#微塵
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世界は一筋縄じゃない どころか ささいなモノゴトの一瞬まで全体のネットワークと繋がってる
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The Narrow Road
窄路微塵 (2022)
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後輩ちゃんの話
私 「最近〇〇っていうアーティストが好きなんだよね」
後輩 「えー私は嫌いです」
私 「えー! MVとか昔のをオマージュしたりしててカッコいいのに」
後輩 「新しい物を生み出してないじゃないですか」
私 「そういう見方もあるかあ。でもめちゃ人気だよー。歌声もいいよ〜」
後輩 「皆だまされてるんですよ!」
私 「まあ流行ではあるね」
後輩 「ですね」
私 「私は好きー。ららら〜(歌い出す)」
後輩 「私は嫌いです」
みたいな話をしたことがあって
初手で��嫌い」を言えちゃう後輩ちゃんも
別にそれならそれで構わない私も
二人ともクールでカッコよかったなー。
とたまに思い出す。
二人は平和だったし、こんな会話が好きだ。
もちろんネットではできない会話だなとわかっている。
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The Narrow Road 窄路微塵 (2022) Director: LAM Sum [Osaka Asian Film Festival 2023]
The Narrow Road 窄路微塵 (2022) Director: LAM Sum [Osaka Asian Film Festival 2023] @oaffpress #OAFF2023
The Narrow Road 窄路微塵 Release Date: December 22nd, 2022 Duration: 115 mins. Director: LAM Sum Writer: Fean Chung (Screenplay), Starring: Louis Cheung, Angela Yuen, Patra Au, Tung On-na, IMDB In recent years there has been a push from specialist festivals to expand the range of Hong Kong films available to audiences beyond the policiers and Triad movies the island territory is synonymous with.…
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#Angela Yuen#窄路微塵#Drama#Hong Kong Film#LAM Sum#Louis Cheung#Osaka Asian Film Festival#Osaka Asian Film Festival 2023#The Narrow Road
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29/06/2024
去年の秋の伊勢海老lunch以来の訪問になった阿久根市のCafe Soaproot🍴 オーナーも私たちの顔を覚えていてくれてありがたい限りです🙏
この日は数日前から取れ始めたアジフライのlunchをいただきました😋
約30~40分運転して川内駅で弟と合流👀 この週末、里帰りしてくれることになり、川内駅で弟と合流、再会もそこそこに「いつもの」場所に移動です笑
名もなき小さなケーキ店🐰
先週からメロンフェアを開催していて、前回断念していたメロンタルト(左)とメロン・ヴェリーヌ(右)をめでたく購入♡
弟はというと…
ティラミス・リュクスに興味があったそうで、こちらをいただいていました。弟曰く、食べやすくて美味しかったそうです。
2年前の夏、居酒屋の間借り時代の頃に一度訪問しているので、びっくりしていました。
最後はさつま町に。
母が弟にマンゴーを食べさせたい🔥❕ と言い出し、急遽、当日の朝に私が徳丸屋さんに電話して、昨日から販売開始になったさつま町産のマンゴータルトを取り置きしてもらいました🥭 因みに弟はマンゴーは食べれるけれど、好物という程ではないそうです💧
今年もマンゴーの季節になりました✨
こちらも数日前から販売が始まったJar sweetsシリーズのマンゴープリン🥭 この日は散々食べて、夕食を食べるのに一苦労でした笑
✂✂✂✂
知り合いのマンゴー農家の方のおススメで、去年まで訪問していたご夫婦で経営しているケーキ屋さん。 東京でも有名から店舗のオーナーシェフの片腕だった人が跡継ぎのために九州に帰ってきて経営しているので味は間違いなく美味しいです。 農家の方の紹介ということで当初は良くしてもらっていましたが、タイミングが合わずに去年の夏、久しぶりに訪問してみたら、店頭に立っている奥様の何様状態に唖然。 *後でG●●gle様の口コミ笑を読んだら、人によって接客態度が違うみたいで、私以外にも同様の意見が多数あってびっくり。
