Tumgik
#成吉思汗だるま
kaoriof · 4 months
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか���
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらく��っちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしの��かのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いこと���しているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉���な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界��ゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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kennak · 4 months
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湯島のビビンパハウスが2024年4月末で閉店して、その跡地に成吉思汗だるまが出来るとは。
[B! ジンギスカン] 老舗ジンギスカン店「成吉思汗だるま」、東京・御徒町に進出 - TRAICY(トライシー)
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kintsuru · 4 months
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chaukachawan · 7 months
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みそかです。
噛まれる寸前まで犬の肉球をぷにぷにしたり、締め切り5分前にレポートを出したりと、ギリギリでいつも生きているわたしですが、役者紹介もこんな時期に投下させていただきます。
新歓の読み合わせがまだ始まっていないので、間に合ったということにしてください。
わたしは毎回芸名を変えています。理由は特にありません。気分です。次回は変えるかもしれないし変えないかもしれません。
そんなわたしから、新人公演に参加したみなさんに新しい芸名をプレゼントします。でも、あくまで提案なので、採用するなり仏壇に飾るなり塩胡椒かけて炒めるなり好きなようにしてくださいね。
役者編
縦縞コリー
🆕犬系彼氏
パーマ姿に慣れすぎて、もうもとのこりちゃんを思い出せません。似合ってるってことです。
声がいいのはもちろんのこと、表情管理が素敵だなと思います。父だけど子どもっぽさが残っている表現は、こりにしかできないものだったなと思います。キャスパのときにっこにこになるのもいいですね。わたしは作ってないのにどんどん踊らせたくなる(?)コリーちゃんなのでNew芸名は犬で🐾
あろハム権左衛門
🆕大阪公立大学
すでにつよつよな芸名をしてらっしゃるので、新しい芸名を提案するのに少し緊張しました。やはりハムのイメージが強いので、ハム大と呼ばれる大学をつけました。あとは大阪大学のサークルで大阪公立大学を名乗ることができるマイペースさがアローにはあると思います。新たな外国語を習得しようとする姿には震えました。尊敬します…
海泥波波美
🆕桜下木木木
周りのみんなを巻き込んでいつのまにか台風を生成しています。目にいるアサギはケロッとしていたり、していなかったり。アフヌンは結局行けたのかな?紅茶には明るくないけど、わたしも行ってみたいです。New芸名は、わたしが読みたいなあと思っているアサギおすすめの本から取りました。さすがに読みます。この春休みが終わるまでには
苔丸
🆕津谷子
たくさんたくさん練習しましたね。ひとつひとつの動きにも、単語の言い方にも、細かな工夫をしましたね。あれがもう2ヶ月前なんて…時が流れるのは早いです。いちばん一緒に練習して、気になるところを見つけるたびに指摘していたけど、それをすべて受け止めてくれました。丁寧という言葉がすごく似合う人だと思います。もっと磨いて、もっと丸くつやつやにしていってね。あ、New芸名は「つやこ」と読みます
冊まいむ
🆕内緒♡
演劇って、芸術だったんだと、最近気がつきました。だから、わたしもその中に入ることができて嬉しく思うし、同時に不安になります。わかってるのは、ちゃうかは楽しいってことです
衿君
🆕燻
綺麗めな衣装が似合いますね。ていうかなんでも似合いますね。ちゃうか35期着せ替え人形大会を開こうと模索中なのですが、わたしが着せ替え人形にしたいなあと強く思っているひとりです。
New芸名は「いぶし」と読みます。週一で燻製を食べていそうだなという、完全なる偏見からつけました。ちなみにわたしは燻製食べたことがありません
ミル鍋
🆕Curry is a drink.
「カレーは飲み物」です。美味しい食べ物屋さんを知るたびに、「ゆにちゃんと行きたい!!」って思います。全制覇、つきあってくれるかな?最近Vlogに目覚めたゆにちゃん、編集技術をめきめきと上げていてなんかもう立派なユーチューバーになれそうです。普段はにこにこでギャグ線爆発してるけど、舞台に立ったらかっこいい。好き。ギャップ萌えってやつかな
大福小餅
🆕こゆき
わたしは大福の中では雪見だいふくが1番好きです。邪道って言われちゃうかな。優しいこふくは受け入れてくれると信じてます。あとは、こふくには雪景色が合うだろうなと思ったので。雪の中で名前を呼んで、ダッフルコートを着たこふくにとびきりの笑顔で振り返ってほしいですね。こふく感をどうしても残したくて小をつけたら、某女優さんの名前になってしまいました、汗
中森ダリア
🆕大宮セドナ
ひらりは、演劇がなかったら一生仲良くなることがなかったタイプだろうなあと思います。だからこそ会うたびにたくさんお喋りしたくなっちゃうし、ちょっかいかけたくなっちゃう。
セドナは有名なパワースポットです。世界進出しそうだなあと思ってつけました。大宮は勘です。
飾っておきたくなるような美しい容姿も、そんな美しい唇から出てくるコテコテの関西弁とパワーワードたちも好きです
帝京魂
🆕平方根
いつかの稽古でやった関西弁翻訳がいまだにツボです。コンの関西弁が好きすぎて、わたしの専属関西弁翻訳機になってほしいくらいです。
作業員の衣装が似合いすぎてびびりました。私服かと思いました。さすがに嘘です。New芸名は金平糖と迷いましたが、コンはルートが似合いそうだなと思ったのでこっちにしました。ぜひかぶってみてね。√
黒井白子
🆕サフラン吉岡
演補お疲れさまです。いろんなことを相談させてもらいました。やっぱり頼りになります。
わたしは沈黙を埋めるように喋るのが苦手なので、誰かとふたりでいるとちょっとだけ不安になるのですが、白子と喋るときは安心できます。話すのが上手だからでしょうね。話の内容の面白さはもちろん、本人の圧倒的コンテンツ力が芸人さんみたいだと思ったので芸人さんぽい芸名をつけました
しょこら
🆕あしたの靴下
今回は役柄上あんまり絡む機会はなかったかな。でもなぜか、人科の友達から名前をよく聞きます。他のサークルでも楽しんでいるようで何より。こらしょから最初にインフルの連絡があって、仕事振りすぎたかな、スケジュールハードだったかな、なんて心配していたのも束の間、翌日わたしも38度5分発熱しました。体調管理って大事だね。New芸名はフィーリングです。あしたという単語を使いたかった
鴨兎春
🆕星型魚拓
今回のらびの役者紹介、心の底から好きだあああ!!!スクショはもちろんしました。それをプリントアウトする一歩手前で、さすがにやめとくか、となりました。俵万智を超えられると思います。スパイダーなわたしのはもちろん、他の人の歌もにやにやしながら読みました。
もしらびが魚拓だったら、がんばって星の形になるだろうなと思ったのでこの芸名をつけました。芸術センス���るべし
スタオン編
園堂香莉
🆕透明な花
テキパキ動いて指示をする照明チのかっこよさを見て、未熟な音響チは焦ってしまいます。今回は声だけの登場でしたが、綺麗な声で音質の悪さを飛び越えてくれました。
「も」は、ちょっと疲れたそうなので休憩してもらってます。わたしはマ行全体が好きなので、いつか復活するかもしれません。未だ(わたし的に)あなたの色が決められないので、透明とつけました。お花要素は外せないよね
まろん
🆕奈々
音入れと場当たりではご迷惑をおかけしました……。本当に本当に感謝です。これからも頼りにしてるぜ。
まろんのふわふわしてて延々とお喋りしたくなるような声が好きです。でも、外公以来ゆっくりお話できていなくて寂しいです。今度ごはんでもいきましょ!New芸名はななって名前がかわいくて似合うなと思ったのでつけました。々は同じと入力すると出るらしい
テキストを入力
🆕 繝?く繧ケ繝医r蜈・蜉
文字化けさせました。最近はすごいですね、文字化けさせてくれるサイトがあるんだもん。宣美殺しと言われそうですね。頑張ってもらいましょう。
話せば話すほど味が出てくるスルメみたいな人です。特に、ゆにとの会話は聞いているだけでにこにこしちゃいます。最近ちゃうかの演劇外の活動にも顔を出してくれるようになって嬉しいです
紫仏瑠唯
🆕六条和歌
今回はあんまりお話できなかった…悔しい…!!みなさんの役者紹介を見ていると、るいは世界史がお好きなんだとか。いつか世界史トークしたいなあ。この後期にすごく面白い授業をとったので、わたしの世界史熱は絶賛高まっています。特に、宗教が絡む歴史が好きです。New芸名は、るいは着物が似合いそうなので和風にしました。かわいくない!?
近未来ミイラ
🆕キャリーケース渋滞中
ツッコミもボケもセンスが良すぎるの、なんなんでしょう。片方だけでいいのでください。
改めまして、演出お疲れさまでした。人マニアのキャスパへの繋げ方が個人的にめちゃめちゃ好きです。あと、演出で疲れているだろうに、ちゃんと話を聞いてくれるの、本当にありがたかった。雨あられです。
New芸名はフィーリングが7割、3割はみーらに「い」の口をしていてほしいという願望です。その芸名だとどちらかというと「う」の口じゃないかと思った人、しー。わたしはこれがいいんです
唯端楽生
🆕久茶寧
「くっちゃね」と読みます。ただばたらきは可哀想なので、思い切りだらけてほしくて食っちゃ寝にしました。
脚本を読んで、あなたの子ども観、大人観は、わたしの子ども観、大人観と通じるものがあるのではないかと感じています。わたしは、子どもはこの世界のお客様であると思います。そして大人になるということは、自分が今までに受けてきたものの存在に気づき、今度は自分が「与える側」になること、つまり世界の運営者になることだと思います。それでもって、父は一連の経験を通して、受け取る側(というか受け取る姿勢)だった考え方が、少し大人サイドに近づいたんじゃないかな、と思ったり。こんなことを、お話してみたかったりします。いろんな人が言っていますが、全体を見ても細部を見ても、ずっと面白いあなたの脚本にはわたしも惚れ込んでいます。次回作、楽しみにしてます
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hayato0121 · 1 month
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成吉思汗だるま 本店
札幌中央区
成吉思汗
上肉
ヒレ肉
ママの手作りキムチ
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atsushi-life-like · 1 month
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【ありがといございました!センナゲ@京都都雅都雅】
2024年8月11日センナゲ@京都都雅都雅にお越しのみなさま、ありがとうございました!相も変わらず急遽決まったセンナゲでしたね。
僕も、急だし久しぶりだしで、途中までセンナゲってどんな風にやってたっけ?とさぐりさぐりになりました(笑)が、やっぱり途中から(お酒が入ってから?)センナゲらしい夜になったと思います。
セットリストは、自分たちでは順番とかは覚えていませんでしたが、X(旧ツイッター)等でUPしてくださっている方もいますので、ぜひチェックしてみてくださいね。僕は、いつもながらLife-Likeオリジナルアレンジでのカバー曲と、オリジナル曲を歌わせていただきました。オリジナルアレンジは、もうそういう人なんだということで、むしろ磨きをかけていきたいです! 汗だくのタクヤ、冷静に場をまわすラーさん、笑顔と感動のイベントで、やっぱりセンナゲもまた特別な時間ですね。参加できなかった方も、またいつか参加できますように!イベントに関しての質問は、僕の方からはお答えできないこともあり、申し訳ありません。 もっといいイベントになるようにみんなで話しています。これからもお楽しみに!! Life-Likeは9月28日(土)にレコ発ライブ@下北沢MUSIC ISLAND Oがあります!お時間合いましたらぜひぜひ遊びにいらしてくださいね! ☆2024年9月28日(土曜日) 場所 下北沢MUSIC ISLAND O 「イセリナ story:75 レコ発」 開場 18時30分  開演 19時00分  料金 3500円(ドリンク代別) 出演 Life-Like
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今回の宿泊はラーさんのお友達のつながりで、京町家宿泊ができる「奏」さんにお世話になりました。奏!ということで、ご縁を感じますね。とても素敵な宿でした! ホームページはこちら
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スキマフェスを終えてOFFができたから旅に行こう!ということで、車で行ける一番遠いところはどこかなと、広島案もありましたが、それは遠すぎるということで、岡山に行くことに。宿取ったあとに、そういえば前の日松本でライブなんだよね、、と、じゃもう松本から行こうということで、松本→姫路(いきなり岡山はきつかろうと)→岡山→大阪、そしてセンナゲの地・京都(お仕事だったラーさんと合流)への旅となりました。松本→姫路が無茶すぎる(笑) 姫路城見学、岡山で吉備津神社参拝など観光、食、お酒など、充実した旅となりました。移動が長くてもね、車の中で歌ってればすぐに着くものです! 食事にも恵まれた旅。いくつかお写真を。席数の少ないお店もあり、どこか知りたい方いらっしゃったら、僕は全国またツアーに出るので、どこかのライブ会場で聞いてくださいね(笑)お皿にお店の名が入っているところは、そこです!
