#日建学院盛岡校
Explore tagged Tumblr posts
Photo
法務局一階駐車場からの大原学院!じゃなかった大原学園! 早く着きすぎ、午後は日建学園!じゃなかった日建学院でおセミナー! #八幡平市 #二戸市 #一戸町 #滝沢市 #雫石町 #盛岡市 #岩手町 #盛岡 #雫石 # #法務局 #登記事項要約書 #土地 #公図 #大原学園盛岡校 #大原学園 #日建学院 #日建学院盛岡校 #おセミナー #セミナー #学院 #学園 #4号特例 #4号特例縮小 # (Hachimantai-shi, Iwate, Japan) https://www.instagram.com/p/Cn5vJe-hcTF/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#八幡平市#二戸市#一戸町#滝沢市#雫石町#盛岡市#岩手町#盛岡#雫石#法務局#登記事項要約書#土��#公図#大原学園盛岡校#大原学園#日建学院#日建学院盛岡校#おセミ���ー#セミナー#学院#学園#4号特例#4号特例縮小
1 note
·
View note
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)3月3日(日曜日)
通巻第8158号 <前日発行>
TSMCが熊本に半導体工場を開設。メディアは度を超えた過熱報道
しかし第一工場は28ナノ量産、第二工場は7ナノ半導体でしかない
*************************
TSMCが熊本に半導体工場を開所した。報道の過熱ぶりたるや、開所セレモニーには百台のカメラ、台湾の主要テレビもこぞって取材にやって来て、いわく。
「日本に黒船。台湾TSMC日本進軍、日台協力意義強固、帯来復興」などとお祭り騒ぎのように報じた。しかしこの工場、日本政府が4760億円を助成したのだ。
熊本県菊陽町にTSMC工場は東京ドーム4・5個分の広さを誇り、地下4階建て。付近の道路に大渋滞が発生、台湾の技術者がすでに350名。将来は700名、また日本国内での技術者も大量に採用されたため第一に人口増加、第二にショッピングモール、レストランの台湾食材シフト、第三に住宅価格の暴騰。第四が賃金の大暴騰となった。
2月24日の開所式に台湾からはTSMCの創設者=張忠謀(モリス・チャン。92歳)、CEOの劉徳音、CCOの魏哲家らが顔をそろえ、日本側は蒲島県知事、斉藤健・経産大臣、歴代の甘利明、萩生田光一らが馳せ参じて壇上でのテープカット。
またトヨタ、ソニー、デンソーの経営トップの顔が並び、岸田首相はオンラインで画面にあらわれ、TSMCの第二工場には7320億円の日本政府助成金を公約した。翌日の『熊本日日新聞』は一面トップ記事。ただし、TSMC第二工場は「熊本県内。東京ドームの七個分」と発表されただけで、場所の明細は伏せられたまま。
開所式で注目はモリス・チャンの発言である。かれは台湾を代表してAPECにも出席する世界の顔だが、こう言ったのだ。「いまから56年前に、わたしはTI(テキサス・インスツルメント)のエンジニアとして初めて来日した。ソニーの盛田昭夫氏と半導体の将来を語り合った���その夢が、56年後に実現した。この半導体工場は『第一の波』であり、日本の『半導体ルネッサンス』になる」。
正確を期すとTSMC熊本工場というのは正しくない。正式社名はJASMである。
日本と台湾TSMCの合弁企業(日本半導体製造会社)でTSMSが86%の筆頭株主だが、トヨタ(2%)、デンソー(5%)、ソニー(6%)と日本企業も株主である。
工場は鹿島建設が請け負い、24時間の突貫工事、二年足らずで完成した。とくに半導体の生命線である地下水の配慮が入念になされている。一日の水消費は8500噸、このうち75%がリサイクルされるという。
半導体に欠かせないウエハ、部品、半導体製造装置の維持管理など、台湾からTSMCの下請け、孫請け企業が17社。同時に熊本へ進出した。このため賃金が暴騰し、付近のレストランで求人募集しても時給1300円では人が集まらず、1500円(熊本県の最低賃金は898円)となった。
▼理工系のエンジニアが足りない
人材不足は熊本に理工系大學がすくないため佐賀、福岡、長崎、大分、宮崎、鹿児島県にも人材を求める。住宅価格は戸建てが3000万円だったのに、5000万円台に跳ね上がった。賃貸マンション、アパートの家賃も棒上げとなり、通勤列車は超満員。駅からバスになるので不便なため、バイク通勤も目立つ。
菊陽町は人口が43673人(23年末)を突破し、市制へ移行が日程に上った。
第二工場は第一工場より規模が大きくなり、7ナノを生産するが、1700名従業員予定のうち700名は台湾から呼び寄せることになる。
台湾ではすでに「新チップスクール」を設立し、留学生に奨学金を提供し、大學の新学部・大学院の充実を急ぎ、現在、国立台湾大学(NTU)、国立成功大学(NCKU)、中山大学(NSYSU)を含む9校のチップカレッジが設立された。
中国の電子メディア「THINK CHINA」はTSMCをして、「王冠の宝石」と書いた。
さてぬか喜びはこのくらいにして国家安全保障問題に視点を移すと、TSMCの熊本工場は2028年頃までに全ラインが量産にうつっても28ナノから7ナノまで、EV自動車、家電、スマホ用であり、このレベルの半導体は中国でも生産している。
ハイテクの半導体は1ナノ~2ナノである。TSMCは、台湾��2ナノ半導体を年内にも開始し、2028年には1・4ナノを生産する予定。米国アリゾナ工場では3ナノ生産を予定するが、地元労組が強く反対し、かなり遅れるだろう。
千歳に工場を建設中の日本のラピダスが2ナノの生産開始は2027年が目途である。日本の半導体ルネサンスはまだ遠いのである。
台湾の計画では、日本の量産はあくまでも差プラインチェーンの安定のためであり、最先端の半導体はあくまでも台湾で生産するということである。
7 notes
·
View notes
Text
2024年6月27日木曜日
病院の待合室にて21
くちずさむ歌はなんだい?��い出すことはなんだい?(3)
私が道を盛大に間違えたおかげで(せいで、じゃないです)、ビジネスホテルに着いた頃にはもう午後四時過ぎになっていた。中がどうなっているか未だによくわからないエレベーターみたいな立駐に車を突っ込んでチェックインし、荷物を部屋に放り込んで街へと繰り出した。駅の近くにホテルを取ったと思っていたのが、間違えて歓楽街の近くにホテルを取っていたおかげで(せいで、じゃないです)、すぐに良さそうな飲み屋があった。準備中とある。「何時からですか!」「五時!」まだ五時にもなってなかった。何軒か見て回ったが、最初のところが良さそうだったので、歓楽街をぶらぶらしたり、ソープランドのキャッチのおじさまに「どうですか?」と聞かれたのに対して「お疲れ様です!」と返したり(私が)、全ての成人した徳島県民が一度は待ち合わせしたことがあるであろう「アクティ前」の植え込みの階段になっている部分に腰を下ろしたりして時間を潰した。五時になった。「いいですか!」「七時までな!(七時からは予約でいっぱいでよ)」ということで無事に居酒屋に入店した。ビールだー!やったー!私がアルコールを口にするのは去年の忘年会/送別会以来のことなのだ。Tくんも私と同じように盛り上がっていたが、この人お昼もラーメン屋で瓶ビール飲んでました。私は忘れていません。ともかく乾杯だ。
あなたの人生には後悔がありますか?私にはあります。ここのお店で私たちが注文したメニューは、鯖の棒鮨、阿波尾鶏の唐揚げ、馬刺し、そして多量の生ビールだった。ねえ…お料理少ないって。どれもめちゃくちゃおいしかったのに、話に夢中で全然追加注文しないでやんの!ビールばっか飲んで!もっとお料理注文しないと!本当に後悔!いや、私が悪いよ、Tくんは全然悪くない。私がどんどん食べてどんどん注文すべきだったよね。そうしないとTくんも食べづらいよね。徳島の美味しいものをこれでもかと持ってきてもらうべきだった。何のために徳島に来てもらったのか。あのお店また行こう。今度は予約していこう。それは別の誰かと行くか、一人で行くということになるような気がする。ごめんねTくん。Tくんがまた来るって言うんなら止めないけどさ。(お料理の写真も当然撮ってません)
私たちが夢中になって話していたこと、そんなのはもちろん��話だった。今年で四十歳になる���学の同級生ふたりが居酒屋で夢中になって話すことなんて絶対に昔話だった。例えば。
「あのさ、僕ら主催ライブをやったよね?あれってさ…高校生になってたっけ?」
「いや、あれは中三の時だよ。あの時ね、なんかみんな煙草吸ってたでしょ?ガイアの前の道でもみんな普通に吸ってたから、近所の人なのか分からないけど、知らないおばさんに『あんたたち中学生でしょ?みんな煙草吸ってるけど、いいと思ってんの?』って言われて、『ああー、私高校行けない可能性出てきたなあ』ってぼんやり不安になったもん」
「あれ中三の時だったんだね。信じられないなあ。今でも夢だったんじゃないかと思うよ」
そう、私とT君で組んでいたバンドは主催ライブを行った事がある。あれは中三の…あれ?なんとなく春休みにやった記憶があるから、まだ中三になってないのかな?それとも中学卒業と高校入学の間の春休み?まあともかく、バンドメンバーである私とT君ともう一人のドラムを叩いてた子は、まだ全員十四歳か十五歳だった、と思う。会場はclub gaiaというクラブだった。JR沼津駅から徒歩六分(今調べました)、現在はもう閉店してしまったようだが、当時はもちろん営業中で、おそらく昼から夜にかけてはバンドのライブなどをやっていて、深夜帯はパーティーを中心としたクラブ営業をやっていたのではないかと思う。今ですらこんなあやふやな想像しかできないが、当時はそんなことは何ひとつ知らず、ありきたりな憶測すら出来ていなかったはずなのに、よくやったもんである。そもそも我々はこのclub gaia を電話帳で発見した。我々は電話帳を本当によく活用していたバンドだった。練習スタジオ(いわゆるリハスタ)が実はもっと近所にあるのではないか、と思って電話帳で探し、「スタジオなにがし」みたいなのを見つけて「あった!」と思いチャリで行ってみると、「バレエ・スタジオだった!がっかり」ということはザラだった(電話してから行きなよ。電話帳でしょ)。レコ屋を探してみたり、ライブハウスを探してみたり、同級生の自宅の電話番号を探してみたり(本当の話である。当時の我々は電話帳から同級生の家電(いえでん)を探し当てるくらいの能力は備えてしまっていた。携帯なかったしね。いきなり自宅に直電し、「君!ドラムに興味ないか!あるなら我々とバンド活動をしようではないか!」と勧誘したりしていた。今考えると完全にどうかしている)電話帳は情報の宝庫だった。そして電話帳の「ライブハウス/クラブ」の欄に載っていたお店のひとつがclub gaiaだった、と思う。我々捜索隊はそれを電話帳に発見するやいなや、ただちに現場に急行した(電話しなよ。まあ今考えるとビビってたんだと思われる。あと電話する用件が��い。建物を見たいだけだから)。gaiaは割と住宅街の中にあり、我々の持つ手がかりは住所しかないため(実際は電話番号も知っているけども)捜索は難航したのだが、日没前に見つけることができた。「おおー、あるんだ」と言ってその日は帰った。中学生は本当に暇である。本日の我々くらい時間が有り余っていた。
我々のバンドは「パンジー」と言って、もちろん花の名前からとったのであるが、「パンクでノイジー」というとても中学生的な意味もあった。パンジーは後に「ルーラ」という名前になったり、「べとべとさん」という名前になったり、「べとべとさんとぶるぶるちゃん」という名前になったりしたが、ここではパンジーという名義で統一する。パンジーはgaiaで主催ライブをする前に、国道一号線のとある交差点の北東にあったすみや(同じ交差点に「すみや」というグループのお店は三店舗あり、北東にあるのが楽器屋とスタジオ、南東がパソコン館、南西がCD屋だった。ちなみに北西はファミマ)の二階のスペースで開催されていた”Get in Live”(「入れライブ」て)で2回演奏した事があった。その二回のライブを経て、我々はライブハウスなどでも演奏したい!と思ったのだ。普通はブッキングライブに出よう、となりそうなもんなんだが、そういう仕組みは知らなかったのかな。あと沼津にはそういうライブハウスが多分なかった。三島にはゴリラハウス、富士にはアニマルハウスというライブハウスがあって(動物ばっかり。かわいい)、多分ブッキングライブなどもやっていたと思うが、我々は沼津市民だから沼津でライブしよう、レペゼン沼津!…と思ったのかな?忘れました。
中学生で主催ライブを行うなんてもの凄いことのような気がするが、細かいことは全然覚えていない。ここから先は(何ならここまでも)すべてうろ覚えですので、そこんとこよろしくお願いします。我々も含めて多分バンドは四つ出た。パンジーと飲波波波(ヤンパパパと読みます。金岡中のバンド)とあと二つのバンド(名前は失念)。もちろん昼の時間帯。私たちはなぜか最初に出たような気がする。演奏は多分めちゃくちゃ。コピーがメインだけど、オリジナルも演奏したような気がする。演奏が終わって誰かに「お疲れ様です」って言われて、「わあ、ミュージシャンみたい!」って嬉しかった記憶がある(そこ?)。クラブを借りるお金を捻出するために前売りチケットを売ったと思う。チケットはgaiaの人がデフォルトみたいなやつを作ってくれたのか、我々で作ったのか覚えていない。当日券で来る人もいた気がするが、いずれにせよライブの途中から適当になり、最終的にはフリーライブみたいになった。めちゃくちゃお客さん入ってた。そしてほとんどの人が煙草を吸っていた(みんな中坊。高坊もいたのかな?)。ライブはかなり盛り上がっていたと思う。gaia使��料の精算時、あんなに人が入っていたのに、お金が少し足りなかったので、「どうしよう…」となっていたら、対バンの誰かが「なに?足りないの?じゃあちょっと金作ってくるわ」と言って街へ消えていき、金を作って戻ってきた。お金って作れるんですね。全て終わって最後にみんなでフロアを掃除した。めっちゃ吸い殻落ちてた。あんなに大量の吸い殻を見たのは、四十年近く生きてきたがあの時だけである。
確かに今でもこんな主催ライブをしたのはあんまり信じられない。というか飲んでる時はこんなに細かく話していない。細かく話せば良かった。絶対盛り上がったのに。あとこの文章を書くに当たっても、あの時話しておけば、視点がもうひとつ増える事で正確性を増す事ができたのに。またしても後悔。後悔ばっかり増えている。酒の席の反省なんてしてはいけないのかもしれない。
つづく
2 notes
·
View notes
Text
"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端��折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
184K notes
·
View notes
Text
北九州市八幡西区における住環境の特性と魅力
はじめに
日本の福岡県に位置する北九州市は、その多様なエリアごとの特性で知られています。特に八幡西区は、その交通の便や自然環境の豊かさ、そして住宅地の静けさなどが魅力的な住環境を形成しています。本論文では、北九州市八幡西区における住環境の特性とそのメリットについて詳しく探求します。まずはじめに、八幡西区の地理的な特性とその基本的な特徴について概観します。
