#国際理解講座
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manrevo-collaboration · 7 months ago
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小金井市 国際理解講座
小金井市の国際理解講座でまんがワークショップを開催いたしました。留学生や外国籍の方と共に日本文化であるマンガを描き、楽しみながら日本語や日本文化について理解を深めるイベントとなりました。
2021年:マンガ・チャレンジ
2023年:まんがワークショップ
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mangaworkshop-by-manrevo · 8 months ago
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2023.11月 小金井市 国際理解講座 マンガワークショップ
留学生の皆さんにご参加いただきました!
日本に来て驚いたことを各々マンガで表現してみました。
みなさん、トイレに驚いたり電車に驚いたり、
ファッションに驚いたり、カードが使えないことに驚いたり笑
「なんで日本人はこんなに生肉が好きなんだ~!?」 「日本人なのにお仕事こんなに適当でええんどすか~?」といった面白い感想もありました。
外国に住むと母国との違いで驚くことも多いかと思いますが、その違いを楽しんでくれていると嬉しいですね。
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wankohouse · 2 months ago
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長徳寺 蘇民祭
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長徳寺 蘇民祭 ₄ 取り主は中止期間をはさんで4年連続で紫波町の会社員・畠山真さん(45)興田神社の蘇民祭でも取主だった人。奥田神社蘇民祭は2025年も引続き中止中。
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恍惚とした表情の人が...
長徳寺蘇民祭ふんどしのタイプはバラバラだよ。コロナで中止していた蘇民袋争奪戦「袋��じり」も4年ぶりに2024年から再開している。「ねじり」は「揉み合い」の意味みたい。
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響沁太鼓千代組
蘇民祭伝承( https://chotokuji.org/festival/ より引用)
 明治27年12月4日付で油島(現在一関市花泉町)から不動尊を当時の20円で譲り受けた際に「蘇民祭」も付いてきたと言い伝えられている。昔は正月27日~28日にかけて行われた行事であり、27日はおこもり、28日午前1時より別当登り、2時より鬼子登り、3時より柴燈木(ヒタキ)登り、4時より袋ねじりの順に行われていた。  昭和24年~30年の7年間、蘇民袋争奪戦をしていた。午前4時頃に不動尊から袋を出し、山門をくぐり前の川までもみ合った(ねじった)。不動尊堂内に、争奪戦証拠の木札(取り主、参加者氏名)が掲示されている。  現在は平成26年の不動尊鎮座120年を記念し蘇民袋争奪戦の復活に より、全国から裸に下帯姿の男達が集まり水垢離や柴燈木登り、そして蘇民袋争奪戦がお祭りを最高に盛り上げる。子供達は鬼子の面を背負い行列に参加し、参拝者は蘇民袋の中から出てきたコマ木を御守に持ち帰る。
 そして来賓及び一般の方に精進料理を振る舞う。特に「お不動さん��けんちん汁」は昔から好評で、毎年皆さんに喜んでいただいている。町内外からの参拝者は勿論、地元の年配者から子供達まで全員で参加出来るお祭りである。
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令和7年度 蘇民祭開のお知らせ
時宗 不退山 長徳寺 〒029-3521岩手県一関市藤沢町保呂羽字宇和田18
疫病退散願い肉弾戦 「袋ねじり」再開 藤沢・長徳寺蘇民祭【一関】|Iwanichi Online 岩手日日新聞社 2024年3月5日付
 一関市藤沢町保呂羽の長徳寺(渋谷真之住職)の蘇民祭は3日、同寺で行われた。新型コロナウイ��スの影響で中止が続いていた蘇民袋の争奪戦「袋ねじり」を4年ぶりに再開し、県内外から集まった裸男らが行事を通して疫病退散などを祈願した。
 国無形民俗文化財「岩手の蘇民祭」の一つで、同祭保存協力会(不動尊蘇民祭精進講本部)が主催。もともと同市花泉町にあった不動尊を1894(明治27)年に同寺が譲り受け、蘇民祭も一緒に引き継いだ。蘇民祭はコロナ禍も規模を縮小して実施しており、不動堂の解体・再建が始まる今年は、2年がかりの130周年記念事業の皮切りとしても行われた。
 裸男は、北は青森県、南は香川県から20~60代の39人が参加。近くの川での水垢離(みずごり)や、井桁に組んで火を付けた木に上がる柴燈木(ひたき)登りなどで身を清め、不動堂を参拝。本堂前で縁起物の小間木を来場者らに向けてまくと、袋ねじりが始まった。肉弾戦の結果、紫波町の会社員畠山真さん(45)が最後まで袋の結び目を放さず、中止時期を挟んで4年連続の取り主となった。
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ari0921 · 3 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)1月26日(日曜日)弐
     通巻第8621号
 不法移民の強制送還がはじまった
  とくに「聖域都市」で不法移民を一斉捜索へ
*************************
 アンタッチャブルだった『聖域都市』(不法移民に寛大なNY、シカゴ、ニューアーク、サンフランシスコなど)を一斉捜索し、夥しい「容疑者」を逮捕し、すでに数百人の不法移民を母国に空輸し始めた。
第一弾はテキサス空軍基地からグアテマラへ。
トランプ大統領は全世界に明確なメッセージを送った。「米国に不法入国すれば、厳しい結果に直面することになる」
フォックスニュースによると、捜査官らはアフガニスタン、アンゴラ、ボリビア、ブラジル、コロンビア、ドミニカ共和国、エクアドル、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、メキシコ、ニカラグア、セネガル、ベネズエラなど数十カ国からの不法移民を逮捕した。
トランプ大統領は国境警備強化を目的とする大統領令に署名したうえ、メキシコ国境に国家非常事態を宣言した。麻薬カルテルを外国テロ組織に指定し、米国市民でも合法的な永住者でもない両親から生まれた子の、アメリカ市民になるという自��的出生届けを廃止した。
           ★★★
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  ♪
 宮崎正弘の「中国スパイ講座」予告(その2)
教育編 スパイには五種
~~~~~~~~~~~
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り
五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』(孫子)
「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。
「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない。
「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって情報をもたらす。
中国の公安部と国家公安部
~~~~~~~~~~~~
国家公安部が情報戦争の中枢。公安部は警視庁に相応
共産党対外連絡部、統一戦線工作部、そして中央宣伝部
整合性があるように見えて、ないのが中国。独裁の陥穽
せっかくスパイが情報を得ても、上が握りつぶすか、権力闘争に転用
FBIとCIAが権力の走狗となって腐敗したようにトップに都合のよい情報だけ
国家安全部各局の主要工作任務
~~~~~~~~~~~~~~
第一局(機要局)暗号通信及び管理
第二局(国際情報局)国際戦略情報収集
第三局(政経情報局)各国政治経済・科学技術情報収集
第四局(台港澳局)香港、マカオ、台湾情報工作
第五局(情報分析通報局)情報分析通報、情報収集業務指導
第六局(業務指導局)所轄各省庁業務指導
第七局(反間諜情報局)対スパイ情報収集
第八局(反間諜偵察局)外国スパイの追跡・偵察・逮捕等
第九局(対内保防偵察局)渉外組織の防諜、監視、内部反動組織や外国組織の告発
第十局(対外保防偵察局)外国駐在員及び留学生の監視・告発、域外反動組織活動の偵察
第十一局(情報資料センター局)文書・情報資料の収集と管理
第十二局(社会調査局)民意調査及び一般的社会調査
第十三局(科学的偵察技術局)科学的偵察技術・機器の管理・研究開発
第十四局(技術偵察局)郵便物検査と電気通信偵察告発
第十五局(総合情報分析局)総合情報分析・調査研究
第十六局(映像情報局)衛星情報判読を含む各国政治経済軍事関連映像の情報
第十七局(企業局)担当組織所属企業、事業ユニットの管理
  
日本の歴史教科書は中国の指令でもある���か
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 「過去を制する者は未来を制する 
現在を制する者が過去を制する」。
(ジョージ・オーエル)
 日本の歴史教育の自虐史観が日本人から
  ただしい歴史認識を奪った
 ●日本にも中国スパイはうようよいる
●「メディアが報じない中国スパイの実態を明らかに!
