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今日はお天気が良いのにギックリ腰になってしまって… デスクとベッドの往復を繰り返してます💦 英語日記は Edit手帳で📖 ついつい買ってしまうシールやマスキングテープを使って楽しく日記をつけてます✌️ ☑︎英文法(アプリ) ☑︎ディクテーション ☑︎英語日記 ☑︎金フレ #studynotes #studygrammer #studying #studymotivation #studyplanner #studyplanning #英語ノート #ふせんノート #勉強机 #マークス #マークス手帳 #EDiT手帳 #エディット #エディット手帳 #手帳好きさんと繋がりたい #手帳術 #手帳好き #手帳の中身 #2023年手帳 #EDiT手帳アンバサダー #マークスのある暮らし #editdiary #marksedit #marksstationery #marksdiary #japanesestationery #stationerylover #diary #lifelog #EDiT1日1ページ https://www.instagram.com/p/CpXGWQXps8k/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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覚えている。3年前の9月、パルコの屋上で友人と映画を観た帰り道だ。橋の上から見た豊平川が黒々としていて、月光や街明かりを銀色に映す水面さえも覚えている。歩いて友人を送って、自分は菊水駅から地下鉄に乗ろうとした。改札に向かって地下へ階段を降りていると、駅のブルータイルの壁に目が奪われた。好きな青だった。一人暮らしをする予定もなかったのに、朝陽がつるりと滑るこの壁面を横目に出勤できるのは素敵だろうと思った。しばらく経って、一人暮らしをしてみたくなった時にブルーの壁を思い出した。ギャラリー犬養という札幌で1番好きな喫茶店と豊平川が徒歩圏内にある菊水での生活を想像してみて、うっとりした。菊水に住むと決めた部屋探しには半年かかった。やっと見つけたこの部屋の窓からはテレビ塔の頭が遠くに見えた。
すすきので終電逃しても歩いて帰れるから大丈夫。眠れないまま朝になったら豊平川を渡り、テレビ塔まで歩いて創成川を辿り、散歩する。人の全くいないテレビ塔や狸小路に少しドキドキする。狸二条広場で、おじいさんがベンチに座り手帳に何やら書いていた。西向きのバルコニーは、15時からの陽の入り方が綺麗だった。部屋の中で観葉植物をいくつか育てて、バルコニーで青じそを育てていた。食べては繁って、繁っては食べての夏だった。米里通り沿いの部屋だから、深夜に酔っ払いが唄歌いながら歩いているのが聞こえる。間欠的に聞こえる車通りの音と、天井を走るヘッドライトの光の流線を見ながら眠る。除雪のブルドーザーの音で深夜3時に目が覚める。朝になれば小学生と高校生の通学路、11時ごろにはお散歩中の保育園児が2人1組で手を繋いで眼下を歩いている。家の横の横断歩道をひとつ渡れば、お母さんみたいな人がやっている串屋さんがあるし、家の裏にはかっこいいおじさまと着物を着た奥さんがやられるバーがある。時間があれば、よく豊平川を見に、河川敷に行った。台湾名物、胡椒餅が売っているところがあって、17時ごろから安くなるからその時間を狙って買いに行って、河川敷で食べた。夜勤明けでパンを買って食べたことも、休日は川の水流にビールを冷やして飲んでたこともある。
心惹かれた街に住んでみて、お気に入りがひとつひとつ、増えていった。住んでみなければ、味わえなかったこと。知り得なかったこと。一人暮らしには贅沢すぎる2年間だったように思う。次の街もきっと好きになる。けれど全部全部手放して、思い出にしてしまうのが少し寂しい。段ボールに入れて持っていけないものばかりだから、こうやって日記にしておく。いつか離れるかもしれない予感を内包させているからこそ、めいいっぱい愛していたこの街との生活だった。豊平川が流れるこの街が、本当に大好きだった。
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ジェイクのステレオタイプ描写などについて
・ジェイクのステレオタイプ描写について���主に。ジェイクというキャラクターについて、自分なりに考えていることを。以下、だらだらと。かなりとっ散らかった書き方になってしまいましたが、残します。
・MCUムーンナイト。ジェイクが現状は……DIDのステレオタイプ描写に収まっている部分があること、その批判と懸念について。製作陣から、批判についての言及、問題意識の共有などがインタビューで為されていることが。大事なことだし、安心する。
ということを前提に、現状はステレオタイプに寄ってる/収まってしまっていることへの批判点注意点というか。自分なりの不安や考えなどを書きたい。
・↑このインタビュー記事の最後に、記事を書いたライター側によるジェイクの感想/予想があるのだけど。
ジェイクがもし、仮に「兄のような役割」なキャラクターだとしても……それはステレオタイプ描写の解消や帳消しにはならないよな、と思っている。
繰り返し出てくる「マーク達が困惑し恐れるほどの苛烈な殺人描写」、「病棟でハロウを捕まえるために罪人ではなさそうなスタッフが殺害されてる描写」……などが「暴力的/他害を厭わない」「ことフィクションで“サイコパス”(この用語の使われ方自体に問題あり)と名指されがちなキャラ造形」という偏見、ステレオタイプ描写に掛かっているのが問題の肝であって、
そこに「交代者を守るため」という理由が付け加えられたとしても、↑の解消にはならないというか。
あの問題点が非常に多い「スプリット 」だって、“守ること”が動機のひとつだったし……からの「Mr.ガラス」だった訳で。
ジェイクの描写の肝は「彼が何故その苛烈な役割を引き受けているのか」と同時に、「制裁の拳という役割、そこにある抑圧や支配」の構造……のようなものが描かれないと……ステレオタイプの脱却には遠いんじゃないかな……と。
・病棟で殺されていたスタッフは、実は酷い罪人だったという事実などが後から明かされる可能性もあるけれど、
例え相手が“罪人”��ろうが、人を殺し続けることは、その役割は、辛いことであり。自分が殺した人間を「忘れられない」マーク・スペクターの姿が描かれたことが重要だし、MCUムーンナイトの好きなところなので。
コンスによる、“罪人の裁定”と“死で贖う”という手段について。そもそもの、その定まりについて。
アメミットの“剪定”の暴力性の次は……コンスの定める“制裁の拳”という在り方についてを問う,コンスという“父/支配者”の姿を問う話を……見たいんですよねほんと……続編………
・ジェイク、作中で散りばめられた要素が複雑で。
シーズン1では明かされなかった物語の多くの空白部分や時系列に。アーサー・ハロウの生死についても製作陣によって捉え方が異なっていたり。
ジェイクはほんと、まだまだ謎だらけで、それ故にステレオタイプ描写が印象深くなりがちだけれど。
以前↓の関連記事にも書いた、ジェイクと「子供の死の描写(子供を死に追いやるような描写は、ハロウやコンスとは異なり、ジェイクにはない)」 や「マークの自傷描写との繋がり」は、大事なんじゃないかなと。考えている。
・マークの自傷(を思わせる)描写とジェイクとの繋がりについては特に。「迫害者人格」を意識した、丁寧なキャラ造形が考えられていたりしないかな、とも思っている。
虐待者/加害者から身を守るための、予測と学習、模倣から。虐待者との同一化が起きること。身を守るための学習が、自らへの攻撃/自虐/自傷に転じていくことがあること。
保護者であり攻撃者でもある、そういった複雑な側面を持つ交代者がいたりすること。“迫害者人格”と呼ばれたりすること。
ジェイクにとって、マーク達は保護すべき存在であると同時に。彼にとっての、憤りや苛立ちや悲しみの対象/要因にもなりえたりしないか……と、いろいろ考えてしまう。
・コンスが封印されてからは……ほとんどジェイクが現れずにいたことも、いつか何かしら明かされるのか否か、気になる
(コンスが封印されていた状況では出てこない?ただ間が悪かった?コンスとの依存や信頼?それとも、ハロウが言うような解放の静寂/自由なるものを真に実感していたのはもしかしてジェイク?)
(Twitterに2022年7月に書いた感想の一部。抜粋/少し書き足したり整えたりしてまとめたもの。後から更に書き足したり他記事と繋げたりするかもです
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公開初日舞台挨拶オフィシャルレポート!
このたび、映画『碁盤斬り』の公開を記念して豪華キャストが勢ぞろいし、公開初日舞台挨拶を開催いたしました!映画公開初日の天気は快晴。「天気も味方してくれました。足を運びやすいお天気でうれしいです」と笑顔の草彅さん。続けて「今だから観る意味があるような作品になった気がしています。時代劇は若い方とか足が遠のいているとか小耳に挟んだりもするし、あまり得意じゃない方もいらっしゃる中で、逆に今、この作品を届けることに意味がある気がしています。テクノロジーが発達している時代だけど、ひとつひとつの動きやセリフに重みのある、重厚感のある作品に出演できたことを幸せに思っています」と思いを語りました。清原さんや中川さんのような若い役者も出演している本作は「2人のような若いグルーヴもあって、若い方から年配の方まで。世代問わず楽しんでいただけます」とニッコリの草彅さん。市村さん、國村さんの方に視線を向け、「そして、大先輩方もいらっしゃって。(萬屋源兵衛役の)國村さんと(柳田格之進役の)僕とのラブストーリーでもあるので『おっさんずラブ』みたいな感じ?」と説明すると「僕の片思いだけどね」としょんぼりの國村さん。そんな國村さんに優しい笑顔を見せながら草彅さんは「僕たちの恋愛物語や、いろいろな感情がある作品なのでたくさんの方に観てほしいです」とおすすめしました。
囲碁を打つ場面では草彅さんと國村さんは敵同士。「囲碁を通じて距離が近づいていく感じがすごく面白いです」と話した草彅さんでしたが「僕は、囲碁のルールは分からなくて(笑)。(中川)大志くんの(囲碁の)シーンはすごくかっこいい。(清原さん演じるお絹との)ほのかなラブストーリーもあるし」と中川さんのシーンの見どころを挙げベタ褒め。すると中川さんは「格之進さんは囲碁のルール知らなかったんですか?」と��きを隠せない様子。「僕は(碁石を)置くところだけは分かってる」と答える草彅さんに登壇者の全員が大爆笑。「置くところだけは分かっている2人」と自身と國村さんの囲碁の知識を明かした草彅さんは「お客さんもルール知らないでしょ?だから、僕はルールが分からなくても没頭できるぞという役作りをしました。お客さんの気持ちに立っての役作りです」と胸を張り、会場を笑いの渦に包みました。本作のオープニングは碁盤のアップから始まります。「碁盤もすごいやつ。監督もしゃべって!」と説明を促した草彅さん。「江戸時代のものを借りました」と明かす白石監督に「すごいものなんだけど、だから何だって話かな(笑)」と返し、登壇者の笑いは止まらず。そんな中、草彅さんは「囲碁のルールの話じゃないから。囲碁をお借りして、人の物語を描いています」と本作のテーマに触れ、「その辺を加味した上で、宣伝部員のみなさん、周囲への宣伝をよろしくお願いいたします!」と草彅さん節を交えながら会場に呼びかけ、大きな拍手を浴びました。切腹しようとする格之進をお絹が止めるシーンには緊張感が溢れており、撮影時の思いを訊かれ「何としてでも止めなきゃ!という思いでした」と振り返った清原さん。(格之進を演じる)草彅さんを隣でずっと見ていたからこそ、「止めたい」という思いが湧き出てきたという。「叫ぶようなシーンだったのですが、叫びすぎて声を枯らしてしまって。あのときは本当にご迷惑をおかけしました」とお詫びする清原さんの姿勢に草彅さんは「まさに全身全霊。清原さんのエネルギーを感じて、こちらこそ感謝です。思いっきり格之進を演じることができました」と感謝。草彅さんの清原さんへの賛辞は止まらず、「本当にすごいんですよ、清原さん。それに対して格之進。どんな父親だよって思いました。ひどい父親です。客観的にそう思いながら演じていました。もし、止めてもらえなかったらどうなっていたのか。そうなったらあのシーンでストーリーが終わっちゃうから、止めてもらえて本当によかったです」と安堵。京都の長屋を使って撮影し、切腹には斬り方にも着物の脱ぎ方にも所作がありとても難しいシーンだったと白石監督が振り返ると、草彅さんは「撮影は1年前。京都の撮影所で寒かったな」と撮影当時の様子を懐かしそうにしていました。白石監督作品への出演について市村さんは「監督の作品は血もたくさん飛び散るし、ちょっとグロいイメージ。お話をいただいたときは、どこで斬られるのかって思っていました(笑)」と斬られるシーンを期待していた模様。「衣小合わせのときに、すごく素敵な柄の着物を着せてもらって、すぐに長兵衛の気分になりました。役者だから衣裳ですぐにその気分になる。そして(シーンの)相手役は剛くん。サイコーでした。今後ともよろしく」とペコリ。演じる際には「長兵衛として格之進を、市村として剛くんをというダブルミーニングの気持ちでした」と解説した市村さんのコメントに草彅さんも「僕も、市村さんが僕を…という思いでやってました!」とお互いに役として、そして本人としての関係性が芝居に反映していたと語る場面も。「忘れてはおらんな」というセリフが印象的というMCの言葉に「そんなシーンあったっけ?」