#放浪喫茶野ば��
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caikotは定休日ですが、谷保ラマパコスでは「SPRING MARKET」開催中です🌼 フランスのヴィンテージ子供服、何着かぴったりサイズの子供たちの元へ旅立ったようです!でもまだまたかわいいのありますよ☺️ 谷保は古い商店街が残っていて、お買い物しながら歩くにもとっても楽しい(おすすめはダイヤ街のお豆腐と焼き鳥、魚善のお魚、たまちゃんちのヤンニョムチキンなど)。お買い物しながらラマパコスへ、のコースがおすすめです🍅 ・ ・ ・ #Repost @lamapacos_yaho with @make_repost ・・・ 「LAMAPACOS SPRING MARKET」 2021/4/16(金)-24(土)※水木休み 11:00−17:00 4月はこどもも大人も楽しい春のマーケット! シカモアのこども服のサンプルセール!にフランスのヴィンテージ子供服、ドイツから届いたばかりホヤホヤの可愛い雑貨、ハンドメイド猫のお散歩巾着、お馴染みのアトリエことさんの美味しい焼き菓子も! 24日(土)はドーナツと珈琲の最強タッグがまた来ます♡ぜひ。 出店者 Sycamore サンプルセール(ハンドメイドこども服) @sycamore_kidsclothes 国立caikot フランスのこども古着 @caikot un deux popon ドイツよりアンティーク雑貨、服 @un_deux_popon conocone 猫のおさんぽ巾着など @cono_cone atelierこと 美味しい焼菓子(はかり売りあり!)@_atelier_koto_ 放浪喫茶野ばら 自家焙煎珈琲 ※4/ 24(土)のみ @coffeenobara kweebuu 手作りドーナツ ※4/ 24(土)のみ @kweebuu #シカモアのこども服展 #シカモアのワンピース #シカモアのこども服 #caikot #ラマパコス4月のマーケット #kweebuu #放浪喫茶野ばら #conocone #アトリエこと https://www.instagram.com/p/CN1MrXJsS7Q/?igshid=13s4d9hevvysb
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はっぴぃえんど
今回割と長いです。暇な人は読んで欲しい。
久しぶりにすごく楽しかったから。
2日間の放浪記
昨日(おととい?何日か起きながらに日を跨いでいたので曜日感覚がバグってる。)
数少ない現在でも連絡を取っている高校の頃の友人(以下Tくんとする)がインスタで珍しく弱音を吐いていたので、心配で連絡をしたら今日飲みに行かないかと誘われたので、ちゃんと行った。
(優しい友達の早急な要求は本当に助けて欲しい時のサインだと俺は思う)
Tくんは映画監督を目指していて専門学校に通っていたのだが、「単位を取るための学校」というシステム自体に嫌気がさしたらしく、中退。カンボジアを始め様々な国を渡り歩き、英語もまともに話せないのに彼女さえ作ってしまう強者。最近までフランス人の女性の家に転がり込んでいたらしい。
愛すべきヒモやろう。
現在��写真を撮ることに没頭していて、近いうちに台湾に留学したいとのこと。仕事もちゃんとやっている。映画が詳しい。そんな彼のお悩み相談会が今宵、華の東京、町田で執り行われた。
焼肉屋で一通り話したあと、「お金は使ったら返ってくるものだ」というヒモらしからぬ持論でほぼ全額奢ってもらった。
俺は悪びれもせず、ちゃんとお礼をした。それはもうニコニコと。ヒモに奢られるなんて光栄だ。
嫌味ではない。
ヒモにヒモがついてそれはもう知恵の輪の如く俺らは自らの持つ考えや映画や生き方についての意見をぶつけ合ったのであった。
少しの酔いの中、俺たちは失われた青春を取り戻すべく、知らんビルの屋上に勝手に侵入し、鍵を開け(拍子抜けするほどセキュリティがザル)アルソックの影に怯えながら地上9階の屋上に出てタバコを吸ったり、町田を手に入れたななどとほざいてみたりした。みんなも自己責任を前提におすすめする。
写真見ればわかるけど、全然綺麗じゃねぇの。
まぁそれもまたいい。行為自体にに酔いがあるのよ。
次はあれだなと、もっと高いタワーマンションを指差して、さながら登山家になった2人の知能指数は雌の猿にさえ恋こがれるレベルだったであろう。
もう一件寄って、適当に一杯ずつ飲んでからTくんとは別れた。彼はやる気が出たと言ってくれた。
いえいえ、こちらこそ
二軒目も奢ってくれてありがとう。
しかしそのあと自身の失態で、自分の身を精神のどん底にぶち込��ことになった。深くは書きたくない。
本当に下らないことだから。
際限のない絶望に飲み込まれて、さっきまでの気持ちも忘却の彼方に連れされた。帰りたくも無くなって、今から会えそうな人に片っ端から連絡した。(本当にごめんなさい)すごく寂しかった。人と話したかった。
終電が迫る10分前、誰からもいい返事を得れないまま、もう朝までここにいようと半ば自暴自棄になって駅周辺をぶらぶら歩いてたら、別の数少ない今でも連絡を取る高校の友人(以下Sとする)が泊まりに来なと言ってくれたので、急いで経堂行きの小田急に飛び乗った。
一刻も早く助けが欲しかった。
そいつの住んでる寮に侵入して、ゲロは吐かないと言う約束でストロングゼロをこれでもかと投与した。
ありがとう、ありがとうと何度も思った。
もちろんストロングゼロに。
翌朝、目を開けると当たり前のように二日酔いがそこにいた。ゴツゴツした容姿にテンパ、イケメンとは綺麗に対角線上で重なる。気持ち悪かった。
まぁそれはSだったのだけど。
14:00ごろ急にカレー食いたくね?とSに言われて、「いや気持ち悪いし、食欲ないわ」と返したら、「んじゃ水買ってくるわお前も飲むっしょ」優しい笑みを含ませて颯爽と出て行き、ちゃんと水とカレーセットを買って帰ってきた。
水を大量に飲んでいたら「俺米炊くから」と言われ、違和感なく俺がカレーを作ることになるという間接技を決められた。
まぁ料理は好きだから良い。はっぴいえんどを流しながら作っていたら、ひどくお気に召したようで、曲が終わるまでいいなぁ、いいなぁっと言いながら炊飯器の前にいた。ここまででお察しの方もいると思うが、彼は真髄を極めた阿呆である。
ピピーと米が炊けた。
しかし、彼の家にはカレーに適した器が味噌汁の器とラーメン丼ぶりぐらいしかなかったので、嫌悪の眼差しでご飯をよそい、スプーンが無いというので呆然と箸でカレーを食った。なんか色んな国を冒涜しているようで申し訳なかった。
彼はカレーの味を絶賛してくれた。おお、ありがとう。
そして、後で500円ちょうだいねと言われた。
まぁいいけど、お前はきっとロクな死に方しない。
奴に勝手に撮られた一枚
しかしここまできて、Sは何故俺がそこまで落ち込んでいたのかは聞いてこなかったので、俺は嬉しかった。
結局俺から話したら笑ってくれて、そこだけで人生自体を咎める必要はない、というようなことを言ってくれた。YouTubeで最近ずっとそんな動画を見てるらしい。
なんだよそれは。逆に心配した。
カレーを食い終わったあと、これからまさかのTとSでタバコが吸えて映画好きのおやじがいる喫茶店に行くというので、もちろん俺も同行させてもらった。
代々木八幡路上にて人間観察
18:00ごろの夕焼けで街がキラキラしていた
これはその道中にいた危機管理能力バグ猫。
初めて野良猫撫でた。汚かった。可愛かった。
そして思った以上にその喫茶店のマスターがすごい人でめちゃくちゃ楽しかった。
映画の話もたくさんしたし、人生観みたいなことも教えてもらえた。マスター本日の名言。
「しょんぼり下を向いてたらお金は拾うかもしれんけど、車には轢かれる」
実際、病気や急アルやらなんやらで4、5回死にかけてるらしい。66歳。
すごく楽しい人だった。マァジで3時間ずっと喋っていた。全部面白い。今まで会ったオヤジの中でダントツだった。絶対また行く。
「代々木八幡 おんぶ」で検索すると出て来る。名だたる著名人がプライベートで足を運ぶらしい。
安藤さくらをおんぶしていた写真があった。
モヤさまもきたらしい。すごいなぁ。
コロナの影響で21:00店を出て、居酒屋もやってないし、豪徳寺の公園で飲むかとなり、スーパーで適当に��と食い物を買ってSおすすめの公園に行った。
Sは頑なに煎餅を欲していた。(後にほぼ残す)
以前もこの2人と飲んだ機会があったのだが、結局こいつらとは最終的に公園で飲む。民度が低い。
Sによると公園は駅のすぐ近くにあると言うので歩いて向かったのだが、結局一駅分ぐらい歩かされた。もうこいつの話はまともに聞かないと誓った。踵が靴擦れで血だるまになった。
公園、謎の遊具にて
22:00ごろ公園では電話をしてる女性とかカップルとか筋トレ中毒おじさんとか、途中に変質者や奇声を上げる大学生と思しき2人など、よりどりみどりの来訪者を迎えて夜の豪徳寺のポテンシャルを見せつけられたのだが、2〜3時ぐらいになるとさすがに俺らしかいなくなった。
俺はしれっと終電を逃していたので、2人とも歩いて帰れる距離なのに朝まで付き合ってくれた。
それからは本当にずっと話していた。音楽のことは少なかった気がする。
映画、人生観、死生観、将来、嫌いな人間の何が嫌いか、昔のあだ名、女、小説、哲学、やりたいこと、人間性、とりとめなく。徒然なるままに。
途中、中学の頃の友人らも電話で召集して、社会人と社会に馴染めなかった人との論争(お互いに尊敬の念がある)をしていたらいつのまにかお酒は無くなった。
S「あぁ、そこの通りまっすぐ行ってすぐにコンビニあるよ」
俺「んじゃあ、Tと買いに行ってくるから、おまえ電話してて」
そして一駅分歩かされた。
こいつに尊敬の念は1ミクロンもない。
ワインと適当にチューハイをTが買って俺は紅茶だけ買った。
戻るとS��俺のタバコをラス1まで吸ってた。
いや無くなったら吸っていいって言ってたけどさぁ。
しかもラス1だけ残すという卑しさ。ほんとブスだ。
しかしこいつは歴とした小田急電鉄社員である。
高収入であり、福利厚生も良い。
世の中ちょろすぎるだろと思った。
結局そんなこんなで朝の6時まで話し通して、全然酔ってもいなかったし、眠くもなかった。
暗いか明るいかの違いしか俺にはなかったのだ。
電車で携帯の充電が切れて、家に帰ってこれを書くまで、色々思い返していた。
人に助けられてばかりの2日間だった。
思えば友人の手助けしたろかいと意気揚々玄関の扉を蹴り去って出てきたのに。
でも2人とも楽しかったと言ってくれたし、本当に久しぶりにお腹が痛くなる程笑った。
朝方Sは、はっぴぃえんどを流していた。
なんだこいつ可愛いすぎるだろと思った。
そして鉄棒の下で立ちションしていた。
なぜお前はそこまでして全てをぶち壊したがるのだ。
2人を見送ったあとの豪徳寺のホーム。
人の気配は無く、天気も気温も心地よかった。
改めて心を許せる友人(特に同性の)は大切にしなければと思った。多くはない、が決して少ないなんて事はない。1人でもいればいいんだ。2人いたけど。
俺は運がいいのかもしれない。
将来好きなことをやってる中でその人生どうしがまた交じわることがあるなら、どれほど素敵なことか。
まだバンド辞めれないなとも思ったりした。
Tも飽きるまでやりたいことやると言ってた。こいつにはなんだか人生2回目ぐらいの謎の余裕がある。
まぁそれでいいよ。
久しぶりに電車乗ったし、俺に付き合ってくれた
2人には感謝しています。ありがとう。
自分を含め自分の目の届く範囲の人たちを大切にできるだけの心は常に持っていたいな。
帰り道緩い坂を下る途中、空は遠いけど真っ青だった。
俺はいつの間にかはっぴぃえんどを歌っていた。
5/24
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絶望のパレード
魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分���ラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも��っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んで���うなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益��ものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われること��なかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
“WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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小さな喫茶店
https://www.youtube.com/watch?v=8mOu9kAgf0I
