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小金井市 国際理解講座
小金井市の国際理解講座でまんがワークショップを開催いたしました。留学生や外国籍の方と共に日本文化であるマンガを描き、楽しみながら日本語や日本文化について理解を深めるイベントとなりました。
2021年:マンガ・チャレンジ
2023年:まんがワークショップ
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2023.11月 小金井市 国際理解講座 マンガワークショップ
留学生の皆さんにご参加いただきました!
日本に来て驚いたことを各々マンガで表現してみました。
みなさん、トイレに驚いたり電車に驚いたり、
ファッションに驚いたり、カードが使えないことに驚いたり笑
「なんで日本人はこんなに生肉が好きなんだ~!?」 「日本人なのにお仕事こんなに適当でええんどすか~?」といった面白い感想もありました。
外国に住むと母国との違いで驚くことも多いかと思いますが、その違いを楽しんでくれていると嬉しいですね。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
通巻第8118号
孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
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自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究���集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き��欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モ��ゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
(十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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「話をおまとめ下さい」 よく通る官僚の声が発言を止めた。82歳の男性があわてて口を閉ざした。その後ためらいがちに出た言葉はとても聞き取りにくかった。すでにマイクが切られていたからだ。新聞記者が連射したシャッター音が会場に響いた。 懇談会の終了間際、出席者のひとり、水俣病被害者の会の中山裕二が「一点質問させて欲しい」と伊藤環境相を引き留めた。「マイクを絞ったのか」とたたみかける中山らに伊藤氏は背を向け、司会を務めた水俣病担当室長も無言で会場を去った。 「全面かつ最終解決」と国が自賛した水俣病特別措置法施行から15年。「マイク遮断」はなぜ起きたのか。環境省にとって水俣病は忌むべき存在なのだろうか。(熊本県民テレビ 記者 東島大/敬称略) 水俣病の仕事は「後ろ向き」環境省職員の本音 筆者が受け取った環境官僚からの電子メール 「究極の『後ろ向きの行政』を担当しておりましたが(略)、今度は『前向きの行政』を所掌いたします」 こんなメールを貰ったことがある。環境省で水俣病を担当する特殊疾病対策室のある室長が異動の挨拶として私に送ってきたものだ。全歴代の室長すべてが水俣病の仕事を「後ろ向き」と認識しているとは思わない。しかし取材者としては、職員のかなりの部分の本音ではあるのだろうと感じている。 それは水俣病が単に古い事件だからではない。懇談会でマイク遮断を最初に指摘した中山裕二は40年以上環境省との��渉に関わってきた。今回中山は「マイクを切るなんて初めてだったよ」と憤りながらもその後記者たちにこう話した。 「環境省と私たちっていうのは振り返ればぎりぎりの緊張関係にあったけれども、それなりの信頼関係もあったと私自身は思っていたんです。ところがこの間の特殊疾病対策室長の対応、それが信頼関係を壊した」 5月1日は水俣病にとって大切な日だ。1956年のこの日、水俣市保健所に奇病発生の届けが出された。患者は5歳と2歳11か月の姉妹。報告書によれば、2人とも意識は朦朧として看護師がヤクルトで唇を湿らせてやるのがやっとだった。 姉は亡くなったが妹の実子は71歳になった。ことしに入って寝たきりの状態が続いている。自宅で倒れる直前に「靴がはけない」と声を上げたのを最後に70年自分の意思を言葉で伝えたことはない。 この日を公式確認の日として毎年慰霊式が行われる。環境相と県知事は必ず「謝罪」を口にする。その後に患者との懇談が用意されるが話は「聞き置く」のみ。患者側が追及しようとしても「係争中なので」とかわされる。被害者と加害者は、裁判の原告と被告でもある。そこに「信頼」の文字はない。「マイクオフ」が起きる種はすでにまかれていた。 原因企業ありきの経済成長 水俣病が抱えたタブー 「マイクオフ」を命じた環境省特殊疾病対策室長は、およそ2か月後に異動となった。環境省は定期異動の一環と説明した ではなぜ環境省は水俣病に「後ろ向き」なのか。それはキャリア官僚たちが束になっても太刀打ち出来ないほどのタブーが水俣病問題に亡霊のようにつきまとっているからといえば文学的に過ぎるだろうか。 たとえば──水俣病の原因企業・チッソは小さな田舎企業ではない。戦前、軍部と結託し朝鮮半島に進出。世界最大級の水力発電ダムを建設し、戦後に首相となった岸信介らの後ろ盾を得てアジア一帯へ勢力を拡大。その売上は三井三菱を凌駕した。戦後は大陸に展開していた人員を水俣へ集約し、敗戦からわずかひと月で工場を再稼働させ、昭和天皇の激励を受けた。 巨大ダムを視察する後の首相・岸信介(右)当時は満州国産業部次長という肩書きだった 戦後は電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビの三種の神器に欠かせないプラスチック製造に必要な化学製品オクタノールの国内シェアの85%を握る。私も取材���加わった「NHKスペシャル 戦後50年その時日本は~チッソ技術者の証言」では、当時通産省から経済企画庁に出向し水俣病対策にあたっていた官僚に取材している。彼は「排水を止めた方がいいんじゃないですかねなんて(出向元の通産省に)いうと『何言ってるんだ、チッソが、これだけの産業が止まったら日本���高度成長はありえない』と言われた。確信犯だね」と語った。文字通り、チッソは日本経済のエンジンだった。 水俣患者と国とで「板挟み」 自殺したキャリア官僚 故・後藤舜吉チッソ最高顧問。45歳で取締役となり「チッソ中興の祖」と言われた チッソの認識はどうだったか。社長・会長・最高顧問を30年務め2年前に鬼籍に入った後藤舜吉に「工場廃液が水俣病の原因とわかったあともなぜラインを止めなかったのか」と尋ねたことがある。 その時後藤は「わが社が生産しなくなれば客が困る」と即座に答えた。「困るのは日本経済そのものだったのでは」と更に訊くと「たまたま結果が世の中のお役に立つといったようなことです」と煙に巻いた。 こうした「水俣病の責任を認めることは国策の誤りを認めること」という認識は環境官僚の手足を縛っていく。 1990年12月、環境庁の事務方ナンバー2の企画調整局長・山内豊徳が自殺した。53歳だった。 映画監督の是枝裕和が丹念に取材した記録「官僚はなぜ死を選んだのか」によれば、山内は死を選ぶ前日、家族に「水俣の仕事はどうしてもやりたくなかった」「自分に嘘をつかなきゃいけない部分が多すぎるんだ」と告白したという。 今、山内の名を記憶している環境省職員は少ないだろう。しかし「(水俣病問題が)やりにくいのは、外部じゃなくて内部なんだよ」とも漏らしたキャリア官僚の思いは、今も形を変えながら職員たちの意識に流れ続けているように思える。 戦後復興と漁師の命を天秤に 公害広げた「悪魔の選択」 「なぜ政府は水俣病を解決しないのか」。水俣病の取材を30年以上続けていると多くの人々からこの質問を受ける。しかし政府は水俣病を解決出来ないのではない。解決するつもりがないだけなのだ。正確には「解決する立場にない」と考えているというべきだろうか。裁判では、不作為──つまり政府が公権力を行使すべき局面であったのに「何もしなかった」ことが水俣病を拡大させたとされた。なぜ政府は何もしなかったのか。それはかつて政府がまとめた「見解」に見ることができる。この見解からひと月後、山内は死を選んだ。 1990年に政府がまとめた「水俣病訴訟に関する国の見解について」。山内氏はこのひと月後自死した 原文(画像参照)は慎重な言い回しだが、ここから読み取れるのは「戦後復興の代償を支払うのは誰か」という究極の問題である。日本の復興と、九州の一寒村の漁師や子どもたちの命。当時の官僚や政治家が秤にかけたものはあまりに大きすぎた。しかし彼らは一方に目をつぶり一方を推進せざるを得なかった。環境省は水俣病を教訓に産声を上げたと言われるが、正しくはこの悪魔の選択への忸怩たる反省として産み落とされたといえよう。 医師でもあった環境庁の第二代長官大石武一は、水俣病第一号患者・田中実子を見舞ったのちに訪れたストックホルムで「日本国民はより多くの生産、より大きいGNP(国民総生産)が人間幸福への努力の指標であると考え、これに最大の情熱を傾けて参ったのでありますが、その考えが誤りであることに気がつきました」と語った。 終わらない水俣病 解決を阻むもの 大石武一の演説に目を通す水俣病被害者の会・中山裕二さん マイク事件を通して、あらためて行政との「信頼」にこだわる被害者の会の中山裕二は今、大石の講演録を手に語った。 「経済優先の政治っていうのは一切変わってないということじゃないですか。環境省は、設立当初はそれなりの理念と正義があって国にブレーキをかける唯一の役所だったという言い方をする人もいたけれど、でもその後経済成長へともう一度舵を切った時にやっぱり抵抗しきれなかったんですよね」 チッソ工場から垂れ流された排水。水俣病が確認されて10年後の1966年まで続いた 水俣病とは、高度経済成長とは何だったのか。戦後の繁栄を享受した私たち日本人はどこまで水俣病に責任を負うべきなのか。ひとりひとりを説得する覚悟が伊藤環境相にはあるのだろうか。 編集後記 本稿の、岸信介元首相がチッソの朝鮮工場を訪れていたというくだりは10年程前の私の独自だった。当時は岸の孫の安倍晋三氏が首相を務めていた時期で、私がその頃勤務していた公共放送局では東京の報道局から「岸元首相の部分を削ったら放送する」と言われ「それではニュース価値がなくなる」と断ったら放送されなかった。今回マイクを切った官僚にもどこかへ忖度があったのだろうか。原稿を書きながらそんなことを思い出した。 ※この記事は、熊本県民テレビとYahoo!ニュースの共同連携企画です。
水俣病患者らとの”ギリギリの関係”を壊した「マイク遮断」事件はなぜ起きたのか 問題を追う記者が見た「解決を阻むもの」(KKT熊本県民テレビ) - Yahoo!ニュース
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田中美津さんご逝去の報を受けての上野千鶴子さんの寄稿文(朝日記事)についての感想です。 上野さんは、ウーマンリブ運動「がつくりあげた波が、後になって『第二波フェミニズム』と呼ばれるようになった」と書いていますが、ウーマンリブと、リブ後のフェミニズム運動は切断されていると私は思っています。 また、「ウーマンリブは欧米から日本に『上陸した』と思っている人たちがいる」というのも、私とは認識が違います。 この記事で書かれている、日本に「上陸した」ものとして噂があったものがあるのだとすれば、80年代に、アメリカで学んで日本にマルクス主義フェミニズムを紹介してブレイクしたフェミニズム学者(上野さん)のことではないかと思っていました。近年アメリカでマルクス主義経済学を学んで日本で反資本主義の本を出した学者がブレイクしてみたいな重なる既視感が記憶に新しいですが、 前者はそこからリブ運動がなくなっていったし、後者も日本の労働運動と接続があるのかと疑問の残る現実ご覧の通りです。まさに「思想」は資本主義的に消費されてなんぼの世界というだけの話かと思います。 そんなことはもうどうでもいいのですが、私がこの寄稿文の記事を読んでどうしても書いておきたいと思ったのはもちろん田中美津さんとリブのことです。 美津さんがリブ時代から晩年に至るまであちこちで書き、繰り返し何度も主張されていたことは、「運動の大義と、個人の欲望が同じくらい大事であるということに、私たち(リブ運動)は立った」とおっしゃっていました。もう少し具体的に美津さんの言葉を紹介しますと、 (公に言っても恥ずかしくないような主張たとえば)「優生保護法阻止」とか「おしりに触るな」といった女全体にとって正しいと思うことを主張することだけではなくて、「私の好きな男が触りたいと思うおしりがほしい」ということも言える人間としての自己形成を求めたんです、と言っておられました。 つまり最もタブーとされている性的なことも言えることによって、自分が何者かを正直に感じられるように生きたいと思ったそうです。 実際美津さんは、セックスワーカー当事者の���を聞きに行くことを大事にしてくれていました。AV強要問題渦中も、業界で働く人の話を聞きに行った上で発言され、私たちが開催したセックスワーカーのためのアドボケーター養成講座(2018年)に強い関心を持って頂き、資料を取り寄せて下さったり、常に現場の当事者の話を聞こうとして下さいました。 こうした美津さんやリブの思想や態度は、リブ後の「フェミニズム運動」では、だいぶ剥ぎ取られていったように私には見えます。 私は運動を始めた最初の頃は、フェミニズム運動やフェミニストたち、女性どうしの連帯、シスターフッドという思いでやってたけど、フェミの中にある、男が喜ぶような女(仕事)かどうかという視点や言葉に耐えられず、必ずしも女性運動の中で助け合わないといけないわけではないし、理解しあうのは難しい、しんどいと思うに至りました。 その結果私は、HIV陽性者、セクシュアルマイノリティ、ひとり親、性暴力のサバイバー、困窮者、外国人、エスニックマイノリティ、障害者、非正規労働者、野宿者、依存症者、被差別部落民、元受刑者、マイノリティの当事者や、様々な支援や社会的排除の問題に取り組む人々そういった人たちの中で、わかりあえる人々と繋がり、一緒になって考えてもらったり相互扶助の関係を作ったりともに共生社会を目指すようになりました。 マイノリティの彼ら彼女らは、セ���クスワーカーと同じようにスティグマと長年闘ってきているから、そのお互いの闘いの経験から得た財産を困っているときに分かち合ったり、何より、どの問題も社会構造の上からきているという問題意識の共有が重要。だから、現在は、女というだけで、無理に女に助けてもらわなくてもいいと考えています。 かつてリブが、女という集団としての全体主義が大事なのではなく、人間としての個として生きる尊厳を大事にする個人主義を訴えたことを、私は自分の運動でこれからも受け継ぎ実践していきます。美津さんありがとう。 https://digital.asahi.com/articles/ASS891T02S89UCVL01NM.html?ptoken=01J4XNBE56H5F1RMAV6EKX3BJW
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小説と本と賢くないお姫様の話
毎日夜9時更新の小説「グロリアの物語」、あと一週間弱で完結です。長かったですが覗いてくださる方どうもありがとうございます!
