#戸柱公園
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chaukachawan · 1 month ago
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深淵を覗きたかった
舞原です。しばらく雑談が続きます。団員紹介目的の方は飛ばしてね。 
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コント演出をやってみて思ったんです。オムニとかの脚本とかもっと挑戦してみても良かったんじゃないかなぁって。いや、楽しいですね〜演出って。体験版だからでしょうか。まあ好き放題させてくれたコントの役者たちにまずは感謝なんですけど。まあその上でちょこっと制作秘話なんですけど。出演者決まってから色々試行錯誤しているうちに「客役に店長役の頭をポンポンさせようかな…?」とかいう邪念がよぎったんですよ。ちょっと迷いましたが、さ~すがに申し訳ないなって思って止めました。需要があるならもうポポポポ~ンってくらいにポポンポンしてください。あたまポン♪ポンポポン♪ でも勝手に頭ポンポポンするのは失礼ですからね。
まあ人に頭ポンポポンさせている自分自身がキモくなってしまうのはありますけどね。 
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ということで食パン滓絞りからは以上です。 区切りがスマホサイズに依存するのは許して。
団員紹介、続いては35期。1年半ってまじで早いね。ここからは印象に残ってる役とかセリフを添えます。(不参加公演の場合はセリフないです。ごめんなさい。) 
私は代替わり部会に出席してないからギ、ギリセーフ...。 
大福小餅 
同じ座組になることが多かったなぁ。初めのオムニの頃から比べると本当にちゃうかに汚染されてしまったなぁって思います。ふと見るとすぐに稽古場で寝ているのでおもろいなぁと思いつつも普通に心配です。天然で急な思考の飛躍を入れてくるのが本当に面白かった。外公で舞監頑張っていましたね、お疲れ様です。もっと舞台上での存在感が大きい役が見てみたいな。どうなるか予想が全くつかないから。 
こふくは楽しそうにしてる時が1番輝いてる気がする。 
23秋公/息を吸う、吐く 魔女 
「大丈夫、きっと全て上手くいく。」 
あろハム権��衛門 
支部長さん。吹田で楽しそうにしてるなぁ、とよく思っていました。某人間とかの振り付けしてたとは聞いてたけど今公演改めてみるとめっちゃ踊れててびっくりした。自分の中の世界で強く生きてるんだろうなぁと常々思ってて、その世界をもっと覗いてみたかったけど全くタイミングなかったなぁ。チャンスはもっとあったような気はするけど。吹田の時にサイゼ擦ってくれてありがとうございました。 
カルピスの原液が個人的には優勝ではあったが、しかしこっち 
24新歓/夢にまで魅せられて 黒川 
紫仏瑠唯 
まじでそんなにお話した機会がなかった…。合宿のときにこふくといて「あれ、ここって仲いいんだ」とか思ってたけどよくよく考えたら二人とも学部一緒だということにこれを書いてるタイミングで気づきました。それくらい何も知らなかった。まあスタオンだから仕方ないかな…。 
これ以外も見てみたいな。 
23オムニ/オレンジ 母 
「まさかネットに旦那を寝取られるとはねえ!!ネットられるとはねえ!!!」 
近未来ミーラ 
「詳しくは情報解禁を待て」だけど、諸々楽しみにしてます。みーらと一番お話したのはかつてのオムニの「今では考えられないようなほど静かなみーら」だったなぁ。みーらは演出を3回もやっているというのに。ふざけてる時のみーらとの会話のテンポ感は引退する前に掴みたかったなぁと思っています。あれみんなどうやって会話してるの?すごい気になる。いつか演出を受けてみたいという気持ちもありつつ。 
栞の個人的推しポイントの一つ 
24秋公/いつか栞を挟んで 駅員 
「自分の問題でしょう!」 
黒井白子 
演劇サイボーグさん。もっと白子にダメとかもらいに行っても良かったのかな、とか引退した今では思っちゃいますね。頑張ろうとする人に対して、その努力に応じた強度のダメを出してくれる。経験と知識にしっかり裏付けされてるのが本当に強みですよね。舞台上とかカラオケにいるときの白子のイメージが私の中で大きいけど、日常生活でも楽しそうにしていて凄いアクティブだなぁって思います。 
私これのキャスパまじで好きなんよ。あの白子大好き。 
23新人/某人間 道化師 
海泥波波美 
一番関われる機会が多かったんじゃないかな。私がいるところには常にいた気が。場の空気の作り方が上手いと思います。圧倒的な潤滑油。楽しませてくれます。真面目とふざけのバランスが凄い絶妙ですよね。まあ攻めすぎてる時もある気もするけど。須藤、当ててくれてありがとうございました。ちゃうかって楽しい場所なんだなぁっていうのを1番よく実感出来��公演になりました。 またご飯とかでも。
ボスと共演出来て楽しそうにしてたのが印象的だった。 
23秋公/息を吸う、吐く なおや 
「いつもの時間、いつもの電車、いつものお前。つまんねえ」
 
帝京魂 
すっかりおじさん芸が板についてしまって。オムニの初めで「僕、鯛焼きの36期にヤバい奴だと思われてないですかね…」って心配してたのは面白かった。舞台上ではやばいかもしれないけど、実際それ以外は相当まともな方に入りそうだけどどうなんでしょう。普通にいい先輩してると思います。襟をつかんで叫んでた頃が懐かしいなぁと思うこの頃です。 もう襟を掴めないとこに行ってしまったような。
Level 100 
24新歓/夢にまで魅せられて 深山 登 
テキストを入力 
音響仕込み平班員仲間。平班員だけどしっかり有能。流石。舞台上では毎回見所がある。美味しいよね。今年のオムニから役者を始めた新星のスターだけどもうすっかり演技をすることには慣れていて凄いと思います。あとほんまに映像凄い。安定してクオリティが高い。硬すぎず柔らかすぎず、重すぎず軽すぎず、ちょうどよくバランスの取れたエピの感じがすごく接しやすかったです。 
やはりお前は音響の柱になれ 
24外公/タイムマシンの使い方 店員 
「箸、一膳。」 
西峰ケイ 
おもろいすいたんちゅ。生粋の関西人ですよね。ツッコミが本当に一級品。ってか普通に演技が上手い。外公の時はすごいリードしてもらってたなぁ、と思います。ほんまにありがとうございました。せめて、最後に一個だけ聞きたいんだけど、西峰ケイを伏せるときってどの絵文字がいいん?□?■?意外と◇?それともこういう伏せって嫌いだったりします?教えてください。 
外公の共演も良かったんだけどさ…新歓で脳焼かれちゃったんだよね…。あのシーンのらび本当にすっげぇなって…。 
24新歓/夢にまで魅せられて 八戸 
園堂香莉 
ふぇーい🤟🏻これ好き。おもしれ〜やつ。どんな思想をしてるんでしょうか。鯛焼きめっちゃ楽しかったです。なぽのおかげで鯛焼きが思い出の品になりました。なぽりが飽きることが無いことを祈っておきます。鯛焼きチーフなら大丈夫か。舞台上では本番になるとよく覚醒しますよね。去年は舞台上で、今年はオペ席から見てたけど毎回本番すごいなぁって思ってました。 
ぽんぽん。ポン太くん!楽ステ輝いてたなぁ。 
23秋公/息を吸う、吐く  ゆき 
「初めまして、ゆきって言います。ふつつかものですが、よろしくお願いします!」
衿君 
佐藤。ゆるふわマッスル。外公はありがとうございました。普段はめちゃくちゃ謙虚なのにスイッチが入ると強くなる。演技は上手いし、舞台の外では面白い。もっと色々見てみたかったね。私が映オペの時結構注意喚起で肩叩いてくれたんですけど、楽ステのキャスパの時普通に見とれて忘れていたので助かりました。一緒に山を登ったりバンドを組んだりできて楽しかったです。またなんか冒険とかできたらいいな。 
そりゃこれ 
24外公/タイムマシンの使い方 佐藤 
「なるほどな、大阪から愛知に行くのはいいけど何かの間違いで大阪から岐阜に行くと世界が滅ぶってことか。滅ぼすべきは岐阜県民 」 
縦縞コリー 
最近とてもテンションが高いように見える。高いのはいいことです。まあ多分こっちが本来のコリなんだろうけど。でもコリちゃんはテンションが高い方が面白い気がします。そのままのあなたでいてください。あと、コリはさ!!!人の目には気をつけようね!!!ほんまにいつ誰に見られてるか分からないんだからな!!!な!!!!!! 
主役とかやってたけど何気にこれが1番好きかも。名言感? 
23オムニ/怪盗とその考え方 警部 
「これで怪盗コーデはコンプリートだよ…名怪盗くん。 」 
中森ダリア 
音響平班員仲間。でも音響として見たのは今回のバラしくらいだったかも。なんか最近更に美に磨きがかかっててびっくりした。すごいつよい。でも中身は変わらずひらりっぽい感じですよね。まあ詳しくは知らないんですけど。でもしっかりちゃうかに馴染んでますよねぇ。あとキャスパ上手すぎです。ほんまに、ダンス部強すぎる。 
合いそうだなぁと思ってはいたけど初見の衝撃凄かったなぁ。 
24オムニ/用もなしでは怖いし 掃除のおばちゃん 
「あぁそれと、もう二度と余計なことは言わないように。もう見逃し配信はしないよぉ」 
〆切三日前 
音響仕込み班仲間。なんやねんこの芸名。俗にいう音響チーフの系譜ですね。本当に音響チーフなのかは知りませんが。っていうかこの人のこと全然知らないんですよね。何気に。TOP SATSUMAIMO狂であることと正欲って映画をオススメしてたことしか知りません。引退したし暇な時に見てみようと思います。なんか意外と色んな役やってますよね。上手いから気づかないんだろうな。
ずっと座って見てました。毎回圧倒されながら見てました。 
23秋公/息を吸う、吐く みな 
「ブス。ブスブス。ブスブスブスこのブサイクが、自分に自信もちなさいよ!!!!!」 
ミル鍋 
ゆに。人を+にする能力にものすごく長けていますね。色んな人に+をばらまきつつもユニ自身も色んな人に+をもらっているような気がします。『雑』談をするのがすごい上手いよねぇ。大学の課題ってクソだよねっていう話なら2,3時間くらい出来そうな気がする。吹田でかなり苦しめられているようですが、ここを自分たちのオアシスにしてあげてください。 楽しんで。
すごい ゆ�� 
23秋公/華幻の月 辻井 
「お疲れ様。一人だけどよくやったね、頑張ったね。」 
苔丸 
こけえもん。ありとあらゆるスタッフワークをこなしていて尊敬します。同時にありがとうございます。妄想サイゼ気に入ってくれてありがとう。苔丸に楽しんでもらえてるだけでもあれをやった甲斐があります。最近苔丸の変化率低い気がするから、もっと想像もつかない役とかもやってみてほしいなぁという気持ちです。 今度は宇宙人とかロボットとか見てみたいですね。
原点にしてこれ。 
23オムニ/香夜 江崎文 
「ええ加減にせんか!」 
なんかこう書いてると人のこと全然見てきてなかったし、関わってこなかったなぁとか思っちゃいますね。 知らないことばっかり。悲しいね。
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hangorin · 1 year ago
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東京五輪から2年 湾岸はいま
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悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
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立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
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石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台���を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
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そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
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③晴海選手村
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カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
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選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
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街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
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右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
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その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
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選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
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ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
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東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
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わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
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次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
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しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
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有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