https://www.youtube.com/watch?v=has1KjbVeU0 “喫茶店”、KISATEN 一辭大約在五十多年前出現在台灣,發源地的
日本早於明治末期, 到了1920年代更成了一時風尚。為什麼稱做
“喫茶店”?在日本的抹茶風習裡面,往往使用了一個中國趙州禪師語錄
中的 “喫茶去”字句以表風雅;猜想就這麼來的。
這另有一個名詞就是 “純喫茶”;這幾個字首先進入耳際,是來自正值
青春年華的表姊。日治時代 coffee shop 的流風遺韻,似乎已經日有
更新,也同時傳入了台灣。在日本早年,不提供酒類,而只有 咖啡、
茶,和一般飲料,雖然沒有酒類,卻有女侍作陪;這當然是搜尋
結果。大約就是等同台灣早年相當風行,燈光黑暗,剛進入伸手
不見五指,有女服務生坐枱的咖啡廳:南國佳麗、北國妖姬 -這是
門口的招牌。
據個人在慘綠少年時代的 經驗 ,第一次進入 “純喫茶” 記得是在
中正路,現在的忠孝西路,上到所在的二樓,只見昏暗的燈光中,
一座座擺在茶几後面的雙人沙發,躺滿了對對交纏的海獅。記得
當時年紀小 https://www.youtube.com/watch?v=KZsLLOUglTo ,
未經世事,不明就裡,所以趕緊小跑步跑路下樓。現在想起來,這些
雌雄海獅們也都已經 80好幾了。
在 “純喫茶”、Kisaten,年輕男女交往、生意人談生意、黑道喬事 . . .;
早年有名稱取自法國作曲家 拉威爾 的名曲 BOLERO ,大稻埕
的 “波麗露”。提供當時不多的 hi-end 音響,讓客人聆賞古典音樂。
不過在日本這類付有餐點供應的稱做 Cafe。這裡也是當年我輩家長
介紹子女相親的重要地點。幾年前去過一次 波麗露。後代前來自我
介紹;老實說,整個店已經走樣,女二代目的談吐很不怎麼樣,甚至
顯得粗俗。一眼看去的顧客,看不到青春也聽不到文雅,更談不上
古典。
從第一代老闆所做整體的呈現來看,受過日本教育,台灣老輩仕紳
世代的教養、儀態,早已隨著時代洪流,一去不返,相當失望。 相同的樣態也發生在台中的 太陽堂。上成功嶺時所見的 太陽堂,
曾經是如此和風高檔,甚久之後的幾年前,在網路所見的報導,
已經是相當破敗。這和生意之如何無關,而是由 “整理、整頓”
而來的美好、浪漫已經失去;文化思維已經不同。
當兵剛退伍,同學在南京東路一段頭開了一家 “金咖啡”。應該是
第一家咖啡廳擺上 Grand Piano,有鋼琴演奏,風行一時。不久,
在對面又開了一家 “金琴”,這次的噱頭更不得了,整部鋼琴鍍金。
同學以 Benz 為座駕,有司機案內,真是志得意滿,意氣風發;
年紀大約也就二十三四。這位老兄為人四海,他的家是當時當紅的
電視影星聚居處。時而去湊熱鬧,有次碰到剛出道不久的 余天;
全身有毛,既不會毛茸茸,多如黑熊,也不會毛髮稀疏如同紅
毛猩猩,實在很帥。有次躺在小房間雙層床的上面,下看林松義與
剛出道的余天坐在下面聊天。林松義向余天說,不用急著出國 . . . .。
林松義當然是前輩,只是余天很帥前途不可限量,我想此兄搞不清楚
狀況,有點好笑。還有一次去他的金咖啡蹭流行,神采飛揚的同學
說,來,給你介紹我的女朋友:「 北一女畢業的」。真是癩蝦蟆
吃到天鵝肉,令人五味雜陳。
https://www.facebook.com/watch/?v=114370417213271
之後台灣的咖啡廳更有了現場表演,成了所謂的 “西餐廳”。與日本
之後發展出爵士、古典音樂、體育、歌聲 . . . . ,等等配合形形色色
嗜好、興趣不同顧客群,風格各異的 “喫茶店”。充滿著主人家個人
堅持的風情與情調氣氛的 KISATEN 所在多有,由文化底蘊所發展
出來的呈現,日本與台灣各自的走向全然不同。
明治維新 “文明開化” 之後的日本,進入 “喫茶店” have a cup of
coffee,喝杯咖啡還是一種時尚。摩登的感覺,聽下面這一首,曲風
充滿了過著喝咖啡文明生活的昭和時代的興奮與快樂: 一杯 の コーヒー から
作詞 藤浦洸 作曲 服部良一 昭和十四年 https://www.youtube.com/watch?v=nz-UNcT-W7E
1. 一杯のコーヒーから 夢の花咲く こともある
���のテラスの 夕暮に
二人の胸の 灯火が チラリホラリと 点きました
• 就一杯咖啡 夢的花開了 黃昏街旁的雅座 俩人心中花開朵朵
2. 一杯のコーヒーから モカの姫君 ジャバ娘
唄は南の セレナーデ
貴方と二人 朗らかに 肩を並べて 唄いましょ
• 就一杯咖啡 摩卡公主 多話女郎
歌曲是南方小夜曲 與妳兩人並肩爽朗歌唱
3. 一杯のコーヒーから 夢は仄かに 薫ります
赤い模様の アラベスク
あそこの窓の カーテンが ゆらりゆらりと 揺れてます
• 就一杯咖啡 微微的夢香 那紅圖案裝飾的 窗簾輕輕搖動
4. 一杯のコーヒーから 小鳥囀ずる 春も来る
今宵二人の ほろ苦さ
角砂糖二つ 入れましょか 月の出ぬ間に 冷えぬ間に
• 就一杯咖啡 小鳥啾啾 春來到
今夜俩人的哀愁 放兩顆方糖吧 月出前 未冷間
“喫茶店” 其實也就是 Coffee Shop,有走法國風的就稱做 Café:
C'est Si Bon(It's so good) https://www.youtube.com/watch?v=7y9hIjH_7do
https://www.azlyrics.com/lyrics/deanmartin/cestsibon.html
在戰後的昭和時代,隨著經濟的成長,上 コーヒーショップ 成了
人們生活不可或缺的一環,同時也有了幾首以 “喫茶店” 為主題的歌曲
膾炙人口。這一首 “喫茶店の片隅で” 描寫了青年男女談戀愛的情狀。
曲調清純、端正如同論說文,比較像是文部省頒定曲。來自歌詞的
回憶,表現出浪漫的氛圍,也透露著與情人分手後淡淡的傷感,深為
人們喜歡,傳唱。 下面播出兩首以 “喫茶店” 為主題的歌曲,個人都非常喜歡: 喫茶店の片隅で https://www.youtube.com/watch?v=EUDNTd1wjRo&t=2s
作詞:矢野亮
作曲:中野忠晴
金合歡街樹的黃昏
喫茶店燈光昏暗
我倆經常相逢的日子
小小的紅色椅子兩張
摩卡香氣 漂溢
靜靜對坐的兩人
聆賞著蕭邦夜曲
流瀉的鋼琴音符
忽急忽徐
不知覺間 夢遠了
難忘昔日情誼
獨自來到 喫茶店
散落窗邊的 紅玫瑰
遙遠過去的懷念
心中深深感觸 呼喚今宵
“ 靜靜對坐”, 理論上氣氛營造的責任應該是在男生。無論是拙於
言辭,詞不達意,或者神遊十三天外,再怎麼說女生平時如何
聒噪,也有必需的淑靜要守,更何況如果是位初嘗年輕男女交往
滋味的黃花大閨女ㄦ,保持羞於啟齒,就是一種最佳的狀態與
表現。如果其實是老於江湖,往往就在這靜默的時分,端詳、
審視對坐這位稚嫩小男生,盤算著接下來要如何宰制、盤剝這頭
難以釋手的小羔羊。
依詞意來看,這位女生正典就是一朵閉月羞花,男生更是個蕭邦迷,
天生應是一對,可惜心中這一點無法言傳的甜蜜,就在一點絲微的
誤會,或者什麼陰錯陽差,終至分手收場。
すき 喜歡 https://iseilio-blog.tumblr.com/post/716133306776911872
有好事之旁觀者,默默好奇,守著觀察,期盼或許男方忽而出現,
演出一場心有靈犀的巧遇,終至喜劇收場。真要這麼說來,這首
論說文式的浪漫歌曲將大形失色。就讓劇情維持無頭無尾,在
主人公默默的心中訴說之間,主客共享這份幽微的情誼與遺憾。
日文歌詞練習:
アカシア並木 (なみき) の 黄昏(たそがれ)は
淡い灯 (ひ) がつく 喫茶店
いつも貴方(あなた)と 逢 (あ)った日の
小さな赤い 椅子(いす)二つ
モカの香 (かお)りが にじんでた
ふたりだまって 向き合って
聞いたショパンの ノクターン
洩(も)れるピアノの 音(ね)につれて
つんではくずし またつんだ
夢はいずこに 消えたやら
遠いあの日が 忘られず
ひとり来てみた 喫茶店
散った窓べの 紅(べに)バラが
はるかに過ぎた 想(おも)い出を
胸にしみじみ 呼ぶ今宵 (こよい)
這一首曲風輕快,可惜影片過於久遠,影像模糊,鑑賞功力全憑
個人才華。
https://www.youtube.com/watch?v=lhFfVuHkqx8 小さな喫茶店
拘��有禮而古板的日本人,有其浪漫與夢幻的一面。 https://www.youtube.com/watch?v=fhY0-r_2yvQ 日本有 繩文人和 彌生人兩種,以個人看法, 彌生人 的 面孔比較肉餅。這位仁兄人稱: ハムバ-グ 、 漢堡。
拘謹有禮而古板的日本人,有其浪漫與夢幻的一面。 https://www.youtube.com/watch?v=voN9-0oeUho 神情與年齡雖然無法對焦,還是可愛,還是唱得不錯、拍拍手。 • 可愛い!お一人ですか?嗚呼 --
作詞:E.Neubach
訳詞:瀬沼喜久雄 作曲:F.Raymond 已經是去年
星光綺麗的夜晚
想起我倆散步的小徑
懷念
過去浮上了心頭
走著走著
不覺煩惱了起來
那是初春的事
進入喫茶店內的我倆
面前擺著茶與蛋糕
一言不語
旁邊收音機甜美的歌聲
輕柔的唱著
就只靜默的我倆
相對而坐嗎
進入喫茶店內的我倆
面前擺著茶與蛋糕
一言不語
旁邊收音機甜美的歌聲
輕柔的唱著
就只靜默的我倆
相對而坐嗎
日文歌詞練習:
それは去年のことだった
星の綺麗な宵だった
二人で歩いた思い出の小径だよ
なつかしい
あの過ぎた日の事が浮かぶよ
此の路を歩くとき
何かしら悩ましくなる
春さきの宵だったが
小さな喫茶店にはいった時も二人は
お茶とお菓子を前にして
ひと言もしゃべらぬ
そばでラジオがあまい歌を
やさしくうたってたが
二人はただだまって
むきあっていたっけね
小さな喫茶店にはいった時も二人は
お茶とお菓子を前にして
ひと言もしゃべらぬ
そばでラジオがあまい歌を
やさしく歌ってたが
二人はただだまって
むきあっていたっけね
台灣人固然騷包,對 “喝咖啡” 這類成了次文化的風尚,情趣其實
不多,個人則還是比較喜歡牢騷滿腹,罵人不帶髒字的政治論說,
卻是往往一知半解,過於充斥還是不好。這日發現弄些歌曲、歌詞,
好好說他一番倒是一個方向;且擱下筆,稍後再敘。
BONUS
二戰前世代的日本人其實比較嚮往浪漫的法國 https://www.youtube.com/watch?v=UR2Kj1omGAg
枯葉 岸洋子 https://www.youtube.com/watch?v=El6kzOS0TKg
すみれの花咲くころ https://www.youtube.com/watch?v=6VbSufpdUp8
專人桌烤"A5和牛八吃" & 鎮店30年"黃金羊肉爐" https://www.youtube.com/watch?v=w1S1llWbCgM
2018 舊文
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文月八日(金)TGIF❤️ 久しぶりに入口の扉を開け放っています🍃 戦前戦中を識る人々がほぼ鬼籍に入った今、なんとも言えない感情を詳らかにして貰えない焦燥感。 当然ながら団塊の世代がソレに応えられる筈もなく、新人類・失われた世代の最後尾の肥満は結局のところ、ぼんやり… この先は団塊ジュニアが牽引するしか無いのだけれど、美学のない滅びの過程にしばらく付き合わざるを得ない絶望感。 空が思いの外キレイです✨ 明日明後日(7/9-7/10)は連休です❤️ だーかーら、今日も切におまんちしております💋 塩分や水分のこまめな補給と適度な運動に休憩、脇の下に冷えたペットボトルを軽く挟むのは効果覿面‼️ ご自愛くださいませ💋 さあ、単価も爆上がりしているので、節電なんて無理ですよ、効きもしない温度設定で無闇矢鱈に電気代を浪費出来ないので、キチンと低温度設定です‼️ 雪隠詰はなるべくキンキンに🎐 ゆったり蒸燗酒で心身を解すもよし、つーっと冷酒で胃の腑をぎゅっとするもよし。 今宵もNYFSでは蒸器のチカラ、はじめにたんまり温野菜を摂取していただきます❣️ 齋彌酒造店『大潟村わだち』🍶 BY2019BY2020BY2021の生酒揃い踏み。 【臨時店休日】 🍚7/9(土)7/10(日)は中部・難波出張の為 ⛰7/16(土)はオアシス探訪の為 🍶7/17(日)7/18(㊗️月)は東信出張の為 ✈️10/29(土)10/30(日)は秋田出張の為 暑さでぼーっとするのでハジメマス🍶 需要が無ければ雲散霧消🍃 【���約限定 唎酒コース】 6/29(水)〜9/29(木) ・最初の1時間 2500円 ・延長は1時間迄➕1100円 ※税込、小鉢数点付き ※グラス交換制 ※お酒は肥満のおススメを順に ※テーブル3卓のみ(4名席×2卓、2名席×1卓) ※カウンター席はご利用になれません ※1組1名から4名迄 ※最終入店21時 ※詳細は📲DM等 ぷりぷり厚岸牡蠣、ハチノス塩煮込み、梅水晶やザーサイトマト、鯖文化干し、包みピザにクミン焼きそば、一芳亭しゅうまい、重慶飯店麻婆豆腐(改)、冷坦坦稲庭饂飩… 東京都【リバウンド警戒期間】は無事お開きとなりましたが、もう暫くぼんやりしましょう😶🌫️ マスクや消毒をはじめとした感染防止対策も継続となります。 