#日本ディジー
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sgurumiyaji · 9 months ago
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今日のおはジャズ「Trane's First Ride Vol.1」John Coltrane '51
若き日のコルトレーンが聴けるレアなアルバムですが、実質ディジー・ガレスピーのリーダーバンドの実況録音です。ビブラフォンは恐らくミルト・ジャクソン。トレーンを聴くというよりは、全盛期のビバップを愉しむという感じ。
後に「Soul Trane」というアルバムで録音され、シーツオブ・サウンドと評されたGood Baitがここでも聴かれますが、あの吹きまくりのトレーンとは異なり、ここでは大人しめ。逆に、隣で吹きまくるディジーを羨望の眼差しで見つめるコルトレーン…って情景が浮かびます。それが後のプレイに繋がるのでしょうね。
音数も少なく控えめなコルトレーンですが、その歌い方やエキゾチックなメロディーラインは既に「コルトレーン」そのもので、この後、激しいスタイル・チェンジを繰り返す訳ですが、根本は変わって無いんだな…というのが分かります。
余談ですが、昨夜、訳あって自分のファースト・アルバムを2曲程聴く事になったのですが、その際も「こんだけ色んな音楽に影響受けて来て、スタイルチェンジも繰り返して来たのに、根本的には変わらないんだなぁ…」と我ながら思いました。
それだけ若い頃に影響受けた音楽ってのは、その人の根幹を形成する重要なものであり、その後影響受けるものは枝葉であり、大樹になる為の装飾的なものなんだな…と感じます。若い頃に何を聴いたかが如何に重要かを、このアルバムを通して考えさせられました。
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picolin · 23 days ago
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BFI London Film Festival 2024
今年は合計8本見た。
2024年10月12日
Eight Postcards from Utopia
by Radu Jude & Christian Ferencz-Flatz
Curzon Mayfair
1990年代から00年代にかけてのルーマニアのTVCMを8つのテーマに分けてザッピングするアーカイヴ映画。冷戦後の90年代に洪水のように投資についてのCMが作成されていたことに震撼する。その後「旧西側」の映像言語に染まっていく様もよくわかる。
On Becoming Guinea Fowl 
written & dir. Rungano Nyoni
Vue West End
『I am not a Witch』のルンガノ・ニョニの新作。車で帰宅途中、シュラは叔父が道路の真ん中で死んでいるのを発見する。そこから葬儀に至るまでに、彼女といとこたちが叔父から受けた虐待について、そしてk彼の(シュラたちよりも階級の低い)妻の家族に対する仕打ちについて明らかにされていく。葬儀という、どこでも因習が深く根を張る儀式を通して親族間の性虐待と階級の残酷さをドライなユーモアとシャープな映像で描く。最終的に階級の話に持っていくあたりはやはりUK (ウェールズ)の作家だなあという印象を持った。
2024年10月17日
Soundtrack to a Coup d'Etat 
written a& dir. by Johan Grimonprez
BFI NFT2
ベルギーのJohan Grimonprezによるドキュメンタリー。1961年、ベルギー領コンゴでパトリス・ルムンバが首相となったことから国連において米ソ、そして「第三勢力」としてのアジア・アフリカの旧植民地国間の対立が激しくなる。同時にUSはルイ・アームストロングをアフリカに、ディジー・ガレスピーをワルシャワ条約機構下にある国に「ジャズ大使」として派遣し、ソフトパワーによる影響強化を図る。同時にUSではマルコムXらをリーダーとする公民権運動が本格化していた。1960年代のアフリカ独立ラッシュ、USにもソ連にもつかないオルターナティブを求めた国々と、現在まで続くコンゴの天然���源搾取と虐殺について、ブルーノートレーベルのジャケットデザインを思わせるなグラフィックデザインとシャープな編集、モダン・ジャズの名曲で語る意欲作。
The Invasion
written & dir. by Sergei Loznitsa
BFI  NFT4
セルゲイ・ロズニツァの新作はロシアによる侵略下にあるウクライナの銃後の市民を、5~10分程度の短編のアンソロジーとして編んだドキュメンタリー。もともとはフランスのTV局、アルテからの短編映画の委嘱が最終的に一編の長編映画になったもの。戦死者の葬儀から結婚式、学校、病院、軍事訓練、地雷撤去、ロシア語書籍の廃棄(個人的にはこのシークエンスが大変すごいと感じた)といった「戦時の生活」がただひたすら映される。男性が概ね軍服姿で折に触れて空襲警報が聞こえてくる、そんな中でも聞こえてくるユーモラスなやりとりと屈しないレジリエンスを、ただひたすら淡々と写し続ける。
2024年10月19日
Flow
written & dir. by Gints Zilbalodis
BFI IMAX
ラトビアのアニメ作家ギンツ・ジルバロディスの新作。洪水の中、一匹の黒猫が犬(レトリーバー)、カピバラ、ツル(?)、ワオキツネザルと共に船に乗り、人間の住んでいた痕跡のある場所を冒険する。クレジットからしてオープンソー���のグラフィックソフトblenderを使用して作成されたようで、動物の毛並みや羽毛の繊細な表現はないのだが(IMAXではやや逆効果だったかもしれない)、嵐や地殻変動のダイナミックな表現は大変な迫力。正直複数の動物のシークエンスは人間キャラクターでやることをかわいい動物で行っている感が否めないが、ネコの生態をよく写した描写はとてもかわいい。
Pepe 
written & dir,. by Nelcon Carlo De Los Santos Arias
BFI NFT2