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有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
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そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
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有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
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真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含��シンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
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アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
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正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三���丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
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「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
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競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
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生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
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炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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petapeta · 2 years ago
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六麓荘町(ろくろくそうちょう)は、兵庫県芦屋市の町名及び同地の高級��宅街。「丁目」のない単独行政地名。 神戸市、大阪市および阪神間の市街地と瀬戸内海を俯瞰する六甲山地の南東麓斜面の海抜200 - 250メートル地点に位置する。1928年に払い下げられるまでは国有林で[5]、現在も芦屋市の自然環境の一部分を形成している。 芦屋の一部は元々、大阪財界人の別荘地として開拓されていた。六麓荘町の開発は、明治後半から大正時代にかけ、日本一の富豪村[6]と呼ばれた住吉村(現・神戸市東灘区)や夙川、香櫨園など近隣地域の影響を受けた延長上のものであった。1928年(昭和3年)から富商・内藤為三郎ら大阪財界人の手によって、国有林の払い下げを受けて当初197区画、数万坪にのぼる宅地造成を行ったことから始まった。六麓荘という地名は「風光明媚な六甲山の麓にある別荘地」に因み名付けられた。電線類地中化など先進的な街づくりが取り組まれた[5]。 六麓荘の開発は、1928年(昭和3年)に大阪財界人のひとり森本喜太郎が発起人になって、土地開発・住宅造成の会社である「株式会社六麓荘」を設立したことが始まりである。社長には上記の内藤為三郎、専務に森本喜太郎が就任した。この当時は、資金があまり準備できず、2人は協賛金や株の手付けなどの資金調達に専念した。 この地帯も国有林であったので、国有林の払い下げなどの運動については、法律に長けた取締役の瀬尾喜二郎が国との交渉にあたったとされる。 六麓荘開発のコンセプトは、この地を「東洋一の住宅地」とすべく香港の九龍半島やその対岸の香港島の白人専用街区をモデルに開発が行われた[5]。南斜面の起伏のある恵まれた地形を有効に利用し、スケールの大きな住宅地が形成された。例えば、細い山道にすぎなかった道を幅6メートル以上に拡幅して、1区画につき少なくとも300坪から400坪以上を標準とした。また、自然の地形を尊重した曲線道路により、住宅地全体が構成され、造成時に切り出された石材は石垣や石橋、庭石に利用。山林の赤松もできるだけ残されて庭木などに活用された。 敷地内に流れる山からの湧水を小川として取り込むほか、溜池や道路を流れる川には橋をかけた。さらに、特色として上水道は経営地の最高部に貯水池を設け、下水道はヒューム管を埋設。都市ガスも導入している。また、電気については、電柱が著しく風致を損なうとして、多額の費用をかけて日本で初めてとなる電線類の地中化が行われた。道路の保全と美観上の問題を含めて全面的な道路舗装を行い、安全面にも留意している。開発当初の1区画の敷地規模は、平均300 - 1000坪以上である。 六麓荘最大の特色として「六麓荘町内会」が開発直後から組織されていることが挙げられる。なお、「町内会」を別に「自治会」と称する事もある。町内会は環境保護・景観保護の為に、ある意味においては、治外法権的な役割を果たしており、町の住民は、開発当初から町内会独自の協定を設けて高級住宅街の維持に努めてきた。協定では、建物は一戸建ての個人宅に限り、新築と増改築には町内会の承認が必要である。 町内での営業行為は一切禁止しているため、マンションや商店、自動販売機は全くない[5]。町内会員により構成される六麓荘町内会(六麓荘土地有限会社)は、道路部分の土地所有権を有している。開発当初は道路を区分所有していたが、管理に限界があり、有限会社を設立することで共有財産とした。しかし、有限会社での自主管理にも限界があったために、芦屋市に無償貸与して市による管理が行われることになった。 新規居住者は、入居時に、町内会の入会金を支払いとともにこれとは別に月々の管理費を支払っている。これらの資金は、共有施設がある駐在所兼公会堂施設の維持・管理と町内会の活動経費に充てられている。新規入居者は、計画時に芦屋市から申請の内容が町内会に伝えられ、町内会でこれを承認するという手続きをとっている。セキュリティー面では、1930年(昭和5年)に町内会が無償で建物を提供して、芦屋警察署の六麓荘駐在所が開設された。 現在の建築条例(旧建築協定)は敷地面積を400平方メートル(121坪)以上とし、400平方メートル未満の面積への分筆も禁止され、用途は2階建以下の一戸建個人専用住宅に限られる。建物の高さは最高10メートルで、軒の高さは7メートル以下とし、営業行為も一切禁止で他にも色々な制限がある。 上述の厳しい制約から、賃貸契約や会社名義(社宅)としての利用が不可であると勘違いされる事も多いが、建築条例を充たした建物であれば居住形態の制限等は無い。賃貸(借家)住まいや社宅住まいの住人も数多く存在している。 バブル経済崩壊、阪神・淡路大��災以後の近年では世代の交代や高額の相続税の支払いが原因で、土地を手放すケースが増加した。そのうえ前述している紳士協定に過ぎない「建築協定」では風致を維持することができなくなることが懸念されるようになる。そのため住民は強制力のある条例による景観保護を市に求めることとなった。 住民の要望を受けて芦屋市は「建築協定」をそのまま「条例」に格上げした「景観保護条例」を市議会に提出した。「景観保護条例」は、2006年(平成18年)12月22日の芦屋市議会で全会一致で可決されて、2007年(平成19年)2月1日から施行となった。通称「豪邸条例」として話題になった[5][7]。
六麓荘町 - Wikipedia
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tomoyamashita · 2 years ago
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戸柱公園横向きで。 青い海と青い空。 海の向こうに、竹島、硫黄島、黒島、さらには口永良部島まで見えていました。 流石に屋久島は遠すぎた… #戸柱公園 #南九州市 #南九州市頴娃町 #青空フォト #青い空 #あおいそら #青い海 #青い空と海 #開聞岳 #開聞岳が見える風景 #竹島 #硫黄島 #黒島 #口永良部島 #松 https://tomohirondonplus.com/2023/06/03/石垣ⅰ(石垣駅・戸柱公園)/ — view on Instagram https://ift.tt/lKUQtu3
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢���卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 ��� 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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bearbench-3bun4 · 5 months ago
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猫は知っていた プロローグ
7月4日(土)から7月9日(木)までのたった6日間の話です。
それよりも数日前から始まります。 これから惨劇の起こる箱崎医院(外科病院)と主な登場人物の紹介というところでしょうか。 仁木雄太郎の友人、牧村の世話で箱崎という医院の病室を借りることになって、訪ねて行くところです。
地図のせいか道に迷っている仁木兄妹が偶然声をかけた青年が、これから下宿することになる箱崎医院の長男の箱崎英一で、箱崎幸子にピアノを教えるということがこの時点でなんとなくわかります。 そのまま、箱崎英一と箱崎医院に行くことになります。
氷屋の角を曲り、公衆電話とラジオ屋の前を通りすぎ、電信柱の角を曲がってすぐという表現ですけど、氷屋、公衆電話、そしてラジオ屋です。 ラジオ屋って何でしょう? その頃は、ラジオが主流だったので、ラジオや無線機、真空管などの関連部品を扱う店が多くあったようです。 それが、いわゆるラジオ部品販売の「ラジオ屋」だそうです。
箱崎医院は、門から玄関まで、白っぽいきれいなじゃりが敷いてあり、どっしりした木造の二階建て、右手に別棟で古びた平屋があります。左の方が病院で、右手の平屋がはなれで皆こちらに住んでいます。
当然ように、英一は、はなれの玄関に入っていきます。 出てきたのは、幸子の祖母で桑田ちえでした。箱崎敏枝夫人の母親です。 そして、お茶を運んで来たのが桑田ちえの孫で、両親に死なれたためにこの家の世話になっている桑田ユリです。 英一たちの従妹ですね。 で、桑田ちえの身の上話が有りますが、このあたりは本編と関係あるのか、ないのか?
そうこうしているうちに、敏枝夫人と幸子ちゃんが帰ってきます。 そこに、小さな黒ネコが登場します。「チミ」ですね。 この小説のタイトルでもある猫の登場です。 人なつこいネコで、人の行く所、行く所とついて歩くとありますが、いかにも伏線らしいいですね。
この猫なのか、別の猫なのかいったいどう猫が絡むのか楽しみですね。
さて、「医院」の方の棟の説明です。 図が付いているから関係あるんでしょう。
廊下の右側にならんだドアの上には、それぞれ、看護婦室、レントゲン室、診察室、手術室とあり、左側は応接室と薬局および玄関になっています。 玄関をはいった所に籐のテーブルや長いす、雑誌類をのせた小机が配置されて待合室に利用しているらしいです。 二階へ上がる途中で、院長の兼彦氏にあいます。 敏枝婦人と幸子ちゃん、そして兼彦が二階を案内してくれます。
二階は、広い廊下が中央をつらぬき、その両側に入院用の病室が並んでいて、つきあたりのには「ふとん部屋」があります。 病室は、左側に3つ、右側に4つあって、仁木兄妹は一番西側の8号室に案内されます。 病室が7つしかないのに8号室まであるのは、4号室がないからです。 イメージとしては、病室に下宿しても生活できるのかどうか不思議でしたけど、この当時は、こういうことは結構あったのかしれませんね。
8号室は案外広々として、明るい感じです。 窓に近い方に白ぬりのベッド、反対側の壁に畳が一畳、ベッドは患者用で畳は付添用だと思われます。 また、部屋の中には、小さいテーブルといす、腰ぐらいの高さの戸棚もあります。
ここを購入したのが昭和24年となっていますから、それから4年後の昭和28年というよりも、10年後の昭和34年の7月4日からの出来事と考えたほうがいいのかもしれませんね。
そこへ野田看護婦が兼彦氏を呼びに来ます。 それで、兼彦が出ていきます。 はっきりとは書かれていませんが、敏枝夫人と幸子ちゃんそれから「チミ」がそこに残っていたみたいです。
そのまま玄関まで降りてきて、はなれから入ってきたことを思い出します。 そこで、敏枝夫人がはなれに靴等を取りに行っている間に、平坂という患者のことが話題に上がります。 靴がないから待たされる。そこに、平坂という患者の話題。 このあたりはかなり伏線ぽいですね。
これで、プロローグは終わりです。
7月4日 土曜日に続きますが、推理小説として、犯人は最初に出てくるというのが有ります。 そのためのプロローグだとすると、この中に犯人がいるかも。
このプロローグで紹介されている登場人物です。
仁木悦子(にきえつこ)…主人公です。���7、8の桑田ユリと1つ2つしか違わないらしいとあるので、20歳くらいですか。箸が��がってもおかしい年頃は、2年半前に卒業したという表現からもそんな感じですね。音楽大学の師範科に行ってるみたいです。 仁木雄太郎(にきゆうたろう)…主人公の兄です。大学生で植物学を専攻しています。 牧村…仁木雄太郎の友人です。
箱崎兼彦(かねひこ)…医院長 箱崎敏枝夫人…医院長の奥様で、小太りの気のよさそうな人です。 桑田ちえ…夫人の母親、幸子の祖母。65、6で小太りの世話好きそうな老婦人です。 箱崎英一(えいいち)…長男で医科大学に行っています。21、2で、きれいな一重まぶた、青白い顔と注意深い目をしたやせ型の引きしまったタイプで、頭はいいが、気さくにつきあえる相手ではなさそうです。 箱崎敬二(けいじ)…次男、医科大学に行っています。(厳密には登場していませんね) 箱崎幸子(さちこ)…幼稚園に通っているおかっぱ頭の女の子です。 桑田ユリ…17、8の少女。私立高校に通っているちょっとキツネに似た顔立ちのやせた少女です。桑��ちえの孫で、両親に死なれたためにこの家の世話になっていて、英一たちから見れば、従妹(いとこ)にあたります。
平坂氏(患者)…四十に近くかた幅の広いたくましい体格をしています。目も口もなみはずれて大きく、鼻は肉が厚く、まゆ毛は墨でぐいと引いたように濃く、一種独特な印象を与える精力的な顔です。 平坂夫人(患者の奥さん)…小柄で、目も口もこまこまと性質も内気そうに見えます。整った可憐な顔立ちにもかかわらず、疲労のせいかあまり生気がありません。
