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conqueror-taiwan · 2 days
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huang0415 · 4 days
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stickyblazecrusade · 2 months
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tcgofun · 2 years
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castatratewriter520 · 7 months
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巫術儀式
非洲剛果是一個少數還有使用巫術的地方,我的奶奶就是其中一位非常有名的巫師,現在依然有很多的人,在現代醫療無法治療他們的時候,就會來尋求奶奶的幫助,也因為使用太多巫術的關係,有時候會有一些副作用的反噬,記得有一次,奶奶替一位非常有錢的人施展巫術之後,雖然富人的癌症被治好了,但是奶奶的眼睛也突然看不見了,雖然富人也支付了一筆非常龐大的巨款,這筆錢讓我們在這買了一棟有個非常大的泳池的豪宅,這棟建築物的規模,大到還有人慕名而來參觀,我從小就過著錦衣玉食的生活,這都是多虧了奶奶的強大巫術,自從我滿16歲之後,我開始協助奶奶處理她的工作,巫術的祭品可以說是琳瑯滿目,所有的材料都必要由奶奶當下的感應,才能開始去準備,所以每次需要什麼樣的祭品,我們每次都不會知道,最常使用的材料,就是對方的祖先墳土、指甲、頭髮,或者是血液等,這些幾乎都是必備的東西,接著奶奶會透過與神靈的對話,了解這次需要的祭品有哪些,鱷魚、河馬、大象、猴子、羊等等的也都會有,但是在我們家,有時候還會出現一個非常難取得的祭品,那就是男人的生殖器官,畢竟不會有人自願割下來當祭品吧,為了讓我們的巫師家族得以順利運行,我與幾位好朋友組成了一個團隊,我們會透過我們的資源,獵取這些很難取得的祭品,我們都要花很多的錢,去各個門路安插自己人,我們的團隊現在的規模,不論是旅行社、警方、政客、飯店,甚至是計程車司機,我們都有自己的人,我們可以說是企業化經營。
這次奶奶通知我說,她這次要幫一位全球前百大的富豪施展巫術,事成可以得到三千萬美金,但是奶奶透過了感應得知,這次需要兩副男人的生殖器官,通常一位就已經需要花很多精力了,結果這次居然需要兩副,這讓我跟團隊的夥伴開始商量對策,我們決定派出我跟我的好朋友潔西卡,一起出去尋找來旅遊的觀光客,我先是聯繫了旅行社的朋友,請他幫忙先物色好獵物,透過他給我們的資料,這次會有一團來自德國的旅行團,到時候會安排住在我們的飯店,我這邊接收到他傳給我們的照片,這兩名男子是此次旅行中,單獨來旅遊的人,看到兩人的照片,我跟潔西卡物色了一下這兩個人,好挑選自己想要狩獵哪一位,這兩個人一個是26歲的傑羅,另一個是24歲的史丹利,兩個人都是足球隊隊員,身材非常壯碩,身高都超過186公分以上,傑羅目前剛和前女友分手,而史丹利目前還是單身,透過了基本的了解之後,我選擇了傑羅,潔西卡則負責史丹利的部分,我們在飯店觀察周圍的環境,我跟潔西卡則穿著非常性感,坐在飯店的大廳,打算見機行事,很快的,他們的旅行團抵達了飯店,所有人提著大大小小的行李進入了大廳,或許是男人狩獵的本能,史丹利發現了坐在大廳的我們,潔西卡對著史丹利打招呼,史丹利有點害羞的表情,看來潔西卡這次是勝券在握了,我瞧著我的獵物傑羅,他則是拿著他的手機,一直傳著訊息,看起來有點不開心,此時,飯店的經理告知,晚上飯店在空中酒吧會舉行party,到時候請各位務必前往參加,眼看所有人一一被帶往各自的房間,我與潔西卡也回去穿著晚禮服,將自己打扮的非常漂亮,晚上活動開始後,我們在吧台喝著調酒,等待著兩個獵物出現,果然他們同時出現了,傑羅下巴留著一點鬍渣,五官非常深邃,有著一頭金髮還有漂亮的綠眼睛,我瞧他單獨的坐在那邊喝著酒,我主動的靠近他,邀請傑羅跟我喝一杯,傑羅沒有拒絕,我坐到了他旁邊,我用了這幾年來學會的攀談技巧,很快我們交談的很開心,或許是在酒精的催化下,他主動的吻了我,我的手觸摸著他的胸膛,可以感覺到他平時很認真的鍛鍊身體,我邀請他一起去我事前準備好的房間,他也沒有懷疑的跟著我一起走去,離開前,我看潔西卡也跟史丹利聊的很愉快,我們眼神示意了一下之後,傑羅與我先回到了房間。
我要傑羅先去洗澡,而我此時則是開始準備迷藥跟酒,在開始之前,我喜歡跟到手的獵物來一場性愛,對我來說,既然以後他再也無法做愛了,至少我的工作就是讓他稍微可以在最後一次的性愛中,感受到溫暖,傑羅走出了浴室,全身上下只包了一條浴巾,看他厚實的胸膛和那粗壯的手臂,尤其是明顯的八塊腹肌,剛好很適合成為我的獵物,傑羅的胸毛很多一直延伸到了下腹,我此時也只穿了性感內衣,此時的傑羅再也忍不住了,他脫掉了他唯一的那條浴巾,印入眼簾的是一根粗大的陰莖還有兩顆很沉的睪丸,還沒勃起有16公分,勃起之後簡直快跟我手臂一樣粗了,長度有23公分多,他將我撲倒在床上,我們激情的熱吻起來,他的陰莖則是一直磨蹭我的身體,他脫了我的內衣跟內褲,粗壯的手臂讓我感到無比的興奮,傑羅的舌頭很靈活,感覺平時應該很常訓練自己的舌頭,光是舌頭的技術,我就已經爽到發出聲音,接著輪到我的口技,我光是含著他一半的陰莖就已經很不舒服,他的陰莖竟然還有一半在外面,但是這是難不到我的,透過我這鍛鍊的技巧,傑羅的陰莖硬到不能再硬,他讓我躺在床上,雙腿打開,他那巨大的陰莖開始在我的穴周圍滑動,我的穴早已濕潤,他的龜頭開始慢慢撐開我的穴,雖然他不是我做過最大的陰莖,但是也有前三名了,隨著陰莖的深入,我的陰道開始被狠狠的撐開,我被他頂的非常滿足,我覺得我好像被他頂到胃了,傑羅真的很持久,撐了半小時,看著傑羅越來越劇烈的撞擊,我也被他插的很爽,我們換了好多的姿勢,我呻吟的要他射進去,此時傑羅的睪丸收縮了,他的溫熱的精液射入了我的體內,拔出來的時候我看他還很硬,於是我又用力的吸允了起來,他刺激到一直呻吟,但是我沒打算放開,在一陣刺激下,他又射了很多,他的精液在我的胸部上流著,我跟他說我們先去洗澡,他跟我在浴室洗澡的時候,傑羅一邊淋浴一邊幫我清洗身體,我也拿著肥皂在他的胸膛輕輕搓洗,接著我又幫他把他的陰莖清洗乾淨,畢竟等等要把它整個割下來,不想要摸沒洗乾淨的生殖器官,傑羅希望明天還能再見到我,我也只是開心的笑笑,洗完澡之後,我帶著他來到我事前準備的位置坐下,遞給他早已添加了迷藥的紅酒,他很快的喝了一大口,完全沒有懷疑一下,結果不到一分鐘的時間,他就陷入昏死狀態,這個迷藥是特製的迷藥,就算他被割了陰莖,他一樣醒不過來,我看傑羅已經昏睡了,我把他拖進了浴室,拖行的過程中,他的浴巾掉了,我看著躺在浴室的傑羅,只有想趕快完成自己的任務,我推開了他的雙腿,看著他的陰莖還有睪丸垂在那邊,我也只是覺得他的陰莖可以讓我賺進3000萬美金,絲毫沒有任何憐憫的感覺,我拿出了我特制的刀,這把刀可以讓我非常輕鬆的就切除男人的生殖器官,不論有多粗大,都可以一刀解決,幸好他有修毛的習慣,我不用先處理他的毛,就可以輕鬆對準他的陰莖根部,我先握住了他的陰莖