#新日本プロレス真田
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)8月29日(木曜日)
通巻第8387号
チャイニーズ・ヒルビリー・エレジー(その4)
中国映画も興業収入が半減。映画館に行けなくなった
*************************
中国人の娯楽は反日映画(ほぼマンネリ、演技下手の無内容)を見て、日頃の政治の貧しさに対しての鬱憤をはらし、溜飲を下げ、山のように飯をかき込み、あとは昼寝だった。
改革開放政策に移行して以後は、ある程度の国際化を果たして日本や���米の映画が輸入されるようになると、その映像の美しさ��アクションのすさまじさ、自由は表現、辛辣な批判の台詞に驚いた。
80年代のおわり頃から情報の公開がちょっぴり進んで、90年代にはハリウッド映画は新作がすぐ海賊版となり、一枚70円とか、百円だった。米国の映画館で盗撮である。台湾でも街の辻で屋台の書店、禁止されていた党外雑誌が売られても警官が取り締まらなくなった。
台湾でも当時、日本映画の輸入は一年に四本だった。それも小津安二郎、黒澤明などで、ならば庶民はどうしていたか。日本でヴィデオをかって複製をつくり、下町へ行くとNHKの大河ドラムからプロレスまで、なんでもあった。
なにしろ台湾では英米の書籍を写真製版した海賊版が出回っていて、500円程度でアメリカのベストセラーも買えた。
このような海賊行為に対して著作権に五月蠅い日米欧が中国にやかましく言うと、街からは消えた。ところが通信販売という手があった。オークションのかたちにすれば、封切り映画でも精巧な海賊版が入手できる。北京の秀水市場は贋物、模造品のデパートで、たとえば20万円のルイビュトンが2万円とか。抗議しているアメリカ人が一番買い物にくるところでもあった。
日本映画は「君よ憤怒の河を渡れ」が大ヒットし、「おくりびと」などが続いたが、年間12本に規制されているので最近のヒットは「どらえもん」、「クレヨンしんちゃん」、「コナン」など、お子様市場である。
バブル崩壊、消費激減、経済の沈滞、賃金の低下などにより、中国人は映画館に行かなくなった。いや「行けなくなった」のだ。
食費についでの娯楽費はスマホに消える。書籍を買うなんて発想はない。
料金は中国ではシーズン、オフシーズン、時間帯などによって映画館が勝手にきめる。40元(770円)から80元(1500円強)と幅広い相場である。
しかし封切りにカネを遣うのは勿体ない、自宅で見るという若者が増えて、映画館の観客はピーク時の半分になった。最近のヒットは「逆行人生」、「長津湖」、そして「海街奇譚」くらいだろうか。
いずれの作品も基調が哀愁、派手なアクションも、コメディも下火である。
「海街奇譚」という映画の粗筋は失踪した妻を追って不思議な旅に出た男が旅先で知り合う田舎の女性教師、ダンサー、安宿の女将。それぞれが憂いをかかえ、絶望の未来を見透し、日常を送っている。あのエネルギッシュな中国人がそこには居ない。
「長津湖」は朝鮮戦争を舞台に中国人兵士が激戦と悲惨な状況を耐え抜くという映画、なんだか不況に耐える風潮を象徴している。「逆行人生」は前号で紹介した。
かくして最大の娯楽産業だった映画も中国ですら斜陽化の兆しが見られ、中国の若者はテレビゲームである。
将来の夢を語る雰囲気は希薄である。
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#Repost @motoyukiamai with @use.repost ・・・ ドージョーチャクリキ主催の格闘技大会「CHAKURIKI18 ファイテング・スピリット・アゲイン」5月7日(日曜日)新宿FACE大会にて開催致します。本大会では前回大会で西島洋介選手を病院送りにするKO勝利を収め新王者となった将軍岡本選手が、負傷欠場で無念の王座返上となった前王者の入田和樹選手との初防衛戦に臨みます。また「バカサバイバー」青木真也選手がルチャリブレのレジェンド中のレジェンドであるザ・グレート・サスケ選手との異次元対決に臨みます。また、チャクリキのMMA戦線で活躍する安楽兄弟の弟、安楽ホドリゴが、格闘一家として有名な渡部一族の(渡部)拳士郎選手と注目のMMA対決を行います。チケットは各プレイガイドで発売中です。尚、キックマッチが後1~2試合追加予定です。 CHAKURIKI18 ファイテング・スピリット・アゲイン 2023年5月7日(日曜日) 17:30開場 18:00開始 新宿FACE 主催/ドージョーチャクリキ株式会社 お問い合せ/[email protected] 試合カード/ ■カンフーvsプロレス 第1試合 20分1本勝負 ジャッキーてっぺい vs 佐野直 ■新宿カラテ地獄変 第2試合 30分1本勝負 Hiroshi the MJ &スミヒデアキ vs 小笠原和彦&松崎和彦 ■理由なき反抗 第3試合 30分1本勝負 鈴木悟 vs 前口太尊 ■男たちの大和 第4試合 グラップリング 5分2R(延長1R) 大和ヒロシ vs カタナマン ■大型新人MMAデビュー 第5試合 MMA 95.0kg契約 5分2R(延長1R) 川路浩生 vs 田馬場貴裕 ■グレイシー柔術vs渡部一族 第6試合 MMA 72.0kg契約 5分2R(延長1R) 安楽ホドリゴ vs 拳士郎 ■未知との遭遇 セミファイナル 第7試合 60分1本勝負 青木真也 vs ザ・グレート・サスケ ■暴れん坊将軍 降臨!! メインイベント 第8試合 ICOインターコンチネンタルヘビー級タイトル戦 3分5R(延長1R) 将軍岡本(王者)vs 入田和樹(挑戦者) ●チケット/ SRS席 30,000円 カウンター席 30,000円 RS席 20,000円 S席 10,000円 A席 7,000円 B席 5,000円 立見 4,000円 ※入場時に別途ワンドリンク代¥500が必要になります。 ※当日券は1,000円アップ ●チケット販売(販売中)/ チケットぴあ Pコード:855-207 イープラス https://eplus.jp/chakuriki/ ローソンチケット Lコード:34605 (Himeji, Hyogo) https://www.instagram.com/p/CotmQDRpksv/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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あのころの
私は90年代に青春を過ごしたのでいまだにそういうノリでいてしまうことがあります。その時代に受けたいろいろな影響の中で、特に表に出さず心の中でふつふつと燃やし続けているスピリットのようなものがあります。cutieだの渋谷系だのといった話は人にできますが、最初から話すと長くなる上に伝わらないだろうから誰にも言わないということがあるのです。
その昔、私はとあるルートから「チンゲルゲ」という一冊の同人誌を知りました。さくらのみおと南房秀彦という2人の漫画家が描いた本で、パロディあり笑いあり暴力ありシュールエログロナンセンスありの盛りだくさんな本でした。この本は、サブカル真っ盛りだった私にとって本屋に売ってる漫画なんて面白くも何ともないとこじらせるには十分すぎる本でした。(しかし私はサブカルの代名詞として有名なガロには興味を惹かれなかったし、渋谷のパルコやロフトにあった本屋で見かけた丸尾末広や山野一には強い拒否感があったのですが)
さくらのみおはどちらかというと下ネタが多くてヘタウマ系で、南房秀彦は劇画タッチでした。いなかっぺ大将のパロディである「レコード大将」が印象に残っています。どっちが描いたか忘れてしまったけど「ジョー90」ではめちゃくちゃ笑いました。あとさくらのみおの「かいじゅうくんよしみつくん」は「かいじゅう」よしみつくんの怒りと悲しみを描いたエログロ目の力作でしたが、どこかに抜けたところがあってギャグとしても読めました。クライマックス近くのコマの外に「もうつかれてきたよ」と書いてあったり、「次週『バンドはつらいよ』の巻」とか書いてあって面白かった。「いやな…おもいで…」という台詞はごく少数の内輪でマネして使ってました。数人で描いたらしい怪獣図鑑も面白かったです。ジッタリン人というのが特に印象に残っています。
南房秀彦はその後、一部で「うんこの町のメリー」という作品が話題になったようですがそれは読んだことがありません。しかしこの人たちは今、どこでどうやって暮らしているのだろうと思わずにはいられません。あの頭の中身をどうやってやり過ごしているんだろう。
その後、彼らが参加していた「ブロイラー」という同人誌も一冊だけ読みました。ブロイラーは何冊か出ているし、西岡兄妹という出世頭がいるので聞いたことがある方もいるかもしれません。この本には南房秀彦の「大車輪先生」という作品が載っていて面白かった。ある日学園にやってきた破天荒な車輪のついた暴力教師を、生徒たちが協力して倒す(車輪を外す)とかいう話でした。ガリ勉の糞勉強くんとヤンキー?の楯突くんというキャラが出ていたのを覚えています。この作品は基本的にシュールオチとか不条理というよりも、少年漫画のセオリーのようなものをナチュラルに踏み外しながら大胆に描くという感じで読みやすかった。さくらのみおの方はエスプリとまではいかないやや下世話なシュール寄りでした。
あとブロイラーには虫や近親などをテーマにしたエログロな作品が多く載っていたのですが、その中でひたすらくだらないギャグを描いていたタノチャンという人が印象に残っています。タノチャンは絵がへたくそなのに手描きの文字だけが妙にきれいで、ボーダーTシャツにメガネという自画像とブロイラー内での愛されキャラっぽいところから見て本業はデザイナーかなんか��ろうとにらんでいます。日本の首都は北千住。おれはじじいじゃない。じじいの時代。などのフレーズが今でも頭に浮かんできてしまいます。このじじいというキャラクターはなんかモデルがいそうでした。
