#幼稚園付録
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当時、全国分譲マンション供給戸数トップだったプレサンスコーポレーションの社長・山岸忍さんは2019年12月、業務上横領容疑で大阪地検特捜部に逮捕・起訴され、大阪拘置所に248日間も勾留された。社長を辞任したうえ、創業した会社の株を手放さざるを得ず、個人資産分だけでも75億6168万円の売却損を被るに至る。 いざ刑事裁判がはじまってみると、有罪とするための唯一の証拠である部下と取引先社長の供述調書は特捜検事の恫喝・脅迫・利益誘導によってねつ造されたものであると明らかになり、一審だけで無罪判決が確定してしまう。 現在、TSUKUYOMI HOLDINGSの代表取締役を務める山岸さんが2022年3月に起こした国家賠償請求訴訟はいよいよ大詰めを迎え、10月29日、大阪地裁にて原告本人が意見陳述を行った。 原告の山岸さんはどんな想いで訴訟を戦ったのか? 法廷で読み上げた陳述書の全文を掲載する。 検察庁は不祥事への謝罪もなければ検証もしていない 3年前の昨日、私は無罪判決を言い渡され、晴れて、業務上横領事件の犯人という疑いから解放されました。 その後、当然、検察がこの冤罪事件についての謝罪や検証を行うだろうと思っていたら、何も起こらないまま半年ほど過ぎてしまいました。いぶかしく思った私が、元弁護人に対して「検察は何かしないのか」と確認したら、「するわけないじゃないですか」という素っ気ない答えが返って来ました。 私は驚きました。「自ら起こした不祥事について検証しないなんて、民間企業ではあり得ない。だからこの人たちは、こういうわけのわからない冤罪事件を繰り返すんだ」と思いました。 ですから私は、この国家賠償訴訟を起こしたのです。検察庁に自浄作用がないのであれば、私がやらねば、また同じような冤罪が起こってしまいます。どこにミスがあったのか、裁判という場で、公平中立な裁判所にご判断いただくことにしたのです。 山岸さんが犯罪に関与していたという物的証拠はなかった。それどころか無実であることを示す数多くの物的証拠があったにもかかわらず、大阪地検特捜部は見落としたり、消極的に解釈するなどしていた。 証拠がないにもかかわらず、特捜検事たちは自分たちの見立てに合うよう、山岸さんの部下であるA氏や取引先社長B氏に「山岸さんが横領事件に関与した」という虚偽の供述を強要したのである。 これら供述調書は大阪拘置所内の取調室で作られ、検事たちによる取調べの様子は録音録画されていたのだった。 山岸さんの陳述に戻ろう。 検事の違法取調べが録音録画に残っていた 裁判開始から2年半、ようやく地裁での審理の折り返し地点に近づきつつあります。 裁判を始めたとき、まさかこの裁判がこれほど長くなるとは思っていませんでした。 私が冤罪に巻き込まれたきっかけは、事件に関係する2人の人間が、それぞれ、取調べを受ける中で検察官に脅されたりしたことで「山岸も横領されることを知っていた」という嘘をついてしまったことにあります。この取調べは録音録画されていて、取り調べられている人間と取り調べている検察官が何をどう言ったかはすべて客観的に記録されていました。 そして、私は、刑事手続の中で、この録音録画をすべて私の費用負担で文字起こししていました。だから、私の弁護士の手元にあるこの録音録画と反訳書さえ見ていただければ、裁判所も問題点を大体把握されるだろう、そう楽観的に考えていたのです。 A氏の取調べ録音録画は20日間計73時間半、B氏は20日間計69時間に及んでいた。証拠の吟味や調書の読解など多忙を極める刑事事件の弁護団がこれらの映像をすべてチェックするのは不可能である。 大阪拘置所に勾留中だった山岸さんは取調べ録音録画の文字起こしをするよう弁護団に指示。多くの若手弁護士を投入して広辞苑何冊分にも及ぶ長大な反訳書が完成した。 これらを弁護団が分析したところ、A氏、B氏ともども当初は山岸さんの事件への関与を否定していたにもかかわらず、強要や誘導で虚偽供述させられていたことがわかった。 なかでも、A氏に対する田渕大輔検事の取調べにおいては、強く机を叩いたり、「ふざけた話をいつまで通せると思ってる」「検察なめんなよ」「小学生だってわかってる、幼稚園児だってわかってる。あなたはそんなこともわかってないでしょ」「ウソまみれじゃないか」「本当ににぶい人ですね」と長時間罵倒し続けていたことが判明したのである。 刑事事件の公判においても、一部が上映され、無罪判決の決め手のひとつとなった。山岸さんはこの録音録画すべてを民事訴訟の裁判官に見てもらえれば、すぐにも結論が出るものと思っていたのである。 手元にデータがあるのに、裁判所に出せない! しかし実際には、「刑事証拠の目的外使用禁止」というルールのせいで、私たちの手元にある取調べの録音録画は、国家賠償の審理のために裁判所にお渡しできませんでした。国は国で、「録音録画を見る必要なんてない」と言って、公共の財産であるはずの取調べの録音録画を隠そうとし続けました。 結局、録音録画というこの裁判で最も重要な証拠を出すか出さないかで延々と争いが続き、この問題は最高裁にまで持ち込まれました。ようやく、先日、最高裁から「必要な分の録音録画は裁判に提出するように」とのご判断が下りましたが、この争いのために費やされた時間は実に2年半です。 この争いのために、私の代理人も国の代理人も、見るのもうんざりするような大量の書面を作成していました。正直、信じられません。不毛すぎます。時間と手間と、何よりも税金の無駄です。 刑事事件の公判で使用するため、弁護団は録音録画データの提供を受けていた。国家賠償請求訴訟も刑事裁判の中核を担った弁護士たちが引き続き担当したため、手もとにデータは残っている。 しかし、刑事訴訟法の規定により弁護団から民事裁判の法廷に証拠として提出することはできなかった。国の方から裁判所に出すよう求めたのだが、「文字起こしを見ればこと足りる」「Aさんの名誉やプライバシーが侵害される」という理由で敢然と拒否。 これらの録音録画を出すか出さないかについて別の裁判が続いていたため、これほどの長い時間が掛かってしまったのである。 ふたたび山岸さんの陳述に戻ろう。 「職務上の秘密」を理由に証言拒否連発 裁判を始めたときに予想していなかったことが、もう一つあります。なぜ冤罪が生まれたのかという検証を、国や検察が徹底的に妨害しようとしてきたことです。録音録画の提出が拒否されただけではなく、証人尋問で証言台に立った検察官は「記憶がない」などと暖昧な話をするばかりで事実をありのまま証言しようとはしませんでした。 この冤罪が生まれた原因を解明するには、冤罪防止のための役職である「総括審査検察官」が捜査中にどういう風に活動していたのかを確定させる必要がありましたが、出廷した検察官は総括審査検察官の動きについて非常に暖味なことしか言わず、国も総括審査検察官の名前を決して明かそうとはしませんでした。名前が分からなければ、総括審査検察官の証人尋問が出来ないからです。 山岸さんの起こしたこの訴訟では、本年6月11日、14日、18日の3日間にわたって取調べを担当した田渕大輔検事、末沢岳志検事、山口智子検事、そして捜査を指揮した蜂須賀三紀雄検事に対する証人尋問が行われた。 尋問に先立ち裁判所に提出された蜂須賀検事の陳述書には、「総括審査検察官から、田渕検事が机を叩いたり大声で怒鳴ったりしている場面があったと報告を受けましたが……、供述の任意性を損なうようなものではなかったと評価できるとのことでした」とあった。 山岸さんが陳述のなかで言及している総括審査検察官とはいったいなんなのか? 2010年に発覚した村木厚子元厚労相局長をめぐる捜査での���阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件を期に、二度と同様の事件が起こらぬよう特捜部内部において「横からのチェック」を行うために設けられたものであり、山岸さんが言うよう「冤罪防止のための役職」なのである。 捜査の指揮官である蜂須賀検事の陳述書を読む限り、プレサンスコーポレーション元社長冤罪事件の総括審査検察官は田渕大輔検事による罵倒恫喝取調べの録音録画を視聴していたにもかかわらず、まったく問題視していなかったことが明白だ。 特捜部の暴走を防止すべく導入された総括審査検察官制度がまったく機能していないことを正すため、原告代理人が証人尋問において総括審査検察官の名前を尋ねたのだが、検察官は一様に「職務上の秘密」として証言を拒否したのである。 法廷で罵倒恫喝取調べのビデオ上映へ このような国からの妨害があったためすべては解明しきれなかったものの、今までの裁判の中で、何故冤罪が生まれたのかについて多くのことを明らかにすることができました。 小田裁判長、大谷裁判官、伊藤裁判官に、改めて申し上げます。この裁判の場で明らかにされた事実を前提として、本件について、どうか公平かつ厳正なご判断をお願いいたします。以上。 山岸さんが2022年6月に起こした付審判請求では、本年8月8日、大阪高裁が審判に付する決定を出し、田渕大輔検事は大阪地裁にて刑事裁判にかけられることとなった。検察官に対する付審判請求が認められたのは史上初である。 また本年10月4日には、プレサンスコーポレーション元社長冤罪事件の捜査を指揮した蜂須賀三紀雄検事を公務員暴行陵虐罪、特別公務員職権濫用罪、偽証罪で刑事告発している。 そして、今回の国家賠償請求訴訟では最高裁の命により録音録画ビデオ18時間分が証拠として提出されることとなった。また、来たる12月20日の弁論期日では田渕大輔検事による罵倒・恫喝映像が法廷内で上映される見込みであることもわかった。 この国の刑事司法の在り方を正面から問い続ける山岸忍さんの今後の戦いに目が離せない。
「ふざけんな」「検察なめんなよ」。罵倒恫喝取調べビデオ公開へ。異例の決定を勝ち取った社長が法廷で激白(赤澤竜也) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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2024.09.28
10月に地元で会う約束をしているYから、彼女の好きな小説家のサイン本を買ってきてほしいと頼まれた。それで、今日の昼から池袋の本屋を回ったけれど、どの店でもとうに売り切れているようだった。時間を持て余して、大学図書館へ向かう。
大学時代の同級生と数年に一度出している同人誌の次号を、今年の12月に発刊することになった。私はもう短歌をやりたくなく、短歌以外に何を出せばいいのかも分からない。そのまま同人誌用には何も書かないで過ごしていたのだけれど、主宰が面白がったので、数日前に書いた自室の記録を加筆修正して寄稿することにした。卒業生��ードで入館し、しばらく文章を直していた。こども園で働くFさんを幼稚園教諭と呼ぶことが正しいか分からず、「あなたの職業って何て書くのが正しい?」とメッセージを送る。正式には保育教諭というのだと教えてくれた後「カリスマ保育教諭とか?」とおどけた台詞を付け足すのがFさんらしかった。
ペンを持つ右手が疲れてからは散歩に出かけた。好きな本屋を経由して、自由学園明日館へ行った。正面入口に着くと「“本日は結婚式で貸し切りのため外観のみの見学”ですって、あらあ、おめでとうございます」と看板を読み上げている人がいた。その声色に少しの落胆も滲んでいないことが良かった。芝生や窓を眺めて、売店でポストカードを1枚買った。
明日館を出てから、Hと落ち合うまでを東京芸術劇場で過ごした。その場所で長い時間を過ごすのは、大学の入学式以来だった。地下1階から最上階までを目的もなく往復して、何枚か写真を撮った。最近はカメラを持つのが楽しくて、写真を撮っては投稿している。その頻度を自覚すると、自分の饒舌さに嫌気が差してくるので、記録しておきたい写真を一度に残すためにこれを書いている。この投稿は写真まみれです。
芸劇の椅子に座っていると、目の前のエスカレーターで降りてくるHと目が合い、手を振る。外では何かのお祭が開かれていて、その賑やかさから逃げるように東へ向かった。目的地とした喫茶店が閉まっているのを確認し、散歩に切り替える。テーブルと椅子を外に出しているミニストップを見つけ、カフェオレを買ってそこに腰かけた。テーブルを指差しながら「いい店知ってるんだよね」と自慢げに話すと「ダセ~」と笑われた。京都のお土産を渡した。Hと一緒に暮らすWさんの分も含めて、少し量の多いお香にした。
今日は曇り空で、街全体が白く見える日だった。電線や工事現場の壁が落書きのように浮いていた。途中、ワインの空き瓶を入口に並べている店があり、「テイクフリーかな」とふざけると「喧嘩用じゃない?」と返される。酒瓶を持って殴り合うジェスチャーをする。
都電荒川線の駅に行き着き、降りる駅も決めずに乗車する。「電車というよりは線路を移動するバスと呼ぶほうが近いね」と話しながら、googleマップ上で路線をなぞる。飛鳥山公園という場所に城のような山型遊具があることを知り、そこを目的地とした。
飛鳥山公園は、とても良い公園だった。目的としていた城は、遊具と呼ぶには気が引けるほど大きかった。かつて実際に走っていたらしいSLや子供用の船、頭を垂れた幾種もの動物たち、遊びきれないほどの遊具があった。すべり台よりも象が主体になっている遊具を見て、三崎亜記の『象さんすべり台のある街』という短編を思い出した。城の中で遊びたかったけれど、子供やその親たちが楽しそうにしているのを邪魔したくなく、また違う時間帯の様子を見たかったこともあって、「夜にまた来ましょう」と決めて公園を出た。
喫茶店で一杯ずつ酒を飲み、Hの喫煙のために王子駅まで歩く。Hが「めっちゃ良い公園だったな」と呟くので「過去形にしないで」と返すと、「めっちゃ良い公園であり続けるだろうな」と訂正してくれる。それがツボに入り、しばらく笑っていた。私と同じくHもこの街が気に入ったらしく、「ここは住み良いのかな」と引越しまで検討しているようだった。
日の暮れたころに公園へ戻ると、昼にいた子供たちは姿を消していて、代わりに大学生くらいの��頃の集団が点在していた。うち1つのグループが手持ち花火をしていて、遠くからその火を眺めていた。城の中へも入って、物見へ立ってみたり、すべり台で遊んでみたりした。ずっと楽しかった。もう営業終了していたけれど、小さなモノレールの駅もあった。“飛鳥山山頂駅”と看板の出ているのを見つけて、「下は“麓駅”なのかな」とHが言うのを確かめに行くと、“公園入口駅”と掲げられていた。冬にも来たいね、早朝も良いだろうね、ここで花見をしたら楽しいだろうね、と話をした。どの季節のどの時間にも、自分たちの楽しそうにしている様子が想像できた。
Hと別れて部屋に戻り、撮った写真を眺めていた。動物たちの写真を見て、新しい部屋でここへ来たいと思う。皆それぞれ好きな動物がいて、その動物たちと彼らとが近くにいるのを見たかった。「いつかみんなで行きたいです」とメッセージを書きながら、象は何頭かいたけれど、イルカはいなかったことを思い出す。オットセイはいた。城の写真も併せて送ると、Rさんから「籠城したい」と返信があり、それがRさんらしくて好きだった。
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【本物と比較】雑誌『幼稚園』付録のAED体験セット、その再現度がガチすぎる件ww
以下転載 https://x.com/keikouikeda/status/1832051813501280356
左が本物のAED。右が小学館「幼稚園」の付録AEDです。 再現度かなり高いのお分かりでしょうか? ちなみに音声はほぼ同じです。日本光電監修なんで。
・https://x.com/sports_arekore/status/1832385288074830191
日本光電は過去にガチャガチャAEDも監修してますね(しかも動画による解説付き)
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905:名無し:24/06/15(土) 01:20:42 ID:i2S6 夫の職場に喧嘩売ったこと 夫はITエンジニアなんだけれど、インフラ関連のそこそこ大きい会社に務めてたのに、コロナ前の2010年代の年収が280万程度 しかもITエンジニアを軽んじる風潮の会社&定年間近の長の独裁だったみたいで、夫の周りはどんどん辞めていって、 五年目の夫が長の次にベテランという有り様 大体皆3年と続かず辞めていく中、いつか報われると頑張ってた夫が鬱病っぽくなったので病院に連れて行って休職させた 一方夫の話を聞いてた私は夫の日記を見てパワハラやサビ残の証拠を集めて夫の知らぬ間に会社と喧嘩してきたわ 詳しくは書けないけど、会社としては夫は「保守なんて派遣でもできる仕事をやってる、利益を生み出さない社員」という判断で、 心を壊したなら自己都合退職するよう言われたが、そんなのそっちの都合でしょ、夫には休めるだけ最大限休んでもらうと伝え、 最終的に会社都合での退職にしてもらって、60日分の賃金に相当する解雇予告手当ももらった 休職中の夫には夫のいた部署は潰して室長一人+派遣でやりくりするから君は首だという風に連絡がいった 夫には三ヶ月ほど無職を満喫してもらって休むことに飽きた頃から転職活動してもらって、今新しい会社で五年目になったけど 上司との仲も良くて大分働きやすいみたい 「さっさと転職してればよかった」と言ってたけどホントそれ まぁ、夫が転職活動始めたタイミングで今の会社がIT部門新設して求人出したところだったから、 あのタイミングでの転職でなければ今の会社と御縁も無かったんだろうけど それにしても5年前、私もまだ20代の小娘でお金も無かったとはいえ、弁護士雇うでもなく夫の会社に��一つで 喧嘩売りに行く妻ってヤバイよね… 私が働いてた元職場なら絶対にヤバイ妻伝説として語り継がれると思う 後悔はしてはいけど絶対に封をあけてはならない黒歴史ノートを大人になってから増やすことになるとは思わなかった 一応今後のため、念の為、当時の記録とか全部とってあるけど、万が一不慮の事故とかで私が早死しちゃったときに 見られたらと考えると今すぐ処分した方がいいんだろうかって最近悩んでる…
906:↓名無し:24/06/15(土) 08:41:28 ID:soGS いやいい奥さんだよ お幸せに その会社は社長ごとつぶれろ
907:↓名無し:24/06/15(土) 10:12:40 ID:923z うんちっとも黒くないわ これからも夫婦お幸せにね
908:↓名無し:24/06/15(土) 19:39:07 ID:z7Dj >>905 墓場まで持っていかなくても10年ぐらいで機密開示しちゃっても良いと思うわ いつまでもお幸せに
909:名無し:24/06/15(土) 23:14:06 ID:i2S6 皆様ありがとう 傍から見て恥ずかしい行いでないとしれて少し救われたわ 実は夫のことがあったあと、父が会社で機材に頭をぶつけて、翌日頭の中で出血が見つかり緊急搬送されて 重い後遺症が残ったのだけれど ぶつけた直後に病院行った際に医者からCT撮って問題ないと言われていたから、労災になるかどうかで揉めてね その際母と私で父の職場に乗り込んでバチバチに喧嘩したんだけれど、会社の人から 「女の人に我々の仕事がわかるんですかね」とすごく馬鹿にされるように言われて、 仕事の説明もわざと専門用語マシマシで語って理解できないと伝えると盛大なため息つかれたのよ その後父が退職の手続きするのに何度か会社に行ったら、「女子供が出しゃばってきて恥ずかしいご家族」「幼稚園児みたい」 って受付の女性たちにまでプークスクスされたらしくてね 父はプライドを酷く傷つけられたらしくて、帰ってきたあと私や母にひどい暴言を吐いたのよ もともと父は自覚なくDVとネグレクトするような親だったから子どもたち全員から嫌われてるんだけど、 それさえ理由を理解できないような人なんだけど それでも命の危機に面した場面でさえ支えた家族に感謝こそすれ罵倒するなんて思わなくて、 妻や娘が出しゃばるのってそれくらい男のプライド傷つけるんだと思ったの 父とは縁を切ったし葬式にも出ないと伝えてるから父のことはどうでもいいのだけれど 夫も鬱になってた期間の自称ヒモ生活(私は休養期間と言うけど夫はそう思ってないみたい)と、 その後ローンの審査通らなくて私だけがローン組んで家建てたりしてるから 私が夫の会社に出しゃばってバチバチにやりあったことは夫のメンタル的に絶対墓場まで持っていく黒歴史だと思ってるの 私も今思えばもっと上手にできたんじゃないかって思うし、拙いやり方はやっぱり黒歴史だわ やったことは後悔はないけど、やり方が幼稚だったわ!
