#宗教改革記念日
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エジプトにいた増田です。 思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑しつつ、大変感謝しています。 そんなに人の興味のあることではないとは思うのですが、せっかくの機会なので、自分の考える(自分の出会ってきた)アラビア語とイスラームのことを、ちょっと書かせて頂きます。 大前提ですが、自分は基本、道楽で勉強してきた人間で、職業的な研究者ではありません。大学の専門も西南アジア史とかではないです。あくまで個人の体験を元にした個人の感想で、学問的裏付けのあやふやな大雑把なお話だとご理解下さい。 (いきなり余談ですが、わたしが出会ってきた「アラビア語の達者な日本人」は必ずしも研究者ではなく、一番多いのはマリッジムスリム、つまりムスリムと結婚した日本人です。彼女たちはエジプト社会に溶け込んで普通に暮らしているので、普通は言葉が達者です……十年いても全然ダメでかつ謎の力で意思疎通できる不思議な人もいましたが(笑)。 シリア人と結婚しシリア在住の女性とは、帰りの飛行機で隣り合わせて、息継ぐ間もなく喋り続けて良い思い出です。彼女から聞いた当時のシリア事情は外から見た「残虐なバッシャールvs自由シリア軍」みたいな構図とは全然違って、目を開かされました。 また日本在住のマリッジムスリムでも、家族親族との交流やクルアーンのために熱心に勉強し、大変流暢な方がおられます。 ほとんどの場合、ムスリム男性と日本人女性で、これはイスラーム圏において異教徒の嫁を貰って改宗してもらうのは敷居が低い一方、女性をよその男性にさらすのは極めてハードルが高いせいでしょう。逆のパターンを1組だけ知っていますが、これは女性側の家が相当裕福なインテリ層で、留学経験などもあるためでした) 先述の通り、わたしがアラビア語に関心をもったのはイスラームへの興味からでした。 イラン人についての書かれた元増田の方が、「クルアーンのアラビア語はお経みたいなもの、イラン人にはわからん」といったことを記されていましたが、本当にクルアーンはお経的だと思います。 お経的というのは、意味内容以前に「音をそのまま」読誦することが重視されている、という点においてです。 日本の仏教徒で熱心にお経を読まれている方も、楽譜みたいな感じで音そのものを覚えつつ、意味も勉強すると思います。非アラビア語話者のムスリムにとって、クルアーンはちょうどそんな感じです。 何ならアラブ人にとっても、クルアーンのアラビア語は非常に古い言葉ですので、普通に読んだら意味のわからないところは沢山あります。ただ幼少期から声に出して読誦し丸暗記しているし、その意味も大抵は教えられているので、特に疑問に思わないだけです。 (お世話になっていたエジプト人の先生とクルアーンについて話していた時、「アン=ナージアートとかぶっちゃけ全然わからん!」と言っていたのを覚えています。これはクルアーンの後半の方にある非常に韻文的で語彙的に難しい章で、短いので多くのムスリムが丸暗記していますが、初見のアラビア語として見たら大学出のエジプト人でも「全然わからん」ものです) 一点留保をつけると、「古いからわからない」という意味では日本人にとっての平安時代の言葉に似てはいるのですが、前のエントリでも書いた通りアラブ世界ではフスハーという形で古いアラビア語が割と保存されているため、日本人における古語ほどは難しく感じないと思います。 ついでに言えば、少なくとも大多数のエジプト人は、アラビア語と言えばこのフスハーのことだと信じていて、学校の「国語」にあたる時間ではフスハーを勉強します。普段使っているアーンミーヤ、エジプト方言はその「崩れたもの」くらいの認識で、「勉強するに値しない」「文法なんかない」と本気で思っています。大学出の語学教師さえ、「この仕事につくまで、アーンミーヤをわざわざ勉強するなんて考えたこともなかった」「文法なんかなくて、自然にできると思っていた」とか言い出すほどです。 外国人視点で見れば、フスハーとアーンミーヤはラテン語とフランス語くらい離れていて、勉強すれば連続性がわかり、「ここがこう変化して今こうなのか!」と感動するのですが、最初に耳で聞くとまったく別言語に聞こえます。勉強しないで自然にできるわけがありません。 話がズレましたが、クルアーンは(お経のように)そのままのアラビア語を声に出して読み丸暗記するのが基本です。 キリスト教の聖書は色んな言語に訳されていて、普通は各自の言語で読むものだと思うので、その点がかなり異なります。ただ、周知の通り聖書の大衆口語への翻訳が本格的に行われるようになったのは宗教改革以降で、元来はキリスト教でも「音そのまま」が基本だったのではないかと思います。おそらく大抵の聖典とか、宗教的行為というのは、意味以前に音や身体操作をそのまま発して覚える、反復することが大切だったのではないでしょうか。 何が言いたいかと言うと、現代日本に生きるわたしたちは、宗教というと信念体系とか戒律とか、知的に理解できるものを第一に考えてしまいがちですが、元々はもっと音楽的で、意味や論理性よりも「ノリ」みたいなものを重視していたはず、ということです。 現代で言えば、ヒップホップみたいな感じでしょうか。ヒップホップに全然詳しくないので的外れだったら申し訳ありませんが、フロウとかライムとかは、意味的整合性が全然どうでもいいとは言いませんが、音ノリと意味があいまって全体の美しさが練られると思います。歌詞を紙に書き出して意味を深堀りする、みたいな作業は、批評的・研究的には意味があると思いますが、そこに第一義があるわけではありません。 英語のヒップホップの歌詞を全部翻訳して、その意味内容だけをじっと見つめていても、多分その曲の本質にはあまり近づけません。同様に、イスラームについて「戒律が厳しい」とか「豚肉はダメ」とかそんなところだけ見ても、実際にムスリムたちが行っている、あるいは身体化している「それ」からすると、的を外してしまっている可能性が大いにあります。そしてイスラームに限らず、(現代的にはただの迷妄のように片付けられがちな)宗教行為、信仰というものは、容易に翻訳可能で知的に了解しやすい部分だけ追っても、なかなか「肝」のところが見えてこないのではないでしょうか。 特に聖典のような古い言語は韻文的性質が強いです。アラビア語とヘブライ語のような近い言語ならともかく、日本語のような遠い言語に翻訳すると、どうしても元々の「ノリ」が失われてしまいます。やはり対象言語を基本だけでも学び、翻訳と原典の両方を活用しないと、うまく「詠む」ことはできません。 クルアーン、特にマッカ期と呼ばれる初期に啓示された後半部分は、大変韻文的性質が強いです(クルアーンは概ね時系列と逆に章が並んでいます)。日本では「戒律の厳しい宗教のルールブック」みたいなイメージが強いかもしれませんが、そういう約束事みたいなことを書いている部分は、まったくないとは言いませんが極めて少なく、では何が書かれているかというと、概ね「神様スゴイ」ということを手を変え品を変え表現しているだけです。本当に同じことを言い方を変えて反復しています。あとは「現世は戯れ」「不信仰者を待つのは火��の責め苦」「楽園には川が流れている」みたいな抽象的イメージが多いですね。 音楽的ノリが強いので「サビ」みたいな部分もあって、ごにょごにょとエピソード的な話が続くと、とてもわかりやすい言葉で「まことアッラーは慈悲深い」みたいなお決まりのフレーズがビシッと入ります。ごにょごにょのところが言語的にちょっと難しくても、サビだけは聞き取れるので外国人にやさしいです。 またヘブライ語聖書(旧約聖書)のエピソードが知識として前提されている雰囲気があり、ちょっと二次創作っぽいというか、ユースフ(ヨセフ)とかイブラーヒーム(アブラハム)とかヌーフ(ノア)とか、旧約キャラの話が脈絡なくフラッシュバックのようにパッパッと入ります。旧約エピソードがアラビア語的にカッコイイ韻文で表現されているのは、こんなことを言うと怒られそうですがファンアートっぽいというか、音楽的に昇華されている感じです。 こうしたエピソードっぽいフレーズは時系列で並んでいるわけでは全然なく、「そういえばアイツもこうだった」みたいに話題ごとに何度も引っ張り出されます。 この文体は翻訳で読むと非常に冗長で退屈極まりないのですが、音で聞くと大変心地良く、カッコイイのです。情報として全然新規性がなくても、「出ました! ムーサー(モーセ)の話!」みたいに盛り上がります。 わたしは今でも、車を運転する時は「今日はアル=アアラーフでいくか」みたいに、正に音楽をかけるノリでクルアーンの読誦を流しています。心が落ち着いて安全運転です。 良く言えばノリが良く、悪く言うと深く考えてない感じです。 余談に次ぐ余談ですが、「クルアーン」というカタカナ表記は学問的な界隈では結構前からポピュラーだと思いますが、昔から一般的なのは「コーラン」ですよね。 カタカナで正確に書けるわけがないのだからどっちでもいいんじゃない?とは思いますが、ちょっと疑問に思っていることがあります。 「クルアーン」というのは表記に忠実な感じの書き方で、あまり良い例ではないかもしれませんが、「stand up」を(ステァンダッではなく)「スタンドアップ」と書くみたいな方針だと思います。 では「コーラン」の方が音に忠実かというと、そうではなく、これは多分、英語表記からカタカナに起こしたものです。ラテン文字表記でquranとかkoranとか書かれていたのを、カタカナにする時に「コーラン」にしたのでしょう。 英語圏の人たちが一般にこれをどう発音しているのかよく知らないのですが、もしアラビア語の音に似せるなら、後半にアクセントがあるはずです。 ところが、理由はわかりませんが、カタカナにする時になぜか前半アクセントのイメージで「コ」の後に伸ばし棒をつけて、擬似的に強弱アクセントを表現したようです。 実際に耳で聞けば後半にアクセントがあるのは歴然としていて、日本人の感覚で簡単なカタカナ表記を考えるなら「コラーン」あたりが音的には一番近いと思います。これを普通にカタカナ読みしても多分通じますが、「クルアーン」「コーラン」はまずわからないでしょう。 別にどっちでもいいのですが、アラビア語には日本語のように長母音的な概念があるので、素直に似せていけばいいものを、わざわざ第三言語のラテン文字表記に引っ張られているのがちょっと悔しいです。 同様にラテン文字表記(英語圏での表記)に引っ張られているらしいものとして、「メッカ」はどう考えても「マッカ」で、これはカタカナ読みでも通じます。「カタール」は普通に聞いたら「カタル」が断然近いです。 あと不思議なのは「アッバース朝」とPLOの「アッバス議長」は同じ名前なのですが、なぜか文脈で表記が違いますよね。「アッバース」の方がアクセント的に近いです。これも多分、議長の方がラテン文字表記に引っ張られたのでしょうね。 これは完全に自分語りですが、わたしは割とキリスト教の影響のある環境に育ちました(信者ではありません)。子供時代はどちらかというと反発し、宗教とはなんてアホで小うるさいものなんだ、くらいの幼稚な考えを抱いていたのですが、肯定否定はともかく、信仰なるものについて考える機会は日本人としては多い方だったと思います。 その中でイスラームは、911やその後の騒動もあって印象が強烈でした。行為そのものは単なる殺戮で肯定できるものではありませんが、何年もかけて潜伏し飛行機の操縦を学び、自分の命を投げ捨てて突っ込むというのは尋常ではありません。一方で、世界に16億いるというムスリムが皆こんなぶっ飛んだ感覚の殺戮者であるのは、常識的に考えてありえないと思いました。 では実際のところ、平々凡々たる市井のムスリムたちはどうなのか? 彼らが信じている、その中で生まれ育ち生きているイスラームとはどんなものなのか? というのが、今思うと出発点だったと思います。 色々本を読むとそれなりにイスラームについての一般���識はつくのですが、それらはあくまで、頭の良い人が外から観察してまとめたものです。しかしわたしが知りたかったのは、もっとレベルの低い大衆的な肌感覚みたいなもので、それを知るには内的に追体験するというか、彼ら自身の立ち位置になるべく入ってみて、そこから世界を眺めてみないといけない思いました。 キリスト教でも仏教でも熱心な信徒もいればなんちゃってクリスチャンみたいのもいるわけですから、ムスリムだって色々なはずで、「さほど熱心ではないけどやっぱり信じてる」みたいな人もいるはずです。どちらかというとヘボいムスリムの感覚に同化してみたかったです。わたしはヘボい日本人ですから。 この低水準の信仰感覚というのは、あくまでわたし個人の感じてきたところでは、幼い頃から聞いている歌がつい口をついて出てしまうみたいなものかと思います。 大人ですから知的に敷衍して約束事のように語る部分もありますが、多分そこは本質ではなく(彼ら自身は見栄っ張りなので、よそ行きにもっともらしいことを語るものなのですが)、もっと身体的で音楽的なものこそが大元なのだと、自分は感じています。 そしてこの感覚は、サピア・ウォーフの仮説ではないですが、言語と密接に繋がっています。言語、文化、宗教は連続体で、どれか一個だけ取り出して眺めようとして���なかなかうまくいきません。 まぁ、そんな風に見てみると、意味のわからない人々についてもちょっとは親しく感じられるんじゃないかなぁ、と思います。 そんなこと興味ない、親しみたくなんかない、という人が大勢でしょうが、違う場所から違う視点でものを見てみるのは、何でもすごく面白いものだとわたしは思いますよ。 人生、旅じゃないですか。
エジプトにいた増田です。 思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑し..
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)4月19日(金曜日)
通巻第8221号
後継皇室問題で自民党が有識者会議の二案を『妥当』
やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった
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皇統後継問題の皇室典範改正をめぐって有識者会議が開かれ、これを踏まえて岸田首相は令和六年(二〇二四年)一月三十日の所信表明演説後の質門に答え、かく述べている。
「有識者会議において悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならないとの結論に至った」。
つまり「女系天皇論」という俗論をたしなめたのだ。だがメディアは意図的に、この一歩踏み込んだ発言を殆ど伝えなかった。岸田首相は「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と明言しているのである。
皇統は神武以来の万世一系で男子が継承し、跡継ぎが幼少などの場合、未亡人皇后か独身の内親王が天皇代理として「称制」と務めた。この歴史の特質が意図的に議論されず学校でも教えない。
だから軽佻浮薄にも「愛子天皇待望論」が出てくる。女性天皇と女系天皇の区別も曖昧とされたままである。
小泉政権のおり皇室典範改正をめぐって有識者会議が開催された。明治二二年(一八八九年)制定された典範により、男系長子が皇位を継承するという神武天皇以来の万世一系の伝統が守られてきた。状況が変化し、皇統が絶えかねないという危機を認識し、急遽、有識者会議が招集された。
だが、座長はロボット工学専門の学者で歴史には無知だった。秋篠宮に悠仁親)王がお生まれになって、皇統問題は棚上げとなった。
もしこの流れを変えるとなると歴史を否定する革命である。フランクフルト学派が狙うのは二段階革命による国家破壊であり、グローバリズムが国境をなくせと唱えている国家否定の隠れた目標に通底する。
4月15日、自民党は皇位継承の安定のための皇族数確保に関する有識者会議の二案を『妥当』とする立場を示し、「安定的な皇位継承の確保に関する懇親会(麻生副総裁が会長)で党見解のとりまとめを急ぐとした。
「二案」とは(1)皇族女子の結婚後の皇族身分保持。(2)養子縁組に拠る旧皇族団系男子の皇籍復帰、である。
自民党はいずれも妥当としたわけだが、いささか勉強不足だろう。やはり与党に現代版の新井白石はいなかったのだ。
各党の意見のなかで、唯一まともなのが「維新の会」である。すなわち(1)に対して、現実的ではあるが「女系への皇位継承資格拡大につながる懸念がある」としている。
(2)に関しては『歴史と現実を踏まえれば、高く評価できる』とした。
そもそも皇室典範の改正云々を内閣ごときがおこなうべきではない。立太子と親王殿下がおられるのに、なぜこんな議論をするのか、裏に何か別の動機が潜んでいるのか。
(参考文献 宮崎正弘『二度天皇になった女性 ─孝謙・称徳女帝の光と影』(ワック)
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(再録)「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。また後継皇位を争った政争、謀殺も��回かあった。
古代史最大の謎は応神天皇と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の叔父)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。この間、イチノヘオシハの妹の称制だった。
新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。
「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家(徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをも?ぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、かは
り給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむに至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。ただ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)
新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖���院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあと、五代遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人か独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。
(『月刊日本』から再録です���
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Nijisanji ENのセレン龍月さん契約解除のお知らせから今日までに感じたこと
初めに
これは私の言葉であり感情です。私以外の誰かが別の誰かに対して武器として扱わないでください。また、これは一連の話題について誰かの証拠として述べ、情報を提示・精査しているものではありません。
ここで明確に怒りをむけている相手は主に誹謗中傷を行なっている人達と行き過ぎたサポーター達に対してです。にじさんじEN、所属しているライバー、セレンさん(以降Dokiさん)に対してはそれぞれを心配していますし一刻も早く安寧が訪れることを願っています。しかし衝撃が大きかったのがDokiさんのポストなので当たりが強いと捉えられたら申し訳ありません。
私は普段物静かなリスナーです。リスナーの声を望むライバーには申し訳ないですが静かに楽しむのが好きなのであまり公の場でコメント等をしていません。ですが見聞きしています。偽のリスナーにしないでください。
長いです。誤解を招きたくないので主言語である日本語で書きます。
沈黙は金という言葉がありますが、死人と同じとされる場合もありますね。 であれば私は今墓場から声を上げている亡者です。それほどまでに現在の状況が悲しいです。あまりにも長い呻き声です。ごめんなさい。 今苦しい気持ちでいる方々にまずハグを。
今回の件で運営は手段やタイミングを尽く間違えたかもしれません。少なくとも良くはないと感じます。事情があるにせよ、これまでの立ち回りを思えば全てを是とすることは出来ませんし、不満は当然��るでしょう。とはいえ、何をぶつけてもいいわけではありません。
あの時ショックを受けたのは運営側のお知らせだけが原因ではありませんでした。熱心なサポーターがDokiさんのアカウントを早々に広めて回っていましたからその時から見ています。
【Notice: Termination of Selen Tatsuki’s Contract with ANYCOLOR】
運営お知らせポスト後のDokiさんポスト
ハラスメントを受け続けた末に未遂に至ったというエピソードは権利関係の違反云々とは別に重要なポイントです。しかし感情的になる以前にどうにも両者の間には不明瞭な部分が多くありました。
私はこの段階で、「彼女に弁護士がついていて法的に責任を追及するつもりであれば、いずれ裁判で明らかになるのだろう」と考え、一先ず静観しました。が、別のところでは瞬く間に炎は大きくなっていき衝撃と困惑を携えた人々はぶつけ合い始めていました。
所属ライバー達のメッセージ(動画)
日本語訳つきはこちら
メッセージ配信を受けたDokiさんのポスト
↑のポストから2時間後のスレッド
文書共有の懸念について説明
田角社長の声明
ライバー達はDokiさんの知らないうちに情報に触れる機会を得て自らの感情や状況を話しました。おそらくハラスメントとされたものに対して認識に誤りがあると伝えたかったのだろうと汲んでいます。そこでは追撃の示唆も、早急に公の場での回答を求む声はなく、聞いた人達には弁護士が関わる話だからこれ以上は言えない、攻撃はやめてほしいと願うのみでした。
ここに関してはDokiさんも同じように主張されていますね。
どちらが正しい振る舞いかどうか?正直今の段階ではどちらも言い分は分かるが手段は最善でないと考えます。沈黙を愛せる状況にさせなかったのは私達リスナーや乗じて騒ぐ人達の声でしょう。しかしリスナーが応援したい人の傷つい��姿を見れば忽ち感傷的になるのも想像に容易いです。更に文書の存在・閲覧を仄めかす程度に出したことでより事態を複雑にしました。
彼らは同僚として活動し、友人としても関係を築いていたのですから、何かしら誤解やすれ違いがあったのかもしれません。運営、彼女のマネージャーも各々尽力したが彼女の期待には及ばなかったのかもしれない…想像しか出来ません。もし誰かが嘘をついているなら、それは法の下で暴かれ、裁かれるものです。文書公開・共有範囲についてもどちらの国にそってどう考えるべきかも複雑で、最早部外者が判断出来るラインを越えているでしょう。少なくとも運営が出したポストでは違法性はないと言い、どんなに立ち回りが悪かろうとそれなりに大きい企業ですからこの点は一旦信じています。こういったケースを経験した当事者と専門家がそれほど多く存在するとも思えません。
2/15 Dokiさんのポスト
これは私にとって本当に衝撃的でした。
先に言っておくと話題になった文書や録音についてはここでは触れていません。今は情報の精査は部外者に判断出来るものではないからです。
私が衝撃を受け、人々の反応に戸惑ったのはその後の部分です。
打ち明けられた情報に対してリアクションをしたのは理解できます。結果的に一部の混乱を抑えてくれたことにも感謝しています。改めて彼女は今後サポートされるべきだと思います。しかし、たとえ人々に聞いてほしい一心からだったとしても、優しさ故だったとしても、これが良い手段・内容だとは思えません。
どうしてまた秘めていたエピソードを追加で公開したのでしょう。 1度目の告白で既に多くの人がその痛みに寄り添い毛布をかけていたと記憶しています。ライバー側のメッセージ内容を考えても、胸に秘めておきたかったのならそれを今深く掘り下げずともよかったはずです。一部の情熱的なサポーター達の他にも、興味津々で“次の材料”を常に待ち伏せしている人達もいる。弁護士や専門医と相談の上での発言だと信じたいですが、その場合、その人達へ攻撃しないよう願う為に更に傷を抉って伝える必要があると判断されたのですか?今のDokiさんの状態を慮った上で? 人々は彼女に寄り添うでしょうが、反応を見て分かるはずです。この開示の影響力がどれほどか。これからのことを考えるなら言う側も聞く側ももっと慎重に扱っていい話題のはずです。
自らの命を絶つ。その選択に至るまでの環境や心身の状態はたとえ同じように試みた人間であっても容易に計り知れません。「生きてさえいれば」とは簡単に言えない。死が包み込んでいった現実は余程救いであったと思えない限り、後の他者にとってもただただやるせないです。 Dokiさんには十分なケアを受けてほしい��、今後その意見を尊重してもらえる環境下で生きてほしい。既に前に進もうとしている決意の背中には拍手を送りたいです。 しかし、未遂を打ち開けることは、状況次第で他者にとっては“自分自身の命を盾にした強力な脅迫”に成り得ます。中には苦しみや痛み、自分の欲求を訴える手段として自ら命にナイフを突きつけてみせることを選択してしまう人がいるのも事実です。慎重になる人が出るのは仕方がないと考えます。(Dokiさんをそういう人だと断定する為に言うのではありません。決して。)
私は日本で主に仏教に基づく生活を送り、自死に対しては身に近い話題ですが肯定的ではありません。宗教によってはより痛ましく捉えられるのでしょう。何にせよそこに至った、それだけで重みは十分にあります。
当人がつらい境遇にあった事は責めることでないですし今後報われるべきです。しかし、たとえ本人に悪意や支配の欲求はなくても、『その手段に一度でも行き着いた人間である』と意識されることで、忽ち他者に強く働きかける力を否応なく持ってしまう。どうとも思っていない外野ならともかく、誠実に向き合おうとする相手や好意を抱いてくれる相手にはとても強力に働きます。実際、近くに居る人の中にはその気配をひどく怖れるようになってしまう人、必要以上に自らを責め苛んだり深く傷つく人、当人に代わり周囲への警戒心が強まり攻撃的になる人もいます。これは私の経験にも基づく話ですし、Dokiさんもポスト内でご両親のことを記載されているので想像出来得るかと。
自他ともに心身への負荷や影響・リスクが伴う可能性が高い。今後、追い詰められる前に人に頼ったり助けを求めるハードルを低くしていくのに厄介ではありますが、自覚しておかなければ望まない傷を負い、負わせかねません。
運営の対応や公開されている内容に憤る方も多いですが、私はDokiさんを担当されている弁護士や専門医の方にも、彼女から相談されているならば、より気をつけてほしいと切に願います。
強く意見している人達もどうか注意してください。自己犠牲や起こった悲劇を悲しみ、生き延びたことを喜び励まし合うことはあっても、聖なる灯のように、英雄のように掲げるのは違います。ましてやその名の下に義憤し、周囲へ矛を突き立てるのは行き過ぎています。
過去には自らの願いや訴えを社会に痛烈に伝える手段として自決を選んだ人もいますが彼女の場合はそうではなかったはずです。
起こってしまった以上は先を臨むしかない。完璧ではない企業や運営に改革を求めるのはご尤もです。ですが何人をも裁く権利を司法以外は未だ誰も持っていません。今はそれぞれ信じたいライバーに目を向け、愛情と優しさを持って根気強くサポートしてほしいと願うばかりです。心を深く痛めている人はどうか休んでください。全てがあなたの痛み、責任��はありません。自分に余裕が持てたなら一緒に前を向いてください。
少々話は逸れますが、今回の件では日本人リスナーの反応について過去のにじさんじライバーの件がよく話題に挙げられています。が、私はその件については深く知りませんでした。私は最近起こった、ある悲しい一件に似ていると捉えていました。
2024年1月末、日本では自らの作品の映像化脚本について声明を出した漫画家が急遽亡くなってしまい、現在も話題になっています。彼女は当初脚本について説明する為に声を上げました。彼女の声明内容は瞬く間に波及し、彼女の作品の映像化にあたった関係者や企業、脚本家においてはその知り合いまで巻き込み、SNSで発言を暴き晒し始めたり誹謗中傷が飛び交い、他の創作者達も意見を出し、各所で混乱が起こりました。死に至った明確な理由はわかりません。ただ非常に戸惑っていただろうととれる当人のポストは今も残っています。 他にも浮かぶエピソードはあります。そういったものを通して“必要以上に騒ぎ立てる内に渦中の人物が突然命を絶ってしまい、公の場で必要な裁きや真相究明が困難なままに葬りさられたり、取り返しのつかない展開を迎える怖さ”を知っている人は少なくないでしょう。
最後に、今回の件でヘイトを発信し、国間ヘイトまで煽られている方々。国内外問わず多くいらっしゃいますね。
おかげで私は墓場から声を上げる亡者になりました。きっとお読みにならないでしょうけれど書いておきます。
どうか愚かな壁を先んじて建てないでください。 言語を始め、様々なフィルターは確かにあり、言い出したらキリがないです。しかしそんな中でも各々翻訳したり、ライバーを支えたい一心で必死に配信やポストを聞き応えようとしたり、リスナーたちと交流を試みている人々も国を問わずいらっしゃいます。その末に疲弊し、心を痛めている人も。 時に他言語話者が翻訳機を通しその思いを伝えてくれるように、伝えたい思いや分かち合いたいものがあります。各言語を堪能に扱えなくても心を砕こうとしている人がいることも知っていてほしいです。
国、人種、性差別と取れる表現を軽々と交える人に何かを嘲る資格はありません。
“くろさんじ”が俗に言うブラック企業という言葉の意味を被せているのは知っています。だからといって、そこには黒しかないだろうと笑ったり、誰かを必要以上に蔑むその口が、本当の意味で“anycolor”(どんな色、どんな個性も)を尊重するべきと、守りたいものの美しさをどうして訴えられますか?