さらにその後、タイトルは忘れてしまったのですが白河夜船舎というところから出ていた黄色い表紙の同人誌を知りました。足立守正(当森正という方の名義だったかも)が中心となって作っていたこの本には、変な本を紹介するコーナーがあって私はたいへんな影響を受けたものです。田口トモロヲが描いた「ノーパン・パニック」や「俗物図鑑の本」「寄生虫」「全面戦争だプロレス」などの本が紹介されていたのですが、特に忘れられないのは「うちのパーティに呼べるタレント大図鑑」という本です。例としてビートたけしのモノマネ芸人である「一生たけし」氏が載っていて、しかも彼の名前の読み方は「いっしょうたけし」ではなく「いっせいたけし」だとか書いてあってめちゃくちゃ面白かったです。タイトルが最高すぎる。
あと高信太郎は目が一種類しか描けないと書かれていたのも印象に残っています。高信太郎というとその頃私の中では漫画家とはいうけれど漫画は見たことないお笑い審査員でしかなかったので、少し年上の漫画に詳しい人から漫画家としてリスペクトされてないのがなんか面白かった。高信太郎の単行本を一冊だけ見たことあったけどタイトルが「頭痛にコーシン」でもう…ネ…むかし吉祥寺のパルコブックセンターの一番奥にサブカル漫画の小部屋のようなコーナーがあって、足を踏み入れてみたら目に入ってきたのが「頭痛にコーシン」だもんね。力抜けちゃうわ。と同時に私はやっぱりエログロよりくだらなさに面白みを感じるタイプなのが全然変わってないと思います。
その他、「お手紙下さい」を「おてまみくらはい」と書いていたのはどうなの陸奥A子タンよ、というようなのも書いてありましたが、陸奥A子好きの私からするとA子タンだからそれはいいの!と思っています。乙女ちっく用語なんだよわかれよ。
それから、今でこそアイドルグループの微妙枠やお笑い枠の人を「箸休め」と呼ぶ概念が定着していますが、この本に少年隊のカッちゃんは1人ダンスが遅れたりする→お茶を濁している→茶濁し君と呼んでいる、というようなことが書いてあり、それ以来これもごくごく狭い内輪でいわゆる箸休め枠の人を茶濁しと呼んでいました。(今も呼んでいる)当時からアイドルには不人気メンバーがどうしても在籍しており、それをなんとなく感覚として共有してはいたのですが呼び方はまだ広まっていませんでした。もしかしたらアイドルファンの間にはそういうスラングがあったのかもしれませんが、私はジャニーズなどにはまったことがないのでその辺はよくわかりません。ただ、感じとしてあったもの��呼び名がつくというのはネットだろうと���ニコミだろうととても感動的なことだと私はいつも思っています。そのかわりあんまりピンとこないスラングには嫌悪感があります。
足立守正はその頃からさくらももこを高く評価し天久聖一の活動を注目し、マイナーでもメジャーでも面白いものはほめるといった感じでしたが、今はクイックジャパンで面白くも何ともない漫画評を書いているようであの頃とは変わっちまったなぁと思います。(めっちゃ読みにくい文章になっててびっくりしました。これが目が滑るってやつなのかと思いました)あとその本にはあんまり合ってなかったけど神竜知佳子という漫画家を大変推しており、彼女の作品が載ったポップティーンを探していると書いていたのも覚えています。今頃もう手に入ったのでしょうか。もうひとつこの本でとても印象に残っているのは、「洋書ってワインのラベルだけ載せたような重くて分厚い本いっぱいあるよね。やっぱりアメリカ人てバカだな」というようなことが書いてあったことです。私も当時は洋書店に入り浸り、ひたすら何かを羅列したような洋書の中からこれはというものを探していたので笑ってしまいました。「やっぱりアメリカ人てバカだな」というフレーズは折に触れ思い出すことがあります。
私は同人誌には全然くわしくないので他の漫画家や本のことはわからないし、好き嫌いが激しいのでエログロ系の怖い漫画とかは嫌いでした。やっぱり集英社およびドラえもん育ちとしては最低限のポップさとクリーンさがほしい。なのでここに書いた内容は偏っていて漏れがあるのですが、私という人間を形作った忘れられないピースのひとつなのです。この辺で活動していた方たちはどうしているかわからないし、足立守正は今は面白いこと言わないし、サブカルを研究している人たちもこの系統の漫画にはそれほど興味を持っていないようですがちょっとだけ書きました。ところで原平マキオがマサ子さんのまゆたんてマジですか?まゆたんてすごくね?
ここまでだいぶ前に書いて保存してたのですが、最近見かけた「週刊てりとりぃ」というサイトの足立守正の文は読みやすくておもしろかったです。これはひとえにクイックジャパンが悪いということでよろしいでしょうか。サイトはちょっと見辛いけど新聞のようなレイアウトも読みやすいです。
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『猪木のためなら死ねる!最も信頼された弟子が告白するアントニオ猪木の真実』
とかくプロレスラーのインタビューは話すたびに内容が変わる(それも大きく派手な方に変わる)ものだが藤原喜明にはそれがない。氏の話を読むたびに極めて頭の良い人なのだろうなといつも思う。その藤原喜明に引き出されるように、対談相手たる佐山聡も前田日明も藤波辰爾も楽しそうに話をしているのが文面からも伝わってくる。
藤原喜明の独白にある猪木対ペールワン戦でのエピソードはその異常な状況の中に置かれながらも師たる猪木を命をはってまでも守らなければならぬ、という意気に読んでいて鼻の奥がツンとなった。なんと美しい感情なのだろうと思った。
昭和の新日本プロレスがいかに面白く、またいかに異常であり、またいかに空前にして絶後の存在だったかがよくわかる内容であった。名著と思う。アントニオ猪木の追悼本としては最良なのではないか。
2024/02/06 Kindle
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【WWE 2K23】NJPW・新日本プロレス:タマ・トンガ&海野 翔太&真壁 刀義 vs 高橋 裕二郎&成田 蓮&“キング・オブ・ダークネス”EVIL by はしやんのゲームチャンネル WWE 2K23の動画です。 WWE 2K23は、ビジュアルコンセプトによって開発され、2023Kスポーツによって公開されたプロレスゲームです。 再生リスト WWE 2K23:G1CLIMAX33 https://www.youtube.com/watch?v=qHsFVyRGtPE&list=PLEdhw1WC7PXOmnxqYc6I3ryEkQ6FkfYmQ その他再生リスト WWE 2K23:新日本プロレス https://www.youtube.com/watch?v=Of_TQyhn810&list=PLEdhw1WC7PXMg_dmiucgpHgjEbAhMCNhF WWE 2K23:BOSJ30 https://www.youtube.com/watch?v=v4FwskZ31y8&list=PLEdhw1WC7PXOTnqVkz9Uwx9p0qcIz8J-Q キャプテン翼 RISE OF NEW CHAMPIONS https://www.youtube.com/watch?v=Wz0AZG4TKO0&list=PLEdhw1WC7PXNiBvZgCgWVPLRhtpbLdoT5 ファイナルファンタジー7リメイク https://www.youtube.com/playlist?list=PLEdhw1WC7PXMgglHqBzhLHo9Y8DIZX92G #WWE2K23#プロレス#はしやん via YouTube https://youtu.be/Q0yRRe2mbRI
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新日本プロレスは23日付で、団体をエースとしてけん引する棚橋弘至(47)が新社長に就任することを発表した。
同団体は22日の後楽園ホール大会で2023年の興行がすべて終了したが、翌日にまさかの電撃発表が待っていた。臨時株主総会・取締役会で経営体制の変更が決定。20年10月から就任していた大張高己高社長が退任し、何と棚橋が同社の第11代社長に就任することとなったのだ。
棚橋は立命館大学卒業後の1999年4月に新日本に入門し、同10月にデビュー。中邑真輔(現WWE)、柴田勝頼と「新・闘魂三銃士」と称され若くしてトップ選手として活躍。06年にはIWGPヘビー級王座を初戴冠し、以降は団体をエースとして盛り立てた。
「愛してま~す!」のマイクパフォーマンスを代名詞に日本全国で熱心なファンサービスを行い、2000年代前半には倒産危機も迎えた団体を「暗黒時代」から再建する立役者となった。東京スポーツ新聞社制定のプロレス大賞でも歴代3位タイとなる4回のMVPを受賞するなど、誰もが認めるプロレス界の顔だ。
近年のプロレス界ではかつてのように、レスラーが社長を務めるケースが激減。経営は〝背広組〟に任せるのが主流となっていた。
しかし棚橋は現在も団体の王座戦線で活躍しており、オカダ・カズチカ、石井智宏とNEVER無差別級6人タッグ王座を保持。来年1月4日東京ドーム大会ではザック・セイバーJr.の持つNJPW WORLD TV王座への挑戦を控えている。選手兼社長を務めることとなり、これは初代から3代目社長までのアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰爾に続く史上4人目。藤波が退任した2004年6月以来、実に19年半ぶりの誕生となった。
棚橋は26日に新社長就任の記者会見に出席する。新日本プロレスの〝エース兼社長〟が、団体にどのような変革をもたらすのか。その手腕に大きな注目が集まりそうだ。
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20230920
0920 きままなTV・メディア情報です(不定期刊)
「名古屋の民放局共同配信サービス『Locipo』メ~テレが10月から参加で全局集結」(中日S)
「本木雅弘、約10年ぶり民放ドラマ 平尾誠二と山中伸弥の友情を描く」(映画.com)
「UHB『新根室プロレス』映画化 来年1月から全国公開」(釧路新聞/Yahoo!)