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こんにちは! 井上はるたです。🫧🐑
サークルでは短歌とイラストを中心に活動しております。Twitter(X)でも百合短歌などを時々載せているので、もしよろしければ覗いて行ってくださいね。
自己紹介ということで、好きなものと苦手なものを書いておきます。共通点がある方もない方も、是非仲良くしていただけると嬉しいです。
○好きなもの
百合、短歌、猫、イラスト、アニメ、強い女、ラム肉、トマト料理、甘いもの、美術館巡り、お菓子作り など
○苦手なもの
数学、裁縫、車の運転
特定のジャンルに詳しいわけではありませんが、オタクです。主に同性同士の面倒くさい関係性が大好きです。とりわけ百合はいいものですね。生きる希望です。つい最近まで某Gのつく機動戦士系アニメの百合カプにハマり、情緒がえらいことになっていました。百合よ永遠なれ。
あと某男と男が拳で語り合う系コンテンツも好きです。ぼかしすぎて何が何だかわからなくなったので、タイトルを知りたい方は私に直接聞いてください。円盤買ったりライブビューイングに行ったりする程度にはハマっております。こちらも生きる希望です。推しは学ラン眼鏡片耳ピアスのTくんです。よろしくお願いします。
性格はよくぼんやりしていると言われます。空想の類が大好きで、物心ついた頃にはオリジナルキャラクターを脳内で飛んだり跳ねたりさせて遊んでおりました。授業中にもそんなことばかりしていたので、小学校時代の担任に「井上さんはすぐ意識がどっかに行っちゃうんですよね……」と言われたことがあります。今はだいぶマシになっていると信じたいです。
主催のきおりさんとは幼稚園から一緒の幼馴染です。
百合にハマったのも百合短歌を始めようと思ったのもきおりさんの影響なので、井上の8割はきおりさんで構成されていると言っても過言ではありません(過言です)。
きおりさんとの出会いはかなり衝撃的だったので、記録の意味も込めてここに書き記しておきます。
私がきおりさんと出会ったのは、幼稚園の年中の頃でありました。今でもあの時のことはありありと思い出せます。園児のにぎやかな声がこだまするリノリウムの廊下に、あろうことか彼女は腹ばいに寝そべり、悠々と平泳ぎをしていたのです。その姿は、さながら「私がここを水中だと定義すれば、ここは水中なのだ」と言わんばかりのエレガントな意思の強さを発していました。現在進行形でおもしれー女は、幼少期からおもしれー女だったわけです。ライオンになりき���あまり言語が通じなくなっていた時もあったね。そんな幼い頃から一緒の愉快な親友とサークル活動まで共にできるなんて、数奇で素敵な運命だなと思っています。
昔からきおりさんの周りには、きおりさんにクソデカ感情を抱く人々が数多く集まる気がします。良い意味でみんな愛が重い。きおりさん自身はあまり自覚がないようですが、それもまた彼女の面白いところです。
私ももちろんきおりさんの紡ぎ出す作品や世界観を大大大信頼&ビッグラブしている人間の一人なので、今後のサークルの展開を一ファンのような気持ちで楽しみにしているところです。いやもちろんちゃんと仕事はしますとも。絵とか短歌とかSSとか……手広く色々挑戦していきたいです。下手の横好きですが頑張りますのでよろしくお願いいたします。
次はいーちゃん!🎪🍫
優しくてセンスが良くて、ぽつりと呟くように言う一言がいちいちはちゃめちゃに面白いので弟子入りしたいと密かに思っています。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。それでは。
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街とその不確かな壁/君たちはどう生きるか/ジブリ・春樹・1984
最初のジブリの記憶は『魔女の宅急便』(1989年)だ。母がカセットテープにダビングした『魔女の宅急便』のサントラを幼稚園の先生に貸していたから、幼稚園の頃に見たのだ。
まだ座席指定の無い映画館に家族で並び、私は映画館の座席で親に渡されたベーコン入りのパンを食べていた。4・5歳の頃の記憶だ。
その夜、私は夢の中で魔女の宅急便をもう一度見た。私は親に、夢でもう一度映画を見たと伝えた。
『おもひでぽろぽろ』(1991年)も映画館で見たが、あまりよく分からなかった。『紅の豚』(1992年)も映画館で見た。帰りにポルコ・ロッソのぬいぐるみを買ってもらい、縫い付けられたプラスチックのサングラスの後ろにビーズで縫い付けられた黒い目があることを確認した。
『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)『耳をすませば』(1995年)までは両親と一緒に見たと思う。
父はアニメに近い業界にいたため、エンドロール内に何人かの知人がいたようだった。アニメーターの試験を一度受けたそうだが、他人の絵を描き続けることは気が進まなかったらしい。
家のブラウン管の大きなテレビの台の中にはテレビ放送を録画したVHSテープが並び、ジジやトトロの絵とタイトルを父が書いていた。テレビ放送用にカットされたラピュタやナウシカを私は見ていて、大人になってから初めて見たシーンがいくつかあった。
“家族で映画を見る”という行事はジブリと共にあった。ジブリ映画の評価は今から見て賛否両論いくらでもあればいいと思うが、批評も何も無い子ども時代に、母がとても好きだった魔女の宅急便や、戦争は嫌いだが戦闘機が好きな父と紅の豚を見られたことは幸福な年代だったのだと思う。
評価が何も確定していない映画をぽんと見て、よく分からなかったり面白かったりする。
親は『おもひでぽろぽろ』を気に入り、子どもにはよく分からない。父からは昔の友だちが熱に浮かされたように「パクさんは本当に凄いんだよ」と言い続けていたと聞かされた。
※
大人になった私は『ゲド戦記』(2006年)を見���「面白い映画に必要なものが欠けているこの作品を見ることにより今までに見たジブリ映画のありがたみが分かった」とぐったりし、『崖の上のポニョ』(2008年)を新宿バルト9で見て、全然楽しめず、新宿三丁目のフレッシュネスバーガーで「神は死せり!」と叫んでビールを飲んだ。
2020年には『アーヤと魔女』の予告編に驚愕し、『モンスターズ・インク』(初代、2001
年)からずっと寝てたのか!?と罵倒した(見ていない)。
私が持っていたジブリという会社への尊敬は過去のものになり、多彩な才能を抱えていたにもかかわらず明らかにつまらないものばかり作る血縁にしか後任を託せない状況にも嫌悪感を抱いた。
期待値は限りなく低く、『君たちはどう生きるか』を見ようかどうか迷っている、とこぼしたら「見て文句も言えるからじゃあまあ一緒に行く?」という流れになり、見た。
あまりにも期待値が低かったため、文句を言いたくなるような作品ではなかった。私は2023年、もっともっとつまらない映画を何本も劇場で見ている。つまらない映画を劇場で見ると、もう2度と見なくて良いという利点がある。
『君たちはどう生きるか』の序盤、空襲・火災・戦火で街が焼ける場面、画面が歪で、不安で、安定感がなく、私はホッとしていた。綺麗に取り繕う気のない、表現としての画面だった。
複数の場面に対してセルフ・パロディーであるというテキストを読んでいたが、私にはあれらはオブセッションに見えた。小説家でも芸術家でも脚本家でも、何を見ても何度も同じことを書いているな、という作家に私は好感を持っている。少なくとも、いつも結局テーマが同じであることは減点の理由にはならない。
『君たちはどう生きるか』になっても高畑勲の作品に比べればどうにも女性の人格が表面的で、天才はこんなにもご自身の性別をも超えて何もかもわかり物語に落とし込めるのかと感激した『かぐや姫の物語』(2013年)に比べてしまうと胸の打たれかたが違うのだけれども、でも私は取り憑かれたテーマがある作家のことが、いつも好きだ。
スティーブン・スピルバーグは『フェイブルマンズ』(2022年)でもう大人として若い頃の母親を見つめ直せていたように思うが(フェイブルマンズで取り憑かれていたのは別のものだ)、
宮崎駿は小さい頃に一方的に見つめていた母に取り憑かれ、母の内面には踏み込めないまま、少年・子どものまま母を見つめ続け、自分が老年の大人として若い母親を見つめ直す気は無い。
そして、母親の方を少女にして映画の中に登場させる。しかも「産んでよかった」という台詞を創作する。
貴方は大人なのにずっと子どものままで母親に相対したいのですか、と思いはするものの、子どものままの視線で母を見つめ続けたいのなら、それがあのように強烈ならば、それがオブセッションなら全くかまわないことだと思う。
最初に屋敷に出てきた7人のおばあちゃんがあまりにも妖怪じみているので驚いたが、あれは向こうの世界とこっちの世界の境界にいるかた達という理解で置いておいてあげよう。
それにしてもアオサギが全く可愛くもかっこよくも無いことに最後まで驚いていた。頭から流れる血液も、赤いジャムも気持ちが悪い。途中途中、激烈に気色が悪い。世界や生き物は気持ちが悪く、性能の良い飛行機みたいに美しくは無い。カエル、内臓、粘膜、血液、食物もグロテスクだ。嫌悪ではない、全部生々しい。生々しく、激烈だ。その生々しさを必要としたことに胸をうたれた。
塔の中のインコについて、愚かな大衆だとかジブリはもう人が多すぎてしまったんだとか商業主義的な人間の表現だというテキストも読んだのだけど、私はあのインコたちがとても好きだった。
インコたちは自分達で料理をして、野蛮で、楽しそうだった。終盤、緑豊かな場所にワッセワッセと歩いていくインコさんが、「楽園ですかねぇ」「ご先祖さまがいますねぇ」と言ったようなことを言うシーンが面白く、可愛らしく、インコたちの賑やかな生活(時に他者に攻撃的であっても)を想像した。
私は水辺の近くをよく散歩していて、大きな渡り鳥が飛来してまた消えていくのをじっと見つめている。鳥たちがある日増えて、いなくなる。国を越えて飛んで行き、地球のどこかには居続けているのがいつも不思議だ。
映画の中で、鳥やカエルはあのように生々しく、実体をつかんでアニメーションに残すことができるのに、全てを生々しく捉える気が無い対象が残っている。どうしてもそれを残すことが寄す処なら、それはそのままでかまわない。
※
小説では、村上春樹の『街とその不確かな壁』を読んだ。
私の父は村上春樹と同い年で高校卒業後に東京へ出てきたので、『ノルウェイの森』で書かれている、まだ西新宿が原っぱだった頃を知っている。その話を友人にしたところ、『西新宿が原っぱだったというのは春樹のマジックリアリズムかと思っていた』と言っていた。
私が村上春樹を読み始めたのは及川光博が「僕はダンス・ダンス・ダンスの五反田君を演じられると思うんだけど」と書いていたの読んだのがきっかけだ(曖昧だけれども、1999年くらいか?)。
『風の歌を聴け』は家にあったので、そのまま『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、その後短編集をあるだけと、『ノルウェイの森』『世界の終わりとハートボイルドワンダーランド』を読み、『ねじまき鳥クロニクル』は途中途中覚えていないが一応読み、『スプートニクの恋人』(1999年)を高校の図書館で読んだがあまり面白くないと感じた。
最近ではイ・チャンドン監督の映画『バーニング』(2018年)が素晴らしかったし、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021年)も面白かった。
『ドライブ・マイ・カー』の原作(短編集『女のいない男たち』収録)は映画を見た後に読んだが、反吐が出るほどつまらなく、気持ちが悪い短編だった。
イ・チャンドン監督も、濱口竜介監督も、「今見たらその女性の描写、気持ち悪いよ」を意識的に使っていたのだろう。『バーニング』は『蛍・納屋を焼く・その他の短編』時期の初期春樹、『ドライブ・マイ・カー』はタイトルこそドライブ・マイ・カーだけれども、ホテルの前の高槻の佇み方はダンス・ダンス・ダンスの五反田君であろう(港区に住む役者である)。
村上春樹のことは定期的にニュースになるのでその度に考えているのだけど、2023年に、フェミニズムのことをある程度分かった上で過去作を読むのはかなり厳しい気もしている。
次から次にセックスをしているし、主人公はガツガツしていない風なのに何故かモテているし、コール・ガールを呼びまくっている。
『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくるユキは13歳の女の子で、ユキの外見・体型に関する記述はそこまで気持ち悪くはないのだが、『騎士団長殺し』に出てきた未成年の女性に対する描写はとても気持ちが悪かった(はず。売ってしまったので正確ではないのだが、あまりに気持ちが悪くて両書を比較をした)。
いくら今「この人は世界的巨匠」と扱われていても、作品を読んで気持ち悪いと思えばもう読む価値のない作家であるので、まだ読んだことがない人に読むべきとは全く思わない。
けれども、20年前に読んだ村上春樹は面白かったし、『ダンス・ダンス・ダンス』に書かれる母娘の話に私は救われたのだと思う。
最近友人に会い、「村上春樹は読んだことないんだけど、どうなの?」と聞かれたので、「春樹の物語は色々な本で同じモチーフが多い。主人公がいて、どこかへ行って、帰ってくる。戻ってきた世界は同じようでいて少し変わっている。私たちが現実だと思っている世界は世界の一部分に過ぎず、どこかでみみずくんが暴れているかもしれないし、やみくろが狙っているかもしれないし、誰かが井戸の底に落��たかもしれない。だけど主人公は行って、戻ってくる。どこかで何かが起こっていても、行って戻ってくる。一部の人は行ったっきり、帰ってこられない。」
「この世では 何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんな ひどいことも どんな うつくしいことも」は岡崎京子の『pink』(1989年)のモノローグだけれども、何でも起こりうる、現実はこのまま永遠に続きそうだけれども、ある日小さなズレが生じ、この世では何でも起こりうるんだわ、という小説を次々に読みながら大人になったことを、私は愛している。日常を暮らしていると現実の全てに理由があるかのように錯覚してしまうけれども、「何でも起こりうる」世界には、本当はあまり理由がない。何か理由があると錯覚し過ぎてしまうと、公正世界仮説に囚われて、善悪の判断を間違ってしまう。
「主人公が、行って、帰ってくる」形は数えきれないほどの小説・映画の構造なので特徴とも呼べないところだけれども、『君たちはどう生きるか』もそうだし、『ダンス・ダンス・ダンス』も、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も、昔読んだ『はてしない物語』だって勿論そうだし、『オズの魔法使い』もそうで、『君の名は。』もそうだったような気がする。
『はてしない物語』の書き方はわかりやすい。
「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」コレアンダー氏はいった。「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」
※
『街とその不確かな壁』は春樹の長編も最後かもしれないしな、と思って読み始めたが、半分を超えるまで全然面白くなく、半分を超えてもちょっと面白いけどどう終わるんだろうこれ、の気持ちだけで何とか読み終わった。
17歳の少年のファーストキスの相手の音信が突然途絶えようと、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の世界の終わり側の話をもう一度読まされようと、どうしてそれを45歳までひっぱり続けるのか、読んでいて全然情熱を感じなかった。
イエロー・サブマリンのパーカを着た少年が何のメタファーなのかは勿論書かれていないが、春樹は昔に還りたいんだろうか?何故か「あちらの世界」から物語がこちらに、鳥に運ばれてきたみたいにするすると現れ世界を覗けたあの頃に?活発な兎が息を吹き返すように?