私は「お客様が神様です」なんていう発想は微塵もありませんし、むしろ迷惑な発想だと思っています。 店も客も対等であるべきと思っています。 ただ、あのお店の、あの接客に対して、私たちのお金は落としたくない…。 なので、今年は行っていないし、行こうとう気持ちにもなりません。
そして美味しいというのは個人の主観が入るので、私にとっては味が濃すぎる、砂糖が多いなどでも、そういった味を好む人もいるわけで。 接客が良かったら私は行かなくても、そういった味を好む人達には紹介しています。
人によってはやんわりでも注意する人がいるけれど、他人の私が言ったところで相手にどう響くのは分からないので、黙って引く、そして行かない手法をとるのが私。 人間関係もこんな感じで引いていったりしています。 省エネな人間関係の保ち方をしています。
最後は私の愚痴みたいになってしまいました🙏💦
#備忘録#photography#reminder#japan#kyushu#kagoshima#美味しさは正義です#スイーツには夢がないとダメ#sweets#akune#lunch#Cafe Soaproot#🐟#satsumasendai#名もなき小さなケーキ店#namonaki_okashiya#satsuma#徳丸屋#tokumaruya
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柔らかな光の中で自分を見失わない方法。
Tumblrを始めた6年前の私は、今の私があることを微塵も想像していない。
6畳半、遮光カーテンで一日中暗い部屋の中から、誰に宛てるでもない長い文章をひたすらblogに載せていた。自分の中にある訳の分からない気持ちを整理してどうにか昇華させたかった。
blogの他にTwitter、カメラを始めてからはTumblrやフォトヒトを通して、色んな人に声をかけて頂いた。写真を撮る��、見ること、編集すること、そして写真を通して人と交流する事がとても楽しかった。
ネット通販型の古着屋さんを開業されて本が好きだった方、多分私より一回りは上の方、とても丁寧な人だった。今はもう連絡先も知らないけど、まだ貴方の事を覚えていますとお伝えしたい。まだまだ未熟だった私と交流してくれてありがとうございました。
もう1人は日本語を勉強していたベトナムの女の子。何度か電話をする仲になって私��ベトナム語を勉強するきっかけになった。
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今は2024年 2年振りにTumblrにアクセス。
沢山ある下書きの中に上記が途中のまま保存されていたのを発見。これを書いてから4年も経ったのかと、書いた事も覚えていない文章に目を滑らせながら、改めて時の流れの速さに驚く。Tumblrに登録して10年の時が経っていました。10年、それは私の人生の約3分の1の時間。また更新を再開したいと思いつつも時計の短針が凄いスピードで回るもんだから振り落とされずに走る事で精一杯。そう、死にたくなるのをやめて生きることにしてからは時間の波に乗らなければならない。
たかが不幸でいることに甘んじて幸せになろうとしないのはただの怠慢と自分で自分をバチボコに蹴って遊んでいた日々は過ぎた。生きることに決めた。私は私を生きていこうと思うことが出来た。
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今日から月も変わるというのに、東京は生暖かい湿気がぬるま湯のように身体に絡みつく。そんな10月、忙しくてセックスの回数が減っているとか、自分で友達や後輩をうちに呼んだわりに私が料理するとか、コロナ明けで義両親が東京に来る頻度が多いとか、結婚4年目に相応しい(?)夫への不平不満がぽつぽつ出てきて少しモヤモヤしている今日この頃。東京に出てきてそこそこ経つけれど、こっちでできた友達がもともと少ないのに加え、職場で知り合った人も地方出身者が多くここ数ヶ月で数名が地元に帰ってしまったりで、こんな話ができる人も今や近くにいない。結局文章にするという悲しいストレス発散法しか取れなくなっている。