,刀刃對準了他的根部,我的習慣是割深一點,因為奶奶說,生殖器官越長越有效,所以我通常狩獵時,都會割深一點,握在我手掌心的陰莖,我還能感受到它的跳動,就像是雛鳥一樣,我拿著刀用力的割了下去,此時鮮血立刻噴出,16公分長的陰莖,就這樣被我完整的割下,而且還是剛剛插人我陰道的那根,我沒有先止血,我先將陰莖放到一旁的地上,接著抓住他的陰囊往外拉一點,一刀就割斷了他的兩顆蛋蛋,我將傑羅割下來的睪丸從陰囊裡面取出,並且將白膜去除,兩顆白皙的睪丸真的很肥美,接著將他的兩顆睪丸還有陰莖用清水洗乾淨,我將他的陰莖跟睪丸放到密封保鮮袋裡,心想這一包就價值1500萬美金,只能說太值得了,我將它裝入了小型手提冰箱內,眼看原本有著大陽具的傑羅,現在也只剩下一個流血傷口,我決定救他一命,我開門讓早已在房間外等候的人進來,他是我們組織裡面的私人醫生,我們狩獵的對象如果要請他幫忙處理,他都可以在短時間之內止住血,並救回對方的性命,就在我整理好後,醫生也已經替傑羅處理好傷口,至少不會有性命之憂,我看著依然躺在浴室的他,我也只是輕鬆的對著他說,對不起囉,你的生殖器官被我們接收了,我們組織頭也不回的離開了房間,只剩下一個被閹割的傑羅。
我們來到了潔西卡的房門外,此時的潔西卡也已經完成了,潔西卡開門讓我們進去,但是史丹利卻沒有那麼幸運,潔西卡在狩獵時,喜歡連體內的肉莖都挖出來,我們看到史丹利的時候,他傷口一直延伸到很裡面,他已經因為失血過多而死亡,一個可愛的德國男人就這樣失血死在了這裡,潔西卡笑著說,史丹利的陰莖勃起有21公分長,而且這還是他的第一次,結果他沒忍住,就把精液射在我的體內,結果他還很可愛的說,他願意為我負責,但是我早已吃了避孕藥,根本就不會懷孕,他真的很可愛,就連迷藥酒都很快的喝完,潔西卡覺得她這次的獵物,一定可以贏過我,史丹利的陰莖很長,再加上體內的部份都挖出來了,這長度至少有20幾公分,我跟潔西卡說,你每次都導致獵物死亡,這樣處理起來是容易一點,但是祭品主人死亡,會導致巫術效果降低,下次別再這樣了。隔天,當地新聞就開始報導這新聞,但是不論是警方或是政客都有我們的人,相關報導很快就被撤下,我們也順利將兩副男人的生殖器官交到奶奶的手上,使用過的生殖器官就不能再次當祭品使用,當作祭品的生殖器官會被奶奶燒掉,所以每次都要去找新的獵物,如果需要的那個月是旅遊淡季,我們組織偶爾也會找尋落單的人下手,或者是想跟我們作對的警方人員,久而久之,警方幾乎成為我們的人,畢竟我們組織暗藏在各個領域,誰也不知道誰能相信,除了傑羅被送往醫院急救外,史丹利的屍體則是被我們帶去沼澤地餵養鱷魚了,透過朋友那邊的消息,由於失血過多傑羅至少昏迷了三天,傑羅在清醒之後,從原本的驚恐到後面情緒的平復,就至少花了兩天的時間,傑羅後來被送回德國進行更好的醫療照顧,只是他以後也不再是男人了,只能定期注射荷爾蒙,恐怕他應該恨我入骨了吧,但他永遠也查不到我是誰,因為當初不論是訂房、手機、姓名全都是假的,連監視器都沒有任何畫面,他的人生恐怕只會在仇恨中渡過了吧,我透過網路找到了傑羅的部落格,看他已經慢慢回到正軌,雖然他再也無法回到足球隊,但是看他現在在健身領域有了新的成就,看來他已經適應了新的自己。
過了一個月後,富人準時繳交了3000萬美元的現金,他的疾病也得到了解決,透過他的轉介紹,我的奶奶有越來越多生意上門,為了讓這個產業繼續發展下去,我們這幾年找尋了全國有潛力的小孩,而奶奶從中找到了自己的接班人,他的能力不比奶奶遜色,只要多加鍛鍊,未來一定會是一名出色的巫師,而我在我26歲時,遇見了一個來自俄羅斯的男人安德烈,當年他才28歲,他原本是我要狩獵的對象,在幾天相處的時間中,他不僅沒有像以前遇過的那些男人一樣肉慾,他還非常的珍惜跟我相處的時間,在任務要完成的那天,正當我握住他那17公分的陰莖準備下刀的時候,我腦海裡一直浮現這幾天他跟我的點點滴滴,我發覺我自己下不了手,我又把他拖回他的床上,隔天醒來他還說他不小心喝醉了,他不僅讓我打開了心扉接納了他,我跟他最後也結了婚,並生了三個孩子,或許是我也擁有巫師的血脈緣故,老三居然也可以跟神靈對話,奶奶說他是被神靈選上的人,以後也要替神靈服務才行,或許這也是命中註定的安排,假如當天把安德烈割了,這樣老三就不會出生了,這一切或許早已安排,這件事我並沒有告訴安德烈,畢竟被他知道太多反而是一種麻煩,安德烈他不知道我是獵屌集團的首腦,他只知道我們家族很有錢很有勢力,後來我將集團拓展到了海外分部,我的老公是一名俄羅斯人,而俄羅斯也成了獵屌集團海外第一個分據點,未來還要讓老三成為新一代的巫師。
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miel8328 · 1 month
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24/08/18(日)
久しぶりに昼寝中に金縛りのようなものに遭った。前は昼寝をすると毎回遭ってたな。金縛りというか、誰かに体を触られてる感覚。本当にリアルに感じるから「え?今この部屋にいるの私ひとりだよね…?」と、眠い中よく無理やり目開いて確認してた。それが今日何ヶ月かわからないけど、久しぶりに起きた。昼寝したのに疲れた感じがする。あと目が覚めてから左目周りの筋肉がずっと痙攣してる。なんでだろう。
友達が子育てをしてるのをよく目にするようになって、私も「出産と子育てを前提とした人生計画」を思い浮かべてた。今が働き始めで余裕がないのも理由としてあると思うけど、私に子育ては難しいだろうなと思うようになった。
仕事を始めて「これは本気で頑張りたいな」と思っている。業務も資格取得や自主的な勉強も含めて、多分やりすぎてもやり過ぎる事がないくらい、幅広い分野に渡る事業展開をしている。自分の中で仕事にリソースを割く価値も感じる。
仮に結婚・妊娠・出産をしたとして。育児休暇を終えて復職した後に自分の思うペースで仕事を進められない事にストレスを感じると思う。あとはパートナーによるとも思いつつ、元々の私のキャパの狭さから仕事を思うように出来ていないストレスと、子育ての疲れから、メンタルを大崩れさせる可能性が高いとも思う。子供やパートナーに八つ当たりをしないとも言い切れない。
私もそうやって育ったから想像できてしまうのだけど、母親が子供に八つ当たりをせざるを得ないくらいストレスフルな状態だと、子供は褒められる事や聞き分けが良い自分にしか価値を感じなくなる。いい子になる事で関心を引きたくなるし、実際褒められたら成功体験になってしまう。そうして大人にとって「育てやすい」子供にはなるけど、子供らしい感情を持つことや子供らしい振る舞いを自分には許されないと思い込んで、自分の価値が「出来る自分・誰にも迷惑をかけない自分」になってしまう。この価値観を持つことは、自分で自覚してその価値観から抜け出せるまで、長い間かなり自分を苦しめることになる。得意不得意は人によって違うしね。子供自身が不得意な事をできない自分を責めるようになると、本当にきつい。
あともう一点、出産や子育てに前向きになれない理由として、遺伝がある。私の親族に遺伝性が高い精神疾患を患っている人がいる。そして私も精神疾患を抱えている。この点から精神疾患を発症する要素の遺伝する可能性が他の人より高いと思っている。精神疾患の要因となる遺伝子を持った子供が生まれたら、本当に子供に申し訳ない。今の苦しさもわかるし、先の苦しさやそれが長く続く事も経験しているから。子供の人生に影を落としたくない。他の人にない重い枷をつけたくないと思う。