詳細は下記
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kennak · 7 months ago
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「話をおまとめ下さい」 よく通る官僚の声が発言を止めた。82歳の男性があわてて口を閉ざした。その後ためらいがちに出た言葉はとても聞き取りにくかった。すでにマイクが切られていたからだ。新聞記者が連射したシャッター音が会場に響いた。 懇談会の終了間際、出席者のひとり、水俣病被害者の会の中山裕二が「一点質問させて欲しい」と伊藤環境相を引き留めた。「マイクを絞ったのか」とたたみかける中山らに伊藤氏は背を向け、司会を務めた水俣病担当室長も無言で会場を去った。 「全面かつ最終解決」と国が自賛した水俣病特別措置法施行から15年。「マイク遮断」はなぜ起きたのか。環境省にとって水俣病は忌むべき存在なのだろうか。(熊本県民テレビ 記者 東島大/敬称略) 水俣病の仕事は「後ろ向き」環境省職員の本音 筆者が受け取った環境官僚からの電子メール 「究極の『後ろ向きの行政』を担当しておりましたが(略)、今度は『前向きの行政』を所掌いたします」    こんなメールを貰ったことがある。環境省で水俣病を担当する特殊疾病対策室のある室長が異動の挨拶として私に送ってきたものだ。全歴代の室長すべてが水俣病の仕事を「後ろ向き」と認識しているとは思わない。しかし取材者としては、職員のかなりの部分の本音ではあるのだろうと感じている。 それは水俣病が単に古い事件だからではない。懇談会でマイク遮断を最初に指摘した中山裕二は40年以上環境省との交渉に関わってきた。今回中山は「マイクを切るなんて初めてだったよ」と憤りながらもその後記者たちにこう話した。 「環境省と私たちっていうのは振り返ればぎりぎりの緊張関係にあったけれども、それなりの信頼関係もあったと私自身は思っていたんです。ところがこの間の特殊疾病対策室長の対応、それが信頼関係を壊した」  5月1日は水俣病にとって大切な日だ。1956年のこの日、水俣市保健所に奇病発生の届けが出された。患者は5歳と2歳11か月の姉妹。報告書によれば、2人とも意識は朦朧として看護師がヤクルトで唇を湿らせてやるのがやっとだった。 姉は亡くなったが妹の実子は71歳になった。ことしに入って寝たきりの状態が続いている。自宅で倒れる直前に「靴がはけない」と声を上げたのを最後に70年自分の意思を言葉で伝えたことはない。 この日を公式確認の日として毎年慰霊式が行われる。環境相と県知事は必ず「謝罪」を口にする。その後に患者との懇談が用意されるが話は「聞き置く」のみ。患者側が追及しようとしても「係争中なので」とかわされる。被害者と加害者は、裁判の原告と被告でもある。そこに「信頼」の文字はない。「マイクオフ」が起きる種はすでにまかれていた。 原因企業ありきの経済成長 水俣病が抱えたタブー 「マイクオフ」を命じた環境省特殊疾病対策室長は、およそ2か月後に異動となった。環境省は定期異動の一環と説明した  ではなぜ環境省は水俣病に「後ろ向き」なのか。それはキャリア官僚たちが束になっても太刀打ち出来ないほどのタブーが水俣病問題に亡霊のようにつきまとっているからといえば文学的に過ぎるだろうか。  たとえば──水俣病の原因企業・チッソは小さな田舎企業ではない。戦前、軍部と結託し朝鮮半島に進出。世界最大級の水力発電ダムを建設し、戦後に首相となった岸信介らの後ろ盾を得てアジア一帯へ勢力を拡大。その売上は三井三菱を凌駕した。戦後は大陸に展開していた人員を水俣へ集約し、敗戦からわずかひと月で工場を再稼働させ、昭和天皇の激励を受けた。 巨大ダムを視察する後の首相・岸信介(右)当時は満州国産業部次長という肩書きだった  戦後は電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビの三種の神器に欠かせないプラスチック製造に必要な化学製品オクタノールの国内シェアの85%を握る。私も取材に加わった「NHKスペシャル 戦後50年その時日本は~チッソ技術者の証言」では、当時通産省から経済企画庁に出向し水俣病対策にあたっていた官僚に取材している。彼は「排水を止めた方がいいんじゃないですかねなんて(出向元の通産省に)いうと『何言ってるんだ、チッソが、これだけの産業が止まったら日本の高度成長はありえない』と言われた。確信犯だね」と語った。文字通り、チッソは日本経済のエンジンだった。 水俣患者と国とで「板挟み」 自殺したキャリア官僚 故・後藤舜吉チッソ最高顧問。45歳で取締役となり「チッソ中興の���」と言われた  チッソの認識はどうだったか。社長・会長・最高顧問を30年務め2年前に鬼籍に入った後藤舜吉に「工場廃液が水俣病の原因とわかったあともなぜラインを止めなかったのか」と尋ねたことがある。  その時後藤は「わが社が生産しなくなれば客が困る」と即座に答えた。「困るのは日本経済そのものだったのでは」と更に訊くと「たまたま結果が世の中のお役に立つといったようなことです」と煙に巻いた。 こうした「水俣病の責任を認めることは国策の誤りを認めること」という認識は環境官僚の手足を縛っていく。 1990年12月、環境庁の事務方ナンバー2の企画調整局長・山内豊徳が自殺した。53歳だった。 映画監督の是枝裕和が丹念に取材した記録「官僚はなぜ死を選んだのか」によれば、山内は死を選ぶ前日、家族に「水俣の仕事はどうしてもやりたくなかった」「自分に嘘をつかなきゃいけない部分が多すぎるんだ」と告白したという。  今、山内の名を記憶している環境省職員は少ないだろう。しかし「(水俣病問題が)やりにくいのは、外部じゃなくて内部なんだよ」とも漏らしたキャリア官僚の思いは、今も形を変えながら職員たちの意識に流れ続けているように思える。 戦後復興と漁師の命を天秤に 公害広げた「悪魔の選択」  「なぜ政府は水俣病を解決しないのか」。水俣病の取材を30年以上続けていると多くの人々からこの質問を受ける。しかし政府は水俣病を解決出来ないのではない。解決するつもりがないだけなのだ。正確には「解決する立場にない」と考えているというべきだろうか。裁判では、不作為──つまり政府が公権力を行使すべき局面であったのに「何もしなかった」ことが水俣病を拡大させたとされた。なぜ政府は何もしなかったのか。それはかつて政府がまとめた「見解」に見ることができる。この見解からひと月後、山内は死を選んだ。 1990年に政府がまとめた「水俣病訴訟に関する国の見解について」。山内氏はこのひと月後自死した  原文(画像参照)は慎重な言い回しだが、ここから読み取れるのは「戦後復興の代償を支払うのは誰か」という究極の問題である。日本の復興と、九州の一寒村の漁師や子どもたちの命。当時の官僚や政治家が秤にかけたものはあまりに大きすぎた。しかし彼らは一方に目をつぶり一方を推進せざるを得なかった。