#夜の牝 年上の女
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Yumiko Nogawa (野川由美子), Meiko Kaji (梶芽衣子) and Narumi Kayashima (茅島成美) in Night Female: Older Woman (夜の牝 年上の女), 1969, directed by Katsumi Nishikawa (西河克己).
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#Meiko Kaji#梶芽衣子#Yumiko Nogawa#Narumi Kayashima#野川由美子#茅島成美#Katsumi Nishikawa#西河克己#Night Female: Older Woman#夜の牝 年上の女#lobby card#scanned by me
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各地句会報
花鳥誌 令和6年3月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和5年12月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
氷川丸の円窓いくつ北塞ぐ 昌文 十字架のかたちに燃る蔦紅葉 美紀 倫敦を遠く大使の冬薔薇 佑天 望郷の眠りの中に木の実降る きみよ 女学院に尖塔のかげ冬紅葉 久 冬木立の向かうをつくりものの海 緋路 昏き灯のランプシェードとポインセチア 和子 十字架を解かざる蔦の冬紅葉 光子 凍空や十字架赤き鉄であり 和子 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天
岡田順子選 特選句
みなと町古物を売りに行く師走 荘吉 窓は冷たく望郷のピアノの音 俊樹 氷川丸の円窓いつく北塞ぐ 昌文 ���館キラキラ星のもれ聞こゆ 美紀 冬日和トーストに染むバタと蜜 季凜 ガンダムを磔にする師走かな 緋路 革命は起こすものかも冬薔薇 緋路 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天 胼の手の婆キューピーを路地に売る 俊樹 古硝子歪めし冬の空はあを 久
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
神鏡の底まで蒼く冬の月 かおり 右手上げ思索のポーズ漱石忌 修二 綿虫のうすき影負ふ百度石 かおり 戯れにペアのセーターそれは無理 美穂 冬帝の裾に鉄橋灯されて かおり 赴任地は裏鬼門なり漱石忌 美穂 後戻りできぬ吊橋冬枯るる 愛 大枯野則天去私のここに居る 美穂 綿虫のことづてありと君に来る 愛 牝狐の頭に木の葉町娘 成子 憑き物を落とす霰に打たれをり 愛 落葉踏む音を楽しむ童かな 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
亡き父よもう雪囲ひ始めしか 喜代子 百二才冬空へ帰られし 同 眠る山内で動めく獣達 都 年忘れ新入り下戸でじよう舌なり 同 門松の早や立ち初め禅の寺 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
冬菊を挿して祈りの夙夜かな 宇太郎 布教師の顎鬚白し報恩講 すみ子 投薬のまた一つ増え落葉蹴る 悦子 入隅に猫の目青し冬館 宇太郎 三途から戻りし者の年忘 同 闇一枚まとひてよりの浮寝鳥 都 露座仏の思惟の指さす空は冬 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
冬の朝遠くに今日の始む音 恭子 空青く舞ふ白鳥の透きとほり 幸子 塀の猫すとんと消えて師走かな 三無 冬の雲切れて見下ろす日本海 白陶 枯菊のかをり残して括られる 多美女 路地裏に声の弾みし焼芋屋 美枝子 カリオンの音の明るさや十二月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
寄せ鍋を囲みし人のまた逝きて 秋尚 まろまろと伊豆の山やま冬景色 怜 乾きたる足音空へ冬山路 三無 子離れの小さき寄鍋溢れをり のりこ 床の間に父の碁盤や白障子 三無 ご奉仕の障子新し寺の庭 和魚 信楽のたぬきと見合��障子越し 貴薫 煌めきをところどころに冬の山 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
茶の花やエプロンで無く割烹着 昭子 風花にして降るとも降らぬとも 世詩明 ポインセチア抱けば幸せさうに見ゆ 昭子 武生花鳥必死に守る年の暮 みす枝 彩りも音も無く山眠りけり 英美子 雪まろげ仕上げは母の手の加へ 時江 糶終へて皮ジャンパーの急ぎ足 昭子 着膨れて女は手より立ち上がる 世詩明 古暦パリの街角にて終はる 昭子 街師走吹かるる如く人行き来 みす枝
令和5年12月12日 萩花鳥会
冬の月句友ともども偲ばれて 祐子 五羽が風邪萬羽が処分魔の鶏舎 健雄 冬の空めげず生きると決心す ゆかり 一年の抱負も薄れ年の暮 吉之 首かけし手袋母の匂して 美惠子
………………………………………………………………
令和5年12月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
この先は冬雲傾れ込む山路 あけみ 白菜を抱きかかへつつ持つ女 令子 こんなにも長年参じ近松忌 同 オリオンの名残惜しみて冬の朝 あけみ 晩秋や娘の云ふを聞き入れる 令子 さきたま花鳥句会(十二月十五日) 初霜や狭山の畑を曳く煙 月惑 頑なに一花残して冬薔薇 八草 終焉の一ト日のたぎり冬紅葉 紀花 枝折り戸の軋む庵や枇杷の花 孝江 今年酒老舗の店や菰飾 ふゆ子 くちやくちやの枯葉纏ひて大欅 ふじ穂 廃校を渋柿たわわ守りをり 康子 三年間無事に埋めよと日記買ふ 恵美子 何をするわけでも無しに師走かな みのり 落葉積む赤き帽子の六地蔵 彩香 嫁ぎ来て冬至南瓜を五十年 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
口重き男に隣り近松忌 雪 九頭竜の黙が寒さを増すばかり かづを 散る紅葉散りゆく黄葉なる古刹 同 枯菊や香りと共に燃え上がる 英美子 手焙に触れれば遠き父の事 同 賀状かく龍天空へ飛躍せり 玲子 父母の眠る故郷恵方道 やす香 山眠るひもじき獣抱き抱へ みす枝 鼻水をすすれば妻もすすりけり 世詩明 熟し柿つつく鴉は夫婦らし 同 人にやや離れて生きて帰り花 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
黒門の枡形山に裘 幸風 冬蝶を労はるやうに母の塔 同 眠る山起こさぬやうに歩き出す 白陶 隠れんぼ使ひ切れざる紅葉山 経彦 冬帝と対��の富士や猛々し 三無 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 山門へ黄落の磴細く掃く 斉 黄落の野仏は皆西へ向き 炳子
栗林圭魚選 特選句
蒼天に山脈低く雪の富士 芙佐子 空を抱くメタセコイアの冬支度 三無 SLに群がる揃ひの冬帽子 経彦 かなしことうすれゆきたり冬霞 幸子 笹鳴の過ぐ内室の小さき墓 慶月 法鼓聴く銀杏落葉の女坂 亜栄子 古寺の法鼓の渡る師走かな 久子 冬帝や明るき供花を陽子墓碑 文英 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 枯芝の広場の狭鬼ごつこ 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月19日 福井花鳥会
赤き玉転がしながら毛糸編む 啓子 住み古りて遺木の数多なる落葉 清女 着膨れてストレス無しと云ふは嘘 同 雲たれて空塞ぎをり十二月 笑子 ささやきを交はす綿虫寄り来たり 同 神殿に大絵馬掲げ年用意 同 毒舌も競り合ふ友や年忘 泰俊 それぞれの色を尽して末枯るる 雪 小説を地で生く男近松忌 同 墨をもて仏描きし古扇 同
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令和5年12月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
母と娘の悲喜こもごもや古暦 雪 大いなる一つの鳥居や神の留守 同 近松忌日有り気の一文箱 同 筆に生れ筆に死す恋近松忌 同 初雪や瓦は白く波打てり みす枝 初雪や誰彼となく首縮め 同 さんざめく市井を抜けて見る聖樹 一涓 神々の眠れる山や風の音 ただし 捨て猫のすがる眼や雪催 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月24日 月例会 全選句を掲載いたします。◎が特選句です。 当日の席題は「青」でした。
坊城俊樹選 特選句
二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 暦売る神となりし日遠くして 慶月 極月や足踏みかすか男衛士 音呼 ◎聖マリア棘やはらかき冬薔薇 和子 楽団の喧騒を待つポインセチア 順子 幔幕のうちは見せざり年用意 千種 聖夜待つランプの中の空青し 和子 悴んで十字架を小学生仰ぐ 順子 ◎十字架に鳩の休息クリスマス 要 朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象 一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子 著ぶくれのままカフェオレを飲むつもり 光子 著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天 冬帝のふくらませゆく日章旗 和子 ◎冬深む宿痾なる瘤持つ鯉へ 光子 ◎身じろがぬ寒���威してはならぬ 慶月 寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 ◎擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子 旧華族らしき猫背を外套に 順子 二の鳥居辺り冬帝在し険し 慶月 寒鯉の鐚一文も動かざる 千種 凍雲に閂かけよ大鳥居 月惑 ◎大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか ◎きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子 オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 数へ日の水あをいろに神の池 要 外套のポケットに怒りを握る 和子 冬ざれの鯉の影なき池の底 炳子 上野は勝つてゐるか像の極月 慶月 歳晩や動きさうなるさざれ石 眞理子 聖樹の灯巻き込んでゆくボロネーゼ はるか 冬眠の蛇を諾ふ斎庭なる 光子
岡田順子選 特選句
◎神の鳥冷たき影を像に置く はるか ◎極月や足踏みかすか男衛士 音呼 初対面黄色のマフラーして彼女 政江 花柊零るる坂の神父館 要 未知の先あるかのごとく日記買ふ 妙子 聖マリアと棘やはらかき冬薔薇 和子 ◎枯蓮のいのちの水に眠る朝 佑天 裳裾冷たき暁星のマリア像 俊樹 なかなかに僧には会へぬ師走かな 眞理子 十字架に鳩の休息クリスマス 要 鷗外の全集売れぬ隙間風 俊樹 窓越しに著ぶくれの手が師を招く はるか 朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象 一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子 著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天 霜晴や空ラのリヤカー巡回す 千種 ◎英霊の言の葉の外年詰まる 軽象 寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 年逝くや素木の鳥居乾くまま 要 擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子 数へ日の嵌つてしまふ小津映画 炳子 大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子 オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 ◎手つかずの落葉を散らす神の鳥 はるか 数へ日の水あをいろに神の池 要 ◎外套のポケットに怒りを握る 和子 サグラダファミリアみたいな銀杏枯れ 俊樹 風冷た悲しくなけれども涙 政江 二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 ◎微動だにせぬ零戦と年忘れ 俊樹
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好きな映画全部
インターステラー
寄生獣
LIFE!
パルプ・フィクション
インセプション
ファイトクラブ
渇き。
ゼロ・グラビティ
レ・ミゼラブル
ダークナイト
ショーシャンクの空に
セブン
ホーム・アローン
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
風立ちぬ
プリズナーズ
地獄でなぜ悪い
レオン
千と千尋の神隠し
リトル・ミス・サンシャイン
ジャージー・ボーイズ
ソーシャル・ネットワーク
アルゴ
それでも夜は明ける
キック・アス
ダラス・バイヤーズクラブ
ナイトメアー・ビフォア・クリスマス
ホーム・アローン2
ホーム・アローン3
塔の上のラプンツェル
ダークナイト ライジング
ディパーテッド
桐島、部活やめるってよ
かぐや姫の物語
イエスマン “YES”は人生のパスワード
英国王のスピーチ
イングロリアス・バスターズ
ドラゴン・タトゥーの女
ロード・オブ・ザ・リング三部作
白ゆき姫殺人事件
トイ・ストーリー3
モンスターズ・ユニバーシティ
トレインスポッティング
シン・シティ
となりのトトロ
ゴッドファーザー
マルコヴィッチの穴
ホビット三部作
リアリティのダンス
レザボア・ドッグス
ファインディング・ニモ
ノーカントリー
127時間
Mr.インクレディブル
スター・トレック
ヒックとドラゴン
ザ・タウン
レイダース/失われたアーク《聖櫃》
シュガー・ラッシュ
モンスターズ・インク
トイ・ストーリー
レミーのおいしいレストラン
ローン・レンジャー
パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト
トイ・ストーリー2
パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド
アラジン
ウォーリー
ライオン・キング
シュレック
フランケンウィニー
カーズ
バグズ・ライフ
プリンセスと魔法のキス
ナショナル・トレジャー
Disney's クリスマス・キャロル
ファンタジア
カーズ2
リロ&スティッチ
ロジャー・ラビット
スラムドッグ$ミリオネア
ジャンゴ 繋がれざる者
ソウ
マイティ・ソー
ウォッチメン
her/世界でひとつの彼女
アメイジング・スパイダーマン2
キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー
X-MEN:フューチャー&パスト
青天の霹靂
スタンド・バイ・ミー
月に囚われた男
銀河ヒッチハイクガイド
インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国
LOOPER/ルーパー
凶悪
ジュラシック・パーク
ハート・ロッカー
クラッシュ
ミリオンダラー・ベイビー
ディア・ハンター
スティング
西部戦線異状なし
ファーゴ
インサイド・ルーウィン・デイヴィス
バーバー
ビッグ・リボウスキ
ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!
グランド・ブダペスト・ホテル
パシフィック・リム
アイアンマン3
ハリー・ポッターと賢者の石
スノーピアサー
バットマン ビギンズ
シャッター アイランド
X-MEN:ファースト・ジェネレーション
アイアンマン
トゥルーマン・ショー
ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル
トランスフォーマー
ヒューゴの不思議な発明
ウルヴァリン:SAMURAI
プライベート・ライアン
RED/レッド
ネブラスカ
キル・ビル
ナイトミュージアム
アイアンマン2
バイオハザード
ミッション:8ミニッツ
宇宙人ポール
ターミネーター2
ミスティック・リバー
ゾンビランド
硫黄島からの手紙
ボーン・アイデンティティー
プロメテウス
死霊館
ターミネーター
ナルニア国物語:第1章/ライオンと魔女
2001年 宇宙の旅
トランスフォーマー/リベンジ
21ジャンプストリート
セント・オブ・ウーマン/夢の香り
グッドフェローズ
ローマの休日
タクシードライバー
宇宙戦争
ゾディアック
戦火の馬
ジョーズ
X-MEN2
天使と悪魔
コンテイジョン
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
クローバーフィールド/HAKAISHA
インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説
エイリアン
インディ・ジョーンズ/最後の聖戦
マイ・ブラザー
アダプテーション
イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ
トロピック・サンダー/史上最低の作戦
バットマン リターンズ
悪魔のいけにえ
ターミネーター3
アイアン・ジャイアント
ザ・ファイター
インシディアス
3時10分、決断のとき
プレデター
ジュラシック・パークIII
激突!
アメリカン・グラフィティ
ダーティハリー
タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密
THE 4TH KIND フォース・カインド
AVP エイリアンVS.プレデター
スパイキッズ3-D:ゲームオーバー
デッド・サイレンス
独裁者
市民ケーン
イーグル・アイ
テキサス・チェーンソー
ゴーストシップ
マン・オン・ザ・ムーン
ワイルドバンチ
地獄の黙示録
アンヴィル!夢を諦めきれない男たち
くまのプーさん (2011)
エイリアン2
ボラット:栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習
ハロウィン(ロブ・ゾンビ版)
ポセイドン
プレデター2
リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い
トレジャー・プラネット
ピンクパンサー (2006)
ハワード・ザ・ダック 暗黒魔王の陰謀
ライオン・キング3/ハクナ・マタタ
ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!
ショーン・オブ・ザ・デッド
ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!
バイオハザード II アポカリプス
ディセント
ウォレスとグルミット、危機一髪!
ウォレスとグルミット ペンギンに気をつけろ!
崖の上のポニョ
容疑者Xの献身
リアル 完全なる首長竜の日
ポテチ
歩いても 歩いても
ゴジラ
スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ
ワンダフルライフ
仁義なき戦い
機動警察パトレイバー2 the Movie
機動警察パトレイバー THE MOVIE
ホーホケキョ となりの山田くん
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲
殺人の追憶
少林サッカー
コーヒーをめぐる冒険
��ポーティ
MUD -マッド-
トゥモロー・ワールド
96時間
現金に体を張れ
フォックスキャッチャー
はじまりのうた
クロニクル
ミッキーのクリスマス・キャロル
シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア
奇跡
ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT
狼の死刑宣告
ブギーナイツ
アメリカン・スナイパー
ワイルド・スピード EURO MISSION
イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密
22ジャンプストリート
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん
ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー
セッション
インヒアレント・ヴァイス
素晴らしき哉、人生!
プールサイド・デイズ
ザ・レイド
ザ・レイドGOKUDO
キッズ・リターン
そして父になる
アウトレイジ ビヨンド
3-4x10月
十三人の刺客
シンデレラ
バック・トゥ・ザ・フューチャー
エターナル・サンシャイン
アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン
マッドマックス 怒りのデス・ロード
インサイド・ヘッド
ナイトクローラー
ほんとにあった!呪いのビデオ THE MOVIE2
フロム・ダスク・ティル・ドーン
アントマン
続・荒野の用心棒
ゾンビ
ミーン・ストリート
悪の法則
茄子 アンダルシアの夏
バクマン。
野いちご
ヴィジット
食人族
グリーン・インフェルノ
ダイ・ハード
007 カジノ・ロワイヤル
007 慰めの報酬
007 スカイフォール
知らない、ふたり
イントゥ・ザ・ワイルド
サイコ
残穢 -住んではいけない部屋-
サウルの息子
鬼談百景
オデッセイ
スティーブ・ジョブズ
恋人たち
ババドック 暗闇の魔物
ヘイトフル・エイト
デスプルーフ in グラインドハウス
横道世之介
冷たい熱帯魚
メガマインド
ビースト・オブ・ノー・ネーション
イコライザー
ドライヴ
[リミット]
マジカル・ガール
スポットライト 世紀のスクープ
ボーダーライン
バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生
ズートピア
モヒカン故郷に帰る
ブロンソン
レヴェナント 蘇えりし者
ハロウィン(オリジナル)
ヘイル,シーザー!