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松本にて
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姫路にて
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岡山にて
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大阪にて
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京都にて
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姫路城。成り立ちの歴史と、千姫と本多忠刻の悲話を教えてあげました。天守閣、西之丸、やっぱり感動する大きさと美しさですね。
そして話題の顔ハメ写真。せっかくだから撮ろうよと携帯セットして、なぜか千姫に自然に顔ハメしたタクヤ(笑)写真を見て「もう少し顔は上だったな。。」と真剣に反省していました。 こちらは転載禁止でよろしくお願いします!!!
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yotchan-blog · 2 months
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2024/8/6 7:59:35現在のニュース
<おニュー☆グルメ>成吉思汗だるま(ジンギスカン)(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:55:46) <行ってみたら>柾谷伸夫さん 一人芝居「海村」 9日から両国・シアターX(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:55:46) <東海第2原発 再考再稼働>(66)廃炉を決断するべき時 共産県議・江尻加那さん(51) (東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:55:46) とびうお杯 女子・あかやまSS 総合優勝(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:55:46) NY円相場、大幅続伸 1ドル=144円15〜25銭 世界的な株安受け円買い - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/6 7:54:49) トランプ氏、「カマラ暴落」と皮肉る 世界株安「市場をめちゃくちゃに」([B!]産経新聞, 2024/8/6 7:48:44) パリ・パラリンピック「金メダルとりたい」 北本出身 車いすラグビー・中町選手 地元の壮行会で決意(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:47:45) 音色涼しげ 風鈴トンネル さいたまの「青葉園」回廊に1000個(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:47:45) 最後の戦争展「ぜひ見て」 埼玉会館で11日から開催(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:47:45) 所沢の魅力発信に意欲 EXILE NAOTOさん観光大使に(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:47:45) よみがえる「20年前の思い」 習志野でタイムカプセル開封式 当時の園児や母親ら5000点のメッセージ(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:47:45) 勝浦市がアプリ会社と連携 観光客の駐車場確保へ 人気イベントの渋滞解消に期待(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:47:45) 千葉県内の都市公園10カ所でスタンプラリー 8日から11月30日まで(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:47:45) 「メダリストに『次は?』はやめて」 体操女王、五輪巡る質問に苦言(毎日新聞, 2024/8/6 7:45:45) 営農型太陽光発電、20社の交付金一時停止に 経産省、ルール違反で - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/6 7:43:02) 〈霞が関ノート〉夏の夜「蒸し風呂」省庁 夜8時で冷房停止 クールな職場、いつ実現 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/6 7:43:02) 飯塚市副市長が職員勤務中にパチンコ 辞意のち「法的に問題ない」(朝日新聞, 2024/8/6 7:40:37) 欧州で起きているのは「右傾化」ではない 本質は政治の流動化(朝日新聞, 2024/8/6 7:40:37) 議場を夏休み自習室に 開成町議会が今年も一般開放 フリーWi−Fi設置 PC利用可能に(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:31:51) 弱視の子どもや高齢者のため 小説や教科書を大きく書き直し 高津で今秋講習会「ルーペの会」が受講者募集(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:31:51) 海の環境考える作品展 巨匠の名画にプラごみ ちりばめ シーパラと共同企画 横浜高島屋で13日まで開催(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/8/6 7:31:51) パリ五輪メダル有力候補AS 日本のルーツは瀬戸内海のあの海賊?(毎日新聞, 2024/8/6 7:31:04) ブラン監督「これからは日本の一番のファン」 男子バレー準々決勝(毎日新聞, 2024/8/6 7:31:04) 高橋藍「あの2点でいける、と感じてしまった」 男子バレー準々決勝(毎日新聞, 2024/8/6 7:31:04) 試練続く「そごう・西武」 本店半減で生き残り正念場 編集委員 鈴木哲也 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/6 7:30:17)
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bearbench-3bun4 · 2 months
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「虚無への供物」中井英夫 2231
第二章
23犯人たちの合唱01
密室で橙二郎が殺されます。 この節は「犯人たちの合唱」です。
合唱とは、多人数で各声部の声が互いに和声をなしながら、全体で一曲をなすように歌うことです。 橙二郎の犯人として何人かが疑われるということなんでしょうか?
こういうのって、疑われない人が一番怪しいんですよね。
七荘目が終わって、八田皓吉の声が響きます。 その声に真っ先に反応したのは、藤木田です。 それから、皆も飛び出し、一斉に二階を見上げます。 気のせいかガスの甘い匂いが、このあたりにも漂ってくるようです。
どうやらこれで、二階でのガス漏れが起こったことがわかります。 これで、橙二郎がなくなります。
現在は、ガスで中毒になることは無いと思います。 でも、昭和30年代は、都市ガスは可燃性成分として、一酸化炭素ガスが含まれていたため、 使用者の不注意などでガスが漏れ、中毒事故につながることがあったみたいです。
とはいえ、 本来、ガスは無色、無味、無臭、無毒の物質なので、匂いをわざとつけているのです。 となると、このガスの匂いとは何でしょうか? 実は、『付臭装置』を各事業者で設置するようにという取り決めが昭和39年にあり、それ以降なんです。 この小説が書かれた頃は、ガスに匂いがついていたかもしれませんが、昭和30年頃ではありえないことになります。
まあ、小説ですからね。
その後、 二階の書斎、橙二郎が眠っているであろう書斎のドアを確かめます。 二つ有る入口の鍵はかけられていると書かれています。 このあたりは重要な気がするのですが、どういうわけかこの部分は曖昧に書かれています。 というか、二つ有る入口の鍵がかけられていては、入れませんから、密室だということにはなりそうです。
二つのドアを確かめる途中で、化粧室に染みつくほどの臭気に満ちていたとありますが、 書斎とは関係ないのですから、ここがきっかけでガスの匂いに気がついたとしても、 直接の橙二郎の死とは関係ないはずなんですが、 どうしてこの部分が挿入されているのでしょう?
さて、二つのドアに鍵がかかっていて、どうやって書斎に入るのか? 蒼司が階段側のドアは鍵ばかりでなくナイトラッチがついているから こちらを試そうといって、何とかドアを開けます。 つまり書庫側のドアの鍵を開けたということだと思いますが、 正直、階段側のドアに付いているナイトラッチは、案外簡単に開けらるんじゃないかと思うのですが。
まあ、いずれにしろ、 書斎に踏み込むと、 器具栓や部屋の隅の元栓から音を立ててガスが噴出している、 ベッドには橙二郎の死体が有る。 という状態でした。
蒼司は、電話で嶺田医師を呼び出す。 八田皓吉は放心したようにへたり込む。 藍ちゃんと藤木田老人は書斎の窓をあける。 と行った具合に行動を起こします。 この時、藍ちゃんと藤木田老人は濡れ手拭いで顔を覆うとありますが、 普段から手拭いを持ち歩いていたとも考えられますが、 でないとすると、濡れ手拭いは蒼司が用意したのでしょうか? 準備がいいようなきもしますね。
あと、亜利夫の行動が全然書かれていません。 呆然としてたのでしょう。 その理由がこのあとわかります。 この事故と思われる出来事の原因を作ったのは自分ではないかと思ったのです。
蒼司が気がついたようにいいますが、 要は、ガスの元栓を一旦締めて、それをまた開けたために、二階の書斎のガスストーブからガスが漏れた状態になったというのです。 正確には、八田皓吉が十二時ごろに締めて、亜利夫が、二時半にそれを開いたのです。 亜利夫は、そのことに思い当たって、呆然としていたのですね。 藤木田老人もそのことに思い当たったみたいです。 で、皆が多少なりとも責任を感じています。 この節のタイトル「犯人たちの合唱」となるわけですね。
ただし、二時半丁度になるはずのない電話のベルが鳴りかけたのかは、疑問として残っています。
皆と違って、蒼司が、きびきび対応しています。 まず、産院に電話をして吉村夫妻を呼びだし橙二郎の急死を告げ、 警察から調べのいった場合の圭子夫人の応対と銀行筋にてをまわして新聞関係を頼んでいます。 その後、静な声で皆に余計なことを言わないようにいいます。 皆は、黙り込んでいますが、亜利夫はつい疑いを口に出してしまいます。 「橙二郎さんは本当にストーブを付けっぱなしにして寝込んだんだろうか」 蒼司は、あとから警察の人がきていやといううほど調べてくれるといいます。
藍ちゃんも疑問を投げかけます。 書斎に有るはずのないものがあったとです。 蒼司がどう説明したのかだいぶ藍ちゃんも落ち着いたらしく、何も言わなくなります。
この後、亜利夫の目線で、書斎の中の様子が描かれます。
・階段側のドアは、死体発見当時はナイトラッチもとざされ鍵も内側からかけたままだったし僅かな隙間もない。 ・空気抜きの小窓は小さな引き違い戸だが外に鉄棒もはめられていて埃の積り具合からみても動かされた気配はまったくない。 ・書庫の側のドアも同じように内側から鍵がかけられ鍵は鍵穴にささったままで僅かな隙間さえ見当たらない。 ・西向きの小窓はどれにも掛け金がおりていてその外は厳重な鉄格子で檻のよう。 ・南向きの大きな三枚ガラスの窓はどれにも掛け金がおりていて鉄格子で人の出入りを許さない。 ・先月の中頃にありふれた花模様に帰られた壁紙やじゅうたんも異常はない。 ・天井からはこの上もなく頑丈そうな紫水晶を飾り立てたシャンデリアが垂れている。 ・床には古風な飾りのついたガスストーブが置かれている。 ・広々とした机と椅子、橙二郎を連れ出して乱れたままのベッド。 ・飾り戸棚に草根木皮をおさめてガラス瓶が並べられている。 ・足の裏に“縄文後期・群馬県”と書かれている、単純な目と口に稚拙な手足のついた奇妙な土偶。 ・足の裏に“メキシコ・ハリスコ州出土”と書かれている、単純な目と口に稚拙な手足のついた奇妙な土偶。 ・机の上に愛くるしい笑いの粋な赤い上着を着せられて真新しい兵隊の人形がひとつ。
これだけ読むと、完全な密室ですね。 ただ、亜利夫の目線��んですよね。 でも、この密室をどう破るのか楽しみですね。
気になるのは、四時間近くガスが漏れたということになります。 そんな状態で、化粧室には染みつくほどの臭気に満ちていたといい、 それと比較して、書斎はそれほどでもなかったということなんでしょうか? どうして、化粧室には染みつくほどの臭気がみちていたのでしょう?