環境省は水俣病を教訓に産声を上げたと言われるが、正しくはこの悪魔の選択への忸怩たる反省として産み落とされたといえよう。  医師でもあった環境庁の第二代長官大石武一は、水俣病第一号患者・田中実子を見舞ったのちに訪れたストックホルムで「日本国民はより多くの生産、より大きいGNP(国民総生産)が人間幸福への努力の指標であると考え、これに最大の情熱を傾けて参ったのでありますが、その考えが誤りであることに気がつきました」と語った。 終わらない水俣病 解決を阻むもの 大石武一の演説に目を通す水俣病被害者の会・中山裕二さん マイク事件を通して、あらためて行政との「信頼」にこだわる被害者の会の中山裕二は今、大石の講演録を手に語った。 「経済優先の政治っていうのは一切変わってないということじゃないですか。環境省は、設立当初はそれなりの理念と正義があって国にブレーキをかける唯一の役所だったという言い方をする人もいたけれど、でもその後経済成長へともう一度舵を切った時にやっぱり抵抗しきれなかったんですよね」 チッソ工場から垂れ流された排水。水俣病が確認されて10年後の1966年まで続いた 水俣病とは、高度経済成長とは何だったのか。戦後の繁栄を享受した私たち日本人はどこまで水俣病に責任を負うべきなのか。ひとりひとりを説得する覚悟が伊藤環境相にはあるのだろうか。 編集後記 本稿の、岸信介元首相がチッソの朝鮮工場を訪れていたというくだりは10年程前の私の独自だった。当時は岸の孫の安倍晋三氏が首相を務めていた時期で、私がその頃勤務していた公共放送局では東京の報道局から「岸元首相の部分を削ったら放送する」と言われ「それではニュース価値がなくなる」と断ったら放送されなかった。今回マイクを切った官僚にもどこかへ忖度があったのだろうか。原稿を書きながらそんなことを思い出した。 ※この記事は、熊本県民テレビとYahoo!ニュースの共同連携企画です。
水俣病患者らとの”ギリギリの関係”を壊した「マイク遮断」事件はなぜ起きたのか 問題を追う記者が見た「解決を阻むもの」(KKT熊本県民テレビ) - Yahoo!ニュース
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reportsofawartime · 9 months ago
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田中美津さんご逝去の報を受けての上野千鶴子さんの寄稿文(朝日記事)についての感想です。 上野さんは、ウーマンリブ運動「がつくりあげた波が、後になって『第二波フェミニズム』と呼ばれるようになった」と書いていますが、ウーマンリブと、リブ後のフェミニズム運動は切断されていると私は思っています。 また、「ウーマンリブは欧米から日本に『上陸した』と思っている人たちがいる」というのも、私とは認識が違います。 この記事で書かれている、日本に「上陸した」ものとして噂があったものがあるのだとすれば、80年代に、アメリカで学んで日本にマルクス主義フェミニズムを紹介してブレイクしたフェミニズム学者(上野さん)のことではないかと思っていました。近年アメリカでマルクス主義経済学を学んで日本で反資本主義の本を出した学者がブレイクしてみたいな重なる既視感が記憶に新しいですが、 前者はそこからリブ運動がなくなっていったし、後者も日本の労働運動と接続があるのかと疑問の残る現実ご覧の通りです。まさに「思想」は資本主義的に消費されてなんぼの世界というだけの話かと思います。 そんなことはもうどうでもいいのですが、私がこの寄稿文の記事を読んでどうしても書いておきたいと思ったのはもちろん田中美津さんとリブのことです。 美津さんがリブ時代から晩年に至るまであちこちで書き、繰り返し何度も主張されていたことは、「運動の大義と、個人の欲望が同じくらい大事であるということに、私たち(リブ運動)は立った」とおっしゃっていました。もう少し具体的に美津さんの言葉を紹介しますと、 (公に言っても恥ずかしくないような主張たとえば)「優生保護法阻止」とか「おしりに触るな」といった女全体にとって正しいと思うことを主張することだけではなくて、「私の好きな男が触りたいと思うおしりがほしい」ということも言える人間としての自己形成を求めたんです、と言っておられました。 つまり最もタブーとされている性的なことも言えることによって、自分が何者かを正直に感じられるように生きたいと思ったそうです。 実際美津さんは、セックスワーカー当事者の話を聞きに行くことを大事にしてくれていました。AV強要問題渦中も、業界で働く人の話を聞きに行った上で発言され、私たちが開催したセックスワーカーのためのアドボケーター養成講座(2018年)に強い関心を持って頂き、資料を取り寄せて下さったり、常に現場の当事者の話を聞こうとして下さいました。 こうした美津さんやリブの思想や態度は、リブ後の「フェミニズム運動」では、だいぶ剥ぎ取られていったように私には見えます。 私は運動を始めた最初の頃は、フェミニズム運動やフェミニストたち、女性どうしの連帯、���スターフッドという思いでやってたけど、フェミの中にある、男が喜ぶような女(仕事)かどうかという視点や言葉に耐えられず、必ずしも女性運動の中で助け合わないといけないわけではないし、理解しあうのは難しい、しんどいと思うに至りました。 その結果私は、HIV陽性者、セクシュアルマイノリティ、ひとり親、性暴力のサバイバー、困窮者、外国人、エスニックマイノリティ、障害者、非正規労働者、野宿者、依存症者、被差別部落民、元受刑者、マイノリティの当事者や、様々な支援や社会的排除の問題に取り組む人々そういった人たちの中で、わかりあえる人々と繋がり、一緒になって考えてもらったり相互扶助の関係を作ったりともに共生社会を目指すようになりました。 マイノリティの彼ら彼女らは、セックスワーカーと同じようにスティグマと長年闘ってきているから、そのお互いの闘いの経験から得た財産を困っているときに分かち合ったり、何より、どの問題も社会構造の上からきているという問題意識の共有が重要。だから、現在は、女というだけで、無理に女に助けてもらわなくてもいいと考えています。 かつてリブが、女という集団としての全体主義が大事なのではなく、人間としての個として生きる尊厳を大事にする個人主義を訴えたことを、私は自分の運動でこれからも受け継ぎ実践していきます。美津さんありがとう。 https://digital.asahi.com/articles/ASS891T02S89UCVL01NM.html?ptoken=01J4XNBE56H5F1RMAV6EKX3BJW
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yutakayagai · 11 months ago