家永看護婦…細おもてですらりとしていて、度の強い近眼鏡の中の目を光らせています。 野田看護婦…ほんの子供といってもいいような少女で、左右の目が思いっきりとび離れた、人のよさそうな丸い顔をしています。
チミ…黒ネコ。人の行く所、行く所とついて歩きます。
登場人物はあまり多くありません。 じっくり追っていけば比較的かんたんにわかるかもしれませんね。 楽しみです。
つづく。
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sekai999 · 5 months ago
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最終更新:2024/11/10
橋から人が落ちていくのに誰もそれに気を止めずに各々の時間を過ごしている空間だった。 インターネットの友人と遊園地へ行った帰り、という場面から始まる夢。楽しかったね、って語らいながら分岐点まで歩いていって、橋の上で名残惜しさから他愛もない話で時間も心も埋めていくのだけれど、そんな一場面の遠くで橋の軋む音、その後に鈍い音がする。感覚的には遠いのだけれど実際のところ、すぐ横で人が湧いてきて落ちてを繰り返していた。表情は見えなくて、だからそれが誰か、何なのかも分からなくて、僕らはその横でずっと話していて。橋の下は川が流れていて、すぐ近くに平面的かつ立体的な山があった。その山の前に川岸をつなぐように電線が渡っていて、電柱のような木のようなものに、やけに大きな白い何かが止まっていた。僕はそれを鳥と認識した。概念的な生命体だった。 ある程度時間がすぎて、友人に別れを告げてひとりになったので僕は橋の下に降りてみた。所謂戦隊ものの格好をした5人組が何かをしていた。何をしていたかは思い出せないのだけれど。好奇心にかられた僕は彼らに近寄って何かをした。その間も人が橋から落ちてくる。最後に僕は崖の途中付近にいて、僕もその後同様落ちた。正式には落とされた。戦隊ものの格好をした人はにこにこしていた。僕もにこにこしていた。
起きていても寝ていても臓物を引き出す夢を見る。ずっと前から。きっと何かに影響されたものの派生かなと思うけれども何もない空間にいて、知らない手が胃腸だったり心臓だったりを掴んで体から取り出してしまったり、肺を力強く押してみたりする。 偶に自分の手が自分の意志とは関係なく動いてみせることもある。痛いというよりも塞がっていた水道がとおるような、すっきりとした感覚になるようなので悪い気分はしないけれど、目を覚ましたとき鈍器が体内にあるような気持ちになっていつもよりなんだか重たく感じる。 血が透明な何かに入れ替えられる時もある。
2024/09/13 寝れないなと思いながらただだるい体を少しでも楽にするために良い体制を探していた。最終的に平たい長座布団の上に寝そべっていた僕の上半身前面がやけに涼しくて、少しヒリヒリするような脳の認識を感じて視線を下ろしたらむき出しの臓物とも取り難いそれ、が見えた。臓器に対する知識の上での解像度が低いから臓物もどきに変換されたのだろうなと思うのだけれども。 ただどうすることもできなくて、どうしてか動けなくて薄暗がりで鈍く輝く臓物もどきを眺めることしかできなかった。ずっと見ていたら不規則に動く心臓のようなものや腸がだんだん膨張していっているように見えてきて、飲まれてしまう、と思ったら目が覚めた。04:23だった。短い時間だったのに大変不思議な夢だった。 膿んだ傷口が風に当てられて痛む感覚の延長みたいなものをずっと感じていた。
2024/08/22 気がついたら僕は、知らない家庭の団らんというものに混ざっていて、見知った顔を持ったヒトと世界を旅していた。それらしい彼等の風貌をしていて内面は少し違っていて、戸惑いながらも地球にある国々を巡って、世界の様々な人に出会った。様々な文化に触れた。どうしてか各国が地続きの世界で、さいごに見たのはさっきまでともに旅をしていたヒトたちの笑顔と片手に握った金魚が泳ぐビニール袋だった。 この世界はずっとどこかずれていた。例えば、F国では銀色の箸を使って食事をしていたし、最期に行ったA国では、なぜか室内でJ国のお祭りを行っていた。屋台で出される食事はまるで配給や給食のような出し方だった。知っているようで異質なお祭りの空気をどこか遠くで眺めているような気持ちで屋台を見回ったりして、屋台のヒトと何気ない談笑を交わして。 それなりにお祭りを謳歌したあと、お祭りの熱を冷まそうと散歩をしていると眼の前に両手ではとても覆いきれないくらいに広い青が目の前に広がった。 溶けてしまいそうな曖昧な水平線に心を惹かれ半ば引きずられるように、操られるようにそちらへ歩いていく。急に視界の下の方にあったはずの地面を見失った。さっと緊張で滲む手汗を握り、足元を見ると崖だった。間一髪で落ちることなく地を踏みしめた私は眼の前に広がる初めて見る光景を見つめていた。自分の知っている海ではなく怖いくらいに鮮やかな海だった。 ずっと見ていたら呼ばれてしまうんじゃないかと思ってしまうくらいにそこの見えない海と、曖昧な空のどことなく低いのに確かに届かない雲の流れを目で追っていると、後ろから誰かの声が聞こえた。迫りくる明るい声がする方に目を向けると、旅をともにしていた人たちだった。 『良かったね、見つけられたね。』何かを祝福するふうにそう言いながら笑顔で近づいてくる。まるでこの旅の終着点にたどり着いた、みたいな終わりの空気を手のひらに感じながら戸惑っていると急に全身に空気を感じた。紐で縛られたりしていない金魚の入った袋の口が手から離れる。 最期に見たのは離れていく彼らの笑顔と、空を泳ぐ金魚と落ちてくる空だった。 普通に人生の終点だった。
2024/07/27 真昼。僕は確かにさっきまで友人とピクニックをしていたように思う。あちらの世界では遊歩道ではない場所がこちらの世界では何故か遊歩道になっており、そこになんの違和感も抱かなかったくらいには楽しいピクニックだったのだろう。そんな優雅なひとときなど一瞬だった。 「火災発生 火災発生 外出中の方は直ちにお近くの避難所へ___」 突然目も覚めるくらいけたたましいアラートとともに防災行政無線から“乾燥による火災の大量発生”を知らせる声が聞こえてきた。それを聞いても何故かのんきだった僕らはすぐには動かなかったのだが、ふと香ばしい香りが漂ってきた。そちらの方に目をやると一本の生まれたての煙柱が見えた。小規模の森と言いたくなるほど鬱蒼と生えた川岸の草が例によって火を起こしてしまったらしい。 真横で火災が起きている。 事態に気がついた僕達2人は鞄を抱えてあちらの世界には存在しないエメラルドグリーンと白の可愛らしい建築デザインの避難所へ駆け込んだ。何故か裏口から。 避難所の中は学校のように机が規則正しく並んでおり、床も机も一目でわかるくらいには木製だった。すぐに不安な気持ちでふと窓の外に目をやるとそこそこ離れた小学校の方から大きな煙がたっているのが見えた。そちらの方に住んでいる知人らに思いを馳せながら避難所の中を一周する。幼少の頃の日本国外にいるはずの友人や、既にもうこの世にいないはずの人が普通に生きて不安そうな表情を浮かべながら雑談をしている。そんな彼らに懐かしさを覚えて僕は思わず声をかけたが、一瞥すらくれなかった。僕が幻覚をみているのか、僕が幻覚なのか彼らに気がついてもらえることはなかった。 出かける際に持ってきたカバンのほか何も持っていなかった僕らはまだ火災の起きていない方に位置するスーパーに向かおうと避難所の外へ出た。 しっかりとした避難所の冷たい扉を開けいざ出発と思い左右に視線をやると、ちょっと先にある小学校の頃の同級生の家が燃えていた。緑色の芝生も雰囲気のある重い扉も面影がないくらい火の塊だった。 遊園地もブランコの周りに生えていた公園の木々も山も赤く染まっていた。 この世界の終わりを突きつけられた気持ちで即座に避難所へ引き返し、窓の外にまた目をやると避難所の真横の空き地が燃えていた。逃げ場などどこにもなかった。
2024/07/XX ⚠微グロ “目が覚めたら”真っ暗な世界にいた。真っ暗で周りには何も見えないのに自分の手足や足元は目視できた。 不思議に思いしばらくぼーっと周りを“眺めて”いたら極僅かな小さな小さな何かが這いずるような音がした。 音のした足元に目をやると白っぽいグレーっぽい、発光したような細長い何かが蠢いていた。(以下ミミズと称する) あまりのおぞましさに暫く嘔吐いていると足元にミミズが落ちてきた。動揺が引き金となって必死にせき止めていた何かが溢れ出すように吐いた、はずだった。でてきたのは想定とは異なる吐瀉物だった。胃液ですらない。ひたすらミミズが溢れてくる。自分でもわかるくらいに青ざめて真っ白になっていく床に膝をつく。潰れるミミズの体液は真っ青だった。この生物が何なのか自分から溢れてくるのは何故なのかぐるぐる考えながら、一度壊れた堤防からあふれるミミズをただひたすらに吐き続ける。長い時間休まることなく吐き出される苦しさに涙が浮かぶはずなのだが体内には彼らしか詰まっていないのかミミズしか流れてこなかった。自分の手足が次第に骨と皮になってもなお体からでてくるのはそれだけだった。 長く感じられた時間の末空っぽになった体は次第に真っ白な海に近づいていく。薄れる意識の中で最後に見たのは何だったのだろう、僕は目を覚ましてしまった。 とても冷たい世界だった。
僕はいつものように窓枠に座って時計アプリを起動させたスマホを見ていた。 ずっと前に開始させたストップウォッチの画面は止まることを知らずにずっと動き続けてくれるので安心するから。 どれくらいの時間が過ぎただろうか、突然固いはずのスマートフォンの画面がゆがむ。あまりの突然さと俊敏さに半ば寝たような脳みそを起こすまもなく液晶に飲まれる。体に纏わりつくスマートフォンの熱を感じながら意識を手放した。 意識を取り戻すと三人称視点になっていた。 僕の先程まで座っていた窓枠付近には持ち主を失ったスマートフォンが落ちていた。そのスマートフォンにおそらく僕らしき人がドロドロした液晶に飲まれてい��その光景をどうすることもできずにただ見守っていた。見守ることしかできなかった。 無機質なはずの板が生命を帯びたかのように、確実に僕を飲み込もうとしている意思をもったかのようにさえ見える飲み込まれ方。 何故か無抵抗に飲まれていく僕の体。 黒っぽい液体にじわじわと飲まれ、見えなくなっていく体。 三人称視点にも関わらずリンクする“息苦しい”という感覚。 体に纏わりつくスマートフォンの熱。 普段のような苦しさはないが多少の焦りを感じた。そこにいる僕が飲み込まれきったらそこはどんな世界なのだろう、薄ぼんやりと眺めては三人称視点の僕もどうにか動こうと試してみるが壁になってしまったかの如くびくともしなかった。 暫くして髪の毛1本まで飲まれてしまった僕はその後何時間見つめてもでてくることはなかったし、三人称視点の僕もまた、どれだけ動こうとしても動けなかった。 ただどこまでも底へ引きずり込まれる感覚を最後に僕は目を覚ましてしまった。 先程まで生命を宿していた冷たいスマートフォンの時計は05:22。夢の中で最後に見た時刻だった。 今思えばもしかしたら三人称視点だと思っていた方の僕自身も飲み込まれている最中だったのではないか、などと思うが、一度中断してしまった世界である以上真相はスマートフォンの暗闇の中だった。そんな考察でもしながら僕はいつものように窓枠に座って時計アプリを起動させたスマホを見ていた。 ずっと前に開始させたストップウォッチの画面は止まることを知らずにずっと動き続けてくれるので安心するから。
へんな養護施設に化け物と天災が来て、必死に逃げるも、もう選択肢 はないと思い下水管から逃げ、へんな科学者みたいなおじさんに拾わ れる。電波関連の管理や下水の管理、変な生き物の研究をしているお じさんのもとで助手として生活していたがある日、お使いがてら養護 施設を見に行くことに。そこであった少年を抱えてまたもや起きた化 け物と天災から同じ方法で少年を逃がし、自分は飛行して逃げたが少 年がなかなか見つからない。下水管の入口のようなもの?を転々とし て脱出口を探す少年をやっと見つけ出し局所的な天災と化け物の出現 の原因解明をする話。
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shintani24 · 5 months ago
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2024年7月27日
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三井不動産常務 藤岡千春(ふじおか・ちはる)1966年生まれ。89年入社。広報部長などを経て、2023年から現職=7月9日、東京都中央区、益田暢子撮影
神宮外苑・晴海…なぜいまこんなに再開発? 三井不動産常務に聞く(朝日新聞 Leader’s View)2024年7月27日
八重洲や築地など、東京都内で「100年に1度」と言われる大規模な再開発が進んでいます。狙いは、東京の国際競争力の向上とされていますが、環境破壊につながるとの批判もあります。多くの再開発事業を手がける三井不動産の藤岡千春常務に、その意義について聞きました。
 ――東京でなぜ、いまこれだけの再開発が必要なのですか。
「東京はアジアでナンバーワンになるべき都市だと思っています。上海やシンガポールではなく、アジアで拠点をもつならば東京だと。森ビルのシンクタンクが毎年出している世界の都市ランキングがあります。昨年、東京は総合3位でしたが、経済の分野で10位に、環境の分野で16位に落ちました。これには非常に危機感を持っています。経済に魅力がないと世界の中心になりえません。再開発の力が発揮できるところだと思っています」
 ――どのように発揮しますか。
「例えば、再開発は環境をかえてしまうと言われますが、ミッドタウン日比谷には日比谷公園と同じ植物を植え、一体感のある景色が楽しめます。明治神宮外苑地区の再開発では、守らないといけないイチョウ並木は確実に守り、全体の緑を25%から30%に広げます。再開発でどんどん緑を増やしていきたいです」
 ――明治神宮外苑地区の再開発は、反対する声も多くあります。
「メディア側の問題かもしれないと思っています。なぜかというと、かなりの人がイチョウ並木が切られると思っているからです。たとえば、テレビや新聞で明治神宮外苑地区の再開発のニュースを出すとき、必ずイチョウ並木の写真や映像が使われます。見た人は『これが切られる』と思ってしまう。でも、確実にイチョウ並木は守りますし、緑も増えます。木はなるべく移植して大切に扱います。声明文を出したり、色んなかたちで発信したりしているのですが、なかなかメディアに取り上げていただけていません」
神宮外苑のイチョウ並木(写真左奥)。右手前から神宮第二球場跡地、神宮球場、秩父宮ラグビー場=2024年7月5日午後1時49分、東京都内、朝日新聞社ヘリから
 ――樹木伐採への批判は特に大きいです。
「1本たりとも切るのは許さないという主張をされている方からみれば、もはや何を言ってもどうしようもないですけれど、あそこは人工林です。弱って倒れたら危ないので、倒れそうな樹木は保全のために切ってきました。15年で300本ほど切っては植え替えている。なので、1本切っても許さないと言われても困ってしまうのですが、そういった声を大きく取り上げるメディアもあるので、誤解もあるかと思います」
 ――東京都からは樹木の保全策の提出を求められています。進捗は?
