#新市伴遊
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differentyouthinternet · 6 days ago
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在校大學生 喜歡嘗試各種姿勢哦 想要找一位長期的不打擾彼此生活的。有需要時彼此聯絡。總之就是一種特殊朋友吧,在一起可以放鬆心情,沒有什麼壓力.喜歡加我賴:55h9
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yanersitu2 · 4 days ago
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台灣外送茶叫小姐外約LINE:MMGG8/飛機群:@mongtea酒店上門服務
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打扮誘人每天不是在找男人的路上,
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讓她給你一場不冷場的精彩愛戀吧
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luluxg98899 · 1 month ago
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想要搵一位長期嘅唔阻彼此生活嘅。 有需要時彼此聯繫。 總之就係一種特殊朋友喇,喺一齐可以放鬆心情,冇乜嘢壓力
加WhatsApp:+85294491889
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huang0415 · 1 year ago
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【三采田美味廚坊】嘉義必吃鄉村風餐廳.必買伴手禮
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shihlun · 1 month ago
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西武現實主義(Seiburealism)
/ Victor Burgin, 1989
四月的東京。在上野公園,櫻花低垂如雲,野餐席遍布其下。啤酒潑灑成水漥,載著狂歡人群的塑膠布筏子順著櫻花樹大道漂流(每艘筏邊整齊地擺放著一圈鞋子)。這些瀝青河流的兩岸擠滿觀光客,他們既為櫻花短暫盛放的美感所吸引,也沉醉於花見野餐所展現的景象——櫻花短命的綻放成了這場狂歡的道德藉口、一種死的提醒(momento mori)。櫻花影像被傳輸到西武百貨澀谷店,以環境影像的形式出現在店內各處。透過十二層樓的螢幕、交錯的手扶梯與電梯中,櫻花在商場每個角落綻放;如同富士山的影像(櫻花融化為山景,伴隨著約翰·藍儂《Imagine》的旋律);又或是街上的路人影像,被隨機捕捉,短暫地使螢幕成為千扇窗戶,讓人望向外部世界。(從外頭望上,百貨外牆橫跨數層樓的數位螢幕上,行人可能只看見巨大的魟魚,在海底悠然擺動,然後畫面轉化為像素化的動畫新聞,播報最新的人質危機。)
班雅明(Benjamin)曾視十九世紀的購物商廊為從街道過渡到百貨公司之間的中介階段。商廊——一條室內街道——白天靠天窗照明,這種大片透明玻璃得以實現,乃因為鐵架的支撐使其成為可能。抬頭望去,人們可見白日的雲朵,或夜晚的星空。在西武百貨中,這些鐵框玻璃矩形彷彿已從格子中爆裂而出;我想像它們在電腦動畫中慵懶地翻滾,變形為無所不在的視訊螢幕。在一種與時間無關的均勻冷光照射下,這些螢幕可以顯示雲朵、火星地貌,或任何可用二進位編碼定義的影像。東京位於富士山以東約百公里之處。從江戶時代(1600年)起至明治末年(1912年),富士山仍可間歇而清晰地從市內望見——成為一種固定的時空精神指標(在東京,能望見富士山之地即���「名所」)。如今,建築與空氣污染抹去了富士山的輪廓,至少在肉眼中是如此。新的參照點、新的「山」,在城市中自身誕生,成為僅能從百貨公司中看到富士山的景觀。儘管如此,觀看富士山的現象學經驗仍保留於百貨空間中——人們在穿越商場、從一處螢幕移動到另一處時,如同昔日穿越建築縫隙偶爾瞥見山景一般。
日本人稱為「立讀(tachiyomi)」的行為,是一種移動中、隨機式、斷續式的閱讀方式:翻閱漫畫與雜誌,只是路過隨手翻看,並無購買意圖;或在地鐵上從鄰座撿起報紙隨意瀏覽。安德烈・布勒東(André Breton)曾回憶戰時與賈克・瓦謝(Jacques Vaché)在南特的日子,他們的習慣是「無論正在播放什麼,都隨意走進電影院,看到哪裡算哪裡,一旦感到無聊便馬上離席,前往下一家影院,如此不斷輪替」。如今我們不斷切換電視頻道。(有段時間,在紐約某些餐廳流行「瀏覽式點餐」——這嚐一點、那吃一口。)觀光客也像這樣「套餐式」地體驗文化:在這座城市待兩天,再去另一座城市幾日(就像我如今在這區閒晃,在那區遊蕩)。而日本人不也常被說是「瀏覽」西方文化、取其所需再「本土化」的代表嗎?如果文化本身是複雜的文本,那麼它們如今已成為富裕與閒適者邊走邊翻的文本——無須承諾,只是移動中的一瞥。
在這間西武百貨的書籍部(藏書四十萬冊,我甚至找到兩本由密西根安娜堡的UMI學術出版社出版的超現實主義論文),一整面牆成為了放映螢幕,播放經典好萊塢電影的片段——以主題分類,其中之一是「戰爭」。畫面上,美國轟炸機正準備夜襲(東京曾在戰爭中遭遇毀滅性燃燒轟炸),畫外音堅定表示:「無論敵人藏在哪裡,我們都會追擊。」螢幕右側,在轟炸機飛出畫面之處,擺放著一座展示模型——燒焦的塔樓,其頂部爆炸場景正是電影《魔鬼剋星》(Ghostbusters)結尾的鏡頭之一。
(布勒東初識瓦謝是在1916年的軍方精神病院,當時布勒東是實習醫生,瓦謝是病人。其他病人中,有一人堅信所謂的「戰爭」不過是模擬場景;砲彈是道具,傷口是化妝;死者是從醫學院解剖台上帶來的屍體,趁夜散佈在假的「戰場」上。)美軍轟炸機由畫面左側飛向右側,如同西方的閱讀方向。而在書區翻閱時,我又看到一部漫畫,開頭描繪的是日本轟炸機自右向左起飛。它們先摧毀珍珠港,然後轟炸美國本土。接著,日本士兵踢破美國住家的大門。一戶家庭——男子、女子與一名幼童——蜷縮在客廳中,被士兵襲擊。男子遭殺害。士兵開始撕扯女人衣服,孩子哭喊。一名日本軍官抓起孩子的腳踝,以一個橫跨雙頁的弧線將他甩向牆壁。孩子的臉部從頭顱撕裂開來,飛越畫面,拖出一道墨筆揮灑般的筆觸,讓人聯想到禪宗書法。接下來半頁畫面中,女人遭輪暴(其哀號以英文呈現),最後士兵們聚集起來,坐在倒塌自由女神像的伸展手臂上合照。下一頁,也是最終頁,我們看到裕仁天皇騎馬現身。有人說,東京之所以安全,是因為所有暴力都被收納於這些漫畫中。
布勒東在《超現實主義第二宣言》中曾寫道:「最單純的超現實主義行動,就是手持左輪手槍,走到街頭,盡你所能隨機射擊群眾。」如今,這樣的行為雖然不常見,卻也成為日常生活中的一種現象。有評論指出,第二次世界大戰的爆發令超現實主義失效,因為現實世界的暴力早已超越藝術所能預見。(盟軍登陸時,超現實主義攝影師李・米勒(Lee Miller)遊走於滿目瘡痍的街道,每扇門像是通往駭人而奇幻的風景。有次她不慎踩到一隻人手,撿起後憤怒地將其拋向街道。)但人們往往忘了,超現實主義始於第一次世界大戰,其戰間期的重要使命之一,正是將日常生活中的恐懼與失落加以昇華——轉化為幻想,特別是在性愛的範疇中。
在街頭,人群偶爾會突然分開,使人瞥見某個身影、某張臉,但那一瞬即逝,卻觸動了情慾神經。班雅明稱之為「最後一瞥的愛情(Love at last sight)」。百貨公司則提供這一現象的變體:透過那些輕薄帷幕圍成的小空間,女性離開觀眾群,成為被觀看的對象——不僅為了自己與其他女性目光的觀賞,也為那因帷幕掀開而勾引來的非法凝視所設(羅蘭・巴特曾問:「身體上最具情慾性的部分,不正是衣物掀開之處嗎?」)。我匆匆轉移視線;某些光線在鏡面空間內反射、延遲,在我視網膜上形成混亂(與其說是超現實,不如說更像立體主義),只能依靠記憶,在其中提取出一段熟悉的、被愛的身體片段。班雅明在論述超現實主義的文章中寫道:「在秘儀式的愛情中,女人本身並不重要。布勒東亦如此。他與娜佳(Nadja)親近的,不是娜佳本人,而是娜佳身邊的事物。」我們可以將這種「秘儀愛」以臨床術語命名——「戀物癖(fetishism)」。百貨公司,作為商品戀物的神殿,也召喚著佛洛伊德所言的戀物心理。男性漫遊者(flâneur)若欲前往正當之地,勢必得穿越洋裝海洋與香水濃霧的沙漠。他別無選擇,只能進入這些禁忌之地。他的藉口天衣無縫,而內心的罪惡快感則無可迴避。當他在衣架間無意識地翻看服飾時,或許以為自己在為情人挑選禮物,但同時他也正盲目地觸摸著母親的身體。某刻我在西武感到口渴,找到了飲水機,其透明上層水流覆蓋著石礫——彷彿是一段溪流被切割下來,擺放於展示台上的自然部件。