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浩志は、夜の浅草を飛び回っていた。ホッピー通りには仕事帰りのサラリーマンや観光で来た若者らで賑っていた。かつて、在日韓国人が揃ってホルモンを主とした手料理や酒を提供したことでこの通りの名前が付いたとされているが、お通しはどの店でもそれぞれ違っていた。中には、うずらの卵をたまり醤油に付けたものを出す店もあり、その店が彼の行き付けだった。
また、「Kバー」が由来のデンキブランを炭酸水で割った「下町ハイボール」が有名だった。ベースはブランデー、それにジンやキュラソーなどのリキュールを加えたもので、温度や割り方により味が変わった。大抵はストレートで飲み、二杯以上だと確実に二日酔いになった。
今年も、三社祭の時にふらりと立ち寄った。繁盛時だったのではしご酒はできなかったが、一ケ所行ければ満足だった。必ずチャンジャをお通し代わりに注文し、その後はもつ煮。もつ煮も、或る店では味を替えて食べ比べもできた。
『嗚呼、食いたい…』
浩志は好みの男が食べているもつ煮をつまもうと手を伸ばしたが、勿論、取ることはできない。樽ハイのグラスも然り。彼は、
『やっぱり、幽霊になるとダメか…』
と落胆した。指をくわえて眺めているしかないと、彼は思った。
そのまま浩志は、六区ブロードウェイへ向かった。昔は映画館がひしめき合い、賑やかだったのだが、最近は廃れてしまった。やはり渋谷や新宿の方にヤングは興味が惹かれるのだろう。彼は、「T館」と言う演芸場の近くに来た。そこにはかつて成人映画館があり、幸雄と出会ったところでもあった。
M大学に入学して間もなく、浩志はアルバイトに明け暮れた。早朝には新聞配達、夕方には上野の高架橋あたりの居酒屋で稼いだ。睡眠時間はニ、三時間程度だったが、講義の少ない土曜、大学自体が休みの日曜や祝日には殆んど寝ていた。時折、朝食を食べに来ない彼にみいは、
「朝ご飯ぐらい食べなさいよ!」
と、敢えて階段を忙しく駆け上がっては怒鳴ることもあった。
或る日、浩志が日曜日なので布団の中で寝ていると、壁越しに喘ぎ声が聞こえた。ちょうど浅い眠りの最中だったからかその声に気付き、彼は目を覚ました。
『な、何だ?』
その声は、明らかにオ◯ニーをする時に自分の恥部を弄りながら発するものだった。しかも、
「お願い…、もっとメチャクチャにして…」
と、次第に言葉が乱れていく。隣は確かと浩志は思った。嗚呼、国立H大学に通う蛭田正樹だ。長身でスラッと細いが、肌が色白たった印象だった。みいがたまに、
「正樹君。あたしとしゃべる時、たまに女っぽくなるの。男っぽさが全然ないし、もしかしたら『ホモ』なのかしら?」
と話していた。
布団に包まったまま、浩志は耳をすませた。バタバタと、激しく身体も動かしているのか畳が響いている。元々、正樹は男のわりには声が甲高く、最初に挨拶された時には男装でもしているのかと疑うほどであった。そんな声で、
「あん、ダメ! イッちゃう、イッちゃう!」
と、恐らくオルガズム寸前なのか今にも死にそうな声を上げていた。間もなく、
「あ、あんッ! あんッ! ああン!」
と、廊下にまで漏れて聞こえる様な大きい声で叫んだ。
この時間は、他の下宿生は出掛けていた。みいも「もんぺ」を穿いて玄関周辺の草取りをし、家内に入るのは浩志と正樹だけだった。ランニングシャツとトランクスと言う格好で、浩志は布団から出て正樹の部屋のふすまをノックせずにガラッと開け、
「うっ��ぇよ! 人が寝てるのに…」
と、その後の言葉を言おうとしたが、目前の光景に絶句した。正樹は、全裸で内腿をM字に開き、普段は用を足すだけの尻の穴に何か挿入している様だった。新聞紙を呉座の様に敷き、その近くには油の様なものがおいであった。チ◯ポは先端がズル剥け、乳白色の淫液が新聞紙のあちこちに飛び散っていた。二人は互いに絶句し、数秒だが見つめ合った後、
「キャアァァァァァァ〜!」
と声を上げた。その瞬間、階下からみいがけたたましくやって来て、
「ど、どうしたの!?」
と様子を見に来たが、正樹の方に視線を向けた途端、
「キャアァァァァァァ〜!」
と、衝撃のあまりに気を失ってしまった。
しばらく階下の茶の間で、浩志に抱えられて畳に休んだみいは、正樹を呼んだ。浩志は目撃者として同席を求められ、M百貨店で買った紅茶を二人に振る舞うと、みいは単刀直入に聞いた。
「正樹君。あなた、学生でしょ? 何であんなことを…」
そう言われた正樹は、オ◯ニーしていたのを見られたショックからか大粒の涙を流し、メソメソ泣いていた。嗚咽を上げながら、
「…御免なさい。みいちゃんは草取りしてるし、浩志君は寝てると思ったから、ずっとエッチしたくてたまらなくて…。つい…」
と告白した。浩志は、初めて用を足すだけの尻の穴に何かを突っ込んでいたのがかなり衝撃的で、
「蛭田。おめぇ、ケツの穴に何入れてたンだ?」
と聞いた。すると、正樹は赤面しながら、
「あれ? 男のチ◯ポを模した玩具だよ」
と答えた。
「男のチ◯ポを模した玩具」と聞き、浩志もみいも一瞬、顔を見合わせた。
「はァ!?」
「…僕、大学入って間もない頃、一人の先輩と付き合ってたンだけど、ホモだったの。『君、女の様に肌が白いね』って…。付き合ってくうちに僕、好きになっちゃって、次第に身体許して…」
「あなた、男は『穴』ないでしょ!?」
「…でも、みいさん。男って、『前立腺』って言うものがあって、ちょうど直腸と大腸の曲がり角に位置してて、そこが刺激されると気持ちイイの」
「…あり得ないわ」
「痛くねぇのかよ!?」
「…痛いよ。でも、徐々に慣れてきちゃう」
浩志もみいも、唖然としていた。こいつ、頭イカれてるンじゃないかと、互いに思った。淡々と男の肉体について語る正樹を目前に、二人はただ紅茶をすするしかなかった。
みいは、とりあえず正樹の意外な側面を理解しつつも、下宿内でのオ◯ニーはしないよう注意した。彼女は、
「男って、『シコ』らなきゃいられない性なの?」
と浩志に聞いたが、
「アイツは狂ってるよ!」
と突っ撥ねた。
正樹は、今夜はその「彼氏」と会うと出掛けて行った。浩志は、嗚呼、気持ち悪いものを見て知ってしまったと、後味が悪いと浅草で飲むことにした。みいは、
「夕ご飯は、アリでイイのね?」
と、出掛ける前に浩志に確認した。
春日通りを上野広小路方面に下り、M百貨店に差し掛かると、そのまま左折して国鉄・上野駅の前を通り過ぎた。営団地下鉄で経営する「地下鉄デパート」の時計は、午前十一時を差していた。浩志は、普段なら十二時頃まで布団の中で寝ていたのにと、正樹を恨んだ。まさかアイツが男好きとは…。しかし、彼の一物は意外と太く、オレの「ムスコ」よりデカかったなァ。ちょっと羨ましい気もしたと、彼は思った。
合羽橋道具街は、この日はどこも休みだった。「菊水通り」に曲がり、「国際通り」に抜けるや、人気のなかった合羽橋に対し、恐らくS歌劇団のレヴューを観に行くのか、皆、「国際劇場」の方へ向かう様子だった。この雰囲気が浩志は大好きだった。
