#女性ライダー応援企画
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SNSシェアでバニービーチのコーヒー無料に!/4月25日にバイカーズパラダイス南箱根で開催するバイク女子部学園ミーティングに、モータリストが出展する。そのモータリストブースにて自身のSNSでモータリスト、ファンティック、ランブレッタをタグ付け / メンションをすると東京都杉並区西荻窪のカフェ「バニービーチ」で��えるコラボ企画チケットがもらえるというもの。
https://www.l-bike.com/topics/27996/
#FANTIC#Lambretta#バイカーズパラダイス#バイカーズパラダイス南箱根#バイク女子部#バイク女子部学園#バニービーチ#ファンティック#ミーティング#モータリスト#ランブレッタ#女性ライダー応援企画
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"Momentum x knowledge"
Photo by wataru takei 前回、昨年の未来会議の話しを書いたと思ったらもう今年の話(汗)続きはアイザックくんが音信不通なこともあり、なんか書かけなかったな…斬新なんだけどな(汗)
で、そんな代わりというわけでもないですが、今回はピチピチの若者。半島マウンテンバイカーの平均年齢を一人で下げる(笑)、半島エリートさんことXCエリートのショーヤくんのお話しを聞きました。何せ二十歳にして15年以上のキャリアなんですからね!日中のキソテクでも遺憾なくセンスを発揮してましたよ。
スタイリッシュ風なヲタクライダーですよ。つまりクソ(え) そんな彼ですが、レースの世界の「目標を設定して、それをクリアしていく生活」に自信を持てなくなり、自転車に乗ることが嫌いになりそうになったそうです。そんなこともあって一時競技の世界から離れることにしました。そこに気がつけるだけでも、しっかりしてますよね、
まあYANS先生から次は若者がいいねーと言われてたもので、ショーヤくんの話しを聞いて、それならずっと続けてきたことの振り返りが必要なんじゃない?と思って持ちかけてみたです。これもある意味ミラクルな流れですね。今年もメイクしてしまったw
ミラクルという部分ではオーディエンスの幅もミラクル、キソテク最多参加のJUNさんとwa+くん、怪しい自転車メーカーゴンゾーさん、スマイルの管理人になったFJさん、白馬のディガーでダートジャンパーのカナヲくん、自転車屋さんのヤスダ店長、マウンテンバイク始めたばかりのNSZKさんにKNYさん、そしてインストラクターのYANS先生に半島プロジェクトメンバー、と、人数は少ないですけどなかなか多様なメンツが集まりました。
辺鄙なとこですが毎度そこそこな人数に参加していただいております♡ ショーヤくんとは3年くらい前にお父さんからヤフオクでカセットを買ったのがきっかけで、あれ地元なんですねとやりとりしてホムトレで会ったとこから付き合いが始まりました。後から横須賀市から表彰されたりしてるのを知って、俄然応援したくなったですよ。
YANS先生、寝てるわけじゃないですよ(汗)
一緒に遠出したりホムトレ走ったり、全日本の会場でステッカー貼り付けたりw親子より離れたオッサンに粘着されてカワイソウですがw応援したくなるライダーなのです。
ダリフラ風ロゴ、いたく気に入ってました そんな彼がずっと過ごしてきたレースの世界での話しをしてくれました。自我が芽生える前から自転車レースに出ていたので、ここは大人になってから始めた選手とは感覚が違い、レース会場は遊び場であり、レースでしか会えない遠くの友達と一緒になって走る場であったと言ってました。
そんな中にいるので、憧れの先輩選手に話しを聞きに行って、よし、走り行こうか!とレース後に近くの山を走ったり、仲間と一緒に遊びながらスキルを身につけたようです。この「いろいろあるけど何はともあれ走ろう」ってスタンスはローカルのオッサンたちにも通じるとこがあって、マウンテンバイクのカルチャーとして競技の世界にもあるんだなと感心した次第です。
まあいいところもあればそうでもない面もあり、3つ挙げてもらってそれをネタにディスカッションに入っていきます。
同じ人、場所、運営で代わり映えしない上に、まったくホスピタリティのない会場なこと
コースが毎回同じで、スキルのある人が有利にならないこと
オッサンばっかりて若い人が少ない逆ピラミッドな状���なこと
1つ目の競技者以外の人、いやワークスライダー以外の人にとってのレース会場は、ぜんぜん楽しい場ではないそうです。「パドックは入っちゃいけない場所だと思った」てエリート選手が言うくらいですからねw全日本観戦の時に思ったけど、まあコンセントレーションを高めているので仕方ないなと感じたけど、せっかく遠くに来たわりに居場所がない感じですかね。
日本では競技だけで食っていけるプロがごく少なく、「プロ意識というより趣味意識」の人がほとんどなので仕方ないのでは、という話もあるけど、海外のレースではブース前にレースバイクと説明員がいて、選手が出れない代わりに対応してくれるとゴンゾーさん。これはブースがオーガナイズされていればできることだけど、それを当てれるほどの収益がないってことが問題。前から観戦料取ればいいのにと思ってました。それだけのコンテンツではある。
海外の話しが出たのですが、ショーヤくんはジュニア時代にアジア大会に参加したのと、昨年ポルトガルで開催された国際大学選手権に行き、国際大会を経験しています。そこで彼が感じたことは、ボランティアの大学生が自信を持ってエスコートしてくれてることに驚いたそうです。彼らは地元に役立つこととメジャーなスポーツの国際大会に関われることを誇りに思っていたようですね。
国を代表して世界に行ったライダーが身近にいることに、仲良くしてるヤスダ店長も改めて驚いた次第 ここで海外での破天荒な生活経験豊富なゴンゾーさんが、海外のボランティア実情についてケアンズの世界戦などの体験をベースに話しをしてくれました。海外のボランティア活動は必ず何かのリワードを求めて行うものだし、それを受け手も出し手も双方が理解している。だからボランティアはたくさん集まるし、またやろうという気になる。求める側も、必ずそこを考えてアイテムやメリットを提供するようです。一番はボランティアが一番現場の先端に入れるということです。そういういい体験をした人は、また戻ってくる。いいリレーションが生まれると。
ポルトガルの大学世界戦、ツイキャスで生中継を見てました。順位チェックのボランティアスタッフ?がコース上にわらわら出てきてどうなってるのかわからなかった。 ちょっと外れた話しのようですが、日本人は名誉だけでボランティア活動をする世界一の人種、そこにこういうことが加わることで、今ボランティア活動が抱えている問題がもっと片付くような気がしますね。それにはレースイベント自体がきちんとプロデュースされていないと…YANS先生は「今までのパドックはシェフと厨房の関係」と言ってました。配膳係やお客の関係を含め、イメージする必要があるようです。
ちなみにYANS先生がNORBAに出ていた頃にその場にいたゴンゾーさん、「あの赤い速いヤツは誰だ!ファッキンシット○○○!」的なこと観客に言われたそうです…
#赤い速いヤツ 爆誕しましたw
サドルのないトラ車で座ってるように走る赤い速いヤツ(白目) 2つ目のコースの話しは結構ぶっちゃけさせましたw最近のCJは世界の影響を受けてコースが一部ジャンプセクションなどあるのですが、できない人もいるのでエスケープルートが設定されています。で、エスケープを走ってもジャンプをした人とタイムが変わらないとwヘタするとエスケープの方が速い場合もあるそうで…これではチャレンジする人はいないし、技術も育たない。
ちなみに国内のコースでクソなのはどこ?という質問がありw北陸の方とでっかい湖のそばの方だそうです。で、一番よいのはパノラマ。どちらもスキー場なのは変わらない。愛媛なんかも楽しいそうです。
どこのスキー場ででもある風景ですよね。違いを生み出すには… クソって大変失礼ですが(汗)正直なにも変わらないんだそうな。長く一回上って下ってまた繰り返し。ゲレンデの芝生を降りてくるとか80年代黎明期からですよね?構造物をちょっと工夫して置くとか、それだけでも少し変わるのになー。現状の構造物の量や配置は正直貧乏臭いという声も(滝汗) で、選手側からも改善の声が上がったそうですが、難しくしてケガしたらどうするんだという管理側の返答があった模様で…やれやれな日本的対応ですね()このように運営側にも管理側にも難しいのと危ないのの違いを語れる人がいない、というキソテク的本質的なコメントをYANS先生からいただけました。
逆に難しいコースを作ると安全になるんじゃないか?という意見も出ました。クリアできそうにないセクションはスピード落として走行しますからね。無謀な勇気だけでバーンと行っちゃうのとは違う。スキルの積み上げでコースが形成されるようになると、かなり変わってきそうです。
先輩ライダーの影響を受けてスタイリッシュ路線を歩んだショーヤくん
3つ目の若手への門戸を広げる件については、これはもう一般の人に向けてのことと同じですね。とにかく見てもらえる機会を増やす。未来会議の参加者は国内でレースをやってると思ってなかったという声もありました。長い間マウンテンバイクの楽しみの延長にレースがあるよと言ってきたメディアは、もう役に立ってないですね()エアレースやクラッシュアイスなど、見たことないイベントも盛り上げるのが得意なレッドブルのイベントについて話題が上がりました。もちろんホーリーライドも…それならもうレッドブルに全部頼んじゃえばいいかと。
山の中でなく身近にイベントがやってきたとしても、そこでいい体験ができ、お店に繋がっていかないとダメですね。SBPなんかでも試乗会を盛んにやられてますが、車体の値段を聞くとドン引きされたりしてるそうです…まあこれは機材スポーツなので仕方ない側面はありますが、子どもや女性には体に合った操りやすい自転車でいい体験をして欲しいと切に思います。ブレーキリーチやクランク長さなど、ほんとそのあたりはまともにフィットする自転車が少ないです。
が、世の中は動いてるもので、昨年白馬でガールズライドを企画したところ、100人以上が参加したんだそうな。ゴンゾーさんもカナヲくんもビックリしたそうで、フリフリの服にプロテクターを付けて下る姿に、時代が変わったと…wシンクライドの際にゲレンデに女子を求める男共の希望を聞きましたけど、なんかハードルに思ってたことがすべてぶっ飛んでて(笑)女性の方がたくましかったってヤツですね。
写真はEBIさん���影の白馬岩岳裏ルートからお借りしました(汗)
キソテクでも単身飛び込んでくる方も多いですし、今回も諦めずに集中して取り組む姿勢には感銘を受けたです。女性の方が伸び率も高かったりするし、願わくば体に合ったバイクに巡り会って、いい体験して欲しいですねー。
女性のある意味周りを気にしない集中力は向上の武器になります そんなもので、もうオッサン相手にしてる場合じゃないね!男女可処分機会も均等化?これからは女性向けや!と9%の女性率のgorideが言っても説得力は皆無ですが(汗)男性達は機材でマウント取るのでなく、おだてて伸ばすスキルを身に付けた方がよいですよ!
ここまでで2時間たっぷり話しました。レースの世界からマウンテンバイクを見るとどーなるか、と流れを考えてましたけど、集まってくれた皆さんのおかげで、若者のぶっちゃけた勢いある投げかけに、オッサンの経験と知識を持って受け答えたおかげで、深い部分に刺さる指針が見えた気がします。ショーヤくんは競技から離れるけど、一歩引いて見れる所からこのような提言をしていって欲しいですし、またそのお手伝いができればいいなと思います。オッサン達からは、いつでも戻って来れるし、その方が強くなれるかもよ!と優しい言葉をいただきました。個人的には予想を上回る、とてもよい会でした!
