユニット。今回はそこにフィドル(ヴァイオリン)奏者・Bosco氏が加わるスペシャル3人編成。前回来日時にこの3名で録音された最新アルバムとともに、レジェンドの生の演奏をご堪能ください。
そして今回はさらにスペシャル、なんと歌手の二階堂和美さんが出演を快諾してくれました!寄り道バザールの周防大島でのライブ1回目に出演してくれて以来約10年ぶり、待ちに待ったライブです。唯一無二の歌声、バイブレーション。この場所で全身で浴びられる幸せ。
なによりこのライブを作るきっかけとなった大切なバンド、大阪からMasaki Poserと横須賀のNathanによるユニット、Vanishing Menも来島。お二人は2年ぶり2回目の出演。深く揺らぎ、美しい旋律の気持ちよさに浸ってください。
この三組でのライブの場が生まれるなんて。うれしさMAXです。皆さんとともに楽しめるのを心から楽しみにしております。 プロフィール
Up Around The Sun w/ Bosco メンバー:Tim Kerr (Acoustic G) ・ Jerry Hagins (Banjo)・Bosco (Fiddle) オースティンのレジェンド、Tim KerrとJerry Hagins によるアコースティックデュオ。そこに、前回来日ツアー時にレコーディング参加したFiddle奏者・Bosco氏が加わるスペシャル3人編成。大阪で録音されたそのアルバムは2024年7月にセルフタイトル”Up Around The Sun w/ Bosco“として発表。 2025年の日本ツアースケジュールは以下の通り 3/14(fri) Kyoto Gorey Café3/15(sat) Nagoya K.D.Hapon3/16(sun) Suo Oshima 和佐星舎3/18(tue) Osaka Bake Brown3/19(wed) Osaka Namba BEARS3/20(thu) Shizuoka 8th Rest3/22(sat) Tokyo La Cana3/23(sun) Tokyo La Cana"Tim Kerr Exhibition"3/12(thu)-19(wed) Osaka BARRICADE3/17(mon)-23(sun)Tokyo Kit Gallery
Tim Kerr(Up Around The Sun) make art, play music, take photos, breathe1956年3月11日生まれテキサス・オースティン在住。BIG BOYSを始め、POISON 13, BAD MUTTHA GOOSE, MONKEYWRENCH, JACK O’FIRE, LORD HIGH FIXERS, THE NOW TIME DELEGATIONなどのバンドでギタリストを努める。パンクにファンク、ブルース、ガレージなどを融合した音楽の先駆け的存在。また、国内外の数多くのバンドのレコーディング・プロデュースも含め、その影響力は多大で多岐にわたる。絵画と写真のアーティストとしても活躍し、レコードジャケット、ポスター、本、広告、スケートボードデッキなどを手がけるほか、世界中で個展を開いている。
Tim Kerr インスタグラム
二階堂和美 ジャンルにとらわれない音楽性と、類いまれな歌唱・表現力で国内外から幅広く支持されているシンガーソングライター。1999年のデビュー以来多くのミュージシャンと共演し、その変幻自在ぶりを発揮。現在までに約20作を発表。代表作は2011年発表のアルバム『にじみ』。スタジオジブリ映画『かぐや姫の物語』(2013年)で、主題歌「いのちの記憶」を作詞・作曲・歌唱。NHK「おかあさんといっしょ」への楽曲提供曲に「ショキショキチョン」(作詞・作曲)、「ぎゅーっはかせ」(作曲:渋谷毅)。著書に『負うて抱えて』(晶文社) 他。CM歌唱も多数。広島県在住。浄土真宗本願寺派の僧侶でもある。
www.nikaidokazumi.net Vanishing Men Masaki Poser(BRONxxx、LP)とNathan Bennett(Capricorns, Bridge & Tunnel, White Daughter)によるユニット。30年前にサウス・ロンドンで出会い、ハードコア・パンクへの共通の愛で結ばれた。2022年、ふたりは日本に住みながら、なぜ一緒に活動しないのか不思議に思っていた。そして、バンドよりもデュオの方が手間がかからないということを経験から学び、Vanishing Menが誕生した。 中村明珍 農家兼僧侶。1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZのギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月に初の単著「ダンス・イン・ザ・ファーム 周防大島で坊主と農家と他いろいろ」(ミシマ社)を刊行、現在続きを連載中。2024年から真言宗善通寺派・「不動院」住職。 和佐星舎開館までの経緯かつては塩づくりを行っていたといわれる地域・和佐。昭和24年に、住民たち自らの手で山から木材を切り出し、船で海の上を運びながら、「青年会館」の名で建立。芝居小屋として、自身たちが舞台に立ったり、歌舞伎座を呼んで興業を行ったりしながら、のちに地域住民の「公民館」として幅広く使用されるようになりました。和佐の出身である作詞家・星野哲郎ゆかりの地であることから、鳥羽一郎や島津亜矢、水前寺清子などの多くの歌手も出演。のちに寄り道バザールではキセル、二階堂和美のライブや立川志らく、立川談笑の落語会、山縣良和によるワークショップなどを開催。ところが2019年、住民の話し合いで「解体」が決定します。修繕が必要な箇所はあるものの木材は丈夫なため、解体を回避する方法を模索していくことに。6年後の2024年10月、町から売却が告示され、2025年1月寄り道バザールが購入。存続が正式に決定しました。新公民館がすでにあることから、名前を「和佐星舎」に改名。前述の作詞家・星野哲郎や和佐の��岸「星のビーチ」、周防大島の正式名称「屋代島」の由緒にちなんで名づけました。今後もこれまでの地域での愛され方を継承しながら、老若男女問わず楽しめる、新しい居場所になるようにいろいろ企画していきます。経緯について、詳しくはweb「みんなのミシマガジン」(ミシマ社)の「ダンス・イン・ザ・ファーム2」にて連載中。
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アートプロジェクト「ある日」
(内閣府 地方版孤独・孤立対策官民連携プラットフォーム推進事業)
主催・企画:座間市・大和市・海老名市・綾瀬市
キュレーション:田中みゆき
展覧会「ある日」
◆会期:
(1)2025年2月21日(金)〜3月2日(日)9:00-17:00
(2)2025年2月21日(金)~28日(金)9:00-17:00
◆会場:
(1)座間市役所(神奈川県座間市緑ケ丘一丁目1番1号) (2)海老名中央公園・ビナウォーク
◆参加作家:飯川雄大��金川晋吾、キュンチョメ、相談支援に関わる人たち
◆アクセス:(1)小田急小田原線「相武台前駅」下車徒歩15分
(2)小田急小田原線「海老名駅」下車徒歩5分
展示内容:会場(1)三組のアーティストの作品展示及び金川晋吾とキュンチョメによるワークショップ参加者の作品や記録展示(2)飯川雄大とワークショップ参加者の作品展示
アートプロジェクト「ある日」について
私たちの中には、社会との接点をうまく構築できず孤独・孤立している(と感じている)人がいます。そうした人たちとともにあることをアートの観点から考えるプロジェクトを綾瀬市・海老名市・座間市・大和市が連携して実施します。
「断らない相談支援」を行ってきた座間市を始めとし、主催の四市は、さまざまな問題を抱え生活に困っている人からの相談を受けとめ、関係機関や団体、地域の人たちの力を借りながら相談者に寄り添う「相談支援」を行ってきました。
今、福祉的な支援を受けていなくとも、生きていくことに困難さを感じる人たちはたくさんいます。自然環境や他の生き物と同じように、人間の心や体も、本来は日々、あるいはこの瞬間にも移ろいゆくものです。しかし、社会の発展とともに、“ふつう”の生き方や “当たり前”の働き方が定まり、そこから外れる人たちの居場所が、どんどんなくなってきました。
本プロジェクトでは、アーティストの協力のもと、ワークショップや美術作品の展示を行う他、シンポジウムを開催します。展覧会では、相談支援を利用する人と、支援に携わる人たちが、飯川雄大、金川晋吾、キュンチョメという三組のアーティストとともに過ごした「ある日」の記録と、そのなかから生まれた表現を中心に構成します。支援する人/される人、表現する人/見る人といった境界を越え、そして社会に決められた役割とは関係のない自分を発見する時間を、アートはつくることができます。
誰かにとって何でもない一日が、他の誰かにとっては、その後に何度も立ち戻りたくなる一日になることがあります。ある日を通してさまざまに現れる参加者の姿や表現を通して、ふだん考えることのない自分や他人、世界とのつながりを見つめてみませんか。