どんな色でも、少なからず歴史を知る上で、未だ色色に忌み物のラベルをして、平気で石を投げ楽しんでいる姿を見ると落胆します。結局は自分の飾りたい、認めたい色を都合よく掲げていると気づいていますか?
不満や怒りを抱き、反する意思を見せるのは構いません。ですが理性のラインまで見失わないでください。もしあなたが今信念を持って、誰かや何かを想って立ち上がっているなら、一度落ち着いてまずは我が身と筆先を整えることをおすすめします。
人は日々様々なものを経験しつつ進んでいる道の上で物事を目の当たりにしています。こうした難所に対峙した時の対処法や姿勢は人によります。 ここから先のお願いはあなたにとって心地よければ是非やってみてください。 あなたがサポートしたい誰かが励んでいるなら傍で支えましょう。やがて物事が明るみに出るであろうことを願いながら過ごしましょう。 その間、愉快なドラマをみたがって囃し立てる人達もいるでしょうが拳を振るうよりブロックや通報をして、出来得る範囲で自分と大切に思うその人を温かく包んで。 もし息苦しいなら一旦離れてみましょう。美味しいものを食べたり飲んだり、違う場所へ行ったり、休息をとってください。 綺麗事ではありますが各々大切な人と穏やかに日々を過ごせるよう心から願っています。
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共產主義《聖經》節選
作者:馬伯庸
《創世紀》1:1-24
1:1起初革命導師們創造共產主義。
1:2思想是空虛混沌。工廠黑暗。導師的幽靈飄蕩在歐洲上空。
1:3導師說:要有工人,於是就有了工人。
1:4導師看工人是好的,就把工人和工廠主分開了。
1:5導師稱工人為無產階級,稱工廠主為資產階級。前者出勞動,後者出資本,這是頭一日。
1:6導師說,階級之間要有剝削,將兩個階級分開。
1:7導師就發明了剩餘價值理論,將勞動價值和投資之間用剩餘價值相隔,事就這樣成了。
1:8導師稱工人為被剝削階級,稱工廠主為剝削階級,這是第二日。
1:9導師說,天下的工人本是一家,是壓迫讓他們走在一起;資本家為了本階級的利益,要臭味相投。事就這樣成了。
1:10導師稱工人的聚處為工會,稱資本家的聚處為國家機器。導師看是好的。
1:11導師說,歷史發展要有規律,可以將人類社會分成四個階段,好定他們的性質。事就這樣成了
1:12導師稱規則為生產關係。導師看是好的。
1:13導師說,生產力要決定生產關係,經濟基礎要決定上層建築。
1:14導師稱之為歷史一般規律,有反動,有進步,這是第三日。
1:15導師說,世界上一切事物都要一直處於變化狀態,遵循著否定之否定的原則螺旋上升。事就這樣成了。
1:16導師看是好的,就將之稱為自然辨證法。自然辯證法是人類認識自然和改造自然的一般方法的科學,這是第四日。
1:17導師說,人類社會要分成奴隸社會、封建社會、資本主義社會和共產主義社會。
1:18導師看共產主義社會是好的,就賜福給它,說,共產主義是人類發展的最終階段,按需分配,必然要取代資本主義。共產主義要有初級階段。導師稱初級階段為社會主義,這是第五日。
1:19導師說,我們要照著我們的思想去指導工人,讓他們成為國家的主人翁。
1:20導師就按照自己的思想去宣傳,又對他們說:要革命,你們失去的只是鎖鏈,得到的卻是整個世界。導師們看工人運動是好的,就賜福給工人運動,稱為共產黨。這是第六日。
1:21導師們看一切所造的都甚好,萬事齊備,就打算在第六日歇了他們一切的工。但其中一位導師說:「我們要搞星期六義務勞動!」
1:22於是導師又多加了一天的班,組織學習,寫思想心得。
1:23到第七日,導師們倡導的革命已經開始,就在第七日歇了他們一切的工,各自躺進廣場中的水晶棺材裡,安息了。給工人們瞻仰。
1:24導師們賜福給第七日,定為革命紀念日,因為在這一天導師們安息了。
子民啊,那共產的天堂不是獨為你所造的,你所有的,要給你的鄰居,你的鄰居所有的,也要給你,這樣你們所有的就會加倍,就會有很多倍,這就是共產主義的國。
共產的天堂,又好像一粒芥菜種,種在地裡,你們都來澆水,長起來後它比所有的的菜都大,甚至天上的飛鳥也可以宿在它的葉下。
…………………………………………
在江西,有一位投奔毛主席來、叫作霖彪的衛士頭領,他受那些污了眼睛的人的矇蔽,疑心毛主席不是聖父派到地上來的,毛主席就向他喝道:人啊,你在想什麼呢,你豈見不到我身上的權柄嗎,你難道不知道,葡萄籽般大小的火焰,也可以燒遍西奈的半島嗎,霖彪聽了這話,便跪下來,把毛主席尊為他的領袖。
自列寧從雲端下來、以神��擊殺瀘定橋頭的守軍,那事過了七日之後,紅軍到了草原上,草原上有惡鬼和大毀滅的哀聲,行走的人眾斷了糧,那之後又過了七日,天上忽然紛紛落下白饃,惟獨星期日要守聖卡爾的組織生活日,所以沒有饃饃掉下。
在延安,有受外邦人的誘惑、不尊唯物主義的先知起來與毛主席作對,毛主席走上窯洞,下來時手上拿著兩塊石板,一塊上寫著矛盾論,一塊上寫著實踐論,毛主席說道:我與主卡爾已經訂了約。眾人知道他是為主所喜悅的,就跪下,尊他為黨主席,又稱他陜北的神聖先知。知道他要帶領民眾建立地上的天國。
…………………………………………
燃燒著永不停息的火焰的地獄裡有四個魔頭,頭一個叫作伯恩斯坦的,起初是葡陸士的貝林一個車伕的兒子,蒙召後侍奉在聖右父弗雷德里希的右手旁,後來他因不滿聖右父對聖列寧的喜悅,便帶了三分之一的天使反叛,被列寧使熟銅鎚一鎚擊中人中,從共產主義天堂墜下,墜落了七天七夜方才墜到地面,墮落為地獄的魔王。
第二個叫作考茨基,乃是澤克那地布剌吉的義人,蒙召後成為聖葡陸士天使軍團的首領,拿著聖父賜福的刀劍,去拿那行在地上的魔鬼,然而一日,考茨基在拿鬼時受到了伯恩施坦的引誘,便墮落了,那一刻考茨基白羊毛的頭與發變成了硫磺與鉛,清澈的雙目變成了黑色的火,他的利劍變成了佈滿鐵銹的三叉戟。
有一位露西亞的勇士托洛茨基,想把共產光輝傳給其他的外邦人,卻不知這已背離了聖父的教導。那刻,他腳下銀子的車輪變成了長著九個腦袋的惡犬,他駕馭著惡犬衝出地獄,殺死了許多人,也有許多受矇蔽拜伏在他腳下。後來,聖約瑟夫在莫洗哥那地與托洛茨基大戰了三百回合,方用神聖的權柄把他叉回了地獄。
最後一位原是東方三聖人之一的陳獨秀,他曾拿著沒藥和聖李大釗一起給毛主席施洗,後來陳獨秀受到胡適之和托洛茨基的誘惑,失去了往日的榮光,墮落為身上燃燒著鬼火的地獄之主,他曾與托洛茨基一道在上海作亂,被毛主席用權柄喝退後又在江津傳播壞病,結果被毛主席和聖伍豪合力打回了地獄。
我轉過身來,���看是誰發聲與我說話。既轉過來,就看見七個金燈臺。燈臺中間,有一位好像主席,身穿中山裝,直垂到腳,胸間束著紅星。他的頭與發皆白,如白羊毛,如雪。眼目如同火焰。腳好像在爐中鍛鍊光明的銅。聲音如同眾水的聲音。他右手拿著寶書。從他口中出來一把兩刃的利劍。面貌如同烈日放光。我一看見,就仆倒在他腳前,像死了一樣。他用右手按著我說,不要懼怕。我是首先的,我是末後的,又是那存活的。我曾死過,現在又活了,直活到永永遠遠。並且拿著死亡和陰間的鑰匙。所以你要把所看見的,和現在的事,並將來必成的事,都寫出來。(《啟示錄》)
紅軍們行到貴州赤水那地的時候,被河水阻斷,眾人都不能前行,毛主席便叫人抬約櫃出來,用約櫃分開了河水,眾人大大的驚奇,都暗暗稱毛主席是卡爾從天國派到人間的救主,後來,這樣的神蹟,毛主席又行了四次。
片段五:(《古蘭經》版)
伊斯共《古紅經》
第一章開端章(英特耐爾)
這章是井岡山的,全章共計七節。
1.奉至仁至慈的毛之名,
2.一切讚頌全歸毛,眾窮人世界的主,
3.至仁至慈的主,
4.報應日的主,
5.我們只崇拜你,只求你襄助
6.求你引領我們正路,
7.你所襄助者的路,不是受譴怒者的路,也不是迷誤者的路。
聖卡爾在遵義城外的荊棘中向毛主席顯現,並賜毛主席無產光輝杖。聖卡爾曉諭毛主席說,你吩咐紅軍去赤水前安營,我要使蔣介石的心剛硬,他必追趕你們,我便在蔣介石和他全軍身上得榮耀。
蔣介石便預備他的車輛,帶領中央軍同去,在紅軍安營的地方追上了。
蔣介石臨近的時候,紅軍舉目看見中央軍趕來,就甚懼怕。他們對毛主席說,難道瑞金沒有墳地,你把我們帶來死在曠野嗎?你為什麼這樣待我們,將我們從瑞金領出來呢?因為服事中央軍比死在曠野還好。
毛主席對紅軍說,不要懼怕,看聖卡爾今天向你們所要施行的救恩。毛主席向赤水伸杖,聖卡爾便用大東風,使河水一夜退去,水便分開,露出干地。紅軍下河中走干地,來回四次。蔣介石的軍兵便混亂了,車輪脫落,難以行走。
正義之路被暴虐之惡人所包圍毛主席以慈悲和善意之名引導弱者穿過黑暗之谷的人們有福了因為他照顧同伴巡迴迷途的羔羊
那些膽敢荼毒我同伴的人們我將懷著巨大的仇恨和無比的憤怒消滅他們當我復仇的時候他們會知道我的名字叫毛擇東
1那時,有施洗的大釗出來,在猶太的曠野傳道,說,
2天國近了,你們應當悔改。
3這人就是先知列寧所說的,他說,在曠野有人聲喊著說,預備主的道,修直他的路。
4這大釗身穿長袍馬褂,面戴眼鏡,吃的是蝗蟲野蜜。
5那時,耶路撒冷和猶太全地,並約但河一帶地方的人,都出去到大釗那裡。
6承認他們的罪,在黃河裡受他的洗。
7大釗看見許多封建地主階級和資產階級,也來受洗,就對他們說,毒蛇的種類,誰指示你們逃避將來的忿怒呢?
8你們要結出果子來,與悔改的心相稱。
9不要自己心裡說,有亞伯拉罕為我們的祖宗。我告訴你們,神能從這些石頭中給炎黃興起子孫來。
10現在斧子已經放在樹根上,凡不結好果子的樹,就砍下來,丟在火裡。
11我是用水給你們施洗,叫你們悔改。但那在我以後來的,能力比我更大,我就是給他提鞋,也不配。他要用聖靈與火給你們施洗。
12他手裡拿著簸箕,要揚凈他的場,把麥子收在倉裡,把糠用不滅的火燒盡了。
13當下,毛主席從加利利來到約但河,見了大釗,要受他的洗。
14大釗想要攔住他,說,我當受你的洗,你反倒上我這裡來嗎?
15毛主席回答說,你暫且許我。因為我們理當這樣盡諸般的義。(或作禮)於是大釗許了他。
16毛主席受了洗,隨即從水裡上來。天忽然為他開了,他就看見神的靈,彷彿鴿子降下,落在他身上。
1當光緒帝王的時候,毛主席生在湖南地的韶山。有幾個博士從廣東地來到北京,說,
2那生下來作大秦之王的在哪裡?我們在東方看見他的紅,特來拜他。
3葉赫納拉的慈禧聽見了,就心裡不安。全北京地的人,也都不安。
4他就召齊了祭司長和民間的文士,問他們說,基督當生在何處。
5他們回答說,在湖南地的韶山。因為有先知記著說,
6湖南地的韶山阿,你在大秦諸地中,並不是最小的。因為將來有一位君王,要從你那裡出來,牧養我中華的民。
7當下葉赫納拉的慈禧暗暗地召了博士來,細問那紅是什麼時候出現的。
8就差他們往韶山去,說,你們去仔細尋訪那小孩子。尋到了,就來報信,我也好去拜他。
9他們聽見王的話,就去了。在東方所看見的那紅,忽然在他們前頭行,直行到小孩子的地方,就在上頭停住了。
10他們看見那紅,就大大地歡喜,扭起了秧歌。
11進了房子,看見小孩子和他母親,就俯伏拜那小孩子,揭開寶盒,拿黃金,麝香,人參為禮物獻給他。
毛主席又對眾人說:「我是世界的紅太陽,跟從我的,就不在黑暗裡走,必要得到共產的光。」
赫魯曉夫對他說:「你是為自己做見證,你的見證不真。」
毛主席說:「我雖然為自己做見證,我的見證是真的。因我知道我從群眾中來,往群眾中去。你們卻是以卡爾的律法判斷人的,我卻不判斷人,就是判斷人,也以那實踐作為唯一標準,我的判斷也是真的。那卡爾在天上告訴我說:「實踐是檢驗真理的唯一標準。」
赫魯曉夫對他說:「卡爾的律法在哪裡,你怎敢違背卡爾和列寧的律法?」
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1967年臺灣
H:「 棄我 去者,昨日之日不可留。」昨日不曾紀錄則只能拼凑,1967年是怎樣的日子,查查。國小之開始,識字之旅的開始。20240125W4
網路資料:
[出典] 李白 《 宣州謝脁樓餞別校書叔云》
注:
1、 宣州謝朓樓餞別校書叔云 李白
棄我 去者,昨日之日不可留;
亂我心者,今日之日多煩憂。
長風萬里送秋雁,對此可以酣高樓。
蓬萊文章建安骨,中間小謝又清發。
俱懷逸興壯思飛,欲上青天攬明月。
抽刀斷水水更流,舉杯銷愁愁更愁。
人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。
1967年12月,蔣決定實施九年國民義務教育,所需經費極為龐大,為籌措財源,乃實施加稅計畫,以達成預算平衡。自1968年台灣開始實施九年國民義務教育,為學制之重大改革。[14]:187高等教育以研究高深學術,培養專門人材為宗旨。[14]:187提倡建教合作及技藝訓練。[14]:187
維基百科介紹:
政府
國家正副元首
總統:蔣中正
副總統:嚴家淦
五院首長
行政院院長:嚴家淦(副總統兼任)
立法院院長:黃國書
司法院院長:謝冠生
考試院院長:孫科
監察院院長:李嗣璁
省政府主席
臺灣省政府主席:黃杰
福建省政府主席:戴仲玉
大事記
胡金銓執導之《龍門客棧》及張徹執導之《獨臂刀》,開啟武俠電影熱潮[2]:744。
1月
1月12日——丘念台病逝東京(廣東鎮平縣人,為臺灣先賢丘逢甲之子,曾任臺灣省民政廳長、中國國民黨臺灣省黨部主任委員,為臺灣耆宿。)[2]:734。
1月13日——金門東北激烈空戰,空軍擊落中共米格十九型機2架[2]:734。
1月15日——南投縣第五屆縣長補選由林洋港當選[2]:734。
1月17日——越南共和國國防部長阮友固訪臺(1967年4月2日,商業部長阮景天恩訪臺;4月29日,外交部長陳文杜訪臺;6月20日,教育部長阮文詩訪臺;7月31日,農業部長林文智訪臺。)[2]:734。
1月27日——臺灣省政府主席黃杰簽訂興建曾文水庫工程顧問合約(10月31日,曾文水庫動工興建;12月7日,行政院核准臺灣省發行糧食債券,作興建水庫經費。1969年4月14日,決定降低水庫大壩10公尺,發電量由10萬瓩減為5萬瓩。)[2]:734。
1月30日——國防部長蔣經國著《風雨中的寧靜》一書出版[2]:734。
1月31日——經濟部長李國鼎率團參加在西貢開幕之「中、越經濟合作會議」[2]:735。
2月
美國駐聯合國首席代表高德柏謁見蔣中正,討論當前世界局勢[3]:116。
2月1日——���布設置動員戡亂時期國家安全會議,以黃少谷為秘��長,原國防會議撤銷[2]:735。
2月3日——臺、日簽訂食米外銷協定,日本購臺米5萬公斤[2]:735。
2月6日——發布周至柔、蔣經國、袁守謙分別為國家安全會議建設、動員、戰地政務三委員會主任委員[2]:735。
2月13日——特任唐縱、劉增華、陳嘉尚、孫秉乾分為駐韓國、賽浦路斯、約旦、多明尼加等國大使(3月1日,唐縱呈遞到任國書;5月17日,孫秉乾呈遞到任國書。)[2]:735。
2月18日——行政院決定成立人事、事務、法制、研究等四機構,訂定中央與地方權責劃分方案[2]:735。
2月19日——韓國國防部長金聖恩(韓語:김성은 (군인))訪問臺灣[2]:735。
2月21日——特任保君建、王世明、劉藎章等分別為駐土耳其、科威特、伊朗等國大使(5月17日、5月20日、5月22日,劉藎章、王世明、保君建分別呈遞到任國書。)[2]:735。
2月22日——韓國國會議長李孝祥(韓語:이효상)抵台訪問[4]。
2月27日——臺灣省政府通過桃園中壢鎮升為縣轄市[2]:735。
3月
蔣經國巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
3月1日——中華航空公司與香港當局商定開闢臺北-香港航線;國家建設計畫委員會成立;特任薛毓麟為駐加拿大大使[2]:735。
3月4日——外交部聲明反對任何國家承認外蒙,外蒙是領土[2]:735。
3月11日——土地改革紀念館在臺北市落成[2]:735。
3月16日——陸軍總司令部宣布:陸軍軍歌已由蔣中正核定,今起啟用;任命關鏞為駐賴索托王國大使[2]:735。
3月18日——特任劉宗翰為駐秘魯大使[2]:736。
3月20日——日本經濟調查團訪臺,與財經部門交換意見[2]:736。
3月22日——國防部與美軍協防臺灣灣司令部宣布,特種部隊自4月1日開始舉行為期一月之同舟演習[2]:736。
3月27日——國家安全會議科學發展指導委員會(簡稱科指會)成立,吳大猷為主任委員[2]:736;泰國國務院長他儂·吉滴卡宗訪問臺灣[6](4月1日,蔣中正三度接見,發表聯合聲明,強調清除共產威脅,確保亞洲安全。)[2]:736。
3月30日——經濟部長李國鼎訪問日本(3月31日,拜會日本首相佐藤榮作及外相三木武夫,商建鋼廠計畫並討論造船問題;4月19日,返抵臺北。)[2]:736。
4月
4月1日——中華航空公司港臺航線正式開航[2]:736。
4月4日——澳大利亞總理荷特(Harold E. Holt)訪問臺灣3天(4月6日,與蔣中正兩度會談,發表聯合公報。)[2]:736。
4月9日——前美國副總統尼克森訪問臺灣(4月11日,結束訪問臺灣。)[2]:736。
4月12日——美國宣布:中共國立音樂學院院長馬思聰投奔自由(1968年3月31日,來到臺灣。)[2]:736。
4月17日——千里達及托巴哥總督何才夫婦乘國泰航空飛機經東京抵達臺北展開為期兩星期的訪問,時任考試院院長孫科、時任外交部部長魏道明夫婦和時任僑務委員會委員長高信等人皆在機場歡迎[7];訪臺期間,何才夫婦除了勘查了臺灣中、南部各處的經濟、軍事和教育等設施以外,並特地於4月20日前往參觀國立故宮博物院,隨後與時任副總統嚴家淦夫婦、前行政院院長何應欽一級上將夫婦、魏道明夫婦、時任司法行政部(今法務部)部長鄭彥棻夫婦、時任中國國民黨中央委員會秘書長張寶樹夫婦和時任外交部次長楊西崑夫婦及夏功權夫婦等人共同在圓山大飯店慶祝何才的62歲壽辰[7][8]。何才夫婦臨走時,魏道明、何應欽、時任僑務委員會副委員長何宜武和時任外交部次長桂宗堯等人皆前往機場送行[8]。
4月21日——漁業考察團訪問菲律賓,為中、 菲漁業合作奠定基礎[2]:737。
5月
5月1日——經濟部核准設立「中、日合資」臺灣畜產公司[2]:737。
5月4日——美國國務卿魯斯克及助理國務卿彭岱在美國眾議院作證,盛讚臺灣經濟繁榮與農技援外成就[2]:737。
5月6日——副總統兼行政院長嚴家淦啟程經日本赴美訪問21天(5月7日,與日本首相佐藤榮作就中國大陸動亂及越南問題會談;5月9日,與美國總統詹森兩度會談;5月11日,發表聯合聲明,同意互相諮商應付中國大陸情勢發展;5月26日,返回臺灣。)[2]:737。隨行人員包括:經濟部部長李國鼎、外交部政務次長沈錡暨夫人、行政院國際經濟合作發展委員會祕書長陶聲洋等。並前往阿靈頓國家公墓獻花致意、謁甘迺迪之墓。之後亦參訪派屈克空軍基地、甘迺迪太空中心、紐約聯合國大廈等地。訪問期間爭取到美援停止之後,各項經濟合作計畫,使美方同意加強科技交流,在駐華大使館中,設立科技參事,中華民國政府則在行政院之下,成立國家科學委員會,以促進產業升級[9][10]。
5月11日——行政院通過臺北市自7月1日改制為院轄市,並將景美、木柵、內湖、南港、士林、北投6鄉鎮併入[2]:737。
5月20日——中國農民銀行在臺灣復業[2]:737。
5月23日——美國助理國務卿斯柯(Joseph J. Sisco)訪問臺灣3天[2]:738。
5月29日——反共救國軍部隊登陸山東支援敵後游擊作戰,與解放軍發生戰鬥[2]:738。
6月
蔣經國再度巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
6月2日——美國驅逐艦「金伯利號」正式移交臺灣海軍[2]:738。
6月7日——「中、日貿易經濟會議」在臺北揭幕,商討農產品進出口及機械人纖維原料價格,並研討保護工業所有權問題(6月14日,閉幕。1968年7月23日,第二屆會議在東京揭幕。);臺灣與聯合國共同合作發展食品加工計畫實施方案簽字生效[2]:738。
6月11日——臺灣省政府發布「優待僑商來臺投資辦法」[2]:738。
6月14日——蔣中正主持首次國家安全會議,指示建設要有遠大目標和計畫,須以具現代知識科學人才為基礎;美國將新型U-17A輕航空飛機一批移交陸軍使用[2]:738。
6月16日——經濟部長李國鼎代表與聯合簽訂「社區發展公共衛生設施改善計畫」[2]:738。
6月19日——臺灣經濟發展會議在臺北揭幕,為臺灣經濟發展提出建言[2]:738。
6月20日——戚烈拉(Richard G. Ciccolella)任美軍援華顧問團團長[2]:738。