これは中学生の時に書き始め大人になって完結させた作品で、私の代表作はこれ、と言う予定です。当初の文の雰囲気や書こうとしていたことをできるだけ残しながら、不自然でないように無理やりなんとか整えてあるので多少迷走はしているかもしれません。でもリア���タイム10代による小説の一面もあります。
スタート時自分の年齢と同じ14歳の少女が主人公でした。世に出だした賢いお姫様の話にはそろそろ飽きてきたところでした。それもいいけど、賢いお姫様は大抵人生の最初に勉学以外にも生きるのに必要な愛情や教育を受けた事で得られる武器を持って生きていくのに対して、世の中には周囲からお姫様のように恵まれてると思われていながら、実際は必要な武器を持たされず世に放り出される子供が実はたくさんいます。私はそういう人に出会ってきました。私はその子供たち、そういうお姫様の話が書きたかったのです。 だからグロリアは賢くないお姫様で、泣いたり怒ったり、わからないわからないとぐずぐず悩んで味方も作れず頼っては駄目な人に依存し、まるで子供のようです。(実際10代は現代日本では子供とみなされます。お姫様は本来子供でもいいはずです)持って生まれた性質にはお姫様的なものがあるので、世間的には有利、有能とみなされて、失敗すると怒られたり、理解されず困っても助けて貰えなかったりする、そういったギャップにも苦しまねばなりません。
だからグロリアには本を与えました。本は彼女の友達です。苦しい時も本が彼女の心を救います。これは読むべき、という有名な本でなく、現実に役に立つかわからない本ばかり読んでいたかもしれません。興味が湧いた本をブラウエンやゼクセン領主の書斎から持ってきて広げ、好きなところから読んで、いろんなことを考え、わからないところは後回しにして、絵を見ながら勝手な空想をしていました。賢くはないんです。でも多分本が彼女を作りました。
私も子供の頃からそれと似た感じで本を読んでいました。お小遣い等は貰っておらず、お金が無くて独身時代本はあまり持っていませんでしたが、学校の図書室の床に座り込んで世界の民話全集の「メルヒェン十二ヵ月」「アラビアンナイト」等を端から読み、講談社X文庫やコバルト文庫の作品に出てきたジェイン・エアや嵐が丘、その他いろんな本を読みました。 一番衝撃を受けたのが高1の頃何気なく手に取ったベディエ『トリスタン・イズー物語』、ゲルハルト・アイク『中世英雄物語』です。私はこういう話を読みたかったのに見つからないから自分で書こうと思って小説を書き始めたので、これらを先に読んでいたら自分で小説を書くことは無かったかもしれないと当時思ったくらいです。 クラスメイトに借りた宝塚のビデオの歌詞の名詞を百科事典で調べてボルジア家や塩野七生を知って、女子パウロ会の発行した漫画でクォ・ヴァディスに出会い、親が読んでいた氷室冴子からヘッセ、ゲーテ等ドイツ文学にちょっと興味を持ち、そういった本が少しずつ私を作ってくれたようです。友達も少なくテレビにもラジオにも触れず(ネットも無く)田舎の閉鎖空間で育って世間を知らなかった私には、現代小説は感覚が違いすぎて馴染めなかったのですが、昔の外国の話には何故かわくわくしてドキドキして涙していたのが懐かしいです。
グロリアも大人になって文章を書くかもしれません。大人になっても波乱万丈の人生が確定していますが、落ち着いたらペンをとってみて欲しい。多分お金持ちなので、紙はたくさん使えると思います。
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。 『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。 『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教な��! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その���いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。 同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。 (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入��したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。 (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。 宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。 騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。 こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。 (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。 私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。 (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」��ある。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。 (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。 武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。 「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。 (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。 こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。 世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。 (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。 (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、���派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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カンカン多感
pixiv主催 「執筆応援プロジェクト〜おしごと〜」に参加した際書いた習作です。悩み気味の浪人生が陽気な鍛金職人のところで数日間お世話になる話。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19395132
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「……ここがいいだ工房か」 古びれた民家を思わせる作りの建物を見て俺は一人呟く。手元の地図にも狂いはないだろうし、外側に手書きで書かれたようなパネルが「いいだ工房」と名乗っていた。 季節は初夏に入りかけていて、日差しは徐々に強くなっていた。周囲の木がザワザワと騒いでいる。 まばゆい陽射しの煩わしさからなのか、それとも単に虫の居所が悪いだけなのか自分でも理解できない苛立ちに俺は顔を顰めた。この頃は毎日こんなだ。 俺は手元にある地図をグシャリと丸めてポケットにしまうと、ズンズンと建物の玄関前に向かった。カンカンカンカンと鉄同士���叩いているような鈍い音が建物の中から響いている。……一度インターホンを押した程度では聞こえないのか、音は鳴り止まなかった。俺はため息をついて、もう何度かインターホンを押した。 中から聞こえるカンカンカンという音がピタリと止んだ。ガラガラと扉が開くと、中から一人の男が顔を見せる。面長な顔立ちをしていて、若干自分より背が高い。作業着なところを見ると、おそらくさっきの金属の音は彼の手によるものだったのだろう。俺が会釈をすると、彼はぱぁっと明るい表情をみせた。 「アナタが中田さん、デスか。お話は先生から聞いていマス。ひとまず入りましょう」 工房の中に案内されると鉄特有の香りが鼻腔をくすぐる。嗅ぎ慣れない香りに俺は少し顔を顰めた。老朽化のためだろうか。若干壁は煤や汚れで黒ずんでいる。 前を歩く男性の背筋を伸ばして歩く姿からは生真面目そうな性格を感じさせた。もしこの工房で過ごす中で困ったことがあったとしても、この人に聞けば大丈夫だろう。そんな安心感を感じさせるような背中だった。 玄関から続いている廊下を渡り、工具が散乱した作業場らしき場所を抜けて、少し奥の方にある応接室に通される。 応接室に案内されるまでの通り道で、男性はカタコトの日本語で自己紹介をしてくれた。彼・李俊(リ・ジュン)は、中国からの留学生で、二年前に日本に来たという。大学の講師をやる傍ら、この工房の主人である飯田さんの手伝いをしているらしい。 「先生は今、ちょうど外に出ていますカラ、少し座って待っていてください」 李さんがさし示したソファにひとまず腰掛ける。工房の主人である飯田さんがどこにもいる気配がなかったので少し不安ではあったが、本人が外出していると聞いて納得した。 「ええと、飯田さんはど��くらい外出されている予定でしょうか?」 「ああ、多分、ちょっとしたお買い物デス。中田さんがいらっしゃっいしたことをさっき連絡したので、きっとすぐに戻ってくると思いマスね」 「そうですか。では待っています」 そのやりとりが終わると、李さんがお茶の入った湯呑みをテーブルに置いてくれた。 湯気のたったお茶に手を伸ばす。暖かいお茶を飲むと張り詰めていた背筋の感覚がちょっと緩んできたような気がした。ふうと息をついてから、俺は、ここまでの自分の経緯に頭を巡らせた。
