#月曜夜10時枠の連続ドラマ
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team-ginga · 8 months ago
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映画『青春かけおち篇』とドラマ『かけおち'83』
 演劇ユニッ���・チーム銀河は今年創立10周年を迎えます。
 それを記念して2014年の旗揚げ公演で上演した3人芝居『マイ・スウィート・スウィート・ホーム』という芝居を、5月18日(土曜)に京都・東一条の関西日仏学館・稲畑ホールで、5月24日(金曜)〜26日(日曜)に大阪・新町のいつもの劇場Regalo Gallery & Theatreで上演いたします。
 作は私、東浦弘樹、演出は増田雄さん、出演が『メフィスト』でも共演した私の憧れの女優さん白樫由紀子さんと、なにわニコルソンズの立山誉(ホマティ)さん、もちろん私も出演します。
 昨日3月21日はその初稽古でした。
 帰りにいろいろ話しているうちに私が大好きだったドラマ『かけおち'83』の話になりました。タイトルが示すように1983年(古い!)にNHKの銀河ドラマ枠で4日連続だが5日連続だかで放映されたドラマで、つかこうへい作、大竹しのぶ主演です。
 ホマティさんにこのドラマを薦めて、白樫さんに「このドラマのDVDは前に(『メフィスト』で共演した時に)貸したよね」と言ったら、白樫さんはドラマもDVDで見たけれど、映画の方も見たと言いました。
 家に帰ってU-Nextで調べると、『青春かけおち篇』という1987年の映画がヒットしたので、早速見てみました。
 でも……うーん、これじゃあダメです。台無しもいいところ。
 原作・脚本つかこうへいとあるので、つかの原作を誰かがメチャクチャに脚色した訳ではないはずですが……つかは本当にこんなものを書きたかったんでしょうか。それとも一応脚本はつかになっているけれど、どこからか圧力がかかって書きたいものが書けなかったのでしょうか。
 ドラマ『かけおち'83』は、数年前からのんべんだらりと生き、のんべんだらりと同棲してきた節子(大竹しのぶ)と康夫(長谷川康夫)の物語です(長谷川康夫は当時はつかこうへい事務所の役者でした。その後、役者は辞めて演出をしているようです)。
 二人は節子の実家で節子の両親(北村和夫と松下沙稚子)と一緒に暮らしています。あるとき、節子の父親の取引先から節子にお見合いの話が舞い込みます。
 節子には当然康夫という恋人がいます(康夫は長男ですが、弟が家業を継いでいるので養子に来ることができます。一人娘の節子やその両親にとっては非常に都合のいい存在なのです)。で���、「見合いの一つくらいしておかないと」という理由で(この辺りがいかにもつかですね)見合いに行くことになります。
 見合いの相手は年商80億の会社を裸一貫から立ち上げた萩原(沖雅也、「親父涅槃で待つ」と自殺する直前の出演です)ーー彼は節子が好きで高校生の時からずっと見守ってきたと言います。
 萩原の迫力に押され、節子はそのままデートを重ねます。しかし、萩原が結婚の申し込みに節子の家を訪れたとき、節子の母は「会社を捨てて家の仕事を継ぐのでなければ節子との結婚は許さない」と言います(節子の家は東京の一等地でレストランを3軒経営しています)。
 激しい雨の降るなか、節子の家の玄関先で萩原が言う……というより叫ぶセリフは実に魅力的です。彼は節子に言いますーー「でも私は諦めません。私はきっとあなたを奪ってみせます。そうでなければ、私はこの10年間一体何のために働いてきたんだ。好きな女ひとり奪うことができなくて、私は一体何のために働いてきたんだ。節子さん、私はきっとあなたを奪ってみせますから」。
 いいセリフですね。
 萩原は節子に相応しい男になるために必死になって働き、年商80億の会社を作り上げたわけで、これまた私が大好きな『グレート・ギャツビー』のギャツビーを思わせます。
 康夫は節子のすることに干渉しないという態度を貫いてきましたが、やはり気が気ではありません。そんな康夫に節子は、こうなったらもう二人でかけおちするしかないと言います。
 ここも実につからしい展開ですね。普通に考えれば……というかどう考えても訳がわかりません。でも、説明はつきます。
 節子はこれまでのんべんだらりと楽な方へ楽な方へと流れる生き方をしてきました。だから彼女の人生には何ら劇的な要素はありません。そこへ突然、萩原という大きな情熱を持った男、この上なく劇的な人物が闖入してきた。節子だって心が動いたはずです。
 そんな節子が康夫との生活を続けていこうと思ったら、萩原というこの上なく劇的な要素に匹敵するだけの劇的な何かがなければならない。それがかけおちです。
 二人が夜行列車に乗って京都(かけおちと言えば行き先は京都でしょう!)へ行くシークエンスは素晴らしいのひとこと!
 二人が夜行に乗っていると、まず東京ヴォードヴィルショーの花王おさむが「歌う車掌」として登場。マイクを持って乗客たちと松村和子の「帰ってこいよ」を熱唱します。
 続いて節子と康夫が座っている座席の後ろから突然、小林克也演じるDJ男が現れ、二人に話しかけます。二人はかけおち中のいとはんと板前になり、大阪弁で話始めます。小林克也はDJ口調で1977年のヒット曲(ジョ��・レノンやポール・マッカートニーやオリヴィア・ニュートンジョン)の紹介をして、二人にマイクを渡して「歌いますか?」と尋ねます。「Sure !」とマイクを取り、二人が歌うのは……「昭和枯れすすき」(「貧しさに負けた/いいえ世間に負けた」というアレです)。
 痺れませんか。でもすごいのはここからです。
 節子は康夫とかけおちをしたものの萩原のことが忘れられません。大垣の駅で乗り換える際、節子は康夫に「牛乳買ってきて」と言います。「じゃあ買ってくるよ」と走り出した康夫を呼び止め、節子は指でピストルを作って「バン」と撃ちます。撃たれた康夫(といってももちろん本当に撃たれた訳ではないのですが)は胸を押さえてよろめきます。
 BGMに森山良子の「今日の日はさようなら」がかかり、それに合わせて節子も歌います。朝焼けのホームで二人のシルエットが映ります。
 すごくないですか。私は魅せられました。
 このシーンに何の意味があるのか私に問わないでください。もちろん節子の心象風景ですし、言おうと言えばなんとでも言えます。でも、これは言葉にすると野暮になるというやつですね(私は言葉を使った仕事をしていますし、言葉の力を信じています。だから、言葉にならないとか、言葉にすると野暮になるということは原則として言わないのですが、これは例外的なケースです)。
 康夫はやがてホームに仰向けに倒れてしまいますが、やがて何事もなかったかのように立ち上がり牛乳を買いに行きます。節子はその間に電話をかけます(当時はまだ携帯電話なんてありません。公衆電話です)。かけた先は……萩原のところです。
 節子は一言も喋りませんが、萩原は節子からの電話だとわかったのでしょう。近々バンクーバーに発つので一緒に来て欲しいと言います。節子は何も言わぬまま電話を切ります。
 二人は京都に到着、古風な旅館に逗留することにします。ここでもいろいろあって面白いのですが、それを書いているとあまりに長くなるので端折ります。
 圧巻はラスト近くの節子と康夫それぞれの長セリフです。私はこれほど素晴らしいセリフを聞いたことがありません。
 長くなりますがます節子のセリフを書き起こしします。
 うちは欲しい。愛は欲しい。無理な話だよね。私もいい加減な女だよ。  考えてみれば、あの萩原さんだっていい加減な人だよね。愛してます、愛してますって、口ばっかりでさ。何にも行動に移さないもんね。何にもしないもんね。  無骨も最初は魅力だったよ。映画館に入ってさ、ちょっと手が触っただけでさ、「失礼! 自分はそんな男ではありません」。「自分」だって? 自衛隊じゃないってんだよ。  レストランに入ってさ、「節子さん、フォークどれ使えばいいんですか?」、「それよ」、「節子さんって物知りなんだな」、みん��知ってるよ。  「節子さん、フォークの背中にご飯乗っけて食べなきゃいけませんか? 僕、お箸使っちゃいけませんか?」、みんな我慢して食ってんだよ。マナーは我慢よ!  「節子さん、お料理なさいますか?」、「ええ、一応は」、みれみれこの口、女の口からは嘘しか出ねえってことが、あいつにはわかんねえのかよ。情けなくて涙が出るよ。  「萩原さんって、背が高いのね」、そういった途端、背伸びしてやがんの。ばか、高すぎるって言ってんだよ。  考えてみれば最初からおかしかったよ。最初からおかしかったよ。  「その持ち物、それはあなたが高校3年の時、書道展の時にもってらしたものですね。そのかんざし、それはあなたが大学4年の時、卒業パーティーでつけていらしたものですね。」たまんないよ。私だって忘れてるんだもん。そんなこと言われたら、誰だって好きになっちゃうよ。誰だって胸締め付けられちゃうよ。  「あなたの思い出の一つ一つが僕の人生の生き甲斐でした。僕の命でした。「純潔」と大きくしたためたあれからあなたは変わっていませんね。」、目ん玉キラキラさせて言うんだもん。「あなたはあれから変わっていませんね。」、「はい!」、言うしかないじゃん。  10年だぜ、10年。女の10年は、おのれの100年じゃあ。  「僕は10年間あなたを思って生きてきました。好きな女ひとり自分のものにできないで、僕の人生は一体何だったんだ。」  何だったんだって、何だったんだよ。  「節子さん、僕はあなたを奪っていきます。僕はあなたを連れて逃げます。」、「萩原さん、私あなたについていきます。あなたとなら幸せになれそうです。こんな女でもいいのですか」、「節子さん、雨の日も風の日も雪の日も、二人でどこまでも歩いていきましょう」、「あ、雨が。雪が。あ、鼻緒が切れてしまったわ」、「さあ節子さん、僕の膝に捕まって」……
 すごくないですか。これを当時25歳(かな)の大竹しのぶが言うんですよ。私は心を鷲掴みにされましたし、今見ても(書き起こすために見直している今この時も)涙なしに見ることができません。
 セリフの中の「みれみれ」は「みろみろ」の言い間違えかなと思いますし、途中画像がぼやけるところもありますが、おそらくこのシーンは一発撮り直しなしで撮ったのではないか、少なくともセリフの正確さや画質より演技を優先したのではないかという気がします。
 「僕の膝に捕まって」と言ってふと節子が顔を上げると、そこには康夫がいます。康夫は節子の独り言を聞いていた訳です。
 以下、康夫の長台詞を書き起こします。
 寂しかったな。  寂しかったよな。  大丈夫だよ。萩原さん、来てくれるよ。萩原さん、いい人だもん。  いや、俺は平気だって。俺、SLあるしさ(康夫はSLを撮影するのが好きなのです)。俺だって10年間そうやってダラダラ生きてきたんだもん。俺は全然平気だよ。  (電話が鳴る。)  電話だよ。萩原さんからだよ。出てあげなよ。  (節子は電話をとります。萩原は「節子さん、明日です。成田発20時30分。一緒に行ってくれますね。一緒に行ってくれますね」と言いますが、節子はそのまま電話を切ります。)  なんだって?  (節子は「明日8時30分成田発だって」と答える。)  (間)  あなたの思い出の一つ一つが僕にとってのかけがえのないものでした。あなたのその思い出の一つ一つが僕の命でした。僕はあなたをきっと奪ってみせます。あなたのその瞳も、その口元も、その手も、全てを僕のものにしてみせます。好きな女ひとり自分のものにできないで、俺の人生は一体何だったんだ。俺のこの10年間は一体何だったんだ。  俺、こういうこと言えなかったもんな。こういうこと言ってあげることできなかったもんね。  だってさ、俺、めちゃくちゃな男だもん。ひどい男なんだよ。もうとんでもない性格してるんだよ。やなやつなんだよ俺。嫌われてばっか。  (電話をとりダイヤルを回す。)  どこに電話してると思う? お前のお母さんに電話してんだ。  (電話口で)ああ、お母さん、あの、あのね、前にあの話してくれたことあるでしょ。節子がさ、萩原さんと結婚したら僕にお嫁さんとってうち継がしてくれるって、あれほんとですよね、あれ。お母さん、ちょっと、返事してくださいよ。あれほんとですよね。  ははは……また切られちゃった。お母さんにまで嫌われちゃったよ。だってさ、俺、生まれてからさ、人に好かれたことなんてないんだぜ。俺、みんなから嫌われてたんだよ。  (電話が鳴る。萩原の運転手・松田(平田満)からの電話。松田は康夫が節子の恋人だと知って康夫を詰り電話を切ろうとする。)  松田さん! 松田さん、聞こえる? あのさ、萩原さん連れてさ、すぐこっち来てくれないかな。すぐ萩原さん連れてきてよ。それじゃないと節子死ぬよ。ほんと死ぬんだから。ちょっと待ってよ。(部屋のガス栓を開ける。)ほら、この音聞こえるでしょ。ガスが出てんだよ。シューシュシュシュって聞こえるでしょ? ガス出してんだよ。節子はさ、萩原さんのことが愛おしくて、萩原さん来てくれないと死ぬって言ってんだよ。  俺? 俺、関係ないって。俺、関係ない男だって。絶対来てよ。ほんと絶対だよ。絶対来てよ。  (電話を切る。)  来てくれるってすぐ。飛んできてくれるってさ。大丈夫だって。萩原さん、俺のこと全然知らないもん。全然気にしてないさ。  節子、お前幸せになれよ。絶対幸せになれよ。あのさ、萩原さんと一緒になったらさ、ほらドライブとか連れてってくれよな。一緒に遊んでくれよ。俺、だから、そういうのできるからさ。お前、ほら、料理とか作ったらさ、ごちそうしてくれよ。俺のためにさ。萩原さんと3人でさ。俺、そういうの全然平気だもん。  全くシューシューシューシュー音ばっかりでたよんないガスだな。大丈夫だよ。俺たち気合い入ってるから、このくらいのガスで死にやしないよ、全くよ。どんどんどんどん来いっていうんだ。全くよ、関西のガスは効かねえよ。  俺よ、ちょっと足りないものがあるから下行って借りてくるわ。
 康夫はそう言って部屋を出ます。
 見苦しいですね。みっともないですね。どうしてここまで卑屈にならなきゃならないんだと思う人もいるでしょう。
 でも……それが素晴らしい。本気になった人間、必死になった人間は見苦しくもみっともなく、そして美しいーー私が好きなパターンですが、それを感じさせてくれるセリフです。
 ドラマはまだ続きますが、ちょっと書き疲れました。  続きは次回にします。
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ayaka0715 · 8 months ago
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一昨日にもって終売した
#ガリペパ〔🧄黒胡椒〕チキン を食べて病みつきだった。
あと、#シャカシャカポテト 〔#マクドナルド と#KFC に合わせて〕は旨し。
https://vt.tiktok.com/ZSFDHQs8L/
因みにこれを見ればわかります。
ニュース
4月になると番組が変わっていきますが、若年層的に増えていくと思われます。
改編ポイント
⭐︎STARTO在籍タレント・旧創業者の事務所出身タレント〔TOBE,カレン,フリー等〕は民放で改編されているから確認した方が良いそうです。
フジ⭐︎
#heysayjump ※は土曜日の昼前〔今番組〕から木曜深夜に引越し〔新番組〕
〔あと、⚪︎×部は土曜日の夕方に引越し〕
※元メンバーである#森本龍太郎 氏は活休まで残りわずかとなりましたが、これから応援してあげます。
テレ朝⭐︎
#supereight は4月から新音楽番組タイトルでスタートします。
日テレ
水曜夜10時の番組
ドラマ枠は今月にもって終了し、来月からバラエティ枠となります。
#すみっコぐらし,#teamnacs 〔ファンタン〕と#玉置浩二 さん,NSC大阪校初期生達〔浜・雅・健・モ・リ〕はありがとうの日で7.5時間テレビ、k-popアイドル達のイベントはSTARTO社開設イベントと同じ日で。
#光る君へ、巨人90周年企画、来年放送50周年の#アタック25 、肥満の人のためのお薬は来月8日発売
and more....