アイアムアヒーロー
ディストラクション・ベイビーズ
ヒメアノ~ル
海よりもまだ深く
晩春
クリーピー 偽りの隣人
FAKE
10クローバーフィールド・レーン
エクス・マキナ
死霊館 エンフィールド事件
用心棒
シン・ゴジラ
もらとりあむタマ子
シング・ストリート 未来へのうた
ジャングル・ブック
スキャナー・ダークリー
エンド・オブ・ウォッチ
���イスガイズ!
ハドソン川の���跡
怒り
真夏の方程式
永い言い訳
オーバー・フェンス
SCOOP!
ソーセージ・パーティー
アウトロー
ぼくのおじさん
プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命
最後の追跡
葛城事件
ダゲレオタイプの女
淵に立つ
無垢の祈り
CURE
GO
回路
ソドムの市
エブリバド・ウォンツ・サム!!
ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー
ロッキー
ロッキー2
ロッキー3
ロッキー・ザ・ファイナル
アメリカン・スリープオーバー
将軍様、あなたのために映画を撮ります
ミラーズ・クロッシング
アンジェラの灰
トーキョードリフター
アンタッチャブル
パッチギ!
沈黙ーサイレンスー
はなればなれに
くもりときどきミートボール
クリード チャンプを継ぐ男
福福荘の福ちゃん
お嬢さん
鉄男 TETSUO
その男、凶暴につき
アシュラ
哭声/コクソン
ダンボ
ピノキオ
ディス・イズ・ジ・エンド 俺たちハリウッドスターの最凶最期の日
キングコング:髑髏島の巨神
SING/シング
ムーンライト
牯嶺街少年殺人事件
64 -ロクヨン-
T2 トレインスポッティング
夜は短し歩けよ乙女
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー vol.2
映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ
マンチェスター・バイ・ザ・シー
美女と野獣
NINIFUNI
スプリット
昼顔
ラースとその彼女
リング
ヴィンセントが教えてくれたこと
パーソナル・ショッパー
岸辺の旅
ジョン・ウィック:チャプター2
キング・オブ・コメディ
ハウルの動く城
戦争のはらわた
ワンダーウーマン
イップ・マン 序章
はじまりへの旅
仁義なき戦い 広島死闘編
マングラー
20センチュリー・ウーマン
人生タクシー
ミラクル7号
人魚姫
カンフー・ハッスル
西遊記~はじまりのはじまり~
私はゾンビと歩いた!
マイティ・ソー/バトルロイヤル
IT/イット “それ”が見えたら、終わり。
彼女がその名を知らない鳥たち
スリー・ビルボード
青春の殺人者
ノッティングヒルの恋人
霊的ボリシェヴィキ
聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア
ぼくの名前はズッキーニ
羊の木
シェイプ・オブ・ウォーター
先生を流産させる会
おかえり
どこまでもいこう
誰も知らない
ノクターナル・アニマルズ
蛇の道
タイタニック
ゲット・アウト
レディ・プレイヤー1
予兆 散歩する侵略者
旧支配者のキャロル
ちはやふる3部作
泳ぎすぎた夜
君の名前で僕を呼んで
幼な子われらに生まれ
太陽がいっぱい
Wの悲劇
ゲティ家の身代金
ピーターラビット
デッドプール2
フロリダ・プロジェクト
緑色の部屋
HYSTERIC
雷魚
デトロイト
ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー
ファントム・スレッド
海を駆ける
レディ・バード
やくたたず
ウインド・リバー
赤ちゃん泥棒
ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書
ミッション:インポッシブル/フォールアウト
検察側の罪人
きみの鳥はうたえる
寝ても覚めても
ラッキー
パリ、テキサス
イレイザーヘッド
エレファントマン
インランド・エンパイア
ゼイリブ
大いなる幻影
アンダー・ザ・シルバーレイク
灰とダイヤモンド
ザ・マスター
1987、ある闘いの真実
教誨師
遊星からの物体X
パリの恋人たち
893愚連隊
仕立て屋の恋
奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール
アレクサンダーの、ヒドクて、ヒサンで、サイテー、サイアクな日
マンディ 地獄のロード・ウォリアー
blue
新宿乱れ街 いくまで待って!
A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー
ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ
鉄西区
それから
白夜
ヘレディタリー/継承
ジャイアンツ
恐怖の報酬(フリードキン)
スウィートホーム
バムソム海賊団、ソウル・インフェルノ
蜘蛛の巣を払う女
ストライキ
女優霊
叫
サスペリア
ランボー
NAGAHAMA/八月八日
ファースト・マン
ちいさな独裁者
女王陛下のお気に入り
悪夢の香り
バーニング 劇場版
メリー・ポピンズ
アクアマン
わらの犬
大統領の陰謀
グリーンブック
運び屋
スパイダーマン:スパイダーバース
ウィッカーマン
ラブホテル
水で書かれた物語
手をつなぐ子ら
キャプテン・マーベル
暗殺の森
八つ墓村
Seventh Code
13回の新月のある年に
マルタ
ブラック・クランズマン
ドゥ・ザ・ライト・シング
ウォルト・ディズニーの約束
ダンボ(ティム・バートン)
生きてるだけで、愛。
赤い暴行
ワイルドツアー
E.T.
アベンジャーズ/エンドゲーム
北野武、神出鬼没
不滅の女
ヨーロッパ横断特急
THE COCKPIT
囚われの美女
麻雀放浪記2020
トウキョウソナタ
Guava Island
任侠ヘルパー
LOFT
日日是好日
ドッペルゲンガー
ローズマリーの赤ちゃん
リング2
回転
男と女 人生最良の日々
セインツ -約束の果て-
きみと、波にのれたら
ハウス・ジャック・ビルト
ニンゲン合格
スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム
アンダルシア 女神の報復
蜘蛛の瞳
さらば愛しきアウトロー
シークレット・サンシャイン
ブルース・ブラザース
ブンミおじさんの森
生気の光
アルキメデスの大戦
絞殺魔
リュミエール!
デス・レース2000年
スイス・アーミー・マン
さらば、わが愛 覇王別姫
ベニスに死す
渚のシンドバッド
ドント・ウォーリー
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト
未知との遭遇
あの店長
ミッドナイト・トラベラー
インディアナ州モンロヴィア
クロール -凶暴領域-
サタンタンゴ
イエスタデイ
ノスタルジア
サクリファイス
ガリーボーイ
ポリス・ストーリー 香港国際警察
救いの接吻
象は静かに座っている
ワイルドライフ
ルナシー
幸福なラザロ
COLD WAR あの歌、2つの心
アイリッシュマン
ゾンビランド:ダブルタップ
コマンドー(日本語吹替版)
突然炎のごとく
ブラザー・ベア
こおろぎ
女の中にいる他人
雪の断章ー情熱ー
哀しき獣
裸の町
マリッジ・ストーリー
暴力行為
罠
6アンダーグラウンド
静かについて来い
この世界の(さらにいくつもの)片隅に
クレイマー、クレイマー
卒業
その女を殺せ
女が階段を上る時
フォードvsフェラーリ
書を捨てよ町へ出よう
続・激突!カージャック
グエムル -漢江の怪物-
動くな、死ね、甦れ!
初恋
山の焚火
ピクニック
かくも長き不在
炎628
私はモスクワを歩く
凪待ち
火口のふたり
50/50 フィフティ・フィフティ
FRANK -フランク-
ロスト・エモーション
仮面/ペルソナ
パディントン
ドニー・ダーコ
第三の男
ミッション:インポッシブル
海炭市叙景
女は女である
フライト
スプリング・ブレイカーズ
スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団
ソナチネ
ハクソー・リッジ
幻の光
ビトウィーン・トゥ・ファーンズ:ザ・ムービー
ゲームの規則
冬冬の夏休み
夏をゆく人々
デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!
吸血鬼(カール・ドライヤー)
ようこそ、革命シネマへ
戦場のメリークリスマス
フレンチ・コネクション
フランケンシュタイン
ビッグ・フィッシュ
ストーリー・オブ・マイライフ/わた��の若草物語
死霊のえじき
許された子どもたち
グッド・ボーイズ
キートンの大列車追跡
CLIMAX クライマックス
四季~ユートピアノ
自転車泥棒
透明人間(リー・ワネル)
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン
嵐電
フランケンシュタインの花嫁
謎のストレンジャー
DISTANCE
ナイブズ・アウト
タンポポ
無言歌
新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争
極道戦国志 不動
DEAD OR ALIVE 犯罪者
ディア・ホワイト・ピープル
自由への闘い
ドイツ零年
サハラ戦車隊
アンジェリカの微笑み
ラ・ジュテ
スワロウテイル
バスターのバラード
ヒトラーの狂人
脱出
マン・ハント
れいこいるか
マトリックス
ハッピーアワー
ラストレター
ケス
血
ハスラーズ
コロッサル・ユース
レ・ミゼラブル(ラジ・リ)
何も変えてはならない
外套と短剣
ある女優の不在
豹/ジャガー
殺しが静かにやって来る
オープニング・ナイト
海辺のポーリーヌ
満月の夜
緑の光線
友だちの恋人
ひかりの歌
欲望の翼
ペイン&ゲイン
デンジャラス・プリズンー牢獄の処刑人ー
ブルータル・ジャスティス
鉱 ARAGANE
ヘンリー
フリークス
エヴァの匂い
5時から7時までのクレオ
鵞鳥湖の夜
マリアンヌ
ロシュフォールの恋人たち
PERFECT BLUE
トマホーク ガンマンvs食人族
セノーテ
ヴィタリナ
御用牙 かみそり半蔵地獄責め
暖流
アンダー・ザ・スキン 種の捕食
悪人伝
しとやかな獣
アニエスによるヴァルダ
幸福(しあわせ)
ジャック・ドゥミの少年期
ムクシン
日子
グッド・タイム
アナトリア・トリップ
楳図かずお恐怖劇場 蟲たちの家
女体
ノー・データ・プラン
サッド ヴァケイション
サンダーロード
アンセイン 狂気の真実
アニエスv.によるジェーンb.
ユリイカ
ロケーション
血を吸うカメラ
喜劇 女は度胸
喜劇 男は愛嬌
オフィシャル・シークレット
TOURISM
ゲンセンカン主人
オン・ザ・ロック
ブックスマート
ワンダーウーマン1984
リバー・オブ・グラス
続ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画
シカゴ7裁判
マザーレス・ブルックリン
ペイン・アンド・グローリー
マーティン・エデン
ウェンディ&ルーシー
風の中の牝鶏
1917 命をかけた伝令
秋刀魚の味
小早川家の秋
��・ライダー
赤ひげ
椿三十郎
酔いどれ天使
JSA
ロスト・イン・ラマンチャ
mid90s
息を殺して
KIDS
新しき世界
細い目
ナイト・スリーパーズ
アーリーマン
シチリアーノ 裏切りの美学
ほえる犬は噛まない
子猫をお願い
幸せへのまわり道
花束みたいな恋をした
トキワ荘の青春
はちどり
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📛 078 「Souvenirs Aus Tokyo」 #15。
先日、かつては "NFC" とか "東京国立近代美術館フィルムセンター" なんて呼ばれていました 独立行政法人国立美術館 「国立映画アーカイブ」 で催される予定の 上映企画 「逝ける映画人を偲んで 2019 - 2020 (In Memory Of Film Figures We Lost In 2019 - 2020)」 のちらしを、とあるゴッサムシティの街角で頂いて来まして、そのちらしを 珈琲を片手に タリラリラーンと眺めていましたら、どの上映作品にも 上映する日時が書かれていなくって、遊びに行かない間に nfcも変わったね、なんて思っていたのですけれど、 ちらしの端っこに "上映スケジュールは国立映画アーカイブ ホームページをご覧ください" なんて書いてあることに気がつきました。こういうご時世ですから、さういう遠回しな感じ (当日のチケット販売が無かったりという不自由さも含む) での上映会は致し方無いかなとは思いますけれど、全55作品の上映予定が まるで分からないのもどうかと思い (行く行かないはさておき) テキトーに転写してみました。
・上映企画 「逝ける映画人を偲んで 2019 - 2020 (In Memory Of Film Figures We Lost In 2019 - 2020)」 。
(2021年7月20日から9月5日。国立映画アーカイブ 大ホール。定員 通常310名のところ、グッと減らして155名。2021年7月17日現在の上映予定です。突然の��更があったりなかったりするかもしれません。)
・2021年7月20日 火曜日
雨月物語 (12:30)
牝犬 (15:30)
・2021年7月21日 水曜日
大阪の女 (12:30)
濡れ髪牡丹 (15:30)
弁天小僧 (18:20)
・2021年7月22日 木曜日
坊ちゃんとワンマン親爺 (13:00)
拳銃は俺のパスポート (16:00)
・2021年7月23日 金曜日
愛と死の記録 (13:00)
紅の流れ星 (16:00)
・2021年7月24日 土曜日
前科・仮釈放 (12:30)
野良犬 1973年版 (15:00)
黒木太郎の愛と冒険 (18:00)
・2021年7月25日 日曜日
白毛女 (13:00)
共喰い(16:00)
・2021年7月27日 火曜日
蝶々夫人 (15:00)
ロマンス娘 (18:00)
・2021年7月28日 水曜日
夫婦 (13:00)
処刑遊戯 (15:30)
音楽活劇 ドレミファ娘の血は騒ぐ (予告編) と ドレミファ娘の血は騒ぐ (18:20)
・2021年7月29日 木曜日
嗚呼!おんなたち 猥歌 (12:30)
ピンクのカーテン (15:30)
わたしのSex白書 絶頂度 (18:20)
2021年7月30日 金曜日
どですかでん (12:00)
真夜中の顔 (15:30)
日本妖怪伝 サトリ (18:00)
・2021年7月31日 土曜日
遥かなる甲子園 (12:00)
戦争と青春 (14:50)
チルソクの夏 (17:50)
・2021年8月1日 日曜日
月山 (12:00)
Murder!と 麻雀放浪記 (14:50)
・2021年8月3日 火曜日
仁義なき戦い (12:30)
岸和田少年愚連隊 (15:30)
ビー・バップ・ハイスクール 髙校与太郎行進曲 (18:20)
・2021年8月4日 水曜日
ねむの木の詩うた (12:30)
映像評伝 仁科芳雄 現代物理学の父 と 伝統工芸技術記録映画シリーズ #28 読谷山花織 與那嶺貞のわざ (15:00)
ケメ子の唄 (18:20)
・2021年8月5日 木曜日
黒木太郎の愛と冒険 (12:30)
野良犬 1973年版 (15:20)
影の車 (18:10)
・2021年8月6日 金曜日
スパイ・ゾルゲ (12:30)
蕨野行 (17:50)
・2021年8月7日 土曜日
牝犬 (12:00)
濡れ髪牡丹 (14:50)
真夜中の顔 (18:00)
・2021年8月8日 日曜日
花札渡世 (13:00)
実録 私設銀座警察 (16:00)
・2021年8月10日 火曜日
紅の流れ星 (12:30)
前科・仮釈放 (15:30)
愛と死の記録 (18:00)
・2021年8月11日 水曜日
戦争と青春 (12:30)
ありふれた愛に関する調査 (15:30)
坊ちゃんとワンマン親爺 (18:30)
・2021年8月12日 木曜日
チルソクの夏 (12:00)
遥かなる甲子園 (15:00)
白毛女 (18:00)
・2021年8月13日 金曜日
音楽活劇 ドレミファ娘の血は騒ぐ (予告編) と ドレミファ娘の血は騒ぐ (12:30)
ビー・バップ・ハイスクール 髙校与太郎行進曲 (15:00)
岸和田少年愚連隊 (18:00)
・2021年8月14日 土曜日
ロマンス娘 (12:30)
夫婦 (15:10)
蝶々夫人 (17:50)
・2021年8月15日 日曜日
霧の夜の男 (13:00)
動乱 (15:30)
・2021年8月17日 火曜日
弁天小僧 (12:30)
火の鳥2772 愛のコスモゾーン (15:00)
宇宙からのメッセージ (18:10)
・2021年8月18日 水曜日
天使のはらわた 赤い眩暈 (12:00)
濡れ牡丹 五悪人暴行編 (14:30)
シャルロット すさび (16:50)
・2021年8月19日 木曜日
蕨野行 (15:10)
女子大学生 私は勝負する (18:20)
・2021年8月20日 金曜日
鉄道員 1999年作品 (15:00)
ユキとニナ (18:10)
・2021年8月21日 土曜日
ケメ子の唄 (12:00)
日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群 (14:30)
ふたり 1991年版 (17:20)
・2021年8月22日 日曜日
映像評伝 仁科芳雄 現代物理学の父 と 伝統工芸技術記録映画シリーズ #28 読谷山花織 與那嶺貞のわざ (13:00)
愛の嵐の中で (16:20)
・2021年8月24日 火曜日
動乱 (13:00)