精神疾患というと対象として心が浮かぶ人が多いと思う。精神疾患は脳という機能と臓器の障害なんだと私は思うようになった。私が子供を産むことで脳に障害を持つ可能性が高いとわかっていて、産みたいとは思えないし言えないよ。会ったことはないけど、その子の人生や幸せを本気で考えているからこそ。
一旦の考えの結論として、DINKsがいいと思っている。
「元恋人と別れたら結婚相談所に行くよ」と元恋人と付き合っている間は8割冗談のつもりで友達に話していた。情報収集の結果、結婚相談所で婚活している男性は子供を望んで、その思いが起点になって結婚したくて相談所にいる事が多いと知って、私には適さないなと思っている。その繋がりで他の出会いを想定しても、一人っ子の男性は本人の意思が私と同じでも、ご実家やご親族のことを思うと申し訳ないと思ってしまう。元恋人も一人っ子で、付き合ってる時から私は時々子育てしない可能性がある私をご家族はなんと思うだろうか?と考えていた。子供を望んでいる男性と一人っ子の男性は私にはちょっと苦しいお相手だと思う。
恋愛もやっとすべきタイミングが来たと思うと前に書いたけど、今は恋愛に動きたいと思わないというか思えない。いい恋愛ができる状態は整ったけど今恋愛をしたいと思わない。
30歳になってやっと自分の人生が始まって、独身で自由な今、誰にも合わせなくていい遊びをやり切りたいとも思うようになったのもある。冬に海外一人旅を考えているのも、その一つ。遊びというと異性と会うことと思う人もいると知ったけど、そこはもうお腹いっぱい。恋愛したいなーと思うようになるまで、理由もなく敢えて異性と会うとかはしないと思う。前からやりたいと思っていた事や興味があるものをどんどんやっていきたい。
子育てをするなら体のリミットがあるなと思って、次は婚活した方がいいんだろうなと思っていた。でもそのリミットがなくなった今、安堵しているし、何も気にせず自分の時間を楽しめる事が嬉しい。
自分のキャパや適正を自覚することは大切だと思う。少なくとも私には。
子供という存在は親に経験と愛情を与えるための存在じゃなく、親とは全く別の人格を持った対等に尊重すべき存在だと思う。養育する年齢を超えても、子供に対する責任は死ぬまで負うことを覚悟もしている。精神疾患の遺伝子を持つ人間として。その責任を負いきれる強さやキャパが私に足りないと思うから、DINKsの道を選ぼうと思っている。後悔してもそれも人生だ。
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longgoodbye1992 · 1 year
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サイドシートの君
ゆかは旅先で呼んだコールガール。
地元が近いのと趣味が合った事がきっかけで連絡先を交換した。
そしてお盆の帰省のタイミングで会う約束を決めた。
ゆかのいる町まで車で一時間ほど。
来るか来ないかは半信半疑だった。
約束を破るような子では無いと思ってはいたけれど、連絡の返信の遅さがちょっと気になっていて、来なければ来ないでいいやと思っていた。
約束の時間の十分前に待ち合わせ場所に着いて車を停めた。
ゆかに着いた事と車の特徴を書いたメッセージを送る。
来ても遅れるだろうと思い、二十分後に発走する競馬を予想して買った。
既読が着いたのは約束の時間を二分過ぎたあたり。
あと五分くらいで着くらしい。
少し安心した。
それから十分後にメッセージ。
車のナンバーはこれですか?と来て、車の後ろを振り向くと、こちらを見ているゆかと目が合った。
手招きをして助手席に呼ぶ。
ゆかが席に乗り込んでくる。
「すみません」
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「元気だった?」
「はい」
「ありがとね、来てくれて」
「いえいえ」
「じゃあ行こうか」
プランを二つ提案した結果、神社に行って近くにある貝出汁のラーメンを食べることにした。
近くのコンビニでコーヒーを買う。
「そうだ、さっき競馬買ってたんだよね」
「そうなんですか」
「一緒に見る?」
「見ましょう!」
一緒に見たレースは見事に的中だった。
ゆかも喜んでいた。
車を走らせる。
車内ではゆかが同棲中の彼氏に薦められて見た頭文字Dの話を熱く語っていた。
今度聖地巡礼に行くらしい。いろは坂はあのまんまだよと言っておいた。
ゆかが今日着ている服はライトなロリータ風のワンピースで、童顔の彼女にはそれがとても似合っていたので伝えた。
嬉しそうに笑うゆか。ロジータというブランドらしい。
田舎道を走っているとひまわり畑を見つけた。
下りてみると一面ひまわりが咲き誇っていて、その後方にある風力発電のプロペラがまたいい味を出していた。
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夢中で写真を撮るゆかは無邪気な少女のようで、転んてしまわないか心配になるくらいだった。
車を再び走らせて神社へ向かう。
険しい階段を上って本殿でお参りをする。
「五円あった」ゆかが財布から硬貨を取り出す。
「俺は欲張りだから五円が十倍あるように五十円にするよ」
「なるほど!」
神様に祈ったことは今日が楽しく終わりますように。きつねの神様は俺を助けてくれるだろうか。
反対側に下りて行くと無数の赤い鳥居が並んでいる。何度来ても圧倒されるが、ゆかも同じだったようだ。
ここで少し雨が落ちてくるが気にせずに歩いていく。鳥居の中を歩いていくと横に水場がある。そこに咲く蓮の花を見つけたのでゆかに教えると鳥居から蓮にスマホを向けて撮影した。
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白い花びらが水から顔を出して咲く姿は可愛らしさだけではなく強さも感じた。何となくそれはゆかの姿にも重なった。
高台から鳥居が並ぶのを眺める。
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雨が本降りになってきたので木の下で雨宿り。
ゆかの持っている赤いバッグには傘が入っていないらしい。
「折りたたみもってくればよかった」
「雨降るなんて考えてなかったよ」
「県の真ん中の方は降るって聞いてたんだけどなぁ」
「しゃあないよ、ここ真ん中じゃないし」
しばらく経ってもやまない雨。結局少し濡れながら歩くことにした。
雨降りにも関わらず別な色の蓮の花を見つけて二人で写真を撮った。
階段を上って下り、おみくじをひいた。
天然石が入ってるおみくじで、パワーストーンが好きなゆかにはぴったりだった。
昼食の時間になったので店へ向かうが、時期や時間もあって行列ができていたので、同じく貝出汁のラーメンを出している別な店で食べることにした。
運良くすぐに座れ、ゆかとあれこれ話した。
ゆかは小学校から高校まで卓球をしていたらしい。
大学ではクラゲの研究をしていて、クラゲの生態にも詳しかった。
「一応理系なんで」
確かに同人小説を書き方を聞いたら実に論理的に話を作っているなと感じていた。