参加アーティストプロフィール
飯川雄大(いいかわ・たけひろ)
1981年兵庫県生まれ。現在、神戸を拠点に活動。2007年より〈デコレータークラブ〉の制作を開始。鑑賞者が作品に関わることで変化していく物や空間が、別の場所で同時に起こる事象と繋がる《0人もしくは1人以上の観客に向けて》(2019年~)や、全貌を捉えきれない大きな猫の立体作品《ピンクの猫の小林さん》(2016年~)などを制作。主な個展に、「同時に起きる、もしくは遅れて気づく」(彫刻の森美術館、2022年)、「つくりかけラボ04|0人もしくは1人以上の観客に向けて」(千葉市美術館、2021年)、主なグループ展に『感覚の領域 今、「経験する」』(国立国際美術館、2022年)、「ヨコハマトリエンナーレ 2020」(横浜美術館・PLOT48、2020年) などがある。
「つくりかけラボ04 デコレータークラブ|0人もしくは1人以上の観客に向けて」千葉市美術館(2021年)撮影:飯川雄大
金川晋吾(かながわ・しんご)
1981年京都府生まれ。自身の親族や同居人など、身近な人々やその生活を撮影し、自己と他者の関係性を探る作品を手がける。写真には日記やテキストを添え、言葉での表現も精力的におこなう。おもな著作に2016年『father』(青幻舎)、2023年『長い間』(ナナルイ)、『いなくなっていない父』(晶文社)、2024年『祈り/長崎』(書肆九十九)、『明るくていい部屋』(ふげん社)など。主な展覧会に、2018年「長い間」(横浜市民ギャラリーあざみ野)、2022年「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」(森美術館)、2024年「祈り/長崎」(MEM)などがある。
金川晋吾『長い間』より 撮影:金川晋吾
キュンチョメ
ホンマエリとナブチのアートユニット。2011年の東日本大震災を機に結成。芸術は「新しい祈りの形」であると捉え、世界各地で、詩的でユーモラスな作品を制作している。近年の主な展覧会に「六本木クロッシング2022:往来オーライ!」(森美術館 東京)、「現在地:未来の地図を描くために[1]」(金沢21世紀美術館、2019年)、「あいちトリエンナーレ2019」(愛知)などがある。
キュンチョメ《金魚と海を渡る》2022年 撮影:柳原良平
キュレータープロフィール
田中みゆき
キュレーター/プロデューサー。「障害は世界を捉え直す視点」をテーマに、カテゴリーにとらわれないプロジェクトを企画。表現の見方や捉え方を鑑賞者とともに再考する。2022年ニューヨーク大学障害学センター客員研究員。主な仕事に、「ルール?展」(21_21 DESIGN SIGHT、2021年)、「音からつくり、音で遊ぶ。わたしたちの想像・創造を刺激する『オーディオゲームセンター + CCBT』」 (シビック・クリエイティブ・ベース東京、2024年)など。主な書籍に、『誰のためのアクセシビリティ?』(リトルモア)、『ルール?本 創造的に生きるためのデザイン』(共著、フィルムアート社)がある。
関連イベント
シンポジウム 「孤独・孤立にアートができること」
日時:2月21日(金) 第一部:13:00-14:30 、第二部:15:00-17:00
開場12:30、入場自由(先着順) 、UDトークによる文字支援あり
◆会場 大和市保健福祉センター(大和市鶴間1-31-7)
◆第一部 「孤独・孤立とアートの力」 ●登壇者
大西 連(内閣府孤独・孤立対策推進室政策参与、認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長)、鈴木 康広(現代美術作家、令和5年度同プロジェクト参加アーティスト)、西原 珉(秋田市文化創造館長、東京藝術大学美術学部准教授、心理療法士)
◆第二部 「孤独・孤立支援における広域/多職種連携の必要性」
●登壇者 奥田知志(NPO法人抱樸理事長)、田中みゆき(キュレーター、プロデューサー)、室井舞花(一般社団法人ひきこもりUX会議理事)
●ファシリテーター 大西 連
ギャラリーツアー
◾日時:2月22日(土) 14:30-15:30 (14:20 受付開始)
◾集合場所:座間市市役所
◾解説者 :田中みゆき、武藤清哉(座間市)
プレスリリース 2025年1月16日発信
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20241130 沈黙させられ、消し去られた香港の10年間の抗議は今や反抗的な記憶となっている テッサ・ウォン、グレース・ツォイ、ヴィッキー・ウォン、ジョイ・チャン BBCニュース 2019年11月12日、香港の香港中文大学(CUHK)で警察が催涙ガスを発射し、男性が拘束された。 香港では過去10年間に爆発的な民主化デモが起きたが、北京の弾圧を受けてより自由な都市への期待は薄れつつある。 ケネスさんが、かつて香港の中国に対する抵抗の中心地であった香港のビクトリア公園を散歩していると、思い出が次々と甦ってきた。 子どもの頃、ケネスさんは毎年恒例の旧正月フェアで民主派の政治家から書道のポスターを買っていた。 それから、彼が10代の頃に参加した抗議デモは、いつもここから始まり、その後、市内を巡っていった。彼はまだ12歳のとき、天安門事件を追悼する大規模な公園での集会に参加し始めた。天安門事件は中国本土ではタブーだが、香港では公然と追悼されている。 こうした集会はもう終わった。フェアでの政治家のブースはなくなり、抗議活動は沈黙させられ、民主化運動家たちは投獄された。ケネスさんは、自分の政治的成熟、そして香港の成熟が消し去られつつあると感じている。 「人々はまだ生活を続けていますが、少しずつ変化を感じます」と、本名を明かすことを望まなかった元活動家は語った。 「私たちの街の特徴は消えつつあります。」 表面的には香港は以前と変わらないように見える。混雑した路面電車は依然としてにぎやかな通りをゴロゴロと走り、鮮やかなネオンに照らされた混沌は薄れていない。 しかし、よく見てみると、母国中国への歓喜の声で毎夜ライトアップされる高層ビル群から、香港固有の広東語とともに中国本土の北京語のおしゃべりがますます聞かれるようになったことまで、街が変化した兆候が見られる。 香港の700万人以上の住民のうち、どれだけの人が北京の統制を歓迎しているかを知ることは不可能だ。しかし、2014年に民主化運動が勃発して以来、過去10年間で何十万人もの人々が抗議活動に参加してきた。 誰もがこれを支持したわけではないが、北京がこれを潰したと主張する者はほとんどいないだろう。激動の10年が終わりに近づくにつれ、より自由な香港への希望は萎えてしまった。 中国は、不安定な香港を落ち着かせたとしている。包括的な国家安全維持法(NSL)のもとで何百人もが投獄され、逮捕を恐れたり逃亡した活動家を含む何千人もの幻滅し警戒心の強い香港人が国外に逃亡した。ケネスさんのように、香港に留まり目立たないようにしている人もいる。 しかし、彼らの多くは、より自由な香港の記憶を生きている。彼らは、北京による香港の再構築に抵抗し、その記憶を思い出すために戦っているのだ。 広告 ゲッティイメージズ 香港警察が催涙ガスを使用してデモ参加者を解散させてから1か月後、数万人が主要な抗議活動会場に集まり、さまざまな色の傘を広げている(2014年10月28日、香港)。ゲッティイメージズ 2014年の抗議活動では数千人が香港の街を占拠し、雨傘運動やオキュパイ・セントラルと呼ばれた。 かつて英国植民地だった香港が1997年に中国に返還されたとき、言論の自由、集会の自由、法の支配など、いくつかの権利が50年間維持されるとの保証があった。しかし、北京の権力が強まるにつれ、香港の民主派陣営内の不安も高まった。 2014年9月、数万人の抗議者が香港の中心部で完全な民主選挙を要求して大規模な座り込みを始めた。この座り込みにより、当時17歳の学生だった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏や大学教授の戴紅(ベニー・タイ)氏など、新世代の民主化運動家が台頭し、この運動を「オキュパイ・セントラル」と名付けた。 また、これは2019年に中国政府が香港住民を中国本土に引き渡す提案をきっかけに起きた、より爆発的な抗議活動の土壌にもなった。この計画は撤回されたが、さらなる民主化を求める声が高まるにつれ、抗議活動は数カ月にわたって激化し、香港における北京の権威に対する最も深刻な挑戦となった。 「戴英傑がいなければ、オキュパイ・セントラルは存在しなかっただろう」と、戴氏と朱耀明牧師とともにこの運動を立ち上げたチャン・キンマン氏は言う。 「彼は学者らしい気質を持ち、自分の考えを率直に述べました。だからこそ、大胆に変化を推し進め、大きなアイデアを考えることができたのです。歴史を変えるのはいつもこのような人々なのです。」 