#愚者話
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kokoroyume-iesora · 24 days ago
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愚者話 6
害 否定 その受容
 人の邪魔をして心情や気分、生活や生存を害したいという人々が、確実に���在している。人が悩み憂い苦しむのを見てほくそ笑み、自分は偉いか上だと思い込み、現世利益を鱈腹食べて、嘲るだけの日々を送っている人達が居る。
 そういう人達に何を言ったり思ったり考えても無駄なことであって、彼らは本質的に変わることはない。彼らは自分たちが正しいのだと思い込み続けるのであろう。それをどうこうしようとするから苦しむのであって、はなから感知しなければ何の問題もない。
『これが正しいですよ』『これが正解ですよ』『こうあるべきですよ』『こうなるべきなんですよ』という洗脳には与しない。屈しない。服さない。
 負けない。負けても立ち上がり、へこたれない。へこたれても勇んで立つ。挫けない。挫けても舞い戻る。
 どうするのかはわかっている。精神の状態等は瑣末な問題。身についた技量は消し飛ばない。やったことだけは残るのだ。やってない事は残らない。便利な馬鹿にはわからない。ズルをして勝ってる奴らにはわからない。何をしてもいいと思ってる奴らには辿り着けない。そういう光が確かにある。それは決して奪えないものだと知っているんだ。
 人を害したい人は消えないだろう。そういう人たちだから消えないだろう。現にそうなんだから仕方ないだろう。それでもまだ迷える心は救えない?
『別に───』  
 小泉君の言葉が思い起こされる。
『別に害されたっていいじゃねえか。何の問題があるんだよ?』 『否定される事に慣れてない人が多すぎる』 『人類全員ナルシスト』 『 " お前はお前が思うほど大した人間じゃない " ってちっちゃい時に読んだんだよね。あの時は参ったね。 " そんなこと言う必要ないじゃん! " 、 " 酷い! " って思うじゃん? " ほんとにそうか?  " とかって疑問に思ったりしてさ。だってまだ自我もふわっふわのちっちゃい頃だよ? 余計にね?』 『でも。そういう事に怒っていたのももうずっと前だよ。今はもう、釈迦ちゃんの言う『無我』がよく分かるっつーか、皆んな風に言えば " 共感 " 出来るっつーか。まぁ、そんな感じ? わかったぁ?』
 私は小泉君が引き合いに出した言葉を知らなかったから、それについて調べてみた。
 それは" お前は、お前が思っているほど大した人間じゃない "とか" お前が思っているほど、お前はたいした奴じゃない " などと、幾つかの場所で、細かい表記揺れの違いを持って、紹介されていた。
 それはどうやら、かのシュールレアリズムでその名声を確固たるものとした漫画家、その選集の巻末に、とあるコピーライターが書いた言葉らしかった。
 さあ。コピーライターが書いたと知れば、なるほど頷けるではないか。前途の一文は、コピーライターが言いそうな事である、と思う。その信憑性というか、『正しさ』、は兎も角として、事実は単に、『漫画の選集の巻末コメントに、コピーライターが書いた言葉でしかない』という事だと言い得るだろう。
 そんな言葉で若者や子供達を打ちのめしてどの様に『教育』したいのかについて、幾つか仮説を生やす事は可能であるが、その話は置いておこう。
 あの時その言葉が引き合いに出された理由は、単に、『否定に慣れよ』という事だと考える。『皆んな否定に慣れていないから苦しむのであって、否定に慣れれば否定をされてもさして苦しまない』のだと。そういう事、そういう心づもりで、小泉くんはその言葉を持ってきたのかもしれない。まぁそんな事の事実は本人にしかわからないが。
 私は否定も必要であると考える。同時に『私たち』の信念から、否定しないことも、肯定しないことも、肯定することも、そういった二元論的対立から離れることも、それらを同時に持ち得る事も……といった全てを採択するのである事は、最早『私たち』にとっては日常的な実践だ。
 ここで『肯定』や『否定』の『効果』、『性質』について考えてみようか。
『肯定』は一般に人に好かれやすい効果を持ち、一方で『現実に向き合う事からの一種の逃避』という性質を持っている様に感ぜられる。
『否定』は一般に人に好かれづらい効果を持ち、一方で『現実を直視させ状態を改める事を促す』という性質を持っている様に感ぜられる。
 他にも当然、色々な『性質』、『効果』は幾つも挙げられるのだろうが、ここでは上記の点について更に言葉を連ねる事としようか。
 またタロットカードの各カードの持つ意味の説明の様に、その言葉から連想される性質や効果について、列挙する形式で書いてみようとふと思う。
『肯定』は同意、賛同、共感、モテ、応援、仲間、うわべの話、さわり、おべっか、ご機嫌取り、お世辞、ぬるま湯、飴、甘やかし、協調、調和、友好、多様性、建前。
 などの言葉が、私にはパッと連想されるところである。
『否定』は反対、反論、指摘、非モテ、忠告、敵対、中身ある話、本質、憎まれ口、皮肉、リアル、鞭、戒め、教授、排他、対立、不和、険悪、画一性、本音。
 などの言葉は、肯定から連想される言葉の対義語などとして挙げられるところであろう。
 こう並べながらその意味を再度調べるなりしていると、色々と思うところがあるのだが。その最たるものは、『どちらか一方だけでは欠けているのかもしれない』、という思いである。
 どちらか一方だけでは人間は『壊れて』しまう。『肯定』だけで甘やかされれば『増長』、つまり『傲慢』や『高慢』になってしまうし、『否定』だけで懲らしめられてばかりでは『畏縮』、つまり『謙虚』になってしまう。
『謙虚』と言えばいいものと感じる向きがあろうが、へりくだって人��意見ばかり受け入れている様な人にも、それはそれで問題を論じる事は可能である。どころか、すぐにその『良し悪し』を思い浮かぶ事は殆どの人間に可能ではないかと考える。
 うむ。上記こそ慎ましやかな表現であり、それはメッセージの『攻撃力』、『突破力』、『効力』、『印象残存力』、『簡潔さ』など、其の他様々なものを犠牲にした表現の選択である。
 そうして控えめな態度で何でも自分に問題があると自罰して行く向きを極めていけば、精神は暗く陰鬱としてしまって、その自己肯定感の低さから日々の行動、生活すらままならない状態になってしまうことは想像に難くない。
 というより実際にたくさん見てきたし、経験した。
 そも。
 さきほどの連想列挙はその場限りの個人的な連想でしかない。一定の共感や理解は得られるかもしれないが、その実『それって両方にも言えるよね』というものがあり、それは『傲慢』や『謙虚』についてもやはり言えることだ。
 例として『否定』側の『傲慢』な人間様相を挙げよう。
『否定』側はどうにも私にはいつも、『正しいもの』、『こうあるべきもの』を前提として、それに合致していないから『憤っている』様に見受けられる。
 その強烈強固な『俺のルール』に従えと言わんばかりの態度は、とかく人に突っ掛かるは高慢ちきな高飛車人間になってしまうという側面、作用もあるだろう。
 そしてそうなってくると『その人と一緒にいられる人間』は限られてくる。また『長く安定して付き合える人間』が限定されることを意味し、つまりは閉じたコミュニティで蠱毒の様に、『正しさ』を捏ねくり回す『モンスター』にさえなってしまうこともまた、想像に容易い。
 というより実際にたくさん見てきたし、経験した。
 この様にどこまでも様々な観点から論じる事は出来てしまうので、キリがないため一旦そういう『例挙げ』はここまでとして、そろそろ結論を述べようと思う。 
 要するに。
『極端は避けろ』
 と言う話だ。
 小学生だって思いつくぐらいに、『結局のところバランス』であり、副業をしているビジネスマンが好きそうな言い方をすれば、『多くのチャネルを持つこと』が重要であり、それは釈迦の言う『中道』とも通ずると私は考える。というより感じる。いや、" 共感 "する。
 私たち『作値問下《なすあうとうもと》』は、人間としての釈迦を肯定し、神格化された仏陀や仏教というものを否定していると言えるが、私たちはその信念から、同時に仏教や仏陀もまた実は肯定もしているし───だからこそ大乗仏教の用語などを親しみを込めて用いることもあるのだし───、その様な二者対立を離れた観点や、その他の観点を模索しようとさえもし続けている『集団』であるのだが。
 敵とも言える宗教法人��物打題法《ぶつだだいほう》』は、私たちを肯定する事はないし、ひたすらに否定し続けるだけなのであろう。それは恐らく釈迦が考えたであろう中道とは、異なる道だ。
 私たちは自分たちで気づいたその『極端に振り切らない』、『極端に振り切って両方を知る』、『矛盾対立を克す』といった信念が、釈迦の語っていた『中道』に通ずるものだとして飽くまで共感しているに過ぎないが。
 少なくともそれは私たちにとって『悟り』の一部であるので。
 その観点から『物打題法《ぶつだだいほう》』の人間は『悟れない』というのが私たちの見解である。
 何度も述べている通り、別にそれが『良い悪い』とか、『偉い偉くない』とか、『凄い凄くない』とか、そういう話ではないし、同時にそういう話でもあるし、そもそもそういう事を勘がるのが違うし、そう言うことを考えるのが『当ってる』とも言える。
 別に別の言葉で説明修飾補足しなくてもよいという考え方もあるわけだ。言ってる側から私たちの常套手段である多数の語の列挙という手法が覗いてしまっている訳だが、これこそは『自主的で積極的な矛盾』を扱える私たちの特徴の発露であろうか。
『気づかないで矛盾していること』と『気づいている上で矛盾を受け入れていること』は全く異なることであるのだが、普通の人々にはそんな事はどうでもいいことらしかった。だから私は普通の人々が嫌いだし、同時に好き以下省略であるのだが、この理論が人々に解される事はないだろう。
 生半可な経験で私たちの思想や理論を実感を伴って腹落ちする事はほぼ不可能に近しいと考える。
 それでいいし、そうあるべきだし、同時にそうあるべきでなく、べきとかではなく、それではよくないし、そういう話じゃないとも言えるし、以下略。
 そう言える理由は私たちが執着を『滅している』者達であるからだと説明出来る。
 私たちは『救世願望』や『統治願望』、『金銭欲』や『顕示欲』といった欲や願望、つまりは『執着』を滅する事を『宗《むね》』としているので。
 その『実践』にあっては、『現世利益追求集団』やらの前提刷り込み思い込み、決めつけレッテル先入観、固定観念偏見常識などに囚われる事は必要のない事なのである。
 そういうわけだから、『アカデミックなもの』を『盲信していない』。文法にしたって『学校文法』が全てだとは思っていないし、その様にせよと迫る暗黙の圧力には与しないし屈さない。服わない。
 私たちは『普通の人々が経験しない、噂にも聞けない、想像さえも出来ない様な異常な体験、生い立ちを経てきた辛苦の徒であって。故にその苦悩は常人のそれとは計り知れず、其の為に " 現在の苦 " を " 滅する " 事を本懐、本領とする人間の集まり、及び思想体系』であると言えるので。
『普通の人たち』の『当たり前の』『殆ど』が、私たちには齎されなかったものでなのである。
 それは『親が離婚した』とか、���虐待されていた』とか、そんな『瑣末な程度の話』ではないのだが。
『普通の人々』は『想像力』か『あれこれと考える力』、いや『多数の可能性や思いなどを同時に幾つも持ち合わせそのどれをも信奉する』という『ダブルシンク』のような『能力』に欠けているので。
 わかりよう筈もない。そして私たちは、『わかってほしい』などという欲≒執着≒煩悩も、やはり同時に『滅する』のであるからして、『全てはこれでいいのだ』という結論に至れる次第だ。
 これが『悟り』のあらましの一部であるので。
『ただ数文字の念仏を唱えたり、現世利益を追求している様な者達』には到底この考え、思い、感じに至ることはできないであろう。それは自明な事なのだ。
 これはまた、『普通の人々が信じている事の大半』が、私たちにとっては瑣末な事で『も』あるという話にも繋がっていく結論だ。
 アインシュタインを思い出せ。常識とはなんだったか。
 もっともそんな知識、いな、情報に効力はさしてない。
 アインシュタインの格言など見るまでもなく、私達はその認識を早くから自ずと生成していた。それは『極めて稀有で異常な苦痛に塗れた境遇』があったからこそ辿りつけたものであるので。
 だから私たちは『布教』などしないのだ。どこぞの『金と利権目当ての害欲求寄生虫集団』いや『物打題法』とは違うのだから。
 まぁ。
 否定で『繋がる』向きもあると思う。
『否定で共感』するという事もありうると思う。
 前途の『肯定否定から連想される語句の列挙リスト』が、肯定否定のその片方にある語句───というかその概念───が、もう一方には該当しない、というものでは無い事は、先ほども述べた通りであるのだし。
『自分は尊重されるべき人間』だとか、『これは当然の権利である』と思うから苦しむのであって、『現にこうなのであるから受け入れる』という境地に至る事が出来るのであれば、『否定』ひいては『害される』という事も、別に良し悪しを自動判断したりして苦しむ様な事でもないのだ。
『こうあるべきを捨てよ』とか、『たった一つの正解などない』というのであらば、『否定』とか『害される』という表現そのものが、『判断的』であってよろしくない。
 それはただの、『作用』、『行動』、『振る舞い』なのだ。『否定』に分類し、『害された』、それも『不当』に、『自分という尊重されるべき人間が』などという前提の刷り込みがあるから『苦しむ』のであって。
 もっと世界はシンプルな筈だ。
 世界はありのままでいい。
 何人も、ありのままでいいのだ。
 それこそが釈迦の言う『無我』であろうか。少なくとも私たちは、それに " 共感の念 " を覚えている。釈迦には帰依しないが、釈迦に寄り添い、理解しているつもりである。だからふもと。『下』なのであるのだから。
 もちろんそれだけではないが。
 さて。
 さてさてさてさて。
 ここで一気に一度、大きく話を戻して。
 再登場したるわ『お前はお前が思っているほど大した人間じゃない』などという『作用』の言葉。とはいえまずは、『否定分』を『肯定分』で打ち消そうか。
『お前はお前が思うより大した人間��』 『お前はお前が思うよりも、大した人間である』 『お前はお前が思っているより、大した人間である』 『お前はお前が思っているよりも、大した人間なのである』
 このぐらいでよろしいか?