今月は気をつけて https://ameblo.jp/kurushige/entry-12831208362.html
あと、詐欺もね。
https://dawaan.com/instagram-bo-fraud/
https://youtube.com/playlist?list=PLeXkmsAZiHBuQgYgcX_INTkdxaS0E-0M0&feature=shared
マンスリーベストナイン2024.3の発表日は西島秀俊さんの誕生日〔3/29〕の後〔3/30〕に決定させてまいります。
🐉2024.2.23,25から3/28の候補⇨🥇になったらマンスリーベストナインアワード2024の候補となります。
 
抜き打ちチェックはInstagramで廃止し、スレッズで専念していきます。
〔SNSのパトロールがある為〕
更新クリア条件
2023.11.3から2024.3の期間中まで
〔失格は〜2023.11.2〕
都合があれば変更する場合にもございます
インスタの調子が悪い〔#インスタ不具合 の〕時は
アップデート〔バージョン〕か再起動しましょう
出来なかったら
AndroidからiPhoneに変えましょう
 
また見たい方には👍
2度と見たくない方には👎
を押してください。
知らない人はフォローしないように。
皆様、ご視聴をいただきありがとうございます。
今月中で
Amebablog・Instagram・tiktok・youtubeを続きますのでどうぞお付き合いください。
まだ更新していない人はお早めにね。
 
〔〕ヒント有り
#佐々木蔵之介 💙🐎
#西島秀俊 🖤🍩
#阿部サダヲ 🧡⚾️
#堺雅人 ❤️🦌
#戸次重幸 💜🤖
#片岡愛之助 💖🍓
#kinkikids 💙🎸❤️✝️
もし、よかったらYouTube チャンネルを登録してね。
また見たい方には👍
2度と見たくない方には👎
を押してください。
知らない人はフォローしないように。
現在のInstagram は監督委員会 から違反されていますが、期限切れになると送れなくなるからご勘弁を。
あと、フォローバッグはストーカーの可能性があるから拒否させていただきます。〔フォローをする時は承認必要です。※無言禁止〕
これからも見守る。 扇動行為 破壊活動防止法 tictok instagram 謝罪 
危険なので死語扱い・文句を言ったり、
Instagram以外な写真は載せてしないでね。
インスタ不具合
#誹謗中傷  拘禁刑 ←#炎上 
#アカウント削除
#セックス依存症〔2022年度から18歳以上の新成人制度→���物画〕
 
現在
#SmileUP 〔4月からSTARTO社に設立〕の救援,ウクライナ、トルコ、パレスチナのガザ地区、石川県能登地方の#支援・医療期間 を行っております。
 
馬鹿なx、Instagram
あと、SNS詐欺・迷惑行為・犯罪行為は絶対しないで。
転売⚠️〔#ユニクロ・#カービィ〕等
皆様へのクリエイター達に感謝してあげています。
あと、threads はInstagramと一緒に連携を。
https://www.threads.net/@sinoeto
神藤彩佳🐼💙
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sakumakou · 10 months ago
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20240115
0115 きままなTV・メディア情報です
「日テレ土21時“伝説ドラマ枠”復活で2連続枠 有働アナMC音楽番組も開始 4月改編」(SPONICHI)
「ABC『おはよう朝日です』月曜コメンテーター福本大晴の出演取りやめ『重く受け止め』」(ニッカン)
「松竹が18億円の営業黒字に回復、映画など好調 3〜11月」(日経)
「ウェザーニューズ、被災地法人向けに気象情報を無償提供」(日経)
「冬ドラマ『絶対に面白い』5選 “日曜のもう1本”こそ必見のワケ」(女子SPA!)
「松本『ワイドナショー』出演消滅は『被害者側に立った鋭い質問」が難しい…弁護士が私見」(ニッカン)
「1/1裏番組は総崩れテレ朝『芸能人格付け』快進撃の理由 アナリストが分析」(産経/フジ)
「地震報道での絶叫に称賛、NHK山内泉アナの評価が急上昇」(新潮)
「能登半島地震:『来ないで』と言われる被災地で、各局のキャスターは何を語ったのか」(新潮)
「2024年のCESは『美』に焦点、57年続く見本市が持つ嗅覚と巻き込み力」(日経Xtech)https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00257/00038/
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nandenandenande · 1 year ago
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"『ユリイカ 2012年5月号特集=テレビドラマの脚本家たち』(青土社)で、岡田にインタビューした際に「正論と正論の戦いにしか興味がないんですよ」と語っていたのを、今も覚えている。
 翔子と兄のやりとりは、まさに正論と正論のぶつかり合いだったと言える。ここで言う正論は、どんな人間にも、善悪だけでは測ることのできない、その人なりの言い分があると言うことだ。"
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yanarchy072 · 3 years ago
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・ ・ 『アバランチ』が骨太でいい! ・ 令和のハングマンな感じ。 つーか藤井監督が今凄い! ・ #月曜夜10時枠の連続ドラマ #火曜夜9時枠の連続ドラマが移動 #月9から連続でドラマ ・ #アバランチ #AVALANCHE #藤井道人 #MichihitoFujii ・ #綾野剛 #GoAyano #福士蒼汰 #高橋メアリージュン #田中要次 #木村佳乃 #千葉雄大 #渡部篤郎 #利重剛 #堀田茜 ・ #UVERworld ・ #カンテレ #フジテレビ #テレビドラマ #TVseries ・ #映画 #movie #ビバムビ #instamovie #moviestagram #instagood #instapic (Tokyo Japan) https://www.instagram.com/p/CVNYKyvlfXN/?utm_medium=tumblr
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kei139-line · 2 years ago
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「#比嘉愛未 まとめ」<比嘉愛未>おいしそうな料理が続々「深夜におなかがぐーぐー ...・深田恭子の代役がなぜ比嘉愛未だったのか 『推しの王子様』の主役
「#比嘉愛未 まとめ」<比嘉愛未>おいしそうな料理が続々「深夜におなかがぐーぐー …・深田恭子の代役がなぜ比嘉愛未だったのか 『推しの王子様』の主役
「比嘉愛未」に関する情報をまとめています。お探しの「比嘉愛未」は、見つかりましたか? 比嘉愛未写真集 『本心』 単行本 – 2022/2/24 や 比嘉 愛未: Kindleストア – Amazon.co.jp などもあるんですね。少しはお役に立ちましたでしょうか? 比嘉愛未 第 1 位 <比嘉愛未>おいしそうな料理が続々「深夜におなかがぐーぐー … <比嘉愛未>おいしそうな料理が続々「深夜におなかがぐーぐー …:Google 2022/10/24 … 女優の比嘉愛未さんが、11月29日からNHKの帯ドラマ枠「夜ドラ」(総合、月~木曜午後10時45分)で放送される連続ドラマ「作りたい女と食べたい女」で … 妹・比嘉愛未、兄・三浦貴大にクレーム 撮影の思い出も 映画「大綱 …:Youtube 2021/03/29 ……
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honeeey · 3 years ago
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1、"人"が語る、もっとも強い"馬" 武 豊(たけ ゆたか)という騎手が居る。 別業界である羽生善治やイチローと並べられるほどの"天才"と称され、 日本競走馬界で数少ない有名な"人間"であり、数々の歴代最多記録を残している。 そんな偉人がウマ娘プロモーターになって、あんなCMに出るなんて2000m芝不可避なわけだが、話がそれるのでここまでにしよう。 武豊は2018年現在も現役であり、数々の名馬と共にレースを制している。 親子三代で天皇賞制覇し「絶対の強さで人を退屈させた」と言わしめた"メジロマックイーン" 怪物達と共に第二次競馬ブーム期を盛り上げた平成三強の一頭、"スーパークリーク" 武豊としては二度しか乗らなかったものの、騎手としては伝説的ラストランを走り切らせ、 「神は居る」と思わせた、アイドルホースである芦毛の怪物"オグリキャップ" そんな武豊が騎乗した馬達の中でも、一際異様な強さを見せた馬が居る。 "ディープインパクト" 無敗のまま「皐月賞」「東京優駿(日本ダービー)」「菊花賞」を制して三冠馬となり、 「一着至上主義」「奇跡に最も近い馬」と形容されるほど勝ち続け、恐ろしい戦績を残した名馬である。 以下の画像はそのディープインパクトが残した成績である。 世間はこの馬に注目し、社会現象だと言われるまで取材は相次いだ。 馬は喋れないので当然メディアは武豊にマイクを向ける。 様々なインタビューをされていく中、こんな質問が武豊に飛び込んだ。 「もし武豊さんが『武豊&ディープインパクト』と対戦できるとしたら、これまで数多く乗ってきた優駿の中で、打倒ディープとしてどの騎乗馬を選びますか?」 その質問に武豊は一頭の馬の名をあげた。 その馬の名はサイレンススズカ。 日本競馬史上、もっとも人々に夢を見せた馬である。 2、上村洋行とサイレンススズカ サイレンススズカは最初、武豊ではなく上村洋行という騎手が乗っていた。 上村騎手を乗せたサイレンススズカのデビュー戦は堂々の1着でゴール。 だが次の弥生賞ではレース開始前、柔軟な馬体でゲートをくぐってしまう。 ※ゲートをくぐっちゃうサイレンススズカ サイレンススズカは係員に押さえつけられ、なんとか再びゲートに入る。すると今度はスタートで酷い出遅れをしてしまう。 それでも��異的な脚力で8着にはなったが、当時の関係者達はこれらの気性面をなんとかしたかった。 「走りたいという気持ちが先走り過ぎる」 「スイッチが入ると暴走するぐらい走りたがる」 サイレンススズカは確かに速い。 だがその身に任せたままだとレース終盤スタミナが尽きて、勝つことが難しい。 次のレースで上村はサイレンススズカを必死に抑えつけて走らせようとしたが、我慢しきれないサイレンススズカは先頭を走り続け逃げ切り1着。 東京優駿(日本ダービー)を勝たせたかった関係者たちは不安だった。 2000mならいいだろう。だが勝ちたいレースの距離は2400mなのだ。 ※Sがスタート地点。Gがゴール地点。 ペース配分ができなければ、速さをコントロールしなければ、絶対に勝てない。 もはや上村は「マイル路線(1600m)で行ったほうがいいのでは」とも考えていたという。 しかし次の2200mでなんとサイレンススズカは1着。しかも騎手の上村が上手くサイレンススズカを抑えて、理想的な作戦勝ちだった。 「ダービーもいくらか抑えれば、勝てるだろう」 だが日本ダービーで、サイレンススズカは勝てなかった。なんと9着。 「もう小細工はやめて、逃げて競馬させよう」 関係者達は方針を転換する。 続く神戸新聞杯でサイレンススズカはレースを先行で走った。 走り続け、断然トップ。これは勝ったと見る者は思った。 サイレンススズカはペースを変えず先頭を走る。あとは、ただ走るだけ。 しかし後方からマチカネフクキタルがグングンとスピードをあげ追い抜こうとしていた。 上村騎手が気づいたころには、サイレンススズカは2着になっていた。 振り返れば、八百長さえ疑われてもおかしくないほどの、酷い抜かれ方であった。 この結果を受け、上村騎手は降板させられてしまう。 上村氏は後悔した。自らの失態を泣き、悔しがった。 そしてサイレンススズカの行く末を心配した。 「恋人以上のものが離れて行ってしまった感覚でした」と本人のインタビューも残っている。 「将来を見据えて、なるべく楽に勝たせてあげたかった」「苦しまずに走らせたかった」「勝ちをちゃんと見据えられてなかった」 当時を振り返ったブログ記事では 「出来ればここを何とか楽に勝たせてあげて、 天皇賞に向けて少しでも身体や精神面にダメージを残さない様にしてあげたい。 そしてより万全の状態で天皇賞に向かわせてあげたい」とも残している。 サイレンススズカに鞍上した上村氏は、誰よりもサイレンススズカを愛し、守りたがったがゆえに、本番レースで勝ち切る「勝負師」になりきれなかった。 競馬は勝負の世界。馬は勝たなければいけない。負けて許される馬など、皆認めなかった。 生涯成績113戦0勝のハルウララがメディアに持ち上げられ、大衆から愛された時も、競馬関係者達の声はあまり暖かくなかった。 武豊もその一人だ。 「強い馬が、強い勝ち方をすること��、競馬の真の面白さがある」 そんな勝つことに拘る騎手、武豊がサイレンススズカと出会うことになる。 3、大逃げの始まり 「サイレンススズカに乗りたい」 そう申し出たのは、なんと武豊からだった。 乗る馬の依頼が来るのを待つのが本来騎手側の立場なのだが、 その慣習を崩した直談判である。 そして香港国際カップでサイレンススズカと武豊騎手は初めてコンビを組む。 ちぐはぐな日程や、馬房内で左回りに旋回する癖を矯正しようとした結果ストレスをため込んでしまうなど悪条件が重なり、レース終盤に他馬に捲られて結果は5着。 「最初から全力で走り過ぎちゃうというか、サラブレッドの本質の塊のような馬だった」 そんな評価をサイレンススズカに下した武豊は大胆な騎乗を思いつく。 「抑えようと思ってもきかない。だったら、前半から好きなように走らせた方がいいと思った。この馬は走っているときがいちばん楽しそうでしたからね。それでも持つんじゃないかな、と」  いかに逃げて力を配分するか。 大逃げという戦法は古くからあるにはあるものの、「勝つための戦術」としては博打感が拭えないシロモノである。 大逃げでの名馬と言えば、どれも個性的で、数は多くない。 破滅的大逃げを幾度となく繰り返し、最後の直線でスタミナを尽かし大失速して馬群へと沈んでいき最下位。そんな滑稽な姿を何度も魅せ、競馬ファン達を楽しませた"ツインターボ" あまりのハイペースでトウカイテイオーらのレース展開を乱し下位に追いやった、大逃げコンビとして有名な"メジロパーマー"と"ダイタクヘリオス" 世界レコードを叩き出したこともある"セイウンスカイ"なども居るに居るが、現在でも常用される戦術とは言い難い。 次走のバレンタインステークスでサイレンススズカはその「大逃げ」をする。 レース序盤の第三コーナー前でサイレンススズカはここまで逃げ離した。 ※左の赤丸にサイレンススズカ。右の赤丸が他の馬達である。 大逃げは最初からハイペースで走るので、最後の直線ではスタミナがあまり残らない。 なので後方馬との差は縮まっていく……はずなのだが、 サイレンススズカは加速する。加速し続け、後方の馬をさらに逃げ離す。 「逃げて差す」 次のレースも大逃げで勝ち、そしてその次のレースも大逃げで勝ち…… 1998年金鯱賞。またもやサイレンススズカ1着。2着との差なんと11馬身。 平地の重賞競走では6例目の大差勝ちであり、これ以降10馬身以上離れての重賞大差勝ちレースは現れていない。 レース後、アメリカから「サイレンススズカを売ってくれ!」とオファーが本当に来てしまうぐらいの圧勝だった。 「あんな体験、普通はできない。(後ろからくる)足音をまったく聞かないままゴールしちゃったんですから!」と武豊は当時の金鯱賞���振り返る。 この金鯱賞のレースは印象に残るどころか、サイレンススズカが伝説と呼ばれるゆえんのレースとなり、そしてその始まりだった。 次の出るのはG1宝塚記念。しかしここで問題が発生した。 サイレンススズカが宝塚記念に出走するのは急遽決まったことであり、 武豊は同レースに出走するエアグルーヴに乗ることを先に決めていたため、鞍上がいなかったのだ。 そこでなんとか南井克巳氏が乗ることが決定し、武豊とサイレンススズカが敵として戦うことになる。 宝塚記念は芝2200m。 南井騎手は少し抑え気味で慎重に前へと走らせる。最後の直線でもギリギリまで引き付けてから鞭を入れ、そのまま加速しサイレンススズカ1着。 武豊鞍上のエアグルーヴは3着だった。 大差ではないものの、サイレンススズカにとって念願のG1レース初制覇でもあった。 4、最速の証明 毎日王冠はG2レースであり、G1より格が下である。 このレースを勝てば、サイレンススズカがもっとも得意なG1レース条件である「芝2000mの左回り」天皇賞(秋)の出場権を得られる。 しかし当初は調教不足などを理由に、サイレンススズカは毎日王冠への出走を見合わせる検討がされていた。 だがこのレースに二頭の馬が、出走を高々に宣言する。 その馬の名は"グラスワンダー" 「怪物」と騒がれ「JRA史上最強の2歳馬」と評された馬が、故障後の復帰戦にこのレースに出走を表明。 そして"エルコンドルパサー" 年度代表馬を得るために、ジャパンカップで勝つために前哨戦としてこのレースを選択。 両馬共に未だに無敗の外国産馬である。 サイレンススズカ陣営も「これで出走を回避したら『あの二頭に負けるのがわかって尻尾を巻いて逃げた』と言われてしまう」と懸念し始め、この対決を受けることを決めた。 競馬ファン達はこの三強馬による夢の決戦を見逃すわけにはいかなかった。 そして当時のルールでは天皇賞(秋)で外国産馬は出走できない。毎日王冠はこの三強馬が勝負できる数少ない機会なのだ。 こうしてG2という格が下のレースにもかかわらず会場には13万人の大観衆が詰めかけた。 レースが始まり、サイレンススズカは逃げ始める。 グラスワンダーはサイレンススズカの隙を付こうと策を弄し、エルコンドルパサーはそのまま真っ向勝負で立ち向かった。 しかし、サイレンススズカは最後の直線で、いつもの通りに再び加速。 差は縮まらない。二馬身差叶わず、サイレンススズカは1着。 不敗神話を一度のレースで二頭まとめて切ったのである。 