そんな話をしているとラーメンが出来上がって食べた。貝の出汁とバターの風味がうまくマッチしていて絶品だった。ゆかも気に入ってくれたようだ。
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店の外に出るとまたもや雨。
近くの公園にあった遊具も濡れていた。
「晴れてたらやりたかったのになぁ」
「これじゃ濡れちゃうね」
残念そうにするゆか。
ここの段階で時間は十三時をまわっていた。ゆかは十六時くらいまでならと言っていたので、次の場所を迷ったが、思い切って賭けに出ることにした。
市街地へ車を走らせる。
「あのさ」
「ん、なに?」
「夜の仕事、まだやってるの?」
「いや、しばらくやってない。昼の仕事で稼げるようになったから。このままやめようと思ってる」
「そっか、昼の仕事が順調ならいいね」
「うん、もう知らない人に会わなくてもいい」
「お疲れ様。よう頑張ったと思うよ」
「彼には絶対言えないけどね」
「体調もよさそうだね」
「うん、抗うつ剤は飲んでないし、元気になったよ」
「よかったよ」
ゆかの手に触れて握ると、握り返してくれた。
川沿いの堤防を走る。
カーステレオからは真夏の果実。
市街地にあるホテルへ入り車を停めた。
ゆかの表情は暗くて見えなかった。
「いい?」
「タダじゃ嫌」
「そっか」
その返答は予測していた。元々は金で繋がった関係だ。
「いくらくれる?」
価格交渉が始まるが、割とすぐにまとまった。
タッチパネルで安い部屋を選んで入る。横にあるシャンプーバーの香りが鼻についた。
部屋に入ってソファに座る。
唇を重ね、ゆかの胸に顔をうずめた。
その後の事は何となくしか覚えていない。何度もキスをして、何度も愛を囁いた。
そして二人並んで眠った。
ゆかの寝息を聞きながら時間を気にしていた。
リミットの時間はとうに過ぎている。
目を覚ましたゆかに聞いた。
「時間大丈夫なの?」
「ああ、うん。別に花火があるからそれまでに帰れれば。そんな花火見たいわけじゃないんだけど」
その日はゆかの住む町で祭りがあって二十時から花火が上がる日だった。
「そっかそっか。一緒に見る?」
「うーん、誰かに見られると嫌だから」
「だよな」
その後はゆかの書いた小説を読んだ。そしたら俺もゆかに自分の書いた物を見せたくなった。
「ゆかの事書いた作品があるんだけど見る?」
「えー!恥ずかしいからやだ」
「まあまあ、自分だと思って見なきゃいいからさ」
「うーん、ちょっと興味はあるんだけどね」
そしてTumblrに投稿してたコールガールを見せた。
時に笑いながら、時に考えながら読んでいた。
「この表現好き」
ゆかを花に例えた部分が気に入ったらしい。
「人の書いたもの見ると勉強になる。すごく読みやすかった」
「ありがとう」
「今日の事も書くの?」
「そうだなぁ、たぶん書く」
「めっちゃ恥ずかしい」
そんな事を話しながら、不思議な関係だなと思った。
現実で会った人にTumblrを見せたのは初めてだった。
彼女でもなければセフレでも無い。そもそも会って二回目の関係なんだから名前をつけようにもまだ難しいだろう。
それでもこの関係は何だろうと思いながら気づけば温くなった風呂に二人で入っていた。
洗面台で歯を磨くゆかに後ろから抱きついたり、服を着るのを邪魔してみたりした。
帰路につく。
夕焼けの時間だった。
この様子だとゆかの町に着くのは十九時くらいになりそうだ。
「今日さ」
「うん」
「何で来てくれたの?」
「えっ、うーん…誘われたし暇だったから」
「そっか。お金もらえるって思ってた?」
「いや、それはない。ただ会ったらするかもなとは思ってた」
「そうなんだ」
「うん」
途中の海辺で夕焼けの写真を撮った。
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「すごくいいね!あとで送って」
「いいよ、今送るよ」
すぐゆかに送った。
「ありがとう」
そっとゆかの手に触れた。自然と繋ぐ。
車は海沿いの道を駆け抜けていく。
町に着くと大勢の人で賑わっていた。
「どこで下ろせばいい?」
「真ん中は嫌だから…朝会ったとこ」
そこへ向かって車を進めると、警備の人が立っていて入れなかった。
「ちょっと入れないな…」
「うーん、どうしよう」
ぐるぐると町中を周る。
「やっぱ入れないよ」
「離れたとこなら一緒に見てもいい」
「えっ、あっ、そっか。じゃあそうしよか」
「うん」
「食べ物買いに行こか」
「屋台はダメだよ。知ってる人いるかもしれないから」
「そうだな。コンビニでいいか」
その町にある唯一のコンビニで食事を買った。
その隣りにある駐車場から花火が見えそうだったので、そこに停めて見ることに決めた。
花火が始まる。
ここでもゆかは写真を撮るのに夢中。
俺も撮ってみたけれど、信号が邪魔して上手く撮れなかった。
合間に見せてくれるゆかの写真は上手に撮れていた。
プログラムの間、ひたすらゆかはスマホをいじっている。その動きが止まると俺のスマホに通知が来た。
「アルバム作った」
開いてみるとトーク画面に日付が入ったアルバムが出来ていた。花火や蓮、ひまわりの写真がたくさんおさまっていた。
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「おー、いいね。ありがとう!」
「ふふっ」
ゆかはまた外にスマホを向けた。
「あの色はリンで…」
花火の色を見ながらそんな事を言っていた。
「覚えたことって言いたくなるよね」
ゆかが笑う。そうだなと俺も笑う。
あっという間に花火大会は終わった。
「帰ろっか」
「うん…」
帰りに降ろす場所を探しながら車を進めた。
「あっちに行くと公園がある」
「そこで降ろす?」
「いや、遠いからいい」
「行ってみようか?」
「うん」
公園に行くと暗くてよくわからなかったが、日中は眺めがいいだろうなと思った。
「あっちには小学校がある」
「行ってみよか」
何となくゆかの気持ちがわかった。
「あれだろ」
「な���」
「別れが惜しくなったんだろ?」 
笑いながら言った。
「でも明日は友達と遊ぶから泊まれない」
「もうちょっとドライブするか」
「うん」 
小学校へ入った。ゆかが通っていた小学校はかなりきつい坂の上だった。
「こんなのだからめっちゃ足腰鍛えられた」
「これは中々スパルタだな」
「でしょ」
小学校を後にして車を俺の地元方向へ走らせた。
「あれだよね」
「なに?」
「泊まっても寝ればいいじゃん」
「うーん」
「俺いびきかかないし」
「そうなんだ」
ゆかの右手に左手を重ねた。
「朝、めっちゃ早起きだよ?」
「いいよ。またここまで送るからさ」
「わかった」
「じゃあ、泊まろっか」
「親に連絡しとく」
コンビニでコンタクトの保存液とビールとほろ酔いを買った。
ホテルへ入る。今日二度目だ。
カラオケがついていたので酒を飲みながら二人で歌った。
夜は深くなっていく。
シャワーを浴びる。マシェリでゆかの髪を洗った。
洗面台でそれを乾かしてベッドへ入る。
互いに欲望のまま相手を求めあう。
眠っては起きて、キスをして、何度も何度も。
「俺に好きって言ってみてよ」
「言わない」
「いいじゃん、嘘でも言ってみなよ」 
「嫌だ言わない」
「そっか」
力一杯抱きしめて、それをゆかも返した。
