#性癖が捻じ曲がる
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urusura · 1 year ago
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分からんでもない😂
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crydayz · 1 year ago
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231120 月
どんなアプローチでもいい(ただし極力犯罪にならない方向性で)、自己肯定の「絶頂」得られれば、ストレスなんて容易に晴らせる。
「価値あるなにか」が自分の為だけに時間とコストを割いてくれた上、自分の全存在を「肯定」してくれる。
そんなに気持ち良くて安心できることってない。
まずゲームでもアレなサービスでも哲学でも食事でもなんでもよいから「自己肯定感の絶頂」を味わえる状況を無理矢理作り、かつ絶頂しやすい心理状態を作り出す(簡易な条件で自己嫌悪と自己卑下を完全排除できる傲慢ロジックを脳内に組む)。
「自分には自己肯定の絶頂味わう資格がない、絶頂しているところを覗き見されて流布でもされたら破滅する」的な心配などする必要ない。
もうここ何十年も自分で自分を認められていない、自分で自分を許せていないという状況自体が問題なのだ。
普通の人はそんなに自分を戒め続けない。それをしたら心が壊れる事を本能レベルで知っているから。動物として正常だから。
自身の本能や動物性を嫌悪する人は理性の力で自然な本能を抑えつけようとする。
自分が気持ちよくなりたいという一心で現実捻じ曲げ他人巻き込んでお金や脅迫用いて「肯定と許し」を得ようとするなど、人として最低な行いであると見下している。
ちゃんとそれを得るに値する人格、魅力、スキル、地位が伴わなければ「肯定と許し」は得ていけないと決めつけている。
だから本来摂らなければならない心の栄養をおざなりにする。
肯定は「され���」ものではない「摂る」ものだ。
自己肯定を「摂る」と考えた方がいい。自分で枠を設けてルールを決めて、その中で100%の肯定感得てストレス発散して現実に戻る。
本能の抑圧癖がある人は、その我儘を自分に許す訓練が必要だ。
悪趣味セルフケアと揶揄されたっていい。「これをやっている自分が最高に好きだ」と思える事を、そこそこリスクヘッジした上で思い切りやり倒せばよい。その過程に他人のこだわりや人格が介在しないようにした方がよい、最初のうちは。
慣れてくれば他人の妨害行為さえもが心地よい刺激のスパイスになる。
その次元までいけば「競争」を愉しめるようになっている。
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hitujijp · 2 years ago
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2023ドクトリン再考査
オレの持つドクトリンは大別すると4つの要素の組み合わせながら、その拡張を目指すモデルだと定義出来る。4要素は文化、身体、哲学、環境がこれに充たり、単に一個人に限らず集団や国家、それ以上の枠組みにも適用可能である様に意識して考える癖は付けているつもりだ。
しかしながらこれらの根本として存在するオレ本人の精神特性(形質)はただ一つ「作るという行為」のみで、それは自分探しを最早必要としない程に明確だ。もっとも自分の持つ形質などと大層でも格好良くもなく、どうしても抑えられない欲動、我慢を重ねようとしても出てきてしまう気質みたいなもので、ともかくオレは常に何かを作る行為に携わっていないと我慢がならないのである。
少し話が逸れてしまったので元に戻すと、4要素の現在の進捗と目指されるべき形についてここ1年での情勢変化を踏まえて再整理すると、まず環境の面における拡張とは恐らく最も分かり易く物質的に版図を広げ、活用可能な資源を獲得するそれを指すのだが、この点については大規模な資本を必要とする為、オレには出来る事が殆ど無い状況は変わっていない。 宇宙分野に関しては過去に勉強するにはしたが適性は無い様だ。最終的に自分でやるより新進気鋭の専門家に任せた方が良いだろうと判断し、僅かながらではあるが投資という形で貢献している。既に5年以上経つが資金の引き上げは予定していない。月や火星に多大な期待を抱くのは危険だが、人類の栄華も曲がり角に差し掛かっておりチャンスは残り2世紀ほどと思われる。それを逃せばもう温暖化や目先の生活への対処で手一杯になり大規模な宇宙進出の道は閉ざされるだろうから、やれる時にやっておく意義は有る。幸い平和の時期が終わり再び世界は冷戦の様相を呈し始めている。技術革新に覇権��いは不可欠なのだから追い風は一応吹いている様だ。
次に身体の面を挙げれば、自分個人について言えば先日示した通りのトレーニングと健康維持方針に努めるしか無いが、どこかの段階でサイボーグ化やゲノムへの働きかけを試みる必要性を以前から感じているし、何よりそれを面白そうだと感じている。特にサイボーグ化や仮想空間への対応は現状の技術でも検討に値する。またオレ個人の人生には関係ないが、人類は元来放射線飛び交う宇宙への進出と、核戦争や原発事故すらものともしない強い放射線耐性の獲得を急ぎ、人体サイズの小型化による資源節約もゲノムへの働きかけを通じて検討すべきだろう。
哲学の面に関しては既に大枠は完成していた。ここで書き記すと膨大な量に至るので割愛するが、近年の微修正によって特に神についての解像度は宗教よりも科学に近い形に寄せて整理する内に素朴にして明快な形に高まったと感じている。4大宗教に関しては尊重はしているが、いずれの枠内にしろそれに留める形で収めようとは思わない。
最後に文化面に関して述べるが、国の本質とはまさしく文化に他ならず、在地文化が滅びた国には植民国家としての惨めな末路が待ち構えている。別に文化を担うのがどんな肌の色で有ろうが、どんな出自だろうが構わないのだ。重要なのは土地に根を下ろし定着し、土地の産物で腹を満たし、土地の水で喉を潤し、血と肉とを土地と一体化する中で土地と切っても切り離せない文化を継承してゆく点に在る。
その土地の強みと環境特性を生かし、なるべく運輸に資源を割かず完結する仕組みを営むのが重要である(グローバル化より地産地消を優先すべきだろう)。また祭りの効果も忘れてはならない。少なくとも日本の場合、祭りを中核として共同体文化圏を線引き出来るし、有事の際は祭りの機関要因と参加者に少し手心を加えるだけで動員すら可能な程だ。これを活用しながら地域文化の深化(拡張では無い)を方針とする事で長期的には独自性と独自性に裏打ちされた人材、そして観光資源が捻出される。
オレ個人の取り組みとしては、消失の恐れの有る武芸や天然砥石文化を対象とした保全と啓発に趣味の楽しみも含めつつも関��し、まずまずの手応えを得ている。
いずれの計画も寿命を超えかねない程の長期関与が不可欠であり、取っ替え引っ替えせわしなく行う類いの取り組みでは無い。毎年微修正は加えるが、たかだが数年程度でやる事は基本的に変わらず、現代人の時間に対する尺度とは異なる点には注意しなければならない。その為いつもいつも代わり映えの無い生活を送っている様に見られ、時には自分ですら退屈を感ずるが、あくまで長期計画に従う以上そうなるのはやむを得ない。時間尺度の違いに惑わされず計画通りのマイペースで履行したいと思う。
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sukumizumi · 2 years ago
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「フェチ漫!~貴方の性癖をねじ曲げたマンガ」
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本文 モノクロ 74ページ
C101新刊予定でした。(コロナで欠席致しました…)
BOOTHにて通販中!
今回は「フェチ漫!」ということで、みんなの性癖を捻じ曲げたマンガをTwitter上で募集。集まった67作品を読んでみて、そのレビューを掲載するという同人誌を作ってみました。「みんなにとっては普通の漫画も、私にとっては決定的なトラウマ」「この作品がなければ真っ当な人生を送っていたのでは…」というようなオタクあるある感情を共有しながら、楽しんでもらえれば幸いです。掲載作品は以下の通り。
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lessmusic-lesslife · 2 months ago
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ほのちゃん
すっかりレコードを買わなくなったし、聴くこともままならなくなってしまった。
理由はいくつかある。一つは世の中の事情による全ての物の高騰。ちょっと気張らないとレコードが買えない時代が訪れるなんて想像できるはずもない。
もう一つは2023年5月に本格的にシンセサイザーを勉強し始めたから。そしてそこからモジュラーシンセにハマってしまい、使える限りの予算をそこへ注ぎ込んでいるから。聴かなくなった理由もこれで、始める前にはわからなかったことや知らなかったことを理解できていく楽しさや、なにが起きるかわからないので待ち続ける時間が長くなり、必然的にレコードを聴く時間が削られていった。
決して音楽が嫌になったわけではないし、むしろ好きな音楽に対してはそれなりに積極性をもって触れているつもり。その中の一つがリーガルリリーであり、たかはしほのかである。
コロナ禍が始まる少し前から仕事の出張が増え、自分の音楽活動もままならなかったり、行きたいライブにも行けなかったりの生活になって、それに慣れてしまい、今も決してライブに行く回数は多くない状況のまま。そんな中、2022年初めに知り、即恋に落ちたのがたかはしほのかの声だった。
会社の車の給油は近所のエネオス。そこで給油中に流れていたCMで聞こえてきたなんとも癖は強いが力強さはない歌声に耳を奪われ、検索して出てきたたかはしほのかの名前と彼女が曲を書き、ギターを弾きながら歌うバンド、リーガルリリーだった。
リーガルリリーの名前自体はそれ以前に聞いたことはあったけれど、いかんせん日本のメジャー流通のバンドや音楽に興味がないしチェックしてみようなんて気になったことはなかった。その頃に関していうと、吉澤嘉代子は大好きで聴いていたしライブも観てたので例外はある。
そんなリーガルリリーで歌っているたかはしほのかの歌声に恋をしてしまったので、これは当然リーガルリリーも聴いてみないといけない。それで知ったのが彼女らのメジャー2枚目のアルバム、Cとし生けるもの。サブスクって便利ですね。とりあえずお手軽に聴けるあり���たさ。頭から順番に聴いていこうと思うのは古い人間だからなのかどうか。1曲目たたかわないらいおんのイントロ、というか本当に最初の数秒間のギターの音で90%好きにると確信した。90年代半ばに高校生だった世代にとって、この音は新しくはないけど決して古くもない。どこか懐かしさ感じながらもグッと心を掴まれたような感触。それを2022年に20代半ばの彼女が鳴らしている。出会ってしまったと感じた。
そんな気持ちで何周か聴いてみて、CDを買う決意をし購入。種類は全然違うけど、初めてにせんねんもんだいを観た時と似た衝撃だった。
何周目かのたたかわないらいおんで気づいたのが、たかはしほのかが書く曲というのは (この前後と比較すると特に)結構捻くれているということ。相変わらず歌詞にはあまり興味がないし読み解いたり考察するのはもっと得意な人がいるのでそちらを参考に。あくまで曲についてのことだけど、この流れでそれかっていう展開が多い。そして最初のヴァースコーラスと次のヴァースコーラスでメロディはほぼ同じなのに当てるコードが変わることが多々ある。日本人が好きなやたらと難しいテンションコード多用ってことはなく、シンプルなコードながらも表情に変化を与えるに十分な力を持って鳴っている。このアルバムでいうと東京もいい例。
あと同じ展開の中に一箇所だけ異物を差し込むのがうまい。風にとどけやほしのなみだ、セイントアンガー辺りが顕著か。そしてギターの音がこんなに大きく鳴っている。ライブもきっとこんな感じなんだろうなと容易に想像がつく存在感。そこにのっかるたかはしほのかの独特な歌と声。気づいた時には戻れないぐらい好きになっていた。
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aiarututae · 5 months ago
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ホーム親子関係
親子関係から考える原因不明の疲労感と克服する方法
2019/9/17 親子関係
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自分を醜い(汚い)と感じる女性の原因を考える方法
という記事を書きましたが、親と子供の性質の違い
から生まれる悲劇はある種の運命ですから
乗り越えるしかありません。
親に悪気がないどころか、子供に理想を託すのは
人情であり善意ですらあります。
ところが子供の性質が育って価値観となるまでは
性質が合わない親の愛情は子供を成長を限りなく
遅くしますし、それどころか親にとってのタブー
事項に関しては、子供は自分の人間性にとっての
核心であってもほぼ完全に成長を止めます。
生き残るためです。
このような相性の親子で子供に月と冥王星の
コンジャンクションやスクエア(ある意味
オポジション等のハードアスペクト)があると
子供の心を徹底的に破壊します。
海王星のあるハウスやアスペクトも人格の軸が
きっちり育っていないと悪い影響が出ます。
その結果、敏感な母親は子供の中に蓄積されていく
憎悪を感じて恐れおののくでしょうし、子供は
溜まり続ける憤怒の気持ちを一人で処理
仕切れなくなっていきます。
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例えばある親子が一つのサインを5度分割して
狭い方の角度が30度数域(5度が1度数域)
離れていた場合は、約150度の関係に近くなり
親子であってもまったく理解出来ない間柄です。
対等な人間同士なら理解出来ないで済みますが
親と赤ん坊や幼児さんだと子供の性質は
拷問のように捻じ曲げられます。
人格がない間(魂のみの存在)間から人格の
破壊が行われますから、人格は育ちません。
形を持たない姿は哀れなゾンビであり怒りに
飲まれればモンスターです。
定型の感情(月)を持てなければ疲れ易い人間に
なってしまいます。
自分自身を気持ちを支える骨(人格)がないので
エネルギーを放出し続けることで自分を
キープしようとするからです。
人格の核心が育たなくても、このような状態を
その人なりに何とかしようとする時に身体に
癖が付きますが、それが慢性化したり、
加齢等で実際の病気になっていきます。
サインや天体から無理がかかり易い身体の部位を
考えることも出来ます。
自分自身に合わない性質に向かって頑張ることを
止めることが先決ですし、少しずつ自分の軸を
育てていくことで疲れ難くなります。
元気という状態はエネルギーの通り道が
確保されている状態です。
これは幼児さんを見ていれば分かりますが、
気に入ったことを驚くほど繰り返しながら
魂のエネルギーを運ぶ心のパイプを
作っています。
上記のようなタイプの人はその機会がなかったのです。
時間はかかりますが作るしかありません。
子供時代は夢中になれるという特権がありますが、
大人になるとこれくらい頑張ったから疲労感が
なくなるだろうとか、目的に対して打算が
働きます。
そのような気持ちを乗り越えて何かにはまっていく
しかありませんが、大人はこういう時に悪いものに
はまります。
askaさんや酒井法子さんのような状態になるです。
エネルギーを流す心の回路が出来上がっていないと
中毒になり易くなるのです。
ミュージシャンや芸術家は定型のエネルギーの
通り道が無い方が海王星のようなイメージを
手に入れ易いかも知れませんが、コンディションが
落ちるとマイナス面も表れ易くなります。
親の生まれ時間は不明なことが多く太陽サインしか
把握出来ないことが多いものですが、1つの度数域を
5度で考えれば何とか親との相性を単なるサインで
考えるよりも詳細に理解出来ます。
まずはそこから考えると紐解いていくこと��
出来ます。
度数域が理解し難いと思うのでプロの方に
親の天体と自分の太陽サインや月サインを
72分割して相性をみてもらうのもありです。
度数域に関する関連記事です。
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oharash · 2 years ago
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こひなら不如意
こひ は 恋のことです。
1.        
