#平成20年度芸術選奨新人賞・演��部門受賞
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fa-cat · 2 years ago
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市川猿之助を自殺幇助で逮捕へ「両親は別の薬物摂取の可能性も」「ビニール袋、薬のパッケージをゴミに」
歌舞伎俳優の市川猿之助(47)と両親が5月18日、東京都目黒区の自宅で倒れているのが見つかり、両親が死亡した事件で、警視庁捜査一課は猿之助を自殺幇助罪で近く逮捕する方針を固めたことが「週刊文春」の取材でわかった。
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engekijin-concours · 5 years ago
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演劇人コンクール2020、参加団体を募集します。
「演劇人コンクール」が豊岡の地で新しくスタートします。
参加にあたっての負担軽減とコロナ禍で影響を受けた団体・演劇人への支援の意味も含め、「書類審査(第一次審査)」を通過した団体には「50万円の舞台制���費補助」を事前に支払います。
また「上演審査(第二次審査/作��上演による審査)」の賞金も最大で総額200万円とし、その他、「豊岡演劇祭への参加」や「こまばアゴラ劇場での上演」等、受賞者への継続的な支援を予定しております。
全国の演劇人の皆様のご参加をお待ちしております。
演劇人コンクール事務局
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★応募を希望する方は、下記より応募用紙をダウンロードし、必要事項を記入の上、ご提出ください。
□応募用紙(Microsoft Word形式)
□応募用紙(PDF形式)
・応募書類の提出先 [email protected]
・応募〆切:2020年7月20日(月)
※郵送での提出を希望する場合は事務局までお問い合わせください。
※7月22日(水)を目処に、ご応募いただいた全団体にメールにて申し込みの確認連絡を行います。 メールが届かない場合は、事務局までご連絡ください。
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■応募の条件 過去に上演歴があり、今後演出家として継続的に活動していく意思のある者。
■審査
書類審査(第一次審査) ※7月20日(月) 応募〆切 応募作品について、提出された参加申込書・演出プラン・映像資料などに基づいて審査を行います。 これまでの活動の実績も参考とします。この審査では、上演審査への参加資格を得る合格者を選考します。
上演審査(第二次審査/作品上演による審査) 最大8団体を予定 期間:10月15日(木)〜10月19日(月)を予定。(移動日を含む4泊5日を予定。上演日は10月17日(土)・18日(日)。) 場所:江原河畔劇場
■賞
 最優秀賞 100万円  賞金総額 最大200万円(一部、賞品にて支給)
この他、豊岡演劇祭への参加/こまばアゴラ劇場での上演/城崎国際アートセンター・利賀芸術公園等でのレジデンス制作/BeSeTo演劇祭・静岡県舞台芸術センター(SPAC)・鳥の劇場等、国内外の劇場プログラムでの上演、舞台芸術フェスティバルへの参加などの支援を行います。
■課題戯曲 コンクールの応募者には、下記の課題戯曲より1作品を選択し、作品を演出・構成していただきます。
A:冒した者      三好十郎 B:受付        ���役実 C:紙風船       岸田國士 D:お國と五平     谷崎潤一郎 E:班女        三島由紀夫 F:バーサよりよろしく テネシー・ウイリアムズ
【作品の上演に関する規定】 Aの作品は、一部抜粋あるいはテキストレジを行うことができる。台詞の変更は不可。 B、C、D、E、Fの作品は、テキストの改変、変更、カットなどはできない。 コンクール上演用の新たな翻訳は不可。上演は、日本語で行う。
上演時間は、60分以内とする。(時間に収まらない場合は選考対象になりません)
*課題戯曲は、書店、図書館などで入手してください。どうしても手に入らない場合は、事務局までお問い合わせください。
*E・Fの作品は以下の出版社などから刊行されています。 ・『班女』三島由紀夫 『近代能楽集』 (新潮文庫) ・『バーサよりよろしく』 『テネシー・ウィリアムズ』(ハヤカワ演劇文庫)
*A・Cの作品は青空文庫に掲載されています。 『冒した者』三好十郎 http://www.aozora.gr.jp/cards/001311/card49763.html 『紙風船』岸田國士 https://www.aozora.gr.jp/cards/001154/card52082.html
■審査員
平田オリザ(青年団主宰、こまばアゴラ劇場・江原河畔劇場芸術総監督、劇作家・演出家)
ほか、全体で5〜6名を予定。
■参加条件・人数 1)仕込み、リハーサル、上演に参加できる人数の上限は8名。宿泊場所は、男女別の相部屋となります。 2)作品製作への補助 上演審査に参加する方には、舞台費、照明費、音響費、衣裳費、移動交通費などを対���とする舞台製作費を支給します。 コロナ禍で影響を受けた団体・演劇人への支援として、人数に関わらず金額は50万円とし、参加者からの請求書に基づき、事前に支払いを行います。
■上演する劇場について 上演審査の劇場は、青年団の新たな拠点として今年度開館した江原河畔劇場となります。 音響・照明については、コンクール側での共通仕込を準備します。 照明については、各団体からのプランを元にコンクール側で共通仕込を設定いたします。その際、全ての希望に応じることはできませんので、ご了承ください。 置き道具・小道具・衣装の搬入・搬出も含め、30分ずつの仕込み・バラシ時間の中で作業可能な範囲であれば、共通仕込からの変更も可能です。 上演中は、劇場スタッフが立ち会いますが、照明、音響のきっかけ(キュー)や操作など、作品の演出にかかわる作業については、参加者側のスタッフで行ってください。
■会場と会場の利用日数について 江原河畔劇場を会場に、順に上演を行っていただきます。
・スケジュール 1日目:豊岡入り 江原河畔劇場での全体説明会 各団体との打ち合わせ 2日目:場当たり・ゲネ 3日目:ゲネ・上演(4団体を予定) 4日目:上演(4団体を予定) 5日目:豊岡発
上演日は、30分ずつの仕込み・バラシで順に上演を行っていただきます。 全ての団体にとって初めて対峙することになる江原河畔劇場の空間と、限られた時間の制限の中で、演出家(及び、集団を形成する演劇人一人ひとり)が力を発揮できるかどうかという点が、コンセプトでもある「地域を越え、国際的に活躍できる演出家の発掘と養成」に繋がると考えております。
上演順は選んだ戯曲のバランス等も見ながら、審査員が判断・決定いたしますので、ご了承ください。
復帰に影響が出るような演出・使用はできませんので、その点も考慮した上で演出プランをご検討ください。 演劇人コンクールでは、課題戯曲を読み解き、条件や上演環境と向き合いながら、優れた作品を上演していただくことを第一にしています。言い換えれば、コンクールの公平性と上演環境を傷つけないことを前提に、上演団体からの要望には可能な限り柔軟に対応しています。
演劇人コンクール事務局
■応募・審査の流れ ・応募書類の提出:締切:7月20日(月)  ・書類審査(第一次審査)審査結果通知:8月上旬 ・会場下見(代表2名):事務局が指定した日程での実施(交通費支給) ・上演審査(第二次審査):10月15日(木)〜10月19日(月) ・審査結果通知:全ての上演審査終了後、最終審査会を挟み、審査結果の発表・公開。
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■応募書類
 下記の資料を提出してください。
1.参加申込書・演出プラン(2000字以内・書式自由[スケッチなど含む]) 2.応募者顔写真 3.映像資料 演出作品1作品の映像データを、youtube等に限定公開もしくは公開してください。 その上で、URL及び特に観て貰いたい3分間を応募用紙にご記入ください。 映像データのない方は、それに代わる何らかの資料をお送りください。
■応募締切 2020年7月20日(月)
■応募書類の宛先 [email protected]
※郵送での提出を希望する場合は事務局までお問い合わせください。
※7月22日(水)を目処に、ご応募いただいた全団体にメールにて申し込みの確認連絡を行います。 メールが届かない場合は、事務局までご連絡ください。
■お問い合わせ先 E-MAIL [email protected]
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〈演劇人コンクール〉について
舞台芸術財団演劇人会議による、2000年から2007年までの「利賀演出家コンクール」、2008年から2019年までの「利賀演劇人コンクール」では、数々の才能を発掘、支援してきました。 この度、20年を一つの区切りとし、今年度から新しく豊岡の地で「演劇人コンクール」としてスタートすることとなりました。 利賀との繋がりは継続しつつ「地域を越え、国際的に活躍できる演出家の発掘と養成」をコンセプトに、今年もコンクールを開催します。
●演出力によるコンペティション
演出家を受賞対象とします。演出家の知的構想力・造型力が求���られるのはもちろん、それが俳優・スタッフとの共同作業により実現されていることが望まれます。また、優れた俳優・スタッフの仕事に対しては奨励賞として表彰します。
●受賞者への継続的な支援
コンクールでの授賞を、受賞者のその後の演劇活動のプロセスの中で捉え、2~3年間の期間を念頭に継続的に支援していきます。具体的には、
・豊岡演劇祭への参加 ・こまばアゴラ劇場での上演 ・城崎国際アートセンター、利賀芸術公園等でのレジデンス制作 ・BeSeTo演劇祭・静岡県舞台芸術センター(SPAC)・鳥の劇場等、国内外の劇場プログラムでの上演、舞台芸術フェスティバルへの参加
このほか、豊岡や利賀を中心とした演劇人とのネットワーク、有形無形の協力関係のなかで、創作と制作の両面にわたり、受賞者のその後の活動に相応しい支援を検討していきます。 今日、舞台芸術のあり方はますます多様化し、その可能性も広がっています。自由な発想力、課題戯曲への的確な取り組み、演技・スタッフワークの創造性を生かした上演により、演劇の可能性を押し拡げるような、優れた作品が上演されることを願ってやみません。
演劇人コンクール 事務局
■利賀演出家コンクール/利賀演劇人コンクール 2000年から、舞台芸術財団演劇人会議の主催により、利賀の夏のプログラムとして行われてきた。これまで、ペーター・ゲスナー(うずめ劇場)、関美能留(三条会)、中島諒人(鳥の劇場)、神里雄大(岡崎藝術座)、仲田恭子(空間アート協会ひかり)ほか現在でも国内外で活躍している演出家が最優秀演出家賞を受賞、若手演出家・演劇人の登竜門となっている。
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blue-item · 2 years ago
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ゲスト◇高橋アキ(Aki Takahashi) ピア二スト
鎌倉生まれ。東京芸術大学付属高校、同大学を経て同大学院修了。大学院1年の時、武満徹作品を弾いてデビュー。透明な響き、音色の柔軟な感受性をもって現代曲を演奏し、鮮烈な衝撃を与えた。1970年初リサイタルを開催。72年にはじめてヨーロッパに渡り、ベルリン芸術週間、パリ秋の芸術祭などでリサイタルを開き好評を博す。その後も毎年、海外の主要音楽祭から招待され続けている。72年現代音楽の演奏グルー��「サウンド・スペース・アーク」を結成。以後19年間活発な演奏活動を行った。73年には昭和48年度芸術祭優秀賞を、内外の現代作品20曲を収録した『高橋アキの世界』(東芝、3枚組レコード)により受賞。
75年より『エリック・サティ連続演奏会』(12回)を企画構成の秋山邦晴とともに開催、「サティ再発見」の大きな契機となった。『エリック・サティピアノ全集』(全音楽譜)全13巻を校訂、またCD8枚に及ぶ『エリック・サティピアノ音楽全集』(東芝EMI)をリリース。
80年作曲家モートン・フェルドマンの招きにより、ニューヨーク州立大学バッファロー校の現代音楽センターのメンバーになり、その後もアーティスト・イン・レジデンスとしてニューヨークを始めアメリカ各地で演奏活動を行い、84年にはカリフォルニア芸術大学客員教授を務めた。83年第1回中島健蔵賞を受賞。83年から15年間、企画構成・演奏を続けた横浜での『高橋アキ"新しい耳"シリーズ』でも多数のソロまたはアンサンブル作品の委嘱初演、また日本初演を行った。1986年には第1回京都音楽賞・実践部門賞を受賞。
レコーディングにも意欲的に取り組んでおり、数多くのCDをリリースしている。ケージ、武満徹、ライリー、ジェフスキ��、坂本龍一等現代音楽を代表する世界の作曲家たちに、ビートルズ・ナンバーを主題とする作品を委嘱した『ハイパー・ビートルズ』シリーズ(東芝EMI)をみずから企画制作・演奏し、CD4枚を完成。その1枚は英米でも発売され、ニューヨーク・タイムズ紙で、1990年ベストCDに選ばれた。
2002年から<ピアノ・ドラマティック>シリーズを東京の浜離宮朝日ホールで開始。その成果により2003年第21回中島健蔵賞を受賞。2006年春にはベルリンの“メルツムジーク”音楽祭にピアニスト・イン・レジデンスとして招かれ、5回のコンサートを行った。また秋のニューヨークでのフェルドマン作品によるリサイタルが、ニューヨーク・タイムズ紙で2006年度のベスト・コンサートの1つに選ばれた。2008年には2月ケネディ・センターでのリサイタル他、世界各地で公演。
CD「シューベルト・ピアノソナタ集」(カメラータ・トウキョウ)と「モートン・フェルドマン・トリオ」コンサートの演奏により、平成19年度(第58回)芸術選奨文部科学大臣賞を、またCD「危険な夜 高橋アキ・プレイズ・ジョン・ケージ」(カメラータ・トウキョウ)により平成20年度文化庁芸術祭優秀賞を受賞。平成23年秋の紫綬褒章を受章。著書に「パルランドー私のピアノ人生ー」(春秋社、 2013)がある。 ・高橋アキ オフィシ��ルサイト
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newsletterarchive · 5 years ago
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NEWSLETTER  vol.50
ニュースレターの第50号をお届けします。
今回は2019年9月3日にArt Jewelry Forumに掲載された、ハーロウ・タイさんによる「不屈の精神」展の展覧会評です。
この展覧会では、マナ・ヒューイットさんという作家の方が制作した、めざましい功績を残した女性に捧げるメダルが数多く���示されました。
正直、私自身は、これらのメダルがジュエリーとして��力的だとは思いませんし、日常の装着に適しているかというと大いに疑問が湧きます(もちろん、中にはこのデザインだから身に付けたいという方だっているのかもしれませんが…)。
ですが、特定の役割を担う装身具(この場合は個や団体の功績を称えるメダル)と、作者の意図とがマッチした好例であることは間違いありません。
これは、必ずしも日常レベルでの装着性という観点だけでは、ジュエリーの良し悪しを判断できないということだともいえます。
メダルのように、公的な役割を担う装身具は、ヨーロッパ諸国で中世以降、公職に就く要人が身につけるチェーン・オブ・オフィスというネックレス(chain of office)などがあります。
また、日本での公的な装身具といえば、記章(弁護士バッジなど)や勲章、褒章がありますが、これらのアイテムを作品へ発展させたジュエリー作家さんには、記憶している限りでは覚えがありません。どなたかご存じの方がいたら、ぜひ教えてください。
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https://artjewelryforum.org/mana-hewitt-persistence
 2019年9月3日
マナ・ヒューイット:不屈の精神
偉大な女性に捧げられた特別なメダル
執筆:ハーロウ・タイ
 マナ・ヒューイット:「不屈の精神」
2019年7月25日 – 9月8日
701現代美術センター、コロンビア、サウスカロライナ州、米国
マナ・ヒューイットの個展「Persistence(不屈の精神)」には、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、そしてガラスエナメルを使った一点物のメダルが60点並んでいる。このメダルは、社会の認識に挑んだ女性の勇気と忍耐を讃える作品で、スーザン・B・アンソニー、ヴィクトリア女王、マリ・キュリー、ローザ・パークス、アメリア・イアハート、ルース・ベイダー・ギンズバーグらの重要人物が描かれている。多様なスタイルが混在するこの作品は、「現代女性が発言権を得るに至る道を築いた先人を忘れぬよう、人々を啓蒙する」という、時代に即した取り組みを実現させる好機となっている。
「たしかに人生は簡単ではありません。しかしそれが何だというのでしょう。私たち人間にはどんな困難をも乗り越える、忍耐も能力も備えられているはずです」マリ・キュリー、物理学者、ノーベル賞受賞者
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マナ・ヒューイット、マリ・キュリー、20017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、127 x 82 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
現代は歴史上もっとも、社会生活や職場のあらゆる場面で、女性が自分の意見を通す成功例が目立つ時代である。女性議員はよりいっそう要職を担い、女性アスリートは男性との同一賃金を求めて訴訟を起こす。女性ミュージシャンはオンエアの男女平等を要求し、ベテラン女性芸術家はようやく然るべき注目を受け始め、#MeToo運動はセクハラと権力濫用の横行を明るみに出した。今でこそ女性がはっきりと声をあげ、人々がそれに耳を傾けているが、女性の側に属する人間は、男女平等や自らの功績への評価を手にすべく長く悪戦苦闘してきた。マナ・ヒューイットは個展「不屈の精神」で、歴史上そして現代の偉大な女性たちと、その功績を称える60点のメダルを展示し、現代女性がなしとげる数々の成功は、毅然として困難に立ち向かい乗り越えてきた先人の努力の賜物であることを、見事に示してみせた。
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「不屈の精神」展会場風景、マナ・ヒューイット、2019年、701現代美術センター、コロンビア、サウスカロライナ州、米国、撮影:ハーロウ・タイ
ヒューイットは長いあいだ、エリザベス・キャディ・スタントンとマーガレット・サンガーの2人の活動家を称えるメダルの制作を考えていたが、2016年の大統領選と、この選挙が示唆したいかにも強固なガラス天井を目にしたことを受け、本シリーズの制作に着手するに至った。彼女は社会の認識に挑み、万人のために状況改善に力を尽くしてきた女性たちの勇気と忍耐を称えるシリーズの制作に、たぎる創造性と知性とを注ぎこんだ。目指すは100個のメダル制作だが、かといってそれで終わりにするつもりもなく、これまで芸術家やミュージシャン、著述家、航空業界の先駆者、アスリート、科学者、活動家、世界のリーダー、米国最高裁判事を含む偉大な女性たちを作品にしてきた。