営業時間は17時頃〜24時迄ですが、時間前に閉まる事があります⚠️ ※深い時間のご来店は事前にご確認ください📲 あしからず💋 ✝️いつまでもあると思うな親と店✝ 93㎏⤴️ポンコツ肥満は今日もぼんやり🗿 【通常営業時間】 17時頃〜24時迄 ※ご予約優先となります ※満席は満員とは限りません ※当日予約も🆗です ※随時変更の可能性あり https://sunabar.thebase.in/ 視野を広く裾野を広く🌋 ご理解ご協力の程よろしくお願いいたします🙏 ◎引き続き手洗いうがいの励行 ◎無駄な大声(地声含む)は永遠に自粛 ◎マスクや消毒による感染防止行動の徹底 以上をお願い申し上げます🙇♂️ 烏合の衆よ、とりあえず【手を洗え】👏 兎にも角にも【て を あ ら え】🚿 流水で洗い流してくれなくちゃだわ‼️ ◎転ばぬ先の杖 《2022/R4》 ※2/15(火) 【04/01/21-04/02/13】申請📲 →3/25(金)入金確認🎉 ※3/23(水)【04/02/14-04/03/21】申請📲 →3/31(木)入金確認🎉 アタシ 待つは どうぞ よしなに かしこみ かしこみ #新四谷舟町砂場 #the_neo_sunabar #四谷舟町砂場 #舟町砂場 #the_sunbar #日本酒スナック #喫茶YFS #荒木町 #四谷三丁目 #舟町 #日本酒 #焼酎 #ワイン #麦酒 ♨️新四谷舟町砂場(Neo Yotsuya Funamachi Sunabar) 〒1600007 東京都新宿区荒木町6 ルミエール四谷1FA 0333545655 [email protected] 17時頃から24時まで(変更の可能性��り) ※ラストオーダーは気分次第よ責めないで😘 不定休 facebook.com/NeoYFS facebook.com/the.sunabar instagram.com/the_sunabar twitter.com/_sunabar お席のご予約、貸切、承ります →お気軽にお問い合わせください📞📲 ※貸切予約はご来店ください🍶 (新四谷舟町砂場) https://www.instagram.com/p/Cfvsfz5vWTC/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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渺茫(わたしを叱らないで)
玄离というひとは、竹を割ったようなじつに単純明快の気質をしていた。叡智によって深謀遠慮のかぎりをはたし、いっそ��のない透明��視線で、人間を、妖精を、庇護しているようでも、観察しているようでもある老君のかたわらにあって、玄离の衒いのなさは、しかし無知蒙昧のさきにのみ、あったのではなかった。かれほど正しく、自らを諫め、留めた妖精は類をみない。妖精には妖精の生きかた暮らしむきがあり、必ずしも人間のそれと同じく過ごすのは叶わなくとも、少なくとも歩み寄ろうという意思が玄离にはあるからだ。もっとも多くの対話や、難解な駆け引きや、人間の興した文明、文化、妖精たるかれらの視点からみれば、ときには瞬きの間に塗り替えられてゆく縮図や地図を、詳らかに知り黙殺し、あるいは積極的に介入しながら隣人としてのふるまいをするのは主に老君の職務であるので、玄离はそれらに同席したりしなかったり、茶を喫んで紫煙を燻らし、蒸したばかりの包子に舌鼓を打ったりしながら、過ごしてきただけなのだが。何が自分の領分であり、そして、課せられた宿星の命題であるのかを、定めてなぞるのは、簡単そうにみえて実のところ困難を極める。たしかにながく生きてはいるだろう、しかし、生きているかぎりは忘れる。あれほど居たはずの妖精たちが、気づけば去っていた。明確に散じた、さもなくば誅伐されて失せたものも幾らかはいただろう。しかし、妖精たちの多くは、ひと知れず去りゆくものだった。いったい如何なる理由でかれらが去るのか、玄离には判じかねる。老君ならばその眸、推察し、思案し、ただしく去ったひとびとを奉じるなり、弔うなり出来るのかもしれなかったが、とうの老君自身に素振りはまるでない。どこからか顕れて、どこへなりと去ってゆく、時のなかに、妖精はとどまるべきではない。ましてや、人間と交わるなどと。争いが地に蔓延り、戦禍が野を燒き、堆く重なる戦死者たちのしかばねは、石を組んで積み上げられた城砦のそれのような、抑止力をけして持たない。朽ちるためか? 否であろう、武器と呼ぶにも烏滸がましい、あまりに質素にすぎる、割ってさきを削り尖らせただけの槍や、碌々手入れされることもなしに硬く破れた革の胸あて、膝をつき、脚を引き摺る輩の、とどまるけはいをみせない傷にあてるために引き裂いたとみえる、けして清潔といえない、かぎ裂きだらけの衣には、誰のものとも知れない血と、土と、草いきれとが染みこんでもとの色さえさだかではない。肌は土気、瞼は伏せられて眸は分からず、折り重なったかれらは事切れてながく、すでに魂は散じたあとだ。すこしでもよい装備や、まだ使えると思しき武器��連ねられた玉や、立場がうえになればなるだけ、繊細で豪奢になる髪紐ひとつでさえ腹の足しにはならない。太平にあっては野を耕し、汗水漬くになって懸命にはたらいたであろうひとも、わずかに裕福で、ひとを使って商いをしたひとも、医術のこころえあって転々と放浪暮らしのひとも、こうして積まれてしまっては。たしかめる気にもならなかったが、なかにはひとに紛れて暮らし、かれらに同化、同調しすぎたゆえに戦乱までもに参画した妖精のあったかもわからない。それはかれらの選択であり、玄离の選択でない、生きている土地が違うのなら、選択は違っていてしかるべきだ。もっとも、どこにいようとも同じ選択があることも、たしかではあるが。かれは単純明快の、気質ではあったが、けして考えなしの愚かな生き物ではない。玄离があまり思い悩まずにいられるのは、それら頭脳労働の多くを老君が担っているからに間違いないが、それと、かれに思考を停止させる強制力があるか否かはまったくもって無関係であるべきだった。老君とのあいだに友愛はあるが、主従はない。だれも玄离に何かを命じたり、強いることはできない。玄离自身でさえも、それは例外でないのだった。
清凝の、うすい下瞼に、わずかに疲れの兆しがあることには気づいていた。かのじょはいささか生真面目にすぎる、というのは、清凝を弟子として迎えることを認めた老君の言だが、弟子が師に学ぶように、師父たる老君も、かのじょに多くを学ぶべきであった。いまでこそ仙として、戦乱のさなかに邑を、家を、故郷を追われたひとびとを庇護し、それでいてけしてかれらの王として顕つことなしに、君臨も支配も、自ら切り離して暮らしている老君ではあるが、実際のところのかれはそれほど勤勉ではないのだった。学識はあるだろう、ひとびとに拓かれた藍溪鎮の奥の奥、書き換えられ続ける地図において、どこの国でもなければ、どこの民でもなく、此岸にあって彼岸でなく、どこでもあってどこにもない、門だけはたしかにあるが、撰ばれ許された案内のなければ、門にたどり着くさえむつかしい。一度離れたら戻ることはゆるされない、と決めたのは老君であり、この世ならぬは桃源郷、夢なれどひと晩で終わらぬばかりがやさしさであるのだろう。やさしさがなべて、ひとを救うとは限らない。高潔な精神が、奉仕に身も心もくだいたところで、心無いひとびとは容易く礫を投げつけただろうし、たとえ脅かされまいと、ありとあらゆる攻撃を阻む防御の陣を敷いたとても、向けられた悪意は消えはしない。それが判らないような男ではないだろうに……、飄々としているようでいて、かれにはただ、機微というもの、こまやかに移ろいゆくものへの思慮が、ともすれば足りないのかもしれなかった。感情はままならぬもの、恋情にしろ、思慕にしろ、ただ深くこうべを垂れて、敬愛と、信仰のためにかれに跪くことができるのなら、だれも老君の顔を知らなかっただろう。微笑みをたたえ、窓のそばにはべり、片膝を立ててときには長煙管に紫煙をくゆらせていた老君の袂に、袖に、焚き染められた香の種類を、医術を学び、薬を煎じて日々の修行とする清凝が、嗅ぎ分けられないはずはない。いつからだろう、かれの衣から、紫煙のけはいがいくらか薄くなったのは。きまって遠くを見ているか、そうでなければ、綴じられた、何度繰ったか分からない書物の、玄离にはまるで理解のできない文字の羅列を追いかけているばかりのかれの眸が、近ごろはずいぶん近くにあるようだ。多くの妖精が去っていった。遠く月面にあって俯瞰したひとの世界の小ささといったら! 玄离がはじめてそれを見たのは、やはり老君に連れられて行った、いまとなっては昔のことだが。
あのおさない少女にすぎなかった清凝を、これほど思い悩ますとは。ただ秘めていることもできた、はずだ、しかし、かのじょは告げることを選んだ。老君はこころやすく穏やかなようでいて、あれほど酷薄な男もそうはない。つとめて善いひと足らんとふるまうことに異論はないが、結果なにがもたらされてきたかは明白である。幾人もの女たち、ときには男たちも、老君に想いを寄せた。かれは応えることができない。知らぬものをただ受容し真似事でもこころみるには、かれは賢すぎ、考えすぎる。どこか見当違いの部分に、いつだって老君の興味と好奇は向いている。考えねばならない! 今度こそは。ほかならぬ清凝、たぐいまれなる才覚としなやかな意思を持ち合わせた、希代の弟子が、その眸が、師父と仰ぎ、教えを乞いながらも、想いを口にするのなら。さしもの老君も考えた、考えた! 考えたろう。けれども、友よ、なぜおまえは考えたのか。
「清凝、ほんとうに、おれを連れて行かないのか」
「うん。ひとりでいきたいんだ。寂しいの? わたしがいないのが」
「そりゃあさみしいよ、さみしいさ」
玄离と清凝は師弟ではないし、かといって友かといえば違うような気もしている。だが、我々の間柄に果たして名まえをつけるべきだろうか? 力ある妖精のひとりであり、積極的な武力介入を良しとしない老君の、唯一の懐刀にして配下でない玄离は、この藍溪鎮にあってかぎりなく上位ではあっても、ひとり宙に浮いている。民たちの多くは老君にそうするように玄离にも敬意をはらって過ごしたが、この土地に降りかかる災厄から誰かを守ってやろうなどとはみじんも考えたことがない。ひとの手になる包子は旨い、大鍋でぐらりぐらりと炊かれた粥は旨い、玻璃になみなみと注いだ酒にうつる月は甘い。��れはおまえたちのあるじじゃあ、ない、けれども、だれも、おまえ以外のだれも、おまえのあるじになりえないのだ。知っているはず。清凝、おまえも。
「ありがとう、狗哥。でも、行くよ。行かなくちゃ。ちゃんと勉強してね、けんかばかりはだめだよ、おいしいご飯を食べて……、」
「清凝。」
玄离を愛称で呼ぶのなんてかのじょくらいだ、ちいさく、おさなかった清凝。あの子はもうどこにもいない、とは、ゆめゆめ思われなかった。老君の深遠を覗いてなおもかれについていけるのは、自分かかのじょくらいだろう、と、確信をもって言える。かれの眸はいつだって遠くをみているばかりだ、月からみた地上はうつくしかろうが、はたしてあなたは月からかわいい弟子をみつけられるか? あの子が在るというだけで、世界を愛せる道理のあろうか。そんなものがかのじょの望みのはずがない。手の届く範囲だけ、簡単なこと、足並みを揃え、頭を撫で、茶と酒を注ぎあい、抱きしめて、肩を寄せて眠ればいい。それくらいの分別は、玄离にもある。
「ひとりになるな。清凝。」
「あはは! お父さんみたいなこと言うね!」
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見たくて一〇年間働いた
出典:週刊求人タイムス vol.386 昭和57年4月29日
PHOTO●立木寛彦
森 敦
もり・あつし 明治45年熊本生まれ。作家。旧制一高中退。昭和48年『月山』で芥川賞受賞。最後の“放浪作家”と言われている。著書に『鳥海山』『浦島太郎の人間探検記』などがある。
心ゆくまで月山を眺めていたい、それが森敦さんの願いだった。その夢を実現するために一〇年間働いた。つまり一〇年間働いて一〇年間遊ぶ、これが森さんのライフサイクルだ。その“月山”で芥川賞も受賞した。われわれは六日間働いて一日遊ぶ──。このライフサイクルの違いはそのまま現代人批評にもなっている。というと理に落ちるけれど、とまれ森さんの放浪・交遊譚に耳を傾けてみよう。
菊池寛に見習って“登校拒否”
『月山』がね、もう一〇年にもなるのにまだ売れてる。……文庫本が出てるのに、まだ売れてる。
署名してくれって本がこんなに溜まってるんだけど、手がね……お酒を飲まないとよく書けないんで酒飲んで書いてるけど、ちっともはかどらない。
『月山』を書いたあとで、新井満という青年がジーンズみたいな着物を着て、ヨイショ、ヨイショとギターをさげてやって来た。で、
「ちょっと聞いてください」
と歌い出したわけですよ、僕の前で。
で、終わってから、
「これはなんの歌かわかりますか」
というわけです。
「どうも聞いたような気がするな」
「そりゃそうです、森さんの書いた文章をそのまま歌ったんです」
どうもそういう読者が多いね。
その歌はレコードになって、あれはLPなんだけど一万五〇〇〇枚ぐらい売れてるみたいですよ。