ところで、 レッテルを貼ったガラス瓶とあるので、その内容が羅列されているけど、レッテルにそう書かれているということでしょう。 ガス中毒なら、これらは全然関係なんでしょうが、わざわざ書いているのはなんででしょう? ちなみに、 海金砂(かいきんしゃ)・・・利水通淋でき、淋病を治療する常用薬である。 脾虚太過の全身浮腫にも用いられる。 腎陰虚には使用しない。 南蛮毛(なんばんげ) ・・・尿の出をよくし、むくみの改善に、利尿作用があるため、さまざまな原因のむくみを改善します。 お茶として飲むことで高血圧や糖尿病、腎結石の予防、水太りタイプの解消、胆石や黄疸の改善などに有効です。 さいかち(皀莢)・・・中国産のトウサイカチの豆果は生薬「皂莢子(そうきょうし)」あるいは「皂角子(そうかくし)」でトリテルペノイドサポニンのほかにスチグマステロールなどが含まれ、去痰作用や殺菌作用が報告されている。 またサイカチの刺も中国では薬用とされる。 白刀頭(はくとうず)・・・血液・体液の流れを促進します。 また、膿を排出したり炎症を抑える働きがあり、歯ぐきの腫れや出血などの炎症を改善します。 免疫力を高める働きがあり、アレルギー症状を緩和します。 また、口腔内の善玉菌をバランスよく維持します。 蘇鉄実(そてつじつ)・・・秋に収穫した実を日陰で乾燥させたものは「蘇鉄実(そてつじつ)」という生薬になり、主に煎じて用いられます。 せき止め、胃痛に効果があるとされていますが、ほかにも切り傷の洗浄に用いられたり、他の生薬と組み合わせて胃がん、肺がんにも用いられます。 地黄(じおう)・・・補血・強壮の薬として、貧血や虚弱体質の改善に使ったり、血が薄くて体力がない人、血がドロドロしていて打撲時に内出血しやすい人にも処方します。 ほかの生薬と組み合わせることで、血行不良によるしびれ、鼻出血、子宮の出血、乾燥性便秘、糖尿病、皮膚の乾燥やかゆみ、前立腺肥大などにも幅広く用いられています。 川骨(せんこつ)・・・概要 利尿、利水の効があり、浮腫、打撲傷などに用います。浄血薬として産前産後、月経不順、血の道症などに、また鎮静薬として婦人の神経興奮状態のときに応用します。 その他体力増進剤として疲労回復に、発汗薬として風邪に、健胃薬として胃腸病等の家庭薬に配剤されます。 天麻(てんま)・・・甘平柔潤で肝経に入り、平肝熄風・定驚の効能をもち、頭目眩暈・痙攣抽搐・肢体麻木・手足不遂などすべての風証に適し、とくに眩暈によく用います。 また、通絡止痛の効能もあり、風湿痺着・麻木酸疼・中風癱瘓(たんたん)に使用されます。 香付子(こうぶし)・・・辛散・苦降・甘緩で芳香走竄し、平性で寒熱に偏らず、理気の良薬であり、舒肝理気解鬱に働き、三焦気滞を消除します。 気行れば血行り、肝気が舒暢すれば血行は通暢し、気血が疏泄調達すると月経は調い疼痛が止むので、調経止痛の要薬でもあります。 白南天(しろなんてん)果実にはアルカロイドのドメスチンやイソコリジンなどが含まれ、ドメスチンには知覚神経や末梢神経を麻痺させ、心臓の運動を抑制する作用がある。 漢方では止咳の効能があり、咳嗽や喘息に用いられる。 というところでしょうか?
嶺田医師が駆けつけ、橙二郎の遺体は病院へ運ばれます。 真名子肇(なまこはじめ)巡査部長が昼近くにやってくることになります。
つづく
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itocaci · 3 months
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退去完了
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こんばんは。
ちょっと先週はめちゃくちゃ連日退去作業に追われており、パソコンを触る余裕すらないような状況に追い込まれており、全くblogの更新ができずに申し訳ございません。
今は新しい拠点に移ってこのblogを書いているのだけど、まだ何も中が完成しておらず、ひとまず椅子の上に木の板を積み重ねて簡易の台代わりにして作業を行なっているような状況だ。
今週から新たな店舗作りが始まる。
ひとまず乞うご期待ということで。
さて、冒頭でもお話をしたのだけど、先週、連日筋トレの如く荷物を運び出し、週末に無事退去することができた。
全てを撤収した店内。
不動産の方を待つため一人でポツンといると、さすがに寂しさのような感情が芽生え、明日からはこの白砂利の道を歩いて店舗に来ることもないのかなんて思うと、さすがに込み上げるものがあった。
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ひとまず、そんな中、最後に感謝の気持ちも込めて、乾杯をしてお別れをした。
長い間、本当にありがとうございました。
お世話になりました。
残り1ヶ月と3週間くらいだろうか。
この期間は、基本土日にお休みが取れる。
そんな訳で、普段は行けないようなイベントであったり、お店だったりに行く良い機会にして、改装期間も色んな刺激をもらいに行けたらと思っている。
ちなみに、5月の最後は休みもなく駆け抜けたというのと、そもそも定休日も実は別件の仕事が入っていたりということもあって、最後に休みを取ったのはいつだったか。
多分4月の頭くらいだったかなぁなんて感じだったので、この週末は久しぶりにマジでオフモードで過ごした。
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まあ、そんなオフは、大好きなアニメの聖地巡礼に行ってきた。
現在放送中、目下6月のフィナーレに向けて佳境を迎える「響けユーフォニアム3」の聖地は宇治。
久々に京阪電車に揺られ訪れた宇治は、とても心地が良かった。
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宇治川の川沿いに設置されたベンチ。
ここもアニメの聖地として有名となっており、主人公がよくこのベンチに座っている。
そんなことから、ただのベンチが主人公の名前にちなんで「久美子ベンチ」と呼ばれている。
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ちゃんとGoogleマップにも「久美子ベンチ」として登録されているくらいだ。
ただのベンチが、日本でも有数の有名なベンチに。
これも付加価値なんだよなぁなんて思いながら、このベンチに行って、ちょっと座ってみた。
少しの時間滞在して、思い返していると、さすが人気作。
このベンチの写真を撮りに来る人が多い。
その後は観光のインフォメーションセンター的なところに行ってきたけど、ここも「響けユーフォニアム」のパネルに溢れていて。
世界遺産の平等院に負けじ劣らず、観光資源の一つに君臨していることを実感した。
宇治の川沿いを散歩しながら、聖地を巡り、最後に大吉山というちょっとした山の展望台へ。
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ここもアニメでは大切なシーンとして有名な場所だ。
実際に仲間が何人かいた。
深緑に溢れる山道も気持ちよかったし、展望台から見下ろす宇治の街並みも綺麗だった。
僕は散歩が好きだけど、聖地を巡りながら、宇治の細い道を歩く気持ちよさも味わえて、とても気持ちの良い休みを過ごせた。
ちなみに、この日のコーデは"rihei"のデニムを着用していったのだけど、"rihei"のデニムは、アクティブな動きの日にはゆとりもあってオススメだ。
しかも、通常のデニムと比べて、少し薄手のデニムになるので、暑くなってきたこの時期でも着用できるし、汗をかいても家でガンガン洗える。
夏のお出かけにおすすめしたい1着だ。
今季は、デニムパンツは仕入れていないけど、デニムスカートは仕入れており、現在オンラインショップでもご覧いただけるので、もしよかったらご覧になってみてほしい。
夕方、コンビニでビールを買って、気持ちよく飲んで、帰路に着いた。
とまあ、ここで終わるのが普通なのだけど、せっかくのオフはガッツリ楽しみたい僕。
退去が終わるまで我慢していた映画「ぼっち・ざ・ろっく!Re:」
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アニメの総集編なんだけど、大画面で見たいシーンが見れたり、新たなオープニングだったり、ファンとして大満足な作品。
ちなみにさっきパンツは"rihei"というお話をチラッとしたのだけど、トップスは「ぼっち・ざ・ろっく!」のTeeシャツを着用していた僕。
もっと仲間がいたかと思っていたけど、映画館に入ると僕だけしか着用していなくて、マジかよって。
まあ、そんな感じで、オタク活動に勤しんだオフを過ごした。
明日もちょっと事務作業に追われてしまいそうだけど、今週末からはガッツリ新店舗の内装作り、そして7月のポップアップの準備に移っていき、また慌ただしくなりそうだ。
ちなみに、今回のポップアップは「旅」をテーマにしようかと。
会場はLICUA1100ということで、JR西日本が運営している施設だし、テーマにはぴったりかと。
僕のここ数年の旅とその時のコーデを絡めながら、旅にオススメのアイテムを紹介させてもらいたいなぁと。
ぜひ遊びにいらしてください。
それでは次回もお楽しみに。
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chosunajp · 4 months
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higashiazuma · 5 months
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じゃれ本 2卓目の作品
「じゃれ本 オンライン試用版」を使ったセッションで紡がれた物語たちです。前の文の前後関係がわからずに何かを書こうとするとこうなります。参加した本人たちはめちゃくちゃ楽しかったです。
お題:特になし ページ数:8P
『数奇なチョコレート』
どうしてこうなってしまったんだ? 私が早朝にこっそり彼の机の中に仕込んだはずのチョコレートが、どうしてあんな場所から出てきたんだ。 朝チョコレートを入れてからずっと監視してたんだぞ。おかしいだろ。
朝からずっと監視していたが、彼は机の中のそれに気付く気配すらなかった。疑問に思いながら注視していると、教室移動の時間になった。今日はアルコールランプを使った実験の日だ。
もしかしたらあれは元々彼の持ち物だったのかもしれない。アルコールランプのオレンジ色の光を見ながら考えを整理する。監視したところで……それに注意を促すような筋合いもこちらにはないのだ。
揺らめく灯を眺めていると、それに炙られる何か、まで想像してしまうのは悪い癖だろうか、職業病か。黒褐色に燻された「それ」は――まるでカカオ豆、とは悪趣味かと頭を振ったとき、ランプが消えた。煙が、甘い。
香りが部屋に充満していく。煙がゆらゆらと揺らめき次第に形を成し始める。何が起こったのか分からず呆然と見つめていると、それは小さな人の形になった。つやつやとした濃い茶色の、まるでチョコレートのような
教室がざわつく。もしかして、と冷たい汗が背筋をつたったのを感じる。 私が今朝入れたチョコレートに、何か関係のあるものなんじゃないか。すると、その小さな人型のチョコレートは、驚くべきことに言葉を発した。
「つくえ」「こども」「かばん」と目に止まったものの名前が読み上げられる中、「とみこ」という知らない名前が挟まる。人型チョコレートから発された言葉に、びくりと大きな反応を示したのは私ではなかった。
「何故、その名前を…?」 隣、というほどでもない距離で小刻みに震える声。振りほどいたはずの赤い糸が、いつの間にか小指を締め上げていた、というような。人型チョコレートの顔部分に、ぱきんと割れ目ができる。
『コンビニで買ったねこ』
今日びのコンビニには何でもあるから、猫をバーコード決済でお買い上げすることぐらいお手の物だ。だけど道義的躊躇を捨てきれなくて、私はいつもパッケージの前を素通りする。嫌味かのようにスナック売り場の隣だ。
お菓子を選ぼうとするとどうしてもチラチラと目に入ってしまう。かわいい猫たちのパッケージ…三毛、サビ、ハチワレにトラ。無視しようとしても暴力的なかわいさが私を誘惑する。棚前で吟味していた客が黒猫を手に
レジへ向かっていった。その客を注意深く見守っていると、レジの店員はまるで何事も無いかのようにパッケージのバーコードを読み取り、こう言った。 「この場で開封して行かれますか?」 「いや、家で開けます。」
「ノワァ」変な声で鳴くなあれ。電子決済されていった「ねこ(?)」を見送り、棚を見ればまだいくつかの在庫があった。真四角のパッケージの中で思い思いに伸びたり縮んだり捻れたりしている。呑気なもんだ。
彼らの何割が、自分が実は玉ねぎが食べられなかったりd払いのキャンペーン対象だったりすると理解しているのだろう。来月の請求書では「国民健康保険料」と同列に並んだりするのだ。……ちょっと見たいかも、いや、
猫だって同じ命なんだからこんなふうに扱うのはやっぱり良くない。しかし猫が国民の健康に寄与しているというのは厳然たる事実だ。間違いない。私が若干不健康な日々を過ごしているのはもしやねこが居ないからでは?