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 マナ・ヒューイット、ヴィクトリア・クラフリン・ウッドハル、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、127 x 64 x 6 mm、写真提供:701現代美術センター
歴史上、男性には功労や武勇を称えるメダルが贈られてきたが、ヒューイットは、それと趣旨を同じくする一点物のメダルを、エッチングを施した銅、スターリングシルバー、ガラスエナメルで作り、個の功績や業績を表現してきた。各メダルには、中央に配した楕円形の七宝製ポートレート、人物名、その人物の個性や功績、様式の重要性を表す装飾モチーフが配されている。また、装着を想定し、各作品には固定したりぶら下げるための金具を取りつけ、裏面にはその人物の言葉の引用や略歴をエッチングで刻んでいる。
 なかには装着するには重い作品もあるが、どの作品のスケールも親近感を抱かせ、細部まで気を配った入念な細工がされている。ヒューイットは、これらの宝飾品仕立てのメダルを作るにあたり様々な工程を活用する。繊細なガラスエナメルのポートレートは5~10回もの高温での焼成を必要とし、失敗は許されない。外側の金属部は、デジタルでデザインしてからエッチングと透かし細工を施してロウ付けをし、最後に各パーツをリベット留めするという、手仕事とデジタル作業との巧みな融合で制作されている。見事なスタイルの多様性、細部、スキルが一体となって全体の印象をつくりあげ、作品に近づいて目に見えるヒントから秘められた情報を読み解きたいと思わせる、魅力と多様性を備えた作品群にしあがっている。
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「不屈の精神」展会場風景、マナ・ヒューイット、2019年、701現代美術センター、コロンビア、サウスカロライナ州、米国、撮影:ハーロウ・タイ
701 CCAの展示室は広々としていて明るく、このような小さく可愛らしい作品は、ともすると巨大な空間に埋もれてしまう。ヒューイットはあえて多種多様な空間にマッチするような展示戦略を立てた。大部分の作品にガラスのドームを被せ、台座にのせたり壁に設置したりして、あらゆる角度からじっくり見られるようにした。残りの作品は関連するイメージを背景に嵌めたシャドーボックスの額に収め、視覚的な変化をつけた。サフラジェットの垂れ幕風のバナーには、本展を彩る女性陣の示唆に富む言葉の引用を印字して歴史的背景を加味し、小さな作品群を関連するテーマごとに分類した。ヒューイットはできるだけ多くの土地に本展を巡回させたいと考えているが、この展示法であれば様々な会場に対応できる。シリーズの一部は、これまでノースカロライナ州のPiedmont Craftsmen Gallery、同州レイクシティのTRAX Visual Art Centerでも展示された。次なる巡回予定地は、ペンシルバニア州フィラデルフィアのセント・ジョゼフズ大学横の会場である。
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マナ・ヒューイット、合衆国憲法修正第19条、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、146 x 83 x 6 mm、写真提供:701現代美術センター
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 マナ・ヒューイット、スーザン・B・アンソニー、20017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、146 x 76 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
本展は、アメリカ国内における参政権の男女平等を認めた合衆国憲法修正第19条に賛辞を送るメダルで幕を開ける。その根幹を成すのは活動家精神だ。個人に捧げられたメダルは尊厳と犠牲を表現し、独創的で時に遊び心あるスタイルの様々な手法が用いられている。社会改革と女性参政権獲得のために活動したスーザン・B・アンソニーへのメダルには、一束の髪を収めたメメント・モリ風のペンダントが下げられている。これはおそらく、アンソニーが女性の服装規制に対する抗議の表明として断髪したことを思い起こさせるためだろう。モンゴメリーのバスボイコット運動で果たした役割で名高い公民権運動活動家、ローザ・パークスへの記念メダルは、スターリングシルバーのビーズで縁取ったポートレート、上方の名入りのリボン、下方のエッチングを施したバス形の真鍮製ペンダントが、彼女の功績を偲ばせる。産児制限運動初期の活動家、マーガレット・サンガーの顔は、繊細なエッチングを施した真鍮の枠に収められているが、これには、卵管、卵巣、卵子群の浮遊が装飾的に描写されている。
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 マナ・ヒューイット、ローザ・パークス(展示時)、2017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、152 x 82 x 6 mm、撮影:ハーロウ・タイ
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 マナ・ヒューイット、マーガレット・サンガー、2017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、120 x 82 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
 科学や創意工夫、研究の成果が、先駆的な女性の肖像によって豊かに表現されている。女性初のノーベル賞受賞者で、物理学者・化学者のマリ・キュリーを回顧させるのは、その先駆的な放射線研究を表現した印象的なメダルだ。銀球が織りなすパターンは、ラジウムの分離精製の成功を表し、その下に原子力マークがぶら下がる。ヘディ・ラマーは多くの人にハリウッドのアイコンとして記憶されているが、一方で熱心な発明家としても活躍し、Wi-Fi、GPS、Bluetoothなどの始祖となる無線誘導式魚雷用の周波数ホッピングシステムの特許を取得した。見目麗しい彼女のポートレートは、特許取得技術を製図表現したエッチングとのコントラストを成し、特許を取得した1942年8月11日の日付が左上に刻まれている。民俗学者で作家のゾラ・ニール・ハーストンのポートレートは、背景に印象的なアフリカのバティックのデザインがあしらわれ、民族性とアイデンティティに関する彼女の仕事をグラフィックで示している。女性初の大西洋単独横断飛行を成し遂げたアメリア・イアハートのメダルは、地形図をバックにしたポートレートの下に、飛翔する彼女の愛機を象ったペンダントが下げられている。
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 マナ・ヒューイット、ヘディ・ラマー、2019年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、120 x 63 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
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 マナ・ヒューイット、アメリア・イアハート(展示時)、2017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、101 x 140 x 6mm、撮影:ハーロウ・タイ
リーダーシップや公職における功績を称えるこれらのメダルには、女王、世界的リーダー、最高裁判事の面々に加え、ひとりのスパイも混じっている。ヴィクトリア女王の凝ったメダルには、光り輝く石を並べた楕円の枠に威厳のあるポートレートがはめ込まれ、それを包み込む葉飾りの上にはルビー色の赤い石が留められている。アメリカ合衆国最高裁判所判事のルース・ベイダー・ギンズバーグのポートレートは、裁判所の荘厳で威厳ある古典建築に収められ、縦溝入りの柱に挟まれ頭上にはペディメントが乗る。ストリッパーにして第一次大戦中にスパイ活動にも従事したマタ・ハリへのメダルは美しい宝石形だ。ポートレートの銀のビーズの縁取りが装飾的なヘッドドレスと響き合い、アールヌーボー調の背景の曲線は、彼女の演舞を彩ったドレープ入りの緞帳を示唆している。
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マナ・ヒューイット、ルース・ベイダー・ギンズバーグ、2017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、127 x 89 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
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マナ・ヒューイット、マタ・ハリ(展示時)、2018年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、76 x 44 x 6 mm、撮影:ハーロウ・タイ
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マナ・ヒューイット、ルイーズ・ネヴェルソン、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、152 x 83 x 6 mm、写真提供:701現代美術センター
エレノア・ルーズベルト、マヤ・アンジェロウ、ジョージア・オキーフ、マーガレット・ミード、マザー・テレサなど、数え上げればきりがない。そして、おそらくそれこそがポイントなのだ。ヒューイット自身のリサーチと、次々と舞い込む提案を基に選ばれる、メダル化候補の偉人リストは終わりがなく更新が続く。サウスカロライナ大学の視覚芸術およびデザイン学部の教授を務めるヒューイットは、この大作を携え、教育者とアーティストという2つの役割を精力的にこなしている。彼女の掲げる意図は明確である。それは「現代女性が発言権を得るに至る道を築いた先人を忘れぬよう、人々を啓蒙する」ことだ。
ハーロウ・タイ:美術史家およびフォトグラムとカメラ不使用の撮影技術を専門とするビジュアルアーティスト。スミス大学にてイタリア文学��学士号、テキサス大学オースティン校で美術史の修士号を取得した後、ロータリー奨学金を得てフランスのディジョンにある国立美術学校にて学ぶ。ヒューストン美術館でキュレーターとしてのキャリアの一歩を踏み出す。その後、イタリア美術界で20年間、美術関係の出版業と美術館計画事業におけるコンサルタントを務め、現在はミラノとサウスカロライナとを行き来している。2017年、医薬品のための工業用大麻の栽培を手掛ける会社を設立。
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 本ニュースレターの本文・画像のすべてまたは一部を無断で転載することはかたくお断りいたします。今回の記事は、スーザン・カミンス氏(Art Jewelry Forum)の寛大なる許可をいただいて翻訳しています。配信停止をご希望の方は、このメールに返信する形でお知らせください。また個人名の表記につきましては一般的な発音を参考にカタカナ表記をしておりますが、もし本来の発音とは異なる表記にお気づきの場合は、お手数ですがお知らせください。
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kotarosekiguchiinbeppu · 5 years ago
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<受付終了> 9/21(土) オープニング記念トーク「日本彫刻史と関口 光太郎」
※ 受付は終了いたしました
『関口 光太郎 in BEPPU』の開幕を記念し、関口 光太郎の作品を日本彫刻史の視点で掘り下げ、その作品の魅力に迫るトークイベントを開催します。前半は近代日本美術史を研究する田中修二教授による講演です。後半はアーティストも交えてトークセッションをおこないます。料金は無料です。
オープニング記念トーク「日本彫刻史と関口 光太郎」 日時:9月21日 (土) 14:00~16:00 (13:30 開場) 会場:トキハ別府店7階レセプションホール 料金:無料 定員:50名 (要予約) 登壇:関口 光太郎、田中修二  (大分大学 教授) 進行:山出淳也  (混浴温泉世界実行委員会 総合プロデューサー)
ご予約はこちら:https://pro.form-mailer.jp/fms/8219acd6177404
<登壇>
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関口 光太郎  (せきぐちこうたろう/現代芸術家) 1983年生まれ。多摩美術大学彫刻科卒業。幼少期より新聞紙とガムテープを用いた制作を始める。大学の卒業制作『瞬間寺院』がデザイナー三宅一生氏の目に留まり、2008年、東京ミッドタウンにおける同氏の企画展『XXIc.-21世紀人』展に最年少作家として参加。2012年、『感性ネジ』で第15回岡本太郎賞を受賞。特別支援学校「旭出学園」で教員を務めるかたわら、作品制作をおこなう。美術館や公共施設の企画展への参加やワークショップなど、各地で活動を展開する。
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田中修二  (たなかしゅうじ/大分大学教育学部 教授) 1968年京都市生まれ。成城大学大学院修了。博士(文学)。専門は近代日本美術史、とくに彫刻と京都の日本画。主な著書に、『近代日本彫刻史』(2018年)、編共著『近代日本彫刻集成』全3巻(2010-13年)などがある。大分県文化振興県民会議委員(会長)。
<進行>
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山出淳也  (やまいでじゅんや/NPO法人 BEPPU PROJECT 代表���事・アーティスト) 文化庁在外研修員としてパリに滞在 (2002〜04) 。アーティストとして国際的に活躍した後、2004年に帰国。2005年にBEPPU PROJECTを立ち上げ現在にいたる。 混浴温泉世界実行委員会 総合プロデューサー (2009〜) 第33回国民文化祭・おおいた 市町村事業 アドバイザー 文化庁 審議会 文化政策部会 委員 (第14期〜16期) グッドデザイン賞 審査委員/フォーカスイシュー部門 ディレクター (2019年〜) 平成20年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞 (芸術振興部門)
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togaconcour · 6 years ago
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利賀演劇人コンクール2019、参加団体を募集します。
今年20年目を迎える利賀演劇人コンクールが新しくリニュー��ルします。 昨年、スタートした「こまばアゴラ演出家コンクール」と連動し、5月頭にこまばアゴラ劇場で「第一次上演審査」を行い、7月一週目に利賀で「最終上演審査」を実施いたします。
■第一次上演審査(最大10名) 会場:こまばアゴラ劇場 演出家が身一つで参加、一週間前に発表される課題戯曲の演出に青年団の俳優とともに挑む形となります。
■最終上演審査(2組) 会場:利賀山房 演出家が自身の座組を率いて、課題戯曲(アントン・チェーホフ作品)を利賀山房で上演する形となります。 2015年に実施した「利賀山房を時間によって2団体でシェアする形」で最終上演審査を行います。
「最終上演審査」の進出者には、利賀での上演のための舞台制作費補助を含む形で「賞金100万円×2組」を授与。 更に「最終上演審査」も賞金100万円とし、全体で賞金総額300万円のコンクールとして開催することとなりました。
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★応募を希望する方は、下記より応募用紙をダウンロードし、必要事項を記入の上、ご提出ください。
□応募用紙(Microsoft Word形式)
□応募用紙(PDF形式)
■応募書類の宛先:
・郵送 〒153-0041 目黒区駒場1-11-13 利賀演劇人コンクール事務局
・メール [email protected]
■応募〆切 2019年3月11日(月)必着
※3月13日(水)を目処に、ご応募いただいた全員にメールにて書類の受取連絡を行います。 メールが届かない場合は、事務局までご連絡ください。
※書類選考の過程に関するお問合せには応じられません。ご了承ください。
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■応募資格
・過去に上演歴があり、今後演出家として継続的に活動していく意思のある者。(年齢制限なし)
・第一次上演審査を通過した場合、7月に利賀で行われる最終上演審査での上演が可能な方。 (第一次上演審査の賞金に含む形で舞台制作費補助あり。)
■審査員(3月1日情報更新)
・第一次上演審査 審査員(50音順・敬称略) 相馬千秋(あいちトリエンナーレ2019 キュレーター) 野村政之(演劇制作者・ドラマトゥルク) 平田オリザ(舞台芸術財団演劇人会議理事・青年団主宰・こまばアゴラ劇場芸術総監督・劇作家・演出家) 柳美里(劇作家・小説家)
・最終上演審査 審査員(50音順・敬称略) 相馬千秋(あいちトリエンナーレ2019 キュレーター) 蔦森皓祐(俳優・SCOT所属) 中島諒人(演出家・鳥の劇場芸術監督) 平田オリザ(舞台芸術財団演劇人会議理事・青年団主宰・こまばアゴラ劇場芸術総監督・劇作家・演出家) 宮城聰(演出家・SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督)
■応募・審査の流れ
書類審査 3月11日(月)応募〆切(必着) 提出された参加申込書・「最終上演審査」の演出プラン・映像資料などに基づいて審査を行います。過去の劇評など、これまでの活動の実績も参考とします。 この審査では、「第一次上演審査」への参加資格を得る合格者を選考します。
3月下旬 書類審査結果発表:「第一次上演審査」進出者最大10名選出
第一次上演審査(最大10名) ・前半5名:5月1日(水・祝)、2日(木・祝) 課題戯曲の演出(コンクール主催者側が指定する俳優との稽古) 上演
・後半5名:5月3日(金・祝)、4日(土・祝) 課題戯曲の演出(コンクール主催者側が指定する俳優との稽古) 上演
最終上演審査進出者2名選出
最終上演審査会場下見(各団体最大5名) 事務局が指定した日程での実施(交通費支給)
最終上演審査 期間:7月3日(水)から7月8日(月)を予定。(移動日等を含む。上演は7月6日(土)・7日(日)の内1日。) 場所:富山県利賀芸術公園 利賀山房
■賞