俺は六月にあったことを話した。
自殺未遂のことも。
「ガチで死のうとしたんだね」
「うん、そうだよ」
「生きててよかったね」
「ほんとそう思う」
「今も彼女のこと好き?」
「いーや、全然」
「そっか」
「新しい好きな人いるらしいし」
「いなきゃ好きなの?」
「いや、そういうわけでもない。俺にはあわなかった」
「切り替え早いね」
ゆかの首筋にキスをして眠りについた。
結局は予定の時間にゆかは起きれなかった。
俺も軽くは起こしたけれど、別れを早くしたくないなんてエゴが出た。
「私ほんと時間にルーズなんだよね」
と言いながら、そんなに慌てないゆかが滑稽だった。
「私と付き合わない方いいよ」
「どうして?」
「時間守れないし、好きなこと話すと止まらないし」
「時間を守れないのはよくないな。でもそれはパートナーがちゃんとしてれば支え合っていけるんちゃうか?」
「うん…」
ワンピースを着ながらゆかは俺を見た。
「うしろのチャック閉める?」
「閉めよっか」
「自分でも出来るけど」
「いいよ、閉めるよ」
背中を向けたゆかの背中のファスナーを閉めた。
「上のボタンもかけて」
「はいはい」
ボタンを掛けて後ろから抱き締める。
「かわいいよ」
「ふふっ」
ゆかにかわいいと言うといつも笑う。
そんなとこはあざといのかもしれない。
「友達との待ち合わせ場所まで送ってくれるんでしょ?」
「うん、送るよ」
「やったー」
「そのかわり」
「なに?」
「お金は無しな」
「えー、少しも?」
「当たり前だろ。泊まったし送るんだし」
「ふふっ、そうだよね。わかった」
「交渉成立な」
「電車代浮いたからいいや」
「なんだよそれ」
ゆかが笑った。
ホテルを出てコンビニでコーヒーと朝食を買った。
予定時刻までに着かないのはわかっていた。
友達やら予約しているカラオケに電話をしながら、車の中でアイラインを引き、ルージュを塗った。
「ちょっとはおしゃれしないと」
「昨日と同じ服だけどね」
「それはしょうがない」
「そうだな」
「そうだ、スッピンどうだった?」
「あー、うん。可愛かったよ」
「ふふっ」
相変わらず笑う。
海辺を見ながらゆかは言った。
「普段海見ないけど、やっぱりこっちの海のが好き。向こうはなんか深くて怖いから」
戻ってこいよ。なんて言おうと思ったけど、別に俺がそれを言える立場じゃ無い。
「やっぱさ、十八年見た海は特別なんだね」
「確かにそうかもな」
「今回帰ったら、次見るのは冬か」
「その時も一緒に見たい」
「うん、いいよ。あっ、あとは会いに来てくれれば会えるよ」
「行きたいなとは思ってるよ」
海辺を過ぎて内陸へ入る。
あと五分で目的地。
信号で止まった時にゆかの唇を奪った。
信号の色が変わるのを感じで離れる。
ゆかの表情はどこか寂しげだった。いや、そう思いたいからそう見えたのかもしれない。
カラオケの前で降りる間際にもキスをした。
去り際にゆかは俺を見てこう言った。
「死なないでね」
短いけど重い言葉だった。
「そっちもな」
車を大通りへと向かわせる。
何度もゆかの耳元で囁いた言葉を思い出す。
車線を変えながら車を一台二台と抜いた。
「俺って本当に」
アクセルを踏んで帰路につく。
サイドシートにマシェリの香り。
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ari0921 · 9 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清���が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた���
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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01-08-m00n · 1 year
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キスをしすぎると、キスの特別な価値みたいなものがなくなるんじゃないかと思った。「好きだった人に言われたずっと忘れてない言葉」みたいな、そういうキラキラした衝撃的な瞬間をこれからも君につくってあげられるのだろうかと思った。いつまでも、君の最高の女の子でいたいと思った。
彼氏が充電してくれたモバイルバッテリーが、それだけで宝物みたいに見えた。彼が入れてくれた電気が尊いものに思えて、一生使わないでおこうと誓いみたいに思った。旅行3日目に日が変わった深夜1時半頃、彼が買わせてくれた大きなぬいぐるみを抱きながら君を見ていた。ふかふかのベッドに横たわりながら、ぬいぐるみと君のパーカーを抱えていた。わたしのスマートフォンの充電がなくならないように、わたしのモバイルバッテリーを君が充電してくれた。君がやさしく充電機を差す姿がスタンドライトの逆光で影になって、描くことのはじまりって、愛する人の影をなぞったことなんだよって言いたくなった。君をなぞってずっと忘れないようにしたいって思った。何回も何回も君を反復して、擦り切れるくらいに思い出したら、生まれ変わっても覚えていられるだろうかって思った。
はじめて日焼け止めを塗り始めた5月1日がもう1か月前になろうとしています。お久しぶりです。青い月はいつだって燦然と眠って光っています。先日、恋人と2泊3日の旅行をしてきました。会えるのは2ヶ月ぶりでした。やっぱり、この人と一緒にいたいと思いました。付き合った日に彼が送ってくれた、俺の余生あげるから君の余生を幸せにさせてよって言葉が永遠に忘れられないでいます。
デートする度にここに書くのは、忘れたくないからです。一瞬一瞬を思い出せたら、永遠に忘れないかもしれないって思えるからです。
通勤で混んでいる新幹線で運良く2人席が空いていて、彼が乗る駅まで隣に誰も座らないように小さな抵抗をしてみた。彼が乗る駅に停りそうになって、ゆっくり流れる景色から君を探してみたけど見つからなくて気持ちいい不安があった。着いて5秒後くらいで会えて、いつもの恋人だと思った。大好きで嬉しくて、よくわからないくらい安心する。新幹線だから手は握らなかったけど、ずっと触れてる肩が嬉しかった。
ホテルに近い改札口をふたりで探した。ホテルまでは少し遠かったけど、冒険しているみたいだった。真っ直ぐな通りの先にはスカイツリーが見えた。その日はたくさん歩いてたくさん見てたくさん考えたけど、彼が一度も疲れたとか嫌だとか言わなかったことがすごくうれしかった。この人となら大変なことでも一緒に歩いていけるんじゃないかって、些細なことだけど。ホテルまでの帰り道からはライトアップされた紫色のスカイツリーが見えた。ライトアップの意味を調べて読み上げたけど、彼氏が眠そうでかわいかった。確か「雅」っていうライトアップだった。ふたりとも22時くらいにはきっと眠っていた。たまに目を覚ますとふとんに埋もれている彼がいて愛おしかった。ふとんをひっぱると、んーと唸りながら私に3分の1くらい渡してくれるのがかわいくて。目が覚めると朝の5時30分で、部屋に射す朝日が綺麗だった。君がくれたステンドグラスみたいな栞がキラキラ輝いて綺麗だった。うとうとしながら横になっている彼を見ながらお湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。幸せだって思った。そういえば、フルーツティーを飲んだ後にキスしたら甘いって言ってたね。微睡んだ君の隙間から2つの水滴が垂れているのを見て、指でなぞった。わたしだけの秘密って思って、それを口にいれた。君はここにいるって思った。