喧嘩はほとんどないけれど、孤独や不安で少し悲しくなったとき私は必ずTumblrを開いて昔自分が綴った文章を読む。こっぱずかしくなるという副作用はあれども、東京に二つ返事でついていくほど好きになった気持ちが鮮明に思い出せるから。もちろんこの対処法、夫には秘���。今日も自分のページをスクロールして、今の私はもうこんなこと書けないなぁと少しだけ寂しくなる。頭のネジがどっか外れてて、男の人に口説かれたり褒められたりすることが大好きで、週の半分セフレの家かラブホテルに入り浸っていたあの頃。23〜25歳くらいの私は、酒と煙草とセックスで細胞できてます!を地で行く(?)見ているとこっちがむずむずしてくるやつ。いわゆる若気の至り、遅い反抗期。 当時も普通に書いていたけれど、あの頃は常に彼氏以外に2人はセックスできる人がいて、男の人相手ならいくらでも嘘が吐けた。でも本当に付き合っている人には触れられるのすら嫌で、本当に好きな人には振り向いてもらえなくて、エモいバンドのMVかってくらいラブホで煙草吸いながら泣いて自分に酔っていた。 結婚した今、不倫なんてもっての外で、夫にされたら泣き喚いてブツちょん切ると思うけど、あの頃は元カレに対しての罪悪感なんて微塵も持っていなかった。今考えてみれば、少しプライドが高いこととプレゼントのセンスが皆無、以外はいたって普通の人だったと思う。愛してくれていたとも感じていたはずなのに、それだけでは承認欲求は埋まらなかったのだろうか。(こう感じるようになっただけ大人になれているの…か…?)
承認欲求といえば最近、自分の中のアダルトチルドレンの気配を確かに感じている。自分の意見が分からなくなったなという感覚、結婚してから強くなった。今の夫と結婚したことについて、間違えた、こっちじゃなかったなんて微塵も考えたことがなくて幸せだと思うけど、この関係を守っていかなくちゃって独りでジタバタしているのも事実だ。母と父のような関係性には死んでもなりたくないって気を張っている。あのふたりの血が流れているのだから可能性はあると思って、そっちのルートに行かないように、行かないように、私は日々ちいさく頑張って、ちいさく消耗している。もっと身軽になれたらいいのにと考えても、勝手に気合い入って空回りしていたりする。せっかく実家から離れたのにこの有様。呪いだ、呪い。そんな感じで最近ちいさく疲れているので、寝ます。急にぶった斬ってごめんね。また顔出す。
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多様性は尊重されるべきだとは思っている。だが、社会が多様性を尊重してくれるとは微塵も思ってないし、その前提で行動する。ので端からみると筋金入りの自己責任論者にしか見えない、というのが、俺や、俺の同世代のある種の人間の哀しさであろう、、、
Xユーザーの前島賢(大樹連司)さん
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今までの人には抱いたことのない感情。誰と交際していても結婚は遠い未来の夢物語だったし、結婚する前に別れるだろうと微かに予感していた。しかし、今の恋人にはそんな感情が微塵もない。このまま結婚してしまう、いや結婚するのだと思う。
とは言っても、想像していた燃ゆるような感情ではない。今まで結婚を神格化しすぎていただけで、本当は日常を続けた先に決定するような、季節の衣替えと大差ないような気もしてしまう。変わるのは苗字と緊急連絡先に書く続柄と税金や社会保険くらいだ。私たち2人の立場や生活は何も変わらない。
余りにもわたしが、すんとしてしまっているのか友人からは「本当にその人でいいの?」と聞かれてしまうこともある。この人でいいのだと思う。27歳と小学生を行き来するような、こんなに可笑しくてややこしくて自分の軸でしっかり生きている人にこの先出会えないだろう。すでに広義のパートナーのような存在であるし、ふたりでいたり、時にはひとりひとりになったりして心地よい。そんな風に一緒に生活していくのは今も結婚後も変わらない。私にとってみれば結婚は衣替えなのだ。寒くなったらセーターを引っ張り出すような感覚で結婚をするのだと思う。
ただひとつ。彼がいつか死んでしまうのが恐ろしい。ただただ一緒に長生きして欲しい。いつまでも面白おかしく過ごしていたい。「ずっと一緒に生きてね」といつも思っている。重たいのだろうか、みんなこんなものなのだろうか。声にしてしまえば彼に笑われてしまうだろうから、勝手にひとりで祈っている。この孤独すら愛おしい。
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もう引退すれば良いです。 2期やって実績も無い知事など、都民は惜しいなどとは微塵も思いません。 前回選挙では、あなたが掲げた公約は全く実現できていないのに、コロナでフリップ作らせてステイホームとか三密と言って騒ぎ立て、答え合わせをさせなかった。 審判のときが来たと思ってください。 各党、行政能力で人選して候補者を絞り、15区で酒井氏が勝ったように、相互協力で倒してほしい。
小池知事、続投ピンチ説→自民ドン不在で天敵重鎮M氏は健在と 「委員会」議論沸く 山口真由氏「一階でも三階でもない人ですね」(デイリースポーツ)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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Fear is a Reaction, Courage is a Decision. MAGA-2 (Essay)
Winston Churchill