「影さえも踏めなかった」 エルコンドルパサーに鞍上した蛯名騎手はそうコメントを残している。 サイレンススズカは6連勝。名実ともに当時の最強馬となった。 サイレンススズカ陣営は「天皇賞(秋)を制したらジャパンカップに挑戦し、そのあとはアメリカへ遠征しよう」とウキウキを隠せなかった。 5、天皇賞(秋)の前評判 サイレンススズ���が狙うG1レース、天皇賞(秋) 対抗できるのは前年この天皇賞を制したエアグルーヴぐらいだろうと考えられていたが、 鞍上の関係も考えられ、エアグルーヴは別レースを狙い天皇賞を回避することになる。 (※サイコミ掲載の漫画「��TARTING GATE! -ウマ娘プリティーダービー 【第15レース-②】特別な1日 ♯01」において、エアグルーヴが「サイレンススズカとは宝塚記念や天皇賞で戦いたい」と言っていたのは、これに由来する) そしてサイレンススズカがもっとも有利なレースにもはや挑む気力がある馬も無く、多くの陣営が競走を回避。 するともはやサイレンススズカに対抗できる馬はいなかった。 宝塚記念でサイレンススズカに11着で負けたもののそれ以外は戦績の良いメジロブライトが二番人気。 同じく宝塚記念で6着で去年の有馬記念を制覇したシルクジャスティスが三番人気。 またまた宝塚記念の出走馬であり、もっともサイレンススズカに近かった2着ではあったが、最後の1着レースがG3でもない「阿寒湖特別」というステイゴールドが四番人気という有様であった。サイレンススズカはもちろん一番人気。オッズは1.2である。 その馬体や体調面は武豊騎手、担当厩務員ともに口をそろえて「一番具合が良い」と言い、 もはやサイレンススズカが負ける要素を探すのは不可能だった。 誰もがサイレンススズカが勝つことを疑わなかった。 だがひとつ、たったひとつだけ不安要素があった。 天皇賞(秋)には都市伝説が、ジンクスが存在したのだ。 1987年にニッポーテイオーが1番人気で勝った後、 天皇賞(秋)にて1番人気の馬は、一度として勝てなかったのである。 3度も1番人気に支持されながら一度も勝てなかった"オグリキャップ" 1着でゴールしたと思いきや進路妨害により18着へと降着し、天国から地獄へ突き落された"メジロマックイーン" 大逃げコンビのメジロパーマーとダイタクヘリオスにレースペースを乱された"トウカイテイオー" 春にメジロマックイーンの三連覇を阻止したものの、スランプに陥りそのまま敗れた"ライスシャワー" パドックで違和感を感じながらもレースに入りし、5着。レース後ケガが発覚し、競走馬を引退した"ビワハヤヒデ" 故障の復帰から立ち直れずにレースに挑み、覇気なく敗れた三冠馬の"ナリタブライアン" スタートを出遅れ、その後の展開もミスしてしまい、鞍上も「最高に下手に乗った」と後悔した"サクラローレル" そのサクラロールを倒して連覇を狙おうとしたが、大逃げ馬(サイレンススズカ)を早めに捕まえようとしてしまい、最後はエアグルーヴにクビ差で競り負けた"バブルガムフェロー" 府中には、魔物が住んでいる。そう言われても仕方がなかった。 1998年。 第118回天皇賞 11月1日1枠1番で、1番人気はサイレンススズカだった。 6、"沈黙の日曜日"~Sunday Silence~ レース開始。サイレンススズカは抜群のスタートで快調に飛ばし、いつもの大逃げ。 サイレントハンターも大逃げ戦法を取るが、サイレンススズカとの差は10馬身差。 最後方ローゼンカバリーとは6秒のタイム差が離れ、 全ての馬を映さなければならない中継カメラはめいっぱいズームア��トし、馬が小さすぎて見えないほどになった。 ※左の赤丸がサイレンススズカ。右の赤丸が最後方の馬。 「息が入り始めて、いいぞ、いいぞ、と。本当にいい感じだった」 と武豊はレースを振り返る。 大欅を通り過ぎ、サイレンススズカは一度ペースダウンする。 ここで一息入れて、再加速しぶっちぎる気だろう。いつものサイレンススズカだ。 しかし、そのまま失速する。 サイレンススズカは左前足を宙に浮かせ、三本脚で立ち止まっていた。 どよめく会場、そして叫ぶ実況。 「サイレンススズカ!! サイレンススズカに故障発生です!!!」 歩く馬足で、コースの大外によれるサイレンススズカ。 それを抜くサイレントハンター、オフサイドトラップ、ステイゴールド、残りの馬たち…… 「なんということだ!4コーナーを迎えることなく、レースを終えた武豊!! 沈黙の日曜日!!」 そのまま泣き叫ぶ会場の歓声を聞きながら、レースを続ける馬達。 サイレンススズカは故障しながらも、鞍上武豊を落馬させず、馬群を避け安全な場所に運んでいった。 この事を武豊は「サイレンススズカが僕を助けてくれた」と語った。 ケガの内容は結果は左前脚の手根骨粉砕骨折。 直ちに予後不良の診断が出され、安楽死処分が下された。 1998年 11月1日 サイレンススズカ 永眠 結局この天皇賞(秋)はステイゴールドとオフサイドトラップが競り合いながら、決着がつく。 1着はオフサイドトラップ。史上初の7歳での天皇賞優勝。 「不治の病」と言われている屈腱炎を3度克服した高齢馬が念願であるG1レースを制覇し、ひとつのドラマを作った。 だがその偉業は、残念ながら無下に扱われてしまう。 1998年の天皇賞(秋)は、サイレンススズカが、最速の馬が止まってしまった悲劇のレースとして刻まれた。 粉砕骨折の詳しい原因は不明である。 武豊は「原因は分からないのではなく、無いんだ」とレース後マスコミに答えた。 レース後の武豊の落ち込みは相当なものだった。 同レースに出ていたテイエムオオアラシの鞍上である福永騎手は 「あんなに落ち込んだ豊さんを今まで見たことがなかった」と証言している。 その夜、武豊は知り合いとワインを飲み明かした。 「泥酔したの、あんときが生まれて初めてだったんじゃないかな。 夢であって欲しいな、って」 サイレンススズカの死、それは夢を見た競馬ファン達にとって、最大のトラウマになった。 サイレンススズカはまさに夢のように走る馬だった。 1600mのスピードで2000mを制せる、最速の中距離馬だった。 競馬に絶対はない。だからファンは"たられば"を夢想する。 もし、サイレンススズカがケガをしていなかったら、どうなっていただろうか。 ジャパンカップの2400mも軽々と走っただろうか。海外に遠征しても、並み居る強敵達を圧倒しただろうか。 種牡馬になったら、どんな子供が生まれただろうか。 そんな夢想をしてしまうのは競馬ファンだけではなかった。 武豊である。 自ら鞍上を名乗り出て、サイレンススズカの未来に期待し、夢を叶えようとした武豊は、 あろうことかその夢が崩れ落ちる瞬間の馬に、跨っていた。 ジョッキーにとって、一番嫌な���最悪の瞬間。 その瞬間のサイレンススズカに武豊は乗っていたのだ。 2007年になるまで武豊はサイレンススズカに深く言及することはなく、 2013年のインタビューでも、事故の話になると途端に拒絶し、笑顔を引っ込めた。 サイレンススズカの事故、その絶望の感触は、武豊の心の中へと確かに刻まれている。 ウマ娘 プリティーダービー第1Rにて終盤、トレーナーは問いかける。 「日本一のウマ娘とは何か?」 それはG1で勝つことだろうか。 日本競馬界の象徴であり最大級の目標である東京優駿、日本ダービーで勝つことだろうか。 ファン投票で出場馬が決まり、1年を締めくくる大レース。数々の名勝負が繰り広げられた有馬記念で勝つことだろうか。 この問いに擬人化されたサイレンススズカはこう答えた。 「夢……見ている人に夢を与えられるような、そんなウマ娘」 このセリフを聞いてしまった競馬ファン達の心境は如何ほどのものだったろうか。 サイレンススズカ。 日本競馬史上、もっとも人々に夢を見せてしまった馬である。 7、それでも馬達は走り続ける。 サイレンススズカと戦い敗れたエルコンドルパサーは1998年のジャパンカップを制し、海外への遠征を決めた。 「国内に敵はいない」とのコメントは事実その通りであった。 そしてその海外遠征でエルコンドルパサーは大活躍する。 ヨーロッパ最大の競走の一つ、凱旋門賞では惜しくも2着だったが、現地メディアからは「チャンピオンは二頭居た」とその健闘を称えられるほどだった。 2018年現在、国際的に競走馬のレーティング指数を決める「インターナショナル・クラシフィケーション(旧称)」や競走馬の能力を数値化する「タイムフォーム・レーティング」など、どちらもエルコンドルパサーは日本調教馬として史上最高の数値を保持している。 引退後に現れたディープインパクト等の名馬達、それらを差し置いての高評価を未だにエルコンドルパサーは維持したままなのだ。 そのエルコンドルパサーを相手に、国内レースにて唯一勝ち星をあげていたサイレンススズカの評価も未だに止まることがない。 翌年、1999年の天皇賞(秋)レース。これを武豊は再び走り見事1着でゴールインを果たす。 しかもレース記録を塗り替えるレコード勝ちだった。 去年のリベンジを果たした武豊はレース後、 「ゴールの瞬間、まるでサイレンススズカが後押しをしてくれたようでした」と語っている。 サイレンススズカが後押し、天皇賞(秋)をレコード記録で1着を取った馬、 その馬の名はスペシャルウィーク アニメ「ウマ娘 プリティーダービー」の主人公である。 さらなる余談ではあるが、天皇賞(秋)にかかった一番人気のジンクス、呪いは 2000年にテイエムオペラオーが払拭する。 その後に登場する名馬達も、天皇賞(秋)において1番人気で1着を取れるようになっていった。 名馬達を襲った忌まわしき呪いは完全に掻き消え、今は日本競馬史の一つとして、ただ記されているのみである。
https://ch.nicovideo.jp/yumemura/blomaga/ar996682
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open6-idol-master · 6 years ago
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人気アイドルグループ・欅坂46の今泉佑唯が、テレビ東京と映像配信サービス「Netflix」がタッグを組んだ連続ドラマ『恋のツキ』で、単独ドラマ初出演を果たすことがわかった。
今泉佑唯(いまいずみゆい)画像 No.1
同ドラマは、“女の浮気心”を生々しく描いた新田章氏の同名漫画(講談社『モーニング・ツー』連載中)が原作。女優の徳永えり(30)演じる主人公の平ワコが、アルバイト先の映画館で16歳年下の高校生・伊古ユメアキ(神尾楓珠)と出会ったことをきっかけに、同棲を始めて3年目の彼氏��青井ふうた(渡辺大知)との結婚か、伊古との焦がれるような恋愛かで揺れ動く、アラサー女子のリアルな日常、潜在的に抱える危険な欲望を露わにしていく。
今泉佑唯(いまいずみゆい)画像 No.2
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今泉が演じるのは、伊古に恋するクラスメイトのサカキサトコ。ピアノが得意で、伊古の映画制作の手伝いをしている。出演にあたり今泉は「最初、お話をいただいた時はすごくびっくりして。信じられない気持ちでいっぱいでしたが、演じさせていただくサカキが自分と被る所がたくさんあってうれしかったです。本当は好きなのに強がる女の子を演じさせていただくのでそこを見ていただけたらと思います」と見どころを語っている。
主人公が4年前に付き合っていた元カレでバツイチの土屋情役で安藤政信の出演も発表。今作がテレビ東京のドラマ初出演となる。安藤は「今、勢いのあるテレビ東京深夜枠のドラマに参加できることをすごく幸せに思います。脚本を読んだ時すごく際どい10代との恋だったり、世間では絶対許さないようなシチュエーションをどうゆう風に演出していくのか挑戦的な作品だと思いました。僕は、テレビ東京では初めましてなのでまずは芝居を見てくれたらうれしいです」と、コメントを寄せている。
ワコ、ふう、伊古のトライアングル恋愛模様に、土屋、サカキも加わり、一体どうような展開が待ち受けているのか。怒とうの後半戦となりそうだ。
  ■放送情報 テレビ東京:7月26日スタート、毎週木曜 深1:00~1:30 BSジャパン:7月31日スタート、毎週火曜 深0:00~0:30 Netflix配信:11月30日全話一挙配信予定
  今泉佑唯(いまいずみゆい)プロフィール
愛称:ずーみん、ずみこ
生年月日:1998年9月30日
年齢:19歳
出身地:神奈川県
血液型:O型
身長:153cm
スリーサイズ:B91cm W60cm H89cm
カップサイズ:F カップ
デビュー:2015年
ジャンル:ファッション
モデル内容:一般
所属グループ:欅坂46
他の活動:ar
所属事務所:ソニー・ミュージックレーベルズ
好きな食べ物:魚肉ソーセージ、焼肉
好きなアニメ:『クレヨンしんちゃん』
好きな歌手:西野カナ
【現在画像20枚】今泉佑唯画像、2018年いまいずみゆい画像最新情報!欅坂46今泉佑唯、単独ドラマ初出演決定! 人気アイドルグループ・欅坂46の今泉佑唯が、テレビ東京と映像配信サービス「Netflix」がタッグを組んだ連続ドラマ『恋のツキ』で、単独ドラマ初出演を果たすことがわかった。 同ドラマは、“女の浮気心”を生々しく描いた新田章氏の同名漫画(講談社『モーニング・ツー』連載中)が原作。女優の徳永えり(30)演じる主人公の平ワコが、アルバイト先の映画館で16歳年下の高校生・伊古ユメアキ(神尾楓珠)と出会ったことをきっかけに、同棲を始めて3年目の彼氏・青井ふうた(渡辺大知)との結婚か、伊古との焦がれるような恋愛かで揺れ動く、アラサー女子のリアルな日常、潜在的に抱える危険な欲望を露わにしていく。 今泉が演じるのは、伊古に恋するクラスメイトのサカキサトコ。ピアノが得意で、伊古の映画制作の手伝いをしている。出演にあたり今泉は「最初、お話をいただいた時はすごくびっくりして。信じられない気持ちでいっぱいでしたが、演じさせていただくサカキが自分と被る所がたくさんあってうれしかったです。本当は好きなのに強がる女の子を演じさせていただくのでそこを見ていただけたらと思います」と見どころを語っている。 主人公が4年前に付き合っていた元カレでバツイチの土屋情役で安藤政信の出演も発表。今作がテレビ東京のドラマ初出演となる。安藤は「今、勢いのあるテレビ東京深夜枠のドラマに参加できることをすごく幸せに思います。脚本を読んだ時すごく際どい10代との恋だったり、世間では絶対許さないようなシチュエーションをどうゆう風に演出していくのか挑戦的な作品だと思いました。僕は、テレビ東京では初めましてなのでまずは芝居を見てくれたらうれしいです」と、コメントを寄せている。 ワコ、ふう、伊古のトライアングル恋愛模様に、土屋、サカキも加わり、一体どうような展開が待ち受けているのか。怒とうの後半戦となりそうだ。 ■放送情報 テレビ東京:7月26日スタート、毎週木曜 深1:00~1:30 BSジャパン:7月31日スタート、毎週火曜 深0:00~0:30 Netflix配信:11月30日全話一挙配信予定 今泉佑唯(いまいずみゆい)プロフィール 愛称:ずーみん、ずみこ 生年月日:1998年9月30日 年齢:19歳 出身地:神奈川県
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eternitycomenevermore · 3 years ago
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『G線上のあなたと私』は幸せな漫画
――まずはドラマ化おめでとうございます。すでに撮影現場はご覧になりましたか。
 撮影見学にはまだ行けてませんが、プロデューサーの佐藤敦司さんからメールでお話を伺っています。前の『あなたのことはそれほど』と同じ方でスタッフさんもほぼ同じなので心強いです。
 主人公の也映子を演じる波瑠さんには前回と真逆の、普通でちょっとおとぼけの女性を演じてもらうことになり、とても楽しみにしています。脚本も読ませてもらいましたが、キャラにより深みが出ていてとても面白いです。
――これまで『潔く柔く』『プリンシパル』の映画化や『あなたのことはそれほど』のドラマ化などを経験されていますが、作品が実写化されるのはどんな感覚ですか。
 実は未だに実感がないです。どんなに良く出来ていてもやはり別物だと思います。原作として使っていただくのは嬉しいし楽しいです。
――今回のドラマ化にあたって、何かいくえみさんからお願いしたことはありますか。
 波瑠さんにぜひ眼鏡を、と(笑)。
ドラマ『G線上のあなたと私』(c)TBS 
ドラマ『G線上のあなたと私』(c)TBS 
――眼鏡とバイオリンははずせないですよね。『G線上のあなたと私』は担当編集者からの「バイオリンの話を描きましょう!」という依頼がきっかけで描かれたそうですが、ご自身もバイオリンを習っていらっしゃるとか。もともとクラシック音楽が好きだったんですか。やはりバッハの『G線上のアリア』が憧れの曲でしたか。
 かなりずっと憧れの楽器だったんですが一歩踏み込めず、そうこうしてるうちに姉が全部決めてくれてハーイやりまーすと姉と共に始まったのでした。昔ピアノを習ってましたがそんなのは関係ない感じでバイオリンはめっちゃ難しいです。
 クラシックは20代初めくらいの頃から好きで、弾きたい曲は色々あるんですが、本当の弾きたい曲は難しすぎるので死ぬまでに弾けるかどうかわかりません……そして内緒です。
――『G線上のあなたと私』では、年齢も雰囲気もまったく違う三人の友情にぐっときます。也映子、理人、幸恵のキャラクターはどのようにできましたか。
 とりあえず男の子は出さないと、と思って、主人公はお気楽な感じにしたかったのでそれの対比として暗い奴にしました。40代の主婦は、実際のバイオリン教室はあれくらいの方が多いので(当時の自分も含む)いるよね、と思って出したら意外にいい働きをしてくれました。
『G線上のあなたと私』
会話のテンポが完璧! 笑わずにはいられない三人のバイオリン練習風景。(c)いくえみ綾/集英社
『G線上のあなたと私』 会話のテンポが完璧! 笑わずにはいられない三人のバイオリン練習風景。(c)いくえみ綾/集英社
――いくえみさんの作品に登場する男の子たちは「いくえみ男子」と呼ばれて大人気ですよね。毎回違う、色んな種類のかっこよさを表現されているように感じるのですが、理人を描く時に心がけたことはありますか。
 ぐちぐち暗い奴にしようと思ってました。顔が途中で描けなくなって、最初の顔を最後まで取り戻せなかったです……。
――暗いイケメンなんだけど時々かわいいというのが新鮮でした。漫画では也映子のギャグ顔も楽しいです。也映子の印象的なシーンは?