「CX内田嶺衣奈アナ、各局のアナ達との集合写真公開『交流、嬉しかった』」(ニッカン)
「ジャニーズ起用見送り『タレントの活躍奪わない対応を』経団連会長」(産経)
「J事務所が社名変更示唆 株式の取り扱いなども検討 新体制となる10/2報告」(ニッカン)
「イーロン・マスク氏、X全面有料化も視野 自動投稿対策」(日経)
「【10月期・秋ドラマまとめ】注目の新ドラマ情報一覧」(ORICON)
「監督ドキュメンタリー 続々…映画演出の粋に迫る」(読売)
「亡国・日本へのアンチテーゼ…『VIVANT』世界に日本産ドラマを発信する意気込みを感じた3点」(新潮)https://www.dailyshincho.jp/article/2023/09200555/?all=1
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大仁田厚氏講演会 激動の50年 ~人生山あり谷あり邪道あり~ 千曲商工会議所 経営セミナー
大仁田厚氏講演会 激動の50年 ~人生山あり谷あり邪道あり~ 千曲商工会議所 経営セミナー 7月28日、元参議院議員でプロレスラー、タレントとして活躍中の大仁田厚さんを招いた千曲商工会議所経営セミナーの講演会が開かれた。 プロレス界に「電流爆破デスマッチ」でセンセーショナルを巻き起こし、イン���ィーズ団体の雄として���時代を築いた大仁田さん。講演ではデビューした全日本プロレスでのジャイアント馬場の付け人時代の苦労話や、少年時代に徒歩での日本一周を自ら新聞社に売り込んだエピソードなどを披露。 壮絶なデスマッチの開発については「隙間産業を狙った」と、その狙いを明かした。 大仁田さんの型破りな人生そのままに講演会も聴衆を巻き込んで自由奔放に展開。 最後は自らが保持する力道山時代からの由緒あるベルトとともに希望者との写真撮影会を敢行した。 今年プロレスラー人生50周年の大仁田厚さん
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【新日本】藤波辰爾 鈴木みのるとの〝猪木イズム競演〟に自信!メモリアルマッチで超異色共闘
【新日本】藤波辰爾 鈴木みのるとの〝猪木イズム競演〟に自信!メモリアルマッチで超異色共闘 スポーツ プロ野球 68歳ながら、元気いっぱいの藤波辰爾 新日本プロレスの来年1月4日東京ドーム大会に参戦する〝炎の飛龍〟藤波辰爾(68)が、鈴木みのる(54)との超異色タッグ結成へ闘志を燃やした。 同大会は、10月1日に79歳で死去した団体創始者・アントニオ猪木さんの追悼興行として行われる。藤波は本戦開始前の「アントニオ猪木メモリアルマッチ」に出場が決定。みのる、タイガーマスクと組んで真壁刀義、小島聡、永田裕 引用元: スポーツのニュースまとめ 【新日本】藤波辰爾 鈴木みのるとの〝猪木イズム競演〟に自信!メモリアルマッチで超異色共闘
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GHCヘビー級王座挑戦、武藤敬司グランドスラム達成なるか?
武藤敬司が歩いた、新日本プロレス、全日本プロレス、WRESTLE-1 武藤敬司、新日本プロレスでデビュー、90年代プロレスに革命を起こした。 海外でブレーク逆輸入で凱旋帰国 師匠はアントニオ猪木 グレートムタ、闘魂三銃士、nWoジャパンのリーダーなど多くの顔を持つ武藤敬司 新日本プロレスから全日本プロレス社長へ WRESTLE-1設立、武藤塾でSANADAとBUSHIをデビューさせるなど・・ 団体、個人を問わずいまだ多くの影響を与え続ける天才武藤敬司 武藤敬司 身長188センチ 体重110キロ WCW、新日本プロレス、全日本プロレス、WRESTLE-1 ヘビー級でありながら独自のリズムで投げる、飛べる、動けるヘビー級、パワー、スピード、テクニック全てを兼ね備えた天才武藤敬司 今のプロレスの原型を作った武藤敬司は日本プロレスの宝と言われた。 棚橋弘至、中邑真輔、内藤哲也…
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#BUSHI(T28)#GHCヘビー級チャンピオン#GHCヘビー級王座#SANADA(真田聖也)#WRESTLE-1#エスタン・ラリアット#シャイニング・ウィザード#ドラゴン・スクリュー武藤敬司#プロレスリング・ノア#プロレスリング・ノアGHCヘビー級王座#ラウンディング・ボディ・プレス#天才武藤敬司#愚零闘武多#日本プロレスメジャー団体#武藤塾#武藤敬司#武藤敬司 iwgp#武藤敬司 アントニオ猪木#武藤敬司 オカダカズチカ#武藤敬司 新日本プロレス#武藤敬司 棚橋弘至#武藤敬司 決め技#武藤敬司 神無月#武藤敬司 膝 神無月#武藤敬司 身長#武藤敬司 レッスルワン#武藤敬司 中邑真輔#武藤敬司 全日本プロレス#武藤敬司 内藤哲也#武藤敬司の必殺技
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人生のほとんどの期間、俺は自分が狂っていると思っていた。
狂っている。キチガイ。精神病。暴力的。病んでる。
"おいエディ頼むよ。冗談言わないで 。これはワークでしょ。わかってるよ。これはキャラクターの一部だってこと。"
友よ、お前はは何も分かっていない。俺は物心つく前から気が狂っていた。高校1年の時、ある子と近所のくだらないことで喧嘩をした。文字通り、何が原因だったのかも分からなかった。次の日、授業を受けていると、そいつが廊下を歩いているのが見えた。テストステロンと無駄なエネルギーに満ち溢れていた俺は椅子から飛び出して "元気か?"と言ったんだ。
ここはヨンカーズ(ニューヨークの下町。キングストンの地元)だから、昼休みに駐車場の外で待ち合わせとかなんてことはしない。そんなことはないんだ、兄弟。始まりだ。奴は本を捨てて教室に入り、俺に突進してきたんだ。授業の真っ最中−プリントはあちこちに飛び散り、先生は叫び、生徒は机の上に飛び乗った。大混乱だ。実際俺たちは“宗教”の授業中だった。神に誓って言うが、俺はキレていた。記憶もとんだ。俺は拳を叩きつけた。本で、フォルダで、あらゆる物で奴を殴りつけた。学校は新約聖書を教えようとしていたのに、俺はクソ野郎をジャーマンスープレックスで黒板に叩きつけようとしていた。あれは手に負えない状態だった。
俺は世界と戦いたかった。
刑務所に入らずに済んだただ一つの理由は、若かったからってだけだ。俺は怒り、怒り、怒りだけの子供だった。世界と戦いたかった。どこでも落ち着いた気持ちになれなかったからだ。俺はアイルランド人とプエルトリコ人のハーフで、全ての方向から攻撃を受けていた。近所のアイルランド人たちの間では「おい、元気かスピック(補:スペイン語話者。もちろん侮辱的な意味で)」、近所のプエルトリコ人たちのところにいたときは、別のくだらないことを言われていた。真面目な話、小学2年生の時に「おい、このスピックを追い出せ」と言われたのを覚えている。
それは傷跡を残すことになる。弱々しい人間になるか、狂人になるか。それで、俺はどうなったと思う?11歳の時に叔父たちから数分間パンチの打ち方を教わってから、俺はストリートでフェンスに向かってスイングしていた。俺を落ち着かせることができたのは、プロレスのテープだけだった。昔のVHSテープだ。母親はブロンクスのビデオビジョンに行っていた−ブロックバスター(補:レンタルビデオの大型チェーン)なんかじゃなくて俺が言っているのはビデオビジョン、おばさんとおじさんと猫がいる、カウンターの後ろにアダルトコーナーがある奴だ−母親は何を借りたらいいのか全然分かってなかったから『レスリング』ってあるやつを適当に掴んで借りてきていた。毎週金曜日、小学校で誰かの首を絞めたりしないで一週間を過ごすことができたら、中華料理とプロレスのテープがご褒美だった。