八幡西区の地理と基本的な特性
北九州市八幡西区は、北九州市の西部に位置し、広大な面積を持つ地域です。福岡市内へのアクセスが良好でありながら、豊かな自然環境に恵まれています。この地域は静かな住宅街から商業地域まで多様なエリアが広がり、それぞれが特有の魅力を持っています。
交通の便とアクセス
八幡西区の大きな利点の一つは、その交通の便です。北九州市内を走るJR九州や西鉄バスなどの公共交通機関が発達しており、福岡市内や周辺エリアへのアクセスが容易です。特に福岡市内での仕事や学校への通勤・通学に便利な立地条件があります。これにより、住民は比較的短時間で移動できるため、生活の利便性が高まっています。
自然環境の豊かさと住宅地の静けさ
八幡西区は豊かな自然環境に囲まれています。公園や緑地が多く、四季折々の美しい景色を楽しむことができます。特に家庭の多い地域では、子供たちが自然と触れ合う機会が豊富であり、健康的な成長環境を提供しています。また、住宅地の中にも木々や緑が多く、都会の喧騒を忘れさせるような静寂な環境が広がっています。
生活施設の充実
八幡西区では、必要な生活施設が豊富に整っています。スーパーマーケットやショッピングモール、病院、学校などが地域内に点在し、住民の日常生活を支えています。これにより、買い物や医療サービスの利用が便利であり、家族連れにとって安心して生活できる環境が整っています。
教育環境の充実
地域内には多くの教育機関があり、良好な教育環境が提供されています。小学校や中学校、高等学校まで幅広い学校があり、教育に対するアクセスが良好です。さらに、教育機関と地域社会との協力関係も強化されており、子供たちの成長を支える地域全体のシステムが整っています。
地域社会の活動とコミュニティ
八幡西区は地域社会の活動が盛んな地域でもあります。地域住民同士のつながりが強く、地域イベントや行事が頻繁に開催されています。これにより、住民は地域との結びつきを感じながら、地域社会の一員としてのアイデンティティを育んでいます。
安全性と治安の良さ
八幡西区は比較的治安が良好であり、安全な暮らしを送ることができます。家族連れにとって特に重要な要素であり、子供たちが安心して外で遊べる環境が整っています。地域全体が安全に対する意識を共有し、互いに支え合うコミュニティが形成されています。
医療施設の充実
地域内には多くの医療機関があり、健康管理や緊急時の対応においても安心です。病院の数や設備の充実度が高く、住民の健康面でのサポートがしっかりと行われています。
多様な生活スタイルの選択肢
八幡西区では、静かな住宅街から活気ある商店街まで、多様な生活スタイルを選ぶことができます。自分のライフスタイルに合った居住地を見つけやすく、それによって生活の満足度が高まる傾向にあります。
地域文化との触れ合い
最後に、八幡西区は地域に根付いた伝統や文化が豊富にあります。地域特有の祭りや行事、また地元の商店街などが地域文化の一環として住民と触れ合う機会を提供しています。これにより、地域の誇りや絆が強化され、地域全体の活性化に寄与しています。
結論 北九州市八幡西区は、その交通の便、自然環境の豊かさ、安全性、そして充実した生活施設など多くのメリットを持っています。これらの要素が組み合わさり、住民が満足できる良好な生活環境が形成されています。今後も地域社会との連携を強化し、さらなる住み���すさを追求していくことが、八幡西区の発展に寄与するでしょう。
北九州市八幡西区の不動産のことなら、
お問い合わせ: Tel. 093-691-2103
不動産買い取り・不動産売却・不動産仲介・不動産開発
土地・戸建・ビル・一軒家・マンション・店舗・アパート
0 notes
Text
2024年4月19日
コロナワクチン用冷凍庫、どこへ 全国約2万台 処分に動く自治体(朝日新聞)2024年4月19日
埼玉県白岡市が新型コロナウイルスのワクチン保管用に国から無償譲渡されていた冷凍庫。すぐに引き取り先が見つかった=2024年4月10日、埼玉県白岡市保健福祉総合センター「はぴすしらおか」、佐藤純撮影
新型コロナウイルスのワクチン接種を全額公費でまかなう「特例臨時接種」が3月末で終わり、国から自治体へワクチン保管用に無償譲渡された冷凍庫も役目を終えた。マイナス60~85度の超低温を保てる特殊な機種が含まれており、家庭用には向かない。自治体は譲り先や売却先を探すなど、一斉に処分に動き出した。
埼玉県白岡市保健福祉総合センター「はぴすしらおか」の廊下に9日、4台の冷凍庫がズラリと並んだ。接種を担う市内の医療機関に置かれていたが、この日、市の担当者が回収して��た。
センター内の別の場所などにある3台と合わせ、計7台が2021年度に国から譲渡された。健康増進課によると、3月までに接種を受けた市民は延べ約19万5千人。市外で接種を受けた人が一部含まれているが、ほとんどの人たちはこれらの冷凍庫で保管されていたワクチンを接種された。
特例臨時接種の終了を前にした昨年12月、厚生労働省は全国の自治体に事務連絡を出した。冷凍庫の譲渡や売却などでの有効活用を求めつつ、廃棄も認める内容だった。
市はこれを受けて、医療機関に打診したり、4月初めからホームページで引き取り先を募ったりした。その結果、冷凍庫を置いていた医療機関が1台をそのまま引き取るほか、市の農産物販売施設「しらおか味彩センター」の指定管理者や県外の動物病院などに5台を譲ることに。残り1台は、災害時の医薬品保管を念頭に市が引き続き保有する。
大瀧明志・市健康増進課長は「無事に有効活用してくれる先が見つかり、ほっとした」と胸をなで下ろした。
厚労省によると、ファイザー社のワクチン向けの超低温冷凍庫9900台、モデルナ社のワクチン向けの低温冷凍庫1万2千台を計90億円余りで調達した。全国の自治体の希望に応じて計約1万4700台を無償譲渡したほか、国が7千台余りを保有して職域接種をする企業などに貸した。耐用年数は6~10年程度。同省も国保有分の処分方法を検討している。
県のまとめでは、県内63市町村のうち、横瀬町を除く62市町村と県に、計788台が無償譲渡された。最も多かったのはさいたま市の108台。川越市45台、川口市39台と続いた。
さいたま市は、ワクチンの配送を委託した業者の倉庫に108台をまとめて置かせてもらっていた。2月に業者から見積もりを取り、川口市の中古機器業者に約58万円で売却することを決めた。4月早々に引き渡した。
県は譲渡された13台のうち1台を県衛生研究所で活用するが、12台は引き取り先が見つからず、すでに14万円余りかけて廃棄したという。8台使っていた八潮市は、市内外の研究機関や医療機関に無償譲渡する。4月中に引き渡す予定。
蓮田市は3月、ホームページで譲渡された6台の引き取り先を募った。21件の応募があり、市内の医療機関2施設に1台ずつ、県内の大学2校に2台ずつ譲ることにした。
市によると、6台中2台は一度も使わなかった。当初4台で対応していたが、故障した場合に備えて、追加で確保したのだという。担当者は「無事に接種をするために必要だったと考えている」と説明する。
さいたま市でも108台のうち数台を使わなかったという。
厚労省予防接種課は「当初、冷凍庫が壊れてワクチンが使えなくなり問題になった例があったので、貴重なワクチンを大事に使うため、自治体の工夫で予備を確保したとしても、否定的にとらえていない」としている。(佐藤純)
744自治体、消滅可能性 4割超、30年間で女性半減(共同通信)2024年4月19日
「人口戦略会議」がまとめた報告書概要のポイント
人口減少問題への関心を高めるため、民間組織「人口戦略会議」がまとめた報告書の概要が19日判明した。2020~50年の30年間で、子どもを産む中心の年代となる20~39歳の女性が半数以下となる自治体は「消滅可能性」があるとした上で、全体の40%超の744自治体が該当すると分析している。24日に公表予定で、自治体に地域の実情に応じた対策の充実を呼びかける。
【一覧】全国市区町村別の人口増減率
人口減少を巡っては、別の民間組織「日本創成会議」が14年に報告書を公表した。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の地域別将来推計人口を基に独自にデータ処理した結果、896自治体は10~40年に20~39歳の女性が半数以下となり、消滅の可能性があるとした。896自治体のリストも公表した。
10年ぶりの今回は、独自のデータ処理をせず最新の社人研推計をそのまま当てはめた。見かけ上は、該当自治体数は10年で150程度の減少となった格好だ。人口戦略会議は外国人住民の増加が要因で、少子化自体には歯止めがかかっていないとみている。
湖の底に武田信玄の墓? 子どもの頃に聞いた昭和の謎「捜索」、社長が追う歴史ロマン かつて騒がれたひし形の巨大構造物は…(信濃毎日新聞)
長野県の諏訪湖、ダイバーや水中ドローンで「解明」試みる
諏訪湖底の構造物を調査
湖底に眠るは「武田菱(びし)」か否か―。長野県の諏訪湖で、1980年代に国土地理院の調査で存在するとされた湖底の構造物に迫ろうとする調査が行われた。諏訪湖に戦国武将・武田信玄の「水中墓」がある―と聞いて育ち、謎に憧れ続けた京都市の出版社社長宮下玄覇(はるまさ)さん(50)が、信州大諏訪臨湖実験所(長野県諏訪市)の元所長で調査経験のある信州大名誉教授の沖野外輝夫さん(87)=諏訪市=に協力を依頼。ダイバーや水中ドローンによって「解明」を試みた。
【動画】水中ドローンも駆使して湖底に眠る「信玄の墓」を捜索
信玄の遺骸を納めた石棺が沈んでいる―との言い伝え
87年、旧建設省国土地理院の地形調査で水中音波探知機が湖底を調べたところ、一辺25メートルのひし形の構造物があることが判明。地元ではコイの網いけすの残骸と考えられた一方、信玄の遺骸を納めた石棺が沈んでいる―との言い伝えがあり、構造物の形が武田家の家紋「武田菱」に似ていたことなども人々の想像力を刺激、信玄の水中墓では―といった見方も出た。
88年、諏訪臨湖実験所が調査し、その後もテレビ局が大規模調査を行ったが構造物は見つからず、近年は調査は絶えていた。
「諏訪湖には信玄の遺骸が眠っている」。宮下社長は幼いころから諏訪市出身の母からそう聞いて育ち、調査を特集するテレビ番組なども見た。ロマンを長年温め、数年前から沖野さんに接触しようやく実現にこぎつけた。
沖合約500メートルの地点付近を約2時間調査
14日の調査は宮下さんや出版社の社員、沖野さん以外に、関心を持った県内外のダイバー6人がボランティアで協力。諏訪市豊田からボートを出し、下諏訪町の諏訪湖博物館の沖合約500メートルの地点付近を約2時間調査した。
ロープに沿って並んで潜るなどしたものの、水の濁りなどに阻まれて視界が悪い。水中ドローンも駆使したが、かつての調査で目印とされたドラム缶も発見できなかった。
宮下社長は「このままでは終われない。次は金属探知機を使って調べたい」と再挑戦を誓った。ダイバーとして参加した塩尻市のダイビングショップ代表の清沢康成さん(50)は「何か見つかれば地域も盛り上がるし、わくわくする」。調査地点の案内などに助言した沖野さんは「また(調査の)光景が見られるとは思わなかった」と感慨深げだった。宮下さんは調査の経緯などを本にまとめ、今後出版を予定しているという。
0 notes
Text
思い出を振り返る
編集 | 削除
Tuesday 11 February 2014
2014年1月9日(木)夜10時4分、おかあさんが92歳で亡くなった。おかあさんは、自分の母のことではない。ハルオは、26歳の時人生のターニングポイントを迎えた。それはカメラマンになる修行を始める時だった。キーパーソンは、カナダ人のジョン。ジョンとの出会いは、ハルオが当時勤めていたカメラ量販店(24〜26歳)でのことで販売員(ハルオ)とお客(ジョン)の関係から始まった。そのジョンにカメラマンになりたいと伝えるとジョンはある女性を紹介してくれた。その女性は、ハルオが師事する事になったカメラマンGが手掛けていた雑誌の編集者をしていた。ハルオは、ジョンを介してその女性と会いまもなくカメラマンGを紹介してもらい彼の元で働きながら写真を学ぶことになった。
ハルオは、当時国分寺に住んでいた。カメラマンGの仕事場は中目黒にあった。一方ジョンは中目黒に近い下北沢のアパート「葉隠荘」に住んでいた。そのアパートは、いわゆる外人ハウスで管理人がいなくある意味無法地帯のアパートだった。そのアパートがあった敷地内におかあさんが営む一杯飲み屋「小料理 小千谷」があった。ハルオは、国分寺のアパートをキープしながら葉隠荘(3畳部屋)に移り住んだ。そしておかあさんと出会った。おかあさんは、当時70歳だった。1991年のことだ。「小千谷」とはおかあさんの生まれ故郷新潟県小千谷のことだ。「小千谷」カウンターに5席ほどの小さい飲み屋でおかあさんが一人で���り盛りしていた。メニューは、300円と600円のみ。瓶ビール(大瓶)500円。おかあさんは、自分のことを『昔はあばずれ、今は聖母マリア』と言った。そして『おかあさん』と呼んでと言われる。おかあさんは、外国人しかいない葉隠荘に日本人がやって来たことが嬉しかったのだろうかハルオとおかあさんはすぐに打ち解けて仲良くなった。「小千谷」は夕方から12時まで営業していたので仕事が遅くなった時でもお店は開いていてよくハルオはおかあさんに会いにお店に寄った。おかあさんは昔の下宿屋のおばちゃんみたいな存在だった。おかあさんは世田谷区に住まいがあり旦那さんと暮らしていたが葉隠荘にも1室部屋を持っていた。その部屋はジョンの部屋(6畳部屋)の隣りだった。ジョンもハルオも20代後半の血気盛んな時期で週末となればどこからともなく外国人たちがジョンの部屋に集まりテクノミュージック(後にトランス)を聞いて騒いだ。ボロアパートの葉隠荘だから音は筒抜けでおかあさんは最年長でテクノを聞いていたことになるだろうか。聞くだけならともかくその音はおかあさんには不快でよくジョンの部屋に来て『うるさいよ〜』と注意に来た。
「小千谷」には、常��のお客さんがたくさんいて当然おかあさんのファンでもあった。おかあさんが道で拾った鶏をカゴに入れて飼っていた時があった。そのカゴは「小千谷」の店先に置いてあってある日おかあさんはそのコメコと名付けた鶏を写真に撮っている女の子Aと出会う。そして「うちにも写真を勉強しているハルオ君という子がいるよ』と伝えハルオはその女の子と「小千谷」で会った。ハルオは、その女の子を気に入りやがて2人は付き合う様になった。おかあさんは愛のキューピッドをし他にもおかあさんがお客さんとお客さんの縁を取り持ち結婚までしたカップルがいた。ハルオには、18歳で上京して以来2番目に仲良くなったTという友人がいるがそのTも「小千谷」が気に入り常連になった。そのTもやはり常連だった女性と恋に落ちその縁は今でも続いている。