「いま検討中です。(根の張り方や生育状況などを調べる)根系調査を入念にし、施設計画を見直します。場合によっては、神宮球場の位置をもう少しセットバックするなどの検討をしています。再検討の計画はだいぶ進んでいるので、そんなに遠くない時期に、伐採本数をもう少し減らすような計画を再度出せると思います」
晴海フラッグ、投資目的の購入「そんなに多くない」
 ――晴海フラッグの入居が、今年始まりました。
「この間行ってきましたが、素晴らしいですよ。電柱は地中化し、駐車場も地下にあるので、町並みは非常にゆったりとしています。ショッピングセンターもオープンし、活気が徐々に生まれています」
 ――投資や転売目的の購入が多いとの報道もありますが、どうみていますか。
「最初の申し込みは平均倍率2・6倍でした。まぁギリギリです。そんなに好調ではありませんでしたが、コロナ禍があり、東京五輪の延期でキャンセルが相次いだ。その間にインフレやマーケットの変化などで、後半はものすごい倍率になりました」
「ご指摘の投資目的の購入があったので、タワーマンションは購入制限をかけました。でも、(投資目的の購入は)そんなに多くない。部屋を買って賃貸に出す人は、どこのマンションでもありえます。そこだけフォーカスして取り上げられているように思います」(聞き手・益田暢子)
コメントプラス
井本直歩子(元競泳五輪代表・途上国教育専門家)【視点】 元アスリートとしても、東京都民としても、地球市民としても、外苑の再開発に疑問を持っています。
「昨年、東京は総合3位でしたが、経済の分野で10位に、環境の分野で16位に落ちました。これには非常に危機感を持っています。経済に魅力がないと世界の中心になりえません。再開発の力が発揮できるところだと思っています」
経済も大事ですが、「環境の分野で16位に落ちました」というところに注視したいです。地球環境を守れない都市は、世界の中心になりえません。新しいショッピングセンターを建て、経済を活性化させることで、温室効果ガスの排出はどのくらい防げるのでしょうか。東京都は2030年までにカーボンハーフを目標にして、住宅などの太陽光発電義務化を条例化していますが、この外苑や晴海再開発でのカーボンハーフに関しての貢献の全体像が見えてきません。こういう象徴的な再開発の取り組みから、しっかりとカーボンハー���への貢献を見せていくべきではないでしょうか。
世界の大都市では、脱炭素化社会に向けての取り組み��進んでいます。オリンピック・パラリンピックを迎えたパリも、オリパラを景気に緑が増え、使い捨てプラスチックが削減され、自動車が追い出され、自転車が増えています。
元アスリートとしては、神宮外苑や晴海にできる新しいスタジアムも、建設過程の温室効果ガスの排出規制、建設基準、運営するときのスタジアムでの省エネやクリーンエネルギー創出など、世界に誇れるスタジアムとして最先端の取り組みを聞きたいです。そうであれば私たちはもっと真剣に外苑に関しても議論できるのではないでしょうか。
三井不動産は事業活動する電力を2050年には100%再生可能エネルギーにすると宣言するRE100に加盟しています。今回の再開発で、この宣言にどう貢献していくのかをしっかりと聞きたいです。
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身寄りなき93歳の遺産は20億円 ためこまず「ゼロ」で死ぬには 「ゼロ」で死ねるか 人生100年時代のお金の使い方(朝日新聞「ゼロ」で死ねるか 人生100年時代のお金の使い方 第1回)
個人金融資産2141兆円の6割を60歳以上が保有し、「老老相続」が当たり前の日本。老後に備えてお金をためこむのではなく、使い切る。そんな「DIE WITH ZERO(ゼロで死ね)」という考え方が今、静かなブームになっています。果たして実現できるのでしょうか。5回の連載で考えます
昨秋、東京都内のマンションで一人暮らしをしていた93歳の男性が居間で倒れているのを、訪れた証券会社の担当者が発見した。慌てて救急車を呼んで病院へ運んだが、男性はまもなく死亡した。
男性は2018年に妻(当時88)に先立たれ、子どもはいなかった。頼れる身寄りはおらず、部屋はかなり散らかっていた。時折、ヘルパーや証券会社や銀行の担当者、税理士らが訪れるぐらいだった。
税理士は男性の生前に、こんなアドバイスをしていたという。
「万が一に備え、亡くなった後のことを任せられる『死後事務手続き』の契約を業者としておいた方がいいですよ」
だが、男性は断り続けていた。「まだ早い」と。
男性の死後、自治体が戸籍を調べたところ、親やきょうだいなど相続人は他界し、遺体を引き取る人は誰もいなかった。自治体で火葬し、引き取り手のない無縁遺骨としていったん保管場所で預かった。
相続人がいない人が遺言を残さず亡くなると、裁判所が選んだ「相続財産清算人」が残った借金を清算したり、遺産を整理したりする。残ったお金は国庫に入ることになる。
この男性が持っていた、預金や株など「相続されない遺産」の総額は、約20億円。
相続財産清算人が遺品などを整理していた今春、ある書類がみつかった。男性の妻が死亡する前に、夫婦で作成した遺言書だ。
内容は、夫が先に死亡したら財産は妻へ、妻が先なら夫へ、という内容だった。男性の妻も資産家だったため、妻の死によって、男性の財産はかなり増えたという。
同じ時期に作成された遺言には夫婦どちらもが亡くなった場合のことも記されていた。
数千万円を70代の知人に遺贈するので、自宅マンションの処分、納骨、年金の受け取りの中止手続きなど死後事務手続きを行ってほしい。その費用を含むすべての債務を知人が清算する、という内容だった。
知人への遺贈分を差し引いた残りは「すべて公的な団体へ遺贈する」旨が遺言書に記されていた。遺言は有効となり、残りの男性の財産はやがて公的機関に入ることになる。
「多くの財産を持ったまま亡くなり、相続人もなく、死後に周囲が対応に追われるケースがここ数年、増えている」
施設入所の身元保証や死後のさまざまな手続きの代行など「終活」を支援する会社、OAGウェルビーRの黒沢史津乃社長はこう指摘する。
多くの高齢者が使い切れないお金を抱え込んだまま、亡くなっていく――。これが日本のリアルだ。
日本銀行の資金循環統計によると、国内で個人が保有する金融資産は2141兆円(23年12月末の時点)となり、過去最高を更新した。その6割以上を60歳以上が保有している。
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年代別金融資産残高の分布の推移
日本人の平均寿命は男性81歳、女性87歳。親の財産を相続するときには既に高齢者になっている「老老相続」や、相続人のいない「おひとりさま世帯」が増え、巨額のお金が市場に出回ることなく、国庫などへと消えている現状がある。
そんな中、日本の常識を覆す、「DIE WITH ZERO(ゼロで死ね)」という考え方が静かなブームとなっている。
「DIE WITH ZERO」の極意とは?
そのきっかけになったのは、20年9月に発売された翻訳本「DIE WITH ZERO」(ダイヤモンド社)。筆者は、コンサルティング企業CEOという経歴のビル・パーキンス氏だ。
発売されて3年半以上が経つが、SNSや口コミでじわじわと広がりつづけ、39万部突破のロングセラーとなっている。
この本の特徴は、お金を「ためる」ことではなく、生きているうちに「使い切る」、つまり「ゼロで死ぬ」に焦点を当てたこと。人は「いつ死ぬかなんてわからない」という不安に駆られ、なんとなく必要以上の金をため込んでいると筆者は指摘する。
筆者いわく「人生で一番大切なことは思い出づくり」。お金と違って思い出は「記憶」として永遠に残り、人生を豊かなものにする。だから、やりたいことは先延ばしせず、元気なうちに経験することが大事だと説く。
「コロナ禍で重版を重ね、今や『DIE WITH ZERO』はパワーワードとなり、日常会話でも使われるようになった。意外だったのはミドル世代だけでなく、20代など若い世代にも刺さっていること」と担当編集者の畑下裕貴さんは手応えを語る。
都内の高級老人ホームに入居する89歳の女性。「ゼロ」に向けた終活を進める一人だ。
女性は3年前、自身の金融資産の遺贈先3カ所を決め、遺言、死後事務手続きの契約なども済ませた。亡くなると必然的にゼロになる。
上場企業の役員を務めた夫とともにホームに入居したのは、16年前。一戸建てを売り、終のすみかにするつもりで2人で約1億円の保証金を支払った。
夫は8年前に亡くなった。子どもはいないので、女性が遺産を相続し、自身の貯金とあわせ、金融資産は1億円近くなった。
「ゼロ」への終活を進める89歳
女性も教育機関で70歳まで働いたため、年金収入もある。老人ホームの月額の利用料と食費など約22万円の固定費の支払いには年金をあて��いる。老人ホームにはマージャン、ビリヤード台、カラオケ、図書室などもあるのでお金はほとんど使わない。「足が弱り、旅行も行かなくなった」
100歳前後まで生きると想定して必要なお金を残しているつもりだが、自分の寿命がわからない中で、ちょうど「ゼロ」にできるかどうかの不安、難しさも感じている。
ホームに併設する要介護棟へ移れば、月額利用料や医療費なども高くなる。
夫は亡くなる前に脳卒中で倒れた。自力で食事ができず、静脈に挿入したカテーテルで水分や栄養、薬剤を点滴するIVHという高額な治療を受けた。
「夫は倒れた7カ月後に亡くなったが、医療費の支払いは差額ベット代含め月額70万円。お金は最後にもかかると身をもって知りました」
女性は信託銀行から「生前からの遺贈」を再三勧められたが、断ったという。
「老後は何が生じるか予想がつかない、お金ですべて解決できるとは思わないが身を守り、他人に迷惑をかけないため、お金は重要な要素なので……」
コメントプラス
末冨芳(日本大学文理学部教授)【視点】【自分の死に向けての資産整理こそ元気なうちから】3度、家族の遺産整理をしました。若くても体調を崩すほどの手続きの山、メンタルストレス、故人の遺品を捨てる時に思い出も蘇る悲しさ、そ���て弁護士・税理士・行政書士などへの相談料・手数料がかかります。国による土地登記変更にかかる印紙税は高額すぎてぼったくりとしか思えません。
その後も、さまざまな後始末をつづけ、いまやっと、ど田舎の墓じまいに着手したところです。並行して自分自身の終活をはじめています、アラフィフですが。
資産はリスト化して夫に渡しています、人付き合いで入った余計な学会はやめる、大切な友人知人となるべく交流する、元気なうちに家族旅行をたくさん楽しむ。
公正証書遺言を作成する、子どもたちが遺産や人生のトラブルで相談できる信頼できる若い世代の弁護士さん・税理士さんへの相談体制を構築しておく、資料や本を整理して家や研究室の後始末を減らす、が今後の課題です。
たくさんのモノを残して死ぬより、なるべくたくさんの良い研究や楽しい思い出を残して旅立ちたいですね。一番の課題はやっぱり資料や本などのモノの整理、勇気を出して処分していきます。
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pitatmatsydo6 · 6 months ago
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■閑静な住宅街の一画に位置する約35坪の住宅用地♪
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dekandamo · 7 months ago
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丘の石碑
 目覚めるとカーテンの向こうが早朝だった。  仲間の中で唯一床に横になって寝ている、その人の、かたく握られている片手を、眠っていることを確かめるよりも前に、私は待ちきれなくなって指で開いた。そこには小さな銀紙が握られていた。手のひらの細かな凹凸に合わせてシワくちゃになっていた薄い銀紙、私はそれを手に取り、自分の鼻の前に持ってきて匂いを確かめた。そして破かないように注意深くていねいに銀紙のシワをのばし、指で開いていった。6センチ四方ほどの四角い面に私の手のひらを当てる、それは普段は目を合わせることもない同士の私たちの握手だろうと思った。  さっきまで、学校で一番好きな子は誰なの? と眠る前に話し合った結末を夢の中でもう一度訊かれて戸惑っていた。私は夢でこう答えた、  『ぜんぜん知らない。そういうみんなの方が本当は全部知っているんじゃないの?』   銀紙に、灰色のカーテンから入る朝日は鈍く反射しているように見えた。柔らかくて優しい光だった。それと同じ暗い光がカーテンから入り、部屋の暖かい空気と溶け合って、部屋のあちらこちらで立ったまま白い柱状になって眠っているみんなの姿を包んでいた。
今ではもはや人間の姿をしているのは私と、床に横たわるその人だけだった。この秘密に私は驚かなかった。むしろ、ここ数日の会話のやりとりで抱いていた違和感や疑問にも少しは納得がいくような光景だった。やっぱり、私たちが毎日必死で捜している過去や未来の出来事を、この五本の柱となった友達たちはみんな全部知っているんじゃないか。私が誰を好きか、私は知らないけれど、みんな知っていたのだ。知っていて、黙ってくれていたのだ。柱状の友達たちは静かに目を閉じて、天井と床を真直ぐに繋いでいた。じっと耳を澄ませていると五本分の柱の寝息がちゃんと鳴っているが、人間の呼吸とは明らかに違っていた。それはまるで換気扇の中を空気が通過していくような、緩急のない一定の低い響きだった。みんなの頭から爪先までは一本の管になっていて、体の中を空気が一方通行に通り過ぎていくのかもしれない。  私は広げた銀紙にガムをはいて、溢れないように指先できつく摘んでそれを畳み、しばらくのあいだ握っていた。ガムは次第に私の口内の熱を失って銀紙の中で硬くなっていき、それと同時にそれを摘む私の手の温度を獲得して、柔らかさと硬さのあわいを揺れ動いていた。
 日曜日の午前の並木通りには人がたくさんいて、たくさんの大人が自分とペアの子供に何かを言っている。「そこに、座っていなさい。」たとえばその人は私の他人で、子供のことをピーマンと呼んでいる。「じゃ、車の方に歩いていってね。」たとえばその人は、犬が疲れているみたいだから水を寄越そうとしている。歌を歌うフルートの声が遠くから響いてくる。「ねえ帰るよ、もう帰るよ。」たとえばその人は、子供を呼ぶために人々のさなかで大声を出すことを厭わない。 「じっとしていると寒いね。」  そのような、雑然とした言葉が飛び交っている長い並木通りを北へ抜けているあいだは、人々の声に耳を傾けて空想に浸ってもよいし、景色を眺めていてもよいし、現実的な考え事をしてもよいし、私は何もしてもいいのだと頭では分かっていても、結局は何をしたからといって、並木通りを通り抜ける以上の行いにはならない気もした。  丘への並木通りを往くのは親子だけではなかった。弾みながら歩く犬はみんな宝物のようにキラキラしている。ふたつの目、背や尻の毛並み、犬のまだ白い湿った吐息、全てが光を真に受けている。犬は息を切らせて草木の中を走りまわり、飼い主がよろよろとそのあとを続く。  私は並木通りの犬を見ていると、かつて飼っていた小さなゴールデンハムスターのことを思い出すのだった。ハムスターは私の誕生日にペットショップで買った。父の仕事部屋のケージで2ヶ月生きたが、寒くなってきた途端に風邪をひいてしまい、動物病院へ向かう道中で段ボールの中で死んだ。  私がもっと大人になって、世の中のいろんなことの分別がつくようになって、どんなお店や水辺や国の入り方も一通りわかるようになって、だいたいの食事の味や綺麗な食べ方を知るようになって、大人同士のやりとりで発生する複雑な無言の作法もわかるよう���なって、そうしたらもう一度ぐらい生き物を飼ってみたいな、と眠い頭でぼんやり考えた。私は親しくなった動物が死んでしまうことが何よりも恐ろしかった。親しいものを失うくらいならば、逆に私の方が失われた方がまだましだと思うほどだった。しかしそれはまた、親しいものに、私という親しいものを失わせることに他ならない。