6月28日——蔣中正調動高級軍事首長:黎玉璽、高魁元分任參軍長與參謀總長,陳大慶、賴名湯、劉廣凱、劉玉章分任陸軍、空軍、聯勤、警備總司令[2]:739。
6月29日——協助港澳僑胞到臺灣投資聯絡小組成立,並制定實施「港澳僑胞來臺投資事項」,僑商到臺灣投資達到高峰(9月13日,政府組成協助港澳僑胞回國投資工作小組。)[2]:739。
6月30日——嚴家淦祝賀韓國大統領朴正熙就職,呈遞國書(7月2日,與美國副總統韓福瑞、日本首相佐藤榮作、韓國總統朴正熙等領袖在漢城舉行非正式高峰會議,談論中共核爆、越戰及經濟合作等問題;7月3日,返國。)[2]:739。
7月
7月1日——臺北市改制為院轄市,市長高玉樹、議長張祥傳同時就職;省立臺灣師範大學改制為國立臺灣師範大學;停刊19年之《東方雜誌》復刊;三軍總醫院在臺北成立;吳修齊、高清愿合組統一企業[2]:739。
7月4日——外交部長魏道明抵達曼谷出席亞太理事會第二屆部長級會議;美國海軍軍令部長穆勒(Thomas H. Moorer)訪問臺灣3天[2]:739。
7月5日——臺灣省政府通令各縣市應即恢復設置國語推行委員會[2]:739。
7月7日——教育部長閻振興表示,明年秋天延長國民義務教育至9年(8月3日,行政院通過「九年國教實施綱要」。)[2]:739。
7月8日——體育界耆宿江良規(1914-1967)病逝(浙江奉化人,為馳譽國際之體育家,著有《體育學原理》等書。)[2]:739。
7月9日——外交部次長楊西崑第19次訪問非洲[2]:739。
7月17日——邱約翰(John L. Chew)接任美軍協防臺灣司令[2]:740。
7月22日——臺灣拆解廢船工業超過日本,躍居世界第一[2]:740。
7月24日——樞機主教田耕莘(1890-1967)病逝(山東陽谷人,曾任輔仁大學復校後第一任董事長,為遠東區第一位樞機主教。);美國運通銀行臺北分行開業[2]:740。
7月28日——中華文化復興運動推行委員會成立,蔣中正擔任會長(11月2日,委員會擬定「中華文化復興運動推行計畫」;11月3日,臺灣省政府訂定「推行中華文化復興運動實施要點」;3月29日,《中華文化復興月刊》創刊。)[2]:740。8月,聘孫科、王雲五、陳立夫為文化復興委員會副會長[3]:116。
8月
8月4日——任命丁懋時、沈祖潯、李興南與黃正分別為駐剛果、盧安達、尼日及加彭等國大使[2]:740。
8月6日——副總統嚴家淦向梁實秋致賀其翻譯《莎士比亞戲劇全集》功成[2]:740。
8月7日——行政院發布「國家科學委員會組織規程」,由吳大猷任主任委員(8月14日,由長科會改組之國家科學委員會成立;10月13日,改組完成,設自然及數學、人文及社會、生物及醫農、工程及應用、科學及教育等五委員會。)[2]:740。
8月12日——蔣中正主持國家安全會議,通過由總統依照臨時條款,以命令規定延長九年國民教育年限(8月26日,行政院頒令自1968年起實施九年國教;12月3日,國際經濟合作發展委員會撥款新臺幣7億餘元,補臺灣省及臺北市推展九年國教;12月13日,行政院決定中美基金撥6億8千餘萬元,作為建國中教室之用。1968年1月2日,由中央指撥公地建校;1月4日,成立延長國民教育工作小組;1月9日,決定統一編印國中教科書;1月26日,78所國中破土興建。);監察院投票同意15位大法官,張金蘭成為第一位女性大法官[2]:740-741。
8月15日——總統府資政孔祥熙病逝紐約(山西太谷人,曾任行政院長、財政部長,長期主持國民政府之財政。)[2]:741。蔣中正馳電弔唁,並手撰「孔庸之先生事略」[3]:116。
8月29日——教育部在美國教育文化事業顧問委員會主任委員郭秉文逝世(江蘇青浦人,曾任東南大學校長、財政部次長兼中英貿易協會主任等職,為中國現代高等教育事業之先驅。)[2]:741。
9月
世盟第一屆會議在台北舉行,共有64個國家與地區、以及12個國際反共組織參加,谷正綱當選第一屆理事會主席。大會通過了世界反共宣言與世界反共聯盟共同綱領[11][12][13]。
9月7日——日本內閣總理大臣佐藤榮作訪臺(9月8日,兩度與蔣中正會談;9月9日,發表聯合公報,強調加強團結,實現亞太區域和平與繁榮。)[2]:741。佐藤榮作兩度晉見蔣商討臺日共同問題,並就當時世局及中國大陸中共情勢交換意見[3]:116-117。
9月12日——蔣接見日本記者發表談話,指出中共內部必陷長期混亂,盼日本人尊重東方傳統,不使共產主義有滲透之機會,唯有臺日加強合作,始能達到此一��的[3]:117。
9月16日——人事行政局成立(7月27日,蔣中正明令設置;8月4日,任命王正誼出任人事行政局長。)[2]:741。
9月17日——美國總統科學顧問賀尼克(Donald F. Hornic)率專家到臺灣,協助臺灣發展科學(9月23日,離臺,建議增加科技經費及培植人才;11月16日,訪臺後建議政府應以土地改革精神,全力加速科學與技術發展。)[2]:741。
9月19日——駐越大使館遭越共爆炸,房屋三分之一被毀(9月26日,暴徒供稱係越共主謀,企圖殺害大使胡璉。)[2]:741。上午10時30分,有兩匪徒混入大使館,將爆炸物安放於胡璉二樓辦公室下面引爆,一時轟然巨響,大使館樓板全部震塌[14]:250。大使館建築物一樓全毀,大使胡璉倖免於難[15]。
9月25日——世界反共聯盟第一屆大會在臺北舉行,67國及13個國際反共組織代表與會(9月29日,通過「世盟共同綱領」與「世盟宣言」後閉幕。)[2]:742。
9月28日——史學家錢穆夫婦自香港飛到臺北定居[2]:742。
9月30日——經濟部長李國鼎與世界糧食組織簽訂「臺灣東部農地開發計畫」實施方案[2]:742。
10月
10月5日——中華航空公司增闢至新加坡、曼谷、馬尼拉及漢城4條國際航線[2]:742。
10月6日——行政院副院長黃少谷代表蔣中正赴加拿大訪問(10月9日,與加國總理皮爾遜(Lester Bowles Pearson)會商兩國加強合作問題;10月17日,返回臺灣。)[2]:742。
10月13日——臺灣與美國簽訂紡織品兩項新協定[2]:742。
10月20日——「中、日貿易協進會」第一次會議在東京舉行(1969年11月17日,舉行第三次會議,臺方代表促成日方採有效措施,縮小貿易差距。)[2]:742。
10月21日——日本外相三木武夫表示對臺政策保持「吉田書簡」精神[2]:742。
10月30日——慶賀越南共和國阮文紹就職,參謀總長高魁元率特使團呈遞國書[2]:743。
11月
11月2日——美援贈臺灣海軍之驅逐艦安陽號抵達臺灣[2]:743。
11月12日——中國國民黨第九屆五中全會揭幕(11月23日,閉幕,選出嚴家淦等19位中央委員。)[2]:743。
11月19日——反共游擊隊突擊廣東惠陽縣平潭機埸,毀中共米格十九型機八架[2]:743。
11月23日——蔣經國再度連任中央常務委員會委員[16]:521。
11月27日——國防部長蔣經國訪問日本(12月2日,返回臺灣。)[2]:743。日本天皇裕仁接見蔣經國時表示永不忘懷蔣中正寬大德意;日本國民1萬5千餘名在東京舉行感謝蔣大會[3]:117。
11月28日——聯合國大會表決「中國代表權問題」,以58對45票,17票棄權,擊退共黨及不結盟國家欲使中共進入聯合國之企圖[2]:743。
11月29日——蔣中正發布行政院長局��改組:俞國華任財政部長,查良鑑任司法行政部長,孫運璿任交通部長,蔣彥士為行政院秘書長;考試院副院長��天放逝世(江西新建人,曾任安徽省教育廳長、浙江大學校長、駐德國大使;政府遷臺後,先後任教部長、考試院副院長等職。)[2]:743-744。
7月30日——行政院通過「中、美資源交換計畫」[2]:744。
12月
12月5日——副總統兼行政院長嚴家淦指示各機關,提高改進行政效率,推行分層負責制度,政府並頒實施準則[2]:744。
12月8日——前日本首相岸信介訪問臺灣;陸軍總司令陳大慶代表政府接受美國贈送之最新型戰車一批[2]:744。岸信介率團謁見蔣中正[3]:118。
12月12日——「中、美農產品協定」在臺北簽字,美國繼續提供臺灣農產品兩年3,750萬美元,半數為協助友好國家之用[2]:744。
12月13日——歷史學家湯恩比訪問臺灣[2]:744。
12月16日——臺、日簽訂5項貸款協定,計979萬1,000美元,購置設備用於建設[2]:744。
12月22日——駐賴比瑞亞大使楊繼曾代表與賴國簽訂「中、賴農技合作新協定」[2]:744。張群任慶賀賴比瑞亞總統、副總統就職典禮特使,順道訪問象牙海岸,歸途訪問美國[17]。
出生
參見: 1967年出生
1月8日——
陳明真,女歌手。
劉醇逸:政治人物,是移居美國的台灣人。
1月10日——林靖傑:導演。
1月13日——徐薇,英文補教名師。
1月15日——羅明才:政治人物,是羅福助之子。
1月17日——玉尚:演員,是呂盈瑩前夫。
1月21日——安幼琪:新聞主播、主持人。
1月22日——蔡淑惠:政治人物。
1月25日——吳蒙恩:導演。
1月30日——黃榮山:力學家。
1月31日——王祖賢,演員、歌手。
2月1日——
賴有賢,漫畫家。作品有《真命天子》、《小和尚》。
秦偉:主持人、通告藝人。
2月2日——
劉櫂豪,法官、政治人物。現任立法委員。
林有志:政治人物,曾任花蓮市市民代表、花蓮縣議員、行政院客家委員會諮詢委員。
2月5日——
拾方方:登山家,是首位在聖母峰遇難的台灣人。
簡余晏:政治人物。
2月6日——陳孫華:造型設計師。
2月8日——
牛爾:化妝師。
張正憲:棒球捕手,現被終身禁賽。
2月11日——陳政賢:棒球選手。
2月16日——顧玉玲:作家、社會運動人士。
2月22日——溫士凱:作家、講師、廣播主持人。
3月1日——蕭淑麗:政治人物。
3月2日——詹雅雯,知名臺語歌手。
3月3日——沈慧虹:政治人物、鐵道站務員,曾任奮起湖車站站長、新竹市交通處處長、新竹市副市長。
3月7日——歐崇敬:教授。
3月11日——
方季惟:歌手、演員。
郭國文:政治人物。
侯駿逸:角力運動員。
3月12日——尹乃菁:主持人。
3月21日——車宜靜:文化工作者,現任世界至孝親篤舜裔總會秘書長。
3月26日——張信哲,歌手。
4月2日——宋明宗:政治人物。
4月11日——王自強:演員。
4月15日——陳宗彥:政治人物,曾任行政院發言人、內政部政務次長、中央流行疫情指揮中心副指揮官。
4月21日——
蔡秋鳳:歌手。
劉志昇:棒球領隊。
4月24日——賴義鍠:政治人物。
4月26日——九孔,本名呂孔維,藝人、諧星。
4月28日——
包小松:歌手、主持人、音樂製作人,是張雅婷之夫、包小柏之兄。
包小柏:歌手、演員、主持人、音樂製作人,是包小松之弟。
4月29日——平凡:漫畫家。
4月30日——
張宇,男歌手。
田麗:演員、主持人、果農。
5月13日——徐超斌:醫師。
5月16日——楊朝偉:政治人物。
5月18日——李慶鋒:政治人物。
5月19日——趙詠華:歌手。
5月25日——
辜仲立,企業家,出身鹿港辜家。辜濂松三子。其兄辜仲諒、辜仲瑩。
吳鈞堯:作家。
5月28日——康康,本名康晉榮。綜藝節目主持人和歌手。
5月30日——丁國琳,女演員。
6月6日——
林美秀:演員、主持人。
楊靚姝:編劇。
6月7日——謝榮雅:工業設計師。
6月13日——陳文治:政治人物,曾任新北市議會副議長。
6月19日——陳震:歌手。
6月21日——馬維欣:演員、主持人、通告藝人,是馮光榮前妻。
6月24日——劉志宏:音樂製作人。
6月30日——王中平:歌手、演員,是余皓然之夫。
7月1日——
簡郁珊:音樂家。
單承矩:演員、導演、編劇、製作人。
7月3日——游梓翔:教授。
7月6日——
鄭文燦,政治人物。曾參與野百合學運,2014年當選桃園市長。
萬芳:歌手、演員、廣播主持人。
高景炎:籃球運動員。
7月18日——林錦昌,小說家、政治人物。曾任台北市政府新聞處處長。
7月19日——
李興文,男演員。曾參與電影《報告班長》、電視劇《流氓教授》、《意難忘》演出。
周可平:圍棋棋士。
7月21日——黃奕睿:會計師。
7月23日——楊潔玫:演員。
7月24日——宋少卿:相聲、演員、主持人。
7月31日——蔡海如:藝術策展人。
8月1日——
陳建年:歌手、警務人員,曾任蘭嶼分駐所副所長。
曾貴章:棒球選手,現被終身禁賽。
8月2日——王光熙:棒球選手,是王光輝之弟,現被終身禁賽。
8月5日——顧婕:演員。
8月10日——曲全立:導演。
8月11日——鄒兆龍:演員,是翁慧德之夫,曾在好萊塢參與電影《駭客任務》第二、三集演出。
8月12日——
黃俊傑,棒球選手,曾經效力於中華職棒時報鷹隊。
傅家森:消防員。
8月14日——曾淑勤,女歌手。
8月17日——
王耿豪:演員。
孟廣美:演員、主持人、模特兒,是台灣首位登上好萊塢的女藝人,現移居北京。
8月19日——胡一虎:新聞主播,原是華視主播,後轉赴香港鳳凰衛視。
8月23日——陳耀川:音樂製作人。
8月26日——蘇昭旭:鐵道研究家。
8月29日——邵昕:演員。
9月4日——四方:演員。
9月7日——吳���莉:新聞主播,原在華視擔任主播,1993年後轉赴香港鳳凰衛視。
9月8日——張萬康:小說家。
9月16日——
趙豐邦,花式撞球運動選手,有「冷臉殺手」之稱。
屈中恆:演員、主持人、配音員。
9月17日——楊秀玉:政治人物,現任基隆市議會副議長。
9月18日——
徐輔軍:導演,以2004年電影《夢遊夏威夷》獲得杜維爾影展最佳影片獎。
陳明義:政治人物,是陳世軒之父。
9月19日——
許淑蘋:演員,是張傑勛之妻。
盧秀芳:新聞主播,是盧秀燕之妹。
9月22日——張傑勛:演員,是許淑蘋之夫。
9月26日——林玉珍:新聞主播。
9月28日——朱國珍:作家、主持人、新聞主播。
10月1日——簡文彬:指揮家。
10月6日——汪用和:新聞主播,是周守訓之妻。
10月7日——林俊泓:導演。
10月8日——吳建樟:翻譯家。
10月11日——劉小芸:配音員。
10月12日——黃忠義,棒球選手。
10月16日——韓羅賢:音樂製作人、經紀人。
10月17日——
林小樓:演員。
黃國華:小說家。
10月19日——賴芳玉:律師。
10月22日——徐佳青:政治人物。
10月24日——劉增鍇:相聲。
10月25日——姚可傑:歌手,是東方快車主唱。
10月29日——徐承義:演員、企業家,是瓦城泰統集團創辦人。
10月31日——
黃柏霖,政治人物。現任高雄市議員,叔叔黃啟川曾任議長。
何淑峯:政治人物。
劉海若:新聞主播,原是TVBS晚間主播,2000年後轉赴香港鳳凰衛視。
11月1日——
洪敬堯:歌手,是洪一峰之子、洪榮宏之弟。
汪平雲:律師、政治人物,曾任蒙藏委員會委員。
11月4日——柯淑勤,女演員。代表作《孽子》。
11月6日——
宋達民:歌手、演員、牧師,是宋逸民之弟。
宋逸民:歌手、演員、牧師,是宋達民之兄。
11月7日——焦恩俊,藝人演員。
11月9日——江國賓,男演員。代表作《台灣霹靂火》、《台灣龍捲風》、《金色摩天輪》,早年以飾演反派角色較具代表性。
11月10日——沈懷一:歌手、社會運動人士。
11月17日——王美雪:演員。
11月18日——劉亮佐,藝人,曾主持三立電視台節目『在台灣的故事』。
11月19日——
侯志堅:鍵盤手、音樂製作人,是東方快車成員之一。
游素蘭:小說家、漫畫家,是喬英之姊。
桑茂森:籃球教練。
11月20日——周奕成:政治運動人士,曾任中華民國總統府諮議、行政院政務顧問。
11月21日——陳思安:歌手。
11月25日——謝采妘:歌手,現移居馬來西亞。
11月27日——陳湘琪:演員、教授,現任教於國立臺北藝術大學電影創作、劇場設計二系。
12月14日——卓天麟:棒球選手。
12月15日——陳進益:配音員。
12月16日——周玲妏:政治人物,曾任高雄市政府觀光局局長。
12月17日——王文華:作家。
12月20日——
陳文山:演員。
蕭雅全:導演。
12月21日——李哲華:幕僚,曾任台北市民政局機要秘書、葉金川副秘書長辦公室主任、林益世立委辦公室主任。
12月23日——陳淑芬:漫畫家。
12月24日——沈玉琳,藝人、電視節目製作人及主持人。
逝世
1月12日——丘念台,政治人物,丘逢甲之子。(1894年出生)。
3月11日——楊仲鯨,政治人物,首屆民選花蓮縣長。(1898年出生)。
3月27日——吳新榮,醫師、作家及政治人物(1907年出生)。
吳燕生 詩人 °吳鸞旂孫女、吳子瑜女兒°大正三年出生於北平,得年 62歲°
參考來源
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『「呪術」の呪縛』下巻の読書ノート
江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(下)リトン、2017年。
第一部 呪術概念の再検討
鶴岡賀雄「「呪術」の魅力:「永遠のオルタナティブ」の来歴と可能性についての試論」
「マギア」を人類学的・宗教学的分析概念としてではなく西欧精神史の構成要素として見て、古代ギリシアから、中世神学、ルネサンス、近世キリスト教、現代芸術に至るまで、マギアの位置づけを跡づける。 そこでは、マギアがつねに、公共宗教や哲学といった正統的な知や生き方に対して、劣位に置かれた人々による代替行為として位置づけられる。しかし、この民衆の低級知は正統知でないがゆえに、かえってそれを批判的に��える超高級知ともなりうるものであった。 近世神秘神学における神的/悪魔的/自然的という三分法が、人類学・宗教学における宗教/呪術/科学の三区分に改鋳されていったのではないか、という指摘はなるほどなあと感じ。また、世間的・民衆的な低級知たるマギアがつねに物を介するというのも、フェティッシュとの関係で興味深い。 「神秘主義」概念の検討については別稿に譲るとされているが、その「別稿」とはこれですね。→ 鶴岡賀雄「「神秘主義」概念の歴史と現状」『東京大学宗教学年報』vol. 34、東京大学文学部宗教学研究室、2017年、pp. 1–24。 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/47687# なお、本論文の中で、サラマンカ大学の学士アマドール・デ・ベラスコが持っていたグリモワール(魔術の指南書)をめぐる事件の話が出てくるが、最近、魔術のことを考えすぎて、先日、江川さんから「grimoireとは魔術書のことなんですよ」と教えてもらう夢を見た。 山崎亮「社会学年報学派の呪術論素描」
ユベールとモースの「呪術論」は混乱に満ちた論文であり、その一因として呪術のアポリア(呪術は私的なものであるが、社会的な性格ももつ)が挙げられる。この混乱を理論的に整理したのがデュルケームの聖理論であるが、ユベールとモースは納得していなかった。 江川純一「「magia」とは何か:デ・マルティーノと、呪術の認識論」
イタリア宗教史学におけるマジーア概念を、特にエルネスト・デ・マルティーノの『呪術的世界』とその後の転回にしたがって明らかにする。宗教学において一般的に、「呪術」は「宗教」のネガとして語られがちだが、宗教史学はこの対比・対立を認めない。 デ・マルティーノは『呪術的世界』において、呪術的世界は「自分の魂の喪失の危機とそこからの解放」という実存のドラマによって根拠づけられるとして肯定的に評価したが、この世界を歴史的時代であるとしたがゆえに、進化主義的宗教論と見分けがつかなくなってしまった。 「呪術的心性と原始的心性を混同している」という師ペッタッツォーニらの批判を受け、デ・マルティーノは後年、「呪術的世界」という想定を取り下げ、神話ー儀礼の結合物としての「呪術ー宗教現象」を探究するようになる。 注にある、「今後、20世紀の宗教学思想を振り返るときには、ペッタッツォーニ、デ・マルティーノ、エリアーデのトライアングルによる、神話ー儀礼的技術としての「呪術ー宗教」の考察が軸となるであろう」という指摘が興味深い。
なお、A. C. ハッドンが報告したボルネオのトゥリク族の男の話(ある男は鉤形の石を頑なに手放そうとしなかった、その石は魂が自分の身体を去るのを引き留めているのだという)がラトゥールのファクティッシュのようで面白い。
第二部 事例研究:古代~中世
渡辺和子「メソポタミアにおける「祈祷呪術」と誓約:「宗教」と「呪術」と「法」」