ある夜、母親が適当なテープを持って帰ってきたのを覚えている、90年代のVHSテープは何が入っているのか分からなかったんだ。何かを借りるとき、店はカバーのついてない硬いプラスティックの謎の箱を渡してくる。で、俺はリビングルームのテレビを占拠した(アイルランド人の父親は「ニュースを見たいのに、この子はまたレスリングだ!」と大声を上げ、プエルトリコ人の母親はキッチンから「落ち着きな!今週この子は良い子だったんだよ!!」と叫びかえした。)。私はこのランダムなテープを入れ、静電気やトラッキングやコピーの警告なんかが終わった後、スクリーンにこの3つの言葉が表示された。
メンフィス血の決闘
このテープを見始めて1分もした頃にはもう自分は夢中になっていた。それは何か別の惑星からの光線のようだった。違う狂った次元。このテープには全てがあった。1979年、有名でもないミシシッピー州のテユペロの売店での戦い。俺が何を言ってるのかわからなかったらyoutubeを見てくれ。最初はごく普通のタッグマッチがリングで始まった。それから男は客席をずっと通り抜けて後ろの売店の辺りまできて、ポップコーンの機械やら鍋やフライパンやホットドッグを使ってお互いに攻撃し始めた。で、売店の人が「ストップ!ストップ!止めて!警備員!」ってずっと叫んでた。
俺はびっくりした。想像してくれ。俺は半分アイルランド人���半分プエルトリコ人の小さいキチガイで、ブロンクスのソファに座ってワンタンスープを食べて、昔ながらのメンフィスレスリングを見て、母親に向かって「今の見た!?信じられる??」
このテープには全てがあったエディギルバートが会場外の駐車場でジェリーローラーを車で轢いた。男がリングで血を流した。俺はレスリングが何なのかよく分かってはいなかったが、その時俺が大きくなって何になりたいのかは分かっていた。
俺はヤンキースタジアムでホームランを打ちたいとは思っていなかった。
俺はスーパーボウルでタッチダウンのパスを出したいとは思っていなかった。
宇宙飛行士になりたいなんて思っていなかった。
俺はプロレスラーになりたかった。
それから数年が過ぎて中学生になった俺は全日本プロレスとインターネット上のニューヨークのテープ交換掲示板を見つけた。全日本三冠王座戦のテープを知り合いの知り合いの知り合いのクイーンズかなんかのやつから手に入れるのに何ヶ月も待たなきゃならなかった。それと交換したかったらお前も良いテープを持ってなきゃいけない。ポケモンカードみたいなもんだけど、ただこれは知らない奴とインターネットで連絡をとって街角で会わなきゃならない。どっかに出かけてよく知らない奴とテープを、ビデオデッキに入れるまでは何だかわからないものと交換するんだ。お前は何にハマっているのか分かってなかっい。その相手が良い奴だといいなと思ってた。掴まされてないってことを祈ってた。家に帰って、テープをデッキに入れて、なんだかわからない日本語の文字がが画面に飛び出てきて、スーツを着た奴が実況席で訳がわからない事を叫んでるのが映し出されてくる事を祈っていた。古いマーティン(補:90年代初期のコメディ番組)なんかじゃなくて全日本のテープを手に入れられる事を祈っていた。
94年の川田vs三沢を手に入れた時のことは絶対に忘れられない。本物ファンにはこれだけで十分だ。その日付けだけ。94年の6月。皆知っている。ザラついたビデオテープでも激しいチョップで汗が飛び散るのが見えた。その音は信じられないくらい大きく響いた。あのバックドロップ。あれはリアルな暴力だった。それをヨンカーズの小さなアパートで見ていて、俺は座ることも出来なかった。今だって、それを座ることも出来ずに見ている。神に誓って、その94年6月の試合を1000回以上は見ていると思う。エアポートで飛行機の搭乗待ちをしている時、YouTubeにつないでそれを見ると俺はもうただその試合のことだけしか考えられなくなる。はまり込む。これだけの為に生きている。
この試合のせいで何度も飛行機に乗り遅れそうになったことがある。デルタ航空の人が来て俺の肩を叩いてこう言うんだ「お客様!」。その時俺はここにはいないんだ。俺は東京にいて、全てのラリアットを感じている。
レスリングを見ることはいつも逃避だった。これは俺の聖域だよ。これは多分ただ一つの、刑務所に入らずにいさせてくれる物だった。高校生になって、何をするか分かると思うが夜友達に来いと呼���出されたりしていたが、俺は家にいてRawを見て、スーパーJカップを見て、ECWを見ていた。ニューヨークの奴らはECWが夜中の2時に宗教チャンネルで放送されてたのを覚えているか?眠気と戦いながらきちんとした女性が癒しだか赦しだかについて話したその直後、
EEEEEEE SEEEEEEE DUBBLE-YEEEEWWWWWWWW!!! (いーーーーしーーーだぶりゅううううううううう!!!)
男たちが有刺鉄線を巻いたバットで殴られる。ダッドリーデスドロップを喰らう。客席に向かってムーンサルトをする。
宗教チャンネルで。
俺はこれは別次元からのメッセージみたいだったと思う。悪魔が主導権を奪ったんだぜ。俺が初めてECWを知った時、知ってる奴を見ているような気分だった。他の奴らと同じようにWWFも見ていたけど、でも俺はいつもあれはソフトなように感じていた。ECW、あれはキャラクターじゃない、あれは自分が知っている街角にいる本当の男たちみたいだった。
俺はニュージャックのような男を知っている。俺はドリーマーのような男を知っている。
そういう奴らがテーブル葬叩される時、自分の叔父さんがテーブル葬されている気分だった。
正直にいうが、鬱屈とした気分から引き上げてくれるものはプロレスだけだった。近所の人達と戦わないでいられるのは、家で座って試合を見ることだけだった。それ以外はずっと鬱のような状態だった。あの頃、そういう状態を表す言葉はなかった。俺は強い奴でいようと思ってメンタルヘルスだとか、セラピストだとか、感情だとかに耳を貸したりしなかった。
「鬱?鬱って何だ?」
自分でそれをコントロールできない時、授業の途中で誰かを殴ってしまっていた。宗教の授業の乱闘という事実が問題になって高校を退学させられた。18歳の時に俺の人生はどこへ向かっているのかわからなくなった。有難いことに父親と叔父たちは溶接工で、大人たちのように俺が自分の手でどうにかできると思っていたし、なおかつ俺が働き者だと言うことを知っていた−これが一番大切なポイント−のでIronworkers580(補:歴史あるニューヨークの建築系溶接労働者組合)に入れられることになった。そこには911のワールドトレードセンターの瓦礫を越えて行った男たちがいた。本物のブルーカラーの、ニューヨークのタフガイ。映画みたいなもんじゃない。正真正銘のタフガイだ。毎日の弁当にフラスコ(に入れたアルコール)とタバコ2箱持ってくるような奴らだ。
ある日地上50階の現場にいたことを俺は一生忘れない。コロンバス59丁目(補:地下鉄駅。セントラルパークのあたり)。俺は鋼鉄の梁に腰掛けてマンハッタンを見渡して、振り返ると70歳ぐらいの男がサンドイッチを食べていて、タバコを吸いながらあと数年頑張って働いてもうちょっとお金を貯めたら息子を同じように組合に入れると話していて、その時全てが止まったように感じた。全てが静かになった。そして気づい��んだ。
これは、残りの人生で俺がやりたいことじゃない。俺は自分がやりたい事を知っている。いつだって分かっていた。
その夜家に帰ってコンピュータをAOLの黄色い奴(補:今で言うGoogleみたいなもの)に繋いで「プロレスリングスクール ニューヨーク」と打ち込んだ。
これが俺の人生を変えた旅の始まりだ。3年後、俺はスターになった。何億もの金を稼いだ。レッスルマニアのカーテンをくぐり抜けた。
ハハハハハハ(そんなわけないだろ!)