ハルオが葉隠荘にいた期間は3年間だったがその間に「小千谷」が30周年を迎えた。近くの北沢八幡宮の宴会場を借りて大勢の人が集まり盛大に開催された。おかあさんは、得意のかっぽれを踊った。おかあさんはハルオに葉隠荘の外観写真を撮ること依頼しその写真を使い記念テレフォンカードを作った。おかあさんが何かの病気になり病院に入院した。それは大したことではなかったが退院の日ハルオはおかあさんに頼まれて迎えに行った。当時ハルオは400ccのバイクに乗っていておかあさんをシートの後ろに乗せて葉隠荘まで連れ帰った。そのことは後々までもおかあさんの記憶に残っていて時折そのことを懐かしんでハルオに話した。
「小千谷」には焼き飯というメニューがあってとても美味しく量がありハルオはよく好んで食べた。他には、刺身や漬け物、焼き魚等のメニューがあった。時折ハルオが朝仕事に出掛けると葉隠荘の入り口におかあさんからハルオに宛て���メモがありお店で残ったメニューの焼き飯やおにぎり、惣菜、を詰めてハルオに弁当を持たせてくれた。おかあさんは"お母さん"だった。ハルオは、バイクで交通事故に遭い肩甲骨と鎖骨を折って入院したことがあった。その際にはハルオの母も看病にやって来たのでハルオの母とおかあさんは顔を合わせている。その後年賀状のやり取りも続く。
ハルオが葉隠荘に住んで約3年後葉隠荘が取り壊しになる話が進められていた。丁度ハルオはカメラマン修行も終えた頃で立退料を大家の代理から30万円貰って早々に羽根木公園の近くのアパートに引っ越しをした。その後も暫く葉隠荘も「小千谷」もそのまま健在だったが遂に取り壊しをする時がやって来た。おかあさんが75歳前後のことだろうと思う。ハルオは、葉隠荘が取り壊される日、ドキュメント写真を撮った。その後まだ元気だったおかあさんは世田谷区上町駅近くの商店街に「小千谷パート2」を開店させた。ハルオは、定期的におかあさんに会いに行った。さてその店が何年続いたか?2〜3年?ハルオには記憶にない。下北沢という好条件にあった時に比べ上町ではお客さんが少なくなっていた。それでもおかあさんはお店を続けたかったんだと思う。
おかあさんは、水泳を好んで良くプールに出掛けていた。『ハルオ君、今度私が泳いでいるところを撮って』とおかあさんに言われたことがあったが実現には至らなかった。『小千谷パート2』が終りかけた頃、おかあさんは、自分史を書いた。その文章を常連のお客さんたちが小冊子に纏めた。その中にハルオについての話を書いてくれた。
2006年、ハルオは、写真展「十人十ゑろ」を開催した。しばらくおかあさんとは会っていなかったがおかあさんに写真展の話をすると行きたいと言ってくれた。しかしおかあさんは足が悪くなっていて自力では来れない。ハルオは、タクシーをチャーターしておかあさんの送迎をした。「十人十ゑろ」は10人の女性の素肌(殆どがヌード)をキャンピングテントの中で撮影した作品だった。その後おかあさんとのやり取りは年賀状や時折の電話で続いて行った。
2008年、ハルオは25年間住み慣れた東京から静岡に引っ越しをした。この年の前後(記憶が乏しい)におかあさんに会いに行った。場所は下北沢から近い世田谷区の淡島通り付近の喫茶店。おかあさんの住まいは一戸建だったがとても小さく人を迎い入れるには難があった。おかあさんの足は更に悪くなっていた。その時は、ハルオはおかあさんがキューピッドをして付き合うことになった女の子Aと行った。Aとのお付き合いは半年も続かなかった。しかし元々Aはカメラマンになりたかった女の子でハルオに触発されてか付き合っている頃から写真学校の夜間部に通い晴れてカメラマンになっていた。ハルオとAは、友達として連絡を取り合っていたのでいい機会と一緒におかあさんに会いに行ったのだった。ハルオは、写真を撮って後でおかあさんにその写真を額に入れて贈った。おかあさんはその後世田谷の住まいをそのままにして小千谷に近い新潟県長岡市に身を寄せた。始めはおかあさんだけでその後旦那さんも。
2011年、おかあさんからハルオに手紙が届いた。その日は偶然にもハルオの誕生日だった。手紙が入った封���には、現金2万円と写真も入っていた。その時何故現金が入っていたのか分らずハルオは、誕生日プレゼントだと勝手に思った。(しかしそれは後で気付いたが新潟までの往復の交通費だった。)そして写真だがそれが驚いたことにおかあさんのヌード写真だった。おかあさんが50〜60歳位の頃の温泉の露天風呂に入っている写真で下半身はタオルで隠れていて上半身は裸で乳首は見えそうで見えてはいなかった。手紙に『ハルオ君の個展か何かに出せるんじゃないかと勝手に考えました。自分のうぬぼれかも知れないけどそんな風に役立てて下さい。お願いします』とあった。随分大胆だなとハルオは驚いた。ハルオは、この時以前プールの写真を撮ってとリクエスト���れたことを思い出した。
手紙を貰った後中々新潟までおかあさんに会いには行けなかった。 ハルオは、それがはがくゆく気になっていたのでおかあさんに会いに行く決意をする。 おかあさんに貰った交通費2万円を使い時がやって来たのだ。
2013年春、 その旨をおかあさんに伝えようと身を寄せていた新潟県長岡市のお宅に電話すると旦那さんが危ないからまたの機会にして欲しいと言われ延期した。おかあさんには2人のお子さんがいて長女さんは大阪に住んでいて息子さんはすでに亡くなっていた。その息子さんの奥さんがおかあさんと旦那さんの世話をしていたのだ。間もなく旦那さんは亡くなられた。そして10月の始め、おかあさんに会いに静岡から車で出掛けた。久しぶりに会ったおかあさんは、すでにガンに侵されていた。部屋の中で2時間ほど話した。写真も撮った。しかしおかあさんの笑顔は撮れなかった。おかあさんは、長年の伴侶だった旦那さんが亡くなり生きることよりも死ぬことを願っている様に見えた。ハルオは、おかあさんと別れた後おかあさんの勧めで小千谷にも寄って来た。おかあさんの実家は小千谷駅近くにあった。甥っ子さんが寿司屋を経営し、その同じ通りにおかあさんの幼馴染みが住む金物屋があって両方訪ねた。幼馴染みの方はご健在で写真も撮ることが出来た。
『おかあさん、これから手紙を定期的に送っていい?』そうハルオはおかあさんに尋ねると承知してくれたのでその後迷惑にならない様に気を使いながら手紙(葉書)を送った。しかしおかあさんはそれから3ヶ月後に帰らぬ人になってしまった。
おかあさんのご冥福を心からお祈り致します。 長い間本当にありがとうございました。 安らかにお眠り下さいね。
2014年2月21日(金) ハルオ
0 notes
Text
貧困なる精神 ハーバード大教授の珍学説 ⅩⅠ
マーク・ラムザイヤーが2019年に発表した『On the Invention of Idemtity Politics : The Buraku Outcast in Japan』。そのデタラメな内容の検証を数回で書くつもりが、10回を超えてしまった。読んでいたら1行ごとにひっかかるので、こうなったら逐一原典にあたって検証してやろうと思ったからである。貧乏ヒマなし、とはこのことだ。
論文の要点は、ほぼ全文を俎上に載せている。したがって文章の恣意的な選択や意図的な和訳は、一切ない。わかりづらい英文は、英語の専門家に問い合わせた(とくに後半)。「そんな引用の仕方はないよ」「そんなこと書いてないよ」と言われたら、ハーバード大教授の二の舞だからだ。
※ ※ ※
ラムザイヤーは、戦前戦後の部落解放運動の糾弾は、行政から補助金を分捕るための戦略であったと長々と解説し、<共産主義者の排除>の章で次のように述べている。括弧内は、角岡の註である(以下、同じ)。
<(1951年の)オール・ロマンス論争を通じて、部落解放同盟の指導者たちは、京都府の部落に対する予算のレベルを断固として引き上げさせた。京都の部落民でない住民からどれだけ再配分させるか、限界はあったものの、彼らはそれをすぐに実現させた。支出を増やすために、彼らは政府をたたく(tap)必要があった>
51年のオール・ロマンス事件の発生時、部落解放同盟は存在していない。発足は55年である。それはさておき、京都府の予算が足りないから解放同盟が政府をつついた、というのも奇妙な話ではある。
ラムザイヤーが参考資料に挙げている『尼崎部落解放史』(尼崎部落解放史編纂委員会、尼崎同和問題啓発促進協会、1988年)には、次のように記述されている。ちなみに尼崎は、兵庫県の南東に位置する一自治体である。
<(部落解放同盟の前身の部落解放)全国委員会もこの(オール・ロマンス)事件から、国及び地方自治体の行政姿勢に、部落差別が根深くあって十分な施策を講じていないところに重大な原因があることを認識した。こうしてこの事件を契機として、部落解放全国委員会は部落解放運動を行政闘争と(して)推進していくこと、それは部落問題の解決を国策として取り上げさせなくてはならないことを学んだのであった>
問題の解決を国策として取り上げさせる方針が、<政府をたたく>という下品な表現に変わっている。
それにしても数ある地方の部落史の中から、わざわざ尼崎のそれを選び、500頁を超える大冊のわずか4行だけを参考にして勝手に書き換えてしまうのだから、そのエネルギーと貧困なる精神���、驚嘆に値する。それに付き合っている私も、相当な変わり者だ。
ラムザイヤーが参照した『尼崎部落解放史』は、戦前戦後の尼崎にある部落の劣悪な生活実態が詳述されているのだが、例によってハーバード大教授には、それらは目に入らなかったらしい。
※ ※ ※
1969年から始まった同和対策事業は、2002年まで続き、その間に15兆円の予算がつぎこまれた。ラムザイヤーはそう述べたあと、いわゆる同和利権について斬り込んでいる。
<同和対策事業という国策を獲得し、部落解放同盟の指導者たちは、今やその割当額をコントロールする必要があった。最も��きな財源の割り当ては、建設事業であった。そのカネを自らのふところに入れるために(to divert that money to their private accounts)、彼らは同対事業の契約の配分をコントロールする必要があった。それを実現するためには”窓口一本化”を必要とした。必然的に彼らは、他のすべての潜在的仲介者を排除した。とりわけライバルである日本共産党を排除する必要があった>
解放同盟の幹部が私腹を肥やすために同和対策事業を利用した、そのために共産党を排除したと言い切ってしまうところが、いやはや”大胆”ではある。何%の幹部が、そうだったのだろうか? また、清廉潔白な共産党が、利権を狙っていたのだろうか。
同和対策事業をめぐり、60年代半ば以降、部落解放同盟と日本共産党は対立する。劣悪な生活環境を改善するために事業は必要と訴えた前者に対し、後者はそれは権力に取り込まれる<毒饅頭>であるとして反対した。
69年から始まった同対事業は、それを推進してきた解放同盟が主導権を握った。対立は次第に激化し、共産党は解放同盟が窓口を一本化したとして問題視する。
そもそも窓口が主に問題になったのは、同対事業以前から受け皿組織があった大阪においてである。共産党を除名され、のちに解放新聞社の主筆を務めた師岡佑行は、『戦後部落解放論争史 第五巻』(柘植書房、1985年)で、次のように解説している。
<部落解放運動と同和行政とが深いかかわりをもつに至った七〇年代の状況が、解放運動の分裂によって表面化したのが「窓口一本化」の問題であった。だが、行政当局が解放同盟とのみかかわって同和行政を進めたのは大阪、広島などであって、かならずしも全国的にみられたところではなかった。解放運動のそれぞれの組織がどれほど地元において影響をもっているか、あるいは組織がどれだけの議会勢力を保有しているか、自治体首長の立場がなにかなどによって状況は異なるのである>
窓口一本化問題が喧伝されたのは、1万人を超える大規模都市部落を含み(したがって予算規模も大きい)、部落解放運動が盛んな大阪であって、全国的な問題ではまったくない。
ここでもラムザイヤーは、一部であったことをさも全体であったかのように描いている。
※ ※ ※
<建設事業における契約の割当額をコントロールするために、部落解放同盟のリーダーたちは次第に市行政を攻撃した>
そう前置きした上で、大阪府市吹田市で1969年に起った出来事をつづっている。部落解放同盟の指導者たちは、同盟員300人を市役所に送り込んで市行政を立ち往生させ、3日間にわたって市長の家を取り囲み、一晩中太鼓を打ち鳴らし、ガス、水道、電話線を使えないようにし、壁をよじのぼり、敷地内に侵入した。市長は最終的に同盟に同意したーー。
吹田で両者が対立したのは、住宅入居や各種事業の補助金、貸付金の支給をめぐる窓口問題であっ��、ラムザイヤーが記述しているように、建設業における契約云々の話ではまったくない。
<部落解放同盟は、市から市へと移動した>
次にラムザイヤーが取り上げたのは、大阪府羽曳野市での”騒動”である。部落解放同盟員が122時間にわたって市役所を占拠し、市長を22時間にわたって監禁したーー。
論文でそう述べているが、1973年に起きた羽曳野の問題は、同和向け公営住宅の入居をめぐる解放同盟と共産党の対立であって、やはり建設業界の利権とはまったく関係がない。
<同時に部落解放同盟は、財政面で日本共産党を排除する必要があった>
利権問題でラムザイヤーが真っ先に挙げたのが、69年に生起した矢田問題である。大阪市内にある被差別部落・矢田を校区に含む教組の役員選挙で、共産党系の教師が書いた文章(「進学のことや、同和のことなどで、どうしても遅くなることはあきらめなければならないのでしょうか」などとする内容)が問題になった。
ラムザイヤーは、共産党系の教師が200人の部落民の面前で糾弾されたと紹介している。だが、そもそもの争点は、前にも述べたように、労働条件をめぐる文章が差別か否かを争ったのであって、カネの問題ではまったくない。
さらに兵庫県養父郡(現・養父市)において<1974年、八鹿で起った共産党系の教師たちに対する恐らく最も残酷な>事件が起る。八鹿高校事件である。部落解放研究会の設立を求めてハンストをおこなった生徒たちを無視した共産党系の教師を解放同盟が抗議・糾弾し、その過程で多数の教師が負傷した。
<日本共産党は、かつて最も信頼できる情報源では一度もなかった>
ラムザイヤーはここにきて、唐突にそう記す。<恐らく最も残酷な事件>だけに、慎重になったのだろうか。だが、すぐ前に触れた吹田・羽曳野・矢田の”騒動”は、中原京三や一ノ宮美成ら共産党系の執筆者が書いた書籍をそのまま引用している。信頼できないのなら、丸ごと引き写すのはおかしくないか。
共産党は信頼できないと述べたすぐあと<部落民のライターである上原善広は八鹿を訪れ、事件にかかわる人々を取材し、はなはだしい暴力の報告を受けた>と付け加えている。そこで何があったかという事実と、ライターの出自は関係ないだろう。部落出身だから信用できるわけではあるまい(私を含めて)。
共産党の情報源におもねりながらも、それは信頼できないとぬけぬけと書くラムザイヤーは、八鹿高校事件について、<そのときフィールドワークをしていた>人類学者のThomas Rohlenの報告から引用している。
<糾弾が終った時には、12人の教師が椎骨を含む骨折を負い、少なくとも13人は6週間の入院が必要だった。それ以外の5人も1ヶ月、15人が2~3週間、15人が1週間以上の入院を余儀なくされた>
事件のきっかけは、前にも書いたように部落解放研の設立計画であって、建設業の利権ではない。ラムザイヤーは対立の背景や発端を一切書かずに、暴力行為のみを執拗に引用している。
果たしてこれらの出来事・事件は、利権をめぐる解放同盟と共産党の争いの章に入れるべきだったのだろうか?