 俺の舌はよくまわる。本音でもないことをいくらでも言葉にできる。けれど���当は、あの人の手の中、グラスの氷がたてる音だけに耳をすませる——そんな時間が一番好きだ。  あの人が沈黙に沈むとき、俺はあえて声をかけなかった。ときどき、沈黙の途中であてもなく名前を呼ばれた。 「はぁい」と答えると、炎司さんは呆けた顔で俺を見た。呼ばれたのはおそらく俺ではなかったのだ。その視線はどこか別のところへ向いていたのだと思う。そうでなければ、昔のことだけに。  それでもよかった。こんな俺が、矮小な心が、この世界でテーブルに肘をついてグラスを眺めることが許されるなら、それは誰でもないあの人のそばがよかった。  背中押します、支えます。そこに「守ってあげます」が書き添えられたのはいつだったか。  そんなことだけをずっと身のうちに抱えていた。  
                                                       
 アスファルトが晩秋の日差しに蓄熱されきった頃、ようやく俺はいつものベランダにたどり着いた。  開け放した掃き出し窓の先でノートパソコンを眺めていた炎司さんは俺に一瞥だけをよこし、いつものように良いも悪いも言わなかった。 「ホークス便でえす」「受け取り拒否だ」  靴を脱ぎ揃えて部屋に上がり、勝手に椅子を引いて彼の斜め前に腰を下ろす。彼の前に封筒を、自分の前に紙袋を置く。「お昼まだなんで失礼します」道すがら買ったスモークチキンサンドは冷め切っていたがあまりべたつかず甘さを滲ませた。メニュー横のPR文章も何も見ずに買ったけれど特別な品種だったりするんだろうか。脂の融点が低いとか。  炎司さんはチャコールグレーの襟付きシャツをを着ていて、そうしていると何だか休日のお父さんという体だった。本人が目の前にいるのに俺はいつもこの人のことを考える、指や髪や所在なげに揺れる右袖のことなんかを。そして本物を見て答え合わせをして遊ぶ。本体とは真逆に慎ましさを知らない俺の目はどんどん先に進んでいき、太い首をなぞって肩に降りる。でっか。いつもながら胸まわりがパツパツでどうなってるんだろうって思う。こんなのもうおっぱいじゃん。なんで乳首浮かんのじゃ、ニプレスでもしとんのか。肘上から喪失した右腕は体全体のバランスをとるためか不規則に動く。ストイックを絵に描いたような体をしているくせに少しくたびれた目元だとか眉間の皺には若くない男の退廃があって、おまけに不揃いの四肢という危うさも加わりこの人に会うたび俺の性癖はおかしな方向に捻じ曲がっていく。甘い脂を飲み込む音がやけに大きく響いた。前言撤回だ、こんなすけべな休日のお父さんがいてたまるか。 「テイクアウトっていうじゃないですか、日本だと。イギリスとかオーストラリアではテイクアウェイっていうらしいですよ意味は一緒ですけど。あとイートインって英語圏だと��とんど伝わんないんですって。あ、その封筒の中身ですけど確認して月末までに戻してほしいって目良さんが。俺また持ってくんで用意できたら教えてください」 「黙って食え」 「ところできいてほしい話があるんですけど」 「後にしろ」 「じゃあテレビつけていいです? 今日の野球、昼試合なんですよ」返事を待たずにリモコンを手に取る。炎司さんがキッチンに立ち、湯気のたつマグカップを持って戻ってきた。  ぎこちない左手から離れたマグカップが天板を強く鳴らす。残響を遠く聞きながら、俺はひいきのチームのつながりきらない打線を眺めていた。
 誰も彼もがぼろぼろになってAFOをぶっ殺したあと、俺は日本中から瓦礫やゴミが消える速やかさにちょっと感嘆した。庇護の対象だったたくさんの「一般市民」は機械的にすら感じる切り替えの速さで復興へ舵をきり、熱病のように絆を語り、資材不足にあえぎながら市街地はみるみる整然さを取り戻した。「ヒーローが人を守る」なんて考え方がそもそも烏滸がましいもんだな、だってこの人たちのほうがよっぽど現実的でタフだ、と復興の大きなうねりに放り込まれた俺は少し小さくなった心地がした。瓦礫撤去の現場で一緒にタバコを吸った爺さんは俺が生まれるはるか前の災害をいくつか挙げて「復興も3回目だから慣れたもんだすけ」と強い訛りで声を張り、俺は老兵のさまざまなものを飲み下した頑堅さに畏敬の念すら覚えたのだった。  右腕をなくして内臓をいくつも損傷した炎司さんはほどなくして第一線を退き、初夏の頃に正式に引退した。エンデヴァーでなくなった彼がこの社会に不要なんてことはもちろんなくて、ブッキングに後方支援、各所への根回しなど忙しく過ごしている。  ありがたいことに俺も仕事をさせてもらえて「ヒーローが暇を持て余す世の中」とはいささか意味が違うけれど、あの頃のような世界ごと屠られる警戒からはずっと遠い場所で今、生きている。ついでに炎司さんがひとりで暮らすマンションに用事があってもなくても顔を出している。歓待はされないが追い払われることもない。 「東海道新幹線の復旧、おかげさまで順調らしいですよ。来月ですって」 「福岡からこのあたりまで五時間だな。だからってお前はこれ以上うちに来なくていいからな」 「まだ何にも言ってなくないですかあ。それに俺は飛行機派ですう」 「この画面から進めない。わかるか?」  この人がエンデヴァーさんから炎司さんになった頃、俺の呼称も貴様��らお前に変わった。突き出されたPC画面を処理して戻してやる。 「どこもこうやってどんどん電子化になってるのにお役所っていつまでも紙文化でどうなの、って最近まで思ってたんですよ。でもヴィランの襲撃でパソコンぶっ壊れて焼け残った紙の情報が復興の役に立ったなんて聞いちゃうと何でも知った気になっちゃいけないなって思いましたわ」 「アナログなものをあまり侮らない方がいい。削ぎ落とされたものがそのまま無価値になる訳じゃないからな。そもそもお前ら、わからないことがあると3秒以内にスマホで調べ始めるだろう。あれも時々俺はどうかと思うぞ」 「ええ? だって早いじゃないですか」 「想像力が発揮される余地がないだろう」 「うーーーーーん」 「答えを探しているうちに今まで出会ったものとの有機的なつながりだとか体系的なものが見えてきたりする経験はないか?」 「例えば重要でないけど便利な情報ってあるじゃないですか。最寄りのトイレとかコンビニの場所とか。そういうものを簡単に得られる代わりに、俺たちは思考を訓練する機会を失ってるってことですか?」 「そうだ。お前たちの方が高度な検索機能を持っている分だけ自分を相対化できているし良い社会を作れるのだとは思うが。誰かの主張を無防備に取り入れる若者を見ると心配になる」  この2LDKのマンションではない彼の以前の住居を思い出す。一度だけ訪れたことがある、厳しい佇まいの大きくて静かな日本家屋。あの見事な枝振りの松、晩夏の撫子と女郎花。欄間に切り取られた午後の日差しに床の間の控えめな掛け軸。暴徒かヴィランなのか結局判明しなかったが、放火されてもうどこにもない住まい。あの空間を思い返せば仕事を離れた炎司さんが案外物静かなのがわかる気がした。手のかかるものやアナログなものを否定しきらないことも。 「そうかもですね。俺らって多分根っから効率厨なんですよ。あー…効率重視ってことです。やらなきゃいけないことは効率的にぱぱっと済ませて、自分の好きなことに時間を割きたいっていうか。あんまり余白、とか、ままならないものを愉しむ、とかかがわかんないんですよ。逆に教えてほしいくらい」   「茶道でも習え」 「あ、自分で話振っててめんどくさくなってるでしょ」 「本当に知りたいか? ままならないことを?」 「そりゃもう」あなた以上にままならないものがあってたまるか。  炎司さんは壁時計に目をやって少し思案した。16時少し前。晩秋の日差しはすっかり黄色い。 「今から明日の朝までの予定は?」「オフです。何も決めてません」「なら泊まってけ。その前に一件付き合え」「ええ、事件ですか?」「いや私用だ」  外出とお泊まりの誘いをいただいて浮かれる俺を嘲笑うように、炎司さんが片頬を上げ��。 「アナログな、あるいはもっと原始的な案件だ」
2.  かくして、俺は住宅街の中にぽっかり作られたその名も『なかよし公園』のベンチにてコーヒーを啜ることとなった。観光名所でもなくカップルが遊びに来るような場所でもなく、雲梯、鉄棒、滑り台、ブランコ、東屋に小さな山、公衆トイレに動物を模した遊具、ささやかな広場、それらを見守るようにそびえる銀杏の木。ふたりがけのベンチでコーヒーをすする男ふたり、それもひとりはガタイのいいオッサン。公園を取り囲む家家を眺めて造成されてから20年ほどの住宅地と勝手に目算する。ふりあおげば高層の団地がやや遠くに見えた。ほとんどの家庭のベランダに生活の色がついている。 「で、何なんですかここは…」  炎司さんが車を出してくれるという突然のイベントにまず俺は面食らった。次はドライブデートやね♡ かさばるから羽根は落としとかなきゃいかんね♡ と浮き立つ気持ちと、この車ってほぼ俺の年収じゃね? とおののく気持ちで頭が混乱した。走る年収について炎司さんは「ガソリンスタンドは鬼門だから電気自動車、日本製はどれも手狭だったから海外製」と大変セレブな消去法を披露してくださった。ついでに片腕でも運転できる仕様にしたので納車にえらい時間がかかったとか。俺が勝手に当たりにいってるのは百も承知だが経済力で殴るのはやめてほしい。硬さを感じさせないのにしっかりホールドされるシートは全然落ち着かずいっそパトカーが恋しかった。そんなBで始まるドイツ製の車は住宅街から顔を覗かせるドラッグストアに停めてある。 「すぐ終わるから待っていろ。人生には余白も必要だ」 「仕事は超合理主義のくせに」  この人の片頬笑みは凶悪だけど慣れてくれば人懐っこさもある。全く『なかよし公園』にはそぐわないが。  小学校低学年くらいだろうか、柔らかそうな体をした子どもたちがブランコで遊んでいる。板の上に立ち上がって膝を屈伸するアグレッシブな立ち漕ぎだ。 「聞いてほしい話があるって言ったじゃないですか、悩み相談なんですけど。最近、気合の入ったストーカーがいましてね、俺に」 「午後の公園にはふさわしくない話題だな」 「あなたの顔よりはマシだと思いますよ…。まあそれでね、俺を自分の恋人だと思ってる系の人なんですけど。事務所で出待ちされるので撒いて帰ってたんですよ。そしたら消印のない手紙が自宅のポストに届くようになりまして。‘今日の私服素敵でした’から始まって、次の日にはどうして返事をよこさないのか、になって、その次はもう俺とその人が結婚してる前提で話が進んでいきまして。自分の身くらいは守れるしってほっといてるんですけど。最寄りのコンビニにも来るので行けなくなっちゃいました。炎司さんって現役時代、ストーカーの類ってどうしてました?」 「俺をストーキングするような物好きはおらん」 「うっそぉ。‘エンデヴァーに殺されたいヴィラン’いたでしょ。全然説得力ないっすわ。あれも一種のストーカーですよ」  炎司さんは眉間の皺を深くして下唇を突き出した。これで喜怒哀楽を表現する彼も、それがわかる俺もどうかと思う。ちなみに今はご不満であらせられる。 「そういうことなら身の回りに気をつけろ。エスカレートすると親しい人間に矛先がいく。俺は家族を襲われた」 「親しい人…炎司さん…⁉︎」 「お前本当に友達がいないのか…?」 「襲われたら返り討ちにしてくださいね」 「くだらないことを言ってる暇があったら面倒がらず専門家を入れろ。何かあってからでは遅い。それから」  まあそうなるよな、よしよし不安だね大丈夫? とか言わんよなあ。俺の構ってちゃんマインドを一刀両断して、彼は腕時計を見下ろす。 「そろそろだ」    ぼん、と背中に衝撃がはしった。振り返ると男の子がいた。家庭の甘い香りを漂わせた小学一年生、あるいは未就学児。彼は声もあげずにったり笑っていて、その足元にはサッカーボールが転がっている。  これがベンチの背に当てられた、全身に警告が走る。雨覆だけにしてパーカの下に隠していた剛翼が反応しなかったのだ。  子どもがボールを拾い上げて振りかぶると、彼の手を離れたボールの軌道がスローに見える。尻がベンチに縫い付けられたように動かない、目を逸らすことができない。  左肩が熱くなった。熱い? いや痛い。炎司さんに突き飛ばされたと理解した瞬間に受け身をとる。顔を上げると子どもは真っ赤な口を開けて声もなく笑い、背を向けて走り出した。 「追え」  その言葉より早く剛翼を飛ばす。  個性でも使っているのか、子どもは生身とは思えない速さで駆けて公衆トイレの裏手に周り—— 「は?」  あったとしてコンマ1秒。遅れはとらなかったはずだ。けれど俺が壁に手をかけて身を乗り出した時には、子どもの姿はもうどこにもなかった。  剛翼は初めから最後まで一度も伝えてこなかった。生き物の反応も、そうでない反応も。  街に17時を告げる『峠の我が家』が遠く響いている。
3.  本当に何げない時に右腕の喪失を感じるという。  あの人が缶ビールのプルタ���を開けようとして、肘から上が欠損した腕に気づいてふと呆けるなんでもない時間、それに続くわずかな照れと自嘲、はにかみの意味を俺は正確に理解はできなかった。だからそんな時俺はいつも、彼の残された左手の指先を見つめている。  自分の缶ビールを開けて炎司さんの未開封のそれと交換すると、彼は罰が悪そうに礼を言った。もう何回目かもわからない四川麻婆豆腐を平らげて風呂をいただいたばかりだ。初めて作ってもらってから俺がそればかりねだるものだから、炎司さんは麻婆豆腐が俺の好物だと思っている節がある(冬美さんのレシピなのだと教えてくれた時の顔といったら! )。もう一度プルタブを上げてビールを煽る。風呂上がりの体に苦みの強い銘柄が染みていった。  テレビのチャンネルをニュースに合わせて、今度こそ逃さない腹づもりで炎司さんを睨む。 「そろそろ教えてください、夕方のアレはなんだったんですか」  あのあと、あっけにとられる俺の後ろで「ふむ」と頷いて彼さんは公園を後にした。何を聞いても「後で話す」と教えてくれなかった。 「お前はなんだと思う?」 「気配を消す個性か、すぐ消失させられる人間を作る個性かと考えました。でも足の早さが説明つきません。足の速い動物を人間の姿にするとか? でも目的がよくわからない。愉快犯にしたってボールをぶつけるだけじゃその線は考えづらい。そしてあなたがわざわざ俺に見せるくらいだから、そんな薄味なものじゃないでしょう」 「冷静だな。主観的な感想は?」 「不気味でした。体が固まって、あなたに突き飛ばされるまで動けなかった」  炎司さんが片眉を上げて意地悪く笑った。ばりカッコいいな、腹たつわあ。 「お前の頃もあったか? 学校の七不思議というものは」 「エンデヴァーが随分とファンシーなこと言いますね…トイレの花子さん的なやつですか?」 「無人の音楽室からエリーゼのためにが聴こえてくるだとか踊り場の鏡に何かが映るだとか、な。口伝だろうによく何十年も続くもんだ」 「いや待って、全然話が見えないんですけど」 「冬美の勤める小学校があの近くだ。今の子どもたちもそういった怪談が好きなんだそうだ。それでトイレの三番目がどうとかよくある話の中に、地味だが他所では聞かない話が混じってるらしい。17時にあの公園のベンチに座っていると子ども現れてがボール遊びに誘ってくる。それに応じると」  ぼん。 「家までついてくる」  俺が出入りする掃き出し窓が軋んだ。ちょうど、まるで、硬い球体が当たったみたいに。それも大人のフルスイングでなくて子どもの力で精一杯ぶつけたくらいの衝撃で。  剛翼はぴくりともしない。この部屋は地上5階だ。  深刻なことほど遠ざけたいもので、俺はまずドッキリを疑った。炎司さんはこんな手の込んだことはしない、却下。では何かの拍子でボールが飛んできた。それなら散らしてある剛翼で感知できる、却下。そもそもどこからボールが飛んでくるというのか。 「パーナム効果でしょ…」  占いなんかで、誰にでも該当することを言われているのに「自分にだけ当てはまっている」と思い込む現象——そんな一致だろう、音が似てるだけで家鳴りかも知れないし鳥がぶつかったのかも知れない、と思うも脳みそ裏側からの警告音が止まない。 「ボールを受け取らなければいいかと思ったがそうでもなかったようだな。走って追いかけたのが‘遊び’にカウントされたか?」 「待って待って本気ですか⁉︎」 「剛翼は何かを感知したか?」 「してませんけど⁉︎」 「では個性ではないだろう。ついでに家まで来た彼はボールの代わりに生首を持ってるらしいぞ」  炎司さんは立ち上がって、キッチンから小皿と塩を持ってきた。俺に目もくれず片腕でぎこちなく窓際に盛り塩を始める。 「あんた自分の家を幽霊屋敷にする気ですか⁉︎」 「AFOに比べれば怪異くらいなんてことはない。それに古今東西、この手のものは招かれなければ入れない。朝まで窓も玄関も開けるなよ」 「そうなの? そういう問題なの? ていうか初めてじゃないってこと? 俺が公園の後やっぱり帰るとか言い出したらどうするつもりだったんですか⁉︎」 「この怪異が海を越えて福岡まで行けるか否かがわかるな」  ぼん。再び窓が鳴る。 「ままならない出来事はどうだ、小僧?」  ぼん。  外の景色が見られない。 
 突如足先を濡れた感覚が襲い、喉からヒュッと空気が漏れた。床は何の変哲もないフローリングなのにひたひたと冷気が上がってくる。見えるはずもない映像が脳裏によぎる。はねるボール。鱗の生えた足。黒く壊死した指先。縫い合わされた瞼。水を吸って膨らんだ猫の死体。室内に浸水する泥水。家中にぶら下がったロープの結び目。藻に覆われた水面から生える黒い手。  目の前でひとつだけ知っている、電信柱のように太い炎司さんの左腕を掴んだ。 「玄関に盛り塩するから邪魔をするな」 「いや無理! 行かんでください‼︎」  自分でも信じられない力が腕にこもり、普段は組み合ってもびくともしない炎司さんが俺を押しのけるのに手間取った。  ぼん。リビングと廊下を隔てるドアが鳴る。  炎司さんのデカい体が静止する。気温が急に下がった。天井のシーリングライトが明滅している。  ドアの向こうにあの子どもがいる、そんなイメージが脳内で像を結び、炎司さんのシャツを千切れるくらい握りしめた。 「招かなきゃ入ってこれないんじゃないんですか…?」 「はいれるよおおおー」  ぼん。ぼん。ぼん。そんなはずはないのにドアの向こうから音楽が聞こえる。古いスピーカーから流れる、音のひずんだ『峠の我が家』。 「はいれるはいれるはいれるはいれる」  下水の臭いが鼻をついた瞬間、俺は炎司さんの襟首を掴んだ。 「ちんこ出してください」 「あぁ⁉︎」  部屋中にビリビリ反響する声量も今ばかりは気にならなかった。 「これ、想定外の事態でしょ⁉︎」 「そうだが」 「幽霊って汚いものとくだらないものが嫌いなんですよ、例えば糞尿とかえっちなことです。ちんこ出してください、うんこ出ないでしょ。部屋におしっこするのとちんこだすのどっちがいいですか⁉︎」 「何言ってるんだお前は⁉︎」 「俺も一緒にやりますから! 男ふたりでマスかくとか最強に馬鹿馬鹿しいからそれで行きましょ‼︎」 「この状況で勃つか馬鹿者‼︎」 「勃たせるんですよ、男でしょ⁉︎」  炎司さんの股間を握る。デカいちんこを揉みながら全体重をかけてソファに押し倒した。彼の視界にドアが入らないように剛翼で覆うのとほぼ同時に照明が落ちた。  こんな状況なのに、あるいはこんな状況だからなのか俺のちんこは硬くなり始めていて、俺は炎司さんにまたがってふたりのスウェットと下着を下ろした。 「集中してください」  合意がない。そんな悠長なこと言ってられるか。今この人を守れるの俺しかいない。舌で指先を濡らして先端を撫でると、炎司さんのちんこが少し反応した。二本のちんこを握り一度深呼吸をして、俺はふたり分のオナニーを始める。ぼんぼんぼん。つるつるした粘膜に指を引っ掛けて棒を擦って根元から搾乳するみたいに揉み上げる。「はいれるはいれるはいれるはいれるはいれる」まだ足りない。首筋に舌を這わせて右耳を含んだ。わざとぐちゅぐちゅ音をたてて耳介を舐め回して上半身も擦り付ける。彼の硬い髪をこめかみに感じて冷えた体が熱を取り戻していく。「どうしてえええ」剛翼の密度を上げて炎司さんをぴったり包む。ふたり分のシェルターの中で、空いている手で彼の左耳をふさぐ。直接伝わる身じろぎがたまんなくて下半身が重くなる。全身がぴりぴりするくらい気持ちよくて足の指先まで熱い。炎司さんの筋肉が弛緩したのかふかふかになって気持ちいい、俺が乗っかってるだけなのに抱かれてるみたいに錯覚する。耳の後ろでちりりと火花がまたたいた。ああ俺この人に好きっていつになったら言えるっちゃろ。もっと奥まで知りたい。その先が奈落でもいいから奥までもっともっともっと奥まで舌を入れたい。「おおおおおおと」彼の頭を抱き込むようにして、羽根と上半身を使って音を遮断する。「うさああああああん」この大きな体もあかぐろい顔面の傷も高い鼻梁も腹に響く声も右腕の皮膚が張った断面も何もかも好きだ。好き。ばり好き。  全身が強張って、張り詰めたこころが決壊する。手のひらに精液が散った。  賢者タイムは訪れずむしろ体は熱くなるばかりで、引き続きもう一本のちんこに奉仕する。もっと力を入れた方がいいんだろうか。ていうか右手ないとオナニーのときどうすんだろ、左手? 当たり前だけどこの人が好きなところとか何も知らんわ。なら手当たり次第やるしかない。腹に気合を込めて炎司さんのシャツをたくし上げた。したい。時間かけてキスとかたくさんしたいんだけど、今は出してもらわなきゃいけない。いきなり乳首舐めるってどうなんだ、童貞だと思われたらどうしよ。いや今そんな値踏みされないから構うな、で��ることは全部やれ俺。乾いた胸に鼻を擦り付けて乳首を口に含むと、炎司さんからくぐもった声が漏れた。慣れてない女の子みたいに。吸い上げると水を含んだように硬くなる。  下から盗み見た彼は下唇を突き出し眉根を寄せていて、それを見たら無性に腹が立って唇に指をねじ込んだ。俺はわかるはずなのだ、この人が下唇を突き出す仕草から喜怒哀楽が。 (今ぜんっぜんわからん!)  上顎をなぞって舌を指で挟む。喉の奥に指を入れると嘔吐反射が起きて彼の瞳に生理的な涙が張る。なんな。何考えてるん。本当になんでこんな、ままならないことばかり俺は。彼のほとんどえづきに近い、こもった声が鼓膜を揺らすたび体がどんどん熱くなる。  大きな手で後頭部を掴まれたかと思うと、全身を潰されそうなほど四肢で締め付けられた。同時に手のひらに体液が滲む。  …でた、俺はやりきった‼︎  体液ができるまでちんこに奉仕すると、気が抜けて炎司さんの体に倒れ込む。俺より高い体温に包まれて全身がたゆたう心地だ。  余韻が足先から抜ける頃、照明が瞬き、部屋がぱっと照らされた。  部屋に残されたのはニュースを読み上げるアナウンサーの声と床にこぼれた塩と、ちんこを出した俺たちふたりだけ。  廊下に続くドアは開いていた。
 