と答えた草彅さんに会場は大爆笑。清原さんと中川さんが丁寧にそのシーンを小声で解説するも「あったっけ?」とニヤニヤの草彅さんは「僕、もう1回観なきゃ」とリピート鑑賞を宣言。草彅さんのこの反応に白石監督は「思い入れが強いシーンです。(斎藤)工くんとあんなことになり、荒ぶった状態で出たセリフです」と補足しつつ、おすすめの瞬間であることをアピール。中川さんも「あのシーンの撮影は実はスタジオ。ロケじゃないんです!」と興奮気味に話し、“橋”に注目と目を輝かせました。白石監督が「日本の名作映画と同じ橋を作りました。日本映画のとあるいち場面を作って、そこで草彅さんにあのセリフを言ってもらって…」という日本映画としても重要なシーンであると補足すると、草彅さんは「おいしいところをいただいてしまって、光栄です」とうっかり忘れてしまっていたことに苦笑いしながらも、感謝の言葉を述べました。清原さんと中川さんは撮影の合間もずっと囲碁の練習をしていたそう。「中川さんが本当に強くて。負け戦でした」とがっくりの清原さん。「アプリなども使って勉強して。たまにルールを知らない草彅さんがやって来て…」と中川さん。草彅さんが「美男美女が囲碁をやっている姿は絵になる!本当にかっこいいんです」と褒めるも、「チラッと覗いて、何も言わずに去って行くだけ」と草彅さんの動きを再現しながら大笑いの中川さん。草彅さんは「若い2人が囲碁に興味を持ってくれてよかった。僕が最初に(囲碁の)先生に置くところだけでいいから教えてって言っちゃって。先生がしょんぼりしちゃって。2人が食いついてくれたから、先生に笑顔が戻って(笑)。ちゃんとしないとダメだなって思いました。2人はすごく大人で賢い。僕はすぐ思ったことを言って“あっ”ってなっちゃう(笑)」と反省しながらも、会場を和やかなムードに包み込みました。「囲碁のように白黒はっきりさせたいこと」という質問に「世の中、大概のものはグレー。グレーも帳尻合わせには必要。白黒はっきりさせるのは囲碁の中だけ。(現実では)見たこともない世界が映画に描かれています」と上手に作品をアピールし、胸を張る草彅さん。格之進のように絶対に譲れないものを訊かれた白石監督は「映画をやってきて、映画に育ててもらった身。映画って楽しいという気持ちは譲れません」と映画人らしいコメントで会場を沸かし、國村さんが「僕はいつも譲りっぱなし。なんぼでも譲りますよ」と余裕のムードで話すと、「この懐のデカさが演技につながっている気がします」と反応した草彅さん。「國村さんは長台詞をさらっ��流れるように言うから、もう僕の番だってなる。その焦りで緊迫感が生まれて役に入らせてもらえる。セリフ終わりは白黒分かってないとダメだね。いいこと言ったかな?」とニヤリの草彅さんに続き、市村さんが「納豆は100回かき混ぜ、お醤油を入れる。いい泡になったところでお醤油を入れてそこから50回(かき混ぜる)。それは譲らない」とおもしろコメントで繋げていきました。このところ健康に関するコメントが多い草彅さんは「腸活にもよさそう!僕もやろう!」と興味津々でした。中川さんは「最近、白黒写真が好き。撮影中もカメラの話で盛り上がり、音尾(琢真)さんが現場に(カメラを)持ってきていて、まんまと口車に乗せられて購入しました。草彅さんや果耶ちゃん、みんなを撮って。扮装している状態を、セットの中で白黒写真で撮ると本当にかっこいいんです!」とうれしそうに話しました。「花粉症なんだけど、黄砂かもしれないと言われて。どっちなんだろうって」と白黒させたいことを語った清原さんに、「京都、辛かったよね」と反応した中川さん。草彅さんも「はっきりさせたいよね、治療法が変わるから」と娘の健康に気遣う優しい父の顔を見せていました。最後の挨拶で草彅さんは「朝早くから観ていただいてありがとうございました」と感謝。続けて「最後のシーンを撮った日のことは鮮明に覚えています。1年以上前に撮った作品をやっとみなさんに届けられる。この1年、楽しいこともたくさんあったり、嫌なことも少なからずあったり。この映画に映し出されている僕たちは、もう帰ってこない。あのときの演技も今じゃできない。僕たちが生きていたその瞬間その瞬間を思いっきり詰め込み、みなさんに届けたいという一心で作り上げたものです。今は忘れている古き良き時代のいい魂を映画に込めました。娯楽映画としても楽しめますし、心が穏やかになったり、何か感じていただけるものがあるとうれしいので、どうぞよろしくお願いいたします」と呼びかけ、会場に集まった宣伝部員に対しては「ハッシュタグは碁盤斬りです。ごはんじゃないよ。ごばんだよ。点を入れてね。香取(慎吾)くんにはやめろって言われるけれど、(ごはんじゃないよって)何回でも言い続けます。いっそのこと“ごはんぎり”でもいいけれどね(笑)」とコメントし、最後まで笑いを誘うイベントとなりました。
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2022
夢を見るには眠すぎる
目が覚めると外は一面の雪景色に変貌していた。「すごいって、早く会社行って雪かきした方がいいよ」と妻がいう。もう少しだけ布団の中でグダつきたい。隣で寝ている息子の顔を眺めていたいけれども、妻のいうようにぐちゃぐちゃになった顧客用の駐車場のことを考えると、もう嫌な気持ちでいっぱいになった。この季節は全部マイナスからスタートしていくのが嫌だ。たとえプラマイゼロまで持って行っても、くだらない書類の空白を埋めていかなければな��ない。寝息を立てている息子のさらに隣で寝ている娘の顔を覗き込むと、私に気づいて信じられないくらい笑顔で笑っている。妻は先に目を覚ましており、蛍光灯もつけず私のお弁当を作っていた。これから始まる絶望的な季節、金にならない労働が幾分か頭をよぎっているようだった。だいたいこの時期になれば”こんにちは、雪です。一年ぶりですね”といった具合に簡単な挨拶にくるものだったから油断していた。”あー降ってきやがったなー”と思った翌日には、特殊作戦群が扉の前に"ステンバーイ…"と待ち構えていた。
繋がりとか縁とか言うとちょっと恥ずかしい
ここに集まった人みんなは"何かのご縁"で集まっていると思います。今日を迎えるにあたって、僕とイトーくんの縁はなんだろうと考えました。出身も違えば大学も学部も違うし、サークルも違うし、仕事も趣味も多分違うし、多分国籍が一緒くらいなもんで、たまたま今から10年以上前にいった神楽坂の竹子——ほんとうにひどい飲み屋ですよ——の一角でたまたま隣のテーブルに座っていて、たまたま私の元カノの友達——それも2、3回しか会ったことなかったんですよ——といっしょにいて、酔った勢いで話しかけてみて、そのまま仲良くなるという縁が、ここまでずっと残るとはあの時思わなかったです。今になってみれば何であの飲み会行ったかも、逆になんで自分があの飲み会誘われたかも今ではよくわかんないし、もうすこし気持ちが乗らなかったら外に出なかったかもなーとか、竹子のビールがもう100円高くて上等なものだったらあそこまで酔っ払ってなかったかもなーとか、その後なんとなく皆んなで東京タワーまで歩く気分にもなってなかったかもしれないです。なんというか僕はラッキーだなーと思ったんです。
そうして思い返していると、一緒にいると楽しいかもとか面白いことがことが起こるかもしれないという予感のようなものが縁だったのかなーと思うのです。よくわからん人付き合いには、ふわふわと縁なんて言ってヘラヘラ誤魔化してしまうんですけど、今日はもう少しだけ踏み込んでみるとあの時確かに"いい予感がした"んだって、やっぱり楽しいそうだなって予感が、あの時したんだと思います。みなさんも、お二人も、きっとそうじゃありませんか。
そして、その元カノの友達はイトーくんと飲んだくれているうちに、今では直接の大事な友達として、今日まで仲良くしています。彼女はいまロンドンにいて、ここに来ることができませんでしたが、手紙をいただいておりますので、代読させていただきます。
Hからの手紙を読む
結びになりますが、今日はお招きいただきありがとうございます。奥様とは今日初めてお会いしますが、二人���本当に愛し合っていることが身にしみてわかって、すごく嬉しいです。イトーくんをよろしくお願いします。今日は李賀のように飲みすぎるなと妻から釘を打ち込まれておりますが、たくさんお酒を飲んで、仲良くなって楽しい気持ちで帰りましょう。こんにちの縁が、美しい予感が、ずっと続くことを祈念しまして、お祝いのあいさつとさせていただきます。
手紙の中で語られた、昔イトーくんが酩酊状態で突如として朗読した李賀の漢詩
琉璃鍾 琥珀濃 小槽酒滴眞珠紅 烹龍炮鳳玉脂泣 羅幃繍幕囲香風 吹龍笛 撃鼉鼓 細腰舞 況是青春日將暮 桃花乱落如紅雨 勧君終日酩酊醉 酒不到劉伶墳上土
ガラスの杯は濃い瑠璃色に輝いている。 小さな桶から酒が滴って紅の真珠のようだ。 龍を煮、鳳を包み焼きすると、玉の脂がジュージューと泣くようにこぼれる。薄絹の帳と刺繍した幕にいる囲まれた中に、かぐわしい風がそよぐ。 龍の笛を鳴らし、ワニ皮の太鼓を打ち、白く美しい歯の美女が歌い、細い腰をくねらせて舞う。まして春だ。日はまさに暮れようとしている。桃の花は乱れ散り、紅の雨のよう。 君に勧める。一日中、ぐてんぐてんに酔いたまえ。かの劉伶でさえ、墓にまで酒を持ってはいけなかったのだ!
今年生まれてきた娘についてのごく個人的な考察
兄妹そろって妻寄りの顔つきなので、3人並んでいると本当にそっくりだなーと思う。加えていえば、妻は3つ子なのでこの世に似ている顔が6つあることになる。ややこしい。
じゃがいもについて
「ねえ僕は実はさ、じゃがいもってあんまり好きじゃないんだ」
「えっ?! どういうこと?? 私むしろ入れるようにしてたんだよ?お腹いっぱいになるかなって思って、それも結婚してから5年もたってるのよ?本気で言ってるの?」
「そうなんだよ、そこなんだよ、だっておなかいっぱいになっちゃうじゃないか。それだけでおなかいっぱいになっちゃうのが僕はダメだったんだよ実は」
「飢饉かよって思ってしまうんだ。いや、フライドポテトとかは別になんともないし、なんというかコロッケとかはむしろ好きなんだ」
「めんどくせー男だなオメーは。むしろなんにでも入れてたわ。これでもかってくらい」
「汁物に入っているやつが、なんか違うなってなっちゃう。いや、食べるよ別に、なんていうか食べれないわけじゃないんだ」
「同じコストでいろんなもの食べたいんだよ。人参とか玉ねぎとかは同じ量食ってもお腹いっぱいにならないでしょう?他のものも食べれるわけよ、米とか」
「ところがじゃがいもってマジでお腹いっぱいになるじゃん。さっき道の駅で買った郷土料理の汁物のなかに死ぬほどじゃがいも入っててさ、これじゃあじゃがいもじゃんって思っちゃって最低だったマジ。それでやっと気がついたっていうかさ、じゃがいもそんなに好きじゃないって。好き嫌い殆どないからさーあんまり考えたことなかったんだよ。いままで。そもそも山菜汁にじゃがいもいれてくるあたりセンスないよ。あの店潰れるぞ。僕は山菜が食べたいよ」
「ポトフはよく食べるじゃん」
「ポトフはギリギリ許せる。味がするから。嫌いなわけじゃないんよ、普通に食べるし」
「めんどくせー男だなーーーマジで」
「カレーは?」
「カレーはじゃがいもっていうかカレーだからイケるな」
「5年も真顔で好きでもないじゃがいも食べるのやばいって」
「そういうの早くいってよ」
今年買って買ってよかったもの
小型のマッサージガン マツダのcx-5(ディーゼル4WD) デスストランディング(いまさらプレイして最高傑作だった)
この記事は2022 Advent Calendar 2022の5日目として作成されました。前日は nobokoさん、明日はまとさん⭐️🇶🇦さんです。
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信長と俺。
信長との違いは、いっぱいある。例えば、信長は、もう存在している人の輪に入るのが上手い。そこに元々いた人たちが嫌な思いをすることはなく、サラッとその場に馴染めるし、誰とでも割と上手に仲良くなれる。俺は、もう存在している輪の中に入るのは苦手だ。その輪の中のそれぞれの関係性を目の当たりにすると、どうしても一歩下がってしまう。自分との仲の良さと、歴が長い人・元々仲が良かった人との距離感を目の当たりにしたときに、どうしても、自分はそこに辿り着けないと感じるし、仲の良いその人たちの間に入ることも出来ないと感じてしまうから。人と人との関係性が見えれば見えるほど、仲間になることが難しいと感じる。例えばアニメのように、魔王を一緒に倒すとか、冒険を一緒にするとか、全国を目指すとか、何かを一緒に頑張るとか、そういう共通の何かがあればそんなことは思わないのかもしれない。でも、人付き合いでは決してそういうゴールのようなものはないからこそ、どう仲良くしていいのかがわからなくなる。そして同じように、仲の良い奴に自分よりも仲良くしてる奴が出来ると、これまたその輪の中に入れない。どころか、自分の知らないところで何かがあると、蚊帳の外にいる気がして、仲の良い奴から距離を取りたくなる。そして、みっともなく嫉妬もしてしまう。そして信長は、そういうの��上手い。人との距離感のとり方も、誰かと比べることなく自然体でいる姿も。だからみんな、信長のことを好きになるし、信長の印象が良い奴になるんだろう。勿論、俺から見ても、信長は間違いなく良い奴ではあるし、異論もない。