・第一次上演審査 最終上演審査進出者2名に対し、それぞれ賞金100万円(利賀での上演のための舞台制作費補助を含む)。
・最終上演審査 最優秀演出家賞 および 奨励賞  賞金総額100万円 観客賞
この他、利賀芸術公園でのレジデンス制作/フランス・ジュヌビリエ国立演劇センターとの交換プログラムへの参加/BeSeTo演劇祭・静岡県舞台芸術センター(SPAC)・鳥の劇場・こまばアゴラ劇場等、国内外の劇場プログラムでの上演、舞台芸術フェスティバルへの参加などの支援を行います。
■課題戯曲
・第一次上演審査 コンクール一週間前に発表 古典戯曲から一部抜粋(※2月17日更新)
上演時間は、20分以内とする。(時間に収まらない場合は選考対象になりません) 上演にあたり、テキストレジを行うことができる。台詞の変更・加筆は不可。 コンクール上演用の新たな翻訳は不可。 上演は、日本語で行う。
・最終上演審査 アントン・チェーホフ作品
応募者は、アントン・チェーホフの戯曲より1作品を選択し、作品を演出・構成していただきます。 上演時間は、60分以内とする。(時間に収まらない場合は選考対象になりません) 上演にあたり、戯曲の一部抜粋あるいはテキストレジを行うことができる。台詞の変更・加筆は不可。 複数の作品の構成・コラージュ等は不可。 コンクール上演用の新たな翻訳は不可。 上演は、日本語で行う。
■第一次上演審査について
【注意事項】 ・大道具の使用については、箱馬と椅子と平台が利用できます。釘打ちは不可とします。 大道具の設置・撤去のための時間については、それぞれ10分以内とします。
・地方からの参加者への公平を期すため、衣装・小道具については、参加演出家が用意することを不可とします。 衣装は俳優の普段着で動きやすい服装とし、小道具はコンクール事務局が用意したもののみ利用可能とします。
・照明は全演出家共通で地明かりのみとします。開演・終演時の暗転のタイミングは指定可能です。 その他の音響・照明は一切利用できません。
【宿泊補助】 首都圏以外の地域からお越しの方には、宿泊補助をいたします。 ご希望の方はその旨を応募用紙にご記入ください。 詳細については書類審査後にコンクール事務局からご連絡します。
■最終上演審査について
【参加条件・人数】 当財団の責任において宿泊・食事を提供する人数、および仕込み、リハーサル、上演に参加できる人数の上限は15名。 宿泊場所は、男女別の相部屋となります。
【上演する劇場について】 上演審査は、利賀芸術公園内の劇場・利賀山房で行います。利賀芸術公園の劇場群は、鈴木忠志と建築家磯崎新の共同作業により創られた強い個性をもった空間です。また今回、2015年に実施した「利賀山房を時間によって2団体でシェアする��」で最終上演審査を実施します。これらの空間の特徴・様々な制限を考慮した作品上演を望みます。
【仕込み・バラシについて】 上演にあたっては、提出されたプランをもとに、参加演出家(または照明、音響等の担当者)と劇場スタッフが事前に打合せを行い、最終的にプランを確定します(2団体のシェアにあたって、コンクール側で設定したプランによる「基本仕込み」を予定しております)。 「基本仕込み」以外の仕込み・バラシは、設定された時間内で、作業の全てを参加者側のスタッフが行います(劇場スタッフが仕込みを手伝うことはできません)。上演中は、劇場スタッフが立ち会いますが、照明、音響のきっかけ(キュー)や操作など、作品の演出にかかわる作業については、参加者側のスタッフで行ってください。
【利賀山房の会場使用時間・2団体のシェアについて】 ・4泊5日のスケジュールを予定しております。 ・会場使用時間:4日間で約20時間を予定。 ・3日目にゲネ、4日目に上演審査となります。 ・小屋入り中は1日毎にバラシを行い、もう一団体とシェアする形となります。 ・会場使用時間以外の稽古用に���利賀山房とは別会場で稽古場を提供。
【注意事項】 利賀山房は合掌造りを劇場に改造した建物です。火気は種類を問わず使用できません。スモークマシーンの使用も不可となります。 復帰に影響が出るような演出・使用はできませんので、その点も考慮した上で演出プランをご検討ください。 利賀演劇人コンクールでは、課題戯曲を読み解き、利賀の上演環境と向き合いながら、優れた作品を上演していただくことを第一にしています。言い換えれば、コンクールの公平性と利賀の上演環境を傷つけないことを前提に、上演団体からの要望には可能な限り柔軟に対応しています。
演出プランの検討にあたって、会場の図面が必要な場合は事務局までお問い合わせください。
利賀演劇人コンクール事務局 [email protected]
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■応募書類
所定の用紙に必要事項を明記の上、下記に記載のメールアドレスまたは住所までお送りください。
【必ず提出】 1.参加申込書(4枚セット) 2.審査対象作品の演出プラン(2000字以内・A4横書・書式自由[スケッチなど含む])
3.映像資料 演出作品1作品の映像データを、youtubeに限定公開もしくは公開してください。その上で、URL及び特に観て貰いたい3分間を応募用紙にご記入ください。 映像データのない方は、それに代わる資料をメールに添付または郵送でお送りください。
【可能な限り提出】 4.劇評(コピー可)や、過去の公演チラシ(3公演分程度)等の資料
*提出資料は返却できませんので、あらかじめご了承下さい。 *映像資料を郵送する場合は、事前にファイナライズやデータの確認等をお願いします。
■応募締切 2019年3月11日(月)必着
■応募書類の宛先:
・郵送 〒153-0041 目黒区駒場1-11-13 利賀演劇人コンクール事務局
・メール [email protected]
※3月13日(水)を目処に、ご応募いただいた全員にメールにて書類の受取連絡を行います。 メールが届かない場合は、事務局までご連絡ください。
※書類選考の過程に関するお問合せには応じられません。ご了承ください。
■お問合せ 利賀演劇人コンクール事務局 [email protected]
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〈利賀演劇人コンクール〉について
舞台芸術財団演劇人会議は、2000年から2007年までの「利賀演出家コンクール」、2008年からの「利賀演劇人コンクール」において、数々の才能を発掘、支援してきました。「地域を越え、国際的に活躍できる演出家の発掘と養成」をコンセプトに、今年は昨年スタートした「こまばアゴラ演出家コンクール」と連動し、一部内容をリニューアルして開催します。
●演出力によるコンペティション
演出家を受賞対象とします。演出家の知的構想力・造型力が求められるのはもちろん、それが俳優・スタッフとの共同作業により実現されていることが望まれます。また、優れた俳優・スタッフの仕事に対しては奨励賞として表彰します。
●受賞者への継続的な支援
コンクールでの授賞を、受賞者のその後の演劇活動のプロセスの中で捉え、2~3年間の期間を念頭に継続的に支援していきます。具体的には、 ・利賀芸術公園でのレジデンス制作 ・フランス・ジュヌビリエ国立演劇センターとの交換プログラムへの参加 ・BeSeTo演劇祭・静岡県舞台芸術センター(SPAC)・鳥の劇場・こまばアゴラ劇場等、国内外の劇場プログラムでの上演、舞台芸術フェスティバルへの参加
このほか、利賀に集う演劇人とのネットワーク、有形無形の協力関係のなかで、創作と制作の両面にわたり、受賞者のその後の活動に相応しい支援を検討していきます。 今日、舞台芸術のあり方はますます多様化し、その可能性も広がっています。自由な発想力、課題戯曲への的確な取り組み、演技・スタッフワークの創造性を生かした上演により、演劇の可能性を押し拡げるような、優れた作品が上演されることを願ってやみません。
(公財)舞台芸術財団演劇人会議
■富山県利賀芸術公園 1976年から鈴木忠志が活動拠点としたことから演劇の国際的な拠点として発展。合掌造りを改造した劇場、古代ギリシアに原型を求めた野外劇場のほか、宿泊施設、レストハウスなどからなる舞台芸術のための専門施設。1982年には日本で初めての世界演劇祭「利賀フェスティバル」を開催、同時に磯崎新設計による野外劇場が建設された。その後も劇場の新設・整備が進み、「利賀サマーアーツプログラム」、「SCOTサマー・シーズン」など現在まで様々な公演が行われている。 http://www.togapk.net/
■利賀演出家コンクール/利賀演劇人コンクール 2000年から、舞台芸術財団演劇人会議の主催により、利賀の夏のプログラムとして行われている。これまで、ペーター・ゲスナー(うずめ劇場)、関美能留(三条会)、中島諒人(鳥の劇場)、神里雄大(岡崎藝術座)、仲田恭子(空間アート協会ひかり)ほか現在でも国内外で活躍している演出家が最優秀演出家賞を受賞、若手演出家・演劇人の登竜門となっている。
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honyade · 7 years ago
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第2回 ウメツタ寄席 落語好き集まれ!!
落語とは、たったひとりの噺家が座ったまま物語を語り、多彩な登場人物や情景、笑いと人情の機微を伝えるエンターテインメントです。 決められた噺(はなし)をするのですが、話し手によって面白さがまったく違います。観れば観るほどハマる落語の世界を お仕事帰りやディナー前などに気軽に楽しんで頂きたいと思い、桂米朝事務所の若手実力派の落語家さん達を招きました。 梅田のど真ん中・梅田 蔦屋書店にて、『ウメツタ寄席』がはじまります!
桂 佐ん吉 本  名 : 黒田 周作 (くろだ しゅうさく) 生年月日 : 昭和58年12月23日 出身地 : 大阪府大阪市 所  属 : 米朝事務所 <経歴> 平成13年 9月 故桂 吉朝に入門 平成14年 3月「 吉朝学習塾」にて初舞台 平成14年 3月 大師匠米朝のもとで内弟子修業 平成17年 3月 内弟子を卒業 平成23年   文化庁芸術祭新人賞 受賞 平成26年 1月 なにわ芸術祭奨励賞 受賞 平成27年10月 NHK新人落語大賞 受賞 平成28年 第34回 咲くやこの花賞 受賞
笑福亭 鉄瓶 本  名 : 天野 幸多郎(あまの こうたろう) 生年月日 : 昭和53年8月14日 出身地 : 奈良県 所  属 : 松竹芸能(師匠:笑福亭鶴瓶) <経歴> 平成18年 エアギター選手権関西大会 2位 平成25年 第50回 なにわ芸術祭・新人賞受賞 平成28年 第71回 文化庁芸術祭 大衆芸能部門 新人賞受賞
桂 福丸 本  名 : 中野正夫(なかの まさお) 生年月日 : 昭和53年4月29日 出身地 : 兵庫県神戸市 所  属 : フリー <経歴> 平成13年 京都大大学 法学部卒業 英語落語を学びアメリカで公演 平成20年 2月 4代目桂福団治に入門 3月 高石アプラホールにて初舞台 平成25年「寄席クラシックス東京・代々木公演」 12カ月連続で出演
会期:2017年11月24日(金) 時間:19:00~21:00(予定) 場所:梅田 蔦屋書店 4thラウンジ 参加費:前売券:2,000円(税込) 当日券:2,500円 定員:50名 主催:梅田 蔦屋書店 共催・協力:桂米朝事務所
問い合わせ先:[email protected]
オンラインショッピングでは決済のみとなり、チケットの発送はございません。 イベント当日にお渡しします。
・お座席は自由席です。会場にお越しの順にお入りいただきます。 ・お待ちいただくスペースがないため、開場時間にお越しください。 ・会場でのご飲食は9Fでお買上げの商品のみとさせていただいております。 ・録音、録画はご遠慮頂いております。 ・本イベントはEC、店頭でのご購入の両方でTポイント対象となりますが、ルクアポイントは店頭ご購入の場合のみ対象となります。
※※※ご購入前に必ず下記をご確認ください※※※
1. お支払い方法はクレジットカード決済のみとさせていただきます。 2. お申し込み完了後、梅田 蔦屋書店 ヤフー店よりご案内のメールをお送りいたします。 ≪≪メールは即時ではなく、確認にお時間を頂いております。≫≫ そのメールをイベント当日に会場(梅田 蔦屋書店 4thラウンジ)までプリントアウトしてご持参いただくか、携帯電話等でメール受信画面をご提示ください。 ※メールがエラーで戻ってきてしまう方がいらっしゃいます。ご登録のアドレスを今一度ご確認頂き、ご購入くださいませ。 3. 定員に達し次第、受付を終了させていただきます。 4. お客様都合によるキャンセルは承っておりません。あらかじめご了承ください。 5. オンラインストアでの受付は 2017年11月23日(木)まで
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robertfrank2017kobe · 7 years ago
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写真を見ること—ロバート・フランク『The Americans』を中心に(林田 新/写真論・写真史・京都造形芸術大学専任講師)
(註:本テキストは、展覧会開催に先立ち運営スタッフに向けて行われたレクチャーの内容を、同スタッフがウェブサイト掲載用に再編集したものです)
ロバート・フランクについて話す前に、みなさんにまずご自分が美術館やギャラリーに展覧会を見に行ったときのことを思い浮かべてほしい。そのとき、みなさんがひとつの作品を鑑賞するのにかける時間はどのくらいだろうか。
それぞれ思い浮かべていただいたところで、少々驚きのこんなデータをお伝えしたい。展覧会に来た観客がひとつの作品を見るのにかける時間は、実はわずか15秒程度だといわれている。もちろん個人差はあるし、作品によっても異なってくるのだが、平均するとその程度だという。対して作品そのものではなくそれに付いているキャプションを見る時間はもっと長い。鑑賞者の多くは、作品自体よりもキャプションに時間をかけて眺めているのである。
 美術館に足を運ぶ人であっても意外と作品を見ていない。展覧会を準備する際には、作品や作家についての知識や情報だけでなく、作品そのものをしっかりと見ることが大切なのは言うまでもない。
写真を見てみよう
 では、フランクが1958年に発表し出世作となった写真集『The Americans』に掲載されている写真を見ていこう。皆さんの中にはすでにロバート・フランクやこの写真集について勉強をして多くの知識を持っている人もいるかもしれないが、そういった事前情報は一旦取り払って、純粋に作品を見ることに注力してほしい。
 《Santa Fe, New Mexico》とだけキャプションが付けられた写真である。何が写っているだろうか?あるいは、どんなことに気づくだろうか?写真を見て気がついたこと、感じたことを話してみよう。
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Robert Frank, Santa Fe, New Mexico, from the book The Americans(1959 ) © Robert Frank
〈聴講者からの意見〉
-  周りに誰もいない。人間は写っていない。 -  ガソリン・スタンドがある。 -  ガソリン・スタンド以外に大きな障害物はなく、画面下には荒涼とした土地が、画面上には広々とした空が写っている。 -  アメリカのロード・ムービーに出てきそうな景色である。 -  給油機のシルエットが人に似ていて、「SAVE」と書かれた看板と相まって助けを求めているように見える。 -  地平線が傾いていて不安定な感じがする。 -  物体を正面から捉えていない。 -  轍がある。つまり車が通った痕跡がある。
 皆さんが話してくれたことに共通しているのは、寂しいであるとか、不安定であるとか、荒涼としている、といったイメージだといえそうである。
 この写真は横位置で撮られている。写真を撮るとき、縦位置にするか横位置にするかで、強調されるものが変わってくる。一般に縦位置の写真では高さが、横位置では空間的な左右の広がりが強調される。「荒涼とした土地」といった印象は、そこから来ていると言える。またこの写真に写っているガソリン・スタンドとは、目的地というよりは、移動の途中に経由する場所、束の間、立ち止まる場所である。
 そうするとこの横位置の写真では、横方向に轍が走っていることも手伝って、このガソリン・スタンドを中継地点にかつて来た場所と次に行く場所、すなわち過去と未来が示唆されている。過去にいた場所と今から向かう場所のそのあわい。束の間の現在に立つ「SAVE」と書かれた看板。実際にはうっすらと「GAS」という文字列も見え、元々は「ガソリンを節約してね」という意味だが、いまや「SAVE」つまり「救済」の言葉だけがやけに克明に、来し方行く末のあわいの荒涼とした現在の中に宙吊りにされている。
ロバート・フランクと『The Americans』
 次にロバート・フランクの経歴を簡単に振り返っておこう。ロバート・フランクは、1924年にスイスに生まれた。母がスイス人、父はドイツ国籍だったがユダヤ人で、戦争の影響で父子はドイツ国籍を失い、ロバートはスイス市民権を取得することとなる。
 1947年に渡米。最初の頃はファッション写真などを中心に撮っていたが、1955年、グッゲンハイム財団の奨学金を受けアメリカ横断の旅をする。道中、27,000枚にのぼる写真を撮り、そこから選び抜いた83枚を写真集『The Americans』として1958年に出版した。本作は出版当初は批判を受けもしたが、徐々に評価を獲得し、のちにフランクの代名詞とでもいうべき写真集となった。その後、彼は映画を中心に制作するようになる。
 さて、『The Americans』とはどのような写真集だったのか。形式面について述べると、ジャック・ケルアックによる序文の部分を覗いた全てのページが、見開きの片側に写真が一枚、もう片側にはごく簡単なキャプションがレイアウトされるという構成に統一されている。見開きに写真を二枚並べて配置すると、読者はどうしてもその二枚を一組として見ることになる。フランクはそれを避けるため、見開きに一枚ずつ写真を配置した。
 この本の編集にあたってフランクが腐心したのは写真集全体の構成であった。写真集という形式をとる限り、そこには複数枚の写真が掲載されることになる。しかもよりも明確に順番が固定されている。必ず始まりがあって、終わりがある。そのことを意識して彼は27,000枚という膨大な数の中から83枚を選択し、写真集に纏めたのである。
 フランクの写真を考える上で重要なのは、一枚の写真そのものだけではなくシークエンス、すなわち写真と写真の連なりなのである。先にも述べたようにフランクは60年代にはもっぱら映画制作に注力するが、���画もまさにシークエンスが鍵となる表現である。
 以上を踏まえて、次は別の作品を見てみよう。先ほどの《Santa Fe, New Mexico》のページをひとつめくると、《Bar—New York City》という写真が掲載されている。
〈聴講者からの意見〉
-  全体的に暗い。白黒写真であるためコントラストが強く明暗がはっきりしている。
-  横位置の画面の真ん中にジューク・ボックスがある。
-  しかし、ジューク・ボックスではないような撮られ方をしている。つまり、ジューク・ボックスという当時最先端の機械をそれらしく撮らず、なんとなくシニカルに捉えているように見える。
-  右側の人影が煙をくゆらせながら向かって右方向、つまりフレーム・アウトする向きに動いている。
-  映画『パリ、テキサス』を思い出すようなとてもアメリカ的な雰囲気を感じる。つまりアメリカ人自身が撮ったらこうはならない。美化された感じがある。