そう思った私は、吸い寄せられるようにひとつのパッケージに手を伸ばした。 レジに持っていくと、店員はやはりこう聞いてきた。 「この場で開けて行きますか?」 私もやはりこう答える。 「家で開けます。」
家に帰りそっとパッケージの蓋を開けると「ノワァ」という鳴き声とともに、ねこは消えた。空になったパッケージからはゴロゴロと小さな音が響く。どちらでも良いのだ。本当にねこでも、本当はねこでなくても。
『どこにでも現れるメガネ』
異変に気付いたのは、弐萬圓堂で眼鏡を新調してから三日目のことだった。週一の楽しみ、サウナ通い。オレンジ色の明かりと蒸しに蒸された空間で、俺は目元に違和感を感じた。 熱い! なんとそこには、
…ない。何もない。熱いのは蒸気を直に受けたからで、俺の虚弱な目を守るべく新調した眼鏡がどこにもない。嘘だろ、もう無くした? あの店主、「こいつは絶対に無くなりませんよ」なんて吹きやがって! そもそも、
眼鏡の紛失防止に眼鏡チェーン以上のものがあると思った俺が馬鹿だったんだ。何が「合図一つでどこでもお供! あなたのお眼鏡に叶います!」だ。俺は蒸気で濡れた顔を拭い、0.2の裸眼でレンズの光を探す。
うすらぼやけた視界で必死に探せど一向に見つかる気配はなかった。もう諦めて新しいメガネを買いに眼鏡屋へ行った方がいいのではないか…そんな考えが脳裏を過ったときだった。
ふいに、胸ポケットに違和感を覚えた。恐る恐るまさぐると、『あった』。無くしたはずの眼鏡が、そこにあったのだ。なんて便利な眼鏡なんだ、と思うかもしれない。でも俺は、うっすらと気味の悪さを覚えていた。
無くして見付かる。眼鏡はその繰り返しだ。眼鏡が見付かるのは決まって、ニュースでとある地名を見かける時だった。幼い頃だけ住んでいた田舎。何故今更ニュースで名前が上がるのか不明なほど辺鄙な場所だ。
便宜上故郷であるその地は、ちと難解な名がついている。何も見ずに書けと言われたら俺でも無理だ。 …もしかすると眼鏡のやつ、テロップに映るその込み入った字画を解らせたいために、毎度戻ってくるのだろうか?
つまり、この字を覚えれば晴れてこの眼鏡は役目を終えるというわけだ。なるほどね。俺はこれからもこの地名を覚えることはないだろう。いや、いつか死ぬ前くらいには覚えてやってもいいかな。
『おまかせ木綿豆腐』
絹のやつとは作りが違うんでね。多少の荒事ならこっちに任せるのが正解ってもんだ。名前? 『モメン』じゃない、『ユウ』だ。大体あいつがキヌなんて名乗るからセットで豆腐なんて言われることになってんだ。
キヌのやつは今日も得意のスムーストークであんたを誑かしたんだろう。依頼料は高くつくぜ、財布の紐をどれだけ締めても、あいつには湯葉も同然だ。 まあ、任せておきな――それで、あの「高野」と何で揉めたって?
…なるほど。あの土鍋は上物だからな。どちらの取り分かで揉めたってわけだ。で、その土鍋を自分のものにしたいと、そういう話だな?なあに、俺にとっては湯豆腐みたいなもんさ。安心して吉報を待っておけ。
そう言って男はすっくと立ちあがると、土鍋を求めて夜闇に消えて行った。 なぜならそう、この男こそもめ事の仲裁のプロ。ネゴシエーターなんてお洒落な肩書はいらない。『おまかせ木綿豆腐』その人だったのだ。
─というのが、前回君たちに講義した内容だ。きちんと覚えているかね。『おまかせ木綿豆腐』に関連する記述には実はいくつかの相似点が見られてね。同一人物とする説も複数人とする説もあるが共通しているのは、
その「変幻自在性」。まさに豆腐、ないし大豆だ。柔らかく相手を受け止め、誰かの色に染まるかと思えば、ときに肉食獣のごとき強靭さも見せる。変異性の遺伝子が組み込まれている、と言われても疑うまいよ。
豆乳の満たされたプールで悠々と寛ぐ高野とその取り巻きたちを尻目に、私は屋敷へと忍び込んだ。
そこにあったのは黄金の土鍋。黄金でできているが、確かに土鍋である。私は難なくそれを手にすると、豆腐を味噌汁に滑り入れる速さで屋敷を後にした。 こうして事件は解決した。おまかせ木綿豆腐におまかせさぁ!
お題:おまかせ縛り ページ数:8P
『お父さんが作るヒンズー教』
「そうだ、ヒンズー教を作ろう」 ある日、父の口から出た言葉だ。 定年退職を迎えた父親が始めるものといえば蕎麦打ちと相場が決まっているが、なぜか父は宗教に目覚めてしまったようだ。
「ヒンズー教はもうあるじゃん。作る前にもうこの世に存在してるから諦めなよ」至極冷静なツッコミも父は意に介さないようだった。「まずは合言葉を考えるか」「よくわかんないけどもっと先にやることあると思う」
「じゃあまずお父さんがヒンズーとして」「お父さんヒンズー教知らないよね?」 まったく分からないまま父の熱意だけが空回りをしている。理由を尋ねるのも嫌だが、掘り下げてくれと父の顔が言っていた。
「…うん、じゃあお母さんは?」 そういう自分だって女神転生シリーズの知識しかないけれど、お父さんに至ってはこうだ。 「母さんには、ラーマをやってもらおうと思う」 マーガリンで覚えたなさては。
「母さんにカーリーをやってもらうわけにはいかないからな」 「そこはヴィシュヌとラクシュミじゃなくて良いんだ」 最早女神転生オタクの会話である。お父さんは黙ってメガテン5をセールで買った方が良い。
「タマにも我がヒンズー教の一柱として重要な役割を与えよう」「タマ…巻き込まれてかわいそうに」何も知らないタマは父に撫でられて満足げにゴロゴロと喉を鳴らしている。「名はタママーンに改名す」「やめて」
タマを膝に抱いてああだこうだと話す父は、それはそれとしてまあ楽しそうではある。もともとこの手の与太話を作るのが好きなヒトなのだ。
この一連の流れだって、先週配信サイトで「RRR」か「バーフバリ」を観たせいに決まっている。些細な愉快をくれたのならまあ良いじゃないか。女神転生シリーズでの知識しかない僕が、文句を言っても仕方ないのだ。
『健全な肉体に宿るユンケル』
健全な精神は健全な肉体に宿る、なんてのは全きウソであり、少なくとも俺の健全な肉体には恐らくユンケルとかが宿っている。しじみの味噌汁とプロテインバーも。筋肉は全てを解決するなんてウソだ。解決してみろ、
なかやまきんに君。筋トレは正義かもしれないが、そもそも現代社会人に残される可処分時間なんてたかが知れている。その貴重な時間をどうやって筋トレに費やすことができようか。かといって、
このままでは肉体は不健全になるばかりだ。もやしまっしぐらだ。いや、それだけならいいが代謝が落ちた体はいずれ摂取した栄養を消費しきれず蓄え始めてしまう。そうなったらもうおしまいだ。
ともあれ対策は早急に行うべきだろう。何故なら健全な肉体でなければ意味がないからだ。精神はこの際置いておく。ユンケル的にはそっちはあんまり役に立てな��。自分で頑張ってほしい。そうと決まれば早速、
行きつけの薬局へ―向かうつもりだったが、深夜営業のはずのそこは閉まっていた。シャッターに「本日棚卸」の文字。期限切れになるだろうアプリクーポンを惜しみ、否、惜しむより先に鉄剤だ。イオンなら、いけるか。
その一縷の望みは、すぐさま砕かれることになった。 しまった!深夜営業の薬局が閉まっている時間帯に、イオンが開いてるはずないじゃないか!! 赤と白の看板の下、俺は絶望する。鉄剤。なんとしても鉄剤を。
「ヤーッ!」それは突然のことだった。窮地に陥った俺の耳にあの聞き慣れた声が飛び込んできた。「き、きんに君!!」そう、紛れもなくなかやまきんに君だった。自信に満ちた仁王立ちでそこにいた。「ハッ(笑顔)」
なんて��い笑顔なんだ。失われていた力が蘇るのが分かる。何が敵かも分からんがとりあえず殴っとけば良いか。やはり筋肉。健全な肉体、頑強な筋肉、それこそがすべてを解決する。
『我が家UFO』
ホログラムで出来た夕暮れの町並み、伸びていく影。少し湿った柔らかい土の上を走りながら、僕らは家に向かっている。僕らの家は、頭上にある色とりどりのUFOだ。
姉ちゃんとその彼氏(現:元カレ)の些細なLINEスタンプ会話が、うっかり「母星」との通信に混線してしまったせいで、呑気な地方都市は太陽系いち愉快な避暑地に変わった。葉巻型の家も金星人からの贈り物だ。
アダムスキー型のホテルは木星人が建てたもので、海王星人にたいへんウケが良く、県外からの観光客にも人気になっている。おまけに日清グループの焼きそば工場まで進出してきたものだから、町はとても賑やかになった
しかし後に大きな問題が発生した。建てられた数々のUFO建築物が人々をアブダクションし始めたのだ。幸いなことに内臓を抜かれキャトられるところまではいかなかったが
普通に改造はされたし記憶も改ざんされた。お父さんが二人いるご家庭も出来れば、長女が増えたご家庭もある。UFOは「家族は複数人」ということしか理解していない。その関係性や成り立ちは二の次だ。
「どうする、姉ちゃん」と僕は言う。「このままいくと元カレが僕らの新しい兄ちゃんだ」 「無理絶対無理、あんな伸びたカップ焼きそばみたいな男。お湯と一緒に流しに捨て――」 瞬間、僕らは同時にはっとした。
僕らの葉巻型ハウスの前に、新たな葉巻型UFOがフォンフォンと音を立てて降りて来たのだ。硬直している僕らの前に、光が射す。この家をプレゼントしてくれた金星人だ! 金星人は優しく微笑んだ。
「このたびはUFO型ハウスのモニターになっていただきありがとうございます」僕たちモニターだったんだ。しらなかった…「住心地はどうでしたか?」アンケート用紙を渡された。とてもよかったに◯をつけた。
『キャンプファイヤーをするスリ』
目の前にはごうごうと燃え盛る火柱がある。いわゆるキャンプファイヤーというやつだ。ぱちぱちと爆ぜる音と顔を焼く熱を浴びながら今までのことを思い返していた。いつものようにスリの獲物を物色していた俺は、
おあつらえ向きな男を見つけていた。取ってくださいと言わんばかりにチラ見えする財布。しかも厚い。おどおどとした雰囲気も丁度いい。財布はあっさり俺の手中におさまり、今日の仕事は完遂だ。そう思っていた。
なのに今、俺は何故こうして積まれた薪の前に立ち尽くしているんだ? 五分じゃ審査が下りないだろうカードや角の折れてない札が詰まった革財布を、まるで炎に投じたがっているかのように。否、焼かれるのは財布か?