なかなか論争的ですごい論文であった。一言ではまとめづらいが、アッシリアの『エサルハドン王位継承誓約文書』(ESOD)の構成や文法を分析することで、誓約と儀礼、「言うこと」と「すること」の宗教的な結びつきを考察する。 アッシリア学者の重鎮オッペンハイムは、西洋人として祈りと儀礼が結びつくことに耐えられず、「メソポタミア宗教」は書かれるべきではない、とまで言う。また、ESODの誓約と儀礼という形式こそが、契約(誓約)宗教としての一神教の成立と後のキリスト教の成立にも影響を与えたという。
高井啓介「その声はどこから来るのか:腹話術の魔術性についての���察」
叙述がトリッキーで面白い。腹話術が古代の神学者たちによって魔術として扱われ、近代に脱魔術化していった過程が示される。旧約聖書サムエル記上の「降霊術」がギリシア語に翻訳される際にἐγγαστρίμυθος(腹話術)と訳されたために腹話術の魔術化が始まった。 降霊術が腹話術と見なされることで、腹話術師は腹の中に悪霊をもつことになり、霊媒は魔女扱いされるようになる。しかし、腹話術の魔術性を否定し、単なるトリックだとしたのが、『百科全書』で数学に関する項目を多く書いているジャンバプティスト・ドゥ・ラ・シャペルの『腹話術』であった。
山本伸一「カバラーにおける神名の技法と魔術の境界」
ユダヤ教のカバラーにおいて、正当な呪術と禁じられた魔術の境界は不分明である。このことを15世紀のカバラー文学、ルネサンスの自然魔術の影響下のカバラー、18世紀のエムデン=アイベシュッツ論争という3つの事例に即して考える。 15世紀スペインのカバラー文学の共通点は、主人公であるカバリストが終末とメシア来臨を促すために悪魔を追放しようと立ち上がるも、悪魔に騙されて取り逃がしてしまい、逆に魔術に手を染めた悪人として非難される、という物語。中2っぽいというか、『進撃の巨人』(デビルマン)フォーマットだなと。 青木健「ゾロアスター教神官マゴスの呪術師イメージ:バビロニア文化の影響と呪術師イメージの由来」
マゴスには「呪術師」「神秘主義の達人」「放蕩」といったイメージが付与されるが、ゾロアスター教の神官の職能を検討してみると、実態は王朝に仕える官僚であり、吉凶暦や蛇占いといった副業の方がイメージの形成要因となったと考えられる。 青木健『古代オリエントの宗教』は、渡辺論文の注で、紀元前2世紀から13世紀までのオリエントの宗教史を扱うものなので、「書名と内容が一致していない」と批判されていた。 毛利晶「古代ローマにおける凱旋の儀式:トリウンプスに関する最近の研究動向を中心に」
ローマで戦争で勝利を収めた将軍が行う凱旋の儀式トリウンプス(triumphus)。そこでユピテルの扮装をする凱旋将軍の役割は神か王か。近年の論争を踏まえて、著者は元々ユピテルの儀式であったものが後に将軍自身を讃える儀式へと変化していったと推測する。 凱旋式挙行の要件が、①命令権(imperium)、②鳥占権(auspicium)、③軍隊指揮(ductus)、④幸運(felicitas)の4つだったというのが、統治(王)・呪術(宗教)・軍事の三権が一人に集中しているようで興味深い。 野口孝之「近代ドイツ・オカルティズムの「学問」における「魔術」」
19世紀後半から20世紀初頭に展開されたオカルティズムにおける「魔術」の位置づけを、キーゼヴェッター、エスターライヒ、シュティルナーという3人の思想を中心に検討する。 ドイツの代表的なスピリチュアリスト、カール・ドゥ・プレルの概念das transzendentale Subjektを「超越的主体」と訳しているけど、「超越論的主観」では。このドゥ・プレルの理論を援用するキーゼヴェッターはオカルティズムをGeheimwissenschaftと呼び、先人としてスウェーデンボルグを挙げている。 ちなみに、スウェーデンボルクを批判したカントの『視霊者の夢』の第一部第二章のタイトルはgeheime Philosophie(オカルト哲学)である。
寺戸淳子「「呪術ではない」祭儀:「秘義」としての聖体拝領」
大変勉強になった。キリスト教の「聖体拝領(聖餐)」「実体変化」「神秘的肢体」といったややこしい話を基本的なところから丁寧に教えてくれるので、これらの神学的議論に関心がある人におすすめの入門的論文。 12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。 12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。 逆に、教会はCorpus mysticumと呼ばれるようになった。つまり、聖体と教会の呼び方が入れ替わったのである。この教会を指す「神秘的肢体」がやがて法人のような擬制的人格一般を指すようになっていった。カントーロヴィチぽいなと思ったら、カントーロヴィチが参照されていた。 佐藤清子「19世紀合衆国における回心と「呪術」:チャールズ・G・フィニーの新手法擁護論とその批判を中心として」
きわめて明晰な論文。19世紀アメリカの第二次大覚醒の時代を代表する牧師フィニーは「新手法」と呼ばれる礼拝方式を導入して革新をもたらしたが、それは回心を意図的・合理的に促す手法であり、限りなく呪術に接近していく。 フィニーはスコットランド啓蒙思想の影響の下、自然法則の学習・応用という方法論を採用し、自らの回心の方法を「科学」あるいは「哲学」であると称した。他方で、呪術・宗教・科学の三区分で知られるフレイザーもまた、同じくスコットランド啓蒙の思潮に影響を受けていることは興味深い。 フレイザーは呪術を稚拙な科学であるとしたが、もし仮に「回心」を心理学的な技術によって達成できるようになったとしたら、それは科学なのか呪術なのか。実は科学��呪術の区別は、その知識や技術の程度の差異によるのではないのではないか。 フィニーの「祈り」についての議論も面白い。回心は聖霊の働きによるが、人間は聖霊をコントロールできないがゆえに、回心も究極的には神に委ねられている。しかし、フィニーは回心と聖霊の間に「祈り」という人間の行為を介入させる。とはいえ、人間は祈りによって神を操作できるわけではない。 フィニーによれば、祈りはそもそも聖霊の働きによって可能になるのだから、祈ることができること自体がそれが叶えられる可能性があることの証拠となる、という。ここには、祈りのアポリア(祈りは効果があるならば、祈りにはならず、効果がないならば、祈る必要がない)を解く鍵があるように思われる。 久保田浩「近代ドイツにおける「奇術=魔術」:奇術とスピリチュアリズムの関係に見る〈秘められてあるもの〉の意味論」
19世紀ドイツで機械仕掛けの奇術を行う奇術師は、トリックを説明(klaeren)可能なものとしながら、それを驚嘆すべきものとして提示する者であり、スピリチュアリストの種明かし(erklaeren)をして詐欺を暴く啓蒙(Aufklaerung)の意義も担っていた。 奇術師がスピリチュアリストを科学的に暴いたり、宮廷からお墨付きを得た「宮廷奇術師」が登場したりと、『鋼の錬金術師』が好きな人にお薦めしたい論文。スピリチュアリストが、奇術師は本人も気づいていないけれど実は霊媒であり、本人が奇術だと思っているのも霊媒現象なのだと主張する話が面白い。
井上まどか「ロシアにおける呪術概念の検討」
前半が現代ロシアの事典や概説書における「呪術」概念の分析、後半が16世紀に編纂された『百章』における「呪術」の用法について。「準備的覚え書き以上のものではなく」という著者の言葉通りの文章であった。 『金枝篇』の著者名が「D. D. フレイザー」となっていて、目を疑った(ロシアだとJもGもDなんですか)。それ以外にも本書は誤植が非常に多い印象。上巻目次のタイトルからして既に間違っている。
西村明「呪術としてのキリスト教受容:ミクロネシア・ポンペイ島を中心に」
最終章でいよいよ真打ち「マナ」登場。ミクロネシアのポンペイ島における宣教でキーワードとなった「マナマン」から、マジックワードとしての「マナ」概念の歴史的形成の議論へ。 まず、宣教師は植民地主義的視点で現地の宗教的・呪術的実践を裁断するが、しかし、その視線は一方向的なものではなく、現地民もまた、自分たちの価値体系の中にキリスト教を位置づけて理解する。ポンペイ島で、二つの異なる価値体系を通訳した概念が「マナマン」であった、という話が面白い。 さらに後半、この「マナマン」(ミクロネシア)と同族語である「マナ」(メラネシア・ポリネシア)という概念が辿った数奇な運命が論じられるが、これも面白い。 「マナ」とはそもそも、コドリントンが『メラネシア人』(1891)において初めて学術的議論に導入した語で、その後、超自然的力を指す普遍的な概念として人類学・宗教学で多用されていった。しかし、コドリントンが現地調査したモタ島とバンクス諸島は、当時、ポリ���シア人と宣教師の影響を受けていた。 メラネシアの「マナ」が形容詞や動詞としての含意があったのに、ポリネシアでは名詞として用いられた。メラネシアの宣教師たちは先にポリネシア語に通じていたために、「マナ」を名詞的に理解してしまった。こうして、コドリントンがやってきた頃には、既にバイアスのかった「マナ」となっていたのだ。 このように、「マナ」とは、ポリネシアとメラネシア、現地民と宣教師、そして世界各地の多様な宗教間といった、異質な価値体系を通訳=通約する概念として強力な力をもつようになっていったのである。異質な体系の間の界面に生じる通約的概念という意味では、「フェティッシュ」にも似ているように思う。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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毎日が記念日
10月31日は…
日本茶の日
1192年10月31日、臨済宗の開祖・栄西が宋から帰国し、茶の種子と製法を持ち帰った日。
お茶、だ~い好き!
【疑わしいAI-イチロウによる10月31日の出来事】
1517年 - 95カ条の論題が公開:マルティン・ルターが神聖ローマ帝国のヴィッテンベルクで95カ条の論題を公開し、宗教改革の始まりとなりました。
1864年 - ネバダ州が州に昇格:アメリカ合衆国のネバダ準州が州に昇格し、合衆国の36番目の州となりました。
1926年 - 関東大震災:日本の関東地方で発生した大地震が、東京や横浜を中心に大規模な被害をもたらしました。
1941年 - ハロウィン大手当事件:アメリカ合衆国のミネソタ州で、子供たちがハロウィンのお菓子にラット毒を混入した事件が発生し、多くの子供たちが中毒症状を起こしました。
2000年 - ユニクロ渋谷109店舗がオープン:日本のファッションブランドであるユニクロの渋谷109店舗がオープンし、大規模な成功を収めました。
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淨土大經解演義 淨空老法師
淨土大經解演義 (第七集) 2010/4/11 香港佛陀教育協會 檔名:02-039-0007
諸位法師,諸位同學,請坐。請看經本第六面第三行,最後一句看起:
「於是先師會本問世以來,不脛而走」,從這句看起。黃老說夏老會集的這個本子,印出來之後很快的就流通出去,所以不脛而走。「脛」就是小腿,「不脛」是雖然它沒有腿,它走得很快,傳播得很快,意思是傳播得很快,這是當時的現象。因為社會的不安定,中日戰爭起來,這是戰前的事情,山東這一帶也是被日本人佔領,所以夏蓮老弘法的工作當然就受到阻礙。社會一直到現在都不穩定,全國解放之後又經歷許多災難,這個他後面都講到。改革開放以後才算是安定,宗教的活動漸漸恢復。所以夏老居士告訴黃念祖,說他的這個會集本將來是從海外傳到中國來的。夏老講這些話,同學們聽到都不以為然,感到很奇怪。到以後,這幾十年過去,果然如是,由此可知,法運的興衰,老人已經看得非常清楚。所以,當年最初印的本子不多。前面提過,慈舟法師在濟南講這個會集本,我前面跟諸位報告,那會集本大概還沒有定稿,老人修訂過十次。慈舟法師用的本子不是最後修訂的,不是定本,因為他的科判我看到了。老人用的本子,會集本,全經一共分為三十七品,也許就是用「三十七道品」這個意思,三十七品,這個科判我手上有一本。這就不是我們現在用的本子,現在這是最後的定本,一共分為四十八品。可是,慈舟法師對這個大經,算是最先開的先例,把科判加到後面。我依據他老人家的科判,用現在這個本子,做了更詳細的科判,分得很細,我們有科會,科跟經會在一起。這個科會的本子流通,流通量也很大,應該我們此地有,沒有摺疊的本子,有裝訂的本子,有科會。還有一本,跟李老的眉註合印在一起,科會跟眉註合刊本,這個本子也印得很多,可以做為學習研究這個大經的幫助。
「佛界尊宿多以會本文簡義豐」,文字確實比過去原譯本跟兩種會集本要簡單多了,容易多了,而且意思非常圓滿。前面兩種譯本缺失的,夏老全部都把它補過來,這是很難得。「詞暢理圓」,理圓滿沒有欠缺,文字非常通暢,讓你看到很舒服。「講說讚揚,流播中外」,用這個本子講《無量壽經》的,講述、讚歎、宣揚,流播中外這個工作我們是很努力的在做,什麼時候開始?李炳老往生之後。在他老人家在世之時,我們想做,老師不同意,說這個本子有爭議,就是佛門確實有些障礙。我那個時候想講,老師說不行,你年歲太輕,分量不夠,如果講這個經,別人對你批評,你招架不住。所以我就把這個,那個時候印了一千本,我記得是韓館長五十歲生日,我們想講這個經給她祝壽,李老師不同意,我們就改講《楞嚴經》,這個大家沒話說。這個爭議多半都是出自於嫉妒障礙,這個事情自古以來就不能避免。我們現在生在末法時期,無論在德行、在智慧都比不上古人,連他們都遇到這麼多困難。你看這個會集本,前幾年大陸上提出反對的聲音,大家都知道。現在這個聲音沒有了,因為國家宗教局肯定了,大家沒有話說。所以我們曉得,念公註這本經不容易,非常的艱難,我們要曉得這個事實真相。
「見者聞者,歡喜信受,持誦印行,絡繹不絕」,這幾句話是真的。李炳老往生之後,那個時候我在美國,在美國發起印這部經典。因為這個會集本,李老師手上只有這一本,講解的時候他做了眉註,自己用毛筆寫的,小楷行書,寫得非常好。他老人家把這個本子給我,我手上保存這麼多年,沒人看見過。老人往生,我就把這個本子拿出來,發心印一萬部流通,做為紀念老師往生。這個本子大家看了之後,真的,像此地所講的「見者聞者,歡喜信受」,持誦印行接著來。所以這個本子現在流通在全世界,分量是很大,我們過去講過十遍,光碟也流通得很廣。
底下說,「近且蒙海外佛學界收入新印之續藏」。這是有這個意思,一直到現在還不能實現。海外這麼多年印藏經不少,但是沒有把這部經收在《續藏》裡頭,這是等待我們將來努力,我們一定會做到的。「行見大經光明,常照世間」,這些都是實話,「昔賢會集之勝願,幸告圓成」。過去許許多多人都想到《無量壽經》應當要做會集本,要做一個標準的本子來流通。王龍舒做過,魏默深做過,但是都有遺憾,都有缺點。所以夏老第三次做這個工作,過去人這些缺失他都能夠圓滿的把它修正過來,成為這樣子如黃念老所說的「文簡義豐,詞暢理圓」,像梅光羲居士所說的「雖欲不謂之善本不可得也」,稀有難逢的因緣!他這裡講,「無量壽經之善本」,最完美的本子,「於茲慶現,此實為希有難逢之大事因緣也」。不能夠等閒視之,我們要有這個認識。我們今天有幸遇到這個會集本,也是稀有難逢的大事因緣,我們遇到了。過去十次的講解,前面幾次我沒有看到這個註解,我是依李老師的眉註來講解這部經。第一次講解我記得是在新加坡,新加坡是第二次,第一次在美國,第二次在新加坡,用的時間是六十個小時,因為我到新加坡去講經一個月,一天兩個小時,一個月講圓滿。這個帶子很快就流通出去,而且流通的範圍非常之廣,每個人見到都歡喜。
下面這一段,是念老說他為這個會集本做註解的因緣,我們來看看這一段。「念祖乃具縛下凡」,這是他老人家謙虛。縛是煩惱,就是煩惱繫縛的下凡,凡夫裡面不是中上根,是下根的。「謬蒙先師以註解宏揚此經之大事相囑」,這裡都是謙詞。謬是錯誤,老師錯愛我,我沒有這種能力,而老師期望我做。這樁事情確實是不容易,經會集出來了,一定要註解,沒有註解,這裡頭有很深的奧義,初學的人不容易能夠看得出來。所以註解是有必要的,我在前面序文裡面也說到這樁事情。宏揚此經,用註解來弘揚,我們今天用演義來弘揚這個註解,這都是不可思議的大事。黃老註經是受老師的囑咐,也就是老師的命令,交代他,他在這一生當中要做這樁事情。夏老在一生會集經的工作做完,黃念祖接著把這個大經做一部註解。「余雖初發大心,但以障深慧淺,承此重命,實深惶懼」,惶是恐慌,懼是害怕,這個使命太重了。這個地方我們看作他老人家的謙虛,可以,是相當謙虛。這個任務他老人家完成了,沒有辜負老師的咐囑,這是我們要感恩的。
下面他就說因緣。「所幸曾參先師講席,親聞此經全部。」夏老會集之後自己講過這部經,黃念老他有這個緣分,親自聽到老師講這個經的全部,他一堂課沒缺。「且於廿載隨侍之中」,這就說他跟老師二十年,不是個短時間,二十年沒有離開老師的身邊,「得聆禪淨密各宗玄奧,粗曉先師會集大經之深心」。跟老師二十年,天天聽老師講經說法。夏蓮老通宗通教,顯密圓融,雖是在家,真是一代的佛門大德。有這樣的智慧,有這樣的能力,有這樣的慈悲,才能把這個事情做得圓滿,留給末法往後九千年的有緣人。遇到這個經就是有緣人,遇到這個經就有得度的機會,你說多難得。這是說明他之所以被老師囑咐做這樁大事的因緣。老師對學生當然了解,跟著老師二十年,學生有沒有智慧,有沒有慈悲心,能不能擔任這個使命,當然很清楚,選中黃念老。所以我常常說,一聽到他老人家的名字我就告訴大家,這是夏老的傳人,鼓勵大家多親近他,這個緣分、福分都不可思議。
「六十年代初」,這個六十年代就是一九六0,一九六0年初,「曾試寫此經玄義之提綱一冊,呈師鑒核,幸蒙印可」。他就開始做初步的工作,寫個提綱,提綱是什麼?就是現在我們學習的概論,他叫概要。我在過去講經的時候,用他這份資料,我編了個大綱,也許有同學見過,在過去多次講過,我有一個概要,從這裡面節錄它的精要,這樣在講席裡面可以縮短時間。雖縮短,大概也講了十幾個小時,把全經要義為大眾做個介紹。他做的這個玄義的提綱夏老看到,同意、認可了。「但經文革浩劫,此稿已蕩然無餘。」文化大革命的時候他也遭了難,也被抓去批鬥,因為學佛,都戴上高帽子「牛鬼蛇神」,家也被抄了,寫的這些東西都被燒掉,經過這次的浩劫。「現余年逾古稀」,古稀是古人講的七十歲,「人生七十古來稀」這是唐朝杜甫說的。所以七十就是古稀之年,逾是超過,七十多歲,我跟他老人家見面的時候。「復多宿疾」,也就是在文化大革命受了很多苦難,所以晚年的身體不好,毛病很多。「愧深恩之未報,懼無常之將至」,這個話是真話,老師交代的使命沒完成,怎麼能對得起老師?年老、多病,害怕了,害怕壽命不夠來完成這個工作,常常擔心這個。「於是奮老病之殘身,繼傳燈之宏誓」,這是我們親自看到的,夜以繼日、不眠不休做這個事情,寫這個註解。
寫註解也不容易,寫了之後不滿意再修改,最後到定稿的時候,我跟諸位說過,當年這個書是用油印印的。大概現在年輕人不知道什麼叫油印,五、六十歲的人應該知道,那個質料很差,印出來的字都模糊。我相信他帶到美國去的這一本,送給我的,應該是在他油印本裡面最清楚、最���的這一本,他送給我了。我看了一遍之後非常喜歡、非常佩服,《無量壽經》畢竟有這麼好的一個註解,真正是難得。我就向他老人家請教,你有沒有版權?他說沒有版權。沒有版權,我就翻印。所以在台灣,我第一次就印了一萬本,精裝一冊。他原來是四冊,四冊裝訂的,我們改成精裝一冊,就是現在諸位手上所拿到的。這個已經是好幾版了,原版我們印的一萬冊現在還很容易找到,原版前面有很多照片,有慧老法師給夏蓮居做證明的照片都有,我都把它印在前面。這種精神難得!
「以此身心,供養三寶,閉門謝客,全力註經」,不見人,把所有的精力、時間、精神統統用在註經。註經要蒐集參考資料,難得,我認為這是佛菩薩保佑,佛菩薩的加持,他能想到的這些資料都有人供給他。我在他的書房裡面看過他那些資料,我也嘆為觀止,真不容易,從哪裡找的,找這麼多東西?冥冥當中威神加持,他所想要的資料都能找到。「冀報先師暨十方三世上師三寶與法界眾生之深恩於萬一。」真誠、清淨、慈悲,報恩之心,上報佛恩、報師恩,下報一切眾生恩,法界眾生。我們看到這個地方,我們應該知道感恩,他寫這部書多辛苦!為誰寫的?我們今天得到這個本子,就是為我寫的,你得到這一本,就是為你寫的,這是真的不是假的。你得到了,你能把這個註解看懂,疑惑斷了,雜念放下,一心念佛,將來往生西方極樂世界,誰接引的?黃老居士接引的,你才曉得這個功德大!