きっかけは祖父の一言だった。 「仁、五月になったら飯田さんのところで三週間くらい勉強させてもらってきなさい」 唐突な祖父の提案に俺は、は?と間の抜けた返事をした。なんでも、いいだ工房の主人である飯田さんは版画家である祖父とは知り合いであったらしい。俺がバンドをやっている話をすると飯田さんが食いついてきて、興味深そうにしていたという。飯田さんは工房で鍛金を中心とする金工制作をする傍ら、何かと特別講師としてあちこちの学校や教室を飛び回っている人で、もし俺が金工制作に興味がありそうであれば、是非いらしてくださいとのことだったらしい。 ちょどその頃、俺は、大学受験に失敗して浪人生になることが確定した時期だった。親はどうしても俺をいい大学に行かせたいそうだったが、俺にとってはそこまでの期待がどうしても重荷になっていた。 支援はいくらでもする。浪人すればいい。両親はそう言ってくれたが、、そんなこと言われたところで、「いい大学に行く」ということが俺のモチベーションに繋がっていないのだからしょうがないだろう。 大学受験のために高校の軽音部も、仲間内で集まってできたバンドもすっぱりやめた。勉強も真面目に取り組んでいたはずだった。そしてこの結果である。そりゃ努力が足りないのは確かだとしても、俺としては、何だかもう解放されたい気分になっていた。 そんな時に、先ほどの祖父の提案だったのだった。浪人確定になって半ば投げやりになっていた俺はそんな提案を渋々承諾して今に至る。 と、ここまでの経緯を脳内で振り返ったところで、ドタドタと言う音が廊下の方から響いてきた。足音がこちらに近づいたと思えば、客室のドアが勢いよく開いた。 「李君!ただいま!!あ、君は仁君だよね!来てたんだね!お待たせしました!!僕は飯田鉱二っていいます!!よろしく!!」 飯田さんはものすごい勢いで捲し立てながら、買い込んできた物を袋から出したり棚に入れたりし始めた。相当急いで返ってきたのか、身体中から汗が吹き出している。李さんは、そんな飯田さんの様子を少し呆れたように眺めている。 「先生、中田さん驚いてマスから」 「え?!あ、ごめんね。驚��せたよね。もう少しで終わるから、ちょっと待っててくれてもいいかな?」 「ああ、いいえ、全然……大丈夫ですよ。ハハハ」 この人にこれから色々教わると思��と何だかちょっと不安になってきた。俺、本当にここでやっていけるのかな……。
少しして落ち着いた感じの飯田さんから改めて紹介を受けた俺はさっそく工房の中を案内してもらった。応接間の隣には道具が収めてある倉庫があり、その奥には作品の保管庫。廊下を戻ると先ほど見かけた作業場に辿り着いた。李さんはすでに作業場に戻っていた。カンカンカンという音がまた響き渡る。飯田さんは机の上にあった銅板を手にしながら言った。 「鍛金のことは裕之さんに少し聞いたと思うけど、仁君には今回銅で器を作ってもらおうかなって思ってるんだけど、どんな感じのがいいとかある?」 「ええ、ど、どんな感じといわれても……」 物作りに興味がなかったというわけではないのだが、正直イメージが全く湧かない。そもそもあの平べったい銅板がどうしたら器になるのだろうと思う。うんうんと悩んでいる俺をみて、飯田さんが、机の近くの棚に保管してあった金工作品を見せてくれた。 「これとかこれは銅板で作ったコップ。こっちとかはサラダボウルとかかな。こういうのはシンプルなんだけど、工夫すればとっくりとか窪んだ模様も作れるし、気になるやつとかある?」 「なるほど……すごいな、銅板ってこんなに変形できるんですね」 「もちろん!ちょっとずつだけど形を変えていけるからね。まあでも、せっかくここにきて3週間かけて作るものだから、仁君が欲しいものとか使いたい物とかがいいんじゃないかな〜って僕は思うけど。なんかアイデア浮かんだ?」 「……えっと、じゃあ、このコップみたいな形のやつに模様を入れたやつって作れますか?」 こんな感じの……と付け加えながら、俺は持ってきたメモ帳に模様を描いた。すると、先生は感嘆したようにそのメモ帳をまじまじと眺めた。 「いいねいいね、なるほどね。うん、全然できるよ」
鍛金というのは一朝一夕でできるような物ではなくて、何度も何度も同じ動作を繰り返しながら形を整形して一つの作品が完成するものらしい。まず、焼き鈍しという工程で金属を火で炙り、加工しやすくする。それを薬品で洗って、それから打ち出しという作業に入っていく。打ち出しは当て金という角度のついた金属に沿わせてトンカチで叩いていくことで、形が少しずつ整形されていく作業だ。焼き鈍し、洗い、打ち出しを何度も繰り返していくことによって、平べったい金属板が器に整形されていくということだった。 とりあえず初日ということで、俺は作りたい形に沿った底を作るために木槌で銅板の形を緩やかに変形させていく作業に入ることになった。底に当たる部分を決め、それを中心に平べったい銅板を起き上がらせていく。作りたい物の底に当たる部分を整えてから、当て金を使って全体の変形をさせていく作業に入っていくというのが大まかな手順だ。 飯田さんは、黙々と作業している李さんを示して少し揶揄うような口調で 「李さんは本当に真面目で結構作り方も丁寧だから、僕がいないときにわからないことあったら彼に何でも聞くといいよ!作業中は耳栓してるけど、李様〜!!って大声駆け��ければ気付いてくれるからさ」 と言った。幸い、その日にそのフレーズを使うことはなかった。ただ、飯田さんも李さんも時々気にかけるようにこちらの様子を見てくれているのを感じた。安全管理という面が主な理由だろうが、飯田さんにいたっては人が作っているのを見ているのが興味深いというような目つきでもあった。俺は何が面白くて素人の作品を見るのか全くわからなかった。 銅板を熱して叩いてを繰り返していると、あっという間に一七時。帰る時間になった。正午くらいにここを訪れたはずだったが、思った以上に没頭していたらしい。 作業着を脱いで道具の手入れをしているときに先生が思い出したかのように質問してきた。 「あ、そういえば仁君、好きなこととかある?」 「……そうですね。特にこれといったものは」 「……そうか。まあ、この時期はそういうときもあるよね。……ああでも、バンドやってるって裕之さんから聞いたけど」 「バンドは……三年の頃にやめました。ちょっと揉めちゃったし、勉強の邪魔になると思って」 「え?そうなの?……楽器は何やってた?」 「ドラムです」 「そうかー。ふーん、ドラムかー。面白かった?」 「ええ、まあ、それなりに」 「へー、いいじゃんいいじゃん」 「ドラム……叩いてたんですか?」 「んー?いやぁ~、僕はちょっとかじったことある程度かな。音楽はからきしでさ。でも……今聞いて僕は思ったね。君は、きっとうちの工房で過ごす時間が楽しいと思うよ」 やっぱ変な人だなと思った。何を考えているのかがさっぱり読めない。バンドのドラムと、トンカチで銅板叩いていることが何の関係があるというのだろう。大体どちらも俺の今後の人生には必要ないことなんじゃないか。そう思いながら、俺は手にある木槌をぎゅっと握りしめた。
それから次の日もその次の日も毎日、俺はいいだ工房を訪れて、黙々と鍛金の作業を続けていた。毎日作業場の窓から射しこんでくる太陽の日差しが斜めになるのを見ては、今日もあっという間に終わったなと思っていた。それほどまでにこの鍛金という作業が俺にとっては面白いのかもしれない。底の部分は四日目程で整ってきて、それから後は当て金を使った作業に入っていた。 作業場では飯田さんや李さんも作業をしているため、部屋にはカンカンカンという音が響き渡っていた。さすがに耳がイカれそうになったので、李さんに倣って二日目からはしっかりと耳栓を用意して作業をしているが、それでも、カンカンカンという音はよく聞こえた。 俺は初日、飯田さんは何だか変わった人という印象ばかり抱いてしまっていたが、数日間過ごしてみると、根が非常に真面目な人であるということがわかった。一旦作業に入るとそれまでの気さくな雰囲気はどこへやら、表情の険しい一人の職人が作業台に鎮座していた。しかし、それ以上に面白いのは、彼が打ち出しの時に出すトンカチの音だ。李さんのようなカンカンといった音と違って、飯田さんはカンカン、カンカンカカンと言った風に一定のリズムを保っていた。そのリズムが面白くて、時々俺はそれが音楽のようにも思えた。真似をしようとしたがトンカチの重さのせいで飯田さんほどは気持ちいい音を出すことができなかった。 初めは平べったかった銅板がだんだんと器の形に近づいてくるの��れ、当て金を使った打ち出しが少しずつ難しくなってきた。銅板が起き上がってくるということは徐々に角度がついてくるということでもある。当て金と器との角度がうまく掴めないのだ。ちょうどいいところに当たれば綺麗なうちだし跡ができるのだが、下手に打つと斜めにずれてトンカチの縁の跡が濃く残ってしまう。トンカチの力加減もただ力任せに叩けばいいという訳ではないのが難しい。うんうんと難しい顔をしながら叩いていると、時々飯田さんや李さんがやってきてコツを教えてくれる。けれど、やはりすぐに習得するのは難しい。なかなか習得できないまま、残り日数が少なくなってきたのを見て、次第に俺は焦り始めていた。受験には落ちるしこんなこともできない自分が情けない。何でもかんでも惨めに感じるような気さえした。 そんな日々が何日か続いたときの帰り際、ふとしたように飯田さんが話しかけてきた。 「最近ちょっと行き詰まってる感じ?大丈夫そう?」 飯田さんはどうやらこの頃の俺の様子を心配してくれたらしい。 「ああ、えっと…多分大丈夫だと思うんですけど、打ち出しが思ってたより難しくって……。今日もトンカチの縁の跡ちょっとついちゃったし」 俺は自分の作っているコップを飯田さんに見せながら言った。飯田さんはコップを手に取って、それから縁の跡を指の腹で優しく撫でた。 「……これね。難しいよね。最後軽く研磨もするけど、跡がひどいとどうしても残っちゃうし、仁君もせっかくなら綺麗に作りたいよね」 「そりゃそうですよ」 数秒間静まり返った。飯田さんはさっきからじっと、俺の作りかけのコップを撫でながら何かを考えている様子でいた。外からまたザワザワと木の葉の音がした。そういえば初めて来た時もちょっと風が強かったなと思い出した。沈黙を破ったのは飯田さんだった。 「仁君って確かドラマーだったよね。やっぱ鍛金で叩くのって楽しいでしょ?」 「……ええ、確かにちょっとドラムというか、太鼓っぽさはあって楽しいです」 「僕は���鍛金っていうのは対話に似ていると思っているんだ」 唐突にそんなことを言われる物だから少し困惑した。ドラムにしろ、対話にしろ、何にでも鍛金に関連づけて考える癖でもあるんじゃないのか。 「対話?」 「そう。その人が好きな話をすれば、相手はちょうどいい反応を返してくれる。でも、こっちが好き勝手話せば向こうは受け止め損ねて話はぐちゃぐちゃになってしまう。……鍛金も同じだと思うよ。力任せにトンカチを振るっても当てどころが悪くっちゃ歪んでいってしまうんだ」 ふうんと思った。対話。なるほど。確かに日常でも話題が悪いとうまく返らないし、自分勝手に話したところで話は拗れてしまうのが常である。それなら、少しわかるかもなと思った。気付いたら、俺はずっと気になっていたことを聞いていた。 「飯田さんの打ち出ししている時の音って楽しそうですよね。やっぱり対話しているからなんですか?」 「え?僕の打ち出しの音……?ああ、まあ、あれは癖みたいなものかもな〜。でもなんか単調にカンカンやってても楽しくないじゃん?だったら楽しくしたくない?」 イタズラを思い付いたかのような顔で飯田さんが言うものだから、俺もつられて笑ってしまった。飯田さんらしい。 「だからさ、力任せにやらなくてもいいよ。あと時間はまだまだあるし。多分一週間くらい残ってるでしょ?」 「そうですね」 「初めっからなんでも丁度よくできる人なんていないんだから、できないことなんて気にしないで、ドラムみたいに楽しく叩きなよ」 「はい。……正直スティックの重さとめちゃくちゃ違うからドラムみたいに叩けってのは難しいですけどね」 俺の一言がよほどお気に召したらしい、飯田さんは、そっかそうだよねハハハだなんて笑いながら作業場を後にした。