広告 ゲッティイメージズ 民主活動家のチュー・ヨウミン氏(左)、ベニー・タイ氏(中央)、チャン・キンマン氏(右)が、2014年9月14日に香港で行われたデモ行進の後、ステージ上で演説している。彼らは金色のリボンがピンで留められた黒いTシャツを着て、拳を空中に突き上げている。ゲッティイメージズ チュー、タイ(中央)、チャンは2014年のオキュパイ・セントラル運動の先頭に立った。 2013年、チャン・キンマン、チュー・ユーミン、チャン・キンマン、ベニー・タイが笑顔で「忍耐、平和、愛」と書かれた木彫りの誕生日プレゼントを掲げている。チャン・キンマン 2013年、3人はタイの誕生日を祝い、「忍耐、平和、愛」と書かれた木彫りの誕生日プレゼントを掲げた。 チャン氏とチュー牧師は現在、台湾に亡命している。チャン氏は、オキュパイ・セントラルで公衆迷惑行為を扇動した罪で11か月の懲役刑に服した後、2021年に台北に移住した。現在は地元の研究機関の研究員を務めている。 タイ氏は今も香港におり、今後10年間は刑務所で過ごすことになる。 今月初め、彼はウォン氏を含む40人以上の民主化運動家とともに国家転覆罪で禁錮刑を言い渡された。彼らの多くは2021年初頭の逮捕以来、投獄されている。ウォン氏は法廷を去る際、「私は香港を愛している」と叫んだ。 翌日、中国を激しく批判する76歳の億万長者ジミー・ライ氏が、外国勢力と共謀した疑いで裁判に証言した。彼は衰弱しながらも反抗的な態度で、現在は廃刊となった自身の新聞「アップル・デイリー」は香港の人々の価値観「民主主義と言論の自由の追求」を唱えただけだと法廷に語った。 裁判は、裁判に至る経緯とは全く対照的に、静かに進行した。法廷の外に立てられた小さな抗議のサインはすぐに封鎖され、息子の判決��嘆き悲しむ女性は警察に連行された。 中国政府は、裁判が行われているNSLを含む制限は安定のために不可欠であると主張している。西側諸国やその同盟国には、中国の法律やその適用方法に疑問を呈する権利はないと主張している。 しかし批評家たちは、中国が1997年に結んだ協定を破棄したと非難している。協定によって香港の裁判所が弱体化し、かつては香港で響き渡っていた民主主義を求める声が封じられたと彼らは言う。 BBC中国語 / ジョイ・チャン・チャンが台北を運転しているとき、車のミラーに眼鏡をかけた目が映っているBBC中国語 / ジョイ・チャン チャンさんは2021年から台北に住んでいる チャンさんは、これらの出来事が展開するのを、重い気持ちで遠くから見守ってきた。 2014年以降、まだ変化の可能性はあったと彼は語った。「今では多くのことが不可能になってしまった…香港は他の中国の都市と何ら変わりなくなってしまった」。 10年以上民主主義のために活動してきた後にこの現実に直面し、「私が人生でやってきたことはすべて失敗したと言ってもいい」と彼は苦笑いしながら語った。 しかし、彼はまだ頑張り続けている。中国社会についての授業のほかに、オキュパイ・セントラルについての本を執筆し、香港の抗議活動の記録用に品物を収集し、会議を企画し、民主主義と政治についてのオンライン講義を行っている。 こうした努力により、「私は香港を諦めたわけではないと感じています。香港を見捨てたとは思っていません」。 しかし、彼は去るという決断に葛藤する瞬間がある。台湾にいるほうが幸せだが、「喪失感」も感じている。 「私はまだ他の香港人と一緒にいて、彼らと同じ課題に直面しているのだろうか?」 ゲッティイメージズ 2024年11月9日、香港のノースポイント地区のメインストリートを走る路面電車の様子。歩道は人々で混雑している。ゲッティイメージズ 香港の象徴的な路面電車は今も街中を走り続けています... ゲッティイメージズ 2024年11月18日、香港の自宅アパートの窓の外にある点灯したネオンサインの横に洗濯物を干す男性。ゲッティイメージズ そしてネオンに照らされた混沌は薄れずに残っている 「ここで空気を吸わなければ、何が起こっているのか本当には分からない…ここで脈動を感じなければ、本当に死んでしまったということだ」とケネスさんはビクトリア公園を歩きながら語った。 ここ数年、友人たちがこぞってこの街を去っていったため、彼は送別会に何回出席したか忘れてしまった。それでも彼は留まることを主張する。「ここが私のルーツですから」 彼を苛立たせているのは、香港を去る人たちが、自分たちが知っていた香港は死んだと言っていることだ。「香港は存在し続けている。香港の人々はまだここにいる! なのにどうして香港は死んだと言えるのか?」 しかし、劇的な変化があったことは認めた。香港人は今や声に出して言うことについてよく考えなければならないとケネス氏は語った。 多くの人々が今や「監視の常態化」に適応しつつある。越えてはならない一線は存在するが、「それを見極めるのは非常に難しい」。 活動家たちは、公然と運動する代わりに、嘆願書を書いている。集会やデモ行進、抗議活動は絶対に禁止だと彼は付け加えた。しかし、ケネスのように、逮捕されるのを恐れて、どんな活動にも参加することに慎重な人も多い。 最近、 Tシャツ、ソーシャルメディアの投稿、絵本が法律に違反し、所有者が反逆罪で投獄された。 ゲッティイメージズ 2019年6月4日、中国香港のビクトリア公園で行われたキャンドルライト集会に参加した人々がキャンドルを手にしている。ゲッティイメージズ ビクトリア公園ではかつて天安門事件の犠牲者のための毎年の集会が開催されていた。 ゲッティイメージズ 2024年9月17日、中国香港の中秋節の休暇中、色とりどりのランタンがビクトリア公園を照らします。ゲッティイメージズ 公園で最近行われた中秋節の祝典は、中華人民共和国建国75周年を記念するものである。 最近、ケネスは外出する頻度が減った。「今は状況があまりにも劇的です。過去に何が起こったか思い出したくないんです。」 それでも、公園を出てアドミラルティ地区に向かうにつれ、さらに多くの思い出が浮かび上がってきた。 政府庁舎に近づくと、彼は2014年9月28日に初めて催涙ガスで窒息した場所を指さした。 その日、警察は非武装の抗議者らに催涙ガスを87発発射し、デモ参加者らを激怒させ、民主化運動を活性化させた。 抗議活動が激化し、催涙ガスが頻繁に使用されるようになると、多くの人が傘をさして身を守り、「雨傘運動」という新たな呼び名が生まれた。 ゲッティイメージズ 2014年9月28日(日曜日)、中国香港の中央政府庁舎近くで行われた抗議活動で、警察がデモ参加者に催涙ガスを発射した。ゲッティイメージズ ケネスは2014年9月28日、警察が抗議者に向けて催涙ガスを発射した際に窒息死した。 最後の訪問先は、彼の母校である香港理工大学(PolyU)だった。2019年のデモでは、デモ参加者が路上で警察と戦い、催涙ガスや放水砲、ゴム弾に対抗して物を投げつけた、重要な戦場となった。 5年経って、学生たちがレンガや火炎瓶で警察を撃退し激しい対決を繰り広げたポリテクニック大学の入り口は再建された。最も激しい衝突が見られた噴水は取り壊された。 香港の他の場所と同様に、このキャンパスも反抗的な過去を消し去られたようだ。ケネスさんは、それは大学が「人々に特定のことを思い出してほしくない」からだと考えている。 それから、彼は静かな隅へと急いで逃げた。茂みの下には、穴やコンクリートの塊が点在する低い壁があった。それが何なのかは見分けがつかなかった。しかし、ケネスは、これらは記憶の消去を逃れた戦いの痕跡だと考えている。 「私たちは起こったことを忘れないだろう」と彼は語った。「過去を忘れることは裏切りの一種だ」 BBC中国語 / 香港理工大学のLok Leeの穴だらけの壁BBC中国語 / ロック・リー ポリテクニック大学のトレードマークである赤レンガで作られた穴だらけの壁 BBC中国語 / Lok Lee 香港抗議運動の記念品の合成写真 - 黄色いヘルメットと木に彫られたスローガン。BBC中国語 / ロック・リー ケネスは抗議の記念品を秘密にコレクションしている 英国ワトフォードのテスコのカフェで、カスミ・ローさんは昔の故郷の懐かしい思い出を思い出した。 「香港の海がこんなに好きになるとは思ってもいませんでした。英国に到着して初めて気づきました」と彼女はフルイングリッシュブレックファーストを頬張りながら語った。英国を囲む冷たく暗い海と違い、「香港の海は建物がたくさんあるのでとても輝いています…私たちの街がこんなに美しいとは思いませんでした」。 カスミさんが夫と幼い娘とともに英国に移住することを決めたのは、過去10年間に彼女に忍び寄ってきた不安からだった。オキュパイ・セントラル運動は、2014年に娘が生まれてからわずか数か月後に始まった。 その後数年間、北京の統制が強まるにつれ(学生運動家は投獄され、書店は姿を消すなど)、かすみさんの不快感は増していった。 「香港に滞在するのは危険だとは言いません」と彼女は言う。「でも、毎日少しずつ、何かがおかしいと感じるようになりました。」 そして2019年、香港で再び抗議活動が勃発した。