#広告会社、男子寮のおかずくん
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elle-p · 1 year ago
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Persona 3 Club Book Pawlonia Mall people pages scan and transcription.
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ポロニアンモールの人々
People of Pauloownian mogol
月光館学園に隣接する巨大ショッピングエリアのポロニアンモールは、買い物と娯楽の一大スポット。タルタロス探索の準備のためだけでなく東の間の息抜きにもふさわしい。
黒沢巡查 辰巳東交番
港区の辰巳東交番を守る地域課の巡査。かつては敏腕のエリート巡査として知られていたが、正義感のあまりに10年前の桐条研究所事故の真相に深入りし、出世の道を外れた。
だがそのときの捜査によって真相に警察機構の手に負えない、人外のモノの存在を感じ、以降は独断で関係者と接触し、事件解決のサポートを行なうようになる。
なお巌戸台地区に配属されたときの最初の担当案件は、真田兄妹の入寮していた孤児院火災事故の再捜査だった。結局この事故もとくに人為的な点は見当たらずに決着しているが、そのときに現在の真田との関 係がつくられた。
基本的に非番はなく、昼は交番での勤務と武器の横流し販売、夜は担当地区一帯のパトロールと、とにかく黙々と働く男。毎週月曜日にご機嫌で値引きしてくれるのは、勤務明けに彼女とのデートが待ってい るから······かもしれない。
話しかけるのを躊躇させる強面の巡査。見かけによらず港区の平和を心から願い、特別課外活動部員への武器提供を請け負っている。
寡黙な平和
の守り手
眞宵堂店主 眞宵堂
隠棲の美人
科学者
断片的ではあるが港区で起こる事件のカラクりを知る数少ない人物。黒沢巡査とは桐条がらみで知り合い、頻繁に情報交換をする仲。
趣味で集めた骨董品を売る、凄みのきいた笑みが魅力的な女性。
学生時代から考古学を専攻していたのが縁で、桐条鴻悦が存命のころ、非公式計画の中核であった「エルゴノミクス研究所」の研究所員として、岳羽詠一朗の下で研究の一端に関わっていた。おもな研究は、過去のシャドウ関連の記述や痕跡を考古学的見地から分析・解析するもの。中心研究から一歩引いたところにいたことが、早期に研究 の問題を知ることとなり、事故の起こる数年前には研究所を去っている。しかし研究の真相を知��ながら、その事実から身を引いたことに呵責を感じていて、桐条の膝元��土地を去れずにいる。そんな自分の迷いを自嘲し、店の名前を「眞宵」堂と名づけた。
上司であり師弟関係にもあった詠一朗には、妻子ある相手と知りながら道ならぬ感情を抱いていた時期があり、彼がすべての罪を負わされる形で世間的な決着がついていることも、彼女の桐条への複雑な感情をを助長しているようだ。
青ひげ店主 青ひげ薬局
欧米型ドラッグストアがこの国に根を下ろして十数年、今やすっかり市民権を獲得した中、昔ながらの対面販売式「薬局」としてがんばる、青ひげ薬局の店主。洗練された雰囲気を全面に押し出す新興のショッピングエリア・ポロニアンモールの一等地にて、このスタイルを貫く心意気はさすが。顧客は若者はもちろん、仕事帰りのサラリーマンや、いろいろ不具合に悩むお年寄りまで、幅広い年代をカバーしている。
仕事柄幅広い医薬品を扱ってはいるが、なにを置いても養生がいちばんという、東洋医学に基づいた主張をもっている。その証拠に料理の相談を持ちかけると、医食同源の秘蔵のハブの干物を熱心に勧められたという、部員からの報告あり。
店主渾身の青汁スムージーは販売1年目には罰ゲームのネタにされるという不幸な歴史を持つが、本人はその味わいと健康的な価値とに自身を持っている様子。
家庭の医学の体現煮
立派なひげをたくわえた恰幅のいい店主。豪快な人柄と取扱商品の怪しさにただの薬屋ではない気配がただよう。
ヤリ手の女性記者 ポロニアンモールほか
ペンを武器に三流ゴシップ誌で戦う女性記者。全国的に広がりつつある謎の社会現象の真相に、たったひとりで挑んでいる。その行動力と洞察力で、無気力症患者の発生のメカニズムにいち早く着目したほか、月の満ち欠けと無気力症患者の増減や、無気力症拡大と桐条グループ関係者たちの動向との関係をかぎつけるなど、本来桐条の関係者にしか知り得ない真相に徐々に迫りつつある。そのため上司や「さるところ」から圧力をかけられることも多数あり。それが彼女の自由報道への情熱に一層拍車をかけているようだ。年末に向かって無気力症が猛威を振るうようになっても、さらにそこに謎を解く鍵を見出す、恐るべきバイタリティの持ち主。
無気力症におちいったタクシー運転手の間近でも冷静に状況を分析。報道に携わる者の鑑。
記者eyes
事件の気配をいち早く見分ける千里眼!!
記者brain
巧妙に隠された真相を見抜く冴えた頭脳!!
記者heart
おばさんと呼ぶと無反応になる乙女心!!
記者suit
体を張った取材に耐える丈夫な素材!!
記者hand
記事を書きなぐる武器!ペンだこは勲章!!
記者pumps
走っても足を痛めない低めのヒール!!
●図解!デキる雑誌記者!!
●女性記者の真実への軌跡
老いてますます盛んな老人 噴水広場
日がな一日、噴水のそばに腰を下ろして遠くを見つめるお爺ちゃん。多少弱々しく見える現在からは想像もつかないが、若いころは結構な女泣かせだったらしく、会うたびに盛んに「若いころにはギャルと遊べ」と力説される。このところ、かつての友だちがひとり、 またひとりと冥土に旅立ち、寂しさを隠し切れない様子。ポロニアンモールを訪れて無事な姿を確認するたび、「元気でよかった」を胸をなで下ろさずにはいられない、噴水広場のシンボル的存在になっている。
影人間が増え出す時期以外は一年を通してこのベンチで過ぎ去った時間を思い返している。
聞かせて!おじいちゃんの武勇伝
ビー・ブルー・ヴィーの店員 ビー・ブルー・ヴィー
感度の高いアイテムで、月高生をはじめとした地域の女子高生に人気のアクセサリーショップの、カリスマ店員。彼女の提案する小物使いは、必ずといっていいほど10代女子のハートをがっちりつかむ。見た目の派手さに反して、気さくな人柄と丁寧な応対で、相手の目線で接客する態度が好感度高し。自然と恋愛相談を受けることも多くなり、客同士の人間関係や恋の成り行きにはちょっと詳しいようだ。信条は「おサイフに優しい値段でセレブ感のあるオシャ���」。
クレーンゲームの月高生 ゲームパニック前
齢17にして初めてクレーンゲームを知り、世間から10年以上遅れてやってきた、景品釣りのスリルと興奮に盛り上がり中の男子生徒。友だちの誘いもむげにして、熱心に攻略方法を研究しており、影人間が徘徊を始める時期以外は、青春の貴重な時間と多くない小遣いを、その娯楽に費やしてポロニアンモールで過ごしている。かつて一世を風靡したこのゲーム、最盛期には亀や伊勢海老まで景品になっていたのは本当の話。
買い物途中の主婦 噴水広場
夕方の買い物の途中で油を売っている主婦ふたり組。日々成長する子どものしつけと教育問題に頭を悩ませている。家事と買い物で疲れたと言ってはたびたびお茶に繰り出しているらしく、ポロニアンモールや巌戸台商店街の飲食店には、月高生以上に詳しい。
●髪を結った主婦
高校2年生の年頃の娘を抱える母親。勉強そっちのけでオシャレに凝り始めた娘にあきれ顔。
●髪の短い主婦
中学3年生の息子を持つ母親。月高を目指しているが不穏な事件続きで躊躇気味。
Syuhu's COMMU
高2の娘 ← シャガールばっかり行って!← 髪を結った主婦 買い物友だち
髪の短い主婦
ご近所さん? 購買のおばちゃん
→ 目指せ月高!→ 中3の息子
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leenaevilin · 6 years ago
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[Announcement] ドラマ『広告会社、男子寮のおかずくん』(drama koukokugaisha, danshiryou no okazu-kun)
the new drama will start January 2019
January 15th, 2019 (23:00~) @ TV Kanagawa January 15th, 2019 (23:30~) @ TV Saitama January 19th, 2019 (00:00~) @ KBS Kyoto January 17th, 2019 (02:25~) @ Kyuushuu Asahi Housou January 16th, 2019 (01:30~) @ Nihon BS Housou
Cast:
Kuroba Mario as Nishio Kazu (西尾和) Sakiyama Tsubasa as Higashira Keisuke (東良啓介) Kobayashi Katsuya as Kita Ippei (北一平) Ooyama Masashi as Nangou Tadashi (南郷正)
homepage twitter 2.5news
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ashitakalove · 6 years ago
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【 広告会社、男子寮のおかずくん 】 
以廣告公司為人設的料理節目!
個人喜愛:5 / 10
【 故事大綱】
以在廣告公司工作的同事們為中心,並以他們同住的男子宿舍為舞台,描繪他們日常生活中的小品料理的故事。
撰於2019.4.30
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xf-2 · 5 years ago
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市場シェア8割を占め、世界の空を飛び回る中国製のドローン
いま多数のドローンが世界中の空を飛び回っており、日本も決して例外ではない。近年、急速に性能が向上しているドローンは、美しい空撮映像だけでなく測量や災害救助にまでその応用範囲が広がっている。   そのドローンの世界的シェアをご存じだろうか。実は、市場シェアの約8割を中国製が占めており、そのなかでトップメーカーとして君臨するのが、世界シェアの七割以上を占める中国のDJIテクノロジーズ(Da-Jiang Innovations Science and Technology:大疆創新科技有限公司。本社は広東省深市)だ。いまや「ドローンといえばDJI」というほど世界的な知名度を誇る。   DJIは2005年、香港科技大学を卒業した汪滔(1980年生まれ)が創設。汪は大学寮の一室でDJIを創業した。現在の企業価値は150億ドル、総資産は54億ドル(約5724億円)にも上り、ドローン事業で世界初となるビリオネアとなる(『フォーブス』2019年2月)。
警視庁のドローンも中国製
日本でもすでにDJI製のドローンは市販されており、たとえば2015年に起こった首相官邸無人機墜落事件に使用されたドローンもDJIのものであり、この事件を受けて警視庁が発足させた網を使ってドローンを捕獲するという「ドローン捕獲部隊」が使用しているドローンもDJI製だ。   DJIが2018年秋に発表した産業用ドローンの最新機種「マビック2エンタープライズ」は、高度制御技術を搭載し、消火活動などの緊急事態への対応やインフラ設備の調査などでの活用を謳っている。   マビック2は8個の高解像度ビジョンセンサーと2個の赤外線センサーを搭載し、障害物を自動で検知、回避して飛行できる。最大飛行時間は約31分、最大速度は時速72キロで、マイナス10度の低温環境でも十分な性能を発揮できる。   さらに撮影した映像は、DJIの「動画・データ伝送システム」を使うことで、最大で約8キロ(日本国内五キロ)離れた場所からも操縦者の元に送ることが可能だ。価格は最も安いモデルで30万円程度からとなっており、同程度の性能で数百万円する他メーカーの産業用ドローンと比べると格段に安い。
特許取得数の圧倒的多さ
DJIの高い技術力は、同社が取得した特許数からも分かる。特許分析会社のパテント・リザルト(東京都文京区)が公表した無人飛行機を含むドローン関連技術全般における特許の質と量から見た総合ランキングでは、DJIが1位となっている。   2011年から日本でドローン関連特許の出願を開始したDJIは2014、15年に出願数を大きく伸ばした。たとえばドローンを使った荷物配送システムや、初心者でも簡単に操縦できるように離陸時の不安定性を減らす技術などで特許を取得している。
空撮データが中国に蓄積、日本の国土は確実に“丸裸”にされる
問題は、DJI機が空撮したデータの取り扱いである。あまり知られていないが、データはユーザーのパソコンなどに移されると同時に、中国にあるDJIのデータセンターにも蓄積されることになる。DJI機を購入したユーザーは、こうしたDJI機の仕様に同意しなければ使用許諾を得ることができない仕組みになっているのだ。   ドローンの空撮データには、GPS(全地球測位システム)の信号とともに緯度・経度・高度の画像情報が記録される。いまや日本全国で橋梁の保守や工場の安全点検、災害復興、農薬散布など種々雑多な空撮が行われており、これら一つひとつは「点」でしかないが、すべてのデータが手に入るとすれば、やがて「面」となり、それは日本の低空域における「航路情報」になり得る。低空域における航路情報をインプットすれば、ドローンは無線操縦に頼らない「自律航行」が可能となる。 世界的にドローン規制が未整備な現在は、法の網の目をくぐり抜けた「偵察行為」が可能な状態にあると言える。現状を放置すれば、日本の国土は確実に“丸裸”にされる。その危険性を認識したうえで、中国製のドローンを使用しているだろうか。  
東京都心の空間地理情報が中国企業に転売
実際に、中国が空間地理情報を狙っていると思わざるを得ない事件も発生している。2019年8月に埼玉県内に住む貿易会社役員の男が、首相官邸や皇居がある東京都心の空間地理情報をNTTグループ会社NTT空間情報株式会社からだまし取ったとして、警視庁公安部に書類送検されている。 販売されたデータは「GEOSPACE 3D ソリューション」と呼ばれる商品で、電子地図と航空写真のデータを組み合わせたもので、建物の高さと標高を1・5メートルの精度で表したものだ。地形の高低差情報は、ミサイルの飛行ルートを定めるうえで重要な���ータになり得る。男は、2016年に転売目的を隠したうえでNTT空間情報から200万円で購入し、中国企業へ転売している。男は30年前に、中国から日本に帰化している。
人民解放軍のドローン攻撃に利用される日が確実に来る
ドローンが集める空間地理情報については、現時点で海外を含め法的規制を敷いている国はないが、個人情報と同じく空間地理情報の取り扱いも法規制が必要だ。想像してほしい、中国軍の飛行機が縦横無尽に日本の空を飛���交っている姿を。現状はまさにその姿なのだ。空間地理情報は簡単に個人が収集できるが、本来、個人のものではない。安全保障につながる国家として守るべき情報である。   同様に、カメラで撮影されたあらゆる空間地理に関する動画情報(静止画を含め)は国内のサーバーに保存すべきものであって、決して海外のサーバーに保存すべきものではない。このままでは日本の空を自由に航行できる航路情報として、人民解放軍のドローン攻撃に利用される日が来る恐れが極めて高い。
米軍が中国製を使用禁止にした理由
こうしたDJI機の仕様について、最初に問題視したのが米軍だった。それまでは米軍も、高性能で安価なDJI機は軍事利用可能と見て多数導入していた。ところが、2017年8月2日、陸海両軍が揃ってDJI機に関する報告書を出した。   陸軍研究所から「DJI無人航空機システムの脅威およびユーザーの脆弱性」という報告書が、海軍からは「DJI製品群に関する運営リスク」という報告書がそれぞれ出され、DJI機の使用が禁止された。 「すべての使用を停止し、すべてのDJIアプリケーションをアンインストールし、すべてのバッテリーとストレージ(補助記憶装置)を取り外せ」と非常に厳しい内容の報告書だが、米軍はこの報告から9日後の8月11日、今度は「OPSECの規定する条件を満たしているドローンは利用可能」と、先の使用禁止命令を緩和するような指令を出した。   オプセクとは「オペレーション・セキュリティー」(Operation Security)の略語で、ネットに常時接続されているコンピュータに求められる最低限のセキュリティー対策を指す。仮想敵国への情報流出リスクを判定する規定であり、米軍は条件を満たしていれば使用できるとした。   しかし実際は、DJIが中国企業というだけでOPSECの規定に反するとの見方が強く、現在も米軍でのDJI機の使用は制限がかけられたままだ。
“合法的に”空撮データを中国に送る仕掛け
米軍がDJI機の使用禁止を打ち出した直後の8月16日、DJIはドローンが撮影したデータを中国のデータセンターに送信することなしに使用できる「ローカルデータ・モード」を発表した。このモードでドローンを操縦すれば、データセンターがある中国に空撮情報が流れることはない、という説明だった。   だが、ローカルデータ・モードでの飛行は、高度が30メートル以下に限定されるうえに、DJI機の最大の特長である飛行中の高度な安全装置が機能しない。ローカルデータ・モード時に機能が制限されることはDJI��操作マニュアルにもしっかりと明記されおり、実際にこのモードで使用する人は極めて少ない。   つまり、通常の飛行モードを選んだユーザーは、従来どおり、空撮データがDJIのデータセンターに流れることを承諾せざるを得ないのだ。DJIは、いまも“合法的に”空撮データを中国に送ることができている。
ドローンの心臓部を握っている中国企業
仮にDJI機を排除しても他社製のドローンの多くが、GPSやジャイロ(安定飛行の装置)、加速度、磁気などのセンサーを搭載して飛行制御を行う「フライト・コントローラー」にDJI製品を搭載していると言われる。「ドローンの心臓部」といえるフライト・コントローラーをDJIに握られた業界では、「DJIの呪縛からは逃れられない」との見方が強い。
ファーウェイ事件と通底