そんな日々を通して、いいだ工房で過ごす日はどんどん過ぎていった。三週間が経って、季節が梅雨に差し掛かる頃、俺の銅製のコップは完成した。打ち出しをしながら模様も入れていった自分だけの銅食器は銅の持つ光沢以上に輝いて見えるようだった。 ……結局として俺は打ち出しのコツは掴み切ることができなかった。最後まで李さんや飯田さんからハラハラとした視線を向けられながら、どうにかこうにか形になったという感じだ。とはいえ、あれ以来、器に跡がつくことは少なくなったし、できない焦りよりも楽しい気持ちが最後は勝っていたように思う。 飯田さんは完成したい俺の銅食器を見て、「え!これ、めっちゃいい!見込みあるよ!!弟子にしたいな〜!!大学生になってからでもいつでもおいでよ〜!!」だなんて言っていた。李さんはハイテンションな飯田さんに、先生、誰にでも言ってマスよね〜と冷静な対応をしながらも、「本当によく頑張りマシたね。すごくいいと思いマス」と満面の笑みで伝えてくれた。 工房の中に置いていた私物を整理して、飯田さんや李さんにお礼を言うと、二人は別れを惜しむかのように沢山労いの言葉や激励の言葉を並べまくった。それから、飯田さんから半ば強引に連絡先を押し付けられる形で連絡先も交換した。…こういうところがあるせいで、飯田さんへの変な人だなぁという感想は最後まで消えることがなかった。 いいだ工房を後にしながら、あっという間の三週間を振り返る。思えば何かを学ぶには少なすぎる時間だった。その証拠に俺は初めの頃と俺は何も変わってはいない。何よりこれからは本格的に勉強漬けの日々になるだろう。それでも、自分だけの中にあった鬱憤をカンカンという音でほぐしていけたような気がする。煩わしいものが多かったのに、今は、ポツポツと降り始めた雨さえも、あの時の飯田さんのようにリズムを取っているようで面白くなっていた。 カバンから折り畳み傘を出して、考える。どちらにせよ浪人は確定してしまっている。志望校のこととか、予備校のこととか、向き合わなければいけないことが沢山ある。帰ったら、いいだ工房の話をして、それからこれからのことを親に話してみよう。綺麗に打ち返るかわからないけど、叩かなければ起き上がらないのと同じように、話さなければ、俺の形も曖昧なまま伝わって、どこか歪んでしまうだろうから。 だんだんと雨足が強くなってくる。それでも俺は構わないでのんびりと歩いていると、後ろからカンカンカンという音が聞こえたような気がした。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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電気配線 インドの研修機関
電気技師の未来を支えるために
インドの電気業界では、熟練した電気技師の需要が急速に増加しています。産業の成長、インフラの発展、そして新しい技術の導入により、電気技師はますます求められる職業になっています。質の高い教育を提供する研修機関は、この需要に応える重要な役割を果たしています。
インドの電気業界の概要と技能ギャップ
インドの電気業界は大きな成長を遂げていますが、それに伴い技能ギャップが存在します。多くの若者が電気技師としてのキャリアを追求する中で、専門的な訓練を受ける機会が不足しています。この問題を解決するためには、適切な研修機関と教育プログラムが不可欠です。
インドの電気技師研修機関:比較分析
政府認定の資格を提供する機関
インドには、多くの政府認定の電気技師研修機関があります。これらの機関は、公式な資格を提供し、就職に役立つスキルを身につけるためのプログラムを用意しています。
特定の電気ニッチに特化した機関
一部の研修機関は、特に産業用電気や太陽光発電など、特定の分野に特化したトレーニングを提供しています。これにより、学生は市場での需要に対応できる専門知識を身につけることができます。
カリキュラム、費用、就職支援の比較
各研修機関によってカリキュラム、授業料、就職支援の内容が異なります。以下は、選択時のポイントです:
カリキュラムの内容:基礎理論から実践的な技術まで
費用の比較:奨学金や分割払いのオプション
就職支援プログラム:インターンシップや企業との連携
カリキュラムと認定基準:質の高いトレーニングの確保
国家技能資格基準 (NSQF) の理解
インドの電気技師研修は、国家技能資格基準 (NSQF) に基づいて設計されています。これにより、学習者は業界で必要なスキルを取得できます。
信頼できるプログラムで学ぶべき基礎スキル
信頼できる研修機関では、以下のスキルが教えられています:
電気回路の設計
機器の修理と保守
安全規則と法律の理解
実践的トレーニングの重要性
理論だけでなく、実際の現場での経験も重要です。多くの研修機関では、実習がカリキュラムに組み込まれており、学生は実際の作業環境でスキルを磨くことができます。
電気技師のキャリアパスと就職機会
給与期待と成長の可能性
電気技師の給与は経験とスキルに依存しますが、一般に安定した収入を得ることができます。キャリアが進むにつれて、給与も増加します。
再生可能エネルギーとスマート技術の新しい機会
近年、再生可能エネルギーやスマートホーム技術の需要が高まっており、これにより新たな職業機会が生まれています。
卒業後の雇用獲得のためのヒント
業界内でのネットワーキングを強化
インターンシップの経験を積む
最新技術について学び続ける
適切な電気技師研修機関の選び方:ステップバイステップガイド
認定と評判の評価
研修機関を選ぶ際は、公式な認定を受けているかどうかを確認し、その評判についても調査しましょう。
立地とアクセスの検討
通学の利便性も重要です。アクセスの良い場所にある機関を選ぶことで、通学が楽になります。
教員の専門性とリソースの評価
優れた講師陣がいるかどうか、また必要なリソースが整っているかを確認することもポイントです。
インドの電気技師トレーニングの未来:技術適応の重要性
自動化と新技術の影響
自動化や新技術の導入により、電気技師の役割は変わりつつあります。新しい技術に対応できるスキルが必要です。
持続可能な実践を取り入れる
環境への配慮が求められる中、研修機関では持続可能な技術に関する教育も進んでいます。
政府の取り組みと今後の技能開発
政府は、電気技師育成に向けた数多くのイニシアチブを実施しています。このような取り組みを活用し、将来のキャリアを築いていくことが重要です。
結論:インドでの熟練した電気技師への投資
電気技師��してのスキルを磨くことは、自分の未来への投資です。正しい研修機関を選ぶことで、多くの機会と成功が待っています。
主なポイントと実行可能なアドバイス
資格と専門性を重視する
就職支援プログラムを尋ねる
常に学び続ける姿勢を持つ
更なる研究とキャリア開発のためのリソース
オンライン講座
業界団体のウェブサイト
専門書やマニュアル
今すぐ行動を起こしましょう。あなたの未来はこの一歩から始まります。
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現場業務に特化したAIで、だれでもラクに知見を可視化! 生成AIとマニュアルが相性バツグンな理由──人手不足と生産性の課題解決を支援するスタディストのソリューションとは 2024/10/07 10:00 著者:斉藤俊明 2024年8月22〜23日、東京・歌舞伎座タワーで開催された「TECH+ EXPO 2024 Summer for データ活用」で特化型AIに関する基調講演に登壇した株式会社スタディスト。「業務のコツを誰でも活用! 現場特化AIで現場の知見を共有し、生産性改革へ」と題した本講演は満席となり、参加者の満足度が9割と、盛況なセッションとなった。本記事ではその模様をお届けする。 (写真)講演の様子 講演の様子。会場は満席となり、多くの聴衆からの関心が寄せられた マニュアルとAI、実は世界的にも相性が良い領域 スタディストでは、無駄なく均整のとれた「リーンオペレーション」の実現を支援し、国内シェアトップを獲得(デロイトトーマツミック経済研究所「デスクレスSaaS市場の実態と展望 2024年度版」)したマニュアル作成・共有システム「Teachme Biz(ティーチミー・ビズ)」を提供している。そして2024年6月、「Teachme AI(ティーチミー・エーアイ)」という新機能をリリースした。この機能開発の責任者を務め、“AI Business Connector”という肩書どおりAIとビジネスの接続に取り組んでいるのが木本 俊光 氏だ。木本氏は、ビジネス現場におけるマニュアル運用の現状に照らし、いわゆる汎用型のAIではなく、マニュアル作成/管理を専門とする「特化型AI」に注目する意義から講演をスタートした。 まず提示したのは、少子高齢化による人手不足という社会背景だ。総務省のグラフを引き合いに出し、「日本の労働人口が4割減ることが確実視されています。言い換えれば、今まで10人でやっていた仕事を6人で行わなければならない、さらには10人以上の生産性を求められる時代が今後確実にやってきます」と語った。そのような中で、各社はDXやリスキリング、採用強化、制度見直しなどさまざまな形で生産性向上に取り組んでいると言う。同社は「Teachme Biz」の提供に加えて、2023年、複雑な操作を必要とせずAIのメリットを得られやすいマニュアル特化型AI「AIアシストプラス」のβ版をリリース。約1年の試行期間を経て、2024年6月27日に「Teachme AI」として正式版提供を開始した。同社の検証によると、AI活用によりマニュアル作成にかかる工数を9割以上削減するという。 木本氏は「生成AIは生産性向上に強く結び付く技術です。ある調査では、生成AIツールの使用で58%が少なくとも週に約5時間もの業務時���の削減ができていると回答しており、汎用型AIでも大きな効果が出ています。総務省の報告書を見ると、生成AIがマニュアルも含めた社内ヘルプデスク運用で高い効果が出るという数字が示されており、マニュアルは実は生成AIと非常に相性が良い領域だといえます」と強調した。 「AIを使うことで、まずはマニュアルの作成負担が軽減され、作業が楽になります。また、誰が作ってもわかりやすいマニュアルができるため、品質の担保・底上げにもつながります。そのほか、マニュアル作成時に不可欠である内容チェックの負担を減らせるなど、短期間で簡単に作成できることでマニュアルを作成・活用する範囲が拡大するという効果も期待できます」(木本氏) 一方で、チャット型のような汎用的な生成AIだけでは、マニュアル運用を効果的に進めるのは難しいと考え、これまでのTeachme Biz運営を通じて数千社を支援してきた知見を踏まえ、マニュアルに特化したAI機能の開発を始めたと明かした。 (写真)講演中の木本氏 株式会社スタディスト Teachme Biz 事業本部 プロダクトマーケティングマネジメント室 室長 AI Business Connector 木本 俊光 氏──登壇の様子 動画マニュアルの作成時間を93%削減! そのうえで木本氏は、同社がリリースしたマニュアル特化型AI「Teachme AI」の紹介に入った。大きく分けると動画マニュアルを作成するAIと、テキストのマニュアルを作成するAIが搭載されており、動画ではマニュアルの半自動生成、自動字幕、ステップ概要生成、テキストではドラフト生成、校正・要約といった機能が備えられている。木本氏は、製造業における部材の高速切断機の使い方を説明する動画マニュアルを表示し、解説した。 (図)マニュアル作成をサポートする5つの機能 「たとえば1分程度の作業を動画でマニュアル化する際、通常の作り方では多くの手間がかかります。まず元になる動画を撮影し、内容を理解するためにその動画を何度か見たうえでマニュアルに利用するシーンを選び、編集し、字幕や見出し・説明文などを入れ、さらに内容をチェックした後に調整するとなると、かなりの時間を要してしまいます。これをTeachme AIで行うと、元の動画ファイルを登録し、実行ボタンを押すだけでAIがすぐに働き出します。あとは再生時間よりやや短い間待つだけで、AIが動画から適切なシーンを選び、字幕や説明文なども入った半完成状態に作り上げてくれるので、確認と必要な編集・調整を行うだけで完成です。完成した動画は言語の切り替えも可能なため、外国籍の労働者でも母国語で手順を確認することができます。」(木本氏) 木本氏の実演を見ると、動画ファイル登録から2分もかからないうちにマニュアルが8割方完成していた。短い動画でも大きな工数削減効果があるわけで、これがより長尺の動画マニュアルになるとその効果は計り知れない。 とある小売店舗の作業事例ではシーン分割に42分、字幕編集に40分、テキスト入力に20分と計1時間42分かかっていたところ、「Teachme AI」ではわずか7分で終わり、作成時間はなんと93%削減されたという。 (図)作成時間93%削減 「これまでの動画マニュアルは、数分の作業動画でも数時間かけて作成・編集するのが当たり前でした。その作業が動画登録と実行ボタンクリックだけで7、8割出来上がり、あとはポイントや字幕・説明文だけ調整すれば完成するのです。これは、作成の速さはもちろん、AIが必要な下処理をしてくれるため、マニュアルのクオリティが安定する面でもお喜びいただいています」と木本氏は言う。例えば、現場のベテランが本来の業務で忙しくマニュアルを作る時間がない場合でも、ベテランが新人に現場で教えるシーンを動画に撮りさえすれば、マニュアル作成自体は新人に任せ、最後にベテランにチェックしてもらうといった効率的なフローも作り上げられる。 (図)従来の動画マニュアル作成との工程比較 マニュアルは「0から作る」から「調整する」時代へ 続いて、テキストマニュアルの作成についても解説が行われた。 「Teachme AI」でテキストマニュアル作成を始めると、まず「何のマニュアルを作りますか?」と入力項目が表示される。ここでマニュアルの概要(出張申請の方法、など)を入力し、続く「内容や表現の希望はありますか?」の項目で想定閲覧者(新入社員、など)、表現スタイル(簡潔に、など)、ステップ数などを入力すると、AIによる提案が表示される。木本氏によると、これらの入力項目はリリース当初は何も書かれていない真っ白な欄だったが、それでは適切な入力方法で迷う方がいると判明した。そこで、正式版では記入のヒントとなる内容がある程度入力されており、誰でも適切な入力をしやすい仕組みに改善したとのことだ。 ガイドに合わせて入力するだけで、AIが1分程度でマニュアル構成を提案するので、あとは適宜調整すればテキストのマニュアルが出来上がる。作成だけでなく、校正機能やわかりやすい日本語への書き換え機能も搭載されており、作る側にも見る側にもやさしく、品質的にも安定したマニュアルが簡単に完成するわけだ。 「人がやろうとするとゼロから構成を書き起こして作るのに対して、AIでは作業名と条件さえ入力すればわずか1分で整理されたマニュアルのたたき台が出てきます」と木本氏。「Teachme AI」を活用することで、人間はマニュアルをゼロから作るのではなく、AIが作ったものを調整するというスタイルに変わっていく。当然ながら作成にかかる工数は圧倒的に削減され、その分を他の業務に充てることも可能になるだろう。さらにマニュアルの作成速度が高くなることで、マニュアルを活用した教育や育成も効率的におこなうことができる。本講演で、人手不足時代に求められるAI活用術を垣間見ることができた。 もちろん、クオリティを担保しながらここまでの省力化を実現するマニュアル特化型AIの開発には、AI自体の知見と、業務に関する知見、そしてユーザーに関する知見が必須だ。木本氏は最後に、スタディストではこうした知見を組み合わせ自社で試行し、さらに250社以上の利用と検証も経ながらAI開発を続けてきたことを明らかにし、「生成AIは扱いが難しく、作業現場での導入が容易ではないと感じるかもしれませんが、特化型AIでお役に立てる余地は大いにあるはずです」と講演を締めくくった。 *** 講演後、同社の展示ブースには多くの来場者が集まり、「Teachme Biz」と「Teachme AI」で実現するマニュアルDXの世界観について盛んに質問する様子が見られた。木本氏は講演と展示についてこう振り返った。 「AIの社内活用がなかなか広まらない、業務への適用が難しいとお悩みの方々に、実はAIは簡単に役立てられるということをお伝えしたいと思いました。実際にブースでは、マニュアル作成業務にAIが使えるイメージを持っていなかったという声が多く寄せられたため、新たなAIの業務活用方法をご紹介する良い機会となりました。AIを業務で上手く活かしていきたいと考えている企業様に向けて、ぜひ詳細をご説明できればと思いますので、お気軽にお問い合わせください」(木本氏) (写真)ブースの様子1 (写真)ブースの様子2 (写真)ブースの様子3 ブースの様子。多くの来場者が立ち寄り、サービス説明や質疑応答が盛んに行われた。
現場業務に特化したAIで、だれでもラクに知見を可視化! 生成AIとマニュアルが相性バツグンな理由──人手不足と生産性の課題解決を支援するスタディストのソリューションとは | TECH+(テックプラス)
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2024/10/3 18:00:02現在のニュース
女性の稼ぎが男性より多いと破局のリスクが増加 仏研究所調査が話題 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/3 17:58:12) 副大臣・政務官人事、衆院選控え大半は再任 女性の政務三役は4人(毎日新聞, 2024/10/3 17:55:07) 孫正義氏、高性能AIの開発を重視 SBG自社イベントで講演(毎日新聞, 2024/10/3 17:55:07) 福井県沖の遺体、能登豪雨で安否不明の中3女子生徒と判明 福井海保(朝日新聞, 2024/10/3 17:54:59) 年1千件以上の不発弾「終わらない戦後」 日本軍基地由来の空港でも(朝日新聞, 2024/10/3 17:54:59) 石破氏、衝撃発言で鮮烈なNY市場デビュー - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/3 17:54:55) 世界は食べ続けられるか? 「飽食」脅かす温暖化と人口増 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/3 17:54:55) 「石破茂首相は、言葉で物事が揺れ動くことを承知して」 東商・小林健会頭「今は金融引き締めの段階でない」(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/3 17:46:38) 原爆被害に「国境ない」 被爆者の森重昭さん受賞 オバマ氏と対面も(朝日新聞, 2024/10/3 17:46:22) 法人税の引き上げ論に経団連が待った 来年度の税制改正に向け提言(朝日新聞, 2024/10/3 17:46:22) 「比例名簿順、上位に」 10増10減で自民党本部に広島県連が陳情(朝日新聞, 2024/10/3 17:46:22) ノーベル賞の真鍋さん 母校東大に 渡米のきっかけの研究を振り返る(朝日新聞, 2024/10/3 17:46:22) 世界に誇る宇宙観測所でも財政難 天文学者がみた「負のスパイラル」(朝日新聞, 2024/10/3 17:46:22) 旧石破派がパーティー収入80万円不記載の疑い 19~21年開催分(朝日新聞, 2024/10/3 17:46:22) 船井電機の上田智一社長、グループ企業含め全役職から退任…理由は非公表([B!]読売新聞, 2024/10/3 17:42:54) うんこドリル、大王製紙とコラボ…「うんとこすれる」「幸うんの香り」([B!]読売新聞, 2024/10/3 17:42:54) 新環境相の浅尾慶一郎氏「世界的に地球環境に関心ある中、大変ありがたい」([B!]産経新聞, 2024/10/3 17:42:49) 「リクルーター」役2人逮捕 カンボジアのホテル拠点の特殊詐欺事件(朝日新聞, 2024/10/3 17:38:34) 広島のウーオ、水産卸を24時間電話注文から解放 アプリ受発注を導入 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/3 17:36:51) 泉鏡花文学賞、2作品に決まる 北村薫さんと朝比奈秋さん(毎日新聞, 2024/10/3 17:33:31) ポッドキャスト:Wホストで再開!国際ニュース編 初回は韓国のディープフェイク問題(毎日新聞, 2024/10/3 17:33:31) K‐1元王座のキックボクサーを大麻所持疑いで逮捕 警視庁(毎日新聞, 2024/10/3 17:33:31) スズメやオナガの減少深刻 里山の鳥・チョウ個体数調査 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/3 17:30:08)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)7月7日(日曜日)
通巻第8321号
英国で保守党惨敗、イランでは改革派大統領が当選
ウクライナ戦争は停戦が射程に入ったか?