「ふぎゃ」炎司さんが体を揺すり俺はラグの上に転がる羽目になった。  怒られも殴られも焼かれもしなかった。エンドロールの終わった映画館みたいな薄情さで炎司さんは「風呂に入り直す」と言い出し、俺は彼に追い縋って廊下に出ることを何とか阻止し、体を拭いてそのまま寝室へ押し込んだ。普段俺はソファで寝るが今日は何を言われようが同じ部屋で寝る以外の選択肢はなかった。トイレについてきてもらう約束も取り付けた。  ちんこ擦り合わせたどころかさらなる無体を働いた気恥ずかしさとおののきががようやく襲ってきた頃、炎司さんから健やかな寝息が聞こえてきた。恐ろしくて馬鹿馬鹿しくて恥ずかしい最低な夜なのに俺以外の全てが恬淡としていて、それが余計に俺の小胆さを際立たせるようで身悶えながら、寝た。
4.  朝には炊き立ての米と煎茶を出すのが炎司さんの決まりごとだ。粒のたった米が美味い。 「昨日みたいなことってよくあるんですか?」 「初めてだ。モノがよく落ちるようになったりやたら家鳴りがするようになったことはあるが、一週間もすれば収まっていた」 「そもそもああいう怪異…的なものに興味があるとは知りませんでした」 「興味はないぞ。お前だってあるだろう、夜中に学校の窓から手を振られるとか山中で救助をしていたら覚えのない案内人がやってくるとか水難現場で足を引っ張られるとか、それが家までついてくるなんてヒーローをやっていればよくある話だ。お前のストーカーよりはマシな話だろう」 「全然マシじゃないし俺そんな経験ないですよ⁉︎」 「昨日はお前を驚かそうと思ったら思い��ほか活きのいいものを引いてしまったが」 「今日帰りたくないんですけど」 「俺は平気だぞ」 「あなたはよくても! 俺が! 怖いの! ていうかあなた俺が撃退法思いつかなかったらどうするつもりだったんですか」  朝の話題におよそ似つかわしくない。白米のお供に出された松前漬は上品な塩加減だし窓から差し込む光は真っ白で、ドアの向こうにはいつも通りの廊下だけがあった。もちろん鍵は施錠されたまま。何か問題でも? とでも言いたげな部屋と部屋の主がいまいましい。 「玄関を破られたときは驚いたが、それでもどうとでもなると思っていた。ただそれは個性を使って逃げるとか物理的にどうこうするという意味で、まさかあんなやり方を出してくるとは思わんかったが…お前のあの必死な顔…」  語尾は俺まで届かなかった。顔は伏せられ山脈みたいな肩が震えている。そりゃこの人に笑ってほしいと俺は常から思っているが、笑わせると笑われるじゃ意味が違うのだ。「いやあんただってちんこ出しましたからね」「痛み分けだ」「何が! 本当に怖くなかったんですか?」「お前のあの鬼気迫った顔を見たら吹っ飛んだ」「俺のゴッドハンドでイったくせに! いだっ」強めの手刀が降ってきた。  炎司さんの無邪気ともいえる振る舞いに拍子抜けして朝からぐったりする。ちんこの形の前に知りたいことが山ほどある。キス���しなかった、そもそも俺はこの人に好意すら伝えていないのだ。そして俺は昨晩を思い出してしばらく悶々とした夜を過ごすことが確定したというのに。もはや俺が純情を弄ばれた気分だ、責任とってほしい。 「普段はお前のペースに巻きこまれてばかりだから溜飲が下がったぞ、俺は」 「そりゃ何よりですよぉ…」 「しかしあれはセクハラになる。自分より立場の弱い人間にはするなよ」 「しませんて!」  俺と彼がどこまで同じものを知覚していたのかは確認していない。あの時浮かんだ数々のおぞましいイメージだけならまだしも、あの悲痛な「おとうさーん」の呼び声聞いても同じこと言えますかあなた。俺が耳塞いでおいてよかったですね。誰かを思い出して取り乱したり心を痛めたりしませんか。一昨日は医療刑務所の面会日でしたね、長男さんはお元気でしたか。  そんなことは死んでも口にしてやらない。 「どうして玄関破られたんすかね」 「あまり己を疑うな、魔につけ込まれるぞ。地上はどこも荒野みたいなものだ」  やかんの音が俺たちの間を切り裂いて、炎司さんがキッチンに消える。  何の話だ。スマホを取り出して検索窓に「荒野 悪魔」と打ち込む。昨日「思考力が培われない」と言われたばかりだが俺は効率厨なので待ちきれないのだ。トップに出てきたWikipedia「荒野の誘惑」項を斜め読みする。有名な神様が荒野を引き回されて悪魔に誘惑される。3度誘惑されても神様は揺るがず悪魔は���る。ブラウザバックして知恵袋やら個人のブログやらを眺めていると、転じて「悪魔の声を聞いて3回自分の信仰を疑うと悪魔に魅入れられる」ような意味で使われることがあるらしい。天井を仰ぐのとキッチンからコーヒーの匂いが漂ってくるのはほぼ同時だった。俺に信仰はない、この場合はどう解釈すればいいんだ。そもそもこれって新約聖書の話であって昨日のアレは日本の怪異なわけで、ここにキリスト教は適用されるのか。そういえば日本神話にも3って数字は出てくるな、まで考えたところでスマホをソファに放り投げた。俺は最短最速で答えの引き出しを開けたいわけですよ、どういう意味で言ったの教えて炎司さん。でもこれって絶対「自分で考えろ」って言われるやつ、絶対そう。答えの出ない問題に直面した時に自分がこうも混乱するとは知らなかった。本当にままならない。  焦がされてちりちりになった髪のひと房を、やるせなく弄んだ。
 
 炎司さんの街から俺の街に帰るときはいつも季節を越境する。  群青の空にふくよかな月がのぼっていて、空気は湿気を含んで活気付いていてる。炎司さんが別れ側に言ってくれた「またな」がゆっくりと崩れ形を変えていく。ああちんこ触ってしまった乳首も舐めてしまった。そりゃ「守りたい」とは常々思っているがあんな形で暴走するってある? あのときもっと顔見とけばよかった俺のバカ。あの人俺にあんなことされてなんであんな平気な顔でいられるんだろう。炎司さんが本気出したら俺なんて2秒で投げ飛ばされるのに、焼き鳥にもされなかったし。あの時されるがままになってくれたのは何で。その心は。昨日から1000000回は繰り返した問いがまた頭を駆け巡る。 「たぶんなんも考えてなか…犬に噛まれた的な…あの人天然なとこあるし…」  スマホを手に取ると、炎司さんからストーカー問題に強い弁護士の連絡先が送られて来ていた。ありがたいがそうじゃない。「●●市 男児 水死」で検索しかけて指を止める。知らない方がいいこともある。  自宅のソファで脱力して明日の予定を頭の中で並べていると、インターフォンが立て続けに三回鳴った。Amazonの宅配だろうか。オートロックに手を伸ばそうとして違和感を覚え、音声を繋がずエントランスの画像を呼び出すと髪の長い女が見えた。件のストーカーだ。ひと抱えもある荷物を胸に抱いていて、赤黒いそれが何なのかモニターの荒い映像ではとらえきれない。  ついにインターフォンを鳴らすようになったのか。カーテンを引く前に家の灯りは点けてしまったから在宅もバレているだろう。  とりあえずここは無視だ。しつこいなら窓から出て事務所に避難だ。そんなことを考えているとまた三度、インターフォンが鳴る。炎司さんの言葉を思いだす。
 許可がなければ入れない。  あまり自分を疑うな、魔につけ込まれるぞ。
 ストーカーはエスカレートすれば許可がなくても入ってくるだろう���、俺が何を疑わなくてもストーキングをやめないだろう。まだ悪魔や怪異の方が慎みがある。そう思うと投げやりに笑えた。インターフォンの音声を切ってソファに転がり、炎司さんに電話をかける。  ぼん。  背後で窓が鳴る。
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mori-mori-chan · 3 years ago
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続・『少年ハリウッド』を観ました
cf. 『少年ハリウッド』を観ました
いやぁ……とうとう完走しました『少年ハリウッド』(以下少ハリ)。今回も記憶を基に感想を綴っていきます(ので台詞や時系列など多少間違いもあるかと思いますが許してニャン)!
※以下、ネタバレを含みます
Tumblr media
今回もwikiのスクショ失礼します。ストーリーに関しては公式サイトでざっくり紹介されていますので私の駄文よりそちらをご覧ください
第21話『神は自分の言葉で語るのか』……経典回です。このタイトルでいう神はシャチョウ、そして1期で出てきたやまびこフレンド(トミーの生活している施設の名称、フレンズだったかも)の子供が言っていた、世間一般で言うところの超越した存在にして万能の神(「悲しい感情と嬉しい感情が~」とか何か言ってましたよね)の両方を指しているように感じました。
センターに抜擢されたことで取材を受けるカケル。インタビュアーに勝手に言葉を捻じ曲げられ、発言してもいない言葉を書かれて戸惑うカケルの姿が見ていて痛々しかったです。カケルはセンターになったことを別に喜んではいないんですよね。センターになる=アイドルにとって嬉しいこと・ファンにとってはめでたいことと思い込みがちの我々ですが、マッキーのファンからしたらそれまでのポジションを、トミー、キラ、シュンシュンのファンからしたら彼らがセンターになるチャンスを奪った者としてカケルは恨むべき対象に一転しますし、実際に客席から睨まれもします。これがアイドルグループの難しいところというか、複数名で活動する以上誰かに光が当たれば誰かが影になる為必ずしも目立つことが良しとされないというか……光と影はいつだって表裏一体なのですから。 
休憩室(楽屋?)にマネージャー・勅使河原がファンレターを持ってくるのですがセンターになった影響かカケルのファンレターが増えています。それを見てカケルはメンバーに睨まれたことを打ち明けるのですが、その時にシュンシュンは言います。
「俺は超人気があるわけでもないし、アンチがいるわけでもない。アンチでもいいから注目してほしいって思うよ」
アッ……ここで大森靖子の『ミッドナイト清純異性交遊』を思い出し悶絶する私!嘘でもいい、嫌いでもいい、私を見つけて……。自分語りで申し訳ないのですが、私はハロオタでもあるのでかつてバラエティで体を張って頑張っていた嗣永桃子さんや道重さゆみさんを思い出し情緒が狂わざるを得なくなりました。それはさておき作られた、偽りの人格=アイドルとしての自分と現実の自分の乖離に悩むカケルに、シャチョウはアイドルとは神であり生贄でもある、と語り掛けます。この回のシャチョウの発言は全てが経典です(LINEスタンプも販売中!)。
「アイドルってね、ファンの見ようによっては神にも生贄にもなれるんですよ」
「ファンはアイドルにあるものもないものも求めます。恋人になってほしい、家族になってほしい……素を見たい、素を見たくない。近くにいてほしい、遠い存在であってほしい。自分だけのアイドルでいてほしい、皆のアイドルでいてほしい……」
アイドルは偶像ですが、その中身は生身の人間です。私達が日常で目にしているアイドルだって自宅だったり家族や友人、或いは恋人といる時は全く別の人かもしれませんからね……この回はアイドルの数だけその中身がいるという単純にして絶対的な事実を再認識させてくれます。アイドルが好きな人は勿論、アイドルを志している人にも見てほしいですね。
第22話『ファンシーメルシーブラックコーヒー』
まさかの恋愛回~~!!!!
前回視聴時(2021/9/11)は少ハリで恋愛について触れる回はあるのか少し気になってはいたのですが、恋愛回担当はまさかのキラですよ!メンバー中最もプロ意識が高く遅刻もしたことがないキラです!!マッキーが言っていましたが、恋愛は人を狂わせます。熱愛発覚により解雇されたアイドル、過去に何人いたことでしょうか。
キラの家の冷蔵庫が故障→キラ母「今日はお弁当が用意出来ないから何か買って食べてね」→キラ、恐らく人生初であろう学校での昼食の購入を行うため通学路にあるサンドイッチ屋さん『ファンシーメルシー』へ……恋はしようと思ってするものではなく、突然落ちるものですから仕方ないですよね。キラは初恋をします。はっきりと明言されてはいないのですが、まぁ初恋でしょう。店員の女性に一目惚れしたキラは、苦手な大葉(シソ)が入っているにもかかわらず彼女のおすすめのサンドイッチを購入します。冒頭で社長が苦手だった食べ物を克服する描写があったので友人が
「これ絶対キラシソ気に入る流れでしょ!」
と言っていたのですがまさにその通りに。キラは大葉を克服し、ファンシーメルシーに通い詰めになった結果、連日大量のサンドイッチを公演の差し入れとして持ち込むように。キラが持ち込むのは癖のあるメニューばかりで、とある理由から敢えてそういう「売れ残りそうなもの」を選んでいます。キラいわく人気のあるメニュー、ベタなメニューは自分が選ばなくとも売れるだろうからなんですが、きっと売れ残りそうな商品を大量に買うことで店員さんにインパクト&いい印象を与え自分を覚えてもらいたいんでしょうね。あと、これは勝手な見解ですが売れるものって売れているから売れるみたいな部分があるので、まだ大スターではない少年ハリウッドと売れていないサンドイッチを重ねたのかな、などと思いました。
店員の女性はキラと話している時よく笑い、楽しそうに口元を右手で隠します。キラがいつものようにお店に行くと、丁度店員さんが早く上がるところに鉢合わせます。用事があって早く帰るんです、という彼女にキラは積極的に話しかけます。彼女にコーラ、自分にブラックコーヒーの缶を買い二人で公園へ行くのですが、連日のサンドイッチ責めに何かを感づいたマッキーと彼に誘われたカケルが彼らを尾行しています。恋愛経験のないキラには段取りが理解できず、初っ端からびっ��りするぐらいグイグイいくので友人とキラ怖い!やばい!と震え��ぱなしでした。
結論から言うと彼女には婚約者がいて、左手の薬指には婚約指輪が輝いており早上がりは婚約者に誕生日を祝ってもらう為だったのです。……いつも口元を隠すのが右手なので、左手は見えないんですよね。図らずも失恋してしまったキラですが彼は彼女に元気いっぱい言います。
「僕は、キラ……佐伯希星です。少年ハリウッドってアイドルしてます。いつか、もっともっと売れるんで、今日という日のことを絶対に忘れないでください!!」(うろ覚え)
これは……伝説の1期16話『本物の握手』のアンサーや!!!
正直恋愛沙汰でやらかすならシュンシュンだと思っていたので(ごめん)、よりによってもっとも"そういうこと"をしそうにないキラに恋愛回が来たのが少ハリだな、と……先のことなんてわからないのはファンもアイドルも同じです。
キラが名を名乗ったことで女性も自らの名を名乗ろうとするのですがキラはそれを遮り、一緒に遊んでいたシーソーから女性を王子様のようにエスコートし立ち上がらせます。失恋したキラを慰めるマッキーとカケルがお兄ちゃん感あって……すごくよかったです……。結局かっこつける為だけに買ったブラックコーヒーは作中では飲まれなかったのですが、キラはこう、16話の握手会でマッキーと街中を歩いていた時のポップコーンみたいに"相手に良く思われたい、こう見られたいというイメージ通りに見せたい"が為に好きでもないものでも躊躇なく手を出しますよね。少ハリくんキャラの掘り下げ方うますぎんか???
恋愛回とは書きましたがよくある「恋に悩むアイドル」的な恋愛描写ではなく「アイドルがそのアイドル人生の中で一瞬でも心通わせた相手に対する憧憬」みたいな、もっとこう……深い話なんですよね……自分の文才の無さが悔しい!!これがまた主役がキラなのがいいんですよ。芸能界には慣れていてパフォーマンスもトークもばっちりなかわりに日常生活を芸能界に捧げ続けてきたせいで平凡な恋の仕方を知らない彼に、純粋培養された子役出身アイドルの哀しみを感じました。キラのいた星の国は、多くのものを犠牲にして出来た国でもあったのです……。
EDのキラソロ曲(『青いきゅんきゅんマフラー』)も良かったです!!!
第23話『正しさと正しさの狭間で』
この辺から毎OPで泣くようになります(Ding!Dong!Dang!の辺りから)
私へ シーマさん出ました
残り5話もないこの状況で敵役/悪役を出してくる少ハリ、流石だネ!!なんと今回は初代少年ハリウッドの7人中未出演2人のうちの1人、海馬と書いてシーマのシーマさんが敵というか壁となり立ちはだかります。シーマさんと言えば初代が人気絶頂の最中初代シャチョウが事故死し、今後の少ハリをどうするかの話になった際に(最終的には納得したものの)解散を強く拒んでいましたよね。つまり彼もまた初代少年ハリウッドを愛していた人物なのですが……?
ところで皆さん、ハロプロはお好きですか?私は好きです。今の推しは川名凜ちゃん(凛ではないのでご注意ください)です。ハロプロには多くのユニットが存在し、モーニング娘。やアンジュルムのようにメンバーの卒業・加入を繰り返しその形を変えながら活動を続けているユニットもあればBerryz工房や℃uteのようにオリメンのみで活動、卒業はあれど加入はなく、メンバーこそがユニット、みたいなユニットもあります。卒業や加入によってユニットを構成するメンバーが大幅に入れ替わったとしても、それは元のユニットと同じと言えるのか?と思ったことないですか?私はないです(ないんかい)。例えば前出のアンジュルムはもうオリメンはいないのですが、かつてのメンバーと同じように厳正をオーディションを突破、或いは研修を経て加入したのであれば追加のメンバーの見た目もダンスも歌も既存メンバーと全然違えどアンジュルムなわけですよ(なお川名凜ちゃんもアンジュルムですよろしく)。つまり、構成するものが変わっても実質的な機能が変わらないのであれば、それは同じと捉えてよいのか?と(まんまギリシャ神話のテセウスの船なんですが……)。
今回突如現れたシーマは、少年ハリウッドや彼らの活動の場を壊そうとする、今作における明確な"倒すべき存在"です。初代少ハリメンバー現少ハリに好意的で助力を惜しまない人ばかりだったためここに来て初代少ハリから敵が出てきたことに驚きました。経営難・人気頭打ちの少年ハリウッド&ハリウッド東京の経営は立て直して上手くやってあげるから、代わりに自分がシャチョウになるし好きなようにやらせてね☆(意訳)とのたまうシーマに現少ハリ一同は衝撃を受け、絶望的な空気になります。少年ハリウッドであること、永遠にアイドルであろうとすることに強いこだわりのあるトミーは特に。これまでに関わった初代メン達が優しい人ばかりだったので、憧れの存在だった初代少ハリの1人に自分の夢をぶち壊されることとなったのはなおさらきついでしょう。
……とこれだけ書くとシーマが超嫌な奴っぽいのですがシーマはシーマで初代少年ハリウッドが大好きで守りたいだけなんです。
友人「こじらせてんな」
私「こじらせてんな」
またハロプロの話になるんですが(すいません)かつてカントリー・ガールズというユニットが存在しました。元々は1999~2007年に活動していたカントリー娘。だったのですが名を改めメンバーも総入れ替えし2014年から再始動していました。名前が多少変わってはいますが一応ユニットとしては同じものではああるのです。……アッ自分から振っといて申し訳ないのですがカンガの話は辛いからやめます!!私が泣いてしまうので!情緒が狂ってしまうので!!『書いては消しての “I Love You”』は名曲です!!!