そうだ。財布ではなく俺自身を焼けば財布は無事だ。俺が罪に問われることもない。――いや、何を考えているんだ、俺は!困惑する俺の意思を無視するように、俺の手が勝手にチャッカマンを薪の隙間に差し込んだ。
一気に薪が燃え上がる…かと思ったが、一向に炎は上がらない。チャッカマンの小さな火は薪の表面を焦がすだけでなかなか燃え移らない。薪を燃やすにはもっと燃えやすいものを先に入れるんだったか。何か手頃なものは
とポケットをまさぐり、結局スッた財布にいきつく。レシートくらいなら燃やしても良いだろう。財布の中には幾重にも折りたたまれた…異様といえるような長さのレシートが入れられていた。何だこれはと手に取り、
中程の印字に目を剥いた。「割引 50%」と付記された項目。みな人名だ。中には、俺の名も。 何が引かれてるんだ? 人間的価値? 確かに俺はスリだが半額になるほどか? それとも、…命、寿命。その領収書。
気付くと俺は、木組みの中にいた。燃える炎が、全身に纏わりついて行く。たすけてくれ、と声をあげそうになるが、呼吸すらできない。 目の前に男が立っている。 「ええ、その通りですよ」 男の目に、炎の橙が輝く
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9onmoleno · 8 months
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本日は運動不足解消を兼ねて自宅~母校(小学校)まで散歩した。 山を1つ超えた先の母校まで往復6.5kmで100分。 いくらアスファルト舗装がされているとはいっても山登りであることには変わりない。 息は上がるし膝はガクガクするし最早「散歩」というレベルではなくちょっとしたアスリート気分。 出かける前は子供の頃に見た風景に出会えるかとワクワクしていた。 鶏を大量に飼っていた農家の鶏舎には鶏の姿は無く 使わなくなった農機具が大量に乱雑に押し込まれてたり かつて人が住んでたと思われる家屋は家主が逝去して継ぐ人がいないのか 20~30年くらい放置されてると思わしき佇まい。 昭和時代のものと思われる黄ばんでボロボロになったカーテンが見えて切なくなった。 夏は水が張られた水田にはカブトエビやカエルが生息していて 学校帰りに友達と一緒に水田の中に入って捕まえたこともある。 ジリジリ照り返す太陽の暑さに汗を流していても 青く茂る苗の上を風がそよそよと吹いて頬を撫でてくれるので 夏には暑さの中の涼しさというものが確かに存在した。 秋には稲穂の海が広がって見渡す限り黄金色に染まってた景色たち。 今は荒れ果てた農地にソーラーパネルの海が広がっててガッカリ。 これも時代の流れなのかな…と。 帰り道は子供の頃によく寄り道した神社へ来訪。 俺が子供の頃は手入れがほとんどされてない錆びれた神社だったが 久々に訪れた神社は地元有志が村おこしを兼ねて注連縄をアーティスティックな形に編んでいた。 敢えての鳥居の内側を通らず外側を通り100段近い階段をヒィヒィ言いながら上った。 頂上の鳥居にもアーティスティ���クな注連縄が。 二例二拍一礼して参拝後おみくじを引いたら「小吉」だった。 正月に引いたおみくじと一緒なので今年は小吉確定のもよう。 行きは良い良い帰りは怖い…階段が急すぎて眩暈がするくらい怖い。 1段あたりの幅も狭いので踏み外しそうな感じだ。 高所恐怖症ではない俺が怖いと感じるのだからよっぽど急なのだと思う。 プルプル震えながらカニ歩きで横向きに1段1段降りて何とか下まで降りられた。 階段下の鳥居の上に石を投げて鳥居の上に石が乗っかれば願いが叶うという。 子供の頃そういう迷信を訊いて毎日鳥居の上に石を投げていた。 大人になった今もう一度石を投げてみた。 1回…失敗…もう1回…失敗…10回目に成功…願い事を唱えて任務完了! 本日は撮影場所のSIMが激しく重いところだったので奇跡的に撮れた1枚をUP。 珍しく正位置のバストアップ写真である。
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mninmt · 9 months
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2023年に観てよかった旧作映画の感想など
○洋画&邦画(順不同)
ペトラ・フォン・カントの苦い涙(1972)ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー @新宿武蔵野館
ずっと苦手意識を持っていたファスビンダー。これを観る前にオゾンのリメイクを観たので、物語を追う必要がそこまでなく画に集中できたことによって、ファスビンダー作品の"凄み"みたいなのが感じ取れたのかもしれない。これまで男性同士の恋愛映画はいくらか観てきたが、女性同士の物語はというと、性愛を含まないシスターフッドが銘打たれていたり、女性たちをエンパワーメントするような作品は好んで観るものの、私自身に差別意識はないつもりでも、なんとなしに遠ざけてしまっていたのだろう。先にも書いたようにオゾンがリメイク版で主人公とその相手役も男性のキャラクターにしていたから、個人的に取っかかりやすくなったことは否定出来ないが、作品としては全くの別物であったし(オゾン版は大大大コメディ映画)ファスビンダーの作る画は、その映画の物語とは別のところでも魅力が発揮されていると思う。そして完膚なきまで室内劇であることに大興奮だった。
偽れる装い(1945)ジャック・ベッケル @シネマヴェーラ渋谷
自分で制作した洋服にこれまで関係をもってきた女たちの名前をつけていくような、変質的(だがカリスマ性のある)主人公が、アトリエの中をぐる��ると回るカメラワークとともに狂っていく様子が素晴らしい。(性愛による)狂いの先に死がある物語も大変好み。というのは建前で、別ジャンルの推しがパリに洋裁で留学しているという設定なので、パリで洋裁をするということに対してのディテールが深まり大変良かった、同担はみんなこの映画観て~!(オタク)
ショコラ(1988)クレール・ドニ @新文芸坐
とにかくクレール・ドニの映画にでてくる黒人男性はかっこよすぎる(昨年に挙げた『パリ、18区、夜』(1994)も同じく)という言葉に尽きるのだが、主人公の幼い頃の記憶として描かれていながら、危なげで、そして艶やかなところもある彼らを写す数々の場面に魅了された。暗い部屋に佇む人の存在の緊張感とその熱を感じられるのはドニの映画特有のものなんじゃないかと思う。
ラストエンペラー(1987)ベルナルド・ベルトルッチ @シネマ・ジャック&ベティ
満を持して観た…!ちゃんと大きめのスクリーンで…!名作すぎて多くを語りたくないのだけれど、マジで映画を観て眩暈がすることってあるんだなって。世界観に浸り、酔うことができて、いい映画体験だった。
赤線地帯(1956)溝口健二 @配信 / 流れる(1956)成瀬巳喜男 @配信
吉原の女たち。芸者の女たち。同時代に2人の監督が、一つ屋根の下で支え合って生きる女たちを異なる形で作品にしていることに純粋に驚いた。『赤線地帯』を観れば、京マチ子の演じる明るさや若尾文子の強かに生きる賢いキャラクターに力付けられる。『流れる』を観れば、田中絹代の表現するなんとも形容し難い表情や、山田五十鈴の薄幸な演技、その作品のまとう物哀しさに涙する。ここにあげていない他の女優たちの演技も素晴らしくて、それを演出する監督の作品ももっと観たい。けど、成瀬作品を見ると毎回夜も眠れないほど悲しい気持ちになるので、どうしたものか!
ラヴ・ストリームス(1983)ジョン・カサヴェテス @横浜シネマリン
いままでどうしてもカサヴェテスの映画をフィクションとして捉えられなかった。打ち出される邪悪な男性性を、あまりにもリアルに感じてしまい、まるでドキュメンタリーを観ているように、コメディだと思えないからだ。本作品は、いつも通りジーナ・ローランズの演技の素晴らしさはさることながら、これまでのわたしの観てきたカサヴェテス映画にはなかった、いい意味でふざけた演出(劇中オペラ)が、”この映画はフィクションである”と言ってくれたような気がしたのだ。カラックスの『アネット』(2021)を想起したのだけれど、この作品は関係しているのだろうか?激動する映画。
ママと娼婦(1973)ジャン・ユスターシュ @ヒュートラ渋谷
もうレオーといったらドワネル…というのは否めない、というかレオーもトリュフォーの映画じゃなくても、放浪青年役=ドワネルとして出演してるんじゃないの?とも感じてしまうくらいなのだけれど、それが嫌だとか、一辺倒でつまらないということはなく、バチバチにかっこいい映画。あらすじを簡単に言ってしまえば三角関係のお話(というかわたしの好きな映画はほとんどが痴情の縺れのお話)だが、主人公が居候している、タイトルでいうところのママの部屋が、レコードプレーヤーなどの色々なものが部屋の低いところに置いてあって(それも布団から寝ながら手を伸ばせるような位置に)、雑然としていて、とても綺麗だとは言えないが、その堕落した生活感のある部屋で起こっていることを登場人物の皆が皆、おおごとにみせていて、吸い込まれるように見入ってしまったし、別に、登場人物の誰にも感情移入はしなかったけれど、それぞれにとにかくこの三角関係をなんとかするんだという気概が台詞の端々に感じられて見応えのある映画だった。
ヘカテ デジタルリマスター版(1982)ダニエル・シュミット @配信
この映画を観たという人と話したときにどうでしたかと聞いたら、微妙な反応と共に「あんまり好きじゃないと思いますよ。」と言われ、"自分は好きだけどあなたには合わない"なのか、"自分は好きではなかった、ただそれだけ"だったのかはわからないけど、いつも"好きじゃないと思うよ"と言われると、勝手に決めんじゃねー!と思ってしまう質なので、帰って即座に観る。大抵それは外れていて(まあ関係の浅い人から言われることなんかそりゃそうなんだけれど)外交官が駐在先の灼熱の土地で出会った謎の女に狂わされるやつなんか好きにきまってんの!真っ白なスーツに、しっかり固めた髪の毛の、いかにも精悍な男が、服も髪の毛もどんどん乱れ薄汚くなっていく、汗でべたつく額と、必死に女を探すその表情が何とも馬鹿馬鹿しくて良い。姿を消してしまった人がいるであろう思いつく限りの場所を探して回る、やっとのことで見つけても、その相手にはぞんざいに扱われ、また苦しめられる…最初からやめとけって忠告されてたのにね。
利休(1989)勅使河原宏 @配信
利休と豊臣秀吉、三國連太郎と山崎努の、静と動の相対する演技。山口小夜子の出ている映画を観て(伴睦人『杳子』@国立映画アーカイブ)、他の出演作品はも観たいなと思った、きっかけはただそれだったためそこまで期待はしていなかったが非常に面白く観た(まあ勅使河原作品は元々好きなんだけどね)。学生時代、日本史なんか全然勉強してなかったから(他の科目も特段勉強したわけではないが)時代劇(や大河ドラマ)を観てて、たくさん人達や合戦にポカーンとしてしまうことが多いのだけれど、この作品は二人の張りつめた関係性、空気感が丁寧に、冗長することなく描かれていて集中して観れた。時代劇のやんごとなき人の出てくるシーンや描写が好きだ。今年は母に連れられて大友啓史『レジェンド&バタフライ』(織田信長)、北野武『首』(豊臣秀吉)も観て、図らずも安土桃山時代に…(?)
レースを編む女(1977)クロード・ゴレッタ @アテネ・フランセ文化センター
ヴァカンス先での出会いはもういっそのこと割り切って、ひと夏の恋として終わらせるに限る!(エリック・ロメール信奉者)ふたりがまた会えるかもしれないという淡くロマンティックな気持ちを抱きながら、ぐるぐるとお互いを探すシークエンスがとても長く感じ、このあと幸せな展開にはならないだろうなと、なんとなくうっすらと気付いてしまったわたしは、ふたりが再会できたとき、とても悲しくなってしまった。フランソワは自身のコミュニティの範囲で様々なところへポムを連れていくけれど、その行く先々でのポムの馴染めなさ。ポム自身はその場をありのままに楽しんでいるのにも関わらず、フランソワはその馴染めていない様子に居心地の悪さを感じ、またその居心地の悪そうなフランソワをみてポムの居心地も悪くなっていく。しまいには、君は大学に行くことには興味はないか?と聞き出すしまつ。おめ~が惹かれたポムという人間をなんもわかっちゃいね~!君は勉学に励めるような環境で育ったかもしれないけど、ポムはそうじゃない。そうじゃないから、手に職をつけるために(または、あなたと一緒にいるために)今自分にできることを精一杯頑張っているんですけど…!?運命の人かもしれないと勝手に期待したのはそっちなのにね、なんか違かったとか言っていろんな理由つけて離れていくんだ。ポムにうんざりしてもう別れたいと言うフランソワをみる友人たちの目も痛い。心の壊れてしまったポムを見舞いにきた(見舞いくるなよ)フランソワのセリフの端々から滲み出る、まだ自分のことを思ってくれているかという確認の浅はかさ。ダセーからやめな~!