我們沒這個智慧,沒有這個能力,寫不出來,發心,現在方便,影印流通。這是我們自己報老人之恩於萬一,我們給他宣傳。在這個世界上,這個本子愈多愈好,為什麼?佛在這個經裡講過,將來佛法到滅法時期,就是九千年之後,佛法在這世間滅了,《無量壽經》最後滅;所有經滅了之後,《無量壽經》還存在這個世間一百年。一百年之後,《無量壽經》也沒有了,還有一句「南無���彌陀佛」,遇到這個名號,那都是有特別的緣分,都能得度。法門不可思議!世尊多次宣講不可思議,翻譯不可思議,會集不可思議,註解也不可思議。我們依教奉行,自己得利益;自己得利益,也會影響別人,人家看到你這個樣子他會受感動,他自然就跟你學。所以你自行就是化他。何況如果你要能講解,為人演說,這是你演說的參考資料,你能夠影印流通。
現在科技發達,我們學佛也得活學活用。這麼大的一本書你送人,人家一看,這分量太多,我沒時間看,這是真的不是假的。淨宗的宣揚,確實在現前這個時代,比哪一宗好像都順利,比哪一宗好像都興旺,什麼原因?得力於科技的工具。我們在這裡學習,過去這十次的講演,我們有光碟、有衛星、有網路,有這麼多方便的東西,所以接引的人就多了。在過去沒有,過去就是靠書,書的分量少,還得靠人讀,他不讀怎麼行?光碟流通就大了,量就大了。現在科學愈來愈進步,我們最初講的經,一片光碟才錄一個小時,新加坡講的那個,流通到��國大陸,六十片光碟,不少!現在呢?現在大概兩片,變成兩片,愈來愈進步。我相信再過個二、三年,一片,六十個小時一片,這對大家的學習就太方便了。我還提倡有讀誦的《無量壽經》,你不願意念這個,你把電視機打開,有讀誦的,讀誦裡面有經文、有音聲,沒有人像。有經文,有文字,有讀的聲音,幫助你!這次我們來做這個《演義》,就是完全來講黃念老的註解,我們是報他的恩。他老人家晚年這樣的辛苦,這我親眼看見的,不能辜負他。我們這個能做成光碟,也能夠把它做成文字的讀誦,有文字、有講解,不必要人像。這是說老居士註經的因緣。
下面是介紹這個經,這個經契理、契機,這是最難得的。「復以本經之殊勝在於契理契機。」理是什麼?理是自性。惠能大師,中國人,我們提起來格外的親切,尤其是廣東人,我們居住的環境是廣東的地盤,特別親切。他老人家開悟了,開悟那一年二十四歲,我們稱他老人家,他有德行,其實他不老,二十四歲。開悟的時候,說了五句話,二十個字,「何期自性」,沒有想到自性,自性什麼樣子?「本自清淨」,這第一句;「本不生滅」,第二句;「本自具足」,這個具足,就是釋迦牟尼佛在《華嚴經》上所說的「一切眾生皆有如來智慧德相」,這本自具足,具足是圓滿的智慧、圓滿的德能、圓滿的相好,這自性裡頭有的;「本無動搖,能生萬法」,能生萬法就是能現宇宙、能現萬物。我從哪來的?自性變現的,所以這是能生、能現、能變,一切萬法是所生、所現、所變;能生的是理,所生的是事。契理!自性本具的般若智慧,自性本具的德能,這是理。機是講的眾生、對象,這部經的對象,哪些人可以學?什麼人都可以學,上中下三根普被,利鈍全收。下面這兩段就為我們說這個問題。
先說理,「理者,實際理體,亦即真如實相,真實之本際也」,這一句是講理。什麼是理?我剛才跟諸位講的好懂,跟此地的三句話完全相同。實是真實,實際就決定不是假的,這是理體,就是講的自性,講的是能生能現能變的這個東西。這在哪裡?無處不在,無時不在。它不是精神,它也不是物質,它沒有形相,六根接觸不到,我們用想像都想不到,你想就想錯了;到你什麼都不想的時候,它就現前。所以佛經上常講這樁事叫不可思議,你不能去想,你也不能去說,說不出。也叫做真如實相,實相是真相,真實的本際,我們用現在話講,真實的本體,在哲學裡面叫本體論。哲學上所講的本體這個概念,到現在還都是模糊的概念,沒有定論,可是在佛法,清清楚楚、明明白白,一絲毫模糊沒有,為什麼?許許多多的人他證得了。釋迦牟尼佛首先證得,在菩提樹下,學生當中許多人也證得,證得就叫成佛。在中國,歷代的祖師大德,真正證得這個境界有幾千人。禪宗裡面,《傳燈錄》裡面一千七百則公案,那就是一千七百多人他們證得的,不是一個人。除這個之外,還有教下的,大開圓解也是這個境界。淨土宗的,念到理一心不亂,也是這個境界,理一心不亂就是明心見性。所以這不是假的。證得之後,你讓他們講講,讓每個證得的人講講,意思都相同,大同小異,說的話不一樣,意思完全一樣。這不是假的,這具足有科學精神在裡頭,他不用科學儀器來求證,他用禪定的功夫。禪定是什麼?放下!放下妄想、放下分別、放下執著,就證得了。
我們實際上跟一切諸佛如來沒有兩樣,所以世尊在《華嚴經》裡面常說「一切眾生本來是佛」,這個話是真的,一點不假。現在為什麼變成這樣?迷了,迷了自性,並不是自性沒有了,自性在,你迷了。《楞嚴經》上有個比喻,比喻得很好,「演若達多,迷頭認影」,佛講這個故事。說明什麼?說明我們凡夫迷失自性的樣子。這個故事要照佛經上講,我們還是不太好懂,我們還有更好懂的故事,跟這個意思一樣的。我們做學生的時代,跟日本人打仗,抗戰期間,小學高年級,五、六年級就有軍訓課程,就有這個課程,到中學更不必說了,很重要的一門功課。軍訓裡有緊急集合,限定三分鐘之內服裝整齊要到操場集合,常常有「演若達多迷頭認影」的故事出來。緊急集合大家慌張,緊張,這一緊張就迷了,帽子已經整整齊齊戴在頭上,服裝穿整齊出去集合,到處去問人,問同學:你有沒有看到我的帽子?慌慌張張在找帽子,就迷了。同學一指:你帽子不是在頭上嗎?一摸果然在頭上。有沒有失掉?沒有失掉,迷失了!佛舉這個比喻就是告訴我們,我們的自性跟佛的自性沒有兩樣,現在在不在?在!為什麼找不到?迷了。什麼時候覺悟了,你就叫佛,你在迷的時候就叫你做凡夫。就像緊急集合的時候,帽子真戴在頭上,自己不知道,到處去找,就這種狀況。
這三個名詞在經典上常常看到,解釋很難解釋,慢慢往後看漸漸就懂得,心愈清淨你體會就愈深。浮躁是我們學習最大的障礙,浮躁要不除掉的話,永遠體會不到,你所能學到的是語言、言語,是皮毛,是這些文字、名相,你學的這個東西,真實的道理你沒有辦法知道。你的心愈清淨,體會就愈深,到你平等心顯現出來了,差不多,你縱然沒有開悟,也接近開悟的邊緣。清淨是見思煩惱淡薄了,見思煩惱斷了,真正清淨心就現前;塵沙煩惱斷了,平等心現前。我們的心不平怎麼行?為什麼不平?有我,有我就不平,我總比別人強一點,叫傲慢。諸位要知道,有我就有傲慢,你不承認也不行。佛說得很好,為什麼?你有我,你有末那��,末那識是四大煩惱常相隨。什麼時候開始有的?大乘法裡有句話大家都知道,「父母未生前本來面目」,那就是我,不是父母生下來才有我,父母未生前就有我。在我們一般人講靈魂,在佛法講,不叫靈魂,叫靈性。他有沒有我執?有,有我執的時候叫他做靈魂,不叫他做靈性。為什麼?他的活動空間出不了六道輪迴,他在六道裡轉,出不去。為什麼?他迷了。他要覺悟了,他就超越六道,那就不叫靈魂,叫靈性,他活動的空間就大了,那個活動空間是十法界。他也出不了十法界,為什麼?他還有起心動念,因為他無明沒有破。無明破了之後,靈性的名詞也沒有了,叫自性,他還源了,回歸自性。那叫什麼?那叫佛,真佛,不是假佛。一個東西,三個名詞,一而三、三而一。
所以,我們只要一念迷了,迷了就是把自性變成阿賴耶,阿賴耶裡面的三細相,轉相就是末那識,末那識頭一個是我見,我見就是執著有個我。拿什麼當作我?執著阿賴耶的一分,用現在的話來說,一分能量,這大家好懂,用現在名詞,一分物質,或者我們不說能量,說得更清楚點,一分信息;末那是信息,阿賴耶是能量,境界相是物質。現在科學講,宇宙之間只有三樣東西,能量、物質、信息,跟阿賴耶的三細相是一個意思,但是他講不清楚。物質從哪來的?信息從哪來的?能量從哪來的?他就不知道,他就不曉得。佛法裡頭說一體,那就是自性。在不迷的時候是一體,你分不出哪是能量、哪是物質、哪是信息,分不出,就是能大師所講的第三句「何期自性,本自具足」,它有,它不現。它顯現出來的時候,那是有個緣分,那叫一念妄動,起了一念,它就現行,就能生萬法。能生萬法,我是正報,環境是依報,依報跟正報同時起來的,沒有先後。這個在《還源觀》裡面講得很清楚,從一體起二用,二用就是,一個是我們的正報,我出現了,另外一個,我的生活環境出現了,就是宇宙。這個事,現代科學、哲學都沒講得清楚,在佛經上三千年前講得這麼清楚。非常可惜,這些科學家們沒福報,沒看到佛經,要看到佛經,我相信那些人很聰明,一定大幅度的提升他的境界。為什麼說你有煩惱?末那識有我見,跟著我愛,我愛就是貪,我慢,我慢就是瞋恚,傲慢跟瞋恚是連帶的,我痴。所以,我見、我愛、我慢、我痴,四大煩惱常相隨。你怎麼會不傲慢?傲慢是與生俱來的,自然帶來的。一念不覺就迷了,迷了就產生這個現象,實際理體裡沒有這個現象,它的現象是什麼?是智慧、是德能、是相好。一念起來它就迷了,就變成貪瞋痴,這個信息就發生。
也叫真如實相,「真」是講體,能生的,能生能現的本體,「如」是講相,現相。現相是從本體變現的,現相跟體是分不開的,所以叫性相不二。這個也不好懂。古來的祖師大德,佛經上也有說,常常用金跟金器來做比喻,把金比作體、真,金所做的這些器皿那是如,怎麼叫如?它就是金。你說把黃金做一串念珠,這條念珠是不是黃金?是。把它做個戒指、做個手鐲、做個茶杯,都可以做。所以說相如其性,性如其相,性相不二。你從相上就看到黃金,那你真識貨。如果你不識貨,你把金跟這些器分開,我讓你拿黃金來,你看看所有這些器皿上,「沒有,這裡沒有黃金」。鐲子是不是黃金?杯子是不是黃金?碗是不是黃金?全是黃金做的,叫你拿黃金來你找不到,這是什麼?迷了,叫迷了自性。悟了,拿黃金來,隨手拈來,樣樣都是!所以性相不二。性沒有現象,雖然現的現象,相是幻相,它不是真的。所以大乘教裡面常講,萬法皆空,了不可得,這是真的。《金剛經》上講「凡所有相,皆是虛妄」,「一切有為法,如夢幻泡影」,都是給你講真話。這是真如。
實相,實相就是真相,你要認識真相。真相是什麼?相裡頭有性,性相沒有離開,這是真的。性不可得,相也不可得,性要是不可得,相怎麼可能得到?所以一部六百卷《大般若》,佛給我們講什麼?就是講「一切法無所有、畢竟空、不可得」。我們今天煩惱從哪裡生的?不可得的一定要把它得到,你不是叫自找麻煩嗎?你的苦惱沒有邊際。一下覺悟,苦惱就沒有了,真相明白了,不再執著,不再打妄想,受想行識都不可得,都是假的。受想行識從哪裡來的?是從自性裡來的。自性有四淨德,見聞覺知,是真的;迷了之後,從見聞覺知就變出受想行識,受想行識我們稱之為心理,心理是假的,不是真的。真心是清淨的,清淨平等覺,那是真心,妄想分別執著肯定是妄心。
經上講「惠以真實之利」,「惠」是送給你,諸佛如來、本師釋迦牟尼佛在這部經上給我們真實的利益,所以純一真實。這部經「住真實慧,開化顯示真實之際,惠以真實之利,純一真實也」,這是說這個經契理,不但契理,圓滿的契理。「又本經稱為中本華嚴經」,這個話是彭際清說的,他是前清乾隆年間的人,這是我們佛門的大德,通宗通教,顯密圓融,很了不起,他說的,《無量壽經》即是中本《華嚴》;換句話說,《阿彌陀經》就是小本《華嚴》,《華嚴經》就是大本《阿彌陀經》。一而三,三而一,《華嚴》講得詳細,《彌陀經》說得簡要,便於課誦。所以,我在早年講經常常勸年輕同學,真的要把淨土五經一論講透,一定要學《華嚴》,《華嚴》就是五經一論的詳細註解,它是一不是二。
念公此地引的這些話,他說「經中所詮」,這個經裡面所詮敘的、所說的「一切事理,即華嚴之事理無礙、事事無礙之一真法界」。這是說明,《無量壽經》裡所說的內容跟《華嚴經》沒有兩樣,《華嚴》說得詳細,這個地方說得簡要,簡單扼要。我也是讀了這部經之後就不講《華嚴經》了。我年輕學經教,老師方東美先生介紹我讀的經就有《華嚴經》,而且非常偏重《華嚴經》。老師愛好,方東美先生喜歡這部經,特別介紹給我,介紹給我清涼大師的註解,有道理的。我記得弘一大師當年在世的時候,對於知識分子,介紹他們學習大乘經教,也是介紹《華嚴經》清涼大師的註疏。你要接觸之後,能夠有耐心的深入,會法喜充滿,能得受用。但是這個經太長,我早年,黃老居士在六十年初,我也是六十年代初的時候就開講《華嚴經》,也講了十幾年,講了一半。以後講《無量壽經》講得很歡喜,《無量壽經》既然是中本《華嚴》,我就不必教《華嚴》,《華嚴經》自己讀就好了,所以停下來。也真正從《華嚴經》裡面認識了淨土,死心塌地修學這個法門。這些故事,我在以前講席裡都曾經給諸位做過報告。
這次講《華嚴經》是個特殊的因緣,三個人啟請。第一個,台灣的開心法師,都往生了。早年在世的時候,每次碰到我就勸我講《華嚴經》,告訴我,「淨空法師,你要不講,恐怕以後沒人講了」。不止一次,每次見面他都提醒我。我很感激他,但是還沒有動心。第二次在北京,我去拜訪黃念祖老居士,老居士很嚴肅的,也很慈悲,請我講《華嚴經》。我也很感激他,他也是想到這個,以後能講這部經的人不多了,我都沒有動心。第三次是華藏圖書館韓館長在病重的時候,實際上在她往生前兩天,非常懇切的要求我把《華嚴經》講一遍,完完整整的講一遍,留一套錄像帶。那時候錄像,還沒有光碟,光碟不普遍,拍電視的時候還是這麼大的盒子,用帶子錄的,希望留一套完整的錄像帶給後人做參考。我因為她病了,病得那麼重,我就安慰她,我就答應,我說好!等妳病好,我來講。兩天之後她往生了。三次。
她老人家過世之後,我們就離開台灣到新加坡,在新加坡居士林講經。我跟李木源居士談到這樁事情,李木源居士非常歡喜,他說我代表這三個人向法師啟請。他那麼一認真,好吧!我們這次的《華嚴經》就在新加坡居士林開講,講了這麼多年,講了四千多個小時。講了多少?大概全經的五分之一。所以,這部經要像我這個方法把它講圓滿,大概需要多少小時?兩萬多個小時,肯定超過兩萬小時。我還能有這麼長的壽命嗎?長經短講,行,二年、三年也能把它講完。可是現在人聽經,愈詳細他愈有味道。像古時候人講經的方法,別說太古,就像我老師李炳南老居士講經的方法,現在一般人都很不容易接受。太簡單了,聽不懂,這是講契機的問題。跟現代人講,要講透,要講清楚,要講明白,他真聽懂了他生歡喜心。真是有難處!
這一次我跟同學們說了,我把《華嚴經》暫時停下來,我想停一年,這一年的時間,把這部註解講明白、講清楚。為什麼?這是中本《華嚴》。現在整個世界,社會動亂,災難頻繁,這一個月,同學們送一份資料給我看,三月四號到四月七號,一個月時間,全世界發生六級以上的地震十一次,印尼發生海嘯,這樣頻繁、這樣密集。許多同學看過「2012」的影片,我是四、五十年沒有看過電影、沒看過電視,同學們拉著我一道去看。我看了,回來我告訴大家,我說這不是偶然的,全世界聯映,在我們學佛的人說這是一種感應,上天給人類的警告。如果不懺悔,如果不回頭,不能斷惡修善、改過自新,怕的這種災難會是真的,它不是假的。
最近這兩年來,我們做三時繫念佛事,我提倡做四十九天。正在���頭的時候,第一天還是第二天,道場裡面就有個同修被附身,來找我,我問他什麼事情?他說:你不曉得,現在災難很嚴重,時間很長,給我說出嚴重的程度。我說:大約多長?他說:大概是三年到五年,這麼長的時間。他說:你四十九天佛事收不到效果。我說:怎樣才能收到效果?他提議是一百個七,就是繫念佛事要做七百天。我聽了之後,我說:好,你走吧!然後我就找實際禪寺滿成老和尚,他也往生了,去年往生的。我跟他商量,我說老和尚,怎麼樣?老和尚一口答應。所以在實際禪寺,第一次做一百個七,七百天的繫念佛事,鬼神附身來要求的。這個法會到三月二十五日才圓滿,七百天。
現在看到災難愈來愈多,當時我在台灣治牙齒,牙周病,我告訴悟道法師,他的道場在台北,我說你回來之後,在台北啟建七百天的佛事。悟行法師在台南,我說你在台南也做七百天的佛事,我配合你們啟講《無量壽經》。所以他們都歡喜。我說我們講這部經冥陽兩利,希望將講經的功德迴向給虛空法界,希望能化解災難;縱然不能化解,讓災難減輕、延後,這是我們能夠相信的。這是這次我們講經的因緣。我們希望把這部經,這是夏老用十年時間,給我們會集這樣完美的一個標準的本子,黃念老不顧年老、多病,夜以繼日、不眠不休完成這個著作,我們要不認真努力好好的學習,怎麼對得起這兩個老人?
所以,我告訴我們這些同學們,我們大家發心,真正要拯救這個災難,能不能?答案是肯定的。如果這個世界上有一個真正如法的道場出現,咱們整個地球上的災難都沒有了。什麼道場?僧團。什麼叫僧?僧的意思是六和敬,裡頭有六個條件,這六樁事情都做到了。就是四個人以上在一起修行,這叫眾,這就是一個團體,遵守佛陀的教誨。「見和同解」,這就是我們現在人所說的建立共識。我們在一起修學的人,思想一致,見解是一致的,沒有矛盾、沒有對立,這是六和裡最重要的一個條件。第二「戒和同修」,大家在一起一定要守規矩,規矩是什麼?規矩是戒律。第三個是「身和同住」,我們住在一起。「口和無諍」,大家是一團和氣,沒有爭論。「意和同悅」,在一起修行、在一起生活歡歡喜喜,法喜充滿。最後一條「利和同均」,也就是我們在物質生活上的待遇是平等的,沒有哪個人有優越的。這是釋迦牟尼佛當年在世,他僧團裡面有這麼簡單六個規矩,他的僧團很大,一千二百五十五人,我們在經上常常看到,人人都能夠遵守這六條。現在能出現這麼一個僧團,佛在經上告訴我們,一切諸佛護念,一切天龍善神擁護,你這個地方不會有災難。但是這樣的僧團,我在三十年前第一次,一九七七年到香港來講經,我遇到洗塵法師,我們非常投緣,很談得來,他也是香港佛教領袖之一,也早幾年都往生了。我就跟他談到這個問題,我說我們能不能發心,找五個出家人,志同道合,五比丘,我們來落實六和敬,來組這個僧團?他聽了很歡喜。我在台灣,他在香港。談得很歡喜,沒法子落實,不容易!現在道場,兩個人住在一起都吵架,那怎麼行?真能出現這個僧團,這一個地區災難就化解了。有沒有人肯真幹?
怎樣才能落實?做到無我就落實了,起心動念想別人,如果起心動念第一個念頭想自己就不能落實。入佛門,頭一關破我執。見思煩惱裡面的見惑,五種,頭一個就是身見。認定這個身是我,一切都是為我身去著想,壞了,自私自利、名聞利養、五欲六塵、貪瞋痴慢全起來了,怎麼能跟人家和合?所以,不再執著這個身是我,不再跟別人對立,不但不跟人對立,跟一切事不對立,跟天地萬物不對立,那叫破邊見。然後再破成見,我們講某人成見很深,我以為怎樣;我以為怎樣,就不能修隨喜功德,就不能恆順眾生。必須把成見放下,你才能修隨喜功德,才能夠修恆順眾生,這才是入佛門的第一步,小乘是須陀洹,大乘是《華嚴經》上初信位的菩薩。雖然才入門,那個功德就不可思議,所以一切諸佛護念,你是真的佛弟子,佛怎麼會不照顧你?龍天擁護,鬼神尊敬。這樣一個僧團出現,這個地方就有福了。有沒有四、五個人真肯幹?捨己為人,起心動念為釋迦如來正法久住,起心動念為這個世間一切苦難眾生,不要想自己,把自己忘掉,才能做到六和敬。
現在災難現前,我跟大家講過,劉素雲居士也跟諸位報告過,很難得,我們要做怎麼樣看法?要像印光大師所說的,把「死」字貼在額頭上。印光大師的關房我去拜訪過,蘇州靈巖山寺,關房裡面一個小佛堂,不大,大概只有我們攝影棚一半大,佛像背後寫了一個字,他老人家自己寫的「死」字,這一個字。天天想到,死到臨頭了,你還有什麼放不下的?所以我們在今天看了「2012」之後,我跟大家說,我們要把今天當作我這一生最後的一天,明天早晨起來,我又是最後一天,天天都是最後一天,你就什麼都放下了,你才能得到清淨心。來到這個世間兩手空空而來,走的時候還是空空而去,什麼也帶不走!一心想佛,心裡什麼都不要放,只有阿彌陀佛,一個方向,一個目標,一個方向是西方極樂世界,一個目標是到極樂世界親近阿彌陀佛。就這一念,除這一念沒有第二個念頭,萬緣你才真放得下。災難來了怕不怕?不怕。我天天想阿彌陀佛,天天想極樂世界,終於時候到了,我去了,絲毫恐懼都沒有!天天在等待,天天在嚮往,這就對了,這不是消極,這是積極。我這一天,這是我最後一天,我必須斷惡修善,我必須積功累德,為什麼?提高自己品位,應該的。苦難眾生,我有一天、活一天,我全心全力幫大家一天,我幫大家一天,心地乾乾淨淨,就是三輪體空,絕不著相,念念不捨阿彌陀佛。真能作如是觀,真幹,能夠有四、五個人,和合僧團就建立了,在哪裡?就在這個小道場,這個小道場光照大千。我們學過《妄盡還源觀》的人都知道,念頭才一起,立刻周遍法界,這是講信息,靈通,毫無障礙。速度比光的速度快,比電磁波的速度快,念頭才起,周遍法界,諸佛菩薩知道,天龍鬼神也知道。自己在這一生當中要有堅定的信心,這一生當中決定成佛。現在我們學這部經,這部經就是引導我們,一門深入、長時薰修,一生成就圓滿菩提。
所以經裡面所講的,就是《華嚴經》上講的「理事無礙,事事無礙」,無障礙的境界就是一真法界,西方極樂世界是一真法界,華藏世界是一真法界。「華嚴祕奧之理體,正在本經,故云契理」,這個經上跟《華嚴經》上講的完全相同。「至於契機,則更是本經之獨勝」,這句話講得好,獨勝。世尊四十九年所說的一切經,講契機的話比不上這部經。所以這部經世尊當年在世多次宣講,為什麼?它契機。這個方法任何人都可以學,簡單、容易、穩當,成就還特別殊勝,這種法門到哪去找?「經中之持名法門,普被三根,齊收凡聖」,這是獨勝。用的什麼方法?用念佛的方法,念佛的名號。你念四個字行,阿彌陀佛;念六個字也行,南無阿彌陀佛。這六個字都是梵文音譯的,「南無」意思是皈依、皈命、尊敬,有這些意思,這是南無的意思。「阿」,都可以翻成中國字,「阿」翻作無,「彌陀」翻作量,「佛」翻作覺,無量覺。無量覺是什麼?是自性。所以這個名號是我們自己,就是當人自性的名號。中峰禪師在繫念法事上講得好,阿彌陀佛是自性彌陀,西方極樂世界唯心淨土,不在外面。一切法不離自性,彌陀跟極樂世界也不離自性;換句話說,是我們自性變的,自性彌陀。再說白一點,自己念自己,我不念貪瞋痴慢,我不念自私自利,我不念名聞利養,我念自性,自性是無量覺。大經裡面常常講,我們聽得多、學得多了,「一切法從心想生」,你想什麼就現什麼境界,我今天想阿彌陀佛,我想我的自性的性德,哪有不成就的道理?明心見性就是妄盡還源,用這個方法無比的殊勝。
「普被三根」,三根是上中下不同的根性,都能學。「齊收凡聖」,凡夫能學,能成功,聖人也能學,也能成功。「上上根者,正好全體承當」,上上根是誰?文殊菩薩、普賢菩薩、觀音、勢至,這是聖人,上上根人。真的,我們在《華嚴經》上看到,文殊、普賢都發願求生西方極樂世界。我跟諸位同學報告過,我年輕的時候原來以為佛教是迷信、是宗教,不願意接觸,碰都不碰。以後跟方東美先生學哲學,他是從教科書裡面告訴我的,他給我講佛經哲學。我向他請教,我說佛教是迷信,多神教、泛神教,是低級宗教,它怎麼會有哲學?他告訴我,他說「你年輕,你不知道,釋迦牟尼佛是全世界最偉大的哲學家」,我從來沒有聽過這個說法,「佛經哲學是全世界哲學的最高峰,學佛是人生最高的享受」,我才把過去錯誤的觀念修正過來。他告訴我,這個開導非常重要,「佛法在經典裡面,不在寺廟裡」,這個指導太重要了。如果我們到寺廟裡面去看,看不到,都看的是迷信,那不老師講的話是假話?所以他也是怕我起這個疑惑,在經典裡面,叫我到經典裡面去找佛法,從經典裡面去學習。
以後沒有隔多久,我認識���嘉大師,章嘉大師教我向釋迦牟尼佛學習。教我讀的書,那是我最早讀的佛書,《釋迦譜》、《釋迦方志》,就是釋迦牟尼佛的傳記,他說你要學佛,先要認識釋迦牟尼佛。讀了之後才曉得,釋迦牟尼佛原來跟宗教不發生關係,用我們現在的眼光看,他是什麼人?職業老師,一生教學。三十歲開悟之後就開始教學,七十九歲往生的,走的,教學四十九年,樂此不疲,跟孔老夫子一樣,有教無類,來者不拒,去者不留。一生的教學工作,沒有建道場,山林、樹下,常隨弟子不少人,一千多人。還有不常隨,臨時來的,我估計他教學的場面應該是在二、三千人左右,應該是這樣的,包括臨時來聽的,應該有這麼大的場面。使我們想像,在當時沒有這些擴音器,釋迦牟尼佛講經,經上講的音聲,那麼大的場面他能夠貫注、能夠攝受,這不是平常人能做到的。又何況「一音說法,眾生隨類各得解」,這是我們知道,來自四面八方的人語言不一樣,但是釋迦牟尼佛講經說法都能聽得懂,這也不是容易事情。都能聽得懂,都能接受,是個好老師。
佛教變成宗教,變成現在這個樣子,我們要知道很晚很晚,大概我想應該在嘉慶之後。我們在乾隆的時候看到還是教學,那些寺廟裡面的高僧大德天天講經,天天在教學。乾隆以後是嘉慶,嘉慶以後是道光,總在這個時候慢慢的變質。我想真正大幅度的變質應該是在慈禧太后的時候,慈禧太后迷信,她許多事情不像從前的帝王向高僧大德請教,慈禧太后宮廷裡面不再講經。清朝宮廷裡面,經常不斷邀請儒釋道的高人講學,這個制度是慈禧太后把它廢棄,宮廷裡頭不再講學。她喜歡扶乩扶鸞,這個事情是章嘉大師告訴我的,國家大事問神,扶鸞裡頭問神,所以亡國了。我想這個影響非常大,上行下效,所以佛教變成宗教。今天說佛教是宗教,我們不能夠否定,但是我的老師章嘉大師跟方東美先生都教給我學釋迦牟尼佛。我們學習經典,經典裡面有寶,有好東西,它能幫助我們回頭,幫助我們明心見性。所以上上根人正好全體承當,完全接受,這意思是完全接受。
「下下根者,亦可依之得度」,你依照經典講的理論跟方法認真去做,你能往生,往生就成佛,這個事情是真的不是假的。「上則文殊、普賢法身大士,亦均發願求生」,這講上上根;「下至五逆十惡」,無惡不作的這些人,「臨終念佛」也能夠「隨願得生」,這很了不起!什麼叫五逆?什麼叫十惡?今天時間快到了,沒時間講,明天我再跟諸位講,因為有很多同修不曉得什麼叫五逆,什麼叫十惡。這樣惡行的眾生,臨命終時遇到別人勸導他,他能信,他真能夠懺悔,真能夠念佛,也能往生。真不可思議,不是假的。「橫出三界,圓登四土」。今天時間到了,我們明天再來學習底下這一段。
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一體兩面
H:9487,有人翻成「就是白痴」,也有人反將一軍翻成「就是霸氣」,好壞不因人廢言,自我感覺良好即可。「別讓世界的單薄,奪去你生命的厚度。」20240803W6
網路字典
一體兩面
同一個整體因觀察的角度不同,而呈現不同的狀態。 如:「權利與義務是 一體兩面 的,要享權利就須盡義務。」
凡事一體三面的目的是要讓你在看待事情或做任何決定的時候有更多的選擇,這樣才不會失去更好的機會。
生活中每一個人都有三大板塊,家人,工作及自己。為自己努力的項目:
1. 運動/休息
2. 個人學習
3. 社群成長
4. 飲食習慣
5. 目標規劃
機會一詞的英文有兩種解釋,根據《世界公民文化中心》網站報導:「chance是機率,大部份指偶然的機會,經常含有僥倖的意味。Opportunity多指特殊的機會,含有期待、願望的意味。」。
機會
「chance」的翻譯
an occasion that allows something to be done
動詞
發生
arise, bechance, befall, chance, come, eventuate
正好
chance, happen
正巧
chance, happen
opportunity
noun
an occasion or situation that makes it possible to do something that you want to do or have to do, or the possibility of doing something
機遇,時機,機會;可能性
愛因斯坦則發明了「相對論」,提出光速不變原理,以及「四維時空」的概念,認為時間和空間並不是絕對的。
相對論(英語:Theory of relativity)是關於時空和引力的理論,主要由愛因斯坦創立,依其研究對象的不同可分為狹義相對論和廣義相對論。相對論和量子力學的提出給物理學帶來了革命性的變化,它們共同奠定了現代物理學的基礎。相對論極大地改變了人類對宇宙和自然的「常識性」觀念,提出了「同時的相對性」、「四維時空」、「彎曲時空」等全新的概念。不過近年來,人們對於物理理論的分類有了一種新的認識——以其理論是否是決定論的來劃分經典與非經典的物理學,即「非古典的=量子的」。在這個意義下,相對論仍然是一種經典的理論。
該理論取代了200年前主要由艾薩克·牛頓創立的力學理論,從而改變了20世紀的理論物理學和天文學,它引入的概念,包括時空、同時性之相對性、運動學、重力時間膨脹和勞侖茲收縮。在物理學領域,相對論改善了基本粒子的科學以及它們的基本相互作用,以及迎來核子時代。 另外,藉由相對論,物理宇宙學及天體物理學預測了中子星、黑洞、重力波。
老子就提出了一種用來解釋萬事萬物相對關係的學說,《老子》第二章:
天下皆知美之為美,斯惡已;皆知善之為善,斯不善已。故有無相生,難易相成,長短相較,���下相傾,音聲相和,前後相隨。
雙面刃
釋義
編輯
劍有兩刃。喻凡事都有兩面,多指利弊兼有。
相關詞彙
編輯
近義詞:雙面刃、兩面刃
反義詞:
相關詞彙:
常見詞語搭配:…是一把~
heuristic
adjective
specialized
education
(of a method of teaching) allowing students to learn by discovering things themselves and learning from their own experiences rather than by telling them things
(教學法)啟發式的,探索式的
eureka 在英語-中文(繁體)詞典中的翻譯
eureka
exclamation
often humorous
uk
used to show that you have been successful in something you were trying to do
(成功做到某事時發出的歡呼)我發現了,我找到了,我成功了
馬勒「小時候彈琴和閱讀是我的最愛,樂此不疲。這一段奮發向上、吸收精神養分的日子一直持續到上維也納音樂學院為止。」
一體兩面
藍又時的歌曲
其實我們 都看見了 表面受傷的
卻看不到另一邊的是什麼
打破了沉默 看到你的心 其實還溫熱的足夠
我只不過 也只不過 感受太深刻
受了傷的 彼此拉扯 是真的
我 只是為了 明白那一個, 你沒提過的 那另一面的 你
啊...