シャチョウは概念としての少年ハリウッドを、シーマは実態としての少年ハリウッド(オリジナル)を愛し、続けようとしているのでしょう。うまく表現できませんがシャチョウがしようとしていることは花瓶みたいな感じでしょうか。シャチョウの残し続けたい少年ハリウッドが人を楽しませる美しい花(枯れたら入れ替える)とそれを飾る為の花瓶のセットで、シーマの残し続けたい少年ハリウッドは彼にとってどうでもよい今の少ハリを無視した、初代少ハリが輝いていられる花屋さんみたいなものかなと私は思いました。満開になった花をガスなどで長持ちさせたりドライフラワーにしたり……”初代メンを活かす装置としての少年ハリウッド”を作りたいのかな、と。シンプルに日本語が下手だな私
シャチョウはどこかへ去るわクリスマスライブ後に劇場が壊されることが決まってしまったわ実質解散が迫っているわで、皆もかつての1期のクリスマスライブ前のような統率の取れていない状態になってしまいます。何も知らないファン達に新規の仕事を祝う声援を受け、トミーは劇場袖で号泣します。少年ハリウッドでいたいトミーがいずれ少年ハリウッドでいられなくなる事実、声援に笑顔で答えた=ファンに嘘を吐いた、その苦しさを受け止めきれないのでしょう。また、トミーは自分が怖い!と感情を爆発させます。自分は結局変わることを拒み今のままでありたいと願っている、つまりシーマと同じではないか、変化を受け入れられないこんな自分が怖い、と。苦い回でした。
第24話『まわりっぱなしの、この世界で』
本当に申し訳ないのですが23話辺りから「あ~少ハリ終わっちゃうんだ……やだ終わらんといて……」と脳がまともに機能していなかった為23・24話の内容がかなりごっちゃになっています。申し訳ございません!
23話で決まったTDL的な施設のイメージキャラクターを務める仕事をしているのですがまぁギスギスです。それまで仲裁や鼓舞など皆のメンタルサポート的な役割を果たすことが多かったトミーが、内に秘めた自我を爆発させしキラとバチバチになったのが意外でした。トミーも本気でキラと衝突しているわけではないのですがやはり彼には少ハリとハリウッド東京がなくなる(厳密に言うと形が変わる、ですかね)、が認められないんですよね……一方でキラはこの絶望的な状況でもスタッフへの配慮を忘れておらず、流石の一言に尽きます。コーヒーカップでの撮影でスタッフから音声は拾われないから楽しそうに振る舞ってくださいね、と言われたのをいいことに、マッキーと��乗している施設のマスコットキャラ・シロートくんの暴言がきっかけとなり皆が皆を和気藹々と罵倒し始めます(和気藹々の罵倒とは)。
私へ リュウ出ました
シロートくんの中の人は初代少ハリの解散と共にどこかへ旅に行って��まった初代メンバーのリュウです。とにかく口が悪い!正直リュウはもっと掘り下げてほしいのですが、彼は原作の小説等ではもっと出ているのかもしれませんね。リュウは罵倒はしてくるもののものの特に現少ハリは勿論初代についても言及することはありませんでした。リュウは現少ハリのことどう思ってんだ~???でも彼は嫌いだったら構ったりしなさそうなのでなんだかんだで気に入っている、或いは気にかけてはいるのかな……?
ラストの次回予告はリュウがやりたい放題やっていて「声優ってすごい!」と思わざるを得ませんでした。岸尾だいすけすごい。
題25話『瞳を閉じる日が来ても』
キラの演技力でシーマと勅使河原を劇場外へ連れ出す→キラ猛ダッシュでUターンからの少ハリによる劇場立てこもりが発生します。個人的に雨の夜に手ぶらでほっぽり出されたシーマ&勅使河原は一体何をどうして過ごしていたのかが気になります。別にそこまで仲が良さそうでもないですし……。誰もいなくなったバリケードだらけの劇場、その舞台の上で彼らはクリスマスライブに向けての目標を紙に書きだしては貼っていきます。最後は全力で頑張ろう、という声に頑張っているのはいつもだから、いつも通りやろう、最高のいつも通りを目指そうとマッキーやカケルは言います。
メンバーによるメンバーやシャチョウ等の物真似大会等を経て皆の気持ちがまとまりかけた時、劇場が雷雨により停電し真っ暗になります。メンバーが暗闇に右往左往する中トミーが鮮やかな光を灯します。その光は、もしかしたらもう使われることがなくなるかもしれない少年ハリウッドのペンライト。観客と劇場への感謝の気持ちを込めて客席の一つ一つに彼らはペンラを置いていき、その光の中でアカペラで「永遠never ever」を歌います。ここのアカペラがもう圧巻でしてねェ~!!!!!!!!!!1期7話で音痴を指摘され悩んでいたカケルの歌がすごくよくなっているんですね……もう何か自分のことのように嬉しかったです。何でしょうこの感情は。因みに物真似大会の最中トミー(確か)から匿名掲示板上にシュンシュンが整形でないか疑う&それを擁護する書き込み→シュンシュン自演乙書き込みがあったと告げられます。シュンシュン!アンチだけど注目してくれている人増えたよ(cf.21話)!!
客席のペンラも一つ残らず消え夜が明けた頃、シャチョウが忘れ物を取りに来たと客席にひょっこり現れます。そこへシーマも。勅使河原の「��ャチョウ!」の呼び声に両者が反応するところに笑ってしまいました。バリケードを作ってまで少ハリを守ろうとしたこと、”最高のいつも通り”を披露できるよう努力したこと、シャチョウとシーマ含む初代少ハリ全員に認められたことを理由に少ハリはクリスマスライブ後もこれまで通り活動を続けていい、本当に自分はハリウッド東京を乗っ取るつもりだった、とシーマの口から明かされます。なんかもう良かったね!!良かったね!!と狂うことしかできず……シーマさんはちょっとアプローチが違っただけで彼なりに少ハリとハリウッド東京を本当に守りたかったんです。娘。みたいにメンバー構成を変え新鮮さを保ちながら活動するか、℃みたいに慣れや老いを受け止めながら熟成しながら続けるか……的な(???)???アイドルにとっての永遠、を改めて考えさせる内容でした。
リュウがいつ少ハリを認めたんだ?と気になりましたがもしかしたら前回でメンバー同士でボロクソに言い合いながらも結局は楽しくやっていた様を彼なりに「こいつらなら託してもいい」とジャッジしていたのかもしれませんね。勝手な憶測ですが。なお舞台上で目覚めるシーン、私は勝手にスラムダンクのオマージュかなと思いました。EDの『世界が終わるまでは』の最後の方に皆で雑魚寝してるシーンありませんでした?いやまぁスラダンと何の関係もないんですけど(何で書いた)実質この回が最終回で、1期2話でシャチョウが皆にプレゼントしてくれたスニーカーのアップが何回かありました。良すぎて泣いていた気がします。情緒が狂ってしまっていてもう記憶がやばいんよ
第26話『HOLLY STAGE FOR YOU』
ありがとう少年ハリウッドありがとう
え~もう何も言えん……DVD買うわ……。かつては自己紹介を放棄さえしたシュンシュンがバッチリ最後のあの曲げた肘を上にガッ!と上げる決めポーズを見てウォウウォウ泣きました。
何の因果か2021年秋に2014年夏・冬のアニメを観たわけですが当時ではなく今の自分だからこそ楽しめたのかな、という気もします。会うべくして会った作品ですね。あと視聴させてくれた友人に感謝。そしてクラウドファンディングに参加し素晴らしい作品を起こしてくださったオレンジの皆様にも感謝です。この作品は一生語り継いでいきたい……認知症になってもこれだけは忘れたくない……。
色々と書きたいことが無限にありますが、自分から見たキャラクターがどんな印象かをちょっとだけ綴ります。読まなくていいです。
☆風見颯(カケル):逢坂良太
「君の宇宙は、僕の宇宙。僕の宇宙は、君の宇宙。つまり僕は君に夢中!夢をカケルよ、風見颯。高校二年生の十七歳です!」
良くも悪くも自己主張のない、空っぽな男の子で、言い換えれば無限の可能性を秘めた何物にもなれる存在でもあります。これといって夢も野心もなくただ何となく流されるようにシャチョウのスカウトに乗り、戸惑いながらも精一杯彼なりにアイドルであろうとしていますが、センターに選ばれたのは彼のその性格によるものでしょう。
シャチョウから見て最も神様にも生贄にも近いメンバーが彼だったのでしょう。だって、「自分からなろうなろうとしてなった神様って、何か嫌じゃないですか?」
☆甘木生馬(マッキー):柿原徹也
「座右の銘は、仏恥義理魂。ハンパなことは嫌いです。マッキーこと、甘木生馬、十八歳。夜露死苦。」
高校は同級生に馴染めず中退、家族とは特に関わりなしでハリウッド東京及び少年ハリウッドに自分の居場所を見出します。若干配慮に欠ける部分も見受けられますがその豪勢さが皆の救いにも待っています。センター交代回で見せた熱い涙はかっこよかったです……。
風邪を引いて3日活動をお休みしていた時、台所がぐっちゃぐちゃになっていたので特にお見舞いに来てくれる友人もいないのかな、と感じました。でも24話?でもし少ハリがなくなったらハリウッド東京に残るかと問われた際にバイトでもするかな、と答えていたのは意外でした。特にそこは拘りないんだな……もしかしたらセンター交代を経てシャチョウが言っていたようにセンターだけが自分の居場所ではないと目覚めたのかもしれません。
☆佐伯希星(キラ): 山下大輝
「少し前まで、星の国にいたんだよ。このキラキラが見えますか?君の希望の星になりたい、佐伯希星、最年少、中学三年生の十四歳です!」
キラおめぇ何だかんだでマッキーと息ぴったりよな
☆富井大樹(トミー):蒼井翔太
「世界一のラッキーボーイ。君の運気上昇担当になりたい、富井大樹十五歳、高校一年生です。お守りにしてね!」
確かシャチョウから「誰も傷つかないようにその努力は素晴らしいですがあなたは本当は鋭い棘を持っている、その棘で誰かを傷つけないよう気を付けてください」みたいなこと言われてませんでしたっけ?ど、どの辺りが!?優しくて純粋で、強い意志と思いやりのある素敵な少年です。
トミーは初代少ハリへの思い入れが強く、一部の初代メンバーの「ずっと少ハリでいたい、一生アイドルでいたい」という夢が叶っていないことにショックを受けその分自分達が永遠になろう、ずっとアイドルでいたいと強く願います。彼は施設で育った子なんですがレッスンが忙しくなってきた頃に施設内の幼児から「明日は帰ってくる?明後日は?その次の日は?」と問われます。幼児は施設のルールに則りいつかトミーもどこかへ行って戻ってこなくなるのでは、と不安に思っているのです。しばらく先だよ、とはぐらかすのですがずっと同じところにはいられない──少ハリで散々語られる残酷な現実を一番感じているのも案外トミーかもしれませんね。
☆舞山���(シュンシュン):小野賢章
「笑顔でキュン!怒りんぼにシュン。この八重歯にかけて、君の最後の彼氏になることを誓います。十五歳の高校一年生、シュンシュンこと、舞山春です!」
MPを削る攻撃をしてくるタイプか?
シュンシュンは結構視聴者への与ダメが大きいですよね。やりたくない仕事の毎日にうんざりして他の事務所のオーディションに行くも顔以外評価されなかったり、芸能界から離れた初代メンをかっこ悪いと思ってしまったりイキり散らかして自己紹介を放棄→会場内の空気を凍らせたり自ら出待ちにファンサしに行ったり(書いているだけで胃が痛いです)。……生々しいんですよね、行動のひとつひとつが。元々シンガー希望なのでアイドルにそこまで思い入れがないのかもしれませんが、プロ意識がないというかある意味等身大の男の子だなと感じます。
シュンシュンといえば"夢"が切っても切れないワードですよね。母親からも言われたようにアイドル活動が忙しくなっていくに伴い大事にしていたギターを弾くことはほぼなくなります(2期ではほぼ映っていなかったような……)。元々抱いていた"世界的なアーティストになる"夢はなくなりましたが、夢は形を変えてもいい、可能性は無限にあると気づいてからは吹っ切れたような印象があります。
本当に素晴らしい作品でした。出会えてよかったです。
なお21~26話を完走したのちdアニで『IDOLiSH7』1期も完走したんですが少ハリを経験した後だと解像度が恐ろしいほど上がりますね。全てのアイドルものに手を出すならばその前に少ハリをキメてくれ、と思います。環がファンに騙されるところは『少年ハリウッド』1期16話通過後の私はもうア゛ ア゛ ア゛ ア゛ ア゛ ア゛ ア゛お前お前お前~~~!!お前は本物のファンじゃねェ~認めねぇぞォォォォォ!!!!!!と心で暴れましたからねハイ
ありがとう少年ハリウッド、本当にありがとう。死ぬまで布教し続けます。
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eupalinos · 3 years ago
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シャニマス全員のWINGプロデュースを完走した感想
 最近真面目な文章ばっかり書いてて楽しいのだが疲れる。素振りみたいなものなのでつらいのは当たり前なんだけど、今回はシャニマス25人WINGプロデュースレビューという感じで気楽に書いてみる。ここに来るまで休んでた期間を含めると(冬優子でダメージを負い過ぎて半年シャニマスがプレイできなかった)ダウンロードして1年強かかったことになる。ヒエ~ッ。とにかくシャニマスはノベルゲー要素の厚みと目押しゲーのバランスで感情移入させることにほぼ魔術的な力があり、なんでも沼なので沼沼言いたくないけど引きずり込まれるものがある。はっきり言ってこんなに一個のコンテンツに没入してるのAKB48とエヴァンゲリオン以来だと思う。AKBとエヴァとアイマスが人生で一番没頭したコンテンツですとか言ったら批評界隈の人からビール瓶で頭を叩き割られそうだな。頭いい人たちって普段何してんの?まあいいや。とりあえず頭から書いていきます。ユニット内順序は順不同。���変なので一行ずつで。
・イルミネーションスターズ
・櫻木真乃(SSR【はじけてスマイル】でプレイ)
 癖がない。歌ってたらスカウトされるあたり卯月とは根本的に違う感じ。
・風野灯織(SSR【柔らかな微笑み】でプレイ)
 終始苦しそう。絶対バンプオブチキン聴いてる。
・八宮めぐる(SSR【シュカのまにまに】でプレイ)
 ポロシャツがパッツパツ。プレイ中下半身が大変だった。
・アンティーカ
・月岡恋鐘(SSR【風吹く丘にはよ来んね】でプレイ)
 予想より爽やかで天真爛漫。捻りがなさすぎて退屈だった(怒らないで)。立教大っぽい。
・田中摩美々(SSR【トリッキーナイト】でプレイ)
 神奈川のボンボン。まみみ、泣かないでくれ……。
・幽谷霧子(SR【包・帯・組・曲】でプレイ)
 テキストがのっぺりしているような感じで手ごたえがなく。再プレイ。
・三峰結華(R【白いツバサ】でプレイ)
 あまり分からなかった。生理重そう。SSRを引きたいうちの一人。中央大法っぽい。
・白瀬咲耶(SSR【紺碧のボーダーライン】でプレイ)
 共依存の味を覚えさせて咲耶もろとも人生を崩壊させたい。
・放課後クライマックスガールズ
・小宮果穂
 「ヒーロー」という観念そのものであり人間味があまりない。
・有栖川夏葉(SR【ストイックトレーニング】でプレイ)
 永遠にバスの乗り方覚えないでほしい。東大文Ⅲであってほしい。
・園田智代子(SSR【ちょこ色×きらきらロマン】でプレイ)
 いい意味で「普通」の子。はきはきする子に悪い子はいない。
・杜野凛世(SSR【杜野凛世の印象派】でプレイ)
 めんどくさい女。湿度が高い。個人的には苦手。
・西城樹里(SR【オフデーゲーム】でプレイ)
 デレるのが早すぎる気がする。めぐると違って染めた質感の金髪がグッド。
・アルストロメリア
・桑山千雪(SR【一夏一刻物語】でプレイ)
 肉の匂いがする。『薄桃色にこんがらがって』も読んだけどこういう湿度は凛世と別ベクトルで苦手。
・大崎甜花(SSR【I♡DOLL】でプレイ)
 何もできない子が頑張る話に本当に弱い。僕はいつも頑張り方を間違えるので……。
・大崎甘奈(R【白いツバサ】でプレイ)
 二次創作にあるけど暴力振るわれてほしい。ねえ、お願い、甘奈のこと見捨てないで、お金もあげる、君のために働くよ、ねえ、甘奈のこと好きでいて……。
・ストレイライト
・黛冬優子(SSR【オ♡フ♡レ♡コ】でプレイ)
 担当。感情がデカすぎて一行で表現できない。半年前シャニマスがプレイ不能になるほど打ちのめされたのは冬優子だった。あと好きすぎて一時期シャニマスが開けなかった。
・芹沢あさひ(SSR【不機嫌なテーマパーク】でプレイ)
 最初の女。ADHD。彼女の良さは天才にあるのではなく中2らしい乳臭さだと思う。
・和泉愛依(SR【ご褒美、いるよね♪】でプレイ)
 千雪さんよりもママ。個人的には『The WorldEnd:BreakDown』の方が普通にプロデュースするよりも彼女のコンプレックスが表現されていた気がする。
・ノクチル
・浅倉透(SR【まわるものについて】でプレイ)
 推し(二人いることは許せ)。極限まで単純なものが極度に複雑な感情を喚起しうることの可能性。
・樋口円香(SSR【カラカラカラ】でプレイ)
 お前本当はアイドル楽しいだろ。
・市川雛菜(R【白いツバサ】でプレイ)
 哀しい。なんでもできてなんでもできない。
・福丸小糸(SSR【ポシェットの中には】でプレイ)
 灯織と一緒でいつも苦しそう。何のためにがんばってるかわかってない気がする。
・シーズ
・七草にちか(R【白いツバサ】でプレイ)
 言語を絶するテキストの緊密さ。読んだ後どっと疲れるし読後感は最悪だがシャニマステキスト中最高傑作なので読むべし。
・緋田美琴(R【白いツバサ】でプレイ)
 これ以上美琴は何を頑張ればいいのか、俺にも分かんねぇよ……。WING優勝するとにちかとは違い達成感に満ちたエンディング。美琴ーーーーーーッッ!!!!!!!!
 
 以上です。思い入れがあるメンバーとそうでないメンバーの差が激しすぎる。霧子、甘奈、凛世あたりはもう一回やる必要があると思います。冬優子の水天カイヤナイトを手に入れたらやります。つま先だけのつもりが頭まで浸かり……。
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4komasusume · 4 years ago
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芳文社70周年記念キャンペーンおすすめラインナップ紹介
 祝! 芳文社70周年!