※
宮崎駿のオブセッションや視線は今も跳ね回っており、村上春樹の滾りは、もう私にはよくわからないものになった。
私は昔『ダンス・ダンス・ダンス』を何ヶ月もずっと読み続け、どのシーンにどんな形の雲がぽつんと浮かんでいるかも記憶していた。欲しいものだけ欲しがればいいし、くだらないものに対してどんなことを友だちと言い合いビールを飲めば良いかを知った。
岡崎京子に「幸福を恐れないこと」を教えてもらったみたいに。
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2024.06日記
2024/06/03
解決しない問題、障害だった。
ふくらはぎが痛くてよくマッサージし、ボディクリームはいい匂い
乃木坂の動画ばかり見ている
2024/06/04
世界征服したいときがわたしにもあった。世界征服とは他者支配であり、目指すところはそのための自己征服だった。
2024/06/05
残業。朝早くに目が覚めてしまうのはたぶん目が開いている。
2024/06/06
並び替えができませんというエラーを解決してやっとここ2週間のなやみから解放された。なにもできなかったけどとてもうれしい。ずっとお腹が痛くエアリズムを買ったり薬を買ったりとにかくくるしい日だった。なにかがあたったのか、さむかったのか、なんなのか。ポポロクロイスのRTAをすこしみて寝る。当落発表は今月だ。
2024/06/07
体調がわるいなか仕事へ行きまたひとつ解決。何も食べれないなりに贅沢をしたくてコーンポタージュを買ったが飲めず、ゼリーも買ったが食べれない。ポカリもひとくちしか飲めないが、なんだか白米は食べれた。コーンポタージュは高いし捨てるのもったいないので家に持って帰ってゆっくり飲んだ。こうなったら糖分補給と和三盆を2つも食べた。
2024/06/08
腹痛で何度も目が覚めるからあたたかくして寝たら、熱中症みたくなったのか��分が悪く起きられず、手も震えて力が入らない。なんとか窓を開けたりクーラーつけたり氷枕で冷やしたりしながら7119に電話すると腹痛と合わせて内科の受診を勧められる。顔のほてりに気づき鏡を見ると目の周りが真っ赤に腫れ上がっていてこわかった。(そういうふうに医者がメモしていたのだけど発赤というらしい。)熱中症でこのまましんでしまうんではないかと冷やしていくうちにすこし良くなる。落ち着いた頃病気で点滴をしてもらい、血液検査の結果はかねがね良好。また異型リンパ球がみられるとのこと。膵臓は問題ないらしい。よくなってるの?
2024/06/09
1日を通して資格の勉強をしていて、なんとなく飽きるとピアノを弾いたり。LINEスタンプを作ってみたいから会員登録だけしておいた。
2024/06/12
いつもの通りばかまじめに仕事をしていたら他の人の仕事を引き受けることとなり、楽しくはあるのでまたこつこつと終わらせて報告に行ったら深々と「いつも助かってます」とAとBから同時に言われ、ひとりでたのしいからいいやと思っていたけれどやっぱりうれしかった。ただ先週はわりと大きめの声でAが(わたしに付いている)Bに「あなたは一人で仕事したほうがマシ」みたいなことを言っていた気もする。都合のよいところだけ大事にうけとめてまたこつこつがんばろう。基本的に単純で前向きな性格なのでがんばれることはたのしい限りがんばろうと思う。うれしい。
2024/06/11
昨日仕事をさぼったしごできのひとにこれでいいですか?と聞くと渋い顔で代替案を提示され、しぶしぶエビデンスを取り直す。仕事ができるひとはさぼってよいとおもうから、ぐぬぬとなるくらいで素直に取り直した。このひとにはわたしがとんちんかんな嘘ばかりついていかなり迷惑をかけているのでいつも申し訳ないなとおもう。この間も落ちませんとSTAP細胞くらい強気に言ったところがきっちり落ちて笑ったり言い訳する気も起きないくらい気まずかった。気まずっと思っていると小声で落ちるじゃんと言われていた。ね。申し訳ない。
2024/06/10
今日くらい休んでもよかったが仕事に行き、いつもさぼるひとが今日もさぼって、居なかったのでほんとうに休んでよかった。ただ難しいと思うのでできないならできないでよいですと言われたところをあっさり解決できたため、ちょっと得意になっている。得意になっては仕様書のしょうもないミスへの冷静なお叱りをよみなおし、セルフ平手打ちをしている。わたしは多少の良いことで際限なくうかれたり体調を崩すほどご機嫌になってしまう滑り台みたいにストッパーのきかない、気色の悪い幼稚さがあるが、その自分をコントロールしようとしているところはえらい。
2024/06/13
コピーした瞬間にファイルが消える大事故でエクセルファイルが消滅し、なかばパニックになったり手が震えたり半泣きになったりして午前中は仕事にならなかった。昨日ほめられて極限まで浮かれてしまったので、ほんとうにはずかしい。もう二度と思い上がりたくない。はずかしい!まず自社の上司をまっさきに頼ったが、かれはツーッという呼吸をしながらネットを調べるばかりなのに他社のリーダーに報告しようとすると止められ、でもマジで使える情報をくれず、挙句の果てに報告はチャットでよいとか言い出すからすべて無視した。無視してリーダーに謝罪のうえ報告。「うーんどうしようかな、とりあえずこのエラー見てて」と渡されたエラーには見覚えがあったので昼休みを使って解決すると報告チャットに100点つけてもらえた。半泣きのままうれしい……としみじみして、半泣きのまままた資料を作り直している。いっしょに資料を作ってくれることになったいつも寝てるひとはわたしとはべつのなんらかのトラブルで残業していたが、帰り際がんばりましょう〜と言ったらウィッス!と言われた。元気でありがたい。しかたないので帰ってから洗面所の前でGo my wayを歌って元気を出し前向きになる。自分が素直にがんばろう!とか前向きに!とか健全な精神に執着しているのをかんじる。これが酷くなるとぽきんとうつ病になってしまうのではないかと漠然とした不安がある。
2024/06/15
毎年面談があるたびに匂わせられる基本情報をとうとう取ってもう何も言われないだろうと一安心。去年すこし勉強していたから1、2週間その場しのぎの勉強だけで取得できた。A試験は620点なんてなんともぎりぎりで、Bも難しかったが、取ったら点数は関係ないのでよかった。すごくうれしい。帰りはなにか買って帰ろうかと思ったが、欲しいものがなかったので温存。
2024/06/16
ひさびさのカラオケで、ひさびさにフリータイムにできたというのにやくしまるえつこのものまねをしていたらテンションを高く保てなくて、けっきょく雲の遺跡も歌えず2時間45分くらいでリタイアしてしまった。家に帰るとHeatherのかわいすぎるカーディガンが届いており、5着くらいのワンピースと合わせてひとりでファッションショーをしたあと、オフィス用にと狙っていたnatural coutureのワンピースが安くなっていたので購入。本当はレースのスカートと白いブラウスも買って今年は深窓の令嬢OLになりたかったが出費の関係で我慢した。夜またスマホを落としたら画面の故障が酷くなったため、もう買い換えることを決意した。
2024/06/17
同じチームの1年下のひとのエビデンス取得を手伝ったため2時間の残業。そこから家に帰って10時帰宅。最近平日��10時に寝ていたから起きる時間のことを考えると不安。でも迷惑かけられるのはかけるのより気楽だし、焦ってみんなで頑張るのは学園祭の準備みたいでたのしい。帰りはエントランスの扉が閉まっていて、通行口を見つけるのに苦労した。
資格が取れたのでなんのうしろめたさもなく本が読めてうれしい。
彼女は何も言わずそこに座り、今という瞬間を楽しんで、憎悪が去った後な空っぽの空間を愛が満たすに委せた。その瞬間が来たと感じた時、彼女は月に向かって、そのオマージュとしてソナタを弾いた。それを聴いた月が誇りに思ってくれ、星たちの嫉妬を誘うことはわかっていた。それから彼女は、星たちのために、庭のために、暗闇のなかで見えないものの、そこにあると分かっていた山々のためにも音楽を奏でた。 庭のために弾いている間、精神病患者で、もはや治療の余地のないエドアードがやってきた。彼のことはべつに怖くなかったし、逆に彼女が笑いかけると、驚いたことに、彼も笑いかけてきた。音楽は彼の遠く離れた世界にも侵入した。それは月よりも遠かった。奇跡を起こしたのだ。
ベロニカは死ぬことにした 90 パウロ・コエーリョ
2024/06/18
スマホを落としてながらく左側に白い線ができていたけれどもう2回落とすと線がもっと太くなり右側のパネルの裏側に液が漏れ徐々に画面が黒く侵食され始めたため機種変更を余儀なくされた。会社終わりに機種変更へ。なんとなく勧められたGoogle Pixel8aの料金が許容範囲だったのでかわいいパステルグリーンをえらび海みたいなケースに入れた。(そういえば水沢なおのうみみたいも読了。うみみたい、うつくしいからだよ(未読。タイトルから推測)、とここまで生殖や身体について書きたいひとが『私の身体を生きる』にいないのはやっぱりざんねん。)
夜はたのしみにしていたニンテンドーダイレクトをみたけれどたいしてヒットするものはなかった。まわりのドラクエすきなひとにきくとみな7がやっぱり…というのに制作側はロトシリーズ(そのようなくくりも11クリア後に知ったが)ばかり着手するから世代の違いをかんじる。3が発売された当時の長蛇の列は今でも伝説的にあつかわれており、あの人気にすがりつづけているかんじがは寒々しい。くわえてぱふぱふ、おいろけ、オカマ(必殺技のひとつにナカマ呼びというのがあって、カタカナ表記から明確にオカマとかけていると思われる)ともう現代のファンを作る気がないらしいが、でもゲームシステムは焦らず地道に進められるものだから長く続いてほしくもあり。他作品もゼルダの伝説もタッチをみるに夢島未���レイだとまずはそちらからと思うし、ロマサガ2、サンリオ版どうぶつの森、コロボックル版どうぶつの森のほうが惹かれるけれど、そもそもいまの配属先ではなかなかゲームする気もおきない。原神も置いてずいぶんになった。
『ベロニカは死ぬことにした』で、ベロニカが多重人格障害のエドアードのまえの全力マスターベーションで幸福に満たされるシーンを読み、女性の性欲に対する抑圧やそもそも現代の老廃物としての性という面を考えるとまあかがやかしいシーンだろうとおもうものの、このような性の解放にはいつもおいてけぼりをくらっていて察する価値ほどの感動を感じない。では何に価値を感じるかというともう人口に膾炙しきってしまったアダルトチルドレン的な展開で、過去の自分と対峙する/対峙を諦めるはなしにはぐっとくる。そのような意味で乃木坂46『帰り道は遠回りしたくなる』のMVはよかった。
2024/06/19
表象のほかにほしいものがないというのは表象になりたいこととはどう異なるのか。スマホを新しくしたら打ちづらい。
2024/06/20
つがつが日記を書いていたら細かくメモしたいこともなくなってしまい、ひたすら本を読んたりrtainjapanを見直したりしている。夏のゼルダの伝説回はたいぶよかったけれどそんな回はもうしばらくはないだろうとおもうと残念。今年は風タクが申請されていたけれど目新しくはなかったからどうだろう。でももし配信されるならかこつけてAに連絡しよう。それでこんな人生早く終わってしまえばいいよ。
2024/06/21
友人と夕食。前回はダブルブッキングされてキャンセルになったのでよくあることと思いつつ、忘れられる程度の存在なんだと高校生みたいな落ち込み方をしていたがじっさい会うとたのしい。アイドルマスターやダンガンロンパ、原神の話をする。インドカレー屋さんのビリヤニを食べたが、ものすごく硬い途中スパイスを誤って噛んでしまうと歯が痛く、祖母の家の絨毯の味がした。カレー食べておけばよかった。
2024/06/22
昨日の友人からカラオケでデュエット曲の愛包ダンスホールが歌いたいと言われ、まかせてと返したものの聴くと早すぎる。何回か聴き、口ずさめるようになると目が覚めてしまって3時まで起きていた。なので身体のことを考えて一日外には出ず、rta in fukuokaを観てすごした。明日のトリはスカイウォードソードだから楽しみ。rijの当落発表も明日。
ビビデバのPVじたいはよかったが、(アニメーションではなく)表象萌のためのキャラクターとしては学園アイドルマスターと併せて限界をかんじる。
2024/06/24
福岡rtaのスカイウォードソードをあらためて見返していたら、走者がニンテンドーのグッズにハートの器のピンズと鏡があると宣伝していて、見に行くとムジュラの仮面やボス部屋の鍵(風のタクトというかト��ーンリンクのシリーズだろか)、ロンロン牛乳、ハートのかけらなどのグッズかあった。ハートのかけらなんてあればあるほど嬉しいけれどとりあえずムジュラの仮面のピンズ、ボス部屋の鍵のキーホルダー、ピクミンのクリップを購入。
2024/06/25
貧しき人びととやわらかな生命を交互に読む。ポクロフスキーとワーレンカの最盛期の恋愛に萌えたりした。
ポクロフスキーは貧しい、それもとっても貧しい青年でした。病弱の為にずっとつづけて大学へ通うことができなかったほどで、彼を大学生と読んでいたのは、あたくしたちが昔ながらの慣習に従ったまでのことです。彼は物音一つしないくらい、つつましく、おとなしく、ひっそりと暮していました。外見はとても変わっていました。その歩き方も、お辞儀もとてもぎこちなく、話し方も風変りでしたので、あたくしははじめのうち彼を見ると笑わずにはいられなかったくらいです。
ドストエフスキー『貧しき人々』
このポクロフスキーが数ページ後にこう。
ポクロフスキーはかんかんに腹をたててしまいまいした。 「ちぇっ、まだこんなことをやっているのか!」かれはどなりました。(中略)「それより頼まれもしないところへ入るのはやめてくれよ」彼はそういったものの、こちらのおとなしい態度にいくらか心をやわらげ、つい最近まで教師だった権利をふりかざして例の説教口調で静かにこういうのでした。「ねえ、いったいいつになったら一人前になるんです、いつになったら分別がつくんです?さあ、自分の姿を眺めてごらん、君はもう子供じゃないんだ、だってきみはもう十五歳になるんじゃないか!」彼はそう言いながらあたくしがもう子供じゃないという自分の言葉を確かめるかのようにじっとあたくしの顔をのぞきこんで、耳の付け根まで真っ赤になってしまいました。あたくしは訳が分からず、彼の前に突っ立って、吃驚したまま目を大きく見開いて相手の顔を覗き込んでいました。彼はつと立ち上がるとばつが悪そうにあたくしのそばへやってきて、しどろもどろに兄やら喋り始めました、何やら誤っているようでしたが、それはきっと今の今まであたくしがこんなに大きな娘になっていることに気付かなかったことを詫びていたのかもしれません。
ドストエフスキー 『貧しき人々』
おとなしく卑屈でかっとなるタイプの男性が女性に対ししどろもどろになっているシーンすき。
あの人が病気になった当時、家の人たちはみんなあたくしのことを変な目でみていました。そうしたみんなの目をまともに見返していたので、それからはだれもポクロフスキーを看病するあたくしを、とがめるようなことはしなくなりました。
ドストエフスキー 『貧しき人々』
良い台詞。
ドストエフスキーの描く一人称の男たちは見えっ張りなのに浮かれやすくプライドが高いのに臆病だから知る限りは全然好きになれないが、女性の一人称はかなり良い。また三人称の男もかなりいい。
齋藤飛鳥がかつて乃木坂のアイドルだった頃「踊りは歌詞に寄せていて人を作る(自分が踊っている感覚ではない)」と話していて、彼女の踊りの向こうに踊りになるまえのものがあると知る。齋藤飛鳥の踊りといえば肩の残し方や手足のさばき方がこだわりがあるふうに見えかなり鏡とも向き合ったのだろうと思うが、いっぽうで踊りの枠をこえて潔く振り抜く瞬間があり、その踊りの向こうにいる人と彼女個人の感情の昇華のバランスがすごく良い。でもアイドルを卒業した齋藤飛鳥がなにかの機会でいまさら踊るのを一ファンとしてのぞんではおらず、昔の動画を見るくらいがちょうどよい。
2024/06/26
任天堂から注文していた荷物が届いた。早い。ムジュラの仮面のピンズで遊び、キーケースのリングをボス部屋の鍵キーホルダーに付け替えて満足。ムジュラの仮面のピンズはデザインで選んでしまったけれどやっぱりグッズは作中本来の用途やシチュエーションと地続きのものがよい。ボス部屋の鍵のキーホルダーもそうで、ほかには『レヴュースタァライト』アタシ再生産のワイヤレス充電器、チェーンキーホルダーの『スーパーマリオ』ワンワンなど。デザインが良い。