DJI製ドローンの問題は、2018年末にアメリカが中国通信機器機大手のファーウェイ(華為技術有限公司)やZTE(中興通訊)社製の通信機器を全米から排除する決定を下した事件と通底している。   アメリカが決定を下した背景には、中国が2017年6月に施行した「国家情報法」に対する懸念がある。   同法は、“国家としての情報収集に法的根拠を与える”ために定められた法律だ。その第1条は「国の情報活動を強化および保証し、国の安全と利益を守ることを目的とする」と規定し、第7条は「いかなる組織および個人も法に基づき国の情報活動に協力し、国の情報活動に関する秘密を守る義務を有し、国は情報活動に協力した組織及び個人を保護する」としている。   つまり、中国の国民全員が、国のために情報収集を行う存在であると定義している。これはスパイにほかならない。それを国家は全面的に保護するといっているのだ。 ファーウェイやZTEがどれほど身の潔白を説明しようとも、中国政府から協力を求められた場合は抗えない制度になっている。当然、DJIも中国の企業である以上はこの法律に従うしかない。   国家情報法では、第9条で「国は、国の情報活動に大きな貢献のあった個人及び組織に対し表彰及び報奨を行う」と規定し、第25条で「国の情報活動への支援・協力により財産の損失が生じた個人及び組織に対しては国の関係規定に基づき補償を行う」と損失補まで定められている。
日本のIT企業で起きた中国人従業員情報漏洩事件
2019年、日本のある商社系IT企業のA社で起きた中国人従業員による情報漏洩事件は、この国家情報法と関係している可能性が非常に高いと見られている。これは重大な事件なので、事の経緯も含め説明したい。   A社で、中国人労働者のXが退職間際に、社内のパソコンから1・5ギガバイト(ギガは10億)ものデータを中国企業バイドゥ(百度)が運営するストレージ(データ保存)サービスに転送した事実が発覚した。送信されたデータを新聞の情報量に換算すると、約5万ページ分にも及ぶ。   バイドゥは「中国版グーグル」と称される検索サービスの大手企業として知られ、「Simeji」と呼ばれる「着せ替えキーボー��」のアプリケーションを提供している。着せ替えキーボードアプリとは、スマートフォンやパソコンで文字入力する際に日本語の「漢字仮名交じり文」にするソフトだ。そのシメジは以前、「変換した文章が全て中国に送られている」と問題になったことがある。つまり、シメジが「情報を抜き取るためのサイバー攻撃のツール」だったのである。
国家の命を受けてデータ転送を繰り返していた
このシメジ問題によって新たな疑惑も生まれた。それは、検索エンジンの利用などで一度でもバイドゥにアクセスしたパソコンは、情報を抜き出す不正プログラムが送り込まれ、それ自体がサイバー攻撃のマシンに変わってしまうというのである。人民解放軍が実戦配備したサイバー攻撃の仕組みは「グレートキャノン」と呼ばれ、実際にアメリカのインターネットサービスがグレートキャノンの攻撃に遭い、機能不全に陥ったことがある。   この中国人社員は国家の命を受けて、日ごろから少しずつデータを小分けにして転送を繰り返していたと見られている。転送した事実は同社が運営するネットワーク監視機能で直ちに検出されたものの、1・5ギガバイトのデータはすでに送られたあとだった。   A社はX本人を呼び出し、聞き取り調査を実施したものの、黙秘を貫かれた。その後、Xは退職届けを出し、現在は音信不通の状態で、真相は闇に葬り去られてしまった。
日本の法律では裁けない。極めて深刻な事態
A社では、顧客のネットワーク構成図やIPアドレス(コンピュータの通信識別番号)も普段から扱っており、それらの情報は機密情報に該当する。しかも頭が痛いのは、通信記録から大量のデータがバイドゥに送られたことを掴んだものの、どのようなデータが送られたのかについては、データが暗号化されていたために知る術がない。   通常、この手の情報漏洩が起きた場合は「不正競争防止法」を適用し、持ち出されたデータが営業秘密に該当することを証明する必要がある。ところが、今回はデータが暗号化されていたために立証できない。現在の日本の法律では犯人を裁くことはできないのだ。   仮にA社が警察に被害届けを出したり、国際刑事警察機構(ICPO)を通じて捜査協力を相手国に求めたりしても、日本国内で刑事犯罪としての要件が満たせなければ、相手政府も協力できないとの立場を取ることは明らかである。   A社は風評被害を恐れたからか、事件を公表していない。しかしA社の事業内容を見ると、各種の公共団体のネットワーク構築を請け負うとともに、セキュリティー監視も手がけている。事態は極めて深刻だ。
アップルで中国人技術者が
中国人従業員による内部犯行はアメリカでも起こっている。2019年1月に、米アップルの自動運転技術の企業機密を盗んだとして、FBI(米連邦捜査局)がアップルに勤務していた中国人技術者を逮捕した。2018年6月にアップルに入社し、自動運転車のハードウエア開発チームに所属していたが、中国へ渡航予定の前日に逮捕されている。   犯人が自動運転車開発に関する写真を撮影していることに気づいた同僚の通報で内部調査した結果、撮影データの他、図や2000以上のファイルを個人所有のパソコンにコピーしていたことが判明した。   アップルでは、2018年7月にも自動運転車の機密情報を盗んだ疑いで別の中国人が起訴されている。従事者の国籍によって内部犯行のリスクが排除されるわけではないが、国家情報法が施行されている以上、中国人従業員を情報やデータの管理職に指名する場合はスクリーニングを徹底すべきとの声もある。  
採用に際して十分な身辺調査を行う企業も
スクリーニングとは、採用に際して十分な身辺調査を行うことである。アメリカでは「ウソ発見器」にかける企業もある。また、スクリーニングの専門会社も存在する。   日本では、採用面接の際に両親の職業を尋ねることも憚れるが、少なくとも出身校の教師や、前職の同僚や部下から話を聞くなど可能な限り過去に遡って、労働者の経歴など「バックグラウンド情報」を収集することが肝心だ。もはやそのような時代にきており、特に情報やデータの管理職に指名する人物に対しては、徹底したスクリーニングが欠かせない。   今後、入管法改正で、さまざまな国から労働者の流入が見込まれる。国益を守るためには、スクリーニングを合法的かつ効率的に行う仕組みを早急に構築する必要がある。
軍用ドローン1機で飛行場を壊滅させる破壊力
話をドローンに戻そう。日本の防衛省は2018年2月、国内の米軍基地、専用施設の上空や周辺でドローンを飛行させないよう、「航空機の安全な航行を妨害した場合は、法令違反に当たる」と注意喚起するビラを各地の防衛局に張り出した。だが、現代の「ドローン戦争」を想定すると、あまりにも対応が生ぬるいと言うほかない。   現在の軍用ドローンは、たった1機で飛行場を壊滅させる破壊力を持つ。防衛省が多額の防衛費を投じて日本に配備する「陸上イージス」(陸上配備型ミサイル迎撃システム)でも対応できない可能性が高い。仮に低空を自律飛行可能なドローンを大量に製造できる国が、軍隊として「ドローン戦闘機部隊」を整備し、何千、何万ものドローンを戦争の相手国へ向かわせる戦術をとった場合、相手国は大打撃を被るだろう。
ドローン1374機の編隊飛行に成功した中国
2015年4月7日、アメリカ国防総省が発表した「中国の軍事力に関する年次報告書」には、「中国は2023年までに4万機以上の無人機を製造する」と記されている。あれから約4年半、中国のドローンの能力は格段に向上しており、2018年4月に中国は、ドローン1374機の編隊飛行に成功している。   人民解放軍がいま力を入れているのが「ロボットの群れ作戦」だ。中国の軍事作戦の特徴は、���和作戦といって数の力で相手を制圧することを目的としたものが多い。たとえば強力なミサイルを開発するよりも、何千、何万発というミサイルを打ち込んだほうが勝率は高くなる。軍用ドローンが何千機と襲来した時、いまの日本には対処のしようがない。   2019年4月10日、中国は尖閣防衛識別圏に攻撃能力を搭載した無人偵察機「TYW-1」を配備した。「TYW-1」は約40時間の飛行が可能であり、かつ最大離陸重量は1500キログラム、総重量300キログラムのミサイルや爆弾を搭載することができるとされている。
中国海警が尖閣諸島にドローンを
その1カ月後の5月18日には、尖閣諸島の領海内に中国海警2308からドローンが飛ばされ、航空自衛隊の戦闘機がスクランブル発進している。中国はいま、尖閣領海内でドローンを飛ばし、日本がどのような行動をとるか、どこまで行えばどう対応するのかを盛んに探っている。スクランブルにかかる費用は1機あたり300万円~400万円とされており、一方の中国はドローンを飛ばすだけで済む��コストも安上がりで、戦闘機を飛ばすよりも密かに確実に情報収集が行える。
水中ドローンの恐怖
これだけではない。ドローンというと飛行型を思い浮かべる人が多いが、中国は水中ドローンの開発にも成功している。国営の中国航天科技集団が開発した魚群NH1、NH2、NH3がそれで、「NH」とはインフラ攻撃を目的に開発されたものを意味する。日本は海底ケーブルでインターネットが繋がっているが、それらを破壊されたら日本の全てのネット環境が遮断され、日本社会は機能不全に陥ってしまう。   日本もアメリカのように、安全保障の観点からドローンの技術的仕様などについて何らかのセキュリティー規制を設けることは緊急の課題だ。   日本政府は「ファーウェイとZTEの製品を政府調達から事実上排除する方針」を掲げたが、ドローンについても早急に検討すべき時にきている。中国の日本侵略は着実に始まっていることを、国民も政府ももっと自覚すべきだ。
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tieslog · 5 years ago
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3月に入ってから御言葉で異性の罪、情の罪についてのお話があったので、なんとなく警戒していたのだけれど、やっぱりというか、案の定というか、異性から告白されるというイベントが発生した。
有料記事を読んでいる方は既にご存知の通り、信仰を持つとサタンが堕落させようと必死で信仰者に恋愛イベントを持ち込み出します。
今までモテと無縁だった人でも謎のモテ状態になる。異性の罪が一番重い罪だとサタンは知っているからです。
異性の罪と聞いて有料記事未読の方は何がなにやらだと思うんですけど、神様と疎通して恋人同士になることが本来人間にとっての「幸せ」というものなんだよという話であり、世の中の男女が上手く行かない原因の根本がこれなのです。
アダムとエバがまだ霊的に成長してないのに身体の関係を持ってしまって、人生が狂った。そして彼らは神様が人類の救いの為に立てた中心者でもあったので、人類の運命も狂った。それを聖書の中では木の実を食べたで表現している。ことを私はRaptさんのブログで初めて知りました。
まあ異性の罪についての詳しい話は有料記事をお読み頂くとして、今回どうやって告白イベントをクラッシュして乗り切ったかを書き出し、分析して、自己反省していこうと思います。
告白されたのはコロナ休校で学校に通わなくてもよくなった休校中でした。
そう。私はつい最近まで通学していました。
その前はアルバイトをしていたのですが(アルバイトする前はポルターガイスト現象に見舞われたりしながら半ば世捨て人というか、ニートみたいな感じで、そもそも社会に参加してなかったんだけど、それは人によっては馴染みのない話だからまたの機会に)、
個性才能を発見したいというか、手に職をつけたほうがいいなとか…
いや本音を言うと、御言葉の中に電気的なことや工学的な話が出てくるから、それを理解できるようになりたいなという理由で学生になることにしたのでした。スマホの中身とか仕組みが分からないし、コンピュータやネットの概念が自分の中でフワッとしていたからです。
私はもともと小さい頃は図鑑を読んだり図工をしたりするのが好きで、小学校では本ばかり読んでいたし(バレエもやってたけど)、中学では美術をやって、高校は霊現象に見舞われてたから中退したけど美術部の先生には入部を誘われていた��寮生で門限とかもあったから入れなかったわけだけど…)所謂どっちかといえば文系人間であった。
でも今回通ったのは理系分野だったので、もう、それはそれは未知の世界だったわけなのですが、意外や意外、文系は設計などのモノ作りの世界に向いてるっぽい?
いや、単に神様がそう導いてくれただけの可能性のが強い?
入学試験の日に面接があって、面接官をやっていた先生たちが「女の人他にいないけど大丈夫ですか?」って訊いてきたので、「え?女の人だと困る事例が今までにあったのでしょうか?」って訊き返したら、「いやそういう話は特にないです」と返されたので、なんだそれは…どういう意図の会話だったのだ…?と疑問に思いました。
一応卒業生に女の人は何人かいるんだけど、学年飛び飛びで発生するからお互いに写真でしか知らない感じです。
最終学年の夏季休暇より前だったかに会社見学先で会った女性の先輩は、2人きりになった瞬間に「女の人1人だけだと大変ですよね…」って切り出してきたから何かあったんだと思う。
そして先生たちには相談できなかったんだと思う。女の人は、いや人は、「この人に相談したところで解決しない」とわかっている相手に相談したりなどしないからである。この先生たちはあまり頼りにならない存在だとみなされていたんだろうなと思う。
私も入学早々話しかけてきた男の人(クラスメイト)相手に頭痛と吐き気を覚えたことがあって、「授業内容に関わること意外で私に話しかけないでもらえますか?何故か頭痛がするんで」と素直に伝えたんですけど(読んでる人は笑ってもいいです)、「え?なんで?いろんな雑談するほうが楽しくない?」みたいにヘラヘラ食い下がってきたし、それから1年くらいはしつこかった。
本当に面倒臭かった。めっちゃ滅びを祈ってた。どうせサタンに主管されてた人だと思ったから。そう、彼が他のクラスメイトと話す内容は大変下品な下ネタか、目下年下の人間を見下す高圧的で卑劣なもので、あと無い学歴で高学歴マウントをとろうとする(たまにいるよねこういう謎の行為するやつ)などの老害行為とか、とにかくこの世の地獄のような思想を煮詰めた煮こごりみたいな人だった。
そんでその下品な男の人は1年くらいして、ようやく私のことを「最初から生理的に受け付けなかったし」と言って避けるように(無視するように?)なってくれた。私はそれまでずっと「好き嫌いという以前に、人として生理的に受け付けないので関わりたくないです」とめげずに伝え続けてきたので、その台詞はパクリでは?と思いながらも、あと最初からそう思ってくれて話しかけないでくれていたなら私も楽だったのに…とか相手の発言に���盾を感じながらも喜びました。
今まであなたによって発生してしまった無駄な時間はなんだったんだろうな?あとあなたが勝手にメルカリに出品した私が制作したキーホルダーも返してくれると嬉しかったけどそれは返してくれないのな?(追記:返してもらえませんでした)まあいいよ悪人が離れてくれればそれで。この世の物品など平和な生活に比べたらなんてことないぜ。
そんなこんなで、私は紅一点ながらも下心を持った男の人には塩対応する部分をみんなに見せてきたので、その後謎アタックしてくる人や、謎アプローチしてくる人はいなくなりました。他の科の頭のおかしい人が名前を連呼しながら横を通過したりとかはあったけど、その他は概ね平和に過ごせたと思う。
男子生徒と女子生徒で態度変えるタイプの男の先生たちからは「人使いが荒い」と言われていたし、クラスメイトにも「まあ…あの人はクレイジーだから…」とか「誰よりも男らしい」とか言われていたので、まあ大丈夫だろう、みたいな。
まあ大丈夫じゃなかったことが今回発覚したんだけど。
突然の休校が決まったのはニュースで臨時休校が話題になってからずっと後で、その前は周りに建っている小中学校や高校が休みになる中うちの学校はというと、スカイプを使ってのんびり他校とロボットカーレース的なことをしていた。
会社によってはリモートワークの環境作りに四苦八苦していたようだけど、流石は電気系の先生が多めの学校というか、大会におけるスカイプ空間は学校の設備と先生たちの私物によってサクサク構築されていった。やっぱり最近売れてる自撮り用の小さいながらも高性能なカメラは便利そうである。結構高いみたいだし、海外製は当たりハズレもあるみたいだけど。
そんな感じでのんびり過ごしていたのに突然休校することになったのは周り(東京都の偉い人とか)の目を気にして焦ったからなのか?
ちなみに学校から感染者は1人も出ていないし、もちろんインフルすら出てない。
まあコロナはインフルなのでパンデミックの報道はデマなんだけど、学校は男の人ばかりであるせいかみんな基本的に不健康な生活を送っていたので、そういう暮らしを目にすることに私は若干辛みを感じていたので、休暇は素直に嬉しかったです。(なんで男の人は健康な食事にあそこまで無頓着なのだろうか?)
休暇だけど最終学年なので、つまりは卒業であり、ある意味クラスメイト達とはこの先恐らく二度と会わなくなることを意味します。
それでサタンも焦ったのでしょうか?今回は卒業制作を一緒に仕上げた人間から告白されたんですね。
学校最終日、私はいつものように普通に登校しました。
休校になることは突然知らされたので、荷物や教科書を全て持って帰らねばならなくなったこともあり、まあまあ驚きましたが、それ以上に驚いたのがその日はなんとなくカートをゴロゴロ引いて登校してきたので、スムーズに荷物が持って帰れるという偶然でした。(いや、神様は偶然はないと仰っていましたから神様が霊感で持たせて下さったのでしょう。よって私は神様に感謝しました)
それまでの授業ではラズパイでサーバを構築してHPを作る授業が行われていたのですが無事終わったので、持ち込んでたモニタをもって帰ろうと思ってカートを持ってってたんですね。そこで突然の休校です。
午前中は後輩に教室を明け渡す為に作業場を掃除したりして過ごして、午後は後輩たちのプレゼン大会が予定されていて、いつもより授業の始まる時間が遅かったので私は一旦家に帰ることにしました。あとなんか掃除中にヘアゴムが切れてしまってピンチで、そのへんにあった針金で留めていたので、家でまとめ直したかったというのもある。
やばいピンチだ…と針金で留め直してたとき、思い返せば今回告白してきた人が髪を下ろしたらどうなるのか的な質問をしてきて、「どうって、邪魔ですよね。作業するのに」と返したら「そっか」と笑っていたけど、なんか違和感を感じたやり取りだったのだけど、そういうことだったのかね?