冗談だろ?3年後俺は破産寸前で、太り過ぎで、鬱で、ビンゴホールで8人の客の前で試合をしてた。ペンシルバニア州のパロアルトっていうとこがあるのを覚えている。俺と友達はそこへ車で行って、ちゃんとギャラが出る事を祈り、試合をして、車で戻った。給料はそこへ行くまでのガソリンと後の食事代で全部消えた。で、そこで興行をする為に行って、バックステージで準備をするんだが、ずいぶん静かだった。ブーツの靴紐を結び、カーテンをくぐり観客を見渡すと…
8人。
リングサイドの片方に3人、反対側に4人。変なやつは1人で座ってた。
最初に思ったことは、こりゃあ今夜はギャラは出ないなってことだった。せめて良いものにしようじゃないか。
ビンゴホールの8人の前でした試合は、それでも痛みを伴うものだった。チョップもまだ痛かった。次の日でも身体は痛かった��でもレスリングを愛していたら、それはどうでも良いことだ、プロレスへのプライドと尊敬の為にそれをやったんだ。だから俺は自分にできる全てのことをしたし、その観客のなかの1人が熱狂的になってくれた事を死ぬまで忘れない。彼女は立ち上がり、俺たちに向かって叫び、文句を言った、そしてそれが俺に火をつけ、俺はありとあらゆる名前で彼女のこと呼びつけた。がっかりしないでほしいんだが、たしかラージマージと彼女の事を呼んだんだ。彼女はポップコーンを投げた。素晴らしかった。
試合が終わりバックステージに戻った、もちろんプロモーターは金を払わなかった。近くに座ってた奴がこの後どこで食べるかって話していて、俺は金が全然なかったから腹が減っていないと嘘をついた。
「ああいや、俺はいいよ。良いって。腹減ってないんだ。一緒に行って水でも飲んでるよ」なんて下らない事を言っていた。
そして俺のタッグパートナーは友達で本当にいい奴で、いつも誰にも言わずに俺の分を払ってくれていた。興行の後、駐車場で荷物を全部積み込んで、俺は全てに落ち込んでたその時、「ちょっと!ちょっとあんた達!」と叫ぶ声を聞いた。
ラージマージだ。
彼女は「すごく良かったよ!めっちゃ楽しかった。みんな最高!ありがとう!!」みたいなことを言った。
俺は20年インディで活動してて、大した事は何も達成出来なかったし、辛い思いをしたし、自暴自棄になったり、鬱になったり、両親に家賃を払うための金を借りたりした。正直言って、なんでこんな事を続けているのか度々わからなくなったりもした。
でも多分彼女にしたことが原因だと思う。
時々たった1人の人だけで物事の原因になる。ある人の一晩を素晴らしいものにする、そしてそれが続ける原因になる。だから俺は続けていった。16年以上の間世界中で試合し、氷のリンクの上や、VFW(退役軍人センター)や、エルククラブや駐車場で試合をして、晴れ舞台を迎えることはなかった。溶接工として働くのは趣味で、プロレスが俺の本当の仕事だとよく言っていた。組合の連中はそれを面白がっていた。俺がだんだん歳をとってくると身体にガタがきて、鎮痛剤に頼るようになった。酒をもっと飲むようになった。そして自分自身に嫌気がさし、怒り、落ち込み、最終的に薬を止めた「おい、わかるか?何で薬に金を注ぎ込んでるんだ?くそっそんなことなら酒に使うぞ!」って思ったからだ。
哀れだろ?
で、酒だ。俺は飲んだ。もっと酒が飲めるからバウンサー(補:警備員というほどかっちりした仕事ではなく、バーにいて揉め事を起こした人を外に追い出す役目)になった。週末には昼の1時から7時まで飲んで、どこかで試合をしてバーに戻り、朝の7時まで飲んだ。で次の日起きるとフットボールのある日曜日で昼から夜中の2時まで飲んだ。
俺はムカついていた。俺は自分が嫌いだった。家で座ってウイスキーを飲んで、インディで一緒にやってた奴らが大きいプロモーションのテレビ番組に出ているのを見ていた、そして俺は座って怒りが爆破するまでただイライラしているだけだった。壁を殴り穴を空けた。酒の瓶を粉々にした。自分自身にとっても他の人間にとっても危険な奴だった。ある週、俺は最終的に酒で絡んで最悪なことになって、姿を消すことにした。興行にも出るはずだったが、行かなかった。自分の携帯電話を壊し、誰も捕まえることができないようにした。みんな俺が死んだんじゃないかと心配していた。午後に目を覚ますと、アパートには割られたビール瓶がそこらじゅうに散らばっていた。何かの理由で、多分奇跡かなんかで、郵便受けを確認したら、そこには手紙が入っていた。「手紙?俺に最後に手紙を送ってくれたのは婆ちゃんだったな」
その手紙は友人のアレックス・ワイブロウ、ラリー・スウィニーからだった。長いことインディでやってる素晴らしい男。そいつが最後の手段として手紙を寄越したんだ。そこには、皆が心配しているから連絡してほしいと書いてあった。忘れもしない、その手紙の最後の行にはこうあった…
「親友をなくしたような気分だよ。お願いだから連絡してほしい」
これで目が覚めた。アレックスに電話をして、穴から這い出た。俺はいつも誰も俺のことを気にしてなんかいないんだと思っていた。失敗作、負け犬、悪い知り合い、そんな感じに。子供の頃からずっとそう感じていた。もしもアレックスがその手紙を送ってくれなかったら、俺は今日ここにはいないだろうな。多分死ぬまで飲んでただろう。奴は命の恩人だ。
そして一番悲しい事は、言ってくれたその言葉はあいつ自身の心のずっと奥底から来ていた…何故ってその数年後にあいつは自殺し��まったから。あいつは俺が味わっていた痛みを知っていたんだと思う。その暗闇を知っていたんだ。
そしてだからこそ俺はこんな話をしている、振り上げた拳を引っ込めたりはしないし、オールドスクールな奴らはこんな話聞きたくもないだろうし、話すべきじゃないと思ってるだろうが、そんな奴らは糞喰らえだ。もしも俺が抗うつ剤を飲まなかったり、メンタルヘルスのために手を借りたり、怖がってこう言った事を話せなかったりしたら自殺していただろう。以上。こういう事を話そうとする俺の口を塞いだり、そういう気持ちを薬や酒で消したり出来ないほど沢山の友人をこの業界で亡くした亡くしてきた。
アレックスの思い出として、この話をしよう。あいつは俺を救ってくれた。でもあいつ自身を救う事はできなかった。ずっと俺はもうここには居たくないと思っていた。罪悪感と怒りと情けない気持ちでいっぱいだった。アレックスが死んだ後、俺はゆっくりと(アルコール依存やメンタルヘルスの)助けを貰いほんの少し身綺麗にしていった。でも37歳になったある日、俺にはその日は永遠に来ないことに気が付いた。先人たちは俺にチャンスを与える事は絶対にない。多くの橋を燃やしすぎた。地獄へ行けと多すぎるプロモーター達に言い放った。評判が悪過ぎた。
俺はもう終わりだ。ある日、兄弟が家に来たときにアラスカに引っ越すつもりだと伝えた。自分の手で働く。新しい生活を始める。結婚もしていない。子供も1人もいない。プロレスというこの仕事に人生を捧げてきて、失敗して、そして辞める時が来た。
兄弟は俺を見た、兄弟だけが出来る視線で。そしてウイスキーをひと口飲み、動きを止めた。そして「わかったよ。ああ、自分のことは自分でするんだもんな。お前の人生だ。でも俺の息子になんて言えばいい?」と言った。
俺の甥は生まれたばかりだった。
「お前は何を言ってるんだ?」俺は言った。
するとやつは「叔父さんは夢を諦めたのに、俺の息子に諦めるなってどうやって説明したらいい?」と返事した。
俺はただ奴を見つめ「糞野郎。なんて事言うんだ?なんて事を」と思った。
俺は想像した、甥が1年生になり友達と話す。「僕のおじさんはレスラーなんだ!」
そして小さい子供はこんなかんじだ「えー??違うよ!おじさんはレスラーじゃないよ!」
その時、俺は辞めることはできないと決意した。もう数年このままやり続けよう、甥が学校で携帯のYouTubeを使ってエディ叔父さんがリングで誰かをスープレックスするところを友達に見せることができるぐらい大きくなるまで。WWEだとか AEWだとかに行くみたいなことじゃあない。そんなことは気にしちゃいなかった。ビンゴホールか、VFWか−叔父さんが本当にレスラーでいる限り、他は気にしなかった。
だから続けた。で、去年のコロナ禍だ。全てが閉鎖された時俺は海を超えてイギリスで試合をしていて、国境が閉鎖される時に残りの2000ドルを使って家に帰って来た。何ヶ月も全てのインディが活動停止して、すぐにそれが何を意味��るのか知った。終わりは見えなかった。レスリングブーツを売り払ってローンの返済に充てなけりゃ��らなかった。あと1ヶ月でどうにかしなければ、家を失うことになる。母親に電話をして、この契約のことを伝えた。屈辱的だった。このままだとヨンカーズの両親のところに戻らなければいけなくなる。
その後、ニュージャージーの野外での興行の連絡を貰った。駐車場の真ん中にリングを立てて、お客は車から試合を見る形で許可を取っていたんだ。ノーとは言えなかった。ニュージャージーまで行き、興行の最中これが自分の最後の試合になるだろうと思っていた。俺は家を失う。崖っぷちだ。