北京が取り締まりを強化する中、英国は1997年の香港返還前に生まれた香港人に対するビザ制度を提案し、かすみさんと夫は娘のためにも今が出発の時だと同意した。 二人はロンドン近郊のワトフォードという町に定住し、そこで夫はIT関係の仕事を見つけ、かすみさんは専業主婦になった。 しかし、彼女はこれまで海外に住んだことがなく、強いホームシックに悩まされていた。彼女はその様子をユーチューブの感情的なビデオ日記に記録していた。その中の1つは昨年、ネット上で話題となり、香港人の一部の共感を呼んだが、一方で彼女が移住を選んだことを批判する者もいた。 カスミ・ロー 香港のラマ島で犬たちと笑うカスミかすみ法律事務所 カスミの最も幸せな思い出の一つは、香港のラマ島で愛犬のグローリーと遊んだことだ。 Youtube / Kasumi Law 彼女が車の中で泣きながら座っている様子が映っている、Kasumi Law の Youtube 動画のスクリーンショット。Youtube / かすみロー 英国での生活に適応する難しさを語るかすみさんの話題の動画のスクリーンショット ついに耐えられなくなり、彼女は昨年香港を再訪した。2か月間、彼女はテーマパークや科学博物館など子どものころよく訪れた場所を訪れ、母が作ったふわふわのメロンと春雨、炒めたアサリを平らげ、エッグタルトやメロン味の豆乳など、おなじみのおいしい食べ物を堪能した。 しかし、彼女の記憶にある香港も変わってしまった。母は老けて見えた。女人街のお気に入りの店は閉店していた。 ある夜、尖沙咀の港のそばに座りながら、彼女は、恋しかったきらめく海との再会を喜びました。そのとき、彼女は、周りのほとんどの人が中国語を話していることに気付きました。 彼女の頬には涙が流れ落ちた。「海を眺めると見慣れた光景に見えましたが、周りの人々を見ると不思議な感じがしました。」 カスミさんは、次にいつ訪れるか考えている。今年、安全保障関連法第23条が可決されたため、友人たちは、再び訪れる前に過去の抗議活動に関するソーシャルメディアの投稿を削除するようアドバイスしている。 これは、2019年に娘を連れて抗議活動に参加し、何千人もの人々とともに団結して反抗的な態度で路上を行進した時の彼女の記憶にある勇敢さとは程遠いものだ。 ゲッティイメージズ 2020年1月1日、香港で民主化を求めるデモに参加する人々ゲッティイメージズ 2019年の抗議活動ではおなじみの光景:デモ参加者が両手を挙げ、5つの要求を象徴している 「引き返すには遅すぎます」と彼女は言う。「正直に言うと、香港に戻ってもそこでの生活に慣れないかもしれない気がします。」 「娘はここで幸せです。彼女を見ると、ここに来て良かったと思います。彼女の世界がもっと広くなるように願っています。」 カスミの世界も広がった。彼女は仕事を見つけ、新しい友達もできた。しかし、英国で新しい生活を築きながらも、彼女は自分と子供の中にある香港人としての部分を守り続ける決意を固めている。 カスミさんと夫は娘に広東語でしか話さず、家族で一緒に広東語の映画を見ることもよくある。娘はまだ、自分が参加した2019年の抗議活動や、自分が生まれた2014年に始まった運動の意味を理解していない。しかしカスミさんは、もっと大きくなったら説明するつもりだ。 カスミさんが蒔いた種はすでに根付き始めている。カスミさんは、娘が自分を中国人と呼ぶ人たちに反応する様子を特に誇りに思っている。「娘は怒って、彼らと口論するんです」とカスミさんは笑顔で語った。 「彼女はいつも人々に『私は中国人ではない、香港人だ』と言っています。」 9:05 香港の抗議活動:都市のアイデンティティ危機 香港についてもっと読む 香港最大の国家安全保障事件に関与する47人の香港活動家 反抗的な大物実業家の裁判が香港について何を語るか 香港の7つの激しい感情の1年 香港の反政府抗議 中国 2014年の香港抗議運動 香港国家安全法 香港 関連している 香港最大の国家安全保障裁判で投獄された活動家は誰ですか? 2024年11月19日 アジア 「全体主義国家になりつつある」:英国判事が香港裁判所を辞任した理由を語る 2024年6月11日 アジア 香港、14人の活動家を転覆罪で有罪判決 2024年5月31日 アジア もっと 2日前 バナナを食べるジャスティン・サン 暗号通貨起業家が620万ドルで購入したバナナアートを食べる ジャスティン・サンは、マウリツィオ・カテランの悪名高い2019年の作品を「他のバナナよりもはるかに優れている」と評した。 アジア 2日前 デンマーク沖のカテガット海峡に停泊中の中国船「易鵬三号」。黒い船体で貨物船なので船体は長く低い。 スウェーデン、切断されたケーブル問題で中国に協力要請 スウェーデンとリトアニア、フィンランドとドイツを結ぶバルト海のケーブル2本が損傷した。 世界 2日前 カメラに向かってポーズをとる董玉宇 中国、スパイ容疑でジャーナリストに実刑判決 光明日報の上級スタッフであり、ハーバード大学ニーマンフェローでもある董玉宇氏は、2022年から拘留されている。 アジア 3日前 2024年11月5日、ワシントンDCのホワイトハウスが見える 米国と中国、捕虜3人を交換 この交換は数か月かけて準備されたと伝えられており、米国で拘留されている少なくとも1人の中国人の解放も含まれていた。 世界 3日前 工場の生理用ナプキンの生産ラインで働く従業員 中国企業、生理用ナプキンの「縮み」について謝罪 中国の女性たちは、生理用ナプキンの長さが宣伝されている長さより劣っていることが多いことを自ら証明しようとした。 アジア 家 ニュース スポーツ 仕事 革新 文化 芸術 旅�� 地球 ビデオ ライブ オーディオ 天気 BBCショップ 他の言語のBBC BBCをフォロー: 利用規約 BBCについて プライバシーポリシー クッキー アクセシビリティヘルプ BBCに連絡する 広告掲載について 私の情報を共有または販売しないでください テクニカルサポートにお問い合わ���ください Copyright 2024 BBC. 無断転載禁止。BBC は外部サイトのコンテンツについて責任を負いません。外部リンクに対する BBC のアプローチについてはこちらをご覧ください。
香港:10年間の抗議活動は今や反抗的な記憶となっている
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2024年11月26日に発売予定の翻訳書
11月26日(火)には16点の翻訳書が発売予定です。
公的ケアからの養子縁組
タルヤ・ポソ/編著 マリット・スキヴェネス/編著 ジュン・ソバーン/編著 西郷民紗/監訳 海野桂/訳
明石書店
おばあちゃんのガールフレンド
台湾同志ホットライン協会/著 小島あつ子/翻訳
サウザンブックス社
ぶち壊し屋(下) : トランプがいたホワイトハウス2017-2021
ピーター・ベイカー/著 スーザン・グラッサー/著 伊藤真/翻訳
白水社
中国の「天眼」FAST――世界最大の電波望遠鏡
郭紅鋒/著 松永慶子/翻訳
科学出版社東京
失われたスクラップブック
エヴァン・ダーラ/著 木原善彦/翻訳
幻戯書房
神経コーディング
Fred Rieke/著 David Warland/著 Rob DeRuyter Van Steveninck/著 ほか
森北出版
さんにんめのミトンちゃん
リンダ・ベイリー/著 ナタリア・シャロシュヴィリ/イラスト みずのゆきこ/翻訳
化学同人
[図説]韓国都市探究 : 24の街の歴史、文化から産業まで
全国地理教師の会/著 水谷幸惠/翻訳 宗実麻美/翻訳 山口裕美子/翻訳
原書房
図説古代エジプトの神々・神話百科事典
ジャン=ピエール・コルテジアーニ/著 近藤二郎/監修 近藤悠子/翻訳
原書房
限局性激痛
ソフィ・カル/著 青木真紀子/翻訳 佐野ゆか/翻訳
平凡社
米軍極秘特殊部隊 ザ・ユニット : テロの激戦地で戦い続けた隊員の手記
アダム・ガマル/著 ケリー・ケネディ/著 沖野十亜子/翻訳
原書房
地図とデータで見る宗教の世界ハンドブック
フランク・テタール/著 蔵持不三也/翻訳
原書房
世界基準の教養 for ティーンズ はじめての地理学
水野一晴/監修 清水玲奈/翻訳 ミナ・レイシー/著 ララ・ブライアン/著 サラ・ハル/著 ウェスレー・ロビンズ/イラスト
河出書房新社
英文対照 天声人語2024秋Vol.218
朝日新聞論説委員室/編集 国際発信部/翻訳
原書房
リアル・メイキング
ターニャ・M・ラーマン/著 柳澤田実/翻訳
慶應義塾大学出版会
高みをめざすアップヒルアスリートのトレーニングマニュアル
スティーブ・ハウス/著 スコット・ジョンストン/著 キリアン・ジョルネ/著 海津正彦/翻訳 山本正嘉/監修
東京新聞出版(中日新聞東京本社)