2024/06/27
自社の上司は報告会でおしゃべりがしたいのか、仕事の報告会をしているのに仕事場の人間関係へ話が飛んでなにのために集まっているのかよくわからない。
2024/06/28
早上がりでショッピングのあとお寿司を買って帰宅。食べながら仕事の続き。
2024/06/29
9ヶ月ぶりにカットへ。ぱっつん前髪になり、サイドバングを作ってもらう。
2024/06/30
カラオケへ行ってドンキで化粧品を買い、ミッフィーショップとムーミンショップでそれぞれボールペンを買い、財布を新調し、おジャ魔女どれみのクリアファイルガシャポンをする。ちいかわも特集が組まれていて、かなり客層が広かった。寝る前に剥がれてしまったマニキュアを塗り直す。除光液を使わないでよいというベースコートを作ってみる。
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櫻坂46田村保乃2nd写真集 隣の席になりたい ★特別付録:メッセージ入りポストカード ランダム1枚入り封入(全6種)
櫻坂46の二期生メンバーであり、「ラヴィット!」(TBS系)や「有吉ぃぃeeeee!」(テレビ東京系)などのTV番組にも数多く出演。そのほんわかした存在が視聴者に癒しをもたらし、さらに幼稚園から始めたバレーボールの知識と経験から、スポーツ関連の分野にも進出している田村保乃さん。2023年9月より女性誌VOCEのレギュラーモデルを務め、その美容への熱きこだわりから新たな女性ファンも急増中の彼女の2nd写真集が2024年10月22日(火)、本人のバースデイ翌日に講談社VOCE編集部より発売されることが決定!! 柔らかな関西弁も相まって、見る人すべてを骨抜きにする田村保乃の約3年ぶりの待望の写真集。ロケ地はなんと写真集の聖地、サンタフェ!…
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不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)
(No.2)=((No.1)からの続き) 経過報告書 2007(H.19)年 H.19.1.11.旧売主S氏は当マンションの竣工(H.19.2.23.)以前に早々と当マンション401号室を4489万円で購入契約を締結(売買契約書(写)を参照)
H.19.2.23.当マンションが竣工。当マンションは1~8階まであり(1階は駐車場、住居部は2~8回)、各階には4所帯ずつ、合計28所帯が入居できる小型マンションで、全室はバリアーフリー、各部屋のドアーは(玄関扉以外は)全てが(『開き戸』ではなく)『引き戸』で、各部屋のスペースも最大限・フルに使える。表通りから少し奥まった場所にあり、隣には幼稚園もあり、環境は良く、店舗や病院も近い。当マンション各階には4所帯ずつある中で、最南側の角部屋には、東・南の両面に合計4個のベランダがあり、401号室全体が明るく日当たりも良い。私共は最南側の401号室(間取りは4LDK)が気に入ったが、価格が約4489万円とは!私共の年齢(当時、夫は69歳、妻は65歳)では銀行ローンを借りられる筈は無く、現金で購入せざるを得ないが、これは無理。結局「当マンションが中古品として売りに出され、精々3500万円以下に値下がりしたら買おう」と考えた。
H.19.3.24.旧売主S氏が401号室を保存登記。同日、水撒き人W氏も(旧売主S氏宅401号室の真上の)501号室を保存登記して単身生活するようになった。 H.19.5月.奈良市水道局が水撒き人W氏宅(501号室)の水道を開栓
H.19.5.29.マンション管理日誌より抜粋、「501号室(これは間違い、正しくは401号室)星山氏(=売主S氏の本名)フロア手直し、多数あり、H.19.6.4.に不二建設(=当マンションを建設した会社)再度来訪との事」との記載有り、S氏は後日(H.21.3.26.)に私共に当マンションを売却・引き渡す際に、私共に「401号室には何処も悪い箇所は無いよ」と言って居たが、これはウソだった。
2008(H.20)年
H.20.4.14.売主S氏が当マンション以外に、高齢者向け新マンション(=エイジングコート奈良新大宮)(以下「新マンション」と言う)の3階319号室をH.20.4.14に4460.8万円で購入(現在、S氏が居住して居る当マンション401号室が、上階501号室(W氏宅)からの頻繁な漏水被害に悩まされて居る為、自室(401号室)を売却し(逃げ出し)て、此の新マンション319号室に転居する目的で購入した。即ち、S氏は当マンション401号室をH.19.1.11.に4,489万円で購入したばかり、その僅か1年3か月後に此の新マンション319号室を4460.8万円で購入、余程、上階501号室からの漏水被害に悩まされて居た訳だ。
H.20.5月.奈良市水道局より501号室の水撒き人W氏に「(水道量)急増のお知らせ」あり(これは水道局から消費者に対する一種の警告)、但し、当月のW氏の水道使用量は未だ16㎥だったが、既に急増の兆しが見えて居たのか!
H.20.6月.当マンション住民から、当時のマンション管理人(岩井昭雄氏)に「水撒き人W氏が自宅501号室前にペットボトルを多数並べて居る」(これは「目障りだ!」「(通行の)邪魔だ!」という事)との苦情あり。 H.20.8月.水撒き人W氏の当月の水道使用量は124㎥、この頃からW氏の水道使用量が異常に増え始め、(当時、階下401号室に居住して居た)S氏が上階501号室(W氏宅)からの頻繁な漏水被害に常時苦悩して居た事が推察される。 H.20.9月.水撒き人W氏の当月の水道使用量は125㎥、奈良市水道局から「急増のお知らせ」あり。同月にW氏は勤務先(=シャープ㈱)を定年退職、以後は無職で、生活は預金や退職金を取り崩す形で行った。 H.20.9.3.マンション管理日誌より抜粋「501号桧原氏(=水撒き人W氏の本名)宅 水道検針時 異常数値 本人に電話にて知らせる」
H.20.9.8.管理日誌より抜粋「501号(W氏) 水道使用量対前検針より12倍 奈良市水道局児島さん来館 (本人談 水道の出しっ放しとの事) 本人了承 14:40-14:50」(但し、後日(H.24.8.30.)に松村・南両弁護士先生が奈良市水道局から取得された『W氏の水道使用量証明書』を見れば、W氏は数ヶ月(H.20.8月~H.21.5月)に亘って毎月70~141㎥もの水道水(普通人の10~14倍)を使用して居る事が判明、これではW氏の主張する「『水道の出しっ放し』はウソ(言い逃れ)だ」と推察される。W氏は毎日・毎月ズッと水道栓を閉め忘れて『水道を出しっ放し』にして居たのか?後述の如く、漏水被害を受けて居た401号室(私共B夫婦宅)ベランダの排水枝管クランク部(屈曲部)や、その真下のスノコ(目皿)部には、上階501号室(水撒き人W氏宅)からの頻繁・長期間の汚水・漏水被害に因る赤錆が発生し始めた(而も此の赤錆は日を追って色濃くなって来た)が、若しW氏の主張する如く、単に『水道の出しっ放し』に因るものならば、これは清潔な水道水であるから、階下401号室の排水枝管クランク部(屈曲部)やスノコ(目皿)部には、(上階501号室からの)汚水・漏水に因る強烈な赤錆などが発生する筈は無い。『水道の出しっ放し』はウソだ。
H.20.9.11.私共は(上階501号室から階下401号室へ度重なる漏水被害が齎されて居る事実を全く知らなかった(=知らされて居なかった)ので近鉄不動産㈱に「当マンションは既に全28室は入居済みだそうですが、若し、空き部屋が出たら、是非買いたい」旨の要望を伝え、同社担当者・武内聖介氏から「情報が入り次第、連絡を入れます」とのFaxを貰った。 H.20.10月.W氏の当月の水道使用量は79㎥ H.20.11月.W氏の当月の水道使用量は80㎥、奈良市水道局から「急増のお知らせ」あり。 H.20.12月.W氏の当月の水道使用量は141㎥ 2009(H.21)年 H.21.2.2. W氏が、深夜、自宅501号室ベランダで大量の水を撒き、その水が階下401号室(旧売主S氏宅)のベランダへ漏れ落ちて来た。更にW氏は以前から[運動の為?]に馬型器具に跨ってギシギシと体を揺すって居るらしく、深夜、その騒音も階下401号室(S氏宅)へ聞こえて居た。S氏はスグに上階(5階)へ駆け上がって501号室のW氏を訪ねて抗議せんとしたが、W氏は『居留守を使って中へ入れて呉れなかった』との事(当時のマンション管理人(岩井昭雄氏)から私共が聞いた話) H.21.2.3.マンション管理日誌より抜粋「401号室S氏より(の苦情)、上階501号室W氏の件で、『夜、大量の水を撒く音がし、注意するも(W氏は)聞き入れない』と相談受ける」
H.21.2.4.管理日誌より抜粋「501号室の件、(W氏は)『ベランダを掃除して居ただけ』との返事、夜中2~3時に掃除か?大きな音鳴りも質問しなければ!」そして岩井昭雄管理人が水撒き人W氏に対して「階下401号室のS氏からの苦情」を伝えたところ、W氏は「もう二度とベランダに水は撒きません」と岩井管理人には約束した。即ち、W氏自身は「階下への漏水被害の原因は、自分がベランダに大量の水を撒いた為である」事を明らかに自覚して居り、当然、訴訟能力を有して居た。これは、後日、W氏の妹君・S子氏が主張した『兄(W氏)は([統合失調症]を患って居るので)訴訟能力を有して居ない』との主張とは明らかに矛盾する。而も、水撒き人W氏の「もう二度とベランダに水は撒きません」と言う約束は一向に守られず、その後も階下への漏水被害は頻発した。
岩井昭雄管理人から『漏水被害について注意』を受ける度に、W氏は常に「(ベランダに水を撒いたのは)ベランダを掃除して居たからだ」と返答・弁解をして居り、恰もW氏は如何にも『清潔好き・几帳面』なように見えるが、実はこれは全くのウソ。W氏は「自分の病気(=統合失調症)から(何の意味も理由も無く)、ただ単にベランダのみならず、アチコチ手当たり次第に(而も頻繁に)大量の汚水を撒き散らして居るだけ、ベランダ掃除などは全く行っては居ない」事が判明して居る。因みにマンション管理日誌(H.21.7.15.付け)には「W氏は自宅のベランダのみならず、共用廊下にまでも水を撒くので、岩井昭雄管理人が注意すると『暑いからだ』と言い返す」。またH.23.6.29.に私共(買主B夫婦2人)とマンション新管理人(=岩井昭雄氏の後任・佐藤秀司氏)との合計3名が、管理人室で「当マンション玄関ホールの防犯カメラが映した録画ビデオ映像」を見たが、それによると「W氏がH.23.6.22.深夜(午後11時半頃)に水を入れたポリバケツを手に持って態々エレベーターで1階まで下りて来て、オートロックの玄関から外に出るや否や、バケツの水を街路にバサッと撒き散らした」。更に管理日誌・その後の調査等により「W氏は、頻繁にゴミを不法投棄し、ペットボトルを自宅前に多数並べて、当マンション住民より苦情あり」「自宅トイレに何でも投げ捨てて、トイレを詰まらせ、廊下にまで汚水が溢れ出す騒動を引き起した」「ベランダの排水枝管内をゴミ類・木の葉類でビッシリと詰まらせ、排水・汚水が排水枝管内を下へ流れ落ちる事が出来ず、排水管の開口部から溢れ出て、ベランダの排水溝・排水口付近は常時水浸し、其処へW氏が更にバケツで大量の汚水を撒くので、排水溝・排水口付近の『溜り排水・汚水』と『更にバケツで撒かれた汚水』とが相俟って、ベランダ床面と排水枝管との円形(環状)隙間を浸み抜け、階下401号室へ漏れ落ちて(極端な時には『漏水シャワー』となって)漏水被害を齎した」etc.etc.W氏の『病的に異常な水撒き癖』は当マンション中でも有名である(岩井昭雄・前管理人および佐藤秀司・現管理人の話)。またW氏の妹君・S子氏の陳述書には「H.23.7.12.に兄(W氏)はコンビニの前で喚き散らし、警察から連絡を受けた。兄(=W氏)の自宅(=501号室)内に入って見ると、足の踏み場もないほどゴミが散乱して居た」との記述もあり、W氏は決して『頻繁にベランダ掃除をするような清潔好き・几帳面』な人物ではない。当マンションの岩井・佐藤両管理人および住友不動産販売㈱担当者によれば「W氏は日頃から大声で喚き散らす」「アチコチ手当たり次第に水を撒き散らす」、また当マンション管理日誌(ダメ押し証拠No.1)および奈良市水道局からの「W氏の水道使用量証明書」(ダメ押し証拠No.2)に照合して見ても、W氏の「病的に異常な言動、特に水撒き癖」「病的に異常な水道使用振り」が十分に伺い知れる。 H.21.3月.W氏の当月の水道使用量は113㎥ H.21.3.2.売主S氏は、到頭(堪り兼ねて?)近鉄不動産㈱に「現在、自分が居住して居る401号室を売却したい」と申し出た。早速、同社担当者・武内聖介氏から私共B夫婦に「当マンション401号室が売りに出されましたよ」との電話連絡が入った。だが「当日に至るまでの此の4カ月間(H.20.12月~H.21.3月)のW氏の異常な水道使用振り(毎月113~141㎥)」、「上階501号室(W氏宅)から階下401号室(旧S氏宅)への頻発する漏水被害」を私共は全く知らなかった(=知らされて居なかった)。因みに当マンション401号室の(中古品としての)当初の売り出し価格は3800万円だったが、その後、旧売主S氏はアッサリと(私共の希望通り)3500万円にまで値下げに応じて呉れたのは、一日も早く『W氏による漏水被害』から逃げ出したかったからであろう。
H.21.3.5.私共B夫婦は近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏と一緒に当該物件(401号室)の検分(内見)をする為、401号室(S氏宅)を訪ねた。(実は私共B夫婦はスグにも401号室を内見したいと思って居たのだが、旧売主S氏から「当方の都合(?)もあるので、内見は、もう2~3日待って欲しい」と言われ、私共は異議無く了承、結局、H.21.3.5.に内見した)。だが、S氏は此の期間内(H.21.3.2.~3.5.)に(恐らくは専門業者に依頼して401号室の漏水被害の痕跡を予め綺麗に洗浄・除去して置いたらしく?)部屋もベランダ床面・壁面も(更には排水枝管の外周も)綺麗に仕上げてあり、私共はスッカリ気に入った(=スッカリ騙された?)。而も、売主(S氏)・仲介人(武内聖介氏)の両人とも、その時は「上階501号室(W氏宅)からの頻繁な漏水被害」については(当然の事か?)私共に対して一言も喋って呉れなかった(=隠した侭だった)。S氏の表向きの[401号室の売却理由][他所への転居理由]は「S氏夫人が病弱で、現在居住中の当マンションよりも、(同じく奈良市内に新たに出来た)高齢者向け分譲マンション『エイジングコート奈良新大宮』(=新マンション)の方が便利だから、S氏夫妻は其処へ転居する事にして、現在居住中の当マンション401号室を売却するのだ」との事だった。(尤も今にして思えば、S氏が最初から『本当の売却・転居理由(=漏水被害)』を私共に正直に打ち明けて呉れる筈は無かった)。S氏は大資産家で「自分は今までに所得税を5億円以上も支払った」「自分は故郷の別府市にも、生駒市・奈良市にも自宅を合計5軒ほど所有して居る」「奈良市内で駐車場を経営して居る」「高級外車ベンツを乗り回して居る」などと豪語して居た。私共が確認できたのは、奈良市内に「S氏の経営する駐車場」は確かに(当マンションから少々離れた場所に)あるが、当時のマンション管理人・岩井昭雄氏によれば「当マンションの竣工(H.19.2.23.)以来、当マンション内の駐車場にベンツを預かった事は一度も無い」との事だった。S氏は当マンション竣工(H.19.2.23.)以前のH.19.1.11.に早々と401号室を新築4489万円で購入し、その後、僅か1年3ケ月後のH.20.4.14.に新マンションを(これも竣工前に)319号室を新築4460.8万円で、而も両マンションともにスッパリと現金で購入したくらいだから、確かに同氏は大資産家である。 H.21.3.14.S氏が新マンションへ転居、同日、近鉄不動産㈱の事務所で、売主S氏と買主(私共)B夫婦は当マンション401号室を3500万円で売買契約を締結、私共は売主S氏に手付金350万円を支払い、仲介人(近鉄不動産㈱)にも仲介料の半額58万円を支払った。この時、近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏は「売買契約書の物件状況等報告書」の記載内容を私共に長々と詳しく説明しようとするも、売主S氏は慌てて遮って「もっとサッサと要領良くしないか!早くしろッ!」と武内聖介氏を厳しく叱り付けて、先を急がせた。何故、売主S氏は第三者(=私共B夫婦)の面前で、仲介人(=武内聖介氏)を斯んなに厳しく叱り付けるのか?S氏は、そんなに威張り散らして、武内氏に対し「随分失礼だな!」と私共は呆気に取られたが、これは「売主S氏が仲介人(=武内聖介氏)に『余計な事(=漏水被害)は喋るな!』と牽制したのだろう」という事が、後日になって私共には漸く分かった。即ち、仲介人(=武内聖介氏)は「上階501号室(W氏宅)からの漏水被害を予め売主S氏から聞いて居り、被害状況も既に知って居たが、『大した事は無かろう』と思ったので『売買契約書の物件状況等報告書』には敢えて『浸水被害(無)』『漏水被害(無)』と記載した侭にして置いた」と後日、私共に正直に打ち明けて呉れた。然し、後掲の数多の大判(A4)証拠写真でも見る如く、漏水部には(その後の頻繁な漏水により)著しい赤錆が発生し始め(而も此の赤錆は日を追って強烈になった)、同時に発生したベランダ床面の水溜まり・シミ・壁面のシミなどを見れば、これが「大した事である」のか?「大した事ではない」のか?一目瞭然。また、たとえ一度でも漏水被害があったの��ら(実際には後述の如く『一度』どころではなく『多数回』だが)、仲介人・武内聖介氏は勝手に「大した事は無かろう」などと「自分に都合の良いように」解釈せず、正直に買主(私共B夫婦)に告知すべきは当然であった。(然し、後述の如く、奈良地裁の宮本初美裁判官は、当該売買契約書に「漏水被害(無)」「浸水被害(無)」と記載された侭になって居る事実を全く無視して一切言及せず、更に原告・被告・証人等の出廷・尋問・証言を一切許さず、また私共が提出した数多の証拠写真・イラスト・資料なども徹底的に無視・握り潰した侭、而も自分は一度も現場検証・確認に訪れる事も無く、最後まで「漏水は、たった一度きり」「契約解除すべき理由にはならない」としてゴネ続け、私共の敗訴を判決した。これでは全く裁判にはならない)