 ひどいふられ方をした男に思いがけず誘われて、だったら腹減ってるから回転寿司行こう、とむしゃむしゃ食べれるのがこの人のキャラを一番表してるかなと思います。
――同時期に連載されていたW不倫を描く『あなたのことはそれほど』とは違って、『G線上のあなたと私』は少女漫画っぽいテイストがより強いですね。
 全てを軽く描こうと思ってました。なので主人公のキャラをあんな感じに……。軽さだけで中身のない話にはならないようにとは気をつけてましたが、ネームの時にも何のストレスも感じない、幸せな漫画でしたね。
――いくえみさんの漫画といえば北海道。『G線上のあなたと私』の舞台も札幌かなと思うのですが、漫画に出てくる中でおすすめの場所があれば教えてください。
 最後の方で也映子と理人が座って話してるのは札幌駅から大通りまで続く地下歩行空間、通称チカホです。札幌市民はこれにより、真冬の寒い時でも楽々と駅からススキノまで歩けるようになったのです。なぜもっと早くできなかったのかと……(2011年完成)。
多くの仕事をこなす秘訣は「忘れること」
――中学2年生の時にデビューされて今年で漫画家40周年。おめでとうございます。仕事を長く続ける上で大切にされていることはありますか。アドバイスをいただけたら嬉しいです。
 漫画以外で働いたことがないので、仕事をしている方々についてアドバイスなどはとんでもないです。逆にこっちが勉強させてもらいたいくらいで(笑)。生まれ変わったらOLさんになって社内恋愛して結婚して子供3人産む、とかよく言ってるんですが、ずっと漫画を描くことが普通��ったのでいつの間にか40年経った、という感覚です。続けるために、と考えたことはないのでわかりませんが、あえて言うなら���なんにも目標を持たずになんの気負いもなくやってきた、ってことでしょうか。なんかお間抜けですみません。
――デビュー40周年スペシャルアニバーサリーブック『Smile!』、濃厚な一冊ですね。くらもちふさこさんの自伝『くらもち花伝』と同じ制作チームとうかがいましたが、作品のセルフコメンタリーや、綿矢りささん・河原和音さん・堀内三佳さんらの寄稿、松田奈緒子さんとの対談など読みごたえがありました。先生と生徒の恋を描いた90年代の名作『I LOVE HER』の“セルフカバー”漫画も!
 本当に素晴らしい本を作っていただいて、何度も札幌に通っていただいた編集さんやライターさん、ご寄稿いただいた作家さんたち、感謝でいっぱいでございます。
 久しぶりに描いた『I LOVE HER』は着ている服がダサくて困りました。急に今風にするわけにいかないですしね……。セルフコメンタリーが後半疲れてかなりヨレた受け答えだったんですがライターの花田身知子さんのおかげでちゃんとした人に仕上がっているところがポイントです!
――奥田民生さんの気配をまとっていた新堂先生が今描かれるとこうなる、というのがおもしろかったです。寄稿の中で、くらもちふさこさんがある時期からいくえみ男子のイメージソースとなる方々の気配がわからなくなった、いくえみ男子が完成した証し?と描かれていて膝を打ったのですが、描き方を変えたりされたのでしょうか。最近気になる男子はいますか。
 くらもち先生が描かれていた、気配が感じ取れなくなった、というのは多分誰かをイメージして描くことが少なくなったからだと思います。明らかに好きな人を色々描いて来ましたが、そんなに好きな人も多くはないので普通にキャラを創ってます。
 気になっている男子は……いるようないないような……てことで。
――セルフコメンタリーではターニングポイントになった作品として『バラ色の明日』を挙げていらっしゃいますね。ラブストーリーで圧倒的人気を得た中で描かれた、人生の陰影に満ちた短編連作シリーズですが、ご自身ではこの作品のどういうところに転機を感じましたか。シリーズの中で特に思い入れのある回は?
 とにかく自分の描きたい雰囲気を全部詰め込もう、と始めました。読者のことも何も考えなかったです。とても自由で楽しかった。『Smile!』のエッセイで、「自分のためだけに描いたりはしない、誰かが読んで喜んでくれるのが原動力」と描いていますがこの時だけは何も考えてなかったかもな〜。思い入れのある回、というとそんなでもないですが、自分で好きなのは第2話「巷に雪の降る如く」と第4話「お日さまの日々」と第7話「PIECE OF MY LOVE」かな。
『バラ色の明日』第二話「巷に雪の降る如く」。事故で植物状態になった憧れの先輩が夢に現れる。伝えられなかった想いがあふれ出す切ない1コマ。(c)いくえみ綾/集英社
『バラ色の明日』第二話「巷に雪の降る如く」。事故で植物状態になった憧れの先輩が夢に現れる。伝えられなかった想いがあふれ出す切ない1コマ。(c)いくえみ綾/集英社
――死んだ男の霊にとり憑かれ��その恋人に会いに行く「PIECE OF MY LOVE」。まるで恋人同士のような双子とその家族を猫視点で描いた「お日さまの日々」。憧れの先輩と親友との切ない三角関係「巷に雪の降る如く」。どれも割り切れないからこそ心に残るお話ですよね。未読の方にはぜひ読んでみてほしいです。『Smile!』の松田奈緒子さんとの対談では絵について「私は基本、自分はすごい下手だと思ってるんで」と仰っていて驚きました。進化されつつ、いつも今の空気をまとった絵を描いていらっしゃるように感じますが……。
 絵はほんとに、なんでこんな絵が描けないの…とブツブツ言いながら描いてます。でも特に練習はしません。描くほどに上手くなるとは思いますが、まあ限界はあります。見やすい画面を作りたいなといつも思っています。
 全てアナログで、コピー用紙に下絵を描いて原稿用紙にトレースして仕上げる感じです。ペンは丸ペンとかミリペンとかを作品で使い分けてます。
――デビュー30年以降はなんと「最大8本同時連載」もされていたとか。多くの仕事量をこなす秘訣はありますか。ちなみに最高月産枚数はどれくらい…?
 秘訣は、終わった原稿のことは忘れることです。最高は130枚くらいかな?
アラフォーのおさななじみを描く新連載『1日2回』
――39歳、おさななじみのれみと季(とき)。結婚していたけれど死別・離婚とお互いいろいろあって人生2ターン目の再会を描く『1日2回』。「ココハナ」2019年11月号(9月28日発売)で連載開始したばかりですが、この作品はどのように生まれたのでしょうか。
 読み切りの予告カットを描いた時に担当さんが「アラフォーにも見えますね」と言ったのでじゃあそうしようと思って作りました。モノローグを極力減らしています。
『1日2回』
久々に会ってもテンションは変わらない。おさななじみならではの再会シーン。(c)いくえみ綾/集英社
『1日2回』 久々に会ってもテンションは変わらない。おさななじみならではの再会シーン。(c)いくえみ綾/集英社
――アラフォーを描くおもしろさ・難しさはありますか。いくえみさんの40代はどんな感じでしたか。
 アラフォーと言っても基本的にそんなに変わらないなと、自分や他の人を見てて思います。私の40代はダイエットで幕開けしました。エステに行ったら「年齢的にも最後のダイエットだと思うので」と言われ、びっくりして頑張りました……。そして痩せてきたらエステ帰りにナンパされました。あれ、たぶん人生最後のナンパですね!
――「人生最後」って言葉がちらつきだすのが40代なんでしょうか、でもわからないですよね(笑)。『1日2回』連載第一話では、子どもの頃から現在までの二人の関係の微妙な変化がいっきに描かれました。描いていて楽しかったシーンは?
 終わった原稿は忘れるので今あんまり思い出せない……まだ刷り出し(注:印刷前のチェック)見てないので。あ、ちょっとずつ男になっていく季を描くのは楽しかったかな。
――『1日2回』、��後の見どころをすこしだけ教えてください。
 過去を掘り下げていきつつ現在にも戻りつつ、みたいな話になると思います。よろしくお願いします。
――楽しみにしています。ありがとうございました。
「好書好日」掲載記事から
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himatsubushini7 · 5 years ago
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【納得できないラスト】『まだ結婚できない男』最終回に酷評続出!「え?え?え?え?終わり?」
関西テレビ制作火曜夜9時枠の連続ドラマ 立て続けに放送される形となる。(詳細は後述) ^ 『メディカルチーム レディ・ダ・ヴィンチの診断』と『まだ結婚できない男』で採用。前者は『チーム・バチスタシリーズ』のスタッフ、後者は『結婚できない男』の続編であり、共に火10時代からMMJが参画していることによるもの。 ^ 15キロバイト (1,533 語) – 2019年12月11日 (水) 07:18
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(出典 news.mynavi.jp) (出典 【芸能】『まだ結婚できない男』最終回に酷評続出!「え?え?え?え?終わり?」) 1 砂漠のマスカレード ★ :2019/12/14(土) 21:19:46.68 ID:dH4axsNY9.net
12月10日、阿部寛主演のドラマ『まだ結婚できない男』(フジテレビ系)第10話・最終回が放…
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doanob1 · 5 years ago
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あいちトリエンナーレに行ってきた
あいちトリエンナーレに行ってきた。
夏休みにどこか行こ。電波の入らない離島に行って(コナンくんが来たら死ぬだろうな〜)って想像するのと、大阪に行って昔から興味があったみんぱくに行ったり美味しいものを食べたりするのとどちらがいいかな、と考えていた。
ぼんやり色々考えているうち、名古屋在住のフォロワーさんが東京に来た時、「ご飯を一緒にどうでしょう」と連絡をくださった(とてもうれしい)。そうして一緒に食事をしたりお散歩をしたり、なによりたくさん話したりした。
そして後日、その方が「自分の目に新宿がどう見えたか」を文章にして公開していて、これが新鮮で面白く、今思えばこのとき自分が見たものを書いておく・公開するってことの魅力にちょっと興味を持ったのだ。
今回私が名古屋に行って、また同じ方とお食事をしたりおはなししたりしたのだが、今度はその方の絵日記を少し見せていただいて、これもとても素敵だと思ったのだった。
私はいま新宿に住んでいるが、ここに住んでいるといろいろなことがわからなくなると思う。こんなにオリンピックの看板が出ていること、地下鉄で窓の代わりに光るモニターの広告、そうしたものにもう慣れてしまった。「こんなにオリンピックの広告がたくさんあって驚きました」と言われ、はじめて、「そうかこんなに広告があるのは異常だな」と気づいた。
自分が立っている場所のことは自分では見えない。だから、他の人と一緒に自分が住む街のことを聞いたり話したりすると、新鮮で面白くて、自分がどんどん鈍くなっていることを知って恐ろしい気持ちになる。
むかし、地方の天候不順や災害のニュースを見たとき、「今年は野菜が高くなるわね」と言った人がいた。私はこれを聞いて(地方はお前の畑じゃないぞ、住んでいる人間も誰かの生計もあるんだぞ)と思ったものだが、だんだん、私は都市の生活に慣れて、こう言いはなつ人間になってしまう気もする。
近しい人間に「私がこういう無神経な人間になったら頭を打ち抜いて欲しい」と頼むのは、半分冗談で半分本気だ。私が無神経な人間になってしまったとき、自分ではそれと気づくことができないだろうから。ゾンビのように、生きているように動いてももう人の心もなく、ただ他人にかみつこうとする存在はいくらでもいる。じぶんがそうならないなんて言い切れない。
旅行先は愛知にしよう、と決めたのはこのときだ。
ちょうどこの頃、あいちトリエンナーレに対しての脅迫が連日報道されていて、わたしは脅迫する側の気持ちがまったく理解ができなかった。ただ少女が座っているだけの平和的な像が「反日」で、戦時下の性暴力に反対する行為が「国に対する侮辱」?いまでももちろんまったくわからない。でも、いずれ私も彼らのような振る舞いをしないと言い切れるだろうか?この国は貧しくなりつつある。来月から消費税は大幅に増え、生活は確実に苦しくなる。その状況で心まで貧しくならないなんて言い切れない。いずれ私もゾンビになるかもしれない。
隣の国でも、遠くの地方であっても、どこであっても人間が住んでいることを忘れていたくはない。が、いずれわからなくなってしまうかもしれない。
私が毎日なにかを書いているのは、漂流中の人間が書く航海日誌のようなものだ。たったひとりで暮らしながら、正気を確かめながら書く。 書いている途中に、自分でも気づかないまま、もう人の心をなくしてしまうかもしれない。 そのときに、昔の自分が書いたものを読んで、少しでも思い出せればいいと思う。 これから書く旅行の話も、いずれ自分がゾンビになってしまったときに、人間(だった時代)を思い出すために書いていた日記をまとめたものであって、もともと公開するつもりはなかったがせっかくなので載せておく。冗長な描写が続くが元が個人的につけている日記なのでご容赦ください。
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1日目。 7:30にバスタを出て13:30にささしまライブ着。 今回はバスで行ったんだが、名古屋市内に近づくにつれて巨大な船舶が泊まる港が見え、整然と並ぶ輸出用の車が見え、そして現実味の希薄な原色のレゴランドが見え・・・という光景に妙な感慨を覚えてしまった。その後バスが走った市街地でも、看板が大きかったり(走る車からでもよく見えるようにだろう)、店の規模も駐車場も大きかったり、そもそも道路自体が大きかったり、車社会を感じる。この車社会・そしてトヨタとの関係は、トリエンナーレを巡る今回の旅程を通して実感することとなるのだが、それはまた後ほど。
ささしまライブに着き、ホテルまで歩いて荷物を預けて、名駅地下の適当な店で味噌カツを食べる。「味噌カツを食べた」という事実が欲しいがために適当な店に入ってしまったのだが、味噌カツ、高級なソースかつみたいな味がした。駄菓子のアレ。私が貧乏舌なのか、その店に原因があるのかは永遠の謎。
ホテルは安さだけを重視して選んだら「オーバールックホテルからオシャレさと清潔感を抜きました!」みたいなところだった。ホテル名をグーグルに入れると「(ホテル名) 幽霊」とサジェストされる。きっと実際に何かしらの事件があったんだろうな・・・怖くてクリックしてないけど・・・まあ泊まってみたら双子の幽霊も血まみれエレベータもなかったからヨシとしよう・・・。立地は名駅西側のところで、周りも水商売のお店が多く、あとで「西側は治安悪いところですよ」と言われる。新宿にも水商売密集地帯はあって、年季の入った建物の感じや路地裏の感じは似ているが、同じ古い風俗街でもちょっと印象が違うなと思った。新宿の場合、建物自体は古くとも、店の入れ替わりが激しく看板だけは新しかったりするのだが、名駅西側のあたりは「昔からあるのだろうな」というフォントの大きな看板が目立ったからだろうか。
そしてこの日は月曜日だったんだが、月曜はトリエンナーレ全体がお休みなのを忘れていて一度円頓寺会場まで行ってしまったよ。あほ。ホテルに引き返して、持ってきた仕事をしたりごろごろしたりしてたら夜。
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円頓寺の通り。
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円頓寺のかっこいい佇まいの一例。
夜。フォロワーさんと円頓寺で待ち合わせてご飯に行く。「連れて行きたいお店があるんですけど怖いおばあさんがいて・・・お酒を頼まないと怒られるんですよね・・・私はお酒が飲めないんですが、のぶさんお酒飲めますか?飲める人がいないと行けないので・・・」と聞かれたので元気よく「飲めます」とお答えして連れて行ってもらう。連れて行ってもらった先の居酒屋さんは、手の跡が残っているような木でできた煤けたたたずまいであった。店内から曇りガラス越しに見える通行人の影が、舞台装置のようでとてもよかった。通行人の影が傘を差しだして「あ、雨が降り出したんだな」とわかる光景。演劇の演出のようだった。
どて煮と手羽を食べ「これでナゴヤ飯を食べたと言えます」とフォロワーさんから太鼓判をいただく。やったね!「お酒飲んでもらってありがとうございます」とも言われ、(お酒飲んで褒められるなんて生まれて初めてだな!甘やかされてる!)と思った。
このお店で、隣り合わせたおじさんに話しかけられ、手羽からを食べろと渡されたり無視しても声をかけてきたりしたんだが、なんだかすごく寂しいおじさんだな、と思った。お店の人に「飲み過ぎだ、帰った方がいい」と言われても「帰ってもすることないねん」と答えていて、なんてさみしいひとなのか・・・と思ったのだが、この翌日、私ひとりで食事に行ったときも似たようなおじさんにまた話しかけられるのだった。この話も後述。
居酒屋さんのあと、ベトナム料理屋さんに行って、チャーっていうあのあまいやつを飲む。フォロワーさんと政治の話や芸術の話をたくさんできてうれしかった。SHERLOCKをきっかけに19歳からTwitterをはじめてもう八年経とうとしている。現実で出会っていたとしたら、こんなにいろいろな話をするまでに多くの時間がかかるであろう人とも、いやそもそも出会っていないであろう人とも、こうして会って食事をして政治の話をできることが不思議だ。
Twitterがあってよかった。
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2日目。
八時頃ホテル出て電車で名古屋城へ。 名古屋城、堀の幅が広くて深くてびっくり。整然とした石組み。お城へ行く道々に、忍者の��わいいお菓子がたくさん看板に載っていた。 この日は天守閣に入れず、本丸御殿に行ったのだが、本丸御殿だけでも十分満足してしまった。ゴテゴテしているわりに、描いてある鳥獣は間が抜けてたり廊下は異様に質素だったり、全体を通すと上品に見えるのが不思議。ネコ科の動物大集合のお部屋と金具のリスがよい。天井がきれい。質素な廊下を抜けるとキラキラ豪華絢爛な空間が現れて、森の中の滝やお寺みたいだ。
以下は本丸御殿の内部。これはネコ科の動物づくしという素晴らしいテーマのお部屋。トラやヒョウやジャコウネコがいるよ!