-  なつかしさを感じる。
 この写真は、先に見た《Santa Fe, New Mexico》の次に掲載されている。ぽつんと立つガソリン・スタンドが移動中に立ちよる束の間の場所だったことと相まって、このダイナーが、移動の途中に通過するひとつの場所として見えてくる。そこには止まっている人もいれば動いている人もいる。かたやガソリンスタンドの看板が「SAVE」という言葉を発し、かたやジューク・ボックスが音楽を奏でる。二枚の写真の連なりから立ち現れてくるのは、人が行き交う空間の真ん中に佇む機械の孤独である。
 もう一枚見開きをめくって、次の写真《Elevator—Miami Beach》を見てみる。これまでの写真の連なりの内にこの写真を見ると、この写真にも留まるもの—ボタン近くの女性—と去るもの、もしくは移動していくもの—下りていく人々—の対比が見えてくる。ここも移動する場所のひとつなのである。
 以上から分かるように、フランクの写真というのは、写真の連なりによって前の写真に対する印象や記憶が次の写真へ伝染していく。この響き合い、ぶつかり合いが、見る人それぞれに様々な読み取りを可能にしていく。彼の写真についてのひととおりの正しい読み方はないフランク自身が、写真を見る読者がそれぞれ何を読み解いていくのかに賭けている。読者は明確に伝わってくる何かを受けとるというよりは、読者自身が写真自体を見てそこから色々なイメージや意味をビリヤードの球がぶつかりあうように広げていくこと、それがロバート・フランクの写真を見る私たちに期待されていることだといえよう。
当時のアメリカの状況
 さてここからは、1950年代当時のアメリカの状況を概観していこう。とくにフランクがアメリカ横断をした1955年から56年当時というのは、アメリカが今日の私たちがイメージするような「アメリカ」になった時期だといわれている。
 具体的な出来事をみていこう。まず1956年、アイゼンハウアー大統領により連邦補助高速道路法が施行され、州と州をつなぐ長いハイウェイが整備されることとなる。これを機に生まれたのが、主人公たちが開けた土地で颯爽と車を飛��していくような、いかにも「アメリカ」らしいロード・ムービーである。州間高速道路の整備と関連するところで���うと、55年には往年のロック・スター、エルヴィス・プレスリーがデビューしている。ロックンロールの時代の始まりである。一説によると、ロックンロールが流行った理由のひとつは州間高速道路を利用したトラック物流の増加であった。トラック運転手は長距離運転の際に眠気覚ましのためにロックを聞いていたという。真偽のほどは定かではないが、この時期にロックンロールが興隆したことは間違いない。
 また、マクドナルド・ハンバーガーがチェーン展開をスタートさせたのも1955年、ミスター・ドーナツについても同様である。これらも今日私たちが非常にアメリカらしいと感じるモティーフである。さらにはディズニー・ランドが開園したのも1955年であった。
 以上から明らかなように、1955年から56年というのはまさにアメリカの象徴といえるものが始まった時期だったのである。
 総じて50年代はゴールデン・エイジ、つまり輝かしい時代と称され、安いものを大量に作り大量に売る消費社会が始まると同時に、夢や魔法といった非物質的なイメージが実際のモノを凌駕するほどの力を持つようになっていきつつあった。
 少し異なった角度からの話をすると、1955年は公民権運動の始まりの年ともいわれる。この年に起きたモンゴメリー・バス・ボイコット事件をきっかけに公民権運動が盛り上がり、後にかの有名なキング牧師の演説につながることとなる。
 そんな時代に撮られたフランクの写真の持つ雰囲気は、輝かしいアメリカのイメージとはかけ離れたものであった。ノリノリのロックンロール・ミュージックに似つかわしくない孤独なジューク・ボックス。大型トラックが行き交うハイウェイと対比をなすぽつんと佇むガソリン・スタンド、浮遊する「SAVE」という言葉。こうした時代状況と対象的なフランクの写真は、アメリカの現状に批評的な眼差しを向けたものだという評価を得ることとなる。
写真史との関連①
 次に、写真史という枠組みの中で1950年代の状況を見ていこう。当時の写真を語る上で外せないのは、1936年から1972年まで刊行されたグラフ雑誌『LIFE』の存在である。これは当時非常に栄えていた雑誌文化—1950年代には徐々にテレビが普及し始めるが、依然雑誌が根強い支持を得ていた—を代表する雑誌である。
 『LIFE』誌面を飾った内容は私たちの周りの、いや世界中のあらゆる現象であった。それは日常生活であったり、地球の裏側で起こっている戦争であったり、また動物についてや工場の特集であったりした。対象を取材して得た情報を写真とテクストを組み合わせることで視覚的に読者に伝えること、それが『LIFE』の役割であった。
 そんな『LIFE』の記事の代表作がドキュメンタリー写真家、ユージン・スミスによる「Country Doctor(田舎のお医者さん)」(『LIFE』誌1948年9月20日号掲載)という記事である。順を追ってみていこう。
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 まず最初の見開き。右に向かって歩く男が写った横位置の写真があり、その上部に「Country Doctor」とタイトルがレイアウトされている。この歩行の向きは読者が英語の文章を読む流れと同じであり、ここに左から右への流れができる。するとこの男性の歩む方向性が、テクストの流れと一致することで、「帰ってくる」ではなく、どこかへ向かって歩いていくという意味、左は過去、右は未来という時間性を帯びる。
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 次の見開きでは、「彼は多くの分野の専門医でなくてはならない」という見出しがある。一番左側に配された写真の中の男は、読者の視線に添い、右向きである。それに対して一番右側の写真の中の彼は左を向いている。被写体が向かい合う左右の写真で真ん中の六枚の写真をサンドイッチのように挟む作りになっている。挟まれた小ぶりな六枚には色々な分野の仕事をする様子が紹介されている。読者の視線がそのまま真ん中にとどまってしまうが、右下に位置する写真に右を向く男の写真をレイアウトすることで読者を次のページへ促す。
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 三つ目の見開きには「休んでいる途中に急病人が出たため急いで駆けつける、休憩は中断される」という見出しがおどり、写真の大きさが小中大の順番でレイアウトされている。この配置には音楽でいうクレッシェンドの効果、つまり物語を盛り上げていく効果が期待できる。考えるに、この記事を撮影編集したスミスは見開き右側の一番大きい写真を強調したかったのだろう。この見開きでは、右側に左向きの人物を配置している。本来なら読者の視線を押し戻すことになるが、そのことによって、読者の視線をこの大きな写真に留まらせ、じっくりと見せようとしている。
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 その次の見開きでもまた様々な治療の様子が紹介されている。今度はレイアウトが上下に分かれたかたちになっており、先ほどの左右にシンメトリーになった見開きから変化がつけられている。その次には「一人の老人が夜中に急死」という見出しに、三つ目の見開きとは逆に大中小の順で写真が配置されている。そこに生まれるデクレッシェンドの効果が、写された老人の死、次第に生命が消えていく様をレイアウトでも表している。三つ目から五つ目の誌面構成に目を向けると、写真のサイズが小中大、一定、大中小と、ページを渡ってきれいにシンメトリーになっている。
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 締めくくりには「このコミュニティには彼しか医者がいないので、彼はプライベートな時間をほとんど奪われてしまう」というテクストとともに、家族の写真、街全体の写真、一人で休む医者の写真が配置されている。最後の写真における医者の視線は右向きになっている。記事自体はここで終わるが、彼の仕事はまだ未来へと向かっていく、ということが示唆されているのである。
 このように『LIFE』では、写真とテクストのレイアウトによって読者の視線を丹念に誘導し、そこで語られる物語を非常に分かりやすく、きっちり理解してもらえるように作られている。このような構成を持つ写真付きの読み物を、一般的にフォト・エッセイ、もしくはフォト・ストーリーという。
 それがどういうものかもう少し詳しく分かってもらうために、冒頭でロバート・フランクの写真を見たときを思い出してほしい。写真だけを提示されると、同じ写真でも見る人の知識や経験、記憶によって色々に見え、様々な解釈を生み出す。写真とは本来そういうものである。それに対して、フォト・エッセイは、写真にキャプションを付けたり写真の組み合わせを工夫したりすることによって、読者の写真の読み取りをあるひとつの方向に誘導していく。例えば三つ目の見開きでは見出しに「休んでいるところに急病人の知らせが入る」と書かれている。するともうこの写真がそのことを語っているようにしか見えなくなったのではないだろうか。こうしたフォト・エッセイが、当時のドキュメンタリー写真の基本的なレイアウトの仕方であり、主流であった。そんな時代にフランク写真が人々に与えた衝撃は想像に難くないだろう。
写真史との関連②
 もうひとつ、写真史上の重要な出来事を挙げておこう。それは1955年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で行われた写真展「The Family of Man(人間家族)」展である。企画・監修を務めたのは写真家でキュレーターでもあったエドワード・スタイケンである。同展は開催とともに評判を呼び、のちに世界中を巡回した。その影響力の大きさは2003年にはユネスコの世界記録遺産に登録されたという事実が物語っているだろう。現在はルクセンブルクにて永久展示されている。
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 展示された写真はこの展覧会用に撮られたものではなく、それまでに雑誌掲載のために撮られたものや、有名写真家によって撮られたものが中心であった。それらがスタイケンによって集められ、選択・レイアウト・展示された。
 スタイケンは本展で、世界中の全人類をひとつの家族に見立てことを試みた。展示構成は、人間が経験する日々の暮らしやライフイベントを、恋愛・結婚・出産・労働・音楽・踊り・食事・勉強・瞑想(宗教的な行為・祈り)・死・苦難・信仰に分類し、テーマ別に見せたのである。
 本展の背後には、ある種の普遍主義的な考え方があった。つまり、世界には多様な民族・部族が存在し、中には対立もあるが、恋愛・結婚・出産といったライフイベント、あるいは食事・労働・ダンスといった行為は、民族や人種を超えて人間みなが等しく行うという着想が、本展の骨子となっている。本展は、そうした被写体が写った写真を選択し、グループとして展示することで、全世界に向けて「人間は本質的にみな同じである」「人間はひとつの家族である」というメッセージを発信した。
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 展示方法はいわゆるホワイト・キューブを使った一般的なやり方とは異なり、例えば写真を弧になった壁面に展示したり、柱に立体的に展示したりしていた。またガラスの壁に作品を貼るようなこともした。ガラスに写真を展示することによって、ガラスの向こうにいる鑑賞者もまた、人間として展示の対象となる。あるいはダンスのセクションでは、輪になって踊っている人々の写真を床に円形に配置することで、それを見る観客が写真に写る人々と同じように輪になって鑑賞するようになる。勉強のセクションでは大学の講義の様子や小さい子が宿題をする様子、アインシュタインが研究する様子が並列され、人はみな同じという主張が強調される。終盤には原爆の写真を扱ったセクションもあり、原爆を人類全体が抱える問題として提示している。最後に展示されたのは国連の写真であった。ここには、人類が一丸となって諸問題に取り組んでいこうというような、まさにグローバリズムの走りといえる理念が読み取れる。本展はグローバリズム、ヒューマニズムの精神が存分に現れた展覧会だったのである。
 ただし実際の1955年当時というのはまだ冷戦期の只中で、世界は真っ二つに分かれていた。そのような東西対立が激しかった状況下で西側が「人類はひとつだ」とうたったのだと思うと、また少し違った印象が出てくるかもしれない。
 『LIFE』と「The Family of Man」展は、雑誌と展覧会という形式の違いこそあれ、共通した特徴を有している。それは、写真を効果的に組み合わせ、そこにキャプションを付けることによって、ひとつの大きな物語を語っているという点である。前者は「田舎のお医者さんはどのような毎日を過ごしているのか」という物語を、後者は「人類はこれまでどうやって生きてきて、これからどうやって生きていくのか」という物語をそれぞれ語るために、写真が用いられている。これが当時、一般的であった写真の組み方だったのである。
写真史を塗り替えた男の写真
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Robert Frank, Trolley—New Orleans, from the book The Americans(1959 ) © Robert Frank
 さて、以上を踏まえてふたたびフランクの『The Americans』に戻ることにしよう。《Trolley—New Orleans》という写真を見てほしい。撮られたのは公民権運動の少し前、バスの車内で白人席と黒人席が分かれている様子が写っている。その次にくる写真は《Canal Street—New Orleans》という一枚だが、この二枚にすぐに関連性が見いだせるだろうか?
 一枚目の《Trolley—New Orleans》がもし『LIFE』や「The Family of Man」展で取り上げられたならば、必ず写っている状況を説明するキャプションが付けられるだろうし、次に配置される写真は黒人差別についての物語が明確に示されるようなものになったであろう。
 しかし、『The Americans』にはそういった被写体を説明するキャプションはないし、次の写真との関連も明示されない。ここに私たちは何を見るのか。一通りの正解はない。むしろ、説明なしの写真の組み合わせから読者の読み解きに応じて、その都度、新しい意味が生まれてくる。上記の二枚の読み方の一例として、人の配置に注目してみるとする。《Trolley—New Orleans》の人の並びは一列で整然としている一方、《Canal Street—New Orleans》に写る人々は視線の方向が入り乱れている。またたくさんの人がいる中で一人だけ黒人女性の姿があることも、当時のバスの光景を写した前者との関係で強調されてくるかもしれない。
 このように、後者一枚だけで提示されると単なる群衆にしか見えていないものが、前者と関係付けることでそこに写る黒人女性の存在が際立ち、意味を帯びるのである。
 さらにその次の写真、《Rooming House—Bunker Hill, Los Angels》も加えてみるとどうだろうか。そこには階段の下、杖をつく老人が顔の見えない状態で写っている。これら三枚をどのように関連付けて読み取ることができるだろうか。繰り返しになるがそこに正解はない。ちょうど「この写真と掛けてこの写真と解く。その心は?」と、謎掛けのように答えを読者に考えさせるのが、ロバート・フランクの写真なのである。三枚の写真から孤独さを読み取るかもしれないし、特定の地域を思い浮かべるかもしれない。共通したモチーフや構図が連続した、あるいは離れた写真同士の間に見出される時は、それを手がかりにすることもできる。そのような前後の関係にとどまらない自由な連想によって、一枚の写真が一枚で完結せずに他の写真と様々に有機的に連鎖し、ぶつかりあうことで新しい意味や価値が生み出されていく。
おわりに
 ロバート・フランクの写真集は『LIFE』や「The Family of Man」 展といった当時の主流とは全く異なる写真の組み方がされている。後者を物語、フォト・エッセイだとすれば、フランクの写真は映像詩とでもいえるだろう。写真が並んでいて、そこから様々に連想し、見る人の頭のなかで様々にイメージを展開していく。そこでは、明確なストーリーが紡がれていくわけではなく、写真の響き合いにより様々に世界が展開していく。一枚一枚の写真が非常に私的な空気を帯びており、黄金期の「アメリカ」のイメージとは一見そぐわない疎外感を醸しだしている。私たちがそのような印象を受けるのは、フランク自身がスイスからの異邦人であることや、一度国籍を失った経験があること、そういった彼の寂しさを写真から読み取っているからかもしれない。
 ストリート=街や通りがスナップ写真のモチーフとして非常に豊かな可能性を潜在させていることを証明したこともまた、フランクの功績のひとつである。何気ないストリートが社会批評のトポスとなりえることや、個人的・主観的な内面をそこに投影できることに当時の人々は気づかされたのである。フランクはそうしたトポスとしてのストリートを発見したのであり、ストリート・スナップの可能性を切り開いたといえる。そういった意味で彼が後世に与えた影響は大きい。例えば日本の写真家である森山大道への影響は明らかである。1950年代当時、多くの写真家が出版社などどこか大きな組織のもとで活動していたときに、フランクはいわば一匹狼で写真を撮り続けた。どこかに所属しているカメラマンではない、アーティストとしての写真家の���りでもある。
 『The Americans』に収録された最後の一枚は、ともにアメリカ横断の旅をした家族が車に乗っている様子が写し出されている。それは、『The Americans』が当時のアメリカ社会に対する批評であると同時に、フランク個人のプライベートな旅行の記録であること、つまり、個人と社会が結びついた写真集であるということではないだろうか。
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sumihayashi · 7 years ago
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写真を見ること—ロバート・フランク『The Americans』を中心に(林田 新/写真論・写真史・京都造形芸術大学専任講師)
(註:本テキストは、展覧会開催に先立ち運営スタッフに向けて行われたレクチャーの内容を、同スタッフがウェブサイト掲載用に再編集したものです)
ロバート・フランクについて話す前に、みなさんにまずご自分が美術館やギャラリーに展覧会を見に行ったときのことを思い浮かべてほしい。そのとき、みなさんがひとつの作品を鑑賞するのにかける時間はどのくらいだろうか。
それぞれ思い浮かべていただいたところで、少々驚きのこんなデータをお伝えしたい。展覧会に来た観客がひとつの作品を見るのにかける時間は、実はわずか15秒程度だといわれている。もちろん個人差はあるし、作品によっても異なってくるのだが、平均するとその程度だという。対して作品そのものではなくそれに付いているキャプションを見る時間はもっと長い。鑑賞者の多くは、作品自体よりもキャプションに時間をかけて眺めているのである。