 私は北の丘に着いた。丘は広く、その全体は黒い幹の樹々によって縁取られている。地面を覆っている芝生はところどころが人の足跡によってささくれて黒い土が見えている。丘の中央では大きな白いもやのようなものがゆったりと揺れていて、近づいてみるとそれは枯れかけているススキの群れが風にそよいでいる姿だった。並木通りと比べると丘には人がまったく居ない。時折また南の方から子供の声が響いてくる以外はほとんど静かだった。  丘のある場所に、花崗岩でできた石碑が立っていた。背丈は大人ほどもある。その石碑の何かが私の興味を引いた。いつからそこに立っているのか、岩全体には雨による縦の汚れが目立ち、金属板にはくり抜かれた文字がびっしりと数百文字連なっているが、浅い凹凸に土汚れが詰まっていてほとんど読むことができない。 石碑の文字盤を読もうとして、土汚れを爪で引っ掻いて格闘していると、家で眠っていたはずの友達が背後からやって来た。 「何してるの?掃除ボランティア?」なんだかいやな言い方だな、と思った。「そう、掃除ボランティア。」と私は嘘をついた。「よくここにいるって分かったね。」  彼は照れたような顔をしていた。  空は真白に曇っていて、雲より白い太陽が輝いていた。背の高い友達のちょうど頭の真上に太陽が昇りかけている途中だった。光がところどころで虹色に分裂し、私は目を細めて彼を見上げた。  私は彼のことが気に入らなかった。彼はいつも元気に振る舞って、みんなの目を見つめたり名前を呼んだりしながら過ごす。彼が何かおもしろいことを皮肉まじりに顔をしかめながら呟くと、みんな一斉に笑った。すると彼も一緒になって風のような無声音とシワの目立つ笑顔で笑った。気に入らないのは、それが空元気だということに彼自身もみんなも一向に気づく気配が無いことだった。 「みんなは?」 「家で寝てたよ。」 「誰も起きてないの? もう昼じゃない?」 「うん。だけど、もしかしたらもう誰も起きないんじゃないかな。柱になっちゃってたし。」 「やっぱりそうか。」 「うん。」 「柱になったらもう人間は起きないのかな。」 「わからん。目が無いから、目が覚めるとか無さそうじゃない?」 「そういうことか?」  彼は返事をせず、私の隣に腰を下ろし、石碑の文字に顔を近づけた。 「何だこれ、読めそうで読めないな。」 「そうなの。」 「ああ、だから引っ掻いてたんだ。おもしろいこと考えるね。」  私は少し笑った。彼も少し笑って、私の手先を真似て人差し指で石碑の金属板に挟まった土を掻き出し始めた。何かの平仮名の『はらい』の部分を綺麗にすると、それは『れ』のように見え始めた。しばらくの間私たちは鼻歌を歌ったり、いつ終わっても構わないような会話をしながら石碑を爪で掃除し続けた。すると突然「ねえ、これってもしかして。」と彼が言った。 「……何?」 「……人名だ。」 「どういうこと?」 「昔ここでたくさん死んだんだ。」 「人? 虫が? 犬が?」 「それは、人だろうなあ。」  私は石碑を掻く手を止めた。頭上を飛行機が通過していった。彼が言った。 「なんかお腹すいた。そろそろ戻らない?」
 家に帰ると、いまだに五本の白い柱は部屋に立っているままだった。静かに呼吸している柱の合間を縫って、私たちはキッチンの深い鍋でお湯を沸かし、パスタを茹で、冷蔵庫から彼が出してくれたレトルトナポリタンソースと胡椒をかけて食べた。  灰色のカーテンから差し込む光はもうすでに午後の光になり始めていた。しかしカーテンを開ける気にはなれなかった。柱状の彼らが眩しさや騒がしさに驚いてしまわないように、私たちは薄暗い部屋でつとめて静かに食事をした。
 柱の一本を触り、中指の関節で叩いてみると、奥の方でかちかち、と音が鳴った。これは誰だろうか。マキちゃん��、高柳くんか、……。  ……ずっとこうして耳を塞いでいるんだ。
 午後になってしばらくが経っても、白い柱になってしまったみんなの形が変化する兆しがない。私と彼ははっきり言って暇だった。眠り続ける柱を前にすれば丘にいた時のようなお喋りも自然と止み、何をするでもなく、朝目覚めた時と同じポーズをとって絨毯に寝そべってみるばかりだった。  永遠に続く五本の柱との生活のほんの始まりのようにも思えたが、不思議と悪い気はしなかった。柱が増えた彼の部屋に私は時々遊びに来ればいい。そうすればまたみんなで遊ぶのと変わりはないのだから。  ただいつまでも同じ部屋に換気もせずにいると気分が悪くなりそうなので、「また外に行きたい。」と言ってみると、「いいけど、公園じゃなくて、今度は近くの川に行こう。」と彼は応じた。  川までの道中、住宅街の上の線路を、ゴウと音を立てて電車が通過した。やはり街全体も、線路がつなぐ両隣の街も、その向こうの街も、普段と変わらずに開始されているようだ。時間が止まってしまったのはあの部屋だけなのだ。  腰のあたりからメロディーが鳴り、彼は立ち止まってポケットから携帯電話を取り出してすぐに耳に当てた。もしもし……うん……大丈夫……え?週末か……。私は立ち止まらずにゆっくりと彼の先を往っていた。会話を聞いては悪いような気がした。しかし彼は思ったより早く電話を切り上げて、横断歩道の角を曲がるのをさすがにためらって待っていた私に小走りで追いついた。私は信号機のボタンを押した。 「ごめん、ごめん。」 「今の彼氏?」 「え、違うよ。」 「あ、そう。てっきり……。」 「なんでそう思った?」  信号が青になり、二人で並んで渡る。だんだんと道幅が狭くなってきて、そこにあたる陽も弱く橙色に近づき、川と夕暮れが近いことを知る。 「なんでだろう? 声が優しかったから。」 「私の?」 「うん。」 「あはは。お母さんだよ。」  彼はあの乾いたシワのある笑いではなく、本当のように幼い有声音で笑った。 「まあ、実���的にこうやって……。」と彼が何かを言いかけた時、枯れ草が生えた川の土手に到着した。  そこではみんなが遊んでいた。  マキちゃんと野村くんは流れの早い川に膝まで浸かり、水に両手を突っ込んで水の底を見つめていた。どうやら二人は川を泳ぐ魚を素手で捕まえようとしているらしい。浩子が離れた水流からそれをコンパクトカメラで撮っていた。モマと高柳くんはみんなから少し離れた岩岸にしゃがみ込んで何やら喋っていた。 「なんだ、みんな本当に柱になった訳じゃ無かったんだね。よかった。」  彼は本気で安堵しているのか、あのシワの目立つ笑顔を見せた。 「おーい!」  彼は土手の頂上から、川にいるみんなに向かって大きく手を振った。  高柳くんとモマがそれに気づき、彼と私の姿をみとめると、一瞬驚きの表情が浮かび、すぐに笑顔になって大きく手を振りかえした。一瞬遅れて、川に入って魚を追いかけていたマキちゃんたちも気がついて頭をもたげた。その途端、どうしようもない悲しみが急に波のように押し寄せて私を襲った。枯れ草を踏んでみんなの方へ降りて行こうとする彼の腕を咄嗟に掴み言う。あのね聞いて、ごめん私本当はね、あなたのことが一番好きだった。その時目が合った。怯えと期待が入り混じったようなシワの笑顔がはっきりと見えた、その口が何か言おうと開く瞬間が、人間としての私の視野の最後だった。私は彼の肩に額で触れようとして、勢い余って体にめり込んで彼と一体化してしまった。均衡が乱れたせいで私たちの肉体は混ざり合いながら石化し、バラバラと音を立てて砕け、河岸の枯れ草の上に崩れた。  私とその人は小さな白く丸い石の群れになっていた。もう元の二人の姿に戻ることはできなかった。みんなが川下で口々に何かを言っているのが聞こえた。やがて枯れ草を踏んでこちらへ近づいてくる人間の足音と、私の名を呼ぶ声が聞こえた。
2023
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yamanaka-lab · 8 months ago
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2023建築レビュー#4
・建築レビュー#4(設計者:Lütjens Padmanabhan Architekt*innen) 発表者 :小俣 (M1) 講評者:池田
第4回建築レビューでは、「リュートイェンス・パドゥマナバーン・アルキテクテン」を取り上げた。
この事務所は2007年にトーマスパドゥマナバーンとオリバーリュートイェンスの2人によって設立し運営している。
彼らが掲げているのは「実用主義と多様性」である。
主にスイス郊外の住宅に焦点を当てて設計を行い、彼らにとっての住宅は、建築において最も生産的な分野であり、思考し、考察するのに最も適した分野である。建築が一種の高尚なものであり、歴史の深い宇宙からのアイデアや表現を使用し、材料、厚さ、脆弱性、ぎこちない形、断片化などの選択を通じて日常生活に再接続できることを目指している。
今回は、彼らの建築作品を3つ取り上げ、紹介を行う。
事例1『Therwil Terraced House』(2020)
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一つ目は、スイスで戦後依頼人気の住居形態であるテラスハウスを独自に解釈した作品である。田園地帯を見下ろす森の近くに位置しており、このタイプの建物のモダンで反ロマンチックな特徴を取り入れている。
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牧歌的な雰囲気とは対照的に、建物の形状は非常に合理的で、賃貸可能なスペースを最大限に活用するというプロセスの結果であるといえる。若干歪んだ平行線で区切られた住戸のと中央を貫くホールがテラスにいざなう明快な形式である。この建築の魅力は、奥行きと素材の混在するさまを改築、減築では無く、新築で表現している点であると感じる。
事例2『Waldmeisterweg』(2018)
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二つ目に取り上げるのは、コンペによって選定されたスイスの低所得者、家族向け公営住宅の建て替え計画の作品である。敷地はチューリッヒの異質な居住構造を持つ典型的な戦後の郊外であり、ここにかつて建っていた3 階建ての住宅街に代わる 5 階建ての新しい建物を建設した。2~5部屋のアパートメント21戸が建設され、もともと存在していた住宅ストックがほぼ 3 倍になった。
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この特徴的なフォルムは、もともと立っていた住宅画利用できていなかったデットスペースの活用、郊外住宅地独特の開かれた緑地への配慮等、外部的な要因によって決定している。プランの特徴として、中央のキッチンホールから各部屋にアクセスできるような、廊下の無いプランが全ての住戸で統一されている点があげられる。これによって全ての住戸が南側の開けた庭に面することになる。
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そして最大の魅力は、キッチンホールとリビングホールの間に設けられたこの柱である。
基本的に内壁は煉瓦で積み上げられていますが、スパンの関係上すぐ後ろにある窓枠に構造補強が必要になった。そこで、単に窓枠を補強してディティールを崩すのではなく、杖のような柱を設けることが彼らの解答であった。冬になるとほとんど曇りで太陽の登らないスイスの気候特徴から、この柱に木の陰を設けている。これがリビングルークとキッチンホールをつなぐ役割を果たしており、実際の境界とのずれによって各部屋の流動的なつながりを実現しているといえる。
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他にも、白と黒の人工石��つくられたピアノ階段や、完全に重なり合うことなく支え合うような印象を持たせる壁面パネルの組み合わせなど、一見すると工業的な住宅でありながら、彼らなりの美学が表現されていることが分かる。
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ファサードには、ダークグレーに塗装された木材で作られた中央のフリーズによって水平方向に分割され、これによってこの建築は自律性を保っている。結果としてこの住宅は、低水準の賃貸料を維持したまま、独特の解像度を獲得している。
事例3『Zwhatt』(2019)
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三つ目の作品は、チューリッヒ郊外の再開発地域の一角に建設予定の集合住宅である。「充分性」をテーマにスイスで建設する住宅の最も安価な方法を追求することが彼らのチャレンジであった。
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ランドスケープアーキテクト等も参加し全体計画がなされ、今回取り上げる建築は向かいにある高層住宅の防音壁の役割も果たしている。
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構成は非常にシンプルで、角層に設けると日射条件が悪くなってしまうバルコニーを2層に1つとし、住戸自体をメゾネットにしたうえで、上層階に進むにつれてセットバックさせることで採光を獲得している。
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プランはこのように部屋の大きさごとに分けられ、反復する平面計上によって施工面での経済合理性を獲得している。また、階段部分を利用して空間を区切りながら、狭小ながらも多様な使われ方のできるフラットなプランである。
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ここで、彷彿させるのがコルビュジェのユニテダビタシオンである。
隔層ごとのアプローチやメゾネット型の住居形態という意味では同じだが、アプローチが外に出てきていることでその関係性は大きく変化している。ユニテダビタシオンに対してこの建築では、アプローチとバルコニーが兼ねられていることで、このスペースが居住空間としても定義され、ある意味でより効率的な形態と言えるかもしれない。都市と繋がる1層目、プライベートな2層目というすみわけも可能である。
以上彼らの作品から言えることは、「彼らがつくっているのは現代スイスにおけるヴァナキュラー建築なのではないか」ということ。
ヴァナキュラーが土地の風土や文化から立ち上がるものだとするならば、現代の建築、特に彼らが挑戦するような住宅にとっては経済的な制約や周辺条件がまさに土地の風土であると見立てられる。その中で経済的な原理に裏打ちされながらも、それに押し流されない建築として無駄な線は加えず彼らの独特な素材の豊富さや感性から生み出された自我、「小さく抗う野性的な強さ」が受け取れる。それが使い手に問いかける魅力に繋がるのではないかと感じる。
・引用
Therwil Terraced House / Lütiens Padmanabhan Architekten |アーチデイリー (archdaily.com)
アパート ウッドラフトレイル、チューリッヒ/スイス - Deutsche BauZeitschrift (ドイツ・バウツァイツリフト) (dbz.de)
建物の耐え難い軽さ (archpaper.com)
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tenshitsukinuke · 8 months ago
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てん し つき ぬけ
👼 「天 使 突 抜」 ⛩️って〜どんな天使⁉️
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📝「 天 使 突 抜 」 の由来 -----
「天使」と言えば、羽根の生えたかわいい神の使いのエンジェル を想像してしまいますが、︎ この「天使突抜」の 天使 はそんなロマンチックな話しではなく、日本の歴史的な話しになりますーーー それは、牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶が、平安時代末期 1176(安元2)年に出会った京都のとある神社 → 平安遷都 の 794(延暦13)年に創社の 『 天使の宮 』 = 『 五條天神宮(ごじょうてんしんぐう) 』の 由緒ある歴史的な名前から きています〜!?