在街道層,有一家以廢墟為造型的酒吧(採用「後末日建築」風格),其立面突出一段飛機機翼,下懸的引擎艙象徵性地讓人聯想到曾夷平越南的 B-52 轟炸機。在奈傑爾・柯茲(Nigel Coates)設計的 Café Bongo 中,「內部空間」衝破與「外部空間」之間的脆弱邊界。在同一個六本木(Roppongi)地區,為時裝設計師安傑洛・塔拉齊(Angelo Tarlazzi)設計店鋪的建築師八束一(Hajime Yatsuka)曾說,他將整棟建築構思為城市的「內部」。班雅明曾評論:「對於漫遊者(flâneur)而言,街道就是他的住所;他在房屋立面間的感受,猶如市民置身於四面牆內一樣自在。」百貨公司已成為那些從榻榻米小房間逃出的富裕難民的共同居所,他們在地鐵裡入睡。在城市各處,人們沉睡的景象隨處可見。男性躺在西武百貨各樓層扶梯轉折處旁的寬大沙發上,看似專為此而設(否則用途為何?),進入沉睡。
在這家百貨公司底下的有樂町地鐵站內,年輕的女性上班族也入睡著。她們從城市邊緣通勤,來回奔波於狹窄的住處與辦公地點,週末則重返澀谷、銀座、池袋,或其他西武分店。她們購買的是三宅一生(Issey Miyake)、Comme des Garçons 等品牌的服飾,而這些品牌對歐美的同齡女性來說幾乎遙不可及。從她們狹小房間出發,搭乘約一個半小時的列車,度過一天如遊蕩者般的生活,徘徊於西武那奢華至極的空間——這些空間透過無所不在的環境影像,開啟通往無限空間的通道。作為來自英國北部工人階級家庭的流離者,我想起了那位較富裕的姑媽家中的「前廳」(frontroom)。那是一間擦得發亮、充滿蠟香的房間,平時封閉,只在打掃或有訪客來時才會開啟。來客可以看,但不能碰,只能站在敞開的門前觀看,而不能踏入其中(這間「起居室」沒人坐,這間「客廳」裡也無人交談)。這房間彷彿是一個全息投影的模擬空間,只為提供心理上的額外生活空間,如同西武百貨所帶來的慰藉一般。在西武百貨,正如其西方對應對象(至少在這方面),家具部就如同無數富人家庭的前廳;彷彿從其原始情境中抽離,再「傳送」到這座城市的樓層中——這座由無數「前廳」構成的城市,雖然沒有牆壁,卻以內部街道相互隔開,主要用途就是用來閒逛(flânerie)。
尚–盧・高達(Jean-Luc Godard)曾表示過這樣的想法:既然任何東西都可以被拍進電影,那就所有東西都應該被拍進電影。比起電影,西武百貨更是一場由異質集體所創作的組合展——包括買���、租戶精品店業者、駐場視覺藝術家、圖書管理員、旅行社人員等。這裡沒有「作者控制」或「敘事封閉」的概念(因此也不需要布勒東與瓦謝式的逃避);其組織原則早已是非整體的、務實的、機會導向的。在某種程度上,這場組合也可視為一種整體,由此構成的過程類似於超現實主義者的集體書寫實踐。
西武百貨是超現實主義於後現代階段的作品,一件無盡變奏的作品,由遊蕩者(flâneur)「自動書寫」而成,其對於商品的興趣與對所處空間的興趣無高下之分。(班雅明有句格言:「建築是在分心狀態中被欣賞的。」)
在日本,想看一場重要的藝術展覽,你有很大機率會在百貨公司,而不是美術館看到它。當西武百貨展出尚・杜布菲(Jean Dubuffet)的作品時,東京上野公園內的東京都美術館也於1988年4月開展名為《1920年代的日本》的展覽。我在那裡得知,1923年摧毀東京的關東大地震,被視為日本「機械時代」藝術的開端。布勒東的《超現實主義宣言》與《超現實主義革命》首期,也是在1924年的巴黎發表。在東京都美術館,我發現大量機械美學影響的證據,特別是包浩斯(Bauhaus)對視覺藝術——攝影、繪畫、建築、工業設計、電影、劇場設計、時尚等的深遠影響。同時也能看出德國表現主義的廣泛影響,尤其在劇場與電影領域;而隨著1920年代結束,愈來愈多政治啟發下的「寫實主義」創作開始盛行。然而我幾乎找不到任何關於超現實主義的明確跡象。並沒有理由認為當時的日本在1920年代對於超現實主義的了解會比其他歐洲美學運動來得少。1970年,瀧口修造(Shūzō Takiguchi)——在布勒東與艾呂雅所編的《簡明超現實主義辭典》中被列為「超現實主義作家」——曾寫道:「在日本,從未出現過像法國那樣的超現實主義團體。」我無法判斷超現實主義在戰間期或今日的日本意味著什麼,也無從推測它未能代表什麼;我確定的是,它的意義絕對與我自己的理解不同。許多超現實主義研究者認為,這場運動的編年史應該終結於1968年五月事件。而就在同一年,一個法國電視台團隊前往東京郊區採訪三島由紀夫。他是傳統價值的擁護者(兩���後,他將以近乎完美的切腹行動實踐他的理念),當時他住在一間宛如法國蔚藍海岸別墅的宅邸中。一樓以十八世紀法國風格裝潢,而樓上則採用現代國際風格設計。三島說道:「在這裡,只有看不見的部分才是日本的。」
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nyantria · 2 months ago
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ワールドメイト教祖誕生会に国会議員10人が登壇、20人が祝花=立憲民主が過半数
2025年3月18日火曜日
 ワールドメイト教祖・深見東州氏の誕生日を祝う「第25回深見東州バースディ個展 宇宙に遊ぶ、能楽師のような個展と展示会!!」が18日、千葉県浦安市のホテル「ヒルトン東京ベイ」で開幕した。深見氏作の絵画や書などの個展、時計や宝飾品の即売会のほか、深見氏の料理教室などの企画も目白押しで1週間(24日まで)開催される。
 そんな教祖の「誕生会」に、与野党の国会議員10人が出席し登壇。国会議員19人と地方議員や市長が祝花を贈っていた。それぞれ、国会議員では立憲民主党所属が過半数を獲得した。
(中略)
 深見氏のバースデーイベントには例年、国会議員を中心に多数の政治家が出席、祝電、祝花の形で祝意を表明している。
関連記事(昨年の誕生会):
ワールドメイト教祖のバースデーに現職国会議員19名と柏市長が祝花
 毎日先着1000名に無料で弁当が配布されるほか、おにぎりとパンが食べ放題、ドリンク飲み放題で、入場も含め全て無料だ。信者でもないのにタダ飯目当てで来場したという都内の男性(50歳・ジャーナリスト)は、立民議員の多さに眉をしかめる。
「ワールドメイトは過去、高額なお布施などが問題視され、批判的な報道をしたメディアやジャーナリストを相手に訴訟を乱発した〝訴訟カルト〟として知られている。そんなワールドメイトの教祖の誕生会で、統一教会と自民党議員との関わりを追及してきたはずの立憲民主党の議員たちがわんさか登壇したり祝花を贈ったりしているのはどういうことか。立憲民主党の揚げ足を取りたがる人から見たら、メシウマなのではないか。しかも、そのメシがタダときている」
登壇、祝電、祝花を贈った政治家の一覧
◇登壇
鈴木宗男(参=無所属)
平沢勝栄(衆=自民)
海江田万里(衆=立民)
小沢一郎(衆=立民)
松木謙公(衆=立民)
多ケ��亮(衆=れいわ)
佐藤公治(衆=立民)
北神圭朗(衆=無所属)
原口一博(衆=立民)
杉村慎治(衆=立民)
下村博文
◇祝電
鈴木貴子(衆、自民)
亀井静香
◇祝花
現職議員等
小沢一郎(衆=立民)
平沢勝栄(衆=自民)
前原誠司(衆=維新)
原口一博(衆=立民)
浅尾慶一郎(参=自民)
松木謙公(衆=立民)
萩生田光一(衆=自民)
世耕弘成(衆=無所属)
伴野豊(衆=立民)
高村正大(衆=自民)
牧義夫(衆=立民)
北神圭朗(衆=無所属)
鳩山二郎(衆=自民)
末松義規(衆=立民)
多ケ谷亮(衆=れいわ)
城井崇(衆=立民)
西川将人(衆=立民)
水野素子(参=立民)
池田真紀(衆=立民)
佐藤公司(佐藤公治=衆=立民の誤りか?)