 というわけでAmazon Kindleを始めとする各電子書籍サイトにて、77円というこの世の絶望みたいな価格で1200点以上の作品がセール販売されております。買う選択肢しかない。期間は16日いっぱいまでです。急ぎましょう。
 この記事ではおすすめのセール作品30作を軽くレビューしつつ紹介していきます。買う選択肢しかない。なお順番は僕が見つけた順なので特に意味はないです。
カヅホ「キルミーベイベー」 
既刊11巻 セール対象:全巻
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 みんな大好きドタバタコント。血が出たり埋まったり死んだりホラーだったりよくもまあこれだけ安定して笑いと恐怖を提供できるものです。イカの回とか、いいよね。息が止まる感覚になる。
はりかも「うらら迷路帖」
全7巻 セール対象:全巻
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 ひとつの街と世界と不思議を舞台に骨太な物語を構築してみせた力作。人間関係への���求が話を��かす力になる点が王道ながら印象的です。今なら一気読みが良いですね。
蒼樹うめ「ひだまりスケッチ」
既刊10巻 セール対象:1~9巻
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 きららという概念の道を作った作品のような気がします。これがヒットしたという事実は4コマ業界にとって非常に重い幸運であったのではないかと。ゆっくりと最後まで続いてほしいですね。
かきふらい「けいおん!」
全4巻 セール対象:全巻
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 漫画とアニメは別物であるということはここで強く言っておきたい。作品として志向している核が全く異なるので、それを理解した上で読むのが良いでしょう。個人的には続編の「highscool」が好きです。
きゆづきさとこ「GA 芸術科アートデザインクラス」
全7巻 セール対象:全巻
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 あまりにリッチなこの作り方はたぶん他の誰にも真似できない。心温まるコメディにまとめ上げたそびえ立つ偉業。
三上小又「ゆゆ式」
既刊10巻 セール対象:1~7巻
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 アニメの2期、やらないですかね。やっても良いと思うんですよね。あれだけ愛のあふれるメディアミックスもそうそうないよ。結局みんな好きなんだよな。
はまじあき「ぼっち・ざ・ろっく!」
既刊2巻 セール対象:1巻
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 読むなら今ですよ。将来「俺売れる前から読んでたもんね」とか古参ぶれますよ。まだ遅くない。現状のきらら最強のカードの威力を見よ。
浜弓場双「おちこぼれフルーツタルト」
既刊4巻 セール対象:1~2巻
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 これだけ華のある漫画ってあまり他に思いつきません。どこを切っても良い匂いしそう。女の子って最高。
篤見唯子「スロウスタート」
既刊7巻 セール対象:1~3巻
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 日常系4コマのニュースタンダード。ネタに対するコストのかけ方が尋常じゃないですね。ここまで考え抜かないと良いユーモアにはならないんだな、と。栄依子と榎並先生の話だけで1冊まとめてほしい(唐突)。
ねこうめ「こはる日和。」
全4巻 セール対象:全巻
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 中身がない、ということに対して意識的に徹底して取り組んだ意欲作、と捉えましたがどうなんでしょうね。後半はかなり百合濃度が高くなるらしいのですが、正直なところまだ読んでいないので、この機会に学習します。
kashmir「○本の住人」
全7巻 セール対象:全巻
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 屈折しててじめっとしててそして不可思議にキュート。kashmirワールドの真髄が間違いなくきららの中に在ったという事実を忘れずに生きていきたい。
クール教信者「小森さんは断れない!」
既刊8巻 セール対象:1~5巻
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 捻くれ者ですよね、この作者。ストレートでありながらどこか曲がってしまうその佇まいに存在感があります。もしかして、それが青春、ということなのかも。
鴻巣覚「がんくつ荘の不夜城さん」
全3巻 セール対象:全巻
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 きらら作家漫画をきららで描く。発想の勝利。コロンブスの卵。リアルとフィクションの混ぜ方が楽しかったですね。背が高くて胸が大きくてだらしのない成人女性という性癖、僕は全肯定です。
そと「ラストピア」
全2巻 セール対象:全巻
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 少し冷たいそよ風が吹いているような寂しげな雰囲気が最大の特徴です。音がないんですよね。そしてどこまでもこの世界の片隅で考え事をして過ごしたくなる。好きな作品です。
ざら「しかくいシカク」
全3巻 セール対象:全巻
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 この人の漫画は単に癖があるという感じじゃないです。何かしらの異世界のロジックにより構築されているような感覚があります。似た漫画はなく、これを読むためにはこれを読むしかない。個人的には等身の高いスマートな絵柄が好きです。同作者の「ふおんコネクト!」「ふたりでひとりぐらし、」も全巻セール中。
タツノコッソ「社畜さんと家出少女」
既刊1巻 セール対象:全巻
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 こんなに心安らがない日常系4コマってないですよ。「ささやかな日常」みたいなものの裏に常に破滅の気配がある。今のきららで確信的にこれをやる胆力は実に鮮やかです。力いっぱい応援していきたい。
有馬「はんどすたんど!」
全3巻 セール対象:全巻
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 4コマよく読む人ならわかってもらえる気がするんですけど、「単純に笑える」って結構貴重なんですよね。「楽しい気持ちになる」ならたくさんあるんだけど。その意味で、この作品は必読。きちんと部活ものやってる真面目さが肝ですね。
蕃納葱「教艦ASTRO」
既刊1巻 セール対象:全巻
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 13年も前の作品を今こうしてセールのラインナップに入れるということは、つまり続刊を期待しても良いということですよね。
あfろ「シロクマと不明局」
全2巻 セール対象:全巻
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 ストーリー4コマの間違いなく到達点。かつ極北。何も言うことはないので、類まれな物語の濁流に飲み込まれてください。今なら77円ですから。今なら77円ですから。
瀬戸口みづき「ローカル女子の遠吠え」
既刊6巻 セール対象:1巻
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 ヒロインがかなりかわいいと思うんですよ。常に仏頂面な感じが推せる。この作者のギャグセンスは独特ですよね。諦念のある激情というか。
ウロ「ぱわーおぶすまいる。」
全5巻 セール対象:全巻
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 きららのラブコメといえば、個人的にはこれと「箱入りドロップス」(なんでセール対象外なんだよ)の二強かな、と。きちんと恋愛に向き合っている、というところの真摯さが本作の価値です。かわいい、を突き抜けて魅力的な絵柄も良いですね。
鈴城芹「看板娘はさしおさえ」
全4巻 セール対象:全巻
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 鈴城芹漫画の完璧に地に足のついた感じはいったい何なんでしょうね。間違いなく計算に依存して作劇していると思いますが、キャラが作者に動かされているようには見えない。そして静かな情熱が確かにある。純真で透明なキャラたちの関わり合い���、グッとくるものを感じるのですね。
湖西晶「かみさまのいうとおり!」
全9巻 セール対象:全巻
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 本作のあと下ネタからすっぱり手を引いたのがすごいですよね。毎度新しい読み心地と面白さを提供してくれるその姿勢こそが長年活躍する秘訣のように思います。「〆切ごはん」も一部セール中でおすすめです。
柳原満月「軍神ちゃんとよばないで」
既刊7巻 セール対象:1~3巻
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 個人的に歴史ものってあまり興味持てないのですが、本作は絵柄のかわいさがハードルをだいぶ下げてくれています。コメディとしても上質。かなり好きです。あと歴史詳しくないと先々の展開がわからないから有利みたいなところありますよね。
器械「スクール・アーキテクト」
全2巻 セール対象:全巻
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 正直、試みが成功しているとは思えない。問題点も多いように見える。それでも、本作の挑戦には多大な価値があるし、それは4コマという媒体の未来に確かにつながる。描いてくれてありがとうと言いたいです。
青田めい「ゴスロリJK無人島漂流記」
全2巻 セール対象:全巻
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 自由と趣味を全力で振りかざすとこうなるという一例。ここまで奇怪な漫画というのも、まあそんなにないですよね。ちょっと古さを感じさせるキュートの絵柄でエッジの効いたギャグをやるという、この作者の面目躍如。
重野なおき「ひまじん」
全7巻 セール対象:全巻
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 いや、まさかこれまでセール中だとは。絶対買ったほうが良いです。今回挙げた作品の中でも優先順位は高いです。それくらい、本作は4コマ漫画にとっての金字塔なのです。徹底的に2人のキャラだけで回し続けた結果、部屋の置物がキャラ立ちしてくるというね。笑って楽しみながら、あまりの技術力・センスの高さに感動する作品です。
ちび丸「プレフレ」
全2巻 セール対象:2巻
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 すごく楽しんで描いたんだろうなあ、と。どのキャラもいちいち輝いている。日常を謳歌する、とはつまりこういうことなのかと幸せな気持ちになりました。いつまでも思い出深い一作です。
MIGCHIP「みらいちゃんねる」
既刊1巻 セール対象:1巻
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 個人的に昨年最も楽しんだ作品です。シンプルにセンス一本で勝負しているところが好きですね。誰にでもおすすめしたい、というよりは自分の楽しみに取っておきたい、という感じです。
楯山ヒロコ「椿さん」
全7巻 セール対象:1~6巻
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 素敵なんですよ、椿さん。素敵。立ち位置的には完璧超人なのにユーモア溢れてて、やたらめったらかわいらしい。心をグッと掴まれる感じで好きになるキャラって、僕には結構めずらしいです。こちらの世界のどこかにも生きていてほしい。
(水池亘)
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kino-kinoko · 4 years ago
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マシュマロお返事
投稿から1日足らずで早速マシュマロをくださりありがとうございます!
一人一投稿ずつ軽く��はありますがお返事させてください。本当に励みになります🙇‍♀️
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ありがとうございます😢解釈が素晴らしすぎるので是非全文あげさせてください…!あのキャプションに追加したいレベルです!笑
私の性癖とカリジャミの捻じ曲げた解釈を存分にぶつけたものなので、投稿主様に刺さってくださったのがとても嬉しいです…!
モブに襲われる部分はジャミルくんの中でカリムくんの存在の大きさに気づく大事なシーンだったのでそれにも満足してくださり良かったです。
投稿主様の言う通りで、私の中でのSubのジャミルくんは自らのSub性を嫌うあまり自分と向き合うことが苦手なので、自分のことを理解しきれていません。それはジャミルくんのプライドの高さにも起因していると考えています。
また、ジャミルくんは本家様のストーリーを踏まえて自分が納得しないと行動に移せないタイプの子だなと思っています。オバブロ後も自分のためだと納得した上でパートナー解消する気はないと伝える。モブに襲われカリムくんと違うPlayを経て初めてカリムくんが必要だと納得する。逆に、自分のSub性を納得できていないから自らは求めない…といったように。
そういった細かい解釈も汲んでくださり本当に嬉しく思います。
本当に初めて書いた文章で、ここまで熱を持って読んでくださった人がいるのだと思うと胸がいっぱいになります。重ねてになりますが本当にありがとうございます🙇‍♀️カリジャミのDomSub、もっと増えて欲しいですね!(涙目)CPと相性抜群の設定だと思うのに…何故…!
投稿主様もぜひご自愛くださいませ。この度はありがとうございました。
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fuckyeahabocado · 4 years ago
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2020年上半期ベストアルバム
今年上半期のベストアルバムを25��選びました。ジャケットをクリックすると購入先に飛びます。
1. D Smoke「Black Habits」
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西海岸のラッパー。
生っぽい音を多用したネオソウル的な音作りをベースに、Gファンクなどのウェッサイ要素を注入したようなレイドバックした曲が中心の傑作です。スムースに流すフロウや歌うようなフロウなど、多彩なフロウを柔軟に用いるスキルフルなラップも抜群。Kendrick Lamarファンの方にもオヤGにもおすすめできる、洗練された西海岸Gの新たな金字塔です。
DJ Battlecat、Jill Scott、SiRらが参加。
2. FMB DZ「The Gift 3」
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デトロイトのラッパー。
太く低めの声質から繰り出されるヒリヒリとした緊張感のあるラップが、殺伐としたハードな路線や哀愁曲などの現行デトロイト印のGなサウンドで堪能できる快作です。淡々と凄むようにギラついたラップは、時折21 Savageを思わせる瞬間も。E-40影響下にあるオフビート系のフロウも巧みに使いこなします。ベイ好きの方も是非。
哀愁と緊張感が同居したラストの「Reminiscing」は圧巻。
3. Duke Deuce「Memphis Massacre 2」
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メンフィスのラッパー。
「ワタファ~!」。このアドリブが癖になる、メンフィス臭いラップがメンフィス臭いビートに乗るメンフィス臭い作品です。高めの声質でいなたく、時には歌フロウも用いる賑やかなラップ。ダークなMタウンクランクや鬼渋ファンキー路線などのサウンド。特にクランク系の曲での暴れっぷりが凄まじく、好き者の方はニヤニヤが止まらないと思います。
Project Pat「If You Aint From My Hood」まんま使いのビートで本人とJuicy J、Lil Jonを迎えたMタウンクランクの「Crunk Ain’t Dead (Remix)」はもはやアンセムです。
4. DJ Fresh「The Tonite Show With Curren$y」
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ベイのプロデューサーとルイジアナのラッパーのタッグ作。
DJ Fresh印のチルめでスムースなものが中心のビートに、Curren$yの脱力ゆるゆるラップが絡むG度高めな良作です。極上メロウの連打に腰砕け必至。例の高音シンセも多く聴けます。
アウトロでのシンセの動きが凄いメロウな「Round 3 Times」がお気に入り。
5. Don Toliver「Heaven or Hell」
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テキサスのラッパー。
Big MoeやChalie Boyなどを思わせる、フガフガとしたソウルフルな歌を聴かせるラッパーです。80年代R&B的なシンセを多用したサウンドや、楽器(?)のソロやエディットなども取り入れた構成がユニークな怪作。
声を素材のように扱ってビートに遊びを持たせたスペイシーな「Candy」がベストトラック。
6. Kassa Overall「I THINK I’M GOOD」
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NYのプロデューサー兼ラッパー、ドラマー。
Kanye Westからの影響を感じさせるマッドなセンスで、ヒップホップとジャズを同一視して同時に鳴らしたような怪作です。生音やラップを活かしつつも、編集された魅力もある不思議な音楽性が堪能できます。
打ち込みっぽいドラムと生のドラムのコントラストが印象的な「Got Me A Plan」がハイライト。
7. Lil Baby「My Turn」
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アトランタのラッパー。
ゆるさとハードさが同居したスキルフルなラップが、シリアスなトラップ系や暖かいレイドバックした曲などで楽しめる作品です。少しG-Unit勢にも通じるバランス感覚があります。
Gunna、Lil Wayne、DJ Paulらが参加。
8. Emily King「Sides」
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NYのシンガーソングライター。
ハスキーな声質の優しくソウルフルな歌を、アコースティック編成のフォーキーなサウンドで聴かせる好作です。シンプルなようで、時にはファンキーに聴かせたりと表情も豊か。
美しいストリングスと共にSara Bareillesの美声と絡む「Teach You (Acoustic)」がお気に入り。
9. Mozzy「Beyond Bulletproof」
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ベイのラッパー。
太めの声質で聴かせる泥臭さと緊張感のあるラップが、ベイらしいバンギンやメロウ路線などで堪能できる快作です。トラップ的な曲も少しありますが、基本はGなので好き者にはたまらないはず。
切ないピアノを使った哀愁系の「Bulletproofly」がベストトラック。
10. Tha God Fahim「Lost Kingz」
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アトランタのラッパー兼プロデューサー。
高めの声質で噛み締めるようなラップが、ソウルフルで男気溢れるブーンバップ系のビートで楽しめる作品です。Wu-Tang Clan周辺に通じるような雰囲気もあります。
DJ Muggs制作のローファイで緊張感のあるワンループが光る「Iron Fist」がハイライト。
11. Ethan Gruska「En Garde」
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西海岸のシンガーソングライター。
フォークやチェンバーポップをベースに、エレクトロニカやThe Soulquariansっぽいヒップホップ感覚を注入したような作品です。やりすぎない捻りと、優しい歌心の妙が楽しめます。
Phoebe Bridgersをフィーチャーした疾走感のある「Enough For Now」がお気に入り。
12. Haiti Babii「California Haitian」
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ベイのラッパー兼プロデューサー。
素っ頓狂な高音でカサカサと動くようなフロウや歌、野太い低音、SEのようなアドリブ・・・といった多彩なスタイルを一人で同時進行させる怪作です。音的にはポストハイフィ的なシンプルなものが中心。
ファンキーなベースのループに一人何役もこなして賑やかに乗る「Murder Mook vs. Haiti Babii」など、強烈な曲が詰まっています。
13. Halsey「Manic」
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ニュージャージーのシンガー。
浮遊感のあるオルタナティヴR&B路線やロック風味、トラップ的なものなど多彩なサウンドを扱いつつも、エモーショナルでラップっぽい感覚も備えた歌の存在感で芯を通した快作です。Juice WRLDあたりが好きな方も是非。
フォーキーなギターやふわふわとしたシンセ、アフロポップ的なパーカッションが効いた「Graveyard」がベストトラック。
14. Westside Gunn「Pray for Paris」
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NYのラッパー。
高めの声質から繰り出す武骨なフロウやゆるいフロウが、ブーンバップ系のものが中心のソウルフルで暖かいビートで楽しめる作品です。賑やかなアドリブやドラムレスのビートなども印象的。
Daringer、The Alchemistらに加え、静岡のBohemia Lynchも参加。
15. Jeff Parker & The New Breed「Suite for Max Brown」
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西海岸のミュージシャン、Jeff Parkerのプロジェクト。
生演奏の良さを活かしつつエディットを施した、ヒップホップとジャズが完全に溶け合ったようなユニークな作品です。ジャズ好きの方だけではなく、J DillaやMadlibなどが好きな方も楽しめると思います。
ループ感強めで時折ギターが妙にサンプリングっぽく響く「Go Away」がハイライト。
16. Tank「While You Wait」
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DCのシンガー。
ピアノのみで歌った非常にシンプルな作りで、ソウルフルで甘くセクシーな歌声の魅力が堪能できる好R&B作品です。路線を絞ったからこそ生まれる濃厚さがあり、6曲というボリュームも絶妙。
誠実な歌心とキャッチーなフックが良い「My Lovers」がお気に入り。
17. Nazar「Guerrilla」
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アンゴラのプロデューサー。
クドゥロのアフリカの匂いがするパーカッシヴなドラムと、ダークで重苦しい音作りが合わさった怪作です。ダブステップなどのUK産ベースミュージックや、ゴムなどが好きな方にもおすすめ。
連打されるパーカッションが印象的な混沌とした「Intercept」がベストトラック。
18. Quando Rondo「QPac」
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ジョージアのラッパー。
トラップ的な音作りを踏まえつつも、ピアノなどの生楽器っぽい音色を多用した哀愁系の曲が中心の作品です。ハスキーな声質でソウルフルに歌うラップは、時折Z-Roを思わせる瞬間もあります。
切ないピアノを使った哀愁曲の「Love Or Lust」がハイライト。
19. dvsn「A Muse in Her Feelings」
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カナダのR&Bデュオ。
Drake的な浮遊感やダンスホール風味なども交えつつも、基本はスウィートなR&Bに仕上げた良作です。セクシーなファルセットも巧みに使うスムースな美声は、それだけでR&Bファン悶絶必至の魅力があります。
Bryan-Michael Cox、Ty Dolla $ign、Summer Walkerらが参加。
20. Sneakk & KiingRod「Brothers Keeper」
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ベイのラッパー二人のタッグ作。
SOB X RBE周辺らしい、ストリート感強めなブヨブヨのファンクが中心の作品です。高めの声質でねちっこいラップや歌を聴かせるSneakkと、ベイ流儀の中にJuicy Jの影響も感じさせる男臭いKiingRodのコンビネーションもばっちり。
例の高音シンセも飛び出すバンギンの「Aob」がお気に入り。
21. The Weeknd「After Hours」
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カナダのシンガー。
オルタナティブR&Bをベースにシンセポップ的な要素を注入し、ダークな雰囲気にまとめた良作です。セクシーで華のある歌も、曲によって多彩な表情を見せます。
ドラムンベース風味を取り入れた「Hardest To Love」がベストトラック。
22. Medhane「Cold Water」
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NYのラッパー。
太いドラムやループ感というより、うわものの響きで聴かせるような進化型ブーンバップ作品です。太く低い声質でしっかりと噛み締めるラップもビートによく合っています。Earl Sweatshirtなどが好きな方におすすめ。
クラウドラップにも通じるドリーミーな「Watch My Step」がハイライト。
23. Waxahatchee「Saint Cloud」
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アラバマのシンガーソングライター。
フォークロックやカントリーをベースにした飾らないサウンドで、良いメロディを優しく寄り添うように歌った良作です。明るく開放感のある曲が多い印象。インディポップ好きの方は是非。
メロウなエレピが効いた「Ruby Falls」がお気に入り。
24. Megan Thee Stallion「Suga」
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テキサスのラッパー。
YG周辺の西海岸ものっぽい路線をテキサス風にしたような、バウンシーなものやメロウなどのGな曲が目立つ作品です。三連フロウや歌うようなフロウなど、多彩なフロウを用いるラップもスキルフルな魅力があります。
Helluva、Jake One、Kehlaniらが参加。
25. Slatt Zy「Zy Story」
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テネシーのラッパー。
濁った声質のエモーショナルな歌い上げラップを、哀愁路線が中心のサウンドで聴かせる好作です。メロディメイカーとして非常に優れており、また時折飛び出す引用にもニヤリとさせられます。
例の高音シンセも使った哀愁系の「Metal Tight」には、オヤGもソファで泣き崩れると思います。
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tomtanka · 4 years ago
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かつてなく老いた涙目の短歌のために
「目は口ほどに物を言うからな」の一言で自分の言葉を信じてもらえなかったら憤慨するだろうけれど、同時に、「じゃあしかたない」とも思ってしまうかもしれない。ことわざを本気で使ってくる人を相手取るとき、そのことわざの力強さに対して自分の正直な心の力は、頑張っても引き分けか根比べ競争に持ち込めるかくらいのものかもしれない。そんなことでいいのか。「口」を��用することなく、「目」に権威を求めてしまうのはなぜだろうか。
わたしの視野になにかが欠けていると思いそれは眼球めだまと金魚を買った
/斉藤斎藤『渡辺のわたし』
「わたし」=「それ」=「作中主体」が「視野になにかが欠けていると思い」、「眼球と金魚を買った」。眼球の有無は「わたしの視野」の信頼にかかわるだろうか。
「わたしの視野」の信用問題。それは「わたしの視覚」の問題には回収されないだろう。「わたしの視野」を再現すること、報告すること。それは、語りの問題でもある。「わたしの語り」あるいは「わたしについての語り」。
「わたしの視野になにかが欠けていると思い」 「それは眼球めだまと金魚を買った」
と語る者がいる。一人称の「わたし」と三人称の「それ」を使い分けながら〈わたし=それ〉について語る者。あたかも三人称の「それ」に言及するように一人称の「わたし」について語ることのできる、「わたし」でも「それ」でもない語り手。
その語り手は眼球を使って〈わたし=それ〉を見たのだろうか。うーん。語り手として、わたしたちは見たことも聞いたこともないことを語ることができるけど。
それはメタ視点の〈わたし〉だろうか。メタ視点の〈わたし〉と思いたがる態度は、なんとしてでも〈わたしの視点〉を死守しようとする心に由来しないだろうか。もしも、〈わたしの視点〉が〈わたし〉の意識の圏内になかったら、どうするのか。〈わたしの盲点〉が無意識の視点として〈わたしの視点〉になりかわるとき、目が口ほどに物を言い始めるチャンスだ。目だけではない。様々な物たちが物を言い始める。指、髪、鼻、表情、性器、身長、体重、性別、世代、口癖、言い間違い、ファッション、スマホの機種、アクセサリー、食生活、インテリア、嗜好品、社会階層、家庭環境、トラウマ。〈わたしの視点〉を死守する心が〈わたしの盲点〉を前にして挫折するどころか〈無意識のわたしの視点〉をそこに見出すとき、〈わたし〉は言っていないことを言っていて、思っていないことを思っている。ヤバすぎる。無意識の解釈は信頼できる人や権威ある人にやってもらいたい。と、わたしは思うだろう。「と、わたしは思うだろう」と回収する〈わたしたち〉の法。
こんなにインクを使ってわたしに空いている穴がわたしの代わりに泣くの
深ければ深いほどいい雀卓がひそかに掘りさげていく穴は
/平岡直子「鏡の国の梅子」(同人誌『外出』2号)
〈わたし〉の個別性は〈わたしたち〉の法に抵抗できるはずだ。という主張は、きっと何度も繰り返されてきた。〈私性〉はしょせん共同体の一員としての制限された〈わたし〉のことだ、と言ってみたところで、かつての「共同体の一員」たちのなかにも、そのような意味での〈私性〉に回収されない〈この・わたし〉たちが次々と発見されるはずだ。それが本来の意味での〈私性〉だ。話は決まっている。その都度、うまく解釈を施せば、法文を変える必要はない。解釈できないものについては、例外事項として扱えばいい。例外的な〈わたし〉たち。動物、魔法使い、「ミューズ」、など。「穴」はどうしようか。
さいころにおじさんが住み着いている 転がすたびに大声がする
はるまきがみんなほどけてゆく夜にわたしは法律を守ります
/笹井宏之『てんとろり』
あるいは、〈わたし〉など言葉の遊戯の一効果にすぎない、と言ってみたとして。それが〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉ではない、と言い切れるだろうか。ヴァーチャル歌人・星野しずるの作者・佐々木あららは次のように語る。
Q.これ、そもそもなんのためにつくったんですか?