*************************
2024年7月5日、クレムリンでプーチン大統領とハンガリーのオルバン首相が会談した。「ハンガリーのトランプ」と言われるオルバンは現在EUの輪番議長であり、モスクワへは電撃訪問だった。
プーチン大統領は「キエフがドンバスと他の2つの旧地域から軍を撤退させ、中立の立場を約束すれば、ロシアは直ちにウクライナとの和平交渉を開始する用意がある」と提案してきたが、ゼレンスキーはプーチン提案を即座に却下した。
モウクワ訪問の3日前(7月2日)にオルバンはキエフを訪問し、ゼレンスキーと会談した。
「モスクワとキエフの立場は依然として大きくかけ離れている。戦争の解決に近づくためには、多くの措置を講じる必要がある。しかし、ロシアとウクライナの長引く紛争が欧州地域全体に影響を及ぼしている」と憂慮を示した。
ウクライナ政府は、オルバンのロシアへの電撃訪問に憤慨し、「訪問について事前に知らされていなかった」と不満を表明した。
プーチンvsオルバン会談は、ハンガリーがEU理事会の6か月間の輪番議長国に就任した直後だったので、ウクライナばかりか、EU政治に大騒動を運んだ。
第一にオルバンにはEUを代表する交渉権限は付与されていない。
第二にオルバンは長年、EU内での問題児だが、逆にプーチン大統領が信頼する同盟者であり、EUのウクライナ支援に懐疑論を展開してきた。
「宥和政策ではプーチン大統領を止めることはできない」と欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長は反対意見を述べた。
NATOのストルテンベルグ事務総長は「オルバン首相はハンガリーの指導者として訪問したのであり、NATOを代表するものではない」と釘をさした。
EUの次期外相に指名されているエストニアのカラス首相は「オルバン氏はEUの立場をまったく代表していない。EU議長国の地位を利用して混乱を招いている」と批判した。
オルバンはこれらの批判に対して、「私がやっていることは一つ。戦争の脅威がある場所、ヨーロッパとハンガリーに悪影響を及ぼす戦争がある場所に行って、事実を明らかにすることです。だから私は質問をするのです。例えば、私はゼレンスキー大統領に重要な質問をしました。それらについて彼がどう考えているか、彼の意図、彼の越えてはならない一線、境界線はどこにあるのか、平和のために彼がどこまで踏み込めるのかを理解するためです」とオルバンは語った。
「事態を正確に把握せずにEU幹部らが居座るなら、平和に近づくことはできない。なぜなら、平和は自然にはやってこないからだ」とし、オルバン首相は続けた。「もし何かが出来し、それが突然、平和につながると考えるなら、戦争の自然な歴史を誤解している。誰かが行動を起こさない限り平和は訪れない」
言葉は慎重だが、正論ではないのか。要するにEU幹部のウクライナ戦争への間違った対応を批判しているのである。
こうみてくると、欧州政治はアメリカと同様に深刻な分裂状態に陥っているとみてよいだろう。
▼エルドアン(トルコ大統領)も鵺的行動はお得意
一方、早くから仲介役を演じたトルコのエルドアン大統領はカザフスタンの首都アスタナで開かれた上海協力機構(SCO)首脳会議から帰国する際に、大統領専用機内で記者団に対し、「残念ながら、西側諸国には第三次世界大戦への道を開くアプローチを支持する国や勢力がある」と嘆いた。
エルドアン大統領は、「西側諸国がウクライナに軍事援助を注ぎ続けているが、これは武器製造業者の思惑だ。武器商人が資金を必要としているのは明らかだ。そして武器商人の市場は西側だ」と欧米政治家が忌避する論争の本質を衝いて、強く非難した。
エルドアンが提唱した「イスタンブール合意」というのはウクライナの交渉代表団が署名した文書である。
ウクライナが永世中立を約束する一方で、一定の安全保障の保証と引き換えに軍の規模を縮小することが想定されている。しかし当時の英国首相ボリス・ジョンソンが交渉を妨害した。ジョンソンがキエフを二度、三度訪問してゼレンスキーを鼓舞し、戦闘継続を促す役割を担ったことは明らかである。
ところが、その英国でジョンソンはスキャンダルで辞任し、トラスは線香花火、暫定でしかなく、旧植民地のインドから英国へ移住した裔のスナクが首相となってウクライナ政策を引き継いできたが、総選挙で保守党が惨敗隣、労働党政権の下で、ウクライナ支援の姿勢が劇的に変わる可能性がある。
▼英国で保守党惨敗、イランでは改革派大統領が当選
7月5日投票の英国総選挙は保守党が惨敗し(労働党412、保守党121、自由民主党71、リフォームUK5、緑の党4)、労働党のスターマー政権が発想した。そのため政策がひっくり返るかと見えたが、スターマー首相はすぐさま、バイデンとゼレンスキーに電話し、外交路線の継続を伝えた。
「英国のウクライナ支援の立場は変わらない。もし米国にトランプ政権が誕生しても、協力する」とし、米英首脳会談が7月9日からのNATO会議の合間に行われると述べた。
スターマー首相はオックスフォード大学卒、弁護士出身。検察官としてはナンバー3の役職(日本における検事総長に相当)を経て、2015年に政界入りした。
イランでは保守派有利とみられていたが、改革派候補が大統領に当選する番狂わせがおきた。これはライシ前大統領が5月にヘリ墜落で死亡したことによる。改革派のペゼシュキアンは大差をつけた勝利となり、2001年のハタミ大統領以来、23年ぶりに改革派大統領の登場となる。ただし、白票が五〇万票もでたうえ���有権者の半分は投票に行かなかったので、どれほどの民意が反映されているかは不明である。
フランスも鵺的だった。仲介役のマクロンの仲介案を誰も相手にしなかったばかりか、下院総選挙でルペン「国民連合」に第一党の躍進を許した。
かくしてロシアとウクライナがハンガリーとトルコの仲介にどことなく和平へのチャンネル維持のために期待している。なぜならハンガリーは嘗てのオーストリア・ハンガリー帝国の栄光の残影が濃く、トルコは嘗てのオスマントルコ帝国の歴史が刻まれているからに他ならない。
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2023年6月26日 22:10 モスクワ、クレムリンにて 友人諸君、 本日、改めてロシア国民のみなさんに告ぐ。みなさんの自制、一体性と愛国心に感謝する。この国民的連帯は、あらゆる恫喝、国内騒乱を引き起こそうとするあらゆる試みが失敗を運命づけられていることを示すものである。 繰り返そう。社会と政府の行政法制部門はあらゆる階層で、高い団結ぶりを示した。公共機関、宗教の宗派、主要政党や、実際問題としてロシア社会のすべてがきっぱりと一線を保ち、憲法的な秩序を維持するという明示的な立場を採った。肝心なこと——父祖の地の運命に対する責任——が万人を団結させ、人々をまとめ上げたのである。 興った脅威を中和化し、憲法制度と国民の生命や安全を保護するために必要なあらゆる決断が、このできごとのきわめて初期から即座に下されてきたことを強調したい。 武装反乱はどのみち制圧されただろう。反乱を企んだ者は、適切さを失ってはいるが、それを理解していたはずだ。彼らはすべてを理解していた。自分たちの行動が犯罪的な性質のものであり、人々を二極化され、国を弱体化させることも知っていた。その国はいまや、すさまじい外部の脅威に対抗しており、外部からの空前の圧力を受けているのだ。彼らがそれをやったのは、同志たちが前線で「一歩も退くな!」を標語に命を落としているときだったのだ。 だが国とその国民を裏切った、この反乱の首謀者たちは、この犯罪に引き込んだ者たちをも裏切った。首謀者たちは彼らにウソをつき、死に追いやり、攻撃にさらし、自国民を撃つように強いたのだ。 ロシアの敵——キエフのネオナチども、その西側のご主人どもや他の国民的裏切り者ども——が見たかったのはまさにこの結果、分断だったのだ。ロシアの兵士たちがお互いを殺し合うようにしたかった。軍人や民間人が死ぬのを見たかった。ロシアがいずれ敗北し、我々の社会がばらばらになって、血みどろの内紛の中で消滅してほしいと思っていた。 やつらはもみ手をしつつ、前線での失敗や反攻なる代物の失敗に対する復讐を夢見ていたが、連中は誤算をしていた。 反乱者たちの前に立ち塞がった、あらゆる軍人、法執行担当者、特殊サービスの人々に感謝したい。その責務を、誓いと国民への忠誠を忠実に守った人々に。撃墜された英雄的パイロットたちの勇敢さと自己犠牲が、ロシアを悲劇的かつ悲惨な結果から救ってくれた。 同時にワグネルグループの兵士や指揮官の大半は、国民と国家に忠実なロシアの愛国者でもあることを、我々は以前から、そして今も知っている。ドンバスとノヴォロシア解放での戦場における彼らの勇気がこれを証明している。彼らを当人たちの知らないうちに利用して、祖国とその未来のために肩を並べて戦っている、武装した同志たちに刃向かわせようという試みが行われたのだ。 だからこそ、こうしたできごとが展開し始めると同時に、私の直接の指示に従って、流血を避けるための手段が講じられたのである。これには中でも時間がかかった。というのも間違いを冒したものたちは、気を変えて、自分の行動が社会によって強く拒絶されることに気がつき、自分たちが引き込まれた無謀な試みが、ロシアにとって、我が国にとって、どれほど悲劇的で悲惨な結果につながるものかに気がつく機会を与えられねばならなかったからだ。 正しい判断を下したワグネルグループの兵士や指揮官たちに感謝を述べたい——それ以外の決断はあり得なかった。彼らは国を分断する流血を避け、引き返せない地点に到達する前に止まってくれた。 今日、君たちは国防省か他の法執行機関や公安機関と契約してロシアへの軍務を続けるか、あるいは家に帰る機会が与えられる。行きたい者は自由にベラルーシに行ってもいい。私は約束を守る。繰り返すが、だれしも自分なりの決断を自由に下せるが、私は彼らの選択が、自分たちの悲劇的なまちがいに気がついたロシア兵としてのものだと信じる。 ベラルーシ大統領アレクサンドル・ルカシェンコに、状況の平和的な解決に向けた努力と貢献について感謝する。 この日々の間に、国民の愛国感情とロシア社会の団結が決定的な役割を果たしたことは繰り返しておきたい。この支持こそが、母国のとっての最大級の脅威と試練を共に切り抜けることを可能にしてくれたのである。 これについてお礼を申し上げる。
再びロシア国民に向けて:プリゴジンの乱の弁解 (6/26) - 山形浩生の「経済のトリセツ」
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新疆に関する衝撃的な真実 2018年8月のあまり注目されなかった軍事会議で、戦略家のローレンス・ウィルカーソン大佐は、大規模な米軍部隊がアフガニスタン本国から1万2000キロも離れたところにある3つの本当の理由を、カメラの前で生ステージで明らかにした。 1. 中国の新たな双方向貿易ルートである「一帯一路」構想がこの地域を通っており、米国は「軍事力でそれに影響を与える」ことができるようにしたいと考えていた。 2. 米国はパキスタンの核兵器に近づき、「必要に応じてその備蓄を利用して安定化」できるようにしたいと考えた。 3. CIAは中国を不安定化させたいと考えており、情報戦略家らはその最善の方法は新疆ウイグル自治区の中国ウイグル族の不安を煽って中国政府に圧力をかけることだと判断した。 するとウィルカーソン大佐は笑いながらこう付け加えた。しかし、それは可能性です。だから私たちはそこにいるのです…」 彼は見事に的を射ていた。 2018年後半以降、CIAは新疆ウイグル自治区でのウイグル族の「暴動」に関する否定的なニュースを大量に発表し、これが中国政府への圧力となった。 。 CIAグループ わずか数カ月後の2019年、西側メディアは新疆ウイグル自治区で起きた気の遠くなるような数の大規模な残虐行為について、「世界ウイグル会議」と呼ばれる団体による多数の報道を掲載していた。 そして、このグループが海外の不安定化グループに資金を提供するCIAの一部門である全米民主主義基金(NED)から資金提供を受けていたことを読者に知らせるため、あらゆる言及は省略された。 「強制収容所にいる数百万人のウイグル人」に関する統計やその他のデータは、「ウイグル人権プロジェクト」によって提供された。このグループも NED から資金提供を受けており、情報は西側メディアの読者には提供されていません。 そして、「虐待されたウイグル人」へのインタビューは、「ウイグル人のためのキャンペーン」と呼ばれる団体によって提供された。この団体は、ご想像のとおり、NEDから資金提供を受けている。そして、いいえ、ジャーナリストは読者に資金提供を決して明かさないように注意していました。 謎のトロールファームが出現し、「強制収容所」での死者数が現在600万人以上と確認されているという「事実」に対する大量のほのめかしがツイッターに殺到した。 。 レポートライター 西側メディアの主な情報源は、反中国団体のために活動するエイドリアン・ゼンツ氏だった。彼は自分自身をドイツの独立研究者であると称していましたが、実際にはワシントン DC に拠点を置く反中国団体「共産主義の犠牲者」で働いていました。 ジャーナリストのトム・ファウディ氏は、謎の寄付によってグループの収入が2018年度には年間100万ドルに跳ね上がったことを明らかにした。 ASPIと呼ばれるオーストラリアの団体は、ビジュアル面に関して、新疆の強制収容所と慎重に誤ってラベル付けされた学校や自治体の建物の航空写真を送信し始めた。これらは西側メディアによって広く報道されたが、修正されることはなかった。 メディアはまた、ASPIは米国とオーストラリアの軍事部門によって後援されており、現在も後援されており、そのかろうじて隠蔽された使命は、西側の兵器産業への巨額の公的資金の流用を正当化するのに十分な中国人に対する憎しみを生み出すことであったことを読者に伝えることを省略した。 。 極度の冷笑主義 2017年に麻薬リハビリテーションセンターで座ってイスラム教徒の宗教講演者に耳を傾ける青い服を着た男性の画像が、2020年には強制収容所で残忍な虐待を受けた囚人であると誤って報道され、ほぼすべての主要主流メディアによって報道された。 国連人権委員のミシェル・バチェレ氏が、メディアの記事を逆戻りさせる非常に誤解を招く報告書の批准を拒否したとき、ほとんどがアメリカ人である同組織のスタッフは彼女の署名なしで報告書を発行した。 CIA はまた、ウィキペディアのすべての参照を管理して、物語と一致させるようにしました。 。 マスターストローク 要するに、ウィルカーソンが言及したCIAのキャンペーンは大規模で、驚くべき成功を収めており、エコノミストからガーディアン、ニューヨーク・タイムズ、BBCに至るまで多様な出版物が、偽の物語、ロック、ストック、バレル全体を飲み込んでいる。 筆者の意見では、CIA の見事な功績は、死の収容所にいる何百万人もの人々の偽りの物語を、部分的な真実に基づいて作成することであった。脱過激化プログラムは、他国と同様に新疆ウイグル自治区にも存在しており、中国当局者は、地球上の他の国の役人たちと同じように、宗教については不器用で鈍感だ。 しかし、本当に衝撃的なのは、西側報道機関の怠惰とだまされやすさです。 なぜ彼らはそんなに簡単にだまされてしまうのでしょうか? 米国国務省は地表からわずか 1 センチメートルの深さで、巨大なホースから税金を全方向に噴射しています。 なぜ誰もそこまで掘らないのですか?