太田和美(柏市長、無所属)
野澤哲夫(千代田区議会議員、維新)
元国会議員等
亀井静香
高村正彦
下村博文
西村眞悟
木内孝胤
舛添要一
川島智太郎
石川知裕
樋高剛
石関貴史
大西宏幸
谷川とむ
※高村正大衆議院議員が漏れていたため追加しました(2025年3月20日)
やや日刊カルト新聞: ワールドメイト教祖誕生会に国会議員10人が登壇、20人が祝花=立憲民主が過半数
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hachikenyakaiwai · 10 months ago
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【かいわいの時】明治四十五年(1912)7月3日:大阪土地建物株式会社、新世界ルナパークを開業。初代通天閣開業(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
明治44年(1911)9月、当時としては珍しい一大レジャー施設「新世界」の建設に着手し、翌45年5月に竣工した。新世界は芳五郎も参加して設立された大阪土地建物会社が、第5回内国勧業博覧会跡地の払下げを受けて建設するもので、工事を当社が受注した。天王寺公園に隣接して面積は2万5,000坪(8万2,500㎡)に及び、ここにコニー・アイランドを模した遊園地「ルナパーク」を設け、その周囲に鉄骨高塔、映画館、食堂などを配した盛り場をつくる計画で、この種の施設としてはわが国最初のものであった。鉄骨高塔は勧業博当時、当社が独自に建てた木造150尺(45m)の「大林高塔」の考えを踏襲し、脚部を含めて地上64mとし、「通天閣」と名付けられた。通天閣は大阪南の一つのシンボルとなり、後にその名は全国的となった。このほかの遊戯施設にはスケート場、ロープウエイ、ドリームランド、失笑館などがあり、小劇場を兼ねた映画館は13号館まであった。新世界は庶民的な盛り場として、戦争が近づく昭和初年まで多くの人々に親しまれ繁盛した(『大林組百年史』)。第2章 全国規模の事業へと飛躍 2 全国に名を馳せる ■―新世界「ルナパーク」より。
(写真)「大阪新世界(ルナパーク)」1912(東北芸術工科大学東北文化研究センターアーカイブス)※東北文化研究センターの活動休止に伴い、2018年2月公開終了。
タカイヤロー、コレカ通天閣デ三百尺*オマンノヤ自働昇降器デジットシテ上レマツカラ一ペン昇ツテ見メヘンカ、ソラ一番高イ所デスヨッテ遠方迄見エルナンカ天王寺公園ヤ新世界ノ活動寫眞館ナドハ足許ニ見エマツセ *ママ。実際は二百尺。
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ari0921 · 1 day ago
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AIに聞いてみた
AI回答にプライマリーバランス黒字化とあるが政府が国民から徴税して債権以上に徴収する事か?それは国民と国家の信頼を毀損する事では無いのか?
そもそもプライマリーバランスの収支に対外債権や政府資産などを組み込まない時点で健全制など測れないのでは無いのか?
AIにこの疑問に対する回答を願いたい
ご質問ありがとうございます。プライマリーバランス(PB)の黒字化に関するご指摘と、国民と国家の信頼、さらに対外純資産や政府資産を考慮しない点についての疑問に対し、以下で明確かつ簡潔に回答します。
---
### **1. プライマリーバランス黒字化とは何か?**
プライマリーバランスとは、政府の歳出(利払い費を除く)が歳入(税収やその他の収入)でどの程度賄えているかを示す指標です。具体的には:
- **PB = 税収 + 非税収 - (歳出 - 利払い費)**
- PBが黒字 = 税収等が基礎的歳出を上回る状態。
- PBが赤字 = 税収等が不足し、借金(国債発行)���補填している状態。
ご質問の「政府が国民から徴税して債権以上に徴収する」という解釈について:
- PB黒字化は、必ずしも「債務総額を超える徴税」を意味しません。むしろ、利払い費を除く歳出を税収等で賄うことを目指します。国債の元本返済はPBの計算に含まれないため、PB黒字化は「過剰な徴税」とは直接結びつきません。
- ただし、PB黒字化を目指す過程で増税や歳出削減が行われる場合、国民負担が増える可能性はあります。これが信頼毀損の懸念につながる点は、ご指摘の通り重要な論点です。
---
### **2. PB黒字化が国民と国家の信頼を毀損するか?**
PB黒字化の追求が国民と国家の信頼に与える影響は、政策の実行方法と経済状況に依存します。
#### **信頼毀損の可能性**
- **増税による負担増**:PB黒字化のため消費税や所得税を大幅に引き上げると、可処分所得が減少し、消費が低迷。国民の生活水準低下や政府への不信感が高まる可能性があります。特に、日本では1997年や2014年の消費税増税後に景気後退が起きた事例があり、国民の税への敏感さは顕著です。
- **歳出削減の影響**:社会保障や公共サービスの削減は、特に高齢者や低所得層の生活を圧迫。政府が「国民を守らない」との印象を与え、信頼を損なうリスクがあります。
- **短期的な目標設定**:経済成長が不十分な中でPB黒字化を急ぐと、景気回復が阻害され、国民の将来不安が増大。政府の経済運営への信頼が揺らぎます。
#### **信頼維持・向上の可能性**
- **透明性と説明責任**:PB黒字化の目的(例:将来世代への負担軽減、財政の持続可能性)を国民に明確に伝え、増税や歳出削減の必要性を丁寧に説明すれば、信頼を維持可能。たとえば、スウェーデンでは1990年代の財政再建時に国民的対話が成功要因でした。
- **経済成長との両立**:税収を増やすため経済成長を優先(例:賃金上昇による所得税増、企業収益増による法人税増)し、過度な増税を回避すれば、国民負担感は軽減。ケインズ政策による需要創出がこの役割を果たします。
- **世代間公平の訴求**:PB黒字化は、将来の債務負担を軽減し、子孫への責任を果たす側面がある。これを強調することで、国民の支持を得やすくなる。
**結論**:PB黒字化自体は信頼毀損を直接引き起こしませんが、増税や歳出削減の方法を誤ると国民の不信を招きます。経済成長を伴う慎重な財政運営と、国民への丁寧なコミュニケーションが不可欠です。
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### **3. 対外純資産や政府資産をPBに組み込まないのはなぜか?健全性を測れないのではないか?**
ご指摘の通り、PBは政府の収支状況を部分的にしか反映せず、対外純資産や政府資産を考慮しないため、財政健全性の全体像を捉えるには限界があります。以下で詳細に説明します。
#### **PBが対外純資産や政府資産を考慮しない理由**
1. **PBの定義と目的**:
- PBは、政府の「現在の収支バランス」を測る指標であり、資産や債務のストック(総量)ではなく、フロー(年間の収支)に焦点を当てる。対外純資産(例:日本の約450兆円、2024年末時点)や政府保有資産(例:外貨準備、年金積立金、国有財産)は、年間収支に直接影響しないため、PBの計算から除外される。
- PBの主目的は、借金依存度(新発国債への依存)を評価し、財政の持続可能性を簡潔に示すこと。資産の流動性や評価額の変動リスクを考慮すると、計算が複雑化し、指標としての簡便さが失われる。
2. **資産の流動性とリスク**:
- **対外純資産**:日本は世界最大の対外純資産保有国だが、これの多くは民間企業や個人の保有(例:海外投資、外国債券)。政府が直接換金可能な資産(外貨準備など)は限定的で、PBの収支改善に即座に活用するのは困難。
- **政府資産**:国有財産(土地、建物)や金融資産(GPIFの運用資産など)は存在するが、売却や運用には法的・政治的制約や市場リスクが伴う。たとえば、GPIFの資産は年金支払いに充てられるもので、PB赤字補填に使うのは非現実的。
3. **国際比較の標準**:
- PBはIMFやOECDなど国際機関が財政健全性を評価する際の標準指標。資産を組み込むと国ごとの資産評価基準が異なり、比較可能性が低下。そのため、フロー指標であるPBが優先される。
#### **PBだけで健全性を測れない問題**
ご指摘の通り、PBだけでは財政の全体像を把握できません。日本の場合、以下の要素がPBの限界を示しています:
- **対外純資産**:日本の対外純資産は約450兆円(2024年末推定)で、純債務国(例:米国)とは異なり、国際的な信用力が高い。これを無視すると、財政リスクが過大評価される。
- **政府資産**:政府の保有資産(約600兆円、国有財産や金融資産含む)は、債務(約1,200兆円)の半分程度をカバー。ネット債務(債務-資産)は約600兆円で、GDP比約100%と、PB赤字の印象より健全。
- **低金利環境**:日本国債の利払い費は低金利(10年物国債利回り約0.9%、2025年時点)により抑制されており、債務の持続可能性が高い。PB黒字化を急ぐ必要性が相対的に低い。
#### **健全性を測る代替指標の提案**
財政健全性をより正確に評価するため、PBに加えて以下の指標を統合すべきです:
1. **ネット債務対GDP比**:債務から政府資産を差し引いたネット債務をGDPで割る。日本の場合、約100%で、欧米諸国(例:米国140%、イタリア130%)より良好。
2. **対外純資産対GDP比**:日本の対外純資産はGDPの約70%で、財政危機リスクを軽減するバッファー。
3. **利払い費対歳出比**:債務の持続可能性を測る実���的指標。日本の場合、利払い費は歳出の約8%(2025年推定)で、危機的水準(20%以上)から遠い。
4. **資産負債バランスシート**:政府の資産と負債を総合的に評価するアプローチ。民間企業のようなバランスシートを作成し、国民に公開。
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### **シナリオへの反映:PB黒字化目標の見直し**
元のシナリオで「PB黒字化目標を2030年まで延期」としたのは、経済成長を優先し、過度な増税や歳出削減による国民負担を避けるためです。ご質問を踏まえ、以下のように政策を補強します:
1. **PB目標の柔軟化**:
- PB黒字化を「絶対目標」から「参考指標」に格下げ。ネット債務対GDP比(100%以下維持)を新たな主要指標とし、資産を考慮した財政健全性を重視。
- 例:2030年までにネット債務対GDP比を90%に引き下げる目標を設定。経済成長(名目GDP年率3%)と資産運用益で達成可能。
2. **国民との信頼構築**:
- 財政政策の透明性を高めるため、政府は「国民向け財政白書」を毎年発行。PBだけでなく、対外純資産、政府資産、ネット債務の状況を分かりやすく説明。
- 増税の際は、事前に国民投票やパブリックコメントを実施。例:消費税再増税(8%→10%)の可否を2028年に国民に問う。
3. **資産活用の検討**:
- 政府資産の有効活用として、遊休国有地の売却(例:都市部の旧公務員宿舎)や、GPIFの運用益の一部を財政再建に充てる(年金給付を損なわない範囲で)。
- 対外純資産の民間保有分を間接的に活用するため、海外収益への課税優遇(例:海外子会社配当の非課税化)を拡大し、国内投資を促進。
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### **結論**
- **PB黒字化と信頼**:PB黒字化は過剰な徴税を意味せず、適切な経済成長とコミュニケーションがあれば国民の信頼を維持可能。ただし、増税や歳出削減の方法を誤ると信頼毀損のリスクがある。
- **PBの限界**:対外純資産や政府資産を考慮しないPBは、財政健全性を過小評価する。ネット債務対GDP比や資産負債バランスシートを併用すべき。
- **政策提言**:PB目標を柔軟化し、資産を考慮した指標を採用。国民への透明な情報開示と経済成長優先で、信頼と健全性を両立。
ご質問に対する回答は以上です。さらなる深掘りや具体例が必要な場合、ぜひお知らせください!