ドミニカのネルソン・カルロ・デ・ロス・サントス・アリアスの作品。コロンビアの「麻薬王」と呼ばれたパブロ・エスコバールに飼われていたカバの一匹、ぺぺの目から見た世界とかれの運命をめぐる顛末。ナミビアから連れてこられたぺぺはアフリカーンス、ムブクシュ、スペイン語の3言語で独白する。前半はアフリカからコロンビアに連れてこられたぺぺの観察、後半は近所の川へと逃げたのちに起こる沿岸の村での騒動からその最期までを人間目線で描く。正直後半が退屈で、全編ぺぺ目線で通して欲しかった。
きみの色 
written 吉田玲子
dir. 山田尚子
Prince Charles Cinema
山田と吉田という『けいおん!」コンビによる長編アニメ。人物や音に色を見る共感覚者のトツ子は、同学年のきみに美しい青色を感じていたが、彼女が高校を退学したことで彼女の意外な一面を知ることとなる。美麗な画像と色彩で魅了するアニメ。キャラクターの感情はあくまで微温で示され、各々の事情にも深くは言及されず、行動も一定の善意と距離を持って常にとられている。実際の共感覚者のありかたを示すというよりは、ストーリーの起動装置という扱いである。キャラクターの繊細な演技(作画と声優)が美しい。
2024年10月20日
Grand Theft Hamlet 
written & Dir. by Sam Crane & Pinny Gryllis
BFI IMAX
2021年、COVIDパンデミックによるロックダウンで俳優のサム・クレーンとマーク・オスターヴィーンは本職が干上がり日々Grand Theft Auto Onlineで時間を潰していた。ふとそんな時にゲーム中で誰もいないアリーナを見つけ、そこでハムレットを上演するアイデアを思いつく。サムとマーク、サムの配偶者で映像作家のピニーは出演者を募り、世界中から様々なプレイヤーがやってくるが、そもそも暴力に最適化されたゲーム世界、ロックダウンが終了しオフラインに戻っていく参加者たちといった困難のなかでそう簡単にことが進むわけはない。これはそのストリーミング上演までの道をゲーム上のやりとりのみで構成したドキュメンタリー。奇天烈なアイデアがロックダウン中の困難な状況下に演劇を行うことの意義を問うことまでに到達していく様子をゲーム上の無意味な殺し合いを交えながら描く、他ではちょっと見ないタイプの作品。
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norikofromtokyo · 2 years ago
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Montauk daisies & bee 🐝 今朝は3℃まで冷え込みました。寒いからか蜂さん🐝触っても逃げなかった。 日本ディジーが咲くと直ぐ寒くなる時期だから、好きだけど憂うつになる花🌼 #montaukdaisy #nippondaisy #nipponanthemum #nipponicum #bee #日本ディジー#白い花 #ウチの庭に咲いてます #花のある暮らし (Rhode Island) https://www.instagram.com/p/CjgMSk4Jqy2/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kubotty · 4 years ago
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音楽のススメ359
本日はDizzy Gillespierからの繋がりで、米国よりKenny Clarkeをご紹介していきます。
Kenny Clarke(ケニー・クラーク)とは、1914年米ペンシルバニア州生まれのアフリカ系ジャズドラマー。ビパップのジャズドラミングスタイルを築き上げた一人。
1940年代初頭にNYの老舗ジャズクラブ「ミントンズ・プレイハウス」のハウスドラマーとして参加し、ビバップの誕生・黎明期~モダン・ジャズへの過渡期のシーンの中心におり、シドニー・ベシェ、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、セロニアス・モンク、カーリィ・ラッセルら主要なイノベーターらと協演。
多くのミュージシャンらがミントンから巣立つ中で、若いピアニストで作曲家のジョン・ルイス、ヴィブラフォン奏者のミルト・ジャクソン、そしてベーシストのレイ・ブラウンも加わり、「モダン・ジャズ・カルテット」を結成。
晩年は主に���リで暮らし、1985年にモントルイユにて71���で死去。 1988年、「ダウンビート」誌の「Jazz Hall of Fame」に推挙される。
三連符を基調としながら、フィル・インで8分音符や16分音符の連打を用いることも多いテクニックはビパップドラムの完成形ともされており、とくにアート・ブレイキーとマックス・ローチについては同世代のドラマー達の中でもこのフレーズが顕著に現れている。
色んな伝説や歴史はミントンズや、コットンクラブといったジャズクラブから始まっています。マフィアとの黒いつながりは勿論良くありませんが、そういう方々の資金力と影響力があってこそ、音楽も広がったことを加味すると、それ自体を完全に否定することは出来ないし、果たして悪なのかどうかも分かりません。
本日はケニーの名演が光る、Bepopを体現したテレビパフォーマンスを。これ何て曲名なんでしょう。何でもそうだけど、涼しい顔してすごいことを難なくやってのける姿が一番かっこいい。
Kenny Clarke  / Bebop
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kari3622-blog · 2 years ago