スパイ・ゾルゲ (16:40)
・2021年8月25日 水曜日
拳銃は俺のパスポート (12:30)
霧の夜の男 (15:00)
どですかでん (17:30)
・2021年8月26日 木曜日
Murder!と 麻雀放浪記 (12:30)
花札渡世 (15:30)
実録 私設銀座警察 (18:10)
・2021年8月27日 金曜日
影の車 (12:30)
月山 (15:10)
ありふれた愛に関する調査 (18:00)
・2021年8月28日 土曜日
ピンクのカーテン (13:00)
嗚呼!おんなたち 猥歌 (15:10)
濡れ牡丹 五悪人暴行編 (18:00)
・2021年8月29日 日曜日
火の鳥2772 愛のコスモゾーン (13:00)
ねむの木の詩うた (16:30)
・2021年8月31日 火曜日
ふたり 1991年版 (14:30)
日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群 (18:00)
・2021年9月1日 水曜日
愛の嵐の中で (12:30)
宇宙からのメッセージ (15:10)
仁義なき戦い (18:00)
・2021年9月2日 木曜日
日本妖怪伝 サトリ (12:30)
ユキとニナ (15:10)
共喰い (18:00)
・2021年9月3日 金曜日
シャルロット すさび (12:20)
わたしのSex白書 絶頂度 (16:20)
天使のはらわた 赤い眩暈(18:40)
・2021年9月4日 土曜日
女子大学生 私は勝負する (12:30)
鉄道員 ぽっぽや (15:00)
処刑遊戯 (18:00)
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小さな演劇の小ささについて(『小さな演劇の大きさについて』より)
何度か書いたり話したりしたことがあるが、私は一九八〇年代の後半ぐらいから二〇〇〇年代=ゼロ年代の半ば過ぎまで、演劇をほとんど観ていなかった。かなり長いブランクである。したがって私はいわゆる「九〇年代演劇」、たとえば「静かな演劇」と呼ばれたムーヴメントをリアルタイムでは体験していない。本書には「静かな演劇」の代表的な演劇作家だった平田オリザや松田正隆を論じた文章が収録されているが、私が彼らの作品を観るようになったのはここ十数年のことであり、完全な後追いである。私は大人計画をいまだに一度も観たことがない。近年の松尾スズキが手掛けた舞台は幾つか観ているが、私がふたたび劇場に通うようになったとき、大人計画はすでに非常にチケットが取りにくい超人気劇団になっており、それでも頑張れば観れることはわかっているのだが、いまだその機会は訪れていない。
さて、ではどうしてゼロ年代半ば以降から、また演劇を観るように、それも大量に観るようになったのかといえば、これも何度となく公言してきたことだが、チェルフィッチュの『三月の5日間』を観たのがきっかけである。これはもうはっきりと明確かつ具体的にそうであって、もしも『三月の5日間』と出会っていなかったら、私は今、この文章を綴っていないだろう。それほどに『三月の5日間』は私にとって衝撃だった。だがそのことについて書く前に、いったん時間を遡って、「八〇年代の後半ぐらい」から演劇を観なくなったということは、それまでは多少は観ていたということであり、まずはそのことについて少々述べておきたいと思う。 私は十代の頃、他のさまざまなジャンルの「前衛芸術」のビッグネームとともに、寺山修司という存在を知った。寺山は一九八三年五月三日に没したが、私が彼の著作に夢中になった時はまだ存命だった。当時、寺山の著作は今以上に文庫がたくさん出ていたし、やや大きめの本屋に行けば戯曲集も何種類か並んでいた。私は実際の公演を観るよりも前に寺山の演劇論や戯曲を貪り読んだ。もちろん映画作家としての寺山にもーー演劇以上にーー強く惹き付けられた。私は寺山の、芸術文化のジャンルや形式や個々の作品を一種のフレームとして捉えて、その境界画定や限界突破やフレーム自体の破壊を志向する思考法に、かなり影響を受けていると思う。その流れで唐十郎のことも知り、やはりまずは戯曲や小説を読んだ(こちらは寺山に較べて文庫の数は少なかったが、図書館で単行本を借りることが出来た)。私の実家は名古屋なのだが、後から思えばその頃すでに地元で活躍するすぐれた演劇作家や劇団ーー北村想のT・P・O師☆団や竹内銃一郎の秘法零番館などーーがいたはずだが、高校生だった私はそのことを知らなかった。ともあれ、寺山や唐の本を読んで大層面白かったので、私は他の日本の同時代の著名な劇作家たち、別役実やつかこうへい、清水邦夫などの戯曲も読むようになった。たぶん一度も書いたことはないが、つかこうへいには一時期かなりハマり、当時十数冊は出ていた角川文庫はすべて読破したと思う。つまり私は「演劇」というジャンルと完全に「戯曲=書物=言葉」を通して遭遇したのだった。これは地方で公演を観るのが困難だったことや未成年だったこともあるが、むしろ私という人間の性格や気質と関係があったのだと今では思う。そしてこの点は演劇を一時期観なくなったことにもかかわってくる。 一九八三年の春に上京した私は、かろうじて天井桟敷の最終公演『レミング 壁抜け男』を観ることが出来た。寺山が亡くなった直後の、結果的に追悼公演になってしまった作品だった。記録に当たると会場は横浜教育文化センターホールだったようだが、もうあまりに昔のことでよく覚えていない。ただ寺山の死へのショックよりも、なんとか天井桟敷の本公演にぎりぎり間に合ったという思いと、目の前で展開される芝居が、自分が寺山の書物を読んで勝手に思い描いていたイメージの確認の作業みたいに思えてしまったような記憶がある。唐十郎の状況劇場も、これも記憶が不確かだが、たぶん名古屋の白川公園に設置された赤テントで、唐の本をけっこう読んでから、やっと観たのだと思う。これも調べてみたら演目は『新・二都物語』。だが劇の内容よりも、ラストで舞台の後方が突然開かれ、吹き抜けになった向こう側に広がる夜の屋外に俳優がどこまでも走り去っていく光景の非現実的なカッコ良さに少年の私は興奮した(それが赤テントのいつものパターンであることを私は知らなかった)。 東京に来てから観劇環境が劇的に改善されたので、私はその後の何年か、ほうぼうに演劇を観に行っていた。これもたぶん書いたことはないが、山崎哲の転位21がお気に入りだった。これは名古屋でだったような気もするが、『うお伝説』を観たときのショックは忘れられない。太田省吾の転形劇場『水の駅』の再演も観に行った。まだインターネットのない時代、どうやって観るべき芝居の情報を得ていたのかさっぱり思い出せないが、大学の友人か先輩にでも教わったのだろうか。それから、これはこの機会に告白(?)しておこうと思うのだが、私は現在は小説家の前川麻子が率いていた劇団、品行方正児童会のファンだった。 これまた記憶が朧げではあるが、彼女が主演した斉藤信幸監督のにっかつロマンポルノの名作『母娘監禁 牝』を観るより前から品行方正児童会の公演には通っていたと思う。なのにいつのまにか観なくなっていた。だから前川が小説家デビューしたときは驚いたし、懐かしい思いがした。 では、どうして演劇を観なくなったのか。理由は複合的で、まず私は一九八七年から九〇年までシネヴィヴァン六本木というミニシアターで働いていて、週六日勤務の夜番(レイトショーが終わる夜11時くらいまで)だったので物理的に劇場に行くことが困難になったということがあったような気がする。更に映画館を辞めてフリーランスのライターになってからは急激に多忙となり、一九九五年に自分の事務所HEADZを立ち上げて以後はますます多忙を極めていったので、仕事と繋がっていない観劇という趣味は自然消滅するしかなかった。だが、こういった具体的な理由以上に、これはその頃の感覚として覚えているのだが、私はなぜか、だんだん演劇の、それもいわゆる「小劇場演劇」と呼ばれる(この本のテーマでもあるところの)小規模の演劇公演の。ぎゅうぎゅう詰めの狭苦しい客席で、目の前の舞台上に役者の肉体が生々しく存在しているという感じが、身も蓋もなく言うと急激に気色悪くなってしまったのだ。これは生理的な嫌悪のようだが、ある意味では観念的な感覚でもあったのかもしれない。心の病い的なものではないのだが、とにかく私はある時から作品の内容や演技の良し悪しとは無関係に、これはちょっとどうにも耐え難い、もうこういうところには自分は来れないな、などと思うようになったのだ。もともとそういう傾向はあって、たとえば私は今でも(自分でも無数に企画制作してきたくせに)音楽ライブの臨場感がちょっと苦手であったりする。これは明らかに私自身の生理的かつ観念的な、ある種の身体性への違和感(のような何か)とかかわっているのだと思う。そう思って顧みてみると、もともと自分は戯曲を読むほうが実際の舞台を観るよりも好きだったのだ。こうして私はだんだん演劇を観に行かなくなった。というか、そのときの自分の感覚により近い言い方をすると、演劇を観なくても特に困らなくなっていった。こうしてあっという間に十数年の歳月が流れた。 そして二〇〇五年、私はチェルフィッチュの『三月の5日間』���出会った。しかも最初に観たのは初演を記録したDVDだった。
(続きは『小さな演劇の大きさについて』(Pヴァイン/ele-king books)でお読みください)
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約20万人!?競馬場の最大入場者数ランキングTOP5
どこを見ても人、人、人… 競馬の大きなレースには観客席に多くの人が集まり、レースではなくまずは人の多さにビックリするなんて事ありますよね。特に日本中の競馬ファンが一斉に注目するG1レースでは非常に多くの観客が競馬場に訪れます。 広く広大な敷地にある競馬場ですが、実は収容人数は競馬場により大きな差があります。 この記事では、中央競馬全10会場の中から、入場者を多く競馬場内に入れる事が出来る、収容人数が多い競馬場をランキング形式で発表していきたいと思います。 最も多くの人を収容できる競馬場はどこなのか!?皆さんチェックしてみましょう!
競馬場の最大入場者数をランキング形式で発表
これまでの競馬の長い歴史において、最も多くの人を集めた競馬場はどこで、それは何人なのかをランキング形式で発表していきます。その競馬場の最大入場者数をランキング形式で5会場紹介していきますので、気になる方はチェックしてみましょう。
第1位:東京競馬場(19万6517人)
第1位は19万6517人を収容した事がある東京競馬場です。この人数を記録したのは1990年に開催された日本ダービーです。この数字は日本の競馬界で最も多い人数であり、もう二度と抜かれることはないと言われています。今は入場規制などがかかる場合が多いので、これ以上もしも入ったとしても入れないというのが多いんですね。 日本ダービーはクラシックなので出場できるチャンスは一生に一度だけです。それだけに毎年高い注目を集めるレースになっています。東京競馬場にはほかにも… フェブラリーステークス NHKマイルカップ ヴィクトリアマイル 優駿牝馬(オークス) 東京優駿(日本ダービー) 安田記念 天皇賞(秋) ジャパンカップ 日本ダービーやジャパンカップなど、数多くの有名なG1レースを開催している事で知られています。広大な敷地と広さで、他の競馬場を圧倒しています。
第2位:中山競馬場(17万7779人)
中山競馬場が収容した約18万人というのが第2位です。これは1990年の有馬記念で、このレースでは日本競馬界を席巻したオグリキャップの引退レースとして有名。約18万人が絶叫したオグリコールは今見ても鳥肌ものです。 中山競馬場と言えば有馬記念という印象ですが、他にも… 皐月賞 スプリンターズステークス 有馬記念(グランプリ) ホープフルステークス これらのレースが開催されています。しかし、今でも最も入場者数が増えるのが有馬記念で最近でも徹夜で席とりをする人などが多く、昔は1週間前から列に並んでいる人もいるなどの社会現象となっていました。 今でも有馬記念を良い席で見ようと数多くの人が押しかけている、年末の風物詩になっているのが有馬記念です。
第3位:京都競馬場(14万3606人)
第3位は14万3606人を収容した京都競馬場です。芝コースは第3コーナーで内回りと外回りに分岐し、第4コーナーで合流する。第2コーナーの奥にはバックストレッチに��なる長い引込み線があり、1600m(内回り)や1800mでは奥深い地点からスタートします。
最大の特徴は第3コーナー付近にある坂で、高低差は4.3mあり、起伏があるのはこの部分だけで他の直線を含めてほぼ平坦なコースとなっています。 京都競馬場で開催されている主なG1レースは… 天皇賞(春) 秋華賞 菊花賞 エリザベス女王杯 マイルチャンピオンシップ これらです。特に天皇賞春など、タフなレース展開になる事が多いレースが多く、それが京都競馬場の持ち味となっている一面もあります。
第4位:阪神競馬場(9万2986人)
第4位は約10万人を収容した事がある阪神競馬場です。兵庫県宝塚市にある競馬場で、アメリカのアーリントンパーク競馬場と姉妹提携を結んでいることで有名。芝とダートコースがあり、障害レースも多く開催されています。 大阪杯(2017年から) 桜花賞 宝塚記念 阪神ジュベナイルフィリーズ 朝日杯フューチュリティステークス(2014年から) 最も新しいG1レースである大阪杯が開催されることで有名です。ほかにもクラシックの一角である桜花賞が開催されるなど、常に高い人気を誇っていることで知られている競馬場ですね。
第5位:中京競馬場(7万4201人)
第5位は7万人を収容した中京競馬場です。2010年(平成22年)4月(高松宮記念終了後)~2012年(平成24年)1月までコースの全面改造工事が行われて、距離設定も大幅に変更された事で知られています。改修で競馬場が綺麗に生まれ変わり、近代的な素晴らしいデザインが特徴的です。 高松宮記念 チャンピオンズカップ 東海ステークスや金鯱賞などのG2レースが開催されることでも知られています。一般競走、特別競走、重賞では、小倉競馬場と同じファンファーレを使用していて、GI競走では、京都競馬場、阪神競馬場と同じファンファーレを使用しています。
まとめ
今までの競馬の歴史上最も人が集まったのは約20万人を収容した東京競馬場であるという事が判明しました。これもはっきりとした正確な数字ではありませんので、もしかしたら20万人以上を動員していたのかもしれませんが、今では考えられない数字です。 競馬レースの見所はもちろん馬達の競走なのですが、そのレースを見る人の多さにも毎回圧倒されますよね。掛け声やファンファーレが起きてからの歓声、ゴール前の熱狂は競馬以外では決して味わう事が出来ない特別なものです。 競馬場への来場は値段がとても安くお手頃ですし、レースを見る以外の楽しみ方も出来る施設が多いので、気になる方は是非一度足を運んでみてくださいね。
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<ロマンポルノ・ナウ 大感謝祭>開催決定!
「ロマンポルノ・ナウ」の公開を記念して、 映画鑑賞者を対象としたプレゼントキャンペーン企画
「ロマンポルノ・ナウ 大感謝祭」の開催が決定🎉 <1/16更新>本キャンペーンは終了いたしました。たくさんのご参加ありがとうございました。
<キャンペーン概要>
✨【ヒューマントラストシネマ渋谷限定】入場者プレゼント
イラストレーター・たなかみさきによるロマンポルノ季候ポストカード(全12種ランダム配布) 日活ロマンポルノの映画の中から、おすすめの作品を四季折々の感性で描く 月刊イラストコラム「ロマンポルノ季候」でイラストレーターのたなかみさきが描き下ろしたイラストのポストカードをプレゼント💖
⭐【第1弾】『手』入場者プレゼント 『桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール』『白い指の戯れ』『牝猫たちの夜』『性談 牡丹燈籠』(4種ランダム)
⭐【第2弾】『愛してる!』入場者プレゼント 『ピンクカット 太く愛して深く愛して』『団地妻 昼下りの情事『ラブホテル』『悶絶!!どんでん返し』(4種ランダム)
⭐【第3弾】『百合の雨音』入場者プレゼント 『セーラー服 百合族』『㊙色情めす市場』『夜汽車の女』『黒薔薇昇天』(4種ランダム)
※数量限定のため無くなり次第終了 ※公開作品によりお渡しするポストカードの種類が変わります ※ランダムでの配布となります、絵柄は選べません。 ※お一人様1回のご鑑賞で1枚プレゼント
✨Go To HOTELキャンペーン
ヒューマントラストシネマ渋谷で鑑賞された新作3作品いずれかのチケット半券を渋谷エリアの対象ホテルをご利用(宿泊/休憩)の際にご提示いただくと、ホテルごとのお得な特典&新作3作品ビジュアルをあしらった「すけすけミニポスター」をプレゼント。
※キャンペーン期間:9月16日~公開期間中(特典が無くなり次第終了)こちらのキャンペーンは終了いたしました。 ※特典のご提供はホテルをご利用(宿泊/休憩)頂いた方が対象 ※チケットの半券は画面��ご提示いただくことでもご利用いただけます。
✨ホテル一覧✨ ホテルグリーンヒル ホテルベネチアン ホテル03 ホテルリオス渋谷 ホテルマイレ ホテルテンウン ホテルLai ホテルサンロード ホテルWhiteCity23 ※ホテルごとに特典が異なります。詳細は各ホテルにお問い合わせください。
✨新作3作品完全制覇プレゼントキャンペーン
『手』『愛してる!』『百合の雨音』3作品を鑑賞した半券を応募用紙に貼ってご応募いただいた方の中から、50周年になぞらえ総勢50名様に豪華賞品をプレゼント。さらにキャンペーンにご応募いただいた方には、先着でオリジナルポストカードをプレゼント!