「雷門通り」沿いに、「Kバー」はあった。「デンキブラン」と言うカクテルが飲め、大学入学時、兄二人と訪れたのだが、その味が浩志には病みつきになってしまったのだ。
「東京にはこんな美味いものがあるンだなァ…」
そんな目的を都内の大学への進学理由とした。父・柳二郎は、
「お前、家はどうするンだ!?」
と反対したが、
「オレ、三男だよ。関係ねぇべよ」
と、それは長男・智仁に言ってくれと突っ撥ねた。
この時点では、自分が将来何になりたいか、浩志は決めていなかった。単に茨城を出たかったと言う理由だけだった。何故、兄貴二人が東京に行けてオレには行けないのかと、昔から思っていた。柳二郎も仕事柄、何度も泊りがけで東京を往来しているのに…。終いには、
「まァ、学費は払ってやるから、好きにやれ」
と呆れさせたくらいだ。
Kバーではもつ煮や串カツを肴にデンキブランを飲み、
「堪ンねぇ〜!」
と気分が高揚した。隣に座っていた客たちとも意気投合した。
当時は、デンキブランはアルコール度数が四十度だった。大抵は冷蔵庫で冷やしたものをグラスに注いだストレートで飲むのだが、口当たりがイイのでグイグイ飲めてしまうのだ。しかも、浩志は途中、日本酒も注文し「ちゃんぽん」してしまった。未だ酒との付き合い方が慣れなかったからか、Kバーを出て六区ブロードウェイに向かおうとした時に、彼は気持ち悪くなってしまった。
「うぅッ、ヤベェ!」
浅草寺前の藤棚の下に自転車を停め、近くの井戸で水をがぶ飲み、ベンチでうなだれていた。時折、胃の方から込み上げてくるのを感じつつ、彼は肘で両目を覆い、そのまま寝入ってしまった。
その後、男の声が聞こえ、浩志は目を覚ました。気持ち悪いのはなくなったが、身体は重く感じた。そっと肘を目から離すと、目前にいたのは警官だった。彼は、未成年であるにも拘らず酒を飲んだことに気付かれたかと思い、
「い、いえ! 大丈夫で〜す!」
と逃げる様にその場を去った。警官��、
「き、君!」
と声をかけたが、すでに彼方に浩志の姿はあった。
「…単に、これを渡そうと思ったンだけどなァ」
と、警官の掌には下宿と部屋の鍵が握られていた。
猛スピードで六区ブロードウェイまで来ると自転車のサドルから足を地面に着けた。息を切らしながら、
「ここまで来れば大丈夫だっぺ…」
と浩志は自転車から下りた。
先刻までの酔いは多少引いたが、やはり調子が悪い。何処かで休んだ方がイイかなと、たまたま足を停めたのが成人映画館の前だった。彼は、水戸では殆んど見かけないこんな映画館が、東京にはあるンだなと思い、興味もあったので寄ることにした。まァ、真っ暗にもなるし寝てるさ…。
実は、浩志は精通したのが中学校に入学して間もない頃だったが、オ◯ニーは月一回程度だった。たまに勃起がひどい時に「シコる」だけで、頻繁にはやらなかった。異性の裸を見ても性衝動は起きなかった。戦後間もない頃だったから娯楽も少なかったこともある。
館内に入ると、中年から壮年の男たちがたむろしていた。浩志の姿が視界に入ると一瞬、皆ジロッと彼の方を見た。彼は若干恐怖みたいなものを感じたが、すぐに視線がなくなったので、そのままスクリーンの方に向かって行った。
ちょうど最後列の隅に空席があったので、浩志は座るとすぐ寝入った。急に眠気に襲われ、スクリーンに映る女優の喘ぐ声でさえ聞こえなくなってしまった。
眠りに落ちている間、浩志は夢を見た。所謂「ソープランド」で、彼は下半身を露にした状態で布団に横たわり、誰かが彼の乳房や一物を弄っていた。
「あッ、あん!」
彼は未だ「童貞」だった。肉体は「うぶ」なのですぐに勃起し、次第にエクスタシーの故に涙が出てきた。嗚呼、気持ちイイ…。玉の裏も舌で弄ばれ、
「ダメ、壊れちゃう…」
と、用を足すだけの局部がエクスタシーの中枢になっているのを感じた。
「イヤ、イヤぁ…」
と内腿に力が入り、声の調子も裏返る様になった。チ◯ポがヌルッと生温かく、舌の腹でその背を弄られ、浩志は指をくわえた。最初は汚いし恥ずかしいと思ったが、すぐにエクスタシーに酔い痴れた。口から抜けたと思いきや今度は手指で包皮を剥かれ、紅潮したチ◯ポの頭が露にされ、何かオイルの様なものが掌に塗られているのか、「こねくり」回された。
尿意の様な切迫感がよぎり、嗚呼、イクなと浩志は思った。下半身の奥底から熱いものが込み上げてくる。その間にチ◯ポもますます硬直し、彼はいても立ってもいられない状態になった。
「イク! イク!」
と彼は声を上げた。その途端、再び「フェラ」をしてきたのか生温かい感触がし、口の中か彼は多量の淫液を跳ばした。
嗚呼、何だ? この気持ちよさは…。浩志は夢の中でそう思った。しかし、この映画館は男しかいなかったが、女も観に来るのか? 一瞬、不安がよぎった。もしかしたら、オレは男に手を出されたのか? えッ、嘘!? 不安が最高潮に達し、彼は目を覚ました。幕間だった��か、館内は明るかった。周囲を見渡すも彼の両側には誰もいない。だが、足元には丸められたちり紙が二、三個落ちていた。
服はキチンと元に直されていた。何だ、ただの夢かと安堵のため息をついた。その時、たまたま背後にいた中年の男が声をかけ、言った。
「お兄ちゃん、隣にいた男にエッチされてたよ。かなりハァハァ言わせながら、『イク! イク!』って…。ここは『男色』のたまり場だから気を付けな〜」
その言葉に浩志は絶句した。じゃあ、オレは男に手を出されたのか? 彼は血の気が引いていくのを感じた。
浩志は、乳房が少しでも肌着に触れると微かに心地よく、チ◯ポも用を足した後の様な感覚がした。オレは一体、何をされたのだろう? トイレに向かいながら、未だ実感が湧かなかった。ドアを開けて小便器の前に立ち、用を足した。その時、背後から臀部を弄られるのを感じた。彼は言葉を失った。怖かった。やがて臀部に触れた手指が、股間の真下まで及んだ。
気付くと、浩志は個室の方に身体が向かい、唇を奪われた。まるで媚薬を飲まされた様に彼は身体を弄ばされ、その男のチ◯ポをくわえていた。互いにオルガズムに達すると再び接吻し、微かに「匂う」腋臭でさえ浩志には「芳香」に感じ、その男から離れなかった。
初めての情事に、その時は終わって欲しくないと強く思ったが、トイレからその男が立ち去ると急に淋しさが込み上げてきた。何故か涙が出て、映画館を出て本郷に向かう道の途中、浩志は嗚咽を上げた。それは、まさか自分が「ゲイ」だったとはと言う信じられなさと、童貞を喪失したショックと、そして初めて愛されたことに対する名残惜しさが重なったが故であった。
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kitsuneponchan · 2 years ago
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小説と本と賢くないお姫様の話
 毎日夜9時更新の小説「グロリアの物語」、あと一週間弱で完結です。長かったですが覗いてくださる方どうもありがとうございます!