他にも違いはある。上記の続きで言うなら、個人間の付き合い方だろうか。信長は、確かに自分と同じで気分の上がり下がりがあるし、忙しくなると物事に手を付けられなくなるタイプではある。それでも、コミ��ニケーションを蔑ろにしたりはしないし、ちゃんと連絡取る人には連絡をする。そして、連絡ができなくても受け入れてくれる人にはちゃんと甘えられる。緩く自分を甘やかしながら自分にとって居心地のいい具合を探せる。勿論、崩れてしまうこともあるけれど、よっぽどのことがない限りは、緩く生きていける。俺は、個人間の付き合いも苦手だ。そもそも相手に対して自分から連絡することができない。俺にとってのそれは、凄く甘えだから。だから、自然と相手の返事を待って行動することになるし、それなのに気分の上がり下がりがあるから、突然返事をしなくなることもある。いくら待たせてもなんのリアクションもなく、長いこと待っても返事がくることはなく、毎度毎度新しい会話ばかり。前の会話に返されても、長く待たされてしまっては、なんのことだろう?となるかもしれない。でも自分は、それをしてしまう。早く返せるときもあるし、自分の中で調子がいいときはマメに連絡ができる。なのにある日突然、出来なくなったするのだから、相手からしたらマジで、は???って感じだと思う。
こんなにもタイプが違くて、得意不得意も多分違くて、学校とかで出会ってたらきっと仲良くなってなかったとすら俺は思う。信長はいつも、でもきっと、俺が禎丞のこと気になって、結局付きまとうことになって仲良くなると思う!っていうけど。(笑)学校でのタイプの違いもありだな。
学校でのタイプの違いでいうと、きっと信長は、クラスの一部のグループにちゃんと属してて、それなりにいろんな人と仲良くしてるタイプ。ニコニコしてて、誰とも分け隔てなく接してて、順風満帆なそういうタイプだと思う。これは、信長の意見も聞いてみたいけど。そして俺は、多分どのグループにも馴染めなくて、一人でいるタイプ。休み時間はきっと机に突っ伏して寝てるか、音楽聞いたりして一人でぼーっと過ごしてるかだろうし、放課後はどの部活にも属さずに、すぐ帰ったりする。偶に早退したりもするんだろうな。あとは、保健室で一時間だけ休んでたりするような、そういうタイプ。文化祭のときはきっと、信長はなんだかんだクラスのみんなと和気あいあいと準備して、当日も仲の良い子たちと回ったりするんだろうな。俺はきっと端っこでなんとーく準備したり、下手したら準備終わった瞬間ふらっとトイレとか行っていなくなったりする。当日はきっと一人で適当に食べたいもの食べて、それすら面倒くさくなったら、適当に空き教室探して音楽とか聞きながら最早文化祭に参加しないタイプ。あとはなんだろ、それこそあれかな。午前の部と午後の部で、あっちがーこっちがー、友達と回りたいのにーとか言ってる子たちを見ながら、その子達がみんなで回れるようにみんながやりたくない方の部をやるくらい。体育祭はどうかなー。ああ見えて信長は面倒くさがり屋だから、仲の良い子を応援しつつ適度にサボってそうだな。俺はきっと見学とかかな。日陰でのんびり。目立ちたくないし、目立たない方法で。
いやー、こうやって書き出すとかなり違うタイプだな。なのに仲良くて、なのに依存しあってて、信長は俺のことを大好きって言ってくれるし、愛もくれる。それどころか、来世もその先も必ず見つけるし、また一緒に生きるんだ!だから来世も来来世もその先も、生まれ変わる度によろしくねって言ってくる始末で。俺はどうしても、信長に仲良い人が出来ると身を引きたくなるし、嫉妬もするし、自分たちの関係性について見返すと、俺の方が依存してて甘えてるんじゃないか?とか思って離れたくなったりもするけど、その度に信長は、そう?って言ってくる。
自分は禎丞がいなくなると、まともに食事したり寝たりすることが出来なくなって、自分でいられなくなる。人間としての生活が出来なくなるし、人間らしくいられなくなるから俺も中々に依存してるよ?
そう言ってくれる信長のことが、俺は好きだし、大好きだし、愛してるよ。
って。それを聞く度に、俺より信長の方が重症だなってホッとするし、きっと信長はホッとしていることすらわかってる。だから態々口にして言ってくる。俺が勝手に自己解釈して、信長のそばから居なくなったりしないように。自分のそばに留める為に。他の人に、嘘だと思ったことないの?って聞かれたこともある。でも、俺は信長に対して、お前がいってんの嘘だろ?なんて指摘は、出来ない。俺が勝手に離れたことは何回もあるけど、その中で、信長が言った通りのことが起きたから。俺は案外、信長と離れてもいつかどこかで受け入れてしまう。駄目になったりはしないし、きっとできない。それは信長もわかっている。だから俺らの間では、信長が俺に縋り付いているっていう表現をしても、そうだねって笑っていられる。本当の意味では、信長の言う通り、信長の方が俺に依存しているのかもしれない。それでも、目の前にいるときはきっと、俺の方が重たい。お互いに恋人が出来たりすると極端に一緒に過ごす時間が減ったり、連絡がなかなか出来なくなったり、電話できなくなったりするのに。そういうのがないと、いつまでも電話して、いつまでも話してる。それが俺らだから。依存しあってるのに、恋人は普通につくる。でも、お互いに恋人に嫉妬する。誰かと繋がる相手のことが許せない。そして、自分たちの間に入られると途端に苦しくなる。遠い距離感になると生きていけない。そこにいてくれないと生きていられない。何かが壊れてしまうんだと思う。こんな激重感情を募らせているのに、それが自分だけじゃなくて信長もだってことが、面白い。それに、幸せだとも思う。だからきっと、これからも俺は信長に、嫉妬する・嫌・嫌い・一緒にいられない・嫌になったら言ってね、離れるから・こんな俺のこと嫌いでしょ?・俺が一番じゃないと無理・俺の方が大事でしょ?って、面倒くさい彼女みたいなことを言い続けるんだろうな。そしてきっと信長は俺に、そういう禎丞も好きだよ?だから一緒にいたいし、一緒にいるって言い続けてくるんだろうな。しまいには、嫌になったら言うね?そんな日来ないけどって、どっからくんの?その自信ってことを言ってくるんだろう。でも俺はきっと、その言葉に救われて、ホッとして、これしか言えなくなるんだ。
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父親、70代半ば。定年してから家ですることないし何もしないし酒飲んでばっかり。人との関わりもできないし社会と関わり持つようなこともなくて時々2階の自室から降りてきて、家族にあることないこと文句言う。で、本人もコミュ障なのかアスペなのかわかんないけど、酒飲んでなくても認識がおかしいところもあるし、何よりも怒る事くらいしかエンタメがないのか、過去の嫌だった事を1人で煮詰めて、それがグツグツしてペースト状のドロドロになった頃に人にぶつけたりする。友達とかはいない。一緒に遊びに行く友達の存在とかもほぼ居なかったと思う、聞いたことない。すぐに人をこき下ろしたがるのでだれも仲良くしないと思う。極端に、周りを見下すことでしか自分の優位性を保てないんだと思う。テレビ見ても雑誌みても、フン、て偉そうに多分何も知らないのに間違っとるとか批評家気取りのズレたご高説を垂れるばかり。聞いてる側も気分悪いのでいつからか家族もまともに返事しなくなった。気を使って話しかけても、自分すごいorお前は大したことない、の話しかできないから。目的があって外出するのは月に1回の通院と、タバコと酒買いにコンビニ行くくらい。地方都市なのでヨボヨボだが車を運転していく。食事も、家族が作ったものは選り好みするし決まった時間に食べる習慣もないし、置いてあるカップラーメンやチルドうどんとかを食べてたりする。スーパーの弁当なんかも置いておくと食べてたりする。で、最近特にひどくなってきて身体も思ったように動かなかったりとかの不安もあるんだろうけど家族への暴言や暴力が頻度が高くなってきて、限界も近くなってきた。夜中に家族の寝ている部屋で訳のわからない気分悪い話やどうしようも無い人のルーツを馬鹿にする発言をしたり、扉をデカい音で閉会したり、テーブルにコップをゴンゴンあてたり、階段をわざと大きな音で歩いたりとか、もう明らかな異常性がでてる。父親本人は構ってほしくて構ってほしくて仕方ないんだろうけど、本当に話すネタも自分かわいそう、か誰かしらが悪い、くらいでつまらないし、無視してると嫌がってるのに顔を無理やり覗き込んできたりとか、反応貰えるのがそんな事しか思いつかないのかロクな事をしない。第三者にSOSを出すとしたらどこなんだろう?暴れる(大声の暴言含む)時に7119とかは迷惑?それとも警察?保健所に相談したらどこかと繋げてくれるんだろうか。アル中単体とかなのか、性格だったり心の障害なのかも判断できないし、かと言って本人が自ら精神系や���ウンセリングみたいなところに行けと言っても絶対行かないだろうし、何をどうしたらいいのかわからない。病院では暴れてる事なんで自己申告してないだろうし、下手すると本人も覚えてないから、酒の飲み方も週に2回飲まない日作ればいいとか言われてるらしいけど怯える日が増えるので家族としては正直余計な事を、と思わずにいられない。今月になってから、目立つ飲酒時の奇行とかはスマホのメモ帳に付け始めた。他に準備できることあるんだろうか。【追記】散歩くらいしたらって言ってるんだけど、行かないね家の周辺歩くのに人の目が気になるなら山とかの駐車場に車止めてその辺15分くらいでも過ごすと違うと思うんだけどね習い事も、きっと周りを馬鹿にして自分スゴイをやるし、そもそもそのお金を払うのが馬鹿だと思いそうきっと行った店の店員さんにも変なキレ散らかし方してご迷惑かけてそう【追記】たくさんコメントあって驚いたのと、有難いのとこの手の高齢男性って多分たくさんいるんだろな自分も含めてこれから歳をとる世代のみんなは、苦手な人こそどうか感謝と謝罪を口にできる訓練をしておいてほしいそういう意固地って自分の行動範囲を自分でジリジリと削り続けてなんでだよって逆ギレかますみたいなもんで、周りはドン引きしかしないし手を差し出す事もできればしたくなくなっちゃうから社会と関わりがなくなるとこうなるんだと思うけど本人ももう働いたりする気はないみたい犬は飼ってるけど、ペットの管理で過去にやらかして信用もないし、犬自体もやっぱりおかしいのがわかってるから懐かない、懐かなくて犬も文句をいう材料にする、の負のループ昔から犬の散歩もしないし犬の粗相も家族にオイ、って知らせて犬の世話をしてる気になるタイプだったとりあえず保健所や福祉系のところに相談実績を作るから始めようと思う高齢者でも性欲ってあるんだね、母親の体をなんとかして触ろうとしているときがある、それがまた自分本位なので本当に醜悪で…コミュニケーション能力や相手をちゃんと人として扱うって大事すぎるなって父親の尊厳を傷つけるのはと思っていたけど、向こうはこちらの尊厳をゴリゴリに削ってくるんだからストレスすごい、それでもここで吐き出せてよかったです実は2年前に父親は食事もまともに取らず酒飲んで寝てたので意識がなくなって?救急搬送から月単位での入院のコンボをかましている部屋は見事な酒の紙パックだらけだった、腰の高さで埋もれるくらい昔見かけた競売物件で「まる」だらけの部屋があったけど、あれプラス謎の溜め込んだ金属ゴミ系(空き缶を切ったりした物は破片が危なく片付けに苦労した)趣味がなかったり、人を馬鹿にしないと生きていけなかったり、せっかく死にかけたところから戻ったのに何も見つけられないのはどうしたらいいんだろう、1人でできて金もかからない、前向きな気持ちになれる気軽な趣味を見つけてほしい【追記】初めて匿名ダイアリーを使うので、��信のお作法がわからないのですがいただいたコメントは基本目を通しています。共感いただく方が複数いるという事は少なからずあるパターンなんですね。増田本人の心配をしてくださる方のお声もありがたいです。コメントの通り、どうやって本人を福祉なりに繋げられるように連れていかせるかが焦点になるでしょうか通院先は総合病院で(入院したところなのでその辺の事情のデータも残っているかもしれない)ソーシャルワーカーもいるのでそちらあての相談もできないか調べようかなそういえば思い出した、以前に地域包括支援センターの方が本人に会いにきたのだけれども怒鳴ったり暴言吐いて追い返したらしい、自分はその場にいなかったから後から聞いた。訪問されたスタッフなんて正社員でも何でもないモンが、偉そうに指図しやがって、的な事を言っていたらしいのだが正社員なら言うこと聞くわけでもなかろうに誰の言うことなら聞くんだろう【追記】ネットを検索してもなかなか見つけられなかったヒントが、吐き捨て目的の匿名ダイアリーのブコメでこんなに集まると思わなかった、集合知に感謝です。既に終わった人も大変だったろうしなかなか人には言いづらい事を教えてくれて助かります、これからに備える人も何かしらの参考になるなら書き殴りの文だけど、できそうな対策を1度考えてみてもいいのかなとたくさんいただいてる意見の中の認知症疑い、これは多少ある気もしますが、それで急におかしくなったわけではなくて元々の本人の性格におかしなところはありました。働いてる時でもいきなり癇癪起こして自室から数ヶ月出てこないとか定期イベント。一緒に住むなら心をフラットにできる薬を服用してほしい。あとは睡眠薬等で夜中に寝て朝に起きる癖をつけて欲しい。夜中や早朝に異常行動起こすのは思えばここ数年…?そう思うとだいぶおかしいのか。増田が同居してるのが悪いって意見、考えたことも無かったですがそれもあるかも知れません、しかし離れた県外で結婚して家庭をもっている兄弟(息子)への暴言や難癖もひどく、結婚相手の実家に対する根拠もない差別発言を聞いて、同じように自分が家を出たところで文句を言う材料にするんだろうなと。で、あいつも悪いから何も相続させん!とか叫んでそう。他者が悪い、すなわち自分は正しいという思い込みしか拠り所がないんですかね。あと、自分が同じ部屋にいる時は比較的おとなしい。