#家での過ごし方
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「民主党政権のどこがどう悪夢だったのかきちんとした説明を聞いたことがない」という主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことがない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 悪夢のような時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で全力で反論していきますね。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在���韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
新田 龍 / X
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2024/12/31 大晦日
休みは今日まで。なぜか今年は年末に連休があった。上司の計らいなのかな。よく分からない。変に世間とかぶって連休があると、そこの数日だけ同じ感じでせかせかと動かなければならなくて、なんだか損した気がする…。明日も普通に仕事なので、私にとってはただの休みでしかないのに。私が普通に過ごしているのを良いことにみんな普通にのんびりと過ごしている。私は年末など関係無く自分の休にはあれこれやってるのにな。と思うけれど言わない。言ってめんどくさくなる方がめんどくさい。
なんて贅沢なわがままを言ったりして。
ま、そんなことはいいや。
今日は子どもをバイト先に送った帰りにいつもの海に行った。連休のせいかあちこちのナンバーの車が多い。雲の多い空だったし風もそこそこあったので着込んでいったけれどフードをかぶって歩けばそこまで寒くない。首元を冷やさないというのは大切だなと思う。歩いているうちに日もさしてきたりして少しあたたかくなった。
釣り人が点々と海の中に立っている。この時期は何が釣れるんだろう。2羽のとんびが崖の方から飛んでくる。空を見上げてくるくると優雅に飛ぶ姿をしばらく見ていると「おーい!おーい!」 とかわいらしい声がした。キョロキョロと周りを見る。高くなった砂の上に1組の家族がいて、そこの小さな男の子が手を振っていた。なんて可愛い。思わず手を振りかえす。砂の山の上の方からダンボールを使って滑り降りたりしていてとても楽しそうだった。
波打ち際を歩きながらたまに見かけるシーグラスを拾ったり。気に入った形や色、模様をした石を拾ったり。波の往来を眺めたり。気の済むまでひたすら進む。そろそろ引き返さないと車に戻るのが嫌になるかも、という所まで来たら折り返す。
変わらない。
今日で一年が終わり明日は新しい年が来る。毎年ひとつづつ年を取り子ども達は成長していく。変わり映えのない日々を過ごしているようでも少しずつ変わっていく。
いつもと変わらない波の音や風の音を聞きながら歩く。かつて空を飛んでいたであろう何かの鳥の死骸をカラスが啄んでいる。くるくると高いところを飛んでいたトンビが降りてきた。どうやら釣り人が釣った魚を洗っているのを伺って���るようだった。たまには釣れた魚をもらうこともあるのだろうか。空を飛んでいるだけでなく色々なことをよく見ているなと思う。
1年という区切りで考えるなら。今年は外に出た年だった。色んな意味で。そして大切な友達ができた。なんでも話せる友達ができたのは大きい。今まで自分がそういう気持ちにならなかったせいか、それとも近過ぎる相手には本当の悩みや愚痴、思いや気持ちを話せないからなのか。偶然というのか、そんなつもりで出会ったわけでもないのだけれど。たまたま同い年だったし、性格は違えど彼女も書くことが好きだった。そこからまた広がって良い仲間ができた。皆遠くにいるけれど来年はみんなで会おうね、と決めている。
大切な人たちと今も続いてることももちろん、そうやって知り合えた人たち。これが縁なのかなと思う。
明日からもどうぞよろしく。
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赤西渓谷(あとがき)
2024年12月15日(日) 11:30頃に家を出る。渓谷を訪れようと思ったのは、近所の山々に紅葉が残っており晩秋の渓谷を撮りたいと考えていたからだ。(ちなみにネット上では落葉とあり調査済ではあるが、行ってみることで何か意外なものごとを発見できるかも知れないというのが僕の考えだ。)が、その考えは僕を不安にさせる。車を走らせ北へ向かうにつれ曇り空は続き、山々の山頂では、いかにも寒々しそうな雪が降り積もっていた。現地に着いたのは13:00過ぎ。雲行きも怪しく15:30には折り返す事を決めて、早速、歩いていく。気持ちがはやり三脚忘れに気付き車まで戻る。・・・深呼吸・・・
入り口付近から苔むした岩に張り付いている木を見つける。木の袂の葉っぱが���が羽ばたいている様子をイメージしあれこれ考えながら撮影。人とすれ違う事もほぼなく、よいリズムでは歩けている。被写体によるレンズ交換やフィルターワークを意識しながら、なるべく丁寧な作業を心掛け進んでいく。数年前に訪れた際は気にならなかったが渓流付近では禁止されているはずの焚き火の形跡や、捨て去れらた雨具やビニール袋のゴミなどが気分を少し下げるが、足元にある苔から別の植物が寝癖のように見え可愛らしさを感じ、秋冬の季節であっても息吹を感じられたことに気持ちを切り替えられた。やはり少し訪れる時期のが遅かったのか、水たまりの落ち葉を見つけても、見上げても葉は仕舞いを迎えている。道端には落ち葉の上に積雪の跡、生き物は「遠眠」するのだなと心の中で意味不明にフッと笑う。人にも輪廻転生があることが理解できれば今ある恐怖感から解放されるのにな。そもそも渓谷を訪れたのは渓流が撮りたかったのだということを思い出し、過去に撮影したスポットで撮影を始める。カメラの設定値も初めてと訪れた時をとは違う。同じなのはレンズ、同じフィルターを使いながらあの手、この手を使い、少しだけ撮影に余裕や幅が増えていることに嬉しさを感じる。渓流の流れは誰かに呼ばれたような錯覚に陥ることがあり後ろを振り返っても脇見をしても誰もいない。ということがよくある。少し、怖さを覚え落ち着くために水分と携行食をとる。僕の中には「勇気」なんてカッコいい言葉は存在しないし、どちらかと言えば臆病な性格で死にたくないと言う気持ちは人一倍強いと思う。風景写真を撮ることは、生きていることへの刺激を実感するための課外活動時間だと思っている。相反する考えにを自問自答しながら撮影しているうちに、あっと言う間に15:30を迎え、渓谷を下っていく。光がどんどんなくなっていくこと、見えぬ生き物たちの気配・・・行きはよいよい帰りは怖い。車乗車直前に急に雨が降り出し、自分の判断によしよしラッキーと思わずにはいられない。少しの恐怖感を克服することは、家に帰ってからの安堵感や、今あることへのありがたみに変わる。
撮影枚数64枚とフィルム時代の36枚と比べると短い時間の割に随分撮ってしまった方だ。今後もその枚数を意識しながらより丁寧に撮影していきたい。いろんなところへ旅にでよう。
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「まず一番お手軽な方法は、前腕と上腕二頭筋を3~5分間バケツの氷水に浸してから、腕を頭の上にあげること。 こうすることで、冷やされた血液が体内を循環し、体温を下げることにつながるという。」
「 胴体と頭や腕が接する部分、つまり股間や脇の下、首、頭といった部分にアイスシートをおきます 」
「熱中症になった場合、やはり初動で大切なのは身体を冷やすこと、その場合腕を冷やす、そして水分、塩分をとることだ。
自宅で応用する際には、バケツや洗面器、あるいはキッチンシンクやクーラーボックスに氷水を入れて試すことをおすすめする。氷がない場合は保冷剤で代用しよう。」
「そしてこれは軍隊ならではの方法なので、我々がまねできるものではないのだが、氷で満たされた遺体袋に熱中症患者を収納する方法があるという。 現場ではそれが常に遺体袋があるとは限らないが、アイスシートと同様に、命を救うためには効果的な方法なのだそうだ。」
米軍流・緊急時に急いで体を冷やす方法
本当はエアコンが快適に効いた空間で過ごすのが一番いい。だが野外で活動する軍隊の場合、そういうわけにはいかない。
兵��たちは過酷な環境の中でも任務を遂行し、結果を出さなければならない。だがそうは言っても、やはり暑さはつらいわけで熱中症対策もしなければならない。
そこで米軍では「あっという間に体温を下げる方法」をいくつか開発し、日々の訓練や実戦の中で実行しているのだそうだ。
���ォート・ムーアの陸軍ヒートセンターを運営するデイブ・デグルート中佐は、この方法について次のように説明する。
極めてローテクな方法ではありますが、費用もかからず、導入も簡単です。つまり、バケツに水を入れるだけなんです
用意するものはバケツか洗面器、大き目のボウル。そこに氷で冷やした水を入れるだけ。我が家でも実践できそうだ。早速その秘策とやらを見せてもらおう。
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腕を氷水に数分浸したら腕を頭の上にあげる
まず一番お手軽な方法は、前腕と上腕二頭筋を3~5分間バケツの氷水に浸してから、腕を頭の上にあげること。
こうすることで、冷やされた血液が体内を循環し、体温を下げることにつながるという。以下の動画でやり方を見てみよう。