These are Winston Churchill's words. They are powerful and beautiful words. They are the words of the British Prime Minister who defeated Nazi Germany and led Britain to victory with the power of strong will.
Looking back at the two current US presidential candidates, Joe Biden and Donald Trump, this is very applicable. Biden's actions are nothing more than "reactions." If college students say they are against providing weapons to Israel, he says he will not offer them, but he provided them because he was afraid of the Jewish lobby. If black people say they do not support him, he goes to black universities to please black people. And so on. Biden is "afraid of people."
(The above statement was written before Biden withdrew from the presidential race.)
Even with Trump, the slogan MAGA lacks concreteness and is a word that only creates an atmosphere, and even with immigration and environmental issues, there is no trace of Churchill's strong determination, it is a conditioned reflex, and he is also driven by fear. There is not even a trace of the attitude of planning policies with a 50-year perspective like Theodore Roosevelt.
Unfortunately, the USA and the world have only two presidential candidates like these.
PS “Fear is a Reaction, Courage is a Decision.”
“Make America great again.”
--The power of words is completely incomparable.
Rei Morishita
2024.06.23
Fear is a reaction, Courage is a decision. (エッセイ)
(恐怖は反応、勇気は決断)
これは、ウィンストン・チャーチルの言葉である。力強く、美しい言葉と言��ても良い。強固な意志の力によってナチス・ドイツを倒し、イギリスを勝利に導いたイギリス首相の言葉である。
振り返って現在のUSA大統領候補の2人、ジョー・バイデン、ドナルド・トランプを見ると、とても当てはまる。バイデンの行動は「反応」に過ぎない。大学生がイスラエルへの武器供与に反対すれば、供与はしないと言うし、ユダヤロビーが怖くて供与した。黒人が支持しないと言えば、黒人の大学に出向いて黒人の機嫌を取る。などなど、こんな行動ばかりだ。バイデンは「人を恐れている。」(上の記述は、バイデンが大統領選を撤退する前のもの。)
トランプにしても、MAGAというスローガンは具体性に乏しく、雰囲気だけを演出する言葉であるし、移民問題、環境問題にしても、チャーチルのような強固な決断の跡は認められず、条件反射的で、彼も突き動かしているのは恐怖である。セオドア・ルーズベルトのように、50年先を見て施策する姿勢は微塵もない。
今のUSA,そして世界は、こんな2人の大統領候補しかいなくて、不幸である。
PS “Fear is a reaction, Courage is a decision.”
“Make America great again.”
--言葉としての力が比較にならない。
#MAGA#Make America great again.#essay#rei morishita#Fear is a Reaction#Courage is a Decision.#Winston Churchill#Donald Trump#Joe Biden#Theodore Roosevelt#The power of words is completely incomparable.