自分の部屋に怒鳴り込みにはこない。ターゲットは基本母親。娘の前では少し理性が働くのかフルスロットルにはならない、少し前に母親殴りそうな時に平手打ちしてメガネぶっ飛ばした。その時に力でも勝てないのも理解したんじゃないかな。反撃しようとして半世紀前に習ったか何かの空手かな��かの型みたいなので威嚇してきたけどびっくりするほど痛くもない肩パン。色々書きながら思い返すとやっぱりダメですね。物理的距離を取る、を第一目的に動こうと思う。前に支援センターの人が来たのは何だったかな、近所に呼ばれたとかではなかった。入院してて退院前後は介護認定3がもらえた(という表現もおかしいが)ので話早いといいな酒で入院した時はウェルニッケの疑いの話されたけど、なんか案外元に戻ってしまった。酒飲むの止められない人、極力減らすのが1番だけど各種ビタミン忘れず取ってね。酒のカロリーで生きてもロクな事ないですよ。結婚したら一生セルフケアしてもらえると思ってた世代ってあるのかな。成功しないのに察して察してを続けて、何かこちらが提示しても後出しのイヤイヤ。70代のイヤイヤ期なんて情けなさしかないからそういう思想なくなればいい。教育テレビで尊大な自尊心を穏やかに丸くさせるような番組とかしてくれたら助かるんじゃないか【追記】思いのほか拡がってしまい戸惑ったけど、たくさんのためになる情報をありがとう「自己愛性パーソナリティ障害なんじゃないか」の声を複数見かけて、調べてみたら全てが当てはまって今までの奇行にも納得がいくし、本人幼少期にロクな扱いされてなかった話は聞いた事もある(田舎の次男)、診断こそおりてないけど多分そう。少なくとも対処法が近いのでこちらも考えやすいしお互いのつらさは少し減らせるかもしれない。今の父親本人は暴れたあとの落ち込みタイムとでも言うのか、これも定期イベントだけどしばらく大人しくなる期間ぽい。このやらかす→大人しくなる、の繰り返すスパン短くならないといいなソーシャルワーカーさんにも相談したし、あとは地域包括支援センターにも話を通したりしながらどうにか改善できるように手探りしていこうと思う。将来が不安だったり、不安定な身内がいる人たち、自分も含めて穏やかに過ごしていけるといいね。日光浴して、肉食って、歩いて、無理せず笑える日常がそこにありますよう。
父親狂い始めてどうしていいかわからない
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「貴方がつぎの人?、よろしくね。私の名前は---------」
2145年の大東京都渋谷一階層3丁目は
貧困区で昔ながらの風景がありながらも比較的都会だ
俺はもう何人目かわからないが どうやら次の家族に配属されて初日を迎えていた
家族は恐らく血の繋がりのある親戚もいて10人ぐらいだろう
屋敷が大きすぎて把握できない
俺に与えられた部屋は無機質なコンクリート壁の縦長で 奥にはデスクとPCが備え付けてある
「そろそろ食事だよ、お父さん待ってるから!」
さっきから話しかけてくる女が多分”候補”なのだろう
よれてはいるが清潔感のある白いタンクトップからは白く華奢な腕なのになぜかたくましかった
黒髪のボブにはっきりと��とした顔立ち、純日本人でありながら英国の混血だと間違われるタイプだろう
確かに”候補”としてはなにか光るものを感じるが、しかしながら誘惑と謎もまだまだ多い
デスクには”前の人”との家族写真がまだスタンドに入ってる
部屋がデザインされている割にそこまで几帳面な性格でもないようだ
親の美意識の高さに家族ごと触発されて習慣になっているのであろう
リビングに向かうと昔ながらのコンロを食卓で囲み、家族らしき人たちが準備を始めていた
気は強そうだが美意識は高い金髪のこれまた英国混じりの顔立ちの姉であろうか
隣は”候補”であろう長髪縮毛の男、父親、母親
今夜の食卓はこれだけなのだろう
「まあ座ってよ!酒は?なにがいいの?ウイスキーでいいよね?」
続いてぶっきらぼうな父も口を開いた
「やあ赤毛くん、———をよろしくね。ところで映画は好きかな?”ミラサイケ”は見たかね、名作だな」
父は父、という典型的な恰幅の良い髭の親父で、なのにどことなくこれまたやはり紳士の品を感じる出立ちであった
「いえ、すみません映画は好きなのですが勉強中で」
本当のことを言うと知らなかった悔しさよりも部屋のあちこちにある姉妹の写真に目を惹かれていた
“TWO Star twins” 壁の写真にはそうロゴが入ったものが何枚か飾られてあった
家政夫さんが察して、小声で耳打ちしてくれる
「彼女た��はトースターツインズという姉妹のアイドルなのです、惹かれちゃいますよね。」
たしかに双子かとも思うぐらい似てはいるが、やや姉のほうが顔立ちはよりはっきりしていて、妹は少し甘えん坊というか奔放な印象は受ける
「来週から悪の祭典でして、女王が復活するんです!姉は1年に2度しか現れない、超貴重なアイドルなんですよ!女王の復活祭が楽しみですよね!」
家政夫もどうやらファンなのだろう、まだ20代そこそこの気さくで邪気のない青年だ
「赤毛くんは前の人、どんな人だったの?話したくなければいいけど」
姉は芯が通っていて、立派な女性なのだろう
俺のことを気にかけてくれて、初夜を穏便で円滑に進めようとはしてくれているようだ
質素な服装なのになぜこんなにも気品や強さを感じるのだろう
顔立ちだろうか
昔見た映画”レオン”のマチルダをあのまま24歳にしたような姉妹だ
滞りなく晩餐を終えて、引き続き晩酌を進める父以外の家族たちは寝室へと散り散りになっていった
“候補”の女はなにを考えているのかここまで全然読み取れていない
家族の人たちの波にかき消されて、そういえば���とんど話していない
「ねえ、赤毛くん。どうする?」
どうする?の意味がこれでもかというほど難解に思えた
話の脈略がまったくないのに、なんだろうこのぐいぐいと引っ張られていくというか
それは竜巻に手を引かれるような印象のほうが強かったのかもしれない
「そっか、まだわかんないよね。・・・いいよ!散歩しよ!?いくよっ!」
特に主張したいこともないので否が応でもその通りに事は進む
俺はこの家族に迎え入れられた初日の緊張で萎縮しているのか
どこかこの女に振り回されたいという願望があるのか
混沌としていた
「ほらなにやってんの、男は酒と煙草両方持って!」
そうだぞと言わんばかりの顔の父がそっと目を閉じながら缶酎ハイと煙草をこちらにスライドさせてきた
随分と偏った理想像も不思議と心地よくて、両手に退廃を持った2人は深夜の住宅街に繰り出した
深夜にも関わらず大東京は明るく、分厚い雲はサイケデリックな工場地帯からの煙と混じりあって空は見えない
遠くの繁華街の明かりが巨大な雲に反射して怪しげに光っていた
もうかつての高層ビルはなく、低い建物の住宅街の遥か上には上層階があるだけだ
空気は良くもなく悪くもない
サイバーパンクな夜は酒と煙草を嗜むには確かに丁度良かった
ベンチに座り、遠くの工場地帯で黄緑色のネオンが反射した横顔は 煙草がよく似合うほどに凛々しかった
「で、どうする?決めた?」
「いや、別に、」
「お父さんがミラサイケ知らないのがっかりしてたよ〜、名作なのにーって。前の人はね、つまんなかったな正直。夜も一緒に歩いてくれないからお酒足りないしさ。
でも赤毛くんなら結婚してみてもいいよ?なんか面白そうじゃん」
矢継ぎ早に展開していく会話にまたしても振り回されている心地よさと、まだこの女のなにひとつ知れていないミステリアスな部分も良かった
「俺で何人目?」
「んー、8人目ぐらいかなー。なんかロックじゃなかったんだよねーみんな。私は正直結婚とかどうでもよかったりするんだけどさ、
一応この国のルールじゃん?だったらどうせだったら面白い人がいいなーって思うの。なんかこう、2人がそれぞれ単独で成立してるっていうか、依存もせず独立してて
それぞれ活躍してるしテレビで見ても絶対結婚してるようには見えないのに、誰にも言わなくても絆は2人の間にしかわからない固さがあって。それは2人きりの時も特に口にだして確認するって野暮なことはしないの。すごく不安定そうに見えてでも確実に強固な自信はあるの。だから干渉もしないしどうでもいいんだけど、すっごいラブラブなの!お互いがお互いのファンっていうかさ、遠くで応援してますーって感じ��!」
結婚に対する理想像だけは驚くほど一致していて、ほとんど自我を出していない初夜の俺なのに今までの”候補”と俺の違いを解っているこの女は、全て見抜いているとしか思えない
「じゃあさ、ひとつだけ約束してくれたら」
「え!なになに?いいよ!」
彼女は吸っていた煙草を中断してこちらに身を乗り出して弾んでいる
「ずっと俺が追いつけないように前にいてよ、俺も絶対追い付かれないように前で走ってるから」
「なにその多次元論!面白!わっかんないけどそれって、[わかったよ!そうなるよう努力するね!]って言ったらもう正解じゃないよね?だからわっかんないけど〜・・・・まあ好きにしてよ!」
そこまでも完璧な回答をされるともうこちらもお手上げである
俺は重い腰を上げて煙草をふかしなおす
こちらが返事をしなくても、彼女はなにも聞いてこない利口さがある
夜はどんどん加速して、2人は何億もの光と闇に呑み込まれていく
俺も彼女もまだ、アンニュイな中でそのほとんどがよくわからないにも関わらずだ
婚前準夜、渾然契約/赤毛はひとり
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ガシャっとやったらポンと出る
この体から心臓を取りだして一時、この体を動かす役目から解放してやりたい。まあなんか居心地のいい場所で自分のためだけにゆっくりと伸縮するか、または完全に停止してくれてもいい。内臓は一生休めないんだなあ。
という下書きが残っていた。たぶん心臓の鼓動が早くて息苦しかった時のものだろうと思う。バンダイナムコはガシャポンという名称でガチャ商品を出しているから、アイマスシリーズのソシャゲの中のガシャも、ガチャではなくて「ガシャ」と呼ぶのだ、とガチャガチャの筐体を見て気づいた。友達(故郷ジャンルはSideM)がいつもガチャのことを「ガシャ」と言うのはなんとなく気になっていて、それはアイマスシリーズからだろうなと思っていたのだが、実際に物理的に存在する「ガシャポン」が由来だとわかった時には、違和感というか、あの不思議な感じが消えた。なるほどそれはたしかに「ガシャ」だ。ガチャではない。
毎日のToDoとして、英語(読み)に触れよう、というのと、「国際政治史」(有斐閣ストゥディアを使っている)かアレント「人間の条件」のどちらかのテキストを進めよう、というのと、なんでもいいから少しでもいいからフィクションに触れよう、というのがある。
英語は結局それかよ、という感じだが、また速読英単語の上級編を読んでいる。もう何周目かわからない。3周はしている。それでもまだ内容がうろ覚えのところがあるし、単語に至ってはぼろぼろなので、単語の思い出しのためだけにぼーっと書き写して調べて読んでいるという感じだ。いつも通り。単語帳、なんらかの、Duoとか?All In Oneとか?を進めるほうが効率がいいのかもしれないが、どうも私はある程度のかたまりの文章の中で出てきた単語の方が覚えやすい。それは日本語の単語を覚える時にもそのコースを辿っているからだと思うが。分からない単語をとりあえず分からない単語として措いて、文脈からあとで多分あの単語、こういう意味だろうなと、いくつかの文章からの経験で、自分の中で辞書を作っていく。時間がかかっても英語もそれのほうが私にはいい気がする。となる��、速読英単語を何周もしていないで、英検のテキストの長文、要は初めて見る文章(単語的に準1級が丁度いい)も読んだ方がいいなあ。働いていない時は速読英単語+英検テキストをセットでやっていたのだが、それはけっこう時間がかかる。が、軽く1日1題流し読みする程度に英検テキストもまた触ろうかな。
国際政治史と人間の条件は、今のところ人間の条件がさくさく進んでいる。国際政治史は毎日やっていた頃から大分間が空いてしまい、前回までのところを忘れている。この思い出し作業が面倒なので、なかなか手を出す日が少ない。本当はアレントと1日ずつ交代でやれればいいのにと思う。アレント『人間の条件』は、牧野雅彦さんの講談社メチエのテキストを進めている。かなり整理されていて、こちらをやってから本テキスト『人間の条件』を読むと、かなり何を言っているのかがわかる。人間の条件は訳文が痺れるほどに格好いいのだが(ちくま学芸文庫)、古い時代の訳なので、かなり頭が良くないと1文のなかのどこが重要な結論なのか分からない時がある。とにかく何回も前後を併せて読め、という感じだが、牧野さんのテキストを見てからでないと誤読しそうで結構はらはらする。これは10年前くらいに買って、時々書き写して小説の文体の手本にしていたが、内容は全然わかっていなかったため、今回ちゃんと読むことにした。マルクス、エンゲルスに多く関わる内容であることを知らなかった(労働という単語が目次にある時点で分かれよという感じだが)。古代ギリシアから西洋精神史を辿っていく構成なのは助かる。というか、これは精神史というか、人類学、政治史など、つまり大きく言って歴史のなかでの人間の生活やそれを導く思想の変遷を辿っていたりもするので(序盤)、とても楽しい。歴史というものにいつでも還元してしまうなあ(自分は)と思う。歴史というか、因果関係というか、原因究明というか、価値観の転回の瞬間とか、そういうものを連続体で見ていくのが好きである。