そして試合後にマイクを取り、俺が一番得意な事をただ始めた。俺は悪態をついた。大きいプロモーションの全てのチャンピオン達に呼びかけた。そしてそれがどういう事なのか考えもしなかった。俺はただ俺でいただけだ。俺は俺が好きな事をやっただけ。でもそれが何故か、どうにかして、誰かが俺がキレているところのビデオをソーシャルメディアに載せて、それがコーディ・ローズと AEWへの道を作った。多分それは面白いとか狂ってるとかなんかわからないけど思ったんだろうが、でもそれが思いがけない AEWのタレント部門の目に留まって「ビデオを見ましたよ。あなたにコーディと試合をしに来てほしいんです。」となった。
そして俺はまたその時に鬱で落ちこんでいたから、最初に口から出てきた言葉は「いくら払うんだ?」だった。
俺はトライアウトだとは思っていなかったよ。奇跡だとも思っていなかった。「家のローンを払わなきゃ」それ以外の事は考えてなかった。俺にとってはただのブッキングだった。明細評。38歳だぜ。契約する訳がない。ただの小さなクソったれなやつだ。誓って言うが、そのショーに行ってバックステージにいる時は無感覚だった。誰とも話さなかったし、興奮もしていなかった。
鏡の前にいる時、8マイルな事は何もなかった。俺は文字通り「これをさっさと終わらせたら金が手に入る」と言うことだけ考えていた。コーディは全てにおいて素晴らしかったことは覚えてる−そして俺がリングインする時にどんな曲がほしいか聞いてきたから俺は本当のことを言ってやった「何で俺に入場曲があるんだ?俺はここで働いてないだろ。音楽はいらない。俺はただ出て行ってお前をぶっ潰す。俺はただの男だから。」
するとコーディは「わかったよ。じゃあマイクを渡そうじゃないか」
「マイクを?」
「そうだ。ただマイクを持って出てきて俺の事を非難するんだ」
つまりこれがコーディ・ローズだ。こういう「男」だよ。俺に出てきて非難してほしいと言う男なんだ。今思うと鳥肌が立つな。俺には随分と大それたことだけど、彼は俺にはその時を与えてくれて、それが人生を変えることになる。
その他の俺の人生を変えた男はブロディ・リーだ(安らかに眠れ)。ブロディのことはインディで何年も前から知っていた。最高の男だ。本物のプロ。奴はバックステージでカーテンから出て行くその直前に側に立っていて、俺が無感覚になっているのを見ていた。
俺に近づいて真面目な口調でこう言った「おい、俺の知ってるエディ・キングストンはどこだ?」
そして強く押し退け、俺は後ろによろけた。それはまるで野獣が目覚めたようだった。
俺は奴の目を真っ直ぐ見て、押し返した。
ブロディは数歩よろけて「ここにいた」と俺を見て言った。
俺たちは笑い合った。
その夜歩いてカーテンをくぐった俺はボロボロの男だった。38歳。憎しみに満ちた。自虐的な。母親の元に引っ越す寸前の。
次に何が起こったのかは説明ができない。いまだに理解できない。今でも誰かが夢から呼び起こしに来るのを待っているんだ。
コーディと試合をした。俺は今まで1万人と試合をして、1万回試合をした。俺は仕事をした。やつを叩きのめした。奴も俺を叩きのめした。画鋲にパワーボムをした。物語を伝えようとした。これを見た誰かに何かを感じさせようとした。ただ1人でもいい、つまらない日を過ごした誰かがそこから逃げ出すためにこの試合を見てくれたら。
俺はただ自分の仕事をして、奴が俺をピンフォールして、歩いてカーテンをくぐって戻った。
そこでブロディリーとジョンモクスリーを見た。あいつらは飛び跳ねてたよ。拍手はしてなかった。あいつらは俺にすげえとかは言わなかった。そういう奴らじゃないんだ。ただ笑っていたのは気づいていたよ。
俺は「大丈夫だったか?」と言った。
モクスは「良かったぜ。上手くぶちかましたな」と言った
そしてその時気がついた、「おい、お前はテレビに出てるじゃないか。すごいことだよ。ここで終わったとしても、少なくとも俺にはその事実があるってことだ」
テレビで試合が放送された時、俺の携帯におかしな事が起こった。Twitter、ソーシャルメディア、全部のそういうやつ−今でもどうやってそうなったのかはわからない。俺の知った事じゃない。それで俺の携帯にそういうあらゆるものが(Twitterの)小鳥と一緒にポップアップしてきたけど、俺はまだ理解していなかった。その後は色んなメッセージ、 AEWの人間からも「エディ、トレンドになってますよ」と送られて来た。
俺は「トレンド?何だそりゃ?もっと金が貰えるってことか?」と言った。
彼女は「いいえ、これは大きな事ですよ。人々が#SIGNEDDIEKINGSTON(エディキングストンと契約しろ)とトゥイートしてるんです。」と返事をよこした。
それでもまだ変な感じだ、今でもまだ、俺は愛を受け入れ難い時期があったからだ。俺はニューヨークのハードな男。そんな事は信用してない。俺は疑い深い。俺はいつもなにか別の悪い事が起きる事を待ち構えている。だから全ての関わりのない人々が俺のために立ち上がってくれた時も、どうとも思わなかった。ただ居心地が悪かった。わかっていなかったんだ。 AEWが契約したいと連絡をくれた後でも、どうにも腑に落ちなかった。俺のような男にはあり得ない話だったからだ。
それは2週間後まで続くことになる−俺はガールフレンドとモンタナに旅行に来ていて、2人で車に乗り彼女の友人の家に行こうとしたところで動きを止めて、彼女を振り返りこう言った「おいちょっと待て」
「どうしたの?」彼女は尋ねた。
俺は言った「俺が契約したのは知ってるよな?俺はテレビに出た。俺の甥は叔父さんがテレビに出るのを見れる。本当に契約したみたいな感じで。ええと、20年もだ。俺は家を失くすところだった、俺は…」
そして俺は泣き始めた。波のようにこの事実が俺に押し寄せ、やっと何が起こったのか理解し、車の中で堰を切った様に涙が溢れ出た。
この人生には全てがあった。俺は怒りの子供だった。憂鬱なティーンエイ���ャーだった。中毒者だった。迷い混乱させる細胞をたくさん抱えていた。自虐と自分から他人との諍いを作ることで身動きが取れなくなっていた。残りの金を使い果たした。
ただ一つ俺がこれを続けている理由は、地球上で本当にただ一つ、全ての友人達は俺を支え助けることを止めなかった事だ。
俺はラリー・スウィニーのような友人がいてとても幸せだ。
俺はブロディのような友人がいてとても幸せだ。
俺はモクスのような友人が今もいてとても幸せだ(そしてモクスが本当の勇気を見せてくれて誇りに思う。わかってるぜブラザー。頑張れよ。)
おかしい事を教えてやろうか?昔は俺とモクスはブルックリンのエルクロッジで85人の前で試合をしていた。コロナ後のジャクソンビル初めての大観衆の中、ヤングバックスとの生放送の試合、やつと一緒にカーテンをくぐって歩いて行くのは信じられない出来事だった。モクスがドアを蹴り飛ばして開ける寸前に「おい、大スターになる準備をしておけよ。さあ、あいつらのケツを蹴り飛ばしてやろうぜ」と言ったのを覚えている。
今でも苦しみ足掻いている。
今でも全ての愛と関心を受け入れ難い時がある。
今でも抗うつ剤を飲んでいる。
今でもパニック障害が起きる。
事実、ALL OUT PPVでのミロとの試合後に、俺の携帯は多くの人々からの素晴らしい試合だったというメッセージ、人々からの好意を自分ではどうにも消化できないでいた。ただ圧倒されていた。胸が締め付けられた。壁が俺を閉じ込めていった。感情を失っていった。まるでストローを使って息をしている様だった。でもゆっくり呼吸をして自分で自分を落ち着かせる事ができたのは、専門家の助けを求められるくらい俺は勇敢で、何をすべきか知っていたからだ。自分の不安障害と鬱を抱えてどう生きるかを知っている。その事について話す事を怖がったりしない。この業界のオールドスクールな奴らがなんて言うか知った事じゃない。今はもう1987年じゃない。
自分が治らないことはわかっている。俺は完璧じゃない。正直に言うと、今でも本当に落ち込む日もある。でも朝目が覚めて、どんなに悪い気分だったとしても、確かな事が一つあって、それを誇りに思う…
ここからどんなに悪い状況になったとしても、いつだって甥の目を見てこの歳をとってボロボロの打ちのめされたエディ叔父さんは絶対に諦めなかったと言う事ができる。
そして彼がもう少し大きくなって、一年生になって悪ガキに「お前のおじさんはレスラーじゃないぞ。うそつき。」と言われたら、携帯を取り出してエディ叔父さんがクイーンズのアーサーアッシュスタジアムの叫び声を上げる2万人の観衆の前を歩いてゆく−そこは日本のプロレスのテープを交換したり、喧嘩をして警察から逃げていたストリートからほんの少し先にある。
甥は悪ガキのびっくりした顔を見て「ね?」と言える。
彼の叔父さんはニューヨークヤンキースじゃない。
彼の叔父さんは医者や弁護士じゃない。
彼の叔父さんは宇宙飛行士なんかじゃない。