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Independently blue
感受性が豊かだとかいつも考えすぎだよの一言で自分のすべてを見透かしたかのようにわたしのことをとくべつ綺麗に表現してほしくなかった。というか、絶望や不安感や絶えない悲しみに美しさなんて微塵たりと存在しないと思っているのに、それを爽やかな笑顔を浮かべながら素敵だと言われてしまうと、わたしも捻くれた人間なのでより一層自分に対して惨めな想いばかりが募ってしまう。こんな調子だからいつになっても満たされないのだ。ずっと。自分で自分を縛り付けているような感覚に頭が痛くなる。何一つとして誇れるものを持ち合わせていないことに。家族や友人はたいせつだけれど彼らだってやっぱり一番大切なのは自分自身で、そういった意味では彼らもある種の寂しさを抱えているのかもしれないけど、それでも、と、ぐるぐる考えれば考えるほど自分だけが異様に変わっているように思えてきて耐えきれず泣いてしまう。
無題
世界はドラマによってうごかされていて、そのドラマによってわたしたちはうごかされている。と、高校演劇大会の審査員の演出家の方が言っていた。
ドラマの定義というのは最初に保たれていたバランスが何かをきっかけに崩壊して、そしてまた��たらしいバランスが構築される、というその繰り返しのことらしい。ここで大事なのはバランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のエネルギーの動きをしっかりと捉えて明確にするということ。そうすることではじめてハッ、となる瞬間がうまれる。ここでいうハッというのは新しい気付きのことで、これは今までは流れに流されていたものが急に堰き止めらたときに止むを得ず立ち止まり、改めて周りを観察し分析することで自分自身の置かれている立場を客観視できる、ということだと思う。バランスが崩れるということは何かが劇的に変わることを表していて、人間はそれに適応することに大体は切磋琢磨して多くの場合くるしくなったり悲しくなったりとネガティブな感情に追い込まれてしまうと思う。けれど演劇において、また人生においても同じことが言えるけれど、そこでは自らの感情に思うがまま身を委ねるのではなくてロジカルに思考をすることが大事になってくる。というのも、大きな衝動は複数の感情をより複雑に絡ませてしまい、そうするとまた今度はそれを解くことに必死になって小さなパニックが起きてしまうから。そうしてそのように自らを疲れさせないために情報量を極限まで少なくすると、はじめて人間はそこで現在進行形で起きている意外性というものに気がつく。そして大概この意外性、つまり思いがけない驚きや予想外の仕掛けというものは自分だけでなく他者にも影響を及ぼし、それがその審査員のいうハッ、という気付きに繋がるのかもしれない。
同情の有無にかかわらず人間への関心を失ったら演劇など出来ない、と審査員の方々が話すのを聞きながら、人生と演劇って似ているなあと改めて思った。自然であることと自然でないことはまったくもって違うけれど、実は紙一重なのかもしれない。
辛いことはたしかに尽きないけれど、そこでその辛い気持ちから自己防衛をするために自分自身を正当化し誰かを傷つけることは全くもってちがうし、それでは自分のかなしみはより加速する一方で、一向に幸せにはなれない。自信を持つ方法だとか辛い気持ちから脱却する方法だとかそういうことをつらつらと語る動画をたくさん見たら、元気が出た。今までにないほど散々汚い言葉を投げかけられて、ついこの間までもう自分には幸せになる価値なんてないのかもしれないとマイナス思考だったけれど、そんなことはない。幸せになりたい、という思いだけで充分だと思う。どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命となる。