H.21.3.26.(此の時点でも、依然として「漏水被害の事実」を全く知らない(=知らされない)侭の私共は、南都銀行JR奈良駅前支店の2階会議室で、売主S氏に当マンション代金残額3150万円を支払って同氏から401号室の玄関鍵(全6本)を受け取り、近鉄不動産㈱にも仲介料の残り半額58.55万円を支払い、私共は401号室の引渡しを受けた。その際、売主S氏は私共(買主B夫婦)に「401号室には何処も悪い個所は無いよ」言って居た。(然し、既述 のH.19.5.29.付け管理日誌にもある如く、S氏は不二建設に「多数のフロア手直し」を依頼して居り、H.19.6.4.には不二建設が「フロア手直し」に来訪した事実がある)。また本契約の締結後に私共が401号室を掃除する為に実際に入室し、掃除しながらアチコチ点検して見ると、食器洗い機が壊れて居り、和室の障子戸が硬過ぎて十分に引き開けられない、ガスグリルのレールがバラバラに外れて居り、ガスを点けるとガス臭い匂いがして、更に浴室の水捌けも悪く、私共が風呂掃除をした後(私共は当マンションに入居・居住しなかったので、風呂掃除はしたが、入浴した事は一度も無い)の1ケ月後でも浴室内の排水溝には排水が溜まった侭だった。然し、私共は「この程度の事は修理すればスグにも解決できる、何ら問題は無い。それよりも格好の中古マンションを入手できた」と満足し、スグに私共は401号室を保存登記した。 H.21.3.30.午後4時過ぎ、私共は当マンション玄関前で売主S氏に出会った。S氏は「自分は既に新マンションへ転居したが、未だに自分宛の郵便物が旧住所(当マンション)へ誤配されて来て居るかも知れないので、メールボックスを覗きに来た」と言った。私共はS氏に「貴方は当マンションのスペアキーを持って居るのですか?」と尋ねると、同氏は「そんな物は持って居ないよ」との返事、私共は「では一体どうやって(オートロックの有る)当マンション内に入ったのですか?(当マンションでは岩井昭雄管理人は午後3時に退社・帰宅するので)此の時刻では管理人にオートロックを開けて貰う事は出来ませんよ」と言うと、S氏は「当マンション内の他の住人が玄関から出入りするのを傍でジッと待ち構えて居て、自分もタイミングを合わせて一緒にサッと入り込むのだ」と答えた。然し、此の時点で私共は「S氏は既に当マンションのスペアキーを、間違いなく1本は所持して居る」と確信した。他のマンションと同様、当マンションでも玄関のオートロックを、住人諸氏は(各自が所持して居る)各戸別の玄関キーで開けて出入りする。そして各戸別キーは(全戸が)美和ロック㈱製で、それぞれの理論違い数は1,000億通りとの事(同社ホームページ、カタログおよび同社大阪支店総務課長・岡伸行氏の話)、他社・他処では絶対にスペアキーの複製は出来ない。此の時刻(午後4時過ぎ)では、岩井昭雄管理人は既に不在、従ってS氏は岩井管理人にオートロックを開けて貰う事は出来ない。あの短気で癇癪持ちのS氏が「当マンション内の他の住人が、此の玄関を出入りするまで、脇でジッと辛抱強く待機し続ける」筈がない。
私共は引っ越し荷物を全部搬入し終った時点で、改めて401号室の旧キーを、新キーに付け替える予定だったが、未だ引っ越し作業が完了して居ないので、当分の間は、S氏から受け取ったばかりの旧キーを、そのまま利用して居た。一方、(S氏が既に所持して居ると思われる(?))此のスペアキーのお陰で、後日、S氏が『401号室に不法侵入して稚拙・杜撰・卑劣な捏造工作を行うのに役立った』というトンデモナイ事態に私共が巻き込まれる事になったのである。詳しくは後述する。 以下、(No.3)へ続く
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【画像】幼稚園の付録「AEDたいけんセット」がガチすぎるwwwwww
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尼崎市は2023年10月20日、市立保育園が所有していた児童の写真1千枚超が記録されたデジタルカメラおよびSDカードを紛失したと明らかにしました。 尼崎市によると紛失が判明したのは2023年9月25日のことで、教員が気付き幼稚園に報告したことにより明らかになりました。幼稚園では複数の教員がデジタルカメラを捜索しましたが公表時点で発見には至っていません。なお、内部にはSDカードが挿入されており、児童の写真およそ1千枚が記録されていたことがわかっています。 尼崎市は紛失の原因について保管場所と情報管理の2点を指摘しています。幼稚園ではデジタルカメラの保管場所を定めていましたが、実際には保管場所とは異なる場所に置くなど漫然とした管理をしていたとのこと。また、撮影したデータは園が管理するHDDに移動したあと削除することもできましたが、徹底されていなかったとのこと。 このため尼崎市は今後、カメラの保管場所や不要なデータの削除など情報管理を強化。事案を全市立幼稚園教員に共有し再発防止に努めるとしています。 参照市立幼稚園における個人情報が含まれたデジタルカメラ等の紛失について/尼崎市
児童の写真1千枚超記録のデジカメ紛失、尼崎市の幼稚園|サイバーセキュリティ.com
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『幼稚園』10・11月号の付録に「おやこで!AEDたいけんセット」が付属
以下引用
株式会社小学館は8月30日発売の『幼稚園』10・11月号にて、付録として「おやこで!AEDたいけんセット」が付属することを発表した。日本で唯一の国産AEDを製造している医療機器メーカー「日本光電」とのコラボとなる。
「おやこで!AEDたいけんセット」は、公共施設などに設置されている「普及タイプAED」をほぼ原寸大の約25cmで再現した組み立て工作キットだ。内部のデザインやギミックまで忠実に再現されており、普段じっくり見ることのできないAEDの中身を触れながら知ることができる。 最大の特徴は、本物のAEDで使用されているものと同じガイダンス音声が流れることだ。付属の体ポスターと合わせることで、実際の救命活動の流れを実践を通して学ぶことが可能になっている。
雑誌『幼稚園』は、4~6歳の子供向けの学習雑誌。NTT東日本とコラボした「こうしゅうでんわ」や、セブン銀行とコラボした「セブン銀行ATM」など、企業とコラボして実際の設備を再現した付録が近年話題となっている。
日本で民間人がAEDを使用できるようになったのは2004年7月からであり、今年の7月1日で20周年だ。今回の付録は、いまや当たり前に設置されているAEDを「いざというときに当たり前に使う」ものにするため、子供のころからAEDのことを知ってほしいという思いで作られたという。 「おやこで!AEDたいけんセット」が付属する『幼稚園』10・11月号は8月30日ごろ発売。この機会に、自分でできる救命活動の手順を見直してみてはいかがだろうか。
・『幼稚園』 | 小学館の幼児雑誌
・小学館『幼稚園』編集部(@youchien_hensyu) / X
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こんばんは。トシマみほです。今日は2023年1月18日水曜日です。所属してる今日はね、所属してる今日っていうの忘れた。
いや、実は今日結構緊張してまして。な���で緊張してるかっていうと、録音と編集に使うソフトを変えたんですよね。で、ちょっと舞台裏の話で、興味ない方申し訳ないんですけど、 私、去年の1月にその、youtubeをやろうと思って、その年間契約で投画編集ソフトを買ったったていうか、アドビのプレミアプロって言うんですけど、そういうのをサブスクで契約したんですよ。
でも年間プランで。すごいね、途中でやめると解約量がすごい。容赦なく取ってくんですよ、そのアドビさ。そんで、仕方がないからそのまま動画ソフトを使ってたんですね。でも、仕方がないからと言いつつ、 覚え直しになるじゃないですか。もし新しく音声編集ソフト勉強するってなると、なんか最初からやんなきゃいけないから。それよりはこの動画ソフトで全然音声だけのファン増えるからいいや。
1年経ちまして、年間契約が切れるタイミングで、次は音声編集ソフトにしようっていうことを私すごい思ってたんですよね。
そんでね、音声編集ソフト、同じくアドビのさ、アドビが高いんだけど、高いけど、なんとか ね、せっかく動画編集の方覚えたから、音声編集って、私のイメージだと、アドビの音声編集ソフトは、きっと大体見た目は、見た目とか、操作官は、その動画編集と同じような感じで、なんかこう、より直感的に、よりこう、楽チンに音声編集ができるんじゃないかなって、 勝手に持ってたんですよね。で、もう何も調べずに、そのイメージだけで契約して、さあ、やるかみたいな感じです。もう、だから、変えたんですよね。契約を。
動画編集から音声編集に。そしたら、いざ開いてみたらさ、何も、もう、何もかもが違う っていうぐらい、何にも応用効かなくて、その動画編集ソフトでやってきたことが、多少同じとこもあるけど、もうショートカットからして違うもんね。
びっくりしちゃってさ。なんか私がもう、たださ、ただちょっと、次のファイルの切れるみたいな、ぴゅって飛びたいだけなのに、そこ、ボタン押してもさ、そのはずのボタン押しても、全然いかなくて、どういうことだ。ってなって。ショートカットの割り当てとかも、そういうの
ならどこ。の話してしまいましたが、 今回はですね、そういうわけで、こう、編集もさ、どんぐらいかかるか読めないから、なるべくこう、本編音声を短くしようと思ってるんですよね。なのでですね、ちょっとね、前回長すぎたし頑張って喋ったから、今回はさくっと眺め雑談とお便りへのお返事会っていうのにしようと思ってます。
展示会っていうのは。何について喋ったかは多分対策にこれから書くと思うので、タイトルも見ずに再生ボタン押してくれた方はちょっと戻ってね、どういうテーマなのかなって確認してもらった方がいいかもしれないです。興味あれば聞いてみてくださいね。多分あれもね、いつもの何分何秒からこういう内容だよっていうのもつけてると思うから参考にしてみてください。それでは行きたいと思います。
第17回になります。聖なる欲望ラジオ
いや、あれですよ、雑談。雑談がね、今回結構大きくてね。大きくって、自分で言うのもあれだけど、 幼稚園のですね、pta的なものの保護者会の役員決めがあったんですよ。次の年、年長さんなんで、もう、その、じゅ、重大なさ、すごい重大な会議がですね、全員集合の会議があったんですよね。
いや、この日をどれだけ恐れていたことか。うん、何を話そうかな。なんか、
正直、自分は役員をやりたくなかったわけなんですよね。
うちの幼稚園は結構役員負担がでかい方の幼稚園なんですよ。それはね、入院した時からわかっててね、そんで、時々さ、その入る時とか、去年もさ、今やっとけばっとけば、その年長で役員っていうのは逃れられるんじゃないのっていうのが頭にちらつくぐらい、その年長の役員っていうのがさ、ずっとね、頭にあったんですよね。
だから、逃れたかったんだけど、人数少ないんですよ。それで、さらに、今まで役員やった人も引いて��さらに、その兄弟がいっぱいいて、大変な人みたいな、特に下がいる人ですよね、まだちっちゃいから、下の子、
そういう発言されるのも悪いからっていうので、だんだん引いていくと、その役員候補になる人がさ、そんなに残んないわけですよ。そして、私はすごく少ないさ、1人っ子親の1人だから、 ちょっとね。そんで、色々ね、夫のyoutubeに出てもらってるし、 誰がどう見ても楽してる感じじゃね。っていう懸念は、やっぱずっとあったんですよね。なんだけどね、こんな性格で、ちょっと役員とかやれそうにないし、なんかこう、実務もね、みんな知らないと思うけど、私、実務能力もさ、大したことないっていうか、低いから、全然word、excelもちろん使えないですし。
うん、なんかそう、そういうことを任されてもね、一から勉強みたいな感じになっちゃうし。でも、何にもしたくないっていうわけじゃなくて、なんかこうね、他の借り出される時頑張るから、ちょっと役員は勘弁していただけないだろうかって正直思ってたんですよね。
そしてね、その話し合いの時が来て、 どういう風に決めるかっていうと、話し合いで決めたいんですよね。やっぱり基本はその立候補を募るっていう形で、全員集合して立候補ですんなり決まる時も多分ないこともないんでしょうね。だけど、今回はやばい、多分立候補は出ないっていうのはなんとなくわかってて、
その中でですよ、もし立候補者がいなければ、今度その無記名投票になるんですよね。
いや、無記名投票。誰が役員をやるべきかっていうね、投票、そこにやっぱり持っていきたくないじゃないですか。自分も誰かの名前書いて出さなきゃいけないし。やっぱ正直こう、ぱっとあの人リーダーっぽいなっていう思い浮かぶ人はもうやってんですよね。
だからさ、相当厳しいなと思って。選挙になるのはもちろん厳しいけど、でも立候補で決まるっていうのも、なんかあんま現実的じゃないんじゃないかって思ってたんです。
でも、なんていうの、その、実際さ、話し合いの場まで、またね、私、無の心になってたら、何も、何も考えない。前日まで何も考えないで、当日になっても直前まで何も考えないと思って、席に。何も考えないみたいな。結構ね、何も考えないっていうのはうまくいくようになってきたから、そんなに緊張しなかったんだけど、 なんか、ああ、 なんか、いろんな経緯があって、無事決まったんですよ、話し合いで。私じゃないです。なんかね、それはそれは、うん、大丈夫だったって言うか、言い方もあれだけど、やってくれるっていう人がいてね、その方たちに決まったんですけど。
いや、なんかすごいさ、人とそうやって何かをさ、決めるっていうのは、そういう重大ですよね。その次の1年間の過ごし方の型みたいなのがさ、 役員だったら決まるって言えば。だけど、何かすごいさ、課題が、先の1年に課題を背負うわけですよ。それ、誰が背負うのかっていうのを決めるって、すごいことじゃないですか。