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ワシントンの目に映る日本製鉄 ■米国と同盟関係にある日本を代表する大企業の日本製鉄が、「安全保障上の懸念」で今回の買収から排除されたとしたら、不可解に感じる日本人が大多数ではないでしょうか。しかし、米国の視点から日本製鉄を眺めると、その印象は少なからず違ったものとなる可能性があります。 ■少しばかり話は横にそれますが、時事の話をさせていただきます。日本製鉄は、合併前の旧新日本製鐵(新日鐵)時代に、中国の周恩来首相や鄧小平副総理の要請を受けて、中国宝山鋼鉄の最新鋭の高炉建設を全面的に支援しました。その後、宝山鋼鉄が製造する鋼材は中国の高度経済成長をけん引することとなりますが、こうした貢献が感謝されたこともあってか、日本製鉄と中国との親密な関係は長期にわたり続くこととなります。 モンスターの生みの親 ■21世紀に入り、中国の工業化が急速に進展すると、2004年には新日鐵と宝山は合弁で自動車向け鋼板会社を設立します。そして、今年8月に合弁が解消されるまで約20年にわたり、共同で世界トップの規模に発展する中国の自動車産業を支えてきました。現在、宝山鉄鋼は世界最大の鉄鋼メーカーですが、インフラ整備や自動車生産だけでなく、その鋼材で中国の急速な軍備拡張にも貢献しています。そんな「モンスター」ともいうべき宝山鉄鋼や中国鉄鋼業界が大きく成長する過程で、日本製鉄が果たした役割は大きかったように思われます。 ■こうした日本製鉄と中国の「長く、深い」付き合いから、日本製鉄の元経営トップは、日中友好会館の理事や日中経済協会の名誉顧問を務めています。また、最近まで同社の最高幹部を務めた取締役の一人は、日中経済協会の会長職にあって、日中間の経済外交の第一線で活躍しています。 ■例えば、今年1月25日、日中経済協会は経団連や日本商工会議所と共同で、日本経済界訪中団を率いて北京を訪問し、人民大会堂で李強首相に謁見(えっけん)しています。また、今年9月26日には中華人民共和国成立75周年祝賀レセプションが都内のホテルで開催されましたが、日中経済協会の会長は鳩山由紀夫元首相、公明党の山口那津男代表(当時)、社民党の福島瑞穂党首、日中協会の野田毅会長、日中友好議連の小渕優子事務局長らとともに、主賓の一人として招待されています。 日本にとっての「当たり前」が米国に通じるとは限らない ■中国と近しい関係にあるとされる政治家が揃う注目されやすい会合に、日本製鉄を代表する人物が参加していることについて、対中強硬姿勢を強める米国政府・軍関係者がどう感じるかは推して知るべしと思います。もちろん、日中の密接な経済関係を考えれば、日本の有力な財界人が日中交流の橋渡し役を務めるのは、日本人からすれば「当たり前の事」といってよいでしょう。しかし、米国人が我々と同様な見方をしてくれると期待するのは、少々虫が良すぎるように思えます。 ■2018年7月、北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長と会談した当時のトランプ大統領は、大量の天然ガスをロシアから購入していたドイツを念頭に、「ロシアに大金を払いエネルギーを買っている国を、どうして米国がロシアから守らなければいけないのか」と痛烈に批判しました。こうした発言の背景にはおそらく自国のシェールガスを売り込みたい米国側の思惑もあるものと思われますが、米国の軍事力に依存しながら相反する国に巨額の資金を提供する「身内の不義理」にイラ立つ米国の本音が垣間見えます。 買収成功への切り札、ポンペオ氏の招聘 ■「このままではマズイ」と日本製鉄も感じていたのではないでしょうか。乾坤一擲(けんこんいってき)の策に打って出ます。今年7月20日、日本製鉄は前トランプ政権でCIA長官や国務長官を務めたマイク・ポンペオ氏を、USスチール買収のアドバイザーとして起用すると発表しました。ポンペオ氏は「対中強硬派」として知られますが、国務長官時代に中国を厳しく糾弾したこともあって、2021年以降、中国外務省から中国本土、香港、マカオへの入境を禁じられています。 ■こうしたロビー活動が奏功するかはまだ分かりませんが、今回のディールを成功させたい日本製鉄の「危機感の表れ」と考えるのが自然ではないでしょうか。 ■16~17世紀にかけての大航海時代の後期、オランダはスペインとの長い独立戦争を戦いました。当時、その強欲さで名をはせたとされるオランダ商人は、戦争相手のスペインにも武器や軍事物資を売り渡し、世の顰蹙(ひんしゅく)を買いました。考え方の一つかもしれませんが、米政府・軍関係者から見れば、極東地域の地政学リスクを高める恐れのある中国と積極的に交易を行い、中国の「強国戦略」に貢献している日本企業があるとすれば、かつてのオランダ商人のように映っても不思議ではないでしょう。
USスチール買収はナゼもめるのか 日本人が無自覚なワシントンの視線 | 三井住友DSアセットマネジメント
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【 2024.11.23 SAT 】 出張・UPDATE STAND フード出店&ニイマリコによるアコースティックライブ開催 @PARK GALLERY
☆ 来週からパークギャラリーでスタートする「音楽」をテーマにした企画展『音楽』では、11月23日(土)に店先にて、UPDATE STAND による出張タコス屋のポップアップを行います。 メニューは3種のタコスプレートから、UPDATE STAND 定番の豚肉のカルニタス、オリジナルシーズニングに漬け込みグリルしたジャークチキン、スペシャルとして今回はパークのプロジェクト活動で収穫した枝豆を粗挽きフムスにし、パリッと揚げたトルティーヤに乗せたトスターダをご用意。ランチタイムにも、小腹の空いた午後にでも、気軽にぜひどうぞ。 当日は『音楽展』会期中に、会場 BGM のプレイリストを用意してくれた、クリエイターの ivy くんによる DJ や、淹れたてのコーヒー販売も行います。夕方からはアコースティックライブ(下記にて情報記載)も予定しています。会場いっぱいに音楽を鳴らしてからだをリラックスさせながら、おいしいタコスとドリンク片手い贅沢なじかんをたのしんでもらえたらうれしいです。
------ 出張タコス屋『UPDATE STAND 』 3種のタコスプレート ¥1,000 ... ほかアルコールドリンクもご用意 ※写真はイメージです 提供開始:12時頃〜(なくなり次第終了) 場所:PARK GALLERY https://www.instagram.com/updatestand
★ そして同日18時からは、シンガーソングライターのニイマリコ氏による、アコースティックライブを会場で行います。ソロの他に、昨年10月からは新たなバンドを結成し、意欲的に音楽活動を行っています。日が沈み肌寒くなった頃に、しっとりとやさしく癒されるメロディとニイマリコ氏の繊細な歌声を、作品に囲まれながらいっしょにたのしみましょう。 ------ ニイマリコ アコースティックライブ @ PARK GALLERY(東京・末広町) 演奏時間:18:00 〜 予約優先 / 定員約 20名 / 投げ銭制 / 1ドリンクオーダー *前列以下スタンディングです。狭い空間になるので事前にご理解いただいた上、ご予約ください。椅子が必要な方は事前にお知らせください。
ご予約はこちらまで 📨 [email protected]
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【 注意事項 】
・入場は無料ですが、ライブ終了後に募金箱を回させていただきます。投げ銭をお願いします(1円〜OK)。
・席の数が限られています。椅子が必要な方は事前にメールか DM にてお知らせください(先着順)。
・ソフトドリンクやアルコールの用意があります。のんびりおくつろぎください。持ち込みも可です。
・イベント中は展示が見づらくなります。あらかじめご了承ください。
・ドリンク、作品、グッズの購入はイベント前後の休憩中に可能です。
・荷物やコートの預かりを希望される方は当日スタッフまで(貴重品は預かれません)。
・生配信の予定はありません。
・イベント運営のためのドネーションを募っています。ご協力お願いします。
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ゲストプロフィール
ニイマリコ | NII MARIKO 1984年広島県生まれ。2005年よりロックバンドHOMMヨのギターヴォーカルとして音楽活動を開始。ギタリスト羽賀和貴との昭和歌謡ユニットduMo、トラックメーカー/ラッパー/ライターのワニウエイブとのユニットGhostlegでは作詞、歌唱など担当。2020年HOMMヨの活動休止後、ソロ・アーティストとして弾き語りライブのほか、2021年1stソロアルバム『The Parallax View』を、2023年よりバンドプロジェクトとしてLoupx garoux(ルー・ガルー)を立ち上げ精力的に活動中。Loupx garouxは2024年1stアルバム『暗野』をリリースした。歌詞提供や文学誌への寄稿、タバブックス『仕事文脈』にてエッセイ「男には簡単な仕事」を連載。配信ライブやトークショーなど、よりオルタナティブに、闇雲に動いている。 https://infoinfonii.wixsite.com/niimariko https://www.instagram.com/ninmarychain https://x.com/ninmari