思い返せば中学生の頃プールの授業のあとで髪を下ろして乾かしてたら、当時学校にいた私のことを観察する会的な謎の集団がわざわざそれを見にやってきたことがあった。だからそう、こういう髪に関することで注目してくる男の人はもうなんか駄目なんだと思う。そういうことだったのかも。
そんで家に帰ってから髪を留めて、なんとなくハンカチを新しいものに替えて、また学校へと出発しました。
ちなみに家に着いたとき、たまたま祖母が家にいて何故かご飯を炊いていて、「ちょうど出来たから食べていく?」っていうので、いつもはお昼ごはん食べないんだけどその日は食べてから出発したのでした(よってちょっと出遅れた)。いつもは一駅歩くのだけど、遅刻は嫌なので駅のホームで電車を待っていたら、若い女の人達が「〇〇駅ってどうやって行くんだっけ?」とワイワイ喋りながらスマホで乗り換え検索しながらこちらに向かってきた。でも〇〇駅は反対方向の電車に乗ってから乗り継がなければならないので声をかけてそれを伝えたら、ちょうど反対側に電車がくるところだったのもあり「ありがとうございます!」と言いながら彼女たちは駆け足でギリギリセーフで乗車していった。(そこで私は思った。ああそうか、それで私は家を出遅れたのかも。神様ありがとう!)
なので学校に着いた時刻はプレゼン予定時刻ギリギリだったんだけど、予定が押したみたいでまだ余裕であった。神様ありがとうございます。
後輩達は私達の学年より真面目な子達が多いので、プレゼンはとてもクオリティが高かった。んだけど中に仏教かぶれの人がいて若干むむってなった。仏教は悪魔崇拝だからです。まあネタ化されてたからガチではないのかもしれないけど。全ての神社仏閣が滅びますように。
最後はなんか、お��れの挨拶をそれぞれ述べて終了という流れになったんだけど、プレゼンを指導していた外部講師の方が今日で十数年に渡る講師活動を終えるとのことで泣きながら色々と思い出を語っていた。熱血タイプの先生なので涙が思いと一緒に溢れてしまったのだろうと思う。私達も突然で驚いたけど色々とタイミングが良すぎである。もういっそ今日が卒業式ってことで良いのではと思った。
お化粧が崩れるのも構わず泣いている先生を見ていて、「そういえば私何故か新しいハンカチ持ってきてたな」と思い出し、そのハンカチを渡した(この時新しいハンカチを持たせて下さったのは間違いなく神様だと思った)。
彼女は潔癖症なので未使用であることを伝えて渡した。「もう学校最後だから洗って返せない。どうしよう!」と言うので、「あげますよ」って言ったら、「洗わないでとっておこうかな(笑)」とか言いだしたので、潔癖症なのにご冗談をと思いながら「いや洗いましょう。何か繁殖しちゃうかもしれないじゃないですか」って返したら「コロナとか?」と笑われたので、私はその流れのまま「コロナはインフルエンザなんですよ」って話をした。
(私最近会う人会う人誰とでもコロナはインフルの話をしているけれど、まだ誰にも否定されたり拒絶されてない。Twitterの工作員とは随分反応が違うよね)
そんなこんなで授業もおわり、作業室で卒業制作で作ったマシンを班員と二人で動かしたりして遊んだ。校長先生を乗せる約束をしていたのにまだ乗せてなくて可愛そうだという話があったので、久々の起動に様子を見ながら発進させてたんだけど、校長を呼んで乗せてたらしばらく動いてマシンは死んだ。
FETが爆発したりしたわけじゃないから、多分ダイオードが死んだとかじゃん?という結論になったんだけど、調べないとわからん…わからんけどもう時間がないので、あとはもう後輩たちが好きにすれば良いんじゃん?ということになった。大掃除のときにモータドライバの同人誌を託したことだし(次回はデジタルアイソレータとか入れてみてほしい)。
校長先生や担任の先生たちとのお喋りも今日で最後か…というわけで、せっかくなのでコロナの画像がサンゴ礁の写真を加工した画像だった説や、タピオカヤクザの話や、蓮舫議員の闇のお婆ちゃん陳杏村の話をした。私は学級日誌でも毎度こんな話しか書いてなかったので先生たちも慣れていたのもあると思うんだけど、割とスムーズに受け入れてくれました。東京都からお金が出てパーツとか買ったりする学校だったけど、都知事をディスったところで咎める者は誰もいなかった。小池百合子はやはり都の職員からも嫌われているのではない��。
このまま興味を持って色々調べるようになってくれれば嬉しいのだがどうだろうか。調べてくれますように。
そして私の知らないところで同性に伝道されるなり、ネットで伝道されるなりすれば良いと思う。
先生たちには「忘れ物があったら取りにおいでね」と言われたけど、学校まではルート的に結構距離があるので、私は「思い出と一緒に置いていきますね」と答えた。そしたら「じゃあ思い出が欲しくなったらいつでも来て下さい」と返されてしまった。グヌヌ被せボケ…
最後まで一緒に残っていたもうひとりのクラスメイトは「あと2時間くらいお話していたいですね!」とか言っていた。勘弁してほしい。
死にかけのマシンはホールに飾られることとなった。
試作の小型機は班員が夜なべして書いたプログラムのお陰か元気に走ったので、最後に走らせて展示場に到着させた。
班員は小型機にゴリアテと名付けようとか言い出して、私はゴリアテ倒す派なので(ダビデの話参照)その場で反対したのだけれど、その後どうなったのかは分からない。今思えば何かの暗示であったのかもしれない。今回告白してきた人間はこの班員であるからである。
そんなこんなで帰りが遅くなってしまったのが良くなかったんじゃないかと今では思う。
校門を出たら外は真っ暗だった。冬だったので星がキラキラしていて大変綺麗で良かったんだけど「星が綺麗ですね…ってもう寝る時間じゃん!」と焦った。私は早く寝て早く起きて祈ったりしたいからです。
さてさよならするぜと班員に別れを告げるとき、私は特に台詞が思い浮かばなかったので、「とりあえず禁煙したら」と言った。彼は喫煙者だったからである。そしたら今までは絶対無理とか言っていたのに、今回は珍しく「禁煙外来に行こうと思う」と言い出した。
喫煙者が減ることは良いことだし、そのことは普通に嬉しかったので神様に感謝して、私は家に帰った。
その日は風が強くて、家の近所の庭的な広場に誰かのTシャツが落ちていたので、風向きから推測したマンションに届けに行った…のはいいものの、どこに置けばいいのか分からなかったから、そこら辺にいた住人らしき方に訊いて、エントランスに引っ掛けてきた。住人らしき方は見ず知らずの私にお礼まで言ってくれて、最近世間がピリピリしているというのに、優しく対応してくれてありがとうと思った。
それから1週間くらい経った頃だろうか。なんだか体が重かった。生理でも無いのに日中眠かった。
勉強したくても頭がモヤモヤするというか、お祈りの時間に起きられてもなんだか体が重かった。そういう日が数日続いた。
そんなある日、制作課題用に作ったSNSルームに置きっぱにしていたファイルをダウンロードしようとPCを立ち上げログインしたら、告白文が踊っていた。
いや、その前から就活どう?的な情報交換はしてた(私の就活はゆっくりでギリギリだったので先生やクラスメイトたちが私の代わりに心配していたというのもある)のだが、まさかこれを使って告白されることになるとは。そういう素振りを相手が見せたことがなかったので余計に驚いた。
読んだ瞬間はいつものごとく目眩と吐き気に襲われた。なぜ私は異性に好意を向けられたと認識した途端に吐き気と頭痛がしてくるんだろう?神様を信じるようになってからそうなるようになったのね。霊魂の苦しみが脳を通して肉体に伝わるからでしょうか?その仕組が知りたいのですががが。
ところで異性の罪は重罪なので、思わず「ブルータスお前もなの…?」と呟いてしまった。
霊魂は肉体と違って異性の罪によって、まるでウジやハエや汚物を飲まされているかのような地獄を味わうのだと、以前主が御言葉の中で仰っていました。
相手にこうして罪を犯させるような行動を私はどこかでしてしまっていたのだろうかとか、なんかそんな感じでショックを受けたついでにそのままブルータスについてググったら、なんと告白された日とカエサルが殺された日が同じ3月15日だったので思わず笑ってしまった。
よくイルミナティたちが日付にこだわって重要人物を殺したりするけど、確かその中に3月15日もあった気がする(そういうツイートを前に読んだ気がする)。
サタンが験担ぎして告白させたのかもしれんな。はっはっは…(真顔)
(そういえば志村けんが死にましたね。やっぱり小林麻央が海老蔵に生贄として殺されたみたいな感じで他殺なんでしょうか?)
告白文の内容は概ねこんな感じであった。
最終日にそちらから告白を受けたが(してないんですが?)、過去に色々あって二股かけて失敗しているのと(なんですと!?)、一緒に住んでる腐れ縁のルームメイトが��生に問題を抱えていてこれからも自分が助けになり支えていきたいので(誰のことだ?)、貴方の気持ちには応えたいが応えるわけにはいかないと思った。けれど前から可愛いと思っていたし称賛する気持ちは絶対に伝えたいと思っていたので今回告白に至ったと。その他、私と会うのを楽しみに学校に通っていたこと、可愛さにため息がとまらない(?)、私が小型機を操縦している様がキラキラして見えた(?)、ここ1週間ほど私のことを考えていた、買い物しに車を出して気付けば学校まで運転しておりそのまま夜空を眺め続けてしまった(重症では?)ことなどが書かれていた。
()は私の感想です。
そんで、うーん…?私そもそも告白してないけど?どういうこと???��てなった。
私としては、突然相手が目の前でサンドペーパーを敷きだしたと思ったらそのまま助走をつけて全裸で一気にスライディンクした挙げ句血まみれになりながら「どうもすみませんね…」とヨロヨロ退出していったような、こちらとしては見てはいけないものを見てしまったような、そんな気分である。
というか、1週間念を送られていたから具合が悪かったのかもしれないな…?
なんか頼もしいとか崇高とかいう文字も文章内に組み込まれていたので一応リスペクトしてくれてたっぽいことは分かるんだけど、恋愛フィルターを通してそう見えてただけだと思うと素直に受け取るわけにはいかないですよね。だって正気じゃないんだから。
校長先生が入学当初、学校の仲間は将来同じ分野の仕事仲間にもなるわけだから仲良くして情報交換していくといいよ的なアドバイスをお話してくれてた気がするんだけど、でもそこで相手に恋愛フィルターがかかっちゃったらさ、相手が間違ってるときに情が邪魔して相手を正論でコテンパンにしてあげられないわけだからもうその時点で良き仕事仲間とは言えないじゃん。
それに男の人って(弟もそうなんだけど)相手を褒めるときもそんないちいち褒めたりしないですよね。あっても一言で終わるじゃないですか。「スッゲ」「ヤベえ」「ウケんだけど」「流石ですな」「かっけえ」みたいな。だからこうやってリスペクトしてますよ感出して長文ぶつけてくるときは告白じゃなくとも下心があると疑った方が良いっぽい。よ。
可愛いに関してもよくわからなかったんだけど(私には可愛げがないという定評がある)、告白文を見るに、どうも頑張っていた姿がいじらしく見えたとかそういう意味での可愛いということであったらしい。ということは、男の人に比べたてまだまだ頼りない部分があったために可愛いに繋がってしまったのかもしれない。ネットで調べたところ庇護欲を掻き立てる女性はモテるらしいので、こいつは一人でもやっていけるなと思わせるキャリアウーマン的な女性にならないといかんなこれはと思ったし、反省した。
しかし腑に落ちないのが私が告白したことになっている部分なんだけど、どうも「星が綺麗ですね」と最終日に言ったことが告白と取られたらしいのね。
でも「月が綺麗ですね」は聞いたことがあるけど「星が綺麗ですね」はちょっと聞いたことがない。
それに夏目漱石が「月が綺麗ですね」と言ったという話はデマであることがわかっているし、それを告白に持ってくる現代っ子がどれくらいいるのかね?
わからん。
わからんので調べたら、出てくるわ出てくるわ…
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ちょっとバリーエーション増やしすぎじゃない?
これじゃあ異性の前で景観を褒めてはいけないことにならないかい?
しかも「星が綺麗ですね」はタロットが元ネタだと?悪魔崇拝者共め…なんと迷惑な。(ちなみに占いもタロットも、悪魔崇拝からきた文化です)
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なので私は告白してないのでそれは勘違いだし、一応漱石はデマだよと伝えた。
(あとうっかりここにたどり着いてこれを読んでる方で陰謀論よくわからない人向けにお知らせしとくと、夏目漱石の名前の由来はフリーメイソンなので、興味が湧いた方は調べてみて下さい。)
あとキラキラして見えるとかため息が止まらないとか深夜徘徊とか目に余る異常行動が気になったのでそっちも調べたんだけど、人は恋に落ちると脳内麻薬が出て、なんかそういう状態になるらしい。
というか、完全に病気だよね。
脳内麻薬で脳が酸欠になるらしい。煙草でも脳は酸欠状態になるっていうのに、お前さんはこのまま死ぬつもりか?
冷静になあれ。
とりあえずセロトニンが不足するとそういう情緒不安定状態になるらしいので、日光浴をおすすめしといた。
そしてSNSからは重要ファイルをサルベージした後離脱した(Twitterにおけるブロックのようなものです)。
しかし業務用のSNSで告白って公私混同って感じで普通にルール違反だと思う。勘違いとは言え、気持ちに応えるわけにはいかないからと理性で踏み留まってくれたのは、有難いっちゃ有難いけれど、結果告白してしまったのでは無意味なのではないか。それは踏み留まれているとは言えないわけで。
恋は病気。
愛は理知。
冬の星が綺麗な理由は太陽が早く沈むから残照の影響が少なく湿度も低いためにその分光がこちらに届くから。
よって、さらばだブルータス。
というか以前「背中を押すのは友人の特権だ」とか発言してたような気がするのだけど、友達だと思ってくれていたのは嘘だったということか?
まあ私は私で男友達ですら御免だしこの先男とはプライベートで仲良くするつもり無いですって言ってたわけだけど、大事なことだからそれ2回くらい伝えた��ずなんだけど、聞いてなかったのかねブルータスは。
ちなみに「ブルータスお前もか」は「月が綺麗ですね」と同じく言ってないのに言ったとされてる言葉の一つなのであった。綺麗にオチまでついてしまったのであった…
実はその後、学校に卒業書類貰いに行かなきゃいけない日があって、ちょっと憂鬱だったんだけど、エンカウントしないように祈って早めに登校したら、早めに書類もらえたし、早めに帰れたのでブルータスには会わずに済みました。
神様ありがとうございます!
あと水筒持ってくの忘れたんだけど何故か先生が自販機の飲み物奢ってくれるっていうのでお水を買ってもらえました。
先生ありがとうございました。
おしまい!
帰りが遅くなった最終日、家族が私の身を案じて祈ってくれていたそうである。私は本当に、神様に、みんなに助けられて生きてきたし、今もそうである。感謝します。どうかみんなの信仰生活も守られますように。
今サタンが絶賛大暴れしているそうなので、他の信仰者の方々もゲリラ告白をされたりしているのだろうか。どうか無事に撃退できますように。
あと恋の脳内麻薬は3年くらい出続けるらしいから3年は会わない方がいいっぽい。先生には悪いけど文化祭も行かないほうが良さそう。
異性の罪を犯したときに3年くらい期間を設ける話はもしや脳内麻薬にも関係しているのだろうか?まだまだ分からないことが沢山ありますね。
しかし思いがけずスムーズに荷物が持って帰れたり、知らない人が電車に間に合ったり、奇跡的なタイミングでハンカチを差し出せたからといってなんだっていうんだろう。神様にとって有益かというと、そうでもない。
結局学校は神様に意識を向けて生活し辛い空間だったことが証明されただけなんだと思う。卒業が早まってよかった。それこそ、神様に感謝すべきことだったのではないか。
唯一連絡手段が残された相手と縁が切れたことも、信仰生活を送るうえでとても有難いことであったと思います。ありがとうございました。
あと私は異性からの好意に気付かなさすぎであるということが発覚したので、これからもっと遠巻きにしてもらえるように頑張ろうと思いました。
そして恋愛コラム的なことが書かれているサイトって、全部占いへ誘導するようなものばかりで、この世の中に恋愛の文化を広めたのがサタンであることがよくわかる構図だなと思いました。
人間との恋愛は人間を幸せにはしません。不幸への入り口です。
占いは闇です。何も解決しません。
何事も神様に求めるべきです。神様に相談しましょう。
今回色々あった中で私にとって良かったことって、コロナはインフルだって話ができたことくらいじゃないでしょうか。もっとディープな話をスムーズに展開できるようになりたいですね。
反省!