なんか、こんぐらいのことって、会社とかでもやんなくない。なんか会社、もっと具体的なさ、この作業に対してどうするかみたいな話はするかもしんないけど、なんかその、誰がやるの。みたいな話なんて、そんなにさ、知らないよ。役員級になれば知らないけど、なんか別にそういう世界のことは知らんけど、普通の社員として働ければ、そんなに大変なことないんじゃないかな。わかんない。全部想像できます。すいません。努めたことないから ねえ。まあでも、そんなさ、そんなシビアなヘビーな話し合いを経てね、なんか色々とね、発見があったっていうか。
やっぱり、なんだろう、その、同じ学年のお母さんたちのことを、やっぱ知らなかったなって思いましたね。当たり前だけどさ。その、今までの私のフォートキャスト、聞いてくれてる人はよくご存じのことだと思うんですけど、 なんか、でも、話し合ってみないとわかんないっていうか。多分、友達付き合いしてもわかんないようなことが出てんだろうなっていう風には思いましたね。その、なんか友達付き合いの中でさ、だって決めなきゃいけないことって、こういうのと違うじゃないですか。多分、なんかレジャー情報に詳しい人とか、なんかサクサク進めるのは好きな人が決めればいいだけ
ね。ちょっと種類が違うじゃないですか。だけど、これに関しては、やっぱり決めるにあたって、ちょっと詳しい経緯はね、ちょっと絶対言わないように、
こういう風な、なんていうのかな、みんなのしたくないことと、それからそいう話し合いの中で見せる気遣い、こういう風なことに気遣うんだなっていうこととかが、すごいよくわかってあれだけど、その話し合いも、全員で話し合うと、ちょっと多いからって言って、こう、山書く山に分けられたんですよ。
分けられたってか、こう、自然と人の流れが、こう、ちょっともうさ、赤い椅子、場所に入ったら、椅子がさ、もうちっこい車座になった椅子が複数あって、なんかもう逃げられないみたいな、なんか、bボタン押しても逃げられないってて、みたいな、なんかそういう風な感じになっててね、ね、そういう場だったからね、誰しもそこに向かい合って話さなきゃいけなかったわけで、
なんかね、やっぱり、その人の振る舞いに対しても、そうして自分の振る舞いに対しても、ああ、へえみたいな、なんかそういうさ、そうなんだなって、人を見て、なんか自分を見るっていうのもまた、面白かったって言ったらあれだけど、そんなに余裕だったわけじゃないけど、後で色々ね、家に帰ってからも、かみしめて考えてみて、 そうだったんだなってね、思ったことがあったので、ちょっとお話してますね。とはいえ、なんか話せないことが多いから、 話って差し支えないこと、自分の動きとかだよね。話し合いにさ、出るっていうのが、私、何年ぶりだったんでしょうね。
なんか、その、中学の時の部活の話し合いも大変だったことはよく覚えてるけど、なんだろう、大変。うん、なんか、会議で割とすんなり決まった上に、あ。とか言う人がいるみたいな、そういう、大変そうだったから、会議が大変っていうのと違うかな。
なんかもう、本当さ、そんぐらいから、あと、やってないもんね。その、サークルみたいなこともやったことないし。だからさ、なんか、下手したら、結構初めてぐらいだったかもしんないですね。そうやって真剣に何か話し合うっていうのもさ、 なんか、それで、
私がしたことは、なんかもう、最初、やっぱ車沿いになってから、じゃあね、始めましょうかって。その、今役員やってる人がいて、なんかその役員の仕事についてわからないこととかあったらなんでも聞いてくださいって言ってくれたんだけど、そこでやっぱ1回シーンってなるわけ。なんか、なんか、シーンってなるのよね。
ね、みんなわかると思うけど、そういう感じ。そんでね、でも私、このシーンがね、もうすごい嫌な人間なんだよね。ね、それ、私の気の使い方っていうか、気の使い方なのかもしんないし、逆に自分のエゴなのかもしれないけど、
すごいさ、そうやって無理に流れていく時間が嫌いだからさ、そういう時にこう、口を切るっていうか、なんかこう、最初になんか言っていうのを、なんか割とやってんですよね。会議に出たことないって言っても、 何かしら、あれですね、なんか就活のディベート練習みたいなとことか、あとね、授業中、大学の練習とかで、なんか順番になんか意見ある人みたいになって、シーンってなる時とかもそうだけど、 なんかもう、その意見がまともかどうかとか、なんか自分がやりたいかやりたくないかとかじゃなくて、とにかく場が回ればいいみたいな
考え方がさ、私の中に結構確固としてあって、なんかそれで、なんだろう、ちょっとこの話長くなるかもしれないんですけど、なんかこう、自分はその0から1のとこが得意っていう 意識があるんですよね。それが正しいか間違ってるかわかんないけど、勝手な自覚みたいな感じだけど、 いろんなことがそれぞれ多分みんな得意なんですよ。1を2にするのが上手い人もいるし、2を3にするのが上手い人もいんですよ。でも自分はデオが1なんだなっていう。それはなんかこう、クリエイティブなことが。みたいなそういう話じゃなくって、何もないとこにとりあえず始めてみるっていうさ。
何もないけど失敗するかもしれないし、この後どうなるかもう全然知らない。でもやるっていうさ、その1だけはやる。やるっていうか、こう、やれてると思って生きてきてんですよね。
だからね、失敗したけど、youtubeもやったし、こうしてポッドキャストもやってるし、その漫画の投稿とかもしたしさ、なんかそういう、なんか全然失敗してもいいから、ただやろうと思ってるんですよ。だからその場も、なんか変なこと言ってもいいから、もうただ回そうと思
展開してくれる人が、なんか2をやる人がいて、3をるがいてっていう、そんなにね、実際の話し合いの場は、役割明確でもないけど、なんか少し回すと回ってくみたいな感じがあるんですよね。
ね。だから、なんかその感じをさ、1人でいる時も結構自覚していたけど、そうやって何か新しいことをやるたびにさ、続かなくなったりもするたびにさ、私ができることは1位だけだからなっていうの、すごい思ってたけど、 なんだろう、そういう集団の中で、そういうのをやったのが久しぶりだったから、そっかって思い出したっていうか。あと、なんかすごいさ、みんなの気遣いとかを見て、すごい、
私はkyっていうのをすごい思い出したんですよね。
それ知ってるよって、知ってよってね。もしかして聞いてて私と実際に会ったことない人も思ってるかもしれないですけど、なんか自分としては、なんかそれ、割と見えなくなってたんですよね。結構ビクビクしながら人と付き合ってたっていうか。その、高校以降ね、 なんかどう思われるか、人にどう思われるかっていうのを結構ちょこちょこ気にしながら、特にこういう集団関係ではずっと気にしながらやってきたけど、
なんか違ったわって。なんかみんないろんなことをたくさん気にしてる。なんかそれに比べたら私、kyだなと思って。
なんかその、人生のさ、つまずく以降の、高校以降のことじゃなくて、以前のことで、自分の、なんだろう、競馬としてさ、生きてたことを、すごい色々とね、思い返したんですよね。うん、なんか、でも、1個1個あげて、そんな競わ言でみたくしてもしょうがないから、あんま言わないですけど、 なんか、子供の時って、うん、本当にやりたいようにやってたなっていう、その、子供だから天津玉に生きてたとか、そういう話じゃなくて、なんかね、本当、子供だからとかじゃなくて、いや、私は、私は知らん、人の反応知らんみたいな、
こたさん、なんかこう、意志っていうか、方向性っていうか、そういうのを持って生きてたなって思い出したんですよね。
空気読まなくてさ、なんかみんなやってるけど、自分はわかんないしやんないみたいなこととか、そういう流行りも祈らないとか、 なんか、あとさ、そういう学級会とかね、それこそ、そういう話し合いの場で、誰も何も言わなくても、なんか言うとかさ、なんかそういうさ、
ことの積み重ねなんていうのかな。でも、その時にって、小学生の時とか中学生時に渡して、その空気読まない気分をさ、恥ずかしく思う気持ちも、本当はね、同時に持ってたんですよ。
なんか、おじゃなく、行きたいっていうか、なんていうのかな、何をやっても恥ずかしくないと、知らんみたいな、バンみたいな感じだったけど、なんかそうじゃなくて、なんか、みんなと一緒に恥ずかしいみたいな感じでさ、 なんか、ちょっとそれやれない。みたいな、恥ずかしい文字、文字で、なんか思春期っぽくさ、なんかそんな風に振る舞えるものなら振る舞いたいわみたいな、
なんていうの、そんな、捨ててるみたいな感じでもなくて、なんかこう、そういう文字、文字みたいなのが似合う女の子に生まれていればな、みたいな、なんていうのかな、こういう姿形っていうかさ、見た目だけじゃなくて、感じ、印象とかさ、 なんか気質とか、そういうので生まれちゃったからさ、こうやって浮いてるけど、やっぱり浮かない方が良かったみたいな気持ちも同時に大きくてね。自分でやってるくせにね。でも、思って振る舞いって変えられるもんじゃなかったから。子供の時って ね、そういうので、ずっとさ、成長期にこう、給食を何杯もおかわりしたりとかね、なんかみんなが効果を歌わなくなっても、めっちゃ歌ったりとかしてたわけ。
そういうさ、なんかもって、生まれた方の性質みたいな、気質みたいな、すごい思い出して、なんか すごい時を経て振り返ってみれば、なんかあれはあれの良さがあったなっていう風に思ったんですよね。良さってそんな客観的なものでもないけど、 思うように、ちょっと俺をけど、思うように振舞えたわけだから、自分がやりたくないと思ったことはしてないし、やりたいと思ったものはやってきたし、なんかそういう風にして、
うん、なんか良かったこともいっぱいあるなってね。モジモジに生まれたかったよみたいな気持ちの方が、本当ね、前は大きかったけど、 違うって、こっちの良さがあるって思ったんですよね。もちろんね、本当に繰り返すけど、みんなの良さがね、いろんな人が気遣ってくれて、その場が成り立って、私のさ、若干の、そのさ、アクセルみたいな、最初のアクセルみたいなのが、回るなんていうの、最初のきっかけであった、きっかけでしかなかったっていう、なんか、そういうのもね、もちろん、前提としてあるんですけど
ね、なんか、すごい感慨深くてさ、なんかこれから、役員じゃなくなったけど、結局しないことになったけど、もうちょっと、積極的にね、幼稚園の手伝いみたいなのに、出ようかなっていう気持ちになりましたね、 なんか、そういう場所がさ、うん、なんか、どうせ行っても浮くしな、みたいな、なんか、そんなに仲いい人とか、なんか、仲いい人が仲い人とやってるとこかもしんないし、もじもじみたいなさ、もじもじになって 思ってたけど、そんな行かなかったけど、なんか逆にさ、なんて言うの。そんなこと気にしなくていいじゃんっていう。別に言って、浮いてたら浮いてたで、自分は平気なんだっていうことを思い出してね、
もうちょっと頑張ろうと思ったね。幼稚園の役に立って、役員ゃなくなったからね、余計ね、ね、すごい。うん、さっきからすごいって連発してるけど、やっぱ自分の生活の中では特別な出来事だったからさ、 なんか余韻がさ、話し合いが無事終わった後のさ、ふぁーっていうさ、みんなのなんか余韻みたいな、すごくてさ、その1時間ぐらいで無事話し合いが終わって、ちょっと場所を書いてる時間っていうか、幼稚園の場所書いてやってるから、そういうのが残ってたからさ、その、ふぁーっていう感じのまま、なんかみんなすごい喋ってる風だったけど、
そういうのも、うん、私は変えろって感じで、私は帰ろうと思って帰ってきたんですよね。うん。だからそんなんでいいんだよ。うん。
いや、みんないいんだよ。なんかすいません、こんな長々と。結局ね、短くとか言って長々と喋ってるし、すごい不安だなこの編集。そんな近況でございました。
こっからね、お便りからのご質問に答えていきたいと思います。ちょっと唐突ですけども、
なんかね、前回、テーマぐらいにして喋るかもっていうお便りがあるって言ったんですけど、ちょっとね、小説に関するご質問だったんですよね。
それがなんか、うん、色々考えてみたけど、私だと役に立たんかもっていうので、なんかあるまで取るのもなっていうのでね、もうし、逆に申し訳ないから、送ってくれた人にね、長々聞かなきゃいけないしさ、なんかちょっと自分は無理っていう部分も含めて、無理じゃない部分はお話しするみたいな形で、短くお返事しようと思います。
じゃあ、1つ目のお便りいきますね。滋賀在住のペネムリ花子です。小説の書き方の解がすごくためになりました。
他の小説家の方だとあまり明かしている方はいないイメージなので、みんなどうやって書いているの。とずっと不思議に思っていたので、少し謎が解き明かせた気分です。
小説の書き方のこれ何回だっけ。10回ぐらいちょっと前ですね。短編の書き方主にお話したんですよね。私が短編が多いからね。
続きを見ます。私が好きなトシさんの作品はたくさんあるのですが、リクシックスティーンでリテイクシックィンです。高校生の頃はたか子ちゃんに共感して読んでいましたが、大人になると家庭に恵まれなかったせいで思考回路が偏ってしまっているサオリちゃんの苦労がなんとなくわかるようになってきました。
これは長編小説で、ダブル主人公みたいな感じなんですよね。語り手はこう、サオリっていう女の子なんだけど、話の主軸としてはなんかタコで、別に視点が切り替わんないけど、2人主人公っぽいんですよね。
あの作品は私にとってバイブルで、すでに未来の貴子ちゃんと年齢が追いついていて、なんだか感慨深いです。ありがとうございますね。高校生の時に読んでくれたっていうことですよね。そんで今ね、未の貴子ちゃん、未来から高校生に戻るっていう話なんですけど、未来は27歳だったんで、そこを超えたっていうこと。
そうですね。小説出してからだいぶ立ちますもんね。ね、そんな長い間たったのにライブって言っていただけて、すごいありがたいです。本当ありがとうございます。で、今回が質問っぽくなって。
長編小説はトシさんの作品では珍しい気がするのですが、短編小説と書き方はどう違うのでしょうか。また、プロットはどの程度まで決めて書くものなんでしょうか。連載の場合、最後まで展開を決めて担当さんに提出してから連載したとするものなんでしょうか。は��なはてな
リテクシックスティーンはたか子ちゃんが未来から来ているので、普通の青春小説よりも入り組んだ構造になっているので、特にどこまで展開を決めてから書き始めたのか、かつどこから着想を得て書いたのか知りたいです。よろしくお願いたします。
ちなみにあの作品ではクマタさんが好きです。かつ、美人なさおりちゃんが成績優秀で、かつ、ほゃほにゃ。このほにゃほにゃがね、マシュマロの機能によって、なんかマシュマのマーク2つになってました。2文字ね。私はわかるけどね。ほにゃほにゃっていう設定もいいなと思っていますか。笑 多分ね、ここの2文字に入るのは、まあ、パストは豊かであるっていう意味の漢字2文字だったんでしょうね。
本当ね。ご質問ありがとうございました。っていうわけで、平たく言うと、長編小説の書き方をと、その具体的な担当さんに提出するものとか、あとは、 その具体的なリスクティンていう作品の着想ですね。なんかね、これ、このお便りいただいて、長編小説。
私、長編ってか、その1つの本に1つの話しか入ってないっていうのは、3つ書いたんですよね。
1つ目が300枚ぐらいの、長編としてはすごい短いもので、雑誌に6回に分けて50枚掛ける6で載ったやつなんです。
で、2つ目が、書き下ろしですね。完全書き下ろしで、こう、10何十枚みたいな結構長めのやつ。で、3つ目が、そのキャリアの最後ぐらいにあたる、このイテイクスシックスティーンっていう小説で、減当者のね、生成教というprcに15回で載っけてもらったものですね。連載ですね、月間の。
なんかね、なんかそれを思い返していたけど、なんか思い返してるうちにさ、あれ。私、この他にもぽしゃった長編ある。って思い出しちゃって。なんかね、なんかきっとね、本にもならなかったからみんな知らないけど、私2回長編ぽしゃらせてんですよ。その、自分で提出しなかったとかじゃなくて、もう提出して乗っけたやつでダメになってたんですよね。
1つ目なんてさ、中間連載して、中好き週刊アスキーに連絡させてもらって、私すごいしすさん好きだったから嬉しいって思ったんだけど、
それが全部載って、でも乗った後で、会社の合併とかと時期重なったのと、ちょっと全体の出来があれかなみたいな。私からじゃなくて、私も言ったけど、向こうも実はちょっとうちでは。みたいな感じになっちゃって、本が出なかったです。
レアケースだと思いますね。合併なかったら全然なんか直してどうにかなってるパターンかなと思うんですけど。
で、2回目は1回の前後編で、雑誌に2階でバーンって170と170とかで載せることにして、1回しか雑誌が出なかったっていうやつですね。