 美術館に足を運ぶ人であっても意外と作品を見ていない。展覧会を準備する際には、作品や作家についての知識や情報だけでなく、作品そのものをしっかりと見ることが大切なのは言うまでもない。
写真を見てみよう
 では、フランクが1958年に発表し出世作となった写真集『The Americans』に掲載されている写真を見ていこう。皆さんの中にはすでにロバート・フランクやこの写真集について勉強をして多くの知識を持っている人もいるかもしれないが、そういった事前情報は一旦取り払って、純粋に作品を見ることに注力してほしい。
 《Santa Fe, New Mexico》とだけキャプションが付けられた写真である。何が写っているだろうか?あるいは、どんなことに気づくだろうか?写真を見て気がついたこと、感じたことを話してみよう。
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Robert Frank, Santa Fe, New Mexico, from the book The Americans (1959 ) © Robert Frank
〈聴講者からの意見〉
-  周りに誰もいない。人間は写っていない。 -  ガソリン・スタンドがある。 -  ガソリン・スタンド以外に大きな障害物はなく、画面下には荒涼とした土地が、画面上には広々とした空が写っている。 -  アメリカのロード・ムービーに出てきそうな景色である。 -  給油機のシルエットが人に似ていて、「SAVE」と書かれた看板と相まって助けを求めているように見える。 -  地平線が傾いていて不安定な感じがする。 -  物体を正面から捉えていない。 -  轍がある。つまり車が通った痕跡がある。
 皆さんが話してくれたことに共通しているのは、寂しいであるとか、不安定であるとか、荒涼としている、といったイメージだといえそうである。
 この写真は横位置で撮られている。写真を撮るとき、縦位置にするか横位置にするかで、強調されるものが変わってくる。一般に縦位置の写真では高さが、横位置では空間的な左右の広がりが強調される。「荒涼とした土地」といった印象は、そこから来ていると言える。またこの写真に写っているガソリン・スタンドとは、目的地というよりは、移動の途中に経由する場所、束の間、立ち止まる場所である。
 そうするとこの横位置の写真では、横方向に轍が走っていることも手伝って、このガソリン・スタンドを中継地点にかつて来た場所と次に行く場所、すなわち過去と未来が示唆されている。過去にいた場所と今から向かう場所のそのあわい。束の間の現在に立つ「SAVE」と書かれた看板。実際にはうっすらと「GAS」という文字列も見え、元々は「ガソリンを節約してね」という意味だが、いまや「SAVE」つまり「救済」の言葉だけがやけに克明に、来し方行く末のあわいの荒涼とした現在の中に宙吊りにされている。
  ロバート・フランクと『The Americans』
 次にロバート・フランクの経歴を簡単に振り返っておこう。ロバート・フランクは、1924年にスイスに生まれた。母がスイス人、父はドイツ国籍だったがユダヤ人で、戦争の影響で父子はドイツ国籍を失い、ロバートはスイス市民権を取得することとなる。
 1947年に渡米。最初の頃はファッション写真などを中心に撮っていたが、1955年、グッゲンハイム財団の奨学金を受けアメリカ横断の旅をする。道中、27,000枚にのぼる写真を撮り、そこから選び抜いた83枚を写真集『The Americans』として1958年に出版した。本作は出版当初は批判を受けもしたが、徐々に評価を獲得し、のちにフランクの代名詞とでもいうべき写真集となった。その後、彼は映画を中心に制作するようになる。
 さて、『The Americans』とはどのような写真集だったのか。形式面について述べると、ジャック・ケルアックによる序文の部分を覗いた全てのページが、見開きの片側に写真が一枚、もう片側にはごく簡単なキャプションがレイアウトされるという構成に統一されている。見開きに写真を二枚並べて配置すると、読者はどうしてもその二枚を一組として見ることになる。フランクはそれを避けるため、見開きに一枚ずつ写真を配置した。
 この本の編集にあたってフランクが腐心したのは写真集全体の構成であった。写真集という形式をとる限り、そこには複数枚の写真が掲載されることになる。しかもよりも明確に順番が固定されている。必ず始まりがあって、終わりがある。そのことを意識して彼は27,000枚という膨大な数の中から83枚を選択し、写真集に纏めたのである。
 フランクの写真を考える上で重要なのは、一枚の写真そのものだけではなくシークエンス、すなわち写真と写真の連なりなのである。先にも述べたようにフランクは60年代にはもっぱら映画制作に注力するが、映画もまさにシークエンスが鍵となる表現である。 
 以上を踏まえて、次は別の作品を見てみよう。先ほどの《Santa Fe, New Mexico》のページをひとつめくると、《Bar—New York City》という写真が掲載されている。
〈聴講者からの意見〉
-  全体的に暗い。白黒写真であるためコントラストが強く明暗がはっきりしている。
-  横位置の画面の真ん中にジューク・ボックスがある。
-  しかし、ジューク・ボックスではないような撮られ方をしている。つまり、ジューク・ボックスという当時最先端の機械をそれらしく撮らず、なんとなくシニカルに捉えているように見える。
-  右側の人影が煙をくゆらせながら向かって右方向、つまりフレーム・アウトする向きに動いている。
-  映画『パリ、テキサス』を思い出すようなとてもアメリカ的な雰囲気を感じる。つまりアメリカ人自身が撮ったらこうはならない。美化された感じがある。
-  なつかしさを感じる。
 この写真は、先に見た《Santa Fe, New Mexico》の次に掲載されている。ぽつんと立つガソリン・スタンドが移動中に立ちよる束の間の場所だったことと相まって、このダイナーが、移動の途中に通過するひとつの場所として見えてくる。そこには止まっている人もいれば動いている人もいる。かたやガソリンスタンドの看板が「SAVE」という言葉を発し、かたやジューク・ボックスが音楽を奏でる。二枚の写真の連なりから立ち現れてくるのは、人が行き交う空間の真ん中に佇む機械の孤独である。
 もう一枚見開きをめくって、次の写真《Elevator—Miami Beach》を見てみる。これまでの写真の連なりの内にこの写真を見ると、この写真にも留まるもの—ボタン近くの女性—と去るもの、もしくは移動していくもの—下りていく人々—の対比が見えてくる。ここも移動する場所のひとつなのである。
 以上から分かるように、フランクの写真というのは、写真の連なりによって前の写真に対する印象や記憶が次の写真へ伝染していく。この響き合い、ぶつかり合いが、見る人それぞれに様々な読み取りを可能にしていく。彼の写真についてのひととおりの正しい読み方はないフランク自身が、写真を見る読者がそれぞれ何を読み解いていくのかに賭けている。読者は明確に伝わってくる何かを受けとるというよりは、読者自身が写真自体を見てそこから色々なイメージや意味をビリヤードの球がぶつかりあうように広げていくこと、それがロバート・フランクの写真を見る私たちに期待されていることだといえよう。
  当時のアメリカの状況
 さてここからは、1950年代当時のアメリカの状況を概観していこう。とくにフランクがアメリカ横断をした1955年から56年当時というのは、アメリカが今日の私たちがイメージするような「アメリカ」になった時期だといわれている。
 具体的な出来事をみていこう。まず1956年、アイゼンハウアー大統領により連邦補助高速道路法が施行され、州と州をつなぐ長いハイウェイが整備されることとなる。これを機に生まれたのが、主人公たちが開けた土地で颯爽と車を飛ばしていくような、いかにも「アメリカ」らしいロード・ムービーである。州間高速道路の整備と関連するところでいうと、55年には往年のロック・スター、エルヴィス・プレスリーがデビューしている。ロックンロールの時代の始まりである。一説によると、ロックンロールが流行った理由のひとつは州間高速道路を利用したトラック物流の増加であった。トラック運転手は長距離運転の際に眠気覚ましのためにロックを聞いていたという。真偽のほどは定かではないが、この時期にロックンロールが興隆したことは間違いない。
 また、マクドナルド・ハンバーガーがチェーン展開をスタートさせたのも1955年、ミスター・ドーナツについても同様である。これらも今日私たちが非常にアメリカらしいと感じるモティーフである。さらにはディズニー・ランドが開園したのも1955年であった。
 以上から明らかなように、1955年から56年というのはまさにアメリカの象徴といえるものが始まった時期だったのである。
 総じて50年代はゴールデン・エイジ、つまり輝かしい時代と称され、安いものを大量に作り大量に売る消費社会が始まると同時に、夢や魔法といった非物質的なイメージが実際のモノを凌駕するほどの力を持つようになっていきつつあった。
 少し異なった角度からの話をすると、1955年は公民権運動の始まりの年ともいわれる。この年に起きたモンゴメリー・バス・ボイコット事件をきっかけに公民権運動が盛り上がり、後にかの有名なキング牧師の演説につながることとなる。
 そんな時代に撮られたフランクの写真の持つ雰囲気は、輝かしいアメリカのイメージとはかけ離れたものであった。ノリノリのロックンロール・ミュージックに似つかわしくない孤独なジューク・ボックス。大型トラックが行き交うハイウェイと対比をなすぽつんと佇むガソリン・スタンド、浮遊する「SAVE」という言葉。こうした時代状況と対象的なフランクの写真は、アメリカの現状に批評的な眼差しを向けたものだという評価を得ることとなる。
  写真史との関連①
 次に、写真史という枠組みの中で1950年代の状況を見ていこう。当時の写真を語る上で外せないのは、1936年から1972年まで刊行されたグラフ雑誌『LIFE』の存在である。これは当時非常に栄えていた雑誌文化—1950年代には徐々にテレビが普及し始めるが、依然雑誌が根強い支持を得ていた—を代表する雑誌である。
 『LIFE』誌面を飾った内容は私たちの周りの、いや世界中のあらゆる現象であった。それは日常生活であったり、地球の裏側で起こっている戦争であったり、また動物についてや工場の特集であったりした。対象を取材して得た情報を写真とテクストを組み合わせることで視覚的に読者に伝えること、それが『LIFE』の役割であった。
  そんな『LIFE』の記事の代表作がドキュメンタリー写真家、ユージン・スミスによる「Country Doctor(田舎のお医者さん)」(『LIFE』誌1948年9月20日号掲載)という記事である。順を追ってみていこう。
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 まず最初の見開き。右に向かって歩く男が写った横位置の写真があり、その上部に「Country Doctor」とタイトルがレイアウトされている。この歩行の向きは読者が英語の文章を読む流れと同じであり、ここに左から右への流れができる。するとこの男性の歩む方向性が、テクストの流れと一致することで、「帰ってくる」ではなく、どこかへ向かって歩いていくという意味、左は過去、右は未来という時間性を帯びる。
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 次の見開きでは、「彼は多くの分野の専門医でなくてはならない」という見出しがある。一番左側に配された写真の中の男は、読者の視線に添い、右向きである。それに対して一番右側の写真の中の彼は左を向いている。被写体が向かい合う左右の写真で真ん中の六枚の写真をサンドイッチのように挟む作りになっている。挟まれた小ぶりな六枚には色々な分野の仕事をする様子が紹介されている。読者の視線がそのまま真ん中にとどまってしまうが、右下に位置する写真に右を向く男の写真をレイアウトすることで読者を次のページへ促す。
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 三つ目の見開きには「休んでいる途中に急病人が出たため急いで駆けつける、休憩は中断される」という見出しがおどり、写真の大きさが小中大の順番でレイアウトされている。この配置には音楽でいうクレッシェンドの効果、つまり物語を盛り上げていく効果が期待できる。考えるに、この記事を撮影編集したスミスは見開き右側の一番大きい写真を強調したかったのだろう。この見開きでは、右側に左向きの人物を配置している。本来なら読者の視線を押し戻すことになるが、そのことによって、読者の視線をこの大きな写真に留まらせ、じっくりと見せようとしている。
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 その次の見開きでもまた様々な治療の様子が紹介されている。今度はレイアウトが上下に分かれたかたちになっており、先ほどの左右にシンメトリーになった見開きから変化がつけられている。その次には「一人の老人が夜中に急死」という見出しに、三つ目の見開きとは逆に大中小の順で写真が配置されている。そこに生まれるデクレッシェンドの効果が、写された老人の死、次第に生命が消えていく様をレイアウトでも表している。三つ目から五つ目の誌面構成に目を向けると、写真のサイズが小中大、一定、大中小と、ページを渡ってきれいにシンメトリーになっている。
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 締めくくりには「このコミュニティには彼しか医者がいないので、彼はプライベートな時間をほとんど奪われてしまう」というテクストとともに、家族の写真、街全体の写真、一人で休む医者の写真が配置されている。最後の写真における医者の視線は右向きになっている。記事自体はここで終わるが、彼の仕事はまだ未来へと向かっていく、ということが示唆されているのである。
 このように『LIFE』では、写真とテクストのレイアウトによって読者の視線を丹念に誘導し、そこで語られる物語を非常に分かりやすく、きっちり理解してもらえるように作られている。このような構成を持つ写真付きの読み物を、一般的にフォト・エッセイ、もしくはフォト・ストーリーという。
 それがどういうものかもう少し詳しく分かってもらうために、冒頭でロバート・フランクの写真を見たときを思い出してほしい。写真だけを提示されると、同じ写真でも見る人の知識や経験、記憶によって色々に見え、様々な解釈を生み出す。写真とは本来そういうものである。それに対して、フォト・エッセイは、写真にキャプションを付けたり写真の組み合わせを工夫したりすることによって、読者の写真の読み取りをあるひとつの方向に誘導していく。例えば三つ目の見開きでは見出しに「休んでいるところに急病人の知らせが入る」と書かれている。するともうこの写真がそのことを語っているようにしか見えなくなったのではないだろうか。こうしたフォト・エッセイが、当時のドキュメンタリー写真の基本的なレイアウトの仕方であり、主流であった。そんな時代にフランク写真が人々に与えた衝撃は想像に難くないだろう。
  写真史との関連②
 もうひとつ、写真史上の重要な出来事を挙げておこう。それは1955年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で行われた写真展「The Family of Man(人間家族)」展である。企画・監修を務めたのは写真家でキュレーターでもあったエドワード・スタイケンである。同展は開催とともに評判を呼び、のちに世界中を巡回した。その影響力の大きさは2003年にはユネスコの世界記録遺産に登録されたという事実が物語っているだろう。現在はルクセンブルクにて永久展示されている。
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 展示された写真はこの展覧会用に撮られたものではなく、それまでに雑誌掲載のために撮られたものや、有名写真家によって撮られたものが中心であった。それらがスタイケンによって集められ、選択・レイアウト・展示された。
 スタイケンは本展で、世界中の全人類をひとつの家族に見立てことを試みた。展示構成は、人間が経験する日々の暮らしやライフイベントを、恋愛・結婚・出産・労働・音楽・踊り・食事・勉強・瞑想(宗教的な行為・祈り)・死・苦難・信仰に分類し、テーマ別に見せたのである。
 本展の背後には、ある種の普遍主義的な考え方があった。つまり、世界には多様な民族・部族が存在し、中には対立もあるが、恋愛・結婚・出産といったライフイベント、あるいは食事・労働・ダンスといった行為は、民族や人種を超えて人間みなが等しく行うという着想が、本展の骨子となっている。本展は、そうした被写体が写った写真を選択し、グループとして展示することで、全世界に向けて「人間は本質的にみな同じである」「人間はひとつの家族である」というメッセージを発信した。
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 展示方法はいわゆるホワイト・キューブを使った一般的なやり方とは異なり、例えば写真を弧になった壁面に展示したり、柱に立体的に展示したりしていた。またガラスの壁に作品を貼るようなこともした。ガラスに写真を展示することによって、ガラスの向こうにいる鑑賞者もまた、人間として展示の対象となる。あるいはダンスのセクションでは、輪になって踊っている人々の写真を床に円形に配置することで、それを見る観客が写真に写る人々と同じように輪になって鑑賞するようになる。勉強のセクションでは大学の講義の様子や小さい子が宿題をする様子、アインシュタインが研究する様子が並列され、人はみな同じという主張が強調される。終盤には原爆の写真を扱ったセクションもあり、原爆を人類全体が抱える問題として提示している。最後に展示されたのは国連の写真であった。ここには、人類が一丸となって諸問題に取り組んでいこうというような、まさにグローバリズムの走りといえる理念が読み取れる。本展はグローバリズム、ヒューマニズムの精神が存分に現れた展覧会だったのである。
 ただし実際の1955年当時というのはまだ冷戦期の只中で、世界は真っ二つに分かれていた。そのような東西対立が激しかった状況下で西側が「人類はひとつだ」とうたったのだと思うと、また少し違った印象が出てくるかもしれない。
 『LIFE』と「The Family of Man」展は、雑誌と展覧会という形式の違いこそあれ、共通した特徴を有している。それは、写真を効果的に組み合わせ、そこにキャプションを付けることによって、ひとつの大きな物語を語っているという点である。前者は「田舎のお医者さんはどのような毎日を過ごしているのか」という物語を、後者は「人類はこれまでどうやって生きてきて、これからどうやって生きていくのか」という物語をそれぞれ語るために、写真が用いられている。これが当時、一般的であった写真の組み方だったのである。
  写真史を塗り替えた男の写真
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Robert Frank, Trolley—New Orleans, from the book The Americans (1959 ) © Robert Frank
 さて、以上を踏まえてふたたびフランクの『The Americans』に戻ることにしよう。《Trolley—New Orleans》という写真を見てほしい。撮られたのは公民権運動の少し前、バスの車内で白人席と黒人席が分かれている様子が写っている。その次にくる写真は《Canal Street—New Orleans》という一枚だが、この二枚にすぐに関連性が見いだせるだろうか?