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--深海人形-- 反面の彷徨い人
※立てば羅刹、座ればオルタ、歩く姿はシャドー桃玉(カー⚪︎ィ)。
※閲覧注意
※キャラ崩壊・改変注意
※修羅・羅刹ネタ
※同キャラ対戦的要素注意
※何時ものガトーとシロッコに飽きてる方向け
※…以下、プロローグ(?)を収録して居る記事
簡単な紹介
修羅ガトー
毎度御馴染み、何時もの、そこらへんでよく見掛けるアナベル・ガトー。本当に、間違い無く羅刹ガトーは、ガトー本人から生まれた存在であるにも関わらず、基本的に羅刹ガトーを偽物扱いする。
羅刹ガトー
性格も外見もとてもガトーと同じとは言い難い筈なのに、其れでも、ガトーであると言い切る事が出来る存在。
彼を、『アナベル(紫陽花)』に対して、龍爪花 『ロンツァォファ(※曼珠沙華 ※日本では不吉だが、中国では天界に咲く吉祥の華)』とイメージする人も居る。
…。
修羅シロッコ
毎度御馴染み、何時もの、そこらへんでよく見掛けるパプテマス・シロッコ。修羅シロッコは羅刹の方を偽物扱いする(シロッコ本人から生まれた存在であるにも関わらず)。
羅刹シロッコ
外見も性格も大きく違うが、シロッコと同一の存在である。
各周囲では、『宣教者(Puptimus)』に類する『神の侍者(Acolyte)』と見做している者も多い模様。シロに対するアカ。紅白。めでたいね。
…。
※実質エピローグ
--逃げてばかりじゃダメ……。
闘ってばかりでもダメ……。
ナコルル、
ひとつに戻りましょう。
私たちはずっと一緒だから。
--サムライスピリッツ零 レラ
--最後に決めるが良い…。俺は、御前に、地獄に迄ついて行く。『ついて行ってやる』では無い。ついて行くのだ。とどのつまり、俺は御前だからだ。人が人であり限り、自我との対話は続く。未だ、御前は人間だ。
「…お、俺は……。」
…一体、自分自身をどうしたいか。
…次に俺は、答えた。
--紅と空色の〜Bio Crusher.より
…。
最終私闘 ガトー編
其れから、星の屑作戦の本格的始動と其の発令も近いと言う時期に、羅刹の方は、星の屑作戦についての機密重要文書を旗艦最奥の金庫から奪った後、ザクIIに乗って投降を開始した。
「如何したアナベル?星の屑作戦の全貌が、俺の所為で連邦に知れ渡ってしまうぞ?」
其の時、修羅の方は、何かを直感する。…そして。
--もしかすると、彼奴……、
「大変です!ガトー少佐!!艦隊極秘の機密文書を持ってザクIIで逃げました!!」
「ザクIIでか。…其れは其れだが、…彼奴……!真逆、あの資料を持って連邦に投降する気か!…兎にも角も、私は、彼奴と同じザクIIで出撃する!整備兵!準備をしろ!」
「……然し、少佐!…何故です?何故、もっと良い機体で出撃なさらないのですか?!」
----彼奴が私から生まれたと言うのなら、私が彼奴に引導を渡す迄だ!
「アナベル・ガトー少佐!ザクII!!出撃する!」
…。
「…流石に、今すぐには来ないよな?…何、真逆??!」
「……見つけたぞ!逆賊!」
「もう来たのか!」
羅刹の方は、修羅の方の、驚異的な自分に追い付く速さに酷く驚く。
「不倶戴天!!貴様だけは決して許さぬ!」
「はて、…何を吠えて居るのやら?…俺は御前自身なのに、鏡に吠え散らかして例え自らの手が大怪我しようが構わず叩き割ろうとする莫迦が。」
すると、其の言を聞いたガトーが、キレキレになりながら反論する。
「其れならば、御前の様なのが決して映らない、新しい鏡を調達する迄だ。」
「新しい鏡を用意するだと?!」
「お前の様なのが映る鏡なぞ、日常使いで無くても、其の姿が少しだけでも映るだけで、もう耐え切れぬしな。」
「…生意気な!俺はお前が置き去りにした過去だ!今此処で俺を置き去りにした事を後悔させてやる!其の鏡を用意する暇も無くな!」
此うしてはじまった、ザクII同士の一騎撃ち、…其の勝敗の行方は……。
…。
ガトー対極統合達成エンド
可也激しい戦闘の末、羅刹の方の機体が中破した所で、羅刹の方は停戦を持ち掛けて来た。
「如何した?偽物の方?」
「良かったな。アナベル、お前の勝ちだ。艦隊が機密資料にして居る大事な奪った資料は返す。此方に来い。」
「流石、私自身と言った所か。実に物分かりが良くて渡りに舟だ。」
あっさり、素直に、羅刹の方が乗って居たザクIIの所に来る修羅の方。其れから、羅刹の方がコックピットを開けたのを見て、すかさず其処に入る。
「…おい、資料は何処だ?」
「…さて、元に戻るとするか!」
そして、羅刹の方が修羅の方の両手首を、掴んだ瞬間……。
…。
「…嗚呼、…夢だったのか?」
其の時、ガトーは、ムサイの窓際で目を覚ました。そして、通りすがりのケリィが声を掛けて来る。
「其んな所で居眠りとは。ガトー、お前らしく無いな。風邪を引くぞ?」
「…ケリィ…。」
其のケリィの言葉を聞いて「すまん、心配させてしまって。」…と言った後ケリィが去って行くのを見届けたガトーは静かに考えはじめる。
「…羅刹の私、…彼奴は、此の私が、過去に置いてきた『者』……、か。」
そして、艦の窓から、ガトーは、広大極まり無い宇宙(そら)を見つめた。
…。
最終私闘 シロッコ編
…ダカールの演説よりも前の時期に、『AEUGへ、講和の為の重要文書を持って投降する』と言い出した上に、GMに乗って逃亡した羅刹の方。一方、此んな事でティターンズが解体されては困るので、其奴をシバく為に、修羅の方も羅刹の方と同じGMに乗って、羅刹の方を追い掛けた。
其の後行われた、GM同士の一騎撃ちは、
→修羅の勝ち
→引き分け
…。
→修羅の勝ち
シロッコ対極統合達成エンド
「君の勝ちだ。好きにすると良い。」
…。
「…あれは、…夢……だったのか?」
「パプティマス様!!」
「…すまない。心配させてしまって。少しの間だけ、居眠りして居た様だ。」
「御体は大丈夫ですか?」
「何とか大丈夫だ。…さて、…さぁ、新型機のテストにでも行こうか。」
そして、彼は、サラの右手首を掴んで歩き出す。
「はい!」
…。
→引き分け
シロッコ対極同士其々独自路線エンド
最後の最後迄、決着が付かなかった。やがて、羅刹の方は、「休戦だ」と言った後に、重要文書をビームサーベルで焼いてから、機体から降り、シロッコの乗る機体の側に寄るって来て、中に入ろうとして来た。…更に、其れを見た修羅の方のシロッコは、--其の時だけは--特別に--簡単に、自分のコックピットの中に、羅刹の方を入らせる。其の後、修羅の方が、羅刹の方に話し掛ける。
「…下手をしたら、ティターンズがジャミトフとバスクごと吹っとんでたぞ……。…何て人騒がせな奴だ……。」
「其れは、君もだろう?…で…��…、…今から、僕と一緒に風呂に入らないか?」
「ふんっ、実に御前らしいな。」
…。
此うして、修羅の方もすんなりと風呂に入りながら、綿密に話し合いをした結果、羅刹の方も修羅の方と同じく一つに帰る事を嫌がった事で、其々別の存在として生きて行く事を決めた。
…そして、最後に、シロッコが、安堵の声で此う言う。
「…然し、何処か寂しい気もする……。」
…。
次の日。
此れから、完全別個体として存在する様になる羅刹の方に別れを告げる為に、シロッコとサラは、彼の見送りに来た。
「…あ、あの……、」
「又、何時か会えると良いですね。…僕の愛おしい乙女ちゃん!」
羅刹の方が中々別れの言葉が出ないサラの方に手を伸ばそうとした其の瞬間、修羅の方が羅刹の手を強く叩く。
「ケッ!!」
「…其う怒るなよ!もう手を出したりしないよ。」
「…全く……。」
其の言葉を聞いたシロッコは、すぐに冷静になった。
其の後、羅刹の方の旅立ちを見送った後、其れから、シロッコとサラは軽く以下の会話をする。
「あの人も私の事好きなんですね、パプティマス様……。」
「まぁ、彼奴は元々私ありきの存在だからな。」
其れから、夜、一人になって、タイタニアとオーヴェロンの設計図を見ながら、一人、羅刹の方の事を思う。
「…修羅(私)は修羅(私)、羅刹の方は羅刹の方。彼奴は彼奴で宜しくやって行くだろうな。」
…。
後日、エゥーゴ所属戦艦アーガマ内。
「…此んな船に侵入者とは……、…君は誰だ?」
「初めまして、クワトロ バジーナ大尉。私は、『アカライト・R・ハインライン』と申する者です。」
…。
「…あれは、…夢……だったのか?」
如何やら、少しの間だけだが、シロッコは居眠りをして居た様だった。
…。
あとがきと思いきや駄文
話が分かり易くなる様に格ゲー名物プロフィール欄
名前 修羅ガトー/羅刹ガトー
生年月日 U.C0058
出身地 サイド3
身長 195cm
武器銘 公国軍正式採用拳銃と軍用ナイフ
流派 公国軍式軍隊格闘術
好きなもの 愛国心、大義、アルコール類、忠義/甘いもの、可愛くてインテリでクレーバーな女性、デラーズ閣下、戦闘機とか航空機の模型