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ネコ科のお部屋パノラマ。
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↑これは鳥のお部屋。写りが悪いけれども鳥が色々描いてある。
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金具のリス。
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綺麗な天井。
帰りがけに忍者がいた。「よく参った!」と言われて笑ってしまった。名古屋城は忍者がおもてなししてるのね。そういえば昨日はフォロワーさんから「おもてなし武将隊」というライトな観光アイドル的なものも教えてもらったのだった。 私はいつも旅先からお手紙を送るのだが、ジャコウネコとや虎のポストカードを買ったので、明日、フォロワーさんに教えてもらったキッテで発送しよう。名古屋にもキッテがあるらしい。 ポップオーバーというお店でお昼を食べて移動。芸術文化センターへ。このあたりから暑さと日差しが辛くなってくる。 名古屋は車社会で道路が幅広な分、簡単に横断できず、歩道橋や立体通路や地下を経由する必要があってちょっと移動が大変。見えてるのに簡単にいけない感じがRPGっぽい。まあ近くなのに移動が面倒、という点に関しては東京もよそのこと言えないか・・・。
芸術文化センターの展示について。
慰安婦像の対応をめぐり、作家さんの意思で展示中止措置が行われたため、見られない作品も数多かった。その一連を報道した新聞で全体が覆われて隠されている作品もあった。
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これらの新聞記事は全て慰安婦像に対する抗議とその対応を書いた記事が載っている。
ウーゴ・ロンディオーネのピエロの作品、造形のみならず薄くて伸縮性のある布が表面を覆ってる感じとマスクの塗装が超リアル。入った瞬間ぞくっとした空間。でも、彼らの間を歩くうちにだんだん親しみがわいてくる。愛嬌のある一体、自分に近い一体を見つけていって、部屋を出る頃には最初の小さな戦慄がなくなっていた。
ペルーの作品は展示していなかった。クラウディア・マルティネス・ガライのやつ。見られなくて残念。とても興味深いディレクションが記してあったので。
あとラテンルーツの人びとがパーティする映像も公開されてなかったけど、暗い空間の中に残されたパーティグッズのもの悲しさそのものがいまの事態に対する静かな悲しさを示した展示のようだった。
石場文子の作品は自分のパートナーを思い出した。一部がマジックで強調してある日常の風景を移した写真。一見ただの写真に見えるが、一部が人為的に強調してあるので、ぱっと見たときに違和感があって詳しく見ていくとそれがだんだん明らかになってくる。 あれは本人/当事者たちにしかわからない「思い出」「時間」を強調して可視化しているのかしら。 人と暮らしていると、ただの日常の道具や風景でも、私たちにしかわからない特別な意味が生まれてくるものだなーと実感しているので、(おそらく)誰かと暮らしているのであろう風景をあのように表現した展示に自分たちの暮らしを思った。
永田康祐の三つの料理の映像は、レヴィストロースの料理の三角形論と、ローストビーフの由来を持たないローストビーフ(分子料理)のところがすごくすき!なるほどと思った! 私自身の住んでいる場所が多国籍な地域なので、いろんな国の料理屋さんに入った時のメニューを見ている感覚を思い出した。メニューに現地の文字による原語名と、日本語に翻訳した言葉が載っているけど、例えばタイ料理屋でも中華料理屋でもミャンマー料理屋でも日本語では「チャーハン」って書いてあるものがあって不思議だったんだ。日本語にするとそれが一番伝わりやすいからこう書いてるんだろうけど、実際葉もちろんそれぞれ別物なわけで、頼んでみるまで実際のものがわからないドキドキ感も思い出した。
田中功起の四人の家族の物語は自分の仕事や生活と重なる部分もあって、とても興味深かった(職がバレるので感想は割愛)。ただ、映像はいいと思ったけどドローイング部分がちょっとよくわからない。
伊藤ガビンのプロジェクションマッピングは、ちょっとネットノリな感じのギャグの部分と、揺れるカメラや遠近感を表現したような部分とで好みが分かれそう。私は後者の部分が好き。鉄骨のなかを降りるような映像が、ゴーグルをつけない空間VRって印象。
ヘザーデューイハグボーグのDNA再現は、過去の遺体を再現するような(アイスマン等)のロマンもあって怖さや気持ち悪さのみでない魅力も感じる。あとやっぱガタカを思うね。かつてここにいたけれどもういない人の痕跡をたどっていくのは、歴史や捜査ドラマのようで、少しわくわくするよ。
ガラスのドローイングは異様な奥行き感があって、「なんでこんなに立体的に見えるんだ?」とうろうろして眺めてしまった。ガラスに書いているという構造だけではなくて、直線と曲線を組み合わせているからあれほど立体的に見えるのだろうか?立体的に見える最大値を全部計算して書いているんだとしたらものすごい手間だ。
「その先を想像する」の大量の単純な映像、見ているうちに恐怖や怯えの予感に身構えてしまうような感覚を覚えた。殴られる前に身構えてしまう予感というか。例えば対面した相手が手を上げれば殴られると思って身構えてしまうが、それはある程度自分の学習に基づく予測なんだな、と考える。
「10分の遺言」日本的というか世界系というかエモい系というか、今回一番サブカル的わかりやすさを内包した作品だったなと思う。十分の時間制限をつけて、ネット上の不特定多数から「死ぬ前の文章」を収集してる作品なんだが、完成した文章そのものではなくそれを打ち込んでいる過程を映像にしてすべて流してるのね。削除したり、カーソルを戻したり、言葉を選んでいるのかためらったり、そういうての後を全て映像で記録して流している作品。映像キーロガー的なシステムはとても興味深かった。ああいう形で人が文章を書くのを記録できるのね。
ステルス機の白い枠線は、事件現場の死体をかたどった白い跡のようだった。(これが落ちてきたらみんななくなるんだろうな)とか(見えないけどいまも頭の上にあるのか)とか、DNA再現の展示でも感じた「痕跡の再現」を思った。
シルクスクリーンを一万回繰り返したやつ、3Dプリンターと同じ構造だけど遙かに手のにおいがするところが、アナログとデジタルの交差点という印象。
誰もいない台湾の町を延々とるやつ、ゾンビ映画の冒頭のようだった。(「28日後・・・」の全裸キリアンマーフィです)映像を見てから作品撮影の背景(軍事的な訓練のため誰も外出しない日であるため、街が無人)を知るとそれも含めてさらに映画的な印象を受ける。爆発する遊園地のほうは、ループものの作品のようで、まどマギを思った。
リングホルトの大きな時計は裏の構造が簡潔で理解しやすくてよい。ずっと見ていられる精神安定作用がある。
ガラスの箱を段ボール箱に入れて、輸送中に破損した実物を展示しているやつ、「これしか壊れないのか!」という驚きがあった。空輸であれだけしか壊れないなら御の字では?なにも梱包せずあれだけの損傷にとどまるのか。
空港のX線で現像した写真の展示は手法に納得し、中身に戦慄した。シリア大使館の荒れ果てた内部だったのか。見ることにできないはこの中をX線で現像して見せている。映画「アルゴ」の映像を思い出す。
木版画の巨大な虫たちの絵は、古代から伝わる壁画のような荘厳さがあった。神話的だ。細部まで書き込まれていて好み。
手にインクで番号を押すやつが閉鎖されていて残念。フォロワーさんが「国際的にも有名な展示で、匂いがするんです」と教えてくださっていたので期待していたんだけど、匂いって「涙を流させる仕組み」のことだったのか。涙を流すべき事態にも泣かない人間のための装置、という説明があった。香港のデモの催涙弾使用のことを連想して、この作品が展示中止されている事態と香港の事態は地続きだなあ、と思い至る。
写真の中の謎の物体を調査するやつは、ちょっと構成がわかりづらくすぐ移動しちゃった。あんまり立ち止まってみられる感じでもなかったのが残念。
ミリアムカーンの美しい青、実に美しかったが、難民というテーマとあの人の他の作品と並べられていると異質に映ってしまう逆転現象。
キャンディスブレイツの「ラブストーリー」は、六人の難民の抱く壮絶な背景に圧倒されると共に、役者のスキル、そして人間の持つ先入観について見事に表現していると思った。俳優さんの演技力がすごい。すごい。「本物」の難民が持つ、どこか意識が遠くにいるようだったり少し曖昧だったりといった要素が剥ぎ取られて、説得力を与えるようコントロールされている役者の演技の方が「本物っぽい」矛盾。面接やなんかにも通じると思うが、よりそれらしい、本物っぽくみせる技術はお金を払ってまで習得するスキルとされている。でも、それを「見ている」側のジャッジってめちゃめちゃ一方的だ。それにしても役者さんの演技がすごかった。表情も仕草も言葉も間合いも、あんなにコントロールできるものなのか。どう見えるか・どう見せたいかを完璧に解体しそして表現するまでが役者の能力なのかと思うと、途方もない仕事だ。
このあと名古屋市美術館に移動。あつい。顔が溶ける。ヒースレジャーのジョーカーみたいになる。退館した後で気づいたけど、国旗が印刷された野外のゴミ袋も作品だったのか。オシャレな袋がかかってるゴミ箱だな~としか思ってなかった。
空から垂れ下がるオーガンジーの刺繍、一見ファンシーで商品のような明るい魅力があるけど、DNA構造に基づき一対になっているデザインや作品背景に気づくと深みが増す。シャーレの構造もそう。清浄で真っ白な空間と生命を生むシャーレが病院のような斎場のような雰囲気だった。
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陶器の展示、とても面白かったー!陶器としてのデザインと、静物や風景が立体化しているあの作品群は、今回のトリエンナーレでもっとも万人に通用する明確な魅力があると思った。いつまでも見ていられる立体的なだまし絵のような発想、繊細な古典的表現!わたしにとっての付喪神ってこんな感じだな。あと刀剣乱舞。山口晃さんの作品への好感につながる魅力を感じる。
いっぱい写真撮っちゃった〜。
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モニカメイヤーのピンクの付箋の作品、すでに書かれたものを破ったのではなく白紙のものを破ったのか。もはや書くことができない、声を上げられないという状況の表現。新しい作品表現。視覚的に痛々しい光景だった。
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ホドロフスキーの展示。 ホドロフスキーが考案したという心理療法を実践する様子をおさめた記録映像と、書簡、そして小冊子の三点で構成されている展示。 映像のなかでホドロフスキーの指導のもとセラピーを受けているのが白人ばっかりで驚いた。 ビートルズにしろホドロフスキーにしろ、芸術分野がスピリチュアルな組織構造と結びつくのはまったく珍しくないけど、広々とした古典芸術的な劇場の中で白人だけが集まって手を繋いだりトランス状態に陥っているのはちょっと異様な光景である印象。
人工授精と刺繍の展示。私はこれが今回一番よかった。 18歳の時、自分が人工授精で生まれたことを知って、史上初のクローン羊・ドリーに関心を抱いて実際に海を渡って取材したり、出産や育児について表現したりしている作家さんの展示。 ドリーが生まれた街の写真が拡大されて一面を覆っていて、その上に金糸銀糸のきらきらとした刺繍が施されていて、部屋の中央には人形の家のような小屋があり、内部を除くと家庭的な居間が見える。展示場所やその居間の中や至る所に、ゾートロープによるアニメーションで羊や作者自身の姿がゆっくりと回転している。 18歳の時に自分が人工授精で生まれたと知って以降、「幼い頃からの過剰な愛情が理解できた」「女である自分もいずれ出産することを期待されている」と書く作者の言葉に、私は今回のトリエンナーレの中で一番心からの共感を覚えた。 今回は「しんかぞく」といい家族や出産に関わる展示が多く見られたが、これも津田さんによる「男女同数の作家を呼ぶ」取り組み成果だと思う。
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部屋の壁の前面を覆う刺繍の様子。
知らない言語を書き取る様子を撮った映像作品では、言語の学習過程や異国になじむ過程のようだと思った。まったく知らない音や言葉を、すでに自分の中にある言葉で置き換えて咀嚼しようとする行為。学生時代に語呂合わせで英単語を覚えようとしたことや、自分の素地になんとか近づけて多言語を習得しようとしたことを思い出した。これもまた「異国に生きる」ということとつながっているんだな。
GIFの繰り返しの展示、ヨシキさんがトークイベントでよく紹介してくれたyoutube動画のようで、映像式現代版ドラッグのようだった。ずっと見てしまう。
終盤に、愛知県内の小学生とともに作った段ボールのお部屋があって、それが細部までずっと見ていられる空間だった。
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入り口を入ったところ。
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種々のダンボールから切り取ったらしきロゴが貼られたボード。これを作った子はロゴやフォントに興味があって気になって作ったのだろうか。
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おそらくシャチホコ。尻尾の表現が好き。