だからそのために『月山』がバレエになったり、日舞になったり、朗読になったり、芝居や映画になったりしたわけです。……で、いろんなことが僕のまわりに起こってきた。
それもこれも五〇年前に菊池寛と出会ったりしたことがきっかけになっているのだけど……ま、そんな話でもしてみましょうか。だって作家の話を聞いてもしょうがないと思うんだよ、作家の頭なんてカラッポなんだから。……カラッポにするよう努めてるから。だけどせっかくだから昔のことでも思い出しでみましょうかね。
あれはたしか一九歳の頃かな、日本女子大学というのが雑司ヶ谷にありまして、そこへ行くと女子大学生ばかりなんですが、別に女子大学生をどう思ったわけでもないけど、よく散歩したんです。環境もいいから。
で、散歩してですね、ふと表札を見ると「菊池寛」と書いてある。それだけならなんということもないんです。別に入ろうとも思わなかった。
ところが表札の傍に、
「新聞記者、雑誌記者以外のかたは執筆多忙につき面会お断わり」
と書いてあった。
それを見たから入って行ったんです。
そしたら偶然、菊池寛が廊下に出て来てバッタリ会った。それが最初の出会いです。
そのとき菊池さんに話したのは、僕は第一高等学校に入っていたのですけど、いい学校ではありますけど、まあ行かなくてもいいんじゃないかと、そんな気持になっていたので相談してみたわけです。すると菊池さんが、
「そうだそうだ、だから俺もやめたんだ」
で、いきなりなにも聞かないで、
「七五円だね」
なにが七五円だと思っていたら無雑作に七五円くれた。当時の七五円というのは大変な額ですよ、東京帝大を出た人の初任給が六五円の時代でしたから。
それから僕を文学青年だと思ったのか横光利一を紹介してくれた。
菊池寛が生前に最も信用していたのは、同輩では芥川龍之介で、後輩では横光利一だったんですよ。
“豪商”のような吉川英治
横光さんも僕を作家志望の学生だと思ったんでしょうね、作家志望でもない者が訪ねて来るわけはないから。
僕は作家志望でもなんでもなくて、むしろ当時の青年としては数学がよくできたほうで、いまでも机には数学の本が広げてあります。最近になって矢野健太郎さんとも対談したし、広中平祐さんとも対談しましたけど、そのとき広中さんは、
「私がこれまで研究してきたことは、つまりは森さんが、一言でおっしゃっていることです」
なんていってくれました。
ま、話は傍道にそれちゃったけど、とにかく僕は文学青年ではなかった。
だけれども菊池、横光という二人の作家に作家志望と思われて、一九のとき毎日新聞に『酩酊船』という小説を書いたわけです。で、書いたあと思いきって学校をやめた。
学校をやめるきっかけで書いたようなものですから、それからさらに書き続ける理由はなにもないわけです。
なにも作家になろうと思っていませんから。
ただ、そうしているあいだに作家たちとはずいぶん知り合いまして、川端康成さんと横光さんの二人に訓戒を与えられたこともあるんですよ。
ある事件があって、ある業界誌みたいなものに若者の僕と今東光さんが暴れて押しこんできたと……そう、その業界誌みたいなものに記事にされたんです、写真と一緒に。そしたら二人がいうんですよ、
「今東光なんて、あんなものと一緒に写真を撮っちゃいかん」
川端さんと今東光とは大変に仲が悪かったですから。
中山義秀と会ったの���横光さんのところですね、早稲田大学で横光さんの同級生なんですよ。でも横光さんはよくこんなことをいってましたね。
「義秀は僕のことを同級生だと思っているけど、僕が義秀と同級になったのは、僕が一度早稲田をやめて、二度目に入ったときなんだ。だから僕は義秀の先輩なのにあいつは同輩と思ってる。どうも具合が悪い」。
それから直木三十五とは、木挽町だったかな、あのあたりに芸者置屋があって、そこの二階が彼の仕事場だったんですよ。部屋には将棋や麻雀や遊び道具がみんな揃ってあって、横光さんや川端さんや、もちろん菊池寛も来て麻雀なんかやってましてね。
だから僕はつい最近までそこを文藝春秋��倶楽部だと思ってた。最近ある人に聞いて直木三十五の仕事場だったと知ったんです。
直木さんという人はものすごくお金を儲けたけど、また、ものすごくお金を使う人でもあったんです。だから、そこの家賃なんかも文春で払ってたかも知れないな。で、ものすごく痩せた人でね、ほんとに骨と皮でしたよ。
あるとき、ある出版社の社長が、
「直木さん、このごろお痩せになりましたね」
といったら、それまで原稿を書いていたのに急に血相を変えて、
「なにい」
といったですね。慌てて菊池さんが、
「直木はこれでも太ったほうなんだ」
このあたりが、菊池寛らしいところでね。直木さんはこのあと間もなくして死にました。
そういえば吉川英治さんも来てたな。
吉川さんは競馬が好きでしてね、菊池さんも好きで二人とも馬を持っていたし、僕の母親も競馬好きなもんだから、一緒に競馬場に行ったりして……。
僕は、吉川さんってたいしたもんじゃないな、と思っていたからそれを母親にいったら叱られちゃった。
「あんな立派な人はありますか、関西の豪商のような感じをうけた」
そういってましたよ。いま考えてみると、やっぱり品格はあったんでしょう。
後世に残る中島と梶井
それから佐藤春夫さんはね、小日向町に住んでいて、門柱に菊池寛さんとはまったく逆のことを書いていた。
「多忙につき新聞記者、雑誌記者は面会お断り」
それで、おもしろい対称的だなと思って訪ねてみたら会ってくれましてね。やはり僕を文学青年だと思って、
「日本でブラブラしていても親からなにがしかの金をもらうであろうから、その金でメキシコにでも行ってブラブラしとれ、そのほうが得だ」
そういうんです。で、なにげなく机の上を見たら永井荷風の『つゆのあとさき』が置いてあった。それがすごく印象的で……そういうことを思い出すといまだに懐しいし、愉快であるね。
佐藤さんと菊池さん横光さんは大変仲が悪かったけど、僕はそのどちらにも可愛がられた。どちらも大変によくしてくれましたよ。
同じ年頃では檀一雄なんかね。檀一雄は僕が『酩酊船』を書いたとき訪ねて来まして……。いかにも恰好のいい青年でしたよ。もう、見ただけで凡庸な青年とは違うというのがわかりました。なにか、さっそうとしたところがありましてね。
で、二度目に来たときは青年と一緒だった。檀君がいうわけですよ、
「ここに秀才がおる」
それが太宰治だった。
すぐ三人で酒を飲みに行って滅茶苦茶に飲んだわけ。だからなにを話したのかは覚えていない。だけどそのなかに中原中也もいたっていうんですよ。ところが僕はその中原中也を憶えておらんのです。
同郷の人では中島敦さん。彼は僕の中学の先輩です。
中島さんという人は中学のころから伝説的な人で、山口じゃ中島さんを知らない人はいなかったですよ、一高にも一番だったかで入っているしね。その当時の一高ったら、いまの東大とはわけが違います。全国から二万人ぐらい受けに来て六〇人ぐらいしか入れないんだから。それの一番ですからね。
戦前にフランツ・カフカを読んでいたのは中島敦のみじゃないですか。『李陵』とか『山月記』とか、あれはカフカの影響で書いたんです。おそらくそういうことを論じている人はいないと思うけれど、僕はほとんどそうだと思ってる。
とにかく大変な英才で語学、漢学、なんでもできる。三三歳で亡くなったけど、惜しいことをしたと思いますね。
中島敦や梶井基次郎は、もう後世に、残るのが決まったようなものではないですか。
梶井さんは『青空』という同人雑誌をやっていましてね、病弱のように思われてるけどなかなか行動的で、同人の家は全部回ってましたよ、三好達治でも中谷孝雄でも。
その『青空』の同人は全部偉くなったですね、ひとりの落ちこぼれもなく全員が文壇に出ちゃった。で、そのなかで一番早く出たのが北川冬彦なんです。
北川さんは僕のことを「弟や」といってましてね、いまはもう歳とったから神経質じゃないけど、若いころはものすごくピリピリしておった。その北川さんが、
「森君とどうしてあんなに親しくなったのかわからない」
そう書いているんです。その北川さんの縁で梶井さんとも関係ができたわけなんですが、同人のなかで梶井さんが大将というか親玉だってことは誰でも知っていたんです。梶井というのは大変なものを書いているというのは誰でもが知っておったです、その当時。
それから立原道造というのは僕の同級生でした。……僕はそのころ、文学青年みたいに扱われていたけど、本当は文学青年なんて一格下のヤツと、こう、いつも思っていました。だから立原なんかはたいしたことねえや、と。
ただ、よく東大の建築科に入れたな、とは思っていましたね、建築科は難しかったですから。
堀辰雄さんとも、よくその話をしましてね、堀さんも「私も驚いてます」なんていってましたね。
堀さんとは……横光さんが毎晩銀座を散歩して、いつも資生堂という喫茶店に行きまして、そこに必ず堀辰雄が来ておったから、横光さんと一緒に銀座に行くと嫌でも同席することになるわけです。
堀さんと僕とは、いろんな意味で考えかたが違いましたね。だから立原が仲立ちしたりしまして……。
孤独ではなかった放浪生活
いま一番親しいのは北川さんもそうだけど、小島信夫君ですね。きょうはまだ話していないけど、毎日電話で話さないことはないといってもいい仲です。
ずいぶん古くからの知合いで、終戦後に彼が僕のところに訪ねて来て、それからずっと友達です。
どうも彼は子供のときから僕の名前だけは知っていたらしくて。……というのは僕は子供のころに受験雑誌なんかに頼まれて演説なんかやっていたんです。それが速記となって雑誌に載って、それ��小島君が読んでいたらしいんです。
いまはもう、向こうのほうが偉くなっちゃっているけど。
若い人では三好徹さんですね。彼は私が尾鷲の北山川という川でダム開発の仕事をしていたとき、そのダムを取材に来たんですよ、読売新聞の第一線記者としてね。
で、僕がそこにいることを知って、近くの本屋から『文学界』を買って来て、自分の書いた小説を読んでくれ、と来たわけです。
『遠い声』という小説でね、それがなかなかよかった。だからこれはなかなか見込みのある人間だ。偉くなるんじゃないかな、と思っていたらやはり偉くなったよ。
だいたい僕を訪ねて来た人はみんな偉くなっちゃうんだな、どういうわけか。
三好君は弥彦にも訪ねて来たし、いろんなところに師事するみたいにして訪ねてきたね。勝目梓君もそんな感じで訪ねて来た一人です。
だから僕は一九歳のとき『酩酊船』を書いて、それから六一歳に『月山』を書くまでのあいだなにも書かなかったとはいえ、文壇的に孤独ではなかったんです。いろんな町や村を放浪しているときも淋しいなんて思ったことは、まったくなかったですよ。
一夜遊ぶために三日働く
僕はね、一〇年働いたら一〇年遊ぶというふうにしてあるから、遊ぶときは徹底して遊ぶ。奈良なら奈良のとてもいいところに家を借りて、それからまたほうぼうを放浪する。そういう遊びなんです。
奈良は瑜伽山に住んでいたんですが、奈良では一番いいところじゃないですか、大和平野の全容を見晴らすようなところでね。
僕の住んでいたところは、いまは重要文化財かなにかになっているところです。それほど素晴らしい離れだった。それから新潟の弥彦に行ったのは雪が見たいという、ただそれだけのことですよ。
弥彦は新潟でも雪の降らないとこらしくて、降っても二センチぐらいしか積もらないと地元の人から聞いてガッカリしたけど、僕が行ったその年だけは想像もつかないような豪雪でね、一晩で軒先まで積もったですよ。
九〇歳になる人が、
「こんなに降ったのは記憶がない」
というぐらいの大雪でね。
それと、庄内に行ったのは鳥海山と月山が見たかったから。それもいろんな角度から見たかったから一〇か所ぐらい借家を替えましたよ。なに、移るのなんか簡単でね、トラックなんかに乗せてもらって、このへんがいいな、と思うところで家を探すんです。
だから、かなり合理的ですよ。なんの不自由もない。どんな田舎でだって暮らせるね、あの月山でも暮らせたんだから。
二十三歳ぐらいのとき、樺太まで行きましたよ、なんの動機もなく日本の果てまで行ってみようかな、と思っただけで。
国境の町は敷香(シスカ)というんですが、その対岸にホタスという森があって、そこに北方民族が固まって生活しているわけです。
そのときは敷香の宿に泊まるよりは愉快じゃないかと思って、オロチョン族とかヤクートとかツングースとか、そうした人たちとトナカイの群を追いかけながらテント生活をしてね。
一〇年本当に働けば一〇年遊ぶくらいの金は貯まります。そのかわり中途��端な貯めかたじゃ駄目だな。
僕は尾鷲で電源開発の仕事をしていたけど、働いてるときは優秀な人でね、しかもすぐ隣町の紀の本にも行ったことがないぐらい仕事一途。
とにかく一夜遊ぼうと思ったら本気で三日働かないと駄目ですよ。金を使いながら金を貯めようったって、絶対に金なんか貯まりません。
だから僕は奈良にいたときも伊豆にいたときも、東北にいたときも、お金はたくさん持っていましたよ。
庄内に、月山におるときだって、お金は十分に持っていた。心ゆくまで月山が見たくて、それが目的で一〇年問働いたわけですからね。(構成・横川隆)