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【投稿企画】先月の1本・来月の1本(2024年10月)
読者の方々からお寄せいただいた10月の「先月の1本・来月の1本」をご紹介します。先月の観劇の記憶を思い起こしながら、来月の観劇のご予定にお役立ていただければと思います。
(お名前の後のカッコ内は先月の観劇本数)
・ラプラス変換 会社員(11本以上) 【先月の1本】 東京マハロ「スープラに乗って」(東京芸術劇場 シアターウエスト) めぇーーーーっちゃ、よかったーー😭😭😭 母の娘への想いが私の知る大阪の人っぽくていいなぁ! 母の仕事を娘にぶつける気迫がすごくって、仕事へのプライドなのか、いろんな想いが重なって伝わってきた。 【来月の1本】 文学座「摂」(紀伊國屋ホール) 舞台美術家の朝倉摂に興味がある。
・かちとも 会社員(6~10本) 【先月の1本】 木ノ下歌舞伎「三人吉三廓初買」(東京芸術劇場 プレイハウス) 歌舞伎では省略しているエピソードも全て上演するため、5時間という長丁場。でも、フル上演だからこそ、作者が伝えたいことや登場人物の心境がよりわかりやすく、とても面白かった。衣装や美術がスタイリッシュでカッコイイ! 【来月の1本】TipTap「Bye Bye My Last Cut」(Theater Mixa) TipTapの最新オリジナルミュージカル。 公演期間は短いながらも、キャストはミュージカル界の実力者が揃っていて、TipTapらしい切なくささやかな物語になりそうで期待している。
・谷岡健彦 大学教員(11本以上) 【先月の1本】 Bunkamura「What If If Onlyーもしも もしせめて」(世田谷パブリックシアター) キャリル・チャーチルの2021年初演の二人芝居をジョナサン・マンビィの演出で上演。「現在」や「未来」といった役が登場する観念的な作品だが、マンビィは派手めの照明と音楽で華麗なスペクタクルに仕立て上げた。大東駿介と浅野和之の演技も出色。 【来月の1本】 前進座「雪間草」(三越劇場) チケット代が高騰している昨今、その値段に見合った技量の俳優の演技を観たいと思うようになってきた。80歳を過ぎた林与一がどんな境地を見せてくれるのかが楽しみ。
・kiki 地方公務員(11本以上) 【先月の1本】 日本劇団協議会「ドリル魂2024」(すみだパークシアター倉) 2007年に扉座で初演された型破りなミュージカルを日本劇団協議会の新進演劇人育成公演として上演。洗練やスマートさでなく泥臭さや不器用さが魅力的に輝く。扉座版からのファンも若い観客も巻き込んで舞台と客席がともに熱くなった。 【来月の1本】 花組芝居「花組ペルメル『長崎蝗駆經~岡本綺堂「平家蟹」による〜』」(小劇場B1) 花組芝居のプロデュース公演 花組ペルメルの第1回となる今作は、元座員である堀越涼氏の脚本を座長の加納幸和氏が演出、出演は手練れ揃いの客演陣と花組芝居のお役者衆。一筋縄ではいかない作品になりそうで、今からワクワクしている。
・小泉うめ 観劇人・観客発信メディアWL(6~10本) 【先月の1本】 淡水「UKABERU」(SUCHSIZE) ブレなくこういうワンアイデアを貫いて押し切るような作品は好きだ。暑かったけど浮かんでる間の場を共有する感覚が格別。箱によるサウンドも気持ち良かった。 【来月の1本】 きたまり / KIKIKIKIKIKI「小町風伝」(大江能楽堂) 太田省吾の岸田賞受賞作をきたまりが大江能楽堂で踊るというだけで観に行きたくはなるがスタッフも豪華で上演に至るプロセスも極めて丁寧な手つきだった。
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京都芸術大学共同利用・共同研究拠点 2024年度 リサーチ支援型 プロジェクト『 支配的なイデオロギーへの対抗の場としての身体 : ジェンダー・セクシュアリティの視点からの新たな文法創出 』研究代表:山崎恭子
関連レクチャー企画vol.02
舞台芸術関係者に向けた「 LGBTQ勉強会 」
ゲスト講師:和田華子氏
【 概要 】
タイトル:舞台芸術関係者に向けた「 LGBTQ勉強会 」
日時:2024年10月14日
時間:14:00 -17:30 ( 途中10分程度の休憩を2回含みます。 )
*開場13:40から
場所:京都芸術大学 人間館 B1階 NA014 ( 旧映像ホール )
参加対象者:俳優 / 演出家 / 舞台制作者 / テクニカルスタッフなど
定員: 20名
予約:https://x.gd/ciZvB
※応募多数の場合選考を行う可能性があります。
参加費:無料・要予約
問い合わせ:[email protected]
主催:京都芸術大学舞台芸術研究センター 舞台芸術作品の創造・受容のための領域横断的・実践的研究拠点 2024年度「 支配的なイデオロギーへの対抗の場としての身体 : ジェンダー・セクシュアリティの視点からの新たな文法創出」研究代表 山崎恭子
▲注意事項 ▲・勉強会の最初にSNS での取り扱いなどの注意事項をさせて頂く関係で、途中入場は基本的にお断りさせて頂いております。(当日の交通事情などは考慮しますが、時間通りの開催を目指しています、余裕を持って会場にお越しください。)
・勉強会には、様々な方が参加しています。参加者の皆さまが安心安全な 環境で勉強会に参加して頂けるよう、何卒ご協力お願い致します。
【レクチャー内容】
①LGBTQとは:性的マイノリティに関する基礎的な知識。
②日本におけるLGBTQの現状
③演劇とLGBTQ:稽古場で起こりやすいアウティングの問題を中心に、当事者・非当事者共により良い創作の現場を作る為に必要な知識や対処法のレクチャー
【ゲスト講師プロフィール】
和田華子 Wada Hanako
俳優。1988年4月7日生まれ。青森県十和田市出身。京都造形芸術大学舞台芸術学科卒業。卒業後は東京の小劇場を中心に活動。これまでに松本雄吉、神里雄大、瀬戸山美咲、オノマリコ、山田百次、松村翔子、舘そらみ、杉原邦生等の作品に出演。2019年より青年団俳優部に入団。
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今回、リサーチプロジェクト関連企画vol.02では、俳優で「 俳優・劇作家・演出家・制作者 に向けたLGBTQ 勉強会 」を開催されている和田華子さんをお招きし、LGBTQに関する基礎知識をレクチャーしていただきます。
近年、性的マイノリティに焦点を当てた作品を目にする機会が増えました。しかし性的マイノリティに関する基礎的な知識を身につける機会は非常に少ないのが現状です。沢山の他者と共に作り上げる舞台芸術に関わる者として、また舞台芸術を含めたさまざまな表現の鑑賞者として、最低限の知識を身につけておくことは、想像力が人に与える強い力に関わるという点においてとても重要なことです。
自分の想像力には偏見や思い込みが含まれている可能性が常にあるということを受け入れること、また知らぬ間に既に身につけてしまった偏見を自分の中に発見し解きほぐそうと努めること、それにはまず知識を身につけることが必要です。そして、その知識は今はまだここにない新しい未来を生み出す駆動力なのだと思います。今回そのしなやかに前に進む力を私自身が身につけたく、和田さんを京都にお招きします。
このレクチャーでは①LGBTQとは:性的マイノリティに関する基礎的な知識。②日本におけるLGBTQの現状。③演劇とLGBTQ:稽古場で起こりやすいアウティングの問題を中心に、当事者・非当事者共により良い創作の現場を作る為に必要な知識や対処法。を和田さんよりお話しいただきます。
未来に向かったより豊かな創作の場を作るために、ぜひ奮ってご参加ください。
研究代表 山崎恭子
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◾️山崎恭子 Yamazaki Kyoko◾️
京都芸術大学 舞台芸術学科卒業、同大学大学院修士過程修了。『 不快なものに触れる 』豊岡演劇祭2021 フリンジプログラム採択 @江原河畔劇場、THEATRE E9 KYOTO×京都舞台芸術協会×DIVE ショーケース企画 「Continue2022」、豊岡演劇祭 2022 フリンジ「Showcase」採択 @芸術文化観光専���職大学 小劇場・そぞろ座。『ふるえる』YPAM 2021 フリンジプログラム @三鷹SCOOL 助成:公益財団法人全国税理士共栄会文化財団 。
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トンデモ訳:"a teaching faculty"は、「医学生を指導し」?!