ここまでの展示は会場が美術館だったので、トリエンナーレの作品以外にも美術館の常設展示が観覧できた。この常設展示で裸婦像が多く展示されていたが、男女同数を実現し差別に関する問題や出産・育児についても多く扱っているあいちトリエンナーレと対称的だ。古典芸術世界における、女性の客体化と、それに対する問題提起としての現代美術。女性の意思を扱っているトリエンナーレ作品がある一方で、美術館の常設として古典的な裸婦像が山ほど飾られている部屋という、その対称性も象徴的だった。
ほかにも、常設展示では、児童文学の挿絵のような、会社に絡みつくドラゴンの像もあってこれがおもいがけず大好きになってしまった。紙幣=消費者から得た金で作られた、大量生産品を扱う会社とドラゴン。よく見ると窓や道にそれぞれ人間がいる。窓の清掃員やビルから現れる作者自身。ロアルドダールやティムバートンの作品のようだった。
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ここで円頓寺へ移動。あつすぎる・・・
一丁目長屋の中の古い写真を拡大したものは、祖父母のことを考えずにはいられなかった。祖父母のこうして誰かの持つ写真の中に背景として映っているのか。私の誰かのスマホで撮った写真に映り込んでいるのか。祖父母のことが大好きなんだけど、誰かのアルバムのなかでこうやって残っていてくれたらいいなと思うよ。ちょっとでも。
葛宇路は発想が好き。きっとこうやって生まれた道ってたくさんあるんだろうな。昔から。勝手に公共空間に作用していく人の行動が面白いと思う。古代から道の名前ってこうやって決まってたんじゃないだろうか。人の名前も、町の名前も。
移動する洋品店の展示も祖母を思わずにはおれなかった。それとここに限らず、展示場所が超狭い雑居ビルの二階だったり、趣ある巨大な古いお屋敷だったり、距離は大して離れていないのにまったく異なるのが面白い。異世界感。
弓指さんの、自動車事故の犠牲者である小学生六人をモチーフにした展示は、超車社会でトヨタ車がたくさん走っているのを見てここまで来た身からするとチャレンジングな展示だと思った。毒山さんの映像の中でも「トヨタ王国」「愛知からトヨタがいなくなったらやっていけない」との言及があったし。途中で運転席からの景色が見える展示構成がよい。
毒山さんの展示、おそらく私の祖父母と同年代の人びとの映像だが、その老人がいまでも子どもの頃に殴られたり屈辱を受けたりした経験を泣きながら語る様子がつらくて、見ながら泣いてしまった。いまでもこれを書きながら泣いてしまう。今回の展示のなかで唯一泣いてしまった作品。自分たちの祖父母だったら、と思うとつらくてつらくて仕方がない。 本人たちは「いい教育だった」と言っていても、それが本心だとは限らないし、それを疑う余地もない教育を施されたのだろうし、いまはもういない彼ら自身の父母の世代はどれほどつらかっただろうと思う。
円頓寺は最後に寄った伊藤家住宅がすごくよかった。中庭の感じとか蔵と蔵の間の空間の怖さとか。津田美智子の作品は不具合で見れなかったけど、蔵の中の岩崎さんの作品は緻密ながら空襲後の世界を思わせる光景で見入ってしまった。燃えた家財道具と建物と炭。どこかに通じる橋のような構造物がすき。三人しか入れない極小空間という処も含めて、秘密基地のような、子どもの頃にしか出会えない何かが住んでいる空間のような、魅力的な展示だった。
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全て炭で作られた作品の様子。
ゆざーんの演奏は、修行というのでもっと簡潔で寺院っぽい空間を想像していたら地下にあるライブハウスみたいなカラフルな壁画があってちょっと意外。タブラの音ってきれいだ。
ホテルに戻って、外食しようと思って外に出たらまたもや知らないおじさんに話しかけられ、「明日は絶対外に出ないで何か買い込んで宿で食べよ・・・」と堅く心に誓う。
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三日目。
朝起きて九時くらいまで昨日の日記書く。ポメラ毎日使ってるけど買ってよかった。旅行先でもいつもと変わらず書けるしバッテリーの持ちが最高。
チェックアウト後キッテへ。ハガキを発送して名古屋駅から東山線で栄駅、舞鶴線に乗り換えて豊田市駅へ。ホテルに荷物を預けて喜楽亭へ。
喜楽亭は建物自体も面白かった。料亭のようなことをしていたらしい。お寺のようだった。古くはあるけど清潔で使い込まれた空間。進むにつれてだんだんと輪郭や映像の出典がわかっていく構成と建物がよく合っている。映像の書簡形式。特に二階の構成がよい。日本のアニメ・漫画作家による二次大戦中のプロパガンダ作品と、それらが彼の記念館に収められていないこと、そして彼自身も特に後悔はしておらず「また政府から要請があったら同じことを行う」「国民としての責任を果たした」と語っている映像。そして、小津安二郎と彼の作品について論じ、作中の幼い兄弟が「大きくなったら軍人になりたい」と語っている映像とプロパガンダアニメが同時に背景に映り込む演出は素晴らしかった。小津安二郎の墓に「無」と刻んであるのはこの展示ではじめて知った。奥の巨大なプロペラの展示は舞台装置っぽい。カタカタ鳴る装置も舞台演出的だ。
ここから豊田市美術館へ。激坂のぼるの熱くてつらかった・・・。
美術館のレストランでお昼ごはん。
空から落ちる花が開くような展示は、みんなが上を見上げたり床に寝転がったりしながら作品を見て笑って話している空間自体が好きで、ずっと見入ってしまった。シャーレの展示もそうだが、美術館の広くしろい空間になにかが上から下がっているって独特の非日常。
豊田市美術館から歩いて近くの高校のプールの展示を見る。これもフォロワーさんから「友人がとても褒めていた」とのお話を伺っていたので期待して向かう。 実際に目にすると、青空にプールと廃校と夏の濃い緑、というのがすばらしい。エモい。バンタンの撮影に使用して欲しい。私はスクールもの時代のバンタンが好きだ。 垂直に立ったプールの壁面が真っ青な空に伸びている、という、飛び込みや空に落ちること・そしてもしかしたら飛び降りを連想させる光景がとてもよい。バンタンの撮影に使用して欲しい(2回目)
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青ずぎる空と校庭と合成のような鳥居が異世界っぽい。
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豊田市駅に移動して、架空のトヨタの遺跡モニュメントの展示三点としんかぞく(レンタル家族)を見る。 しんかぞくは正直、「実際に死産を経験したり子どもを失っている人から見たら残酷すぎる」と思った。流産を扱うことそのものを問題視しているわけではない。テーマパークという形にして、「エンターテイメントとして見せていること」・そして「実際に死んだわけではない想像上の子どもを作り出して、(おそらく)本物の水子と一緒に作品の題材にしていること」がちょっとひどいと思った。水に流す演出の意味や、最初に押すキーボードの意味などは「なるほど」と思ったけれど、原宿の店先に並んでいそうなポップな色合いで作品にするにはあまりに敬意がないのでは。 架空のトヨタの遺跡を再現する展示、発想と映像のなかのとってもうさんくさいおじさんのインパクトが強烈。最初あの胡散臭おじさんが作家さんかと思った。人為的に作られた出土品を見ているのが楽しく、また、「現実にも出土品を偽造していた考古学者がいたけど、こういう感じだったのかな」と想像を巡らせた。
なにかを売り出したいときや権威づけたいときに、古くからの神話や土地の歴史に絡めるのは常套手段だけど、これは逆にトヨタ神話を皮肉っているようでもあって、単純な「この土地と切っても切り離せないトヨタ」を礼賛しているわけではないと感じる。
アンナヴィッテのトヨタのダンスの映像も同じことを思った。あのダンスの映像は発想がとても好き。(明言はされていないがおそらく)トヨタの工場労働者たちを集めて複数回お互いの仕事について話し合う様子を撮っている。彼らは流れ作業で部品の点検等単純な労働に従事していて、「これから自分たちの仕事はどうなるか」「仕事は楽しいか」「なぜ仕事をしているか」といったことがらについて各々の意見を述べていく。そして、彼らが毎日繰り返している仕事の動作を再現してもらい、それを元にダンスを作り上げる。彼らが踊る映像と、自動制御のロボットがラインで単調な動作を繰り返しつつ車を作り上げていく映像が流れる。
ホテルに戻り、もうおじさんに話しかけられたくないなと思ったのでトヨタ駅近くの松坂屋地下でご飯を買って部屋で食べる。文章を書いて本を読んで眠る。
------------------------------------------------------------------------------------------- 四日目。 六時に起きてご飯食べてこれの下書きを書く。 チェックアウトして東岡崎駅へ。閑散とした駅にタピオカのスタンドがあり、まったく繁盛していないのを見て諸行無常を感じる。おごれるものは久しからず。高速バスでバスタへ向かう。 バスに乗ったら顔を覆うシェードがあった。はじめて見た。しかし使ってみると超快適で爆睡。隣の人の顔が見えない、見られないってこんなにもノーストレス!
いい旅行だったな。
街の中、しかもこれほど複数の場所に点在したトリエンナーレに初めて行ったので、土地と干渉し合う作品鑑賞も初体験で多く発見があった。
まず、炎天下を歩いて回って、歩く道々で見る建物や風景や、だんだん暑くてボーッとしてきたころ突如現れる作品や、全て込みで作品のようだった。特に円頓寺は一区画入ると全く趣の異なる建物・作品が現れて、街の中に潜む異世界をめぐるようであった。
そして、トヨタに関わる作品も数多くあって、トヨタの影響が色濃い街を歩く中でそれらを鑑賞して「これはこの土地で見るからこそ意味があるな」と思った。単純にどこか別の都市の美術館に全部入れていてもこんなに意味合いを考えたりしなかっただろう。
バスに乗って愛知に来たとき、ミニカーのように整然と並ぶ大量の車や、輸出入の船がたくさん止まる港や、突如現れるレゴランド、幅の広い道、超車社会、等々を見て「あートヨタのちからよ…」と思った。事故の犠牲者6人を追悼する作品で「加害者、被害者、クルマ」を提示していて(トヨタのお膝元でやるにはチャレンジングだな)と思ったけど、酔客にグローバル企業のロゴをかぶせる映像展示では「トヨタがなかったら名古屋はやっていけない」と行ってたり、豊田市駅の展示では架空のトヨタの遺跡を発掘する展示があったり、そしてその会場に向かう駅の歩道には「交通死亡事故一位の汚名返上!」という(展示ではなく警察やトヨタによる本物の)巨大な横断幕があったり、街中を巡ってみる展示だからこその効果を感じた。街中を歩いて車社会を実感しながら作品に会いに行き、そしてその作品たちが相互に作用していく体験が初めてのもので、「自分の目が変わっていく」過程が新鮮だった。土地を体験した自分の目が作品に向ける眼に影響していく。人間はどんどん変化していくけど、これほどの短期間で明らかに変わっていくのがわかる体験は、あいちトリエンナーレの素晴らしい強みだと思う。これからいく方にはぜひ、なるべく多くの作品を歩いて巡ってみてほしい。
それから、私が道中でさびしいおじさんとフェミニズム作品について。1日目二日目と、夕食を食べに行ったら知らないおじさんに声をかけられ、うんざりして三日目はビジネスホテルでもそもそご飯を食べたのは前述の通り。はっきりいって不愉快だし、心底不快だけれど、それ以上に「この人たちはさびしいんだろうな」という気持ちが先に立った。これは愛知に限らず、東京でもあまた経験しているので、今から書くのは今回の旅だけではなく普遍的な話。
旅行先で食べてみたいものがあっても、おじさんに話しかけられると思うとうんざりする。男の人ならどこでも好きなところへ好きなものを食べに行って、話しかけられて嫌な思いをするかもなんて微塵も考えないのかしら。ここでわたしが「旅行先で隣になった人とめっちゃ盛り上がった笑笑笑!おごってもらった笑笑笑���って書くタイプならむしろ旅のいい思い出になるだろうし、「こう感じるタイプの方が生きやすいんだろうね」、って話はフォロワーさんともしたけれど、私がこうやって知らないおじさんに話しかけられてめちゃめちゃ不愉快になるのは、「さみしい」という気持ちを検知するからだと思う。たまたま隣に座った私に話しかけ、少しでもさみしさを埋めたい、というのは侮辱ではないのか。一方的に話したり、相手が立場上・性格上反論できない局面で話を押し付けたりするひとってめっっっっっっっちゃいる。
私は今回のフェミニズム作品、そして作品中止に至るまで作家さんの行動の一連も根本は「対話を行わない」という侮辱に対するものだと思っている。一歩的に作品の撤去を求めること。それに対し、作家さんたちと十分な対話を行わず、実際に撤去をしたこと。
侮辱されている、舐められている、と察知する能力は人間にとって能力だなmと今強く思っている。このまま私は進もう・・・
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ayaka0715 · 8 months ago
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🎎の日はやっぱり、#ちらし寿司 と茶碗蒸し に限ります。
〔デザートは代わりもん^ ^〕
ニュース
日テレ
水曜夜10時の番組
ドラマ枠は今月にもって終了し、来月からバラエティ枠となります。
#堂本剛 さんのフリー初ライブ
#西島秀俊 さん,阿部サダヲ さん,#橋本環奈 さん,#長谷川博己 のドラマ
and more....