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海辺の洞窟
リネン君は、誰よりもまともです、という顔をして、クズだ。彼��中身はしっちゃかめっちゃかだ。どうしたらそんなにとっ散らかることができるのか、僕には分からない。
彼の朝は床から始まる。ベッドに寝ていた筈なのに、いつの間にか転がり落ちているのだ。頭をぼりぼり掻きながら洗顔もせずに、そこらに落ちている乾いたパンを食べる。前日に酒を飲んでいたのであれば、トイレに行って吐く。
それから自分を寝床から蹴落とした女を見やる。それは顔も知らない女であったり、友人の彼女であったり、上司の妻であったりする。ともかく面倒くさそうな女だ。
ここで必ず電話が鳴る。誰もがリネン君が起きる瞬間を見計らったように電話をよこす。それとも彼の体が電話に備えるようになったのか。まあ、どちらでもいい。
電話の向こうは女の関係者で、烈火の如く怒っている。朝から怒鳴り声を聞くのは気分のいいものではない。口の中から胆汁がしみ出してくるような心地になるので、黙って切る。
リネン君にとって、彼女とその関係者の将来など、自分には関係のないことなのである。いやいや彼は彼女らの人生に大いに干渉しているのだが、リネン君は全ての責任を放棄しているのだ。誰が何と言おうと、彼は彼の行動の責任をとらないし、とるつもりもない。だからどうしようもない。
そうこうしているうちに女が目覚める。彼女はリネン君の消えゆく語尾から、彼氏や旦那の名前を聞き取るだろう。次の瞬間彼女はヒステリックに喚き出し、リネン君は自室を追い出されるはめになるわけだ。
リネン君はあくびをしいしい喫茶店に入り、仕事までの時間を潰す。休日であれば友人なのか知り合いなのか曖昧な人間と遊ぶ。暇な輩がつかまらなければ、その辺をうろつく汚い野良猫とたわむれる。リネン君は大抵の人には煙たがられるが、動物には好かれるのである。
リネン君は出会う人々とろくでもない話をする。誰かを笑わせない日はないし、誰かを傷つけない日もない。彼は湧き上がった感情を、健全であれ不健全であれ、その場で解消するだけなのだ。
僕等は同じアパートに住んでいる。リネン君の部屋は一階の一番端っこ、僕の部屋は二階の階段のすぐ隣だ。親しくなる前から彼の顔は知っていた。朝、父さんに言われて新聞を取りに行くと、みちみちにチラシの詰まった郵便受けの前で悪態を付いている彼を時々見かけた。母さんから、
「あんな人と付き合っちゃダメよ」
とお叱りを受けたこともある。その理由を聞くと、
「しょっちゅう女の人を連れ込んでいるみたいだし、毎晩のように酔っ払って何かを叫びながら帰ってくるし、たまに非常階段で寝てるし、ゴミは分別しないで出すし、昼間もふらふらして何をしているか分からないし、無精髭を剃りもしないしこの間だって⋯⋯」
と、このように、大人達のリネン君の評判はよろしくなかった。
僕等はアパートの庭に設置されている自販機の前で出会った。リネン君の第一声は、
「おい。五十円持ってないか」
だった。小遣いでジュースを買いにきた小学生にかける言葉ではないと思うが、いかにも彼らしい。リネン君はたかった金で手に入れたエナジードリンクを一気に飲み干した。それから隣でグレープジュースをちびちび啜っている僕を、
「ガキ。礼に煎餅やるから来い」
「え? でも知らない人の家に行くなって母さんから言われてるし」
「親離れは早いにこしたことない。いいから来い」
「え、あ、あの、ちょっと」
誘拐まがいに部屋に招いたのだった。
そうして僕は彼と親しくなった。もちろん母さんには内緒で。
彼の部屋は余計なものでいっぱいだ。年期の入った黒電話、聞きもしないレコード、放浪先で見つけてきた不気味な雑貨、または女性。つまり彼の部屋は子どもの暇つぶしにもってこいの場所なのだ。
「リネン君はどこから来たの?」
僕が尋ねても、彼はにんまり笑って答えない。
「俺がどこからやってきたかなんて、お前には関係ないことだろ?」
「じゃあこれからどこへ行くの?」
「嫌なことを聞くやつだな、お前は」
リネン君は心底うんざりした顔で僕を睨みつけた。けれど僕は睨まれても平気だ。大人は彼を怖がるけれど、僕はそうではない。彼は子どもと同じだ。好きなことはやる。嫌いなことはやらない。それだけ。それは子どもの僕にとって、非常に理にかなったやり方に思える。
大人は彼をこう呼ぶ。「根性なし」「我がまま」「女たらし」「クズ」⋯⋯。
リネン君は煙草をくゆらせる。
「近所のババア共ときたら、俺の姿が見えなくなった途端に悪口おっ始めやがる。常識人になり損なっただけなのにこの言い草だ。奴らに面と向かって啖呵切る俺の方がよっぽど潔いぜ。違うか?」
本人はそう言っているが、リネン君は陰険だ。この間なんて仕事で成功した友人の彼女と寝て、絶交を言い渡されてされていた。僕には確信犯としか思えない。
「バカ言え。どうしてそんな面働なことをやらなくちゃならない? 俺はな、他の奴らの目なんてどうでもいい。自分の好きなことに忠実でありたいだけだ」
リネン君は良くも悪くも自分の尻拭いができない。つまりクズっていうのは、そういうことだと思う。
とはいえ彼は僕に良くしてくれる。
「林檎食うか?」
彼は台所から青い林檎を放ってくれた。
「ありがと」
僕は表皮を上着の袖で拭き、がじっと齧る。酸っぱくて唾液がにじむ。リネン君は口いっぱいに食べカスを詰め込みながら、もがもがと言った。
「そういや隣の兄ちゃん、引っ越したからな」
なぜとは聞かなかった。リネン君が原��だと察しがついたからだ。
「どうせ彼女を奪ったんでしょ」
「『彼女を奪う』か。『花を摘む』と同じくらいロマンチックな言葉だな。お前、いい男になるよ」
「適当なこと言って」
「悪いな、またお前の植木鉢から花を摘んじまったよ」
「本当に悪いと思うなら、もうこんなことやめてよね」
「駄目だ。夜になると女が欲しくなる。こう見えても俺は寂しがり屋だからな」
「うえー、気色悪っ。⋯⋯それでお兄さんはどこに?」
「浜辺の廃屋に越したって。遊びに行こうったって無駄だぜ。あいつ、彼女にふられたショックで頭がおかしくなっちまって、四六時中インクの切れたタイプライターを叩いてるんだそうだ」
彼女にふられたショック? それだけではないだろう。リネン君の残酷な言葉に弱点を突かれたのだ。
人間は隠そうとしていた記憶、もしくはコンプレックスを指摘されると、呆れるほど頼りなくなるものだ。ある人は気分が沈みがちになり、ある人は仕事に行けなくなる。リネン君は、大人になるということは秘密を隠し持つようになることだ、と言う。
つまり、と僕は子どもなりに解釈する。大人達は誰もが胸に、洞窟を一つ隠し持っているのだ。穴の奥には宝箱があって、そこには美しい宝石が眠っている。宝石は脆く、強く触れば簡単に壊れてしまう。彼らは心を許せる仲間にだけその石を見せる⋯⋯と、こんな具合だろうか。
リネン君は槍をかついでそこに押し入り、宝石を砕いてしまうのだろう。ばらばらに砕けた宝物。リネン君は散らばる破片を冷徹に見下ろす。物語の悪役のように⋯⋯。
ではリネン君の洞窟は? 彼の胸板に視線を走らせる。何も見えない。堅く堅く閉ざされている。僕は酸っぱい林檎をもう一口齧る。
午後の光が差す道を、僕等は歩いた。今日の暇つぶし相手は僕というわけだ。
「リネン君」
「何だ」
「僕、これ以上先へは行けないよ。学区外だもの」
「そんなの気にするな。保護者がついてるじゃないか」
リネン君は自分を指差した。頼りになりそうもない。
「学校はどうだ」
「楽しいよ」
「嘘つくんじゃない」
「嘘じゃないよ。リネン君は楽しくなかったの?」
「楽しくなかったね。誰がクラスメイトだったかすら覚えていない。あー、思い出したくもない」
路地裏は埃っぽく閑散としていた。あちこちに土煙で茶色くなったガラクタが転がり、腐り始める時を待っている。プロペラの欠けた扇風機、何も植えられることのなかった鉢、泥棒に乗り捨てられた自転車⋯⋯。隙間からたんぽぽが図太く茎を伸ばしている。僕達はそれらを踏み越える。
「友達とは上手くやれているか」
「大人みたいなことを聞くんだね」
「俺だって時々大人になるさ」
「都合の悪い時は子どもになるくせに?」
「黙ってろ。小遣いやらないぞ」
「ごめんごめん。友達とはまあまあだよ」
「どんな奴だ」
「うーん」
僕はそれなりに仲のいい面子を思い浮かべる。けれど結局、分からない、とだけ言った。なぜなら誰であっても、リネン君の擦り切れた個性には敵わないように思えたからだ。僕の脳内で神に扮したリネン君が、同級生の頭上に腕組みをしてふんぞり返った。
「どいつもこいつもじゃがいもみたいな顔してやがる。区別がつかねえのも当然だ」
リネン君はまさに愚民を見下ろす神の如くぼやく。だが僕は彼を尊敬しているわけではない。むしろ彼のようになるくらいなら、じゃがいもでいる方がましだと思う。
「ところでリネン君、僕等は一体どこに向かっているの?」
彼の三角の鼻の穴が答えた。
「廃墟だよ。夢のタイピストに会いに行く」
潮の匂いに誘われ松林を抜けると、そこは海だ。透き通った水色の波が穏やかに打ち寄せる。春の太陽が砂を温め、足の裏がほかほかと気持ちいい。リネン君の頭にカモメが糞を落とす。鳥に拳を振り上げ本気で怒り狂う彼を見て、僕は大笑いする。
その建物は浜辺にぽつりと佇んでいた。四角い外観に白い壁、すっきりとした窓。今は壊れかけて見る影もないが、かつては垢抜けた家だったのだろう。
ペンキが剥げたドアを開ける。錆びた蝶番がひどい音を立てる。中はがらんとしていた。一室が広いので、間取りを把握するのに手間取る。主人を失った椅子が一脚悲しげに倒れている。家具といったらそれきりだ。天井も床もところどころ抜けている。まだらに光が降り注ぎ、さながら海の中のようだ。
空っぽの缶詰を背負ったヤドカリが歩いている。リネン君がそれをつまみ、ふざけて僕の鼻先に押しつける。僕の悲鳴が反響し消えてゆく。本当にここにお兄さんが住んでいるのだろうか。
「どこにいるってんだ。これだけ広いと探すのも手間だぜ」
リネンくんは穴の空いた壁を撫で、目を細める。
「僕は何だかわくわくするな。秘密基地みたいで」
「だからお前はガキだってんだ」
「うるさいな⋯⋯あ」
「あ」
僕等はようやく彼を見つけた。
お兄さんは奥の小さな部屋にいた。バネの飛び出た肘掛け椅子に座り、一心不乱にタイプライターを叩いている。紙に見えない文字が次々と刻まれてゆく。テーブルには白紙の「原稿」が山積みになっていた。僕等は息を呑み、その光景に見入る。
僕は目の前の人物がお兄さんだと信じることができなかった。きらきらしていた瞳は濁っていた。締まった頬はこけていた。真っ直ぐだった背骨はたわんでいた。若さでぴんと張ったお兄さんは、くしゃくしゃになっていた。
「ご熱心なことで」
リネン君はテーブルに寄りかかり、これみよがしに足を組む。
「おい、元気か」
お兄さんは僕等に目もくれない。リネン君は溜息を吐く。
「聞こえてるのか」
先程よりも大きな声だった。沈黙が訪れると、キーを叩く音だけがカチャカチャと鳴った。呼吸のように規則正���く。カチャカチャカチャ、チーン。カチャカチャカチャカチャ、カチャ。
リネン君は懲りずに話しかける。
「何を書いてるんだ。小説か。いいご身分だな。ちゃんと物食ってるか。誰が運んでくれてる。あの女か?答えろよ。答えろっつうんだ。おい!」
かつてお兄さんは僕とよく遊んでくれた。爽やかに笑う人だった。時折食事に誘ってくれた。決まって薄味の感じのいい料理だった。彼女が顔を出す日もあった。彼に似て優しい女性だった。リネン君が彼女を知るまでは。
「お前、俺が彼女と寝てからおかしくなったんだってな」
リネン君はねちっこい口調で囁く。
「脆いもんだ、人間なんて。そうだろ? 好青年だったお前がこんなに縮んじまった。どうしたんだ? 筋トレは。スポーツは。やめちまったのかよ。友達は会いにこないのか? そうだよな。病人と面会なんて辛気臭いだけだ。
お前は何もかも失ったんだ。大事なものから見放されたんだ。良かったなあ、重かっただろ。俺はお前の重荷を下ろしてやったんだよ。大事なものを背負えば背負うほど、人生ってのは面倒になるからな。
にしても、たかが女一人逃げたくらいで自分を破滅させるなんて馬鹿なやつだな。お前は本当に馬鹿なやつだよ」
お兄さんは依然として幻の文字を凝視している。それにもかかわらず毒を吐き続けるリネン君がやにわに恐ろしくなる。一度宝石を砕かれた人は、何もかもどうでもよくなるのかもしれない。何も感じることができない空っぽの生き物。それは果たして人間なのだろうか。もしかしてリネン君の石は、もう壊されてしまった後なのかもしれない。
チーン。
お兄さんが初めて身動きをした。原稿が一ページできあがったらしい。彼は機械から完成品を抜き取ると、ロボットのように新たな用紙をセットした。後は同じことの繰り返しだった。決まったリズムでタイプを続けるだけ。カチャカチャカチャカチャ。
リネン君は舌打ちをした。
僕等は廃屋を後にした。夕日が雲を茜色に染め上げる。水平線が光を受けて星のように瞬いていた。海猫がミャアミャア鳴きながら海を越えてゆく。遠い国へ行くのだろうか。