氷を入れた水に5分間浸かると、体温は0.5~1度下がるのだそうだ。人間の平熱は36.5〜37度くらいなので、0.5度下がるだけでも効果は大きいのだとか。
あなたの車には、ラジエーターがついていますよね? 私たちの身体にもついてます。それは私たちの皮膚です。 私たちの血液は冷えて体幹に戻り、最終的には数分で深部体温を下げるのです
深部体温とは、脳や心臓といった人間の生命機能を維持するために一定に保たれている内臓の体温のことだ。
体温計でわかる平熱よりも高くなっており、だいたい37~37.5度の間で維持されているのが通常である。
気温が高い環境では、この深部体温も上がりやすくなり、身体にダメージを与える恐れがある。そのため熱中症の予防には、この深部体温の上昇を抑えることが大切なのだそうだ。
この腕を氷水に浸すやり方の場合、身体の約13%が冷やされることになるという。これは身体の熱を水に移すのに十分な表面積になるという。
米陸軍ではこの処置のための氷水を入れる容器を全国で1,000台用意しているほか、ライセンス契約により消防士の訓練センターや建設会社、NASA、大学の運動部などにも提供しているんだそうだ。
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熱中症の疑いがある場合は、氷水に浸したシーツを体に巻き付ける
だが既に熱中症寸前で、体温の上昇が著しく、危険な状態と判断された場合は、全身を冷やす必要があるという。
氷水の入ったクーラーボックスにシーツを浸してアイスシーツを作り、熱中症の疑いのある人、あるいは熱中症患者にそのシーツを巻きつける。
これは病院に搬送する前に現場で急速に患者の身体を冷却し、重度になることを防ぐための処置である。
胴体と頭や腕が接する部分、つまり股間や脇の下、首、頭といった部分にアイスシートをおきます
エリザベス・メサ・ヘルナンデス上級訓練教官は、救急車が到着するまでの間、3分ごとに新しいアイスシートと交換���るという。
ヘルナンデス教官はこの方法で、少なくとも10人の患者を救ったのだという。
デグルート中佐も、アイスシートは緊急時に非常に効果的な方法だと語っている。
2019年にアイスシートが導入される前は、熱中症の症例が95件だったが、2022年にはその数が35件にまで減ったという。
軍隊ならでは。氷の入った遺体袋に入るという方法も
そしてこれは軍隊ならではの方法なので、我々がまねできるものではないのだが、氷で満たされた遺体袋に熱中症患者を収納する方法があるという。
現場ではそれが常に遺体袋があるとは限らないが、アイスシートと同様に、命を救うためには効果的な方法なのだそうだ。
水の熱伝導率は空気の約25倍だという。つまり人間の体を冷やすには、扇風機の前に立たせるよりも水風呂に放り込む方がはるかに効果的なのだという。
もしも熱中症になったら?熱中症の疑いがあるときは?
熱中症になった場合、やはり初動で大切なのは身体を冷やすこと、その場合腕を冷やす、そして水分、塩分をとることだ。
自宅で応用する際には、バケツや洗面器、あるいはキッチンシンクやクーラーボックスに氷水を入れて試すことをおすすめする。氷がない場合は保冷剤で代用しよう。
熱中症の疑いがある場合、全身を冷やすアイスシートも保冷剤で代用できる。とにかく冷凍庫には保冷剤と氷をある程度確保しておくことが望ましいだろう。
日常生活での熱中症の予防方法は、かなり浸透してきてはいると思うが、いくら気をつけていても「あれ、おかしいな?」と思う事態は起こり得る。
自分じゃなくても、周りの誰かが熱中症で倒れる事態もありうるかもしれない。緊急時の身体の冷やし方として、今回紹介した方法も覚えていて損はないと思うんだ。
References: Here’s a military trick that can help you cool down in minutes, even in scorching heat
(冷やす場所はそこか!米陸軍式、数分で体を簡単に冷やす方法で熱中症対策 – カラパイアから)
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HN
葵ななせ
HNの由来
お花が好きだから「葵」、爽やかな名前が良いなと思ったので「ななせ」にしました
性別
女の子
誕生日
2004年8月7日 19歳です◎
星座
しし座
血液型
A 型
前世
全然分からないので前世占いをしたら「平安貴族」って出ました(笑)
住んでいるところ
東京都
生まれたところ
岡山県
家族構成
父、母、妹です。仲良しなので毎日連絡取ってます
職業
大学生です。週3回くらい喫茶店でバイトしてます。
学年
1 年生
絡むーちょ
よく遊ぶのは大学の友達とか高校時代の友達
似ている芸能人
え~~あんまり言われたことないです(笑)
身長
155cm
体重
内緒です…
足のサイズ
23.5cm
手の長さ
測ったことないです!
胸のサイズ
Gカップ
趣味
映画鑑賞(アクションが好き)、お散歩
特技
ピアノ(3~18歳までならってました)
握力
測ったことないけど結構強いと思います(笑)
髪型
ロング
口癖
「そやな~」とかですかね?
性格
真面目、完璧主義って言われます。
嗜好品
コーヒー(ブラック)たまに飲みます
自慢なこと
耳が動かせます!
持っている資格
むかーし漢検を取ったような…?
使っている携帯電話
iPhone
好きな男��のタイプ
人生にワクワクしている人
好きな女性のタイプ
美意識が高くて自分を持っている人
好きな言葉
二兎を追う者は一兎をも得ず
好きな芸能人
山田孝之、役所広司
好きな食べ物
和食
嫌いな食べ物
パイナップル
好きな飲み物
黒ウーロン茶
嫌いな飲み物
特にないかな?炭酸はちょっと苦手です。
好きな教科
国語
嫌いな教科
英語
好きなテレビ番組
水曜日のダウンタウン!
好きな映画
最近ワイスピを見ました
好きな本
漫画ですがキングダムが好きです!
好きなスポーツ
バスケ、水泳
好きな音楽
RADWIMPS
好きなブランド
ブランドはあまりこだわりが無くて…SHEIN で買います!
愛用の香水
マルジェラの香水が好きです!
好きな花
お花はなんでも好きです
好きなゲーム
最近はあんまりしてないけど、スプラトゥーンハマってました!
愛車
持ってません。でもいつか大きい車が欲しい!
将来の夢
誰かのお嫁さん
好きな動物
ワンちゃん
休日の過ごし方
家で映画見てるかたまにお散歩します。
尊敬する人
やりたいことを全力でやっている人。MINAMO ちゃん。
今一番欲しいもの
ワンちゃんが一生生きられるお薬。
今一番行きたいところ
海とか自然の綺麗なところ
今一番やりたいこと
バンジージャンプ!
よく遊ぶところ
なんだかんだで原宿らへんによくいるかな?
マイブーム
香水、キャンドル集め。
最近ひそかに興味があること
誰がこの世界のトップなのか(笑)陰謀論とか結構好きです(笑)
生まれ変わったら
また自分になりたいかな。
世界平和に必要なのは
他人への干渉を無くすこと。
兎に角主張したい事
意外と私、面白いです…。
疑問に思っている事
本当に人間は猿から進化したのか。
ここだけの話
私のデビュー作、どうですか?気に入ってもらえるかな…
経験人数
2人。どちらも彼氏です。
初体験
17歳の時、初めての彼氏と。
なぜAVに?
友達に進められたのと、もともと興味があったからです。30代までの人生設計を立ててみた時に、やりたい仕事だけが無くて、興味があるならやってみようと思って応募しました。特に頑張��たことも無くて何やってもそれなりの私なので、AV を通して自己表現をしてみたいです。あとやっぱり、エッチなことが好きなので…。
S?M?
結構Mだと思います…
自分がエッチだなと思う時
エロのアイディアが出てくる時です。ああ、やっぱり好きなんだなって思います(笑)
オナニー
週3回くらい、おもちゃでします。
オカズは?
妄想です…
AVでやってみたいこと
潮を吹いたことが無いので吹いてみたいです。
尊敬する女優
MINAMOちゃん。上品さとか間合いが素敵だなって思います。
女優としての夢
毎作品自信作にできるように頑張りたいです。私のファンでいて良かった、と思ってもらえるような女優さんになりたい。
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Riceboy Sleeps
育児休業に入った。職場の事務方と諸々の手続きをする中で、子どもの名前が印字された書類を見ると嬉しい。あと自分以外の人が彼の名前を口にするのをきくと嬉しい。仕事納めを1週間くらい早く繰り上げて、このまま1月末まで育児に専念する。クリスマスイブの夕方、プレゼント引っ提げて九州の義実家へ飛んだ。子どもには浅葱色のロンパースを、妻には同じブランドの生成色のニットを。前身頃がケーブル編みで、袖がスウェット生地の切り返しになっている。義実家へ着くと、我が子はサンタクロースのポンチョを着せられて静かに眠っていた。半月は義実家で過ごし、残りの半月は東京に戻って、いよいよ3人で暮らす予定。生後1ヶ月経った、色々あった。書こうとするそばから、書きたいようなことが起こる。子どもを育てる。子どもを育てる。
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戦闘服の男たちNo.0
現職自衛官の告白体験手記
「遠くで突撃喇叭が」
原題「遠くでラッパが」
作 島 守

新隊員の便所はノリだらけ
朝五時、起床まであと一時間である。いやあ、変な夢を見たるんだなと思って、ギンギンになっているセガレに手をのばすと、ああ、やっちゃった。まったくしょうのない奴だぜ、昨日センズリかいたばっかりだろうが!