  僕はもともと、二物衝撃の技法に頼り、雰囲気や気分だけでつくられているかのような短歌に対して批判的です。そういう短歌を読むことは嫌いではないですが、詩的飛躍だけをいたずらに重視するのはおかしいと思っています。かつてなかった比喩が読みたければ、サイコロでも振って言葉を二つ決めてしまえばいい。意外性のある言葉の組み合わせが読みたければ、辞書をぱらぱらめくって、単語を適当に組み合わせてしまえばいい。読み手の解釈力が高ければ、わりとどんな詩的飛躍でも「あるかも」と受けとめられるはずだ……。そう考えていました。その考えが正しいのかどうか、検証したかったのが一番の動機です。
/佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」
読み手の解釈はそんなに万能ではないだろう。「わりとどんな詩的飛躍でも」、〈わたしたち〉に都合よく「あるかも」と解釈できるだろうか。現在、そのようなことは起きているだろうか。「わからない」「好みではない」「つまらない」「興味がない」「時間がない」といったことはないだろうか。それが駄目だという話ではない。〈理想の鑑賞者〉という仮想的な存在を想定した読者論はありうるが、短歌はそれを必要としているだろうか。AI純粋読者。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに泣くの」
「わたし」は泣いていないのだとして。「穴」があるかも。泣いているかも。
誰の声?
「なんでそんなことするんだよ」で笑いたいし、なんでそんなことするんだよ、を言いたい。〈なんでそんなことをするのかが分かる〉に安心するのは、それがもう「自分」だからだ。「自分」のように親しい安心感なんて、いくつあったっていい。 でも〈なんでそんなことをするのかが分かる〉でばかり生を満たしているとどうだろう、人はそのうち、AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか。
/伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』」
やさしくて、人を勇気づけてくれる言葉だ。そう思う。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに」「AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか」
「わたし」の代わりに泣いているのは何だろう。〈わたしたち〉の法はその涙を取り締まれるだろうか。「泣くことになるんじゃないか」は「泣くな」ではない。「じゃないか」の声の震えは何だろう。もしかして、泣いてるんじゃないのか?
ころんだという事実だけ広まって誰にも助けられないだるま
もう顔と名前が一致しないとかではなく僕が一致してない
あたらしいかおがほしいとトーマスが泣き叫びつつ通過しました
/木下龍也『つむじ風、ここにあります』
機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体
/東直子『青卵』
ナレーションのような声によって、かわいそうなものがユーモラスに立ち上がる。ナレーターの「僕」もなんだかかわいそう。「だるまさんが転んだ」という遊びはだるまを助ける遊びではない。そもそも、鬼に自分から近づいていくような酔狂な者たちは、自身がだるまである自覚があるのか。いや、このゲームにだるまは存在するのか? 助けるに値しないだろ。「顔と名前が一致しない」は、通常、自分以外の誰かに向けられる言葉だが、歌を読み進めていくとそれが「僕」に向けられた言葉であることが判明する。読者はそれに驚くだけではない。「顔と名前が一致しない」という言葉に含まれる攻撃性が「僕」自身に向けられることで、途端に空気がやわらぐのを感じて、ホッとする。笑う。あ、よかった、大丈夫だった。「僕が一致していない」と言う「僕」のユーモラスなかわいそうさは、このような言葉のドラマによって作られている。お前、かわいそうだな、でも大丈夫そうだ。〈立てるかい 君が背負っているものを君ごと背負うこともできるよ/木下龍也〉。アンパンマンとトーマスのキメラが泣き叫んでいるらしい。「ためいき」の向こう側で。「ためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」。こちらだって、くるおしい。
「ためいき」の向こう側に、言葉が無数の涙を作れてしまうとして。〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉を超えたところに涙を作れてしまうとして。〈わたし〉の涙は計算不可能な可能性の中で生じた一効果なのだとして。涙に理由はないのだとして。やっぱり、本当に泣いている〈わたし〉もいるでしょう? 泣いている〈わたし〉を助けてあげたい? 「なんで泣いているんだよ」。
止まらない君の嗚咽を受けとめるため玄関に靴は溢れた
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
アガンベンの直感はこうである。すなわち、法にとって「思考不可能」なはずの生〔=既存の法では取り扱えない種類の「生」〕、この「生」は法にとって法の空白をなしてしまうものであるが、しかも仮にそこで留まれば、「生」は単なる法外・無法として放置されるはずであるが、しかしそういうことは決して起こることはなく、法は、「生」が顕現するその状態を例外状態や緊急事態として法的に処理しようとする。ここまでは、よい。その通りである。しかし、アガンベンは続けて、そのように「生」が法に結びつけられると「同時」に、「生」は法によって見捨てられることになると批判したがっている。今度は、「生」は、法的に法外へと見捨てられ、あまつさえ無法な処置を施されると言いたがっている。しかし、その見方は一面的なのだ。主権論的・法学的に過ぎると言ってもよい。というのも、「生」の側から言うなら、今度は、「生」が法外な暴力を発揮して、「生」を結びつけたり見捨てたりする法そのものを無きものとし、ひいては統治者も統治権力も無力化するかもしれない���らである。そして、疫病の生とは、そのような自然状態の暴力にあたるのではないのか。
/小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、161-162頁、〔〕内注記は平
実状に合わせて、法文書の中に例外事項をひたすら増やし、複雑にすること。その複雑な法文書を読み解ける専門家機関を作ること。それを適切に運用すること。そういった法の運用では〈わたしたち〉の生を守ることができないような事態に直面したとき、法よりも共通善が優先され、法が一時的に停止される。「例外状態」。法の制約から解放された権力が動き出すだろう。法が停止した世界において、それでも法外の犯罪(という語義矛盾)を統制するため。法の制約から解放されたのは権力だけではない。〈わたし〉たちだって法外に放り出されたのだ。「ホモ・サケル」。そこには、〈わたし〉ならざる者たちが、〈わたしたち〉の法を無力化しながら、跋扈することのできる世界があるだろうか。(穂村弘が「女性」という形象の彼方に夢見た���界はそういうものだったかもしれない。*注1)
法外に流されている暴力的な涙はあるだろうか。理由のない涙の理由のなさをテクストの効果に還元して安心しようとするテクスト法学者を、その涙が無力化するだろうか。涙する眼は、見ることと知ることを放棄する。両眼視差と焦点を失いながら、けれどもたんに盲目なのではない涙目の視点。
それは哀願する。まず第一に、この涙はどこから降りてきたのか、誰から目へと到来したのかを知るために。〔…〕。ひとは片目でも見ることができる。目を一つ持っていようと二つ持っていようと、目の一撃によって、一瞥で見ることができる。目を一つ喪失したり刳り抜いたりしても、見ることを止めるわけではない。瞬きにしても片目でできる。〔…〕。だが、泣くときは、「目のすべて」が、目の全体が泣く。二つの目を持つ場合、片目だけで泣くことはできない。あるいは、想像するに、アルゴスのように千の目を持つ場合でも、事情は同じだろう。〔…〕。失明は涙を禁止しない。失明は涙を奪わない。
/ジャック・デリダ『盲者の記憶』、155-156頁
涙目の視点。
振り下ろすべき暴力を曇天の折れ曲がる水の速さに習う
噴水は涸れているのに冬晴れのそこだけ濡れている小銭たち
色彩と涙の国で人は死ぬ 僕は震えるほどに間違う
価値観がひとつに固まりゆくときの揺らいだ猫を僕は見ている
ゆっくりと鳥籠に戻されていく鳥の魂ほどのためらい
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
「振り下ろすべき暴力」などないと話は決まっている。合法の力と非合法の暴力とグレーゾーンがあるだけだ。倫理的な響きをもつ「べき」をたずさえた「振り下ろすべき暴力」などない。語義矛盾、アポリア。けれども、「法外の犯罪」などという語義矛盾した罪の名を法的に与えられるその手前、あるいはその彼方での〈わたし〉たちの跋扈を、「振り下ろすべき暴力」という名の向こうに想像してみてもいい。
語義矛盾のような〈わたし〉は語義矛盾のような言葉を聞くことができる。「世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間」(塚本邦雄)。
 短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。文語定型詩は、二十一世紀の現実に極微の効用すらもちあわせていない。一首の作品は今日の現実を変える力をもたぬのと同様に、明日の社会を革める力ももたない。  私は今、その無力さを、逆手にもった武器として立上がろうなどと、ドン・キホーテまがいの勇気を鼓舞しようとは思わない。社会と没交渉に、言葉のユートピアを設営する夢想に耽ろうとももとより考えていない。  短歌は、現実に有効である文明のすべてのメカニズムの、その有効性の終わるところから生れる。おそらくは声すらもたぬ歌であり、それゆえに消すことも、それからのがれることもできぬ、人間の煉獄の歌なのだ。世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間に、影も音もなく密着し、彼を慰謝するもの、それ以上の機能、それ以上の有効性を考え得られようか。  マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
/塚本邦雄「反・反歌」『塚本邦雄全集』第八巻、28頁
「現実を変える力」を持たぬ「世界の変革者」は、通常の意味では変革者ではない。有罪と裁かれる日も無罪放免となる日も迎えることはない。ということは、その「変革者」は囚獄の中にも現実の中にも生きる場所を持たない。そんな人間いるのか。もしも批評家がその変革の失敗を裁くことでその人間に生きる場所を与え、歴史に刻むならば、その失敗がそもそも不可能な失敗であったことを見落としてしまうだろう。なんて無意味なこと。けれども、目指されていた変革も失敗の裁きもなしに、まったく別の道が開かれることがある。そういう想像力は必要だ。
短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。
マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
これらのメッセージを、塚本邦雄がそう言っているのだから、と素朴に真に受けてはならないだろう。マス・メディアに随順するのか、塚本邦雄に随順するのか、そういった態度。
筋肉をつくるわたしが食べたもの わたしが受けなかった教育
/平岡直子「水に寝癖」
洗脳はされるのよどの洗脳をされたかなのよ砂利を踏む音
/平岡直子「紙吹雪」
「そうなのよ」「そうじゃないのよ」と口調を真似て遊んでいると「砂利を踏む音」にたどり着けない。どんな人にも「わたしが受けなかった教育」があるし、なにかしら「洗脳はされる」。だからなんだよ。今、口ほどに物を言っているのは何。「砂利を踏む音」。くやしい。
リリックと離陸の音で遊ぶとき着陸はない 着陸はない
/山中千瀬「蔦と蜂蜜」
気付きから断定、発見から事実確認、心内語的つぶやきから客観的判断へと、フレーズの相が転移するリフレイン。「リリックと離陸の音で遊ぶとき」、その「とき」に拘束されて、ある一人の人が「着陸はない」と気づいた。気づいてそう言った。けれども、二度目の「着陸はない」からは、「とき」や〈気付きの主体〉の制約を受けないような、世界全体を視野におさめているかのような主体による断定の声が聴こえてくる。聴こえてきた。
「着陸はない」世界に気づいた主体が、一瞬にしてその世界を生ききった上で、振り返り、それが真実であったと確かめてしまった。一瞬で老いて、遺言のような言葉を繰り出す。事実と命題の一致としての真理は、その事実を確認できる主体にだけ確かめることができるのだ。〈わたしたち〉にとって肯定も否定もできない遺言。「だってそうだったから」で提示される身も蓋もない真理は「なんで」を受け付けない。
世界の真理がリフレインの効果によって、身も蓋もない仕方で知らされること。説明抜きに、真理を一撃で提示するという暴力からの被害。それは、爆笑する身体をもたらすことがある。自身の爆笑する身体に「なんで爆笑してるんだよ」とツッコミをしようと喉に力を込めながら、その声を捻り出すことはできずに、ひたすら身体を震わせて笑う。「アッ」「ハッ」「ハッ」「ハッ」と声を出しながら息を吸う。呼吸だけは手放してならないのは、息絶えるから。「着陸はない」と二度繰り返して息絶えてしまうのは、歌の主体だけなのだ。
もちろん、「着陸はない⤵︎ 着陸はない⤵︎」のような沈鬱な声、「着陸はない⤴︎ 着陸はない⤴︎」のような無邪気な声を聞き取ってもいい。「着陸はないヨ」「着陸はないネ」「着陸はないサ」のように終助詞を補って聞くこと。リフレインの滞空時間が終わるやいなや一瞬にして息絶えてしまうような声が〈わたしたち〉に求められていないのだとしたら。
 「終」助詞というのは、近代以後の命名だが、話し言葉の日本語の著しい特徴であって、話し相手に向かって呼びかけ、自分の文を投げかける働きの言葉である。だから見方によれば、文の終わりではないので、自分の発言に相手を引き込もうとしている。さらに省略形の切り方では、話し相手にその続きを求めている、と言えよう。このように受け答えされる文は、西洋語文が、主語で始まって、ピリオドで終わって文を完結し、一つ一つの文が独立した意味を担っているのとは大きな違いである。
/柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』、91頁
近代に、西洋の文章を模倣するように、「〜は」(主語)で始まって「た。」(文末)で終わる〈口語文〉が作られた。それ以前には、日本語文には西洋語文に対応するような明確な〈文〉の単位は存在しなかった。句読点にしても、活字の文章を読みやすくするための工夫(石川九楊、小松英雄の指摘を参照)と、ピリオド・カンマの模倣から、近代に作られた。
言文一致体=口語体が生み出されてから100年が経つ。けれども、句読点をそなえた〈口語文〉を離れるやいなや、「着陸はない」が「。」のつく文末なのか終助詞「ヨ・ネ・サ」���隠した言いさしの形なのか、いまだに判然としないのが日本語なのだ。
ところで、近代の句読点や〈文〉以前に、明確な切れ目を持つ日本語表現として定型詩があったと捉えられないだろうか。散文のなかに和歌が混じる効果。散文の切れ目としての歌、歌の切れ目としての散文。
句読点も主語述語も構文も口調や終助詞も関係なく、なんであれ31音で強制的に終わること。終助詞を伴いながらも、一首の終わりに隔てられて、返される言葉を待つことのない平岡直子の歌の声。「着陸はない 着陸はない」のリフレインの間に一気に生ききって、どこかに居なくなってしまう声。
老いについての第一の考え方は、世論においても科学者の世界においても広く共有されている目的論的な考え方で、それによれば、老いとは生命の自然な到達点で、成長のあとに必然的に訪れる衰えである。老いは「老いてゆく」という漸進的な動きから離れて考えることはできないように思える。〔…〕。飛行のメタファー〔上昇と下降〕はまさに、老いをゆっくりと少しずつ進んでゆく過程として性格づけることを可能にする。それは、人生の半ばに始まり、必ずや直線的に混乱なく進むとは限らないとしても、段階を順番に踏んでいくのである。〔…〕。第二の考え方は老いを、漸進的な過程としてだけでなく、同時に、また反対に、ひとつの出来事として定義する。突然の切断、こう言ってよければ、飛行中の事故アクシデント。どれほど穏やかなものであったとしても、すべての老化現象の内には常に、思いもよらなかった一面、破局的な次元が存在するだろう。この、思いもよらなかった出来事としての老化という考え方は、第一の図式を複雑なものにする。老化について、老いてゆくというだけではどこか不十分なのだと教えてくれる。それ以上の何か、老化という出来事が必要なのである。突然、予測のつかなかった出来事が、一挙にすべてを動揺させる。老いについてのこの考え方は、徐々に老いてゆくことではなく、物語のなかでしばしば出会う「一夜にして白髪となる」という表現のように、その言葉によって、思いがけぬ、突然の変貌を意味することができるとすれば、瞬時の老化と呼びうるだろう。〔…〕。かくして、その瞬時性において、自然なプロセスと思いもよらぬ出来事の境界が決定不能になるという点で、老いは死と同様の性格をもつだろう。人が老いて、死んでゆくのは、自然になのか、それとも暴力的になのか。死とは、そのどちらかにはっきりと振り分けることができるものだろうか。
/カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論』、76-80頁、〔〕内注記は平
徐々に老いてゆくことと瞬時に老いること。それはたんに速度の問題なのではない。同一性を保ちながら徐々に老化することと、他なる者になるかのように突如として老化すること。衰えること、老成すること、年齢に見合うこと、若々しいこと、老けていること、大人びていること、子供っぽいこと。幼年期からの経験や思考の蓄積からスパッと切れて無関心になってしまうこと、来歴のわからない別の性格や習慣を持つこと。長期にわたって抑え込まれていたものの発現や変異、後から付け加えられたものの混入や乗っ取り。
自分の周りで生きている人々が老いてゆく過程に、私たちは本当に気づいているだろうか。私たちはたしかに、ちょっと皺が増えたなとか、少し弱ったなとか、体が不自由になったなと思う。しかし、そうだとしても、私たちは「あの人は今老いつつある」と言うのではなく、ある日、「あの人も老いたな」と気づくのである。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、80-81頁
内山昌太の連作「大観覧車」では、肺癌を診断された「父」の、余命一年未満の宣告をされてから死後までが描かれる。
父のからだのなかの上空あきらかに伸び縮みして余命がわたる
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
父も死に際は老いたる人となり寝室によき果物を置く
壊れたる喉をかろうじて流れゆくぶどうのひとつぶの水分が
/内山昌太「大観覧車」(同人誌『外出』三号)