我期待著 也等待著
在眼前的感動 卻總是略過 不經意失措
錯過了真實的角落
看不見的 你手握著 總是藏在背後
當我去發現 在你手中的 那是很真實的溫熱 我錯了
我只不過 也只不過 感受太深刻
受了傷的 彼此拉扯 是真的
我 只是為了 明白那一個, 你沒提過的 那另一面的 你
啊...
我期待著 也等待著
在眼前的感動 卻總是略過 不經意失措
錯過了真實的角落
看不見的 你手握著 總是藏在背後
當我去發現 在你手中的 是很真實的溫熱 我錯了
我期待著 也等待著
在眼前的感動 卻總是略過 不經意失措
錯過了真實的角落
看不見的 你手握著 總是藏在背後
當我去發現 在你手中的 是很真實的溫熱 我錯了
以人廢言
語出《論語.衛靈公》:「君子不以言舉人,不以人廢言。」指不因為瞧不起這個人,就認為他的話一無可取。也作「不因人廢言」。
不考慮說話者的言論是否合理,只因其身分、品貌不合己意就不採納其意見。《三國志.卷四七.吳書.吳主權傳》:「若小臣之中,有可納用者,寧得以人廢言而不採擇乎?」《舊唐書.卷一三九.陸贄傳》:「明主者,不以言為罪,不以人廢言,罄陳狂愚,惟所省擇。」
訴諸人身
谬误的论证策略,通过攻击与论证有关的人的性格、动机等来避免对话题的真正讨论
訴諸人身(拉丁語:Ad hominem,直譯:「對人的」或「於人......」),指藉由與當前論題無關之個人特質,如人格、動機、態度、地位、階級或處境等,作為駁斥對方或支持己方論證的理據[1],是一種不相干的謬誤和紅鯡魚。訴諸人身又稱作「對人不對事」、「因人廢言」或「因人設事」、「以人廢言」[2][3]。最常見的訴諸人身屬性是「A提出一個主張x,B斷言A有不受歡迎的特質,因此B得出結論說論點x是錯誤或不可被接受的」
博客來介紹:
別讓世界的單薄,奪去你生命的厚度:以印度哲學為師,找回內心的自由權
作者 熊仁謙
出版社 究竟出版社
系列 哲學系列
出版日 2018-05-01
目錄
推薦序 直視最深處的恐懼,真正認識自己 田定豐
推薦序 醍醐灌頂般看見教育的真諦 蘇仰志
自序 讓人生,回歸人生該有的樣子
PART 1 生是意外,死是必然
第一章 沒思考過死亡,怎麼懂得什麼是真正的「活著」?
我們真的好好想過「死亡」嗎?
缺乏死亡教育的社會
在科學提出死亡的解答之前,宗教便有其存在的必要
第二章 對抗終極的失敗是不可行的,你只能接受它
生與死,是對立的嗎?
一場不會贏的戰爭
「失敗為成功之母」不過是個「好接受」的故事
「多一隻羊,就會有多一隻羊的煩惱」
第三章 恐懼吞噬我們的理性
直視恐懼最深處
得與失是同時發生的
以恐懼為動機的行動
面對一無所有的恐懼
第四章 放過自己,畫下完美的句點
你的快樂,站在懸崖上
所有付出終究會走向失去,但我們能決定句點的樣貌
培養拒絕的能力
讓我們放過自己
第五章 包容,來自看見人的恐懼沒有分別
「被討厭」的那些自私的人
溝通,始於了解對方與我一樣怕
害怕不被理解,加深了我們的恐懼
|印度哲學的智慧|接受有生必有死,才能脫離痛苦的循環
PART 2 情感的力量
第一章 我們都誤解了真誠
真誠不是隨心所欲
感情的維繫需要「刻意練習」
越是付出,越珍愛
第二章 掌握人際關係中的主控權
掌握主控權,才能保護珍視的東西
主控權是真誠的防護網
掌握主控權不是改變對方,而是避免安逸的狀態
第三章 如何「創造主控權」
主控權讓我們能從容應付關係中的各種狀況
掌握主控權的條件
讓對方跟你一起坐上「情感」這艘波濤洶湧中的大船
創造情感共鳴的一方,就是握有主控權的人
第四章 不進則退、無常的人際關係
穩定的關係是不進則退
想要和諧的關係,必須主動出擊
關係的破滅
關係中的共同目標
第五章 愛自己?不如好好認識自己
愛自己,就能得到他人的愛?
依賴外在的東西,還是依靠自己的內心?
認識自己在賣什麼「招牌菜」
「招牌菜」與相應的客群
人不能用單一標準評斷彼此
「因」與「緣」
|印度哲學的智慧|一切行動來自情感的力量
PART 3 真正的快樂
第一章 現代生活充滿焦慮,可以用消費來解決嗎?
積極追求「多」與「快」的社會
我消費,故我在
「不足」就用花錢來解決?
為什麼「少」能感動我們?
不是得到的不夠,是知道的不夠
第二章 我們不快樂,是因為我們誤解了快樂
興奮與刺激等於快樂���?
刺激上癮
沒有了「必需品」之後
第三章 真正的快樂是什麼?
當快樂變成商品
真正的快樂來自和諧
達成和諧的第一步是「接受不完美」
活著就是不完美
第四章 人的適應力是有限的
不需要的東西,便成為負擔
為了適應「快」而犧牲「慢」的能力
接受不完美,接受「會失敗」的自己
|印度哲學的智慧|快樂與自由,從內心停止尋求完美開始
結語 因為我們都是「人」
後記
「惟精惟一」﹕
精純專一。《書經.大禹謨》:「人心惟危,道心惟微,惟精惟一,允執厥中。」
只有一毫粗疏處,便認理不真,所以說惟精。
不然,眾論淆之而必疑。
只有一毫二三心,便守理不定,所以說惟一。
不然,利害臨之而必變。
譯文﹕
在探索知識的過程中,不允許有任何的粗疏和漏洞。哪怕只有一點點,也就不能確切地認識事理。而對事理的認識必須準確、精當,否則眾論紛紜,人們就無法分清是非。
在堅守真理的過程中,不允許有任何的三心二意。哪怕只有一點點,便很難守住真理的陣地,所以要求守理也得用心專一。否則,面臨利害的突然降臨就會驚慌失措,甚至產生混亂,無法控制局勢。
虞書·大禹謨
作者:佚名
皋陶矢厥謨,禹成厥功,帝舜申之。作《大禹》、《皋陶謨》、《益稷》。
曰若稽古大禹,曰文命敷於四海,祗承於帝。曰:「後克艱厥後,臣克艱厥臣,政乃乂,黎民敏德。」
帝曰:「俞!允若茲,嘉言罔攸伏,野無遺賢,萬邦鹹寧。稽於眾,捨己從人,不虐無告,不廢困窮,惟帝時克。」
益曰:「都,帝德廣運,乃聖乃神,乃武乃文。皇天眷命,奄有四海為天下君。」
禹曰:「惠迪吉,從逆凶,惟���響。」
益曰:「吁!戒哉!儆戒無虞,罔失法度。罔游於逸,罔淫于樂。任賢勿貳,去邪勿疑。疑謀勿成,百志惟熙。罔違道以乾百姓之譽,罔咈百姓以從己之欲。無怠無荒,四夷來王。」
禹曰:「於!帝念哉!德惟善政,政在養民。水、火、金、木、土、谷,惟修;正德、利用、厚生、惟和。九功惟敘,九敘惟歌。戒之用休,董之用威,勸之以九歌俾勿壞。」
帝曰:「俞!地平天成,六府三事允治,萬世永賴,時乃功。」
帝曰:「格,汝禹!朕宅帝位三十有三載,耄期倦於勤。汝惟不怠,總朕師。」
禹曰:「朕德罔克,民不依。皋陶邁種德,德乃降,黎民懷之。帝念哉!念茲在茲,釋茲在茲,名言茲在茲,允出茲在茲,惟帝念功。」
帝曰:「皋陶,惟茲臣庶,罔或乾予正。汝作士,明於五刑,以弼五教。期於予治,刑期於無刑,民協於中,時乃功,懋哉。」
皋陶曰:「帝德罔愆,臨下以簡,御眾以寬;罰弗及嗣,賞延於世。宥過無大,刑故無小;罪疑惟輕,功疑惟重;與其殺不辜,寧失不經;好生之德,洽於民心,茲用不犯於有司。」
帝曰:「俾予從欲以治,四方風動,惟乃之休。」
帝曰:「來,禹!降水儆予,成允成功,惟汝賢。克勤於邦,克儉於家,不自滿假,惟汝賢。汝惟不矜,天下莫與汝爭能。汝惟不伐,天下莫與汝爭功。予懋乃德,嘉乃丕績,天之歷數在汝躬,汝終陟元後。人心惟危,道心惟微,惟精惟一,允執厥中。無稽之言勿聽,弗詢之謀勿庸。可愛非君?可畏非民?眾非元後,何戴?後非眾,罔與守邦?欽哉!慎乃有位,敬修其可願,四海困窮,天祿永終。惟口出好興戎,朕言不再。」
禹曰:「枚卜功臣,惟吉之從。」
帝曰:「禹!官占惟先蔽志,昆命於元龜。朕志先定,詢謀僉同,鬼神其依,龜筮協從,卜不習吉。」禹拜稽首,固辭。
帝曰:「毋!惟汝諧。」
正月朔旦,受命於神宗,率百官若帝之初。
帝曰:「咨,禹!惟時有苗弗率,汝徂征。」
禹乃會群後,誓於師曰;「濟濟有眾,鹹聽朕命。蠢茲有苗,昏迷不恭,侮慢自賢,反道敗德,君子在野,小人在位,民棄不保,天降之咎,肆予以爾眾士,奉辭伐罪。爾尚一乃心力,其克有勛。」
三旬,苗民逆命。益贊於禹曰:「惟德動天,無遠弗屆。滿招損,謙受益,時乃天道。帝初於歷山,往于田,日號泣於旻天,於父母,負罪引慝。祗載見瞽叟,夔夔齋栗,瞽亦允若。至諴感神,矧茲有苗。」
禹拜昌言曰:「俞!」班師振旅。帝乃誕敷文德,舞乾羽於兩階,七旬有苗格。
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夏目漱石の『吾輩は猫である』は、「吾輩は猫である。」という書き出しで始まる。もともとは一話のみの読み切りとして執筆され、高浜虚子らの文章会で1904年12月に朗読される形で発表したところ、好評を博し、タイトルが未定であったものを高浜虚子が決め、1905年1月に雑誌『ホトトギス』で発表された。これも好評となり、翌年8月まで全11回の連載となった。『ホトトギス』は売り上げを大きく伸ばし、元々俳句雑誌であったが、有力な文芸雑誌の一つとなった。 『吾輩は猫である』は、ローレンス スターンやジョナサン スウィフトなど中世ヨーロッパの「脱線文学」あるいは「パロディ文学」と呼ばれる作品の系譜にあるとされ、そうした作品の影響を受けて書かれたとも考えられている。これは、当時の日本の文学の主流の傾向が西洋近代文学として自然主義を取り入れ私小説へと向かっていくのとは対照的で、漱石独自の、世俗を忘れ人生をゆったりと眺めようとするような作風は「余裕派」と呼ばれるようになる。が、そもそも、当時教師をしていて色々うまくいかずに悩んだ挙句に神経衰弱を患っていた漱石が、高浜虚子から治療のつもりで創作でもしてみたらどうかと勧められて書いたのが『吾輩は猫である』である。朗読される形での発表になるだろうからということで、落語などを参考にした口語文で書き、あらすじやストーリーめいたものは無く、いわば随筆だが、それを猫の視点から書くということでフィクションに仕立てている。漱石は、そうした文学の系譜があること自体は知っていたが、連載しながら読者と共に小説の読み方を作っていった。結果として、パロディ文学あるいはメタフィクションとして成立し、そして、そこには20世紀の文学が目指した方向性が示されてもいた。 20世紀の文学、特に小説が目指したものは何だったのかということは、作家や評論家によって様々な考察がされている。その一つに、「小説に特有のエッセーの技法」というのが挙げられている。これは、明白なメッセージをもたらそうとするのではなく、あくまで仮説的、遊戯的、アイロニー的なものとしてとどまるエッセーの技法であるという。
1905年2月に発表された『吾輩は猫である』の第二話に、「今年は征露の第二年目だから」という文がある。この「征露」というのは1904年に開戦した日露戦争のことで、戦争が足かけ二年になった1905年の元旦以降、「征露の二年目」「征露二年」というのが戦勝を祈願して年賀状に書かれるなどの形で流行語のようになったらしい。タイムリーな時事ネタとしてさりげなく書かれているだけで、それ以上の意図はないのかもしれないが、『吾輩は猫である』が書かれた時代的背景には日露戦争がある。 日露戦争は1905年9月に日本の勝利で終わる。日本はロシア帝国の南下を抑えることに成功し、加えて戦後に日露協約が成立したことで日露関係も急速に改善する。相互の勢力圏は確定され、日本は朝鮮半島の権益を確保したうえ、南満洲鉄道を獲得するなど満洲における権益を得ること��なった。当時列強諸国からも恐れられていた大国であるロシアに勝利したことは、列強諸国の日本に対する評価を高め、明治維新以来の課題であった不平等条約改正の達成に大きく寄与したのみならず、列強諸国の仲間入りをし、第一次大戦後には「五大国」の一角をも占めることとなる。その発展と成長への路線が示されたのが、日露戦争の勝利であった。 日露戦争の勝利は、日本の近代化の成功を象徴していた。が、『吾輩は猫である』には、ところどころ、滑稽さを出すためのアイロニカルな表現なのか、猫の視点から見ればバカバカしいということを表すためなのか、やっぱまだ神経衰弱結構きてたのか、なんだかよくわからない、ぼんやりとした不安のようなものが顔を出す。悲願だった近代化に成功したからこそ、もう後戻りできないのではないかということや、そもそもその成功した近代化というのは何なのかよくわからないが、もしかしたら誰もわかってはいないんじゃないか、みたいな。
ソ連時代のロシアの文芸批評家ミハイル バフチンは、「脱線文学」あるいは「パロディ文学」とも呼ばれる作品系譜を「カーニバル文学」と呼び、パロディなどに見られる両義性や価値倒錯の世界を創り出す効果を「カーニバル性」と呼んだ。バフチンはカーニバル性を持つ作品を「グロテスク リアリズム」とも呼んでいる。バフチンはグロテスク リアリズムの特徴として、カーニバル性を持っていることのほかに、「物質的、肉体的なものの肯定」を挙げ、「笑い」を極めて重要な要素であるとした。 バフチンは、近代文学における「パロディ」は、形だけの、否定的性格のものになっており、再生させるという両面的な価値を失っていることを批判し、近代文学における「笑い」についても、一面的にのみ理解された、もはや価値転換を起こすことのできない、純粋に娯楽的な笑いになっていることを批判した。
ちょっと前に、いくつかのポッドキャストやブログ記事などで、シニカルな笑いについて話題にしてるのを見た。それらで話されていたことの延長線上にあるような話は、シニカルな笑いにフォーカスしてるわけじゃないが、一層盛り上がったように思う。それらを聞いていて、たしかに「笑い」には二つの種類、あるいは相反する二つのベクトルがあるのかもなとも思った。それらを仮に「ソリタリー ラフター (独り笑い)」と「ラヴァーズ ラフター (恋人たちの笑い)」と呼ぶことにして、そのネーミングだとダサくて使いたくないみたいな感じは、拒絶を喜ぶ笑いで、シニカルな笑いであり、「独り笑い」である。もう一方の「恋人たちの笑い」は、同意を喜ぶ笑いということになるだろう。 同意を喜ぶ「恋人たちの笑い」が嬉しいのはもちろんだけど、「独り笑い」に救われることもあるっちゃあるよねみたいな感じの話が、「独り笑い」のようなものによって、偽の信念を拒絶するということはとても重要なことなんじゃないかという話になったのがちょっと前で、確かに似たような経験はあるとか、最近の出来事とかその解説とか聞いて、みんな真剣に聞いてたみたいだけど、なんかバカバカしく思えて笑えたみたいな話で盛り上がったのがつい最近なんだけど、これってなんか、「拒絶を喜ぶ笑い」が「同意を喜ぶ笑い」へと転換しているようでもあり、奇妙と言えば奇妙な感じというか、やっぱこの分類じゃ何言ってんのかわからない気もしてくる。そもそも誰かに「シニカルだ」「冷笑主義の差別者だ」「プロジェクト2025の共謀者だ」とか呼ばれることに対して、最後のやつ初耳だけど新ネタでたの?みたいなことを聞いてる人を見て噴き出したりってだけのことを、なぜか真剣に受け取りすぎていただけなのかもしれないが、何かの話題から別の話題に移るたびに、ついさっきまで考えていたことや感じていたことが一気にかけ離れていく感じで、何を考えようとしてたのかもわからなくなる感覚がある。
『存在の耐えられない軽さ』(1984)などで知られる小説家のミラン クンデラが、もう一つの代表作とも呼ばれる『笑いと忘却の書』(1978)で、「笑い」には「天使の笑い」と「悪魔の笑い」という2つの笑いがあると書いた。「天使の笑い」とは、世界の意味を確信した、生命の喜びとしての笑いであり、「悪魔の笑い」とは、何もかもバカバカしくなる、すべて無意味だということを表す笑いだという。天使の笑いは、それが極端にもたらされると、自分たちの世界の意味をあまりに確信し、自分たちの生の喜びに与しない者は殺してもよいという笑いになる。小説の語り手の耳には、悪魔の笑いのほうが、救済のかすかな約束のように響いた、という描写もある。 クンデラは、「プラハの春」で改革への支持を表明し、それにより、ワルシャワ条約機構軍による軍事介入の後、チェコスロバキアにおいて次第に創作活動の場を失い、著作は発禁処分となった。1975年には、フランスに事実上亡命。1979年には、チェコスロバキア国籍を剥奪される。『笑いと忘却の書』が国籍剝奪の原因だとも言われる。このことから、クンデラは共産主義や全体主義に立ち向かった作家だと言われ、「天使の笑い」というのも、全体主義化に警鐘を鳴らすための言葉として持ち出されることも多い。『笑いと忘却の書』には、共産主義者たちを無垢な残酷さを持つ「天使」に見立てて書いてる箇所もあるし、「あの天使たちの恐ろしい笑い声が響いている」という文などは、例えばジョージ オーウェル『1984年』(1949)の「ビッグブラザーの愛」のように、美しい単語に隠されているものの恐ろしさを暴くものだというような解説もされる。 しかしクンデラは、「共産主義体制で迫害を受けた」というような理解で作品が語られるのを拒み、また、『1984年』などの作品についても、それが政治へと「還元」されるのは容認できないとも書いている。この還元はプロパガンダとして役立つものだし、まさにこれこそが、人生の政治への還元、政治のプロパガンダヘの還元だからだという。 人間は、善と悪とが明確に判別されうるような世界を望み、というのも、人間には理解する前に判断したいという生得的で御しがたい欲望があるからだと、クンデラは言い、さまざまな宗教やイデオロギーのよって立つ基礎は、この欲望だと言う。世界中の人々が、今や、理解することよりも判定(ジャッジ)することを望んでいるようであり、問うことよりも答えることを大切だと考えてるように感じられる。神聖にして冒すべからざる「アンサーズ(答え。確信)の世界」には、小説のいるべき場所はない、とクンデラは言う。とにかくみんなすぐに、理解する前に理解することなく裁くという人問の慣行に反対し、道徳的判断を中断すること、それがクンデラにとっての小説であり、それは小説の不道徳なのではなく、それこそが小説の道徳なのだという。クンデラにとって小説世界とは、判断の中断の中にある世界であり、「クエスチョンズ(問いかけ)の世界」である。 「天使たち」というのは、輪になって踊りながら上昇するというイメージを表すものでもあり、「悪魔」というのは、その輪からはじかれて落ちていくイメージを表すものである。その輪というのは「党」の比喩でもあるが、それだけにとどまるものではない。「列」であれば、離れてしまっても戻ることができるが、輪は閉じるので、いったん立ち去ると帰れない。「惑星が輪を描いて動き、惑星から離れた石が遠心力によって容赦なく運ばれ遠ざかってゆくのは、偶然ではないのだ。惑星から引き離された隕石のように、私は輪のそとに出てしまい、今日でもまだ、落ちるのをやめていない。旋回のなかで死んでしまう定めの人々もいれば、墜落の果てにぺしゃんこになってしまう人々もいる。そして、後者の人々 (私もそのひとりだ) は、失われた輪への、遠慮がちな郷愁のようなものをつねに心のそこに宿している。それというのも、私たちはみな、万物が輪を描いて廻っている宇宙の住人なのだから。」
「小説の読み方」には、なんらかの「継続性」あるいは「持続性」が付随している。一つの作品を読む期間というもそうだし、しばらく読んでなくても、過去に呼んだ作品や読んでた時期を思い出したりとかというのもそうで、そのことを、「アクチュアリテ(今日性)に固定されない」とも言う。「アクチュアリテ」というのは「目下の現実」というような意味で、とりあえず「目下の現実」こそが最重要で、「アクチュアリテに固定されている」のが「ニュース」である。新しい出来事や新しく判明した事実によって「アクチュアリテ」が書き換わった後で、「昨日のニュース」を「今日」読むというのは、「ニュースの読み方」ではなく、別のニュアンスを持つものになる。 「アドボカシージャーナリズム(提言報道。政策決定などに影響を与えることを目的にしたジャーナリズム)」と呼ばれる形態に限らず、前面に押し出されて語られる出来事や議論などの奥には、提言団体の勢力図だったり、語るまでもなくよく知られた背景情報があったり、つまりどんな話題にも「奥行き」がある。が、フォーカスがぶれると伝わらない���報が多いため、どうしても焦点を定めた固定的な見方で語られる。どこかの視点に固定されたり、あるいは、昨日の視点と今日の視点があまりにかけ離れすぎたりすると、その「奥行き」も、奥行きを見るための「視差 (パララックス)」も失われてしまう。 「小説に特有のエッセーの技法」というのも、「アクチュアリテに固定されない」ためのものだと説明される。それは、今日起きたことを書くのだとしても、「今日の出来事」ではなく「持続し、過去と未来をつなげるべきもの」として書く姿勢だという。 日露戦争中、新聞以下マスコミ各社は、戦争に対する国民の期待を煽り、修正が利かなくなっていた。それもあって講和条約であるポーツマス条約は、国民の多くが考えていたものとは大きくかけ離れるもので、日本に対するロシアの賠償金支払い義務はなかった。全国各地で講和条約反対と戦争継続を唱える集会が開かれ、1905年9月5日の日比谷焼打事件をはじめとして各地で暴動が起こり、戒厳令が敷かれるまでに至った。12月22日、桂内閣は総辞職した。 その時期をちょうど真ん中に置いて、その前後に、人の視点と猫の視点のパララックスが連載されていた。
2024年7月 イフ ザ ライン オブ サイト イズ パラレル トゥ