さて、そんな流れでこの後さらなる未来…「2030年のマウンテンバイカー」を妄想したです。続きます!
photo by wataru takei
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Fate stay night [Réalta Nua] Heaven's feel 感想
HF
2017/9/17 アニメUBWを初見で見始める 9/29 レアルタセイバールート初見プレイ開始 2017/12/24 レアルタUBW初見プレイ開始 2018/1/24 レアルタHF初見プレイ開始 2/24 レアルタヌア初見プレイ終了
HFは1日につきゲーム内の1日分ずつ進めた。
レアルタヌアの感想をブログにまとめてみて思ったけど、めっちゃ感想書いてるな僕wあとで見返すのが楽しいけどまとめるのに時間かかったw
・1日目
眠れないから1日分だけ進めた。
1日目の内容は9割ほどは他ルートと同じだったけど、他ルートでは出なかった「桜を送る(上級編)」が出た。その内容は、慎二の事だったり凛の家の噂の話だったり。
あと、他ルートに比べて士郎が桜を異性として意識してる描写が目立った。
・2日目
他のルートでは序盤の序盤にしか出てこなかった桜がバンバンピックアップされてて少し驚く。
放課後の教室での一枚絵の桜が可愛いか���た。
ゾウケンさん初登場。まだ普通のお爺さんって感じ。
・3日目
ゾウケンさんがなんか企んでるっぽい。意味深な台詞ばっかり言ってる。
レアルタヌアのHFのムービーを見たら、なんか皆カッコよかった。HFでは特にライダーが活躍するらしいからそれを見るのが今から楽しみ。
・4日目
セイバーの暴露からの教会での御三家についての説明。
なんというか、言峰が親切すぎてびびる。士郎に助言までしてるしなんだこいつ。
言峰は人と同じ幸福を感じることが出来ない人間なのか。 切嗣と言峰の類似点や相違点も気になる所だ。
ゾウケンに出来損ない扱いされてる慎二が少し哀れに思えてきた。 Fateルートでは死ぬしUBWでは道化だし、両親を蔑んでるみたいだしゾウケンには罵倒されるしで慎二はとことん不遇なキャラクターだなぁ。 HFで彼は一体どうなるのやら。
・5日目
日常が多めだった。
遂に真アサシンとあの影が出てきた模様。でも映画と展開が少し違って戸惑った。やっぱり映画はだいぶ展開を詰めに詰めてるんだろうなぁ…それでもあのクオリティなんだから凄い。
凛が放課後に士郎を呼び出す手紙で「殺す」の文字が消されてるところがプリヤのそれと同じで笑った。 プリヤ一期で凛がイリヤに送った手紙も原作のオマージュだったんだなぁ。
最後の凛が士郎の血を吸う夢?はなんだったんだろう。そういや映画でもなんか色っぽいシーンがあったような気がする。もううろ覚えだけど。
ここってPC版だと直接的なエロ描写だったんだろうか?などと想像してみる。
桜のおっぱいはEカップ
・6日目
ひたすら「桜みたいな奥さんがほしい」と思う1日だった。 もしラジで「もし私が悪いことをしたら~」は結構重要な台詞だと言ってたから覚えておこう。
ランサーvs真アサシンは思いの外地味で映画とのギャップを感じた。映画ではめちゃくちゃ派手に演出してたんだなぁ。
・7日目
桜のソウルジェムが少しずつ曇っていくのを感じて辛くなってきた。
言峰が麻婆豆腐を食べてる所は面白かったw中田譲治さんの演技が最高w
HF初のタイガースタンプを回収。桜と土蔵で話をしないとここでバットエンドになるのか…これ、明らかにあの影は桜と関係があるって事を示唆してるなぁ。
映画を見たときもアーチャーの「私怨を気にし��る余裕がなくなった」発言は気になったけどそのあとの「悲観したものじゃない」って台詞を聞いてアーチャーを応援したくなった。
アーチャーは、まだ災厄を止められるし、まだ後始末をすると決まった訳じゃない!と思ってるんだな。 どうなるのやら。 体は朽ちるがほぼ永遠に生きてるってゾウケンはまるでMOTHER3のポーキーみたいだ。
アーチャーはUBWでは「サーヴァントは所詮道具」って言ってたけど、あれは自虐だったんだろうか。だってゾウケンに似たような事を言われたときに表情が怒ってたし。
凛が学校で「人は本当の事を言われると怒る」って言ってたけど、それはこういう事だったのかも。
・8日目
映画のHF一章の分の内容が終わった。
イリヤとの会話はHFがイリヤルートも兼ねている事を実感 させられたし、復讐の相手だった切嗣がもう居ないと知ったときや、当たり前の日常を渇望するイリヤの心境を考えると悲しくなった。 だからこそ、あの一枚絵とあのBGMはとても印象に残った。
セイバーの「桜は過ちを未来で正すのではなく自分に刻み込むきらいがある」でらっきょでの橙子さんの「私たちは罪で道を選ぶのではなく選んだ道で罪を背負うべき」を思い出した。
桜が士郎の安全を想うが余りヤンデレ的な思考になって行ってるのが不穏だ。その内士郎の四肢がもがれてもおかしくない。
ギルガメッシュが「人が人を頃すのは我慢ならない」って言った事が意外だった。しかも要約すると「札人は人の手に余る」って理由だったのがさらに驚き。 ギルガメッシュはとことん傲慢だけど、それは一本筋が通った傲慢さなんだなぁ。 ギルガメッシュが人気な理由がなんとなく分かった気がする。
・9日目
遂にこの選択肢が出てきた。(鉄心に分岐する選択肢のこと) 正義の味方を貫き通す選択した後がとても辛かったし、タイガー道場でさらに凹まされた。心を鉄にした士郎も桜を頃す凛もイリヤの一言ももちろんそうだったけど、「藤ねえが士郎のこの選択を受け入れる」っていうのが一番辛かった。
もう劣等感しか残ってないし、それを拭おうとして空回りしてる慎二の心境を考えると凄く悲しくなる。これからどうなるんだろうか。
桜は好きな人を騙し続けてる罪悪感に苛まれてる所が月姫の秋葉様に似てる気がする。桜も秋葉様も自分の気持ちに素直になれないし。
桜は士郎に対する想いを内に仕舞い込み、秋葉様は志貴に素直になれない。好きな人に対して素直になれないって所は二人とも同じだけど、その出力先が違う。
桜の懺悔で『灰羽連盟』の罪の輪を思い出した。 自力で罪の輪から抜け出せないのなら誰かに罪を���してもらえば、罪を知りながらも罪人では無くなる。士郎は桜を罪の輪から救出した。
つい最近まで士郎に復讐心を抱いていたイリヤが士郎にここまで優しくするのか…と思わず泣いた。でも士郎が聖杯を求めるのならイリヤはマスターとして立ち塞がるんだろうか?もしそうなったら辛いな。 士郎は正義の味方を貫いてもそうしなくても結局辛い思いをするんだろうなぁ。
桜が士郎の血を吸う場面はPC版だとセックスする場合なんだろうか。もしそうなら「HFはエロ無しでは成り立たない」って言葉の意味が理解できる。
桜はレアルタヌアで「好きな人の血を吸う」という、アルクェイドがしなかった事をしたんだなと思うと少し感慨深い。
・10日目
士郎と桜の状況がどん詰まり過ぎてて読んでてあんまり楽しくなかった。
何故イリヤは桜を嫌うんだろう?言峰の求める答えって何?あの影と桜の関係は?疑問は増える。
セイバーが反転したのを士郎が割りとさらっと受け入れてて驚いた。もっと狼狽すると思ったけど。
言峰の人間性の開示によって「言峰と切嗣は正反対の人間だが印象は似てた」って言葉の意味がやっと分かった。
正しいものを正しいと理解していながらそれに価値を見いだせず、それを求めても得られない言峰と、綺麗な理想を抱きながらも冷徹な行動をとる切嗣。 確かにぱっと見は似てるけど全く違う。
最後の幕間が不穏すぎる。「虫を潰した」って、一体誰が?
・11日目
ひたすら桜と凛が微笑ましい1日だった。この不器用さん共め!w
慎二がまたなんかやらかしそうな雰囲気を出してるなぁ…
凛に「士郎の前だけでは桜は笑う」と言われて、士郎は「今の桜は自分に依存してる」と気がついたっぽい。 姉妹のやりとりは和んだけど、状況が詰んでるのは変わってないんだよなぁ…読んでて少し辛い。
・12日目
感想を一言に纏めると「とにかく読むのが辛い」
桜が助かる為に士郎も凛も行動してるけど、それが桜を傷つけてしまう事が辛い。
本当は士郎と一緒に住みたいイリヤは、切嗣への憎しみを無視出来ないし、士郎が聖杯を手に入れるということは士郎がアーチャーの腕を使い傷つくということ。
士郎も凛もイリヤもそうなんだろうけど、桜も辛いだろうな。
日常生活がまともに送れないほどに体は消耗してるだろうし、士郎は戦うし「自分自身を救おうとしてくれてる人」だと分かってはいるけど凛への不信感は募るし毎晩悪夢を見るし。
滋養である筈の士郎からの吸血でさえ自己嫌悪が付きまとう。
士郎がもし氏ねば衛宮低にイリヤの居場所はなく(凛とは魔術師同士だし桜とは何故かそりが合わないらしい)、イリヤは依り所を無くす。 だけど士郎は戦いを止めない。
凛は魔術師然とはしてるけど骨の髄まで魔術師って訳ではないから、桜に厳しく接するのは辛いだろうなー。 救う対象であるはずの桜を遠ざけないといけないってのはなんとも皮肉な話だ。
日に日にすり減っていく桜の心身。悪夢と士郎が感じた「影」と桜の関係。 ゾウケンの意味深な言葉、ギルの謎の行動。 ちょっと辛すぎw読んでると僕のMPがゴリゴリ削られていくwでも光明は見えた。士郎が凛の宝石剣を投影出来れば状況をひっくり返せるかもしれない。 まぁ、光明が見えた分だけ事態が悪化してる気がするけどw どうなるんだこれ...読んでて凄く面白いけど辛い。
「奈須きのこって本当に凄いな」と改めて実感した。 ここまで複数の出来事や登場人物達の心情が絡み合ってる創作物を読むのは本当に久しぶりかもしれない。このぐちゃぐちゃに絡まった諸々がどんな風にほどけていくのかが楽しみ。
・13日目
今まで明言はされなかったけど散々仄めかされてきた桜と影の真実が分かった。桜を道具として扱っておきながら士郎に「桜を頃せ」なんて言うゾウケンは真性のクズだな。
「なんで桜からあの影が出るんだろう?イリヤからは出ないのか?」と疑問に思ったけど、「イリヤはサーヴァントを回収するたびに人としての機能をカットするから影が出ないんだ」と自己解決した。
桜と士郎が花見の約束をするばめんでアルクェイドの「私はifって好きよ。その時だけは希望がある気がするもの」を思い出して涙が出た。
かつての信念を捨てた士郎にひたすら謝ってる桜にちょっとだけもやっとした。 桜自身には影をどうすることも出来ないんだろうけど、だからってあそこまでして自分を守ろうとしてくれる士郎に対してただただ謝るだけで「ありがとう」の一言も言わないのか、と。
13日目のフローチャートに不自然な空白があるから、たぶん今進んでるルートはその内バットエンドの一つに通じるんだろうし、この不自然な空白の先が正規ルートなんだろうな。 とりあえず今は放置して読み進めよう。
・14日目
桜が反転したけど、まだ完全には反転してないっぽい。
桜と聖杯の関係がややこしい。ちょっと整理してみる。 〈桜には聖杯の欠片を元に作られた刻印虫が埋め込まれている。故に桜は聖杯の機能を持つ。〉 〈聖杯の力は本来無色だが汚染されたため「人を頃す」という方向性を持った力に変わってる〉 〈桜は聖杯の門を閉じられない〉 〈桜の性格と汚染された聖杯が適合して「影」が産まれた〉
「何かが産まれ出てくる事を阻止する事は罪だが、産まれてきた者にもし罪があるのならそれは償うべき」って言峰の考えは凄く厳しいし、桜の影の事に対してそう言ってるから凄く歪んでる。
15日目はまだ終わってないけど、情報が多すぎて頭が痛いから今日の所はセイバーエンドを見て終了。 そして土蔵でのライダーとのやりとりの選択肢から再開する。
セイバーを下したがとどめを刺す前に廃人になってしまった士郎はなんとも無念だ…
言峰は本当に複雑な人間なんだなぁー。 言峰と言峰が愛した女の事を知って、愛とはなんなのかを考えさせられた。 愛した側の心の在り方がどうであれ「愛された」と感じたのならそれは愛なのか?愛する心が無くても「愛するという行為」があればそれは愛するという事なのか?