 しかしこれは最後に言いたい事ではないのだ。
 最後に言いたい事はこんな話。
『其の言葉には一つ、欠けている視点がある』
 それは、
『大した人間とは、なんなんだ?』
『それは誰が決めるんだ?』
『秤はどこに、あるのだろう』
 そんなところだ。
 以上。
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chikuri · 4 months ago
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「マスコミが数を持ち出してきたら割合を見る、割合を出してきたら数を見る」の教えは今回も実に有効だなあ。 【数】 ・「消えたコメ」茶わん26億杯分! ・少なくともコメ約17万トンが市場に出回らず行方不明に!! ↓ 【割合】 ・令和6年度産水稲収穫量は約679万トンなので、17万トンは全体の「2.5%」 ・ほぼ誤差の範囲内であり、米価に影響を与えるほどの量ではないと考えられる そもそも政府はコメの収穫量を全量把握・管理しているわけではないので、記事内の数字は「試算値」であり、17万トンという数字もあくまで「推定より少なかった」という話なんですよね。 2020年時点で、我が国の水稲農家数は約70万戸。17万トンを戸数で割ると、1戸あたり約243kgなので、1ヵ月あたり約20kgです。この程度であれば、恐らく農家の自家消費用か、親類や知人にあげたり売ったりした分というところでしょう。当然、政府もそこまでは把握できませんからね。 マスコミの皆さんは「茶わん26億杯!」とか「780兆ベクレルのトリチウム!」みたいに、なんか桁数の多い数字や、よく分からない単位を出しとけば、愚かな読者・視聴者なんてチョロく騙され、危機感を煽れるとお考えなのかもしれませんが、あまり誠実な態度ではないですね。 ぜひ記者の皆さん方は、改めて「新聞倫理綱領」の「自由と責任」(重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない)や「正確と公正」(報道は正確��つ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない)を読み返し、公共利益に資する、真っ当な報道をお願いしたいところです。
Xユーザーの新田 龍さん: 「「マスコミが数を持ち出してきたら割合を見る、割合を出してきたら数を見る」の教えは今回も実に有効だなあ。 【数】 ・「消えたコメ」茶わん26億杯分! ・少なくともコメ約17万トンが市場に出回らず行方不明に!! ↓ 【割合】 ・令和6年度産水稲収穫量は約679万トンなので、17万トンは全体の「2.5%」 https://t.co/LD6Q1Z9kA6」 / X
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ak0gare · 29 days ago
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京都でよかったデートの記録 0412 6歳下の学生起業家と梅田でランチデート。なんでわたしと会おうと思ったんだろう?と思っていたら前の彼女が10歳以上年上だったとのことで合点、そしてとても好感度があがった。目が切れ長で歯並びが綺麗なところがとても好みだった。若いのに色気あるね、と言おうかと思ったけどわたしが言うと褒めているというより恫喝めく気がしないでもなくてやめた。起業してる人って頭よくてほれぼれするし、わたしの奇天烈な行動にも笑顔で聞き流してくれて、話が早くて助かる。 梅田から西梅田まで送ってもらった。 0414 清水五条の工房に行き、清水焼の器を買った。本当はマグカップだけでよかったのだけれど、どうしてもパスタ皿にひとめぼれして、すこし思い切った価格だったけれどこれも出会いだからと思って2つセットで買った。そしたら職人さんにとても感動されて「工房まで買いに来てくれたひと初めてなんです。嬉しいので一つなにかプレゼントします、なんでも」と言われ、恐縮して、追加で2つ茶碗をえらんで一つプレゼントにしてもらった。不恰好に膨らんだ厚い手が、さまざまな色に灼けていてとてもセクシーだった。蕎麦屋さんをいろいろ紹介してくれたが(一緒に行ってくれたらいいのに)と思っていた。 日が空いたけどやっぱり焼き物の職人さんかつ同世代の方と知り合う機会ないと思うから、蕎麦屋に誘ってみよう。蕎麦食べたらすぐ帰るから、って。 0418 「アンゼルム・キーファー:ソラリス展」を高橋君にとても勧められたので、絵を描く趣味があるという起業家を誘って2回目のデートをした。 わずかな隙間の窓から漏れる昼間の陽射しの力だけで照らされてぎしぎし鳴る木の廊下を歩く。暗く翳った部屋の中で、彫刻や巨大なアクリル画をゆっくり見て回った。 暑い日だったのでそのあとジェラートを食べた。地下鉄の階段を下りながら彼が振り返って「楽しかったです」と���ずかしそうに告げてきたのが印象的だった。 0418夜 吉田寮のKG+の展示を見に行った際、別なイベントが食堂でやっており、たまたま話しかけられて親しくなった人が哲学専攻の博士5年生だった。東京が地元で、高校時代から生粋のドラマーらしい。小説の話をしたら「仕事しながらものつくりも並行してる人って本当にすごい」と言ってくれた。 院に進んだ時点で自分の人生は王道の、まっとうな人生からはずれている、と零していて、わずかに劣等感と矜持の両方を感じた。「自転車のサドル高すぎたから、今度直してあげるよ また寮来て」とLINEが来て、なんてかわいいデートの誘い方なんだろう、とそれだけでめろめろになった。 0421 シェアハウスを介して2度会った26歳の学部3年生から「もっと話してみたかったのでお茶しませんか」と直球のデートの誘いがあったのでよろこんで承諾してコーヒーショップヤマモトへ行った。 わたしのこと好きってコト⁉と思ったけどそういうことではなくて、単純に人間としてわたしに好奇心を寄せてくれたみたいでそっちの方がうれしいかもしれない。 とても綺麗な顔をしていて、わたしは好きじゃないけどめちゃ女の子からモテそうだなあと思ったらやはりそうだった。モテの弊害の話聞いて面白がる。波長があって、サンドイッチと1杯だけで3時間粘った。 3カ月後から東京へ引っ越すらしいので次は東京で会おうね、と言って別れた。 0421夜 桂離宮へ予約を取っていたのだが同行者飛んじゃったんだよねと熊野寮で船橋さんに愚痴った。「俺建築好きだし行きたいな」と言われたが、食堂で、本を読みながらごはんを食べているめがねの男の人がとてもセクシーで、どうしても目がいってしまい、彼が読んでいた本は「辞書で読むドイツ語」(何それ)で、好ましくてどうしようもなかった。 「彼は建築の学生だよ。学年は知らないな」と船橋さんが教えてくれた。「わたしあの人と桂離宮行こうと思う。ごはん食べながら本読むなんて、ありえないくらい貪欲だからわたしと気が合うよ」と宣言して、食べ終わった後彼の部屋に案内してもらった。「24日の16時に桂離宮に同行してくれませんか」とドアから出てきた途端いきなり要求した。とても緊張した。彼は突然の闖入者に戸惑いながらも面白がってくれて、「ゼミあるけど行きましょう」と言ってくれた。M1で、博士はヨーロッパで取る予定だそうだ。 「きみのコミュニケーションは気さくなんじゃなくてごり押しだよ」と高橋君に指摘されたが、本当にその通りだと思う。
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moment-japan · 3 months ago
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1961年 映画「釈迦」
監督:三隅研次
脚本:八尋不二
舞台美術:伊藤熹朔
音楽:伊福部昭(演奏:東京交響楽団)
製作:大映(大映京都撮影所)
出演:本郷功次郎、チェリト・ソリス、勝新太郎、市川雷蔵、山本富士子、川口浩、中村玉緒、京マチ子、山田五十鈴、杉村春子、東野英治郎、中村鴈治郎、市川壽海、市田ひろみ、榊原舞踏団、大阪松竹歌劇団ほか
日本初の総天然色シネマスコープ70mmフィルムによって製作された釈迦の生涯を描いた作品。
「天上天下唯我独尊」
紀元前5世紀、インドのカビラ城でジッダ太��(釈迦)が生まれる。
ジッダが生まれた時、近くにいた修行僧のアシュダ仙人が、後にこの子が世界を救う人物になると予言する。
大人になったジッダ太子(釈迦)は結婚して幸せな毎日を送る中、お忍びで街を見て歩くと、そこには身分差別で虐げられる多くの平民の姿が・・。
それを見たジッダ太子は、貴族の王子である自身の恵まれた環境に疑問と無常感を覚え、悩んだ末に王の座を捨てて出家し、修行の旅に出る。
やがてジッダは菩提樹の下で6年間の瞑想の行に入ります。
厳しい修行と瞑想の最中、森からは様々な魔羅(釈迦が悟りを開く禅定に入った時に、瞑想を妨げるために現れたとされる悪魔)が現れ、悟りの邪魔をしようと太子を誘惑して攻めてきますが、そこに帝釈天の化身である村の女サヤが現れてジッダを助け、遂にジッダは悟りを開き釈迦(ブッダ)となります。
(このシーンが現代舞踏芸術のようで見応えがある)
村では赤ん坊をさらって殺すことを繰り返すカリティという女の夜叉が、釈迦の仏術によって自らの子供も同じ目に合わせられ悲しみに暮れる中、釈迦が現れ、殺生の愚かさを諭され改心して釈迦の重臣的な弟子となります。
干ばつの時には雨を降らせ、時には盲目の王子の眼に光を甦らさせ、釈迦の許には国中から教えを乞うて人々が集まるようになり、それに嫉妬した従兄のダイバ・ダッタはバラモン教・シュラダ行者の下で修業し神通力を得てブッダと壮絶な戦いをします。
ダイバ・ダッタが無実の罪で仏教徒を火刑の生贄にしようとするのを見た仏陀の怒りは奇跡を呼び、ダイバ・ダッタの造った神殿と共にダイバは地割れに呑みこまれていく・・。
もはや、釈迦が叶う相手ではないと悟ったダイバ・ダッタは涙を流しながら仏法の真理に降伏し釈迦の弟子となりました。
老いて、命もあとわずかとなった釈迦は、村の二本に並んだ沙羅双樹の間に横になり、
「比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」
との最後の言葉を弟子と信者に残し静かに入滅しました。
比丘とは:出家して具足戒(僧侶の守る戒律)を受けた修行者を指す言葉
釈迦役の本郷功次郎は悟りを開いた後、ほとんど姿を現さない独特な表現で描かれ、神々しさが倍増してました。
(確かに、こういうのってなかなかのセンスだよね)
のちに「五比丘」と呼ばれる一番弟子や十大弟子などの釈迦の高弟たちも登場します。
歌舞伎や新劇、大映スターなど、当時の人気俳優総出演の和製「スパルタカス」のような壮大な映画で、セットにも尋常じゃないくらいお金がかかっているのがわかります。
アニメーションもしばしば登場していますが、これはピープロダクションのうしおそうじ氏の作品だそうです。
精巧な作画を実景に合成する「作画合成」は、合成作画技師・渡辺善夫が担当。
「生合成」という特殊手法合成の第一人者です。
シネマスコープ70mmフィルムの現像は当時日本で出来なかったため、英国のロンドン・テクニカラー社のラボラトリーで現像。
(当時、相当金かかった��うな)
劇中音楽は京都のスタジオで録音され、こちらも英国の「RCA」スタジオでミキシング・トラックダウンされました。
(「RCA」って超一流スタジオじゃないですか!)