不安は魂��食いつくす/不安と魂(1974)ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー @横浜シネマリン
『苦い涙』以降すっかりファスビンダーへの苦手意識が払拭され、半ば楽しみにしていた気持ちを裏切られることなく、なんて美しく純粋な物語なんだろうと思った。ふたりが一緒にいることの意味、お互いを愛する気持ちと、取り囲む人々からの見る目との齟齬が大きくなり、どれだけふたりが幸せだと感じていても不安が募り精神/身体を蝕んでいく様子が濃密に明示される。このあとに本作品の下敷きとなったダグラス・サークの『天はすべてを許し給う/天が許し給うすべて』(@早稲田松竹)を観たとき、ファスビンダーのこの完成されたメロドラマをあそこまで自分のものにし、昇華させたのかと思わず比較して再度感動してしまった。
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animekirbyserifu · 10 months
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デデデその5
41話 ・「いびきはガ行が似合うぞい…(寝言)。何ぞい…(窓を開ける)カービィ!」 ・「アレは確かに夢であった…ぞい。」 ・「(ワドルディ達に)良いか…決してカービィを城に入れてはならんぞい。分かったら厳戒態勢に入るが良いぞい!(ワドルドゥにカービィが怖いのかと聞かれて)そ、そんなことはないぞい。(カービィが城に遊びに来ていると言われて)な、なにー!?ど、どこにいるぞい!」 ・「うわー!近寄るでない!」 ・「うわー!走れー!走れー!はしらー!(柱に激突する)カービィが怖い…カービィが怖いぞい。カービィがワシを燃やす。とにかく不吉ぞい。こうなればメーベルに占ってもらうぞい。」 ・「(愚かな人民共に対して)コラ―!往来を塞ぐでないぞい!」 ・「そんな頼みは初めてぞい!ワシは忙しい!どくぞい!」 ・「ギラギラ光って燃えてるぞい!それがワシを襲うぞい!他に誰がいる、カービィは今に火の玉になって、ワシを狙うぞい!カービィでなきゃ何ぞい!」 ・「リョウシン(良心)?まぁ良い、その良心がどうしたぞい?」 ・「もう良い!お前の占いはたくさんぞい!あー村のモノに告げる。このメーベルはインチキ占い師ぞい!ワシの夢判断もできなかったぞい!」 ・「しかし、眠いぞい…でも寝たら夢を見るぞい…。(エスカルゴンのコーヒーを飲んで)苦いぞい!ぐあー苦いむかつくー!」 ・「いびきはガ行が似合うぞい…(2回目)。」 ・「挨拶はいい!火を消す魔獣をよこすぞい!何でも良い!よこせ!」 ・「ダハハ!火を消すにはうってつけ!『レイゾウ』!直ちにカービィを倒すぞい!」 ・「ダハハ!カービィを決して燃えないよう、永遠に凍らせてしまうぞい!」 ・「ダーッハハハ!レイゾウ!エエゾウ!(エスカルゴンに対して)眠るなと言ったのはお前ぞい!」 ・「うわー!逃げろレイゾウ!(ファイアカービィを見て)燃えるカービィぞい!」 ・「お前はメーベル!なんでお前に分かるぞい!」 ・「妖星ゲラス?そうだったか…紅く燃えるボールとは星のことだったか…。ハハハハハハ…カービィでなかったか、これでぐっすり眠れるぞい…。」 
42話 ・「(自分の像を建てて)文句あるかぞい!?あの星を避けるための、魔除けの像ぞい!」 ・「うつ~くし~いあ~さが来た♪朝が来たから昼が来る~♪朝から昼まで、深呼吸~♪(『ラジオ体操の歌』のパロディ)」 ・「(暗い顔したエスカルゴンを見て)うわ!な、何ぞいその陰気な顔は!燃える星か、まだ気にしておったかぞい?お前はよくよく小心者ぞい(前回悪夢でビビってたヤツが言うか)。あれって?何ぞい?(妖星ゲラスを見て)ちっとも巨大じゃないぞい!ダハハハハハ!気にすることはないぞい。」 ・「何か見えるかぞい?何ぞい!おぉ、これは!(望遠鏡でゲラスを見る)」 ・「愚か者は放っておくに限る…。やっぱりアイアン(ゴルフグラブの先端のこと)じゃなく、ハンマーだぞい!(さっきより大きくなっているゲラスを見て)…やっぱり近づいてるぞい!」 ・「なに、(エスカルゴンが)辞職する!?これまでよく仕えてくれたぞい…。だが、逃がさんぞい!こうなれば世界の終わりまでワシにつき合うぞい!…どうだ、好きか?」 ・「一度やってみたかったぞ~い!スイスイとロ~ラ~♪最高ぞい~!お~ロ~ラ~♪まだぞい!お前も一緒じゃないとつまらんぞい!どうせこの世も終わる!景気よく縮めるぞい!」 ・「(城に集まる村人たちを見て)どうなっとる!城を難民キャンプにした覚えはないぞい!鬼とは何ぞい!(エスカルゴンを殴る)どうした?そんなに痛かったかぞい?エスカルゴン…お前もよく…ワシのお仕置きを喜んでくれたぞい。エスカルゴン~!」 ・「(愚かな人民共が懺悔する様子を見て)うう…感動的光景ぞい。(自身から9億デデンもの大金を横領したエスカルゴンを殴る)それで済ませた!盗みを許す!」 ・「その点ワシはつまらんぞい。1つも悪いことしてないから、懺悔することがないぞい!いくら考えても思いつかんぞい。教えて欲しいぞい!ワシは何か悪いことをしたか!?」 ・「本気ぞい!え、アレが悪いことなのか?そうか!アレは悪いことだったのか!よぉし!まだ間に合うぞい!」 ・「カービィ!どうだぞい!?」 ・「命短し~♪恋せよデデデ~♪(『ゴンドラの唄』のパロディ)」 ・「(カービィと共に吹き飛ばされながら)一緒なら何も怖くないぞ~い!」 ・「あちー!(ゲラスの炎で焼かれる)」 ・「おのれエスカルゴン!早く下ろさんと許さんぞい!」
43話 ・「一体ヤツらは何してるぞい。ヒツジがカービィを?何でも良いぞい。」 ・「ヒツジは調べるより食べる方が良いぞい!だが、どれも美味そうに太っておるぞい。」 ・「デュワハハハ!ヒツジ料理の材料共が集団で来るぞい!」 ・「今夜のディナーはアレに決めたぞい!(アモンの回想内のセリフ)」 ・「オーイオイオイ(泣)…素晴らしいぞい!ワシは感動したぞい!お前の気持ちは痛いほど分かったぞい。協力を惜しまんぞい!今後は羊を食うことを禁ずるぞい!この城もお前たちに開放するぞい!思う存分暴れるが良いぞい!デュワハハハ!」 ・「極刑?」 ・「デュハハハハ!両方とも頑張れ!どっちに転んでもハッピーエンドぞい!デュワハハハ!」 ・「こ、これはその…デュワハハハ!バラしてどうするぞい!(アモンに対して)待て!ヒツジはヒツジらしく…(牧場に帰れ!)。」
44話 ・「まだかぞい?エスカルゴン!もう疲れたぞい。(アコルを見て)おおー!こいつか…。」 ・「ウィスピーウッズを奪えんのなら、ワシ専用のカントリークラブはどうなる!」 ・「(ブンの他に)カービィもおるぞい!」 ・「ではまた…コイツで覗き見するぞい!」 ・「しばらく高みの見物ぞい。デュハハハハ!」 ・「邪魔者はいなくなった…これで(アコルを)伐り倒せるぞい!ゴルフコース建設のために、森を丸裸にするというワシの夢が…ついに実現ぞい!」 ・「誰ぞい!独裁者のこのワシに命令する無礼者は!このー!姿をみせーい!」 ・「ダハハハ!何がカッタービームぞい!何をバカなことを言ってるぞい!」 ・「デュハハハハハ!お楽しみはこれからぞい!デュハハハハ!一網打尽ぞい!確かにマズいぞい(中州に取り残される)。」 ・「クソォ…ワシの夢を邪魔するヤツは…今日のところはこれで勘弁してやるぞい!待てエスカルゴン、1人にしないで!(退散する)」
45話 ・「なにぃ!?このクソ暑いのに肝試し?う~む、人民共をからかうにも絶好ぞい!よし!ワシらもエントリーぞい!」 ・「(カスタマに対して)肝試しに使う幽霊を送るぞい。(代金を)払えというのか?もう取引停止ぞい!こうなればハンドメイドぞい!」 ・「ダーッハッハッハ!ボルン署長も世の中には怖いものがあるということを知ったぞい!」 ・「(カービィが)全然怖がらないぞい。よし!第二の作戦ぞい!」 ・「くそ~、こうなったら何が何でも、恐怖のドン底に送ってやるぞい!」 ・「カービィのヤツ…よーしこうなったら…。」 ・「あ~どれが良いかぞい!こうなったらワシが自ら脅かしてやるぞい!(エスカルゴンに脅かされて彼を殴る)だぁー!オバケは嫌いぞい!オバケより怖いぞい!あ~びっくりしたぞい。考えてみるとオバケなんかいるわけないぞい。バカバカしいぞい。(かぼちゃを被ったカービィを見て)本物ぞ~い!」
46話 ・「見ろ、誰か来た気配があるぞい。いい大人が震えてどうするぞい!ハッハッハ…ハックション!(雨宿りできる屋敷を見つけて)ダーッハッハッハ!こりゃ助かったぞい。ここで雨宿りぞい!」 ・「風邪を引いたみたいぞい…ゆっくり休みたいぞい。」 ・「(浮遊するエスカルゴンを見て)ぬぬ…悪魔めぇ~悪霊を去れぇ!えいえい!この~!去れ~!」 ・「エスカルゴーン!どこいったぞーい!(シャーボンに驚かされて)助けてー!」 ・「えええエスカルゴン!嘘!?本当にエスカルゴンぞい!?こんなところで何を~!探したんだぞい!」 ・「(オバケに変装したカービィから逃げて)ひとまず休憩ぞい。」 ・「(急に現れたカスタマに対して)この屋敷の騒動は貴様の仕業か!黙れーい!ワシに内緒で何を企んどるぞい。(このオバケ屋敷が)カービィ捕まえ機?それならそうと早く言えば良いぞい。」 ・「怖いと思うから怖いぞい!怖くないと思えば、こんなところ…ぎゃああああ!ワシが怖がってるところは映さんで良いぞい!ぎゃー!苦しい…。ワシはもうダメだぁ…エスカルゴンよ!せめて子供たちだけでも…この屋敷から、逃がしてやってくれ…さらばじゃぞい…(ビデオ内の映像)。」 ・「デュハハハハハ!なかなかすさまじいぞい!カービィにこの台に乗れば…(ナイトメア社に転送されるぞい)。ワシの演技はアカデミー賞ものぞい。」 ・「あー…早く来るぞい!このポーズは疲れるゆえ…しかし暑いな…。あ、汗でペンキが…うぇー!世界が真っ赤でよく見えんぞい!(ペンキが溶けて顔が真っ赤になる)これはたまらんぞい! ・「た、助けてくれー!遅いぞい!待ってるものの身になってみろ!早く助けるぞい!(めっちゃ元気そう)いいから早くせいカービィ!作戦は成功かぞい?」 ・「エ、エスカルゴン!早くワシを助けるぞい!」 ・「これは美しい朝だぞい!(肝試しは)お前が言い出したんだぞい!お前みたい���ヤツとはもう話をしたくないぞい!(寝てしまう)」