畜生!今起きると、となりのベッドの奴が目をさましてカッコ悪いし、しょうがネーな、起床で戦闘服に着替える時にでも一緒に履きかえるか。
それにしても新隊員は外出が制限されてるせいで、夜なんかとても遊びに行けないし、極度に欲求不満の日々が読いている。
雄臭い野郎を見るだけならここは本当にいい所だけれど、それ以上のことはちと不可能。けっきょく、夜、誰もいないトイレにはいってシコシコ激しくセンズリをカクしかないのだ。風呂で見たガッチリしたオアニイさんや、カワユイ隊員たちがチラチラ浮かんできたりする。
でも終わってみると、やっぱりむなしいな。なんか小便とたいしてかわりないみたいで。それでもけっこうさかんなようすで、この間も班長から、
「新隊員の便所はノリだらけでたまらん!」
なんて怒られてしまった。マア、ノリは冗談としても、エロマンガのちぎれたのや、ビニ本なんかが時々モロ、トイレにおきっぱなしになってたりする。金があれば普通の隊員はトルコにでも行くんだろうけど、そこはまだペイペイの新隊員、月給は少ないし、貯金はしろとうるさいし、とてもとても…
それでも、あけっぴろげな男だけの世界。
「これからセンズリ行くゾー」
と、エロ本片手に走って行く奴もいる。
そんでもって自分もけっきょくその日のタ方、バラしてしまうのだった。
「昨日の夜、爆発しちまったでェー」
「いやー、エッチだなあ。勝見二士がいないからじゃないのォー」
前期の教育隊から一緒に来た北村二士にいうと、思わぬ返事が返ってきた。まいったなあ。
「このヤロォー、勝見と俺はそんなに深い仲でネェゾ!」
「エへへへ、でも勝見二士は、島二士のダッチワイフだったんじゃないのォー」
まったく北村の野郎、口のへらない奴だ。
まっ、べつに勝見二土はダッチワイフだなんてのは冗談だからいいけど、でも俺は、やっぱりドッキン!そう、あいつはいい奴だったもんな。この俺に、男と男が精神的に強く結ばれることがどんなに素晴らしいことか数えてくれたから・・・•・・ネ。
それは3ヶ月前
桜のつぼみがまだ硬い三月の下旬、俺は陸上自衛隊のある駐屯地に入隊した。出身県の関係で他の県の出身者より四日ほど遅い入隊だった。勝見二士とはこの時に初めて出会ったのである。
〈三月某日〉
なかなかできてる奴
今日から俺の自衛隊員としての生活が始まる。まわりの環境は、想像していたのとそれほど変りはない。でも一部屋四十人というのは多すぎるようだ。
それから自衛隊ではバディという仕組があって、二段ベッドの上下でペアを組み、訓練面や私生活でいくそうだ。
俺のバディは勝見次郎。ガタイが良くてイモの煮っ転がしみたいな顔をした奴だが、なかなか性格はよさそうだ。
この時はまだバディの重要さなんか知るよしもなかった。
勝見二士は俺より年下だが、四日も早く入していただけあってちょっと先輩気取りで、ベッドのとり方から戦闘服のネームの縫い物まで俺に協力してやってくれた。早くもリードされっぱなし。それでもけっして悪い顔をしないで黙々と手伝ってくれる彼を見て、
「なかなかできてる奴だワイ」
と内心思ったものである。
<四月某日>
ビニ本でぬいて来い
入隊式も終わり、訓練も徐々に本格的になってきた。銃こそまだ持たされていないが、戦闘服を着て半長靴をはいて走り回るさまは、一人前の兵隊さん・・・・・なんちゃって。
そんな時、体育の時間に勝見の野郎がすっころんでけがをした。運動神経いいくせにまったくそそっかしい奴だ。おかげでその晩、俺がヨーチン片手に手当てしてやる。
両足おさえつけて、ヨーチンをぬるさまはSの気分。ムフフフと不敵に笑って、「グチェッ!」とぬってやる。勝見の奴たまりかねて、「ギャアー!」
苦痛にゆがんだ顔って、ちょっとエロチックやなアー。
四月にはいっても外出は下旬にならないとできない。新隊員とはつらいもんである。ああ、自衛隊には自由なんてない!これでは縛られるのが好きなMじゃなきゃ向かないんじゃないだろうか。そんなわけで貴重な休みも隊舎のベッドでゴロゴロ、これじゃ夜寝られるワケがない。
消燈もとっくに過ぎた十二時半、なんとなく昼間寝すぎたので寝つけない。緑色の毛布の中でごそっと寝返りを打つと、上のベッドでもごそっと寝返りを打ったようだ。安物のベッドがグラッ��くる。これじゃセンズリかいてようもんなら、片っぽのベッドの奴は地震かと思って起きちまうだろうななんて思ってると、
「オイ、島さん寝たかい?」
と、勝見が小さな声で話しかけてきた。
「なーんか、こうムラムラして寝られネェんだョオ」
と俺。すると、
「島さん、最近やってないんでしょ、アレを」
「まっ、まあな」
と、二人はムクッとベッドから起き上がて話を始めた。まったく目がさえてしかたいない。すると、その時へやの戸があいて、だれかがはいってきた。なんと班付(つまり上官)の上田士長である。よーく見ると、片手にビニ本を持っている。
「お前ら、まだ起きとるんか」
「エエ、寝られないんですヨ」
と勝見二士。すると上田士長、恥ずかし気もなく片手でもってるビニ本二冊を差し出すと、
「これでちょっとぬいてこい、そうすればバッチリ寝られるゾ。俺も抜いて来た」
思わず俺と見、顔を見合わせてニヤリ、もちろん俺はあんまりビニ本には興味はないが、そこはノンケの顔をしていなければならないのがツライところ。
ともかく、俺と勝見の二人はビニ本片手に仲よくトイレに直行。そこで二人は同じ個室に••••••てなわけにはいかなくって別々の目室に。ハイ、でも、ガマン!
「オッ、スケニ本だぜ、もうビンピンだァ」
「タマンネニナー。でもあんまりおっきな声だすなァ、不寝番がびっくりして飛んでくるゾォー」
なんてことを話しながら、お互いに実況中継をし合う。洋式トイレなのですわってカケるのでらくなのだ。となりの個室からのすっとんきょうな声がとだえた。奴も本気になってきたようだ。こっちがたまんなくなるようなあえぎ声が聞こえてくる。思わず俺の手の動きも早くなる……。
すると、突然奴の声、
「ウッ!ウッーウ」
畜生、俺より早く終わりやがったな。
奴の家は海辺の町で漁師をやっている。中学、高校と、よくアルバイトを兼ねて家の手伝いをしたそうだ。そのためか潮で鍛えられた体は浅黒く、区隊で誰にもまけないくらいの逞しさを持っている。そんな奴から海の話を聞くのが俺も好きで、いろいろと聞いたものだった。サザエの採り方なんか、実に詳しく話をしてくれたもんだった。
<5月某日>
好きになったのかな?
知らないというのは恐ろしい。いつものように勝見二土から海の話を聞いていた俺は、なにげなく聞いてしまった。
「じゃ、なんで家の仕事を継がなかったんだい?」
「親父が許してくれなかったんだよ」
「どーして?」
「・・・・・・兄貴が海で死んだからさ••・・生きてれば二十七歳さ。よく晴れてベタなぎの海にもぐったきり、サザエ採りにネ、兄貴、上がってこなかった」
淡々と話し続ける奴は、やっぱりいつもと違っていた。
「やっぱり親は親なんだな。二人も海で死なせたくはないんだろうな。いくら俺がねばってもだめだった。今の俺なんて、丘に上がったカッパさ・・・・・・・」
と、彼は言う。いやいや、丘に上がったカッパなんてとんでもない。奴の体力は区隊のトップをいつも争っている。俺だって気力じや負けないつもりだが、やっぱり体力検定だとかではっきり数字に出されると、どうも一歩も二歩もゆずってしまう。
「漁仲間の人から最近よく言われるんだ、兄貴に似てるって」
彼はこう最後に明るく付け加えた。なんか、この話を聞いているうちに、自分が奴に引かれていることに気がついてきた。なんとなく奴のことを、俺は他の班員とは違う目で見ているということに・・・・・・。
俺、奴のこと好きになったのかな?