釈迦の生涯を描く大作映画の制作は国際的な話題となり米国の雑誌「タイム」誌の1961年8月11日号では、細かなシノプシスが紹介されたそうです。
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ari0921 · 3 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)3月4日(火曜日)弐
     通巻第8680号 
 トランプの長期的な世界戦略が見えた
  優先順位から言って「敵はモスクワに非ず、敵は北京だ」
*************************
 予想されたことだけれど、���レンスキーのホワイトハウスにおける無礼に悪評嘖々(さくさく)、罵詈雑言の嵐、ところが翌日から左翼メデイアの論調はがらりと変わって、会談を蹴飛ばしたのは「トランプ、ヴァンスなどアメリカ側が悪い」と言い出した。
 ワシントンポストもニューヨークタイムズも、強い論調でトランプを非難し、おどろくことにゼレンスキーのやらかした無礼を不問にふしている。共和党のマコースキー上院議員は「嘔吐をはきたい」との非難の談話。彼女はヘグセス、カシェ・パテル、ギャバードの指名にことごとく反対し、RINO(名前だけ共和党)を代表した。トランプはアラスカ州の次期上院選にかならず別の候補を立てて彼女を潰すだろう。
 戦争はどちらが正義で、どちらが悪いとは言い切れない。双方に正義があり、お互いが正義のために闘っていると信じている。
戦争の最中に「義」は行方不明となって、残りは復讐、血の報復である。どちらかが完全に降伏するか、でなければ納得できる停戦か、さもなくば泥沼は長引く。ブカレスト合意、ミンスク合意はお互いが破った。戦争を続ければ裨益する勢力が背後にいる。
「ウクライナが正しくロシアが間違いという議論は成り立たない」(ミアシャイマー)
 トランプの目的は停戦の早期実現にある。理由は簡単で、この愚かな殺し合いはオバマとバイデンが始めた戦争、その前に歴代政権が展開した「民主化」という看板の美名に隠してのグローバリゼーションだから、自由主義にたつ共和党の理念からは遠い。
トランプの長期的な世界戦略に於いて、窮極の戦略は中国との対決であり、優先順位から言えば、ウクライナは順番が低い。めざしているのは「ヤルタ3・0」である。筆者は先日まで「ヤルタ2・0」の続きと考えてきたが、新しいフェイズに突入した。
 
トランプの長期戦略は優先順位型思考で構成されており、「敵はモスクワに非ず、敵は北京にあり」。
そしてこの考え方は欧州には受け入れられないということである。
ウクライナ戦争「以後」の世界地図の改編は、米露首脳の電話会談でゼレンスキーを交えなかったようにスーパーパワー2強の話し合いとなった。トランプは「いずれウクライナは加えるが、NATO諸国をのぞく」と言い放ち、シビハ(ウクライナ外相)が「米露二国間。スーパーパワーだけでの交渉はまさに80年前のヤルタ会議(1945年2月)の再現だ」と懸念を表明した。
 ▼ヤルタの密約を彷��させないか?
 ヤルタ会談はFDR、スターリン、そしてチャーチルの三者が第二次大戦後の世界地図を策定する密談だった。リバディア宮殿(ニコライ二世の別荘)で行われた。
 ルーズベルトは死にかけだった。スターリンは矍鑠(かくしゃく)としていた。ヤルタ会談ではポーランドとドイツの分割、バルト三国のソ連併合、飛び地カリニングラードをソ連が確保し、なかば主権をうしなったモンゴルはソ連支配下に、そのうえで東欧諸国もソ連圏に組み込まれた。 
 ソ連の対日戦線参戦をのぞんだFDRは大幅な譲歩をなした。このためソ連軍は満州へ雪崩れ込み、全千島、樺太を占領した。ルーズベルトは長い船旅につかれ、痴呆症的で病人だった。リバディア宮殿には台所にいたるまで盗聴器が仕掛けられていた。帰国してまもなくルーズベルトは死んだ。後継のハリー・トルーマン副大統領は、なにひとつ知らされておらず、金庫を開けるまでヤルタ密約も、原爆を開発していたことも知らなかったと回想記に書いた。
 それから60年、ブッシュ・ジュニア米大統領は、「あのヤルタ会談は愚かな取り決めであった」と総括した。東西冷戦が1991年にソ連崩壊でおわりをつげ、「ヤルタ2・0」のフェイズに入った。バルト三国と旧東欧諸国も主権を回復し、カフカス三ヶ国、中央アジア五ヶ国が独立を果たした。
ヤルタ体制はソ連の崩壊により「2・0」となったことは見たが、域内の大々的な改編が起こり、結果的にNATOの東方拡大がなされた。旧ソ連圏のバルト三国、旧東欧はNATOに組み込まれ、ジョージア、アルメニア、モルドバが加盟に近づいた。つまりスターリンの野望の実現だったヤルタ体制は、ここで終わった。
そこでロシアは巻き返しを謀り、ルーマニア、ジョージアに介入し、アルメニアにもまもなく介入し、勢力圏を堅持するだろう。
NATOの加盟国でもハンガリー、スロバキアは英仏主導のグローバル化には距離を置いている。戦争の泥沼化によってウクライナがロシア圏に戻るとは考えられないからプーチンとしては、ウクライナを緩衝地帯とし、NATO加盟は断固阻止する。
 ▼ウクライナはさっさと問題解決をしようぜ
さてワシントンでのトランプ v ゼレンスキー会談の決裂の翌日、欧州の16ヶ国はロンドンにあつまり、ゼレンスキーを暖かく迎えた。英仏はその席で「地上部隊の派遣」を呼びかけた。まるで事態を予測していたかのように、ロンドンの16ヶ国首脳会議にはカナダのトルードーも出席していた。
英仏は地上部隊派遣を提案したものの、「これは参戦ではなく「和平部隊」であって「���志連合」による平和維持軍の創設だ」とした。
英仏は積極的だが(つまり左翼政権は前向きだが)ほかの諸国は態度を鮮明にしなかった。
率直にいって平和維持部隊は実現しない。ロシア、ウクナイナ国境は長大であり、重装備の軍隊が15万人は必要である。交代制とすれば三倍、まず兵隊がいない。兵站をだれが保障し、いったいこの費用は誰が支払うのか?
ロンドンで決まったことは(1)ウクライナ支援はつづける(2)和平成立の交渉にウクライナの参加はMUSTである(3)「有志連合」を結成する。
この動きを観察しながら、トランプは「ウクライナへの軍事支援を打ち切る可能性がある」とブラフをかけ、「ゼレンスキーは第三次世界大戦に賭けている」と批判した。
かくして「ヤルタ3・0」の枠組みが見えた。
欧州の亀裂はいずれ分裂状態となり、いまよりも混乱するだろう。となればトランプが次に着手するのは中露同盟に亀裂を入れ、ロシアをなんとしてでも「アンチ・チャイナ」陣営に引き寄せる必要がある。つまり優先順位のトップは中国との覇権対峙であり、地殻変動の波が起こりそうだ。
ウクライナ支援一本槍の日本は、こうしたシナリオの発想もなければ、例によって平和惚け甚だしく、なんの準備もない。
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blr-blue · 2 months ago
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 恥感情&後悔まる出しクソネガティブTumblrを書かせてくれ。いまとても心臓がぞわぞわしている。
 基本的にわたしという存在は喋りすぎることを恐れている。そして喋りすぎても許されるのはTumblrだけだと思っているのでここで感情を消化させてくれ。ここは何文字書いたって一投稿だしね。それにみんな、わたしのネガティブTumblrをエンタメとして扱ってくれるじゃん。ありがとねほんとに。こんなので良ければずっと書き続けます。
 これはもう定期的に訪れる発作としか言いようがないのだが、またもや最近、表の世界ことTwitterで喋りすぎている気がしてならない。ポスト自体は週に1~2回までに留めようとしているし実際にそこまでポストを頻繁にするタイプじゃないと自分では思っているのだけれど、最近Twitterにおける鎖国の意識が緩まっており、リプだのスペースのコメントだのをよく打っている。べつにそれ自体に問題があるわけじゃないのだろうけど、なんだか自分が悪目立ちしているんじゃないかっていうクソ意味のわからん恥感情に苛まれてふつうに泣きたくなっている。リプとかコメントの相手に対して何か思ってるってわけじゃないんですよ? わたしが勝手に感じている謎の恥感情なの。誰も悪くないんですよ。シクシクエーン。
 自分がキモすぎて笑ってしまう。誰かに忘れられることが恐ろしいと思って文章を書くことを趣味としているくせに、悪目立ちはしたくないんですよ。しずかに黙々と書いている人だと思われたい。アーーーキモすぎる。助けてくれ。
 小学生向けの対人関係スキルを基本のき、みたいな書籍を買ってみようと本気で思っている。わたしは最近引きこもりすぎて人間との話し方を忘れている。「社会人になってから人見知りを主張するひとってあまり良くないよね」という話をここ数か月で何人もの人が言っているのを目にしたり耳にしたり���ていて、それを聞くたびに、それはそうだなと同意すると同時に、心臓をぐさりと一突きされているような気分になる。いや、わたしは自分のことを人見知りと形容したことは人生で一度もないのだけれど、どちらかと言えば人間と上手に話せない側の人間なのですごく刺さる。わたしはまだ学生ですが同級生はみんな働いているので、社会人じゃないから~という言い訳が通用するわけがないのも、自分ではわかっているんですよ。
 わたしは学歴がある側の人間なので言わせてもらいますが、人生においては対人スキルの方が学歴なんかよりもよっぽど大事です。もちろん学歴と対人スキルの両方が備わったエグい人もいるんですが、どちらかしか選べないなら対人スキルがある方が生きやすいと思う。精神的に健康だ。
 大学院にいると価値観が歪むんですよ。人間とうまく喋れない、メールも返せない、だけど研究はめちゃくちゃできる、みたいな化け物がたくさんいるのでそれに染まってしまいそうになる。わたしは対人スキルが中の下、研究スキルは中の中、変人度は中の上のクソキモ一般人なのでどちらにも振れない。研究できることがアイデンティティの化け物にもなれないし、対人スキルの高い器用な人間にもなれない。はい、中途半端な大学院生の完成です。研究室で酒を飲んでわいわいする集団に対してキモ死ねって思うくせに、別に学振は取れないしやる気なさ過ぎて英語論文もまだ書き終えていない。なんなんだよ、キモいのはどう考えてもわたしだ。
 もちろん、対人スキルが高い人には高い人なりの悩みがあるのは百も承知だけど、結局人間ってないものねだりなんだよな。こんなに中途半端なわたしだって、きっと誰かに羨ましがられてる。
 今日は人間関係をテーマに書いているので、このまま中学時代のエグイ部活の話をしようかと思う。
 中学生のとき、女子○○部、みたいな感じの運動部に所属していた。上下関係がとても厳しい部活だった。そして不運なことに、わたしは真っ先に先輩に目を付けられた。中1の初夏、生理痛が酷くて部活を休んだときに、「生理痛くらいで部活休むなよ」と先輩に陰口を叩かれたことが発端だったように思う。一番の敵は理解のない女だ。そこからは事あるごとにいちいち欠点を指摘されては先輩の悪口のサンドバックになった。個人指導、という謎の制度(つまり何かと理由をつけて気に入らない後輩を延々と叱り続けるという集団リンチ)の常連被害者だった。結構な頻度で先輩数人に取り囲まれて、人格否定を繰り返された。謝っても、「はあ、もうそれ聞き飽きたわ~。結局行動で示してもらわないとどうにもならないんだよね~」とか言われんの。だけど当時、わたしは自分がなぜ怒られているかあまりよく理解していなかった。だからとりあえず、すみませんでしたって謝るんだけど、それも上記のように意味ないから八方塞がり。あ~どうしよっかな~でもこのまま怒られてたら筋トレしなくて済むのかな〜ならそれでいっか~あ〜面倒くせ~死ね死ね死ねって考えていた気がする。そしてまあ、もちろんちゃんと病んだりもしたが、やはりわたくし、生命力がとても強いのでふつうに学校に通っていた。はいはい死ね死ね、って感じで部活も行っていた。えらすぎ。
 中学のときに生徒会に入ったのは活動にかこつけて部活を堂々とサボれるからであった。副会長の先輩(もちろん男)はよく部活の愚痴を聞いてくれた。あとは、保健室でサッカー部の先輩(イケメン)に慰めてもらったりもした。同級生のRくん(本命)にも夜な夜なLINEで話を聞いてもらったりした。今思えば、わたしが部活内で嫌われていたのは、部活で酷い目に遭っていることを男子に相談して、か弱い女子を演じて味方を増やそうとするところに原因があったのかもしれない。まあ、それはいいんですよ。とりあえず、部活の先輩にはとことん嫌われ、個人指導という名の集団精神リンチをされながらも部活は辞めずにぬるく生きていた。中総体の前には「いつも厳しくしちゃってごめんね;;」と書かれた手紙を集団リンチのリーダー格の先輩からもらった。やっぱ死ねよ、と思っているうちに先輩は順当に地区予選で敗退し、すぐに自分たちの代になった。
 本題はここから。まだ地獄は続く。
 代がわりをして、部長はNちゃん、副部長はAちゃん、わたしは野良の部員になった。野良の部員はわたしのほかに5人いた。
 ある日部長Nがエグイことを言いだした。「準備を一番頑張っている後輩と、一番サボっている後輩を先輩(つまりわたしたち)の投票で決めて、みんなの前で発表しよう。そうしたら後輩たち、みんな頑張ってくれるはず」と。もうお気づきだろう。地獄である。
 部長絶対王政の部活だったので、それがまかり通って、実際にその投票制度は数か月にわたって続いた。みんなの前で部長が特定の後輩一人を指して、「○○ちゃんはこの前の準備で部活に関係ない話をしてたから、もうすこし真剣に頑張ってほしい。みんなちゃんとやってるのに迷惑だよ」とか言うの。それで名指しされた後輩は青ざめた顔しながら震えた声で返事するし、その子はその子で後輩グループの中で浮き始めるし。泣き出す子もいた。だけど部長Nは「泣くくらいならちゃんとやれば?」「投票されるのが悪いんだって」とか言っちゃうの。それが毎週繰り返された。エグいだろ。正義感の暴力ってとても恐ろしい。わたしも先輩によく陰口を叩かれていたけれど、ここまでヤバいのは多分なかった。地獄だった。これ中学生の話ですよ? 中学生なんて今思えばクソガキじゃん。何してんだろ。
 もちろん、投票制度に反対して、投票しなかった子もいた。わたしはどうだっただろう。拒否した記���と誰かに投票しちゃった記憶がごちゃごちゃになっている。わからない。とにかく、謝っても許されることではないと思う。ちなみにこの制度は問題にすらならなかった。どうやって終わったかというと、ただ自然にフェードアウトしただけだったのだ。
 部長Nと副部長Aは仲が良かった。そしてよく、部長Nと副部長Aが徒党を組んで勝手に色々と物事を進めるので、部長・副部長派閥と、野良派閥でよく対立が起こっていた。わたしは部活嫌いの生徒会役員だったので、どちらの派閥にも属さず、どちらともそれなりに話していた。両派閥の仲介をして、キモいな~とか思っていたのである。あと当時わたしは四六時中恋愛のことを考えており、部活なぞどうでも良かったので、かえってうまくやれたという節もあった。そういう感じのことがずっと続くような、ダルい部活だった。
 だがやはり部長Nと副部長Aはとりわけ嫌いだった。よく嫌味を言われたのを覚えている。それに、先輩にいじめられていた1年生のとき、先輩にわたしの悪口を吹聴していたのは主にその2人だった。いろいろと嫌なことがあったが、ありすぎて何を言うべきかわからないのでこの話はまた別でしようと思う。部長Nと高校が離れ、わたしは心の平穏を得た。その後Nは短大を中退し、近所のサイゼリヤでバイトをし、バイト先の店長(10歳くらい年上)にラブ♡になったらしく、インスタのストーリーで店長との夢小説?のようなものを書いていた。キモくてスクショをした。スクショはまだわたしのスマホに残っている。中学生のときわたしを下に見ていた彼女を、やっと高いところから見下ろすことができてわたしは満足している。副部長Aとも高校は離れたが、その後同じ大学で同じ学科になった。きっと、学科首席になって卒業式で登壇するわたしを見ていただろう。それを想像するだけで気持ちがよかった。相手がどう思っていようと、わたしが相手よりも秀でているという事実がわたしを高揚させた。
 中学の部活ってなんであんなにキモいんだろうか。まあ、わたしがみんなに嫌われていたのは納得できる。だってわたしも、わたしみたいなやつが後輩にいたらキモいからいじめると思う。知らんけど。それにわたしも今よりずっと幼かったし、今だって対人スキルがどうとか言ってうだうだ悩んでいるのだから、当時のわたしはもっと空気が読めなかったし、きっとなにか侵しちゃいけない境界線を飛び越えたりしてしまったのだと思う。でももう過ぎた時間は戻ってこないから、これからすこしでも失敗しないようにするしかないのだなと思ってしまう。まあ、とりあえず、準備サボった後輩晒し上げ地獄制度の話ができて満足です。
 なんか今日の文章、いつもと文章のリズム感がすこし違っていて気持ち悪いんだけど、もうこのまま上げちゃいます。おわり。
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ffxivtranslations · 8 months ago
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Zenos Kills His Father - Retranslation
A retranslation of everything from Zenos getting his body back from Elidibus to stabbing his dad.