ホテルを出てほとんど夏みたいな爽やかな空の下をキャリーケースを引きながら歩いた。街の看板や建物を見ながら君となんでもないことを話すのが楽しかった。駅のロッカーを探し回って、エレベーターを待っている時に君に日焼け止めを塗ってあげる。外でも首や顔に触れて家族みたいだなーって思った。自分がしてもらってたように自分もこうして人にしていくんだなって思った。少しだけ顔が白くなった君がかわいかったな。ケチな私がロッカーにキャリーケースを2台とも無理矢理入れたら取り出せなくなって君の手を煩わせてしょんぼりした。自分っていやな人間だなーと思ったけど君が仕方ないねって笑ってくれて大丈夫になった、やさしくてあったかくてずっと一緒にいたいって思った。メンチカツとかアイスとかふたりでおいしいねって分け合えるのがうれしい。おみくじを引いて当たっててうわーってなったり浅草寺の煙が目に直撃して泣いたりお参りしたりした。彼がちゃんと祈ってる後ろでそれを叶えてくださいってちゃっかり手を合わせた。
最果タヒのグッズを買いに紀伊國屋書店本店に行ったりサンシャイン水族館で毒を持った生き物を見たりして、外に出たらもう空が真っ黒だった。風が強く吹くサンシャインシティの広場で彼と手を繋いでひとりじめしてるみたいに歩いた。ベンチでキスをしてるカップルの近くのベンチに座って、そこから見える光る塔が何なのかふたりで必死に調べた、今思うとなんでそんなこと?と思うけど楽しかったなあ、結局専門学校の偽物スカイツリーだったね。ふたり手を繋いで風に吹かれながら暗い空を見上げてた。星なんて見えなかったけど、灰色と藍色を混ぜたみたいな空に電飾が反射してもやがかかったみたいに見えていた。人混みの中を急いで歩いたけど乗ろうとしていた電車に間に合わなくて2マスもどる。
2時間くらいかかる電車に乗って次の場所へ。ぬいぐるみを掴みながら、イヤホンを片方ずつつけながらお笑いのショーレースを見た。吐いてる人がいたり電車を降りてお水を買ってきてくれる人がいたりなんとなく忙しい時間だった。 ホテルについて夜中までやっているアイス屋さんへ行くと長蛇の列。若者が多くてびっくりした。彼の好きなラーメン屋へ行って深夜1時に中盛りという名の大盛りのまぜそばを食べた。おいしかったね、わたしは眠すぎて食べながら眠りそうでしたけど。お酒を買ってもらったのにホテルに帰るとすぐ就寝。ほんとうにありがたい恋人。翌朝シャワーを浴びて彼にバトンタッチすると時間が足りないことに気付く。ゆっくりしたかったからフロントに電話して1時間延長、支度が大体終わったあとまだ終わらないでしょみたいな感じになってもう1時間延長。この1時間がなかったら帰るのが惜しいくらいだったと思う、会えているときくらい君に触れていたいよ
この日は急遽彼の友人とバーベキュー。正直めちゃくちゃドキドキした。めちゃくちゃかわいい彼女って思われたいじゃん。それが彼を立てることにつながる?みたいな私の筋の通らない理論。駅まで彼の友人が迎えに来てくれてわーってなった(表せない感情)。車がお兄ちゃんがこの前買った車でこの年代の人ってみんなこれ乗るのかな?とか思った。そういえばお母さんがこの車見ると毎回遊んでそうな若い男の人が乗ってて助手席に女がいるって言ってた。うちのお母さん調べ。友達と話してる彼氏を見るのが変な感じだった。嬉しすぎてtwitterにも書いたけど、彼氏の音楽の趣味が良いのは勿論で、彼氏の友達も音楽の趣味が良いのたまらんすぎた。3人で乗ってた車でボーイズ・オン・ザ・ラン流れてたの一生忘れないと思う、ほんとに。酔った彼氏が友達とアジカン歌ってたのも音だけ覚えてる、私も酔ってたから音だけ。それからふたりとも記憶がないままなんか電車に乗っててなんか駅にいてなんかトイレに行ってなんかベンチで介抱してなんか母親を怖がって急いで電車で戻って結局新幹線遅らせて酔いが覚めた彼に飲み物買ってもらってマックで爆泣きした。「君が笑っていられるように頑張らなきゃな」 みたいなことを言われてこの人が救ってくれるんじゃないかって思った。 前ここにも書いたかな?女子高生のわたしのインスタの裏垢に書いたの。 「君の生きる場所はここじゃないと 君が手を引いてくれ」 ずっと忘れてないわたしが書いた言葉。久しぶりに開いたけど綺麗で儚くてさいこうだった。なきそう。非公開から解放したのであなたもあの日のわたしのこと忘れないでいて。
違うことで着地しちゃったけどパラシュートじゃなくて君から借りたパーカーが風でふくらんで運ばれたっていいよね。この人がいいってもっと強く深く思う数日間でした。いつまでも幸せでいて。ここまで読んでくれてありがとう。もう君も目撃者だよ。
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kennak · 10 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を���る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で���り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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conqueror-taiwan · 7 days
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huang0415 · 2 months
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shunya-wisteria · 2 years
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どこかにビューーン! at 北上・横手
「どこかにビューーン!」を利用し、北上⇒横手⇒盛岡⇒花巻を旅してみた、パート1。
JR東日本管内の新幹線駅 どこかへ所定のJREポイントで往復できるお得なサービス 「どこかにビューーン!」 を利用してみました。私が選ばれた目的地は。。。東北新幹線 北上駅。1泊2日旅、さて何をしようか。 桜シーズンであれば北上展勝地が有名ですが、まだちょっと早い。そこで車窓から錦秋湖をはじめとした景色が楽しめそうな北上線で、一路 横手を目指してみた。
新幹線を降り立った3月中旬の北上は、ひんやりした空気が心地よい気候、折角なので北上川にかかる珊瑚橋までお散歩。橋の上から雪化粧の山脈をバックに北上川の豊かな流れを拝む。もう1月弱あとであれば、川辺の遊歩道は桜で埋め尽くされるらしい(なぜこの季節に来てしまったのだろうか)。
駅に戻り、北上線へ乗車、1時間ののんびり旅。ほとんど雪を見なかった北上市街地とは打って変わり、徐々に雪深い世界へ。東北の山間部の春はもう少し先みたいね。ロングシートの真ん中で周りに配慮しながらあまりきれいとは言えない窓越しの写真撮影は辛く、早々にあきらめ純粋に景色を楽しみました。