まだ五月の下旬だというのに、真夏のような暑さが続く。そんな太陽の下での戦闘訓練は、まだ自衛官として一人前の体力を持ち合わせてない俺たちには、とてもキツイ。
たかが4.3kgの小銃が自分の体じゅうの汗を吸いまくる。気がつくと小銃から滴がしたたるほどに汗でぬれている。
地面だってこんな間近に見つめることなんてあったろうか。地にふせた俺の目の前にあるのは、青々とした草が高々と繁っている姿と、小さな虫たちの世界だった。
一瞬、自分が虫けらになったような気がする。ふと隣を見ると、3メートルほど離れて奴がこっちを見てニヤリとした。埃にまみれた顔から白い歯がチラリとのぞく。ほんの数秒の間の静けさが何時間にも感じる。

すると突然、頭上で班長の大声が響く!
「目標、前方の敵!」
「突撃!前へ!」
銃をかまえると全力で走りだす。核の時代にこんなことが役に立つのだろうか、もうバカになるしかないな。班長の��令が頭の中を素通りして直接手足に伝ってゆく。俺も奴も、そして愛すべき仲間たちも、死ぬ時はみんな一緒・・・・・なんだろうな。
<六月某日>
レイプごっこ
3ヶ月の前期教育も大詰めをむかえてきた。今月の末には、俺も奴もバラバラになって全国の部隊のどこかの駐屯地に配属されることになるだろう。なんか、そう思うと、とてもせつない。でも、俺と奴は違う道をたどらなければならない。希望も適性も違うから。だからあと数週間、思いっきり悔いのないようにガンバッテいく。それが今の俺たちには一番なの
だ。
営内近は1班12名前後いる。学校の教室の約2倍ほどの大きさの部屋に、実に40人の隊員が詰め込まれ、2段ベッドで毎日の訓練生活を送っている。もちろん性格もさまざまであるが、そんな隊員たちが40人も一つの部屋にいる姿は、なんとも壮観で異様でもある。しかも全員、スポーツ刈りか坊頭で、体格もこの六月ごろになると個人差こそあれ、すっかり逞しくなってくる。
その中にはやっぱり俺以外にも、男が好きな奴がいるらしい。時々どっかからか、〇〇二土と二士が二人でトイレにはいって行くのを見たなんて話を耳にすることがある。
うまいことやってるなあなんて思うけど、やっぱり毎日寝起きしている仲間の前ではなかなか、そんなことできるワケがない。それでもよく俺たち二人は皆の前で冗談を飛ばし合う。
「オッ、いいケツしてんなあー、たまんねえぜ!」
「バーカ、今夜はもう予約ズミダヨ」
「ベッドあんまりゆらしてこわすなヨ。下で俺が寝られネェからヨ」
「じゃペーパー貸してやっから、センズリでもかいてきな!」
なんてやり合ってると、周りの仲間も悪乗りしてきて、なにがなんだかわからないうちにレイプごっこ(つまり解剖というやつ)が始まったりする。どんなバカ力の持ち主でも二十人ぐらいにせめられたんじゃ手も足もでない。アッというまにスッポンポン。一回やられるとくせになるみたいで、次の獲物をさかす。でも気がつくと、一番必死でやってるのは俺みたい。
<六月中旬某日>
こみ上げてくるような話
今日から前期教育で最初で最後の野営(泊まりがけの野外訓練)が始まった。
午前中に寝泊まりするテントを設営する。
午後からは小銃手用の掩体(一種の個人用の隠れ穴…ここに隠れて首と銃だけ出して、敵を狙う)を掘った。
1グループ6人で3時間ほどで仕上げなければいけない。
もっぱら俺は現場監督のように地面に穴を掘る設計図を引く。そして奴は、パワーショベルのようなバカカで他の仲間四人とともに穴を掘る。もちろんきっかり時間内に仕上がった。
野営で俺��ちが使うテントは、二人用の小さなもので、朝起きてみると足が外に出ていた、なんてことがしょっちゅうある。もちろん奴、勝見二士と一緒である。
一日めの夜は夜間訓練もあり、ビールも一本入ったので、二人はろくに話しもしないで寝てしまった。
二日の夜、目が冴えて眠れない。��しぶりに奴と俺はいろんな話しをした。酔うと滑舌になる勝見。入隊する前の事や、これからのこと、もちろん女の話しだって出てくる。俺は当然聞き手に回るわけだが、それでも奴は初体験の話や、彼女にふられてしまったことを、こっちが感心するほど克明に話してくれた。
なんかこみ上げてくるようなものも感じるけれど、それは明日の厳しい訓練にとかして流してしまおう。
三日めは、昼間の行軍が災いして床についたら、またまた、あっという間に寝てしまった。それでも就寝前、点呼に来る班長が、
「お前ら、あんまりいちゃつくなよ!」
「いやーあ、昨日なんて島さんが寝かしてくれないんスよ。まいったなあ」
なーんて冗談も飛ばしてくれて、言葉の中だけど、楽しませてくれた。
<前期教育終了7日前>
愛すべきパワーショベル
今日は最後の体育だ。項目はなんと苦手の障害走。外見に似合わず(?)体力のちと足りない俺には恐怖の時間である。だが、今回はなんと二人でペアになってやれというのである。当然勝見二土と組むことになる。よし、やるぞ!
隊長の合図でスタートし、戦闘服姿で障害物を切りぬけていく。高さニメートルの垂直の壁あり、幅一・五メートルの溝あり、まったくとんでもないコースだ。やっぱり勝見の奴は早い。確実に障害をこなしてゆく。時々日に焼けた顔でこっちをふり向く。そうだ、奴がいるから今俺は、三カ月間ここまできたんだ、汗と埃は今、大きなエネルギーと変わって俺たちに吸い込まれてゆく。奴が好きだ、そう、心の中で叫んでやる、
「好きだ」と。
ふと気がつくと、目の前にロープが下がっていた。最後の難関のロープ登りである。畜生!俺が最も苦手とするやつだ。それでも登らなければならない。一段階一段階と手足を使って登るのだが、なかなか上へ進まない。
畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くに・・。すると、そ畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くのに…。
すると、その時である。足をなにか、すごい力で下からさ押れた。グーッと上に上がる。フ、フックに手が届いた。やったあ!思わず下を見る。そう、俺の足の下には勝見のこぶしがあった。奴は満身の力で、俺を下から押し上げてくれたのである。
この野郎!お前はやっぱりパワーショベルなんだなあ。
<前期教育終了6日前>
自衛隊部隊はラッパの音と共に、毎朝8時に国旗掲揚、夕方5時に国旗降納がある。
俺の前に整列している奴の後ろ姿の敬礼を見るのもあと数回しかない。教育終了後に別の部隊に進む事に決まったから��。
日に焼けたうなじを目に対み込んでおこうと思う。毎日、一緒に行く食事も別れが近いせいか会話が少なくなったような気がする。
そろそろ身辺の整理を始める。ダンボールに荷物をつめる時、背中に後ろで見ている奴の視線がやけに気になる。
<前期教育終了4日前>
パンツの隙間から半立ちのものが…
教育打ち上げの研修旅行で、ある山奥の温泉に行った。
やはり百名近い短髪の青年集団というのは一般の人々に奇異に見えるようで、必ず「お仕事は何ですか」なんて聞かれる。もちろん醜態をさらす飲み会に制服なんて着ていくワケがないから、わからないのは無理もない。
「皆さんお若いですネ。今年入社したのですか?」
「ハアー、そうです」
「いい体している人ばかりですけど、どんな仕事ですか」
「まあー(モゴモゴモゴ)」
「ガードマンかなんかですか?」
「似たようなもんですネ」
と、けっこうおもしろがって遠回しに話をするんだけど、後ろから当然、
「島二土!」
なんて階級で呼ばれるもんだから、わけ知りの人にはバレちゃう。そしてその夜ー。
バカ騒ぎのうちに飲み会も終わり、各班ごとにひっそりと部屋に集まって二次会が始まる。ビールの本数が増えるに従って、歌が出る。かわるがわる歌う員の歌声をバックにして、俺も奴も仲間たちも、この三カ月間の訓練をいろいろ思い出していた。苦しかったことしか浮かんでこない。
でも、俺たちはその中で同期愛ということを学んだ。
いつのまにかみんな寝てしまっていた。もう外は白みかかっている。
突然、俺の寝ている毛布に奴が割り込んできた。肌がふれ合う。奴の匂いがする。すぐいびきかく。でも、なんとなく手が出せない。チラリと下を見る。パンツのすき間から、奴の半立ちしたものが見える。そういえば、いつか俺も言われたっけなあ。
「島さん、立ったチンポぐらいしまって寝てろよナ。思わずさわりたくなるだろが!」
奴が不寝番をやっていた時見られてしまったようだ。まったく助平な奴だと思った。でも俺のほうが助平だったりして。
��俺、眠ってる時って何されてもわかんねえんだよなあ」
と奴がカマをかけてくる。
「バーカ、もうやっちゃったヨ。でも1万円のダッチワイフのほうが気持ちよかったぜ」
と俺。してやられたというような奴の顔。