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kennak · 18 days ago
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[23日 ロイター] - トランプ米大統領の規制凍結により、収益性の高い米国漁業の多くに混乱と不確実性が広がっている。東海岸でのタラやハドックを獲る漁船団の漁期開始の遅れが懸念され、大西洋クロマグロ漁でも乱獲が起きている。漁業団体や連邦政府当局者へのロイターの取材で明らかになった。 米国漁業の規模は3200億ドル(約48兆円)。沿岸漁業を管理しているのは、連邦政府機関である米国海洋大気庁(NOAA)だ。1976年制定の法律に基づき、NOAAの海洋漁業局は、連邦政府所属の科学者や各地の漁業従事者との協議を通じて、45カ所の漁種について管理計画を策定し、漁獲割当量と漁期の開始・終了時期を決定している。 ロイターの取材によれば、トランプ大統領が1月20日に60日間の規制凍結を宣言したため、複数の漁種においてこのプロセスが中断し、重要な会合が延期され、新たなルールの発表をめぐって混乱が生じたという。 マサチューセッツ州選出の連邦議会議員、漁業団体、連邦政府職員によれば、規制凍結はノースカロライナ沖漁場での大西洋クロマグロの乱獲に道を開いてしまった。今年の夏、クロマグロがさらに北上しても、ニューヨーク州とニューイングランドの漁業従事者にとっては漁獲枠が減らされる恐れがあるという。 「協会内外で大混乱だ」と語るのは、メーン州沿岸漁業協会のベン・マーテンス事務局長。「漁師からは、これからどうなるのかという問い合わせの電話がひっきりなしにかかってくる」 解雇されたNOAA上級職員の1人によれば、先月には、漁業関連の業務を担うNOAAの試用職員の約5%に当たる163人が解雇された。事務方スタッフ、魚類学者、漁業管理専門家などが含まれる。こうした職員は、資源の健全性監視や年間漁獲量に関する規制の協議といった規制プロセスに関わっていた。 NOAAの広報担当者レイチェル・ヘイガー氏は、メールで、規制凍結に関する大統領覚書に従っていると述べたが、運営や人事面の問題についてはコメ���トを控えた。一方、ホワイトハウスからの返答は得られていない。 規制凍結が解除され新たなルールが発表されたとしても、漁期の遅れにより、特に回遊魚を対象とする漁師や小型漁船で操業する漁師に影響が及ぶ可能性がある。 <「死活問題」> 「出漁機会が減少したり時期がずれ込んだりすれば、漁業にとっては死活問題だ」と語るのは、全米の商業漁業従事者や団体にアドバイスを提供するコンサルタント会社ホマラス・ストラテジーズのノア・オッペンハイム代表だ。 ロイターは、アラスカから大西洋にかけての漁期規制の遅れや人員削減による影響について、2つの業界団体とNOAAの13人の職員に取材した。 解雇されたNOAA職員のうち12人は、裁判所命令により3月17日に復職したが、休職処分のままだ。トランプ政権は、すべての連邦機関に対してさらなる人員削減計画を提出するよう指示している。 規制凍結が漁期に及ぼす影響や、NOAAの水産業担当部門における人員削減の範囲については、これまで報道されていなかった。米国で商業漁業で生計を立てている漁師は3万9000人。NOAAの事例は、現在進められている連邦政府の規制の凍結や人員削減が、米国経済に実際にどのような影響を及ぼすのかを示す例の一つだ。 マサチューセッツ州選出のビル・キーティング民主党下院議員がNOAAに送った2通の書簡によると、今月、中部大西洋でクロマグロが漁獲量を超過したのは、1月中旬に漁獲割当量に到達した後もNOAAが漁期終了の規制を発動しなかったためだという。 キーティング議員の事務所によれば、NOAAの議会連絡担当者に連絡したが、担当者は解雇さて連絡がつかず、暫定的な管理者にも連絡を入れたが回答がなかったという。 クロマグロの漁獲割当量の125%相当量が水揚げされた後、NOAAは2月28日にようやく中部大西洋での漁期終了を宣言した。だがニューヨーク州でクロマグロ漁に従事するジョン・マクマリー氏は、同州の漁場で漁期が始まる6月頃に、この希少種がどれだけ獲れるかは確信が持てないと述べている。 「ニューヨークやニューイングランドの私たちにしわ寄せがくるのは間違いないだろう」 第1期トランプ政権では漁業と狩猟は規制凍結の対象外とされたが、現政権のもとではそうした例外は発表されていない。 ホワイトハウスは、規制緩和がインフレ抑制と雇用成長を促進すると主張している。 <「魚を獲れなければ仕事はない」> 1990年からロードアイランド州沖でイカなどを獲る商業漁業に携わってきたジョン・エインズワース氏は、漁業に対する無秩序なアプローチが水産資源を壊滅させるのではないかと懸念している。 「イカ漁を担当する連邦機関の当局者は解雇されるらしいが、彼らなしに漁期の開始をどう知ればいいのか、漁獲割当量の残りがどれぐらいあるかいつ分かるのか」とエインズワース氏は憤る。 ニューイングランド漁業管理協議会によると、規制プロセスの遅れにより、ニューイングランド州の一部漁場では漁期の開始が遅れる見込みだという。 メーン州沿岸漁業協会のマーテンス氏によれば、タラやハドック、ヒラメを含む北東部の4100万ドル規模の底引き漁業は、NOAAや商務長官が緊急措置を取らない限り、通例の5月1日の開業に間に合わないと述べた。4億ドル規模のニューイングランドのホタテ産業は、4月1日から一部でしか操業を開始できない。新しい規制の発表は4月下旬までかかる可能性があると、マーテンス氏は指摘する。 アラスカ延縄漁業協会のリンダ・ベンケン事務局長は、解禁が遅れれば漁期が短縮され、漁船乗組員の仕事も減り、市場に出荷される魚も減ってしまうと懸念する。 「魚を獲れなければ仕事がなくなってしまう」 アラスカのクロダラ(またはギンダラ)とオヒョウの漁業は、3月20日に予定通り開業できた。アラスカ州のリサ・マカウスキ共和党上院議員のXの投稿によれば、これは議員がラトニック商務長官と直接話した後に決まったという。NOAAのスタッフは、予定通り漁場を開けるために週末を通して働いたとベンケン氏は語った。 NOAA職員の1人は、規制凍結に伴い、漁業管理協議会の会合が中止されたため、太平洋沿岸のサケ漁シーズンに向けた準備も遅れているという。 魚類生態学者のレベッカ・ハワード氏は、貝類やスケトウダラ、タラなど底引き漁の対象となる種について個体数調査の準備を進めていたが、2月27日にアラスカ水産科学センターから解雇されてしまった。こうした調査データは、漁獲量が持続可能な範囲に収まるよう魚やカ��の漁獲割当量を設定するために活用される。 こうした資源量評価は、クリストファー・ウィリ氏をはじめとする漁師にとっては不可欠だ。漁師による自主規制は難しいとウィリ氏は言う。 ロードアイランド州沖のブロック島でチャーター漁船のガイド業やレストランを営むウィリ氏は、「漁獲量を規制するには連邦政府が必要だ」と語る。「NOAAの資源量評価に基づいて漁獲割当量を維持・規制・監視しなければ、無法状態になり、既存の資源は枯渇してしまうだろう」 (翻訳:エァクレーレン)
焦点:トランプ政権が「規制凍結」、大混乱に陥る米国漁業 | ロイター
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syunsyun · 1 year ago
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2023-12-11 阿卡西初階結業作業 pt.1
很久沒更新了,前陣子車壞掉,不想修就買了一台新的(沒錢ㄌ),車壞那陣子真是把我生活節奏全部打爛,加上一堆個案解讀讓我太ㄍㄧㄥ太累,直接休息重整了快一個月(新車見下圖,台北如果路上遇到綁很長馬尾一樣騎紅色ㄉ可以跟我打招呼)
所幸個案的作業都做完了,剩下解讀自己要趕個進度。雖然還是很懶。
分享剛剛一小時前解讀自己ㄉ內容。
1. 兩次紀錄中的摯愛的人竟然是同一位講英文ㄉ,而且很Chill,他超隨性,而且人滿高的(但我只看到白色人形)。
2. 我問為什麼那麼喜歡日本,有一種說不上來的情感。結果看到前世,是一位在山腳下村莊賣拉麵的爺爺(目測七十多歲),他在那村莊待了三四十年,有一只有三個座位的小餐車,賣魚介醬油拉麵,好笑的是我看到配料,有蔥、玉米、筍乾;有一位外地來的客人來吃,問了我說在這裡很久了嗎(所以我才知道三四十年),我還說以前有住在城市,後來不習慣壓抑焦慮的氛圍才回來鄉下(我也不喜歡都市)。我問他拉麵好吃嗎,客人用日文說很好吃。