天の杯と根源の渦の関係がよく分からなくて何回か読み返した。アインツベルンの目的は別に根源の渦に到達する事ではなく、あくまで根源の渦に至る道に溢れてる手付かずの魔力だって事が理解できた。 …この解釈で果たして合ってるのか?合ってると思いたい。
「魔法」や「魔法使い」が型月世界では超重要だって知ってはいたけど、物語の中でそれを体感するのは初めてかもしれない。 でも士郎が言ってたように、士郎達にとってはそんなのは関係無い。彼らにあるのは自分と大切な人の���間だけ。
桜がどんどん反転して行ってるけど、正直、「やっと反転したか~」と思った。メタ的視点から言うと桜が反転しないと話がつまらないし、その過程とそれを受けてどういう風に物語が帰結するかが見たい。
VSバーサーカーでの士郎はとんでもなくかっこよかった。これは間違いなくSN名バトルの一つだろう。 「ついてこれるか」からの「ついてこれるかじゃねえ。おまえがついてこい!」は最高にイカしてる。
タイガースタンプが残り3つ......長かったSNももうすぐ終わってしまう......最初は「これ全部埋められるんか?」と思ってたのに残り3つ......あー寂しい。
終わった。色々言いたいことはあるけど、とりあえず今真っ先に言いたいことは…桜、めっっっっっちゃ美人になってませんかあああああああああ!!!?!!!?!!?!?!
しかも凛に「幸せ?」って聞かれて「はい」って満面の笑みで言ってるしなんなのもおおおおおお!!!良かったああああああ!!! この文章(Twitterのヘッダー画像にしてたあの文章)でもう「あ、士郎達の物語はもう終わりなんだな」って……… いやだあああああああ!!!!!いかないでええええええ!!!!虚無感ヤバイんじゃあああああー!!!!でも「終わり」が大好きなんだよオオオオオオオオオンン!!!! ちなみにタイガースタンプもコンプ。全部埋まった。埋まっちゃった。 SPも見た。綺麗に総括してて最高の締め括りだった。 残るはラストエピソードのみ。これを見たら本当に本当に終わってしまうから、見たいけど見たくない。でも見る。
・ラストエピソード
セイバールートの最後で士郎は結局アーチャーになってしまったのか。でも、この再会があったから二人はきっと報われたんだろうな。 そして「Link」がめっちゃ晴れやかで良い曲だった。 一回だけBGMだけを纏めた動画で聴いたことがあったけど、てっきりHAの曲だとばかり思ってた。 「あの坂を登り終えたらそれぞれの道を行こう」と「笑顔で手を振ろう。いつかきっと会える」って歌詞が凄く晴れやかで切ない。
・HFを振り返る
HFのトゥルーエンドで月姫の「まひるの月」や「温かな牛睡」を思い出した。こういう切ないエンドもたまらない。
桜が琥珀さんの系譜のキャラだって聞いたことがあるけど、確かにそうだった。 桜も琥珀さんも、救うことはかなり難しい人だけど、救った時の喜びと感動は物凄く大きい。 まぁ、琥珀さんを救ったのは志貴で、桜を救ったのは士郎だけどね! そこを勘違いしちゃいけないと思う。読者はあくまで傍観者。
桜はアンリマユに憑かれて初めて凛に対して鬱憤を吐く事ができたから、そういう意味ではアンリマユに憑かれた事は良かった。姉妹喧嘩も出来た事だし。 というか、お互いに魔法に近い力を振るう姉妹喧嘩って凄いなwスケールが大きいw
桜がアンリマユに取り付かれてる姿はおっぱいがとても強調されてるから、シリアスな場面でも(おっぱい大きいな)ってしょっちゅう思ってたw イリヤが大聖杯の門を閉じる時の杉山さんの演技が印象に残ってる。 イリヤの名を思い出してから連れ戻そうと名前を呼ぶ。その感情が演技で凄く伝わってきた。
天の杯の服装のイリヤは外見は幼いのにとても大人びて見えた。特にあの一枚絵は。
桜の体は清いとは言い難いし、桜の好意は良くも悪くもとても重たい。それでも桜が好き。 桜は士郎にとって日常の象徴でもあると思うし。
サーヴァントや魔術がある世界だからこそ、士郎と言峰の殴りあいは熱かった。この戦いは正義と正義のぶつかり合いでしかもお互いの力がやや拮抗してるのが熱さに拍車をかけていた。
言峰にとってアンリマユは「自らが出せなかった答えを出すかもしれない希望」だったんだなー。
それまで徹底して冷たい態度を取ってたのにここぞという所で桜への好意を自覚してとどめを刺せないし、凛の境遇を想像もせずにひたすら自分を罵倒する桜を抱き締めてやれる凛が凄く好き。 「うっか凛め…」って思いながら涙を流したし、ここを映画でもし見たらきっととんでもないことになるだろうなーw
終盤の桜の声には凄く気迫があるというか、ドスが効いていて下屋さんの演技力の凄さを実感したし、桜は「ただおしとやかで可愛いだけのヒロイン」じゃないんだなって思った。
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vol.1 堕落さん
――プロレスを見始めたのはいつからですか。 これが結構謎なの(笑)。初代タイガーマスクのデビュー戦(1981年4月23日/vsダイナマイト・キッド)をリアルタイムで観た記憶があるんだけど、定かではなくて。俺は最初から藤波辰巳(現・辰爾)ファンだったから、それ以前に藤波の試合を観ているはずなんだけど、藤波のジュニア時代はまったく記憶にないの。観ているのかもしれないけど、おぼえてない。藤波の試合でちゃんと記憶に残っているのは、83年の小学校3年のとき。俺、夏に肺炎で入院して、入院患者がくつろぐようなスペースで藤波vs長州(力)の攻防を観たんだ。それは確実に観たおぼえがある。 ――その試合は、ある程度プロレスのルールがわかっている状態で観たんですか。 もちろん。ルールをわかっていて、好きで観た。最初のきっかけは思い出せないんだけど、親父が金曜8時にテレビをつけていたんだと思う。親父はプロレス、あんま好きじゃないんだけどね。ほかに見るものがなかったのかもしれない。 ――どんなところに惹かれましたか。 単純に、藤波辰巳は格好良かった。元祖アイドルレスラーだからかね。女の子がイケメンに惹かれるのと一緒で、男の子も格好いい人に惹かれるじゃん。藤波はスラッとしていて、筋肉質で、動きも早くて。(アントニオ)猪木は結構動きがバタバタしているように感じて。俺は、猪木は運動神経が良くないんじゃないかって思っていて。あの人は、ドタバタが味というか、フックになるんだよ。一方で、全日を観たら(ジャンボ)鶴田、(ジャイアント)馬場、ファンクスとか。同世代だとテリー(・ファンク)からプロレスを好きになった人は多いんだけど、俺は当時、あの外連味がすごく嫌で。プロレスファンとしてキャリアを積んで、プロレスの仕組みやワビサビがわかってから好きになったけどね(笑)。「テリー最高!」って。 ――当時は同級生も金曜8時の『ワールドプロレスリング』を観ていたんですか。 そう。今じゃ信じられないけどね。当時の小学校は土曜が半ドンで、3時間だけ授業がある世代だから、クラスの男子の半分以上がプロレスの話やプロレスごっこをしていたね。実家は神奈川の田舎町なんだけど、1学年に6、7クラスある結構でかい小学校に通ってたの。男子は1クラス20人くらいはいたんだけど、その半分がプロレスに興味を持っていたね。ちょうどキン肉マンもあったから。 ――なるほどなあ、キン肉マンですか。 空前のプロレスブームだったね。猪木、藤波、長州、タイガー、そしてキン肉マン(笑)。当時は、新日が金曜8時。全日は土曜の夕方だったけど、全女は月曜の7時代。クラッシュ(・ギャルズ)全盛で、(長与)千種がダンプ(松本)に坊主にされるシーンがゴールデンタイムで流れてた。 ――テレビは毎週観るのが当たり前でした? 毎週観てた。金曜8時は、俺がチャンネル権をガッツリ確保して。弟と妹がいたけど、まあ勝負にならないから。でも、親父に対してはどうしてたかな。昔ながらの親父で、機嫌悪いとぶん殴られるし。小学校の入学式で、全校児童の前でビンタされたこともあったから。母ちゃんの腹の中に妹がいて来られないから代わりにパンチパーマに髭の親父が来たの(笑)。俺がはしゃいでいたら、「うるせえ」って感じで。弟をいじめたらキレられて、往復ビンタを食らって。翌日、学校に行った時も顔面に手の跡が残ったりしてたし。 ――そういう体験があったから、対抗するために強さに憧れたとか? それは関係ないかも。 ――鬱憤晴らしでプロレスごっこなんかも? そう(笑)。プロレスごっこといいながらひどい技かけてた。敷布団と掛布団を四重くらいにして、そのうえにドラゴンスープレックスとか(笑)。 ――ひどい(笑)。 ひどいよね。そりゃあ弟もプロレス嫌いになるよ(笑)。そんな弟が、将来プロ格闘家になるとは思ってもみなかった。一昨年くらいに引退しちゃったけど。リングスにも上がってんだよ。 ――そのあたりも追々��いますね。初めて生観戦したのはいつですか。 1985年の7月かな。『バーニング・スピリット・イン・サマー』茅ケ崎青果市場大会。ブルーザー・ブロディが初めて新日のシリーズに出場したとき。 ――どういう経緯で観戦することになったのですか。 そのへんも全然記憶にないんだけど、近所のオッサンというか、親父の友だちに連れてってもらったの。チケットは、誕生日が近いからそのへんに絡めてもらったんじゃないかな。自分で買ったとは思えないから。 ――その時のメイン、おぼえてます? 猪木、藤波、ザ・コブラvsブロディ、キングコング・バンディ……あ、キングコング・バンディはセミかな。バッドニュース・アレンかマット・ボーンかな。ネットでもすぐに出てくると思う(注:正しくは、ブルーザー・ブロディ、ブラック・タイガー、マット・ボーン)。 ――会場の規模はどれくらいですか。 バスケットコート2面くらいあるのかな……そんなにないか。青果市場だからね。湘南地区でプロレスっていうとそこだった。鶴見五郎の聖地。国際プロレス、IWA格闘志塾がずっと使ってたとこ。そこで全日も観たし、IWA JAPANの旗揚げシリーズも観た。 ――堕落さんのなかではどんな思い出になっていますか。 そりゃ大きいよ。だって、チェーンを振り回しているブロディに追っかけまわされたんだもん(笑)。俺個人が追っかけられたわけじゃないけど、近くで見たら「でけえ!」「怖ぇ!」って(笑)。 ――テレビ観戦との差異でここに感動したとかは? 音。プロレスは音だよ。「バシーン」ってすごい音がするじゃない。第1試合から「ワー」って……第1試合のカード、なんだったかな。(ドン)荒川さんかな。当時、ドン荒川ってストロングスタイル転向宣言とかしてて、名前変わったのもそれがきっかけなのよ。その1年後くらいにIWGP Jrに唯一挑戦したことがあったの。ザ・コブラ戦。