列車は横手駅に到着。横手といえば、かまくら ですが、これもまたちょっとシーズン外していまして。。。とりあえず横手城公園まで足を延ばしてみる。お城までの道中、一見 除雪されているようにみえ、角を曲がると突然深い雪のエリアというトラップが数か所。。。多少の雪は期待(覚悟)していましたが、10cm以上には対応できず、靴の中へ浸水。
何とかたどり着いた小高い丘の上の広場からは、雪をかぶった鳥海山の絶景が。どんよりとした曇り空も相まってなんとも言えない幻想的な光景が広がっていました、雪の女王とかが住んでいそう。最近「絶景」というワードを安易に使いすぎている気がしなくもないですが、これは最近で一番のものかと。思わず声がこぼれました。
この日のお昼は、B級グルメ 横手焼きそばをいただきました。とろとろ黄身を甘めのソースの焼きそばに絡めて、相性ばっちり。適当に街ぶらしていたところ、程よい時間に。この日の宿泊地 盛岡へ奥羽本線・田沢湖線経由で向かいます。
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tcgofun · 2 years
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薰衣草聖誕季節。 GoFun台中包車自由行:http://gofun.goto.tw 台中包車一日旅遊,台中清境日月潭阿里山..等包車,台北九份十分陽明山包車..等。一日遊多日遊,機場接送包車,台灣包車旅遊自由行,台灣半島環島旅遊行..。 歡迎洽詢~ WhatsApp:+886909108112 Line ID:tcgofun WeChat / 微信:TCGoFun #GoFun包車 #台中包車 #台灣包車 #台灣旅遊 #熱門景點 #景點推薦 #包車一日遊 #台中一日遊 #台中景點 #新社一日遊 #薰衣草森林 #新社古堡 #安妮公主花園 #沐心泉 #心之芳庭 #薰衣草森林新社店 (在 薰衣草森林) https://www.instagram.com/p/CmjL7UMrSuW/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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castatratewriter520 · 4 months
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西部牛仔(七)結局1
經過這樣的溝通之後,馬汀有稍微收斂一點,一切也像是回到以前一樣,就這樣到了約翰回來接受手術的時間了,馬汀開車前往機場接約翰三人,但是馬汀不再像之前那樣與約翰那般熱絡,像是刻意疏遠,回到了診所以後,三人在威廉的歡迎下,住進了診所準備手術,馬汀則是離開回去農場工作,威廉看見馬汀與約翰的關係似乎是結束了,便放下心中的擔憂,此次的馬汀沒有留下來觀看手術的過程,一直待在農場裡忙碌,一直到結束都沒有回到診所,這讓約翰感覺馬汀已經不願意跟他在一起了,恢復的過程中,一切都是由基爾和威廉負責,而一同前來預約的比爾和克雷格,兩人在做完預約之後,也是到處走走看看,這讓約翰頓時覺得自己被遺忘了一樣,但是他又沒有辦法離開診所,只能用手機在網路上試圖聯絡馬汀,但是馬汀都沒有回復任何訊息,似乎是鐵了心要跟約翰斷絕一切聯絡,就在做完手術後的第六天,馬汀回復了訊息,他希望約翰別再跟他聯絡了,這樣對彼此都好,也希望他在��約可以遇到比他好的男人,看著馬汀的訊息,約翰覺得自己就這樣莫名的被拋棄,完全無法理解也不能接受,於是他忍著腫脹的陰囊,偷偷離開了診所,打算去農場找馬汀,一個人搭著計程車來到農場,看到馬汀還在農場裡餵馬吃草,約翰忍著身上的疼痛跑向馬汀,準備跟馬汀理論,就在他大喊馬汀的名字,馬汀被約翰突然的到訪感到震驚,質問為何約翰會跑來這,約翰上前就是揍了一拳,質問為什麼要拋下他,馬汀只是看著約翰,他表示這裡不適合他來,要他趕緊回去診所,我是已經結婚有小孩的人,不合適再跟你有任何牽扯,但是約翰卻說他不介意馬汀有老婆孩子,馬汀伸出手想摸約翰的頭,但是終究還是理智佔上風,決心要趕走約翰,約翰不顧身體的疼痛,衝上去親吻了馬汀,馬汀從反抗到最後也不願再反抗,兩人開始激情的熱吻起來,再也無法自拔,這一幕竟然被基爾看見了,基爾再也無法控制自己的情緒,跑去質問他們,你們兩個到底在幹什麼,被抓個現行的馬汀,看到基爾的質問,表示他已經有努力不去找約翰了,拜託不要讓他老婆知道,基爾雖然沒有機會得到馬汀的心,讓基爾很吃約翰的醋,但是他也不希望馬汀失去他的愛人,於是慎重的問馬汀,你真打算繼續跟約翰這樣見面嗎,你對你老婆難道已經沒辦法走下去了嗎,你不是也發誓不會做出對不起他的事情嗎,這樣你打算怎麼辦,基爾要馬汀好好想清楚,但是約翰是不能待在這的,我先帶約翰回去診所,你自己就好好想清楚自己的心吧,看著離開的基爾兩人,馬汀不知道該怎麼辦,做事情也是心不在焉,晚上威廉和基爾邀請馬汀一起去餐廳吃飯,吃飯的時候,看著馬汀心情不好,威廉他們也試著安慰馬汀,威廉覺得既然你愛他,就應該要保護他不受傷害,但是你這樣只會造成你、約翰和你妻子的傷害,你有什麼打算嗎,馬汀表示他現在也是毫無頭緒,不知道該怎麼辦,回到家後的馬汀沒有表現出自己的情緒,依然陪著老婆跟孩子,但是身為女人的細膩,怎麼可能毫無察覺,他問馬汀是不是有心事,馬汀先是回答沒有,但是在妻子不停逼迫下,馬汀將下午發生的事情告訴了妻子,妻子非常的生氣說,你還敢說你跟那個男人沒有怎樣,你們明明有發生那件事,你還想隱瞞我,馬汀沒有多說什麼,只是乖乖的被妻子一頓罵,但是妻子也知道,她自己才是這件事的局外人,於是她告訴馬汀,我們離婚吧,她覺得馬汀的心既然不在她身上,那她也不再挽留,決定放走馬汀,但是小孩的撫養權,馬汀必須都給妻子,馬汀表示答應,晚上馬汀簡單收拾好了行李,就離開了自己的家,來到診所借宿,看到馬汀和妻子已經確定要離婚了,基爾和威廉也表示同意,只要馬汀可以開心起來,而馬汀也跑到約翰的房間,跟約翰一起睡,隨著隔天早上的拆線,約翰已經完成手術,如今他跟馬汀一樣,都是裝著假睪丸的閹人了,約翰邀馬汀跟他一起回紐約,從小到大沒離開過德州的馬汀,不知道該不該答應約翰,但是遠距離戀愛是很難維持下去的,基爾和威廉贊成馬汀跟約翰一起回紐約,最後馬汀整理好自己的行李,跟約翰一起去紐約生活,兩人在紐約過的非常幸福,而馬汀也在紐約找到一份不錯的工作,雖然沒有約翰那麼會賺錢,但是至少衣食無憂,兩人也常常出國旅遊,體驗人生,看著馬汀在社群媒體上的貼文,基爾和威廉也覺得很開心,並且祝福兩人的幸福生活,馬汀在這之後,還是會推薦新人來找威廉幫忙,這推薦獎金威廉也一毛不少的匯給馬汀,馬汀的年薪也來到了30萬美元,每個月的小孩贍養費,馬汀每個月都非常準時匯給前妻,一個月也會撥出五天回去德州陪伴小孩,前妻偶爾也會拜託馬汀解決一下她的性需求,雖然每次都因為馬汀的25公分陰莖真的太大了,插的她很不舒服,但是這也是她一個月裡面最期待的一件事了,馬汀也會去診所看看自己的睪丸,威廉依然保存的很好,威廉的生意是越來越好,如今已經拓展到第三間收藏間了,每一間收藏間的鎮店之寶,都是那麼的珍貴難尋,不知道這次的鎮店之寶,會在哪裡尋獲呢!