「壊れた人間と話しても張り合いがねぇな。ったく時間の無駄だった。まともな部分が残ってたら、もう少し楽しめたんだがな」
リネン君はクックック、と下劣な笑いをもらす。仄暗い部屋で背中を丸めていたお兄さんの横顔が頭をよぎる。
「リネン君、どうしてお兄さんだったの?」
僕はリネン君に問いかける。糾弾ではなく、純粋な質問だ。リネン君は億劫そうに髭剃り跡を掻きむしった。
「お前には関係のないことだろ」
「お兄さんに何かされたの? お金がほしかったの? それとも彼女さんが好きで妬ましかったの?」
「どれもガキが考えそうなことだな」
「ねえ、何で? 教えてよ」
彼は僕の肩をぽんと叩いた。それで分かった。彼は僕の問いに答えてはくれないだろう。明日も、明後日も、その先も。ひょっとするとリネン君も、自分がどうしてそうしてしまうのか分からないのかもしれない。だから洞窟荒らしを繰り返してしまうのかもしれない。それは彼の壊れた宝石がさせることなのかもしれない。ずっと、ずっと前に壊れてしまった宝石が。
僕は彼の手を握る。
「僕には何でも話してよ。僕、子どもだし。大人の理屈なんて分からないし。リネン君が話したことは誰にも言わないよ。友達にも絶対。だからさ⋯⋯」
リネン君は鼻をスンと鳴らした。何も言わなかったけれど、僕の手を払いのけることもしなかった。
僕等はとぼとぼと暮れなずむ街道を歩いた。夜が深まるにつれ、繁華街のネオンがやかましくなる。リネン君は殊更騒がしい店の前で立ち止まると、
「これで何か食え」
僕に小銭を握らせドアの向こうに消えた。
近くの自販機でコーラを買う。プルタブを開けると甘い香りが漂う。僕はリネン君の部屋に放置されていたビール缶の臭いを思い出す。どうして黄金色の飲み物からあんな臭いがするのだろう。コーラのように甘やかな匂いだったらいいのに。そう思うのは、僕が子どもだからなのだろうか。
僕は全速力で走る。野良犬にちょっかいをかけていたら、すっかり遅くなってしまった。早く帰らないと母さんに怒られるかもしれない。これまでの時間誰と何をしていたのか問い詰められたら、リネン君のことを白状しなければならなくなる。自白したが最後「あんな人と付き合うのはやめなさい」理論で、監視の目が厳しくなるかもしれないのだ。
慌ててアパートの敷地に駆け込んだ時、リネン君の部屋の前に女の人が座り込んでいるのが見えた。臍が出るほど短いTシャツ、玉虫色のジャケット、ボロボロのジーンズ。明るい髪色と首のチョーカーが奇抜な印象だ。切れかけた電球に照らされた物憂げな顔が気にかかり、つい声をかけてしまう。
「あの。リネン君、しばらく帰らないと思いますよ。居酒屋に入ってったから」
女の人は僕を見た。赤い口紅がひかめく。瞬きをする度、つけ睫毛からバサバサと音がしそうだ。彼女はかすれた声で返事をした。
「そう。だろうと思った」
彼女はラインストーンで飾られたバックから煙草を取り出し、火をつける。煙からほのかにバニラの香りがした。
「君は彼の弟?」
僕はぶんぶんと首を横に振る。これだけは何が何でも否定しなければならない。
「ふーん。じゃ、友達?」
「そんなところです。僕が面倒を見てあげています」
「あいつ、いい歳なのに子どもに面倒見られてるんだ。おかしいの」
女の人はチェシャ猫のようににやりと笑った。彼女は派手な上着のポケットをまさぐる。
「ほら、食べな」
差し出された手にはミルク飴が一つ乗っていた。
「あ。有難うございます」
「あたしミクっていうの。よろしくね」
「よろしくお願いします」
僕は彼女の横に腰かけ、飴玉を頬張った。懐かしい味が口内に広がる。ミクさんは足を地べたに投げ出し、ゆらゆらと揺らす。僕も真似をした。
「ミクさんはリネン君の彼女なんですか」
「はあ? 違うって。昨日あいつと飲んでたら突然ここに連れ込まれちゃって、明日も来いなんて言われてさ。暇だから何となく寄っただけ。彼氏は他にいる」
恋人がいるのに名も知らぬ男の家に二晩続けて泊まりにくるなんて、やはり大人の考えることはよく分からない。
「それにあいつ、彼女いるんじゃないの?」
「えっ。いないですよ」
正しくは「ちゃんとした彼女はいない」だ。
「そうなの? 昨日彼女の話で盛り上がったのになあ。じゃあ思い出話だったんだ、あれ」
好奇心が頭をもたげる。僕はわくわくと聞き返した。
「リネン君が言う彼女って、どんな人だったんですか?」
「えーとね。確か大学で知り合って」
リネン君、大学なんて行ってたんだ。
「サークルの後輩で」
サークル入ってたんだ。
「大人しくて可愛くて料理が上手くて守ってあげたくなる感じで」
そんな人がリネン君と付き合うだろうか。
「結婚しようと思ってたんだって」
「まさか!」
「うわ、びっくりした。突然叫ばないでよね」
「すみません。今のリネン君からは全く想像できない話だったもので」
「そんなに?」
やっぱ君っておかしいの、とミクさんは微笑む。
「どんな人にも、こっそり取っておきたい思い出って、あるからね」
僕はひょっとして〝彼女〟がリネン君の宝石だったのではないかと推測し、やめた。いくら何でも陳腐だし、ありきたりな筋書きだ。恐らく宝石はもっと複雑で、多彩な色をしているはずだから。
ミクさんはあっけらかんと言う。
「ま、君の反応を見る限り、彼女の存在もあいつのでっちあげだった可能性が高いけど」
大いに有り得る。彼女は腰を上げスカートの砂を払った。
「行くんですか?」
「うん。君もそろそろ帰る時間でしょ?」
「リネン君にミクさんが来たこと、伝えときましょうか?」
「いいよ。この分じゃ、約束したことすら覚えてないと思うから」
ミクさんは僕に溢れんばかりにミルク飴を握らせると、
「またどこかでね」
カツカツとヒールを鳴らして立ち去った。
ドアを開けた瞬間母さんがすっ飛んできて「心配したのよ!」と怒鳴った。
「まあ許してやれよ、男の子なんだから。なあ?」
「お父さんは黙ってて!」
「はい」
どうして僕の周りの男どもはこうも頼りないのか。
母さんにこってりしぼられながら、僕はかつてのリネン君の恋人を思い浮かべる。まなじりは涼しく吊り上がり、心なしか猫に似ている。けれどリネン君がどんな顔をして彼女に接していたのかという点においては、全く想像がつかない。
女性を抱いては捨てるリネン君。皮肉を言ってばかりのリネン君。人を廃人にするリネン君。リネン君にとって今の生活は、余生でしかないのだろうか。
洞窟は宝石の輝きを失ったら、どうなるのだろう。僕等は心が壊れても死なないけれど、それは果たして幸福なことなのだろうか。人は肉体が朽ちるまでは何があっても生きる運命だ。この体は意外と頑丈だから。
「聞いてるの?!あんたって子は本当に⋯⋯ちょっ��、誰からこんなにミルク飴貰ったの!叱られながら舐めないの!」
「痛っ!」
頭をはたかれた衝撃で、口の中の飴がガチンと割れる。
僕の宝石は誰にも見つからないように、奥深くに隠しておこう。誰かが洞窟に侵入した場合に備え、武器を用意しておこう。相手を傷つけることのない柔らかな武器を。もしかしたらその敵は、リネン君かもしれないから。
僕がお説教されている頃、孤独なタイピストの家に誰かが食事を運んでいた。カーテンの向こう側に蝋燭の火が灯され、二人の影が浮かび上がる。
古びた机に湯気の立つ皿が置かれると、お兄さんはぴたりと手を止める。彼は凝り固まった体をやっとのことで動かし、痩せ細った手でスプーンを掴む。
その人は彼が料理を口に運ぶのを、伏し目がちに、いつまでも見守っていた。
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長野市「のんのん」なつかしの… 場所 長野県長野市高田中村339-2 電話 026-227-8224 駐車場 あり バリアフリー △ 飲む・打つ・買うは男の甲斐性だ。 とは現代でも十分通用する言葉だが、誠生憎なことにそのすべてがからっきしと来ている。飲むには飲むし、量もいけないこともないが、味がわからない。暑い中帰ってきてビールをキューっとというのはわからんでもないが、そもそも酒って美味いものなのか。買う方だって興味がないでもないがないが、連日連夜芸者あげて大騒ぎ、気に入った芸妓を落籍させ、家屋敷を建て好き勝手にさせ、別れるときは家作の3軒も建ててやって喰うに困らないようにしてやる。ここまでやってこそ本寸法の"買う"というのだ。それが出来なければ女遊びなどするものではない。と、あるおじいちゃんが言っていたのが格好よくて真似させてもらっている。真似以前にそんなお金もないし、私はひと筋を貫くオトコだから。嗚呼 残るは"打つ"となる。 快楽亭ブラックによれば現代の"打つ"とはとはシャブのことになるというが、あにはからんや、この場合はそのまんまイメージ通りの打つ、すなわち"賭博"ということとなる。 以前から言っているように、競馬は嫌いではない。美しいサラブレッドは愛でているだけで心地よいし、レースの読み方も比較的シンプルなものだからよい。問題は人の絡むもの、たとえば一対一、あるいは複数での賭け事がダメなのだ。たとえばポーカー、あるいは麻雀。何をやってもシンプルすぎる私は顔や態度に出てしまうから絶対に勝てない。遊びであればいくら負けてもよいのだが、お金など間違っても賭けてはならぬ。よいカモにされるだけだ。 とはいえ、一時のことだが麻雀を覚えようとした事があったのだ。20歳代のはじめ頃、麻雀放浪記にどハマりした事があり(現在でも好きだが)、ああオレもあのようなヒリヒリした勝負をしてみたい!たまたま、当時勤務していた会社の先輩が雀荘を経営(お父さんの店を引き継いだそうな)しており、つきっきりで教えてもらったのだが、どうしても役が覚えられない。いや大四喜和字一色十枚爆弾などという麻雀放浪記に登場する派手なのはよく覚えていられるのだが、その他はアタマ2枚同じであとは3枚ずつ…、なんていつまでもやっているから教える方もアタマにきて 「大四喜和字一色なんて一生に一度くるかこねーかの役なんだよ!お前に麻雀の才能ないからやめろ」 と放擲されてしまった。以来、賭け事には一切手を出さない、ヘルシーな人生を送っているが、麻雀ときくとなんとなくドキドキする。 「のんのん」 古ぶるしい、などというと怒られてしまうかもしれないが、だれがみても昭和の香りがぷんぷんとする喫茶店だ。今回で2度目にお邪魔するのだが、注文するのはもちろんこれだ。 「日替定食」680円 本日のメニューは ・鶏長ネギオイスター炒め ・もやし和え ・ヤキソバ 鶏肉と長ネギそしてキクラゲをオイスターソースで炒めただけの、ごくシンプルな一品だ。具材の種類こそ少ないが、コクがあって美味い美味い。もやしは中華風だが、酢を抑えているのか酸味が少ない。ヤキソバは具なしのソース炒め。むしろこの方が潔くてよろしい。 こちらに来ると、といって2度目のことだが、なんとなくドキドキするのだ。メニューに大きく"2F 麻雀荘"などと大書されているからだ。雀荘を併営されているのだそうだ。麻雀など出来もしないのに、わかりもしないのになんとなく勝負しにいってしまいそうでならないのだ。あぁ怖い、怖いけど美味しいからまたいってしまうけどなんとなく怖くて格好よくて… #長野 #長野市ランチ #喫茶店 #喫茶店ランチ #カフェ #カフェ飯 #cafe #コーヒー #珈琲 #coffee #ランチ #lunch #鶏肉 #鶏肉料理 #長ネギ #キクラゲ #オイスターソース #もやし #焼きそば #ソース焼きそば #味噌汁 #ご飯 #インスタグルメアワード2020 #麻雀 #麻雀放浪記 #飯テロ #飯テログラム #コロナに負けるな #좋아요_한국 #좋아요_일본 http://araralunch.work (Nagano, Nagano) https://www.instagram.com/p/B-xWwaygulO/?igshid=9x5mewjg6v1k
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新入荷の今週末、たくさんのご来場ありがとうございました! さて、16日からはいつもお世話になっているラマパコスにて開かれる展示会に参加します☺️
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caikotはフランスの子供服をお持ちします。ヴィンテージのデザインをぎゅっと小さく詰め込んだような大人っぽいものや、1930年代頃の子供たちが着ていた愛らしい制服など🌼 写真はラマパコス店主でありカメラマンでもあるりかちゃんが撮ってくれました!モデルさんのポーズもさすが👱♀️✨ #Repost @lamapacos_yaho with @make_repost
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ラマパコス4月のイベントのお知らせです🌸
「LAMAPACOS SPRING MARKET」
2021/4/16(金)-24(土)※水木休み
11:00−17:00
4月はこどもも大人も楽しい春のマーケット!
シカモアのこども服のサンプルセール!にフランスのヴィンテージ子供服、ドイツから届いたばかりホヤホヤの可愛い雑貨、ハンドメイド猫のお散歩巾着、お馴染みのアトリエことさんの美味しい焼き菓子も!