こうして自分を省みる機会を与えて下さった神様とRaptさんに感謝します。どんなに神様が機会を与えて下さっても、Raptさんの宣布する御言葉がなければ理解できないし、悟れないからです。それから私の為に祈ってくれた方々にも感謝します。本当に命拾いしました。ありがとうございます。
コロナのデマが世界中の人々にバレますように。
あと最近初めて行った公園が心臓の形してる気が��た。
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そして電車の広告にあった有名テニスプレイヤーの顔がそっくりで、2人は血縁かもしれないと思った。
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この春あちこち散歩したけれど、東京都民は都知事の言うことなんて心の底では信じていなくて、パンデミックは演出不足であるなと思った。
だって人がわんさか住んでる団地で1人も感染者出てないし、誰も死んでないし、噂好きなおばさまも誰かが死んだ噂すら聞かないって言ってるし、というか2月も3月も全然救急車来てないし(12月と1月は夜でもバンバン来てたのに。餅かな?)。
都民はみんな訝しがっている。
陽の光を浴びながら元気に遊ぶ子どもたちを見ながら散歩したけど、あれはあれで免疫力がアップしてインフルにかかりにくくなって良いのではないかと思った。
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unbared · 5 years ago
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Vol.01 / 02
Model : Sayoko Ozawa - Illustrator / Bassist (my letter)  twitter  instagram Photo: Rika Tomomatsu / Text: Nozomi Nobody
「いろんなひとおるなってことをいつもわかってるのは大事なことだと思う」とさよこさんは言った。
わたしは19歳から21歳までの2年間をアメリカのNY州の外れにある小さな田舎街で過ごした。寮で生活しながら2年制の大学に通っていた。本当に小さな街、というか村のようなところで、冬になれば山のような��が降り、車で道を走れば鹿やリスとすれ違った。
いろんな学生がいた。NY出身の子が多かったけど、西海岸から来ている子もいたし、世界中から留学生も来ていた。一度社会に出てから復学してきた歳上の学生も何人もいたし、自分のジェンダーを公言しているLGBTQの子たちも多くいた。裕福な家庭から来ている子もいれば、保険料を払えず病院に行けない、今日食べるごはん代が払えないという子もいた。モデルみたいな子もいれば、日本ではあまり見かけないくらい大きな体の子もいた。様々な意味で、本当にいろんなひとがいた。それはわたしにとって初めて目にする世界だった。
印象的なエピソードがある。アダムという白人の男の子がいた。彼はキャンパスから車で数時間離れた、同じように小さな田舎街の出身で、���虔なクリスチャンだった。真面目で愚直で、ハンバーガーやピザを美味しそうに食べるチャーミングな子だった。驚いたことに、彼は大学に入って初めて有色人種を“見た”のだそうだ。人種のるつぼと呼ばれるアメリカでは、みんな日本人の自分よりよっぽど多様な民族に慣れているものだとばかり思っていたけど、そうではなかった。アメリカは広い。いろんなコミュニティーがある。だから彼にとっては、外国人と接するのも初めての経験だった。わたしたちが初めて顔を合わせたとき、わたしの英語はまだまだ拙くぎこちなかった。必死に話しかけ会話しようと試みるわたしに対し、彼はあからさまに困ったように苦笑いを浮かべ、肩をすくめたきり何の言葉も返してこなかった。会話は会話にさえならずに終わってしまった。
アダムとはだけどそれからも度々顔を合わせる機会があり、わたしたちは良い友達になった。あるとき彼はこんなことを言った。
「ノゾミと初めて会ったときはラリってるのかと思ったよ」
もちろん冗談半分で、わたしも笑って聞いていたけど、それは実際とても衝撃的な告白だった。「知らないということはそういうことなのだ」と思った。外国人が外国に来て外国語を喋り暮らすということがどういうことなのか、当時の彼にはまったく、想像さえできないことだった。だからわたしの拙い英語に触れても「まだうまく喋れないんだな、でも一生懸命何かを言おうとしてるんだな」とか、そういう想像力が働くことがなかった。故の、あの行動だったのだと、そのときはじめて理解した。彼は単純に「外国人」という存在を“知らなかった。”
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撮影の合間、移動の車の中でわたしたちは様々なジェンダーや、夫婦別姓、フェミニズムなどについて話した。わたしたち3人の意見は概ね同じで、バックグラウンドに関係なくそれぞれが尊重し合いのびのび生きられる世の中を望み、そのための行動や活動に賛同していた。そうして、そういった動きを阻んでいるものについて考えた(政治的理由は言うまでもなく大きくその話ももちろんしたけれどひとまず今回は割愛)。例えば同性婚や夫婦別性に反対するひと。#MeTooや#KuTooの活動を叩くひと(これらはSNSにおいて非常に顕著なので、みかけたことのない方はぜひ一度検索してみてほしい。その意見の多様さに、ちょっと、とても驚くと思う)。わたしたちは彼らの心情についても話をした。
ここに例を挙げたいくつかのトピックは、例えば憲法改正や原発の是非というような、ふたつにひとつの選択を迫るようなものではない。同性婚や夫婦別姓、あるいは社会における男女平等が実現したからといって、異性と結婚したいひと、夫婦同姓を希望するひと、そして男性たちの権利が奪われたり危ぶまれたりするわけではない。
選択の自由、ということだと思う。
生きていきたい名前を選ぶ自由。 一番好きなひとと結婚する自由。 好きな服と靴を身につけ、好きな髪型で仕事や学校に行く自由。
選びたいひとが選びたいものを選ぶ。そしてより多くのひとがそうできるように、選択肢はなるべく多い方がいい。いつも買い物に行くスーパーに、なるべくいろんなものが売っていたらいいのと同じように。たくさんの商品が並んだその場所で、ポテトチップスを買いたいひとはポテトチップスを買い、有機野菜を買いたいひとは有機野菜を買えばいい。買い物に来た誰もが、持ち合わせた特性に関わらず同じように「選ぶ権利」を与えられるべきだし、その選択に対し周りから干渉されたり文句を言われたりするべきではない。大切なのは、選び、買える場所が皆に平しくに用意されていること、そしてその場所が開かれ、安全であることだ。
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「知らない」ものをわたしたちは怖がる。その奥に予期せぬ事態が潜んでいるのではないかと想像してしまうからだ。それは危険を回避するための防御本能でもある。知らなくてわからなくて、怖くて不安だから、攻撃する。その心理は理解できる。だけどその前にできることがきっとあるはずなのだ。
アダムの話には続きがある。卒業間近になって、キャンパス内でダイバーシティ(多様性)について話し合う機会があった。その場で彼は、わたしやわたしたちが仲良くしていた黒人の男の子の名前を挙げ、大学に来てからいろんなひとと関わる中で学んだことについて話した。自分が無知であったことを認め、みんなのことをリスペクトしている、と結んだ。忘れられない出来事だ。
「知る」ということ。 知ろうとすること。わかりたいと願うこと。どうしてだろうと疑問を持ち、自分なりに調べ、考えてみること。 試しにちょっと触れてみること。ぬくもりを共有すること。同じ傷みを抱えていることに気づくこと。
さよこさんは、これまでに出逢ってきたひとたちや、いま関わっているひとたち、周りのいろんなひとの話をしてくれた。 裕福なひと。そうでないひと。 幸せそうにみえるひと。そうでないひと。 広い世界に興味を持ち、関わろうとしているひと。そうでないひと。 自分の可能性を信じているひと。そうでないひと。
「いろんなひとおるなってことをいつもわかってるのは大事なことだと思う」
答えはまだない。だけど、いろんなひとがいるよねという話をひとしきりしたあと、さよこさんが少し間を置いて言ったこの言葉はきっととても大きな、大切なヒントだと思った。
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higemania · 6 years ago
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『広告会社、男子寮のおかずくん』劇場版【公式】さんのツイート: "\Happy Birthday🎉/ 本日は、中野美夏役を演じた #逢沢りな さんのお誕生日🎂 おめでとうございます👏✨ そしてそして #おかずくん劇場版 ただいまシネマート新宿にて公開中です❗ 劇場でお待ちしてます☺… "
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2ttf · 13 years ago
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whitedogqc · 4 years ago
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xf-2 · 5 years ago
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003年4月15日夜、福岡市中央区の日本語学校に魏と王、楊らが職員室に忍び込み、現金約五万円を盗んだ。そこは王が在籍していた学校だった。王、楊はその1月にも、同区のファストフード店に侵入し、現金230万円を盗んでいた。ここは楊のアルバイト先。4月9日には魏が別の中国人留学生2人と共謀し、中国人留学生から現金約26万円を奪うという事件も起こしている。 「3人で何かやろう」  5月上旬には、楊のアルバイト先だった同市博多区のラーメン店経営者襲撃を計画する。「面識があると発覚の危険性が高い」として断念したが、この時すでに「殺害して金を奪う」ことを念頭に置いていた。 http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
中国人留学生
王亮(ワンリャン 当時21歳)
出典福岡・一家4人殺人事件
吉林省出身。父親は土木会社を経営し、裕福な家庭に育った。02年春、日本の大学進学を目指して福岡市内の日本語学校に入学し、同級生とともに寮で暮らし始めた。当初授業の出席率は96%と高かった。(出席率が95%以下になれば入国管理局に報告されるという。さらに低くなると強制送還される)だが王はこの年の9月、同級生とトラブルを起こし、その時の学校の対応に不信感を抱き、ほとんど学校に出てこなくなった。同級生によるとこの頃から王の様子が変わっていったという。03年4月の時点で、王はMさん宅から700mほどのところにある家賃2万円のアパートに楊とともに住んでいた。5月15日に日本語学校から、このままで除籍処分になると通告された。就学生が除籍処分されると、就学ビザを取り消され不法滞在になる。王は1度中国に帰り、両親に再編入のための授業料の工面を依頼していた。だが、両親が王持たせたはずの授業料は学校に納めておらず、除籍処分となっていた。
楊寧(ヤンニン 当時23歳)
出典福岡・一家4人殺人事件
吉林省出身。父親は長春市の中日友好協会に勤め、母親は同市の製紙工場に勤務。王とは両親同市が古くからの知り合いだった。01年10月に就学ビザで来日し、日本語学校を卒業した後、私立大学国際商学部に入学し、アジアの貿易経済について学んだ。02年には1科目を履修しただけでさぼり、後期には病気と称して休学したが、実際は福岡市内のハンバーガーショップでアルバイトをしていた。03年4月に1度は復学したが、年間50万円余の学費が払えず、納入期限の6月末を前に「親から学費を受け取るために一旦帰国する」と大学側に説明して出国した。この時、実家には戻っていない。
魏巍(ウェイウェイ 当時23歳)
出典福岡・一家4人殺人事件
河南省出身。父は工場を経営する資産家。魏自身も高校卒業後、3年間人民軍(※)で班長を務めた。その後大連の外国語学院で日本語を学び、日本留学後は先端技術を学ぶという希望を持ち、01年4月、福岡の日本語学校に入学している。02年4月には予定通り、コンピューターの専門学校に入学した。ここでは成績もよく、奨学生候補だった。故郷には恋人もいて、ごく普通の学生だったが03年になると一転して学校を欠席がちになった。魏のアパートには中国人の女性が何人も出入りするようになり、4月には留学生仲間と中国人宅に押し入り、26万円を強奪、6月には知人の女性に暴力をふるったとして傷害容疑で逮捕された。この頃、インターネットカフェにしばしば通うようになり、王や楊と知り合った。4月9日にはかつて住んでいたアパートへ強盗を押しこんだこともある。また、他人名義で携帯電話を契約する詐欺も働いている。金にも対して困っていない優秀な学生だった彼が、03年春を境に突如犯罪行為を繰り返すようになっていた。
出典blog-imgs-34.fc2.com
福岡一家4人殺害事件
福岡一家4人殺害事件
Mさん一家
殺害されたMさん一家は、Mさん(41歳)、妻C子さん(40歳)、小学6年の長男K君(11歳)、小学3年生の長女H子ちゃん(8歳)の4人暮らし。  Mさんは1962年福岡市で生まれた。私立博多高校を中退し、中州のクラブ勤めを経て上京。東京・麻布十番の焼肉店などで修行した後、88年に福岡市中央区で韓国料理店をオープンさせた。この店は繁盛し、有名人なども多く来店、テレビでも紹介されるほど有名店になった。その後、東区にも別の焼肉店を開店し、売上も好調だった。    C子さんも福岡県出身。九州女子高校を卒業後、94年頃まで化粧品会社の美容部員として福岡空港の国際線ターミナル店で働いていた。MさんとC個さんは高校時代から交際しており、90年5月に結婚した。Kくん、H子ちゃんも生まれ、幸せ家庭を築いていた。  しかし、最初の悲劇が起こった。01年9月、BSE(牛海綿状脳症)騒動が起こり、その煽りを受けて経営していた両店は廃業に追い込まれたのである。  MさんはC子さんの親族と一緒に婦人服販売会社を始めるが、売上が低迷、さらに東区の焼肉店開店のために自宅を抵当に入れて借りた4000万円の返済も滞るようになった。  03年3月、夫婦は婦人服販売業の業績が上がらないことから、C子さんの親族から独立して、衣料品などをデパートに卸す仕事を始めた。その2ヶ月後、Mさんの知人から休眠中の会社「W」を継承して復活させた。C子さんを社長にして、衣料品販売業を本格的に乗り出した。  また失業し、金に困ったMさんは闇ビジネスと呼ばれる仕事にも手を広げていく。事件後、家宅捜索で福岡市中央区のマンションから大麻草が発見されている。Mさんは大麻草を栽培して、売りさばいていたとされている。  またMさん一家は94年から96年にかけて、外資系生保会社と、99年には国内の生保会社と、一家4人の生命保健契約を締結した。保健金額はMさんが1億2000万円、C子さんが2500万円、KくんとH子ちゃんが各2100万円の総額1億8700万円に上り、その月々の保険料は14万円近くになっていた。  ちなみにMさん一家は王、楊、魏の3人とは面識はなかった。 http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
強襲
凌遅刑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E9%81%85%E5%88%91
凌遅刑(りょうちけい)とは、清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつ。生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間苦痛を与えたうえで死に至らす刑。歴代中国王朝が科した刑罰の中でも最も重い刑とされ、反乱の首謀者などに科された。また「水滸伝」にも凌遅刑の記述が記載されている。また、この刑に処された人間の人肉が漢方薬として売られることになっていたとされている。この刑罰は李氏朝鮮(朝鮮王朝)でも実施されていた。また、これに酷似したものとして隗肉刑がある。
Mさんの帰宅
日付が変わって翌午前1時40分頃、Mさんが帰宅してきた。愛車のベンツC200に乗って、自宅の車庫前まで帰ってきた時、携帯電話で友人と会話している。Mさんは「今、家についた。これから駐車場にいれるから、後でかけ直す」と電話を切ったが、その友人に再び電話がかかってくることはなかった。家に入ろうとしてきたMさんを犯人達は玄関で待ち伏せていた。工事現場から盗んできた鉄パイプを、いきなり後頭部を殴りつけた後、前に向かって横から額を殴り、さらに左目周辺や頬を殴ったり、全身を蹴ったりした。さらに犯人達は2階で失神していたH子ちゃんを担ぎ下ろし、父親の目の前でいたぶったり殴打しながら、Mさんに何かを聞き出そうとリンチを加え続けていた。だが、Mさんはなにも答えず、「用がなくなった」ということで、H子ちゃんの首を絞めて殺そうとした。Mさんは土下座して、「娘だけは助けてくれ」と言ったが、彼らはこれを嘲笑し、殺害した。さらにMさんの首を白いビニール紐で絞め、気を失った彼を浴槽に浸けて溺死させた。  3人は一家の遺体を運びやすくするため、まずMさんの両手に手錠をかけ、首から足にかけて工事現場で盗んできた太い電線で縛り、H子ちゃんを背負わせる格好で固定した。また、ちょうど血のついて放置しておけない玄関マットがあったので遺体を覆い隠すために持ち出し、車を乗り捨てる際に近くの草むらに捨てた。  3人は一家4人をベンツに乗せ、その車に一緒に乗りこんだ。 博多港箱崎埠頭の岸壁に到着した3人は遺体を海に沈めるために、前もって用意しておいた重りを1個ずつつけ始めた。Mさんの腕とH子ちゃんの足を手錠でつなぎ、その手錠のチェーンの部分に別の手錠をつないで、鉄アレイをつけるなど、万全を期した。C子さんとKくんはそれぞれ両手に手錠をかけ、鉄アレイをつけた。千加さんは服を着ていないので浮き上がりそうだったので、特別に鉄製の重りを針金で巻きつけていた。  遺体を捨てた後、Mさんのベンツを運転して久留米市に向かった。これはNシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)でも確認された。ベンツは「ブリジストン久留米工場」クラブハウスの専用駐車場に乗り捨ててあるのが発見されてい。3人はベンツ放置後、JR久留米駅から福岡に戻った。  20日午後、博多港箱崎埠頭付近の海中から一家の遺体が次々と発見された。これほど早く遺体が発見されることは、3人にとって誤算以外の何物でもなかったはずだ。  なお事件当日の行動については3人の供述をもとに書いたが、3人が責任をなすりつけ合ったり、供述そのものを変えているので、不確かな点も多い。 http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
3人の浮上