当時はまともな試合をしてたの。俺が唯一観たドン荒川の試合が、まともな試合だった���だよ(笑)。当時は、ジャパンプロレスに行く維新軍団が抜けて、何もなくなっちゃった頃だね。それでブロディを引き抜いて、85年の4月に両国で初めて猪木とシングルをやって、救世主になって。 ――それから会場にはコンスタントに行くようになりましたか。 全然。次に行ったのは91年くらいじゃないかな。なぜかというと、中学で部活に入ったから。 ――部活は何を? バスケ部(笑)。まあ2年でやめちゃったけど。 ――バスケで憧れている選手がいたとか? 全然。単純に運動をやりたいなって思って。 ――プロレスラーを目指して体を鍛えるような感じ? いや、背も伸びてなかったし。なりたかったけど。だって、中学3年で162cmしかなかったからね。中学入学したときに145cmしかなかったから。まだ覚えてるけど、中1の初めての身体検査で145cm、中2で152cmになって。1年間で7cm伸びたから、「おお、やっぱバスケすげえな」って。あ、背を伸ばしたかったのかもしれない。今もそうだけど、当時も太ってて、145cmで45kg。それが中2で7cm伸びたのに3kg減ったから、相当痩せたんだよ。公立だけど県大会で準優勝とか3位とかに入ってたから。俺はユニホームすらもらえなかったけど。 ――バスケ部っていうのはすごく意外です。 隣町に光GENJIのメンバーになった佐藤アツヒロがいて、そこそこ強いバスケ部がある学校に通ってた。俺らの1つ年上だった。 ――部活を一所懸命やっていたから観戦にも行けなかった? だって、中高生ってお金ないじゃん。部活やっている時間に『ワールドプロレスリング』が放送されてて、ビデオに録画して観てたけど。当時は、藤波が長期欠場した頃で。 ――腰ですね。 そう。89年の6月に長野の佐久大会で(ビッグバン・)ベイダーのバックドロップを食らって、そこで腰やっちゃって。猪木の選挙応援に駆けつけて悪化して(笑)。飛龍革命があって、俺的には「やっと藤波の時代が来た!」って感じだったのに。俺、いじめられっ子だったから。 ――それ、想像つかないです(笑)。 いじめられっ子だったし、喘息持ちだったから、一日おきに死ぬことを考えた。俺は性善説の人間だったから、いじめられると「なんでこんなひどいやつらがいるんだろう」って傷ついてた(笑)。むかつくっていうより、悲しいっていう。身体も弱かったし。でも、「藤波が天下を取るまでは死ねねえ!」って(笑)。で、(88年8月8日の横浜文化体育館で)猪木と引き分けて、IWGP王者になった、ついにエースになった、ついに待ち焦がれていた日が来たんだけど、それも長く続かずにあの人は腰をやっちゃって、欠場して。 ――傷ついている人がプロレスラーに自分を重ねるケースは多いと思うんですけど、堕落さんも多少なりともそうだったということですね。 マジで支えだったもん。俺、見た目も性格もオタクっぽいと思うんだけど、俺が漫画やアニメやゲームにいかなかったのは、プロレスがあったから。ウルトラマンよりも、仮面ライダーよりも、戦隊物よりも、プロレスラーがい��から。実在のヒーローとして。〇〇マンよりルチャドールの方がカッコいいじゃん(笑)。 ――週プロとゴング、どっち派でした? 雑誌どころか、小学生3、4年の頃から東スポとレジャーニューズ読んでた。 ――小学生で?(笑) 家族と出かけるとき、駅のホームにいったらキオスクでプロレスの見出しが出てるわけ。「なんだこれ、安いし買っちゃおう」って。東スポはまだいいんだけど、レジャーニューズは完全にプロレスと風俗だけだから(笑)。 ――親に何か言われませんでした? とくに何も言われなかった(笑)。エロ記事は隠れて読んでたしね(笑)。で、雑誌はゴング。初めてプロレスを観に行った人とは違う、家族ぐるみで付き合っている一家がいて、そこの親父がプロレス好きでゴングをたまに買ってて、もらってた。たぶん、小学3年くらいから自分で買い始めたんじゃないかな。当時、喘息の治療をするために、隣の市の病院まで行って注射を打ってたの。減感作療法ってやつ。それが毎週金曜日で、行くついでに買ってた 。当時、ゴングと週プロは木曜発売で、俺はゴング派だった。 ――ゴング派だった理由は? 誌面がきれいだったから。紙質が良かったし、写真もきれいだったし。当時、週プロが250円、ゴングが300円で、週プロの方が50円安かった。ゴングの方が高級感があった。ゴングは創刊したのが週プロより後なんだよね。週プロはまだそんなにアクの強さはなかったんだけど、ちょっとクセはあって、それが小学生には引っかからなかった。俺はもっとプロレスラーの生の声や情報が欲しいし、きれいな写真が見たいって。ゴングは「ルチャリブレ広場」もあったし(笑)。 ――毎週ゴングを購入されて、一字一句漏らさず読むくらいの勢いで。 もちろん。 ――どんどん知識もついていくなかで、プロレスの話ができる友人はいたんですか。 高校までいなかった。 ――じゃあ、さっき話していた91年の観戦はその友人と一緒に? そう。クラスでいつも体育を休んでて、全然しゃべらなくて、お笑いのネタにされているようなやつがいたの。俺もどっちかっていうとからかっていたけど、そいつと話すようになったら、プロレスが好きで、同レベルで話せるくらい結構詳しいの。それで意気投合して。で、ほかにもうひとりプロレスの話ができるやつがいて、翌年の1月4日、新日の後楽園に3人で行って。それが2回目だと思うんだよね。話せる人がいたら、また盛り上がるじゃん。 ――よくわかります。 当時は、チケットを取るのに新日の事務所に普通に電話してた。学校のロビーの赤電話から休み時間にかけたんだけど、神奈川の田舎と東京じゃ距離があるから10円玉もすぐになくなって、何回か通話が切れて、(新日の)事務員の姉ちゃんもキレてた(笑)。特リンを買ったんだけど、すごい悪い席で。前年の秋に藤波が復帰したけど、アニマル浜口にピンフォール負けするくらいの感じで、徐々に復調してて。年末の浜松かな、メインが長州と藤波のIWGP戦。藤波が復活を賭けて長州に挑戦、みたいな。生中継だったけど、��約束でメインの途中で放送が終わった(笑)。同じ日にルー・テーズの最後の試合もあって。テーズが74歳にして……。 ――おぼえてます。バックドロップをやりましたね。 そう。あと、猪木がニック・ボックウィンクルとやるはずだったけど、急遽猪木が欠場して、マサ(斎藤)さんとやって。 ――メインは? メインはなんだったかなあ……。藤波はセミだった。浜松で王者になって、初来日のムッシュ・ランボーっていう、ヨーロッパのCWAを主戦場にしていたでかい選手とやった。で、ツーカーのやつと3月にもうひとつ行ってて。『スターケードin闘強導夢』。藤波vs(リック・)フレアー。藤波がWWEの殿堂入りしたときも、一番のトピックとして扱われてた。フレアーに勝って、IWGPとNWAの2冠王になって。チケットはどうしたのかな。母親に泣きついたけどお金貸してもらえなくて(笑)、友だちに借金したのかな。当時のドーム大会って映像観てもらえるとわかるけど、すげえセットバック組んでアリーナも傾斜になってんの。何だかんだで観えるんだろうなって思ってたけど、一段嵩上げしている程度で全然観れない。だから、後ろ向いてヴィジョン観てた。 ――高校生で藤波さんが好きっていうのは渋好みに思えます。 そんなことないよ。だって、当時の藤波辰爾は38だし。昔のレスラーはちょっと老けてるから。 ――15、16歳のころっていうのは、まだ素直にプロレスを観ていましたか。 いわゆる高橋本(ミスター高橋『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』)以前・以降って話になるけど、以前の人の見方で、「相手の技はちゃんと受け合うけど、最後は力尽きた方が負けるんじゃないか」みたいな。頑なにガチだとは思ってなかったけど、勝敗は決まってないんじゃないかなって。 ――その頃って、将来こうなりたいとかって考え始めるじゃないですか。さっき、プロレスラーになりたかったって話もありましたけど。 無理。今も抱えている持病が高1の頃に発症しちゃって、かなり世捨て人だった。クラス替えで仲良い奴が1人もいなくなり、溶け込めなくなって。高3の頃は孤立してて、学校もちゃんとは行ってなくて。まあ卒業はできたけど。 ――高校卒業後はどんな生活をしていましたか。 2年宅浪して、家で何もしないで、『電気グルーヴのオールナイトニッポン』を録音して、テープが擦り切れるくらいまで聞いてた(笑)。その少し前だけど、92年に藤波のファンクラブに入ったんだよ。藤波が腰痛から復帰したあとにまた欠場して、その復帰戦が異種格闘技戦(vsリチャード・バーン)で、おそろいのTシャツをつくって入場を先導する感じで。よくあるじゃん、昔の(ミル・)マスカラスとかテリーの親衛隊みたいな。ハチマキまいてダッセーやつ(笑)。横浜文化体育館なんだけど、花道の前で待機したりして。そのつながりで、そこでドームのチケットを取ってもらって行くようになったりしてた。その翌年に、藤波がG1で優勝して。 ――決勝で馳(浩)とやったときですね。 そう。それは観に行ってないんだけど、「ついに藤波が完全復活!」みたいな感じでファンは盛り上がってたの。で、渋谷で祝勝会をやるっていって、ファンクラブのメンバーとして行って。そのファンクラブで仲良かった人がいて、コアな人たちと手伝いに行ったりしてたのかな。そんな中で無我をやるって話が出て、大阪までわざわざ夜行バスで旗揚げ戦に行ったりして。95年10月29日。大阪ATCホール。 ――よくおぼえてますね(笑)。 その前の93年にはドームと、WARの東京体育館大会に行った。2月14日、バレンタインだった。それもファンクラブにチケット取ってもらって、おそろいのジャンパー着て。メインは、天龍(源一郎)、石川(敬士)VS藤波、馳。しかも、馳って当時は藤波と組んだことがなかったの。俺は長州派に対して疑心暗鬼だったから、藤波が負けさせられるんじゃないかっていう嫌な予感がしてたの(笑)。それは1カ月後か2カ月後に、藤波、長州VS天龍、石川で石川にフォール負けっていうのがあって。石川、あまり評価してなかったから、こんな屈辱はないと思って。なんで天下の藤波辰爾が石川敬士に負けなきゃいけないんだって。石川は巧いとか言われるけど、全然巧いと思ったことなくてさ。彼はいろいろやるんだけど、器用貧乏の逆。貧乏器用。ヘタなのにいろんなことをするけど、どれもたどたどしい。中堅でやっている分には活きが良くていいけど、藤波に勝つのは……しかも2回勝ったからね。イリミネーションマッチでも藤波からピンフォールとってる。