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???? : …………ハ。退屈な戦に逸るなど、「俺」とは似ても似つかぬではないか。
刀を帯びた百人隊長 : それよりも……我が友が、よもや別世界に落とされていようとは。
そこは、奴の牙を研ぐに足る場所なのだろうな?
刀を帯びた百人隊長 : 詳しく聞かせてもらおうか。皇太子ゼノス……いや、アシエン・エリディブスとやら。
ゼノスの顔を持つ男 : っ……なるほど……。さすがにこれは、想定外だったと認めよう……。人造の超える力ごときで、不滅なる者に至っていようとは。その身に宿りし魂は、君だな…… ゼノス・イェー・ガルヴァス……!
刀を帯びた百人隊長 : もはや、その名にこだわりはないが……その身体は、返してもらうぞ。仮初の身では、全力で狩りを楽しめぬ。さあ、選ぶがいい。話すか、その身体から叩き出されるか……どちらが先だ?
Zenos: ..... huh. Getting excited over a boring war, you couldn't be any more different to "me". But more importantly, to hear that my dear friend has been sent to another world. I wonder if they are finding it a worthy place to sharpen their claws. Shall I hear all about it from you? "Crown Prince Zenos".... nay, Ascian Elidibus?
Elidibus: ... I see. I admit that this wasn't something I expected. It appears that even a synthetic "Echo" was enough to make you immortal. That body holds the soul of you, Zenos yae Galvus!
Zenos: I don't really care about that name, but I'll have you give that body back to me. With this borrowed body I can't enjoy my hunt to the fullest. So, I'll let you choose. Will you speak, or will I beat you out that body? Let's see what comes first.
???? : …………ガイウスか。遅いな、貴様の役目はもうないぞ。
ガイウス : うぬは……「何」だ……!
???? : アシエン……と言ったほうが、救いがあったか?あの化生ならば、肉体を捨てて逃亡した。せっかく「俺」との戦いが愉しめると思った��だが……失望だ。しかして、俺は俺の体を取り戻した……。ゼノス・イェー・ガルヴァスの魂と肉体は、
ここに再び結ばれたのだ!
Zenos: ...is that you Gaius? You're too late, there's nothing left for you to do.
Gaius: You bastard, what are you??
Zenos: If I said I was an Ascian would that have been what you wanted? That parasite already escaped by throwing away this body. Such a pity... I had wanted to try fighting with "myself". But finally, I have taken my body back... The body and soul of Zenos yae Galvus are once more together as one!
ガイウス : うぬが言葉……我が剣にて確かめてくれようッ!
ヴァリス・ゾス・ガルヴァス : 待て……ッ!今の話に……嘘はない……。
この者はゼノスであり……その肉体を使っていた、アシエン・エリディブスは……空を裂いて……逃げおおせた……。だが……ゼノス……我が愚息よ……ッ!
ヴァリス・ゾス・ガルヴァス : 生者へと返るに留まらず、この国を掌握しようなどと……分不相応な野望を、抱いたものよ……!うぬぼれるなッ!この国の使命、歴史からの真なる解放と、人の存続!貴様ごときに、背負えてかッ!!
Gaius: You bastard, I'll test the veracity of your words with my sword!
Varis: Wait! His words are not a lie... This person is Zenos... The Ascian Elidibus who was using his body tore open the sky and escaped... But Zenos! My fool of a son! Not content with returning to the living, but also trying to seize control of this country- Biting off more than you can chew- Don't flatter yourself! This country's mission, it's history of true liberation, and the survival of its people! It's impossible for someone like you to ever take on this responsibility!!
ゼノス・イェー・ガルヴァス : …………ハ。分不相応とは、己のことでは?
貴方は、始祖から継いだ国を維持するだけのことに必死だった。
ゼノス・イェー・ガルヴァス : 俺は、貴方の窮屈で退屈な思想など継ぐ気はない。ガレマール帝国を掌握するつもりもない。ただ……邪魔者を消しにきただけだ。退屈な戦、くだらぬ兵器……そんなものに、俺の獲物を、奪われてなるものか。
ヴァリス・ゾス・ガルヴァス : お前は……まさか……それだけの、ことで…………?
ゼノス・イェー・ガルヴァス : それ以外の理由などいるまい。
俺の狩りの邪魔をするならば……ことごとく死ねッ!
ゼノス・イェー・ガルヴァス : 哀れなアシエンから聞いたぞ……。ゾディアークにハイデリン……星の意志すら、創られた力に過ぎないのだと……。ならば次は、それを喰らって、殺しあおうぞ。我が友よ……!
ガイウス : ゼノス、貴様ぁぁぁぁッ!
Zenos: ...ha. You're the one who bit off more than you could chew. You were always frantic just trying to maintain this country that was passed down to you from the Founder. I have no intention of carrying on your rigid and boring ideology. I also have no intention of seizing control of the Garlemald Empire. I just... want to erase anything that gets in my way. Boring wars, stupid weapons... As if I would allow such things to take my prey from me!
Varis: You would... do this... just for that?
Zenos: What other reason could there possibly be? Everyone who gets in the way of my hunt shall die!!!!
Zenos: I heard from that pathetic Ascian that Zodiark and Hydaelyn... the will of this very planet, are nothing more than fabricated power. Therefore, the next thing I will do is consume that power, and fight to the death with you, my dear friend!!!
Gaius: Zenos, you bastaaaaaaaard!!!!!!!!!!
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0404ijp · 2 months ago
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明日から8年間やってきた仕事と180度違うことを扱う部署に異動する。希望して異動するけどなんやかんやこの8年楽しかったなあと思う。あれだけ仕事辛くて泣いてたくせに、記憶喪失なのかもしれん。
ここ3年は働いていた部署の間近に自宅があり、4月からは同じ家から都内に通うのだが、関東圏が「知ってる人がたくさんいる」状態になったのはデカいなと思った。引っ越してきたときは誰も知らなかった。そう思うと、3年間で根を張れて良かった〜と思う。
関西にいた最初の5年は担当者だったから、揉めてる人たちの仲裁、クレーム対応、しんどかったけど、気合い入れて電話かける自分のことは好きだった。苦戦してるあれこれについて同僚と飲み屋で話すのも好きだった。飲み屋で愚痴りあってはみんな派手に揉めてんな、私まだまだやな、と思って溜飲を下げたものである。
なりゆきで配属されただけの仕事だと思っていたけど8年続けてしまった。続けられた。辞めるタイミングはたくさんあったし、辞めてももちろん全然よかったけど、病まずに続けられたことはシンプルに幸運。
優しくて共感性があって、自他境界がしっかりしててムーディー勝山のごとく右から左に受け流せて、テキパキ事務処理できて、交渉が強くて、会社から出たら1…2…3…ポカン!と全てを忘れるような人になりたいと思い続けた8年間であった。次はどんな8年になるかな。とりあえず生き延びたいよ。
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monthly-ambigram · 12 days ago
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2025-5月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
 
◆今月のお題は「対語」です◆
今月は参加者の皆様に「対語」のお題でアンビグラムを制作していただいております。メジャーな対義語は掘りつくされているのではと思われる中、作家の皆さんがどのような作品を作り上げてきたのか、楽しみにご覧ください。
皆様のコメントがいただけますと幸いです。
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「損失/収益」 回転共存型:すざく氏
利益を失うこと/利益を得ること。 「損」の左の点のハネと「益」の左払いの重なり処理の切り替わりがうまいです。よい書体とデザインですね。
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「アオムケ/ウツブセ」回転共存型:ヨウヘイ氏
顔や物の表面が上を向いていること/下を向いていること。 ドット表現が生きていますね。線が途切れたりという、1ドットの増減があっても割とこの解像度でも読めてしまいます。
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「質素/華美」 図地反転共存型: いとうさとし氏
飾り気がなくシンプルの様子/華やかで美しく派手な様子。 「質」の上部にはみ出しがありますがそれを補ってあまりある全体的な完成度の高さです。文字のバランスも良く、すばらしいですね。
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「闘(⿵门𭔰)争/逃走」 回転共存型:繋氏
「トウソウ」の同音異義語。 ステキな書体のデザインです。セリフやヒゲ部分もうまく生かされていますね。
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「支配/服従」 回転共存型:KSK ONE 氏
相手を束縛すること/されること。 中央の「彳」相当部分のリガチャが気持ちよいです。筆致がかっこいいですね。
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「過激/穏健」 回転共存型:douse氏
度を越して激しいこと/おだやかで行き過ぎていないこと。 太めの書体にすることで字画の衝突を自然に見せつつ、方向を切り替えるのに生かしています。「過」は大陸式のグリフですが気にならないものです。
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「空虚/充実」 振動型:.38氏
なかみが何もないこと/満ち満ちて豊かなこと。 字画の絶妙な波うちと太さの変化で振動を実現させています。先割れ字画の具合もよいですね。中央の字画はハネとハライが切り替わります。
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「陸/海」  敷き詰め図地反転型:アンビグラム研究室
「陸」と「海」の敷き詰め図地反転アンビグラム。陸��の図地反転の作例は複数存在します(一番早い作例はこちら→2010-05-06)。 本作はoyadge01氏と意瞑字査印氏が対応解釈、作字をkawahar氏がそれぞれ担当して制作されました。
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「愚痴/感謝」 図地反転共存型: いとうさとし氏
言ってもしかたのないことを言って嘆くこと/ありがたく思って礼をいうこと。 非常に読みやすく驚くばかりです。「心/心」の図地対応は応用が利きそうですね。
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「昨日/明日」  振動型:lszk氏
今日の一つ前の日/一つ後の日。 重ね合わせ処理をうまく利用した傑作です。矢印による示唆があるため、すぐに読めますね。
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「脆弱/強靭」 敷詰回転共存型:douse氏