情報を整理する能力が、根本的に欠けている。<2020・12・16>
5 notes
·
View notes
Text
構成・演出
額田大志 Masashi Nukata 作曲家、演出家。1992年東京都出身。 幼少期より、母親の影響でリトミックを始める。中学二年生の頃、友人の影響でロックバンド『UNICORN』にのめり込みバンド活動を開始。20歳までは主にドラムを演奏。高校時代に作曲、編曲の面白さに気付き、朝まで打ち込みをしては授業中に寝るという生活を送ったため、成績が学年で下から二番目になる。一般大学への道のりは絶望的だったが、音大なら進学できるかもしれないと思い立ち、運良く東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科に入学。 その後、複数のロックバンドでドラムを叩き、ライブハウス『下北沢屋根裏』などに定期的に出演するも中々上手くいかず、大学二年生の冬に8人組バンド『東京塩麹』を結成。同バンドは活動を継続していく中で様々な機会に恵まれ、ツアーやフジロックの出演などで注目を集める。現在は主にシンセサイザーを演奏。 また、大学時代に友人の演出する舞台に衝撃を受け、自らもダンス公演を主催するなど舞台芸術の活動を開始。とはいえ厳しい道のりであり、プロのアーティストの道を諦めて大学留年の後に音楽企業へ就職。しかし、誘われたライブ活動で有給(厳密には特別休暇)を即座に使い切ってしまい、なし崩し的に休職。そして、休職中にのんきに金沢観光していたことがSNS経由で上司にバレて、勤続7ヶ月でスピード退職。活動を本格化。 就職と同時に演劇カンパニー『ヌトミック』を結成(こちらは継続)。カンパニーは現在5人のメンバーで活動。舞台音楽や広告音楽も手がけるが、その便利屋的な立ち回りに、そろそろ自分の軸を持たなければと焦りながら創作を続ける。
演奏
※出演を予定していたCharさんは、ご家庭の事情により不参加となりました。何卒ご了承くださいませ。 波岡康之 Yasuyuki Namioka パフォーマー。 まず私の人生で最初に影響をあたえたのはブルース・リーです。 そして空手をはじめました。私の通っていた道場には、少年部はなかったので、大人と一緒にトレーニングしていました。そのせいかみるみる体力がつきました。以前は学校でほとんど選ばれることのなかったリレーの選手に選ばれるようになりました。そしていろいろなことに積極的に取り組めるようになりました。 役者にも挑戦しました。アルゼンチンタンゴもやりました。 そしてよく行くようになったJAZZ喫茶のとなりの座っていた方が有名なサックスプレイヤーで、その人に習い、サックスも吹けるようになりました。 ブルース・リーの有名な言葉に“Don’t think feel”というのがあります。 そしてジークンドーに、型はないというのがあります。私も既成概念にとらわれず格闘技にARTにTRYし続けていきます。 遠山ひかり Hikari Tohyama 1997年生まれ。東京都出身。幼少期から一日中絵を��き続けたり、5歳からピアノを習うなど芸術全般に多く興味を示す子供であったが、小学校3年生の学芸会で主人公『負けうさぎ』を演じたことが深い興奮として記憶に残る。芝居の世界への憧れから、中学時代は邦画を観漁るようになる。そうして高校では念願の演劇部に入部。この頃から、小劇場の公演に足を運ぶようになる。晴れた日は高校の屋上で寝て過ごしていたのでクラスで浮いていたが、文化祭のクラス演劇で主演女優賞を獲得したことから急に人に話しかけられるようになった。すっかり演劇以外にやりたいことがなくなっていたので、桜美林大学芸術文化学科演劇専攻に進学。学生団体に出演したり、作・演出・出演の一人芝居に挑戦したりして過ごすが、様々な出会いを通して学外の活動が盛んになり大学から足が退く。何か続けられる仕事を始めたくて、憧れていたバーテンダーの求人に応募。アルバイト生活をしながら2019年に同世代の劇団に俳優として加入するも、現在は活動休止している。演劇や生活に挫折する日々ではあるが、救急車で運ばれた際に生死を彷徨いながら「女優です!」と叫んだ自分を信じ、舞台活動を続けたいと思っている。 小又旭 Asahi Omata 学生。1997年生。自己紹介に苦手意識がある。小学校時代には図書室によく通い、アルセーヌ・ルパンなどの冒険譚や、ハリーポッターなどの長編ファンタジーが好きな少年だった。 図書室に折り紙が常設されていたことをきっかけに、小3から中学校くらいまでは折り紙に傾倒していた。そのころは学校で配布されたプリントを折ってしまい、ぐちゃぐちゃになっていた。高校に入り演劇を始めるとともにほとんど折り紙を折らなくなったが、自己紹介の際に「折り紙好き」という情報が使いやすいので頼りがちである。 その後、演劇系の大学に入学。他学科との関わりや実習など、校内施設を使った授業の多さに惹かれて入学したものの、体調を崩したためほとんど参加できない日々が続く。 今年に入り、二年間の休学から復学した。しかしコロナの関係であまり実習もないので、家で折り紙を折ってSNSにアップすると割と反響があるのでたまにやる。現在はサボテンを育てはじめた。 カワイサンホ Sanho Kawai 会社員。1992年生まれ。長野県出身。 実家はスキー場近くの山の中。両親が脱サラ後に自分で建てた丸太小屋で育つ。自然と動物に囲まれ、近所に子供がいなかったので一人遊びをして過ごすことが多かった。西日の当たる部屋で絵を描きながら眠るのが幸せだった。 運動はてんでダメで、その代わり音楽はずっと好きだった。中学生では吹奏楽部でバリトンサックスを吹いていたが、その傍らロックやバンドという概念に強く惹かれ、自分もバンドを組んでみたいという思いが日に日に強くなる。 高校生の時にエレキベースを購入。念願の軽音楽部に入る。大学時代はコピーバンドサークルに入り、ソウル、ファンク、R&Bなど様々なジャンルの音楽に触れる。 社会人になっても音楽活動をゆるく続けている。去年は「Cutty Scooner」というユニットで音源をリリースし、ベースで参加している。 今回、粘土という素材で参加した理由は、会社員で調子を崩してしまった時に、たまたま家にあった粘土で造形を始めてみたら気持ちが楽になったことがきっかけ。現在も気が向いた時にオリジナルの作品を作っている。Instagram:@__pumo 八木佑平 Yuhei Yagi 1996年3月28日生まれ、香川県出身。現在は都内にある建築デザイン事務所に勤務。普段全くと言っていいほど音楽を聞かなかったのだけれど、3年前くらいから音楽というより音に興味を持ち始めた。 それは大学4年の冬、友人の研究の手伝いで音楽を制作したことがきっかけで。 ある音とその音がもつイメージとの関係についての研究だったように思う。 1人用の特殊なドームの中で、ヘッドホンとVRゴーグルをつけてその制作は始まった。まずセミの鳴き声・海の音・風の音を同時に聞いて、夏が見えるでしょうと友人はサンプルの音源聞かせてきた。 うん、確かに。VRはウユニ塩湖みたいな映像になっていたけれど、いわゆる夏感を音によってイメージさせられた。音も、ある体験の重要な要素なのだ。 音によって感情が引き出される。日常でもよくある事だ、音楽を聞く目的のほとんどと言ってもいい。 その音に対する自分の認識。解像度が様々なイメージまでくっついている。黄色を見て「黄色」と言う。その共通認識ゲームは音にも言えるのだと改めて知覚したことは大きな衝撃だった。 次は100種以上あるサンプリングされた音源を自由に組み合わせ、あるイメージを実現させる音楽を作ってみる。雨音なら「小雨」から「豪雨」まで、鳥のさえずりは複数種の鳥の鳴き声があり、車や人混みなどの騒音も用意されていた。 何をイメージしてどの音源を組み合わせたかは忘れてしまったのだけれど(悲しい…)、それは生きてきて聞いたなかで一番不快な音楽になってしまったのだ。 自分が聞きたい音を6種くらい、ある程度風景のイメージ(=絵とそこになる音の成立)も持って組み合わせたその音楽は、とにかく聴き心地が良くない。不快。 雑多な音が同時に存在する日常はなぜここまで不快にならず成立しているのだろうか。耳が慣れているのだろうか。ある音が許容値を越えると異常事態化し(うるさいなど)不快になる。 ましてや音楽を作るなんて、なんて難しい制作なんだ。とここ数年���々としていたところ今回のWSを知って参加してみた。 ひろすえゆうた Yuta Hirosue 介護福祉士。先天性の心室中核欠損症で運動が出来なかったのですが、音楽の授業で自分を表現する楽しさを知り、中学、高校と吹奏楽部でパーカッションを担当しました。 高校卒業後は福祉の専門学校へ進み、保育士、幼稚園教諭、介護福祉士の資格を取得し、福祉施設で働いています。現在は福祉施設で働きながら、児童館で小学生から高校生を対象としたドラム講師のアルバイトをしています。 お笑いが好きで、ライブを観に行くことやラジオにハガキを送ることが好きです。昨年からは自分も何かやってみたい、という気持ちが強くなり、自分自身もエピソードトークやフリップネタでお笑いライブに出演するようになりました。 コロナ禍で自分にとっての幸せは人と出会うことだと思い知り、「一度きりの人生、出来ることは何でもやってみよう」と前向きになることができました。 共演者との出会い、私が鳴らす「物体」との出会い、観てくださるお客様との出会い、全ての出会いへの感謝と幸せを噛みしめて演じます。 長沼航 Wataru Naganuma 俳優。ヌトミック所属。幼稚園くらいまではそこそこ内気なシャイボーイ、保健室のれいこ先生と仲良しこよしでお届けしておりましたが、家では風呂から出てくるやいなやソファに飛び込み「おもしろ劇場」を開催する陽気な一面もある男の子でした。小学3年生からはマーチングバンドに所属してユーフォニアムとチューバを担当、朝練はよくサボっていた。中学校では一旦科学部に鞍替えするも、母親の友人経由で週末にゴスペルを歌い始める。高校ではオリエンテーションでかっこいい演奏をしていた吹奏楽部に入ろうと決意し仮入部に行く。すると、「久しぶり、ビリー!」と会ったこともない先輩にいきなり抱擁され、そこからあだ名は基本的にビリーで統一している。また、その人とは別の打楽器の先輩につかまり実はずっとやりたかったパーカッションに転向する(ちなみに人生のどこかでベースもやってみたい)。高校は笑いにシビアなところだったので、文化祭や合唱祭のたびに漫才やコントのコピーをやっていた。高2の定期演奏会で寸劇をやり、ウィンクキラー役を務めたのが演劇に目覚めたきっかけ、ではないのだが台本係の後輩と帰り道にフィクションのことばかり話している時間は楽しかった。大学に入って下北沢・本多劇場で観たヨーロッパ企画『来てけつかるべき新世界』が衝撃的に面白くそこから演劇にハマり、いつの間にか舞台の上に俳優として立っている。今年度からは横浜国立大学大学院の修士課程に在籍し、作品制作という形で研究��行っている。ちなみに、順調ではない。 深澤しほ Shiho Fukasawa 俳優。ヌトミック所属。山梨県出身。母親がドラマを見るのが好きで、小さい頃、一緒に寝るまで横で見ていたことをきっかけに「テレビの中の人になったらお母さんが喜んでくれる!」と思い「テレビの中の人」になることを目指す。 田舎の小さな中学校・高校には演劇部が無く、地元には映画館も無く、俳優になることを本格的に意識し始めたのは高校2年の進路提出のとき。 社会人としてなりたいものが本当に浮かばず、どうしたら俳優になれるのかもわからず、とりあえず学校帰りに「月刊 デ☆ビュー」を買って、当時人気だった小池徹平が「君も応募しよう!」と微笑みかけてきたのでこっそり応募。俳優養成所に合格するも、よくあるぼったくりの養成所だと気づくのは5年後。 心理学を学べる大学に通いながら、俳優養成所に通い、大学ではなぜか図書館司書の資格を取得するというブレブレの時代を通過する。「タマビ」「ムサビ」「オウビリン」という美術系の大学もあることを教えてくれなかった高校3年の時の担任・本多の顔は忘れない。そしてそういう大学があることを調べもしなかった当時の自分の怠慢を今でも根に持っている。 ようやく人生の軌道修正するのは大学を卒業して3年後、養成所で奇跡的に知り合うことができた〝師匠〟から「これを読め」と『東京ノート』(平田オリザ著)を渡され、以降は青年団関連の舞台を片っ端から見に行く。 アーツ千代田3331でやっていた、わっしょいハウス『木星の運行』を見に行ったとき、出演していた浅井浩介さんの佇まいに度肝を抜かれ、今まで私が養成所で教わっていた〝それら〟が一気に崩れ去る音を聞く。ぼんやりしていた心の目がついに開眼し、青年団の俳優が講師をしてくれるという「映画美学校アクターズコース」を受講。その後のスピード感は自分でもよくわからないが、生粋の下克上精神は維持しつつ、人生遠回りしてもまあいいじゃないか、と楽観的な思想も持っている。 << 公演トップページ << 無料楽譜公開
1 note
·
View note
Photo
冨井大裕 「線を借りる」 Motohiro Tomii 2018.11.30 (fri) - 2019.1.25 (fri)
2018年11月30日(金)より、void+では冨井大裕の個展「線を借りる」を開催いたします。冨井は彫刻の新たな可能性を探り、様々な彫刻の形を提示してきました。作品を制作するその態度や行為、体験などそのものが作品として成立するかどうか、芸術作品となるにはどのような要素が不可欠なのかを模索してきました。冨井は付箋や色鉛筆、ハンマーやゴミ箱等、しばしば身の回りにある既製品を用いて作品を作りますが、従来あったその物特有の用途や意味を取り払うことで、その物の物質としての新たな魅力や存在に焦点を当て、全く違うものへと昇華させます。またある時には指示書のみを展示し、観客自身がその指示に従い彫刻作品となるプロセスを踏む作品など、従来の“もの”としての彫刻とはかけ離れた、そのものの裏にある見えない“こと”にも焦点を当てた作品制作をしています。
今回の展覧会ではタイトル通り、他人の作品から「線」を借りた作品を発表します。ファッションブランド「tac:tac」のデザイナー、島瀬敬章氏のパターンの線を元に作られた彫刻作品、そのパターンから起こされた服、その服を試着する観客、それを写す鏡と映り込む背景、その全てのもの・こと・場・時など彫刻としての可能性を顕在化する展示となります。
初日に行うトークには、tac:tacの島瀬敬章氏、島村幸大太氏と美術批評家の林卓行氏にお越しいただきます。
12月後半のイベントでは、山形ビエンナーレ2018に於いて行われた彫刻についての問題提起を続けているグループ「AGAIN-ST」と「コーヒーのある風景」をテーマに美術やデザインを横断するユニット「L PACK.」によるコラボレーションが、再び「おでん屋」として実現します。AGAIN-STのメンバーが制作したおでんの型の展示と共に、void+parkingに3日間限定の屋台が出現します。
作家ステイトメント:
「線を借りる」
3年前からスケッチをしている。モチーフは樹木。見ていることがどの様に現れるのか(現したいのかもしれないが、そう上手くは現れない)。「それ位」を維持することでその深みに潜りつつ、同時にその上澄みに浮かぶことはできないか。そんなことを考えながらスケッチをしている。制作の手順は以下。①樹木を見て、気になった箇所を紙に「写そう」として紙の上に1本の線を引く②その線に影響を受けて、同時に見ている樹木からも影響を受けて紙の上に線を引く③それを繰り返すうちに「写す」という目的が、「移す」という結果に変わっていることに気づく④そのことに納得がいったら線を引くことを止める。こういうことを続けている。
ー
スケッチをしているうちに、線を引くということが、紙の上に線を引くことに留まらないことに気が付いた。そもそも、全ては線で繋げようと思えば繋がるのである。命名や分類によって把握し分断することとは別の角度から物事に侵入すること。その手段としての線。そのうちに線が輪っかの様に繋がるのかもしれない。それは分断を生み、新たな価値付けを促すことになる。そうはならない様に線を引くこと。線を引くことは簡単な様でとても難しい。
ー
2年前に、ファッションブランド「tac:tac」のデザイナー島瀬さんとパタンナーの島村さんに出会った。何かしましょうということで盛り上がったものの、私の才能の無さから具体的な話に進まない。すると、旧知の画家の近藤恵介さんから、「僕のプロジェクトに参加して欲しい」との依頼があった。私は、近藤さんの手書きのメモやドローイングからいくつかの形を抜き出し、それらを組み合わせて近藤さんの絵画を展示する為のテーブルをつくった註。このことから、私は島瀬さんと島村さんの服のパターンを使って彫刻をつくりたいと思う様になった。紙の上に現れた線がテーブルとなり、服の型となった線が彫刻となる。違うようで同じかもしれない物事を、そのままの状態と鮮度で繋げることを試みる。その為にいまの私が取るべき立場は、「線を借りる人」である。