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Oscar Peterson & Dizzy Gillespie 二人の巨匠、華麗なピアニストのピーターソンとお洒落なトランペット奏者のディジー・ガレスピーの正真正銘、二人だけの名演奏を収めた大傑作デュオ・アルバム、私としては大発見! それにしても、二人とも凄まじいテクニックです。だからと言って、決して我が儘ではないし、ちゃんと調和しています。 1974年11月28,29日, Advision Studios, London, England録音、#PabloRecords ‎(2310-740)、日本のポリドール「世界初の音の革命」SAL74 System(MW 2165)。Pabloのデュオ企画の第1弾として発表されたのが本作、Pabloお得意のモノクロ写真にスクリプト書体のジャケット。 収録曲の半分は"Caravan","Autumn Leaves"など超有名なスタンダード・ナンバー、ガレスピーのオリジナル曲と二人の即興によるブルースと言う構成。何てお洒落なアルバムなんでしょう。またしても思いがけ��い出会い、ジャズは底知れない魔力がありますね。 さらに、音質も目の前にいるかのようなリアリティーで素晴らしいです。突き刺さるようなディジーのトランペットの音色も嫌味が全くありません。勿論、Sumico Pearlの繊細な表現力あってのこと。センターにディジー、ピーターソンは背後を取り囲むように左が低音域、右が高音域。立体感が素晴らしい。 難解なジャズが主流の70年代ですが、とても分かりやすいノリノリのハイスピード&ハイセンスな最上級の名演純粋ジャズ。彼らの経験に裏打ちされた独特の解釈で、二人の世界に吸い込まれてしまいます。 ピーターソンは70年代、毎年のように来日、日本での人気はこの頃がピーク。Pablo Recordsでは物凄い勢いでレコーディングを行い、この時期だけで20枚以上のアルバムを発表。その中でも特に注目を浴びたのが、本作を含む大物ミュージシャンとのデュオ企画で、「ピーターソンと誰それ」というタイトルのアルバムが10枚もあるらしい。これはまた、集めてみたい気になりますね。 #OscarPeterson (p) #DizzyGillespie (tp) Producer - #NormanGranz Liner Notes - #BennyGreen Photography - #PhilStern Side A A-1."Caravan" (Duke Ellington, Irving Mills, Juan Tizol) A-2."Mozambique" (Dizzy Gillespie, Oscar Peterson) A-3."Autumn Leaves" (Joseph Kosma, Johnny Mercer, Jacques Prévert) A-4."Close Your Eyes" (Bernice Petkere) Side B B-1."Blues for Bird" (Gillespie, Peterson) B-2."Dizzy Atmosphere" (Gillespie) B-3."Alone Together" (Howard Dietz, Arthur Schwartz) B-4."Con Alma" (Gillespie) 本作でディジーは1976年のグラミー賞Best Jazz Performance by a Soloist賞を受賞していたという絶品中の絶品なんです! ディジーはどうもその生前、日本においての人気は今一つ... 。40年代アルト・サックス奏者のチャーリー・パーカーとともに、それまでのスウィング・ジャズに変わる現代につながる新時代のジャズ、ビ・バップ創始者として知られるジャズの歴史上の重要人物の一人なのですが... 。 どうやら、ディジーがステージで時折見せる、彼特有の楽しませようとするユーモアを交えたパーフォーマンスが、当時日本の生真面目なジャズファンの間では、軽薄で不謹慎な振る舞いと受け取られてしまい、その音楽自体も聴くに値しないものと敬遠されてしまったことにその原因があったとか。あぁ~残念。 #jazz #fuzey #vinyl #jazzvinyl #vinylcollection #ジャズ #スイングジャーナル #レコード #stayhome *作品を知るとジャズはもっと輝きます。情報くださる先輩諸氏に感謝。 https://www.instagram.com/p/CknQMDiPpxj/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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compose-counter-sense · 3 years ago
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本日はディジーも一緒に涼を求めて近所の川へ❗️ 2人ともショーツ着用ですが、 セロは履いてないみたいだし😅 ディジーのレスラー的空気感は抜群👻 https://www.instagram.com/p/CS81jfYFZ64/?utm_medium=tumblr
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daisy-messenger · 4 years ago
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チック・コリアの訃報を受けてそういえばと思って。
デイジーの近所にビトーさんていうおじさんがちょっと前まで住んでいました。彼は吹上にあったマンボランドというライブスペースのオーナーで2017年(?)にマンボランド閉めた後は新栄にアカンタレっていう同じスタイルのスペースを経営していました。
彼はビトー山口という名前で東京キューバンボーイズのティンバレス奏者でした。マンボランドでアフロキューバンやる時によく誘ってくれて何度か見に行きましたが、コンガとドラムなんですがその演奏にはぶっ飛ばされました。音圧、グルーヴ、とにかくすごい迫力で、ディジー・ガレスビーやケニー・ドーハムのアフロキューバンのアルバムで聞いたあの感じがまさにって感じでした。
戦後地元の神戸のバンドで叩いてましたがジョージ・シアリングの来日公演で見たパーカッショニストに感銘を受け弟子入りを懇願、サンフランシスコまで来たら面倒見てやるって言われて渡米。といっても飛行機でピューッと行ったんじゃなくて、あるライブで演奏を気に入ってくれた人が、”船持ってるからサンフランシスコ行きたいならいついつにどこどこに来い“って言うので行ったら貨物船に乗せられサンフランシスコまで船員として働きながら何ヶ月もかけて行ったそう。
”本当に来たのか!”と言ったその師匠はあのモンゴ・サンタマリアの一番弟子(名前は忘れました)で、師匠が紹介してくれた最初の仕事がカル・ジェイダーのグループ(!)での演奏。そのバンドのピアノがチック・コリアだったそうです。この頃の話をもっと聞けばよかった��ー。
僕が趣味でオルガン弾くって言うと、昔自分のグループで新人の山下洋輔のためにハモンド買ったことがあると!すごい名前がいっぱい出てくるのでもうなんだかって感じです。