もろくて弱いこと/しなやかで強いこと。 黒パーツと灰色パーツを入れ替えていると見ることができます。角度の調整や線の出し入れの具合が絶品です。
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「文明破滅/創世記譚」 鏡像共存型:ちくわああ氏
世界の終わりとはじまり。 文字単位での対応付けではないのですがバランスよく仕上がっています。かなり難しい対応付けをしている力作です。文字内の✨を自然にする中央の星デザインもよい工夫ですね。
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「福良Pです/凶悪Qです」 図地反転共存型:つーさま!氏
QuizKnockのとある企画で発生した対義語。 「です/です」が図地対応できることに驚きです。「P/Q」がよいデザインですね。塗りつぶしが効果的に使われています。
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「彼誰時のバス停/黄昏時の駅前」 回転共存型:松茸氏
明け方←→夕暮れ、バス停←→駅前。 適度なデフォルメが気持ちよく、全体的に素直に読める良作です。「亭」部分が袋文字のようになっている部分が上から下まで渡っているので気持ちよいですね。
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「竜頭蛇尾/有終完美」 鏡像共存型:とりけとん氏
尻すぼみになること/最後までやり遂げること。 全体の流れで読むデザインではあると思いますが、一文字ずつ見てもかなりうまく調整されています。そのまま掛け軸にもできそうなよい作品です。
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「おまえらの二次創作」 重畳型:Jinanbou氏
「オイラーの公式」に対する偽対義語(こちら)。 2ブロック分ずらしながら並べるとうまく配置できます。配置の発見と文字の切り取り方がすごいですね。
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「貧乏舌/鼻セレブ」 回転共存型:てるだよ氏
こちらの偽対義語が初出でしょうか。 ポストに対するのコメントでは対応部分の前後関係が逆という指摘も多くありましたが、このデザインによればうまい配置になっています。細かい筆画にも工夫がありますね。
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「SYNTAX/SEMANTICS」 回転共存型:兼吉共心堂氏
構文 (syntax) と意味論 (semantics) は、プログラミング言語において、コードの構造と意味を区別する概念。 珍しくラテン文字での作品。文字数の違いをクリアするための圧縮手法が見所です。
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「攻守」 旋回型:うら紙氏
主に競技における攻撃と守備。 全体的に三角のペン形状とし、「攻」の最初の部分と「守」の点を自然に見せています。ポイントを押さえたよい作品ですね。
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「誕生/死滅」 図地反転回転共存型: いとうさとし氏
生まれること/死に絶えること。 「誕/滅」の自然さに驚きます。「生/死」はシンプルな文字同士の対応付けの分、細かい凹凸の調整が見所ですね。
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「是/非」 敷詰振動型(180度回転同一型):kawahar氏
道理にかなうこと/誤っていること。 縦に読めば首を縦に振る肯定の「是」、横に読めば首を横に振る否定の「非」です。ちょっとしたウロコの調整でうまく読めるように仕上げられています。
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「光/影」 振動型:ラティエ氏
物事の明るい部分/暗い部分。 主観的輪郭を利用した知覚シフト。作例が非常に少ない手法ですがうまく扱っており、言葉にマッチしていてとても良い作品です。
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「平面/立体」  回転共存型:lszk氏
2次元/3次元。 平行四辺形のような部分を平面的に見たり立体的に見たり切り替わるところがぴったりですばらしいです。「面」の窓も斜めに切られているので「立」の時に柱状に見えてきます。
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「鷹/鳩」 回転共存型:douse氏
政治的な立場として、強硬派/平和派。 文字の特徴を的確にとらえたすばらしい図案化です。バランスが絶妙なので、まだれが小さくてもしっかり「鷹」ですね。
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「祝/呪」  回転共存型: oyadge01氏 × 意瞑字査印氏
「祝」を180°回転させると「呪」と読める王道のアンビグラム。意瞑字査印氏が対応解釈、oyadge01氏が作字を それぞれ担当する合作の制作スタイルです。
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「分裂/統合」 敷詰回転共存型×2:オルドビス紀氏
別れること/まとまること。 「分/合」「裂/統」それぞれが敷詰共存の関係です。字画本体と装飾が切り替わる効果が実感できる作品ですね。レタリングとアンビグラムが絶妙に融合しています。
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「平坦/起伏」 回転共存型:Σ氏
表面が平らなこと/表面に動きがあること。 「坦/起」は無変換共存の関係ですが、もう一文字と合わせて角度を調整することで一文字目と二文字目の関係を入れ替えています。裏になった「犬」も愛らしいです。
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「浪費/節約」 鏡像共存型:螺旋氏
無駄な出費を増やす/減らす。 「浪/約」がとても自然で驚きです。「費/節」の省略の仕方がすばらしいです。最大公約数をとるというだけでもなく、書体の力によるものも大きいですね。
 
 
最後に私の作品を。
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「眼鏡(めがね)」 回転型:igatoxin
熟字訓にルビをふるときは、対語ルビ(グループルビ)で均等に。逆に、文字ごとにルビをふるのは「対字ルビ(モノルビ)」です。
 
 
お題「対語」のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「能力」です。スキル、技術、技量、熟練、パワー、資質、知能、独創性、スタミナ、異能、資格、器量 など 参加者が自由に能力というワードから発想・連想してアンビグラムを作ります。
締切は5/31、発行は6/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリ���}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}     10月{ヒーロー}     11月{ゲーム}         12月{時事}
2024年 1月{フリー}         2月{レトロ}   3月{うた}         4月{アニメ}   5月{遊園地}      6月{中華}          7月{猫}     8月{夢} 9月{くりかえし}    10月{読書}          11月{運}           12月{時事}
2025年 1月{フリー}   2月{記憶}    3月{春}       4月{キッチン}   5月{対語}    6月{能力} 
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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kaoriof · 6 months ago
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いままで重ねきてきた罪がドミノみたいにすれすれに並んでいるのをずっと遠くから眺めているような気持ちだった。心の奥底でぴんと糸を張る緊張感がいつもわたしを誤らせる。(愚かだ あなたは暑いときに読み間違う)という長谷川白紙の歌詞をおもいだしながら暗くなる空を見つめていると、なんかもうカサブタを無理やり剥がされていくみたいな感じがして傷だった。わたしは夏が大好きだけど大嫌いで、永遠に続くかのように全てが眩しくて美しい若さにいつまでも浸っていたいけれど、一方では早く年老いて静かに暮らしたいと思っている。相反する思いをつねに抱えながらその境目で絡まる糸を解こうと精一杯もがいている。今この瞬間も街のどこかで一枚のフィルムが現像され、誰かの想い出に色が与えられる。豊洲、ビル群に沈んでいく冷たい夕陽、騒音とウミネコの細い足、まつ毛の上を滑り落ちる光。今日もわたしは身を削り働いている誰かに、得体の知れない神経信号に、大いなる存在に生かされている。自分の思うとおりに瞳や手足が動くという事実がたまに恐ろしくてたまらない。夜な夜な寝付けずそんなくだらないおぼつかない事象について考えを巡らせていた。目の前で光ってゆらゆら笑う運命に諦めたように微笑み返す。これはけして悲しい日記ではない。溢れてくる感情は山ほどあるのにそれに名前をつけたら終止符が勝手に打たれてしまうような気がして、気が付いたら大量の屍を背負っていた。屍はなんかちがう、色を落とした季節とか、風化した手紙、音を失った楽器とか、そういう表現のほうが正しい気がする。悲しいサンタクロース、みんなに優しさを振りまくけどほんとうはそれと同じようにだれかにただ慰めてほしかっただけだった。わたしはきっとまた思い返す。何度でも思い出す。あなたのくれた思い出ではなく、あなたが好きだったことを思い出す。人々が言葉を手放していくのには理由があって、それは「妥協」でもなくて「幸せになったから」でもなくて、ただ目の前にそのすべてを体現している美しい命のかがやきがあるからなのではないかと思ってしまうほど、あなたをまっすぐ好きだった。どんな小説の文言も重厚なメロディもがらんどうに感じてしまうほど、無鉄砲であぶなっかしい、まっさらなその素直さにいつも心を揺さぶられていた。あなたは不器用でいつも失敗して後悔ばかりしていたけれど、その全てが愛おしくて、わたしはあなたの最後の過ちでありたかった。思うままに泣いたり怒ったり笑ったりするあなたが、最後、涙を堪えていたのをいまでもはっきり覚えている。家族を愛するあなたの一番の理解者として選ばれたかったし、ずっとあなたがとらえる季節のいろどりや機微に憧れていた。ガラスのように脆いのか強いのか、繊細で傷付きやすいのか誰かを傷つけてしまうほど危ういのか分からないあなたの感性はいつだって万華鏡のように姿形を変えど、この世の全ての美しいものを映していた。あなたの変わっていく音楽の趣味、言葉選びと服装に自分の痕跡が垣間見えるたびにわたしは浮かれて、もっとあなたのことを好きになっていった。間違ったっていい、後悔したっていい、運命を踏み間違えた結果としてあなたが誰かに拒絶される理由になるなら、そんな世界は壊れてしまえばいい。精一杯、がむしゃらに生きていい。だれにも許されなくても愛されなくてもあなたはあなたであっていい。ただ諦めければそれでいい。これは誰かに宛てたものではない。これまでの歴史、そしてこれからの日々について考える。谷川俊太郎の詩を思い出した。あの空のあの青に手をひたしたい。まだ会ったことのないすべての人と会ってみたい話してみたい。明日と明後日が一度に来るといい。ぼくはもどかしい。地平線のかなたへと歩き続けたい。そのくせじっとしていたい。この草の上でじっとしていたい。声にならない叫びとなってこみ上げる。
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kokoroyume-iesora · 24 days ago
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愚者話 5
言葉狩り
 人の言葉を狩ろうとする人間に大抵碌な人間はいない。言い方を配慮せずに言うが大抵『クズ』と『バカ』が人の言葉遣いに対して難色を示し、その『是正』を『強制』しようとする。烏滸がましい。馬鹿に付ける薬はない。不遜で傲慢、高飛車な勘違い人間である。
 こういうと馬鹿は馬鹿だからか『お前だって論法』でその『認知的不協和』を解消しようと───そうと自覚もせず───躍起になるが、『お前に問題があることと、こちらも同様や近似の問題を抱えていることは、関係がない』という当たり前の思考すら奴らには出来ない。やはりその理由は、『馬鹿だから』いや、『愚か』だからなのだろう。
 奴らは『愚か』の意味すら調べず自分ルールで使用する癖に、調べたと思えば今度はその辞書的意味《ディノテーション》なり連想意味《コノテーション》なりにあっけなく縛られてしまう。本当に不自由で道理に暗く、『何もわかっていない』『阿呆』どもである。
 これをもし外部に公開すると仮定すれば、私はここで『阿呆の意味は自分で調べてくれ阿呆』と言い渡したいくらいだ。そして別にそれは『だらず』だろうが『うつけ』だろうが『たわけ』だろうが、どれだって使い得るのでどれだっていいとも言えるが、何故『阿呆』を選択して使用したか。
 それはわからずともこの様に考えることさえ出来ない輩の多いこと多いこと。まっ��と世の中は末法。おっと、仏語を使ってしまったな。失敬失敬。忘れてくれ。もちろん、忘れなくてもいいし、どうでもいいことだが。
 これは何も全て空想で言っていることではない。実際の経験談や聞く情報読む情報、つまり所謂『一次情報』や『二次情報』や『三次情報』などを元に言っていることなのに、馬鹿はそう言う可能性すら想定しない。
 別に正解を当てろと言っているのではない。ただ『考えろ』と言っているだけなのに、それすらわからない。わかる気がない。わかる事ができる。序でに、何故『分かる』や『解る』や『判る』などの漢字を使わずに態々平仮名を使っているのかについても想像しようとしない。
 これだから馬鹿は救いようがない。救う必要もない。そして救う事はできるし救う必要もない。そしてどうでもよく、決してどうでもよくもない。この私たちの矛盾受容すら頭ごなしに否定して考えてみたり思ってみたり感じてみるということをしようとしない。
 この洗脳されきった馬鹿どもが。少しは頭を使ってものを考えたらどうなんだ。だから頭の働きが鈍くなるんだ。だから『同じ様な日々がどうたら』とか、『生きづらい』だとか、他にも悲しまなくていいようなことにまで無闇に悲しみ、悩まなくていいことま矢鱈に悩むのではないか?