当時、阿修羅・原が失踪してSWSに復帰してからそれほど経たないくらいだったし、身体がボロボロで使い物にならなかったから。石川を格上げしなきゃいけないって事情はわかるんだけど、だったら長州が負けろよって思った(笑)。その頃はもうそういう見方をしてたね。東京体育館は、セミが(ジョン・)テンタVS(キング・)ハクだったかな。モッサリした試合で、いっぱい来てた新日ファンからかなり野次られてた。当時、俺たち新日ファンはかなり差別意識をもって(WARを)見ていたからね(苦笑)。 ――本当に藤波さんが好きなんですね。 藤波史観だから(笑)。 ――当時だと、全日とかFMW���いかがでしたか。 大仁田(厚)と(ターザン)後藤の最初の電流爆破のビデオは買ったよ。親に見せて、「こんな思いしてやってんだぞ」ってアピールして(笑)。俺ね、FMWはホセ・ゴンザレスを使った時点でかなり冷めた。ブロディの命日って、俺の誕生日なの。当時、うちは日刊スポーツを取ってて、ブロディが死んだことを知って大ショックを受けて。まだネットがないわけじゃん。朝刊スポーツ紙と夕刊の東スポと週プロ、ゴングが情報源で、突発的なニュースが入ったら編集部に電話してたもん。「〇〇が亡くなったって本当ですか?」って聞いたら「はい、そうです」って沈んだ声で言われたり。 ――僕も試合結果はよく週プロの自動音声を聞いてました。 テレフォンサ��ビス? あれは俺もかけまくったよ。なかなかつながらないこともあったよね。 ――ありました。懐かしいですね。今なら試合結果もすぐにネットで見れますけど。 勝手に客がツイッターとかで「〇〇が勝った」って書いちゃうからね。 ――で、藤波さんがいる新日を中心に観ていた、と。 全体的な流れは追ってたよ。ルチャが好きだったからユニバーサル(・プロレスリング)観てえなって思ったり。話がさかのぼるけど、俺は『世界のプロレス』がアメプロばっかりだったのが不満でしょうがなかったから。ロス・ファンタスティコスの試合とかが流れて。俺は毎週ルチャをやってほしかったけど、やってくれなかったからね。カト・クン・リーのロープ歩きとかがゴールデンタイムで流れることもあった凄い時代だね(笑)。 ――90年代前半からは、いろんなインディー団体が出てきたりもしましたね。 インディーも結構行ってた。IWA JAPAN旗揚げシリーズの茅ケ崎行ったでしょ、NOWの旗揚げシリーズの茅ケ崎も行ったでしょ、あと、オリエンタルプロレス、湘南プロレス、UNW、PWC、WARも後楽園に1回行った。当時、怨霊とかが第1試合で。天龍VS仲野信市がひでえ試合だったよ。「天龍、殺しちまえー」みたいな怒号が飛んでて。本当に殺すんじゃないかって試合で、仲野の顔面を蹴ったらパコーンって音がして、仲野は鼻から一気に大流血で、鼻が折れてたもん。 ――いろいろ観てるんですね。 俺、冬木(弘道)の講演会かなんかも早稲田大学に見に行ってるもん。その時に抽選が当たって特リンのチケットもらったんだけど、後楽園に行ったらダフ屋に捕まって、チケットむしり取られて1000円渡されたっていう(笑)。ダフ屋がそんなに悪徳だとはまだ知らなかったから。 ――プロレスを観ていない時期はなさそうですね。 新日のドームは毎年行ってるけど、2000年以降はあんまり記憶がないかな。週プロ、ゴングを買わなくなったのが2001年くらいか。友だちの家に転がり込んでから金もなかったし。あとはスポナビとか2chを見たりするくらい。棚橋(弘至)、(中邑)真輔の暗黒期とか、空気も暗黒だったし、自分の熱も低かったから。もちろん、彼らがどういうストーリーをたどってきたかはわかってるんだけど、一つひとつが記憶になくて。この前、真輔VSカート・アングルの試合をYouTubeで観たんだけど、「こんな試合だったっけ?」っていうくらいおぼえてなかった。 ――トピックとしては総合もありましたけど。 俺は格闘技も好きで、最盛期は週プロ、ゴング、ファイト、格通、紙プロを買ってた。K-1の1回目が93年、フジテレビの夢工場とかいうゴールデンウィークの企画の中の一つだった。 ――まったく別の競技として観ていた? うん。やっぱリングスが大きかったかな、プロレスと格闘技のハブという意味では。藤波のファンクラブの人がいろいろプロレスのビデオを回してくれて、その中でリングスを観て。正道会館がトーワ杯に出たりさ。藤原組からも高橋義生と石川雄規が出たり。そこで正道会館勢が猛威を振るって。もっと前だと、全日本キックの武道館大会とかをフジテレビが夜中にやってたの。立嶋(篤志)が成り上がってくる頃の試合だった。 ――UWFは? TBSで特番とかやってたね。俺は、新生UWFは何が面白いのかさっぱりわからなかったけど、プロレスに文句を言うやつにはUWFを観ろって言ってた(笑)。でも、これだったら修斗を観た方がいいなって当時から思ってた。UWFが明確に旧来のプロレスと同じだとは思ってなかったんだけど、暗くて緊迫感がねえなって。だったら、旧UWFの方が情念が感じられて特別感があった。 ――当時UWFが世間的に受けていたことをどのように感じていましたか。 文化人とかに支持されるプロレスだなって。 ――糸井重里とか? 糸井重里とか、クマさん(篠原勝之)とか。プロレスの胡散くささを排除して。「プロレスは八百長じゃねえ!」って言ってる人でも、言い切れないことってあるじゃん。馬場さんの十六文とか、「なんでロープに走るの?」とか。でも、UWFはロープに飛ばないし派手な大技がないから。 ――堕落さんもクラスメイトにそういうことを言われましたか。 そういうのと闘ってた。 ――闘ってた(笑)。 当時のプロレス少年は理論武装をしないと駄目だったの。「あんなの八百長だよ」って言うやつは絶対いるから。それは今でもそうだけど。 ――前田日明にカリスマ性は感じた? 時代のスターだとは思った。ルックスも良かったし、デカいし、借り物かもしれないけど言葉も持っているし。やっぱり、週プロとか格通とかが盛り立てたしね。「プロレスっていう言葉が嫌いな人、この指とまれ」とかさ(笑)。前田は突破者だったよ。でも、実際に試合を観ると面白いとは思えなかった。 ――で、K-1とUFCの始まりが93年。すごいものがでてきたっていう衝撃はありました? すごいものっていうより、プロレスラーが負けたじゃん。だから、プロレスの範疇にある異種格闘技戦を抜け出して、明らかにガチ(競技)で、しかも強いと思われていた(ケン・)シャムロックがあっさり負けたことに、呆然とした感じはあった。しかも、シャムロックが90kg台で、ホイス(・グレイシー)が70kg台だったでしょ。(ジェラルド・)ゴルドーもやられたし。噛みつきも金的もやって負けたからね。当時はリン魂(『リングの魂』)と『SRS』っていう番組があって、あとはなぜかNHKでUFCをやったんだよ。たしかBSかな? 当時はアルティメット大会って言ってた。 ――言ってましたね。UFCが始まっても総合オンリーにならず、プロレスはプロレスで楽しんでいた? うん。藤波辰爾とルチャが好きだから、元々ね。 ――2000年には桜庭(和志)がホイスに勝利しますが、ドームには行きました? 行ってる。その前のドームの高田(延彦)vsホイス(・グレイシー)、のちの船木(誠勝)vsヒクソンも観てる。 ――その頃、格闘技の好きな知人にNOAHの話をして「まだそんなの観て��の?」みたいに言われたことをよくおぼえています。 つうか、二極化したじゃん。NOAHと総合を両方好きって人は、たしかにあまりいなかった。俺は両方観てたけど。 ――当時「プロレスはもういいや」ってなった人は多かったと思うんです。そんな中で堕落さんは、プロレス界の流れを把握しつつ、総合の細かい技術面まで理解してチェックしているのが面白いなって。 自分がやりたかった人間だから。プロレスは体が大きくないとできないし、病気もあったから無理だったけど。格闘技に関しては、病気さえ治れば体のサイズ関係なしにできるじゃん。街で教えてくれるから。住んでいた赤羽って、U-FILE CAMPもGRABAKAもあったから。 ――なるほど。 プロレスも総合も、どっちも構造に興味があるんだよ。何をしたらどうなるのか。定型というか、詰め将棋みたいな。プロレスのロジックと格闘技のロジックって対極かもしれないけど、構造はある意味同じじゃないかな。こうしたらこうなる、こうしたらこう返す、みたいなさ。それが相手を組み伏せるものか、試合を構築するためなのかの違いだけであって、定型はあるから。その定型の積み重ねの破れ目みたいなところがプロレスの醍醐味じゃない? いわゆる不穏試合とか、不穏試合じゃないけど思いがけない展開になってすごい盛り上がって素晴らしい試合になるとか。 ――たとえば? 藤波vs天龍の3戦目とか。藤波と天龍って3回試合をしてるんだけど、じつは全部不細工な試合になってんの。2人とも受けのレスラーでしょ? 必ずいい試合をする名勝負製造機って言われる2人だけど、3戦とも不細工。初戦は唯一藤波が勝ったんだけど、天龍が突っ張りをやったときに藤波の歯で手首を切っちゃって、最後救急車で運ばれたの。2戦目は天龍が勝つんだけど、パワーボムをすごい急角度で落としちゃって3カウント。3戦目は、藤波がドラゴンロケット3連発をやって鼻を折って。藤波は負けたし大流血戦だけど、俺はその3戦目が大好きなの。アクシデントで予定とは違う終わり方になった気がするけど。でも、そのまとめ方がすごいテンポが良くて、やっぱり2人も一流だなって思った。天龍は藤波にドラゴンスリーパーをかけられたときに鼻血がドバーッとついたりして、相当嫌だったと思う。最後は天龍のラリアットで唐突に終わるんだけど、流れがすごくいい。唐突に藤波がトップロープからニードロップをやって、天龍は避けたように見えないんだけど当たってない感じになって、藤波が着地したところにラリアットを浴びせかけて、たぶん「これで終わらせよう」みたいな合意がその瞬間にあったんじゃないかな。 ――今、おもに情報ってどこから仕入れていますか? ネットだよ。スポナビとか。あとは昔の情報なら昭和プロレス掲示板ってところがあって、そこは国際プロレスの話をずっとしてたりするので、たまに追って読んじゃう(笑)。雑誌だったら『G-SPIRITS』は毎号買いたいくらい。この前、(Vol.18を)ちょっと立ち読みしたんだけど、石川が藤波のこと呼び捨てにしてるのはカチンときた。お前より先輩だろって(笑)。 ――また藤波さんだ(笑)。個人的には、同じ号の記事で馳が冬木(弘道)を高く評価しているのが面白かったです。 冬木の評価もわかるんだけど……。冬木vs橋本(真也)がすごい嫌いでさ。冬木が意地を見せた試合なんだけど、橋本がDDTをやって冬木が返して、2回目も返して、3回目でフォール負けっていう、俺が一番嫌いなタイプ。