事件に使われた手錠は台湾製でレバー操作をすれば簡単に取り外しができる金属製のおもちゃ、鉄アレイは重量20kgのもので、それぞれ福岡市内にある量販店で売られていた。この店の防犯カメラにそれらを買った人物が映し出されていた。その映像から似顔絵が公開されると、日本語学校の生徒が「同級生(王)に酷似している」と証言、ここで王とその交友関係が洗われるようになった。ここで楊の存在が浮上し、楊の携帯電話の通話記録から魏の存在も明らかになった。  また、遺体に付けられていた直方体の鉄製の重り(重量30kg)は魏が過去に頻繁に出入りしていた女性宅がある福岡市博多区の賃貸マンションの所有会社が非常階段への鉄製扉を開放させておくために特別注文したものだった。  事件後、魏は出国2時間前に空港へ向かう途中の路上で、別の暴行事件により身柄を拘束された。だが、この時すでに王は楊とともに福岡空港から上海に出国していた。この航空券は犯行の3日前に楊が用意していた。2人は中国の公安当局に身柄を拘束されることになった。 供述 「窃盗目的で侵入した。黒幕は存在しない」(王、楊) 「Mさんは高級車を持っていて金持ちそうだったから狙った」 「5月下旬に王から『おまえは格闘技ができるだろう。それなりに荒っぽいが、カネになる仕事がある』と誘われ、楊を入れて3人でMさん一家を襲った。家族4人の首を絞めて殺した後、遺体をMさんのベンツでう実まで運んで投げ捨て、その車も遠くまで捨てに行った。王は誰かに殺しを依頼されていたようで、私は成功報酬として約1万円を受け取っただけだ。残りの報酬はまだもらっていない」 (魏) http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
出典kyushu.yomiuri.co.jp
公判を終え福岡地裁を出る魏被告
福岡一家4人殺害事件
王被告土下座にも消えぬ怒り 遺族、厳罰求める
出典kyushu.yomiuri.co.jp
福岡一家4人殺害事件
中級人民法院裏門で、通行人をチェックする職員
憤りは収まらなかった。昨年六月に起きた福岡市の松本真二郎さん一家四人殺害事件。遼寧省遼陽市の中級人民法院で十九日に開かれた初公判で、孫たちの命を奪った元留学生二人と初対面した遺族には、日本語での謝罪もむなしく響いた。「頭を下げれば済むと思っているのか」。一年四か月を経ても消えない激しい怒りが、異国の法廷に広がった。  王亮被告(22)は白いワイシャツ、白っぽい綿のズボン姿で法廷に姿を見せた。楊寧被告(24)は、黒いトレーナーに白っぽいズボンをはき、二人ともオレンジ色のベストを着ていた。両足には鎖、両手には手錠がかけられていた。  起訴状が読み上げられる間、楊被告は、検察側の質問に対し、はきはきと答えたが、何度もまばたきするなど緊張が見て取れた。王被告も時折、目元に手をやるなど、落ち着かない様子だった。  犯行現場となった松本さん宅の子供部屋や浴室、廊下に残された血痕などの写真がスクリーンに次々と映し出されると、王被告は終始目をそらし、楊被告も顔を上げようとしなかった。  静寂が破られたのは、王被告の意見陳述の途中だった。突然、後ろを振り返り、約三メートル離れた傍聴席の最前列に座っていた松本さんの妻千加さんの父親、梅津亮七さん(78)に向かって土下座し、約三十人いた傍聴席から驚きの声が上がった。さらに、裁判長に向き直った後、もう一度後ろを向き、日本語で三回、「すみません」と繰り返し頭を下げた。  数日前に遼陽市入りした梅津さんは、公安当局などを回り、両被告の逮捕に謝意を伝え、厳罰を要請したという。公判終了後、「頭を下げて済むものではない。それ以上にひどい目に遭わされた」と怒りが収まらない様子だった。 http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20090427-462876/news/20090427-OYS1T00564.htm
裁判経過
楊寧被告人は1審で死刑判決を受け、控訴棄却を経て2005年7月12日に死刑執行された。一方、王亮被告人は遼寧省遼陽市人民検察院により無期懲役が確定した。 日本で逮捕起訴された魏巍被告人は1審の福岡地裁で事実を認めた後、ほぼ黙秘を通し、死刑判決を受けた。2審では、一転して動機や犯行過程、3人の役割、遺族への謝罪などを詳細に証言したが、控訴は棄却された。上告したが2011年10月20日に最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は上告を棄却して死刑が確定した。 2014年現在、魏巍は福岡拘置所に収監されている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E4%B8%80%E5%AE%B64%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
出典stat.ameba.jp
福岡一家4人殺害事件
福岡一家4人殺害事件
日中の捜査共助と問題点
同事件は主犯格2人が中国に逃亡したため、中国との捜査共助が最大の焦点となった。結果的には日本国内の反響の大きさに配慮した中国当局が積極的に協力したため、早期逮捕が実現したが、一方で他の事件では日中間の捜査協力がほとんどなされていない実態や、アメリカ、韓国以外と犯罪人引渡し条約が結ばれていない現状も指摘され、国際化する犯罪に各国捜査当局の対応が遅れている点が浮き彫りとなった。 また、福岡地裁で行われた魏巍被告人の公判では、中国公安当局が作成した王亮、楊寧両被告人の供述調書が日本の裁判で初めて証拠採用された。これまで日本の刑事裁判では、海外の捜査当局が作成した調書は「証拠能力なし」とされることが多かったため、この判断は「国際犯罪の捜査に道を開く」と評価されたが、黙秘権が存在しない中国の調書を問題視する意見もあり、議論を呼んだ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E4%B8%80%E5%AE%B64%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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monqu1y · 4 years ago
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高校生が描いた夢の施設Homedoorが作る、ホームレス状態脱出の仕組み  ICC サミット FUKUOKA 2019に登壇する企業のひとつ、Homedoorは、大阪市北区を拠点にホームレスの人たちへの生活支援を続けています。14歳の頃からホームレス問題に関心を抱き、川口加奈さんが2018年に設立した施設「アンドセンター」を、今回ICCサミット運営チームメンバーとともに初訪問。活動の内容と、実際に施設に暮らし、再出発を目指す方にお話をうかがいました。  ICC サミット FUKUOKA 2019のカタパルト・グランプリで登壇する川口加奈さんが、19歳で設立した Homedoor は、今年で9年を迎える。  誕生から現在までの道のりは、ぜひ当日のプレゼンテーションやホームページをご覧いただきたいが、大阪市北区を拠点とし、「ホームレス状態を生み出さない日本の社会構造をつくる」をビジョンに、ホームレスの人や生活困窮者への就労支援、生活支援を行っている。  2018年は、ホームレス状態で危険な生活を続ける人たちが駆け込める「アンドセンター」を設立した。この宿泊機能を備えた、ホームレス状態からの脱出をサポートする施設は、14歳の頃からホームレス問題に関心を抱いていた川口さんが高校3年生のときに描いた絵が基になっている。   ICCパートナーズ と運営スタッフメンバーは、「アンドセンター」を訪問し、川口さんや実際に住んでいる方にお話を伺った。 川口さんが高校3年生のときに描いた、夢の施設の間取り図  
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「アンドセンター」の外観
 大阪市北区の「アンドセンター」入り口から入ると、冷蔵庫、キッチン付きのリビングルームのようなスペースが広がる。川口さんは、ホームレスの人たちを親しみを込めて”おっちゃんたち”と呼ぶが、おっちゃんたちが訪れて、食事をしたり、交流したり、ゲームを楽しんだりすることができる場所だ。訪問したときには、インターネットをしていたり、お湯をもらいにきたおっちゃんがいた。  
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正面ドアから入ったところ。温かいお湯やお茶、軽食が用意されている  「ここでは、ごはんを作って食べてもらえます。今日はおっちゃんが鴨そばを作っていましたね。食品は企業から賞味期限が迫ったものをいただいたり、一般の方からご寄付でいただいたりしています」  奥にはこじんまりとしたキッチンがあり、さまざまな備品が部屋を囲むように収納されている。生活感のあふれる食卓テーブルのある空間は、この時期、寒い外から入ってくると、温かく感じられる。  川口さん「ずっと施設を作りたいという目標があり、土地を探していました。2年前にこの物件は一度空いたのですが、そのときは私たちも準備ができていませんでした。それに一度、住居提供をトライアルしてみて、本当に宿泊施設が必要かどうか試したかったのです。  それでやっぱり住居提供が必要だと判明し、物件を探していたのです���、2年前に見たこの物件以上のものがなく、悔しがっていたところ、昨年(2018年)の2月にまたここが空いたので、逃すまいと思いました。  一般的にNPOはこういう場合に助成金を取るのですが、間に合わず自費です。1970年に建てられたビルなので暖房が古く、使い物にならないので改めて設置しています。完備できた部屋から入居していただいています。  現在、年間で300名ほど新規で、路上で生活している方をはじめとする生活にお困りの方々からご相談いただいています。今日も1人入居して、3人が次のステップにと退去されました。部屋は多めに用意しているので、待機が生じることは今のところありません」  
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衣類や防寒具、救急箱や食品の備蓄など  この建物は5階建て。隣の敷地と合わせて借りた家賃は月100万円だ。以前は韓国人留学生用の寮で、全室が同じタイミングで空いたため、一般のアパートよりも借りやすかったという。1階と2階の共有スペースはリフォームし、個室は短期利用が5室、長期利用が15室用意されている。ベッドや布団は一般の人からの寄付によるものなので、各部屋ばらばらだ。  
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現在空室のある3階。階段の奥には共同利用の洗濯機がある  うかがったときは10室に入居者がいて、そのうち長期利用している方が半数。長期利用については、その人の収入に合わせて家賃をもらっているという。その一人、4階に住む吉岡さんの部屋を見せていただいた。 長期利用者に聞く  
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お話をうかがった吉岡さん  吉岡さんが住んでいる部屋は、4.5畳程度の居住スペースに、シングルベッド、小さな棚、テレビ、冷暖房にユニットバスがついている。整頓された部屋からは、几帳面に暮らしている様子が伝わってくる。  吉岡さん「ここに来るまでは西成のドヤ(簡易宿泊所)にいました。1泊1,000円でしたが、暖房もなく、お風呂も別だったのですが、ここは暖房、ユニットバス付き。居心地は最高です」  吉岡さんは西成からHomedoorまで往復540円かけて通い、自転車の啓発員として働いていた。そのうち上に住んでもらうのはどうかということになり、2018年9月から長期利用第一号として住み始めて半年近くになる。  吉岡さん「ぶっちゃけの話、西成のドヤにはおりとうなかった。  1000円はそんなに高くなかったから、金だけのことを考えたらいいけど、環境がよくない。隣がやかましいし、部屋はこれより狭く、汚い。あげていったらきりがない。  啓発員としての仕事は、自転車が道路にはみ出ていたら、通行人の邪魔にならないよう片付けたり、不法駐輪があったら警告の紙を貼ったりします」  
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個室にはユニットバスや石鹸類が備えられ、すぐ生活をスタートできる  吉岡さんは72歳。岡山県出身で、技術系のサラリーマンを3年、パチンコ店勤務を10年などずっと働いてきた。最後の10年は住宅リフォームの営業マンとして勤務し、最終的に支店長を務めた。家族もいたが、現在は一人。ホームレスになってもうすぐ2年になる。  Homedoorを知ったのは、川口さんたちが行っている夜回りでチラシを見たことから。夜回りは冬の間は毎月2回、ボランティア、Homedoorのスタッフ、元ホームレスの人など約20人で4つのルートを回る。路上に暮らしている人に声をかけ、お弁当と、路上からでも仕事があることを知らせるチラシを渡す。  
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冬は毎月2回、お弁当や寝袋を持って夜回りを行っている  吉岡さんは、お弁当をもらった翌日にHomedoorを訪れた。その頃、路上で生活するようになって1ヵ月ほどたっていた。吉岡さんのいた梅田は、大阪市で2番めにホームレスが多いが、とくになりたての人が多く、そういう人たちに訴求したいと川口さんたちは夜回りしている。  吉岡さん「私はまだ短いけれど、もう10年近く無職で路上生活の人もいる。なかにはもう自分はいい、普通の世界の人と関わりを持たないといって、声をかけても逃げていく人も多い。そういう人は心を開くのは難しい。  西成のドヤには半年いたけれど、隣の部屋のおっちゃんとは交流が一切なかった。お互い避けるというか、挨拶すらない。ほかの階の人の顔もようわかりません。  三畳一間の汚いところで、生活保護をもらいながら生活するだけです。仕事もやることもないから、結局飲むか、ギャンブルに行くしか楽しみがなくなります。生活の向上自体が絶対ありえない」  路上のコミュニティのほうが実際仲がよかったりするそうで、一旦生活保護を利用してドヤに入っても、孤独を理由に半分ぐらいがホームレスに戻るそうだ。  「アンドセンター」では、忘年会、餅つき、節分など季節のイベントが企画され、再出発を目指す利用者たちの間で交流がある。吉岡さんも、30代や50代の入居者と仲がいいそうで、夜回りのお弁当を作ってくれるおっちゃんに、一緒にごはんを作ってもらって食べることもあるという。  吉岡さん「なんとか、2月いっぱいには出られるようにします! もう年ですから、これからはなんとか年金内でやっていこうと思います」  
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2階にある入居者たちが共有するキッチン&冷蔵庫  快適に暮らすことができ、交流���ある。すると、この場所から出たくないとはならないのだろうか?  川口さん「一応最初に2週間が期限だと決めるのと、相談員が何度も面談を重ねていって次の進路を見つけていくことになるので、あまり出たくないということはないですね。むしろ、早まったりする人のほうが多いです。  ただ職員が5名と少ないので、キャパ的にも年間300人が精いっぱい。もう少し体制が整ってきたら、宿泊数がもっと増えるのではと思っています。  出戻りはまだないですが、一度うちで働いて次で働いたけどうまくいかず、戻りたいという人はいます。プライドもあると思いますが、気にせず戻っておいでよということにしています」 6つのチャレンジでよりよい支援を目指す  
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施設を一通り見学したあと、Homedoorの取り組みをさらに詳しく伺うことにした。現在は5割がネット検索、3割が夜回り、2割が口コミでHomedoorの存在を知り、ドアを叩く。  川口さん「私たちは6つのチャレンジと読んでいますが、ホームレス支援を6段階に分けていて、毎年アップデートしています。  よりよい形を模索して、ゆくゆくは行政に制度として取り入れてもらうようになる支援のあり方を考えていきたい。  1つ目のチャレンジは『届ける』。  存在を知ってもらうために、従来は夜回りを行っていました。昨年度の新しい取り組みとしては、電通さんと新しいキャッチコピーを考えていただいています。  電通でコピーライターとして活躍されている並河 進さんたちが手がける、人工知能の コピーライターAICO というのがあります。AIは人の仕事を奪うといわれがちですが、その逆はできないだろうかというコンセプトで一緒に考えてくださっています。  ネット検索のリスティング広告や、ネットカフェにポスターやバナー広告を掲示いただいたり、イートインスペースのあるコンビニに地道に営業に行ったりしています。  
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いろいろな質問に答えてくれた川口さん(写真右)  2つ目のチャレンジは『選択肢を広げる』。  Homedoorに来てくれれば、路上生活を脱出できるいろいろな選択肢があります。さきほどの吉岡さんのように、ここに住まれながらお金をためて次の家を探すとか、生活保護を利用するとか、年金を受けられるように住民票を設定するなど、その人に応じた選択肢を提供します。  最近は、女性や親子での相談者もおられました。  昨年は289名が新規で相談に来てくださって、平均44.6歳。女性が全体相談者の11%ぐらいです。  ちなみに厚労省が出しているホームレスの人の平均年齢は、61.5歳です。日本だとホームレスの定義にネットカフェ難民、24時間のファストフード店で夜を明かす人などは含まれていません。  ▶ ホームレスの実態に関する全国調査(生活実態調査):結果の概要 平成28年 – 厚生労働省  私たちはそういうところにアプローチしているので若くなっています。諸外国と比べると、日本のホームレスの定義は狭く、路上で寝泊まりしているのを確認されないと、そう認定されないのです。  行政がテントを撤去しているので、わかりづらくもなっています。それで余計支援の手が届かなくなるというのがあります」 HUBchariなど4種類の仕事を提供  取り組みの幅の広さと、問題の深さに驚かされる。川口さんの説明は続く。  川口さん「3つ目は『暮らしを支える』。生活の形を整えていくということで、イベントを実施しています。衣服や食事、シャワーの提供をやっています。  人気なのがカットモデルの生活支援。近くの理容師の専門学校にご協力いただいて、専門学校生のカットモデルになってもらい、モデル料ももらえるので人気です。  
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カットモデル募集の告知などが1階の冷蔵庫に貼られている  相談には来ていないけど、カットモデルには行きたいとか、シャワーは使いたいとか、そういうことでうちを知ってもらえるので、関係性がスタートするきっかけになります。  4つ目は『”働く”を支える』。  就労支援として現在、4職種を提供しています。吉岡さんのような啓発員と、商業施設の駐輪管理の受託、大阪市内86箇所で展開しているシェアサイクル HUBchari (ハブチャリ)のメンテや再配置、内職などの軽易な作業です。相談に来た人全員が働くわけでなく、働きたいという方にご提供しています。  
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自転車修理講習なども行っている  仕事の合う合わないは必ず出てくるので、配置換えもしやすいように、いろいろ職種は広げていきたいと思っています。  一方、有料の職業紹介の資格も得ているので、次の職業へのマッチングもしています。ただ、有効求人倍率が上がっているので、うちもおっちゃん不足で悩んでいます(笑)。若いホームレスの人が増えていますが、家族関係が原因の人がほとんどです。虐待を受けてきて、精神疾患を抱えてしまい、すぐには就業できない状況にある人も多いです。  