今月は気をつけて https://ameblo.jp/kurushige/entry-12831208362.html
あと、詐欺もね。
https://dawaan.com/instagram-bo-fraud/
https://youtube.com/playlist?list=PLeXkmsAZiHBuQgYgcX_INTkdxaS0E-0M0&feature=shared
マンスリーベストナイン2024.3の発表日は西島秀俊さんの誕生日〔3/29〕の後〔3/30〕に決定させてまいります。
🐉2024.2.23,25から3/28の候補⇨🥇になったらマンスリーベストナインアワード2024の候補となります。
 
抜き打ちチェックはInstagramで廃止し、スレッズで専念していきます。
〔SNSのパトロールがある為〕
更新クリア条件
2023.11.3から2024.3の期間中まで
〔失格は〜2023.11.2〕
都合があれば変更する場合にもございます
インスタの調子が悪い〔#インスタ不具合 の〕時は
アップデート〔バージョン〕か再起動しましょう
出来なかったら
AndroidからiPhoneに変えましょう
 
また見たい方には👍
2度と見たくない方には👎
を押してください。
知らない人はフォローしないように。
皆様、ご視聴をいただきありがとうございます。
今月中で
Amebablog・Instagram・tiktok・youtubeを続きますのでどうぞお付き合いください。
まだ更新していない人はお早めにね。
 
〔〕ヒント有り
#佐々木蔵之介 💙🐎
#西島秀俊 🖤🍩
#阿部サダヲ 🧡⚾️
#堺雅人 ❤️🦌
#戸次重幸 💜🤖
#片岡愛之助 💖🍓
#kinkikids 💙🎸❤️✝️
もし、よかったらYouTube チャンネルを登録してね。
また見たい方には👍
2度と見たくない方には👎
を押してください。
現在
#SmileUP 〔4月からSTARTO社に設立〕の救援,ウクライナ、トルコ、パレスチナのガザ地区、石川県能登地方の#支援・医療期間 を行っております。
 
皆様へのクリエイター達に感謝してあげています。
あと、threads はInstagramと一緒に連携を。
https://www.threads.net/@sinoeto
神藤彩佳🐼💙
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sakumakou · 1 year ago
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20231122
1122 きままなTV・メディア情報です(不定期刊)
「Jアラートで各局番組中断『マイ・セカンド…』『華大千鳥』など報道番組に」(ニッカン)
「NHK中間決算は4年連続減収 1年以上不払いは149万件」(産経)
「NHKのネット必須業務化、『外部評価機関に関係者を』」(日経)
「阪神・オリ勝パレードをカンテレ情報番組『LIVE とれたてっ!』が23日中継 2H番組CXでも初放送」(SANSPO)
「CX 大みそか恒例『カウコン』開催見送りで今年は『逃走中』出演者は近日発表」(SPONIOCHI)
「『3時のヒロイン』福田麻貴がドラマ初主演 来年1月CX系『婚活 1000本ノック』」(報知)
「反町隆史、妻・松嶋菜々子とCM共演」(時事)
https://www.jiji.com/jc/ent?p=g230651
「NHKかんぽ報道 原告『議事録公開すべきだ』 判決は24年2月」(毎日)
「『日本沈没』50年前のラジオドラマを再放送 年末特番で文化放送」(産経)
「民放大晦日特番は目新しさなし共倒れの大ピンチ 紅白は“ジャニーズ0”で苦戦必至…」(ゲンダイ)https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/332353
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team-ginga · 5 years ago
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『あなたの番です』=『ツイン・ピークス』説
 今まで黙っていましたが(笑)、日曜の夜に放映されている連続ドラマ『あなたの番です』をビデオにとって(あ、今時「ビデオ」とは言わないのか。なんて言えばいいのでしょう。HDD?)見ています。
 私の好きな原田知世(とーきーをかーけーる少女/あーいーはかがやーくふねー)やラーメンズの片桐仁(演劇人でラーメンズが嫌いな人間はいませんーーきっぱり)が出ているので見始めたのですが、いや、これがなかなか面白い(他にナイロン100℃の峯村リエや劇団大人計画の皆川猿時も出演しています)。
 物語は手塚菜奈(原田知世)・翔太(田中圭)夫妻があるマンションに引っ越してくるところから始まります。菜奈はマンションの自治会のようなものに出席するのですが、そこで誰かが交換殺人の話をしたのをきっかけに、全員がそれぞれ殺したい人間の名前を紙に書き、それを箱に入れてまた全員が引くという「殺人ゲーム」をすることになります。
 単なるその場の冗談のはずでしたが、そこに書かれた管理人(竹中直人)がマンションの屋上から転落して死んでしまいます。次に死んだのは医者の藤井(片桐仁)が名前を書いた同僚医師で医学タレントとしても活躍している男。その直後に藤井の元に「あなたの番です」と書かれたメッセージが届きます。藤井が殺したいと思っていた男を殺してやったから、次は藤井が紙に名前が書かれていた人物を殺すべきだという意味です。
 推理ドラマとしてなかなか魅力的な筋立てで大いに期待が膨らみました。ただ、唯一にして最大の不安材料は企画・原案があの秋元康だということ。本当にこちらが納得できるような解決ーー謎の解明ーーをしてくれるのだろうかと思っていましたが、ここ2週ばかりの放送を見て、私はある確信を持つに至りました。
 このシナリオ、結末を考えずに書いてます。
 だから、合理的な解決などあり得るはずがありません。
 でも……面白いから許します。
 だって、先週なんぞ、袴田吉彦演じる久住という男が菜奈に「僕はあの殺人ゲームで袴田吉彦という名前を書いた」と告白するんですよ。理由は「袴田吉彦に似ているため街でよく間違われる。それが鬱陶しいので袴田吉彦の名前を書いた」とのこと。
 すると画面には山の中で時代劇を撮影中の袴田吉彦が登場し(!)、立ちションに行った際に3人の暴漢に襲われ殺されてしまいます。
 えー���! こんな展開のドラマ見たことがありません。
 そう言えば、数回前の放映で、生瀬勝久演じる田宮という元銀行員の男が「私は若い頃、芝居をしていて、東の第三舞台、西のそとばこまち、劇団新感線、南河内万歳一座に並ぶほどの劇団にいました」と言う場面もありました(言わずもがなのことですが、生瀬勝久はそとばこまちの元座長です)。
 そのうちマナカナのカナ演じる石崎には双子の姉妹がいましたなんていうのも出てくるかもしれません。
 それでふと思い出したのが、デヴィッド・リンチが作った伝説のテレビ・ドラマ『ツイン・ピークス』です。『ツイン・ピークス』は1991年から翌1992年に放映された連続ドラマで、日本ではWowowで放送され、その後地上波深夜枠でも放送されて人気を博しました。
 私はリアルタイムでは見ていません。数年前、Wowowで再放送されたのを見ただけですが、勢い余って(?)リンチが25年後に作った新シリーズも見ました。
 『ツイン・ピークス』も出だしは推理ドラマです。ツイン・ピークスの街に住む女子高生ローラ・パーマーの死体が発見され、誰が何のために彼女を殺したのかがストーリーの中心になります。
 でも、私が敬愛する映画評論家の町山智浩によれば、リンチは結末を一切考えずにこのドラマを作ったそうです(町山によれば、それがアメリカのソープオペラの作り方であり、リンチはそれに従っただけ���とか)。
 だから、謎の解明などあったものではありません。途中から超自然的な話になり、最後は全くわけがわからない状態になりました。そして、そのわけのわからなさが熱心な視聴者のハートに火をつけ、自分なりの解釈を打ち出しているサイトが少なからず存在します。
 25年後に作られた新シリーズも似たようなもので、こちらはリンチが結末まできちんとストーリーを作った上で撮ったはずなのですが、わけがわからないという点ではファーストシーズンと同じです。
 『あなたの番です』も同じじゃないのかなあ。
 それならそれで構いません。謎解きなどくそくらえ、とりあえず面白けりゃいいのだと思えるほど面白いドラマを作ってもらえれば私は満足です。
 くれぐれもグダグダにだけはなって欲しくないものです。
**********
 演劇ユニット・チーム銀河×モンゴルズシアターカンパニーは毎月第4日曜の14時に大阪・四ツ橋のイサオビル2階ホールで新作『リハーサル』をロングラン上演中です。
 次回公演は5月26日(日曜)です。
 詳しくはこのサイトの「次回公演」のページ、またはFacebookのイベントページをご覧ください。
本サイトのページ http://toura-h.wixsite.com/team-ginga/blank-10
Facebookイベントページhttps://www.facebook.com/events/849554741880124/
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enter-web · 3 years ago
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【ドラマ】注目ドラマ紹介:「#コールドゲーム」 羽田美智子が天才詐欺師に 氷河期に入った地球が舞台 [朝一から閉店までφ★]
元スレ 1 :朝一から閉店までφ ★:2021/06/05(土) 13:07:02.50 ID:CAP_USER9.net 2021年06月05日 女優の羽田美智子さん主演の連続ドラマ「#コールドゲーム」第1話のワンシーン=東海テレビ提供 https://storage.mantan-web.jp/images/2021/06/04/20210604dog00m200103000c/001_size6.jpg  東海テレビ・フジテレビ系の「オトナの土ドラ」枠(土曜午後11時40分)で放送される、女優の羽田美智子さん主演のドラマ「#コールドゲーム」が6月5日に始まる。隕石(いんせき)衝突の影響で氷河期に入った地球を舞台に、羽田さん扮(ふん)する天才詐欺師・木村祥子が、偽装家族の母として過酷な日々を戦い抜く姿を描く。初回は深夜0時10分から。…
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ozawajun · 5 years ago
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仕事場で死にたかった・・
水道橋博士のメルマ旬報』過去の傑作選シリーズ~��野将一ラジオブロス 永六輔『六輔七転八倒九十分』~
芸人・水道橋博士が編集長を務める、たぶん日本最大のメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』。 突然ですが、過去の傑作選企画として、今回は2016年7月10日配信『水道橋博士のメルマ旬報』Vol89 に掲載の川野将一さん ラジオブロス「Listen.64 永六輔『六輔七転八倒九十分』(TBSラジオ)」を無料公開させていただきます。  本原稿は、川野さんが永六輔氏の番組終了に伴って執筆し、死去の報道の前日に配信したものです。  是非、一人でも多くの人に読んでいただければと思っています。  (水道橋博士のメルマ旬報 編集/原カントくん) 以下、『水道橋博士のメルマ旬報』Vol89  (2016年7月10日発行)より一部抜粋〜
川野将一『ラジオブロス』 -----------------------------------------------------------◇ Listen.64 永六輔『六輔七転八倒九十分』(TBSラジオ) ( 2015年9月28日〜2016年6月27日 毎週月曜 18:00〜19:30 放送 )
【訃報】「永六輔、ラジオ生放送中に大往生」     昨日午後7時20分過ぎ、TBSラジオ『六輔七転八倒九十分』の生放送中に     パーソナリティの永六輔氏(本名・永孝雄)が東京都港区赤坂のTBSのスタジオで     亡くなった。先週までの1か月間は体調を崩し番組を休んでいたが、昨日は病院の     診察を受けてから娘の永麻理さんとともに参加した。しかし、番組後半のコーナー     「六輔交遊録 ご隠居長屋」で永氏の反応が全くないことに出演者のはぶ三太郎が気付き、  一同が呼びかけ救急医も駆け付けたがそのまま息を引き取った。永氏の最後の言葉は、     外山惠理アナウンサーに対して言い間違えた「長峰さん」だった。享年83。 
本人が望んでいた最期とは、例えばこんな感じだったのだろうか。 1994年出版、200万部を売り上げたベストセラー『大往生』の最後に自分への弔辞を書き、 1969年放送の『パック・イン・ミュージック』(TBSラジオ)では旅先のニューギニアから 帰国できなくなったアクシデントを逆手に、"永六輔、ニューギニアで人喰い人種に喰われる!" という番組を放送し、各メディアが巻き込まれた騒動の大きさから警察にも怒られた。
これまで度々、自らの「死」をネタにしてきた偉大なるラジオの巨人ではあるが、 冷静に考えれば生放送中に亡くなることは、机の下のキックやマイクで殴ることよりも悪質である。 しかし、冠番組を失った今、その有り難いいやがらせを受けるチャンスもなくなった。
1967年から2013年まで、平日の10分間、46年間続いた『永六輔の誰かとどこかで』。 1970年から1975年まで、毎週土曜日6時間半放送された『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』。 1991年から2015年まで、24年半続いた『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』。 さらに1969年から1971年の間の土曜深夜は『パック・イン・ミュージック』も担当し、 1964年から2008年放送の『全国こども電話相談室』では回答者としても活躍。 子供に向け、若者に向け、高齢者に向け、ある時期のTBSラジオとは「永六輔」のことだった。 重要なポイントは生放送の番組はすべて週末に固めていたことである。
「放送の仕事をするならスタジオでものを考えてはいけない。  電波の飛んでゆく先で話を聞いて、そこで考えてスタジオに戻ってくるべきだ」
ラジオパーソナリティの仕事を始めた時、恩師の民俗学者・宮本常一に言われたことをずっと守り、 平日は全国各地へ。1年のうち200日は旅の空。久しぶりに家に帰ると「いらっしゃいませ」と 迎えられるのが常だった。1970年から始まって今も続く、永とは公私ともに長い付き合いである 『話の特集』元編集長の矢崎泰久が初代プロデューサーを務め、自身がテーマソングを作詞した 紀行テレビ番組『遠くへ行きたい』(日本テレビ系)もそのスピリッツを受け継いだものだった。 いつも、自分で足を運び、自分の目で見て、自分の耳で聞いたことが、その口から伝えられてきた。
だからこそ、かつてのように自らの足で自由に出かけられなくなったとき、 自らの口からはっきりとした言葉で伝えられなくなったとき、激しく悔やんだ。 2010年、パーキンソン病が確認された永は「ラジオを辞める」ことを考えた。 だが、ラジオ界の盟友である小沢昭一に相談すると、激しく鼓舞された。
小沢「やめんな!絶対やめんな!しゃべらなくていい!ラジオのスタジオにいればいいんだ!」
病とともに生きる永が自分を奮い立たせる意味も込めて度々披露するエピソード。 改めて、放送とはその場の"空気"を伝えること=「ON AIR」であることを再確認した。
2015年9月26日、 永はリハビリと闘いながら、放送局は聴き取りにくいという一部リスナーの批判とも闘いながら 24年半続けてきた番組『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』が最終回を迎えた。 永の口から語られたのは、出かけた旅先と思い出と、出かけられなかった悔しさだっ���。
永「東北の地震で未だふるさとに帰れない人が多い。   デモには僕の仲間もいっぱい歩いてるんで気にはなっていた。   だけど、車椅子でああいうところに行くとものすごく迷惑になる。皆が気を使ってしまう」
1960年、日米安保条約に対して、永は大江健三郎や谷川俊太郎など、 同世代の作家や芸術家たちと「若い日本の会」を結成し反対運動をおこしていた。 当時、国会議事堂近くにアパートを借り部屋でテレビの台本を書いていた永は、 「部屋にこもって仕事をしている場合か」と国会前に駆け付け仲間達のデモに合流した。 台本がなかなか届かず待っていたテレビ局の担当者は、さては?と国会前に探しに来た。 見つかった永は「安保と番組、どっちが大事なんだ!」と問われ「安保です」と即答し、 構成を担当していた日本テレビの番組『光子の窓』(日テレ系)をクビになった。  
2016年4月〜6月に放送された、黒柳徹子の自伝エッセーを原作としたNHK総合ドラマ 『トットてれび』。そのなかで角刈り姿の若き永六輔を演じたのが新井浩文だった。 1961年〜1966年に放送されたNHK初期のバラエティの代表作『夢であいましょう』を再現した シーンにおいて、錦戸亮演じる坂本九が「上を向いて歩こう」を歌うや、永は怒号を飛ばした。
「なんだその歌い方は!ふざけてるのか君は!  ♪フヘフォムウイテ アルコフホウ〜、そんな歌詞書いた覚えないよ!」
永六輔が作詞し、中村八大が作曲し、坂本九が歌う。 「六八九トリオ」によって誕生し、同番組では「SUKIYAKI」のタイトルで広まったとおり、 すき焼きを食べながら進行する特集も組まれた、世界的大ヒット曲「上を向いて歩こう」。 だが、そのロカビリー少年の歌い方は、千鳥風にいうと"クセがすごい"もので、 当時、作詞した永が頭に来ていたのも事実だった。
永「僕ね、自慢じゃないけど、テレビのレギュラーで番組が終了になるまで続いたのは、   『夢で逢いましょう』くらいなんです。それ以外はだいたいケンカして辞めている」
『創』2009年5月号の矢崎泰久との「ぢぢ放談」で披露された永の"自慢話"。 1956年、コント・シナリオの制作集団「冗談工房」の同じメンバーで、 2015年12月9日に亡くなるまで、永のラジオ番組に手紙を送り続けた野坂昭如。 パーティーでの大島渚との大立ち回り動画でもよく知られるそのケンカっぱやさは、 実は永六輔も持ち合わせ、2013年6月の『たかじんNOマネー』(テレビ大阪)での 水道橋博士にも受け継がれている、生放送での途中降板も常習となっていた。