 これは中学生の時に書き始め大人になって完結させた作品で、私の代表作はこれ、と言う予定です。当初の文の雰囲気や書こうとしていたことをできるだけ残しながら、不自然でないように無理やりなんとか整えてあるので多少迷走はしているかもしれません。でもリアルタイム10代による小説の一面もあります。
 スタート時自分の年齢と同じ14歳の少女が主人公でした。世に出だした賢いお姫様の話にはそろそろ飽きてきたところでした。それもいいけど、賢いお姫様は大抵人生の最初に勉学以外にも生きるのに必要な愛情や教育を受けた事で得られる武器を持って生きていくのに対して、世の中には周囲からお姫様のように恵まれてると思われていながら、実際は必要な武器を持たされず世に放り出される子供が実はたくさん��ます。私はそういう人に出会ってきました。私はその子供たち、そういうお姫様の話が書きたかったのです。  だからグロリアは賢くないお姫様で、泣いたり怒ったり、わからないわからないとぐずぐず悩んで味方も作れず頼っては駄目な人に依存し、まるで子供のようです。(実際10代は現代日本では子供とみなされます。お姫様は本来子供でもいいはずです)持って生まれた性質にはお姫様的なものがあるので、世間的には有利、有能とみなされて、失敗すると怒られたり、理解されず困っても助けて貰えなかったりする、そういったギャップにも苦しまねばなりません。
 だからグロリアには本を与えました。本は彼女の友達です。苦しい時も本が彼女の心を救います。これは読むべき、という有名な本でなく、現実に役に立つかわからない本ばかり読んでいたかもしれません。興味が湧いた本をブラウエンやゼクセン領主の書斎から持ってきて広げ、好きなところから読んで、いろんなことを考え、わからないところは後回しにして、絵を見ながら勝手な空想をしていました。賢くはないんです。でも多分本が彼女を作りました。
 私も子供の頃からそれと似た感じで本を読んでいました。お小遣い等は貰っておらず、お金が無くて独身時代本はあまり持っていませんでしたが、学校の図書室の床に座り込んで世界の民話全集の「メルヒェン十二ヵ月」「アラビアンナイト」等を端から読み、講談社X文庫やコバルト文庫の作品に出てきたジェイン・エアや嵐が丘、その他いろんな本を読みました。  一番衝撃を受けたのが高1の頃何気なく手に取ったベディエ『トリスタン・イズー物語』、ゲルハルト・アイク『中世英雄物語』です。私はこういう話を読みたかったのに見つからないから自分で書こうと思って小説を書き始めたので、これらを先に読んでいたら自分で小説を書くことは無かったかもしれないと当時思ったくらいです。  クラスメイトに借りた宝塚のビデオの歌詞の名詞を百科事典で調べてボルジア家や塩野七生を知って、女子パウロ会の発行した漫画でクォ・ヴァディスに出会い、親が読んでいた氷室冴子からヘッセ、ゲーテ等ドイツ文学にちょっと興味を持ち、そういった本が少しずつ私を作ってくれたようです。友達も少なくテレビにもラジオにも触れず(ネットも無く)田舎の閉鎖空間で育って世間を知らなかった私には、現代小説は感覚が違いすぎて馴染めなかったのですが、昔の外国の話には何故かわくわくしてドキドキして涙していたのが懐かしいです。
 グロリアも大人になって文章を書くかもしれません。大人になっても波乱万丈の人生が確定していますが、落ち着いたら���ンをとってみて欲しい。多分お金持ちなので、紙はたくさん使えると思います。
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chabatayuka · 11 months ago
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「こどもとおとなの性教育」 開催日時: 2024年5月19日(日) 場所: 茅スタジオ 講師: 土屋麻由美(麻の実助産所) 企画/レポート: 茶畑ゆか 告知ページ:https://www.boustudio.com/sexeducation
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男の子と女の子の体のお話
去年にひきつづき2回目の開催となった「こどもとおとなの性教育」 大人もこどもも、男の子も女の子も、みんな一緒に受けることができる性教育というのを大事にしていて、お父さんもお母さんも、みんな一緒に聞ける場づくりを目指しています。
前半の1時間が、こども向けの性教育 (5歳〜8歳ごろ) 中盤の1時間が、おとな向けのお話+ミニ質問会 後半の1時間が、こども向けの性教育(9歳〜12歳ごろ) + おまけの質問タイム と、今年は小学校高学年向けの内容もいれたりと、盛りだくさんの内容になりました。最後のおまけの質問タイムでは延々質問がつづき、19時まで話し込んでいる方もいました。(先生、ありがとうございました!)
去年にひきつづき満員御礼の性教育。 やってみて、こども向けの話を大人も一緒に聞けることはやはりとても良かったです。私の子も、その後ぽつぽつと性教育で教わったことを反芻するかのように生活の中で口にすることがあるのですが、その時に「ああ、あの話を聞いて今そう言っているんだな」というのがわかるので、大人側も変に構えず自然と性関連の話題を出せるようになってきています。折々に、繰り返し行っていきたいイベントです。
このイベントを企画するにあたっての大きな前提として、親世代が充分な性教育というものを受けてきていないという事実と、更に、性教育が不足している状況はいまのこども達世代も変わっていないという事実があります。教育に取り入れられているカリキュラムの程度は、今の親世代と同等であるようです。例えば学校では月経や射精に���いては教えるけれど、相変わらず受精のしくみや性交については取り扱うようになっていない等。一方で、突然過激なイラストや映像に触れてしまう機会は親世代のころよりも圧倒的に増えています。性産業大国である日本で(世界中のポルノの約6割が日本産だそうです)、これを避けて通るのは非常に難しい。無知・無理解のまま触れるにはかなり偏ったコンテンツで溢れている現状があります。
性教育を行うのにベストな時期はと土屋さんにお聞きすると迷わず「幼児期」という答えが返ってきました。思春期ももちろん大事ですが、思春期に突然「性」についての話をするのは非常にハードルが高くなってしまう。なので抵抗感がなく興味が出てきた幼児期から、ふつうの話として話題に出していくというのが良いよね、とのことでした。今回の「こどもとおとなの性教育」では3歳〜9歳ごろのこども達が集まってきてくれたのですが、実際、こども達は本当にふつうのテンションでお話を聞いたりイラストを見たりしていました。これが小学校4年性位になると目を覆ったり、顔をそむけたりと「恥ずかしいこと」として既に認識されている子もいるのでお話がすんなり入ってきづらくなることもある、とのこと。もちろんどの時期においても大切な性教育ですが(私たち親世代も!)、もし可能ならば幼児期からがベストだと思う、とのご意見があり、初回から幼児期向けを中心に設定しています。
ほんとうは教育の中で扱うようになってくれたらとは思うのですが、幼稚園でも小中高においても、その時代が来るにはおそらくまだまだ時間がかかります。そして、親世代も充分な性教育を受けていない中、私たちが充分な知識をもって伝えることも難しい。なので自分達で学びあえる場が必要だなと感じています。
幼少期向けの講座では、こどもたちが熱中してお話に聞き入っている姿がいつも印象的です。
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身をのりだして聞きいるこども達
幼少期のこども達は「性=恥ずかしい、いやらしい」といったすり込みが無いのでものすごく素直にお話を聞いて受け止めることができて、ぐんぐん吸収しているのがわかります。その姿を見ているといつも「性教育は幼少期から始めるのがベスト」という土屋さんの言葉を思い出します。
そして、今年は幼少期に加えて小学校高学年向けの講座もやってみることにしました。初チャレンジです!