―
いい線を引きたいとは思わない。「線を引くという技術」の精度を上げることに専心したい。「線を借りる」ことはその為の段階である。
2018年10月 冨井大裕
註:近藤恵介「卓上の絵画」https://tabletopdrawing.tumblr.com/
作家名:冨井大裕 展覧会名:「線を借りる」 会期:2018/11/30(金)-2019/1/25(金) 冬季休廊:2018年12月25日(火)- 2019年1月7日(月) ギャラリーアワー:14:00-19:00 定休日:日、月、祝日*12月23日(日、祝日)は開廊 会場:void+ 東京都港区南青山3-16-14-1F Tel: 03-5411-0080 email: [email protected] 協力:YUMIKO CHIBA ASSOCIATES 、 tac:tac
冨井大裕 Motohiro Tomii
1973年新潟県生まれ。1999年武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了。2015年文化庁新進芸術家海外研修制度研修員としてニューヨーク滞在(-2016年)。既製品に最小限の手を加えることで、それらを固定された意味から解放し、色や形をそなえた造形要素として、「彫刻」のあらたな可能性を模索する。Twitterにて毎日発表される「今日の彫刻」などと併せ、既存の展示空間や制度を批評的に考察する活動でも注目を集める。近年の主な展覧会に「像を結ぶ」(Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku/東京、2017年)、「引込線2017」(旧所沢市立第2学校給食センター/埼玉)、「コンポジションーモノが持つルールー」(ATELIER MUJI/東京、2018年)、「水と土の芸術祭2018 MEGA BRIDGE」(ゆいぽーと新潟市芸術創造村・国際青少年センター/新潟)、「メルド彫刻の先の先」(Maki Fine Arts/東京、2018年)などがある。現在、武蔵野美術大学准教授、「壁ぎわ」世話人。
●トークイベント「彫刻の型/服の形」2018/11/30(金)19:00~
出演:冨井大裕、島瀬敬章(tac:tac)、島村幸大太(tac:tac)、林卓行(美術批評) ●レセプション トーク終了後、21:30頃まで
島瀬 敬章 Shimase Takaaki デザイナー 2008 エスモード大阪校入学 2009 神戸ファッションコンテストにてグランプリを受賞 2010 特賞としてエスモードパリ校へ留学 2011 パリ校在学中、南仏ディナールで開かれるファッションコンテストにてファイナリスト選出 パリ校を首席で卒業後、帰国 2013「tac:tac」をパタンナー島村と共に設立し2014spring/summerから活動を開始
島村 幸大太 Shimamura Kota パタンナー 2007 エスモード大阪校 入学 2009 エスモードパリ校へ留学 在学中より「TILLMANN LAUTERBACH」などで経験を積む 2010 パリ校在学中、南仏ディナールで開かれるファッションコンテストにてファイナリスト選出 パリ校を卒業後、コレクションブランド「commuun」にてインターンを経験、後にヘッドパタンナーとして従事 2013 帰国後、島瀬敬章と共に活動を開始
林 卓行 Hayashi Takayuki 美術批評および現代芸術論。東京芸術大学美術学部芸術学科准教授
●彫刻おでん屋台「LA」 2018/12/21(金)-23(日、祝) 21日17:00-22:00(21:00オーダーストップ) 22日15:00-22:00(21:00オーダーストップ) 23日15:00-19:00(18:00オーダーストップ) 企画:L PACK、void+ 協力:AGAIN-ST
L PACK.(エルパック)
小田桐奨と中嶋哲矢によるユニット。共に1984年生まれ、静岡文化芸術大学空間造形学科卒。アート、デザイン、建築、民藝などの思考や技術を横断しながら、最小限の道具と現地の素材を臨機応変に組み合わせた「コーヒーのある風景」をきっかけに、まちの要素の一部となることを目指す。
AGAIN-ST(アゲインスト)
彫刻を表現のベースとする作家、彫刻を専門領域とする批評家、美術の現場に携わるデザイナーで企画された活動。展覧会と、その会期中に行うトークライブを主な手法として、彫刻についての問題提起を続けている。メンバーである作家全員が美術系大学の教員でもあることから、会場は大学の展示スペースを使用し、毎回テーマ設定を変え、テーマに合わせてゲスト作家、批評家を招聘して展覧会を開催している。メンバーは石崎尚、小山麻子、冨井大裕、深井聡一郎、藤原彩人、保井智貴。
1 note
·
View note
Link
岡山県が洪水被害で大変なことになっている今こそ、旧民主党メンバーを中心とする過去の悪事を告発しておきたい。 当時パフォーマンスのために公開でやっていた「事業仕分け」。完全な黒歴史になりつつある。 (1)事業仕分けの候補にあがったスーパー堤防を視察中の蓮舫大臣。「仕分けの対象として分かりやすい議論ができる」と獲物を狙うかのような目で一言。 (2)務台俊介。台風10号の被災地となった岩手県岩泉町を視察した際、部下におんぶさせて水たまりを渡り、批判の声が殺到した。 (3)同じく務台俊介。おんぶ事件の半年後の政治資金パーティーで「長靴事件があったものですから、長靴業界はだいぶ儲かった。でも今日のパーティーには長靴業界の人は呼んでいません」と大失言。厳重注意を受け、2日後に辞任した。 (4)仕分け場でかっこつける蓮舫大臣。スーパー堤防の責任者を攻撃し、予算を切り上げようとする。 (5)緒方林太郎議員「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」と半笑いで発言。廃止を宣言する。 (6)こうして民主党の事業仕分けで本当に廃止となってしまった。 スーパー堤防については「完成まで400年」と紹介されたが、実は建設途中でも機能するもの。天災を前に人間の無力さを実感させられる今となっては「もし、あのとき続けておけば…」という気持ちになる。 確かに予算と時間はかかるが、洪水被害はもっと大きくなるわけで、実はコストパフォーマンスはいい計画だったのかもしれない。 深い考えもなくカメラの前のパフォーマンスにばかり終始して黒歴史を残した者たち。専門知識もない政治家が事業仕分けをするなど、話自体がおかしいのではないか。 あわせて読みたい→鬼怒川決壊で自衛隊がとった瞬時の判断が素晴らしすぎたと全国民が絶賛 NETGEEK 2018/07/07(土) http://netgeek.biz/archives/122093 <関連記事> 豪雨被害 112人死亡 3人重体 77人不明 NHKニュース 2018年7月9日 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180709/k10011524021000.html?utm_int=news_contents_news-main_001 この度の大雨による洪水で亡くなられた方々、 被害を受けた方々、心より御悔み申し上げます トラネコ拝 実は私は現在グアテマラの某所に滞在しているのだが、 先月初めにフエゴ火山の大噴火が起き、死者100名以上、 行方不明200名以上を出す大惨事になったのだ。 私はこの火山からバスで30分ほどの場所で活動しているが、 今いる場所からフエゴ火山の溶岩流の跡がハッキリ見える。 もし噴火の方角がこちらだったらと考えると・・・(汗) 日本も史上まれにみる豪雨で死者112名、行方不明77名も出ている。 さらに洪水だけでなく、今年前半で地震、火山噴火、台風・・・も起きている。 やはり自然災害大国日本は安全対策には万全を期すべきだ。 そこでこの記事だが・・・
あの悪夢の売国政権・民主党時代に二重国籍疑惑のシナ人が、 「埋蔵金」目的で事業仕分けを行い治水事業費を大幅に削減した。 と、その後に東日本大震災や鬼怒川堤防の決壊がおきた。 一応鬼怒川の治水事業はこの時点で計画には入っていなかったが、 民主党政権が大幅に防災・治水事業の予算を削った事は事実である。 ちなみに民主党政権下では国防予算も削減されている。 さらに民主党政権下で削減された災害対策予算の対象は・・・ ●スーパー堤防 ( 「100年に1度の大震災対策は不要」 ) ●耐震補強工事費 ( 高校無償化の財源化 ) ●学校耐震化予算 ( 「緊急性が無い」。以下、麻生政権による推進政策 ) ●災害対策予備費 ( 生活保護枠拡大(母子家庭)の財源化へ ) ●地震再保険��別会計 ( 子ども手当の財源化へ ) ↑・・・30年以内に99%起こると言われてた関東、中部大震災を 視野に入れ麻生政権時に自公で準備してた災害対策予算
その結果・・・ ↓ 倉敷の浸水、河川改修予定だった 5m予測の地域が被害 朝日新聞、後藤一也 2018年7月8日15時40 https://www.asahi.com/articles/ASL784HCTL78PLBJ002.html 民主党時代の蓮舫氏による事業仕分けで廃止になった 『スーパー堤防』、対象地域だった大和川が氾濫・・・ ShareNews Japan 2017-10-23 http://snjpn.net/archives/34321 ↑ あのとき改修しておればこうはならなかった・・・ 災害対策費・国防費を削減するという発想は、 まさに国家・国民の事など考えていない証拠だ!
安倍政権になってから、また治水事業は再開され予算もついて、 その後も工事は続いていても、今回の未曾有の大雨のもとでは、 人間の力は無力である事を思い知らされるのである。 しかしそれでも万が一、億が一の可能性でも日頃から、 治水・災害事業には予算を惜しまずコツコツと整備をすべきなのだ。 このバカのレン呆の予算切りの結果死ななくてもいい人まで死んだのだ。 だから首都圏や大阪周辺の一級河川へのスーパー堤防計画は、 今回の大雨の被害を見ても絶対に必要な治水事業の一環だと思う。 仮に200年に一度だとしても大災害に備える事は防災の基本である。 <参考> 治水の必要性・八ッ場ダム 東京都都市整備局 http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/seisaku/yanba/chisui.html
民主党政権における事業仕分けは、国民向けの単なるパフォーマンスだ。 実際にありもしない「埋蔵金」探しも徒労に終わり、安っぽい政治屋の 見てくれだけの政治ごっこにどれだけ税金と時間が浪費されたことか。 バカで売国でクズを議員に選ぶとこういう悲劇が起きるのである。 情弱国民も民主党政権がいかに酷い売国無能政権であったかを痛感して、 これが後の民主党の支持率低迷、離合集散、安倍政権の盤石化に繋がったのだ。 何度もいうが、立民、民進、共産、社民、自由各党は、 国家・国民など露ほども、微塵も考えていないのだ。 私利私欲・反日売国・国家崩壊・・・これしかないのだ! その典型例が最新のツイートにあがった・・・ >自分に関係ない話だから特に興味もないが、 政治家として一応仕事をしたふりはしておきたい。 そんな軽々しい気持ちがこのミスに現れている。 【炎上】福島みずほ、大雨を「台風」と間違える netgeek 2018年7月8日 http://netgeek.biz/archives/122122
て一方政府自民党の大雨洪水の対応に批判がでているが・・・ 政府は8日になってようやく非常対策本部を設置したが、 かなりの被害が出た後で対応が遅すぎるのではないか? という批判がでているが、これは悪質なデマである。 ↓ 宴会に寿司。記録的豪雨が西日本を襲う中、 安倍首相や被害の大きい地域選出の議員たちの行動が物議 ハーバー・ビジネス・オンライン 7/8(日) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180708-00170076-hbolz-soci 一応政府自民党への誹謗中傷への弁護しておくが・・・ 災害の対応遅れは「赤坂自民亭」懇親会だとネットでは猛批難されているが、 これは7月5日の事であり、この日から大雨が降り始めたのであり、 まだ大雨特別警報(6日17時)が出される前日のことである。
しかし・・・ 内閣府は大雨・台風の予想を受け、既に7月2日に情報���絡室、 大雨が激しさを増した6日に情報対策室を設置して大雨への対応を始めている。 そして被害が拡大した7日の結果を受けて8日8:00に非常災害対策本部を設置している。 消防庁は7月3日11:30に応急対策室長を長とする消防庁災害対策室を設置、 7月6日9時に国民保護・防災部長を長とする消防庁災害対策本部を、 同日20時30分に消防庁長官を長とする消防庁災害対策本部を設置している。 気象庁も7月5日14時から臨時の記者会見を行い、 「記録的な大雨になるおそれがある」と厳重な警戒を呼び掛けていた。 防衛省も6日災害対策室を設置して各地からの自衛隊救助要請を受けた。 そして首相官邸も宴会前の5日13時時点で既に対応はしているのである。 ↓ 7月5日からの大雨について:首相官邸 https://www.kantei.go.jp/jp/headline/ooame201807/ <関連記事> 豪雨 政府が非常対策本部を設置 首相「先手で支援を」 毎日新聞2018年7月8日 https://mainichi.jp/articles/20180708/k00/00e/040/162000c <資料> 平成30年7月西日本豪雨 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%9030%E5%B9%B47%E6%9C%88%E8%A5%BF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B1%AA%E9%9B%A8#%E8%A1%8C%E6%94%BF%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C 安倍政権は大雨対策を事前からしっかりやっている! こうして時系列でみると、政府の対応は非難されるほど遅かったわけではない。 これがアノ民主党政権なら10日になっても対応していないだろう。 東日本大震災や福一原発事故の対応を思い出してほしい。 今回の宴会での安倍政権批判、否中傷は既に定番化した、 台風も大雨も洪水も火山の噴火も何でも安倍が悪い、アベガー・・・ というバカ野党と売国マスゴミの策動であることがわかる。 そのバカ野党には速攻でブーメラン返しが・・・ ブーメラン? 蓮舫氏、宴会の自民安倍首相を批判 →同日に立憲民主党も酒席パーティー 枝野氏や 辻元氏(地元大阪は避難勧告中)も参加 以下その証拠・・・ ・西崎つばさ@Tsubasa2439(目黒区議会議員) 2018年7月5日18:17 「手塚よしお衆議院議員の政治活動25周年記念パーティー。 枝野幸男代表をはじめ、多くのご来賓が出席されています。大盛況。 #立憲民主党 #手塚よしお #枝野幸男 #長妻昭 #辻元清美 #蓮舫 #憲政記念館」 https://twitter.com/Tsubasa2439/status/1014800535516430336 https://pbs.twimg.com/media/DhuPWdKUYAAIHth.jpg ・衆議院議員 手塚よしお 公式サイト 「25周年感謝の集い」2018年7月6日 さて、昨晩は日頃から私をご支援いただいている皆様にご参集いただき、 「手塚よしお政治活動25周年感謝の集い」を 国会近くの憲政記念館で開催させて頂きました。 野田佳彦前総理、菅直人元総理、枝野幸男代表、長妻昭代表代行、 辻元清美国対委員長、蓮舫副代表ら多数のご来賓にもご祝辞を頂戴し、 政治家冥利に尽きる夜となりました。 https://www.t440.com/2018/07/?post_type=post
私は安倍首相が理想的な政治家とは決して思わないが、 安倍首相以外にこの国の舵取りを任せられる人材がいない以上、 安倍首相を批判しつつも支持するしかないではないか・・・
これからも私は安倍政権を批判しつつ、 安倍政権の存続を強く願わざるを得ない! だって野党がバカ過ぎだからだ(悲)!