「父も死に際は老いたる��となり」。あっという間の出来事だったのではないか。おそらく、「父」はもともと老人と言ってもいい年齢だった。けれど、「死に際」に「老いたる人」となったのだ。
定型と技巧を惜しみなく使って肉親の死を描くこと。「死」は定型と技巧かもしれない。「かもしれない」の軽薄さを許してほしい。定型の両義性。自然であり非−自然であるもの。なんであれ31音で強制的に終わることは人間が作り出した約束事に思われるかもしれないが、それは〈わたしたち〉が自由に交わせる約束よりは宿命に近いだろう。約束は破ることが可能でなければ約束ではない。あるいは、破られる可能性。偶然と出来事。宿命に対する技巧とは約束を作ることだろう。そこに他者がいる。あるいは〈わたし〉が他者になる。
〈作品化することは現実を歪めることである〉という考え方がある。事実と表象との対応に着目する立場。もしも〈父のふくらはぎが「一日花のごとくにしぼむ」かのように主体には見えた〉〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉とパラフレーズするならば、作品は現実を歪めていないと言える。「見えた」「書いた」のは本当だからだ。けれど、そんな説明でいいのだろうか。また口よりも目を信用している。「一日花のごとくにしぼむ」を現実として受け入れられないだろうか。作品をそれ自体一つの出来事として。
「しぼむ」という動詞の形。活用形としては終止形だが、テンス(時制)やアスペクト(相:継続、瞬時、反復、完了、未完了など)の観点から、「タ形」(過去・完了)や「テイル」(未完了進行状態・完了結果状態などさまざま)と区別して「ル形」と分類される形である。西洋文法に照らし合わせるなら、「不定形」あるいは「現在形」だ。(日本語では〈明日雨が降る〉のように「ル形」で未来を表現することもある)。
「しぼんだ」(過去・完了)や「しぼんでいる」(現在・進行)と書かれていれば、〈主体の知覚の報告〉として読めるかもしれない。時制についても、相についても、語り手の位置に定位した記述として読める。けれども「しぼむ」はどうだろう。西洋文法において「不定形」とは、時制・法(直接法、仮定法、条件法など)・主語の単複と人称といった条件によって決められた形(=定形)ではない、動詞の基本的な形のことである。
この不定形的な「ル形」を、助動詞や補助動詞を付けずに、剥き出しにして「文末」にすること。そのような「ル形」の文末は、語り手の位置に定位した時制や確認判断を抜きにした、一般的命題、あるいは出来事そのものの直接的なイメージを差し出すことがある。
柳父章によれば、近代以前にも「ル形」の使用はわりあい多いという。けれども、それは標準的な日本語の用法ではなかった。古くは和文脈の日記文でよく使われていた。漢文体や『平家物語』でも一部使われている。そして、「おそらく意識的な定型として使われたのは、戯曲におけるト書きの文体」(97頁)である(*注2)。日記文やト書きは、原則として読者への語りを想定しない書き物であるため、語法が標準的である必要がないのだ。
 文末が「ル形」で終わる文体は、脚本とともに生まれたのだろうと思う。脚本では、会話の部分と、ト書きの部分とは、語りかけている相手が違う。会話の部分は、演技者の発言を通じて、結局一般観客に宛てられている。しかし、ト書きの部分は、一般観客は眼中にない。これは演技者だけに宛てられた文である。〔…〕。  文法的に見ると、ト書きの文には、文末に助動詞がついてない。〔…〕。  すなわち、ト書きの文末には、近代以前の当時の通常の日本文に当然ついていたはずの、助動詞や終助詞が欠けている。「ル形」で終わっているということは、こういう意味だった。  逆に考えると、まともな伝統的な日本文は、ただ言いたいことだけを言って終わるのではない。読者や聞き手を想定して、文の終わりには、話し手、書き手の主体的な表現を付け加える。国文法で言う「陳述」が加わるのである。「ル形」には、それが欠けているので、まともな日本文としては扱われていなかった、ということである。
/柳父章、前掲書、99−100頁
このような来歴の「ル形」は、その後、西洋語文の「現在形」や「不定形」の翻訳で使われるようになり、より一般化した。それをふまえた上で、読者を想定した日本文の中で「ル形」を積極的に使ったのは夏目漱石だった。歌に戻ろう。
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
「しぼむ」のタイムスパンをどう捉えるか。ある時、ある場所で、「一日」で「しぼむ」のを〈見た〉のだろうか。おそらくそう見えたのだろう。けれども、他方で、この歌は「その時、その場」の拘束から逃れてもいる。「しぼむ」には「文の終わり」の「話し手、書き手の主体的な表現」が欠けているのだ。ト書きを読めば、ある時ある場所に拘束されずに、何度でもそれを上演し体験できる。それに似て、この「しぼむ」は読者に読まれるたびにそこで出来事を起こすだろう。
「しぼむ」について、今度は「話し手、書き手」の位置ではなく、「言葉のドラマ」を参照しよう。
「巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくに」
「ふくらはぎ」と「花」は決して似ていない。「花」と言われると、人は通常〈咲いている花〉を思い浮かべるだろう。「一日花」は一日の間に咲いてしぼむ花のことだが、だからこそ、咲いているタイミングが貴重に切り取られるのではないか。「ふくらはぎ」と〈咲いている花〉は形状がまったくちがう。にもかかわらず、〈ふくらはぎ・一日・花の〉のように、「が」や「は」といった助詞を抜きに、似ていないイメージ・語彙が���接に連鎖させられている。意味的にもイメージ的にも、この段階では心許ない。結句にいたっても、「ごとくに」に四音が割かれており、一首全体が無事に着陸する望みは薄いだろう。〈ふくらはぎ・一日花の・ごとくに〉と言われても、「ふくらはぎ」はまったく「花のごとく」ではないのだから。
最後の最後で、「しぼむ」の突如の出現が一首に着陸をもたらす。「突如」として「着陸」が訪れる。「花のごとく」なのは「ふくらはぎ」ではなくて、それが「しぼむ」ありさまであったことが、最後に分かる。
うまく着陸したからといって、〈ふくらはぎ・一日花の〉における語と語の衝突の記憶がすぐに消えてなくなることはない。でなければ、「しぼむ」がこのように訪れてくれることはない。衝突事故をしても着陸すること。「ふくらはぎ」にまったく似たところのない、異質なものとしての「花」が、助詞抜きで直接的に連鎖させられることによって生じる読者の戸惑い。その戸惑いが、結句未満の最後の三音で解消されるという出来事。
「話し手、書き手」から遊離した「言葉のドラマ」の中の「しぼむ」は、もちろん書き手の感性の前に現れた「しぼむ」でもあっただろう。〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉は間違いではない。「父」と〈わたし〉のドラマを「言葉のドラマ」へと還元して、蒸発させてしまってはいけない。それは単純化だ。「社会と没交渉」になってたったの二歩で「言葉のユートピアを設営」してしまうような、一般論として振りかざされる「作者の死」は心が狭い。
靴を脱ぎたったの二歩で北限にいたる心の狭さときたら
/平岡直子「視聴率」(同人誌『率』9号)
内山の作品には、「老い」について「ル形」を使いながら〈語り手=書き手の声〉を聞かせる作品が他にもある。
読点の打ちかたがよくわからないまま四十代、中盤に入る
/内山晶太「蝿がつく」(同人誌『外出』二号)
「ル形」の効果だろうか。歌の語り手はあきらかに書き手だが、仮に書き手である内山昌太が嘘をついていたとしてもこの歌は成り立つだろう。歌のなかでの語り手=書き手=〈わたし〉は「内山昌太」から遊離している。だからといって架空のキャラクターを立てる必要もない。〈書き手の声〉が〈書くこと〉について語っているという出来事が確認されれば、ひとまずはいい。
結局のところ、「読点」は適切に打たれたのかわからない。「三十代」「四十代」という十年のサイクルは規則的に進むが、内山はそこに不規則性、あるいは規則の曖昧さを差し込もうとしている。不規則はどこから生まれるのか。規則が明文化されているかどうか、規則がカッチリしているかどうか、ではない。規則を使うとき、従うときに、不規則が生まれる。「使う」「従う」といった行為。そこには、うっかりミスや取り違え、愚かさや適当さがある。
内山自身による先行歌がある。
ペイズリー柄のネクタイひとつもなく三十代は中盤に入る
/内山晶太『窓、その他』
「四十代、中盤」や「三十代は中盤」というふうに、「◯十代」と「中盤」の間に何かを差し込もうとする手がある。
十年のサイクルについて、あらかじめ目標を立てるのであれ、後から反省するのであれ、「◯十代」という表記はその十年の全体を一挙に指示する。自動的で、明快で、有無を言わせない〈十年の単位〉に対して、「中盤」という曖昧な幅を当ててみること。
「三十代中盤」や「四十代中盤」という表記であったなら、「中盤」は〈十年〉の中の一部として回収されてしまうかもしれない。けれど、「三十代は中盤に入る」、「四十代、中盤に入る」という表記によって、徐々に進行しながら曖昧にその意味や価値を変質させていく、一様ならざる時間の幅へと〈十年〉が取り込まれていくかのようだ。「中盤」っていつからいつまでなんだ。きっと、サイクルごとに「中盤」の幅は伸び縮みするだろう。3年、5年? 8年くらい中盤で生きる人もいるのかな。
眠ること、忘れることを知らないで、昼的な覚醒を模範とする精神には、決して捕捉されることのない曖昧な時間。その時間のうちに〈十年の単位〉を巻き込んで、一身上の都合から伸び縮みするリズムの個人的な生を主張する視点。〈君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている/大森静佳〉と好対照だ。というのは、「リズムの個人的な生」の主張は、それを意識すればその都度タイムリミットのように減っている〈十年〉への不安とペアなのだから。
「中盤に入る」は淡々とした地の文の語りのようでもありながら、規則的に進行する〈十年〉のテンポに従うことのない「中盤」の速度を確保しようとする〈わたし〉の主体的な決意の言葉のようでもある。歌から聞こえてくる声が、三人称視点的な叙述なのか一人称的な心内語やセリフなのかの微妙な決定不可能性は、〈十年の単位〉について社会に語らされている主体と「中盤」を能動的に語っている主体のせめぎ合いに似る。
十年のサイクルは自然的な所与なのか、社会的な構築物なのか。絶対に無くなる時間の宿命を約束と取り違えること。それから、その約束を破ってしまうこと。二重のうっかりだ。だから、うっかりと変な歳のとり方をする。年齢相応じゃない。うっかりはポエジーだろう。
二つのタイプの老化、漸進的な老化と瞬時の老化は、常に強く絡み合っており、互いに錯綜し、巻き込み合っている。だから、常になにがしかの同一性が、毀損した形であっても存続し、人格構造の一部分が変化を超えて持続するのだと言う人もいるだろう。そうだとしても、どれだけ多くの人が、死んでいなくなってしまう以前に、私たちの前からいなくなり、自らを置き去りにしていくことだろう。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、93−94頁
〈わたし〉という語り手はうっかりと〈わたし〉から離脱してしまうことがある。深い意味もなく。身も蓋もないものの神秘を生み出しながら。その神秘を新たに〈わたし〉の神秘へと統合できるのか、そうではないのか。
君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている
/大森静佳『てのひらを燃やす』
「ねこじゃらし見ゆ」を受ける視点。それは「君」でも「われ」でもなく、「君の死後、われの死後」に、「まだ揺れている」と言うことのできる語り手の視点だ。語り手の案内を受けて導かれた読者の視点だ。読者の〈わたし〉はいったいどこに案内されたのだろうか。「まだ揺れている」と語る「われ」ならざる〈わたし〉はどの〈わたし〉で、「それ」はどこにいるのか。
この歌の視点について、ひとつ現実的に想像してみよう。
現実に、ある時ある場���で、「君」と「われ」が青々としたねこじゃらしを見ている。会話はなく、ねこじゃらしが揺れるのをぼうっと見ている。注意して観察しているのではなく、なんとなく、その青々とした緑色の揺れるのが目に入るがままだ。受動的で反復的な視覚体験によって、体験の主体は動くモノの側に移っていく。ねこじゃらしが揺れれば〈揺れ〉を感じ、こすれれば〈こすれ〉を感じるような体験のあり方。その時、ねこじゃらしの「青々」や「揺れ」は、「君」や「われ」が見ていようが見ていなかろうが、それとは独立に持続する運動のように現象するだろう。
持続するそれは「われ」の主観から独立してイデアルに永続するナニカというよりは、「われ」が〈意識的に見る主体=見ていることを意識する主体〉ではない限りにおいて成立するかりそめの現象だ。その現象に身を任せている間、「われ」は変性意識的な状態かもしれない。意識の持続は、見ていることの自覚ではなく、「ねこじゃらし」の「揺れ」の運動と一致する。「われ」の肉体も〈君とわれ〉の関係もそっちのけで、ねこじゃらしが揺れる。
魂がそのように「われ」から遊離していきながら、やっぱり振り返る。「われ」から遊離した、ほとんど死後的な魂の視点は振り返る。きっと、そうでなくちゃ困るのだ。振り返る視線によって、「君」と「われ」が「視野」に入る。「視野」に入れるという肯定の仕方だ。というのは、ねこじゃらしを見ている限り、「君」と「われ」は互いに「視野」に入らないはずなのだ。
〈君とわれ〉というペアの存在が、「君」も「われ」もいつか死ぬという身も蓋もない事実を絆帯として、常軌を逸した肯定をされてしまった。
「君とわれの死後にも」ではなく「君の死後、われの死後にも」と書き分けられている。「君」と「われ」のどちらが早く死ぬか、死ぬまでにどのような関係性の変化があるか、どのような経験の共有があるのか。そういったことに関心を持つ生者の視点はない。その視点があるならば、たとえば次の歌のように二者の断絶が描かれてもいい。
その海を死後見に行くと言いしひとわたしはずっとそこにいるのに
/大森静佳『カミーユ』
断絶の構図を作らずに、〈、〉で並列させられる形で肯定される関係は何だろう。生前から死後までを貫くような、〈君、われ〉の関係の直観。〈君とわれ〉の「君の死後、われの死後」への変形。その変形による肯定は、〈君とわれ〉の圏内においてはナンセンスだ。〈「君」が死んでも、「われ」が死んでも、ねこじゃらしは変わらず揺れているだろうね〉ならば、それは〈君とわれ〉の相対化だ。それで心身は軽くなるかもしれない。その軽さに促されるように〈生〉のドラマは展開するかもしれない。けれども、生前から死後までを貫く二者の並列関係の肯定にはなりえない。
〈生前から死後までを貫く二者の並列関係〉はナンセンスなフレーズだ。だからこそ、その肯定は常軌を逸している。ナンセンスな肯定が、常軌を逸した視点から、すなわち、「われ」の魂が遊離して別の生の形をとっている間にだけ持続するかりそめの語り手の視点からなされた。
語り手の視点を「死後の視点」と一息に言ってはならない。そう言ってしまうなら、語り手の位置の融通無碍な変化を見落とすことになる。「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」から「まだ揺れている」の間には、語り手の視点にジャンプがある。山中千瀬の「着陸はない 着陸はない」のリフレインと似た効果がこの歌の一字あけにおいても生じているのだ。
「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」という言い切りの裏には、〈見えるだろう〉という直観が働いている。〈直観の時〉があり、〈時〉に拘束された「言い切り」がある。
直観された真実がそのままで場を持つことは、しばしば難しい。けれどもこの歌において、その直観は、一字あけのジャンプを経て、「まだ揺れている」を言うことのできる死後的な主体によって確認されることで場を持つことになる。「まだ〜ている」においては、「ル形」とは異なり、明らかに主体による確認判断が働いているだろう。直観を事実として確かめることのできるような不可能な主体へのジャンプ。
歌が立ち上げる〈不可能な声〉がある。
直観した時点から、それを確認する時点へのジャンプ。そこには、他なる主体の声になるかのような突如の変化と、同じ一つの〈歌の声〉の持続の、二つの運動の絡み合��があるだろう。一首は一つの声を聞かせる。言葉を強引に一つの声へと押し込めることによって、通常では不可能なことを言うことができる。通常では、ナンセンス、支離滅裂、分裂した声、破綻した言葉のように聞かれてしまうかもしれないものたちが、一つの歌となるときに、〈不可能な声〉を聞かせてくれる。どうして〈不可能な声〉を使ってまで〈君とわれ〉を視野に収めたのだろうか、という問いから先は読者に任せた。
わたしたちに不可能な声が聞こえてくるとき。
「それは眼球めだまと金魚を買った」 「穴がわたしの代わりに泣くの」 「はるまきがみんなほどけてゆく夜」 「僕が一致してない」 「機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」 「振り下ろすべき暴力」 「着陸はない 着陸はない」 「ふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ」 「まだ揺れている」
どんな声でも「あるかも」と思えるように解釈することができるのだとして、わたしたちはどんな声でも、なんであれ聞いてきたのではない。いくつかの不可能な声を聞いてきた。
「不可能な短歌の運命」を予告しつつ、あらかじめそれを過去のものにするために。不可能なものの失敗がそれを過去へと葬ったあとで、そのナンセンスな想起が不可能なものを橋やベランダとして利用できるようにするために。
/平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
2年前に僕はこんなことを書いていた。短歌を書くことも、文章を書くことも、僕にはほとんど不可能なことだった。なにが不可能だったのか。
分母にいれるわたしたちの発達、 くまがどれだけ昼寝しても許されるようなわたしたちの発達、 しかも寄道していてシャンデリア。 青空はわけあたえられたばかりの真新しくてあたたかな船。 卵にゆでたまご以外の運命が許されなくなって以来わたしたちは発達。 教科書ばかり読んでいたのでちっとも気のきいたことを言えなくてごめんなさい。 まったく世界中でわたしたちを愛してくれるのはあなただけね。 ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのにさ。 〔…〕
/瀬戸夏子「すべてが可能なわたしの家で」(連作5首目より、一部抜粋)
ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのに、ベランダから生きてもどろうとしていた。それが僕の抱えていた不可能なことだった。