叔父さんはレスラーだ。
−エディ・キングストン
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ファイプロワールドを購入した。新日本プロレスの選手が出ているので『ファイプロに実名選手なんて邪道や。しかもあんま知らんレスラーばっかりやん。』と思っていた。 今日たまたまつけたアベマTVで新日のプロレスが放送していた。 オカダカズチカとケニー・オメガのIWGPヘビー級チャンピオン選手権試合。時間無制限三本勝負。 元々プロレス少年だった僕は週刊ゴング派であり、ゴングが廃刊になった事で週刊プロレスへと簡単には移行出来ず、また新日派ではあったが棚橋や中邑が台頭してきた頃からプロレスを観なくなっていった。 もう新日本のストロングスタイルは死んだのだと思っていた。 時が経ち、中邑がWWEで活躍しているのを知り心が熱くなった。 そして、『角田龍平の蛤御門のヘン』というラジオをたまたま聴いていたら棚橋がゲストであった。棚橋の考えを聞いていると心が熱くなった。 久しぶりにプロレスを観ようと思った。 しかし、既に僕の知らないレスラー達が台頭しており、オカダカズチカやケニー・オメガなんてまったく知らなかった。 しかし、今日たまたまつけたアベマTVで…。 一時間以上の試合。 手に汗握る試合内容。 僕の知っている技、知らない技。 限界を超えても立ち上がる二人。 気が付くと僕の目は涙で溢れていた。 新日本プロレスのストロングスタイルは死んではいなかった。 新日本プロレスのストロングスタイルは進化しているのだ。 勝手に離れた僕だから勝手に宣言させて貰う! 新日本プロレスファンに復帰します!週刊プロレス買う! そしてこれはだいぶ前の試合という事に終わってから気付くのであった。 #新日本プロレス #オカダカズチカ #ケニーオメガ #ストロングスタイル #iwgp #週刊プロレス #週刊ゴング #棚橋弘至 #角田龍平 #角田龍平の蛤御門のヘン #蛤御門のヘン #kbs京都ラジオ #中邑真輔 #復帰宣言 https://www.instagram.com/ohagi.ono/p/BuTwDI1HgYu/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1rfve1vpw8dxb
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【WWE 2K23】NJPW・新日本プロレス:オカダ・カズチカ&棚橋 弘至&石井 智宏&真壁 刀義 vs 藤田 晃生&シェイン・ヘイスト&マイキー・ニコルス&ザック・セイバーJr by はしやんのゲームチャンネル WWE 2K23の動画です。 WWE 2K23は、ビジュアルコンセプトによって開発され、2023Kスポーツによって公開されたプロレスゲームです。 再生リスト WWE 2K23:G1CLIMAX33 https://www.youtube.com/watch?v=qHsFVyRGtPE&list=PLEdhw1WC7PXOmnxqYc6I3ryEkQ6FkfYmQ その他再生リスト WWE 2K23:新日本プロレス https://www.youtube.com/watch?v=Of_TQyhn810&list=PLEdhw1WC7PXMg_dmiucgpHgjEbAhMCNhF WWE 2K23:BOSJ30 https://www.youtube.com/watch?v=v4FwskZ31y8&list=PLEdhw1WC7PXOTnqVkz9Uwx9p0qcIz8J-Q キャプテン翼 RISE OF NEW CHAMPIONS https://www.youtube.com/watch?v=Wz0AZG4TKO0&list=PLEdhw1WC7PXNiBvZgCgWVPLRhtpbLdoT5 ファイナルファンタジー7リメイク https://www.youtube.com/playlist?list=PLEdhw1WC7PXMgglHqBzhLHo9Y8DIZX92G #WWE2K23#プロレス#はしやん via YouTube https://youtu.be/crzsHkePOsE
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大怪獣モノ
2016年/日本/カラー/93分
河﨑実監督による「大怪獣モノ」をレンタルDVDで見てみました。「シン・ウルトラマン」公開前にこれを見ておくべきなのでは?とふと思いついたので借りたのですが、届いたら公開延期という(苦笑)。
埼玉県の明神岳で心霊物の動画サイトチームが撮影に来ていた。ここに住んでいると見られる謎の老人、泉忍道(堀田眞三)の制止を無視したチームは巨大怪獣に食われてしまう。
一方、東京では西郷博士(真夏竜)と娘の西郷美和(河西美希)が手がけた万能細胞「セタップX」に疑惑が集まり記者会見を行っていた。西郷博士はマスコミの追求を認めずストレスで女装アニメコスプレに走ってしまう。やがて巨大怪獣が東京に迫ったことで政府は西郷博士を頼る。しかし疑惑から守ってくれなかった事から一旦は拒否する物の娘の美和の説得で受け入れる。助手の新田陽出人(斉藤秀翼)に「セタップX」を注射することで巨人化することに成功。巨大化した新田陽(飯伏幸太)はモノと名付けられた巨大怪獣と戦い撃退には成功する。
新田陽(何故かセタップXの効果が切れて小さくなっても飯伏幸太の身体のままである)はヒーローとなりテレビ局などにひっぱりだことなる。しかし某国のスパイがちやほやされた新田陽をハニートラップを使っておとしめようとしたことで一転スキャンダルで追われる身となってしまう。
やがて巨大怪獣モノが帰ってくる。帰ってきた原因は西郷博士達が持ち帰ったモノが生み���した卵だったと解り返そうとするが、かえって卵を守ろうとして凶暴化してしまい、巨大化した新田陽でも相手にならなくなってきた。西郷博士の旧友だった泉忍道によって新田陽は滝の水を切る訓練を受ける。一方で西郷博士は「セタップX」には悪の力が足りないと研究を続けるのだが…というお話でした。
いやー、バカバカしいけど面白かったなぁ。ストーリーはデタラメなんだけど、本気でふざけている楽しさが伝わるので観ている方も共犯になれるというか。勘の良い人ならモノ側はゴジラやモスラといったそれこそ大怪獣物への、 新田陽はウルトラマンへのオマージュで作られたとすぐに気が付くと思います。
頭40分くらいで新田陽がヒーローになっているひとつのストーリーが完結していて、小ネタを重ねたインターバルを挟んで後半40分から仕切り直したもう一つのお話が始まる構成というのはなかなか上手いやり方だなぁ、と思いました(ウルトラマンの放送時間30分を意識したのかな?)。ただ、インターバルが時事ネタ過ぎる(2016年作品)ところがあるので今となるとちょっとつまらなくなってしまったところはあるかなぁ。
それと飯伏幸太選手や彼が所属していたDDTプロレスのメンバーが参加しているのでプロレスファンじゃないと「誰?」というなってしまうハードルの高さは注意かも。 飯伏さんのぼくとつとした話し方はプロレスでも彼の持ち味でもあったので下手な演技で済ませずに楽しんで欲しいのですが。
話の切り札としてウルトラセブン出身の毒蝮三太夫さんが出てくれるのが嬉しい。マムシさんが後半に出てくるための前振りとしてTBSラジオの「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」の再現がカーラジオの音声で出てきます。面白いのがこのモノが発生する電磁波の影響でTBSラジオしか入らないという強引な謎設定ではあるんですが、マムシさんへのリスペクトを感じられたなぁ。
了
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鳥取県の米子を舞台に映画など大衆文化の魅力を全国へ発信するイベント「米子映画���変」が節目の10回目を迎える。米子市末広町の米子コンベンションセンターを会場に30、31の両日開かれる今回は、米子城の築城に関わった戦国武将・吉川(きっかわ)広家(ひろいえ)(1561~1625年)の人物像に迫る。
「第十次米子映画事変」実行委員会が4日、記念イベントの概要を発表した。 テーマに据えた吉川広家は戦国大名・毛利元就の孫で、米子城の築城を始めながら、完成を見届けること���く、関ヶ原の合戦(1600年)へ。西軍の側にいながら毛利家存続のため徳川方と通じ、流れを決めた重要人物と言われている。 イベントでは、特撮映画界を代表する樋口真嗣監督と女優の佐伯日菜子さんをゲストに、「大河ドラマの主人公になり得るか」をテーマに語り合う。
実行委員長で、 米子市出身のアニメ制作会社プロデューサー、赤井孝美さん(現、米子ガイナックス社長)は「戦国を終わらせた男として広家の名を広め、ゆくゆくはアニメ化を目指したい」と意気込む。