25 notes
·
View notes
Photo
大企業・軍事に大盤振る舞い 国民生活支援 冷たく 岸田内閣補正予算案 2021年11月27日【3面】
過去最大の歳出総額となった2021年度補正予算案。コロナの第6波に備えるとともに傷ついた暮らしと経済を再生することが求められているのに、補正としては過去最大の軍事費を計上し、大企業には大盤振る舞い、国民にはきわめて不十分という逆立ちした内容になっています。
米奉仕 過去最大の軍拡 21年度補正予算案に計上された軍事費(防衛省予算)は7738億円に達し、過去最大だった19年度補正予算(4287億円)の1・8倍という大軍拡が狙われています。やはり過去最大だった21年度当初予算の5兆3422億円と合わせると計6兆円を超え、目安としてきた国内総生産(GDP)比1%を超えます。
防衛省は、今回の補正と来年度予算を一体化させ「防衛力強化パッケージ」と位置付けており、同盟国の役割強化を求める米国の要求に応える軍拡路線を急速に進めています。
具体的な内容として、地上配備型迎撃ミサイルパトリオット(PAC3)改良型、P1哨戒機3機、C2輸送機1機、魚雷、空対空ミサイル、対潜水艦ロケットなど、「ミサイル防衛」や自衛隊の戦闘・機動展開能力向上につながる幅広い装備品の導入費を計上。住民の反対を押し切って強行された石垣駐屯地(沖縄県石垣市)宿舎の新設など、南西諸島の基地増強も盛り込んでいます。
さらに、沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設費801億円など、米軍再編経費が計上されました。予算面に限って言えば、岸田政権の沖縄県民の民意無視は安倍・菅前政権以上です。新田原(宮崎県)・築城(福岡県)両基地の「緊急時使用」のための施設整備費26億円も計上されています。
補正計上額として防衛省は「安全保障環境が厳しさを増す中、装備をなるべく早く部隊に配備する必要がある」と強調します。しかし、そもそも補正予算は財政法上、大規模災害への対応など、予算成立後に発生した事象に本予算の範囲で対応しきれない場合、内閣が年度��中に編成し、国会に提出するものと位置付けられています。軍事費の計上は緊急に対応するものでなく、本来の趣旨から大きく外れており、補正予算の「第2軍事費」化が加速しています。このような予算を認めるわけにいきません。
経済安保で台湾企業に 「『産業の脳』として現代のデジタル社会を支える根幹を担っている」。15日に開かれた日本の半導体産業復活に向けた検討会議で、萩生田光一経済産業相はこう強調し、半導体産業の支援を国策として進めていく考えを強調しました。
補正予算案は、「経済安全保障」の柱として「先端半導体の国内生産拠点の確保」を掲げ、6170億円が計上されました。半導体受託製造(ファウンドリー)世界最大手の台湾積体電路製造(TSMC)が熊本県に建設する半導体工場が支援策の適用第1号となる見通しです。
支援は複数年度にわたります。TSMCへの補助金の額は、約4000億円と巨額。さらに、半導体大手の米マイクロン・テクノロジーとキオクシアホールディングスなどへの支援も検討されていると指摘されています。
岸田政権がいう「新しい資本主義」とは、まさに大企業への「ばらまき資本主義」です。数年にわたる支援策は、財政をひっ迫させる原因を新たにつくることになります。経済安保を看板にした台湾企業への異例の支援策には、中国との緊張関係を激化させる危険性も潜んでいます。
支援の実施体制は、経産省所管の新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が担うことが検討されています。半導体の生産設備の整備と生産計画の認定制度を設けます。支援を受ける企業は事業の計画書を提出し、経済産業相の認定を受ける必要があります。NEDOに設置する基金から資金を助成する仕組みになると見込まれます。認定を受けた先端半導体の生産基盤整備計画の実施に必要な半分を補助します。
政府は、「先端半導体」の支援としていますが、TSMCが建設を計画している工場は、回路線幅22~28ナノメートル(ナノは10億分の1)の情報処理を担う半導体であり「旧世代」の半導体です。
半導体不足を解消するために国際的な半導体の誘致合戦になっています。近い将来、半導体生産が世界的に供給過剰にならないと断言することはだれもできません。
危ういデジタル化に力 岸田政権が進めるデジタル化では「マイナポイント第2弾」としてマイナンバーカード取得者を対象に最大2万円分のポイントを付与する��め1兆8134億円を計上しました。
カードを取得し、キャッシュレス決済サービスとひも付けた人を対象に利用額の25%(最大5千円分)のポイントを付与。さらに健康保険証としての利用登録で7500円分、公的給付金を受け取る預貯金口座をひも付けた場合に7500円分のポイントを与えるとしています。“ポイントが欲しければ個人情報を差し出せ”と言わんばかりのやり方です。
官民の個人情報とマイナンバーがひも付けられ、国が運用する情報システムとの連携がすすめば、集積された情報から個人の嗜好(しこう)や信用力などを判断するプロファイリングが可能となります。個人情報の民間企業による営利活用や社会保障給付の抑制、人権侵害などにつながることが危惧されます。
「デジタル田園都市国家構想」に関わる地方創生交付金として660億円を計上しました。デジタル技術で地方の課題解決につなげるとして、オンライン学習のための環境整備や遠隔医療などを計画しています。
地方のデジタルインフラ整備には571億円を充てます。大量のコンピューターを設置し、インターネット接続サービスやデータの管理・運用サービスの提供施設であるデータセンターや、次世代高速通信網(5G)など巨額の公共投資です。
これまで進めてきた支所や学校、公立病院など公共施設の統廃合や、地方公務員削減による地方切り捨ては省みず、新たな大企業支援となる恐れがあります。
(しんぶん赤旗、2021/11/27)
給付金 あまりに不十分 2021年度補正予算案の減収事業者向けの新たな給付金「事業復活支援金」(2兆8032億円)は、支給要件を昨年の持続化給付金の50%以上の減収から30%以上の減収に緩和しました。ただし給付額は岸田首相が「持続化給付金並み」と語っていた水準とは程遠い中身です。
個人事業主向けの場合、給付額は持続化給付金の最大100万円から事業復活支援金では最大50万円へと半減。法人向けも年間売上高1億円以下では最大200万円から最大100万円に半減しています。しかも、支援の対象となるのは今年11月から来年3月までの減収分だけ。10月以前の減収は対象になりません。
年収960万円以下の世帯(扶養親族が3人の場合)の高校生以下の子どもに1人10万円相当の給付金を配るため1兆9473億円(予備費含む)を、住民税非課税世帯に1世帯当たり10万円を配るため1兆4323億円を計上しました。
岸田首相は「コロナでお困りの皆様への給付金」を公約していました。しかし、東京23区などでみた場合、単身者で給与所得が100万円を超えると課税世帯となり、給付金の対象から外れます。子どもがいない世帯では、コロナで最もしわ寄せを受けた非正規雇用労働者の多くは給付金を受け取れないことになります。
生活に困っている大学や専門学校の学生に1人10万円の給付金として675億円を計上。昨年の同様の給付金では非課税世帯の学生には20万円を支給しましたが、今回の補正では非課税世帯向けの給付金が計上されたことを理由に一律10万円としています。
介護等賃上げ 桁少ない 看護、介護、保育職などの賃上げに向けては、1665億円を計上。来年2~9月まで、介護・障害福祉職員、保育士、幼稚園教諭は月9000円(月収の3%程度)、看護師は対象をコロナ患者受け入れ病院などに限ったうえで月4000円(同1%程度)引き上げるとしています。10月以降の対応は、来年度予算編成の過程で検討する方向です。
介護職員や保育士の賃金は全産業平均と比べて月約8万円低く、看護師の賃金は医師の35%程度にとどまるなか、現場の労働者からは「1桁少ない」「小遣い程度」といった批判が噴出。対象が一部に限られる看護師をめぐっては、分断が生まれ、むしろ害悪になるとの懸念もあります。
全国福祉保育労働組合や日本医労連は今年の春闘で、介護・障害福祉職員や保育士、看護師について、月4万~4万2000円の賃上げを要求。日本看護協会は11月の政府申し入れで、就業者数が最も多い40代前半で「7万円程度のベースアップを」と求めています。
岸田政権は、さらなる賃上げへ、年末までに「公的価格評価検討委員会」で具体策をまとめる方針。
ただ、同委員会は、社会保障費の抑制や負担増を推進する全世代型社会保障構築会議の下部組織として発足しており、「何かを削って賃金引き上げに当てるという議論に終始し、抜本的な賃上げにはつながらない」(日本医労連・森田進書記長)との指摘があります。
交付金 支給遅れも課題 次の感染拡大が懸念される新型コロナの対策では、医療提供体制の確保のため「緊急包括支援交付金」を約2兆円積み増します。ただ、同交付金をめぐっては、都道府県が担う交付作業や医療機関の申請作業の煩雑さで支給が遅れに遅れているうえ、支給対象が限定的で使い勝手が悪いとの批判が殺到しています。20年度分の交付金は、総額の4割超を占める約1兆6400億円が余って使われませんでした。
コロナワクチン接種の体制整備・実施に約1兆3千億円、治療薬の確保に約6千億円を盛り込んでいます。
自治体が新型コロナ対策に充てる「地方創生臨時交付金」は、増額を求める全国知事会などの声に押され、6兆8千億円を計上。そのうち、営業時間の短縮要請に応じた飲食店などに支払う協力金などが約6兆5千億円を占めますが、これも支給遅れの改善が課題です。残りのうち約3千億円は、新設する「検査促進枠」に配分します。「予約不要の無料検査を拡大」すると掲げていますが、来年3月末まで、対象を健康上の理由などでワクチン接種ができない人に限定しています。
(しんぶん赤旗、2021/11/27)
1 note
·
View note
Text
どうして50年も前の新幹線計画がそのまま続いているのか
7月1日に法然院・森の学校に参加させていただきました。
主催はフィールドソサエティさん。
「京の自然と北陸新幹線延伸問題」というタイトルで、日本自然保護協会の若松伸彦さんと、北陸新幹線・京都延伸計画の環境アセスメントの一端停止を求める会事務局長の榊原義道さんのお話を伺いました。
若林さんは、主に中央新幹線、つまりリニア路線の工事現場の様子をお話くださいました。
すでにトンネル工事が終わった山梨県では戸倉川はじめ何本かの川が完全に枯れてしまい、そのために生活用水、農業用水がなくなり、JRが毎日3トンタンクローリーで水を運んでいるのだそうです。
えらいことですよね。
それでも、これは事前に「水が枯れた場合の補償」をJRと契約していたから、その補償期間中の数十年は水が運ばれ���のですが、その後は一切、何の対策も取りられない、つまりどこも責任を取らない。
そして事前契約をしていない場合は、タンクローリーは出動しません。
トンネルを掘ることによって起こる水枯れは京都でも起こるものと思った方が良い。
新幹線整備計画は昭和48年の計画に沿って粛々と続いてきたことは以前も書きましたが、なぜ、見直しがされないのか?
若林さんによると「法律だからです」と。
全国新幹線鉄道整備法、というのがある。
それに沿って昭和48年に整備計画ができたようです。
以下は国土交通省のHPより。
https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_fr1_000041.html
全国新幹線鉄道整備法、これの基づいて下記の5路線の建設が決定されているようです。
・東北新幹線:岩手県盛岡市 - 青森県青森市間 ・北海道新幹線:青森県青森市 - 北海道札幌市間 ・北陸新幹線:東京都 - 大阪府大阪市間 ・九州新幹線:福岡県福岡市 - 鹿児島県鹿児島市間 ・九州新幹線:福岡県福岡市 - 長崎県長崎市間
中央新幹線(リニア)は2011年に決定��ています。
この法律内で、一度決定した計画の見直しはできないのでしょうか?
法改正しかないのでしょうか?
そのあたりのことも調べていきたいと思っています。 (井﨑)
0 notes
Text
2021
滋賀県大津市の天台宗総本山・比叡山延暦寺です。 標高およそ800メートル。冷たく澄んだ空気が辺りを包んでいます。 毎年、大みそかに行われる鬼追い式です。怒り、ねたみ、むさぼり。 人間の煩悩を鬼に見立て邪気を払う行事。 新型コロナウイルス感染防止のため 参拝者は例年より間隔を空けて、見守ります。 4月、緊急事態宣言を受け 比叡山では1か月にわたって拝観を停止しました。 最澄が山を開いた 1200年前も疫病や災害が多い時代でした。 人々の苦しみを取り除こうと彫られた薬師如来。 織田信長による焼き打ちなど 幾多の苦難を乗り越え現代に祈りをつないでいます。 ことしも除夜の鐘が打たれます。 (鐘の音) (鐘の音)
香川県高松市。 街を見守る弘法大師、空海です。 四国八十八ヶ所霊場の一つ八栗寺(やくりじ)。 ことしは新型コロナウイルスの影響で お遍路に来る人が8割減りました。 久々のにぎわいを見せた大みそか。人が密集しないよう スタッフを増員するなど感染対策を講じています。 (お経) お遍路をもてなしてきた地元の人々。 ことしは、そのにぎわいが失われました。 人々が感染の終息への願いを託したものがあります。100巻の写経です。 かつて空海が写経で疫病を治めたという逸話にならいました。 外出自粛が呼びかけられる中多くの人が自宅で書き写しました。 逆境の日々をみんなで乗り越える。 離れていても同じ思いが込められています。 (お経) 街に、にぎわいが戻りますように。 (鐘の音) (鐘の音) 2人≫こんばんは。 高瀬≫2020年は感染の拡大によって日常が大きく変わりました。 石橋≫東京では、きょう新たに1300を超える人の感染が確認されています。 帰省や初詣を控えているという方も多いのではないでしょうか。 高瀬≫そういうときだからこそ全国各地の様子をお届けしながら一緒に新しい年を迎えたいと思います。 石橋≫ここは、東京・調布市の深大寺(じんだいじ)です。 奈良時代に開かれ、厄よけや疫病(えきびょう)退散の御利益があるとして 信仰を集めてきました。 高瀬≫ことしは列に並ぶ人が密集しないようさい銭箱を2倍以上の大きさにしました。 石橋≫さらに一度に300人が集まっていた護摩祈祷(ごまきとう)も一組ずつ祈祷を受け速やかに離れるようにしています。 (お経) 高瀬≫信仰の中心になっているのは実在した僧侶元三大師(がんざんだいし)です。平安時代疫病に苦しむ人々を救うため鬼に姿を変え疫病神(やくびょうがみ)を追い払ったと伝えられています。 石橋≫その元三大師は秘仏としてこの鏡の奥に祭られています。 今回、特別に撮影が許可されました。 高さは、およそ2m。 鎌倉時代に作られた鎌倉時代に作られた日本最大の僧侶の像とされています。
来年、感染拡大の終息を願って205年ぶりに寺の外で開帳が行われる予定です。
高瀬≫誰も想像しえなかった一年の終わりに穏やかな日々への思いをはせます。
石橋≫それでは年越しを迎える各地の様子を見ていきます。
華やかな夜景が広がる横浜です。クルーズ船ダイヤモンド・プリンセスでの集団感染から大きく揺れた一年になりました。 600ほどの店が軒を連ねる中華街。
ことし初め中国で感染が広がると街から感染者が出ていないにもかかわらず差別や風評被害にさらされました。
対策を徹底してきた中華街では密を避けるために年越しの神事も見物客を8分の1に制限しました。
「苦しいときこそ皆で華やかに年を越したい」。
思いを込めて舞います。
舞がささげられるのは媽祖廟(まそびょう)です。媽祖は災害や疫病などから人々を守るとされる女神。世界各地に建てられ華僑の心のよりどころになってきました。
感染拡大の終息。そして、商売繁盛への願い。苦難を経て年越しを迎えることができたことに感謝する中華街です。
原田≫雪の降りしきる大みそかとなりました鳥取市の白兎(はくと)神社です。因幡の白うさぎのけがを大国主命(おおくにぬしのみこと)がこの地で治したという神話から病気平癒の御利益があるといわれています。初詣を待つ人々の中にはこんな方もいます。こんばんは。
≫こんばんは。
原田≫なんとロボットです。
手を振っていますね。これ、実は離れた場所にいる人が操作をしているんです。
鳥取市の中山美智子さんです。中山さんは、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病で入院しています。
目の動きでパソコンを操作することでロボットを自分の分身のように動かします。
この1年、新型コロナの影響で家族との面会が難しくなりましたがこのロボットによってようやく、それがかないました。
実はもう一台ロボットがあります。これは夫・和夫さんが操作しているんです。和夫さんも難病を患っていて外出が難しい状態です。
ロボットを通して、2人は久々に再会することができました。 ロボットのレンタルを行う代理店の協力で念願だった、お二人での外出が実現したんです。
では美智子さんにお話を聞きます。 声を出すのが難しいので合成音声でお答えいただきます。
美智子さん久しぶりの2人での外出ですけれどもどんなお気持ちですか?
ロボット(美智子)≫夫と離れていて体調が気がかりでしたから久しぶりに話ができてうれしいです。来年は夫の体調がよくなりコロナも落ち着いて家で一緒に生活できるよう願っています。
原田≫和夫さん何を祈られますか?