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--- 目 次 ---
(1)端的に 「天使突抜」の 要 約
(2)詳しい 「天使突抜」の 解 説
2-1)五條天神宮 と 少彦名命(すくなひこなのみこと)
2-2)豊臣秀吉 の 京都都市大改造
2-3) 天正の地割 の 町割変更 による 縦割り通りの新設
2-4) 天正の地割 による 「天使突抜」 の誕生
(3) ✍️オマケ📝【天正地割の副産物「路地」】
(4)📝参考までに--- 建物疎開、京都の空襲
4-1)建物疎開 の犠牲による 道路幅拡張 の歴史
4-2)京都の空襲 と 原爆投下候補地
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(1)端的に 「天使突抜」の 要 約
===============
✍️端的に『天使突抜(てんしつきぬけ)』を説明すると、次の① ② ③ になりますーーー
① 『 天 使 』 →
「天使の宮(五條天神宮)」を指す。
その「天使」とは、主祭神:「少彦名命(すくなひこなのみこと、すくなびこなのみこと) 」 の 別名・通称名。
〒600-8459 京都市下京区松原通西洞院西入ル天神前町351番地 に鎮座する、794年 平安遷都時に創社した洛中古参の神社。なお、当時の「五條通」は、現在の「松原通」。
また 中世以来、度々火災に遭い規模の縮小を余儀なくされ、現在の社殿は近時の再建で、1888(明治21)年に今の 幣殿 を再建、 1933(昭和8)年10月に本殿をはじめとした各建造物を改築し、現在に到ります。
② 『 突 抜 』 →
近世(安土桃山〜江戸時代)の京都市中の道路形態の一種。大路や小路の間に新しく通した南北の道路で、あいだに寺社や邸宅などがあって分断されるものを言う。
③ 『 天 使 突 抜 』 ▶︎▶︎▶︎
時は、16世紀末 安土桃山時代…豊臣秀吉が実施した 京都都市大改造事業の一環で、正方形街区を南北縦割りの短冊形=長方形街区に分断して、新たに通りを増やす「天正の地割(てんしょうのじわり)」政策により、「天使の宮」の当時 広大な境内の真ん中を分断して、南北を通る道「天使突抜通(現:東中筋通)」を新しく建設し、その辺りの町名を「天使突抜○町目」としたことによる。
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(2)詳しい 「天使突抜」の 解 説
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✍️ もう少し詳しく知りたい方や興味のある方は、少々長くなりますが、以下の説明をご覧くださいーーー
⏱️ 時はさかのぼり〜平安遷都の西暦794年に始まり、16世紀末 豊臣秀吉の安土桃山時代の頃になります。
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2-1) 五條天神宮 と 少彦名命(すくなひこなのみこと)
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「五條天神宮」は、794(延暦13)年の平安京遷都の際に桓武天皇の命により、弘法大師・空海によってこの地に 大和国宇陀郡(奈良県)から 天神(あまつかみ)を勧請(かんじょう)されたと伝わる洛中最古社。創建当初から「天使の宮」や「天使社」とよばれ、鎌倉時代初期に「五條天神宮」に改められました。
「五條天神宮」のご祭神は、次の3柱です。
①主祭神:「少彦名命(すくなひこなのみこと、すくなびこなのみこと)」
②配祀神(はいししん):「大己貴命(おおなむちのみこ���)」 = 「大国主命(おおくにぬしのみこと)」
③配祀神:「天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)」 = 「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」
農耕、病気退散の神、疫神、厄除け、医道の祖神、医薬、禁厭(きんようorきんえん、まじないの意)の神様として、古くから広く崇敬されてきました。
ちなみに、神話をもとにして、我が国の「薬祖神」として崇められているのは、「少彦名命(すくなひこなのみこと、少名毘古那など11通りの書き方がある) 」と 「大己貴命(おおなむちのみこと、大国主命など合わせて6つぐらいの異名がある)」である。二神が力を合わせて国を治め、人々や家畜の病気の治療法を定め、獣や昆虫の害をはらうまじないを教えたと言われています。
👉 3柱あるご祭神の内の主祭神である「少彦名命」の異名である「天子」の呼称は、当時は 神の子孫であるとした天皇 を示す言葉で 混同しないようにと配慮されて、神の使いを表す『天使』に呼び名を言い換え、創建当初から「天子の宮」ではなく「天使の宮」または「天使社」と呼ばれ、その近辺の住人達からは「お天使さま」とも呼ばれていたようです。
👉 ちなみに、794年「天使の宮」創建のほぼ半世紀後に生誕された「菅原道真(845〜903)」 の霊を祀った天神(てんじん)とは別モノですが、本殿の背後にある境内社の中に 菅原道真 を祀る「筑紫天満宮」(洛陽天満宮二十五社順拝 第3番)と、菅原道真と縁の深い ご祭神:十川能福(そごうのうふく)の「福部(ふくべ)」神社 及び ご祭神:渡会春彦(わたらい はるひこ)の「白太夫(しらだゆう)」神社が鎮座しています。
それは、北東方角100m強程の離れた 西洞院通仏光寺 菅大臣町に位置する、菅原道真 の生誕地「菅大臣神社」(洛陽天満宮二十五社順拝 第1番、菅公御霊地三社)が鎮座していることと、関係しているのかも知れません。
平安時代後期の 久寿年間(1154-1156)には「祇園社(現在の京都市東山区にある 八坂神社の旧称)」の末社でしたが、その後 平安から鎌倉時代初期に天皇家の支配下になり、少なくとも南北朝時代の1390年に再び「祇園社」の末社に戻ったといわれています。
👉 鎌倉時代初期の第82代・後鳥羽天皇(在位: 1183-1198)の支配下にあった「天使の宮」は、「五條天神宮」と改められました。
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👉 なお、清水寺への参詣道としてもにぎわった「五條大路(五條通)」は、豊臣秀吉の京都大改造までの呼称で、以降は「松原通」と呼ばれるようになり 今に至ります。
源義経(1159-1189)とその主従を中心に書いた作者不詳の軍記物語『義経記(ぎけいき)』によると、平安時代末期の 1176(安元2)年6月に 源義経(牛若丸)が 武蔵坊弁慶(?-1189)と出会った場所として描かれています。
それに取材した 謡曲「橋弁慶」でも弁慶は五條天神に丑の刻参りに訪れた際に五條大橋に現れる牛若丸の存在を聞いて橋へと向かったとされ、また その様子は京都では有名な「祇園祭・後祭」の「くじ取らず」の山鉾巡行 一基目の「橋弁慶山」でも描かれ、おなじみの光景となっています。
👉 当時「天使の宮」の東側を通る 西洞院通(旧:西洞院大路)には「西洞院川」が流れていました。牛若丸と弁慶の立合いがあったのは、天使の宮から約1.2km離れた五條大橋(現:松原橋)ではなく、この西洞院川に架かっていた橋という伝承もあり、確証はありませんが、この説の方が自然なのではと思われます……
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2-2) 豊臣秀吉 の 京都都市大改造
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✍️ それから 時は16世紀末の 豊臣秀吉 の安土桃山時代にワープしますーーー
1582(天正10)年に 明智光秀 が謀反を起こし、京都 本能寺に滞在する主君・織田信長を襲撃した「本能寺の変」後、羽柴秀吉はいち早く行動をおこし、戦国の騒乱に終止符を打ちました。
秀吉は、1585(天正13)年に関白職を 受け、1586(天正14)年に豊臣の氏を賜り太政大臣に就任し、政権を確立すると同時に、戦国時代からの荒廃した京都の町の復興のため、かつての平安京の「条坊制」の特長を残しつつ、京都の地形並びに治水対策、商業を含��た街の活性化・繁栄のための街区の町割区画整備 等を考えた綿密な計画のもとに、下記の主な①から⑤の京都大改造の事業に取りかかり敢行しました。
👉 これにより 現在の京都の基盤を築きあげ、今日の京都を形づくったのは、天下人となった 豊臣秀吉 だったのてす。
① 「聚楽第(じゅらくだい、じゅらくてい)」の造営を 1586(天正14)年 に開始し、その周辺に「大名屋敷町」を建設しました。
② 「御所の修築」を 1589(天正17)年 から行い、その周辺に「公家屋敷町」を配置しました。
③ 「寺町・寺之内」の「寺院街」を 1590(天正18)年 に造成して、主に「寺町通」沿いおよび「寺之内通」沿いに寺院を「京中屋敷替え」と呼ばれた強制移転を強行し 集中させました。
④ 「天正の地割(てんしょうのじわり)」を1590(天正18)年から翌年にかけて敢行。平安京からの「条坊制」による 正方形街区=碁盤の目の区画を、要所要所で 縦=南北 に短冊形に割って 長方形街区にして 区画及び通りを増やし、街区の町割区画を整備・再編成。
この時の町割の変更に伴う新たな通りの建設事業が、「天使突抜」という地名ができるきっかけとなります。詳しくは、後述します。
⑤ 「御土居(おどい)」を 1591(天正19)年に、外敵の襲来に備える 防塁 と 川の氾濫から街を守る 堤防 として、京都の周囲を丸ごと取り囲む土塀を、防御施設=総構として張り巡らせました。その範囲は、北は上賀茂から鷹ヶ峰、西は紙屋川から東寺の西辺、南は東寺南側の九条通、東は鴨川西側の河原町通まで、南北約8.5km、東西約3.5km、総延長は 約22.5kmにも及びます。
この御土居によって、京都市中を意味する「洛中」と、外部である「洛外」が明確化されました。そして 御土居には「京の七口」と呼ばれる関所となる出入り口がつくられ、これによって京都に入ってくる人間をチェックするようになりました。
---関白になった豊臣秀吉は、京都を実質的に支配し、応仁の乱等で大半が焼失し荒廃した京都を大規模な都市改造政策をもって復興させ、①から⑤等の多くの都市改造の大事業を敢行し、聚楽第の建造や街区の町割区画整備 等の施策を中心に 洛中の周囲を土塁で囲まれ、容易に攻略できない巨大な城郭(城塞)都市に生まれ変わったのです。
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2-3) 天正の地割 の 町割変更 による 縦割り通りの新設
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✍️ 「天使突抜」の名前由来の話しに到達する前に、もう少し関連する歴史的な話しが続きます--- それでは、1590 (天正18)年 の ④「天正の地割(てんしょうのじわり)」 の話しになりますーーー
室町時代後期から力を付けてきた京都の商人は、「通りに面した向かい合わせた両側」のコミュニティを1つの町(ちょう)と考え��「両側町」と呼ばれるグループを構成し、一体感を背景としたにぎわいをみせるようになっていました。
それまでの平安京からの「条坊制」による 正方形街区の場合、1区画が約120m四方の正方形のブロックの四辺に住居や商店が建てられ、中央部分が空き地になることが多く、農地として利用されたり 空き地になったりして、無駄な土地が多いという欠点がありました。そして、当時は「間口税」という 間口の幅=道路に面した建物の正面の幅 の広さによって税金の額が決められていたので、碁盤の目のような正方形街区を2つに分けて長方形にして面を増やせば、税収とは無関係だった中央の空き地部分にも商店や住宅が建てられ、より多くの間口税を徴収することができるようになります。
そこに秀吉は着目し、京都の復興には「商業の発展」が不可欠との確信から、町割と通りを増やして 街や商業の活性化 及び それに伴う「間口税」の税収増を目指し、平安京からの「条坊制」による 正方形街区=碁盤の目の区画を、要所要所で 縦=南北 に短冊形に割って 長方形街区にして 区画 及び 通り を増やし、町割を大きく変更する「天正の地割」を敢行しました。これにより、京の街路は南北120m、東西60m間隔で長方形状に区画されることとなり、現在に至っています。
新設された南北の通りの 東は 寺町通 から西は 大宮通 にかけてで、北端は 丸太町通 から南端は 五条通 付近となっているものが多く、後に延長されたものも多いとされています。
新設された南北の通り名を 東から順に次に記しますが、「 --- 」で続けて記した通り名は、道の途中で一旦中断して 数町(丁)進んだところで 南北の道が再び始まる同一直線上にある通りのことになります。