◆応募要項◆ 「ロマンポルノ・ナウ」上映作品、3作品を全てご鑑賞された方がご応募いただけます。 劇場に設置の応募用紙裏面へ、対象作品の半券(※1)を貼付し、必要事項を記入のうえ劇場窓口にお持ちください。 ご応募いただいた方には、先着でポストカードを差し上げます(※2)。 当選の発表は、賞品の発送をもって代えさせて頂きます。
◆対象作品 「ロマンポルノ・ナウ」上映作品(『手』『愛してる!』『百合の雨音』)(※3)
◆賞品 (※4) ・A賞 ロマンポルノ50周年記念Blu-ray 8枚セット <1名様> ・B賞 ロマンポルノ・リブート コンプリートBOX(Blu-ray)5枚セット <2名様> ・C賞 ロマンポルノ・リブート・プロジェクト(Blu-ray)1枚 <10名様> ・D賞 ロマンポルノ50周年記念DVDゴールドプライス2枚セット <11名様> ・E賞 ロマンポルノ50周年記念DVDシルバープライス2枚セット <5名様> ・F賞 ロマンポルノ50周年記念スピンオフDVD1枚 <10名様> ・G賞 新作の監督3名直筆サイン入り「ロマンポルノ・ナウ」B2サイズ共通ポスター <5名様> ・iroha賞 「iroha SVR」 <6名様>
◆応募期間 キャンペーン参加劇場ごとに、対象作品である新作ロマンポルノの上映終了日から1週間となります。 こちらのキャンペーンは終了いたしました。たくさんのご応募ありがとうございました。 ※キャンペーン参加劇場は公式HPをご確認ください。 <注意事項> ※1 劇場によって半券以外のものを貼付して頂く場合がございます。詳細は各劇場へお問い合わせください。 ※2 劇場窓口でお渡し致します。無くなり次第終了 ※3 対象作品3作品全ての半券が必要となります。 同じ作品の半券を複数貼られている場合や対象作品以外の半券でのご応募は無効となります クラシック作品は対象となりませんのでご注意下さい。 ※4 賞品の50周年記念Blu-ray・DVDは、2021年7月~22年3月に発売された50作品よりセレクトしてお届けします。 作品タイトルは、選べませんので予めご了承下さい。 タイトルの詳細はコチラのHPをご確認ください。→https://www.nikkatsu-romanporno.com/bddvd2021/
たくさんのご参加ありがとうございました⭐
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プーランクの「スターバト・マーテル」(フランス音楽のエスプリ・シリーズ)
2009年6月22日
フランシス・プーランク Francis Poulencは1899年1月7日パリ近郊のソーセイ Saussaies に生まれ、1963年1月30日パリのメディチ街の自宅で死去した。心臓の発作が64歳になったばかりのダイナミックな音楽家をあの世に連れ去ったのである。
ジャン・コクトー Jean Cocteauの手になる《六人組》と《ロシア舞踊団》の頃のカリカチュアは我々にプーランクヘの親しみを育ててくれた。あの暖かいとぼけたような風貌も��に見られない。しかし肉体は我々から離れても作品は我々にのこされている。そしてプーランクの音楽は一時的にせよ決定的にせよ忘却の中に消えるどころかいよいよ瀕繁に演奏され、鑑賞されるに違いない。
プーランクは極めて《パリ風な様子》をした人物であった。同時に彼はパリを脱け出し、トゥレーヌ県にあるノアジー Noizayの所有地で好んで作曲していた。自然の現実との絶えざる接触は決して人為的な技巧に陥らなかったプーランクの芸術の中に生かされている。しかし一方では反対の性格、もっと正確に言えば捕捉的な性格が彼の芸術をバランスのとれたものにしている。 クロード・ロスタン Claude Rostan はこれについて「彼には修道士から悪戯小僧的なあらゆるものがある」と指摘しているが、これ以上に真実を伝える言葉はない。しかしながら《修道士》と《悪戯小僧》は《愉快な歌》Chanson Gaillard から、《カルメル会修道士の対話》 Dialogue des Carmélites までの作品において等しい部分を占めているわけではない。フルート、クラリネット、弦楽四重奏、ピアノと声のために書かれた《黒人狂詩曲》Rhapsodie Negre によって18歳で音楽生活に入った時のプーランクは公式には未だアマチュアに過ぎなかった。彼はパリ音楽院を卒業しなかったからである。
リカルド・ヴィニェス Ricard Vines にピアノを、シャルル・ケクラン Charles Koechlin に作曲を学んだとは云え、この特殊な勉強も1918年初頭から兵役に服したことによって不可能になった。従ってジョルジュ・オーリック Georges Auric、ダリウス・ミヨー Darius MIlhaud、アルトゥール・オネゲル Arthur Honegger、 ジェルメーヌ・タイユフェル Germaine Taillferre、ルイ・デュレー Louis Durayとの華々しいデビューに際してもプーランクは彼らと同じ父親から生まれた子供とは認められていなかった。しかし名門の青年はこのエチケットに反した侮辱を投げ返した。一口に言えば彼は一層自由な態度をとり、ますます卑俗になり、庶民的になるのを好んだ。
プーランクは情熱を燃やせば燃やすほど若さの《罪》にも抗し切れなかったのである。バレエ《牝鹿》 Les Biches (1924) のエロティシズムののちに、《愉快な歌》(1926) の放縦な言行に、《エッフェル塔の花嫁・花婿》 Les Maries de la Tour Eiffel (1921) の超現実主義の教唆の中に《狂った年齢》のプーランクがはっきり示されている。彼自身の表現によれば確かにすべては当時の彼の創作の「帽子であった」に過きなかったのは理解出来る。しかし其処に《修道士》の霊感の微かな前兆を探しもとめることは出来ない。
《修道士》は1936年になって漸く姿を現した。ロカマドゥール Rocamadour への巡礼の後に、プーランクは最初の宗教作品である《黒衣聖母によせる連祷》 Litanie à la Vierge Noire を書いた。彼は父から教えられたが少年から青年へ移行期に殆ど忘れていたカソリックの教理を再び思い出した。当時37歳のプーランクは、自動車事故で死んだ友人の作曲家ピエール・オクターヴ・フェルウ Pierre Octave Ferroud の悲劇的な死から強い印象を受けた。彼は機会を得て、かつて父が屡々語ったロカマドゥールの聖堂を訪れ、その夜から連祷の作曲に着手した。それ以後は聖なる霊感に不足することなく、プーランクは次々と優れた宗教音楽を書いた。1937年の夏頃から彼は《無伴奏ミサ曲)を作曲した。翌年には、《悔悟の時のための四つのモテット》が計画され、更にモテット《主をあがめよ》(1941) 聖母讃歌《サルヴェ・レジナ》(1941) 無伴奏男声合唱のための《小さな祈り》(1948) 混声合唱のための《クリスマスのモテット》(1952) 女声三部部合唱のための《アヴェ・ヴェルム・コルプス》(1952) そして、《スターバト・マーテル》があらわれた。(高橋 昭 )
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タグ: フランシス・プーランク
カテゴリー: 音楽 | 編集 | 0 Comments
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【告知】コミッション受諾しました!
こんにちは。
ども。サークル『淫楽の帳』主筆の相田尚です。
今回は報告です。ついに……ついに、相田さんのもとにも、コミッションが届きました。ヤッタネ! コミッション初心者の相田さんはよく、わからないですよ。 ってことで、走り書きというか、相田さんはこんな風にコミッションをやってます、ということを記録するのと同時に、他の方でコミッションについて興味があるという方々の参考にしてもらえれば幸いです。
コミッションでは個人的なやり取りが禁止されているようなので、こちらで経過や進捗を報告させてもらうですよ。 実はですね、最近ちょっと、モチベーションが下がり気味でしたので、コミッションの話を頂けて、また、官能小説に対する熱意みたいなもの? が、復活してきたですよ。
ということで、コミッションの具体的な内容について。 物語の概要ですが、スワッピングクラブに参加した夫婦が異常なセックスにのめり込んでいってしまう話です。
キャラクター;
登場人物は以下の5人。
孝弘、西園寺(たかひろ、さいおんじ) 28歳、男性 性格は真面目で、何事も思い詰めるタイプ。性欲は強く、若い時はモテていた。最近は少し、EDの傾向がある。結衣のことを考え、スワップクラブに参加。
結衣、西園寺(ゆい、さいおんじ) 26歳、女性 年齢を感じさせない美女。巨乳の持ち主。大胆で、行動してみてから考えるタイプ。孝弘と同様、性欲が強く、どこまでも求めてしまう。一途だが、孝弘のために、スワップクラブに参加した。
雄一郎、山下(ゆういちろう、やました) 45歳、男性 孝弘の知り合いの会社社長。スワップクラブの運営をしている。年齢の割には体形など維持している。
涼子、山下(りょうこ、やました) 31歳、女性 雄一郎の妻。肉惑的な美女。元風俗嬢で、性技で雄一郎を魅了した。5歳と2歳の子供がいるが、いずれも雄一郎の子供ではなく、乱交の時の相手が父親。が、雄一郎もそのことを知っており、家族としては安定している。
奏明(かなめ) 40歳、男性 竿師。スワップクラブのことを知り、参加してみることにした。夫婦と偽り、単独参加。
現時点での登場キャラクターとしては以上です。 奏明以外のキャラクターは相田さんではなく、依頼主さんのアイディアです。
物語;
孝弘は最近、結衣とセックスレスになりかけていることを、夫婦共通の知り合いである雄一郎に相談する。その時、雄一郎からスワッピングパーティに参加してみないか、と誘われる。 当日の夜、ホテルへと向かう孝弘・結衣と雄一郎・涼子たち。しかし、三組目の奏明の妻は直前になって来られないと言う。仕方なく、変則的だが、5人でセックスをすることになる孝弘たち。
孝弘がまず、涼子を抱き、さらに結衣が目の前で雄一郎と奏明に犯されることになる。 はじめは乗り気ではなかった結衣だが、次第に雰囲気に流され、乱れてしまう。 孝弘もまた、結衣の淫らな姿と涼子のテクニックに翻弄され、我を忘れてしまう。
ポイント;
これは、依頼主さんからの要望なのですが、「寝盗られ」ではなく、「寝盗らせ」であること。 また、依頼主さんからつけていただいたタグは「現代」「寝取らせ」「スワッピング」「乱交」「巨乳」「巨尻」「夫婦」でした。
「寝取られ」ではなく「寝取らせ」である、ということは、おそらく、夫の知らない所で妻がセックスにのめり込んでしまい、後から報告を受けたり、定番のDVDを見せられたり、といった展開ではない、ということでしょう。
また、執筆して欲しいシーンは結衣の騎乗位&ダブルフェラとのことですので、そちらも取り入れたいと思うですよ。 奏明は相田さんのキャラで、『淫悦に堕した兄嫁~憧れていた義姉が牝隷になるまで』に登場させております。三組の夫婦でスワッピングをするはずだったが、集まった女性は涼子だけ、との表記でしたので、流用ですが奏明に登場してもらったですよ。
1組目……結衣・孝弘夫婦 2組目……涼子・雄一郎夫婦 3組目……奏明
ってことですよ。
ついでに、宣伝です(最近、このパターン多いな……💦) 『淫悦に堕した兄嫁~憧れていた義姉が牝隷になるまで』は支援サイトでも投稿しておりますが、ノクターンノベルスさんでも読むことができます。……これ以上、相田さんが思っていることを書いてしまうと、好色選挙法違反(^^ )になってしまうので、書きませんが、まぁ、そういうことです。因みに、URLは以下の通り。
ノクターンノベルズ……https://novel18.syosetu.com/n3140gt/
依頼主さんからは、書きにくかったら、内容は変えてもらってもいい、とは言ってもらったのですが、相田さんがこれまで書いてきたNTR小説に沿った内容ですので、何らかの要素を咥える……じゃなかった(^_^;)加えることはあっても、この路線でいこうと思っているです。
タイトルも記載されていなかったので、こちらについては考案中です。 では、小説のプロットはまだまだなのですが、順次、支援サイトにて公開させてもらうです。
それでは! 紙幅も尽きてきてしまいましたので、今回はここらへんで。サラダバー(@^^)/~~~
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まだ12歳のころ、彼女はオンラインハラスメントの被害に遭っていた Brut. フランス語動画翻訳
2021.11.9
まだ12歳のころ、彼女はオンラインハラスメントの被害に遭っていた。現在カミーユさんはティックトックでダンスへの情熱を共有し、500万人のフォローを有している。彼女はわれわれに、どのように困難から抜け出し、自信を取り戻したかを語ってくれた。また、この現象と闘うために、団体「e−Enfance」は相談電話窓口3018を設置し、活動に身を投じている。
カミーユさん:(中傷メッセージを読み上げて)「くたばれ、汚い牝犬」「牝犬、自分の母親がどんな化粧をしてるか見てみろ。ダントンの売春婦だと言われるだろう」
つまり、ダントンというのはル・アーヴルの通りの名で、そこでは女性たちが売春をしています。
(字幕)ティックトッカーになる以前、カミーユさんはオンラインハラスメントの被害に遭っていた。これが彼女の体験談である…
カミーユさん: オンラインハラスメントは、ある日とつぜん始まりました。2012年のことだったと思います。当時、私は12歳でした。一人の男の子と出会い、かりそめの恋に落ちました。今の多くの若い子たちと同じようにです。そしてその男の子が、胸の写真を何枚か撮るよう私を脅してきました。私は自分の胸を写真に撮りました。そして、その写真はSNSで拡散されました。その夜、私は泣き崩れました。なぜなら両親の家の固定電話に電話がかかってきたからです。「死ねばいい」「生きている資格がない」「ブス」「クソ」といった内容の電話で、あきらかに私が生きている資格がないという趣旨のものでした。
翌日、私は授業に出ました。ナイフを持って。学校に着き、朝8時でしたが、私は学校の前で、みんなの見ている前で自殺をしてやろうと思いました。自分たちが、SNSを介してどれほどひどいことをしたのか、みんなに思い知らせてやるためにです。
(字幕)2020年には、フランス人インターネット利用者の4人に1人が、オンラインハラスメントの被害に遭うか、被害を目撃するかしている。この現象と闘うために、団体「e−Enfance」は、大手通信社「Orange」の支援を受けて、電話相談窓口3018を設置した。
サミュエル・コンブレさん(「e−Enfance」カウンセラー):利用者から電話を受けた際、その方の話を聞くことと、その方の置かれた状況を理解することに時間をかけます。そして当然、その方を支援することにも時間をかけます。私たちの団体では、被害者に寄り添うための専門的知識を持ったカウンセラーと法律家たちが対応し、彼らに相談した被害者の方はすぐに、「自分はもう一人ではない」という安心感を持つことができます。そして当然私たちは、被害の状況ができる限り早く止むよう対処します。
3018の大きな強み、それは若い人たちの利用する大部分のSNSやインターネット・サイトに対して、私たちが信頼できる第三者機関であることです。私たちは、これらの様々なプラットフォーム事業者に削除要請を送り、報告された当該投稿記事の内容を数分以内に、あるいは数時間以内に削除させることができます。私たちが各プラットフォーム事業者に送った削除要請の95%が追跡され、利用者から通報されたその(画像などの)情報は、数分以内に、遅くとも数時間以内に削除されます。そして、それが被害者を保護することになります。なぜなら、オンラインハラスメントで難しい点は、投稿内容を管理することだからです。投稿内容は大勢の人たちのあいだで、ものすごい速さで拡散されてしまうからです。ですから、私たちの団体のコンセプトは、この情報拡散をすぐに削除せることができる点にあるのです。
カミーユさん:もしみなさんがこの苦しみから抜け出したい、自信を取り戻したいと思うなら、自分の好きなことをしてください。みなさんが何が好きかはわかりませんが…、たとえば音楽とか、ダンスとか、文章を書いたり、歌ったりとか。私がみなさんに言えるのは、闘わなければならないということです。そして、それはいつまでも続くわけではないということです。ある日、母からこう言われました。
「あなたに約束する。あなたは将来、より美しい人生を手にするって」
特に、被害について家族に話してみて下さい。それがとても大事です。(了)
(動画)https://www.brut.media/fr/health/a-12-ans-seulement-elle-a-ete-victime-de-cyber-harcelement-6145e531-a734-46c0-989f-1681e708422a
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2021/1/2
小津安二郎の2本立て『彼岸花』と『秋日和』。