そんなこと思い出しながらいいチャンスの中、俺も寝てしまった。
<前期教育終了日>
再会をめざして頑張ろう
とうとう、今日という日が来てしまった。
俺も奴も違う部隊へ行ってしまう。場所も離れているので、顔も見られなくなるかもしれない。両手で握手をして別れた。
遠くでいラッパが鳴っている。戻は出なかったが、心で泣いてしまった。ありがとう、リスの目をしたパワーショベル、勝見次郎よ。日に洗けて埃にまみれながら走り続けた道を、ふり返りながら前を行く。奴だから、今日まで.....。
そして今…
新隊員後期教育が始まって1ヶ月半。前期教育から一緒に教育を受けている北村二士が手紙を見せてくれた。勝見二士と同じ部隊に行った高田二士からだった。
<あ、そうそう、この間の手紙に島さんが夢精したって書いてあったネ。あの文、勝見二士に見せたら、「まいったなあー」って口ではいってたけど、ニヤニヤしてたぜ。島さんに会いたいって伝えといてくれとのこと>
俺も奴に会いたい。こんど会うのはいつのことだろうか。
「士、別れて三日を経たるは刮目して待つべし」
お互い、目をみはる再会をめざして頑張ろうじゃないか。人は出合いと別れを通じて成長するのだから。
そして後日談…2024年
題名「遠くで突撃喇叭が」は第二書房が付けた題名。
原題は「遠くでラッパが」である。今どき戦闘訓練で突撃喇叭なぞ吹かない。この時代の薔薇族には戦記物を書ける文字通り百戦錬磨の先輩がたくさんいたから仕方ないが、俺の指したラッパの音は毎日部隊で鳴らされる国旗掲揚、国旗降納のラッパである。
勝見二士(仮称)は俺が見込んだとおり自衛隊員募集パンフレットの表紙を飾った。
残念ながら2任期(4年)で退職。
再会は果たせなかかった…親父の後を継いで海に出たそうだ。
新隊員当時の写真。小説に出てくる面々。
その他の隊員と再会したのは地下鉄サリン事件。不幸な事件であったが、それぞれが一線で任務についていた頼もしさを感じた。
もちろん俺も新隊員の教育をする先任陸曹になった。
その後俺も2等陸曹で依願退職。約15年の自衛隊生活を終了。鳶職となり予備自衛官で約10年、1曹まで務めた。
2024年現在、自衛隊に残った同期たちは全て定年退官している。
俺を薔薇族、さぶに引っ張ってくれた木村べん氏も他界された。
読んでもらって分かる通り、肉体関係は無くとも男同士の愛情はある事への感動を自衛隊で得ることができた。
職務上死の覚悟を要求される世界。
その感動をセックス描写のない小説でも構わないからと木村べん氏に書いてみないかと言われて作ったのがこの作品。
べん氏に銃を持つ手ではイラストは描けなくなると言われて、好きなメカ画も共同で作品表紙等で書かせていただいた。もちろん最初で最後。ben &tetsuは勉&(鳶)徹って言うこと。
文中漢数字が多いのは縦書きの影響。

「遠くで突撃喇叭が」掲載誌表紙
もう一つ参考にしてさせていただいた本。
1974年芥川賞受賞作品「草のつるぎ」
実はエロ度こちらの方が数段上。戦闘訓練の打ち上げで全員でセンズリこくシーンがある。実話だからノーカットなんだろう。
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栗浜陽三 (文・写真) 『九十九里浜』 より 雑誌MLMW (ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
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九十九里浜・しなやかな風景 写真と文 栗浜陽三
九十九里浜が、何県にあるかを知らない人でも、その名の持つ雰囲気に、何か特別のイ メージをお持ちであろうと思う。太��洋に面した、その茫漠たる長い長い浜の風物は、浜というものが持つ様々の要素を凝縮させて、 我々の期待感や夢を満たしてくれるかのように思える。しかし残念ながら今では九十九里浜の魅力の殆どは、過去のものとなってしま った。一体、十数年前の、あの素朴で夢のよ うに美しかった九十九里浜は何処に行ってしまったのか。この僅か数年の間に、都会人の荒々しい神経で浜は汚され、美しい砂の起伏は姿を消し、近代化の手は浜に沿って長々とハイウエイを引いてしまった。九十九里浜にとって、全く無意味としか思えないこのハイウエイプランを耳にした時、私は自分の心の中の大切な部分を引きさかれる思いがしたが、土地の政治家というある人は、それは芸術的
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
しなやかな風景●九十九里浜
・・・は黒ダンの前袋の両脇から黒々と毛をかき出して男らしさを競ったといい、亦、漁から浜に帰って来る舟は、長い竿を舟の両側につき出して、その先に黒褌を結びつけ、尾長鶏の尾羽根のように海風になびかせてもどって来たと話してくれた。
私がせめて十数年早く九十九里を訪れていたら、目にしたであろうこれは誠に九十九里の匂いのする昔語りであった。 それでも���は消えてゆく残り火の色を見る ように、時折浜で数少ない漁師の浜仕事や、 女達のフラミンゴの踊るような鮮やかな作業っぷりを見る事が出来た。
度び重なる私の九十九里訪問につれて、私の仕事友達や学生達が浜を訪ねるようになり、若々しい彼等の裸身が浜をにぎわすようになった。彼等はアっと いう間に海風にやけ、町中まで褌姿でのし歩き地引網を楽しみ、九十九里独特の丸板の波乗りをし、別人のように生き返った。
私は丸裸で浜仕事をする漁師をたびたび目にしたが、 この風俗は戦後アメリカ人の手前禁じられてしまったその名残りであった。中年の漁師が性器の先をワラシベや布切れで結んで褌の代用としている様も、決して雑でも奇異なものでもなく、浜の風物の中ではごくノーマルに感じられた。これは海水に濡れたままの褌の不衛生さを彼等がきらったからだという。
浜の女達はよく働いた。小柄でたくましいマイヨールの彫刻のような彼女達は、舟を浜に 引き上げる時には男以上の働きを見せた。母 親の仕事を見ている少女の背中の、赤ン坊の顔には、一刷毛はいたようにウッスラと砂が乗っていた。
十年以上訪ね続けている私の目には、浜の舟の数が年々少くなって行くのがよく解った。最初一、二年の間、浜にそびえていた何艘かのK家の船もいつしか姿を消した。民宿が急激に増え、そしてドカンと音のするようにハイウエイが浜に沿って走り、浜と村を引きさいたのである。庭から海に裸で飛び出してゆけた私達もトンネルをぬけて海に出る為に廻り道をしなくてはならなくなった。浜は見る見る中にゴミが打ち上げられ、マイカーが波打ぎわを走りぬけ、ビーチパラソルが立ち、その下で一日中マージャンをするという馬鹿げた男達が東京からやって来た。日本人は本当のゼイタクの楽しさや味わい方を知らないし、知ろうともしない。なぜ九十九里に都会生活をそのままズルズルと引きづって来る必要があるのだろうか。彼等は潮騒をきく代りに、浜でトランジスタラジオをきこうとする訳なのである。民宿になった素朴な土地の家で、海の香りを味い、あるがままの九十九里の生活に思いきり身をまかしてこそ、本当のゼイタクの楽しさではないだろうか。ハイウエイは私如き人間の知らない理由で必要なのかも知れないが、その代り、日本一のあの美しい浜の風景は二度ともどってこないのである。
K家にはその頃四年程続けて、ある外国の大使館の青い目の客が来るようになった。映画スタ��のような見事な美女達であった。私の友人の若者達とこの美女達は、伸々打ちとけ合う機会がなかったのだが、ある日、彼女達がK家の前庭の椅子に腰をおろして読書を楽しんでいる最中に、この若者達が海からもどってきたのである。彼等はオイルで鋼のように輝く背中をみせてタオルやマットを干し始めた。その姿を一人のブロンド娘がしみじ ・・・
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
以上の写真と文は雑誌MLMW(ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事『九十九里浜』より
これらの文章を読むと、栗浜は性的にも、性的な物を離れても伝統を残したままの海やそこに暮らす漁師を愛していたことが判る様だ。また、他の記事を読むと祭りについても性的にも、性的な物を離れても愛していたことが判ると思うよ。
栗浜のオリジナルは持ってないからウェブから集めた画像だけど、九十九里浜は良い画像がなかったんだ
一応拡大して補正はしておいたけど画質はちょっと残念だね
世間一般では本名の藤井千秋でイラストレーターとして有名な人なんだよ~
藤井千秋は画像検索したらいっぱい出てくるよ
2つの名前の作風の違いに驚くよー!