ただ誰かを傷つけることで自分を正当化する人や人の心に深い爪痕を残そうとする人、自分自身を責めてしまう人や優しさや愛を素直に受け止められずに疑ってしまう人、いろいろな人がいるけれど、その人たちを責めることもまた全くちがうことなのかもしれないと思った。わたしは今までは悪いことをした人は絶対的に悪い、と一方的に思っていたけれど、そのうしろにはその人にしか分からない苦しみがあるのだろうし、それはその人自身によるものだけではなく環境によるものだという可能性だってある。冒頭で述べた、「バランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のうちのエネルギーの動き」というものを自分の根本にある愛やだれかから受け取る愛の不十分さゆえに消化できず、他のものでそれを補い上書きしつつ誤魔化すことで、彼らも彼らなりに自分と向き合うとしているのかもしれない。これはあくまで仮定だけれど、そう思うことでわたしも心が軽くなる。辛いとか、幸せとか、気にしなくなるほど愛に満ち足りた生活をしたい。ゆるしたい。自分が侵してしまった失敗や罪も、自分を傷つける人たちの言葉も、上手く物事をこなせない自分自身のことも、幸せでない過去のことも、ぜんぶゆるしてあげたい。号泣しながら鏡を見たら予想以上に顔がぐちゃぐちゃだったので綺麗だった、なんて微塵たりとも思わず、むしろそれを汚いと思ってしまったけれど、それをいつかあの頃の美しさに生かされていると言えるほどの愛を自分のために抱えて離したくない。
無題
丁寧に髪をとかすともう0時だった。ピピピというメロディとともにコンビニのドアは開かれて、わたしはそこで煙草を買おうかと思うけれどもやめる。憧れている女の子が新宿区の高校に通っていることを知って、落ち込んで舞い上がって、そうしてまた落ち込んだ。こんなにも近くで同じ景色を見ているのにわたしはどうしても彼女と同じ世界を生きることができない。等しい恐怖心ともどかしさを感じながら寂しさを分かち合いたかった。彼女がきれいだと思うものをわたしもきれいだと思いたいし、彼女が眠れない夜にはわたしも眠れずにいたい。となりで同じ蝉の鳴き声を聴いて、電車が過ぎ去ってゆくのをみて、風が、草はらを駆け抜けてゆくのをみた。けれどその一瞬のうちですら、たぶんわたしと彼女はきっとそれぞれ異なるひとのことを想って、それぞれ異なる色と匂いと温度と光をかんじている。わたしは彼女がかなしいと思うときにおなじようにかなしいと思えないのだ。それほどもどかしいことはないし、それほど愛おしいものもない。わたしの孤独はわたし一人だけで成立しているものではなくて、わたしの大切なひとたちがいてこそのものだと思うと、それだけで眠れなかった夜が嘘みたいに今度は眠りたくない夜になる。満たされていないからわたしは海をきれいだと思うのだろうし、なんの迷いも戸惑いもなく未来に眩さや希望やあたたかな愛を見出すことができるのだと思う。満足することを知らず、いつまでも世界のありとあらゆるところまでつねに感じていたい。うしなわれた光と温度と音が知らない地でまたあたらしくうまれるところを、ずっととおい国のちいさな街で暮らす少年の報われなかった恋を、インターネットの隅で未だに煌めきを失わず残ることばの数々を、千年前に生きていた十七歳の少女が今を生きる���たしのそれと同じ眼差しで、同じ場所で、同じ海を眺めている様子をみたかった。恐竜の鱗が光にてらされてかがやいているのもみたかった。この風は、まだ人間が人間じゃなかった頃に吹いていた風かもしれない。同級生のこととかたとえば自分の数年後のこととか明日の試験のこととか考えているうちに、きっとたぶんあっとういうまにわたしは歳を重ねて死んでしまうから。あなたも。死は永遠に続く停止ではなくて、またあたらしい有限への始まりにしか過ぎないのかもしれない。昔の文章、はずかしすぎてマトモに読めなかった。一年前のわたしだったら全部削除していたかもしれない。だいたい、あなたにはなれないと分かっていながらあなたになりたいなんて思ってしまったわたしがわるかった。わたしは全然自分が思っているより幸せだし、あなただってきっとあなたが思っているより幸せなのだと思う。それにそうだねと言えないのなら、わたしが幸せにしにいくから泣かないで。