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高学年向けの講座
はじめて開催した高学年向けの性教育もすごく良かったです。「生まれてきた子ども」だった自分が「生む性」になっていくことについて、知っている部分もあれば知らない部分もある年頃のこども達。
照れくさい内容ですが、女の子はまっ��ぐ見つめながら聞く子が多く、男の子は椅子の上で体を真横に向けながらも耳ではちゃんと聞いていたりと、それぞれの受け止め方で向き合っている様子でした。
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ナプキンの展示
この回は、高学年向けにナプキンの展示もしており話が盛り上がっていました。手触りとか含めいろいろな種類があるんだよというのを実際に触りながらみんなでお話をしています。この展示がきっかけで、気になるけど聞きづらいことが質問に出たりと盛り上がっていました。
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おとな向けの講座
性教育で、こども向けのお話を大人も一緒に聞けることはとても良いなと感じています。
先に書いたように、親世代も十分な性教育を受けてこなかった世代です。誰からも教えてもらえず、むしろ口にしてはいけないという風潮がある中で育った私たちがこどもに性教育をするというのはかなり難易度の高いことです。ただそんな親世代でも、土屋さんのフラットな語り口で性教育を聞いていると、性のことって恥ずかしいことでもなんでもないのねと感じたりします。そういう姿を見るだけでなんとなくスタンスが掴めたりするので、この仕組みは性教育を受けてこれなかった親世代への再教育の意味も含まれています。
分からないことはみんなで学びあっていければいいよね!という気持ちで企画している性教育。
引き続き年1回程度を目指して開催していけたらいいなと思うので、ご興味ある方は次回の開催を楽しみにしていてください : )
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こどもとおとなの性教育 https://www.boustudio.com/sexeducation
■ 開催概要 2024年5月19日(日) ・ 前半: 幼少期むけのお話 ・ 中盤: 大人むけのお話 ・ 後半: 高学年むけのお話 ・ おまけの質問タイム
■ 対象 ・5、6歳ごろ〜12歳ごろまでのお子様 ・保護者
■ お話をうかがった人 土屋麻由美(つちやまゆみ)さん 麻の実助産所 助産師 大学病院、助産院勤務を経て1997年出張専門の助産師として開業。自宅出産に関わる中、小さな時からの性教育の大切さを感じ、地域で性教育講座を開催している。認定NPO法人ピッコラーレ副代表。にんしんSOS相談窓口の運営、相談員としても活動中。二男一女の母。現在練馬区で開業。
Lecturer: Mayumi Tsuchiya Planning: Yuka Chabata(Bou Studio) Illustration: Ayaco Nakamura
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medickalmalpractice · 2 years ago
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
 新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何か��� おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。  『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。��メリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。  『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。  同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。  (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。  (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。  宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。  騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。  こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。  (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。  私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。  (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。  (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。  武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。  「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。  (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。  こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。  世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。  (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富に��、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。  (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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ari0921 · 3 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)1月26日(日曜日)弐
     通巻第8621号
 不法移民の強制送還がはじまった
  とくに「聖域都市」で不法移民を一斉捜索へ
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 アンタッチャブルだった『聖域都市』(不法移民に寛大なNY、シカゴ、ニューアーク、サンフランシスコなど)を一斉捜索し、夥しい「容疑者」を逮捕し、すでに数百人の不法移民を母国に空輸し始めた。
第一弾はテキサス空軍基地からグアテマラへ。
トランプ大統領は全世界に明確なメッセージを送った。「米国に不法入国すれば、厳しい結果に直面することになる」
フォックスニュースによると、捜査官らはアフガニスタン、アンゴラ、ボリビア、ブラジル、コロンビア、ドミニカ共和国、エクアドル、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、メキシコ、ニカラグア、セネガル、ベネズエラなど数十カ国からの不法移民を逮捕した。
トランプ大統領は国境警備強化を目的とする大統領令に署名したうえ、メキシコ国境に国家非常事態を宣言した。麻薬カルテルを外国テロ組織に指定し、米国市民でも合法的な永住者でもない両親から生まれた子の、アメリカ市民になるという自動的出生届けを廃止した。
           ★★★
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  ♪
 宮崎正弘の「中国スパイ講座」予告(その2)
教育編 スパイには五種
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『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り
五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』(孫子)
「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。
「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない。
「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって情報をもたらす。
中国の公安部と国家公安部
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国家公安部が情報戦争の中枢。公安部は警視庁に相応
共産党対外連絡部、統一戦線工作部、そして中央宣伝部
整合性があるように見えて、ないのが中国。独裁の陥穽
せっかくスパイが情報を得ても、上が握りつぶすか、権力闘争に転用
FBIとCIAが権力の走狗となって腐敗したようにトップに都合のよい情報だけ
国家安全部各局の主要工作任務
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第一局(機要局)暗号通信及び管理
第二局(国際情報局)国際戦略情報収集
第三局(政経情報局)各国政治経済・科学技術情報収集
第四局��台港澳局)香港、マカオ、台湾情報工作
第五局(情報分析通報局)情報分析通報、情報収集業務指導
第六局(業務指導局)所轄各省庁業務指導
第七局(反間諜情報局)対スパイ情報収集
第八局(反間諜偵察局)外国スパイの追跡・偵察・逮捕等
第九局(対内保防偵察局)渉外組織の防諜、監視、内部反動組織や外国組織の告発
第十局(対外保防偵察局)外国駐在員及び留学生の監視・告発、域外反動組織活動の偵察
第十一局(情報資料センター局)文書・情報資料の収集と管理
第十二局(社会調査局)民意調査及び一般的社会調査
第十三局(科学的偵察技術局)科学的偵察技術・機器の管理・研究開発
第十四局(技術偵察局)郵便物検査と電気通信偵察告発
第十五局(総合情報分析局)総合情報分析・調査研究
第十六局(映像情報局)衛星情報判読を含む各国政治経済軍事関連映像の情報
第十七局(企業局)担当組織所属企業、事業ユニットの管理
  
日本の歴史教科書は中国の指令でもあるのか
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 「過去を制する者は未来を制する 
現在を制する者が過去を制する」。
(ジョージ・オーエル)
 日本の歴史教育の自虐史観が日本人から
  ただしい歴史認識を奪った
 ●日本にも中国スパイはうようよいる
●「メディアが報じない中国スパイの実態を明らかに!
詳細は下記
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kennak · 2 years ago