#栗浜陽三#九十九里浜#ムルム#六尺褌#ふんどし#褌#藤井千秋#kurihama youzou#youzou kurihama#fujii tiaki#loincloth#japanese national costume#japanese underwear#common japanese daily underwear#japanese formal wear#MLMW
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他のアプリに移り
良い感じで話が進み
いざ会う談になり、ないのでシェアでお願いできますか?と言うパターンとても多い
プロフに書いてあるけど基本、自給自足、何回か会い買い行けず!とかならしますが
リスクな買いに行く手間家に置いとけないから等々色んな理由がありますが
危ない経験いっぱいしてるのでシェアは無理です
コメントでいきなり書いてくる人も居るし•••
自分で用意したことない人=危機感薄い人が多いと感じる
若い子で気持ちよくなると、あっ彼氏が戻ってくる言うてるからごめんなさい、帰りますとか
抜けて落ち着いてないのに大丈夫だと帰ろうとする輩
気持ちいいまま移動して暗闇に行こうとしたり、他のお気に入りのセフレのところへ行こうとしたり
危機感なく気持ちよくなれるから
ってだけで近寄ってくる方とは会いません
100歩譲って
√教えて自分で用意し、自己責任を重んじてる人ならば良いが•••
メッセージや他のアプリですぐブロックされます
本当過去に危なかったことありますので
本当は√も教えたくないけど
自分でネットで探したと言い張れるような奴でないと本当危ない
あとは1人の世界の入る人、冷凍マグロになる人
聞こえない声が聞こえる人、鬱見たくなる人
お願いだから面倒見るのは楽しめないので
自身の使い方等を改めてください。自分だけ気持ちよければそれでいいて人本当多くて•••
なので同じ意識持って楽しんでるセフレを大切にしたいと思います
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【1話】 はじめて大麻を吸ったときのレポ 【さいばーひっぴーができるまで】
―――小学校からの幼馴染である“しのはる a.k.a. BUDDHA ON SHROOM”(以下“しのはる”)が、当時留学していたカリフォルニアから日本にいる僕に電話をかけてきては、大麻の使用の煽り・唆しをしてきていた。
彼の話を聞いているうちに、僕は大麻を吸ってみたくて仕方がなくなっていたので、大麻の使用を目的として、しのはるが住んでいるカリフォルニアの家に居候しに行くことにした。
そうして日本を離れ、しのはるの家に到着するなり、しのはるは「初めての人は吸い方が悪いのか、効いてるかわからないって人が多いから、肺に死ぬほど煙を溜め込むイメージで吸って、少し息を止めてから吐くといいよ」などと僕に忠告をすると、「景気づけにいっちゃってください」とか言いながら、早速ジョイントを渡してきた。
僕は少し不安を抱えながらも、不慣れな手つきでジョイントの先に火をつけ、忠告通りに大量の煙を肺に溜め込んでみたのだが、急に肺に苦しさを覚えたために、息を止める間もなく強烈に咳き込んでしまった。
咳き込みすぎてもはや吐きそうになりながら過呼吸的な浅い呼吸を繰り返している僕を見ながら、しのはるはニヤニヤと可笑しそうに「うわー吸ったねーこれ絶対ハイになるやつじゃん」などと言いながら、残りのジョイントをゆっくりと吸っていた。
5分ほど経ってようやく肺が楽になってきた頃、僕は座禅を組みながら、大麻の効果が効いてくるのを神妙に待っていたのだが、さらに15分ほど経過してもとくに変化がなかったので、「全然効いてる感じしないなー」などと言って残念がっていた。
しかし、気づくとなぜか上半身が右に傾いていたのだ。僕は上半身が倒れそうになったところでハッとして姿勢を直したのが、それでもまた徐々に上半身が右に傾いてしまっていた。僕のその様子を見ていたしのはるは、「時計の秒針みたい」などと何の気なく僕を茶化してきていたのだが、僕はその言葉を受けると、まるで暗示にかかってしまったように、1秒ごとに1秒分の角度で小刻みに上半身が右に傾いていってしまった。
僕は秒針になるのをやめるために立ち上がってみたのだが、今度は沼地に立っているかのように足がカーペットに沈んでいく感じがしてきた。その感覚はとても愉快で、僕は幼児のようにはしゃぎながら左右交互に足踏みをしていたのだが、次第に足踏みをするのを止められなくなってしまい、しかもその途中で、“ただのカーペットの上で成人男性が足踏みをしてはしゃいでいる”という状況の可笑しさに気づいてしまったので、止められない足踏みをしながら腹を抱えて笑っていた。
すると、壊れたおもちゃのようになってしまった僕を見ていたしのはるも、まるで伝染したかのように笑い転げ出したので、それにつられて僕もさらに笑いが止まらなくなった。何が面白くて笑っているのか、もはや途中で忘れてしまっていたのだが、なにが面白くて笑っているのか分からないのに笑っていることがもはや可笑しくて、ヒステリックに笑い狂っていた。
そうして大麻のハイの愉快さを知ると、僕は毎日のように大麻を喫煙したくなり、2週間ほど滞在していたカリフォルニアでは、ほぼ毎日大麻を喫煙する生活を送っていた。
―――しかし帰国してから2年間ほどは、大麻とは無縁の生活を送っていた。旅行に行った時などには大麻を吸いたくなることもあったが、わざわざ日本でリスクを犯してまで吸おうとは思わなかったし、当時は周囲の交友関係の中に大麻を嗜む人がいなかったのもあって、大麻のない生活に特に支障を感じていなかった。
そんな中、しのはるが日本に帰ってきた。しのはるは、「間違えてポッケにTHCグミを入れたまま飛行機に乗ってたみたいで、図らずも密輸入しちゃった」などというメッセージと共に、トリッピーなデザインをしているグミの写真を送ってきて、その数時間後には、「もう食べちゃったんだけど、日本でハイになるの色んな意味でおもしろいわ」などと羨ましくなることを言ってきた。
しのはるのせいで大麻を吸いたくてうずうずしていると、数日後にしのはるから電話がかかってきて、「あのグミはもう食べちゃったんだけど、weed調達できたから、今日一緒に吸わない?」などと誘ってくれたのだが、僕はそのありがたさはさておいて、ツテがなくても日本で大麻を入手できることと、彼がひとりでに行動に移していたことに仰天した。
当時はまだ珍しかったのだが、Twitterで「都内 大麻 手押し」などと検索をして出てきたプッシャーとDMでコンタクトを取って、新宿駅の構内で落ち合って引いてきたらしい。
僕は意図的に法の外に出る経験は実質初めてだったので、少し不安に思ってもいたのだが、再び大麻の感覚を味わえることを想うと、多少のリスクを冒してでも大麻を吸いたいと思ったし、日本で吸ったらどういう感覚や気持ちになるか興味があったので、ありがたくいただくことにした。
そうして、僕は少し緊張しながらも集合先の公園で待っていると、しのはるはニヤついた顔でやってきて、早速ポケットからパケに入った大麻を取り出しては、「こちらが乾燥大麻らしき植物片です」などと言いながら、なんの悪びれもなく大麻を僕に見せつけてきた。
日本で大麻を見ること自体もそうだが、しのはるが違法行為である“大麻所持”をしていることの非日常性というか異常性が可笑しくて、僕はなんだか精神が昂った。
それから早速、その大麻で作ったジョイントを一緒にまわしたのだが、2年ぶりということもあってか、「本当にこれは大麻なのか?」と勘繰るほどにサイケデリックなトビ方をした。
あとでその時の僕の様子をしのはるに聞いたら、ついに頭がバグってしまったんじゃないかと不安になったくらいには、様子がおかしかったらしい。
実際、せっかくだから日本ならではの食事をしようということでくら寿司に行ったのだが、なぜか店内でインド風のBGMが流れていて、僕はその要因だけでインドのくら寿司にいると思っていたし、普段は割と苦手なとろサーモンを口に入れたら、脳細胞の多くが死���したのではないかと思うほどに、2分くらい「美味い」ということしか考えられなくなっていて、店を後にする頃には、美味すぎたことによって心身ともに疲弊しきっていた。
アメリカでハイになるのとはちがって、馴染みのある環境でハイになると、“シラフのときとハイのときとでは感覚や情報の捉え方が違う”ということがよりハッキリと分かったし、法律で禁止されている日本でハイになるというのは、背徳感がスパイスされた解放感があった。
それから、僕は大学を卒業して東映株式会社に入社し、寮生活の元に社会人として初めての労働を行っていた。ただ、ゆっくりと大麻を嗜む生活とは無縁だったために、(寮でこっそり吸っていたこともあったけど)苦しくなってしまい、あっさりと会社を辞めて、もう少しゆるい会社に転職した。