1968年、木島則夫の後を引き継ぎ『モーニングショー』(テレ朝系)の司会に抜擢された 永は「僕は旅するのが好きだから」と急遽司会を断り全国を駆け巡るレポーターに変更。 番組第1回は北海道の中継先からオープニグの第一声を任されていたが、アクシデントで番組は スタジオから開始。ずっと雪の中で待っていた永はそのままマイクを放り投げて帰ってしまった。
1994年放送の『こんにちは2時』(テレ朝系)。 自身の著書『大往生』の宣伝はしないと取り決め出演オファーを受けたものの、 当日の新聞番組欄には「永六輔・大往生、死に方教えます!」と載っていた。 文句を言ったところ、冒頭で新聞に掲載されていた内容と異なることを説明するとして 出演したが、結局断りがないまま進行し「皆さんでやってください」と退場した。
「今行けば自分が先頭に立てる」と思い夢を持って始めた開局当時からのテレビの仕事。 構成作家として台本を書き、出演者としてしゃべりまくり、小説家の"シバレン"こと 柴田錬三郎から「テレビの寄生虫」と呼ばれながらも「何が悪い」と続けていたが、 我がままに嫌われるような行為を連発し、自ら発展の基礎を作ったテレビ界を撤退した。 以降、たまに出る度「テレビに出られて良かったですね」と言われることをネタにしている。
度々本人の口から語られるテレビ界の問題として「関わる人が多すぎる」ことがある。 責任の所在がはっきりせず、企画の趣旨がねじまがり、連絡ミスなども誘発しやすい。 裏方と出役の両方を体験する永の意見は現在においても的確で、優れているとされる 人気番組は、内容はもちろんだが、その目に見えない部分の環境の良さを聞くことも多い。
パーキンソン病の先輩、マイケル・J・フォックスが主演する、 1989年公開映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』。 そこで描かれた未来の舞台、2015年10月、 日本では永遠に続くと思われたラジオの未来が書き換えられた。
土曜日午前の4時間半の番組から、月曜日夕方1時間半の番組へ。 四半世紀続いた長寿番組の重荷を降ろし、2015年9月28日から新番組がスタートした。 47歳の永がタモリとともに『ばらえてぃ テレビファソラシド』(NHK総合)に出演していた頃、 1981年9月11日、東京・渋谷ジャンジャンで行われたときのイベント名は、 『六輔七転八倒九時間しゃべりっぱなし』だったが、ラジオ新番組のタイトルは 『六輔七転八倒九十分』。それでももちろん"しゃべりっぱなし"というわけにはいかない。
「パーキンソン病のキーパーソン」。 永は自身の病気の回復力について語る時、いつもそのように笑いを交えて伝えている。 それが議論の的になっているのは新番組が始まってからも変わらなかった。 『誰かとどこかで』で「七円の唄」というリスナー投稿コーナーが設けられていたように、 ハガキ1通7円の時代から始まった永六輔のラジオ番組の歴史。 今は52円となったハガキで、時にパーソナリティへの抗議が寄せられるのが切ない。
「病気の話を笑いながらしないで」「病気を楽しそうに話さないで下さい」...。 番組はいろんな病気を抱えている人が聴いている。だが、それを納得しながらも、 「楽しくしちゃったほうがいい、どうせ話をするなら」という姿勢を永は貫いている。 事実、永六輔には「すべらない"病気の"話」が多すぎる。その特選2話。
第1話「ジャカルタの留学生」。 リハビリの勉強のため日本に来ていたインドネシア・ジャカルタの留学生。 永の担当に付いた彼は「姿勢を良くして下を見ないで歩きましょう」と歩き方を指導し、 「日本にはいい歌があります。『上を向いて歩こう』って知っていますか?」と聞いた。 永が嘘をついて「知らない」と返すと、歌うジャカルタの留学生に付いて病院内を歩くことになり、 全ての医者や患者から注目を浴びることに。日本の先生に事態を説明すると、 「真面目に勉強をしに来ている若者に嘘を付かないでください」と注意され、 留学生に実は歌を知っていたことを打ち明け、「知っているのは僕は作ったからです」と言うと、 ジャカルタの留学生は、「あー、また嘘ついてる!」。
第2話「タクシーの事故」。 ある日、永が新宿からタクシーに乗ると別にタクシーに衝突される事故を起こす。 左肩打撲など全治三週間の大怪我を負いながらも、事故直後の警察からの質問に、 名前も住所もサラリと答える永六輔。救急車に乗っても救急隊員の真似をして「出発!」と言い、 慶応病院に受け入れを断られると、「こないだ、大学野球で早稲田が慶応に勝っちゃったから?」 とおどけまくる。そこで冷静になって気づいたのが、自分がパーキンソン病の患者であること。 それまでろれつが回らなくて困っていたのに、事故を受けてから流暢にしゃべっている自分。 そこから子供のころ、調子が悪いとき刺激を与え感度を良くしようとして、 それをひっぱたいていたことを思い出した。「俺はラジオかよ!」。
『六輔七転八倒九十分』になって放送時間は短くなったが "放送時刻"が夕方になったことにより「声が出やすい」という吉を招いた。 だが、本人の"調子の良さ"と"呂律の良さ"が比例しないのがパーキンソン病の やっかいなところで、本人がうまく話せていると思っていてもそうではない時がある。
永「僕は今、携帯を左手に持ちました」  「はい、今、下から上へ、フタを開けました。で?」
家族の安心、自身の安全のために無理矢理持たされた携帯電話。 2012年、『誰かとどこかで』で話題となった、遠藤泰子が特別講師を務めた、 79歳で挑戦する「世界一やさしい携帯電話の掛け方講座」シリーズ。 手紙を愛する永の文明・文化の進化に対する嫌悪はよく知られているが、 テクノロジーの発展のなかには、リスナーのために改善されたラジオの技術もある。
「永さん、声は技術でなんとかしますから大丈夫です」。 パーキンソン病を公表してからインタビューを受けた「東京人」2011年3月号で、 永六輔の「声」をオンエアしていくために検討されたスタッフとのやりとりを明かしている。 スタッフから知らされたその技術は、その場で発せられた声を5つに分割し、 その中で一番聴こえやすい音域だけを活かして、その他の聴こえづらい音域は消す。 アナログのレコードがデジタルのCDに変わるようなその提案を、永は丁重に断った。
永「その声は僕らしくない」  「だったら何言ってるかわかんなくていい」
何の言葉を言っているかではなく、その言葉をどのように伝えているのか。 ここに"活字"とは異なる、"音声"の「言葉」に対する永のこだわりがよくみえる。 それを象徴するような一曲がある。
「逢いたい」 作詞・永六輔、作曲・樋口雄右、編曲・久米由基
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『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』で人気を博したコーナー 「あの人に逢いたい」で流されていた、ただ「逢いたい」という言葉が72回繰り返される曲。 同じ言葉がイントネーションによって変わり様々な物語を想像させるこの曲を、 言葉がひとつしか出てこないことを理由に、音楽著作権協会は「作詞」とは認めなかった。 2001年出版『永六輔の芸人と遊ぶ』のなかで永六輔は誓っている。 「話し言葉だから伝わるニュアンスが無視される危険性があります。  僕はそれを阻止するためにも、この『逢いたい』の著作権を認めさせてみようと思っています」。
永「ラジオは嘘を付けない」
永から直に聞いた、しゃべりで真実が見抜かれてしまうラジオの恐さを 常に肝にめいじマイクに向かっている芸人に、カンニング竹山がいる。 鈴木おさむが構成&演出を務める竹山の定期単独ライブ『放送禁止』。 その2013年版は「お金とは?」をテーマに、1年間365日、毎日違う1人に 「あなたの幸せと思う事に使ってください」と1万円を渡し続ける記録の講演だった。 その中で「1万円渡す時に最も緊張した人」の第1位に挙げていたのが永六輔だった。
1万円を渡すチャンスは『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』。 竹山がゲスト出演した時のCMタイム中の2分間に限られていた。 外山惠理は竹山とは当時放送されていた『ニュース探究ラジオ DIG』で コンビを組んでいるため、最悪フォローには回ってくれる。 だが、スタッフの懸念は、企画の趣旨を永が2分間で理解してくれるかにあった。 しかし、永六輔の反応はそこにいる全員の予想を裏切った。
永「あのねー、それ、おんなじこと、僕やってたよ。昭和30年代終わりか40年代かな。   1年お金配り続けたら面白いねーって言って、1000円配り続けた」
芸人の先輩として竹山の予想を出し抜き、 放送作家の先輩として鈴木おさむを陵駕する反応。 負けず嫌いなところを含めて、永六輔は現役感を剥きだしにして1万円を受け取った。 筆者が観覧した回、当の永六輔が東京・博品館劇場の観覧席にいた。 外山惠理の手を借りそろろそろりと退場していく様子を、観客一同が拝むように見送っていた。
   2016年1月31日『ピーコ シャンソン&トーク 我が心の歌』                 ゲスト:永六輔(体調がよろしければご出演)    2016年4月17日『松島トモ子コンサート』                 ゲスト:永六輔(当日の体調が良ければ出演予定)
いつの頃からか、演芸ライブの会場には、 永六輔の断り書き付きのゲスト出演を知らせるポスターやチラシが目立つようになった。 残念ながらピーコのライブへの永の出演は叶わなかったが、ピーコ自身は、 『土曜ワイド』から引き続き『六輔七転八倒九十分』にもヘビーローテーションで出演。 昨今メディアでよく見る白髪の永によく似合う赤やピンクの服はピーコのチョイスである。 そんな身だしなみも含め、2001年に"妻の大往生"を迎えて以降、永は自分が現場に足を運んで 才能を見出してきた全ての人々から、大きな励ましと恩返しを受けている。
永「髙田(文夫)さんは出来ないの?」
2015年11月9日、松村邦洋がゲスト出演した回、 リスナーからのものまねのリクエストに矢継ぎ早に応えていくなか、 永が唯一自分からリクエストをしたのが、しゃべる放送作家の後輩「髙田文夫」だった。
1947年10月スタートの連合国軍占領下の番組、 音楽バラエティ『日曜娯楽版』(NHKラジオ)にコント台本を投稿した、 中学3年生の永は、高校生から構成作家として制作スタッフとなり、 早稲田大学の学生となってからその中心的メンバーに。三木鶏郎にスカウトされ、 「トリローグループ」の一員となり放送作家、司会者として活動を活発化させていった。
1969年から1971年、『パック・イン・ミュージック』の土曜日を担当し、 時に2時間半かけて憲法全文を朗読するなど"攻め"の放送を行っていた永のもとに、 ネタを送り続け採用を重ねていたのが、日本大学芸術学部で落研所属の髙田文夫だった。 ある時意を決し、長文の手紙に「弟子にしてください」と書いて、永に送った髙田。 永からの返事は「私は弟子無し師匠無しでここまで来ました。友達ならなりましょう」。
その20年後、『ビートたけしのオールナイトニッポン』の構成作家を経て、 『ラジオビバリー昼ズ』などで活躍をしている髙田に、永は再び手紙を送る。 「今からでも遅くはありません。弟子になってください」。
そんなパーキンソンの持病と心肺停止の過去を持つ、幻の師匠と弟子は、 2014年1月と9月に『永六輔、髙田文夫 幻の師弟ふたり会 横を向いて歩こう』を開催。 TBSラジオとニッポン放送、両局のリスナーが押し寄せた、 東京・北沢タウンホールの最前列で観たそのトークイベントが、 今のところ筆者が肉眼で観て聴いた、永六輔の最後の記憶である。
それ以前にステージで観たのは、2014年3月21日、東京・赤坂BLITZで開催された、 「我が青春のパック・イン・ミュージック」への特別出演だった。 「当時はまだ"深夜"に"放送"が無いのが当たり前だったから、 "深夜放送"という言葉も日本語として存在しなかった」という発言は、 車椅子に座って語られるからこその歴史の重さと有難みを感じた。
白髪と頭皮が目立つ観客席で40代の筆者が若造になる、 『パック・イン・ミュージック』の歴代パーソナリティが集う同窓会イベント。 晴れやかなステージを見上げながら、観客はそこには立てなかった、他界したDJの顔も 思い浮かべていただろう。野沢那智、河島英五、福田一郎、愛川欽也、そして林美雄...。
1970年〜1974年に放送された『林美雄のパック・イン・ミュージック』。 柳澤健の近著『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』にも 記されている通り、若者たちのカルチャー、アンダーグラウンド文化の担い手となった、 木曜日深夜3時からのその枠は、本来、同期入社のTBSアナウンサー・久米宏に任されていた。 だが、結核により久米は1か月で降板。病気を治して暇を持て余しているところを、 『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』のレポーターに抜擢され人気を獲得した。
"ゲラゲラポー"から"ケンポー"まで。 永の想いを受け継いだ「憲法ダンス」を考案したラッキィ池田の 『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』でのレポートの模範には、 マイクが集音する響きの良い革靴の音を研究し、ヌード撮影現場などの 過激な現場も土曜午後用の生の言葉で伝えてきた、久米宏の高い中継スキルがある。
以降、久米宏は、永が一線を画したテレビを主戦場にしたことが大変重要で、 2年半前、この連載の第1回で『久米宏 ラジオなんですけど』を取り上げたのは、 テレビから還った"ブーメラン・パーソナリティ"としてのラジオでの存在価値からだった。 『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』の直後に始まる番組として、 東日本大震災時、リスナー1人ずつとリレーしながら「見上げてごらん夜の星を」を歌うなど、 毎週リレートークを行う永を敬いながらも刺激を与えてきた。
『六輔七転八倒九十分』でも体調不良から休むことが多くなった永六輔。 たまにスタジオに来たときにサプライズ扱いされることは逆に心苦しかっただろう。 日頃は永が来ないことに不満なリスナーも、久々の精一杯の声を聴いたら聴いたで、 「本当に大丈夫なんですか?」「どうぞ家でゆっくり休んでいてください」と心配にまわる。 その日のニュースや天候よりも、永の体調を確認することが生放送の趣旨になってしまっていた。
永も番組でその名前を挙げたことのある、同じパーキンソン病のモハメド・アリ。 その訃報が伝えられた1週間後、番組のXデーも永の所属事務所からの手紙により伝えられた。
「永六輔は昨年の秋ごろから背中の痛みが強くなり、またその痛みは寝起きする時や  車椅子の乗り降りの際、つまり体を動かす時に特に強く現れていました。(中略)  永六輔本人はリスナーの皆様にまた声をお届けしたいと思っており、日々努力しておりますが、  パーキンソン病ということもあり、十分な体力回復にどのくらいかかるかはまだめどが  ついておりません。ここは一旦、自分の名前の付いた番組については締めくくらせて  いただいた上で、ぜひまたお耳にかかる機会を得たいと考えている次第です」
返事を書かないのに「お便り待っています」とお願いするのはありえないと、 番組にお便りをくれたリスナーの一人一人に返事を書いていた永六輔。 そんな真摯な気持ちを持つパーソナリティだけに、自分が不在の冠番組の存在は 体の痛みを超えるほど、どれだけ心を痛めるものであっただろうか。
2016年6月27日放送、最終回のスタジオにも永六輔の姿はなかった。 長峰由紀は永から「書けない漢字、読めない漢字を使うな」と叱咤された思い出を話し、 永とは長い付き合いの精神科医で元ザ・フォーク・クルセダーズのきたやまおさむは、 「くやしかったらもう一度出て来いよ!」と戦争を知らない世代の代表として激励した。 そして番組後半、最後の最後にテレビの収録を終えた黒柳徹子が駆け付けた。
2005年9月、『徹子の部屋』(テレ朝系)の収録にペ・ヨンジュンが来たとき、 ゲスト控え室の「ペ・ヨンジュン様 ○○個室」と書いてあるボードを見た徹子は、 「ここのスタジオにいることが分かったら大変!」と名前を「永六輔様」に書き換えた。
対して、永は『誰かとどこかで』の鉄板ネタとして黒柳のエピソードを持っている。 その昔、静岡に行った時、黒柳は駅から見えた綺麗な山を見て地元の人に 「ねえ、あの山、なんて言うんですの? ねえ!ねえ!」と聞いた。聞かれた女性は 本当に可哀想な人を見るような目付きでぼそっと答えたという。「・・・富士山です」。
通算40回。テレビを卒業した永も『徹子の部屋』だけは出続けている。 テレビ・ラジオの創世記から活躍する、そんな関係性の二人だからこそ、 ただ1人だけに向けられたエールを、リスナーも温かく見守ってくれる。
黒柳「永さーん、起きてるー! ラジオって言ったら、永さんしかいないのよー!!」
翌週、2016年7月4日から同枠で新番組が始まった。 『いち・にの三太郎〜赤坂月曜宵の口』。 メインパーソナリティは先週まで永のパートナーとしてしゃべっていた、 毒蝮三太夫の弟子である、株式会社まむしプロ社長の、はぶ三太郎。 その相手役を長峰由紀と外山惠理が交代で出演する、信頼の顔ぶれである。
テーマ曲には永が作詞した「いい湯だな」が使用され、 「六輔語録」というコーナーがTBSに残された永の様々な時代の音源を流す。 もちろん、これが引き継いだ番組としての正しい在り方なのだろう。 だが僕は、思い切って「永六輔」を一旦完全に失くすことも望んでいた。 それが、後ろ盾をなくした自分で切り開くしかない新パーソナリティへの励みにもなり、 自分の声も名前も失われたラジオの存在こそが、永六輔の新しい始まりに繋がるからだ。
かつて『全国こども電話相談室』で小学2年生の女の子に、 「天国に行ったらどうなるんですか?」と聞かれ、永は答えた。 「天国っていいとこらしいよ。だって、行った人が帰ってこないもの」。 確かに晩年までマイクの前に座っていたラジオ界の神様たち、 小沢昭一も、秋山ちえ子も、かわいそうなぞうも天国から帰ってくる気配は来ない。 だからこそ、大往生を遂げる前に、永六輔にはやるべきことがある。
物心がついた子供の頃からラジオで様々な演芸に触れ、 中学時代に投稿し、高校時代から70年間ラジオ制作に関わってきた人間は、 初めてラジオから離れた人生を過ごす今、何を想い、何を感じ、何を考えるのか。 もう一度スタジオに来て、ブースに入り、マイクの前に座り、 それをスピーカーの向こうの、リスナー1人1人に伝える必要がある。
それまでゆっくり待たせてもらおう。 ただ情けないことに、リスナーの僕たちは それが叶っても叶わなくても、目からこぼれてしまうのだろう。 例え、上を向いて歩いても、きっと涙がこぼれてしまうのだろう。
『水道橋博士のメルマ旬報』
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