① 御幸町通(ごこまちどおり)、② 富小路通(とみのこうじどおり) ………平安京の 富小路通 は現在の 麸屋町通(ふやちょうどおり) にあたる、③ 堺町通(さかいまちどおり)、④ 間之町通(あいのまちどおり)、⑤ 車屋町通(くるまやちょうどおり) --- 不明門通(あけずどおり)、⑥ 両替町通(りょうがえまちどおり) --- 諏訪町通(すわんちょうどおり)、⑦ 衣棚通(ころものたなどおり) --- 小田原町通(おだわらまちどおり)、⑧ 釜座通(かまんざどおり) --- 若宮通(わかみやどおり)、⑨ 小川通(おがわどおり) --- 東中筋通(天使突抜通)、⑩ 醒ヶ井通(さめがいどおり)、 ……… 他、合計: 12 通りで、現在も京都市の市街地を支える重要な通りとなっています。
また、四条烏丸 を中心とする一帯(下京の中心部)は、天正地割以前から十分に市街地が発達していたため、通りの新設は行なわれなかったので、この地域では平安京以来の正方形の区画が残っています。
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2-4) 天正の地割 による 天使突抜 の誕生
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👉 そのうちの一つとして、五條通(現在の 松原通)にある 天使の宮・天使社 とも呼ばれた「五條天神宮(ごじょうてんしんぐう)」の 広大な鎮守の森= 「天使の杜(もり)」を、南北に貫通するかたちで街路を分断し、その「天使の宮を突き抜けて作られた道」を「天使突抜通(てんしつきぬけどおり、現在の 東中筋通)」、その道に沿った 両側町 の町名(ちょうめい)を「天使突抜○町目」と呼ぶようになりました。その後、太平洋戦争終戦以降は「天使突抜○丁目」に変わったようです。
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ちなみに、「突抜(つきぬけ)」 とは、近世(安土桃山〜江戸時代)の京都市中の道路の一種。大路や小路の間に新しく通した南北の道路で、あいだに寺社や邸宅などがあって分断されるものを言います。
かつての 「天使突抜通」は、現在では名称が変わり「東中筋通(ひがしなかすじどおり)」と呼ばれ、西洞院通(旧:西洞院大路)と 油小路通(あぶらのこうじどおり、旧:油小路)の間に位置します。
北は 仏光寺通(ぶっこうじどおり、旧:五条坊門小路)から、南は 木津屋橋通(きづやばしどおり、旧:塩小路)までの下京区を南北に貫通する細い小路(こうじ、しょうじ)です。
👉 東中筋通(旧:天使突抜通)に沿っての両側町で 天使突抜の町名 として名付けられ、
①松原通(まつばらどおり)の少し南から 万寿寺通(まんじゅじどおり)までの 天使突抜一町目、
②五条通までの 天使突抜二町目 があり、
③五条通より南へ楊���通(ようばいどおり)までの 天使突抜三町目、
④六条通(ろくじょうどおり)までの 天使突抜四町目 があります。
京都市のほとんどの 町名 は 末字(まつじ)に「町」がついて「○○町」と呼びますが、「天使突抜○丁目」は末字に「町」がつかない町名になります。ただ、その町内住人は 例えば 私の住んでいる「天使突抜二丁目」では、そのままでは少々長いので 普段は略して「天二町」と呼んだり書いたりしています。
🤟これは表に出てこない裏話ですがーーー天二町内の 今は亡き 昭和1桁生まれの長老のT氏から以前に聞いた話し ー→ 「昔は、五條天神宮= 天使の宮 =天使社 の坊さん達 が、南方面にある遊郭へ 買春しに行く時に 通り抜けていった=天使社の坊主が突き抜けていった から、天使突抜 と呼ぶんや〜」…とその辺りの住民達が揶揄して、天使突抜 の名前が 親しまれてきた経由があったと、その長老T氏 も 同じように町内の長老からそのように聞かされてきたとのことでした…🤭💁‍♂️🤦‍♂️👻
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( 注📝 現在の「堀川通」や「五条通」や「高辻通」は、太平洋戦争時の空襲被害に備えるための 防空空地や消防空地 設営の「建物強制疎開」により、終戦年の1945(昭和20)年前半に道路幅がそれぞれ拡張されています。また、その時の「堀川通」の道路幅拡張により、五条通以南の「醒ヶ井通(さめがいどおり)」は消失し、オマケに「京の三名水」の一つの「左女牛井、醒ヶ井(さめがい)」の円井戸も消失してしまいました。)
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(3) ✍️オマケ📝【天正地割の副産物「路地」】
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✍️ 【 天正地割 の副産物 「路 地」 】
西暦794年の平安遷都では、中国の都:長安をモチーフに、街区の町割りを「条坊制」が採用されました。大内裏(平安宮)と羅城門を結ぶ朱雀大路を南北に通し、そこを境として左京・右京を配置。東西南北に、大路(おおじ)・小路(しょうじ、こうじ)と呼ばれる通りを張り巡らせることで、碁盤の目のように 縦横の一辺が一丁・一町(約109m、道路幅含まず)の 大きなほぼ正方形街区に区分けされた町並みが生まれ、通りに囲まれた区画の中心部に入るために作られた道が、「辻(つじ)」や「辻子・図子(ずし)」や「路地(ろーじ、ろうじ、ろじ)」=「露地・露路」です。
更に、1590 (天正18)年 から翌年にかけての「天正地割」によって南北を通る小路が増え、そして 建物と建物の間を通る「辻」や「辻子(図子)」や「路地」=「露地・露路」と言われる 普通の小路より更に細い=狭い 道幅の通り道が たくさん増えました。
通り(大路、小路)をつないで家(建物)と家(建物)の間を通り抜けられる=突き抜けられる 狭い道を「辻」や「辻子(図子)」と呼び、袋小路(行き止まり)になった通りの道を「路地」と呼んで区別することがあるようですが、辻・辻子(図子)も含めて 路地 と総称するため、明確な区別はないともいわれています。
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もともと「辻」は、十字状の道を表す「十字」という言葉に由来して作られた字で、次第に細い通りを「辻子」「図子」と表すようになったとのことです。
「路地(ろーじ)」には、「コ」の字型や「L」字型になっていて、入り口とは違うところに通じているものや、路地の入口に面した通りとは反対側の通りへ出る通り抜けられる路地もあります。
1949(昭和24)年生まれの私の幼少時に住んでいた京都市下京区有隣学区内では、当時の大人の人達や私も含めて、コの字型やL字型等の曲がって通り抜けられる路地のことを「抜け路地(ぬけろーじ)」と呼んだりしていましたが、辻子(図子)という言葉は 最近まで聞いたことがなく、古稀過ぎてから 京都通 などのサイトに出てくるネット検索で知った言葉です。今住んでいる天使突抜町でも 誰もその言葉は使わないし、耳にしたことはありません。その類いの道は、「路地(ろーじ) 」や「抜け路地(ぬけろーじ)」とか「 辻 」と呼んでいます。ただ それは、私が住んできた限定的な地域的な特徴かも知れませんが……
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 「路地」というのは、その路地の中にある家に訪れるために通る道としての通路のようなものなので、一般の小路を通る場合とは少し異なり、閉鎖的で私道的な雰囲気もあることから、無用の者が立ち入るのはちょっと躊躇もしくは気が引ける感じになりがちです。なかには、路地の入口にそこの住人の「集合表札」が掲げられていたり、「無用の者の立ち入りはお断り」というような注意書きが路地の入口に張られている場合もあったりします。
ところで、私の個人的見解での 小路と路地の違いは、端から端までの全ての道路が、 車(自動車)が通れる幅があるかないのか、及び 車が通れるように地面が整備されているかいないかの差ではと、勝手に解釈して区別していますけど……
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(4) 📝参考までに--- 建物疎開、京都の空襲
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4-1)建物疎開 の犠牲による 道路幅拡張 の歴史
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今は 五条通や堀川通や御池通など京都市の 大幹��道路として広い道幅になっていますが、これは「太平洋戦争」時の米軍の無差別爆撃の空襲による火災の延焼防止 の対応策として 防火地帯(空地) 等を設けるため、それまでは他の道路と同じような細い道幅だった通りの道路沿いに佇んでいる家屋を、戦争の名の下に 有無を言わさず「取り壊し=建物疎開=家屋等の強制撤去」が無惨にも遂行され、道路幅を拡張させられたことによります。
京都府 約2万戸、京都市 で1万世帯以上が 1944(昭和19)年から翌年の1945(昭和20)年 終戦時までに、建物疎開が 第1次~第4次までに分けて 以下の内容で強行され、無惨にも建物強制疎開で拡張されたことを、特に京都市民は 決して忘れないようにしたいものです🙏
 1、『 防空空地帯 』・・・防火帯、緊急避難路、防空活動道路としての利用を目的に、50〜100メートル幅で指定。京都駅周辺、堀川通、御池通、五条���。
 2、『 防空空地 』
イ、「 交通疎開空地 」……交通要地の防護が目的。京阪三条駅周辺、四条大宮交差点、梅小路駅周辺など。
ロ、「 消防空地 」……消防活動用の道路拡幅。智恵光院通、七本松通、高辻通など。
ハ、「 疎開小空地 」……軍需工場、役所、変電所、病院等の周辺を空地にしてそれらの施設を防護。
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4-2)京都の空襲 と 原爆投下候補地
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京都は、太平洋戦争時の 米軍による 当初原爆投下候補地の第3の原爆投下予定地だったようで、威力を分かりやすくするために、京都市内の空襲を5回程度の散発的に爆撃を控えた…とされています。その空襲は、終戦年の1945年1月から6月にわたって5回の空襲(馬町空襲、西陣出水空襲 他)を受けて 約100名程の死者が出ています🙏
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shukiiflog · 1 year ago
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ある画家の手記if.102 雪村絢視点 告白
帰り道。 家までは近いからタクシーも使わないし真澄さんに車出してもらわなくても歩いて帰れる。 それでも休憩しながらじゃないと帰ってから光さんが熱出すから、二人で途中でカフェに入ってソファでぐったりして、マックに入って静かな席でぐったりして、家具屋に入って見本のソファでぐったりして。 そうやってちまちま歩きながら一日かけて行き帰りする。
光さんは初詣から数日間、熱出して寝込んでた。 怪我からの熱と、食べれないから栄養失調もありそうで、突然熱が下がったと思ったら脱水と貧血起こして低体温症に近くなって急いで病院に行って点滴して。 口の中の怪我だからただの水を飲むだけでも痛むみたいだった。 初日はなるべく食べやすそうなものを俺が作ってみたけど、光さんがそれを嬉しそうに、つまり無意識に無理して食べてるのに気づいてからすぐに作るの自体をやめた。 俺が作っておいたら、光さんは喜んで食べてしまう。作った俺への気遣いとかじゃなくて、心底喜んで自分の怪我よりそっちを優先してしまう。 「……。」 光さんのことそんなに深く知ってるわけじゃない。クリスマスにきて、今が正月なんだし、色々あったけどまだほんの数日だ。 俺が他人と距離縮めるの時短にしがちだし光さんも少しそういうとこあるから、俺たちはすぐ兄妹みたいな母子にうまくおさまった。 それから数日を経て光さんはようやく喋れるようにはなったけど、まだ固形物は食べれなくて、ストローで経口補水液飲みながら、歯磨きとかに苦戦してる。