それだったら、1回目で返したあと、あと2連発で勝負を決めろよって。爽快感がない。 ――細かく見てますね(笑)。 あれは冬木が意地悪なのか、もともとそういうふうにやるつもりだったのか知らないけど。時々あるんだよ、そういう試合。藤原(喜明)vsダン・スバーンもそうだったんだけど、あれも酷くて。スバーンは水車落としをフィニッシュにしてたんだけど、同じパターン。1回目は返される、もう1回やって返される、3回目でフォール。 ――確かに爽快感はない。 ほかにもよくあるじゃん、カウント3でギリギリで返したように見えてもゴングが鳴って「今のは入ってないだろう」ってアピールするとか、3カウントで負けた後にすぐにスタスタ帰っちゃう武藤(敬司)とか、長州とか(笑)。ああいうプライドを見せつけるのは駄目だよ。その点、藤波は偉いと思うよ。石川にもちゃんとフォールを取られたし(笑)。藤波と対戦した選手で藤波を悪く言う人はまずいないと思う。 ――「無人島に流れ着いたと思ったら仲間がいた」って言った人もいますしね。 あの日(2017年4月20日ドラディション『藤波辰爾デビュー45周年ツアー』後楽園大会)ね、前田に長州と藤波がつっかかったの。最後にみんなのあいさつが終わってリングを降りるとき、藤波が前田を突き飛ばして、「かかってこい」とかやってさ。長州も「やれよ」みたいになって。3人ともニヤニヤ笑ってるんだけど、前田にそんなことできるの、ほかにいないと思うよ。前田はそういうのに本気で怒るタイプだから。 ――そんな藤波さんの社長時代についてもどう思っているか聞きたいんですけど。 俺、赤プリでやった藤波の社長就任記念パーティーに出席したから(笑)。キラー・カーンと堀辺正史とそれぞれ2ショット写真撮ってる(笑)。司会が生島ヒロシで、チェリッシュとかも来てた。2度とこんなところでパーティーに参加することはないと思った。 ――新日の暗黒期は記憶が薄いって言ってましたけど、ほとんど見てなかったですか? テレビを見なくなってたから、ネットばっかりやってて。深夜に30分だし、アルティメット・クラッシュとかやっちゃってるし(笑)。ちょっと冷めてたね。やっぱり藤波史観だから。社長でほとんど試合してなかったし、2000年に引退カウントダウンも始まったし。トップの座から落ちて、年齢的にもトップに返り咲くことはないような。今の棚橋より上、40代後半だったから。今の棚橋だって、トップに返り咲く感じはしないじゃん。1回くらいIWGPを獲ることはあるかもしれないけど、エースとしてではない。 ――そうですね。 暗黒期といえば……藤波が永田(裕志)に1回も勝ててないっていうのが俺は不満だね。永田と3、4戦はやってるんだよ、G1とかで。1度も勝ってない。永田の実力は認めてるけど、なんか腑に落ちねえなって(笑)。安田(忠夫)に負けた時点でもう駄目だと思った。藤波ってさ、凱旋帰国試合で「アイ・ネバー��ギブ・アップ」ってさ、ガキの頃、ずっと信じてた。実際に藤波はギブアップしなかったし、記録にもほとんどなかったし。だけど、実は普通にしてるんだよね。3本勝負��1本をギブアップで取られたり、海外でNWAインタージュニアを1回獲られるんだけど、その時に4の字でギブアップしてるし。最初に明確にしたのは、G1の橋本戦(1994年8月7日の『G1 CLIMAX』 Bリーグ公式戦)なんだよ。形は腹固めなんだけど、当時の公式発表では逆肩固めとかになってた。俺が明確に見たのはそれ。それってUWFとか総合の影響。関節技が極まったら本当は返せるものではないっていうのが世の中に広まったから、プロレスでもギブアップ決着が多くなった。昔はトップレスラーってあんまりギブアップ負けしなかったよ。両者リングアウトがなくなったのと、ギブアップ負けが多くなったのは、UWFと総合の影響だと思う。決着がつくカタルシスが格闘技にはあって、判定がつくじゃん。ドローもあるけど。最初に総合の影響を受けたのは意外にも全日なんだよ。馬場の鶴の一声で両者リングアウトがなくなって。 ――ああ、たしかに。 当時の雰囲気だと……四天王プロレスをガチだと思っちゃう感覚がすげえなって。俺は思ってなかったけど(笑)。人間って、インパクトにやられるんだなって。いや、実際すごかったよ、四天王プロレス。人間の限界に挑戦していたと思うけど、ガチだと勘違いさせるくらい恐ろしいことをやっていた。相手を殺す気がないけどハンマーで頭をぶん殴る(笑)。「あれは殺しにいってるだろう!」「いや、殺しにいくつもりは全然ない、でも本物のハンマーで力を加減して頭を殴ってる」っていう。 ――そのハンマーが、三沢(光晴)vs小橋(建太)の、三沢が小橋にかけた花道から場外へのタイガースープレックスだったり。 小橋vs秋山(準)の、小橋がやったエプロンからのブレーンバスターもそうだしね。 ――「NOAHだけはガチ」って言葉、当時流行りましたね。 ある意味、ガチな結末になっちゃったじゃん。三沢が亡くなって。 ――今日はそのへんの話も伺いたかったんですけど、リング上におけるレスラーの事があったとき、どうやって自分の中で折り合いをつけていますか? 三沢の死は…93年かな、鶴田が欠場したときの三沢vs川田(利明)の頂上対決。三沢が投げっぱなしジャーマン連発で勝った試合。それを観てから、四天王プロレスは嫌いになった。 ――その理由は? 美しくない。さっき言ったように、DDTを3発やるとして1発1発返していったら美しくないでしょ。1発返されたら2発連続でやってダメ押しするみたいにしないとダラダラした印象になる。それと同じで、危険な技を散発的に出すことに理屈が感じられない。 ――フィニッシャーに説得力が感じられない、と。 説得力でいえば、四天王プロレスの技自体にはあったじゃん。でも、首が折れるんじゃないかって技をなんで何発もやるんだっていう。そうなってくるとタフマン・コンテスト、残酷ショーでしょ。「信頼している人間だからこそ危険技を掛けられる」って言うけど、信頼している人間を殺す寸前までやる必要はないだろうって。四天王プロレスのきっかけって、豊橋でやった小橋vs(スティーブ・)ウィ��アムスだと思う。ウィリアムスのバックドロップドライバー、殺人バックドロップが最初に出た試合。あれ当時ね、夜中に全日の中継見てて、解説の百田(光雄)と一緒に思わず「うぉー!」って言ったくらい衝撃的な試合だった。あの試合の小橋はすごい好きなの。すごい表現力があって、バックドロップを食らった後、意識を失うんじゃなくて、ガクガクしながらロープに這っていって逃げ惑うの。ウィリアムスはそこにもう1発バックドロップを食らわせてフォールを取るんだけど、それだったら俺は納得がいく。でも、小橋は散々受けてきたのに自分がやる方になって、それがちょっとげんなりしてさ。後に2chとかで“勝ちブックおじさん”っていわれるんだけど、NOAHでの絶対王者時代、小橋自身がブックを書いていたっていう。しかもあんな危ない技で勝ちまくる小橋、みたいなさ。そこに小橋の魅力はないわけ。確かにあの頃の小橋もすごかったし、小橋のことは認めてるんだけど、四天王プロレスは嫌いなの。小橋はミスター・プロレスだと思うし。スタイル自体は違うけど、小橋は藤波とキャラクター的には同系統だと思う。2人とも生粋のベビーフェイスで、ヒールだったことが1度もない。藤波はメキシコでルードになったこともあるんだけど、ものすごく非難をされた時期がないじゃん。で、2人とも生粋のプロレスファン上がりのレスラーじゃん。格闘技の実績があったわけじゃなくて、入団当初期待されていたわけでもなかったのに、練習熱心で身体をつくって、努力で上がったと。レスリングのスタイルとしては、藤波から受け取ったのは武藤、棚橋、SANADA。それってじつは、猪木とは違う系統。 ――今言った藤波さんに連なる系譜は同感ですけど、小橋と同系統っていう解釈は新鮮に感じます。 俺は今の新日は面白いと思うんだよな。藤波がすごい棚橋批判をしているらしいんだけど、それは乗れない。いくら生粋の藤波ファンとはいえ。WWEっぽさとかが駄目なようだけど。 ――僕はWWEをちゃんと観ていなんですけど、やっぱり近づいてきてますか? フィニッシャーを大事にするところとかね。フィニッシャーを決めて、そこから逆をたどって試合をかっちりつくってる。さっき言った破れ目が試合に全然ない感じ。アクシデント性、アドリブ性は昔に比べてなくなったなあって。昔はいわゆる基本的なチェーンレスリング、こう来たらこう返すっていう型がいくつもあるんだけど、その組み合わせ自体は完璧に決めないでお互いのアドリブ感覚で試合をつくっていくっていうのがあったっぽいんだけど、今はかなりきっちりつくられている。 ――いつくらいからですかね? 2010年前後? そのくらいじゃないかな。2000年代半ばはちゃんと観てないんだけど、あの頃は「しょっぱいな」って試合が多かったから、移行期だったのか、まだだったのかって感じ。少なくとも2012年には今のスタイルになってた、レインメーカーショックは完全にWWEのスタイルの流れを汲んでいると思う。そうそう、俺、オカダ(・カズチカ)の凱旋試合観て、「アメプロのテレビマッチだな」ってツイートしてるの。いわゆるスカッシュマッチっていうんだけど、見せ場もほとんどなしに終わらせる試合。一応、相手のYOSHI-HASHIの凱旋試合でもあるのに、波もなくあっさり終わったの。勝った方と負けた���で明確に格の差があるのが、向こうの試合っぽいなって当時思った。そうしたら今の流れになったから、あながち間違ってなかったなって。 ――新日が盛り返したのは本当にうれしいです。 ただね、けが人が多すぎる。 ――最近だと、柴田ですね。 まだオカダ戦も観てないんだよね。観れない。別に凄惨な試合じゃないってのはわかってるんだけど。 ――僕はリアルタイムで観ましたが、すごくいい試合でした。 想像はつくんだよね。今の対立軸としても最高のふたりだったし。ものすごくもったいないし惜しいけど、ある意味では最高の終わり方かなって気もする。問題は本人がどう思っているか。ありがちなのは、会社は止めるけど本人がやりたがるとかさ。ただ、彼との試合で過去にひとり亡くなっていることは考えてほしいと思う。あまりいい言い方はではないけど、すごい因果だよね。でも、それはそれでそういうストーリーとして受け止めるしかない。 ――僕自身は、ああいうことが起こるたびに「このまま観ていてもいいのかな」って自問するんですけど、結局、いつも忘れて流されちゃってるんですよね。 俺が最初に通ったリング禍は、プラム麻里子。尾崎魔弓のライガーボムだけど、写真を見る限りはきれいに受け身も取ってる。