また、最新映画「ウルトラマZ」を手掛けた田口清隆監督と樋口監督との新春対談や、米子市生まれの日本映画会の巨匠・岡本喜八監督(1924~2005年)の名作を35ミリフィルムで上映する喜八事変劇場などがある。 感染防止対策を行い開催する主な内容は次の通り。
<30日>岡本作品「肉弾」上映&トークショー▽鳥取だらずプロレス▽米子ムー事変トーク<31日>ウルトラ特撮トーク▽アニメ会トーク▽吉川広家スペシャル対談。 フリーパス券2千円。問い合わせは同実行委、電話0859(21)5281。
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作品中の物語は「お芝居、撮影」であり、それを役者として皆が演じている。そこには脚本の意図が有り、アドリブがあり、それが終わった後には、配役とは別の関係性がある…という「二次創作」の作り方があるらしいんですよ。はじめは、(超人)プロレスというキン肉マンの設定上、「ヤオだった」というのは、ミスター高橋本以降の、プロレスの『ワーク』『フェイク』『ギミック』『アングル』を語るためのネタだったんだろうけど、 それを前提にすると、実はこれは、上の話と同じく『キン肉マンを巡る、楽屋ものの二次創作』になる。 その視点で読むと、すさまじく面白い。 1 :テリーマソ:02/09/10 23:02 ID:??? ガチで事実です 2 :お前名無しだろ:02/09/10 23:03 ID:??? >1 テリーはシングル戦でジョブが多かったからって、スグル をひがみすぎ。 13 :お前名無しだろ:02/09/10 23:12 ID:??? 最大の名ジョバーはミキサー大帝だろ なんてったってミートに負けたんだから 14 :お前名無しだろ:02/09/10 23:13 ID:??? >11 あれって唯一、公にされてるジョブだな。 名ジョバーテリーはいち早く見破ってたが。 15 :お前名無しだろ:02/09/10 23:13 ID:??? ラーメンマン対ウォーズマンは��オ。 16 :レオパルドン:02/09/10 23:13 ID:??? 何でゆでたまごは私をプッシュしなかったんだろう?? 18 :お前名無しだろ:02/09/10 23:15 ID:??? >15 たしかに実力はラーメンマンのほうが上だった、プッシュ中だった ウォーズは、まだグリーンボーイだったので怪我をさせた。 22 :お前名無しだろ:02/09/10 23:16 ID:??? >15 あれは腰痛を患っていたラーメンマンを休ませるのと モンゴルマン登場へのアングル 66 :お前名無しだろ:02/09/11 00:14 ID:??? ザ・ニンジャVSブロッケンJrもヤオ臭いよな。 ニンジャさんの実力を考えると、ブロッケンを売り出すために犠牲にされたとしか思えないんだよね。 でもプロ意識の高いニンジャさんがそんな負けブック飲むとは思えないし。 だれか詳細知ってる人いますか? 67 :お前名無しだろ:02/09/11 00:16 ID:??? >66 ザ・ニンジャさんは人格者だから 69 :お前名無しだろ:02/09/11 00:19 ID:??? っていうか、元々プロモーター志向の強かったニンジャがブロッケンJrを売りたかったんだろ? 名古屋を始め、中部地区の興行は未だにニンジャが仕切ってるしさ~ この間なんか、居酒屋で、アシュラマンとフェニックスがニンジャに説教されてたよw やっぱ影のフィクサーはニンジャだね、ニンジャ。 75 :お前名無しだろ:02/09/11 00:32 id:jWDLS0go アシュラマンのベビーフェイス化は早すぎ。 有望新人とはいえ、もう少しヒール役で下積みさせるべきだった。 テリーマン戦はアシュラがわがままで負けブックを飲まなかったため 引き分けブックで折り合いをつけたという事実はあまりにも有名。 84 :お前名無しだろ:02/09/11 00:40 ID:??? >75 アシュラは外見だけで実力ないからお涙頂戴な台本でしか魅せられない。 タッグトーナメントも王位継承シリーズもしかり。 85 :お前名無しだろ:02/09/11 00:42 ID:??? レオパルドンは道場では敵無しらしいよ。ただ人が良くて余り 上昇志向が無いってニンジャさんが言ってた。 96 :お前名無しだろ:02/09/11 00:47 ID:??? アシュラマンを叩いて頭突きしかできない塩プロレスの バッファローマンを擁護する保守派は時代を読めていない。 119 :お前名無しだろ:02/09/11 01:04 ID:??? ウォーズマンは意外に性格いいからな。 超人オリンピックでのプッシュ後は、負けブックを飲みまくり。 ガチだったらマンモスマンごときに不意打ちでやられるなんてありえない。 両者の本当の実力差を知っている俺としては、あのブックには脱力。 128 :お前名無しだろ:02/09/11 01:11 ID:??? >124 ウルフマンVSキン肉マンで試合後にウルフマンが 「この八百長野郎!」 って発言したのには驚いたよ。 あの後、キン肉マンの控え室、全員臨戦態勢入ってたらしいからね。 156 :お前名無しだろ:02/09/11 01:41 ID:??? テリーって、結局引退するまで金に汚い超人だったよな。 初期のリアリズム路線で銭ゲバぶりを描いて全団体から取材拒否喰らったんで ゆでたまご氏も後には真実をゆがめて描かざるを得なかった。 実際には負けブック飲むたびに、奴のテキサスの農場は巨大化していったんだ。 おれは今のガキどもが奴を伝説の正義超人扱いしてるのを見るたび、 悔しくてならないよ。 179 :お前名無しだろ:02/09/11 02:23 id:TyhcM/Z7 タッグトーナメントでの悪魔超人コンビの扱いに、少し納得できない。 せっかく団体の枠を超えて参戦してきてくれたのに。 181 :お前名無しだろ:02/09/11 02:40 ID:??? 今年は“怖いカナディアンマン”見せます/C-1 カナディアンマン(100万=カナダ自然クラブ)が、初の優勝に向け、前に出る。 C-1は22日、大阪でカナダGP決勝を開催。カナディアンマンは練習を公開し 「今年は前に出る。怖い部分を見せたい」と積極的にカナディアンバックブリーカーを 狙っていくことを宣言した。最後の勝利は、2年前の7月7日。その後は惨敗ばかりだった。 昨年のカナダGPでは、惨敗続きの内容にブーイングまで飛んだ。だが、今年は違う。 「前に出る。怖い部分を見せたい」。もう、駄目な選手という評価はいらない。 手ごたえがある。今年は徹底して他流試合に臨んできた。1月には北斗の拳に参戦し ラオウと対戦。(ただし風のヒューイと名を変えていた)3月にはDBのヤムチャと、 4月にはドラえもんの大巨人剛田武と、そして7月にはボクサーのNBフォレストと 拳を交えた。「他流試合には、ケンカのような緊張感がある。それを肌で感じて、 技術とかとは違う精神的な部分で養えたものがある」。4度の他流試合を経験して 得た内面の変化を、確実に感じている。新生カナディアンマンが誕生した時、 エース不在で混戦の続くカナダの勢力分布図は塗り替えられる。 182 :お前名無しだろ:02/09/11 02:48 ID:??? >179 まぁ、アレだ。サンシャインとアシュラは自分の所属団体の経営が 悪かったからお呼びがかかったんで、扱いは軽かった。 メジャー団体だからってインディをなめんなよ! と当時は憤ったよ、マジ。 183 :お前名無しだろ:02/09/11 02:55 ID:??? 阿修羅マンとサンシャインって昔引退掛けて戦ってから友情芽生えたんだよね その後サンシャインが団体作ってそれに阿修羅マンが賛同して 名タッグチームとして名を馳せたんだよな。 184 :お前名無しだろ:02/09/11 02:56 ID:??? ジャンクマンの事、みな過小評価しすぎだ。 旗揚げ戦の時、おれ泣いたもの。 185 :お前名無しだろ:02/09/11 03:00 ID:??? ジャンクマンはちょいガチ気味なんで、他の外来超人達から 「ジャンクマンはシュートな戦いするんでちょい苦手」って 言われてるしな、この辺りが相手によって塩っぽく見える要因なのかも。 やっぱ受けが上手い奴だとジャンクマンも光るんだろうけど。 186 :お前名無しだろ:02/09/11 03:05 ID:??? やっぱジャンクマンが職人肌に転向したのは あのイワオとの一戦からだよな パート1のしょっぱなからこれだぞ(笑)
【序説】「キン肉マンはヤオだった」という2chスレの再評価&まとめ作成を - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
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