Fresh Flesh
苛々してばかりいる。排気ガスを吸い込んだ朝の光。どこまでもぬるい夏の風。孤独を拒絶する友人。数値化された感性。立ち並ぶビル群。声のでかい女。ぜ〜んぶ、ほんとにぜんぶ、まるで雷光のようにわたしの心の奥の奥の奥のほうをカッと照らすので、まぶしくてひたすらに鬱陶しい。だけど舌打ちも暴力も歯軋りも性に合うはずがないので、ただ血液だけが巡るその速度を速め、ああ、もうさ、どうしてこんなに世界って鮮やかなわけ?って、思った、昼。あらゆる音がさっきまで飲んでいたシュワシュワサイダーの泡みたいに空気中を弾ける。ぽつ、ぽつ。びゅうびゅう。ざあざあ。びたびた。ぱらぱら。すぐそこで揺れている深緑(ふかみどり)が泣いているみたい。小鳥や野良猫は雨の日どこで雨宿りをしているんだろうか。ショッキングイエローも、スモーキーピンクも、オーシャンブルーも、わたしたちはすべて黒い色の文字で表現できてしまうのに、心がぎゅうってなるあの感覚って、どんな言葉を選んでもなにかが違う。途中でこうじゃないって投げ出してしまう。どれだけ小説のページを繰っても、黒、黒、黒、そうして少し、余白。けれどそこにはそこにしかない風があって、匂いがあって、音があって、熱があって。先生の合図とともに重たい教科書を開いて、ハイライターで色をつける。まだあと二十分もある、って思うとき途方も無い気持ちなる。(��ねがいだから一人にしてほしい、)と、一人なのに、そう思う。これからどうすればいいんだろう。どうなるんだろう。何をすればいいんだろう。何を守るべきで、何を捨てるべきなのか、わかったら、なんの迷いもなしに会いたい人たちの元へと駆けて行けるのに、わたしがいなくても彼らの生活は成立してしまう。その事実が毎日のようにわたしの胸をきつく締め付けるので、勉強さえ手につかない。夏の夜の闇に、重ねに重ねた不安を押しつぶされそうになって、怖くなって、ママが深く眠っているのを確認したあと、あたかも人が眠っているかのように部屋の布団を整えて、玄関のドアをゆっくり、すごくゆっくり開けた。レッドのマットリップと、ドット柄の上下パジャマのズボンと、上はダボダボのブルーのパーカー。午前零時。自転車のギアをいちばん重いのにして、全速力でペダルを漕ぐ。まだたくさんいる人々の話し声や車のエンジン音が瞬く間に遠のいていく中、車輪の回転する音だけが一定の大きさで響きわたる。往復およそ三百円の通学路と、京浜東北線。光が差し込むと肌が透けてみえる白いブラウスと、微かに香る柔軟剤のにおい。テスト前、教科書がパンパンに入ったリュックサックの重さと、かかとの磨り減ったローファーの鈍い光沢。小さな教室と、先生のつまらない冗談。どっと響きわたる笑い声の中に掻き消された不安定な思考。すべて、いつか、終わってしまうことがちっともさみしくないと思ってしまった。ゆるしてほしい。だって、いつだって死ぬことは生きることの一部。怖いモノなど無いと信じたいでしょ。
無題
上野で車に轢かれた鳩の死骸をみた。車窓に映る風の如く過ぎ去ってゆく光景はあらゆるモノの死の産物なのだと、いつか君が話していたのを思い出した。それに感化され涙を目に浮かべるわたしもまた、いずれ消えてしまう。雲ひとつない晴れた日に駅の出口で名前も顔も知らない人を待ちながら、点滅する青信号に早まる人々の足取りを目で追う。断ち切れた水道管の真横でカラスがゴミを漁っていた。彼も彼女もこの街ですらいつか朽ちてゆくのに、世界はなぜこうも美しく出来すぎているのだろうかとよく考える。降ってくる雨粒の鋭さに刺され出血することもなければ、太陽の光によって皮膚が火傷することもない。風の強さで眼球が吹き飛ぶこともなければ、鳥の鳴き声で鼓膜が破れることもない。そのやさしさがたまに鬱陶しくて鬱陶しくて、真夜中に布団に包まってひっきりなしに泣く。