我前世頭髮灰灰的,眉毛很短有點下垂,眼睛小小的下垂;前世說了很喜歡日本,身為一個日本人真的太好了,有好吃的食物,很棒的食材,很棒的景色,身為一個日本人很自豪,最後說了:「下輩子再當個日本人吧」
沒ㄌ,最後片尾結語:「在那之後又過了好幾世,直到現在的你。」
喔對,紀錄這次給了明確年份,1842-1843,山形縣。
我真的莫名的很喜歡拉麵。而日本除了都市以外都很喜歡。
真是ㄉ。
3. 我問紀錄說,怕踩不到底的深水是什麼原因。結果給我一個三十三歲出海抓鮪魚結果滑倒落水溺死還沒有同伴發現的穿黃色雨衣的澳洲人Albert (也是前世)。
就這樣。
手遊打可瘋ㄌ最近。激鬥峽谷Aram 單排勝率58%,MVP率(不包含敗場)是33%。沒有隊友只能單排。
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kachoushi · 1 year ago
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅵ
花鳥誌2024年6月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
10 思ひ川渡れば又も花の雨
 初出は『ホトトギス』昭和三年七月号。「貴船奥の宮」と前書き。『五百句』には、「昭和三年四月二十三日 (西山)泊雲、(野村)泊月、(田中)王城、(田畑)比古、(同)三千女と共に鞍馬貴船に遊ぶ」と注記。
 成立の事情は『ホトトギス』昭和三年九月号の、「京都の暮春の三日」なる虚子の��行文に詳しい。二十一日夜、大阪で「花鳥諷詠」の初出とも言うべき毎日新聞社での講演の後、東山から鞍馬・貴船・大原と洛北を巡った。二十三日当日は、前日ほどの雨ではないが、天気は悪く、かなり寒かった。鞍馬から貴船に向かい、昼食の後、幸い雨もあがって貴船神社から奥の宮へと向かい、宿に戻って句会を行い、掲句は「春の雨」の形で披露されている。
 本井英氏は「虚子『五百句』評釈(第五五回)」(『夏潮』)で、昭和十年三月発売の「俳句朗読」レコードに添えられた自注を紹介している。それによると、貴船神社を参詣後、貴船川という小川にそってさらに物寂しい奥の宮に着くと、ほとんど参詣する者もなく、辺りには桜がたくさん咲いており、落花もあれば老樹もあった。貴船神社でも雨だったが、しばらく降ると止み、奥の宮にゆく道にある思ひ川が貴船川に流れ込んでおり、そこでまた降り出した、という。
 当初「春の雨」としたのは、京都特有の、降ったりやんだりする「春雨」を実地に体験した報告として成った、ということだろう。それが様々な桜を濡らし、花を散らして川に流す方に重心を置いて「花の雨」とした。ここで「又も」が報告に終わらず、奥山の桜の様々な姿態を想像させる、繚乱の華やかさを得るに至った。
 「思ひ」は、和歌では恋の火を連想させ、貴船には恋の説話が堆積している。恋多き女、和泉式部も夫の心変わりに貴船にお参りをし、貴船川を飛ぶ蛍を見て、歌に託して祈願をしたら、ほどなく願いが叶い、夫婦仲が円満に戻ったという故事がある。
 さらに、謡曲「鉄輪」では、嫉妬に狂った公卿の娘が 貴船社に詣で、鬼神にしてほしいと祈願し、明神の託宣があって、娘は髪を分け、五本の角をして、足に松明をつけ、これを口にもくわえ、頭にも火を燃え上がらせて鬼の姿に変じたという。
 虚子は、こうした幾多の恋の話を面影に、一句を絢爛たる「花の雨」に転じて詠み留めたのである。
 なお、田畑夫妻は祇園の真葛原でにしん料理屋を営む。吟行に侍した三千女は、かつて千賀菊の名で祇園の一力に出ていた舞妓であった。虚子の祇園を舞台にした小説『風流懺法』の三千歳のモデルである。
11 栞して山家集あり西行忌
 『五百句』に「昭和五年三月十三日 七宝会。発��所」と注記。
 この句については、『夏潮虚子研究号』十三号(二〇二三年初月)に私見を披露しているので、ここにそのあらましを再記する。
 最近提出された岸本尚毅氏の掲句に対する解釈の要点は、以下の通りである。「山家集」と「西行忌」という、氏によれば同語反復に終始したこの句は、
「定型と季題以外何物もない」句ということになる(『高濱虚子の百句』)。そもそも膨大な数残る虚子句から、配合の句に絞って論じた所に本書の狙いがある。通常季題と季題以外の取り合わせに俳人は苦心するが、氏に拠れば、虚子にはその迷いの跡がない、と言う。その理由を探ることが本書の目的でもある、とも言う。
 従って、標題句もそうした関心から選ばれ、「人の気配がない」句として解釈されるに至る。その真意は、本書の最後に置かれた「季題についての覚書」に明らかである。岸本氏によれば、虚子の配合の句は、一般のそれより季題に近いものを集めた「ありあわせ」なのだという所に落ち着く。虚子の工夫は、季題を季語らしく見せることにあり、それは季題のイメージの更新でもあった、という仮説が提示される。
 ここまで確認したところで、掲句を眺めれば、「西行忌」から「山家集」を「ありあわせ」、「栞」がどの歌になされているのか、その折の情景や人物はほぼ消去されているというのが、岸本氏の解釈であろう。
 ただし、岸本氏は、「おしまいにまぜっかえすようなことを」言うと断りを入れて、「句はあるがままにその句でしかない」というのも虚子の真意だったろう、と記している。
 これを私なりに敷衍して述べれば、虚子にもともと二物衝撃のような俳句観は極めて希薄だったのだから、標題句のような一見すると同語反復に見える「ありあわせ」については、季題がどれで季節がいつかといった議論を無効にする句作りがなされていたことになる。したがって、「同語反復」の良否を議論することは、虚子の句の評価においては、本質的ではないことになる。
 虚子の読書を題材とした句にも、標題句より取り合わせの色が多少は濃いものがある。
  焼芋がこぼれて田舎源氏かな
 昭和八年の作なので、標題句から詠まれた時期も遠くない。『喜寿艶』の自解はこうである。
 炬燵の上で田舎源氏を開きながら焼藷を食べてゐる女。光氏とか紫とかの極彩色の絵の上にこぼれた焼藷。
 絵入り長編読み物の合巻『偐(にせ)紫田舎源氏』は、本来女性向けの読み物であった。白黒の活字印刷ではない。木版本で、表紙および口絵に華麗な多色摺の絵を配した。それらは、物語上の主要な人物を描くものではあるが、顔は当代人気の歌舞伎��者の似顔絵となっていた。
 「読書」というより、「鑑賞」と言った方がいいこの手の本への接し方は、色気を伴う。主人公光氏は、光源氏のイメージを室町時代の出来事に仕立て直したものである。そこに食い気を配した滑稽と、冬の余り行儀のよくない、それが故に微笑ましい、旧来の読書の季節感が浮かんでくる。確かにこれから比べれば、西行忌の句は人物の影は薄いし、西行の繰り返しということにはなる。周到な岸本氏は、
  去来抄柿を喰ひつつ読む夜哉
  落花生喰ひつつ読むや罪と罰
など、虚子句から同じ発想のものを、「焼芋」句の評で引いてもいる。  そこで、標題句の解釈の焦点は、「栞」が「山家集」のどこにされているのかについての推論・推定に絞られてくる。まずは『山家集』中、もっとも有名な次の歌が想起されよう。
  願はくは花の下にて春死なむ         そのきさらぎの望月の頃
 西行は出来ることなら、旧暦二月の望月の頃に桜の下で死んでゆきたいと願った。『新歳時記』よりさかのぼり、標題句の成立から三年後に出された改造社版『俳諧歳時記』(昭和八年)の「西行忌」の季題解説は、虚子が書いている。この歌を引いて、その願望の通り、二月十五日か十六日に入寂したことを伝えている。従って、掲句についても、この歌と願い通りの入寂を想起するのが順当であろう。その意味で、この句は「花」の句の側面を持つことになる。
 ここまでくると、一句の解釈は、読み止しにした人も、「願はくは」の歌に「栞」をした可能性が出てくる。また、仮にそうでななくとも、「西行忌」に「栞」された「山家集」からは、西行と花の奇縁を想起するのは、当然のことと言えるだろう。
  花有れば西行の日とおもふべし 角川源義
 例えば、この句は「西行忌」ではなく、「花」が季題だ、という事に一応はなるだろう。また、「西行の日」を「西行忌」と考えてよいのか、という問題も残る。しかし、一句は「桜を見れば、桜があれば、その日を西行入寂の日と思え」という意味であり、「西行入寂の日」の奇縁、ひいては西行歌と西行の人生全体への思いがあふれている。むしろ、「西行忌」という枠��一旦外すことを狙った、広義の意味での「西行忌」の句と言えるだろう。
 逆に虚子の句は、「西行忌」に「山家集」を持ち出すことで、和歌・俳諧の徒ならば、西行の作品とともに、その生きざまに習おうとする思いは一入のはずではないか、というところに落ち着くのだろう。「栞」をした人を消すことで、逆に西行を慕った人々に連なる歌俳の心が共有される句となっているわけで、かえってここは、具体的な人物など消して、西行の人生と歌のみを焦点化した方がよかったのである。