 一枚目の《Trolley—New Orleans》がもし『LIFE』や「The Family of Man」展で取り上げられたならば、必ず写っている状況を説明するキャプションが付けられるだろうし、次に配置される写真は黒人差別についての物語が明確に示されるようなものになったであろう。
 しかし、『The Americans』にはそういった被写体を説明するキャプションはないし、次の写真との関連も明示されない。ここに私たちは何を見るのか。一通りの正解はない。むしろ、説明なしの写真の組み合わせから読者の読み解きに応じて、その都度、新しい意味が生まれてくる。上記の二枚の読み方の一例として、人の配置に注目してみるとする。《Trolley—New Orleans》の人の並びは一列で整然としている一方、《Canal Street—New Orleans》に写る人々は視線の方向が入り乱れている。またたくさんの人がいる中で一人だけ黒人女性の姿があることも、当時のバスの光景を写した前者との関係で強調されてくるかもしれない。
 このように、後者一枚だけで提示されると単なる群衆にしか見えていないものが、前者と関係付けることでそこに写る黒人女性の存在が際立ち、意味を帯びるのである。
 さらにその次の写真、《Rooming House—Bunker Hill, Los Angels》も加えてみるとどうだろうか。そこには階段の下、杖をつく老人が顔の見えない状態で写っている。これら三枚をどのように関連付けて読み取ることができるだろうか。繰り返しになるがそこに正解はない。ちょうど「この写真と掛けてこの写真と解く。その心は?」と、謎掛けのように答えを読者に考えさせるのが、ロバート・フランクの写真なのである。三枚の写真から孤独さを読み取るかもしれないし、特定の地域を思い浮かべるかもしれない。共通したモチーフや構図が連続した、あるいは離れた写真同士の間に見出される時は、それを手がかりにすることもできる。そのような前後の関係にとどまらない自由な連想によって、一枚の写真が一枚で完結せずに他の写真と様々に有機的に連鎖し、ぶつかりあうことで新しい意味や価値が生み出されていく。
  おわりに
 ロバート・フランクの写真集は『LIFE』や「The Family of Man」 展といった当時の主流とは全く異なる写真の組み方がされている。後者を物語、フォト・エッセイだとすれば、フランクの写真は映像詩とでもいえるだろう。写真が並んでいて、そこから様々に連想し、見る人の頭のなかで様々にイメージを展開していく。そこでは、明確なストーリーが紡がれていくわけではなく、写真の響き合いにより様々に世界が展開していく。一枚一枚の写真が非常に私的な空気を帯びており、黄金期の「アメリカ」のイメージとは一見そぐわない疎外感を醸しだしている。私たちがそのような印象を受けるのは、フランク自身がスイスからの異邦人であることや、一度国籍を失った経験があること、そういった彼の寂しさを写真から読み取っているからかもしれない。
 ストリート=街や通りがスナップ写真のモチーフとして非常に豊かな可能性を潜在させていることを証明したこともまた、フランクの功績のひとつである。何気ないストリートが社会批評のトポスとなりえることや、個人的・主観的な内面をそこに投影できることに当時の人々は気づかされたのである。フランクはそうしたトポスとしてのストリートを発見したのであり、ストリート・スナップの可能性を切り開いたといえる。そういった意味で彼が後世に与えた影響は大きい。例えば日本の写真家である森山大道への影響は明らかである。1950年代当時、多くの写真家が出版社などどこか大きな組織のもとで活動していたときに、フランクはいわば一匹狼で写真を撮り続けた。どこかに所属しているカメラマンではない、アーティストとしての写真家の走りでもある。
 『The Americans』に収録された最後の一枚は、ともにアメリカ横断の旅をした家族が車に乗っている様子が写し出されている。それは、『The Americans』が当時のアメリカ社会に対する批評であると同時に、フランク個人のプライベートな旅行の記録であること、つまり、個人と社会が結びついた写真集であるということではないだろうか。
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bsiokbe · 8 years ago
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5歳 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1761年:クラシック音楽作曲家)  最初の作曲を行う。ピアノ曲「アンダンテ ハ長調 K.1a」 。他に5曲作っている。   9歳 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1765年=9歳0か月:クラシック音楽作曲家)  最初の交響曲を初演。作曲は8歳の時。   出雲阿国(1581年:女芸能者、歌舞伎創始者)  9月(新暦の10月)に御所で「ややこ踊り」を演じた記録がある。この時、数えで8~11歳と記録されているので、7~10歳の間と考えられる。   10歳 フランシス・ドレーク(1553年:海賊、イギリス海軍提督)  この頃に家出し、近所に住む老船長の船に乗る。  のちに下層農民の身分から海軍提督にまで上り詰める。封建時代・絶対王制の西欧社会での一番の出世物語の始まり。   11歳 森鴎外(森林太郎/1873年=11歳7か月:医者、小説家)  東京帝国大学医学部予科へ入学。日本における最年少の大学入学記録。 マララ・ユスフザイ(2009年:平和人権活動家)  武装勢力タリバン支配地域の惨状を英BBCに匿名で投稿していたが、パキスタン政府が表彰のために本名を公開してしまった。  表彰のある講演会の会場にあらわれ、以降、本名での平和人権活動に変わる。同時にタリバンから命を狙われるようになる。   12歳 ベンジャミン・フランクリン(1718年:科学者、政治家)  10歳で学校を終えて兄の経営する印刷所(現在の出版社)で働き始める。  兄が政府批判の書籍を印刷した罪で投獄されると、12歳で編集長兼発行人を任される。 13歳 ミケランジェロ・ブオナローティ(1488年:美術家)  幼いの頃から絵画や彫刻に興味を示し、この年にドメニコ・ギルランダイオに弟子入りする。   ジュリエット・キャブレット(1595年:シェイクスピア著)  演劇「ロミオとジュリエット」   14歳 ジャンヌ・ダルク(1428年=14歳4か月:聖人)  大天使ミカエルの啓示を受け、オルレアンを訪れる。 マリー・アントワネット(1755年=14歳5か月:オーストリア大公王女、フランス王妃)  フランス王子ルイ15世と政略結婚させられる。 アン・サリヴァン(1880年=14歳5か月:ヘレン・ケラーの家庭教師)  病気で9歳の時に視力を失い、マサチューセッツ州にあるパーキンス盲学校に訓練のために入学する。  その後の手術が成功し、わずかながら視力は回復する。 坂井三郎(1933年=14歳8か月:戦闘機乗り、太平洋戦争の撃墜王)  飛行機を近くで見たいという一心で、周囲の反対を無視して海軍へ入隊する。 八百屋お七(1683年=数えでは16歳:八百屋の娘)  大火で避難した寺で会った男と再開したいため、放火未遂の罪を犯して火刑に処せられる。 大石主税良金(1703年=数えでは16歳:赤穂浪士)  大石内蔵助の息子。赤穂浪士の最年少。吉良邸討ち入り。切腹。   15歳 近藤勇(1849年=15歳1か月:幕末志士)  農民の子供であるが、武士を目指して剣術道場へ入門する。 マララ・ユスフザイ(2012年=15歳3か月:平和人権活動家)  中学からスクールバスで帰宅するところを武装勢力タリバンに襲撃され、頭部と首に銃弾を受ける重傷を負う。治療のためにイギリスへ渡る。 ジョン万次郎(1841年:漁師、翻訳家)  鳥島へ漂着して143日間のサバイバル生活を送る。  その後アメリカの捕鯨船に救助されるが、船長に気に入られてアメリカへ連れていかれた。 乃木希典(1865年:武士、軍人)  長州軍の一兵卒として初陣。幕府軍と戦う。   16歳 山下清(1938年=16歳9か月:放浪画家)  銀座にある画廊で初の個展を開催。画家として高い評価を受ける。 ニール・アームストロング(1947年=16歳10か月:宇宙飛行士)  ホロウェイ・プランという海軍入隊を前提とした奨学金制度を利用して、大学へ進学する。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1787年:クラシック音楽作曲家)  ウィーンへ旅行し、モーツァルトに弟子入りを求めるが断られる。 ウォルト・ディズニー(1917年:漫画家、実業家)  第一次世界大戦のフランスから復員。帰国後、漫画家として活動を始める。   フローレンス・ナイチンゲール(1837年=16歳8か月:看護師、統計学者)  生涯4度あったという神の啓示のうち、最初の啓示を受ける。この時はまだ啓示によって行動が変わることはなかった。   蝶々夫人(マダム・バタフライ/1904年:ジャコモ・プッチーニ作)  オペラ「蝶々夫人」。アメリカ海軍士官ピンカートンの現地妻になった歳。   17歳 手塚治虫(1946年=17歳2か月:漫画家)  4コマ漫画「マアチャンの日記帳」で漫画家デビュー。 マララ・ユスフザイ(2014年=17歳4か月:平和人権活動家)  史上最年少でのノーベル平和賞受賞。 ウラジーミル・レーニン(1887年=17歳8か月:革命家)  学生運動に参加したことで逮捕・投獄され、大学からも退学処分を受ける。  この投獄、監視中にカール・マルクスの資本論などを読みあさり、マルクス主義へ急速に傾倒していく。 マルコ・ポーロ(1271年:商人)  ヴェネチアからアジアの旅へ出発する。 伊達政宗(1584年:戦国大名)  武将としての素質を見抜いた父輝宗から、伊達家17代の家督を継承する。この時の父輝宗は40歳。 天草四郎時貞(1638年:キリスト教徒総大将)  島原の乱の首謀者として処刑される。生年不詳。17歳ぐらいとされる。   18歳 ヴィクトリア女王(アレクサンドリナ・ヴィクトリア/1837年=18歳0か月:イギリス女王)  前任のウィリアム4世の崩御により、イギリス女王となる。イギリス黄金期の象徴的存在。 山下清(1940年=18歳0か月:放浪画家)  徴兵検査がイヤで逃亡。放浪生活が始まる。(1954年まで) ビル・ゲイツ(1975年=18歳5か月:実業家)  ポール・アレンと共にトラフォデータ社を創設。同年にはハーバード大学を休学し、マイクロソフト社を創業する。 マザー・テレサ(アグネス・ボヤジュ/1929年=18歳8か月:カトリック教修道女)  インドのロレート修道会へ入会。この頃にダージリンで見たインドの貧民の生活に衝撃を受ける。 カール・フリードリッヒ・ガウス(1796年=18歳11か月:数学者)  正17角形の作図法を発見。この発見を機に数学者の道を進むことに決める。  またこの発見の前に統計手法として重要な「最小二乗法」も発見している。   19歳 中大兄皇子(645年:のちの天智天皇)  中臣鎌足とともにクーデターを起こし、蘇我入鹿を殺害した。ここから大化の改新が始まる。 ハインリッヒ・エドムント・ナウマン(1875年:地質学者)  明治政府に招かれて東京帝大の初代教授に就任する。  ナウマンに関する経歴には不明な点が多い。結果としての業績は大きいが、この時はまだミュンヘン大学の学部生だったという話もあるが……。 ハワード・ヒューズ(1925年:実業家)  前年の父の死により莫大な遺産を手にし、それを元に最初の事業として映画制作を始める。  のちに航空宇宙産業にも手を出し、「地球上の富の半分を持つ男」という二つ名を与えられる大実業家となる。   20歳 フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1829年=20歳1か月:クラシック音楽作曲家)  J.S.バッハの作品を再評価し、マタイ受難曲を死後初上演する。 ビル・ゲイツ(1975年=20歳2か月:実業家)  マイクロソフト社設立。 マザー・テレサ(アグネス・ボヤジュ/1931年=20歳9か月:カトリック教修道女)  誓願を立て、聖人になることを誓う。 アン・サリヴァン(1887年=20歳10か月:ヘレン・ケラーの家庭教師)  ヘレン・ケラーの家庭教師として、パーキンス盲学校から派遣される。  サリヴァンの派遣は、電話の発明者グラハム・ベルの仲介による。   ジョージ・H・W・ブッシュ(1944年:政治家、アメリカ第41代大統領)  太平洋戦争に攻撃機パイロットとして従軍したこの年、2回撃墜されるも生還している。 三島由紀夫(1955年:小説家、劇作家)  世界一周旅行中にギリシャで見た彫像に感化され、この頃からボディ���ルによる肉体改造を始める。   21歳 エルビス・プレスリー(1956年=21歳3か月:ロックミュージシャン)  前年サン・レコードからRCAへ移籍。その移籍1曲目で一気にブレイクする。 スティーブ・ジョブズ(1977年=21歳10か月:実業家)  アップル社設立。7か月前にApple Iを発表してパソコンを生み出す。それで得た資金を元手にした。 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1861年:クラシック音楽作曲家)  法務省に勤めながら、サンクトペテルブルグ音楽院に通い始める。 沖田総司(1863年:幕末志士)  新撰組1番隊隊長となる。この時、19歳という説もある。 ユージン・オーマンディ(1921年:ヴァイオリニスト、クラシック指揮者)  マネージャーに騙され、演奏旅行で来ていたニューヨークの街に無一文で放り出される。  糧を得るためにニューヨーク・キャピタル劇場管弦楽団のヴァイオリン奏者となり、腕を買われてその年の内にコンサートマスターになる。  アメリカンドリームを象徴する大出世譚の始まり。   22歳 フランツ・シューベルト(1819年=22歳0か月:クラシック音楽作曲家)  ピアノ五重奏曲「鱒」作曲。  この頃にシューベルトの音楽は一度完成の域に達し、以降、新しいスタイルを確立しようと苦悩する。  同じ頃に仲介者が起こしたトラブルに巻き込まれ、楽譜出版界から干されたに等しい扱いを受ける。  以降に作った歌曲以外の曲(オペラを含む)は、この時から20年以上(死後10年以上)一つも出版できなかった。  死の10年後、遺族を訪問したシューマンが楽譜を発見しなかったら、そのまま埋もれた作家になっていた可能性がある。 チャールズ・ダーウィン(1931年=22歳10か月:生物学者)  測量船ビーグル号に乗り、ここから5年間世界を旅する。 アレクサンダー3世(紀元前334年:マケドニア大王)  東方遠征を始める。2年後にはエジプト、3年後にはペルシャを征服する。   23歳 エイブラハム・リンカーン(1832年=23歳1か月:政治家)  義勇兵の身分のままイリノイ州議員選挙に立候補するが落選。2年後に初当選するとイリノイ州軍大尉になる。 毛沢東(1918年=23歳3か月:政治家、思想家)  師範学校卒業前に、学友たちと政治結社「新民学会」を創立。ここから1年間、共産主義について猛勉強する。 高杉晋作(1863年=23歳7か月:尊王の志士)  下関戦争で米仏から報復を受けた関門海峡の防衛を任される。 高杉晋作(1863年=23歳8か月:尊王の志士)  奇兵隊創設。 島崎藤村(1906年=23歳11か月:詩人、小説家)  長編小説「破戒」を自費出版。作家デビュー。 劉備(184年:三国志英雄)  黄巾の乱が起こり、関羽、張飛らと義勇軍を起こす。 福沢諭吉(1858年:蘭学者、啓蒙思想家)  蘭学塾「一小家塾」(のちの慶応義塾大学)を創立。 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1863年:クラシック音楽作曲家)  法務省を辞職し、音楽活動に専念��る。   24歳 小澤征爾(1959年=24歳0か月:クラシック音楽指揮者)  第9回ブザンソン国際音楽祭の指揮者部門でコンクール第1位となる。 吉田松陰(1854年=24歳7か月:長州藩士)  ロシア船に密航を企てるが失敗する。のちに松下村塾を起こす。 鳥山明(1980年=24歳8か月:漫画家) 「Dr.スランプ」連載開始。同年発売の第1巻は短期間に100万部を突破して話題となる。 チャールズ・チャップリン(1914年=24歳9か月:喜劇俳優)  映画「ヴェニスの子供自動車競走」で扮したチョビ髭の紳士の格好が受け、以降のスタイルを確立する。 ユージン・オーマンディ(1924年=24歳10か月:ヴァイオリニスト、クラシック指揮者)  指揮者デビュー。急病で倒れた指揮者の代役で、ニューヨーク・キャピタル劇場管弦楽団を指揮する。  これを機にバイオリン奏者から指揮者へ転向する。 ビル・ゲイツ(1980年:実業家)  MS-DOSを開発。   25歳 織田信長(1560年=25歳11か月:戦国武将)  桶狭間の戦いで今川軍を破り、天下取りに名乗りを挙げる。 アルフレッド・ヒッチコック(1925年:映画監督)  この時はまだ映画会社の広告デザイナーだったが、サイレント映画を監督するチャンスが与えられる。 ビル・ゲイツ(1980年:実業家)   IBMが自社パソコンに使うOSの独自開発に断念し、デジタルリサーチ社のCP/Mを採用しようとするが交渉が折り合わず不採用。  代わりにMS-DOSを採用され、ここから実業家としての大躍進が始まる。   アイザック・ニュートン(1668年:物理学者)  この頃、ペストの流行により故郷へ戻る。そこで万有引力、光学、微分積分学などの着想を次々と得る。「創造的休暇」の年。 毛沢東(1919年:政治家、思想家)  この年、帰郷して故郷の初等中学校で歴史教師をしていた。   26歳 パブロ・ピカソ(1907年=26歳0か月:画家)  抽象画の実験作「アビニヨンの娘たち」をマティス、ブラックなど一部の友人たちに公開。反応が良くないため、激しく落胆する。  ほぼ1年後にブラックも挑戦した抽象画を画廊で公開したところから抽象画の制作が始まる。 ナポレオン・ボナパルト(1795年=26歳2か月:軍人)  フランス軍の将軍に昇進する。兵学校を卒業して砲兵士官として任官してから10年での偉業。 長谷川町子(1946年=26歳3か月:漫画家)  福岡県の地方紙『夕刊フクニチ』にて「サザエさん」の連載開始。 マザー・テレサ(アグネス・ボヤジュ/1937年=26歳8か月:カトリック教修道女)  最終誓願を立てる。これより世界の貧困救済のための聖人生活が始まる。 クリスティアン・ホイヘンス(1655年=26歳10か月、天文学者、物理学者、数学者)  土星の衛星タイタンを発見。土星の周りに見えるものが環であることを発見。オリオン大星雲を発見しスケッチを残す。 アルバート・アインシュタイン(1905年:物理学者) 「特殊相対性理論」「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」等、5つの論文を提出する。「奇跡の年」。  なお、この時に提出した「特殊相対性理論」は大学側が理解できず、論文は受理されなかった。 スティーブ・ジョブズ(1981年:実業家)  IBMがパソコン市場に参入してきたため急速にシェアを奪われていく。対抗策としてLisaプロジェクトを立ち上げる。  ただし仲間との不和により翌年にはLisaプロジェクトからはずされ、別に立ち上げたMacintoshプロジェクトに専念する。   ジョン・F・ケネディ(1943年=26歳2か月:政治家、第35代アメリカ大統領)  魚雷艇の艇長としてソロモン諸島へ配属されて4か月目。駆逐艦「天霧」と衝突して海に投げ出される。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1802年:クラシック音楽作曲家)  この頃から難聴が始まる。ただし高音が聞き取れなくなる西欧人に多い遺伝病であって、完全に聴力が奪われたわけではない。   27歳 チェ・ゲバラ(1955年=27歳1か月:キューバ革命家)  亡命先のメキシコでフィデル・カストロと出会い意気投合。軍医としてゲリラ戦に参加することを決意する。 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1823年=27歳4か月:医師、博物学者)  鎖国中の日本へ来て、オランダ商館の医師となる。 