私の翻訳に関する経験上、奇妙キテレツ度ではトップ3に入りそうな英文とその訳例・解説が翻訳関連サイトAで公開されています(2021年10月以降)。この件については事務局と連絡を取りましたが、なぜかそのままにされているようです。英語、翻訳を教えるという立場としてどうなんでしょう。
読者、学習者に多大な影響を与えていると思われるので、特に何が問題なのか考察します。課題文は全部で3文で構成されていますが、最初の2文のみ取り上げます。
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英語原文:
Dr. Henry Faulds established the first medical mission in Japan in 1874 where he opened a hospital at Tokyo, a teaching faculty, and founded a society for the blind. While involved in archaeological digs in Japan in the 1870s, Faulds was intrigued by the imprints left in shards of ancient pottery by the potters.
和訳訳例:
ヘンリー・フォールズ医師は、1874年日本初の医療伝道所を創設した。東京に病院を開き、そこで医学生を指導し、視覚障害者のための協会を設立したのである。1870年代に日本で行われた遺跡発掘調査に携わった際、土器の破片に残された作り手の痕跡に興味を抱いた。
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まず、この英文を一読してどのような印象を持たれるでしょうか?
第1文に関しては、ほとんどの方は何か変だ、わかりにくい、ひっかかる英語だと思われるのではないでしょうか。であれば(でなくとも)当然、Dr. Henry Fauldsに関する調査を始めますよね。それが普通の翻訳者ですが、出題者は違うようです。
この訳例で最大のトンデモ訳は、何と言っても「a teaching faculty」を「医学生を指導し」とした箇所でしょう。
なんでも解説によれば、「ここは名詞をそのまま訳すのは困難ですね。〜「医学部」とするのは違和感があります。〜ここは説明的に「医学生を指導し」とするのがいいでしょう。このように、訳に困ったら品詞を変えるなど、説明的に訳すという手段を覚えておくといいですよ。」とのたまわっています。
訳例・解説は、誰が読んでも疑問だらけです。「a teaching faculty」の「faculty」は「教える側」ではなく、「学生の集団」を指していると捉えているようです。その場合「teaching」は、「教える」ではなく「教わる」という意味になるのでしょうか(これを「変換」と呼んでいる?)。どの品詞がどう変換されているのかなど一切説明がなく、結論の訳例だけ提示されているのはなぜなのでしょうか?
実際問題、「a teaching faculty」は、それほど特殊な表現ではなく、一般的には「教授陣、教職員」を指します。ネイティブの会話などでもそのまま用いられているようです。単純に「a teaching staff」と言い換えることもできますが、もし原文がこちらの表現だった場合、出題者はどう解説されるのでしょうか。相変わらず「医学生を指導し」とされるのでしょうか??
要するにここでは、学生を教える先生の体制を整えたと言っているに過ぎません。まあ、回り回って「医学生を指導し」たことに繋がるのかもしれませんが、果たしてまともは翻訳と言えるのか大いに疑問です。
確かに「訳に困ったら品詞を変える」のも一案ではありますが、それは主に日本語の修辞上のテクニックであり、原文を都合のいいように捻じ曲げて解釈することとは違います。
なお、Henry Fauldsに関する英語参考資料は少なくありません。その理由の一つは、この課題も触れていますが、指紋鑑定のきっかけを作った人物だからです。課題文に似た英文も簡単に見つかります。課題文やWikipediaなどはそれらを元にしているのかもしれません。
そのような資料の一つが、Scottish Parliament Websiteのもので(2020年6月10日投稿)、第1文に相当する箇所は以下のようになっています。
"... he established the first English speaking mission in Japan in 1874, with a hospital and teaching facility for Japanese medical students..." (Wikiもほぼ同じ)。
どこも引っかかるところはなく、スラスラ読めますよね。そして、お分かりでしょうか?どうやら、課題文引用元の原文作者が「facility」を「faculty」とタイポした可能性も否定できないようです。
どちらにしても意味は通るので間違えたのかもしれませんが、課題文が「a teaching facility」だった場合、出題者はどう和訳し、どう解説するのか興味津々です。相変わらず「医学生を指導し」とされるのでしょうか??
いずれにしても、出題者の内容に関する調査不足は否めません。
この出題で他にも不可解なことがあります。読者が応募した和訳が受賞者訳文」として2例示されています。問題部分はそれぞれ以下のようになっています。
1.「医学を教えた」、2. 「医学を伝授し」
どちらも同じ発想です。おそらく、苦し紛れにWikiあたりを参照した結果でしょう。そして、「総評」での「訳例」は、「今回の受賞作品をもとに作成しました」と断ったうえで、前述のようになっているのです。翻訳者(編集者?)として調査、批判的に精査せず、ただ受け売りしただけなのでしょうか。
応募総数が234通あったそうですが、全員がこの発想だったとは考えられません。中には、目的語「a teaching faculty」を導く動詞が欠落しているのではないかと考え、「教授陣をそろえた」のような訳にした人も多少はいたのではないかと推測します。そのような真っ当な発想が見落とされているようです。
文法などが破綻していても無理やり訳出し、自分自身で理路整然と説明できないトンデモ訳に仕立て上げています。翻訳を教える立場としては、危険な考え方、手法を植え付けているようで極めて深刻と言わざるを得ません。
第1文中の別の問題として、「at Tokyo」という表現があります。ここに至っては、もう中学生レベルの間違いですね(今どき、小学生でも「I live at Tokyo.」とは言わない?)。この初歩的間違いについては、なぜか一言も触れられていません。
実は、驚くなかれ、この課題文は出題当時、The University of Glasgow Storyというサイトに掲載されていました。信じられないかもしれませんが事実です(なにかの手違いでしょう。さすがに今では削除されています)。このコラムでは昔から一切出典を明かさないのも気になります。
出題者は、極めて不幸なタイミングで同サイトから課題文をそっくりそのまま引用していたのです。一流大学のサイトだから問題ないだろうと、上記のように関連資料もたくさんあるのに一切の調査を怠ったようです。
さて、第2文の訳例は、第1文ほどの大きな問題ははないかもしれませんが、「the imprints」を「痕跡」としたのは考えものです。これでは、土器へ入れたサイン、模様などと紛らわしくなります。「指紋」とすぐ言たくなければ言いたくないで、もっと自然につなげる表現の工夫は十分可能なはずです。
また、原文の「the potters」も引っかかります。もちろん、言わんとすることはわかりますが、読みやすい、自然な英語かどうかは私にはわかりかねます。よくある、「...er」「...ist」をプロと取るか、一時的に行っている人と取るかですね。
解説では「この文で一番難しかったのはthe pottersの訳です」として、6行にわたり説明を加えています。そこまでする必要があるなら、英語にも原因の一端はあるかもしれないと思ってしまいますよね。
ちなみに、BBCの「Henry Faulds」の項目では第2文に相当する箇所は以下のようになっていますhttps://www.bbc.co.uk/history/historic_figures/faulds_henry.shtml
In the late 1870s, Faulds became involved in archaeological digs in Japan and noticed on shards of ancient pottery the fingerprints of those who had made them.