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裏金問題で揺れる自民党が、公明党の協力を得て政治資金規正法を改正した。残念ながら改正とは名ばかり。「政治にはカネがかかる」という前提を放置したままでは、何の解決にもならない。永田町で25年以上の経験を積んできた議員秘書が、その実態について余すところなく語った。 ◆ ◆ ◆ 政治資金パーティー券の公開限度額や政策活動費等々、抜本的な政治改革が求められているが、そもそも「裏金」を撲滅する方法があるのだろうか。おそらく、どんな厳しい法律を作っても「裏金」は存在するだろうし、それが表に出てくるのは「内部告発」がある時だけだろう。 薗浦健太郎議員の関連政治団体が、政治資金パーティーで得た収入を政治資金収支報告書に過少記載した問題も、東京地検特捜部の捜査開始後、薗浦氏が政治団体の会計責任者を務めていた公設第1秘書に、通帳に記載された収支のメモ書きを消去するよう求めたとされ、秘書はその際のやり取りを録音して特捜部に渡している。秘書との信頼関係が無い。 今回の裏金事件発覚の具体的捜査が始まったきっかけは、池田佳隆議員と元秘書とのトラブル。その件の捜査を皮切りに清和政策研究会の裏金事件に発展した。 政治団体の収支報告書に外部監査が入っても、パーティー券の販売数を知っているのは秘書か議員本人だけで、実態を確認することは出来ない。監査人は会計責任者(大体が議員秘書)から渡された領収書や資料と銀行の残高を確認するだけだ。 国会では代表者(政治家)と会計責任者とを「いわゆる連座制」にするべきだなどと騒いでいるが、「会計責任者」という制度自体を廃止すればよいのであって、議員(または候補者)が全ての責任をもって自分の名前で提出すればそれで済む。 政治資金処理は政治家にとってはイロハのイ。責任の所在が明確になり、違反があった場合の捜査もやりやすい。もっと言えば、信頼できない秘書しか雇えないような議員は辞めてしまえばいい。 改正後の政治資金規正法での収支報告関係の罰則も��変わらず甘い。最高刑で「5年以下の禁固又は100万円以下の罰金・公民権停止」というだけで、今回の清和政策研究会会計責任者も100万円の罰金程度で幕引きされる見込みだ。被告人の松本事務局長にとっては痛くもかゆくもないだろう。 「裏金を数年間机の中に保管していた」などと証言して、過失を装うかのような修正申告が数多く出されているが、これも雑所得の申告漏れと判断して追徴課税すればよいのであって、国税の捜査は怠慢だともといえる。無申告加算税の税率は15~20%であり、民間企業なら厳格に徴収される。 エコノミストで一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏も「政治資金であれば記載する必要があるのだから、『記載しなくてよい』というのは、『政治資金ではない』という意味だと解釈せざるを得ない。相続税法第21条の3の3は、《宗教、慈善、学術その他公益を目的とする事業を行う者で政令で定めるものが贈与により取得した財産で当該公益を目的とする事業の用に供することが確実なもの》が非課税としている。後になって領収書を出してきて、『公益を目的とする事業の用に供した』といっても駄目だろう。したがって、キックバック裏金収入は課税所得だと考えられる。だから、税務申告する必要があると考えられる」 と述べている。 もし国税の捜査がやりにくいのならば再度、政治資金規正法を修正して、1年を超える「記入漏れ」があれば「雑所得」として認定し申告漏れとして追徴課税すればいい。 ドタバタの末決定した「パーティー券購入者」の公開基準を「5万円」とすることにも、たいした意味があるとは思えない。 元閣僚の某議員などは、2ヶ月ごとに朝食会を開いて多額の収入を得ているが、購入者の多くは1~2枚しか買わないので何の支障もないし、「朝食会」や「昼食会」と称するパーティーを年に数回行えば公開基準などあってないようなものだ。一方で、パーティー券購入者公表のあり方も見直さなければならない点がある。 現在の収支報告書では、購入者の「氏名・住所・職業」が記載されているが、公表の段階で住所の番地や部屋番号まで公表している現状には問題もある。例えば、女性実業家がストーカー被害に遭ったりする例も発生している。プライバシーの点は考慮しなければならない。 政治資金パーティーを巡る裏金事件を発端とする「政治と金カネ」について、昨年末から多くの新聞記者やテレビ局から政治資金について��問い合わせが続いている。その中でも、「何故政治にカネがかかるのか」を問われることが多い。 選挙活動と政治活動の二つに分けて考え���みる。 ①選挙にカネがかかる 選挙にかかる費用は、選挙の種類や地域・選挙区の規模などによって大きく異なり、一般的な市議会議員選挙の費用は200万円~800万円。参議院選挙では6,000万円以上とも言われている。何にカネがかかるのか。立候補するに当たって供託金という制度があり、衆参の比例代表で600万円、衆参選挙区や知事選挙で300万円、市区議会選挙で30万円などと定められている。一定の得票数を満たすことができれば返却され、規定の得票数に達しなかった場合は没収される。 選挙ハガキ(法定ハガキ)や選挙ポスター、選挙ビラ、看板などの印刷代は公費負担があり、供託金を没収されなければ無料で作ることが出来るのでカネはかからない。候補者本人が支出しなければならないのは、選挙運動に携わる事務員や労務者への報酬だ。 選挙運動に関する事務をするために雇用した人や、葉書の宛名書きや発送作業、看板類の運搬作業、自動車の運転、ポスター貼りなど、単純な労務の報酬を支払わなければならない。意外と思うかもしれないが、選挙運動員として、直接「有権者に支持を訴える人」はもちろん、「選挙事務所の幹部」などには報酬・アルバイト料を支払うことは違法とされている(実際に守られているのはレアケースであるが……)。 選挙で最もおカネがかかるのは、「ポスター張り」と「ビラへの証紙張り」である。衆議院の小選挙区では、およそ600カ所あるいはそれ以上の掲示板にポスターを貼ることとなるが、一日で張ろうとすると相当な人数が必要となる。東京都の知事選や参議院選挙となれば、およそ14,000カ所の掲示板に貼ることとなるので、400人以上必要となる。組織を持たない候補者は業者に委託してポスターを貼っているが、高額であり厳密には違反となるケースも少なくない。 選挙に使うビラの証紙張りも、参議院比例代表では25万枚、衆議院小選挙区でも10万枚以上張らなければならないなど人件費がかかる。ボランティアにもお願いするが、とても追いつく数ではない。 昨年から何度も記者の人たちに、選挙にカネをかけないためには「ポスター掲示板の廃止」と「ビラの証紙廃止」が必要だと説明してきたが、どのメディアも書かないし、テレビ局からの撮影があっても放送では全てカットされてきた。 候補者の主張は全戸配布されている広報を見れば分かるし、ネットでいくらでも調べることが出来る。どうしてもポスターを見たいのなら、投票所に指定された場所にポスター一覧を置けばいい。税金で莫大な額を払ってポスター掲示板を設置する必要など全くない。(うがった見方をすれば、選挙管理委員会と看板設置会社が結託でもしているんじゃないだろうか?) 選挙ビラも、選挙管理委員会が認定した印刷会社に枚数を管理させて制作すれば証紙張りの必要は無い。 そんな矢先、東京都知事選挙で24人を擁立した政治団体「NHKから国民を守る党」が、ポスター掲示場の枠を事実上「販売」していることがわかった。1口2万5千円を「寄付」すると、都内約1万4千カ所のポスター掲示場のうち1カ所を選び、候補者枠に自ら作成したポスターを貼る権利が与えられ、候補者とは関係のない人物やイラスト、裸の女性写真やQRコードで風俗への勧誘なども張られる事態となった。「掲示板ジャック」は、供託金を没収されても掲示板を全部売れば収入が大きく上回り、ポスターを貼る様子を動画投稿するなど、選挙をビジネスとして利益を得ようとする狙いがある。たしかに公選法の規定では選挙ポスターは虚偽内容でない限り自由で、チェックするための仕組みはない。 公職選挙法にはカネに関わる問題が数多く放置されたままとなっており、他にもメスを入れなければならないことがたくさんある。同法の規定では、事務員・車上運動員についての支給上限額(事務員一日1万円・車上運動員一日1万5千円)が定められているが実態にそぐわなくなってきている。 選挙期間中の朝8時から夜の8時まで運動すると、各地域の最低時給を下回ることになる。プロのウグイス嬢が一日1万5千円で働くわけがない。事務員・車上運動員の弁当も一食1,000円、一日3,000円以内と定められているが、住宅地郊外を回っていると、ファミリーレストランでも税込み1,000円以内の食事は難しい。 法令遵守しようとすればボランティアを募ることとなるが、そんなことが出来るのは大きな組織を持った候補者か宗教団体しかない。 このように公職選挙法は現実を無視した多くの問題を抱えているにもかかわらず、改正しようという声が全く聞かれてこなかったのは、国会の怠慢と言わざるをえない。この点も裏金を生じさせた一因となっている。 ②政治活動にカネがかかる いつ本会議があって、いつ委員会があるという国会日程を把握し、調整し、国会議員のスケジュールを管理する秘書がいなければ、国会議員は仕事ができない。議員会館で最低でも1~2人は必要となる。国会議員には国が給料を負担する「公設秘書」が3人いるが、3人だけでやりくりしている事務所はほとんどない(ごく希にはいるが)。 大抵の議員は地元の要望回り、陳情回りなどの活動をする秘書が必要になり、地元秘書や事務員など4~5人以上は置くことになる。私設秘書に社会保険料や交通費も払うと、だいたい30万円× 5人で150万円。その他事務所費や通信費が毎月必要経費としてかかる。 政治活動にはポスターや、活動報告のチラシなどが必要で、移動する人たちのガソリン代も馬鹿に出来ない。地元での新年会や忘年会など、数多くの会合に呼ばれれば参加し、参加費も払う。地元の方が亡くなられた際には香典を持参するし、出席できない場合は弔電を送るなどの経費もかかる。 なぜ多額の経費がかかるのかといえば、その政治家が次の選挙で当選したいからで、次の選挙を考えなければカネはかからないが、そんな政治家は落選してしまうだろう。 以上の政治活動を行うためには政党助成金の1,000万円と、月額100万円支給される「調査研究広報滞在費」(旧文書通信交通滞在費)だけでは足りず、パーティーを開いて政治資金を集める必要が出てくるというわけだ。 多くの議員からは「他党の候補が地元活動に力を入れる中、自分だけやめたら落選してしまう」といった声が聞かれるが、こうした地元活動を求め、評価する有権者の意識も改めたい。 改正政治資金規正法は、政治資金パーティー券購入者の公開基準額を「5万円超」に引き下げるなど自民党が提出した法案を一部修正して成立したが、世論調査でもはっきりしたように、中途半端な法改正は国民の政治不信をさらに高めている。
現役国会議員秘書の本音|法改正でも「裏金問題」は解決しない | HUNTER(ハンター)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月14日(水曜日)弐
通巻第8132号
こなた習近平が尊敬する思想家はマルクスと毛沢東である
かたやプーチンが尊敬してやまないのはソルジェニツィン
*************************
習近平が尊敬する思想家はマルクスと毛沢東である。習のまわりを囲む御用学者らは毛沢東思想礼賛のカチカチの共産主義者だ。欧米に留学し近代経済学や国際金融を学んで,多少は中国の経済『改革』を進めてきた改革思考のブレーンは不在となった。朱容基も、李克強も居なくなった。周小川も易鋼も退官し、そして胡春華も閑職に飛ばされた。
一方、ロシアのプーチン大統領が尊敬してやまないのはアレクサンドル・ソルジェニツィンである。
ソルジェニツィンはゴルバチョフ、エリツィン、プーチンの三人の指導者とそれぞれ別個に懇談したが、もっとも共鳴した政治家は、じつはプーチンだった。そしてプーチンもソルジェニツィンの考え方に深く共鳴し、尊敬していた。
ノーベル文学賞受賞の作家にして哲学者の残した言葉をプーチン大統領はよく演説に引用する。
「彼の心、魂、思考は祖国への痛みと尽きることのない祖国愛で満たされていました。こうした感情が彼の創作活動の原動力となったのです」とプーチン大統領は、2018年にソルジェニツィンの記念碑除幕式で演説している。
「彼は何百万人もの人々を苦しみや厳しい試練に陥れた「全体主義体制」と(純朴な)「ロシア人」とを明確に区別した。20世紀のロシアが産んだ社会政治思想家である。その知的遺産が今日までロシア政治に影響を与えている」
代表作は『イワン・デニーソヴィチの一日』で、実際にソルジェニツィンは、8年間強制収容所で過ごした。労働収容所や外国への亡命生活で何年も過ごし、共産主義イデオロギーに幻滅し、ロシアナショナリズムとキリスト教正教会の価値観に強い関心を抱く。
ソルジェニツィンは土着の愛郷心と魂を重視する宗教への回帰を訴えた。ソ連指導部に対し、共産主義イデオロギーを手放し、国内の発展を妨げる世界中の左翼政権への支援をやめるように呼び掛けた。
「私たちの国は、国民の内的、道徳的、健全な発達を考慮して導かれるべきです。私たちは女性を、お金を稼ぐための強制労働、特にバールやシャベルから解放すべきです。学校教育と子供の育成を改善する。土壌、水域、ロシアの自然全体を保護し、都市の健康な生活を回復しなければなりません」
この共産党指導部への公開書簡のため、1974 年 2 月、ソルジェニツィンは逮捕され、「大反逆罪」と「ソ連の市民権」を剥奪された。ソルジェニツィンは西側諸国を放浪し、1976年に米国バーモント州に定住した。
▼ソルジェニツィンの葬儀にはプーチンもメドベージェフも参列した
国家の独立を維持し、ロシアとその国民の利益を守ることが、ソルジェニツィンの創作活動の重要なテーマとなった。
やがてペレストロイカの雪解けが訪れ、ソルジェニツィンは市民権を回復、1994年、ロシアに帰国した。2008年にモスクワで死去。享年89歳だった。
葬儀にはプーチン、メドベージェフにくわえてロシア科学アカデミー会長、ロシア科学院学長らが参列した。何千人もの一般の人々が花束を捧げた。
2022年のヴァルダイ・フォーラムで演説したプーチン大統領は、「西側諸国は新植民地主義と一極性によって『盲目』になっている」としたソルジェニツィンの言葉を引用した。
西側諸国の外交政策に対するソルジェニツィンの批判は時間の経過とともに強まるばかりだった。
ソルジェニツィンは米国が複数の国を占領していると非難した。
「ボスニアでは9年間、コソボとアフガニスタンでは5年間、そしてイラクでは3年間。こうした状況が続いているが、現地の状況は長期化するのは確実だ」
彼はまた、東欧での軍事的プレゼンスを拡大し続け、同国を南から包囲し続ける米国にとって、ロシアはいかなる脅威にもなっていないと指摘した。
それは「『小さな自由』であり、大きな意味での『自由』を風刺したものにすぎません。責任や義務感のない自由です」とソルジェニツィンは1975年にフランスのジャーナリストとのインタビューで語った。
ソルジェニツィンにとって、道徳的発達は、事実上、社会的、政治的問題と切り離せない価値であり、義務感や個人の責任は、現代の西洋の思想家や指導者の中では信じられていない。
プーチンの演説の言葉の端々、その行間に秘められているのはソルジェニツィンの思想なのである。
毛沢東とマルクスの幻惑に浸り,全体主義に盲進する短絡的な習近平とプーチンを同列に論じるのは基本的な誤謬といえる。
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お茶碗を持つ方は右翼
2023/04/12
↑たのしい。KindleUnited?Unlimited?会員なら無料で読めます。
右翼と左翼とか、よくわからなかったことがわかりやすく書いてある。最終的にその垣根はグチャグチャになっていったけど。
もう近代というものは全部グチャグチャのめちゃくちゃで、すべてをちゃんと正確に知ろうとするとすごい頑張らないといけなくて大変だ。
情報は積み重なってくばかりで無くなりはしないから、都会の路線図みたいに複雑に入り乱れていく。だからこうやってお片付け上手な人が要点を纏めてくれると助かる。
前に同居人のズーニャ先生に右翼と左翼について聞いたとき、「色々細分化されててよくわからないけど、ざっくり言うと右翼は保守派で左翼は革命派、派手な動きをするのは大体右翼」みたいな話をされ(すごい、なんでも知ってる)、
右翼って暴れて���イメージだったから、革命派の左翼の方が暴れるんじゃないの?保守派って現状維持なのになんで暴れるの?ってびっくりした。
ズーニャ先生が言ってた通りだったし、より詳しく書いてあった。
でもよく考えると革命派が暴れるのではというのは自分の偏見でしかなくて、確かに、病院に連れて行こうとすると暴れるワンちゃんみたいなものかと思った。
現状に変化を齎そうとする動きは正当性と勇気と根気がいるし。
変えるな、戻せという方が簡単だ。
この本でおもろい知見を得たので記す。(みなさんは小学校で習ったと思いますが、社会の授業中ずっと居眠りか落書きをしてたのでぼくは初めて知りました。)
元々、西洋の人間社会には神がいて、政治も神によってすべてが決まりがちだったらしい。
でも、デカルトが「我思う故に我あり」と言いだしてから、理性こそが自分たちの存在の証明なら、神はいなくても成立してしまうのは…ということに気付き、みんなソワソワし始めた。
そこから、理性信仰(合理主義)がすごい発展して、自分たちで政治するぞ!という流れになり、民主主義とか社会主義とか生まれたらしい。ちなみに、デカルトは神を信じてるのに周りの人たちが勝手にデカルトの言葉を神に頼らなくてもイケると解釈して合理主義が生まれたらしい。(かわいそう)
右翼とか左翼は、その合理主義が台頭してフランス革命が起こったときに生まれた言葉で、なんか会議みたいなやつで保守派(宗教好き)は右側に、革命派(理性好き)は左側にいたらしい。
右翼は神を信じていて、その人間の理性によった政治に疑問を呈す人たちだったらしい。そして、今ではその中にも色々な派閥がある。
「今の世界はクソ、神がいたときこそ最高!」っていう人たちや、「天皇万歳!過去の国家の在り方こそが完成されていた!」というような過去への執着が強い原理主義の過激派がよく暴れているらしい。
右翼の中には懐疑主義のような穏やかな人たちもいて、それも合理主義に反対する考え方ではあるけど、これは正直共感できる。
懐疑主義は「人間の理性が、人間の判断が、絶対に正しいとは思わない。現状や時代に合わせて、少しづつ、永遠に改良を続けるべき。」という思想。バーグみたいな名前の人が始まりらしい。「人間は確かに理性的、合理的に考えられる人もいるかもしれないが、愚かな民衆までもを政治に加えさせたらクソ政治になる」みたいなこと言ってた。これはむしろ、左翼的でもある。
今も続いてる老舗の甘味処は、理念や技術を引き継ぐために、時代に合わせて味を変えている。変わらないために変わり続けている、それに近い。(これアキバ冥途戦争でも言ってた。神アニメ。)
左翼は元々、最初に言った合理主義、理性主義の人たち。理性に導かれ、革命、改造を繰り返してしっかり構築された理想の社会を作っていこうとする人たち。
でも正直、もはや右翼と左翼の定義はあやふやだと書かれていた。あえて分けるなら、どちらも理想を抱えていて、右翼はその理想が過去にあり、左翼は理想が未来にあるという違い。
だから、左翼によって兵器の力を生活に役立てようと原発が開発されたりしたけど、正しいはずの理性によって導かれた進歩で事故が起きたりしたから、左翼の中には環境問題や食料問題に興味を持つ人が増えてて、右翼的な、懐疑主義の思想に近付いてるらしい。
前置きが散らかったが、この「理性」と「宗教」の対立に思うことがある。
まず、リチャード・ドーキンスの「神は妄想である」という本の中で、「宗教が慰めをもたらすからと言って、宗教が正しいということにはならない。たとえ全ての無神論者は情け容赦なく、果てしなくつづく苦悩によって神経症に苛まれ、自殺に追い込まれるとしても、これらのどれ一つとして、宗教上の信念が正しいと言うことを証拠立てる上で、毛ほどの役にも立つまい」という一節があるらしい。
(ツイッターのリチャードドーキンスbotが言ってた。←アホのインプット。良い子はマネしないように。いつかちゃんと読む。)
この、「無神論者は情け容赦なく、果てしなくつづく苦悩によって神経症に苛まれ、自殺に追い込まれるとしても」という一文に思うことがあった。
無宗教の国は自殺率が高いらしい。
理性によって、道徳的向上はもたらされる。
左翼/右翼のあり方に近いものを感じた。
未来を創造する力・前進・発展・向上は理性がもたらす。それに対して右翼的な…保守主義・宗教は、問題解決をもたらさないとか、否定的に言われることが多いが、過去の叡智、原始的直感、未知の事象を忘却させないための力、人知の及ばない世界を認識させるための力を持っていると思う。
理性は道具でしかなく、それを扱おうとするときは信仰が要るんじゃないか、結局。
惑星軌道の発見も、神がテキトーに惑星散らかすはずがないって信じたから成されたし、さっきの理性主義の発現も、神を信じていたから辿り着いたデカルトの言葉がきっかけだったし。
なんで、日本は自殺が多いんだろう、自罰的というか、自分も含め、自分で自分を苦しめる人が多い気がして、ずっとなんかやだな〜と思っていた。
それは日本が、絶対的な信仰の対象…唯一神を持たなかったからなのかもしれない。赦しも罰も、自分で自分に下さなくてはならなかったからかもしれない。
切腹とか、自殺の美学みたいなものも歴史にあるし。かくいう自分も、中二病のときは(今もだが)自傷行為してる俺かっけ〜と思ってた。でも、実際に自殺を仄めかしていた友人と音信不通になったとき、「ほんとに死ぬな…………」と思った。
自殺するような人は絶対、間違ってない。死ぬ必要がない。その友人は、職場でパワハラにあったりしてたと言ってた。パワハラをするような人の方こそ、社会的制裁を与えられるべきだと思う。でも、そういう人は図太くて、のんきにのうのうと生きていく。
自分は、誰かを排斥して笑っているような人間に比べたら上等で、生きる資格も価値もあると思っている。そう思えるようになるまでは、本当にウンチ人間すぎて生きててごめんなさいと思っていたが、そう思うことで生きることを許されようとしなくても、のうのうと生きているウンチ人間がいるのだから、どんなウンチ人間だって生きてていいに決まってる。
すべてのウンチ人間は、生きてていい。
そして、そう、自罰的というのは、理性が思考の主導権を握っているときに起こりやすいと思う。多分、たのしくて脳汁ドバドバのときに死にたいとは思わない。それが過ぎたあとの、理性が戻ってくるときに死にたくなるか、あるいは、必ず戻ってくる理性の気配を感じ、脳汁ドバドバのまま死んでしまえたら…と思うかもしれない。
それは、人間という動物の本質がウンチ製造機であり、そんなウンチ製造機が道具として理性を手に入れたから起こる苦悩だと思う。理性は、人間が世界をその脳で認識し理解するための道具であり、それ故に、理性を使って世界を測るたびに、人間のウンチさを突きつけられるのである。理性は、この世界が地獄の混沌であり自らがウンチ製造機であることを認識させるためにある。
だから、人はその理性を手放したくなるときがある。それは快楽、義務、信仰によって成される。音楽やゲーム、スポーツ、映画、アニメ、フィクション、あらゆる娯楽、あるいはお酒、ドラッグ、ギャンブル、はたまた、仕事…そういった一見生きるのに必要なさそうなものが人間社会と常にあり続けているのは、他ならぬ理性のせいだと思う。理性がなくては生き残ることも困難だが、脳は、理性だけじゃこの世界のあらゆることを抱えきれないから。
そしてその、理性の負荷からの逃避にかなり役に立つのに代表されるのが、宗教。
正直、信仰していればなんでもその代わりになると思う。さっき言ったすべて。娯楽も仕事も義務も、理性にもたらす影響は宗教とあんまり変わらないんじゃないかと思ってる。
推し活とかが流行っとるが、それも結構宗教だと思う。日本の宗教観にアニミズムがあり、アニメーションなどによってキャラクター信仰が浸透することは、構造として神の信仰と通じる部分がある。
心から信じていて、自分を絶対に救ってくれると信じられる何かがあれば、絶望の淵にいても人は生きていけるんじゃないか。
罪悪は、理性が生み出す道徳的向上の標である。信仰は、慰めと救いをもたらす。どちらとも、人が生きることには欠かせないのかもしれない。
だから自分はダメだ…って思いすぎるひとは、全然ダメじゃない。生きててえらい。