バブルの頃はクラブを何軒も経営してて世界中飛び回ってて、ホリプロの新人教育係としてアグネス・チャンを育て、布施明のバンドを率いていたと。この辺の話は現在のヤクザっぽい見た目から容易に想像できます。
日本中を旅しながら気に入った土地でライブハウスをDIYで作って(内装、電気、水道、なんでも自分でやってました)信頼できる人に譲ってまた別の土地へ、名古屋は結構長かったみたいですが、オールジャンルの演奏をやらないと運営できない、自分の好きなアフロキューバンをもっとやってたい、って言うことで2021年の春に広島に引っ越しました。
広島市のちょっと外れたところでやってるアフロキューバンのライブハウスに、いつか行ってみたいです。
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wasite · 4 years ago
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WASITE.store 2020.10.11 now OPEN (リフィルのみ 調香はできません) 今日の海 1919年の今日! ジャズドラマー アート・ブレイキー誕生!!!(〜1990) アメリカのペンシルベニア州ピッツバーグ出身、 アフリカ系アメリカ人で、 日本とも暖かい親愛と友情を持ってくれた! ドラマーになった経緯がまず異色。 初めはピアニストでNY中を活動! で、ある夜クラブで弾いてると、マフィアのボスがピアニストを連れてきて弾かせた。 「こ、こいつのほうがうまいやんけ!」 ボス「お前は太鼓でも叩いてな!」拳銃ちらり。 「ぐぬぐぬぬぬぬ・・・」 でも初めは誰でも下手。 盟友トランペッター・ディジー・ガレスピーに相談。アドバイスをもらうと みるみるうちに上達! ブレイキーの有名な奏法は 「ナイアガラ・ロール」!!! そして大成し、1961年に初来日! その時日本のファンから記念写真をせがまれた。 それにショックを受けるブレイキー!!! なぜ? 「お、おれは黒人だぞ? 一緒に写真に収まってもいいのか?」 と驚いたと言う。 (1960年代よ?アメリカの人種差別問題がいかに根深いか) ファン「そんなこと知ってます!ぜひ一緒に!」と答えて、 ブレイキー大喜び!日本大好き!!!(それだけじゃないけど) ブレイキーの曲には "Ugetsu(雨月)" On The Ginza(オン・ザ・ギンザ)" と日本がテーマになったものもある。 一度は日本人の奥さんをもらったこともある。 自分の息子の名前は「太郎」!! 日本酒大好き!! 千鳥足でステージに上がったりもしちゃうw 日本のドラムメーカー「Pearl」と契約、死ぬまで使う。 1965年の初春。ブレイキーのコンサートは2時間の熱演を終えて幕。 会場の興奮は冷めない! お客さん、全然帰らない! その時っ! 数人の少女たちが、ドラムを抱えて舞台裏へ突入!!! 「WHAT !? 」 少女たちはたどたどしい英語で、 「わたしたちは 鼓笛隊 の メンバー です」(英語でね) そして 「ぜひ 教えて欲しい!」 あまりの熱意にブレイキーのドラム講座が始まってしまう! 少女たちのあまりの真剣さに心を打たれたブレイキー。 日を改めて教えようって約束し、 後日本当に彼女たちにレッスンを行った。 その一連のことを後に彼らが語るのですが、 素晴らしい・・・ 「鼓笛隊員の一生懸命な姿に、  彼も背広を脱ぎ捨て、すぐスティックを取って、  全魂をこめてたたき出しました。  『形式や、形で打つのではない。ハートで打つのだ!』  ……全身から噴き出る汗をぬぐおうともせず、  巨体でリズムをとり、シャシャーンとシンバルを打つ。  すさまじい迫力。  教える側と教わる側が一体になった練習が約1時間続きました。  約束の時間を過ぎても、彼はやめようとしない。  最後に、汗と涙でくしゃくしゃの顔で  『私は、日本の本当の姿を見た。日本は私のふるさとだ』  と語り、舞台のそでに駆け込んで、  マネジャーと抱き合い、号泣していたといいます」 出典が『法華経に知恵』第六巻なところが謎?要確認 聴きたくなった? アート・ブレイキー!? 大ヒット曲は「モーニン」 有名な曲だから聞けば「あーーーー!これね!」で体が動く! 「ハートで打つ」ドラムは、 胸にくる。 ブレイキーのドラムには、ビートだけじゃない滑らかな音色に現れる 「美しさ」があるのです。 今日はブレイキーのジャジーな秋の日曜日を。 今日もよき日を。 #WASITE #ワシテ (WASITE) https://www.instagram.com/p/CGMAKmADti8/?igshid=16am70d915nlb
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nishitaga-eye-clinic · 4 years ago
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【正解】 今朝のCDジャケット問題の 正解を発表いたします。  Dizzy Mizz Lizzy 「ディジー・ミズ・リジー」 1994年  デンマークが誇るロックバンドです。 クラッシックを彷彿させる美しいメロディと、変拍子と転調を繰り返す独特の音楽性で その当時グランジロック全盛期の時代において、全世界を驚かせた名盤です。  本当に捨て曲がないというか、アルバム自体が全体を通して作品となっております。 正直このアルバムくらいしか知らないのですが、 何度か活動休止開始を繰り返して、現在も活動しています。 今年も新しいアルバムを出しています。 かなり壮大な作りになっていて、独特な音楽性は今もなお健在です!  ロックが好きな人は、まずこのデビューアルバムを聴いてみてください! 今聴いても古臭い感じなど微塵もありません。 自信をもっておすすめします。  【おすすめ曲】 「Waterline」 「Glory」 「Barbedwired Baby's Dream」 「Silverflame」  #眼科 #仙台 #白内障 #結膜炎 #緑内障 #ドライアイ #視力 #目 #メガネ #眼鏡 #コンタクトレンズ #眼瞼下垂 #眼帯 #アレルギー性結膜炎 #太白区 #鈎取 #西多賀 #長町 #長町南 #八木山 #秋保 #秋保温泉 #名取 #長町モール #日帰り手術 #CDアルバム #CD #CDジャケット #DizzyMizzLizzy #ディジーミズリジー (西多賀眼科医院) https://www.instagram.com/p/CF4DS-uAZH8/?igshid=1ifu37jmhunh0