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2023年6月26日 22:10 モスクワ、クレムリンにて 友人諸君、 本日、改めてロシア国民のみなさんに告ぐ。みなさんの自制、一体性と愛国心に感謝する。この国民的連帯は、あらゆる恫喝、国内騒乱を引き起こそうとするあらゆる試みが失敗を運命づけられていることを示すものである。 繰り返そう。社会と政府の行政法制部門はあらゆる階層で、高い団結ぶりを示した。公共機関、宗教の宗派、主要政党や、実際問題としてロシア社会のすべてがきっぱりと一線を保ち、憲法的な秩序を維持するという明示的な立場を採った。肝心なこと——父祖の地の運命に対する責任——が万人を団結させ、人々をまとめ上げたのである。 興った脅威を中和化し、憲法制度と国民の生命や安全を保護するために必要なあらゆる決断が、このできごとのきわめて初期から即座に下されてきたことを強調したい。 武装反乱はどのみち制圧されただろう。反乱を企んだ者は、適切さを失ってはいるが、それを理解していたはずだ。彼らはすべてを理解していた。自分たちの行動が犯罪的な性質のものであり、人々を二極化され、国を弱体化させることも知っていた。その国はいまや、すさまじい外部の脅威に対抗しており、外部からの空前の圧力を受けているのだ。彼らがそれをやったのは、同志たちが前線で「一歩も退くな!」を標語に命を落としているときだったのだ。 だが国とその国民を裏切った、この反乱の首謀者たちは、この犯罪に引き込んだ者たちをも裏切った。首謀者たちは彼らにウソをつき、死に追いやり、攻撃にさらし、自国民を撃つように強いたのだ。 ロシアの敵——キエフのネオナチども、その西側のご主人どもや他の国民的裏切り者ども——が見たかったのはまさにこの結果、分断だったのだ。ロシアの兵士たちがお互いを殺し合うようにしたかった。軍人や民間人が死ぬのを見たかった。ロシアがいずれ敗北し、我々の社会がばらばらになって、血みどろの内紛の中で消滅してほしいと思っていた。 やつらはもみ手をしつつ、前線での失敗や反攻なる代物の失敗に対する復讐を夢見ていたが、連中は誤算をしていた。 反乱者たちの前に立ち塞がった、あらゆる軍人、法執行担当者、特殊サービスの人々に感謝したい。その責務を、誓いと国民への忠誠を忠実に守った人々に。撃墜された英雄的パイロットたちの勇敢さと自己犠牲が、ロシアを悲劇的かつ悲惨な結果から救ってくれた。 同時にワグネルグループの兵士や指揮官の大半は、国民と国家に忠実なロシアの愛国者でもあることを、我々は以前から、そして今も知っている。ドンバスとノヴォロシア解放での戦場における彼らの勇気がこれを証明している。彼らを当人たちの知らないうちに利用して、祖国とその未来のために肩を並べて戦っている、武装した同志たちに刃向かわせようという試みが行われたのだ。 だからこそ、こうしたできごとが展開し始めると同時に、私の直接の指示に従って、流血を避けるための手段が講じられたのである。これには中でも時間がかかった。というのも間違いを冒したものたちは、気を変えて、自分の行動が社会によって強く拒絶されることに気がつき、自分たちが引き込まれた無謀な試みが、ロシアにとって、我が国にとって、どれほど悲劇的で悲惨な結果につながるものかに気がつく機会を与えられねばならなかったからだ。 正しい判断を下したワグネルグループの兵士や指揮官たちに感謝を述べたい——それ以外の決断はあり得なかった。彼らは国を分断する流血を避け、引き返せない地点に到達する前に止まってくれた。 今日、君たちは国防省か他の法執行機関や公安機関と契約してロシアへの軍務を続けるか、あるいは家に帰る機会が与えられる。行きたい者は自由にベラルーシに行ってもいい。私は約束を守る。繰り返すが、だれしも自分なりの決断を自由に下せるが、私は彼らの選択が、自分たちの悲劇的なまちがいに気がついたロシア兵としてのものだと信じる。 ベラルーシ大統領アレクサンドル・ルカシェンコに、状況の平和的な解決に向けた努力と貢献について感謝する。 この日々の間に、国民の愛国感情とロシア社会の団結が決定的な役割を果たしたことは繰り返しておきたい。この支持こそが、母国のとっての最大級の脅威と試練を共に切り抜けることを可能にしてくれたのである。 これについてお礼を申し上げる。
再びロシア国民に向けて:プリゴジンの乱の弁解 (6/26) - 山形浩生の「経済のトリセツ」
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reportsofawartime · 2 years ago
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新疆に関する衝撃的な真実 2018年8月のあまり注目されなかった軍事会議で、戦略家のローレンス・ウィルカーソン大佐は、大規模な米軍部隊がアフガニスタン本国から1万2000キロも離れたところにある3つの本当の理由を、カメラの前で生ステージで明らかにした。 1. 中国の新たな双方向貿易ルートである「一帯一路」構想がこの地域を通っており、米国は「軍事力でそれに影響を与える」ことができるようにしたいと考えていた。 2. 米国はパキスタンの核兵器に近づき、「必要に応じてその備蓄を利用して安定化」できるようにしたいと考えた。 3. CIAは中国を不安定化させたいと考えており、情報戦略家らはその最善の方法は新疆ウイグル自治区の中国ウイグル族の不安を煽って中国政府に圧力をかけることだと判断した。 するとウィルカーソン大佐は笑いながらこう付け加えた。しかし、それは可能性です。だから私たちはそこにいるのです…」 彼は見事に的を射ていた。 2018年後半以降、CIAは新疆ウイグル自治区でのウイグル族の「暴動」に関する否定的なニュースを大量に発表し、これが中国政府への圧力となった。 。 CIAグループ わずか数カ月後の2019年、西側メディアは新疆ウイグル自治区で起きた気の遠くなるような数の大規模な残虐行為について、「世界ウイグル会議」と呼ばれる団体による多数の報道を掲載していた。 そして、このグループが海外の不安定化グループに資金を提供するCIAの一部門である全米民主主義基金(NED)から資金提供を受けていたことを読者に知らせるため、あらゆる言及は省略された。 「強制収容所にいる数百万人のウイグル人」に関する統計やその他のデータは、「ウイグル人権プロジェクト」によって提供された。このグループも NED から資金提供を受けており、情報は西側メディアの読者には提供されていません。 そして、「虐待されたウイグル人」へのインタビューは、「ウイグル人のためのキャンペーン」と呼ばれる団体によって提供された。この団体は、ご想像のとおり、NEDから資金提供を受けている。そして、いいえ、ジャーナリストは読者に資金提供を決して明かさないように注意していました。 謎のトロールファームが出現し、「強制収容所」での死者数が現在600万人以上と確認されているという「事実」に対する大量のほのめかしがツイッターに殺到した。 。 レポートライター 西側メディアの主な情報源は、反中国団体のために活動するエイドリアン・ゼンツ氏だった。彼は自分自身をドイツの独立研究者であると称していましたが、実際にはワシントン DC に拠点を置く反中国団体「共産主義の犠牲者」で働いていました。 ジャーナリストのトム・ファウディ氏は、謎の寄付によってグループの収入が2018年度には年間100万ドルに跳ね上がったことを明らかにした。 ASPIと呼ばれるオーストラリアの団体は、ビジュアル面に関して、新疆の強制収容所と慎重に誤ってラベル付けされた学校や自治体の建物の航空写真を送信し始めた。これらは西側メディアによって広く報道されたが、修正されることはなかった。 メディアはまた、ASPIは米国とオーストラリアの軍事部門によって後援されており、現在も後援されており、そのかろうじて隠蔽された使命は、西側の兵器産業への巨額の公的資金の流用を正当化するのに十分な中国人に対する憎しみを生み出すことであったことを読者に伝えることを省略した。 。 極度の冷笑主義 2017年に麻薬リハビリテーションセンターで座ってイスラム教徒の宗教講演者に耳を傾ける青い服を着た男性の画像が、2020年には強制収容所で残忍な虐待を受けた囚人であると誤って報道され、ほぼすべての主要主流メディアによって報道された。 国連人権委員のミシェル・バチェレ氏が、メディアの記事を逆戻りさせる非常に誤解を招く報告書の批准を拒否したとき、ほとんどがアメリカ人である同組織のスタッフは彼女の署名なしで報告書を発行した。 CIA はまた、ウィキペディアのすべての参照を管理して、物語と一致させるようにしました。 。 マスターストローク 要するに、ウィルカーソンが言及したCIAのキャンペーンは大規模で、驚くべき成功を収めており、エコノミストからガーディアン、ニューヨーク・タイムズ、BBCに至るまで多様な出版物が、偽の物語、ロック、ストック、バレル全体を飲み込んでいる。 筆者の意見では、CIA の見事な功績は、死の収容所にいる何百万人もの人々の偽りの物語を、部分的な真実に基づいて作成することであった。脱過激化プログラムは、他国と同様に新疆ウイグル自治区にも存在しており、中国当局者は、地球上の他の国の役人たちと同じように、宗教については不器用で鈍感だ。 しかし、本当に衝撃的なのは、西側報道機関の怠惰とだまされやすさです。 なぜ彼らはそんなに簡単にだまされてしまうのでしょうか? 米国国務省は地表からわずか 1 センチメートルの深さで、巨大なホースから税金を全方向に噴射しています。 なぜ誰もそこまで掘らないのですか?
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ari0921 · 1 year ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
   通巻第8118号
 孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
  吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
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 自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
 孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
 高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
 
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
 
 吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大��といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
 ▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
 孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
 孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
 戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
 「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
 吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
 つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
 江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
 「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
 つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
 ▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
 孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
 上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
 議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
 中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
 下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
 中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
 ▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
  『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
 「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
 いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
 アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
 (十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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