*注1 穂村弘「〔…〕。それでたとえばフィギュアスケートだったら、スケート観よりも実際に五回転できるってことがすごいわけだけど、短歌においては東直子とかが五回転できて、斉藤斎藤が「いや、俺は跳びませんから」みたいな(笑)、「俺のスケートは跳ばないスケートですから」みたいなさ。僕は体質的には、本当は自分が八回転くらいできることを夢見る、跳べるってことに憧れが強いタイプでね、だから東直子を絶賛するし、大滝和子もそうだし、つばさを持った人たちへの憧れがとくに強い。だからある時期まで女性のその、現に跳べる、そしてなぜ跳べたのか本人はわからない、いまわたし何回跳びました? みたいな(笑)、「数えろよ、なんで僕が数えてそのすごさを説明しなきゃいけないんだよ」みたいな、そういうのがあった。」 座談会「境界線上の現代短歌──次世代からの反撃」(荻原裕幸、穂村弘、ひぐらしひなつ、佐藤りえ)、『短歌ヴァーサス』第11号、112頁
*注2 柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』では、ト書きの比較的初期の用例として1753年に上演された並木正三『幼稚子敵討』の脚本から引用している。参考までに、以下に孫引きしておく。 大橋「そんなら皆様みなさん、行ゆくぞへ。」 伝兵「サア、おじゃいのふ。」 ト大橋、伝兵衛、廓の者皆々這入る。 …… …… 宮蔵「お身は傾城けいせいを、ヱヽ、詮議せんぎさっしゃれ。」 新左「ヱヽ、詮議せんぎ致して見せう。」 宮蔵「せいよ。」 新左「して見せう。」 ト詰合つめあふ。向ふ。ぱたぱた と太刀音たちおとして、お初抜刀ぬきがたなにて出る。 『日本古典文学体系53』岩波書店、1960年、112頁 本文で言及できなかったが、ト書き文体と口語短歌について考えるなら、吉田恭大『光と私語』(いぬのせなか座、2019年)を参照されたい。
【主要参考文献】 ・短歌 内山昌太『窓、その他』(六花書林、2012年) 大森静佳『てのひらを燃やす』(角川書店、2013年) 大森静佳『カミーユ』(書肆侃侃房、2018年) 木下龍也『つむじ風、ここにあります』(書肆侃侃房、2013年) 木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』(書肆侃侃房、2016年) 斉藤斎藤『渡辺のわたし 新装版』(港の人、2016年/booknets、2004年) 笹井宏之『てんとろり』(書肆侃侃房、2011年) 瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』(私家版歌集、2012年) 塚本邦雄「反・反歌」(『塚本邦雄全集』第八巻、ゆまに書房、1999年)(初出は『短歌』昭和42年9月号、『定型幻視論』に所収) 堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』(港の人、2013年) 東直子『青卵』(ちくま文庫、2019年/本阿弥書店、2001年) 平岡直子 連作「水に寝癖」(『歌壇』2018年11月号) 平岡直子 連作「紙吹雪」(『短歌研究』2020年1月号) 山中千瀬『蔦と蜂蜜』(2019年) 同人誌『率』9号(2015年11月23日) 同人誌『外出』二号(2019年11月23日) 同人誌『外出』三号(2020年5月5日) 『短歌ヴァーサス』第11号(風媒社、2007年)
・その他書籍 石川九楊『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫、2015年) 沖森卓也『日本語全史』(ちくま新書、2017年) カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論 破壊的可塑性についての試論』(鈴木智之訳、法政大学出版局、2020年) 小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」(『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、河出書房新社、2020年) 小松英雄『古典再入門 『土佐日記』を入りぐちにして』(笠間書院、2006年) ジャック・デリダ『盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟』(鵜飼哲訳、みすず書房、1998年) 柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』(法政大学出版局、2004年)
・ネット記事 伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』 」 佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」 平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
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nagako · 5 years ago
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2019.12.07 感が動くと思考がとまる。そしてDQウォーク
このところ、趣味の激辛料理摂取をやめている。うどんに七味、パスタにタバスコくらいは軽くエンジョイするものの、人体に戦いを挑んでくる種の凶暴なチャレンジメニュー=大好物とは距離をおくよう心がけている。
というのも、酒と激辛の大量摂取のおかげさまで順当に罹った逆流性食道炎が、悪化傾向にあるからだ。刺激物を摂ると、明らかにみぞおちと背中が痛む。酒も飲みすぎると、塩に触れたかすり傷のごとく内臓がひりひりする。
長年飼っている胆石が悪暴れしている可能性も否めない。みぞおちの痛みはまさしくその症状のひとつ。胆石の中には投薬治療できる種もあるらしいが、私の子らには薬は効かず、いよいよ暴れた場合は入院手術が必要となる。
その胆石や生活習慣の影響を監視すべく、毎年胃カメラとエコーの検査を欠かさずおこなっている。小心者の大酒飲みの激辛愛好家ゆえに、いつまでも容赦のない刺激を受け続けるための健康チェックには余念がない。
余談だが、血液検査と尿検査は毎月おこなう。その都度、逆流性食道炎とか食後血糖値症とか自律神経失調症とか頚椎椎間板ヘルニアとか貧血とか、いろいろな不備が発見される。そう羅列するといかにも体調不良のオンパレードだが、最近思うのだ。私、お医者さんに行き過ぎなのではないかと。
もう中年なのだからまったくの健康体であるはずがない。内臓にダメージを食らわせる生活習慣にも心当たりがあり過ぎる。加えてそう頻繁に病院に出向いていたら、何かしらの不備が見つかるに決まっている。
健康診断を受けずに、突然大病を患い、こまめに受けておけばよかったと後悔したという話をよく聞く。それを避けたい一心でこまめにチェックしているわけだが、そもそも病気の原因となる生活習慣を改善する気がさっぱりないのはどういうつもりなのだろうか。
しかしそう鷹揚に構えているわけにもいかなくなった。今年は内視鏡等の診断結果が悪く、いよいよ明確に食道ガン予備軍と宣告されてしまった。さすがに反省し、先々月はとり急ぎ1週間アルコールをぬき、激辛とカフェインも控えた。
結果、食道の調子はすこぶる良くなった。が、困ったことに、頭がまったく働かない。集中力が低下し、原稿が書けない。単語は出てきても、文脈がまとまらない。6時間かけてなんとか記した文章は、たったの2行だ。
数年前までは、蒙古タンメン中本の北極10倍辛を汁まで食らって平らげた後、日中はコーヒーを、夜は焼酎をがぶ飲みながら1晩で2万字書いてた。それが一転、ひたすらに脳がもじゃもじゃして2行しか書けないのだから、廃業まっしぐらだ。
2年半前に煙草をやめたときもそうだった。煙草を吸いながら原稿を書く習慣がセットになってしまっていたせいで、片方を禁じたらさっぱり書けなくなってしまった。禁煙直後は、それまで2日で終えていた文章量の執筆に2ヶ月かかった。
それはいわゆるニコチン依存症の離脱症状で、ニコチンによって脳内に日常的に大量分泌されていた快楽物質ドーパミンが欠乏することにより、イライラしたり、怠くなったり、無気力になったり、眠くなったり、集中力が低下したり、抑うつ状態に陥ったりする。
アルコールもドーパミンをじゃんじゃん分泌させる。激辛のカプサイシンは脳内麻薬エンドルフィンをじゃんじゃん誘発する。疲労や眠気の受容を邪魔するカフェインも含め、様々に多幸感溢れる脳内分泌物によって散々鼓舞され、覚醒し続けた我が脳は、今、ドーピングを失い、すっかり鈍化した。
それまで酷使してきた疲労も蓄積されているのだろう。自ら動く力が弱まっている。我が脳は、いうなれば脳内麻薬の人参がなければ走れない馬。私は脳の持ち主のはずなのに、その分泌物に行動を制限されるとは情けない。
諸々の依存は、人間の意志や思考を無視して人間を支配する。身体にもダメージを与える。私は煙草の吸いすぎによって肺気腫になったし、酒と激辛の摂りすぎによって逆流性食道炎になった。なんとわかりやすい構造だろうか。わかっているのになぜ先にやめないのか。
呆れ果てながらも、身体からのダメだしを受けて、なんとか生活習慣の改善を試みる。禁煙を続け、激辛を避け、なるべく消化の良い食べ物を摂取する。コーヒーも常飲をやめ、外食ランチのときに1杯だけ飲んでいいご馳走方向へと切り替えた。
ところが、酒だけがやめられない。強敵。我慢できても、がんばって1週間。その後はご褒美とばかりにまた飲み出す。もっぱら焼酎の緑茶割りを飲んでいるのだが、緑茶もカフェインを含むわけだからコーヒーのみご馳走扱いしても意味がない。
さらに困ったことには、頭がクリアになってしまうのだ。依存のメカニズム上、本当は鈍重化を促進させているのだが、頭が軽くなり、気も晴れるような錯覚が生成され、調子がいいぞと脳が騙される。主治医曰く「酒はうつ症状の素。陽気になるのは脳が騙されてるだけ」とのこと。
アルコール依存の仕組みはひととおり理解している。支配されているだけで、心身ともに良いことなどないと承知のうえである。しかしながら酒を飲むとするする文章が書けてしまう。まじでただのドーピング、ヒロポンさながら。
コーヒーを飲むと、如実に頭が冴える。錆びて動かない思考の歯車が回転し始める。カプサイシンを摂ると急に霞のかかった脳内がクリアになる。気力活力ともに大充実。しかし食道は痛む。再び2、3日、それらを抜いて調子を整える。
ノンカフェイン、ノンアルコール、ノンカプサイシンの日々は憂鬱で、脳のひだというひだに灰が詰まったみたいに頭が重い。それも偏にカフェイン、アルコール、カプサイシン、かつてはニコチンがもたらした後遺症に他ならないのだから、ただの因果応報だ。
最も困るのは、私の意志や思考の許可なく、動きだしてしまう「感」である。脳内麻薬も、私の人体内の活動であるにも関わらず当の私の許可なく私を支配するが、感情や感覚もまた、私の意志や思考を無視して勝手に反応するのでうんざりする。
テレビで見かけた、親子の断絶とお涙頂戴の仲直りのような予定調和を斜めに見ながら、まじでくそくだらないと心底軽蔑している最中、なぜか、号泣している。頭は、感動ポルノなんか消滅してしまえと思考しているのに、身体はそれを無視して嗚咽を漏らしている。
Netflixで延々と映画やドラマを見続けて、頭では分かりきっているフィクションの設定に対し、脊髄反射的に激怒し、大笑いする。お笑い芸人さんにガチ恋してYouTubeを漁るうちに、おまえ本当にガチ恋してるけど大丈夫か、と自問自答することさえ忘れ、ただひたすらに漁り続ける。
買い物に行けば、すれ違った幼い子供を見て、子供を産まなかった自分の人生を、がらにもなく逡巡し始める。その選択には意味があった。理由もあった。何より意志がある。しかしそうした私の思考は棚上げされた状態で、感が動き、メランコリー質の戸惑いに心をとらわれる。
レジの長い列や混雑している病院の待合室で、公共のルールを守ってきちんと並んで順番を待とう、社会は自分の都合の良いようにできていないと考える一方で、なぜそんなにと理由を問いただしたくなるくらい激怒し、地団駄を踏みたくなる。ちょっとしたことで意味もなく喚き散らしたくなる。
他方、ふらっと立ち寄った手芸店で可愛らしいくるみのボタンを見つけたときには、本当は可愛らしいものが好きなのに照れて意識的に隠し、粗野な男みたいに凶暴に振る舞うペルソナを社会で機能させたわけだが、そんな設定どうでもいいくらい超可愛いなにこれ大好きと、激しいテンションで少女のごとく嬉々とする。ちなみに、後日見ると全然可愛くない。
ある日は、犬を見て泣いた。完全に情緒不安定である。これはおそらく、無情の灰の塊のように固まった脳に、私なのか、無意識なのか、脳自らなのかわからないが、何かが、刺激を与えて動かすべく、感情を故意に昂ぶらせにかかっているのではないかと推測する。
ならば、気に入らない。脳内分泌物質に支配され、思考が鈍った。その隙に感情がつけ入り、いよいよ思考が止まった。そして、感情に支配される。私の人体が、脳内物質と感情に乗っ取られている。そこには、私がいない。私の言動に、私の自己決定が反映されていない。その私とは、果たして誰だろうか。
脳内物質が分泌されるきっかけを作ったのは、私の嗜好であり、摂取したのは私の選択である以上、その不足による不調は自己責任の範疇にある。人体の一部に滲み出る脳内物質の分際で私を支配するのは気に入らないが、自分の言動の結果として理解はしている。
だが、感情は、私の所有物ではない。自分の心に湧き上がる感情や、外部の刺激を察知する感覚は、私と、他者や社会や外界との摩擦によって生成されるただの反射反応である。私サイドには、私に与えられた環境や経験より培った価値観や思想があり、それが様々なひと・こと・ものと遭遇し、ある感情がどこからともなく現れたり、五感の感覚が生まれたりする。
その感じ方には、個体差がある。私にとって嬉しいことを、悲しいと捉える人がいる。誰かにとって美味��いものも、不味いと思う人がいる。よって、こと・ものを主語に据えた形で、「そのことは嬉しい」「そのものは美味しい」という事実はこの世には存在しない。ひとを主語に、「そのひとは、そのことが嬉しい」「そのひとは、そのものが美味しい」が正解である。
時に、他者と同様であるとは証明し得ない自分の感情や感覚を、無自覚的に全世界の事実と取り違えたり、「感じ方」を根拠に自分とは異なる「感じ方」の持ち主を人非人として断罪したり、そうした「感じ方」「お気持ち」を故意に引き合いに出してファクトを捻じ曲げたりする人を見かけるが、そういう方々は自分と「感」と他者と世界の境界線が有耶無耶になっていると「感じる」。
私は境界線に意識的でありたい。感情は反射・反応でしかない。それを感じる素養や肉体は私のものであっても、相対するものがなければ発生しない以上、すべて私が所有するとは言い難い。
両者の接触より発生する性質を鑑みると、作用とでもいうべきか。翻って私の意志や思考や決定権は、私の所有物だ。それが正しかろうが間違っていようが知ったことではない。それらは私だけのものなのだ。
その大切な私の所有物が、ただの反射反応の作用である感情によって、ねじ伏せられている。無意味、無思考、無許可のまま、漫然と犬を見ただけでメランコリーに陥り、泣いてしまうようなことがあっていいのか。
ノンアルコール、ノンカフェイン、ノンカプサイシンの、ないない尽くしの毎日をぼうっとやり過ごして、それでいいというのか己よ。嫌だろうよ。
とはいえ、ここにきて感情がのさばっている状況にも因果はある。私には、物心ついた時から感情を「ただの反射反応」と小馬鹿にし、思考と理由と意志を執拗に言語化して愛でる癖がある。
子供の頃、感情が怖かった。うちは親の教育が厳しかったので、親の意向に沿わない感情、つまり自我が芽生えると、「なにこの感情、勝手に生成されちゃってるけどすごい罪悪感。これを自由にさせておくとまた叱られる。迷惑」などと考えて、ありのままの自分を受容せず、感情を抑圧した。
親や先生の求める理想像になるべく、頭を使って演技した。それが結果的にのちの自分を苦しめた。その抑圧に対する仕返しが、今さ���の感情のでしゃばりを誘発しているのではないか。
あるいは、私には感情の解放こそ必要であるとも考えられる。そういえば、思考を黙らせ、感情的な動物になるための装置として、大酒を食らっていたような節もある。
そして脳と身体、思考と感情などと、対立構造を煽って客観視する風情で、全部自分事という得意の独り相撲を楽しむ最中において、脳も身体も思考も感情もほどほどに仲良くするためには、どうすればいいのだろうかと、重たい脳で考える。
そういえば、昔主治医に「鬱々としたときは、有酸素運動を20分以上続けると、脳内麻薬βエンドルフィンが分泌され、スッキリするからやってみて」と言われ、それから週に2回、ジムのトレッドミルで早歩きウォーキングをおこなっていたのだった。
走るのは、嫌いなうえに頚椎ヘルニアのおかげさまで無理なので、早歩きで。普段も万歩計アプリを覗きながら、極力歩くように心がけた。ところが夏にジムが潰れてしまい、外出自体もあまりしなくなり、明らかに運動不足に陥っていた。
そうだ、歩こう。脳も喜ぶし、身体にも良い。脳が喜ぶと身体が悲鳴をあげ、身体を労ると脳が鈍化するこの状況を打開する策として、もってこいだ。好きな美術館や古着屋を巡ったり、都内近郊の海辺を散歩したりするのも良い。少し趣味に寄せてアレンジすると手放しに楽しいうえに、確かに頭もスッキリする。
しかし手軽な近所の散歩となると、飽きる。うちの周りは国道と住宅街と公園と団地と坂しかないので、行きたい場所がない。そうだ、あれだ、スマホの歩行ゲーム。ゲームを取り入れたら退屈せずに歩けるかもしれない。今、話題のやつなんだっけ。そうそうDQウォーク。
というわけで、ドラゴンクエストウォークに嵌る。ゲームも楽しいのだが、近隣を散策していると、思わぬところに美味しい豆腐店や絶景スポットを発見。周辺を地図アプリで検索すると、また知らないお店などが出てくるので、スマホ片手にせっせとレベルをあげながら右往左往している次第。
ただ一点、スマホを見おろす姿勢には難儀する。いわゆるスマホ首は、頚椎ヘルニアには大打撃なので、極力顔の前に画面を持ってきて操作し、歩き、立ち止まって操作し、を繰り返す。完全に不審者だ。しかもその歩き方ではウォーキングの効果も激減である。スカウターはまだか。
最後に、DQウォークしながら立ち寄った本屋で、酒がやめられない私のために神が遣わせた聖書を入手した。町田康先生の新書「しらふで生きる」。完全に天のお導き。勉強させていただきます。
というわけで、読み始める前に、アルコールとニコチンとカプサイシンとカフェインを摂れば半日もかからなかったであろうこの内容も目的も意味もないペラペラの雑記を書くために、しらふで3日もかかったため、これを労い、今日は酒を飲んで良いことにする。作戦は「いのちだいじ」で、ほどほどに。
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precure-no-r18 · 5 years ago
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黄色い樹さんのツイート: "こんなん性癖が捻じ曲がるというか もう何を信じたらいいのかわからないですよね #precure"
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2ttf · 13 years ago
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