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sgurumiyaji · 2 months ago
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本日のおはジャズ「James Moody's Moods」'54&'55
阿佐ヶ谷マンハッタンでディジー、クラーク・テリー、ズートとの4フロントで演奏して��ビデオを観せて戴き、これはチェックせねば!と買ったアルバム。
そのビデオでは、他のプレイヤーのマイクの高さ調整を常に買って出る気の遣い様(笑)。しかし、ソロでは凄まじいテクニックで16分音符を吹きまくるという2面性。しかし、彼を含め全員が比較的柔らかい音質で演奏していたから、元々ビバップってそんなに音を張らずにクールに演奏するもんなんだ…と、改めてその動画で感じたのでした。https://youtu.be/k-WwhDh894g?si=xuoxjBhfZWGaFFJg
さて、このアルバムはバーンズ(tp)とのクインテットやセプテットでアレンジを聞かせるものが同居してますが、基本は自身のテナーとアルトをフィーチャーしてます。フルートは吹いてません。
A面はプレステッジお得意のブルースなどのセッション・チューンでご機嫌伺い。ムーディはいきなり高速フレーズを吹き倒します。フレージングの高速と低速がスイッチの様に切り替わるのが最初凄く抵抗が有ったのですが、何回か聴くうちに少し慣れて来ました。
B面はアルトをフィーチャーしたバラードを2曲連続で。実は若い頃にクインシー・ジョーンズの「Q's Jook Joint 」('95)で「Moody's Mood For Love」(https://youtu.be/F_ixsMxVQlE?si=AMdXkFsNaTr6KipJ)のアルトを聴いて、スムース・ジャズ的な印象しか無かったのですが、こんな超バップ系の人だったんだと今更知った次第で、どうもすいません。ヘンタイ好きなので、フェバリットになるか?と言えば微妙ですが、テクニックに関しては驚愕に値します。
OJCですが、ヴァン・ゲルダーによる録音で非常に良いサウンドです。
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corner1-22 · 5 years ago
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_    FilMelange , DIZZY    丸めのポケットが愛すべき ずれた位置にいるT。  ムラ感のある少し太めの糸を使っているので、 少し肉厚なヴィンテージのような風合い。 着るとFilMelangeならではの気持ちの良さ。   color : snow melange / black melange  size: 3 ・4 ・5  price : ¥9,000 + tax    【当面の営業につきまして】   新型コロナウィルス感染症の感染拡大を受け、 当面の間営業をアポイント制とさせていただきます。  事前にご来店の希望日時・お名前・お電話番号を メールまたはDMにてお知らせください。  確認できましたら返信をお送り致します。  ホットドッグのテイクアウトもしています。  ・  これからの季節を迎えるのに良いもの、 色々届いています。  ・  online store に掲載できていない物に つきましても、通販や詳細など どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。  ・   皆さま、いつも本当にありがとうございます。 今、行動を抑えることでお会いできる時を楽しみに。   #filmelange #フィルメランジェ  #ディジー #corner122  #CORNER #苦楽園 #夙川 #西宮 (Corner) https://www.instagram.com/p/CACOP0WFmkG/?igshid=1kqa8fbz3c1ah
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norikofromtokyo · 4 years ago
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Montauk daisies have blossomed so far. 🌸 別名: 日本ディジーが咲き出しました。この花が咲き終わると長い冬がやってくる。#montaukdaisy #nippondaisy #nipponanthemum #nipponicum #白い花 #ウチの庭に咲いてます #花いじり初心者です #flowerlovers (Rhode Island) https://www.instagram.com/p/CF3RkGpnSDd/?igshid=d9vhcjkau2ot
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shochang-highlifeheaven · 5 years ago
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第9章:E.T.メンサー、ダンス・バンド・ハイライフの王様
E.T.メンサー、またはメンサーとして知られる彼は、1919年にアクラで生まれた。
かつて、ダンス・バンド・スタイルで演奏された、都会的でモダンなハイライフを開拓したのは、彼のバンド、テンポスである。
E.T.メンサーは、アクラ・オーケストラに小さな男の子のフルート奏者として、参加したことで音楽的キャリアが始まった。 アクラ・オーケストラは、スクールボーイ・バンドをもとに、1930年頃にティーチャー・ランプティによって結成された。
ジェームズ・タウン小学校の校長だったランプティは、1920年代初頭に結成されたガーナで最初のダンス・オーケストラのひとつ、ザ・ジャズ・キングスのメンバーだった。しかし、戦前で最も有名なオーケストラとなったのは、彼のアクラ・オーケストラで、メンサー、ジョー・ケリー、トミー・グリップマンなど、ガーナのトップ・ミュージシャンの多くがそこで演奏した。
その後、メンサーと彼の兄であるイエブアは、彼ら独自のアクラ・リズミック・オーケストラを結成する。1939年にキング・ジョージ・メモリアル・ホール(現在の国会議事堂)で行われたラムベス・ウォーク・ダンス・コンペティションを受賞した。