ロボット(和夫)≫一日も早くよくなって皆さんに助けられてまた2人で暮らせますようにとお祈りしたいと思います。
原田≫お二人ありがとうございました。
離れていても同じ景色を見ていたい。2人の思いが詰まった初詣です。
7月記録的な豪雨が襲った熊本県。65人が犠牲となり今も2人が行方不明です。特に大きな被害を受けた人吉(ひとよし)市にある青井阿蘇神社は「青井さん」と呼ばれ親しまれてきました。国宝のかやぶき屋根の楼門(ろうもん)など5つの建造物が被害を受けました。
球磨(くま)川が氾濫し境内には1mを超える高さまで水が押し寄せました。復旧作業を行ったのは地域の人々でした。地域のよりどころがよみがえりたみ、むさぼり。人間の煩悩を鬼に見立て邪気を払う行事。
新型コロナウイルス感染防止のため参拝者は例年より間隔を空けて、見守ります。
4月、緊急事態宣言を受け比叡山では1か月にわたって拝観を停止しました。最澄が山を開いた1200年前も疫病や災害が多い時代でした。人々の苦しみを取り除こうと彫られた薬師如来。織田信長による焼き打ちなど幾多の苦難を乗り越え現代に祈りをつないでいます。
ことしも除夜の鐘が打たれます。
(鐘の音)
(鐘の音)
香川県高松市。街を見守る弘法大師、空海です。四国八十八ヶ所霊場の一つ八栗寺(やくりじ)。ことしは新型コロナウイルスの影響でお遍路に来る人が8割減りました。
久々のにぎわいを見せた大みそか。人が密集しないようスタッフを増員するなど感染対策を講じています。
(お経)
お遍路をもてなしてきた地元の人々。ことしは、そのにぎわいが失われました。人々が感染の終息への願いを託したものがあります。100巻の写経です。
かつて空海が写経で疫病を治めたという逸話にならいました。外出自粛が呼びかけられる中多くの人が自宅で書き写しました。 逆境の日々をみんなで乗り越える。離れていても同じ思いが込められています。
(お経)
街に、にぎわいが戻りますように。
(鐘の音)
2人≫こんばんは。
高瀬≫2020年は感染の拡大によって日常が大きく変わりました。
石橋≫東京では、きょう新たに1300を超える人の感染が確認されています。帰省や初詣を控えているという方も多いのではないでしょうか。
高瀬≫そういうときだからこそ全国各地の様子をお届けしながら
一緒に新しい年を迎えたいと思います。
石橋≫ここは、東京・調布市の深大寺(じんだいじ)です。奈良時代に開かれ、厄よけや疫病(えきびょう)退散の御利益があるとして信仰を集めてきました。
高瀬≫ことしは列に並ぶ人が密集しないようさい銭箱を2倍以上の大きさにしました。
石橋≫さらに一度に300人が集まっていた護摩祈祷(ごまきとう)も一組ずつ祈祷を受け速やかに離れるようにしています。
(お経)
高瀬≫信仰の中心になっているのは実在した僧侶元三大師(がんざんだいし)です。平安時代疫病に苦しむ人々を救うため鬼に姿を変え疫病神(やくびょうがみ)を追い払ったと伝えられています。
石橋≫その元三大師は秘仏としてこの鏡の奥に祭られています。今回、特別に撮影が許可されました。高さは、およそ2m。
ことしも「青井さん」で年を越すことができます。拝殿には全国から大量の支援物資が届きました。新型コロナの影響でボランティア活動が制限される中寄せられた復興へのエールです。
「がんばれ熊本」。
熊本では今も4000人以上が避難所や仮設住宅などで暮らしています。
「青井さん」とともに復興の道を歩みます。
石橋≫再び、東京・深大寺です。
高瀬≫各地の様子を見ていますと離れていても心はつながっていたい一つでありたいという気持ちが伝わってきます。
皆さんにとって、2020年はどんな年だったでしょうか。
石橋≫さあ、新しい年を知らせる除夜の鐘です。
(鐘の音)
(花火の音)
(汽笛)
(爆竹の音)
横浜港の汽笛と魔よけの意味が込められた爆竹。新年を迎えた中華街です。ステージには色鮮やかな獅子が現れました。
(獅子舞の音)
頭を噛(か)んでもらうと厄(やく)を祓(はら)い福が来るといわれる獅子。中華街の祝い事に欠かせない人気者です。
2人≫明けましておめでとうございます。
高瀬≫2021年令和3年の幕開けです。
石橋≫新年を迎えここ深大寺でも人々が初詣に訪れていますが例年より、その数は少ないようです。
高瀬≫ことしは混雑を避けるため旧正月に当たる2月中旬までを参拝期間として分散初詣を呼びかけていくということです。
石橋≫皆さんはそれぞれの場所でどんな思いを抱きながら新年を迎えているのでしょうか。全国各地の様子を見ていきましょう。
ことしは、うし年。4時間ほど前に生まれたばかりの子牛も新年を迎えました。こちらの子牛が着ているのはちゃんちゃんこ。体温調節が難しい子牛を元気に育てるための習慣です。北海道・足寄(あしょろ)町の牧場です。
現在の気温はマイナス17度。北海道でも、とりわけ寒さが厳しい、この町では寒さに強い乳牛が人々の暮らしを支えてきました。今夜も数頭の牛が出産を予定しています。牛たちを見守るのは牧場主の山下和洋さんです。
牛を育てて40年。僅か2頭から始め今では830頭になりました。
山下≫おいで、おいで。
新型コロナウイルスの影響で牛乳や乳製品の消費は大きく落ち込みました。「どんな困難に直面しても牛の歩みのように一歩ずつ進んでいく」。 新年を迎え決意を新たにしています。
再び、比叡山延暦寺です。最澄が亡くなって1200年という節目の年を迎えました。国宝根本中堂(こんぽんちゅうどう)
では今、10年がかりの大規模な改修が行われています。屋根を覆っていた銅の板はすべて剥がされました。横40m、高さ25mの屋根は新たに葺(ふ)き直されます。貴重な木造建築の今しか見られない姿です。
建物の彩色はいったん、落として創建当時の姿に塗り直されます。山が開かれて以来守り伝えられているものがあります。最澄がともしたと伝わる不滅の法灯(ほうとう)です。
「一隅を照らす心」、つまり「一人一人が今いる場所で最善を尽くす心」を持てばよりよい世界につながると説きました。
ともし火とともに最澄の思いは受け継がれてきました。ことし、不滅の法灯から分けられた、ともし火が全国を巡ります。
不安な時代を照らす光が各地に広がります。
静岡県熱海市です。毎年およそ300万人の宿泊客が訪れる観光の町です。古くから旅人を守る神社として知られる來宮(きのみや)神社です。新年を迎え静かに参拝が始まりました。
(祝詞)
本殿では祝詞が読み上げられています。参拝者たちの願いを届ける神事です。氏子の多くが携わる観光業は大きな打撃を受けました。温泉旅館を経営する藤間崇史さんです。従業員とともに熱海の魅力を紹介する動画を配信するなど模索を続けてきました。
町に活気を取り戻すためできることはすべてやる覚悟です。境内の奥にあるのは国の天然記念物のクスノキ。樹齢は推定2000年です。高さは20m以上。長年、風雪に耐え今も成長を続けています。その生命力にあやかろうと人々は周りを一周します。
新たな年もこのクスノキが見守っています。
原口≫群馬県前橋市のアパートです。こちらの部屋にはことしこそはという思いで新しい年を迎えられた方々がいらっしゃいます。
皆さん明けましておめでとうございます。 選手たち≫おめでとうございます。
原口≫東京オリンピック・パラリンピックに出場するアフリカ・南スーダン共和国の陸上選手団の皆さんです。事前合宿のために1年あまり前に来日されたんですが去年、大会は延期。さらに新型コロナウイルスの影響で帰国が困難になったこともあってここで共同生活を送っています。こちらはふだんの練習の様子です。ホストタウンの前橋市では近くの運動場を無償で貸し出すなどして練習に集中できる環境を整えてきました。
多くの選手が日本に来てから自己ベストを更新しているそうです。選手たちは地元の人たちとも交流を重ねてきました。市内の幼稚園や小・中学校へは10回以上、訪問しました。そして、こちらは地域のお祭りに参加したときの写真です。
皆さん、今では前橋を第2のふるさとのように感じているそうです。 この一年間、皆さんは日本語の勉強もされました。書き初めをしていただきました。 「金」「メダル」そして「平和」。 母国、南スーダンでは長く紛争が続いてきました。
スポーツを通して平和をもたらしたい。そんな気持ちを込めたそうです。
男子1500mに出場するアブラハム選手です。ことしこそ晴れの舞台に立って家族に活躍する姿を見せたいそうですね。
アブラハム≫メダルを取って南スーダンと前橋の皆さんを喜ばせたいです。 原口≫ありがとうございます。
遠く離されたふるさとそして前橋のために選手たちは新たな一年のスタートを切ります。
高瀬≫ことし、大きな節目を迎える場所があります。復興への道を歩み続ける東日本大震災の被災地です。
真っ暗な海に沿って再建した町の明かりがともります。東日本大震災の発生から10年を迎える宮城県石巻市洞源院(どうげんいん)です。
(太鼓の音)
被災地を望む本堂では新年の祈祷が始まっています。あの日から5か月の間ここにはおよそ400人が避難し共同生活を送っていました。壁には今も当時の約束事が貼られています。
「元気よく挨拶をしましょう」。
(太鼓の音)
人々は支え合いながら復興への険しい道を歩んできました。亡くなった人々の魂を鎮めるお焚(た)き上げです。全国から送られてきた千羽鶴も節目のことし 火にくべることにしました。避難所、仮設住宅そして、暮らしの再建。
いつもそばにあった千羽鶴を感謝を込めて焚き上げます。被災地の将来を担う子どもたち。人々に見守られ元気に育っています。
東日本大震災からまもなく10年。未来への希望の鐘です。
(鐘の音)
石橋≫ごく普通の日常のありがたさそして人々のつながりの大切さ改めて感じますね。
高瀬≫私たちも皆さんとつながっています。変わってしまった日常。だからこそ
新しい年を、このことばとともにスタートさせようと思います。2021年が皆さんにとって…。
2人≫すばらしい年になりますように。
0 notes
Text
【アンケート企画】 「2017年の3本」
WLでは読者のみなさんから2017年に見た舞台作品の中で印象に残った3本を、その理由などを書いたコメントとあわせて募るアンケートを実施しました。WLスタート以来毎年行っているこの企画、3回目の今回は20名の方にご参加いただきました。掲載は到着順です。
雨宮 縁(会社員) ・劇団四季『ノートルダムの鐘』(四季劇場〔秋〕) ・ホリプロ『パレード』(東京芸術劇場 プレイハウス) ・ホリプロ『ファインディング・ネバーランド』(東急シアターオーブ ) 『ノートルダムの鐘』は何が悪なのか? 怪物は誰なのか? 人間の業と差別について圧倒的なクワイアの歌声で問われる秀逸な作品。 ミュージカル『パレード』はストレートプレイを見ているようなミュージカル。アメリカ南部で起こった実話の冤罪事件をミュージカル化した異色作。ある少女殺人事件をきっかけに人種差別や成功者への妬みなどから警察やマスコミ、政治家様々な立場の人達により犯人に仕立て上げられていく恐ろしさ。これが物語ではなく実話であるというさらなる恐ろしさに声が出ない程の衝撃だった。実力者ぞろいの出演者達で見応え満点だった。 ブロードウェイミュージカル『ファインディング・ネバーランド』は来日公演。ミュージカルらしい作品。イマジネーションの世界は自由だと夢のあるミュージカル。窮屈な現実から解き放される感動作で前向きな気持ちにしてくれます。(年間観劇本数:24本)
小田島 創志(大学院生・非常勤講師) ・KAAT『オーランド―』(KAAT神奈川芸術劇場) ・やみ・あがりシアター『すずめのなみだだん!』(小劇場てあとるらぽう) ・地人会新社『豚小屋』(新国立劇場 小劇場) 1.KAAT『オーランド―』…ジェンダー、言葉の意味、文化慣習、時代精神などの脱自然化を、舞台上で緻密に表現。観客の想像力を喚起する役者さんの演技も白井さんの演出も圧巻。「男である」「女である」のではなく、「男になる」「女になる」というボーヴォワール的な価値観を、演劇的にスタイリッシュに表現していて素晴らしかった。 2.やみ・あがりシアター『すずめのなみだだん!』…個人と社会、個人と宗教の関係性を、コミカルかつ丁寧な言葉を紡いで描いた意欲作。テーマが複層的で、観客側の思考を誘う。 3.アソル・フガード『豚小屋』…個人よりも集団が過剰に優先され、個人の犠牲の上に集団が成り立つ状況下で、戦争に駆り立てられる庶民の「受難」を、北村有起哉さんと田畑智子さんの壮絶な演技で伝えていた。(年間観劇本数:53本)
豊川 涼太(学生) ・ロロ『父母姉僕弟君』(シアターサンモール) ・木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談 通し上演』(あうるすぽっと) ・ままごと『わたしの星』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 今年の3本を選んでみると、全てが再演(初演はどれも観ていない)だった。 特にロロ『父母姉僕弟君』はキティエンターテイメントプロデュースで、より大きなサイズで大きなスケールで上演できていた。 他の方々も語るように、再演賞を設ける等、演劇界全体で再演文化の定着に力を入れて欲しい。(年間観劇本数:50本程度)
なかむら なおき(観光客) ・月刊「根本宗子」『スーパーストライク』(ザ・スズナリ) ・劇団四季 『ノートルダムの鐘』(四季劇場〔秋〕) ・こまつ座『イヌの仇討』(紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA) 『スーパーストライク』は良し悪しの前にもっとも欲していることが届く作品だったので。『ノートルダムの鐘』はあえて出来事だけを表現して観客に判断を任せているのが面白かった。そして『イヌの仇討』は忠臣蔵を下敷きに目に見えない得体の知れない大きな力を描いていて続々としたなぁと。あ、これらは趣味です。 で、上演された作品を見ると、今の世の中に応答するような作品が多いように思うのです。そして小劇場界隈で育ってきた演出家が大劇場の演出を務めるようになってきているように思うのです。また少し変わったかなぁと思うのです。(年間観劇本数:100本ぐらいですかね)
北村 紗衣(研究者) ・ケネス・ブラナー演出、トム・ヒドルストン主演『ハムレット』(RADA) ・カクシンハン『マクベス』(東京芸術劇場 シアターウエスト) ・モチロンプロデュース『クラウドナイン』(東京芸術劇場 シアターイースト) 今年は『ハムレット』を6本見て、アンドルー・スコット主演版や川崎ラゾーナ版なども良かったのですが、ヒドルストンの『ハムレット』が一番好みでした。ハムレット以外の若者役を全員女性にするキャスティングが効いていました。カクシンハンの『マクベス』はまるでゴミみたいなセットでしたが、内容はゴミとはほど遠いエネルギッシュなものでした。『クラウドナイン』は大変面白かったのですが、あまりよく考えずに「レズ」とか「少年愛」などという言葉を使っているマーケティングは大変残念でした。 (年間観劇本数:121本)
町田 博治(会社役員) ・青☆組『グランパと赤い塔』(吉祥寺シアター) ・小松台東『山笑う』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・ SPAC『アンティゴネ ~時を超える送り火~』(駿府城公演特設会場) 『グランパと赤い塔』 吉田小夏が人の綾なす思いを紡ぎ、丁寧に織り上げられる。 背筋が伸び厚みと洒脱さを合わせ持つ老紳士を佐藤滋が見事に演じ、福寿奈央の初老の妻も見事。二人が作品に一本の筋を通す。 裏の主役とでも言うべき女中役を大西玲子が、目線、ことば、仕草、身体で見事に演じていた。役者が皆素晴らしい。 『山笑う』 兄と妹、地方と都会、肉親ゆえの諍い。 静かに光る小さな宝石の様な作品。 松本哲也の演出がシリアスさと笑いをバランスさせ絶妙。厚みのある演技、役者達のバランスも絶妙。 『アンティゴネ』 冒頭女優��井萠水がミニ・アンティゴネを演じ客を引き込む。 舞台は一面水。灯篭が浮かび明かりが揺れる。あの世と現世の境としての水、水上で舞台が静かに進む。背後に投射された動きが影となり、台詞、歌唱が絡み、幻想的。 「弔い」にこだわるアンティゴネ、最後、円く連なってゆく静かな盆踊りが弔いを暗示胸を締め付ける。(年間観劇本数:299本)
文月 路実(派遣社員・フリーライター) ・ゴキブリコンビナート『法悦肉按摩』(都内某公園) ・NODA・MAP『足跡姫』(東京芸術劇場プレイハウス) ・ 範宙遊泳『その夜と友達』(STスポット) 「五感を総動員する」と謳っていたゴキコンの本公演は、まさにその通りの悪夢だった。入り口で目隠しされ、何が何やらまったくわからない状態で味わう地獄。四方八方から泥水や血糊や汚物や虫が飛んでくる。突然役者が飛び出してきて身体の上に載る。内容はいつも通りのひどい話だ。テント内はかなり暑く、なにやら異臭がすごい。終わったときには頭に虫がとまり、レインコートは泥や血糊でぐしょぐしょ、汗で眉毛が半分消えておったとさ。そんなに過酷だったのにもかかわらず爽快感を覚えたのは不思議。普段使わない感覚を刺激されたからか。これこそが演劇の力なのでは。『足跡姫』は勘三郎へのオマージュ。ここ数年の野田作品のなかで一番ストレートに「想い」が伝わってきて、純粋に美しいと思った。『その夜と友達』は、生きづらさを抱えた「夜」というキャラクターが個人的に刺さった。「しんどさ」を知ってしまった人間にも希望はあるのだと信じたい。(年間観劇本数:42本)