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「アンドセンター」の隣にあるHUBchari拠点  5つ目は『再出発によりそう』。  家を探すお手伝いをし、引っ越しのサポートもしています。相談者は、家賃や初期費用をためることで精一杯なことも多く、家具家電は極力プレゼントやレンタルできるように、リサイクルショップさんと提供して モノギフト というサービスをしています。ボランティアさんに手伝ってもらいながら、引っ越しのサポートもしています。  また、うちの特徴としては、Homedoorを卒業した相談者たちが、ボランティアで夜回りなどのサポートを支えてくれています。季節のイベントに、卒業後は顔を出してもらい、ゆるやかな関係性を継続して築いていきたいと思っています」  6つ目は、「伝える」。  川口さんは講演やワークショップで全国を飛び回っている。こうして訪問した私たちのさまざまな問いに答えてくださることも、現場を知る人が正しく伝えるという意味で非常に大きい。 過酷な生活環境を支える  
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アンドセンターでは、元料理人のホームレスの人が夜回り用のお弁当を作る  ホームレスの人の6割近くが、精神や知的障害を持っている方が多いことから、路上生活者が「アンドセンター」を訪れたときの相談員として、精神病院に勤めていた専門家をスカウト。他の団体とも連携しながら、相談者に向き合っている。  川口さん「毎月第3木曜日に健康相談会をやっていて、訪問看護の看護師グループにきてもらい、必要であれば病院につなぐこともしています」  環境を整えても、夜回りでいくら顔見知りが増えても、みんながすぐに利用してくれるわけではない。はじめはシャワーや仮眠室だけの利用から関係を築き、ふと会話の中で出た体調不良の言葉などから、相談につながるケースもあるそうだ。この冬、毎日お湯をもらいにだけやってくるおっちゃんは、知り合ってから通うようになるまで3年かかったという。  
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川口さん「70〜80歳ぐらいの人で、公園で寝泊まりしている方の中で、足は骨と皮のようなおっちゃんがいます。寝ているそばで炊き出しがあるので食いつないでいるのですが、先日寝床を撤去されてしまいました。うちから提供していた寝袋もすべてです。  そのあと夜回りで会ったときは、公園の奥のスロープで、冬だというのにダンボールだけで寝ていました。認知症を患われているようで、意思疎通はほとんどとれません。  
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夜回りの様子  現在、看護師さんにもボランティアで夜回りに参加いただいていますが、いずれはお医者さんにも関わってもらい、もっと医療体制も整えられたらと思っています」  公園だけでなく、他の場所でも路上生活者の寝床を撤去されることは多い。時間がたって廃棄される弁当を目当てに集まられないように、薬剤を撒く店もある。かくいう自分も、路上でホームレスの人を見ると、反射的に目を反らしてしまう。  淡々と話す川口さんだが、活動を続けるなかで、憤りを感じることも当然あるだろう。しかし、40代の女性が病気のために就業が難しく、翌日の生活費も尽きたため生活保護を申請すると「女性ならできる仕事がある」と窓口の人に告げられたエピソードを話した時が、唯一わずかに感情の揺れがうかがえた時だった。  結局、川口さんは弁護士を呼び、その場を解決したという。個人の感情よりも、自分の責任ではないのに大変な現実に向き合っている人たちがいるという意識のほうが強いのだろう。  
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おっちゃん手作りのHUBchariの看板。手先が器用な人も多いという  お話をうかがったあと、別の席で川口さんとお会いした。Homedoorでやるべきこと、実現したいことをたくさん伺ったが、あえて、今の仕事でなかったら、何をやりたかったかを尋ねてみた。  「私、スタジオジブリが大好きなので、大学を卒業するときに、就職しようかと思っていたんです」  意外な回答。実際応募はしたのですか?と聞くと、  「どう思う?と、おっちゃんに聞いてみたら、『ハヤオはスタジオジブリに入りたがる奴は採用したくないと思うで』と言われて『それもそうだな』と思ってやめました」  「知り合いでもないのに、呼びすて」と笑いながら、あっさりとそう答えた川口さん。この見極めの速さ、そしておっちゃんたちと築く信頼関係が、Homedoorをより強固なものにしていくのだろう。  ホームレス問題は、海外の問題や子ども関連の支援活動に比べると、人気や注目度も低く、本人に問題があると考えられがちで、世間からの風当たりも強い。そんな「誤解と偏見」を「理解と関心」に変えるべく、川口さんたちはひとつひとつ課題に取り組み、再出発する人たちを増やしていく。  「 アンドセンター 」が初めて迎える冬。「 家賃に加え、光熱費がどれだけかかっているか怖い 」とのこと。
 
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 「最近、このあたりからおっちゃんたちが、一掃されたんですよね」  人気のない広い公共施設のエントランスをぐるりと一周し、隅々まで目をこらした。駐輪場の端や建物の裏側などで暖をとっているおっちゃんがいないか、確認するのである。「おっちゃん」とはホームレスの人のことだ。
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 焼き鳥屋、居酒屋、百均ショップにたこ焼き屋。庶民的な店が軒を連ねる、大阪の中心部から歩いて20分の商店街。  週末の夜、安く飲ませる店の軒先はくつろぐ人たちで賑わうこの商店街から、脇に抜けた公共施設の前でのことだ。  現在、路上で暮らす人の数は全国に4555人(2019年1月、厚生労働省調査)。  病気、人間関係のトラブル、家族の介護などで仕事を失うことは珍しくない。現金収入が途絶え、家賃が払えなくなり、住む家を追われ、路上に居場所を求める —— 。それは誰にでも簡単に驚くほどあっけなく起こり得る。  そしてこの人は、路上生活に陥った人が再び生活を立て直すまでを、5つのステップによって支える活動を行っている。川口加奈、29歳。 就職せずにホームレス支援の道を  
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川口がホームレス支援に関わって15年になる。  川口がホームレス支援を始めたのは14歳のときだ。  中学から私立ミッションスクールに通うような恵まれた家庭に育った女の子が、大学卒業後も就職せず、ホームレスの人たちと関わり続けている。  19歳、大学2年で任意団体「Homedoor(ホームドア)」をつくった。大阪駅やその周辺など、北区に暮らす路上生活者を支援する。  現在は認定NPO法人となり、事務局スタッフが6人、当事者スタッフが20人、相談ボランティアは15人、ボランティア登録者は1158人にのぼる。ビジョンは「ホームレス状態を生み出さない日本の社会構造をつくる」だ。  川口はいつものように、弁当を持って夜回りを始めようとしている。  本格的な冬を迎えようとする、夜9時。 「よかったら遊びに来てください」  
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川口はボランティアとともに早足で大きな公園に向かった。東京ドームがすっぽり収まる広い敷地にはジャングルジムや長い滑り台などの大型遊具、卓球場、充実した施設に、芝生、噴水まで備える。  商店街の喧騒とは裏腹に静かな公園内をひんやりとした夜露が覆う。  ずんずんと歩いて行く川口の前方に、荷台にこんもりと荷物を積み上げた自転車が見えた。自転車の脇のベンチで中年の男性が仰向けになって文庫本を読んでいる。  「お弁当、渡しましょう」  川口がささやき、ボランティアがバッグの中から弁当とスナックを小分けに入れた袋をそっと取り出した。  「こんばんは」  ゆったりとした関西弁で川口が声をかけ、男性が身を起こした。がっちりとした肩は、50代に差しかかった頃だろうか。  「何の本、読んではるんですか?」  穏やかな川口の口調につられるように、  「東野圭吾は全部読んだよ」  と返した男性の言葉には南国の訛りがあった。  ひとしきり言葉を交わし、「Homedoor」の案内を書いたニューズレターを手渡した。  「体に気ぃつけてくださいね。よかったら、うちにも遊びに来てください。推理小説とかいっぱいあるし」  「ありがとう。寄らせてもらいます」 弁当は知ってもらうための手段  
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公園の内外のどこに誰の棲み家があるのか、川口の頭の中には顔と名前と場所が一致する地図ができあがっている。  歩道橋のたもとや商店街の端に寝床を敷いて暮らす人たちは、川口を見ると笑顔になった。  「今日のおかず、何?」  と、ヤマさん。路上生活歴は10年を超える。  「ヤマさん、爪伸びとるなあ。お風呂、入りにきてくれたらええなあ。爪切りもあるし」  噛み合わないかけ合いが、どこかあたたかい。  「もうすぐ、カレーが食べられる忘年会なんで、よかったら来てくださいね」  安否確認をしながらこうして弁当を配り、声をかけ、別れ際にはHomedoorに来てみないか、と誘いの言葉は忘れない。  出発して1時間半、夜10時半を回る頃、20個の弁当はすっかりはけた。これからの厳しい寒さをどのようにしのぐのか。2時間の夜回り「ホムパト」は路上生活者の立場を具体的に想像させる体験だった。  弁当はおっちゃんたちにHomedoorを知ってもらう手段だ。  食事、寝る場所、仕事、人との関わり。Homedoorにはホームレスが生活を再建するために必要な手段がさまざまな形で用意されている。この仕組みを川口は8年かけて整えた。ホームレス支援の団体がさまざまあるなか、トータルな仕組みはホームドア独自のものだ。  だが、Homedoorとつながって生活を変えるかどうかは、本人の意思に委ねられている。 それぞれに事情ある人たち  
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キビキビと弁当づくりの場を仕切る弦さん。  玉子焼き、煮物、魚の切り身の唐揚げ。テーブルいっぱいに並べられたおかずとバットに広げられた白飯を、10人ちょっとのボランティアが流れ作業で詰めていく。米は寄付、食材はフードバンクからの提供だ。ごはんにシャケのふりかけをかけて、焼き海苔を被せると完成する。  ホムパトに出かける1時間ほど前、Homedoorの事務所にはこんな風景があった。  おかず作りに腕をふるった弦さん(仮名)は、60代の後半、元料理人だ。  関東のある町で生まれ、中学卒業後に都内で料理の修業をした。結婚して名古屋に移り住んだが、愛妻を亡くし50歳目前でひとり大阪へ流れた。興した事業がうまくいかず、数年前から川に近い路上に生活の場が移った。  「ホムパト」中の川口に出会ったのは2年前。弦さんは、後日Homedoorの事務所を訪ねた。そこで路上生活から抜け出るための「相談」をするようになり、Homedoorに「居場所」を得て、また、食事のサポートを受けた。ほどなく、自転車整理やビラ配りの仕事を紹介され「働く」ことが可能になった。住民票登録や保証人のサポートを受けて、現在住むアパートの契約にこぎつけた。  ホムパトのある日、弦さんはアパートから45分かけて電車を乗り継いで事務所へやってくる。Homedoorに集まる人たちと冗談を言い合い、料理に腕をふるって感謝されるひとときは、弦さんにとって大切な時間だ。  川口のそばでホームレスの人たちを眺めていると、それぞれのホームレスがひとりの人として立ち上がってくる。「ホームレス」という単語ではくくることのできないそれぞれの事情や生い立ちの物語があることが、ぐっと身近に思えてくる。
ご批判、ご指摘を歓迎します。 掲示板 に  新規投稿  してくだされば幸いです。言論封殺勢力に抗する決意新たに!
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anr510-blog · 5 years ago
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ドラマ
・炎の転校生REBORN
・広告会社、男子寮のおかずくん
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nagatafolio · 6 years ago
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ほんわか癒し系のお酒大好き仲良しご夫婦! 今井義延さん・今井瑞枝さん
(焼酎居酒屋「今井やん」店主と奥様)
新長田駅から南へ徒歩10分、開業100年を超えた丸五市場の中に、ひっそりと隠れ家のように佇む焼酎居酒屋「今井やん」店主の今井義延さんと、奥様の今井瑞枝さんにお話を聞きました。(2019年3月31日にインタビュー)
今井やんの店内にて、今井さん自らがご用意されたお料理を食べながら、店内に所狭しと並ぶ焼酎を飲みながらのインタビューとなりました。七輪での鶏や豚などの炭火焼が激ウマでお酒が進んで進んで、ふと気付くと7時間に及ぶロングランインタビューとなりました。いつものように後半はただの飲み会でしたけど。
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ご出身はどちらですか。どのようなお子さんでしたか。
義延さん:子供の頃から今までこの辺りにずっと住んでます。アグロガーデンさん近くで、二葉小出身です。
瑞枝さん:鹿児島です。九州の人は殆どが東京とか関西に働きに行くので、姉も住んでいた関西に行くことを決めていました。高校を卒業してコープこうべに入って、今も勤めています。
義延さん:小学校の時は飯盒炊さんが好きやったんです。料理が好きというよりも、炊き上がった瞬間が好きで、お焦げがうまくできた時とかも好きでしたね。ホテイの焼き鳥の缶詰とか持って行って。テントを立てるのも好きやった。
お店を始められるまではどのような仕事をされていましたか。
義延さん:工業高校を卒業後、車のディーラーで整備士の仕事をしてました。9年勤めたけど休みが日曜から水曜に変わったのがきっかけで仕事を辞めてしもたんです。当時はオフロードバイクの草レースをしてたので、水曜の休みではそれに出られなくなったのが理由ですわ。 それから、求人広告で見つけた三ツ星ベルトの期間社員になったんです。給料が倍ほどになってびっくりしましたね。その後、1年で正社員になったけど、三ツ星ベルトは本当に待遇が良かった。阪神・淡路大震災後にリストラの動きが出てきて、能力給への切り替えとか減給とかあったんです。家を買ったり、子供ができたりした時期やって、何も考えんと12年間勤めた三ツ星ベルトを辞めてしまいました。
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お店を始められたきっかけは何ですか?
義延さん:退社後は失業保険をもらいながら職業訓練学校のDIYのコースに通って、それから三菱重工の下請けの電気関係の会社に入ったんです。でもそこは出張が多くて、休みが不規則でした。 ちょうどそのころ、鹿児島の義理の弟のところに旅行で遊びに行った時に飲んだ濱田酒造の焼酎が無茶苦茶美味くて。それから焼酎にはまったんやけど、それがちょうど焼酎ブームの時やったね。四畳半の狭い部屋に100本ぐらい焼酎の瓶を並べて、近所の人も呼んで一緒に飲んだり、同じ銘柄を3本買って、1本は飲んで、残り2本はコレクション用に置いたりしてた。 そんな時に丸五市場が出店を募集していて、もともと肌着屋さんやった今の店の半分ほどの広さで焼酎を飲んでもらえるお店を始めた。2008年の時からやね。生命保険を解約したお金を資金に始めました。
瑞枝さん:電気会社に勤めてた時は夜勤も多くて、それに疲れていたので店を開くことには賛成でした。私が育休明けで職場復帰してから出勤する時にも、保育所の送り迎えを手伝ってくれて助かりました。
お店の内装はDIYですね。
義延さん:最初はカウンターだけの、今のお店の半分くらいのスペースやったけど、7~8年前に隣のスペースも借りて拡張しました。基本的な所は大工さんに工事してもらったけど、できるところは職業訓練学校で習ったDIYの技術を活かして自分でやった。トイレはこだわったねー。飲み屋で男女共用のトイレが嫌やったんです。大家さんもDIYには理解があったのが良かった。
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お料理の修業はどこでされましたか。
義延さん:結婚した時は炊飯器の使い方も知らんかった。料理の修行は車のディーラーに勤めていた時のお客さんで、花隈でコクリコっていうヌードル屋を開いていた師匠の店に一週間だけ。ラーメン屋って言うたら怒られるからヌードル屋です。その師匠からは「ネギが切れたらええねん。」と言われた。店で出しているトマト鍋と餃子は師匠の味を引き継いでます。あと、おでんの作り方も教えてもらった。「おでんにしょう油は入れるな。」って言われて、今もそれを守ってる。 店を開くのに背中を押してくれた人が多かった。色んな人に手伝ってもらった。店を開けたのはそんな人たちのお陰です。
奥様との出会いや結婚のきっかけは。
義延さん:会社の寮で3年過ごした後、一人暮らしを10年続けてた時に震災が起きて、一人でいるのが怖くなって結婚した。いわゆる地震婚です。 出会ったのは、世話好きの知り合いのおばさんの紹介です。 第一印象から良かったですね。お酒が好き、ビールが好きなのが決め手やね。二人でがんがん、遠慮なく飲んで食べてた。最初は二人でキャンプにもよく行ったなー。スキー道具そろえてスキーに行ったり、スキー場の駐車場でおでんをしたりもした。おでんの具で何が好きか聞かれて、スジって答えたのに、聞き間違えてズリを持ってきたのはおもしろかった。
瑞枝さん:スジって今まであまり馴染みがなくって、スーパーに売ってなかったから、ズリの聞き間違えかと思ったんです(笑)
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今井やんをやっていてどうですか。
義延さん:お客さんが全く来ない時はやっぱりしんどいけど、丸五で店を開いて良かった。僕たちが開店した1年後にteteができて、2年後にめいりんができてって感じでお店も増えていってて、周りに助けてくれる人が多い。お店も多いし、すぐに食材を仕入れられるし。初心者でもお店ができるところです。
新長田のお気に入りの場所はどこですか。
義延さん:六間道商店街の呉服店「富士屋」の横の石畳の路地かな。 大正筋商店街の「千鶴屋」のコロッケは毎週日曜日に買いに行ってるんですよ。注文して、ケーズデンキ見に行って、戻ってくる頃にできてるっていう。幸せ感100%ですよ。もう今では注文する時に自分の名前を言わんでも大丈夫です。
瑞枝さん:アスタの再開発ビルの2階の通路です。いつも空いているし、新長田駅まで雲の上を歩いているみたいにすぐに行ける。
新長田の好きなところ、嫌いなところは。新長田のまちを色に例えると。
義延さん:全体的に好きやなー。きれいになり過ぎているところはあんまりやけど。 色は、ハッピーエンドの手前の手前の色。ええような悪いような色。オレンジとかかな。
瑞枝さん:自転車で色んな所に行けるのがGOOD!なところ。歩きタバコが多いのは嫌かな。
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新長田はどんなまちになってほしいですか。
義延さん:明石の駅前で色んな買い物ができるみたいに、もっと新長田駅と街が一体になればいいな。
瑞枝さん:緑がもっとほしい。貸し農園とかあればいいなぁ。
今井さんと会うためにはここへ
100種類の焼酎を楽しめる焼酎居酒屋 今井やん 神戸市長田区二葉町3-10-10 丸五市場内
http://bit.ly/2Woo8yd
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インタビュー会場も
予約をすれば七輪での炭火焼も楽しめる焼酎居酒屋 今井やん 神戸市長田区二葉町3-10-10 丸五市場内
http://bit.ly/2Woo8yd