47話 ・「エスカルゴン!うちのワドルディ兵士共は一体何人いるぞい?第一ワドルディは何で同じ顔ぞい?カービィみたいに働かないのに、給料だけ取るぞい?(全員クビにすることに対して)それはグッドアイデアぞい!」 ・「あ~、どの魔獣も飽きたぞい。お~いお茶!」 ・「全然よくないぞい!なんでお茶一敗に3時間もかかるぞい!ワドルディ共…ワシの命令を疎かにするとは、けしからんぞい!」 ・「そもそもヤツらがこの城に何人いるのか、お前は知っておったのかぞい?あ、違う!582ぞい!とにかく、人口調査は必要ぞい!」 ・「何!?計算不可能!?数えられないほど多いとなると、ヤツらの食事は(多くなるぞい)。電気代やガス代も、いや給料もボーナスも多いぞい!(※給料は元から払ってないようです)こうなれば大規模リストラぞい!」 ・「(エスカルゴンに対して、ワドルディ達をリストラしたら、城の警備や料理などは)全部お前がやれば良いぞい!」 ・「でも(ナイトメア社は)高くつくぞい?」 ・「ワシの身の周りの世話をしてくれる魔獣はおらんのか?」 ・「(ロボに対して)よぉし…おーいお茶!おぉ…良い香りぞい…。では早速仕事にとりかかるぞい!カスタマ!こいつは珍しく役に立ちそうぞい!ドゥワハハハハ!」 ・「おぉ…注文通り漫画の多い新聞だぞい(それなら漫画読めよ…)。」 ・「(ワドルドゥに対して)なんだと!お前たちみたいな役立たずは、全員クビだぞい!」 ・「ドゥハハハハ!ところがこれ1台で…(1000人分の働きぞい)。無駄は一切省き、本気で改革に臨むぞい!デュワハハハ!」 ・「エスカルゴーン、パターゴルフするぞい!何!?ヘソクリ!?ヘソクリとはどういうことぞい!」 ・「…と言うことはワシのヘソクリも。」 ・「あー!ワシのヘソクリが!ヘソクリが!ヘソクリが!ない…。クソー!誰の仕業ぞい!」 ・「クソー…メタナイトめ…カッコつけおって。」 ・「ぬぬ…許せん。そんな良い兵士をなんでリストラしたぞい!よくもワシの可愛いワドルディちゃんたちを追い出したな!(エスカルゴンを殴る)」 ・「(ロボに対して)盗みの現行犯でおしおきぞい!」 ・「いててて…ワドルドゥ、あの魔獣からワシのヘソクリを取り戻すぞい!」 ・「おお!やったぞい!(※フラグです)」 ・「でも…ワシのヘソクリは戻ってこないぞい。(ワドルディ達が持ってきた箱を見て)おほー!ヘソクリは無事だった!」 ・「ないない…全部解決したぞい!」 ・「ワシは始めっから(リストラは)本気じゃなかったぞい!」
48話 ・「ダーッハハ!プププランドは本日から観光スポットになったぞい!宇宙でも有名なド田舎は今や人気の的!」 ・「フン、ワシは独裁者だぞい!」 ・「(カワサキに対して)ガタガタ言わずに早く作るぞい!」 ・「飯はマズくても観光スポットで取り戻すぞい。」 ・「(エスカルゴンに対して)ホレ、歌でも歌って客を喜ばせるぞい!」 ・「何としても評判を上げ、ナイトメアツーリストから三ツ星を貰うぞい!観光業で儲けて、たくさん魔獣を買うぞい!ドゥワハハハハ!」 ・「あの魚が芸をするぞい!見とれぃ!(カービィを投げる)」 ・「(観光客共が)また文句ばっかりぞい…(小声)。」 ・「(自身の観光バスが思いっきり高く飛んで)ワシらは空を飛んどるぞい!」 ・「(明日の)スケジュールを発表するぞい!」 ・「もういい!食事が終わったら城はお前ら!…いや皆様に開放しますぞい。」 ・「もっとパッとした見せ物が欲しいぞい!(ファイアゼリーを見て)こりゃ何ぞい?よし、これで観光客たちを喜ばせるぞい。」 ・「コラー!ここはワシの寝室ゾ(モノをぶつけられる)…ったく、観光客というものは(礼儀を知らないぞい)。」 ・「ワシは眠いからぞい(あくびをする)。」 ・「(カブーへの賽銭行為に対して)何を言うお賽銭は大歓迎ぞい!」 ・「お楽しみはこれからぞい。せーのそれ!」 ・「いけー!もっとヤツらをもっとハラハラさせるぞい!」 ・「(ゼリーに火炎放射するファイアカービィに対して)デュハハ!炎はファイアゼリーの大好物ぞい!」 ・「ひどい目に遭ったのはこっち!カービィのおかげぞい!もう2度と観光客なんか呼ばんぞい!」
49話 ・「今週の悪だくみはこれで決まりぞい!」 ・「お前に見せるモノがあるぞい!エスカルゴン!早くせい!(画面がボヤけて)ピントが合っとらんぞい!デュハハハハ!ワシが動いとるぞい!あーもう終わりかぞい?」 ・「(カスタマに対して)お前が払うに決まっとる!そして、ナイトメアネットワークで、(ワシのアニメを)全宇宙に放送ぞい!」 ・「プププランド初の人気アニメシリーズを制作するぞい。」 ・「物語を作れるか、絵が描けるか、色が塗れるか、声の出演ができるものは、もろびとこぞるが良いぞい!」 ・「ワシがアニメを作る一番エラい人、プロデューサーぞい!」 ・「アニメは才能がなくてもできるという証拠に、監督はエスカルゴンぞい!」 ・「もう決めておる!主人公は正義の味方『デデデマン』ぞい!ワシじゃなく、デデデマンぞい!へ、変!?じゃあどうするんだぞい!?」 ・「(エスカルゴンに対して)ワシをカッコよくするよう、お前が(シナリオを)描くぞい。」 ・「でもヒーローはワシが良いぞい!」 ・「なるほど…これでお話がよく分かるぞい!(エスカルゴンを殴る)」 ・「この人数ならすぐ完成するぞい。」 ・「(レン村長に対して)これは何ぞい?(ホッヘに対して)これは生き物か!?(タゴに対して)バ、バケモノぞい!(モソに対して)こ、怖いぞい…。」 ・「(メームに対して)あ!カービィを塗っておるぞい!」 ・「背景とは美味そうぞい。」 ・「早くフィルムを繋げるぞい!」 ・「カービィばっかり描きおって…。」 ・「(カスタマにアニメの進捗を聞かれて)それがまだぞい。放送を延ばせ!(違約金を取られると聞いて)金なら払う。(違約金が9900億デデンと聞いて)そ、そんな金あるわけないぞい!」 ・「黙れ!我が国あくまで独裁国!悪の枢軸ぞーい!」 ・「皆!大丈夫かぞい!?その逆ぞい!寝たりしたら叩き起こすぞい!」 ・「放送まであと20分あるぞい!とにかく放送準備ぞい!」 ・「(カスタマに完成してるか聞かれて)も、もちろんぞい…。傑作シリーズのスタートぞい!」 ・モブ村人「放送は7時半だ…。こんな朝早くで見る人いるんですかなぁ~。」 ・「間に合わん!ぶっつけ本番で声を入れるぞい!皆!自分の役を演技するぞい!」 ・「いつでもグ~ス~デ~デ~デ~♪星のデ~デデ~♪…無限のち~か~ら~を持~つ~♪伝説のヒ~ロ~♪頼んだよデデデ!うん!(『カービィ☆マーチ』ならぬ『デデデ☆マーチ』であり、地味に原案も『桜井政博』から『デデデ』になっており、製作も『チャンネルDDD・DEN・2・デデデ・プロダクション』に変化している)」 ・CM「この番組はホーリーナイトメア社、デデデ商事、ナイトメアカンパニー等の提供でお送りいたします。」 ・「(星型宇宙艇で寝る自分を見て)デュハハハハ!ワシぞい!絵が下手なのはキャラデザイナーのせいだぞい。」 ・「待て~!ピンクの悪魔カービィめ!ドゥハハハハ!アホなカービィには分からんぞい!」 ・「エスカルゴン、そちも元気ぞい?お前こそ、立派ぞい。お前こそ、美しいぞい…(戦闘中にどーでもいい会話)。」 ・「悪い悪魔カービィめ、ワシがやっつけるぞい。おーっとではワシが力を見せてやろう!はははは…ワシは常に正義のために戦うのだぞい!(プロの棒読み)」 ・「(ファイアデデデ変身シーンで)背景の絵はどこぞい!(カワサキに対して)構わん!演技力でカバーするぞい!死んでも合わせるのが声優ぞい!」 ・「むむ、カービィめ。罪のない村人をイジメるとは許せんぞい!」 ・「(自身がワープスターに飛び乗るときの作画を見て)出来の良い作画だぞい…。そんなことお前に言われたくないぞい!(エスカルゴンをハンマーで殴る)カービィ覚悟!」 ・「はぁ…こんなアニメでは商売にならんぞい。」 ・「悪いのはカービィぞい。(900億デデンを請求させて)そそ、そんな金はないぞい!」 ・「ワシが正義のデデデぞい!絵はまだかー!」 ・「参ったかカービィめ!悪のピンクボールめ!正義のデデデの力!思い知ったか!ドワハハハ!」
50話 ・「(カスタマに対して)ついに完成したか!ドゥワハハハ!流石ホーリーナイトメア社…いつもニコニコ笑顔で納品ぞい!」 ・「金は後で払う!とっとと送るぞい!」 ・「(エスカルゴンに対して)どこが不気味ぞい!ワシそっくりに作らせた、可愛いデデデ人形ぞい!」 ・「ドゥワハハハ!うわー!このお人形!超可愛いぞい!」 ・「本日プレゼントした、ワシの人形の説明をするぞい。これぞ、幸せを呼ぶ、デデデ人形ぞい。」 ・「(この人形と寝れば)どんな不幸なモノも1人残らず幸せになれるぞ~い!信じるモノは~救われる~♪信じないモノは~バカを見ればよいぞいワハハ!」 ・「ドゥハハハハ!タダより怖いものはないぞい!」 ・「なんでいびきにはガ行が似合うぞい…(3回目)。ん…そろそろ呪いをかける時間ぞい…。」 ・「デデデはエラーイ!デデデはスゴーイ!」 ・「呪いの時間ぞい…。デデデはエラーイ!デデデはスゴーイ!今度はお金をチャリンとデデデ人形に入れるぞい。」 ・「しかし、眠いぞい…。毎晩人形に呪いをかけなければならんのが、難点ぞい…。今日は財布の中身を全部デデデ人形に入れるぞい!家の中のお金を全部入れるぞい!sデデデ人形にお金を全部入れるぞ~い!」 ・「銀行に金を預けると、利子ゼロぞい!」 ・「金を預けるモノは特別会員とするぞーい!」 ・「どうも睡眠不足ぞい…。(カービィが預金してないと聞いて)なに!?けしからん!どうしてくれようぞい!ちょっと…寝るぞい…。」 ・「グフフフフ…今夜のイベントには、お前も参加してもらうぞい!(寝ているエスカルゴンの枕元にデデデ人形を置く)」 ・「デデデはエラーイ!デデデはスゴーイ!今夜はボコボコに呪ってやるぞい!(暴れる)」 ・「(エスカルゴンに対して)どうした?その顔は?(すっとぼけ)ダーッハッハッハ!そうかそうか!ワシの実験は大成功!効果抜群だぞい!」 ・「誰かワシの頭を叩いたぞい?エスカルゴンお前か!」 ・「(カスタマに対して)人形に起きたことが、ワシにも起きたぞい!(人形がシンクロすることが分かって)なにー!?直ちに人形を回収ぞい!ひとつ残らずぞい!」 ・「回収ぞい!つべこべ言わずに返すぞい!(人形を引っ張るエスカルゴンに対して)乱暴にするなー!」 ・「だ、だれかワシの人形を投げたぞい!」 ・「ワシの国有財産が…(お前の金じゃねーだろ)。だが、ワシの人形は1個だけ健在ぞい!いや、ワシを呪うヤツを逆に潰してやる!」 ・「(モグラに噛みつかれて)ぎゃー!よくもやったなー!(カービィに吸いこまれて)な、何ごとぞーい!ここはどこぞーい!誰かー!助けてくれー!」
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wllhl-shv · 1 year
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2023.06.30
待ちに待った決戦の日。
オタクの見解だと思って長い文章を読んでみてください。『運命』 『決戦』を観た感想です。⚠︎ネタバレ有
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_『運命』での名セリフ 現代のヒナと武道のドライブデート。ヒナと別行動になった武道が半間と出逢う。そこで半間がすれ違いざまに放つ言葉『あれ?車乗ってねぇじゃん。纏めてやっちまおうと思ったのに。』この言葉から魔のタイムリープが始まる。暴走する乗用車に乗っていたのは千堂敦(磯村勇斗)。千堂も稀咲に操られていて、後に自殺します。ヒナの死、あっくんの死も変えるべく、何度もリベンジを果たそうとする武道ですが、決戦を前にして誰かが死ぬ真実。