嫌いなもの 地球連邦其の物、逆賊、大義を理解せぬ者/修羅の自分、支配と其の為の暴力
※共通 自己中心的な女
コンプレックス あの戦争に勝てなかった事/修羅の自分が真面目過ぎる、修羅の方に無関心な態度される事
得意スポーツ クレー、ライフル射撃、弓道、剣道
尊敬する人 ギレン総帥、ドズル将軍、エギーユ・デラーズ
特技 忠義を尽くす事/一早く敵の気配を感じ取る事
平和を感じる時 正座して禅の瞑想をしてる時/戦闘機とか航空機の玩具で遊んでる時
好みのタイプ 特に居ない/最新兵器、機械に詳しい女性
…。
名前 修羅シロッコ/羅刹シロッコ(※一部某趣味:自爆&復活おじさんのパロディあり)
生年月日 U.C0061
出身地 語らず/地球にある地球連邦の遺伝子工学研究所
身長 180cm
武器名 自分で鍛えた刀 脇差「矢山」
流派 あらゆる格闘技を見様見真似でマスターした我流格闘術(※本人談)/其の場のノリ
好きなもの MS、MA、宇宙食/(ジオン側の)MS、MA、戦車、酒、煙草、塩辛いもの
※共通 甘いもの
嫌いなもの 賢しいだけの子供、権威主義者、偉そうにして居る割には無能の者、羅刹の自分/正義、忠義、支配、修羅の自分
※共通 特権階級、地球の重力、反スペースノイド思想、スペースノイド差別、差別主義者、男尊女卑社会、とりあえず自分の邪魔をする奴
コンプレックス そんな物無い/自分が人工的に作られたデザイナーベイビーである事、友達が居ない事、生き別れの妹に何もしてやれなかった事、木星に居た時に事故で亡くなった同僚を助けてやれなかった事
尊敬する人 居ない/大学時代の恩師
特技 しようと思えば何でも出来る事/ニュータイプ能力を通じてもう死んだ人達、動植物と分かり合う事
得意スポーツ 特に無いが、何でもそつなくこなす/eスポーツ全般
平和を感じる時 MS・MAの設計、整備をして居る時/戦車の模型で遊ぶ、サラ・ザビアロフと一緒に過ごす時
好みのタイプ 女達全員/サラ・ザビアロフ
※何れにせよ、羅刹の方は容赦無く本音ブチ撒けてる(笑)。
…。
羅刹乗っ取りエンドは某大百科コメント欄の『モリガンを自身とモリガン統合の際に全部乗っ取ったリリス(※リリス風モリガンみたいな)』…と言うif展開が着想やね(※結局格ゲー)。
…。
修羅ウラキ
ロクにコロニーの存在も知らなかった良いとこ育ちの坊ちゃん。覚醒前楓とかリリスとかさくらとか真吾みたいな感じ。
羅刹ウラキ
超ドS。素早く鋭利な飛び道具、各種奇襲、反則技、組技締め技間接技で対戦相手を追い詰めて行くすごい漢。・・・すごい漢だ(不破並感)。
そして、ウラキが最後に行き着く先、『完成形』でもある。
…。
没供養コーナー
「なぁ、今日の湯は、良い湯だよな。」
「…何故、あの時、Yesと言ってしまったのだろうか……。」
結局、シロッコは羅刹の方と一緒に風呂に入ったのだが。
「背中流そうか?」
「…いや、辞めろ。」
…。
If;羅刹本体乗っ取りエンド
※全部逆メリーバッドエンド
※バッドエンド注意です
----我、悪鬼羅刹となりて、目の前の敵……全てを斬る!!
----初代 サムライスピリッツ より
ガトー編
「…ガトー……、お主……。」
其の時、…『閣下』が薄暗い闇の中でガトーの姿を見つける。
「…閣下。…矢張り、俺の事、分かりましたか。」
彼は、何時も通りの姿形をしたガトーの、其の姿を見て、一旦は安心するも、やがて、直ぐに、中身が全然違う者になって居る事を察した。----矢張り、此奴は、ガトーでは無い!!
そして、『閣下』は、ガトーの胸ぐらを掴んで「元のガトーを返せ。」と問い詰めた。
「何が『羅刹』、…『曼珠沙華』だ……!儂等のガトーを返せ!」
然し、其のガトーは『閣下』を終始、冷たい表情で見た後に、溜息混じりに、此う宥める様に、話す。
「もう、諦めて下さい。彼奴は絶対に帰って来ませんよ。閣下。此れから、ずっと俺がアナベルです。」
…そして『閣下』は、少し項垂れて、ガトーとの別れ惜しんだ。
「……ガトー……。」
…。
あの時、逃げ仰せて、自由気儘に月で暮らすつもりが、閣下の嘆願と、ケリィの志願もあり、アナベルの悲願だったテロリズムに加担する……。此れも、アナベルの方と混ざってしまった影響か……。
…。
U.C 0083 11月12日
果てしない戦闘の最中、途中で自身の乗機を一時的に捨て、現在地球に落下して行くコロニーの中に入り、何とか其の軌道を作戦成功の方向へ変えようとするガトーを追い掛け、其の落下中のコロニー内部に侵入するウラキ。其うして、やっと、標的であるガトーを見つけたは良いものの、其処に、突然、ニナが現れ、ウラキの腹部を拳銃で撃った。
「ニナ!」
「貴方の様な、アースノイドには、如何でも良い事よ!此の作戦には、スペースノイドの未来と独立が掛かって居るわ!」
「其んな事知って居る!だからこそ、ニナ!!……何故、此処に来た?!」
「腐ったアースノイドの特権階級に鉄槌を下す支援をする為よ!」
「莫迦な事言うんじゃ無い!宇宙の死んでも死に切れない奴等が腹いせにやるテロリズムとコロニー落としにアースノイドもスペースノイドも関係無いだろ!テロはテロだ!!テロは行き過ぎた暴力でしか無いんだ!!」
すると、ニナは、其の全うな主張を足蹴にし、ガトーに向かって、此う、強く大声で叫びはじめた。
「其れは其うと…、…ガトー!!!!今の貴方は貴方じゃない!あんまりよ!以前の貴方を返して……!!お願い!以前の貴方に戻って!」
其の間、ニナはずっとガトーの方を見て居る。其んな中何よりも重苦しい心情のニナに対して、ガトーは、素っ気無く答える。
「其れは出来ない。」
そして、其処にコウが割り込んで来る。
「ガトー!!!!俺は、ニナの言う様な、以前のガトーの事を知らない!でも!其れは今関係無いんだ!俺はお前に勝つ!」
「良いぞ、若輩者。彼奴も彼奴でお前の事を認めただろう。」
「真剣勝負だ!」
そして、御互いに御互いの、拳銃の引き金を引く。
…。
シロッコ編
「此れで勝った筈だ。今すぐに私の下から去るが良い。」
「自分が勝ったと思ったかい?哀れだね……。」
彼が気付いた時には、既に、片方の方は背後に居た。そして、ゆっくりと、一種の捕食行為か何かと思える程のペースで、彼を優しく背後から抱擁する。
「辞めろ……!…私は……!お前なん��と同化したく無い……!!」
其うやって、彼は、もう片方の方から、背後から優しく抱き締められる。彼、其れと、丁度、対になる方は、優しく抱き締められる。其うして、幻が、影が、漣みたいに繊細極まり無い夢の様に、儚く体温に蕩けて行く粉雪の様に溶けて行く。
最後に、肉体を持って今、現世に生きて居る方が、閉じられた眼を開けて『夢』から目覚める。
「可哀想な事だ。…君は僕に取り込まれてしまったね。あれだけ僕の事を、従属させて、支配したがって居たのに……、無様だね。」
…。
…さて、君が大事に大事にして居た、…あの、サラと言う子は、…僕が、今迄通りに、大事に、大事にするよ……。
「パプティマス様……?其処に居られたのですね……?…私、貴方に会いたくて会いたくて……、…仕方無くて……。」
やがて、其の『パプティマス様』……と呼ばれた彼は、其の姿を現す。
「サラ……、今迄ずっと寂しがらせて御免。…此れからは、絶対に何処にも行かせない。私と共に双方戦場で散る迄、一緒に居てくれ……。」
…彼女が、大好きで大好きで堪らない其の『パプティマス様』に抱き締められた、其の時、彼女は全てを知った。
…嗚呼、パプティマス様が私如きに此んな事を言ってくれるなんて、本当に嬉しい。…だけど、もう、彼は、パプティマス様では無い……。
彼女は悲しみの涙を流した。もう二度と、自分が大好きで大好きで仕方無かったパプティマス様に会えないであろう悲しみに心を打ち砕かれて……。
「パプティマス様……。…私は、ずっと、貴方様の事を愛して居ます……。」
…、
シロッコ編 2
「シロッコ、何処だ?」
此のヤザンの呼び掛けに、
「此処に居るぞ。」
…と、応えたシロッコが姿が現す。だが、然し、相手の反応は本当に冷たい。
「お前はシロッコじゃねぇ。誰だ?」
「私は私だが?」
此の時、非常にシロッコらしい対応をする、中身がシロッコで無い彼。
----……矢っ張り、違う。
其の声を聞いて『此の男は本当のシロッコで無い』と言う自らの勘を何よりも信じるヤザンは、「惚けるな!!お前は偽物だ!!」‥其う断言する。
更には、其の『シロッコ』に向かって、拳銃を向ける。
其うして、いずれも、其う悲しそうな声で言う。
「味方に銃を向けないでくれ給え。」
「お前は敵みたいなモンだろ……!!」
…ヤザン。…何故、僕に其んな事を言うんだい……。
「…嗚呼、其うだよ。僕は君の敵だ!」
そして、御互いに其々、拳銃を向け合った。…其の後、二発の銃声が強く、虚空に響いた。
…。
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