こっちのほうが遥かに自然でスマートな印象を受けます。「the potters」の代わりに「those who had made them」とすると、多少長くはなりますが、6行も解説を要するような不自然さ、わかりにくさは解消します。ついでに、指紋は土器の表面に付くので、やはり「on」ですね。前置詞の使い方が覚束ない人が書いた原文のようです(上記大学の日本人関係者?)。
上記のようにこの課題文は様々な不備のある英文ですが、それをあえて取り上げてでも訴求したい出題ポイントが何だったのかには触れられておらず、推測すらできません。「訳に困ったら品詞を変えるなど」で、説明のつかないつじつま合わせをするテクニックではないことを願うのみです。
この課題とその訳例・解説の問題点:
出題者が内容に関する調査を怠っている
課題文を採用する際、批判的に精査していない
解釈・翻訳困難な箇所を、自分で説明できないトンデモ訳にでっち上げている
他人の翻訳を利用するにしても、批判的に精査していない
原文を都合のいいように捻じ曲げて解釈している
課題文中の初歩的な間違いに触れていない(気づいていない?)
原文の不備に気づかず、正しい英語と信じ込んだうえで、訳を弄り回している
訴求したい出題ポイントが不明
翻訳学習者に対して深刻な弊害を及ぼす考え方、手順を示している
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リトルバレル10周年記念展「パランティア(Seeing Stones)」
◆出品作家:EKKO、下山健太郎、髙戸蒼月花
◆ 会 期 :2024年12月6 日( 金 )―18日(水) * 12日(木) 休み
レセプション:12月7日(土)14 :00- 16 : 00
◆時 間 : 12:00-20:00(11日(水)・18日(水)は17:00まで) ◆ 企 画 :水田紗弥子(Little Barrel)
◆ 協 力 :新宿眼科画廊
◆会場:新宿眼科画廊(スペースO)
googlemap:https://maps.app.goo.gl/BcvfguPYbFMrUtRM7
Little Barrel は 2014 年 12 月に法人化し、10 年を迎える節目に展覧会を企画しました。記念に美術家の橋本晶子による2025 年カレンダーを制作・販売いたします。ぜひご高覧ください。
同時開催:新宿眼科画廊20周年記念展「新しい扉の開け方」
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「パランティア(Seeing Stone)」
たくさんのアーティストに伴走しながら、これまで仕事をしてきました。いつもアーティストに明るい未来を照らしてもらい、知らない扉を開けてもらってきたように思います。
(寄り添えていないことも多く、コロナ禍をはじめ打ち砕かれた想いも実力不足による反省もたくさんありますが。)
これまでの感謝と、次の10年に向けて、節目に展覧会を企画しました。
パランティアはトールキンの「指輪物語」に登場する暗い水晶球で、世界に7つあるはずの石は謎に満ちていて、石と石、石と現実が対話しながら、通常ではありえなかった過去や、これから起こる未来の世界の物語に、人々を誘います。別名は「見る石(Seeing Stone)」。アーティストは、パランティアのように、未来を見通す力を持っていて、通常では見えない次元の世界と現実とを静かに接続してくれます。
高戸蒼月花さんの作品は、過去のできごとやかつて住んでいた家の風景を振り返ることから出発しています。絵画のなかで書かれていない日記のページや、頭のなかの家の見取り図が更新され増幅されていきます。彼女の作品の切実さは見るとわかりますが、家からスタートした絵画世界は多分、もっと広大になっていくだろうと思うし、将来そういうものが見たいなと思っています。
EKKOさんの作品には、神話的な壮大な風景が繰り返し登場します。太陽の光が、海や乾いた大地に降り注ぎますが、その場所は限定されたどこかの国ではない異国です。そしてどこにでも続く「道」の風景は、今いるこの場所とは湿度も温度も違っていて、旅行のような期待感もあるのですが、いつもとても静かです。木版画や陶芸など、プロセスで作品が変化していく技法を使う彼女の作品にどこか魔術的な要素を感じつつ、静かな窓を開けて、その絵画の世界に彩られていきます。
下山健太郎さんは、絵画のフォーマットや要素、設置される場との関係などを丁寧に問い直し、一つ一つ答えを探す発明家、探検家のようなやり方で、制作の変遷が作品に表れています。屋外に設置されたり、画布が折りたたまれたり、線や球の要素がオブジェになったりと、絵画の内外の要素が飛び出したり収まったりするなかで、最近はフレームが表れてきました。鑑賞者として毎回、どんな思考で制作しているかを教えてもらうのですが、絵画というメディアそのものを再構築させられます。
3名のアーティストの作品をぜひご高覧いただき、どうぞ引き続きご支援いただきますようお願いいたします。
髙戸蒼月花:
〔プロフィール〕 1997 大阪府生まれ、大阪で活動。 2022 京都芸術大学芸術学部芸術研究科芸術専攻修士課程修了。
〔主な個展〕 2022 「session, doorway」(ビーク585ギャラリー / 大阪) 2022 「照らして歩いて確かめる」(蔦屋書店 / 京都) 2022 「絵の中で集まる」(京都芸術大学修了制作展 / 京都) 2023 「ART NEXT STAGE vol.3」(大和証券グループオフィス 120クラブ / 東京)
〔主なグループ展〕 2024 「東 京都展 The Echoes of East Kyoto」(WHAT CAFE / 東京) 2022 「怪談/KUA」(Galerie・Aube / 京都) 2022 「ARTISTS'FAIR KYOTO 2022」(京都文化博物館別館 / 京都) 2022 「bandwagon effect」(Blend Studio / 大阪) 2021 「ripple」(gallery yolcha / 大阪) など
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EKKO:
〔プロフィール〕 1982年生まれ 2007 東京芸術大学大学院絵画科修了
〔主な個展、グループ展〕 2012 「入る旅人 出る旅人」 (東京くりから堂、新宿眼科画廊 / 東京) 2017 「Mundus」(kousagisha gallery / 京都) 2018 「現代美術の展望 VOCA展 2018 −新しい平面の作家たち−」(上野の森美術館 / 東京) 2019 「白金五丁目アワード アート部門・ファイナリスト展 - "In the cloud" (OUR FAVOURITE SHOP / 東京) 2019 「Liseur 読む人」(LOOP HOLE / 東京) 2020 「WAVE 2020」(アーツ千代田 3331 / 東京) 2023「It's All Lies」(アキバタマビ 21 / 東京) などがある。
主なコレクションにThe Chain Museum, モンブランアートGBUジャパンがある。
〔WEB-site〕 www.ekkoart.com
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下山健太郎:
〔プロフィール〕 1990 東京都生まれ。 2016 東京造形大学大学院 美術研究領域修了。 2018~ インディペンデントの出版社「ハンマー出版」を主宰。 2024~ 「文學界」の装画を担当。
〔主な個展〕 2021 「The Moon and So On」(Little Barrel Project Room / 東京) 2022 「Table of Contents」(LOOP HOLE / 東京) 2022 「 The Whole World Is My Warehouse 」(GASBON METABOLISM / 山梨) 2022 「Open End」(People / 東京) 2022 「The Window and So On」(NADiff A/P/A/R/T / 東京)2024 「Feel at Home」(CALM & PUNK GALLERY/東京) など
〔主なグループ展〕 2019 「もの・かたり-手繰りよせることばを超えて-」(代官山ヒルサイドテラス / 東京) 2020 「国立奥多摩湖 ~もちつもたれつ奥多摩コイン~」(gallery αM / 東京) 2021 「3人のキュレーション「美術の未来」Shibuya Hikarie Contemporary Art Eye Vol.15」(Hikarie 8/CUBE 1, 2, 3 / 東京) 2022 「ユートピアのテーブル」(The 5th Floor / 東京) 2023 「ATAMI ART GRANT 2023 」(ATAMI ART VILLAGE / 静岡) など
〔WEB-site〕 http://shimoyamakentaro.com
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