だから、こっちは自分の責任じゃないけど、なんかでも書き下ろして、後編書き下ろして本にしませんか。って。
いいですって、いいですってなっちゃってさ。なんか、だから私、長編語る資格ないんじゃない。って思ってね。こう、砂利あんまりないからね、多分世の中。それともあんのかな。あっても気づかないか。
だからあんまりね、長編の書き方っていうのを本当に説明できる気がしないし、思い返してみてもあんまり全体的なことは思い出せないんで、このリテイクシックスティーンっていう作品にとりあえずフォーカスして喋らしてもらうんですけど、
うん、この時はその他に教えてもらってますけど、たか子って高校1年生の話で、サオイっていう子が、この美人で優秀で 胸の女の子が語り手の方で、そこで友達が、4月にできた友達が、たか子が仲良くなってから急に実は私、未来から来たんだよね。本当は27歳なの。って言い出して、めっちゃ困るっていう話なんですよ。
まあね、ちょっと私にしてはsf要素なの。sfなのかな。みたいな、なんかそういう怪しい話なんですけど、これ、どうやって思いついたかっていうと、実はね、君に届けなんですよね。
シナカコ先生の君に届けあれを。あれがすごい。その、だいぶ1大分を巻き起こしていた頃に、 なんか一巻と2巻あたり、こう読んで、すごいさ、最初の2巻、神じゃないですか。その、さこが、地味なさわこちゃんが、アヤネと地図っていう友人を得て っていう、なんかその友人との話じゃないですか。まだ声があんまり進まない段階なんだけど、めっちゃ暑くてさ、2巻でいいよ。最初は2巻であって大丈夫ですか。友情編みたいな最初の話だよ。
なんか読んだ時に、こんな友達いるんだったら高校生戻れるって思ったんですよね。私の高校生活やり直したいって思って。なんかあやねと地図いるんだったらやり直すみたいな風に思ったけど、いや、むしろいなくても 今この君に届けを読んだ後の気持ちだったらやり直せるみたい思って。なんかしばらく真面目に考えてたんですよね。なんか小説とかじゃなくて、高校生活をやり直したらどうしようかなっていうことを、バイトまじにさ、やり直しようもないのに考えてたんですよ。
それによってやってたら結構話膨らんできて、あれ、これ、いやもう小説でいけんじゃね。と思って。
その高校時代をやり直すっていうさ、そういう小説、他にもたくさんあるんでしょうね。あるんでしょうけど、なんか私みたいな非常に冴えない高校生活を過ごした女の子がやり直すっていう 話を。でもタイムトリップとか、なんかそういうぐちゃぐちゃとしたもよくわかんない装置を自分で考えて使うことをせずに書くには視点を出せばいいだけって思いついたんですか。多分そこは割とすごい思いついて、 これだ。ってなって。でもそれって多分なんだろう、
依頼される前にやってるんですよね。だから長編をお願いしますって言われてやってんじゃなくって、その段階ではなんかやっぱメモ書き。短編小説の会でやった風なメモ書きを、多分パーって作って置いといたんですよね。
なんかそういうのは知ってたみたい。あんまり覚えてないけど、基本頼まれるのは短編だったんですよね、私は。長編はめったにね。そういう回数しか頼まれてないから。
うん。でも依頼された時のためにとっといてる。長いな、長そうだなっていう話と、短編に区切りづらいなっていう話はそうやって書いて、メモだけ書いて置いといたんですよね。ただ、なぜかこのイテクスクスティンの資料だけ、全然
なんか後年見た覚えがないから、一体どこに行っちゃったんだろうって思ってんですけど。それを、だから長編やりませんかって言われた時に、実はこういうのがあるんですよみたいな、さこうきから出してくるみたいな、そういう感じですね。
ね、依頼。長編で��っつも依頼される人もいるんだろうね。なんかそういう人は大変だなと思いますね。滅多に依頼こない人は、こうやってね、2、3年に1本ぐらい考えときゃいいけど、なんか半年に1回ぐらい考えなきゃいけない人は大変だなって思います。やっぱり、なんか、あんまり適当なことできないか。短編も適当に言っちゃダメっていう結論になったんだけどね、あの回で。
あとは、そうですね、最後まで展開を決めて、担当さんに提出するのかっていう話ですけど、担当さんに最後まで。この時は、なんか、ポヤッとしたプロットぐらいで、1回出してるんですよね。でも、基本設定とキャラ表ぐらいだったかな、それも。ただ、なんか、その時に、最初のメモ書きだと、 たかこがファイムトリップをしているせいで、 ただ、タイムトリップするために、ある儀式をした。ただ、その儀式は、どう考えても、普通の人が考えれば、死に至ることでしかなくって、
なんか、でも、再現性がないようにさ、こういう風に、自殺するとかじゃなくて、もうすごいさ、外国のある一点の高い分け方で降りるみたいな、なんかそういう風にして、真似できないように設定したと思うんですけど、 なんかそういう風にして、だから、戻ってきて、楽しそうに、すごい友人は振る舞ってるけど、この人死んでねっていうさ、なんかほら、ちょっとな小説だったんですよね。そんで、なんか、でも、担当さんに言われたのは、なんかちょっと、これこれ、違うやつ考えてくんない。っていうことをなんか言われたと思うんですよね。
なんか、
こういう意識だとか考えなくても、ここに報告してもいいんゃないかって、何も説明なくてもいんじゃないかなっていう風に言われて、そうだなと思ったから、その、他人の視点である程度はもう決まってたから、他人の視点であることを生かして、そこに一切言及しないっていうことにしたんですよね。それがどう読まれたかはちょっとね、わかんないけれども。
うん。でもそんなにね、細かくプロットを決めたわけではない。一応謎がある話だから、そこの根幹に関わるとこそうって話あったけど、細かいとこは決めてないし、多分着地点も最初決めてなかったんですよ。
なんか連載だからさ、どうにか、1年以上先だから15回やればさ、どうにかなるし、みたいな感じで。割とね、長いとそんな感じでスタートすると思います。
そこをなんか詰めるかどうかっていうのは作家の選択なのかな。そこを全部詰めてください、全部そっと出してくださいっていう担当さんあんまりいないんじゃないかな。それとも今はいるのかな。ちょっとここら辺わかんなくてごめんなさい。いるかもしんない。なんか上の方を絶対に作りたいみたいな。全部チェックシャしてくださいみたいな担当さんがいないとはちょっと言い切れないですね。
ただ、なんか、全部決めて書いたからって、すごいいい、なんか安心だ。っていうわけでもないと思うんですよね。その、さっき言った全部ぽしゃった、乗っけてぽちゃったやつって、そのパターンだったんですよ。すごい最初にさ、細かく決めて、 それもやっぱりこう、具体的な連載の話が ある前に、全然何の依頼もない時に思いついたことを夜中に思いついて、すごいもうキャラとかばーって作ってた。もうかける。かけるぞ。みたいな感じで、すごい。どこや。って感じになって、すごいギャーって、その
全体の流れとかをばーって起こしてて、テキストで、なんか私にしては珍しくテキストで話を起こして、そうじゃないと追いつかないぐらいだったから、最後まで決めて、もうなんかーンシンで区切ってたから、シーン50ぐらいまで書いて、うん、よし決まったと思って、 なんかそれを見せてね、そしたら、生きてるからさ、担当さんもいいですね、いですねみたいな感じで載っけたけど、なんかね、結果、そういう感じになっちゃって、 うん、だから、決まってればいいっていうもんでもないよね。難しいですね。なんかそういう、もう決まってただけで、考えたわけじゃなかったからダメだったのかな。
ちょっとこの辺もにゃもにゃしてごめんなさい。本当にね、長編に詳しい人に聞きたいものですね。私。声が聞いてもしょうがないけど、誰か代わりに説明してくれって思いますね。でもなんか本当、連載っていうのは結構やっぱりいいものでさ。
うん、1回1回の締め切り決まってるから、こう、自分の中でリフレッシュされるし、なんだろう、わかんないとこいっぱい空白あるまま書き出してんですよね、この長編はね。だからその大まかな話が こう、なんていうの。この辺で進路選択があるから揉めてとか、そんぐらいのふわっとしたことは
決めてるけど、なんか冬になるにつれて、雰囲気が渋谷に、みたいな、ぽわっとした盛り上がり、盛り上がりっていうか、こう、話の、なんていうのかな、山、山ですね、山みたいなイメージは最初に持ってるけど、そこう、具体的に何するのかは、もう、その、季節感もあるしね、その、乗せてもらってる季節と多分合わせ、なるべく合わせてたと思うから、
そういうのもあって、うん、あんまり詰めなくてもっていう。でも、そうやって、あれか、これが高校1年間の、1年生の1年間の小説で、連載期間が15回だったから、ぴったりやってるだけで、会わない依頼もありますよね。当然ね。そういう時はなんか結構考えないとダメなのかな。どうでしょうね。私、短編の時も言ったけど、すごい季節感に流される人だから、そんぐらいでちょうど良かったですね。
ね、結構未来の自分に先送りでどうにかなってる。どうにかなったのかな。わかんないですけど。
そういえば、そのヤマモト先生、ヤマモト先生の話を前したんですけど、前後ぐらいで。収録の前後ぐらいでさ、nhkであの人に会いたいっていう5分番組があって。
そう、今はこの世にいない方のインタビューの本当短いさ、1部分、ハイライトとか、何回かインタビュしてれば、その度にさ、こう、何歳の時、何歳の時っていう風に小さくね、ちっちゃくまとめて、あの人に会わせてくれるっていう番組があって。それ、私、nhkプラスにまだ入ってた時、たまたまね、その情報を得て見たんですよ。
で、2回見たんですけどね。なんなんで2回見たかっていうと、ヤマモト先生がパーってその作品の構想メモみたいなのを見してくれてるシーンがあって。
なんだろう、ブロットっていうほど、なんかプロットっていう言葉からイメージするほど。ち、3つには書かれてなかったんですけど、もう1枚、栄養の紙1枚ぐらいに、その、自転しながらこう転するっていう長編小説の メモが書いてあって、その話の流れ、上から下にこう曲線があって、そこになんか曲線のね、グラフ、グラフみたいなさ、読み手の気持ちの盛り上がりって確か書いてあったかな、
なんか、だから、盛り上がり、話の山、曲線みたいなのが書き込んであって、その右側に 具体的な、具体までいかないかな、大体のエピソード、こういうことがある、こういうことがあるっていうのが書いてあった気がするんですよね。すいません、ちょっとその時にキャプチャーまではしてないから確信を持てないけれども。
だから、あれかも、その話の曲線の他にもう1個曲線あって、主人公の気持ちで書いてあったような。書いてなかったらちょっとうろ覚えで本当申し訳ない。アーカイブとかで見れるんだったらね、ちょっと見てご確認していただきたいんですけど、そこに上がってるかどうかわかんないけどね、その、nhkの有料プランの内容がちょっとわかんないから、 そのプラスで見てたのは1週間だけだったから、その曲線、やっぱりこういう風に考えてんだなって、その時思いましたね。
話の山なんか、前半に小山がちょっとぽこぽこって間あけてあって、最後にぐっと山が大きくなるみたいな感じね。うん、だから、山。
そうね、そういう長編としての山を、山のバランスと、 あとは、私だったら、その連載、結構細かく、なんていうち、連載の1回か2回ぐらいで、人との話がまとまってたから、その中でのちっちゃい山話の中に山があるっていうのと、全体に山があるっていうのを考えるっていうのが、長編のポイントなんですかね。その短編との違い。
でも、私としては、原作短編やってるのと、持ち的に、そんなめっちゃ変わるっていうこともなかったかな。その後半に山がある、大きな山があるっていうことぐらいですかね。こんなのでお返事になってますでしょうか
ね。なってたら幸いですね。ちょっとこんな未熟な話で申し訳ないんですけれどもね。りかこさん、頑張ってください。小説ね編小説。みんなさ、長編小説とかって書いたことあんのかな。世の中の人、 なかなかね、長い話も大抵の人はデビューで長編書くわけだけど、そこにまずびっくりするよね。私、無理って思いましたね。これは付け足しなんですけど、このテクシックスティーの話じゃなくて、書き下ろした長編小説の時の話で、
なんか書き下ろしって、やっぱり連載に比べると、そういうつかみづらい感じがあると思うんですけど、私はね、私は書き下ろしって結構大変だったなって。1回しかやってないんだからね、大変だったなって思うんですけど、 なんかその時、今思えばですけど、なんか、ただ時間がさ、無限に流れていくんじゃなくて、リテイクの方もそうだけど、最初にお話のまつ末尾じゃなくて、期限が決まってるとね、読む人も見通しを立てやすい。今このお話のこの辺にいるなっていうことがわかるし、確法として割と割り振りやすかった気がしますね。
1年間の話だって、最初に提示してはいない。もしかして残念、流れるかもなっていうとこもあったかもしれないけど、 でもキリのいいとこでさ、春が来た時に終わるだろうってのは、なんだかみんなわかるじゃないですか。何回春が来るかわかんないけど、あと途中まで行けば、後半までけばこれ大体1年だなってわかるし。そのもう1個の書き下ろした長編の方は、 なんか主人公が2人いて、男の子と女の子が10年後のこの日に再会しようって約束して、大人になって、中学生の時に約束するんですけど、大人になってその10年が来るけど。みたいな話で、それは1ヶ月前だったかな、約束の1か月ぐらい前から始まって、
だから約束の日がそのちょっと後ぐらいで、そこでも終わりだっていうのが読む本も分かるし、確保も明確だから、ここまでに大体こういうことがあって、みたいな目安をつけやすい。なんかすごい攻略法としてはね、その話に起源をつけちゃう、物語の中の起源をつけちゃうってのはやりやすいかもしれないですね。もしかしたら。
でも、そういう話が結構あるのかな。ないのかな。そんなにね。自分が読み手としてもその長編をたくさん読んだなっていう感じがしないから、ピンとこなくて申し訳ないですけどね。りかこさん、こんなところです。お便りありがとうございました。
結構喋っちゃった。全然喋ってるんだ。見て全然喋ってるってなっちゃった。
じゃあ次のお便り行かせていただきます。こっちで終わりになります。長くなってるけど、ペンネームゆきりんです。やさぐれるにはまだ早いを読んだ人はみんな思ったことだと思うので、代表して質問いたします。やさぐれぐにはまだ早い。他の回でも増えたと思うんですけど、エッシュですね。私はね、 トシさんはサークルに入らず大学生活を。サークルに入らず大学生活を夜間部で過ごしていたとのことですが、一体そんな生活でどうやって彼氏作ったの。ということ。なんとか当時の彼氏が。という話が出てきていたので、一どんなことがあれば彼氏できたの。と不思議に思いました。今だったらマッチングアプリ全盛期だからまだわかるけど、点々々。
というわけで、電話の女子大生を代表してどうやって彼氏を作ったのか聞きたいです。そして参考にいたします。ピクピク過去彼氏募集中いくんさんありがとうございます。さくっとね。こっちはさくっとお答えしたいですが、 大学生活夜間部で彼氏が、これちょっと前も神社の会でもなんか彼氏欲しい、別れたい、そしてまた彼が欲しいと言って、大学生活のうちにそんな願い事叶えてもらったっていう話をしてるから、余計なんかそれもこう、記憶に、ユキさんの記憶に訴えかけてきたのかもしれないですね。
これはですね、どうやって彼氏作ってたかね、やっぱり夜間部できづらいですけど、サークルに入んないっていうのもできづらい要素だと思います。どうやって彼氏ができたかっていうと、まあ私は 友人の紹介っていうパターンがありましたね。友人の紹介って言うとさ、今あるの。逆に、逆に令和の女子大生の方に聞きたいけど、友人の紹介は生きてますか。っていう、 なんか逆にさ、そうやってきやすくさ、人の好みわかんないのに押し付けちゃいけないみたいな道徳感になってるのかな。それとも相変わらずカジュアルに会ってみてよみたいな感じではやっているのかどうか。そういうルートがいいこと。
もう1個は、あんまりこれほとんど言ってないですけど、大学生の時の交際のきっかけとしては、学内の人と同じ講義とった人と付き合ったことありますね。なんかそれは あれなんですよ。私、講義を受ける時に先生にも言いますけど、結構ね、最前列で受けるっていうパターンがあって、1番前が1番取るんですよ。大体。