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qbbape89326 · 6 years ago
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舞台は江ノ島 黒羽麻璃央さん初のドラマ主演作『広告会社、男子寮のおかずくん』2019年夏に映画化決定! https://t.co/BMVeRu6BGb https://t.co/jbo0mVUS2u
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technocat1026 · 8 years ago
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 戸田城聖が二代目会長に就任する前、彼の肝いりで「聖教新聞」が開始しました。  そう、俺がさんざんネタにする「あおぞら家族」が載ってるアレです。  そして同時に「人間革命」の連載がスタートしました。  そう、友達の部屋で見つけたら微妙な気持ちになり付き合い方を考えたくなるあの本です。  戸田城聖が二代目創価学会会長就任の際、こうぶち上げました。  「75万世帯の折伏は断じて私の手でやり遂げる。もしも、それができなかったなら、私の遺骸(いがい)は品川沖に投げ捨てよ!」    折伏とは、ほかの宗教から創価に鞍替えさせることです。  要するに、75万世帯の信者を獲得できなかったら、遺骸を品川��に投げ捨ててくれと。  品川沖にそんなの投げ捨てられたら迷惑です。海苔が食えなくなります。    で、カリスマ性は元々高かった戸田氏の号令で、キチガイ染みた勧誘がはじまります。そう、今でいう「折伏大行進」です。  この「折伏大行進」で信者を爆発的に増やす一方で批判もうなぎのぼりになります。  実際、今の統一教会より性質悪い勧誘でしたんで。  具体的にどんな折伏をしたかというと、こんな感じだ。 昔の学会はやくざより怖かった、というのは四宮正貴だったかが書いていたが、今の新聞勧誘の比ではない、凄まじい勢いでの折伏が日本中で行われていたのである。勝手に家に上がりこんで、神棚を壊しただの、他宗の仏壇を破壊しただのといった話が広まるほどなのだから、半端じゃない勧誘であったのだろう。  これって普通に犯罪だろって。  実際、その手の話は出まくってるからなあ。  政界進出と合わせて、爆発的な会員数の伸びにもカラクリがあった。これも同日の朝日新聞に掲載されている。特に目的を告げず伝言ゲームのようにして大学生を狩り集め、信濃町駅に集合させ、そこからタクシーに乗せて土建会社の寮へ。そこでいきなり創価学会の御本尊御下附願という紙に住所、氏名、生年月日を書かせ、そこからまた車で日蓮正宗の寺へと向かい、数珠、巻物、経本などを渡されて「南無妙法蓮華経」と三遍唱える。これが終わると車に再び乗せられて銀座のバーへ。そこで大学生らは土建会社の青年信者らの奢りで閉店までビール飲み放題。件の青年信者らいわく、本音ではこういう馬鹿げた勧誘は止めたいのだが、一般への勧誘も頭打ちで、無言の会員獲得の圧力もあってついやってしまうのだという。熱血型だった戸田城聖は新聞記者に身振り手振りを交えて熱弁する。「あやふやな信者がふえるより熱心な一人の信者の方が貴重だ。全く馬鹿な話だ」。  統一教会より酷い。こりゃキチガイ宗教だ。  どうみても犯罪者集団じゃん。  昭和32年6/26の朝日新聞朝刊には、創価学会と左翼との直接的な対決ともなった、九州や北海道での炭鉱労働者への学会の浸透についての記事が掲載されている。炭労の側では、組合員に学会信者が激増、組合自ら推薦する左翼候補ではなくて学会の候補にこれら組合員が投票してしまう事で、盛んに反学会のデマなどを飛ばしていた。筑豊労組の古河山田では組合員1000人の中で200人が学会員。麻生には100人、住友忠隈には60人の学会員がいた。ほかにも三井山野、三菱鯰田、日炭高松、明治赤池、日鉄二瀬などの大手鉱だけでなく、共同石炭の島廻、日吉、久恒などの小さい炭鉱にまで創価学会は勢力を広げており、炭労主婦会には1万人の信者がいるとされた。麻生炭鉱の主婦連の会長は学会員だったという。三井山野には学会婦人部が出来ていた。昭和32年4月に福岡市で行われた学会総会には観光バスを連ね、筑豊から2万5000人が参加した。北海道は地方警察によれば、道内に学会員は2万5000世帯で7万5000人。これは炭労組合員の数と五分だったが、北海道炭労の中に1万人の学会員がいたという。人生の豊饒を宿命転換に求め、左翼革命より人間革命、というこの労働者の末端に位置した炭鉱労働者たちの選択が、左翼陣営に打撃を与えたのは言うまでもない。他には警察にも警視庁に10数人、神奈川県警に 20人など警察には全国で200人の学会員がいた。日本共産党にも学会員はいたという。逆にアジア民族協幹部などは右翼活動のために組織を学ぶなどとして、学会員になっている。6/12には青森のキリスト教会を学会員5、6人で囲み、「邪教だ」と祭壇を壊し、聖書を踏むなどの動きもあった。学会員はこの頃、150万人であった。  ここで日本共産党とのバトルが出てくる��ですが、この背景について説明します。  丁度その時期は、全共闘も盛んな時代で、共産党の勢力も強かったんですね。主に共産党が勢力として取り込むのは労働者階層が中心なんですが、それってモロに創価と勧誘対象がかぶってくるわけで。  で、労働組合に属してる人は共産の影響受けるのですが、創価が狙ってるのは、都市部の中小・零細企業の未組織労働者層です。  その層は、地方から出てきた長子じゃない層です。長男の場合、実家を守らなきゃならんので実家の宗教の信者となることが多いのですが、次男以下は実家という縛りがなくなるので、勧誘するにはもってこいでした。  また、組合に入ってない労働者層は共産党が助けてくれない(そのときは共産党も労組優先だった)わけで、そういう層が主に創価に入信したわけです。また、創価も共産党の持ってる「組合」という組織には魅力があったわけです。そこで組合に学会員をまぎれこませて学会を乗っ取るという方法にまでいくわけです。  共産党と創価の対立は、その後いろいろあり、今に至ります。    今の統一教会以上の勧誘やってるわけだから、信者増やすかわりに、バッシングも激しくなります。  そして、ほかの信者に対するありえねえ攻撃。これは今でも変わってない。  こんな記事がある。  http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-7.html  平成17年12月19日午後9時45分頃、東京都台東区在住の法華講員・山谷一成さんが帰宅したところ、マンションの階段でいきなり3名の創価学会員に取り囲まれた。  彼らは口々に、「佐藤(※山谷さんの先輩講員)のところに行ったが、いなかったので、お前のところに来た」「佐藤はどこにいる!」「学会員を折伏しに回るな!」「なめんなよ!」などと山谷さんを恫喝(どうかつ)。  「とりあえず荷物を置いてくるから」と自室に入ろうとする山谷さんに、畳みかけるように「もし出て来なければ、カギをこじ開けて家に入ってやる!」と脅(おど)した。  “言うとおりにしなければ、今後、何をされるかわからない”彼らの恫喝に“本気”を感じ取った山谷さんは、やむなく、荷物を置くとすぐに、彼らのところへ戻った。  すると学会員らは、そこがマンションの前であることもお構いなしに、再び山谷さんに大声で罵声(ばせい)を浴びせ始めたのである。  “ここでは近所の迷惑になる”そう判断した山谷さんは、「近くのファミリーレストランで話をしよう」と、彼らをレストランに誘導しようとした。  学会員らは当初、この提案に従うフリをして、山谷さんの後を付いてきたが、彼らが本性を現したのは、一行が一通りの少ない路地にさしかかったときだった。  三人は、「こっちでいいよ」などと言って、強引に山谷さんを一通りの少ない路地に引っ張り込み、山谷さんの両腕を掴(つか)んで拘束しようとした。  身の危険を感じた山谷さんは、その手をふりほどき、まだ明かりのついている商店街の方向へと逃げ出した。  が、学会員はそれをしつこく追いかけ、罵声を浴びせ、こづき回してくる。しかも、どこに待機していたのか、学会員の人数は、十人以上にもなっているではないか。  助けを呼ぼうとして携帯電話を取り出すと、それを奪おうとして何本もの手が伸びてくる-山谷さんはもはや、なす術(すべ)がなかった。  そのうち、「埋め立て地まで運べ!」「車に入れろ!」等と叫びながら、学会員らは、山谷さんの手足を掴んで担(かつ)ぎ上げ、車に運び込もうとした。  “車に押し込まれたら最後だ”山谷さんの恐怖は頂点に達し、無我夢中で暴れた。  山谷さんが必死で暴れるため、運ぶことができなくなった学会員は、今度は、抱えていた山谷さんを路上に叩きつけ、殴る・蹴(け)るの暴行を加えてきた。  山谷さんは、頭といわず腰といわずわき腹といわず蹴りつけられ、鉄柱に体を叩きつけられた。着ていたコートもスーツもボロボロにされて、顔面や頭からも出血が。  山谷さんは、学会員らの隙(すき)をついて必死に逃げ出し、近くにあった焼肉店に転がり込んで「110番してください!」と救いを求めたが、そこにいた人々は恐怖のあまり、すぐに動けなかった。  それも無理はない。なにしろ学会員らは、山谷さんを追いかけて店の中にまで入り込み、皆の目の前で、山谷さんを店から引きずり出したのだから。暴力団かと見まごうその行為を見せつけられれば、誰でも硬直してしまうだろう。  とはいえ、これだけの大騒ぎであるから、当然、通行人がたくさん集まってくる。さすがにまずいと思ったのか、学会員らは、山谷さんを残し、慌(あわ)ててその場を逃げ去っていったのであった。  生命の危機から開放され、すっかり放心状態となった山谷さんが、その場にへたり込んでいるところへ、110番通報によって警察官が駆けつけた。  その後、警察署での、5時間以上にも及ぶ事情聴取にも、気丈に応じた山谷さんだったが、帰宅してからも、頭や体中の痛みが引かないため、近くの病院で受診。  その結果、頭部裂傷・胸部挫傷・腰椎捻挫(ようついねんざ)等により全治3週間、と診断されたのであった。   (中略)  山谷さんに対する誘拐未遂(ゆうかいみすい)・集団暴行事件が発生する5日前の、昨年12月14日の日中、佐藤氏の職場に「ヤマモト」と名乗る学会員から電話があり、山谷さんに対する中傷をさんざん浴びせてきた。  さらに、12月18日の深夜1時半、佐藤氏の家のチャイムが激しく鳴らされ、ドアが乱打されると共に、「出てこい!」との怒号が、マンションのフロア中に響き渡った。  佐藤氏が「何事か」とドアを開けると、そこには学会員が5~6人、仁王立ちになっていた。その男たちは、なんと一斉に、佐藤氏宅に押し入ろうとする。  辛(かろ)うじてこれを防ぎ、ドアを閉めた佐藤氏が、「深夜でもあり、近所迷惑だ」と退去を求めても、外の騒ぎはいっこうに収まらない。  それどころか、応援を呼んだらしく人数が増え、騒ぎはますます大きくなる始末。15分以上も続く激しい喧騒に、佐藤氏はやむなく110番通報したのである。  ところが、佐藤氏が驚いたのは、警察が駆けつけた後の学会員たちの態度。非常識な行動をたしなめる警察官に、「人を訪ねてはいけないのか!」「もう少し早い時間ならいいんだな!」と、逆に食ってかかる始末だったのである。  こうした状況に、佐藤氏が「このままでは済まないな」と 感じたその翌日、山谷さんに対する集団暴行事件が発生したのであった。  すなわち、山谷さん襲撃事件は偶発的なものではなく、起こるべくして起きた、組織ぐるみの、用意周到なものだったのである。  ・・・オウムよりひでえ。てかオウムと同じぐらい害悪だ。  一瞬、北朝鮮もテポドン落とすなら信濃町の創価の本部にに局地的に落とすんならかまわないと思っちまった。  キチガイ宗教そのまんまじゃん。  で、昔はもっと酷かったというからなあ・・・。  確かに世間のバッシングに遭うわ。  そうこうしていくうちに信者が増えていきます。  戸田城聖にカリスマ性があったってのもありますが。  島田裕巳著「創価学会」で戸田についての説明があったので引用する。  一番驚かされるのは、戸田が明らかに酒を飲みながら講演を行っている点である。街の酔っ払いがくだを巻いて滔々と自説を披露することがあるが、戸田のはまさにそれだった。(中略)しかも、ある講演のなかで、その時点で刊行間近だった彼の『人間革命』についてふれ、一所懸命書いたのでベストセラーにしてくれと会員たちに訴えるとともに、前半の部分はまったくのでたらめだとさえ言い放っている。すでに指摘したように、「人間革命」は、誰かの代作によるものと思われるが、…  ちなみにその講演のレコードはたまにヤフオクで見かけます。てか、酒飲んでクダ巻いててもありがたがられるとは・・・  で、しゃべりは田中角栄を思わせるざっくばらんな喋りだといいますし。  また、島田氏は、志茂田景樹の『折伏鬼』(文春文庫)という小説から以下部分を引用している。  ちなみに志茂田氏は元創価学会員である。  主人公で著者の分身である「私」は、中学一年生だった1953年、東京の中野で、見ず知らずの中年女性から中野公会堂の講演会に誘われる。ついていくと、高い声で興奮してしゃべる女性の後に、多田皓聖(こうせい)が登場した。この多田のモデルが戸田である。  多田は聴衆にむかって、 「このなかで、あした食べるパンもないというのはいるか、ええっ」と問いかけた。しかし、誰も手を上げない。そこで多田が「こうして、ここから見てたって、気息えんえんて感じのがうようよいる。遠慮しねえで、ほれ、手をあげてみなったら」 と呼びかけると、あちこちで手が上がった。  その光景を見て満足そうだった多田は、 「手をあげた諸君に約束���よう、この多田皓聖が一カ月後に諸君をみな生活苦から解放してあげる。ポケットにはいつも千円札がいっぱいあって、後楽園にいけて、飲み屋のハシゴができて、アルサロにもいけて女給にチップをはずむことができる境涯にしてあげよう。この多田が確約する」 と言い放ったのである。  生活苦からの解放を請け合う代わりに、一日一人を折伏し、一日三時間題目をあげることを聴衆に約束させた。そして、折伏に行くにも金がないのを見越して、 「あす食べる米もない諸君は、折伏にいく電車賃も当然おしかろう。金は折伏する相手に借りるんだ。必死に折伏すれば、相手は信心しなくても金は貸すよ」 と言って、彼らを笑わせた。そして多田は、次のように庶民の夢を語った。 「なにしろ折伏しようや、なあ。われわれがまた四畳半のところに生まれてきて、きたない着物を着て、一生貧乏で暮らしたりするのはいやだもの。生まれおちると、女中さんが三十人もくっついて、ばあやが五人もいて、年ごろになれば、優秀な大学の卒業生として、お嫁さんはむこうから飛びついてきて、良い子どもを生んで、立派な暮らしをする。そういうところへ、つぎには生まれてこようよ、なあ諸君」  まあ、確かにDQNが好きそうな言い回しだわな。 「手をあげた諸君に約束しよう、この多田皓聖が一カ月後に諸君をみな生活苦から解放してあげる。ポケットにはいつも千円札がいっぱいあって、後楽園にいけて、飲み屋のハシゴができて、アルサロにもいけて女給にチップをはずむことができる境涯にしてあげよう。この多田が確約する」  ここら辺が結構俗な感じ。てか、お米ペンダントの金風呂3Pの煽りを思い出す。 「あす食べる米もない諸君は、折伏にいく電車賃も当然おしかろう。金は折伏する相手に借りるんだ。必死に折伏すれば、相手は信心しなくても金は貸すよ」  ・・・ひょっとしてこれはギャグで(ry  折伏だけでもかなりうぜえのになんで金恵まなきゃならねえんだよって。  長いので続きます。
http://blog.livedoor.jp/minority1-nc15/archives/11240692.html
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aequitas1500 · 8 years ago
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2017年、エキタスはWEB上の新企画を開始します。第1弾は【BRIDGE ~雲と草の根の架け橋】と題して、エキタスメンバーによるボランティアの体験記をアップしていこうと思います。ボランティア活動参加へのガイドになってくれると嬉しいです。
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はじめまして。エキタスのミヤナベと申します。唐突ですが、皆さんはホームレスの人たちが寒空の下、年末年始をどうやって過ごしているかをご存知でしょうか?ホームレス支援をおこなっているNPO法人もやいのホームページには、以下のように書かれています。
「年末年始は「閉庁期間」といって、公的機関がお休みに入ってしまい、生活に困っても必要な制度を利用することが難しくなってしまいます。それを受けて、毎年、例えば都内では、年末年始に生活困窮した人を支えるために、新宿・渋谷・池袋・山谷地域などの各地域で「越年・越冬」と呼ばれる、炊き出し(共同炊事)や夜回り、医療相談や生活相談などの、民間の支援団体による活動がおこなわれます」 http://www.npomoyai.or.jp/20161229/2480
「閉庁」によって公的な支援が利用できない状況になってしまうと、路上で凍死したり餓死したりする人が出る恐れがあります。そういった事態を防ぐため、有志が集まって始めたのが「ふとんで年越しプロジェクト」(ふとんP)です。もやい以外にも様々な団体が参加しています。
まずは街を歩きまわりながら、支援が必要そうだと見受けられる人たちに声をかけます。支援を受ける意志があることを確認できれば、ビジネスホテルなどを借りて、一時的なシェルターとして提供します。このほかにも、他団体からの要請による受け入れも行っています。このシェルター提供に必要な費用は、クラウドファウンディングによって集められます。その後、ボランティアと一緒に今後の方針を話し合い、本人が必要であると判断すれば、年始に役所が開庁されるのを待って、生活保護の申請をおこないます。申請者に同行し、一緒に役所のケースワーカーとの話し合いに参加します。申請が受理されて実際に生活保護費が支給されるまで、約二週間ほどかかりますので、それまでの間のための一時的な宿泊場所が必要になります。通常は、申請を受理した役所が宿泊場所を用意しますが、役所が用意する場所が本人の希望にあわない場合、本人の希望になるべく沿う場所を探して、そういった専門施設とコンタクトを取って、そこに入居できるよう役所と交渉します。これがふとんPの一連の流れです。
その後は、生活保護費内の予算にあった住居を探し、定職を探し、収入を得ることで安定した社会生活を送れるような状況を目指していきます。(もちろん病気など様々な理由から、別の方針をとることもあります。)
とまあ知った風なことを書いていますが、自分はふとんPに参加するまでこういったボランティア活動に参加した経験がありませんでした。3.11以降の社会運動においては、デモや抗議行動、選挙活動への参加などといったことが広く一般に広がり、そういったことに関心が薄かった自分のような人間ですら、参加する機会が結構たくさんありました。それが今やエキタスでは、自分たちのデモの主催する立場です。いわゆる時間と場所を決めて人々が集まり、終われば解散するクラウド(雲)型の社会運動です。一方で、単純にきっかけがなかっただけなのかもしれませんが、個人と顔を突き合わせて地道に活動していくようなグラスルーツ(草の根)型の活動にはほとんど参加してきませんでした。ただ今回はいろいろと思うところがあって参加してみたいという気持ちがあったので、ふとんPのWEB上のボランティア参加者登録入力フォームに必要事項に記入して、ポチっと送信ボタンを押しました。するとすぐに日付ごとのスケジュールが返信されてきました。1/3は~時までに~に集合、1/4は~という具合。来れる日にこの時間にここに来てくださいというわけです。しかし勢いで登録したはいいものの、ここで一抹の不安が頭をよぎります。
・そもそもボランティア経験もない自分が参加しても、たいして役に立たないのでは?