時間に余裕を持てるようになると、僕としのはるは頻繁に大麻を吸って遊ぶようになり、僕は一人でも大麻を引きに行くようになった。そうして、しのはるとプッシャーの情報を共有し合ったり、一緒に引きに行ったりする中で、僕らにはお気に入りのプッシャーができた。
そのプッシャーはLSDなるものも持っていて、LSDのことを「大麻の8倍くらい凄いヤツ」とかいうテキトーな説明をしていたのだが、僕らはそれを聞いて、俄然やってみたくなっていた。
・
つづく(この物語は雑誌「さいばーひっぴー」の「さいばーひっぴーができるまで」に載っている内容とほぼ同じものです)
・
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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13年前に離婚経験者の男です。当時5歳の息子がいました。調停離婚でした。何の不貞もなく、財布も渡し、休日は家族で過ごすことわ第一にしていましたが、元奥の家族の宗教で離婚を切り出され調停となりました。息子が小さかったので母親に付いていった方が良いと思い親権は争いませんでした。代わりに必ず月に1回は会うことを取り決めましたが、最初の1回だけで、それ以降は会わせてもらえず14年が経ちます。調停なんて無意味でした。面会調停も1年やりましたが、時間の無駄です。調停員も他人事です。1年後には会うのは諦めました。それでも息子名義の口座に���毎月お金を入れ手紙も書きました。今年初めて18歳になった息子から返事が来て『会いたい』と書いてありました。調停は全くの無意味でしたが救われました。
17万603組…「離婚した夫婦の88.3%」は要注意、別れてから2年後に「取り返しがつかなくなること」【弁護士が解説】(THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン))のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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20241207 山歩きとお風呂とカフェの日。お風呂とカフェ
一度家に戻り洗濯物を取り込んでお風呂に向かう。
冬の広いお風呂は良いなぁと湯船に浸かりながらしみじみ思う。青い空に白く儚げな月が見える。こんな青空の下でゆったりと湯に浸かるなんて贅沢だ。何度も言うが外の炭酸泉が好きだ。湯温もちょうど良いし冷たい風が吹いていく中、顎まで湯に浸かって手足を伸ばしきらきらゆらゆらと揺れる水面を眺めるのが良い。体がふやけるまで浸かる。サウナ↔︎水風呂はやったことがない。急な温度変化が苦手なのでやったら整うどころかおかしくなりそう…。でも塩サウナは入る。塩サウナに入ると手洗いと消毒でガサガサになった指先が滑らかになるし、肌もすべすべになるから不思議。
お風呂から出たら化粧水やらシートパックやら美容液やら普段あまり時間をかけてできない肌のケアをする。それだけでも自分を大切にしているような気分になる。髪の毛も同様に。見た目には変わらなくてもひとつひとつ丁寧に時間をかけた、という自己満足が大事だと思う。
ほかほかになってさっぱりしてお風呂屋さんから出る。空すっかりは夕暮れを過ぎ薄暗くなっていた。冬は日が落ちるのも早い。海まで夕暮れの空を見に行くのも考えたけれど今日はお風呂を選んだ。満足。
さてこれからどうしよう。
友達がLINEギフトでスターバックスのチケットをくれたので出かけてるついでに行ってみよう。田舎に住んでいることもあって自分からはあまり行かないからありがたい。正直どうやってオーダーするのかも分からない。お店に入ってチケットを頂いたんですけどどうやって使いますか、とレジの男性に聞く。
「この金額ですとこのサイズで、甘くないのがお好みでしたら今ですとこのメニューがおすすめです。チケットの金額に近くなるようにこれとこれをトッピングしたらいかがでしょう?フードの方はこのドリンクにはこれが合うと思います。ただチケットより少し価格が出てしまうので差額はお支払い頂くことになります。」とメニューを見せてくれながら丁寧に説明してくれた。おすすめされたものをそのまま頼む。飲んでみたいなと思ったドリンクと食べてみたいなと思ったものだったので驚いた。実際の支払いは51円だった。51円でこんなに優雅な時間と美味しいものを頂ける、感謝しかない。
その場で写真を撮ってチケットをくれた子に送りありがとうと伝えたら、自分のための時間に使ってくれてありがとうと返信が来た。大好き!と思った。
ゆっくりジンジャーラテ(シナモン、ハニートッピング)とケーキをいただきながら、スケジュール帳にその日のことを書く。記念にレシートはスケジュール帳に挟んである。
山歩きをして景色を眺め大きなお風呂に入ってのんびりして、夜にはカフェで自分時間。今回は本当にやりたかったことなのかは分からないけれど、何かしら体を動かして分かりやすく充実した休みの日にしたかった。自分本意で一日を自由に使うのは良い。
これが丸一日何もせず髪も顔も寝起きのままスウェットで寝て過ごしたとしても全然良いし、そんな日だってきっとある。
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童心にかえる(あとがき)
2024年12月22日(日)
足元には黄色から土色に染まる枯れ葉が散り、冬の寒さは感じるものの見上げれば常緑樹が多いのか緑の清涼感がそこにはあった。歩みを進めるにつれ滝音が聞こえてくる。さて、目を閉じて自然の空気を肺いっぱいに巡らせ、頭の中の車を運転する部屋に施錠し、写真を撮る部屋の鍵を開ける。
リュックを下ろして、滝を色んな角度から眺めて構図をイメージしていく。画家ならばとカンバスを前に筆を立てている様子を思い浮かべる。自分の想像に応じたレンズに付け替える。カメラを三脚に取付け、センターポールを外すのに少しまごつく。三脚の3本の足を1番低くできるよう角度を変える。思った構図の位置へ設置し雲台の3点を操作し調整する。フィルターの有無を決め、木や岩のてかりを確認し調整していくが、ある程度残す事にした。ディスプレイと、にらめっこ。頭の片隅で急に言葉が踊りだす(カメラから生み出される絵から言葉へ変換する作業)。・・・童心、無邪気、笑み、公園の遊具、泥遊び、絵本、神話の世界、グングニル、巨人の腰掛け、枯れ葉踏み、苔苔、孤独、侘しさ、キリが無いのでetc・・・。色んな思いを詰め込んでいると、滝の飛沫が何滴か顔を叩き、我に返る。僕自身はあまりお喋りな方ではないが、頭は反してよく喋る。一旦、変換を止めて景色と向き合うことに集中する。水の流れの強さを目で確認する。水量はさほど多く無い。流れは規則正しく動いているようで、同じ動きはしてくれない、一度きり。だからこそ丁寧に撮りたいと思う。シャッタースピードを軸に感度と絞りを再調整を数回繰り返しシャッターを切る(2秒タイマーで)・・・よしよしまずまずだ。
グリップ付きの長靴を履いてきていたため、滝から駐車場まで水の流れを追っていくことにする。自分の動きと同時に小気味よく熊鈴が凛と鳴り、歩くことを楽しくさせる反面、水面の光の照り返しが眩しく、水深を確認しながら用心深く進む。人とすれ違う度、あいさつを交わす(確か6名だった)。相手側は木陰の遊歩道、僕は渓流の凹凸道で妙なコントラストだ。目的が違えば辿る道も違う。曇り空の中から晴れ間が差し、水面が青くなったり白くなったりする。水中には木の葉や木の実が落ちていて、幼い頃のどんぐり拾いを思い出す。形の丸い木の実や、どんぐりの帽子ばかり探す子どもだったような気がする。相変わらず頭の中で踊り続ける言葉たちを手懐けながら写真を撮ったり、休憩したり、のんびりと過ごす。
結果的に駐車場から滝までは数分なのに2時間も滞在していた。それだけ雰囲気が心地良かったのだ。身体中に目に見えない青や緑を纏わせて帰る。思考し続けたせいか、運転は車間距離だけ取りほぼオートパイロットモードだった。帰宅後、キッチンで湯を沸かし3種類ある豆から深煎のを選びじっくり挽いて、熱いコーヒーを淹れる。あったかい。
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先日31歳になりました。Tumblrを始めて何年になるのだろう。途中で全消ししちゃったから定かではないんだよね。ちなみに残ってるいちばん古い投稿は7年前でした。