ああ、やってらんないなあと思いながら、チョコレートパフェを注文する。向かい席に座った顔見知りになって間もない女性が煙草を嗜む、その姿に恋心にも似たときめきを覚えた。文豪たちが綴ったうつくしい言葉が無数に散らばる図書館で、わたしと彼女は自分たちで���み出したくだらない戯れ言に花まるをつけた。いつか、という言葉が好きだ。いつか大丈夫になる。いつか幸せになる。いつか報われる。いつかわたしにも大切な人が出来る。いつか大人になる。いつか死ぬ。その果てに見える景色があらゆるモノの死の産物だとしたら、わたしは毎日それらを瞼の裏に葬り、目を閉じて祈る。人生にリタイヤもバッドエンドもエンドロールもない。それよりも踊ってばかりの国のサイクリングロードを聴きながら、ドライブしよう?
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#犬
坂の上にある地域のグラウンドも桜に囲まれていました。きれいだなぁ。
まあでも桜になど微塵も興味もない犬はと言えば、グラウンドの周りに生えている雑草を脇目も振らずに貪っていましたよね。まさに花より団子。
青空だったらきれいだったろうな。霧雨と桜と犬。
坂の下から見た桜と、グラウンドから見下ろす桜。30年ぐらい、何も変わらないこの景色。
ちょっとだけしみじみとしてから、さぁ帰ろうとグラウンドを出ようとしたところ……。
疲れた犬、帰ることを拒否!しばらくここで座り込みを続けていました。
なんとか引っ張って宥めすかして歩かせましたが、さすがに30kgの犬、抱いては連れて帰れんぞ……。今のところ散歩は問題なく歩いてくれますが、足腰が弱ってきたら犬+台車連れの散歩が必要だろうか……?帰りは台車に載せて帰るとか……?
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春鹿(日本酒/ひやおろし 純米吟醸 生詰)、板わさ、��肉と自家栽培ライムのスープ、蓮根のきんぴら、納豆。
Harushika(Japanese Sake) & Itawasa(Kamaboko Sashimi) Dinner - October 2024
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追記※
自分の二次創作ネップリの必要性が微塵も感じられないしあの文化がよくわからない
他人がネップリ出したければ出せば良いとは思っている私自身その必要性を感じないというだけの話なんや
ネップリしないんですか、ネップリしてほしいですってマロに入ることがあるけどするつもりがないんだごめんよ
作者に金が入るわけでもないのにね(そも二次創作で金を儲けるつもりは毛頭ない)
個人で楽しむなら個人で勝手に印刷して飾るでもなんでもすればいい���ではと思ったがアレか、交流のためなんか?ほんとにわからん
コミュ障極まりすぎて私が理解出来ないだけか
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短歌
もう二度と会うことのない君だからまたねと言って背中蹴飛ばす
いろんなことを俯瞰してみている
自分のことを言っているのは間違いないのだが、あまりにかけ離れていて、
別の人の話をしてるように聞こえている
怒りも悲しみももう特にない。
ただ、そう見えてたんだなって思ってるだけ
届かなかったし、
私は何もしてないし、
何も考えてないらしい。
また、あの人の周りの人、つまり私を微塵も知らない人たちからそういう評価らしい。
いいと思う
それで癒されるならいいと思う
とは、いえ、培った時間は私にとっては大事な時間だった
大切にしたかった時間だった
苦しくても大事にしてた
いろんな思いを込めた短歌、お題は【裏】
Xで全てこの31文字だけから読み取ってくれたお友達がいた
それだけで充分だ
何も私は他の地では語ってない
それでいい。
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