 もちろん、そう言った言葉を吐く理由原因の全てが馬鹿だからじゃないことは当然知っているし、私たちは並の人間とは比べ物にならない程の不幸や不運、不遇に見舞われて、壮絶な人生を送っているので、その点から私や私たちを批判するのは逆にそちらが想像力を欠いていると言えるのであるが。馬鹿はそんな事もわからないらしい。
 まぁいい。話を少し戻そう。
 兎に角私が言いたいことは、人々は『自分が大した人間じゃない』ということをもっと自覚するべきだということだ。『自分は尊重されるべきである』という無我の対極の様な考えで偉そうにするなど言語道断。
『勉強を頑張ってきた』事から『勉強が全て』とそう、文字化することもなく『なんとなく』『ぼんやり』『決めつけ』『思い込み』『刷り込まれ』『レッテルを貼っている』様では、そこから生み出されることなど所詮は『勉強が全ての人のもの』でしかない。
 知識や情報にはさしたる価値がない。結果も結局意味がない。大事なのは過程と実感であるのに。実体験であるのに。深く考えもせず所謂『歴史上の偉人だから』という迷妄蒙昧の権威性先入観によって例えば『ビスマルク』などを引き合いに出し、歴史に学ぶ経験に学ぶなどと尤もらしく言って悦に浸るのだろう馬鹿は。
『知ってる事』は『えらいこと』ではない。『勉強ができること』は、『頭がいいこと』ではない。
『勉強ができること』は、ただそのまま、『勉強ができる』という、それだけのことである。それを馬鹿どもが考えもせずに『頭がいい』だなんだと言うから、おかしくなっていくのだ。
『雑に括って』、『真実じゃないことを真実と断定して』、『可能な限り凡ゆる可能性を想定する事もせずに』、『ただ自分や自陣は正しいと思い込んで』、『誰かに振る舞いや性質の変更を強要する』という、馬鹿で世界は───いや日本は───少なくとも私の観測範囲は───溢れている。
 救いようがない。救う必要もない。もう救われてもいる。救われるなどない。救う必要がある。救いようがある。まだ救われていない。ずっと救われない。救われるということはある。その他この段階に於いての思考と記載省略。対極から述べる基本については受けるくんが詳しいので、今更語るまでもないか。
 とにかく、『言葉狩りをしたがる馬鹿』が多すぎる。それはアラサー以上の女性や受験生、大して勉強も思考もしていない俗に言う『底辺職』───底辺職という語についての是非や定義、それにまつわる様々な話は『ここでは』『理由・意図があって』議論しない。割愛するがとにかく『底辺職』───がこぞって好き好んでやることである。
 それらはクリエイターの敵である。
 というか。 
『有象無象は塵である。尊敬する人間の言う事ならいざ知らず』なのである。
 実例を幾つも挙げてやろう。
 場末の病気だらけの警備員が若者に『面倒臭い』という言葉を使うなと苦言を呈してその影響を受けてしまう若者。
 しかし某有名なアニメ映画監督は作業中に『めんどくさい』という言葉を発する映像。それに植え付けられた観念を抜かれて或いは溶かされて又は消し去られて、面倒臭いと連呼しながら『ものづくり』をするようになったら上手くいった。そういう人だって実在している。
 また同様に、例えば『本を読む理由』について『本を読んでるのがかっこいいから』と答えては『それは本質的じゃない』だとか『そんなの偽物』だとか『本は知識を得るために読む物だろう』だなどと言われてしまう子供。その様な『それがどっからきているものなのかも当人すら把握していない、又は疑問にすら思っていない様な』、『しょうもない先入観や思い込みや刷り込みや決めつけ』によって、いたいけな子供は『洗脳』されるが。
 某有名ゲームクリエイターは本を読む理由について『本を読む自分が好きだから』と答え、本を買って積読する理由については『買っておけばいつでも読めるから』と答えた。その方がずっと素直で本質的ではないか。
『こうあるべき』という『先入観』は『クソッタレだ』。敢えて言うが『クソッタレ』だ。
『べき論』はみぃぃぃーーーー〜〜〜〜んなっ! 壊してまわれ!
『型に囚われるな』
という
『型にも囚われるな』
という(以下、無理数めいて無限ループにつき表記は省略) (同じ言葉が続くなら無理数ではないのではないかというクソみたいなツッコミも知ったことか!)
 とにかくそういうわけなので 句読点すら 使わない
段落だってくそくらえ
                    どこから始めたって   い
      い
             だ
                    ろ
        う が
 統一なんてくそくらえ。価値をつくるなんてくそくらえ。証人なんてここには要らない。神も仏もいないので、そして同時にいるので。証人はここに要るし、価値をつくるのは素晴らしいことだし、統一にも意義があることは分かった上で。
 全部どうでもいいとも投げ捨てて。
 ええいそんな話の流れなんてぶった斬ってしまって俺は言いたいことを言うぞと『一人称』さえ『表記揺れ』。否、『意図的な』『敢えての』『選択』である。馬鹿が。
『女は家事をすべき』とか。『男は仕事をすべき』とか。
『女らしい』も『男らしい』も『大人っぽい』も『子供っぽい』も
 自分の感想を言うんじゃ無い。
 人を評価できるほどお前は偉い | 《ないし》凄いのか?
 自分が正しいと思うな。
 自分が上だと思うな。
 自分が医者だと思うな。
 自分が教師だと思うな。
 自分が強者と思うな。
 自分が中心だと思うな。
 自分が神だと思うな。
 自分が仏だと思うな。
 自分が人間だと思うな。
 自分が価値ある人間だと思うな。
 自分が意味ある人間だと思うな。
 自分が理由ある人間だと思うな。
 自分が原因ある人間だと思うな。
 自分が因縁ある人間だと思うな。
 自分が救われると思うな。
 自分が天国に行くと思うな。
 自分が地獄に行くと思うな。
 自分が天国に行くと思うな。
 自分が地獄に行くと思うな。
 自分が無になると思うな。
 あの世や死後が有ると思うな。
 あの世や死後が無いと思うな。
 極端に振り切れるな。
 中道だけに染まるな。
 出来ないと決めつけるな。
 自分が馬鹿だと思うな。
 自分が天才だと思うな。
 自分は頭が悪いと思うな。
 自分は頭が良いと思うな。
 人に何かを『思うな』と禁止するな。その様に思う事もするな。
そうしてそれら全てをもちろん思っていいし、そして無論どうでもいい。他にも色々考えられるだろうがここではその話はメインではないので割愛する。ただ『全てをもちろん思っていい』の一文では、『打ち消し』が『足りない』、『弱い』ので、それについてはその意図から敢えて逆の事を書いてやろう。
『女は家事をすべき』にも利点はあった。
『男は仕事をすべき』にも利点があった。
『女らしい』も矢張り存在はする。
『男らしい』もやっぱり存在はする。
『大人っぽい』も『子供っぽい』もやっぱりあるんだ。
 自分の感想は言っていい。
 人を評価できるほどお前は偉い | 《または》凄いのかもしれない。
 自分が正しいと思っていい。
 自分が上だと思っていい。
 自分が医者だと思っていい。
 自分が教師だと思っていい。
 自分が強者と思っていい。
 自分が中心だと思っていい。
 自分が神だと思っていい。
 自分が仏だと思っていい。
 自分が人間だと思っていい。
 自分が価値ある人間だと思っていい。
 自分が意味ある人間だと思っていい。
 自分が理由ある人間だと思っていい。
 自分が原因ある人間だと思っていい。
 自分が因縁ある人間だと思っていい。
 自分が救われると思っていい。
 自分が天国に行くと思っていい。
 自分が地獄に行くと思っていい。
 自分が天国に行くと思っていい。
 自分が地獄に行くと思っていい。
 自分が無になると思っていい。
 あの世や死後が有ると思っていい。
 あの世や死後が無いと思っていい。
 極端に振り切れるのもまた必要あるいは有用な道。
 中道だけに染まってもいい。
 出来ないと決めつけるのもいい。
 自分が馬鹿だと思ってもいい。
 自分が天才だと思ってもいい。
 自分は頭が悪いと思ってもいい。
 自分は頭が良いと思ってもいい。
 人に何かを『思うな』と禁止してもいい。その様に思う事もしてもいい。
『思う自由』が、あるからだ。
『思う自由』を、行使しよう。
 そうしてまず第一歩は対極を持ち出してそれを同時に併存させるという『矛盾受容』、『矛盾対立からの脱却』、『二者択一思考からの解脱』、『重ね合わせの実践』をする事が、やがて悟りに繋がる。
 ただ念仏を唱えるだけで救われるだなどと片腹痛し。そんなものただ『思考停止して洗脳を受けよ』と言ってるのと同義だ。
 釈迦はそんな事言っていない。そんな事を言い出したのは数百年やともすれば千年以上あとの『聖人』どもであって、釈迦では無い。
 昔は坊主からしか仏教は学べなかったかもしれないが、現代はそうではない。主に『wiki』─────────────────────────────────『wikipedia』ではない。『ウィキペディア』のことを『ウィキ』と言うな不正確で誤認識を広めるのだから。こうして禁止指摘することで『wiki』と『wikipedia』は違うものだと気づけるキッカケになり得るからこういう禁止は是非是非すべきだ。
一方で、多くの若い女とそういう女が好きな感じの性欲ばかりで行動している様な若い男どもなどとの会話ではその様なことは言うな。あいつらはそういう細かい事が苦手だから、言っても無駄な聞く耳持たずの馬耳東風であるし、『めんどくさい』と思わるだけがオチだ。もちろん全ての若い女やそういう(中略)な若い男どもがそうであるとは言っていないし、そう言う事を分かった上で状況判断や言い方などに気をつけてやんわりと促す事もできる。
結局答えは一つじゃ無いんだよ馬鹿。ものごとを単純に考えたがる考えるのをサボってるか考えるのが苦手な馬鹿どもがよ。先天的に考えるのが不可能な人はこれには含まない。それは『障がい者』、いや『障碍者』、ああ、『障害者』であるから。
放送禁止用語など糞食らえ。資本主義など糞食らえ。配慮忖度など糞食らえ。
同時に放送禁止用語によって不快な思いをしない人がいるであろうこともまた事実。
逆に不快な思いをしている人たちや向きがあるのもまた事実。
そのどちらにも配慮するのは不可能なのでと簡単に考えたがる馬鹿がいるのもまた事実。
そのどちらにも配慮する事が可能で有るとしたいヒーロー願望でも有るかの様な思考をしたいまた一種の愚者がいるこも事実である。
配慮忖度により平和的解決がしやすく上手く回るであろう面もあろう。
あろうあろうと続けるのは稚拙であるとする向きもあろう。
それでいえば例えば小説を書く者がセリフとして『それはそこにおいといて』だの『この話は置いておいて』だの書く際に、『置いて置いて』なのか『置いといて』なのか疑問にも思わず適当に使う人間がいるであろうことも想像に容易い。
【作者註:私は信じられないがそういう人も現にいるであろうし別に彼の様に批判することでも無いとも思う。その方が速度的にというか、書くテンポは早いかもしれない。ただ調べる方にもその分頭が働いて色々連想やとか鍛えられそうな気はするよね。知らんけど。自分で決めて。あなたの人生なんだから。敢えて句点を格好内に入れて作者注を終える。へい。】
またそのどちらが正しいかとかを決めたがる向きもあろうし、どう正しいかでの意見も人それぞれ分かれるかもしれないし同じ人の中に複数意見が同居し得る事もあるだろう。
そもそも正しい正しく無いではなく、こちらにはこう言う性質があり、そちらにはこう言う性質がある、というふうに『考えれる』人もいるだろう。そういう風に多面的に考えられない人もいるのだろう。というか実際、いた。
『考えれる』と書かれていることに『うわ、ら抜き言葉だ。読むのやめよ』と思う言葉狩りの馬鹿いれば、『某有名メーカーだって使ってるし』とか『言葉は変化進化していくものだから』と擁護する人もいるのだろう。
これら全て、私が今回の『配慮しないかつ配慮する』スタイルで書いているから、言葉狩りをしたい側を悪様に罵り、言葉狩りをしない寛容で自由である側に寛容で味方につく様な言い方をするのは、『私の主観の話である』のだから当たり前なことだのに、それをこう明示的に書かれないと思ってもみないというか、『思っても見れない』人がいるだろう。
そして今度は『思っても見れないという日本語はない』という馬鹿も出てくる始末なのであろう。情報や知識、言葉というものが常に意図や作為などによって発信されているものだというのに、情報や知識、言葉というものの裏やらにある意図や作為を───はかれるはかれない以前として───はからない、はかるという発想がない人間もまたいるのだろう。
そしてそれらは全て、
『現にそうであり、そういうものなのだから、受け入れるだけである』と考えたりすることで、『他人を変更しようとしない』『全てはありのままでいい』と考える『私たち(決して『我々』という語は使わない私たち)の信念』で、その存在を認めることが出来るところであるのに、こう文字にして例えばそれを私たち以外の誰かが呼んでも、その全ては理解されないだろう事など。
また流れを無視して言うが、『学校文法』がなんぼのもんじゃい。『文法』と『学校文法』の違いもわからず、『その様な知見すら持たず』つまり『疑わず鵜呑みにするベロのない口の馬鹿が』『何を偉そうに』。
そういう奴はDirectXの文脈に於ける『3Dグラフィックスアダプター』とただ単に『グラフィックスアダプター』で連想されるイメージや検索して得られる結果の意味するとことの違いにも一生気付かず勘違いしたまま死んでいく。
など。
『別にそれもいいのだが』、『私はそうありたいとは思えない』ね。
そして資本主義にも当然良し悪しは論じる事が出来るし、もうさんざ論じられてきた事であろう。いい加減、そこに新たな思想を加えてメスを入れていってもいいんじゃないか?