小津のカラー期は白黒時代に比べて劣るという認識が改まる。確かに画面の透明度という意味では白黒の小津に勝るものはない。白黒の小津にはひとの眼差しを超越したような、じぶん流に言うなら「小さなおじさん」あるいは「地蔵」、つまり、ひとというよりはひとと自然=神とのあいだにいるような天使や精霊の類い、それを小津特有のローアングルの固定カメラになぞらえて「小さなおじさん」あるいは「地蔵」がこの世界をじっと凝視しているような感覚を抱かずにはいられない。それはひとというよりは自然の側にいるから、ひとを中心にしたようなものの見方をしない。それは必ずしもひとに対する冷たさではなく、ひとにも背景にも小道具にもひとしく注がれる、ある種の残酷さまでをも引き受けようとする優しさに満ちた眼差しだった。
小津はエルンスト・ルビッチから大きな影響を受けたという。小津の小津調とルビッチの軽妙なルビッチ・タッチとは似ても似つかないように思われるが、この優しい眼差しという意味においては二人の作風はじつによく似通っているように思う。たとえば、ルビッチの『街角 桃色の店』はある男女のめぐり逢いを撮ったラブコメだが、終幕の場面にあたるクリスマスの夜、もちろん主演の男女はハッピーエンディングになるのだけど、このイチバンおいしいエンディングに思いもよらない脇役二人に華をもたせる。ストーリーの中心ではないところにもそっと注がれている優しい眼差し。この眼差し度合をぐっと自然の側まで引き下げたのが小津調だったように思われる。
それがカラー時代になり、白と黒、すなわち光と影の名のもとに全てをひとしく凝視することが幾分か困難になった。赤と緑を基調とした画面に独自の美学と調和を見出してはいても、白黒時代に到達したあの無垢な透明度には遠く及ばない。
小津調が形作る優しい眼差しは必ずしもストーリーに帰属しない演出だった。たとえば、笠智衆と原節子が通勤している列車の吊革がお揃いの揺れ方をしているのはストーリーとはまるで関係がない。小津はこれをあえてカメラを動かさないことで成し遂げる。カメラはストーリーを必要以上に追わず、ただそこ��いて事象をじっと凝視する。カメラを動かさないという不自由を受け入れることが、かえって、ストーリーの外側に、ひとつの映画的惑星の外側にショットを解き放つことになった。
さて、カラー時代になっても小津の映画に対する態度に変わるところはない。それどころか、もはや小津組と呼ばれる白黒時代からの馴染みの役者を変わらずに起用し続け、「娘の嫁入り」という主題まで変わらずに踏襲し続ける。『彼岸花』では『戸田家の兄妹』や『父ありき』に出演した佐分利信が小津映画としては初めての主演を演じ、『風の中の牝鶏』や『宗像姉妹』で主演した田中絹代が約10年ぶりに出演し、佐分利信の妻役を演じている。つまり、小津のカラー第一作目の『彼岸花』は、小津組の顔とも言うべき原節子と笠智衆が中心から外れ(原節子は出演すらしていない)、端役だった佐分利信とワンポイント主演だった田中絹代が抜擢されている。カメラは基本的には主演の佐分利信を映す。ところが、冒頭から非常に印象深いのは何といっても田中絹代の顔や動きであって、夫の佐分利に式の挨拶のダシに使われても控えめながら実直な微笑みを浮かべ、飲み会から帰ってきた佐分利の世話をする動きと顔は慈しみと尊厳に溢れている。この時点ではらはらと涙が止まらなくなる。というのも、その動きの美しさもさることながら、私たちは『風の中の牝鶏』で階段から真っ逆さまに落下する悲痛な田中絹代の姿をすでに目の当たりにしているからで、長い時を経て、映画的惑星間を隔てながらも、円満そうな家庭を築いている田中絹代に祝福の涙を流さずにはいられなかった。こうして、カラー期においても映画的惑星というひとつの枠組みが揺らぎはじめる。さらに夫婦の長女として帰宅する有馬稲子、彼女は顔つきがどことなく原節子に似ていて、しかも、この『彼岸花』において「節子」という名前が与えられている。この「節子」の嫁入りがストーリーの主題になるのは言わずもがな、この映画的惑星間を隔てた交錯ぶりをどう説明したらよいだろう! そこにはいない原節子がいるような感じがする、というだけにとどまらない、『彼岸花』という映画的惑星には存在しない原節子への、いるとかいないとか、そういう二元論を超えたところから発せられる超自然的な肯定の念を感じずにはいられない。そして満を持して登場する笠智衆、『彼岸花』という映画的惑星においては親友の娘の結婚式を「幸せそうな娘の結婚式は見るに堪えない」と欠席する役を与えられ、その言葉は『彼岸花』という映画的惑星においては家出して男と同棲している娘に向けられていながら、これまで幾度も否応なしに原節子を嫁に出した笠智衆の晦渋とした想いを汲まずにはいられない。そして、そして、大トリとして登場するのはライバル会社大映は京都撮影所よりの刺客、山本富士子。大映から借り受けた山本富士子にまさしく京都よりの刺客としての役回りを演じさせることの映画的惑星を超えた見地からの律儀さよ。山本富士子はその寡婦母役の浪花千栄子とともに京都よりの刺客として非常に重大な役を仰せつかることになる。
この三家族を中心にストーリーは展開する。寛容な父親のような顔していながら、いざ、娘に結婚したい相手できたとなると、途端に結婚を許せない頑固親父になってしまう佐分利信。家出した娘を気にしながら、あくまでも遠くから見守ろうとする笠智衆。娘の相手探しに奔走する浪花千栄子と、母の決めた相手とは結婚したくない山本富士子。なかでもイチバンのこんぐらがりをみせるのは、やはり主演の佐分利信のところで、その佐分利が笠智衆の娘とのエピソードと、浪花-山本親子とのエピソードを経由して、他人の娘に対しては寛容な姿勢をみせながら、じぶんの娘のことになると駄々をこねる子供のような怪演をみせる。そんな頑固親父を半ばなし崩し的にも結婚の許しに導くことになる山本富士子の一世一代の嘘の名演技、これは『晩春』において笠智衆が仰せつかった役割に他ならず、このあまりにも美しい山本富士子の名演において『彼岸花』という映画的惑星の枠組みが完全に崩れ去る。『晩春』においては娘を嫁に出すための苦渋の嘘だった笠智衆の名演が、『彼岸花』においては自由な結婚を志向する山本富士子によって晴れ晴れしいまでの嘘の名演に変容する。ここに『晩春』という映画的惑星において解きほぐされなかった晦渋が映画的惑星間を隔てて『彼岸花』において解きほぐされるという未曽有の事態が起こる。この感動をどう言い表したらよいだろう! でも、『彼岸花』はこれだけでは終わらない。結婚式が済んでもなお、娘の結婚に納得のいかない佐分利信がひょんなことから京都の親子(浪花-山本)のもとを訪れる。そこで山本富士子から聞かされる裏の親子事情、いわく「お母ちゃんの縁談話は子供が積木を組み立ててひとりで壊しとるようなものなんどす。お母ちゃんはほんとうはウチをお嫁にやりたくないんどす。ウチかて、お母ちゃんをひとり残してお嫁になんか行かれませんわ」この内訳話をもって、映画的惑星間の隔たりが崩れ去るばかりではなく、映画的惑星間が相互に水のように循環流動しはじめ、『晩春』においてのもうひとつ晦渋、すなわち笠智衆のもとをほんとうは離れたくない原節子の想いが解きほぐされる。さらに京都親子の天才的な計らいにより、結婚式には出たものの全く笑みをみせず娘(節子)を晦渋させることになった佐分利信が半ばなし崩し的に娘夫婦のもとを訪れることになる。娘(節子)を愛しているが故に結婚に納得できない佐分利信、いっぽうで娘を愛しているが故にその自由を尊重してやりたい佐分利信、このこんぐらがりは『彼岸花』においては解きほぐされそうになかったのが、映画的惑星間を活発に循環流動させる京都親子が佐分利信を娘夫婦のいる呉行きの列車に乗せようとし、佐分利信も何だかんだで列車に乗ってしまうという他でもない決定的な「動き」でもって解きほぐされることになる。ここで何としても言い添えておきたいのは、この決定的なエンディングの場面において蚊帳の外にいるかのように思われた田中絹代のもとに電話がかかってきて、主演の旦那・佐分利を陰ながら支えてきた妻・田中絹代に華をもたせていることであり、このときの田中絹代の顔ほど美しいものは見たことがないと思わず言いたくなるほどで、さらに、さらに、複数の映画的惑星間を隔ててまでもこんぐらがっていた小津的主題が解きほぐされたことを示すかのように洗濯物の風に吹かれるショットが挿入される。泣
続く『秋日和』では、『彼岸花』でも佐分利信とともにアン・ポン・タンの三馬鹿トリオを演じた佐分利信、中村伸郎、北竜二が立場と役名を変えて再登場し、さらに三人が酒を酌み交わすお座敷に『彼岸花』・『秋日和』ともに女将さんとして入って��るのは『晩春』・『麦秋』・『東京物語』の紀子三部作ほかで女中や隣人役などの脇役を演じた高橋とよ。毎度のこと短い出演時間ながら妙に印象に残るそのおばちゃんの顔は『秋日和』の高みにおいてはただ登場するというそれだけで観客の笑いを誘っていた。と、同時に涙が出てくるのだ。何をするでもなく、その顔がただ画面に映し出されるだけでパアッと劇場に華が咲く。だからといってストーリーに直接的にも間接的にも介入することはなく、逆説的に脇役のなかの脇役とでも言えそうな存在なんだけれど、そんな顔に観客一同が笑みを浮かべずにはいられない、これほどの優しい演出があるだろうかと鼻息を荒だてずにはいられない。
『秋日和』では、これまで幾度も娘役を演じてきた原節子が娘をもつ寡婦母、つまり『晩春』における笠智衆の立場になり、笠智衆は原節子の義兄という微妙に遠縁の脇役にまわる。ところが冒頭の年忌のシーン、画面に登場する原節子と笠智衆がさながらかつての親子のように遠近を隔てながらも一糸乱れぬ座り方をみせるのにはいきなり涙が止まらなくなる。アン・ポン・タンの三人の活躍というか、すっとこどっこいによりストーリーは盛り上がりというか、こんぐらがりをみせる。そんなこんぐらがりを体当たりな演技で吹き飛ばそうとするのが、サイレント期の小津映画の常連だった岡田時彦の娘・岡田茉莉子。この親子二代に渡る小津との付き合いとともに重大だと思われるのは岡田茉莉子に与えられたクローズアップされる娘の、すなわち白黒時代であれば原節子の、『秋日和』においては原節子の娘(アヤちゃん)の親友という立場であり、岡田茉莉子(ゆりちゃん)が原節子の娘(アヤちゃん)の親友として画面に登場するだけで、原節子の親友だった『晩春』の月丘夢路(アヤちゃん)や『麦秋』の淡島千景(アヤちゃん)を思い出さずにはいられず、どう考えても岡田茉莉子(ゆりちゃん)は複数のアヤちゃんの意思を映画的惑星間を隔てて継いでいる。さらに『秋日和』におけるアヤちゃんは原節子の娘であると同時に、「笠��衆」-「原節子」の父娘の間柄とは一味ちがった母娘の女同士としての友情めいたものが見え隠れする。ここに原節子を中心にした「原節子」-「娘(アヤちゃん)」-「アヤちゃん´(岡田茉莉子)」の映画的惑星間を隔てた循環流動が起こり、さらにさらに、原節子と娘とがともにお嫁に行くことを決める終盤にしばらく画面から遠ざかっていた笠智衆が重大な告白する。いわく「いやあ、アヤちゃんに良いお婿さんが見つかって、アンタ(原節子)にも行き先ができてよかったよ。いやあ、じつはアヤちゃんより、ワシはアンタ(原節子)のことが気になっていたんじゃよ」ここに映画的惑星間を隔てて「笠智衆」-「原節子」のこんぐらがった関係性が浮上するのは言わずもがな、原節子は笠智衆の告白をきいて哀しそうに顔を下に向けてしまう。原節子を中心にした上の図式に笠智衆が加わり「笠智衆」-「原節子」-「娘(アヤちゃん)」-「アヤちゃん´(岡田茉莉子)」となる。ところが、笠智衆がその場を去ったあと、原節子が二人目の夫のもとに行く話をやっぱりやめにすると娘に打ち明ける。いわく「ううん、いいの、お父さん(すでに亡くなっている原節子の夫)はひとりでたくさん、これからもずうっとお父さんとふたりで生きていくわ」この画面にはいっさい登場しないお父さんが映画的惑星間を隔てて笠智衆というもうひとりのお父さんと循環流動し、これまで幾度も離ればなれにならざるを得なかった「笠智衆」-「原節子」のこんぐらがりが、こんぐらがりが……。さらに、さらに、さらに、アヤちゃんの結婚式が済んだ終幕の間際、『秋日和』という映画的惑星において独りきりになった原節子のもとを訪れる岡田茉莉子! この役まわりは『晩春』において独りきりになった笠智衆のもとを訪れるアヤちゃん(月丘夢路)そのものであり、『東京物語』において妻に先立たれ、息子・娘にも帰られて独りきりになった笠智衆の傍にいつまでも留まろうとする原節子にほかならない。泣
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言葉と空間について。
中島みゆきはその出自が国文学でもあるように、言葉についての探求の歴史です。
言葉はまずもって「コミュニケーション」の手段であって、次の拡がりとしての「批評」性。「アザミ嬢のララバイ」から始まる初期の歌はこうして、「コミュニケーション」を軸として(「中島みゆき」という個人が聴き手に対して働きかける)、批評性(社会的抽象性)をまとっているから歌としての力がすごいです。
しかしそこから、言葉の乗る「歌」というメディアの変容とともに、自家中毒に陥っていったのが「御乱心の時代」なのだと思います。そこでなされた脱構築の模索。「EAST ASIA」での「アジアの発見」まで続きます。
EAST ASIAは「二隻の船」、〈言葉ーコミュニケーションー批評ー「空間」〉という構造が貫かれた大傑作ですが、ここで「空間」性を孕んだのは、曲としてのEAST ASIA、中国を経てるからだと思います。それはただ緯度経度的な拡がりではなく、日本語自体の古層にある中国を発見して取り込むことで実現した、という事です。そしてそれはおそらく老子です。
ここから中島みゆきはシングルとして「時代」(「コミュニケーションー批評」の極地)のセルフカバーを経て、「空と君のあいだに」、そして「旅人のうた」という対になる2曲を発表します。タイトルからしてそうですが、ここでは明らかに水平的拡がり(旅人のうた)と垂直的な拡がり(空と君のあいだに)が対比されてます。
(旅人のうた)
西には西だけの正しさがあるという
東には東の正しさがあるという
なにも知らないのは さすらう者ばかり
日ごと夜ごと変わる風向きにまどうだけ
風に追われて消えかける歌を僕は聞く
風をくぐって僕は応える
発表された95年時点での「東」と「西」、そして続く歌詞(→学生運動)から、ここは明らかに中国(EAST ASIA)です。そしてここでの「さすらう者」はおそらく「芻狗」、吹き飛ばされる藁の犬です。何故か。老子の五章です。
天地不仁、以万物為芻狗。聖人不仁、以百姓為芻狗。
天地之間、其猶橐籥乎。虚而不屈、動而愈出。
多言数窮。不如守中。
天地は仁ならず、万物を以て芻狗となす(天と地の間に心がひらいてなければ、万物はわら犬のように吹き飛ばされる)。
聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す(人の心が開いてなければ、全ての人はわら犬のように吹き飛ばされる)。
天と地との間は、其れ猶お橐籥のごときか(天地の間は、巨大なふいごのよう)。
虚にして屈きず、動きて愈々出ず(どこかが動くから、風は止まらない)。
多言なれば数しば窮す(言葉で取り繕うことは行き詰まる)。
中を守るに如かず(心に沿って生きていかないとならない)。
「空と君のあいだ」の歌詞そのものです。また、中島みゆきが言ったとされる「犬の視点からの歌」、というのもおそらく「芻狗」です。また、ここでの動き続ける事での風は「時代」→「世情」で既に歌われているあの波です。
そして老子が5章、反語で「仁」の満ちていく様を表現していますが、旅人のうたでも「男女」「東西」の別が反語で否定されています。また、それは老子の6章です。
谷神不死、是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地之根。綿々若存、用之不勤
天地の根は女性としての谷の神にあり、それは永久に死なず、綿々と溢れ続ける。
5、6と連続する章をモチーフにしていることからも、空と君のあいだと旅人のうたは老子を下敷にしているとわかります。
この連作にかかる直前に発表された「時代」のセルフカバーですが、おそらくそれは「時代」を老子の1章にあてなおしたものです。すなわち「時代」で歌われていた流転の思いを、道を祖とする万物の繋がりに構成しなおしたのだと思われます。
〈綿々と溢れ続ける玄牝=歌姫-(自身としての)中島みゆき〉という構図に、〈芻狗-(自身としての)老子〉という構図を被らせる事で、歌姫から西へさすらう老子へ、自らの作り上げてきた言葉に対しての空間性を明確に獲得します。それが結実したのが例えば「地上の星」や「麦の唄」です。
中島みゆきは夜会以降、神話性を帯びていきます。しかしそれは「神話」という機能そのものというよりも、記紀の古層である所の道教と出会う事でなされたのだと思います。そしてそれは、中島みゆきにおいては「御乱心」してまで「言葉」こだわり続けた結果、達成がなされました。
その達成とは、「言葉」と「空間」の結合による、原子力的なエネルギーです。
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魔女の霊薬 種村季弘
十六世紀ドイツの画家ハンス・バルドゥングス・グリーンに、「魔女たち」と題して、数人の魔女が恍惚状態で飛翔したり、そのための準備をしているらしい場景を描いた一幅の銅板画がある。後方に水平に浮遊している老婆が片方の手に尖の二股状になった杖を持ち、もう一方の手で、なかば浮き上った若い娘の腰を抱えて何処(いずこ)かへ拉し去ろうとしている。前景右手には、片手にもうもうと煙を上げる魔香の器を掲げて今にも地を離れんばかりのエクスタシーに浸っている女がいる。