あとは、最近読んでいるフィクション。���日は菊竹胡乃美さんの『心は胸のふくらみの中』を読了。今年出た歌集。とにかく多くの傷から目をそらさないで問題提起とその傷つきを高らかに歌う人だと思った。そしてとにかく上手い。内容よりも正直技巧を学びたいと思って買った。最後には内容のすばらしさに圧倒されてしまったけれど。こういう内容に「ぎとぎと」しない感じで、でも読んだ人の心臓の横にはっと刃物を突きつけられる爽やかさは、やはり技巧だと思う。文体のなせるわざ。どこを述語的にするかとか、名詞、現象の想起のさせ方、動詞、口語体の取り入れ方、文あるいは節の繋げ方、全てが私の好みで、つまりこういう形式の短歌を作ってみたいんだよな〜!の理想形の人であった。それにしても内容は結構生々しい傷をこれでもかと突きつけ���くるので、よくここまで書けるな、若さというか切迫、切実さだな、と思ってしまった。私はもうここまで困ったり傷ついたりすることはない。老人の呑気さだ。それでも私が読める程度には生々しくないのは、やはり高潔な感性と、短歌の形式に感情を嵌め込む時、とてもきれいに整備しているからだと思う。この歌集については、引用して少しちゃんとした感想をどこかにまとめたいものだ、と思う(思うだけで終わると思う)。
そして、短歌パスポート(しらしら号)を立ち読みして、あれっ、この人いいなあと思って、その場で歌集を探して買ってしまった、堂園昌彦さん『やがて秋茄子へと到る』。タイトルは色んなところで目にしていたが、きちんと歌を見たことがなかった。なんと、なんとなんと、秋茄子の最初の一章を今日読んだのだが、物凄かった。全ての歌が、私の持っているいちばん大切でいちばん美しい時代の世界の見え方をいちいち脳内から引っ張り出させてくる。つまり、10歳頃までの記憶や見え方を。こんな幸福なことってあっていいのだろうか。これも知っている、これも、これも、この光景も知っている、と、自分事のようにすべての歌が「思い出」となって目の前に現れる。むしろ恐ろしいことかもしれない。この人の歌は、他の人にもこのような作用をもたらすのだろうか。私と特別相性がいいからこのような現象が起こるのだろうか。なんにしろ、短歌の中に使われているこの抽象的とも言えることば(具体的な言葉を組み合わせて抽象をつくる達人だと思う)が、こんなにも特定の思い出を引き連れてくることがびっくりする。歌そのものの光景ではなくて、歌が引き出したイメージの一部から、長らく忘れていた景色や風景や色や匂いが連れてこられてしまう。とくに秋と冬の歌が序盤多いからだろうか。私の幸福な、でも忘れてしまっていた記憶がどんどん引き出されていき、自分は完全に、完璧に幸福な子供であったことを思い出した。現状把握能力が未熟なゆえ、未知ゆえの幸福。とても狭い世界で、世の中の平均値と自分を較べることを知らず、ただただ目の前の寒さや眩しさにまみれて必死で生きて、守られていると感じていた頃。実際的に守られていたし、問題を問題とも感じていなかったから、ひたすらに幸福だった。自然が自分に与えるものを、体ひとつですみずみまで感じ、享受していた。その頃の気持ちがそのまま『やがて秋茄子へと到る』所収の歌たちが背負ってくれている。とにもかくにも「懐かしい」歌集で、私は懐かしいことが大好きなのだった。ほかに、ずっと読みさしている『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』『地上で僕らはつかの間きらめく』あたりをちまちま〜と読んだりしている。時間戦争のほうは、うっかりすると一気に読んでしまいそうで勿体ない。ただ、小説を読んでいると「物語飽和症」の症状により、よし、この辺まででもう頭がいっぱいだ、となり、5ページくらいずつしか読め���い。
それでは寝ます。おやすみ。
2023.6.15
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カンカン多感
pixiv主催 「執筆応援プロジェクト〜おしごと〜」に参加した際書いた習作です。悩み気味の浪人生が陽気な鍛金職人のところで数日間お世話になる話。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19395132
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「……ここがいいだ工房か」 古びれた民家を思わせる作りの建物を見て俺は一人呟く。手元の地図にも狂いはないだろうし、外側に手書きで書かれたようなパネルが「いいだ工房」と名乗っていた。 季節は初夏に入りかけていて、日差しは徐々に強くなっていた。周囲の木がザワザワと騒いでいる。 まばゆい陽射しの煩わしさからなのか、それとも単に虫の居所が悪いだけなのか自分でも理解できない苛立ちに俺は顔を顰めた。この頃は毎日こんなだ。 俺は手元にある地図をグシャリと丸めてポケットにしまうと、ズンズンと建物の玄関前に向かった。カンカンカンカンと鉄同士を叩いているような鈍い音が建物の中から響いている。……一度インターホンを押した程度では聞こえないのか、音は鳴り止まなかった。俺はため息をついて、もう何度かインターホンを押した。 中から聞こえるカンカンカンという音がピタリと止んだ。ガラガラと扉が開くと、中から一人の男が顔を見せる。面長な顔立ちをしていて、若干自分より背が高い。作業着なところを見ると、おそらくさっきの金属の音は彼の手によるものだったのだろう。俺が会釈をすると、彼はぱぁっと明るい表情をみせた。 「アナタが中田さん、デスか。お話は先生から聞いていマス。ひとまず入りましょう」 工房の中に案内されると鉄特有の香りが鼻腔をくすぐる。嗅ぎ慣れない香りに俺は少し顔を顰めた。老朽化のためだろうか。若干壁は煤や汚れで黒ずんでいる。 前を歩く男性の背筋を伸ばして歩く姿からは生真面目そうな性格を感じさせた。もしこの工房で過ごす中で困ったことがあったとしても、この人に聞けば大丈夫だろう。そんな安心感を感じさせるような背中だった。 玄関から続いている廊下を渡り、工具が散乱した作業場らしき場所を抜けて、少し奥の方にある応接室に通される。 応接室に案内されるまでの通り道で、男性はカタコトの日本語で自己紹介をしてくれた。彼・李俊(リ・ジュン)は、中国からの留学生で、二年前に日本に来たという。大学の講師をやる傍ら、この工房の主人である飯田さんの手伝いをしているらしい。 「先生は今、ちょうど外に出ていますカラ、少し座って待っていてください」 李さんがさし示したソファにひとまず腰掛ける。工房の主人である飯田さんがどこにもいる気配がなかったので少し不安ではあったが、本人が外出していると聞いて納得した。 「ええと、飯田さんはどれくらい外出されている予定でしょうか?」 「ああ、多分、ちょっとしたお買い物デス。中田さんがいらっしゃっいしたことをさっき連絡したので、きっとすぐに戻ってくると思いマスね」 「そうですか。では待っています」 その��りとりが終わると、李さんがお茶の入った湯呑みをテーブルに置いてくれた。 湯気のたったお茶に手を伸ばす。暖かいお茶を飲むと張り詰めていた背筋の感覚がちょっと緩んできたような気がした。ふうと息をついてから、俺は、ここまでの自分の経緯に頭を巡らせた。
きっかけは祖父の一言だった。 「仁、五月になったら飯田さんのところで三週間くらい勉強させてもらってきなさい」 唐突な祖父の提案に俺は、は?と間の抜けた返事をした。なんでも、いいだ工房の主人である飯田さんは版画家である祖父とは知り合いであったらしい。俺がバンドをやっている話をすると飯田さんが食いついてきて、興味深そうにしていたという。飯田さんは工房で鍛金を中心とする金工制作をする傍ら、何かと特別講師としてあちこちの学校や教室を飛び回っている人で、もし俺が金工制作に興味がありそうであれば、是非いらしてくださいとのことだったらしい。 ちょどその頃、俺は、大学受験に失敗して浪人生になることが確定した時期だった。親はどうしても俺をいい大学に行かせたいそうだったが、俺にとってはそこまでの期待がどうしても重荷になっていた。 支援はいくらでもする。浪人すればいい。両親はそう言ってくれたが、、そんなこと言われたところで、「いい大学に行く」ということが俺のモチベーションに繋がっていないのだからしょうがないだろう。 大学受験のために高校の軽音部も、仲間内で集まってできたバンドもすっぱりやめた。勉強も真面目に取り組んでいたはずだった。そしてこの結果である。そりゃ努力が足りないのは確かだとしても、俺としては、何だかもう解放されたい気分になっていた。 そんな時に、先ほどの祖父の提案だったのだった。浪人確定になって半ば投げやりになっていた俺はそんな提案を渋々承諾して今に至る。 と、ここまでの経緯を脳内で振り返ったところで、ドタドタと言う音が廊下の方から響いてきた。足音がこちらに近づいたと思えば、客室のドアが勢いよく開いた。 「李君!ただいま!!あ、君は仁君だよね!来てたんだね!お待たせしました!!僕は飯田鉱二っていいます!!よろしく!!」 飯田さんはものすごい勢いで捲し立てながら、買い込んできた物を袋から出したり棚に入れたりし始めた。相当急いで返ってきたのか、身体中から汗が吹き出している。李さんは、そんな飯田さんの様子を少し呆れたように眺めている。 「先生、中田さん驚いてマスから」 「え?!あ、ごめんね。驚かせたよね。もう少しで終わるから、ちょっと待っててくれてもいいかな?」 「ああ、いいえ、全然……大丈夫ですよ。ハハハ」 この人にこれから色々教わると思うと何だかちょっと不安になってきた。俺、本当にここでやっていけるのかな……。
少しして落ち着いた感じの飯田さんから改めて紹介を受けた俺はさっそく工房の中を案内してもらった。応接間の隣には道具が収めてある倉庫があり、その奥には作品の保管庫。廊下を戻ると先ほど見かけた作業場に辿り着いた。李さんはすでに作業場に戻っていた。カンカンカンという音がまた響き渡る。飯田さんは机の上にあった銅板を手にしながら言った。 「鍛金のことは裕之さんに少し聞いたと思うけど、仁君には今回銅で器を作ってもらおうかなって思ってるんだけど、どんな感じのがいいとかある?」 「ええ、ど、どんな感じといわれても……」 物作りに興味がなかったというわけではないのだが、正直イメージが全く湧かない。そもそもあの平べったい銅板がどうしたら器になるのだろうと思う。うんうんと悩んでいる俺をみて、飯田さんが、机の近くの棚に保管してあった金工作品を見せてくれた。 「これとかこれは銅板で作ったコップ。こっちとかはサラダボウルとかかな。こういうのはシンプルなんだけど、工夫すればとっくりとか窪んだ模様も作れるし、気になるやつとかある?」 「なるほど……すごいな、銅板ってこんなに変形できるんですね」 「もちろん!ちょっとずつだけど形を変えていけるからね。まあでも、せっかくここにきて3週間かけて作るものだから、仁���が欲しいものとか使いたい物とかがいいんじゃないかな〜って僕は思うけど。なんかアイデア浮かんだ?」 「……えっと、じゃあ、このコップみたいな形のやつに模様を入れたやつって作れますか?」 こんな感じの……と付け加えながら、俺は持ってきたメモ帳に模様を描いた。すると、先生は感嘆したようにそのメモ帳をまじまじと眺めた。 「いいねいいね、なるほどね。うん、全然できるよ」
鍛金というのは一朝一夕でできるような物ではなくて、何度も何度も同じ動作を繰り返しながら形を整形して一つの作品が完成するものらしい。まず、焼き鈍しという工程で金属を火で炙り、加工しやすくする。それを薬品で洗って、それから打ち出しという作業に入っていく。打ち出しは当て金という角度のついた金属に沿わせてトンカチで叩いていくことで、形が少しずつ整形されていく作業だ。焼き鈍し、洗い、打ち出しを何度も繰り返していくことによって、平べったい金属板が器に整形されていくということだった。 とりあえず初日ということで、俺は作りたい形に沿った底を作るために木槌で銅板の形を緩やかに変形させていく作業に入ることになった。底に当たる部分を決め、それを中心に平べったい銅板を起き上がらせていく。作りたい物の底に当たる部分を整えてから、当て金を使って全体の変形をさせていく作業に入っていくというのが大まかな手順だ。 飯田さんは、黙々と作業している李さんを示して少し揶揄うような口調で 「李さんは本当に真面目で結構作り方も丁寧だから、僕がいないときにわからないことあったら彼に何でも聞くといいよ!作業中は耳栓してるけど、李様〜!!って大声駆けつければ気付いてくれるからさ」 と言った。幸い、その日にそのフレーズを使うことはなかった。ただ、飯田さんも李さんも時々気にかけるようにこちらの様子を見てくれているのを感じた。安全管理という面が主な理由だろうが、飯田さんにいたっては人が作っているのを見ているのが興味深いというような目つきでもあった。俺は何が面白くて素人の作品を見るのか全くわからなかった。 銅板を��して叩いてを繰り返していると、あっという間に一七時。帰る時間になった。正午くらいにここを訪れたはずだったが、思った以上に没頭していたらしい。 作業着を脱いで道具の手入れをしているときに先生が思い出したかのように質問してきた。 「あ、そういえば仁君、好きなこととかある?」 「……そうですね。特にこれといったものは」 「……そうか。まあ、この時期はそういうときもあるよね。……ああでも、バンドやってるって裕之さんから聞いたけど」 「バンドは……三年の頃にやめました。ちょっと揉めちゃったし、勉強の邪魔になると思って」 「え?そうなの?……楽器は何やってた?」 「ドラムです」 「そうかー。ふーん、ドラムかー。面白かった?」 「ええ、まあ、それなりに」 「へー、いいじゃんいいじゃん」 「ドラム……叩いてたんですか?」 「んー?いやぁ~、僕はちょっとかじったことある程度かな。音楽はからきしでさ。でも……今聞いて僕は思ったね。君は、きっとうちの工房で過ごす時間が楽しいと思うよ」 やっぱ変な人だなと思った。何を考えているのかがさっぱり読めない。バンドのドラムと、トンカチで銅板叩いていることが何の関係があるというのだろう。大体どちらも俺の今後の人生には必要ないことなんじゃないか。そう思いながら、俺は手にある木槌をぎゅっと握りしめた。