───────────────────────────────────────や『オープンソース』によって、その仕組み上どこかの企業や宗教法人、政府やジャーナリスト個人プロ市民まぁ何にせよ、そういうものたちの情報よりかは比較的偏りづらい情報が手に入る時代に折角なっているのだから、坊主からしか仏教のことを聞かないのは前時代的だと私は思う
 体系的な学問など体系的な学問でしかない。それが全面的に正しいなら、どうして問題は尽きずに世界はこの様な地獄の様な様相を呈しているというのか。特にこの日本の失われた三十年を見よ。
 GAFAMを手放しで尊ぶ前にアメリカの独占や格差の酷さ、プライバシー問題、エドワードスノーデンが告発した米国政府と米国IT巨人企業多数との合作監視システムPRISMを知れ。
 多数がいう事が常に正しいのであれば、お前はみんなが多数決で死ねと言ったらソクラテスの様に『悪法もまた法なり』と死ねるのか????? と私は馬鹿どもに問い詰めたい。
 これを読んで当時の死刑制度や裁判制度などに疑問や興味、違和感を抱いて調べる者は一般に賢いと勘違いされるのかもしれないし、あらかじめその分野に詳しかった人間がツッコミを入れたらそれが『正しい』からその『間違いを指摘されたこの人の言うことは他のことも全部正しくない』と馬鹿が思うのだろうし。
 ほら、言い出せばキリがない。だからもうやめよう。
最後に。
『こうあるべき』の話に戻るが。
衛生観念や死生観、生活様態や味の好みまで、我々人間は親の影響というものを非常に色濃く期間長く受けやすいものであると私は思っている。親の『教育』にいかほどの愛や想いや考えがあろうと、それが『教育』である以上は『誘導』であり『洗脳』であり、『刷り込み』『植え付け』『レッテル貼り』『価値観の押し付け』でしかないとも言い得ると思われる。
『教育は、洗脳なんだ』
『情報は、洗脳なんだ』
『指摘は、洗脳なんだ』
『要求は、洗脳なんだ』
『言葉狩りは、洗脳なんだ』
『プロパガンダなんだ』────────────────────────────────────────────────────────────────────────────
 以上のほぼ全てが私たち『作値問下《なすあうとうもと》』の共通認識の一部であると言えるだろうことは今更皆様に問うまでも無いことであるのだが。私はこのように言いたくなってしまったのでこれを書き認め皆様に送らせていただく。
 それが迷惑でもあろうことはわかっている。が、皆様にとってはそれが迷惑でもないという面があることも知っている。また、他の数えきれない多面的な見方を皆様ならなされる、することが出来る事もわたしはわかっている。
 そういう理由とあえてここでは明示しない幾つかの理由などから、このメールを送らせていただく次第である。
 長文をお読みいただき誠にありがとうございました。そしてすみません。ありがとうございます。すみません。ありがとうございます。すみま(以下、無限ループにつき省略)
 それではまた。
PS.
 以前、受けるくんや渡るくんにこの話をちらりとした時の答えは、以下の様なものだった。
『色々わかります。その上で、言葉狩りをも、受け入れる。そして同時に受け入れられないという気持ちも受け入れるし、無論どうでもいいとも。現にそういう人たちが存在していてそれは変えられません。変えられたとしても変える必要がありませんし、その必要がありますし、やはりどうでもいいのです。ですから、この様に考えて、言葉狩りを”いなす”ことは出来ます。その過程にきっと、淀川さんや私たちの様々な過程が渦巻くのでしょうし、私たちとしては、その様なことを考えるそして考えないかつ、そのどちらでもないことこそが、悟りの道だと考えます。以下ループするの言葉にするのは以上です』
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ken1ymd · 8 months ago
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『政策に支持できるところが全くないのは言わずもがな、あの見た目であの話し方の石破茂が、わが国の総理大臣として世界各国に出ていくことを、私は一国民として全く肯定・支持できない。ルッキズムと批判されて結構。『人は見た目が9割』『人は話し方が9割』という本はどちらもベストセラーとなり、前者は200万部、後者は100万部を超える売り上げを記録した。これが現実だし、これが人間なんです。だいたい、さまざまな事前の逆風があったにもかかわらず1回目の投票で1位になった高市早苗が決選投票で負けたことについて「石破支持というよりも反��市で自民党がまとまった結果」という評が多いが、彼女のいったいどこに反する要素があったというの?政策は具体性に富み、掲げていたのは「日本の国力の強化」で、それは明らかにわが国の国益に資するものでしたよ。今回の選挙結果で、自民党は国益よりも飲み会の付き合いで総理大臣を決める政党だと国民に示したようなもの。石破は増税と利上げを支持し、頓珍漢な安全保障観でもって部下に「最悪の防衛大臣」と言わしめるような人です。そのような人物を政党の長に置く、その愚かさの帰結を、自民党は次の総選挙で突きつけられることになるだろう。少なくとも私は、石破茂を総裁に選ぶような党にはもう投票しません。しかしその一方で、自民党への逆風が強まれば強まるほど、党員獲得のノルマが課されている自民党の国会議員が、これを機に日本国籍非保持者にまで党員となるようより強く働きかける可能性があることは大いなる懸念材料。まさに米国民主党と同じような状況になるということです。「日本は誰がトップに選ばれてもどうせ米国民主党の傀儡だろ」と私はよく海外の同僚から言われるが、それを今回まざまざと見せつけられた気がしている。わが国はいったいどこへ向かうのだろうか』
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toshimasa-kobayashi · 3 months ago
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自炊が可能性を減じる
ゆうべの味噌汁が鍋に残っている。おとといのだったかな。赤だしの味噌とふつうの味噌とをブレンドしたもの。鍋の底に沈んだ味噌は、希望なのか、諦めなのか。と、そんな逡巡について昔書いたのを思い出したけども、いま書きたいのはそういうことではない。さつまいもと、大根と人参の刻んだのが入った、おとといの味噌汁。それを朝の10時に火にかけて、沸騰したところで卵を落とす。卵が半熟状態になったところでスープ椀によそって食べる。休日の朝ごはん。毎日自炊するというのは、自分にとってはこういうこと。
自炊には手間がかかる。弁当かなにか買ってきて食べたほうが早いし、安上がりかもしれない。それでも肉や魚や野菜を自分で調理して食べるというのが、体にとっても精神にとっても必要な気がして、毎日自炊している。日々の自炊を継続するには、できるかぎり調理を簡素化する必要がある。時間的な制約もあるし、金銭的な制約もある。面倒は避けたいとの怠惰もある。あまり手間がかかるのでは、日々のルーティンにはできない。これは自分の見解であって、そうでない考えもあると思う。様々なレシピを日々研鑽し、知らない食材や料理法、便利なハックを日々習得しては料理マップを拡張していくという生活はありえるし、実際そうしている人も多いと思う。でも自分に関してはそうではない。それとは反対に、無数にある食材や品目、それらの調理法を、限定しなければ、毎日の自炊は成立しない。
面倒を継続する営みである自炊には、重要な契機があると自分は見ている。問題にしたいのは”可能性の制限”のこと。制限だなんていうと、消極的な態度に見えるかもしれない。でもそうではない。むしろ逆で、料理にかぎらず、可能性を制限しなければ、なにかを継続するのは難しい。それは生活や仕事といった現実的な場面でもそうだし、なにか創作したりする場合もそうだと思う。もちろん仕事であれ趣味であれ、無理をしてまで続ける必要はないし、飽きたらやめたっていい。なにか別のことを始めても構わない。だからこの議論が”べき論”でないことは補足しておく。
無限の可能性というのは、可能性ではない。無限の可能性があるとして、ひとの人生は有限だから、結局そこからひとつかふたつを選択しなけれないけない。これは言葉の上でのトリックのように聞こえるかもしれないけども、無数の選択肢をすべて検証することはできないのだから、結局はいくつかの選択肢しかないのと同じだ。そして選択肢の多さが、すなわち幸福や満足の多寡に相関しないというのは、これまでの経験上の実感でもある。
情報やコンテンツは溢れている。あまりに大量なので、もはやぼくたちはそれを消費すらできない。細切れのテキストや画像、ショート動画が、情報ハイウェイを上から下へとただ流れていく。それらをつぶさに眺めていると無力感に襲われるのは、自分だけだろうか。およそあらゆる情報がある。政治的な見解、識者の聡明さ、愚か者の愚かさ、話題の人物、ラーメン屋、料理とそのTips、音楽、ゴシップ、社会情勢などなど。それらについての新たな見識が日々溢れており、ぼくたちはそれらをもはや細切れにも消費できない。あらゆる人が、あらゆることをやっており、では自分はなにをしたらいいのか。途方に暮れてしまう。自分の手や足を使ってなにかをするには、情報の遮断がますます重要になっていると感じる。
本を読みたいなら、あらゆるものがある場所から、一冊の本しかない場所へと移らなければならない。その意味で本は貧しいといえる。しかしそれこそが血や肉や骨になりえる。お茶を飲みながら誰かと話をするとき、そこにはひとつの経験を持った、ひとりの相手しかしない。あらゆるコンテンツはない。しかしそれは精神的な充足や、あるいは欠乏を生み出す。いいたいのは、そうした貧しさこそが必要だということ。その貧しさは血や肉や骨を成しえる。
可能性を縮減すること。ミニマムなルーティンを成すこと。自炊はそうするためのレッスンになる。おとといの味噌汁は、その試論でもあった。ところでその鍋の底に沈んだ味噌は、希望だったのか、あるいは諦めだったのだろうか。
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yoga-onion · 2 years ago
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Legends and myths about trees
Forest myths, Estonian traditional beliefs (5)
The world of the Estonians’ ancestors – Magical objects [first part]
White Ship (valge laev) - mythical ship that brings freedom or takes people away to a better land. This myth was born around 1860 when a small sect led by Juhan Leinberg (also known as Prophet Maltsvet) gathered near Tallinn to wait for a white ship to take them away.
Hat of fingernails (küüntest kübar) - makes the bearer (usually Vanatühi) invisible. In Estonian mythology, Vanatühi ("Old empty one", or alternatively, Vanapagan, "Old devil") is a/the devil or god of the underworld, a giant farmer who is more stupid than malevolent. Vanapagan is the ogre character in Estonian versions of the series of internationally known folktales of the stupid ogre.
Letter gloves (kirikindad) – were believed to have protective or magic powers, especially church letter gloves and the gloves that sailors wore. Letter gloves were (are) decorated with special geometric patterns and narrow red stripes; they have many whispers and spells in them because the crafter used to sing while making, dyeing and knitting yarn.
Letter Belt (kirivöö) - the belt had the most ancient and magical patterns of all the craft items, red woven belts and laces were a common item to sacrifice (they were tied to the branches of holy trees). The belt was tied around parts of body that were sick and, pulled tightly around the waist, to protect and give strength to the bearer.
Sacred stones - the last ice age has left a lot of great stones (erratics) in Estonia. Many of them were considered sacred and people came to them to sacrifice silver, blood, red ribbons and coins and ask for welfare and prosperity. Often, the stones have little holes in them, some of them probably used to place the sacrifice in. The meaning and function of the holes is however still disputed; according to a paleoastronomer they may have had a calendary function.
Travelling forests - when people are mean, greedy and cruel, the forests will leave those places. The most stories about travelling forests are found in coastal areas of Estonia.