・人見知りだから、知らない人たちとうまくコミュニケーションをとる自信があまりない。孤立してしまうのでは?
・生活保護の申請にも興味はあるけれど、これってもし自分がヘマやらかして生活保護が受給できないなんてことになったら、ごめんなさいで済む話じゃないのでは?などなど…などなど…。
ふとんPから返信されてきたメールの中に、もやい代表理事であり、ふとんPの呼びかけ人でもある大西連さんのメールアドレスが書いてあったので、質問を送ってみました。
自分「全くの��心者なのですが、大丈夫でしょうか?」
大西連さん「大丈夫です―。」
これで言質がとれました。もしなにかヘマをやらかして問題が発生したとしても、人見知りかつボランティア初心者である自分を受け入れた大西さんの責任です。メールにちゃんと履歴が残っています。これで心置きなく安心してボランティア活動に参加できるというものです。 (因みに大西さんには、以前エキタスで街宣を企画した際にスピーチをして頂いた事があります。その時の様子はこちら: https://m.youtube.com/watch?v=p2EgOgXxGgo
しかし世間はお正月。1/2までは世間の習慣に合わせて実家に帰省し、親戚の子どもの相手をしながら正月を過ごしました。そしていよいよ1/3、意を決して指定された集合場所に向かうことになったのでした。 ========================
当日集合場所につくと、すでにボランティアの人たちがたくさん集まっています。性別や年齢はさまざま。クラウド型の社会運動で見かけた人たちも幾人かいて、少し気分が楽になりました。他のエキタスのメンバーも一名参加。後で知ったのですが、自分のようなずぶの素人ばかりではなく、NPOスタッフやソーシャルワーカー、医師や看護士など専門的な知識と経験をもった人たちが多数参加されているのでした。ふとんP自体は12/28からはじまっていて、すでに何度か活動されている方々もいらっしゃいます。自分は初めてだったので、まずは初参加者向けの簡単なガイダンスを受けました。だいたいこんな感じの内容です。
・性別や年齢に関係なく、えり好みせず仕事をこなすようにしましょう。→まあ、当然ですよね。
・もしボランティア参加者の間での連絡先などの交換を避けたい場合は、はっきりそういって構いません。もちろん交換したい人は自由です。→親密な関係を求める人もいれば、程よい距離感を保ちたい人もいる。大事なのはしっかりと気持ちよくボランティア活動を行うことですから、これも当然ですよね。
・支援を受けている人たちに、むやみに個人の連絡先などを伝えるのは控えたほうがよい。親切心から伝えたとしても、それできちんと対応できなければ団体としての信用を棄損することにもつながる。だから窓口は公式なものを使っていただいたほうがよい。→これも距離感の問題ですね。例えば自分の仕事中に電話がかかってきたとしても、自分だと対応はできません。なるほどメリハリは大切なんだなと思いました。
・活動の内容や支援を受けている人に関するSNSの発信は控える。発信したい場合は、内容に問題がないかどうか、スタッフに確認をとる。→これが一番クラウド型社会運動とは異なる点です。デモや抗議なんかでは、参加者が思い思いにSNSで発信するのがトレンドですが、こういった活動の場合は、それをやると支援を受けている人のプライバシーを侵害してしまう可能性が高いわけです。クラウド型のときと同じようなノリで発信することは控えなければ���りません。重要なポイントですね。(この体験記は、事前にもやいのスタッフの方に内容をチェックして頂きました。)
初心者向けガイダンスの後は、全体ミーティングです。この日のタスクは、支援を受けている方々を訪問して、話し合いの中で今後の方針を決めるというものでした。ふとんPの支援を受けている方は全部で25名。それぞれの方々の状況を大西さんが説明していきます。支援を受けている方々の置かれている状況、性別、年齢は本当にさまざまなのですが、もやいのHPでは、相談者が貧困に陥った理由を大きく三つに分類して説明しています。http://www.npomoyai.or.jp/20161229/2480
「A群は、高齢で病気を抱えている方。高血圧や糖尿病などの持病を抱えている方や、日常生活に支障のあるような症状の方もみられました。長く路上生活にとどまっていたり、生活保護を利用していたことはあるが劣悪な施設に滞在することが難しく、各地を転々としていたり、日雇労働などをしてきて高齢により仕事をすることができなくなってしまった方などが該当します。
B群は、主に中高年層にあたる人たち。この方たちは、多くは日雇い労働などで生計を立てていたが、年末年始に仕事が一時的になくなったり、体調を崩して急に生活に困ってしまった人たちです。実際に相談者のなかの27.9%は、年末に入るまでに日雇で何らかの仕事をしていた人たちでした。日雇の労働は不安定な労働であるだけではなく、住み込みであったりと、仕事と同時に住まいを失ってしまうことが多く、年末年始の休業にあわせて路頭に迷ってしまっていました。
C群は、若年層の人たちです。この方たちは、知的障がいや精神障がいを抱えている人が多く、実家にいたものの家族との関係が悪化して路上生活にいたってしまったり、精神科への入院や退院を繰り返すなかで帰る場所を失ってしまったりしている人たちです。彼ら・彼女らの多くは実際に障害手帳などを取得していたりと、一時は何らかの公的なサービスや福祉的なサポートを受けていたことがあるものの、家族との関係の悪化などの要因により、つながっていた公的支援が断絶してしまったり、望まぬ形での家族の援助から排斥されてしまったりして、住まいを失ってしまった人が多くみられました。
A~C群のすべてに言えることとしては、総じて体調が悪い方が多く、3人に1人が何らかの精神疾患をわずらい、4人に1人が知的障害の手帳を所持しており、身体的な症状をもってる方も3人に1人。そして、複数の症状、障害を持っている方が全体の24%を占めていることも明らかになり、このことからも、重篤な病気や障がいを持っている方が、結果的に路上生活にいたってしまっている実態が明らかになりました。」
説明の後、訪問のためのグループ分けが行われます。大西さんがコーディネーターとして、全ボランティア参加者を小グループに分けます。そして、その小グループごとに支援を受けている方を訪問するのです。その際、ボランティア経験があってある程度仕事が任せられる人と、自分のような初心者がよいバランスで組み合わされてチーム作りが行われます。このようにして、初心者でも安心してタスクに参加できる仕組みが作られているのです。自分は社会福祉士の資格をもつ、ボランティア経験が豊富なMさんと一緒に行動することになりました。大西さんの初心者でも「大丈夫ですー」というお返事には、こういう理由があったのですね。ただ安請け合いしているわけではないのです。
自分のチームで担当することになったAさんは、30歳の若い男性。ニュースなどでは耳にすることはあっても、やはりその年齢の若さに驚かされます。自分より年下の男性がホームレス状態になってしまうのか、と…。年末に契約社員の仕事を切られ寮を出ていかねばならなくなり、頼る知人のあてもないことから、ふとんPへ相談したとのことです。情報共有と引継ぎを行い、タスクの役割分担を決めます。MさんがAさんとの対話を担当し、体調などに変わりがないかどうかなどを聞き取りし、今後の方針を決めます。自分は対話の内容をメモ書きし、報告書を作成することが役割です。これらのことを決め、早速Mさんと一緒にシェルターに向かいました。途中で医師のYさんも合流し、Aさんの体調を診てもらうことになりました。
プライバシーにかかわることですので、対話の内容など詳しいことは書きませんが、Aさんはいわゆるホームレスのステレオタイプ的なルックスの方ではぜんぜんありません。ごく普通の若者といった風貌で、もし週末に街でみかけたとしたら、これからどこかに遊びにいくんだろうな、とでも思ったことでしょう。スマホも持っていますし、持っていた財布もいまどきのデザインのものです。しかし彼は、現実に年末に契約社員としての契約を切られて、寮を追い出されています。そのようなことをする企業はもちろん彼を雇用保険に加入させておらず、当然賃金も低く、なんの保障もなく僅かばかりの手持ちのお金とともに、Aさんはほとんど着の身着のままで年末の寒空に放り出されてしまったのです。昨今の雇用の劣化の弊害がそのまま彼の身に降りかかってきたといえる状況です。その上、彼は奨学金を返済しなければなりません。このままいけば相対的貧困どころか、絶対的貧困に陥ることは目に見えています。しかしそうしたことは、ぱっと見ただけでは分からない。スマホも持ってるし、服装も普通。特に困っているようには見えない。相対的貧困への社会の無理解というのは、こういうところにも原因の一部があるのだろうとか感じました。こうした貧困に対する誤った認識は、早急にアップデートしていかなければなりません。それから、スマホは贅沢品どころか重要なライフラインであるということを改めて思い知らされました。彼はふとんPのことをネットで知って相談をしてきたそうです。もしもスマホがなかったら、このプロジェクトに繋がることができず、年末年始はずっと路上で過ごすということになっていたかもしれません。まさにスマホがギリギリのところで命綱の役割を果たしたのでした。
話し合いの結果、まず生活保護の申請を行い、受給が開始されて住居が決まるまでは、一時受入れ施設に身を寄せるという方針が決まりました。生活保護申請はもやいのページにも書いてあるように、権利であり、誰でも行使ができるものです。
「生活に困ったときは、誰でも・いつでも・どこに住んでいても、過去のことや生活に困った理由に関係なく、自由に申請できます。」http://www.npomoyai.or.jp/seikatsuhogo
受給が始まれば、家賃を払うことができるようになるため、自分で暮らすためのアパートなどの住居を探すことができるようになります。そして住所が決まれば、定職を探すことが比較的やり易くなります。Aさんは特に深刻な健康状態の不安を抱えているわけではないので、すんなりとこの方針をとることに決まりました。ということで、無事に報告書を書き上げてその日のタスクは完了。その後はボランティア参加者でご飯をつくって食べるという催しがあったので、せっかくだから参加してみることにしました。もちろん希望者だけで、へんな同調圧力みたいなものは全然なし。用事がある人や関心のない人はそそくさと帰っていきます。参加者は部屋を片付け組と料理組に分かれて準備し、おいしいつみれ汁をいただきながら楽しい時間を過ごしました。翌日は役所が開庁になるため、Aさんは生活保護の申請にいくことになります。同行してみたい気持ちはあるものの、自分は申請に必要な知識も経験もゼロ。どうしたものかと大西さんやボランティアの皆さんに聞いてみたところ、返ってきた答えは
「頭数になってくれるだけでそれは力になる」
というものでした。どこかで聞いたことある台詞ですよね、これ。そう、デモや 抗議のようなクラウド型の社会運動への参加を呼びかける際によく言われる台詞と、全く同じなのです。申請をさせないための水際作戦などというものが横行していると聞きますから(水際作戦の説明は、リンク先の下段にあります:http://www.npomoyai.or.jp/seikatsuhogo)、やはり生活保護申請者は心細いでしょうし、申請の同行にはそれを励ます効果があります。また、申請に同行する人の数が多いほうが、役所に対しても正しい対応をしなさいよというプレッシャーにもなります。もちろん、経験豊富できちんとした知識をもった人も同行します。この言葉を聞いて、自分は翌日のAさんの生活保護申請に同行してみることにしました。クラウド型の社会運動を通じて、知識や経験が乏しくとも、行動することでちゃんと果たすことができる役割があり、受け皿があり、そして行動することでさまざまなことを学ぶことができる、ということを自分は経験してきたのですが、それはグラスルーツ型の社会運動においても同じことだったのです。そのことが理解できるとすっと気分が楽になりましたし、自分の中でどこか不確かだった、こういった活動に参加する意義をはっきりと認識できるようになりました。どこかで聞いたことがある、知らない誰かの深刻なニュースとしてではなく、実感のある体験として。幸い翌日はまだ自分の仕事は冬休みです。早めの集合時間に遅刻しないようにしないと!と思いながら、その日は家路についたのでした。
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そして翌1/4の朝は、Mさんと一緒に再びAさんの滞在しているシェルターに行き、Aさんが生活保護申請のために必要な書類を記入するお手伝い。何種類か役所に提出しないといけない書類があるのですが、一番驚いたのは生活保護申請書という決まったフォームがないということ。そのため、ふとんPでは独自にフォームを作成しており、それに記入したものを申請に使っているのでした。その他、身分証明書や資産状況を示すものなども必要になります。この記入された書類をもとに役所である福祉事務所の人とお話しすることになるわけですから、準備は万全にしておいたほうがよいのです。不明確な点は本人との対話の中で確認していきます。さすがにMさんは経験豊富なボランティアなので、Aさんとのコミュニケーションもスムーズ。自分は横でふんふんと相槌を打っているだけ。もし自分が生活保護を申請しないといけない事態に陥ったら、もやいのスタッフに相談してみようかなと思いましたね。
準備が整い、さあ!いよいよ役所へ申請に向かいます。途中、Aさんに預貯金がないことを示すために、銀行に立ち寄り通帳に記帳していきます。これも窓口で提示を求められることがあるからです。それからごとごと電車に揺られて役所の最寄り駅まで。駅からは歩いて役所に到着しました。そして福祉事務所の窓口に生活保護を申請したい旨を告げます。すると、詳細を話し合うために別室に通されました。やり取りは本人であるAさんと経験豊富なMさんにお任せではあるものの、やはり緊張します。
幸い役所の担当の方の対応は、親切で丁寧なものでした。必要事項を確認し、お話しは約1時間ほどで終了。無事に生活保護の申請ができました。Mさんによると、もっともっと長くかかるケースもあるそうです。兎にも角にもスムーズに事が運びほっと一息…。その後は役所のケースワーカーと今後の簡単な打ち合わせを行い、それが終わったあとは、Aさんの住居が決まるまでの間の一時受け入れ施設のスタッフの方が迎えにいらしていたので、皆で施設に向かいました。ケースワーカーの方は、後日またAさんと懇談し、定期的に連絡をとることになります。
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2日間のボランティア活動を通して最も感銘を受けたことは、各団体の横の繋がりと連携の上手さでした。ひとつの団体で最初から最後までケアをすることは、人手の面でも、時間の面でも、お金の面でも不可能です。次々と新たな人たちが支援を求めてきます。しかし、各団体の横の繋がりと連携が、それを可能にしています。ふとんPの場合だと、プロジェクト外の団体からの受け入れ要請があります。他の団体からこの人を受け入れてくれないか?と打診されるわけです。今年のふとんPでも、何人かそういう方がいらっしゃったそうです。また、一時受け入れ施設に空きがあるかどうかも、事前に確認しておく必要があります。普段から交流があり、お互いの信頼関係がなければこうした事は成り立たないでしょう。それから、ふとんPがカバーできる範囲は、生活保護申請と一時受け入れ施設との接続までです。もちろんその先もケアは必要です。しかしながら、つきっきりでその人のケアにあたることはできません。ですから信頼できる無料・低額医療診療所(無料・定額診療所とは:https://www.min-iren.gr.jp/?p=20135)を紹介したりします。これもここなら大丈夫!という信頼関係がないと出来ないことでしょう。もやいの場合は、何かあったらこちらに連絡してくださいと、もやいの相談窓口の番号を渡したりもしています。こういう態勢を作ることで、総合的なケアを提供で���るようにしているのです。
しかしながら、それでもケアの途中で姿を消してしまったり、自立したと思っていたらまた路上に逆戻りしていた、というようなケースも珍しくはないそうです。生活保護制度の重要性はもちろんのこと、やはりこうした状況に陥るのを防ぐための社会保障制度の充実というのは、本人の安定した生活のためにも、また、社会的なコストという面においても、非常に重要なことなのだということを改めて感じました。
取り敢えず自分の体験記はここまで。文中によくでてくる「もやい」ですが、正式名称は「認定NPO法人・自立生活サポートセンター もやい」といい、ふとんPが終わった後もホームレス支援を中心とした様々な活動を行なっており、ボランティアを募集しています。もし関心のある方は是非お問い合わせしてみてくださいね。以下、大西さんからのメッセージです。それではまた。
AEQUITAS ミヤナベ
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大西連です。もやい理事長&ふとんP呼びかけ人です。
今回、エキタスのミヤナベさん、藤井さんがふとんPに参加してくれました。ふとんPの活動も、もやいの活動も、それから、各地の炊き出しなどのホームレス支援や生活困窮者支援の活動も、多くのボランティアメンバーによって支えられています。
ボランティアと言っても役割はさまざま。相談業務のような専門的なものから、にんじん切ったり、書類整理したりとか、いろいろな分担があります。なので、どこも基本的に初めての人でも大歓迎。
いわゆる現場での支援活動も、誰でも参加できる場所が多いと思います。実際に僕自身もこういった活動に参加するまで、制度のこととか支援のこととか何も知らなかったですし、ボランティアとして関わるなかで学んだことも多かったです。ぜひ、一度、足を運んでみてください!!
大西連 ================== ふとんで年越しプロジェクト Twitter(@futon_prj) https://twitter.com/futon_prj ふとんで年越しプロジェクト Facebook https://www.facebook.com/futon.toshikoshi/
認定NPO法人 自立生活サポートセンターもやい ボランティア募集 http://www.npomoyai.or.jp/volunteer
特定非営利活動法人 TENOHASI ボランティア募集 http://tenohasi.org/volunteer.html
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