それから次の日もその次の日も毎日、俺はいいだ工房を訪れて、黙々と鍛金の作業を続けていた。毎日作業場の窓から射しこんでくる太陽の日差しが斜めになるのを見ては、今日もあっという間に終わったなと思っていた。それほどまでにこの鍛金という作業が俺にとっては面白いのかもしれない。底の部分は四日目程で整ってきて、それから後は当て金を使った作業に入っていた。 作業場では飯田さんや李さんも作業をしているため、部屋にはカンカンカンという音が響き渡っていた。さすがに耳がイカれそうになったので、李さんに倣って二日目からはしっかりと耳栓を用意して作業をしているが、それでも、カンカンカンという音はよく聞こえた。 俺は初日、飯田さんは何だか変わった人という印象ばかり抱いてしまっていたが、数日間過ごしてみると、根が非常に真面目な人であるということがわかった。一旦作業に入るとそれまでの気さくな雰囲気はどこへやら、表情の険しい一人の職人が作業台に鎮座していた。しかし、それ以上に面白いのは、彼が打ち出しの時に出すトンカチの音だ。李さんのようなカンカンといった音と違って、飯田さんはカンカン、カンカンカカンと言った風に一定のリズムを保っていた。そのリズムが面白くて、時々俺はそれが音楽のようにも思えた。真似をしようとしたがトンカチの重さのせいで飯田さんほどは気持ちいい音を出すことができなかった。 初めは平べったかった銅板がだんだんと器の形に近づいてくるのつれ、当て金を使った打ち出しが少しずつ難しくなってきた。銅板が起き上がってくるということは徐々に角度がついてくるということでもある。当て金と器との角度がうまく掴めないのだ。ちょうどいいところに当たれば綺麗なうちだし跡ができるのだが、下手に打つと斜めにずれてトンカチの縁の跡が濃く残ってしまう。トンカチの力加減もただ力任せに叩けばいいという訳ではないのが難しい。うんうんと難しい顔をしながら叩いていると、時々飯田さんや李さんがやってきてコツを教えてくれる。けれど、やはりすぐに習得するのは難しい。なかなか習得できないまま、残り日数が少なくなってきたのを見て、次第に俺は焦り始めていた。受験には落ちるしこんなこともできない自分が情けない。何でもかんでも惨めに感じるような気さえした。 そんな日々が何日か続いたときの帰り際、ふとしたように飯田さんが話しかけてきた。 「最近ちょっと行き詰まってる感じ?大丈夫そう?」 飯田さんはどうやらこの頃の俺の様子を心配してくれたらしい。 「ああ、えっと…多分大丈夫だと思うんですけど、打ち出しが思ってたより難しくって……。今日もトンカチの縁の跡ちょっとついちゃったし」 俺は自分の作っているコップを飯田さんに見せながら言った。飯田さんはコップを手に取って、それから縁の跡を指の腹で優しく撫でた。 「……これね。難しいよね。最後軽く研磨もするけど、跡がひどいとどうしても残っちゃうし、仁君もせっかくなら綺麗に作りたいよね」 「そりゃそうですよ」 数秒間静まり返った。飯田さんはさっきからじっと、俺の作りかけのコップを撫でながら何かを考えている様子でいた。外からまたザワザワと木の葉の音がした。そういえば初めて来た時もちょっと風が強かったなと思い出した。沈黙を破ったのは飯田さんだった。 「仁君って確かドラマーだったよね。やっぱ鍛金で叩くのって楽しいでしょ?」 「……ええ、確かにちょっとドラムというか、太鼓っぽさはあって楽しいです」 「僕は、鍛金っていうのは対話に似ていると思っているんだ」 唐突にそんなことを言われる物だから少し困惑した。ドラムにしろ、対話にしろ、何にでも鍛金に関連づけて考える癖でもあるんじゃないのか。 「対話?」 「そう。その人が好きな話をすれば、相手はちょうどいい反応を返してくれる。でも、こっちが好き勝手話せば向こうは受け止め損ねて話はぐちゃぐちゃになってしまう。……鍛金も同じだと思うよ。力任せにトンカチを振るっても当てどころが悪くっちゃ歪んでいってしまうんだ」 ふうんと思った。対話。なるほど。確かに日常でも話題が悪いとうまく返らないし、自分勝手に話したところで話は拗れてしまうのが常である。それなら、少しわかるかもなと思った。気付いたら、俺はずっと気になっていたことを聞いていた。 「飯田さんの打ち出ししている時の音って楽しそうですよね。やっぱり対話しているからなんですか?」 「え?僕の打ち出しの音……?ああ、まあ、あれは癖みたいなものかもな〜。でもなんか単調にカンカンやってても楽しくないじゃん?だったら楽しくしたくない?」 イタズラを思い付いたかのような顔で飯田さんが言うものだから、俺もつられて笑ってしまった。飯田さんらしい。 「だからさ、力任せにやらなくてもいいよ。あと時間はまだまだあるし。多分一週間くらい残ってるでしょ?」 「そうですね」 「初めっからなんでも丁度よくできる人なんていないんだから、できないことなんて気にしないで、ドラムみたいに楽しく叩きなよ」 「はい。……正直スティックの重さとめちゃくちゃ違うからドラムみたいに叩けってのは難しいですけどね」 俺の一言がよほどお気に召したらしい、飯田さんは、そっかそうだよねハハハだなんて笑いながら作業場を後にした。
そんな日々を通して、いいだ工房で過ごす日はどんどん過ぎていった。三週間が経って、季節が梅雨に差し掛かる頃、俺の銅製のコップは完成した。打ち出しをしながら模様も入れていった自分だけの銅食器は銅の持つ光沢以上に輝いて見えるようだった。 ……結局として俺は打ち出しのコツは掴み切ることができなかった。最後まで李さんや飯田さんからハラハラとした視線を向けられながら、どうにかこうにか形になったという感じだ。とはいえ、あれ以来、器に跡がつくことは少なくなったし、できない焦りよりも楽しい気持ちが最後は勝っていたように思う。 飯田さんは完成したい俺の銅食器を見て、「え!これ、めっちゃいい!見込みあるよ!!弟子にしたいな〜!!大学生になってからでもいつでもおいでよ〜!!」だなんて言っていた。李さんはハイテンションな飯田さんに、先生、誰にでも言ってマスよね〜と冷静な対応をしながらも、「本当によく頑張りマシたね。すごくいいと思いマス」と満面の笑みで伝えてくれた。 工房の中に置いていた私物を整理して、飯田さんや李さんにお礼を言うと、二人は別れを惜しむかのように沢山労いの言葉や激励の言葉を並べまくった。それから、飯田さんから半ば強引に連絡先を押し付けられる形で連絡先も交換した。…こういうところがあるせいで、飯田さんへの変な人だなぁという感想は最後まで消えることがなかった。 いいだ工房を後にしながら、あっという間の三週間を振り返る。思えば何かを学ぶには少なすぎる時間だった。その証拠に俺は初めの頃と俺は何も変わってはいない。何よりこれからは本格的に勉強漬けの日々になるだろう。それでも、自分だけの中にあった鬱憤をカンカンという音でほぐしていけたような気がする。煩わしいものが多かったのに、今は、ポツポツと降り始めた雨さえも、あの時の飯田さんのようにリズムを取っているようで面白くなっていた。 カバンから折り畳み傘を出して、考える。どちらにせよ浪人は確定してしまっている。志望校のこととか、予備校のこととか、向き合わなければいけないことが沢山ある。帰ったら、いいだ工房の話をして、それからこれからのことを親に話してみよう。綺麗に打ち返るかわからないけど、叩かなければ起き上がらないのと同じように、話さなければ、俺の形も曖昧なまま伝わって、どこか歪んでしまうだろうから。 だんだんと雨足が強くなってくる。それでも俺は構わないでのんびりと歩いていると、後ろからカンカンカンという音が聞こえたような気がした。
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可愛い缶を見つけるとすぐ買ってしまいます❤️ 中身が美味しいものならなおさら❤️ ☑︎英文法(アプリ) ☑︎ディクテーション ☑︎英語日記 ☑︎金フレ #英語学習 #studygram #studynote #studymotivation #studyplanner #英語勉強 #英語ノート #大人の勉強垢 #勉強垢 #ロルバーン #マークス #マークス手帳 #EDiT手帳 #エディット #エディット手帳 #手帳好きさんと繋がりたい #手帳術 #手帳好き #手帳の中身 #2023年手帳 #EDiT手帳アンバサダー #マークスのある暮らし #editdiary #marksedit #marksstationery #marksdiary #japanesestationery #stationerylover #diary #EDiT1日1ページ @edit_marks @marks_tokyo https://www.instagram.com/p/Cn-wmwWvAJc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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#個展 ありがとうございました🍀 今回もまた、多くの皆様にお世話になりながら個展を開催することができました。 本当にありがとうございます( *˙︶˙*)و‼︎ お子様から大人の方々まで、幅広くご覧いただき、コメント帳もたくさんお書きいただいて、Rabb The Works 藤井りん はここに確かに存在できた様に感じられました。 イラストのお仕事をしながら、アーティスト活動をすることで、誰かとの繋がりによって生まれた作品も増えてきました。 人との関わりに苦手意識を強く持って生きてきたのに、絵を通すことでこんなに広がりを感じられるとは思ってもみませんでした。 今回お伺いできた、たくさんのお話を、次の作品たちに活かし盛り込んで行こうと思います🎨 それが私らしくなっていく様な、そんな気がしました💐 6月には、昨年も個展をさせていただいた角田病院さまで、再び個展を予定しています。 私が小さい頃大変お世話になった病院ということもあり、前回子供の絵を出したのですが、そちらが好評だったとのことで、子供の絵のリクエストがありました🧒👦 久々に子供の絵、描いてみます☺️ 4月に娘が小学生になります🌸 新生活のリズムを取れるまで、さらにセーブしながらの活動になると思います。 焦らずコツコツと、活動を続けていけますように。 それでは、今回も大変ありがとうございました‼︎ #個展 #群馬 #玉村町文化センター #玉村町 #ラウンジ #展示会 #イラスト #絵 #創造 #アート #ギャラリー #絵本 #故郷 #ふるさと #illustration #illustrations #gunma #gallery #solo #exhibition #hometown #picturebook #picture #art #rabb #rabbtheworks #rinfujii #藤井りん (玉村町文化センター) https://www.instagram.com/p/CpNL06IvQSw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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買って良かったもの2022
あっという間に12月もあと少しになってしまった。2022年ももうおしまいだなあ。ということで、今年買って良かったものをまとめます。本や漫画はまた別の機会にと思っているので、リストの中にないのは悪しからず。
01 クリニーク イーブンベターブライトセラムファンデーション
02 クリニーク イーブン ベター シティー ブロック ポリュテクション 40 N
今年買って良かったものはいくつかあるけれど、その中でも特に!というものを挙げろと言われたならばこれら。
たまたま、口紅を買おうと思ってふらっと訪れたカウンターで、BAさん��「お化粧直しましょうか?」と言われて直してもらって、その仕上がりに衝撃を受けたので買った。
当時本当に肌荒れに悩んでいて、むしろ一周まわってもう諦めていた時に処置していただいて、こんなに変わるんだ!!と本当にびっくりしたのを今でもありありと思い出す。今まで自分は肌について、もう諦めていたのだなとその時にしみじみ思った。
とにかくカバー力が強い。でも決して厚く塗った感じにはならなくて、肌なじみがいい所がすごいと思う。そして下地ファンデーション共にかなり伸びがいいので、長く使えるところもありがたい。
これらを使って約半年後、化粧品が良かったのか昨年から通い始めたサウナで汗をかくのが効いたのか何年も飲んでた薬が効いたのかボンバーガールのプルーンの沼に落ちたのが効いたのかつまりどれが効いたのかはわからないけど、長年、本当に長年悩んでいた肌荒れが99パーセント回復しました。今年でいちばん嬉しかったことかもしれない。
クリニークと言えば肌に優しい化粧ブランドなので、肌の具合に困っておられる方に特におすすめしたいです。
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03 クリニーク イーブンベターポップ 13クローザー
件のBAさんに勧めていただいて買った口紅。普段は赤とかオレンジ系を使っているので、茶色!?と思ったけれど、つけてみるとまた優しくて穏やかな感じの色合いでとても素敵。どんな服にもだいたい合うのも助かっております。
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04 キャンメイク オイルブロックミネラルパウダー