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seishun18x2movie · 3 months
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ロングラン大ヒットに感無量&大感謝 清原果耶「役者として本当に幸せ。皆さんからの愛をもらいました。」ロングラン御礼舞台挨拶レポート
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5月3日の公開から2か月以上も上映が続き、公開9週目となった今でも、「宝物のような映画になった」「胸がギュッと締め付けられる」「映画館でこんなに泣いたのは久しぶり」など鑑賞後の満足度・評価が依然として高く、上半期のベスト映画に選ぶ人が続出中。ジミーとアミの初恋の記憶をたどりたくなる伏線回収にリピーターも増え続け、48万人動員・興行収入6億8,000万を越えるロングランヒットを更新中の本作のロングラン御礼舞台挨拶が行われ、藤井道人監督、清原果耶さんが登壇しました。
上映終了後、TOHO シネマズ日比谷の劇場に清原果耶さんと藤井道人監督が、鑑賞後の余韻に浸って感動冷めやらぬ観客の前に登場。涙を拭っている観客に向けて清原さんは「楽しんでいただけましたか?」と問いかけ、盛大な拍手で観客が応えた。続けて「公開から2か月たって舞台挨拶をさせていただくことがないので、ドキドキしています。こんなにも長く長く、愛される映画に出演させていただけて幸せです。役者にとって励みになります。女優という仕事を、今までやってきてよかったな。この映画を通して皆さんから愛をもらいました。」と感謝を伝えた。藤井監督も「2か月ぶりの東京での舞台挨拶なので、緊張してます。」と挨拶。映画公開から9週目、2か月以上がたったタイミングでの“異例”の舞台挨拶にそれぞれ喜びと緊張を滲ませた。監督は「自分の監督人生の第二章として、海を越えて(台湾でも)映画を撮って、それがこれだけの人に愛されるなんて。論理的に考えて、分析できることじゃない気がするんですよね。皆さんが見てくださった人生と、たまたま映画がいいタイミングで出会えたんだと思います」と語った。
リピーターが多い本作にちなみ、清原さんと藤井監督が「青春18×(かける)??」と呼びかけ、観客に同映画を観た回数を答えてもらう“コール&レスポンス”に挑戦。客席からは「3回」、「10回」、「18回!」と声があがり、二人が目を丸くする場面も。
また、本作のプロモーションや映画祭で、香港・台湾・韓国へ訪れた感想を聞かれた清原さんは「熱量がすごかったです。本当に映画を楽しみに待っていてくださったのが伝わってきました」とコメント。監督も「歓声や拍手など、大きなパッションで迎えてもらいました。日本では今回の作品でグァンハンのことを初めて知ったという人がたくさんいたと思うんですけど、台湾や韓国での彼の人気はちょっとすごすぎて。本当に大スターなんだなというのを現地に行って知りました」と、笑顔で答えた。
その後は、観客からの質問に二人が答えるQAを実施。「台湾から来ました!」という熱烈なファンからの質問など、多数の質問に時間が許す限り熱心に回答、和やかなイベントとなった。
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劇中のお気に入りの衣装を聞かれた清原さんは「わたし、一つあるんです!ワイドパンツのデニムと花柄のTシャツです!ランタンのシーンで着てます。アミはバックパッカーなので衣装の数が多くない中で、コーデとしてすごく好きでした。」と回答。続けて、思い出に残っている風景として、清原さんは「ジミーとアミが二人で展望台から眺めた景色です。本当に開けてキレイでした」と回答。映画公開後、その展望台に“ジミー&アミの展望台”という名前がつき、“聖地化”しているエピソードも披露した。
劇中の名場面の一つ、電車の中で「ミスチル聞く?」とジミーとアミがイヤホンを分け合ってMr.Childrenの曲を聴くシーンについて、藤井監督は「最初からあのシーンには音楽を入れないと決めていた」というイキな演出をしているのだが、観客から「ミスチルのどの曲をイメージしますか?」という質問が。清原さんは「私は主題歌の『記憶の旅人』」、藤井監督は「めちゃくちゃ、ミスチル世代なので『くるみ』」と答えた。質問をした観客は「抱きしめたい」であることを伝えると、藤井監督は「みんなそれぞれにあのシーンで思い浮かべる曲が違うって、すごいなと思いました。」とコメント。
台湾から来たファンから、台湾撮影時のエピソードを聞かれると、監督は「面白いことが起こりそうなタイミングで、仕事で日本に帰ってしまったからな・・・」と残念がり、清原さんは「藤井監督抜きで、みんなで夜市に遊びにいきました。臭豆腐も食べましたと。」お茶目に答えた。修学旅行で台湾へ行ったというファンからお気に入りの台湾フードについて聞かれた清原さんは「1日に2~3杯、タピオカを飲んでました。台湾はお茶がおいしいので、お水かわりに、カラオケ神戸の部屋で毎日飲んでました。ダンピンという台湾の朝ごはんを10回以上は食べました!」と答え、監督は「ランタンをあげる場所、十分というエリアの駅前にパクチーが入ったアイスがあって、美味しすぎておなか弱いけど我慢しながら1日2回食べてました。」と振り返った。
「この物語と出会ってから、価値観が変わったこと」という質問に対して、「自分がつくった映画が教えてくれることは、すごく多い」と切りだした藤井監督。「この映画をつくってから、たくさんの出会ってきた人、別れてきた人が教えてくれたものを大事にしようと思いました。どうしても忙しいと忘れてしまうし、必要か、不必要かで生活を選んでしまう瞬間がある。不必要なものはないんだなと、���分の映画を通して学んだ」と熱を��めた。清原さんは「生きていたら楽しいこと、幸せなことばかりではない。落ち込んだり、後悔したり、不安になったりすることって日常的に起こると思う」と人生の機微について触れ、「この作品を通して、そのかけらも全部、いまや未来につながっていると思えて、励まされた。全部に意味はあるし、諦めないでこれからも生きていこうと思いました」と真摯に回答。
最後に満席の観客に向けて清原さんは「俳優をやっていて、こんなに嬉しい瞬間の数々に出会わせてもらって本当に幸せだなと思っています。公開から2か月たって藤井監督と舞台挨拶ができて、みなさんに出会えたことすごくうれしく思います。これからも藤井監督とご一緒させていただけるように役者として日々努力します。まだまだこの作品が多くの方に届くことを願ってます。みなさんの心の中でこの作品を温め続けてくださると嬉しいです。」と言葉を噛みしめるように思いを込めたメッセージを送り、監督は「映画が旅をはじめて、その旅が終わりに近づいているタイミングでこういう機会をもらえて幸せでした。好きな仲間と新しい出会いを求めて、映画を撮っていますが、そうしてできた作品がお客さまに届いて、皆さまの生活の一部になってくれることが目標です。みなさまの生活の一部に映画があることを祈って、これからも頑張ります。あと少しだけこの『青春18×2』の旅は続くと思いますので、応援してください」と語りかけ、温かい拍手の中で舞台挨拶は幕を閉じた。
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