今回、運命同様、芭流覇羅サイドで作品を観ていました。運命に比べ、芭流覇羅のキャストの方のセリフや登場シーン全てにおいて前作とは比べ物にならないぐらい沢山登場してて私としては120点でした。中でも、芭流覇羅の幹部である、チョメ(田中偉登)、チョンボ(今村謙斗)、メンバーの丁次(山口大地)の戦闘シーンが盛りだくさんで好印象です。足場の悪い廃車場での戦闘で、一虎(村上虹郎)は走り回ったり、稀咲(間宮祥太朗)はぶっ飛ばされたり…。体を張って作品を作り上げてくれてここまでの超大作を観させてくれてありがとう。東京卍會、芭流覇羅…どちらについても苦しいものですね。彼等が1から積み上げてきた絆も、葛藤も、この決戦で終わってしまうのが1番辛かった。どんな結果であれ、大好きな作品を、大好きな俳優の方を、このスクリーンで見届ける機会をくれてありがとう。
芭流覇羅のNo.2 半間修二役、清水尋也。前作、運命と出番が少なくアクションシーンもなかった。この決戦を通して、彼の半間としての姿、原作をも忠実に再現されていたところに魅力を感じました。また作中の半間は、対立する東京卍會の敵である芭流覇羅に位置しています。その中で、スパイを疑われる稀咲と繋がっていることがタケミチ(北村)のタイムリープで確定しています。稀咲の元、何事にもついて行く半間の姿があの図体から想像できないぐらい謙虚で可愛らしい。総長不在の芭流覇羅のまとめ役として芭流覇羅メンバーを支える重要的な人物、面倒くさがりなのにどこか優しさがあって強いところ、ヴィランだけど半間にもいい所は沢山あります。清水尋也にしか半間はつとまらない。清水尋也の半間修二が一番しっくりくるって思えるような演技でした。現代の半間修二、髪型といい、立ち姿、全て好みです。(笑)
ああ見えて尋也は緊張しいから、セリフ沢山大変だったよねって。前作であんまりセリフなかったし、『喉のチューニングが……』とか言ってたもんね。『おっぱじめるかァ?』『楽しませろよォ〜』とか。1つ1つの煽り方、半間の威圧感と言いますか、、口角があがってしまいました。やっぱり、半間推しだからこのセリフは外せない。『ガードしててこれかよ…だりぃ。』― 半間のだりぃは世界を救う。少なくとも私はサプリ的な何か。(笑) スタイリストもそうだけど、尋也って手足のリーチがあって、表情・髪型・容姿、本人も言ってたけど歩き方とか。前世が半間でも可笑しくないぐらい半間になりきれていてとても見入ってしまった。
パーちんの後継ぎ 新参番隊隊長 稀咲鉄太役、間宮祥太朗。頭が良くて、常に人のその向こう側を見ている人。目線が合わない。マイキー(吉沢亮)の味方なのか敵なのか。裏で糸引くスパイか。半間同様、前作と運命はアクションシーンが少なかったから今回の決戦でガッツリ乱戦してて安心しました。鉄太くん。(笑) キーパーソンとなるんじゃないかってぐらい重要な立ち位置ですよね、稀咲って。原作では、稀咲の正体が明かされているけど、今期の作品ではどんな人物なのか、ヒナとの関係は示唆されていない。だからこそ、間宮祥太朗が演じる間宮祥太朗の稀咲鉄太、別物の稀咲を見れて良かったです。原作の稀咲は、黒ギャルで背丈も小さく細くて弱っちぃ。おまけに喧嘩もそれ程強くない。間宮祥太朗が演じる稀咲の姿ってのを垣間見れた気がします。―『マイキーはうちの隊が責任もって守らせてもらう』廃車場でのあのシーンですね。でも、後に一虎に場地が裏切ったこと伝えてますよね?以前に、マイキーを襲えって芭流覇羅に密告したのもあなたですよね?ほんとに謎が多い。勝敗なんてクソでもない、自分が上り詰めてマイキーを落とそうとする稀咲鉄太の黒い部分を演じるのが上手だなあって思いました(笑)
壱番隊隊長 場地圭介役、永山絢斗 / 副隊長 松野千冬役、高杉真宙。この2人の関係は回想シーンを観ればすぐ分かる。場地を心の底から慕う千冬と、裏で手を引く稀咲の行動を削いでやろうと動く場地。場地が芭流覇羅に行った時も、場地の行動を1番近くでみて支えていた千冬。回想シーンは、あの名セリフも。『ペヤング半分こな』― これを見に来たと言っても過言ではない。2人の掛け合いがとても好きでした。原作もアニメも実写も……期待を裏切らないこのシーンは何回見ても泣けます。血ハロ後、一虎に背部を刺され重症化した場地、追って自分で腹を括り腹部にナイフを刺す。このシーンは絶対涙するに違いない。誰が観ても辛いシーンで、一虎の死を避けるにはあまりにも大きい代償。死に際に、もう一度『ペヤング食いてぇな』って千冬に伝える場地。『俺は俺が殺したんだ』― 瀕死でも最後まで東京卍會、千冬を守った場地圭介はかっけぇ。
去年の夏場の撮影だと知った時、耳を疑いました。真夏、東京卍會と芭流覇羅がぶつかり合う決戦、特服着て作品のために動く俳優達。廃車場、舞い上がる粉塵と彼等の血・汗・涙 。この作品に携わってきたキャストの皆様、監督、スタッフの皆様、そして多くのエキストラ。この映画を通して、地上波での番宣、パーちん全国爆走 プロジェクト、一時はどうなる事やら延期になるかもしれない事実をこの東京リベンジャーズ2作成チームは襷を私たちに繋げてくれました。規定通り、上映日に無事公開されることを知った時は正直、涙でした。
前作、今期二部作の主題歌を担当したSUPER BEAVER。『名前を呼ぶよ』、『グラデーション』、そして『儚くない』。分かっていたけど、やっぱりイントロが流れた瞬間に涙が溢れてきました。柳沢くんがつくる音楽を、渋谷くんが歌い上げる。その声と東京リベンジャーズという作品がマッチしててとても心に響きました。最高です。また、YouTube上であがってるMVの中に、廃車場で歌ってるバージョンもあって、映画にものすごく力を入れているんだなって感じ、また涙しました。『儚くない』は、『血ハロ』の全てを示唆する曲だと思います。
パンフレットを購入して、あのシーンのこんなところ苦労した!とか楽しかった!とか実際の声が聞けて良かった。阪泉くんやガリ男も、メインキャラだけじゃなく、ギャラリーの不良たちの演技も素晴らしかった。ガリ男に関しては、食べてるだけでセリフが無いのにインパクト大で。きっとこれが最後だから実際には出ないんだろうなと、灰谷兄弟のキャスティングも灰谷蘭役で栗原類くんが抜擢されてたり、スクリーンで見るとめっちゃ似ててびっくりしました。泥だらけで血まみれだけど、何度観ても泣ける映画、大好きな作品だからこそ多くの人に見てもらいたい。彼らの有志を胸に。ありがとう東リべ2 、東リべ2完結 。
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社中クアンタムのDVD来た!!!
去年8月から待ち続けた、少年社中第39回公演『クアンタムーTIMESLIP黄金丸ー』のDVD発売日〜ッ!ありがとうこの舞台作った全ての方、ありがとう発売日に届けてくれる佐川急便。
観ながら感想書きたいけどふせったーくん入院してるから一人で観ながら一人で実況します(それは実況とは言わない)。
ちなみに舞台は8/13(土)のソワレ?と14(日)ソワレの大千秋楽で2回観ました。あと台本とパンフも読んだのでそのネタバレも以下ありますかもしれません。あと、収録日はTwitter当時の感想検索すると8/9(木)にカメラ入ってたと書いてる方がいて、公演6日めとかの収録ぽいです。
オープニング。あの開演直後に流れる音楽。染谷さんの配信で鳥越くんが「袖で染ちゃんが口でM0やってくる」て言うてたやつ笑!
染谷さん「ピッチポーチクピッチポーチク」
鳥越くん「だんだんそう聞こえてくんのよな笑」
この上手袖でそんなことが…と思うと既に嬉しい(?)。
オープニングのダンスかっこいい、全員セリフユニゾン(?)かっこいい、紀伊國屋で生声で、最高だった。
そのあとの殺陣、鳥ちゃんカッコいい。ここで二日目とかに鳥ちゃんがこけた話も染谷さんと鳥越くんしてましたね笑。てかそういえばテレビでもしてたな(くちまる)笑。
レトロの皆様が出てきて馬鹿でかい声出すとこ、DVDではワープロのことユウが殴りに行っててウケた。あんな殴ってたかな〜笑。耳キーン笑。
黄金丸のタイムスリップ説明この日もめちゃくちゃ長い。じゃあここもう最初からこんな自由だったってこと??全通したかったな…笑。流れ知ってんのに井俣さんの無言芝居おもろすぎて爆笑した。ここは井俣さんの必死さとぜんぜん芝居進める気ない(ように遊んでる)鳥越くんの爆笑コント。なお、ここが配信で染谷さんが言ってた千秋楽で鳥ちゃんがはけようとしたシーン。いや、めちゃおもろかった。マジではけようとする気配があり、染谷さん追っかけてって鳥越くんの腕つかんで、そのあとしばらく鳥越くんの腕つかんだまま芝居しててウケた覚えがある。円盤に収録されてる、黄金丸にぶつかられて「痛ってえな!」て突然キレるユウもおもろすぎ。井俣さん汗だくやん…おもろすぎる…。「どうしたんお前一瞬阿波踊り入れたやん」笑。
博士の「キマったねオレ」は毎回キマってた。
ファミコン、キャラ濃すぎる笑。レトロの紹介パートかわいすぎる。「おん・がく👆」。タオちゃんかわいすぎゆ。どないする関西弁指導て入ってたっけ〜笑。
あ〜ユウとタオかわいすぎゆ…。かわいいから説明聞いてしまうユウヘタレ💯。「彼女はいません。いたこともありません」笑。多分現地で見た時は「新婚旅行は月でいいですか?」と「僕のはじめてをもらってください」だった。毎日ちがうかったらしいウケる。
白目計算!「答えられなかったらお前の妹を抱く」。ここも毎日ちがうかった、「教室で飼ってるハムスター食う」あと「プールの授業中にパンツ隠す」(うーん、染谷さんのコメディセンスカミシモを思い出さざるを得ない笑)。
教団のみなさまも自由だな〜。は〜楽しいねえ。鳥越くんお芝居すてきだねえ(スズナリ行ったなあ〜)。
「死ぬのか…やべ(ベシャ)」笑。ここの間、千秋楽めちゃ完成されてたな。
井俣さんめちゃ男前でいらっしゃるな…。黄金丸インパクト強すぎて…現地でその感情にたどり着かんかったな…。
「切って大丈夫だって👁👁」どこもかしこもおもろい。学くんと鳥ちゃんの殺陣〜。メイリアちゃん歌うま〜。
仲直りしようとするシーン…。ユウ、「あっしら」言うてる、江戸っ子???笑
ここの台座降り意味わからんくて大好き。いや、ヘタレがわかって意味はめちゃわかる、でもやっぱり意味わからんくて大好き。千秋楽とかこの3倍ぐらい時間かけてセリフ言いながら降りてた。ユウの「押した今!?」のタオ→ユウ→ヒロのドミノめちゃくちゃなめらかでウケる。ケンが仲直りするなら今!のとこでタオの真似してかわいそう…するユウ初めて見た!笑、千秋楽はヤンキー座りしっぱなしでタバコ吸ってた。
てか染谷さん情緒ジェットコースターえぐすぎる、いや、これはサイコパスって言う権利あるよな、鳥越くんには権利あるよ(?)。でもめちゃくちゃおもろい。は〜。円盤嬉しすぎる。
ユウがタオ励ますシーンかわいすぎる。ヤバ。千秋楽だけヘタレ脱却してた(でもはけるときに壁に激突してた)。
てか一時停止巻き戻しを繰り返しすぎて一周するのに時間めちゃかかる🎶
は〜。最後やっぱ引き込まれてメモせず観てしもうた。楽しい〜カッコいい〜魅力つまりまくり舞台や…。嬉しい〜。
そして、わかってるのにカーテンコールでメロった。
や〜。DVD手に入れて超嬉しい!何回も観れるね!社中の次の三人どころじゃない吉三も観に行けたらいいなあ〜に改めてなった。は〜。嬉しい日。
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