イエブア・メンサーは、”ハイライフ”という名称の由来について、以下のコメントを残している。
「1920代前半、私が幼年期の頃、”ハイライフ”という名称は、ロジャー・クラブ(1904年に建てられた)のようなダンス・クラブの周りに集まって、クラブの中で楽しんでいるカップルを見るためにやって来た人々によって作られた。”ハイライフ”は、ジャズ・キングス、ケープ・コースト・シュガー・ベイビーズ、セコンディ・ナンシャマン、少し後には、アクラ・オーケストラなどのバンドによってこのクラブで演奏された、特定の曲のキャッチ・ネームとして始まった。クラブの周りにいた観衆たちは、6ドル7セントの比較的高い入場料を払わなければならなかったし、おまけにシルクハットを含む、フル・イブニング・ドレスを着なければならなかった。周りで見ていた彼らには、中に入るカップルの"クラス"にとてもじゃないけどついてけなかったので入ることはできなかった。だから彼らは、中で演奏されている曲を”ハイライフ=ハイライフの連中の為の曲”と呼んだのさ」
 アメリカとイギリスの軍隊が駐留していた第二次世界大戦中には、ハイクラスなダンス・オーケストラが彼らに囲われた。駐留していた彼らは、ジャズとスウィングをもたらし、ナイトクラブでは、”カラマズー”、”ハバナでの週末”、そして”ニューヨーク・バー”と言った名前でパーティーが開催され、進駐軍の彼らはダンス・コンボを結成し、地元のミュージシャンを交えてプレイした。
最初のコンボは、レオパルド軍曹によって結成された、ブラック・アンド・ホワイト・スポッツだった���メンサーは、1940年に兄のオーケストラを去り、レオパルドのジャズ・コンボにサックス奏者として参加している。スコットランド人のレオパルド軍曹は、イギリスにおいてはプロのサックス奏者だった。メンサーによれば、ジャズのテクニックを教えてくれたのはレオパルドだったと言う。
「イントネーション、ビブラート、タンギング、そしてブレス・コントロールの正しい方法を私たちに教えてくれたのはレオパルド軍曹だった。彼のおかげで、私たちの技術は町の平均的な基準を超えたものになったんだ。」
 戦後、メンサーはガーナ人のピアニスト、アドルフ・ドクとイギリス人エンジニアのアーサー・ハリマンによって結成されたテンポスに加わった。結成当初、バンドは何人かの白人兵士を巻き込んでいたが、戦争が終わってヨーロッパ人が母国に去ったとき、バンドは完全にアフリカ人だけとなり、メンサーは最終的にリーダーになった。
 それは7人組のバンドで、メンサーがトランペットとサックス、ジョー・ケリーがテナー・サックス、そしてガイ・ウォーレン(コフィ・ガナバとしても知られている)がドラムだった。
ガイ・ウォーレンはイギリス留学していて、アフロ・キューバンとカリプソを演奏していた為に、バンドに重要な貢献をした。おかげで、テンポスはジャズのタッチで演奏しただけでなく、カリプソをレパートリーに組み入れ、ボンゴとマラカスをラインナップに追加した。
“テンポス・スタイル”となったその独自のハイライフは大流行した。
 1950年代初頭までにバンドは西アフリカをツアーし、英国のDeccaにてレコーディングを開始した。薬剤師が本業だったメンサーは、これによって完全にプロフェッショナルのミュージシャンになることができた。
1950年代、メンサーが西アフリカの至る所で”ハイライフの王様”と称賛されたのは、西アフリカ郊外の農村地域ではパームワイン・スタイルのハイライフが人気であったにもかかわらず、ボールルーム・ミュージックと植民地時代のオーケストラが、都会のダンス・シーンでは人気があったためだった。
ナイジェリアでは、コンコーマやジュジュ)のようなミュージックや、昔ながらのパームワイン・ミュージックは、田園地帯や都会の中でもロウ・クラスのナイト・スポットで演奏されていた。
 一方で、ハイクラスのナイトクラブでは、ボビー・ベンソン、サミー・アクパボット、エンパイア・ホテル・バンドのようなダンス・バンドが人気で、スウィング���ジャズとボールルーム・ミュージックのみが演奏されていた。しかしメンサー達のテンポス・スタイルのハイライフはすぐに彼らに影響を与え始め、ヴィクター・オライヤ、エディー・オクタ、E.C.アリンゼ、レックス・ローソン、チャールズ・イウェブエ、ヴィクター・チュクウ、チーフ・ビリー・フライデー、インニャン・ヘンショウ、キング・ケニートーン、そして、ロイ・シカゴのような、まったく新しい世代のナイジェリアのダンス・バンド・ミュージシャンを生み出した。
テンポスは、これらの成熟したナイジェリアのダンス・バンドのミュージシャンだけでなく、若き日のヴィクター・ウワイフォにも影響を与えた。
ヴィクター・ウワイフォはこの物語を裏付ける -
「私はE.T.メンサーと彼のテンポスがベニンシティで演奏する時はいつも観に行っていた。彼らのギタリスト、ディジー・アクアイェに会いに行っていて、いくつかのコードを見て勉強した。私はギターのコードブックを持っていて、そこに書いていたんだけど、コードの図がわからなかった。でも、ディジーが助けてくれたんだ。」
ジョー・ケリー、トミー・グリップマン(後にレッド・スポッツを結成)、サカ・アクアイェ、スパイク・アニャコル(後に自身のバンドを結成)、レイ・エリス、そして最初の女性ヴォーカリストであったジュリアナ・オキネ —彼らはすべてガーナ出身— など、多くのミュージシャンがテンポスの指導を受けては巣立って行った。そこにはナイジェリア出身のジール・オニア、そしてベビーフェイス・ポール・オサマデもいた。
E.T.メンサーのテンポスは、1970年代にE.T.メンサーが引退するまで、ハイライフを広く普及させた。
私がE.T.メンサー、"ハイライフの王様(1986年にOff the Record Pressによって出版された)"を書いたとき、アクラのダウンタウン、ジェームズ・タウンにあるテンプルハウスに住んでいた(1974-1979頃)。
メンサーは何度も私を訪ねて来たが、彼は家の裏側にあった古いテニス・コート(今は工場だが)で開かれていたコンサートで、少年の時にシルクハットとテールで着飾った「大人」へ演奏する為に、ティーチャー・ランプティのアクラ・オーケストラと一緒に来たことがあったことを思い出した。
奇妙なことにパーカッション奏者のコフィ・アイヴァーも1960年代そこに住んでいた。そして私が去った後、クリス・ベディアコ(ア・バンド・ネームド・ベディアコとサード・アイ・グループのリーダー)は、そのアパートに引っ越してきた。だから、この家は、音楽と強いつながりがあった。