注目すべきはしかし、それよりさらに前景左手の女である。彼女は左の手に何やら呪文のようなものを記入した紙片を持ち、もう一方の手を股間に押入して(後方にぐつぐつ煮えている釜から取り出したものであろう)塗膏(ぬりあぶら)らしきものを陰部に塗布しているのである。呪文と見えたのは、あるいは塗膏の製法または用法を書きとめた処方箋でもあろうか。仔細に見ると、この銅版画は映画的な連続場面で構成されていて、最前景の塗膏を塗布している魔女が遠景に退くのにつれて、徐々にエクスタシーに陥りながら催眠状態で飛翔する(もしくは飛行感覚に襲われる)過程を刻明に記述していることがわかる。
バルドゥングス・グリーンばかりではない。ゴヤも(「サバトへの道」)、アントワーヌ��ヴィルツもレオノール・フィニーも、古来魔女を描いたほとんどの画家が、箒にまたがって空中を飛行する魔女を描いた。魔女は飛ぶのである。しかも股間にあやしげな塗膏をなすり込むことによって。これこそが悪名高い「魔女の塗膏」であった。
ところで、一体、魔女の塗膏の成分はどんなものだったのだろうか。血やグロテスクな小動物のような、さまざまの呪術的成分を混じてはいるけれども、主成分はおおむね幻覚剤的な薬用植物であったようだ。ゲッチンゲン大学の精神病理学学者H・ロイナー教授は魔女の塗膏の成分を分析して、混合されたアルカロイドの種類をおよそ五種に大別した。
一、 イヌホオズキ属のアトロパ・べラドンナから抽出されるアトロビン。
二、 ヒヨスから抽出したヒヨスキアミン。
三、 トリカブトのアコニチン。
四、 ダトゥラ・ストニモニウムから取ったスコポラミン。
五、 オランダぱせりからのアフォディシアクム。
これらの各成分から醸し出される効果はまず深い昏睡状態であり、ついで、しばしば性的に儀式化された夢幻的幻視、飛行体験などである。おそらく媚薬(アフロディシアクム)として常用されたオランダぱせりは性的狂宴効果を高めたであろう。魔女審問の記録(十六、七世紀)には、実際におこなわれたものか、それともたんなる幻覚であったの定めではないか、ソドミー、ぺデラスティー、近親相姦のような倒錯性愛の告白がいたるところに見られる。告白された淫行のなかには悪魔の肛門接吻(アナル・キス)のように入社儀式化されているものもあった。アコニチンによる動悸不全はおそらく飛翔からの失墜感覚を惹起した。またベラドンナによる幻覚は、はげしく舞踊と結びつくと運動性の不安――すなわち飛行感覚を喚起する。睡眠への堕落、性的興奮、飛行感覚は、こうして各成分の作用の時差によって交互に複雑に出没する消長を遂げるものにちがいない。
使用法は、右のアルカロイド抽出物の混合液を煮つめたものに、新生児の血や脂、煤などを加えて軟膏状にこしらえたものを、太腿の内側、肩の窪み、女陰のまわりなどにすり込むのである。さて、細工は流々、はたして所期の効果が得られるであろうか。
現代の学者で魔女の塗膏を実際に当時の処方通りに造って人体実験をしてみた人がいる。自然魔術と汎知論、あるいはパラケルスス研究やシュレジア地方の伝説採集の研究で高名な民俗学者ウィルーエーリッヒ・ポイケルト教授である。一九六〇年、ポイケルトと知人のある法律家は、十七世紀の魔女の塗膏を処方通りに復元して、こころみに自分の額と肩の窪みにすり込んでみた。成分はベラドンナ、ヒヨス、朝鮮朝顔、その他の毒性植物を混合したものであった。まもなく二人はけだるい疲労に襲われ、ついで一種の陶酔状態で朦朧となり、それから深い昏睡状態に陥った。目がさめたのようやく二十四時間後で、かなりの頭痛を覚え、口腔からからに渇き切っていた。二人はそれから、時を移さずにぞれぞれ別個に「体験」を記述した。結果はほとんど口裏を合わせたように一致し、しかも、三百年前、異端審問官の拷問によって無理矢理吐き出させられた魔女たちの告白とおどろくべき一致を示したのである。
「私たちの長時間睡眠のなかで体験されたものは、無限の空間への���ァンタスティックな飛翔、顔というよりはいやらしい醜面をぶら下げている、さまざまな生き物囲まれたグロテスクな祭り、原始的な地獄めぐり、深い失墜、悪魔の冒険などであった。」(ポイケルト『部屋のなかの悪魔の亡霊』)
してみると十六、七世紀の魔女たちの証言はかならずしも根も葉もない虚構ではなかったのである。一五二五年に『異端審問書』を書いたバルトロメウス・デ・スピナは、当時の有名な医者ぺルガモのアウグストゥス・デ・トゥレが、その家の女中が部屋のなかで素裸になり意識を失って死んだように床に倒れているのを発見した委細を記録している。翌朝、正気に戻ったところを尋ねてみると、彼女は「旅に出ていた」と答えたという。どうやら塗膏を使用したのである。ルネッサンス・イタリアの自然科学学者ヒエロニムス・カルダーヌス(カルダーノ)も旅の幻覚を伴う塗膏の話を書いている。
「それは、おどろくべき事物の数々を見させる効力と作用を有しているとされ……大部分は快楽の家、縁なす行楽地、素晴らしい大宴会、種々様々のきらびやかな衣装を着飾った美しい若者たち、王侯、貴顕の士、要するに人の心を呪縛し魅するありとあらゆるものを目に見させ、ために人びとはてっきりこれらの気晴らしや快楽を享楽し娯しんでいると錯覚さえする。彼らはしかし、一方では、悪魔、鳥、牢獄、荒野だの、絞首吏や拷問刑吏の醜怪な姿だの、とかをも眼にするのであって……そのため非常に遠い奇妙な国を旅行したような気がするほどである。」
おそらく現代の幻覚剤による「旅(トリップ)」と同じような、未知の空間への旅行が体験されたのであろう。ヒエロニムス・ボッシュの「千年王国」の天国と地獄を一またぎするような、至福と恐怖がこもごも登場するその旅の旅行の体験の内実は、「ビート族のベヨーテ生活」の至福共同体が「ある敷居を境に苦痛の闇へと転落し、そこからヒップスター生活が犯罪の世界へ繋っていく」(ワイリー・サイファー)ところまで、現代の幻覚剤体験そっくりだったようだ。
幻覚剤文明が現代の特産物ではないように、魔女の塗膏もキリスト教的中世独特の薬物ではなかった。それは古代ローマにも、それ以前の蒼古たる地中海文明的なかにも、明らかに存在していた。ただ、またしてもその意味が違っていたのだ。キリスト教的中世の魔女の塗膏が忌むべき禁止の対象であったのにひきかえ、そこでは同じものが驚異の対象だったからである。
もっとも著名な例は、アプレイウスの『黄金の驢馬』の主人公ルキウスが魔女めいた小婢フォティスの導き屋根裏の小部屋の扉の隙間ごしに覗き見るパンフォレエの変身であろう。ミロオの妻パンフォレエは人眼に隠されて塗膏を身体中に塗り、鳥に変身して夜な夜な恋する男のもとへの飛んでゆく。
「見るとパンフォレエは最初にすっかり着ていた着物を脱いでしまうと、とある筐(はこ)を開いて中からいくつもの小箱を取り出し、その一つの蓋を取り去って、その中に入った塗膏をつまみ取ると、長いこと掌でこねつけておりましたが、そのうち爪先から頭髪のさままでからだじゅうにそれを塗りたくりました。そいでいろいろ何かこそこそ燭台に向ってつぶやいてから、手足を小刻みにぶるぶると震わせるのでした。すると、体のゆるやかに揺れうごくにつれて柔かい軟毛(にこげ)がだんだんと生え出し、しっかりした二つの翼までが延び出て、鼻は曲って硬くなり、爪はみな鉤状に変わって、パンフォレエは木菟(みみずく)になり変わったのです。
そうして低い啼き声を立てると、まず様子を吟味するように少しずつ地面から飛び上がるうち、次第に高く上がってゆくと見るまに、いっぱい羽根をひろげて、外へ飛んでってしまいました。」(呉茂一訳)
この場合にもパンフォレエの羽化登仙的な至福感は事の一面を物語っているにすぎない。同じ塗膏をフォティスから手に入れたルキウスは、同じようにそれを身体中に塗りたくりながら鳥とは似もつかぬ鈍重な驢馬に変身してしまう。それは天上的なものの失墜した果ての、道化た、暗い、醜悪な実相である。以後、彼はヒエロニムス・カルダーヌスのいわゆる「非常に遠い奇妙な国」の間をさまざまの魔物や物の怪に囲まれながらさまよいつづけなくてはならない。天上の飛翔は、一転、暗い冥府の旅に変るのである。
さて、このように両極的な作用を及ぼす『黄金の驢馬』の魔女の塗膏の成分は、一体どのようなものだったのであろうか。フォティスはこれらの驚異が「小さな、つまらない野草のおかげで」成就すると説明している。「茴香(ういきょう)をちょっぴり桂の葉をそえ、泉の水に浸したものを身に浴びるとか、飲むとかするだけ」でよく、また変身の解毒剤には「薔薇の花」を食べればよい。これ以上の説明がないので詳細は不明であるが、塗膏が茴香や桂の葉を含むいくつかの野草から合成されたことだけはたしかである。
ローマ文学史上、アプレイウス(一二三頃~一九〇年?)が登場するのは白銀時代も終焉してからのことであった。すでにこの頃、オリエントの異教はローマに流入して熱病のような猛威をふるっていた。しかし魔女の薬草はこれより早く、すでに黄金時代から重要な文学的トポスとしてしばしば詩文学の上に登場している。さいわい、ゲオルク・ルックという学者が黄金時代の四人の詩人に焦点をしぼって、『ローマ文学における魔女と魔法』について論じているので、これを参照しながらローマにおける魔女の塗膏の繁昌とその源泉をしばらく訪ねてみよう。
アプレイウスのパンフォレエが「恋いこがれた男」のもとに飛んでいくために鳥に変身したように、塗膏の効果の主たる目的の一つは明らかに愛の魔法であった。正確にはむしろ愛の錬金術というべきかもしれない。なぜから塗膏は、別れた男女をふたたび合一させたり、げんに夫婦である男女を分離させてその一方をよこしまにも他の男や女に結びつけようとする、分離と結合のための触媒の役を果たしたからだ。それゆえに塗膏の使い手反しばしばローマの悪場所である売淫の街区スブーラに巣食う百戦錬磨の取り持ち女たちであった。
盛期黄金時代の詩人ウェルギリウス(前七十~十九年)の『牧歌』第八に、ダフニスに恋をして捨てられた女が魔法で男を呼び返そうと逸話が見える。ふつうから職業的な魔女の家を訪うべきところであるが、この女(そもそも『牧歌』第八のこの箇所は、牧人ダモンとアルフェシボエウスが歌くらべをして、アルフェシボエウスが魔法を実演してみせるためにその女にじかになり変わり、彼女の声、言葉、状態を直接に演じているので、女は無名である)は女奴隷のアマリリスを助手に使い、かつて大妖術使いのモエリスから伝授された霊薬の製法を駆使して、みずから愛の魔法を演じてみせる。はじめに彼女はアマリリスを呼び寄せてつぎのように命じる。
「水を持ってきて、そこの祭壇をやわらかい紐でお結び。それから強い野草と匂いのきつい乳香を燃やすのだよ、そうすれば情夫(あのひと)の狂った気持を魔法の供物(くもつ)で惑わしてやれるのだから。足りたいのはあと魔法の呪文だけ。――街から家へ、私の呪文よ、ダフニスを連れ戻しておくれ。」
祭壇に結び紐、野草、呪文といった魔法が早くもあらわれている。「やわらかい紐」はおそらく羊毛の紐で、羊毛の紐には霊的呪縛力があると信じられていた。紐の結び方は、まず不実な相手の肖像画の首のすわりにそれぞれ三色(黒、白、赤)に彩った三本の紐をかけ、この画を祭壇のまわりに三度めぐらせる。「三つの異なる色を三つの結び目でひとつに結ぶかいい、アマリリス、結びつけさえすればいいのだよ、アマリリス、そしてお言い、〈私の愛の絆(きずな)を結ぶ〉と。」
三の数がしきりに重用されるのは、「神は奇数をおよろこびになる」からである。したがって「愛の絆」云々の畳句(ルフラン)も三x三の九回唱えられる。紐の三色のうち黒は冥府の色で、赤と白は悪を予防する保護色であり、黒を中心にしていわば施術者を庇護してくれる。こうして呪縛――結合(katadesis)が完了し、ダフニスは空間を立ち越えて施術者につながれてしまう。しかし魔法はこれで終わりではない。無気味な呪いの人形の焚刑がこれにつづく。
「粘土が火で固くなるように、蠟が同じ火にあった溶けるように、ダフニスは愛のために私のところにやってくる。供物の碾(ひ)き粉を徹き、もろい月桂樹を瀝青で燃やすがいい。悪いダフニスが私を燃やし、私はこの月桂樹の枝と私のダフニスを燃やす。」
呪いの人形はホスティウスの『諷刺詩篇』第一巻八「魔女とかかし」にも登場するが、ここでは魔女は「毛制と蠟制の二つの像をもっていた」(鈴木一郎訳)とあって、はっきり人体を模している。しかしウェルギリウスでは粘土や蠟をダフニスの姿に似せて捏ねておく必要はなかった。男の名前や不実を意味する符号が粘土や蠟に刻み込まれていたかもしれないが、顔形を模造するまでもなく、施術者の女がこれこれの呪物によってダフニスを意味し、それが相手だと考えればよかったのである。粘土は火のなかで固くなり、蠟は軟らかくなる。ゲオルク・ルックの注解によると、粘土は女の(相手にたいして硬化する)憎悪の固さをあらわし、蠟は彼女にたいしてふたたび軟化するであろう男の気持をあらわしている。異解では、粘土が固くなるのは、彼女から離れて他の情婦に移ったダフニスの気持を憎むべきコイ恋仇にたいして固くさせるの意である。同時に投げ込まれる月桂樹は願いの筋の吉凶を知���せてくれる。月桂樹がバチバチ爆(は)ぜて燃えれば願いはかない、燃えつきが悪ければさらに瀝青を注いで火を熾(おこ)らせるのである。
だが、つぎつぎにおこなわれる魔法にもかかわらず吉兆は一向にあらわれない。そこで女は、ダフニスが「担保」としてのこしていった衣服を閾(しきい)の下に埋めて地下の神々の裁きを乞う。「ダフニスは私にこの担保の借りがあるのだ」と。事態はこれでも好転しないので、女はアマリリスに先程燃えていた火の冷めた灰を河に持っていって投げ捨てるように命じる。その場合、灰を運んだらそれを「頭越しに」河に捨て、そちらの方を見ないで帰ってこなくてはならない。そうしないと悪霊がかえって施術者の側に憑(つ)いてしまうおそれがあるからである。かくて灰は流れに運ばれて「ダフニスを襲うであろう」。
この箇所では、女はダフニスへ呪縛をひとたび放棄して、呪いの灰で彼を襲うためにふたたび相手から分離している。「結合(カタデシス)の後にかりそめの「分離(アポリシス)」がつづくのである。この分離は恒久的なものではない。最後の結合手段として効果甚大な薬草(野草)が控えているのを女は知っている。しかしその力はあまりにも強大で、まかりまちがえば周囲に致命的な影響を及ぼす。そのために、一瞬、女は最後の切札を出すべきかどうかを逡巡する。するとこの瞬間、一度冷たくなった灰がふたたびめらめらと燃え上って祭壇を焦がしはじめる。
「これは吉兆だ!明らかにこれは何事かを意味している。――これを信じるべきなのか。それとも恋する女が魔法の夢にまどわされているのか。止まれ、わが呪文よ、止まれ。ダフニスはすでに都(みやこ)から帰りつつある。」
強烈な薬草を用いるまでもなく愛の魔法は成就する。しかし抜かずに終わった伝家の宝刀を彼女は依然として持ってはいるのである。それほどのようなものか。
「黒海沿岸で採集されたこの薬草と毒草は、モエリスがみずから私にくれたもので――それは黒海地方に多生している、しばしば私は、モエリスがこれを使って狼に変身して森のなかに姿を隠したり、深い墓穴から霊魂を喚び戻したり、穀物をよその土地に移したりするのを見た。」
薬草は単純な野草ではなく、特に「黒海地方に多生する」と明示されている。ホラティウスも初期の『エポーディ』のなかで、「毒薬の国イオルコスとヒべリアからきた毒薬」について語っている。ヒべリアは現代のグルジア共和国で、黒海地方に属する。黒海という地方は当然コルキス生まれの大魔女メデアを連想させるにちがいない。実際、詩人たちが邪悪な薬物の出所として念頭に浮かべているのはメデアその人なのである。メデアの壮大な魔法を活写した『転身物語』のオウィディウスはいうまでもなくティブルスも、「キルケ―か持ち、メデアが持っているあらゆる毒薬、デッサリアの地に生れたあらゆる薬草、欲情にたける雌馬の女陰からしたたる粘液」(『『哀歌』』と列挙する。オウィディウスのメデアは龍に打ちまたがってデッサリアに飛び、そこから薬草を採ってくる。すなわち薬草の特産地として、黒海沿岸とデッサリアといういずれ劣らぬ不気味な地方がいちじるしく強調されるのだが、これが何を意味するかについてはのちに述べたいと思う。
さて、ウェルギスウスの述べているモエリスの薬草の三つの応用例のうち、一は人狼変身、二は死者を喚起する降霊術(ネクロマンシ―)、三は穀物の生殖力の転移にそれぞれ関わる。人狼変身の話は後代(紀元一世紀)の『サテュリコン』の「トリマルキオーの饗宴」にも出てくるが、人狼信仰はおそらく神話時代に遡る起源を有している。ところがで、ロイナー教授は神話学者ランケ・グレイヴスらの説を援用して、オリュムボス神の飲食物たるアルブロジア(神々の食物)やネクタール(神々の美酒)が右のごとき幻覚性の薬物そのものではなかったとしても、そのエッセンス多量に混じていたにちがいないと推定する。ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱もこれと無関係ではない。
アルブロジアややネクタールを飲食する権限を独占している神々は、おそらく有史以前の聖なる王や女王たち(その前身はシャーマンであろう)であった。彼らの王朝が没落した後、それは、閉鎖的結社的なエレウシス密議やオルフェウス密議の秘密の要素となり、ディオニュソス祭儀とも結びついだ。密議の参加者たちは密議の席で共食した飲物や食物を絶対に口外してはならなかった。そうすることによって忘れ難い一連のヴィジョンが体験され、その類推的延長の上に超越的世界における不死と永生が約束されたからである。
ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱は、内的には飛翔感覚や性的興奮を伴い、外面的にはさながら狼のような凶暴を示したものにちがいない。彼女たちは髪をふり乱しながら国中を進行し、家畜や子供をずたずたに引き裂き、酒や薬物入りのピールに酔って「インドに旅行してきた」ことをひけらかした。してみると、見知らぬ士兵や妖術使いの人狼変身は、密議的な幻覚共同体が崩壊した後、秘密から疎外された個人や小集団が犯罪の形で表出せざるを得なかった聖なる薬物体験であったとおぼしいのである。