夏場にマスク下の化粧崩れなんかをどうにかしたくて購入。
本当にサラッサラになる!これをつけた後、肌を手で触るとさらさらしてとても気持ちいい。下地→ファンデーション→パウダーの後、仕上げ的に鼻とほっぺた、おでこにつけております。夏用に買ったけど、安心感が欲しい時など冬場にも全然使っております。気持ちいい。
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05 壁かけ時計
抱えてる仕事が一段落した時、なにか記念になるようなものが欲しくて買ったもの。
何がいいかな~と考えて、それまで使っていた壁紙時計の針が絶妙に見づらいんだよな……と思って、思い切って買った。どうでもいいですが、まだ使えるものを「使いにくいから」という理由だけで新しいものに買い換える時、なんか悪いことをしている気分になる。
ともあれ、買い換えてみたらすごく見やすいので気に入っています。時間を見間違えることが無くなりました。
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06 ゼブラ マイルドライナーブラッシュ
たまたま行った近所の文具屋さんの決算セールで見かけて、試し書きしたらおおおおおこれはなんだい!!!!と衝撃を受けて、まとめ買いしました。
なんというか、カラーペンが筆ブラシになってるだけでこんなに楽しいものかと思って、雷に撃たれた気持ちになりました。在りし日のコピックへの憧憬というか、絵を描くことに対する欲が蘇ったような……。
勢いでガッッと買い集め、同時に買ったクロッキーブック(マルマンのあれ)にひたすら絵を描く日々が続きました。しばらく文章をメインに活動していたので、こんなに絵を描いたのは雑誌のハガキ職人をしていた時ぶりではないだろうか。懐かしいな。
色数の少なさがまた創作意欲をそそられるというか、だったらこれこの色で代用しよう!この色混ぜよう!と考えたり、とてもとても使うのが楽しい文房具です。手帳とかノートとかちょっとしたことに気軽に使えるのも魅力。絵を描く描かないに関わらず、試しに使ってみてほしいな~と思います。
***
07 ルピシア あまなつ烏龍、メルシーミルフォワ
今年の初夏くらいにちょっと体調を崩し、床に伏せっていることがしばらく続いたことがあった。いつもはコーヒーや炭酸をよく飲んでいるんだけど、その時はどうも刺激の強いものが飲めなくて、白湯かお茶ばかり飲んでいた。その時飲んでいたのが、たまたま買いだめていたルピシアのあまなつ烏龍だった。元々柑橘系が大好きなのでそれっぽいものは買ってしまいがちなのですが、清々しい甘酸っぱい香りと烏龍茶の穏やかな風味がくたびれた体に染みたのをよく覚えている。
メルシーミルフォワは、おたよりについてきたおためしのティーパックをなんとなく飲んで、その素敵な香りの良さにびっくりして思わず買いに走ったフレーバー。どうやら私はフルーティーな香りに目がないのだな。あまりに好きすぎて、贈り物にも使った。年末はただでさえ気忙しいので、こういう素敵な香りを吸い込むとほっと一息つける気がしている。
*****
08 ルームフレグランス ムスクミモザ
香りと言えばこっちも。雑貨屋さんで棚を通りかかった時、ふわっと香ったすごくいい匂いに惹かれました。ルピシアのとこでも書いたけど、体調崩した時にとても癒された。つらい時に、部屋だけでもいい香りに包まれているというのは本当に気持ちが休まる。
*******
09 ワイヤレスイヤホン
ワイヤレスイヤホンって耳からポロッと落っこちないの!?って怖くて、ワイヤレスはずっとヘッドホンを使ってきた。でもそのヘッドホンを無くしたのをきっかけに(何故無くした……)
ついに手を出してみたら、なかなか良かった。
普通に歩いたりする分には落っこちないし、夏は耳が暑くなく、冬はマフラーに干渉しないのが良い。タッチで簡単にオンオフできるのもありがたい。あとノイズキャンセリングが上手く効いてるのか、音量低めでもちゃんと聴こえるのが嬉しい。
********
10 ロルバーンミニ
奇書が読みたいアライさんのメモ帳術を見て、自分もやりたい!と思い試したところ、このロルバーンミニがとても使いやすいメモ帳だと言うことがわかった。
クリーム色の紙が見易くて、方眼は邪魔にならない。後ろのフィルムポケットはちょっとしたものを保管するのにちょうど良いし、表紙の色が豊富なのも可愛くてい良い。
******
こうしてみると、意識してなかったけれどちょうどよく10個になった。
来年はどんなことがあり、誰に出会い、どういったものに出会えるだろう。
先の見えない世の中だけれど、そういった小さなことが、未来への希望に繋がるのだと信じている。心から。
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映画 『母性』
きっとこのTumblerを見てくださっている方々は、映画『母性』を見に行ってくださるはずなので(圧)、映画を見てから、このながのによるながの視点のながのの為の感想文(ネタバレ含む)を読んでいただけたらと思います。長くなっちゃいましたがこれでもまとめたつもりなんです。皆さまからの感想もお待ちしております。
娘を愛せなかった母と母に愛されたかった娘の繊細で奇妙な愛の物語。
母性とは
母親が子供を愛しいと思う気持ち、或いは子どもを産み育てる資質。
子供が母親を愛しいと思う気持ち、或いは母親を母親たらしめる資質でもあるのかもしれないと〝母性〟に関する見方が少し変わった。 〝母親に向いていない女性〟を描いた作品は多いけど、今回のような〝娘のままでいたい女性〟という母親を描いた作品ははじめて。「世の中には二種���の女がいる。それは、母と娘。」という印象的な台詞、この台詞に耳を塞ぎたくなった人が少なからずいるんじゃないだろうかと、戸田さんがルミ子を演じる様子を間近で見ていてそう思った。湊かなえさん独特の「私の血肉を奪って体を突き破って産まれてくる生き物」という表現が、ルミ子の母親にならざるを得なかった人間性を表していると感じた。ながのは結婚したこともない子供もいない〝娘〟の立場しか知らないから、母親に喜んでもらいたい気持ちはわかるし、ルミ子を見ていたら「めいに母親は無理だ!」なんて考えもよぎったし、でも何よりながのの母が母でいてくれていることに感謝した。いつか私が母親になって見返した時に今と違う答えが出ていたら、ながのは〝母性〟を習得したのだと思いたい。
大地さん演じる実母は聖母じみた言動が不気味に見えてしまう、不思議。綺麗で素敵な言葉遣いと言い方、時代的にも台詞に違和感を感じるはずなのに、不気味さを残したまま違和感なくトンっと物語にのせてくる感じが…語彙力がなくてすみません、流石です。作り物のような理想的過ぎる母親。登場人物の中でおそらく唯一の常識を知っている人。常識を知っているのに常識人ではない。実母の強すぎる娘への愛情が母親至上主義に縛りつけているし、娘としての自分への執着に繋がる。愛情を注いで正しく育てた娘が子を産んでも〝娘〟でいようとしている、〝母親〟として生きられないことに気付いてしまった絶望。そういう娘を育ててしまう人物が丁寧に演じられていた。 戸田さん演じるルミ子は母に「明るい太陽みたい」と表現されるけど、どう見ても明るくはない…と思ったり、主観で語られる人物。ルミ子ほど極端で自らを正しいと信じている人間はそう多くはいないと思うけど、心のどこか端っこにそんな視点が残っている女性は結構いる気がする。『母性』への出演が決まり台本をいただき読んで、1番ゾクッとしたのは最後のト書き「ルミ子、律子の部屋に戻る」。あんなに不仲だった義母から「娘」と呼ばれ、「ここは他人の家だ」と言っていたのにりっちゃんの部屋に住んでいるところ、娘でいることに成功していることがホラーだった。結局娘でいることが幸せで、娘として生きることを捨てられなかったんだろうな。 高畑さんが演じるのは自己愛に溢れている、辞書でいうところの〝母性〟がある義母。あの横柄さ、図々しさ、デリカシーのなさ、下品さ。みんなで食卓を囲むシーンではぴりぴりした空気が常に張りつめていて、ご飯は味がしないし、そろそろお茶碗飛んでくる…?と思いながら演じて、若干お腹痛くなったりもして。孫に手を上げるのをグッと堪えたり人目を憚らず泣き叫んだり、りっちゃんが出て行った時の反応が本作の中で一番人間臭くて、ルミ子の母娘関係と対照的で愛を感じた。嫌いになりそうな役柄だけど、この作品の引き締め役としていないと映画が成り立たない重要な激しい役柄なので、嫌わないでほしい。圧巻の演技。 そしてながの演じる娘、清佳。戸田さんと共演できることと湊かなえさんの作品に出演できることが決め手となりオファーを受けたものの、今までまっすぐ!素直!みたいな役柄を演じることが多かったながのはこの歪んだ役への不安が大きかった。きっと今までで一番台本を読み返した。そこで気付いたのは清佳は、おかしな方向にまっすぐに歪んでいるということ。〝まっすぐ〟廣木監督がながのを選んでくれた理由はここにあると思った。まっすぐに母に愛されたいあそびのない娘。まっすぐすぎてうざい、苦手だ、図々しいと思わせつつも嫌味なわけではない。それにしても戸田さんにお会いして数日後に撮影したバケツのシーン「触らないで」は流石にグサッときたなあ。すれ違いだらけの二人を母と娘として成立させることができたのはきっと戸田さんとだったから。大好きなお母さんです。
この映画の登場人物はみんな、愛されたかったし守られたかった。無償の愛という炎が、最も愛するものたちを溶かして変質させてしまった。愛の歪みは怖いと思った。 同じひとつの出来事でも、聞く人の捉え方によって全く別物になっていたりする、そんな経験は日常でもよくある。ながのが大好きな某ドラマから言葉を借りるなら「どちらも嘘をついていなくても、話を盛っていなくても必ず食い違う。だから、真実は一つなんかじゃない。二つでも三つでもない。真実は人の数だけある…でも事実は一つです。」第三者である父には、実母には、義母には、義妹には「母と娘」はどう映っていたんだろう。 人は簡単には変われない。今までの経験から沈殿し堆積していった思考や思想を変えるのは、年齢を重ねれば重ねるだけ難しくなっていく。そして自分自身を変えられないからこそ、代わりに現実を捻じ曲げ自分に帳尻の合う形に現実の体裁を整える。それが母と娘それぞれの思考によって作られた『母性』という物語で、ルミ子の人生は「簡単に変われなかった」その具体例の一部。でも「簡単に変われない」というだけで「人は変われない」と語っているわけじゃない。映画『母性』で変われなかった具体例を〝娘を愛せない母〟とするならば、変われた具体例が〝母に愛されたい娘〟、ラストシーンの歩み始める清佳がそう映っていればいいなと願う。
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第8回福島県障がい者芸術作品展 「きになる⇆ひょうげん 2024」審査結果
第8回福島県障がい者芸術作品展 「きになる⇆ひょうげん 2024」の審査結果を発表いたします。 343人(共同制作含む)の方から、435点の作品をご応募いただきました。
★福島県知事賞★
《ぼくの365日》 藁谷 虎太郎(わらがや こたろう) 10歳(郡山市)
【審査員コメント】
バスケットにピンク色のくるくる丸まったものがいっぱい詰まっています。これは、虎太郎さんが市販されているストローを口の中でモグモグモグモグして、それがだんだん丸まってできたものです。虎太郎さんはこの行為を365日やっていて、それをお母さんが集めたものが今回の作品です。
きになる⇆ひょうげん展の一番の特徴は、けっして作者の意図的な、作為的な、具体的なイメージを持ってスタートするものばかりではなく、なにか日常のなかの行為で、意図的ではなく、それでも結果的に生まれてくるもの、というものがあります。その人がいなかったら生まれてこないというものが生まれてきて、そしてそれを「鑑賞する」人が必ずいます。それでもっとその面白さを人に伝えたいというときに、この「きになる⇆ひょうげん」展に応募する。そこに、この展覧会の大事なところがあります。本作は、この展覧会ならではの作品で、行為の集積がここにあります。また、丸まったストローを引き立てているこのバスケットは虎太郎さんのお祖母さんが作ったものだそうです。虎太郎さんのきになること、虎太郎さんのお母さんのきになることと、お祖母さんがつくったバスケット。そんなこともあいまって、今年の県知事賞は藁谷虎太郎さんの《ぼくの365日》を選ばせていただきました。
★きになる⇆ひょうげん賞★
《やつはし》 本田 正(ほんだ ただし) 45歳(須賀川市)
【審査員コメント】
本田さんはこれまで何度もこの公募展に応募していて、作品には毎回本当に独特な造形のバランスと、ビビッドな色の対比があります。それが立体的であったり、配置にとてもこだわっていたりという世界観があります。もう一つの特徴はタイトル。食品に関するタイトルが多いですが、本田さんのなかではきっと、大根の味や形態などからくるイメージというものが「ピタッ」と繋がる、彼独特の回路があるのだと思います。
今回の作品は本田さんのこれまでの作品のなかでも、その世界観のなかに行き着くとこまで行き着いてきたのかなと感じます。本作には、八ツ橋のように折りたたんであるように見えるところもあったり、和な雰囲気が軸のようにも見えたり、そして山水画のようにも見えてきます。部屋に飾ると、なにかその部屋を本田さんの世界観で支配しそうな、そんな力のある作品。毎回出展いただくとなんとなく見慣れてしまうこともありますが、本田さんの作品には、毎回新鮮に驚かされます。そこがまた、本田さんのすごいところだなと思います。