24日(土)はドーナツと珈琲の最強タッグがまた来ます♡ぜひ。 出店者
Sycamore サンプルセール(ハンドメイドこども服) @sycamore_kidsclothes
国立caikot フランスのこども古着 @caikot
un deux popon ドイツよりアンティーク雑貨、服 @un_deux_popon
conocone 猫のおさんぽ巾着など @cono_cone
atelierこと 美味しい焼菓子(はかり売りあり!)@_atelier_koto_
放浪喫茶野ばら 自家焙煎珈琲 ※4/ 24(土)のみ @coffeenobara
kweebuu 手作りドーナツ ※4/ 24(土)のみ @kweebuu #シカモアのこども服展 #シカモアのワンピース #シカモアのこども服 #caikot #ラマパコス4月のマーケット #kweebuu #放浪喫茶野ばら #conocone #アトリエこと
https://www.instagram.com/p/CNhT4CJMOZg/?igshid=1xo7rmleh48dg
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暑いですね!8月9月の予定
梅雨が明けて毎日暑い日が続きますね!日中外に出るともうぐったりです。 みなさまどうか体調に気をつけてお過ごしくださいね! 遅ればせながら今月来月の演奏予定です!
8/2(金)20:00〜【MANABU MUSIC】 鈴木学(sax)小森淳(gt)林かな(ba) 息のあった先輩たちに混ざらせていただきます。 岐阜・Jazz Ghost V.
8/3(土)19:30〜【オトセレブ】 松本コウ(gt)林かな(ba)佐藤暁彦(ds) 良い音で渋く奏でます。 土岐・Bird & Diz
8/4(日)19:00〜 w/山下真理(vib) 真理さんのオリジナルを中心に、、楽しみ! 今池・Imago
8/6(火)19:30〜JamSessionホスト w/森田純代(pf) みんなで楽しみましょう♩ 津島・くれよん
8/9(金)19:30〜 w/黒田敦司(vo,ds)近藤有輝(pf)竹中優子(as) みんなよく共演しているけど、結構レアな組み合わせです。 津島・くれよん
8/10(土)20:00〜 w/奈穂(vo)西川麻子(pf) 頼りにしてる麻子さんとはじめましての奈穂さんと。 池下・Tenderly(千種区池下1-3-1パックスビル8F)
8/11(日)20:00〜片桐special 盆とガール 片桐一篤(pf)中川聡子(as)西山友望(tb)上野智子(ds)林かな(ba) 毎年恒例・第?代ボントガールに選出されました。 吉良・INTELSAT
8/14(水)20:00〜 ダニエルエリ(vo)+藤井孝紀Trio(藤井孝紀pf 未定ds 林かなba) えりさんのたおやかな歌を岐阜の先輩と支えます。 岐阜・BAGU
8/16(金)19:30〜【楽団四器】 w/吉岡直樹(ba)谷井直人(ba)高間康弘(ba) 吉岡さんのセンスとユーモア溢れるバンドです。 今池・valentine drive
8/18(日)20:00〜 Eclat(森田純代(pf)上野智子(ds)林かな(ba)) 月1エクラ。鈴鹿・carrera(鈴鹿市江島台2丁目2-1 080-6970-0187)
8/20(火)19:30〜 w/森永理美(pf) 同世代で仲良しの理美ちゃんとduo!🎵 新栄・swing 8/21(水)19:30〜後藤浩二セッション ホスト 月1後藤さんセッション。毎回なんだかサブライズが起こる?!ぜひ遊びにいらしてください。 栄・The wiz 8/24(土)19:30〜 w/谷利晃(tp)番八十八(pf)長村晃一(ds) 谷利リーダーのしゃれた選曲をお楽しみに! 津島・くれよん
8/26(月)20:00〜live & session 中嶋美弥(pf)猿渡泰幸(ds)林かな(ba) リスナーの方、プレイヤーの方、どっちもの方、みんなお待ちしてます! 岐阜・BAGU ★★★追加! 8/28(水)19:30〜w/竹中優子(as)水野修平(pf) ドラムレスならではのアンサンブルをお楽しみください♩ 覚王山・stareyes
8/29(木)19:30〜Funk Girl’s Band【Girls' Night Out!!】 w/Juju Sumire(vo)竹中優子(as)中嶋美弥(pf)上野智子(ds) ノリノリな女子バンです。このバンドならではのサウンドが出来上がってきています。ちくちゃん2days笑 新栄・swing
8/30(金)20:00〜 w/中川聡子(as)餌取雄一郎(tb)野村陽三(ds) ハーモニーが美しいバンドです。 岐阜・Jazz Ghost V. *********************************** 9/1(日)19:00〜 Eclat(森田純代(pf)上野智子(ds)林かな(ba)) 月1エクラ。 松阪・Serai
9/3(火)19:30〜JamSessionホスト w/森田純代(pf) みんなで楽しみましょう♩ 津島・くれよん
9/7(土)14:00〜 w/柚希(vo)ティト・モンテ(pf) ゆずきさんの可愛い歌で映画音楽特集🎵 みよし・car-den
9/8(日)13:30〜**予約がおすすめです。詳しくはメンバーまで*** w/谷向柚美(vo)原努(gt) アットホームな喫茶店でリラックスしたひと時を。 瑞浪・cafe voce(瑞浪市寺河戸町1105-3)
9/8(日)19:00〜 メグササキ(vo)箕作元総(gt)ジュンジ荒木(ds) 初共演のメグさんと。 珈琲館はせ川(桑名市三之丸32 tel 0594233233)
9/13(金)12:10〜【NHKビルお昼のコンサート】 オードリー洋子(vo)松永有希子(pf)上野智子(ds)林かな(ba) 東桜・NHK名古屋放送センタービル
9/13(金)20:30〜duo w/青木弦六(gt)金曜の夜にリラックスした演奏を。 豊田・10/12
★★9/14(土)14:00〜【Feira】 w/秋山祐吏美(vo)山下佳孝(perc) 音の市場!変則トリオ、ですが、時に楽しく、時にしっとりとお送りします。 みよし・car-den
9/20(金)20:00〜 w/小嶋哲也(as)小森淳(gt) 小嶋さんが音頭をとり、自由気ままに遊びたいと思います。 岐阜・Jazz Ghost V.
9/22(日)14:00〜【9th call sunday jazz happening】(インストセッション)w/三宅史人(gt)足立拓郎(ds) 四日市・Route66
9/22(日)19:30〜 w/小笠原岳海(gt)中神美和子(vo) 歌うギタリスト岳海さんと初共演美和子さんと。 津島・くれよん
★★9/29(日)13:00〜 15:00〜(2回公演)【Live and Paint】 w/竹中優子(as)服部正嗣(ds)上野トモユキ(paint) 持てる力を持ってぶつかり合いたいと思います。 丸の内・gallery white cube
何処かでお会いできたら嬉しいです^^
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2019/06/29
白楽へカレーを食べに行った。かねてより食べたいと思っていたサリサリカリーにやっとありつくことができた。
「一部の人に理解される。好奇心から始まることもある。」
へんな看板だった。 店内ではずっとクレイジーケンバンドのライブ映像が流れていて、おじいちゃん(呼吸を助ける管つき)が挨拶をしてくれる。おじいちゃんはやわらかそうなチェアにめりこんでだいたいぼうっとライブ映像を見て、たまに周りの人に要領を得ないやりかたで話しかけていた。
サラダとカレーとチャイで1200えん。サラダはキャベツ、にんじん、きくらげなどが、半分漬物のようにあじがしみたもので、くたっとしていておいしかった。カレーもとても美味しかった。また、食べたい。
この店はペーパータオルやショップカードにへんな言葉が書いてあるが、わたしはそれらに一切うそがなさそうなところを非常に気に入った。
腹ごしらえを済ますと連れが神大に行ってみたいというので、歩いて向かった。途中、入り口に紫陽花が門のように咲いている小道をみつけて、通っていくと、ちいさなおかきやさんをみつけたので、私はそこで700円ほど買い物をした。バイト先の店長さん、スタッフさん、お客様への手土産にぴったりだと思ったからだ。
神大はひとけがなく、食堂に勝手に入って足を休めていたらいきなり電気を消されてしまった。
大学内のいろいろな掲示物、ボディビル研究会新入部員募集などを見ていると胸の奥がツンとなった。浪人生の頃、模試などで早稲田大学に行くと、いろんな看板やビラが貼られていて、大学生って自由でいいなと思ったのだ。結局私が進学したのはビラもそんなに貼られないし看板はひとつもない、エリート志向でコンサバティブな大学だったし、あの頃の自分に教えたらがっかりするかもしれない。おおむねわたしは自分の大学生活に満足しているが、早稲田大学に入っていたらどうなっていただろう、と思う。ありえなかった分岐を思う一方で、やはり今の出会いがとてもすてきだから、こっちの大学に来て良かったと思う。
白楽の住宅街は数ある住宅街の中でもかなり雰囲気が良いとおもった。古い店と新しい店が共存しているところや、緑がおおいところ、ひとびとの表情が柔らかいところとか。とちゅう立ち寄った古本屋は岩波新書と神大生が手放していった教科書類、大量のレコードがあり、ボブディランをバックに店主と常連が客御構い無しにはなしまくっていた。何も買わなかったが、なにか一冊買っても良かった。
住宅街はどこの町にもあり、どこのまちでも基本的な構成要素はおなじである。だから初めて行った場所でも懐かしいような気持ちに感じる。さらにいえば住宅街は他人の生活が染み付いた場所でもある。衣食住の住、誰もが帰りたい、もしくは帰りたくない、と思いながら向かっていく場所を歩き回ると、そこを通り過ぎていったさまざまな思念のなまなましさが自分のからだを突き抜けて飛び交っているのを感じる。
高校三年生の頃、美大受験者向けの夏期講習にわざわざ静岡から参加した。一週間、東京の寮で過ごした。その寮は、住宅街の中にあった。私はすっかりくらくなった知らない住宅街を一人で歩いた。その時のことはいやに覚えている。大きなカエルが干からびていた。どこかの家庭の夕餉の匂いが流れてくる。もう誰も管理しなくなったのか、草だらけのなかに赤い遊具だけがある公園。子猫が真新しい家の頑丈な門の下をさっとくぐり抜けていくのも見た。夏期講習に来なかったら、知らない街で知らない人の生活に想いを馳せることはなかっただろう。おそらくこの時の体験が、わたしの住宅街へのこだわりの原点にあると思う。
あまり好きになれない住宅街もある。浪人時代に過ごした荒川区の寮のまわりは好きになれなかった。生活感の彩度が低い感じがしたのだ。よく周囲を散歩したし、近くの商店街にも足繁く通ったが、一年経っても好きになれなかった。理由はわからない。好みじゃなかったのだと思う。 その街には異様ながらくた屋があった。一度だけそこの主人と話した。かつては世界中を旅していて、いろんながらくたを集めては売っていたらしい。今は、アフリカで結婚した奥さんと、知的障害のある息子と3人で暮らしていると、詳しく語ってくれた。次の日、肌の黒い女性が肌の黄色い子供をつれて、楽しそうに歩いているのを見た。このエピソードはとても好きだが、街は好きになれなかった。
白楽は彩度の高い街だった。そしてどこか、私の故郷の住宅街にも似ている。今まで降りた駅の中で一番好きかもしれなかった。きっとまた来てしまう。
商店街も活気があって、昔からのお店が現役でい続けられる以上の健康さがあった。雰囲気の良い喫茶店に入ると、「相当お待たせしてしまいますが大丈夫ですか」と聞かれ、了承し、席に着いた。そこは天井に空の絵が描かれてあり、約26分かけて夕焼けから夜に、ライトアップが変わるしくみだった。連れはサイフォンコーヒーを見るのが初めてで、二人で水が行ったり来たりする様子をああでもないこうでもないと原理を考えながら眺めた。運ばれてきたサイフォンには二杯分のコーヒーが入っていた。味もとても美味しかったので、二杯ならこの値段はそうとういい仕事をしている。
店主は来る客みなに一様に「相当お待たせしてしまいます、お時間のほしょうはできません」と声をかけていた。連れは「ああやって客をえらんでいるんだね」とするどいことをいった。喫茶店らしい喫茶店だと思う。トラディショナルな喫茶店は主人の時間がそのまま時計になるものだ。それに飛び込めるものだけが、楽しみを分かち合える。わたしはそういう店はとても親切だと思う。やってきただけの客を機械的に裁くのではなく、了解をか��した相手に時間はかかっても美味しいコーヒーを、という方が、人間として心が通っているようにわたしは感じるし、うれしいからだ。一言も交わさなくても、それはもう対話なのだ。わたしのアルバイトも似たようなもので、チャージを1000円払うことへの了解を必ずとる。そして、それを了解してくれる人だけに、おもてなしをする。了解を交わした相手は、単なる客と店員という関係で一般化できないものをたくさんふくんでいる。だから、奇妙にも距離が近く遠いなかよしがたくさんわたしにはいる。幸せなことだ。
かなり長い時間をその店で過ごした。店主のやり方は、喫茶店としては珍しくないかもしれないが、カフェとしては相当マイナーで、やる気がないように見えるかもしれない。野暮だから口にはしなかったが、怒る人もいるかもしれないことである。けれど、目の前のコーヒーと店の雰囲気がすべてを証明していた。私たちはそれに触発されて、どんな店を自分だったら開きたいか、とかを話した。
白楽駅で連れと別れ、私はひとり自由が丘へ。プールで1時間泳いだ後、みどり湯でサウナに5回入り、体重を測ると減っていたので、なんだか達成感があった。
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なろう系にはまった結果一年で大量に読みまくった件