メーナードの末裔のように残酷な魔女たちは、先にふれたホラティウスの『エポーディ』にも登場してくる。数人の魔女が良家の子供を誘拐してきて、地面に首だけが出るように生き埋めにし、御馳走が山盛りの血を眼の前において(口元まで皿がきていても手が使えないので食べられないのだ)凄まじい飢えの修羅場をながながとたのしみ、はては生きたままの身体から骨髄と生き肝をちぎりとり、これを煮つめて媚薬をつくる。
「髪に、さてはまた蓬髪乱れる頭に、小さな蝮どもを絡ませながら、カニディアはコルキスの焔のなかにつぎのものを投ぜよと命じた。墓場から引き抜いてきた野生のいちじくの樹、死者の樹なる糸杉の木材、いやらしい蟇の血に塗られた卵、夜鳥ストリックスの羽根、毒草の国イオルコスとヒべリアからきた野草、飢えた牝犬の口からもぎとってきた骨を。」
これに子供の生き巻肝を加えれば魔女の霊薬は完成する。怖ろしい魔女カニディアのつくる媚薬は、ウェルギリウス作品の場合と同様、ある不実な男を呪縛するためである。しかし不思議なことに、カニディアの媚薬は予期したような効果を発揮しない。男の名はヴァールス、「老いぼれの漁色家」である。いましも彼は「私の手がこれ以上完璧には調和することのない塗膏(ポマード)を塗られ」て、魔窟スプーラの犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になっているはずであるのに、これはどうしたことであろう。彼はこともなげに街をうろついて夜の冒険に出かけている。やがてカニディアは「(自分より)さらに秘密に通じた魔女」が彼の背後にいて、その呪文が自分の塗膏の効果を台なしにしていることをさとる。「もっと強力な薬を、そのもっと強力なやつをお前から取り上げてやる」。こうして毒物と解毒剤が互いにきそいながら老ヴァールスを板はさみにしてしまうわけた。
それはちょうど、十八世紀毒殺魔ド・ブランヴィリエ侯爵夫人が夫の侯爵を亡き者にしようと毒を盛ると、度重なる毒殺の発覚をおそれた相棒のサント・クロアが解毒剤をあたえ、毒と解毒のシーソーゲームのなかで中途半端な廃人となった侯爵が、宙ぶらりんな生かさず殺さずの、世にも恐ろしい余生を送ったのとそっくりであった。
ヴァールスというのが誰をモデルにした人物ではっきりしない。しかしホラティウスの知人であることはたしかで、詩人ははっきりとヴァールスの肩を持ち、かつカニディアを憎んでいる。一方カニディアは、詩人の庇護者マェーケーナスがローマの無縁墓地エスクィリーナ��の丘を自分の庭園に造りなおした際、この旧墓地に出没した魔女である。ホラティウスは「汝、マドロスや旅商人どもにあまた愛された女」と侮蔑しているので、前身は港町の娼婦かいかがわしい取り持ち女の類であろう。一説には、本名をグラティディアと称してナポリで美顔用塗膏を商っていた実在の女であるともいう。
ホラティウスは何故かこの女を心底から憎悪していた。開明的なエピキュリアンであったホラティウスはむろん魔法を真に受けていたわけではないが、不倶戴天の敵カニティアの脅威は身をもって知っていたらしい。カニディアは詩人に執拗に呪いをかけた。『エポーディ』前半ではカニディアを揶揄していた詩人も、第十七歌あたりではさすかに音(ね)を上げて魔女に降参してしまう(「やめろ、やめてくれ!私は効き目のある術に降服する!」)カニディアとホラティウスの間には直接の色情的怨恨はないのに、何故こうも執拗に呪詛し憎悪し合うのであろう。目下の論題から離れるので無用の詮索ではあるが、講和主義として敗北してから「黄金の中庸」を看板に韜晦してきたホラティウスの、政敵にたいする潜在的な不安が魔女カニディアの姿に結実したのだとすれば含意は深長である。
ところで、先に私は、老ヴァールスがより秘密に通じた別の魔女から対抗秘薬を調達し、カニディアの塗膏から身を護った経緯を述べたが、正確にはこれは逆である。漁色家ヴァールスは老いかけた精力を挽回するために(別の)魔女に催淫剤を依頼し、そのお蔭で老齢にもかかわらず夜な夜なスプーラに出没することができたのであった。一方、カニディアの塗膏は通常の媚薬とに逆に、この好色な遊び人を性的不能に陥らせる麻痺的な減退剤であったにちがいない。なぜなら「老漁色家がスプーラに犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になる」効果を狙った薬物は、相手を色街における無用の徒である不能者に仕立てるための、底意地の悪い精力減退の薬にほかならないだろうからである。この不能不毛化させる魔法は、ウェルギリウスのいう「第三の魔法」である穀物の生殖力の転移盗奪の法にも通じている。
ローマ最古の法文書である十二銅表律は、隣人の耕地の収穫物を荒廃させる災いの魔法を重罰をもって禁じている。罰は犯罪を前提としているので、すでに当時から他人の畑の生産力を涸渇させ、(あまつさえ)これを我田引水しておのが腹を肥やす魔法が実践されていたのであった。本来神と自然の摂理のみが按配すべき穀物の作不作が人為の魔法によって操作されるのなら、同じことは人間的自然である肉体の活力の、特に性的エネルギーの増減についても通用するはずである。
ホラティウスがカニディアに蒙ったの呪い魔法は、老ヴァールスのような精力衰弱のそれぞれではなかったが、肉体のすみやかな老化という脅威であった。彼の髪は急速に白くなり、仕事は日々困難になりまさり、一瞬として息を吐くひまもなくなるであろうというのが、カニディアの呪いに籠めた脅迫であった。事実、ホラティウスは年齢より早く白髪が目立ち始めていたが、それがカニディアの魔法のたまものという証拠はなく、むしろ詩人は生来の病身にもかかわらず健康を維持し、日々の仕事も快適に楽しんでいた。彼はカニディアの悪意を感得してはいたが、魔法そのものはそれほど本気で信じていたわけではなかった。
ウェルギリウスやホラティウスの同時代の詩人プロベルティウス(前四十八?~十九年)も魔女の呪いを蒙ったことがある。プロベルティウスの受けた呪いは、まさに彼の男性としての能力の荒廃の脅威であった。敵なる魔女はその名もアカンティスといい、魔法をあやつると同時にやはり男女の仲を斡旋する取り持ち女でもあった。そもそもおらゆる種類の自然と蔑視してその正常な運行を人為的に左右しようとするプロメテウス的瀆神行為である魔法を、とりわけ肉体のの領域において一手に引き受けていたのは、先にも述べたように、当時スブーラに巣食っていた卑賤な薬草売りの魔女やあやしげな取り持ち女だった。ホラティウスの『エポーディ』のいちじるしい影響下にある『哀歌』のなかで、プロペルティウスはほとんどホラティウスをそのまま踏襲しながら唱っている。
「彼女(アカンティス)はつれないヒッポリュトスをアプロディーテーにたいして和ませるすべをすら心得ているのだ、水入らずの愛の絆にたいする最悪の災いの鳥であるこの女性。彼女はベネローベをさえ、その夫の知らせなどおかまいなしに、淫蕩なアンティノースとめあわせることだろう。彼女がその気になれば、磁石はもはや鉄を牽引せず、鳥はその小鳥たちの巣のなかで継母(ままはは)となる。すなわち彼女がポルタ・コリナの野草を掘り出したならば、固く結ばれていたものはすべて流れる水に溶け去るのだ。彼女は大胆にも月に呪文をかけ、月をおのが掟に従わせ、夜な夜なその肉体を狼の姿に隠す。醒めている夫の眼を環形でくらませるために、彼女は処女の雌鳥どもの眼を爪でくり抜く。彼女は魔女たちと結託して私の男性の能力を去勢させようとし、私に害をあたえようものと子持ちの雌馬の欲情の愛液を集めた。」
アカンティスはエロチックな引力(共感)と斥力(反感)の結合(カタデシス)と分離(アポリシス)の両極原理を基盤とする錬金術的性愛術を自在に操るのである。思うがままに貞淑ペネローペを淫蕩なアンティノース靡かせ、冷たいヒッポリュトスにアプロディーテーにたいする熱烈な情欲をかきたてる。彼女は自然の法則を嘲笑し、リビトーの流れをあちらからこちらへと変えたり、涸らしたり、増量させたりすることさえできる。共夫の女をよこしまな道楽者に取り持つように頼まれれば、不運な男の眼を鳥の眼をくり抜くようにくらませ、あまつさえ他人の畑の作物を枯らすようにしてそのリビドーを荒廃させ、不能の夫から強壮薬で男性的魅力をいやが上に引き立たせられた道楽者の方へと女の浮いた心を誘導していく。共感の法則をたくみに使い分けて、愛し合う男女を別れさせたり、嫌われた相手を手元にたぐり寄せたりするのである。
もっとも、このときにこそ魔女アカンティスを憎々しげた呪詛しているプロベルティウスであるが、彼自身、若年の頃は靡かぬ片恋の人「キンティア情(なさけ)を買うために「キタイアの女の魔法の呪文によって星辰や河の軌道を転ずることができ」、「わが主なる女(ひと)の心を変えて、彼女の貌(かんばせ)を私のそれよりも蒼ざめさせる」魔女の性愛術に帰依したことがあったのである。
アカンティスの魔法の中心にあるのも「ボルタ・コリナの野草」である。黒海やコーカサス地方の野草ではなく、市郊外の入手しやすい野草に頼ったのは輸入品が高価だったからであろう。いずれにせよ、この野草を投ずることによって、星の運行、河川の流れ、男女の情愛、磁力や母子愛まで、自然の正常な摂理は突然ばらばらに分解し、崩壊した積木の神殿を魔女の家に組み立てなおすように、別種の構成原理の手に委ねられる。
端的にいえば、この瞬間に世界は昼の側から夜の側に逆転し、世界原理の主宰者が神と宗教から悪魔(もしくは魔霊(デーモン)と魔法に交替する。あるいは天地創造の原活力たる火が神の手からプロメテウスに簒奪される、といってもいい。このように、あらゆる魔法使いは自然の法則を嘲笑するプロメテウスにほかならないのである。
「宗教的人間の態度は、祈る人、懺悔する人の態度であり、魔法使いの態度は主人と支配者の態度である。信仰篤い人間は祈りのなかで彼の神々に自分の優位を感じさせ、呪文によって神々を屈服させる。ある意味で魔法使いは神々の上に立っている。なぜなら彼は、神々がそれに従わなければならないと呼びかけと誓言とを知っており、かつ服従させられた神々の怒りから身を護る予防策に精通しているからである。」(ゲオルタ・ルック)
ローマの詩人たちは宗教詩人というよりはむしろ世故に通じたエピキュリアンであった。彼らは神々の側に立って魔法使いや魔女をきびしく紏弾したわけではない。そうかといって、あまたの魔女の姿を描いたにもせよ、彼らは悪魔崇拝に首までどっぷりと浸って秘教的な暗黒詩を書いたのでもない。
詩人たちが魔法にたいしてあいまいな態度をとりつづけたのは、彼ら自身と魔法使いたちとの間に存在した隠微な抗争のためであった。彼らは宗教の側に立って魔法を攻撃することこそあえてしなかったが、彼らなりに魔法を嘲弄もしくは嫉妬していた。なぜなら魔法が万事を解決してしまえば、彼らの持駒である言葉の救済力という白い魔術の出番がなくなってしまうからである。「歌(カルメーン)の原義は「魔法の歌」、「魔術的呪文」であった。「詩作(ポイエーテス)」もまた言葉の自然状態の組み変えというプロメテウス的行為である。それゆえに詩人もまた「傲慢(ヒュブリス)」の罪によってみずからはコーカサスの山巓にさらされながら地上の人びとに慰藉を授ける。プロベルティウスの言葉の医術についての確信は反語的である。
私は離ればなれにさせられた恋人たちをふたたび合一させることができ、
主(ぬし)なる女(ひと)の抗う扉を開くことができる。
私は他人(ひと)の生々しい悲哀を癒すことができるが、
私の言葉のなかにはいささかの薬剤もない。
さてウェルギスウスのモエリスが演じた薬草による三つの魔法のうち、まだ死者降霊術のみが言及されていない。死者召喚の秘法に関しては、すでにホメーロスの『オヂュッセイア』第十一巻に「招魂」の章がある。そこでオヂュッセウスに地下に一キュービット四方の穴を掘り、乳、蜜、酒、水、大麦の粉などを播いてから黒い牧羊の喉を切ってその血を穴に注ぎ、死者たちの魂を喚び戻す。古代人にとって死者は存在から消滅するのではなく、冥府や月世界に移行するのであるから、冥府の主であるハーデスやペルセポネイアに祈願して時間を逆流させることができれば、死者は当然地下世界から地上に還帰するはずなのである。地下的なものの秘密の結実である薬草がこの喚び戻しに重要な役割を駆使するのである。オウィディウスはいう。「彼女は黴び朽ちた墓の底から汝の父祖や祖先を引き出し、大いなる祈りによって大地と岩石とを割る。」
死者召喚が発端と終末、死と生と逆転であるとすれば、死から生への大逆流の一環として若返りの魔法が考えられる。老年から幼年への(自然的に不可逆的な)若返りはいわば死者再臨の模型である。オウィディウスは『転身物語』のなかで大魔女メデアがアエソンに施したおどろくべき若返りの秘法を絢爛たる筆にのせて活写している。
しかもここでメデアの魔法の要となっているのも「魔法の霊薬」である。まずメデアは翼のある龍にの首に牽かれた車を呼び出し、これにのり込んでテッサリアの野に飛び、あまたの薬草を採集する。それから奇怪な薬の調合にかかる。
「かの女は、髪の毛をバックスの巫女のようにふりみだして、炎のもえている祭壇のまわりをぐるぐるまわり、こまかに割った炬火(たいまつ)を溝のなかの黒々として血にひたし、ふたつの祭壇の炎でその炬火に火をつけ、こうして火で三度、さらに硫黄で三度老人(アエソン)のからだを清めた。そのあいだに、火にかけた青銅のなかでは、魔法の霊薬が煮えたぎり、白い泡をたててふきこぼれていた。かの女は、ハエモニア(テッサリアの古名)で刈りとってきた草の根や種子や花や激烈な草汁をそのなかに煮こみ、さらに、極東の国からとりよせた 取り寄せた小石や、オケアヌスの引潮に洗われた砂をまぜ、これに満月の夜にあつめた露、鷲木菟(わしみみずく)の肉といまわしいその翼、おのれを狼のすがたに変えることができるといわれる人狼の臓腑をくわえ、その上にキニュプスの流れに住む水蛇のうすい鱗皮と、九代を生きながらえた鴉の嘴と頭を入れてことをわすれなかった。」(田中秀夫・前田敬作訳)
前代の詩人たちの精読者であったオウィディウスは、ここにウェルギリウスやホラティウスやプロペルティウスの伝えた魔女の秘薬のあらゆる要素を投げ入れ、ほとんど完璧なごった煮を調製しているのである。さて、メデアの最後に橄欖樹の枯枝でこの液体をかきまわすと、老いた枯枝はみるみるうちに縁に返って豊かな薬をつけ、ふきこぼれた液がふれた地面はたちまち若やいだ春の地肌に変り、花が咲き、やわらかい草が萌え出た。メデアはすぐさま剣を抜いて老人の喉に孔をあける。流れる出る古い血の後に薬液を注ぎ込むと、瀕死のアエソンの白い鬚や髪はたちまち真黒になり、老醜の皺は消えて四十年前の姿になり変わった。
メデアが龍にのって薬草を探しにいくデッサリア地方は、都の郊外のように手近ではないが、さりとて彼女の故郷の黒海沿岸(コルキス)やコーカサスのような遠方でもない。しかしこころみに地図を広げてみると、エーゲ海から黒海に入るダーダネルス海峡を通じて、薬草の特産地たる黒海東端のコルキス、ヒべリア、コーカサスは水路から意外にも指呼の間にある。事実、アルタゴナウタエたちはテッサリアのパガサエの港からアルゴ号を仕立ててコルキスの金羊毛皮を探しに出立した。テッサリアと黒海沿岸地方に古くから深い関係が成立していたであろうことは、この一事からも容易推測される。ちなみにロイナー教授の野生幻覚剤分布表によると、魔女の塗膏の歴史的原生地は「中央ヨーロッパ全土」とされている。
おそらく中央ヨーロッパ奥地から地中海沿岸地帯にかけて、かつて強大な母神信仰が栄えていたのであった。この地下的(クトーニッシュ)母神崇拝の宗教はやがてアポロン的宗教に打倒され、輝かしいギリシア世界の表面からは駆逐された。とはいえ跡形もなく消滅したわけではなく、勝利を占めた若いアポロン信仰は古い地中海宗教の多くの要素を受け入れた。たとえばデルポイの神託を授けるアポロン神殿の巫女ピュッティアは、大地の裂け目の上にすわって地中からくる母の指示を受信する。ピュティアという名称そのものがすでに前ギリシア的宗教における地下的なものの化身たるピュトンの蛇との関連を暗示している。
若い宗教に征服された前代の宗教は、一転、魔法となるのがつねであった。のが常であった。同様に魔女たちは、かつてこの冥府的な大母神信仰の由緒正しい女司祭若巫女だったのであろう。しばしば魔女が引合いに出すテッサリアやコルキスのような土地は、メデアのような大女司祭が君臨していた聖地だったのであろう。したがってローマの詩人たちがその作品のなかに描いたアカンティスやカニディアのような魔女は、没落した大母神崇拝教団の巫女の、いまは往古の栄えある祭儀に参加するすべもなく孤立して巷をさまよい、賤業に口糊する、頽落したなれの果ての身にちがいない。彼女たちが時折り口にした霊薬の甘味は、プルーストにおけるマドレーヌの喚起的美味とひとしく、それが神餞として共食された往時の、栄光ある、だがいまは沈んで久しい世界の天上的な至福の思い出を、一瞬ざまざと想起させてくれたかもしれない。
魔女の塗膏や霊薬は、それ自体としても、むろん後の悪魔礼拝と切っても切れない密接なつながりがある。しかしそれよりも重要なのは、魔女を女司祭に戴いていた前ギリシア的地中海宗教が若い宗教に敗北したとき、そこにアポロン信仰が定位されたことである。いいかえれば、このとき以来、崇拝の対象は女性神(大母神)から男性神アポロンに変ったのだ。