★審査員賞・日比野克彦賞★
《ちょっと噛みたい時もある》 舘 篤(たて あつし) 23歳(石川町)
【審査員コメント】
これは遠目で見るとただの洋服ですが、《ちょっと噛みたい時もある》というタイトルの意味が、洋服の穴にあります。この穴が空いた位置がちょうど舘さんが洋服をぐっと持ったときの噛む位置。これがまさに「きになる⇆ひょうげん」ならでは、です。ご本人は、ちょっと噛んだときに落ち着くんでしょうね。これはパジャマらしいですが、パジャマに着替える、ちょっと眠たくなってくる、そして寝しなに噛みたくなってくるのでしょう。それで噛んだまま寝ちゃったりするのでしょうか。それを毎日続けていると、こんな素敵な表現になってくる。
最近いろんな洋服のなかで、わざとダメージをつけたり、破れたジーンズとかもありますが、まさに最近流行りの「ダメージ表現」と言ってよいのではないでしょうか。それを、舘さんの周りの人が、しっかりこの公募展に出してきた。今年のパリコレの一番最先端オシャレ。ファッションデザイナーはこの舘篤さん。そのコレクションを今年の日比野賞に選びました。
★審査員賞・川延安直賞★
《かもん(家紋)》 《かめのえま・おふだ・おまもり・おかまさま・おそなえのお花(まつぼっくり)》 赤羽 好三郎(あかはね こうざぶろう) 7歳(南会津町)
【審査員コメント】
家紋帳には、「その1」と「その2」があります。応募者である好三郎さんのお父さんのコメントを見ると、どうやら近所の家紋のついている立派な蔵とかお宅とか、そういったものがあるのかなと思います。しかしこの作品は、古典的な、普通に使われている家紋をそのまま写しているのではなくて、全部この好三郎さんが独自に作ったもののようです。そして描いている紙もあえてグレーなマットな感じの裏面を使って、そこにお兄さんが使っていたという筆ペンを使って描いています。そのことによってとても温かみのある、やさしい家紋ができているように思います。
そしてもうひとつ作品として、なにか祭壇のような、インスタレーションの作品も応募してくれました。まだまだ7歳という小さいお子さんが、どうしてこういった世界観に興味を惹かれたんだろうか。私も学芸員という仕事をしていて古いものを見る機会が多いので、とてもきになりました。そして、いろんな方が家紋とか日本の古い信仰に、これから関心をもってもらうための何か糸口になりそうな、とても豊かな可能性を秘めた作品だなと思いました。
★審査員賞・川内有緒賞★
《漢字練習》 尾形 朋宏(おがた ともひろ) 29歳(福島市)
【審査員コメント】
この作品は展示室の端っこのほうにあって、最初は「漢字練習帳かぁ」という感じでパッと開いたら、いろんな漢字が書いてありました。だんだん読み進めていくと「こんな漢字が世の中にあるのかなぁ」という漢字がいっぱい出てきました。たとえば「難読苗字」という項目があって、「ぺんぎん」さんとか「くろず」さんなど、こういう名前の方もいらっしゃるのかなと思いました。見れば見るほど不思議な魅力を感じはじめてしまって、見ているうちに「もっとページをめくりたいな」という気持ちになって、かなりじっくり見てしまいました。
私がこの作品を見ていていいなと思ったところは、一生のうちに一回も見なかったり、覚える必要のない漢字がいっぱいありますが、きっと何かのために覚えているというよりは、本当に覚えたいんだな、集めたいのだなとか、この漢字を「本当に知りたいんだ」というのが伝わってくるところです。また、この字がのびのびしているのがいいんです。それを見ていると、これを書くのも楽しいし、知るのも楽しんでいるしという。自分のためにやっているのがいいなと思いました。
★審査員賞・岡部兼芳賞★
《ズーボルテルテ君》 姉さん(あねさん) 67歳(三春町)
【審査員コメント】
ズーボルテルテ? どんな作品でしょうか。黒い、なにかお人形に、白い糸で文字が刺繍されています。「ズーボルテルテ」。気づいた方いらっしゃるでしょうか?逆から読むと「テルテルボーズ」です。てるてる坊主の反対だったということに気づくまでは、本当に「なんなんだろうこれは?」と思っていました。気づいてからもますます謎が深まる感じもあります。本当にきになってしまいました。
この作品は、いろんな立体作品が飾ってあるなかに、ポツンと展示してありました。そして応募用紙のコメントも、なにか意味深な感じがありました。てるてる坊主自体が晴れを祈る、ある意味、呪術的な人形ですが、この作品もまさにそうですね。表情もわかりにくく、後ろに下がった手は隠されているようでもあり、まさになにかお祈りをするような、念が込められた呪物のような。そういうイメージも湧いてくる、見れば見るほど、本当にきになる作品でした。
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特選
特選の作品は以下になります。 ※順不同・敬称略
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入選
入選の作品は以下になります。 ※順不同・敬称略
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※第8回福島県障がい者芸術作品展「きになる⇆ひょうげん2024」は、2024年11月23日〜2025年1月19日の期間、はじまりの美術館で開催します。(火曜休館、12/30(月)〜1/3(金)年末年始休館)
※ この他、開催期間中、来場者のみなさんに「きになる」作品に1票ずつご投票いただきます。1番得票の多かった作品を 「オーディエンス賞」として会期最終日に表彰する予定です。
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帰ってきて、3時間くらい昼寝をした。いつぶりだろう。
01.今年の夏以降、なんだか忙しくて気持ちが休まらなかった。 春は少しの間休職していたので、時間の進みが比較的ゆっくりだった。 学生の頃のように短髪を10回も脱色して、賑やかな色の服を着て、肌の一部が見える格好で外に出て、友達と遊んだ。 その写真を、普段は通知に反応することさえしないのだが、家族のライングループに一枚投稿した。飼い猫が��くなって以来、二度目の帰省の時に父から「大阪のおばちゃんみたい」と言われた。 わざわざ言わなくてもいいのに伝えてくるのは、多少なり自分たちの望んだ娘の姿ではないと思ったこととか、20代も終わるという年の女が何をしているのかと感じたこととか、 そういうのを匂わせた軽めの侮蔑、軽口に見せかけた非難、雑談の中で不意にダメージを与えることで、言われた側に爪痕を残し、言う側の意図を暗黙のうちに汲み取らせようという魂胆が垣間見える…ような気がした。 ここでふと我に帰る。そこまで考えてしまうのは少し極端だ、と自分で気がつけるようになった。
初手でここまでマイナスに受け取ってしまうのは、私の問題もあるのだろう。私は私の自我が非常に不安定な存在であることは知っている。
02.年末になると、会社からビジネス手帳が配られるのだが、これまで活用法が見出せずにほぼ白紙で毎年捨てていた。 もったいないと思いつつも、書くことが特にないし、日々の予定は私の場合は流動的なものが多いので、iPhoneのカレンダーで管理する方がよかった。今年の手帳もその例に漏れない。
ただ、来年からは自炊の献立を決めておいたり、毎月末に書く振り返りカード(100均のカードカレンダーの裏面に殴り書きしている)を貼付したり、好きなyoutubeチャンネルやドラマ、漫画をメモしたりするのに使う予定だ。 あわよくば資格や趣味の勉強もこの手帳で管理したい。自分なりにフォーマットを整えて(ボールペンの手書きで殴り書きだが)今月半ばから試験運用している。
私は非常に気分屋なので、少しでも手間に感じたらいくらでも途中で放棄してしまう。 しばらく経って再開することがあったとしても、来年末にまたほぼ白紙の手帳を捨てている可能性は高い。 なので、今年末から慣らしておこうという計画だ。うまく行くかは神のみぞ知る。
03.インターネットとの付き合い方をこれまでも何度か考えるタイミングがあり、snsもアカウントやコンテンツ(文章など)を作ってみてはしばらくして消すことを繰り返してきた。 先日、その中でも比較的長く残していたtwitterのアカウントを完全に削除した。とはいえ、データがweb上に現れなくなるのは30日後らしい。
Xになってからほぼ更新していなかったのでtwitterと書かせてもらうが、景色や特定のオブジェクトの写真を加工して載せたり、よく閲覧していたサブカル文系根暗ツイッタラーに影響を受けたツイートを投稿していた。
割とtwitterの中だけで育った交流もあったので、以前消そうとした時は後ろ髪を引かれる気持ちがあり、結局消せなかった。 ここ一年ほどは、たまにログインはするが投稿は更新しないという中途半端な形に落ち着いていた。当時から、仲良くなった人とは実際に会ってお茶をしたり、 ブラウザに依存しない他のアプリケーションで繋がったりしていたし、リア友にはtwitterがなくても繋がれるし、という状況は変わっていない。 決め手になったのは広告やおすすめ機能、全く自分と関連のないインフルエンサーの引用リツイートに埋め尽くされたタイムラインの不愉快さだった。 ネットで拡張された現実の先に、ただ誇張されただけの歪んだ現実があるという地獄のループをひたすら体感させられるような。
他の人たちと同じように、10年前に存在したような静かなインターネット(それでいて物理的距離を跳び越えた、新しい刺激をもらえる場所)を探し、行き着いた場所でアカウントを作成すると、前述した旧サブカル文系根暗ツイッタラーたちが軒並み同じ場所に鞍替えしていて、少し可笑しかった。 ネット越しの文章でも、やはり長く接しているとアンテナの張り方が似るものだと思った。
04.長いこと疑問だったが、自炊の面倒臭さと外食の手軽さを天秤にかけた時に、自炊の方が節約になるという人は少なくとも食費についてきちんと記録し、管理しているのだろう。 高校受験で燃え尽きて、その時鍛えた義務教育的教養の貯金の切り崩しで大学に来てしまった私は、すっかり負の意味でキャンパスデビューしてしまっていた。
活字があればとりあえず最後まで読んでしまうような子供だったのが、長い文章が読めない。 短文もインクの染みを追うだけのような感じで、意味が把握できない。数字はもともと苦手意識があったので尚更。 地図も、観察も、実験も、買い物も、人との会話でさえも、とにかく全ての情報を遮断したかった。事実拒否するような言動をしていたと思う。(当時周囲にいた人については申し訳なかった)
何度も書いてきたきたことだが、私は学校に行かなかった。 昼間はバイトの時間まで、布団を敷いて寝巻きのまま、自室の天井を見つめ続けた。 幼い頃、博物館や図鑑や論文のようなアカデミックな要素に憧れていたのをふと思い出しては、泣いた。 燃え尽きで志望校などなかったとはいえ、実際に今大学という場に所属できているのに、目の前に大規模な図書館やいつでもアクセスできる論文の山があるのに、私はそれらに近づくこともせず、8年もの間天井を眺め続けた。
その間に、字を読み書きするのが嫌ではなくなるとかのレベルで状況の改善もあった。 ただ、私にとって自分が本来の興味関心に沿った行動をとることができるまでに、8年以上の歳月がかかることは完全に予想外だった。 数年耐えれば治ると信じていたから。
社会に出て数年が過ぎ、自分の環境を自分の働いた給与によってコントロールできるようになってから、突然蓋が開いたかのような変化が見られて驚いた。 一人暮らしは9年目を迎えた。 社会人で食費を何も考えずに出せるようになると、準備の時間や水道代、ガス代、材料費、設備の初期投資がかかる自炊について、本当にこれは節約になるのか疑問が湧いた。(我ながら平和ボケしていたと思う)
特に一軒家を借りて住んでいるので、マンションの一室と違い、自炊ができる環境は最初から整っていない。 そこからお金をかけて揃えるとなると、考えることも多い。 まぁ数年経てばそこそこ設備も揃っているのだが、これは一旦確かめてみようということで、一週間の献立を立てて、実際に作った分で食費を計算してみることにした。
案の定一週間で二千円以下という結果だった。 外食であれば私は喫煙できるカフェとかに行くので、ランチだけで1,000円近くすることもある。そう考えると、当然自炊の環境は整えて正解だったということになる。 生活にかかるお金を管理することを、燃え尽き症の名残もあって長年避けてきたが、ちょっと来年からはがんばってみることにする。
05.海が近い町は良い。平野の緩急のない、ただ茫と広がる風景よりも好きだ。 埋立地なので風が強く吹き、冬は寒い。日差しは均等にならされたアスファルトに照り付けて眩しい。 空はどこから見ても開けていて、月がよく見える。大人になってからの記憶では、色や感触が鮮やかだ。 幼い頃の記憶は、まるで字幕すらない白黒映画のようで、情緒はあるのだが、断片的ゆえに淡白で、内容がよくわからない。
これまでの時間、自我の在り方と、これからの時間、自我の在り方を同居させることは非常に難しくて、たまに悩む。 同じ人間が体験しているとしても、これまでとこれからをいつまでも延長線上のように考えておくことはできない。あまりにも違い過ぎて。
なので、新しく生まれていく自我と生きていくことを選択することにした。 そうしてゆくと自分で自覚することが、いまだに襲われる自死への羨望を遠ざけ、生活を喜劇と設定しなくても、自然体で続けていくことに繋がると信じている。
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