永田 晶子(会社員) ・努力クラブのやりたくなったのでやります公演『フォーエバーヤング』(人間座スタジオ) ・燐光群『湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)』(ザ・スズナリ) ・dracom Rough Play 『ぶらんこ』(OPA_Lab) 上演日順です。 ・説明が削られ、描くべきことだけ残った合田団地氏の劇作は、努力クラブの魅力のひとつです。同世代の俳優による静かな演技で、人生における中途半端な時間の儚さをより楽しめました。 ・燐光群の公演で、劇場という閉ざされた空間が持つ危うさを確かめました。戯曲に負けない強い演技と、暗闇にわずかな光を感じるラストシーンが印象的でした。失われた街に思いを馳せる機会にもなりました。 ・既存戯曲を本読み一回・稽古一回で上演するラフプレイを観て、演劇は一度きりの瞬間に在ると思いました。会場全体に広がる「わかりあえなさ」に、戸惑いつつも笑いました。戯曲を忠実に辿ろうとするデッサンのような行為は、dracom の新作での慎重な表現にも繋がっていたと思います。(年間観劇本数:100本くらい)
青木 克敏(地方公務員) ・SPAC『アンティゴネ〜時を超える送り火〜』(駿府城公演特設会場) ・ロシア国立サンクトペテルブルク マールイ・ドラマ劇場『たくらみと恋』(世田谷パブリックシアター) ・NAPPOS PRODUCE『SKIP〜スキップ』(サンシャイン劇場) あまりぱっとしない演劇状況に思えました。その中で、SPACの宮城聰さんの取り組みは素晴らしいものに感じています。アンティゴネは構成がしっかりとしていて分かりやすいかったですが、私の価値観を揺るがしてくれるほどの感動を、与えてくれました。たくらみと恋では、俳優陣をはじめとして芸術レベルの高さを見せつけられました。そして、スキップ。なんだかんだ言っても、キャラメルボックスは、夢と希望をいつだって分かち合おうと走り続ける劇団です。(年間観劇本数:32本)
矢野 靖人(一般社団法人shelf代表理事・芸術監督) ・WORLD STAGE DESIGN『The Malady of Death』(台北国立芸術大学) ・HEADZ『を待ちながら』(こまばアゴラ劇場) ・SCOTサマーシーズン2017『サド侯爵夫人 第二幕』(新利賀山房) The Malady of Death”はバンコクの盟友、僕がいちばん信頼している僕自身のプロデューサー的存在でもあるリオンが演出する作品とあってわざわざそれを観るためだけに台湾まで行った作品。そういうことが出来る/したいと思える仲間がいることに感謝。今年いちばん記憶に残っている。デュラス晩年の最後の恋人は実はゲイで、しかし献身的にデュラスを愛し、デュラスに尽くしたという。美しく儚い作品だった。鈴木忠志「サド侯爵夫人 第二幕」はこの超絶技巧のこのアーティフィシャル(人工的)な日本語台詞をねじ伏せた俳優陣に快哉。久しぶりに劇場で観劇した飴屋法水さんの「を待ちながら」はこちらが思っていた以上に泣けるほどに清々しくベケットで。選外に1作品、APAFワン・チョン氏演出の「Kiss Kiss Bang Bang2.0」を。ノンバーバル且つインターナショナルな演劇の新たな可能性を垣間見せてくれた。(年間観劇本数:43本)
野呂 瑠美子(一観客) ・劇団昴ザ・サードステージ『幻の国』(サイスタジオ大山第1) ・劇団チョコレートケーキ『熱狂』(シアターウェスト) ・文学座創立80周年記念公演『中橋公館』(紀伊国屋ホール) どの時代をどういう切り口で、どのように選ぶかは作者の意識と力量による。劇団チョコレートケーキの古川健さんは、大きな歴史の流れを巧妙に切り取り、多大な資料を元に、新たに肉付けをして、その時代がどんなであったかを観客に見せてくれる。『幻の国』『熱狂』ともに、3時間ほどの舞台からは、困難な時代に置かれた人々の思いと息遣いが伝わってくるようであった。文学座の真船豊の『中橋公館』も、殆ど知られることがなかった、外地・北京で敗戦を迎えた日本人の様子をよく伝えていて、感心した。どの作品も、過ぎ去った時代を描きながら、実は現代をきちんと映し出している秀作揃いで、感動とともに、印象深い作品となった。最近あまり見なくなった歌舞伎だが、今年は仁左衛門の『千本桜』がかかり、おそらく彼の一世一代の知盛であろうと思われて、拝見した。人生は速い。(年間観劇本数:80本)
片山 幹生(WLスタッフ) ・SPAC『病は気から』 (静岡芸術劇場) ・ゴキブリコンビナート『法悦肉按摩』 ・平原演劇祭2017第4部 文芸案内朗読会演劇前夜&うどん会 「や喪めぐらし」(堀江敏幸「めぐらし屋」より) ノゾエ征爾翻案・演出のSPAC『病は気から』は17世紀フランス古典主義を代表するモリエールの喜劇の現代日本での上演可能性を切り拓く優れた舞台だった。ゴキコンはいつも期待を上回る斬新で過激な仕掛けで観客を楽しませてくれる。高野竜の平原演劇祭は昨年第6部まで行われ、いずれも既存の演劇の枠組みを逸脱する自由で独創的なスペクタクルだったが、その中でも文庫版200頁の小説を4人の女優がひたすら読むという第4部の企画の体験がとりわけ印象的だった。食事として供された変わったつけ汁でのうどんもおいしかった。(年間観劇本数:120本)
kiki(勤め人) ・日本のラジオ『カーテン』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・あやめ十八番『三英花 煙夕空』(平櫛田中邸/シアトリカル應典院) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) カーテン:この一年で拝見できた日本のラジオの作品はどれも面白かったが、結局一番好みにあったのがコレ。劇場の使い方や題材の面白さに加えて、奥行きのある人物描写で15人のキャストの魅力が充分に生きた。 三英花 煙夕空:あやめ十八番初の二都市公演で、東京と大阪の会場がどちらも物語によく似合いつつ印象はガラリと変わって面白かった。音の響きや照明も変わり、キャストも変わって、東京公演では濃密な仄暗さが、大阪公演ではエッジの効いた明暗がそれぞれ印象に残った。 アンネの日:風琴工房の題材への取り組み方にはいつも心惹かれるが、観る前には地味だろうと思っていたこの作品がこの一年で最もツボにハマった。描かれた人々の誠実さと強さ、それを演じるキャスト陣の説得力が魅力的だった。(年間観劇本数:155本)
りいちろ(会社員) ・第27班 キャビネット公演B『おやすみ また明日 愛してるよ』(シアターミラクル) ・コマイぬ『ラッツォクの灯』(石巻 GALVANIZE gallery) ・アマヤドリ『青いポスト』(花まる学習会 王子小劇場) 2017年も足を運ぶ先々に多彩な舞台の力がありましたが、中でも常ならぬ舞台の密度や呼吸を感じた3作品を。 この一年、くによし組や劇団ヤリナゲ、劇団普通、KAZAKAMI、遠吠え、キュイなど若い作り手たちの作品にも心惹かれつつ、てがみ座『風紋』、風琴工房『アンネの日』、青組『グランパと赤い塔』、うさぎストライプ『ゴールデンバット』、ワワフラミンゴ『脳みそあるいてる』など実績のある作り手の更なる進化を感じる作品も数多く観ることができました。FunIQの5人の作演での連続上演の試み,ロロの「いつ高シリーズ」やシンクロ少女の『オーラルメソッド4』のように過去作品と新作を合わせて上演することも作品の世界観を再認識させ作り手の進化を感じさせる良いやり方だったと思います。またあやめ十八番や水素74%などの歴史建造物での上演にも、スイッチ総研の諸公演やガレキの太鼓ののぞき見公演などの企みにも捉われました。(年間観劇本数:315本)
矢作 勝義(穂の国とよはし芸術劇場 芸術文化プロデューサー) ・ イキウメ『天の敵』(東京芸術劇場 シアターイースト) ・TBSテレビ『俺節』(TBS赤坂ACTシアター) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 『天の敵』は、戯曲・演出・美術・俳優など全てのピースが寸分の狂いもなく組み合わされた、これまで観たイキウメ作品の中で一番素晴らしい舞台でした。 『俺節』は、主演の安田章大の歌・芝居ともに素晴らしく、回りを固める小劇場系の俳優も一丸となり、見事に劇世界を支えていました。何と言っても、脚本・演出の福原充則の仕事ぶりが充実していました。 風琴工房の詩森ろばさんは、2017年の1年間で多数の作品を生み出していましたが、なかでも『アンネの日』は、教養エンターテイメントと名付けたいと思います。事実の羅列や解説にとどまらず、それをエンターテイメントに昇華しながらも、一つの物語として創り上げられたとても素敵なものでした。 番外として、自身の劇場制作の、青木豪作、稲葉賀恵演出の「高校生と創る演劇『ガンボ』」と桑原裕子作・演出の穂の国とよはし芸術劇場プロデュース『荒れ野』を上げておきたいと思います。(年間観劇本数:132本)
須川 渡(研究者) ・ dracom『空腹者の弁』(ウイングフィールド) ・山下残『無門館の水は二度流せ 詰まらぬ』(アトリエ劇研) ・アイホールがつくる「伊丹の物語」プロジェクト『さよなら家族』(AI・HALL) 今年も関西で多くの作品を観ました。劇場の閉館はたびたび議論になりますが、dracomと山下残はこの問いかけに作品という形で応答していました。dracomはウイングフィールドという場所で演劇を続けること、山下残はアトリエ劇研がなくなることの意味を、どちらも非常に挑戦的な方法で示していました。『さよなら家族』は、伊丹という場所と時間をかけて丁寧に向き合った秀作です。スタイルは様々ですが、観客である私も、同じ場所にとどまって演劇を観続けるとはどういうことかに思いを巡らせた1年でした。 (年間観劇本数:133本)
かいらくえんなつき(演劇ウォッチャー) ・ロロ いつ高シリーズvol.4『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』(こまばアゴラ劇場) ・悪魔のしるし『蟹と歩く』(倉敷市立美術館 講堂) ・範宙遊泳『その夜と友達』(STスポット) 2017年も前半は大阪にいたので、関東近辺の演劇はそこまで多くは観ていません。とはいえ、ここにどうしても挙げたいと思う関西の作品に出会えなかったのは、残念。 選んだのは今後ずっと忘れないだろうなと思う観劇体験だったものです。 この他に挙げられなかったのは、FTで上演された『忉利天(とうりてん)』 (構成・演出・美術:チェン・ティエンジュオ)。 これだけをみていうのもと思いますが、それでもいいたくなるぐらい、中国の勢いを感じさせられ、それと裏返しの日本の閉塞感を感じました。 2017年は(も?)色々と区切りとなる出来事の多かった1年だったような気がしています。 毎年同じようなことを書いている気がしますが、2018年はもっともっと新しい刺激的な作品に出会いたい!!(年間観劇本数:おそらく150本くらい)
薙野 信喜(無職) ・ Schauspiel Leipzig『89/90』(Berliner Festspiele) ・Akram Khan Company「Until the Lion」(Main Hall, ARKO Arts Theater) ・日本総合悲劇協会『業音』(西鉄ホール) 2017年は、海外で観た20数本の作品の印象が強い。パリで観たオペラ・バスティーユ『ラ・ボエーム』、オデオン座『三人姉妹』、コメディ・フランセーズ『テンペスト』、ベルリンドイツ劇場『フェードル』『しあわせな日々』、ソウルで観た Yulhyul Arts Group『Defeat the ROBOT 3』、明洞芸術劇場『メディア』の印象が強烈だった。
九州に来演した作品では、ヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』、サードステージ『舞台版ドラえもん のび太とアニマル惑星』、イキウメ『散歩する侵略者』、トラッシュマスターズ『たわけ者の血潮』 などが楽しめた。 九州の劇団では、劇団きらら『プープーソング』、そめごころ『ちずとあゆむ』、転回社『夏の夜の夢』 がおもしろかった。(年間観劇本数:156本)
でんない いっこう(自由人) ・東京芸術劇場『リチャード三世』(東京芸術劇場 プレイハウス) ・新国立劇場『プライムたちの夜』(新国立劇場小劇場) ・文学座『鳩に水をやる』(文学座アトリエ) 1.リチャード三世の人格形成に身体の障害を前面に出さなかったし、最期の苦しみを、脳内の様子が突然飛び出し襲い掛かるような映像と音響で訴えたプルカレーテ演出の意外性が惹きつける。 2.人は何に向って本心を言えるのか、自身の老後は応答するロボットを考えていたが、人型のAI・スライムなら2062年でなくとも頷けてしまう身近な物語であった。人を失した悲しみ、本来わかりえない存在、一個の人間。 3.童話作家だった男、今は認知症の鳩に水をやる男。誰にわかると言うのだ、その内面の心理が。過去を生きている男に通じる回路を持たない今を生きてる者達。次点は若い俳優、演出家の成長が嬉しい『その夜と友達』『ダニーと紺碧の海』『ナイン』気になる劇作・演出家で楽しかった『ベター・ハーフ』大野一雄に惹かれ、その時代の映像が見たくて、疑念を持ちながら観たのに何故か後半引き込まれてしまった『川口隆夫「大野一雄について」』等がある。(年間観劇本数:27本)
小泉 うめ(観劇人・WLスタッフ) ・点の階『・・・』(京都芸術センター 講堂) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・神里雄大/岡崎藝術座『バルパライソの長い坂をくだる話』(京都芸術センター 講堂) 前半は人生最高ペースの観劇本数だったが、後半は落ち着いて、おしなべてみれば例年並みの本数になった。そのため見逃したと思っている作品も多い。演劇が演劇であるが故の悔やみである。 『・・・』 ファンタジーという言葉だけでは済まされない不思議な観劇体験となった。窓の外の雪や隙間から入ってくる冷たい空気までもが演劇だった。 『アンネの日』 詩森の戯曲はいつも緻密な取材力とそこからの跳躍力に支えられているが、この戯曲からは一人の女性として、ひいては一人の人間としての彼女の姿が明瞭にうかがえ、彼女の代表作となるだろう。 『バルパライソの長い坂をくだる話』 神里のターニングポイントと言える。再び上演される機会もあるだろうが、あの場所であの役者陣でのスペイン語上演は、当然のことながら二度とないものを観たという印象が強い。 西日本での観劇も例年よりは少なかったが、結局KACで上演された2本を選んでいるあたりも私らしいところか。(年間観劇本数:355本)
2 notes
·
View notes
Text
【ニュース】GEIBUN11において「GEIBUN SELECTION 2019」の発表が行われました。
GEIBUN11において「GEIBUN SELECTION 2019」の発表が行われました。 GEIBUN SELECTION(芸文セレクション)は、「富山大学 芸術文化学部 大学院芸術文化学研究科 卒業・修了研究制作展 GEIBUN11」に出品された作品を対象に、富山大学芸術文化学部の全教員参加の審査によって優秀な作品・論文が選出される仕組みです。また、選出されたGEIBUN SELECTIONの中から、特に評価の高かった作品・論文が GEIBUN PRIZE(芸文プライズ)として表彰されます。 「GEIBUN SELECTION 2019」概要 PDF GEIBUN11会期中の審査期間を経て、2020年2月22日(土)に会場において、審査の結果発表が行われました。GEIBUN PRIZE受賞作品は、後日HPに掲載いたします。
GEIBUN SELECTION 2019 受賞者 (* GEIBUN PRIZE受賞者) [アート系(作品系)] 芦田 麻都佳 「#watercrisis」 * 髙橋 茉里 「蛾文蒔絵八角���」 * 小川 佳純 「光の庭」 水沢 卓生 「乾漆呂色盛器」 渡辺 陽子 「Cabbage」
[応用科学系デザイン(作品系)] 且味 咲希 「水紋の器」 * 鍋谷 結衣 「レイノルズ指数を使った新感覚スイーツの提案」
[社会科学系デザイン(作品系)] 小木曽 文香 「氷見市海浜植物園リニューアルにおけるサービスデザインの提案」 * 寺本 真志帆 「百人一趣」 * 髙橋 佳汰 「氷見ウドンピック2020」 谷口 太一 「ヤバイ図鑑」 小島 有里菜 「ウイルスライブラリー」
[工芸系デザイン(作品系)] 塩谷 夏海 「空中楼閣」 * 栗井 咲佳 「エクステンションダイニングテーブル」 宗重 隆之 「とこ椅子」
[建築系(作品系)] 田中 真琴 「現代の踊りの為の劇場建築」 * 野村 弥和 「松代町東条地区の空家の改修」 髙橋 沙綾 「災害時交流支援のためのセルフビルドによる仮設建築ユニットの提案」
[社会科学系(論文系)] 串田 優衣 「富山駅周辺エリアにおける滞留行動と空間特性の関係」 * 沼田 和佳奈 「メルヘン建築は小矢部市のランドマークになれたのか」 河合 成美 「学校教育は伝統産業を救えるか」
[人文科学系(論文系)] 中塚 美遥 「中国宋代の山水画における「気」の表現」」 * 柴崎 達裕 「岡本かの子の小説作品にみる動物」 岡本 夏野 「地方における演劇の役割と効果」
[大学院芸術文化学研究科] 小池 杏奈 「乾漆朱塗飾箱「芍薬」」 * 李 雨沢 「乾漆箱「守」」 稲場 美里 「いのちのいりぐち、こころのでぐち」 特別セレクション 2019 受賞者 今年度はGEIBUN SELECTION の一環として、ゲストセレクション「鷲田めるろ賞」が選出されました。 [鷲田めるろ賞] 芦田 麻都佳 「#watercrisis」* 後藤 真理子 「水流生物コレクション」 髙橋 茉里 「蛾文蒔絵八角箱」* 鍋谷 結衣 「レイノルズ指数を使った新感覚スイーツの提案」
0 notes