アポロン的宗教の男性神崇拝は、当然のことながらキリストを受け入れる基礎を用意した。ここからキリストの倒錯像サタンの成立まではわずか一歩である。アポロンとキリストが男性でなかったならば、悪魔もまたついに男性ではなかったであろう。若い男性神に打倒された母神へのなつかしい郷愁は、アポロンやキリストへの憎悪の化身である第二の男性神を必然的に招来せしめた。この怨恨と憎悪に黒々と塗り込められた黒い男は、ときにはサタンとして、ときにはロマンティックな悪魔主義者として、ときには超人や天才として、時代とともに変転する自己表現をとげた。 いみじくも聖侯爵の「悪魔主義」について語りながら、「天才は母の国にではなく、魔女の国に棲む」と語ったのはG・R・ホッケである。私が右に述べてきたのもサタンの棲もう風土たる「魔女の国」のくさぐさの追憶であった。
出自《悪魔礼拝》
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(^_^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_^). . . 12月31日(火) #大安(壬寅) 旧暦 12/6 月齢 4.9 年始・1月1日から365日目(閏年においては366日目)にあたり、12月の末日、1年の最終日です。(#大晦日) . . 朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠ろう(^_-)-☆ 睡眠は明日を迎える為の未来へのスタートですY(^^)ピース! でお馴染みのRascalでございます😅. . 本年も格別のお引立てを賜り厚く御礼申し上げます。 来年も倍旧のご愛顧の程お願い申し上げます。 . って事で今朝も「大寝坊の巻き」。。。_| ̄|○スミマセン。 今日の天気予報では気温が19°にも上がる様ですねw . 大晦日でありえないですねwってか私の生涯で初かも? 少しモヤッてしてますが今朝も白富士が綺麗です(;^_^A . 今日一日どなた様もお体ご自愛なさってお過ごし下さい(^^ゞ “本日もご安全に参りましょう(^^)v” . . ■今日は何の日■. #大晦日. 1月から11月までの月末は晦日というが、12月だけは大晦日。 かつては暮れの支払日となっていた。 . 大晦日とは、長かった一年が終わり、一年の締めくくりとして年越しそばを食べる日です。 年越しそばは江戸中期からの習慣で、金箔職人が飛び散った金箔を練ったそば粉の固まりに引付けて集めていたため、年越しそばを残すと翌年は金運に恵まれないといいます。 この日のそばは、来る年の金運がかかっているというわけです。 また、金は鉄のように錆びたりせず、永遠に不変の物であることから、長寿への願いも込められているのです。 . #年越し除夜の鐘. #年越し蕎麦. #菜の日(毎月31日). https://www.kagome.co.jp/campaign/sainohi/ . . ●音楽イベント. #第52回年忘れにっぽんの歌. TV TOKYO 2019年12月31日(火) 午後4時~ テレビ東京が総力を挙げてお送りしている、大晦日恒例「年忘れにっぽんの歌」 日本を代表する歌手が集い、心に響く名曲の数々を披露します。 豪華歌手の夢のステージにご期待ください! . #第70回NHK紅白歌合戦. NHK総合ラジオ第1 2019年12月31日(火) 午後7時15分から午後11時45分放送 NHK総合 ラジオ第1 . #第24回東急ジルベスターコンサート2018-2019 TV TOKYO 東京都渋谷区のBunkamuraオーチャードホール 2019年12月31日(火) 開場21時半 開演22時 【第1部 22:00~23:00 第2部 23:30~24:45】 . #第16回ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2019 2019年12月31日(火) 12時開場、13時開演 . #ゆく年くる年. 年末年始の12月31日23:45から翌年1月1日0:15まで(一部例外あり)NHKで生放送されている年越し番組である。 同じタイトルで民放各局が共同ないしは独自に放送する番組もある。 . #カウントダウンジャパン. . ●全国のカウントダウンイベント. https://winter.walkerplus.com/newyear/list/countdown/ . ●ラ・ピスタ新橋カップスーパースターフェスタ2018~SG第33回スーパースター王座決定戦~. 川口オートレース 12/31 10:10~18:00 . ●第43回 東京2歳優駿牝馬(SI) 東京シティ競馬場(大井競馬場) 2019年12月31日(火) 16:30発走 年末最後の競馬重賞 . ●GI第8回クーンズクライマックス最終日(26日~31日) 女性のボートレーサーによる競艇のGI競走の1つ。 開催地:ボートレース平和島 . ●シンデレラデー. ●大祓. ●寅彦忌(冬彦忌). ●一碧楼忌. ●カトリック教会における聖シルウェステルの日. ●著作権法上の著作権の保護期間の最終日. . #引田天功 (初代)の忌日. 1979年 心臓病死との記録はあるが詳細は非公開。 45歳没。 1980年の元旦にフジテレビで特番が生放送で用意されたいたが、大晦日に永眠された事を 司会の三波伸介によってお茶の間に伝えられたという。今だったらセンセーショナルな記事。 . ■今日のつぶやき■ #終わり良ければ総て良し(#オワりヨケレバスベテヨシ) 【解説】 多少のミスがあったとしても、結果がよければ高く評価されるということ。 最終の結末がもっとも大事であり、途中の過程は問題にならないということ。 . . #1979年12月31日 #中越典子 (#なかごしのりこ) 【#女優、#タレント】 〔#佐賀県〕 . . (学芸大附属中小前) https://www.instagram.com/p/B6t4ATunk10bkl_eQyhAHq7p2yKyEMCbOrdRuU0/?igshid=mtiyjx1stjli
#大安#大晦日#年越し除夜の鐘#年越し蕎麦#菜の日#��52回年忘れにっぽんの歌#第70回nhk紅白歌合戦#第24回東急ジルベスターコンサート2018#第16回ベートーヴェンは凄い#ゆく年くる年#カウントダウンジャパン#引田天功#終わり良ければ総て良し#オワりヨケレバスベテヨシ#1979年12月31日#中越典子#なかごしのりこ#女優#タレント#佐賀県
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《母貓》日本社會悲歌!日活羅曼情慾電影重返銀幕 揭露應召女子的真實地獄
擅長探討社會議題的導演白石和彌,繼《凶惡》、《極惡刑事》後,再度接露連日本首相也不願面對的真相,推出探討當代日本社會議題的新作《母貓》,點出女性貧困、蟄居族、家暴等棘手問題。《母貓》將於本週五2月17日在台上映。
「在這混亂的世代,能做出什麼樣的情色電影?在未來充滿著不確定性、讓人難以忍受的世界裡,還存在著什麼樣的浪漫?」白石和彌師承被譽為「情色電影的黑澤明」的若松孝二,擅於運用社會題材、挖掘人性黑暗面的他坦言:「我無法替這些問題解答,只能盡力去描繪那些努力奮鬥、尋求帶著尊嚴生活的女人們,而我也從這些角色中學習到生活的美好與如何堅強生存。《母貓》讓我認知到不管身處的世界有多麼卑劣,若真是如此,我們仍應該好好活下去。」 《母貓》遵從日活羅曼規則,每10分鐘一場親熱戲、保證不打馬賽克,藉由多場的性愛鏡頭:SM綁縛、野戰、戀乳癖…等,寫實卻不低俗的情慾場景,揭露日本社會女性貧困的悲哀,刻劃性工作者堅強求生的哀戚群像。資深影評人麥若愚推薦:「《母貓》是日活系列中較容易入口且具議題性的電影,描述了特種行業女子的職場際遇、從事特種行業的不同心態,帶出日本社會現象與性工作者的心路歷程。」而片中陌生女子殺害獨居老人的凶殺案,也意外透露出日本應召女子最無助的一面;寫實赤裸的社會��題,讓《母貓》成為與其他日活系列完全不同的羅曼情慾電影。
《母貓》描述網咖棲身的難民、年輕的單親媽媽、患有不孕的家政婦,因各自無法說出口的理由成為性工作者,成為群窩在應召站裡的母貓們,從恩客的身體餘溫,汲換取一點慰藉與生存的可能,只要這世上有男人,就會一直持續下去。《母貓》2月17日正式在台上映。 《母貓》電影預告:http://gpx.tw/r/c81dab ★「羅曼情慾電影」45週年重返大銀幕! ★ 片長80分左右、每10分鐘一場親熱戲、保證不打馬賽克 ★《兇惡》、《極惡刑事》導演白石和彌首次挑戰情色電影 ★ 揭發日本貧困女性的真實地獄 ※《母貓》電影介紹 《母貓》致敬對象為1972年田中登執導作品《牝猫たちの夜》,劇本則由《凶惡》導演白石和彌親自執筆,找來在十年前擔任《慾虫》導演若松孝二執導作《Cycle Chronicles - Landscapes the Boy Saw》助理導演時結識的井端珠里擔任女主角,並找來當年在日活羅曼情慾電影開山之作《Apartment Wife: Affair In the Afternoon》飾演女主角的白川和子客串演出SM俱樂部的媽媽桑。 《母貓》敘述網咖難民、單親媽媽、不孕症,三個各自懷抱憂愁心事的女人徘徊在夜晚的池袋街頭與不同的男性發生關係。在軟調色情電影中,白石和彌描繪了堅強求生的現代女性以及圍繞在身邊的男子們略帶哀戚的群像。 欲知更多《母貓》資訊,請上 GaragePlay官方網站:http://garageplay.tw GaragePlay Facebook粉絲頁:https://www.facebook.com/garageplay.tw movie_id:6712 *不加入Y!電影粉絲團,你就悶了!
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北原里英ー女優として覚醒。極限状態で挑んだ白石和彌作品『サニー/32』の現場とは。
’13年に公開されるやいなや同年の国内映画賞を席巻した『凶悪』でブレイク。その後も『日本で一番悪い奴ら』『牝猫たち』『彼女がその名を知らない鳥たち』と快進撃を続ける白石和彌監督の最新作『サニー / 32』がいよいよ公開される。 かつてネット社会で神格化された殺人犯“サニー”。事件から14年目の夜、平凡な女性・赤理が、サニーの熱狂的なファンによって拉致監禁されたことを発端に、予想外の事件が立て続けに起こってゆくーー。 そんな現代社会の歪んだリアルをこれでもかとブチ込んだ、カオスとバイオレンスの極北とも言えるような本作において、ヒロイン・赤理を演じているのが、今春「NGT48」から卒業することを発表した人気アイドル、北原里英。 「NGT48」の地元・新潟での極寒の雪の中、ピエール瀧、リリー・フランキー、門脇麦…といった一癖も二癖もある俳優陣に囲まれての主演ーーというプレッシャーをバネに爆発的な演技を披露。見事、女優として覚醒した彼女に「2018年もっともヤバい」と噂の本作について語ってもらった。
取材・文 / 井口啓子 撮影 / コザイリサ
雪山を逃げるシーンは過酷すぎて、撮り終わったときに泣いてしまった。
まず「白石監督の映画にきたりえが!?」と驚いた人も多いと思うのですが、本作の話が決まった経緯について教えていただけますか?
実は私、もともと白石監督のファンだったんです。『凶悪』を観て、そのときは監督が白石監督だということは意識せず観ていたのですが、すごい!と。何故でしょうね。もともと明るくてキラキラした映画よりは、暗い、血が出るようなエンタメ作品が好きでしたし、生々しい感じに惹かれたというか…。 経緯としては、三年前に秋元康先生がオールナイトニッポンの中でサプライズ発表をするという企画がありまして、私へのサプライズが「北原で主演映画を撮ろう」というものでした。それで発表の後に「どんな映画が好きなの?」と秋元さんに聞かれまして、その頃観た映画の中で一番印象的だった作品が『凶悪』だったので、『凶悪』のような映画に出たいです!と即答しました。
それはすごい! まさにビンゴで夢を実現されたわけですが、その時。ラジオを聞かれていたファンの方は、北原さん主演映画がこんなものになるとは想像しなかったでしょうね。
そうですね。ラジオでの発表から月日が経ってしまいましたが、最高の形で実現できたのは嬉しかったですね。でも、今一番お忙しい白石監督の勢いを止めてしまってはいけないというプレッシャーがありましたし、台本の1ページごとに事件が起きているのではないかと思うほど、さまざまなことが次々に起こるスリリングな物語なので、興奮すると同時に、自分にできるのかな?と不安もありました。
©2018 『サニー / 32』製作委員会
撮影に入る前に、なにか準備とか役づくりはされましたか?
赤理という女性についても、台本を読んだだけでは正直どんな子なのかわからず、事前に準備しておくべきことはありますか?と白石監督にお聞きしました。白石監督は「何も準備しなくていいですよ」と仰って、助監督の方も「いや、これはほぼ北原さんだと思ってもらって大丈夫なので」と仰いました。その時、深く考えず臨もうって腹が決まりました(笑)。 実際、撮影も気持ちが入りやすいように、ほぼ順撮りで進めて下さったので、撮影が進むにつれて、自然に赤理としてふるまえるよう��なりました。私が赤理になったというよりは、赤理がこちらに寄ってきてくれたような感覚です。 この『サニー / 32』はオリジナル脚本ではありますが、実際にあった事件がモチーフとなっています。当初、私はそのことを知らず、撮影中に共演者との話で知ったぐらい、余計な知識や情報をまったく入れずに臨んだので、役を演じてはいましたが、その場の自分の気持ちを大事にできたのではと思います。
©2018 『サニー / 32』製作委員会
今回は共演者もピエール瀧さん&リリー・フランキーさんの『凶悪』コンビを筆頭に、強烈な存在感を持つ方ばかりで、かなり刺激を受けられたのでは…?
撮影中は皆さん、役との向き合い方が素晴らしいと感じました。皆さんの動きを拝見しながら、自然に勉強させていただいた気がします。リリーさんは撮影後にも「今日も1日おつかれさまでした。よくがんばりましたね」とメッセージを毎日のように下さって。他の共演者の方々も様々なお声を掛けてくださり、本当に周りの方々に支えていただいた現場でした。
しかし、雪に閉ざされた廃屋や海辺でのリンチシーンは、肉体的にも精神的にも相当ハードだったのでは?
とてもハードでした。高いところから飛び降りるようなシーンもスタントなしで演じましたし、海辺のシーンでは大きい雹が横なぐりで降ってきて…、人生でいちばん辛かったです。特に薄い衣装で雪山を逃げるシーンは過酷すぎて、撮影が終わったときに泣いてしまいました。寒くて泣いたのは初めてでした(笑)。
職業的な意味でのアイドル映画ではなく、偶像・虚像的な意味でのアイドル映画
まさに壮絶な現場だったわけですが、あの荒涼とした風景も鬼気迫る人間模様も、この環境でないと撮れないものだったんでしょうね。
そうだと思います。撮影が終わったときに白石監督が「『凶悪』の5倍辛かった」と仰っていたのも嬉しかったですし、完成した映画を観て、新潟で撮影したことに意味があるシーンばかりで本当に頑張って良かったと思いました。過酷な状況にみんなで立ち向かっていたことで、共演者の方々とも一体感が生まれて。撮影は三週間ほどだったのですが、その間、東京には戻らず缶詰め状態で、だんだん家族のような気持ちが芽生えてきて…。まさに映画の世界とリンクしていたので、そういう意味でもリアルに撮れたのではないかと思います。
©2018 『サニー / 32』製作委員会
そういう虚実皮膜な構造は、サニーとして神格化されていく赤理と実際にアイドルである北原さんにも重なりますよね。
どうなのでしょうね…。唯一、理解できると思ったのは、赤理が何も起こらない日常の中でストーカーの被害に遭い、気味が悪く怖いのですが、どこかでその非日常をワクワクしている。いざ自分がその立場になったら絶対に嫌なのに、どこかで変なことが起きないかなという、そういった感覚は私にもありますし、おそらく人間誰しも持っているものなのではと思います。赤理がサニーとして覚醒したのは、非日常的な状況がそうさせたのかもしれませんが彼女自身、心のどこかでそういう存在になることを憧れていたのだと思います。 現実離れした話ではあるのですが、人間誰しも持っている潜在的な欲望を描いたという意味ではリアルな映画だと思います。今やネットの方がリアルだという方も多くて、こうした事が起こらないとも限らないですし、他にも今の現代社会が持っている問題が詰め込まれた作品だと思うので、特にスマホ世代の若者に観ていただきたいですね。
白石監督は本作を「アイドル映画」と公言されてますが…?
撮影前から白石さんは「アイドル映画を撮ろうと思っているんだよね」と仰っていました。私は『凶悪』が好きなので、これがアイドル映画だとはまったく感じなかったのですが、完成した作品を観て、これは職業的な意味でのアイドル映画ではなく、偶像・虚像的な意味でのアイドル映画なのだ!と腑に落ちました。今はネット上で誰でも有名になれる時代ですし、確かにこれは現代の、白石和彌氏によるアイドル映画だなと。
©2018 『サニー / 32』製作委員会
まさに白石監督にしか撮れない、壮絶なアイドル映画だと思います。北原さんにとっても重要な女優開眼作になったのでは?
そうですね。女優の仕事は、普段絶対に経験できないことが、経験したくない(笑)ことができるのがすごいなと思いますし、私自身、みんなで集まって何かを作り上げることが好きなタイプなので、映画の現場の雰囲気はとても好きです。今回でちょっとやそっとのことでは辛いと思わなくなったと思うので、いいものを作るために自分がしっかりがんばれるような女優になれたらなと思います。
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