もしも死にたくなったら、そうさせた奴らを殴りに行こう。社会に蹴りを入れに行こう。死んだら何も言えない。死ななかった人のための世界になるだけだ。
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TEDにて
シャロン・ブロウス: 今が一神教を取り戻す時?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
世界が制御不可能に見える時、宗教は、それと無関係に見えます。あるいは、問題の一部のように思われるかもしれません。
しかし、ユダヤ教のラビであるシャロン・ブロウスは、現代における我々の生活のニーズを満たすために宗教を改革できると考えています。
この情熱に満ちた話で、ブロウスは一神教活性化のための4原則を示し、暴力、過激主義、悲観主義などの感覚を麻痺させるような暗い現実に対抗し、あらゆる一神教が希望に満ちたカウンターナラティブとなり得ると語ります。
古代エジプトは、紀元前30000年に集団が形成され、その後、紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生。エジプトの主神であったアメン神は多神教で世界最初の中央集権国家として現在では知られています。
その後、「アクエンアテン」が推進したアテン神を中心とする一神教が、人類史上初の一神教として誕生。
合議制の多神教である神官と言われる人々が政治に口を出すために、破壊的イノベーションにより誕生したかもしれません。一部。大統領制や政教分離です。
しかし、一神教はエジプトでは破壊されてしまい。モーゼの出エジプト記になり、古代ユダヤ教になったと知られています。参考までに、一般的には古代中国は、紀元前2000年。古代ローマは紀元前500年です。
2004年の春(一神教での話です)
日本では、神仏習合で多神教なため、戦国時代には、すでに解決しているので参考程度にどうぞ。
私は、新米ママであると同時に若いラビでした。そして、世界は大混乱でした。皆さんも覚えてると思いますが、毎日、私たちはイラク戦争で起きた悲惨なニュースを耳にしました。全世界に広がるテロの波があり、まるで、人間性が制御不可能になったかのようでした。
私は、マドリードの地下鉄で発生した組織的な連続爆発についてのニュースを読んだ夜のことを覚えています。私は起きて、6ヶ月の娘が愛らしく寝ているベットに向かいました。そして、彼女の呼吸のリズムを聞き、私の体を切迫した感覚が駆け抜けるのを感じました。
私たちは、政治、一神教、人口、そして、イデオロギーの構造が激変する時代を暮らしていました。
全てに危うさを感じました。こう考えたことを覚えています「いったい私たちはどのような世界にこの子を産んだのだろう「母、そして、一神教の指導者として、私はどのように解決するべきだろう」
もちろん。急激に変化するこの世界で一神教が主戦場となることが明らかだとは分かっていました。そして、一神教が問題の重要な一部であることは、すでに明らかでした。私の問いは、一神教が解決策の一部にもなり得るか?でした。
歴史を遡ってみると、人々は、一神教の名のもとに恐ろしい犯罪や残虐な行為をしてきました。
そして、21世紀に入ってから、明らかに、一神教的過激主義は、その勢いを再び増していました。我々の研究は、過去、15年から20年の間。
敵対心や一神教関連の暴力が全世界で増加していることを示しています。
しかし、これを証明する研究すら不要です。なぜなら、皆さんの中でこう聞いて驚く人はどのくらいいるでしょう。爆発や銃撃のニュースを聞いた時。
犯人が銃撃する直前や爆弾を投げる直前に最後に口にした言葉が、神(アラー)の名であったと。
今の時代。また、誰かが、神への愛を証明するため、他人の命を奪ったと聞いてもあまり驚く人はいません。
アメリカの一神教的過激主義の例は、白人の反中絶キリスト教過激派が、コロラドスプリングスのプランド・ペアレントフッドを襲撃して、3人を殺した事件があります。サンバーナーディーノでオフィスパーティーに入り込んで14人を殺した。イスラム国に感化されたカップルの事件も同様です。
また一神教的過激主義が、暴力につながらないとしても、一神教は、政治分裂のくさびを打ち込む争点として利用され、皮肉にも女性軽視の正当化やLGBTへの差別、人種差別、イスラム恐怖、反ユダヤ主義へと発展します(すべて一神教での話)
一神教や信仰の未来を心配するならば、こうした現状を深刻に捉える必要があります。私たちは、これが一神教の大失敗なのだと。はっきりと言うべきです。
しかし、大事なのは、これが、こんにちの一神教の唯一の問題ではないことです。
同時に我々には、過激主義に強い力(パワー。ライトサイドの方)をもって、対抗する一神教が必要です。
一神教は、2つ目の致命的な現象で苦しんでします。私はこれを一神教のマンネリ化と呼んでいます。私たちの組織と指導者が囚われている、ただ機械的に暗記したパラダイムには、生命がなく、ビジョンがなく、魂がない状況です。
この意味を説明します。
ラビになることの大きな幸福の一つは、ユダヤ教の結婚式の時に、キャノピーの下に、新郎新婦と一緒に立って、彼らが互いに見つけた聖なる愛を神聖なものにする宣言を手伝うことです。経験があれば思い出してみてください。または、ただ、想像してみてください。結婚式当日のキャノピーの下での経験と6年、7年後の記念日の気持ちはどう違いますか?
もし、運のいい人なら、16〜17年間は同じかもしれません。普通の人なら、多分記念日の朝に起きてお気に入りのレストランの予約もカードの用意も忘れたことに気づくと思います。そして、ただ相手も忘れていて欲しいと願います。
一神教の祭式や儀式は、主に記念日となるようにデザインされていて、あなたが一神教とまず最初に出会った聖なる目覚めの経験の思い出を入れておける器のような役割をつとめます。問題は何世紀か過ぎると、記念日はまだカレンダーに残っているけど、愛はずっと前に死んでしまったことです。
そして、私たちは、何の意味もないことばを終わりなく、意図もなく繰り返すだけです。言われるがままに立ったり座ったりして、執拗に守られた教義にすがり、完全に現代の現実とはかけ離れたおざなりの実践を行います。なぜなら、単純にそれが今までやってきたことだからです。
アメリカで一神教は衰退しています。
全体を通して、教会、ユダヤ教会、モスク。すべてが伝統の中核である組織に興味がないばかりか、一神教そのものにも全く興味のない若い世代との関わりを維持することが大変さだと嘆いています。
彼らが、理解しないといけないのは、一神教の過激主義の暴力に呆れた世代の人たちがいること。一神教のマンネリ化の虚しさから自ら一神教を拒絶した人がいることです。
もちろん、そこには明るい面もあります。一神教生活における危機とも言うべきこの二つのトレンドの中で、12〜3年前。私は戦争の勃発する世界で何らかの方法でユダヤ教の伝統の精神を取り戻し、意味と目的のある存在にすることは、できないかという試みを始めました。
こう考え始めました。
もし、今の世代の素晴らしい思想家たちの力を取り入れ、大胆で力強く想像力豊かに考えたときに、次世代の一神教生活がどのような姿になるだろうかと。私たちには、お金も場所も計画もありませんでしたが、電子メールはありました。友達のメリッサと一緒に座って、何人かの友達と同僚にメールを出しました。基本的な内容はこう「あなたが、一神教を捨てる前に一緒にユダヤ教の教えを改めて考えてみませんか?今週の金曜日の夜に会いましょう」
20人くらいの人が、来てくれることを期待していたら、その日。135人の人が参加しました。そこには、皮肉屋、信仰を探している人、無神論者、そして、ラビがいました。多くの人は、その夜が人生で初めての意味のある宗教的経験だったと言いました。
そして、私はそういう状況に置かれたときの唯一の合理的な選択をして、仕事を辞めて一神教を新たに見直し再建するという大きな夢を追い始めました。この活動を「イカール(IKAR)」と呼びます。
「基本」または「物事の中心」という意味です。
一神教界の中でイカールは独りではありません。そこには、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、正教会の指導者たちがいます。ちなみに、その多くは女性で我々の伝統の核心を取り戻そうと考え、いま一神教が解決策の一部になる時だと固く信じる人々でした。
私たちは、聖なる一神教にたち戻り、全ての一神教に暴力や原理主義を正当化する材料が、含まれていることに気づきました。
また、共感や共存、優しさを正当化する材料も同時に含まれていました。誰かが憎しみや復讐の教えとして、経典を読む時に私たちはその同じ経典から愛や赦しの教えを受け取ることも可能です。
私は、今や東西海岸にある新興ユダヤ教コミュニティをはじめ、様々なコミュニティーたち。女性のためのモスク、ニューヨークとノースカロライナにある黒人教会。正義と平和のメッセージと共に我が国を横断する修道女を乗せた聖なるバス。これらが、信仰の精神を共有していて、それが、今、この国で再興した一神教の形をとり新たに浮上していると知りました。
具体的な信仰の経典や一神教活動は、これら個々のコミュニティ。それぞれ、とても違う一方、そこには一貫して、それらを繋ぐ糸が見えます。
4つの原則を共有したいと思います。
まず目覚め。気づきです。
私たちは、今、地球のあらゆる場所で起きている世界中の悲劇の情報にアクセスできるという前例のない世界に暮らしています。12時間以内に、20万人の人々が、トルコの海岸にうち上げられたアイラン・クルディ君の死体の写真を目にしました(今では自動削除されます)私たちは、みんなこの写真を見ました(今では自動削除されます)このアレッポのビルの瓦礫の中から救出された5歳の男の子の写真を見ました。
こういう写真を見ると何か行動をとる必要性に迫られます。
ユダヤ教に伝わる話ですが、道を歩いていた旅行者が美しい家が燃えてるのを見てこう言います「こんなに綺麗な家が燃えているというのに、なぜ誰も気にしないの?」私たちはこのように世界が燃えているなら心と目を開いてその鎮火を助けることが責任であることを悟るように学びます。
これはとても難しいことです。心理学者たちは、私たちは世界の崩壊を知るにつれ行動しなくなるといいます。これを精神的麻痺と言います。私たちは、どこかで精神的に心を閉じてしまうんです。どこかで一神教指導者たちは、人々を居心地悪くするのが我々の仕事であることを忘れました。
人々の目を覚まして無関心から引っ張り出し、苦痛に向きあわせ、そして、私たちはやりたくないことも敢えてやり、見たくないものも見るのだと主張するのです。なぜなら、社会の変化が起こるのは家の火事に気付けるよう目が覚めている時だけだと知っているからです。
次の原則は、希望です。
希望はどんなものか?希望はナイーブではありません。希望は中毒性のある麻薬でもありません。希望は悲観主義的な政治と絶望の文化に対抗する唯一で最大の行為かも知れません。希望は私たちを制約し押し込めていた場所から解放すると同時に「もう一度夢を見て、可能性を考えることができる。彼らはあなたをコントロールできない」と教えるからです。
この夏。シカゴ南部のアフリカ系アメリカ人教会で私の友人であるオーティス・モスの説教を聞くために、私よりも数センチ背の高い13歳の娘を連れて行き、そこで希望を見ました。その夏、すでに3千人がシカゴで1月から7月の間に銃撃に遭っていました。その教会に入ってモス牧師の説教を聞いて、説教が終わったとき、この100人の力強い女性たちで構成された美しい女性聖歌隊が立ち上がって歌い始めました。
「私はあなたが必要です。あなたは私が必要です。愛してます。生きるためにあなたが必要です」私は、その瞬間。これが一神教のあるべき姿だと気づきました。人々に目的意識。希望の感覚を与え、彼らと彼らの夢が本質的に重要であるという感覚を取り戻させるんです。彼らは、重要ではないと言い放つこの世界においてです。
3つめの原則は力強さです。
ラビの伝統的教えでは、ポケットに2葉の紙を入れて歩き回ります。
1つには「私はほこりと灰にすぎない」自分が全てなのではありません。私はすべてをコントロールできないし、自分1人では、成し遂げられません。
もう一枚には「私のためにこの世界は作られた」自分ではすべてのことができないのは真実ですが、必ず何かはできるということを述べています。私は赦すことができます。私は愛せます。私は参加でき、抗議することもできます。私は会話に加われます。
私達は、今も一神教的儀式や姿勢を保ち、無力な人と力のある人の間のパラドックスを繋ぎとめています。ユダヤ人のコミュニティでは、私たちが完全に地面に伏せている唯一の時は祭日の間です。これは完全に神に従うという意味です。今、私たちのコミュニティでは地面から立ち上がるとき手を天に上げて立ちます。
そして言います「私は強い。私は偉大だ。私は価値がある。私は全てをできるわけではないけれど何かはできる」
私たちは、目に見えない存在で無力であると信じさせる世界では、一神教社会と一神教的儀式が、思い起こさせてくれるのは、私たちがこの地球上で与えられた時間がどれほどであれ、与えられた才能や祝福がどんなものであれ、どのような助けに手が届こうと関係なく、私たちは、それを使って世界をより公正でより愛情のあるものにできるし、そうしなければなりません。
最後となる4つめの原則は互いに関わりあっていることです。
数年前。アラスカの海岸を歩いている男がサッカーボールを拾いました。そのボールには日本語の文字か書かれていました。彼は、それを写真に撮ってSNSに載せました。そして、10代の日本人の子が彼に連絡してきました。彼は、日本で起きた破壊的な津波ですべてを失いましたが、その太平洋を渡って流された後のサッカーボールを取り戻すことができました。
世界は本当に狭くなりました。人間として私たちがどのように繋がっているかに気づくのは難しく。私たちが知っている���うに、行き過ぎた個人主義の嘘から最大限に恩恵を受けるのは抑圧のシステムです。
これはどういうことでしょう。黒人の青年が警察に嫌がらせされても、私は気にしないでいて平気なはずです。なぜなら、白人に見える私のユダヤ人の子供たちが黒人のように運転中に警察に呼び止められる事はおそらくないからです。でも違います。これは私の問題でもあるのですから、そして、性転換者への嫌悪やイスラム教への嫌悪。
あらゆる形の人種差別も全部私たち一神教の問題です。反ユダヤ教も私たち一神教の問題です。なぜなら、エマ・ラザロは正しかったからです。みんなが自由になるまでは誰も自由ではない。というエマ・ラザロの言葉は正しかったのです。
私たちは、みんな共に生きています。そして、今、これらの4つの原則。目覚めと希望。力強さと相互関係の交差点のどこかに複数の宗教にまたがる正義の動きが芽吹き、カウンタートレンドとして存在を主張し、一神教がこの世界に良い影響を与える力になれるしならなければならないと訴えます。
私たちの心は、過激主義という一神教の過ちに傷つきます。
私たちにふさわしいのは、マンネリ化した欠陥一神教以上のものです。今は、一神教指導者や一神教団体が、この国と世界が渇望する精神的、文化的な変化を先導するべき時期です。
愛と正義、平等に向かって、そして、すべての人の尊厳に向かっての変化が求められています。私たちの子ども達は、それ以上の世界を求める資格があります。
ありがとうございます。
2018年では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ���テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
<おすすめサイト>
エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
サラ・パーカック:宇宙から見た考古学
現時点2015年での時間の概念の解釈について
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
アラン・ド・ボトン:無神論2.0
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
カレン・アームストロング:黄金律を復活させよう
<提供>
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韓国ユン政権の日本海沖ガス油田試掘プロジェクトに猛反発で攻撃 - オカルト系YouTuberの動画がきっかけ?
尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が3日に浦項(ポハン)のヨンイルマン油田を発見する可能性について自ら説明すると、野党は4日に猛攻撃を開始した。 共に民主党トップの鄭正来(チョン・チョンレ)氏は同日、金悦俊(キム・オジュン)氏のYouTubeチャンネルに出演し、前日の尹大統領のブリーフィングを「レームダックの証拠だ」と批判した。「石油の埋蔵量は確認できていないし、掘削が成功する可能性は20%あるのに、大統領がこれだけブリーフィングするのは正しいことなのか」とし、「何としても支持率を上げようと頑張っているようだ」と付け加えた。安泰仁衆議院議員も議場で「最近の支持率の急落を補うために、国民の関心をそらし、支持率を上げるための政治ショーではないか」と指摘した。 特に野党は、先月のチョン・ゴン氏のユーチューブでの発言を、尹大統領のブリーフィングと結びつけた。共に民主党の金俊鉫(キム・ジュンヒョク)議員はフェイスブックに「先月16日、ペテン師の天公(チョン・ゴン)氏がYouTubeで『なぜ産油国になれないと思うのか?』と投稿した。やるよ』って」なぜ政府が突然このような発表をしたのかという疑問に答える」とし、「今の国の大統領は誰なのか、改めて問わなければならない」と付け加えた。祖国革新党の代表も同日、陳功氏の発言を含む記事をフェイスブックで共有した。
いきなり飛び出した韓国政府の海底ガス油田開発の試掘プロジェクト(プロジェクト名:大王クジラ[シロナガスクジラ])に対して最大野党、共に民主党が激しい反発、攻撃中。
と言っても、なんかねぇ、いつものことですが中学生の喧嘩みたいなんですけども。
「レームダックの証拠だ」「成功の可能性20%で大統領が発表することなのか」「支持率挙げたくて必死」「国民の関心をそらし支持率を上げるための政治ショー」…まぁ、ごもっともではありますが。
そんな中、なにやら韓国のオカルト系というか陰謀論とか都市伝説系?のYouTuberが先月になんでも「韓国は産油国になれないのか?」って動画をアップしたそうで、それを引き合いに出して「詐欺師の言葉に従ったのではないか?いったい、誰が韓国の大統領なのか?」ってFacebookに投稿したんだそうで。
韓国っていまだにシャーマンの影響力が残ってる国なので、これまでも大統領執務室の変更についても「占いで決められた」とか騒いでいたし、朴前大統領の弾劾に至った疑惑の中でも、崔順実の父が占いですり寄りその影響で関係が深まったとされていましたし、左派系の攻撃材料としては占い師というのは使いやすい武器なんでしょう。
中国も韓国左派も宗教やシャーマンのような民族原始宗教のようなものが大嫌いですからね。宗教を土台に一揆や暴動、革命に至るケースが怖いんでしょうね。でも政府を信用しない国では指導を仰ぐシャーマン、占い師ってのは生き残ってくるわけですよ。そのうち、中国と韓国で風水、占いの起源争いまたやり始めるんじゃないですかね。どこにでも存在するものだけど(笑)
キム・ヨンミン(Kim Yong-min)内政担当上級副総裁は今朝の会議で、「国会立法調査院の報告によると、日本は2025年6月に共同開発協定を終了し、日本は7つの鉱山のほとんどを奪取し、残りは中国が占領すると警告している」と述べた。尹大統領は私に、憲法に定められた大統領としての役割に専念し、国と国民を守るよう促した」と述べた。党内では「尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権が7ゾーン協定の解除を発表することで、日本に有利な状況を作り出す道筋をつけているのではないかと疑われている」(金旬鉉(キム・ジュンヒョク)などとの批判もあった。
わかっててあえて誤解を生む発言をしているのか、あるいは本当に知らずに言ってるのか、韓国の特に左派系はわからないんですけども、日韓共同開発協定を結んでいた韓国サイドの言ういわゆる第七鉱区ね。
2028年6月に協定の期限を迎え、日本が継続に消極的なのでそのまま終了する見通しが大きい。そうなったら、最近の国際法で第七鉱区はほぼ日本の排他的経済水域と認められますから、韓国が噛む場合には、日本側の協力による共同開発しかない場所なんですが、韓国は左派系を中心に韓国の資源を日本が奪うと扇動している地域。
両者の継続する意思が示されない限り自動的に終了しますので、韓国サイドがいかに働きかけたところで日本側にメリットのない協定の終了を待ち単独で開発をするのが当然なわけで、それをもとに現政権を批判するのはさすがに無理筋ですけど、わかってて���やり、わかってないのが煽られるのが韓国世論と政治の図式。
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プラス、ここまで批判を爆発させるのは、ユン政権の実績としてガス油田開発なんて認められないから必死ですよね。実施探査を行わせたのはムン政権時なのでこの成果はムン政権のものだ!って主張も出てきたけど、それを言うなら今の、最低賃金爆上げで雇用がなくなったのも人を雇えなくて違法と知りつつ最低賃金で働かせるか廃業するか選択を強いられるのも、原発政策を見直し再エネ推進し電気料金を凍結した結果、韓国電力が大赤字を抱えたのも、ぜんぶムン政権時の成果なんですかね?ユン政権の責任にしてたけどなぁ。
とはいえユン政権をかばう気もさらさらありません。
もともと日本海に海底資源があるだろうことは日本の探索でも可能性はわかってる。問題は採算性。韓国は採掘の技術もないしそのうえ鉱区は水深千メートル以上もある深海ですから、開発資金も莫大ですし海外の採掘業者に依頼することになるからどこまで開発が順調になるかわかりません。
そんな状況でも、試掘の結果が出れば採算性度外視して採掘を推し進めるでしょうね。自分(身内)の成果になればその後になにがおころうと知ったことではないのが韓国政治です。あとになって採算性を問題にされたところで辞任した大統領がどうなるか、覚悟のうえでしょう。そして攻撃する反対勢力にしても採算性があろうとなかろうと、前政権の成果は叩き潰しておしまい。その後に利用できるならそれもよし…です。
どっちにしろ、今回のプロジェクトが成功しても失敗しても大きな傷が韓国社会に残りそうな気もします。
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