クリスティアン・ホイヘンス(1656年=27歳8か月、天文学者、物理学者、数学者)  天文観測のために振り子時計を製作。  振り子時計はガリレオの発明だが、振り子の不規則な振動を抑えて実用化に成功する。 土方歳三(1863年=27歳10か月:幕末志士)  新撰組の前身となる壬生浪士組を結成する。 諸葛亮(諸葛孔明/208年:軍師)  赤壁の戦いでいくつもの奇計を講じて、10倍もの兵力差のあった曹操軍を退ける。  この時、曹操(53歳)、劉備(47歳)、孫権(26歳)、周瑜(33歳)。 湯川秀樹(1934年:物理学者) 「中間子理論構想」の論文を発表。   28歳 アーサー・コナン・ドイル(1887年=28歳7か月:小説家)  シャーロック・ホームズ・シリーズの第1作、「緋色の研究」を発表。 ヨハン・ゼバスチャン・バッハ(1714年=28歳10か月:クラシック音楽作曲家)  ヴァイマールの楽師長に就任。しかしお家騒動に巻き込まれて投獄されるハメになる。 フランシス・ドレーク(1568年:海賊、イギリス海軍提督)  乗船していた交易船がスペイン海軍の奇襲を受けて壊滅。これにより生涯続くスペインへの復讐心に火がつく。 宮本武蔵(1612年:剣豪)  巌流島で佐々木小次郎と戦う。生年には諸説あり、25歳~30歳の幅がある。 松平定信(1787年:大名、政治家)  徳川家斉のもとで家老となり、寛政の改革に着手する。 アルバート・アインシュタイン(1907年:物理学者) 「等価原理」を着想。これがのちの「一般相対性理論」になる。   ジミー・カーター(1953年:政治家、第39代アメリカ大統領)  父の死により勤めていた海軍を退役し、南部のピーナッツ農場の経営を引き継ぐ。政治家として活動を始めるのは35歳から。   29歳 グラハム・ベル(1876年=29歳0か月:発明家)  電話の実験に成功。最初の言葉は「ワトソン君、用事がある、ちょっと来てくれたまえ」。 ミケランジェロ・ブオナローティ(1504年=29歳6か月:美術家)  製作期間4年を経て、ダビデ像完成。 坂本龍馬(1867年=29歳7か月:土佐藩士)  亀山社中(のちの海援隊)を創設。事業経営を始める。 ゴータマ・シッダールタ(釈迦/年齢は特定されるが年代は不詳:宗教家、仏教創始者)  王宮を抜け出して出家。仙人修業を始める。 木曽義仲(1183年:平安武将)  1180年に挙兵。1183年7月に京都に入り、ついに念願の天下人となる。  しかし、それまでの戦乱と飢饉が重なったために治安を回復できず、そこから反撃を受けて一気に転落人生となり、翌年に討ち取られる。 ジェームス・ワット(1765年:技術者、発明家)  蒸気機関の発明に成功する。ただし資金難で実用化まで10年以上かかる。 ハワード・ヒューズ(1935年:実業家)  航空産業に乗り出し、ヒューズ・エアクラフト社を創設。同年、偽名でアメリカン航空へもぐりこみ、パイロットをやっている。   30歳 スティーブ・ジョブズ(1985年=30歳0か月:実業家)  30歳の誕生日。アップル社の取締役会によって、創業者でありながらアップル社から追放されてしまう。  3か月後にNeXT社を立ち上げ、のちのMacOSXとなるOSの開発を始める。 ビル・ゲイツ(1985年=30歳0か月:実業家)  Windows発表。前年に発表されたMasOSが自社パソコン専用だったのに対して汎用であったため、5年でOSの市場占有率第1位となる。 徳川慶喜(1868年=30歳2か月:徳川第15代将軍)  大政奉還。 坂本龍馬(1866年=30歳2か月:土佐藩士)  西郷隆盛、桂小五郎(のちの木戸孝允)を説き伏せ、薩長同盟を成立させる。 スティーブ・ジョブズ(1986年=30歳11か月:実業家)  ルーカスフィルム社のコンピューター部門を買収し、CG映画会社ピクサーを立ち上げる。 フランシス・ドレーク(1570年:海賊、イギリス海軍提督)  2年前に受けた恨みから、スペイン船を狙った海賊活動を始める。 出雲阿国(1603年:女芸能者、歌舞伎創始者)  春に「かぶき踊り」を上演。世界初の歌劇上演記録で、のちの歌舞伎となる。歌舞伎は1600年には演じられていた可能性がある。  当初の歌舞伎は女優のみが歌って踊る「宝塚歌劇」に似た構成だった。  ただし歌舞伎を風俗業界がこぞって真似た影響で、半世紀後には女性が演じることを禁じられ、以降は野郎歌舞伎のみとなった。 トーマス・エジソン(1877年:発明家、実業家)  蓄音機を開発し、発明家としての名声を得る。 アンドリュー・カーネギー(1865年頃:実業家)  通信技師として就職したペンシルベニア鉄道を退職。実業家として歩み出す。  鉄道会社にいた時代に橋が木製から鋼鉄製へ変わると予想して鉄橋会社を設立。製鉄事業の拡大に乗り出す。 ジークムント・フロイト(1886年:精神科医、精神学者)  ウィーンで精神科医院を開業。ここで実践した治療法より精神分析を確立する。 アガサ・クリスティ(1920年:小説家)  作家デビュー。デビュー作は「スタイルズ荘の怪事件」   31歳 ジョン・レノン(1971年=31歳0か月:シンガーソングラ���ター)  楽曲「イマジン」発表。 足利尊氏(1336年:室町幕府初代将軍)  南北朝の動乱を鎮め、室町幕府を確立する。名実ともに認められるのは1338年。 手塚治虫(1961年=31歳4か月:漫画家)   奈良県立医大で医学博士の学位を取る。 手塚治虫(1961年=31歳7か月:漫画家)  手塚動画プロダクション(のちの「虫プロダクション」)創設。 中臣鎌足(645年:政治家)  中大兄皇子とともにクーデターを起こし、蘇我入鹿を殺害した。のちに藤原姓を名乗る。 ユージン・オーマンディ(1931年:ヴァイオリニスト、クラシック指揮者)  病欠したトスカニーニの代役で、フィラデルフィア管弦楽団定期公演を指揮。  この指揮ぶりが評価されて、ミネアポリス交響楽団(現、ミネソタ管弦楽団)の常任指揮者に就任する。   ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1802年:クラシック音楽作曲家)  この頃に悪化した難聴に悩み、自殺を考えていたらしい。   32歳 アドルフ・ヒトラー(1921年=32歳3か月:政治家)  所属政党名を国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に改名し、党首となる。 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1788年=32歳6か月:クラシック音楽作曲家)  三大交響曲(39番~41番)を作曲。この完成度に満足したの��、これ以降は交響曲を作曲していない。 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1828年=32歳8か月:医師、博物学者)  季節はずれの台風により、シーボルト事件発生。 トーマス・エジソン(1877年=32歳8か月:発明家、実業家)  エジソン電球(白熱電球)を開発。 アーネスト・トンプソン・シートン(1892年:画家、動物学者)  動物専門の画家としてのかたわら、動物に関する専門書や手記を書き始める。この手記が日本で「シートン動物記」として編纂される。   33歳 ジョージ・ルーカス(1977年=33歳0か月:映画監督)  映画「スター・ウォーズ」公開。 ミケランジェロ・ブオナローティ(1508年:美術家)  バチカン宮殿システィーナ礼拝堂の天井画制作を命じられる。 ジェームズ・クラーク・マクスウェル(1864年:理論物理学者)  古典電磁気学を確立する。この理論で電磁波を予想し、それまでオカルト扱いだった電波の実用化に道を作る。 アーネスト・トンプソン・シートン(1893年:画家、動物学者)  アメリカの実業家からの依頼でニューメキシコへ行く。そこで「狼王ロボ」の元となる狼と出会う。   34歳 フローレンス・ナイチンゲール(1854年=34歳6か月:看護師、統計学者)  クリミア戦争で看護師として従軍中、生涯3度目の神の啓示を受ける。  以降、戦場病院の補給状況と看護状態の改善に努め、最大42%あった死亡率を翌年には2%まで減らすことに成功する。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1804年=34歳11か月:クラシック音楽作曲家)  唯一のオペラ「フィデリオ」を上演。  ただしベートーヴェンの付けたタイトルは「レオノーレ」だったが、それを劇場支配人が勝手に「フィデリオ」へ変えてしまった。  そのことへの抵抗か、ベートーヴェンは序曲「レオノーレ」を5度にわたって作曲している。  現在、もっとも演奏されているのは序曲「レオノーレ」第3番。 ウィリアム・ハーシェル(1773年:クラシック音楽家、天文学者)  数学への興味が高じて始めた天文学を、この頃から本格的に研究するようになる。  この頃のハーシェルは人気のオルガン奏者(本職はヴァイオリン)で、交響曲も20曲以上(最終的に24曲)作っていた。   35歳 ナポレオン・ボナパルト(1804年=35歳3か月:軍人)  フランスの皇帝となる。 フィンセント・ヴァン・ゴッホ(1888年4か月:画家)  名作「ひまわり」の1作目に着手する。  この半年前に精神病から耳を切り落としている。 フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1844年=35歳7か月:クラシック音楽作曲家)  名曲、ヴァイオリン協奏曲ホ短調完成。曲の着想から6年をかけていた。 ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1942年=35歳5か月:クラシック音楽作曲家)  交響曲第7番「レニングラード」世界初演。戦時中のソ連のプロパガンダ曲という評価がある。  のちにマイクロフィルムに納めたこの楽譜をめぐって、連合軍とドイツ軍が奪い合う事件が起こる。   36歳 ウォルト・ディズニー(1937年=36歳0か月:漫画家、実業家)  長編アニメ「白雪姫」公開。 ウィルバー・ライト(1903年=36歳8か月:発明家/自転車屋)  世界初の動力飛行に成功。弟オーヴィルは32歳。 安藤広重(歌川広重/1833年:浮世絵師)  東海道五十三次作成。前年に京都まで往復の旅をする機会を得ていた。 川端康成(1935年:小説家)  小説「雪国」を発表。同作品は1968年にノーベル賞を受ける。   37歳 フランシス・ドレーク(1580年=37歳6か月:海賊、イギリス海軍提督)  エリザベス女王に謁見。海賊行為で集めた30万ポンド以上の金銀財宝を献上。その功績によりサーの称号を受け貴族となる。  農民の子から貴族へと出世した、絶対王政時代の最高の出世物語。 ニコラウス・コペルニクス(1510年:天文学者) 「太陽中心説」(地動説)を初めて公言する。   38歳 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1818年=38歳0か月:クラシック音楽作曲家)  田園交響曲(第6番)と運命交響曲(第5番)を同時初演する。  初演は田園交響曲の方が先であったため、当初はそちらが第5番と番号が振られていた。 夏目漱石(1905年=38歳11か月:小説家)  作家デビュー。デビュー作は「吾輩は猫である」 ジャン・アンリ・ファーブル(1861年:生物学者)  研究の資金稼ぎのために昆虫の研究を休み、アカネから染料を取り出す研究に没頭。染料を精製する技術開発に成功する。  しかし先にドイツの企業に染料の人工合成に成功され、事業化には失敗する。 ユージン・オーマンディ(1938年:ヴァイオリニスト、クラシック指揮者)  前任者ストコフスキーの辞任により、フィラデルフィア管弦楽団音楽監督に就任。以降人気指揮者として在任期間42年の最長記録を打ち立てる。 ビル・ゲイツ(1994年:実業家)  Windowsの大成功により、この年より14年間世界一の億万長者となる。   39歳 田中角栄(1957年=39歳2か月:政治家)  郵政大臣就任。戦後初の30代大臣。 グラハム・ベル(1887年=39歳11か月:発明家)  旧知のヘレン・ケラーの家庭教師として、アン・サリヴァンを推薦する。サリヴァンが家庭教師として赴任したのは、ベルの40歳の誕生日だった。 フェルディナンド・マゼラン(1519年:生年不詳、1480年頃とされる/冒険家)  世界一周航海へ出港。翌々年、フィリピンで戦死する。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1810年:クラシック音楽作曲家)  初演時の「フィデリオ」の名前でオペラの楽譜が出版される。ベートーヴェンはあくまで自分の付けた「レオノーレ」で出したかった。   40歳 ジェームス・ワット(1776年=40歳0か月:技術者、発明家)  蒸気機関の業務用第1号が完成する。 フローレンス・ナイチンゲール(1860年=40歳1か月:看護師、統計学者)  ロンドン聖トマス病院内にナイチンゲール看護学校開校。学生数は10名。  この頃、ナイチンゲールが唱えた公衆衛生の改善案がイギリス議会で採択され、翌年から都市部の死亡率が劇的に下がる。 ムハンマド・イブン=アブドラーフ(モハメット/610年頃:イスラム教創始者)  大天使ジブリール(ガブリエル)からの啓示を受け、預言者としての活動を始める。この時の年齢は不詳。40歳前後と思われる。 クラウディオ・モンテヴェルディ(1607年:歌手、作曲家)  世界最古のオペラ「オルフェオ」を上演。  オペラは1600年にメディチ家の結婚式で演じられたリヌッチーニの「エウリディーチェ」が最古とされるが、非公開である。   41歳 マルコ・ポーロ(1295年:商人)  アジアへの旅から24年ぶりにヴェネチアへ戻る。  行きはシルクロードを通ったが、戻りはインド経由の海路だった。 クリストファ・コロンブス(1492年:生年不詳、1451年頃とされる/冒険家)  西回りでアジアへ向かい、アメリカ新大陸に到達する。(1回目の航海) 大石内蔵助良男(1701年:赤穂藩筆頭家老)  藩主浅野内匠頭が江戸城松の廊下で刃傷沙汰を起こし、お家断絶。再興のために動き始める。 フローレンス・ナイチンゲール(1861年:看護師、統計学者)  生涯4度目の神の啓示を受け、飢餓救済のために植民地(インド等)の潅漑用水整備を政治家たちに呼びかけ始める。 宮崎駿(1982年:アニメ監督)  漫画「風の谷のナウシカ」連載開始。   バカボンのパパ(1967年:赤塚不二夫著)  漫画「天才バカボン」   42歳 ウィリアム・ハーシェル(1781年=42歳3か月:クラシック音楽家、天文学者)  天王星を発見する。これを機に音楽家の道を捨て、本格的に天文学者となる。のちに観測から天の川銀河の構造を予想する。 スティーブ・ジョブズ(1997年:42歳4か月:実業家)  経営悪化で株式の暴落したアップル社の買収に成功。最大株主の立場を利用して自分を追放した役員たちを全員追放する。  もっとも経営が破綻したアップル社はもう立て直せないと思ったのか、役員追放後、株式1株を残して、あとの150万株をすべて売ってしまう。  その後のアップル社は、ジョブズと関係のあるエリソンらが経営者に就任する。   43歳 宮崎駿(1984年=43歳2か月:アニメ監督)  アニメ映画「風の谷のナウシカ」公開。 ヨハネス・ブラームス(1976年=43歳5か月・クラシック音楽作曲家)  交響曲第1番を完成、初演。作曲開始から21年もの歳月をかけていた。  ブラームスは完成後も、何度も楽譜に手を加えている。 夏目漱石(1910年=43歳6か月:小説家)  伊豆修禅寺で大吐血。作家デビューからの出版ストレスによって急速に胃潰瘍を悪化。1916年、49歳で没。 大石内蔵助良男(1703年=数えでは45歳:赤穂藩筆頭家老)  吉良邸討ち入り。切腹。   44歳 大塩平八郎(1837年=44歳0か月:儒学者)  幕府の腐敗を嘆き、私財を投げ打って大塩平八郎の乱を起こす。 伊藤博文(1885年=44歳2か月:政治家)  初代内閣総理大臣となる。現在も就任時の最年少記録。 宮崎駿(1985年=44歳4か月:アニメ監督)  スタジオジブリ設立。 アイザック・ニュートン(1687年=44歳6か月:物理学者) 「プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)���出版。これが古典力学の基礎となる。 マルコ・ポーロ(1298年:商人)  ヴェネチアとジェノヴァの戦争に巻き込まれ、志願兵として従軍するもジェノヴァの捕虜となる。  この時に獄中で出会った著述家ルスティケロ・ダ・ピサにより、口述された内容が『東方見聞録』として出版される。  なお、『東方見聞録』にはピサによる創作や聞きかじった間違いの逸話が書き加えられている。 ジョキアノ・ロッシーニ(1836年:オペラ作曲家)  音楽家を引退。以降は養豚場、レストランを開き、美食家の道を進む。   45歳 アドルフ・ヒトラー(1934年=45歳4か月:政治家)  ドイツ総統となる。 フランシス・ドレーク(1588年=45歳5か月:海賊、イギリス海軍提督)  アルマダの海戦でイギリス艦隊の実質的な司令官を務め、スペイン無敵艦隊を壊滅させる。17年続いた復讐劇の完遂。 ニコラ=ジョゼフ・キュニョー(1770年=45歳9か月:軍事技術者)  世界初の自動車事故を起こす。  前年、蒸気機関で動く3輪自動車(小型の試作車)を開発。4kmを1時間で走破した。  事故を起こしたのは5tある大砲を牽引するために作られた大型で、ルイ15世の前で披露するまさにその時だった。 ガリレオ・ガリレイ(1610年=45歳10か月:科学者)  木星の4大衛星を発見。 三島由紀夫(1970年=45歳10か月:小説家、劇作家)  三島事件。自衛隊市ヶ谷駐屯地(現防衛省本庁)東部方面総監部に乱入。クーデターに失敗し割腹自殺。   ダルタニャン老人(1884年:アレクサンドル・デュマ著)  小説「三銃士」~主人公ダルタニャンの父   46歳 スティーブ・ジョブズ(2001年=46歳0か月:実業家)  ずっと拒んでいたアップル社の最高経営責任者(CEO)に就任。ここからアップル社は10年で、世界最大の株式会社へと急成長する。 ベンジャミン・フランクリン(1753年:科学者、政治家)  嵐の中で凧を揚げ、雷が電気現象であることを確認する。   47歳 滝川馬琴(1814年:小説家) 「南総里見八犬伝」を執筆開始。完了まで28年を費やす。   48歳 西郷隆盛(1877年=48歳11か月:政治家)  挙兵し、西南戦争を起こす。 アレクサンダー・フレミング(1929年:細菌学者)  ペニシリンを発見する。   50歳 チャールズ・ダーウィン(1959年=50歳9か月:生物学者) 「種の起源」出版。 ユリウス・カエサル(前49年:軍人)  ルビコン川を渡って元老院と対立。のちにローマ内戦を起こして既得権で私腹を肥やす元老院議員を次々と破る。 佐々木小次郎(1612年:剣豪)  生年不詳。宮本武蔵と巌流島で戦った時、最低でも50歳であったらしい。仮に師匠冨田勢源の直弟子であった場合は60歳以上になる。   51歳 エイブラハム・リンカーン(1860年:政治家、第16代アメリカ大統領)  大統領選の中、11歳のグレース・ベデルの手紙を見て、トレードマークになるヒゲを生やすようになる。   52歳 アントニン・ドヴォルザーク(1893年=52歳3か月:クラシック音楽作曲家)  交響曲第9番ホ短調「新世界より」初演。   磯野フネ(1946年:長谷川町子著)  漫画「サザエさん」   53歳 豊臣秀吉(1590年=52歳5か月:戦国大名)  天下統一の完成。   54歳 エイブラハム・リンカーン(1863年=54歳9か月:政治家、第16代アメリカ大統領) 「人民の、人民による……」のゲティスバーグ演説を行なう。 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1506年:美術家)  この頃に「モナ・リザ」を描き上げたとされる。   磯野波平(1946年:長谷川町子著)  漫画「サザエさん」   55歳 ジャン・アンリ・ファーブル(1879年:生物学者)  これまでの研究成果を紹介するために昆虫記の出版を始める。最初の話題はフンコロガシ。   56歳 乃木希典(1905年=56歳0か月:軍人)  日露戦争で旅順要塞を陥落させる。  この戦いで乃木将軍は無能扱いされているが、装備不足の上に期日を決められると、大勢の戦死者を出す戦い方しか選べなかったとも言われる。 伊能忠敬(1800年=56歳4か月:商人、測量家)  日本全国の測量開始。 ジョージ・ワシントン(1789年:軍人、政治家、アメリカ初代大統領)  アメリカの初代大統領になる。 パブロ・ピカソ(1937年:画家)  名画とされる『泣く女』制作。   57歳 東郷平八郎(1905年=57歳4か月:軍��)  日露戦争、日本海海戦で、ロシア・バルチック艦隊を東郷ターンで撃破する。   59歳 マシュー・ペリー(1853年=59歳3か月:軍人)  ペリー艦隊を率いて浦賀に来航する。 チャールズ・ウォルコット(1909年:古生物学者)  カンブリア紀の生物化石を良い状態で保存したバージェス頁岩を発見する。   60歳 セザール・フランク(1883年:クラシック音楽作曲家)  若い頃に作曲を学んで細々と作曲活動をしていたが、この年から本格的に作曲活動を始める。  最高傑作の交響曲ニ短調は65歳の作品。   63歳 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1795年=63歳1か月:クラシック音楽作曲家)  最後の交響曲となる第104番「ロンドン」を完成させる。 アルフレッド・ヒッチコック(1963年=63歳7か月:映画監督)  ヒッチコックの代名詞となるサイコサスペンス映画「鳥」公開。 葛飾北斎(1823年:浮世絵師)  富嶽三十六景の制作を始める。完成は1833年(73歳)。   68歳 ガリレオ・ガリレイ(1632~3年:科学者)  フィレンツェで著書「天文対話」を発表。異端審問を受け軟禁される。   70歳 ニコラウス・コペルニクス(1543年:天文学者)  死亡2か月後に著書「天体の回転について」を出版する。   71歳 ベンジャミン・フランクリン(1777年:科学者、政治家)  アメリカ独立宣言の起草委員の1人となり、ヨーロッパでの外交交渉役として活躍する。