俺が聞こうか迷ってたら、光さんから話してくれた。 海外で亡くなった岬さんと、病気で亡くなった昴さんと、再婚してやってきた春輝さん。 あのとき殴ってきた���はその春輝さんで、あれに悪気は一切ないんだって。 光さんと春輝さんは戸籍上は義父子だけど、ずっと兄妹とも恋人ともいえないような関係で、光さん曰く「春輝くんはわたしをこわがってる」ーーー光さんが、春輝さんの内面を見透かすような目をするのが、春輝さんは気に入らない それと同時に、光さんだけを自分の唯一の深い理解者だとも思ってる。 実際に佐伯の家ではあの人はいまだに少し異物扱いされてるらしい。それも亡くなった岬さんが人間的に大きな影響力を持つような期待された人だったから。 察するに余りある、春輝さんの内心には岬さんへの劣等感と、対象がすでに死亡してることからその娘を蹂躙して屈服させたい願望がある、光さんはそんな春輝さんを許して受け入れてしまった。 …当時の光さんの年齢、まだ七歳かそこらからして、それが本人の意思だったかの確認はできない、だから、そんな意思はなかったととるべきだ。 光さんに見透かされることを前提に、自分の行動はすべて光さんを想ってのことだからそこまで考えて光さんは自分のことをすべて受け入れてくれる、と。 さらに、春輝さんは狭い施設に光さんを隔離幽閉して学校生活からも遠ざけたことで光さんから生活するすべを学ぶ機会を奪ってる。光さんは真偽不明の自分の病気を確かめる方法もなく、自力で出ていくすべも知らず、迂闊に身動きがとれなかった。 そうやって読書に耽るばかりで年齢を重ねた光さんを、春輝さんは事あるごとに無能だと罵倒した。…初詣のときに聞いた、あの言葉をもっと無遠慮にしたような内容だ。あれでも外出先だから言葉を選んでた方らしい。 光さんを罵倒することで、岬さんへの優越感を得てるし、光さんから生活能力を奪って自分のもとへ縛ろうとしてる。春輝さんがもう少し賢ければ自己嫌悪と虚無感に苛まれそうだけど、そうじゃなく春輝さんは…はっきりいって愚かな人だ。 これが今の推察できる範囲でのことだ。 光さんと同じでまだ二十代くらいに…すごく若く見えたけど、光さんより十は年上だ、それも光さんは自分と同じように春輝さんも時間が止まってしまったって。 未成年への性行為はそれだけで犯罪だけど、…俺にそんなことについて言及する資格あるのか そのとき多分複雑な顔してた俺に、光さんは熱出してる体をベッドの上で小さく折りたたんで呟いた。「ごめんね 絢。春輝くんがああなのは わたしのせいなんだよ」 春輝さんが、孤立してて、唯一の理解者だったはずの光さんを簡単に手放したのはどうしてなのか聞いたら、真澄さんと破局して自分のもとに光さんが出戻ってくるのを確信してるからだって。 …このままじゃいつか 光さんはあの人に殺されると思った そう言ったら、絢は頭がいいねって褒められた。 ああいう人は、光さんがいるなら他にも多数の理解者を作ろうとはしない。光さん一人に深く何もかも求めて、拒絶されないことを傲慢に確信してる今はまだ平穏な方で、光さんが真澄さんや俺を選んだって知れば 追い詰められた春輝さんは光さんとの無理心中を選ぶ。 光さんの側にどんな意思があっても、暴力で光さんに抵抗できる力はない。 ここまで思い至って、ますます光さんを一人で出歩かせられなくなった。 …失いたくない人が、増えていく
二人で病院からの帰り道、もうすぐそこが家だけど、小さな公園に入った。 光さんが乗って漕いだら���度いいくらいの大きさのブランコ。俺も両足かけて一緒に乗ったら、俺はてっぺんの柱に楽々両腕が乗った。 「かすみくんげんきだったね」 笑ってブランコを大きく漕ぎながら光さんが言う。 「うん。直にぃも若干成長してんのかな」 「なおとくんのことはわかんないけど、見えるものにすがりがちなのはわかる」 そう言って声をたてて笑うから、ドンピシャではあるんだけど、何でなのか聞いてみた。 「え。光さん、直にぃが画家だって聞いてた?」 「ううんしらない。絵のせんせいだってきいた。でもあの病室にあったぬいぐるみとかいろいろ、センスとか配色が統一感あったからおなじひとりの人がぜんぶえらんで置いたかなって。ならなおとくんが有力なすじで、あの数からしてじぶんのきもちをかすみくんにつたえるのに、見えるものをえらびがちなのかなっておもっただけ」 「……」 病室で、好き勝手動いてるように見えて見るべきとこは見てるんだよな、光さんも。 ちっちゃくて細くてどこから見てもまだ小学生かそれくらいだけど、真澄さんも光さんを子供扱いしてるのとは違うし。 大きく揺れるブランコから光さんが飛び降りて着地を決めた。振り返って一人で揺れる俺に光さんが目を細めて笑った。 「かすみくんはちゃんとおきたよ 絢よかったね」 少しずつ揺れがおさまっていくブランコに座って 静かに揺れがとまったところで座ってる俺の頭を光さんが抱きしめた。 「うしないたくない人がいるのはこわいね。それでもだれかをだいじにおもう絢は勇敢だね」 「…そうかな 怖がってるだけで、俺は何もできてないよ」 香澄をあの部屋に置いてきたし、ときには何も起きないかもしれないって楽観も人と人との関係を深めるためには必要なのかもしれないとか、そうやって少し思考を緩めた一瞬の隙に惨事は起きた いくら怖がっててもそれが何にも実を結ばないし繋がらないんじゃ俺なんて「なにもできないよ 絢には さいごまで」 顔が交差して見えない光さんの口から、優しい声色で静かに紡がれる 「そういうふうにもいえるよ。だれにもさいごまでだれかになにもできないよ。それでもいっしょにいたらうれしい。しあわせだっておもうじぶんの気持ちをたよりにいっしょにいるひとを毎日えらんでいかなきゃ」 光さんの小さい手が俺の頭を撫でる 「あしたの朝、目がさめたらだいじなひとは二度とめざめないかもしれない。だれだってそうだよ。その日まで、こわいことよりもしあわせなことをたくさんみつけられたら、それがそのひととすごせたことへの報いになるよ」 睫毛が支えきれなくなった涙がぼたっと光さんの肩を濡らした。 「良いことばかり見れないよ 俺は 他のものを見過ごせないよ」 怖いものを見てないと守れないものがある 幸せなばかりじゃいられない 「それでも、たくさん見えるわるいことやこわいことに目をふさがれちゃだめなんだよ」 背中をさする小さな手が止まって、丸い頭が俺の肩に耳をくっつけるみたいにして寄りかかってきた 「かすみくんはおきてくれたでしょ それよりもだいじにしなきゃいけないことはないよ」 「…うん」 頷いたらさらに涙が落ちてきた ブランコの鎖から手を離して光さんの体に腕を回す 光さんは俺が泣き止むまで体をさすっててくれた
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yes-keita · 1 year ago
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おれんち®️献立表
1ドリフトピン打ち(テックワン柱脚金物使用)
2りつめんず点つなぎ(2018の残りもの10枚、難易度Z)
#シリーズ勝手に全力応援 の一部
#シリーズいつか模範市民 の一部
:お猿のうちわ(99枚)
:お猿の缶バッジ(ふた握り分)
:おれんち®️ザカジュアルマップ(7部)
ってゆー
😍
:9/24八幡平市総合運動公園
#八幡平市 #盛岡市 #二戸市 #滝沢市 #岩手町 #雫石町 #一戸町 #雫石 #八幡平市商工会青年部 #八幡平市商工会 #商工会青年部 #わくわくおしごとたんけん広場 #こども向け #職業体験 #子供向け #お仕事体験 #大工 #工務店 #八幡平市総合運動公園体育館 #キッザニア 的な #うちわ #缶バッジ #お猿の #お猿 #テックワン #ってゆー
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kachoushi · 1 year ago
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零の会
2023年7月1日
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於:神明いきいきプラザ ~芝離宮恩賜公園
坊城俊樹選 岡田順子選
坊城俊樹出句
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坊城俊樹出句
梅雨滂沱貿易センタービルが無い ビルとても玻璃玻璃とても梅雨の空 庭石は梅雨のものとて黄泉のもの さみだれの池に映れる逆さ都市 枯滝の橋に潜みし梅雨の蝶 摩天楼超摩天楼さみだるる 紫陽花は江戸の小路を抜けてより 梅雨寒の墓碑となりたる超高層 灯籠に江戸の渓蓀の寄り添うて 錦鯉超高層を遠巻きに
坊城俊樹選 特選句
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坊城俊樹選 特選句
あぢさいや錆ゆくときもずぶ濡れて 光子 雨に白く汚されてゐる木下闇 緋路 サイレンも街騒もまだ梅雨の底 久 鉄骨が叩く鉄骨濃紫陽花 緋路 見覚えのビルはもう無くサルビアに いづみ 夏草のつぶやくやうな雨であり 和子 鉄条網梅雨の蝶さへ寄せつけ�� 和子 支へ切れぬ天へ石柱梅雨深し 昌文 飛石をぬらと光らせ五月雨 久 その人は梅雨に沈みながら来たる 順子 五月闇不穏な波の来るといふ はるか
坊城俊樹選 ▲問題句
雨の輪の輪の輪の輪の輪湖涼し 光子
坊城俊樹選 並選句
短冊に雨のひとつぶ星祭 美紀 男梅雨ごつごつ岩の光をり 風頭 雨を著て貴婦人めきし浜万年青 順子 五月闇潮の匂ひと雨音と 要 緑雨降る四阿といふ方舟に はるか 石柱の雨乞めきて黒々し 軽象 濠の水を結界と知り梅雨の蝶 和子 四阿のhaiku談義やさみだるる 久 雨の日の桔梗のうしろすがたかな 美紀 ずぶ濡れて全方向の深みどり 光子 枯れてゆく色のひとつや七変化 小鳥 夏草の花や古へ人知らず 慶月 桔梗の裏側を見て雨宿り 順子 浜木綿の海の近さを恋ひ果つる 慶月 荒梅雨へ電波を乗せてラジオ局 はるか 青梅雨や見ゆるものみなけぶらせて 美紀 梅雨茸の犇めく古木岩に似て 軽象 通し鴨蓬莱山を遠く見つ 慶月 芝浜のか黒き海に男梅雨 佑天 紺色のワンピースにもさみだるる 美紀 七夕に迷ひし老いの願ひ文 昌文 七夕の短冊長く涙雨 慶月 枯滝の巌溺るる男梅雨 要 萱草や父への慕情淡かりし 順子 きちかうに背を向けられて雨宿り 小鳥 園丁のなぶられてゐる荒き梅雨 はるか
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岡田順子出句
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岡田順子出句
桔梗の裏側を見て雨宿り 星合の糸に結ひたる私語 浜木綿やむかし離宮に海展け 灯涼し磨硝子越しに見る彼女 その人は梅雨に沈みながら来たる 萱草や父への慕情淡かりし 雨の橋渡らうか否蝸牛 雨を著て貴婦人めきし浜万年青 遠つ世の誰か待つやも竹床几 夏芝に松の武張りの黒々と
岡田順子選 特選句
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岡田順子選 特選句
列車音遠ざかるとき浜万年青 はるか 庭石は梅雨のものとて黄泉のもの 俊樹 サイレンも街騒もまだ梅雨の底 久 鉄骨が叩く鉄骨濃紫陽花 緋路 雨の日の桔梗のうしろすがたかな 美紀 萱草のそびらに恩賜なりし闇 光子 潮入りのみづは昔や通し鴨 いづみ 支へ切れぬ天へ石柱梅雨深し 昌文 瞬ける雨粒蜘蛛の囲の銀河 緋路 雨に白く汚されてゐる木下闇 緋路
岡田順子選 ▲問題句
始祖鳥もソテツと在りし大南風 いづみ
岡田順子選 並選句
荒るるまま今日一日の藪萱草 眞理子 小さき傘はみ出しながら梅雨歩く 小鳥 頬紅も上手に桃の肥りゆく 昌文 四阿に鼻突合す梅雨籠り 佑天 緑雨降る四阿といふ方舟に はるか 四阿のhaiku談義やさみだるる 久 黒南風や埠頭の空に鳥の無く 緋路 夏鴨と目を交しつつ池巡る 軽象 雨しとど梅雨の一樹の松のいろ はるか ビルとても玻璃玻璃とても梅雨の空 俊樹 荒梅雨や鉄路へ滑り出す電車 緋路 荒梅雨へ電波を乗せてラジオ局 はるか 青梅雨に列車の音の洗はるる 和子 片結びして七夕の夜となりぬ 光子 梅雨の門くぐりしばしの江戸逍遥 眞理子 七夕に迷ひし老いの願ひ文 昌文 石垣は血の色に濡れ名残梅雨 和子 早矢放つ漢の気韻桐の花 昌文 きちこうに背を向けられて雨宿り 小鳥 あぢさいや錆ゆくときもずぶ濡れて 光子 梅雨深し地下の手すりに打つ点字 和子
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tomoyamashita · 2 years ago
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快晴の戸柱公園にて。 1枚目は松と開聞岳。 2枚目は遣唐使船漂着の地の石碑になります。 第10次の遣唐使の第4船が石垣浦に漂着しました。 瀬平公園や番所鼻公園ほど有名ではありませんが、開聞岳と海が綺麗に映えます。 #戸柱公園 #南九州市 #南九州市頴娃町 #開聞岳 #開聞岳が見える #カゴスタグラマー #松 #青空 #青空フォト #海 #快晴 #石碑 #石垣 #遣唐使 — view on Instagram https://ift.tt/T8D1cde
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