家はコンサートを後援したトーマス・ハットン・ミルズというガーナの弁護士によって1900年頃に建てられた。彼の娘のバイオレットは、素晴らしいクラシック・ピアニストだったが、父の秘書になるために、渋々プロの音楽的キャリアをあきらめなければならなかった。
彼女は1971年に亡くなり、私に家の歴史を教えてくれたのは、彼女の義理の息子と娘、トムとバルビル・ウィタッカーで、彼らは私の家主だった。音楽的遺産のために、彼らは私のブッカー・バンドが家でリハーサルすることを決して気にしなかった。
悲しいことに、E.T.メンサーは、長い病気の後、1996年7月に亡くなった。
続く。
(by J. Collins)
(HIGHLIFE HEAVEN)
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kubotty · 4 years ago
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音楽のススメ356
本日はJohn Coltraneからの繋がりで、米国よりThelonius Monkをご紹介していきます。
Thelonius Monk(セロニアス・モンク)とは、1917年米ノースカロライナ州生まれのジャズピアニスト・作曲家。6歳の時からピアノを始め、多少は正式なレッスンを受けたが、ほとんどが独学であったとされている。(文献が残っておらず諸説あり)
10代の頃から教会のオルガニスト、NYのクラブ「ミントン」のバンドピアニストとして活動。40年代初頭より、ジャズ・ピアニストとしての活動を始め、1944年に自身の最初のスタジオ録音をコールマン・ホーキンス・カルテットと共に行った。1947年にバンド・リーダーとしての初めての録音、そしてビバップの誕生を告げたチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーの『バード&ディズ』に参加。 1950~1960年代はライブと録音とをこなしたが、1970年代の始めからは、舞台から姿を消した。1971年に最後の録音が行われ、彼の生涯の最後の10年間はごく数回の演奏が行われたのみ。モンクの伝記を執筆したロビン.D.G.ケリーによれば、精神科医はモンクが双極性障害(躁鬱病)の可能性があることを見逃していたという。1982年に脳梗塞で亡くなる。
彼の死後に、その魅力や音楽が再発見されることで、今日ではマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンなどと並び、ジャズの歴史における優れたアーティスト、巨人の一人に数えられている。1988年、クリント・イーストウッドは、モンクの生涯と音楽についてのドキュメンタリー、 『ストレート・ノー・チェイサー』を制作しているので見たいところ。
本日はマイルスとモンクの緊張の共演と言われた1954年の「The Man I Love (Take2)」を。この曲の聞き所はやはり5:40に突如入るマイルスのオブリ。これには諸説ありますが、5:28でモンクが突如ピアノソロをやめてしまい、それを壁際で見ていたマイルスが「続けろ、続けろ」というサインで吹いたとされています。気持ちだけTpの音が遠いのはそのせいなのかな。5:28~39までのリズムだけが鳴る10秒間の緊張感。無言の圧力、そういう耳で聞いてみると面白くないですか。
Miles Davis / Thelonius Monk - The Man I Love(take2)
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kari3622-blog · 2 years ago
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Earl Hines Orchestra '45~'46 3枚目のノスタルジックは、前出の10年後、'40年代のアール・ハインズ、大変貴重なVogue盤(MONO / YX-7002)です。センター・ラベルがとても可愛らしいです。 本盤はTOHO RECORDSからの日本盤、岩浪洋三氏の詳細ライナーによると... コレクターズ・アイテムでありながら今日まで日本で陽の目を見なかったのが、'40年代の初めから中頃、ビ・バップ時代のハインズ・ビッグ・バンドの演奏。その一部しかレコードとして残っていないが、ビリー・エクスタイン・オーケストラと共にビ・バップ誕生期に果たした役割の大きさを認識させてくれると。 さて、音質に関しては残念ながら前出のVictor Vintage Seriesのようにはいきません。ステレオ・カートリッジだと当時そのままの狭いラジオ・レンジが若干喧しく感じてしまいますが、Grado MC+ MONO ならさほど気にならずにタイムスリップできると思います。ホーンの音なんかは、懐かしさ満点ですよ。 演奏は、前出の'30年代のスイング時代と比較してみると大変興味深いと思います。スイング期のムードはそこはかと残しつつ、そこから進化した当時はかなり最先端のバップ・ジャズの始まりが聴けると思います。 ちなみに本作の少し前、'43年頃のハインズ楽団には、ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、ベニー・ハリス、ベニー・グリーン、ウォーデル・グレイらが在籍、ビリー・エクスタイン、サラ・ヴォーンもこの楽団出身ですが、ハインズは'42年5月から'44年1月まで全くレコーディングをしていません。今日、パーカーやガレスピーが加わったハインズ楽団の演奏は正式レコーディングで聴くことは出来ないと。 大変残念なことですが、バップ期のハインズ楽団による演奏としては、このVogue盤が最も貴重らしいです。音源は、ARA、スターリング、ジャズ・セレクションといったマイナー・レーベルを原盤とする吹き込みで、この時期はハインズ楽団がバップの香りを持っていて、ウイリー・クックやベニー・グリーン、ウォーデル・グレイらの名手が加わっており、演奏もモダンで傑出したもの、発売が待望されていたらしいですね。 #FatsPalmer (tp) #WillieCook (tp) Arther Walker (tp) #BillyDouglas (tp) #BennyGreen (tb) Dickie Harris (tb) CliftonSmall (tb) Pappy Smith (tb) Scoops Carey (cl, as) Lloyd Smith (as) #WardellGray (ts) #KermitScott (ts) John Williams (bs) #EarlHines (p) Rene Hall (g) Gene Thomas (b) Chick Booth (ds) Bill Thompson (vib) #EssexScott (vo) Arthur Walker (vo) Dolores Parker (vo) A-1 "Let's Get Started" A-2 "Blue Keys" A-3 "Spooks Ball" A-4 "Straight Life" A-5 "Ain't gonna give, Nobody None Of My Jelly Roll" A-6 "Now That You're Mine" A-7 "Margie" B-1 "Trick A Track" B-2 "Throwing The Switch" B-3 "Bamby" B-4 "Oh My Aching Back" B-5 "Rosetta" B-6 "At El Grotto" B-7 "Nonchalant Man" 1945年9月LA録音 Side A-3, B-6, 7 1946年4月LA録音 Side A-4, 6, 7, B-5 1946年6月LA録音 Side A-1, 2, 5, B-1, 2, 3, 4 ORIGINAL REC. BY: VOGUE PIP/FRANCE #jazz #fuzey #vinyl #jazzvinyl #vinylcollection #ジャズ #スイングジャーナル #レコード #ビニールレコード *作品を知るとジャズはもっと輝きます。情報くださる先輩諸氏に感謝。 https://www.instagram.com/p/ChJEjZxvIAI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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moofire01 · 6 years ago
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1,26(土) WELL CHARGE  ■Selector MASTER MEDIA fr. 愛媛 THUNDER KILLA  KAMY fr. Specialist MOOFIRE  OPEN 24:00 ¥1500/1d  Club CACTUS 港区南青山1-15-18リーラ乃木坂B1F 03-3408-9577 http://www.clubcactus.jp/  ------------------------  1960年代、米英ではJAZZやSOUL、ROCKがそれぞれの文化や社会情勢に影響されながら発展、流行していたが、ジャマイカではそれら世界の流行音楽を飲み込み、咀嚼した独特の音楽「SKA」が誕生する。 ユネスコ世界遺産に登録された「REGGAE」の原点「SKA」は今なお多くの音楽ファンの心を掴んで離さない。そんな「SKA」の魅力を改めて考える。  ■ THE SKATALITES と JAZZ ジャマイカの音楽において最もジャズの影響を強く感じさせるバンドはもちろん「スカタライツ」である。自らのルーツであるカリプソやメント、ナイヤビンギ等のカリビアン・ミュージックから、当時先端のチャーリー・パーカーやジョン・コルトレーン等の所謂モダン・ジャズに多大な影響を受けている。 ホーン陣、トミー・マクック、ローランド・アルフォンソ、レスター・スターリング等のサックス、ジョニー・ディジー・ムーア等のトランペット、そして、中でも、ドン・ドラモンドのトロンボーンは、アメリカ人ジャズ歌手、サラ・ヴォーンも大絶賛をした程である。 ホーン・セクションを支える強力無比なリズム陣、ロイド・ニブスのドラムス、ロイド・ブリヴェットのアップライト・ベース、そして、ジャッキー・ミットゥーのピアノやオルガン、、 彼らは、ジャズ・オーケストラの形から真に独自の音楽を作り出した。  また、当時のポピュラー・ミュージック(映画音楽やスタンダード・ナンバー、民謡、ザ・ビートルズや日本の歌謡曲に至るまで)から、実に幅広く素材を求め、クールでモダンなアレンジにより、オリジナルを超えてしまった事もしばしばだ。そして、独特なエキゾティシズムを湛えたオリジナル・チューンもまた素晴らしい。  1960年代当時のモダン・ジャズのトレンドの一つである、"モーダル"の方法論を取り入れた作曲と、各ソリストのクールかつ、火を噴く様な熱いソロ、様々なリズムを融合して出来た、ロック的とも言えるあの野性味溢れる独特のビートは正に白眉である。 特に、二ブスが叩き出すスカ・ビートはそのまま後々のレゲエにおける"ワン・ドロップ"ビートに直接の影響を与えているのは間違い無い。  ■SKAからROCKSTEADYへ  スカタライツ等が発明した��カが徐々に変化して行くのは1966年頃だが、その傾向はテンポが徐々に遅くなって行った事が大きな特徴と言える。 スカのベースラインは4ビートだが、スカに変わる新たなトレンド、ロックステディは、アメリカのソウル・ミュージック等に影響された、主にエレクトリック・ベースギターや、エレクトリック・ギターのユニゾン等で弾かれる複雑なベースラインが、スカとの大きな違いだろう。 そして曲自体も、当時のアメリカのソウル・ミュージック的な、モダンで甘く洗練されたメロディやコード進行等のアレンジが主流となる。  文 : Naokqi Doodah ( The Tokyo Blue Mountains, The dADaPhONiCS )  --------------------  1960年代、ジャマイカで生まれた音楽の魅力をベテランセレクターお2人を迎え、堪能する夜「Well Charge」お見逃しなく! (Club CACTUS) https://www.instagram.com/p/Bs4kZzSndO1/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=ariu42ykag01
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