あの人たちは何歳で何を
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blue-item · 2 years ago
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ゲスト◇鈴木大介(Daisuke Suzuki)ギタリスト
作曲家の武満徹から「今までに聴いたことがないようなギタリスト」と評されて以後、新しい世代の音楽家として常に���目され続けている。マリア·カナルス国際コンクール第3位、アレッサンドリア市国際ギター·コンクール優勝など数々のコンクールで受賞。武満徹、池辺晋一郎、猿谷紀郎、西村朗、伊佐治直、林光ら、多くの作曲家による新作を初演しているほか、都立現代美術館、国立新美術館、ブリヂストン美術館など美術館でのコンサートも数多く行っている。斬新なレパートリーと新鮮な解釈によるアルバム制作はいずれも高い評価を受け、2005年度芸術祭優秀賞(レコード部門)を受賞。ピアソラ没後20年となる2012年に、世界でも例を見ない多重録音による「タンゴ組曲」を収録した「アディオス·ノニーノ~アストル·ピアソラ作品集」をリリース。最新作は、2020年3月にART INFINIより発売された「シューベルトを讃えて」。第10回出光音楽賞、平成17年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。洗足学園音楽大学客員教授。横浜生まれ。 鈴木大介 公式ウェブサイト 鈴木大介 ブログ
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honyade · 7 years ago
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アルテスパブリッシング全点フェア開催記念対談 フィリップ・ストレンジ/岡田暁生 『すごいジャズにはまだ理由がある』
【ジュンク堂 大阪本店】 開催日時:2017年09月17日(日) 大阪本店3階喫茶コーナーにて、14時より開催いたします。 先着40名様・要整理券 入場無料
大阪本店3階お会計カウンターにて、参加ご希望の方に整理券をお渡ししております。 当日、整理券をお持ちの上で、喫茶コーナーまでお越しください。入場時に500円頂戴いたします(現金払いのみ)。 電話での整理券ご予約も受付しております。06-4799-1090
トークショー終了後には、サイン会もございます。 登壇者の著作をお持ちの方は、ご持参ください。
※アルテスパブリッシング全点フェアは、9月1日より2階東側フェアコーナーにて開催予定です。
フィリップ・ストレンジ(Phillip Strange) 1960年テキサス生まれ。アリゾナ州立大学(学士:音楽教育/修士:クラシック・ピアノ)で学ぶ。 グレン・ミラー・オーケストラのメンバーとして1988年に初来日、10年間甲陽音楽院(神戸)で教鞭をとった後、1999年より奨学金給費特別研究員としてマイアミ大学に招かれる。 2003年にキース・ジャレットの即興についての論文で博士号を得る。2005年までマイアミ大学講師(ジャズ・ピアノ)。マイアミ時代には『ダウン・ビート』誌よりBest Instrumental Jazz Solist(2002、2003)、Best Jazz Original Composition(2002)、Best Jazz Instrumental Group(2001)を受賞。クレア・フィッシャー、ヴィンス・マッジョらに師事。 ジョー・ヘンダーソン、ルー・タバキン、デイヴ・ホランド、ピーター・アースキン、マーク・ジョンソン、ジェイムズ・ムーディー、ケヴィン・マホガニーらと共演。リリースCD多数。 共著に『すごいジャズには理由がある』(アルテスパブリッシング)がある。
岡田暁生(おかだ・あけお) 1960年京都生まれ。大阪大学大学院博士課程単位取得退学。大阪大学文学部助手、神戸大学発達科学部助教授、京都大学人文科学研究所准教授をへて、現在同研究所教授。専門は音楽学。 著書に『楽都ウィーンの光と陰』(小学館)、『「クラシック音楽」はいつ終わったのか?』(人文書院)、『音楽の聴き方』(中公新書、第19回吉田秀和賞)、『ピアニストになりたい』(春秋社、平成20年度芸術選奨文部科学大臣新人賞)、『西洋音楽史』(中公新書)、『オペラの運命』(中公新書、第23回サントリー学芸賞)、『メロドラマ・オペラのヒロインたち』(小学館)、共著に『すごいジャズには理由がある』(アルテスパブリッシング)などがある。
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honyade · 8 years ago
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柳家東三楼 × 渡邉寧久「僕らが落語を聴く理由」『東京かわら版』6月号刊行記念
『東京かわら版』 は、1974年創刊の、日本で唯一の月刊寄席演芸専門情報誌です。落語・講談・浪曲・漫才・マジック・太神楽・紙切り・コントなど、寄席演芸とお笑いに関する情報が、コンパクトな誌面にぎっしりと詰まっています。
この最新号「6月号」の刊行を記念して、刊行イベントを開催いたします。
出演は、柳家東三楼さんと演芸コラムニストの渡邉寧久さん。第一部では、柳家東三楼さんがなんと、「幾代餅」「時そば」の二席を披露。
第二部では、柳家東三楼さんと演芸コラムニストの渡邉寧久さんによるトーク「落語はやっぱり面白い!」を予定しております。
落語ファンはもちろん、落語を聴いたことがない人も、本物の落語に触れるチャンスです。
お楽しみに!
■東京かわら版.NET http://ift.tt/GQLPRm
【出演者プロフィール】 柳家東三楼(やなぎや・とうざぶろう) 噺家。1976年(昭和51年)東京都江東区亀戸生まれ。日本大学芸術学部文芸学科中退後、平成11年 三代目柳家権太楼に入門。前座「ごん白」。平成14年に二ッ目昇進「小権太」。平成26年真打ち昇進「三代目・東三楼」襲名。平成15年岡本マキ賞受賞、平成28年度 文化庁芸術祭大衆芸能部門新人賞を受賞。
渡邉寧久(わたなべ・ねいきゅう) 演芸コラムニスト。新聞・雑誌などにコラムを連載中の酒のみ。寄席や落語会、映画、芝居・舞台、音楽ライブなど月に20~30本見物している。趣味は海外ひとり旅と俳句。お気に入りの座右の銘は、柳家はん治師匠の「さからわず、ニコニコ笑って従わず」。文化庁の芸術選奨、芸術祭などの審査員を歴任。
チケットのご予約はこちら
時 間 _ 15:00~17:00 (14:30開場) 場 所 _ 本屋B&B 世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F 入場料 _ 1500yen + 1 drink order
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togaconcour · 8 years ago
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利賀演劇人コンクール2017、参加団体を募集します。
★応募を希望する方は、下記より応募用紙をダウンロードし、必要事項を記入の上、ご提出ください。
□応募用紙(Microsoft Word形式)
□応募用紙(PDF形式)
・応募書類の宛先:
〒108-0074 東京都港区高輪2-15-24 三愛ビル竹館201 (公財)舞台芸術財団演劇人会議 利賀演劇人コンクール係
・応募〆切:2017年4月10日(月)必着
★利賀演劇人コンクール2017 応募説明会 3月後半に、応募説明会を予定しております。 詳細については、確定次第ご連絡いたします。
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■審査 
書類審査(第一次審査) ※4月10日(月)応募〆切(必着) 応募作品について、提出された参加申込書、演出プラン、映像資料などに基づいて審査を行います。過去の劇評など、これまでの活動の実績も参考とします。この審査では、上演審査への参加資格を得る合格者を選考します。
上演審査(第二次審査/作品上演による審査/一般公開) 期間:7月20日(木)から7月30日(日)を予定。(移動日・仕込日を含みます) ※上演日は7月23日(日)から7月29日(土)の間となります。 場所:富山県利賀芸術公園
この審査は、利賀の夏のプログラムの一環として行われます。 応募者は審査期間中、利賀芸術公園に滞在し、他のコンクール上演作品を見ることができます。
■課題戯曲
応募者は、下記の課題戯曲より1作品を選択し、作品を演出・構成します。
A:『胎内』三好十郎 B:『熊野』三島由紀夫 C:『温室の前』岸田國士 D:『タルチュフ』モリエール E:『青い鳥』メーテルリンク F:『サロメ』オスカー・ワイルド
【作品の上演に関する規定】 A、D、E、Fの作品は、一部抜粋あるいはテキストレジを行うことができる。台詞の変更は不可。 B、Cの作品は、テキストの改変、変更、カットなどはできない。 いずれの作品も、コンクール上演用の新たな翻訳は不可。 上演は、日本語で行う。
上演時間は、60分以内とする。(時間に収まらない場合は選考対象になりません)
*課題戯曲は、書店、図書館などで入手してください。どうしても手に入らない場合は、利賀演劇人コンクール係までお問い合わせください。
*Bの作品は以下の出版社などから刊行されています。 ・『熊野』三島由紀夫 『近代能楽集』 (新潮文庫)
*A・Cの作品は青空文庫に掲載されています。 『胎内』三好十郎 http://www.aozora.gr.jp/cards/001311/files/50080_42255.html 『温室の前』岸田國士 http://www.aozora.gr.jp/cards/001154/files/44780_37254.html
■審査員(50音順)
石川直樹(写真家) 蔦森皓祐(俳優・SCOT所属) 中島諒人(演出家・鳥の劇場芸術監督) 平田オリザ(舞台芸術財団演劇人会議理事長・青年団主宰・こまばアゴラ劇場芸術総監督・劇作家・演出家) 宮城聰(演出家・SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督) 他
■賞
最優秀演出家賞 および 奨励賞  賞金総額200万円 観客賞
この他、利賀芸術公園でのレジデンス制作/フランス・ジュヌビリエ国立演劇センターとの交換プログラムへの参加/BeSeTo演劇祭・静岡県舞台芸術センター(SPAC)・鳥の劇場・こまばアゴラ劇場等、国内外の劇場プログラムでの上演、舞台芸術フェスティバルへの参加などの支援を行います。
〈利賀演劇人コンクール〉について
舞台芸術財団演劇人会議は、2000年から2007年までの「利賀演出家コンクール」、2008年からの「利賀演劇人コンクール」において、数々の才能を発掘、支援してきました。本年も「地域を越え、国際的に活躍できる演出家の発掘と養成」をコンセプトに、夏の利賀芸術公園でコンクールを開催します。
●演出力によるコンペティション
演出家を受賞対象とします。演出家の知的構想力・造型力が求められるのはもちろん、それが俳優・スタッフとの共同作業により実現されていることが望まれます。また、優れた俳優・スタッフの仕事に対しては奨励賞として表彰します。
●受賞者への継続的な支援
コンクールでの授賞を、受賞者のその後の演劇活動のプロセスの中で捉え、2~3年間の期間を念頭に継続的に支援していきます。具体的には、 ・利賀芸術公園でのレジデンス制作 ・フランス・ジュヌビリエ国立演劇センターとの交換プログラムへの参加 ・BeSeTo演劇祭・静岡県舞台芸術センター(SPAC)・鳥の劇場・こまばアゴラ劇場等、国内外の劇場プログラムでの上演、舞台芸術フェスティバルへの参加
このほか、利賀に集う演劇人との���ットワーク、有形無形の協力関係のなかで、創作と制作の両面にわたり、受賞者のその後の活動に相応しい支援を検討していきます。 今日、舞台芸術のあり方はますます多様化し、その可能性も広がっています。自由な発想力、課題戯曲への的確な取り組み、演技・スタッフワークの創造性を生かした上演により、演劇の可能性を押し拡げるような、優れた作品が上演されることを願ってやみません。
(公財)舞台芸術財団演劇人会議
■富山県利賀芸術公園 1976年から鈴木忠志が活動拠点としたことから演劇の国際的な拠点として発展。合掌造りを改造した劇場、古代ギリシアに原型を求めた野外劇場のほか、宿泊施設、レストハウスなどからなる舞台芸術のための専門施設。1982年には日本で初めての世界演劇祭「利賀フェスティバル」を開催、同時に磯崎新設計による野外劇場が建設された。その後も劇場の新設・整備が進み、「利賀サマーアーツプログラム」、「SCOTサマー・シーズン」など現在まで様々な公演が行われている。 http://www.togapk.net/
■利賀演出家コンクール/利賀演劇人コンクール 2000年から、舞台芸術財団演劇人会議の主催により、利賀の夏のプログラムとして行われている。これまで、ペーター・ゲスナー(うずめ劇場)、関美能留(三条会)、中島諒人(鳥の劇場)、神里雄大(岡崎藝術座)、仲田恭子(空間アート協会ひかり)ほか現在でも国内外で活躍している演出家が最優秀演出家賞を受賞、若手演出家・演劇人の登竜門となっている。
■応募の条件 過去に上演歴があり、今後演出家として継続的に活動していく意思のある者。
■参加条件・人数 1)当財団の責任において宿泊・食事を提供する人数、および仕込み、リハーサル、上演に参加できる人数の上限は15名。宿泊場所は、男女別の相部屋となります。 2)作品製作への補助 上演審査に参加する方には、規定に基づき舞台費、照明費、音響費、衣裳費、移動交通費などを対象とする舞台製作費を支給します。金額は、上演のために利賀まで来た人数×1万円(上限15万円)とします。支払いは、参加者からの請求書に基づき、公演後に振込にて行います。
■上演する劇場について 上演審査の劇場は、利賀芸術公園内の劇場の内2会場(利賀山房・岩舞台)のいずれかとします。利賀芸術公園の劇場群は、鈴木忠志と建築家磯崎新の共同作業により創られた強い個性をもった空間です。また野外の劇場は、利賀芸術公園の自然を取り入れた空間です。これらの空間の特徴を考慮した作品上演を望みます。 上演にあたっては、提出されたプランをもとに、参加演出家(または照明、音響等の担当者)と劇場スタッフが事前に打合せを行い、最終的にプランを確定します。仕込みは、全て参加者側のスタッフが行います(劇場スタッフが仕込みを手伝うことはできません)。上演中は、劇場スタッフが立ち会いますが、照明、音響のきっかけ(キュー)や操作など、作品の演出にかかわる作業については、参加者側のスタッフで行ってください。
■会場と会場の利用日数について 今年の『利賀演劇人コンクール2017』は、合掌造りを劇場に改造した利賀山房と、屋外の岩舞台を上演会場として実施することとなりました。
その上で、各会場の利用日数を「利賀山房:2日間」「岩舞台:3日間」と変更しております。 これは、照明を使用しての作業・稽古が夜間のみとなる屋外の会場の作業時間を考慮しての変更ですが、同時に、「戯曲と言葉に向き合うこと」について今一度焦点を当てるための変更でもあります。 時間の制約は大きくなりますが、さらに厳しい条件で実施した2015年のコンクールでは一定の成果があがっており、限られた条件の中で演出家(及び、集団を形成する演劇人一人ひとり)が力を発揮できるかどうかという点が、コンセプトでもある「地域を越え、国際的に活躍できる演出家の発掘と養成」に繋がると考えております。
尚、応募用紙に参加を希望する上演会場の選択欄を設けておりますが、最終的には上演順も含め、審査員が判断・決定いたしますので、ご了承ください。
・利賀山房 スケジュール 1日目:利賀入り(2クール目以降は、上演審査の観劇) 2日目:仕込み・稽古など 3日目:ゲネ・上演審査・バラシ 4日目:下山
※利賀山房は合掌造りを劇場に改造した建物です。火気は種類を問わず使用できません。
・岩舞台 スケジュール 1日目:利賀入り(2クール目以降は、上演審査の観劇) 2日目:仕込み・稽古など 3日目:ゲネ 4日目:上演審査・バラシ 5日目:下山
※客席の位置は固定とします。また、舞台側を客席とする逆使い等の使用はできません。 ※灯体設置用のイントレ位置は固定とします。また、鉄塔への灯体設置はできません。
両会場とも、復帰に影響が出るような演出・使用はできませんので、その点も考慮した上で演出プランをご検討ください。 利賀演劇人コンクールでは、課題戯曲を読み解き、利賀の上演環境と向き合いながら、優れた作品を上演していただくことを第一にしています。言い換えれば、コンクールの公平性と利賀の上演環境を傷つけないことを前提に、上演団体からの要望には可能な限り柔軟に対応しています。
演出プランの検討にあたって、各会場の図面が必要な場合は、事務局までお問い合わせください。
利賀演劇人コンクール事務局 concour@jpaf.or.jp
■応募・審査の流れ ・応募書類の提出:締切:4月10日(月)(必着)  ・書類審査(第一次審査)審査結果通知:5月中旬 ・会場下見(代表2名):事務局が指定した日程での実施(交通費支給) ・上演審査(第二次審査):7月23日(日)〜29日(土)(予定) ・審査結果通知:7月30日(日)(予定)
■応募書類
 下記の資料を提出してください。
【必ず提出】 1.応募者顔写真(1枚)(白黒・カラーいずれでも可・裏側に氏名を記入) 2.参加申込書(6枚セット) 3.審査対象作品の演出プラン(2000字以内・A4横書・書式自由)・スケッチなど
【可能な限り提出】 4.過去の公演を収録したもの(DVD)など 5.過去の公演チラシ 6.新聞の劇評など(コピー可) 7.(今後公演の予定がある場合)公演チラシ
*提出資料は返却できませんので、あらかじめご了承下さい。 *提出する映像は事前にファイナライズやデータの確認等をお願いします。
■応募締切 2017年4月10日(月)必着
■応募書類の宛先: 〒108-0074 東京都港区高輪2-15-24 三愛ビル竹館201 (公財)舞台芸術財団演劇人会議 利賀演劇人コンクール係
■お問合せ: TEL:03-3445-8010 E-MAIL:concour@jpaf.or.jp
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