去年の6月に「剣士を目指して入学したのに魔法適性9999なんですけど!? (年中麦茶太郎@ZZT231)」という作品をふらっと読んだことをきっかけに小説家になろうに掲載されている作品を暇さえあれば読みまくるという一年を過ごしてきました。 そのほとんどが異世界転生ものでネット上では展開が強引、理不尽等とあまり好まれていないような感想が多いのですが、それらがボクは大好き。「おれつえぇばっちこい!」「もっと読ませろ」てな勢いで読み、気がついたらブックマークが70を超えるという状況になってました。 ここまでブックマークが増えてしまうと連載途中の作品の更新があるたびに「あれ、この人って誰だっけ」「どんな展開?世界?」と大混乱に陥るのですが���れもまた楽し。まだまだなろうの世界からは抜け出すことは出来ないし抜ける気も無いのでいい趣味が出来たと喜んでいます。 70を超えたまぁ中途半端なタイミングですが、ここでボクが読んできたものをリストアップ、何か皆さんの参考になればいいなと思います。
ちなみにこれだけ読んできてこれは面白かった、オススメというものが何作かあります。気になった方は一番最後にあげておくので是非読んでみてください。
しかし、よくまぁこれだけ読んだなぁ・・・
2019/06/08現在ブックマーク(追加逆順)
陰の実力者になりたくて! (逢沢大介) 装備枠ゼロの最強剣士 でも、呪いの装備(可愛い)なら9999個つけ放題 (坂木持丸/キーチ) ネクストライフ (相野仁) フリーライフ ~異世界何でも屋奮闘記~ (気がつけば毛玉) 八歳から始まる神々の使徒の転生生活 (えぞぎんぎつね) 転生令嬢は冒険者を志す (小田 ヒロ) 神々に寵愛されし無敵の大賢者、世界一の指導力で魔法女学院の落第生たちをチートに育てあげて成功させる (相野仁) 魔法世界の受付嬢になりたいです (まこ) 29歳独身は異世界で自由に生きた…かった。 (リュート) 日常ではさえないただのおっさん、本当は地上最強の戦神 (相野仁) 最強の鑑定士って誰のこと?~満腹ごはんで異世界生活~ (港瀬つかさ) 万年Dランクの中年冒険者、酔った勢いで伝説の剣を引っこ抜く (九頭七尾) 二度目の人生を異世界で (まいん) 魔王討伐したあと、目立ちたくないのでギルドマスターになった (とーわ) 若者の黒魔法離れが深刻ですが、就職してみたら待遇いいし、社長も使い魔もかわいくて最高です! (森田季節) 仲良し三人娘の異世界冒険旅行 ~勇者らしいのでちょっと魔王を倒してきます~ (いかぽん) 村人ですが何か? (白石 新) 元・世界1位のサブキャラ育成日記 ~廃プレイヤー、異世界を攻略中!~ (沢村治太郎(合成酵素)) 完全回避ヒーラーの軌跡 (ぷにちゃん) 召喚された賢者は異世界を往く ~最強なのは不要在庫のアイテムでした~ (夜州) 魔術学院を首席で卒業した俺が冒険者を始めるのはそんなにおかしいだろうか (いかぽん) 失格紋の最強賢者 ~世界最強の賢者が更に強くなるために転生しました~ (進行諸島) ちびっこ賢者、Lv.1から異世界でがんばります! (彩戸ゆめ��� 勇者の代わりに魔王討伐したら手柄を横取りされました (赤丈聖) アラフォー賢者の異世界生活日記 (寿 安清) ひとりぼっちの異世界攻略 ~チートスキルは売り切れだった(仮題)~ (五示正司(SH0J1)) 支援術師の迷宮探索記 (雨宮和希) 異世界賢者の転生無双 ~ゲームの知識で異世界最強~ (進行諸島) 自重しない元勇者の強くて楽しいニューゲーム (新木伸) 聖女の魔力は万能です (橘由華) 痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。 (夕蜜柑) 冒険家になろう! ~スキルボードでダンジョン攻略~(WEB連載版) (萩鵜アキ) どうやら私の身体は完全無敵のようですね (ちゃつふさ) 異世界居酒屋「のぶ」 (蝉川夏哉/逢坂十七年蝉) 境界迷宮と異界の魔術師 (小野崎えいじ) 異世界魔法は遅れてる! (鼻から牛肉/樋辻臥命) 【web版】Lv2からチートだった元勇者候補のまったり異世界ライフ (鬼ノ城ミヤ) 村人転生~最強のスローライフ (タカハシあん) 異世界の迷宮都市で治癒魔法使いやってます (幼馴じみ) 異世界召喚は二度目です (岸本 和葉) クラスごと集団転移しましたが、一番強い俺は最弱の商人に偽装中です。 (かわち乃梵天丸) 農民関連のスキルばっか上げてたら何故か強くなった。 (しょぼんぬ) そのおっさん、異世界で二周目プレイを満喫中 (月夜 ��(るい)) 転生貴族の異世界冒険録~自重を知らない神々の使徒~ (夜州) 最強の魔導士。ひざに矢をうけてしまったので田舎の衛兵になる (えぞぎんぎつね) 転生賢者の異世界ライフ ~第二の職業を得て、世界最強になりました~ (進行諸島) 異世界チート魔術師(マジシャン) (内田健) LV999の村人 (星月子猫) 異世界のんびり農家 (内藤騎之介) 真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました (ざっぽん) 暗殺者である俺のステータスが勇者よりも明らかに強いのだが (赤井まつり) 大魔王様の街づくり~魔法と科学と魔物が創る理想の街~ (月夜 涙(るい)) 魔王様の街づくり!~最強のダンジョンは近代都市~ (月夜 涙(るい)) 外れスキル【地図化】を手にした俺は、最強パーティーと共にダンジョンに挑む (鴨野 うどん) 絶対に働きたくないダンジョンマスターが惰眠をむさぼるまで (鬼影スパナ) ハンネローレの貴族院五年生 (香月 美夜) 魔王様、リトライ! (神埼 黒音) 治癒魔法の間違った使い方~戦場を駆ける回復要員~ (くろかた) ここは俺に任せて先に行けと言ってから10年がたったら伝説になっていた。 (えぞぎんぎつね) とんでもスキルで異世界放浪メシ (江口 連) 異世界でスキルを解体したらチートな嫁が増殖しました − 概念交差のストラクチャー − (千月さかき) デスマーチからはじまる異世界狂想曲( web版 ) (愛七ひろ) 賢者の孫 (吉岡剛) 転生したらスライムだった件 (伏瀬) ありふれた職業で世界最強 (厨二好き/白米良) スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました (森田季節) Re:ゼロから始める異世界生活 (鼠色猫/長月達平) 蜘蛛ですが、なにか? (馬場翁) 最強剣聖の魔法修行 ~レベル99のステータスを保ったままレベル1からやり直す~ (年中麦茶太郎@ZZT231) 本好きの下剋上 SS置き場 (香月 美夜) 本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ (香月 美夜) 剣士を目指して入学したのに魔法適性9999なんですけど!? (年中麦茶太郎@ZZT231)
たんたん的オススメ小説 本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ (香月 美夜)特にオススメ ありふれた職業で世界最強 (厨二好き/白米良) 蜘蛛ですが、なにか? (馬場翁) 転生したらスライムだった件 (伏瀬) 最強剣聖の魔法修行 ~レベル99のステータスを保ったままレベル1からやり直す~ (年中麦茶太郎@ZZT231)
転生令嬢は冒険者を志す (小田 ヒロ)
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『御手洗潔と進々堂珈琲』
島田荘司の『御手洗潔と進々堂珈琲』を読んでいます。
私はコアなミステリーファンで、アガサ・クリスティーやエラリー・クイーンやディクスン・カー(カーター・ディクスン)はほとんど読んでいます(ヴァン・ダインはペダンティックすぎてあまり好きではなく、それほど読んでいません)。
日本の探偵小説も江戸川乱歩とか横溝正史とか、それなりに読みましたが、あまり面白いとは思っていませんでした(その流れで夢野久作の『ドグラマグラ』や中井英夫の『虚無への供物』も読みました。この二作は傑作だと思いますが、所謂「探偵小説」に入るかどうかはかなり疑問です)。
そんな時に島田荘司の『占星術殺人事件』を読んで度肝を抜かれました。いや、素晴らしい(その後、テレビでドラマ版『金田一少年の事件簿』を見ていたら、『占星術殺人事件』のメイントリックをそのまま使っていたので驚きました。「パクリ」だと社会問題にさえなって、あのドラマは再放送もDVD化もされていないと思います)。
その後、島田荘司の小説はほとんど読んでいるはずですが、やむをえないこととは言いながら、さすがにパワーダウンは否めません。
で、『御手洗潔と進々堂珈琲』です。
進々堂というのは京都・百万遍にある喫茶店です。なかなか風情がある……というか、喫茶店らしくない喫茶店で、真ん中に大きなテーブルがあり、ベンチがそれを囲んでいるので、知らない人が見たら京都大学の一部だと思うかもしれません。
学生劇団「風波」にいた頃、徹マン明けによくここで朝食をとりました。ここのコーヒーは最初からミルクが入っているのが特徴です。昔はそれが「ハイカラ」だったんですかね。
そういう懐かしさもあって期待して読んだのですが……
うーん、これはダメです。
そもそもこの本は探偵小説ではありません。京都大学に憧れ京都で浪人生活を送っている青年が、京大医学部に在学している御手洗潔(彼が京大出身だというのは初めて知りました。作者の島田荘司は京都とも京大ともあまり関係がないはずですが……)と話をする、世界中を放浪した御手洗は障害者問題や戦争の問題について語るという連作短編集です。
私には御手洗が随分偉そうで嫌な奴にしか思えませんでした。
名探偵というのは頭脳明晰ですがどこか変人で、社会的にはマージナルな存在であるというのが通例です。ホームズだってポワロだってそうです。御手洗潔も最初はそうでした。それがいつの頃からかエリートになってしまい、海外の大学に迎えられ教授になってしまったーー私は自分自身が教授ですから、教授なんて偉くもなんともないと思っていますが、その話し方たるや変に英語交じりで鼻持ちならないエリート臭がします。
この連作短編でもそうです。御手洗は自分の海外での体験を元に社会的な問題を語るのですが、どれほど海外で経験を積んだか知りませんが、まだ20代の若者が全てを知ったように「上から目線」で語る姿には正直、閉口します。
もちろんそこに書かれているのは、作者・島田荘司の思うところなのでしょうが、それならなぜ御手洗潔を主人公に小説の形で書かねばならなかったのでしょう。その方が売れるからですか?
社会問題を論じるならそれにふさわしい形、つまり論説文やノンフィクションの形で書くべきです。小説や芝居は「社会に切れ込んで行かねばならない」と言う人がたくさんいるのを私は知っていますが、私は到底賛成できません。
そういう小説や芝居があってもいいとは思います。ただ、それはやはり小説や芝居を伝達の「手段」として使うことであり、そうして書かれた小説や芝居は「主人持ちの文学」でしかないと思います。
期待が大きかっただけにがっかりさせられた本でした。
気分直しに久しぶりに京都へ行って、進々堂でコーヒーでも飲もうかな。
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演劇ユニット・チーム銀河×モンゴルズシアターカンパニーは毎月第4日曜の14時に大阪・四ツ��のイサオビル2階ホールで新作『リハーサル』をロングラン上演中です。
次回公演は4月28日(日曜)です。
また、それと並行して『改訂版・オズの部屋探し』も毎月第3土曜の18時半に大阪・緑橋の杉浦実業株式会社2階会議室でロングラン上演中。
次回4月20日(土曜)がいよいよその千秋楽。フランス語字幕付きで上演いたします。
みなさまのご予約・ご来場をお待ちしております。
詳しくはこのサイトの「次回公演」のページをご覧ください。
『リハーサル』http://toura-h.wixsite.com/team-ginga/blank-10
『改訂版・オズの部屋探し』http://toura-h.wixsite.com/team-ginga/jikai
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その日の行動予定と買うものリストを記した紙切れを出先で落とすと焦る。
そのメモが無くなることよりも、誰かにそれが見られるのが恥ずかしい。
コンパル(喫茶店)に行くことをわざわざ書いたメモとか見られるの恥ずかしい。
知らんがな!だよな。
・洗濯
・自転車(空気入れ)
すぐに済むこともわざわざ書いてる。
今日を逃して先伸ばしになってしまうとストレスになるから。
メモしてもやらない日すらあるけど。
メモする項目を増やしたいだけな所もあるかもしれないな。
今日は「・コンパル 」と書いたが、実際はドトールに入った。
過去の自分は裏切られるのが常である。
そこに理由などなく、振り返らず
ただ未来へ進むのみである。
(ドトールのブレンドコーヒーは美味しくておすすめ。)
今日は本当はキャンプへ行くはずだったが、雨上がりでヒルが出そうだったので断念した。
そこで急遽、映画館へ『麻雀放浪記2020』を見に行くことに。
(最高映画だった。。。)
それから買い物で、パン、サングラス、小さいクーラーボックスを買った。
パンを買ったラシックの神戸屋キッチン、今日はテイクアウトしたけど、店内では野菜たっぷりのセットメニューがコスパ良く食べられるみたいで、次回利用してみたい。
サングラスは、目が充血しているので買った。
というのも昨日山に登ったのだが、山に行くまでの道のりで、ヘルメット(フルフェイス)のアゴ部から吹き込んでくる風にやられて目が充血してしまったのだ。
登山は10年ぶりのリスタートであったが、山行自体は問題なく、とにかく行きと帰りに目を守りたいと思った。
けっこういい感じのみなさんにもお勧めしたいサングラスを買えたが、
今回は、いろいろ記した紙切れを落として人に見られるのが恥ずかしいということを伝えたかっただけなので、これで終わる。
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