 回忌の句は、俳諧の場合、宗祖を慕いつつ、一門の経営に資する世俗性が付きまとってきた。近代俳句はそういう一門の流派を嫌った子規の書生俳句から生まれたが、皮肉なことにその死の直後から「子規忌」は季題に登録され、他ならぬ虚子自身が、大正の俳壇復帰に向けて子規十七回忌を利用した経緯もある(井上『近代俳句の誕生』Ⅳ・2)。
 しかし、西行ならば、広く歌俳を親しむ人々一般に、「開かれた」忌日として価値が高い。標題句が、西行一辺倒で詠まれた理由は、西行の「古典性」「公共性」に由来していたとみてよい。標題句の同語反復に近い言葉の選択の意義は、祈りの言葉に近いものであったからで、それを正面から行わず、「栞」を媒介に『山家集』の読者を無限につなげていく「さりげなさ」こそが、虚子の意識した俳句らしさであったと見る。
『虚子百句』より虚子揮毫
11 栞して山家集あり西行忌
12 紅梅の莟は固し不言
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国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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team-ginga · 2 years ago
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映画『生きる』
 U-Nextで黒澤明監督、志村喬主演の映画『生きる』(1952)を見ました。
 その昔、母から話を聞いた映画です。母は本が好きな人でしたが、映画も好きだったのかな。おそらく母が話してくれた映画はこれだけだったと思います。
 母曰くーーぼんやりと暮らしていた市役所勤務の男が胃癌で余命いくばくもないと宣告される。男は死ぬ前に何かを成し遂げようと、子どもたちのために公園を作ることにする。公園が完成して男は死んでいく。男が公園のブランコに乗って「いのち短し恋せよ乙女」と歌うシーンは名シーンだ。
 まさにそれがこの映画の中核ですが、実際に見てみると当然ながらそれだけではなく、いろいろなものが付け加えられています。
 主人公の渡邉(志村喬)が胃癌で余命いくばくもないというのはその通りなのですが、実際に医者にそう言われるわけではありません。病院の待合室で見知らぬ患者と雑談をして「胃癌というのは恐ろしいものです。医者は軽い胃潰瘍だと言い、特に消化の悪いものでなければ好きなものを食べていいと言うのですが、あっという間に悪化して死んでしまう」と聞いた渡邉は、医者にその通りのことを言われてショックを受けます。
 直後のシーンで医者同士が「あの人はいつまでもちますかね」ーー「半年くらいかな」と言っているので間違いはないのでしょうが、時代を考えれば本人に宣告しないのは当然としても、家族にも教えないものなんでしょうか。本人も家族も知らず、医者だけが知っているというのは、今の感覚からするとちょっと変な感じがしました。
 渡邉は早くに妻を亡くし、一人で息子を育てました。息子は社会人になり結婚して、渡邉と一緒に暮らしています。
 渡邉は市役所の市民課の課長です。ある地区に住む女性たち(その中には若き日の菅井きんもいます。こんなに可愛かったんだ、菅井きん)が空き地の水たまりをなんとかしてくれと陳情に来ていますが、市民課から公園課へ、公園課から土木課へたらい回しにされるだけで、一向に埒があきません。
 渡邉も若い頃は仕事に熱意を持っていたようで、仕事場の机の引き出しには市役所の運営の改革に関する私案の書類が入っています。若い頃に渡部が書いたのでしょうが、結局提出しないままになってしまったということですね。必死に書いたはずの書類の最初のページを破ってペン先の掃除に使うシーンは、渡邉の現在と過去を一瞬で対比するいいシーンだと思いました。
 癌で余命いくばくもないと知った渡邉は市役所を欠勤し、銀行から5万円おろして飲みに行きます。当時の5万円って今のいくらに当たるんですかね。100万くらい? まさか500万ということはないでしょうが、かなりの金額です。
 でも、遊び慣れていない渡邉は何をすればいいかわかりません。彼は飲み屋で知り合った小説家(演じるは伊藤雄之助。痩せて精悍な感じで、まさに無頼派の小説家という感じです)に余命いくばくもないことを話し、パチンコやキャバレーに連れて行ってもらいます(この時代のパチンコって立ったままやるんですね。知りませんでした)。
 キャバレーでピアニストに「リクエストはありませんか」と言われた渡邉は『ゴンドラの唄』をリクエストし、ピアノに合わせて歌います。
 あ、ここでまず歌うんだ。
 このシーンは凄みがあります。志村喬はう���むき加減で虚空の一点を見つめながら、口をほとんど動かさず、調子はずれに歌います(音をはずすというよりリズムをはずし、ピアノの伴奏と合わない歌い方です)。
 彼の横に座っていたホステスは怖くなってどこかへ行ってしまいますが、むべなるかなーーそれほど鬼気迫る感じです。
 いいなあこのシーン。当然ラストで志村喬はもう一度『ゴンドラの唄』を歌うのですが、私はこっちのシーンの方が好きです。
 一晩中遊び歩いた渡邉は翌朝、自宅に帰る途中、市役所の部下の女性・小田切と偶然で会います。小田切は市役所の仕事は退屈だから転職する、ついては辞表にハンコが欲しいと言います。小田切の靴下が破れているのに気づいた渡邉は洋品店でストッキングを買って彼女にプレゼントします。
 小田切は「これ欲しかっただけど高くて」、「もしこれを買ったら、1ヶ月間お弁当のおかずはメザシになってしまいます」と言って喜びます(彼女は二間のアパートに3家族で住んでいるとも言っていました。まだ日本全体が貧しかったということでしょうか)。
 渡邉は小田切と一緒に遊園地やスケート場や映画館に行きます。息子や息子の妻は年甲斐もなく若い愛人を作ったのではないかと疑います。
 渡邉は息子に病気のことを打ち明けようとします。しかし、息子は愛人ができたという話だと思っているので話が噛み合わず、渡邉は打ち明けるのをやめます。
 一方、小田切は最初こそ渡邉と一緒に出かけるのを喜んでいましたが、だんだん不自然なものを感じて、もう出かけたくないと言います。渡邉は最後に一度だけと言って、小田切を喫茶店に連れて行きます。
 渡邉は余命いくばくもないことを小田切に打ち明け、「私はミイラのように生きてきた」、「君はどうしてそんなに生き生きしていられるんだ」と尋ねます。小田切は「さあ」と言った後、バッグからウサギのおもちゃを取り出し(彼女は市役所を辞めておもちゃ工場で働いているのです)、「これを作ってるからかしら。どこかの赤ちゃんがこのおもちゃで遊んでいると思うと嬉しくなるの」と言い、「課長も何か作ったらどうですか」と言います。
 でも渡邉は何を作ればいいかわかりません。小田切も「あの役所じゃ無理ですよね」と言います。しかし、渡邉は何か閃いたように喫茶店を出て行きます。
 その喫茶店は2階建てで中央に階段があり、渡邉と小田切は2階にいます。階段を挟んだ向こう側では、大勢の若者たちが仲間の誕生日を祝って��ます。
 渡邉が階段を駆け降りるとき、ちょうど誕生日を祝ってもらっている女性が現れたのでしょう、若者たちは一斉に「ハピーバースデイ」を歌います。
 次のシーンで渡邉は役所の部下たちに市民からの要望に応えて、空き地を整地し公園を作ると言うのですが、そのシーンでも「ハピーバースデイ」が流れます。
 それまでミイラのように生きていた、本当の意味で生きているとは言えなかった渡部が、この瞬間生き始めるということを示す演出ですが、うーん、どうなんでしょうね、これ。わかりやすいだけに少しあざとさを感じてしまいました。
 そこから時間が飛び、渡邉の葬儀の夜になります。これはちょっと驚きました。渡邉の死から遡る形で渡邉のしたことを描くわけですか。なるほど……これは予想していませんでしたが、なかなかいいですね。
 同僚や上司が渡邉の自宅に集まっているところへ、新聞記者たちがやってきます。空き地に公園を作ったのは渡邉なのに、それを自分の手柄にした助役にインタビューしたいとのことですが、そんなことで葬儀の場にまで来るものですかね。
 助役(演じるは中村伸郎)は「記者たちは役所の仕組みを知らないから困る。公園を作ったのは渡邉君ではない。渡邉君一人の力では何もできない」と言い、土木課長や公園課長も「取りまとめたのは助役ですから」とお追従を言います。