脳の障害は慢性的なものもあるだろうし、人間の体って紙一重で助かるケースも多いと思うの。とくに脳はね。たとえば、棚の下を掃除してて、棚があることを忘れて頭を上げた瞬間にぶつけるっていう……日常でよくあるドジ。でもそんなことで死んだ人だって世の中にいるから。脳なんて水に豆腐を浮かべてるようなもんだし。ちょっとした角度とか、寝不足だったとか風邪気味だったとかで、人間は死んだり再起不能になったりするんだろうなって。首とか背骨もそうだけど。だから、どうすればいいって言いきれないんだけど、なるべくそのリスクを軽減されていることが平常であるべきだとは思う。だから、「危険技がどうのこうの言ったらプロレス見れねえ」っていうけども、できるはずだから。それでも事故は起きるよ。でも、確率を減らすことはできるはずだから。危険技があれば面白くて感動するものではないってことは、もうわかってるはずだから。だったら、減らすべきだろうし。そういうのを徹底した上で、どうしてもそういう技を入れたいっていう時にやったら、それはそれでインパクトがすごいだろうし、温存することにもなるから。料理にたとえたら、激辛のハラペーニョを500g入れたラーメンとすごく繊細な出汁をとったまろやかなラーメン、どっちが旨い?って話で。(前者は)刺激はあるけど、(後者を取るのが)人間の英知でしょって。それは何だってそうだけど。 ――ケニー(・オメガ)なんかは試合によってそのへんをうまく使い分けているように感じます。 ただね、(2017年の)1.4の雪崩式ドラゴンはやり過ぎだと思う。あれはさすがに……。オカダもよく大丈夫だったと思うもん。ジャーマンだと胴体を持つから相手の可動域も広くて途中で回転しやすいけど。ドラゴンって、本当に勢いつければ支点がてっぺんの方にあるからうまく体が回るはずなんだけど、首は固定されたら何もできない場所だから、中途半端に落ちる可能性がものすごく高い。ジャーマンをかけられた方が途中で切り返すときって、かける方は必ず相手の胸の方をグリップしてる。ドラゴンは首を固定しているから本当に危ないんだよ。 ――堕落さんがこの前ツイートしていたみたいに、藤原、(ザ・グレート・)カブキレベルになれば、リングに立っているだけでいいわけですもんね。 妖気漂う爺さんが隈取をしてね。首が曲がっちゃってて、言い方は悪いけど背虫男みたいになってるけど、逆にそれが不気味さを醸し出してる。藤原も胃がんをやって、体なんかダルダルになっているけど、藤原なわけじゃん。そのふたりが何もせず睨み合っているだけで成立する。ふたりの歴史もあるし。そういうものを使って見せるのがプロレスだと思う。だから、棚橋とオカダは正しいんだよね。レベルが高いし、危険技をほとんど使わずにあれだけテンションを保って、毎回アレンジを加えて名勝負をしているんだから。一昨年(2015年)のドーム、オカダが試合後に泣いた試合、あれは最高のアクセント。危ない技も派手な技も派手な仕掛けもなく、ただ泣いただけ。でも、あのオカダが泣いたから、ストーリーが翌年につながって。 ――オカダに一つだけ注文をつけるとすれば、マイクやバックステージのコメントで「この野郎」って言うのは似合わないからやめてほしいなって(笑)。 うん、慇懃無礼かつ愛されキャラでいいと思う。最近、地方では子どもにマイク振ってるみたいだよ。「なぜだかわかる?」って振って、「レベルが違うよ」って言わせてる。それでいいと思う。だって、どう考えても愛されキャラだから。ちょっと悪ぶっている気のいい兄ちゃん。 ――プロレスと言えば、テーマ曲も大切ですよね。好き選手のテーマ曲以外で、この曲を聴くとブチ上がる、みたいなものはありますか? 俺も基本的にオリジナルが欲しくて、一曲のためにアルバムを買うタイプだったから、「IRONMAN」が欲しくてブラック・サバスを買ったり(笑)。あと、ヘルレイザーズが出てきたときは、オジー・オズボーンのアルバムも買ったし。藤原の「ワルキューレの騎行」とか。「スーパーファイターズテーマ集」とか買ったけど、納得いかなくて、藤波の「ライジング」って曲――飛龍革命をやっていたころに使っていた――悲壮感があって、「ドラゴンスープレックスより合っていたと思うけど、オリジナルはビクターレコードから出てて。だけど、キングとビクターって、お互いにオリジナル原盤を持っていない方が必ずカバーを出すの。ほかのレコード会社が出した「ライジング」は、あきらかに音が違うわけ。ちゃんとしたスタッフがいる団体はそれを使わないはずなんだけど、DRAGON GATEに藤波が出た時にはそれが使ってやがって。ビクターから2回出てるんだけど、1回は橋本、蝶野(正洋)、藤波のテーマでミニアルバムが出て。その時に、藤波のテーマのあとにエピローグとして音が入っていたんだけど、表記が「ライジング~エピローグ」で。そうなると、知らないやつが曲名をそれだと思ってて、藤波のテーマ���が「ライジング~エピローグ」って表記されてたりする。許せない、それは(笑)。あと、(グレート・)ムタのテーマ曲は、プロトタイプバージョンと音源バージョンだと全然違う。 ――知りませんでした(笑)。 会場使用がプロトタイプで、試作品をずっと使ってたのに、商品にする際に新録してるから、「会場でかかっているのと違うな」って思ったら、やっぱり違った。 ――やっぱり細かい(笑)。個人的にこれを聴くとテンションが上がるっていう曲はありますか? スタン・ハンセンの「サンライズ」かなあ。でもね、俺、UWFが嫌いだったのに、田村(潔司)がKOKトーナメントでヘンゾ(・グレ���シー)とやったときだけ特別に使った『U.W.F.プロレス・メインテーマ』は良かった! 別に山ちゃん(山崎一夫)が使っててもそんなに気にならないのに(笑)。田村がついにグレイシー狩りに行ったとき、「ヒクソンより強いかもしれない!」と言われていたヘンゾと1回戦であたったんだけど、リングアナが「田村潔司選手の入場です!」って言った後に、数秒の間を置いてあの曲がかかったら、会場が「ウォー」ってなって、実況も「オオー!」とか言って(笑)。「Uを背負ってやる」って姿勢に瞬時に感動したわけだよね。 ――田村も面白い選手ですよね。UWFインターのときのドームに出なかったことも含め。 田村は本当にいいプロレスラーだと思う。自分でストーリーなりフックなりをつくるし。 ――プロレスラーは愛すべき個性を持っている人が多いですけど、いろいろな逸話を楽しんだりするのも好きですか。 嫌いじゃないけど、社会運動にかかわって、いろんなコード(規範)みたいなものをより意識するようになって。それと照らし合わせると、「あり」とは言えないものも多々ある。過去のシゴキの話とかも、昔は笑っていた気がするんだけど、今は「駄目でしょ」って思うし。 ――僕も以前は好きだったんですけど、今だったら駄目だよね、と思うことが増えています。たとえば、以前の新日の巡業でレスラーが女風呂を覗いていたっていうのも、もちろんナシでしょうし。 ホモソーシャルな中で笑い話にはできるかもしれないけど、表向きは絶対できないよね。 ――レスラーの政治志向なんかも気になりませんか? たとえば、ハンセンは(ドナルド・)トランプに投票したんだな、とか。 そうそうそう。でも、それはそうだろうなとしか思わなかったよ。 ――テキサス出身だったらトランプなのかな、とは思いましたけど。 俺も気になって調べた。レスラーとか格闘家って基本的には保守的な連中だと思っているから、その中でリベラルっぽい人をチェックしたの。俺は英語が苦手だから自動翻訳だとわかりにくかったんだけど、ジョシュ(・バーネット)は左派を揶揄してるように見えるツイートをしてた。今も付き合ってるか知らないけれど、白人のジョシュはアフロアメリカンの格闘家の彼女がいたし、リベラルな人なのかなって思ってたんだけど、そうでもなかったのかな。 ――そういう情報まで含め���細かいところまでチェックされて、そこからさらに深く考えてますよね。僕自身は、後楽園とかに行って、半裸の男女が���ライドをかけて闘っているのを見るだけで「プロレスいいなー」って思っちゃう単純さだから、余計にそう思います。 いま「半裸」って言葉が出たけど、セックスワーカーの話にもつながるよね。仲の良いゲイの人が過去にウリをやっていて、その時の思ったことを著書(ハスラー・アキラ『売男日記』)につづっていたの。それを読むと、セックスワークにおける充実感とかがつづられていたりするわけ。俺は昔からセックスワーク、セックスワーカーが大嫌いで、蔑んでいたの。自分でも絶対利用したくないって思ってた。けど、いろいろな情報を得たり、そういう人たちと出会って、だいぶ考えが変わって。「あ、これはありだな」って思った。いわゆる売春自体が、人類最古の商売っていわれるくらい根源的なものとしてあるでしょ? あと、なぜ嫌悪するのかっていうところを突き詰めて考えると、性的なプライド、尊厳、肉体的なきつさを金にしていいのかっていうのがあると思うんだけど、いざ、自分が日雇い肉体労働派遣仕事しかできないような状況のときに、病気で体力もないのに現場派遣に行って、40kgあるガラを一輪車に乗せてダンプを駆け上がってっていうのを一晩中やらされて、死にそうになってしゃがみ込んでいたら、俺より明らかに若いアンちゃんに「てめえ、何さぼってんだよ」って言われたときに、肉体的にも死にそうになって、プライドもズタズタにされて、それで一万円も稼げないわけ。その時のことを思い返して考えたの。肉体労働とセックスワークは何が違うのかって。セックスワークは、いいお客さんに当たったら、相手を気持ち良くしてそれなりにお金をもらって、もしかしたら自分も気持ちいいかもしれない。だったら、それは素晴らしいことでしょ? もちろん現実はそんな理想的ではないだろうし、ゲイの人のとヘテロ男性向けの女性のとで事情も違うだろうけど。誰も損しなければね。搾取で行ったら、一般の肉体労働派遣の方が酷いこともあるし。だとしたら、その二つにどんな違いがあるのか、どっちが蔑まれるべきものなのか。そういうことを突き詰めたらね。もちろん、無理やりやらされてたり、酷い扱いをされるとかだったら駄目だけど、その存在自体は否定されるべきではないんじゃないかなっていうことをここ数年で思った。でも、世間的には未だに賤業なわけじゃん。それってプロレスと同じなんだよ。 ――なるほど。 プロレスってこんな熱く何時間も語れてさ、一緒に観に行けば「うわー!」って叫べて、生きる糧にもなってるわけじゃん。でも、やっぱりバカにされる。「いい年したおっさんが裸になって八百長やって何がいいんだ?」って扱いをされるわけじゃん。実際レスラーは身体ボロボロにしながら夢を売ってるのに。 ――今後もずっとプロレスは見ていこうと思っていますか。 ほかに趣味がないんだよね。映画も観ないし、本も読まないし、音楽も全然知らないし。漫画もアニメもゲームも……ゲームはスマホで野球のゲームをやるくらい。最近、ツイッターもプロレスのツイートばっかりしてるもん(笑)。 取材日:2017年4月下旬 取材・文:チリドックYT イラスト:鈴木侑��
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トレイルジャム キングオブトレイル
【トレイルジャム キングオブトレイル】
結果:総合1位
150分XCエンデューロ 1位
トレイルランニング13km 1位
30分XC 豪雨のため中止
機材:車:CUBE GTC 29er 100mmHT
F:SCHWALBE Racing Ralph 2.25 2.0atm × R:SCHWALBE Racing Ralph 2.1 2.0atm
補:150min ボトル1本(自家製ジェル:マルトデキストリン粉250ml、ソルティライチ500ml、クエン酸) 途中水ボトル1本、ようかん、ウィダーインゼリー
トレラン ウィダーインゼリー2個
靴:Montrail カルドラド
所感&レポート:
偶然に偶然が重なり3代目キングオブトレイルになりました。(初代、2代目は小笠原崇裕選手)
とてもアットホームな大会だったので来年も参加しようと思いました。もしかしたら招待選手として。。。笑
今回の勝因は、完全に運でした。
裏開催でCJ-1妙高、UTMF(国内最高峰のトレランレース)や翌日のIRCカップ、100kmマラソンなどなどで強い選手層が軒並み他大会に流れてくれていたり、大会参加者も競技内容のせいでキングの短縮版に流れたおかげでできたエアポケットに偶然滑り込むことができました。運動会のかけっこでクソ���遅い勢だった小学生時代の私が「僕より速いやつ全員こけろよ!」と念じていた願いが本当にかなった結果です。小学生だった自分に教えてやりたい。夢はかなう。
今回も王滝120kmに続き、基本戦略は「温存」と「平常心」を大事にして走りました。
150分エンデュランス
コースレイアウトはスタートして、ぬかるんでグリップしない激坂を上り、折り返して土が重くて不安定なくだり、折り返してスピードを一気に奪われる芝生の登りー芝生の高速な下りー芝��の登り、溶岩と根っこでややテクニカルな下り、泥地とアスファルトを繰り返して一周という、テクニックはさほど必要ない(といってもわりと皆さん苦戦してた)が走り応えのあるコース。
カテゴリ別整列のため先頭でスタートへ。なんと、キングオブトレイルには自分含めて4人しかエントリしていないという。しかもひとり女性。ここで最大の幸運を発揮した。キング・オガ様がいない。
敵の素性はよくわからないが「のりでエントリーしました」という感じのおっちゃんと、TREK TOP FUELにハイドレーションを背負ったXCM慣れを感じる男性とFサスがSIDワールドカップという玄人感全開女性という夫婦らしき方だった。話を聞くと男女ペアはアドベンチャーレーサーであるという。後で調べてわかったことは、今夏参加したOMM BIKEで1100ポイントというぶっちぎり総合優勝を果たした日本を代表するオリエン競技者だった。そのとき我々は250点ほどでブービーという結果だった。因縁の戦いである。
ホールショット争いもほどほどにバイクカテゴリのみのナカザワジム重由一選手が飛び出す。まああなた王滝120km僕より1時間速いですし。とりあえず重選手についていこうとしたが、下りでボトルをいきなり落として中身も半分以上失う。150分間ほぼ給水なしか。。。と絶望したが、拾ってとりあえず戦線復帰。
ボトルを落としたことで逆に冷静になって、淡々と周回をこなして温存していこうと決意。下りもサイドカットの危険性がある最速ラインを捨ててでもパンクリスクの低いラインで進み、のぼりも息が上がらない限界くらいに抑える。ひたすら耐えの一手。
トレラン時のエネルギーを摂取していく必要があったので、折を見てヨウカンを食べ続ける。レース間のインターバルがわずか1時間なのでMTBレース後に固形物を食うと腹痛のリスクを抱えるためこの判断は事前の計画通り。計画とひとつ違うの��準備した水分・ジェルを半分以上失っていること。エネルギー量についてはLT以下の運動では脂肪燃焼が支配的なので、備えは腹回りに充分以上あるから心配しなかったが、問題は水。誰誘っても来てくれなかったので単独参戦の自分はチーム員を頼ることもできない。
さてどうするか。場内アナウンスで1位であることはわかるが、タイム差がわからない。順位落とす覚悟で下りるか、ラン捨て覚悟で走るのか。。。
そこで強運を再び発揮する。「いざわー!いけー!」このレースの主催企業の方であり、誘ってくれたミカ姐さんが応援にやってきた。まさに渡りに船。天から降りてきた1本の蜘蛛の糸にすがらない手はない。「フィードお願いします!!」とボトル手渡したら察してくれたのか、次の周回には水入りのボトルを持った姐さんが。あれほど人が女神に思えた瞬間はない。輝いていた。あれはナギ様やでぇ。「行ってこい!」の言葉に背を押され、せめてバイクパートは1位死守を誓う。
相当抑えて走っているつもりでも登りがきつく、足が徐々に削られていく。二時間経過時点にはかなり踏めなくなってきていたがとにかく焦らず、恐れず、うろたえず。淡々と周回を重ねて、ついに2位をラップした。これは勝てる。タイム差にして7分以上はなしたため、パンクトラブルがあっても乗り切れることを確信して、それでもなお慢心におぼれることなく、ペースもコース取りも堅守。
そのまま無事に1位でガッツポーズ(グリコ)しながらゴール。これがやってみたかった。苦節8年、長かったぜ。みか姐さんに感謝を伝えたら、わざわざ水を入手に走ってくれたという。おれなんて水道水で充分なのに。。。すぐに着替えてランの準備。クエン酸やら糖類やらアミノ酸やら摂取してマッサージも怠らず。
トレラン13km
コースはまずゲレンデ上の芝生の坂を直登し、すべりまくる芝の下り、再び一気に芝を登ってゲレンデ頂上まで行って、そこからバームが連続するMTBダウンヒルコースを駆け下りて、再び芝の登りで頂上近くまでのぼり、再びバームとドロップオフや根っこが出まくるダウンヒルコースを下って平坦走って一周4.3km×3周。
4人しかいないので、ここの順位で3位に入ってしまうと形勢は傾く。しかしトレランどころか、長距離ランニング競技の個人種目なんてADV除くと中学のマラソン大会以来である。完全な鬼門。仮面ライダーに挑むショッカーの気持ちである。
夏ごろから江口さんに頭を下げランの稽古をしてもらったりして舗装路を普通に走ることはできるようになってきていたが、トレランは完全な我流。しかし私にできることといえば、「今できることを、淡々とするだけ」である。
人間の歩行速度はおよそ4km/hといわれる。ならばレースは3時間はかかるか?ということで今回も補給は多めに持った。(気が小さい)。ウィダー二個と、うらカンポー(芍薬甘草湯)をもちスタート。MTBレースとうってかわってピリピリした緊張感。まるでロードレース。いつになっても慣れない。
スタートと同時にトレラン勢が猛然と登り始める。マジかよ。こっちは2時間半も自転車こいでんだから、ちょっとは気を使えよ。その中にKOT2位の姿が。さらにすぐに3位にも抜かれて開始1分もたたぬ間に3位転落。それでもなお眼前にそびえる芝生の壁を見て、温存しか戦略を持たない自分は決意した。俺は歩く。
焦るな、恐れるな、うろたえるな。トレランだけ参加の人たちと戦っても仕方ない。敵はKOTの人だけ。距離は長いのでいずれ捕まえられるはず。そういえば昔、われらが大正義であるジャスティスこと尾鷲さんに言われたことがある。「登りは斜度がきついところはゆるめて、斜度が緩んだら踏め」「平坦で休んでじゃねーぞ!」SDLきっての登り屋さんの言うことを信じよう。まだ先は長い。
腕振りだけはキッチリして、ひたすら歩いて登る。緩んだら走る。きつくなったら歩く。すると、すぐに一人は追い抜けた。さてあと一人。
くだりに入ると世界が一変した(おおげさ)。まわりがやたら遅い。ゴボウぬきやでぇ。
これも幸運だったのだろう。このダウンヒルコースは知り尽くしている。斜度、バームの位置、順番、ドロップオフの高さ、木の位置、根っこの出方。何度も何度もMTBで下った道だ。体の使い方もダウンヒルで培ったすべてが活きてくる。楽しい。(でもやっぱりMTBで下ったほうが楽しいだろうなあと思いながら)
すぐにもう一人を捕まえるとあとは周回を重ねるのみだった。のぼりで貯めて、下りで出す。爽快。すごい綺麗なおねえさんが鬼のように登り速くて、下り意味わからないくらい遅くて、なんだかんだストーカーみたいになっていたが悪気はないので許してもらいたい。(最後はのぼりで決定的な差をつけられましたが)
3周目にはいるころには、のぼりでヨタヨタ歩くのが精一杯で腕を振るのもしんどい。何もほしくなかったが次の30分XCにむけてジェルを胃に流し込む。最後の下りでもう脚が棒みたいになってきてはいたが、踏めるだけ踏んでいく。何度も後ろを振り返って視界に敵はなし。勝利を確信してさすがに浮き足立った。しかしここでこけては元も子もない。必死で慢心を押さえ込み集中して下る。平常心。慢心こそが最大の敵。それでもきっと相当な笑顔だったはず。島村さんばりの、笑顔です(武内P)
本日二度目のガッツポーズ(グリコ)しながらゴール。まさかランでいけるとは思ってなかったので感動もひとしお。
興奮冷め切らぬまま車に戻り最後のレースへ向けて調整。人生でこんなに脚が攣った経験はない。動くのもいやになるくらいの疲労と、雨に打たれ続けた寒さで寝袋に包まってがたがた震えながらクエン酸などなどを無理やり流し込む。つらい。車中で足つりに悶えながら雷鳴を聞く。
「30分XCは悪天候のため中止します。表彰対象者は食堂へお集まりください!」
勝った。なんかよくわからんが勝った。
SDLキャップと神戸のチームジャージを着て表彰台へのぼり、チャンピオンジャージに袖を通す。小笠原崇裕さんの後を継いで3代目キング伊澤の誕生である。ビッグネームが踊る割になんという棚ぼた勝利か。(時期的にはおはぎ)
表彰後、一瞬だけ雲が切れて富士山が見えた。人生、不思議なこともあるもんだなと思った。
不思議なことというとまさかそのまま車中泊(二泊目)して、翌日もふじてんでMTB仲間と本当にダウンヒルするとは思ってもみなかったが。。。笑
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