夫が長期出張のためめずらしく平日に実家に帰省した。どう頑張っても片道3時間はかかるので、3〜4日じゃ全然ゆっくりできた気がしないのどうにかしてほしい。ほんとうはこの期間に、5月末に出産した友人の赤ちゃんを見に行きたかったのだけれど、予定が合わず断念。高校時代の友人も9月には出産すると連絡をもらったし、最近ずっと人へのプレゼントに頭を悩ませている。30を過ぎてからというもの、出産報告におめでとうを送ると、カジュアルな「早く産みな〜どんどん体力なくなってくんだから」がまぁ必ずと言っていいほどついてくる。それは周囲がすでに30代の私に投げかける言葉としてすごく正しくて、スッと受け入れ有り難がるべきことなのだけれど、なんとなく心の奥がモヤっとしてしまう。最近はそんなアドバイスを遮って、甥への何にも変えられない愛おしさと育児の大変さ、どちらもひしひしと感じているからこそ簡単に決断できないんだよ〜!と言い出したくなる始末。※ちなみに甥は6月に1歳を迎え歩き出し、星のボタンがついた小さな靴で転ぶリスクも厭わず走り回るので帰省のあいだ面倒を見るだけでも疲労困憊。母もとい妹はすごい。
そんなこんなでここ最近は、ライフステージを駆け上がる友人と連絡を取るたび、私はどうしたらいいのか、に飲み込まれていたので、配偶者である夫と離れて実家に帰省した日々はとてもいい気分転換になった。どうしても自分の足で歩きたい甥っ子を追いかけ回しているとき。ほぼ物置と化した元子ども部屋でひとり学生時代に揃えた漫画や小説に囲まれているとき。甥と妹が並んで昼寝している横顔を眺めているとき。青い空と入道雲に見守られて車で田圃道を走るとき。以前は地元や実家にこんなにも救われるなんて想像していなかった。許せない過去はいまだに私の奥底に存在していてごく稀に顔を出すけれど、そのときはそのときだ。離れて暮らすことが私たち家族の正解だった、と今ならキッパリ言えるけど、がむしゃらに足掻いて人知れず泣いていた当時はそんなこと分からなかった。終��りよければすべてよし、なんて陳腐なまとめ方したくないけれど、私たち家族に限って言えば意外とぴったりな言葉なのかもしれない。これだって私からしたら努力して乗り越えてきたんだ。これからだって、自分が後悔しない生き方さえ選べれば、私たちは大丈夫。帰ろう、彼の元に。
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#日常 #猫
熱帯低気圧は過ぎ去ったとはいえ、雨が降ったり止んだりの本日。途中結構な勢いで雷も鳴ったのですが、雷が鳴ると慌てふためくのが我が家のケモノ達。
猫も犬も雷は大嫌いなのですが、猫はまだ、雷鳴が響き渡ると物陰には隠れるものの、「いや私は念の為に隠れているのでありまして、特に雷に怯えてはいないですけど?」 みたいな顔。
対する犬は、全身をブルブル震わせながら壁沿いに隠れ(隠れられてないけど)
「あぁぁぁぁかみなりぃぃぃいボクかみなり嫌いなんですぅぅぅぅあぁぁすごい音鳴ったぁぁぁこわいぃぃぃぃぃ助けてぇぇぇぇ」
みたいな感じで、全身で訴えかけてくるので何というかもう、かわいい奴だ。
対人間での犬と猫の甘え方ってもう全く違うんですが、常にどストレートな犬は怖がっているとどうしても捨て置けないですね。猫の方がしたたかに生きていけそうな気はしますが……。
画像の猫は雷の時とは全然関係ない時で、「我の腹をもっと撫でよ」状態になっている時です。生意気だなおまえ、と言いながらもまあモフるんですけども。
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石森プロ時代のお話を。 https://x.com/takigawa_w/status/1789176940924223586?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w 2011年3月11日 東日本大震災 石ノ森萬画館のある石巻市、石ノ森章太郎ふるさと記念館のある登米市も被災しました。 特に北上川の中州にある石ノ森萬画館は津波に往復で襲われました。 津波が押し寄せた時、一階の玄関エントランスなどはビルっぽい四角い形で瓦礫が突っ込みダメージを受けました。が、それより上は丸い形状が幸いして津波が逃げて建物全体の破壊は免れました。 なんと、石ノ森萬画館は石ノ森章太郎先生が生前に「中州に降り立った宇宙船のイメージで」との設計コンセプトで丸みを帯びた楕円形のフォルムだったのです。 石ノ森章太郎先生が起こした奇跡と感じました。 震災の当日、地震と津波に建物は耐えたものの、中州の橋の欄干に津波で流されかけた方々、約20名が命からがら、掴まっていました。石ノ森萬画館のOさんがこれを見つけて「萬画館の中に入ってください!」と招き入れました。 しかし北上川を上った津波が戻って来たのです。 そこで再び欄干に摑まる別の約20名の方々。またOさんが、萬画館に招き入れ、約40名の方々とOさんは、余震の中、萬画館で過ごします。 幸い、萬画館には非常用電源もあり、レストラン用の食材もあったので、石ノ森萬画館を避難所がわりに5日間過ごしたそうです。 石ノ森萬画館の職員家族の方も奇跡的に皆さんご無事でした。 以上は全て後から聞いた話ですが石巻市では有名な話となりニュースやマンガにもなりました。 東京に居た我々は心配しながら石ノ森萬画館のK役員に連絡を取り「必要なものは何ですか?」とお聞きしました。 きっと食糧、医療、衣料など不足しているものが沢山あると思ったからです。3月19日の事です。 するとKさんは「石ノ森章太郎先生の生原稿が10万枚、石ノ森萬画館に保存されています。幸い棚から一つも崩れずに浸水もせずに無事です。ただ玄関ドアが壊れてしまい、防犯的に危ないので生原稿を引き取ってくれませんか」と仰るのです。 あんなに大変な時に心配しているのは石ノ森章太郎先生の生原稿なのです。 僕は「取りに行きます。取りに行きますからその際に必要な物資を持って行きます。」とお伝えして、その日からAmazon、楽天などで簡単に食べられる各種食品、オムツ、生理用品、などなどを会社で買い込みました。 震災直後はそれらの品々こそ、なかなか物不足だったのですが、何とか集め集めて、Kさんと相談して、ようやく東北自動車道も復旧していた3月30日早朝5時にレンタルした(ガソリン不足だったので)プリウスに社員2人と僕、2トントラック🚚とその運転手さんとで、 石巻に向かいました。 途中、渋滞があったり、被害のあった道を通りながら、石巻インターに着いたのは午後1時頃だったと思います。 石巻インターに付くと高速道路の係員のオッチャンが「どこから来たの?あ、東京。何か運んでるの?」 と聞かれたので「救援用の物資、食べ物を後ろのトラックに積んで来ました。」と答えると 「許可証もらって来たの?」と言うので 「分かりません。」と答えると 「許可証あれば只になるんだけど、無いかぁ。 東京からかぁ、高いなぁ、もう高いからタダでいいよ!行きな!」と無料で通してくれたのです。 ちょっとビックリしましたが、有り難く受け入れ、石巻インターを通過しました。 そこから石巻市に向かうと最初は道もさほど荒れていなかったのですが、石巻市に近づくにつれて、瓦礫は増え道は荒れ、市内に入れば電信柱の上の方に何かが突き刺さり、船は乗り上げ、震災がいかに激烈なものであったかは、否が応でも心に刻み込まれました。 石森プロの社員二人とは「どんな事があっても俺たちは冷静でいような!」と誓い合っていたのですが、あの光景は心にズシリ、ズシリとダメージを与えます。 ようやくの思いで、石ノ森萬画館に着きましたが、中州にあった他の建物は見当たらず瓦礫の中に石ノ森萬画館はありました。 そこでKさん達にお会いできて最初にKさんが仰ったのは「遠い所、来ていただき本当に申し訳ありません。先生の生原稿は全部、無事ですから。」でした。 その言葉を聞いて、ご本人達がどんなにか辛い状況だったろうに、この言葉をかけられて、魂が震えるほど感動、感激しました。危うく泣きかけました。 これが日本人 これが東北人 これが石ノ森萬画館 これがKさん。 日本全体に「日本はどうなるのか」という気分が満ちていた2011年3月。 僕はその時に「大丈夫だ」と確信したのです。 その後、石巻市内に設置されたサイボーグ009や仮面ライダーの立像を見たのですが、なぜか全て無事で更に仮面ライダーの立像などはピカピカに綺麗なのです。 聞けば「石巻市民の方が埃がついて可哀想だからと磨いてくれているようです」とのこと。 これも涙腺に来ました。 #東日本大震災 #石ノ森萬画館 #石巻市 #石森プロ #サイボーグ009 #仮面ライダー
https://x.com/takigawa_w/status/1789176940924223586?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w
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