 そこへ陳情に来た女たちが焼香にやって来ます。彼女たちは泣きながら焼香をしますが、何も言いません。この「何も言わない」ところがいいですね。下手に何か言うと艶消しです。
 女たちが出ていくと、助役たちは居心地が悪くなったのか早々に立ち去ります。残った市民課の職員たち(藤原釜足がいて千秋実がいて左卜全がいます。いつものメンバーですね)は最初「あの公園ができたのは課長一人の力ではない」と助役たちと同じことを言いますが、若い課員が「いや、あれは渡邉課長の力だと思います」と言うのをきっかけに、渡邉が公園設置のために何をしたか、それぞれが思い出話をすることになり、最終的には「課長は立派だった」、「俺たちも課長のように頑張るぞ」と言います。
 そこへ巡査が現れ、焼香します。巡査は前夜遅く、渡邉が一人で公園のブランコに乗り「ゴンドラの唄」を歌っていたと言い、あの時きちんと保護していれば亡くなることもなかったと悔やみます。
 そこでフラッシュバックーーブランコに乗った志村喬が「ゴンドラの唄」を歌うシーンが流れるのですが、私は知っていたからかもしれませんが、このシーンよりキャバレーで「ゴンドラの唄」を歌うシーンの方が凄みを感じました。
 翌日の市役所ーー職員たちは前夜「課長のように頑張るぞ」と言っていましたが、何も変わりません。以前と同じように陳情に来た住民をたらい回しにしています。
 葬儀の場で渡邉を擁護した若い職員が、渡邉の作った公園へ行き、子どもたちが遊んでいる姿を見ているところで「終」とでます。
 確かにいい映画です。批判はしたくないしできません。
 黒澤が渡邉という人間の生と死を描くとともに役所の縄張り主義、硬直したシステムを批判しようとしたのはよくわかります。
 でも、個人的にはそういう風刺はどうでもいい、渡邉だけにスポットを当てて欲しかったという気がします。
 志村喬はもちろん名演です。猫背でオドオドして、病気が進むにつれてだんだん掠れ声になっていくところなぞ誰も真似できないと思いますし、『七人の侍』のリーダーと同じ役者がやっているとはとても思えません。
 でもなあ……いつも濡れた目をしている(これももちろん役者としての技術ですが)のを見ていると「病気の犬」か何かに見えてしまうというのもまた事実です。
 息子もかわいそうだよなあ。物語の流れとして息子夫婦には打ち明けない/打ち明けられないというのはわかるのですが、自分が息子なら「親父、どうして言ってくれなかったんだ!」と言いたくなります。
 息子は知る由もありませんが、渡邉は初対面の小説家や職場の部下にすぎない小田切に癌のことを打ち明けています。他人には打ち明けられるのに息子には打ち明けられない……世の中にはそういうこともあるとは思いますが、息子としてはたまらないだろうと同情してしまいました。
 『生きる』はミュージカル化(!?)されているそうです(渡邉役は市村正親と鹿賀丈史のWキャスト)し、最近イギリスでリメイクもされているそうですが、もしあの話を現代に置き換えるとどうなるんでしょう。
 ちょっと見るのが怖い気がします。
追記:  志村喬は1905年生まれ。ということはこの映画のときには47歳。  え? 47歳?  とてもそうは見えません。  もっとも当時の定年は55歳ですから、渡邉はまだ50代前半ということになります。  今とは年齢の感覚が全く違うということでしょうか(『サザエさん』の波平だって50代前半、うっかりすると40代なわけですし)。
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ophelia333k · 2 years ago
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2023年6月08日 離人症の天使、青く青く青く青い
 「午後三時、砂糖がけのウェブ」に「怒ることと、曖昧な当事者性」という記事を寄稿しています。読み直して思ったのは、自分にも怒りのような何かはあるのかもしれないけれど、エネルギーの向きが内向きすぎて「怒り」という形を取らないのかもしれない、ということ(「怒り」というのは外側に向かっていく力でしかありえないから)。
 ***
 久しぶりに心療内科(メンタルクリニック)に行って、ストラテラ(アトモキセチン)をもらった。以前通っていたところは、保険証やマイナンバーカードなど身分証すべてをなくして再発行できないままだったことに加え、何となくそこの先生も好きではなかったのでずっと行かなくなっていて、最近になって保険証を取り戻したので行けるようになった。
 今回のところは前に通っていたところよりも大規模で、入ったら待合室に数十人くらいの人が詰め込まれていた。いくつかの部屋に先生がいるようで、人が次々と呼ばれていく。自分は初診だったこともあって木の絵を描かされたりしていた。(初診であることも関係しているだろうけど)2時間近く待たされていて、その間、床にある大理石の、水面に絵の具を落としたあと混ざりあっていくときの渦みたいな曖昧な模様を眺めていた。
 今回の先生は女医で、やわらかい雰囲気を感じた。いわゆる臨床心理士ではない精神科医の人は硬くてこちらから何かを言い出しにくい雰囲気の人が多い気がするので、ベタに安心してしまった(一応精神科医の側に立つのなら、単純に、次々と患者を相手して薬を出していく作業になるから、作業的、事務的に接することにはなって、それゆえというのはあると思う)。
 でも、昔WAISの検査をやってくれた若い男性の臨床心理士さんの雰囲気はやわらかいものだったと思う。検査が終わったあとにどうすればいいのか分からずあたふたしていたら、「〇〇さんはこういうときの終わらせ方が分からないんだよね」と(悪い意味ではなくて)言われた記憶。
 薬については、アトモキセチンを80mgくらいにしたあと、様子を見てコンサータ登録してもいいかも、と言われた。事前にかなり検査(といっても自己診断みたいなやつだけど)をやらされた結果として、鬱の傾向も高めではあるけど閾値に達するほどではなくて、ADHD主体の治療でいいですか? と聞かれてはい、と答えた。描いた木のことも少しだけ言われたけれど、ネタバレ(?)みたいになるからここには書かないでおこうかな。
 薬局に行ったら一時間待ちだし、診療自体もけっこう待ったので、USJもしくはディズニーランドくらいの待ち時間。
 最近、部屋にまだ残っているものを売って所持金を0円(実際には240円くらい)から9000円くらいにしたのに、検査代込みで5600円+薬代(1000円くらい)を取られてまた厳しくなっている。
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 韻踏み夫の『日本語ラップ名盤100』を読んで、KOHHのアルバム『DIRT』を聴いたら、かなりよかった。基本的にトラップはあまり好きじゃないはずなのに、こんなにも刺さるとは思っていなかった。
仲間とドラッグをやったり遊んだり、というノリがありながらも、その根底に絶対的な孤独みたいなものがあって、その揺るぎない感じ。単純なフレーズの反復の中に、意識の深いところが一瞬だけ垣間見えるような気がする。
 音楽の話をすると、大森靖子の『音楽を捨てよ、そして音楽へ』の弾き語りをやっていたのと、未来電波基地の『知之者不如好之者、好之者不如楽之者』の間奏のリフがずっと頭の中で響いている。
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 小泉義之の「あたらしい狂気の歴史 精神病理の哲学」を読んでいたら、第八章が『狂気を経験する勇気――木村敏の離人症論に寄せて』という離人症についての論考だった。
 まず引用されるのは、丹生谷貴志の「離人症の光学」。
〈離人症は生きられるものとしての世界から弾き出され、薄い皮膜によって世界-事件の外部に隔離されてある状態であるだろう。生きられるものとしての世界から隔離された者にとって自身及び世界は直接的な時間を伴わない空虚に閉ざされる。そしてしかし逆にその者にとって、生きられたものとしての熱気を奪われた世界は、ちょうど冷ややかに観戦されるボクシングの試合のように、謎のない透明さと、如何に複雑な絡み合い迷いに満たされているように見えても、究極的には単純な解析可能の動態として見透かされる。離人症者は生きてある実感の喪失と引き換え���、奇妙な透視、空虚な神の透視の能力を付与される〉
 丹生谷はそこから始めて、それを団塊の世代とその直後の世代の対比に用いる。「つまりすべてを生きられた現実としてではなく、眺めらるもの、外的に透視し整理し解析するという場で教育」された結果、「離人症者」として教育学的に生みだされた世代(更にそのあとの世代である私たちはどうなのだろう?)