なんでかって言うと、私がお腹痛くなりやすくて、ドアのそばにいたいかっていうすごい物理的な理由なんだけど、なんか先生のキャラを見つつ、前行くか後ろで行くかっていうとこう決めてて、なんかその授業では被りつきでね、ある授業で聞いてたんですよ。
で、最前列のメンツっても同じなんですよ。毎週そこはね、固定で動かないから、大体この辺とかってこともなく座ってるから。そうすると最前列同士だと顔覚えて、名前はわかんないけど、その講義だから。そしてやっぱ最前同士はさ、すごいお互いお互いって言ってるのかな。なんか好感度上がるじゃないですか。
そういうとこからですよね。あんま詳しくキャストとも聞いてるからあんまり詳しく言いたくないんですけど、差し支えないとかここまで出ないでしょうか。
友達の紹介でもさ、友達の紹介の方について詳しく喋りたいんだけど、なんか、でも紹介された回数、なんかフトさんこれで思い出してみて、結構紹介してもらってんなと思って。私、人生で5回 友達に男性を紹介してもらって。どう思え。細かいことを思い出すけども、 なんかさ、多くない。と思って。私のこのビジュアルを加味して考えずに、それにしてはすごい多いみたいな感じに思って、
なんでかなって思った時にあれなんですよ、返してほしいっていつも言ってるってのは1つでありますよ。でもそれじゃなくて、やっぱそれは別にみんな口癖みたいにさ、今の人たちに口癖みたいに返してほしいって言わないかもしれないけど、私の時代はみんな言ってたけど、やっぱそこに加えてもう1つは、どんな人が好きなの。とか。すいません、 なんか相手の顔とかこだわる。って聞かれて、その紹介する前に紹介して大丈夫かなと思って友達聞いてくるわけですよ。
なんか顔とかこだわる方とか好みの人は。って。見た目はある。って言われて、やらない。ないよ別にみたいな。なんでも面白ければみたいな感じで言うから、そこですね。それで多分紹介が普通の人より多かったんじゃないかなって思いますね。そこでさ、なんか背が高い人が良くてとか、なんか顔超かっ��よくないとやるって言ったら当然こないですからね、紹介は。
うん、そういうことかな。でも今紹介ないかもしんないよね。
なんかさ、マッチングアプリがある世界って逆にどうなんだろうって。やっぱアーフォーとしてはめっちゃ興味津々なわけですよ。なんかこのフォトキャストかもさ、マッチングアプリについて喋ってる人、結構いるよね。
そういうのに遭遇すると、なんかあえてさ、そればっかりの人、こう聞こうとは。婚活中でずっとまピしててみたいな人。報告です。みたいなのを聞こうとはそんな思わないけど、たまたまそういうのにやっぱ遭遇すると、すごいテンション上がりますね。何。何。みたいな、ちょっとおばちゃんに教えてみたいな感じ出ちゃいますね。
なんかでもさ、そのマッチングアプリがある世界で、自分で条件をつけなきゃいけないってのは結構難しいなって私は思ったんですよね。そのポッドキャスト、人のポットキャストとか聞いてて、
なんかそれで夫と話してたことあるんですけど、なんかもしマッチングアプリあったらさ、どういう人探す。って聞いたんですよ。そしたら夫がちょっと考えて、うん、いい系かなって言ったんですよね。
それに、すごい私もってなって。なんかも、私たち、一応お互い文系なんですよね。夫は趣味は理系だから、別に今やバリバリの理系人間交差もあるけど、一応進路としては文系な人なんですよ。
なんかそれで、お互い、なんかこう、自分を補う要素、自分の知らないことを知ってる人はやっぱりよく見えるっていうので、なんか多分そこでけって言葉がさ、お互い出てきたんだと思う。
でも、本当のマッチングは、その私と理系の間じゃなくて、なんか付き合うなら理系かなって、自分のなんか補おうかなってお互い思ってるこっちの関係にあったっていうことなんですよ。なんか不思議ですよね。
なんか、その、もしマッチングアプリあったらって 考える時に、私の中で割ともう自分はこういう人と出会う方向で行動しようていうのは決まってて、その、今、今、もちろんやんないですけど、もしね、未婚の状態であったら、まず理系に絞って、できれば数学系じゃなくて工学系。具体的なことやってる人で、ちょっと抽象だとついていけないか。
そんで、見た目がすごいモくて、なんかちょっと、ちょっとふくっとしてて、で、めっちゃ優しそうみたいなのも、いとこを取って、 モイさに、イモさにオーケー出すから、すごい性格いくんないかっていうな、そういう、そういう計算によって、それが、そこまで計算して自分がそこにつけられるかどうかわかんないけど、優しさ、その頭の良さ。頭の良さも、なんかこう、ただの頭の良さじゃなくて、なんか尊敬できる方面の頭の良さ
と、論理性プラス優しさみたいのがあればもうオッケーだなと思うから、そういう路線で探すかなって思うし。夫も多分その理系の後に色々続く何かがね、こうこうこういう理系の女性を探すかなっていうのがあると思うんですけど、 なんかこっから、今の結婚相手とかは、自分のマッチング、トイレかシングにも出てこないか、マッチングぶり、 限界みたいのがあるっていうか、わかんないですよね。追いかけてもらったりとかするわけだから、そういうことじゃないかもしれないけど、
条件っていうのがバシッと決まってて、そこの、それをちょっとさ、揺らす揺らぎみたいなのがないから、揺らぎ。この言葉合ってる。
なんかそういうとこで、難しいなって思うけど、なんか一方で、でも、良さもあるんだろうなっていう風に思いますね。やっぱそれがある良さ。ちょっとやっぱ前の時代の話ってさ、あれですよね、 やっぱ違うなって聞いたら思うよね。私も。だって、親の世代にさ、お見合いいいよって言われたら絶対嫌だ。そんな世の中は嫌だって言うから
なんか、だからね、その時代なりのさ、出会い方でやっていく他ないし、それで十分いいんですよ。きっとね。
なんかその世の中に、お見合いしかないっていう世の中よりは、今の方が、今って私たちが生きた時代の方が全然いいと思ってるからね。マッチングもね、きっとそんな感じでね、ゆきりんさんなりの良さがきっとあると思うから、 頑張ってください。頑張ってくださいっていう締めでいいの。これね、参考にならなくて本当ごめんなさいですね。そっちですね。締めはね、じゃあ今日の内容としてはこんなところです。
なんかちょっとふわふわした回で申し訳ないです。回答は頑張ってしたけど、なんか全体の構成がなんかわふわしてる気がする。
最後にありましたが、この番組ではご意見窓口としてマシマダ担当解説しております。ラオにリンクがあるので、こんな話してほしい、こんなこと聞きたいみたいなご要望ね。さっきみたいな、こう小さめの質問では1回使わないくらいのボリュームの質問もウェルカムでござい。
あとはもちろん、ご感想がありましたらお気軽に送ってみてください。マシマダ匿名サービスですが、ラジオネームや年齢、ぼかした居住地など書いてもいい情報は書いてくださると嬉しいです。じゃあ今回はテーマもね。バラバラだったので曲紹介はなしということで、 突然ですがここで終わりにしたいと思います。皆さん長い時間聞いてくださりありがとうございました。ちょっと編集が無事終わるか心配ではありますね。皆さんどうぞ。冬で寒いですけども、体気を付けて。なんか前回もこんなこと言ってたな。
ね。色々感染流行ってるみたいですけど、皆さん頑張っていきましょうですよ。気合で気合で。じゃあ。最後までお聞きくださりありがとうございました。またお耳に書かれましたら幸いです。としみほでした。
clovanote.line.me
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『幼稚園』の付録にスカイマークとコラボした「超リアル飛行機」! 機内の客室まで再現
全長33センチの組み立て紙付録です。
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◾️カラフルでビビッドなワールド
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白ってな、200色あんねん。
この一言が話題になったのはもう4年も前のことだそうですが
実は、あながち誇張された話という訳でもないようです。
PC等の機器を用いて作成できる色は約1677万色。
その中で、人類が識別できる色はおよそ1000万色もあるそう。
なるほど、世界はそんなにカラフルでビビッドだったのか。疑ってごめん。
1000万色に色付いた鮮やかな世界を、普段あまり意識せずに生きてしまう日々ですが
一色だけ、どうしたって目が離せない色があります。
幸せを呼ぶ色とポジティブな評価を受けながらも、
〇〇ブルーなどといったネガティブなイメージも併せ持つ不思議な色。
青色です。
ついつい私物を青色で揃えてしまうほど、
ひっそり始めた投稿のテーマに据えてしまうほど。
いつだって私にとっていちばん魅力的に映る色ですが
実は、幼少期は一番苦手な色でもありました。
◾️のっぴきならぬ青との確執
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時は2002年、丁度RIP SLYMEが楽園ベイベーで大ヒットを飛ばしたころ。
私は春から幼稚園に通い始めたばかりでした。
母が抽選に並び、入園権利を勝ち取った(と噂の)その幼稚園は少し辺鄙な立地だっため
遠方から通う園児を対象に、毎朝お迎えバスが運行していました。
一番近い停留所は市の図書館前。
園児を送迎するためのバスですから、当然母は乗れません。
繋いでいた母の手を話し、付添の先生に挨拶をして
ひとりでお迎えバスに乗り込み、窓から母に手を振る。
当時齢3歳にして、私は上記の偉業を毎朝成し遂げていた訳です。えらい。
褒め上手だった母のおかげで泣いた事こそありませんが、
当然母と離れて嬉しいはずがありません。
だって齢3歳ですから。
朝は眠たいし、制服は窮屈でかわいくないし。
制服を着たら、バスに乗らなくちゃいけないし。
『またお着替えか、またバスか。』
と、毎朝私のイヤイヤスイッチをONにした元凶。
且つ、因縁の制服が丁度青い色をしていました。
それも水色じゃありません。濃紺です。
ブレザーやスカートだけでなく、
行事にのみ着用する房飾り付きの角帽までありました。
大人目線だと、無邪気な幼児と落ち着いた制服の対比が大変かわいいのですが
3歳児目線だとこれが本当にかわいく見えない。
『〇〇な、あおきらいやねん。』と家族団欒の場で発言し、爆笑をさらったことがあるほど
当時の私と青色は犬猿の仲でした。※母談
けれど、幼児心と秋の空は常に変わりゆくもの。
時は少し進んで2003年、穏やかな日曜日の午前7時30分。
私は衝撃且つ運命の出会いを果たします。
永遠のスーパーヒーロー、アバレブルーと。
◾️あお、いーじゃん。
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皆様、爆竜戦隊アバレンジャーはご存知でしょうか。
2003年から2004年までテレビ朝日で放送された、幼児から大人まで楽しめる特撮ドラマです。
アバレブルーは、アバレンジャー構成員の1人。
クールで知的、口数は少ないが鋭く冷静な思考でチームを支えるNo.2。
モチーフは温厚な性格に強い力を秘めた太古の大恐竜、トリケラトプス。
アバレッドが太陽なら、アバレブルーは月です。
月光って何だか青っぽいしピッタリですね。
そんなアバレブルーに、私は見事撃ち抜かれました。
全身私の苦手な色なのに。
きっと連日のバス通園でナーバスだったんだと思います。
荒んだ幼児心に、アバレブルーのクールでミステリアスな雰囲気は刺激が強かった。
見事にトリケラローリングフィニッシュを喰らってしまったわけです。
そこからはもう、あお、あお、あお。
3歳児の私は単純ですから、嫌いだったものもすぐ好きになります。長所ですね。
アバレブルーの光るチョッキとパジャマで毎日眠り、新聞紙で変身ベルトを製作。
七夕の短冊に『アバレブルーになりたい。』と書きたいが文字が分からず、
青色の短冊にひらがな2文字で『あお』と書くなど。
あれほど嫌いだった制服もいつの間にか好きになりました。
嫌いを好きに変える長所を持つ私ですが、
好きになったものをずっと好きでいるという長所も併せ持っています。
青は、やっぱり私にとって特別な色なのです。
◾️そういうわけで、
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ここは、私の青を発信する場所です。
私が識別できる青をひとつでも多く探しにいくための教科書であり
それを記録するためのノートでもあり、
皆さんに青を知っていただくための広報活動であり
識別できない青ってどんな色だろうなあ。と、想像するためのツールでもあります。
思いつく限りの青を、思いついた時に発信します。
◾️よろしくお願いいたします!
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54.昔の手紙を開けてみる話
相変わらず昨年に引き続き、実家の片付けをしている。大量の着物が終わったからやっと次に進める目処がついた。着物はほとんどはあげたり売れるものは売り、そしてごく一部だけ自分でもキープした。なんとなくどうしても手放し難いものはある。特に着物に関しては、そもそもこんな量がこの家にあることも知らなかったくらいのものなので、その中に自分の好みの色や柄のものがあると、そのものに思い出があるわけでもないのに、これはというものがその中から見つかると、不思議なことになんだか急に惜しくなるのだ。
次は、屋根裏部屋の自分の過去のものをざっくり仕分けた時に、一旦はキープしたものの中からしばらく経ってやっぱりいらないなと思うものを改めて仕分ける。もうほとんどはいらないものなのだが、それでも一旦はキープしたものだから、ざっくり中身を確認してから処分する。小学生から中学生にかけてのもらった手紙類が大量にあった。多分書いた本人はもう覚えていないようなものも沢山あるし、逆にその相手には、私も何を書いたか今では全く記憶にないような手紙を書いていたのだろう。その当時の独特なテンション、ノリがあったのだということを感じさせるという点では面白さはあるが、それ以外の何でもないものばかり。母に言われて年賀状を出すうちに、年賀状を出すことが目的化して、自分の好きな絵柄を版画にしてそれをそこまで仲良くもない友達にまで送りつけていたのはなんとなく記憶にある。友達からの年賀状も、本当になんでもない内容のものばかりだが、そういうところからしか感じられない空気感というか、その人との関係がそこに現れるものだなあと思いながらざっと見ていった。そもそも誰とどのくらい、どの時期に仲が良かったのかもあやふやで、意外と友達いたんだなあというのがいちばんの感想だった(本当にいたかどうかは別として)。
遡ると、幼稚園の時のものまであった。同級生の友達からの手紙や、幼稚園や習い事の先生からの手紙などだ。その中に、同居していた祖母の介護をしていた「おばさん」からの手紙があった。このおばさんは親戚などではなく、介護のために来てもらっていた他人だったが、私はよく祖母の部屋に遊びにいって、そのおばさんにも遊んでもらっていた。おばさんは時々変わったのは覚えている。そのうちの、割と長くいてくれた人の1人からの手紙があった。その人は東北の出身で、私の親戚はみな東京より西側にしかいないので、冬は2階の高さまで雪が積もるんだとか、信号が高い位置にあるとか、道路の境界がわからなくなるからそれを示すものがあるとかいう話をそのおばさんから聞いていた。その手紙は、もうそのおばさんがうちを辞めて、別の家で働いている時に送ってきたものらしかった。えりちゃんに東北の家の方の冬の写真を送ると約束していたので、とわざわざ送ってくれたものだった。わたしの知らない雪国のイメージは、この時おばさんが送ってくれた3枚の写真であって、それがすべてだった。子供の頃、知っている世界がまだ狭かった私に、違う世界を教えてくれて、見せようとしてくれた記録があった。そしてそういう話を聞いたこと、その写真のイメージだけは、相当新鮮だったのか、私自身覚えていた。なんとなくで持っていた自分の記憶やイメージの根源みたいなポイント、きっかけを不意に発見することがある。どうせ処分することになるものも、捨てられずに何十年もしまい込まれていたものばかりだから、全て一度この目で見ておきたい、という思いは一層強くなった。(2024.1.13)
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