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木にまつわる伝説・神話
森の神話・エストニアの民間伝承 (5)
エストニア人の祖先の世界 〜 魔法のオブジェ(続き)
白船(valge laev)- 自由をもたらし、より良い土地へと人々を連れ去る神話上の船。この神話は1860年頃、ユハン・レインベルグ(預言者マルツヴェトとしても知られる)に率いられた小さな一派がタリン近郊に集まり、自分たちを連れ去ってくれる白い船を待ったことから生まれた。
爪の帽子(küüntest kübar) - 持ち主(通常はヴァナトゥヒ)を見えなくする。エストニア神話では、ヴァナテュヒ(「老いた空っぽの者」、あるいはヴァナパガン、「老いた悪魔」)は冥界の悪魔または神であり、悪意というより愚かな巨大農夫である。ヴァナパガンは、国際的に知られる一連の愚かな鬼の民話のエストニア語版に登場する鬼のキャラクターである。
レター・グローブ(kirikindad)-特に教会便りの手袋や船乗りが身につける手袋には、身を守る力や魔法の力があると信じられていた。レターグ・ローブには特殊な幾何学模様と細い赤い縞模様が施され、糸を作ったり染めたり編んだりするときに職人が歌っていたため、多くのささやきや呪文が込められている。
レター・ベルト(kirivöö)-ベルトは、工芸品の中で最も古く、魔法のような模様をしており、赤い織物のベルトやレースは、生け贄に捧げるための一般的なアイテムだった(聖なる木の枝に結ばれていた)。ベルトは、体の病気の部分に巻かれ、腰の周りにきつく引っ張られ、持ち主を守り、力を与えた。
聖なる石 - 最後の氷河期は、エストニアに多くの巨石(迷子石)を残した。その多くは神聖なものとされ、人々は銀や血、赤いリボンやコインを捧げ、福祉と繁栄を祈願するために訪れた。多くの場合、石には小さな穴が開いており、そのうちのいくつかは生贄を捧げるために使われたものと思われる。古天文学者によれば、穴には暦の機能があったのかもしれない。
旅する森 - 人々が意地悪で、貪欲で、残酷であると、森はその場所を去ってしまう。旅する森にまつわる話は、エストニアの沿岸部に多く見られる。
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shiri1124 · 2 months ago
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クリープハイプ ライブレポ
ついに1ヶ月経過してしまいました。記憶が残っているうちに書き残しておこうと思い、その日のセトリ順に組んだ曲を聞き返しながら、今、文章を打ち込んでるわけなんですが、ニヤケが止まりません。それほど神なセトリでした。ツアーがまだ残っているので、セトリについては触れられませんが、セトリについて触れられないのが悔やまれるほどに、私得なセトリでした。いやはや、セトリが良すぎて聴き入ってしまうので、今再生ボタンを止めました。本題に入りましょう。
 私はイープラスの不具合でチケットがダウンロードできず入場できるか、どうかの確約すらない、無論、席順など知る由もない状態で、開演1時間前、入場をOKを言い渡されます。その時知らされた席は1階3列目、下手。は?????三列目??下手???カオナシさんのド真ん前???は???今日が命日か???これが1番最初に浮かんできた感想です。ステージを見た瞬間、カオさんのマイクスタンドが目の前にある興奮、感動と、無事ライブに入れた安堵と、まさか演者の視界にまじまじと入れる位置ではあるまいとある種たかを括っていた今日の私は気分の赴くままに時代錯誤な格好をしていたわけです(赤の囲みシャドウ、赤リップ、耳には折り鶴の形をした大きなピアスにクリープハイプの歴代グッズの中でも1番派手な原田ちあきさんの描いたTシャツという平成サブカルど真ん中な服装をしていました)三列目だよ。カオさんの視界に嫌でも入るよ?なんて告知をしてくれていたら、ちゃんと令和のいい女を気取って戦に挑むと言うのに。話が違うじゃないか!!と誰でもない誰かに怒りそうになりました。開演前でこの熱量。そう、私の感情��オーバーヒート寸前。興奮冷めやらぬ中、ライブが始まりました。正直いってライブの最中のことはいまいちよく覚えていません。カオナシさんのご尊顔を表情を間近で拝めたことは今年一番のハイライトとでも言えるでしょう。表情が見えるのはまぁ、まぁまぁ近ければ有り得る話です。私が感動をしたのはエフェクターボードの中までしっかり見えたことです。エフェクターボードというのはバンドマンが楽器の音を歪ませたりして、普段と違う音を出すために使うことの多い機材です。それらは床に置かれていて、主に足裏でボタンを踏んでオンオフの操作をします。今日のライブを迎えたのが10代の私であれば、エフェクターボードになりたいと言ったことでしょう。しかし今の私はそうは感じませんでした。私はそうカオナシさんのラブレットになりたかったのです。あ、ちなみに今もなれるもんならなりたいです。話は変わりますが、今見ている映画「窮鼠、チーズの夢を見る」というBL映画にて、成田凌が片思いの相手に「あなたのタバコになりたいと思っていたんだ、指先に挟まっているタバコが羨ましかったんです」と言うが、イケメンがいえばとっても様になるというのに、私が言う「あなたのラブレットになりたい。あなたと粘膜接触していたい」はキモくてたまらない。これがルッキズムというやつか。いや、表情方法の問題か、ごめんなさい。また脱線しました。
 セトリについて深く触れることができないので、私がクリープハイプ を好きな理由について語りますね。多くのアーティストの楽曲のスタンスって、
「愚痴×全面的な応援」「正直な気持ち×いつでも俺たちがそばにいるよ」「生きてるだけで偉い」的なのが多いと思うんですよね。彼等の作る曲はそれはそれで素晴らしいんですが、メンタルが地まで落ちてる時に、俺がそばにいるよ。大丈夫、なんとかなるよ。みたいな曲聞きたくないんですよね。捻くれ者なので。黙れ、小僧。この苦しみは私だけのもんなんだよ。画面ないしは、ステージすら飛び越えられねぇ奴が、大丈夫!!なんて無責任な言葉を吐くな。って思うんですね。自分でも引くほどに捻くれているので。
 その点クリープハイプの曲は「頑張れ」が一歳登場しないんですよ。クリープの中で1番強い語気の応援の仕方が二十九、三十のアウトロで登場する「前に進め」ですね。頑張れなんて言わないんですよ。その前の歌詞も相まって頑張らなくてもいいからとりあえず一歩ずつでもいいから進もうって言うニュアンスなんですよね。あとは多分、シンプルに性格の悪さが尾崎と同じくらいなんですよね。クリープの曲の前ではいい格好しなくて済むというか。醜いままの私でいられるというか、向こうから変に裏切られることがないと言うか。新曲「茶の間」に登場する「君は一人じゃないからとかそんな嘘をつくよりも、君は一人だけど、俺も一人だよって」ってフレーズもクリープハイプ じゃなきゃ歌えないなってそう思いますね。
 応援ソングかは分かりませんが、クリープハイプ の曲の中でも特に、私の中のルーツになってるなと思う歌詞があります。それは、「散々迷って、吐き出したら負けだよ。凡人気取って飲み込んだら勝ちだよ」クリープに登場するこの歌詞ですね。初めて聞いた時冗談抜きで痺れましたね。周りと馴染めないとかばかり気にしていた私が、そのコンプレックスを心の中で昇華できたきっかけはこの文に詰まっていると思う。未だに職場で利用者家族などに理不尽なことを言われるたびにこのフレーズが頭をよぎります。そして2秒後には笑顔で対応することができます。
 このように書き出したらキリがない。愛で溢れている。クリープハイプ へ向けるこの気持ちだけは真っ直ぐに愛だと胸を張って言えます。私だってできることならミセスとかYOASOBI聴いて泣きたかったけど、今更無理だし。でも今の私があるのは良くも悪くもクリープハイプ というバンドが今日まで活動を続けてきたからです。ありがとうクリープ。
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ari0921 · 3 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)2月23日(天皇誕生日)弐
       通巻第8666号 
 ペンタゴン高官五人を解任、民間業者5400人解雇
  チェーンソーのごとく、無駄の削減に伐採音が鳴り響く米国
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トランプ大統領が言い放った。「ゼレンスキーにはうんざりだ。バイデンの三年間、かれは何をしていたというのだ?」。彼の支持率は4%しかない」
ウクライナは米国の要求した鉱物資源開発権を拒否から承認へと立場をかえた。マスクが「それならスターリンクの提供をやめる」と条件をつけたらしい。
またウクライナのポロシェンコ前大統領は選挙を「10月26日におこなう」とした。なぜ10月26日なのかの根拠は示されないが、ウクライナの選挙の難題は海外にいる数百万の有権者をいかに投票に繋げるかということだろう。英誌『エコノミスト』が「もし、いまウクライナで大統領選挙が行われたら、ザルジニー前司令官が65%の票を集める」と予想したという情報がある。
さてトランプは、統幕本部議長のチャールズ・ブラウン(黒人二番目の大将だった)の解任を発表し、ダン・ケイン退役空軍中将を後任に指名した。
さらに「『ミラー派』に繋がる高官五人をつづけて解任する」とした。リザ・フランテッツテ(女性初の海軍作戦本部長)、ジム・スライフェ(空軍司令)などがリストにのぼっている。またペンタゴンと契約企業の5400人を解雇した。
すでに1月28日、ピート・ヘグセス国防長官は、反トランプのミリーを要人警護の対象から外し、機密情報へのアクセス権限を取り消した。そればかりかミリーの在任中の行動などを調査するよう指示した。
前日にヘグセスはブラウンとあったばかりだった。ペンタゴンの高官らの解任理由は「軍の効率化、戦える軍隊の再建」だが、ミリー前統幕本部長は、トランプを「ファシスト」呼ばわりし、軍内のWOKEに関心が深く、またDEI政策を進めた。つまりトランスジェンダーも入隊させ、アフガニスタンでは無様な撤退を演じた。
潜水艦に乗り込んだ女性兵士は帰還時に多くが妊娠していたり、戦闘現場に女性兵士を送り込むと能率が下がった。あまりのことに、白人の軍人家庭は三代続けて軍人になったが、孫たちを軍に就職させない現象がおきた。能力ではなくWOKEの理解派、DEIが出世の基準となったため、黒人という理由で能力がある白人軍人たちを飛び越えて昇進した。バイデンのDEI政策の狂気とも云われたが、民主党政権の軍認識はそのていどのものだった。
アメリカの多くの有権者はドラスティックな改革を望んでいる。うんざりしたのは「コメディアンではそこそこ成功しただけのゼレンスキー」(トランプ)ばかりではなく民主党の腐敗した執行部だった。トランプは公約したことを実行しているだけである。
ジョン・ダン・ケイン新統幕本部長は、F16のパイロット出身で退役空軍中将。2021年からCIA軍事担当副局長を務めた。それまでにも国防次官補(調達・維持担当)の特別アクセスプログラム中央事務所長、現役時代は統合タスクフォース「生来の決意作戦」の副司令官だった。
ケインはバージニア軍事大学を卒業し、経済学の学士号を取得している。
 面白い世論調査がある。
 YOUGOVという世論調査期間が5000人のアメリカ人に聞いた。トランプとゼレンスキーと、そしてプーチンと誰が『独裁者ですか?』
 
 平均的な回答
 ゼレンスキーが独裁者  22%
 トランプ        41
 プーチン        71
 民主党支持者に絞り込むと
 ゼレンスキー      15%
 トランプ        68
 プーチン        83
 共和党支持者はまるっきり逆で
 ゼレンスキー     33%
 トランプ       11
 プーチン       68
 さてどちらが独裁者かというのは判定基準によるだろう。
 トランプは正式に選挙で選ばれたが、たとえ大統領命令をだしても、一方的に高官を指名しても議会が反対すれば成立しない。軍をかってに動かすわけにも行かず、州兵動員も州法の改正もアンタッチャブル。大統領権限の埒外である。トランプを批判するメディアは健在で表現、報道の自由は確保されている。
 他方、ゼレンスキーは選挙の洗礼を受けていない。かれを批判するメディアはウクライナに存在しないし、野党は11の政党が解散を命じられている。このように最低の民主主義の判断基準から言ってもトランプが独裁者という事実はない。左翼の情報操作ということが分かる。
 ▼土産はチェーンソーだった
ヴァンス副大統領は保守政治行動会議(CPAC)で次の演説を行った。
「若い男性への私のメッセージは、男性だから、冗談を言うのが好きだから、友達とビールを飲むのが好きだから、あるいは競争心が強いからという理由で、あなたは『悪人』だという(面妖な)メッセージを、この壊れた文化から受け取らないようにすることです。文化的なメッセージは、男性であろうと女性であろうと、すべての��を同じように考え、同じように話し、同じように行動する両性具有の愚か者に変えようとします。私たちは、神が男性と女性とを目的を持って創造したと考えています。皆さんが若い男性として、若い女性として成長することを望んで
います。そして、私たちは公共政策を通じてそれを可能にするよう支援します」
大統領選挙では若い男性(18歳から29歳)の49%、男性全体で54%がトランプに投票した。
 恒例の「保守政治行動会議(CPAC)」に登壇したのは副大統領のほかにスティーブ・バノン、イーロン・マスク、ゲストがアルゼンチンのミレイ大統領だった。ミレイは「おみやげ」と言ってマスクにチェーンソーを贈呈した。「斬って斬って斬りまくれ」というわけだ。。
そして斬りまくっている。最初に手をつけたのはUSAID、ついで教育省の幹部55名、この勢いはさらに増した。連邦政府機関のすべての部署に設置されたDEI関連ポスト閉鎖である。すっきりした。
 起業家のイーロン・マスクが率いる政府効率化省(DOGE)のもと、各省庁で政府職員の解雇が進み、波紋が広がっている。
 国防総省は声明で、「効率性を高め、大統領の優先事項と部隊の即応性の回復に再び焦点をあてるため、職員を5~8%減らす」と述べた。
 現在、連邦政府の7万5000人が退職勧告に応募している。
 女性報道官は27歳の才媛キャロライン・リビット女史。CPACに登壇して若い女性に「夢を捨てず自分を信じることが大事」と語りかけた。
 「トランプ大統領が作り上げた素晴らしい内閣を見てください。アイデンティティ政治には関心がありませんが、大統領は米国史上初の女性首席補佐官スージー・ワイルズ氏を任命し、農務長官にはブルック・ロリンズ氏が就任しました。内閣全体を見渡してください。素晴らしい女性がいます。教育省を率いるリンダ・マクマホン氏など、女性の閣僚リストは尽きません。」
 意気消沈の民主党は牙城がカリフォルニア州だが、ロス大火の責任問題が議論されたロスでは、2月23日になってバス市長はレスビアンの消防局長を解任した。バス市長自身は、当日南アフリカへ訪問に出かけていたが、その責任を転嫁するかたちとなった。
左翼メディアも意気消沈している。このトランプ改革の勢い、どこまで続くか?
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