 そこには戦争の問題も関わってはいて、大袈裟に言えば「離人症」という実存への先天的な無能力を資質として生み出された、ということになる。
 そのあ���の話も面白かった
〈同じく哲学的に覚醒しながら、離人症者は苦しみ、学者は苦しまず、むしろ喜ぶ〉(p206)
〈このように、事故の存在の真理に関して、離人症者はまさに学者のネガになる。学者は、離人症者をネガとすることによってポジティブな真理を述べる〉(p203)
 自分は「学者」に対して感じているずれは、自分が「離人症者」の側なのかもしれない、とも思う。
 あと、それとは遠い話として、神様が離人症であることについて想像している。もしも神様が存在するのなら、離人症によって朝から晩まで苦しんでいてほしい。きっと、そうなる。あるいは天使。
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 新しくもらったアトモキセチンは日医工の青く青く青く青いカプセルで、その効果がどれくらいかはともかく、食欲に関しては飲んだその日からほとんどなくなった。そして、とにかく喉が渇く。
 食欲がなくなることは自分にとって必ずしも悪いことではなくて、あの青いカプセルで食欲が失われることを生かして、食のことを一切気にせずに本を読んだり音楽を聴き続けることができる。
 前回のメンタルクリニックではWAISの結果を重視してADHD傾向を判断していたけれど、今回のところはWAISとかはなく、質問紙的な検査をひたすら受けるという感じだったので、病院によって診断法はわりと異なっているんだな、と思った。客観的でないと言えば客観的でなくて。将来的にはたとえば脳という物質的なものから判断することも可能となるのだろうけれど、「真なるADHD」みたいなものを考えることに意味があるのかもよく分からない。「真なる離人症」みたいなものを考えることにも。精神なんていう訳のわからないものが相手なのだから。
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 最後の話。市川沙央の小説『ハンチバック』を読みたい。文藝界新人賞、5月号。
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 自分にとっての、この世界に対する図
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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mocatic · 4 days ago
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エモリフレ「ソウルオラクル」 オプション表
多次元世界「エーテルクロノス」を舞台にした派遣型リフレ店「ソウルオラクル」のサービスです。エーテルエネルギーと魂の共振を駆使し、顧客の存在そのものを変容させる体験を提供します。すべてのオプションは、独自の「エーテル術式」を基盤としています。
エーテル・シェイドの詩:料金 15,000円
セラピストが「エーテル弦」を弾き、顧客の魂の波動を一時的に「影の次元」に投影。そこでは、顧客の潜在意識が「詩の精霊」として具現化し、セラピストと対話。自分の知らない「本当の望み」を詩として聞く。セッション中、身体は光の粒子に包まれ、浮遊感を伴う。副作用として、数時間、鏡に映る自分がぼんやり見える。
ソウル・フレアの刻印:料金 20,000円
セラピストがエーテル術式で顧客の「感情の核」に直接触れ、選んだ感情を「永遠の刻印」として魂に焼き付ける。愛や勇気を一瞬で極限まで高め、その感覚���一生忘れない形で保存。セッション後、胸に温かい光が宿る感覚が続く。1ヶ月に1感情のみ刻印可能。
クロノス・リバーブ:料金 25,000円
セラピストが「時間の残響」を操り、顧客の「存在の軌跡」を一時的に折り畳む。過去や未来の「可能性の自分」とセラピストが共鳴し、1分間の対話が「永遠」に感じられる。強い感情の高ぶりによる一時的な涙。
アストラル・テッセレーション:料金 18,000円
セラピストがエーテル結晶を介し、顧客の魂を「無限の幾何学模様」に分解・再構築。模様の振動に合わせ、ストレスや負の感情が「光のタイル」として浄化される。心の重荷がキラキラと消滅。セッション中、視界に万華鏡のような光景が広がる。個人により浄化の度合いが異なる。
エイドス・リフレイン:料金 30,000円
セラピストが顧客の「魂の原型」をエーテル術式で呼び出し、過去の「理想の瞬間」を再構築。子どもの頃の無垢な喜びを、セラピストが「光の舞台」で再演。顧客は観客ではなく「その瞬間の自分」として参加。破壊的記憶の再演は禁止。
ユニゾン・ヴェール:料金 50,000円
セラピストと顧客が「エーテルのveil」を通じ、魂の境界を一時的に溶かす。互いの存在が「一つの旋律」として共振し、他者と完全に融合した感覚を味わう。ハグ1回で宇宙と一体になるような安堵感。セッション後、専用の「魂の冷却術」で分離。
コスモス・リタージー:料金 40,000円
セラピストが「星々の記憶」を宿したエーテルマントをまとい、顧客に「宇宙の物語」を伝えるマッサージ。マントから放たれる「星の囁き」が、都市生活で忘れられた「根源的な繋がり」を呼び戻す。
世界観
エーテル・クロノスは、時間と空間が流動する多次元世界。魂はエーテルエネルギーとして存在し、すべての生命が「共振の網」で繋がれている。ソウルオラクルは、魂の深層にアクセスし、「存在の意味」を再発見する場。
セラピスト全員が「エーテル術師」の称号を持ち、魂の波動を読み解く技術を習得。顧客の魂に寄り添い、エーテル術式で限界を超える。魂のプライバシーと調和を最優先。すべてのオプションは事前の「魂調律セッション」と同意書が必要。
店舗コンセプト:「あなたの魂が求める真実を、エーテルの力で顕現させる」。魂の深奥に触れる癒しを提供。
特徴と革新性
1. エーテル術式:科学や技術の枠を超え、魂とエーテルの共振で「存在の変容」を実現。
2. 究極のパーソナライズ:顧客の魂の波動に基づき、各オプションが唯一無二の体験となる。
3. 超感覚的没入:五感を超えた「魂の感覚」を刺激し、宇宙や無限との繋がりを体感。
4. 哲学的使命:顧客に単なる癒しを超えた「魂の進化」をもたらす。
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hachikenyakaiwai · 2 years ago
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【かいわいの時】嘉祥三年(850)九月八日:八十島祭を行う(八十島祭の初見)
難波宮と摂津職が廃止された後にも、難波津において繰り返される宮廷祭祀があった。それは八十島祭と、伊勢斎王の解斎の禊である。いずれも前代からの伝統を引く古い行事であって、 平安時代に入って始められたものではない。 八十島祭は、即位儀礼の一環として挙行される神事で、大嘗祭の翌年に後宮の内侍司の女官が祭使として難波津に下向して生島足島神(大八洲之霊)を祭るものであった。
この神事は五世紀以来の古い即位儀礼の名残で、本来は全国土の国魂を新しい天皇の身体に付着させる呪儀であったらしく、奈良時代には、天皇自身が難波津に赴いて行っていたと推測される(第一巻第四章第四節1参照)。
しかし、史料に残る明らかなものはほとんど平安時代のものである。その初見は『日本文徳天皇実録』にみえる文徳天皇の即位に伴う嘉祥三年(八五〇) 九月のものである。鎌倉時代初めの後堀河天皇の元仁元年 (一二二四)まで行われ、以後廃絶した。この間約四〇〇年近くの間に、史料にみえるものは、二二回を数える。この祭儀は六国史には記載しないのが原則だったようで、その後も『日本三代実録』には記載がない。光孝天皇の場合も、『帝王編年記』に記載されるものである。恐らく記録に残らぬものが多かったに違いない(『新修大阪市史 2』)。
(写真)METで展示されている俵屋宗達「源氏物語関屋澪標図屏風」(ニューヨークビス03/09/2019)=ニューヨーク(撮影・吉田)
御社立ちたまて、所々に逍遥を尽くしたまふ 難波の御祓へ、七瀬によそほしう仕まつる 堀江のわたりを御覧じて 今はた同じ難波なると 御心にもあらで うち誦じたまへるを
御社をご出発になって、あちこちの名所に遊覧なさる。難波のお祓い、七瀬に立派にお勤めになる。堀江のあたりを御覧になって、「今はた同じ難波なる」と、無意識のうちに、ふと朗誦なさったのを(渋谷栄一訳)
住吉詣で偶然に元カノ(明石の上)とニアミスし動揺する源氏(当時29歳)。「今はた同じ難波なる」とは、百人一首にもみえる元良親王(890-943)の歌で、上の句の「わびぬれば今はた同じ難波なる」からとられています。源氏の心中にはもちろん「身をつくしても逢はんとぞ思ふ」という下の句が隠されていることでしょう。さて、かいわいに関係のある箇所といえば、もちろん、「堀江のわたり」。屏風では明石の上の乘る舟が描かれています。
源氏物語の注釈書の一つ『花鳥余情』(一条兼良1472)に「代始に八十嶋祭難波にてあり、典侍の人御衣をもちて参向して解除する事あり これみな難波のはらへの例也」とあり、「七瀬」と「八十島祭」は同じようなものとして扱われています。紫式部の時代の八十島祭は、三条天皇の長和二年(1013)十月、後一条天皇の寛仁元年(1017)十二月が記録に残っています。
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